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古代科学史掲示板

1管理人:2018/05/08(火) 19:42:26
赤井川・ウトナイ湖・幌満隕石ルート
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000001M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000001_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000001_3M.png

連休中は、北海道各地のクレーター探索をしていました。

今回は、一昨年掲示板で論議して、先の会報7号にも掲載した北海道各地のクレーター落下ルート(図1参照)のうち、岩淵先生ご指摘の赤井川のクレーター状地形を起点として、ウトナイ湖、幌満・様似(隕鉄の採れる鉱山がある)へと伸びるラインを探索してきました。

詳細なルートについては、また後日お知らせしますが、図2のようになります。図3はウトナイ湖です。

概ね25度前後のラインとなり、地軸の傾斜角から年代を推定できると思います。

それで、先日も指摘したのですが、ウトナイ湖も、支笏湖同様に、半月型のクレーターです。

なぜ、隕石の落下の際に、円形ではなく、半月型のクレーターとなるのかが課題でしたね。

この件を物理学的に解明したいと思います。



2 平 素人(ヒイラ モト):2018/05/10(木) 04:49:17
学問にない巨大隕石の形
こんばんわ^^? こちらへもおじゃまします^^。
会報7号、まだ、その緒しか見ていませんが「すごすぎる!」とかの論評しかできません。
ぜひに、より多くの専門家の人達に読んでもらいたいと思います。私は、岩淵先生におねだりして^^! その御本を釜石鉱山(株)の太田さまに展示して下さるようにと送付しました。なぜなら、坑道見学の学童たちにも見ておいてもらい、わたしと岩淵先生がかかげ広報している「肝沢扇状地をつくった大事変」について、将来を担う少年少女たちに託しておきたい思いからです。私達の存命中にはならない思いがあります。わたし経由でも、直接にでもいいですが、御氏の会報もそれに加えて頂けませんか^^? 「衝突隕石体の内部が観察できる」しかも、その事変を近い祖先が実体験して地名等にのこしていることに大きな意味があります。

その、少年少女たちへ、
「巨大隕石」の形にはいろいろあって、火星の惑星衝突による大擦過痕、オリンパス山は巨大隕石、金星の惑星衝突でできた緊張収縮痕、等々(拙:絶版報告書より)今の学問にはないことを伝えておきたい^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-81.html



3管理人:2018/05/10(木) 21:58:08
会報
平さん、お褒めの言葉ありがとうございます!ぜひまた、関係の皆様に読んでいただきたく感じてますので、お手数ですが、どうぞ宜しくお願いします。

・・・と、皆さん、あの内容では、チンプンカンプンで理解できないかもしれないので、講演会などで説明していく必要があるかなとも感じてます。とはいえ、私も人集めたりするのは得意ではないですし、いい助っ人が現れるのをお待ちしたいところですね。それまで、地道に、クレーター論発展させていきましょう!



4管理人:2018/05/10(木) 22:28:01
クレーター形状
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000004M.png

http://www.hosizora.miyakyo-u.ac.jp/labo/paper/2001suda.pdf#search='



5 平 素人(ヒイラ モト):2018/05/12(土) 06:13:40
Re: クレーター形状
http://www.hosizora.miyakyo-u.ac.jp/labo/paper/2001suda.pdf#search='

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



6管理人:2018/05/12(土) 20:14:34
Re: クレーター形状
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000006M.jpg

https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=



7 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/11(月) 05:29:43
Re: 隕石2
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-15.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-17.html



8山田:2018/06/11(月) 17:22:00
南極大陸
平さま
管理人さんご紹介のサイトでは、「下の図1は、グリーンランドの氷床コア(氷床を掘削してくりぬいた氷の柱の事)に記録された、過去12万年間の気候変動です。」「図2は、南極の氷床コアの氷に閉じ込められた気泡中に残された、過去80万年間に渡る大気二酸化炭素濃度変動の記録です。」と、調査記述あります。

わたしも素人で、南極大陸のことよくわかりませんが、南極の氷床の下は土層か岩石層だと思います。この土層あるいは岩石層までコア抜き調査すれば、南極大陸が隕石由来かどうかわかるのではないでしょうか?

当然、過去80万年に遡るレベルの調査ではないでしょうけど。

・・

釜石鉱山の方が調査しやすくないですか?
隕石由来の鉄と地球由来の鉄鉱石の鉄とは容易に区別できないのでしょうか?

素人考えです。すみません。

9管理人:2018/06/11(月) 22:00:11
南極大陸の起源
平さんの南極大陸、隕石由来説、どうしたら証明できるのでしょうね・・・。

そもそも、7大陸の起源自体、よくわからないので、その辺から探っていく手もありますね。

また、南極周辺に隕石が落下する可能性についても考えていくべきかもしれません。

垂直に軌道を変える必要がありますから、地球の周囲を、数回周回する必要がありそうです。



10 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/12(火) 05:30:52
Re: 南極大陸
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000010M.jpg

山田さまへのお返事です。さっそくのコメントありがとう御座います^^。

 グリーンランドの氷床コア柱、南極での氷下ボストーク湖への掘削。厳寒の地で幾年も幾十年もの掘削を思うと深く頭さげる思いがあります。人々の目はとかく宇宙に向かいがちですが、地球にはそれに勝るとも劣らないものが残されているのですね。


> 管理人さんご紹介のサイトでは、「下の図1は、グリーンランドの氷床コア(氷床を掘削してくりぬいた氷の柱の事)に記録された、過去12万年間の気候変動です。」「図2は、南極の氷床コアの氷に閉じ込められた気泡中に残された、過去80万年間に渡る大気二酸化炭素濃度変動の記録です。」と、調査記述あります。
> わたしも素人で、南極大陸のことよくわかりませんが、南極の氷床の下は土層か岩石層だと思います。この土層あるいは岩石層までコア抜き調査すれば、南極大陸が隕石由来かどうかわかるのではないでしょうか?
> 当然、過去80万年に遡るレベルの調査ではないでしょうけど。

 ご存知のように、地球表でもっとも古い岩石はグリーンランドの38億年とされております。地球形成がこれもご存知のように計算で40数億年。これ等の“集積と、その過程”をどのように組み立て肉付けしてゆくかは興味あるところです。現在の地球体がある日突然、鶏の卵ように生まれたとは考えられないものですから^^! これについては持論を絶版報告書で展開していますが、素人考えでは世は動きません。それには先様や、シモさまのような洞察と解析が伴わなければ専門家はなっとくして頂けないと感じています。

 ところで、昨夜シベリアの永久凍土でマンモスの赤肉や血液発掘の映像を見ましたが、これも持論の「南極大陸は大隕石」からですが、南極のボストーク湖には、6500万年まえの大事変(恐竜)が封殺、あるいは封生^^? されているのでは?と期待しています^^。微生物や、甲殻類の生存の可能性はありですよね^^。

> 釜石鉱山の方が調査しやすくないですか?

 そうですよね^^。釜石鉱山体を「四千年前の小惑星衝突体」とする当方にとっても、是非に見ておきたいと思っています。わたしの稚拙な推理に加えて、管理人さまのその衝突によって生じる極大から極小の素粒子部分までの変異が(前記事参照)、予想のごとくになっているか、いないかを思うと楽しいものがあります。それよりなにより、より多くの皆さま方が参加して下さることがもっと嬉しいのですが・・・^^。反論 も含めて、色々な見方や 着想を議論してゆきませんか^^!

> 隕石由来の鉄と地球由来の鉄鉱石の鉄とは容易に区別できないのでしょうか?

地球を(宇宙ガス)「隕石の集合体」とする当方にとっては、後から付着する隕石体との区別が、先様のご存知のように、小さいものであればいいのですが、この項で論じている、例えば 直径 500m<1km< 〜 <南極大陸体3,500km?>までを論じるとなると、(象の^^!)どの部分をいうかによって大きく異なります。なにしろ現学にないものを論じているものですから・・・^^!

管理人さまへ> のコメント少々お待ちください^^!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html



11 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/12(火) 17:11:29
南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ! -1
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000011M.jpg

管理人さまへのお返事です。コメントありがとう御座います^^。

  「南極大陸の起源」について、絶版になった拙:報告書の一節を紹介します。
        (尚、この一節は、30年前の1988/01/11に各所へ送記したものです^^!)

2 巨大隕石はどこに落ちたか(気候の大変化を起こすほどの)
2-1 地上と考える場合
 北米のアリゾナ州のものが、まず思い浮かぶ。しかし、これで恐竜が大絶滅したとの試みは聞いていない。陸上であれば、すでに誰かが発見(みつ)けているはずである。(後述記⇒1993 最近、南米北部のクレーター痕をみつけてはいるが)

2-2 海上と考える場合
 海は広い。未知の部分が多い。しかし、その分だけ可能性は高くなる。円形の海は、といえばメキシコ湾ぐらいである。今までに数多くの人たちが捜しているのに見つかってはいない。人より、別の場所を捜さねばなるまい。
 そうだ! 氷で隠されている。南極、南極ではないのか? あったア !! 南極大陸の上ではなくて南極大陸そのものが、まあるい形をしていた。背筋から頭に戦慄が走った。それが図17で、各々の限界線は落下時の波紋に見えた。違いない。これに違いない。
  南極大陸の概要 へとつづく・・・p229(以下、略)

わたし素人が、あれこれという(説明する)前に皆さんで、次の“絶対条件”を与えて
      <何が起きるかを>捜してみませんか?
  一つ 南極大陸は、衝突惑星である!
  二つ 約6,500万年前のことである!
  三つ 現在の地球状態を否定しない。

この三つのうちの、どの一つを否定しても、この Big Game には参加できません。
先様がたのコメントをお待ちします^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



12管理人:2018/06/12(火) 20:22:50
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
平さん、また提案ありがとうございます!

おもいつくところとしては、南極大陸を含んだバンゲア大陸説をどう考えるかとのことがありますね。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%2591%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25B2%25E3%2582%25A2%25E5%25A4%25A7%25E9%2599%25B8

また、そこに記されている、マントル内部から塊が上昇してくるスーパープルームによって、陸地ができるとの説ですね。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%2597%25E3%2583%25AB%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25A0%25E3%2583%2586%25E3%2582%25AF%25E3%2583%2588%25E3%2583%258B%25E3%2582%25AF%25E3%2582%25B9%23%25E3%2583%259B%25E3%2583%2583%25E3%2583%2588%25E3%2583%2597%25E3%2583%25AB%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25A0


まさに、下からの隕石落下(ならぬ上昇)といった具合の現象となるでしょうか・・・。

アイデア的には、平さんの説と、プルーム説、近いものがあります。


13山田:2018/06/12(火) 22:40:07
ボストーク湖
南極にこんな氷底湖があったのですね。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%259C%25E3%2582%25B9%25E3%2583%2588%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25AF%25E6%25B9%2596

1998年にボストーク基地で研究を行っていたロシア、フランス、米国の共同チームが、世界で最も深い場所である深度3,628メートルの地点までコアの掘削と分析を行なった。

湖の上あたりで約42万年前の氷がある?

・・先の東大の研究チームはどこを何メートル掘ったんでしょうかね?過去80万年といってましたから。

14 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/13(水) 00:28:13
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
管理人さま> へのお返事です。早速のコメントありがとう御座います。

> おもいつくところとしては、南極大陸を含んだバンゲア大陸説をどう考えるかとのことがありますね。

 パンゲア大陸説は、先に掲げた3条件の、6500万年と、南極大陸が衝突惑星から外れていますが、私は、大陸移動説の全てを否定する分けではありません。大西洋を挟んだ両大陸がピタリとくっ付く形をしてますから移動して離れたのでしょうね。

次に、現在の地球表面の陸と海の比率は、3 : 7 。パンゲア説では、3 の陸地がひと塊。残りの 7 は、すべて海。私には、この「全て海」存在が解せません。「その時の海水位は高かった」とするようですが、その後、海水位が低くなれば、この比率は変わってくるはず。さらに、陸と海の比率が逆であれば、それも考えられますが、水の方が多いのはねえ^^?。

その水の存在量ですが、空中に水蒸気、海と湖や川、そして地下水に、動植物にも含まれています。岩石中にも分子として含まれているのですか?? いずれにしても、水素と酸素の結合が安定しているから多量に存在しているのであって、その増減のメカニズムが分かりません。太陽光や雷さま、あるいは火星のように地下へか? 宇宙へ放出か? (無重力の空間へ??) 原子や分子への変換も含めて、この分野はシモさまのお得意分野^^。特に水の生誕については教わりたいと思っています。

> また、そこに記されている、マントル内部から塊が上昇してくるスーパープルームによって、陸地ができるとの説ですね。

 私は、このプルームの件を(先の 3 条件を満たした上で)次のように考えています。
南極へ、推定概算3500km直径の惑星がぶつかる。この力は内核(鉄核)に反射して、アイスランド、デカン高原、エヤーズロック、(アフリカやカナダにもあったようですが思い出しません^^!)これ等は、その力が反射した位置にありますが、多少の位置ズレ、タイムラグや、連動しその他の随所のマグマを刺激して、火山を噴出したかも知れません。いずれにしても、それ等の岩石が6500万年前からの噴出であることが大切です。

先様がたの> 反論や、先ほどの 3 条件を満たした上での探索をお願いいたします。
       その反論が、この論をより強くします^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



15 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/13(水) 01:35:21
Re: ボストーク湖
https://ja.wikipedia.org/wiki/ボストーク湖

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



16山田:2018/06/13(水) 10:20:59
南極大陸の岩石
おはようございます。

ネットで調べものしてますが、南極大陸の岩石の露出部分わずかにあるそうです。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.nipr.ac.jp%2Finfo%2Fnotice%2F20110601.html

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.nipr.ac.jp%2Fscience-museum%2Fpickup%2FPickUp_201401.pdf

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkachimai.jp%2Ffeature%2Fantarctica%2Farticle.php%3Fid%3D88

17 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/14(木) 07:19:06
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
管理人さま> へのお返事です。 ありがとう御座います。
     先のコメントで言い足りないことがあったので追記します。

> > おもいつくところとしては、南極大陸を含んだバンゲア大陸説をどう考えるかとのことがありますね。

 私は、大陸移動説を次のように考えています。
それには、地球型惑星の生誕に言及しなければなりません。(この詳しくは絶版書で述べているのですが^^!) 地球はある日突然に鶏の卵のように産まれたのではなくて、小さいものが合体してだんだんに肥大化したものと考えています。その最小単位を宇宙ガス、宇宙塵、あるいは小惑星塊のどこから始めても同じですが、 1+1 →2+2 →4+4 を基本形にしたトーナメントに不戦勝が加わります。これを図示すると縦軸に時間、横軸に質量をとります。最初のうちは小さいので時間ばかりくって中々大きくなりませんが、ある時点をすぎると大きなもの同志の衝突合体になりますから、急激に肥大化します。そして、合体するものがなくなってくると、時間だけが過ぎます。この線は、玉ネギを横に切った上半分のようになることから、これをオニオンラインと名付けました。

 ご存知のように、地球には陸半球と海半球があります。そして、衝突した側がくぼみその反対側が高くなる対蹠地の考えもあります。以上の考えをもって惑星衝突の痕跡を捜すとメキシコ湾が目につきます。(シモさまも図示されていましたね)あとで拙:報告書よりの図を載せますが、北太平洋と南太平洋は、ふたつの衝突惑星が重なり合ったものとしました。

 まず最初に陸半球を球体としたものに北太平洋惑星が衝突合体します。これを実験します^^!。寒い日にコップに入れたミルク表面に薄い膜がはります。これをスプーンの底で静かに押さえます。するとコップの淵と薄皮膜は離れてゆきます。それが、アリューシャン列島、千島列島、日本列島、南海諸島の“弓状ライン”です。次に、南太平洋惑星が衝突合体します。この力はインド洋を押し広げインド半島をユーラシア大陸のほうへ押しやっています。この二つの力は、反対側に作用し、大西洋を造ることになりました。これも実験してみましょう(笑い)。焼きたての餅に少しヒビを入れてください。そして、それをつまんで両の親指で押しこんでください。反対側にできた広がりが大西洋です。こんな簡単な実験では誰も(専門家も)なっとくしてくれないし、相手にもしてくれない。

 この件はNASAが発表した金星地図でも確認できます。まず、その半分ほどはあろうかという衝突凹痕が目につきます。その反対側に“緊張痕”があります。そして、それが冷え縮むときにできた“収縮痕”がありますから確かめてください(^-^!)。
 「自然は、謎解きの鍵を貴方の、わたしの身近に潜ませている」が素人探偵の信条です。

山田さまへ> 情報ありがとう御座います。興味深いことが多くあります^^!。
 地球は、先のような経過をたどっていますから、その岩体がいつに成ったかを見極めるには、大変難しいものがあります。その岩体が遠い過去から未来永劫まで、その同じ場所で同じ環境にとどまっていれば、その年代測定は正しい。しかし、宇宙から38億年前のものがその地に届き、さらに変成していたらとなると話は別になる。さらに、それ等が巨大津波によって砕かれ、他の地に運ばれ、混ぜ合わされていれば、その年代の推定はさらに々に難しいものとなる。

もし、南極大陸惑星が6500万年前に衝突したら、「何が起きるか? 何が起こっているか?」のほうも『もし』「たら」でいいですから考えてくださると嬉しいのですが・・・^^!
先様がたの参加をお待ちします。


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



18山田:2018/06/14(木) 17:53:08
南極大陸
平さま

南極大陸の約2%に岩盤の露出がみられるという。南極大陸が衝突した巨大隕石そのものだというなら、その2%の岩盤も隕石の一部という考えも成り立つのではないでしょうか?

例の氷底湖ですが、

「2012年2月、南極の氷床の下にあるボストーク湖の調査を目指すロシア北極南極科学調査研究所(サンクトペテルブルク)は8日、同国調査隊が氷床を深さ約3800メートルまで掘削し、1989年の掘削開始以来初めてドリルが同湖に達したと発表した。」

この情報が真実ならボストーク湖が淡水か塩湖か答えはでてるはず。ロシアの調査チーム発表してないのかな?

わたしは素人以下のレベルです。もし私が平さんなら、釜石鉱山には一人でも訪ねますね。もし私が平さんだったとしても、南極大陸には出向かないとは思います。

バーチャル思考は得意でありません。フィールドワークは好みです。

19管理人:2018/06/14(木) 20:18:48
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000019M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000019_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000019_3M.png

平さん、お返事ありがとうございます!

薄膜と餅の例えはわかりやすいですね!地球の海の反対側が盛り上がるという理論になるでしょうか。

メキシコ湾の隕石の件・・、何の話で触れたか忘れてしまいましたが(汗)、先ほど読んでいた丸岡照幸著「96%大絶滅」という本で、メキシコ湾沿いの津波堆積物の図がありましたので引用いたします。

同じく、そのユカタン半島の重力異常図、これも引用しますが、見事なクレーター状地形を示しています!

これが、6500万年前とされます・・・。

重力異常値と、津波堆積物、解明の手がかりになりそうですね。その辺、また追って、古代史掲示板のほうで、お知らせ予定です。


追記

平さんご指摘のように、地球の裏側にあたる地域を比較してみました。北極と南極を重ねたのが図3です。

こうみると、確かになんとなく、凹凸がうまく組み合わさっているようにもみえますね・・・・!





20 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/15(金) 05:46:04
Re: 南極大陸
山田さまへのお返事です。コメントありがとう御座います^^。

> 南極大陸の約2%に岩盤の露出がみられるという。南極大陸が衝突した巨大隕石そのものだというなら、その2%の岩盤も隕石の一部という考えも成り立つのではないでしょうか?

山田さまから頂いた情報のすべてを読破したわけではありませんがと前置きして、大変興味ぶかく拝見しました。ですよね。2%しか岩盤が露出していないのですね。私は南極大陸の全てを丸めると感覚的概算で直径が3500kmになりました^^!。これは月の直径3700kmに匹敵します。もしこれが熱い金星に衝突していたらその全てが没になっていたでしょうし、もしこれが冷たくて固い火星に衝突していたら、その多くは表層に残ると思われます。地球の場合はこの中間で、半分は没で半分は残るかな^^? このサイズになると、その表層の全てが〇〇億年と決めつけられません。サイズは違いますが地球ではグリーランドに38億年と、あの広大な太平洋海底は2億年ですよね。(南極)大陸の半分は残り、半分はアルゼンチンに連なる陸地に衝突して粉砕したかとしました。

 このような状態であれば、それを一概に〇〇億年。〇〇万年前とは決めつけられません。さらに、各々が異なった力と変成作用を受けていますので、新しい岩石になったかも知れません。今までの常識や、科学になかったことを論じています。
それぞれの貴方さまの云われていることは正しい。しかし、そのブロックを寄せ集めて組み立てたビルディングの総論が、今の形であるとは限らない。これが素人探偵の信条です^^。


> 「2012年2月、・中略、1989年の掘削開始以来初めてドリルが同湖に達したと発表した。」
> この情報が真実ならボストーク湖が淡水か塩湖か答えはでてるはず。ロシアの調査チーム発表してないのかな?

 私も、淡水か? 海水混じりの塩水か!? をネットで捜しましたが、未だその情報には当たっていません。 さらなる、行動を起こし調べればいいのかも知れませんが・・・。


> わたしは素人以下のレベルです。もし私が平さんなら、釜石鉱山には一人でも訪ねますね。もし私が平さんだったとしても、南極大陸には出向かないとは思います。
> バーチャル思考は得意でありません。フィールドワークは好みです。

 このご意見ありがたくお受けします。わたしも同様におもいます。過去にもそのように云われたことがありました。もしわたしに、尊敬する岩淵先生や,シモエダさまのような行動力が備わっていたら、そのようにするでしょうね。お二人に魅力を感じています。過去30年、2000通におよぶ報告書を送ってきました。外国を除いて日本では返事さえ頂いておりません。ですよね。肩書や実績の全くないドがつく素人が世紀の極大論をほざいているのですから、立場を逆にした私でも相手にしないです(笑い)。このようにコメントを下さるだけでも嬉しい。素人が何を調べてなにを発表しても、過去30年相手にされなかった現実があります。
この掲示板にタケウマを履いて投稿しているのは、見識があって喧伝力のあるお人を捜すためでもあります。どうぞのご参加を!

「目から鱗」といいますが、その「現学の総論」という鱗を取り去ることができれば、素人でもわかることばかり。『例え、それが史実であっても世の学問が認めなければ、それはSFの世界である』反論が大きければ大きいほど、それが成った時は楽しいでしょうネ^^。
                     シンデレラボーイ(死んでから老人)より、

管理人さまへ> のコメントはのちほどに^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



21 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/15(金) 19:54:38
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-201002.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



22管理人:2018/06/15(金) 22:37:21
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000022M.png

??平さん、お返事ありがとうございます!

もしかして、私の勘違いでしたか・・、隕石衝突のあった部分の反対は凸盛り上がるということだったのですね?

凹むとの想定で意見出してしまいました(汗)

アイデア的には面白いと感じます。

ちょうど、別に古代史掲示板でお知らせした高橋正樹氏の『島弧・マグマ・テクトニクス』に、火星の陸地の地図がありましたので、引用添付しますね。

こうみると、この陸地の成り立ちが、平さんの想定なさっているような隕石衝突に由来するものもあるように感じますね。

火星にも過去にはプレートテクトニクスがあったことが指摘されているそうですが、ある時期からはそれがなくなったらしいです。

あと、地球上でも、何度も隕石衝突で、絶滅と再生を繰り返しているとの見方が有力だそうですよ。

その辺については、また追ってお知らせします!



23 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/16(土) 03:43:52
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-201002.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



24管理人:2018/06/16(土) 21:58:09
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000024M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000024_2M.png

??平さん、お返事ありがとうございます!

やはりそうでしたか・・(汗)

本については、ネット書籍だけでは限界があるので、図書館に通ってます。公共図書館でも結構いい本がありますよ!大学図書館でも、カードを造れるところも多くあるようです。


それにしても火星の地形は、地球との比較で面白いデータを提供してくれますね。

個人的には、地球も火星もどうして北半球に陸地が固まっているのかが気になっています。

そこで、地球の陸地と、先の投稿で引用した火星の陸地を重ねた図を2つ作成してみました。添付します。

こうみると、どこかしら、その割合とか陸地構成にも相関性があるように見えませんか?

何か同じ原理が地球と火星に働いているようにも感じますね・・・。

特にご指摘の火星表面にみえる隕石痕・・・、地球にもあるかもしれませんね。





25 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/17(日) 06:04:27
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
管理人さまへのお返事です。 コメントありがとう御座います^^。


> 本については、・・・・、
 ・・・のお勧めありがとう御座います。・そのようですね^^。10年より前になると思います。今のようにPCの発達してない時でしょうか、拙:報告書の送り先を調べるため、大学住所や名士年鑑? をもとめ行ったことがあります。地図帳やそれ等は貸出禁止でしたが、古いもので良ければと、中学校住所が載っているものが貸して頂けました。その時カードをつくりました。図書館へは孫の小さいとき本に親しんでもらおうとよく行きました。涼しいしネ^^。児童書は難しいことを如何に伝えるかの思いがなされていて、とてもよく分かります。今では、図書館同志のネットワークが成されていて、希望する本の在庫があれば取り寄せていただけますし、新刊購入してまでも通知して下さる場合があります^^。

 わたしの成そうとしている事は、現学にない広報であり我が興味の追求ではありません。如何にしたら表題の「南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!」に、気付いて頂けるお人を捜すことにあります。しかしながら、こうしてその興味を語り合うことは楽しいことでもあり、新しく得る情報から誤認の修正や、増々もって我が意をつよくしたりも出来ます^^!。 今は、思考力、とくに記憶力や目の衰えを感じています。・ので終活を始めています(笑い)。


> それにしても火星の地形は、地球との比較で面白いデータを提供してくれますね。
> 個人的には、地球も火星もどうして北半球に陸地が固まっているのかが気になっています。
> そこで、地球の陸地と、先の投稿で引用した火星の陸地を重ねた図を2つ作成してみました。添付します。
>> こうみると、どこかしら、その割合とか陸地構成にも相関性があるように見えませんか?
> 何か同じ原理が地球と火星に働いているようにも感じますね・・・。
> 特にご指摘の火星表面にみえる隕石痕・・・、地球にもあるかもしれませんね。

 火星球と地球を重ねあわせる考えはたいへん斬新ですね^^。まるで兄弟~~! 仰るような約束や力が、きっと働いているように感じます。 地軸をかたむけ太陽系の公転面から考えると、太陽系誕生の過程で、シモさまも仰っていた「それぞれの惑星は公転面に沈着してゆく」が推めるかも知れませんね・・・、

 火星図で大きな隕石痕(この掲示板では衝突痕と言って頂きたいのですが^^!)が五つみえます。右下の三つは、シモさまが考察された木星衝突時の連発弾と同様にみえますし、オリンポス山を含む左上の二つには、ご丁寧にも^^!、それぞれの周囲に衝突でできた爆風形状までもが確認できます。

 その中でオリンポス山をとりあげましょう。(数字はあとで入れます)
この山は、火山とされていて、その高さは2万〇〇m、裾野は5百kmあまり、火口は80kmだったかな??  サラサラ溶岩でその斜度は数度とか。盾状火山と呼ばれています。
 皆さん相手にして頂けないので、例によって素人実験をしてみましょうか(笑い)。

<生卵を割って落してください>
黄身である金属核・内核の部分は、周囲の白身にあたるマントル部分より盛り上がっています。そして周囲は表面張力によって高さ二千m級の?崖をなしています。中央の火口だとされている部分は、内核の重みと、衝突によって生じた熱によって“陥没”しています。この陥没痕を中心にした波状痕と放射状痕が確認できます。しかしながら、なにごとにも反対意見はあるもので、この斜面にポツンと開いた小さな穴痕跡が見えます。確たるとは言えませんが、この衝突惑星がもつ衛星痕か、後追いの分弾痕か、ガス痕か、それとも衝突熱からの火口なのかは論議する必要があります。こんなこども染みた実験ではだれも納得してくれない。かつてのクレーター論争のように「火口か? 隕石口か? 」の論争が始まってくれれば嬉しいのですが、・・・・

以上、当方、ボケがはじまっているのに、
   誰一人として相手にして頂けない、“終活老人”からでした^^!

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26かぐやまの花こ:2018/06/17(日) 10:27:37
・・
広報?

・・
息子さんとお孫さんで十分でしょう。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3D50u9bxRwBJI

27管理人:2018/06/17(日) 21:00:30
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000027M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000027_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000027_3M.png

??平さん、お返事ありがとうございます!お孫さんがおられるとは思えない柔軟な思考にいつも驚かされます!

確かに、あの痕跡は隕石落下を想起させますね・・、日本列島にもよく似ているとおもいませんか?

個人的には日本海はクレーターだと考えてます!

それで、ご指摘あった6500年前の南極への隕石落下の件ですが、先日ご紹介した丸岡照幸著「96%大絶滅」に、また興味深い記載と図がありましたので、お知らせします。

まず、平さんのご指摘にもある隕石落下が、生物の絶滅(進化)に対応していることに関しての引用図が図1です。

また図2、図3として引用した図は、3000万年周期の隕石落下周期に関する説です。銀河面を太陽系が上下運動する周期に対応しているようですね。


つまり、平さんのご指摘にもあるように、生物の絶滅と進化に、定期的な隕石落下が関与しているとのことなのですが、さらに小さい周期を予測してきた掲示板で経緯がありました。

そして、毎回、絶滅クラスの気候変動があったということなんでしょうね・・・。

この本は、他にも興味深い記載が満載なので、ぜひ平さんには読んでいただきたいです。

あと、昨日の北半球に陸地が集まる件ですが、先日古代史掲示板のほうでとりあげたように、地球の北半球に接近し、北海道を通過した小天体の件があり、これは平さんたちもご注目の牡牛座流星群の母天体とも考えうるわけです。

その天体の軌道が、地球の公転軌道平面より、やや北方を通過することを予想しましたが、火星でも同程度に北側を通過していたと考えうるならば、火星の北半球に隕石が多く落下して、結果としてその北半球に陸地が集まる可能性がでてきそうです。

ただ、火星の軌道傾斜角は、1.849度となるので、仮にその母天体の軌道が太陽系軌道平面に0度偏角だったとすると、毎回火星の北半球に接近するというわけにはいかないかもしれません。

ともあれ、平さんの論理でいけば、隕石落下にともない、内部マントルが刺激されて、陸地が盛り上がりはじめたことにより、陸地が生じて、それが北半球に集中していたという仮説ができそうですね。

そして、その隕石落下の威力が大きいと、マグマ噴火を起こす可能性があるでしょうし、それが火星ではご指摘のオリンポス山だったということになるでしょう。

さらにいえば、火星も地球同様に、北半球の片面だけに陸地が集中しているのも、隕石落下の時期が、以前分析した月への隕石落下のケースと同様に、ほとんど周回せずに、片面だけに隕石が集中して落下したことによる可能性が見えてきますね。

ただ、一部のデブリは、地球や火星を周回しはじめて、さらに南極・北極方向へと向きを変えて落下し、それによって、南極大陸が成立したとするならば、南極が隕石落下によって成立したという平さんの仮説が成り立つかもしれません。

確かに、先の火星の陸地図面にも、南極のように外れた大陸が一つありますよね。

その落下後に、地球の場合はプレートテクトニクスがあったので、徐々にその北半球にできた陸地が離れていったのに対して、火星の場合は、それがなかったので、そのまま陸地が固まった形で現在を迎えているのかもしれません。

そうすると、どのくらいの隕石(小天体)が落下すると、大陸が生じるのかが次の課題ですが、その辺は、平さんが、いかがお考えになりますか?



28 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/17(日) 21:15:53
ホトトギス 三題^^!
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29 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/18(月) 08:22:28
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000029M.jpg

管理人さま> コメントありがとう御座います^^。
 わたしの頭脳はこの歳まで中学生なみ^^!。・で先様のような知力の高い方々とコラボして
“この大事変”を世に発信できたらいいなと思っています^^。

> 確かに、あの痕跡は隕石落下を想起させますね・・、日本列島にもよく似ているとおもいませんか? 個人的には日本海はクレーターだと考えてます!

 ゴメンナサイ「あの痕跡」とはが分かりません ^^?。 わたしも日本海をクレーターかと考えたことがありますが、広大な太平洋に安山岩がないことと、先に記述した弓状ラインと、ペルー沖にホットスポット等があることから太平洋は大惑星の合体痕だとしました。その下図「大惑星衝突合体図」を拙:報告書より載せます。南・北の太平洋は大惑星の衝突痕。反対側のインド洋と大西洋は、それによってヒビ割れ広がったものだと前述しました。

> それで、ご指摘あった6500年前の南極への隕石落下の件ですが、先日ご紹介した丸岡照幸著「96%大絶滅」に、また興味深い記載と図がありましたので、お知らせします。
> まず、平さんのご指摘にもある隕石落下が、生物の絶滅(進化)に対応していることに関しての引用図が図1です。 また図2、図3として引用した図は、3000万年周期の隕石落下周期に関する説です。銀河面を太陽系が上下運動する周期に対応しているようですね。
> つまり、平さんのご指摘にもあるように、生物の絶滅と進化に、定期的な隕石落下が関与しているとのことなのですが、さらに小さい周期を予測してきた掲示板で経緯がありました。
> そして、毎回、絶滅クラスの気候変動があったということなんでしょうね・・・。

 丸岡先生のご本は、資料と調査によって、「巨大惑星の衝突、生物の絶滅と進化、その周期性」等が専門的に語られているのですね。巨大隕石の衝突は直接的な被災に加えて隕石の冬をまねきます。残存した生物種は、シモさまも指摘されたように放射物質の発生によって突然変異をともないます。巨大彗星等の周回性や衝突は素人には無理。そのような先生が参加して世界へ発信して下さればばいいですね。myブログを捜していたら<ゲスト様>の一番後ろに、6500万年前の事変を想定した周回図(絶版書)が仮付けしてありました^^!

> この本は、他にも興味深い記載が満載なので、ぜひ平さんには読んでいただきたいです。

・のようですね^^。手元にあるのは岩淵先生とシモさまの二冊だけ、岩淵先生のは三度読み返してやっとその概略を^^!。会報7号のほうには強い興味がありますが内容が高度であり、天眼鏡を手にして読んでみましたが未だ中断^^! で、そちらまではとても無理です。(笑い)


> あと、昨日の北半球に陸地が集まる件ですが、先日古代史掲示板のほうでとりあげたように、地球の北半球に接近し、北海道を通過した小天体の件があり、これは平さんたちもご注目の牡牛座流星群の母天体とも考えうるわけです。

 四千年前の東北に衝突した小天体を牡牛座流星群の母体のデブリ(小片)とするのは、岩淵先生の発案です^^。


 あたまがしびれてきました。このつづきは次回にさせてください^^!

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30 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/18(月) 18:01:54
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000030M.jpg

管理人さまへ、朝のつづきです^^!。

> その天体の軌道が、地球の公転軌道平面より、やや北方を通過することを予想しましたが、火星でも同程度に北側を通過していたと考えうるならば、火星の北半球に隕石が多く落下して、結果としてその北半球に陸地が集まる可能性がでてきそうです。
> ただ、火星の軌道傾斜角は、1.849度となるので、仮にその母天体の軌道が太陽系軌道平面に0度偏角だったとすると、毎回火星の北半球に接近するというわけにはいかないかもしれません。

 ・・・・・・、むつかしい問題ですね。・・・・・・

> ともあれ、平さんの論理でいけば、隕石落下にともない、内部マントルが刺激されて、陸地が盛り上がりはじめたことにより、陸地が生じて、それが北半球に集中していたという仮説ができそうですね。

 この件は、管理人さまのお考えとは“衝突惑星のサイズ”によってニュアンスが異なります。
 ので、南極大陸サイズのものが、その衝突によって“地球の内核をプッシュ”する図を絶版報告書より引用して、下図へ入れますので少々お待ちください。


> そして、その隕石落下の威力が大きいと、マグマ噴火を起こす可能性があるでしょうし、それが火星ではご指摘のオリンポス山だったということになるでしょう。

 惑星衝突の威力が大きいと、日本列島の場合は、太平洋側から絶えずプッシュの力が働いて、おっしゃるようにマグマを刺激すると考えますが、表面が冷たくて固い時期の火星の場合は、地球とはまったく異なり、その衝突惑星の<全量が>火星の表面に残っているとしたのが、オリンポス山等の 5山だと、前記事でしました^^!。


> さらにいえば、火星も地球同様に、北半球の片面だけに陸地が集中している・
 ・・・云々・・・
> そうすると、どのくらいの隕石(小天体)が落下すると、大陸が生じるのかが次の課題ですが、その辺は、平さんが、いかがお考えになりますか?

 この件は、地球型惑星の形成とそれに類似する火星の「形成過程論」になり、N体(太陽系系を任意数に細かく分解してそれが・集合・集積行く過程をコンピューターで処理する)論として少し触れていますか゛話が長く(絶版書に)なりますので、またの機会に(おいおいに)させて下さい^^!。 火星球と地球を重ね合わせたお考えには、たいへん興味があります。
・・・いつも、コメントありがとう御座います^^。

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31管理人:2018/06/18(月) 23:27:09
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000031M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000031_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000031_3M.jpg

平さん、さっそくお返事ありがとうございます。

なるほど、衝突する小天体のサイズや、地盤(マントル)の状態によって、仕上がってくる陸地や窪地の形状が変化するということなのですね!

確かにご指摘のように、太平洋も、クレーターによる円形の窪地のようにもみえますね。

応力関係の図は、ちょっと理解しにくいですが、地震波の影響は重要です。

とりあえず、昨日私のほうで指摘した地球・火星の北半球へ集中して隕石群が落下し、その結果として北半球に陸地が集中している件について、説明図を作成しましたので、ご参照ください。

それで、クレーターがどうして陸地と化すのかについて考えてみたのですが、図2のように、まず巨大なクレーターが生じて、その内部に同心円状の島地ができます。

そして、島地とクレーター外リムとの間の領域にあった水などが蒸発し、さらに島から噴出してきたマグマが、そこに流れ込むことによって、陸地が仕上がったのではないかと考えてみました。

その痕跡がみつかるとよいのですが、特に、先日の投稿でも紹介した火星の陸地をみると、図3のように陸地領域の内部に同心円状のクレーター領域がいくらか見えます。平さんご指摘のクレーター痕跡も含まれますね。

これらの複数のクレーターの組み合わせで、地球や火星の北半球・片面に巨大な陸地がしあがっていったのではないでしょうか。

また進展次第お知らせします!




32かぐやまの花こ:2018/06/20(水) 14:20:53
RE:ホトトギス 三題^^!
・・娘です。

平さん。応援してるそうです。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DTP9PO5tycgI

33 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/20(水) 18:59:56
Re: RE:ホトトギス 三題^^!
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-3.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



34 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/21(木) 04:49:55
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000034M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/地震波

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



35管理人:2018/06/21(木) 21:56:09
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000035M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000035_2M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/イリジウム



36 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/23(土) 00:21:00
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
 管理人さま、コメントありがとう御座います^^。

 このような世界の誰もが相手にしない極大論に貴重な時間をさいてコメントを下さるだけでも有り難い思いがします。「南極大陸は6500万年前の衝突惑星!」といっただけで拒否され、たとえ、これが史実であっても、『あなたの言うような南極大陸大のサイズが衝突していたら、生物はおろか今の地球の存在もない!』との固定観念が働き反論さえ頂けません。論理のほうは先生方の論法を借りることが出来ますが、感覚へ「刷り込まれたモノ」は、どうしょうもない(笑い)。
・・・で、存命中は無理と、 時鳥三題をうたいました。(笑い)


<ウィキ・K-Pg境界層の情報>ありがとう御座いました。
 K-Pg境界の件は、わたしも知っていましたが最新の情報は知りませんでした。とくにユカタン半島の件は新聞ニュースでしか知りません。そのサイズは直径10km?前後。前にも申しましたが円周 4万kmの地球の海に、30kmサイズは豆粒ていど。それが核爆弾の元となる重金属の塊ならともかく、通常の隕鉄岩石では、それなりの影響はあるだろうが、現学が思っているより遥かに小さい思いがあります。

 しかしながら 10kmサイズでも、大気圏の影響は極小だが水深4000mとしてそっと置いても半分以上のぞいてしまう大きさだ。さらにその衝突天体が彗星軌道で太陽に炙られた後か前かでもずいぶん衝突の衝撃は変わってくる。恐竜大絶滅論は百花繚乱^^、しかも我田引水的で御自分の論が一番正しいと云ってござる。 それ等の一論、々は正しい。わたしの場合は、その一部を除いて、それ等の全てが起きたとするのが素人の論理です。

 イリジウム・オスミウムの件はわたしも詳しくはありませんが知っていました。衝突惑星のサイズがどの大きさによってかも、変わってきます。例えば直径 1kmと、 10kmの場合では、1kmでは大気とは十分に反応するでしょうが、10kmもとなると海でさえその影響は疑わしい。衝突の(巨象の)どの部分を見るかによっても異なる。シモさまの論説を「すごい」と言ったのは、衝突の飛翔前に始まり、衝突時の中心部と接触部等の<部分々の解析>がなされていたことです。10kmサイズのものならば内部にイリジウムはなかったかも知れないが、衝突時の極高圧と極高温によって接触部であれば、鉄や金だって新たに重金属類に変成かも知れない。ただし、その量の多少が問題で、衝突によって飛び散りもします。現在発見されているその発見場所数は少ないと感じていますが、筆者が「隕石銀座」と称するイタリアや南米北部には、シモさま達が唱するレイライン上にありかとも思っています。別談ですが竜飛崎隕石では祖先は「赤い」といっていることから700℃〜800℃としました。

 <つぎは、津波について声を大きくして言いたいことですが、>
この件に関しては学者の多くが追求されていないように感じます。地表の 90%を覆ったといっても、震源地からの場所と地形により近くにあってもその波高は大きく異なる。一概にその波高を100m200mだとは言えない難しさがある。津波の力はズルいから崖のような部分を避けて、なだらかな登りやすい所へは驚くほどの高所へ上ってゆく。さらに、地球が球形であることにも注意したい。この問題では随分悩みました。南極大陸を衝突惑星とおいて、発生した大津波は、その表層物や破砕物のすべてを北極に向けて流しているだろうと思いきや大量のマンガン塊やこれも大量のオパール塊は赤道付近に留まっていた。
 ・・・? 何のことはない。赤道の周囲は 4万kmで、南極の緯度は〇〇度。であるから、赤道上では川幅が最大となり、流れがゆるやかになって川下の様相を示したのである。確かな数字は忘れましたが^^! はからずも赤道上の波高を 200mにしたかな^^!と思います。余談ながら、衝突で起きた飛沫は海水中に飛び込み雫形に固定されています。東北には「雫石」の地名がありますヨ^^。

 次は、わたしの探偵職にも関わることなので、あまり公にはしたくないのですが^-^!、津波の力は、同じようなモノを同じような所へ集める傾向(筆者が提唱する同似集合の原理・作用)があります。イリジウムの場合は重くても単塊が小さいので遠くへ鋭く飛んで行ったかと思われます。更に希土類は粘土質の細泥に混じって中国の砂漠地帯にも運ばれています。近時、鳥島沖で発見された希土類が話題になりました。次に、これは極秘中の極秘ですが、北海道(茂川流布川)釧路平原とその河口あたりには100%の確率で油田が隠されています。もし、世界的に油田を捜したい貴方さまがおられたら、まずmyブログのどこやらを探して下さい。(笑い)・・・つづく^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



37管理人:2018/06/23(土) 22:36:25
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000037M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000037_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000037_3M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/アララト山



38 史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/25(月) 06:08:58
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000038M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000038_2M.jpg

管理人さまへのお返事です。
    重ねてのコメントありがとう御座います^^。


 わたしは、イースター島から進入し“ヨーロッパを経由”して東北へ降臨した小天体を、
   「BC2001年 12月/ 欧州時24日・日本時25日 明石時間 am5:40頃」と割り出しました。

 しかし、紀元という暦が、なぜ24・25日に近い“冬至”から始めず、その七日後に一月一日をおいたのか? 強い疑問をもっていました。これには色々と理由付けされているようですが,私的には納得できません。欧州には根強いメシア待望論があります。2千年?周期で「何か」が起きる。この思いに合わせて、その一月一日に、地中海を二つに割るような巨大隕石の落下があったのではないでしょうか。その巨大津波(洪水)がトルコの山腹に海因物を運び上げたとにらんでいます。わたしには、それに着手するエネルギーも時間も残されていません^^!。さらなるご解明をと! 希望します。

 あっそれから、四千年前の小天体衝突推定図をこちらへも載せておきますネ^^
私の場合は、宮古より北の海岸と、阿武隈高地の海岸に大きな浸食が見られないことから、その衝突の中心核を釜石鉱山に絞込みました^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



39管理人:2018/06/25(月) 22:35:41
縄文土器と文字情報
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000039M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000039_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000039_3M.jpg

https://plaza.rakuten.co.jp/realityofusa/diary/201103040000/



40 史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト):2018/06/27(水) 03:26:12
Re: 縄文土器と文字情報
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-200810.html

./ http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



41管理人:2018/06/27(水) 22:44:27
アイヌ・沖縄伝承と縄文人
平さん、お返事、情報ありがとうございます!

確かにそういわれてみると、桔縄は、しめ縄にも似ていますね!

そういう意味では、弥生時代以降も縄文人の風習が残っていた可能性も見えてきます。

そして、平さんご指摘の縄文時代に引き起こされた津波のシュミレーション、未来の天才たちに解き明かしていただきたいですね!

さて、またその足しになるかどうかわかりませんが、今、瀬川拓郎氏の「縄文の思想」を読み始めています。

興味深いのは、アイヌ伝承では、山の上に聖地があり、さらにそこに海があるという話、山の神と海の神の往還伝承などがあり、これが風土記などとも相関性があるそうです。

また、洞窟とその他界観に関する伝承は、沖縄のニカラナイ伝承や、アイヌ伝承、出雲方面のそれとに関わりがあるそうですよ。

ニカラナイについて
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%258B%25E3%2583%25A9%25E3%2582%25A4%25E3%2582%25AB%25E3%2583%258A%25E3%2582%25A4

それで、聖域の森や林を「ヤマ」と呼ぶ地域が、南島や九州南部に濃く分布し、また日本列島でも海人の地域によく見られるとのことですが、これが、もしかすると、「ヤマト」「ヤマタイ」の起源と関わってくる可能性を感じます。

古代伝承論、この辺ももうすこし深めていきたいですね!

42管理人:2018/06/29(金) 19:51:14
続縄文文化と古墳時代
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000042M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000042_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000042_3M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/楔形文字



43管理人:2018/07/10(火) 00:04:07
縄文土器と印章
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000043M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000043_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000043_3M.jpg

http://www.korekawa-jomon.jp/parmanent_ibutsu/



44 史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト):2018/07/10(火) 03:15:54
Re: 縄文土器と印章
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-13.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



45 史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト):2018/07/11(水) 08:54:21
Re: アイヌ・沖縄伝承と縄文人
管理人さまへのお返事です。
    情報ありがとうございます!

> さて、またその足しになるかどうかわかりませんが、今、瀬川拓郎氏の「縄文の思想」を読み始めています。
> 興味深いのは、アイヌ伝承では、山の上に聖地があり、さらにそこに海があるという話、山の神と海の神の往還伝承などがあり、これが風土記などとも相関性があるそうです。
> また、洞窟とその他界観に関する伝承は、沖縄のニカラナイ伝承や、アイヌ伝承、出雲方面のそれとに関わりがあるそうですよ。
> 古代伝承論、この辺ももうすこし深めていきたいですね!


「山の上に聖地があり、さらにそこに海があるという話、山の神と海の神の往還伝承」
この情報、特に気になります。四千年前、東北大隕石で発生した巨大津波は、苫小牧をV字湾奥とし、この地に襲いかかりました。その時の波高を百数十メートルと計算したのは大きな間違い(恥!)でしたが、このような八の字形地形では津波の力を中心に集めるため勇払湿地のように入口を削ぎ取り湿地帯にする場合があります。実際のところ、どの程度の波高かは分かりませんが、仮に、話半分としても数十mはあります。巨大津波の性質として貝類を波打ち際や、その喫水線や、陸中深くの谷奥に集めることがあります。蛇足ながら、今の学説は「そのような場所をかつてここは海でした」ということがあります^^!
素人探偵は「津波、陸奥に貝を運ぶ」とでも申しておきましょうか。そのような場所を北海道でも捜したいものです。そのような場所があれば、その地を信仰の対象・入り口にしているかも知れません。

 私は今の今まで、出雲の弥山や、岡山・愛知の貝殻山のように山頂に貝の塚を築く考えが解りませんでした。かの地の祖先は、津波が山に貝を運んだことから、そのような海と山の往来信仰が生まれたのですね。ありがとう御座いました^^。

 この小天体の衝突は、多くの粉塵と暖気と水蒸気を舞い上げ直後の爆雨は干天の地に慈雨をもたらし、火山をも誘発しました。巨大津波は見たこともないような巨魚(鯨)や貝を打ち上げ、それは魚沼となり肥沃な土壌へと化しました。それと共に多くの人命をも食む(人身供犠へ)二面性を持つ荒神信仰が生まれたことは、前々の記事で申し述べています。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



46管理人:2018/07/12(木) 03:23:38
縄文土器と文字情報2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000046M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000046_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000046_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/鐘状ビーカー文化



47 史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト):2018/07/06(金) 06:13:30
BC2001年 末の巨大隕石!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000047M.jpg

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http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



48管理人:2018/07/07(土) 19:22:23
Re: BC2001年 末の巨大隕石!
??史実探偵: 平 素人(ヒイラ??モト)さんへのお返事です。

平さん、お返事ありがとうございます!

文明の滅亡とともに、文明の勃興という視点も重要ですね。

隕石落下による恐竜絶滅とともに、生き残ったほ乳類の反映がありましたから、同様な事例も人類にあった可能性を感じます。

何らかの災害の後に、環境適応能力を保持していたものが、生き残り、その後の世界をかけめぐっていく、それらが、周期的な隕石落下によって引き起こされていった可能性を感じます。

具体的に注目したいのは、ノア洪水が起こり、エジプト文明や環状列石文化がはじまる紀元前2690年前後と、平さんたちが注目するシュメール文明や縄文文明の衰退がおこった2000年前後、そして、ツタンカーメンの死後のモーセの出エジプトとその洪水痕跡が残る1320年前後ですね。685年周期で新しい民が生じていきます。

それぞれの年代の津波堆積物がみられることも先日指摘したとおりですが、その当時の具体的な情報記録を今探してきたところでしたね。

縄文時代の東北でも、上記の年代では、前記、後期、晩期といった土器や人種の入れ違いのようなものがあったのかもしれません。

関連して、縄文土器形式の断絶という現象があるそうです。つながりがないということは、ある集団が滅亡・移動し、別の集団が生き残って新たな拡大を示した可能性を感じます。

その集団が文字文化なりをもっていたかどうかが課題なのですが、旧石器時代の洞窟には、記号のようなものがしばしば描かれているそうです。文字にはなりきってないようです。

ちょっと、古代史掲示板のほうでとりあげている山海経に関して、その三星堆文明の発祥が、やはりその紀元前2700年前後とのことで、その当時の記録が山海経に残っていないか注目しています。

平さんのほうでも、山海経を読んで、おもいつくところがありましたら、お知らせくださいね!

49管理人:2018/07/09(月) 21:34:35
Re: BC2001年 末の巨大隕石!
ところで、平さん、西日本のほう大雨で大変だったようですが、ご無事でしょうか?

50 史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト):2018/07/10(火) 06:12:10
濁流のもつエネルギー
管理人さまへのお返事です。

> ところで、平さん、西日本のほう大雨で大変だったようですが、ご無事でしょうか?

ご心配、ありがとう御座います。当方に被災はありませんでした。
被災した倉敷市川辺地区は、一級河川高梁川とその支流小田川が交差して高い堤防に囲まれたところで、小田川の方は川幅の広い高梁川の増量の勢いに負けて流れにくくなり、歴史的にも溢水気味のところでありました。その交差を下流にもっていく工事がなされていたのですが、数十年に一度ある無しのこの度の豪雨はその対策をも越えてしまいました。一階の全てが水没した水も昨日あたりから引きに転じているようです。

 改めて、濁水流のもつエネルギーの恐ろしさを知ったところです。
広報に行き詰まり感のある今日この頃ですが、次への記事へ移りましょう。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



51管理人:2018/07/10(火) 09:23:17
Re: 濁流のもつエネルギー
平さん、ご無事でなによりです!こちらも今回は洪水で危ないところでした。何がおこるかわからない時代になってきましたね。過去の災害の歴史も重要になってくるのではないかと感じます。ではでは!

52 史実探偵: 平 素人:2018/07/11(水) 00:42:26
南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000052M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000052_2M.jpg

https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs/11

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



53管理人:2018/07/11(水) 21:38:25
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-2
平さん、論説のお知らせありがとうございます。
ぜひ、みなさん、お気軽にご参加くださいね!

54管理人:2018/07/12(木) 15:34:08
ピラミッド
ちょっと、こちらの掲示板の名称ですが、縄文・超古代史掲示板に変更したいと思います。そちらのほうが、書き込みやすくなるのではないかと感じますので。

それで、吉村氏の「埋もれた古代文明の謎」との本を読んでいたのですが、ピラミッドの女王の間から、シナイ半島由来とおぼしき鳴き砂が大量に見つかったとの記載を読んで興味深く感じました。

以前古代史掲示板や会報にも載せましたが、ピラミッド構築が開始された紀元前2690年前後には、ノア洪水伝承のもととなった洪水があり、それが685年周期で接近する隕石落下によって引き起こされた件がありました。

ただ、思うにクフ王のピラミッドはそれからしばらくのちの時代のものなので、そうすると、それ以後に再度同レベルの洪水があり、その際に、低い位置にある女王の間まで、はるばるシナイ半島の砂が津波によって運ばれた可能性がないかと感じます。

先の685年周期でいけば、紀元前2690年の次に接近したのが2004年前後、さらにその次が1320年ごろとなりますが、その1320年以降の比較的近い時期に、ツタンカーメンの墓が、洪水で水没したことが知られており、その洪水が、隕石由来のものと考えた経緯があります。

したがって、その時期の洪水の高さが、クフ王の女王の間の高さにまで至るものだったとすると、下記サイトの図のように、高さ136mのピラミッドの1/5の高さと考えうるでしょう。30m前後の津波が押し寄せたことになるでしょうか。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Felectronic-journal.seesaa.net%2Farticle%2F19026666.html


それが、シナイ半島から砂を運んだとすると、ちょうど、ピラミッド周辺の標高が30m前後ですから、50m以上の津波、おそらくは沿岸部では100mを超えるような大津波が起こった可能性を感じますね。

地中海など、どこかに隕石が落下して、大津波をもたらした可能性を感じます。

それで、仮に紀元前2690年と前1320年前後に、双方大津波が引き越されたとすると、その間の2004年に起こらなかったとするならば、またそこに何らかの理由をかんがえる必要があるでしょう。

いや、起こったのだが地中海周辺ではなかったのか、あるいはやはり起こらなかったのか、この辺の問題について、もう少し考えていきましょうか。




55管理人:2018/07/13(金) 12:26:16
インダス文字と縄文土器
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000055M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000055_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000055_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/モヘンジョダロ



56管理人:2018/07/14(土) 20:55:02
インダス文字と縄文土器2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000056M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000056_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000056_3M.png

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/エラム



57 史実探偵: 平 素人:2018/07/15(日) 00:08:12
Re: ピラミッド
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000057_2M.jpg

管理人さまへのお返事です。

> それで、吉村氏の「埋もれた古代文明の謎」との本を読んでいたのですが、ピラミッドの女王の間から、シナイ半島由来とおぼしき鳴き砂が大量に見つかったとの記載を読んで興味深く感じました。
>
> それが、シナイ半島から砂を運んだとすると、ちょうど、ピラミッド周辺の標高が30m前後ですから、50m以上の津波、おそらくは沿岸部では100mを超えるような大津波が起こった可能性を感じますね。
>
> 地中海など、どこかに隕石が落下して、大津波をもたらした可能性を感じます。
>


<フク王ピラミッド・女王の間にシナイ半島由来とおぼしき鳴き砂が大量>
私は、この件を次のように考えます。
 『 洪水と津波について、』
洪水と津波は「似て、まったく非なり」と考えています。おおざっぱにいうと洪水は雨水で。津波は地震や巨大隕石の落下によって起きます。巨大隕石の周期周回性については、先様の専門です^^。津波」は、いまや国際語ですが、津波の多くを経験していない大陸や欧州人にとって、多くの人は津波と洪水を混同して考えているようです。津波と洪水の被災はたいへんよく似ていますが、大きく違うことがあります。

 洪水の多くは気象や高潮によって起き、イメージとしては<水位の上昇か>と思います。ところが、隕石で起きる津波の場合は、何の前触れもなく巨大な火の玉が衝撃波を伴い天から落下して巨大地震や巨大津波を伴うトリプル災害ですから人心へ与える影響は、気象で起きる災害とは比べものになりません。人々の驚愕は推してしかるべしです。

決定的に異なるのは洪水は川の上から。津波は、川下から上陸し、そこがV字地形であれば山へも駆けのぼります。津波で最も恐ろしいのは、東日本大震災でも経験しましたが、山斜面に駆け上った津波が下るときに、土石はおろか巨岩までも持ち込んで低い方に集まりながら、その斜面をえぐり取りながら下ることにあります。いかに巨岩といえども濁泥中でアルキメデスの浮力が働きますから軽々と運ばれてしまいます。それが山や丘を越えた場合も同様の結果を招くことは、四千年前の東北小天体で発生した北上高地越えの巨大津波で巨岩を運んでいると奥州市・岩淵先生も指摘されています。

そして、津波は、その落下地と地形の関係によっても大きく異なることは以前に申し上げました。特に注目したいのは、津波の上流に土石地帯があることと、筆者の提唱する津波の進行方向が「片V字沿岸津波」の関係にあることです。この場合も、岩石で岩石を削りながら徐々にその威力を増します。そして、その力が衰えてくるところに砂粒を積み上げます。これは、通常河川の様相と全くいっしょです。津波の力が水という媒体によって運ばれるとき、物質は似たものは似たもの同志に効率よく分別される『筆者提唱:同似集合の原理』は、以前に申し上げましたが、巨大津波の場合は洪水よりも、この力がより強く働きます。

<シナイ半島由来とおぼしき鳴き砂が大量>
「鳴き砂」をその友好地では「鳴り砂」と呼ぶことにしよう。というのはご存知かと思いますが、それが石英砂粒であるのもご存知のとおりです。日本各地の沿岸に多数あります。私は、その多数は四千年前の巨大津波に由来するかと調べかけましたが、そのままになっております^^!。その広大なものは「前述の南アメリカ大陸を北上してブラジル高地の北端に」白い砂漠〇〇があります。このように、巨大津波は石英分や貝質分を津波の弱まった場所にそれを集めます。中国桂林、ドーバー海峡の白亜の壁岸も、山口秋吉台も、そのいう6500万年前のものですよ。といったら増々相手にされそうもないのでここで止めます(笑い)。この考えは子供のころの海岸で「なぜ貝殻は貝殻で集まり、散らばっていないの??」がきっかけでした。

 その昔、洪水で多くのヤギが流されて海岸に埋まりました。反対に津波で大量の魚介類が陸中深くの山間に積み上げられました。後世の人はこれを見て「この海岸は昔は山だったとか、その陸中は海の底だった」といえるだろうか(笑い)。と云ってるのが現学ですよね^^!拙:絶版報告書より、


そのピラミッドの王墓の女王の間に、そのシナイ半島・津波由来の “聖なる白砂” を敷きつめて「安らかに御眠り下さい」と考えるのは素人探偵の思い過ごしでしょうか。


欧州には根強いメシア(救世主)待望論があります。ここからを『紀元の始まり』にしようというからには、そこに、その時、だれもが「畏怖・驚愕」するような相応の大事変がなければならない!! その大事変を起こした巨大隕石は地中海のどこかに隠れている。それを捜すには、地中海海没神殿や、トルコ山腹の海成物の物的証拠に限らず神話等々の伝承に耳を傾けるとより多くがみえてくる。「神」の考えが人心に生まれるのは自然に畏怖・遭遇した時、以外には考えられないとするのが素人探偵の論理です。しかしながら、わたしには、それを捜す「気力と根気」が残されていません^^!。

 表題からは外れましたが、GoogleEarthでシナイ半島・エジプト周辺に6500万年前の北上する巨大津波が造った巨大扇状痕を発見けました。何波か遅れてのものだと思います^^!

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58 史実探偵: 平 素人:2018/07/15(日) 01:59:08
Re: インダス文字と縄文土器2
管理人さまへのお返事です。

 つづいてのご記事が入ってました^^。

> 特にカスピ海東部から先のエラム方面への分布が見えますから、原エラム語の子孫にあたるエジプト、セム系、インドヨーロッパ語族の原点はここにあったことが予想されうるで しょう。
> その洪水の痕跡ですが、図3のように、サハラ砂漠や、アラビア半島の砂漠領域に残る縞模様の方向が、その洪水の流れを示している可能性を感じます。赤→で示したのが、その流れと方向です。
>
> 地中海周辺に隕石が落下し、それによる洪水が、エジプトからはるかアフリカ大陸奥へと、またメソポタミア一帯を襲ったことようにも見えます。
>
> その際に、図に記したアララト山に、巨大木造船が打ち上げられたことが、後代のノア洪水伝承へとつながっていった経緯を予想します。
>
> そして、地中海文明で、その洪水から逃れられた地域について考えていくと、先のカスピ海東部あたりが予想されうるでしょう。

だんだんに絞られてきましたね^^。
トルコのアララト山へ方舟を運ぶには、巨大隕石の落下地を現在より、もう少し東よりにして、トルコのアダナあたりがV字湾奥になるような位置を考えられたらどうですか?? ここだと、世界の紛争地の中心エルサレムやその周辺の谷々。そして、先ほどのシナイ半島やピラミッドにも近くなります。アララト山へ舟を運ぶにはどのサイズの津波の大きさが必要かの計算はシモさまのお得意分野^^。年次についてはまったく分かりません^^!。
・・・では、では・・・^^!

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59管理人:2018/07/16(月) 13:23:32
大津波と古代文明
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000059M.png

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/



60 史実探偵: 平 素人:2018/07/16(月) 23:53:39
Re: 大津波と古代文明
管理人さまへのお返事です。
>
> 平さんご注目のエジプトにみえる扇状地?は、南からの流れのようにも見えます・・・・。
> あと、先のサハラ砂漠周辺にみえる洪水・津波痕跡の件で、砂漠化の原因に、津波による森林伐採、海砂の流入やそれによる塩害で植物が育たないといった要因はないかと感じます。

 ゴメンナサイ。図の扇状地は6500万年前、南極側から北上し地表の90%を覆った巨大津波によるもので、今回捜している約2000年前のものとは異なります。ちなみに、その時の超巨大津波の塩海水は地表の90%を覆っていますから、サハラ砂漠で見つかるその岩塩や塩水湖の存在は不思議ではありません。そして、「鶏がさきか卵がさきか」の問題になりますが、サハラ砂漠は、6500万年前の超巨大津波が運んだ砂流痕だと(私は)断じています^^!。

> 大津波が世界中の平地を駆け巡り、主要な生物を滅ぼしていった歴史が繰り返されてきたであろうことは、以前もお話ししたギリシャの歴史記録などにも描かれているとおりです。

「ギリシャの歴史記録」とても興味があります。大津波が世界中の平地を駆け巡り」とあるのは、今、シモさまが追求されようとしている巨大隕石(小天体)による津波のことではないでしょうか? わたしは「紀元・元年とするには、紀元のその時、人心を揺るがすような「巨大隕石」があったと!にらんでいるのですが、管理人さまが色々に上げられている天体の周期性や海進海退、寒冷化の年次には、それに該当するものはありません。(2004年前があったかな^^??)

 “隕石の冬”を伴うためには陸上に衝突し粉塵を舞い上げなければなりません。それが海であれば、その小天体のサイズと海の深さの相関関係にもよりますが、水分の舞い上げはあっても粉塵の舞い上げはほとんど起こらないのではないでしょうか。だから捕まらなかった???

   隕石の冬を伴わない(地中海)海上を捜せ!

<今までの情報として>
ギリシャの平地を覆う津波、エジプト30m級の津波、シナイ半島の白砂、トルコ・アララト山の方舟説、この4点の中心は、管理人さまのいわれる、クレタ島とキプロス島の中ほど。わたしは、アララト山に方舟を登らせたいので、キプロス島よりにして、トルコがV字湾奥になる位置をお勧めしました。(まるで捜査会議みたい-笑い)
 精査ではありませんが、Google Earthでは見当たりませんでした^^!。

> これが、古代史掲示板の山海経の分析で浮かび上がってきたその扶余地域にみえる白民国、東胡といったコーカソイド系を思わせる民族、や習俗記載ですね。
> 飛び地の構造と名付けたいところですが、いつも大きな集団からはるか外れた地域に飛び地のような分布ができる構造、これを解明する必要があります。
> この飛び地の離れにいた集団は、元の大集団がなんらかの災害で滅んだのちにも、生き残って新人類を生み出す可能性がある点で重要です。
> この飛び地の構造について、平さんやみなさんはどうお考えになられますか?

 ゴメンナサイ「山海経」は難しすぎてわたしには、まったく解りません。
「飛び地」について、
 DNAについて以前に論議されていました。人間にかぎらず「種の移動」についての思いを述べます。
思いつくとこで、渡り鳥、風雨海流、寒冷氷河期温暖化、海進海退、冒険探検、遭難漂流、植民地化、等々があります。この中で一つ欠けているものがあります。それは<巨大津波>です。
 例えば、モンゴロイドが間氷期、あるいは氷河期で陸続きになったベーリング海峡を渡って、北米大陸、中米、南米大陸の南端に渡った。という説があります。わたし素人は、これに大きな疑問を感じます。人間の第一とすることは、“食料”これが得られなければ人々は移動を始める。なにも、南米大陸の南端までいかなくても途中にいくらでも、その食料を得れるところはあるだろうにと思うのがこども心^^!。東南アジアあたりに南下するほうがもっと易いとおもいます。でも現実として、そのDNAを持った人たちがいる。

 人間ばかりではありません。動植物・種の移動の「飛び地」については先様方のほうが詳しいので申し上げませんが、津波の大洋でのスピードはゼット機なみ、一日あれば地球の裏側まで進みます。チリ地震で起こった津波が、約一日後に三陸海岸にとどいた記憶があります。話は変わりますが、ナスカの地上絵に、この地にはいるはずのない尾長ざるが描かれているものがあります。日本列島をふくむ弓状ラインは地震の巣です。ここで発生した巨大津波の流木に乗って移動したと言っても否定できるものではありません。
 もう一つ、おもしろいことを申し上げておきましょう。東南アジアの島々の中ほどに東西に分けて淡水魚のすみ分けラインがあることを英学者が見つけました。淡水魚は海を渡りません。わたしはこれを南からの巨大津波にのって運ばれたものとしました^^!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



61管理人:2018/07/17(火) 19:37:08
Re: 大津波と古代文明
平さん、お返事ありがとうございます!

6500万年前の大津波はすごかったでしょうね・・!ほとんどの生き物は生き残らなかったわけですからね。

ご指摘の塩水湖の件は興味深く感じます。確かにどうして、高地に塩水ができてくるのか・・。

先日お話したアララト山周辺へ押し寄せた津波と関係しそうなものとして、そばにあるヴァン湖が挙げうるかもしれません。

ヴァン湖

湖水は強アルカリ性(pH 9.7?9.8)で、炭酸ナトリウム等の塩類が豊富であり、水分を蒸発させて洗剤として使われる[7]。流出する河川が無いため、流入する河川の酸素濃度によっては化学変化を起こして白濁し、地元では「水の色が七色に変わる」と言われている


湖の水位はしばしば大きく変動している。オズワルド(1901年、"Geology of Armenia")によれば、タトワン(トルコ語版)付近では現在の湖面より高い位置の隆起海岸や近年水没した木々もある。1980年代初頭のDegensらの研究では、約18,000年前の氷河期の間は現在より水面が72メートル (236 ft)高かったことが判明した。約9,500年前には劇的な水位の低下があり、現在より300メートル (980 ft)以下の水位となった。続いて、約6,500年前には水位の劇的な上昇が起こっている
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%25B4%25E3%2582%25A1%25E3%2583%25B3%25E6%25B9%2596


6,500年前に何かあったかもしれませんね。

また、飛び地の件について、丁寧にお返事ありがとうございました!

なるほど、ご指摘のように、大津波によって、生物がはるか遠く、高くにまで運ばれた可能性がありそうですね。

そして人類が運ばれたのが、ノアの箱船伝承となりそうですが(汗)・・・、可能性はゼロではないかもしれません。


人類の構造物のうち、比較的質量の軽いものは、水に浮いて、遠くまで流れ着くかもしれませんね。

最近でも、東日本大震災のときのプラスチックや木材が、アメリカにまで流れ着いた話がありました。

古代文明であれば、木材や丸木船、骨格器、あたりは流される可能性があるでしょうか。

逆に土器などは重いので、大津波後も、集落の側溝などに重なって沈み込んでいるのが、出土しているのだろうと思います。

最近でいえば、利尻島に、熊が泳いで渡ったらしいですね。数十キロとか泳ぐらしいです。津波でも生き残れるかもしれません・・。

62 史実探偵: 平 素人:2018/07/18(水) 01:34:46
Re: 大津波と古代文明
管理人さま、情報ありがとう御座います^^♪。

  ヴァン湖の存在、初めて知りました(^-^!)。
たいへん興味深い調査が積み重ねられているようですね。
高地へ運ばれた海水湖。火山による?塩水の化学変化? 湖底の大量腐泥の堆積層。未確認生物ジャノ。等々、6500万年前からの歴史が、“この地に凝縮されている” ようで、とても興味を感じます。

> 6500万年前の大津波はすごかったでしょうね・・!ほとんどの生き物は生き残らなかったわけですからね。
> ご指摘の塩水湖の件は興味深く感じます。確かにどうして、高地に塩水ができてくるのか・・。

ヴァノ湖で日本人(  氏)の、未確認生物ジャノらしきものの映像があったが、アンビリバボーTV にはならなかったとか。このように大洋へ流出口をもたない盆地では、6500万年前の超巨大津波で運ばれた海水はだんだんと凝縮されて死海のように濃くなっていきます。バイカル湖は小さいながらも流出口があるので汽水期をへて淡水化しました。海水が雨水によって長期にわたって徐々に淡水化したために、海洋性のイトウは、それに対応するように進化しました。ヴァノ湖には必ず海洋性の魚がいると断言できます。「汐を吹くという未確認生物ジャノ」の件ですが、わたしは、鯨やダイオウイカ(その他)は、6500万年前の生き残りと思っています。なぜなら南極大惑星>衝突直後にくる大氷河期においても、海水が保温の役目をし、生存可能かと思うからです。ヴァノ湖の場合は、そばに火山帯があり、これが保温の役目をし、魚竜類が生き残れる広さと、冷え切らずの水深があれば、未確認生物の残存の可能性は大となります。それには現在の湖底温度が同様の湖より高くなければなりません。ぜひにこの調査もしたい^^。それと湖底で塩漬けになっているかと思われる恐竜類も捜したいものですね^^! 甲殻類は残っているかも(笑い)。


> そして人類が運ばれたのが、ノアの箱船伝承となりそうですが(汗)・・・、可能性はゼロではないかもしれません。

管理人さま
 今回は、こちらの方が主題^^!。2000年前のミイラ取りが、6500万年前のミイラ取りになってしまったのではァ〜〜〜〜^^!

63管理人:2018/07/18(水) 15:47:28
バンゲア大陸論と隕石衝突
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000063M.jpg

https://ameblo.jp/oldworld/entry-10362044202.html



64 史実探偵: 平 素人:2018/07/20(金) 00:57:12
Re: バンゲア大陸論と隕石衝突
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000064M.jpg

管理人さまへのお返事です。

コメントありがとう御座います。「南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!」の広報で何が足りないのかのアドバイスありがとう御座います。

> 平さん、お返事ありがとうございます。
> ちょっと、また昨日の続きで調べていたのですが、バンゲア大陸論からいくと、どうも6500万年前は問題のサハラ砂漠・・・、海の底だったようですよ(汗)
> ・・・、
> そうすると、南極大陸も、最初は北半球にあり、徐々にオーストラリアなどとともに、南下していった可能性もあるでしょう。
> だから、平さんも、その南極大陸が隕石衝突によって成立した主張なさるときには、もっと北方の位置にオーストラリアとセットで存在していたという仮定のもとで、論じられてみてはいかがでしょう?
>  ・・・、
> 年代論も重要ですが、まずはそれ以前の基礎理論構築の方から進めるべきかと感じます!


『それ以前の基礎理論構築』
というには、おこがましいのですが、以前「地球は隕石の集合体」で、(なにも地球に限ったことはないのですが) トーナメント状に肥大化していったと申し上げました。これ等については、拙:絶版書の「巨大津波と大津波」で 自論を述べているのですが、この掲示板ではページ数を要するのでおいおいにと思います。

 以前、6500万年前、直径3500kmの大惑星が(ここではトーンダウンして3000kmにしましたが^^!)南極に衝突して地球の90%以上を巨大津波が覆いました。それは Google Earthというアイテムを得た現在では、それを信じる信じない。それに気付く気付かない。は別として簡単に説明できると申し上げました。中学生程度の知識があれば十分です。現にこのわたしがそうですから(笑い)。 私は、かつて小学生のときだったかな^^! 「川の上流の岩山が崩れて岩石となり、岩石が砕けてぐり石となり、さらに擦れて河口近くでは砂になる」と、近くの川で学びました。巨大隕石クラスで発生する巨大津波は、これと全く同じ様相を示しています。それを南米大陸から始めたのですが・・^^?。サハラ砂漠は台地状砂漠です。『・台地状???』これはGoogle Earthでその端々の標高度をひろっても確認できます。これほど広い砂浜は^^!、現在のどの大洋の海底を捜しても見つかりません。

>こんな極大論は、その存命中は無理が世の常。それが例え史実であっても、世に受け入れられる時が来なければ、史実とはならない。私としては、未知の「地中海の巨大隕石」のほうから攻めたいのですがぁ・・・(^-^!)

ねんのため、その時地球を覆った<巨大津波の流れ>を載せておきます。



65管理人:2018/07/20(金) 18:44:29
Re: バンゲア大陸論と隕石衝突
平さん、情報ありがとうございます!

ううん、月サイズの隕石落下だと、ほ乳類も生き残れたかどうか・・・(汗)

水の津波というよりは、マグマ津波となりそうですね・・。

そうならないためには、よほど隕石側の材質が弱い、氷彗星とかでないと難しいかと感じます。


ただ、1%でも可能性があれば、考慮しておく必要はありますね。

なんども地球上の生命は隕石落下で絶滅しかけているそうですから、絶滅寸前までいくレベルのものを想定すべきでしょう。

隕石がどのサイズだと絶滅するか、そのラインから判断していくと大きさもわかってくるかもしれません。

66管理人:2018/07/20(金) 19:24:05
インダス文字と縄文土器3
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000066M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000066_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000066_3M.png

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6290440



67 史実探偵: 平 素人:2018/07/22(日) 01:29:59
Re: バンゲア大陸論と隕石衝突
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000067M.jpg

管理人さまコメントありがとう御座います。
南極大陸は6500万年の衝突惑星だ!」の広報を始めて30年。コメントを下さるだけでも嬉しいです。

> 平さん、情報ありがとうございます!
ううん、月サイズの隕石落下だと、ほ乳類も生き残れたかどうか・・・(汗)
隕石がどのサイズだと絶滅するか、そのラインから判断していくと大きさもわかってくるかもしれません。

通常にいわれている巨大隕石のサイズは直径500mかな? それがΦ1kmだと生命絶滅ラインとするのが科学的常識でしょうか? 常識にないことを言っています^^!。 月の直径は3700km。3000kmは、月よりわずかに小さいサイズ。それが地球にぶつかるのですから地球は破壊し、生命は絶滅と考えるのは無理もありませんが、ここでひとつ仮想実験をしてみましょうか^^。地球の周囲は4万km。これを縮小して直径を1,2m。その地殻を100kmとすれば、その厚さは、わずか1cm。その下はマントル。この性質を学問的にいえば難しいようだが、素人的にいえば溶岩は、溶岩! そこに直径30cmの固いボールがぶつかる。地殻は簡単にひび割れて、その大半は柔らかいマントルに沈み込む。特に注意したいのは。そのスピードだ。惑星の運行速度を20km/sec. 衝突スピードを最大に見積もって80km/sec.かな?平均をとって50km/sec.としよう。 難しいことは抜きにして1000kmの上空からの落下時間だと約20秒かかる。これを縮小対比にすると ×100000000となるから、10cmの移動量だと、3000000分も ???? かかってしまう。(中坊以下の計算力ですから間違っていると思いますのでご訂正をお願いいたします!!!)
素人が言いたいのは、TV等の動画では距離に対しての衝突スピードの時間的対比がされていない映像で視聴者に誤った感覚を与えていないかということです。

<南極大陸は棚状大陸>
 以前、釜石小惑星衝突について、その中心部やら、衝突の外皮部分やらを、マクロから素粒子にいたる迄、解析を試みられたことがありましたね。このような超巨大サイズになると、そのような部分的解析が必要かと思います。南極大陸が棚状大陸と呼ばれるのは。その沿岸部の500m〜1000m高さの陸上から、急に3千5・600mの深海へと切り立った様相を示しているからです。これは衝突時に発生した熱も、海水によって即冷やされたから溶岩になって広がらなかったからだと思います。このような状況は、他の大陸にはありません。そして、衝突時のショックで半溶融化し片麻岩(頁岩)化したかと思われる基盤を持っています。クラゲの触手とみられる部分は、南米大陸に連なる陸地と衝突し破壊破損したのでしょうか。


> 水の津波というよりは、マグマ津波となりそうですね・・。
そうならないためには、よほど隕石側の材質が弱い、氷彗星とかでないと難しいかと感じます。ただ、1%でも可能性があれば、考慮しておく必要はありますね。


「南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!」を広報して30年たちました。その間、納得はされないながらも名を明かし返事やコメントを下さったのはミシガン州立大学のプロへッサー〇〇先生と山形大学の〇〇先生のみです。確率でいえばシモさまを含めて3人/75憶人です。後々の名誉のためにブログ「評価の歩み」へ残しています。30年前とある大学の先生から「専門家は相手にしないでしょう。南極(大陸)には温暖期(石炭の露頭)があります」と云われてガチャン^^!。 このような極大論は、その没後に認められるが世の常。送付した文信は約2千通。これが世に認められた時、返事も下さらなかったその人達は「忙しかった」とでもいうのでしょうね。キット(笑い)!! 今は成り行きにまかせての「終活中」です。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



68管理人:2018/07/23(月) 09:26:42
Re: バンゲア大陸論と隕石衝突
平さん、お返事ありがとうございます!

こちらも、平さんと岩淵先生の学説の紹介に役立たせていただければ幸いです。

とはいえ、ある程度の批評にも耐えうるところをお見せしないと、納得が行かないという方も多いかもしれませんね・・。

そういう意味でも、多少チクチク突っ込ませていただきますが、部分的には、きっと公的にも認められるのではないかと期待してます。

確かにご指摘のように、卵と卵をぶつけるようにして、中に潜り込んで合体してしまうケースも想定できそうですね!

その場合、その外殻の修復痕も出てくるでしょうし、内部容積が広がった分の体積膨張が、どう影響していったかも課題です。

衝突速度いう観点からいくと、秒速50kmですから、100秒で5000kmで、ほぼ地球の半径まで潜り込む計算です。見た目は、確かにスローモーションの衝突のように見えるでしょうね。

相手側の隕石が、岩石や金属で構成されていたとすると、地球内部に潜り込んだ時点で、高熱で溶解することも予想できますが、どこまで、形状を維持しきれたかが気になるところです。

逆に氷主体だったとすると、蒸発してしまうでしょうか。

その中間だったとすると、一部は蒸発して海に流れ出し、一部はそのまま地球内核の金属部分へと落ち込み同化するかもしれません。

ただ、問題は、そのまま、溶解して同化せずに、固体のまま、地球の反対側から飛び出てしまうケースですね。

月が隕石衝突の際に、地球から飛び出たマントルでできあがったという説もあるようですが、その辺の応力関係を模索する必要がありそうです。

そうすると、月の成分は地球と同じことになり、また地球内部には、別の成分が新たに増えるので、その後の月の成分と、地球の成分との間には、相違が生じていったでしょう。その成分相違が生じたという過程を立証すれば、そのインパクト説は学説として成り立つでしょう・・。

平さん的には、その辺の衝突時の応力関係、どうお考えになりますか?

69 史実探偵: 平 素人:2018/07/23(月) 23:23:54
Re: バンゲア大陸論と隕石衝突
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000069M.jpg

管理人さまへのお返事です。

 コメントありがとう御座います。うれしい。嬉しいです。わたしの本懐とする方は「こちら」の方ですが何分、少年(こども)染みた件ですので、どうせ相手にしてもらえないほどの極大論とアキラメの方がさきに立っておりました^^!。月に匹敵するほどの大惑星の衝突ならば『地球は、とうに破滅している!』だからあんたの相手をするだけ時間の無駄!!と、言葉にされるかされないだけの30年でした。

> 確かにご指摘のように、卵と卵をぶつけるようにして、中に潜り込んで合体してしまうケースも想定できそうですね!
> その場合、その外殻の修復痕も出てくるでしょうし、内部容積が広がった分の体積膨張が、どう影響していったかも課題です。

 ありがとう御座います。衝突速度、大きく間違っていました(恥ぃ〜^^!)。「秒速50kmですから、100秒で5000km」は、たいへん分かりやすいですね^^。でも二つの天体の衝突を遠くから見ると「スローモーション」のよう。は伝わったみたいです。次に、言葉たらずを言い足しますと、地球を例えると卵。南極へぶつかった天体は、遥か遠くからの周回で、Φ3千kmと小さいですから内部に熱の保持はないと考えます。先様は突き抜ける手もお考えにあるようですが、私はそうは考えません。なぜなら、これを通常いわれている惑星運行速度の20km/secにすれば増々のスローモーションになります。それが小さい天体ならば最大と考えた80km/secになるかも知れませんが「大きいと遅くなるのではとの考えがあります??」ここのところを教えてください。さらに、太陽系の公転面のどの位置(ケプラー)からの進入角もそのスピード問題になります。白亜紀末、それまでの温暖気候の裸子植物から被子植物優位へと変わったのは地軸が傾きをまし有季節となったからだとしています。

 二つの天体が宇宙空間で合体する。(地球の質量をもつ)惑星体が、ある日突然誕生したとは考えられません。トーナメント形式で惑星は肥大化した」と申し上げました。その合体集積は当たり前のことと考えています。

縮小してΦ1.2mの卵状の惑星体。それに芯まで固いΦ30cmがスローモーションで合体する。
これをイマジネーションすると、卵といっても弾力を持つ球体ですから、その衝突体の全ては埋まり込みません。考え易くするために、かりにそれを半分埋めてみましょう。半分の容積分だけの浮力が働きます。この考えから衝突惑星の容積を想像してΦ3000kmを導き出しました。衝突したもの同志が合体し、球体になろうとする力が働くのは自然の理です。
 冷たくて固いもの同志の衝突では破壊もありうるでしょう。現に、南米大陸に連なっていたと思われる陸地部(クラゲの触手部分)では破砕が起こっています。

この衝突が対蹠地の北極に働いてアルファー海山とユーラシア海盆をつくったとは、すでに申し上げました。

『内部容積が広がった分の体積膨張が、どう影響していったかも課題です』
とても、いいところに目を付けられました。私も、この問題にはおおきく悩みました。地球の(当初は80%)90%を覆った巨大津波が発生しているのに、「なぜ海溝は泥流で埋まっていないのか???」・・・幾日も、幾日も・・・^^

 < 答えは意外に簡単でした^^。>
南極で発生した巨大津波の往復は、約2日もあれば、その概略はおさまる。衝突には反力が働き一瞬は浮き上がる。そして徐々に沈みこむ。この衝突を人間の時間的感覚で云ってはならない。タイムラグが働き地球の容積は増し、地殻は8つ?にひび割れ、その海溝は徐々に巾を広げていったのである。だから海溝は津波泥流で埋まらなかった^^。全海溝の容積を集積すれば、衝突体下部の容積がわかる? この問題はあまりにも煩雑なのでヤメにしています(笑い)。

< 蛇足ながら^^>
この衝撃は、南極大陸を囲む海嶺を盛り上がらせ、地球を下膨れの洋ナシ形にしています。そして、この増量は、後述の「なぜ恐竜は巨大化したか?」の問題を解くカギとなりました。どうぞお楽しみに!!

南極大惑星が衝突する前の地球になるまでを図にしています。(拙:報告書より引用)
  この図以前の考えの図は、のちほどに・・・・・^^!、

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



70管理人:2018/07/24(火) 21:14:06
Re: バンゲア大陸論と隕石衝突
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000070M.jpg

平さん、さっそくお返事ありがとうございます!

確かに飛び出す前に溶けてしまうか、重力に捕まってしまうかもしれませんね。

ご指摘のように、衝突地点の反対側が盛り上がる可能性もありそうです。

その際のひび割れから、プレーとテクトニクスができていったとするとそれも斬新です〜!

あと、地軸が傾斜する可能性もありそうです。コマにビー玉をぶつけたようなものですね。

アニメーション化できるとわかりやすんですけどね・・!

今日は、最近2000円で仕入れた天体望遠鏡で、月の観察してます。写真貼付しますね!

こうみると、月の黒い円形部分、これが海でなくて、巨大クレーターの重なるであることがはっきりしてきます。

通常のクレーターの桁違いのサイズの衝撃がある時期に月の片面に集中して起こったために、このような平地ができたと考えますが、衝撃が大きい割に、深く潜り込んでないのは、その衝突した物体の材質が氷や炭素だったからと以前勘えたとおりです。

そして、その黒いクレーターは、図の黄色ラインで囲んだように、主に五角形になるのですが、これは核爆発による可能性を会報でも指摘した次第です。

だいたい、北海道の隕石は六角形、東北方面は五角形になることもお話したとおりですが、これは材質の相違によると勘えています。前者は、金属結晶、後者はメタンハイドレード結晶による影響を想定しましたね。

つまり、北海道の隕石群の落下年代や元となった小天体と、東北のそれとが相違していることを示すのですが、それは、また後日、再度年代推定をまじえて、分析をしてみたいとおもいます。

それでも図の右上にみえる黄色円で囲んだ重なり合った黒いクレーターには、ある程度の深さまで潜り込んでいる様子も伺えますが、数百Mくらいの高低差になるでしょうか・・。

つまり、同じ天体に由来する衝突と考えうるのでして、逆に言えば、それ以上の深さのものは、その際には、起こりえなかったとも考えうるかもしれません。

これが、日本列島でいえば、相模湾とか、あきらかな同心円状の地形としてあらわれてくるわけです。

それで、本題に戻って、平さんご指摘の巨大小惑星の材質なのですが、その種類次第で、大きく結果が異なるように感じるんです。

氷彗星なら、それで衝突時に水蒸気がまきあがり、さらに深い海ができるでしょうし、金属天体なら、内部の金属核が大きくなるので、重力の変化が起こり、公転軌道にも影響がでてくる・・。

また、その辺、続きのお話お聞かせください。楽しみにしてます!


http://



71 史実探偵: 平 素人:2018/07/26(木) 04:47:37
巨大隕石の衝突と惑星の肥大化
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000071M.jpg

管理人さま、早々のコメントありがとう御座います^^。コメントを交えることに嬉しさを覚えます。
過去にこの件で、このようにコメントを交えたことは、一度もありません^-^! チクチクではなくて、この論が瓦解するようなのをお願いします(笑い)。 それが拙論の誤りや不備を正し、結果的にこの論説を強固にします。


 <なぜ恐竜(植物やトンボまでも)が巨大化したか?>

<答> それは白亜紀末以前の地球の重力が、南極大陸の重量分を差し引いて小さかったからだ! (分子、原子の形状による力学的要素は決まっていて?)構築学的にみる物質の構成力はその星の重力が影響する。衝突によって増量した地球は、引力、重力の増加となり生物は巨大化しないで矮小化する。 もし、巨大な重力を持つ木星のような星に生物がいれば、その背丈は“高く”はならない! そして、オリンポス山が2万mもあるのは火星が地球より小さいからだ。人類が初めて月に降りたときの映像は飛び跳ねていた。月の重力は地球のほぼ六分の一である。恐竜がその巨体を動かし得たのは、今の地球より重力が小さかかったからだ。鯨はその重力から逃げて、その巨体を海にしずめている^^。
筆者は、南極へ衝突した惑星の直径は、およそΦ3000kmだと推量している。


> 今日は、最近2000円で仕入れた天体望遠鏡で、月の観察してます。写真貼付しますね!

 わたしの子供のころの、三種の神機は、天体望遠鏡と地球儀と顕微鏡でした。天体望遠鏡は子どもの頃の弟が。地球儀は学童用のを見かねた妻がデンマーク製のものを。顕微鏡はいまだ買わずじまいです。こども心はいつまで経っても失いたくないものですね(^-^)。


> こうみると、月の黒い円形部分、これが海でなくて、巨大クレーターの重なるであることがはっきりしてきます。
通常のクレーターの桁違いのサイズの衝撃がある時期に月の片面に集中して起こったために、このような平地ができたと考えますが、衝撃が大きい割に、深く潜り込んでないのは、その衝突した物体の材質が氷や炭素だったからと以前勘えたとおりです。そして、その黒いクレーターは、図の黄色ラインで囲んだように、主に五角形になるのですが、これは核爆発による可能性を会報でも指摘した次第です。だいたい、北海道の隕石は六角形、東北方面は五角形になることもお話したとおりですが、これは材質の相違によると勘えています。前者は、金属結晶、後者はメタンハイドレード結晶による影響を想定しましたね。
つまり、北海道の隕石群の落下年代や元となった小天体と、東北のそれとが相違していることを示すのですが、それは、また後日、再度年代推定をまじえて、分析をしてみたいとおもいます。
それでも図の右上にみえる黄色円で囲んだ重なり合った黒いクレーターには、ある程度の深さまで潜り込んでいる様子も伺えますが、数百Mくらいの高低差になるでしょうか・・。
つまり、同じ天体に由来する衝突と考えうるのでして、逆に言えば、それ以上の深さのものは、その際には、起こりえなかったとも考えうるかもしれません。これが、日本列島でいえば、相模湾とか、あきらかな同心円状の地形としてあらわれてくるわけです。

  ゴメンナサイ御氏のご本、いまだに読破できていません。
「衝突した物体の材質が氷や炭素だった」 「材質の相違により衝突隕石は六角形、五角形に。前者は、金属結晶、後者はメタンハイドレード結晶による影響を想定」 「・・・等々」 とても興味をひきます。
天体が肥大化していくなかで、変質や重力の違いから、それらの物質がどのようにして星の表面に残ったり内部に沈殿していくかはとても興味がある問題です。そのなかで鉄の動きには特に注目していますので、前記事に続いてそれを図示します。 氷彗星や、炭素ボールや、メタンハイドレードの所在は、とても興味がありますが不勉強です^^!。 概略としては、重いものは星の中心部へ沈み、軽いものは外側に残るのが基本と考えています。

南極大陸が様々な物質からなっているのは、ご存知のとおりですが、星の衝突と、各々の物質がいかにして星を形作っていったかは、それらの分布調査に期待するところです。重いものは中心域に。それが衝突し、ベチャと崩れ押さえつけられているとしたらある程度の予測はつくかも知れません^-^!
 <星の誕生と終焉>拙:電子出版(絶版書)より、

http://



72管理人:2018/07/26(木) 14:26:35
Re: 巨大隕石の衝突と惑星の肥大化
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000072M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000072_2M.jpg

https://curazy.com/archives/41363



73 史実探偵: 平 素人:2018/07/27(金) 00:18:27
Re: 巨大隕石の衝突と惑星の肥大化
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000073M.jpg

管理人さま、早々のコメントありがとう御座います^^。

> しかし、体長を数倍にするような重力変化をもたらすほどとなると、相当巨大な隕石がぶつからないといけないでしょうね・・・。

さすが、痛いところをついてこられました^^! 私もその件はひっかかって居ました。単純比例だとそのようになりますよね。大まかな数字で申し訳ありません。恐竜への巨大化が約2億年。その後の6500万年で現在の大きさ。ワニや蛇などは寿命が長いと巨大化するようです。この時間比で逃げていましたが正確なところは分かりません。恐竜の巨体を支えるための骨密度を調べられた学者が(お名を思い出しません^^1)、骨が中までつまっていると重くなってしまうので中がスのようになっていて弾力と強度を保つように進化しているとされていました。その他、生存環境の維持等もからんでくるでしょうが、その辺は専門家にゆだねたいところです。


> それで、注目しているのが、先日紹介したバンゲア大陸論です。
それで、このバンゲア大陸・・・、まだ中途半端なような気がするんですね。

先日も、地球上のある1カ所に集中して、隕石群が落下して陸地を形成した可能性を考えましたが、その落下した以外の部分は全部海だったのか、あるいは平地だったのか・・・という問題ものこります。その落下で、海水量が増えないと、いけませんね。
そういう意味でも、バンゲア大陸ができたときに、海水量が増える程に、氷で覆われた隕石群が水分を地球に提供しないといけなかったでしょう。
昔論議されたという、地球がもとは小さかったという説についても再考すべきなのでしょうか・・・。
地球が大きく膨張していく過程で、ひとつだったバンゲア大陸がバラバラになっていったという説です。

わたしは、管理人さまも「海の部分?」を指摘されているように「パンゲア大陸論」には、その解明がなされていないと申し上げてきました。陸地の乖離はなっとくできます。しかし、海の部分はどうなってるの?? 陸地の乖離を「体積が膨張」したと考えると、新たな熱量の発生がなければなりません。熱量の発生は“衝突や収縮”によって発生します。あるいは太陽の直近を通過することによっても輻射熱を受けます。膨張と収縮は真逆の関係にあります・・・???

わたしは、大陸移動論(パンゲア論)に、自論の『ベイクド・ライスケイク論・焼き餅論』を加えています。これを簡単にいうと。焼きたての中が柔らかい餅を両手の親指を押し込むと反対側がヒビ割れて広がります。広がった部分は大西洋で、二つの親指は北太平洋大惑星と南太平洋大惑星の衝突だとしました。その痕跡は、北太平洋の弓状ラインと、ハワイのホットスポットと、ペルー沖の海底に広大な火山域ありとしました。そして、この現象は金星図でもありと別紙報告書でしています。蛇足ながら、各大陸の地殻の厚みは、およそ100km。それに比して太平洋の地殻の厚さは2kmでホットスポットより沸き上がり、約2億年で塗り替わっているのはご存知のとおりです。

「バンゲア大陸ができたときに、海水量が増える程に、氷で覆われた隕石群が水分を地球に提供」

この手がありましたか^^!? 氷彗星が地球に水を提供した。わたし素人は、地球の水がどのような過程をへて現在量になったのか? よく分っていません。火星なんかは、地下にその水をとどめていると云うし、彗星は汚れた水玉説が出て以来、多くの人が、彗星=氷塊と認知されているようですが、彗星軌道の全てを氷塊とするには大きな抵抗があります。彗星軌道はコロナ100万度をもつ太陽に必ず近づくのに! との考えが払拭できないでいます^^!
その衝突は、太陽に近づく前か? それとも通り過ぎた後の衝突か?
水の生誕はどのような過程をへるのか?? 「水の電気分解、ビーカー内でアルコールを燃やしたら水滴ができた」程度の知識しかありません。どなた様かご教示を^-^!

前図51、50につづき、<Fe(鉄)核をもつ星の卵になるまで>の49図を掲載します。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



74管理人:2018/07/27(金) 19:53:54
Re: 巨大隕石の衝突と惑星の肥大化
平さん、さっそくお返事ありがとうございます!

重力差によって、生物の体長が伸縮する可能性ですが、確かに骨密度など、かならずしも体長が2倍になったからといって、そこに働く重力が半分だったとは言い切れないかもしれませんね。

実際に、重量が体長に影響するとするならば、地球の極地方に住む人と、赤道に住む人との身長差が出てこないといけませんね。

確かに、実は北欧人のように、北方人のほうが大柄で、同じコーカソイドでも赤道に近いイタリア人は、低身長になるとうこともあるようです。

一般的には、寒冷適応で、北欧人は大きな体をもち、熱を外に逃がさないようになったと言われていますが、はたしてそうなのかも課題です。

それで、下記のサイトでは、

「北極に近いフィンランドのヘルシンキの重力加速度(物体を自由落下させたとき、重力によって生じる加速度。)は9.819m/s2、赤道に近いシンがポールの重力加速度は9.781m/s2となります。

100kgのもので計算すると9.781(赤道)÷9.819(極地)= 0.996=99.61%となり、極地で100kgのものが赤道では99.61kgとなり差が390gということになります。」
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.aandd.co.jp%2Fadhome%2Fproducts%2Fkeiryo_kiki%2Ftech_info_8.html


とあります。フィンランドの平均身長が180cmだったとすると、シンガポールでは179.28cmにならないといけないのですが、実際は北欧人とイタリア人との間では7cm前後、南北で相違があるようです。

それで、重力差が0.05%違うと、180cmの人が173cmへと身長が伸縮する、つまり、4%相違が生じるという仮定で考えてみると、40%相違が生じるためには、0.5%の重力差が必要になりますね。

それで400%ならば、5%、4000%つまり40倍の大きさならば、50%重力が小さくなる必要が出るでしょう。

そうすると、恐竜がトカゲクラスにまで縮小化をするためには、地球の重力が2倍にならないといけないということになるでしょうか。

あくまで仮説ですが、平さんのおっしゃるように、巨大惑星が衝突して重力が2倍になれば、恐竜サイズの生物は、トカゲクラスにまで縮小する・・といったことも想定しうるかもしれませんね・・・。

ただ、そんなわずかな重力差が、はたして生物の体長の伸縮にそこまで影響するのかが課題ですね。

こちらに、ラットなどをもちいて、人工的に重力をかけたときの骨密度や大きさの変化についての報告があります。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.jstage.jst.go.jp%2Farticle%2Fbiomechanisms%2F5%2F0%2F5_KJ00004275030%2F_pdf


確かに、重力が大きくなると体格が小さくなるように見えますね。1G増えると、0.2kg小さくなる・・ようなグラフでしょうか。

ちょっと何とも言えない結果ですが、保留しておきましょう。

それで、太陽系の惑星成立過程ですが、平さんのトーナメント説とは、私の推論は少し異なっていて、会報でもしるしましたように、地球の大きさと金星のそれとがほぼ同じであるように、惑星のサイズそのものは、ある一定の大きさにしかならない、プランク定数に基づく質量規定の法則があると考えています。

それゆえに、火星と月と水星、冥王星も似たようなサイズになるのですが、同じサイズでもそれぞれ質量が大きく異なっており、そのサイズにあわせるかのように、骨密度とでもいうべき質量密度が変化していく過程を論じました。

だから、結論からいくと、地球にいくら巨大天体がぶつかっても、サイズは変わらず、その質量密度のみが変化していくのですね。その密度限界がくれば、ジャイアントインパクト説でないですが、月のようなものを地球から放出して、そのサイズを維持するわけです。

ジャイアントインパクト説
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2582%25B8%25E3%2583%25A3%25E3%2582%25A4%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2588%25E3%2583%25BB%25E3%2582%25A4%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2591%25E3%2582%25AF%25E3%2583%2588%25E8%25AA%25AC


この説で興味を引いたのは、月が地球から分離して仕上がるまでに1ヶ月もかからないという見方があることです。

これは平さんもご指摘のとおり、そのほとんどが液体である場合、すぐに完全球形へと変化することは、重力的にみても妥当でしょう。そして平さんご指摘のように、その表面に卵の殻ができて、陸地となる・・。

現在の月はかなり固体化しているようですが、地球のほうは、まだ液体の塊とみてよいですね。半熟卵とか、お餅のたとえはグッドです!

つまり、その液体の球が、あるサイズを超えると、それを維持できなくなる、ここに重力と遠心力、組成成分同士の結合力などの要素が加わってくるはずです。

仮に平さんご指摘のような半径3000kmサイズの天体が、6500万年前に地球に衝突したと仮定する場合、おそらくは、その一部は地球に取り込まれて、他の部分は放出されて月になったのではないでしょうか。

それで地球の密度は以前よりも大きくなる一方で、月の密度は以前の地球の密度に近いものとなる。


ただし、月のサイズにも先のプランク定数関連の規定サイズにならなければいけないので、若干の密度差が生じる可能性を感じますね。

先のジャイアントインパクト説のwikiによれば、現在の地球は5.52g/cm?、月は3.34g/cm?とのことで、元々の地球の密度が後者の月密度だっとすると、元の地球には、その地球と同じくらいのサイズの惑星が衝突しないと、今の地球密度にはならないかもしれませんね。

それで、次の記載が重要です。

地球には無色鉱物に富んだ花崗岩などの岩石からできている大陸と、大陸より暗い色でより金属に富んだ有色鉱物に属する玄武岩などの岩石からできている海という窪地があるのである。この構成の違いに加えて、水の存在が地球に広範囲に渡る活発なプレートテクトニクスを存在させることになった。さらに地球の自転軸の傾きと初期の自転の速さも、いわゆるジャイアント・インパクトによって決まったと考えられている。


この花崗岩がどこからきたのかが課題なのですが、プレートテクトニクスによるマグマ由来ということになっているようですね。下記のwikij記載参照ください。


花崗岩はおそらく完新世を除くあらゆる地質年代にわたって地殻に貫入してきた。世界的には先カンブリア時代に生成したものが多いようだが、日本では茨城県日立市のカンブリア紀のものが最も古く、中生代に生成したものが最も広い面積を占める。日本の地表では、阿武隈高地、関東北部、飛騨山脈、木曽山脈、美濃高原、近畿地方中部、瀬戸内海から中国山地、北九州などに広く分布している。

このように花崗岩はごくありふれた存在だが、太陽系の地球以外の岩石天体にはほとんど見出されない。花崗岩の形成に水の関与が必要で、海の存在する地球でのみ花崗岩が大量に作られてきたものと考えられている[2]。


地下深部で形成された深成岩のうち下記2条件を満たすものを指す。主成分が石英と長石で、他に10%程度の有色鉱物(黒雲母等)を含み、全体的に白っぽく見えるもの。有色鉱物の含有量が多い(約30%)ものは閃緑岩の範疇に入る。なお、花崗岩と閃緑岩の中間的な性質を持つ岩石は花崗閃緑岩 (granodiorite) と呼ばれる。
????成分中にナトリウムとカリウムの含量が少ない非アルカリ岩質であること。アルカリ分が多くなると石英が減って角閃石が多くなり、閃長岩と呼ばれる。

花崗岩は大陸や島弧などの陸地を構成する岩石の中では非常に一般的なもので、各地で見つかる。花崗岩の英語名 granite の語源は、ラテン語で種子や穀粒を意味する granum である。数mm径の結晶が寄り集まった粗い粒子構造から命名された。

花崗岩の平均密度は通常2.75g/cm3付近であるが、産地や品種によっては1.74g/cm3から2.80g/cm3に及ぶ

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E8%258A%25B1%25E5%25B4%2597%25E5%25B2%25A9



ここで、日本では、カンブリア紀の生成が想定されている件は注目すべきかもしれません。約5億4200万年前から約4億8830万年前までとされますね。


カンブリア紀では、先カンブリア時代に形成された海洋が地球上のほぼ全てを覆い尽くす。海中では様々な種類に至る海洋生物が現れ、中でも三葉虫等の節足動物が繁栄し、藻類が発達した。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2582%25AB%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2596%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25A2%25E7%25B4%2580



あわせて、海洋底を構成する玄武岩についても考えていく必要がありそうです。


玄武岩は地球表面で最も一般的に見られる岩石であるが、その生成する場所を列記する。玄武岩質溶岩は流動性が高く、高い火山で噴火した場合遠くまで流れて溶岩流となり、平坦な場所で噴出すると平らな台地を形成する。

????海嶺 - プレートテクトニクスでは、海嶺は新しいプレート(リソスフェア)が生成されるところと説明されている。地下深部から上昇してきたマントルが減圧融解をおこし、それによって生じた玄武岩質マグマが海洋底を形成する。海嶺で噴出する玄武岩マグマは枕状溶岩となる。すなわち、大洋の底は全て玄武岩(枕状溶岩)である。例えば、海嶺が地上に出ているアイスランドの火山はほとんど全部玄武岩質である。海嶺で生じる玄武岩は中央海嶺玄武岩(英語版) (MORB) と呼ばれる。
????ハワイなどのホットスポット火山。
????伊豆大島、富士山などの島弧上の火山。沈み込む海洋プレートからウェッジマントルに水が供給され、融点が下がることによって玄武岩質マグマが形成されると説明されている。
????デカン高原のように非常に大量の玄武岩が地表に供給されることがある。プルームテクトニクスでは、地下深部の高温マントルの塊が上昇してきて(マントルプルーム)、比較的短期間に大量の玄武岩質溶岩を噴出させたと説明されている。このタイプの噴火を洪水玄武岩と呼び、形成された地形を溶岩台地という。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E7%258E%2584%25E6%25AD%25A6%25E5%25B2%25A9



すこし整理して考えていく必要がありそうですね。


75 史実探偵: 平 素人:2018/07/30(月) 02:52:33
Re: 巨大隕石の衝突と惑星の肥大化
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000075M.jpg

管理人さま、早々のコメントありがとう御座います^^。
    コメントの作成に時間がかかりましたこと、お許しください。


> 重力差によって、生物の体長が伸縮する可能性ですが、  ・・・ ・・・、

たいへん詳しい情報と考察をありがとう御座いました。寒冷地の北極熊やトナカイの大型化は知っていましたが北欧人が何故、長身で白色なのか不思議に思っていました。重力差や緯度によっての分析もありがとう御座いました。恐竜がなぜ巨大化については、単に重力のみならず、色々な要因があるのですね。


> それで、太陽系の惑星成立過程ですが、平さんのトーナメント説とは、私の推論は少し異なっていて、会報でもしるしましたように、地球の大きさと金星のそれとがほぼ同じであるように、惑星のサイズそのものは、ある一定の大きさにしかならない、プランク定数に基づく質量規定の法則があると考えています。
それゆえに、火星と月と水星、冥王星も似たようなサイズになるのですが、同じサイズでもそれぞれ質量が大きく異なっており、そのサイズにあわせるかのように、骨密度とでもいうべき質量密度が変化していく過程を論じました。
だから、結論からいくと、地球にいくら巨大天体がぶつかっても、サイズは変わらず、その質量密度のみが変化していくのですね。その密度限界がくれば、ジャイアントインパクト説でないですが、月のようなものを地球から放出して、そのサイズを維持するわけです。

> この説で興味を引いたのは、月が地球から分離して仕上がるまでに1ヶ月もかからないという見方があることです。
現在の月はかなり固体化しているようですが、地球のほうは、まだ液体の塊とみてよいですね。半熟卵とか、お餅のたとえはグッドです!
つまり、その液体の球が、あるサイズを超えると、それを維持できなくなる、ここに重力と遠心力、組成成分同士の結合力などの要素が加わってくるはずです。
仮に平さんご指摘のような半径3000kmサイズの天体が、6500万年前に地球に衝突したと仮定する場合、おそらくは、その一部は地球に取り込まれて、他の部分は放出されて月になったのではないでしょうか。


わたしの少年(こども)染みた発想を学問的に分析・考察して下さり、ありがとう御座います。ブランク定数やジャイアントインパクト説等、わたしにとっては難しい部分もありますが、たいへん勉強になります。
『地球にいくら巨大天体がぶつかっても、サイズは変わらず、その質量密度のみが変化していく』
『直径3000kmサイズの天体が、6500万年前に地球に衝突したと仮定する場合、おそらくは、その一部は地球に取り込まれて、他の部分は放出されて・・・』 には、とても興味をひきます。月は地球から分離したという説の発想が、私には理解できませんでしたが、そのような学問的裏付けがあったのですね。

わたしは、このゲームの始めに <6500万年前> <南極大陸は衝突惑星だ> <地球の現状を否定しない> の、三つの決りをあげました。これに納得できる理論づけが出来ないのは、この私くしに誤りや欠如があるか、現在の学術がそれに至ってないからだと思っています。「地球・半熟卵」のたとえはとてもいいですね^^。とても気に入りました。それでいくと、さしずめ金星は薄皮の生卵で、火星は固くなったゆで卵でしょうか。今後、この表現を使わせていただけませんか^^!:。
<太陽系の惑星成立過程>ですが、トーナメント説は、基本的な考え方として、それにブランク定数の考えをを加えていったらいいかと思います。拙: 報告書より、そのトーナメント図を載せておきます。 尚、この図には温度は記入していませんが、おおむね tに沿っての変化としてよいかと思います。(次回は太陽系の誕生図を載せる予定です^^)


> それで、次の記載が重要です。
地球には無色鉱物に富んだ花崗岩などの岩石からできている大陸と、大陸より暗い色でより金属に富んだ有色鉱物に属する玄武岩などの岩石からできている海という窪地があるのである。この構成の違いに加えて、水の存在が地球に広範囲に渡る活発なプレートテクトニクスを存在させることになった。さらに地球の自転軸の傾きと初期の自転の速さも、いわゆるジャイアント・インパクトによって決まったと考えられている。  ・・・・、
あわせて、海洋底を構成する玄武岩についても考えていく必要がありそうです・・・・、


花崗岩と玄武岩の情報をありがとう御座いました。
わたしは、花崗岩と玄武岩の“生成の違い”がわかっていませんでした。玄武岩は水の冷却が関係していたのですね。これでやっとその謎が解けました。地球が肥大化をしていく過程で、北太平洋大惑星と南太平洋大惑星が、原始小地球にぶつかる時には、すでに水が存在していたから玄武岩表になったと確信がもてるようになりました。

 「海嶺で噴出する玄武岩マグマは枕状溶岩となる」この情報ありがとう御座いました。
「枕状溶岩」を知りませんでした。
話は、少しかわりますが、岩手県の一ノ関 付近に、この枕状溶岩ありの情報を得ました。わたしは玄武岩柱が六角形状をとるのはトコロテンのように「圧縮されたマグマが勢いよく噴出するからだ」としています。一ノ関の規模は分かりませんが、素人の言う「釜石小惑星」の衝突時にマントルやマグマがプッシュされ津波の中に噴出されたものであれば話しは面白くなってきます。ただし『最古』とありましたから、この年代合わせにはいつも苦労します^^!

> このように花崗岩はごくありふれた存在だが、太陽系の地球以外の岩石天体にはほとんど見出されない。花崗岩の形成に水の関与が必要で、海の存在する地球でのみ花崗岩が大量に作られてきたものと考えられている[2]
・・・・・、
ここで、日本では、カンブリア紀の生成が想定されている件は注目すべきかもしれません。約5億4200万年前から約4億8830万年前までとされますね。

「花崗岩」「玄武岩」について・・・・・・、の情報ありがとう御座いました。水が大きく関与しているのですね。


> ハワイなどのホットスポット火山。
伊豆大島、富士山などの島弧上の火山。沈み込む海洋プレートからウェッジマントルに水が供給され、融点が下がることによって玄武岩質マグマが形成されると説明されている。
デカン高原のように非常に大量の玄武岩が地表に供給されることがある。プルームテクトニクスでは、地下深部の高温マントルの塊が上昇してきて(マントルプルーム)、比較的短期間に大量の玄武岩質溶岩を噴出させたと説明されている。このタイプの噴火を洪水玄武岩と呼び、形成された地形を溶岩台地という。

わたし史実探偵は、アイスランドや、オーストラリアのエアーズロックは、南極大惑星の衝突によって地下マントルが圧縮され噴出し、巨大津波によって北に流された形状をしていると断言していましたが、デカン高原については80%の確率しか持ちえませんでした。色々なご教示よって、それも100%の確信が持てるようになりました。わたしの少年(こども)染みた発想と知識に、先様の学術の裏打ちがなされていく。そんな喜びを感じます。発想や “気付き”だけでは世の中には通用しません。それには、今の学術をもって説明し、今の学術になければ、それを新たに構築しなければなりません。今後ともよろしくお願いいたします。

<π空間が生む不条理>
 万事は、否定し得ない一事からなり、自然はいつも奇跡とか偶然の確率を用意して私を悩ませる。それを説明し得ないのは、このわたしが至らないからであり、その史実が無かったからではない。その「奇跡や偶然の確率」が変化という “時”を進化させてゆく。 史実探偵: 平 素人より、

<惑星肥大化曲線(オニオンライン)>について
星の終焉で爆発飛散した物体が再び集積を始める時、散らばったなかの比較的大きい(種)を中心にして集まります。分散した n物体のなかには回転の違うもの、マイナス・プラスの性質をもつもの、重いもの・軽いものや、大きいもの・小さいも等。様々なものに分離します。それらが、近回りから似たものは似たもの同志トーナメント形式で集まりだします。それらが惑星へと肥大化するには、各々が小さいものですから、立ち上がりには時間tばかりが過ぎて肥大化はなかなか進みません。しかし、その衝突回数の多さから各体は熱を保持してきます。やがては、準々決勝あたりから表面は冷めてきて衝突回数は少なくても各体は大きいものですから急激に惑星は大きくなります。先に掲げた南北の太平洋大惑星の衝突は決勝戦あたりとなるでしょうか。

ところが、何事にもはぐれ狼はあるもので、それが6500万年前に南極に衝突したと思っています。それを前にあげたオニオンラインの図の右端に記しました。次は太陽系の誕生に言及したいと思います。どうぞ、お楽しみに(^-^)。

  惑星肥大化曲線「オニオンライン」 拙:報告書より

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



76管理人:2018/07/31(火) 09:47:25
Re: 巨大隕石の衝突と惑星の肥大化
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000076M.png

http://www.geod.jpn.org/web-text/part2/2-3/index.html



77 史実探偵: 平 素人:2018/07/31(火) 19:35:48
Re: 巨大隕石の衝突と惑星の肥大化
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000077M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000077_2M.jpg

管理人さまへのお返事です。
 早速のコメントありがとう御座います。
ゴメンナサイ、用事入りましたので、とりあえず図だけを入れておきます^^!

 「 すみません。おまたせしました。}

> あと、プレートテクトニクスによるマントル噴出によって、陸地や海底が仕上がっていく件ですが、その大陸移動の原因については、そもそもプレートテクトニクスがどうして生じるかについて考える必要がありそうですね。

 プレートテクトニクスについて、私は次のような考えをもっています。以前の図を左下にあげます。これはベイクド・ライスケイク(焼き餅)論ですが、北太平洋と南太平洋に衝突し沈み込んだ大惑星と反対側の大西洋部分がヒビ割れ地球体積の増量によって広がったとしました。それと、今はその確認はできませんが<南極大陸衝突論>より前に、南北太平洋大惑星よりわずかに小さい大惑星が衝突し、これがインド洋を押し広げ、インド大陸をヒマラヤに突き当て押し込んだ原動力となりました。その余熱はホットスポットから沸き上がり約2億年で太平洋海底を塗り替えているのは先様のご存知のとおりです。

> マントル対流によるのでしょうけど、おそらくはその原因は遠心力でしょう。
> 地球上の風はその遠心力の産物ですし、どうように海流も、そして陸地・マントル層も遠心力によって規則的にうごいているはずです。

 先様の仰る「マントル(熱)対流や、プランク定数や、遠心力」は不変の力ですから、それらが素人の素案に、常に加わってくるのは言うまでもありません。


> ただ、思うに、大陸の移動や潜り込みがあっても、隆起の原因がはっきりしてないように感じるんですね。隆起があるならば、海溝沿いのみが高くなり、他は低いままかもしれません。
> 陸地全体が平均的に平に隆起する手段を想定しないと、ユーラシア大陸の大平原などはなりたたないでしょう。
> それで、その大陸発生、さらには諸大陸のもととなったバンゲア大陸の発生起源を隕石衝突の影響とわたしたちが考えはじめたことが重要となってくるわけです!

 私は、パンゲア大陸をこのように考えています。大小の天体がぶつかり合い、今<パンゲア大陸>と思われている陸地を表面とした原始小地球体があった。これが冷えて固まりかけたころに、先にあげた、南北太平洋や前南極海を形作った<大惑星の陥没>があり海となった。それ等による増量によって原始小地球を作っていたパンゲア大陸は急速に離れていったと見ています。その後の多少の落ち着き移動はあるでしょうが^^?

> 加えて、世界の海嶺なりプレートの位置ですね。この亀裂がどうして生じたのか?適当に発生するわけないんです。
> たとえば、一つのプレート潜り込み部分と、隣接するプレート潜り込み部分との角度ですね、少なくとも90度以上の部分はないようにみえます。正確には、そのプレート境界は90度前後まで湾曲しているところも多いのですが、相対的には30度前後なのです。図1参照ください。日本海溝とそれに隣接する海溝との角度です。
> この亀裂限界角にそって、大陸が分裂していったので、今のようなアフリカとかアメリカ大陸ができていくのですが、そうすると、岩盤を構成している物質のある種の粘性が、その角度に影響していることがわかります。
> 90度以上で引っ張る力がないんですね。
> この辺について、また少し考えてみたいですね!

「世界の海嶺なりプレート」の件ですが、6500万年の南極海に衝突した大惑星(今の南極大陸)の衝突による衝撃と、大陸の沈み込み部分の増量によって、「海嶺ができたり、海溝が裂けていった」としました。その後もホットスポットからの沸き上がりは現在に続いています。その詳しい学問的分析は、先様や専門家にゆだねたいと思います^^!。

  <金星の地図-(NASAの地図を略図化)>をあげました。
右上のほうに円痕があります。それを大惑星の衝突痕だとしました。その衝突の力は反対側に働き、大陸部を引き離し、一時的におきる緊張痕跡とつづいておきる収縮痕が直角に交わっているとしました。このように、比較的高緯度にぶつかる惑星は公転面への角度にもよりますが地軸を傾けます。6500万年前にぶつかった大惑星はそれまでの無季節から有季節へと変えたとは前述しました。ちなみに、まだ熱球と考える水星なんかはどこへぶつかろうが地軸は修正され0°、太陽系と遠く離れた〇〇星は90°近く傾いていますから、その衝突の痕跡を捜したいものです^^!。

  <惑星肥大化曲線(オニオンライン)>について
星の終焉で爆発飛散した物体が再び集積を始める時、散らばったなかの比較的大きい(種)を中心にして集まります。分散した n物体のなかには回転の違うもの、マイナス・プラスの性質をもつもの、重いもの・軽いものや、大きいもの・小さいも等。様々なものに分離します。それらが、近回りから似たものは似たもの同志トーナメント形式で集まりだします。それらが惑星へと肥大化するには、各々が小さいものですから、立ち上がりには時間tばかりが過ぎて肥大化はなかなか進みません。しかし、その衝突回数の多さから各体は熱を保持してきます。やがては、準々決勝あたりから表面は冷めてきて衝突回数は少なくても各体は大きいものですから急激に惑星は大きくなります。先に掲げた南北の太平洋大惑星の衝突は決勝戦あたりとなるでしょうか。

ところが、何事にもはぐれ狼はあるもので、それが6500万年前に南極に衝突したと思っています。それを前にあげたオニオンラインの図の右端に記しました。次は太陽系の誕生に言及したいと思います。どうぞ、お楽しみに(^-^)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



78管理人:2018/08/22(水) 02:01:35
Re: 巨大隕石の衝突と惑星の肥大化
平さん、また丁寧にお返事ありがとうございます!

また金星の衝突痕も大きいですね。

プレートテクトニクスや海嶺、そこへの惑星衝突との関連も、とても気になるところです。

ただ、論点が多岐に渡ってきましたので、ここで整理して一つづつ処理していきましょう。

あと、南極にピラミッドがあるとのサイトを見つけてちょっと驚いています。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmachiukezoo.biz%2Farchives%2F5140

いろいろ推論がなされていますが、思うに、寒冷期の反対の温暖期においては、南極の氷もほぼ融けますので、その
時期に、南極大陸にも文明が生じていた可能性を感じます。エジプトのピラミッドと同時代とすると、ちょうど縄文海進もあった温暖化の時代ですから、南極の氷もなかったでしょうし、同クラスの文明があってもおかしくはない感じがしますね。

ただ、そこで触れられているポールシフトの説明はおかしいように感じます。
1〜2万年前後でシフトするのは、磁極のシフトで、回転軸のシフトではありませんね。

そして1500万年南極が氷に覆われていたというのも間違いで、数万年周期で融けては凍るを繰り返していたはずでwす。

それで、また平さんからもご指摘にあったポールシフトの件についてですが、さらに調べはじめています。

ポールシフト /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%259D%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25AB%25E3%2582%25B7%25E3%2583%2595%25E3%2583%2588%23%25E8%2587%25AA%25E8%25BB%25A2%25E8%25BB%25B8%25E3%2581%25AE%25E3%2583%259D%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25AB%25E3%2582%25B7%25E3%2583%2595%25E3%2583%2588


特に今回とりあげてきた回転軸のポールシフトは、意外と起こりにくいそうですね。そうとうなエネルギーが必要とのことで、やはり平さんも想定されている、月とか火星クラスの惑星衝突などを考慮すべきなのかもしれません。

それで、先のwikiによると、シフトが急激に起こった場合、ほとんどの生物が生き残れないほどの力が働くとのことなので、恐竜絶滅の際に、ポールシフトが起こり、ほ乳類が生き残ったとすると、かなりゆっくりのシフトだったことが想定しうるでしょう。

確かに平さんのスローモーション衝突仮説からいくと、かなりゆっくり変化したことが考えうるのですが、それでも生物界には、ほぼ絶滅に近い状況があったことは確かでしょう。しかしほ乳類は生き延びていますから、その辺をまたどう説明するかが課題となりそうですね!



