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現代人が納得できる日蓮教学

503れん:2006/02/26(日) 21:36:37
一字三礼さん、返レス有難うございます。
一字三礼さんが、今御講義を受けられておられる開目抄からは、だいぶ先の身延期の日蓮の著述になりますが、弘安元年六月の治病抄に
「法華経に又二経あり。所謂迹門と本門となり。本迹の相違は水火天地の違目也例せば爾前と法華経の違目よりも猶相違あり…今本門と迹門とは教主すでに久始のかわりめ、百歳のをきなと一歳の幼子のごとし…本迹を混合すれば水火を弁ヘざる者也…」と日蓮は法華経本迹二門とその教主において本勝迹劣を思考していたことが述べられ、本抄末尾に
「一念三千ノ観法に二ツあり。一ニハ理、二ニハ事なり。天台・伝教等の御時には理也。今は事也。観念すでに勝る故ニ大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門ノ一念三千也。天地はるかに殊也こと也と、御臨終の御時は御心へ有るべく候」と、天台大師の一念三千を理・迹門の一念三千と規定し、日蓮自身の一念三千を事・本門の一念三千と規定しており、その勝劣を述べておりますから、日蓮には一念三千について事・本門と理・迹門に立てわけ、自らのそれを事・本門と規定していたことは理解出来ます。十章抄や開目抄の著述からは年代が下りますが、上記の真蹟遺文によるかぎり、多分、日蓮の中では、天台の一念三千を本門立ちのものとは恐らく考えてなかったのではないかと愚考します。
>別件…国訳大蔵経…妙法蓮華経憂波提舎のコピー…お心遣い誠に有難うございます。お手数をおかけいたしますが、何卒宜しくお願い申し上げます。


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