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現代人が納得できる日蓮教学
705
:
犀角独歩
:2006/05/03(水) 10:13:37
686に関して、691に反論しましたが、やや不徹底であったので、重ねて記します。
石山の教学では、本已有善・本未有善をいい、末法の衆生は本已有善の荒凡夫であると言いますが、日蓮の真蹟遺文からは、このような教学的態度は見られません。
日蓮の本門の強調は二乗作仏、久遠実成にその根拠を見ます。
二乗作仏についてはいまは措きます。
この久遠実成とは言うまでもなく、釈尊の五百塵点成道「我(釈尊)実成仏」を言うわけですが、わたしは、日蓮の思惟はここに留まっていない点を指摘したい。つまり、第一番成道の釈尊は、ここに法説し直ちに初発心の弟子との血縁を為すわけです。これが六万恒河沙数の菩薩です。つまり、久遠実成には久遠下種というセットがあるわけで、本未有善どころか、この久種の覚知こそ、日蓮教学の精髄をなすものです。日蓮はその久種の自覚に基づいて久遠本仏の法を弘めるというのです。この久遠に立ち還るとき、元来、未有善と見えた衆生は、過去遠々劫に既に本仏釈尊との結縁がある、そのことを久遠実成の本仏の施化から再び喚起せよというところに日蓮の下種の観念は有しています。日蓮が言う下種とは久種そのものです。
さて、本尊抄の
一往見之時以久種為下種 大通・前四味・迹門為熟 至本門令登等妙。再往見之不似迹門。本門序正流通倶以末法之始為詮。在世本門末法之初一同純円也。但彼脱此種也。
(一往之を見る時は久種を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟と為して、本門に至って等妙に登らしむ。再往之を見れば迹門には似ず。本門は序正流通倶に末法之始めを以て詮と為す。在世の本門と末法之初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也)
という文に就き、久種は脱益、末法は別の下種であるかの如く、誤読によって、石山教学は成り立っています。
しかしながら、ここでいう久種は正像のみをいうのではなく、この久種が正像においては等妙に登った衆生には熟脱の益となった。しかし、この久種が久種のままである衆生にとっては、熟脱となっていないので末法においても下種である。正像は2000年内の限定数の衆生脱益を果たしたが、漏れる衆生は久遠実成を寿量品から知り、その仏との久種を、いま末法に覚知し、下種をもって詮とするという日蓮の教学的態度がここに知られます。
忘持経事に
久遠下種之人忘良薬送五百塵点顛倒三途嶮地。今真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等学者等忘失仏陀本意 経歴未来無数劫沈淪阿鼻火抗。自此第一好忘者。所謂今世天台宗学者等与持経者等誹謗日蓮 扶助念仏者等是也。
(久遠下種之人は良薬を忘れ、五百塵点を送りて三途の嶮地に顛倒せり。今真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等の学者等は仏陀の本意を忘失し、未来無数劫を経歴して阿鼻の火坑に沈淪せん。此れより第一の好く忘るる者あり。所謂今の世の天台宗の学者等と持経者等との日蓮を誹謗し念仏者等を扶助する、是れ也)
ここに明確に「久遠下種之人…今世」と論談されるわけです。しかしながら、このことは日蓮を去ることを2000余年、霊鷲山の虚空宝塔における五字付嘱とは、舞台を異にしています。こちらは在世の物語です。石山圏には、どうも虚空会久遠永遠常住と見る錯誤を儘見受けますが、久遠下種、五字付嘱は、前者は五百塵点、後者は今般印度二千年前のことという別を日蓮はしっかりと御立てています。
なお、日蓮が漫荼羅を本尊としたということは真蹟遺文から諮れないことは既に述べました。もう一点。方便寿量の読経については、これは読経についてなのであって、法華経巻全篇の学習を禁じたものでないことは当然のことです。もし、禁じたのであれば、そもそも『注法華経』は現存するわけもないわけです。
石山が金科玉条に扱う『就註法華経御義口伝』は、法華全篇の文々句々の日蓮説法を日興が記したという伝説ですが、法華一経を読まずして何として、この講義を肯定することができるのでしょうか。
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