79管理人:2018/08/03(金) 20:21:15
惑星磁場とオーロラによる水生成
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000079M.png

https://matome.naver.jp/odai/2139388669896230101?&amp;page=1



80 史実探偵: 平 素人:2018/08/03(金) 20:44:46
Re: 巨大隕石の衝突と惑星の肥大化
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000080M.jpg

管理人さまへのお返事です。

色々な情報とコメントありがとう御座います^^。

> あと、南極にピラミッドがあるとのサイトを見つけてちょっと驚いています。

 びっくり、びっくり、おどろき桃の木サンショウの木、ですね。
一辺が400mもあるピラミッドが南極大陸にあったとは、サイトでも触れていますが、なぜ今までそれが話題にのらなかったかの疑問を感じます。北朝鮮の施設をセンチメートル単位まで把握している米国でなくて、露の元兵士のリークというのも気になります。真にうがった見方をすれば露が大戦の前後に何かの目的で秘密裏にやらかしたのかと思ったりもします(笑い)。米はあえて、それを無視した?? ウエブにのった以上、考古学者も黙っていますまいから、今後のゆくえが楽しみです。

> ただ、そこで触れられているポールシフトの説明はおかしいように感じます。
> 1〜2万年前後でシフトするのは、磁極のシフトで、回転軸のシフトではありませんね。
> そして1500万年南極が氷に覆われていたというのも間違いで、数万年周期で融けては凍るを繰り返していたはずです。
> 特に今回とりあげてきた回転軸のポールシフトは、意外と起こりにくいそうですね。そうとうなエネルギーが必要とのことで、やはり平さんも想定されている、月とか火星クラスの惑星衝突などを考慮すべきなのかもしれません。

 シモさま>の説は「1500万年南極が氷に覆われていたというのも間違いで、数万年周期で融けては凍るを繰り返していたはずです」なのですね。いずれにしても、6500万年前より南極大陸には、文明を築くほどの人が住める環境なしとしてきた、当方の先入観は改めなければなりません。氷下の「ボストーク湖に何が?」が気になっているものですから^^!

そして、範囲がひろがって真に申し訳ないのですが、<太陽系誕生の図>を掲示させてください。今までの仕上げと地軸の傾きにも関係してくるものですから^^!。これは、核になる太陽の公転面に各惑星が肥大化の衝突を重ねながら“沈殿”するという図です。ところが。公転軸に対して直角に位置するものは、他の惑星に比べて沈殿するのに遅れをとります。それが南極大陸大隕石かと^^。ポールシフトを起こすほどの衝突惑星は、先様のご指摘のように、ある程度の大きさに仕上がったものの極あたりに平行にぶつかると小さい力で軸が傾くようですから、前にも申し上げましたが、大きく傾いている回転軸付近を捜すと、その痕跡が見つかるかもですね^^!。

> それで、先のwikiによると、シフトが急激に起こった場合、ほとんどの生物が生き残れないほどの力が働くとのことなので、恐竜絶滅の際に、ポールシフトが起こり、ほ乳類が生き残ったとすると、かなりゆっくりのシフトだったことが想定しうるでしょう。
> 確かに平さんのスローモーション衝突仮説からいくと、かなりゆっくり変化したことが考えうるのですが、それでも生物界には、ほぼ絶滅に近い状況があったことは確かでしょう。しかしほ乳類は生き延びていますから、その辺をまたどう説明するかが課題となりそうですね!

 これは、大きな問題ですね。衝突惑星同士を巨視的に見るとスローモーションですが、微視的に観ると、それはそれは大変なショックだと思います。ただ、ここで言いたいのはゼット機(例えば津波)に乗っている内外ではその被災におおきな違いがあります。そして大量の海水の存在は衝突の力を分散するクッションの役目をし、小さい生命を守る役目もします。そして、物質中最大の比熱をもつ水は、衝突の温度上昇をおさえたり、後にくる大氷河期においても保温の役目をし生命の絶滅を防ぐこととなりました。植物は裸子から被子へ、動物は哺乳類が勢力をのばし、現に私達はこのように命をつないでいます^^!。
 絶滅する種もあれば、生き残った種もあるということでしょうか。とある学者の説で深度百数十mが生死の境目(深い方が生き残る)だとするニュース? か何かで見たことがあります。

 <太陽系誕生の概略図> 拙:絶版書より、

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



81 史実探偵: 平 素人:2018/08/05(日) 06:01:04
Re: 惑星磁場とオーロラによる水生成
管理人さまへのお返事です。
 追伸をありがとう御座います^^。

> あと追伸ですが、火星大接近しているそうで、その火星の写真みていていくらか気づいたことがあります。    > ・・・
> それで、またよくみてみると、火星の南極のみに氷がみえて、北極に見えない点も地球とよく似ています。    > なぜ南極側だけなのか・・、ここも課題ですね。

 今の火星は〇〇^^!の空に、ひときわ大きく赤く見えますね。明星の金星は地球の過去を表し、火星は地球の未来の暗示しているとしたことがありました。太陽系の惑星は、だんだんと冷えているのでしょうか!? 御氏の仰る衝突多角形は不変の力なのですね。火星と地球はまるで兄弟^^。
 火星は赤い星。赤い色は酸化鉄だとか。黒い部分もあります。
わたしは、これについて、つぎのようなストーリーをイメージしています。
火星にはもともと酸素をもつ大気や水があったが地球よりは冷えて固かった。あるとき火星の赤道辺りに巨大な惑星が衝突・擦過・溶融し、マリネリス峡谷をつくった(前述)。衝突惑星の持つ鉄核は千々に散らばり、大気中の酸素や水の酸素を取り込み赤い酸化鉄となった。より高温となったところは黒い酸化第二鉄となっている。このような構想を各所に送りましたが例によって、誰一人として相手にして頂けてません^^!


> こちらのサイトに、火星、木星、土星、天王星のオーロラの写真があるのですが、前三者は南極?方面にオーロラがみえてます。
> 「1.オーロラは太陽風によって吹き付けられたプラズマ(電子)が、
> 2.地球の磁気圏にとらわれ、
> 3.極地近くに集まり、
> 4.大気の原子(酸素や窒素)と衝突して光る現象のようです。」

> オーロラが太陽磁気で極地につくられる際に、酸素が励起されるそうですから、水素があれば水の発生にもつながりそうですね。それで、自転方向からくる電極との関係で、どちらかの極にオーロラが多く発生するならば、どちらかに水蒸気が多く発生して、雨が降り、氷の大陸が片方だけにできる・・・、どうかな。

   > ・・・中略・・・

> 地球の磁極は1万年〜で反転していくので、そのたびごとに、南極よりも北極の氷が増えたり、逆になったりを繰り返しているとするとどうでしょう。


またまた難しい課題を頂きました^^!。
オーロラや、地磁気や、磁力線については、中坊(中学生)ていどの知識しかありませんがと前置きして^^!。
 イメージとして、地球を縦に輪切りした地球リンゴをイメージしていました。引力や重力が働きリンゴを握りつぶす。すると中身は圧縮され細粒子は両極からふきだす。小指側が強ければ北極側へ噴き出し、飛び出た粒子は地球の引力に捕らえられているので、南極側へ回り込みリンゴの輪切り形になる。ところが南極側は大陸でふさがれているので散乱してしまう。もちろん岩石をも通り抜ける粒子線もあります。オーロラになるにはある程度の濃さが必要かなとかってに想像してました^^!。あっ、それから大切なことを忘れていました。北極側へ噴出した粒子は太陽よりの粒子と「結婚合体」して南極側へ回り地球内部へとかえっていきます。だから既婚している南極側では発光しない。オーロラを粒子たちの結婚乱舞とみるとより神秘的に見えますね(拙:絶版書より)。
 磁石に強い衝撃を与えると磁束はみだれます。地球の北側に強い衝撃(巨大隕石)が加わると方向変えして、逆回りとなりだす。南側へ衝突すればもとどおり。この考えは現在の科学にあるのでしょうかぁ・・・^^?。

   ・・・ですが、この度、先様から<遠心力と引力>の図を頂きまして、
??「遠心力はどのように働くものかと??」この考えは大きくかき乱されています・・^-^!。

<水について>
水の生成についての考えは全く沸きません。現在、地球が保持している存在量がどのような過程をへて存在したか? そのイメージすら沸きません。先様のお考えでは、この度の両極にある酸素粒子に太陽光が作用して」と、氷彗星の飛来」のふたとおりを考えておられるようですが、いまいち完全には理解できない自分があります。温度が下がればその空気の持つ水分量は少なくなるし、温暖期では海側へ移動してしまいます。

 問題はその存在量です。
氷彗星が持ってきたとしても、じゃあ「その水はどこで出来たの??」になります。「衝突の過程でできたのだろう」との思いはあるのですが、惑星肥大化曲線のどのあたりで成ったかとなると、化学的知識に乏しい私には、想像もつきません。シモさまの化学力でのご教示と分析をお願いしたいと思っています。合わせて「塩」についてのお考えも伺いたいです。塩の存在は陸が先か?海が先か? の問題ですが、わたしは「 海が先!!」と思っています。

 現在、陸地側に大量にある「塩」は、6500万年前、南極より発進し地球の90%以上を
??????????覆った津波によって運ばれたものだとしています。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



82管理人:2018/08/06(月) 16:21:45
Re: 巨大隕石の衝突と惑星の肥大化
平さん、お返事ありがとうございました!

初期太陽系平面に対して、垂直方向へ逃げた物体の凝縮が遅れるとのご指摘は鋭いですね!

そして、以前お話した古在機構から、その垂直方向に逃げた彗星や惑星は、大きな楕円軌道を描きますから、なおさら発見しにくくなることも予想できます。

また、隕石衝突の際にどのくらい海水が衝撃や温度上昇を吸収するかも課題です。

関連して、地殻津波のイメージ動画がありましたので、ご参照ください!
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DKXRaz91Ivmc

83管理人:2018/08/06(月) 18:02:01
Re: 惑星磁場とオーロラによる水生成
平さん、また拙論に丁寧にご返事いただき感謝いたします!

惑星磁場の発生からオーロラの偏在、そしてオーロラによる水合成、南極方面への氷床拡大を考えてみましたが、オーロラの励起酸素の発生とともに、水が発生するには、水素が必要になりますね。

関連して火星の地底に水や含水鉱物(OH基)があるようです。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.astroarts.co.jp%2Farticle%2Fhl%2Fa%2F136_mars


しかし、そもそも水素や酸素、どこからくるんでしょうね。

水素は、太陽が水素の塊ですから、そこからくるようなきがするんですけど、太陽風には、水素が95%含まれているそうです。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.nict.go.jp%2Fpublication%2Fshuppan%2Fkihou-journal%2Fkihou-vol48no3%2F0203.pdf


それで、若干、そこに重元素が含まれているそうですが、それが酸素、シリコン、鉄だそうです。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.stelab.nagoya-u.ac.jp%2Fste-www1%2Fnaze%2Fsun%2Fsun31.html


つまり、原始地球からあった地球上にあったであろう水素と酸素、水が、今も残っているわけではなくて、常にそれらの気体は宇宙空間に放出される一方で、太陽から補うようの補給されているのではないかと思います。

その供給源が太陽風で、酸素のほうが、水素より重いので、水素が地球から常に逃げていく一方で、酸素は地球の重力で溜まり続ける、それを植物が二酸化炭素に変換して海洋へと吸収させる、そんな循環系があるのではないでしょうか。

酸素は原始地球にはすくなかったようですが、二酸化炭素を光合成で酸素にするバクテリアがでてきてから増えたとの説が一般的ですね。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fexoplanets.astron.s.u-tokyo.ac.jp%2Fjpn%2Fcolumn%2F004.html

その二酸化炭素の由来としては、地球が生じた最初から多かったとのこと。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.s-yamaga.jp%2Fnanimono%2Fchikyu%2Ftaikitokaiyonorekishi.htm%23%2593%25F1%258E_%2589%25BB%2592Y%2591f

太陽系の初期の粒子を含むとされるコンドライトには、水や二酸化炭素、炭素になりやすい固体が多く含まれているそうですね。鉄もある。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww1.tecnet.or.jp%2Fearth%2F1Earth%2F1_03%2F1_20.html


このときの二酸化炭素から、現在の酸素ができていく、それなりに、納得のいく説明のようには見えますね。

それで、話はもどって、太陽風内の水素と、地球上にある励起酸素が反応して水が南極、北極上空にできて、それが雪として、積もった結果、氷床ができる、そういう過程の有無を調べる必要があるのですが、北極には大陸がないので、そのまま海洋に水は吸収されてしまうかもしれません。

それに比して南極は陸地があるので、比較的、雪として積もりやすい気がしますね。

そのオーロラ由来の氷と、通常の地球の大気上にある水蒸気からなる雪とでは、何かが相違するのではないか?との憶測がわいてきます。

活性酸素について
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fphotosyn.jp%2Fpwiki%2Findex.php%3F

オゾンの生成
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.jstage.jst.go.jp%2Farticle%2Fieejjournal1994%2F114%2F10%2F114_10_640%2F_pdf

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.ecodesign-labo.jp%2Fozone%2Fozone%2F02.php

オゾンに低温プラズマを浴びさせて、オゾン消失をはかる実験報告がありますね。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fsearch.yahoo.co.jp%2Fr%2FFOR%3DLIsvjRpV3iipPI9Er.F1ho9XhfsX9fqu74hT3xBspaDbB8zN9qTouMe0KTj0z2B3eGgn6xonxAq42rsgpdgbs1wfF3CRTwNcsZrUdLnzyINIqZiwEmqDhqyo7vtvzy2HRmi2_HQCsJBp5dB0vSJnEpfS35ViY1A5MEn57k2InDywg1q.q_xx3DzCjLPyHCkw2I6HELuVXs.9iQE3S9W9ox2moHkDrv8ziXboQFJfDe.uXdN4GWgYsnKEYYetfO5dFgD4wXNguN1NjUkHNwPw%2F_ylt%3DA2RCFeF7B2hb1mEAX8WDTwx.%3B_ylu%3DX3oDMTBtdTY1Z3BjBHBvcwMyBHNlYwNzcgRzbGsDdGl0bGU-%2FSIG%3D17vh7pbdk%2FEXP%3D1533645115%2F%2A%2Ahttp%253A%2F%2Fharp.lib.hiroshima-u.ac.jp%2Fkure-nct%2Ffile%2F12029%2F20160322134511%2F77_01.pdf%2523search%3D%2527%2525E3%252582%2525AA%2525E3%252582%2525BE%2525E3%252583%2525B3%252B%2525E3%252583%252597%2525E3%252583%2525A9%2525E3%252582%2525BA%2525E3%252583%25259E%252B%2525E5%25258F%25258D%2525E5%2525BF%25259C%2527

問題は水ができるかどうか・・。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jspf.or.jp%2FJournal%2FPDF_JSPF%2Fjspf2007_11%2Fjspf2007_11-913.pdf%23search%3D%2527


二酸化炭素を、放電プラズマで分解してCOとOに分解する事例がありますね。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fportal.dl.saga-u.ac.jp%2Fbitstream%2F123456789%2F21452%2F1%2F03baba.pdf


つまり、オーロラを引き起こす太陽風プラズマによって、二酸化炭素が上記のように分解されれば、地球上において酸素発生の可能性がでてきそうです。オゾンもできる。さらにそこから太陽風内の水素イオンとが反応して、水ができる・・・・どうでしょう・・。

あと、雷から陽電子などが生成するとの報告がありますね。最終的に窒素が炭素になる・・。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwired.jp%2F2017%2F12%2F23%2Fantimatter-and-thunder%2F

オーロラの中でオゾンができるとの見方もありますね。しかし、このサイトのグラフをみると、O2より励起したOが多いわけですね。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.ecodesign-labo.jp%2Fozone%2Fozone%2F11.php






84 史実探偵: 平 素人:2018/08/06(月) 23:37:34
Re: 惑星磁場とオーロラによる水生成
管理人さまへのお礼です。

わたしの子ども染みた愚問に丁寧にご返事いただき感謝です^-^♪

> 水素は、太陽が水素の塊ですから、そこからくるようなきがするんですけど、太陽風には、水素が95%含まれているそうです。
> それで、若干、そこに重元素が含まれているそうですが、それが酸素、シリコン、鉄だそうです。
> つまり、原始地球からあった地球上にあったであろう水素と酸素、水が、今も残っているわけではなくて、常にそれらの気体は宇宙空間に放出される一方で、太陽から補うようの補給されているのではないかと思います。
> あと、雷から陽電子などが生成するとの報告がありますね。最終的に窒素が炭素になる・・。
> あと、・・・・、

 地球を水惑星と呼び、特別な存在とする文面等に抵抗がありました。「太陽風には、水素が95%含まれて」いたのですね。そして、太陽光」と一括りできないことも知りました。しかしながら、即座にこれだけの情報を添えてご説明できる「あなたさまは、いったいなにもの^^!」という感がいたします。水が宇宙空間でどのような過程をへて生成したかについて、強い興味をもっていたので、じっくりと時間をかけて勉強させて下さい。ありがとう御座いました。
 水素、ヘリウム、酸素、窒素、アンモニア、炭素、コンドライト、鉄、等々、
 もう一度、中坊(中学生)から勉強しなおします^^!。

 星の数ほどある銀河系のなかで太陽系は極小。"確率的" に銀河系内だけ限っても、水惑星の存在はあたりまえで、(それを人と呼ぶかどうかは別にして)宇宙生物の存在があってあたりまえと考えているものですから。

「巨大隕石の衝突の動画」迫力がありますね。貴家の掲示板での引用や、NHK動画でも見たことあります。ごめんなさい。それでも「どっこい、オイラは生きている」との異論を唱えているのが自分です。30年前とは違い、今では、地球の90%以上を覆った巨大津波の痕跡を簡単に説明できる Google Earth というアイテムがあります。<南米大陸を南から北へ突き抜けた巨大津波が造った地形>に、つづいて、アフリカ大陸、オーストラリア大陸、・・を予定しています。それを(存命中は^^?)認めようとしないのが現科学です^-^!。

./http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog−category-17.html



85管理人:2018/08/08(水) 22:06:34
Re: 惑星磁場とオーロラによる水生成
平さん、いやー、すばらしいご着想だといつもながら感心させられています!

オーロラ水生成説は、正直ちょっと自信ないですね。これはもう、専門家が実験や観測して証明するしか答えはないでしょう。

今回のは、あくまで思考実験〜!

ご指摘の水惑星の存在確率ですが、どうなんでしょうね。

液体の水が存在するためには、0度から100度までの間になるように、恒星に対して惑星を位置させる必要があるわけですよね。

いろいろ条件を重ねていくと、ものすごい確率になるような気もするのですが、個人的には、確率論ではなく、必然的・規則的に惑星の位置なり、構成物質が決まっていると考えるたちなので、あまり確率論は信用しないようにしてます!

地球の特異性は、やはり二酸化炭素を酸素にかえる植物が出てきたところですね。二酸化炭素濃度が、原始地球のように濃い状態では、気温もはるかに高かったでしょうし、そのうちに水も蒸発していたかもしれません。

それで、いつごろ光合成をする生物があらわれたかというと、36億年前だそうです。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.seibutsushi.net%2Fblog%2F2007%2F06%2F231.html


彼らが出てこなかったら、動物も植物も出てこなかったわけですが、逆にいえば、かれらは、動物が出てくるために、必然的に出てこさせられたということにもなるんですね。

この辺が、時間と進化という関係で、これから考えるべき部分です!

たとえば、赤ん坊を産むために、人間はいろいろやるわけですが、その目的にそうようにして、胎児は多細胞生物から、魚、は虫類・・ほ乳類の過程を経て、人間へと仕上がっていきます。

この場合、先に一人の人間をつくるという目的があって、そのために、母体内に、その進化という小宇宙が存在していくわけです。

すでに、意図的とも言えるシステムが、用意されているのですが、地球の進化も同様で、ある目的が先にあって、そのために、進化という図式が仕上がっていく、その必要を満たさせるために、体内に酸素や栄養分を送り込んだりする管があったりするわけですが、意図的な進化環境があるわけです。

つまり、目的に必要な生物なりが、取捨選択的に生き残るように仕上がっていく、こういうシステム論を、ちょっとどうしたら仕上がるのか、地球レベルで考えてみたいですね!

もしかすると、6500万年前の恐竜絶滅も、その目的に忠実に従った結果かもしれない・・。思考転換が必要です!


86 史実探偵: 平 素人:2018/08/08(水) 22:17:04
南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-3
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000086M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000086_2M.jpg

??6500万年前、大惑星が南極に衝突し、その時発生した巨大津波は地球の90%以上を覆った。

> Big-Game を再開します^^。

> わたし素人が、あれこれという説明する前に皆さんで、次の三つの絶対条件を与えて
 <何が起きるかを>捜してみませんか?
>   一つ 南極大陸は、衝突惑星である!
>   二つ 約6,500万年前のことである!
>   三つ 現在の地球状態を否定しない。
> この三つのうちの、どの一つを否定しても、この Big Game には参加できません。
> 先様がたのコメントをお待ちします^^。


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



87 史実探偵: 平 素人:2018/08/08(水) 22:26:49
南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-3
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000087M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000087_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000087_3M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/ポン・ヂ・アスーカル

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



88 史実探偵: 平 素人:2018/08/09(木) 02:19:09
Re: 惑星磁場とオーロラによる水生成
管理人さまへのお返事です。

  10分違いでご記事が入っていました^^!

> ご指摘の水惑星の存在確率ですが、どうなんでしょうね。
> 液体の水が存在するためには、0度から100度までの間になるように、恒星に対して惑星を位置させる必要があるわけですよね。
> いろいろ条件を重ねていくと、ものすごい確率になるような気もするのですが、個人的には、確率論ではなく、必然的・規則的に惑星の位置なり、構成物質が決まっていると考えるたちなので、あまり確率論は信用しないようにしてます!
>
> 地球の特異性は、やはり二酸化炭素を酸素にかえる植物が出てきたところですね。二酸化炭素濃度が、原始地球のように濃い状態では、気温もはるかに高かったでしょうし、そのうちに水も蒸発していたかもしれません。
>
> それで、いつごろ光合成をする生物があらわれたかというと、36億年前だそうです。
>
> 彼らが出てこなかったら、動物も植物も出てこなかったわけですが、逆にいえば、かれらは、動物が出てくるために、必然的に出てこさせられたということにもなるんですね。
> この辺が、時間と進化という関係で、これから考えるべき部分です!
>
> つまり、目的に必要な生物なりが、取捨選択的に生き残るように仕上がっていく、こういうシステム論を、ちょっとどうしたら仕上がるのか、地球レベルで考えてみたいですね!
>
> もしかすると、6500万年前の恐竜絶滅も、その目的に忠実に従った結果かもしれない・・。思考転換が必要です!

     そうですね。それを神とよぶか節理というかは別として
    何かの決りによって時間が動いているような気がします。

「水惑星の存在の確率」を言いました。
宇宙のはて? 光速で、2百数十憶年??? ビッグバン138億年?? わたしには、よく分かりませんが、いずれにしても気の遠くなるような天文学的数字。その時空のなかに<天文学的数字の光星>があります。それらは惑星を従えています。その惑星のなかには水惑星があり、その惑星は、先様のおっしゃるような『必然的・規則的に惑星の位置なり、構成物質が決まっている』のではないでしょうか。つまり、私のいうのは「存在」であって、その存在は先様のおっしゃる「学問的決りによって構成」されているとすれば納得できるような気がします^^!。

 近い近世には「海の果て」すら知り得てない情報量でした。時がたち「地球は丸い」といった人がいます。地球が丸いことが、いかに史実であっても、丸いことを実感できる人はいませんでした。それを地球一周の航海や、極々近世で宇宙空間にでて初めてそれを見ることが出来ました。このように、その間は学問(決り)で説明しなければ人々は納得してそれを史実とは認めない現実があります。

窒素 → 炭素 → 炭素→炭素ボール(サッカーボールの六角形と五角形)興味あります^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



89管理人:2018/08/09(木) 22:35:07
縄文時代の隕石衝突年代
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000089M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000089_2M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/夏家店下層文化



90 史実探偵: 平 素人:2018/08/11(土) 08:48:12
Re: 縄文時代の隕石衝突年代
管理人さまへのお返事です。
   コメントありがとう御座います^^。

「南極からの大津波」は人知・現学を超えた巨大津波ですので信じられないのは無理もありませんが、my報告書が絶版となった今。いつの日かの思いを込めて、その概略をシリーズとして記しておきたいので、今少し貴家掲示板のスペースを頂きたいと思っています。

> ひとまず、私のほうは、やはり、先日の続きで、紀元前2690年、紀元前2004年、前1322年前後の隕石落下の痕跡について、再検証しなおしたいと思います。
> 古代史掲示板で少し触れたY染色体のN系統の南下に関連して、櫛目紋土器を残した遼河文明の朝鮮半島や日本列島(三台内丸山遺跡への)南下時期について、4200年前からの寒冷化の影響との指摘がなされていたことが気になっています。

 そうですね。現科学は人類史において、その生活が成り立たないような小天体の落下を認め、追求してこなかったような気がします。それを具体的な「場所と時間を特定し」そのうちの“どれか何か一つ”でも私達の取り上げている小天体に現学が注目してくれれば大成功でしょう。小天体の衝突の分裂化と周回性は別として、その衝突に<場所と時間は>二つとありません!!

その小天体が陸に落ちれば巨大地震の被害はもちろんですが、それよりもっと恐ろしいのは隕石の冬という急激な寒冷化を伴うことです。御氏も予想されるように舞い上がった粉塵は、二年(?)をまたず地球半球を覆うことでしょうか。そして、誘発された火山もふくめて高層圏にまで舞い上がった粉塵はなかなか降りては来ず長期化することです。一年や二年での凶作は我慢できるかも知れませんが、それが三年もつづけば、生態系をも変移し、人々その食料を求めて移動します。

海や川を生活の糧としている所への影響はまだしも、陸地内で暮らす人々は“必ず”温暖地を求めて移動します。私は、ゲルマン民族の大移動も「どこぞに小天体の落下あり」とみています。これは、すでにそこへ住んでいる人達との紛争(世界紛争へ)の始まりともなります。

 その小天体が海やその近くに落ちれば、巨大津波が発生し、それまで築いてきた生活圏を押し流し更地にしてしまいます。塩害は大平原や盆地では徐々に低いほうへ集まる傾向にありますが、傾斜地では一年をまたずに(?)回復するようです。

巨大津波の場合は、悪いことばかりではありません。大量の魚介類を内陸奥部まで運び貝類ははカルシウム化したり、魚は腐泥し肥料化することです。それ等は時をへて川下に流れていきます。

<カルシウムを語る時>
内陸部まで届くような巨大津波は、似たものは「似たもの同志を分別し集め」そこへ積み上げることにあります。現在、世界各地にある大量の石灰分は、拙論の「南極大陸からの大津波」のものが大部分を占めますから、それと見分ける必要があります。これは、今遊んでいる海岸で「貝殻は貝殻で、流木は流木で『何故、散らばらないで?』集まっているのかの疑問が始まりです^^!。
巨大津波が造る “土石の形状”は、私達が普通に見ている、河川の上流。中流、下流、河口の様相に全く似ています(地形のほうは追って述べたいと思います)。

人類史に絡む小天体の衝突・落下には、先ほどの寒冷化や人々の(御氏の仰る染色体)移動に加えて、現学では過小にみられている「地名」についても再考して下さったらと思います。特に、先様の識る悠久の歴史を刻む中国大陸には、必ず「大事変に絡む地名」があるはずです。一ヶ所でもいいのです。その地名がなぜ付いたのかの<なぜ?>を三つ四つ重ねていけば、否定できない史実に突き当ります。それを手掛かりに、他方へ広げていけば、いくらでも見つかります^^。

 ・・・とは言え、誰にでも知り得ている中坊(中学生)程度の説明では、世間は納得してくれません。特に専門家には、それについて学識を伴う説明でなければ、歯牙にかけても貰えない30年でした。先様の今後に期待し、お願いもしたいと思います。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



91管理人:2018/08/11(土) 20:52:27
東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000091M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000091_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000091_3M.png

https://jomon-japan.jp/jomon-sites/kiusu/



92 史実探偵: 平 素人:2018/08/12(日) 07:35:24
Re: 東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-71.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



93管理人:2018/08/14(火) 14:54:15
東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000093M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000093_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000093_3M.png

平さん、さっそくお返事ありがとうございます!周堤墓・ストーンサークルから、隕石落下を考える・・・、平さん独自のご発想だといつもながら感じますね!

昨日は、知人の車で、小樽の手宮洞窟、余市のフゴッペ洞窟、忍路環状列石をみてきました。

あらためて、両洞窟の線刻画を見てきたのですが、やはり、続縄文時代(弥生時代にあたる)の作というよりは、縄文後期(紀元前2500〜)の洞窟が出来上がったころの制作ではないかと感じました。

以前も紹介した原エラム文字の人型形象(図1)、これがその洞窟の線刻画そっくりです。図2の手宮洞窟の線刻(イメージ)を参照。

原エラム文字・インダス文字が、ヒエログリフやセム系のアルファベットへと変化する一方で、東アジアへと縄文後期後半に、これらの線刻文字が伝搬していったように感じるんですね。

そのフゴッペ洞窟のすぐ近くの西崎山環状列石とは、やはり明らかな地理的な相関性があって、双方同じ縄文後期につくられたと考えるのが筋でしょう。

それで図3は、フゴッペ洞窟と手宮洞窟を結ぶ東西ラインですが、そのライン上に先の忍路環状列石が載ることがわかります。

正確には、忍路環状列石とその西方の地鎮山環状列石を結ぶラインの中間点あたりを、上記のラインが通過することになるので、もしかするとその中間点付近にも知られていない環状列石があるかもしれません。

これらのことから、この地域の洞窟に描かれた線刻画と、環状列石が同時代に作成されたことが明らかになり、その時代は、環状列石(ストーンサークル)が東北・北海道(世界各地)に広がった縄文時代後期後半(前2500年〜)と考えうるわけです。

そうすると、その洞窟の線刻画(文字か?)の内容を解析することによって、縄文時代後期後半の生活・習俗といったものから、平さんご推測の前2000年前後に落下したであろう隕石落下・災害の痕跡を見いだすことができるかもしれない点で、重要な史料と言えそうです!





94荊の紀氏:2018/08/17(金) 07:46:42
神を模したと思われる両性具有の2体の金属製の像が!
環状列石 シュメール人??投稿者:蒔の箆?? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F1885
西崎山環状列石
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Fsnuokei0219%2F15953675.html
手宮洞窟陰刻
1600年前頃の続縄文時代中期
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.bing.com%2Fimages%2Fsearch%3Fq%3D%25e6%2589%258b%25e5%25ae%25ae%25e6%25b4%259e%25e7%25aa%259f%25e9%2599%25b0%25e5%2588%25bb%26qpvt%3D%25e6%2589%258b%25e5%25ae%25ae%25e6%25b4%259e%25e7%25aa%259f%25e9%2599%25b0%25e5%2588%25bb%26FORM%3DIGRE

角のある人(【羊】の甲骨文字に類似・・・道に迷った羊=
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fww81.tiki.ne.jp%2F%7Enothing%2Fkanji%2Fhitsuji.html

羊 ヨウ・ショウ・ひつじ  羊部
祥 ショウ・さいわい ネ部
解字 「ネ(示:祭壇)+羊(ひつじ)」 の会意形声。羊を神にそなえて願うこと。すると、神からの前ぶれが表れること。その結果、さいわいがもたらされる。
意味 (1)きざし。前ぶれ。「祥雲ショウウン」「祥瑞ショウズイ」(めでたい前ぶれ) 「発祥ハッショウ」(?天子となるめでたいしるしがあらわれること。?物事が起こりあらわれること)「発祥地ハッショウチ」(ある物事が初めて起こりあらわれた土地)(2)さいわい(祥い)。さち。めでたいこと。「吉祥キッショウ」(めでたいきざし)「不祥フショウ」(不吉なこと。災難や不運)「不祥事フショウジ」(不名誉で好ましくない事件)

漢字の「美」はなぜ羊を頭に被っているのか /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fasia-allinone.blogspot.com%2F2010%2F06%2Fblog-post_12.html
唐漢氏によると、 「美」は「羊」と「大」の2文字で構成される会意文字である。「大」はここでは健康で強壮な男子のことを表している。又羊の大なること美しいという意味も含んでいる。ところが日本の白川博士によると、これは羊の全体形を現す象形文字であるという。白川博士は羊はそもそも神にささげられる生贄と使われていた。神にささげられる際に全身が無欠の完璧なものでないと困る。何処にも欠陥のない羊を美しいとしたとの説をとっておられる。
「美」下の部分の「大」は男を表し、古代では立派な男は頭にりっぱな羊の頭の被り物をしていて、これが「美しい」という感覚になったという話もある。

バホメット という男女両性具有の山羊神を象徴しています。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Fgakumonnoiratume%2F72080841.html
13世紀にモンゴル側の外交官となったマスター・ロバートは、テンプル騎士団に所属していた。

「小羊」というのと「羊」という表現は聖書的にちがうものです。 ... これは実は旧約聖書の出エジプト記にルーツがあると言われています。
新天地カナンへと導き出した物語
紀元前1230年頃(諸説がある)、エジプトのイスラエル人たちはモーセを中心にしてエジプトを脱出しカナンに向かう。
緯度経度は[43.19??,140.79]、

山市朗ブログ:中山市朗が考える日ユ同祖論、の一部 - livedoor ...
しかもそれは九州の宇佐八幡、世界最大のストーンサークルのある猪群山と関係していて・・・これ、書き出すと止まらない。 ... 13いた(本当は12部族)イスラエル人たちの一部がいなくなった、というのはホントにあった事件で、紀元前700年ほど前のこと。 ...
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.livedoor.jp%2Fkaidanyawa%2Farchives%2F51194290.html

紀元前3000年前後
シュメール人、どこからともなく現れ、人類最初の高度な都市文明を築く
カナン人、パレスチナに定住
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.aoyama-matsudo.com%2Frome-histry201.html

サークルストーンや遺跡など、世界中に残された20万を超える共通記号の秘密に迫る。 ...
甲骨文字、楔形文字など、人類は数多くの文字を使ってきた。しかし、1万年以上前、実は世界中で同じ文字が使われていた!?
サークルストーンや遺跡など、世界中に残された20万を超える共通記号の秘密に迫る。そして、その記号が日本では北九州に集中していることに注目。北九州に巨大文明が存在していたのではないか?沖ノ島にそれを裏付ける海底神殿の遺跡を発見。
なんと、そこには神を模したと思われる両性具有の2体の金属製の像が!緻密な造りで高度な製作技術を伺わせる謎の神像がスタジオで披露される!
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.tv-tokyo.co.jp%2Fnihonmystery2%2F


95荊の紀氏:2018/08/17(金) 08:54:07
カーリ・クレーター
北緯58度22分22秒 東経22度40分10秒
カーリ・クレーター(Kaali)は、エストニアのサーレマー島にある9個の隕石 クレーター群である。 最も大きいクレーターは直径110mでカーリ湖(Kaali järv)という名の小さな湖になっている。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
隕石衝突は紀元前660年 ± 85年に起こったと見積もられている。衝突のエネルギーは約80テラジュール(TNT火薬20キロトン相当)で広島型原爆に相当し、半径6kmの範囲の森林を燃やした。この出来事はこの地方の神話の中に記録され、カーリ湖が聖なる湖とされて儀式の行われた考古学的証拠が残っている。鉄器時代の初期に湖を囲う高さ2.5m、長さ470mの壁が作られた。
フィンランド神話にカーリに関する物語が残っている。カレワラの叙事詩"ロウヒ"(w:Louhi)には、悪魔が人々から太陽と火を盗んだため暗黒が訪れ、空の神ウッコが新しい太陽を造ったというような記術がある。
小惑星(4227) Kaali に命名された。

カーリーの語源はカーラからきている。カーラは黒、そして時間を意味する。そういえば、シヴァもまたマハーカーラという別名を持つ。マハーは「偉大なる」の意味だ。
殺戮の女神カーリー /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fchaichai.campur.com%2Findozatugaku%2Fblack.html
カーリー寺院の見ものは山羊の首切りである。
マハーは「偉大なる」の意味だ。日本では大黒天の名前で知られる

「北緯40度00分00秒/東経140度00分00秒」の「地上に現れた地球の十字路」と呼ばれている秋田県大潟村
北緯40度で地球を西に辿っていくと、秋田から北京(中国首都)、アンカラ(トルコ首都)、マドリッド(スペイン首都)、大西洋を渡ってニューヨークへと続いています。
ユーラシア大陸の首都、アメリカの中心地的大都市のニューヨークまでもがすべて北緯40度ラインに並んでいるのです。
かつて、大和朝廷が侵略するまでも蝦夷の国として独自の文化が栄えていた東北。
ストーンサークルなどもあり、古代縄文時代には高度な文化が栄えていたとも言われる秋田も、かつては世界の中心的な都市であったのかもしれません。


96荊の紀氏:2018/08/17(金) 09:59:35
鉄隕石
その周辺で見つかった鉄隕石のかけらに触れることができるそうだ。
フラグスタッフから40マイル東に位置する直径1200メートル、深さ約182メートルのメテオクレーターは、比較的最近(約4万年前)形成されたことと、乾燥した気候の北部のアリゾナ砂漠の中にあるおかげで、驚くほど月に似た風景だ。その鉄ニッケル合金が主成分のキャニオン・ディアブロ隕石は、直径約50メートル、重量は約15万トンあったと推測されている。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Ffushigihakken.blogspot.com%2F2013%2F02%2F10.html
幅800メートルのウォルフ・クリーク・クレーターは、天文学的な起源の証明になる。ここから酸化した鉄隕石とインパクト・グラス(衝突時の熱で砂が溶けて固まったもの)のかけらなどが見つかった。なお、このクレーターの中心には石膏が露出して点在していている。その白い鉱物は荒れ果てた砂漠の中でも水を含有し、樹木の成長を助けている。

大きな小惑星一つが、地球の高高度の大気内でバラバラになったことが引き起こした一連の"クレーター・チェーン"で形成されたていると仮説を立てた。大陸移動がその位置を世界中に分散させたが、2億1400万年前それらは接近して一列に並んでいた。そして、それらは中生代の三畳紀後期の消滅イベントの原因になったのかもしれない。

カーリで起きた出来事は地表のみならず、さらなる衝撃を当時の人々に与えたかもしれない。ノルウェーの神話同様、古代バイキングとフィンランドの叙事詩にも恐ろしい悲劇であったという記述が残されている。メインのカーリ・クレーターは"ホーリー・レイク"と呼ばれ、異教の信仰にも使われていたようだ。

鉄隕石
古代人は隕石を見つけ、そこから「鉄器」などを生産していたことが判明 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fjishin-yogen.com%2Fblog-entry-11131.html
人間が自由に鉄を作る技術を手にした鉄器時代よりも以前、「青銅器時代」に分類される時代にも鉄を使った製品は作られていましたが、その材料には宇宙から降ってきた隕石が使われていたと考えられています。鉄を作るための製錬技術が存在しなかったというのが大きな裏付けとされているのですが、実際に青銅器時代に作られた鉄器を分析することで、その説を裏付けるデータが得られています。
古代の人々は隕石から鉄器を生産していたことを示すデータが確認される - GIGAZINE
宝剣造る原材料を求めて山を登って下ってっていうのが, 隕石孔の外縁山とか,隕石を求めて中心当たりの洞窟に 入るのがダンジョンとか。

ダンジョン (dungeon, donjon) とは「地下牢」を意味し、城などの地下に造られた監獄や地下室を指す。

地下牢 溶鉱炉

イザヤ書24章21〜22節 21 その日 、【主】は天では天の大軍を、地では地上の王たちを罰せられる。 22 彼らは囚人が地下牢に集められるように集められ、牢獄に閉じ込められ、それから何年かたって後、罰せられる。
【新改訳改訂第3版】ヨハネの黙示録20章7〜10節
7 しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
8 地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
9 彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
神によって「残される者」たち /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.meigata-bokushinoshosai.info%2Findex.php%3F%25E3%2582%25A4%25E3%2582%25B6%25E3%2583%25A4%25E3%2581%25AE%25E9%25BB%2599%25E7%25A4%25BA%25E9%258C%25B2%28%25E4%25B8%2596%25E3%2581%25AE%25E7%25B5%2582%25E3%2582%258F%25E3%2582%258A%25E3%2581%25AE%25E5%2595%2593%25E7%25A4%25BA%29
【新改訳改訂第3版】イザヤ書24章13〜16節
1 「見よ。・・・
13 それは、世界の真ん中で、国々の民の間で、オリーブの木を打つときのように、ぶどうの取り入れが終わって、取り残しの実を集めるときのようになるからだ。
14 彼らは、声を張り上げて喜び歌い、海の向こうから【主】の威光をたたえて叫ぶ。
15 それゆえ、東の国々で【主】をあがめ、西の島々で、イスラエルの神、【主】の御名をあがめよ。
16 私たちは、「正しい者に誉れあれ」という地の果てからのほめ歌を聞く。

この溶鉱炉がある山地は、古代から金属や石炭を産出した鉱山地帯なのです。
「ゴバジュディア溶鉱炉」ルーマニア, トランシルヴァニア

ルーマニアで25万年前のアルミ製物体が出土! /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fquasimoto2.exblog.jp%2F23334007%2F
、昔からこのあたりがコーカソイドのルーツの1つではないかと見られてきた場所である。
ハザール人はもともとカエサルの時代のローマ帝国では当時の武将や傭兵などのインテリ層だったものが、ローマ帝国の滅亡によって東に逃げてきた民族だと推測されている。だから、ルーマニアにはローマが残るし、ハンガリーにはハザールが残る。

ルーマニアから他国へのユダヤ人の大規模な移住が始まった。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.weblio.jp%2Fwkpja%2Fcontent%2F

その職人は、銅の溶鉱炉の管理者
今から3000年も前、「旧約聖書」のダビデ王やソロモン王時代の布製品、革製品、種子などを、イスラエルのテルアビブ大学の発掘チームが、同国南部のティムナで古代の銅山跡から発掘した。米宗教専門RNS通信が報じた。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.livedoor.jp%2Fcjcpress%2Farchives%2F52066153.html
発見された布製品はいずれもほぼ5×5センチ大のもので、天幕、縄、ひも、袋などの断片と見られる。
 これらの遺物が今日まで良好に保存されたのは、現場が極度の乾燥地だったからだ、と同大学のエレズ・ベン=ヨセフ氏は指摘する。布製品の色や装飾が多彩なことは、ヤコブの兄エサウの子孫とされるエドム人に関して「新たな重要情報」を伝えるもの、と言う。エドム人はイスラエルとしばしば交戦した。ティムナの銅山を開発したのもエドム人だ。
 豪華な衣装は、高度な技術を持ち、尊敬された職人を飾るものだった。その職人は、銅の溶鉱炉の管理者で、銅製錬という複雑な工程の責任者だった。

ネゲブ砂漠の中心部に、「ミツペ・ラモン」という世界最大級のクレーターがある。
ティムナ渓谷は、イスラエル南部のアラバ南西の、アカバ湾及びアカバ湾に面する都市エイラートより北へ約30km離れた場所に位置する。 この地域では豊富な銅鉱石が採掘され、その歴史は紀元前5千年にまで遡る。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fm-mikio.world.coocan.jp%2Fnegev.htm
ティムナ渓谷には、紀元前3000 年ころの人類最古ともいわれる銅山とその溶解施設跡がある。木炭とふいごを使い、1300度の高温で銅を生産していたという。紀元前14世紀から12世紀にはエジプトがここを支配した。エジプトのラムセス3世が、愛と豊饒と鉱山の女神ハトホル神に捧げ物をする絵や、女神のための神殿跡が残っている。
エジプト支配が終わった後、紀元前900年代のイスラエル人の王、ソロモンもこの銅山を支配し、エイラットの港から紅海の航路で各地に積み出した。これにちなんで、このラムセス3世の絵のすぐ近くに天然の侵食でできた列柱は「ソロモンの柱」とよばれている。

恐竜絶滅の決定打はインドの隕石?
 先日グリーンランドで、地球最古のクレーター跡が発見されたが、巨大隕石の衝突により地球環境は激変し、生物の大量絶滅を引き起こしたことはよく知られている。6500万年前の恐竜絶滅もメキシコのユカタン半島に落下した1つの隕石が原因と考えられている。
地球上最大のクレーター「シバ・クレーター」  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fsciencejournal.livedoor.biz%2Farchives%2F4095020.html
研究チームはこの窪みを、ヒンズー教の破壊と再生の神の名にちなんでシバ・クレーターと名付けた。「私たちの考えが正しければ、これは地球上で確認された最大のクレーターだ」とチャタジー氏は語る。
 シバ隕石の衝突の衝撃はあまりに強力だったため、衝突した場所の地殻が蒸発し、それによってさらに高温のマントルが噴き上がり、このクレーターの高く盛り上がったのこぎり状の縁が形成されたとチャタジー氏は推定している。
 さらに、衝突の衝撃によってインド亜大陸の一部が欠けてアフリカの方向に移動を始め、現在のセーシェル諸島が形成されたと研究チームは考えている。
 また、現在のインド西部で当時既に発生していた火山の噴火活動もシバの隕石の衝撃によって促進された可能性があるとチャタジー氏は話している。これまでにも、現在デカントラップと呼ばれるインドの火山地帯から放出された有毒ガスが、恐竜絶滅の決定的要因となったと推測する説があった。
「火山活動を実際に引き起こしたのも隕石の衝撃だったと考えたくなるのは無理もないが、それは違うと思われる。なぜなら火山活動は既に発生していたようだし、シバ隕石の衝撃はそれに拍車をかけただけだろう」とチャタジー氏は話す。


97管理人:2018/08/18(土) 20:58:53
東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 3
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000097M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000097_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000097_3M.png

https://jomon-japan.jp/jomon-sites/#3-02



98 史実探偵: 平 素人:2018/08/19(日) 08:03:35
Re: 東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 3
管理人さま、キシ先生、お早う御座います。
 しばらくあけていました^^! 異常が異常でないような気象がつづいております。
 皆さまのお住みのところはいかがでしょうか。それもこれも温暖化のせいでしょうか。

> 管理人さま

 古代文字の調査、北海道・北東北のBC.2000年前後の遺跡等だんだんとしぼられている感じがいたします。私は、忍路や大湯のごくごく一般的な遺跡しか知りませんでしたが、当地(緯度)にはずいぶん前から多くの人々が文明を築いていたのですね。それには年間通して冷害が云われていた時期よりも温暖化があったのかも知れませんね。そして、四千年前の隕石の冬が起き、その後だんだんに舞い上がった浮遊塵が降下沈殿し温暖化へと進むのも一因のような気がしています。

岩淵先生が三内丸山遺跡は四千年前の彗星衝突による直接的な被災で滅びたと云われていました。そしてその時の津波や寒冷化で中国良渚文明等々も滅びたと御本に記されています。
わたしは、巨大隕石がひき起こす地震、津波、寒冷化等から人々が当該地で、その驚愕畏怖が信仰として立ちなおり、再び文明を築くまでには200年?はかかるかなと思っています。


> 特に伊勢堂岱遺跡は、前1700年ごろまで存続していたようですから、前2000年ごろの災害について、なんらかの記録を残している可能性もありそうです・・・。

 そうですか。それは注視需要な情報ですね^^。素人の気付きやヒラメキでなく、先様のような豊富な知識・情報と考察によって詰めていかなければ、相手にして頂けないのはじゅうぶん経験しています(笑い)。

> また、その大湯環状列石関連の下記のサイトの報告だと、その遺跡の地層(火山噴出物)について「遺跡との関係から縄文後期から奈良時代と考察し、その後、渡辺(1966)は炭化物のC14年代測定法によって、3680±130年と推定」としているのですが、この3680年前が、先の 伊勢堂岱遺跡の炭化物のC14年代の複数とちょうど重なるんですよね。
> たぶん、その前1700年ごろに、火山噴火があって、これらの遺跡に大きな影響を与えたのではないでしょうか。壊滅的被害があったり・・・。
> だから、その前1700年ごろに終焉したとして、それ以前の数百年間の記録があるはずですね。
> この辺、また少し考えていきましょう!

  つづきを楽しみにしています^^。

> キシ先生へ、
 いろんな情報ありがとう御座います。知らなこといっぱいでした^^!。特に、世界10の巨大隕石痕については興味を引きました。恐竜絶滅については、たいへん興味がわくところですね。バークレイ校のルイ・アルバレス博士が「巨大隕石説」を称えて以来、これについては百花繚乱・我田引水的なような気がしています。わたしの場合は。統計学でいう“端々の5%”を除いた全ての情報を認めるように考えたいと思っています^^!。

カーリ・クレーターについて、岩淵先生は現地を訪れDVDにされたり、英アッシャー博士と6時間もの対談をされたりしています。机上論・一辺倒のわたしにはとても出来ないことです^^!
今後ともご教示をお願いいたします。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



99荊の紀氏:2018/08/19(日) 22:01:25
Re: 東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 3
管理人さんへのお返事です。

 縄文(禹)測量が 36度・54°・・・9度(+−)の倍数・・・

学説にはほど遠いでしょうか?

   トホホの紀氏でした。





100荊の紀氏:2018/08/20(月) 12:06:28
Re: 東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 3
五芒星の形をしたレイライン 六芒星のアセンドするトライアングル
「津軽古代王国」は、五芒星の形をしたレイラインを中心に、栄えたという説があるそうですが、このレイライン上の9番目の位置に、黒又山は、あるそうです。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Ftomaatlas21%2Fimage-12024344185-13301282118.html

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Ftomaatlas21%2Fimage-12024344185-13297274728.html
「Y」のような形

シリウスの女神イナンナ と ヴィーナスアレイ がつくりだす歓喜 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fplaza.rakuten.co.jp%2Fmichaeltan2%2Fdiary%2F201210160000%2F
イシス=イナンナ=ヴィーナスというつながりが見えてきます。
イシュタル…イナンナ。なんと懐かしい響きでしょう。私にとって、イシュタールと言う言葉はかなり若い頃から「なにか遠い記憶」を感じさせる言葉のひとつでした。イナンナ(Inanna)はシュメール神話の金星の女神で、ウルク文化期(紀元前4000年-紀元前3100年)からウルクの守護神として崇拝されていたことが知。その名は「天の女主」を意味するとされ、アッカドでは「イシュタル」と呼ばれた女神…。

シリウスは、ふたつのシリウスAとシリウスBのふたつの恒星をもち、それぞれが六芒星のアセンドするトライアングル、ディセンドするトライアングルを示しています。

逆さ「Y」(T型?)
東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 3 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fuserimg.teacup.com%2Fuserimg%2F8023.teacup.com%2Fshimoeda%2Fimg%2Fbbs%2F0000097_2.png


> 管理人さんへのお返事です。
>
>  縄文(禹)測量が 36度・54°・・・9度(+−)の倍数・・・
>
> 学説にはほど遠いでしょうか?
>
>    トホホの紀氏でした。
>
>
>
>

101管理人:2018/08/20(月) 22:48:59
東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 3
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000101M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000101_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/カーリ・クレーター



102 史実探偵: 平 素人:2018/08/21(火) 23:19:33
Re: 東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 3
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000102M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000102_2M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-6.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



103管理人:2018/08/22(水) 22:26:41
Re: 東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 3
平さん、お返事ありがとうございます!

ちょうど今見ていたYouTubeで、興味深い動画がありましたので、お知らせします。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DU3o0dqooClU

8惑星の表面をとらえた写真があるのですが、クレーターが多くみられて、地球のそれとの比較で貴重な資料です。

また、天王星の衛星に、巨大隕石の衝突とともに、一部分解して、再度結合したらしいものがあるそうです。平さんの地球への巨大隕石?衝突説を考える上で参考になるかもしれません。ぜひご覧ください!






104 史実探偵: 平 素人:2018/08/24(金) 08:19:09
Re: 東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 3
管理人さま> 台風20号いかがでしたでしょうか。気象予報も「今までにない」と
       いう言葉が頻繁に使われるようになった気がいたします。
       コメント&情報ありがとう御座います^^。

> 8惑星の表面をとらえた写真があるのですが、クレーターが多くみられて、地球のそれとの比較で貴重な資料です。

> また、天王星の衛星に、巨大隕石の衝突とともに、一部分解して、再度結合したらしいものがあるそうです。平さんの地球への巨大隕石?衝突説を考える上で参考になるかもしれません。ぜひご覧ください!

 惑星・衛星は、太陽から離れていることに加えて、その表面には色々な表情があるのですね。
その表面の違いを、今までは「拙:惑星肥大化・トーナメント論」に合わせて考えてはきませんでした。せいぜい金星は地球の過去であり。火星は地球の未来であるとしか考えてなかった自分にとって、なぜ、そのような表面になったのかを思うと興味がわいてきます。

 惑星大の衝突動画を見るにつけ、二つのおおきな疑問と提言があります。
一つには、巨大な惑星同士の衝突を遥か遠くから見ると、スローモーション的に見えて衝突ではなくて合体と表現したほうがよいと思うこと。

二つには、その動画で見るように、すべてが溶岩化してしまわないで、衝突惑星のサイズの大小や含有形態の違いによりますが、大きいものでは地表で半溶融して片岩化したり、そのままの岩様で砕けても残る部分があること。
そして、球体化しようとする力は、(現学で^^!)想像する以上に強いこと。

 加えて、太陽系のはるか彼方からやってきた小天体の芯は冷え切っていること。そして、地球の空気層は、せいぜい10km。小天体のサイズが大きくなれば(例えば1kmΦ以上??)その擦過熱の影響は芯までとどきません。さらに、大気圏内に入る時のショック等は、先様の識るところです。

 今までにない「惑星衝突学」が生まれるといいですね^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



105荊の紀氏:2018/08/26(日) 20:04:59
Re: 東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 3
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。
> 祖先が、私達子孫に残した謎の巨石遺構物がある。 有名なものに、イースター島の石像、イギリスのストンヘンジ、フランスのカルナク列石がある。

イースター島のモアイをはじめ、ポリネシアの美術は各島によって独自色が良く出たものとなっている。
古代のポリネシア人らは、六分儀、クロノメーター、方位磁針といった航法器具を用いずに、数千キロメートルに及ぶ遠洋航海を行っていたと考えられているが、この航法技術は現在ではその一流派が域外ポリネシアのタウマコ島に残存するのみである。一方、1980年代に先住ハワイ人と白人の混血であるナイノア・トンプソンが、ミクロネシア連邦の中央カロリン諸島に属するサタワル島の航法師、ピウス・ピアイルックから伝授されたミクロネシア式の航法技術を元に、近代の西洋天文学の知識を加味して、新たな航法技術(ウェイファインディング)を創始し、クック諸島、アオテアロア等ポリネシア各地にこれを広めている。この新しい航法技術は、ポリネシア先住民のエスニック・アイデンティティの拠り所の一つとなっている。
双胴船
古代ポリネシア人が用いた航海カヌーは、特に東ポリネシア海域では2つの船体を並べてその間にデッキを張った双胴船であったと推測されているが、域外ポリネシアではシングル・アウトリガー・カヌー形式の航海カヌーも使用されており、ポリネシアの航海カヌー=ダブル・カヌーではない。
ポリネシアで発明されたと推測されている航海技術には、ダブル・カヌーの他にクラブクロウ・セイルがある。これはラテン・セイルの ような直線的なブームではなく、カーブを描いたブームをマスト下部から上方に向けて装着したもので、そこにカニの爪のような形状の帆を張ることからこのように呼ばれる。近年の研究では、クラブクロウ・セイルはラテン・セイルと同等以上の風上帆走能力を持つことが確認されており、古代ポリネシア人の遠洋航海、特に西ポリネシアからタヒチやテ・ヘヌア・エナナへと貿易風に逆らって航海する際の強力な武器になったのではないかと考えられている。
美術
イースター島のモアイをはじめ、ポリネシアの美術は各島によって独自色が良く出たものとなっている。一般には木彫りの発達により神像のみならず家屋から食器に至るまで幾何学模様を取り入れた彫刻が彫られた。マオリ族の透し彫や浮彫の技術が用いられたニュージーランドの神像や、ハワイ諸島の神像、マルキーズ諸島の男性像(ティキ)などが知られている[1]。
また、ポリネシア人は土器を制作していなかったとされているが、トンガ諸島、サモア諸島などでは古い土器の破片が複数箇所より出土している。

ポリネシア人(Polynesian)は、太平洋のポリネシアに住む人々の総称。オーストロネシア語族に属しており、メラネシア人やミクロネシア人と密接な親縁関係を持つ。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ポリネシア人の祖先はオーストロネシア語を話すモンゴロイド系の民族で、元々は華南や台湾にいたのだが、その一部は紀元前2500年頃に南下を開始し、フィリピンを経て紀元前2000年頃にインドネシアのスラウェシ島に到達する。ここからニューギニア島沿岸、メラネシアへと東進する間にパプア先住民やメラネシア先住民と混血し、ポリネシア人の始祖となる。この先住民は5万年前に出アフリカ後にインド経てやってきたオーストラロイドに属す人々で、アボリジニと同祖である。従ってポリネシア人はモンゴロイドにオーストラロイドが混ざった人種である。
原ポリネシア人(ラピタ人)は進路を東に進め、紀元前1100年頃にはフィジー諸島に到達する。現在、ポリネシアと呼ばれる地域への移住は紀元前950年頃からで、サモアやトンガからもラピタ人の土器が出土している。サモアに到達した時点 でラピタ人の東への移住の動きは一旦止まるのだが、その間に現在のポリネシアの文化が成立していったと考えられている。
再び東への移住を開始するのは紀元1世紀頃からで、ポリネシア人たちはエリス諸島やマルキーズ諸島、ソシエテ諸島にまず移住した。その後、ソシエテ諸島を中心に300年頃にイースター島、400年頃にハワイ諸島、1000年頃にクック諸島やニュージーランドに到達した。ポリネシア人の移住の動きはこれ以降は確認されていないのだが、ポリネシア人の主食のひとつであるサツマイモは南米原産であり、西洋人の来航前に既にポリネシア域内では広くサツマイモが栽培されていたため、古代ポリネシア人は南米までの航海を行っていたのではないかと推測されている。
mtDNAの研究からは、より早く東南アジアに到達した先住民であるオーストラロイドの血も引いていることがわかっている[4][5][6]。Y染色体の研究では、ポリネシア人はメラネシア人と東アジア人の混血であることが判明している[7]。しかし常染色体の研究ではメラネシア人起源は21%、79%は東アジア人起源である[8]。別の研究では、ポリネシア人はメラネシア人よりもミクロネシア人、台湾先住民、東アジア人に近縁であるとの結果が出ている。これはポリネシア人がメラネシアに長くとどまらなかったために、混血があまり進んでいないと結論される[9]。ポリネシア人の拡散と関連するミトコンドリアDNAハプログループB4a1aは東アジア由来である[10]。



106 史実探偵: 平 素人:2018/08/28(火) 22:56:41
Re: 東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 3
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000107M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-6.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



107管理人:2018/08/29(水) 19:26:36
Re: 東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 3
>  惑星大の衝突動画を見るにつけ、二つのおおきな疑問と提言があります。
> 一つには、巨大な惑星同士の衝突を遥か遠くから見ると、スローモーション的に見えて衝突ではなくて合体と表現し

今までにない「惑星衝突学」が生まれるといいですね^^!



しばらく、関西方面で出かけていました。遺跡の探査については、古代史板に記しておきましたのでどうぞ!

惑星レベルの話になると、人間の時間レベルで考えるべきではないかのかもしれませんね。

こちらは、先ほどみていたブラックホールが、恒星のガスを吸い込む件についての動画です。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DnnPAJNayAgA%26t%3D1872s


惑星同士が衝突しても、ある程度までは、反発力や反動といったものをも考慮すべきなのかもしれませんね。限界を越えたところで、融合なり爆発が生じ始める・・・。

兵庫で見てきた天井川みたいに、周囲が盛り上がってしまって、すぐには周辺の平野は水浸しにならない・・・、そういうこともあります。



108 史実探偵: 平 素人:2018/08/31(金) 06:33:17
Re: 東北・北海道の縄文遺跡の方位ライン 3
管理人さまへのお返事です。 おはよう御座います。
 情報 & コメントありがとう御座います^^。

> こちらは、先ほどみていたブラックホールが、恒星のガスを吸い込む件についての動画です。


 事象を映像化して、人びとに伝える技術は著しく進歩しているのですね。
今、私が使用しているパソコンはテレビと兼用なのですが、パソコン画面では音声が出ません。ご紹介のサイトに関連して色々見ているうちに・・眠ってしまいました^^!。

 そのスピードについてけない自分があります。是非にスピーカーをつけて貰うことにしましょう(汗~~!)

全国にむけての活動をなされているのですね。峠は越したかにみえますが酷暑残るおり、どうぞ、ご自愛ください。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



109管理人:2018/09/12(水) 01:44:36
東北・北海道の縄文世界文化遺産
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000110M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000110_2M.png

https://jomon-japan.jp/jomon-sites/#3-03



110 史実探偵: 平 素人:2018/09/12(水) 03:21:09
Re: 東北・北海道の縄文世界文化遺産
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-200808.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



111荊の紀氏:2018/09/30(日) 04:17:55
隕石 ム(まげる)降コウ(おりる) 隠石
人間が自由に鉄を作る技術を手にした鉄器時代よりも以前、「青銅器時代」に分類される時代にも鉄を使った製品は作られていましたが、その材料には宇宙から降ってきた隕石が使われていたと考えられています。鉄を作るための製錬技術が存在しなかったというのが大きな裏付けとされているのですが、実際に青銅器時代に作られた鉄器を分析することで、その説を裏付けるデータが得られています。
古代の人々は隕石から鉄器を生産していたことを示すデータが確認される - GIGAZINEhttp://gigazine.net/news/20171227-iron-from-space/
鉄の生産は紀元前1300年から1200年頃に、古代エジプトのヒッタイト王国で始まったと考えられています。鉄は青銅器よりも強度が高いために武器として使う際にも有利な物質であり、まだ周辺諸国が青銅器の生産しかできなかった時に鉄を手に入れたヒッタイト王国は次第に勢力を強め、メソポタミアを征服して大きな国を築き上げました。
鉄器時代以前の青銅器時代にも鉄を使った製品は少ないながらも存在していました。紀元前1324年に亡くなったとされるツタンカーメンの墓には鉄製の武具や装飾品などが埋葬されていたことが分かっているのですが、その原料は鉄鉱石など地球に埋まっているものではなく、隕石として宇宙から降り注いだものであると考えられています。
ヨーロッパ以外の地域では、古代エジプトの象形文字「ヒエログラフ」では鉄について「空から来たもの」という意味が充てられているほか、中国の孔子は紀元前645年に隕石について「空に流れる一筋の線」と「地面に転がる石」とを結びつける記述を行っているなど、古くから隕石が「石」または「隕鉄」であると気付いている文化は存在していたといわれています。
近代までヨーロッパ人が隕石と隕鉄の関係を結びつけられていなかったのに対し、古代のエジプトや中国では隕石や隕鉄を活用し、さらにそこから鉄製品を作りだしていたと考えられています。ほぼ「鉄のかたまり」として落下してくる隕鉄は、鉄の純度が高いことが多く、高い製錬技術を要さずとも比較的容易に鉄製品を作ることが可能だからです。

天狗は隕石? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.takaopress.net%2Ftengu%2Fkigen.html
 「天狗」の名前の意味は、”天の狗(いぬ)”で、中国語でも「天狗」の漢字が使われていますが、もともと天狗とは中国において凶事を知らせる「流星」を意味するものだったようです。
 隕石が大気圏を突入し、地表近くまで落下した火球は、空中で爆発し、大音響を発するのですが、この凄まじい天体ショーを咆哮を上げて天を駆け降りる「犬」の姿に見立てたのでした。
 このように、隕石が落下する様子、あるいは流星が空で輝く様子を、古代中国の人々が「天の犬がいる」と説明したことから、「天狗(てんこう)」という妖怪が生まれたといいます。

「大星従東流西。便有音似雷。時人曰。流星之音。亦曰。地雷。於是。僧旻僧曰。非流星。是天狗也。其吠声似雷耳」
 この文章は、日本における天狗の初出である『日本書紀』の記述です。

狗 ク・コウ・いぬ  犭部
解字 「犭(いぬ)+句(小さくまとまる)」の会意形声。小さい犬が原義。のち、イヌの総称となった。また、いやしいものの例えとして用いる
「句ク」 <ひとくぎり> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Fe547d0ac90538fe125e7aba8a8a4d806
解字 甲骨文は、ふたつのカギ形で口(くち・ことば)を囲ったかたち。言葉がカギ形で囲まれることから、一区切りの短い言葉の意。金文は、カギ形二つが接近し口の上方に移動、篆文は、口を包むように変化し、現代字は、カギ形二つが「勹ホウ」に変化した句になった。短い言葉から、文章や詩の一区切りの意で用いられる。音符になるとき、一区切りであることから「小さくまとまる」、カギ形の意味である「まがる」イメージを持つ。
意味 (1)言葉や文章のひとくぎり。「語句ゴク」(言葉のひとまとまり)「句点クテン」(句の終りにつける点)「句読点クトウテン」(文中の切れ目の符号。「。」が句点。「、」が読点) (2)詩歌の構成単位。「発句ホック」「結句ケック」 (3)俳句の略「句会クカイ」
イメージ 「一区切りの言葉・くぎり」、ひとくぎりであることから「小さくまとまる」、カギ形の意味である「まがる」イメージがある。
  「くぎりの言葉・くぎり」 (句)
  「小さくまとまる」 (駒・狗・枸)
  「まがる」 (拘・佝・鉤)
  「ク・コンの音」(蒟)

古い言い伝えでは、牽牛が瓜を切り、それが天の川となる、というモチーフ。さて、瓜を切るとはどういうことなのだろう。
28宿と牽牛織女伝説(年の区切りと冬至) (暦占資料):暦と占いプログラム工房:時の仕組みに隠されしものの解明… /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.moonlabo.com%2Fcgi-bin%2Fcln%2Fcln_clm.cgi%3FOpDv%3Drb_28s
牽牛の飼っている牛は、犠牲獣として神(天)に捧げられる牛。牽牛は織女に結婚を申し込む。すると天帝は、牽牛が婿にふさわしいかどうかを試そうと、瓜を差し出してこう言う。「この瓜が切れるか?」
 牽牛は、簡単だと言い、瓜を2つに切る。すると・・・瓜の中からおびだだしい水が溢れだし、それはみるみる大河になってしまうのである。
 その大河とはもちろん天の川。射手座付近から鷲座、白鳥座、そして天頂近くを通って流れていく星の河・・・。その天の河で天は2つに隔てられ、2人は離れ離れになる。(だいたい、簡単に見えることほど難しいものだ。)
 牽牛と織女の悲恋物語が広まったのは、漢の時代に入ってからのこと。ましてや7月7日だけ2人の逢瀬が許されるというエピソードは、かなり後の時代になってから付け加えられたものである。
 古い言い伝えでは、牽牛が瓜を切り、それが天の川となる、というモチーフ。さて、瓜を切るとはどういうことなのだろう。そして、なぜ2人は離れ離れの悲恋物語の主人公になったのか・・・。

爪という漢字には爪が無く、瓜という漢字には爪がありますが、それはなぜなのでしょう? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1113515896

ロシアには大きな爪あとが残りました。 隕石はチェバルクリ湖に落下をした と思われており その一部の破片らしき物体が 見つかっています。http://宇宙.net/rosia/

痕 コン・あと  疒部
解字 「疒(やまい)+艮(とどまる)」 の会意形声。身体にいつまでも残る傷の跡。
「艮コン」 <後ろを向いて睨みつける> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Fb0e40cde788c80da20fb6f0f715fba7d
艮 コン・ゴン・うしとら・・・東北

北東
目撃者の話によると、光り輝いた物体が、北東に向けて空に一筋の線を描くように流れ落ちたという。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkarapaia.com%2Farchives%2F52261096.html
歴史上数少ない「軌道が正確に解析された隕石」駐車中の車のトランクに落下したピークスキル隕石(アメリカ)

クレーター(隕石孔)

「孔」 解字:象形。子宮からまさに子供が生まれでようとしている形にかたどる。子供がでる穴の意。ひいて、「あな」の意に用いる。
「乚」
※「乚」は「隠」の古字(昔、使われていたが、現在では廃れ使われなくなった漢字)です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fokjiten.jp%2Fkanji2323.html
「乙」と「乚」も折れ曲がった物を示す漢字です。

隠石
隠石落 名古屋城天守隠石落 軒裏などに設置して石落としを目立たなくさせたもの。 写真の名古屋城天守(現存は外観のみだが)は破風の下に石落としを設置し、軒裏でその出口を隠している /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Funderzero.net%2Fhtml%2Fcasl%2Fcas_m_ka.htm
狭間の位置を特定されないようにするのが本来の目的

ム(まげる)降コウ(おりる)
勾 コウ・まがる  勹部   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Ff51988c708ac88a42751dc79b367cae3
解字 「勹(身体をまげる形)+ム(まげる)」の会意形声。勹は人が身体をまげる形。さらにム(まげる)が付き、まがる意を表す。また、同音である拘コウ(とらえる)に通じ、とらえる意も表す。日本では、降コウ(おりる)に通じ、傾斜の度合いを表す。
意味 (1)まがる。まげる。「勾玉まがたま」 (2)とらえる。(=拘)「勾引コウイン=拘引」(とらえてひきつれる)「勾留コウリュウ」(とらえてとどめおく=拘留。法律用語では、勾留は調べるため、とらえてとどめること。拘留は、とらえてとどめおく刑罰) (3)[国]傾斜の度合い。「勾配コウバイ」

>句(小さくまとまる)
>甲骨文は、ふたつのカギ形で口(くち・ことば)を囲ったかたち。

二つ巴に似た模様があるが、道教の陰陽思想など、二項からなる宇宙観を表す、別のものである。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
大太鼓に描かれる巴紋は雷を表すものであり、頭と呼ばれる部分は打点で、叩くことによって発生した轟音(雷)が飛んでゆく方向、つまり尾が流れてゆく向きを名称とするべきであるとしている。
飛んでゆく方向、つまり尾が流れてゆく向きを名称とする・・・

アストロロジカルシンボル - 蟹座のマーク・・・69

屍体の山から立ち上る精霊(魄)が集まる姿
γ星、δ星、θ星、η星の作る四辺形と中心のM44の領域は、中国の星座では二十八宿の鬼宿
G型主系列星の主星Aと赤色矮星の伴星Bからなる連星系で、主星Aには5 つの太陽系外惑星が発見されている。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
M44(プレセペ星団):散開星団。アラビア名はアンナトラ(An natra)。実視等級3.7等。M44はε星として扱われる。γ星、δ星、θ星、η星の作る四辺形と中心のM44の領域は、中国の星座では二十八宿の鬼宿(和名:魂緒(たまを)の星)に当たり、積尸気(ししき あるいは せきしき)と呼ばれる、屍体の山から立ち上る精霊(魄)が集まる姿とされる。

巨蟹宮(きょかいきゅう)は、黄道十二宮の4番目である。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
獣帯の黄経90度から120度までの領域で、だいたい6月21日(夏至)から7月23日(大暑)の間まで太陽が留まる(厳密には、太陽通過時期はその年ごとに異なる)。
獣帯の黄経90度から120度・・・

夏至の地平線上23.44度から冬至の地平線下23.44度の間を移動します。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww2s.biglobe.ne.jp%2F%7Eyoss%2Fmoon%2Fikkes42.html
 伝統的七夕の日 (国立天文台)
 二十四節気の処暑(太陽黄経 150度の瞬間)を含む日かそれよりも前で、
 処暑に最も近い朔(新月)の瞬間を含む日から数えて7日目が「伝統的七夕」の日です

地球と金星軌道の間、遠日点を火星軌道の外側
2013年チェリャビンスク州の隕石落下 - W【誘導前兆】前半 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.livedoor.jp%2Faplantes-4114717centulion%2Farchives%2F8835053.html
高度97 kmにあったときの火球の速度はおよそ秒速19 kmで、地表面と約18°の角度をなしていた。 撮影された映像などを詳細に分析したところでは、隕石が高度90 kmに達したとき大気中に最初の衝撃波が生成され、83 kmで隕石が分解し始めチリが形成された。 この過程は高度54 kmで加速し、高さおよそ30 kmまで降下したとき火球は最も輝いた。 このときの火球は、火球から100 km以内で太陽よりも明るくなり、火球からの紫外線により屋外にいた人のいくらかは日焼けを負った。 最後の爆発は高度27 kmで起きた。 経路全体では元の運動エネルギーのうちの4〜10%が放射に変わったとみられる。 経路に沿って熱を帯びたチリの雲が形成され、火球の通過後、チリの雲が徐々に平行な2つの雲に分裂した[22]。 これは、熱の浮力によって2つの円柱状の渦が形成されたことによる[23]。
また隕石となった小惑星の太陽周回軌道は、近日点を地球と金星軌道の間、遠日点を火星軌道の外側と推定されている[24][25]。この小惑星はもともと小惑星帯を起源としており、木星の重力による摂動で軌道が変化したか、小惑星帯にある小惑星同士の衝突で飛び出した破片が地球横断小惑星となって衝突直前までの太陽周回軌道に変化したと考えられている[20]。後の分析の結果、小惑星自体は太陽系の年齢と一致する約46億年前に生成されたものであるが、もっと新しい年代に融解し形成された鉱脈が存在し、3000万年前から5000万年前に小惑星が何らかの衝突を起こした痕跡であると考えられている。また、隕石は比較的大きな小惑星の中心部で生成されたことを示す5型である[26]。したがって、隕石の元となった小惑星は、母天体から飛び出した破片である可能性がある。


112荊の紀氏:2018/10/01(月) 00:28:08
「継続的に呼びかける」「よばひぼし」
かに座にある有名な散開星団です。ふたご座のポルックスとしし座のレグルスを結んだ線の真ん中付近にあり、都心でも双眼鏡を使えばその姿を容易にとらえることができます。
プレセペ星団 M44(散開星団、かに座) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Furbansky.sakura.ne.jp%2Fgallery%2FM44_151220.html
「プレセペ」はラテン語で「飼い葉桶」の意味で、かに座のγ星とδ星を、飼い葉桶の餌を食べる2頭のロバに見立てていたことに由来します。英語では、星団の星をハチに見立てて「Beehive」(蜂の巣)とも呼ばれます。
ふたご座のポルックスとしし座のレグルスを結んだ線の真ん中付近

「ふたご座」に「しし座」…毎年現れる「流星群」の正体は? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fthepage.jp%2Fdetail%2F20131213-00000009-wordleaf
代表的な流星群は?
 流星群は毎年、ほぼ特定の時期に現れます。「しぶんぎ座流星群(1月)」「ペルセウス座流星群(8月)」「ふたご座流星群(12月)」は「三大流星群」と呼ばれ、多くの流星が観察できることで知られています。

「すばる」はおうし座のプレアデス星団の和名である。七夕の星としてよく知られる「ひこぼし」は、現代の星名で表わすとわし座のα星「アルタイル」だ。「ゆふづつ」は金星のことを表し、「よばひぼし」は流れ星を意味している。これを現代語に訳すと
 「星といえば、まずすばるでしょう。そして彦星や金星もいいわ。流れ星も興味深いなぁ。でも尾がなければもっといいのに。」 3
となる。このように清少納言はしっかりと流れ星の尾のひく様子を見て「よばひぼし」と書いている。本来、「よばふ」とは「継続的に呼びかける」の意味である。清少納言の生きた平安期では、「男が女のもとへ夜に忍んでいく」という意味に「よばひぼし」を掛け言葉として使っていたようである。私は、清少納言がなぜ「よばひぼし」を「尾さえなければもっといい」と思ったのかとても気になる。しかし残念なことにこのあたりは現在でも定説がないらしい。『流れ星の文化誌』には、
 「彼女も『人に気がつかれないようにして夜這いをするように(ひっそりと)夜空を動いてしかるべきなのに』それなのになぜ『尾を見せるような、人目につくことをするの。』と考えているのであるのであろう。清少納言は、流れ星が「よばひぼし」と呼ばれることにこそ興味を抱いてこの段に記したのである」4
と書かれている。
 平安時代には、流れ星の正体はまだ分かっていない。しかし人々は、分からないなりにも空に流れる流れ星を見て、その人々の感性で楽しんでいたと思う。流れ星は「よばひぼし」として平安時代の風情や特徴を表していたと感じられる。
〜伝説はどのようにして生まれたか〜 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.ic.daito.ac.jp%2F%7Euriu%2Fthesis%2F2007%2Fshiroi.html
「天狗は、その姿は大流星のようで、音(原文「声」)がする。落ちて地に止まると狗(いぬ)のように見える。落下するさまを目撃すると、火の玉のようであり、炎炎と燃え盛って天をつくようである。その下の方は円くなって数頃(「頃」は面積の単位)の田ほどの広さとなっている。上の方は鋭く尖っていて、黄色味を帯びている。千里の内で、軍が敗れ、将軍が殺される。」 と天狗のことが記されている。

隕石が落ちるということは、古代中国では「戦乱で軍が敗れ、将軍の死がもたらされる予兆」と考えられていた。当時、隕石や地震などの天変地異は、天帝が人間に対して発する警告・怒りと解釈されていたからである。隕石はまさに天災の典型であった。このことから天狗はきわめて凶悪で恐ろしい存在なのである。「流れ星」・「隕石」はもともと天狗の正体なのである。今私たちが知っている天狗は、江戸時代以降に定着したイメージだった。

中国では神(天帝)のお使いが流れ星であるという見方が一般的だ。
 ウイグルではみなに嫌われた悪党が神に連れられ改心を迫られたが直らず、神は天の炉に入れ  天火で焼いた。男は逃げ出したが体についた火は消えず、天にも居場所がなかった。星の間をあち  こち走り回りしまいに男は流れ星になった。」9
 このような伝説から、流れ星を見て「誰かの魂が飛んでいく」と反応することも世界に広く分布していることが分かった。人が死ぬときに流れる、また逆に人の誕生を告げる魂という見方も多いようである。

(2) キリスト教との関連
 「流れ星を見たら願い事をする」という習慣は、欧米に広く存在している。これからその伝説を2つ紹介する。
 1.「時々神は下界の様子を眺めるために天界を開ける。この時に天の光として星が流れ落ちる  。だからこの時に願いごとを唱えれば、その希望は神の耳に届き、神は願いをかなえてくれる。た だし、開いているのは一瞬だ。そこで流れ星が出現したと同時に神の耳に達するようにその願いご とを 唱えなければならない。」 10
 2.「天国に行けない霊魂は煉獄に止まって罪を償い、誰か流れ星を見た人が祈りを捧げてくれ ることにより救われるようになるのを、その煉獄で悩みながら待つのである。そして幸運にもその みがかなった場合、魂は煉獄から天国へ移ることができる。そして流れ星が消えるまでに『Rest  In  Peace』と3回唱える。」 11
この2つの伝説はキリスト教という宗教が大きく絡んでいる。2つ目の伝説でカトリック教徒は流れ星を霊魂とみなしている。キリスト教的な魂の救済を意味しているのである。
 欧米はキリスト教文化圏である。「流れ星を見たら願い事をする」という欧米の習慣はキリスト教の背景が少なくとも存在しているのである。


113 史実探偵: 平 素人:2018/09/04(火) 06:07:27
Re: 隕石 ム(まげる)降コウ(おりる) 隠石
https://www.takaopress.net/tengu/kigen.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



114山田:2018/09/05(水) 17:49:27
大星従東流西
>「欽明天皇の時(637年)2月、都の空を巨大な星が雷のような轟音を立てて東から西へ流れた」

・・欽明天皇(509〜571)ではなく舒明天皇(593〜641)ではないですか?

>速玉大社・大隕石ライン

・・この話題は、734年畿内七道地震、天平六年聖武天皇の時代。


115 史実探偵: 平 素人:2018/09/05(水) 22:12:23
Re: 大星従東流西
山田さまへのお返事です。

> >「欽明天皇の時(637年)2月、都の空を巨大な星が雷のような轟音を立てて東から西へ流れた」
> ・・欽明天皇(509〜571)ではなく舒明天皇(593〜641)ではないですか?

> >速玉大社・大隕石ライン
> ・・この話題は、734年畿内七道地震、天平六年聖武天皇の時代。

 山田さまお久しぶりです。早速のコメントありがとう御座います。「欽と舒」はよく似てますね^^。単なる誤字・変換ミスかも知れませんね。最近の私によくあります^^!。魏志倭人伝でも口伝や、筆記作文や、編集者の違いからの誤記を指摘される学者がおられたように思います^~!。

734年畿内七道地震」の件は、古代史掲示板でも取り上げられていたはずなのに、私のうる覚えからの健忘でした。「巨大隕石の驚愕・畏怖は、表現はちがえども必ず何かの形で祖先は遺している」とするのが素人の悪い癖^^!。そして、数字が覚えられないのが素人探偵の最大の弱点。年代決めではいつも苦労しています。でも、その混同や思い込みはいけませんよね。(汗〜)

「大星従東流西」
この訳は東から西へ、ですか? それとも、西から東ですか? 東と西では大違い。この件とは異なりますが。只今、その方向違いよる解決しがたい問題が生じているものですから・・・、

管理人さまへ>
 お答え。ありがとう御座います。時分違いでのコメントが入っていました。知識不足、思慮不足でした。今後もよろしくお願いいたします。

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116管理人:2018/09/05(水) 22:20:36
Re: 大星従東流西
山田さんへのお返事です。

> >「欽明天皇の時(637年)2月、都の空を巨大な星が雷のような轟音を立てて東から西へ流れた」
>
> ・・欽明天皇(509〜571)ではなく舒明天皇(593〜641)ではないですか?
>
> >速玉大社・大隕石ライン
>
> ・・この話題は、734年畿内七道地震、天平六年聖武天皇の時代。
>

舒明天皇の時代637年2月が正解ですね。

欽明天皇ときだったら、個人的には面白かったのですが・・・。

平さんご質問の
「大星従東流西。便有音似雷」の訳は、やはり、大星、東より西に流る、すなわち、雷に似る音有り。となるでしょう。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fhjueda.on.coocan.jp%2Fkoten%2Fshoki44.htm


東から西へという流れは、興味深いですね。いつも私が想定してきた隕石は、いつも西から東ですから。




117 史実探偵: 平 素人:2018/09/06(木) 06:57:19
無題
北海道地震心配です。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



118管理人:2018/09/06(木) 19:29:36
Re: 無題
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 北海道地震心配です。


ご心配ありがとうございます!ひとまず無事ですが、停電で不便です。ネットはなんとかつながりはじめてます!

119 史実探偵: 平 素人:2018/09/06(木) 21:03:09
Re: 無題
管理人さまへのお返事です。

> ご心配ありがとうございます!ひとまず無事ですが、停電で不便です。ネットはなんとかつながりはじめてます!

すざましいまでの威力ですね。震度3以上は体感したことがありません。
ひとまずの御無事はなによりです。夜はテントでお過ごしでしょうか。
御不自由をお察し申し上げます・・・、・・・・

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120管理人:2018/09/07(金) 21:42:48
Re: 無題
ご心配おかけしましたが、ようやく我が家にも電気が戻りました!

幸い、震源からは離れていたので、避難生活には至りませんでしたが、文明の力の盲点をかいま見た感じがします。

ともあれ、パソコンが使えるようになったのはありがたいことで、また宜しくお願いします。



121 史実探偵: 平 素人:2018/09/07(金) 23:57:47
被災、お見舞い申し上げます。
管理人さまへのお返事です。

> ご心配おかけしましたが、ようやく我が家にも電気が戻りました!
> 幸い、震源からは離れていたので、避難生活には至りませんでしたが、文明の力の盲点をかいま見た感じがします。
> ともあれ、パソコンが使えるようになったのはありがたいことで、また宜しくお願いします。

  被災、お見舞い申し上げます。
避難生活には至らぬまでも、震度6弱? というと家屋家具等にも相当の被害があったのでしょう。

気象庁震度階級の一つ。気象庁震度階級関連解説表によると,
<震度6弱>
????立っていることが困難になる。
????固定していない重い家具の多くが移動、転倒する。 開かなくなるドアが多い。
????かなりの建物で、壁のタイルや窓ガラスが破損、落下する。
????耐震性の低い住宅では、倒壊するものがある。耐震性の高い住宅でも、壁や柱が破損するものがある。
????耐震性の低い建物では、壁や柱が破壊するものがある。耐震性の高い建物でも壁、梁(はり)、柱などに大きな亀裂が生じるものがある。
????家庭などにガスを供給するための導管、主要な水道管に被害が発生する。 (一部の地域でガス、水道の供給が停止し、停電することもある。)
????地割れや山崩れなどが発生することがある。 ・・・とされる。


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122山田:2018/09/10(月) 15:31:18
RE:「大星従東流西」
>只今、その方向違いよる解決しがたい問題が生じているものですから・・・、


・・隕石が東から西へ流れると、どんな問題が生ずるのですか?

 天文科学オンチですみません。


123管理人:2018/09/10(月) 20:43:37
Re: 被災、お見舞い申し上げます。
ご心配ありがとうございました! こちらも震度5強くらいあったようでして、あやうく本棚から墜ちてきた本が頭にぶつかるところでしたよ(汗)

いろいろ災害ありましたが、崖崩れがひどかったですね。

しばしば、古代史でも、断層のズレによる遺跡への影響が見えますね。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jssscp.org%2Ffiles%2Fbacknumbers%2F3132_4s.pdf

そしてそこから、逆に古代史の謎がとけたりするものです。

また、人為的な災害もあります。今回の停電とか、液状化はまさにそれだと言えるでしょう。

最近読んだ本に、縄文人が、死んだ人の住居を焼却した後が見えるとのことが記してありました。

火事ではなくて、意図的に火をつけたようです。

こちらご参照ください。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.mahoron.fcp.or.jp%2Fkiyou%2Fpdf%2F2003_3.pdf





124管理人:2018/09/10(月) 20:48:57
Re: RE:「大星従東流西」
山田さんへのお返事です。

> >只今、その方向違いよる解決しがたい問題が生じているものですから・・・、
>
>
> ・・隕石が東から西へ流れると、どんな問題が生ずるのですか?
>
>  天文科学オンチですみません。
>


地球の位置や、季節による地軸の傾き、隕石やその母天体の軌道などで、その方向が変化していくようです。

どうも、私が予想するものは、西から東に流れる隕石ばかり予想されるのですが、何か法則があるのではないかと感じますね。



125 史実探偵: 平 素人:2018/09/10(月) 22:47:14
Re: RE:「大星従東流西」
https://ja.wikipedia.org/wiki/順行・逆行#公転の逆行

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126山田:2018/09/13(木) 00:21:10
流星
・・
若い頃伊豆の方で野宿をしたことあります。
眠れなくて夜空ばかり眺めていたのですが、流星を五六回見ました。
おおかた南の空で右から左に流れた様に憶えてます。うち一回だけ真逆の方向に流れた記憶があります。

あくまで記憶ですので、参考までに。

127 史実探偵: 平 素人:2018/09/13(木) 06:19:11
Re: 流星
山田さまへのお返事です。お早う御座います。

 > ・・ > 若い頃伊豆の方で野宿をしたことあります。

 すてきな経験をされたのですね。・・小生も野宿とはいかないまでも、軽トラで放浪の旅を! などとの思いをもっています^^!。少年のころ「ロビンソン・クルーソーとか、十五少年漂流記?」等を読みふけったことがあります^^。自然とじかに接すれば、癒しもくれるし謎解きのヒントをくれることもあります。

 この度の、惑星の順行・逆行に「見せかけの逆行」があるのを知ったのは収穫でした。主観や見た目だけで物事は判断できないのですね。その流星(隕石)は全く別の軌道のものか、それとも同一飛翔体でも爆発等による逆飛行があるのか???そこのところが大きな問題です・・・、今後とも、よろしくお願いいたします。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



128 史実探偵: 平 素人:2018/09/14(金) 07:47:57
北海道南部地震について
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000131M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000131_2M.jpg

2018年9月6日3時8分頃、北海道胆振東部(北緯 42.7 度、東経 142.0 度)を震源とし、地震の規模はマグニチュード 6.7で、震源の深さは37km(いずれも暫定値)。最大震度は、震度7で、北海道での震度7は初めて観測された。

2018/09/06??3:00 北海道 札幌
< 太陽 >
????年月日???? 出?????? 方位[°]???? 南中???? 高度[°]?? 入り????方位[°]
2018/09/06??????5:04??????80.1 ????11:33??????53.4 ???? 18:02???? 279.6

<??月??>
?? 年月日??????出?????? 方位[°]???? 南中???? 高度[°]??入り????方位[°]?? 正午月齢[日]
2018/09/06??????0:25??????61.4 ???? 8:04??????67.1 ?? 15:41???? 297.7???? 25.7

<満潮・干潮時刻と潮位予測>苫小牧東
2018/09/05(水)  ??????????  ??????2018/09/06(木)
満潮 ???????????? 〜??????????????????  ????????  ??干潮
????????時刻??????潮位???????????? <地震発生時刻>  ?????? 時刻?????? 潮位
?????? 21:34    128?????????? ???? (3:08)??????   ?? 6:24???????? 35

≪巨大地震の原動力≫
?以前、6500万年前の南極に、月よりわずかに小さい大惑星が衝突し南極大陸になったと言いました。この時の衝撃と合体沈み込みで地球は洋梨の形になりました。地球の直径を100mにすると、わずか1mmていど南半球が膨れているそうです。これは大惑星の衝突によって強制的に膨らんだものですから、“真球になろうとする力”が働き南半球は縮み、北半球には膨らむ力が働きます(下図)。わずか1mmの膨らみといっても実際には400m(?)になるのかな^^!。地震の断層が10mもズレれば巨大地震になりますから決して無視できる数字ではありません。
 その境目を北緯37°線、ジブラルタル海峡から東のシルクロードを経て、日本の三陸沖に引きました。ここからは、ほぼ一枚岩の太平洋海底ですから、北太平洋の弓状ラインに沿い、北米大陸の西海岸に沿って、カリフォルニアまで南下し、北緯37°で北米大陸を東進しアパラチアン山脈へ突き当り、大西洋を渡りジブラルタル海峡へと戻ってきます。この線上は地震多発地帯でもあります。この線を「地震線」と名付けたのは前述しました。
 蛇足ながら、ユーラシア大陸の内陸部や、日本の三陸沖、北米大陸の内陸部で起きる深層地震の原因は、太平洋の西側海底が列島下へ沈み込んで起きるとされる地震と違って、その原因がよく分っていません。これは、先の地震線上にありますから、将来的には三陸沖とカリフォルニア沖、さらにアパラチアン山脈の中部からひび割れてくるだろうと(拙)報告書で予測しています。

?この地球が真球になろうとする力は絶えず働いていますから、南半球が縮む冬。そして北半球が温められ膨張する夏の終わりの秋口には地震の起きる確率が高くなります。九月一日を防災記念日としているのは、関東大震災があったからでもありますが、確率的に大地震が秋口に多いゆえでもあります。北海道南部地震は九月六日でした。

?次に、地殻を押し付けている大気圧と水蒸気の量も影響します。つまり、地殻を強く押し付けているか。それとも軽くなっているかが問題です。台風が低気圧なのは言を待ちませんが、先の台風21号は、間宮海峡中心気圧974ヘクトパスカル、最大風速30mでした。北海道までその威力を持ったのが特徴の台風でした。

?番目として太陽や月の引力も影響します。これは、先に表をあげましたが、タイムラグ等もあり、より専門的数値になりますので、その筋の人にゆだねましょう^-^!??月の引力は、その上空に来た時に一番強く地殻を引っ張り上げるとは思うのですが、海水も呼び寄せるので、その力のつり合いがよく分かりません。さらに、台風の低気圧は海水を引っ張り寄せるので、反力的な重しになるようです。 いずれにしても、その刺激を与えるのは確かであり、その詳細計算は専門家に・・・^^!、

?これも、常時的な力ですが、大洋側から列島下へ押し付けられているストレスが溜まってはいないか。さらに、太陽の黒点の夥多も影響します。太陽から届く微粒子は、地球の微粒子を震わせ、ひいては地殻への影響も考えられるからです。'16/6/06からの黒点数は0^^!。さらに々は、他の惑星との位置関係もあるでしょうか(只今7/31、火星大接近)。

<結論として>
この度の('18/9/6)北海道南部の地震は、以上のような条件が合わさった典型的な地震では。と考察しました。素人探偵が30年前から掲げている 「6500万年前、大惑星が南極に衝突合体し、地球は洋梨形になった!」 それが真球になろうとする力が地震の原動力だ!。残念なことですが、この論は未だに(世界から)相手にされていません(^-^!)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



129管理人:2018/09/15(土) 17:15:59
レーザー地形解析
平さん、北海道地震の原因について、ご意見ありがとうございます。

いろいろ考えうるところですが、前日の台風が引き金になっていることは間違いないでしょうね。偶然の一致ではありません。確率論的に、数十年に一度の強い台風と、数十年に一度の大地震とが相関性をもつであろうことはあきらかです。

ただ、その直接的な因果関係を証明できないというのが、現在の日本の地質学の限界点なんでしょうね。地震予知に数億かけても、それが解明できない、日本人の学術レベルです。おそらくは、学者の知的な能力が低いのではなく、学閥関係で埋没している学説が多いことに由来するのでしょう。

それで、話はかわってCNNニュースで、レーザー探査で、マヤ文明の新たな遺跡が発見されてきたそうです。下記サイトをご参照ください。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.cnn.co.jp%2Fstyle%2Farchitecture%2F35115470.html


やはり欧米の学術レベルは、日本古代史学のそれとは比較にならない感じですね。感心します。

130 史実探偵: 平 素人:2018/09/18(火) 08:53:18
Re: レーザー地形解析
管理人さまへのお返事です。

拙<北海道地震の主原因>への コメントありがとう御座います。

 日本の地震予知会議は"直前の地震予知"については諦めてしまいましたね^^!。地震はストレスの開放時に起きるまでは分かっていても、その予知には複雑な要因が重なり合い、素人が思っているいるほど簡単なものではないようです。人が怒る時には事前に(必ず)血圧が上がります。もっと、々と、観測網を増やさないといけないのかも知れませんね。

 巨大地震が起きる前には地震雲が発生することがあると聞きます。これは断層となる部分に圧力がかかり、耐えきれなくなった岩石内の微粒子たちが地表に飛び出す現象だととらえています。しかしながら、オーロラといっしょで、風もなくて太陽光が弱い時にしか観測できません。

中国では、地震の前におこす生物の異常行動についての研究が進んでいて、いつだったか、日本で地震被害があった時、その予知についての協力を申し出たことがありました。( 実際に住民を避難させたことがあったかな^^? ) 日本は、これを断りました(笑い)。ナマズやワンコやニワトリが異常行動をおこしても、それが異常かどうかがわからない。毒見役に金魚や、坑内のカナリヤは知るところですが、生物には人間にない特殊能力を持ったものがいます。磁気異常等に反応する(微生)生物を捜したいものです。ただ、地質学者と生物学者はコラボしないのが問題(?^-^?)

> それで、話はかわってCNNニュースで、レーザー探査で、マヤ文明の新たな遺跡が発見されてきたそうです。下記サイトをご参照ください。

 定説をくつがえす大発見のようですね。現在の気候で考えることに間違いがあったのかも知れません。その昔、レーザーでの探査は、サハラ砂漠の下にはかつて大河が流れていたとする観測もありました。Googleでの上空写真から、植生の違いによって地表の地質の違いを推察することも、そして、アンコールワット近くの遺跡も発見されました。さらには、南極の氷下の地形をレーザーで等々、その性能は日進月歩のようです。根底には軍事面からの発達であり、最近には、見つかりにくいドローン搭載も話題になっているようですね^^。

古くは、人工衛星からの地表の高さを分析中に地球洋ナシ形を知りました。わたしは、「6500万年前の南極に大惑星衝突説」を称えています。この衝撃で大陸周囲に海嶺が出来、地球は洋ナシ形になりました。素人の推理が正しければ陥没した南極大陸は「必ず」浮き上がって来ていると(拙)報告書で言いました。要は。現科学が、そのような見方ができるかできないか、するかしないかだけの問題です。
わたしは、シモさまの多角形問題で極大宇宙と極小粒子は相関相似関係にあるとの確信をより強くしました。ゴムホールに拳を打ちつける実験が役に立たない^^!。私達がわずか2mに満たない“人間的感覚”を用いているかぎり、現科学には、この極大論は伝わらない。(ちょっと強め~^!)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



131管理人:2018/09/20(木) 22:36:03
Re: レーザー地形解析
平さん、こんばんは!最近少し書き込みペースが鈍ってます。

地震研究は、実は私のここ20年ほどのサブ研究課題です。地震雲もそうですし、地震前の電磁波放射など、地震予知も千差万別ありますね。

今回の胆振地震の場合も、どうもGPSの地面のわずかな移動から、すでに予知していた東大教授がいたそうです。村井さんですね。

ただ、問題は、地震が起きそうな状態にあっても、それを起こすトリガーがいつくるのかということになるかと感じます。

それが、今回の場合は、地震前日に付近を通過した台風だったと言えるでしょう。

屋根の雪が落ちる概ねの時間は予知できるのですが、その雪を落っことす契機、それがそばを通過した車の振動だったりするわけで、かなり不確定要因とも言えそうです。

ここで、地震可能性、確率といった予想基準が必要になってきますね。

そこを車が通過したら、このくらいの確率が、雪が落っこちる、だから避難しろ!といった予報です。

そして、歴史学でも同様なことが言えると思います!

この時期は寒冷期で雨が多かったので、このくらいの確率で洪水がこの時期に起きたと予想できれば、記録がなくても、ある程度、人の行動が読めるわけです。

もちろん、彗星や隕石の接近・落下周期もそうですし、他にもいろいろありますね!

歴史は、ある程度痕跡が残りますから、地震とかの未来予知よりはだいぶ楽ですよ。

あとはデータ活用や推理能力の是非だと思います。この辺は、もう、そういう思考力を育てるべくカリキュラムを組んで養成しないと駄目でしょうね。今の日本の詰め込み教育だけでは、どうにもなりません!

132 史実探偵: 平 素人:2018/09/21(金) 02:47:57
Re: レーザー地形解析
管理人さまへのお返事です。

連日、北海道地震・被災についての報道がこちらでも入っています。
 「雪が降るまでに・・・」の大変さと心労をお察し申し上げます・・・。どうぞ御気を使わないで・・

> 今回の胆振地震の場合も、どうもGPSの地面のわずかな移動から、すでに予知していた東大教授がいたそうです。村井さんですね。
> ただ、問題は、地震が起きそうな状態にあっても、それを起こすトリガーがいつくるのかということになるかと感じます。
> それが、今回の場合は、地震前日に付近を通過した台風だったと言えるでしょう。

 直前の地震予知については、データー数の多い降雨量の予想等と違い難しいモノがあるのでしょうね・・・。地震発生のトリガー(引き金)のお話し納得できます。「ワラシベ一本でラクダの背を折る」話しを聞いたことがあります。積荷のワラシベを一本づつ足していった時、背骨が折れる直前の一本がわからない(残酷う~~)。わたしが言う思いつきと違い、台風21号の通過をそれほど強い言葉で同意されるには何かの確信がおありのようです・・・^^。

予知と過去(歴史)のお話しも納得できます。わたしの場合は“史実の探偵”ですから未来の予測については“全く”わかりません。ただ過去の経験と比較して「何か?」が違うことは感じることは出来ます^^!。それが無知からかほんとの異常なのかは分かりませんが、北海道って「こんなに暴風雪の多いとこだったの」とか、私の経験では一時間当たりの降雨量の最大は30mmが最大。それでも車の運転を止めたほどですから、100mm超えの雨なと想像すら出来ません。それが温暖化のせいか、列島ストレス蓄積のせいか、或るいはその両方かは分かりません。

素人の謎解きの手法として“他の地”と比べてみることがあります。例えば「熊本地震」の時ですが、地震直後の気温が北九州だけ周りより1〜2℃高かったと感じました。これは地震の擦過放熱の影響かと思いました。北海道でもこのようなことがあるかも知れませんが、こちらまで北海道細部の温度は入りませんので注視をお願いいたします~~!
 次に、列島ストレス(太平洋から列島を圧しつける力)は解消されたとはいえ、筆者提唱の地震線(前述)上の浮き上がりの力は絶えず働いています。地震による地温の上昇が如何ほどか分かりませんが、これがマグマを刺激すれば近場の火山活動にも注意したいものです。

 それから、GPSは、水平の位置情報だけですか^^? 高さ方向を調べる人工衛星は、今はどうなったのでしょうね。その後をまったく知りません~~!。高さ方向の変移地図の“色塗り”は、すでにあるのかな?  風雨や沈下が加わるから難しいとは思いますが、なければ仰るように次代に託したいですね・・・^^、

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



133管理人:2018/09/22(土) 17:18:15
Re: レーザー地形解析
平さん、またお気遣いありがとうございます。こちらはそれほどではなかったのですが、胆振方面は、被害がひどかったようで、避難生活も続いているそうです。

胆振方面の震源をみると、かなり長い断層が動いたことがわかります。

確かに、ご指摘あった熊本地震の後には、地熱が高まったのか、あの周辺だけ、雨量が多く大変でしたね。地熱が高いと水蒸気や誓うしの蒸発が多くなるのではないかと感じてます。

胆振方面は、それほどではないようですが、数日前の関東、特に千葉沖周辺での、突然の雷雨には驚くものがあります。

台風の予報のように、特定の法則で動き回る物体については、ある程度、予知が可能ですが、地震の場合は、どちらかというと確率論のような世界ですね。トリガーがつよければ、起こる確率も高くなりますが、そうでなければ、低く分散しているので、予知しにくいのでしょう。

エントロピーが低い状態では、台風のように、動く方向性も決まってきて、予知しやすいのですが、高くなり、選択可能性が多くなればなるほど予知は難しくなります。

この辺は、平安貴族がある日に、どのような方向へ出歩くかといったことにも言えることでして、当時の常識だった方角占いの法則をしっていれば、彼が、その日、どの方向へでかけていったのかは、記録を見なくてもわかるでしょう。

ただ、その方向の先に、何件の友人宅があって、そのどこに出かけたかといった多数の選択しを持つ場合は、それを断定するのが困難になります。

地震の起こる日も、そういう意味では、マクロ的には、数十年以内で1つにしぼれるのですが、ミクロにみると、何月に起こるかといった具合では、予知が難しくなる、つまり時間軸に対して、区切りを細かくすればするほど、予知が難しい、当たり前のようですが、重要なポイントが隠させています。


卑弥呼が日本にいたということは、簡単に予想できますが、関西にいたのか、九州にいたのかとなると、その予測は困難を極めます。

さらに、何月何日、どの方角から隕石が落ちてきたか?といった具合の予測となると、これは地震予知以上に難しくなるでしょう・・・。

それでも、その精度に見合うだけの結果を導きだす法則性を見つけ出す、これができるかどうかが、古代史家や科学者の資質とでもいうべきものかのかもしれませんね。

ただ、その手段は、エントロピー的には低いものを使うべきで、惑星の運行法則とか、極めて正確な動きをするものをもちいないと、その解析対象が不確定なものですから、精度を高めることはできないでしょう。

GPSでもそうですね、人工衛星の位置が正確でないと、その対象となる車の動きも正確には把握できません。

予想するための道具なり尺度ですね、これがしっかりしている必要がまずは前提としてあるべきでしょう。ここからはじめねばなりませんね。

134 史実探偵: 平 素人:2018/09/24(月) 07:01:11
Re: レーザー地形解析
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000137M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-15.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



135 青面金剛:2018/09/29(土) 04:55:33
Re: レーザー地形解析
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。
> 野洲の三上山に埋められていると予測する大量の銅剣の方は、ほぼピンポイントで推定し myブログに載せています。その歴史的中間地の総社市岩屋にも埋められていると推測しているその数23個(±)の銅鐸は、実地までを確かめていますが、万が一荒らされでもしたら困るのでブログには発表していません。これを卑弥呼に結び付けているのは、卑弥呼が魏から得た100枚の銅鏡に換えて、それまで使用していた銅鐸と銅剣をまとめて封印したとの考えに基づくものです。
> 今は、存命中は無理と諦めて終活に入っています^^!。萎えることなく、絶えることなく続いてきた「その思い」さえも衰えを感じる今日この頃です。今後ともよろしくお願いいたします。

>  拙論の正否を>確かめる手始めは>いちばん簡単な方法は、
> おそらく、卑弥呼(天の岩戸の伝承)が関係していて?? 「出雲市の猪の目峠茶屋から7分ほど上った所に隠れている(だろう)奥行十丈(予測)の坑道を掘りだしたズリの有る無しの確認です^^。 なければ大チョンボです~~!  では、なぜ貴方がそれをしないの? の問には、例え私の言うズリがそこにあったとしても、専門家がその「お墨付き」をして下さらなければ、何の意味もないし「ズリや坑道なら他にもたくさんあるよ」という方も出るでしょう。わたしも100%の確信をえるだけの情報を持ち得ていませんので、その確率は半々かな(笑い)。
> 素人の言うその坑道がそこに隠されていれば、今、私達がお参りしている社殿の形式で、溯れば横穴式古墳の形をとっていると思っています。さらに、一度、冬至の旭光を入魂し封印された銅鏡は、封印が効きすぎて天災(気温降下)が続いたので、岩戸開きして持ち出されているかも知れません。。

☆専門家が「お墨付き」云々の前に、本人が確かめて来なければ、埒が開かないだけです。軽トラックの運転が出来るのなら、雪の降る前に、2、3日あれば確かめて来れるでしょう。結局、ネットと掲示板上の妄想だけで終わる人に成ってしまいます。歩けなく成ってから、行っておけば良かった、と後悔しても遅いです。

☆出雲の銅鐸にせよ、総社市岩屋の銅鐸にせよ、発掘の呼びかけを唱えるならば、それに向けた下準備が必要です。地元の県にある埋蔵文化センター主催の、講演会や発掘現場の現地説明会などに出席する常連となり、顔見知りとなれば、自説を聞いてもらえる機会は出来る訳です。
 地元の県内での、発掘ボランティアの経験すら無い、呼びかけ人では、銅鐸・銅剣・勾玉の出土が予想される発掘現場内には、立ち入ることも許されず、ロープの外側での見学しか出来ません。

 既に終活に入っているのならば、次の世代に伝承を繋げる役目が残されていると思います。


136 史実探偵: 平 素人:2018/10/11(木) 00:00:33
Re: レーザー地形解析
 青面金剛さまへのお返事です。
おひさしぶりです。コメントありがとう御座います。当方の軽トラ記事の細部まで見て下さったのですね。そして貴重なアドバイスをありがとう御座います。普通はそこまでなくて記事自体をスルーされるのが現状です。素人探偵の掲げる「南極衝突大惑星、東北大隕石、卑弥呼が関係している大量の銅剣と銅鐸論」は、いずれも現学を外れています。しかしながら、これ等は大隕石つながりで現在の私達の生活に大きな影響を与えているとするのが私の論です。

☆ ・・・、本人が確かめて来なければ、埒が開かないだけです。軽トラックの運転が出来るのなら、雪の降る前に、2、3日あれば確かめて来れるでしょう。 結局、ネットと掲示板上の妄想だけで終わる人に成ってしまいます。

 軽トラで「そのズリ」を確かめに行く。それも考えの内にはありました。「卑弥呼」を掲げてから二十年になりますが何方さまからも相手にされてない。コメントを下さるのは、先様のみ(笑い)。このような状況下でそのズリがあれば有ったとして、この私素人が「これは卑弥呼が関係し、その坑道を掘ったズリです」と称えても、誰がそうだと認めて下さるでしょうかぁ? 誰一人として「そうだ」とは思わないでしょ^^!。私の論説は現学の常軌を逸しています。先様のご助言のような常道が通用しません。仰るようなことを幾度か試みたことがありますが、まるで「押し売り扱い」。一度は聞いて下さっても、二度目は迷惑がられる。 ・・・で終活に入っています。

 猪目峠に私のいう坑道が隠れていたとしても、その中に当初封印していたとする「銅鏡と、銅戈(銅剣)と、ヒスイの勾玉」があればいいのですが、その後の岩戸開きで取り出されていると思います。これは後の三種の神器の考えに移行したかとにらんでいます。岩戸開きについては、「速玉大社大隕石?」に絡めて古代史掲示板の方で、その考えを述べてきました。無いものを卑弥呼に関係づけての証明は出来ません。又、その坑道があればあったで、鉱石の試掘だという人が必ず出てきます。その可能性も否定できないからです。要は、その坑道が卑弥呼が在する1700年前に掘られたと証明しなければならず、私には、その知恵はありません。

 そして、その時期は、銅器が主流であり岩を砕くために要する鉄器のタガネは、尚早という方も必ず出てくるでしょう。しかし出雲の場合は違います。それより、およそ450年前に始皇帝の命をうけた徐福集団の工人達が必ず訪れています。出雲には精錬がし易い砂鉄あり、<石飛>の地名やその苗字もあることから、隕鉄もあった?? かと過推理出来なくもありません。古代史において出雲の先進性は、先様が充分識るところです。私のいうように、その場所にズリがあったならば(あったならば^^!)ですよ(笑い)。専門家の精査を待ちたいところです。

??以上のような理由から、知識不足の素人が、いくら、それを卑弥呼に関連付けて言い張っても^^! 誰も信用してくれないのがオチ^^!??そんな素人に、先様がコメントを下さるのは何故ですか。辛口コメントは私の論説が(世間に)どのように伝わっているかのバロメーターになります。かつて「空想」とは云われたことがありますが、「妄想」はありません(笑い)。これは、わたしにとって最大級の誉め言葉です。これを世間に知らしめるためには、それほどの難関があるということです。幾度も言いますが、わたしは探偵であり、逮捕権をもつ警察や検察ではありません。<予測>がわたしの仕事であり、祖先の伝承や八雲立つノボリから<1700前の昔、猪目峠のそこから東方の空で、扇形に見える鼻突峠のあいだから冬至の旭光が射しこんで予測十丈の坑道の奥にとどいた>と予測できたことが大事なのです。それから後のことは専門家におまかせすればいいと考えています。そして出雲には、著名な史家が知り得ない<何かが>あるはずです。「出雲のことは出雲に任せればいい」とも考えています。

今、“このこと”に関心をもっているのは、(日本で)先様と私のたった二人。すばらしいこととはおもいませんか?
私のいう「ズリや、坑道」や、西波岐神社の奥の院に「銅戈とヒスイ勾玉」が “あったら” おもしろくなりますね^^。(西波岐神社の奥ノ院は先様が教えて下さらねば解らなかったこと)命主社出土の勾玉・銅戈と同様な位置で同様な姿で埋められていると思いますよ,キット^^。

              わたしの論説に関心をもって下さってありがとう御座います。

./ http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



137山田:2018/10/11(木) 07:42:30
・・
・・
平さんの岡山から出雲まで自転車で行くとおもしろそうですね。
わたしならシミュレーションでプランニングして実行します。

ポケモンGo!よりおもしろいはず。

138管理人:2018/10/12(金) 02:20:09
銅鐸ライン
しばらくぶりとなりますが、先ほど、平さんもご注目の出雲銅鐸についての方位ラインを作成して古代史掲示板のほうにアップしてみました。よかったらご覧ください!
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4894

139 史実探偵: 平 素人:2018/10/12(金) 02:25:46
Re: ・・列島探訪
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-3.html

./ゅょhttp://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



140 青面金剛:2018/10/20(土) 04:06:24
Re: レーザー地形解析
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

 猪目峠に私のいう坑道が隠れていたとしても、>岩戸開きについては、>「速玉大社大隕石?」
>それより、およそ450年前に始皇帝の命をうけた徐福集団の工人達が必ず訪れています。出雲には精錬がし易い砂鉄あり、<石飛>の地名やその苗字もあることから、隕鉄もあった?? かと過推理出来なくもありません。古代史において出雲の先進性は、先様が充分識るところです。私のいうように、その場所にズリがあったならばあったならば^^!ですよ(笑い)。専門家の精査を待ちたいところです。
>?? それを卑弥呼に関連付けて言い張っても^^! 誰も信用してくれないのがオチ^^!??そんな素人に、先様がコメントを下さるのは何故ですか。「妄想」はありません(笑い)。<予測>がわたしの仕事であり、祖先の伝承や八雲立つノボリから<1700前の昔、猪目峠のそこから東方の扇形をした〇〇峠のあいだから冬至の旭光が射しこんで奥行き十丈の坑道にとどいた>と予測できたことが大事なのです。それから後のことは専門家におまかせすればいいと考えています。

※前にも説明した様に、猪目峠の東方の山は、大国主命が物部方に連行されて、坑道内に閉じ込められて、飢死させられた所ですから、その傍の山で、岩戸開きだ、冬至の旭光だ、と唱えるのは、罰当たりの極みで、出雲の研究者や地元の方々からは、白い目で見られるだけなのです。
 本人が、すぐ確認に行けるものを、何時までも行かず、ここの掲示板に、その説を繰り返し書き込むのは、顰蹙をかって、不快感を煽っているだけです。
 仮説を立てた本人が現地調査のレポートすら纏めなければ、専門家の精査の材料にも成りません。

 坪背山に大の字を書き込んだ所から、勝手な思い込みの、こじ付けで始まっており、それに幼稚な推理を継ぎ足しているに過ぎません。
 兎も角、坪背山に登ってみれば、直ぐ西側に、日御碕と言う、太陽信仰に絶好の場所が有る、事に気づきます。

 日御碕神社は「日沉宮」と「神の宮」から成り、神の宮は素盞嶋尊を祀り、背後の隠ヶ丘から遷されたものです。その隠ヶ丘を古墳だと唱える説も出ており、出雲王朝閉朝後に三代続いたとされる、物部方の王墓だとも言われています。卑弥呼の邪馬台国は、物部の同盟国ですので、祭祀を行ったとすれば、日御碕の地と成ります。
 日御碕での太陽信仰については、もう、数十本の論説が既出だと思われます。平さんが、それに続くには、純粋な地学的見地からの論説で無ければ、日の目を見ません。出雲竜という言葉は幼稚過ぎますので、出雲での竜神信仰と書かなければ、専門家は読むのを辞めてしまいます。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.izumo-kankou.gr.jp%2F89



141 史実探偵: 平 素人:2018/10/22(月) 00:15:37
Re: レーザー地形解析
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000144M.jpg

http://www.geocities.jp/houshizaki/tuboseyama.htm

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



142山田:2018/10/31(水) 03:05:22
>google earth
・・
これって情報の確度3%か0コンマ数%のものでしょう。

観察者の空気一色だと空想も妄想も同じようなもの。

・・
卑弥呼は南方由来という透視は、沖縄の空気からして当たりかも。
今の若者は終括より空気を読みますね。

わけいってもわけいっても青い山

143管理人:2018/10/03(水) 22:18:23
銅鐸ライン続き
平さん、お返事ありがとうございました。また古代史板にお返事アップしたので、ご覧くださいませ!


144山田:2018/10/13(土) 19:12:37
南極大陸露出岩盤
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000147M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000147_2M.jpg

・・
南極北極科学館再訪。

南極で露出岩盤の調査は各国で進められているようです。

ルビーとサファイヤの原石が見られるのは、インド・スリランカと同じ地層の証拠で、ずっと昔はそこで接合してたと考えられます。




145 史実探偵: 平 素人:2018/10/14(日) 00:47:39
南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-4
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000148M.jpg

6500万年前、月よりわずかに小さい大惑星が南極に衝突し南極大陸として残った。
  その時、発生した巨大津波は地球の90%以上を覆った。

    Big-Gameを (myブログより移設^-^!) 再開します^^!。

 → その時、北上した巨大津波は、南半球の三大大陸をすべてカバーしている!!!

<オーストラリア大陸の地形>
? オーストラリア大陸の南部の海岸線は削り取られ概ね単調なのに対し、大陸の北側の海
   岸線が複雑なのは、南からの巨大津波によって形造られたものだ。
   大陸の南部は津波によって削り取られ北部の海岸線へ押し流されている。

? 東部山脈と西部山地に挟まれた大鑚井(さんせい)盆地は、南からの巨大津波によって削
  り取られ盆地状(湿地帯)になったものであり、その地下水には多量の塩分(海水)が含ま
  れている。(ハの字地形を巨大津波が通り過ぎる形態は南米大陸でも申し上げました)
   まさか貴方様は、『そこは、昔は海だった』等とは云わないでしょうね^^?
   大讃井盆地の地下水は、巨大津波が残した海水である。

? 巨大なモナドノックは、その時の大泥流で周囲や頂部を削り取られたものだと断言できる。

   カタ ジュタ Kata Tjuta (The Olgas) 別名エヤーズロックとも言う。
   それは、南極からの衝撃で噴出した岩体が大泥流によって周囲を削り取られたものだ。
   (to My Report)ウルル Uluru(Ayers Rock 863m)

? オーストラリア大陸は5大陸中で最も低いモナドノック状態。その全域は、南からの巨大
  津波によって削り取られ、グレートデバイティング山脈の頂上部をわずかに残すのみか。
   オーストラリア大陸は5大陸の中で最も低い。平均高度約340mのモナドノック状態。

? 大陸の東西に続いている堆積土の鞍部は、この時の津波が造った波状痕だ。
  この鞍部の成因は、通常の風雨作用では考えにくく、宇宙人が築いたものだとした学説が
  紹介されたことがありました^^!。

? 大陸の多数の砂漠は津波が成したものだ。

  その砂漠で世界最大(60kg?)という自然金が見つかっている~~。
  この自然金は大惑星のアンコ(内核の金属部分)が飛びだしたものだとしました。
  であるならば、延性の強い金のこと。遠くへは流されず大陸を囲む海嶺の
  南斜面にへばり付いているかも^^?。ちなみに、ギュヨー斜面にへばり付いて
  いるコバルトリッチクラフト。太平洋海底の大量のマンガン塊、オパール塊、
  希土類等も、その時の巨大津波が運んだものと謎解きしています。(拙報告書)

  この赤道付近に大量のMn塊や、SiO2塊は、ずいぶん悩みましたねえ^^!。
  「なぜ北太平洋の突き当り部まで流されなかったか」と、この答は意外と簡単でした。
  地球はまるく、川幅でいえば赤道部分は最大幅となり、津波の流れが弱くなる川下の
  様相を示していた。しかし、まあるい形のアンモナイトなんかは、よく転がるので
  ベーリング海付近まで流されています。 太平洋を取り巻く海や北極海の海底がその時
  の津波で運ばれた堆積土で浅くなっていることも注視して下さい。
   別段ながら、
  ソ連は、その時流された海生物達が石油となって埋蔵しているアラスカを、米国に
  知らずに売ってしまった。米国ではその時高値で買ったと非難されたが後で大儲け^^。
  ちなみに、海生物成因の石油は、陸生物土成因の石油に対して質が良いんだよねえ。

? タスマニア島の南部は削られて北へ流されている。

<Others>
 海に沈んだギュヨー(平頂海山)と、大陸棚
これ等は一時期、陸上か浅海であったとされています。素人のおおよそ計算ですが、南極海の水深を約3700mとして南極大陸の面積が押しのけた海水量を全海洋面積で割ったら170mほどの答えになったかな? その数字の正誤は別として考え方は当たっていると思いますよ^^。拙:報告書より、

その他、植物相や進化の異なり等、筆者の知りえないことがたくさんあると思いますよ。

<ニュージーランド>
? ニュージーランドの全島は、津波で削られた巨大なモナドノックだ。

? ニュージーランド島から北へ流れ出している5筋の海底の筋痕は、その時の津波の速さと
  威力を物語っている。


<ニューギニア島>
? ニューギニア島の南部平野は、この時の堆積土だと断言できる。

? こんな所は流された魚類や恐竜が石油化したものがあるんだよね♪ → to My Report


<巨大な渦巻きパンダ海>
オーストラリア大陸を乗り越えた巨大津波と東インド洋から回り込んだ巨大津波は、パンダ海
に直径約○○キロメートルの巨大な左巻きの渦巻き地形を造っている。
   バンダ海は津波が造った巨大な渦巻きだ。

<津波の島影に出来る清水域>
流れが障害物に突きあたる時、この場合はオーストラリア大陸ですが、その障害物の岩や島
の後ろに渦巻きが出来ることがある。その流れが速ければ速いほど、その島影は清水域とな
り、元々そこに棲んでいたものは流されないで居つくことがある。インドネシアの海のどこ
やらにはシーラカンスがいましたよね^^。

<津波の島影に運ばれた魚貝類>
セイロン島の地形がその時の巨大津波によって、北に流された形をしていることは以前申し上げましたが、セイロン島とインド半島との間にはかつて陸橋があり石灰土でなっているとか。巨大津波の性質として貝類(石灰)を一ヶ所に積み上げることがあります。フィリピンや、海南島(ハイナン島)北の、大陸奥深くにある桂林の石灰も「その時の巨大津波が運んだものですよ」と言ってもあなた様は信じられないでしょうね。キット^^!。

 「信じるという字は、人が言うと書く。人が言うことほどアテならないことはない(笑い)」
  その史実に“気付けば”中坊(中学生)でも判るほど簡単なことだ! 史実探偵:平 素人より


以上、皆さんはいくつ見つかりましたか。ほかにも沢山見つけられたのでしょうね。きっと^^、
 それとも・・・・~~!、  コメントをお待ちします^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



146かぐやまの花こ:2018/10/14(日) 09:30:03
RE ・・
・・
歪んだレンズに映し出す
四季は移ろい繰り返す
人は皆同じルールで生きていないから
全部抱きしめていて…誰にも負けないように

・・


147山田:2018/10/20(土) 02:00:20
多様なコケや藻が尖塔状の塊となって、湖の底を覆っている
・・
南極には湖が26あるという。

厳寒の湖に潜る人もいるんだ。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fspecial.nikkeibp.co.jp%2Fatclh%2FTS%2F18%2Fseiko0530%2Fvol4%2Findex.html

148 史実探偵: 平 素人:2018/10/23(火) 10:39:55
南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-5
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000152M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-201201.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



149山田:2018/10/23(火) 11:29:01
サハラに封じ込められた太古の海の結晶
・・
この岩塩はいつ出来たのですか?

