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現代人が納得できる日蓮教学

560顕正居士:2006/04/10(月) 13:08:24
「本覚」という一語についても真蹟遺文には『八宗違目鈔 』に蓮華三昧経の偈を引用する以外にない。写本遺文に
は相当ある。『総勘文抄』には30箇所もある。真蹟遺文には本覚思想が明確ではない。したがってそれら写本遺文
が日蓮の撰述か否かは疑う必要があります。
しかし真蹟遺文にあらわれた思想が「始覚的」かといえば、そうはいえない。真蹟が存在する『日女御前御返事』に
「此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間、八葉の蓮華の内
におはしますと日蓮は見まいらせて候」とあり、妙法曼荼羅が大日経の心蓮華の説によっていることがいわれる。
両密への批判は教判上のことで、密教が表現しようとした内容はむしろ目指すところであり、ただしその教理的な
根拠は天台の一念三千であるという。
最近は本覚思想と新仏教を対立するものと考える傾向は後退しているようです。
「絶対的な現実肯定の上に立つ本覚法門は、まず密教より極めて大きな影響を受けて成立したというのがひとつ。
しかしながら、現実絶対肯定に立ちながらも、それは修行の意義を見失ったのではないということが第二。最後に、
その観点から新仏教を見たとき、そこには、積極的な思想的差異は認められない」
http://homepage1.nifty.com/seijun/pre-page/11-15/11-15.htm
真蹟遺文には本覚思想特有の表現は見られないが、本覚思想と矛盾する内容もまたない。釈尊の本因行を不軽
菩薩とする俊範の説、無始無終本有の釈迦という心賀の説などは真蹟遺文の内容に一致します。写本遺文の真偽
を思想内容から判断するのは困難であると考えます。


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