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現代人が納得できる日蓮教学

452犀角独歩:2005/12/08(木) 19:26:30

顕正居士さん

・日寛の、四明天台と整合性というのは、たとえば、草木成仏からの板漫荼羅正当論としての展開も含めてということでしょうか。

・六大体大は空海の説であったと記憶しますが、『三世諸仏総勘文教相廃立』の記述は、これはたとえば「我身は地水火風空なりと知て即座に悟を門き給ひき」と言った側面を要約するのみで、本意は名字即仏を採るということで、理即成仏は要約に過ぎないと言う意味でしょうか。

・わたしは日寛説は等覚一転名字妙覚を至極とし、その点から名字即位をいうのではないのかと思うのですが、この理解は正しいでしょうか。

・また、一転し、名字即・妙覚位となれば、理即但妄という当初はまったく問題にされず、偏に「心外無別法と云う。此を一切法は皆是仏法なりと通達解了すとは云うなり、生と死と二の理は生死の夢の理なり、妄想なり転倒なり。本覚の寤を以て我心性を糾せば、生ず可き始めも無きが故に死すべき終りも無し。既に生死を離れたる心法に非ずや」という文脈につき、「本覚の寤を以て我心性を糾」すとき、理即に既に通達解了を孕む如きと映じます。となれば、いきおい、理即仏をいうこととその隔壁がなくなってしまうような錯覚が生じます。しかし、これは理即から等覚への階梯を経たのちに、一転して、名字即・妙覚位となる仏が名字仏という理解でよろしいのでしょうか。

わたしは、今回のご教示で着目したのは

> 上行は等覚の菩薩。蓮祖は名字初心の菩薩

という点でした。父子一体の相伝からすれば、この等覚・上行は、一転して名字・日蓮、妙覚の釈尊という点で整合性が生じるからです。ただ、この点について、気分は落着しません。

お時間のあるときけっこうですから、以上の点、重ねてご教示いただければ幸甚です。


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