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.azalai-japon.com%2Faliment%2Fsel_taoudenni.html

150 史実探偵: 平 素人:2018/10/24(水) 23:21:29
年代測定の落とし穴 !?
>6500万年前巨大津波によって2億年前(改め→太古)の海水がサハラの盆地に留まり岩塩になりました→
 かつて、2億年前(改め→太古)の此処は海でした^^? 海水溜まりですから、海と云われれば海ですよね(笑い)
                その岩塩の中に何の微細物が含まれてるかを調べれば面白いかも^^?
>4000年前の巨大津波による巨木に、260万年前?の粘土質が染入り珪化木となりました→
 その根反りの珪化木は260万年前^^?  津波によって表皮を剥がれたメスギは、久慈に琥珀を!!


その昔、大洪水によって大量の山羊が流されて、その河口に留まり化石になりました→
 かつてここは山でした^^?
その昔、巨大津波によって内陸深くまで大量の貝類が運ばれて石灰化しました→
 かつてここは海でした^^?
四・五十年前建てた、風呂煙突の周囲の屋根まわりが“低温炭化”しました→
 さて、この木材の炭化年はいつですか^^?
二百年前から伝わる我が家秘伝のお味噌に、おばあちゃんが合わせ味噌してお味噌汁を
つくりました→ さてさて(笑い)^^?

永久の昔からその検体料が“同じ場所で変わらぬ”宇宙線と、圧力と、温度を受けていれば
→ その測定結果は正しい! 年代決定の<補正>については、かつて管理人さまも述べておられました^^。


私素人は、巨大津波によって<粉砕され、混ぜ合わされ、運ばれて>→石化したそれらの生成年代の測定法を知らない。
私こども心は、6500万年前の巨大津波で運ばれた大量の植物たちが→ (〇億年前)の石炭紀になったとは思えない。
第一、〇百m厚の炭層をなすには、おそらくその倍半?の植物を要するであろうに→ 巨大津波を考えなければ、その“積み重なった”メカニズムが、わからない(^-^?) 動植物が、拙論でいう「大イベントで一時に埋まった」と考えなければ、炭化・石油化する前に微生物食か風化朽ち果てて消滅してしまう。そして、炭層のなかには海塩成分が?含まれることがあると云う。ふつうマングローブでない限り海のなかに木は生えないよね(笑い)。

学識に秀でた先様方(検察や警察)が、この史実に気付かれて 『その目から鱗がとれれば^^』 より多く、より詳しくが、観えてくる^^。
その時は、いつになるのでしょうか^^? できれば当方(素人探偵)が、ボケないうちにお願いしたいのですがぁ〜(笑い)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



151山田:2018/10/25(木) 01:28:39
>ボケないうちに
・・
>白小は『名探偵コナン』に登場する警部・白鳥任三郎と教師・小林澄子のカップリング。

白小の謎解き中!

杜甫 白小

白小群分命 天然二寸魚
細微霑水族 風俗当園蔬
入肆銀花乱 傾箱雪片虚
生成猶拾卵 尽取義何如

・・生成猶拾卵の「拾」が「捨」ともある。この両義性は深い。

・・

2億年前というのはあまり信じないほうがよい。アフリカの雑貨やの宣伝文句でしょうから。
こんなの誰も検証しない、できないのが前提でしょう。


>6500万年前巨大津波によって ・・この種の文言も誰も検証しないでしょう。ゲームでやってる限りは。


広報で30年を浪費するより、中坊むけゲームソフトの開発に十年かけた方がよかったかも。

ただし、現今の中坊って至極きびしいと思うけど。(娘が応援してます)


152 史実探偵: 平 素人:2018/10/26(金) 21:20:02
Re: >ボケないうちに
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000156M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-3.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



153かぐやまの花こ:2018/10/27(土) 02:41:52
プロキオン
・・
冬の大三角のうちこいぬ座のプロキオンは「犬に先立つもの」という意味らしい。これは、犬の星とされるシリウスが東の地平線から昇ってくる少し前に、プロキオンが姿を現すことの由来。

プロキオンも一等星だけど、何といってもシリウスは異様に明るいですね。太陽の40倍の光度とか。両方とも連星で、暗い方は白色矮星という。

このシリウス、犬というよりオオカミかと。ヤマトタケルが東国から抜ける時、峠でよく白いオオカミに遭遇します。(記紀では白い鹿)わたしの近くの奥多摩では白いオオカミですね。悪い霧で迷ったタケルを導いた神の化身という話です。大口真神というお札をよく見ます。

ルカ伝に、「イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた 」
イエスが聖霊とともに試された荒野の40日。モーセ一行が荒野で試されたのは40年。
月日の長さは異なりますが、プロキオン、シリウスの連星が担ったものと同じかと。

・・
人はそれぞれミッション担ってます。30年何するものぞ、もう十年やらねば。

   *

娘は、カンボジアの子供たちに寺子屋を!というので忙しいようです。

若い頃は恋に夢中で、でもよく振られていたみたい。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DIIpUr_Kl0NE

154 史実探偵: 平 素人:2018/10/28(日) 08:04:16
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-5のつづき
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000158M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000158_2M.jpg

    前記事 (衝突惑星だ!-5) のつづきです。

6500万年前、月よりわずかに小さい大惑星が南極に衝突し南極大陸として残った。
その時北上した巨大津波は、アフリカ大陸の南部を削ぎ取りサハラにその砂を運んでいた!!
 「史実は、妄想・空想より、奇なり -笑い」


 サハラ砂漠で6500万年前の、
< 砂流、泥流、縮流痕を見つけた!!! >
 I found the trace which the sand which a huge tsunami made in the whole area of the Sahara flowed through.!!!

「アハガル高原北の、ナジェール高原を”下り降りた”砂条痕があった!」
(注釈)アルゼリアAlgeriaとリビアLibiyaの国境、エジェレEdjeleh付近の衛星写真
  画面の左から、

?縮流痕;Shrinkage style trace,
 縮流というのは、二つの山間、建物等を津波(流体)が通過する時、その威力を増す現象。

?降下波痕;Descent wave pattern, (waterfall)
 降下波というのは、(筆者付名で)高い場所からの水流がその下で波立こと。

?削波痕;Cut wave pattern,
 これも筆者付名で、津波の上流に岩石地帯がある時、その岩石塊で地表を削ること。

?滑り台痕;Slide trace,
 滑り台から下り降りたところに凹地が出来ること。(^^)

?その他の痕跡; Other traces,
 山裾に沿って出来る側流溝。山影に出来る渦巻き痕。よどみに出来る微細土の溜まり。さらに、ギニア湾岸沿いに見える津波の戻り水が運んだ(※)海州、等々。貴方さまは>幾つ見つかりましたか? もう一度、大陸の全域にわたって、それ等を確かめて欲しい。これ等をその津波痕跡と認めるには、2メートルにも満たない<人間の目>ではなく、遥か上空からの<衛星の目を持たなければ>その痕跡は観えてはこない。
私は、この衛星写真が閲覧できたことに感謝する。 何故なら、素人探偵が二十年余を費やして稚拙な五万語を連ねた報告文も、この一枚の写真がもつ説得力にはかなわない。『百聞(文)は、一見にしかず!』であるからだ。
さらに、々に、砂漠中に得体のしれない巨岩がゴロリ、砂漠中の貝殻の集積、等々それを探せばキリがない^^。

  ここで、<最大の難問、難関が発生した!!>

筆者が唱えている巨大津波は6500万年前のものである。6500万年前の「津波の流紋痕」が、そのまま記録され残ることが可能なのか?? 6500万年は相当に長い年月である。しかも一夜の砂嵐にしてもその形を変えるという砂漠である。そんな砂漠の波状痕が6500万年間も固定してその姿を保つわけがない。 これは素人探偵の思い込みであったか? 99歩ゆずって、その思い込みにしても、この砂条痕の存在は否定できない。
 これを否定してしまうと、今までにクリヤーしてきた南アメリカ大陸や、オーストラリア大陸を覆いつくした巨大津波までをも否定してしまうことになる。それは出来ない・・!! 雨の少なくなった砂漠気候が幸いしたのか? それとも砂漠に降った雨は、即、染み入りその形を大きく変えないのか?  又、風の力は、私達が思っている程には、その形を変えてはいないのではないか? この砂漠の全面に見え、毛穴とも見える規模のものが、その<風紋>ではないのか? その大きさの関係を知りたいと思う。 さて、この難問のジャッジを下すのは<貴方さま>である。

 当論を相手にしない専門家に、あなた様に>逆質問したい。
この衛星写真に刻まれている“波状痕”は、『何時、どのようにして出来たか?』を教えて欲しい。そして、当方が名付けた『?の滑り台痕』は、どのような力が働けば出来るのかと。〜to be continued(?^-^?)


? アフリカ大陸の殆んどの湖は、巨大津波が運んだ塩分湖である。
  A lake of the African Continent is the salt lake which a huge tsunami carried.


以上は、第?南アメリカ大陸、第?ステージオーストラリア大陸をクリヤー出来たお方>には、説明の必要はないですよね^^。南極方向からの巨大津波は、その塩分(海水)をアフリカ大陸の全域に運んだ!!
・・学校で習いました(笑い)。塩分は水には溶けるが蒸発した雨水には含まれない。その結果、外洋に流れ出る場所であれば、塩分は除々に浄化され淡水化するが、外洋に出口を持たない湖や、盆地状の地形であればその塩分濃度は段々と濃くなっていく。この件は先のステージへと進みますので、どうぞお楽しみに^^。

 <アフリカの塩湖>
チャド湖、アルジェリアのメルリール湖、チュニジアのジェリド湖、等がその主なものである。
少し範囲をはずれますが、塩湖で有名な<死海>もそうなのですよ。そこがかつては出口を持たない盆地状の地形であったことを確かめて下さい。前述のオーストラリアの大鑚井盆地もそうでした。


 (2012/1/24) 遊び心とお金が余っているお方に、そっと告げます^^!
? [Top-secret]石油化した恐竜達! This big incident changed dinosaurs into oil.

 この大事変は、恐竜達を石油に変えました。
 不思議なことに “それ等は、バラバラに散らばらないで、塊って打ち上げられる”のである。未踏の海浜を歩かれた経験のあるお人なら^^、石油化した恐竜達を発見けることはさして難しいことではない。(絶版電子出版; 筆者提唱の『同似集合の原理』より)
このことは(myブログに詳細^^!)、[極秘・Top-secret] ですから誰にも言っては駄目ですよ。(笑い)
   油井1本の試掘が陸地では○○〜○○億円だったかな? ・・・、
くれぐれも言っておきますが、それが採算にあうかどうかは、貴方さま>が決めて下さい,ネッ^^!

? <マダガスカルの島姿とコモロ海域>
 マダガスカル島の南側の海岸線は、大津波によって大きく急峻し北側へ流されている。その北側にあるコモロ海域は、津波の島影となり清水域となった。此処に生きた化石といわれるシーラカンスが棲息しているのは有名。シーラカンスは島影に出来た巨大な渦巻きによって助かったが、西インド洋を回遊していた魚達のすべては、まるで出口のない “入り網漁”のような地形をした紅海とペルシャ湾に獲り込まれ、今にしてそれは石油となって、人類に提供している。私は、紅海(Red Sea)の紅が血の色に見えてならない。( 拙報告書より、)

The Red Sea and the Persian Gulf catch all of fish of the west Indian Ocean and change it into oil.
 紅海とペルシャ湾は、西インド洋の魚達の全てをキャッチし、それを石油に変えている。

   以上は、myブログカテゴリーBig-Gameより移設しました。   □


  次のステージへと、つづきます^^。   〜to be continued ^^.
くれぐれも申し上げますが、これから先のステージは、さらなる (中学生心♪)こども心を要しますので、
前述の?〜?ステージを<クリヤーできた方>のみに お願いいたします。わたしの言うことを否定(信じられない)方があれば、Google Earthで、アップダウンを繰り返しながら観察してみて下さい。さらには画面下で高低差までもが確認できます。南北の流紋・砂状紋ならサハラ全域に無数に見えるはずですから^^。それでも「風紋は捨てがたい」と思うお方は、更に、々に拡大すれば、小さな風紋が見えてきます。これでも頷けないお人があったら、もはや、素人にはそのお方を納得させるだけの、論法とエネルギーを持ち合わせていない。
 さて、あなた様は、人工のバーチャルゲームと、今世紀を揺るがすこのビッグゲームのどちらを選びますか^^? コメントをお待ちします^^。


  This is a trace of a huge tsunami left in the Sahara.
この写真はアルゼェリア東部の大東部砂漠、ミア・ワジ (Mia Oued) あたりのものです。これを津波の先端部、『津波の舌』と名付けるつもりでしたが(大失敗^^!)、私の見当違いで、湾曲した地形へ入り込んだ<津波痕=砂流紋>のようです。
※ 尚、下の 2写真は、(C)Yahoo! Japan (C)OPen Bookの(C)マークがあり、著作権者及び権利者の承諾を得たものではありません!! 他への転載は固く禁じられますし、予告なしに削除する場合があります。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



155青面金剛:2018/10/30(火) 02:41:51
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-5のつづき
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 6500万年前、月よりわずかに小さい大惑星が南極に衝突し南極大陸として残った。
> その時北上した巨大津波は、アフリカ大陸の南部を削ぎ取りサハラにその砂を運んでいた!!
> 又、風の力は、私達が思っている程には、その形を変えてはいないのではないか? この砂漠の全面に見え、毛穴とも見える規模のものが、その<風紋>ではないのか? >
> この衛星写真に刻まれている波状痕は、『何時、どのようにして出来たか?』を教えて欲しい。

☆仮に平さんが唱える様な、津波が引いた後だとするならば、衛星写真に写る波条痕は残りません。日本海側の鳥取砂丘など、波の引いた海岸際の砂浜は、なだらかに、均されてしまうからです。

砂と砂丘の移動 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.tottorisakyusaisei.jp%2Fhtml%2Fkyou%2Fjiten%2Fhimitsu.html

☆サハラ砂漠の北の端、アルジェリア国境に近いモロッコのメルズーカでは、アンモナイトなどの化石が多数、発掘されている事から、サハラ砂漠は嘗て、海底に有ったことが分かります。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fjp.bloguru.com%2Fadvroad2%2F254317%2F2015-11-24

☆南極ウィルクスランドにある直径480kmにおよぶ極めて大きな重力異常
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Findeep.jp%2Fantarctic-will-do-cahnge-whole-this-earth%2F

☆月の重力異常 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jaxa.jp%2Farticle%2Fspecial%2Fkaguya%2Fseika01_j.html

☆南極ウィルクスランドの重力異常については、巨大隕石落下説も既出ですが、未だに確認まで至っていません。
 月は6000年前より以前には、記録が無く、その頃に地球の軌道に捕捉されたのではと、思われます。「ノアの大洪水」が起きた頃の時代(紀元前二五〇〇年頃)つまり約4500年前に地球環境の大異変が起こります。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww2.biglobe.ne.jp%2Fremnant%2Fyomemasu.htm

☆この時に月は地球に異常接近し、月表面の海に有った大量の水と共に、月内部に有った比重の重い金属成分が、地球に引き寄せられ、南極ウィルクスランドの地に落下したのでは無いかと思われます。

☆また、スイスアルプスなどに見られる、氷河の移動に拠っても、地表が削られる場合が有ります。南極は世界最大の火山地帯であり、その大規模噴火が起こり、南極にある氷が全部溶け出した場合、世界中の海面が60メートル上昇すると考えられています。

156 史実探偵: 平 素人:2018/10/30(火) 08:25:57
Re: 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-5のつづき
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000160M.jpg

青面金剛さまへのお返事です。

さっそくのコメントありがとう御座います^^。

> > その時北上した巨大津波は、アフリカ大陸の南部を削ぎ取りサハラにその砂を運んでいた!!

> ☆仮に平さんが唱える様な、津波が引いた後だとするならば、衛星写真に写る波条痕は残りません。日本海側の鳥取砂丘など、波の引いた海岸際の砂浜は、なだらかに、均されてしまうからです。

先様が反論なさるのは当然です。ひょっとしてと? 思い捜し、この衛星写真を見た時は、強い衝撃を受けました。6500万年前もの津波痕が砂漠に残っているはずがないと考えていたからです。しかし、現実にあるこの流紋は否定できません。そのサイズに注視して下さい。99歩を100歩譲って^^!この流紋が、その時の津波で出来たのではないとすれば、一体「何で」出来たのでしょうか? と伺っています。

二十数年前にGoogle Earthの公開は、ありませんでしたが中学生地図で導きだした、その時の津波の概略図を再度、下に掲載します。その流紋が一夜にしてその形を変えるという砂漠に残っているとは意外の以外の以外~~!でした。砂漠の方がその流紋を確認しやすいだけで、森林に隠されている その痕跡も下図を参考に、よく観察すれば推測できます。なにしろ、この時の津波は地球の90%以上を覆っていますから。今、私たちが目にしている景色にもその痕跡があるかも知れません。砂漠のほうがその痕跡を捜しやすいのは意外の以外でした。これは、後のステージにつづきます。

> ☆サハラ砂漠の北の端、アルジェリア国境に近いモロッコのメルズーカでは、アンモナイトなどの化石が多数、発掘されている事から、サハラ砂漠は嘗て、海底に有ったことが分かります。

それはそれは貴重な情報をありがとう御座います。アンモナイトはその形状からして遠くまで転がるとは申し上げましたが、あとでその場所を確認しておきましょう。巨大津波は内陸部(例:桂林)まで海生物を運んでいると申し上げました。すべてが桁違いです。そこに大量の貝殻や海生物があったからといって、かつて、そこは海だったとするのは尚早です。

『力が、流体(この場合は津波)を媒体として、物質を運ぶ時、それは驚くほど効率よく似たものは似たもの同志に分別される』わたしは、これを “同似集合の原理・作用” と名付けています。これは、私たちの思考のなかにもあります^^。(絶版報告書)

> ☆南極ウィルクスランドにある直径480kmにおよぶ極めて大きな重力異常
> ☆月の重力異常

重力異常や地場異常について、未だ不勉強で論説出来かねないところですが、地球は隕石の集合体説をとっている当方としましては、場所によって異なるのは当然と考えています。衝突体の含有物、主に鉄系ですが、この含有物によって違いが出るのではないでしょうか。
衝突合体が小さくて高温の合体でその全てが溶ければ、均一化されやすいが、南極大陸サイズのものであれば、全てが溶けないで、クラゲの頭部分は軟化しただけで片岩化した。触手部分は既存の陸地とぶつかり粉砕した。と謎解きしています。当然、触手部分では火山や溶岩が多いと考えられます。南極海に温泉があるのは既知のとおりです。

>  月は6000年前より以前には、記録が無く、その頃に地球の軌道に捕捉されたのではと、思われます。「ノアの大洪水」が起きた頃の時代(紀元前二五〇〇年頃)つまり約4500年前に地球環境の大異変が起こります。
> ☆この時に月は地球に異常接近し、月表面の海に有った大量の水と共に、月内部に有った比重の重い金属成分が、地球に引き寄せられ、南極ウィルクスランドの地に落下したのでは無いかと思われます。

「月と、ノアの大洪水」の件は、今掲げている6500万年前とは離れていますので、私にはコメントできません^^!  ただし「南極ウィルクスランドの重力異常」の件は、大いに興味をそそられます。わたしは「南極大陸大惑星」が、どちらの方向から衝突したかが解っていませんでした。先様の情報で、触手部分から頭方向へ衝突したと考えられます。この衝突惑星がもつ重い金属の内核の半分は衝突のショックで頭方向へ移動し、のこり半分は触手方向へ飛び散り分散した?。この考えが当たっていれば、(・・につづいて^^) またまた先様に感謝です^^。

南極大陸の露頭石炭の件は、前にも申し上げましたが、答えが判れば、さして難しい問題ではありませんでした。南極で発生した巨大津波は約一日を駆けて北極に集まる。そして今度は、南極へ向けて逆走し漂い流れて南極大陸で、衝突の余熱冷めやらぬ地表で石炭化した。植物が育つような温暖期であれば、炭化する前に朽ち果ててしまうと考えるのがこども心です。
この石炭に年輪が無いのは、衝突前の地軸は傾きが少なく無季節であったが、衝突によって地軸が傾いたと謎解きしています。

> ☆また、スイスアルプスなどに見られる、氷河の移動に拠っても、地表が削られる場合が有ります。南極は世界最大の火山地帯であり、その大規模噴火が起こり、南極にある氷が全部溶け出した場合、世界中の海面が60メートル上昇すると考えられています。

その論も近年の温暖化等で色々に論議されていますね。氷河と巨大津波がつくる地形は非常によく似ています。ただ違うところは、氷河では山頂が尖るのに対し、大陸を覆うほどの泥流を含む巨大津波では、その山頂が丸くなると申し上げています。6500万年より後の氷河期については存じ上げませんので・・・^^!。
南極大陸に巨大隕石が! の説は、私も聞いたことがありますが、当方とは、その規模が桁違いに違います。素人探偵は、「南極大陸そのものが巨大隕石だ!」といっているのですから・・・(^-^!)
                  以上、拙速まで・・・~~!

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157青面金剛:2018/10/30(火) 23:57:02
Re: 南極大陸は…
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> その時北上した巨大津波は、アフリカ大陸の南部を削ぎ取りサハラにその砂を運んでいた!!
>現実にあるこの流紋は否定できません。この流紋が、その時の津波で出来たのではないとすれば、一体「何で」出来たのでしょうか? > その時の津波の概略図を再度、下に掲載します。

☆アフリカの地方風による風紋と考えます。平さんが風紋を否定する根拠として掲げるのは、サハラ砂漠が標高300mの高原にあるから、が唯一の理由でしょう?
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fm-coupe339%2Fentry-10984138064.html

> そこに大量の貝殻や海生物があったからといって、かつて、そこは海だったとするのは尚早です。

☆海から隆起して陸地になった段階で、北のアトラス山脈、東のホガール山地を水源とする、古代の大河が流れており、川砂が生成されます。

「サハラ砂漠にかつてあった巨大な川」の痕跡
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Findeep.jp%2Fsahara-river-yemen-cyclone-and-earth-change%2F


> 衝突合体が小さくて高温の合体でその全てが溶ければ、均一化されやすいが、南極大陸サイズのものであれば、全てが溶けないで、クラゲの頭部分は軟化しただけで片岩化した。触手部分は既存の陸地とぶつかり粉砕した。
> 。わたしは「南極大陸大惑星」が、どちらの方向から衝突したかが解っていませんでした、触手部分から頭方向へ衝突したと考えられます。この衝突惑星がもつ重い金属の内核の半分は衝突のショックで頭方向へ移動し、のこり半分は触手方向へ飛び散り分散した?
> 南極で発生した巨大津波は約一日を駆けて北極に集まる。そして今度は、南極へ向けて逆走し漂い流れて南極大陸で、衝突の余熱冷めやらぬ地表で石炭化した。
> この石炭に年輪が無いのは、衝突前の地軸は傾きが少なく無季節であったが、衝突によって地軸が傾いたと謎解きしています。
>??氷河では山頂が尖るのに対し、大陸を覆うほどの泥流を含む巨大津波では、その山頂が丸くなると申し上げています。

☆現代の南極大陸の位置が、その古代に於いても同じ位置とは考え難い。

幻のゴンドワナ大陸が2億5千万年前に分裂始まる /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.yamaguchi.net%2Farchives%2F003323.html

☆クレーター状の地形はカルデラとも考えられ、また、地熱により、地表の氷が溶けて出来た湖の痕跡が、その形に見える場合も有る。

正体は隕石が落下した跡ではなく、内部の氷が溶けてできた湖の跡
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.excite.co.jp%2Fnews%2Farticle%2FHazardlab_18314%2F

☆南極大陸ほどの巨大な物体が地球に激突した場合、その追突の角度が深ければ、地殻のマントルにも甚大な影響を与え、ホットプルームの大量噴出が長期間に渡って続くはず。
 また、浅い角度で追突したのならば、長細い楕円に近いクレーターを形成し、地球はコマの様に高速で回転を始めるので、地軸に近い位置に南極大陸が有るのは矛盾する。
??巨大津波が山頂を覆ったのならば、その山の標高以上の高さの津波と成り、高さ数百〜数千メートルの超巨大津波を想定しなくては成らなくなる。

プレートテクトニクスとプルームテクトニクス
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.s-yamaga.jp%2Fnanimono%2Fchikyu%2Fplatetectonics-01.htm




158 史実探偵: 平 素人:2018/11/11(日) 09:00:28
Re: サハラ砂漠は流紋か風紋か
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000162M.jpg

https://ameblo.jp/m-coupe339/entry-10984138064.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



159山田:2018/11/12(月) 01:48:30
REこの写真はアルゼェリア東部の大東部砂漠、ミア・ワジ (Mia Oued) あたりのものです
・・
これ何年前の画像ですか?

google earthの画像ですか?

ならば、緯度経度はわかりますね?

・・
サハラはしばし滞在したことあるけど、砂嵐は強烈です。
体感として、6500万年前の砂漠の表層紋がそのまま残っているとは思えません。

緯度経度わかれば、google earthで確認してみます。

160 史実探偵: 平 素人:2018/11/12(月) 03:10:50
Re: REこの写真はアルゼェリア東部の大東部砂漠、ミア・ワジ (Mia Oued) あたりのものです
山田さまへのお返事です。

> ・・
> これ何年前の画像ですか? google earthの画像ですか?
> ならば、緯度経度はわかりますね?
> 緯度経度わかれば、google earthで確認してみます。

 ゴメンナサイ、当方、少々ボケがはじまっていて、特に記憶力の衰えや、思う言葉が出てこないで編集にとても時間がかかります^^!

当然、そのようなご指摘があると思って再度捜したのですが、脚注に「尚、下の 2写真は、(C)Yahoo! Japan (C)OPen Bookの(C)マークがあり」 とありますから Google Earth 入手前の Yahoo!地図か、震災時の放射能情報地図(ジャクサ)の左移動かと思われます。
 今の Yahoo!地図では、住宅情報に主きが置かれているようで肝心のところはボヤけてしまいます。Google Earthでプリントアウトすれば、距離マークや、画像入手時も分るのですが、記憶が定かではありません。今しばらくお待ちください。

   東西と
   南北を
 あとで入れます。

【その写真・地図の閲覧の仕方】←myブログより捜しました^^!(2011 / 1/18)記でした。
Yahoo!のトップ画面で → 東日本大震災に関する情報 → 放射線情報 → 日本地図 → 縮小する → マウスの左押しで → 西へ数回スクロール → ギリシャ・イタリア辺りへ届いたら → 南のアフリカ大陸へ → そこにはサハラ砂漠を始めとする数々の大砂漠が広がっています。 → 衛星写真・地図の拡大縮小 → 目の錯覚^^? 反転錯視? 思い込み? 順流逆流、等の目を駆使すれば(笑) → アフリカ大陸を覆いつくし、アハガル高原やチベスチ高原に乗り上げ、乗り越した “6500万年前の巨大な濁流痕” が<現科学>を認じる貴方さま>にも見えるかも知れない。
(2011 / 1/18) 三日がかりでやっと載せることが出来たのが次の写真です。(^^!)
この写真は、写真経由なので解像度が悪くなってしまいました。後日に掲載します^^!


尚、皆様には、砂流紋だけではなく、<地形もあわせて>ご覧になるほうが良かろうかと思います。それには、(お嬢様のをおかりして^^!)中学生地図からお入りになるのが一番かと・・^^! ?   ・・・ 取り急ぎまで・・・^-^!

「サハラはしばし滞在」ですか^^。それは々は、ウラヤマシイかぎりです^^! Google Earth のストリートビューを使えば、かつて旅先で見た景色に出会うかも知れません。机上論97.5%の素人は、実行力がないので、そのような楽しみ方をしています。コラボできたらいいですね(笑い)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



161青面金剛:2018/11/20(火) 05:50:52
Re: サハラ砂漠は流紋か風紋か
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 巨大津波が造る地形は、山岳地帯から平野を経て海浜に至るまでの様相とまったく一緒だと申し上げました。そして、分別化され似たもの同志が集まるとも申し上げました。
> つまり、『削岩化⇒岩石屋⇒ぐり石化⇒砂流⇒黄色土⇒赤色粘土』へと変わっていきます。地球儀を巨視的に観ると世界の土壌は、まったくこのような様相を示しています。下に掲げる「世界の土壌分布図」は、
> 北緯10度あたりから北緯20度あたりが、話題の<下流域で>砂漠地帯となった所です。下流域とは赤道上で川幅が最大になるからだと前述しています。すこし、言い足しますが、津波の上流に陸地が無ければ砂漠は出来ません。カリブ、メキシコ湾へは南アメリカ大陸を削った泥砂流が運ばれています。

☆平さんが「世界の土壌分布図」に書き込んだ砂漠地帯の論理では、上流域に殆どが位置する、オーストラリア西部の砂漠や、南アメリカのチリのアタカマ砂漠は、存在しない事に成り、大きく矛盾します。

オーストラリアの砂漠 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

アタカマ砂漠 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

☆砂漠の出来方は、大きく分けて4つある。

1.亜熱帯砂漠 (サハラ砂漠やアラビア砂漠、オーストラリア砂漠など)
2.冷涼海岸砂漠(北アメリカの砂漠の一部やチリのアタカマ砂漠、アフリカのナミブ砂漠など)
3.大陸内部砂漠(サハラ砂漠、オーストラリア砂漠、トルキスタン砂漠、タクラマカン砂漠など)
4.雨陰砂漠 (タクラマカン砂漠)

砂漠の出来方 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.alrc.tottori-u.ac.jp%2Fjapanese%2Fsabaku_hakase%2Fsabaku02.html

砂漠化とその原因=砂漠化の要因の割合は,自然的な要因が13%,人為的な要因が87%
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fsoil_water_mitchy11%2FDesertCause.htm


>フロリダ半島では、大量の魚たちが積み上げられ、骨中に含まれるリンが水に溶けないで、その生産地となっているとも(拙)絶版報告書で^^!、述べています。
>  6500万年前の超巨大津波は地球の90%以上を覆う「大キャンバス」となっていますので、その後の、津波や海進や海退と見分ける必要がありますので、

☆約6550万年前に、地球に衝突したのは、メキシコのユカタン半島にある、チクシュルーブ・クレーター(またはチュチュラブ・クレーター、チチュルブ・クレーター、英語: Chicxulub crater)です。直径は約160Km。
 フロリダ半島でのリン蓄積は、この衝突時に因るものと考えます。

チクシュルーブ・クレーター /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F







162 史実探偵: 平 素人:2018/11/30(金) 03:18:48
Re: サハラ砂漠は流紋か風紋か
青面金剛さまへのお返事です。

重ねてのコメントありがとう御座います。

> ☆平さんが「世界の土壌分布図」に書き込んだ砂漠地帯の論理では、上流域に殆どが位置する、オーストラリア西部の砂漠や、南アメリカのチリのアタカマ砂漠は、存在しない事に成り、大きく矛盾します。
>

この問題の解は、二つありますが、先に掲げた「世界の土壌分布図」にヒントが書き込まれているとだけ申し上げておきましょう^^1

ゴメンナサイ。まだ、細切れにした前記事のご質問にお答えができていません。重要なご質問内容なので外す分けにはいきません。昨今の当方は根がつづかず、一つのことに集中できず、興味あるご情報等に、つい引っ張られそのうち考えがまとまらず眠くなっての繰り返しです・・・^^!

別談になりますが、部下を集めた取締役の言に、
「君たちは反対理由をすぐに並べるが、それが出来るように考えた方が良いんじゃあないかぁ・」この取締役は今はありません・・・。「できるように考える」その方が難しいけど楽しいですよね^^。
先様ほどのお方なら、もし、もし万が一でもいいのですが「もし南極大陸が6500万年前の大隕石だったら」なにがおこるか?? の逆発想での解のほうが簡単にみつかるのでは・・・^^?
もちろん「地球は破砕し、今の私たちはいない」と考えればそこで終了!!
「どっこい、おいら( )は生きている」とかんがえれば・・・、

 そのあいだに当方は、細切れにしたお答えのほうを考えます(^-^!)

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



163青面金剛:2018/11/30(金) 06:44:44
Re: サハラ砂漠は流紋か風紋か
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> この問題の解は、二つありますが、先に掲げた「世界の土壌分布図」にヒントが書き込まれているとだけ申し上げておきましょう^^1
> 「できるように考える」その方が難しいけど楽しいですよね^^。
>  そのあいだに当方は、細切れにしたお答えのほうを考えます(^-^!)

☆南極大陸衝突説を採っているのは、平さんの方ですので、そちらに答える義務が有ります。それを書き込めないのならば、解答が無いものと看做されます。

 平さんが自説に固執するならば、それをレポートに簡潔に纏め、アポを取ったうえで、鳥取大学乾燥地研究センターを訪れると好いでしょう。(平さんのホームページを其のままプリントしただけでは、だらだらと長過ぎて、読んでも貰えません。)

 そこで、岡山大学 惑星物質研究所のレポートを読んで貰えそうな研究員を、紹介して下さるかも知れません。
 その前に、お近くの図書館に、砂漠の出来方と小惑星の衝突に関する本を取り寄せて、基礎知識を養うべきです。

鳥取大学 乾燥地研究センター  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.alrc.tottori-u.ac.jp%2Fjapanese%2Findex.html

岡山大学 惑星物質研究所  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.misasa.okayama-u.ac.jp%2Fjp%2Faccess%2F

鳥取砂丘の風紋いろいろ  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.tottorisakyu.jp%2Fhtml%2Fkyou%2Fgallery%2Findex.html







164 史実探偵: 平 素人:2018/11/30(金) 08:35:50
Re: サハラ砂漠は流紋か風紋か
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000168M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000168_2M.jpg

青面金剛さまへのお返事です。

・・多事あるなかでの、さっそくのお答え感謝いたします^^。

> > この問題の解は、二つありますが、先に掲げた「世界の土壌分布図」にヒントが書き込まれているとだけ申し上げておきましょう^^1

> ☆南極大陸衝突説を採っているのは、平さんの方ですので、そちらに答える義務が有ります。それを書き込めないのならば、解答が無いものと看做されます。


わたしとしましては話(説明)の後先が逆になるとの思いがあり、開示をひかえておりました。それよりなにより、中坊じみた素人があれこれ言うより、学識のある方が御自分で <気づかれれば>、そんなに強いことはありません。

 お答えを申し上げます。
南極発の超巨大津波は、地球の約90%、360° を覆いながら、約一日をかけて北極圏にあつまります。その後の数波も? 北極に到達します。南極波からの押し合いで溜まった北極波は、こんどは南極への巨大津波となって走り出します。それを先図にUターンと点線で記しておきました。

どうですか?? とても信じられないでしょう? こんな極大論をどこのどなたが認めて下さるでしょうか^^???大学関係のご紹介を感謝いたします。そちらの方は話せば長いことになりますので・・、あきらめて^^??? 10年前からブログを始めました。これも・・・の状態です^^!

    「一事を追求すれば、万事につながり、万事は一事より成っている」
                        史実探偵: 平 素人

 関係図を再度載せておきます。
北極へ集まった津波は、今度は南極をめざして走り出す。膨大な水量を誇る太平洋の海水はアルゼンチン南端の堰をものともせず大西洋側へ押し流しスコシア海を造った。(my絶版報告書249頁より)

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



165青面金剛:2018/11/04(日) 02:44:54
Re: サハラ砂漠は流紋か風紋か
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 南極発の超巨大津波は、地球の約90%、を覆いながら、約一日をかけて北極圏にあつまります。その後の数波も? 北極に到達します。南極波からの押し合いで溜まった北極波は、こんどは南極への巨大津波となって走り出します。それを先図にUターンと点線で記しておきました。
>  関係図を再度載せておきます。
北極へ集まった津波は、今度は南極をめざして走り出す。膨大な水量を誇る太平洋の海水はアルゼンチン南端の堰をものともせず大西洋側へ押し流しスコシア海を造った。

☆一枚の関係図に同じ色の矢印で、あれこれ書き込んでも、何時の時の波なのか分かりません。
南極衝突の12時間後、24時間後、36時間後、と、時系列的に色分けするか、三枚の関係図に分けるかが、必要です。

☆「こんどは南極への巨大津波となって走り出します。」ならば、『削岩化 → 岩石 → ぐり石化 → 砂流 → 黄色土 → 赤色粘土』の論理だと、オーストラリア砂漠、アタカマ砂漠、そしてサハラ砂漠の砂の上にも、赤色粘土が、上に覆い被さる形と成ります。

☆「膨大な水量を誇る太平洋の海水はアルゼンチン南端の堰をものともせず大西洋側へ押し流しスコシア海を造った。」とアッサリ書いていますが、南米のアンデス山脈は6千メートル級の山々が立ち並ぶので、少なくとも、高さ5000メートル程の超巨大津波が必要と成ります。

☆平さんは、南極大陸が衝突した時の落下点が、ほぼ南極の地軸上と考えるのでしょうか。衝突前の南極大陸を「南極星」と仮定すれば、地球の公転軌道に対して、ほぼ直角に近い角度で、地球の地軸を正確に狙いすまして、衝突寸前に逆噴射などを掛けて、軟着陸に近い形を取りませんと、地球の公転軌道が、大きく歪んでしまいます。




166 史実探偵: 平 素人:2018/11/05(月) 05:45:28
Re: サハラ砂漠は流紋か風紋か
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000170M.jpg

青面金剛さまへのお返事です。

即答、ありがとう御座います^^。

> >  (津波)関係図を再度載せておきます。

> ☆一枚の関係図に同じ色の矢印で、あれこれ書き込んでも、何時の時の波なのか分かりません。
> 南極衝突の12時間後、24時間後、36時間後、と、時系列的に色分けするか、三枚の関係図に分けるかが、必要です。

 幾年か前のチリ地震で発生した津波が約一日後に、三陸に達したのは知るところです。計算の方は忘れましたがゼット機なみだったかな^^? 津波というのはズルい奴で自分の行きやすい行きやすい方へ進みます。深ければ早く、陸上よりは海上を、山岳よりは平野部を。風でおきる波がほぼ同じ場所の上下に対して、津波の場合は押し波の表現が近いと思います。しかしながら、同じ海洋でも深い部分よりも、浅い上部の方が速く進みます。「津波、川を上る(登る)」という言葉があります。これは川が遠浅状になっているからで、津波の力は抵抗の少ない方へと移動します。加えて、地球は丸くおなじ川幅ではありません。赤道上では最大川幅になると申し上げました。だから赤道を越えて北極へ向かえば再び増威して速くなります。さらに加えて陸上の地形は千差万別。さらに々に、二波三波と遅れ波も発生します。このような状態を、わたしは表記することが出来ません。掲げた津波推定図は、その地形から推定した線であり、その詳細をあらわすにはスーパーコンピューターが要るかもです。概ね、南極から、北極へとどく時間は24時間です。

> ☆「こんどは南極への巨大津波となって走り出します。」ならば、『削岩化 → 岩石 → ぐり石化 → 砂流 → 黄色土 → 赤色粘土』の論理だと、オーストラリア砂漠、アタカマ砂漠、そしてサハラ砂漠の砂の上にも、赤色粘土が、上に覆い被さる形と成ります。

 北極へ集まる津波は、南極から発した津波と等量ではなく時間差もあります。これは想像に近いですが、おそらく1/3から1/4かと^^!。思いますので、そこまでの威力はなかったかと^^? この件につきましては、今後のステージへと進みますので、ご一緒にお考え下さったら幸いです^^。

> ☆「膨大な水量を誇る太平洋の海水はアルゼンチン南端の堰をものともせず大西洋側へ押し流しスコシア海を造った。」とアッサリ書いていますが、南米のアンデス山脈は6千メートル級の山々が立ち並ぶので、少なくとも、高さ5000メートル程の超巨大津波が必要と成ります。

 そうです。そのとおりです。それ等の山頂近くには、津波がはこんだ塩湖もあります。ただ、ここで強く申し上げておきたいのは、津波というのは水位全体が増すのではなく、「その 先端は、川をのぼり、陸へあがり、谷を登り、山岳へも昇っている」ということです。これは更なるステージへと^^!

> ☆平さんは、南極大陸が衝突した時の落下点が、ほぼ南極の地軸上と考えるのでしょうか。衝突前の南極大陸を「南極星」と仮定すれば、地球の公転軌道に対して、ほぼ直角に近い角度で、地球の地軸を正確に狙いすまして、衝突寸前に逆噴射などを掛けて、軟着陸に近い形を取りませんと、地球の公転軌道が、大きく歪んでしまいます。

 これは、当然のご質問です。わたしもそのように考えました。地軸の傾きはコマの先にあたるのですから小さい力で変わります。が?? 公転面への作用については大きな疑問が生じます。太陽系に地軸や公転面に傾きがあるのは先様の知るところですが、太陽から地球に働く遠心力とそれに、ほぼ直交する月ほどの物体「南極星」が衝突する力関係とその経過が分かりません。つまり、ぶん廻しの力の方が勝っていれば公転面への影響は少ないとも思われます。もはや、この問題は、素人の域を超えた計算力と天文学の問題です。

わたしが、この広報にあたって「心する事」があります。「史実は変えられない !」それを論及できないのは、この私くしが、いたらないからだと!!
「南極星」の表現、とてもいい表現ですね。気に入りました。今後使わせて頂けますか^^?

  スコシア海です。(先端部の丸みと海底の荒々しさが津波痕の特徴です。)

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



167 史実探偵: 平 素人:2018/11/06(火) 01:56:19
Re: 南極大陸は…
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000171M.jpg

http://www.yamaguchi.net/archives/003323.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



168 史実探偵: 平 素人:2018/11/07(水) 17:00:02
Re: 南極大陸は…
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000172M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-201002.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



169管理人:2018/11/07(水) 22:01:22
赤井川クレーター
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000173M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000173_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000173_3M.jpg

ご無沙汰してます。すでに岩淵先生の著作でクレーターとして指摘されている赤井川盆地を見てきました。
写真貼付いたします!

個人的にも、巨大クレーターだと考えているのですが、その赤井川盆地の北部領域にも、小さなクレーターらしきものがみえます。図1のとおりです。クレーター内リムは赤円で囲んでます。外の青円とあわせて、円形に近いいわゆるクレーターであることが予想しうるでしょう。

そこには黄色円で囲んだ奇麗な円形に盛り上がった小山があります。

周辺域には銀山などの地名も残っており、隕石落下に伴う核融合反応によって、隕石内のニッケルか鉄が銀へと遷移したことは、以前論じて会報に掲載したとおりですね!

なお、その赤井川クレーターに関する隕石落下ルートについては、図3の隕石落下ルート推定図を再掲しますので、ご参照ください。



170 史実探偵: 平 素人:2018/11/08(木) 03:18:29
Re: 赤井川クレーター
管理人さまへのお返事です。

> ご無沙汰してます。 ・・こちらこそ ご無沙汰してます。
百論よりも実行! 狙った獲物は逃さない、諦めない! 最後の詰めはやはり現地確認ですね^^。

 わたし素人は、これ等の小惑星体の痕跡をみていつも不思議に思うことがあります。衝撃の強さか、溶融したからかは判りませんが、高さに対して、はるかにその円形が広いことにあります。そして「黄色円で囲んだ奇麗な円形」のように、それが、分弾なのか別の後からのものかにも悩まされることがあります^^!

北海道・東北の世界遺産の件は、残念ながら見送られました。今は亡き朋友「釣りじいさん」の言葉に「なんでもいいから一本釣り上げたらいいですね」があります。「一事は万事に」つながります。ひとりでも多くの 共立者を 見つけたいものです。

早くも、写真には北海道の冬の厳しさの訪れが感じられます。どうぞ、御気をつけて・・・、

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



171管理人:2018/11/08(木) 22:56:00
Re: 赤井川クレーター
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000175M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000175_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000175_3M.jpg

平さん、お返事ありがとうございます!

クレーターの完全に近い円形については、物理学的な形で証明できるようですが、カルデラとの相違が課題ですね。

図1、2は、カルデラとみて間違いない富士山の火口部と周囲の写真です。やはり楕円形になっていることに気づきます。


昨晩の赤井川盆地の写真と比較することで、相違を見いだすことができるのではないかと感じます。

あと、クレーター内にみえるミニクレーターの生成ですが、確かに月のクレーターにもよくみられますね。
分弾の可能性もあるでしょうし、後代のそれかもしれません。同じ時期の落下には、形態などにも同一の要素がみられるはずで、具体的にはその落下方向や、形状、色などでも区別できるかもしれませんね!

また、北海道・東北の縄文遺跡の件、残念でしたね!
個人的には、北海道でも、忍路環状列石や、その周囲の地鎮山、西崎山環状列石も、候補に入れるべきではないかと感じてます

先日も西崎山環状列石のほうを観察してきました。写真貼付しますね!





172 史実探偵: 平 素人:2018/11/09(金) 00:34:15
Re: 赤井川クレーター
管理人さまへのお返事です。

> また、北海道・東北の縄文遺跡の件、残念でしたね!
> 個人的には、北海道でも、忍路環状列石や、その周囲の地鎮山、西崎山環状列石も、候補に入れるべきではないかと感じてます
> 先日も西崎山環状列石のほうを観察してきました。写真貼付しますね!


 色々に探索なされているのですね^^。机上論、一辺倒の素人探偵は、
 いまだ環状列石を実地検分したことがありません~-~!

上記の環状列石が私たちの掲げる「四千年前の東北大隕石」の分弾に起因するものであれば、たとえ円形に配置されていても、必ず方向性をもって配置されています。それが単体の石であっても、石には表裏があって自分達の立ち位置や、関心の強い方向へ向けて建立します。

「人工物は、“必ず方向性” をもって建立される!」 (史実探偵: 平 素人)
 それは、植物が向日性をもっているように、人の意識・細胞のなかにも、それが潜在していて、その意識のあるなしに関わらず、自ずとその関心事の方へ向いてしまう。渡り鳥はとくに向日や磁力線を感じて行動していることが云われています。

もし、お写真の右に写っている割り石が方向性をもっていて、さらに中心石の表がその方向を向いていれば、祖先は、その方向に最大関心事があったことになります。それが、四千年前の巨大隕石の飛来に関係していたり、先さま方のレイラインに関係すれば面白いことになりそうです。蛇足ながら、歳差運動による補正は必要かとおもいます^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



173 史実探偵: 平 素人:2018/11/09(金) 06:59:58
サハラ砂漠に残る6500万年前の巨大津波の<痕跡写真>
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000177M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000177_2M.jpg

山田さまへのお返事です。

> ・・
> これ何年前の画像ですか?
> google earthの画像ですか?
> ならば、緯度経度はわかりますね?
> サハラはしばし滞在したことあるけど、砂嵐は強烈です。
> 体感として、6500万年前の砂漠の表層紋がそのまま残っているとは思えません。
>
> 緯度経度わかれば、google earthで確認してみます。



山田さま、大変おまたせしました^^!。
  記憶をたどりながらの事で、それを図面化するのに手間がかかりました^^!。

< お答えします。>
 Google Earth 北緯27°40′東経10°40′あたり。
 アルジェリアとリビアの国境付近で、
 ワジ・アル・シャーティー印字の西方〇〇kmあたりです。
 近く西方に、イナメナス国際空港や、何やらの施設も?あるようです。

筆者のいう痕跡が津波痕か、風紋かは、先様(方)の、ご判断におまかせしますが、
空港の滑走路と、その“波形”の大きさを対比してみて下さい。起伏の大きさが分かります。
この痕跡を津波痕と認められたら、サハラ全域の津波痕も見えてくるはずです。


この痕跡が、素人のいう津波痕だと認めて下さった方に提案があります。
 先さま(方)流に、世間に発表して下さったらと思います。
「何故、それを貴方(筆者)がしないのかって?」
 今の私には、その能力もエネルギーもありません。もちろん引用は存分になさって
 下さってけっこうです。

今の国際的決りは、先発見者から、先発表者に変わっています。早く発表したもの勝ちです^^♪
先に発見したものより、先に発表したものにその栄誉が与えられます。
それは、先駆者をさがすための時間的ロスで、経済的な損失のほうが大きい理由からのようです。


(2018/11/09 am 7:00 日本時間)
当方の掲げたこの写真は、『そのヒントであり、きっかけを与えるものだ』と、ここに宣言します!!   『百聞(百文)は、一見(衛星写真)にしかず』

早いもの勝ちですよっ^^! お金があり、実行力があるお方ならドローン飛ばすかもね(笑い)
その裏付けがない机上論だけでは、それと認められないのが今の世の中です(^-^!)。
それより、何よりこの写真をあなた様自身が津波の痕跡だと認めることが一番むつかしい。□



※ 尚、上図は Google Earth からのものですが、
下図は、Yahoo!地図 から検索したものであり、

下の写真には、(C)Yahoo! Japan (C)OPen Bookの(C)マークがあり、著作権者及び権利者の
承諾を得たものではありません! 他への転載は固く禁じられますし、予告なしに削除する
場合があります。しかし、当方の記入したものの制限ではありませんので、引用はOKです。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



174山田:2018/11/09(金) 12:18:54
RE:Google Earth 北緯27°40′東経10°40′あたり
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000178M.jpg

・・
指定の緯度経度で見てみました。
指定先間違ってませんか?

仮に資料として出された画像が津波痕として、6500万年前の表層痕が化石として残っているということですか?サハラの表層は6500万年前よりたえず風化され変化してるはず。

七八年前の画像と現在のもの比べても紋様のいくらかは消失してるように見えます。



175 史実探偵: 平 素人:2018/11/09(金) 22:22:49
Re: RE:Google Earth 北緯27°40′東経10°40′あたり
山田さまへのお返事です。ご関心と探求に感謝します^^1

> ・・
> 指定の緯度経度で見てみました。
> 指定先間違ってませんか?
>

「 間違っていません。ワジ・アル・シャーティーの西あたりです。」

見る高度をおよそですが 1,14kmあたりの“低空”で見ると先様が掲げた鱗のような地形が見えますね。
これもおよそですが、見る高度を200kmあたりにすると、私のいう流紋が見えてきます。
私がこの地を選んでいるのは山から下り降りた(前述のような)色々な形の津波痕を刻んでいるからです。
その高さで西に目を向ければ広い範囲での流紋が見えてきます。さらに、アップダウンを繰り返しながら、サハラ全体をながめると・・・ですね^^?

風化はもちろんあります。要はその(サイズ)大きさです。「山丘を吹き飛ばすほどの風は吹かない」ということでしょうか^^! 加えて、その流紋の範囲の広さと規則性です。これを6500万年前の南極発の巨大津波が造った地形とすると97.5%は? 解決するとおもうのですが(笑い)

先様が掲げた地形をわたしも見ていて風紋か? としていましたが、このたび改めてその高さを確認すると、その鱗形は、波形の頂部であり底部ではありませんでした。しかしながら、最初にそこを底部だと“脳が認識”してしまうと頂部にはとても見えない自分があります。このような錯覚やら、反転錯視には注意したいものです^^!
とくに現学を「刷り込まれて(鳥類)」しまうと、とても、とてもその認識を変えることは不可能に近い(^-^!)

 私たちは(私も含めて)、ここを砂表とみて(思い込んで^^!)いますが、もしかしたら岩表なのかも知れません。このあたりは、その東方面より約10m強の低地帯となっております。この形は山間部を下り降りた津波が、造るホールアウトや縮流が成因です。やはり、さいごの詰めは現地調査、行動力がモノをいいますね(^-^)。
  今後のご関心、ご探求、ご発表を切に希望します。 □

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176山田:2018/11/10(土) 11:19:32
>もしかしたら岩表
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000180M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000180_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000180_3M.jpg

平さまへのお返事です。

>見る高度を200kmあたりにすると、私のいう流紋が見えてきます。

「Google Earth 北緯27°40′東経10°40′あたり」
もう一度調べてみましたが、たしかにそれらしき画像が見えました。しかしながら貴殿の提示された画像、解像度が低いためかボケボケで精査推論に耐えないというのが、はじめの印象です。
中坊さんにこの話をもっていっても最初から相手にされないかと。

指示座標でどういうわけか一箇所だけ解像度のよい部分があり、わたしの提示したのはそこをほどよくupしたもの。

貴殿が指摘している岩表らしき部分たしかに存在します。何だかわかりませんけど。

・・
画像高度1kmほどのも追加。鱗紋ははっきりしてます。






177 史実探偵: 平 素人:2018/11/10(土) 21:39:11
Re: もしかしたら岩表
山田さまへのお返事です。

ゴメンナサイ^^! たしかにボケボケですね。
掲示の画像は、写真経由なのでそのようになりました。
でも、PC機能の拡大を最大にするとわりにはっきりと見えるかも^^?

・で、元のYahoo!地図からの取得を試みたのですがうまくいきませんでした。
(日本地図→アフリカ→アルジェリア・リビア国境付近→Edjelehエジェレ)

Google Earth でも見る高度を200kmあたりにするか、20kmあたりにするかで、
随分その表情が変わってきますね。津波痕跡が見えるのは200kmあたり かと!!

私たちが砂表面だと思っていたところが、実は、岩表面!? だったとしたら
おもしろくなりますね^^。ぜひそれを知りたいですっ^^。

< 興味深々^^>ご掲示の写真の左下の壺状の穴が気になります。このような穴は、
急流の窪地に 小石が入り込んだ時、内壁を拡げて穴を大きくする場合があります。
そして、中の小石は“まん丸に^^♪”それが 現存して?いれば、更に々に面白くなります。
蛇足ながら、このような地形は砂面では出来にくく、でもごく々まれには出来るかも!?

(中学の^^?)お嬢様に、
没後に「あの人が」と言われるべく頑張りますので、どうぞよろしく^^。
わたしは、第四ステージの準備にうつります。
そこは、とうてい“受け入れることが出来ない^^?”びっくりが ??? 待ちうけています^^!

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178 史実探偵: 平 素人:2018/11/11(日) 05:48:46
Re: 赤井川クレーター
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000182_2M.jpg

管理人さまへのお返事です。

 お早う御座います。こちらでも朝は寒さを感じるようになりました。

偶然ですが、Yahoo!地図から、アフリカ地図へ移動するために、「北海道・赤井川」から検索を始めましたところ、ほぼ完全な円形盆地の地図がでました。

そして、そこに「日ノ出」の地名を見た時、少なからぬ衝撃を覚えました。どこでも見られる日の出という現象を、わざわざ地名として遺すには、そこが何かの観測地ではないかと感じたからです。「日ノ出」の地名は、地域住民が、なにかの認識の一致がなければ混乱をきたす地名です。あんたの云う地名は「どこよ?」と、なるからです。その日のノ出は、ひょっとしたら(歳差運動を含む)四千年前の「冬至の日ノ出」ではないかと思うようになりました。

更に想像をふくらませれば、赤井川の「赤」も気になります。これが被災(墳墓)の血の色、真っ赤に飛んだ東北隕石、プラズマで赤色化した朝焼けの空、などと結びつけるのは素人の思い過ごしでしょうか^^? この思いが正しければ、祖先は神社として受け継いでいるはず・・・??

 以上、感じたまでを・・・、赤井川村の地図はあとで載せます^^!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



179かぐやまの花こ:2018/11/12(月) 12:51:46
・・
・・
娘は
小坊、中坊 応援してます。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3Dx-S5IxRcvPs

180 史実探偵: 平 素人:2018/11/13(火) 00:11:02
・・終活・・・(^-^)
第五章 創作話(あやまち)三題の、第一話 やしの実(侮り) 【絶版:電子出版】より引用^^!、
 昔むかしのこと。海辺で遊んでいた子供たちは、一つの大きな実を発見(み)つけた。それは大人の頭ほどもあり、あんずの形に似ていた。表面は土色をしており、とても重い物じゃった。大人たちに見せたが誰も知らないと言う。物知り爺っちゃんに問うことにした。物知り爺っちゃんは、そのまた爺っちゃんから聞いたことだがといって、次のようなことを話した。これと同じような“もの”が、大荒しの後の海岸に幾つも流れ着いたこと。斧で割るほど固かったこと。中身には「ほれ、こんなに大きなものが入っていたんだと」と言って、両手の指先を合わせて球の形を作った。さらに、それを斧で打ち砕くと、白い果肉が入っていて、「口に入れると、サクサクッとして甘かったんだと」。「爺っちゃん!それ植えたの?」と間を入れず聞いた。 「さあて、そこまでは聞かなんだ」 と、爺っちゃんは答えた。大人たちは、これは種では無いと言った。一番大きなあんずの実だって、こんなもんだと言って、片手でその形を作った。子供は自分が発見(み)つけたものは、大きな大きなあんずに違いないと思った。爺っちゃんの話の中の白いサクサクとした甘さが、口の中で広がるような気がした。大人たちが止めるのも聞かず子供は庭鼻にそれを植えた。 冬が来て春が来た。 しかし、芽は出なんだ。こんなに大きな種だもの、きっと何年もかかるに違いない、と子供は思った。だけど、いくら待っても芽は出なんだんだと。そこは、寒いさむい北の国じゃったから。 むかし、こっぽり (^-^)

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



181管理人:2018/11/13(火) 22:33:37
Re: 赤井川クレーター
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

平さん、またご意見ありがとうございます!

赤井川の赤は、確かに鉄などを想起させますね。周囲に銀山の地名があり、個人的には隕石衝突時に、隕鉄やニッケルが銀に核融合遷移したことに由来する鉱山が近辺、クレーターリム部分に生じたのだろうと考えてます。

相当な大きさの隕石が衝突したので、周辺部にまで金属がばらまかれたんでしょうね。融解した金属が流れだした可能性もありますが、その辺は、以前平さんも推測なされたとおりです。

あと、環状列石やストーンサークルについては、ご指摘の日の出角など、太陽カレンダーとの兼ね合いも予想するむきがあるようです。

182 史実探偵: 平 素人:2018/11/30(金) 05:13:45
股覗き^^!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000186M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000186_2M.jpg

山田さまへのお返事です。

「Google Earth 北緯27°33′東経10°24′あたり」

下の二枚の衛星画像は、全く同じ写真の南北上下を逆さに置いたものです。
皆さまには、どのようにみえますか^-^?

目の錯覚!? それとも反転錯視^^!?

私には、上の写真で低く見えた鱗部分が、上下を逆さに置いた下の写真では高くみえます。実際に高いです。
??高い鱗部分の標高(440m 〜431m ) 低い無地部分の標高(430m 〜425m )

そして、穴状に見えていた壺部分は、およそ Φ 300m の皿状であった。

 さて、皆さまには、どのように見えますか、見えましたか^-^?

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



183山田:2018/11/30(金) 19:17:57
>Google Earth 北緯27°33′東経10°24′あたり
平さまへのお返事です。

・・
おそらく貴殿が2百km上空からの衛星画像で見た紋様の、最もアクセントのある流線部分のより下方からの画像です。幾筋か同じ方向に走っていますが、あれはおそらく地溝帯といってサハラでも特殊な地形をつくってる部分です。ずっと以前図書館で借りたDVDでアフリカ大陸についてのものあり、記憶がたしかでありませんが、当時のアフリカ学の解説では、大津波による生成地形という解釈ではなかったと記憶してます。すみません。詳細な解説はおぼろです。

・・
サハラ砂漠といっても、さらさらした砂の砂漠はほんとうに少なく、大方は荒蕪の土漠がその正体です。岩石土層の表出具合はまったくわかりません。

現今のアフリカ学それなりに進んでいるでしょう。暇な折、調べてみたいとは思いますけど。


184 史実探偵: 平 素人:2018/12/12(水) 03:01:36
アフリカ大陸北西部の条痕
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000188M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000188_2M.jpg

 山田さまのご関心とコメントに感謝します。

アフリカ大陸北西部、の衛星画像です。


上の写真への、津波の流紋痕は、後で編集して入れますので、
     よろしかったら先さま方も、画像を拡大して、どうぞお考え下さい(^-^!)。
 さてさて、先さま方は、この写真をどのようにご覧になるのでしょうか^^?




下の写真はアドラル付近の山岳部(左側)と、砂漠部(土獏^^)への "条紋" のupです。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



185青面金剛:2018/12/21(金) 08:47:42
Re: アフリカ大陸北西部の条痕
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です.

> アフリカ大陸北西部、の衛星画像です。
> 下の写真はアドラル付近の山岳部(左側)と、砂漠部(土獏^^)への "条紋" のupです。

☆アドラル付近には、約6千年前に描かれた岩絵が残る遺跡が有ります。その岩絵には、牛やキリン、踊る人々などが描かれ、当時の湿潤だった気候が伺えます。

◎アドラルの岩絵 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F4travel.jp%2Ftravelogue%2F11203227

◎サハラ砂漠は、昔は実り豊かな土地だった /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Failovei.com%2F%3Fp%3D71585

☆これに因り、平さんの「数千万年前に大津波が砂を運んで現在まで残った。」とする仮説は成り立ちません。


※では、流紋痕の様に見えるのは何なのか、は、氷河期と間氷期の繰り返しに因る、海水準変動で形成されたシーケンス層、と考えられます。

◎海水準変動によるシーケンス層
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fnh.kanagawa-museum.jp%2Fkikaku%2Fondanka%2Fpdffile%2Fwt_04v101.pdf

◎中期更新世気候変換期(MPT)における汎世界的海水準変動
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fakihisakitamura.la.coocan.jp%2Fmpt.htm





186 史実探偵: 平 素人:2018/12/30(日) 07:25:47
Re: アフリカ大陸北西部の条痕
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000190_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000190_3M.jpg

先様方へのお返事です。おまたせしました。
「アフリカ大陸北西部」に、わたし素人がみた流紋痕をいれました。

ボケボケだとのお叱り^^!を受けそうですが、そこの所は、先さま方のYahoo!地図か、Google earth で拡大してのご確認をお願いいたします。図中の四角の部分を下に拡大しました。

山田さまとも確認したことですが、観察する高度を、地上から200kmにするか20kmにするか、さらに、2kmや〇千kmへと、アップダウンをして観るかで、その様相はまったく異なり、“論点も”異なってきます。我が手でいえば、シワと見るか指紋をみるか細胞をみるかのようなものです。

そして、先様がたには品がないので^^!決しておすすめ出来ませんが、山田さまが掲げた砂漠の中の「ウツボカズラ状の穴」に見えた壺状画面を股覗きしてみれば、皿状にみえる自分がありました。このように私たちは、目だけで見ているのではなく「脳がソレと、いちど認識」してしまうと、変えがたい自分があることにも注意したいと思います^^。


青面金剛さま> コメントありがとう御座います。

画像のボケだけでなく、先さまとは、「なにをどこまで」話し合ったのだっけ ? と、一瞬記憶がとんでしまう今日このごろです。先へさきへと進まれる先さまとはタイムラグがあります(汗〜~~!)。少々^^?時間をください。反論、ご指摘、ご教示に感謝します^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



187山田:2018/12/04(火) 14:22:46
>アフリカ大陸北西部
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000191M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000191_2M.jpg

http://www.pipi.jp/~exa/kodai/kaimei/africa.html



188 史実探偵: 平 素人:2018/12/05(水) 01:37:48
Re: アフリカ大陸北西部の条痕
http://akihisakitamura.la.coocan.jp/mpt.htm

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



189 史実探偵: 平 素人:2018/12/05(水) 02:22:18
Re: >アフリカ大陸北西部
http://www.pipi.jp/~exa/kodai/kaimei/africa.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



190青面金剛:2018/12/05(水) 05:33:22
Re: アフリカ大陸北西部の条痕
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 著名人か、有名機関か、その道の科学誌のお墨付きが無いかぎり、一般の人達は追随しません。
> 「サハラの岩絵や、サハラ砂漠の下には、かつては大河が流れていて実り豊な土地だった」は、私も聞いております。その「かつて」が何時なのかが問題です。
> しかし<巨大津波>によって、新旧のある表土が削られ混ぜ合わされ、陸地奥深くへ運ばれ、その微粒土が染入り石化した試料の放射性年代を確定できるのでしょうか^^???」
>  私のは、仮説ではなくて報告書です。その「報告書」が絶版となった今、少々疲れました。バトンを渡す人を捜しています・・・^^。

☆平さんが学説として残したいのならば、専門雑誌へ投稿し、活字として記録を残すべきです。次の専門誌を1年間定期購読するか、推薦して頂ける人を探すかで、投稿資格は満たせるでしょう。

日本惑星科学会誌「遊・星・人」投稿規定  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.wakusei.jp%2Fbook%2Fpp%2FSubmitRule.html

☆南極で2億6000万年以上前の木の化石を発見
「探検隊は2016年11月から2017年1月にかけて、雪をかぶったマッキンタイア岬の斜面を登り、南極横断山脈の灰色の堆積岩を調査した。そして、13個の化石の破片を発見。すべて木の化石で、地球史上最大の絶滅が起きた約2億6000万年前より古いものだ。」
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnatgeo.nikkeibp.co.jp%2Fatcl%2Fnews%2F16%2Fb%2F111700128%2F

☆「アフリカに有った大洪水の痕跡」では、メキシコ湾、カリブ海で1000メートルの大津波と推定されている事から、約6650万年前に ユカタン半島沖のメキシコ湾に落下した、チクシュルーブ・クレーターの衝突時の事象と考えられます。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnatgeo.nikkeibp.co.jp%2Fatcl%2Fnews%2F16%2F061400214%2F

Chicxulub Earth Impact Database  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.passc.net%2FEarthImpactDatabase%2Fchicxulub.html

☆平さんが掲げる【「世界の土壌分布図」の『削岩化→岩石→ぐり石化→砂流→黄色土→赤色粘土』地球儀を巨視的に観ると世界の土壌は、まったくこのような様相を示しています。】では、南半球にあるパタゴニア砂漠 (南アメリカ)、グレートビクトリア砂漠 (オーストラリア)、カラハリ砂漠 (アフリカ) の存在が、説明できませんので、この部分は説から削るべきと思います。

南極の砂漠・マクマードドライバレー  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fworldtv.blog.fc2.com%2Fblog-entry-75.html






191 史実探偵: 平 素人:2018/12/07(金) 08:42:45
Re: アフリカ大陸北西部の条痕
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000195_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000195_3M.jpg

http://worldtv.blog.fc2.com/blog-entry-75.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



192 史実探偵: 平 素人:2018/12/10(月) 02:33:56
アフリカ大陸北東部の流紋痕
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000196_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000196_3M.jpg

サハラ砂漠東部の流紋痕です。

 尚、この流紋痕はその概略を示すものであって、細部での流紋痕ではありませんので、
 細部の土砂痕は拡大して、それぞれにご確認してください^^。

 △エジプトに記した三角は、以前に載せた扇状地です。

 □部はアルゼリア南部の山部

  下の画像の赤線は、その山岳部へ登った津波の跡で、中央奥は〇〇山(  m)
 (注)津波の第一波は、この山岳地のほとんどを覆ったと思われますが、
     土石溜まりの痕跡として残る境目あたりに赤線を引いてみました。

 このほかに、興味深いことを発見(みつ)けました。・・・(つづく^^)

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



193山田:2018/12/10(月) 20:10:58
>アルゼリア南部
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000197M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000197_2M.jpg

?N26度32分36秒 E4度49分05秒

?N24度12分52秒 E4度52分24秒 高度3.27km

・・
どういう紋のつくりか、小生には理解しかねる。



194 史実探偵: 平 素人:2018/12/10(月) 23:46:58
Re: >アルゼリア南部
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000198M.jpg

山田さまへのお返事です。

> ?N26度32分36秒 E4度49分05秒
> ?N24度12分52秒 E4度52分24秒 高度3.27km
> どういう紋のつくりか、小生には理解しかねる。

コメントありがとう御座います^^。大変良い“三様の流れ”の場所を選んで頂けました。
 下の画像は先様が掲げた画像を高度33.44kmから眺めた図です。この高さで見ると
 移動しながら見れるので津波の実況感があって楽しめます。

?画面上部の左に四角で囲んでいる灰色部分です。
  ここの流れは山間にあり、ほぼ南西から北東へ向けて流れています。
  流紋は、その方向へ木口から木先へと向かう「板目状の流紋」となっています。

?画面上部の中ほどの四角内は、ほぼ同方向からですが、前方の山部が邪魔をして、
  「とどまり溜まる域」の様相を示しています。

?画面上部の右に四角で囲んでいる赤味を帯びた部分ですが、特に注視しなければなりません。
  この場所は北から見れば入江になっていますから、この彗星様の赤い始まり部が変です。
 これは南の山部から「下り降りて」ここに留まり、形造ったと推(よ)みます。ということは、
 アルゼリア南部の山岳部のほとんどを覆った津波(1波2波?)があったと考えています。
 堆積土の赤い色にも注視して下さい。赤は鉄の色ですが“灰色系”は後へとつづきます^^!
 蛇足ながら、高低が逆にみえるときは股覗きして^^!目の錯覚を修正しています。
 そして、これも余分なことながら、標高を確かめながら見ると、そこでの波高が推めます。

?画面下部の赤色で囲った部分ですが、多くの“円形地形”が散在しています。
  これは当該事変より前の隕石痕ではないかと疑っています。このような形状はほかにも
 たくさんあり、砂漠ゆえにたいへん捜しやすくなっています」とだけ伝えておきます^^!。
 でも、今回のゲームは「津波痕跡」を主にしたいのでそちらは避けたいと思います。

貴家が載せられた下の画像のほうは薄雲?がかかり、よく捜し得ませんでしたが、・・・
このような南から北への条痕は珍しくありません。津波の第一波の威力はすさまじく大陸南端の喜望峰を削り、その岩石破砕の連鎖をしながら北上していますので巌も削る条痕を残しています。とくに気を付けたいのは後々の風雨で洗われ、その表面を通過した一波二波?を無かったと見誤ることがあってはなりません。
 図のクランク状の血流痕とみえるものは、極々近時の川が成した痕跡と推んでいます。なかに黒い点状にみえるものは樹木のようです。もし、先様が東西痕をご指摘しているのであれば、津波に伴っての巨大振動や、元々あった形状等も忘れてはなりません。ありがとう御座いました。  

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



195 史実探偵: 平 素人:2018/12/13(木) 06:29:49
アルゼリアで希土類発見か??
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000199M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/ホガール山地

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



196青面金剛:2018/12/16(日) 03:58:47
Re: アルゼリアで希土類発見か??
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> アルゼリア南部のアハガル山地に、南北に延びるアハガル地溝帯があります。>
> ?つぎに地形です。細く長い形をしています。
>この地の奇勝岩は、その時の第一波が削ったものだと申し添えておきます。
> ホガール山地(アハガル山地)(Massif Ahaggar)とはアルジェリア南部のサハラ砂漠にある高地。アルジェリアの首都アルジェの南およそ1500kmに位置する。この一帯は標高平均800m以上の岩石砂漠で、最高峰はタハト山(2918m)。
> タハト山(2918m)へは巨大津波は届いていないようですが、それでも標高平均800m以上、

☆平さんの説明には一貫性が欠けています。
「氷河と巨大津波がつくる地形は非常によく似ています。ただ違うところは、氷河では山頂が尖るのに対し、大陸を覆うほどの泥流を含む巨大津波では、その山頂が丸くなると申し上げています」

> ?つぎは緯度です。赤道越えで津波が弱まったところにあります。

☆巨大津波は地球を何周も、したのでは無かったのですか?

> あるいは(900m以上)ですから、この姿を形作るには山頂が浸かる標高1000m?以上の 『連鎖的な岩石流』が無ければなりません。

☆サハラ砂漠には砂が運ばれた、とする従来の主張と矛盾します。

★南極で2億6千万年前の木の化石が発見された事より、当時の南極大陸は温暖な地域に位置していたと思われます。

★海溝部分は焼き餅のベイクドライス理論で、「体積が増した為に、ひび割れた。」とする仮説が立てられても、平均深度が3千数百メートルの海洋部の全体に、土砂が埋まらず、陸地の上だけに都合よく被さるのか、の説明は困難だと考えます。

◎日本で似た地形に長野県長野市の戸隠山(1904m)が有ります。
「戸隠山を構成する地層が形成された、400万年前から200万年前の中新世から前期更新世の間、この付近は海であった。270 万年前から 30万年前頃の間に、海底火山からのマグマの貫入と急激な隆起があり、山が形成された。」 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F




197 史実探偵: 平 素人:2018/12/17(月) 07:43:01
Re: アルゼリアで希土類発見か??
青面金剛さまへお答します。

☆平さんの説明には一貫性が欠けています。
「氷河と巨大津波がつくる地形は非常によく似ています。ただ違うところは、氷河では山頂が尖るのに対し、大陸を覆うほどの泥流を含む巨大津波では、その山頂が丸くなると申し上げています」

先様がなにをどのような視点で仰っているのか分かりませんが、氷河が造る地形は、フィンランドのように氷河が斜面を下りおりる時、その谷あいを削りながらおりるので険しくなり、この形は巨大津波が山を下り降りる時と非常によく似ています。 現に今にいたる迄、氷河説が健在です。(厳密にはV字谷とU字谷) しかしながら、拙論の地球丸ごとの巨大津波では、場所や条件等により、実にさまざまな形態を残しています。前述したように、ハの字地形入口痕・山間の縮流痕・山下りの滑り台痕・行き溜まり痕・扇状痕等々がありました。


> ?つぎは緯度です。赤道越えで津波が弱まったところにあります。
☆巨大津波は地球を何周も、したのでは無かったのですか?

「地球を何周も、した?」 私はそのように言った覚えはありません。もし、そのように受け取られているならば、それは先様の誤解です。私は、この件に関しては地球儀形状で考えて下さいと申し上げています。南極発の巨大津波は、第一波(360°方向)をはじめとして北極へと送り込まれます。二波以降はだんだんと小さくなるので北極で増位した海水がそれに勝るようになり、今度は南極へ向かって走り出すと言いました。北極からの帰り波は、別述している北極海底のペコペコ要因をのぞけは一波のみです。この帰り波のすべてが南極へ届くわけではなく、その件は後々のステージへつづきます・・・^^!

赤道で津波の勢力が弱まる」と言いました。この謎解きにはずいぶん苦労しましたが、赤道上で真っ二つに切り、それぞれの展開図を描いてみれば簡単です。「釈迦に説法ですが」理論上、津波の波高Hは水深dの4乗根に比例し、水路幅wの2乗根に反比例する^^!。今ではさらに々あるのですか~~?

> あるいは(900m以上)ですから、この姿を形作るには山頂が浸かる標高1000m?以上の 『連鎖的な岩石流』が無ければなりません。
☆サハラ砂漠には砂が運ばれた、とする従来の主張と矛盾します。

この件は、先様との「風紋か流紋か」の件を受けて、アルゼリアの砂部だけではなく岩塊部を調べなおしました。先様の反論やご指摘がなければ、次の第?ステージに移るところでした^^!。おかげさまで失敗も含めて詳しく観ることができました。感謝です。
なかでも、テレビCMで見た巨岩体が北米ではなく、アフリカのアハガル山地であったことに驚きを覚えました。このように6500万年前の超巨大津波はじつに “さまざまな形態” を残しています。サハラにこれ程の形態が残っているとは思ってもみませんでした。先様と同じように風雨が消していると思っていましたから(笑い)。

(12/18:追記)
★結局の処、相反して矛盾する『サハラ砂漠に砂が運ばれた』とする説と、『連鎖的な岩石流』の説の何れかを残し他方を削る選択すら、しないので有れば、これ以上、議論を続ける意味も無い。
    追伸:「運ばれた」というよりそこで成った。場所によって違います。

要は、津波の上流に何があって、どのように流されたによっても決まります。大まかにいえば太平洋の海水泥は、北太平洋の弓状列島の内海域へ(例:大和堆)。大西洋側は北極海奥へ。豪州大陸や、南米大陸は前述のとおりですが、メキシコ湾内は、その南米大陸を削ぎ取った土砂が流れ込んでいることに注目したいことです。


★南極で2億6千万年前の木の化石が発見された事より、当時の南極大陸は温暖な地域に位置していたと思われます。

これは、再度申し上げますが南極星^^がぶつかる以前に既存の陸地があって、そこから出土したモノかとしましたが、今後の検討が必要としています。南極星^^がぶつかったのに! との思いもありますが、南極横断山脈は南米大陸端と連なっていたと思われる地形を残しています。


★海溝部分は焼き餅のベイクドライス(ケイク)理論で、「体積が増した為に、ひび割れた。」とする仮説が立てられても、平均深度が3千数百メートルの海洋部の全体に、土砂が埋まらず、陸地の上だけに都合よく被さるのか、の説明は困難だと考えます。

先にも申しましたが、津波の上流に「何がどのようにある」かで、大きく運ばれるものは左右されます。陸地が無ければ砂は出来ません。そして、何波がそこにとどいたかによっても決まります。小さいものや軽いものは遠くまで。大きいものや角張ったものは運ばれにくい。又、海水と土石の割合によっても異なります。海水中ではそのまま運ばれ易いが、土石流の中では岩石から砂粒になりながら運ばれます。さらに、その場所への流量が多いか少ないかによっても運ばれるものに違いがあるのは申し上げるまでもありません。さらに々に、山田さまからは「漠土」とも伺っています。
蛇足ながら申し上げますが、南極発の陸へ上がった(津流)は、二波三波・・も表土を削りますが、海洋津波の二波三波・の中身はだんだんと収まって海水だけになるのが特徴です。

(12/18:追記)
★南半球にあるパタゴニア砂漠 (南アメリカ)、グレートビクトリア砂漠 (オーストラリア)、カラハリ砂漠 (アフリカ) の存在を、三つ同時に説明できなければ、意味が有りませんし、南半球での砂漠の形成の説明にも成っていません。
 追伸: 第一波が大きく削りますが、つづいての二波三波・・も、表土を削ります。

◎日本で似た地形に長野県長野市の戸隠山(1904m)が有ります。・・・、

これは、時事ニュースのようでヒットしませんでしたが、『ここは昔は海だった』論は、多ヶ所にあり、それが現科学の定説とは存じていますが、それをひっくり返そうとしているのが自分です。第一、それだけ大量の石灰質がその一個所に集まるメカニズムが津波をおいてほかに見当たらない。「その昔、多くの山羊が洪水で海岸に流され化石になりました。反対に、巨大津波によって大量の魚貝類が陸中深く運ばれました。」 さてさて^^??・・・今後ともよろしくお願いいたします。わたしは素人があれこれ言うより、先様方が目から鱗をとり「お気付き」を展開されることを願っています。 平 素人より

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



198青面金剛:2018/12/18(火) 02:35:50
Re: アルゼリアで希土類発見か??
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 南極横断山脈は南米大陸端と連なっていたと思われる地形を残しています。

★チリとアルゼンチン側に連なっているのは南極半島ですが、それが南極横断山脈まで連なっている、と拡大して解釈するのならば、南極大陸衝突説自体が否定されます。

> 小さいものや軽いものは遠くまで。大きいものや角張ったものは運ばれにくい。又、海水と土石の割合によっても異なります。海水中ではそのまま運ばれ易いが、土石流の中では岩石から砂粒になりながら運ばれます。さらに、その場所への流量が多いか少ないかによっても運ばれるものに違いがあるのは申し上げるまでもありません。
> 蛇足ながら申し上げますが、南極発の陸へ上がった(津流)は、二波三波・・も表土を削りますが、海洋津波の中身はだんだんと収まって海水だけになるのが特徴です。

★「大きいものや角張ったものは運ばれにくい」のならば海洋の海底に直ぐに沈下してしまう訳で、標高の高い山岳地に岩石流が到達するには、尚更、論理に無理が有り過ぎる。

★結局の処、相反して矛盾する『サハラ砂漠に砂が運ばれた』とする説と、『連鎖的な岩石流』の説の何れかを残し、他方を削る選択すら、しないので有れば、これ以上、議論を続ける意味も無い。

>南極大陸にたいして各々の大陸がどの位置にあるかで津波が運ぶモノが変わってくることにあります。例えばクラゲの頭状にあたるオーストラリア大陸では、その多くが清海水であったでしょうし、クラゲの触手側の太平洋側は、惑星体と既存の陸地との衝突で溶破砕した土石を多く含むと考えています。太平洋のなかほどには、多くの二酸化ケイ素や、そのあんこ(内核)と思われるマンガン塊や、希土類があることは周知するところです。アフリカ大陸は、その中間かな^^!。矢印形の南アメリカ大陸は微妙な位置にあります。このように津波の上流が陸地であるか海であるかでも、その様相は大きく変わります。

★南半球にあるパタゴニア砂漠 (南アメリカ)、グレートビクトリア砂漠 (オーストラリア)、カラハリ砂漠 (アフリカ) の存在を、三つ同時に説明できなければ、意味が有りませんし、南半球での砂漠の形成の説明にも成っていません。

★平さんの回答手法は、肝心な論点を、クイズ番組の司会者気取りで、次のステージ次のステージと先送りを続けて、有耶無耶にしようとの意図が見え見えなので、これ以上の議論も無駄と判断しますので、これにて終了させて頂きます。

199山田:2018/12/19(水) 01:56:54
SAHARA
・・
サハラは広い。
情報量の多いサイトがありました。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Farchive.aramcoworld.com%2Fja%2Fissue%2F201403%2Flast.lakes.of.the.green.sahara.htm

200 史実探偵: 平 素人:2018/12/19(水) 22:54:29
巨大津波サハラを造る-1
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000204M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000204_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000204_3M.jpg

写真上から(Google Earth)

   巨大津波モーリタ二アからの上陸痕 !

   巨大津波モロッコからの上陸痕 !

   巨大津波リビア南西部から迂回して地中海へ !!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



201 史実探偵: 平 素人:2018/12/19(水) 23:12:11
巨大津波サハラを造る-2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000205M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000205_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000205_3M.jpg

写真上から(Google Earth)

  巨大津波が造ったエジプト中部の扇状地

  巨大津波サハラ東部の北上痕

  巨大津波大陸東岸ケニヤからの上陸痕 ??(Google Earth)



http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



202 史実探偵: 平 素人:2018/12/19(水) 23:58:49
巨大津波アフリカ大陸を北上す !
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000206M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000206_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000206_3M.jpg

巨大津波アフリカ大陸(アンゴラ)を北上す !

巨大津波アフリカ南西部の北上痕 !!

 巨大津波アフリカ大陸南端からの北上痕 !!! (Google Earth)

極めつけは、アフリカ大陸南端の創傷痕だ! この痕跡を造るには南極大陸大惑星の衝突が必要となる。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



203 史実探偵: 平 素人:2018/12/22(土) 07:44:46
Scars of the huge tsunami(Africa south end)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000207M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000207_2M.jpg

Huge tsunami had made giant-scars.

I found a giant-scar of a huge tsunami.

To build this scar is required collision of a large planet Antarctica size.

????????         22 December 2018
????????????????????????????Historical fact Detectiver
?????????????????????????????? Hira Moto (pen name)??

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



204かぐやまの花こ:2018/12/23(日) 10:19:03
jeunesse ne reviendra pas
・・
長生きして、頑張りませう!

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3Dl-9ct5L_Br8

205 史実探偵: 平 素人:2018/12/24(月) 05:50:06
その日くるとも
Il faut tourner sa langue sept fois dans sa bouche avant de parler.

 さらに続けて拙句、
「あそんだれや 時鳥、 春告鳥(あなた)何時でも 勝手に鳴けばぁ その日来るとも 我Byチャ!」

存命中に事がすまない! もうヤケクソ、遊ばにゃ損ソン!(笑)
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Ffujorinokuukan.blog108.fc2.com%2Fblog-entry-10.html

206山田:2018/12/26(水) 17:29:42
6500万年前の大津波
・・
その時、日本列島はどんな状態だったのですか?

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DqsAri_zno0Y

207 史実探偵: 平 素人:2018/12/26(水) 23:13:54
Re: 6500万年前の大津波
山田さまへのお返事です。
 ご関心とコメントに感謝します。

> その時、日本列島はどんな状態だったのですか?

まず、南極星^^が大陸となり海水を押しのけた上昇分(没大陸棚分)を別として考えますと、九州の石炭地帯、新潟沖の石油、山口の秋吉台、淡路島のユズルハ(堆積土)山地、中部の菊石、関東ローム層、北上川流域の地勢(別述^^!)、北海道の炭田、極秘(釧路平原に??)等が上げられます。それ等は先様のご存知のとおり、定説では、その年代が6500万年前に合わないのが実情です。

しかしながら、その理由でこの大事変を否定すると、今まで上げてきた、絶対的な<一事>を 否定しなければなりません。「それは出来ません!!」だから悩んでます~~!。

 津波の水位は中国山地・吉備高原に、花崗岩が風化した赤土が残っている所がありますから、現在の標高で300mあたりを考えています。それから、各地にある石灰層ですが、四千年前の津波事変もあり、それとの区別が難しいところです。もちろん、6500万年のあいだには色々な事変があるのは論を待ちません。御自分の住んでおられる所で、あるいは旅先で「露出岩」を見られたら、その露岩が6500万年前の津波由来かと? 想像してみるのも楽しい(?)かも知れません。

それから、先さまの上げられてる youtube.は、時事ニュースのようで先さまの見るものと、後で見るものとは変わっていると思われます・・・^^!。
それから、この掲示板でアフリカ大陸に刻まれている「流紋」を書き込んだ図面をあとで差し替えたのですが、それに替わっていないようなのでお詫びいたします。

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208山田:2018/12/27(木) 00:23:43
Re: 6500万年前の大津波
  平さまへのお返事です。

失礼!
手違いがありました。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.jaea.go.jp%2F04%2Ftono%2Fkenkyusitu%2Fweb%2Fstrata%2Fs0305.html

6500万年前の日本列島は現在と同じ形態ではなかった気がした故の、問いでした。

・・
私事ですが、関東平野に住んでおりまして、秩父地方には古生層の地層がみられます。
「古生代シルル紀から中生代ジュラ紀(約4億4000万〜1億4300万年前)にわたる地層」とあり、6500万年前なら、何かそういう特徴の地層も容易に認められるかとも。

6500万年前はジュラ紀の次の白亜紀末ですね。

近場の地層を調査中です。

209 史実探偵: 平 素人:2018/12/27(木) 16:50:06
Re: 6500万年前の大津波
山田さまへのお返事です。

> 私事ですが、関東平野に住んでおりまして、秩父地方には古生層の地層がみられます。
「古生代シルル紀から中生代ジュラ紀(約4億4000万〜1億4300万年前)にわたる地層」とあり、6500万年前なら、何かそういう特徴の地層も容易に認められるかとも。
> 近場の地層を調査中です。


 楽しみにしています。あれば大発見^^。できれば(応援して下さる)お嬢さまともご一緒に^^!
 <何時も>最終的に、崩せないその年代の問題に行きあたります。
 素人の貧弱な知識では、それ等を突き崩せないことは充分に承知しています。

 ローム層地盤の特徴は上からの圧縮強度には強いが洪水等の水の流れには弱く、
 切り立った断崖状になることは知るところです。関東や播州、浜松あたりでも
 このような地形は珍しくないのでしょうか?
 その特徴は高い位置にあっても、平で排水もよく石も少なく、比較的肥沃なことから、
 水さえ確保できれば畑地に適しているようです。

 わたし素人は、数波の津波による堆積層形成の後、最終的な戻り流によって切り
 立った崖ができたと推んでいます。その側面には色々な堆積物が混ぜ合わされて・・・?
 でも、その年代と「その昔、ここは海だった」というお人には勝つことができません^^!

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210山田:2018/12/30(日) 12:22:28
K/T、K/Pg境界層
・・
およそ6550万年前、中世代白亜紀と新生代第三紀の境界に位置する1〜3センチの極薄い赤い粘土層。恐竜、アンモナイト等絶滅の原因とみられる地球環境激変の証左となる地層。

残念ながら日本列島ではほとんど痕跡が認められない。北海道で一部発見されたようですが。
関東平野武蔵野などの地山の地層は黒色腐葉土でその下には赤土のローム層があります。この赤土の層はおおかた富士山あるいは浅間山などの火山灰の堆積によるものです。このローム層をやや掘り進むと黄黒い薄い層がみられたらそれは姶良Tn火山灰層と呼ばれます。約2万9千年前〜2万6千年前に、鹿児島の桜島周辺の姶良カルデラの大爆発によるものです。AT層と呼ばれますが、関東地方ではおよそ10cmほどの層です。

平野部において、赤土の地層学のスケールでは6550万年前はまったく視野にはいりません。

ところがです、武蔵野西側にある南北の関東山地、秩父や奥多摩になると、先にお話した日本列島最古層ともいうべき地層がみられます。「古生代シルル紀から中生代ジュラ紀(約4億4000万〜1億4300万年前)にわたる地層」で、これは採集された化石から判断したものです。秩父、奥多摩のもうひとつの特徴をなす地層があります。秩父の武甲山などは石灰岩の塊のようですし、青梅、五日市、奥多摩には昔から石灰を採掘してきた歴史があります。昔からといっても石灰を漆喰などで使う技術を憶えてからで、さほどではありません。

この石灰岩のある地層は古いです。詳細を調査中ですが、いわゆる白亜紀の白亜はイギリスにある石灰の岸壁からの名付けといいますから。
奥多摩にはほかにチャート石の岩が露出したところもあり、このチャートもとても古いでしょう。6550万年前よりもっと昔だと思います。

211 史実探偵: 平 素人:2018/12/30(日) 23:14:20
Re: K/T、K/Pg境界層
山田さまへのお返事です。

早速のご調査とは、さすが、行動的ですね^^♪
K/T、K/Pg境界層は、いわゆる白亜紀末の大絶滅をおこしたと言われている境界層でしたよね。

>・・
> 平野部において、赤土の地層学のスケールでは6550万年前はまったく視野にはいりません。
> ところがです、武蔵野西側にある南北の関東山地、秩父や奥多摩になると、先にお話した日本列島最古層ともいうべき地層がみられます。「古生代シルル紀から中生代ジュラ紀(約4億4000万〜1億4300万年前)にわたる地層」で、これは採集された化石から判断したものです。秩父、奥多摩のもうひとつの特徴をなす地層があります。秩父の武甲山などは石灰岩の塊のようですし、青梅、五日市、奥多摩には昔から石灰を採掘してきた歴史があります。昔からといっても石灰を漆喰などで使う技術を憶えてからで、さほどではありません。
>
> この石灰岩のある地層は古いです。詳細を調査中ですが、いわゆる白亜紀の白亜はイギリスにある石灰の岸壁からの名付けといいますから。
> 奥多摩にはほかにチャート石の岩が露出したところもあり、このチャートもとても古いでしょう。6550万年前よりもっと昔だと思います。

 関東に、そんなんがあったのですか^^。K/T、K/Pg層がないからと言って気落ちすることはありません^^!。それがあれば充分です。わたしは、「6500万年前に南極大惑星が衝突した説」をとっています。ゲーム???で申し上げましたが、多くのものが北半球へ津波によって運ばれています。そのなかで特に分りやすいものに石灰があります。すでに中国・桂林については言及していますが、ドーバー海峡の両岸しかりです。これ等の規模は人間的感覚をつかっている限り、とても認められるものではありませんが、南極大惑星が衝突したことを考えればあって当たり前だと思います。

 つぎに、衝突による岩石等の溶融を申し上げました。これも、太平洋なかばに、マンガン塊や、二酸化ケイ素塊が大量にあったことは周知のとおりです。この溶融岩の特徴は瞬時に海水で冷やされるので表面が灰分化したり、海面に叩きつけられて中に海水が取り込まれたり、水晶化することがありました(拙報告書)。チャートは、聞きなれないことばなので Wiki で調べました。

チャート (岩石) Wikipedia
チャート(英: chert)あるいは角岩(かくがん)は、堆積岩の一種。主成分は二酸化ケイ素(SiO2、石英)で、この成分を持つ放散虫・海綿動物などの動物の殻や骨片(微化石)が海底に堆積してできた岩石(無生物起源のものがあるという説もある)。□

 前述の魚介類の石灰化と、溶融岩と、南極からの巨大津波を合わせれば、さして難しい謎解きではありません。くどいように言いますが、難しいのは、それらが津波で運ばれ、混ぜ合わされているものだから、どの<年代決定>も通用しないことにあります。加えて、堆積・斉一説もあります。これ等を現科学に認めさせることは至難のワザ^^! 過去の経験では専門家になればなるほどむつかしい。なぜなら、それ以上の知識をもって説得にあたらないとならないから~~!。

・・・で30年たちました。だから素人としては、総合論でいくしか手がない^^!。なかでも、津波痕跡は中学生地図でも判ります。いまでは Google Earth をつかえば簡単に指し示すことが出来ます。この一目瞭然なことが伝わらない。とくに、アフリカ南端のものは、流紋というより、「傷」と表現したほうがよいほどの凄まじい痕跡を残しています。・・で誤記だらけの英文で遺すことにしました(笑い)。

 ありがとう御座いました。こんごとも、よろしくお願いいたします。よいお年を^^。


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212山田:2018/12/31(月) 00:21:52
武甲山
・・
近くを自転車で走って眺めただけの感想でした。
wikipediaは写真もありますし、よい解説でしょう。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E6%25AD%25A6%25E7%2594%25B2%25E5%25B1%25B1

私的には、一朝一夕の大津波がつくったというより、海底で長い時かけて成ったものが隆起してできた山のように思われますが。
・・
青梅、奥多摩の石灰採掘ふくめてもうすこし調査する必要ありかと。

よいお年を!

追伸
なりたちについて、wikiに詳しい解説ありましたね。
「南方にあった火山島が活動を終え、浸食によって削られサンゴ礁を纏うようになる。サンゴによってできた石灰岩を載せた海山は、プレートの動きにより北上し、深い海溝に引きずり込まれる。そして大陸プレートに押しつけられはがれ落ち、やがて隆起し浸食されることで地表に現れた山が武甲山である。」

213 史実探偵: 平 素人:2019/01/10(木) 00:19:31
Re: 武甲山
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000217_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000217_3M.jpg

山田さまへのお返事です。  What is this form ?

武甲山のなりたちありがとう御座います。

海成因のものが海底から長い年月をかけてプレート移動し地表に現れる論説は聞いたことがあります。そして、かつての海低が押し上げられて地表になったとの学説は定説として、十人が十人の専門家。あるいは百人が百人の人達がそのように云うかも知れません。

皆さまにしては、私の論説の方が納得できないでしょうが、わたし素人はそれが納得できないのです。いま、地表にある石灰分の存在は、世界的にみても相当多数ヶ所にあります。それらの全て、あるいはその多数が津波というイベントを考えないで、『都合よくその部分部分だけ?』海底から盛り上がったとはとても考えられません。そこにあればもっと広範囲になければなりません。陸中塩分にしても、そうですが大陸移動説によりかつての海が陸地化して、それが残留しているとするのが定説のようです。(この件に関しては、この掲示板でも「地球型惑星の肥大化」で自論を述べています)

 わたし素人は、「チャートのなかになぜ高温の溶融岩(SiO2)が?」の疑問も残りますが、百人が百人のいう定説を納得させるだけの地質学的知識を持ち合わせていません。オットすみません。火山ガラスがありました。

・・・で、できうる限り、南極大惑星の衝突は封印して^^!、地球の90%以上を覆った巨大津波で攻めていこうと思っています^^!。津波痕の件は仮説や論説ではありません。遊び心を加えてゲーム形式にしてはいますが、その史実の「報告書」です。

 そこで「先学」に提案があります。
それらの全てをリセットして、アフリカ大陸南端の地形の成因を先様方はどのようによみますか?? 再度その画像をかかげます。この画像は不鮮明なのでGoogle Earth のアップダウンでどうぞ^^!
  What is this form ?



214 史実探偵: 平 素人:2019/01/20(日) 07:00:01
巨大隕石と大津波
  明けましておめでとう御座います。
昨年は管理人さま始め先様方には大変お世話になりました。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

    第二章 恐竜は、なぜ大絶滅したか の<序文>より、
       拙: 絶版報告書「巨大隕石と大津波」(2005/8/15電子出版発行)

 あるところに「素人」という若者がおりました。素人は、海辺の散歩がとても好きでした。誰も歩いていない砂浜を歩く時のサクッとした感触。砂に残された波紋の造形美、色々な貝殻、変化に富んだ流木、浸食された岩肌、優しくはじける波の音、頬をなでゆく風、潮の香り、見渡す限りの海原、それらの全てが日常とかけ離れたときめきを与えてくれるからでした。後になってわかったことですが、そこには恐ろしいほどの自然の摂理と、その謎解きの鍵が隠されていたのです。岩と、砂と、貝殻と、流木と、魚の屍とが、それぞれの場所に、それぞれに治まっていたのです。(筆者提唱の)同似集合の原理が働いていたのです。

 即ち、砂は砂、貝殻は貝殻、流木は流木で、魚等と、似たものは似たもの同志で集まっていたのです。ニュートンが万有引力を発見したように、誰もが知っている当たり前から、私は同似集合の原理を知った。

 恐竜はなぜ大絶滅したか? という興味ある問題で、あるきっかけから、反転錯視を知り見ようによっては一方向しか見ていない自分に気が付いた。現存する全てを肯定し、全ての常識をくつがえし、この問題に取り組むことにした。 □

    常識とは、多数であり多数に過ぎない。
    津波という流体が各々の物体に働く時、各物質は大変効率よく分別される。
    津波後の後片付け(合掌)においても、同じようなモノは同じようなもので分別される。
    これは、人の意識のなかにも同似集合の原理が潜在しているからだ。
    地形が地形としての形状をとどめているのは全て合力の結果であり、
    そこには、偶然とか奇跡とかの例外はあり得ない。
                             史実探偵 平 素人
 

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



215管理人:2019/01/31(木) 03:05:34
謹賀新年
平さん、みなさん、明けましておめでとうございます!

昨年も、いろいろ論議で盛り上がりましたね!
今年は、さらにその解明へと踏み込んでいきたいところです。
どうぞ宜しくお願いします。

管理人

216山田:2019/01/05(土) 11:06:13
地球接近天体(NEO)
・・
>米航空宇宙局(NASA)は、直径500メートルを超す巨大小惑星「ベンヌ」が、2135年9月22日に地球に衝突する可能性があると発表

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.cnn.co.jp%2Ffringe%2F35116569.html

・・
117年後というと、我々は生きちゃいない。一世代あとは、子、孫を憂うし、二世代、三世代は直面するクライシス。

この種の対策はアメリカがもっとも気にかけ進んでいるようだが、メキシコとの国境に万里の長城をつくるなど本気で考えているのだろうか?

217山田:2019/01/05(土) 14:05:59
>アフリカ大陸南端の地形
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000221M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000221_2M.jpg

・・
この地形の成因は、シロウトだと、津波痕の可能性もありうるな。くらいです。

南アは黄金ダイヤモンドの豊富な国。自国の地理地層はよく探求してるはず。
南アの地誌科学局に直接問い合わせるとわかるかもです。

?S33度00分 E24度56分 高度344.92km
?S33度29分 E19度06分 高度266.07km




218 史実探偵: 平 素人:2019/01/06(日) 08:42:33
>アフリカ大陸南端の地形
山田さまへのお返事です。
    コメントと鮮明写真に感謝します。

> ・・
> この地形の成因は、シロウトだと、津波痕の可能性もありうるな。くらいです。

 そうですね。全てをリセットしてこの地形“だけ”を見れば津波成因の発想は、とても生まれませんね^^!。偽らざるご感想に感謝します。広報のむつかしさを実感します。もし、あんたの言うように「津波成因」だったとすれば・・・と、その次に進むか進まないかが問題のようです。どこやらの海外大学でアフリカ中部の津波痕跡の研究発表があったとか無かったとか? (情報のはしかじりでスミマセン)二度とウエブから捜し出せない・・まだまだ先は長く用意されている感じ・(笑い~~)

> 南アは黄金ダイヤモンドの豊富な国。自国の地理地層はよく探求してるはず。
> 南アの地誌科学局に直接問い合わせるとわかるかもです。

 南アは金やダイヤモンドの産出国ですね。何故、南アに?とは、とても興味があるところで私的に答えが出てない問題です。自分的には炭素の存在位置から、ダイヤモンドは比較的地表に近くに・・。他方、金のほうは重いから比較的深度にとの矛盾した思いがあります。南アのダイヤはとても深いようですね・・・??? 話は変わりますが、TVで深度のコア層調査で岩石を餌にする微生物が5,000m?(よく覚えていません~~!)あたりで、発見したとか・・・

 <ちょっとヒラメキました^^>
ダイヤの生成を小惑星体の衝突時に結び付けて考えている当方ですが、地表にある大木炭素と地中にある炭層とでは、その深度に違いがあります。とすれば、北半球に大量にある炭層と小惑星体の衝突が合わさる場所を捜せば・・・? (笑い)

> 南アの地誌科学局に直接問い合わせの件
ありがたいお勧めですが・・・・、^-^! > ・・

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219 史実探偵: 平 素人:2019/01/10(木) 07:18:51
創作話・三題 「あやまち」
(第三話)牛がえる
梅雨入りの頃だったと思います。家の近くに、幅5m、長さ20mほどのコンクリートで囲まれ、上流から流れてくるヘドロを一時ストックする役目の水溜まりがあります。それでも昔は草で囲まれ、子供たちが「池」と呼び、鮒をすくったりした所でもありました。しかし、今は下水溜まりのようです。この脇の駐車場に車を止め、自販機の飲料水を買って車に帰りますと、ブォーッと大きな声かこの足元の池からするのです。見ると、牛蛙が二匹いました。普段は見かけないものですから、珍しさも手伝って、紅茶を片手に上から観ていました。知ってか知らずか、時おり顎腔(がくこう)を膨らませて、あの大きな声で鳴くのです。
 ところが、次に信じられない光景を目にしました。スーッと近寄った二匹は、お互いに飛びかかり、水草の土俵で相撲をとりだしたのです。「鳥獣人物戯画」そっくりにやりだしました。最初は縄張り争いの喧嘩かな、と思ったのですが、そうではないようです。
 しばらく、もみ合った後、離れ、再び組みついたのですから、遊んでいるのです。何度か飛びかかりますが、お互いのタイミングが合わないと組み合いません。
 そのうち、片方は飽きてきたのでしょう。四肢から力を抜き、プカリと動きを止めてしまいました。もう一方は遊び足りないのか、しきりに飛びかかり、相手を押さえ付けるのです。あの吸盤のある可愛い前足で、押さえられた方は、うさん臭げに目を’ぱちくり’。
 このユーモラスな光景を、遠い昔の人たちにも観覧(みせ)たのでしょうか。

(終わりに)
私たちは、今まで、蛙を解剖台の上にしか見ない下等な両棲類として扱ってきた。しかし、蛙のこの様子(さま)は遊ぶという高等な知能を持っていたのである。私たちは、これと同じような 'あやまち' を重ねてはいないだろうか。この創作話'あやまち'三題(第一話やしの実.侮り・題二話まな鶴.のけ者(掲載していません)・第三話牛がえる.蔑み)には、そのようなものを潜ませて書いたつもりです。
答えの無い問いかけに答えを出してしまうことに'間違い'が生じる。「答えが無いから未来が続いているのに・・!」
  「答の無い問かけ・不条理の空間」
  生産性球の半径Rが“1”の球、四つが接触する空間に入る、破壊性小球の直径 d は ?
d =(R×0.π)< である。
   『蝶を愛(め)で、蠅を殺(た)たく、己(おのれ)あり』
時折、鏡に自分を写し、己に問いかけ、姿勢を正したいものである。 (絶版書p571より)  □

以上、十余年で14冊しか売れなかった^^!、拙:電子出版書(絶版)『巨大隕石と大津波』より引用しました。米国の科学者は、自分達の仕事に遊び心を加えて 「Game」 と称することがあるそうです。さて、今年もこの掲示板の一隅をお借りして、目いっぱい遊ぶことに致しましょうかぁ(笑い)。 このゲームに参加して下さる人を捜しています。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



220 史実探偵: 平 素人:2019/01/11(金) 02:14:59
南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-6
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000224M.jpg

   1988/01/11 〜'19/01/11まで第一報を発信してから31年たちました。
    myブログのカテゴリーBig-Game の一部を移設して再開します^^!。
    拙い英文の併記は世界へ発信するためです。どうぞ、悪しからず~~!

 前記事<アフリカ大陸>からの、つづきです。
6500万年前、月よりわずかに小さい大惑星が南極に衝突し南極大陸として残った。その時、発生した巨大津波は地球の90%以上をカバーした。赤道周囲4万kmで最大川幅となり、一時的に弱まった巨大津波ではあったが、赤道を越えると流れ幅は狭くなるので最大波高となる北極点へ向けて増位しながら進む! 日本列島の中ほどでの波高は(大陸棚没分を除いて)300m付近かと思っています。


<北アメリカ大陸の90%以上を覆った巨大津波> part ?.
  The huge tsunami covered up 90% higher than of the African continent.
  65 million years ago !         The dinosaur size extinction !
       副題 Subtitle: 地球の氷河期痕跡説を覆す!
    I overturn a trace theory for a glacial epoch of the earth,


?.<フォース ステージ> ('12 Feb.01 に記したものです。)
    You Good !   Welcome to the fourth stage. ^^♪
<アメリカ大陸を南から北へ突き抜けた巨大津波>

 アメリカ大陸を南から北へ巨大津波が突き抜けた。
A huge tsunami went through the American Continent from the south to the north.


(質問・Question 4) その痕跡を探して列挙せよ!
 Enumerate the traces !

   南アメリカ大陸を乗り越え<北アメリカ大陸>へ達した巨大津波は???
   ?〜?ステージとの共通点が幾つかあります。先に探しておいて下さいね^^。
    あなた様>と、答えが幾つ重なるかが楽しみです・・・^^♪


(答え・Answer)

? 巨大津波が二つの山間を抜ける時、殺到した泥流が縮流(←前述あり)となってその入り口付近の表土を削り取って凹地にすることがあった。 ロッキー山脈とアパラチア山脈に挟まれたミシシッピー川流域にその湿原地帯がある。同様な成因でアルゼンチンのラプラタ川流域の湿地帯。オーストラリアに大鑚井盆地がありました。
  ミシシッピー川流域に巨大津波が削った湿原地帯がある。
   The damp plain zone that a tsunami reduced is in the Mississippi basin.

? 津波の“川岸”と なったグレートプレーンズで、
  魚類や恐竜達は、グレートプレーンズに打ち上げられて石油化している。
   The fish and dinosaurs are launched in the Great Plains and become oil.

ロッキー山脈の東側のグレートプレーンズ(標高500m〜およそ1000m)に、この時の津波によって恐竜達や魚類等が打ち上げられて石油化している。その時をイマジネーションしてみると、津波の第一波はメキシコ湾の魚類達を持って陸上にかけ上がる。そして、そこに棲息している恐竜達や植生をも巻き込む。この強い中央の流れは、その浮遊物を流れの側方へ側方へと持っていく。その浮遊物を運んだ第一波がロッキーの斜面へ駆け上り、駆け下る。それより遅れた数波は表土をウガチながら泥流となってそれ等を覆い隠した。時が経ち地熱で熟成されて恐竜達は石油となった。そして共に運ばれた貝類は石灰岩になっているはずだ。さらに泥粘土に埋まった巨木は珪化木へと変わる。植物の存在量は動物に比べて圧倒的に多いはずなのに、油田に比べて炭田が少ないのが気になる。この広大なミシシッピー流域の植物達はいったいどこへ行ったのであろうか。


【 Top - secret 】
グレートプレーンズの油田は、その多くが汲み上げられ、その数はガス田を除いても20を(中学生地図)超しているようだが、まだ拾い残しはあると思われる。そして、アパラチア山脈側も探せば油田はまだある。それを予測するのは大して難しいことではない^^。キーワードは「谷奥で盆地状」になった所^^♪。 あなた様も、どうぞ探してみれば一攫千金^^?・・・笑い♪

? 北米のニューハンプシャー州に、モナドノック(残丘)の付名の由来となった所がある。
  北米にも、巨大津波が削った巨大岩塊の露表がある。
   The bare face of the huge rock lump which a huge tsunami sharpened in a circle is in the North America.

イマイチ、この残丘が素人のいう6500万年前の津波が成したものかどうかの確定が出来ていませんので保留しておきます。その他にもこの時の津波が作ったと思われる“巨大岩塊が露表した場所”があるようですが、この方の捜索は、北米の観光地をよく知る貴方さま>のほうが適任かと思いますので、これも保留にしておきます^^!。

? 北米大陸の東海岸沿いに、途切れ々れ、ではあるが津波の戻り水が運んだ“防波堤状の長州”がある。
  米国の東海岸沿いに津波の戻り水が運んだ防波堤状の長州がある。
   There is breakwater-shaped State whom the backwater of the tsunami carried along the American East Coast.

北米大陸の東海岸線は、多くの方が、その海岸に立てば見渡す限りの大西洋の大海原が見えるとお思いであろうが、その○○%は、防波堤のような長い州でさえぎられ直接大西洋を見ることは出来ない。通常の海流ではこのような長州は出来ない。その海流が成したのであれば世界中のどこにでもあるはずだ。ではどのようにして、この長い防波堤状の州は、出来たのであろうか。

南大西洋を北上した巨大津波の主流は、南米大陸と北アフリカ大陸とに挟まれ北西に進路をとる。その結果アパラチア山脈にほぼ直角に乗り上げる。続いて2波、3波と上陸しては、濁流となってもと来た方向へ戻す。さらに、遅れて来た数波との押し合いになり、そこに防波堤状の堆積土砂を残した。もし、これが海流で出来たとすれば、この高さ(かなり高い○m^^?)を超える海水の量を考えなければならず、そのほうにヨッポド無理がある。地球創生期(衝突の集積)で出来た水(H2O)の“総量は”、雷様(電気分解)でも大きくは変えられない^^??
 (※この水の生成と総量の件は、古代史掲示板で管理人様に色々ご教示を頂いていますので、どうぞそちらへ→)

アパラチア山脈の裾野を覆っている表土は赤色系の粘土質であり、アパラチア山脈の岩石が風化したものではない。それが何故、粘土質に覆われているのかを考えて欲しい。この巨大津波は、その上流域に何があるかで、その運ばれるものは変わってくる。上流域に岩石を含む陸地があれば土石流となるが、大洋であれば、運ばれるのは海水だけであり、せいぜい、その中に棲息する魚介類や海草類だけなのである。

推理小説風に?<※海州>という言葉を前ステージに忍ばせておきましたが^^?
(ギニア湾に面するコートジボワール(国名^^)のアビジャン・Abidjan やブラジル沿岸にも似たような海州がありました。)

このことは、前ステージの<津波が造った滑り台痕>を覚えておられる方ならば、理解してもらえると思うのですが? 今している話は、なにも遠い異国だけの話ではない。(前述→)日本でも似たような成因の地形が造られていますよ。新大阪から京都までの新幹線の北車窓から見える風景で、←地図で確かめたら間違い(北方ではなくて西方)でした。(汗〜) その時の濁流が後方の山に突き当たっては流れ戻し、その山裾に細長い丘状の堆積土を残しています。こんど機会があったら確かめて下さいネッ^^。

(My報告書より)
今、貴方が目にしている山肌の露出岩は、旅先で見かけるその風景は、この時の巨大津波が成したものかも知れない。この超巨大な大津波は、地球上の90%以上に、その痕跡を残している。
  This super huge massive tsunami leaves the trace than 90% on the earth.

? 南アメリカ大陸の表土を削った巨大津波の濁流はカリブ海や、メキシコ湾で裏ごしされて、微細土の津波となって米大陸へ上陸したが津波の戻り水は<逆流>となって、その土石流をメキシコ湾へ運んでいる。今から二十数年前であっただろうか。米国は、ホモール計画の名のもとにメキシコ湾の深海底を掘ったことがあるが、その○○○メートルの全てが堆積土であった。
  メキシコ湾の深海底へ運ばれた土石流
   The mud flood which was carried to the deep sea-bed of the Gulf of Mexico

  ↓ 次ページへ
メキシコ湾の写真を入れます^^!。
※ 尚、この写真は、(C)Yahoo! Japan (C)OPen Bookの(C)マークがあり、著作権者及び権利者の承諾を得たものではありません!! 他への転載は固く禁じられますし、予告なしに削除する場合があります。↓映像が鮮明でないので、前述の方法で、どうぞのご確認を!!

 白い楕円部→津波の逆流で生じた海底堆積物 赤い矢印→津波の北上で生じた海底堆積物

<話は少し反れて> (2/17)
 深海底で石油産出の謎!?
石油の成因説に無機質起源説と有機質起源説がある。今では、海生プランクトンの沈殿説が優位であるが、無機質論者の反論として、石油の中に生物起源とするには、生物の内に含まれない重金属類が含まれることや、○○○メートルを超える深海底からも石油が産出することは、生物起源では考えにくいことがあげられている。
今、この写真を見てやっとその謎が解けた!
重金属類は巨大隕石の衝突で生じた核破壊による核分散(別紙-電子出版で)だと推測できるが、北海を始め、メキシコ湾岸の深海底で産出する石油の謎が分からなかった。この写真の形状を見てやっとそれが分かった。地球は丸い! 約1日をかけて北極圏へ集まった膨大な海水は、今度は南へ向けて逆流を始める。(別紙報告書、○○頁、地球を覆った巨大津波の図)その津波の戻り水がメキシコ湾の深海部へ土石と共に被災した生物を流し込し込んで、埋め込んだものであると。 ※ 北海油田の成因も同様な作用で北極からの“逆流泥海水”が運んできたものであった!

【 Top - secret 】
今ウエブで調べると、ブラジルは、○○メートルを超す深海底での石油の汲み上げ量、世界第二位とか。<別紙報告書>ではアマゾンの未開発の石油はあえて伏せておきましたが、石油流出のリスクを抱えて深海底を掘るよりかはアマゾンのほうが楽だと思いますが。『 アマゾンには膨大な量の石油が眠っている!』 日本でも渥美半島沖でメタンハイドレードの試掘が始まりました。メタンガスって腐泥から発生するんではなかったっけ?(笑) (2012 Feb, 17記)

? フロリダ半島で、骨に含まれていたリンが鉱石となって多量に産出している。
  Phosphorus included in a bone in Florida Peninsula becomes the ore and produces it abundantly.

   カルシウムは水に溶けるが、燐は水に溶けない!
   Calcium dissolves in water, but phosphorus does not dissolve in water!


  墓地・子供の頃の思い出(別紙報告書より)

その頃は今のように火葬ではなく土葬が一般的であった。その墓地の大抵は住家のはずれにあり恐ろしい所。その墓地で夏場の怪談話に決まって出てくるのが「火の玉」の話。暗闇の中、青白い火の玉がフワフワユラユラと。今では、そんなことを信じる子供たちは殆んどいなくなった。それは死亡した人の魂だとか、ウソかホンとか知らないが、「リンの発火点はおよそ60℃で、死者の骨髄に含まれるリンが、夏場の高温で墓石温が上がり発火したもの」等と聞かされていた。ちなみに魚の骨は炭酸カルシウムでカエル等の両生類や人の骨は燐酸カルシウム。フロリダ半島では、大西洋からの巨大津波とアマゾンを突き抜けた大津波と東太平洋を北上した巨大津波が合流し渦巻いている。そして夥しい魚類が、生物が打ち寄せられて、その屍は白骨化し、累々たる山を築き上げた。やがては骨のカルシウム分は溶けて流れ出す。“リンは水に溶けない”ので鉱石となって残った。第三ステージのナイジェリアのメルリール湖の近くでもリン鉱石の産出(中学生地図)がありました。

? 6,500万年前に南極から北上し、北米大陸の 「西側へ」上陸した巨大津波!!
 この項目の概略は、拙電子出版「巨大隕石と大津波」で述べています^^。

  To be continued ^^♪ つづきます。・・・♪
                   myブログ 2012 Feb.21 記より □

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221 史実探偵: 平 素人:2019/01/23(水) 00:24:32
Huge return tsunami from the North Pole
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000225M.jpg

北極からの巨大なリターン津波

I found traces of a huge return tsunami from the North Pole in North America.
 私は北米で北極からの巨大なリターン津波の痕跡を見つけました。

Tip of the tsunami has the shape of a cow's tongue.
 その津波の先端は牛の舌状になっています。

And, there is a residual flow. It shows a blue line.
 そして、残流があります。それをブルーラインで示しています。

        23 January 2019
       Historical fact Detectiver
       Hira Moto (pen name)

6500万年前南極発から、北極へ集合した巨大津波は、今度は南へ向けて走り出す。その濁流の一端は北アメリカ大陸東部を南下し、メキシコ湾へ恐竜をも巻き込み流れ込んでいる。その沿岸底で恐竜や海生物たちは今に石油となって眠っている。(合掌)
津波後の残流(+)で大陸西部の山岳部から流れ出したブルーラインにも注視したい。・・・つづく^^

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222山田:2019/01/24(木) 18:50:44
・・
・・
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DjGgztlw5TH4
南極と北極

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3Dj-P6ya-pLdU
隕石衝突

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DbA2afzgT1iM
400?の隕石衝突

・・
シミュレーション動画も魅きつける。

223 史実探偵: 平 素人:2019/01/25(金) 05:29:29
Re: ・・共立して^^
山田さま>

御関心 & 参考動画ありがとう御座います。共立してやっていきましょう^^。

Google Earth を推むことにとても興味があります。


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224 史実探偵: 平 素人:2019/02/04(月) 20:38:15
6500万年前「巨大津波の滑り台痕」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000228M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000228_2M.jpg

<Basin of tsunami>
 「巨大津波の滑り台痕」
津波が“平斜面の正面から”登りその頂上まで達することなく下り降りた時、その裾野に沿って凹地と凸部が出来ることがあります。そのような状態を「津波の滑り台痕」と名付けたことが、以前のアルゼリアの記事でありました。この地形は遊具の滑り台の着地点をみれば一目瞭然です。北米のアパラチアン山脈の東南の裾野は、ほぼそのような平斜面になっています。

 アパラチアン山脈の東南の裾野は、赤色粘土で覆われているところがあります。その赤色粘土が6500万年前の津波が運んだものとは断定できませんが。アパラチアン山脈の岩質とは異質のものではと思っています。中学生地図でみると、かなり急な勾配があるかに見えますが、実際には、なだらかな斜面を持っていて、その川筋は南東方向に一方的に流れるのではなく、網目のような複雑な流れ方をしています。これは津波が引いたあと表土を覆っていた粘土質が乾いて、干天の稲田のようにひび割れ、それに沿って川が発達したためかと思っています。

<北米ノースカロライナの沿岸にある「津波の滑り台痕」>
北太西洋に面した北米のノースカロライナとサウスカロライナには、太西洋と直接接していない沿岸があります。防波堤のような長洲が横たわり、その内側は浅海になっています。これを筆者は上記の津波で出来た「津波の滑り台痕」と断じています。
この地形は、<前ステージ>のアフリカのギニア湾岸コートジボアールにもありました。

Google earth の検索で、その2例をかかげます。
Basin of tsunami in North Carolina & Basin of tsunami in Ivory Coast

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225 史実探偵: 平 素人:2019/02/28(木) 03:16:48
掲示板の進化に感謝!
管理人さま> ご無沙汰してます^^!。

 掲示板のリニューアルありがとう御座います。
たいへん見やすくなりました。字が大きい。30件表示で過去の記事とのつながりが一見できる。そして、記事番号の表示が復活しました。絵が始めになったのもいい。いままでの機能の維持にも感謝です。「通報」が最初で赤くなっているのは、その対策かな? 私のようなぶっ飛び論には、いたずらが付きもの。その排除労力時間もばかにはなりません。掲示板の維持管理にかかるその時間を思うと深くあたまがさがります。youtube等もつなぎやすくなっているのですね。

わたしの方はというと、貴家の進化に比べて、なにもかにもが退化してるみたいです(笑い)。 記事の方は、北米東部の津波痕を推んではいるのですが植生や人工物に遮られ足踏み状態です^^!

