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現代人が納得できる日蓮教学
438
:
犀角独歩
:2005/12/06(火) 11:55:13
> 十界互具については、いわばネコや犬にも仏性・十界がある
畜生界所具といことです。
> 有情と非情とにわかれていますが、根本的には、非情・有情の区別はない
この点を日蓮は『本尊抄』に以下のように言います。
「百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亙る」
ここでいう情とは心のことです。
> 最後身…最後…成仏という…より、解脱という意味合い
これはいい視点ですね。阿羅漢というのは梵語では、輪廻の束縛を終え、次に生まれ変わらない、つまり、いまの肉体が最後の肉体である=最後身という意味です。阿羅漢果は、小乗の目的であり、解脱です。
一つ阿羅漢といっても正確には4分類され、その第4段が「阿那含」と音写されるアナーガーミンで訳語的漢語成句では「不還」ということです。
この訳語からすると、ここでいう阿羅漢は、小乗の灰身滅已とは違い、無色界への移行を言う如くです。
> 解脱…アートマンとかブラフマン…原始仏教?の色合いを感じ
ああ、こんなふうに考えられますか。
アートマンとは漢語では「我」、ブラフマンは「梵」です。大乗では常楽‘我’浄をいい、梵とは日蓮漫荼羅に勧請される大梵天玉のことです。バラモン教は、このような形で日蓮に至るまで採用されてきました。
> 久遠に於いて、日蓮さんが仏、釈尊が弟子
これはいったい何の話でしょうか。
日蓮本仏論でしょうか。
日寛の教学では日蓮は釈迦です。
日寛は明確に「蓮祖は即ち是れ釈尊の事」と記しています。これをまた同体異名の相伝とも言うのでしょう。
> 印度応誕の釈尊は、その生涯をとじて、解脱した。もうどこにも存在しない
これはまったく寿量品の意味を解していないから、こんな考えになるのでしょう。釈尊は入滅していない、常に娑婆霊鷲山にあって説法教化しているというのが法華経です。それが衆生に見えないのは方便として涅槃したように見せかけたからだということです。それを信じるかどうかが法華信仰と言うことでしょう。「お経本」をお持ちなら、自我偈を読んでみれば、そう書いてあります。
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