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現代人が納得できる日蓮教学

502一字三礼:2006/02/26(日) 20:40:58

れんさん

レスありがとうございます。

> 日蓮の認識としては、天台のそれは、迹門方便品の十如実相・二乗作仏等を出処として立てられたが、〜中略〜日蓮の立場はその久遠実成の釈尊に即して立てた本門の一念三千を真(まこと)の一念三千とするといったものではないか

ご指摘の点、私もそのように考えておりました。
しかし、真蹟のご遺文に天台の一念三千が’迹門立ち’であるとの見解を示されているものがありましたでしょうか。私はれんさんと違い、本当に’不勉強’なものですから、見落としているのかもしれません。

れんさんの挙げてくださった「十章抄」「開目抄」でも天台の一念三千が迹門立ちであるとは書かれていないように思えるのですが、いかがでしょうか。

例えば、「開目抄」の有名な箇所ですが、

「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。」

’但我が天台智者のみこれをいだけり’が重要で、この文をそのまま読むと日蓮は、所謂’本門立ち’の一念三千は天台大師所具の法門であると理解していた事にはなりませんでしょうか。

つまり、日蓮の本門を中心とした一念三千の理解は、天台大師の一念三千理解と同じと考えておられたのではないでしょうか。


別件です。

3月の松山先生の講義の折、もしご入用でしたら、国訳大蔵経の「妙法蓮華経憂波提舎」のコピーを持参いたします。

先生が注目しているのはShddharma‐pundarikaとの比較で、妙法蓮華経の17の異名を述べる箇所であろうと思いますから、熟読の必要はないとは思いますが(妙法蓮華経憂波提舎自体、そこ以外はあまり読んでも意味がありませんし)。


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