「古代史掲示板」のほう、ほぼ毎日訪問してます^^。「遺伝子系列」「言語系列」 わたしには難しすぎて五・六度読み返しても・・・^^!?? こんごともよろしくお願いいたします。 末尾になりましたが、雪の中の北海道地震・・気がかりです。   

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



226管理人:2019/02/28(木) 12:07:04
Re: 掲示板の進化に感謝!
平さん、ご無沙汰してます!

今年は、なかなか隕石関連、手がつけれない感じですが、また津波痕跡の件など、発展楽しみにしてます!

227縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツ:2019/03/23(土) 04:09:06
結局、南方縄文人ってアンダマン/古東南アジア狩猟採集民だったわけですが、 半年前の新情報源を教えます。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000231M.jpg

はじめまして。

すでに縄文人のテーマではなくなっているようですが笑、
縄文人のルーツにつき、2017年7月頃の新知見を紹介しておきます。
なお、私が、このスレッドに関与することはないでしょう。笑
キシさんには、こちらの方に移住してもらえると嬉しいでーす。笑

D1b南方縄文人の由来について、多くの方がまだ斎藤成也の「振り出しに戻っちゃった(*ノω・*)テヘ」のまま情報がアップデートされてないようです。

結局、南方縄文人ってアンダマン/古東南アジア狩猟採集民だったわけですが、
半年前の新情報源を教えます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
金沢大プレス・リリース(2018年7月25日)と『サイエンス』掲載論文。
「最先端技術を用いた古人骨全ゲノム解析から東南アジア と日本列島における人類集団の起源の詳細を解明」でググれば、金沢大プレス・リリースに、The prehistoric peopling
of Southeast Asiaで検索すれば『サイエンス』掲載論文にあたります。

さて、ええと、金沢大らのサイエンス誌論文の復元マップで、
Ancient East AsianからJapaneseが出ている。
赤点線のオンゲ人(アンダマン)等のグループからJomonが出る。

つまり、学者の了解でも「縄文人は日本人ではない」。
日本人のルーツは、オンゲ=縄文人ら「古東南アジア人」ではないわけ。
これは、まー、日本人の形質・DNA、言語を見ても、ごく当たり前ですね。

一方、"東アジアと米大陸先住民の中間"を示す田園洞人は、大陸北方のウスチ・イシム人(西シベリア)、マリタ人(バイカル)、ワセ人(ルーマニア)、GoyetQ116-1(ベルギー)と近縁であり、
古北ユーラシア人(ANE)を形成するもの。

日本人男性の4割を占めるyDNAハプログループD1b1の原郷と移動ルートが復元された。
D1bが東南アジアで起源したというのは、YAP+系統の分岐年代から考えて、先ず動かないだろう。D1b1はアンダマン人D1b2と兄弟ハプログループであり、今回、ゲノムでも東南アジアとの親和性が明らかになった。

このマップでは縄文人のルートが華南横断してるよね。
これが、今後のささやかな希望ってわけです。古人骨出れば確認できるから。水没したシナ海ランドじゃ、引き揚げられるのは困難だからね。

南方縄文人の系統についてはかなり分かったわけだが、北海道や朝鮮半島から進入した旧石器人や北方縄文人についてはよく分からないままだ。私は、彼らは縄文人多数派とはハプロもルートも系統が別と見てる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『サイエンス』掲載論文のマップの方が見やすいので、添付します。
1. 「古東南アジア人D1b(日本人に3ー4割)」アンダマン・オンゲ人(赤線)が、
ハプロO1やO2(旧O3)の影響を少し受けながら日本へ向かって縄文人になったということを意味しています。

同時に、オーストロネシア(AN)・オーストロアジア(AA)系となるO1の連中は、
アンダマン系の影響を受けたことが金沢大プレス・リリースおよび論文で述べられています。
彼らがD.ライクが『交雑する人類』で言う「東南アジア集団」か「揚子江ゴースト集団(Yangtze River Ghost Population)」の祖型でしょう

2. すると、図中の「古東アジア人(Ancient EA)」はアンダマン系の影響を受けたO1集団だと言えそうです。やはり、日本人に縄文ゲノムが10%残っているのはO1b2(日本人に3ー4割)のせいでもあるでしょう。
図は、縄文人が"傍層として日本人の中に入った"ということも良く表現しています。

3. 一方、北東アジアへ向かう黒い太線(田園洞人になる集団)はO2(旧O3)で、アンダマン・オンゲ人(赤線)の影響を受けてないですね。田園洞人は東アジア人と米先住民の共通祖先なのでQも関わってくるでしょうか。

3万8千年前の田園洞人はアメリカ先住民と東アジア人の共通祖先です。
おそらく、ライクが言う、チベット人と北方漢族の共通祖先「黄河ゴースト集団(Yellow River Ghost Population)」の祖型と考えられます。

4. 我々はHome DNAの日本人3名の結果を知っています。
3名とも北方系ハプロを持ち、西暦200ー582年以降の日本進入です。
この3名とも「西・南シベリアゲノム」と「中米ゲノム」を1割ずつ持ち合わせていること(Home DNA)、縄文型のハプロを持つ被験者2名には皆無の「地中海ゲノム」(Living DNA)が入っていることもも何となく納得が行きますね。
一方、「日本特有ゲノム(縄文人ゲノム)」は、進入時期順に、5.2%、2.8%、1.4%なのです。

古人骨・田園洞人や黄河ゴースト集団、アムール集団と関係する"New Japanese(N1, O2, C2)"は「甘青・遼河・アムール系日本人」とでも呼びましょうか。ま、「北東アジア系日本人」、弥生後期・古墳時代人のことです。



228 史実探偵: 平 素人:2019/03/24(日) 02:34:44
妄想・珍論、大歓迎です。
 こんばんわ^^!
ここは、管理人さまが「縄文と、ちょ〜古代史」について、特別にもうけて下さった掲示板です。人類の移動は、巨大隕石がもたらした「隕石の冬」による気温変動が大いに関係すると推んでいます。特にBC.2001年/12月/24・25日(日付変更線による違い)/未明6:00頃、イースター島の上空から侵入し、ペルーナスカ、ドーバー海峡を経由して、日本の東北釜石辺りに降臨した小天体は、東北海岸をリアス状にし、北上山地を越え、胆沢扇状地(数波段丘)を造るほどの巨大な泥流津波を生みました。
 「彗星衝突による 縄文超々巨大津波・奥州市岩淵國人先生」&、my絶版報告書と、myブログ。

  「竜は隕石、竜は神!」
人類が、衣食住だけの生活から巨大隕石という自然の驚異を受け、それが、神となって人々の心に入り込んだ時、それは、驚異的、爆発的な力となって、それを語り継ぐ難しい語彙が、困難に打ち勝つ抵抗力が、そして、新しい文化と、集団性が生まれてくる。   my絶版報告書「巨大隕石と大津波」より^^!、

そして、
ちょ〜古代^^の 6,500百万年前に、月より僅かに小さい天体が南極に衝突合体し、南極大陸となりました。この時発生した大事変は、人知を遥かに超えています。その時発生した巨大津波で動物たちは石油となり、植物たちは石炭となり、貝類たちは石灰となり、今の人類に供給しています。希土類もそうかな^^。その片よりが人類の紛争を生んできたと知るところです。

 百年前も二百年前も、今の世も、事実は人知という科学の先に用意されている。
この二つの巨大隕石は、今の学識にはありませんが、中学生程度の学識で充分です。『気付けばいい』 だけですから、現にこの私くしがそうですから^^。このような極大論は、その没後に認められるが世の常。この二つの妄想・珍論が^^! 史実として認められた時、先様方は 「どんな顔をなさり、何と云わはる」のかを見れないのが残念です。(笑い)
この二つの大事変が、世に伝わらないのは、その史実がなかったからではなく、この素人の論説が拙いからだ。学識のある先様方が、この広報に加われば、それほど強いことは無い!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



229縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツ:2019/03/24(日) 19:55:34
古代史版でスカウトしてやってくらはい
古代史版で、とにかくD1b狂信者がちょ〜長いクズ投稿ばら撒くもんで見づらくてしょうが無いです。とうとう国家元首ってアホも現れました。どうぞ、スカウトしてやってくらはい。笑

230荊の紀氏:2019/03/26(火) 13:06:40
スズメ蜂の巣を持ち上げた。…
蜂はメロヴィング朝の王のトーテムだったのです 蜂は愛の女神のせいなるシンボル であると同時に エジプトでは王家のシンボルでもあります /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fmisakomakuta%2Fentry-12074990773.html
メロヴィング家のキルデリック一世のお墓が発掘されお墓の中から300匹もの黄金の蜂が発見されたのだそうです /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fmisakomakuta%2Fentry-12319347895.html
イルミナティのピラミッドの頂点にいた闇の女王(第15位階)
メロヴィング家は「イエスの血をひく“聖なるダビデの血流”」と言われているのです。
白色同胞団は世界王のサナト・クマーラを頂点にミトラ、マイトレーヤをキリスト(ハイアラーキーにキリストは2人います)としてまとまっている菩薩団です。

紀元前2千数百年前の古代帝国バビロニアで用いられ たといわれている1)。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.taisei.co.jp%2Fgiken%2Freport%2F01_2006_39%2Fpaper%2FA039_010.pdf
賽の河原に積んである石積み(ケルン?)につい ...-
積み石はあれは「卒塔婆(塔)」です。
卒塔婆は、仏教では“釈尊の遺骨を納めた塚”。そこから転じて、“不偏なる大宇宙の真理”を象徴するものです。
積むのは幼くしてなくなった子供たちで、壊すのは地獄の鬼です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Foshiete.goo.ne.jp%2Fqa%2F2268574.html
幼くしてなくなった子供たち…
DNAが示す 最も賢いのはユダヤ人 米世論対立(コリエレ紙)
 科学者団体 「危険で人種差別的理論だ」 05年10月19日 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.asyura2.com%2F0505%2Fbd41%2Fmsg%2F603.html

積石塚 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F

土の代りに石を積んで墳丘を造った墳墓をいう。石を用いるのは,礫石が入手しやすく,凍結期にもつくりやすいなどの理由によるものと思われる。世界各地に分布するが,特に北ヨーロッパのバルト海周辺からロシア,シベリア,モンゴルに多い。また中国,朝鮮の石器時代から金属器時代初期の墳墓にもみられ,日本では,香川県石清尾山,長崎県対馬,長野県須坂市大室の古墳群などの積石塚がよく知られている。
…五女山城は,通化に通ずる陸路と渾河の水路を扼する交通の要衝にあり,三方が高い山や絶壁で囲われ,二つ以上の谷間をとりこみ,南方だけが緩斜面になっている地形(栲栳(こうろ)峰)に山城を作っている。この地方の高句麗墓は主として積石塚で,シベリアから伝わり,高句麗で発展した墓制である。これらの古墳から出土した土器類には中国土器の影響がみられる。…
フランス南西部のルグルドゥRegourdou洞窟では遺体の上に石積みがあり,墳丘状施設の最古の例をなしている。…
アル・アインの文化的遺跡群
アル・アインはドバイやアブダビなどの湾岸に発達した大都市と異なり、内陸のオアシスで古くから発達した都市である(「アル・アイン」は「泉」を意味する[1])。その周辺での人類の活動の痕跡は紀元前5千年紀にまで遡り、その時期はより北方で栄えたメソポタミア文明のウルク期よりも前に当たる[2]。その時期のアル・アイン周辺での活動跡としては、人間、オリックス、ガゼルなどを描いた岩絵が発見されている[3]。それから長らくメソポタミアの文化との接点は乏しかったが、ハフィート期に大きく変化する[4]。ハフィート期の名はアル・アイン近郊のハフィート山(英語版)(ハフィト山)にちなんでおり[5]、そこで発見された積石塚墳墓群の様式も「ハフィート式」と呼ばれる[6]。そこから出土した副葬品にはメソポタミア製の土器が含まれ、その様式がメソポタミアのジェムデト・ナスル期に属することから、アル・アイン周辺のハフィート期も同じ時期、すなわち紀元前3100年から前2800年頃に対応すると推定されている[6][7]。
アル・アイン)周辺にも同種の遺跡が「数百」あることを教えられ、調査に来てはどうかと招かれた[19]。

海産物を栄養源に世界各地へ
アフリカ大陸を脱出。北上して中東へ移動後、海沿いに南アジアへ、
海辺で暮らした人類最古の住居跡、南アで発見 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.afpbb.com%2Farticles%2F-%2F2301565
前後1万2000年程度の幅があるものの、この遺跡はおよそ16万4000年前のものとみられ、アフリカ大陸からの人類の移動を理解するのに役立つと考えられている。
こうした海産物への食の移行は、最後の氷河期が終わりごろに家畜の飼育が始まるおよそ1万1000年前まで、人類の食生活の歴史の中で起きた最も大きな転換だった。
 人類は豊かな海の恵みを生命維持のための栄養源として、紅海沿いにアフリカ大陸を脱出。北上して中東へ移動後、海沿いに南アジアへ、さらに島伝いにオーストラリアとニューギニアにわたったとされる。

農業発祥の町。氷河期が終了した直後の11000年前にはライ麦を育てたりしている。確認された範囲では人類がはじめて農業を行って人口集積した場所だ。文明発祥の地であるオリエント、その歴史の最深部に眠る太古の巨大集落だ。9000年前の最盛期には農地も広がり7000人の居住者がいた。これは中石器時代でせいぜい数十人の小さな集落ばかりだった当時の世界情勢を考えれば異常な規模だ。7000年ほど前に破棄される。
この時代と前後して今から8000年前に栄えた Çatalhöyük [トルコ]が有名だ。10000人に達したとも言われる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Factive-galactic.hatenablog.com%2Fentry%2F20080719
「クルガン」はトルコ語起源のスラヴ人の単語である。
[トルコ]
ハザール人 スラヴ人
「ハザール王国」は7世紀にハザール人によって カスピ海から黒海沿岸にかけて築かれた巨大国家である。 9世紀初めにユダヤ教に改宗して、世界史上、類を見ない ユダヤ人以外のユダヤ教国家となった /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Finri.client.jp%2Fhexagon%2FfloorA4F_ha%2Fa4fha200.html


231 史実探偵: 平 素人:2019/03/28(木) 05:38:22
・・ 荒れてますね^^?
キシ先生>・・日本人のルーツさま> こんばんわ^^。・・ 荒れてますね^^?
 今、論じられている 「DNA系列」や、「言語系列」 は、わたしにはレベルが高く、難しすぎてさっぱり解りませんが、所感をのべます。キシ先生のご記事は、多情報はありがたいのですが、それが、ご自身の文章か、引用なのかを見極めるのに大変時間労力がかかります。・・で、途中でアキラメます^^!。「どこぞの誰かのお役に・・」と、「私論・古墳は気象台」が成るといいですね^^♪
・・日本人のルーツさま> はじめまして^^!。
 ご記事の端々に多大な情報と洞察、高い教養がうかがえます。しかしながら、先様のご記事は専門家向けであり、ドがつく私とは、同列で論じ合えない気がいたします。先様の正論をお述べなるのはいいのですが、今の先様は、一番嫌いであったはずの「誹謗中傷」をご自身がなさっているような気がいたします。反論は、なさるべきですが、暴言はひかえるべきです。先様の品位をご自身で落としているようなものです。
  次は、私自身への「戒め」としている銘ですが、
   『蝶を愛で、蠅を殺く(たたく)己あり』
?????????? (こども心 - 蝶も蠅もおなじ昆虫なのに →万物平等なのに^^)

  十余年で14冊売れた~~!、絶版報告書「巨大隕石と大津波」の序記より、
'わたしが' 大切なように 'あなたが' 大切なのだ。それぞれが “わたし” なのだ。私たちは“共存”している。たとえ、それが人類に仇なす細菌であってもだ。細菌も生きるための活動をしている。誰でも、人から尊ばれるのは嬉しい。それは他人が決めることであって、自分が決めることではない。自分がそう思った瞬間から堕落が始まっている。(あなたがわたしが)・・・が、祖先が、種族が、国が、人類が、「他(相手)より、偉い」と思った時から崩壊(崩落)が始まる。(放物線の頂を越えるように^^!)

古事記? 日本書紀でしたか~~? 「あれこれとある帝紀(物事)を選録し、旧辞(現学)を討究し、偽りを削り、実(まこと)を定めて、後の世に伝えたいと欲(おもう)。」 うる覚えでスミマセン~~。今のわたし衰えがあり、最大の難点は根気が30分とつづかず、これだけ編集するのに朝になってしまいました~~!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



232鳩摩羅童子:2019/03/28(木) 18:42:36
福岡県 6 世紀古墳 女子埴輪像
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/c0222861_20125473.jpg

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



233鳩摩羅童子:2019/03/28(木) 20:09:58
大阪・高槻市 古墳 巫女埴輪像
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/f153d146ebf21abe52ea739c41fb8a0853bf177c.77.2.9.2.jpeg

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



234縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツ:2019/03/30(土) 00:00:00
(無題)
こりゃ、似てる!
このテーマ、掘り下げて欲しいです。

235縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツ:2019/03/30(土) 00:04:33
(無題)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000240M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000240_2M.jpg

これは、彝族ですが、頭に変なもの載せてますね。
頭を重要視して保護しているのでしょうか。



236縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツ:2019/03/30(土) 00:05:36
(無題)
まあ、しかし、縄文とは関係ないでしょうw

237縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツ:2019/03/30(土) 00:22:45
羌族
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000242M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000242_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000242_3M.jpg

まあ、このスレッドは何でもアリ?ということなので、羌族。
『キングダム』より。

羌瘣と楊端和将軍。笑
まあ、羌を名乗っている羌瘣はともかく、楊端和は男だし、秦人でしょうね。でも、氐羌で楊を名乗ってるのも多いですね。隋の楊堅も甘粛の関隴貴族集団の出だし、チベット・ビルマ系O-M117とも言われてるんで、羌族かもね。広義の。

真ん中のは青海チベット人のモデルか女優かなんか。

青海チベット人には西ユーラシア系のゲノムも多いですね。チベット高原はインド・ゲノムが多く、青海は欧米系と共有するものが多いそうです。6%とかいうレベルですが。



238縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツ:2019/03/30(土) 01:00:09
(無題)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000243M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000243_2M.jpg

古墳人男はコレ。
ブータン人っしょ?
男はブータン人、女は羌族?



239縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツ:2019/03/30(土) 02:54:42
Re: (無題)
縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツさんへのお返事です。

> まあ、しかし、縄文とは関係ないでしょうw

んまー、でも共時的には縄文時代ですね。
春秋戦国時代でさえ、日本では縄文だった。

240 史実探偵: 平 素人:2019/03/30(土) 04:19:22
頭・頭骨を飾る底流に潜んでいるもの!
 こんばんわ^^!
BC.2001/12/24・25に イースター島から侵入した巨大隕石は、欧州では空を駆けるサンタクロースになり、東アジアでは竜となりました。大陸人は列島を探検し列島の人々からその巨大隕石をモンタージュして龍画「竜頭蛇尾^^!」を描きました。この時発生した巨大津波は、列島の津々浦々に「津」の地名を遺しています。そして、大陸の良渚文明を一瞬にして呑み込んだり(奥州・岩淵先生)。「天津・竜因」に迄とどいたと祖先は地名で残しています。津波は魚貝類を一ヶ所にまとめて大量に打ち上げます。瀬戸内の貝塚に人骨が埋められていました。学会に「貝塚=残滓」の考えは今でもあるのでしょうか?

「残滓へ誰が埋めるか愛の骨!」
この時、祖先がうけたその被災と驚愕は、ツングースカの比ではありません。列島の祖先は、貝を天竜からの贈り物として貝殻山山頂にも運んでいます。「骨で包んでいる頭骨と、肉を内に収める貝とを “巨大隕石の頭”と同一視する考え」が、この大事変で生まれたと推んでいます。

「神秘の国、東洋」
なぜ? 東洋だけに「神秘」の冠詞がつくのでしょうか^^?  こども心は、それが不思議でなりません。BC.2001の年末に、列島の東北地方に降臨した巨大隕石は、「大事変の根源は東方にあり!」とした大陸人や、欧州人を東方に駆り立てている。なにも全ての流れが西方からとは思いたくないよ(ねえ、山田さん^^)。碧ミドリなす唐草模様やアスペスク模様(←改め・アラベスク)は、列島発の巨大津波がシルクロードを通じて渡ったと思いたいのが素人探偵です(笑い)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



241縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツ:2019/03/30(土) 04:31:37
Re: 頭・頭骨を飾る底流に潜んでいるもの!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>  こんばんわ^^!
> BC.2001/12/24・25に イースター島から侵入した巨大隕石は、欧州では空を駆けるサンタクロースになり、東アジアでは竜となりました。
(中略)なにも全ての流れが西方からとは思いたくないよ(ねえ、山田さん^^)。碧ミドリなす唐草模様やアスペスク模様は、列島発の巨大津波がシルクロードを通じて渡ったと思いたいのが素人探偵です(笑い)。
>


うーん、良く分からない。笑

でも、前3000年のヒプシサーマル期の終焉、気候大変動が引き金となって、
東アジア初の民族大移動を引き起こしたのは確かでせう。これも西から東への動きですね。

「何でもかんでも西」って言う人には賛同しませんが、全体的には文化の伝播も政治変動も西→東への波及でせう。

西の大地湾文化と東の仰韶文化、どちらが先かは、まだ分かりません。
個人的には大地湾文化であって欲しいですけど。

242縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツ:2019/03/30(土) 04:47:32
"外へ輸血していく民族"
「(羌族は)他の民族の『ルーツとしての民族』や『外へ輸血していく民族』と呼ばれてきた」(張 慧『震災後における少数民族文化の保護 :汶川地震後のチャン族の文化保護を中心に』)。

"外へ輸血していく民族"というのは、周とか秦とか中国の初期王朝が羌族から嫁を貰ってきたということだろうが、羌族に特有のmtDNAって分かりにくいです。
羌族・テュルク系=O-M134は、どちらかと言えば精液を供給してきた感じがしますね(汗)。

遊牧民は、「血は母から、骨は父から」ってイメージを持っています。
でいくと、mt-Dこそ「外へ輸血していく民族」という感じがします。他民族に母=血液を供給した。
mt-Dはなにせヨーロッパ、新大陸まで行きますから。
元々の配偶としてはC2で、C2北上後はN1、そしてO2(旧O3)に受け継がれたのでしょう。

解説:
少し、ハプログループについて解説すると、O-M134とかO2、N1、C2とかいうのは、Y染色体DNAハプログループ(yDNA)で、父から男児へ継承されます。

一方、mt-DとかはミトコンドリアDNAハプログループ(mt-DNA)で、母から男女へ受け継がれます。稀に父親のmtDNAが子に入ってしまうこともあるそうですが、ほとんど父親のmtDNAは受精のときに切られてしまいます。

243 史実探偵: 平 素人:2019/03/30(土) 21:48:42
Re: 頭・頭骨を飾る底流に潜んでいるもの!
縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツさんへのお返事です。

前記事:アスペクス模様ではなくて、<アラベスク模様>でした。訂正してお詫びいたします。アラベスク模様をウィキで今回、調べてみると思っていた枝ツル紋ではありませんでした。これも削除してお詫びいたします。記憶の片隅にアラベスクと唐草紋の共通性をいう説があつたように思っていましたから。

>
> 西の大地湾文化と東の仰韶文化、どちらが先かは、まだ分かりません。
> 個人的には大地湾文化であって欲しいですけど。

上記、ふたつの文化は、はじめて聞く文化であり、不勉強ですみません^^!。「BC.3,000年前の気温降下」は、管理人さまも指摘されていました。当方の報告している「隕石の冬」は、6,500万年前とBC.2,001年前のものだけですが、人類が移動を余儀なくされる程の気温降下は「隕石の冬」が関係していると推んでいますから、きっと他にもあるのでしょう。

「隕石の冬」による気温降下の特徴は、“鋸歯状” を呈することにあります。
衝突小天体の大きさや落下地が海か陸か、南北半球や緯度等によっての違いはありますが、基本的には、1〜2年のうちに急激な、10℃に近い気温降下がなければ人々は移動しないとみています。ゆっくりと変わっていったのでは、それに対応しますからね。この「1〜2年のうちに10℃に近い降下で “生態系が変わる” 食物不足が発生した」の考えは、今の学説にはないようです?。ゲルマン民族の大移動や、アジア大陸北方民族の南下は「隕石の冬」が原因ではないでしょうか。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



244縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツ:2019/03/31(日) 03:11:45
スーパー・グランドじいさん(部族)
そうですね。紀元前3000年とヒプシサーマル期終焉は重要ですね。

1. 東アジア西方集団・羌族系O-M133は、紀元前3000年頃の1人だけを祖とする。
O-M133の親にO-M117があるが、現在、O-M133以外のO-M117はほとんど残っていない。

気候大変動、大災害多発で滅びたか、気候大変動の中での権力闘争でO-M117のうちO-M133部族だけ残ったか。

同じことが、O-M117と兄弟ハプログループのテュルク(アルタイ)系O-F444にも起きた。東アジア東方集団・シナ語系O-JST002611も同様。

2. 実際、この時期、喇家遺跡(青海)、陶寺遺跡(山西)など多くの文化圏が滅んでいる。斉家文化も滅んだ。
中国北部に限らず、東方の山東龍山文化や南方の良渚文化(長江文明)も滅んだ。
残ったのが夏王朝と言うことになる。

3. 夏王朝の創始者は禹。
「禹は西羌人なり」(『史記』)。
また、禹に関わる伝承を現代羌族が多く保存している。
O-M117のうちただひとつ残ったO-M133スーパー・グランドじいさん(部族)は、禹、その人かもしれない。

青海の喇家遺跡を禹の故郷とする説もある。

また、今のところ最初期の羌族遺跡・磨溝遺跡(〜紀元前2000年)の古人骨は、すべてがO-P201であり、このうちサブグループが特定されたものがO-M117である(古人骨はサブグループまで出すのが難しい)。

4. 夏王朝が紀元前2000年頃、O-M133の起源時期が紀元前3000年頃。
集団遺伝学的に見れば推定値がこれくらいアバウトになるのは致し方ないこと。

夏禹スーパーグランドじいさんw
んまー、舜の出とする姓氏にもO-M133が多いので、互いに同系の「冀州の人」舜と「西羌人」禹のおじいさんくらいかな。笑


245管理人:2019/03/31(日) 23:47:33
Re: スーパー・グランドじいさん(部族)
縄文人には皆無の地中海ゲノムが1割入っている日本人のルーツさんへのお返事です。


> 1. 東アジア西方集団・羌族系O-M133は、紀元前3000年頃の1人だけを祖とする。
> O-M133の親にO-M117があるが、現在、O-M133以外のO-M117はほとんど残っていない。
>
> 気候大変動、大災害多発で滅びたか、気候大変動の中での権力闘争でO-M117のうちO-M133部族だけ残ったか。

大災害と種族の生存の関連情報、とても興味深いです!

246 史実探偵: 平 素人:2019/04/11(木) 03:21:37
<巨大隕石が人類史に与えた影響>
    紀元前3,000前の天体の“衝突地”を捜そう!

> 気候大変動、大災害多発で滅びたか、気候大変動の中での権力闘争でO-M117のうちO-M133部族だけ残ったか。(・・日本人のルーツさま)
>大災害と種族の生存の関連情報、とても興味深いです!(管理人さま)

「隕石の冬」をおこすほどの巨大隕石が (7・8千年前迄の^^?)近人類史に与えた影響は、今の学識では、ほとんど語られていないような気がします。筆者の言うのは、それがΦ10・20kmサイズですから「Φ1kmサイズで人類は生き残っていない」とする現学の風潮からは大きく外れます。
 筆者の考えは、その被災は限定的であり、「直近を外れたところでは生存者あり!」とすることにあります。地球規模でみれば周囲40,000kmの池に、わずかΦ10・20kmサイズのツブテが落ちようがサザ波にも見えない^^!。対比で40,000 : 20 ですから、100mのグランドに Φ5cm のツブテですから端々にいる蟻ん子さんが全滅するとは、とても思えない(笑い)。それより、なにより怖いのは、その後にくる隕石の冬だ!!

 その舞い上がった粉塵は、その衝突天体の大きさや、落下地が海か陸か、緯度にもよりますが、『その粉塵は1・2年のうちに半球を覆い10℃ちかく、或いはそれ以上の平均気温の降下』 があったと申し上げました。この “急激な”気温変動 がなければ人々は移動しない。直接の被災はもとより、食料を求めての南下や、生態系に影響の少ないと思われる海浜漁へと向かうのは言をまちません。この大量の民族移動やその南下は、テリトリー紛争を生む原因となったのは歴史の知るところです。しかしながら、狩猟を糧とする人たちは、気温降下に即応する植物と違い、食料を生きたままで保存できる強みもあり、その対抗力は強かったでしょうね。

 その驚愕と被災が神となって人々の心に入り込んだ時「神」が誕生し宗教も生まれた!
その被災は比較的広範囲であり、人々は共通した被災認識を持っていますから、予言予知能力の秀でたものが「私は、その神の代行者」とか、「神の付託を語るもの」が出たとき、人々は容易にその人のいうことを受け入れます。それが皇帝になったり、スーパー爺さんで^^あったり、卑弥呼だったのではないでしょうか。 スーパー爺さんは、隕石の頭=男根とした性儀式の延長かな^^?  その性儀式を日本では「石棒」、中米ではチェチェンイッツァの「赤い家や尼僧院」か (my報告書)としました。

  巨大隕石は、神となり強い「精神的核」となって大集団へと移行した。
狩猟採集栽培を営み 婚姻 を主とした石器時代では “集結力が弱く” 小集団にはなり得ても、その小集団を統合した「国」という大集団にはなり得ない。その場合、「神の代行人」と、「神の神託」を聞くの二通りがあると申し上げました。前者は欧州や中国大陸文化を形成し、後者はその都度、神の神託を聞く、列島文化へと進んでいったと推んでいます。前者は序列した席次をつくり、後者は魏志倭人伝でもあったように「人々席次をつくらず座する」特徴があります。このことは、強く組織立つ国へと移行するか、雨乞い等でその都度集合して郷・こおりとなるかの違いがあります。
「国」の言葉は、中国が「邪馬台国」と呼んだ卑弥呼より以後であり、それまでの列島には「国」の考えはなく、「雨乞い」等で集結したゆるい小集団「郷・こおり」であったと思います。その祀り事と祭り事と政事(まつりごと)等の関連は先様におまかせします~~!

  「租税」と「寄進・供出」
もう一つの違いは、社会を形成するための労力を、前者は「租税」として集め、後者は「寄進・供出」を旨とする社会です。組織立ち、テリトリー戦争で敗者を隷属させる前者のほうが遥かに強大な国家へと発展したとは知るところです。一方、列島のほうは後者であり、政教分離がなされた神話「国譲り」以後の、現在でも神様とお寺さんへの収財方法は残っていますよね(^-^)。

この掲示板で素人のわたしが強く言いたいことがあります。
「地球は隕石の集合・集積体であり、その大小をとわず、つねに、その歴史は刻まれてきた」しかしながら、生物は、人類は、その都度しぶとく生き残っている現実がある。紀元前3,000前の天体 “衝突地” を捜しませんか^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



247管理人:2019/04/12(金) 14:07:12
中東の隕石落下ルート
平さん、ご無沙汰してます。昨晩、古代史掲示板の方に、中東の隕石落下予想ルートを書き込みましたので、よろしくご参照ください!

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F6365

248 史実探偵: 平 素人:2019/04/14(日) 05:34:53
Re: 中東の隕石落下ルート
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000253_2M.jpg

管理人さまへのお返事です。

お早うございます^^。 巨大天体衝突へのご考察ありがとうございます。
そのなかで人類史(3,000年前後)においての天体衝突による被災と、その移動について考えています。

中東の黒海、カスピ海。タリム盆地、バルハシ湖等を衝突地と考えておられるのですね。昨年の支笏湖でしたか^^?。その衝突地形が半月型になるとのお考えには新鮮さを覚えました。この度の黒海、カスピ、タリム、バルハシ湖等も図のようなお考えなのですね。今までそのような見方をしたことがなかったので、これも斬新さを覚えます。これらが母天体の周回で一度期に落ちたものか、その周回の度に分かれて落ちたものかは気になるところです。

わたしの考えは、その衝突規模の大きさから人類史以前の地球肥大化時での衝突ではと感じています。参考のためにmy報告書から「地球肥大化の模式図」を載せておきます。民族が移動した三千年前の衝突では、もう少し小さかったのではと思っていますから、それに該当するものは無いでしょうか~~!。

わたしは、直径が10・20kmサイズの天体衝突でも生物や人類は生き残ったと考えています。例えば、その衝突による爆風が速いとき物陰に隠れていれば渦巻きが発生し、その囲まれた空気によって助かる場合があります。広島の爆心1・2kmや、九州火山爆風で車の影、台所レンジ爆発で壁も飛ぶほどの威力なのにレンジの高さが影になって助かったことがあります。素人のぶっ飛び論では、マダガスカル島の影のコモロ海域、インドネシアのシーラカンスも島影で巨大津波から生き延びたとしました~~!。

岩手県に「遠野」という地名があります。私が釜石鉱山体を衝突隕石だとしているのは以前に述べていますが、これに接した西隣が遠野市です。この「遠野」とはどこの誰が付名したのでしょうか? ここに近すぎても、ここに関係ないような遠くの人達にあっても、この地名は付きません。おそらく北上あたりか、それとも仙台あたりかも知れません。北上にすれば40km。仙台にしても100kmほどしか離れていません。衝突地の直径が20kmもあるのにですよ。

岩手県に「物見山」という地名があります。「被災のモトはどこか??」 一時的な災害が落ち着けば、その地が「どこか?」と捜したいのが人の常。物見山に登ってかなたの「岩の手方面釜石」を眺めたのでしょうね。キット^^! ちなみに物見山は2ヶ所あります。さらに、宮城県境だったかな? その "衝突熱" がいつまでも冷めやらぬ「霧立山」があります。そして、焼けつくした「黒森山 2ヶ所」。立ち枯れして「白髪山」。これは後の "白髭山信仰" へと変わってゆくのは先様方の知るところです。

ことの大小を問わず、中東や中央アジアでも、このような関係地名を捜していけば、三千年まえの民族移動をおこすほどの「人類史に関係した衝突地」が絞り込めるかも知れません。それを学識のある先様方にお願いしたいと思います。

遠野市には河童伝説があります。カッパの頭はミルキークラウンの形をしています。これは巨大隕石が水地や陸地に衝突した時にできる「跳ね上げ形」を模しているとしました。今、ここで論じられているトンガリ帽子や王冠も、空どぶ巨大隕石形や、落下の瞬間の形と思っています。それよりなにより、驚くべきは「それを見た人」が生き延びていたということです。その辺りには鉄鉱山が少なくて金や銅鉱もあるのですか。これにも興味がわきますね。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



249管理人:2019/04/14(日) 19:41:36
中東のクレーター推定
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000254M.png

http://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/sphere/coordinates/



250 史実探偵: 平 素人:2019/04/27(土) 01:01:46
近人類史(約1万年前~)において大被災を与えた巨大隕石について、
ここで現学識と、わたし素人との考えかたの違いを明らかにしておきたいと思います。

 この投稿は管理人さまと被っているようです(汗〜^^!)。

<人類が滅亡する巨大隕石のサイズは?>
現学識の趨勢は「直径1kmサイズで人類は滅亡」ですが、これには納得できません。筆者は、10・20kmサイズでも生き残っていると前述しました。
巨大隕石は核爆弾とよく比定されますが、そのすべてが核物質ならその考えは正しい。しかし現実には岩石部分がほとんどである。確かに衝突の接触部分では核破壊やその連鎖もおきるが、それは限定的である。そして、地球に衝突する巨大隕石の多くは彗星軌道をとっており、大きければ大きいほどその芯は冷え切っていて、太陽近接時には移行スピードが速くなり、大気擦過においても表層のみの温度上昇となる。「彗星は汚れた水玉」の考えが定着しつつあります。太陽に近行する以前の衝突なら別ですが、その状態で太陽を周回し地表にたどりつくまでには、その水分は蒸発してしまう。現にツングースカ等は空中爆発と考えられているようですが、この場合は衝突粉塵のまいあげが極少なので極端な「隕石の冬」へは移行しない。

<気候の大変動と、隕石の冬ついて>
「気候の大変動で人類の移動」と聞くが、その気候の大変動が何によっておきたのか?  その期間・時間的長さはどのくらいなのか?  については諸論があるようですが、ここでいう近人類史において、それを巨大隕石10・20kmサイズに、からめていう学者はまったくいない(笑い)。人類の移動をおこすについて、大隕石の被災地はもとよりであるが、それより何よりの影響は「隕石の冬」による急激な気温降下である。皆既日食による気温降下だけでも数度?℃は下がる。別紙・縄文の巨大隕石による気温降下は15・16℃で、海水位の海退は5・6mだとしまた。舞い上がった粉塵は、1・2年のうちに半球を覆う。人々は、1・2年のうちの冷害なら何とか持ちこたえようが、3年も続けば暖地や食料を求めて移動する。これは他の縄張りへの侵入であるから紛争の始まりになるとは歴史のしるところです。氷河期の仔細は管理人さまが「古代史掲示板」のほうで述べられました。ですが、近人類史をおおきく見ても、2万年前からの巨大隕石絡みの気温降下については未解決です。

<地球温暖化について>
インドネシアあたりだったかな^^? なんとか火山の粉塵での気温降下は0.2℃??か としたことがありました。巨大隕石で舞い上がった粉塵は一時的には雨水の核となって落ちる。しかし、成層圏まで舞い上がった微小の粉塵が降下するには長い時間がかかります。今は炭酸ガスによる温暖化が大きく論じられていますが、私は巨大隕石で舞い上げた粉塵が大きく関係すると推ています。それをわたし素人は『舞い上がった粉塵は濁水が沈殿して清水になるごとくに』と表現しています。問題は、急激な気温降下が、1・2年のうちに起こることです。それから、ゆるやかに温暖化へと向かいます。粉塵の舞い上げ量の多少によって氷河紀への差がでるのは言をまちませんし、その氷河期の間隔の長短は、何時、該当する巨大天体が落ちたかによっても決まります。わたしは氷河期の図表が “鋸歯状”に落ちたのを見たことがありません^^!。

<海進と海退について>                             海進と海退は地球の温暖化と寒冷化で、主には南極大陸やグリーンランド等の陸部の氷結の増減によって決まる。別紙「報告書」で南極大陸を巨大隕石として、その面積と海洋の平均深度の3,700mを掛け合わせ、それを増位分として現海洋面積の上にのせたら170m近くになったかな~~!(この計算アテになりません)。諸々の計算を積み重ねれば大陸棚の200mは、それによって水没したのでしょうと結んだことがありました。はっきりとした記憶ではありませんが、出雲の日御碕で水没している海底遺跡・水深 30m余でも同様の計算をしたことがありました。水深 30m余を氷化して全陸地へ等分に積み上げたとすると約 80m高さと?なりました。(→カテゴリー出雲地方、この計算もアテになりませんので意だけをくんで下さい^^!)。これでは植物は育ちませんから、陸上生物も・・・、 これは、ドがつく素人の考えですが、30m余の水深でさえこれですから、文献でみる 100m <あるいは、それ以上の海退は納得できません。「では、H2O の増減はあるのか??」と、古代史版のほうで管理人さまに「水の誕生」について、詳しくのご教示を頂きましたが、その件については、未だにモヤモヤとした気持ちでいます・・・~~!。

<大洪水と巨大津波について>                         6,500万年前の<南極発>の巨大津波の痕跡については、只今、北米大陸シリーズの東部で足踏みしています。北米大陸東部で五大湖へ流れ入る地形をした湖 3〜4個所の湖は、南極から北上した津波が成したのではないかと? 、推んではいるのですが、理由付けが全く出来ないで大スランプに陥っています~~!。

 巨大隕石が海洋やその近くの陸地に落下した時は、必ずそれに見合うだけの巨大津波が発生します。ここでいう巨大隕石のサイズは直径が 10・20kmですから、そっと落としただけでも10,000mや、20,000m高の津波は発生します(実際にはずっと少ないですが)。これが造る波状痕は前シリーズで述べて来ました。信じられないことですが、6,500万年前の波状痕が砂漠地帯では克明に残っていました。しかしながら、植生に覆われていたり、人為的な造形があるととても推みづらく、これが謎解きを妨げる主因です。

 今では、海洋国日本のTUNAMIは、国際用語として通用します。しかしながら、列島の津々浦々に、4,000年前の津波があったとの伝言を地名として遺しているのに、それが皆さんに伝わりません(myブログ)。海洋国の日本でさえ、このような状態ですから、大陸内部まで遡上した巨大津波を欧州諸国の人達が「大洪水」だと表現するのは無理のないことです。大洪水と巨大津波は全く違います。 洪水は陸から海へ、巨大津波は海から陸へと遡上するのは申すまでもありません。欧州に残る神話や伝説の「大洪水」をその言葉のまま受け取ってはならない!! 「大洪水」=「巨大津波」なのだ。その巨大津波は、巨大隕石に起因している。 □
        反論^^、修正をお待ちします。 史実探偵: 平 素人

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251管理人:2019/04/27(土) 23:01:52
世界各地のクレーター状地形
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000256M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000256_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000256_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/チクシュルーブ・クレーター



252 史実探偵: 平 素人:2019/04/29(月) 02:29:01
Re: 世界各地のクレーター状地形
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000257M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000257_2M.jpg

管理人さまへのお返事です。

> 平さん、こんばんは。ここ数日、古代史板でも、隕石落下の件について指摘してきたのですが、お門違いな気がするので、こちらに続きを書き込ませていただくことにしました。
管理人さま> コメントありがとう御座います。この掲示板に『超』をつけて下さっていることに大感謝しています^^。

 6,500万年前の恐竜大絶滅については、バークレー校のアルバレス博士父子が、巨大隕石説をとなえてから、大きくそちらへ傾きました。それ以前にも多くの論説があったようです。わたし素人は、その一部を除きそれ等の全ての論説を含有するには?? を考えた結果が、絶版報告書 『南極大陸は巨大隕石』 でした。最新論は、山田さまもおっしゃっていた「チクシュルーブ・クレーター説」ですよね・・・。
 この論の最大の弱点は、その時発生したであろう巨大津波についての詳しくが語られていないことにあります。巨大天体が衝突して発生する津波は、地勢(高さと地形)や緯度によって実にさまざまな様相を示します。動画のように、おしなべてと云うわけにはまいりません。

今、私が掲示している「地球の90%以上を覆う巨大津波シリーズ」ですが、北米東部のオンタリオ湖の南東に在る<キャナンデイクア湖、セネガ湖、カューガ湖、オワス湖、スカニースルズ湖> の条痕を“巨大津波が山越えした時にできた条痕か?” と、推んではいるもののGoogleEarthではダム湖や造畑地に阻まれてまったくウラがとれません~~!。等高線図でもあればいいのですがGoogleEarthでそれを作図するにはあまりにも煩雑で、今は、それをあきらめています~~!。

> それで図2は、ここ古代史板でも作成を進めてきた世界各地のクレーター状地形ですが、・・・

先様の「衝突惑星・多角形論」に、白眉を感じているとは以前にも申し上げましたが、もっとすすめてまとめ上げてくださるべきだと感じています^^♪。(スミマセーン~~!第7号にありました。)

<(先様の)第2図に関連してですが、>
「古代史掲示板」のほうで揚げたかどうか不確かなのですが・・、当方の絶版報告書から「惑星肥大化の模式図」をあげておきます。先さまの<巨大な衝突痕が赤道に並行している>は、はからずも当方の「トーナメント・惑星肥大化図」と、太陽系作成の過程で「各惑星は衝突合体を重ねながら黄道に沈殿してゆく論」と、あわせれば大きいものほど新しいことになります。(もちろん例外はあります)。
<キシ先生のご記事>の精読は出来ていなかったのですが、それの関連地域に「1万2,900年前の痕跡」があるとか・・・^^。

 拙トーナメント肥大化論は、自分で掲げておきながら「地球史46億年」の学説を再考しなければならない恐ろしいことでもあり、自分でも信じられないことと、30年前から封印してきました・・・・、「何とか機構」説もあったのですね^^!

 尚、この絶版報告書よりの掲載2図は、('19/4/30〜)
先様方がどのように引用・掲載されても異議は有りません。 □ 史実探偵: 平 素人

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253管理人:2019/04/29(月) 23:14:06
Re: 世界各地のクレーター状地形
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
>
「チクシュルーブ・クレーター説」ですよね・・・。
>  この論の最大の弱点は、その時発生したであろう巨大津波についての詳しくが語られていないことにあります。巨大天体が衝突して発生する津波は、地勢(高さと地形)や緯度によって実にさまざまな様相を示します。動画のように、おしなべてと云うわけにはまいりません。
>

そうですね、津波の高さは地形などによってもずいぶん変わりますからね。沿岸で数百mにまで至ったアラスカの氷河崩壊時のそれもありますが、ずっと300mの津波が維持されたわけでもなく、仮に維持されるとすれば、もっと高い津波がおこっていたはずですからね!


> 今、私が掲示している「地球の90%以上を覆う巨大津波シリーズ」ですが、北米東部のオンタリオ湖の南東に在る<キャナンデイクア湖、セネガ湖、カューガ湖、オワス湖、スカニースルズ湖> の条痕を“巨大津波が山越えした時にできた条痕か?” と、推んではいるもののGoogleEarthではダム湖や造畑地に阻まれてまったくウラがとれません~~!。等高線図でもあればいいのですがGoogleEarthでそれを作図するにはあまりにも煩雑で、今は、それをあきらめています~~!。
>
>

あと、海水そのものの限界量がありますよね。水のほとんど溜まってない水たまりにいくら強く石をなげても、山を遡らないでしょう。

大津波を起こすには、その隕石の落下位置が、水深の深い地域でないといけないわけです・・。加えて隕石のサイズですね、10km程度のサイズだと、どうなんでしょうね、浅いところだと、そのまま海水底に到達してしまうので、津波のサイズも変化するかもしれません。

アルキメデスの論理で、スローで浴槽に人が入るときは、ほとんど波は起りませんが、素早く入っても、その押しのけた水量以上のものは、あふれないわけですね・・・。おそらくは、津波の高さや水量に限界量があるので、そこをどう考えるかが課題かもしれません・・・。つまり、そんなに陸地奥深くまでは津波は到達し得たかどうか、地形とのか寧で、河川沿いに限定されるとかそういうことも考慮すべきかもしれませんね。


> <(先様の)第2図に関連してですが、>
> 当方の「トーナメント・惑星肥大化図」と、太陽系作成の過程で「各惑星は衝突合体を重ねながら黄道に沈殿してゆく論」と、あわせれば大きいものほど新しいことになります。(もちろん例外はあります)。
> <キシ先生のご記事>の精読は出来ていなかったのですが、それの関連地域に「1万2,900年前の痕跡」があるとか・・・^^。
>
>

ご指摘のクレーターサイズと、緯度(赤道からの距離)の問題は、とても興味深く感じます。

昨晩私のほうで提示した図だと、北方のものが一番大きかったのですが、ただ、ウラル山脈付近のもののように、あまり深く潜り込んでないケースがあって、氷彗星のように、金属成分より、水分が上回っているようなケースだと、あまり深く潜り込まずに、衝撃だけが横方向に拡散するような形になるので、エネルギーの分散に差がでてくると思うんですね。

ただ、確かに一部の隕石はマントル部まで潜り込んで、火山カルデラを二次的に造りうることは、以前お知らせしたとおりですね。そのままマントルに潜り込みすぎると、平さんご指摘のような先日の卵の例えみたいな現象がおきて、衝撃がマントルに吸収されてしまうようなケースも想定すべきなのかもしれません。

またその辺は、落下速度やマントルまでの位置など、細かい計算をしていく必要がありそうですから、時間をかけて考えていきましょう!



254 史実探偵: 平 素人:2019/05/10(金) 06:09:00
カルデラ考に異論あり・・、
 管理人さま> 早々のコメントありがとうございます。
まずさきに、ご情報にあった大絶滅:ユカタン半島部を、南米大陸北部と混同して思い込んでいたことをお詫びいたします。老化考が進行しています・・^^!

巨大天体衝突のサイズの件ですが、>
ご指摘のようにΦ10kmだと海洋深さの平均3,700mへそっとおいても、その多くは地面への衝突となります。しかし、全くの陸地の場合とは少し変わってくるのでは、と思っています。というのは、海洋衝突の場合の溶融岩の成分には、SiO2・nH2O のように多くの水分のコーティングが? あります。その時、飛散した溶融岩の多くの表面が灰色分になっていることに注目しています。そして、空気中に放たれた大量の水分は雨水として早くに落下しますので、全陸地への衝突の場合より “隕石の冬”は、それに比べて早くに収束すると思っています。

つぎに、“カルデラ” への考え ですが、>
わたしは、現学に大きな疑念をもっています。というのは、ガス化爆発や水蒸気爆発ではそのような大規模なカルデラは生じないと思います。たとえば、阿蘇の外輪山ですがそのような巨大なガス溜まりが “瞬時” に出来るとはとても考えられません。「ガスや水蒸気は、大量に溜まるまえに表層へぬけ出てしまう」のが持論です^^。

 紛らわしきは、先さまもご指摘のように、その衝突で地下のマントルやマグマを刺激して、その中心部に火山岩を噴出してしまうことにあります。さらに、古代史版で先さまとのお話でもあったように、衝突部先端部では(拙:ハイヒール効果)が発生し、その極圧と超高温で核爆発がおこり、カルデラもようとなることも考えられます。この時の先様の“お考えの進化は”?覚ましく!!! ・・・ご心配申し上げておりました^^!

タリム盆地は衝突痕」のお考えはとても面白いですね。私も、その地には強い興味をもっています・・・・、

巨大天体の衝突でおきる<超巨大津波>については追って取り上げたいと思っています。

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255管理人:2019/05/12(日) 03:26:24
Re: カルデラ考に異論あり・・、
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000260M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000260_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000260_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/マントル



256 史実探偵: 平 素人:2019/05/04(土) 02:18:45
鬼界カルデラ
管理人さま 多事多忙のなか、ご丁寧なコメントありがとう御座います。

・・消化に時間がかかっています・・・^^!。

カルデラ考>・・・ですが、
その中の「鬼界カルデラ」に興味があります。人類が地域的な壊滅や移動を余儀なくされる程の巨大天体の衝突について、現学では多くが語られていないように思っています。主因は「Φ1kmサイズの天体衝突で人類は滅亡」との趨勢があり、10・20kmサイズのものについては、論外でありそこから先へは進まないのでしょうね^^!

「鬼界カルデラ」
その付名の歴史的背景をまったく知りませんが、阿蘇や桜島にくらべて、「鬼」とは、実に人間的な思いが入っています。その付名論には多々あるのでしょうが・・、これが現実に付いていることは否定できません。そこを「鬼の界・かいわい」と呼ぶ人達が現にいるということは、その被災を体験した人たちの語り継ぎがあったことになります。もちろん人類史において阿蘇や桜島にも恐るべき被災はあったのでしょうが、その付名は、心情とは外れているような気がします。

このようなことから、ここに小天体の衝突を経験した人たちが “生存したから” その名がついたのではと疑っています。列島は火山・地震国ですから多くの被災があったことは論を待ちませんが、通常??の海底火山の範囲ではなかったのではないでしょうか?

「ここに小天体が衝突してのちに火山性地震が多発した?」
だから鬼がいるかいわいと名付けた。と思うのが素人探偵です。鹿児島大? が発表した海底図を「方向性がある衝突痕」とみたのですが、二度とその図を捜しえません^^!。
では、その衝突はいつか????これについては、貴家掲示板で、関係する人々の移動が論じられていた?・・ような気がしています・・・^^!。

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257管理人:2019/05/04(土) 22:21:51
Re: 鬼界カルデラ
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


> 「鬼界カルデラ」
> その付名の歴史的背景をまったく知りませんが、阿蘇や桜島にくらべて、「鬼」とは、実に人間的な思いが入っています。その付名論には多々あるのでしょうが・・、これが現実に付いていることは否定できません。そこを「鬼の界・かいわい」と呼ぶ人達が現にいるということは、その被災を体験した人たちの語り継ぎがあったことになります。もちろん人類史において阿蘇や桜島にも恐るべき被災はあったのでしょうが、その付名は、心情とは外れているような気がします。
>
> このようなことから、ここに小天体の衝突を経験した人たちが “生存したから” その名がついたのではと疑っています。列島は火山・地震国ですから多くの被災があったことは論を待ちませんが、通常??の海底火山の範囲ではなかったのではないでしょうか?
>

鬼界という語も考えてみると意味深な当て字ですね・・・。ただ、熊野の時のように、実際に隕石落下の様子を描いた伝承・地名を見いだすのは難しいでしょう。

縄文時代に文字文化がないかぎり、口頭伝承のみでは、数千年前の伝承が継承されることはないかと考えはじめてます。逆に言えば、以前取り組んだ縄文時代の文字記録の存在を確定する作業からはじめなければなりませんね・・・。すくなくとも、紀元前2500年以降の縄文時代には文字の痕跡がありますから、それを見いだすべく、地道な作業が必要そうです。だれかがやらないと進まないですね、また今年は、その辺の研究グループの立ち上げも視野に入れたいところですが、今諸事情でなかなか身動きできません・・・・!


258 史実探偵: 平 素人:2019/05/05(日) 00:23:29
Re: 鬼界カルデラ
     管理人さまへのお返事です。

「鬼界カルデラ」
その後、調べればしらべるだけ火山性の要因が多くみられます。この地の初発を衝突性か?としたのは、その楕円形の地形からですが、この件はしばらく保留しておきましょう^^! 管理人さまは多事多忙だし、わたしの方は思考に衰えがあり30分と根がつづかない・・・滝汗〜^^!!

 即答にふかく感謝いたします(深礼)。

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259管理人:2019/05/06(月) 00:14:41
Re: 鬼界カルデラ
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 「鬼界カルデラ」
> その後、調べればしらべるだけ火山性の要因が多くみられます。この地の初発を衝突性か?としたのは、その楕円形の地形からですが、この件はしばらく保留しておきましょう^^!
>


平さん、さっそくお返事ありがとうございます。

ひとまず、縄文人の言葉に限定して、すこし考えを進めてみたいと思います。

確かに鹿児島方面は縄文人の痕跡が地名などにもみえそうですから、注目に値するようには感じますね。

個人的には、北海道の地名から、それを読み解ければと考えてますが、またその辺についても進展がありましたら、押しらせいたします!

260 史実探偵: 平 素人:2019/05/06(月) 02:00:47
チクシュルーブ・クレーターは南極大陸大隕石のデブリだ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000265M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000265_2M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/チクシュルーブ衝突体

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261管理人:2019/05/08(水) 21:53:04
Re: チクシュルーブ・クレーターは南極大陸大隕石のデブリだ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000266M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/チクシュルーブ衝突体



262 史実探偵: 平 素人:2019/05/09(木) 06:08:16
Re: チクシュルーブ・クレーターは南極大陸大隕石のデブリだ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000267M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000267_2M.jpg

管理人さまへのお返事です。

ユカタン半島の重力異常図 & k−Pg境界>の 掲載ありがとう御座いました。
この図の掲載が出来なくて苦慮していました・・・^^!

> ただ、そのクレーターの円形は、逆に北側が開いてますから、北から衝突したようにもみえなくもない感じです。
> もう少し、これの大きな画像があるといいんですけどね。複数のクレーターが重なっている可能性も感じます。
> それが南の炎のような模様を浮き出させているのかもしれませんね。

 そうですね<シモ・インパクト^^>の可能性も否定は出来ませんが、私は中心の円形部からも“北側に揺らいで”でている条痕にも注目しています。さらに、この図全体的にも「揺らぎ条痕跡」を観ると出来ますから、その津波の勢いは相当強かったのでしょうね。

> またご指摘の津波の痕跡ですが、メキシコ湾への衝突に際して、ご指摘のようにアメリカ大陸側へと津波が流れていき、平野を浸食した可能性はありそうですね!

 そうです。このユカタンを衝撃の中心とみて300m高の津波であれば、今、論じている北米平野部の津波痕跡や、「前・シリーズ」のアフリカ大陸北部の津波痕跡は説明できます。しかしながら、それと認めると、南アメリカ大陸で論じたブラジル高原にあった北方への流紋痕や、南アフリカにあった北方への条痕も説明できなくなります。

> あとは、津波がどのくらい、陸地を削り取れるか・・土砂を運べるかの問題もありますね。

 この問題は簡単です。今、わたし達がみている「雨上がりのグランド」で、その条痕を発見ければいいだけですから・・^^。ただ、それを<その相似形>と認めるか、認めることが出来ないかだけの問題です・・・、

> ジャイアントインパクトクラスの衝突ならば、津浪ももはや爆風まじえた火砕流のようになっているでしょうから、溶岩のように融けた物体として表面に残っていることも予想されます。
> k−Pg境界の土層をさらに調べる必要がありそうですね!

 ジャイアントインパクトで噴出したデカン高原溶岩があります。まえに地球周囲4万km対比20kmサイズの天体衝突のはなしをしましたが、その小規模^^!の衝撃力で2000m厚さのデカンの溶岩が噴出するでしょうか・・??。 そして、6500万年からのアイスランド全域溶岩の話し(絶版報告書)もあります。さらに、北極海のアルファー海嶺の話しを南極大陸が衝突したときの対蹠地だと(myブログ)で揚げましたが、この岩石年代も6500万年をあらため→6600前でしょうね。キット^^。

k−Pg境界>の異変をふくめ、今までにあった(一部を除く^^!)<全ての大絶滅論を包有すれば>わたしが唱える『南極大陸は大隕石と、その巨大津波発生論』となる!!!

 なにしろ、世界トップクラス40人〜100人の学者×歴史 : 中坊程度のド素人 ですから一筋縄ではいかない。・・・で、一番わかりやすい<地球の90%以上を覆う津波痕跡>を貴家掲示板に遺そうと^^!思っています。この掲示板に管理人さまの苦肉策、人知を超えた『超』を付けて下さったことに、とても感謝しています・・・。関係図面を後でのせます^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



263管理人:2019/05/11(土) 00:12:10
Re: チクシュルーブ・クレーターは南極大陸大隕石のデブリだ!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000268M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000268_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000268_3M.png

??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


>  そうです。このユカタンを衝撃の中心とみて300m高の津波であれば、今、論じている北米平野部の津波痕跡や、「前・シリーズ」のアフリカ大陸北部の津波痕跡は説明できます。しかしながら、それと認めると、南アメリカ大陸で論じたブラジル高原にあった北方への流紋痕や、南アフリカにあった北方への条痕も説明できなくなります。
>

確かに、メキシコ湾のユカタン半島以外にも、隕石落下があったと思いますし、ご指摘の南極方面にもあったかもしれませんね。

複数の場合は、それらの時間差と津浪の波の干渉をシュミレーションしないといけませんね・・・。


先日ご紹介した図1のように、ユカタンのクレーターは、サハラ砂漠のクレーター状地形と同意度になるので、黄色ライン方向へと小天体が通過して隕石を落下していったと考えたのですが、今回は特にユカタン半島、五大湖、カナダ方面のクレーター状(多角形)地形の中心を青ラインで結んでみました。

この落下ルートだと、南極方向へ向かった可能性もみえてきますね。仮に南極がクレーター由来であるならば、以前から指摘してきたように、衝突時の衝撃波が多角形になるはずですから、結果として同心円の中に多角形が内包されるような構造となるでしょう。図2は、先日お知らせしたメキシコ湾沿いのクレーターリムの予想図で、その構造をなしています。

それで図3は、南極大陸の解析図ですが、こうみると、図のように6方向に凹凸が綺麗に別れていることがわかりますから、やはり、クレーター由来の大陸である可能性がみえてきますね。

ただ、問題は、なぜ地球の地軸ピッタリの南極へと落下したかについてでしょう。多少極からズレたところに落下してもおかしくないはずです。

そこで考えうることは、その落下地点が軸になったということ、その落下により、つまり23・4度地軸が傾いたとの見方です。

なぜそうなるのかですが、たとえば、現在の南極の位置に隕石が落下してそこからマグマが吹き出し、南極大陸が生じることで、その部分が変形・密度変化してしまい、そのことのよって、徐々に軸が近づく結果となったとするのはどうでしょう?

>
> > ジャイアントインパクトクラスの衝突ならば、津浪ももはや爆風まじえた火砕流のようになっているでしょうから、溶岩のように融けた物体として表面に残っていることも予想されます。
> > k−Pg境界の土層をさらに調べる必要がありそうですね!
>
>  ジャイアントインパクトで噴出したデカン高原溶岩があります。まえに地球周囲4万km対比20kmサイズの天体衝突のはなしをしましたが、その小規模^^!の衝撃力で2000m厚さのデカンの溶岩が噴出するでしょうか・・??。 そして、6500万年からのアイスランド全域溶岩の話し(絶版報告書)もあります。さらに、北極海のアルファー海嶺の話しを南極大陸が衝突したときの対蹠地だと(myブログ)で揚げましたが、この岩石年代も6500万年をあらため→6600前でしょうね。キット^^。
>


仮に南極大陸が、隕石落下の刺激によるマグマ噴火によって形成された大陸であったとすると、カルデラのような吹き出し痕が土壌にみえてきそうですね。ただ雪の下になっているので確認は難しいかもしれませんが、地中レーダーの探索などでみつかってくると面白いことになりそうです!




264 史実探偵: 平 素人:2019/05/11(土) 03:56:26
Re: チクシュルーブ・クレーターは南極大陸大隕石のデブリだ!
     管理人さまへのお返事です。コメントありがとう御座います^^。

> 確かに、メキシコ湾のユカタン半島以外にも、隕石落下があったと思いますし、ご指摘の南極方面にもあったかもしれませんね。
> 複数の場合は、それらの時間差と津浪の波の干渉をシュミレーションしないといけませんね・・・。

 わたしは、この件をつぎのようにシュミレーションしています。
先ずは、南極大陸=衝突天体が地球にぶつかり合体する。その破片(デブリ)がチクシュルーブに飛んだ。約10〜12時間後に、この地においての(緯度によって異なりますが)300m級の巨大津波がとどいた。先の重力異常図は、そのようにみえます。この図の白の点域(セノーテ・天然の泉の分布が?)気になっています・・・、

> ・・・、仮に南極がクレーター由来であるならば、以前から指摘してきたように、衝突時の衝撃波が多角形になるはずですから、結果として同心円の中に多角形が内包されるような構造となるでしょう。・・・、
> それで図3は、南極大陸の解析図ですが、こうみると、図のように6方向に凹凸が綺麗に別れていることがわかりますから、やはり、クレーター由来の大陸である可能性がみえてきますね。

 南極大陸が衝突多角形の一部分・・>とても、斬新な見方ですね^^。そのような見方をしたことが有りませんでした。メキシコ湾といい、日本海までもが多角形・・・。半月形と多角形衝突痕<シモ^^インパクト>炸裂の感がいたします^-^♪。ところで、メキシコ湾と北海道の内浦湾は大変よく似ていますね。内浦湾内には鉄鉱石があります。それでも噴火湾でしょうか^^???
わたしは、内浦湾あたりと、メキシコ湾あたりと、イタリアあたりを「隕石銀座」とよんでいます^^!

> ・・・、今回は特にユカタン半島、五大湖、カナダ方面のクレーター状(多角形)地形の中心を青ラインで結んでみました。
> この落下ルートだと、南極方向へ向かった可能性もみえてきますね。
> ただ、問題は、なぜ地球の地軸ピッタリの南極へと落下したかについてでしょう。多少極からズレたところに落下してもおかしくないはずです。
> そこで考えうることは、その落下地点が軸になったということ、その落下により、つまり23・4度地軸が傾いたとの見方です。

 地軸の傾き>に言及してくださる人が、ついにでたか!!の感がいたします。わたしは、白亜紀末の前後で裸子植物から被子植物優位に変わったのは、南極に大陸規模の天体が衝突したから地軸が傾いて無季節から有季節へと変わったからだ(絶版報告書)としています。
極への衝突は、赤道部への衝突に比べて小さい力で地軸は傾きます。その“衝突方向も”合わせて数理に強い専門家の出現を待っていました^^!。

> なぜそうなるのかですが、たとえば、現在の南極の位置に隕石が落下してそこからマグマが吹き出し、南極大陸が生じることで、その部分が変形・密度変化してしまい、そのことのよって、徐々に軸が近づく結果となったとするのはどうでしょう?
> 仮に南極大陸が、隕石落下の刺激によるマグマ噴火によって形成された大陸であったとすると、カルデラのような吹き出し痕が土壌にみえてきそうですね。ただ雪の下になっているので確認は難しいかもしれませんが、地中レーダーの探索などでみつかってくると面白いことになりそうです!

 わたしは、南極大陸のクラゲの頭部分は、天体が衝突し片麻岩化して地表に残り、クラゲの触手部分は、既成の陸地と衝突して破砕したかと?(絶版報告書で)していますが、確たる論証はありません。南極横断山脈がその境目あたりですが、今後の詰めが必要かと思います・・・^^!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



265管理人:2019/05/13(月) 22:33:40
Re: チクシュルーブ・クレーターは南極大陸大隕石のデブリだ!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>      管理人さまへのお返事です。コメントありがとう御座います^^。
>
> > 確かに、メキシコ湾のユカタン半島以外にも、隕石落下があったと思いますし、ご指摘の南極方面にもあったかもしれませんね。
> > 複数の場合は、それらの時間差と津浪の波の干渉をシュミレーションしないといけませんね・・・。
>
>  わたしは、この件をつぎのようにシュミレーションしています。
> 先ずは、南極大陸=衝突天体が地球にぶつかり合体する。その破片(デブリ)がチクシュルーブに飛んだ。約10〜12時間後に、この地においての(緯度によって異なりますが)300m級の巨大津波がとどいた。先の重力異常図は、そのようにみえます。この図の白の点域(セノーテ・天然の泉の分布が?)気になっています・・・、
>

さっそく、お返事ありがとうございます!なるほど、隕石落下によるクレーターの上に、さらに津浪がおしよせて、一部を崩したとのご推測なのですね。興味深く感じます。


>  南極大陸が衝突多角形の一部分・・>とても、斬新な見方ですね^^。そのような見方をしたことが有りませんでした。メキシコ湾といい、日本海までもが多角形・・・。半月形と多角形衝突痕<シモ^^インパクト>炸裂の感がいたします^-^♪。ところで、メキシコ湾と北海道の内浦湾は大変よく似ていますね。内浦湾内には鉄鉱石があります。それでも噴火湾でしょうか^^???
> わたしは、内浦湾あたりと、メキシコ湾あたりと、イタリアあたりを「隕石銀座」とよんでいます^^!
>

そうですね、片側だけに開く独特の円形湾地形がみえますね。原理的には近い構造でしあがったものでしょう。


> > ・・・、今回は特にユカタン半島、五大湖、カナダ方面のクレーター状(多角形)地形の中心を青ラインで結んでみました。
> > この落下ルートだと、南極方向へ向かった可能性もみえてきますね。
> > ただ、問題は、なぜ地球の地軸ピッタリの南極へと落下したかについてでしょう。多少極からズレたところに落下してもおかしくないはずです。
> > そこで考えうることは、その落下地点が軸になったということ、その落下により、つまり23・4度地軸が傾いたとの見方です。
>
>  地軸の傾き>に言及してくださる人が、ついにでたか!!の感がいたします。わたしは、白亜紀末の前後で裸子植物から被子植物優位に変わったのは、南極に大陸規模の天体が衝突したから地軸が傾いて無季節から有季節へと変わったからだ(絶版報告書)としています。
> 極への衝突は、赤道部への衝突に比べて小さい力で地軸は傾きます。その“衝突方向も”合わせて数理に強い専門家の出現を待っていました^^!。
>

地軸の傾きについては、他の惑星でも同様な小天体の衝突によって傾いた可能性が指摘されているようですから、地球についても、想定してもよさそうな気はします。

軸への影響は、なるほど、極部に近い方が傾けやすいとお考えになるんですね・・・。確かに地球ゴマあたりに、球をぶつけるとすると、なんとなく、軸部にぶつけたほうが倒しやすいようには感じます。

>
>  わたしは、南極大陸のクラゲの頭部分は、天体が衝突し片麻岩化して地表に残り、クラゲの触手部分は、既成の陸地と衝突して破砕したかと?(絶版報告書で)していますが、確たる論証はありません。南極横断山脈がその境目あたりですが、今後の詰めが必要かと思います・・・^^!。


そうですね。詰めが重要ですね!

266管理人:2019/05/23(木) 18:43:02
平さん郵送ありがとうございます。
さきほど、平さんからの新レポート届きました。後でまた拝読させていただきますが、ひとつアドバイスさせていただくと、博物館や新聞社に自説をお送りするときは、おそらくはA4ページ1〜2枚くらいで絵入りで送られたほうがよいでしょう・・・。長いと後回しにされたまま、どこかに埋もれる可能性がありそうです(汗)

267 史実探偵: 平 素人:2019/05/24(金) 00:00:56
終活中のヤケボックイ^^!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000272M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000272_2M.jpg

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268管理人:2019/05/27(月) 00:35:52
Re: 終活中のヤケボックイ^^!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>      写真は、 本殿のない社、岩屋寺金堂と、
>  自然の風化とも人築ともつかない「手形ありの^^! 鬼の差し上げ岩」
>
>
> 管理人さまへのお返事です。
>
> myブログカテゴリー「報告書・吉備地方」とどきましたか^^! 早速のお返事ありがとう御座います(深礼)。
>
> > ひとつアドバイスさせていただくと、博物館や新聞社に自説をお送りするときは、おそらくはA4ページ1〜2枚くらいで絵入りで送られたほうがよいでしょう・・・。長いと後回しにされたまま、どこかに埋もれる可能性がありそうです(汗)
>
> ありがとう御座います。全く、そうですね^^! 書いている時は、それなりに高揚していても、後から読み返すと長駄文だらだらで嫌気がさして、自分でさえも“お蔵入り”していたものですから、多事多忙の先さまならなおさらです。
>


さっそくお返事ありがとうございます!

ちょっとバタバタしていてなかなか目を通せないのですが、また読み終えましたら感想のほうお知らせしますね!

あと、古代史板のほうで、超古代史とも関わる宇宙関連のお話書き込んでみましたので、よかったらご覧ください!

269 史実探偵: 平 素人:2019/05/28(火) 05:36:49
自然界の営み
管理人さまへのお返事です。

管理人さま> コメントありがとう御座います。
古代史版の方、にぎわっていますねぇ^^。度に訪問はしているのですが、当方にはレベルがたかくて、漢字の合間のひらがなを拾い読みをしているようなものです^^!。

< 古代史版 [7350] 分子時計 2?? を拝読しています。>
DNA分子論に、突然変異をおこすであろう放射線の夥多論には敬意をおぼえますし、共感もします。そして、以前にあったミランコビッチ論に、銀河触手年^^までもを加えた御論には、こども心を揺すられます^^。

順列を変える隕石等による突然変換。はたまた突然変異は遺伝するメンデルの法則。加えて地域差によるDNA種の濃淡。そして、時間的経過による差異。さらに、先さまが云われる長大なる周期性。まるで「お釈迦様の手の内でのキント雲^^」のようですね。

ところで、掲示された大宇宙の図ですが、こんな触手をもった微生物がいたなといつも思います。そんな時、<大宇宙と微生物は相似形にある>とつくずくかんじます。わたしは思考に行き詰まったとき、身近なもの。とくに<人間も含めた自然界の営み>からその解をさがすようにしています。いまは、ウリや、イモや、トウモロコシ、ピーナッツまでもの苗を友達から頂いて慣れぬ農作業にいどんでいます。・・・で、草取りがたいへん~~! 「雑草のように強い」と、よくいわれますが、雑草にもいろいろあり、その繁殖や衰退は人類にもにていると感じる今日このごろです。

いつもながら、数理に解をもとめる先様の姿勢に敬意を表します。・・・ スミマセン・・・、根がつづきません・・・
  管理人さまの、はばひろい包容力と掲示板のかんりに感謝します。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



270管理人:2019/05/28(火) 22:32:46
Re: 自然界の営み
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
>

> ところで、掲示された大宇宙の図ですが、こんな触手をもった微生物がいたなといつも思います。そんな時、<大宇宙と微生物は相似形にある>とつくずくかんじます。わたしは思考に行き詰まったとき、身近なもの。とくに<人間も含めた自然界の営み>からその解をさがすようにしています。いまは、ウリや、イモや、トウモロコシ、ピーナッツまでもの苗を友達から頂いて慣れぬ農作業にいどんでいます。・・・で、草取りがたいへん~~! 「雑草のように強い」と、よくいわれますが、雑草にもいろいろあり、その繁殖や衰退は人類にもにていると感じる今日このごろです。
>
> いつもながら、数理に解をもとめる先様の姿勢に敬意を表します。・・・ スミマセン・・・、根がつづきません・・・
>   管理人さまの、はばひろい包容力と掲示板のかんりに感謝します。


平さん、こんばんは!さっそくお返事ありがとうございます。まだいただいた報告書のほうは、バタバタしており読み始めてませんが、また機会をみて拝見させていただきます(汗)

相似形の問題は重要ですね。黄金比とかフィボナッチ数列とか、特定の比率や形状のものが自然界では多くでき上がるようです。数学的な思考も重要ですね。拡散の話とも関わってくるかもしれません。クレーター形成もある意味、拡散ですし、その形状はかならずしも円形になるとは限らない、そこがミソですね!

271 史実探偵: 平 素人:2019/06/10(月) 06:21:16
学校の門柱には「冬至の旭光が入光する考え」が潜在していた!!
管理人さまへのお返事です。

> 平さん、こんばんは!さっそくお返事ありがとうございます。まだいただいた報告書のほうは、バタバタしており読み始めてませんが、また機会をみて拝見させていただきます(汗)

 管理人さまは多事多忙でお疲れのごようす^^?。 送りました「拙:報告書」のほう、どうぞ御気になさらないで下さい。わたしの中でも"お蔵入り"していたモノですから^^!、御机下に保存して下さるだけで充分です。この件は、論ではなく行動の域にあり、それには逮捕権のある専門家(検察・警察)の「参加と、お墨付き」が無ければ一歩だに進めないと、今はあきらめています。特に<吉備の大量の銅鐸(予測数23個)の埋封場所を記した極秘3頁分>は、コピーを防ぐためのプレミア用として作成しています。それは当方の没後になるでしょうから、その時まで置いとくことにしましょうネ・・(笑い)。

わたし素人探偵は、当掲示板で先さまが苦心してつけてくださった『超』の部分でもある “天体の衝突” が、人類史に与えた影響の解明に興味があり、それは、現代社会にも潜在しているとしています。

・・・^^で、
<キシ先生>が揚げられた「トーテンポールの件」について、ヒラメキました^^。
鳥居については、わたしなりの納得があるのですが、門柱については、とくに「神社や学校の門柱」については分かっていませんでした。既知のようにトーテンポールは信仰上のものとされています。高い棒や「幟・のぼり」を一本立てれば、色々な観測ができるとは貴家で論じられてきました。それが「なぜ二本の門柱に移行したのか??」が、私的には分かっていませんでした。

 ご存知のように大陸の地形は平たんであり、太陽が今の時期、どの方角からのぼっているのか目印がなくてよく分かりません。そこで棒を一本立てて、その影を観測すれば春夏秋冬は分かってきます。列島の場合は、あの山この山「向山」朝日山と、特徴のある山姿がたくさんあるので事欠きませんが、米大陸、中国大陸、欧州、その他砂漠地等の広大な平たん地では、目印にするものがありません!!。そこで遠くからでも見えるような巨石をたてようかとなるのが無理のない展開^^。実際にそのような遺跡があるのも先学で知るとおりです。

<でも、並べての対二本は要らない??>
そうだ!! そのスリットが大事なのだ!!  その隙間から“射し入る陽光”が大切なのだ!! 今から四千年ほど前のBC2001年12月25日未明am6:00ごろ、地球を半周した20kmサイズ(??)の巨大天体が東北地方に降臨し、眼底も焼き尽くすほどの閃光が走ったことは別紙で報告しています(これは後の千光寺信仰へ拡散)。その門柱は冬至の旭光がそのスリットから入光する考えに基づいている。学校の門柱は冬至の旭光が入光するためのスリットであった!!

この形式をくんでいるモノは、その数をいとわない。伊勢の二見ケ浦の夫婦岩がそうだ。出雲の坪背山では、天岩戸の原形が埋もれていると(古代史版で)謎解きした。 但し、地球の歳差運動で、その旭光の位置は72年に1度角、時計回りにズレてくるとキシ先生から教示されている。今を遡れば、その施設遺跡に旭光が射し込んだ年代が推定できる^^。
 それが、今から1700年前のヒミコの代になれば面白くなりそう・・・~~♪

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



272管理人:2019/06/03(月) 23:29:10
Re: 学校の門柱には「冬至の旭光が入光する考え」が潜在していた!!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
>
> ・・・^^で、
> <キシ先生>が揚げられた「トーテンポールの件」について、ヒラメキました^^。
> 鳥居については、わたしなりの納得があるのですが、門柱については、とくに「神社や学校の門柱」については分かっていませんでした。既知のようにトーテンポールは信仰上のものとされています。高い棒や「幟・のぼり」を一本立てれば、色々な観測ができるとは貴家で論じられてきました。それが「なぜ二本の門柱に移行したのか??」が、私的には分かっていませんでした。
>
>  ご存知のように大陸の地形は平たんであり、太陽が今の時期、どの方角からのぼっているのか目印がなくてよく分かりません。そこで棒を一本立てて、その影を観測すれば春夏秋冬は分かってきます。列島の場合は、あの山この山「向山」朝日山と、特徴のある山姿がたくさんあるので事欠きませんが、米大陸、中国大陸、欧州、その他砂漠地等の広大な平たん地では、目印にするものがありません!!。そこで遠くからでも見えるような巨石をたてようかとなるのが無理のない展開^^。実際にそのような遺跡があるのも先学で知るとおりです。
>

そうですね、環状列石でも、真ん中に1本立てるものもあれば、複数のものもあります。

中国のノーモン測量では、2本つかいますね。その2本はだいぶ距離は離れているようですが・・。


> <でも、並べての対二本は要らない??>
> そうだ!! そのスリットが大事なのだ!!  その隙間から“射し入る陽光”が大切なのだ!! 今から四千年ほど前のBC2001年12月25日未明am6:00ごろ、地球を半周した20kmサイズ(??)の巨大天体が東北地方に降臨し、眼底も焼き尽くすほどの閃光が走ったことは別紙で報告しています(これは後の千光寺信仰へ拡散)。その門柱は冬至の旭光がそのスリットから入光する考えに基づいている。学校の門柱は冬至の旭光が入光するためのスリットであった!!
>
> この形式をくんでいるモノは、その数をいとわない。伊勢の二見ケ浦の夫婦岩がそうだ。出雲の坪背山では、天岩戸の原形が埋もれていると(古代史版で)謎解きした。 但し、地球の歳差運動で、その旭光の位置は72年に1度角、時計回りにズレてくるとキシ先生から教示されている。今を遡れば、その施設遺跡に旭光が射し込んだ年代が推定できる^^。
>  それが、今から1700年前のヒミコの代になれば面白くなりそう・・・~~♪


ストーンヘンジなどは、確かにその岩と岩の間のスリット光を利用しているようにもみえますね。夫婦岩などもそうですし、古神道系の磐座信仰とかにもその辺の話はよく聴きます。

やはり2000年前後のそれを調べるのでしたら、東北・北海道の環状列石の分析は欠かせないように感じますね!



273 史実探偵: 平 素人:2019/06/22(土) 17:54:59
隕石の衝突痕: 環状列石の移り変わり !?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000278M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000278_2M.jpg

http://fatale.blog24.fc2.com/blog-entry-255.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



274管理人:2019/06/24(月) 23:16:33
Re: 隕石の衝突痕: 環状列石の移り変わり !?
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>     /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Ffatale.blog24.fc2.com%2Fblog-entry-255.html
>  上の画像・環状木柱列:石川県桜町遺跡は 「今宵もGACKTコスでお散歩〜♪」
> から隊長さま>の特別のご許可を頂いてお借りしていますのでコピー転用は固く禁じます!!
>
> >ストーンヘンジなどは、確かにその岩と岩の間のスリット光を利用しているようにもみえますね。夫婦岩などもそうですし、古神道系の磐座信仰とかにもその辺の話はよく聴きます。
> >やはり2000年前後のそれを調べるのでしたら、東北・北海道の環状列石の分析は欠かせないように感じますね!
>
> 環状遺跡と冬至(夏至)の旭光の関係は、ストーンヘンジ等でも云われています。私素人は、巨大天体の衝突かニアミスかは別として、その驚愕や畏怖が人類にあたえた影響に興味をもっています。
>

平さん、こんばんは!さっそく、お知らせありがとうございます!
そうですね、相当なインパクトを当時の縄文人などに与えたことでしょう。


> <その冬至の旭光の歴史の変遷>
> ストーン・サークル:  巨大隕石分弾の落下痕か !?
>   ↓↑ (歴史的関係の有無??)
>  環状木柱列: 冬至十夜の旭光を新造の銅鐸や銅鏡へ入魂する施設と謎解き

・・・・、銅鐸や銅矛なども特定の方向に並べることに意味があったようですね。

> 英国のストーンヘンジでは、巨大隕石が飛び去った方向、すなわち東北の方向にビーカーの口のような遺設があったり、四角い粗削りの石が斜めに突き立てられていました。そして、フランスのカルナック列石は、その「巨大隕石の廊下だ」と謎解きしています。
>
>  東北や北海道の環状列石の方向性を考えたことはありませんが、
> それらを造築するとき「どこを起点にして、各々表情の異なる石をどの位置に配置するか」の方向性があるわけで、富山の環状木柱列では東南に入口風の半割の巨木が用いられていました。東北や北海道のストーン・サークルにも、そのような要石が使われていると面白いですね^^!>
> 蛇足ながら、富山のウッド・サークルでは、木柱の朽化と歳差運動による日の出位置のズレから少しずつ時計回りにズレていったと記憶しています。このことは、今でも出雲大社や伊勢神宮の遷宮に “シキタリ”として残されていますね^^。さらに々にの蛇足ですが^^! 六角や八角堂や、お神輿のうえで雄鶏が日の出を告げることからも、その光臨の大事変が??“日の出前の暗い時” であったとの結論にいたりました^^。

歳差運動と遺跡の位置のズレは興味深いですね。エジプトのピラミッドなども当時の星位と関連しているそうです。

正確な星位にかかわる柱の方向性がわかれば、自動的にその遺跡の年代もあきらかにできますね!


> <チカモリ遺跡・環状木柱列について>
>    所在: 石川県金沢市新保本町5丁目33
>
>

そうですね、このラインの角度ですね!

275 史実探偵: 平 素人:2019/06/27(木) 03:34:19
遮光器土偶は徐福隊兵士と列島荒神文化の合体したものだ!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000280M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000280_2M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-201511.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



276管理人:2019/06/28(金) 23:59:41
Re: 遮光器土偶は徐福隊兵士と列島荒神文化の合体したものだ!!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>  管理人さま、多々あるなかでのコメントありがとう御座います。
>
> 図・文ともwikiより、
> >遮光器土偶 (しゃこうきどぐう)は、縄文時代につくられた土偶の一タイプ。一般に「土偶」といえばこの型のものが連想されるほど有名な型である。目にあたる部分がイヌイットやエスキモーが雪中行動する際に着用する遮光器(スノーゴーグル)のような形をしていることからこの名称がつけられた(遮光器を付けた姿の表現ではなく、目の誇張表現と考えられている)□
>
>  この遮光器(遮光面)土偶は主に、縄文代の東北地方から出土している。遮光面とは金属溶接時の強い光で眼底が焼けるのを防ぐお面です。日食等を観るときもこの色付きガラスを使います。度々で申しわけありませんが、四千年前の12月25日未明の東北釜石に約10km(??)サイズの巨大隕石が落下しました。1kmサイズの巨大隕石で「人類は滅びる」とされる学説からすれば、その大きさは推してしかるべきです。未明ではありますが、隕石に先行する衝撃波に起こされた人々はこの強い光を目に受けました。この時発生した巨大津波の数波は北上山地を越えるほどのものでしたが、『どっこいオイラは生きている^^』と、その事変を(伝言)地名として遺しています。詳しくはmyカテゴリー<巨大津波>へどうぞ・・^^!
>
>  筆者は、このような巨大災害で人々が立ち直るには200年はかかるかとみています。加えて、10℃以上は下がったと思われる半球の寒冷化もあります。でも、不思議なことに被災の規模が大きければ大きいほど、人々はそこへ集まり文明を築く傾向があります。これは人類が衣食住だけの生活から自然の驚異をうけそれが神として人々の心に入り込んだとき、その神が核となり集団性が生まれるからだと以前も申し上げましたが、その時発生した滝雨や大雪が慈雨へと。津波が運ぶ生体が肥沃土への変化もあると思います。
>

さっそくわかちあいありがとうございます!被災地に集まる傾向というのは、初耳です!?

津浪と肥沃土の関係は、どうなんでしょう、成分的には、むしろ塩分過多でしばらく農作ができないのではないかと予想しましたが・・・。

ただ、確かに藻類とか、そういうのが運ばれると栄養はありそうですよね??


>  その荒神・龍と対峙するには最強の兵士が要る。徐福たち、あるいはその分団は津軽をこえ太平洋側へ廻る。とくに注目したいのは、この地方に蕨手刀(わらびてとう)という持手がわらびのゼンマイ形の出土がある。この形は引き切ることを加えた刃であり大陸の匂いがする。もちろん甲冑に身をかためている。
> 一方、列島人の方ですが、列島各地には「閃光を発した」BC2001年末の大事変を体験した独自の歴史が続いている。その兵士の姿を見て、あらぬ方向から自分達が信じている「荒神様がおわした」と思うのは無理からぬこと。縄文土器のこの時代。遮光面土偶の “兵士ようの甲冑” は、あまりにもリアルティ過ぎる。筆者は、遮光器土偶は、徐福隊兵士と列島荒神文化が合体したものだと断言できる!!。
>
>

さきほど、ちょうど中国古代文明の写真をいくらか仕入れてきたので、後で古代史板のほうでお知らせしておきますね。蕨手刀とか、謎の人面像など、興味深いものがあります!


277 史実探偵: 平 素人:2019/06/30(日) 07:23:14
外来種^^
  管理人さま、早々のコメントいたみいります。ありがとう御座います。
>さっそくわかちあいありがとうございます!被災地に集まる傾向というのは、初耳です!?
>津浪と肥沃土の関係は、どうなんでしょう、成分的には、むしろ塩分過多でしばらく農作ができないのではないかと予想しましたが・・・。


 梅雨入りとはいえ当地ではほぼ天気がつづいています^^! 湿度が高くしのぎにくい時期ですが、植物たちにとっては成長の季節^^。庭や畑の手入れが大変です。草刈り機一日つかった当日はそうでもなかったのですが、翌日に足元がふらついたり、ハンドルもつ手がおぼつかなくて10分ほど横になったりしての回復をまちました。水分の摂取には気を付けていたのですがこんなことははじめてです。歳のせいかも知れませんね^^!  管理人さまの掲示板かんりに要する時間をおもうと深く頭がさがります。どうぞお大切に・・

 草刈り等をして思うことがあります。以前のこと。名は知らないのですが萩(の種類)のきれいさに魅せられ庭に植えました。ところが三角の種が衣服にくっつき畑にまで入り込みその直根は地中ふかく入り、その除去にたいへんなことがありました。そして、これも名も知らない路傍にあったピンクの小さな花。葉っぱはハートの三つ葉。根はユリの根の形をしていて繁殖力ばつぐん。いまでは鉢植えのなかにまで入り込んでいます^^! このような植物相の変移や入れかわりは人間界にも・・・

ゴメンナサイ^^ コメントのお返事をとおもって書き始めたのですが、根がつづきません・・・・・^^!  ではまた・・

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



278管理人:2019/06/30(日) 22:46:57
Re: 外来種^^
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>   管理人さま、早々のコメントいたみいります。ありがとう御座います。

平さん、こんばんは!そちらは暑いようですね、こちら札幌は、まだジャンパー着てあるいてます(笑)
過ごしやすさという点では、北海道の夏は天国です。でも冬場は、ちょっと間違えると凍死しますし、アイヌ人とか昔はどうやって冬を乗り切っていたのか不思議でなりません。

>  草刈り等をして思うことがあります。以前のこと。名は知らないのですが萩(の種類)のきれいさに魅せられ庭に植えました。ところが三角の種が衣服にくっつき畑にまで入り込みその直根は地中ふかく入り、その除去にたいへんなことがありました。そして、これも名も知らない路傍にあったピンクの小さな花。葉っぱはハートの三つ葉。根はユリの根の形をしていて繁殖力ばつぐん。いまでは鉢植えのなかにまで入り込んでいます^^! このような植物相の変移や入れかわりは人間界にも・・・
>


生存への熱意とでも言うべき、動植物の環境適応とか驚くべきものを感じますね。生き残るための知恵とでもいうべきものが遺伝子にインプットされていく、偶発的な突然変異にしてはあまりにも良くできていることに、いつもながら不思議に感じてます。

人種にみえる環境適応についてもそうですが、逆にいえば、こういう環境なら、こういう動植物が発生するはずだ!という推定のもとで、新種の発見をすることはできないかとも感じますね。

赤道付近にいけば、黒い肌の人がいるとか、北方なら色素やミトコンドリアが云々といった具合で、環境によって必然的に変化しないと生存できない、そういう条件のもとで、どういう種が増殖するかを推定し、その条件に見合ったものが移動したかどうかを確認する・・・、ある程度の目安をつけてから、宝探しをするのもいいかもしれませんね。

平さんも、無理なさらず、お体にお気をつけてお過ごしください。

279 史実探偵: 平 素人:2019/07/10(水) 03:30:13
米女史DNAアプリで未決20数年前の犯人割り出す!
管理人さま
 まことに不確かな記憶(特に数字~~!)の情報で申し訳ないのですが、2・3日まえの、これも確かではではないのですが、TV・アンビリバボーか、仰天ニュースでみたのですが、20数年前「美人教師が自宅(?)で殺害されました」警察はもちろん現場に残されていた犯人のDNAから、過去の犯罪者・交友関係・怨恨・行きずり・変質者とうのあらゆる手段をもちいましたが未解決。聞き込み捜査で女性は品行方正、捜査線上にあがった人数の数百人(?)は、いずれもシロ。・・・で、その女史が開発したアプリ・AI(?)システムで<1個人>を割り出しました。その犯人は有名なミュージシャンで非暴力家であり捜査線上にはありませんでした。美人教師はそのファンで、その公演で目をつけられ後をつけた犯人によって殺害されました。この事件は目撃情報とうの一切の情報がないことが災いしていました。女史が開発したDNAシステムで、出自、白人男性、髪の色、骨格、経年とうで作成されたモンタージュ画は犯人にそっくりでした。

 わたしは、米画「クリミナルマインド」ををよく見るのですが、DNAによるプロファイリングはそこまで出来るようになったのですね。これはアメリカや中国(も?)だからできることかも知れませんが、個人情報の出自から現在までの一切がわかることでもあり恐ろしい管理社会へと進む可能性もあります。女史曰く。開発がすすめば「このような犯人は必ず捕まり、減少へ」・・以上、ボケボケもありますから大意をくんでくださるようにお願いし、この番組をご覧になった方の修正をお願いいたします^^!。

追伸
DNAによる結果の分析は学問ですが、先さまが仰るような先の推測が出来れば素人的には楽しいですね^^。貴家「古代史」掲示板の「開視と半眼・写真」の、興味とヒラメキについての思いは後ほど・・^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



280管理人:2019/07/12(金) 03:52:09
Re: 米女史DNAアプリで未決20数年前の犯人割り出す!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さま
>  まことに不確かな記憶(特に数字~~!)の情報で申し訳ないのですが、2・3日まえの、これも確かではではないのですが、TV・アンビリバボーか、仰天ニュースでみたのですが、20数年前「美人教師が自宅(?)で殺害されました」警察はもちろん現場に残されていた犯人のDNAから、過去の犯罪者・交友関係・怨恨・行きずり・変質者とうのあらゆる手段をもちいましたが未解決。聞き込み捜査で女性は品行方正、捜査線上にあがった人数の数百人(?)は、いずれもシロ。・・・で、その女史が開発したアプリ・AI(?)システムで<1個人>を割り出しました。その犯人は有名なミュージシャンで非暴力家であり捜査線上にはありませんでした。美人教師はそのファンで、その公演で目をつけられ後をつけた犯人によって殺害されました。この事件は目撃情報とうの一切の情報がないことが災いしていました。女史が開発したDNAシステムで、出自、白人男性、髪の色、骨格、経年とうで作成されたモンタージュ画は犯人にそっくりでした。
>
>  わたしは、米画「クリミナルマインド」ををよく見るのですが、DNAによるプロファイリングはそこまで出来るようになったのですね。これはアメリカや中国(も?)だからできることかも知れませんが、個人情報の出自から現在までの一切がわかることでもあり恐ろしい管理社会へと進む可能性もあります。女史曰く。開発がすすめば「このような犯人は必ず捕まり、減少へ」・・以上、ボケボケもありますから大意をくんでくださるようにお願いし、この番組をご覧になった方の修正をお願いいたします^^!。
>
> 追伸
> DNAによる結果の分析は学問ですが、先さまが仰るような先の推測が出来れば素人的には楽しいですね^^。貴家「古代史」掲示板の「開視と半眼・写真」の、興味とヒラメキについての思いは後ほど・・^^!


とんでもない時代がやってきましたね・・(汗) 出自はもとより容姿まで特定されていまうとは・・。

管理者会への懸念はありますね。プライバシー保護とか人権問題もかかわるので、慎重さが問われてきそうです。

よい方向に活用したいですね。

281 史実探偵: 平 素人:2019/07/20(土) 07:54:31
Re:大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
管理人さまへのお返事です。コメント遅れました^^!

> さっそくわかちあいありがとうございます!被災地に集まる傾向というのは、初耳です!?

被災(自然災害)の大小によっても多少かわりますが、筆者のいう四千年前の巨大隕石の衝突は、その間で最大(Φ10km?)のものでした。その大きさは現学でも認めないほどの大きさです。その被災に居合わせたことを思って下さい。学問という情報量の少ない古代において、その事象を「神」がなしたと表現するに何の疑いもありません。「恐ろしさで一夜にして髪も白む」と聞きますが、これはその恐ろしさが精神に作用し毛根の構造をも変えたと理解しています。

被災の直後は、その地域を離れますが落ち着いてくれば「なにがあったか」の探求心が生じます。最たるものとして「神秘の国・東方探検」は歴史のしるところです。その時代、もしそこが岩表地帯に変わった! 発生した泥流津波で30mを超す恐山、白波立ち行く紀伊の古座、琵琶湖津波で岩表化した石山寺、日本海の片V字巨大津波でなった天橋立・黄泉が浜、等々があります。そこは、四千年前の事変を刻んだ地でもあります。

最初は、そこに神がおいでた場所と聖地化して集まり、そして門前町として人口が増えてゆけば、より広い場所へと移動してゆきます。日本では、その場所を「奥ノ院とか、小国(ごこく)」と称しています。「小」は大人になる前の子供だんかいと謎解きしました~~! 注意しなければならないのは、そこにお参りするのが大変であり、もっと行きやすい所へ御神体を「お迎え」して換地してることかな^^。

このような場所は、他者が移入(渡来)してきても神という信仰が発生した聖地ですから、決して他に渡したくなくて争いとなります。北海道では自然の山そのものを神と考えるアイヌの人達は、薬石を探して山に入る徐福兵隊に激しく抵抗した。だから北海道には徐福伝説がすくないのかな~~?  徐福達にすれば戦いが目的ではなく薬石の探索が大目的であり(別紙報告書)、大陸に似た山野では求める薬石無しと判断したのでしょうか? それに他の地とちがって熊とも戦う人たちだから・・^^。

 <以上の例として>
面白いのは瀬戸内海の「大槌島」。この島はその上陸も阻むような△島なのに香川県と岡山県で折半(笑い)。このように行政区で捜せば「飛び地」になったり、不自然な突出地となっています。
思い出すところでは、韓国と北朝鮮の東岸の境界地・  (後でしらべて入れます^^!)  事変は異なりますが世界的には「エルサレム」でしょうか?? その奥殿には隕石があると聞きます・・・??


> 津浪と肥沃土の関係は、どうなんでしょう、成分的には、むしろ塩分過多でしばらく農作ができないのではないかと予想しましたが・・・。
> ただ、確かに藻類とか、そういうのが運ばれると栄養はありそうですよね??

津波がはこぶ海水・塩分の関係は、まえに申し上げましたが、列島のような山地地形では以外に、一年もあれば海へ流れ出てしまいます。それに田地化した粘土質土壌では海水は土中に染入らなかったと、何年かまえの台風と大潮がかさなった瀬戸内高潮災害で経験しています。
巨大津波は、貝や魚とうの海生物を陸上に打ち上げ、岩石を細分化し、表土をうがち、草木をかき集め、それ等を陸上奥深くに運びます。経年して、それ等は、細土化や石灰化、ミネラル、腐泥・腐葉土となり、平野部に流れ出て広大な肥沃土をつくります。「魚沼産のコシヒカリ」は、そのいい例です^^。通常の風雨でもそのようなことは起こりますが津波では“大量に”という特徴があります。

 只今、6500万年前の(ビッグゲーム)では、北米の五大湖辺りの条痕で足踏みしていますが、大陸や盆地状地形での塩分は海へは流れ出にくく、以前に話したオーストラリアの大サンセイ盆地やサハラ砂漠に加えて、次のステージで予定している「ソルトレイク」「タクラマカン砂漠」等があります。南極大陸からの巨大津波は、それ等をシベリア平原へも押し寄せています。今では、それ等が流れ出て、北極海は栄養豊富な海となっているのは既知のとうりです。この件に関しては後述しますので少々のお待ちを・・・^^!

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282管理人:2019/07/05(金) 15:53:21
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

さっそくお返事ありがとうございます!またゆっくりかんがえさせていただきますね!
とりあえず、これから週末出かけます!

283 史実探偵: 平 素人:2019/07/06(土) 04:11:42
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
管理人さまへのお返事です。

> さっそくお返事ありがとうございます!またゆっくりかんがえさせていただきますね!
> とりあえず、これから週末出かけます!

 お休み3連休ですか、それとも・・・^^。 いいですね。どうぞごゆっくり。

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284管理人:2019/07/09(火) 00:42:38
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメント遅れました^^!
>
> > さっそくわかちあいありがとうございます!被災地に集まる傾向というのは、初耳です!?
>
> 被災(自然災害)の大小によっても多少かわりますが、筆者のいう四千年前の巨大隕石の衝突は、その間で最大(Φ10km?)のものでした。

> 被災の直後は、その地域を離れますが落ち着いてくれば「なにがあったか」の探求心が生じます。最たるものとして「神秘の国・東方探検」は歴史のしるところです。その時代、もしそこが岩表地帯に変わった! 発生した泥流津波で30mを超す恐山、白波立ち行く紀伊の古座、琵琶湖津波で岩表化した石山寺、日本海の片V字巨大津波でなった天橋立・黄泉が浜、等々があります。そこは、四千年前の事変を刻んだ地でもあります。
>

日本には、比較的多く・・・というか、平さんの隕石落下によるリアス式海岸生成のご指摘を聴いて以来、いろいろ調べれば調べるほど、日本の複雑な港湾地形のほとんどがクレーター由来と考えるに至ってきたことがありましたね。



> このような場所は、他者が移入(渡来)してきても神という信仰が発生した聖地ですから、決して他に渡したくなくて争いとなります。北海道では自然の山そのものを神と考えるアイヌの人達は、薬石を探して山に入る徐福兵隊に激しく抵抗した。だから北海道には徐福伝説がすくないのかな~~?  徐福達にすれば戦いが目的ではなく薬石の探索が大目的であり(別紙報告書)、大陸に似た山野では求める薬石無しと判断したのでしょうか? それに他の地とちがって熊とも戦う人たちだから・・^^。
>

縄文人の伝承を探す必要がありますね。アイヌの伝承をこれから調べていく予定です!


>  <以上の例として>

>
> > 津浪と肥沃土の関係は、どうなんでしょう、成分的には、むしろ塩分過多でしばらく農作ができないのではないかと予想しましたが・・・。
> > ただ、確かに藻類とか、そういうのが運ばれると栄養はありそうですよね??
>
> 津波がはこぶ海水・塩分の関係は、まえに申し上げましたが、列島のような山地地形では以外に、一年もあれば海へ流れ出てしまいます。それに田地化した粘土質土壌では海水は土中に染入らなかったと、何年かまえの台風と大潮がかさなった瀬戸内高潮災害で経験しています。
> 巨大津波は、貝や魚とうの海生物を陸上に打ち上げ、岩石を細分化し、表土をうがち、草木をかき集め、それ等を陸上奥深くに運びます。経年して、それ等は、細土化や石灰化、ミネラル、腐泥・腐葉土となり、平野部に流れ出て広大な肥沃土をつくります。「魚沼産のコシヒカリ」は、そのいい例です^^。通常の風雨でもそのようなことは起こりますが津波では“大量に”という特徴があります。
>

なるほど、塩分が雨水で抜けるんですね。。ただ、川とか雨が少ない地域ならば、長くその影響が残り、不毛の砂漠へと変化したかもしれません。サハラ砂漠はその典型ではないでしょうか?





>  只今、6500万年前の(ビッグゲーム)では、北米の五大湖辺りの条痕で足踏みしていますが、大陸や盆地状地形での塩分は海へは流れ出にくく、以前に話したオーストラリアの大サンセイ盆地やサハラ砂漠に加えて、次のステージで予定している「ソルトレイク」「タクラマカン砂漠」等があります。南極大陸からの巨大津波は、それ等をシベリア平原へも押し寄せています。今では、それ等が流れ出て、北極海は栄養豊富な海となっているのは既知のとうりです。この件に関しては後述しますので少々のお待ちを・・・^^!

285 史実探偵: 平 素人:2019/07/15(月) 02:35:21
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
管理人さまへのお返事です。

      ・・・コメント遅くなっております ^^!
>
> 日本には、比較的多く・・・というか、平さんの隕石落下によるリアス式海岸生成のご指摘を聴いて以来、いろいろ調べれば調べるほど、日本の複雑な港湾地形のほとんどがクレーター由来と考えるに至ってきたことがありましたね。
>

 リアス式海岸の生成は、わたし「BC.2001年の大衝突で・・」の考えですが、『日本の複雑な港湾地形(リアス海岸のランドルト環状湾)のほとんどがクレーター由来と考えるに至って・・』は、わたしの考えではありません。それは、それをアッシャー・岩淵彗星と名付けられた岩淵先生のお考えです。岩淵先生は、それらの衝突地形は、デビット・アッシャー博士の言われる「対談で→母天体エンケ彗星のデブリだろう」と同一時期・視されています。岩淵先生とわたしは ≪そのとき発生したであろう巨大津波の規模を共通≫ にしていますが、巨大隕石のほうは、私が「巨大隕石の主核は釜石鉱山」とするのにたいし、先生は「その90%(私の覚えです^^!)以上は大洋側へ」とされています。そして、八郎潟あたりと、田沢湖、三陸海岸ライン上にあるリム形はその時のものではないかともされています。この詳しくは<彗星衝突による縄文超々巨大津波・文芸社>で述べておられますので必見です。さらにの違いは、先生が豊富な学識と地元のみぞ知る事案の解析にたいし、わたしのは97.5%が(既成論の再構築)人さまパクリの机上論^^!でしょうか(笑い)。ちなみに。今、大苦戦している「北米・オンタリオ湖に流れ入る条痕」ビッグゲームのほうは、97.5% が素人探偵の主観論です(~-~!)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



286 史実探偵: 平 素人:2019/07/19(金) 02:18:58
徐福たちは、童男童女を分散隔離し育てていた。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000291M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-201011.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



287管理人:2019/07/23(火) 00:27:55
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>
>  リアス式海岸の生成は、わたし「BC.2001年の大衝突で・・」の考えですが、『日本の複雑な港湾地形(リアス海岸のランドルト環状湾)のほとんどがクレーター由来と考えるに至って・・』は、わたしの考えではありません。それは、それをアッシャー・岩淵彗星と名付けられた岩淵先生のお考えです。岩淵先生は、それらの衝突地形は、デビット・アッシャー博士の言われる「対談で→母天体エンケ彗星のデブリだろう」と同一時期・視されています。岩淵先生とわたしは ≪そのとき発生したであろう巨大津波の規模を共通≫ にしていますが、巨大隕石のほうは、私が「巨大隕石の主核は釜石鉱山」とするのにたいし、先生は「その90%(私の覚えです^^!)以上は大洋側へ」とされています。そして、八郎潟あたりと、田沢湖、三陸海岸ライン上にあるリム形はその時のものではないかともされています。この詳しくは<彗星衝突による縄文超々巨大津波・文芸社>で述べておられますので必見です。さらにの違いは、先生が豊富な学識と地元のみぞ知る事案の解析にたいし、わたしのは97.5%が(既成論の再構築)人さまパクリの机上論^^!でしょうか(笑い)。ちなみに。今、大苦戦している「北米・オンタリオ湖に流れ入る条痕」ビッグゲームのほうは、97.5% が素人探偵の主観論です(~-~!)。


お返事ありがとうございます。今年はリアス式海岸なども探索しにいきたいところですね。10月ごろに、時間的な空きがあるので東北へ向かいたいと考えはじめてますが、平さんはいかがですか?

288 史実探偵: 平 素人:2019/07/23(火) 17:44:55
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000293_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000293_3M.jpg

管理人さまへのお返事です。

> 史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。
> お返事ありがとうございます。今年はリアス式海岸なども探索しにいきたいところですね。10月ごろに、時間的な空きがあるので東北へ向かいたいと考えはじめてますが、平さんはいかがですか?

 ご提案ありがとうございます。前回は私の提案で、拙論「釜石鉱山は巨大隕石の本塊だ!」として、その鉱山の内部の見学を画策して(株)釜石鉱山に問い合わせましたが、通常の業務もあり夏休み時期だけ人数を限っての見学を予約受付をされていて、その発案も時期をはずれていたことから、お流れになってしまいました。

大同小異はありますが、先さまは一度はお会いしておきたいお方^^。 岩淵先生に、私もお声かけしてみまますが、先様の方からお誘いのお声かけしていただけませんか。
私の場合、遠隔ということもあり、その行程の全てに参加することは叶わないので、“先様主導で” 計画して下さればとおもいます。

わたしは、<BC2001年末に東北におちた巨大隕石>の広報が大きな目的です。これが、日本のみならず世界にも認められ、東北北海道がジオパークに!とも思っています。参加者は選びません興味のある方はどなたでも・・・・^^。

尚、詳細があれば、↓下記のmyブログ「史実探偵局」のCOコメント欄の管理者のみへお願いします。・・どなたでもお待ちしています(笑い)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



289管理人:2019/07/28(日) 01:08:57
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
>
> > 史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。
> > お返事ありがとうございます。今年はリアス式海岸なども探索しにいきたいところですね。10月ごろに、時間的な空きがあるので東北へ向かいたいと考えはじめてますが、平さんはいかがですか?

> 大同小異はありますが、先さまは一度はお会いしておきたいお方^^。 岩淵先生に、私もお声かけしてみまますが、先様の方からお誘いのお声かけしていただけませんか。

了解しました。すでに先生にもその旨お伝えしてますので、またご対面楽しみにしています!



> 私の場合、遠隔ということもあり、その行程の全てに参加することは叶わないので、“先様主導で” 計画して下さればとおもいます。
>
> わたしは、<BC2001年末に東北におちた巨大隕石>の広報が大きな目的です。これが、日本のみならず世界にも認められ、東北北海道がジオパークに!とも思っています。参加者は選びません興味のある方はどなたでも・・・・^^。
>
> 尚、詳細があれば、↓下記のmyブログ「史実探偵局」のCOコメント欄の管理者のみへお願いします。・・どなたでもお待ちしています(笑い)。


ぜひ、ご参加希望の方は、よろしくお知らせください!隕石クレーター研究会?発足に向けて話し合いましょう!

290 史実探偵: 平 素人:2019/07/28(日) 22:53:44
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
     管理人さまへのお返事です。

 了解しました^^。 次報をお待ちしています。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



291 史実探偵: 平 素人:2019/08/30(金) 00:07:56
<オンタリオ湖へ流れ入る巨大津波の条痕か !?>
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000296M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000296_2M.jpg

      管理人さま、お帰りなさい^^。
[224] 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-6 のつづきです。

6500万年前、月よりわずかに小さい大惑星が南極に衝突し南極大陸となった。
前述の南米、豪州、アフリカ大陸の 90%以上を覆った巨大津波は、北米大陸も例外ではない。
北米大陸の中央平原を北上し駆け抜けた巨大津波は五大湖へもなだれ込んでいる。
しかし、ここで次のような難題にぶつかった。

<オンタリオ湖へ流れ入る条痕>
筆者が想定する巨大津波は、数波〜10波を想定している。これ等の津波は地球の全方位をカバーし北極へ集まってゆく。そして、北極へ集まった津波は水位を増し、後々から来る南極からの押し波より勝る時がくる。つまり「北極の増水位が南極からの押し津波に均衡する時点」を過ぎると、今度は南極へ向かって津波は走り出す。前述の<南米シリーズ>では、太平洋の膨大な海水がリターンし、マゼラン海峡をものともせずスコシア海を形成したと謎解きした。

 この考えをもとに、巨大津波は北米中央平原を北上し数波の条痕をつくりながら五大湖へ流れ込み、北極からのリターン津波や増水位にはばまれその先端が赤線のような弧状に残ったか?と推したのだったが、その “標高水位”をよく調べてみると、・・・??
 西から、?キャナンデイクア湖    (標高)208m
      ?セネカ湖            133m
      ?カューガ湖           115m
      ?オワスコ湖           216m
      ?スカニースルズ湖        262m
      ?オノンダガ湖          109m
以上のように、何の規則性も見られない!! 北からの戻り水と南からの押し波とがガッチャンしたのであれば、ほぼ同じ高さであろうと推んだのだったが、全くあたっていなかった。ちなみに、五大湖は過去にその水位をいく度か変えているという。

<その時をイマジネーションしてみると>
 南極から発した巨大津波は、いったん赤道でその力を弱めるが北上するにしたがってだんだんと合流し、水位を上げてその力を蓄えてゆく。津波が海上を走る時、津波は押し波であるからして清水を運ぶ。ところが陸上に上がると、その表土を削り土石を持って進むのでその威力がましてゆく。二波、三波〜数波〜においても、同様にその表土を削りながら進むのだが、いったん更地にしてしまうと、水だけを運んでゆく。この事は津波の上流に何があるかや、その地形や状態によっても変わってくるとは<前シリーズ>で申し上げました。(注: 惑星の衝突粉砕によって生じる岩石等の含みは除外して考えています)
メキシコ湾を北上しハの字形の中央平原を北上した津波は、〇〇あたりを峠とし、下りながら五大湖へと流れ込む。下り津波は、より低いほうをさがしながら、集まりながら下ってゆく。岩石ゃ土砂を持つ下り流は、のぼってゆく津波より格段に威力を持つとは前述している。

  ・・・で、表題のオンタリオ湖へ流れ入る?〜?の条痕湖が出来たと予想したのだったが、・・・前述のように、その条痕湖の北端に<線引きした赤線>の標高水位は予想を違え、てんでバラバラであった???

  この条痕湖の成因は、その時の津波が成したかと思うのだが、いい考えが思いつかない。それとも中学時、ならった「北米大陸の東部一帯は褶曲作用でなった」のであろうか? かといって、<シリーズ>1〜6で前述してきた地球の90%以上を覆った超巨大津波の全てを否定することは出来ない。 わたしは、自論の 『南極大陸は6500万年前衝突惑星だ!』 をすすめるにあたって以下のような難題に突き当たってきた。・・・ ・・・、

その? 「大陸移動説」への疑問
 その始まりは、大西洋の東岸と西岸がパズル合わせのようにくっ付くからだと思うが、概略において、陸表と大洋の海底との成因はまったく異なる。おおまかに言うと、陸地は火成岩で海洋底は玄武岩だったかな^^!。(絶版報告書:ベイクドライスケーキ論で^^) そして、大陸移動論では玄武岩洋に浮かぶ陸地塊船として考えると、いったん冷えて固まった地球表殻は、原始地球体積の“増量が無い限り”離れてはいかない。(絶版:地球体積増加論)←これ等の考えの一部は、この掲示板でも図示しています^^!

その? 「南極大陸には石炭の露頭があり温暖期がありました」
 この謎解きは、いがいに簡単でした。いったん北極点へ向けて走り出した巨大津波は地表の動植物を北半球へ運ぶ。そして、その一部はリターン流にのって漂い流れて、いまだ衝突熱が冷めやらぬ南極大陸となった地表で蒸し焼きになった。鉄板上のモヤシのようかな^^!

その? 太平洋の赤道付近の海底に多量のマンガン塊と SiO2 塊あり。
 マンガン塊は衝突惑星内部のもの。SiO2 は岩石が衝突で溶けて水中で冷やされ固まったものと謎解きできましたが、なぜそれ等が突き当りのベーリング海峡付近まで運ばれずに赤道付近にとどまったのか?? この謎解きにはずいぶん苦労しました。巨大なアンモナイトなんかは太平洋北部海域で見つかっています。ある時、地球儀でそれを考えました。地球の赤道周囲は4万Km。南極で発した巨大津波は、赤道上で川幅が最大となり、その勢いは衰え、下流域の様相を示したのであった。「目から鱗」のたとえあり。平面地図でのみ考えを進めていた自分に気付いた。

その?  それでは、なぜ深海溝は津波の土石で埋もらなかったのか?
 この謎解きには、すいぶん時間がかかりました。月に匹敵するΦ3500kmの大惑星が衝突した。地球殻はヒビ割れ、その時はっした土石で、その海溝は埋まるはずだ。この思い込みがこの謎解きの大きな邪魔をした。その瞬間を人間の時間的感覚でとらえてはならない。人間には一瞬でも地球メロンにとっては、その体積が増すことにより徐々にその海溝を拡げていったのである。ちなみにメロンのほうは即、保護細胞で埋まるそうです(^^)。 話しは少しかわりますがこんな所には枕状溶岩の噴出があるそうです。

<その?> 北海に油田あり。
 この問題も解けずに、ずいぶん長いあいだ放置していた。大西洋を小溝のように北上した巨大津波であれば、そのすべてをシベリア平原奥に持っていったのではないか。この思い込みも、北極からのリターン流を考えれば解けてきます。津波の性質には、同じようなものを同じ場所に。そして、流れの端部分に置いていくことがあります。北海の海底油田は津波の逆流がもたらしたものでした。ちなみに、近年開発をされているブラジル沖の海底油田もそうなのでしょうね^^。

<その?>  南極横断山脈に2憶数千万年前の?岩石あり。
地球の誕生が46憶年。地球上でいちばん古い岩石がグリーンランドの38億年。
太平洋海底の塗り替わりが2憶年。これが現在、素人の得ている数字です。
この掲示板で先達さまから、「南極大陸横断山脈(端部?)に2憶数千万年前の岩石があるよ」と云われました。

 <これは、はっきりとした解ではありませんがと前置きして・・・、>
地球の惑星表面には、色々な生年の岩石が存在している。これと同じように月に匹敵する南極大陸となった衝突前の「南極衝突大惑星」にも、色々な生年の岩石があってもいいのではないか。この衝突惑星は、その全てが溶けたとはしていない。クラゲ状の足部は既存の陸部と衝突し、千々に砕け散ったが、その頭形の部分は、変質しながらも地表にその形をとどめているとしました。

 月に匹敵する大惑星が衝突すれば、「木っ端みじんとなる」 この思い込みが、謎解きの邪魔をする。地殻の約100kmは硬い巌であっても、地球の内部は約6,000℃以上の液状?である。その殻を打ち破れば、衝突惑星は容易に沈みゆく。たとえて、『厚氷の張った池に石を落とし、その石の全ては沈み込まずに、その表面上にとどまった状態』 だとした。衝突惑星のスピードは最大に見積もっても、60〜80km/sec。このスピードに目をとられてはならない。「近距離的、部分的には、その衝撃反応であっても巨視的、遠視的にみればゆっくりと合体したのである」と管理人さまと論したことがありました^^!。

 近時、小惑星探査機「かぐや」が、小惑星「りゅうぐう」の岩石を持ちかえるでしょうが、その岩石の生年が2憶数千万年前であれば面白いなと思っています。・・・^^!
 以上のように、難問難題が生じたときはその答えを急がず、ほかっといて時を待ちました^^!。
自論の『南極大陸が大隕石』が、現学に伝わらないのは、その史実がなかったからではない。この素人が到らないからだ。中2生でも分ることを言っている。目の鱗を取り去り“気付く”だけでいい。賢明な先様がたのご参加をお待ちします。

                 (中二症^^)史実探偵  平  素 人

表題の<北米オンタリオ湖に入る条痕湖の成因>の解は、一時保留して、つぎの「西部北米大陸に残る信じられないほどの津波痕跡」に移ります。・・・おたのしみに^^。


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



292 史実探偵: 平 素人:2019/09/04(水) 01:44:38
北米大陸西部をカバーし北上した巨大津波!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000297M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000297_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000297_3M.jpg

 南極大陸は、6500万年前の衝突惑星だ!-6 のつづきです。

> 6500万年前、月よりわずかに小さい大惑星が南極に衝突し南極大陸として残った。その時、発生した巨大津波は地球の 90%以上をカバーした。北米大陸においても例外ではなかった。
> ? 6,500万年前に南極から北上し、北米大陸の 「西側へ」上陸した巨大津波!!


この大陸の西岸は筆者が提唱する<片V字沿岸津波>になっている。この場合、北上直進津波と片V字沿岸津波と合わさりながら進み、そして、沿岸の土石を削りながらも進むので、その威力はすざましいものがある。第一波、第二波?は、ロッキー山脈の頂きをわずかに残すのみだったと思われる。それを受け入れられない 現学(あなたさま)に告げたい。

   この超巨大津波を観察するとき
 「わずか2mにも満たない人間的視覚を用いてはならない」と!!
  To be continued ^^♪ まだまだつづきます。・・・♪

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



293管理人:2019/09/08(日) 21:08:23
Re: 北米大陸西部をカバーし北上した巨大津波!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>  南極大陸は、6500万年前の衝突惑星だ!-6 のつづきです。
>
> > 6500万年前、月よりわずかに小さい大惑星が南極に衝突し南極大陸として残った。その時、発生した巨大津波は地球の 90%以上をカバーした。北米大陸においても例外ではなかった。
> > ? 6,500万年前に南極から北上し、北米大陸の 「西側へ」上陸した巨大津波!!
>
>
>??この大陸の西岸は筆者が提唱する<片V字沿岸津波>になっている。この場合、北上直進津波と片V字沿岸津波と合わさりながら進み、そして、沿岸の土石を削りながらも進むので、その威力はすざましいものがある。第一波、第二波?は、ロッキー山脈の頂きをわずかに残すのみだったと思われる。それを受け入れられない 現学(あなたさま)に告げたい。


平さん、こんばんは。しばらく見逃してました・・(汗)

お知らせありがとうございます。

ロッキー山脈、気になるところですね!

294 史実探偵: 平 素人:2019/09/09(月) 12:37:59
Re: 北米大陸西部をカバーし北上した巨大津波!
     管理人さまへのお返事です。
>
> 平さん、こんばんは。しばらく見逃してました・・(汗)
>
> ロッキー山脈、気になるところですね!

