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現代人が納得できる日蓮教学
344
:
乾闥婆
:2005/10/21(金) 01:27:55
>>341
犀角独歩さん。
懇切丁寧なレス、ありがとうございます。
>池田氏崇拝の完全化、もしくは日蓮を相対化し間口を広げ、彫刻から日蓮真筆漫荼羅へ、日寛から汎仏教への転換か、その折衷しか道はないように思えます。
そうですね。しかし創価学会はなかなか「本門戒壇の大御本尊」を捨てません。組織の中心にいる世代のことを考えれば、捨てられないのでしょうが、もしかすると、まだ強い未練があるのではないかと思うこともあります。1997年に発売された『日蓮大聖人の思想と生涯』(第三文明社)は会館でも販売されていますが、「本門戒壇の大御本尊」に触れていませんし、巻末の年表にも記載されておりません。これは画期的なことだと当時は思ったのですが、結局その後弘安二年十月十二日が学会の関連書籍から消えることはありませんでした。すべてのほとぼりが冷めたときに(そんな時が来るかどうかは分りませんが)、学会はもう一度宗門と寄りを戻したいと考えているのではないかと危惧します。確かにそのような事態よりも犀角独歩さんが言われるとおり「日蓮を相対化し、教祖崇拝でいく」ほうが、よいように思えます。しかし「池田氏崇拝の完全化」の究極は、池田氏自身が曼荼羅を図顕することなのでしょう。そちらの方向へ振り切れてしまうことも同時に危惧します。
>より利他の本質的な部分で法華経典における菩薩思想より勝っていると思えるという意味です。故にわたしは「彼の法華経」と記しました。
よく腑に落ちました。宮澤賢治は自身の身で法華経を読んだのでしょう。その表現として『雨ニモマケズ』はあるのだと思いました。それはまさに法華経を身で読んだならではの「彼の法華経」であるのだと思います。
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