したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

現代人が納得できる日蓮教学

299Poh:2005/10/14(金) 08:53:29
1)
独歩さん

華厳経関係の書籍・資料は貸し出しておりませんので、幸いなことに多少は手元にありますし、また先にお話ししたように、ちょうど現在必要に迫られて再読をしはじめたところでもあります。
先だってお手数をおかけしたお詫びに、せめて引用だけでもさせて頂きましょう。(笑)

「インドにおいては、『華厳経』を構成している各品である『十地経』や「入法界品」などは流布していたが、これらの小さなお経を集めて編纂された大華厳経は、まだ存在していなかった。中央アジアの于■【門+眞】[うてん]において初めて現存する『華厳経』が編纂されたのである。」(鎌田茂雄『華厳の思想』講談社学術文庫。P24)

「『華厳経』、詳しくいえば『大方広仏華厳経』とよばれるものが漢訳に三本あり、巻数にしたがってそれぞれ『六十華厳』『八十華厳』『四十華厳』とよばれるが、このうちの第三は前の二の最後の大きな章『入法界品』のみに相当する。
 『華厳経』のうちでサンスクリット語原典が現存するのは『十地品』『入法界品』の二章のみで、いずれも独立の経典としてネパールでは“九の法”のうちに数えられている(*)。
          *そのほか『普賢品』の大半と『十廻向品』の一部とが『シクシャーサムッチャヤ』
           (漢訳『大乗集菩薩学論』)の中に引用されていて、その原文をみることができる。
 また『華厳経』のうちのいろいろな部分はそれぞれ独立の経典として漢訳されているものがある。翻訳は古くは二世紀後半から新しいものは八世紀末までにわたり、同じ本が何度も訳されているのを比較すると変遷の跡もわかるが、また異本が同時に並行して行われたと思われる例もある。さまざまの漢訳の単行本があるところをみると、もともと別別の経典であったものを次第に集成して『華厳経』という一大集成ができたものと推定される」(渡辺照宏『お経の話』岩波新書。P149)

「華厳経は『大方広仏華厳経』の略で、方広(ヴァイプリヤ)は大乗を示し、仏華厳は仏が完備する深遠なさとりを花環(アヴァタンサカ)で飾りたてる。その原典は『十地経』と『入法界品』という別の二部であり、それぞれは古く、サンスクリット本も漢訳もある。現存する華厳経は、漢訳が五世紀はじめの六十巻本と、七世紀末の八十巻本とあり、別に『入法界品』の八世紀訳である四十巻本もあって、各々は六十華厳・八十華厳・四十華厳と通称され、そのうち六十華厳が古くから読まれる。」(三枝直悳『仏教入門』岩波新書。P153)


「華厳経として現在あるものはひじょうに厖大なものですが、最初からこのような大きな経典がまとまったものとしてあったわけではありません。はじめは各章(品といいます)が、それぞれ独立した経典として少しずつつくられました。もっとも古いものは「十地品」で、『十地経』(サンスクリット語で「ダシャブーミカ(Dasabhumika)」)として編纂されたのがだいたい西暦紀元一世紀から二世紀ごろです。そして『華厳経』全体が集大成されたのは、、四世紀ごろではないかと推定されます。
          (中略)
「入法界品」の原名はガンダヴューハ(Gandavyuha)であったことが知られていますが、ナーガールジュナ(竜樹)の著作に『不可思議解脱経』として引用されていることもありますから、古くはこの名でよばれていたこともあったのでしょう。Gandavyuhaとは「雑華の飾り」という意味です。そうしてまた『華厳経』の原名もGandavyuhaと称していたようです。『華厳経』はまた、『雑華経』とか『百千経』とかよばれていたこともあったようです。
          (中略)
『華厳経』はいろいろな人が手を加えたらしいので、訳によってかなり相違がありますが、古い訳である六十巻本によると、この経典は七処八会、三十四品(章)からなっています。七処とは、説法の場所が七つあることを示しています。八会というのは、集まった会座の数が八つあるということです。」(中村元『華厳経・楞伽経』東京書籍。P16〜P21)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板