 朝にお返事を送ったつもりが、おくれていませんでしたので再度の書き込みです^^!。
掲示板の維持管理の多大な労にいつも感謝しています。
北斗さまとのやりとりから云えば、十数年がたっているのですね。貴家の一日70〜200名を超える訪問者は、管理人さまの高学識とお人柄によるものでしょうか。それに加えて多彩なコメントにも惹かれます。それに比して当方へは「よくぞの3名^^」だけのようです。ことがなったら大騒ぎになるのにねえ(笑い)。

「古代史掲示板」へのコメンテーターをおよそ30名としてのこりの“モノ言わぬ”170名の方々は「どんなお人か?」が、とても気になります。
当方、ボケが入ってきていて、作文編集にはとても時間がかかります。
 ・・・のでので^^!  コメントありがとうございました。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



295 史実探偵: 平 素人:2019/09/11(水) 01:44:43
グレートベースンへ侵入した6500万年前の巨大津波!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000300M.jpg

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296これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/09/11(水) 23:14:58
Re: 北米大陸西部をカバーし北上した巨大津波!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>      管理人さまへのお返事です。
> 「古代史掲示板」へのコメンテーターをおよそ30名としてのこりの“モノ言わぬ”170名の方々は「どんなお人か?」が、とても気になります。
>

コメンテーターは、、、3名だw
197名はキシ氏が掲示板を覗く回数だったでしょう。
管理人さん、ここにもいないね…

297 史実探偵: 平 素人:2019/09/19(木) 00:35:14
南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-7
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000302M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000302_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000302_3M.jpg

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298これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/09/19(木) 04:46:29
(無題)
自分に酔ってないかいw ま、いいけど。

299 史実探偵: 平 素人:2019/09/23(月) 01:48:51
6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-35.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



300 史実探偵: 平 素人:2019/09/23(月) 17:57:02
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!のつづきです。

> > 確か平さんのほうで、隕石衝突と地軸傾斜変更に関するご意見あったと思いますが、その件について、もう少しお教えいただけませんか?
>

5.白亜紀末、地軸が傾くほどの天体衝突が南極にあったら何がおこるか。
   ↓my「報告書」題二章 恐竜はなぜ大絶滅したか、 より抜粋、
?地震と高熱が発生する。
?岩石を含む大津波(大泥流)が発生する。
?地殻、地表がひび割れる。
?マグマを吹き上げ、火山活動が活発になる。
?粉塵や粉塵が、天を覆い隠す。
?水蒸気を舞い上げ、雷、大雨、大洪水が発生する。
?一時期を過ぎると、気温が下がり氷河紀へと向かう。
?その他の、あらゆる転変地変がおこる。(地磁気の変移・逆転 もありますよ^^)

 〜中略〜
粉塵や粉塵は全天を覆い隠し、わずかに生き残った生物の存在おも一切許さないかのように太陽光をさえぎった。6500万年を境に地球史は塗り替えられた。地表は急速に冷えて、やがて氷河紀を迎える。しかし、分厚い噴煙や粉塵は、温まった海水と、地下から放出されるエネルギーを包み込み、地表が冷え切ってしまうのを防いだ。
  神は、生物の絶滅を、お救い賜うた。

 〜中略〜
<植物の進化から大事変(地軸の傾き)を推定>
植物の進化は、動物の進化に比べて一様に遅い。これは、存続していくための条件が少なくて済むからに他ならない。しかし、この白亜紀末に前後して裸子植物から被子植物へと移行(優位化)している。裸子よりも被子の方が気候の変化に強い。裏を返せば、大変な気候の'大変化'があったということで、これは '無季節から有季節' へ変化したことを意味する。(この時の大津波によって集められ)石炭化した植物に年輪はない。南極大隕石によって地軸が傾きを増したのだ。 以上 □
ちなみに、これによって一部の動物も卵生から胎児生に変ったのかな^^?

以前に、この衝突をコマに例えて、その胴部へぶち当たるより、軸部のほうへ当たるほうが小さい力で地軸は傾くと申し上げましたが、どちらの方向から衝突したかはこれからの課題です。ちなみに、東部大陸は「棚状」になっているのが特徴です。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



301管理人:2019/09/23(月) 19:29:48
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!のつづきです。
>  〜中略〜
> 粉塵や粉塵は全天を覆い隠し、わずかに生き残った生物の存在おも一切許さないかのように太陽光をさえぎった。6500万年を境に地球史は塗り替えられた。地表は急速に冷えて、やがて氷河紀を迎える。しかし、分厚い噴煙や粉塵は、温まった海水と、地下から放出されるエネルギーを包み込み、地表が冷え切ってしまうのを防いだ。
>   神は、生物の絶滅を、お救い賜うた。
>
>  〜中略〜
> <植物の進化から大事変(地軸の傾き)を推定>
> 植物の進化は、動物の進化に比べて一様に遅い。これは、存続していくための条件が少なくて済むからに他ならない。しかし、この白亜紀末に前後して裸子植物から被子植物へと移行(優位化)している。裸子よりも被子の方が気候の変化に強い。裏を返せば、大変な気候の'大変化'があったということで、これは '無季節から有季節' へ変化したことを意味する。(この時の大津波によって集められ)石炭化した植物に年輪はない。南極大隕石によって地軸が傾きを増したのだ。 以上 □
> ち


平さん、早速お返事ありがとうございます!

ちょっと調べていて、関連しそうな話を見つけました。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jamstec.go.jp%2Fj%2Fabout%2Fpress_release%2F20141027%2F


350万年前に、何かあったようです。

難しいのですが、地軸角は変化せずに、南極の位置だけすべるようにして変化するみたいな可能性とか、一時的に地軸が変化して元に戻ったという可能性はないですかね_??




302 史実探偵: 平 素人:2019/09/24(火) 03:16:25
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
http://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20141027/

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



303 史実探偵: 平 素人:2019/09/24(火) 22:07:53
Re: 巨大隕石の衝突で傾きを増した地軸!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000308M.jpg

https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/9842

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



304管理人:2019/09/24(火) 23:56:11
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

。未完の部分があってもいいのです。それを提供してさらなる発展へとつなげるのが私たちの役目です。とも云われておりました。←以上は全くの言ではないのでその意だけをお汲み取り下さい。 さらに日本人の謙譲深さ(美徳)は他の国からみれば自論の自信の無さにうつっていると見られ、さらなる投稿数の増加をうながしてもおられました。
>

平さん、お返事ありがとうございます!
そうですね、歴史学に完成はあり得ないように感じます。常に問題点が生じてくる、そのいたちごっこだとおもうんですね。

日本の詰め込み教育が悪いんだとおもいますね。偏差値重視で知識を覚えることに重点を置きすぎて、自分の頭で考えて、皆の前でしっかりスピーチしたり主張することを軽んじた結果だと思います。

前例を少し発展させただけの論文が多すぎて、大胆で革新的なものが出てこない、これも日本の研究者の特徴です。そのうち、スパコンが彼らに取って代わるでしょう。もっと自分独自の切り口から物事を見るように教育させないといけませんね。

> >350万年前の突発性? がミソですね。わたしはこれを天体衝突と考えています。
>
> このような投稿案内をまともに受けて^^! ダメ元でいく度か投稿しましたが、限られた紙面積への投稿は60万のえりぬきの人達の峻烈な競争にたえねばならず、社会が求める時流にも乗っていなければなりません。このようなことは小保方さんの件でもありました。素人の中二症の発想で中坊程度の論説がとおるわけがありません。
>

まー、日本は人口が過密で雑多なものが多すぎる嫌いもありますね。もっと少ないところで勝負するとか、そういうことも考えてもよいかと思います。良いものは、記録にしておけば、いつかは評価されるでしょう。


>
> > 難しいのですが、地軸角は変化せずに、南極の位置だけすべるようにして変化するみたいな可能性とか、一時的に地軸が変化して元に戻ったという可能性はないですかね_??
>
>  むーーむ、むつかしい課題をいただきました。
> わたしは、天体の回転の発生をつぎのように考えています。A>B>Cの質量の物質がある時、その距離をべつにして、まずAとBが引き合い衝突合体。この場合Cの存在があるので、AとBを結んだ真芯どうしにはぶつからず、少しずれた位置に衝突するので回転が生じる。これに慣性の法則がはたらく・・・。一方、太陽のほうですが、惑星の質量を引力と遠心力でとらえてはいるが、その回転軸には影響を与えてないか、もし磁力等で修正があっても長大なのではないかと考えています。この件は先様のほうがはるかに詳しいので反対にこの考えでよろしいか? とうかがいたいくらいです^^!


なるほどですね、ビリヤードの玉突きの原理ですね!当てどころが悪いと、スピンする球がでてくるようなものでしょうか。

そういう意味では、ジャイアントインパクトのときなど、それにともなう自転速度や角度の変化が生じるのはしかるべきと感じますが、問題は小天体の衝突の場合はどうかとのことですね。

自転軸の角度を変えずに、中の球体だけが滑っていく、地球ゴマを思い出しますが、これはどういう慣性法則があるのかな?

この地球ゴマのユーチューブが、歳差運動やジャイロ効果についてわかりやすく説明してます。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DqpeD-5eeGcU

こうみると、自転速度が速いほうが、隕石衝突にも影響されにくそうですね。

金星はほとんど自転してなくて、横倒しになってますが、地球は自転していて、軸もある程度直立してます。

木星や土星はもっと自転速度がはやく、軸もほぼ直立です。

自転速度で軸の傾斜は決まってくるんじゃないですかね。地球の場合は、なんらかの原因で自転速度が木星などよりは遅くなっている分、歳差運動がみえてふらついてるわけです。

ただ、動画のように大きな物体が衝突すると、軸がぶれてしまうのですが、それをもとに戻そうとする安定化の働きがあるわけですね。

その安定化の構造において、先のように、内部の球体が滑ることでそれを促進する効果があるかどうか、ここが課題です。

内部球体の回転方向は、衝突直後は赤道方向から大きくずれると思うんですね。瞬間的にはポールシフトするんですが、数回転する間に、元の軸の角度へと戻る、その間に内部球体がどう滑るのかですが、南極と北極の位置が、軸が戻るときに元の場所に戻るのか、あるいは別の場所が新たな極となり戻り安定するのか・・・、この辺が気になるところです。




305 史実探偵: 平 素人:2019/09/28(土) 05:14:36
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000310M.jpg

管理人さまへのお返事です。

 <古代史版2019/ 9/27 [9862] Re: 6500万年前の地中海が移動して・・・>
・・に、上げて下さった地球史の色々な情報には興味もあり、その全ては消化しきれませんが大変勉強になります^^。ありがとう御座いました。なかの大陸移動説のなかで、現学説や先さまの考えとすこし^^?異なる部分がありますので申し上げておきます。

>この時期は、ちょうどパンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成された時期で、その後プレートテクトニクスで図のように、大陸が分離拡散していきます。

>それで、その時期に、やはり小天体の衝突があったと考え、P-T境界の大量絶滅がそれによっておきたと考えると、恐竜絶滅のときと同様に理解しやすくなります。

>以前、平さんの天体衝突に伴うマントル内のプルーム上昇論を参考にして、小天体群の衝突に際して、こぶのようにして海洋から大陸となる陸地が隆起してきて、バンゲア大陸を造りだし、それがプレートテクトニクスで分散していく過程を論じたことがありましたね。
だから、この時期にはバンゲア大陸は一か所にまとまっていたわけです。


 地球の誕生史については、この超・古代史掲示板でその考えをいく度か述べましたが、私は「地球肥大化論」をとっています。これは「天体どうしが衝突を重ねて段々と増大化した」というもので、拙報告書が絶版となった今、その全てを語るには長文を要するので、ここではその図示だけにとどめます。なかで生物がいつ誕生して、その衝突で“種の絶滅”をしながらも生命が継続してきたかについては、大きな疑問があります。しかしながら現状の私たちが現存していることは否定できません。では、自説「地球肥大化論」の全てが間違っているのかというと、そうとばかりは言えません。

ジャイアントインパクトと、「ミドルインパクト」のお考えに共感します。ミドルはとてもいい表現ですね^^。ジャイアントとミドルの大きさはどの程度で区分けするのかは今後の課題ですが、加えて小天体の衝突もありそうです。僅かΦ1kmの天体衝突で人類は絶滅するという現科学の認識はおおいに改めるべきだと思っています。『どっこい、おいら(生命体)は、生きている^^!』 これは、最大比熱の水が地表大量に存在し、その衝突時の発熱や、隕石の冬による気温降下にクッションとして働いているからではないでしょうか。

大陸のでき方については、先さまや北斗さま>とは異なる考え方をもっています。
自説「焼き餅論」では小地球にジャイアントインパクトの南太平洋天体と北太平洋天体の衝突で出来たのが反対側の大西洋だとしました。又、対蹠地をつくった6500万年前の「南極大陸大隕石」のインパクトではプルームを押し上げ、その溶岩を噴出したとする、アイルランド、デカン高原、エァーズロック等としていますが、大陸の作成までには至っていないと考えています。

<ジャイロごま>
この動画情報の全画面はPCの関係で見れなかったのですが、素晴らしいと思いました。ありがとう御座います。もう一度ゆっくり観たいと思います。


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



306 史実探偵: 平 素人:2019/09/28(土) 20:42:52
ゴンドワナ大陸と古生代の化石の分布
https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/9872

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



307管理人:2019/09/28(土) 23:40:05
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。

> >この時期は、ちょうどパンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成された時期で、その後プレートテクトニクスで図のように、大陸が分離拡散していきます。
>
> >それで、その時期に、やはり小天体の衝突があったと考え、P-T境界の大量絶滅がそれによっておきたと考えると、恐竜絶滅のときと同様に理解しやすくなります。
>
> >以前、平さんの天体衝突に伴うマントル内のプルーム上昇論を参考にして、小天体群の衝突に際して、こぶのようにして海洋から大陸となる陸地が隆起してきて、バンゲア大陸を造りだし、それがプレートテクトニクスで分散していく過程を論じたことがありましたね。
> だから、この時期にはバンゲア大陸は一か所にまとまっていたわけです。
>
>
>  地球の誕生史については、この超・古代史掲示板でその考えをいく度か述べましたが、私は「地球肥大化論」をとっています。これは「天体どうしが衝突を重ねて段々と増大化した」というもので、拙報告書が絶版となった今、その全てを語るには長文を要するので、ここではその図示だけにとどめます。なかで生物がいつ誕生して、その衝突で“種の絶滅”をしながらも生命が継続してきたかについては、大きな疑問があります。しかしながら現状の私たちが現存していることは否定できません。では、自説「地球肥大化論」の全てが間違っているのかというと、そうとばかりは言えません。
>
> ジャイアントインパクトと、「ミドルインパクト」のお考えに共感します。ミドルはとてもいい表現ですね^^。ジャイアントとミドルの大きさはどの程度で区分けするのかは今後の課題ですが、加えて小天体の衝突もありそうです。僅かΦ1kmの天体衝突で人類は絶滅するという現科学の認識はおおいに改めるべきだと思っています。『どっこい、おいら(生命体)は、生きている^^!』 これは、最大比熱の水が地表大量に存在し、その衝突時の発熱や、隕石の冬による気温降下にクッションとして働いているからではないでしょうか。
>

地球肥大化ですが、初期の地球にはその可能性があったようですね。

問題はここ数億年間に、そのようなミドルインパクトがあったかどうか・・。

個人的には地球と金星のサイズがほぼ同じとのこともあり、一定の規則性にしたがって惑星が同じ大きさに生成されていったと考えますので、地球の大きさを大きく変えるものはなかったか、あるいは大きさは変わらず、密度が変化したであろうと睨んでます。

私のプランク定数仮説では、サイズが重要なのでして、密度や重量があまり重要ではないことは、水星、火星、月、冥王星のサイズが同じなのにそれぞれの密度が異なる事例にもあてはまります。木星と土星、天王星と海王星のサイズのペアも同様ですね。サイズが重要なんです!

> 大陸のでき方については、先さまや北斗さま>とは異なる考え方をもっています。
> 自説「焼き餅論」では小地球にジャイアントインパクトの南太平洋天体と北太平洋天体の衝突で出来たのが反対側の大西洋だとしました。又、対蹠地をつくった6500万年前の「南極大陸大隕石」のインパクトではプルームを押し上げ、その溶岩を噴出したとする、アイルランド、デカン高原、エァーズロック等としていますが、大陸の作成までには至っていないと考えています。
>

この件も同様に、地球内部のコア内へと小天体の物体が沈み込んでいったときに、どの程度までの盛り上がりが、許されえたかという問題に直面します。プランク定数で規定したサイズ以上になると不安定性が生じて、崩壊するはずですから、薄皮1枚前後しか盛り上がりはなかったと思いますが、その様相をどう明らかにできるかが課題ですね。

308 史実探偵: 平 素人:2019/10/10(木) 07:28:39
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000313M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000313_2M.jpg

管理人さまへのお返事です。コメントありがとうございます^^。

 ひきつづき惑星誕生について考えています。
南極大陸周辺の「古生物の化石分布」で、拙論は完全ダウンしています・・^^!

> 地球肥大化ですが、初期の地球にはその可能性があったようですね。
> 問題はここ数億年間に、そのようなミドルインパクトがあったかどうか・・。

先の?〜?の、拙:惑星肥大化につづいて、「焼き餅・衝突ひび割れ論」の図と、自説:惑星肥大化曲線図(オニオンライン)をかかげます。(絶版:報告書より)

『問題はここ数億年間に、』は、とても痛いとこを突いてこられました^^!。図の縦軸は時間(t)を、横軸に質量(m)をとっていますが、年限は言えませんが地球のほぼ現状大の首部で大きな合体があり。わたしも数億年か・を思っていました(汗)。だとすると「地球生命はいつどこで??」という受け入れがたい問題が生じ、また地球生誕46年とも不整合が生まれます。この問題は、ご指摘をうけるまで固く目をつぶっていました^^。・・・・時がたち今は、小さい小天体においても水の存在がいわれるようになりました。

>
> 個人的には地球と金星のサイズがほぼ同じとのこともあり、一定の規則性にしたがって惑星が同じ大きさに生成されていったと考えますので、地球の大きさを大きく変えるものはなかったか、あるいは大きさは変わらず、密度が変化したであろうと睨んでます。
>
> 私のプランク定数仮説では、サイズが重要なのでして、密度や重量があまり重要ではないことは、水星、火星、月、冥王星のサイズが同じなのにそれぞれの密度が異なる事例にもあてはまります。木星と土星、天王星と海王星のサイズのペアも同様ですね。サイズが重要なんです!
> ・・・

「プランク定数」わたしにはレベルが高すぎてよく分かりませんが、宇宙空間の物質の存在は波状にあるとは認識しています。太陽系でいえば、太陽系誕生の時、太陽に近いほど濃い塵帯かなと思っています。話はかわりますが、太陽と水星の間に楕円軌道帯があって、そのスピードの速さと、強大な太陽の重力と、強力な光によって、観測不能な五月蠅的天体があり、それを太陽が黒点として捕食しているのではと疑っていますが、こんなこども染みたこと、今までに口にしたことありません。(^-^!)

追伸: 強大な太陽の重力と、強力な光の方はそれなりに納得できそうですが、五月蠅の猛スピードを考えていましが黒点増大の周期が11〜12年ですから笑止千万でした。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



309管理人:2019/10/03(木) 22:57:38
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメントありがとうございます^^。

>
> 『問題はここ数億年間に、』は、とても痛いとこを突いてこられました^^!。図の縦軸は時間(t)を、横軸に質量(m)をとっていますが、年限は言えませんが地球のほぼ現状大の首部で大きな合体があり。わたしも数億年か・を思っていました(汗)。だとすると「地球生命はいつどこで??」という受け入れがたい問題が生じ、また地球生誕46年とも不整合が生まれます。この問題は、ご指摘をうけるまで固く目をつぶっていました^^。・・・・時がたち今は、小さい小天体においても水の存在がいわれるようになりました。
>

さっそくお返事ありがとうございます・・、ノックダウン!されたようですが、どこか平さんの説に、私、まずいことでも話したでしょうか(汗)身に覚えがなくて・・。

> >
> > 個人的には地球と金星のサイズがほぼ同じとのこともあり、一定の規則性にしたがって惑星が同じ大きさに生成されていったと考えますので、地球の大きさを大きく変えるものはなかったか、あるいは大きさは変わらず、密度が変化したであろうと睨んでます。
> >
> > 私のプランク定数仮説では、サイズが重要なのでして、密度や重量があまり重要ではないことは、水星、火星、月、冥王星のサイズが同じなのにそれぞれの密度が異なる事例にもあてはまります。木星と土星、天王星と海王星のサイズのペアも同様ですね。サイズが重要なんです!
> > ・・・
>
> 「プランク定数」わたしにはレベルが高すぎてよく分かりませんが、宇宙空間の物質の存在は波状にあるとは認識しています。太陽系でいえば、太陽系誕生の時、太陽に近いほど濃い塵帯かなと思っています。話はかわりますが、太陽と水星の間に楕円軌道帯があって、そのスピードの速さと、強大な太陽の重力と、強力な光によって、観測不能な五月蠅的天体があり、それを太陽が黒点として捕食しているのではと疑っていますが、こんなこども染みたこと、今までに口にしたことありません。(^-^!)
>
> 追伸: 強大な太陽の重力と、強力な光の方はそれなりに納得できそうですが、五月蠅の猛スピードを考えていましが黒点増大の周期が11〜12年ですから笑止千万でした。

水面の上に石を落とすと同心円に波立つように、あるインパクトが一点で起ると、その衝撃は波として表現されます。疎密が繰り返される、その原理は、太陽の元の天体が爆発した後の太陽系付近の物質の分布も同様に、均一に分布していたのではなく、まさにご指摘のように密度の濃い部分と薄い部分があり、濃い部分に惑星ができあがっていっただろうと考えます。その波の波長ですね、これがプランク定数と関わってくるわけです・・!

そうですね、もしかすると、水星の内側にも、その密度の濃い物質領域がある可能性は否定できないかもしれません・・。ぜひ、その帯域について、確認してくださいね!




310管理人:2019/10/03(木) 22:58:22
バンゲア大陸関連
欧州地下に沈み込んだ大陸が見つかったそうです。バンゲア大陸の話もでてます!

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fheadlines.yahoo.co.jp%2Fhl%3Fa%3D20191003-00000004-binsider-int

311 史実探偵: 平 素人:2019/10/05(土) 04:22:41
Re: バンゲア大陸関連
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191003-00000004-binsider-int

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



312管理人:2019/10/07(月) 23:02:21
Re: バンゲア大陸関連
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


> そうですか。それは耳よりな話ですね。「地球体積の増大説」をとっている自分には、そのような現象はありうる話かと思います。地球重力は比較して大洋部より大陸部のほうが大きいとは既知のとおりです。したがってすでにある大陸の上に重ねてミドル天体が衝突すると自ずとそこの重力は高くなります。私は地中海あたりと東南アジアあたりも推めていませんでしたが、そうだったのですね^^!。
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsearch.yahoo.co.jp%2Fimage%2Fsearch%3Frkf%3D2%26amp%3Bei%3DUTF-8%26amp%3Bgdr%3D1%26amp%3Bp%3D%25E5%259C%25B0%25E7%2590%2583%25E3%2581%25AE%25E9%2587%258D%25E5%258A%259B%25E5%2588%2586%25E5%25B8%2583%25E5%259B%25B3%23mode%253Ddetail%2526index%253D0%2526st%253D0
>

重力地図の件はいつみても、興味深いですね!

> さらに、地表の重力は地殻の押し合い部でも生じているようです。それが地震によって解消されるのは先学の知るところです。面白い情報がありました。東北3/11の地震で東北の重力位置が変わっていたと、「欧州の重力探査衛星が記録していた」・・・、 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.gizmodo.jp%2F2013%2F12%2Fgoce.html
>

これは、完全球形なので、地図の標識でしょう(汗)
それにしても地震前後の重力異常は気になるところです。

>  ちなみに、自説「BC.2001年末の東北に落下した巨大隕石でも」太平洋側から列島側へと圧縮されていた ストレスがその衝撃を発端に “連鎖的に” 解消したとしています。



相当な衝撃だったでしょうから、ストレス地震が誘発されたことは考慮すべきかもしれません。


あと、今月半ばあたりに、釜石含めて、東北まわりたいとおもってるんですが、平さんは来られませんか?

313 史実探偵: 平 素人:2019/10/08(火) 21:30:13
Re: 会合関連^^
管理人さまへのお返事です。コメントありがとう御座います^^。

>
> あと、今月半ばあたりに、釜石含めて、東北まわりたいとおもってるんですが、平さんは来られませんか?

台風が心配ですがOKです^^。10/15の昼過ぎ 奥州市・水沢着で奥州市一泊を考えています。
奥州ではなくて釜石での一泊ありかとも思いますが、岩淵先生はご無理かとおもいます。この度は、周回ではなく先様や岩淵先生にお会いして、お話しやお礼を言っておきたいのが第一目的です。次報をお待ちします。下記の「史実探偵局」末尾のCOコメント欄のクリックで連絡がとれます。非公開ならば「管理人のみ」で、公開ならば興味ある多数人の参加をこばむものではありません^^!
 岩淵先生とも、どうぞのご連絡を~~!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



314管理人:2019/10/09(水) 13:41:20
Re: 会合関連^^
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメントありがとう御座います^^。
>

とりあえず、平さんブログのほうに会合の件コメントしておきましたので、ご確認宜しくお願いします!

315 史実探偵: 平 素人:2019/10/10(木) 01:55:17
Re: 会合関連^^
管理人さまへのお返事です。
>
> とりあえず、平さんブログのほうに会合の件コメントしておきましたので、ご確認宜しくお願いします!

myブログへのコンタクトありがとう御座いました^^。
一日早いですが、10/14日の釜石泊まりで考えます。何分日にちがないので宿や切符の手配がつくかどうか明日あたってみます。今回は先生や先さまにお会いしてお礼をいうのが主目的でありますから“一泊のみ”を考えています。14日がダメな場合は10/15日の奥州市泊まりになるかも知れません。台風19号で東海や東北新幹線のダイヤや、海上が荒れれば予定がくるってしまうので迷うところです。むしろ安全を見込んで24日、25日のあとのほうがいいかも知れませんね^^! 先生ともご連絡を!


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



316管理人:2019/10/10(木) 11:48:58
Re: 会合関連^^
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
> >
> > とりあえず、平さんブログのほうに会合の件コメントしておきましたので、ご確認宜しくお願いします!
>
> myブログへのコンタクトありがとう御座いました^^。
> 一日早いですが、10/14日の釜石泊まりで考えます。何分日にちがないので宿や切符の手配がつくかどうか明日あたってみます。今回は先生や先さまにお会いしてお礼をいうのが主目的でありますから“一泊のみ”を考えています。14日がダメな場合は10/15日の奥州市泊まりになるかも知れません。台風19号で東海や東北新幹線のダイヤや、海上が荒れれば予定がくるってしまうので迷うところです。むしろ安全を見込んで24日、25日のあとのほうがいいかも知れませんね^^! 先生ともご連絡を!
>
さっそくお返事ありがとうございます。
確かに宿は埋まってますね。
台風後の路面状況も気になるので、先生も動ける24日以降で考えましょうか?

317 史実探偵: 平 素人:2019/10/10(木) 21:22:38
Re: 会合関連^^
管理人さまへのお返事です。

さっそくのお返事ありがとうございます。

10/14日の釜石泊まりを手配してくれました^^。一応、15日の釜石から奥州市への切符も手配してくれてるようですが、できれば15日の朝、先さまの車に同乗させて頂き奥州市の先生とも歓談し、おそくとも14時30分北上駅発で帰路につきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。尚、釜石の宿の名称が分かりしだいTellをしますので、これもよろしくお願いいたします^^!。岩淵先生にはその旨でお話しておきました。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



318管理人:2019/10/11(金) 00:07:43
Re: 会合関連^^
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
>
> さっそくのお返事ありがとうございます。
>
> 10/14日の釜石泊まりを手配してくれました^^。一応、15日の釜石から奥州市への切符も手配してくれてるようですが、できれば15日の朝、先さまの車に同乗させて頂き奥州市の先生とも歓談し、おそくとも14時30分北上駅発で帰路につきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。尚、釜石の宿の名称が分かりしだいTellをしますので、これもよろしくお願いいたします^^!。岩淵先生にはその旨でお話しておきました。


すいません、やはりダメです・・、その場合15日夜に水沢に到着するので、平さんと会うのが間に合いません。

予報では、14日は午後〜15日午前も荒れる模様で、バイクで苫小牧経由で八戸から水沢に向かうのは困難を伴いそうです・・・。


ひとまず25日以降に変更しましょう。



319 史実探偵: 平 素人:2019/10/11(金) 03:26:41
Re: 会合関連^^
管理人さまへのお返事です。

おっての ご連絡ありがとうございます。

> すいません、やはりダメです・・、その場合15日夜に水沢に到着するので、平さんと会うのが間に合いません。
> 予報では、14日は午後〜15日午前も荒れる模様で、バイクで苫小牧経由で八戸から水沢に向かうのは困難を伴いそうです・・・。

> ひとまず25日以降に変更しましょう。

 「15日の中止」そのほうがいいですね。
でも当方は、色々な人に都合をつけてもらったり、人を介しての宿や切符の手配をしてもらった手前、ことわりづらいものがあります^^!??それに口説き倒した〇〇は、すっかりその気になってます(笑い)。台風で行く手を阻まれない限り“釜石泊まり”をたのしんで来まぁ〜す^^。のでので、どうぞよろしく・・・

えらいお坊様が「あまり先の約束はしないようにしている」とおっしゃいました。先の少ないこのいのち。考えてまよって決めたことならばあとは悩まずなりゆきで・・、  (拝白)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



320管理人:2019/10/11(金) 08:09:13
Re: 会合関連^^
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
>
>??おっての ご連絡ありがとうございます。
>
> > すいません、やはりダメです・・、その場合15日夜に水沢に到着するので、平さんと会うのが間に合いません。
> > 予報では、14日は午後〜15日午前も荒れる模様で、バイクで苫小牧経由で八戸から水沢に向かうのは困難を伴いそうです・・・。
>
> > ひとまず25日以降に変更しましょう。
>
>  「15日の中止」そのほうがいいですね。
> でも当方は、色々な人に都合をつけてもらったり、人を介しての宿や切符の手配をしてもらった手前、ことわりづらいものがあります^^!??それに口説き倒した〇〇は、すっかりその気になってます(笑い)。台風で行く手を阻まれない限り“釜石泊まり”をたのしんで来まぁ〜す^^。のでので、どうぞよろしく・・・
>
> えらいお坊様が「あまり先の約束はしないようにしている」とおっしゃいました。先の少ないこのいのち。考えてまよって決めたことならばあとは悩まずなりゆきで・・、  (拝白)。


14日朝までには台風は通過していることは確かですが、下記の台風予報のように、東北を直撃するので、線路上の樹木の除去などで14日午前中の電車が動く保証はないと思います。

私も14日午前中は宮古フェリーに乗るためには室蘭まででる必要があり、バイクなので道路状況が心配です。

こちらは台風予想。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jma.go.jp%2Fjp%2Ftyph%2F1919.html


できるならば、すぐ旅館はキャンセルして、電車も延期したほうがよいでしょう。その人も自分が勧めた相手に被害が及べば困るとおもいますし・・。

あと、下記のサイトにこんな投稿もありました。

米航空宇宙局(NASA)と海洋大気庁が連携して運用している気象観測衛星「スオミNPP」が日本に接近している台風19号を宇宙からとらえた。渦状の雲の幅は南北で2000キロ以上に及んでおり、米国内では「スーパー・タイフーン」として紹介されている。AP通信によれば、「ハギビス」と呼ばれている19号は大西洋上で発生するハリケーンの規模を示すカテゴリーでは最大級の「5」。米国内の気象専門家からは「存在しない6に相当する」という意見も出始めている。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fheadlines.yahoo.co.jp%2Fhl%3Fa%3D20191010-00000203-spnannex-soci
「ハギビス」は前日までの24時間で最大風速を45メートルも増やしており(現在65メートル)、この発達スピードは地球で発生したハリケーン、サイクロン、台風の中で史上最速の部類。あまりに急速に発達したため、最初にあった台風の目の周囲に“2つめの目”ができたことが確認された。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkoukan2017.progoo.com%2Fbbs%2F


321 史実探偵: 平 素人:2019/10/11(金) 21:13:52
Re: 会合関連^^
管理人さまへのお返事です。

 釜石行きについてのご心配、たいへんうれしく思います^^。
先さまにお会いできないことになったのは大変ざんねんですが、釜石へは一度は訪れておきたいところです。一筋なわとはいかないのはもとより承知。それもこれも受け入れてたのしんでまいります^^。ただし電車が動かなければ・・・^-^!??ご心配ありがとう御座いました。



http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



322 史実探偵: 平 素人:2019/10/12(土) 06:33:33
Re: 会合関連^^
> 管理人さまへのお返事です。

??myブログへのコメントみました。5年来?の入信でみすごしてしまいました(汗~!)
??釜石行きについて、ご心配をおかけして済みません(深礼)。先走ったようです^^!

この度の件は、おおくの方に都合をたのんでの岩手行きです。電車がうごけば行かないわけにはいきません。その先は、臨機応変でたのしんでまいります。「台風一過」になればそれもよし(笑い)。

でも、先さまの場合は海行きがあり、かならず波高荒れはあります!。ごむりをする必要はさらにさらにありません!!??先さまは行動的なお方^^。山陽道を通りすがりでのお会いが、この先できるやも知れません。

尚、このパソコンは同居していた息子管理なので、メール関係は使うことができませんので悪しからずご了承ください^^! ありがとうございます。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



323管理人:2019/10/12(土) 11:34:25
Re: 会合関連^^
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> > 管理人さまへのお返事です。
>
>?? myブログへのコメントみました。5年来?の入信でみすごしてしまいました(汗~!)
>?? 釜石行きについて、ご心配をおかけして済みません(深礼)。先走ったようです^^!
>
> この度の件は、おおくの方に都合をたのんでの岩手行きです。電車がうごけば行かないわけにはいきません。その先は、臨機応変でたのしんでまいります。「台風一過」になればそれもよし(笑い)。
>
> でも、先さまの場合は海行きがあり、かならず波高荒れはあります!。ごむりをする必要はさらにさらにありません!!??先さまは行動的なお方^^。山陽道を通りすがりでのお会いが、この先できるやも知れません。
>

平さん、お返事ありがとうございます。とりあえず、私のほうは、明日台風すぎてから様子みて行くかどうか考えますね。
いくらか仕事が残っており、すぐには出発できない感じです。おそらくは月末から来月初頭にするような気がします。

よい旅行をお過ごしください。

324 史実探偵: 平 素人:2019/10/21(月) 07:20:15
10月/14日の釜石行き
<釜石を訪れたい>
台風19号は、ハギビスと名付けられ南北2千kmの風雨域をもち年間雨量の1/3が降った所もあるという。静岡県に上陸し福島や宮城、神奈川など12都県で75人死亡、14人が不明者となっている。河川の決壊は7県52か所(16日・朝日)、長野県では千曲川が決壊し新幹線車両7本が水浸しになった。列島の幹線も不通や運行停止が相次ぐなどの大打撃をうけた。釜石市で13日に予定されていたラグビーワールドカップ、ナミビア−カナダの試合が、この台風の影響で中止された。
その釜石に10/14日泊で行きました。
列島大動脈、山陽、東海、東北新幹線は、予定どおりの運行で新花巻14時41分着。花巻から釜石までの釜石線は途中の遠野止まりで、次の電車は2時間余り後の発車。泊りを予約している釜石まで行けない。それを知らずにホームへたたずむのは、私たち2人と釜石でお店が泥水被災した姉さまの手助け目的のご婦人と、あとから来た一日一組限定、(とおの屋 要)遠野の美味しいどぶろく^^が目的の30歳がらみ?のお兄さん2人の5人のみ。ここ新花巻で次の電車遠野までの2時間余は待てない。オザキさんと云われた(もう一人のお兄さんのお名を二度聞きしたのに思い出せない^^!)お兄さん達はレンタカーを即断!! 「真にもうしわけ御座いませんが、私たち3人を同乗させて頂けないでしょうか^^?」「いいですよ^^遠野までですが・」車行きで1.5時間は? かかったかな。お礼をいい分配を願い出ると「困っている人があったら助けてあげて下さい」と、固辞された。さて、残された遠野駅での3人。これからどうする?? 奇しくもオザキさんといわれるキャッシー中島似の御婦人が釜石の姉さんにTelすると、盛岡から帰りの姪ごさん母娘が約1時間ほどで遠野につくという。駅員さんに聞けば不通であった釜石行きの電車は、先ほど10分前に出たというし、次の電車は2・3時間後の発だという。それまで待つと釜石着は午後の10時はゆうに過ぎてしまう。ここでもその釜石行き御婦人の情にお願いしてのヒッチハイク^^!。釜石へ着いたのは6時頃。<3/11>で流された姪ごさんのお家がその海岸ホテルのすぐ近くにあったそうです。そして、カナダ選手30名が泊まられたと聞くホテルで合ったお客はただ一人の貸きり状態^^!。 翌朝、歩いた釜石駅までの道路では流れ出た泥土の片づけ作業がなされていて、注意しないと滑りこけるほどでした。もとより、観光が目的の釜石行きではありませんでしたが「人情け」というかえられない経験ができ、我が敬する奥州市の岩淵先生にもお会いすることができました。
 そして、もう一つ学んだことは、このような大災害時には、状況が色々とかわっているのにその錯綜した情報が一人歩きして伝わること。「その情報が何時、だれが、どこで出したか」を見極めることが大切かとおもいました。このようなことは「史記」にもあることで、その一字一句の全てが正しいとは限らないのではとも感じました。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



325管理人:2019/10/22(火) 23:15:16
Re: 10月/14日の釜石行き
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

平さん、こんばんは。先日の件は、大変お疲れさまでした。当日はお会いできなくて残念でしたが、
そうでしたか、やはり釜石方面もいろいろ被害が及んでいたのですね。ともあれ、ご無事でなによりでした。旅先での人との出会いは何よりうれしいものですね。

私のほうは、当日はバイクで釜石港から向かう予定でしたが、台風通過後とのこともあり路面の関係で二次災害になるといけないので、今回の東北・釜石行きは見送らせていただきました。

また、よい機会に釜石鉱山とそのクレーター中心部にある小川ダムについては、別途探索してみたいとは感じています。

また近いうちにどこかでお会いできること楽しみにしています。







326 史実探偵: 平 素人:2019/10/23(水) 00:49:37
Re: 10月/14日の釜石行き
管理人さまへのお返事です。

> 平さん、こんばんは。先日の件は、大変お疲れさまでした。当日はお会いできなくて残念でしたが、
> そうでしたか、やはり釜石方面もいろいろ被害が及んでいたのですね。ともあれ、ご無事でなによりでした。

ご心配をおかけしました~~!。奇しくも同性のオザキさん御二方のご厚情にあまえてのヒッチハイクでした。道路事情は釜石を知る御婦人オザキさん方の道行きがなかったら難しかったかもです。三陸鉄道は不通で翌15日から運行開始との放送がされていましたから来釜石中止は正解でした。またいつかどこかで会えるといいですね。ありがとうございました。

 古代史版のほうのピラミッド山形が気になってます・・・^^!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



327 史実探偵: 平 素人:2019/12/04(水) 04:05:34
題 - まだある卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸 !!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000332M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000332_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000332_3M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-6.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html



328 史実探偵: 平 素人:2019/12/13(金) 12:25:58
卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-3.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



329青面金剛:2019/12/14(土) 05:37:34
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

☆ 先ず、何故、岡山県総社市岩屋に埋めたと推理できるのか、の一番重要なアプローチ部分が全くないのでは、坪背山と同様に、単なる思い付きレベルだと感じます。
 命主社と荒神谷と賀茂岩倉遺跡から、一気に、岡山県総社市岩屋に何故、飛ぶのかの説明が無い。
古文書の記述や、地元の伝承話と詳細に一致する、などの決め手が無いと、専門家の方々は、発掘候補地に加える事は有りません。発掘には、大勢のボランティアの協力と、税金からの支出が掛かりますので。

 荒神谷も賀茂岩倉も、近くに重要な祭祀場が有り、物部方に降伏した後、銅剣と銅鐸が奪われない様にと、谷の斜面に埋めた、と言われています。
地元の方々は、その埋めた地が荒されない様にと、「その谷に近づくと祟りが有る。」と噂を広めて、発掘の日々まで守られて来ました。

 総社市・岩屋寺金堂の裏手の崖の上の均地(なるち)は、帰り際に、立ち入り禁止の立て札が、有った事から、禁足地と思われます。この岩屋の地は、吉備津彦に攻め入られた、吉備の先住の王「温羅」と其の仲間たちの最後の決戦の場で、戦死された方々が埋められた墓地の上を、歩いて来たのでは無いでしょうか。

百済の王子 温羅 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fhisamitsu.exblog.jp%2F23653885%2F
大和朝廷に滅ぼされた温羅一族  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkono1.jp%2Flandscape%2Flandscape13891
吉備津彦温羅退治  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmb1527.thick.jp%2FN3-18-6urataiji.html
おかやま桃太郎ものがたり 吉備津彦と温羅
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fokayama-kanko.net%2Fdigitalbook%2F_SWF_Window.html

 温羅は製鉄技術で農機具や漁具などを広めたので、銅剣や銅鐸とは相容れない感じがします。
吉備の地で、出雲と共通性が有る古墳は、吉備地方では一番古い、三角縁神獣鏡など13面が出土した
備前岡山車塚古墳(岡山市)の方では無いかと思います。
備前車塚古墳  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkofun.info%2Fkofun%2F2957

松本1号古墳(島根県雲南市三刀屋町給下)
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.city.unnan.shimane.jp%2Funnan%2Fkankou%2Fspot%2Fiseki%2Fmusium06.html

《案内板表記》 「松本一号墳は、出雲地方でもっとも古い前方後方墳です。全長は50mを測り、雲南地方で最大の古墳です。また前方後方墳としては出雲地方で三番目の大きさです。前方部の先端がやや開くことから我が国でもっとも古い前方後方墳の一つ備前岡山車塚古墳(岡山市)との類似性が指摘されるなど、古代出雲を考える上で重要な古墳です」

>魏からの銅鏡数100個=出雲銅鐸数39個+<吉備銅鐸数23個>+神戸銅鐸数14個+野洲銅鐸数24個
><岡山県総社市岩屋の金堂寺裏の斜面に>筆者のいう23±α個の銅鐸

★ これまでに出土した銅鐸は全国で約500個。出雲銅鐸数39個と有りますが、加茂岩倉遺跡39口の他に、荒神谷遺跡に銅鐸6口が出土しています。基本的な下調べも不十分で、お近くの図書館にも通って無いと、お見受けします。

◎ 徐福が攻め入った地は鳥取で、倉吉が、それまでの都だったのでは、と解説しているブログを紹介します。
「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦
千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fysaino11jp%2Fe%2Fb6834d410c5f55068af442e4d97793fd

 倭国の都(鳥取県中部)
鳥取県中部は天孫が降臨されて(紀元前195年頃)、奈良時代に藤原氏に滅ぼされる(734年頃)まで倭国の都であった。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.google.com%2Fmaps%2Fd%2Fviewer%3Fmid%3D1EHG9ZjblLEN16jCK1CWjfhMtjgU%26ll%3D35.41365693365169%252C133.77201409999998%26z%3D10

〇 先祖からの伝承は数十世代を経て奇跡的に、繋がってきた遺産ですので、記憶の確かな内に、ここに書き入れるか、Dr・いずも氏か管理人さんに託すか、近くの出雲系の神社の宮司さんと氏子さん方に託すか、して置かないと、平さんが途絶えさせた事に成って終います。
「悪しき爪」の伝承についても、エピデンスは要りませんから、覚えている限り、記録として残さないと、後々の発掘者が、災難を被る事になり兼ねません。



330 史実探偵: 平 素人:2019/12/15(日) 04:37:58
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-13.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



331青面金剛:2019/12/16(月) 06:56:46
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 追伸 :「論より実行 !!」坪背山の天岩戸の原形、その坑道(=光道)を掘りだしたズリの確認を地元のメディアや、行政、博物館とうにお願いしてますが、いまだにナシのツブテです。当方のボケや、(遊びについやすお金もない^^!)もあり今はあきらめて「終活中」です。先様はお返事をくださった3/100人目になりました。
> ・・・朝になりました、以後よろしくです・・・(笑い)。

★ 「論」だけ掲げて「実行」を伴わない、のは平さんでしょう。足の不自由な身体障碍者でも無いのに、各方面にお願いした処で、「あんた、近場に住んでんだから、自分で直ぐ行けるじゃないの?」と言われるのがオチです。

 台風が接近している最悪の時に、釜石まで新幹線を乗り継いでまで、無駄足運んだ旅費で、出雲に数回は行けた筈です。

 旅費が無いなら、近所で定年後に暇を持て余している冒険好きに、連れて行ってもらう手も有る訳だし。お礼に畑で取れた新鮮な野菜を時々届けるのも有るでしょう。

 坪背山周辺は、戦前から戦後にかけて銅鉱の採掘が有りましたから、仮にズリが有ったとしても最近の物の可能性が有ります。千数百年前のズリなど風雨で流されている、と考えるのが自然でしょう。
 現場は登山道以外は、歩くのも困難な様です。携帯も圏外で古い坑道に落ちても助かりません。マムシも多いと聞きます。鷺銅山の事については、鵜鷺コミュニティーセンターに問い合わせる手が有ります。

鷺(さぎ)銅山〜大歳(おおとし)鉱山
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.geo.shimane-u.ac.jp%2Fgeopark%2Fsagi-otoshikozan.html

古代出雲『出雲と産銅』の謎(その1)
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Fshigechanizumo%2F43484585.html


独り言一人旅 214 <鷺銅山跡>
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Ffrom_iwamiginzan%2F27611815.html

「石垣で造られた平坦地は、工場・作業場の跡で辺りに孔や窪みがある。銅の山は、この山の上の斜面で、東西2つの峰を持つ龍山(りゅうざん:標高311m)と言う山で、路頭彫りの頃には山頂が低くなるほどに掘ったと言う。更に、林の斜面に分け入ると、坑道や竪坑の跡など沢山あると言い、下草刈りなどしない今は、草やシダが繁り、歩くのは危険だとも聞いた。

そんな話を地元で聞く前に、興味本位で林に入ったが、忠告の通りに気味悪く感じて、深入りはしないで戻ったほどだ。決して一人では入るな!との事であった。とは言え、鷺銅山跡も鷺浦の町も、調べて行けばまだまだ見所一杯だ。

双子山・龍山の頂上付近から西斜面には、上から田中鉱山・中山鉱山・鵜峠鉱山、そして鷺銅山の名前が、古い地図には記される。銅山に詳しいと言う地元の一人が、海に漁に出ているとかで、色々聞けなかったのは残念であった。ただ、鉱山と銅山とがあるのは、最期は石膏鉱山として栄え、やがて閉山になったと言うことのようであったが、詳しく聞けなかった。この日は時間も準備も無く戻ったが、いつか装備・陣容を整えて登って見たいものだ。

俄(にわか)勉強の身では、鷺銅山について詳しくを知る由もお伝えする術も無いが、鷺浦港の直ぐ東に周ると、旧中学校校舎を利用した<鵜鷺(うさぎ)コミュニティーセンター>があり、二階が歴史民族資料館になっている。整理も間に合わず雑然とある中に、銅鉱山・石膏鉱山の時代や、回船で栄えた時代の街の様子など記された、貴重な文献・地図・絵図・写真、鉱石・工具・道具などのほか、興味ありそうな民俗資料などが所狭しと並んでいた。豊かであった時代の痕跡など沢山あって、何時か整理され広く公開されると嬉しいところだ。 」

鵜鷺コミュニティーセンター
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.izumo.shimane.jp%2Fwww%2Fcontents%2F1375402079050%2Findex.html


332 史実探偵: 平 素人:2019/12/17(火) 02:54:15
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-200804.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-1.html



333青面金剛:2019/12/17(火) 22:23:48
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>「この銅鐸の有る無しを確かめるのに・論はいらない」がぬけていました。

☆ 「論」が無くては、地元の発掘調査計画の検討委員会にも掛かりません。

> 朝夕の美しい太陽の両方を海上湖上に拝めるのは出雲のほかに(??)ありません^^。
> <鷺峠のズリ??について>

☆ 日御碕にも行かれたことが無いんじゃないですか? 一度、日御碕へ行けば、坪背山云々という発想は無くなるでしょう。鷺峠のズリは、道路上から、ドローンを飛ばして探す手も有りますが、ズリの上に雑草が茂っていたら見つからないかも。


 岡山県古代吉備文化財センター  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.pref.okayama.jp%2Fsite%2Fkodai%2F622638.html

「平成26年度に出土し、全国的にも希少な銅鐸であることが明らかとなった、総社市神明遺跡出土銅鐸も展示しています。その他にも、岡山市高塚遺跡の銅鐸出土状況や波止場状遺構などを復元したジオラマ、古代の堤防の一部も展示しています。」

平成 29 年度 岡山市埋蔵文化財センター講座第 4 回
弥生時代の青銅器 ー岡山市内出土の銅鐸を中心に− 安 川  満
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.okayama.jp%2Fcontents%2F000311137.pdf

総社・神明遺跡 銅鐸に「流水文」 国内4例目、全体像が判明
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdoutaku.cocolog-nifty.com%2Fblog%2F2015%2F08%2Fpost-3304.html

鬼ノ城内の発掘調査
最終金属加工の炉の調査が主なもののようでした。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkphodou.web.fc2.com%2Ftiraku%2Fblog-6%2Fpage9%2Ffiles%2Fcategory-9b3c30ce57ce.html

☆ 鬼ノ城は、古代の製鉄と鉄加工の地だった様です。禁足地で、吉備津彦との戦いに敗れた方々の埋葬地を、荒すだけに成りそうですので、地元の研究者も賛成しないでしょう。


334 史実探偵: 平 素人:2019/12/18(水) 01:36:01
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000339M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000339_2M.jpg

http://houshizaki.sakura.ne.jp/tuboseyama.htm



335青面金剛:2019/12/19(木) 13:30:44
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> > >「この銅鐸の有る無しを確かめるのに・論はいらない」がぬけていました。
> 「総社市岩屋に、大量銅鐸の有る無し <だけ> を確かめるのに・論はいらない」
> その<だけ>の言葉がぬけていました^^!。・それに行動力もぉ^^?(滝汗〜〜)
・・で、より多くの誰かさんに、託したいと思い、咎(デメリット)を承知でそのピンポイントの発表にうつりました。  ・・・で、より多くの参加者・共立者を募りませんか^^?
>????はい。出雲にも、行ったことがありません。
> 坪背山(壷背山)(つぼせやま)島根県出雲市

★ 禁足地での発掘申請には、よりハードルの高い「論」が必要とされ、それすら無いのでは、係官が申請書を一瞥しただけで、却下されてしまうのがオチです。

★ 総社市岩屋の方では「実行」と「行動力」を力説する人が、坪背山には行こうともしない。言っている事と、やっている事が正反対の人が、参加を呼び掛けた処で、誰も付いて行きません。

★ 管理人さんが、この次に、出雲へ行く時に、連れて行ってもらうのが、好いかも知れません。主な観光コースも巡っていないのでは、命主社と出雲大社(素鵞の社)、日御碕神社と伊奈西波岐神社を廻った後に、最後に坪背山を通るのが好いかも。

 私は一昨年に日御碕灯台の上まで登ってきました。平さんは無理かも知れません。

336管理人:2019/12/19(木) 22:45:26
鬼の岩屋
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000341M.png

https://www.jalan.net/kankou/spt_33208af2172073698/#basicInfoArea



337 史実探偵: 平 素人:2019/12/20(金) 07:03:44
Re: 鬼の岩屋
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000342M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-201607.html



338 史実探偵: 平 素人:2019/12/20(金) 23:36:31
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-10.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



339青面金剛:2019/12/21(土) 06:50:03
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>  今後、それらが出土してから騒ぐか、素人の欠ける部分を補完されて楽しむかは、先さまや、この掲示板をご覧になっている皆さましだいです。
> (註)(?マーク)は、予想した埋封(まいふう;筆者の造語)場所で、未だ未掘です!

★ 結局、平さんは、自分が立てた説にも拘わらず、自分からは一切動かずに、他人に、けし掛けて居るだけの人。

>↑犬墓山石碑(この上にオニの生首をか?)
★ 平さんの文中には、地元の方々への配慮が見られません。

おかやま桃太郎ものがたり 吉備津彦と温羅
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fokayama-kanko.net%2Fdigitalbook%2F_SWF_Window.html

☆ この紙芝居にも描かれている様に、温羅は製鉄の技術力を以って、農機具や漁具や狩猟器具を広め、豊作や豊漁を地元にもたらしました。岡山では毎年、「ウラジャ」の踊りを若い方々が舞って、吉備津彦に敗れた「温羅と仲間たち」の功績を讃えています。

★ 発掘許可申請者が、「地元の方々へ配慮が出来る人物かどうか」、も許可の判断材料の一つです。平さんの無神経さでは、地元の方々とのトラブルを引き起こしてしまい兼ねない、と敬遠されてしまいます。

☆ 先祖から数十世代をも経て、奇跡的に繋がってきた、古伝承以外は、平さんの勝手な盲説でしかなく、平さんの人生と共に終わるだけ。
 「先祖からの言い伝え」を最初からオープンにして、各方面に持ち掛けていれば、何人かの専門家も動いた筈です。

★ 釜石まで遠出できたのなら、近場の出雲には、容易に行けるでしょう。平さんが「坪背山の現地レポート」をここに書き入れる時まで、この議論は、しばらく休止とさせて頂きます。


340青面金剛:2019/12/23(月) 02:38:39
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
?? 史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>  今後、それらが出土してから騒ぐか、素人の欠ける部分を補完されて楽しむかは、先さまや、この掲示板をご覧になっている皆さましだいです。
> (註)(?マーク)は、予想した埋封(まいふう;筆者の造語)場所で、未だ未掘です!

★ 結局、平さんは、自分が立てた説にも拘わらず、自分からは一切動かずに、他人に、けし掛けて居るだけの人。古い坑道や竪坑が沢山残っている、危険の高い坪背山の探索を、他人に頼るのは、無責任極まりない。各方面から無視されて当然です。

>↑犬墓山石碑(この上にオニの生首をか?)
★ 平さんの文中には、地元の方々への配慮が見られません。

おかやま桃太郎ものがたり 吉備津彦と温羅
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fokayama-kanko.net%2Fdigitalbook%2F_SWF_Window.html

☆ この紙芝居にも描かれている様に、温羅は製鉄の技術力を以って、農機具や漁具や狩猟器具を広め、豊作や豊漁を地元にもたらしました。岡山では毎年、「ウラジャ」の踊りを若い方々が舞って、吉備津彦に敗れた「温羅と仲間たち」の功績を讃えています。

★ 発掘許可申請者が、「地元の方々へ配慮が出来る人物かどうか」、も許可の判断材料の一つです。平さんの無神経さでは、地元の方々とのトラブルを引き起こしてしまい兼ねない、と敬遠されてしまいます。

☆ 先祖から数十世代をも経て、奇跡的に繋がってきた、古伝承以外は、平さんの勝手な盲説でしかなく、平さんの人生と共に終わるだけ。
 「先祖からの言い伝え」を最初からオープンにして、各方面に持ち掛けていれば、何人かの専門家も動いた筈です。

 平さんが、過去30年間に各方面へ、約2000通の調査依頼の手紙を出した、その切手代だけでも、出雲へ10回も行けた筈で、出雲の地を一通り廻れてた事でしょう。平さんが、やっている事は、本末転倒した事ばかりで、馬鹿らしく成ってきます。

★ 釜石まで遠出できたのなら、近場の出雲には、容易に行けるでしょう。平さんが「坪背山の現地レポート」をここに書き入れる時まで、この議論は、しばらく休止とさせて頂きます。



341 史実探偵: 平 素人:2019/12/23(月) 02:51:48
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
http://houshizaki.sakura.ne.jp/tuboseyama.htm

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



342青面金剛:2019/12/23(月) 22:23:07
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
??史実探偵: 平 素人さんへの返事です。

>  わたし一人がそこへ行っても「無駄足」になるだけ。

★ 詐欺師! 平さんが、ここの掲示板に、いい加減な説を繰り返し掲げて、自分一人では絶対に現地に行かないのは、別な目的で、参加者を集める「釣り」として、利用しているから。

★ 平さんが、自分の住んでいる町の名前すら教えないのは、別の目的が有るから。

★ 勾玉を「ポケットに忍ばせて持っていきたい。」と以前、書き込んでいた様に、発掘物を転売する、盗掘集団の客寄せ役だから。

★ 参加者から、旅費を借りた後に、トンずらする、旅費サギを目的としているから。

★ 参加者の金品を掠めるのが、目的だから。

★ 平さんは犯罪者集団の客寄せ役と疑わざるを得ない! 「先祖からの伝承」も全くの嘘で、作り話でしかない。平さんのHPも「釣り」。


343 史実探偵: 平 素人:2019/12/24(火) 03:03:12
人身供儀・その歴史、忘却の彼方に!
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-9.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



344 史実探偵: 平 素人:2019/12/25(水) 21:33:53
続・童唄に隠された謎?・その歴史、忘却の彼方に!
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-4.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



345青面金剛:2019/12/26(木) 06:06:23
Re: 続・童唄に隠された謎?・その歴史、忘却の彼方に!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>『ひと山こえてぇ〜、ふた山こえて、み山(三上山)の前でぇ〜、た〜ぬきさん、狸さん踊ろじゃないかぁ』
>  この鞠つき童唄には、おそろしいまでの秘密が隠されていた。

>     岩の付く地名その西方????約1里・二山越え   西、及び荒神の付く地名
> <出雲> 岩倉           大黒山・仏教山    神庭荒神谷・西谷(さいたに)
> <吉備> 岩屋?(総社市)    *山 ・経山      黒尾地区 西谷?(にしたに)

>   人里から程よく離れた山の中腹、        ほぼ西南方で辺ぴな谷奥の南向斜面
>野洲町三上山から始めた謎解きでしたが、最終的には「この手鞠唄」が決定打となりました。大量の銅鐸の埋め場所の大岩山から、ふた山越えた、三つ目の山が三上山でした。一方、出雲の方を調べると加茂岩倉から西へ、大黒山ともう一つの山を越えた三つ目の山が仏教山で、これも△の山姿をしています。その<前>の斜面に大量の銅剣が埋めてあったことに、驚きを禁じえませんでした。

>  卑弥呼は「稚児を殺めた銅剣を、二度とその剣、その荒神に持たせてはならない!」

★ 前にも指摘した様に、銅剣の×印は、東出雲王家の富家の紋である、銅矛が交差した紋を示す、王権の象徴を意味します。
 一度指摘しても頭に入らなく、地元の方々に無神経な勝手な説を繰り返すから、地元の方々に白い眼を向けられるのが、平さん一人ならば兎も角、そのとばっちりを被りたく無いから、平さんとは歩きたくも無い。

◎ みやすみやまの おんばあと、たぬき

 西本昭子・作 末吉陽子・絵 新風舎 2006.10.25 刊

 岡山弁でつづる 「三休山」(みやすみやま) を背景にした いたずら好きのたぬき親
 子と おんばあ の おはなし。

 ぽんぽこぽんの すっぽんぽーん♪ ひとやまこえて ふたやまこえて みやすみやまの うえで ♪たぬきさん たぬきさん ♪あそぼじゃないか いま ごはんの まっさいちゅう ♪おかずは なあに うめぼし こうこ ♪ひときれ わたしにくださいな ♪あかちょこ べっちょこ いやしんぼう♪

 と たぬきさんが まりつきを・・。ほんに 近くに聞こえてくるような。

☆ 三休公園民話村 岡山県久米郡美咲町西川上400-11
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.okayama-kanko.jp%2Fspot%2F11880

岩倉山:標高394.2m 岡山県加賀郡吉備中央町上田西
岩倉公園  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.okayama-kanko.jp%2Fspot%2F11923

☆ 平さんが、その説を唱え続けたいなら、絶版本なので、図書館の館員に探してもらう事。三休公園民話村にも行った事が無いんじゃないですか?

三休山のおんばあと、たぬき 西本 昭子 作 末吉 陽子 絵

新風舎(ティルコーポレーション)2006/10 発売 (A5) ISBN:9784289007738
価格:1,210円??(本体:1,100円)

☆ 三休公園民話村から、岩倉山山頂へは、ほぼ南方向に有ります。荒神谷から賀茂岩倉の方向は、東南の方角で、神の通り道(神門)の方向です。




346 史実探偵: 平 素人:2019/12/28(土) 00:52:42
Re: 続・童唄に隠された謎?・その歴史、忘却の彼方に!
青面金剛さまへのお返事です。
 コメントありがとう御座います。・・もう下さらないと思ってたのですがぁ〜^-^?
わたしの意とすることは『 ここ掘れ、ワンワン^^』 先様のコメントはありがたいのですが、辛口コメントも、度を過ぎたモノはいかがかと思います^~! この先、その出土までには時間がかかると思います。それ等が出土しなければいいのですが、(もし?)素人の予見した場所に、予測した形でその坑道窟や大量の銅鐸が出土したらまずいことが世に残りますよね(^^)

> >  卑弥呼は「稚児を殺めた銅剣を、二度とその剣、その荒神に持たせてはならない!」
> ★ 前にも指摘した様に、銅剣の×印は、東出雲王家の富家の紋である、銅矛が交差した紋を示す、王権の象徴を意味します。

 先さまのご指摘のすべてを記憶している分ではありませんが、出雲には<富・とび>という地名(国土地理院)がありました。何故、これをトビと読むのか不思議でなりませんでした。飛び? 鳶?そのすべては思い出せませんが。加茂(カモ?)や、鷺峠をはじめとして、出雲には鳥の地名が他の地に比べて多いのが気になっていました。×印は、歴史の流れを考えると、「富家の家紋」が先にあったのではなくて、卑弥呼の封印の方が先であり「この剣、二度と使わじ」とした不使用の意や、封印の意があるのではないでしょうか。今では封書を閉じるとき×印を書く人は少なくなりましたが。この×は封をするって意味ですよね。その剣の茎(なかご)に無印のものが幾つかありましたが、これは素人の謎解きでおおいに参考になりました。つまり、それは使用しなかった新品・予備剣かと!! このように考えて歴史をさかのぼれば「富家」は由緒ある家筋になります・・^^。

> ◎ みやすみやまの おんばあと、たぬき
>  ぽんぽこぽんの すっぽんぽーん♪ ひとやまこえて ふたやまこえて みやすみやまの うえで ♪たぬきさん たぬきさん ♪あそぼじゃないか いま ごはんの まっさいちゅう ♪おかずは なあに うめぼし こうこ ♪ひときれ わたしにくださいな ♪あかちょこ べっちょこ いやしんぼう♪
>  と たぬきさんが まりつきを・・。ほんに 近くに聞こえてくるような。

 またまた、貴重な情報をありがとうございます。
わたしは「二山越えて、三山の前で、狸さん・・」の狸さんが推めていませんでした。「なぜ、それが狸さんなのか?」狐ではだめなのかと?「ぽんぽこぽんの すっぽんぽーん♪」 そうです。この形容は。狸の皮太鼓をたたく音だったのです! 「おんばあ」は卑弥呼です。一般に卑弥呼は美娘として描かれていますが、わたしは、そうと考えていません。娘時代と老期とはちがうでしょうが、史記には「千人の傍女にかしずかれ、その姿見たものなし」とあるようですが、女子は長髪が一般的な世の中。老期の卑弥呼は、幼児期に削がれたその耳を隠すおかっぱ頭。目の周りには歌舞伎役者のようなクマドリ。そしてお歯黒の歴史があることから、前歯の全てを抜いていたと推定しています。倉敷市・船穂町の里木貝塚では前歯を意識的に抜いたのでは?とする遺骨がでたとか。その遺骨が卑弥呼だとはしませんが、「お歯黒」は江戸時代まで残っていたようですから、巫女さんにおいては、同様なことが拡散したのではないでしょうか。

卑弥呼は、狸皮太鼓(鼓・つづみ)をたたき、その大量の銅鐸や銅剣を封印している。

卑弥呼の本拠が(自分の知識では)どことはいえないが、その<埋封・まいふう筆者の造語>のため、出雲・吉備・姫路・野洲へと移動している。でなければ「姫路」の地名は残ってはいない。興し(おこし)に乗って移動している。このシキタリは、浜松の姫街道(国土地理院)。地方によっては、今でも花嫁行列や、葬儀列として残っているのは皆さまの知るところです。このように。今の私たちが「何をしているか」から手繰っていくのが素人探偵のやり方です。みやまの前か?上か?の問題は残ります。青面金剛さま>ありがとうございました。

> ☆ 三休公園民話村 岡山県久米郡美咲町西川上400-11
> 岩倉山:標高394.2m 岡山県加賀郡吉備中央町上田西
> 岩倉公園

 行ったことも聞いたこともありません・・(滝汗〜^^!)。
こういった遺跡に桜の植樹は珍しくありません。今でこそ桜は観光木ですが、その昔をさかのぼれば「農事呪縛の木」であったことは、先さま方の知るところです。逆に「桜」の植樹があれば、その歴史の拡散かと(神戸・桜が丘)疑ってみるのも楽しいことです。「みやすみやま」にしても「宮山・みやま」にしても珍しくありません。今でも、里山に神社があればそれ等は「みやま」の呼称で呼ばれているのではないでしょうか? 「共通の文化があれば共通の事象あり」 何故、それが「三・み」なのか? 今では、その追求を、すっかり忘れていることが大きな問題だと考えています。

> ☆ 平さんが、その説を唱え続けたいなら、絶版本なので、図書館の館員に探してもらう事。

 図書館へいけば、そのネットワークをとおして、読みたい本を他の図書館から取り寄せてくださるのは知っていますが、只今は「 終活中^^!」そのエネルギーは残っていません。ので、ので・・・

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



347青面金剛:2019/12/28(土) 05:41:47
Re: 続・童唄に隠された謎?・その歴史、忘却の彼方に!
??忘却探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> わたしの意とすることは『 ここ掘れ、ワンワン^^』 先様のコメントはありがたいのですが、辛口コメントも、度を過ぎたモノはいかがかと思います^~! この先、その出土までには時間がかかると思います。それ等が出土しなければいいのですが、もし?素人の予見した場所に、その坑道窟や大量の銅鐸が出土したらまずいことが残りますよね(^^)

★ 結局、現地に一度も行かず、他人に、けし掛けて居るだけの人が、度が過ぎて、ふざけた事を書き込んでいれば、疑われるのも仕方ないでしょう。
 図書館にも行かず、地元の新聞も読まず、地元のテレビも見ず、地元のラジオすら聞かない人が、勝手に描いた説など、専門家が候補地に加える事は有りません。


> 加茂(カモ?)や、鷺峠をはじめとして、出雲には鳥の地名が他の地に比べて多いのが気になっていました。×印は、歴史の流れを考えると、「富家の家紋」が先にあったのではなくて、卑弥呼の封印の方が先であり「この剣、二度と使わじ」とした不使用の意や、封印の意があるのではないでしょうか。今では封書を閉じるとき×印を書く人は少なくなりましたが。この×は封をするって意味ですよね。その剣の茎(なかご)に無印のものが幾つかありましたが、これは素人の謎解きでおおいに参考になりました。つまり、それは使用しなかった新品・予備剣かと!! このように考えて歴史をさかのぼれば「富家」は由緒ある家筋になります・・^^。

★ 卑弥呼は、18代続いた出雲王国を侵略した側である、物部王国の同盟国側ですので、富家の方が先です。

 卑弥呼が祀られているのは、宇佐神宮の本殿・二之御殿に比売大神として祀られています。
宇佐神宮  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.usajinguu.com%2Fguide%2F

 鹿児島神宮の北東側に卑弥呼神社も有りますから、ここも祭祀の場の一つと考えられます。
鹿児島神宮  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkagoshima-jingu.jp%2Faccess.php

 日御碕に隠が丘という小高い丘が有り、出雲王朝の閉朝後に、三代続いた、物部方の王の墳墓では無いか、と言われています。

隠が丘  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izumo-enmusubi.com%2Fentry%2Fkakuregaoka%2F

☆ 日御碕の遊歩道を歩いてみれば、岬の先に、「経島(ふみしま)」が見え、太陽の祭祀を行うならば、この場所だと実感します。
 この島は日御碕神社の神域として神職以外の一般の立入りは禁止されており、年に一度8月7日の例祭の時のみ、宮司だけがその島に舟で渡ることができます。
 別名夕日の祭りといわれ、刻一刻と日が沈む中で執り行われる様子は神々しさが漂います。

経島(ふみしま) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izumo-kankou.gr.jp%2F370

日御碕神社  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izumo-kankou.gr.jp%2F678


>  卑弥呼は、狸皮太鼓(鼓・つづみ)をたたき、その大量の銅鐸や銅剣を封印している。
> 卑弥呼の本拠が(自分の知識ではどことはいえないが、その<埋封・まいふう筆者の造語>のため、出雲・吉備・姫路・野洲へと移動している。
>みやまの前か?上か?の問題は残ります。

☆ 出雲から、難波や大和に向かうには、美作の出雲街道を通ります。

☆三休公園民話村 岡山県久米郡美咲町西川上  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.okayama-kanko.jp%2Fspot%2F11880
岩倉山:標高394.2m 岡山県加賀郡吉備中央町上田西
岩倉公園  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.okayama-kanko.jp%2Fspot%2F11923

☆ 吉備中央町の岩倉山の周辺には、加茂や神の名の付く地名が残る事から、祭祀の場が有った事が伺えます。

>  行ったことも聞いたこともありません・・(滝汗〜^^!)。

★ 地元の人間に、遠方の人が観光案内しなきゃならないのは、本当に馬鹿らしく成ってくる。

> こういった遺跡に桜の植樹は珍しくありません。今でこそ桜は観光木ですが、その昔をさかのぼれば「農事呪縛の木」であったことは、先さま方の知るところです。逆に「桜」の植樹があれば、その歴史の拡散かと(神戸・桜が丘)疑ってみるのも楽しいことです。「みやすみやま」にしても「宮山・みやま」にしても珍しくありません。今でも、里山に神社があればそれ等は「みやま」の呼称で呼ばれているのではないでしょうか? 「共通の文化があれば共通の事象あり」 何故、それが「三・み」なのか? 今では、その追求を、すっかり忘れていることが大きな問題だと考えています。

☆ 「みやすみやま」=宮住み山
 つまり、出雲王家の親族か、美作後南朝の宮様の、どちらかが住んでいた宮が有った、と思われます。久米郡の久米は、天皇・大王家の警護役の意味が有ります。

美作後南朝  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fpasocon-salon.floppy.jp%2Fakihisa01.html

>  只今は「 終活中^^!」そのエネルギーは残っていません。ので、ので・・・

★ 知らん! 釜石まで行けた体力が有るなら、次の桜の季節に、宮住公園と岩倉公園と、命主社と日御碕へ行ってこい!

 これだけ、教えてあげたのだから、もう、十分でしょう。後は、管理人さんと、Dr・いずも氏に頼みなさい。先祖からの伝承が本当に有るなら、書き残さないと、何も残りません。(終)


348 史実探偵: 平 素人:2019/12/30(月) 15:25:12
Re: 鬼の岩屋
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/kibisikoku0511.htm

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



349鳩摩羅童子:2019/12/31(火) 21:10:07
発音付きチベット語オンライン辞典
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Tibet_dic.html

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



350鳩摩羅童子:2019/12/31(火) 21:30:53
言語道断 は、タミル語にある。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_17_1.html#n.532

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



351管理人:2019/12/31(火) 23:18:36
今年もお世話になりました
平さん、童子さん、またわかちあいありがとうございました。

鬼ノ城は、以前もライン面で分析したかぎりでは、神籠石ですね。山城説もありますが、神域説もあり、その石積みの低さが問題となっています。水門の活用法も考えどころですね。

細かいところは、また正月休みあたりで、ゆっくり拝読させていただきますね。

今年もお世話になりました。



352 史実探偵: 平 素人:2020/01/10(金) 00:07:23
あおさぎ・鳥祖卵生!
  年がかわりました。管理人さま、皆さま。 本年もよろしくです^^。

12/31 本日の夕方のことです。車での帰り道ライトのなかに、なにやらが? ブレーキを踏むと、アオサギでした。こんなことは初めてです。私の見るアオサギは昼夜は問いませんが、川の中かその岸辺にじっと佇み、魚を待つ姿しか見たことが有りません。何時捕食しているのかと疑うほどじっとしています。そのアオサギが道の真ん中に。スピードがでてないとはいえ危うく轢いてしまうところでした。停車すると。かの鳥は飛び立つでもなくゆっくりと道を譲ってくれました。私は近時「鳥祖卵生」という言葉をしりました。大まかにいえば人間の祖先は鳥であったという考えです。この中でアオサギは、その漂々とした佇まいと灰色をしていることから、死灰のなかから蘇る鳥とされているようです。萎えることなく絶えることなく続いてきた「この想い」にも存命中はむりとの思いが勝るようになった今日この頃ですが、水辺でもない道の真ん中に、車行き交う私のライトの前に何故いたのでしょうか。わたしには「急くことなく道を譲っておきなさい」とでも言いたかったように思えてなりません。こういった極大論(巨大隕石と大津波)は没後に認められるが世の常。「これでもか。これならば、」と広報を重ねてきましたが本懐にいたるまでには50年100年はかかるかもしれない。これがあなたに伝わらないのは、その史実がなかったからではない。わたしの論述がいたらないからだ。 年の節目に、□

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353 史実探偵: 平 素人:2020/01/30(木) 09:25:35
Re: 神籠石
http://kaifuusoo-575.sakura.ne.jp/kaifu-/kougoishi.html

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354管理人:2020/01/04(土) 18:17:31
Re: 神籠石
平さん、あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします。

神籠石についてご意見ありがとうございます。特に水門の存在は用途解明のキーポイントになりそうですね。

平説は、そうすると現在言えばダムのような役割を果たしていたことになるでしょうか。土砂崩れ止めの土塁ともいえそうですね。


神籠石の原型については、個人的には沖縄のグスクとの関係を模索していますが、そのグスク自体は山城と神殿の組み合わせとなりますから、その神籠石の構造がグスクと重なれば、立証できるのではないかと感じます。

その際に、水門の是非や、その位置などが同じかどうかも気になるところです。

また聖域の構築方法に共通性がないかどうかも調べる必要がありそうです。

先ほど、沖縄特集の番組をみてましたが、御嶽という聖域の紹介があり、洞窟や岩の重なり合う地点と、日の出の方角との関係性について触れていました。

また水流という点では、沖縄でも水田が造られていたそうで、湧き水の利用もなされていたそうです。水を通しやすい上層の石灰岩と通しにくい下層の泥岩との組み合わせで、そのような湧き水が流れ出るようになるそうです。

平さん的には、神籠石と貯水、流水の関係があると考えておられるのですよね。その辺、もう少し掘り下げてみてもよいかもしれません。





355 史実探偵: 平 素人:2020/01/05(日) 08:32:12
Re: 神籠石
管理人さまへのお返事です。ご丁寧なコメントありがとうございます。
  皆さまにとって本年も益々のお年になりますように^^。

> 神籠石についてご意見ありがとうございます。特に水門の存在は用途解明のキーポイントになりそうですね。

 今までは「神籠石」のことば自体を知らなかったのですが、祖先がその石列を何故、「籠・かご」の字をあてているのかに興味をもつようになりました。ご存知のように、竜は雨降らす水の神であり、その神に人里近くで天にも近い山頂で「雨降らせ給へや!」の祈りがあったのではないでしょうか。山城説のそれはその時期の解明で大切なことなのでしょうが、歴史的知識のない素人には卑弥呼以前の代に的をしぼっています。
地形的干天から瀬戸内沿いでは雨乞いが発達していたようで、管理人さまが特視?される北九州には「岩屋」の地名が数多くあるのには驚かされています。それに名前は思い出せませんが「〇〇平」は龍神への食台(myぶろぐ)だとしたこともありました^^!。

> 平説は、そうすると現在言えばダムのような役割を果たしていたことになるでしょうか。土砂崩れ止めの土塁ともいえそうですね。

 そうですね「ダム」と云うと水利の意がつよくなりますが、水田への水利にしては貯水量が小さすぎるので「呼び水儀式のための貯水」ではないかと考えています。そして、神籠石は「境界決め」の意が強いのではと思うようになりました。

> 神籠石の原型については、個人的には沖縄のグスクとの関係を模索していますが、そのグスク自体は山城と神殿の組み合わせとなりますから、その神籠石の構造がグスクと重なれば、立証できるのではないかと感じます。

 沖縄の「城・グスク」については全く知識がないのですが、以前、管理人さまの調査で「さいごはやはり現地調査で・」のことばがつよく残っていますし、私も、そのように思います。

> その際に、水門の是非や、その位置などが同じかどうかも気になるところです。
> また聖域の構築方法に共通性がないかどうかも調べる必要がありそうです。

そうですね! それが「雨乞い施設」だとの認識を得るには 学者の論理と解明が是非とも必要です。「水門の是非や、その位置!!」の追求には同感です。わたしは、以前「その海水や湖水(琵琶湖)の水を天にあげて雨水に変えて頂けませんか」と、ご先祖さまは祈ったのではとしたことがありました(笑い)。

> 先ほど、沖縄特集の番組をみてましたが、御嶽という聖域の紹介があり、洞窟や岩の重なり合う地点と、日の出の方角との関係性について触れていました。

わたしが、管理人さまや、先様方に強く願っているのはその件です。正月の番組で伊勢の夫婦岩のあいだからダイヤモンド富士が遠くにある映像をみました。祖先は 正月(≒冬至)の日の出に強い興味をもっています。但し、地球の歳差運動でその方向に変化ありとは先様がたが識るところです。今<渡来人>会報をみていて、私たちが神社にある盤石が山のどの位置(方向)にありかを知ることは先祖の考えをしるうえで大切と考えるようになりました。

 今、私たちが両の手を合わせたスリットや 盤石二つの間から初日ノ出がのぼってきました。わたしには、その強い日差しが四千年まえの巨大隕石が発した'<閃光>千光寺' 信仰の源に思えてならないのです。

> また水流という点では、沖縄でも水田が造られていたそうで、湧き水の利用もなされていたそうです。水を通しやすい上層の石灰岩と通しにくい下層の泥岩との組み合わせで、そのような湧き水が流れ出るようになるそうです。

山や、巨岩の隙間から、干天においても涸れない湧き水を聖水としてあがめることは 各地にもあるようです。沖縄と同様な石灰地に中米のセノーテがあるのは先さま方のしるところです。

> 平さん的には、神籠石と貯水、流水の関係があると考えておられるのですよね。その辺、もう少し掘り下げてみてもよいかもしれません。

 管理人さまぁ〜〜 素人の中坊的発想や論説ではどうにもならんとですよぉ〜〜
 それにボケが加わってきてますしぃ〜〜 (会報のほうに移りたいのですがぁ^^!)

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



356 史実探偵: 平 素人:2020/01/06(月) 04:09:12
渡来人会報「吉備・四国」を読んで
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/kibisikoku0511.htm

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



357 史実探偵: 平 素人:2020/01/07(火) 15:09:57
Re: 渡来人会報「吉備・四国」を読んで
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/kibisikoku0511.htm

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



358管理人:2020/01/08(水) 03:02:19
Re: 渡来人会報「吉備・四国」を読んで
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへ??&; 皆さまへ>
>
平さん、お返事遅れてすいません、別件でかかりっきりになってしまいまして・・・・。

ぜひ、吉備のほう、平さんのほうでも、現地への探索結果出てきましたら、よろしくお願いします。

なかなか吉備までは足を運びにくくなりました・・。

359鳩摩羅童子:2020/01/09(木) 22:27:38
稗田阿礼(ひえだのあれ) は、サンスクリット語 カモ。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_17.html

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



360 史実探偵: 平 素人:2020/01/11(土) 03:54:32
徐福達が日本史に与えた影響、その?〜?
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-13.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



361管理人:2020/01/12(日) 01:36:35
印欧祖語と日本語との関係
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000366M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000366_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000366_3M.jpg

童子さん、平さん、今年もよろしくお願いします。

やはり印欧祖語が日本語とどうかかわっているのかがきになってきますね。

古代史掲示板でもお話してますように、インダス・シュメール、そして印欧祖語との関わりは、縄文時代後期に見えてくるような気がしてますが、言語面でどうみえてくるかが課題です。

縄文人がすでに圧倒的多数でいたでしょうから、そこに少数者が移住してどのくらい影響を与えれたかが課題ですが、津軽弁とかそのあたりに、仮に上記の要素がみえてくると面白いかもしれません。

東北方面の語彙は、やはり縄文人とのつながりが残っていることは、その分布図などからも明らかなようです。

図1,2,3は、小泉保『縄文語の発見』からの引用です。ご参照ください。



362 史実探偵: 平 素人:2020/01/12(日) 07:55:06
Re: 印欧祖語と日本語との関係
管理人さまへのお返事です。コメントありがとう御座います。

昨年は、大変お世話になりました。こちらこそよろしくお願いいたします。
資料をそえての早速のお返事ありがとう御座います。お手数をおかけしました
自分にとっての徐福は、Dr.いずも氏>の感化が大きいのですが、そのやりとりをピックアップしようと思うのですが、いまさらながら自分の長駄文にうんざりして、どこに何を書いたのかすら覚えがなくて・・、読み返しの苦戦をしています。

> やはり印欧祖語が日本語とどうかかわっているのかがきになってきますね。
> 古代史掲示板でもお話してますように、インダス・シュメール、そして印欧祖語との関わりは、縄文時代後期に見えてくるような気がしてますが、言語面でどうみえてくるかが課題です。

渡来人については、祖語やら、DNAやら、気象変動やら、突発的災害や、流行病、勢力拡大等の様々な要因がからんでくるのですね。わたしにとってはレベルが高すぎて考えがおよびません。なかでもDNA分布の研究は最先端になるのでしょうか・・・?? 

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



363管理人:2020/01/13(月) 01:23:55
Re: 印欧祖語と日本語との関係
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメントありがとう御座います。
>
> 昨年は、大変お世話になりました。こちらこそよろしくお願いいたします。
> 資料をそえての早速のお返事ありがとう御座います。お手数をおかけしました

> 渡来人については、祖語やら、DNAやら、気象変動やら、突発的災害や、流行病、勢力拡大等の様々な要因がからんでくるのですね。わたしにとってはレベルが高すぎて考えがおよびません。なかでもDNA分布の研究は最先端になるのでしょうか・・・??


平さん、今年もよろしくお願いします!

言語やハプロの話は、確かに理解しにくいことかと思いますが、古代史掲示板のほうに、平さんのメインテリトリーの話を書き込んでおきましたので、よろしくご参照ください。ご指摘の2000年前の大津波の実証可能性が見えてきてます!

364 史実探偵: 平 素人:2020/01/13(月) 20:51:25
Re: [10702] 4大文明と津波地層
管理人さまへのお返事です。
   古代史掲示板[10704]の投稿分をこちらへもコピペします^^!。

> ご指摘の(BC.)2000年前の大津波の実証可能性が見えてきてます!

   ありがとう御座います。うれしいです。

↓( コピペ^^!)
短日間のうちにすごい量の情報量ですね。それ等を四大文明にからめてのご考察、大変参考になります。じっくりと消化したいと思います。ありがとうございます。

岩淵先生や平の名前を出して頂きましてありがとう御座います。二人は、「四千年前の東北巨大隕石説」を持っているのですが、先さまも挙げられている、ミドルインパクトによる地球規模の気温降下、地震や巨大津波、そして火山の誘発等、人類を含めた生物への影響は多大なものがあります。それの一番身近なものである4000年前のものにしぼって喚起を願っているのですが未だ日の目を見ていません。

中で、世界共通の“地球規模の事象”として論じ合えることは、隕石の冬がおこす “海水位の後退” があります。わたしは推量値で、約1.6mの後退。気温ではおよそ13℃(〜16℃)の降下とみています。これが短期2〜3年のうちに変動することに大きな問題があります。生物相の変化移動はもちろんですが、稲作文明を持つ大陸では大きな影響が考えられます。そして浅海化がありますので魚介類の変移等を地球規模で「共通の論題」として論じあえたらいいなと思っています。ありがとうございました。

追記 「年代の決定合意の難しさ?」
 こういったものを論じ合うとき、何時の場合もその年代の食い違いが出ることがあります。巨大隕石の衝突という“一瞬のできごと”でも、何がしかの補正があったり、堆積する地層についても “巨大津波” の発生によって経年の異なるものが混ぜ合わされたり、津波が第二波、第三波・・による堆積状をていすることから、一般的な斉一説をとれない難しさがあります。そして、現科学の多くは、巨大津波が内陸奥深くまで運んだ貝やサンゴ類を『かつてここは海だった!』とする考えが定着しており、この考えを取り除くのは至難です。

 十年以上前だったと思います。九州大の女先生が貝類の年代測定に着目されたことがありました。ご存知のように貝類の生息地はあまり移動しません。ところが巨大津波の性質として、それ等を根こそぎして津波の端部や、先端部へ置き去ることがあります。これはすべての事象に当てはまることですが『流体が媒体となって各々の物質を運ぶ時、それ等は非常に効率よく似たものは似たもの同志で分別される同似集合の原理・作用(筆者提唱)』があります。この考えは現科学が巨大(orミドル)隕石と、それによって生じる巨大津波へ、シフトしないかぎり難しいと考えています。(そこで素人的ヒラメキ^^!、人のDNA調査は著しく進歩しているが貝やサンゴのDNAは変わらないのかな??、汗~~!)

 そして、津浪についても一元的な論じ方がされていることに問題があります。津波の波高は、地形・地勢によって 震源地の直近にあっても大きく変わります。津波のやつはズルい^^!から抵抗の少ない方へ方へと移動します。「津波は川を上る」といわれますが、これは川が遠浅状になっていて津波は楽に登れるからだと申し上げたことがありました。□

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



365管理人:2020/01/15(水) 00:01:20
Re: [10702] 4大文明と津波地層
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


>
>
> 追記 「年代の決定合意の難しさ?」
>  こういったものを論じ合うとき、何時の場合もその年代の食い違いが出ることがあります。巨大隕石の衝突という“一瞬のできごと”でも、何がしかの補正があったり、堆積する地層についても “巨大津波” の発生によって経年の異なるものが混ぜ合わされたり、津波が第二波、第三波・・による堆積状をていすることから、一般的な斉一説をとれない難しさがあります。そして、現科学の多くは、巨大津波が内陸奥深くまで運んだ貝やサンゴ類を『かつてここは海だった!』とする考えが定着しており、この考えを取り除くのは至難です。
>
>  十年以上前だったと思います。九州大の女先生が貝類の年代測定に着目されたことがありました。ご存知のように貝類の生息地はあまり移動しません。ところが巨大津波の性質として、それ等を根こそぎして津波の端部や、先端部へ置き去ることがあります。これはすべての事象に当てはまることですが『流体が媒体となって各々の物質を運ぶ時、それ等は非常に効率よく似たものは似たもの同志で分別される同似集合の原理・作用(筆者提唱)』があります。この考えは現科学が巨大(orミドル)隕石と、それによって生じる巨大津波へ、シフトしないかぎり難しいと考えています。(そこで素人的ヒラメキ^^!、人のDNA調査は著しく進歩しているが貝やサンゴのDNAは変わらないのかな??、汗~~!)
>
>  そして、津浪についても一元的な論じ方がされていることに問題があります。津波の波高は、地形・地勢によって 震源地の直近にあっても大きく変わります。津波のやつはズルい^^!から抵抗の少ない方へ方へと移動します。「津波は川を上る」といわれますが、これは川が遠浅状になっていて津波は楽に登れるからだと申し上げたことがありました。□


津波の移動詳細については興味深いですね。

南海トラフの件を先ほども調べていたんですが、そろそろ近いようです。
固着域が外れはじめると、ちょうどやねの雪が落ちるようにして、一気にはがれるようです。・・・と雪国の人しかわからないかな・・。

それで津波ですが、複数の震源から複数の波が生じて、重なりあうことで、巨大化するようです。

今回の南下トラフだと8つ?くらいの震源域と津波が重なるようですが、隕石落下の津波の場合は1つか、あるいは複数の落下かでも大きさが変わりそうですね。

そして、津波がどこまで内陸へと向かうのか、ここがご指摘のとおり重要なポイントです。

通常の津波だとせいぜい沿岸だけですが、巨大化すると河をさかのぼることができるかどうか、そのメカニズムも解明が必要です。

黄河とか長江クラスの大河だと、傾斜が緩い分、内陸まで向かえる可能性もあるのではないですかな。

以前テレビで満月の日に、大河をさかのぼるシーンがありましたね。どこだったかな・・。

これこれ。黄河逆流。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.cnta-osaka.jp%2Fspot%2Fnature%2Fqiantang-river
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DjjoKcGytrUg

これで黄河文明が一度に滅んだとするとどうなるだろう・・・。



366 史実探偵: 平 素人:2020/01/16(木) 01:44:14
Re: [10702] 4大文明と津波地層
http://www.cnta-osaka.jp/spot/nature/qiantang-river

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



367管理人:2020/01/19(日) 20:24:31
Re: [10702] 4大文明と津波地層
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
>

> 巨大隕石とプレート圧の開放で起きる、地震の規模と津波の波高は全く異なります。わたしは、それを巨大隕石は風呂の湯面を拳でたたいた時の波立ちであり、プレート圧の開放では、同じ力で湯中で拳を動かした時ほどの波高差があると例えています。私たち素人は陸地を巨大な一塊の巌(いわお)と考えがちですが、岩淵先生(分散説)私(主核説)の違いはありますが、提唱している小天体クラスでは、陸地も波状化して破砕(出雲半島)したのではと思っています。
>
> > そして、津波がどこまで内陸へと向かうのか、ここがご指摘のとおり重要なポイントです。

>?? ありがとうございます。 大潮で起こる逆流でさえ、中国では大迫力がありますね。よく観察すると、直角の波止に突き当たる津波が角奥(=湾奥)へいくほど斜状に高くなっていたり、川岸のほうが濁泥色になっているのが認められます。濁泥を持った“沿岸津波”ほど怖いものはありません。石が石をウガチその破壊力は格段に増していくからです。
> 四千年まえの東北に衝突した巨大隕石が発した巨大津波は、その比ではありません。岩淵先生は、その時の巨大津波が良渚文明を滅ぼしたとし、わたしは、その津波は内陸の「天津」まで届き、その様は「竜因」のようであったと地名に遺しているとしました。そして、朝鮮半島の東海岸には「方魚津・パンオジン」とか、「方津」の地名があります。その巨大津波は「朝方に大量の魚を持って来た」といっているのでしょうね。きっと^^! 半島にも詳しい管理人さまは、もっともっと津波に関係した地名が見つかると思います。
>?? 尚、津波のメカニズムですが、通常の波が風で起こる同位置での上下動に対し、津波の波は押し波移動だと解すればさほど難しいことではありません。数学にも秀でた先さまでは、風でおきる最大波高は水の重力により約38mだと導きだすのは難なきことだと思います。?? ちなみに<3/11地震>のときの津波最高到達地点は40m弱でした。
> そして、この動画を見てもう一つ気付いたことがあります。川の両岸で津波の力を散逸させない構造になっていることです。 ありがとう御座いました。


お返事遅くなりすいません!
津浪のメカニズム、気になるところですね。

津浪の威力の計算が知りたいところです。東日本大震災のときの津浪の数倍ある津浪が、2000年前に起ったようです。三連動型の東南海地震によるものと考えられているようですが、スマトラ沖地震クラスの威力だったのではないかと感じます。あのときは、はるばるインドまで数mの津浪が奥地にまで入り込むほどの威力がありました。

次回の南海地震もそのクラスになる可能性があり、どこまで内陸へと入り込むのかは、過去の津浪地層を追う事である程度予測できるかもしれません。

早急に迫られた課題のように感じますが、またお気づきの点ございましたら、宜しくお知らせください。

368 史実探偵: 平 素人:2020/01/21(火) 00:25:07
Re: [10702] 4大文明と津波地層
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-18.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



369管理人:2020/01/22(水) 23:44:59
Re: [10702] 4大文明と津波地層
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


>
>   津波の理論上の計算式は、(ご存知とは思いますが^^)
> 津波の波高hは、水路幅wに比例し、水深dの四乗根に反比例することが知られています。
>              1
>  h = w × −−−−−−−−−
>            4√ d
> 津波は港に入った波という意味で、沖合ではたいしたことがなくても、V字状の湾奥では猛威をふるいます。津波警報が出た時、船が沖合に避難するのはこのためです。わたしは、水路幅のほうはロートを水平に切った状態であり、水深は垂直に切った時を思い浮かべています。実際にはロートの中心線上からの進入か、それを外れての進入かでも違いますし、海底地形による抵抗や溢水があれば計算式より少な目になるのかな^^? そして、理由は判らないのですが岬でも高くなることが観測されています。
>
>

なるほど、こういう計算式があるんですね!


> >東日本大震災のときの津浪の数倍ある津浪が、2000年前に起ったようです。
>
> 管理人さまぁ〜 わたしはそれが分らんのですよぉ^^! 私と岩淵先生が論じる東北巨大隕石が4000年前。先さまが云われる大インパクトが2000年前。岩淵先生はアッシャー博士との話し合いで東北のそれはエンケ彗星のデブリ(破砕分体)だろうにおちついたようです。とすると、エンケ彗星の母体(本体)は、2000年周期で太陽を周回か?の疑いがあります。人々が、こっから先を紀元だとするには単なる一学者の論説ではなく、多くのひとが同意する何かの巨大インパクトがあったのではないでしょうか。ご存知のように、欧州には、巨大隕石?によるメシア願望があります。それに、海が割れたとか、ノアの方舟伝説とかもありますから、ローマあたりに巨大津波を伴うような巨大隕石があったのではと^^??? 根も葉もない妄想をしています(^-^!)



いえいえ、2000年前のは、プレート型津波です。三連動でしょう。

4000年前と4700年前のは隕石落下と睨んでいます。

あと、3700年前ごろにも、世界的な転機があります。ここにも津波地層があるのですが、ここでも隕石落下があった可能性を考えてます。



370 史実探偵: 平 素人:2020/02/04(火) 22:52:23
Re: [10702] 4大文明と津波地層
管理人さまへのお返事です。
   お返事ずいぶん遅くなりゴメンナサイ!(><)!。

> いえいえ、2000年前のは、プレート型津波です。三連動でしょう。
> 4000年前と4700年前のは隕石落下と睨んでいます。
> あと、3700年前ごろにも、世界的な転機があります。ここにも津波地層があるのですが、ここでも隕石落下があった可能性を考えてます。

 人類が「世界的な転機」を起こすには想像を絶するようなインパクトがあったのですね。先さまは、2000年前のはプレート型と推んでおられるのですね。プレート型と巨大隕石が起こす事変の大きな違いは「隕石の冬」が有るか無いかにあります。又、巨大隕石が陸部への衝突か、深さ3700mの海部への衝突かによっても、ずいぶんとその様相は変ると思います。つまり、水蒸気をあげれば早くに爆雨となって終息するし、陸部であれば成層圏へまで粉塵を舞い上げるので、その “微小の” 全てが地上に降りるまでは相応の時間がかかります。そして、火山活動を誘発するかしないかの影響もあると思います。

 わたしは、「地球の温暖化」は、CO2の増加とするのが世界のすう勢ですが、それより大きいサイクルは、巨大隕石(その規模にもよります)が舞い上げた粉塵が時間をかけてゆっくりと空気が澄んでいくからではないのかとみています。これを言葉にすれば、地球の温暖化の一番大きな原因は『濁り水(=濁り空気)の沈殿化だ!』と思っています。もちろん先さまが以前に揚げられた天体の運動も関係ありとは思いますが・・・^^!

 巨大隕石、又はプレート型地震が起こす巨大津波について、ですが、大きくは、大西洋、インド洋、太平洋の三つと考えています。津波の力は摩擦熱での消費がほとんどないから大洋ではずいぶん遠くまで運ばれます。(チリ沖津波が日本に届いた)しかし、津波の奴(力)は、ズルいから東南諸島や、中南米で邪魔されると、そこで力をそがれて大きくは越えられないのではないでしょうか??。thanks^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



371 史実探偵: 平 素人:2020/02/05(水) 14:46:41
此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000376M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000376_2M.jpg

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372 史実探偵: 平 素人:2020/02/08(土) 05:12:27
触らぬ神(暴論)に祟りなし^^?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000377M.jpg

https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs

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373青面金剛:2020/02/08(土) 05:15:26
Re: 此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
??机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>   出土した!あとになって「忙しかった」との言葉は聞きたくないものです^^!
>此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
> <岡山県総社市奥坂岩屋寺金堂裏斜面の均地上部斜面>
>吉備・総社市岩屋・未掘の銅鐸23個が埋めてある岩屋寺金堂とその上斜面
> その祟りがあっても、当方、一切の責任をおいかねますので、自己責任でよろしくお願いいたします。
> 埋蔵金を探し出すよりいとも簡単。あなたは、わたしの予言する所へ足を運べばいいだけだ!
> 但し、その封印を解くと、震えが止まらない程の 恐ろしい祟り(タタリ)があるかもヨ! (笑)
>  遺物が出土してからでないと動けない動かない。物証至上主義も美学だが、考古学をそんな
>   魅力のない学問にしたくない。推理好きで遊び好きの貴方の参加を是非に希望します。

>    (大量の銅鐸と銅剣の出土とその推定場所)
> <出雲> 岩倉             神庭荒神谷・西谷(さいたに)
> <吉備> 岩屋?(総社市)       黒尾地区 西谷?(にしたに)

★ 前にも指摘した様に、吉備津彦と温羅の決戦の場である、古戦場にある寺の御堂は、大勢の戦死者を追悼する為に、有る訳ですから、金堂の裏側の丘が立ち入り禁止ならば、そこは戦死者の埋葬地です。

★ 吉備津彦の温羅退治は、西暦174年後半で、吉備津彦の出雲侵入は、その約10年後の185年ですので、「出雲と同じやり方で埋めた」とする平さんの説は成り立ちません。

 吉備津彦温羅退治  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmb1527.thick.jp%2FN3-18-6urataiji.html

 古代史の復元  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmb1527.thick.jp%2Fmokuji.htm


★ Googleマップの検索欄に「岡山県 岩倉、荒神、西谷」を入れて地名検索を掛ければ、
 岡山県 吉備中央町岩倉山、倉敷市岩倉神社、井原市岩倉山神社。

 荒神は20ヶ所程も出てきます。西谷も数か所ヒットします。これらの地を一通り廻る事無しに、思い付きレベルで、勝手に決めつけた所で、全く根拠が有りません。

 更に、平さんの文中には、地元の方々を激怒させる無神経な表現が多々見られます。そんな罰当たりの説を、誰も受け継ぎたくないのは当然でしょう。


★ 考古学者のシュリーマンが、発掘に関するルールを定めていて、
『発掘候補地が、探索に危険な場所だったり、死者の埋葬地で霊障や祟りが懸念される土地である場合は、発掘提唱者の人生の枠内で収める事』があります。

 平さんは、机とパソコンの前という、安全地帯から、他人に、「危険な所に行ってくれ!墓を掘ってくれ!」と無責任に嗾けているのは、発掘のルールに反します。

 まだ軽トラックを運転できるのなら、吉備中央町の岩倉公園や三休山へ、日帰りで行って来れるのでは無いですか。
 後は、管理人さんがドローンの操縦に慣れておられる様なので、「坪背山にドローンを飛ばしてもらえませんか?」と頼むと好いかも。ドローンなら、古い坑道に落ちたり、マムシに咬まれるリスクも無いでしょうから。


374 机上探偵: 平 素人:2020/02/09(日) 00:37:37
此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
青面金剛さまへのお返事です。
 レアなコメントありがとう御座います^^。この掲示板へ訪れるお人はたいてい「古代史掲示板」へもお出でる人だから1人/160人?ぐらいの希少価値があります^^。それを思うと有難い思いでいっぱいです。

>
> ★ 前にも指摘した様に、吉備津彦と温羅の決戦の場である、古戦場にある寺の御堂は、大勢の戦死者を追悼する為に、有る訳ですから、金堂の裏側の丘が立ち入り禁止ならば、そこは戦死者の埋葬地です。
> ★ 吉備津彦の温羅退治は、西暦174年後半で、吉備津彦の出雲侵入は、その約10年後の185年ですので、「出雲と同じやり方で埋めた」とする平さんの説は成り立ちません。
>
>  後は、管理人さんがドローンの操縦に慣れておられる様なので、「坪背山にドローンを飛ばしてもらえませんか?」と頼むと好いかも。ドローンなら、古い坑道に落ちたり、マムシに咬まれるリスクも無いでしょうから。
>

 先さまの色々なアドバイスや情報の提供は嬉しいのですが、私の元々は「南極大陸が大隕石→四千年前の東北巨大隕石→卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」のような現科学にないアウトレット論が売り^^ですから先さまが、専門家が、現史学からなんと云われようと「それを」ゆずる分けにはいきません。

 先さまは、拙論を「机上論」とさげすまれておられるようですが、 「中坊程度の机上論」でも解ることに “大きな意味” があります。皆さまが「何だぁ”そうだったのかぁ」と気づけばいいだけです。幾度も言いますが「これが、先さま方に伝わらないのは、その史実が無かったからではなく素人の論説法が拙いから」です。もちろん部分的には、誤りもあるとは承知しています・・・、

もとはと言えば「子ども心と遊び心」で始めたこと。卑弥呼については「十人十色」いろいろに論じるのも楽しいではありませんか。それが出土しなければガックリですが、もし出土したら・・ですよね^^?

尚、
★坪背山の「坑道排出ズリの確認」は猪ノ目茶屋跡から散策道を7分ほど登った右手の分かれ道の突き当り下斜面と推んでいますから、ドローンはいりません。ただ積雪を考えなければ、通常の注意で充分と思いますが??

★岩屋寺金堂の裏斜面の「23個銅鐸推定地」は下方に金堂が見える位置であり、この時期雪もなく、マムシはもちろん居ません。ただ散策道を外れた私有地か社有地かも知れないので、その<許可さえ>得られれば大して難しいとは思いません。但しこの時期、凍みていたり、落ち葉で滑りこけないように注意しなければなりません。(ゴメン、啓蟄すぎて道にシマヘビがぁ^^!)

 私ですかぁ^^? これからは全て成り行きで・・・、
30年あまりの広報をしてきました。それ等を受け取る受けとらないは現学や先さま方の自由! 当方少々ボケも入ってきました。わずらわしいことは嫌です。残り少ない人生。たのしまなくっちゃーね。「四国真ん中スイーツ電車」にいってきまぁす^^。

<評価の歩み>↓ どれか一つでもなれば、根ほり葉ほり調べられるのも嫌ですよね^^!

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375机上探偵: 平 素人:2020/02/11(火) 10:16:47
大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
 卑弥呼の時代、今から1700年ほど前、土地の私有化が進んでいない時、その大量の銅鐸を封印する土地を選ぶには、「どこでもいいや」という分けではなく、”何かの決まり”があるはずだ。

<銅鐸の出土>
多少のズレはあるが銅鐸がまとまっての出土は、出雲が39個、吉備の予測数(23個)、神戸14個、野洲で24個が出土している。後々ではあるが四国や淡路島、静岡?、それに北陸地方でも発見かっているようだ。
静岡での全斜面探査?以外は、何かの偶然からの出土であり、出雲岩倉では山斜面の道路新設中、野洲大岩山は新幹線施設の計画前?、神戸神岡(かむか)では住宅建設?? 時で、あり現状はとどめていない。
単品の発見でも、何かの工事中とか、鯉のぼりの竿立て穴とか、子供が持ち遊んでいたとかの発見であり、予測しての発見はまったくない。予測しての発見は史学者のゆめのようです。(笑い)

このように、何かの偶然からの現状破壊がほとんどであり、まとめての出土の場合は「山の中腹に」がわかっている。それも比較的浅い場所からと推測され、筆者は、当時の男性の平均身長を五尺余として、その埋め底を「四尺」とした。これ以上掘ると顔に土がかかり掘りずらいから(^^!)だとしました。土葬の場合もほぼこの深さであり、「四」=「死」の考えからの発生かと思います。

「山の中腹」だと聞いて、新幹線の途中下車ではあるが、野洲の銅鐸博物館、神戸の考古館?へ出向いたことがある。野洲では記憶に薄いが移転地であり峠状の道路脇だったかな。神戸では、ご親切にも地図でのコピーまで頂いたのに分からずじまい^^!。

「埋め地の方角は?」
人里から程よく離れた奥山で、片道3時間以内。これ以上かかると祀りごとをして、その日うちに帰ってこれなくなると推んだ。そして、「山の山頂からの方位は?」東西南北どこでもいいはずなのに、「どこでもいいや!」とはしていない。筆者は、それを東から東南までの間と推定した。理由は、冬至の旭光に由来しているとは前述しています。

「人里から程よく離れた所」
祖先は、人里から程よく離れた場所を「境内・けいだい」と定め、そこを冒してはならない聖域として一般の人々の立ち入りを禁止した。そこで雨乞い生け贄のための幼子を隔離して育てていたとしたのが(別紙)の「鬼ノ城・きのじょう」であった。総社市岩屋は、それよりさらに奥の「奥坂」にある。地名に「奥」の字がつけば人々の生活圏から外れていることを意味する。日本人には、戸障子はおろかロープ一本の「境界」でも、侵してはならないとする考えが潜在している。この考えは、中国の客家、欧米の鉄格子で遮る考えからは、とうてい理解できない。

総社市奥坂岩屋の「金堂」ですが
 金堂とは冬至の極光が射し「ひかり輝く」ことを意味する。全国の名ある社(やしろ)の向きが東から南までの間にあれば、あながち、この考えが当たっていないとは言えない。蛇足ながら、差し矢の風習はこのことから来ていると思っています。
岩屋寺・金堂には、この下方に真宗か真言宗の社寺らしき社屋はあるが、金堂に連なる社屋はない。そして、土壇の上に立つ建物の足が異常に高い。これは、そこに〇〇の神さまがおわすのではなくて、金堂裏の山体が重要であることを意味する。そしてこの社屋は前部の格子戸だけで周りは囲まれていた(?)、と思うが正確には思い出せない^^!。中に小さな毘沙門天の木彫が飾られていた。これは、「その射し矢=冬至の旭光=荒神さま」の御来光を阻み、この社屋の後ろに埋めた23個の銅鐸に“乗り移つらせないため”だと謎解きしました。

「お宮の前面が格子戸になっているのは何故??」
子どもの頃、このように考えたお人は、きっとあるはずだ。その子供心を思い出し、深く追求しなければ「この祖先からのメッセージ」は貴方には伝わらない。(ちょっと言葉が過ぎました^^!)このように、今の史学がその銅鐸を謎の遺物と呼び、その歴史をすっかり忘れてしまっていることが問題なのだ!。その前面を塞いでしまえば、その光神さまは入れないし、あらぬ所へ飛び散り、取り付いて悪さ(災い)をもたらすかも知れないと思ったのかな(^-^!)。
 この金堂の裏手の岩壁の下に、「溜井」のような跡があったのが気になっています。
 国土地理院・岩屋・金堂の地図を載せようと思っているのですが、手間取っています^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entory-31.html



376青面金剛:2020/02/12(水) 08:37:33
Re: 大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> <銅鐸の出土>
> 多少のズレはあるが銅鐸がまとまっての出土は、出雲が39個、吉備の予測数(23個)、神戸14個、野洲で24個が出土している。後々ではあるが四国や淡路島、静岡?、それに北陸地方でも発見かっているようだ。
> 「埋め地の方角は?」
> 人里から程よく離れた奥山で、片道3時間以内。これ以上かかると祀りごとをして、その日うちに帰ってこれなくなると推んだ。筆者は、それを東から東南までの間と推定した。理由は、冬至の旭光に由来しているとは前述しています。

★  荒神谷遺跡  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.kojindani.jp%2Fiseki%2Findex.html

 銅剣358本と銅鐸6個と銅矛16本
「遺跡は『出雲国風土記』記載の出雲郡(いずものこほり)の神名火山(かんなびやま)に比定されている仏経山の北東3kmに位置する斐川町神庭(かんば)西谷にあります。銅剣が埋納されていたのは、小さな谷間の標高22mの南向きの急斜面で、昭和60年には、その時点からわずか7m離れて銅鐸(どうたく)と銅矛(どうほこ)が出土しました。」

   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.kojindani.jp%2Fpark%2Fpark.html


> 「人里から程よく離れた所」
> そこで雨乞い生け贄のための幼子を隔離して育てていたとしたのが(別紙)の「鬼ノ城・きのじょう」であった。
> 総社市奥坂岩屋の「金堂」ですが、金堂とは冬至の極光が射し「ひかり輝く」ことを意味する。
> 岩屋寺・金堂には、この下方に真宗か真言宗の社寺らしき社屋はあるが、金堂に連なる社屋はない。そして、土壇の上に立つ建物の足が異常に高い。これは、そこに〇〇の神さまがおわすのではなくて、金堂裏の山体が重要であることを意味する。中に小さな毘沙門天の木彫が飾られていた。これは、「その射し矢=冬至の旭光=荒神さま」の御来光を阻み、この社屋の後ろに埋めた23個の銅鐸に“乗り移つらせないため”だと謎解きしました。

★ 「中に小さな毘沙門天の木彫が飾られていた」事から、「お宮」では無くて、仏教の『お堂』です。銅鐸の時代に仏教は未だ渡来していません。

★ 百済の王子である温羅は、製鉄の技術で、農機具や漁具を地元に広め、豊作と豊漁を貰らした事で、地元民からの信頼を得て、地元の娘と結婚しました。

> 「お宮の前面が格子戸になっているのは何故??」

★ 「お堂」の前面が格子戸になっているのは、御供え物が、カラスやキツネなどに荒されない為。


☆ 荒神谷博物館も加茂岩倉遺跡ガイダンスも、古代出雲歴史博物館も訪れる事なしに、勝手な妄想を描いてるだけです。
 荒神谷も加茂岩倉も、近くに出雲王家の重要な祭祀の場が有りました。総社市奥坂岩屋は、出雲王家とは関係ないです。

 加茂岩倉遺跡ガイダンス
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkamo-iwakura.amebaownd.com%2Fpages%2F1404761%2Fpage_201711071032

 島根県立古代出雲歴史博物館  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izm.ed.jp%2F

 島根県立八雲立つ風土記の丘  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.yakumotatu-fudokinooka.jp%2F

 出雲弥生の森博物館
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.izumo.shimane.jp%2Fwww%2Fcontents%2F1244161923233%2Findex.html

 島根県立埋蔵文化財調査センター  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.pref.shimane.lg.jp%2Fmaizobunkazai%2F

 島根大学ミュージアム  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmuseum.shimane-u.ac.jp%2Findex.html



377机上探偵: 平 素人:2020/02/14(金) 02:06:56
Re: 大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
https://kamo-iwakura.amebaownd.com/pages/1404761/page_201711071032

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entory-31.html



378青面金剛:2020/02/15(土) 10:11:50
Re: 大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 出雲の「仏教山」、吉備の「経山」、神戸に荒神山と大月荒神谷、野洲に三上山と「妙光寺山」があります。これ等の山は大量の銅鐸の出土地から<二山越えの三山の前>あたりにあります。そして、不思議なことに、直線、曲線(徒道)を問わなければ、ほぼ3km〜4kmであり。すなわち<1里 = 1離>ほど離れた場所にあります。
>  何故に仏教に由来する山名がついているのか、今だに解りませんが、四ヶ所の内三ヶ所までが<二山越えて一里離れた所>にあるのか不思議でなりませんでした。特に出雲の「仏教山」と吉備の「経山」は酷似しています。
> 出雲の仏教山を、「カンナビ山に否定する」がありますが、私は、カンナビ山の山姿は、ブログ「いずものこころ」で、その山頂は「丸くてなだらかな形をしている」と得ていたので剣山型の仏教山がカンナビ山であれば、その考えを変えなければなりません。出雲にカンナビ山は四山あり、その囲まれた中に宍道湖・中海があり、「四方の風を呼び八方の雨雲を呼び寄せ中海に慈雨を!」とも得ていました。
>  「仏教山 = カンナビ山(?)」から、妄想した^^!)のですが、仏教系の山名のまえに何か、ほかの山名(通称は何?)が付いていたのではないかと疑るようになりました^^?。
> その地元には史学で云われない「言い伝えやいわれ」があり、それ抜きでその地の歴史を論じてはならないと強く教示されています。『地元のことは地元にきけ!』

☆ 『出雲の仏教山を、「カンナビ山に比定する」』元は『神の山』『神奈備山』と呼ばれ、後の征服側が、出雲での神奈備信仰を隠蔽させるために仏経山と呼び名を変えてしまいました


> 伊奈西波岐神社に奥の院あり(勾玉・銅戈を打付けて竜の首根っこの縛り付け場所)が判明。
> タクシー運転手も避けるから(猪の目峠に隠された坑道・天岩戸あり)を確信した。

> 加茂岩倉遺跡ガイダンス <大量の銅鐸の埋めてあった場所は、>
> 狭く長い谷の最奥部である。そして奥の南側に張り出した丘陵の南東斜面に埋められていた。銅鐸出土地からの眺望はあまりよくない。
> 『狭く長い谷の最奥部南東斜面に(吉備では東向き斜面)、銅鐸出土地からの眺望はあまりよくない』多少の違いはありますが、筆者が23個の銅鐸ありと推定した岩屋の金堂の裏斜面に酷似しています。厳密にいえば金堂裏の上方斜面には南北50〜60歩の均地(なるち)があり、ここで封印のための祈祷儀式がされたと推みました。
> 『眺望はあまりよくない』が、その谷の先にある山と山との谷あいに1700年前の冬至の太陽が昇り旭光が射しこむ位置にその銅鐸が埋められていたのであれば最高ですよね。尚、その所に、光道(こうど)に類する地名や、いわれ・言い伝え、そして射り矢、入谷(いりや)に関する歴史があれば、「総社市奥坂岩屋に大量の銅鐸があり」は確定します。

☆ 『海風想』のHPに加茂岩倉遺跡の地形図に方位が示されてますが、加茂岩倉遺跡ガイダンスの建物と平行した、南南東向きの斜面に在り、「冬至の太陽が昇り旭光が射しこむ」のは、日の出からだいぶ時間が経過した、太陽の角度が可成り高く成らないと無理です。

『海風想』加茂岩倉遺跡  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkaifuusoo-575.sakura.ne.jp%2Fizumo-3-kamoiwakura.html


> 「加茂岩倉」の地名の由来はなんですか?? どこにその『岩はあるのですか?』総社市岩屋に鬼の差上げ岩と呼ばれている巨岩があるのはもちろんですが、その旭光を止める屏風岩や、山頂に重しの役目とみる大きな露岩があれば、加茂岩倉と総社市岩屋には大量の銅鐸を寝かせて(伏せて)埋めるという共通の文化があります。

☆ 同じページの下方に加茂岩倉遺跡の第一駐車場から見る岩倉の写真が有ります。また、加茂岩倉遺跡の北北東の約400メートルのに「矢櫃神社跡」があり、その奥側斜面には食いつくように大きな岩が座している。この大岩も、「磐座(いわくら)」として古くから祭祀が行われた場所であるといえる。
 うんなん旅ネット 加茂岩倉遺跡 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.unnan-kankou.jp%2Fcontents%2Fspot%2F274

☆ 『海風想』の磐富一馬氏は、同じページの更に下方で、加茂岩倉遺跡のガイダンス(資料館)に掲示されている航空写真を基に、『出雲タケルの姿』を示しています。

              西谷墳丘墓群(頭)

                            荒神谷遺跡(左腕)

         加茂岩倉遺跡(剣を腰に付ける位置)



  夜都米佐須伊豆毛多祁流賀波祁流多知都豆良佐波麻岐佐味那志爾阿波禮

 「出雲タケルさまが身につけていらっしゃる太刀。
    つる草のごとくたくさん巻き付けて、その身だしなみに感動する」(磐富一馬氏の口語訳)
  『海風想』  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkaifuusoo-575.sakura.ne.jp%2Fizumo-3-kamoiwakura.html

☆ 磐富一馬氏の説に補足するならば、右足の場所には、武内宿祢の墓が有る『神原神社』、
左足には『佐為神社(さいじんじゃ)』、右腕には『草枕山(酔ったオロチが枕に眠った山)』


               西谷墳丘墓群(頭)

   草枕山(右腕)                    荒神谷遺跡(左腕)

         加茂岩倉遺跡(剣を腰に付ける位置)


    神原神社(右足)                  佐為神社(左足)


☆ これが平さんの先祖からの伝承である「命主社と同じ様に『大の字』に埋めた」の意味では無いでしょうか。

☆ 日御碕での太陽信仰を、太陽の運行(冬至・春分・夏至・秋分)を基に分析した論文は、既出ですが、日の出日の入りの角度は、下記のブログで、

 蘇える出雲王朝  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyomiagaeru.exblog.jp%2F27467502%2F


 日御碕神社 海底遺跡
「日御碕神社の宮司さんから、経島で行われている夕日の神事が、昔は沖にある「タイワ」の瀬で行われていたという言い伝えを聞いたそうである。もし、経島ではなく、その海底遺跡で神事が行われていたのなら、夏至の沈む方位線もまた別のところに向かって引かれることになる。」


☆ 鯉喰神社は卑弥呼の墳丘墓の上に建てられて居る様ですが、足守川を挟んだ東岸が「加茂」の地で、上賀茂神社と賀茂神社が有ります。
 加茂氏は、祭祀を毎日司る役目ですので、祭祀の場に近い場所に住まねば成りません。片道3時間も掛けるのは、王家の方々が行事の時に、歩いて行ける距離です。
 吉備中央町の岩倉山の周辺には、加茂、賀茂の地名が残る事から、直ぐ近くに賀茂氏が住んでいた事が伺えます。

☆ 磐富一馬氏の『海風想』では、屏風折れの石垣は、太陽信仰の祭祀場と推察しています。

「石垣の上は大きな建物を造れるほどの広さは無く、幅は大股歩数で約10歩程度しかありません。
  方位を測ってみますと、舌状の突き出し方向は真東です。そうすると、この舌状に突き出した石垣の上から突き出し方向を見ますと、日の出地点は突き出しを中心に置いて右に左に日を振ります。
 すなわち、この高石垣は日の出を観測して農業の時期を知る、太陽信仰の祭祀場だったのではないでしょうか。どうりで豪華です。」

   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkaifuusoo-575.sakura.ne.jp%2Fkougoisi-kinojyou-1.html



379机上探偵: 平 素人:2020/02/16(日) 07:50:08
Re: 大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
青面金剛さまへのお返事です。
 早速のコメント有難うございます^^。
  昨日、「四国まんなか千年ものがたり」に行きました。息子たちが呼んでくれた
スイーツ電車ですが、まるで通常を離れた別の時空に入ったような時を楽しんでまいりました。
車に弱い私、帰りの特急南風に車よいしましてパタンキューです^^!。

 一読ですが・、コメントやその情報には大変興味を^^ひく個所が目に入っています。
 しかし、今は頭が鳴りふかく考えることが出来ません。時間をください・・・。

 冬至の入光は、かなり時間がたってから・、総社でもそのような気がしていました?
 加茂岩倉から、荒神谷へ行く旧道・徒歩道がある・・☆
 文面に、岩・盤座、矢の字等々をみかける・・・・???

あとで、熟読します・・・ありがとうございました・・・後々に・・、

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entory-31.html



380机上探偵: 平 素人:2020/02/17(月) 06:59:45
Re: 大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
http://kaifuusoo-575.sakura.ne.jp/izumo-3-kamoiwakura.html

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381青面金剛:2020/02/17(月) 20:00:01
Re: 大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> しかし、射光・射的の考えは絶対に外すことは出来ないと考えています。
> 例えば、その埋め場所を低い位置に変えれば、日の出からの時間はかなり経過しますし、その位置をだんだん高くしていくと、日の出の時間に近くなってきます。
>  次に、「入光・入谷(いりや)」の考えがあります。
> 本坑と偽坑の位置の関係を知りたいと思います。
>  この話は、1700年前のはなしですから、現在は歳差により日の出の方向が72年に1度角、少しずつ時計回りにずれていますからそれを考慮しなくてはなりません。いずれにしても、先さまが強くもとめるように最後は実地検証が大切かと・・・^^!、

★ そこまで強い拘りを持っているならば、自分で直接、賀茂岩倉へ行って確認してこい!

