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現代人が納得できる日蓮教学
439
:
犀角独歩
:2005/12/06(火) 11:55:40
―438からつづく―
> 大乗仏教や日蓮さん…汚れていると思われる凡夫の身…釈尊と同じ…仏
身ではなく「心」でしょう。
> 物の見方一つ変えるだけ…寂光土・仏国…即身成仏…思いのままの言葉ですが。
まあ、言い方は雑駁ですが、だいたい、そんな考え方は写本遺文から言えるでしょう。
「浄土と云ひ穢土と云ふも土に二の隔なし。只我等が心の善悪によると
見えたり。衆生と云ふも仏と云ふも亦此の如し。迷ふ時は衆生と名け、悟る時をば仏と名けたり浄土と云ひ穢土と云ふも土に二の隔なし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生と云ふも仏と云ふも亦此の如し。迷ふ時は衆生と名け、悟る時をば仏と名けたり」(一生成仏鈔)
> 成仏といっても、正宗系では、何度も人間として生まれる
人界所具の仏界ということがあります。
また、
「引導師は智者に非らずんば叶ふべからず、其の故は死人は無心にして草木の如し、而も無心の者に心を入るゝ事は且らく導師の心地に有る」
といい、死者は草木に同じ、そこに仏心を入れるのが成仏であるというのが石山の考えです。では、どうやって入れるのか、
「仏事追善引導の時の廻向の事、私の心中有るべからず・経を読みて此の経の功用に依り・当亡者の戒名を以つて無始の罪障を滅して・成仏得道疑ひ無し乃至法界平等利益」
創価学会も顕正会も捨てた化儀、日寛も従った法義です。
では、日蓮はどうか。
「穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なるのみ」
「極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」
> 苦しみから解脱するということではなく
いや、そうではありません。有余涅槃とは苦からの解脱です。
苦集滅道をいう四聖諦も還滅門の十二因縁も、その基本は苦からの解脱を言うものです。
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