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現代人が納得できる日蓮教学

630犀角独歩:2006/04/23(日) 09:20:44

―692からつづく―

なお、本覚論ということについて、一言すれば、そもそも日蓮にはそんな認識はなかった、始覚も本覚も意識などしていなかったという実状ではないかと思います。先に記しましたが、本覚が一つの判断肢になるのは、近代の島地大等師以降のことなのであって、日蓮のあずかり知らないことでしょう。もちろん、現代から見て、日蓮の学風は、いったい、どこに分類されるのかという学術研究は可能です。しかし、いまの本覚眼からの日蓮解釈というのは、上述したような“執着”ばかりが鼻につきます。

要は真実は何かということを、いったん、自身の信仰執着から離れた視点から冷静に観察しない限り、この正確な認識は困難でしょう。そして、そこで判断基準になるのは注法華経、真蹟遺文、まあ、敢えて加えれば曽存ということになるのでしょう。石山に永らくいると、この判断肢が、それまで学んできてしまった写本に対する執着が邪魔をしますし、何より彼の偽物4点セットを否定もできないという“しがらみ”もからみつきます。結局、せっかくの学識、努力を払っても、真実を語れないというお気の毒な結果になるのが、先に文殊さんが尊敬を払って紹介された石山学僧の有様ということではないでしょうか。尤も4点セットに関しては正信会も同様で、故に、わたしなどより、遙かに研鑽、研究もしている御仁たちに、真実を探求と実践を生涯の課題とした日蓮の魂への信仰の原点に還れと言わなければならないことになるというのが、当掲示板での、わたしの発言という殊にならざるを得ないことになるわけです。

それにしても、文殊さんは「素人在家」などと自己紹介されていますが、わたしは平成初頭から数カ年、教学部と、石山宗務員内事部『大日蓮』編集室から仕事を請け負っていたので、その周辺の人々はそれなりに知っているつもりではいましたが、あなたのようが学識のある方がいらっしゃることには遂に気づけなかったのは残念でした。もう少し、早く出会いたかったと今般、思ったものでした。

長くなりましたので、627については改めてとさせていただきます。


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