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現代人が納得できる日蓮教学

372湛寂の潭に溺死:2005/11/01(火) 03:53:58
現代人には日蓮どころか、ゴータマの仏教それ自体が納得不可能ではないだろうかと思う。
少なくとも私にとってはそうだ。
阿含経などによるならば、舎利佛、目連、阿難、迦葉など主だった弟子の多くは自殺しているらしい。
ゴータマ自身も自殺したと見る者もいる。
どこまでが事実であるかは無論、不明ではあるが、全くでたらめを書いているわけでもないだろうと思う。

悟りを得た者は自殺してもいい、ということらしい。
ゴータマの教えというのは、結局そういった方向性のものであるのは否定しようがないだろう。
生きることを否定しまいかねない教えというものは、終末思想とどれほどの差があるのだろうか。
客観的に見て、このような教団が現代にあったとしたらと思うと、私は正直ゾッとする。

我々は子供に、知らない大人についていってはいけないと教えるだろう。
それと同様に、我々は2500年前や700年前の、実際にはどのようであったか、
決してわからぬ人物を簡単に信用してついていってはいけないのではないか。
同時代に生きる人間を神聖視することを我々はそう易々と許さないだろう。
にも関わらず何故、同じ視線をゴータマにも日蓮にも向けない人が後を絶たないのだろうか。

2500年前、あるいは700年前という遠い昔に既に死んでしまってすでにこの世にいない人物が、
実際にはどう考えていただとか、こだわることにどのような意味があるのか。
意味があると確信ある御先輩がいらっしゃれば是非、ご意見を求めたい。

また、教義によっても伝承によっても思想によっても信仰によっても議論によっても
涅槃を得ることは出来ない、とスッタニパータには説かれているが、
これについても合わせてご意見を頂戴できたらと願います。


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