☆ ”金鶏伝説”
 「加茂岩倉地区には、昔から「元旦の朝、初日の出が差し込む”大岩”の下に金の鶏がいて、年に一度この時だけ鳴く。その下を掘ると宝を授かる。だが、それを他人に話してはならない。」との”金鶏伝説”があった。」 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fuser.kkm.ne.jp%2Ftatetani%2Findex.html

「元旦に岩の中にいる金の鶏の鳴き声を聞いた人は幸せになるという金鶏伝説の大岩もあります。」
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.monaka-data.net%2Fdoutaku-monaka%2F


☆ 荒神谷・加茂岩倉遺跡及び『出雲国風土記』から推理する 古代出雲の測量法   吉 田??薫

「両遺跡の位置関係を知るため地図上(図-1.1)で線を引いてみると、両者 は不可分の関係にあることが一目瞭然である。まず、大黒山(315m)と高 瀬山(314m)を結ぶ線と、両遺跡を結ぶ線は直交する。さらに、大黒山と 両遺跡、高瀬山と両遺跡は等距離である。すなわち、底辺を共有する二等辺 三角形が描けるのである。 」

「ブロンズサークル??銅剣の数 358 本は年 365 日を想起させること、加茂岩倉遺跡から眺めると 荒神谷遺跡の方向は冬至の日没方向であることをヒントに、ストーンサーク ル(秋田県大湯環状列石:約 4000 年前の縄文時代後期の遺跡など)になら い、三種類の青銅器を環状に並べてみる。」

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fpeshimane.net%2Fwp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2015%2F02%2F2014-25

☆ 全国遺跡報告総覧 加茂岩倉遺跡  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsitereports.nabunken.go.jp%2Fja%2F2618

☆ 全国遺跡報告総覧 出雲神庭荒神谷遺跡  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsitereports.nabunken.go.jp%2Fja%2F13824

☆ 真幸ヶ丘公園の六角形の建物は『展望台』です。

☆ 鯉喰神社の南東の『王墓の丘史跡公園』にある真宮神社から南東へ約400m程に『岩倉神社』が有ります。倉敷市日畑203
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jinja-net.jp%2Fjinjacho-okayama2%2Fjsearch3okayama.php%3Fjinjya%3D28635

☆ 「ドローンは要りません」と言い、場所を搾り込んでいるならば、平さんが自分で行くしか有りません。 念のために、登山用品店などで売っている非常用のホイッスル(100均ショップにも探せば有るかも)と、クマ除けの鈴(マムシは金属の擦れる音を嫌うので。自治体で無料で貸し出してる場合もある)を付けて行くと好いでしょう。







382荊の紀氏:2020/02/19(水) 00:18:44
Re: 此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

??????????????参考に成れば幸いです。

 N34度44分 E133度45分 ?
<岡山県総社市奥坂岩屋寺金堂裏斜面の均地上部斜面>
N34度44分 E133度45分 ?

<岡山県総社市奥坂岩屋寺金堂裏斜面の均地上部斜面>
N34度43分   E133度46分 48″
十進数 34.718482 133.779913

荒神谷遺跡ー奥坂岩屋寺金堂
方位角 130.64477度(東南に40.64477度)
距離111.84885?

40.64477度ー40.908417=0.263647 (差 約0.26度)

古津路遺跡ー五斗長垣内遺跡
方位角 40.908417度
距離40.179686?

弥生時代の古式銅鐸ばかりが発見される淡路島の銅鐸を象徴しています。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkuniumi-awaji.jp%2Fheritage%2F01nakagawara%2F
五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)は、兵庫県淡路市黒谷にある弥生時代の遺跡。
北緯34度30分18.4秒 東経134度54分30.3秒
十進数34.505111, 134.908417

北緯35度22分35.4秒 東経132度51分8.7秒
荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)は、島根県出雲市斐川町神庭の小さな谷間にある遺跡
十進数 35.3765, 132.852417

荒神谷遺跡ー古津路遺跡
方位角 123.93394度(東南に33.93394度)
距離 207.305791?

荒神谷遺跡ー五斗長垣内遺跡
方位角 116.748485度(東南に26.748485度)

古津路遺跡ー五斗長垣内遺跡
方位角 40.908417度
距離40.179686?

五斗長垣内鍛冶工房遺跡のこと そして 同じ頃 出雲で起こった大量の埋納銅鐸・銅剣出土のこと。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.infokkkna.com%2Fironroad%2F2015htm%2Firon11%2F1506doutaku00.htm

古津路銅剣 | 淡路島日本遺産kuniumi-awaji.jp/heritage/06kotsuro/
多数の銅鐸が発見された慶野松原近くの古津路遺跡から見つかった銅剣で、14本が確認されています。



> 久しく休止していた送信活動を再開し、次の文面を各機関に送ります。
>   出土した!あとになって「忙しかった」との言葉は聞きたくないものです^^!
>
>                           ( Feb.05, 2020 )
> 〔極秘〕 ↓此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
>             You must dig here. bow wow^^.
>     <岡山県総社市奥坂岩屋寺金堂裏斜面の均地上部斜面>
>    N34度44分 E133度45分 ? この掘り上げ 場所の推定を、1mと違えてはならない!
>  ※探知機を持ち込めばいいのだが、それでは 「予測できる・した」 という意味が半減する!!
>
>    古代史掲示板 [332] 投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2019年12月 4日(水)
>   この記事は、地域・地主様へのご迷惑や歴史破壊を考えて近時まで〔極秘〕として
>   いましたが、何方さまからも相手にして頂けないので、 咎を承知で再度掲載します。
>      (それを待っていたら、こっちの頭も命も持たない^^! 。(ので只今、終活中です。)
>
>          写真1金堂の裏斜面 & 写真2岩屋寺金堂
>
>       ↑吉備・総社市岩屋・未掘の銅鐸23個が埋めてある岩屋寺金堂とその上斜面
> ※写真の場所は散策コースを外れております。(散策道は所有者のご協力からなっており)コース外の
> 探索はくれぐれも、その許可をとってからになさって下さい。そうしないと立ち入りさえ出来なくなって
> しまいます。【厳重注意】
>  尚、それがわずか 四尺下の土中 なのに今の今迄盗掘されなかったのは「墓泥棒も恐れるほどの荒神」を強力な法力で封印しているからだ!」 その祟りがあっても、当方、一切の責任をおいかねますので、自己責任でよろしくお願いいたします。  史実探偵: 平 素人 、拝□
>
>   さて、あなたさまは、つぎの三択どうされますぅ・・・^^?
> 1.実績のない素人の妄想・戯言として 無視する。 →が、出たらさわぐ~~?
> 2.その銅鐸の掘り上げに携わり、古代史に風穴をあける。→祟りがあるかもよ~~!
> 3.卑弥呼が、その銅鐸が出土しようがしまいが「今のワシにゃあ関係も 興味もねぇ(笑い)」
>
>  <その銅鐸が“何故23個”なのか?>この詳しくは、こちらへどうぞ(^-^!)
>       関連記事: /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Ffujorinokuukan.blog108.fc2.com%2Fblog-entry-1.html
>
>  卑弥呼は、それまで永々と続いた「銅鐸生け贄文化を銅鏡身代わり文化へ変えようと」魏から得た
>  100枚の銅鏡に換えて、出雲と “同じ決め事”で持ち寄った銅剣と銅鐸を “セット”で封印している!
>
>  卑弥呼が埋めた・させた“大量の銅剣”を発見ける事は、有るか無いかも分からない徳川の
> 埋蔵金を探し出すよりいとも簡単。あなたは、わたしの予言する所へ足を運べばいいだけだ!
> 但し、その“封印”を解くと、震えが止まらない程の 恐ろしい祟り(タタリ)があるかもヨ! (笑)
>  出雲・野洲・神戸には、大量の銅鐸を寝かせてヒレ伏して埋める という「共通した文化」がある。
>
>           “ 共通の文化には、共通の事象あり!”
>   その出雲で大量の銅剣類が出土している。共通の文化には、共通した事象があるならば、
>  「野洲や神戸にも」(そして吉備にも)、出雲と全く同じような関係場所に、100%の確率で
>  “大量の銅鐸や銅剣類” がセットされて、1700年余の眠りに就いている!!!
>  遺物が出土してからでないと動けない動かない。物証至上主義も美学だが、考古学をそんな
>   魅力のない学問にしたくない。推理好きで遊び好きの貴方の参加を是非に希望します。
>                          Blog: since 2007  June 22,
>
> 大量の銅鐸と銅剣の埋め場所は、
>        以下(青色)のような “相関関係と、共通性” がある。
>
>    (大量の銅鐸と銅剣の出土とその推定場所)
>         <大量の銅鐸>                  <大量の銅剣>
>   人里から程よく離れた山の中腹、           ほぼ西南方で辺ぴな谷奥の南向斜面
>     岩の付く地名→   その西方;約1里・二山越え→   西、及び荒神の付く地名
> <出雲> 岩倉           大黒山・仏教山△姿   神庭荒神谷・西谷(さいたに)
> <吉備> 岩屋?(総社市)     *山 ・経山△姿    黒尾地区 西谷?(にしたに)
> <神戸> 桜ヶ丘(古名;神岡かむか) * (荒神山△姿)  地獄谷 or  大月地獄谷?
>          (いわやの駅名あり)
> <野洲> 大岩山          *山 ・妙光寺山  と、三上山との谷間・(地名?)
>   (註)(?マーク)は、予想した埋封(まいふう;筆者の造語)場所で、未だ未掘です!
>
>
> <大量の銅鐸・(銅剣)の現在迄の出土数と予測数>
>  ↓赤字は,未出土の大量の銅鐸・銅剣の出土予測数
> <出雲>  岩倉         39個       神庭荒神谷・西谷    358本
> <吉備>  岩屋 出土予測数  (23個)    黒尾地区 西谷 目安予測数(200本?)
> <神戸> いわや,神岡(古名;かむか)14個 地獄谷or大月地獄谷?目安予測数(120本?)
> <野洲>  大岩山        24個       三上山との谷間  目安予測数(200本?)
>      銅鐸&銅鏡のそれぞれの<合計> (-1卑弥呼の手持ち分^^?)
>        100個 = 出雲39個 +(吉備23個) + 神戸14個 + 野洲24個
> 卑弥呼が銅鐸との交換に使った銅鏡の数( = 魏から得た銅鏡数100個(^-^)
> 註)銅剣で・目安予測数としているのは、出雲の銅鐸1個に対する銅剣数を(358÷39=9本)として算出した数であり、これは、あくまで目安としての数です。(減る傾向ありか?)
>    ↑ Myブログ、月別アーカイブ 2011/1月&;2月<銅剣銅鐸探査のあれこれ!>より、
>      /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Ffujorinokuukan.blog108.fc2.com%2Fblog-date-201101.html

383机上探偵: 平 素人:2020/02/19(水) 08:45:14
Re: 此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
荊の紀氏先生へのお返事です。

 せんせいぃ〜ぃ^^!??どうされてたんですかぁ心配してました。
 御自分の掲示板には毎日ご記事をあげているのに、「なぜ?」の思いがありました。

ルーツさんとのやり取りで、「うちのキシがごめいわくをかけています」がありました。
紀氏先生は、管理人さんにとって、身内のようなものかな^^?
先生にはせんせいの多くのファンがいるはずです。復帰をのぞみます。
(・・、でも管理人さまのいうこともすこしはきいてね^^!)
この掲示板は管理人さまの度量でなりたっているのは、先生もよくご存知のはず^^!

わたしのほうは衰えもあり、根がつづきません。今は青面さまで手一杯です^^!。
>?????????????? 参考に成れば幸いです。
先生のは、私にとってむつかしそうですが、あとでゆっくり考えたいと思います。
今後のご指導をよろしく、お願いいたします。  早々、

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entory-31.html



384机上探偵: 平 素人:2020/02/19(水) 10:51:24
Re: 此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
続、キシ先生へのお返事です。

淡路島の件は、最近のニュースであり、センセ>も揚げられていましたね。
わたしは、この件をつぎのように考えています。

卑弥呼が銅鐸に換えて分け与えた銅鏡の数は100枚であり、前述している「出雲と吉備と神戸と野洲」に、その100個を分け与えればなくなってしまいます。ご存知のように銅鐸を使用しての文化は約500年の永きに渡っています。銅鐸は「荒神を呼び寄せ乗り移らせる媒体」と最終的に結論づけましたから、二体を越えると荒神同士はケンカを始めるので、少なくとも3体以上まとめて埋められているは、卑弥呼が提唱した「主神(銅鏡)は太陽であり、従来の荒神(銅鐸)は従神だ」との考えが <波及した以後> のものと考えています。

↓MYブログより^^!
<なぜ、“大量の”銅剣や銅鐸が埋められたのであろうか?>
 銅鐸は、大量にまとめて埋められた以前にも、必要時以外は個々に(土中保管説)埋められていた。 話は、これを大きくさかのぼり、「BC.2001年の12月25日、未だ暗い朝の6時頃、地球を半周した彗星が、龍飛崎の上空を通過し、三陸地方に巨大隕石となって光臨した!」
祖先はその赤く輝いた巨塊を、その風切り音から“竜”と命名した。この巨大隕石は、隕石の冬による慈雨と、津波による魚介類や瑞穂という恵みを打ち上げ、そして、犠牲を強要する荒神となって “人々の心の中” に入り込んだ。神の発生は大集団社会へと展開する核となる。その過程で雨水の必要性もだんだんと増してきて“雨乞い”が始まる。願う相手は、その慈雨をもたらした八大竜王だ。 この荒神様は、慈雨との交換に赤い血を欲しがる。

 生け贄の歴史は、最初の小動物からエスカレートして、 ついには 「私達には、これ以上に大切なものは有りません。 この幼子を煙に変えますから、 どうぞ、この海水を、この幼子の煙を雨雲に換えて下さい」 と迄になる。 “その天竜水神を呼び寄せ、荒神を乗り移す媒体となったのが銅鐸だ!”  それ等の “雨乞い生贄文化” が永々と続いていた3世紀の初頭に、言い伝えの箒星が現れた。 朝夕の空にあるその星は日々に大きさを増していった! 又来るあの大事変が!!
  人々が恐れおののくなかで、ヒミコは云った。
 「やがて、あの星は全天を覆うだろう。 私がその難を逃れるお祈りをしてあげる」と、
   結果的に、この彗星はニアミスに終わり、人々は大きく安堵した。

 火巫女は説いた。「真は、お日様が主神で荒神彗星は、そのお使者であるよ。 その証しに、その星は、朝夕のお日様の方から来たでしょ。悲しい習慣りは、止めにしましょう」 元は、と云えばヒミコは、一般の子と区別するために、その削がれた耳を、おカッパ頭で隠し、人里離れた境内で “人身供儀用”として、大切にそだてられていた三歳〜七歳までの幼子のうちの1人であったが、その口寄せが 「よく当たる」 ことから、その厄を逃れていた。
 この一件でカリスマ性を増した卑弥呼は、銅鐸を中国・魏から取りよせた銅鏡に替えさせた。初めて見る銅鏡に修厳者達は驚愕した。並みの驚愕ではない。太陽の光を反射するその鏡は直視することが出来ない。 目を閉じて地に‘ヒレ伏’した。

 日巫女さまの云うことに間違いはない! 早朝の戸口に白羽の矢を立てられれば、否でも愛児を差し出さねばならない社会制度。 雨乞いや厄災時には“その命”神が召すのだと! 稚児たちを殺めた。 一度使った刃は二度と使いたくない。出雲の大量の銅剣は、犠牲者の数だ。 このような「衆生雨乞いのための社会制度」に、不満がくすぶっていたから、卑弥呼の提唱する“銅鏡象徴文化”へと、容易に変わっていく。 しかも、ヒミコさまは、その銅鏡を下さると云う。 荒神・銅鐸文化が発達し、卑弥呼(銅鏡)文化へと変わった所には、 「その神二度と起こしてはならない! その剣二度と持たしてはならない!」と、 不使用にした銅鐸と銅剣が持ち寄られ、それぞれが 別離させて“封印”されている。□

ゴメンナサイ、
 方位学や、十進法・複進法、円弧・距離法、等々は私には難かしくて・むつかしくて^^!、 それから、お返事を書く時、「その人の文>を長く張るのは止めましょう」と、
 管理人さまが仰っていましたよね(汗〜^^!)

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entory-31.html



385青面金剛:2020/02/20(木) 05:29:03
Re: 此処に銅鐸が眠っている
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 銅鐸は「荒神を呼び寄せ乗り移らせる媒体」と最終的に結論づけましたから、二体を越えると荒神同士はケンカを始めるので、少なくとも3体以上まとめて埋められているは、卑弥呼が提唱した「主神(銅鏡)は太陽であり、従来の荒神(銅鐸)は従神だ」との考えが 波及した以後 のものと考えています。
>その天竜水神を呼び寄せ、荒神を乗り移す媒体となったのが銅鐸だ!
>出雲の大量の銅剣は、犠牲者の数だ。


☆ 荒神谷遺跡の銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本と加茂岩倉遺跡の銅鐸39個の表す意味については、Dr・イズモ氏のHPの解釈と分析が、一番的を得ている、と思われます。

 出雲文化探訪  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2Findex.html

 出雲文化について 風葬文化と青銅器
  5.風葬と青銅器(2)  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2Findex98-4.html

 太陽崇拝族と銅鐸で知る冬至祭祀

『「 弥生時代に入っての稲の栽培では夏至が重要な農業暦の一日となり、古代のシャーマン(巫術師)たちは、この日を人々に告げ、田植えの督促をした。また、冬至の日は一年中で太陽が一番弱くなると見られていて、この日を境にして太陽が再生し、復活すると考えられていました」の部分と「古代日本にだけ出土する遺物として有名な銅鐸について、型持ち穴が二至の太陽の日の出線の向きを示しているのではと指摘した方もあったようです」の部分である。 』

 神在祭の起源  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2F1999-2.html

?荒神谷遺跡が高瀬山と大黒山から等距離にあるという事実
?荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡が夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ直線上にあるという事実

『 この2つの事実は各青銅器の特徴から考えて、「一連の青銅器、銅剣、銅鐸、銅矛を用いて測量した結果、導き出されたもの」である可能性が高い。』

「次に銅矛である。銅矛の特徴として研ぎ分け処理が挙げられる。研ぎ分けとは刃部の最終段階の研磨の際に、意識的に砥ぐ方向を変える磨き方法のことである。
 荒神谷の16本の銅矛も、そのうち7本に研ぎ分け処理がなされているのが確認されている。研ぎ分けは光の反射を計算されたものである。これは点滅信号にも似て、遠距離でも判別をつけやすくするのに都合がよい。
 これらの銅鐸と銅矛を使用し、二等辺三角形のポイントを定めるとき、銅鐸の鐘を鳴らす構造が活きてくる。」

「 実は銅剣が目盛の役割を果たしていると考えると、その特徴は理解しやすい。」

「 実は、これらの青銅器を使用して荒神谷遺跡を決定するのに理想的な数量を示しているように思える青銅器群が既に荒神谷の付近(およそ20km)で発見されている。
 鹿島町佐陀本郷の志谷奥遺跡出土青銅器の銅剣6本と銅鐸2個である。銅鐸1個につき銅剣3本で目盛2個分を作り出すことができるので、銅剣を計りたい方向に1本ずつ抜き差しすれば、目盛を等間隔に移動させることができる。よって銅剣3本で十分目盛の役割は果たせるように思える。 」

「 銅鐸孔が太陽の年軌道を表したものならば、その内角の往復分で1年間の太陽の動きを表しているから、そのことを考慮に入れて目盛を数えてみると銅剣179本は興味深い数字をはじき出す。銅剣が作り出すその目盛数は月の満ち欠けによる一年周期、つまり太陰暦354日と一致するのである。」
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2F1999-2-2.html

 358本(銅剣の本数)/2=179本(銅鐸一個分に使用されたと考えた場合の銅剣数)

 179ー1=178(銅剣で目盛を作ったときの数)

 この数が銅鐸孔が作り出す内角の目盛であるとするなら、往復分は2(178ー2)+2=354
(両端は1回、他は往復するので2回である)

これは純太陰暦で一年を数えた場合の年周期数
(ただし実際は354.36706といった端数がある)である。

「 それでは再び荒神谷遺跡に着目しよう。銅剣の配列状況を見ていただきたい。」
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2F1999-2-3.html

『 正面右側から1列目93本、2列目120本、3列目111本、4列目34本である。私はこの中で特に1列目の本数で作り出す目盛数が春分から夏至までの日数と一致することを重要視したい。』

「 銅剣数が作り出す太陰暦を太陽暦と一致させるために、その基準数である春分から夏至までの日数を1列目に配置したならば、2列目、3列目も意味ある数字である可能性が考えられる。
 この仮説だと絶対数が358本しかないため、どうしても4列目には意味ある数字を配置出来ない。それと比べれば2、3列目、特に1列目と同じ向きの2列目は意味ある銅剣数である可能性が高い。
 これにより現在の太陽暦に合わせた日付を推測することが可能である。
 2列目の一番手前の銅剣は夏至から数えると10月20日、3列目の一番手前の銅剣は2月8日を表している可能性が高いことになる。 」

 青銅器と神在祭の関係  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2F1999-2-4.html

『 ところが文献には見られないが、今尚残っている民俗行事で、もっともよくこの暦の作成及び修正を表しているものが存在する。それが「神在祭」である。』

『 もし「神在祭」で示されているように出雲だけで暦の修正が行われていたのならば、暦を修正できる人々がいなくなると各地で青銅器を使用する必要はなくなる。ここに青銅器文化が滅びてしまった直接の原因があるように思える。』

 志谷奥遺跡のシンプルさについて  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2F5-8.htm

『 志谷奥遺跡は鹿島町の朝日山と神目山の間(これが重要である!!)に位置する。銅剣6本、銅鐸2個。
 ひっそりと静まりかえった谷にこんな青銅器があると誰が気付いたであろう。場所は「風土記」でいうところの「恵曇(えとも)のつつみ」を見下ろす場所で、地下2、30cmの所に青銅器は眠っていた。』


☆ 全国遺跡報告総覧 志谷奥遺跡  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsitereports.nabunken.go.jp%2Fja%2F2329

☆ 志谷奥遺跡で奇跡の出会い
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fplaza.rakuten.co.jp%2Fkuma050422%2Fdiary%2F201806200000%2F

「 でも、荒神谷遺跡の剣はボロボロになっていて、保存するのに苦労したと聞いた。ここの剣や銅鐸はしっかりしていた。私なんかは、ホンモノでカネをついた。いい音がしたよ。考古学関係の人はここはすごい遺跡と言われるんだけど、今は忘れ去られている。」
「 荒神谷にしても、加茂岩倉にしても、そしてこの志谷奥にしても、全て見晴らしの悪い谷の中腹に埋納している。」

 松江市鹿島町志谷奥(しだにおく)遺跡 3号銅鐸の破片を公開
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izm.ed.jp%2Fcms%2Fnews.php%3Fmode%3Dyoyakuadd%26id%3D1625
「 今回判明した3号銅鐸の破片は、志谷奥遺跡1・2号銅鐸、銅剣6本とともに古代出雲歴史博物館 常設展で展示公開します。」

※ 「 志谷奥遺跡は鹿島町の朝日山と神目山の間に位置する 」事から、朝日山と神目山を結ぶ線と対照的な位置にも、銅鐸や銅剣・銅矛などが埋められている可能性が有ります。

 弥多仁神社 彌多仁社(みたにのやしろ)深谷(みたに)にある神社。
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jinja-net.jp%2Fjinjacho-shimane%2Fjsearch3shimane.php%3Fjinjya%3D29596








386史実探偵: 平 素人:2020/02/20(木) 07:04:09
Re: 此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000391M.jpg

続・荊の紀氏先生へのお返事です。

> 参考に成れば幸いです。

<岡山県総社市奥坂岩屋寺金堂裏斜面の均地上部斜面>
素  人の予測地>  N34度44分?   E133度45分 ?
紀氏先生の予測値>  N34度43分    E133度46分 48″

 上記のように少しのズレがあります。
わたしが(?)印を付けているのは、未だに迷いがあるからです。金堂のすぐ上部に、はっきりとは思い出せないのですが、南北50・60歩、東西20・30歩の均地(なるち)上写真がありました。最初はこの中心部か? と思ったのですが、まてよ!、平地であれば容易にその上を歩けてしまいます。バチあたりにも荒神が乗り移る銅鐸の上を歩いて、その足音でその荒神を起こそうものなら大変なことになります。・・で、この件では「斜面」というキーワードが重要視されていまので、斜面であれば容易にその上を歩くことが出来ません。そこで、その平地に連なる斜面を考えたのですが、その斜面が3mたらずの斜面であり、その上部は簡単に歩行できるなだらかさになっています。はたして、3m足らずの斜面に23個?の銅鐸が埋められるものか? の疑問がありました。

先生の予見値を国土地理院図や、Google Earthで探してみているのですが、なかなかヒットしません。それに、地理院でもGoogleでも以前と検索の方法が変わってきていて、好きな倍率や方角が簡単に選べずとても苦労します。ご存知のように、磁北やら修正の問題を合わせて考えると、他の地も含めての地図からの探求は素人の手にはおえません。

・・で、先生の予測値をみると、当方の斜面とした予測地より、少し南と東へズレています。ということは斜面ではなく<均地>のほうになるのでしょうか^^? いずれにしても、レイラインや、数理だけで、その埋め地を絞り込めることは素晴らしいことであります。

 他の大量の<銅鐸の埋め地>のすべてが重機で破壊されている現在、その現状をとどめているのはこの岩屋だけ(?)です。現状のままで保存したい。探知機が進化した現在、それを掘り上げることなしに何かレントゲンのような探知機でその姿をみることはできないですかね。金属探知機を持ち込んで辺り一面を捜せばその有無を調べるのは簡単ですが、それをする前に、<何故、祖先はそこに大量の銅鐸を埋めた>のかの思いをさぐることの方がはるかに大事と考えています。
「出土した結果より、その埋め場所を予測・予見できることの方がはるかに大事なのだ」
  ご参考に感謝します。今後もよろしくお願いいたします^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entory-31.html



387荊の紀氏:2020/02/21(金) 09:01:28
Re: 此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>何故、祖先はそこに大量の銅鐸を埋めた>のかの思いをさぐることの方がはるかに大事と考えています。
>「出土した結果より、その埋め場所を予測・予見できることの方がはるかに大事なのだ」

銅鐸の鐸は飛鳥時代に寺院などにぶら下げられていた木鐸や金鐸などの風鐸(風鈴)から付けられた名です。
風鐸に似ていることにより鐸の名になってしまったという由来があります。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkaifuusoo-575.sakura.ne.jp%2Fizumo-3-kamoiwakura.html
…ぶら下げられていた…メドゥーサの首…
天上のペルセウスは、右手に剣、左手にはメドゥーサの首を持っている。
ペルセウス ベテルギウス
ペルセウスのメドゥーサ退治では、姉のステンノと同じく不死身であったため、首を刎ねられることはなかった。 同名の別人? ある物語によると、オリオンの母と言われているが、その場合はクレタ島の王ミノスの娘とされている。
同名の別人?
ある物語によると、オリオンの母と言われているが、その場合はクレタ島の王ミノスの娘とされている。エウリュアレは海神・ポセイドンとのあいだに英雄・オリオンを生んだ、となっている。

オリオン座の肩に異変 ベテルギウス、爆発の前兆? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.nikkei.com%2Farticle%2FDGXMZO55383030X00C20A2MY1000%2F

ベテルギウス…剣
銅鐸 銅剣(経緯)…現在…測量用品 https://8906.teacup.com/toraijin/bbs

ある時刻での天体の天球上での高度角,時角,方位を観測することによって,その観測地点の経度,緯度,方位角を求める測量。天文測量でその位置を決定した地点を天測点という。経度などは天球上の位置が正確にわかっている星や太陽の見える方向から計算することができる。
天文測量 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F

…予測・予見の為に励みましょう。



> 続・荊の紀氏先生へのお返事です。
>
> > 参考に成れば幸いです。
>
> <岡山県総社市奥坂岩屋寺金堂裏斜面の均地上部斜面>
> 素  人の予測地>  N34度44分?   E133度45分 ?
> 紀氏先生の予測値>  N34度43分    E133度46分 48″
>
>  上記のように少しのズレがあります。
> わたしが(?)印を付けているのは、未だに迷いがあるからです。金堂のすぐ上部に、はっきりとは思い出せないのですが、南北50・60歩、東西20・30歩の均地(なるち)上写真がありました。最初はこの中心部か? と思ったのですが、まてよ!、平地であれば容易にその上を歩けてしまいます。バチあたりにも荒神が乗り移る銅鐸の上を歩いて、その足音でその荒神を起こそうものなら大変なことになります。・・で、この件では「斜面」というキーワードが重要視されていまので、斜面であれば容易にその上を歩くことが出来ません。そこで、その平地に連なる斜面を考えたのですが、その斜面が3mたらずの斜面であり、その上部は簡単に歩行できるなだらかさになっています。はたして、3m足らずの斜面に23個?の銅鐸が埋められるものか? の疑問がありました。
>
> 先生の予見値を国土地理院図や、Google Earthで探してみているのですが、なかなかヒットしません。それに、地理院でもGoogleでも以前と検索の方法が変わってきていて、好きな倍率や方角が簡単に選べずとても苦労します。ご存知のように、磁北やら修正の問題を合わせて考えると、他の地も含めての地図からの探求は素人の手にはおえません。
>
> ・・で、先生の予測値をみると、当方の斜面とした予測地より、少し南と東へズレています。ということは斜面ではなく<均地>のほうになるのでしょうか^^? いずれにしても、レイラインや、数理だけで、その埋め地を絞り込めることは素晴らしいことであります。
>
>  他の大量の<銅鐸の埋め地>のすべてが重機で破壊されている現在、その現状をとどめているのはこの岩屋だけ(?)です。現状のままで保存したい。探知機が進化した現在、それを掘り上げることなしに何かレントゲンのような探知機でその姿をみることはできないですかね。金属探知機を持ち込んで辺り一面を捜せばその有無を調べるのは簡単ですが、それをする前に、<何故、祖先はそこに大量の銅鐸を埋めた>のかの思いをさぐることの方がはるかに大事と考えています。
> 「出土した結果より、その埋め場所を予測・予見できることの方がはるかに大事なのだ」
>   ご参考に感謝します。今後もよろしくお願いいたします^^。

388机上探偵: 平 素人:2020/02/22(土) 01:34:20
Re: 此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
荊の紀氏先生へのお返事です。

?? 重ねての情報ありがとうございました^^。

銅鐸=測量器具は、最新のニュースであり、センセも以前にあげられてましたよね。
銅鐸といっしょに<カギフック>が出たことから、そのように考えられたのでしょうね。

それと、認めると素人^^!の「荒神乗り移り媒体説」と、相容れず、いままて積み上げてきた謎解きがまったく成り立たなくなります。銅鐸は未だに諸説墳分^^で「鳴り具」以外は、確たる答えはでていないようです。色々に論じることは大切ですが、測量器具とした場合。「大量にとかマトメテ」というワードが解らなくなります。わたしの場合も<粗雑>に開けられた穴の具体的な使用法がヨメていません^^!。

またまた、当方の拙文をながく張って頂きました。古代史版では張れなくなりました。関連記事が近くにある場合はその要がないのでは^^?  ご参考に感謝します。今後もよろしくお願いいたします^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entory-31.html



389青面金剛:2020/02/22(土) 05:53:56
Re: 此処に銅鐸が眠っている
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 測量器具とした場合。「大量にとかマトメテ」というワードが解らなくなります。

☆ 卑弥呼の同盟国である物部国が、西出雲王国を軍事制圧し、西出雲王家である神門臣家が、降伏した後、出雲での統治権を失った為に、出雲での暦の修正が、行なえなく成りました。神門臣家は大和の葛城の地に移住します。

 神門臣の拠点はどこだったか?  (4) 西出雲王国 滅亡の時
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyomiagaeru.exblog.jp%2F24321149%2F

「最後に西出雲王家が支配権を失う形で、講和となった。講和を締結したのは、出雲王朝最後の主王・山崎帯(たらし)であった。」

【古代賀茂氏の足跡】大倭の葛木山の峯
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fchiangmai1971%2Fentry-12338911734.html

『葛城の地に「賀茂建角身命」や「八咫烏」を祀る神社は無く』
『葛城の鴨社は、全て出雲系の神を祀っています。』

☆ 出雲族原点の巨岩割れ目岩信仰の「女夫岩」とその周辺の神社、古墳を訪ねる
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fyochanh1947-kodaiizumo%2Fs%2F

 古代出雲族信仰の社には、「おはせ石と ほと石」があり、子孫繁栄、五穀豊穣を願う女夫石なのが分かります。子宝を願う出雲の信仰には、「稚児を犠牲にする」発想は有りません。

☆ 子宝の御利益の有る八重垣神社には、分かり易い山神様が
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnishimagome.link%2F2017%2F06%2F03%2Fen-musubi-yaegaki%2F

☆ 加茂岩倉遺跡の駐車場からガイダンスへの遊歩道の脇には、水量の豊かな水が流れています。加茂岩倉遺跡の元地は、田んぼで、此処の水は鉄分が多く飲料には適さないものの、稲作には十分であります。つまり、加茂岩倉の地では、雨乞いは必要ないのです。斐伊川と赤川が合流する地で湧き水が豊富だからです。

☆ 「 志谷奥遺跡は鹿島町の朝日山と神目山の間に位置する 」事から、朝日山と神目山を結ぶ線と対称的な位置に有る、弥多仁神社周辺にも、銅鐸や銅剣・銅矛などが埋められている可能性が有ります。
 昔、弥多仁神社の西方200メートル程に、潮の湧き出る場所が有ったとされます。
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftrelaalegre.amebaownd.com%2Fposts%2F1060655

 弥多仁神社の南方には、丹花庵古墳や古曽志大塚1号墳などがある、古墳の丘古曽志公園と、島根県埋蔵文化財調査センターも有ります。

 古墳の丘古曽志公園〜島根県松江市〜 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.uraken.net%2Frail%2Ftravel-urabe183.html

 島根県 埋蔵文化財調査センター  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.pref.shimane.lg.jp%2Fmaizobunkazai%2F


 

390机上探偵: 平 素人:2020/02/22(土) 21:41:31
Re: 此処に銅鐸が眠っている
青面金剛さまへのお返事です。

 コメントありがとうございます。

> ☆ 加茂岩倉遺跡の駐車場からガイダンスへの遊歩道の脇には、水量の豊かな水が流れています。加茂岩倉遺跡の元地は、田んぼで、此処の水は鉄分が多く飲料には適さないものの、稲作には十分であります。つまり、加茂岩倉の地では、雨乞いは必要ないのです。斐伊川と赤川が合流する地で湧き水が豊富だからです。

 1700年前の昔に加茂岩倉周辺で水稲栽培をしていたとは思いませんが、仰るように水稲は意外と少しの山水でも栽培が可能なようです。水稲の発達拡散が何時頃か、その時の気候がどうだったか、又、海進、海退(沼地)等々の歴史は、私には分かりません。出雲、山陰地方では雨乞いの要は少ないと思いますが、瀬戸内のほうでは干天が多く溜池が多いのが特徴です。

<雨乞いに関係する地名>
松江市だったかな。<茶臼山>や、その西に<嫁ヶ島>の地名がありますから、出雲に雨乞いや人身供儀の歴史がなかったとは言い切れません。ちなみに、茶臼山は列島の山名のなかで一番多い山名と聞いたことがあります。そして<丸山・円山>がそれにつづき、 さらに<竜・龍がつく山名>を加えれば、雨乞いとはかぎりませんが何か厄災時があれば、慈雨や平癒を願った儀式が、そこであったと理解しています。島根半島には<竜山>の地名があります。

> ☆ 「 志谷奥遺跡は鹿島町の朝日山と神目山の間に位置する 」事から、朝日山と神目山を結ぶ線と対称的な位置に有る、弥多仁神社周辺にも、銅鐸や銅剣・銅矛などが埋められている可能性が有ります。

 弥多仁神社周辺で、銅鐸や銅剣・銅矛が予見予測して発見かればいいですね^^。

「銅鐸文化から、銅鏡文化への移行は何人も否定できず、その変換点に魏からの銅鏡100枚があり卑弥呼がいる!!」 myブログ「この指とまれ」より、
 

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entory-31.html



391青面金剛:2020/02/23(日) 04:10:59
Re: 此処に銅鐸が眠っている
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> <雨乞いに関係する地名>
> 松江市だったかな。<茶臼山>や、その西に<嫁ヶ島>の地名がありますから、出雲に雨乞いや人身供儀の歴史がなかったとは言い切れません。
>そして<丸山・円山>がそれにつづき、 さらに<竜・龍がつく山名>を加えれば、雨乞いとはかぎりませんが何か厄災時があれば、慈雨や平癒を願った儀式が、そこであったと理解しています。島根半島には<竜山>の地名があります。

☆ 松江市山代町の茶臼山は昔、神名樋山と呼ばれていました。南側に眞名井神社が在ります。
 嫁ヶ島にはいくつかの伝説が残っていますが、一番有名なのは嫁いびりにあった女性がなくなった際に水神様が島を浮かび上がらあせたというものです。
「姑にいじめられた若嫁が寒さに凍った湖上を実家に帰る途中、氷が割れて水死し、それを哀れんだ湖の神様が一夜にして島を浮かび上がらせてできた島を「嫁ヶ島」と呼ぶようになったそうです。 」
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Frtrp.jp%2Farticles%2F36256%2F

 松江大橋 源助柱  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.japanmystery.com%2Fsimane%2Fgensuke.html

 小泉八雲の『Glimpses of Unfamiliar Japan(日本の面影)』松江城の人柱伝説
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftabi-and-everyday.com%2Farchives%2F11906


> 「銅鐸文化から、銅鏡文化への移行は何人も否定できず、その変換点に魏からの銅鏡100枚があり卑弥呼がいる!!」

☆ 加茂岩倉遺跡から南東1.9キロに神原(神財)神社が有ります。其の脇の古墳からは、「景初三年」銘の三角縁神獣鏡などが1972年に出土しました。卑弥呼の鏡との説も有る三角縁神獣鏡は、古代出雲歴史博物館(現在リニューアル中)で展示されています。


 神原神社と神原神社古墳 島根県雲南市加茂町神原
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.yatsu-genjin.jp%2Fsuwataisya%2Fjinja%2Fkanbara.htm

 神原神社古墳  三角縁神獣鏡
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwi12000.starfree.jp%2FforGmap%2Fhtml%2Fkanbarajinjya.html%23kanbarajinjya

 全国遺跡報告総覧 神原神社古墳  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsitereports.nabunken.go.jp%2Fja%2F2419


☆ 神原神社のある加茂中の地も松江市も、度々、豪雨による水害に見舞われています。斐伊川などの河川の氾濫と、宍道湖の増水による水害を、『八俣の遠呂智』伝説に重ねてるところも在ります。


392机上探偵: 平 素人:2020/02/24(月) 08:39:56
人身供儀・その歴史、忘却の彼方に!
青面金剛さまへのお返事です。

>  古代出雲族信仰の社には、「おはせ石と ほと石」があり、子孫繁栄、五穀豊穣を願う女夫石なのが分かります。子宝を願う出雲の信仰には、「稚児を犠牲にする」発想は有りません。

そうですね^^。出雲大社は、縁結びの神さまとわたしも認識しています。以下myブログからの拾い読みで恐縮なのですが「人身供儀」にかんしての当方の考えを述べてみたいと思います。

<以下myブログより>
『海の見える高台で、赤き血を源流にそそぎ、その遺骸を煙りに変え、「どうぞ、貴方様のお力で、この煙を雨雲に変えて下さい」と、その人里に慈雨を願う!』 その底流には、四千年前の大事変 がもたらした慈雨(大雨)と、生け贄(厄災)との “交換思想” が根幹にあり、その生け贄はエスカレートして、「私達には、これ以上大切なものはありません!」と、3才〜7才の稚児に変わっていった。 そして、その 因習を止めさせようとした のが卑弥呼であるとも謎解きした。

 その 「雨乞いは」、村人こぞりて行う大行事であり、その埋め場所は “衆知の事実” なのに、その銅鐸や銅剣が、ごく近時まで盗掘の被害に遭わなかったのは、墓泥棒も恐れるほどの “祟り”があったからだ。(今は、すっかり忘れられていますが^^!)
 しかし、銅鏡にかえても欲しい雨は降るとばかりは限らない。 「やっぱり荒神様は、生娘を欲しがっているのだなぁ〜」と歴史は続いていく。、、、□

 わたしたちは、今に、子宝をさずかり、一歳のお宮参りをします。そして女児と男児では歳が異なるようですが、「七・五・三」の紐落としとかのヤク明けとかの厄払いをします。なぜこのような習慣が残っているのでしょうか。
以前にも申し上げていますが「早朝の戸口に白羽の矢が立てられれば、否応なしに “衆生のため” として三歳から五歳の子を神に差し出さなければならない社会制度」がありました。これに類する伝聞や伝承は「昔話」として処々に語られてきましたが、ゲームが発達した今、まったくと言っていいほど子供たちに語られなくなろうとしています。

<その社会制度とは、どんな社会制度でしょうか>
 「通りゃんせ、通りゃんせ、ここは何処の<細道>じゃ、<天神>さまの細道じゃ、ちょっと通してくだしゃんせ、この子の<七つ>の<お祝い>に、<お札>を納めにまいります。行きはよいよい帰りはこわい、怖いながらも通りゃんせ、々せぇ」

<その昔には、この童唄のような社会制度があった>
生まれて<一歳>の誕生日を迎えると<登録>のための宮参りをする。
人里離れた細道をとおり隔離された山奥に<境内>を定め天神さまに登録していた。
人々、『おお困りの時は、その命、神が欲しがっているのだ』として、その登録された三歳から七歳(男児・女児・地域によってその歳は異なるかも知れません)までのなかから一人(?)を選び、荒神への人身供儀用の<神子・巫女>として育てていた。

「ヤク」で検索すると、「厄、焼く、役、養久」がでてきます。
 一歳でお札を受けにいく。そして、そのお札を年神(牛神)さまへ供えておく。
一歳児では養育難なので三歳から役目が生じ、五歳・七歳でその役目が解ける。
 万一、間違って我が家に白羽の矢が立てられても、うちの子はその内ではありません!と言い訳できる。当時は土葬が一般的で「死んでからも熱い思いはさせたくないよぅ」の思いから火葬は例外であった。火葬にするのは「この煙、どうぞ雨雲に!」と、前述しています。

 五歳・七歳で、その役目が解けましたと報告にいく。
それを「厄払い」とか、「紐落とし」とかいっているのだ。そう云われれば、時代劇で幼児の髪がてっぺんで結わえられていましたから、「紐落とし」とは、その歳を境にその紐で結わえなくてもいいということでしょうか。

その天神さまの役を、今では<役場>が担っている。
総社市・鬼ノ城で、“硯・すずり”が出土して話題になったことがありました。これは、そこで<個々の歳を記録>するという今の役場の意味をもっていたのだ。その歴史の移り変わりの一時期だけを切り取って断じてはならない。このように、童唄から、その民話・伝承から、今、私達が神仏に対して「何」をなしているかの意を探るのが素人探偵のやり方です^^!。

 コメントありがとうございました。鷺峠の「大の字^^!」国土地理院図で、その「お又」の所に小さな「水流」の印が記されています。ふつう、こんな小さな流れは図に描かれないと思います。何かのイワレありかと思っています。「命出る源流」のイワレがあれば^^・・・、こんなことは地元の人しか知らないのでは・・・(^-^)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html



393青面金剛:2020/02/24(月) 12:32:59
日巫女も生贄であった
人身供儀探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 『海の見える高台で、赤き血を源流にそそぎ、その遺骸を煙りに変え、「どうぞ、貴方様のお力で、この煙を雨雲に変えて下さい」と、その人里に慈雨を願う!』 その底流には、…、その生け贄はエスカレートして、「私達には、これ以上大切なものはありません!」と、3才〜7才の稚児に変わっていった。 そして、その 因習を止めさせようとしたのが卑弥呼であるとも謎解きした。

★ 昨年大ヒットしたアニメ映画『天気の子』の主人公である娘さんが、「晴れ女」として祈り続けた結果、人の世界には戻れなくなってしまう、巫女としての「いけにえ」の側面が描かれています。
 地方によっては、巫女は三年ごとに交代する、決まりを定めている所も在るようです。「それ以上は、人の世界に戻れなくなる恐れ」が在るから。

 天気の子  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.tenkinoko.com%2F

★ 卑弥呼の亡くなる前年247年3月と亡くなる年の248年9月5日に、皆既日食が起きている事がわかっています。
 邪馬台国 九州説の場合、不吉な日食の責任を取らされて卑弥呼は殺された。

 卑弥呼と皆既日食
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fikejun_2018%2Fe%2Fbd34d530b4f8456928a56c7b50be0d31


> 「早朝の戸口に白羽の矢が立てられれば、否応なしに衆生のため として三歳から五歳の子を神に差し出さなければならない社会制度」がありました。
>  「通りゃんせ、通りゃんせ、ここは何処の<細道>じゃ、<天神>さまの細道じゃ、ちょっと通してくだしゃんせ、この子の<七つ>の<お祝い>に、<お札>を納めにまいります。行きはよいよい帰りはこわい、怖いながらも通りゃんせ、々せぇ」
その登録された三歳から七歳までのなかから一人(?)を選び、荒神への人身供儀用の<神子・巫女>として育てていた。
> 「ヤク」で検索すると、「厄、焼く、役、養久」がでてきます。

★ 日本列島に稚児を人身御供として捧げる、考えを持ち込んだのは、秦氏である徐福と軍事職能集団の物部勢力です。
 徐福は子供達約3千人を、遠く離れた異国の日本に移住させましたが、秦の始皇帝の時代で、万里の長城や王宮や始皇帝陵の建設に、延べ約百数十万人を強制的に苦役させている事から、その子供たちも親元から強制的に引き離し、連行した形で集めたものと伺えます。
 なぜ子供ばかりなのか、と分析するならば、子供では、物部の兵に楯突く事も出来ず、従順に洗脳し易いからです。
 「不老長寿の薬を探すため」とは、建前の方便で、実際は金丹(水銀)を求めてです。始皇帝陵には、大量の朱砂が埋められています。朱砂(水銀)は金の精錬にも防腐剤としても高価で貴重でした。

★ 出雲には元々、「荒神」と言う神は無く、夫婦和合の幸の神である『クナトの大神』と『アラハバキの女神』が信仰される、宗教国家でした。物部勢力の出雲への侵略後に、この神々の信仰は禁止され、道祖神や荒神の小さな祠に代えられてしまいました。「荒神」というのは仏教や道教が伝来した後に付けられた名です。

 客人社と荒波々幾神を祀る神社一覧  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkamnavi.jp%2Fjm%2Farahaba.htm


> 総社市・鬼ノ城で、硯・すずりが出土して話題になったことがありました。これは、そこで<個々の歳を記録>するという今の役場の意味をもっていたのだ。

★ 百済の王子である温羅は、律令制度の経験を持つ事から、記録としての硯は用います。製鉄の為に、大量の木材が必要とされ、その搬出と植林も行わねば成りません。
 硯は、水を入れると、鏡の役目もします。和硯では神代文字で神を表す事も出来ました。
 鬼ノ城跡から南東に2キロの地に、温羅の妻、阿曽姫が巫女をしていたと言い伝えられる阿宗神社が在ります。製鉄の地から「鉄鐸が出る」と言うならば、未だしも、銅鐸とする根拠が薄弱過ぎます。

★ 「稚児を殺めた〜〜」と平さんの居住地から離れた土地には、根拠も不十分なのに拘らず、リアルに描写し、平さんの近所である鬼ノ城には、サラッと触れるだけ。これは、民俗学を語る上でのルールにも反し、他の地域の方々からの顰蹙と反発を買うばかりです。

★ 総社市の高梁川を挟んだ左岸に、秦の地名と「石畳神社」御神体の磐座も在り、その西南西には、備中国最古之社と伝えられる「麻佐岐神社」と磐座が鎮座しています。
 「石鎚大権現」と「城山金刀比羅神社」の間には、平さんが力説している「茶臼嶽」とあり、崖の傍に祠が祀られています。此処が稚児を殺めた現場では無いのでしょうか?

 石畳神社〜正木山登山日記
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmarchan.e5.valueserver.jp%2Fcabin%2Fmntn%2Fokay%2Fmasakiyama%2Fmasakiyama1.html






394机上探偵: 平 素人:2020/02/25(火) 01:30:34
人身供儀、その歴史!?
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-2.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html



395青面金剛:2020/02/25(火) 06:04:52
民俗学のルールは自分の県内から
生贄探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 日食はその大小を問わなければ通常に起こる自然現象ですし、
> 全天を覆うほどの彗星がニアミスしたら、それは畏怖を感じるでしょうね。その恐ろしさは、妙なる光としてが発生したと前述しました。

★ 日弥呼の時代に日食が「通常に起こる自然現象」とは知られていなかった、と思います。「妙見信仰」は、北極星への信仰です。

> その雨欲しいと生け贄をささげ、お願いする交換文化がありました。その(銅鐸)文化が永々とつづいている時に、徐福集団はやって来ました。
> そして、徐福が伴った「武人集団」は、列島の「生け贄文化」を知り、自分達を神と思う列島人に、その幼子を捧げよと云いました。

★ 平さんは、勝手な思い込みと決め付けで言ってるだけで、何らの立証にも成っておらず、検証の手順も踏んでいません。

> 自分達が連れて行った、行かせた児が長らえて帰れば、これに勝る実証はない!!
> 広い国土と、桃源郷、殺生与奪まで、欲しい物のすべてを得た始皇帝が、そんな徐福の甘言にやすやすと騙されるでしょうか?。

★ 徐福は一度、秦に帰国した際、始皇帝に「鯨に邪魔されたので、鯨打ちの達人を揃えたい。」と
甘言で逃げています。大量の朱砂を持ち帰った功労が有るので、大目に見られたのでしょう。
 徐福は、日本列島に戻った後は、もう大陸に帰る事は有りませんでした。始皇帝の寿命は間もない、と読んでいるからです。

>??先さまは、主題の場所に「卑弥呼云々」は別として、大量23個の銅鐸が埋められている(orかも知れない)と、お考えですか? それとも「無し」とお考えなのでしょうか^^???私は、先さまから、この答をまだ伺っていません。

★ 鬼ノ城跡に銅鐸など有る訳ないでしょう。鬼ノ城跡の一角に、岡山県の重要文化財に指定されている「皇の墓」が在ります。温羅と、その家族・親族の墓でしょう。
 毘沙門天の仏像が納められている金堂(毘沙門堂との記述もあり)の裏地の禁足地は、温羅の家臣と兵達の埋葬地と考えます。

 2019年 「鬼ノ城 &; 岩屋」散策  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fgon.mbsrv.net%2F2019kinojyo05.html

> <茶臼山>や、その西に<嫁ヶ島>の地名がありますから、…雨乞いや人身供儀の歴史がなかったとは言い切れません。
> >「石鎚大権現」と「城山金刀比羅神社」の間には、平さんが力説している「茶臼嶽」とあり、崖の傍に祠が祀られています。此処が稚児を殺めた現場では無いのでしょうか?
>あとでゆっくり^^!
>そして「稚児の殺め」ですが、富山県氷見市に<船塚> 岡山県総社市に<高塚> 静岡県浜松市に<〇塚 浜松市には「姫街道」もあります。

★ 茶臼山を人身供儀の場だと強弁して於きながら、平さんの近場にある「茶臼嶽」稚児虐殺現場を指摘されると、答えを先送りして逃げ回る。そんな卑怯な応答を用いる輩が、「人身御供」や「生贄」などの、地元民感情にデリケートなテーマを扱う資格も無い、と言わざるを得ません。

 「石畳神社」から、「麻佐岐神社」へ向かう登山道脇には、夥しい数の石仏が並んでいますが、これらは犠牲者の数と見做されるのでしょう?
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmarchan.e5.valueserver.jp%2Fcabin%2Fmntn%2Fokay%2Fmasakiyama%2Fmasakiyama1.html

> 『海の見える高台で、赤き血を源流にそそぎ、その遺骸を煙りに変え、「どうぞ、貴方様のお力で、この煙を雨雲に変えて下さい」と、その人里に慈雨を願う!』 その底流には、…、その生け贄はエスカレートして、「私達には、これ以上大切なものはありません!」と、3才〜7才の稚児に変わっていった。

★ この平さんの描写は、まさに「石畳神社」磐座から荒平山・石鉄山を経て、「麻佐岐神社」磐座へ向かう、山道の途中にある崖上から突き落とされた、惨劇を描いています。

★ 「岡山県 茶臼」で地名検索すると、10軒ほど見つかります。民俗学のルールでは、『地元民感情にデリケートなテーマを扱う場合は、先ず自分の県内から』が鉄則です。
 それを踏み外す輩には、「御宅の近場の此の場所も、その場所でしょう!」と後々、指摘されてしまうブーメランが返って来るからです。

 民俗学の入門書や、民俗学の先生方の講演会やセミナーを何回か聴きに行ってれば、民俗学のルールについて説明されます。
 「地元民感情にデリケートなテーマを扱う場合ほど、地道な事実関係の積み重ねを要します。」

 平さんの論法は、その積み重ねが全くなく、勝手な思い付きと決め付けによる、妄想が先んじています。平さんのやってる事は、興味本位の怪奇ホラーサイトの寄せ集めレベルでしか有りません。




396史実探偵: 平 素人:2020/02/25(火) 08:48:42
Re: 民俗学のルールは自分の県内から
青面金剛さまへのお返事です。

??コメントありがとうございました。

「 問 」
>??先さまは、主題の場所に「卑弥呼云々」は別として、大量23個の銅鐸が埋められている(orかも知れない)と、お考えですか? それとも「無し」とお考えなのでしょうか^^???私は、先さまから、この答をまだ伺っていません。
「答え」
★ 鬼ノ城跡に銅鐸など有る訳ないでしょう。鬼ノ城跡の一角に、岡山県の重要文化財に指定されている「皇の墓」が在ります。温羅と、その家族・親族の墓でしょう。
 毘沙門天の仏像が納められている金堂(毘沙門堂との記述もあり)の裏地の禁足地は、温羅の家臣と兵達の埋葬地と考えます。

『鬼ノ城跡に銅鐸など有る訳ないでしょう』
鬼ノ城跡と岩屋は〇kmほど離れていて同一遺跡内ではありませんが、私と先さまは、いちばん大切な部分に相違があります。私が反論を請うているのは、自論の不備や誤りを正したいからです。
先さまが持論を掲示されるのは自由ですが、数々の反論に加え、いちばん大切な部分に決定的な相違があれば、いつまでたっても歩み寄ることは出来ません。しばらく平行線のままで時をおくことにしましょう。
 わたしは、残念ながら管理人さまや、キシ先生のように<度量のおおきい>人間ではありません。礼を欠いた先さまへの返答は大変つかれます。ごめんなさい。しばらくのあいだ先さまへの返答は保留とします。□

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html



397史実探偵: 平 素人:2020/02/27(木) 00:07:52
大量の銅鐸・銅剣、地名(青字)繋がり!
"共通の文化には共通の事象(地名)あり"
 <出雲>     <吉備>      <神戸>       <野洲>
銅鐸39銅剣358   (未出土)     銅鐸14銅剣(未出土)  銅鐸24銅剣(未出土)

 加茂岩倉      岩屋       いわや駅       大岩山
 荒神谷・西谷    西谷        ( ? )         ( ? )
 仏経山△      経山△     坊主山・荒神山△   妙光寺山・三上山△
 三宝荒神     山王神社(さんおう)
 砂川       砂川         ( ? )        蛇砂川
  赤川      ☆血吸川

現学は、地名を不確かなものとして、いっとう下にみるが、
『地名は祖先からの、一番確かに(合意された)合意伝言である』 史実探偵: 平 素人
さて、あなた様は、史学は、・・・を何んとよむ・・・^^!

追伸:
出雲と吉備は近くでもあり、何からかにから一番よく似てると思うのですがぁ(笑い)
 詳しくはmyブログ「出雲地方」「吉備地方」へ、どうぞ・・・^^!。

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398荊の紀氏:2020/02/27(木) 17:21:59
荒神谷ー奥坂岩屋寺金堂裏斜面ー松帆銅鐸…ライン?
淡路・松帆銅鐸
出雲と同じ兄弟銅鐸 共通の工人集団判明   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fmainichi.jp%2Farticles%2F20161027%2Fk00%2F00m%2F040%2F016000c
昨年4月に兵庫県南あわじ市(淡路島)で見つかった弥生時代前期末〜中期初め(紀元前3〜前2世紀)の松帆銅鐸(どうたく)(7個)のうち5号銅鐸が、島根県出雲市の荒神谷(こうじんだに)遺跡(6個、国宝)の6号と同じ鋳型(同笵=どうはん)で作られた兄弟銅鐸だったことが分かった。南あわじ市教委と奈良文化財研究所が26日発表した。松帆3号と、同県雲南市の加茂岩倉遺跡(39個、国宝)の27号との兄弟関係も既に判明しており、淡路と出雲が共通の工人集団や銅鐸の流通で広域につながっていたことも明確になった。
 一部破損して発見された松帆5号(高さ23.5センチ)と、荒神谷6号(同23.7センチ)は「外縁付き鈕(ちゅう)1式」に分類される古い銅鐸。奈文研の難波洋三・客員研究員が目視で分析し、つり手と胴体の文様構成や鋳造時に付く複数の笵傷の一致を確認した。松帆5号の方が傷が少なく、先に作られた初期の鋳造の可能性が高いという。


399史実探偵: 平 素人:2020/02/28(金) 21:33:33
Re: 荒神谷ー奥坂岩屋寺金堂裏斜面ー松帆銅鐸…ライン?
荊の紀氏先生へお返事です。情報ありがとうございます。
 出雲荒神谷ー出雲岩屋寺金堂ー淡路・松帆銅鐸ラインがあるのですね。

>淡路と出雲が共通の工人集団や銅鐸の流通で広域につながっていたことも明確になった。

 わたしは、銅鐸の拡散について、つぎのような考えを持っています。
銅鐸が荒神を呼び寄せ、乗り移させる媒体だとは、先にもうしあげました。銅鐸の拡散は徐福達が、童男童女3000人かその児たちを含む3000人かは分かりませんが「不老不死の仙薬」を探しに列島に渡来しました。その船団がヨーイドンと横一列に出発するわけではなく、徐福を旗艦として、例えばの話しですが、60人乗りとしても50艘となり、それ以下だったらもっともっと艘数は増えます。徐福達の陣容を見ると、操船に苦手なだろう百工・子供・婦人も含んでいます。武人ならまだしも、操船できる人達の数は制限されてきます。

 その推力の弱い分船団が海流の速い津島海流を横切るわけですから、千々に流され海の藻屑となり、これも例え数ですが半分の1500人が漂着したとしましょうか。徐福の乗っている船は旗艦ですから、当然、屈強な男たちが乗っていますから、列島の一番西に着岸します。それを出雲としておきましょう。以下、分断しながら流されて、石川、富山、新潟、・・・とします。この人達は生活に落ち着きができると、必ず西進して合流しながら、徐福のもとへ集合します。このことは結果的に幸いして、米大陸西部へと宿場街がなったように一日あたりの航路のところに船着き場所がなってきます。この意味において日本海側の文明遺跡が先んじて発達していったと云われるのが頷けます。この詳しくはDr.いずも氏>
とmyブログで・・・^^!

 集合したこの人達は「再開を歓び酒を酌み交わした」との神話になったのかな^^? 徐福はそれぞれの情報をもとに再編し、出雲を本社とし、それぞれを支所として薬石の蒐集にあたらせました。有益な情報があれば、徐福みずからも出張ったとは別紙でのべました。このような経過をへて、だんだんと航路・徒道のインフラが整備されていきます。

 徐福は「年一に出雲へ集まること」を指示した。ここで、管理人さまや、キシ先生がいわれる、高度な方位測量術が役にたってきます。つまり、やみくもに列島を探索するのではなく、一定のきまりによって往来すれば、新しい人に伝える場合でもより易く動けるからです。その目印として△姿の山や既存の集落を選びました。この時大事なことは、列島住民がすでに付けている山名や地名を利用しました。そのほうが道に迷った場合でも住民に聞くことができるからです。東北地方は人口密度が少なかったのでしょうか。徐福たちが付けたと思われる数字のつく地名が目立ちます。

 徐福は、中国本土へとりあえず蒐集した珍宝を中国の正月(着に)間にあうように10月の神無月に集まるように指示しました。出雲大社への神門で地方から寄った人たちは泊り会い人数が集まってから年末会議と次年度の活動方針やらを合議しました。集めた物品は出雲から沿岸航路沿いに西進し、唐津港から大陸へと出帆したと思われます。この場合長崎の方が大陸に近いのですが、旅行きの準備やら食料の調達は、平地の広い北九州のほうがだんぜん有利です。

 <銅鐸の拡散が最後になりましたが>
「不老不死の薬石探し」は、その情報や住まいや、船の建造修理等々に人手もいることだし、住民と事を構えて争いをするより、加治(治療)をして、その人たちの力を借りるほうがだんぜん有利です。なかでも部族の長たちが欲しがる銅製品(銅鐸)との交換にそれ等を得たことは容易に考えられます。列島人は、銅製品(銅鐸)を受け取りに随行します。銅製品の制作は、出雲半島の<別所>市内の<別所>でしたと前述しています。

 各郡(こおり)の大夫(イタコ・シャーマン)さん達は、より立派な銅鐸が欲しくなってゆくのが当然のなりゆき^^。最も立派なものは野洲にあったかな。徐福たちの根幹は、その薬石にあるのは前述したとおりですが、始皇帝や、徐福や、それを知る人も亡くなり、その<縛り>も、時と共に薄れていったと思います。そして、徐福達がなした足取りは、航路を主幹に内陸へのインフラが進んだことにより、銅鐸は<商取引の交換品>として拡散していったのではないでしょうか。

「徐福は列島支配」とみるのが史学のおおかたですが、筆者はそうは思いません。「徐福は広澤(広い沢)の王となり帰らなかった」というのは、大陸の人がやっかみを含めて云う言葉であり、支配者ならば顕示欲が強いので「俺は除福だ」と云ってもいいはずなのに、日本の史書にはそれがありません^^!  しょせん「不老不死の薬石」などあろうはずもなく、始皇帝が亡きあとも、大資を受けたてまえ、おめおめと帰ろうものなら人々に何を云われる分からない。それよりなにより、徐福は、火を噴く山ありの列島に神秘性を感じ『その薬、必ずあり』として、列島のどこかで果てたのではないのでしょうか。その「片道切符をもって!!」

 このように考えると、淡路島の出雲と同じ鋳型の銅鐸の件や、まとめて埋められた銅鐸の大小や年代が異なることも解けるのではないでしょうか。蛇足ながら、この話は卑弥呼より、約400年も前の古墳代や神話代より前の話しですから念のため(^-^!)

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400荊の紀氏:2020/02/28(金) 23:59:07
Re: 人身供儀、その歴史!?
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

徐福もユダヤ人か …
ユダヤ新年は10月2日
>徐福は、中国本土へとりあえず蒐集した珍宝を中国の正月に間にあうように10月の神無月に集まるように指示しました。
10月の神無月に…
西暦で言うところの2016年のユダヤ新年は10月2日(日)の日没から4日(水)の日没まで(ちなみに2017年のユダヤ新年は9月20日から22日)。ユダヤ歴では1日は日没から始まり、次の日の日没に終わるというのも特長です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftokuhain.arukikata.co.jp%2Ftelaviv%2F2016%2F10%2Fjewishnewyear.html
ユダヤの新年は、西暦の9月か10月に2日間祝われます。 家族や親戚が集まり新年を祝います。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.arukikata.co.jp%2Fcountry%2FIL%2Finfo%2Fholiday.html

徐福もユダヤ人か 秦始皇帝がユダヤ人、もしくは失われたイスラエル10支族の血を引いていたとすると、気になるのは徐福(じょふく)である。前章で見たように、秦始皇帝と徐福は同族であったwww.rui.jp/ruinet.html?i=200&;c=400&;m=289816
秦始皇帝と徐福は同族であった。徐福の祖先、徐氏(じょし)の始祖は秦始皇帝の祖先と同じく羸氏(えいし))であった。
 羸(えい)という姓は舜帝(しゅんてい)から伯翳(はくえい)が賜ったものとされるが、これは漢民族が中原(ちゅうげん)の覇権を握った後に体系化された中国神話によるものである。漢民族は自らの血統の正統性を主張するために自らの始祖を象徴的に黄帝(こうてい)という名で呼び、神話のなかで最高位の存在に仕立てあげた。その際、非漢民族は直系ではなく、あくまでも傍系という形で出自を黄帝に結びつけたのだ。したがって、秦始皇帝及び秦王家のルーツが黄帝であり、漢民族と同視であると考える必要はない。




> > 徐福は子供達約3千人を、遠く離れた異国の日本に移住させましたが、秦の始皇帝の時代で、万里の長城や王宮や始皇帝陵の建設に、延べ約百数十万人を強制的に苦役させている事から、その子供たちも親元から強制的に引き離し、連行した形で集めたものと伺えます。
> >  なぜ子供ばかりなのか、と分析するならば、子供では、物部の兵に楯突く事も出来ず、従順に洗脳し易いからです。
>
任侠伝にある、札所、札差、札場も、その流れの変形したものかと思います^^?

401史実探偵: 平 素人:2020/02/29(土) 22:30:27
徐福もユダヤ系か!?その影響で太陽主神説へか??
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402史実探偵: 平 素人:2020/03/20(金) 07:07:04
「銅器の拡布・制作地について」の思いつき^^?
下記〔 〕を編集していて思いついたことがあります^^!

徐福たち大陸系人が、銅器の制作を遅くまで(奈良時代の大仏銅材の寄進)専売にしていたか(?) とは前述しました。

では、どこでそれを制作していたのでしょうか?
素人は、出雲半島に<別所>というところがあり、そこでしていたと思います。なぜなら、別所とは、特異な地名でありなにやら秘密的なにおいがします。これは、わたしが傾注するDr.いずも氏からうかがったことですが、出雲半島は「破砕半島」ともいわれ、仔牛ほどの大きさの銅鉱がゴロゴロしていたと聞いています。列島探査の徐福たちがこれを見逃すはずがありません。

では、なぜ専売にしたのでしょうか?
銅は鉄に比べて融点が低いのですが、その精錬はたいへん難しいようです。加えて、銅器に対する思いは、列島人と大陸人とではまったくちがいます。前者は、銅がアカから緑青にかわることに神秘性を感じ、(今でも社殿の屋根には銅材をつかっています)それを祭祀用具とみているのに対し、大陸人は銅材が兵器用から発展したものであり、もし、列島人がその製法をしり、兵器として使用されると困ります。そして、銅鐸が列島人が欲しがるものであり、自分達が欲しいものとの格好の商の交換品でもあったからです。

島根半島にある「別所」は、大変へんぴな所^^!
おそらく、おそらくですが^^! 島根県の人もその存在を知ってる人ばっかりでは^^?  半島の中ほどで水田もすこしあるようですが、当時の島根半島が陸続きであったかどうかは分かりませんが、ここなら銅鉱もあることだし格好の隠れ場となります。近くに、泊りがけでの行き来があったのでしょうか、これまた小さく^^!<旅伏>の地名もあります。

出雲市の市街地にも、<別所>の地名が残っています。
時がたち、半島の別所では、その行き来が不便だから、その制作を「こちらに移そうや」になったのでしょうね^^。島根県では、今でも歴史ある精密鋼関係の会社があると聞いています。先のDr.>から^^。

この「思いつき」の正否を確かめる二つの方法があります。
?半島の「別所」で銅器制作に関する“遺跡”イワレ・氏名(うじ)が残っていないか?
?市内の「別所」の近くの神社のイワレ。そして、その関係と思われる氏名(うじ)。

今の時期寒いので、半島のほうの遺跡探索はお勧めできませんが、「氏、さがし」のほうなら電話帳で捜すことも可能かと^^! その電話帳は、図書館へいけばあるかもです。
「なぜ、それをあなたが、しないのか?」ですってぇ> ・・つかれました^^!

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403荊の紀氏:2020/03/31(火) 09:05:30
参考 陶磁器の鐸
銅鐸祭祀の源流 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fisaq2011%2Fe%2Fdf467d7e0dbb6be9d4e3b609833a6029
 先にも紹介したが、湖南省寧郷市老糧倉で出土した殷代の鐃(にょう)に関しては、日本の銅鐸のルーツではないかとの見解が出されている。
 「長江中流域などの鐃は概して大ぶりで、高さが1メートルに迫るものもある。大型の鐃(にょう)は山の斜面や頂上の穴に埋めた状態で発見されることが多い」。(考古用語辞典)
 祭器としての青銅器を土に埋めて保存する習俗としては、苗族や白ラ人の銅鼓がそうである。そして、湖南省でみられた青銅製の鐃と弥生の日本の銅鐸がある。
 さらに今度は、明らかに銅鐸の原型と思われる形をした陶磁器の鐸が発見された。
 『中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の貴族のものとみられる墓から、原始的な磁器の鐸が見つかった。南京博物院(同省南京市)によると、これまで中国各地で出土した鐸と異なり、日本の弥生時代の銅鐸によく似ている。鐸は四つ見つかり、高さ約20センチ、幅約12〜18センチの鐘型。肌色で表面に蛇のような小さな模様が多数刻まれ、鐸上部に長さ数センチの蛇や虎の姿を模したつり手が付いている。
 同博物院などの説明では、黄河流域を中心に中国各地で出土してきた鐸は上部に手で持って鳴らすための細長い柄が付いたものばかり。日本の銅鐸と似たつり手の付いた鐸が、長江下流域の呉と越に存在していたことが歴史書にあるが、実際に中国で出土したのは今回がはじめて。日本の銅鐸との関連性を指摘する声が出ている。(2006年3月7日付朝日新聞)


404史実探偵: 平 素人:2020/03/04(水) 08:35:45
Re: 参考 陶磁器の鐸
https://blog.goo.ne.jp/isaq2011/e/df467d7e0dbb6be9d4e3b609833a6029

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405青面金剛:2020/03/06(金) 04:23:30
民俗学では創作を資料に加えるのは厳禁です
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 素人は、出雲半島に<別所>というところがあり、そこでしていたと思います。出雲半島は「破砕半島」ともいわれ、仔牛ほどの大きさの銅鉱がゴロゴロしていたと聞いています。

★ 以前紹介した、「韓竈神社」の在る、出雲市唐川町は別所の西隣です。
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F4travel.jp%2Ftravelogue%2F10567156

> それを祭祀用具とみているのに対し、大陸人は銅材が兵器用から発展したものであり、もし、列島人がその製法をしり、兵器として使用されると困ります。
> 島根半島にある「別所」は、大変へんぴな所^^!
>これまた小さく^^!<旅伏>の地名もあります。

★ 出雲王国の時代に、銅の精錬も製鉄技術も導入済みです。出雲王国が物部勢力に敗れた要因の一つとして、出雲では、鉄を武器に用いる発想が無く、農機具や漁具中心に使われていたからです。

  始皇帝陵の刀剣は、錆びる事無く、まるでクロームメッキを掛けた様に、其のまま物を切る事が出来ましたので、「隕鉄」を用いている、と思われます。つまり、物部の兵士達には、普通の鉄剣、武将には、隕鉄の鉄剣を持たせていた、と考えられます。

> 出雲市の市街地にも、<別所>の地名が残っています。
> 「こちらに移そうや」になったのでしょうね^^。先のDr.>から^^。
> ?半島の「別所」で銅器制作に関する“遺跡”イワレ・氏名(うじ)が残っていないか?
> ?市内の「別所」の近くの神社のイワレ。そして、その関係と思われる氏名(うじ)。

☆ 物部勢力の出雲侵攻後に、物部方の行政機関や寺を建てる為に、そこに住んでいた人々を強制的に移住させた移転先を「別所」と呼びます。唐川町では茶と柿の栽培が盛んです。
 唐川町は、ほとんどが荒木という姓です。これは、「韓竈神社」の岩倉の隙間が産道に成っている事から、古代出雲の女神「アラハバキ神」を基にしたのでは、と思われます。
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F4travel.jp%2Ftravelogue%2F10567156

☆ 1998年に、佐賀県の吉野ケ里遺跡で出土した銅鐸が、出雲で出土したと伝わる「伝出雲出土銅鐸(木幡家銅鐸)」と、同笵(どうはん、同じ鋳型で作られたもの)であることが、明らかになりました。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.city.matsue.shimane.jp%2Fjumin%2Fshisei%2Fkouhou%2Fshihou_matsue%2F1808%2Fbunkazai.htm
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Faomatsu123.blog.fc2.com%2Fblog-entry-158.html

★ 平さんが「鬼ノ城跡で雨乞いの人身御供の儀式が行われていた。」と推測する前提を進めると、岩屋の毘沙門堂の裏の禁足地に埋められているのは、銅鐸ではなく、出てくるのは「稚児の骨」です。


☆ 民俗学の手法は、地道なフィールドワーク『現地を廻りながら、様々な資料(聞き取りや伝聞含む)の積み重ね』の集大成であり、平さんの様に「机の前で地図を見ながら勝手な妄想を重ねる。」のは邪道の極りに他なりません。

☆ 民俗学では、資料に勝手な「創作」を加えるのは厳禁です。資料の捏造に当たり、検証から外れてしまいます。「創作」を一つでも加えようものなら、それは、「低俗な、覗き趣味の代物」に落ちぶれてしまいます。

☆ 民俗学では、丁寧な論理の積み重ねが基本であり、論理の飛躍した「暴論」や「勝手な思い込み」や「こじ付け」や「曲解」は許されません。
 平さんも鎌の刃を研ぐのは「稚児を殺める為」では無いでしょう。「〜と確信した」も勝手な思い込みと決め付けに、他なりません。

☆ 民俗学のルールを理解しない学生や若手研究者には、厳しい指導が行われます。民俗学の入門書すら読まず、地元の研究者方の話も聞かずに、独学で進めると、道を踏み外す事に成ります。

 岡山民俗学会  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fokayamaminzokugakkai.web.fc2.com%2F

 山陰・出雲の郷土出版のハーベスト出版  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.tprint.co.jp%2Fharvest%2Findex.html



406史実探偵: 平 素人:2020/03/07(土) 01:41:09
コメントに感謝します。
青面金剛さまへのお返事です。

> Re: 民俗学では創作を資料に加えるのは厳禁です

 コメントありがとうございました。当方、「併進で行きましょう!!」とかいたからもう関わって下さらないものと思っていました。只今、こうしてコメントを下さって居るのは「卑弥呼・・」を掲げまして20年・2千通をこえると思いますが、キシ先生と先さまのたったふたりです。それを思うととてもありがたいことです。

わたしのやっている事は、『ここ掘れワンワン』のワンコです^^!。爺さま(専門家)ではありません。それの有る無しを決めるのは先さま方であり、学問の探求ではありません。南極大陸大隕石、東北地方巨大隕石、卑弥呼と大量の銅鐸銅剣の、これ等はそれに気づいて下されば中学生程度の学識でもわかること。なにしろ当のわたしがその程度の知識しかありませんから^^。

しかしながら、このような??“現学をはずれた” アウトローを世に伝えるには、先さまの仰るような轍を踏まなければならないのは今までの広報の中で充分に経験しています。それが成らないから苦労しています。・で今は存命中は無理と諦めました。.

 昨年の10月、台風19号を押して釜石にいったのは、自分の力の限界と思考・根気の衰えがあり、恩ある方々へのお礼をいって <区切り>をつけておきたかったからです。「総社市岩屋」の件は歴史的遺産を荒らしてはならない思いもあり、近年まで公表を避けてきましたが、どっちみち相手にしてくれないのだから「まっ、いいかぁ^^!」と公表に踏み切りました。そして、そのレポートを各機関に <送っておく>つもりでしたが、「卑弥呼云々に関しては」多々のコメントを下さっている先さまさえ懐柔できないのに、今まで無視されて来た機関や人達に送っても無駄かと^^? 思って未だに送付していません。・・今後のなりゆきで(^-^!)

 先さま情報の「総社市・秦(はた)」をみていましたよ^^。

<それから、先さまに誤解があるようです>
岩屋の金堂辺りは「禁足地=宗教的」ではなくて、遊歩道以外の「立ち入り禁止」の立て札がありました。
「金堂」の中はがらんどうで、粗末な台のうえに、これも申し訳ていどに小さな(2・30cm)毘沙門さまだけが置かれていたように記憶しています。鬼の城の近くに山王神社があるのですが、過疎から御本尊は足守の方へ移されているとかで、おそらく、金堂もそのようになっているのかも知れません?? そして、お寺の造りを調べたのですが、拝殿の両脇の柱の上は雲型であり、この金堂の写真では竜型になっています。

それから、わたしの言っているのは卑弥呼以前のことであり、その後の古墳代、神話代、出雲族・物部族の歴史をまったく識りません。先さまとは時代的なズレがあるように感じています。コメントありがとうございました。□

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



407青面金剛:2020/03/07(土) 07:39:10
岩屋寺の住職さんに尋ねなさい
隠居探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 岩屋の金堂辺りは「禁足地=宗教的」ではなくて、遊歩道以外の「立ち入り禁止」の立て札がありました。
> 「金堂」の中はがらんどうに近く、粗末な台のうえに、これも申し訳ていどに小さな(2・30cm)毘沙門さまがお線香立てもなく置かれていたように記憶しています。
>過疎から御本尊は足守の方へ移されているとかで、

☆ 真言宗御室派 岩屋山 岩屋寺  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fbitchu-iwayaji.com%2F
              所在地:〒701-1465 岡山県岡山市北区上土田480
               お電話でのお問い合わせ 電話番号:086−295−0466

※ 岩屋寺の住職さんは不在の時が多いので、事前に電話で予約してから行く事。
「岩屋寺の奥の院である、毘沙門堂の裏手にある小高い丘が、立ち入り禁止に成っているのは、どの様な由来からなのかを、お尋ねしたいのですが。」と尋ねると好いでしょう。

 奥坂穴観音保存会  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fokusakaanacanon.jimdofree.com%2F

 岩屋物語  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkphodou.web.fc2.com%2Ftiraku%2Fblog-4%2Fpage40.html

> それから、わたしの言っているのは卑弥呼以前のことであり、その後の古墳代、神話代、出雲族・物部族の歴史をまったく識りません。

★ 「まったく識りません。」と言う人が、出雲の方々に失礼極まりない、決め付けた様な書き方を繰り返すのは、噴飯ものでしかなく、強い反発をくらうのは、当然の事です。

☆ 岩屋寺に関する事は、地元の郷土誌研究家が残した資料が、足守図書館や足守文庫に残されている、と思いますので、それすら調べる気が無いなら、このテーマは終わりとすべきです。


> そして、そのレポートを各機関に <送っておくつもり>でしたが、今まで無視されて来た機関や人達に送っても無駄かと^^? 思って未だに送付していません。・・今後のなりゆきで(^-^!)

★ 「人身御供」「生贄」という最も忌まわしいテーマを、多々綴った発掘話を、平さんは、自らの手を汚さず、人に丸投げしよう、との考えが、迷惑極まりない。

 『民俗学のルール』を幾つも破って書かれた平さんの駄文は、受け取った側が取り上げた場合に、その研究者までもが、『民俗学のルール』違反を指摘されてしまい、岡山民俗学会などの会員資格を取り消される恐れが生じますので、平さんが送付しても、相手側が取り上げる事は有りません。

 平さんの「悪しき駄文」は、平さんの人生の枠内で終わりとすべきです。




408史実探偵: 平 素人:2020/03/07(土) 17:42:43
広報活動30年2千通^^! その -1例^^!
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



409青面金剛:2020/03/08(日) 00:51:12
みやすみやま
隠居探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 2.岡山県埋蔵文化財センター様
> 4.総社市長 様 侍史、文化課文化財係様
> 5.岡山県岡山市足守岩屋寺御住職様
> 祖先は、「一山越えて、ふた山越えて、み山の前でぇ、狸さん、たぬきさん踊ろじゃないかぁ」 と、
> 毬付唄で、その埋め場所を教えてくれている。 □□岩屋 〇〇さま宛て(同封)の同意が頂ければ 『 スコッフ片手に、ツルハシかついで^^!』 の暴挙にうつります^-^!。

★ 岩屋寺の寺領なのに、住職さんの話も聞かずに、一方的な文書を送り付けた処で、返事が返って来なかったならば、「全くの見当違いです。」の意味です。

 神社のお宮の裏地は祭祀場であっても、寺の御堂の裏地は「お墓」が相場です。

☆ 『みやすみやま』と『岩倉山』なら童謡とピッタリで、美咲町と吉備中央町の町興しにも成るし、20通送るだけでも、岡山県埋蔵文化財センターの方々も、候補地の一つに加えて貰える、可能性は十分にある、と思いますが、温羅の製鉄の場に銅鐸などと、辻褄の合わない事を繰り返した所で、無しのつぶてです。

 今までに、発掘ボランティアの経験も無い人に、許可出す訳無いでしょう。



410史実探偵: 平 素人:2020/03/09(月) 22:13:58
中国人と日本人、贈り物の考え方の違い!!
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-3.html

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411吾亞風:2020/03/11(水) 06:47:25
銅鐸で測量 - かごめかごめの真実とは…銅鏡反射を利用…
??巴形銅器も有鉤銅釧も銅鐸も共に測量器具でした!span>https://blog.goo.ne.jp/kagome1248/e/93049637f794c47a3d5ed29bab778dbc

銅鐸 剣 鏡 ・・これらは古代の測量機器でした
太古の昔から、我が国に精密な測量技術を持ち得ていた優秀なご先祖様達が居たという事実に、驚かされるばかりです。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fkagome1248%2Fe%2F464eaf43d7481391b26ae1af1edb72f7

かごめかごめ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F1781
亀は六芒星
「鶴と亀が統べった」
千家
「武者小路千家HP 官休庵」 『茶道用語』利休梅 ... 竹などで編んだ簡単な柵、垣根のようなもの)、その籬の亀甲模様または六芒星、五芒星、網干し、鳴子、川、その水辺の水鳥などなど境界線、結界を現すものがとても多いのです。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fyamasakuran.seesaa.net%2Farchives%2F200703-1.html
籠目や亀甲型の六角形は魔除の力があるとも言われます。

その名も「赤染氏」 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2789
かごめかごめ都市伝説 鶴と亀はすべったの意味 M君
「かごめ」が籠目の意味だとすると、籠の中には龍がいる。龍は空を飛ぶから、籠の中の鳥と言っても良いだろう。鳥はとーりーいは鳥居日本を意味するという説もある。かごめかごめの鶴とカメ。亀甲紋と六芒星。鶴の折り紙から五芒星。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww7a.biglobe.ne.jp%2F%7Emkun%2Fnazo%2Fstar56.htm

亀甲 紋(キッコウ) ... 亀甲紋使用家は「見聞諸家紋」に、二階堂・小田・浅山・藤民部・宇津木・中村・湯浅とある。 ... その氏子総代である野田醤油の祖先は、それにあやかって亀甲に萬の寺を家紋とした。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fhomepage2.nifty.com%2Fpapion%2Fpages%2Ffamilycrest%2Fkikkou.html

家紋の由来_鶴 紋
鶴紋. もともと鶴は霊鳥とされてめでたく、亀とともに長寿の印だった。 鶴の瑞祥にあやかって、鶴は昔から文様や紋章にさかんに用いられた。 ... 源氏系では柳沢、森、諏訪、室賀の諸氏が「鶴紋」を用いている。 降り鶴の丸. 光琳鶴. 三光琳鶴 ...
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.harimaya.com%2Fo_kamon1%2Fyurai%2Fa_yurai%2Fpack2%2Fturu.html
厳島神社の「平家納経」の表紙にも鶴がみられ「北野天満宮絵巻」にも同様の鶴が見られる。これらの紋はやがて家紋に転化していった。(対い鶴)

亀甲紋は出雲大社、厳島神社、香取神宮

安芸の厳島神社が「三つ盛亀甲に剣花菱」、

八角円堂
京都の最古の寺院建築である広隆寺は聖徳太子から秦氏に賜れた仏像を本尊に創建されましたが、境内に 桂宮院と言う、鎌倉時代の八角円堂があり、聖徳太子像が安置されています。 ... 八角円堂としては他に、興福寺北円堂(藤原不比等の一周忌に創建され、
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Forion.fken.ise.osaka-sandai.ac.jp%2Forion%2Fjap%2Fhstj%2Fnara%2Fhoryuji3.html

739年、僧行信らによって創立された別院上宮王院の仏殿。聖徳太子の供養塔でもあります。八角円堂で屋根に舎利塔である宝瓶を中心とした<露盤宝珠>を置いています。 組み物は簡素な三斗組、肘木は長く天平前期の特色がでています。
現状は鎌倉時代に斗を一段加えて高くし、軒の出も長くされています。
京都の最古の寺院建築である広隆寺は聖徳太子から秦氏に賜れた仏像を本尊に創建されましたが、境内に 桂宮院と言う、鎌倉時代の八角円堂があり、聖徳太子像が安置されています。
八角円堂としては他に、興福寺北円堂(藤原不比等の一周忌に創建され、1210年再建)、三聖寺愛染堂(室町時代建立、禅宗様。東福寺山内)などがあります。
六角円堂と言うのもありますが、その例は少なく、鹿苑寺地蔵堂(岐阜県美濃市。室町時代後期建立。小規模)、長光寺地蔵堂(愛知県、1510年)などがその例です。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Forion.fken.ise.osaka-sandai.ac.jp%2Forion%2Fjap%2Fhstj%2Fnara%2Fhoryuji3.html

銅鏡は方位盤 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2905

太陽光の銅鏡反射を利用
「卑弥呼が、瀬戸内海一帯にはりめぐらした山上の物見や通信台からの情報で、明日の天気を予見を予見すると、それは太陽光の銅鏡反射を利用し、ピカピカピカッという信号で中継通信基地、焼山寺山がうけ、それを四方に信号で」おくるという一種の光通信が行われていたという主張がある(焼山寺山は標高九三〇メートル、阿波の他の山々からの見晴らしがよい地点にある)。魏からもたらされた銅鏡百枚はこの反射信号に使われただけでなく、舟と陸上との連絡、舟と舟との連絡にも用いられた実用品だった。また、銅鏡ばかりでなく、自然の鏡石を利用した古代の灯台もあったという。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmerulog.jp%2Fhal9000kamt%2FU4D6kyuyinJF

日本史のブラックホール・四国 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2660


412史実探偵: 平 素人:2020/03/12(木) 05:06:20
Re: 銅鐸で測量 - かごめかごめの真実とは…銅鏡反射を利用…
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs/1781

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413吾亞風:2020/03/12(木) 11:12:20
「埋めるという行為」の意…『分水嶺』とは何かを知っていますか?
土圭:…時打ち装置をもつこの時代の時計は自鳴鐘と呼ばれた。時辰儀,土圭なども時計の古い呼名である。

「厓ガイ」 <がけ・地のはて>
解字 「厂(がけ)+圭ケイ(土のかさなり)」 の会意形声。土が重なって層になっている所が露出しているガケ。のち、山をつけて崖、水をつけて涯の字に分化した。また、切り立ったガケは地の果てと考えられた。
意味 (1)がけ。(=崖) (2)きし(岸)。みずぎわ。(=涯) (3)果て。かぎり。(=涯)
イメージ  「がけ」 (崖・涯)
       地の 「はて」 (睚)
みずぎわ。(=涯)… 銅鐸…
圭(かどだつ)…
「圭璋ケイショウ」(儀式用の貴重な玉器)
畦 ケイ・あぜ  田部
解字 「田(耕地)+圭(かどだつ)」の会意形声。耕地を区切る角立ったあぜ。
窪 ワ・ア・くぼむ  穴部
解字 「穴(あな)+氵(水)+圭(ワ)」の形声。水がわくくぼんだ穴をいい、圭(ワ)は発音をあらわす。
穴(あな)…埋める…甦り…くぼみ…
大理石に4分の1球面のくぼみをあけ、この球面に沿って、上方から放射状に目盛り線を引く。中心角で15度間隔で目盛りを引くと指針の影は太陽の時角の変化に伴い、1時間ごとにこの目盛り線を通過する。これが古代の日時計である。
日土圭(ひどけい) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
太陽の日周運動を利用し、太陽の時角の推移から時刻を定める器械。太陽は24時間で全円周360度の回転を繰り返すので、1時間当りの時角の変化は15度である。

集落から仰ぎ見る山の集落から見えない地点に銅鐸を埋める−埋納行為の謎を解く鍵の一つかもしれない。…
恩智銅鐸出土地−大阪府八尾市
3/9八尾市の恩智銅鐸の出土地を訪れた。
AM中、八尾市歴史民俗資料館で跡部銅鐸と恩智都塚山の銅鐸を見て、PM、現地へ向かう。恩智の銅鐸出土地は生駒山系から舌状に突き出した小丘陵−垣内山で標高は97〜123m(写真1/写 真中央の家の背後が出土地)。現在安養寺の毘沙門堂背後の97mピークに「銅鐸出土之山」の石碑(写真2)が立っているが、ここは出土地ではない。1921年(大正10)の出土地点は安養寺の背後−垣内山の北側斜面とされる。
梅原末治『銅鐸の研究』によれば、「山の尾の北西端に大師堂がある。堂から東へ13間(25m)で山腹の上部に山崩れのある部分に達するが、それが鐸の発見地点なのである」と書かれている。現在、大師堂(標高約80m)の東へ小径が続いているが山崩れの痕跡は既にない(写真3)。小径は垣内山の北側の谷奥まで伸びて、谷奥には井戸がある。恩 智垣内山では、1949年(昭和24)にも銅鐸が発見されている。こちらは都塚山銅鐸と呼ばれているが、大正の出土地点と同じ丘陵の尾根続きの123mピーク(ここが都塚山か?)から少し北に下った地点らしい。正確な地点は今回確かめられなかったが、垣内山の北側の谷を東へ40m程登った地点に当たる。恩智の銅鐸出土地は、同じ丘陵の少し離れた地点から銅鐸が出土した「近接埋納」の事例として注目される。垣内山には発見されずまだ眠っている銅鐸があるかもしれない。
近鉄恩智駅への帰りに「天王の杜」に寄った。ここは弥生中期を中心とする恩智遺跡のあった場所で、銅鐸発見当初から銅鐸埋納と関連がある集落と推定されている。確かに天王の杜から垣内山を見ると、生駒山系をバックに垣内山が三角形の形で浮かび上がって見える。集落と垣内山の距離は約500m。天王の杜から見て気づいたのだが、銅鐸の埋納地点そのものは集落からはちょうど山の影になり見えない。銅鐸埋納地点は眺望がよくない場所−眺望がよい山であるにもかかわらず、あえてよくない地点を選んで埋めている−ことが多いが、恩智の場合、さらに集落から見えない場所という理解ができる。集落から仰ぎ見る山の集落から見えない地点に銅鐸を埋める−埋納行為の謎を解く鍵の一つかもしれない。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdoutaku.cocolog-nifty.com%2Fblog%2Fcat15615189%2Findex.html
…「こんなところで?」という感じの場所だった。…
悪ヶ谷銅鐸の実物は東京国立博物館に展示されている。谷奥の支谷−才四郎谷では、89年に銅鐸研究家の羽間義夫さんが金属探知器で銅鐸を発見している。どんなところか非常に興味があったのだが、出土地点は「どうたく公園」という道路沿いの小公園 として整備されている(写真2)。覆屋の下にレプリカの銅鐸で出土状態が再現されている(写真3)。現地はなんの変哲もない道路脇の斜面で特に削平されてもいない。「こんなところで?」という感じの場所だった。

…「こうした埋納地の共通性は、銅鐸が水に関する祭器であること、川神や水神をまつる農耕儀礼に使われた祭器であり…」と書かれているのを知った。辰巳さんは引佐町の天白磐座遺跡など古墳時代・井伊氏による水(井泉)の祭祀の研究で知られるが、銅鐸についてはその後何故か言及されていない。
銅鐸が水に関する祭器…
…銅鐸出土地点の東西から平形銅剣5本(A地点4,B地点1)が出土しており、我拝師山北麓もいわゆる近接埋納地として注目される場所。同行のGさんはミカン畑で弥生土器片を見つけたがここも広義の高地性集落と重なっているらしい。水分神社や大塚池の存在から我拝師山の青銅器出土地も湧水との関係が指摘されているが(※前記松本豊胤論文、大野勝美 1994『銅鐸の谷』)、湧水だけでなくその背後の我拝師山の存在も無視できない。これは瓦谷遺跡の背後の大麻山も同様で、民俗学でいうところの「山当て」的な意識を感じる。…

源氏ヶ峯の南方、三木町の白山(写真3)からも銅鐸が出土しているが、ここも山頂部に散布地、山麓丘陵上に弥生集落跡が確認されている(銅鐸は集落跡に近い見通しのきかない谷頭から出たらしい)。白山も秀麗な神奈備型の山だが、飯野山と白山の山頂部散布地は集落跡ではなく“祭祀的”な遺跡ではないかとみられている。これについては、後で松本武彦さんが興味深い説を出雲の田和山遺跡の講演会で述べられているのを知った。
>「高地に所在する祭祀遺跡で環壕を巡らせた例はまだ見つかっていないが、香川県の飯野山(讃岐富士)と白山では、山頂で弥生中期の祭祀土器がみつかっており、今後もし環壕などが発見されれば、田和山タイプの祭祀遺跡への認識は深まるだろう」
高地性集落が弥生時代祭祀とどう関わってくる遺跡なのかまだわからないが、従来言われてきた「戦争との関係」ではない側面があることを青銅器出土は伝えているのだと思う。
山頂で弥生中期の祭祀土器が…
…旅行中入手したパンフ類を整理していたら「天霧城跡」のパンフの地図に「水場」のマークを見つけた(水場はどんな渇水時にも枯れたことがなく、常に岩の間から真水が湧出する場所だという)。ここは弥谷寺の平形銅剣(写真4)の出土地に当たる。弥谷寺の銅剣の出土地は厳密には特定できないし、三豊平野〜丸亀平野を結ぶ峠に注目する説−いわゆる境界祭祀説−もあるようだが、弥谷寺・弥谷山との関係は無視できない。やはり「湧水」は銅鐸だけでなく、広く青銅器埋納地点共通の“キーワード”になりそうである。…

甲武信ヶ岳と雲取山・金峰山・瑞牆山の4つの百名山と、多摩川・荒川・富士川・千曲川の4つの分水嶺を3日以内に縦走するというタフな大会があるんです。それが『分水嶺トレイル』。
…周辺は草地で、目の前に笠取山の山頂があり、富士山の眺望も抜群! 撮影スポットとしても人気です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyamahack.com%2F2471
分水界…
分水界(ぶんすいかい、drainage divide)とは、異なる水系の境界線を指す地理用語である。山岳においては稜線と分水界が一致していることが多く、分水嶺(ぶんすいれい)とも呼ばれる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
水は高いところから低いところへと流れる。したがって稜線のどちら側に降るかで流れ込む川が変わり、注ぐ海が変わってくる。山岳においてはこのような違いが大変明瞭なかたちで現れてくるが、一見平坦な地形のところでもこのような営みが行われている。たとえば、広島県安芸高田市向原町戸島の「泣き別れ」は平坦な水田の中にある。これより北側は江の川に流れ込んで日本海へ注ぎ、南側は太田川に流れ込んで瀬戸内海に注ぐことになる(安芸高田市には八千代町上根峠にも平坦地での分水界がある。これは日本における河川争奪の代表的な例である)。
もうひとつ平坦な地形での分水界の例を示す。それは武蔵野台地の場合である。武蔵野台地では残堀川や野川、仙川など多摩川水系の河川と、黒目川、柳瀬川、空堀川など荒川水系の河川とが流れている。当然双方の水系の接するところ、すなわち分水界が存在するわけだが、玉川上水がほぼそれにあたる。最も高いところに上水を通すことで分水を自然に流下させることができ、灌漑面積を効率的に拡大できるのである。
日本の分水界
世界との比較をするなら、日本は島国でありかつ山国でもあることからその分水界は小規模である。古くは水分(みくまり)とも呼称した。
中央分水界
中央分水界(中央分水嶺)とは、日本の太平洋側と日本海側とを分かつ分水界である。ただし、例えば津軽海峡などのような、太平洋と日本海の境界にある海域をどちらの海域として扱うかによって結果が異なる。
末端以外の中央分水界で最も高度が低いところは、本州では兵庫県丹波市氷上町石生(いそう)「石生新町」交差点付近の標高95m[1]である。この最低点の東800m付近に「水分れ(みわかれ)公園」があり、公園内で水路が加古川(瀬戸内海/太平洋)側と由良川(日本海)側とに分かれている。日本列島全体では、日本山岳会により中央分水嶺踏査事業[2]が進められた結果、北海道の新千歳空港付近を標高13.7mの中央分水界が通っているとされた[3]。一方、最高点は乗鞍岳の 3026m である。
国境としての分水界
律令制に基づいておかれた令制国の境はその多くが分水界となっている。尾根筋を国境(くにざかい)とすることが多いから当然といえば当然ではあるが、尾根を境に気候や植生が変わり文化が変わるのだから、合理的な分割法ということもできる。中世において伊賀国が、隣の近江・大和両国と国境紛争を起こした際には分を境目とする裁断が下されている。
分水界が国境というのは日本国内に限ったことではない。ヨーロッパにおいても尾根が国境とされることが多いため、アルプス周辺では分水界と国境がほとんど一致している。
平野部の分水界
分水界泣き別れ。線路沿い左側の白い柱が分水界を表す。
山岳部では稜線とほぼ一致するが、下流の平野部(特に大平野)では分水界が不鮮明である。これは増水する度に河川が流路を変更するためである。このことは古代から近世にかけて、為政者にとって最大の悩みであった。そのため古代の入植は、新田や耕作地の開発のし易さから山際近くで開始されている。そして近世になるにつれて、低地や川際へと開発が進んだ。
近代以降は土木技術の進歩で河川整備が進み、河川の流路が変わらなくなっている。
さかい〔さかひ〕【境/▽界】
土地と土地との区切り。境界。「隣との―」「県―」
2 ものとものとが接する所。また、ある状態と他の状態との分かれ目。区切り目。境目。「空と海との―」「生死の―をさまよう」→境する
3 ある範囲の内。地域。場所。また、境遇。
「身体を安逸の―に置くという事を文明人の特権のように考えている彼は」〈漱石・明暗〉
4 心境。境地。
「―に入りはてたる人の句は、此の風情のみなるべし」〈ささめごと〉
「竟キョウ」 <長い祭祀がおわる> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Ffeb52fe621e68813104f061886685404
解字 甲骨文第1字は、「冠の形+兄キョウ(神に祈る人)」 の会意形声で、冠をつけた貴人が祭祀(祖先や神をまつる)をおこなっているさま。(兄は音符「兄キョウ」を参照)。甲骨文第2字は、冠の略体(▽)をつけた形。意味は、?祭祀名。?人名だという(甲骨文字辞典)。金文も甲骨第1字を踏襲しているが、篆文から、冠⇒辛、口⇒曰、人⇒儿に変化し、現代字は、「音+儿」の竟になった。意味は、祭祀が長きに「わたる・つづく」、祭祀が「ついに、おわる」こと。また、おわった所が「さかいめ」の意がある。
意味 (1)わたる。つづく。「竟日キョウジツ」(一日中)「竟夕キョウセキ」(夜どおし) (2)ついに(竟に)。「畢竟ヒッキョウ」(つまるところ)「竟成キョウセイ」(ついに成る)「有志竟成ユウシキョウセイ」(志の有る者は事をついに成し遂げる) (3)おえる。おわる(竟わる)。「竟宴キョウエン」(祭事のおわった後に開く宴会) (4)さかいめ。「竟内ケイダイ」(区域のうち。=境内)
 「わたる・おわる」(竟)
  終わったところが「さかいめ」(境・鏡)
音の変化  キョウ:竟・境・鏡
さかいめ
境 キョウ・ケイ・さかい  土部
解字 「土(とち)+竟(さかいめ)」の会意形声。土地のさかいめ。
鏡 キョウ・かがみ  金部
解字「金(金属)+竟(さかいめ)」の会意形声。金属をみがいて境目を反射させるようにした鏡。
鏡…
鏡山 (北海道) - 北海道北斗市にある。標高330m。
鏡山 (山形県) - 山形県村山市と最上郡大蔵村の境にある。標高1097m。
鏡山 (福島県・新潟県) - 福島県耶麻郡西会津町と新潟県東蒲原郡阿賀町の境にある。標高1339m。
鏡山 (岐阜県) - 岐阜県揖斐郡揖斐川町にある。標高1086m。
鏡山 (滋賀県) - 滋賀県蒲生郡竜王町と野洲市の境にある。標高385m。
鏡山 (島根県) - 島根県浜田市にある。標高69m。
鏡山 (福山市) - 広島県福山市にある。標高150m。
鏡山 (東広島市) - 広島県東広島市にある。標高335m。周辺は鏡山公園になっている。
鏡山 (愛媛県) - 愛媛県今治市の大三島にある。標高212m。
鏡山 (佐賀県) - 佐賀県唐津市にある山。
鏡山 (小城市) - 佐賀県小城市にある。標高134m。
鏡山 (人吉市) - 熊本県人吉市にある。標高590m。
鏡山 (熊本県・宮崎県) - 熊本県上益城郡山都町と宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町の境にある。標高917m。
鏡山 (芦北町) - 熊本県葦北郡芦北町にある。標高730m。
鏡山 (球磨村) - 熊本県球磨郡球磨村にある。標高551m。
鏡山 (玖珠町) - 大分県玖珠郡玖珠町にある。標高675m。
鏡山 (宮崎県) - 宮崎県延岡市にある。標高645m。

鏡山村 - 滋賀県蒲生郡にかつて存在した村。1955年に苗村と合併して竜王町となった。
鏡山 (香春町) - 福岡県田川郡香春町にある地名。
鏡山…真南に位置…会越国境に位置…
西会津町北部の会越国境に位置する。鏡山という山名は全国に多く見られ
るが、その中でも標高が最も高いのではないだろうか。飯豊連峰の一角で
飯豊山のちょうど真南に位置する。
飯豊連峰の展望台と称されることが多い鏡山だけに、山頂からのパノラマは圧巻である。 北西に大日岳、北側には御西岳、飯豊山、北東には種蒔山、巻岩山、疣岩山、三国岳。 東側には吾妻連峰、南東には磐梯山。 この日の飯豊連峰は昇竜のような白雲に山頂部が少々隠れていたが、十分にその迫力ある絶景を楽しめた。

【佐賀・唐津】鏡山展望台から唐津を見渡す。
鏡山展望台
唐津城からは車で10分ほど。
虹の松原の南にある展望台です。大きな赤い鳥居が入り口の目印。
北には海、そこに流れ込む大きな松浦川、周りはのどかな田園風景、そして正面には虹の松原の存在感。遠くには唐津城も見えます。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fak-kyushu.com%2F2017%2F08%2F08%2Fsaga-kagamiyama%2F

滋賀県鏡山と伊勢遺跡 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Flutera.org%2F
鏡山の北麓に鏡神社という社がある。
 御祭神は新羅から渡来したと伝えられている天日槍(アメノヒボコ)で、相殿は天津彦根命(アマツヒコネノミコト)と天目一箇神(アメノヒトツノカミ)。
 『日本書紀』によると、第11第垂仁天皇3年、新羅の王子・天日槍は陶芸、金工集団を引きつれて渡来し、近江・若狭を経て但馬の出石(兵庫県)に定住した。また近江の鏡村谷の陶人は天日槍の従者であるという記述がある。
 地元の伝承によると、鏡山という名前は、かれが渡来したときに持参した、羽太の玉、足高の玉、赤石、刀、矛、鏡、熊の神籬の7種の神宝のひとつである鏡を山中に埋めたことに由来するという。
 実際に鏡山に登ってみると、正面に野洲町の三上山が見える。
 三上山は近江富士の名のとおり、美しいピラミット型の稜線をもつ。古代から信仰の対象とされていて、山頂には奥津磐座、麓には天御影命(アメノミカゲ)を御祭神とする御上神社がある。
天照大神の孫(天津彦根命の子)にあたる天御影命は物部氏と縁が深く、その娘の息長水依比売(オキナガミズヨリヒメ)は、九代開化天皇の皇子にして崇神天皇の弟にあたる日子坐(ヒコイマス)王と結婚している。ちなみに日子坐王は丹後の鬼退治伝説で知られている。
さらにおもしろいのは、邪馬台国三上山説というのがある。
その根拠となったのが滋賀県守屋市伊勢町で発掘された『伊勢遺跡』。守屋市の教育委員会は、伊勢遺跡がつくられたのは1世紀末〜2世紀末。建物跡の調査の結果、国内最大規模の大型竪穴建物であることから、有力者の住まいであった可能性が高いと発表しているんだよね。それも集落の形状からいって、住居というよりも大規模な祭祀場であった可能性も高いとのこと。この伊勢遺跡から東に3キロほどいったところに三上山がある。


414史実探偵: 平 素人:2020/03/14(土) 02:53:16
Re: 「埋めるという行為」の意…『分水嶺』とは何かを知っていますか?
吾亞風(何と読むのですか^^?)さまへ、
 数々の情報 &ご教示ありがとう御座いました。大変勉強になります。
 このような説明を上げないから<専門家>には伝わらないのですね^^1

 銅鐸を「埋めるという行為」についての説には色々とあるようですが、
 わたし素人は、まとめて埋めるは別として「土中、一時保管説」を支持しています。

<大事変のシナリオ>
 今から4千年前地球を半周した巨大隕石が東北に降臨しました。その時発生した大地震・津波・直後の爆雨・雷、等々、の天変地変は、今の私達が想像すら出来ないものでした。巨大隕石の衝撃はその規模にもよりますが、私達が知り得ている地震や津波の比ではありません。なぜなら、地殻内で起きる地震に対し、その地表を叩くエネルギーの絶対量が表層地震に変るからです。即ち『力は抵抗の弱い方へより強く作用する』からです。
その時を想像しますと、高層建築のない当時ですが、揺れるとか倒れるとかの表現ではなく“豆粒やゴマ粒がハゼル如く”であったと思います。列島の住人は、多少の地域差はありますが、お互いが離れていてもこの大事変を共通の<荒神>と認識するようになりました。大陸や西洋では “この大事変、東洋にあり!” として後々の探索航海に出でていることは皆さまの知るところです。

 列島では、その荒神を災いと慈雨の両方をもたらす神として定着しました。列島住人は大陸からの銅器・赤色(あか)から毒性をもつ緑青(アオ)に変色する銅鐸に発展させ、その銅鐸に、その荒神様を呼び寄せ、慈雨や災いの鎮静化をおねがいしたと前述しています。そして、その大事変の発生源が東北であったことから、“西方へ行く”地震や津波をみて、「西方浄土」の考えが生まれました。ちなみに、大陸では東方に「神仙思想」、半島の「東方神起」の考えがあるのは皆さまの識るところです。

<銅鐸を単体で埋める場合>
> 集落から仰ぎ見る山の集落から見えない地点に銅鐸を埋める−埋納行為の謎を解く鍵の一つかもしれない。…

 このような荒神様ですから、その扱いには注意を要する。「困ったときの神頼み^^!」呼び寄せた時以外は帰っていただく。銅鐸、以外のどこかしこに取り憑いては困る。そして、その銅鐸も、地中や、裏山の人目に付かない所に一時的に隠しておこかとなった。(笑い)そんなとこに隠してもねえ^^! 地中に埋めるのは深く埋めたのでは再度取り出しにくいし、浅く埋めたのでは見つかりやすい。のでので・・「四尺=死尺」にしとこかとなった。これはスコップで掘り進めて肩までの高さであり、それ以上深く掘ると顔に土がかかります^^!。よっぽど怖いことがあったのでしょうか。その倍の深さに埋めたが「未だ、その声鳴りやまず!」という文面をみたことがあります。今でも、地方によっては、この銅鐸は、"五色の??御幣??"に変り、貴方さまの住む "里山" の目のつかないところへ隠されているかもよ^^?

「歴史会」の会合で講師の先生が「その銅鐸を見つけるのが私の夢です」と仰っていましたが(^-^?) ヒントは、『雨乞い文化』のある所で「悪ヶ谷」とか、荒神谷とか、西谷、(さいたに・才谷、晒谷)、奥谷、黒谷、とかの暗いイメージの地名から始めるといいかもですね。
 「ここ掘れワンワン!!」がわたしの得意分野です^^!。
  ・・っていうか、それ以外はありません^^! Give me a job^^.(史実探偵局より)

> 悪ヶ谷銅鐸の実物は東京国立博物館に展示されている。谷奥の支谷−才四郎谷では、89年に銅鐸研究家の羽間義夫さんが金属探知器で銅鐸を発見している。・・「谷奥・才四」

<銅鐸をまとめて埋める場合>
これは、「その銅鐸、二度と使わじ!!」として、封印している。と前述しているので省略します。こちらの方は、「出雲に習えばいい^-^♪」

<分水嶺と分水界の問題に思うこと>
わたしの知るところでは、長野県だったかな?「この〇〇峠は、日本海と太平洋へ流れるかの分岐点です」といわれたわりに"平な感じ"がしたのが思い出されます。拙「報告書」では、岩手県だったかな、水界峠。出雲平野では、神戸川と蛇砂川。ここは高低差が少なく、地図だけでは分水界は分かりませんでした。吉備では、高梁川分と東の足守川分の分かれ目に吉備津神社があり、松林が植えられ「境」の地名が残っていました。又、出雲半島の鷺峠の坪背山への山道に「灌流標」があつたのが気になっています。ここは、北の日本海側と南の大社側への分水嶺となっていますから、何か雨水に関係するお祈りごとがあったかと思案中です。このように、分水嶺を境に、或いはそれを模した亀の甲羅の右左に自分達の住む里の方にその雨欲しやの占いやお願いの歴史があったのではないでしょうか。

 今ではダム不要論まで出るさまですが、極々、近時まで、干天には悩まされて来ました。水争いの詳しくは知りませんが、水稲栽培への移行につれ雨水の必要性は死活問題であったと容易に考え知ることが出来ます。今でも水利権は小さな小川や小溝にいたるまで不文律があり、その管理と利権はくわしく定められているようです。曲がりくねった小川でも田地整理で区画されていない所をみかけます。特に川底の高低改修は簡単に変えることはできないのかな?? 昨今は宅地造成で地上げをすることが多いのですが、私は、その川底をみて、かつての海からの高さを想像しています。特に、出雲平野の「蛇砂川」は、周りがきれいに区画整理されているのに「くねくね」と曲がっているのには異様感を覚えました。

 <蛇砂川> ⇒ <砂川> の誤りでした^^!訂正してお詫びいたします。
又、神戸川は、斐伊川の放水路で繋がれてはいますが別水系のようです。
そして、現在は<砂川>は名のみが残っており川は流れていません。砂川の地名は出雲平野のほぼ中央にあり、北の新川と南の五右衛門川にはさまれて、かつての川に民家だけがくねくねと曲がって建っています。斐伊川町併川(あいかわ)の地名がありますから神立あたりで斐伊川の分流として流れていたが、水田整備のために北の新川と南の五右衛門川が新設されて、今は宅地化し<砂川>の川名だけが残ったようです。済みませんでした。ちなみに、総社市の鬼ノ城から流れ出る川が<砂川>でした。

≪ > 鏡… ≫
> 鏡山 (北海道) - 北海道北斗市にある。標高330m。
> 鏡山 (山形県) - 山形県村山市と最上郡大蔵村の境にある。標高1097m。
> 鏡山 (福島県・新潟県) - 福島県耶麻郡西会津町と新潟県東蒲原郡阿賀町の境にある。標高1339m。
> 鏡山 (岐阜県) - 岐阜県揖斐郡揖斐川町にある。標高1086m。
> 鏡山 (滋賀県) - 滋賀県蒲生郡竜王町と野洲市の境にある。標高385m。
> 鏡山 (島根県) - 島根県浜田市にある。標高69m。
> 鏡山 (福山市) - 広島県福山市にある。標高150m。
> 鏡山 (東広島市) - 広島県東広島市にある。標高335m。周辺は鏡山公園になっている。
> 鏡山 (愛媛県) - 愛媛県今治市の大三島にある。標高212m。
> 鏡山 (佐賀県) - 佐賀県唐津市にある山。
> 鏡山 (小城市) - 佐賀県小城市にある。標高134m。
> 鏡山 (人吉市) - 熊本県人吉市にある。標高590m。
> 鏡山 (熊本県・宮崎県) - 熊本県上益城郡山都町と宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町の境にある。標高917m。
> 鏡山 (芦北町) - 熊本県葦北郡芦北町にある。標高730m。
> 鏡山 (球磨村) - 熊本県球磨郡球磨村にある。標高551m。
> 鏡山 (玖珠町) - 大分県玖珠郡玖珠町にある。標高675m。
> 鏡山 (宮崎県) - 宮崎県延岡市にある。標高645m。

> その他あり、等々

「鏡山」の存在は全く知りませんでした。
これを<同一文化圏>とみると圧巻ですね。ご調査のご苦労に感謝します。
徐福隊の考えをくむ人達が関係したかとうかがい知ることが出来ますが、北海道にまであるのは驚きです。登るのに手ごろな場所と高さがいいですね。大字名をみると比較的時代がさがったような感じがします。なにはともあれ、「鏡山」という単純地名の統一は「誰が?」「どように」広げていったかの具体性が最大の謎です。

>  地元の伝承によると、鏡山という名前は、かれが渡来したときに持参した、羽太の玉、足高の玉、赤石、刀、矛、鏡、熊の神籬の7種の神宝のひとつである鏡を山中に埋めたことに由来するという。

「鏡を山中に埋めた」のですかぁ。古墳に埋めたのなら分るのですが、山にねぇ???
銅鏡を埋めれば錆びて使えなくなるし、簡単に盗掘される^^! そして、一つの山に一つづつとは思えず測量目的なら携帯して移動した方が良いようにも思えます。又、朝夕の斜光時の申し合わせが要ります。しかし、現存する「鏡山名の分布」は、否定できないのが難しい問題です!! 鏡山の名が定着するには、住民にかなりのインパクトを与えたか、継続して使用していたかの要件がいります。何か、それに関係する伝承は残っていないのでしょうか??

