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現代人が納得できる日蓮教学

1003犀角独歩:2008/07/29(火) 10:29:12

問答名人さん

重ね重ねのご回答有り難うございます。
同じ宗派に属し、そして、その嘘を暴いてきたという点で、問答さんとは共通するところが多いと思いますが、そのなかでも取り分け、相違していると思われる点を選びながら質問をさせていただいております。

漫荼羅の複製に関しては、日蓮は是認しないだろうと、わたしは考えています。
日蓮が所持していた法華経は版本であり、また、日興から程近い時代に「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由」という記述から、鎌倉時代には版木技術は既にあったと思われます。そうしたなかで、あえて日蓮がこの複製を採用しなかった歴史認識が、わたしにあるからです。

また、允可という点で申し上げれば、授与書がもっとも重要な点になるわけで、この点を複製は省かれますので、允可とは言い難いように思えます。
もっとも、日蓮には允可の意味をもって書き渡していたように思えますが、六老以下、そうした意識が継承されたようにも思えません。

以上は、わ僧侶を否定するのはたしの考えです。たぶん、こうした考えの相違から、問答さんは印刷可、わたしは不可という見解の相違が生じていることがわかりました。この点は、現時点で日蓮の真意を斟酌できかねますので、見解の相違の確認に留めたいと存じます。

> 僧侶を否定する

やや、わたしの投稿が悪文であるため、誤解を生じたかも知れませんが、わたしは僧侶を否定するというのではなく、僧侶が日蓮の本意を伝えないのであれば、日蓮に直接遡源するほか手だてがないという苦肉の選択を述べました。

この件は以上とします。


> 曼陀羅を受持…本当の允可の意義は存する

允可であるというわたしの見解に同意してくださったと理解してよろしいでしょうか。違っていれば訂正いただければと存じます。

曼陀羅受持が允可であったとして、ご質問いたします。

(1) 売店、仏壇屋、また、ダウンロードといった方法で得た本尊は自主購入ですから、これを允可とは呼べません。こうした印刷物は本尊としては不可ということになりますか。
(2) 允可された僧、もしくは組織が嘘偽りをもって信者を誑かすものである場合、この允可は、どのような意義を有するとお考えですか。

前後しますが、以下の点についてもお伺いいたします。

> 曼陀羅の記載内容に価値がある

ここで仰る記載内容とは具体的に何を指すのでしょうか。中央首題ですか、十界諸尊を含めてですか、日蓮在御判、授与書、讃文、釈文(若悩乱者など)はどうでしょうか。

一遍首題に二仏の本尊、また、四天王を配さない本尊、また、諸尊勧請は区々ですが、こうした記載内容の相違は価値の相違を意味するとお考えでしょうか。

以上、お願い申し上げます。


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