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現代人が納得できる日蓮教学

858犀角独歩:2006/06/25(日) 08:54:22

マインド・コントロールの環境の中では、グループが信じることを単なる理論だと見なす余地はない。教義こそ現実そのものなのだ。グループによっては、物質世界全体が幻想であり、したがって思考も願望も行動もすべて(カルトが定めたものを除き)実際は存在しないのだと教えさえする。


カルトのいちばん効果的な教義とは、エリック・ホファーの言葉を使うなら『証明も評価もできな い』教義である。それは非常に複雑なため、解くのに何年もの努力が必要だということになってい る(もちろんそのころには、人々は教義を学ぶことよりも資金集めとか勧誘のようなもっと実際的な仕事へ向かってしまっている)。

教義は受け入れるべきものであって理解すべきものではない(という)。それゆえ、教義は、漠然 としていて包括的で、しかもじゅうぶんに調和がとれて一貫しているように見えなければいけない。その威力は、これこそ万物を包摂する唯一の真理なのだと断言するところからくる。
マインド・コントロールの正否は、その人の中に新しい人格を作りあげることにかかっているので、カルトの教義は、きまって、あなたは自分自身を信じてはならないと要求する。教義が、思想と感情と行動のすべてを決める『マスター・プログラム』となる。それは完全で絶対的な真理そのものなので、教義のどんな欠陥も、信者自身が不完全だからそう見えるのだとされる。信者は、たとい本当には理解できなくても、決められたとおりの信条に従わなければならないと教えられる。同時に、真理をもっとはっきり『理解』できるようになるには、もっと働き、もっと信仰を深めなければならないといわれる。

以上、『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版)から。

「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし…智者に我義やぶられずば用じとなり。其外の大難、風の前の塵なるべし。我日本の柱とならむ」(開目抄)

さて、如何にして法華経を捨てざらんか。日蓮の義は近代の前に破られたのか。もし、破られていないというのであれば、批判者、不信者を排除して、自分の信仰を守ろうとするのではなく、何が破られていない日蓮の義であるかを、ここに明確に提示する必要があります。しかしながら、わたしの疑義の提示は、他者へのものではなく、わたしが己心に見ていた法華経・日蓮義一切の総点検のための自問自答であり、その果てに一体何が残るのかという試論でもあります。ここに一切の妥協はありません。


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