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現代人が納得できる日蓮教学

811乾闥婆:2006/06/22(木) 01:45:46
一字三礼さん。

>これでは、あなたが‘明らかな間違い’と指摘する根拠がないということになるでしょう。

私は‘明らかな間違い’と指摘する根拠を示しました。『岩波仏教辞典』「釈迦」の項目における生没年「前463-383頃、一説に前566-486頃」。

>いえ、そんな感じだったのではないでしょうか、もしくは一番理屈が通っていると考えたのかもしれませんね。

驚きました。蓮祖の遺文中に「いくつかの教相判釈があり、それらはどれも相応に正しい」と受け取れる記述があるのですか。

>「四十余年未顕真実」とは「無量義経」に出てくる経文のです。経典に説かれる事柄を日蓮聖人が現実と捉えていたと考えるのはナンセンスであり、意味がありません。

なぜ経に出てくる「四十余年未顕真実」という言葉を蓮祖が現実ととらえていたと考えることがナンセンスなのでしょうか。現に蓮祖聖人はこの言葉を使われて法華経の優位性を主張されています。

>これは、法華経の釈尊の仏土を顕す経文で、現実的にはありえようもない娑婆浄土ですね。これを現実にインドに存在すると考えられたでしょうか。

それら法華経の記述を、現実的にはありえないと考えるのは、現代人の視点ではそうなのだと思います。中世日本において、経典表現の位置づけが、広く虚構と受け止められていたのでしょうか。なによりも蓮祖が虚構と認められていたとはっきり分かる遺文はあるのでしょうか。

>本当に日蓮聖人が法華経が全て事実であり、現実に起こったことと把握したのであれば、日蓮聖人はインドの霊鷲山に向かわれたのではないですか。「常在霊鷲山」は法華経の中心、寿量品のご金言ですから。

そうでしょうか。「一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山」であれば「南無妙法蓮華経」と唱える蓮祖はすでに「常在霊鷲山」の教主釈尊を体感しているのではないでしょうか。この点は以前の犀角独歩さんの発言に強い感銘を受けました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/125

>日蓮聖人は法華経のみならず、一切経を衆生の己心のことを考えておられたのではないでしょうか。これは顕正居士さんが仰るように、仏典は報身如来の説と考えられたからでしょう。

己心をめぐっての議論は一字三礼さん犀角独歩さんとの議論を待ちたいと思います。私はむしろ「日蓮聖人は法華経のみならず、一切経を衆生の己心のことを考えておられた」と受け止めたい人間です。しかし現在はこのスレッドでの遣り取りを通してそのように受け止めなくなってしまっています。そのことにも私は苦しんでいるのです。


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