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現代人が納得できる日蓮教学
511
:
顕正居士
:2006/02/28(火) 12:05:44
ところで二つの一念三千について日寛師の説をみると、
「諸抄の中に二文あり。一には迹本倶に一念三千と名づけ、二には迹は百界千如と名づけ、
本を一念三千と名づく」
「迹門は未だ国土世間を明かさざる故に百界千如に限るなり、而るに迹門方便品に一念三千
を説くと云えることは正に必ず依あり、故に与えて爾云うなり。若し奪って之れを論ぜば迹門
は但之れ百界千如なり」
と明晰です。一念三千は「義分は本門に限る」のです。
この後は独特の説になります。一念三千は「義分は本門に限る」。しかし本尊抄に「百界千如、
一念三千其の義を尽くせり。但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字…」、『但論理具』
という。ゆえに「彼は迹門の一念三千」(富木入道殿御返事)とは「面裏の迹本倶に迹門と
名づくるなり」、「是れは本門の一念三千」とは文底独一本門を指すのであると。
「一念三千の観法に二つあり」とは一個の一念三千の教義について二種類の観法があると
いうことで、決して一念三千が二つある意味にはならない。ただし日寛師の説は文底本門を
いっても、一念三千が幾つもあるということでは必ずしもない。事の一念三千といえば、理の
一念三千と二つあるように思えるが、一念三千の事観というのと同じと考えれば、一念三千
自体は一つであるから。
http://nakanihon.net/nb/rokkann1.html
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