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現代人が納得できる日蓮教学

737犀角独歩:2006/05/07(日) 12:28:29

『表白』が果たして、日順の作であるかどうかという点は、まだ一考を要しようかと存じます。

理由は1318年、すなわち文保2年の前年に日順は重須学頭になったばかりであり、表白を記したという年は日興が問答講を始めた年に当たります。

つまり、1318年に日順が宗祖本仏論を濫觴としていたとすれば、健在の日興とは隔壁のある論をここに立て始めていたことになります。任じた日興に宗祖本仏観がなかったのにも拘わらず、日順はそれを表することがあり得るかという疑問があります。

また、表白は大師講のものであると思えますが、しかし、健在な日興を差し置いて、また、学頭というのは学問所の長に過ぎないわけですから、坊主(ぼうぬし)を差し置いて、北山所住の日順を表白を為すことにも疑問の余地があります。

また、仮にこの書を、日順真筆としても、これをただちに日蓮本仏論とつなげるのには、即断とも思えます。それは日興との兼ね合いからもそのように考えるということです。ただし、その他の顕正居士さんのご賢察は、その限りではありません。

日順の富士の伝記と係る著述といわれるところは、実に不審なところが多く、直ちに信頼できません。延元元(1336)年、「両眼を失明したが、その後も精力的に著述に励み」(日蓮宗事典)などとされますが、実質上、そのようなことは不可能でしょう。

また、日順は、正平9(1354)年の寂とされますが、『富士年表』では、それを認めず、その翌年に観開両抄を講じ、さらに同見聞を述し、同10年に『念真摧破抄』を遺したことになっています。これら、日順史跡の判断は到底、信頼できるものとは言えません。日順の若年が間違っているのか、著述の特定が間違っているのか、まだ、落着にはほど遠いところがあると存じます。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/nitijun_nenpyo.htm


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