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現代人が納得できる日蓮教学

434とんび:2005/12/05(月) 22:03:54
法華経について気になったところ。

もうすぐ、本が届く予定です。
授記品で、かしょうやしゅぼだい(変換できず、入力大変です)が、成仏の記別を
受けますが、「最後身に於いて」とでてきます。
 これは、衆生として生まれるのが、最後だよ..という意味なのでしょうか..。
だとしたら、成仏という言葉より、解脱という意味合いの方が濃くなってしまいます。

 解脱という思想をもってくると、アートマンとかブラフマンとかいう外道系の思想や
原始仏教?の色合いを感じてしまいます。

 たとえば、久遠に於いて、日蓮さんが仏、釈尊が弟子。釈尊が成仏の記別を受ける。
「汝、未来世に於いて、むしょこうをすぎて、まさに最後身に於いて作仏すべし、名を
釈迦如来といわん」といわれたとすると。

 印度応誕の釈尊は、その生涯をとじて、解脱した。もうどこにも存在しない。
 輪廻から解脱したのだ...と。

 新興宗教など、たとえば幸福の科学などは、「霊界の釈尊から、霊界通信を受けた(趣意)」
とかいいます。釈尊は完全に解脱した..と信ずる人は否定するわけです。

 大乗仏教や日蓮さんは..この汚れていると思われる凡夫の身が、実は釈尊と同じよう
な仏なのだよ..と。しあわせになるのは、解脱することでも、あの世に行くことでもない、
浄土や他の理想郷に生まれることでもない、今あなたの、物の見方一つ変えるだけで、今いる
ところが、寂光土・仏国なんだよ..ということなんでしょうか、即身成仏ということで。
 思いのままの言葉ですが。

 成仏といっても、正宗系では、何度も人間として生まれるわけですが、成仏=解脱(この場合六道
の苦しみから解脱するということではなく)ならば、衆生として、完全な「無」の状態になること。

 原始仏教については、まったく詳しくないのでわかりません。
 このあたりも、よくわからないままでいます。


 
よくいいますが、


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