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現代人が納得できる日蓮教学

238犀角独歩:2005/10/04(火) 17:15:24

―237からつづく―

> 崇高な精神、そして迫害に対するあの毅然たる姿勢、忍耐への決意、孤高なる殉教精神――それらはいったいどこからきた

ここは実に興味深い点だと思います。やはり西方の影響としか思えないのですが、この点では、しかし、根拠がありません。描写から読み取るほかありません。しかし原本から読み解きはあるのでしょう。

そのテーマはまさに救世主思想であり、終末思想であり、そして、殉教精神です。こんな考えは、旧来の仏教には見られないわけで、糸を手繰れば、菩薩から弥勒(マイトレーヤ)、ミトラ。このことは、ここでも議論されてきたことです。ところが、この弥勒を漢訳でいえば求名、岩本訳では「ヤシャス=カーマ(名声を欲しがる者)」(上 P51)というわけです。まあ、この名前は、弥勒に対してかなり辛辣であり、この弥勒信仰に対抗心を感じさせながら、しかも、摂取するという構えです。となれば、直接の流れであるとは言い難いことになります。はて、いったい、この創作者集団とは?と考えさせられます。実際のところ、法華経に出てくる菩薩のように、活躍した人々など、まったく存在せず、1から10まで完全の物語という可能性もあるのかもしれません。わからないところです。

> 「仏教の漸衰滅亡を示す言葉とそれを使ったロジック」は、少なくとも法華経の専売特許とまではいえない

これはもちろん、そうでしょう。第一、『大集経』があります。
正像末を考える基礎理論は、後天的な年限指定(50年、100年、500年、1000年)のほかに、もう一つ要素があります。いうまでもない教・行・証です。まあ、この点は追って記そうと思います。

> 習合に習合を重ね、また「ええとこ取り」することなど当たり前で、要は「何でもあり」

これまた、しかり。ごもっともです。

> 法華経梵本に見られる「仏教の漸衰滅亡を示す言葉…時代の流行……「憂い」「鬱憤」…上座部の優位…干渉・排除に対抗する大乗教団共通の論法

ここのところは実に難しいところですね。
いずれにしても、先行勢力に対する抗いを感じます。
非常に穿った言い方なのですが、このようなロジックを使う集団にとって、それ以前の教え(法)と集団は滅んでくれないと自分たちの優位がないという仕組みもあるのではないでしょうか。

これは、特に富士門系教学でも同様な点です。「白法隠没」とか、像法の仏に代わって、久遠本仏=日蓮が現れるとかいう論法は、要はそれまでのものは滅んだ、だから自分たちだという極端なご都合主義で一貫されています。わたしはこのような姿勢にはまったく反対で、法華経のなかでも法滅尽で一貫しているのではなく、独り寿量品では、五百塵点劫のさらに今後2倍の寿命を有する仏がここ娑婆世界で「常住此説法」するというのであって、末法どころの騒ぎではないわけです。ところが寿量品が肝心だと言いながら、法滅尽だというわけです。いったい、何を言っているのだというのがわたしの思いです。この極端な矛盾が平然と無視されて、やれ末法だというのは、どうにもわたしは納得がいかないわけです。


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