>  実際に鏡山に登ってみると、正面に野洲町の三上山が見える。
>  三上山は近江富士の名のとおり、美しいピラミット型の稜線をもつ。古代から信仰の対象とされていて、山頂には奥津磐座、麓には天御影命(アメノミカゲ)を御祭神とする御上神社がある。
>
> さらにおもしろいのは、邪馬台国三上山説というのがある。
> その根拠となったのが滋賀県守屋市伊勢町で発掘された『伊勢遺跡』。守屋市の教育委員会は、伊勢遺跡がつくられたのは1世紀末〜2世紀末。建物跡の調査の結果、国内最大規模の大型竪穴建物であることから、有力者の住まいであった可能性が高いと発表しているんだよね。それも集落の形状からいって、住居というよりも大規模な祭祀場であった可能性も高いとのこと。この伊勢遺跡から東に3キロほどいったところに三上山がある。

 滋賀県に「伊勢」という地名があるのは知っていましたが、興味がありながらも「何故?」かが分かりません出でした。北海道なら、「伊勢の衆とか、〇〇から移住した人達が」住んでいたところと解することが出来るのですが・・、お伊勢さまには飛び地の行政区があります。出雲には熊野神社がありました。大分には「小京都」があるのは先様方の知るところです。このような飛び地の歴史と、それに至ったいきさつを考えるのも楽しいですね。ありがとう御座いました。□

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415史実探偵: 平 素人:2020/03/19(木) 08:13:20
Re: 「おかげさまで」に潜む謎!?
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-73.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor892y-0.html



416荊の紀氏:2020/03/19(木) 09:10:51
兵庫県は銅鐸文化の中心地…北緯35度、東経135度…
>それとおぼしき所、<北緯35度3分31秒、東経135度2分23秒→27秒に訂正>を予測している。

史実探偵: 平 素人さん 情報ありがとうございます。
私も管理人さんも「古代測量」に魅入られています…

東経135度…
最北子午線塔
日本標準時子午線の最北の地である証の「最北子午線塔」は七竜峠へ向かう海岸の道路沿いにあります。東経135度、日本標準時子午線の最北地に建つシンボルで、日本と世界の標準時刻を表示しています。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.kyotango.gr.jp%2Fsightseeing%2F691%2F

北緯35度0分0秒 東経135度0分0秒
岡ノ山古墳はその山頂に築かれた西脇・多可地域で唯一の前方後円墳(全長57.6メートル)
岡の山古墳
古墳時代前期(4世紀代)の築造と推定されます。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.city.nishiwaki.lg.jp%2Fkakukanogoannai%2Fsoumubu%2Fhisyokouhouka%2Ffurusato%2F1359693525351.html

日本へそ公園(にほんへそこうえん)は、兵庫県西脇市上比延町にある都市公園(総合公園)である[1]。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
兵庫県は銅鐸文化の中心地とみなされる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F

先史・古代 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
先史時代の遺跡は県下各地に発見されるが、縄文式土器のもっとも古いものは香美(かみ)町のタツが平(なる)遺跡で出土している。縄文前期のものとしては、神戸市垂水(たるみ)区西舞子(にしまいこ)の大歳山(おおとしやま)遺跡があり、1万近くの石器および弥生(やよい)時代の住居跡が保存されている。縄文後期のものでは神戸市西区の元住吉山遺跡があり、石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)が多い。兵庫県には高地性遺跡として芦屋(あしや)市の会下山(えげのやま)、城山(しろやま)や神戸市東灘(ひがしなだ)区の保久良(ほくら)神社の遺跡があるが、なかでも弥生後期の典型的な遺跡として神戸市灘区の桜ヶ丘遺跡がある。ここでは1964年(昭和39)に銅鐸(どうたく)14点、銅戈(どうか)7点が出土した。県下にはその他の遺跡からの出土も多く、兵庫県は銅鐸文化の中心地とみなされる。弥生後期では1965年に発掘された田能遺跡(たのういせき)(尼崎(あまがさき)市)がある。弥生土器が主体で、当時の生活様式を知る重要な遺跡である。また県下には多くの古墳がみいだされる。条里遺構は川辺(かわべ)郡の猪名(いな)川、武庫(むこ)川の平野、明石川、揖保(いぼ)川流域のほか但馬(たじま)の河岸平野でも確かめられている。
 古代から海上交通の基地となったのは、東から河尻(かわしり)(尼崎市)、大輪田(おおわだ)(神戸市)、魚住(うおずみ)(明石市)、韓(から)(姫路市)、生(むろう)(たつの市室津(むろつ))の五泊で、各港の間はそれぞれ約1日の行程であった。741年(天平13)全国に国分寺・国分尼寺が配置建立されたが、兵庫県下では、播磨国分寺・播磨国分尼寺、淡路国分寺、但馬国分寺、但馬国分尼寺が置かれた。現在に至るまで法燈(ほうとう)を伝えているのは、播磨国分寺(姫路市、国の史跡)で、天正(てんしょう)年間(1573〜1592)に兵火にあったが、現在、高野山真言(こうやさんしんごん)宗の牛堂山(うしどうざん)国分寺と号している。こうして県下には飛鳥(あすか)、奈良時代の仏教文化が早くから伝えられたが、平安末期ごろからは播磨を中心に寺院の創建、あるいはそれ以前に建造されていた堂宇の再建などが進められた。太山(たいさん)寺(神戸市)、鶴林(かくりん)寺(加古川市)、斑鳩(はんきゅう)寺(太子町)、浄土寺(小野市)、一条寺(加西(かさい)市)などがそれで、堂塔は国の重要文化財に指定されたものが多く、仏教文化の隆盛を伝えている。
 律令(りつりょう)体制の崩壊する平安末期には、主要荘園(しょうえん)は寺社領となった。598年(推古天皇6)播磨揖保郡鵤荘(いかるがのしょう)(太子町)は法隆寺領となったが、当時の荘園の範囲を示す示(ぼうじ)石が現在も保存されている。また、摂津川辺郡猪名荘(尼崎市)や播磨加東(かとう)郡大部(おおべ)荘(小野市)は東大寺領となり、重源(ちょうげん)により小野に浄土寺が建てられた。丹波多紀(たき)郡大山荘(篠山(ささやま)市)や播磨国矢野荘(相生(あいおい)市)は東寺領、揖保郡福井(ふくい)荘(姫路市)は神護寺領となった。その後、武家の手に渡る寺領もあり、県下では源満仲(みつなか)など多田源氏が摂津国多田荘を領有した。また、播磨守(はりまのかみ)に任ぜられた平清盛(きよもり)は、摂津福原(ふくわら)荘などを所領した。清盛は大輪田泊(おおわだのとまり)に経ヶ島を築き、日宋(にっそう)貿易の拠点とした。さらに港の背後に福原京の建設を構想したが、1181年(治承5)に六波羅(ろくはら)で死去し、実現しなかった。一ノ谷の戦いなどで源氏に敗れた平氏は壇ノ浦の戦いで滅亡した。[藤岡ひろ子]

日本標準時の基準となる東経135度子午線は、明石市を含む12市を通っています。
北から京丹後市、福知山市(以上京都府)、豊岡市、丹波市、西脇市、加東市、小野市、三木市、神戸市西区、明石市、淡路市(以上兵庫県)、和歌山市(和歌山県)です。
それぞれの町には、目には見えない子午線を表示する標識やモニュメントが建っています。
東経135度子午線をとおるまち /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.am12.jp%2Fshigosen%2Ftoukei135.html


417史実探偵: 平 素人:2020/03/19(木) 23:22:08
Re: 兵庫県は銅鐸文化の中心地…北緯35度、東経135度…
https://www.kyotango.gr.jp/sightseeing/691/

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



418吾亞風:2020/03/20(金) 03:14:27
士師(しし、英語: Judge、ヘブライ語)…土師氏?
小槻大社(おつきたいしゃ[1][2]/おつぎたいしゃ[3]/おづきたいしゃ[4])は、滋賀県栗東市下戸山にある神社。式内社で、旧社格は郷社。神紋は「下り藤」・「真向の兎」[2]。

東経135度59分32.85秒??北緯35度0分24.42秒
別称として「小杖社(おづえしゃ)」・「小杖宮」・「小杖大明神」とも /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
社伝では、古代に栗太郡(現在の草津市・栗東市一帯)の豪族の小槻山君(小月山公)が、祖神として於知別命を祀ったのが創祀とする。
小槻山君は栗太郡の古代豪族で、朝廷に采女も献上したという。小槻大社内には小槻大社古墳群が残るほか、周辺には下戸山古墳・地山古墳・岡遺跡(栗太郡衙跡)が残り、これらは小槻山君の関係史跡とされる。これらから小槻山君は栗太郡郡司クラスの家柄であったと推測されている。小槻山君は貞観15年(873年)[原 1]に京に居を移し、のち小槻氏(官務家)として朝廷に仕えた。
国史では「小杖神」・「小丈神」・「少杖神」などの神名で、貞観5年(863年)[原 2]に神階が従五位下、貞観7年(865年)[原 3]に従五位上、延喜11年(911年)[原 4]に従四位下に昇叙された旨が記されている[1]。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では近江国栗太郡に「小槻大社」と記載され、関係社の小槻神社(草津市青地町)とともに式内社に列している[1][6]。社名の読みは「ヲツキノオホヤシロ」と振られる[1]。また、平安時代の11世紀初頭の作になる木造男神坐像2躯(国の重要文化財)が現在に伝わっている。
下戸山古墳??4世紀末-5世紀初頭…
滋賀県栗東市下戸山
座標: 北緯35度0分32.08秒 東経135度59分21.12秒
円墳(一説に前方後円墳)

小槻氏(おつきうじ/おづきうじ)は、「小槻」を氏の名とする氏族。
第11代垂仁天皇の皇子を祖とする皇別氏族で、平安時代から小槻宿禰姓を称した。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
平安時代から明治維新まで朝廷に仕えた下級公家の一族である。太政官弁官局における事務官人の家柄として左大史を代々務め、そのほかに算博士・主殿頭といった官職を世襲した。
一族の代表者である氏長者(小槻氏の場合「官長者」とも)は弁官局の下級官人を取り仕切り「官務」と呼ばれた。そのため小槻氏は「官務家」とも呼ばれる。同様に少納言局を取り仕切り「局務」と呼ばれた清原氏・中原氏(のち中原氏のみ)と合わせて「両局」と呼ばれた。両局は地下家の筆頭格として地下官人全般を統率した。
官務を継承する嫡流は鎌倉時代に壬生家と大宮家に分かれた。戦国時代に大宮家が断絶した後は壬生家が明治維新まで官務を継承した。近世以後「両局」は壬生家・押小路家(中原氏嫡流)・平田家(中原氏庶流)の3家から成る「三催」の体制に変わって地下官人を統率した。明治維新後壬生家は男爵となり華族に列した。
この嫡流のほか、戦国時代の下野国武家・壬生氏が小槻氏後裔を称した。
壬生氏
戦国時代の下野国武家。壬生晴富弟の胤業を祖とするとし[10]、本姓に小槻氏を称している。胤業は毛野氏族の壬生氏(壬生公)の後裔で小槻氏を仮冒したとする説[11]があり確証はない。栃木県下都賀郡壬生町には現在、壬生氏が大津市の雄琴神社から勧請を受けたとされる同名の雄琴神社が残り、同じく氏祖として今雄宿禰を祀っている。
青地氏
戦国時代までの間、近江国栗太郡を拠点とした武家。小槻山君(小槻氏前身)が平安時代中期に居を移したのちから文献に散見され、小槻山君氏神の小槻大社・小槻神社に対する寄進を重ねている。このことから、青地氏は改名した小槻氏一族もしくは小槻氏の在地領主と考えられている[12]。但し鎌倉時代に馬淵氏(佐々木氏一族)から基綱が養子に入って以降、源氏を本姓としている。

壬生氏は皇子の資養を目的として設立された壬生部の伴造の氏族で、宮城十二門には「壬生門」(美福門)があるところから、門部的な職掌についていたとも考えられる。『新撰姓氏録』「河内国皇別」には大宅臣の同祖とする壬生臣氏、「河内国未定雑姓」には御間城入彦天皇(崇神天皇)の後裔とする上毛野氏系統の壬生部公氏が存在し、日本各地に壬生氏・壬生部氏が分布している。
『日本書紀』巻第三十によると、持統天皇10年4月(684年)、物部薬(もののべ の くすり)とともに追大弐の位階を授けられ、合わせて、各人に絁(あしぎぬ)4匹、糸10絇、布20端>、鍬20口、稲千束、水田4町を与えられ、戸の調役を免じられている。
とある[1]。恐らく、天智天皇初年の百済救援戦で捕虜にされたものと推測されるが、彼らがいつ唐の捕虜から解放され、帰国したのかは不明である。
物部 薬(もののべ の くすり)は、飛鳥時代の人物。位階は追大弐。
伊予国風早郡(現在の愛媛県北条市)の人。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
『日本書紀』巻第三十によると、持統天皇10年4月(684年)、壬生諸石(みぶ の もろし)とともに追大弐の位階を授けられ、

許勢部 形見(こせべ の かたみ)は、飛鳥時代の人物。姓はなし。筑後国山門郡(やまとぐん、現在の福岡県柳川市とみやま市)の人。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
白村江の戦い(はくそんこうのたたかい[2][3]、はくすきのえのたたかい)は、天智2年8月(663年10月)に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた、日本・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争のことである。
日本では白村江(はくそんこう)は、慣行的に「はくすきのえ」とも読まれる。
大槻文彦の『大言海』では「村主:スクリ(帰化人の郷長)」の「村」を百済語として「スキ」としている。
倭国は半島南部に領有する任那を通じて影響力を持っていたことが『日本書紀』の記録から知られている。大陸側でも、広開土王碑400年条の「任那」の記述が初出である。『宋書』では「弁辰」が消えて438年条に「任那」が見られ、451年条には「任那、加羅」と2国が併記され、その後も踏襲されて『南斉書』も併記を踏襲していることから、倭国が任那、加羅と関係が深いことを示している。任那、加羅は、倭国から百済への割譲や新羅の侵略によって蚕食され、562年以前に新羅に滅ぼされた。
倭国の情勢
この朝鮮半島の動きは倭国にも伝わり、大化の改新最中の倭国内部でも警戒感が高まった。大化改新期の外交政策については諸説あるが、唐が倭国からは離れた高句麗ではなく伝統的な友好国である百済を海路から攻撃する可能性が出てきたことにより、倭国の外交政策はともに伝統的な友好関係にあった中国王朝(唐)と百済との間で二者択一を迫られることになる。この時期の外交政策については、「一貫した親百済路線説」「孝徳天皇=親百済派、中大兄皇子=親唐・新羅派」「孝徳天皇=親唐・新羅派、中大兄皇子=親百済派」など、歴史学者でも意見が分かれている。
新羅征討進言
白雉2年(651年)に左大臣巨勢徳陀子が、倭国の実力者になっていた中大兄皇子(後の天智天皇)に新羅征討を進言したが、採用されなかった。
遣唐使
白雉4年(653年)・5年(654年)と2年連続で遣唐使が派遣されたのも、この情勢に対応しようとしたものと考えられている。
蝦夷・粛慎討伐
斉明天皇の時代になると北方征伐が計画され、越国守阿倍比羅夫は658年(斉明天皇4年)4月、659年3月に蝦夷を、660年3月には粛慎の討伐を行った。
高句麗の滅亡
白村江の戦いと並行し、朝鮮半島北部では唐が666年から高句麗へ侵攻(唐の高句麗出兵)しており、3度の攻勢によって668年に滅ぼし安東都護府を置いた。白村江の戦いで国を失った百済の豊璋王は、高句麗へ亡命していたが、捕らえられ幽閉された。高句麗の滅亡により、東アジアで唐に敵対するのは倭国のみとなった[21]。
渤海の建国
698年、靺鞨の粟末部は高句麗遺民などと共に満州南部で渤海国を建国した。建国当初は唐と対立していたものの、後に唐から冊封を受け臣従するに至った。また日本は新羅との関係が悪化する中で、渤海からの朝貢を受ける形で遣渤海使をおこなうなど、渤海とは新潟や北陸などの日本海側沿岸での交流を深めていった。
唐との友好関係樹立が模索されるとともに急速に国家体制が整備・改革され、天智天皇の時代には近江令法令群、天武天皇の代には最初の律令法とされる飛鳥浄御原令の制定が命じられるなど、律令国家の建設が急いで進み、倭国は「日本」へ国号を変えた。
白村江の敗戦は倭国内部の危機感を醸成し、日本という新しい国家の体制の建設をもたらしたと考えられている[22]。
戦後交渉および唐との友好関係の樹立

捕虜の帰還…遣唐留学生であった土師宿禰甥(はじのすくねおい)
『続日本紀』巻第一には、文武天皇4年(700年)の大宝律令撰定の功で、刑部親王以下19人が禄を与えられたが、この中に「土師宿禰甥」の名前も、前述の白猪骨らと共に位階「勤広参」(従六位上に相当)で記載されている[8]。
『日本書紀』によれば、白村江の戦いの後の671年11月に、「唐国の使人郭務悰等六百人、送使沙宅孫登等千四百人、総合べて二千人が船四十七隻に乗りて倶に比知嶋に泊りて相謂りて曰わく、「今吾輩が人船、数衆し。忽然に彼に到らば、恐るらくは彼の防人驚きとよみて射戦はむといふ。乃ち道久等を遣して、預めやうやくに来朝る意を披き陳さしむ」」とあり、合計2千人の唐兵や百済人上陸した。この中には、沙門道久(ほうしどうく)・筑紫君薩野馬(つくしのきみさちやま)・韓嶋勝裟婆(からしまのすぐりさば)・布師首磐(ぬのしのおびといわ)の4人が含まれており、捕虜返還を前提とした上での唐への軍事協力が目的であったとされる[26]。
684年(天武13年)、猪使連子首(いつかいのむらじこびと・筑紫三宅連得許(つくしのみやけのむらじとくこ)が、遣唐留学生であった土師宿禰甥(はじのすくねおい)・白猪史宝然(しらいのふびとほね)らとともに、新羅経由で帰国したのが、記録に現れる最初の白村江の戦いにおける捕虜帰還である。
690年(持統4年)、持統天皇は、筑後国上陽咩郡(上妻郡)の住人大伴部博麻に対して「百済救援の役であなたは唐の抑留捕虜とされた。その後、土師連富杼(はじのむらじほど)、氷連老(ひのむらじおゆ)、筑紫君薩夜麻(つくしのきみさちやま)、弓削連元宝(ゆげのむらじげんぽう)の児[27]の四人が、唐で日本襲撃計画を聞き、朝廷に奏上したいが帰れないことを憂えた。その時あなたは、富杼らに『私を奴隷に売りその金で帰朝し奏上してほしい』と言った。そのため、筑紫君薩夜麻や富杼らは日本へ帰り奏上できたが、あなたはひとり30年近くも唐に留まった後にやっと帰ることが出来た。わたしは、あなたが朝廷を尊び国へ忠誠を示したことを喜ぶ」と詔して表彰し、大伴部博麻の一族に土地などの褒美を与えた[28]。幕末の尊王攘夷思想が勃興する中、文久年間、この大伴部博麻を顕彰する碑が地元(福岡県八女市)に建てられ、現存している。
707年、讃岐国の錦部刀良(にしこりのとら)、陸奥国の生王五百足(みぶのいおたり)、筑後国の許勢部形見(こせべのかたみ)らも帰還した[29]。このほかにも、696年に報賞を受けた物部薬(もののべのくすり)、壬生諸石(みぶのもろし)の例が知られている[30]。

土師 甥 (はじ の おい)は、飛鳥時代の官吏。姓は宿禰。土師根麻呂の子。冠位は勤広参。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
土師氏は朝廷での土器製作・喪葬に奉仕した氏族で、『書紀』巻第一、神代上によると天穂日命を祖先としており、出雲臣と同祖である[1]。『書紀』巻第六によると、14代目の野見宿禰の時に「土師臣」氏を名乗った。元の姓は臣、のち連で[2]、土師連一族は、天武天皇13年(684年)の八色の姓で、宿禰を賜姓されている[3]。
金物儒(こんもつぬ)…

純粋な金属として人類が最初に知った金属の一つであると考えられている。 金の原子記号Auはラテン語のaurumによるものであり,これはヘブライ語の〈光〉を意味するorまたは〈赤色〉を意味するausからきたものとされ,フランス語でもorである。
…女真が満州,内モンゴル,華北に建てた王朝(1115〜1234)。生女真のワンヤンアクダ(完顔阿骨打)が女真を統一,収奪の激しい遼と戦い,収国1(1115)年独立して帝位につき,太祖と名のって,金と号した。

金(きん)は、漢姓の一つ。中国・朝鮮などに見られる。とくに朝鮮民族の姓の中では最大の姓となっている。中国では、漢民族・回族・満州民族などが多く称している。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
伝説
五帝の一人少昊(金天氏)の子孫は、「金」を姓とした。
賜姓
前漢の武帝の時、匈奴の休屠王の子・日?らが捕えられ「金」の姓を与えられた。
明のとき、モンゴルの王子・也先土幹や、額森図克、阿爾哈特実哩らが降伏し、「金」の姓を与えられた。
清の乾隆帝は台湾原住民(高山族)に7つの姓を与えた。その一つが「金」であった。
改姓
五代十国の呉越で、劉氏が「金」に改姓した。
他民族の漢化
羌族 - 南北朝時代、羌族の中で金姓を称するものがあった。
ユダヤ人 - 12世紀初期の北宋徽宗の治世、中国に移住・定着して商業を営んだ。漢姓として金・李・俺・艾・趙・張など17の姓を称した。中国のユダヤ人については、開封のユダヤ人参照。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
朝鮮民族(朝鮮族)、満州族 は別項参照。
劉氏…
中国では漢、蜀漢、前趙、南漢、北漢などの王族の姓である。現代の中国でも5大姓の一つで非常にポピュラーな姓。

古代中国には、漢民族は存在せず、モザイク状の多民族国家だった。
支那に渡来したユダ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fbewithgods.com%2Fhope%2Fdoc%2F1-32.html
漢王朝(前202年〜)に、ユダヤ人がインド経由でやって来たと記述されている
…1663年清真寺の再建記念石碑では、ユダヤ教と孔子の儒教が、同一だと主張しています。
漢=カンの語源は、カナンもしくはカインだと思われます。
 また、KAIN→訛ってKAN→漢(もしくは、KANAN→訛ってKAN→漢)で、漢民族の正体は明らかで、漢字を自在に操るイスラエル人の知恵がその出自を呼び名として残したのです。

劉氏(りゅうし)は、中華圏の姓の一つ。現代中国において最も数の多い五大姓(王・李・張・劉・陳)の一つに数えられる。歴史的には漢(前漢、後漢、蜀漢、漢趙(前趙)、五代の後漢、十国の北漢、南漢)と漢王朝以外の劉宋、劉夏の国姓である。
起源…姫姓と祁姓はともに黄帝を祖としている。
堯の子孫である祁姓(中国語版)の劉氏。堯の嫡流(堯の嫡男の丹朱、堯の長男の祁監明の子の祁式、堯の九男の祁源明の説がある)の子孫が劉邑に封じられ、以来その地名を氏としたという。
祁姓劉氏からは、夏孔甲の代に龍を御する名手として劉累が現れている。龍の病死後、劉累は家族を伴って魯陽(現在の河南省魯山)に逃れた。これが河南劉姓の起源とされる(一説には、劉累の故地は河南偃師であったともいう)。
劉累の子孫からは、龍使いの職業を氏とした御龍氏、周初の「興滅継絶」の時期に堯の故地の唐を氏とした唐氏、周の成王が劉累の子孫を杜に移した杜氏、杜氏の杜伯(中国語版)の子の隰叔(中国語版)が晋に移り、士師に任じられたことから、官職を氏とした士氏(中国語版)、晋の士会(范武子)が范に封じられ、封地を氏とした范氏の各氏が出た。
周王室の一門である姫姓の劉氏。成王が曾祖父の季歴の子孫を劉(現在の河南省偃師)に封じたが、後に男子がなく絶えた。後に定王が弟の姫季子を劉(中国語版)に封じて、季子は康公(中国語版)と諡された。ただし戦国時代になると没落し、子孫は劉氏を称した。漢趙の劉殷はその子孫といわれている。
なお、姫姓と祁姓はともに黄帝を祖としている。
士師…
士師(しし、英語: Judge、ヘブライ語: ???????, ラテン文字転写: shaphat、古代ギリシア語: κριτάς)は、ヨシュア以後の王国時代の前から預言者サムエルの間まで、古代イスラエルを裁いた人々であり、旧約聖書『士師記』に描かれる指導者を指す。原語の意味は「治める者」あるいは「裁き人」。「士師」という呼び方は中国語聖書に由来する。
士師の支配地域は一部の部族とその周辺に限定されている地方分権で、王政とは違い世襲制ではなかった。大士師と小士師に分けられ、前者は他民族からの圧迫から民を救う英雄であり、後者は外敵の攻撃とは直接関係しない裁判人や仲裁者を指す。
堯…伝説上の聖王である堯に当てられる…
尭[堯] ギョウ  土部
解字 甲骨文は、ひざまずいた人の上に土のかたまりが二つある形。篆文第一字(古文)は、二人の人がそれぞれ土を上にのせている形で、土を運んで細工をする陶工を表していると思われる。ここから、古代の聖王のひとりが、陶唐という姓で陶器作りの祖であるという伝説と結びついてこの字が聖王「堯ギョウ」を表す字として使われたものと考えられる。
 篆文から、「垚(土三つ。うずたかい)+兀(ひと)」の堯に変化した。垚は陶工(兀)がつくった器をうず高く積んで乾燥させたり、焼くために窯に積んでいるさまと思われる。中国では、新石器文化期に窯の使用を開始しており、これにより高火度・長時間焼成が可能となり、より硬質のやきものが生産されるようになった。窯はかなり広いため、成形した器をそのまま積み上げたり、貴重なものは匣鉢(さや)に入れてから積み上げて焼成した。堯は、うずたかく積み上げることから、たかい意となる。また伝説上の聖王である堯に当てられる。堯は新字体に準じて上部の垚⇒卉に変化した尭が通用する。
意味 (1)たかい(尭い)。気高い。「尭尭ギョウギョウ」(高いさま) (2)中国古代伝説上の王の名。治水に舜シュンを起用しのちに彼に位を譲った。「尭舜ギョウシュン」(尭と舜は古代の聖王で、徳をもって天下を治めた古代の理想的帝王として並び称される)
イメージ  陶工が成形したのち乾燥させたり、焼くために窯にいれた「つみかさねた器」、うず高く器を積んださまから「ゆたか」のイメージがある。
  「つみかさねた器」(尭・焼・暁・橈・撓・蕘・遶・蟯・繞)
  「ゆたか」(饒・驍)
  「同音代替」(僥)

兀(ひと)…π(ペー)?
…土のかたまりが二つある形…圭?…
圭は、土が二つ重なったように見えるが、玉を紐で貫きとおした形である甲骨文の玉から変形したかたちと思われる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F1a660000c8239e82ee68e0313906d764
玉を紐で貫きとおした形…φ(ペー)?
π(ペー)、φ(ペー)、χ(ケー) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

「串カン」  <つらぬく>
解字 ものを串ざしにした形の象形。つらぬく意を表わす[字統]。篆文の字形は患から復元した。
意味 (1)つらぬく。うがつ。
角のある玉器…畦ケイ。区切りの道)…
珪 ケイ・たま  王部 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F1a660000c8239e82ee68e0313906d764
解字 「王(玉)+圭(角のある玉器)」の会意形声。圭はもともと玉圭の意。王(玉)をつけて意味を明確にした字。
意味 (1)たま(珪)。圭の意味(1)と同じ。
娃 アイ・ワ  女部
解字 「女(おんな)+圭(=佳。美しい)」の形声。美しい女。
意味 (1)うつくしい。みめよい。 (2)美人。「宮娃キュウアイ」(宮女) (3)(発音のワが、赤ちゃんの泣き声に通じることから)赤ん坊。「娃娃ワワ」(?赤ん坊。?人形)
角だつ
畦 ケイ・あぜ  田部
解字 「田(耕地)+圭(かどだつ)」の会意形声。耕地を区切る角立ったあぜ。
意味 (1)あぜ(畦)。耕地のくぎり。「畦道あぜみち」 (2)うね(畦)。作物を植えたり種をまくため、土を平行に盛り上げたところ。
街 ガイ・カイ・まち  行部
解字 「行(通じている)+圭(=畦ケイ。区切りの道)」の会意形声。街は、土地を区画する道が縦横に通じているまち(街)。
意味 まち(街)。まちすじ。まちなか。ちまた。「街頭ガイトウ」「街道カイドウ」「街路ガイロ」「花街カガイ・はなまち」

>Ψ, ψ(プサイ、プシー、古代ギリシア語: ψε? プセー、ギリシア語: ψι プシ、英: psi)は、ギリシア文字の第23番目の文字。数価[1]は700。音価は/ps/。
>キリル文字の?(現在は使われていない)はこの文字を起源とする。
盛りあがる
墳 フン・はか  土部
解字 「土+賁(盛り上がる)」 の会意形声。大きく盛りあがった土の墓。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F829d327aa24eaed5cab9ddad278a9a80
意味 はか(墳)。土を盛り上げてつくった墓。「古墳コフン」「墳墓フンボ」「円墳エンフン」

>下戸山古墳??4世紀末-5世紀初頭…


419吾亞風:2020/03/20(金) 04:23:37
「神の粒子」ヒッグス粒子…放物線と直線…
目に見えているような光はフォトンによって伝えられています。koto-science.hatenablog.com/entry/素粒子

神は云った。「光あれ」。すると光が出来た。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikiquote.org%2Fwiki%2F
古代ギリシャでは天空を神の領域と考えアイテールと呼称した。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdictionary.hatenadiary.jp%2Fentry%2F2018%2F07%2F14%2F000000
哲学者アリストテレスは、この世界が火、空気、水、土の四元素で構成される地上と、アイテール(第五元素)で構成される天空から成ると考えた。また宇宙はアイテールで満たされており、アイテールによって天体が地球の周りを円運動すると主張した。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdictionary.hatenadiary.jp%2Fentry%2F2018%2F07%2F14%2F000000
ローレンツ収縮仮説とは、エーテルに対して移動する物体は進行方向に長さが縮むという仮説のこと。この仮説は物体が縮むことでエーテルの風の影響が相殺されてしまうため、光の速度差が観測できなくなり前述の実験と辻褄が合う。
移動する物体は進行方向に長さが縮む…
直径記号は「マル」…
エーテル (aether, ether, luminiferous aether)[1] とは、光の波動説において宇宙に満ちていると仮定されるもので、光が波動として伝搬するために必要な媒質を言う。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
光の波動説…波動関数…
オイラーのφ関数 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
φ
Φ・φが「フィ」、Π・πは「ピ 」です。
円周率やπの文字がないのに、パイとは円周率のことだとの回答をお寄せくださった方がおられます。 これは音が同じだから、食べ物のパイのことだと回答するに等しいと思いますがいかがでしょうか。 パソコンで変換されるφは、直径を表す記号の代用でしかなく、あくまで記号の代用φファイが、本来の記号の呼び方になっていったんですね。
JIS規格の前身、戦前からのJESで、直径記号は「マル」と読む事が規定されています。
今に至るまで延々と続いているわけですが、「パイ」だの「ファイ」だのと誤読する人が多く、ついにJIS規格は外国の文字であるΦ・φと同じ読みの「ファイ」を認め、改訂してしまいました。
パイは円周率=3.141592653・・・の事ですから、直径記号を「パイ」と言ったら、機械技術者からは確実に馬鹿にされます。
おまえは何でもかんでも直径は3mm少々なのかよ!って訳です。
ギリシア文字のパイはフェニキア文字を起源とし、キリル文字などの基になったものですから、
パイやファイってのは歴史も古く、間違ったらとても恥ずかしいと思います。
ギリシア文字以前には、線文字B、またはミュケナイ文字と呼ばれている文字体系の使用もみられるが、これは仮名文字と同じく音節文字で、音節構造の複雑なギリシア語の表記には必ずしも適さないものであった。ギリシア文字の案出は、紀元前9世紀頃まで遡ると考えられている。その元となった、セム語派のフェニキアが使用していたフェニキア文字はアブジャドであり、文字は子音ばかりの22文字であった。これは、セム諸語が子音に言語の核を置き、母音は補助的な役割しかもたないためである。一方、ギリシア語においては、母音は極めて重要な位置を占める。そこで、ギリシア語発音にはない音価を持つA、E、O、Y、Iの5つのフェニキア文字を、母音を表す音素文字に転用する[1]など、さまざまな改良が加えられた。この改良によってギリシア文字は母音と子音がそれぞれ文字を持つ、いわゆるアルファベットとなった。文字表はフェニキア文字(最後の文字は「Τ」)の後ろに、Υ /u/、Φ、Χ、Ψ、Ω を追加している。またギリシアの地域により一部異なる音素文字・字体が使われた。イオニアやアッティカ、コリントスなどのギリシア本土の大部分や東方諸地域全般においては現代のギリシア文字体系につながる東方ギリシア文字が使用されたが、一方エウボイア島やクマエを中心とするイタリア半島のギリシア植民市など、ギリシア世界の西方においては西方ギリシア文字(エウボイア文字、クマエ文字)が使用された。この西方ギリシア文字はイタリア半島の諸民族に伝わってエトルリア文字やラテン文字などの古イタリア文字群の原型となったが、紀元前4世紀ごろにはイオニア式のアルファベットに吸収されて姿を消した。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ギリシア文字においては、フェニキア文字の6番目である??ワウを分化させ、そのまま [w] を表す場合と [u, u?][4]を表す場合とで異なる字形とし、字母表上は前者(?、ディガンマ)をフェニキア文字と同じ6番目の位置に置き、後者(Υ)を「Τ」の後に置いた[5]。「Υ」より後の「Φ・Χ・Ψ」の起源については議論が分かれる[6]。「Φ・Χ・Ψ」および「Ξ」は地方によって音が異なり、東方ではΞ [ks]、Φ [p?]、Χ [k?]、Ψ [ps] であったが、西方では Φ [p?]、Χ [ks]、Ψ [k?](Ξは使用せず、[ps] はΦΣと書く)であった[7]。
線文字B…
線文字Bを記した粘土板は、ギリシア本土のピュロス、ミケーネ、テーバイ、ティリンス、およびクレタ島のクノッソスとハニアから発見されている[2]。線文字Bは、書簡や論文などには使用されず、また、文字が書き留められた粘土板は、人為的に焼成されていないことから、単純に記録を伝えるためだけに用いられたものと考えられている。文学はなく、人名と職業が書かれた帳簿、物品目録、宮廷内の単なる事柄が記録されていた[3]。
多くの場合、粘土板の上に横に罫線を引き、その上に左から右へ字が書かれる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

東地中海頑で使用が始まった表音文字。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.y-history.net%2Fappendix%2Fwh0102-025.html
 はじめカナーン人がつくりだした表音文字をもとに、フェニキア人が現在のアルファベットのもとになる文字を使うようになった。前8世紀半ばごろから、地中海でフェニキア人と接触するようになったギリシア人に伝わったと考えられる。ギリシア人はかつてミケーネ時代には独自の文字(現代では線文字Bと言われる)を持っていたが、暗黒時代にすっかり忘れてしまっていた。
 ギリシア人は子音しか表せなかったフェニキア文字に、5つの母音(アルファ=Α、エプシロン=Ε、イオタ=Ι、オミクロン=Ο、ユプシロン=Υ)を加える改良を行い、ポリス形成期(アーカイック時代)以降は現在みるようなギリシア・アルファベットが用いられるようになった。最終的な24文字の最初の2文字、A、α(アルファ)とB、β(ベータ)からアルファベットといわれるようになった。 → 文字 シナイ文字 アラム文字 ローマ字 カロリング小字体

フェニキア文字 ? (ベート)に由来する。
数学で、ベータ関数を表す。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
高校数学などで、αと組になる2次方程式の解、また角度を表すのに用いる。

数学において、ベータ関数(ベータかんすう、英: beta function)とは、ルシャンドルの定義に従って第一種オイラー積分とも呼ばれる特殊関数である。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
放物線と直線で囲まれた部分の面積を求める有名公式 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fmathtrain.jp%2Fbeta


420荊の紀氏:2020/03/29(日) 07:59:32
θは極角φは方位角
θは極角φは方位角
球座標の偏角の名称を教えてください. /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Foshiete.goo.ne.jp%2Fqa%2F2527930.html
普通,θは極角,φは方位角,と呼んでいます.

>Φ・φが「フィ」、Π・πは「ピ 」です。
円周率やπの文字がないのに、パイとは円周率のことだとの回答をお寄せくださった方がおられます。 これは音が同じだから、食べ物のパイのことだと回答するに等しいと思いますがいかがでしょうか。 パソコンで変換されるφは、直径を表す記号の代用でしかなく、あくまで記号の代用φファイが、本来の記号の呼び方になっていったんですね。
JIS規格の前身、戦前からのJESで、直径記号は「マル」と読む事が規定されています。
今に至るまで延々と続いているわけですが、「パイ」だの「ファイ」だのと誤読する人が多く、ついにJIS規格は外国の文字であるΦ・φと同じ読みの「ファイ」を認め、改訂してしまいました。
パイは円周率=3.141592653・・・の事ですから、直径記号を「パイ」と言ったら、機械技術者からは確実に馬鹿にされます。

極角の 0 は、オブジェクトのローカル Z 軸の方向です。極角は 1 〜 180 の範囲の値とすることができ、180 の場合は完全な球になります。φ (ファイ) を方位角といいます。方位角は経度を表します。方位角はφ = atan(y/x) と定義できます

ディテクタ (極) オブジェクトには、NSC 光源から到達した光の強度データが保存されます。このディテクタ (極) の形状は球面ですが、角度の関数としたデータ分布は 2D で表示されます。この表示方法が混乱の原因となることがあります。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fforum.zemax.com%2F13998%2F
ディテクタに関する説明
ディテクタ (極) の形状は、オブジェクト座標の原点を中心とする球面の一部をフェーセットで近似したものです。
ディテクタ (極) では、次のような極座標を使用します。
θ (シータ) を極角といいます。極角は緯度 (高さ) を表します。極角の 0°は、オブジェクトのローカル Z 軸の方向です。極角は 1° 〜 180°の範囲の値とすることができ、180°の場合は完全な球になります。
φ (ファイ) を方位角といいます。方位角は経度を表します。方位角はφ = atan(y/x) と定義できます。0°は +X 軸の方向であり、そこから反時計方向に最大 360°まで増加します。方位角の上限は必ず 360°です。


421史実探偵: 平 素人:2020/03/30(月) 02:01:47
不条理の大因は !? = 答えの無い問いかけ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000426M.jpg

不条理の大因は、
       d = 0.π × D  にあり?   (平 素人)
       ?? (じし)                       (ひかりし)
  d = 磁子:破壊性粒子の直径  D = 光子: 生産性粒子の直径

Dが1の時、dはその1/10πであり、これは直径という実数とπという虚数が、あり得ないイコールでつながるということである。別の見方をすると、大球と小球の接触点は限りなく近づいていくということであり、それが“時間”である。

 その関係(不条理のπ空間-筆者命名)は;
直径D=1の球体4個が密着する空間に入る小球の最大直径dは、大球直径Dの 1/10×π である!?

 どなた様か、これを数学的に計算解明して頂けませんか^^?

但し、大直径Dの球体4個は互いに接着しようとする力が働いており、その中に入っている小球体dは、(同似集合の原理・作用 - 筆者命名)が働いて、自分と同じ性質を持つ小球体を求めようと “外部に出たがっている” ものとする^^!。 (my絶版報告書「巨大隕石と大津波」より、)

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



422荊の紀氏:2020/03/30(月) 18:34:07
Re: 不条理の大因は !? = 答えの無い問いかけ
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

不条理と理不尽の違い /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftrue-buddhism.com%2Fteachings%2Fabsurdity%2F
普通、不条理というと、単に世界に意味がないことのように思います。
実際に、哲学では、世界にも人生にも意味が見いだせません。
ところがカミュはもう少し深く考えて、「人間が心の底から狂おしいほど世界の意味を知りたいのに、世界に意味が見いだせない」ことを不条理と言っています。
…不条理を解消するには、本当の生きる意味を知って、「人間に生まれてよかった」という喜びの身になればいいのです。
理不尽…
「理不尽」という言葉は、物事の道理を「おかしい」と感じたときに使う言葉です。「理不尽」には「筋が通っていないこと」という意味があります。
人や企業などの考え方や対応に納得がいかず、その理由が「一般的に考えて筋道が通っていない」と感じたときに、「理不尽」という言葉が当てはまることが多いようです。
理は「筋道」、不は「〜しない」、尽は「終わる」という意味で、「筋道を終えられない」という意味があり、日常では「筋道が通らない」と解釈して使われています。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fbiz.trans-suite.jp%2F19009
「理不尽」という言葉は、人や物事の言動ややり方に納得がいかず、不満を持つ状態を表す言葉です。「理不尽」を使えば、ネガティブな感情を一つひとつ言葉にすることなく、筋道に外れていることに憤りを感じている、という負の感情をコンパクトに表すことができます。ぜひこの機会に「理不尽」を語彙に含めて、筋道に合っていないと感じる人や物事を「理不尽」という言葉で表してみましょう。



> 不条理の大因は、
>        d = 0.π × D  にあり?   (平 素人)
>        ?? (じし)                       (ひかりし)
>   d = 磁子:破壊性粒子の直径  D = 光子: 生産性粒子の直径
>
> Dが1の時、dはその1/10πであり、これは直径という実数とπという虚数が、あり得ないイコールでつながるということである。別の見方をすると、大球と小球の接触点は限りなく近づいていくということであり、それが“時間”である。
>
>  その関係(不条理のπ空間-筆者命名)は;
> 直径D=1の球体4個が密着する空間に入る小球の最大直径dは、大球直径Dの 1/10×π である!?
>
>  どなた様か、これを数学的に計算解明して頂けませんか^^?
>
> 但し、大直径Dの球体4個は互いに接着しようとする力が働いており、その中に入っている小球体dは、(同似集合の原理・作用 - 筆者命名)が働いて、自分と同じ性質を持つ小球体を求めようと “外部に出たがっている” ものとする^^!。 (my絶版報告書「巨大隕石と大津波」より、)

423史実探偵: 平 素人:2020/04/10(金) 01:36:02
Re: 不条理の大因は !? = 答えの無い問いかけ
荊の紀氏さまへのお返事です。

 コメントありがとう御座います^^。
 キシ先生へご返答する時、大変戸惑うことがあります。そのご記事の「文」が先生ご自身の書かれたものか、それとも引用文なのか、或いは教示のための参考文なのか、それとも、時事のトピックスなのか、それとも他文をかりて御自分の意を述べていらっしゃるのか。余りにも先生の添え文がすくないために、その意を推しかねて “誰に(カミュ氏? キシ先生? ブロガー?)向かって” 返答すればいいのか、その相手が定まらなくて・・(^-~!)、

<わたしがいう不条理とは>
  うまく自身の中坊的思い (=中二症^^) が書ける自信はないのですが^^!
私が不条理として使っている「条理」とは「節理」に近いかも知れません。節理というと< 人間の思いを排した>「自然の摂理」という言葉があります。条理というと少し人間の思いも入るのでしょうか^^?
 わたしの考え方の根底には、「自然界は人間だけのために有るのではない」との思いがあります。そういった意味では、東洋的な『平等施一切』があたっているかも知れません。わたしの探求は、「現存する森羅万象」のすべてを肯定することから始めるように努めています。叶わないことではありますが努めるというのは、できるだけ多くを知り得て間違いの部分を少なくしたい思いからです。

 少し話が飛びますが、中学生の時、理科の先生が「1 + 1 = 2 ではないよ」と云われたことが有りました。アルコール1?と、水1?を足すと2?にはならないと云われました。忘れましたがどちらかの分子がどちらかの分子に入り込んで2?より少なくなるそうです^^。未だにこの思いをひきずっています^^!。

「1 + 1 = 2」は、2でしょうか? 否、違います。
「1」とは、学問上で人間が “定めた” 数であり、自然界には「1」という数字は実存しません。全ての物質は「時間という動きの中」にあります。例えば、この私が今日はけだるいから家の中から一日中出んことにしょうと思っても赤道上にあれば一日4万kmも移動しています。さらに地球は・・・^^。もし、1 + 1 が 2 であれば、そこで動きは止まり “自然界は閉じて” 今の認識すらなくなってしまいます。<「1」< なら存在しますが、それは「1」少なり、から「1」大なり、或いは、その反対もありますが、それらの移行点であり、それと言葉にした瞬間から「1」より、多くなったり小さくなったりしています。例えば、車に付属品を増していっても一台は一台。このわたしが息を吸った吐いたそれでも一人は一人^^!。それでは便利がわるいから、波動の頭の部分を「1」とか「2」とかに学問として決めてかかると「事」がうまくいきますよね^^!。
  1 + 1 の正解は 「1 + 1 ≒ 2」なのです。

このような思いの延長に、自然界には「答がない」数理があるのではないかと目を付けたのが「π」です。これは、スパコンの性能競争になっているのはご存知のとおりです。・・中略(絶版報告書)して、・・行きついたのが下の数式です。

   不条理の大因は、
          d = 0.π D  にあり?

 この数式は、一度は落胆して取り下げましたが、その思いを消し去ることが出来ず、再度掲げています。答案用紙に答えだけ書いて「式」が書いていない。解けないでは話にならない^^!。どこの試験官からもそれでは〇は頂けませんよね(笑い)。だから・・(^-^!)


> 「理不尽」という言葉は、人や物事の言動ややり方に納得がいかず、不満を持つ状態を表す言葉です。「理不尽」を使えば、ネガティブな感情を一つひとつ言葉にすることなく、筋道に外れていることに憤りを感じている、という負の感情をコンパクトに表すことができます。ぜひこの機会に「理不尽」を語彙に含めて、筋道に合っていないと感じる人や物事を「理不尽」という言葉で表してみましょう。


「理不尽」とは、きわめて人間的な言葉ですね^^!。他の生物には使わないですからね。私は、前述したように「理」という言葉が人間界の理なのか、自然界の理なのかを分けて考えるようにしています。私が、わたしの論をかたるように、先様方の論説を否定はしません。何故なら自然界には、必ず大流と亜流・傍流が用意されており、主流のみが正しいとは言い切れないからです。
 『大河の流れも、蟻の一穴から^^!』・・・ありがとう御座いました。□

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424管理人:2020/04/10(金) 00:07:31
今年も
会報、ようやく発行しました。2年分ですが、一部だけですが、平さんや、キシさんのアイデアも紹介掲載してあります。キシさんには明日発送しますが、また送料込みで2000円となりますが、本でほしい方いらしたらお知らせください・・・。

また、前回の会報で取り上げた惑星・素粒子物理系の話も、今年はもう少し発展させたいところですね・・・。

425史実探偵: 平 素人:2020/04/10(金) 21:51:37
「中二症的、A>B>C 問題」
管理人さまへのお返事です。
 コロナウイルス、大変なことになっています。北海道では、先手対策で第一波は押さえつつとはあるものの、第二波感染には予断が許されないとのことで心配です。

> 会報、ようやく発行しました。2年分ですが、一部だけですが、平さんや、キシさんのアイデアも紹介掲載してあります。キシさんには明日発送しますが、また送料込みで2000円となりますが、本でほしい方いらしたらお知らせください・・・。
>
> また、前回の会報で取り上げた惑星・素粒子物理系の話も、今年はもう少し発展させたいところですね・・・。

 会報の御出版、おめでとう御座います^^。また、拙論を紹介とのこと恐縮します。「歴史版」のほう、度に覗いてはいるのですが「方位学」。私には難しくて・・^^! 徐福がらみかとは思っているのですが、それ以前の三内丸山遺跡もレイラインのうちに有るとのことですので・・よけいに(^-^!) 「 前報の7号」も、関係するところを二度三度と読み返してはいるのですがレベルが高くて・・・^^!

「惑星・素粒子物理系の話」
もう一度、ひろげなおしてみます^^!。ところで、12/3/日? 「ABC予想」がニュースになりましたね。ノーベル賞、二・三個分の快挙とか^^?  とある数学の先生が中坊向けに「 e = m c二乗」を美しいとまで表現し、「数学者は数学でモノを考えない。数学は解析の方法だ」と云われたことを思い出します。・・・で、1+1=2 にあらず等というものだから・・・^^! 「理不尽を知りなさい」と云われました。あまり深読みし過ぎてもねえ「過ぎたるは及ばざるがごとし」(笑い)

 中坊の「中二症的、A>B>C 問題」
なぜ惑星に回転が生じるのか^^? を考えたことがあります。(ABC予想とは関係ありません)
A>B>C の互いに大きさの異なる球体が、AC>BC>AC の関係位置にあるとき、AとCは、直線的にぶつからず、Bの引力を受け Bよりにぶつかる。結果 Aに回転が生じる。今に思えば極々当たり前なはなしですよね^^!  あとで図をいれます^^!
  (絶版報告書 第三章 小惑星の衝突と合体より) 

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



426管理人:2020/04/12(日) 01:18:10
コロナウイルス
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000431M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000431_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000431_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/コロナウイルス



427史実探偵: 平 素人:2020/04/12(日) 07:04:22
Re: コロナウイルス
管理人さまへのお返事です。

御多忙の中、さっそくのお返事ありがとうございます。そうですね、お会いできる日がくるといいですね^^。

>
> それで、ご指摘の惑星形成に際しての重力の問題がありましたね・・。
> 先ほどコロナウイルスの増殖の仕組みについて調べていて、似たような現象を見たような気がします。

 コロナウイルスの掲載図、一瞬、惑星衝突図かと見まがいました^^!。以前に先さまが上げられた「惑星衝突図」と、たいへん似てたものですから^^。先さまは、興味がわくと徹底的におしらべになるのですね。わたしには、あまりにも専門的でとても無理無理^^!。
世の中の具象、超極大から超極小まで異種間をとわずよく似ているものですねえ。「地球は生命体」隕石の衝突は食餌行動という学者がおられました・・・。

 ところで、昨日(4/11)の5時代のNHK? で「古墳番組」がありました。そのすべてを観たわけではないのですが、北日本部(?)にあった前方後方墳は平成調査。そのきっかけは土器の欠けらからとか。その復元には盗掘もなかったことで、その詳細と規模の大きさとドローンでの映像も圧巻。銅鏡も20枚以上(??)あったとか。古墳名、覚えてないのでゴメンナサイ^~!。

以前「魔鏡」と呼ばれるもので裏の図が鏡面に透け出るはなしは聞いてはいたのですが、銅鏡のレプリカで、実際に映像でみるのは初めてです。神秘的!!  鏡面加工のとき、裏の肉厚の違いが砥石圧に影響して鏡面に微小な凹凸ができるそうですね。これも初めて識りました。

はなしに根がつづかず、散文的になって大変申し訳ないのですが、
以前に管理人さまが「ぶらタモリ」で、東北、山形?秋田?の<タール油田>の話しをあげられていましたね。私も見ましたがとても "気に残って"います。その「標高」で6500万年前の巨大津波が運んだ生物体が釧路平原の “奥まったと所と河口海底” に眠っているのではと・・・^^。植物のほうは河口に流れ出て「釧路炭田」となっていますからね。これ 極秘ですよ(笑い)

ところで、ところで、「歴史版」のほうの訪問者数半減しましたねえ^~!。キシ先生のファンがなくなったのか、それともルーツさんとのバトルがなくなったのか、はたまた、いまの話題が難しいのかは分かりませんが、ちょっと寂しいです・・・。コロナの関係で講演のご依頼もキャンセル^^?? 「ピンチをチャンスに」という人がいます。自宅でパソコンをみる時間と人がおおくなっています・・・^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



428荊の紀氏:2020/04/12(日) 12:16:20
>北日本部(?)にあった前方後方墳は…
前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)は、古墳の墳形の一種であり、特に東日本の前期古墳に多く存在する。また、中国・四国地方にも多く存在し、中でも出雲地方の前方後方墳は古墳時代を通じて築かれていた。その起源は、方形の墳丘墓への通路が変化し、突出部へと代わっていき成立したと推測されている。東日本の出現期古墳の多くは、前方後方墳であることが分かってきた。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
古墳時代…
日本の考古学上の時代区分。弥生時代に続く時代で、ほぼ三世紀中頃から六世紀末頃までをいう。国家としての統治形態が形成されつつある時代にあたる。古墳そのものは七世紀まで造られている。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
一般的な意味で古墳とよびうる墳墓は,世界各地において国家的統一の初期に出現している。日本では弥生時代につづく時代に,古墳の築造が盛行したので,その時代を古墳時代とよんでいる。そこであらためて,古墳という語は,世界中に通用する普通名詞であるのか,日本の古墳のみをさす固有名詞に近いものか,という問題が生じてくる。…

朝鮮半島西南部の栄山江流域では、日本列島に特徴的な前方後円形(円形の主丘に方形の突出部が付いた鍵穴形)の墳形を持つ10数基の古墳の存在が知られる。これらは5世紀後半から6世紀前半(朝鮮半島の三国時代、日本の古墳時代中期-後期)の築造とされ、3世紀中頃から7世紀前半頃にわたって展開した日本列島の前方後円墳の手法を基にしたと見られることから、当時の日本列島と朝鮮半島の政治的・経済的・文化的関係を表す事例として注目される。
朝鮮半島南部の前方後円形墳 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
…栄山江流域は日本列島と連続する地域ではないほか、一帯では列島からの大量移住の形跡もなく、各前方後円形墳自体も1世代のみで築造を終焉するため、このような列島系の墳形が築造された背景は依然詳らかでない。現在も、被葬者としては在地首長説・倭系百済官人説・倭人説の3説に大きく分かれて議論が続くトピックになる。

支石墓…中東では、イラン高原やゴラン高原(現イスラエル)で支石墓が営まれたとされる。
インドには古代の巨石遺跡が約4000箇所ほどあるが、明確に支石墓と見られるものは、紀元前1000年頃の南インドに出現した。
その他、インドネシア・南アメリカ・北部アフリカに見られる。
東アジアの支石墓は、紀元前1500年頃に遼東半島付近で発生し、その周辺(現在の中国吉林省付近)へ広まった。当初は、地上に支石を箱形に並べ、その上に天井石が載るというテーブル状形態を示しており、天井石の下部では葬祀が行なえるようになっていた。中国東北部・遼東半島・朝鮮半島西北部に分布する。紀元前400年頃から次第に支石が低くなっていき碁盤式といわれ、朝鮮半島西側の中南部と北部九州に見られる。また、青銅器(銅剣など)の副葬も見られ始めた。
朝鮮半島では紀元前500年頃(無文土器時代)に見られ、遺構は半島のほぼ全域で見られ(約4-6万基とされる)、世界の支石墓の半数が朝鮮半島にあるといわれている。北方式と南方式のおおよその境界は全羅北道付近とされる。また、天井石が碁盤状を呈するなど多様な類型を示していることも、朝鮮半島の支石墓の特徴である。紀元前後になると、銅剣(細型銅剣)が副葬されるようになった。 朝鮮半島において、分布が特に顕著なのは半島南西地域(現在の全羅南道)である。同地域ではもっとも多い場所で500-600基の支石墓が群集している。支石墓は朝鮮半島の先史時代を大きく特徴づけており、2000年には高敞、和順、江華の支石墓群が世界遺産に登録された。朝鮮半島の南部には、支石の低いごばん状支石墓(南方式支石墓)があり、北部には支石が高い卓上支石墓(北方式支石墓)が分布している。
日本には縄文時代晩期の長崎県に出現しており(原山支石墓群や大野台支石墓群など)、同県のものに持徴的な屈葬や箱式石棺を伴うことなど、一定の独自性も認められる。日本の支石墓は、弥生時代前期が終わる頃に、ほぼ終焉を迎えている。
朝鮮において水稲作が開始した無文土器時代に支石墓が現れることなどから、支石墓の担い手は日本列島、朝鮮半島へ水稲栽培をもたらした(ハプログループO1b2 (Y染色体))[3]と推定される。

日本最古最大の支石墓群はこの島原の山の上に眠っている。立て札には紀元前4世紀頃(繩文時代晩期)この支石墓を築造した「原山人」がいたと書かれている。
…縄文時代晩期終末には、支石墓と呼ばれる墓制が朝鮮半島から伝来しますが、縄文時代晩期中頃の礫石原遺跡はその直前の墓制の様相を示していると言えるでしょう。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fartworks-inter.net%2Febook%2F%3Fp%3D2894
…櫛目文土器文化(くしめもんどきぶんか)は、新石器時代のヨーロッパ北東部、現在のヨーロッパロシア北部とフィンランドを中心とする地域に広まった文化である。
簡単に言えば、北極に近いロシアとヨーロッパあたりがその文化の大元といえるようだ。
…縄文時代中期の三内丸山遺跡の事もあり、ロシアが東北地方に大きな影響力があったことは容易に推測される。

大安場古墳群(おおやすばこふんぐん)は、福島県郡山市田村町にある古墳時代前期後半頃の築造と推定される前方後方墳1基、円墳4基からなる古墳群。1号墳は東北地方最大の前方後方墳で、国の史跡に指定され、周辺は大安場史跡公園として整備されている。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
北緯37度21分25.61秒 東経140度23分58.32秒
1号墳は、阿武隈川流域では最大級の古墳であり、また前方後方墳としては東北地方全体で最大規模の古墳である。同じ福島県内でも、会津地方では前方後円墳が卓越しているのに対して、中通り地方に所在する本古墳は前方後方墳であり、前方後方墳をさかんに築造した下野国那須地方との関係がうかがえる。
築造時期は、出土遺物と築造方法などから、4世紀後半頃と推定される。
4世紀後半…
5世紀末東山道征圧・・・?
大和朝廷は4世紀後半「日本武尊」東征、5世紀初頭東海道、5世紀後半吉備(雄略)、5世紀末東山道、6世紀前半磐井の乱、6世紀末北陸道を征圧した! 武光誠『「古代日本」誕生の謎』「第2章」(その5)
Cf. 大和朝廷は4世紀初め320年代邪馬台国併合、4世紀中葉に出雲制圧、日本武尊東征後、5世紀初頭に東海道征圧、5世紀から大和朝廷の本拠が河内へ、5世紀後半に吉備服属(雄略天皇)、5世紀末東山道征圧、6世紀磐井の乱(527-8)の鎮圧後、北九州支配強化!6世紀末、ようやく北陸道征圧!
(1)-3 大和朝廷が北陸道を支配下に置いたのはようやく6世紀末(500年代末)だ!
…C 大和朝廷の勢力伸長を助けた有力豪族は、北陸道にいない。大和朝廷が北陸道を支配下に置いたのはようやく6世紀末(500年代末)だ。

3世紀末-4世紀初頭…
東北地方で最古に位置づけられうる古墳として知られる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
杵ガ森古墳(きねがもりこふん)は、福島県河沼郡会津坂下町にある前方後円墳。宇内青津古墳群を構成する古墳の1つ。福島県指定史跡に指定されている。

縄文から弥生への移行が平和のうちに連続して行われたことを示している。…
…大和朝廷の支配下???
古墳時代call-you.sakura.ne.jp/CCP031.html
 AD300年代になると、会津板下町杵ゲ森古墳、会津若松市会津大塚山古墳、会津板下町亀ヶ森古墳など、会津全域に古墳が造られ、会津地方を支配した豪族が現れ、大和朝廷の支配下にあったと考えられています。


429管理人:2020/04/13(月) 15:45:47
掲示板の題名変更
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000434M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/魔鏡



430史実探偵: 平 素人:2020/04/15(水) 06:13:36
Re: 掲示板の題名変更
管理人さまへのお返事です。

古代化学掲示板・いいネーミングですね。気に入りました^^。
方墳・銅鏡について、ていねいな解説ありがとう御座います。勉強になります。

>
> > はなしに根がつづかず、散文的になって大変申し訳ないのですが、
> > 以前に管理人さまが「ぶらタモリ」で、東北、山形?秋田?の<タール油田>の話しをあげられていましたね。私も見ましたがとても "気に残って"います。その「標高」で6500万年前の巨大津波が運んだ生物体が釧路平原の “奥まったと所と河口海底” に眠っているのではと・・・^^。植物のほうは河口に流れ出て「釧路炭田」となっていますからね。これ 極秘ですよ(笑い)
>
> どうなんでしょうね・・・。そもそもどうして湿原になっているのですかな・・・。

津波(流体)というものは、似たようなものを分別し、それぞれのモノをそれぞれの場所に集め収めおく性質があります。これを知り得たのは中学生のときでした。洪水で流木が川面一面に広がって流れないでまとまって流れているのに不思議をおぼえました。以前にも上げたかと思いますが、津波の流れは上下流が逆なだけで、川の流れの上流域から河口域までの様相によく似ています。

釧路平原には早くから石油ありと睨んでいましたが、ここでの津波の高さ(標高)が推めていませんでした。北米の同緯度あたりのロッキーの山すそに油田があります。しかしながら北海道では情報量がすくなく、その高さが分かっていませんでした。・・で、それを(ぶらタモリ)で知ったわけです。釧路平原には北極からの逆流もあり、その絞込みはこれからになりますが、いまだ着手していません・・・^~!

「どうして湿原 ?」
新しい課題を頂きました。どうしてなんでしょうね? これから考えてみます・・・
ありがとう御座いました。□


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



431荊の紀氏:2020/04/17(金) 10:33:54
ピラミッドと黄金比…
北緯33度13分41秒 東経131度07分59秒
正5角形の対角線はすべて互いに「黄金比で切断」している…
古代に磁北を測って方位を定めたのでないことは確実です。
(日本経済新聞より抜粋)
古代の方位測定法 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fhayabusadandy.wixsite.com%2Fshimeha%2Fblank-3
…いまの私たちなら、方位磁針(コンパス)を使うのが簡便です。ただし、よく知られているように、磁針が指す磁北は、地球の自転軸の延長方向である真北とは一致しません。奈良や京都では、真北から7度ほど西にずれています。この差は地域や時代によって異なりますが、6〜8世紀ではさらに大きく、西日本では平均して10〜15度も西へずれていました。したがって、古代に磁北を測って方位を定めたのでないことは確実です。
 次に思いつくのは、北極星を測ることでしょう。現在の北極星(ポラリス=こぐま座α星)は真北にかなり近い位置にありますので、これを利用するのが真北の測定法としてはもっとも簡便です。実際、古代にも北極星で真北を求めたと主張する人がいます。
 ところが、北極星はずっと同じ位置にあったわけではありません。コマが首を振るように、地球の自転軸は約25,800年の周期で動いており(歳差さいさ運動)、現在の北極星が北の指標となったのは大航海時代(15世紀)以降といわれています。それ以前は、紀元前1,100年頃にコカブ(こぐま座β星)、紀元前2,800年頃にはトゥバン(りゅう座α星)が北極星の役割を果たしていました。しかし、古代の日本に、北極星にあたる星は存在しなかったのです。
 ではどうやって方位を測ったのかというと、まず間違いないのは太陽を利用する方法です。地面に棒を垂直に立て、それを中心に円を描きます(全周させなくてもかまいません)。午前と午後の2回、棒の影の先端が円周上にくるときがありますが、その2点を結べば、ほぼ正確に真東西となります。この方法は、古くから『周礼しゅらい』をはじめとする中国の書物に記され、簡単なうえに精度もよいことが実験でも確かめられています。日本へは、そうした書物や朝鮮半島からの渡来人をつうじて伝えられたのでしょう。…
【スタジア測量】《stadia》視距儀の接眼部にある2本の線が挟む標尺の目盛り数(長さ)と高度角を読み取り、標尺までの水平距離と比高を計算する測量法。
例えば問題 測量士補試験から<H17-4-A:問題>
アリダードによるスタジア法において、2点A、B間の距離を測定するためにA点に平板を整置し、B点に鉛直に立てた上下間隔2mの目標板を視準して、上方目標板の読定値十3.2、下方目標板の読定値−1.5の値を得た。2点A、B間の水平距離はいくらか。
 問題文を図に描くと次のようになる。…
アリダードの前視準板の目盛(分画)は、アリダード全長の1/100である。また、水平線を境にできる上下三角形が相似形であることを考えると、次の式により、水平距離Sを求めることができる。
100 : {+3.2 − (−1.5)}= S : 2m
∴?? 4.7S = 200m???? よって、S = 42.553m

測量のはじまり /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fuenishi.on.coocan.jp%2Fj032kodai.html
…古代には砂漠や草原の広大な地域を移動する遊牧民や隊商は道筋に石などを積み上げ道標としたり高い山などを目標としました。しかし地上の目標物のないところでは太陽の方角、日中の影の方位、夜は北極星などの天体によって進む方向を知りました。日本では草原や砂漠はなく狭い範囲で人々の移動も少なかったのですが、やはり周囲の特徴のある山や川などの地物を目印に移動していたと思われます。海上でも天体を利用し沿岸部では高い山や島を目標物として航行しました。このように人の移動にともなう目的地や自身の位置を知るために自然の地物や天体を利用するナビゲーションから「測量」がはじめられたと考えられます。
中国の「十八史略」によれば古代伝説上の帝王である黄帝の時代(紀元前2500頃か)に戦場で方向を定めるため「指南儀(車)」がつかわれたと記述されていますが、そのしくみは磁石を応用したのか、太陽などの天体を観測して決めたのかは不明です。しかし測量に専用の道具を用いられたのはこの例が初めてのようです。農耕や牧畜とともに定住生活が進展すると測量、地図、暦などが必要になってきます。たとえば中国では黄河の治水のため大規模な工事が行われ、同様に古代エジプトでもナイル川の治水、ピラミッドのような大規模工事が行われ当然、方位だけでなく数学や天文学を応用した高度な測量にもとづく土木工事が行われていたことがうかがえます。古代エジプトの測量の様子は壁画としても残存しています。1998年(平成10)にエジプトで発行された測量局発足100周年記念切手には紀元前1300年頃、ルクソールの西岸、貴人メナ(Menna)の墓の壁画が表され測量風景が描かれています。農地を背景として先頭は巻尺(ロープ)を延伸する測量師、ついで測量隊の権威を表わす柄の長い錫杖のような杖を持つ監督者、杖は河の氾濫で土中に埋没した標石を発掘する道具としてもつかわれたか、そのほか測量記録または地図の巻紙を持つ記録者などがわかります。このように農地の測量から面積を算出し、収穫を予想して課税にも活かしたことが想像できます。[Joel F. Paulson:Surveying in Ancient Egypt FIG Working Week Cairo 2005 p1−12]、[アルベルトシリオッティ・矢島文夫訳:王家の谷 河出書房新社 1998 p154]
地図についてはメソポタミアやヨーロッパ地域では紀元前に地図が描かれた粘土板や洞窟壁画が、エジプトでもパピルスの巻物などの地図が発見されていますが、どのような目的に利用されていたかわかりません。いずれにしても日本ではこの時代の測量や地図の遺跡はありません。
ギリシャ・ローマ時代になると数学や天文学が盛んになり三角法を利用したり地球の円周といった実測が困難な地物の大きさの算出も行われ実測量に想像を加味した世界図も作成されました。紀元前後には人々の移動も増加しローマ人は位置と距離を表す里程標も設置したようです。紀元前550年頃以降、ピタゴラスによる大地の球形説、ヘロドトスによるヨーロッパ・インド間の世界図、アルキメデスの地球周囲の算出、ヒッパルコスの三角法、エラストテネスの地球弧長測定、シーザーによるローマ帝国の地籍測量、また中国では秦の始皇帝時代に精密な地域図などの制作が行われています。紀元150年頃にはギリシャのプトレマイオス(Claudius Ptolemaeus 83年頃 〜168年頃)が世界図の作成をはじめ、三角法の利用、経度の表現などで地理学、測地学に業績を残しました。中国でも紀元後、漢の時代に天文学者の張衡(ちょうこう 78〜139、著作に天文書「霊憲」)が経緯度座標を地図に応用したり天文観測機器である水力渾天儀(こんてんぎ)の考案をしました。
日本では縄文、弥生時代には聖地にあたる弥盛地(いやしろち、祭祀場)の位置決定は夏至や冬至、春分や秋分の日の出や日の入の方位によったり北極星を基準にしたり、高い山や岬などを結んだ線上におかれたりしました。古代の祭祀場が方位にもとづき設置されている多数の事例が遺構に見られます。このなかには日本でのみ出土する銅鐸の埋蔵遺跡では銅鐸の「ひれ」の向く方位と直角の方位が冬至の日の入方向であったという事例もあります。中国との交流がすすむと山川や水流などの様子によって都城、住居、墳墓の位置を決める「風水思想」も導入されてきたようですから、これらの事例が現代でいう三角法や交会測量法などを応用した測量によって決められた遺跡であるとはいえません。なかには方位を意識せず設置された場合でも結果として偶然、方位との関係が緊密になってしまった事例もあるように思われます。[堀田総八郎:神々のメッセージ 中央アート出版社 1995 p21−85]、[森下年晃:星の巫(かんなぎ)リベルタ出版 2009 p140−147] 、[布施泰和:竹内文書と平安京の謎 成甲書房 2015 p16−23]
3〜4世紀になると墳墓や陵墓が築造され、いまも堺市に仁徳陵、羽曳野市には応神陵など巨大な古墳が残存しています。これらは築造の過程でかなり精密な測量が行われたことがうかがわれます。4〜5世紀には仏教の伝来とともに大陸の文化、技術も人材とともに渡来しました。農地、交通要路、用水路など測量や土木の技術が不可欠な構築物が遺跡となっています。古代朝鮮の百済からは秦氏(はたうじ)が渡来しています。現京都の山背国葛野郡太秦(うずまさ)を根拠にし多人数が各地に土着して治水、灌漑などの農業土木や養蚕、機織などの技術を普及しました。農業土木には当然、測量も含まれていたと思われます。
4世紀頃から大王(おおきみ)による支配と国家体制の整備とあいまって地方豪族の勢力範囲、いわゆる縄ばりを決める必要がでてきました。日本書紀によれば3、4世紀頃(成務天皇5年)のところでは
五年秋九月(ながつき)、諸國に令(のりごと)して、国郡(くにつきと)に造長(みやつこ)を立て、縣邑(あがた)に稲置(いなき)を置き、並びに楯矛(たてほこ)を賜ひて表(しるし)と爲(し)、山河を隔(さか)ひて國縣を分ち阡陌(たたきのみちよこさのみち)に随(まにま)、邑里(むら)を定め給ひき。 [武田祐吉編:訓読 日本書紀 臨川書店 1988 p173]

【測量技術の歴史】測量は紀元前3000年のエジプトから存在して ... /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.thg.co.jp%2Fdouyo%2Fshikaku%2Fsokuryoshiho%2Fsurveying-technique-history%2F

続・古代の直線測量の新事実(巨大古墳の謎に迫る) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F
…測量技術は国家機密だった? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F2014%2F06%2Fblog-post_11.html
…古代の道が地形をほぼ無視して真っ直ぐに造ったのに対して、中世の道は微妙な地形を考慮したり、もとにあった道筋を利用したりして、造られたように思われます。
 つまり古代から中世へと、直線を測量する技術が引き継がれなかった可能性が考えられるのです。
古代人が日本中を測量しまくっていた事実 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F2014%2F05%2Fblog-post.html
さきたま古墳群に見る規則性
空中写真で見るさきたま古墳群 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F2013%2F11%2Fblog-post_15.html
 筑波郡衙(平沢官衙)の総柱の建物群の図面である。大雑把に見るとほぼ東西南北のラインに沿って建てられたのと、角度を持って何かの基準線に合わせて建てられたのに分かれる。
 角度を持った基準線を引いたのが、ピンクの直線だ。この角度は約17度で、真北から西に振れている。
 この角度が、飛山城址を起点に郡衙が一直線に並ぶラインの角度と一致している。
約16.5度の角度で真北真南ラインから斜めになっています。
巨大古墳には驚くべき事実が隠されていた
前方後円墳の形は丸い部分と台形状の部分を合わせたようになっています。この中で前方部の墳頂つまり台形状部分の高くなった場所の経度が、ほぼ正確に揃うものがあるのです。
国土地理院の地図に経度と緯度が表示されているので、それで確認してみましょう。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F2016%2F04%2Fblog-post.html

? 中国と日本の銅鐸(どうたく) 銅鐸(どうたく)も青銅器。 渦模様、黄金比、ジグザグ模様が見られるので、ニンギシュジッダ作。
宇宙の起源 4章(21) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fmotoharu567%2Fentry-12489743618.html
黄金比…
> 図5 加茂岩倉遺跡の同笵銅鐸・・・ 18度 36度 72度 108度?
>
> 18°,36°,54°,72°の三角比(sin cos)
> 2006年11月27日 - 360÷5=72度ということは各辺に3つずつある合計15個の円周角は全部36度. この円 周角が2つ集まる角が72度で,3つ集まる5角形の内角は108度となる. 5角形 対角線 BEと辺CDはそれを横切るCEが錯角の位置で36度になるので,平行 ... /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkurobe3463.blogspot.jp%2F2006%2F11%2Ftriangular-ratio-of-18-36-54-and-72-sin.html
> 「正5角形の対角線と辺の比」が有名な黄金比で,正5角形の対角線はすべて互いに「黄金比で切断」している.
18°,36°,54°,72°の三角比(sin cos) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.uja.jp%2F2006%2F11%2Ftriangular-ratio-of-18-36-54-and-72-sin.html

フィボナッチ数列との関係等,黄金比に は,他にも面白い性質が沢山ある.
黄金比について(1) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.rikou.ryukoku.ac.jp%2Fimages%2Fjournal66%2FRJ66-02.pdf

フィボナッチ数列 五角形の画像 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.bing.com%2Fimages%2Fsearch%3Fq%3D%25e3%2583%2595%25e3%2582%25a3%25e3%2583%259c%25e3%2583%258a%25e3%2583%2583%25e3%2583%2581%25e6%2595%25b0%25e5%2588%2597%2B%25e4%25ba%2594%25e8%25a7%2592%25e5%25bd%25a2%26qpvt%3D%25e3%2583%2595%25e3%2582%25a3%25e3%2583%259c%25e3%2583%258a%25e3%2583%2583%25e3%2583%2581%25e6%2595%25b0%25e5%2588%2597%25e3%2580%2580%25e3%2580%2580%25e3%2580%2580%25e4%25ba%2594%25e8%25a7%2592%25e5%25bd%25a2%26FORM%3DIGRE
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「天円地方(てんえんちほう)」… /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

天円地方(てんえんちほう)とは、天は円く、地は方形であるという古代中国の宇宙観である。 中華文化圏の建築物や装飾のモチーフとして用いられる。天が円で表されるゆえんは、星の運行が円運動で表されるためである ...

前方後円墳という形状の由来のひとつとして、天円地方(てんえんちほう)という思想が影響しているという説があります。 天円地方とは、古代中国の思想のひとつで、円形は丸い天をあらわし、方形は地を意味してるというものです。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.daremomiteinai.com%2Fentry%2F2018%2F06%2F21%2F235935
実際に多くの前方後円墳の墓所は後円部の頂上の設置されているそうです。亡くなった前代のリーダーを弔う次代のリーダーは、地である方形の支配者に、ということのようですね。
地である方形の支配者…
四大天使とは?
四大天使について、名前や役割、司る方位や色などをご紹介していきます /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkirari-media.net%2Fposts%2F6542

錐体の体積は「底面積×高さ÷3」。なぜ3で割る? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1178514666

立体の三角錐 これら全部、間違いなのではないかと、直感でそんな気がしました。 円形も、八葉形もみんな想像の産物に過ぎないかもしれないなと、思ってしまいました。 その理由は、八咫鏡の名前を解読すると、分かってきます /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftacchan.hatenablog.com%2Fentry%2F2020%2F03%2F19%2F003222

方格規矩四神鏡の鏡背面の文様は、古代中国人の、大地は方形(ほうけい)で天はそれをドームのように覆(おお)っているという、「天円地方(てんえんちほう)」の世界観(せかいかん)に基づいて、宇宙の構造を模式的(もしきてき)に表現したものです。具体的には、中央の鈕(ちゅう、紐〈ひも〉を通して持つための装置)のまわりの正方形の区画(方格)は大地、周縁(しゅうえん、鏡背面の縁〈ふち〉の厚みのある部分)は天穹(てんきゅう)、方格の四辺の中央から外へ突出(つきだ)したT字形は天を支える柱と梁(はり)、周縁から内側へ突出(とっしゅつ)した逆L字形とV字形は天をつなぎとめる装置、をそれぞれあらわしたと考えられるのです。そして、鈕と周縁の間にはさまざまな動物などが鋳出されていますが、そのうち、中心となるのは、青龍(せいりゅう)・白虎(びゃっこ)・朱雀(すざく、鳳凰〈ほうおう〉のたぐい)・玄武(げんぶ、亀と蛇が絡〈から〉んだ像)です。四神(ししん)とよばれるこれらの霊獣(れいじゅう)は、天の東西南北を代表する星座を表現しています。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.kyohaku.go.jp%2Fjp%2Fdictio%2Fkouko%2Fhoukaku.html

墓は『仏舎利塔を原型に江戸時代にできたといわれています。土台を2段に重ね、その上に棹(竿)石と呼ばれる縦長の石が載っています。石は上から「天(家庭円満)」「人(人望)」「地(財産維持)」を表しています。』だそうですから、元々が仏舎利塔、つまり世界樹がモデルということになります。
ならば、竿石はリンガであり、四角の土台はヨーニであって、リンガ・ヨーニです。でもって、墓の「天人地」は天上、中間世界、地下であって、リンガや崑崙山の概念と全く同じです。
瀬織津姫 & クンダリーニ…No.221https://ameblo.jp/8484yogi/entry-12189262055.html

五輪塔とは 読み方 ごりんとう 五輪塔とは、上から宝珠、半月、三角、丸、四角の五つの石を組み合わせた供養塔のことです。

円周率と黄金比cosmos.art.coocan.jp/sp/sp53.htm
円周率と黄金比を構成する式を示す。両者は10とも密接な関係を持っている。

【ピラミッドと数学】 - 円周率や黄金比の関係を紹介!
ピラミッドと円周率の関係
観光地として人気の高いエジプトのギザの三大ピラミッド。このピラミッドは数字と大きく関係しています。
ピラミッドには円周率を表わすπが隠されていると言われています。クフ王のピラミッドの一辺の長さをピラミッドの高さを半分に割ると、πの値に極近い数字が算出されます。古代のエジプト人は円周率のことを知っていたのでしょうか。
ピラミッドと黄金比
黄金比は黄金分割とも呼ばれ、古代ギリシャで発見されました。私たち人間にとって最も美しく安定した比率で、美しく見せるための基本的な条件とされています。
ピラミッドには、この黄金比が使われていると言われています。クフ王のピラミッドを例に挙げると、ピラミッドの高さと底辺の長さの比率がだいたい1:1.6になります。これは黄金比と呼べる特別な比率になります。
ピラミッドと地球 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.pyramid-trip.com%2Fmystery%2Fnumber.html
ピラミッドの大きさが地球の大きさと深い関わりがあると言われています。地球を東西と南北へ360度ずつ区切っていく地理度というもので見ると、クフ王のピラミッドの一辺がその地理度の1分の1/8と同じで、辺心距離はこの地理度の1分の1/10と同じになります。また、クフ王のピラミッドの高さが地球と太陽の一番近い距離の1/10億になります。
要は、大ピラミッドの高さを10億倍すると、地球から太陽までの距離の1億4700万キロになるということです。同じくピラミッドの高さを43200倍すると地球の半径になります。そして、ピラミッドの総重量の100兆倍が地球の重量と同じです。

ピラミッドの高さと底辺の長さの比率がだいたい1:1.6になります。これは黄金比と呼べる特別な比率…
黄金比…
 石柱のハンドバックの上下に、ジグザグの模様が見られる。
これと同じものはシリアの目の女神像や、紀元前2000年頃から日本と中国で見つかる銅鏡や銅鐸(どうたく)に見られる。
銅鏡や銅鐸(どうたく)には黄金比の曲線や渦模様が見られることから、これもニンギシュジッダによるもの。
…1つ上の銅鐸(どうたく)の画像の黄金比の渦模様の下に彫られている動物もイノシシで、つまりそれはニンギシュジッダのシンボルということ。

…銅鐸の姿を底辺の長さ・高さ・底辺と肩の長さ等を測定しギリシャ人の発見した黄金比 1.618 ( 0.618) を適用し て考察した。
古事記と銅鐸
古事記は銅鐸を記録している (2013/9) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsites.google.com%2Fsite%2Fkojikidotaku%2F
出雲風土記の記述から出雲の荒神谷遺跡(銅剣358本・銅矛16本・銅鐸6個の埋納)加茂岩倉遺跡(銅鐸39個埋納)を取り??巻まいて,延喜式神名帳の神社の中に多久社(鐸社)・宇智・宇治(打ち社)須美禰社(澄み音社)等と等ど呂ろ吉き社(轟き社)等銅鐸の?? 鳴る音を現した神社があることが分かった。
またこの神社に関連している神々の地名説話があり銅鐸の埋納地と出雲の神々が密接?? に結びついていることが分かった。従って出雲が銅鐸の母胎であることを新たに確認することが出来た。
…また加茂岩倉遺跡から出土した39個の銅鐸は6区袈裟襷文4個流水文9個で特に26個が4区袈裟襷文であり鐸身に3つの輪が刻まれている。
????既に明らかにしているように三輪の神には固有の神名がなく、大物主の名称は延喜式神名帳の大和城上郡に大神大物主神社が唯一つあるだけでありこの名称は古事記で初めて作られた太安万侶式名称と思われる。従って三輪の神は鐸身に3つの輪のある4区袈裟襷文銅鐸の愛称?? であったと考えられる。
????古事記には「海を光てらして依り来る神ありき。その神の言のりたまいしく、「よく我が前を治めば、吾能く共に相作り成さむ。若し然らずば国成り難がたけむ」??と言って御諸山に祭られたとあり、これは神ではなく祭器神であり小・中型銅鐸を示していると考えられる。
??従って大穴持命の時代は加茂岩倉遺跡?? から出土した流水文及び4区袈裟襷文の小型・中型銅鐸の製造された時期であったことが窺われる。
 … 終わりに銅鐸の姿を底辺の長さ・高さ・底辺と肩の長さ等を測定しギリシャ人の発見した黄金比1.618(0.618)を適用して考察した。
その結果日本の古代の人々も銅鐸の高さと科底辺の割合、底辺と銅鐸の肩の長さ及び頭部の円の直径の間に黄金比に近い値を見出していることが分かった。
これが銅鐸の素朴で美しい調和のとれた成形の簡単な根拠であり、古代の銅鐸製作者が無意識のうちに黄金比を感知していたことが分かる。
?? 同様に古墳の形と濠の形が銅鐸の頭部の形と縮図の上で重なるので、同様に黄金比的考察を行ったが古墳には黄金比の関係はなかった。
しかし銅鐸の縮図と古墳の縮図が重なり合うのは銅鐸の設計法を古墳の設計に利用していたのではないかと考えられる。

120.540571°…360°÷3=90°×4…
三垣(さんえん)とは、天球を天の北極を中心に3つの天区に分けた紫微垣・太微垣・天市垣の総称。またはその基準となった星座(古代中国では星官という)。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
紫微垣 - 中垣。北極星周囲の区画。
太微垣 - 上垣。北斗七星より南、星・張・翼・軫より北の区画。
天市垣 - 下垣。房・心・尾・箕・斗より北の区域。
星座としての三垣は、藩垣すなわち城壁の形を象ったもので、城門のある南北は開かれた形で左(東)の城壁と右(西)の城壁に分けられる。それぞれ囲っているのは、紫微が宮殿、太微が庭園、天市が市場とされる。
三垣を天球上の領域とするような考え方は『晋書』天文志の段階ではまだ見られない。その後、隋の丹元子作という星座詩『歩天歌』において北極を中心として星座が三垣に分類されている。以後、三垣二十八宿(三垣二十八舎とも)を天上世界の区域名として使うことが一般的となった。

謎の東経線…黄金分割線に存在した古代の日本ピラミッド! /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DkdSlWjSfaOM
地球上の有名な古代文明の場所がギザのピラミッドを起点として、黄金分割線上に存在する…。
ギザのピラミッド・ストーンヘンジ・
29° 58′ 45.03″ N, 31° 8′ 3.69″ E
十進数 29.979175, 31.134358

ストーンヘンジ(Stonehenge)
51° 10′ 44″ N, 1° 49′ 34″ W
十進数51.178889, -1.826111

ギザのピラミッドーストーンヘンジ
距離 3,429.958203?
方位角 319.832738°(40.16726°)

ギザのピラミッドーエルサレム
距離 502.505089?
方位角 80.373309°

40.16726°+ 80.373309°= 120.540571°


432管理人:2020/04/17(金) 22:58:32
西暦536年
ちょっと興味深い記事がありましたので、引用します。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnote.com%2Fbatonz%2Fn%2Fnaeea8f9baee6

西暦536年の大噴火、気候変動をもたらしたのは、隕石落下だったと考えますが、この件についても再考したいところですね。

あと、平さんのおっしゃるお話は遠心分離機の原理ですね。

その津浪の蛇行が、周辺の地層に変化をもたらすとすると興味深いところです。

433史実探偵: 平 素人:2020/04/18(土) 04:48:35
Re: 西暦536年
https://note.com/batonz/n/naeea8f9baee6

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



434管理人:2020/04/20(月) 23:24:57
Re: 西暦536年
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


プラタモリ、今週は飛鳥でしたね・・。

> 管理人さまにお伺いします。
> 巨大隕石で、火山の大噴火が誘発されることは充分考えられます。しかしながら、人類史に影響するほどの巨大隕石は、その頻度がすくなく学会でも、“その場所と、その時の”特定はまだまだのような気がします。それだけに楽しみな分野ですね。先さまも、この地で「〇〇万年前の巨大隕石のニュース」ありとあげられていましたね。とにかく「津波」のことを「洪水」といっている内での先は望めません。世界はそれと気づくべきです。津波と洪水はまったく異なりますよね^~!。
> そこで、地表下10km以内で起こる地震をマグネチュード10とした時、それに見合う巨大隕石のサイズは、如何ほどかと^~?。わたし素人としては、地殻からの噴出エネルギーより、巨大隕石が放つエネルギーの方が<表層へ与える影響ははるかに大きい>と思っているのですが、この考えは間違いでしょうか。
>
>

これは、起爆剤の原理で、水爆などだと、小さな爆発が巨大な爆発を引き起こすわけでして、小さな隕石落下でも落ちどころが良ければ、マントルを刺激して巨大噴火に至る可能性があるように感じます。

つまり、物理的なエネルギー保存則には関係しないということでしょう。

クレーターができるだけなら、物理的なエネルギー保存則以上のものは出てこないとおもいますが、ただし、以前お話した隕石落下が核融合を誘発する場合も同様に、物理的な保存則を裏切る結果となるはずです。その場合、明らかに巨大なクレーターが生じたりするわけですね・・・・。



> > あと、平さんのおっしゃるお話は遠心分離機の原理ですね。
> > その津浪の蛇行が、周辺の地層に変化をもたらすとすると興味深いところです。
>
> う〜〜ん。数学的に根究すると、そこに行きつくのかも知れませんが、私の言っている「津波の分別」とは、すこし異なるような気がします。わたしの提唱している『同似集合の原理・作用』は、単に重さのみならず、具象のすべてで似たもの同士が集まる傾向ありを言っています。
> 『誰もが知っていて、誰もが気付いていないこと。当たり前にはあたりまえの原理が働いている』 (絶版:報告書より^~!)??何故このようなことが起こるのか、卓越した数学をもたれる管理人さまに、数学的に解明して頂けないかとひそかに思って居ました^^? □


確かに、遠心分離は質量(密度)のみですが、形状や化学反応・・・といった要因も考慮すべきでしょうね。

浮力、重力、摩擦力、化学結合、さまざまな要因で津波流体の行きつく先が変化していく・・のでしょうか。

435史実探偵: 平 素人:2020/04/21(火) 04:07:45
釧路平原の石油を捜す!!
管理人さまへのお返事です。早速のお返事ありがとう御座います^^。

> これは、起爆剤の原理で、水爆などだと、小さな爆発が巨大な爆発を引き起こすわけでして、小さな隕石落下でも落ちどころが良ければ、マントルを刺激して巨大噴火に至る可能性があるように感じます。
> つまり、物理的なエネルギー保存則には関係しないということでしょう。
> クレーターができるだけなら、物理的なエネルギー保存則以上のものは出てこないとおもいますが、ただし、以前お話した隕石落下が核融合を誘発する場合も同様に、物理的な保存則を裏切る結果となるはずです。その場合、明らかに巨大なクレーターが生じたりするわけですね・・・・。

> 確かに、遠心分離は質量(密度)のみですが、形状や化学反応・・・といった要因も考慮すべきでしょうね。
> 浮力、重力、摩擦力、化学結合、さまざまな要因で津波流体の行きつく先が変化していく・・のでしょうか。

  ・・ありがとう御座いました。□

(ブラタモリ)、二・三度見ていますが^^、
私達がふだん “何気なく”見過ごしている風景や家並みから、かつての歴史を探り・紐解いてゆく面白さがありますね。

<秋田県のタール油田>に興味をもち検索を重ねているのですが、・・・
いざそれを文章にするとなると、同じ画面(URL)が捜し出せずのアキラメを繰り返しています。とくにユーチューブは、掲載が早く変わりゆくのでとても付いてはいけません~~!。
 日本での商用油田は新潟だけかと思っていましたが、秋田にもあったのですね。累計産出量最大の油田が今でも住宅地の近くで、細々とながら汲み上げられている動画  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fonsen_shouyou%2Fe%2F12c2a66acefbd6730b8aaf8c077fe086
には驚きです。わたしは、油井が津波の戻り水で<河口近く>にありと認めてはいるのですが、ブラタモリでみたタール油田の地が<内陸部>のものか??、と思い検索してはみたものの捜し出せませんでした~~!。

??<東北石油株式会社・豊川油田展示室>
秋田県潟上市昭和豊川・・・?、Google Earth のストリートビューでその看板を捜し出しましたが、かつての栄華はどこへやら、近所の公会堂かと見まがいました(笑い)。その展示室の標高は<38m>でした。油井汲み上げ機械に関係する見学施設が他にもあるようです。ほかに「草生津・クソウズ・??」くそうず くさうづ 【臭▽ 水▽】〔「くさみず」の転〕石油の古名。(三省堂)の地名もありましたが、自分の思っていたほど標高の高い内陸部ではなく、「潟」に近いものでした。・・取りあえず秋田はここまでとし、つぎ、北海道へうつります。「地下400mからの汲み上げ」、これが秋田か? 北海道から? の検索かが思い出せません。石油は津波が運んだ生物の油分が地下に埋まり重合・熟成したものと思っているのですが、近年のメタンハイドレードの成因がまったく推めていません^~!。


436管理人:2020/04/24(金) 00:01:29
Re: 釧路平原の石油を捜す!!
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


>
>?? <東北石油株式会社・豊川油田展示室>
> 秋田県潟上市昭和豊川・・・?、Google Earth のストリートビューでその看板を捜し出しましたが、かつての栄華はどこへやら、近所の公会堂かと見まがいました(笑い)。その展示室の標高は<38m>でした。油井汲み上げ機械に関係する見学施設が他にもあるようです。ほかに「草生津・クソウズ・??」くそうず くさうづ 【臭▽ 水▽】〔「くさみず」の転〕石油の古名。(三省堂)の地名もありましたが、自分の思っていたほど標高の高い内陸部ではなく、「潟」に近いものでした。・・取りあえず秋田はここまでとし、つぎ、北海道へうつります。「地下400mからの汲み上げ」、これが秋田か? 北海道から? の検索かが思い出せません。石油は津波が運んだ生物の油分が地下に埋まり重合・熟成したものと思っているのですが、近年のメタンハイドレードの成因がまったく推めていません^~!。
>

石油・・・・、植物由来のものだけではなく、一説によると、マントル層にもともとたくさんあるらしいですね。 wikiに下記のようにあります。



無機成因論
石油「無機」由来説は、1940年代にBP(ブリティッシュペトロリアム)の研究所内では、無機生成物であることが主要理論であったが、市場戦略的な理由で機密扱いにしていた。1870年代、元素の周期律表で知られるロシアの化学者メンデレーエフが唱えたのが始まりで、旧東側諸国では従来から定説とされていた学説である。ただし、旧西側諸国では、定説とされてきた石油「有機」由来説に真っ向から反対するものであったため、長く顧みられることがなく、その後トーマス・ゴールドが取り上げたことで、西側諸国でも脚光を浴びることとなった。

天文物理学者であるゴールドの説く石油無機由来説は、「惑星が誕生する際には必ず大量の炭化水素が含まれる」「炭化水素は地球の内核で放射線の作用により発生する」「この炭化水素が惑星内部の高圧・高熱を受けて変質することで石油が生まれる」「炭化水素は岩石よりも軽いので地上を目指して浮上してくる」というものである。

無機成因論の根拠としては「石油の分布が生物の分布と明らかに異なる」「化石燃料では考えられないほどの超深度から原油がみつかる」「石油の組成が多くの地域でおおむね同一である」「ヘリウム、ウラン、水銀、ガリウム、ゲルマニウムなど、生物起源では説明できない成分が含まれている」などが挙げられる。

また、生物起源論が根拠としている、石油中に含まれる炭化水素の炭素同位体比を調べた結果、炭素数の少ない炭化水素ほど、質量の軽い炭素同位体を含む割合が多くなるという傾向は、地下から炭化水素が上昇する過程で、分子の熱運動により重い同位体が分離されたと説明することも可能だという。

この無機由来説に基づけば、一度涸れた油井もしばらく放置すると、再び原油産出が可能となる現象を説明することができる。また超深度さえ掘削できれば、日本はもちろん世界中どこでも石油を採掘できる可能性があることになり、膨大な量の石油が消費されたとしても、掘削技術の問題さえ解決されれば、石油が枯渇する危険性はほぼ皆無であるとされている。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E7%259F%25B3%25E6%25B2%25B9%23%25E7%2584%25A1%25E6%25A9%259F%25E6%2588%2590%25E5%259B%25A0%25E8%25AB%2596


ある程度の深さまで彫り込む技術があれば、石油は容易に取り出せるようですし、掘りすぎて、石油が出すぎたのが、先日のメキシコ湾の石油事故だったとの話も聞いたことがありますね。


隕石が落下した際に、マントル層を突き破る可能性があることは、先にもお話したとおりですが、その際に石油の層から、石油が噴出してしまったり、それに引火してあたかも火山噴火のような状態になるということはないでしょうか・・・。


437史実探偵: 平 素人:2020/04/25(土) 01:46:57
Re: 釧路平原の石油を捜す!!
管理人さまへのお返事です。ありがとうございます^^。

 たいへん面白い「論説」をあげて下さり感謝します。

>石油無機質論 対 有機質論

 ずいぶん昔から、云われてきたようですね。又、石炭と合わせて、いまでは化石燃料説のほうが有力のようです。自分が考えている「津波原因による」成因をどこやらに載せた記憶がありますので、しばらくの時間をください。さがしてみます・・・^^!

 つづく・・・(^-^!)


438荊の紀氏:2020/04/25(土) 10:29:26
アスファルトは、縄文時代の交易範囲を読み解く鍵だったのです。…
アスファルトのルーツを求めて /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftozai-as.or.jp%2Froots%2F
…日本の歴史の礎となる日本書紀には、第38代天智天皇7年(668年)7月「越の国より燃土、燃水を献る」との記録があります。越の国とは、越前・越中・越後を含む広範な地域とされています。当時は、珍しい物品があると天皇に献上するという習慣があり、越の国で採掘された燃える土、燃える水が献上されたようです。
この越の国が、いったいどこをさすのか議論がありましたが、当時の歴史的背景や地政学的な見地から、新潟県胎内市黒川周辺が、日本最古の原油献上地と認定されました。
燃える土についても、石炭と表記する文献があるなど、諸説ありましたが、原油との関係から、アスファルトであることがほぼ確実視されています。
…神事は、油壷(自然に原油が噴出していた湖沼)から油を採取する「献上採油の儀」、採取した油に点火する「点火の儀」、そして火を鎮める「清砂の儀」へと進みます。壷に収められた油は、天智天皇を奉った近江神宮に献上されます。この献上の様子を再現したのが、神事の後に行われる献上行列。白装束を身にまとった越の国黒川臭水遺跡保存会の皆さんが、献上図さながらに行列を作り、燃水を収めた壷と、燃土を収めた行李を運びます。
黒川で採取された原油は天智天皇を奉った近江神宮へと運ばれ、毎年7月7日に行なわれる近江神宮の燃水祭に献上されます。

シンポジウム「えっ!縄文時代にアスファルト」−縄文の生産と流通〜東北日本のアスファルト−参加記 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.isan-no-sekai.jp%2Freport%2F3925
…天然アスファルトは縄文時代には接着剤・補修材、漆と混ぜて黒色顔料としたり、埋葬の際にあの世に持たせる副葬品ともなりました。今回のデータ集成により、早期後半から利用され始め、中期後半から一般化、特に後晩期で多用され、北海道・東北地方・新潟県を中心に1,148遺跡で出土していることが確認されました。
…秋田県旧二ツ井町駒形の原産地から2.5キロ離れた烏野上岱遺跡で精製工房跡が発掘されると、同様の精製遺跡が新潟県新津油田西隣で大沢谷内遺跡発掘され、縄文人が原産地で採掘・採取し、近隣に工房をつくり土器に入れ、加熱・精製する実態が明らかになりました。また、精製品は土器に小分けされ、編布や笹葉に包み搬出され、消費地の拠点遺跡で保管される実態も明らかになりました。
…各種道具に付着したアスファルトの観察から、形態分析からでは限界のあった、道具の着柄方法や使用法も明らかにしました。有孔球状土製品、土製耳飾り、独鈷石、環石のほか、槍の穂先型石器も「横型スクレイパー」として認定することができました。
さらに、土偶の接合率は三割を超えることを明らかにして、土偶を故意に破壊して再生を願う「土偶破壊説」に否定的な見解をしめしたことも特筆されます。
…採掘場とそれと関連する集落の端から精製工房が発見されています。工房の住居跡からは精製滓と精製した塊が発見されています。特に精製されたアスファルトは小分けにして皮・布・笹・葉などに入れられ、運搬されたようです。さらに、大型土器片をパレットにして上に乗せた塊を熱して溶かしヘラですくい取った痕跡のある土器片も発見され、アスファルト塗布の作業が具体的にとらえられました。
…原産地あるいは精製遺跡から運ばれたアスファルト塊は、川筋とそこから分岐する拠点集落で保管された状態で出土しています。これを川筋や峠、盆地などの地形を追うことで運搬ルートが読み取れるといいます。結果、南北海道から東北地方への海上ルート、青森・秋田県から山形・宮城県へのルート、新潟県から福島県へのルートが想定されます。
なお、県別にアスファルト塊の出土した点数を概観すると岩手県が日本海側の原産地から離れているにも関わらず112点を数え、全体の1/3弱が確認されています。

秋田県産などのアスファルトは北海道を含む東日本各地に流通し、流通経路途中ではアスファルトの分割工房遺跡も発見されている。
アスファルトの産地特定が化学分析により可能となっている。皮袋や土器に入れて運搬・保管された。
縄文の謎 (2) 交易www.ekoko.jp/blog/files/5dfc186c070ff62ee9a80c0e94ffbf1a-64.php
 縄文時代には、現代人の想像を超える規模で日本列島を縦横に物資の移送が行われていた。
 各地の製品・特産品がどのような交換・交易ルールに基づいて流通していたのか、数百年・数千年もの期間にわたって継続した縄文経済の活動基盤となる製品の交換価値がどのように決められていたのか、これが縄文時代のもうひとつの大きな謎となっている。
…縄文時代の文化は東日本が主体の東高西低であり、西日本の方が進んでいた弥生時代の西高東低とは文化の重心が異なっていた。
…石斧にしても縄文土器にしても、その製品の完成度の高さから判断すると、実際に製作するには、適した材料・原料の確保、また場合によっては接着や着色のための特殊材料の入手、加工のための工具・器具の準備、製作のためのそれなりの高度な技巧・技術の習得、十分な作業時間と労働力の確保、など非常に大きな障壁が存在していた。
 自給自足で製作した生活用具は多々あったはずであるが、磨製石斧や縄文土器、漆器、硬玉装飾品などは専業的な作業者の存在とそれを支えるムラの社会組織がないととてもできないような先進製品であった。
 このような製品が作られたムラにおいても、通常の自給自足の生活の遺物も残されている場合が多いことより、通常の狩猟や食料採取などを行いながら合間をぬって製品の製作作業が行われた、と主張する見方もあるが、私は初期の作業兼務時期にはこのようなこともあったとは思うが、縄文時代の全期を通じて専業化が進んだというのが事実に則した見方であると思っている。
… 磨製石斧の完成品1031点・未製品35,812点が発見された、富山県産の磨製石斧は統一的な形状で生産され日本全国で使われた。
… 縄文時代の交易
 縄文人はほぼ日本列島全域に居住域を広げており人種的にもほぼ均一化が図られていたことより、縄文言語ともいうべき原日本語・原アイヌ語が流布しており、他地域のムラとのコミュニケーションは十分に可能な状況にあったと思われる。
 運搬の方法についていえば、人が物を背負って歩いて運ぶ、これが縄文時代の一般的なモノの移送方法であった。また、舟に人と物を積んで河川や沿海を移動することも決して珍しいことではなかった。
 しかし、人や舟が何日もかけて遠隔地に物の運搬を行うことは決して誰にでも簡単にできることではなかったはずである。
 片手間に産地情報を入手し、片手間に舟を作り、片手間に航海術を身につけ、片手間に神津島や霧ヶ峰山麓で黒曜石を採掘し、片手間に重い荷物を長い道のりを踏破して、自分のムラまで運ぶ、ということは極めて困難なことでとても片手間でできることではない。
 舟を操って海上航海を行う人たちもいたはずであり、獣道に近い自然道を見極めながら目的地に到達する道案内人や経験者も必要となる。道中の食料の調達も簡単なことではなかろう。動ける時期も気候の許す期間に限られよう。
 このように多くの専業製作者の労働力を経て生産されたモノを、更に専業の運搬者や交易者やその他の関係者が多大な労力と時間と危険をも費やして他の地域に運び、また、他の場所(やムラ)で産出・生産された原材料や産品を自分のムラに運び込むことを行っていた。
 当然のことながら、モノの流れが定期的に行われるようになると、産品の輸送ルートの途中での中継地(ハブ拠点)や交換・交易を行う場所、すなわち交易市場の機能をもった場所・ムラもできてきたはずである。
 …縄文時代には、ムラに帰属する(製作)専業者が特産品を作り、それをムラに帰属する(流通)専業者が別のムラとの交易を行っていた。
 その交易には少なからず準貨幣としての自然貨幣が使われていた。
 これが私の想定する縄文経済の姿であり、全ての縄文人が全て同じように自給自足の日常活動を行っていたという停滞したイメージの社会ではなく、クニ作りが始まる次の弥生時代につながるダイナミックなムラの動きが始まったのが縄文時代であると述べて、本抄を終えたい。

旧約聖書によるとイスラエル人の始祖のアブラハムと妻のサラはシュメール出身でシュメール人と考えられているが、実は日本人の先祖の縄文時代の海の民(ハプログループC)がシュメール人と同族であった。すなわち、古代の日本人である縄文人(海の民)がイスラエル人の先祖と言う驚くべき結果が得られる。
イスラエル人のルーツが古代日本人だ!日ユ同祖論 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12439161843.html
…旧約聖書によるとイスラエル人の始祖のアブラハムと妻のサラはシュメール出身でシュメール人と考えられているが、実は日本人の先祖の縄文時代の海の民(ハプログループC)がシュメール人と同族であった。すなわち、古代の日本人である縄文人(海の民)がイスラエル人の先祖と言う驚くべき結果が得られる。
…注: 古代日本の海の民(海人族安曇氏)が女系相続とされている。また、ユダヤ教徒の母から生まれた子はユダヤ教徒とされ、やはり女系相続となっている。すなわち、現代のイスラエル人の祖先を女系で遡れば、日本の漁師さんの先祖の縄文時代の海の民(海人族安曇氏)に到達することになる。

…旧石器時代から縄文時代の原日本語は広く東アジアに分布していたのである。そして、2200年前、中国大陸の歴史区分で言う春秋戦国時代の戦乱を逃れて日本列島に渡って来た渡来人(渡来系弥生人)や古墳時代に渡来した秦氏は実は原日本語を喋り、現地の縄文人の原日本語と言葉が通じたのである。完璧に同じではなくとも、容易に融合できる語族の範疇にあったのである。だから、渡来人と縄文人との摩擦が無く、共存出来たのである。
男性遺伝子(Y-DNA)のD2の分布が琉球から北海道に渡る日本列島に限られているが、この遺伝子が日本列島に古くから住む原日本人のものであろうとの説が定説となっている。この遺伝子D2を持った原日本人の言葉が原日本語であり、男性遺伝子O2やO3を持った人々(漢民族や朝鮮民族)が東アジアに広く分布する前までは、D2が東アジアに広く分布していたと考えられる。
日本語の起源 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12197035519.html
…18 旧石器時代から縄文時代、日本列島周辺には山の民と海の民が共存し、交流し、そして通婚していた。彼らの交流から日本語が生まれたのである。
ここでは山の民を縄文人、海の民を海人族安曇氏と呼んでいたが、考古学的には区別が難しく一括して縄文人とすることが多かった。山の民がハプログループD2、海の民がハプログループC1であった。後者の男性の腕は骨太で(参考)、南回りの海沿いのルートでやってきた(参考)。また、この海の民は太平洋を越えて南米のインディオになった(参考)
19 日本語で身体に関する主な12の名詞は上古から1300年程は殆ど変わっていなかった。日本語の方言の観点から見ても、これら身体の名詞は共通して存在し、別の言い換え(代替)は粗無いようだ。日本古来の基本的な名詞と考えられ、日本に旧石器時代からの在来人も渡来人も共通して使用していたようだ(参考)

…わさびを良く使う民族はユダヤ民族と日本民族である。
日本人とユダヤ人、中国の少数民族の共通性、ワサビ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12056114248.html
ユダヤ料理にはわさびが良く使われる。もちろん日本料理にも。ユダヤ人は食物に非常に気を使う。「何々は食べてはいけない」とか。
…? 雲南省のぺー族がワサビを食する(参考)。ぺー族とチャン族(羌族)の関係は不明だが、チャン族と同族のイー族と接近した地域に生活している。さらに、最近までの日本人の生活とぺー族の生活はよく似ていることを指摘できる。やはり羌族を介した古代からの文化交流があった。
…? ユダヤ人、日本人とチャン族は太陽暦で関係がある /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12055847356.html
…彼ら太陽暦博士やユダヤ人の民の子孫達は皆、卑弥呼の居る邪馬臺国に渡来した。もちろん、逃げ遅れた子孫達は朝鮮半島経由で、年月をかけて渡来することになる!
秦氏のユダヤ人説はこれで説明できる!秦氏全員がユダヤ人であった訳ではなく、一部、紛れて存在した!時期的には景教徒では無く、ユダヤ教徒であった。ただし、彼らを遺伝子的に追跡出来る可能性は難しい(参考)。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12056644707.html%3Ffrm_id%3Dv.jpameblo

アトラス山中のユダヤ人は、先住民族であったベルベル人に言語や生活様式などの多くの面で同化し、ベルベル人ユダヤ教徒として近年まで暮らしていましたが、その多くが、イスラエルの建国とともにモロッコを離れていきました。
ユダヤ人
ベルベル、そしてアラブ以外の1%の中に数えられるのが、外国人、およびユダヤ系住民です。
イスラムの国なのに、ユダヤ人が暮らしているの?と不思議に思う方もいるかと思いますが、モロッコのユダヤ人ははるかローマ時代から現在のモロッコにあたるかの地にコミュニティを持って暮らしてきたと言われています。
モロッコ国内では、ことわざや格言などでお互いに自分の宗教が一番だと言っては競いあい、けちをつけあってはきましたが、パレスチナ問題などにみられるような激しい対立はしないで暮らしてきた歴史があります。

E系統のユダヤ人の多くは、初期の歴史の中で本来のJ系統ユダヤ人グループに合流したものと考えられる。 ソロモン以降、フェニキアとのかかわりの時代に 積極的な交流があった
アシュケナジイユダヤ人のハプロタイプ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Foyasumipon%2Fentry-12146761873.html
インド・ヨーロッパ語族は、5,000?6,000年前 黒海・カスピ海の付近(現在のウクライナからヴォルガ川の地域)で始まったそうです。
←J2は、メソポタミア文明の農耕民が起原、コーカサス・メソポタミア・地中海沿岸(15000年前頃)。Y−DNA「G」と共に農業革命を興こした先進遺伝子集団。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fgarapagos.hotcom-cafe.com%2F1-1.htm
  また、ヨセフの時、外国人支配時代のエジプト(ヒクソス時代)なので、エフライムとマナセには E系統(YAP)は入っていないで J系統・セム系が保たれていると思われる。
…3) E1b1b1a3(E-V22)系統:  E系統は、創世記10章の ハムの子孫(クシュ、ミツライム、プテ、カナン)の代表であり、D系統と共に、Y染色体DNAに YAP変異を持ち、アフリカ、地中海沿岸に、ごく普通に非常に幅広く分布している。(A系統、B系統を半ば駆逐するような形で) 日ユ同祖論に近い議論でたびたび言及される YAP共通の点は、E系統と D系統が ごく初期の段階で分かれ、その後は互いに交流の形跡が無いことから、YAPのしるしはそれほど重要な意味を持たないと考えられる。(初期の 階段状ピラミッドまでは共通と思われる。 バベルの塔 → エジプトの階段状ピラミッド → エジプトの大ピラミッド → 小規模のピラミッド状の墓; → チベット・中国のピラミッド、 → 日本の海底ピラミッド)
  ・ E1a(E−M33)系:  西アフリカ   (→ るいネット )
  ・ E1b1a(E−M2) ソマリア、エチオピア、ギニア、サハラ以南  ・ E1b1a7(E−M191) モザンビーク、ジンバブエ、南アフリカ
          ex) ラムセス3世 E1b1a(E−V38) (・・ 2012 12)、  バラク・オバマ E1b1a(E−V38)
  ・ E1b1b(E−M215、M35 (旧)E3b)系: 東アフリカ、北アフリカ、南ヨーロッパ(ドイツとオーストリアに9%弱もいる)
          ex) アドルフ・ヒトラー E1b1b1(E−M35) ・・・  E1b1b1a3 と異なり、フェニキア・ユダヤ系ではない
  ・ E1b1b1a(E−M78、 (旧)E3b1a)、 ・ E1b1b1a1(E−V12)、 ・ E1b1b1a2(E−V13) 古代ギリシャ人、 ・ E1b1b1a4 モロッコ人
  ・ E1b1b1a3(E−V22) フェニキア人、古代ユダヤ人(レヴァント(=シリア、パレスチナ(ペリシテ人の地)))、アラビア半島
     ・・・・・・ E系統のユダヤ人の多くは、初期の歴史の中で本来のJ系統ユダヤ人グループに合流したものと考えられる。 ソロモン以降、フェニキアとのかかわりの時代に 積極的な交流があったことを示す。(アハブの妻イゼベル)、 さらに古くは ヒッタイト(ヘテ人)、モアブ人などが混じっているはずである。
     ハム系 → ミツライム(エジプト) → カスルヒム → ペリシテ人(E系統)  + J2系統(シリア人)  ≒ フェニキア人(言語はセム語系の フェニキア語、 人種は混合)  → BC9cにはアッシリアに服属、 カルタゴへ移る → ポエニ戦争以降 共和政ローマに併合
  ハム系 → シドン人
  ハム系 → カナン → ヘテ人(ヒッタイト) ・・・ エジプトに、”鉤鼻”のヒッタイト兵士の彫刻、ヘテ人とはアブラハムの頃に交流、
  エサウの妻(ヘテ人2人と ヒビ人1人) → 5人の子 → エドム人 ・・・ このエドム人がフェニキアの航海技術を持ち、ユダヤ人と共に 南洋ルートで沖縄・山陰に来たと考えられる(→ (1) エドム人とユダ族の移動 ) 琉球人から見たフェニキア人は 背の高い人々だったとされる(下に 沖縄のフェニキア遺跡 )
  モアブは、アモンと共に、アブラハムの甥のロトと彼の娘たちとの近親相姦の子孫…
…2005年の調査により、 アシュケナジー系男系 Yの 11.5%が R1a1系統であり、母親がユダヤ人で 一部の東欧系の父親の子供がユダヤ教になったことを裏付けている。 ( R1a: 東欧人で 54−60%、2001年) 母系(ミトコンドリア↓)の80%以上との違い
  * また、アシュケナジムのミトコンドリアDNAの解析では、はるかに多く、母系の81%がヨーロッパ系(mt−DNAの H 20.5%、K 31.8%、N1b 9.2%、J6.3% など)、中近東(ペルシャ、アナトリア) 8.3%、アジア1.1%であり、80%以上が(コーカサスではなく)ヨーロッパ人種であることを裏付けている。(→ Nature Asia 、 Figure10  (2013 10))


439史実探偵: 平 素人:2020/04/26(日) 06:45:30
Re: 釧路平原の石油を捜す!!
https://ja.wikipedia.org/wiki/石油#無機成因論

http://



440荊の紀氏:2020/04/27(月) 09:25:26
・・・ハプログループBは約4〜5万年前にアジアで分岐…
フェニキア人: セム語系諸族・海の商人…悪と商業が密接に組み合わさっていた…
紀元前1200年前後の「海の民」 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsekainorekisi.com%2Fglossary%2F
全盛期には彼らの活動範囲は地中海を越えて、大西洋やインド洋にまでおよんでいた。政治的には、紀元前7世紀にアッシリアの攻撃に屈したあと、新バビロニア・アケメネス朝と次々に異民族の支配を受けたが、海上における活動は引き続き活発で、ペルシア戦争時にはフェニキア海軍が活躍した。紀元前4世紀後半にティルスがアレクサンドロス3世によって破壊され、東地中海の支配権はギリシア人に奪われたが、西地中海においてはカルタゴの勢力がなお健在であった。フェニキア人の文化史上の功績は、カナーン人の創始したアルファベットの書体が、まだ造形性の強いものであったのを線状文字に改良し、これをギリシア人に伝えて、今日まで伝わる西方系諸文字の源流となった点にある。

古代地中海世界に繁栄をもたらしたフェニキア人の歴史
ヴェネツィアの商人などで知られる地中海の金融や商業活動って、現代でもお手本にされるこが多いですよね。その起源ってどんなものだったか気になりませんか?今回は、商業を発明したといわれるフェニキア(カルタゴ)人ってどんな歴史をもち、どのようにオリエント文明へと繋げていったかを紐解いてみたいと思います。
フェニキア人ってどんな人たち? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwondertrip.jp%2F96632%2F
フェニキアとは、現在のレバノン近くに紀元前3000年ごろ出来た民族と国家です。
フェニキア人は、一つの民族ではなく、テュロス(現スール)、シドン(現サイダー)、ベリュトス(現レバノンの首都ベイルート)などに移住してきたセム語系の諸族のこと。
彼らは商業に関する能力に秀でていました。
海上交易により、クレタ文明が栄えていたギリシア都市との交流もあったようです。
後に砂漠や海に囲まれ狭い地域にあったフェニキアは、メソポタミア、エジプト、アナトリア半島などとの交易をし、古代オリエントの交通の要所として発展していきます。
…紀元前14〜13世紀には世界中で貿易が盛んになり、フェニキア人の商業基地(植民地)が各地に建設されました。
特に、チュニジア共和国の世界遺産「カルタゴの遺跡」で知られるカルタゴは、この時大都市へと発展しています。
紀元前814年にカルタゴは、建国されたのではないかと推測されています。
フェニキア人たちは争いを好まない人々で、先住民に土地代を払うなどをして平和的な関係が築かれていたようです。
…チュニジア共和国のカルタゴだけでなく、15世紀頃に栄えたウガリット、スペインのカディスやバルセロナもフェニキア人が築いたものといわれています。
彼らが、交易を容易にできた理由の一つに、地形的なものもあったのではと思います。
海岸線は複雑で多島だったということから容易に航行することができ、イベリア半島東南部からシチリア島までの西地中海貿易を支配していたからです。
しかし、紀元前13世紀ごろから、東地中海一帯を征服しようとするやからが登場します。
それは、海の民という集団です。
彼らが、幅を利かせるようになると、当時大国だったヒッタイトは滅亡、エジプトの勢力が衰退していきました。
フェニキア人、アラム人、ヘブライ人は彼らが襲った土地に入り込み、様々なところに植民地(交易の場)を獲得していったのではとも言われているんです。
悪と商業が密接に組み合わさっていたと考えられます。

YAP(+)(Y染色体ハプログループE)
日本とは何ぞや?japanese-origin.hatenablog.com/entry/2016/12/17/180302
【E*】
DE*集団からの移動・・72,500〜50,000年前
E*への変異・・・・・・・・・・55,000〜50,000年前
サブクレード・・・E1-P147,E2-M75
主なSNP・・・M96,M40/SRY4064
E*(xE1,E2)とはっきりわかっているのは、2015年に判明したアフリカ東部の男性3人。E*(xE1,E2)がはっきりわかったことにより、E全体の再分類がこないだやっと一段落した。なお、DE(xD-M174)でアルタイ山脈南部のベシュペリチルで1/43=2.3%観測されている。
また、3,352〜3,161年前のE1b(E1b1b1b2a1a-FGC18319/Y5413)の遺骨(ArmeniaMBA)が、アルメニアのゲガルクニク地方にあるセヴァン湖の南西端の湖畔の村、南西にはノアの方舟で有名なアララト山の山系を一望出来るコーカサス地方のNerquin Getashenの遺跡で見つかった。
…遺跡には、はっきりしないがE1b1b1b2a1a-L788と推測される、3,593〜3,395年前の遺骨(ArmeniaMBA)とともに、R1b(R1b1a2)の3,856〜3,648年前の遺骨(ArmeniaMBA)が見つかっている。
DE*のいるチベットではE1b1b1b2a1aは発見されていない。脱アフリカしてチベットに行くDEから途上で脱落したものなのか、アフリカでEに進化して後世行ったものなのか、注目される。
なお、2010年4月27日、アララト山の山頂付近で方舟の木片を発見。遺骨と同様に炭素年代測定を行ったところ、大洪水が起こったとされる4800年前と同時期の木片であること、その木片はこの地方に繁殖していないことがわかった。別の調査では方舟らしき構造物がアララト山にあることも、大洪水はあったが局地的なものであったこともわかっている。
個人的には、大洪水以前の創世記では、遠くノドの地に離れたカインと遊牧民・演奏家・鍛冶屋の祖先となった息子ヤバル・ユバル・トバルカイン、アダムの後継者となって300年間神とともに歩み死なずに失踪したエノク、あとネピリムとは遺伝子的に何者かが気になる。
【E】
Eの分布図。ISOGGの下位サブクレードを見る限り、Eのアフリカ脱出ルートは主に4つ。1つ目はジブチ・エチオピア=イエメンルート(アフリカの角とも言う)、2つ目はチュニジア=(シチリア島又はサルデーニャ島経由)イタリアルート、3つ目はエジプトルート、4つ目はモロッコ=スペインルート。ギリシャが多いのは2つ目と3つ目が合流したからではないだろうか。
そしてアフリカ西部南端にいたEが大西洋沿いに真北に増えていたところ、Eの一部は突如北東に向かう。おそらくエレナ山の噴火の火山灰で気になって進路を変えた可能性が考えられる。なお、自説では、この移動に先立って後にDとなるDEがこの4つのうちいずれかのルートを開発してアフリカを脱出したと考えている。
E1b
・E1b1-PN2
東部アフリカ36/43=83.72%、アフリカのガンビア人33/48=68.75%・サハラ以南のアフリカに分布するバントゥー系民族73/108=67.59%(東部30/55西部43/53)、アフリカの小人ピグミー19/38=50%・エジプト人17/36=47.22%、ギリシャ人14/42=33.33%、アフリカ南部のカポイド(コイサンとも呼ばれる)21/75=28%・中央メキシコ原住民のサポテコ族2/15=13.33%、イタリア人5/39=12.82%*12、Baloch people(パキスタン)2/25=8%*13、ドイツ人2/32=6.25%*14、Makrani caste1/20=5%(パキスタン)*15、アメリカのインディアンの1つシャイアン族2/44=4.55%、南米大陸の北端に住むWayuu people1/26=3.85%、ロシア人1/30=3.33%、イングランド人1/32=3.13%*16。
日本人0/141=0%*17。*18
アフリカの小人ピグミー19/38=50%…

原ピグミー語
ハヅァ人はY染色体ハプログループB系統が58%[2]の高頻度で観察される。この型はピグミーによく見られるタイプであり、現在は固有言語を喪失したピグミーであるが、「原ピグミー語」はハヅァ語に近縁であった可能性がある。…
ピグミーの起源 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ピグミーは様々な民族名を持ち、それぞれ異なる言語を話す。しかし、その一方で、ひとまとまりの存在だと見なされてきた。その理由は、一つに小柄という身体的な特徴であり、もう ひとつは文化的な共通性。しかし、一部の研究者は様々な根拠から、異なる起源を持つ集団ではないかと、異論を提出している。彼らは共通祖先の形質を継承したからではなく、熱帯雨林における狩猟採集生活という環境が、自然選択として働いた結果、似たような身体に収斂したとする。もし、そうだとすると、ピグミーという言葉で複数の集団をまとめる事に、問題点が生じる事になる[1]。
…かつて存在したオリジナル・ピグミー語は遺伝子からハザ語に近縁であるとの説もある。
人種的特徴
ピグミーを総称した人種概念をネグリロ (Negrillo) と呼び、次のような特徴的な形質を有するとされる。
平均身長が150cmに満たない。他の黒人ほど肌の色は濃色ではない場合がある。体は筋肉質で胴は長くて太く、腕は長く足は短い。頭部が大きい。 髪質は細くちぢれていて体毛は毛深い。また、ブッシュマンやホッテントットといったカポイドにも見られる「脂臀」といわれる特殊な形質が女性にあらわれる事がある。
ネグロイドの下位区分とされるが、その特徴的な形質からさらに独立した人種とされたり、カポイドの集団と近縁ともされることもあるが、カポイドは突顎が弱く長頭が多いなどいろいろ異なる点が多い。
かつては東南アジアの小さな体をもつ狩猟採集民(フィリピンのアグタ族 (Agta) とバタク族 (Batak)、マレー半島のセマン人 (Semang)、アンダマン諸島の先住民など)と含め「ネグリト」と呼ばれ、フランスの人類学者カトルファジュは、両者を南インドを起源とする一つの人種であると捉えたが、東南アジアのネグリトは皮膚の色がより濃く、体毛が薄く、突顎が著しくないという違いがあり、少なくとも1960年代後半にはすでに別系統説が強くなっていた[9]。現在は遺伝学的に近縁でない事がわかっており、東南アジアのネグリトはオーストラロイドに属するとされる。
遺伝学より
言語学は文化的なオリジンを探求する方法であるが、生物学的な側面については遺伝学を利用することで理解することができる。
ピグミーにはY染色体ハプログループB系統が高頻度で見られる[10][11]。このグループは大地溝帯から森林地帯へ西進した系統である。
ミトコンドリアDNAの分析によって、例えば西のピグミー(アカやバカなど)と東のピグミー(トゥワやムブティなど)の間の遺伝的な類似性よりも、それぞれの近隣農耕民との方が遺伝的に近いという結果が得られている。しかしこれによって、ピグミーの同一起源が否定されたわけではない。実際にはピグミーの女性は近隣の農耕民に娶られるという一方的な通婚があり、ピグミーの女性の遺伝子が農耕民に供給されてきたからである[12]。mtDNAの集団内多様性や核DNAの研究から、実際にはピグミーと他の人々は6-7万年前に分岐し[13]、2万年前に東と西にピグミーが分岐した[14]という結果が得られ、ピグミーは同一起源であるというのが有力である。しかしながらピグミーの特徴である低身長については、ピグミーが西と東に分かれて以降、それぞれの集団が独自に環境に適応した結果であるという説もある[15]。
実際にはピグミーと他の人々は6-7万年前に分岐し[13]、2万年前に東と西にピグミーが分岐した[14]という結果が得られ、ピグミーは同一起源であるというのが有力である。…
東南アジアの小さな体をもつ狩猟採集民(フィリピンのアグタ族 (Agta) とバタク族 (Batak)、マレー半島のセマン人 (Semang)、アンダマン諸島の先住民など…)
アンダマン諸島の先住民など…
私達黄色人種も、元々は黒人。アンダマン諸島先住民族のお話。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fancientjapan.hatenablog.com%2Fentry%2F2014%2F05%2F11%2F214059
アンダマン諸島の先住民は、人種的にはオーストラロイドに属するネグリトであるとされていますが、実際にはネグロイドとの明確な区別は無いようです。
つまりは、アンダマン諸島の先住民は、東南アジアまで進出していながら、新しく現れたモンゴロイド形質の人達と混血する事なく、進出当時の形質を現在まで保持し続けている可能性が高い訳ですね。
彼らの中にも、ネアンデルタール人の血が混じっているのかどうか、非常に気になるところですが、見た目からは、全然混じらないまま、この地まで来た様にも思えます。
ちなみに、Y染色体で調べてみると、彼らは日本の縄文タイプの人やチベット人と同じハプログループDに属しています。
アイヌ民族、チベット人、アンダマン先住民、それぞれ全く違う風貌ですね。
しかし、人類がアフリカを出た頃に、突然変異によってY染色体ハプログループD系統の男性が現れ、現在の世界中のこのD系統の男性達は皆、この突然変異の男性の遺伝情報を受け継いでいると言う事なんですね。
Y染色体ハプログループD系統は人類が出アフリカを果たした頃の系統で、元々非常に古い系統なので、新しく現れた他の系統の集団から長期間隔絶された地域でしか、その勢力を保ってはいません。
つまり日本のY染色体ハプログループD系統のグループも、列島が海に囲まれ、長らく他の系統との混血が順調には進まなかった事によって、その勢力を温存されたと言う事になりますね。
ちなみに、このY染色体ハプログループD系統の男性は、アイヌの人達や南西諸島の人達に多い事はもちろんなのですが、それ以外の地域でも、今だにかなりの勢力を保っており、日本の男性全体の内の、実に約四割(約39%)が、このハプログループD系統のY染色体を持っていると言う事だそうです。
ただ、男性のY染色体や女性のミトコンドリアDNAの分布を調べる事で、人類が辿って来た道が大まかに見えて来ると言う事はあるのですが、Y染色体やミトコンドリアDNAの遺伝情報と言うのは、混血を重ねた人類の、膨大な遺伝情報の結果のごくごく一部でしかなく、それによって、人の形質までが判断出来ると言う訳ではないので、D系統のY染色体を持っている男性が、あべこべに非常に弥生的であったり、それ以外の人に非常に縄文的な人がいたりと言う事は十分起こりうると言う事なんですね。

