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現代人が納得できる日蓮教学

329小池:2005/10/18(火) 21:11:06
独歩さん

独歩さんのお考えを理解するために整理してみたメモです(まだまだよくわからない部分が多く未消化ですが…)。

【Ⅰ.法華経でいう「法」とは何か】
1.「法」と言えるのは「妙法」と羅什が訳した言葉が指したもの。
2.「妙法蓮華經」は「経典」の「名」であり、「南無妙法蓮華經」はその「経典」に「南無」するという以上の意味はないところを「経題」そのものを「法」とした教学的な姿勢を直視する必要がある。
3.法華経全編を見ると、諸仏はこの経典によって成仏した、経典自体が遠い過去から存在していたとはあるが、経典自体が「法」であるという記述はない。
4.その「法」が何であるのかという点で明確に記述される句を探すと「教菩薩法」に尽きる。この漢訳に該当する梵本直訳を見ると「菩薩をいましめ」る(岩波文庫『法華経』上 P45)という以上の意味はない。法華経とは菩薩を教え(いましめ)、成仏記別を与える教えという内容になっている。
5.この「法」は「理法」ではなく、間違いなく「教法」(もしくは「行法」)である。教えは教(菩薩)法、行は菩薩行(六波羅蜜)である。これは実際の実践の行を教えること。それにも拘わらず、その教えを書いた本の名前を「法」と捉え違いするとき、実践行はそこで廃れてしまう。まさに「お題目だけ」ということになる。行法としては、六度(また八正道)といった実践行を忘却したところに後退があったと主張したい。
6.「妙法蓮華經は経題である」、なんでそれが「法」なのだという当たり前の疑問であり、このような当たり前の疑問は、古来からいわれていたようで、台釈にしても、日蓮教説にしても、その弁明に終始していると強く感じる。
7.私は、「題目」(五字七字)が「法」であるという教理解釈には反対の立場。


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