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現代人が納得できる日蓮教学

287犀角独歩:2005/10/13(木) 10:07:36

一字三礼さん

観音についてですが、「自在(isvara)」ということがキーワードになっているわけですね。

『あらゆる方角に顔を向けたほとけ(CHAPTER CALLED THAT OF THE ALL-SIDED ONE, CONTAINING A DESCRIPTION OF THE TRANSFORMATIONS OF AVALOKITESVARA.)でも登場する世自在王(Lokeshvararaja)は Siva に起源を求める説もあるわけです。

オウム真理教がシバ大神をサティアンに祀ったとき、「オウムが仏教だというけれど、シバなんか祀るのは仏教はない」と言って失笑を買った識者がいたと記憶します。それもそのはずで、Siva は日本名で他化自在天、第六天の魔王として日蓮漫荼羅にも勧請されているからでした。。

この世自在王の自在、観自在菩薩の自在、共に「自在」で共通していることになります。これは偶然ではないと思えます。

ただ、自在(isvara)にどのような思想性があるのかは、わたしにはわかりません。ただ、この脈絡から『御義口伝』の「自受用身(ほしいままにうけもちいるみ)とは一念三千なり」という一節が思い起こされました。説明するのは容易なことではないのですが、何らかの脈絡を感じなくもありません。

もう一点。世自在王(Lokeshvararaja)が Siva であり、シャーラ王(Sala)が Visnu であるということは、要は、ここの記述はヒンドゥー教の二大神を意識した構成になっているわけなのですね。その延長にある Amitabha という位置づけが窺えます。

今さら気付きました。


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