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現代人が納得できる日蓮教学

322犀角独歩:2005/10/18(火) 14:54:46

無徳さん

お久しぶりです。
先の経過がありますから、特に争論とはしたくない。その前提で記します。
ただし、当スレには当スレの脈絡がありますから、記すべきことはしっかりと記さなければなりません。

宗教哲学の問題が、9割方が言語の問題であるという指摘は、ご承知のとおり、『現代書学と仏教』で石田次男氏が行っていました。

彼が、無徳さんと論法的に違うのは、西洋哲学における弁証法を斥け、仏教教団における伝統的な古因明によるべきだとしたことでした。つまり、西洋哲学が仏教を破壊したというのが、その主張でした。より具体的に記せば、彼が言う現代諸学とは、つまり、言語論も含む西洋哲学であり、それを、外なる道、すなわち外道=現代諸学といったのでしょう。日蓮の教えは内外相対からはじまるわけだから、外道を簡んで、内道に採るという立場です。ですから、いま、無徳さんが仰るような形で、日蓮を解題するとすれば、まずこのハードルを越える必要があるでしょう。

> 答えの出ない問いを果てしなく問い続けること

宗教には、こういった問題は着いてい回ります。しかし、この言葉が逃げ口上になれば、その宗教は卑屈なだけです。

いままでの議論で、法華経が釈尊の直説ではないこと、どのように成立してきたかという点で継続しています。それ以前に末法についても、論じ合いました。これらは別段、答のでないことではありません。答は出ていることです。

また、宗教といわず、大石寺について言えば、答が出ることがあります。

先ず、所謂「本門戒壇の大御本尊」についてです。これは、既に論証してきたように日禅授与漫荼羅を原本として臨模・作為された彫刻であることは明白です。答が出ないことではありません。また、歯にくっついた肉が700年はおろか、1日とて生きていたり、ましてや成長したりするはずはありません。このようなものを本物であるというのは、答が出る出ない以前にペテンという言います。

以上のような、インチキ、ペテンのまがい物によっている集団において、無徳さんが呈示くださった言語の問題は、当てはまりません。

殊に日寛の教学を現在、担ぐことにおいて、この彫刻の無謬性が根幹とするわけですから、その教義は既に瓦解しています。

以上のような事態を、言語=教義の問題は形而上の問題であるから、「答えの出ない問いを果てしなく問い続けること」とは、言えません。はっきりと答が出ていることです。

ですから、当スレのテーマで言えば、現代人に通用する日蓮とは、そのようなインチキ、ペテン、まがい物を排除したところから出発するものであることは言うまでもないことでしょう。

もちろん、無徳さんが仰ろうとされていることは、以上の前提に基づくことであると、わたしは信じます。しかしながら、ロムする人々のなかで、信仰を言語での論証不能であるから、信じることがすべてだなどという逃げ道を与えることは、いままの議論が水の泡になりますので、いちおう、記させていただきました。

当然のこととして、ご呈示いただいたテーマは、21世紀の日蓮を考えるうえで避けては通れないところです。故に、引き続く、ご投稿を楽しみにしております。


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