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現代人が納得できる日蓮教学
498
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/02/20(月) 07:54:31
>495れんさん
>祖滅50年頃云々は記憶違いでした
法華本門宗要抄の成立については『日蓮聖人遺文辞典 歴史篇』(昭和60年、身延山久遠寺)の「法華本門宗要鈔」の項(1042頁)に宮崎英修氏が「一般に本書は日蓮滅後四、五十年ごろの成立と考えられている」と書いています。ただ日興上人の御遷化が正慶2(1333)年(聖滅後52年)ですから、それより古いとは考え難く日蓮滅後四、五十年ごろの成立というよりは60年ごろというのが妥当でしょう。延文5年(祖滅79年)に代師雑記が書かれていますので、「聖人滅後七十餘年の頃」(山川智応『日蓮聖人研究 第一巻』昭和4年、新潮社、94頁)という考えもあります。
>三宝寺本録外御書写本・・於下野国〈富士門流石田法華堂〉以御自筆正本書写之
>石田法華堂が日尊門流寺院であった・・日辰師の「祖師伝」日尊伝・・室町末期まではその存在は確認・・日尊開山の寺院・・下野国・・日尊師開山の石田法華堂に比定
御書システム コラム 2005.8.1.には渡辺師の「「法華本門宗要抄」を読み直す」という論文には、「「抑此の御書は真間華蔵坊小浜長源寺日源、下野国〈富士門流石田法華堂〉に於て御自筆の正本を以て之れを書写し奉る。日源日中に示す、斯の如し矣、此の本を以て之れを交し訖んぬ云云。」
これによれば長源寺開基の安住院日源(1362〜1435)が、下野国にある日尊門流の石田法華堂において、『宗要抄』を書写し、青蓮坊日中(中山門流)に示したとある。因みに寺伝によれば、長源寺の建立は康暦二年(1380)である。」
とありますので、「法華本門宗要抄」の正本が尊師開基の石田法華堂にあったとするなら、れんさんの御指摘のとおり、法華本門宗要抄は尊門による偽作ということが濃厚となります。
但し、疑問点があります。『昭和定本 日蓮聖人遺文 第三巻』(昭和63年改訂増補版)の「法華本門宗要鈔」の注には、【寫】三寶寺本【刊】受715 (2150頁) とあり、御書システム コラムに「はじめ『宗要抄』は慶安2年(1649)の『他受用御書』に内容が大幅に省略されて収録・刊行された。その後の『縮刷遺文』『定本』『新定』などの御書集にも、その形が踏襲された」とあるように「昭和定本」の同鈔は録外の刊本『他受用御書』が底本と判断されます。そして『昭和定本 日蓮聖人遺文 第三巻』2168頁の同鈔の注に、「奥書『私曰 御正本富士西山有之矣(以下略)』と奥書に正本は西山に之ありかとしています。しかしながら、西山本門寺開山の日代師は延文5(1360)年の雑記で偽書とされているわけで、この奥書内容は不審といえます。山川智応師も板本「他受用御書」の「本門宗要抄」の奥書について、「御正本富士西山にありとは、西山に僞書説あるを知らずして、斯の如く記せるものか」(『日蓮聖人研究 第一巻』94頁)と指摘されています。代師も延文5年の雑記に「自下野國出之(下野国より之をだす)」とされていますので、やはり正本は下野国にあったと考えたほうがよさそうです。
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