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現代人が納得できる日蓮教学
328
:
犀角独歩
:2005/10/18(火) 20:30:34
無徳さん
> …相変わらずですね。
それはあなたのことでしょう。議論の流れを無視して、突然書き込みをする、まあ、それはよいとしましょう。次に、こちらから「お久しぶり」と挨拶をしても、返答もせず、持論をごり押し、遂に頭に来れば、反論だけ書く。そんな態度は、大人げないでしょう。ですから、あなたはここでは議論ができないのです。215を云々していますが、敬うことを人に強要する前にまずは自分が手本を示されるべきでしょう。
年齢に見合った見本となってもらいたいということです。
あなたのやり方は、議論のエチケットに反していますよ。
> 大石寺に通用…戒壇の御本尊が失われる…通用する
何を言っているのだか、わかりません。
> 曼荼羅を御本尊…御題目を唱え感応同交…成仏が可能
ですから、その漫荼羅を弘安2年10月12日本門戒壇の大御本尊と規定することは実在かではないのかという質問です。
> …御本尊は単なる物ではない
では、単なる物でなければ何でしょうか。
漫荼羅の魂というのであれば、それを、では是としましょうか。
ならば、弘安3年5月9日の、それも真筆と認められない日禅授与漫荼羅を臨模・作為して弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊に仕立てられた本尊の魂とは何でしょうか。それに魂があれば、嘘、偽りと言うことでしょう。
> 貴方自身の215のご意見に齟齬
まあ、こんな嫌みしか言えず、問われたことに何も答えない、相変わらずのやり方では、個人の信仰のからは守れても、社会一般には通用しません。
この言葉については、冒頭に記したとおりです。
さて、ついでに書いておきましょう。
この漫荼羅と魂の問題を突き詰めると、ついには弘安2年10月12日・本門戒壇の大御本尊のみとすることはできなくなります。
なぜならば、その信仰者は、遠目でしかそれを見られず、何が書かれているのかもわからないからです。また、弘安2年10月12日という日付に拘っても、そこに何らこの本尊が唯一であるとする裏付けはありません。つまり、この日付に魂はありません。
漫荼羅ではなく、その魂と言うことであれば、日蓮の、どの漫荼羅と断定することはできません。すべての漫荼羅は等しく日蓮の魂が宿るのであり、また、その日蓮を崇拝し、書写された漫荼羅も等しく魂を有するでしょう。
以上のように考えていけば、漫荼羅・魂論とは弘安2年10月12日楠板彫刻本尊という特定漫荼羅本尊を斥ける結果になるのは理路整然としたところです。
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