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現代人が納得できる日蓮教学

242犀角独歩:2005/10/05(水) 10:52:31

*先の投稿の訂正
霊山参集の弟子を、わたしは「万二千」と記しましたが、これは、なんとも基本的な間違いでした。実際は「…与大比丘衆。万二千人倶。皆是阿羅漢…学無学二千人…与眷属六千人…菩薩摩訶薩。八万人…菩薩摩訶薩。八万人倶。爾時釈提桓因。与其眷属二万天子倶…万二千天子倶…若干百千眷属倶…王。各与若干百千眷属倶…各与若干百千眷属倶…各与若干百千眷属倶…各与若干百千眷属倶。韋提希子阿闍世王。与若干百千眷属倶…」(序品)という総数でした。


小池さん

232〜236には、松山俊太郎師の講義を紹介したもので、いわば師のお考えということです。その点を押さえて、以下ご質問にお答えします。

> 「サダルマ・プンダリーカ」(妙法白蓮華)というのは「釈尊」自身のことを比喩的に述べている

毎回、松山師が仰ることなのですが、『Saddharmapundarika』という経典の最たる特徴は、この経題の意味が本文中に何ら説明されないということだと言います。
しかし、その前提で、見宝塔品にいう saddharma-pundarika は釈尊を指しているというのです。現段階で、講義は同章(品)に及んでいませんので、師が言う詳しい意味はここにご紹介できません。

わたしの個人的な意見を述べれば、果たして、そう言えるのだろうかという疑問があります。故に該当部分の講義を待っています。

岩本師直訳で読み限り、「正しい教えの白蓮」はあくまで、経典そのものを指すように思えます。そして、全編を通じて、言えることは、では「正しい教えの白蓮」という経題がどのような意味なのかという点は本文中には結局、記述されていません。

なお、小池さんが「白蓮華」と記されたのは、当を得たことで、松山師自身、「白蓮華」としたほうが適切であるけれど、音韻の調子の関係で敢えて、羅什は「蓮華」としたのだろうと語っていました。

釈尊自身を比喩的に語るのは、やはり、方便品に羅什が「慧日大聖尊」と訳した naraditya 、岩本訳「人間の太陽」のほうと思えます。

> 「アグラ・ダルマ」…「最高の法」

まあ、そのような意味となるかと思います。先に紹介したとおりです。

> 寿量(無量か?)

寿量と無量(寿)は近親関係にありますが、違います。寿量品に説かれる如来の寿命は五百塵点劫已来の時間にその倍した長さであると限定されています。日蓮・門下教学ではこれを無始無終と解釈しますが、原文を忠実に読めば、釈尊の如来としての寿命は有始有終です。まあ、こう書けば門派教学に拘泥する方は反論するかも知れません。しかし、そのようなことは梵本原典とは関係ありません。わたしは、岩本師が

「翻訳の結果が、宗教的にどのような問題を惹起するかという点も、訳者(岩本)は考慮しなかった。直裁に言って、現在の日蓮教学も天台教学も『法華経』のサンスクリット語原典とは直接の関係がないのであり、また宗教的に自由な立場に立つ訳者としては、これらの教学の依拠する羅什訳のみを重視することはできない…特定の立場からの批判に耳を籍す考えもない」(上『あとがき』P441)

という態度に全面的に賛同します。しかしながら、岩本師が「訳文に不満な人があるならば、みずから全文を平易に口語訳して江湖に訴えられるとともに、訳者に無言の教示を垂れていただきたい」(同 P442)という点に就き、現在、松山師が、福神研究室・上杉師、渋澤師の全面バックアップの元、その偉業を為しつつあることに深い敬意を表するものです。惜しむらくは岩本師が既に鬼籍に入ってしまったことです。


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