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現代人が納得できる日蓮教学

626文殊:2006/04/22(土) 18:34:50
「三世諸仏総勘文教相廃立」は弘安二年十月との系年になっていますが、
なぜ農民信徒斬首事件の渦中にあってかくも冷たい思索に終始しているの
かは私にとって長年の疑問です。「なごへの尼せう房・のと房・三位房」
(「聖人御難事」十月十日、中山法華経寺)「種種の秘計を廻らし近隣の
輩を相語らい遮つて跡形も無き不実を申し付け」(「滝泉寺申状」十月、
中山法華経寺)と緊迫していた状況でした。この時は三位房の離反事件
があり、京畿遊学経験の三位房に代わって、関東天台出身の日興が頭角
を現した時期でもあります。苅田狼藉事件農民信徒逮捕拘留にあって、
日蓮が源信の「自行略記」を参照しつつ「総勘文抄」を「執筆」して
いたと仮定すれば、「善知識」(日蓮は教団内の秩序として「師弟」義
と同じ意味で用いていたと考えます)の重要義を説示したのでしょう。
但し、「総勘文抄」のどこからどこの部分が「自行略記」からの引用
であり、肝心の日蓮の独自思想はどこにあるのかは、「自行略記」と
の厳密な検証が必要です。さしあたり、私は結論部分に着目してみた
のです。「春の時」「風雨の縁」「秋の時」「月光の縁」「三世の諸仏と
一心に和合して妙法蓮華経を修行」師匠の日蓮に従って一心に唱題
行に励むならば成仏できる。これを知るを本覚・仏であり、これに
迷うを無明・凡夫であるぞよ、いかなる障り(法難)も日蓮とともに
乗り越えていこうとの趣旨でしょうか。犀角独歩さんのような明晰・
合理的な書誌学的考察には及びません。「總」の用例については思い
もつきませんでした。長くなるので続きは数時間後に改めて投稿します。


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