したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

現代人が納得できる日蓮教学

624犀角独歩:2006/04/22(土) 07:10:24

文殊さん、二点。

一点。わたしを含めて皆さんは、総勘文抄を、正確には『三世諸仏総勘文教相廃立』というべきでしょうが、この書を直ちに偽書であると言っているわけではありません。真跡を遺さない故に日蓮の教学の定規にすべきではないといっているのです。これは真跡主義全般に言えることでしょう。

日蓮その人の教学を知るうえで定規とすべきなのは、第一に注法華経であり、次に真跡遺文である、これらを基準にして、いわゆるその他写本と言われるものを考えるということです。真跡のみを取るか・御書全体を取るかといった選択論ではありません。あくまで基準を何に定めるのかという人文科学的、書誌学的判断です。

ですから、先より話題になっている「本覚」ということならば、真跡:写本=1:70という著しい使用頻度の差異があれば、この考えを日蓮は採用していなかったという判断が至当なものであることになるという次第です。

この書を文殊さんは、読み直してみたうえで、真跡の可能性を『三三蔵祈雨事』のことからさぐったというのが直前のご投稿の意味でしょうか。

わたしはこの書の冒頭「夫一代聖教とは総て五十年の説教なり。是を一切経とは言ふなり。此を分かちて二と為す。一には化他、二には自行なり」、この一節だけでも、二つの問題を感じます。

一つは「総て」という語の用法です。この用例は、真跡遺文から見るとき、『日妙聖人御書』(文永九年5月25日 51歳)に一度、「総(總)て」と使われていますが、他にはないようです。「總」の字の使用数は、ざっと数えただけですが、70余り、多くの使用法は「総じて」また、総罰といった漢成句の冠頭での使用です。つまり、日妙に宛てた書の「総て」は真跡遺文中では特例に属します。日蓮が「すべて」と書く場合の用例は「都て」で、真跡遺文中では、だいたい20の使用例があります。それにも拘わらず、総勘文抄では「総て」を使っています。やや首を傾げざるを得ません。

もう一つは「一切経…化他…自行」ということです。日蓮の一切経分類は「一代五時」であり、曽存に枠を広げれば内外大小顕実本迹と言ったものです。自行・化他という分類は見ません。語句として、真跡遺文の自行の使用例は3箇所、化他は2箇所で、しかも自行・化他という相対で使用されているものではありません。つまり、真跡遺文から見る日蓮義では一切経を自行・化他に分かつという分類はないのです。

さらに一つを加えれば、そもそも題名の『三世諸仏総勘文教相廃立』の‘廃立’ですが、この用例は、真跡遺文では、ただ1箇所のみ、それも『浄土九品事』で「諸行を廃して念仏に帰せんが為に而も諸行を説くなり」ということを廃立といい、これは廃立・助正・傍正という浄土教学の3分類の説明に使用する語です。それが総勘文抄ではまったく違う意味によって題名とされています。

以上、冒頭の1行を取っても、この書が日蓮真筆であるということを、わたしは訝しく考えます。

2点め。日蓮の禅の認知ということですが、この点を考えることについても二つに分かち、記します。

一つ。先の投稿で、文殊さんは日蓮(蓮長といったほうがよいのかもしれませんが)が俊範に師事していた段階で禅を認知していた如く論じていましたが、これは先ず有り得ないでしょう。ただし、38歳の『守護国家論』の段階で「禅宗」という表現をされています。ただし、ここでいう「禅宗」は、現在で言う○○宗といった宗派分類とはニュアンスが違うでしょう。

もう一つ。日蓮が禅を意識するのは、北条家が大陸から禅師を迎え、それが武家に伝播し、鎌倉仏教の新主流になっていった危機感にあるというのが、わたしは至当な見方であると考えます。つまり、日蓮が言う禅とは、この禅を指すのでしょう。この時期は、日蓮が流地から鎌倉に戻った頃ではないでしょうか。この認知は、別段、三位房、最蓮房という人々を引き合いに出すまでもないことであろうと思います。

重要な点は、日蓮が四箇格言などといわれる念仏・禅・真言律と論じるとき、その教義比定もさることながら、常に、具体的な人間を意識していたということです。その意味において、実に日蓮は人間くさいと、わたしには思えます。

なお、日蓮の禅批判は、仰るような最蓮房「禅勝止観」などということではなく、禅天魔の所為とは「教外別伝」を以て捌くのが日蓮の在り方です。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板