小型のヒト属…
ホモ・フローレシエンシス(フローレス人 Homo floresiensis)は、インドネシアのフローレス島で発見された、小型のヒト属と広く考えられている絶滅種。[1][2] 身長は1mあまりで、それに比例して脳も小さいが、火や精巧な石器を使っていたと考えられる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
発見された骨は脳の異常な小ささから、小人症やピグミーのように矮小化した、あるいはクレチン症やラロン症候群といった発育上の障害をもった、ホモ・サピエンス・サピエンスの骨だと主張する研究者も多い。これに対しニューヨーク州立大学ストーニーブルック校のウィリアム・ユンゲルスや、ロンドン自然史博物館のエレノア・ウェストン、エイドリアン・リスターなどは、新たな研究からやはり新種人類であるという説を唱えている。ペンシルベニア州立大学のロバート・エックハルは、新種人類説は以前の論文と矛盾し場当たり的だと批判している。ハーバード大学のダニエル・リーベルマンは、新種人類かを判定するにはさらなる化石が必要だと述べており、専門家の間でも評価は定まっていない。
ホモ・フローレシエンシス /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
このヒト属は、当初は12,000年前まで生存していたと考えられていたが、より幅広い研究の結果、最も近年の生存証明は、50,000年前まで押し上げられた。[5] 2016年現在では、フローレス人の骨は10万〜6万年前のもの、石器は19万〜5万年前前後のものであるとみなされている。[2]
50,000年前…
ハプログループBは数々の島を渡ってきた日本最初の移住民 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fu-gene.jp%2Fcolumn%2Fhaplogroup-b%2F
ミトコンドリア・ハプログループBは約4万年前に東南アジアで誕生したグループです。アジアではハプログループDに次いで2番目に大きい集団です。
海を渡って最初に日本へやってきた移住民と考えられており、日本人の約15%がこのグループに属しています。
ハプログループBは約4〜5万年前にアジアで分岐し、東南アジアやポリネシアといった南方に広まっていきました。
分布としてはイラン、イラク、華南(中国南部)、チベット、ベトナム、マレーシア、インドネシア、タイ、日本、台湾、フィリピン、ポリネシア、マダガスカル、メラネシア、ミクロネシア、ハワイなどで、アメリカ先住民からも検出されます。
とくにハワイの先住民であるポリネシア人にはグループBが多く、9割がこのグループに属しています。


441荊の紀氏:2020/04/27(月) 17:28:58
フェニキア語 セム語派…
フェニキア語は、言語的に言えばヘブライ語に似ています。どちらも『アフロアジア語族、セム語派』の仲間で、文字は右から左へ書き、母音字が存在しません。
ギリシャ人はどうして、インド=ヨーロッパ語系民族に分けられたんですか? ギリシャ文字がフェニキア文字からきているんだったら、セム語系民族ではないんでしょうか?
ギリシャ文字がフェニキア文字からきているんだったら、セム語系民族ではないんでしょうか? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq13198245613
文字の歴史で言えば、フェニキア文字→ギリシャ文字→ラテン文字→現在の英語やドイツ語などで使われている文字、と言う様に辿れますが、言語の歴史としては、英語やドイツ語の祖先がフェニキア語である訳では全然無いです。日本語が中国語の表記方法を取り入れた、現在のベトナム語が近現代にラテン・アルファベットを取り入れた、それらと同じ事です。言語の歴史は、文字の歴史とは全く別物、かつ、(殆どの場合)文字の使用よりもずっと古い時期を対象としたものです。

アラム人とフェニキア人
紀元前1200年前後の「海の民」の襲来は、この地方にも甚大な影響を及ぼした。陸上でヒッタイトとエジプトの勢力が後退したばかりでなく、海上でもクレタ文明、ミケーネ文明勢力が崩壊したからである。これによって、この地方でセム語系の3民族(アラム人、フェニキア人、ヘブライ人)が、それぞれ独自の活動を展開する余地が生まれた。
インド・ヨーロッパ語系民族の進出 ? 世界の歴史まっぷ アラム人とフェニキア人 紀元前1200年前後の「 海の民 」の襲来は、この地方にも甚大な影響を及ぼした。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsekainorekisi.com%2Fglossary%2F
首都: ハットゥシャ、場所: トルコ に流れるクズルウルマク川周辺、言語: インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語

相互に関係があるとする説も…
ヒッタイト語派とも呼ばれる。古代西アジアで話されていた。インド・ヨーロッパ語族とは別の語族としたうえで、相互に関係があるとする説もある。発音や文字などにおいて、印欧語族に新たな発見を多数もたらした。
ヒッタイト語はほかの古いインド・ヨーロッパ語族の言語と同様に屈折語である。
ヒッタイト語 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ヒッタイト語(ヒッタイトご)はインド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派に属する言語。アナトリア半島中央部のハットゥシャ(現在のトルコ北部ボアズキョイ)を中心とするヒッタイト帝国で使われた言語で、楔形文字によって粘土板に書かれた紀元前16世紀から紀元前13世紀頃までの文書が残っている。第一次世界大戦中に解読された。インド・ヨーロッパ語族の言語のうちもっとも古い文献の残る言語である。
ヒッタイト語は他の印欧語と異なる点が多く、早い時期に印欧語から分離したと推測されてきた。印欧語族の「姉妹言語」と考える研究者もいる。


442管理人:2020/04/28(火) 00:10:14
Re: 釧路平原の石油を捜す!!
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

また、お知らせありがとうございました。


ひとまず、植物性の物質が津波によって運ばれ凝縮されて石油や石炭になったとの仮説を裏付けるには、地底のそれより、標高の高い地域のそれに注目したほうがよさそうですね。

ご指摘のとおり、海水の塩分がそこに混ざっているかどうかも重要な識別要素になるかもしれません。

あとは津波が運ぶ砂利とか、貝とか・・・ですね。

443荊の紀氏:2020/04/28(火) 10:48:49
「 鯷(なまず)」…
「鯷は大鮎。其の皮を以て冠と為す」とある。また『説文解字』にも「鯷は大鮎」とある。時代が下って、『捜神記』に「子路之を引くに、手より没して地に仆る。
魚の名の漢字(21)「鯷」
「おおなまず」を第一義とする点では四辞典とも一致。カタクチイワシを第二義とするのは漢辞海と漢字源。新字源と新漢語林は「ひしこ」を国訓とする。
…大口鮎(河鮎)が古代の鯷に当たると考えられる。
鮎(なまず)
占(ひと所に定着する)
占 セン・うらなう・しめる  ト部
 (2)中国では、なまずを言う。「鮎魚デンギョ」(なまず) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F5bf34d06f9d457526c1a6c4f99dcc15c
きぬた(砧)。「衣板きぬいた」の略。布地などを打つときに使う石や木の台。また、その台を打つこと。

台…「台ダイ」 <スキで大地を起こし始める>… /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F40334e1d50763cb0661e877626a8b32b
臺の略字である「うてな・高殿」、生産を始める儀礼から「行動をはじめる・きざす」、スキで大地を掘り起こす事から「やわらかい」イメージがある。
始 シ・はじめる・はじまる  女部
解字 「女+台(行動をはじめる・きざす)」 の会意。女の腹の中でみずから動き始めた生命の意。意味は胎と同じだが、胎は胎児の意に、始は始めの意に用いる。

紀元前4世紀の頃の日本列島は、髭もじゃで水辺で漁をいとなむ、大国主=大穴牟遅=大なまずの国だったので、「後漢書」は倭人に「 鯷(なまず)」の一字に集約しているかもしれないんです /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftacchan.hatenablog.com%2Fentry%2F2017%2F12%2F19%2F203203
倭は別名を「タイ国」とも呼ばれた時期があったし、ヤマタイのタイと鯷(テイ)の関連は伺われますし。
澶洲とは朝鮮のことですね。
ここから導くに、倭人こと東のなまず人は、夷洲(倭)および澶洲(朝鮮)という2つの地域に住んでいました。これら2つの地域に、徐福の民が上陸したというわけです。
しかし、髭もじゃで水辺にいることだけが、なまず人と呼ばれた理由ではないのです。…
…古代エジプトでは、「なまずは冥界の牧人と話す魚」と信じられていた…

阿蘇大明神(健磐龍命)の使い ナマズ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2535

太伯(金星)の類い 東鯷(なまず)人(とうていじん) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2409

鯰を神の使いとする神社がいっぱい!?「句呉(こうご、くご)」の民 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4443

啓典の民   星宮神社 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F1823
鯰…鰻図であるのが大きな特色である。鰻は一般に 虚空蔵菩薩の使いとされ、その鰻がここでは鯰とも結びついている。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.bunka.pref.mie.lg.jp%2Fbunkazai%2Fda%2Fitem%2Fdetail.asp%3Fwag%3D2%26prePageNum%3D2%26mngnum%3D0000044
、地震は「 ゲブの笑い」と呼ばれ、ゲブが愉快な気分になると地面ごと揺れるというのだ。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.moonover.jp%2Fbekkan%2Fgod%2Fgeb.htm
大気の神シュウとテフヌトから生まれた大地の神。ゲブには恐れを抱かせる邪悪な神としてのイメージと、恵み齎す多産の象徴としてのイメージが混在する。
ゲブ(Geb)は、古代エジプト神話の大地の神。ヘリオポリス神話では大気の 神シューと湿気の神テフヌトの息子。妹でもある妻、天空の神ヌートとの間に、オシリス、 イシス、セト、ネフティスをもうける。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.weblio.jp%2Fcontent%2F%25E3%2582%25B2%25E3%2583%2596
ヌート 【Nut】 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.weblio.jp%2Fcontent%2F%25E3%2583%258C%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2588
古代エジプトの天空の女神。大地神ゲブの妻でオシリスやイシスらの母。ヘリオポリス九柱神の一神。シカモア樹の中に立ち、死者の魂(バー)に水を与えている姿で表される。
魂(バー)に水
ギャーン( 魂)
ギオン」はペルシャ語のギャーン( 魂)が語源ではないかと推測され、祇園祭の山車にはペルシャ絨毯、モスクやラクダの 図柄などペルシャを彷彿とさせるものも多く登場するんですって。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fplaza.rakuten.co.jp%2Freflexdaidai%2Fdiary%2F201303290000%2F
祇園祭の神輿を鴨川の水で清める「神輿洗式」という神事 を行う前に、神輿を迎えるため提灯行列が市内を巡行。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkyoto.graphic.co.jp%2Fpickup%2Fseason%2F2012%2F07%2Ftheme2%2Findex.html
水で清める
水で清めるところなど、ゾロアスター教の 習俗を引いている部分が幾つかある、と指摘しているね。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdesktop2ch.info%2Fwhis%2F1122656242%2F
、「魚+占(=粘。ねばりつく)」。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1025369225
鮎は中国では『なまず』を指します。
ひょうたん」は「ナマズ」頭が太い「ナマズ」を「ハチ」という「ハチ」の隠語は「ひょうたん」で ある。
「なまず」は「鯰」という字を書きますが、この鯰は国字(日本の文字)のため、中国由来の「鮎」と表記されています。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.myoshinji.or.jp%2Fevent%2Farchive%2Farchive%2F20100326_2147.html
「鮎」 占
「ハチ」
「蜂」預言者
Deborah(デボラ):ヘブライ語で「蜂」。女預言者で旧約聖書唯一の女性指導者。士師 記4章

氐(テイ)
禹を魚形の洪水水神とする 信仰は、氐族と羌族が共有し継承されたと考えられている。
禹の神話と秩父 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Finehapo%2Fe%2Fb54858d48dd1ab8ee42fce3ac79514d5
秩父の荒川沿いに建てられた諏訪神社が北斗七星に置かれてることに気づいてから、このあたりに禹にまつわる話が残されており?それが北斗七星と関係しているのかどうか・・・妄想しておりましたところ、 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Finehapo%2Fd%2F20131026
[4413] /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2Fmobile%2Findex%2Fdetail%2Fcomm_id%2F4413%2F


444荊の紀氏:2020/04/29(水) 11:40:56
エラーです。…
[448] 「 鯷(なまず)」…古代科学史掲示板
エラーです。
B206: この内容は掲示板管理者がNGワードに設定した文字を含んでいるため、投稿できません。
詳しくは上記エラーメッセージと投稿できなかった「記事本文(URL含)」をあわせて掲示板管理者にお問い合わせください。


445史実探偵: 平 素人:2020/04/30(木) 04:39:17
北海道の油田を捜す!!
管理人さまへのお返事です。

度々、「北海道の未発掘油田の推測」へのお付き合いありがとう御座います^^。

> ひとまず、植物性の物質が津波によって運ばれ凝縮されて石油や石炭になったとの仮説を裏付けるには、地底のそれより、標高の高い地域のそれに注目したほうがよさそうですね。
> ご指摘のとおり、海水の塩分 がそこに混ざっているかどうかも重要な識別要素になるかもしれません。

 素人探偵が(30年前)第一番目の探索としたことは、巨大津波因による「未発見油田地の推測」でしたが、これは余りにも "突飛論"過ぎ、どなたさまからも相手にされませんでしたので「東北巨大隕石説の探索」→「未発掘の卑弥呼の大量の銅鐸・銅剣の埋封(筆者の造語)場所の捜索」へ移りました。しかしながら寄る年波の衰えがあることは否めません。30年間萎えることなく絶えることなく続いてきた「少年心」にさえかげりがあります。
 ・・のでので^^! 頂いた情報をきっかけに「探偵局」当初のミッションである「未発見油田」の着手を記録に遺しておこうかと貴家・掲示板をお借りしています。札幌市にもかつて汲み上げていた油井が二か所ほどあるようです。何故、そこで油井掘りに至ったかのいきさつにとても興味があります。

日本の石油事情(wikiより)
「日本の石油・天然ガス資源」および「石油元売」も参照 ・・・中略・・、
 現在では、新潟県・秋田県の日本海沿岸、および北海道(勇払平野)などで原油が採掘されている。生産量は年間で63万キロリットル(2014年度)で、国内消費量全体に占める比率は0.3%に過ぎない[7]。現在 新たに釧路平野に原油が予測されており経済産業省は新たに鉱区を設定した。□

 釧路平野のものは、すでに予測されていたのですね^^!。石油埋蔵地の推察は「6500万年前の巨大津波」に気付けば埋蔵量や質の推察さえも大して難しいことではありません。それが採算にあい、実利があるかどうかの方が、大きな問題となります。当探偵局としては他の人が予測してあるものは、二番煎じとなるので他地の<十勝平野)>へ移すことにしましょう(汗〜)。

油田の場合は、前述の「銅鐸や銅剣」のようにピンポイントで探る必要がないので、大まかに言い当てればいいのですが、採算に合うことはもとより、他の諸問題、たとえば釧路のような国定公園内にある等々の現実問題のクリヤーのほうが、かなり難しく専門家チームの参加がなければ、その採掘が可能になるとは思えません。

 (30年前の)状況の違いは別として「油井の試掘・一本20億円」を得ていましたが、今はどうなのでしょか。当探偵局としては、前述の諸問題クリヤーは抜きにして、油田の中心を探ることを目的としています。「石油成因物は、津波の奥まった所と、戻り流で河口付近に流れ出て留まっています!!」

> あとは津波が運ぶ砂利とか、貝とか・・・ですね。

 その砂利は、前述「サハラ砂漠」で、その貝は「ドーバー海峡の白亜や、中国の桂林」といったら、ますます、相手にされなくなるでしょうか^^? 日本では「秋吉台」にあります。巨大津波が運ぶ貝殻は、素人の言うものだけではありませんが、「鍾乳洞」となったりもしています。素人の論が正しければ、未だ見ぬ鍾乳洞が北海道にも“必ずある”と思いますよ^^♪ そして、その集積した貝類が衝突熱や火山熱を受ければ大理石化することもあります。

> ご指摘のとおり、海水の塩分がそこに混ざっているかどうかも重要な識別要素になるかもしれません。

石炭や石油には、必ず「海水の塩分」が含有しているはずだと申し上げました。
< これに、少し言葉をたします。>
石炭と石油の『全て』には必ず『津波で』運ばれた海水の塩分が含有しているはずだ。

さてさて、かくも専門家にしては簡単であろう分析をしてくださるでしょうか??
過去30年間のいきさつから推すと、無視されるがオチだとおもいますが~~???
その「塩分」がなければ当方の過去30年間の「報告書2000通」は全没となります^^! (もっとも、石油のほうはプランクトンの堆積説が一般的でした)
素人探偵は、残念ながら「それを頼める専門家」の人脈を持ち合わせていない。
 でもでも、過去にはそこは「海だった」というお人が必ず出るんだよね(笑い)
〇m〜数百mの炭層が海ぃ〜^^?
                   2020/04/30 史実探偵 平 素人 □

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



446管理人:2020/05/12(火) 03:56:16
Re: 北海道の油田を捜す!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000451M.png

https://driving-hokkaido.com/?p=5135



447史実探偵: 平 素人:2020/05/20(水) 06:57:04
北海道の未掘油田を捜す!!
https://driving-hokkaido.com/?p=5135

http://



448荊の紀氏:2020/05/06(水) 12:34:16
「鶴歳千歳、亀歳三千歳」… 1:3… 1:2:√3…
鶴は千年、亀は万年」万年山…
「鶴歳千歳、亀歳三千歳」… 1:3… 1:2:√3 は 30度、60度、90度の直角三角形の『3辺の長さの比率』です。
1:2:√3 は 30度、60度、90度の直角三角形の『3辺の長さの比率』です。
1対2対√3の直角三角形をどのように置くか(直角の部分をx軸およびy軸に一致させる必要はあるでしょうが)によって、sin, cos, tanの値は異なる、という話です。

亀の甲羅は何角形ですか?
六角形と五角形の模様が集まって甲羅全体はほぼ楕円形をなしてる /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq11169782806
楕円形…
地球 地球は完全な球体ではなく楕円形をしている。
【回転楕円体】 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fzatsugaku-company.com%2Fearth-oval-circular%2F
地球は回転しているために、赤道に近づくほど膨らんだ楕円体の形をしており、赤道付近の遠心力が重力を弱めている。そのため、「振り子時計」のおもりの動きに違いが出ると説明したのだ。
…粘土球を作って、中心に棒を差し込む。この棒を激しく回転させたとき、球の中心部が遠心力のためにふくらんでくる。そして、上下の極は扁平になり、粘土球は楕円体になる。
地球そのものも回転をしているので、この粘土球と同じように、楕円体になるということだ。

円に関する定理を集めてみた。五角形と円、六角形と円・・・
ここには何か関連がありそう。4点以上が円周上にあることの不思議。
やってみてわかってきたこと /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.geogebra.org%2Fm%2Fm2Dwpx5c
(1)二つの円で偶数個の円を描くとぴったり一致すること
(2)偶数個の円の中心は楕円の外接多角形であること
(3)その楕円の焦点を中心とする円が最初の二つの円であること
??????詳しくはミケルの定理 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fhamaguri.sakura.ne.jp%2Fmiquel.html
例えば二点とばしの六角形で星型五角形と同じことが言えないかなど・・・。

二つの円の交わる角度を変えてみる。円の交点の角度=交線の角度という関係がある。さらに、元の長さは半径が同じなら等しい。
交わる二つの円に関する性質 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.geogebra.org%2Fm%2Fm2Dwpx5c%23material%2FGDg4PJ28

万年山(はねやま)は、大分県日田市、玖珠郡玖珠町、九重町にまたがり、耶馬日田英彦山国定公園に含まれる標高1,140.3mの山である。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
北緯33度13分41秒 東経131度07分59秒
『豊後国風土記』によると、玖珠(くす)という地名は、かつてこの地にあった大きな楠に因むものであるという。そして、大楠の木陰となって日が当たらずに困った住民がこの大樹を切り倒した後の切株が伐株山であり、巨木が倒れる際にはね上げた土が山となったのが万年(はね)山であるという伝説がある。
北西側には国定公園に含まれる耶馬溪、日田盆地、北北西30キロメートルの英彦山など、玖珠町には西椎屋の滝(日本の滝百選)、角牟礼城跡など、南東側では九酔渓、震動の滝、龍門の滝、九重"夢"大吊橋、国立公園九重やまなみ牧場、東方20キロメートルに由布岳などがある。南方15キロメートルに九重連山、南方30キロメートルに阿蘇山。
「万年山」は山頂が平坦なテーブル上の形をした草原で、穏やかなハイキングコースもあり家族連れにも人気。山頂からは、広大な展望が望め、南東に九重連山、東に由布岳、北に玖珠盆地が見渡せます。
「巨木が倒れる際にはね上げた土が山となった」のが万年(はね)山であるという伝説がある。…
 ↑ 紀氏的解釈…
巨木…<大きな定規>…巨は工字型の定規を描いた象形
定規は工型で両端のあいだが離れているから「へだてる」 (拒・距・炬) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Fbbe057a67b47b8131d2536abc428bd13
木…キ 鬼・姫 キ・ひめ?
 金文は「女(おんな)+ふたつの乳房」 で、乳房の成熟した女を表す。篆文・旧字は乳房が一つになった「女+?イ」の形。成人の女の意から転じて君主の側妾や貴婦人の意。新字体は乳房が?⇒臣に変化した姫になった。
覚え方 「女+臣(下をむく)」で、君主のそばで下をむいて仕える女。
意味 (1)貴人のそばに仕える女性。高貴な女性。「寵姫チョウキ」(お気に入りの侍女)「姫妾キショウ」(姫も妾も、貴人のそばに仕える女性の意)
高貴な女…?…
?姓は元々、禹の姒姓と同祖であり、黄帝、帝嚳の別姓とされる。嚳の子孫の后稷はこの?を姓として使ったという。后稷の子孫とされる古公亶父が周の始祖であり、その曾孫の武王が殷を滅ぼして、周王朝を築いたためその国姓となった。
周王室から分家した?姓の諸国として呉(諸説あり)・燕(諸説あり)・晋(もとは唐、諸説あり)・韓(晋の分家で分岐国、晋と同様に諸説あり)・魏(もとは畢、晋の分岐国)・管・魯・鄭・衛・霍・虢(東虢/西虢に分岐)・曹・蔡・虞・滕・随[1]・韓(戦国の韓とは別国家)・劉[2]などが挙げられる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
劉…
[10135] 劉姓…五代十国の呉越で、劉氏が「金」に改姓した。…ユダヤ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F10135

〈道教とは中国古来の巫術もしくは鬼道の教を基盤として,その上部に墨家の上帝鬼神の思想信仰,儒家の神道と祭礼の哲学,老荘道家の〈玄〉と〈真〉の形而上学,さらには中国仏教の業報輪廻と解脱ないしは衆生済度の教理儀礼などを重層的・複合的に取り入れ,隋・唐・五代の時期に宗教教団としての組織と儀礼と神学教理とを一応完成するにいたった〈道(タオ)〉――宇宙と人生の根源的な真理もしくは真実在の世界――の不滅と一体になることを究極の理想とする漢民族(中国民族)の土着的・伝統的な宗教である〉 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F

太平道は五斗米道とともに道教の基礎を作ったといわれ、白蓮教は仏教系、拝上帝会はキリスト教に影響をうけた団体であった。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fjuroujinn.la.coocan.jp%2Fkessya.htm
黄巾の乱、紅巾の乱、太平天国の乱という歴史上有名な反乱の中心となったのは、それぞれ太平道、白蓮教、拝上帝会という宗教的秘密結社であった。太平道は五斗米道とともに道教の基礎を作ったといわれ、白蓮教は仏教系、拝上帝会はキリスト教に影響をうけた団体であった。

白蓮(びやくれん)・弥勒(みろく)教徒が勢力の中心で,紅布で頭を包み標識としたので〈紅巾の賊〉ともいう。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
紅布…茜(あかね)色の布地…
魏志倭人伝には、卑弥呼が239年、魏から金印を受けた際に「せん絳(せんこう)(茜(あかね)色の布地)」などももらったとある

卑弥呼はドルイド教の巫女だったのか?邪馬台国とは倭寇の本拠地、対馬、壱岐、松浦半島にあったのではないか邪馬台国は、デーン人が影からドルイド教の巫女、卑弥呼を使って支配した古代倭寇の国だったしかも、F1bグループ(中国系)が倭寇を支配していたので、邪馬台国は「天皇が治める日本」とは異種の「もうひとつの日本」と言えるかもしれないempirex.web.fc2.com/2kanmin.html
ドルイド教…
ドルイド教とゾロアスター教と古代エジプトと古代ギリシアと古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながりrapt-neo.com/?p=33045
ドルイドの社会的役割は単に宗教的指導者にとどまらず、政治的な指導をしたり、公私を問わず争い事を調停したりと、ケルト社会におけるさまざまな局面で重要な役割を果たしていたとされる。
…ドルイド僧は、ストーンヘンジによって大地のエネルギーをコントロールしたり、それを何かに利用したりしていた可能性が高い”、と推論せざるを得ない。
ドルイド教の神官たちは、古代ケルトにおいてはドルイド教の神官となり、ギリシアではピタゴラス派になったというわけです。
…「直角三角形の斜辺の二乗は他の二辺の二乗に等しい」というのがピタゴラスの定理であるが、この定理は、前6世紀の数学者ピタゴラスが発見されたといわれている。
だが、有名な作家ヘロドトスは、エジプト人はこの定理を使って、ピラミッドを築き、無名の大工たちも家を建てている。と記している。
どうやら、この定理はエジプトではすでに普及していたものらしい。

古代ケルト信仰ドルイド教を史上初めて公認、英国 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.afpbb.com%2Farticles%2F-%2F2763458

生け贄と言えばドルイド教や古代ゲルマンの宗教も外せないしフェニキアのモロク信仰もある。

(ドルイド教の神官団)はインドのランカー島に拠点を得、ルカ人(ドルイド教の神官団)はフェニキア人とペリシテ人を 輩出し、ウェシュシュ人(ドルイド教の神官団)はウェールズ人(ブリトン人)の祖と考えられる。

フェニキア人、マゴ王家(天孫)の後裔(ドルイド教):多氏(大国主命)、坂東八平氏
フェニキア人の後裔サルマタイ人(ドルイド教):物部氏(大物主命)
失われたイスラエルの10支族ガド族(ソグド人)の後裔(太陽信仰):神武天皇〜武烈天皇(天照大神)、蘇我氏、安倍氏、吉備氏
ヘリオポリスの蛇神を祀る神官団の後裔(蛇信仰):賀茂氏(オオナムジの前身、蛇神ナムジ?)
ブリテン島からベトナムに来た越人の後裔(ドルイド教):蝦夷(エゾ)、伊達氏
古代中原に来たシュメール人の末裔(牡牛信仰):東漢氏、西漢氏
失われたイスラエルの10支族ルーベン族等の末裔(月信仰):秦氏
多禰氏 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4498
多禰氏…
「多禰国」記事,隣接の屋久島(掖玖国)は遥か以前からよく知られていた,「五千余里」は九州王朝 …
すり替えられた九州王朝の南方諸島支配 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.furutasigaku.jp%2Fjfuruta%2Fkaiho119%2Fkai11904.html
…九州王朝の事績の盗用は、卑弥呼・壱予・玉垂命など九州王朝の女王の事績を取り込むための「神功紀」創設、九州王朝の九州一円平定譚の「景行紀」への盗用、倭王「武」の上表文にあわせた、日本「武」尊の東方「毛人」征討譚の創設など、枚挙に暇がないほどだ(註9)。
 そして、南方諸島支配に関しても、同様の詐術を施した。

卑弥呼も使った?古代の赤 ベニバナ花粉が大量出土 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.asahi.com%2Fedu%2Fnie%2Fkiji%2Fkiji%2FTKY200710140096.html
4年後の243年には邪馬台国側から「絳青けん(こうせいけん)(赤と青の絹)」を魏に贈ったと記されている。
赤と青の絹…紫・・・
赤と青の錐体が反応します。脳は赤と青の錐体が反応した時は「紫を見た」と認識するので、結果として赤と青を混ぜると紫に見える /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Flastline.hatenablog.com%2Fentry%2F20080319%2F1205925226

『纒向(まきむく)遺跡・大量のベニバナ花粉,卑弥呼の贈り物染めた? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.biwa.ne.jp%2F%7Efutamura%2Fsub73.htm
   <最古のベニバナ花粉,邪馬台国映す「紅」>』(読売新聞 2007,10,03より引用)

卑弥呼の鬼道とは /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fikejun_2007%2Fe%2F0966da89fb7d80af35f573336a1d761e

太平道は、どちらも早期道教と呼ぶことができる。まとめると、早期道教には次のような特徴がある。 1、早期道教は主に社会の下層で苦しんでいた民衆の間に伝播したwww2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-2.htm
張角は36の方を作り教団を統括した。…36…ミロク

道教(卑弥呼)VS景教(秦氏) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F1217
…卑弥呼が女王になる前後の時期に、太平道の兵団 を率いた(ことがある)人物、もしくはその関係者が列島に渡来した可能性も考えられる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fdogs_ear%2Fe%2F54063c7b766b6723f9e4d854beba8a14
銅鏡を「邪を払う・神に会う」ための呪具とする信仰は、道教の中に継承されることになる。
天津社会科学院教授の王金林氏によれば、墓に副葬された道教の呪具の中で、玉は不朽で永遠に存続する、銅鏡は神仙と会い悪魔を制御する、さらには、銅鏡を被葬者の左右に置く「日明鏡」、銅鏡を前後左右に置く「四規鏡」は、神仙と会い悪魔を制御し、俗から離れて仙人になる目的を達成する思想によるという。
銅鏡の副葬と神仙思想の関係
 道教において鏡は神仙示現・予知・不老長生・辟悪などに関わる呪具として用いられるものであり、副葬品としての鏡もまたそうした多様な呪術的性格を持ち合わせていたのではないかと思われる。たとえば、三角縁神獣鏡に描かれた神仙や霊獣が道教的思想を反映して描かれたことは、神仙が東王父・西王母などに対応して配置されていること、霊獣が巨(矩)と呼ばれる呪具などをくわえた例などからもうかがわれる。その際、霊獣は神仙の乗り物として死者の霊魂を仙人のいる天上世界に導いてくれることを期待されたのではないか。
 (「古墳出土の玉・鏡・剣の副葬品からみた道家思想の影響」王金林)
剣の副葬と尸解術
 剣は被葬者の生前の社会的地位を示すと同時に、祭祀具としての宗教意識を内包するものである。東大寺山古墳出土の環頭大刀銘に「上応星宿、下辟不□」と刻されているように、大刀は宿星信仰に基づいてその呪力が期待されて副葬された。道教では神仙の地位の上下(総じて九品)が決まっており、道士は修練によって神仙世界に昇ることができるが、その修練の度合いによって昇天の方術は飛天・隠遁・尸解(魂が昇天する)の3つに分かれる。(王金林)
 どうやら、古墳に副葬された鏡と剣の配列にも、信仰的意味があったらしい。死者に副葬された剣は、死者が神仙世界に昇るための呪具だったというわけである。

縄だけで簡単に造れる前方後円墳…
西都原メサホ塚古墳の1/10設計を試みました。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fpentacross.up.seesaa.net%2Fftp%2F200503179a04cb95.JPG


449史実探偵: 平 素人:2020/05/11(月) 07:52:12
北海道の(十勝平野)未掘油田を捜す!!
 おまたせしました^^! やっとその論文を再検索することができました。

☆「石炭層の生成と変遷」九州大学 高橋良平
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.jstage.jst.go.jp%2Farticle%2Fjie1922%2F58%2F2%2F58_2_102%2F_pdf

「将(油田)を射んとする者は、まず馬(炭層)を射よ!」
この論文は専門的であり、わたし素人にとっては難しいのですが、石炭の生成因は、現地性とするか、流木性とするかの論があります。その炭層の厚みをなすには十数倍(!?)の植物の堆積を考えねばならず、流木性といってもその厚みは、通常の大洪水では到底考えられず、そして、その分布は地球規模にあります。炭層の年代は、筆者の掲げている6500万年前のものだけではないようですが、<流木=洪水>ではなく、<流木=巨大津波>原因 と考えると解がでることに気付いて欲しい。

 先の情報で夕張の炭層の露頭は、下から10尺、8尺、6尺の3層とあるが、これは津波の数波によって回層?をなしたと考えられるし、論文で炭層を挟んでいる夾層が砂から粘土質へと異なるのは、巨大津波が持つ多数波の特徴であり、津波の上流になにがあるかによっても異なり、おおむねは第一波は粒度が大きく、第三波以降は粒度小さくなると思っています。さらに面白いのは<石灰層>の夾層もあるようです。この津波が運んだ堆積層の件は、なにも遠くの国や特別の場所へいかなくても、わたしの貴方の近くにもあるはずだ。瀬戸内山陽道北側の20m〜30mの丘陵地。京都府新幹線車窓北側の丘陵地や、岩手県胆沢扇状地北の丘陵地もそうでないかと思っています。なにしろ地球の90%を覆った巨大津波ですから。『川がないのに角のとれた丸こい石の堆積丘^^?』それが少年心(こどもごころ)には不思議でならないのです。

 キシ先生>に希望します。長文の情報層で小拙層を覆い隠さないで欲しい(笑い)。

当初の論文を熟読します。その時の超巨大津波と考え合わせながら・・・・
                      To be continued^^!

> <十勝川河口にも必ず油田があります!>
  それと<然別川と音更川との湿地帯あたり> を予測しておきます。

> (5/3)とりあえず関連して石炭中に<NaCl>の塩素の含有があることが分かりました^^!
塩素Clは単体では活性化が強く、それがナトリウムと結び付き海水中にあります。

> ☆「石炭の過熱過程における塩素の行方」
  1. 緒言石炭中の塩素(coal-Clと略す)は、・・・
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.jstage.jst.go.jp%2Farticle%2Ftetsutohagane%2F103%2F8%2F103_TETSU-2016-110%2F_pdf

> ☆ 夕張、合せて24尺炭層の大露頭^^
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.geosites-hokkaido.org%2Fgeosites%2Fsite0002.html

450史実探偵: 平 素人:2020/05/12(火) 01:24:26
Re: 北海道の(十勝平野)未掘油田を捜す!!
  急がば廻れ^^! 油田を探すなら、まず石炭から・・

<石炭層の生成と変遷> 九大:高橋氏 1978/11/16受理、より
1.1 夾炭層の構成
・・、「石炭層の直下にかつて植物が生育していた時の土壌と判断される粘土層があったり,石炭層中の珪化した樹幹(珪化木)が層面に直立した格好で含まれ,さらにこの粘土層をつらぬいていることなどは石炭の原地成因説の有力な証拠とされてきた。」・・、

 この件は、4千年前の東北に衝突した巨大隕石で発生した巨大津波の件で述べたことがありますが、同様なことに「直立した藤里の大珪化木」がある。いかに巨大津波とはいえ、その発生源とその先端部分では、その様相がおおきく異なる。発生源では巨石ゴロゴロでも、その先端等で流れが弱くなった場所や後続波では、その濁泥土の粒度は小さくて粘土質のものが運ばれてそこで堆積する。そしてそこに棲息していた樹幹が大きければ直立したままで、津波と共に運ばれてきた粘土層に埋まり珪化木化する。この件で、奥州市の岩淵先生は、島根県の珪化木林の根本部分に倒れてある木化石は、その時の津波が運んだものだとされている。

また、藤里の珪化木はアイソトープ年代で〇〇年前であったが、その年代を示す濁泥土が染入ったものだとしました。津波が運んだ植物の遺骸は他地へ運ばれたり、混ぜ合わされた土粒へ埋まりこんだりするので、その年代を決めるのが難しい。

<続 伸> 上記論文より、
「・・、坂倉は,石炭層の厚さが水平方向で容易に変化したり,石炭を含む一連の地層(夾炭層)が,繰り返しリズミカルな堆積様式を示すことなどによって日本の第三紀炭は原地で生育した植物群をその原料にしたと主張している2)。・・」

 この件は、夕張の3層の石炭の堆積層で津波成因を説明できる。3層の炭層の厚みは下から10尺、8尺、6尺であった。リズミカルな堆積様は、津波が同方向からそれらを運ぶからであり、10尺→8尺→6尺へとだんだん小さくなっているのは津波の後続波が弱くなっていることを表す。夾層の状態と何がどのように津波によって運ばれたかを知りたいものです。夕張では炭層がなだらかな傾斜があったようだが、植物体は盆地へ溜まったり、津波の波打ち際に置いていかれる ことがある。この地勢の件の要を氏は説かれている。

                       To be continued^^。

451青面金剛:2020/05/12(火) 15:31:22
Re: 十勝平野
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 奥州市の岩淵先生は、島根県の珪化木林の根本部分に倒れてある木化石は、その時の津波が運んだものだとされている。
>  この件は、夕張の3層の石炭の堆積層で津波成因を説明できる。夾層の状態と何がどのように津波によって運ばれたかを知りたいものです。夕張では炭層がなだらかな傾斜があったようだが、植物体は盆地へ溜まったり、津波の波打ち際に置いていかれる ことがある。

 2千万年前の歴史の証人「珪化木」 大田市久手町波根西の海岸 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.pref.shimane.lg.jp%2Finfra%2Fnature%2Fshizen%2Fshimane%2Fdekakeyou%2Fsyouninnkeikaboku.html

☆十勝地方では、60年程前に、資源探査が行われ、微量の石油が幾つかの地で、確認されましたが、採算性には程遠かった様です。

釧路炭田………縄文海進
 釧路炭田の形成は、約3800万年前の古第三紀漸新世の時代です。
釧路管内を中心に、釧路沖の海底を含む広い範囲に浦幌層群と呼ばれる地層が堆積し、そのなかの春採(はるとり)層・天寧(てんねる)層・雄別層・双運層・尺別層に石炭が含まれています。
これらの地層の中には石炭の層が数十枚あり、普通1から3メートルの厚さですが、5メートルをこえるものもあります。
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.city.kushiro.lg.jp%2Fmuseum%2Fjyousetsu%2F1f%2F0003.html

 道北の稚内・豊富には石油質の温泉が湧き出て、アトピーの湯治に良く効く、と評判です。
 豊富温泉は大正14年より、石油の試掘を行ったところ、翌年5月に地下約960mの地点より高圧の天然ガスと共に43℃のお湯が噴出したことから開湯した温泉です。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftoyotomi-onsen.com%2Fhistory

国内油ガス田  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.japex.co.jp%2Fbusiness%2Fep_j%2Fdomesticfields.html


※ 坪背山周辺では、鹿猪の駆除の為、銃や罠を用いる場合が有ります。無断入山は禁止されてますので、事前に、出雲市役所森林政策課 Tel 0853-21-6996 に届けなければ成りません。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.izumo.shimane.jp%2Fwww%2Fsection%2F0000000000000%2F1301563212058%2Findex.html

レンタカー、タクシー、レンタサイクル情報  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.izumo-kankou.gr.jp%2F8575

☆平さんが80歳未満ならば、一人乗り電気自動車COMS(コムス)で廻る事も可能です。
4時間フリーコースで4000円程。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdandan-izumo.resv.jp%2Fsupport%2Fsupport_help.php

☆古代出雲歴史博物館は現在休館中です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izm.ed.jp%2F
現在、桃太郎エクスプレス・バスは運休中です。特急「やくも」は運行してます。



                 

452史実探偵: 平 素人:2020/05/13(水) 04:35:33
Re: 十勝平野
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/jyousetsu/1f/0003.html

http://



453青面金剛:2020/05/13(水) 13:23:54
Re: 十勝平野
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>ちなみに島根県には<千木>という地名があります、筆者はこれをその時4000年前の大津波が運んだものかと疑っています。

☆<千木>は神社の社の屋根に付いている風消しです。千木が無いと強風時に屋根が飛び易くなります。立て削ぎが出雲神、横削ぎは物部神です。男千木と女千木で解説している本が多いですが誤りです。

> 『坪背山探索の件』
><猪の目峠茶屋跡から散策道を7分ほど登った所から右手方の分かれ道の行き当たりに、隠れ坑道のズリありか!?>を確かめる気力が残っていません。

☆ 地図に印を付けて管理人さんに送りなさい。隠れ坑道がある危険な所はドローンしか、ありません。
 GOOGLE ストリートビューで、坪背山登山道入り口の駐車スペースを見ると、法務省の不法投棄監視システムが設置されています。ドローンのカメラに映るのは、「ズリ」で無くて、『産廃』の感じがします。

※ 一部訂正します。「駆除」では無くて「捕獲」との事です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.izumo.shimane.jp%2Fwww%2Fcontents%2F1428404284634%2Findex.html
令和2年度出雲北山山地のシカ捕獲の実施について【森林政策課】

 出雲北山山地は、狩猟でのシカ捕獲が禁止されています。しかし、保護目標頭数より多くのシカが生息し、農林作物等の被害が発生しているため、シカの個体数を調整することを目的とした銃とわなによる捕獲を行います。期間中に入山・登山の際は鈴などの音の鳴るものを身に付け、登山道から外れないようにお願いします。
令和2年度通常捕獲期間
       第1回:4月13日(月)〜 6月30日(火)
       第2回:9月 1日(火)〜 3月14日(日)

※ イノシシは出雲北山には居なくて、出雲市南部の山沿いに居る様です。

454机上探偵: 平 素人:2020/05/14(木) 08:27:44
『坪背山に隠れ坑道を掘ったズリの有無確認の件』
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000459M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000459_2M.jpg

https://houshizaki.sakura.ne.jp/tuboseyama.htm

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



455青面金剛:2020/05/14(木) 13:29:07
『坪背山』
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 「忌部川」に、「下忌部・西忌部・東忌部」。 このように方向性が3つ以上連なると、(そのことに関して)そこに歴史という時の流れがあったと推むことができます。「忌む」とは、人が死んだ時につかう言葉。 ここに「千本」という地名があります。

☆千本つつじが丘の地名なので、つつじ千本の意味です。忌部氏は祭祀氏族で、東忌部町の東山向こうには出雲一の宮である熊野大社、西忌部町の西山向こうには玉造。神道では隠れる、と表し、勾玉は再生を意味します。神門・神戸(かんど)は神様の通り道。

 西忌部町に鎮座す忌部神社
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jinja-net.jp%2Fjinjacho-shimane%2Fjsearch3shimane.php%3Fjinjya%3D6313
「平安朝に忌部神戸内鎮座の22社と合祀し、二十二社総権現、総社大宮大明神と称し忌部神戸の総社として神祇令により神戸内の官物を供進し、其官祭を享け給えり。奈良朝以来、朝廷の御崇敬を始め累代国守の崇敬篤く、社領寄進、社殿造営、禁制社参代参あり。」


> 千木は、大量の銅鐸・銅剣を埋めた時、それに憑いた荒神を動かせないようにするための「重し」のための儀式方があったのではと疑っています。「風消し」の意味もあるのでしたら、「八雲」を抑える意味もあったのでしょうか。慈雨が、あまり暴れすぎて暴風雨になっても困ります。今でも、旧家では新築時の棟木の下に刀(刃物)を括り付けることがあるようです。さらに、略式化して竹で挟んだ何やらの紙幣をくくりつけているようですが^^?
>  今、「神戸・こうど」の地名がつくところの山畑に廃材で休憩小屋を建てているのですが、「屋根が風で飛んで人さまに、必ず迷惑をかける」と息子にしかられました。

☆NHKの番組で、強風が吹いた時に、千木は逆方向に力学的に作用し、屋根の上ずりを防ぐ、の分析が有りました。
 出雲の社は裏手に磐座が有る事が多いですが、磐座の背後から、雲が湧き出る伝承が在り、千木は、その象徴と先駆けの意味も有ります。竹も鎌も魔除けとして扱われます。


> 『坪背山の隠れ坑道を掘ったズリの探索の件』
その地の歴史を知らないわたしのようなよそ者は、そこが、さして先さまが仰っておられるほど危険な場所とは感じません。

★ 「危険な場所とは感じない」のならば、自分で行って証明して来い!!!

 息子さんが居るならば、連れてってもらい、平さんが先頭を歩き、距離を置いて息子さんが付いて行く。
 平さんが隠れ坑道に落ちたり、マムシに咬まれた時は、息子さんが助けてくれるでしょう。

※ 平さんが坪背山の現地レポートを此処に書き込むまで、この話は休止とさせて頂きます。(終)



456机上探偵: 平 素人:2020/05/18(月) 04:23:01
Re: 北海道の(十勝平野)未掘油田を捜す!!
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jie1922/58/2/58_2_102/_pdf

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



457机上探偵: 平 素人:2020/09/20(日) 04:07:18
将(=石油)を射んとする者はまず馬(石炭)を射よ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000462M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000462_2M.jpg

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jie1922/58/2/58_2_102/_pdf

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



458史実探偵: 平 素人:2020/09/05(土) 04:26:37
北海道の油田は、数十年前に発見されていた!!
 この件は、・・・・さまも指摘されていましたが以下にありました(^~!)

??日本北部の天然ガス (北海道の天然ガスと石油)
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.gsj.jp%2Fdata%2Fchishitsunews%2F61_07_02.pdf%23page%3D1%26zoom%3Dauto%2C-150%2C721

  油田・油井の発見は、臭水(クソウズ)であったり、自噴したり、石油ガスの匂いがしたりがきっかけのようですが、国土地理院の地勢図・等高線に重ね合わせてみると、各代・各々の巨大津波が運んだ「未だ見ぬ」動植物の遺骸の油分が見えてくるかもしれませんね(^-^)。あっ、それから巨大隕石落下後の「隕石の冬」が引き起こす海進・海退も考え合わせねばなりません。そこは昔は海だったと云わないためにも・・・つづく(^-~)。



459管理人:2020/09/05(土) 21:54:09
Re: 北海道の油田は、数十年前に発見されていた!!
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>  この件は、・・・・さまも指摘されていましたが以下にありました(^~!)
>
>?? 日本北部の天然ガス (北海道の天然ガスと石油)
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.gsj.jp%2Fdata%2Fchishitsunews%2F61_07_02.pdf%23page%3D1%26zoom%3Dauto%2C-150%2C721
>
>


平さん、ご無沙汰してます!
北海道の炭田、気になるところですね。今月は道東に向かう予定なので、その辺の情報も仕入れてみたいと思います。

摩周湖・屈斜路湖、サロマ湖、厚岸湾・・・隕石落下によるクレーター湖かどうか確認してきます!

460管理人:2020/09/06(日) 00:33:39
道東クレーターライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000465M.png

https://www.afpbb.com/articles/-/3295143



461史実探偵: 平 素人:2020/09/08(火) 05:28:31
Re: 道東クレーターライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000466M.jpg

管理人さまへのお返事です。
 ご無沙汰いたしております。お元気なごようすなによりです^^。

>
> 摩周湖・屈斜路湖、サロマ湖、厚岸湾・・・隕石落下によるクレーター湖かどうか確認してきます!

 北海道・東北地方には隕石衝突とみられる湖が散在していますね。列島の中部以南にはそのようなクレーター形状様のものがみられません。これに関心をもったのは中坊のとき、噴火湾といわれている内浦湾とメキシコ湾の形状が「よく似ているなあ」と思ったことでした。加えてイタリア辺りもそのようなものがみられます。素人はこれ等を「隕石銀座」とよんでいます。ご指摘のように黄道・偏角と惑星・軌道の交わりが過去にあったのかもしれませんね。

 ご調査・ご思考を楽しみにしています。



462管理人:2020/09/11(金) 00:44:23
Re: 道東クレーターライン
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


>  北海道・東北地方には隕石衝突とみられる湖が散在していますね。列島の中部以南にはそのようなクレーター形状様のものがみられません。これに関心をもったのは中坊のとき、噴火湾といわれている内浦湾とメキシコ湾の形状が「よく似ているなあ」と思ったことでした。加えてイタリア辺りもそのようなものがみられます。素人はこれ等を「隕石銀座」とよんでいます。ご指摘のように黄道・偏角と惑星・軌道の交わりが過去にあったのかもしれませんね。
>
>

平さんもお元気そうでなによりです!また今年こそはどこかでお会いしたいですね・・・。
秋に雪が降る前に昨年見逃した東北の遺跡を巡りたいと考えてます。

確かに、北海道・東北のクレータ湖?の多さには特徴がありますね。

以前は、その小天体群?は地球を半周しなかったと平さん同様に考えていたのですが、再度昨年考えなおして、中には数十周したものもあっただろうと予想します。

結果として等間隔で南へとずれていく先日のラインが見えてくるわけです。

十数分くらいで地球を一周していたのではないでしょうか。その間に分裂を繰り返しデブリを落下させていき、そこにクレータができるわけですね。

北海道から東北に特に多く分布した原因としては、やはりその北緯あたりから小天体が侵入してきたからではないでしょうか。

赤道平面から侵入してきそうなものですが、小天体の軌道が地球の軌道平面よりやや北側にあったのかもしれませんね。

あるいは赤道方面にはちょうど月があり、その影響で多くは月に衝突して、その月にとらえられなかった小天体群が、月の影に入らない地球の高緯度地域に降り注いだことも考えうるところです。

もっと精密に各地のクレータの分布をしらべて、月の影の領域が浮かび上がってくれば、この証明はすぐ立証できるでしょう・・・。

問題は誰がその気の遠くなるような作業をやるかですね!!





463史実探偵: 平 素人:2020/09/13(日) 06:13:02
福井県の水月湖底の年縞!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000468_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000468_3M.jpg

管理人さまへのお返事です。

コメントありがとうございます^^。
・・・、クレーターについて色々に考えているのですが、中々まとまりません~~!

Yahoo!(9/8(火) 10:06配信) ビッグニュース ありました!!
「福井県の水月湖底」の年縞(ねんこう:年輪のようなもの)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded?page=2
年縞が過去7万年にわたり途切れずに1年刻みで残っている湖沼は、世界でもここにしかない。

サンデー毎日×エコノミスト
(本誌初出 「地球の古文書」の年縞 7万年を刻んだ水月湖の「奇跡」/15 20200825)
 ■人物略歴
鎌田浩毅 かまた・ひろき 京都大学大学院人間・環境学研究科教授

 ドキドキします・・・・^^、
取りあえず(私が)知りたいのは、岩淵先生と二人でやっている「東北釜石:巨大隕石」です。この落下日をBC.2001/12/25.am6:00頃(日の出前)と推んでいますから、その年縞に何かの異変が刻まれていれば大正解^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



464管理人:2020/09/14(月) 02:18:49
小天体と隕石群の周回・落下方向
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000469M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000469_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000469_3M.png

https://www.youtube.com/watch?v=Jx5FEF3nVNI&amp;t=19s



465史実探偵: 平 素人:2020/09/17(木) 08:07:31
Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向
https://news.yahoo.co.jp/articles/a354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded?page=1

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



466管理人:2020/09/19(土) 23:47:46
Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメント&情報ありがとうございます。
>
> > 水月湖、興味深いですね!7万年前まで調べれるならば、最近の隕石衝突の地層も特定できそうなものですね。
> ただ、その水月湖の近場の隕石のそれですね。
>
>  私が水月湖の年縞に期待しているのは、小天体衝突の飛散物等の直接的証拠ではなくて、間接的な証拠です。年縞のなかの<葉っぱの14C>を調べることによってその年縞が何時になったか分るそうです。
> >『また、年縞に含まれる花粉や火山灰などを分析することで、過去の気候と地球環境も解読できる。さらに春、梅雨、夏、秋、晩秋、冬によって異なる堆積物が残されており、年縞を使えば縄文人の生活を1年ごとに知ることができる』
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Farticles%2Fa354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded%3Fpage%3D1
>
>  7万年もの間の物差しですからその判別には膨大な量の調査と時間が予想されます。私たちが思う大きさの小天体の衝突が、陸部であれば必ず「隕石の冬」を伴わなければなりません。その時の気温の降下が大きければ大きいほど年縞の間隔や変わり目が顕著に現れます。温暖期が長く続いて “急に” 寒冷期になっていれば場所の特定はできませんが「その時」に小天体の衝突があったと判別できます。
>  例えば、これを逆にとらえて自分の提唱する4000年前や、先さまの云われている1万2千前に、そのような年縞の変移があり、ボーリング柱に<寒冷期の葉っぱ>でも捕まれば、つよい状況証拠となります。近場で直接的のものでは中国と北朝鮮の国境にある白頭山(活火山)の火山灰が確認できているそうです。
>

火山灰の件は重要ですね。先ほど読んでいたアイヌ文化のチャシの特定にも火山灰地層の件が記されていました。有史の火山灰をみれば、かなりの正確さで年代を推定できそうですが、それ以前のものを正確に測るうえでも水月湖の地層解析は重要ですね。


>  惑星や衛星の運行についての情報ありがとうございました。それには色々な法則や作用があるのですね。素人にはそのすべては理解しえないですが、その衝突は太陽系のようにできあがった形では小さいものは別として、隕石の冬を伴うほどの大きさのものが、太陽なり地球の周回軌道に入るまえに捕まえなければ、取り逃がしてしまうのではないかと思っています。つまり半周以上の周回では捕まえるのが難しいのではないかの考えをもっています。惑星や衛星の軌道をみだすものとして重力の大きい木星の影響力をきいたことがありますが、(北海道クレーターが)地球の傾きに近いものの衝突角であれば、月の重力が関係する時を考えねばならないのですね。月のことはまったく考えの内にありませんでした(汗〜)。ありがとうございました。
>


地球軌道角での隕石落下からクレーター生成については、これからちょっと道東に向かうので、現地の地層などをみながら、確証を得たいと思います!


467史実探偵: 平 素人:2020/09/20(日) 06:55:21
Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向
管理人さまへのお返事です。 コメント&情報ありがとうございます。

> 地球軌道角での隕石落下からクレーター生成については、これからちょっと道東に向かうので、現地の地層などをみながら、確証を得たいと思います!
>
 お気を付けていってらっしゃいませ^^。
(先さまの以前の記事で)小天体の衝突痕として斜角が小さければ衝突方向に堆を残すとか五・六角形になるとかに斬新さや意外性をおぼえたことがありましたが、溶岩様や、微視的なものでSiO2が確認できればいいですね。酸化ケイ素は小天体衝突時の高温で発生し、通常の火山の噴火熱では発生しないのではと思っています。又、ドローン等が使えれば衝突域の植生の違いの有りや無しやをみるのも面白いかもしれません。たのしみです^^。

 北海道のチャシ(跡): はじめて知りました。戦いのためにも使われていたとのようですが、わたし素人は、薬石探しに列島に来た「徐福と武人集団」が、なぜ北海道の内陸に侵入痕跡がないのか? を思っていましたが、その理由の一つとして、アイヌの人達は天地のすべてを神体としており神域をおかすものへの強い抵抗と、熊と共存しゲリラ戦(ベトナム戦)を得意とする人達。専門家の多くは徐福は列島支配の目的ありとみているようですが、私はそうは思いません。徐福達は列島の植民地化が目的ではなく「不老不死の薬石探し」が大きな目的。もし、それを違えて「安穏な列島暮らし」が始皇帝の耳に入ろうものなら、十万二十万の大軍を繰り出され、たちまちのうち殲滅されるかの恐れがあります。それに北海道の地は広大な中国にも似ています。激戦をしてまで「珍薬探索の要無し」との結をだし太平洋岸を周り、岩手あたりまで南下したのではないでしょうか。遮光面土器、なまはげ、蕨手刃、金色堂の童子を連れた釈迦仏画等はそのなごりと推んでいます。
 史記に「徐福は広大な州の王となった?」とあるようですが、これはあくまで中国本土の人がその伝聞を記したものであり、事実かどうかは分かりません。先没した始皇帝の暴君性の“トラウマ薄れ”への結果としてそのようになったかも知れませんが、「神仙の列島に仙薬あり」を信じて出帆した徐福には、定住性はなく生涯がサバイバル!! どの地ではてたかは分かりません~~!

 北海道の地名に「空知、美唄、忍路」があります。
わたし素人探偵は、四千年前の天空を血色の巨大塊が、ビリバリの衝撃波と音をだし、恐ろしい路を松前のほうに飛んでいったとの地名伝言だとしています^^!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



468管理人:2020/09/28(月) 23:38:10
Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000473M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000473_2M.png

史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。 コメント&情報ありがとうございます。
>
> > 地球軌道角での隕石落下からクレーター生成については、これからちょっと道東に向かうので、現地の地層などをみながら、確証を得たいと思います!
> >
>  お気を付けていってらっしゃいませ^^。
> (先さまの以前の記事で)小天体の衝突痕として斜角が小さければ衝突方向に堆を残すとか五・六角形になるとかに斬新さや意外性をおぼえたことがありましたが、溶岩様や、微視的なものでSiO2が確認できればいいですね。酸化ケイ素は小天体衝突時の高温で発生し、通常の火山の噴火熱では発生しないのではと思っています。又、ドローン等が使えれば衝突域の植生の違いの有りや無しやをみるのも面白いかもしれません。たのしみです^^。
>
>  北海

平さん、こんばんは。道東探索では、摩周湖、屈斜路湖、サロマ湖、阿寒湖、網走湖、能取湖と、クレーター湖と睨むところをひととおり撮影、ドローン空撮などしてきました。また今度お会いしたときにでもお見せしたいです!

地層のほうはいまいちよくわかりませんでしたが、火山性の熱源という意味で驚いたのは摩周湖付近に立ち上る霧ですね。地熱が高いのではないでしょうか。

また摩周湖そばの第1展望台でドローンを飛ばそうとしたら、磁気コンパスに異常が起きて飛ばせなくなったのには驚きました。滅諦にない現象で、磁場が狂うほどの鉄?が付近に埋もれているのではないかと感じましたよ・・。

あとは、アイヌの拠点である神居古潭、ここも神秘的な雰囲気が漂う場所で、そばのストーンサークルともども、ぜひ平さんにはご覧いただきたい感じがします。

白滝遺跡では、黒曜石らしき石をひとつ拾ってきました。ここから各地へと黒曜石が運ばれるネットワークがあったようです。

ちかいうちに、白老のポロトコタン、つまりポロト湖のコタン(集落)を見に行きたいと考えてるんですが、隕石ライン??らしきものも見つけてます。。添付しますね。23度前後の偏角になるようです。

倶多楽湖⇔ポロト湖⇔ウトナイ湖へと伸びるラインですが、同時に22度偏角で以前指摘した倶多楽湖⇔洞爺湖⇔寿都湾のラインもあり、どちらかが本物??、双方本物??が見極めどころです。



469史実探偵: 平 素人:2020/10/30(金) 00:23:57
小天体と隕石群の周回・落下方向
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000474M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000474_2M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-14.html

http://



470史実探偵: 平 素人:2020/10/10(土) 05:53:54
Re: SAHARA
水月湖の年縞(ねんこう)に興味をもち調べていたら、山田さまの記事にあたりました。

> ・・
> サハラは広い。
> 情報量の多いサイトがありました。
>
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Farchive.aramcoworld.com%2Fja%2Fissue%2F201403%2Flast.lakes.of.the.green.sahara.htm


 ボーリング柱の写真あり・・・^^。

471管理人:2020/10/14(水) 22:58:46
Re: SAHARA
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 水月湖の年縞(ねんこう)に興味をもち調べていたら、山田さまの記事にあたりました。
>
> > ・・
> > サハラは広い。
> > 情報量の多いサイトがありました。
> >
> > /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Farchive.aramcoworld.com%2Fja%2Fissue%2F201403%2Flast.lakes.of.the.green.sahara.htm
>
>
>  ボーリング柱の写真あり・・・^^。

あとで拝見させていただきます!

472史実探偵: 平 素人:2020/10/15(木) 04:33:29
Re: SAHARA(湖底土のボーリング柱)
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-16.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



473史実探偵: 平 素人:2020/10/17(土) 07:02:37
縄文人の生活が推める水月湖底の堆積物!!(年縞7万年前まで)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/103/3/103_3_233/_pdf

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



474史実探偵: 平 素人:2020/10/18(日) 23:08:37
水月湖年縞についての情報
水月湖年縞についての情報ありました。

福井県里山里海湖研究所
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsatoyama.pref.fukui.lg.jp%2Ffeature%2Fvarve


475管理人:2020/11/18(水) 23:50:10
クレーター動画
平さん、ご無沙汰してます。水月湖の地層年代、気になるところですね。

クレーターの動画を探していて、興味深い動画がありましたので、お知らせいたします。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2Fnp8bOTRNMuQ

また近いうちに東北あたりでお会いしたいですね。

476史実探偵: 平 素人:2020/11/19(木) 03:06:53
Re: クレーター動画
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000481_2M.jpg

管理人さまへのお返事です。ご無沙汰はしていますがPCへは訪問しています^^。

クレーターの情報ありがとうございます。
わたしのPCは動画の音声はなくその大半を理解しえませんが「巨大隕石と大津波」を掲げている当方としましては大変興味のあるところです。ですが、あれこれ色々と掲げてきましたが専門家はおろか世間さまのいっさいの受けがないのに加えて、その気力も、その遊び心に費やすお金も欠乏しています^^!。今の自身のもつ能力では到底むりとあきらめての終活中です^^!。

 現在云われている生物の大半を絶滅させるほどの隕石のサイズはΦ1km程度と云われていますが、わたし素人はそれよりケタ違いにおおきいモノでも生物のすべてが滅ぶとは思っていません。地球を隕石の集積体とみて、その大小を問わず数限りない衝突があったにもかかわらず、こうして今の私達生命体が存在しているからです。巨大隕石の衝突にもかかわらず生命が絶滅しなかったのは、最大比熱の水の存在がおおきく関係しているのではないでしょうか。

 当方の掲げる「南極大陸は6500万年の巨大隕石論」は、先様のあげられた「南極大陸とその周辺大陸に6500万年以前の古生物化石の繋がりあり」で完全にKOされました^^!。なぜなら、「大西洋を挟む大陸の双岸に同種のミミズの対応あり」を言ったウェゲナーの大陸分離論にまったく反するからです。

それ以降、当方の「南極大陸は巨大隕石論」は、息も絶え々の<虫の息>ですが“息の根”までは止まっていません(笑い)。以前にあげました「地球の90%以上を覆った 巨大津波の痕跡シリーズ「南米大陸を突き抜けた巨大津波。豪州大陸を覆った巨大津波。アフリカ大陸に突き当りサハラにその砂を運んでいる。北米大陸に上陸した巨大津波はグレートベースンになだれ込んでいる!」は、・・で止まっていましたが、それに続いての「中国大陸に上陸した巨大津波」を遺しておくことにします。どうぞお楽しみに・・・(^-~)。

http://



477管理人:2020/11/20(金) 23:23:37
隕石研究会・・・
平さん、お返事ありがとうございます。
南極大陸にかぎらず、大陸生成と隕石落下との関係はあるとおもいますよ。その年代はともかく・・・。
今年はコロナでまた動きにくくなってきましたが、岩手方面、また伺いたいですね。向かうタイミングは難しいところですが。

隕石クレーター史研究会発足にむけて、そろそろ動き出したいところではあります。





478史実探偵: 平 素人:2020/11/21(土) 23:19:05
Re: 隕石研究会・・・
管理人さまへのお返事です。コメントありがとうございます。

> 隕石クレーター史研究会発足にむけて、そろそろ動き出したいところではあります。

 すごいことお考えなのですね・・・^-~とりあえずの参加者は、
先さまと。いわぶち先生と、わたしの3人しか思い当たらないのですが・・(^^汗〜)

わたしの本懐とするところは、その方面なのですが余りにもぶっ飛びすぎているので・・・
なにかしら世間の注目をあびる、きっかけはないかと始めたのが・・・

?卑弥呼が埋めた未掘の銅鐸23個±αが「吉備・総社市の岩屋寺裏の崖上に!」
 この件は、
 この素人ひとりが諸難を排して、ここに金属反応ありとしても誰も相手にしない(笑い)。
  いちばんこわいのは肩書のない素人が下手に動いて「立ち入り禁止」にされること!

?天ノ岩戸の原形洞窟が出雲大社裏方の大文字地形の鷺峠にあり。
  「出雲市・猪の目峠茶屋跡から7分上がった所から北の行き止まり!」に岩戸で塞がれ、
  土で覆われ封印されている。
 1700年前の冬至の初光を洞窟奥に射しこます設計がなされており、
 施設の後先は分かりませんが環状木柱列(ウッドサークル)にも通じる。
その洞窟の奥行を10丈として、その入り口付近にズリ(排石)があるはずだとしましたが、
 これとて、そのズリがあればあったで「ズリ捨て場」だと云われるでしょうし、・・・
 よしんば、その洞窟発見まですすんでも「銅鉱石の試掘」だと云うお人がでるのは必定。
 実際に、銅鉱石の試掘・採掘と、ズリの捨て場が他にもあるようです(^~汗〜)。
 要は、出雲を知らない素人がその場所に、その存在を予見できることに意味があり。

?4000年前(BC2001年/12月)の東北に降臨した巨大隕石による「激変・隕石の冬が石川県・水月湖の年縞に」刻まれている。
 この件は、専門家に、コラボ調査・解明を依頼するには費用が必要(^^!)

以上、いずれも史学にはないことであり、素人探偵が口でいうのは簡単ですが、いずれも「専門家の鑑定・認証のお墨付き」がないかぎり、だれも相手にしない。その専門家は、30年来2000通が無反応です(^-^!)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



479青面金剛:2020/11/22(日) 09:35:40
Re: 隕石研究会・・・
管理人さん、と平さん、へのお返事です。

> 隕石クレーター史研究会発足にむけて、そろそろ動き出したいところではあります。

☆ 先月、出雲を廻って来ました。御神体が隕石と思われる神社ならば、赤秦神社( 島根県雲南市加茂町大竹676)へも行って来ました。加茂岩倉遺跡から南西方向に数百メートルの地に位置します。

赤秦神社|成長する石?世代交代する御神体の謎!
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izumo-enmusubi.com%2Fentry%2Fakahada-jinjya%2F

「 この御本殿の中には御神体となる巨石が納められているのですが、その巨石は年々大きくなっていくため、次第にこのお社の中に納まらなくなるのだそうです。そして現役の御神体を玉殿に納め、大きくなってきた先代の石を「若隠居さん」と呼んで、隣に置かれているのだそうです。
 この石は隠居さんと呼ばれ、現在の御神体から2代前の御神体ということでしょう。隠居さん→若隠居さん→現在の御神体という世代交代があったのですね。
 境内には隠居さんを凌ぐ大きさの巨石が横たわっています。 」

※ 赤秦(あかはだ)は落下直後に表面が赤かった、との意味でしょうか。


☆ 稲佐の浜から日御碕にかけては、筆投島や礫(つぶて)岩、などの小島が並び、古代の祭祀も行われていました。

日御碕神社と経島と海底遺跡・雄大な神秘がここにある
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fsazanami217.blog.fc2.com%2Fblog-entry-404.html

「 島の下部には、大きな洞窟のようなくぼみが確認できます。そして日御碕神社からは、この島はほぼ夏至の日没の方向に位置しています。
 発想を逆にして見ましょう。
夏至の日没を反対から見ると、ほぼ冬至の日の出の方向です。
座標軸を経島に置くなら、冬至のころの朝日が島の巨大な洞窟に射すことになります。」

※ 坪背山稜線の登山道から南斜面は「宮内」ですが、北斜面の方は外れます。
遺跡も社も磐座も無い所で祭祀を行なう訳ありません。


☆ 島根県立古代出雲歴史博物館がリニューアルオープン  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izm.ed.jp%2F

『青銅器と金色の大刀』のコーナーでは、入り口に「命主社」の勾玉(国宝)と銅戈が!

 「景初三年」銘三角縁神獣鏡(神原神社古墳)(重要文化財)、荒神谷遺跡出土青銅器(国宝)、加茂岩倉遺跡出土銅鐸(国宝)、環頭大刀(かわらけ谷横穴墓出土)(重要文化財)など、このコーナーだけで1時間は過ごせます。

 特徴ある銅鐸の幾つかには、分かり易い解説が附けられています。写真撮影は「フラッシュ」を発光させなければ、撮り放題です。
(コンパクトデジカメの場合、自動発光してしまう場合が有るので、設定を確認。)

★ 行く気に成れば、毎月でも気軽に出雲へ行ける土地に住みながら、一度も目にする事なく、人生を終え様としているのは、馬鹿々々しい限りです。専門家の方々は「自分で行けば良いじゃない。」と相手にしません。机の前で、何時までも嗾けているだけの人の為に、専門家が動いてくれる筈も有りません。


※ 岩屋寺の住職さんや、奥之院で清掃ボランティア活動されている方々へ、由来や伝承の話を直接聞く事もしない人に、発掘許可など出す訳も無いです。


480史実探偵: 平 素人:2020/11/23(月) 06:19:33
Re: 隕石研究会・・・
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-10.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



481史実探偵: 平 素人:2020/11/24(火) 02:19:39
Re: 隕石研究会・・・
https://www.izumo-enmusubi.com/entry/akahada-jinjya/

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



482青面金剛:2020/11/25(水) 06:27:22
Re: 隕石研究会・・・
生贄探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 「すべては没後からはじまる」
> 共立・発信を望みます^^。

★ 共立も発信も、お断りします。平さんのグロい創作は、民俗学のルール違反ですから。それに、平さんの御子さんや御孫さん方にも、平さんが「幼子を生贄とする。」作り話ばかり綴っていた事は、知られない方が好いでしょう。

※ 歴史掲示板の中には、「生贄」や「人身御供」についての書き込みを、禁止している所も有ります。ブーメランの応酬となって、掲示板が荒んだ雰囲気に成ってしまいますから。

〇 平さんの人生と共に、全て消え去った方が、世の為と思います。

483史実探偵: 平 素人:2020/11/25(水) 06:33:33
Re: 隕石研究会・・・
http://sazanami217.blog.fc2.com/blog-entry-404.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



484管理人:2020/11/28(土) 23:09:00
北海道東部の重力異常
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000489M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000489_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000489_3M.png

http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/KOHO/KOHO/backnumber/24/24-1.html

http://



485史実探偵: 平 素人:2020/11/29(日) 09:40:06
Re: 隕石研究会・・・
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000490M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000490_2M.jpg

https://blog.goo.ne.jp/houshizaki/e/e3fdb3134c638b43515b478d82e96b17

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



486青面金剛:2020/12/10(木) 01:17:02
素鵞川
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>「坪背山の古くは「壺背山」とありました。それに「背」とは何を意味するのでしょうか。
>??“雨乞い儀式”があったかと謎解きしていました。
> 雨乞い儀式は各地にあり、
> ふるくは屋島山頂から土器小片(かわらけ)を投げる風習がありました。
> 先さまから「南斜面は宮内」

※ 「壺背山」の山頂から北側は、凹んだ地形で、雨水の流れが集まる壺の役目を生すから。

※ 出雲市内をバスなどで廻れば、斐伊川や神門川の氾濫を予防する為の「放水路」が各所に引かれていることが分かります。降雨の少ない瀬戸内地方とは正反対に、「雨は適度に」の制雨の願いです。

※ 瓦投げは、厄除け・厄払いの為に行うもので、「壺背山」の南側には、因佐神社、奉納山の出雲手斧神社、大穴持御子神社 (三歳社)など、出雲大社の境外摂社が多数鎮座していますので、それらの祭神に向かって「厄」を投げるなど有り得ません。

※「壺背山」山頂から奉納山にかけての稜線の東側は、大社の境内を流れる「素鵞川」に雨水が集まります。
「宮内」には、無届けの不届き者が禁則地に入り込まない様、大社側が監視カメラを多数配置しています。

☆ こちらは、出雲から遠い地に住んで居ますので、出雲へ行くにも、平さんが行く場合の数倍の旅費が掛かります。平さんの思い付きの妄想の為に廻す旅費など有りません。

平さんが、この次に給付金を受け取ったら、直ぐ行けば良いだけの事です。


487史実探偵: 平 素人:2020/12/30(水) 04:31:31
Re: 素鵞川
青面金剛さまへのお返事です。

> 机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。
> ※ 出雲市内をバスなどで廻れば、斐伊川や神門川の氾濫を予防する為の「放水路」が各所に引かれていることが分かります。降雨の少ない瀬戸内地方とは正反対に、「雨は適度に」の制雨の願いです。

 私は、1700年前の気候がどのようであったか分りませんが、出雲の生活圏の中心は松江にあったと見ています。ここには “雨乞山” の地名が残っていますから雨乞いがなかったとは言い切れません。長い歴史のなかには「八大竜王さまこの雨止めさせ給え」の豪雨災害もあったでしょうが 当時の人達の考えは、雨天・干天を仕切るるのは水神竜であり太陽神ではなかったように思います。それを卑弥呼は大彗星のニアミスを境に竜神は太陽神の従神説を唱えそれまでの銅鐸文化を銅鏡文化にかえたのではと以前のべました。前に申し上げたことがありますが歴史を語り合うときは、どの時代のどの地域で、何について語るかの主題を決めてかかるほうが良いと感じています。

> ※ 瓦投げは、厄除け・厄払いの為に行うもので、「壺背山」の南側には、因佐神社、奉納山の出雲手斧神社、大穴持御子神社 (三歳社)など、出雲大社の境外摂社が多数鎮座していますので、それらの祭神に向かって「厄」を投げるなど有り得ません。

「瓦投げ」の件は、わたしは知りません。瓦と破片土器では微妙にその意が変わります。素人が「それと言った」と遺りますと困りますのでねんのため・・(笑い)

卑弥呼の代までは、列島に「国」の概念はなく、むしろ、その社会形態は「政教分離」であったと見ています。「国」の考えは大陸の考えであり、卑弥呼は大陸の考えに傾斜していったのではと思います。当時出雲の住社会の中心は松江にあり「教」の中心は「大社」であったと見ていますが、わたし素人は大社の設営がなぜ今の位置に?が判っていません。

大社は、素鵞川(そが)と、吉野川の清流に挟まれていたのですね。それらの清流にはゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタルと多くのホタルが棲みついているようですが「ヒメ」の名付けが気になります^^!。

大社周辺には色々と摂社があるのですね。私は「なにを奉納したか」と奉納山の名付けに興味があり、そこにある神社名を知りたかったのですが「手斧神社」だったのですね。ありがとう御座いました。この件につきましてはいずれ又・・・、

> 平さんが、この次に給付金を受け取ったら、直ぐ行けば良いだけの事です。

それから、
当方の孫子の代の行く末やら、懐事情まで言及していただいて汗顔のいたりですshanks(^-^!)  ^^

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



488史実探偵: 平 素人:2020/12/31(木) 00:57:35
Re: 北海道東部の重力異常
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000493M.jpg

管理人さまへのお返事です。コメント遅くなって申し訳ありません。

 専門的な分野までもふみこんでおられるのですね^^。
わたしには専門的で重い部分でありますが、かつて釜石馬蹄形を小天体の衝突体だとし、重力異常図に挑戦したことがありましたが求めるような顕著さが見られずそのままになってしまいました・・・

「物質のもつ比抵抗」の件、はじめて知りました^^!。思えば中坊のとき通電の夥多は習っていたのに全く思いつきませんでした(汗〜)>私たち(^^?)の思っている衝突小天体の大きさであれば、核に鉄系金属の保持が考えられ、それが衝突によってどのように変移したり、どのような位置に収まるかは大変興味あるところです。その分布によって重力異常や磁気異常がでるのではと考えていたのですが素人には難しすぎて投げ出していました・・・^^!

「比抵抗」で、地下調査がなされるようにもなっていたのですね。わたしの知る30年前では爆薬による地下地盤の調査でしたから、その調査の一般化には日進月歩の進化があるのですね。私のかかげる釜石小天体もかなりの斜めの進入と考えていますから、管理人さまの上げられている北海道の多くの小天体の衝突も、その境界深度は図からみると5kmより浅いあたりかも知れませんね??。

> 今後は海域を含めた多点で精度の高いデータを取得し,3次元比抵抗構造を求め る努力が必要な時代になってきています

??いずれにしても、その研究所は会社組織のようですから、調査費用がいるのですね。

 ごめんなさい。上げられているご記事・資料のすべては理解できなくて・・・、
次報がたのしみです・・・^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



489青面金剛:2020/12/31(木) 01:08:36
Re: 素鵞川
隠居探偵: 平 素人さんへのお返事です。


 あま=雨=天=海。雨乞山と現在、記してても、元は、天乞山、又は、海乞山と綴った可能性が有ります。
 松江は「水の都」と呼ばれる様に、度々、宍道湖の増水や、意宇川の氾濫に悩まされた歴史を持ちます。
 雨の止むのを祈るのも「雨乞い」の範疇とするならば、そうかも知れません。月や星々の運航を観測したり、天気の好い日は隠岐も見えたと思います。古代の宍道湖は大社の近くまで、広がっていました。

「水の都」松江  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.kankou-matsue.jp%2F

 瓦投げは小さな素焼きの、底の浅い、薄い丸皿を投げるもので、京都の神護寺や琵琶湖の竹生島で投げた事が有ります。
「手斧神社」は、宮大工などの建築関係者、家具職人、木工芸職人、板前さん、水産加工業者、などの技能向上と健康維持、商売繁盛を祈る社です。

 卑弥呼以前に出雲王朝が18代続いた事は、以前に繰り返し説明しました。時間をおいて同じ質問を繰り返し続けるのはマナー違反です。
 近場に住みながら、現地に行きもせず、遠方の側に、思い付きの質問の乱発を、吹っ掛け続けるのも、マナー違反です。

 つぶて島、筆投げ島、古代の宍道湖の範囲、などは、自分で検索して調べて下さい。
平さんが出雲に行くまで、出雲に関する質問は、暫らく「お預け」とさせて頂きます。

 そんなに出雲に興味が有るなら、大元出版の本を読めば好い事です。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.oomoto.net%2Findex.htm

新刊出ました。『上宮太子と法隆寺-伝承の日本史- 』斎木雲州 著 A5版 222ページ 定価 2778円税別 ISBN4-901596-20-6






490管理人:2020/12/04(金) 23:20:04
Re: 北海道東部の重力異常
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメント遅くなって申し訳ありません。
>

> 「物質のもつ比抵抗」の件、はじめて知りました^^!。思えば中坊のとき通電の夥多は習っていたのに全く思いつきませんでした(汗〜)>私たち(^^?)の思っている衝突小天体の大きさであれば、核に鉄系金属の保持が考えられ、それが衝突によってどのように変移したり、どのような位置に収まるかは大変興味あるところです。その分布によって重力異常や磁気異常がでるのではと考えていたのですが素人には難しすぎて投げ出していました・・・^^!
>

お返事ありがとうございます。そうですね、通常は大気圏でほとんど溶けてしまうようですが、巨大なものだと、地中深く潜り込む可能性がある、、ここで平さんお得意の衝突後のシュミレーション仮説が役にたつかもしれません。



> 「比抵抗」で、地下調査がなされるようにもなっていたのですね。わたしの知る30年前では爆薬による地下地盤の調査でしたから、その調査の一般化には日進月歩の進化があるのですね。私のかかげる釜石小天体もかなりの斜めの進入と考えていますから、管理人さまの上げられている北海道の多くの小天体の衝突も、その境界深度は図からみると5kmより浅いあたりかも知れませんね??。
>
> > 今後は海域を含めた多点で精度の高いデータを取得し,3次元比抵抗構造を求め る努力が必要な時代になってきています
>

比抵抗の件は興味深く感じてます。真上からではなさそうですね。斜めだとするとひきづったあともみえるはずですし、衝突角を逆算してみましょうか!




491管理人:2020/12/04(金) 23:25:25
Re: 素鵞川
青面金剛さんへのお返事です。


>  瓦投げは小さな素焼きの、底の浅い、薄い丸皿を投げるもので、京都の神護寺や琵琶湖の竹生島で投げた事が有ります。
> 「手斧神社」は、宮大工などの建築関係者、家具職人、木工芸職人、板前さん、水産加工業者、などの技能向上と健康維持、商売繁盛を祈る社です。
>
>  卑弥呼以前に出雲王朝が18代続いた事は、以前に繰り返し説明しました。
>

青面さん、お知らせありがとうございます!

瓦投げ、初見ですが、興味深いですね。
出雲王朝も、気になるところです!出雲方面の銅鐸と、吉野ケ里遺跡の銅鐸の鋳型が同型というところからみて、弥生時代の出雲と北九州との深いつながりを感じてます。

492史実探偵: 平 素人:2020/12/05(土) 03:44:59
Re: 北海道東部の重力異常
管理人さまへのお返事です。 コメントありがとうございます。

> 比抵抗の件は興味深く感じてます。真上からではなさそうですね。斜めだとするとひきづったあともみえるはずですし、衝突角を逆算してみましょうか!

「比抵抗」で、その小天体の衝突地形や“深度”が分れば、衝突塊の総量がわかり、それを丸めれば衝突前の天体の直径も推定できます。それは、科学的な言及へより一歩進むことになりますよね^^。自分には、それができていません^^!

その衝突塊を丸めると、管理人さまが上げられている北海道の多くの候補地や、わたしの掲げている「釜石馬蹄形」もですが、その衝突前の直径が Φ1kmを越すと人類が生き残れていないと いわれている科学の常識^^?を 超えた大きなサイズになると思われるのですが・・・、(わたし素人はその論におおきな異議をもっています) 無論、その衝突が人類の発生とされる 500万年以前であれば別問題となります。

 すでに衝突痕と国際的に認定されているものは別として、新しく「衝突痕」と認定されるには、その認定機関がカナダにあると。岩淵先生から聞いています。それと認定されるには、まずは理解・興味をえて、その人たちを招へいし、その認定を受けなければなりません。その可否はともかく、それにかかる費用はペーパー1枚まで依頼者側持ちのようです^^!。日本で衝突痕と認定されているモノはまだまだ少ないとも聞きます。その前に国内の火口論者の反論も聞かねばならず、・・・このさき長いように感じます・・・(アセアセ^^!)

>「衝突角を逆算してみましょうか!」

 数学計算は、先様のお手のモノ^^。衝突角はもとより、エネルギー総量、スピード(km/S)、温度等々、いろいろありますね。ただ4000年前の竜飛崎や、出雲→速玉ラインを飛んだ巨塊が(朱色)赤かったと祖先は遺していますから、その芯の温度は別として表面温度は7・800℃かなと思っています。このてんから、色々に衝突前の巨大隕石の動画に描かれている姿には大きな疑義をもっています^^。ただし、その小天体が惑星軌道をもっていて太陽直近(ケプラーの法則)の通過の前後であれば別の問題が生じます。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



493管理人:2020/12/09(水) 23:55:20
Re: 北海道東部の重力異常
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> その衝突塊を丸めると、管理人さまが上げられている北海道の多くの候補地や、わたしの掲げている「釜石馬蹄形」もですが、その衝突前の直径が Φ1kmを越すと人類が生き残れていないと いわれている科学の常識^^?を 超えた大きなサイズになると思われるのですが・・・、(わたし素人はその論におおきな異議をもっています) 無論、その衝突が人類の発生とされる 500万年以前であれば別問題となります。
>
>  すでに衝突痕と国際的に認定されているものは別として、新しく「衝突痕」と認定されるには、その認定機関がカナダにあると。岩淵先生から聞いています。それと認定されるには、まずは理解・興味をえて、その人たちを招へいし、その認定を受けなければなりません。その可否はともかく、それにかかる費用はペーパー1枚まで依頼者側持ちのようです^^!。日本で衝突痕と認定されているモノはまだまだ少ないとも聞きます。その前に国内の火口論者の反論も聞かねばならず、・・・このさき長いように感じます・・・(アセアセ^^!)
>

お返事ありがとうございます。
認定機関がカナダにあるんですね!英訳しないといけないかな・・・。



> >「衝突角を逆算してみましょうか!」
>
>  数学計算は、先様のお手のモノ^^。衝突角はもとより、エネルギー総量、スピード(km/S)、温度等々、いろいろありますね。ただ4000年前の竜飛崎や、出雲→速玉ラインを飛んだ巨塊が(朱色)赤かったと祖先は遺していますから、その芯の温度は別として表面温度は7・800℃かなと思っています。このてんから、色々に衝突前の巨大隕石の動画に描かれている姿には大きな疑義をもっています^^。ただし、その小天体が惑星軌道をもっていて太陽直近(ケプラーの法則)の通過の前後であれば別の問題が生じます。


複雑な計算をするには、やはり機関に任せるしかないですかね・・・。
我々の発見を理解してくれる理系のお友達を探しましょう・・・!

494史実探偵: 平 素人:2020/12/10(木) 10:07:54
Re: 北海道東部の重力異常
https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/3274

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



495管理人:2020/12/20(日) 01:33:19
地球球面と図法
平さん、お知らせありがとうございます!
またぜひ岩淵先生ともお会いして、お話したいですね。

古代史掲示板で、図法の件で投稿してみました。隕石の落下ルート解明の件でも役立つかもしれません・・。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F11145

496史実探偵: 平 素人:2020/12/20(日) 07:45:56
Re: 地球球面と図法
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000501M.jpg

管理人さま、コメントありがとう御座います^^。
 ご多忙のよし、なによりです。

<鹿島・浅間・伊勢・>ラインを再考されているのですね。

わたしは、先様方が掲げておられる<ライン>が、恥ずかしながらよく分っていません^^!。

土地の私有化が定まっていない古代に(縄文弥生代〜)、何故「その地、その場所」と定めて "聖地”とするには、何かの由・わけがなければなりません。

その始まり(発端)は、いつ(頃)で、だれ(人間)が、なんで、その場所(聖地と)定めたのか??
歴史を識らない中坊ですが、挑戦してみます(汗〜^^!)

> 古代史掲示板で、図法の件で投稿してみました。隕石の落下ルート解明の件でも役立つかもしれません・・。

 ええ、私は上記の考方法で四千年前の東北に降臨した巨大隕石の軌道を割り出しましたよ^^。地球表面、丸平(まるべた^^)その地を聖地と定めたには大自然への驚愕があった!
イースター島(モアイ)→ナスカ(地上絵)→ドーバー海峡(ストーンヘンジ&カルナック列石)→東北地方・大湯(忍路・竜飛崎・大槌)これ等は、地球儀表面で ”一直線上” にあります!!!

 コロナ禍の拡大、心配ですね・・・、どうぞお気をつけて・・・

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497史実探偵: 平 素人:2020/12/30(水) 08:27:55
北極の小さな島で最後のマンモスが
https://www.businessinsider.jp/post-200261

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498管理人:2021/01/11(月) 03:22:07
今年もよろしくお願いします。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000503M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000503_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000503_3M.png

平さん、青面さん、みなさん、あけましておめでとうございます。昨年も大変お世話になりました。
今年もよろしくお願いします!

マンモスの絶滅年代、気になるところですね。
あれだけの寒冷適応した生き物が死ぬんですから・;・・、単に人間が狩猟をしすぎただけが原因なのか、考えさせられますね。

地球球面による落下方向(クレーター列)のゆがみの件は、どう地図上に現れていくか、シュミレートする必要があるかもしれません・・・・

つまり、隕石が落下していくルートは、23・4度の東北方面へと向かっていったとしても、正距方位図法における東北方面へと向かうはずなので、これをメルカトル図法の地図でそのルートを表現すると、やや北に湾曲したルートになるでしょう。

そうすると、メルカトル図法において、先日しめした図1の隕石落下ルート(クレーター列)のラインも、やや北に湾曲したラインにならなければならないのかな・・・と感じるわけです。

イメージ図も添付しますね。図2のオレンジラインが、その歪みを示した部分です。

図3が先日お知らせした畿内七道ラインの落下予想ルート(石見銀山⇔小豆島⇔熊野大社)ですが、このようにグーグルマップで2つの図法で作成して重ね合わせてみると、片方のルートが湾曲しているのがわかります。このズレを計算にいれて、落下ルートつまりクレーターの中心地点があるべき位置を推測する必要があるわけです・・・。




499管理人:2021/01/03(日) 21:10:44
隕石落下角
興味深い記事がありました。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Farticles%2Fdd570c3766be22a5891c0430c42fe8ff91162359

500史実探偵: 平 素人:2021/01/05(火) 00:21:05
Re: 今年もよろしくお願いします。
管理人さま、皆さま> あけましておめでとうございます。
 昨年は大変お世話になりました。
コロナ禍が早くにおさまり、本年も皆さまにとってお健やかな年になりますように^^。

> マンモスの絶滅年代、気になるところですね。
> あれだけの寒冷適応した生き物が死ぬんですから・;・・、単に人間が狩猟をしすぎただけが原因なのか、考えさせられますね。

 マンモスの絶滅は40余年ほど前でしたか「人類の狩りのため」と教えられ、ソ連からの展示場で見た記憶があります。それには、マンモスの牙をドーム状に組み合わせ住居とした絵もありましたから人類の大なる影響が思われます。その後、子どもの凍結体や、細胞肉や毛やらも見つかってきました。これ等は温暖化で永久凍土が溶け表土近くになったからでしょうか。この度の情報では、「北極の閉じられた小さな島」という特殊な条件があります。それと、「4000年程前の石器時代に!」と「急速に」というワードがとても引っかかります・・・^^?

 情報では、雪の上にいく度かの雨がふり「表土の氷結による食料不足か?」と結んでおられます。実際には、それで千頭単位でトナカイやら、ジャコウウシが死んだ歴史もあるとか。ですが、マンモスはそれ等と異なり巨大な牙と強力な鼻とがあります。アフリカ象ですが、大きな木を押し倒し牙と鼻で枝を折り、その葉を食んでいる映像を見たことがあります。それを考えると雨による表土の氷結説にも幾何かの疑問がのこります・・・、 時もおり、列島では一晩のうち1m〜2mの豪雪がありました・・・

> 地球球面による落下方向(クレーター列)のゆがみの件は、どう地図上に現れていくか、シュミレートする必要があるかもしれません・・・・
> つまり、隕石が落下していくルートは、23・4度の東北方面へと向かっていったとしても、正距方位図法における東北方面へと向かうはずなので、これをメルカトル図法の地図でそのルートを表現すると、やや北に湾曲したルートになるでしょう。
> そうすると、メルカトル図法において、云々・・・・・・、

 先さまは、メルカトール図法を組み合わせて、より詳しく軌道や角度を求めようとなさっておられるのですね^^! その方面はとても苦手です。それに、国土地理院では60年に?一度だったかな経度修正をしてたかな・それに、以前に先さまがあげられた歳差運動やら、何やらの周期を考えあわせると、万年単位の昔になるとお手上げです・・・^^!

<石見銀山 ? 小豆島 ? 熊野>ラインについて、
 このラインについては、わたしもとても興味があります。先さまやキシ先生も?云われていたのかな? この方は、AD560年ごろ(正確に覚えていなくてゴメンナサイ)だから、より追求可能かと思います。岩淵先生も石見銀山に興味を持たれ訪問もなされていました。・・・
わたしの方は、それを少し修正した<出雲市→淡路島→熊野灘>かな?とも思っています。理由として出雲に<石飛>の地名があります。それと神話にイノシシやら、赤ムゲもあることから「出雲大社の御神体は、イノシシ大の隕石塊か?」とお話したことがありました(sigechan izumo氏に)。小豆島も捨てがたいですが淡路島には多数の銅鐸の発見がありました。それというと熊野方面に銅鐸の出土があればいいのですが??(汗〜^^)私は、特に祖先が残した<地名>に注目してきました。これを少しさかのぼりますが、<淡路とか鳴門>とかは、4000年前の祖先が遭遇した東北発の巨大津波を云っている<地名>だとしています。<多度津>もありますしね^^。
このように、その時の言葉や表現は、ともかく、その驚愕を何かに残し記録しておきたいと思うのは当然の事かと思います。そのデブリ(分散塊)を落としながら熊野灘沖に核が落下したかの思いがありますが、まだまだ考えが至ってはおりません^^!。

<管理人さまは>、朝鮮半島の歴史にも詳しいお方^^。このラインの延長上にそのようなイワレや地名があるといいですね。半島の石の上に巨石を載せるお墓の形は「空を飛ぶ巨塊」を模したものかとも思っています・・・半島には「東方神起」もありますしね^^!。

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501史実探偵: 平 素人:2021/01/05(火) 02:49:33
Re: 隕石落下角
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd570c3766be22a5891c0430c42fe8ff91162359

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502史実探偵: 平 素人:2021/01/27(水) 00:37:11
独論:6,500万年前の恐竜大絶滅は南極大陸が衝突惑星だった!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000507M.jpg

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503史実探偵: 平 素人:2021/01/28(木) 06:25:22
Re: 独論: 6,500万年前の恐竜大絶滅
     拙:絶版報告書『巨大隕石と大津波』より、
4 南極大陸が衝突大惑星だったら何が起きるか?

?地震と高熱が発生する。
?岩石を含む、大津波(大泥流)が発生する。
?地殻、地表がひび割れる。
?マグマを噴き上げ、火山活動が活発になる。
?粉塵や噴煙が、天を覆い隠す。
?水蒸気を舞い上げ、雷、大雨、大洪水が発生する。
?一時期を過ぎると気温が下がり、氷河紀へと向かう。
?その他の、あらゆる転変地変が起こる。

 その壮絶な光景、壮絶というには余りにもおぞましい状態を想像すると。
当時は無季節で温暖な気候が続いていた。巨大化した恐竜や、シダ類をはじめとする大植物が生い茂り、海には魚類や珊瑚たちが時代を謳歌していた。繁栄の後には終焉、終焉の後には新時代がくるのを誰が知る。安息の夜空に一つの点が現れた。天地は徐々に異常を訴えたが恐竜たちは知るよしもなかった。その不気味な存在は何を意味するのか。しだいに地球に近づいている。このまま進めば地球軌道と交わりそうだ。予兆が始まった。地球は恐れ慄いて震えだした。その巨大な塊は極点に狙いを定めていた。冷たくて白いもので覆われた南極を狙っていたのだ。

 閃光が走り、号砲が成った。あらゆるものが破壊され、あらゆるものが飛び散った。海水はクラウンとなり静止した。次の瞬間、泥海水は狂ったように走り出した。極部で、数千m は越したであろうか。否、それ以上だったかも知れない。・・・・・・

   前記事の<大津波の地球図−1993.9.23>へつづきます・・・^^!

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504史実探偵: 平 素人:2021/01/29(金) 08:18:22
Re: 独論: 6,500万年前の恐竜大絶滅
前記事[507]の<大津波の図−1993.9.23>の説明(カッコ内は補足です)
 この図には、小さくて見ずらいと思いますが矢印の元あたりに番号をふっています。

    拙:絶版報告書『巨大隕石と大津波』より、

 巨大津波の?は、南米大陸とアフリカ大陸の間の大西洋を小溝のごとく駆け抜けて、北極海へ向かった。(津波と直角にあたるギアナ湾沿岸は、陸地内ではありますがリアス式沿岸に似た様相を示し、その時噴出したアイスランドの南岸は単調であり北岸は流された形をしています。アイスランドに6,500万年前より前の地層はない。面白いことに、こういった地殻を貫入(噴出)した岩体には、その噴出分を補うように凹むことがあり、それが小さくではありますが南東沿岸の海底あたりに見受けられます^^!)

?の南米のブラジル高原を削り取った大泥流の一端は、メキシコ湾に流れ込み北米東部を駆け抜けた。(この赤道越えの北緯17°〜30°あたりはサハラでも前述しましたが津波の力が弱まる所であり、メキシコ湾の海底は堆積土が厚くあることで知られています。近くのバーミューダ海域では砂と共に埋没した陸上物が腐泥しガスを発することがあると謎解きしましたよ。)

?の東太平洋を駆けた大津波は、北米大陸に突き当り、駆け昇った。(ロッキーとフロリダのハの字地形を津波が通り過ぎるとき流れが集まるので表土を削り低湿地帯になると前述しました。ミシシッピー州あたり。)

?のオーストラリア大陸をひと舐めにした怒とうの大津波は、バンダ海に渦をつくりながら東アジア大陸に乗り上げた。(このバンダ海の巨大な渦巻き地形は是非に観て欲しいのですが、その渦巻きにより清水域が出来て深海で棲息していたシーラカンスが生き延びたとしました。類似に、マダカスカル・コモロ海域。ちなみに水深150(160)m以下では津波の影響が小さいとの論説がありました。)

?の東インド洋のものは、オーストラリア大陸のものと一緒になり、タリム、チベットへ溜まりこんだ。(「津波、川を上る」。チベットに塩水湖あり。)

?の西インド洋のものは、マダガスカル北に渦を作りながら、イラン高原という跳び箱に駆け上がり、乗り越えた。(魚たちは中東で今に石油となり、カスピ海南岸のエルブールズ山脈を飛び越えた巨大津波は、そこに滝つぼウオーターホールを作っている。)

そして ?のアフリカ南部を削り取った大泥流は、(前述の)サハラ砂漠を造り、地中海に流れ込んだ。

??大運動会が終わった。地球上の全てを北へ押し流した。山岳や大地や緑を、そして我らが愛する大恐竜をも呑み込んで。海水は引き戻しの余波を残しながらも、平静になるかにみえた。が?? 今度は、地球自身に変化が起きていた。・・・・つづく^^、



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505史実探偵: 平 素人:2021/01/30(土) 02:53:15
Re: 独論:6,500万年前の恐竜大絶滅は南極大陸が衝突惑星だった!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000510M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000510_2M.jpg

https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/72_02_04.pdf

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



506史実探偵: 平 素人:2021/03/03(水) 06:55:34
巨大津波:タリム盆地に入り込んだタクラマカン砂漠!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000511M.jpg

 <タクラマカン砂漠一帯に、残っている筈のない巨大津波の流紋痕が !! >
   特に、写真矢印の左側下方あたりに、その 流痕跡 が認められます。

6,500万年前、月に匹敵する惑星が南極に衝突し南極大陸となった!! このとき発生した巨大津波は、地球の90%以上をカバーし、驚くなかれタリム盆地に入り込みタクラマカン砂漠となっていた。その「残っている筈のない津波の流紋痕」が、この一帯に、じつに克明に残っている。→それを Google Earth で確認できます^^。

 先端科学は日進月歩書き改められている。このようなビッグイベントは、現存の科学的概念を刷り込まれていると天動説中の地動説のように拒否反応が働き現実を受け入れることが出来ない。(ちょっと言葉がすぎましたかぁ(^-^!)? わたしの場合は、その学識がないことが幸いしてます^^!)
私たちは、そのことを “信じる” のではなくて、そのことに “気付くこと” が大切だ。「信」の字は人が言うと書く。人が言うことほど 'アテ’ にならないことはないからね(笑)。引き続きのゲーム感覚で楽しんで頂ければ幸いです。・・・つづく ^^! ・・・
   ↓ Welcome to my Big Game^^.

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-15.html



507史実探偵: 平 素人:2021/02/09(火) 19:10:10
南極大陸は6,500万年前の衝突惑星だ! -7
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000512M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-64.html



508史実探偵: 平 素人:2021/02/11(木) 05:43:43
Re: 南極大陸は6,500万年前の衝突惑星だ! -7
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000513M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-64.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



509史実探偵: 平 素人:2021/02/12(金) 18:34:41
Re: 南極大陸は6,500万年前の衝突惑星だ! -7
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000514M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-64.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



510史実探偵: 平 素人:2021/02/14(日) 02:23:17
New discovery of lava meteorite!!「ツインズ熔岩隕石」Collision scar Φ400m
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000515M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000515_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000515_3M.jpg

What is this trace? I ask you.

   “Twin's Lava Meteorite Scars”  East side of Takla Makan Das. Qinghai,China
 その『ツインズ熔岩隕石;仮称』の位置は;中国青海省ゴビ砂漠西部の辺りにあります。
     北緯38度22分30秒、東経90度34分52秒 (N38°22′30″ E90°34′52″)
     標高(Elevation) ;  (3,016 m)
 その大きさ(Size) ; 中心部(Central)に、ほぼ (Φ100m x2)の円形が二つ並んでいます。
       (放射状の衝突痕のサイズは、 直径約 (Φ400m x2)が二つ重なっています)
 その深さは(Depth) ;  約(d.10m)です。

   Yahoo!地図(1図)でも、移動すれば発見けることが出来るかも知れません^^。
     衝突痕の下側にある二つの濁流痕 (Muddy stream marks x2) にも注意して下さい。

Just now,(Sept.02,2013)??I discovered secondary astrobleme of the iron pawn which collided in the western part of Gobi 65 million years ago. I call it an “Twin's lava meteorite” tentatively. The Antarctic Continent where I press-agent the first collision planet from 30 years ago is a huge meteorite of 65 million years ago.
I announcing it the Antarctic Continent size meteorite as big game 1&2 of my blog. The trace of the 90% huge Tsunami which covered the surface of the earth of 65 million years while is long, I am amazed to know that stay in the desert. If the Tsunami trace is left for a long time; the; while was long, there should have been the fall of other meteorites by all means. The secondary lava meteorite trace was caught in it when I looked for Gobi area using Google earth. It is the next photograph.
 You attention to the two muddy-stream traces on the side.

     http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-68.html
       誰でも<Google earth>で隕石痕を発見けることが出来る。
     http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-69.html
       誰でも「隕石痕」の発見が出来る!,の続き

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



511管理人:2021/02/20(土) 01:09:48
超古代文明について
興味深い動画ありました
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DK5vT4gmtjuM

512史実探偵: 平 素人:2021/02/20(土) 06:58:51
Re: 超古代文明について
https://www.youtube.com/watch?v=K5vT4gmtjuM

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



513史実探偵: 平 素人:2021/03/07(日) 05:18:55
Re: 新発見!!「ツインズ熔岩隕石痕」Φ400m周辺
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000518M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000518_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000518_3M.jpg

https://www.wikiwand.com/zh-tw/花土沟?

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



514史実探偵: 平 素人:2021/03/09(火) 01:43:40
巨大隕石痕Φ400mを新発見!! 中国青海省 in Yahoo!地図で!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000519M.jpg

What is this trace(ツインズ熔岩隕石痕)? I ask you. (↑写真はGoogle Earth)

> Yahoo!地図で、日本から移動しても見つかるのかな^^???
  Yahoo!地図(の航空写真)でも見つけることが出来ましたよ^-^♪。
    貴方も、この<衝突痕>を世界へ発表して鼻高さん^^になりませんか^^?

Yahoo!地図でも発見けられるということは、PC,やっている人なら、その気になれば^^誰でも見つけることが出来るということですよね。以前に、この記事をnature>や、その他の機関に、この報告書を送ったことは、この掲示板でも申し上げました。nature>を除いてすべてが無しのツブテ^^!でした。世界中で誰もが相手にしてくれません。だから鼻高さんになれるのです♪。世界中で貴方さましか、この衝突痕の重要性に気付いていないのです。この痕跡が火山口か隕石の衝突由来かは全く別にしても、この地形が『衝突痕』であることは、万人が否定できません!!!

この衝突痕には、次のような<特異性>があります。
?約Φ400mの、そこだけが赤色化している。Yahoo!,Google Earthで誰もが発見できる。
?周りの状況や地勢からして火山性の原因とは考えられない。
?中心部に直径100mの凹地が二つ並んでいる。
?そして、その凹地を中心にして放物線条痕が、北東方向に二つ重なっている。
?中心部の凹地二つの底が、シャーレー状約10m深さで、ほぼ平になっている。
筆者は、その痕跡がロート状ではなく際立ったリムがないことから柔らかい(熔岩性)物体が衝突したとしました。
?世界中で(私を除いて)誰もが発表していない!?

 < あなたも鼻高さんになって、>
この痕跡の希少性と重要性を世界に広げていきませんかぁ?? わたし素人は、この記事に限っていえば、著作権等の問題に関して、まったく意に介しません。(但し、写真は自己責任で!) この記事の、助詞のひとつ!  語句のひとつを変えて発表しさえして下されば、もはや、その報告書は、皆で共有できます !!!。 □

<その衝突痕の見つけ方^^>
?Yahoo!地図・航空図をクリックして、アジア大陸に縮小して、タクラマカン砂漠の東部あたりにカーソルをもっていく。
?そこを少し拡大すれば、筆者がコモドドラゴン形に似ているとした〇〇湖を中心にして三つの湖が/状に並んでいます。
?その、いちばん右の笑い目状をしたGas Hu(ガス湖)は、小さいので少し拡大したほうが良いかも知れません。
?さらに拡大していくと、ガス湖の近くに茫崖(ぼうがい)の地名が出ます。続けて花土溝 鎮(町)も出てきます。
?そこから大きく拡大していくと、西北西に延びる丘陵地がありますから、その <約27km>先 に求める <衝突痕> が現れてきます。・・・どうでしたか?  Google Earthより、すこしぼんやりとした色のようですが^^!。□ 見つかったら、この掲示板でも知らせて下さいネ^^。

<これより以下は、素人探偵の独論です^^!!>
 この写真の下半分に5〜6の扇状痕がみえます。扇状地の成因は多量の水泥が一気に開ける地形に出たとき出来るのですが、このあたり一帯にも多くの扇状痕跡があります。それも捜して下されば幸いです。
 筆者は、この成因を『川が無いのに扇状地!』とし、例として、岩手県の胆沢扇状地をあげています。この地形の成因は、連なる平たん斜面にたいして直角に大津波が上り、下りおりる時、より低い所に集まり溝を深く削りながら、その麓へ濁泥土を扇状形に置いたと解しています。このように上流に「川が無いのに扇状地」が出来る地形は、経年で出来る扇状地と異なり津波のような短時で大量の水泥がないと出来ません。日本の祖先はその津波のことを<篠津>篠垂れ状態であったとか<垂水区>水垂れであったとかの地名として遺しています。貴方さまに問います。それ等の地形の上流に、その扇状痕をつくるだけの降水域と土量が認められますかと!!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-200810.html



515史実探偵: 平 素人:2021/04/19(月) 06:00:03
中国青海省 新發現的巨大隕石碰撞軌跡Φ400m在Yahoo! Map & Google Earth上
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000521M.jpg

   (↑照片是Google Earth)

在Yahoo! Map和Google Earth 新發現的巨大碰撞軌跡Φ400m!
 目前:中國青海省茫崖市花土沟鎮 西北約27公里(315国道)
 (当前是2021年4月19日)世界沒有人認識嗎?

您是否要找到此<碰撞標記>並將其發布給全世界^-^? 為了學術進和旅遊促進
這是什麼痕跡?(臨時名稱:Twins熔岩隕石標記)我想知道細節 □


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-69.html



516管理人:2021/05/29(土) 17:06:26
お知らせありがとうございました。
平さん、ご無沙してます。岩淵先生の訃報のお知らせありがとうございました。

私もショックで言葉が出ない感じです・・・・、生きておられるうちに一度お会いしたかったのですが、残念です・・。コロナ禍、体調不良で、なかなか遠出できないまま、時間が過ぎてしまってますが、また平さんとも、お会いできること期待してます。札幌に来られることがございましたら、一声かけてください・・・。

517史実探偵: 平 素人:2021/05/30(日) 07:18:35
Re: お知らせありがとうございました。
http://www.tankonews.jp/modules/bulletin1/index.php?page=article&amp;;storyid=429

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-200810.html



518青面金剛:2021/09/06(月) 06:12:01
後南朝正統天皇家御所と三種の神器
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000524M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000524_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000524_3M.jpg

https://gyokuzan.typepad.jp/blog/2019/09/後南朝.html



519青面金剛:2021/09/07(火) 18:57:59
三休み山から真東へ連なる神社群
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000526M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000526_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000526_3M.jpg

https://www.jinja-net.jp/jinjacho-okayama2/jsearch3okayama.php?jinjya=6693



520ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/08(水) 02:33:49
Re: 後南朝正統天皇家御所と三種の神器
青面金剛さんへのお返事です。

> ※ 古代史掲示板では、直ぐに多コメントで、下げられてしまうので、こちらに『保存版』として、再投稿させて頂きます。
>

おつかれw

> ※ この記事への返信の際の、引用文は、必要最小限に短縮される事を、厳守される様、希望します。直前ならば、引用文は不要です。
>

ごもっとも!
だが、守るやつはいないw

521ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/08(水) 03:31:36
Re: 中国青海省 新發現的巨大隕石碰撞軌跡Φ400m在Yahoo! Map & Google Earth上
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。


あ、青海省関連掲示板はコチラですか?



> ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツさまへのお返事です。
>
> > 史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。
> > 史実探偵: 平素人さんもおるのか。平素人には何を教えてあげよう?
> > じゃあ、私の「DNAクラン」が韓国に見付かったことをお話してあげようか。
> >
>
> 初めまして・でもでもないような気がいたしますが、素人探偵の邪推とお捨ておきください~~!。
> 先に<オンリイ-2>の岩淵先生をなくしましが、わたしのような現学にない暴論奇論にかかわって下さる方は30数年来、世界で片手指数に満ちません^^! 思いもよらない貴方さまからの御教示ありがとうございます。ですが,中二症(×病^^)程度の学識の素人には、先様方のようなレベルの高い投稿には「にゃんこに小判^^!」です。それがこの掲示板へ投稿できない理由のひとつです^^!。
>
>  この掲示板でも、かつて理系に興味をもっておられた方がおられますよね。現在の先様は中国で厚遇されているごようす喜ばしいかぎりです^^。中国は50年、100年先を見据えての政治が行われる国。産業科学の先導は兵器開発ときいたことがあります。未来にDNA工学が対象相手をやっつける為に使われはしないかと危惧するのはわたしだけではないと思います。
>
>   渡来人研究とはまったく別の話^^?になりますが。
>   中国の人脈をお持ちの先様に提案があります。
> 『巨大津波と大隕石→隕石の冬(1〜2年のうちに半球で平均気温 10℃以上の降下→民族の移動)』を唱えている素人探偵ですが。Google earthで青海省のあたりの巨大津波の痕跡を調べているときに下記のようなΦ400mの隕石痕が見つかりました。拙文ですが国内はもとより米、英国。最近では中国科学院と隕石調査の〇先生にも送りましたが、natureで「他紙で取り上げられる予感」が唯一の返信(笑い)。こんなに分りやすく、しかもGoogle EarthやYahoo!地図で誰もが見つけることができる<衝突痕跡>なのに誰も相手にしない^^!。 逆にいえば「相手にされないほどの希少性あり」・・これから先は先様でどうぞ、いきぬきに^^?・・・(笑い)。
>
> 古代科学史掲示板
> [521] 中国青海省 新發現的巨大隕石?撞軌跡Φ400m在Yahoo! Map &; Google Earth上
> 投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2021年 4月19日(月)06時00分3秒
>
>    (↑照片是Google Earth)
>
> 在Yahoo! Map和Google Earth 新發現的巨大?撞軌跡Φ400m!
>  目前:中國青海省茫崖市花土?鎮 西北約27公里(315国道)
>  (当前是2021年4月19日)世界沒有人認識??
>
> ?是否要找到此<!--?撞標記-->並將其發布給全世界^-^? 為了學術進和旅遊促進
> 這是什麼痕跡?(臨時名稱:Twins熔岩隕石標記)我想知道細節 □

522史実探偵: 平 素人:2021/09/08(水) 05:45:55
Re: 中国青海省 新發現的巨大隕石碰撞軌跡Φ400m在Yahoo! Map & Google Earth上
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000529M.jpg

ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツさんへのお返事です。


> あ、青海省関連掲示板はコチラですか?

ええ、こちらです^^。この掲示板は、渡来人研究の「歴史掲示板」の管理人さまが設えて下さった掲示板で上部で繋がっていますが、一日の閲覧者数がかたや40~200に対し、こちらは2~3なのでご注意を^^!。青海省・隕石衝突痕関係は[518]あたりに投稿しています。

> > ワタクシも、世界中の人々が系統DNA解析で再認識している、国境や民族を超えた繋がりの輪に、島国出のハンデがありながらもやっと入り込めたという感じです。セーフ!w

・ですよね^^!。日本の報道でもアメリカのは、すぐ入ってくるのに青海省の"隕石雨"はどこに・・・^^!。学問に国境はないはずなのにねえ。さらに、このジャンルの関心度は極少(^^)。本業は本業として、たまには少年心(こどもごころ)にかえって遊んでみませんか^^?

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-1.html



523青面金剛:2021/09/08(水) 07:57:23
速玉大剣(はやたまおおつるぎ)の眠る里
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000530M.jpg

https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/19579/



524史実探偵: 平 素人:2021/09/08(水) 08:37:03
竜は隕石 竜は神!
それを竜と呼んだら伝説で、巨大隕石と言ったら科学ですか。それが科学ならナンセンス^^。竜画は四千年前、東北に光臨した巨大隕石をそれと聞き及び大陸人が<モンタージュ>し逆輸入したものだ。(平 素人)

 青面金剛さまへのお返事です。

> 三休み山(宮住)の周辺にも、古代『大倭(おおやまと)』の秘宝が、眠っているのでは、 無いかと考えます。

三休み山は、(宮住)なのでしょうね。賛同します^^。そして、二上(ふたかみ)山もあるのですね。ますます「ひと山越えてえ 二山越えて 三山のまえでぇ」 さらに(みやま・深山・美山・海山・宮間・御山・宮山)と重ねると、祖先の考えた歴史が見えるような気がします。そこに封印されているであろうお宝が発見かるといいですね^^。

 このように民話伝承や、現在の私たちが成している慣習から史実を探るのが素人探偵のやり方です。

さらに、「大鯰・おおなまず」は、中国では「鯷・大鮎?」と書くそうですね。中国では大地震の予兆が自然界の生物(鳥・犬・魚・等)に現れるとして、大震災後の日本に、その共同研究をもちかけたが日本は、それを断った。(笑い) 古来中国ではナマズを飼って地震予知を占っていた^^?。

徐福の一回目の東海出航は<秋の収穫>を済ませた台風時期(大鯨)に重なり大破した。始皇帝は、東海の荒神(地震の巣→大津波と台風)なにするものぞ! それを恐れていては民に示しがつかないとして、徐福に二回目を・・・、

 さきに千年前の大津波の跡が千葉県の浜でその痕跡ありとのニュースがありました。太平洋プレートの潜り込みストレスの解消は、約千年おきにあるのでしょうか。なかでも一番おおきなものは、当方と故岩淵先生が提唱する四千年前の東北に降臨した巨大隕石を引き金として、列島のすべての<ストレス>を解消するものでした。岩淵先生は、そのときの巨大津波で良渚文明が滅んだとされています。朝鮮半島にも津に関係する地名がありますよね・・・。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-1.html



525史実探偵: 平 素人:2021/09/09(木) 01:13:20
Re: 竜は隕石 竜は神!
青面金剛さまへのお返事です。

詳細な情報ありがとうございます。しかしながら、そのすべてを消化しきれない自分があります^^!

流星刀のお話おもしろく伺います。わたしも、<速玉→鉄隕石→隕鉄刀剣>の思いがあります。掲示板のどこやらにその投稿をしたことがありますが^^!、星屑が集積し惑星へと肥大してゆく過程で、重いものから順番に中心域へと沈みこむのが順当ですが、鉄はアルミに次いで存在量が多いのでいちはやく中心域へ集まります。その結果、重力をうけた鉄は緻密化していきます。このような鉄が隕鉄となれば、通常に私たちが目にしている軟鉄とは異質で硬い鉄となると思われます。緻密がゆえに酸素分子が入りにくいのでサビにくい。・・ので斬鉄剣^^。スイスのアーミーナイフは、飲缶等なら易く切れますね^^。スエーデン鋼、ゾーリンゲン鋼は惑星衝突でその内部核がリム化したものではないでしょうか。国内では、先様の思いのとおり出雲→備前→神戸→堺→速玉神社ラインに隕鉄の飛散があったのでしょうか。これらの古来製鉄は既知のとおりです。

次に【お宝の封印】については以下のような図式を考えています。
                         (美唄)ビリパリ衝撃波 ↓ (竜飛崎)
                       BC2001/12/25の未明に東北大隕石(大槌)
         北                   (面白山)/ 閃光(千光)
        西 東             (朝来町)地震波・巨大津波(津の地名)
         南             直後の滝爆雨/(隕石の冬1・2年で 12・3℃降下)
                      慈雨<荒神>竜← (大陸人がモンタージュ画)
                       銅鐸雨乞い文化
                    (銅鐸は荒神を呼び寄せ乗り移させる媒体)
             卑弥呼が、全天を覆うほどの彗星を”退散祈祷”でニアミスに^^!
 荒神は太陽神(主神)のお使者彗星(従神)説唱える
銅鏡文化へと変換 → 雨乞い生け贄を伴う銅鐸文化の急速な衰退
  卑弥呼・寄集めた銅鐸の封印(後になったものあり)

 以上のような位置関係構図から丑寅の方角の荒神様は要注意!
卑弥呼1700年前の当時(冬至)の日の出時の閃光(=荒神)は、地球の歳差運動を考えるとほぼ真東であったと思われますが、今の日の出は時計回りに∠23° ∠24°移動しています。
卑弥呼以前にも新しく入手した銅鐸へ、環状木柱列(ウッドサークル)で<冬至の旭光を入魂>していたと謎解きしました^^!

    【 お宝関係図^^】
                      人里から徒で半日ほど離れた奥山
                   (金)屏風岩→<※基点>冬至旭光の当たる山の中腹
          西方から南西方向    ←   封印する銅鐸(&お宝)
              二山越えたおよそ一里(一離)約4km?
   (亀石)重石岩(×千木)
大量の剣類(その剣、二度とその荒神に持たせてはならない!!)
 後には銅剣・銅鐸を一緒に埋めたり、土中保管説単体のままの出土もあるようです。

このセンで絞ると先様(青面金剛さま)の考えは、いいセンいっておられると思います。
そのお宝が出土するのを楽しみにしています。光陰矢の如しについては別の機会に・^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-1.html



526ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/09(木) 04:18:14
Japonic
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000533M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000533_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000533_3M.png

青海の斉家文化の古人骨では私のミトコンドリアDNAハプログループG3a2(金蝉口遺跡, 2000BC)が、甘粛の斉家文化の古人骨ではO-ACT7481-F2137(磨溝遺跡, ~2000BC)が出ているので、甘青地区は私にとって非常に重要である。

大陸・朝鮮半島から日本列島への足取りが考古・言語・DNA的に掴めれば先ずは良い。私の男系祖先は原日本語集団であるが、諸君は違う。君たちの男系祖先は朝鮮半島または日本列島で日本語集団に同化されたに過ぎない。しかし、「日本人はどこからやって来たのだ」と聞かれても、これからは胸を張って答えるが良い。「私たちが同化された日本語集団は遼河流域から来ました」と(笑)



527青面金剛:2021/09/09(木) 21:36:22
Re: 竜は隕石 竜は神!
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。

> 流星刀のお話おもしろく伺います。わたしも、<速玉;鉄隕石;隕鉄刀剣>の思いがあります。掲示板のどこやらに投稿したことがありますが^^! その結果、重力をうけた鉄は緻密化していきます。このような鉄が隕鉄となれば、通常に私たちが目にしている軟鉄とは異質で硬い鉄となると思われます。緻密がゆえに酸素分子が入りにくいのでサビにくい。
> 荒神は太陽神(主神)のお使者(従神)説
>  後には銅剣・銅鐸を一緒に埋めたり、土中保管説単体のままの出土もあるようです。
> そのお宝が出土するのを楽しみにしています。光陰矢の如しについては別の機会に・^^!

☆★☆彡 【『宮山古墳』の『奥大谷』側である、周りからは見えにくい、南東斜面の窪地に、銅鐸か八咫鏡か勾玉が埋まってる。良懐親王の墓から、真北の線上か?!! 】

◎ 宮山古墳の東南側の発掘計画を進めるに当たっては、一番の障壁に成りそうなのは、平さんの「生贄」「人身御供」の記事に対して、岡山県内の各大学の民俗学の先生方や、岡山県内の各市町村の生涯学習課・教育委員会、観光課などからの、強い嫌悪と反発が予想され、発掘計画案に、反対を意思表示され、発掘が大幅に遅れる事です。

 平さんが、まだ目の黒い内に、出土物を目にしたいのならば、平さんのブログから、「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除願います。

 『「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除し終えた。』との前提で、私の発掘予想の仮説記事を、平さんのブログへ転載する事を許可します。

★ 出雲の荒神と銅鐸の話も、再三に渡って、私の方から指摘済みですし、「生贄」「人身御供」は、秦氏と物部勢力が日本に持ち込んたものです。

 出雲の『幸の神三神』信仰は、陰陽石で御分りの様に、子宝と子孫繁栄を願うもので、「誰かに犠牲を押し付ける」、発想は有りません。

 平さんの「生贄」「人身御供」の記事は、民俗学の根本ルールをことごとく踏み外したもので、民俗学を研究する諸先生方からは、単なる興味本位の俗物創作記事でしかなく、根拠も無い風評被害を地元に招くもの、として、嫌悪と軽蔑の対象と成ります。

 発掘計画が進められる過程で、岡山県内のテレビ局や地方紙、地方雑誌が、平さんの記事をスキャンダルネタとして取り上げた場合、その被害を被るのは、平さんよりも、平さんの御子さん方や、お孫さん方です。

 平さんがパソコンの操作も覚束なくなった時にも、御子さん方に、パソコン内の記事を読まれてしまうだろうし、身内にさえ見せられない代物は、今の内に削除する分別は付けるべきです。






528ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/09(木) 23:08:03
Re: 竜は隕石 竜は神!
青面金剛さんへのお返事です。

> 史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。
>  平さんが、まだ目の黒い内に、出土物を目にしたいのならば、平さんのブログから、「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除願います。
>  『「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除し終えた。』との前提で、私の発掘予想の仮説記事を、平さんのブログへ転載する事を許可します。
>

うわっ、すごい上から目線。何勘違いしてるのか…この人?

529青面金剛:2021/09/09(木) 23:44:42
Re: 竜は隕石 竜は神!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000536M.jpg

ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツさんへのお返事です。
「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除願います。
> うわっ、すごい上から目線。何勘違いしてるのか…この人?

★ 民俗学の入門書には、民俗学を進める上での、幾つかの厳格なルールがあって、それを理解しない、学生や若い研究者には、厳しく指導されます。ルーツはんは民俗学の基礎も分からない様ですな。



530ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/10(金) 08:29:50
日本人と日本語のルーツ/日本語系統・形成論
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000537M.png

青面金剛さんへのお返事です。

>★ 民俗学の入門書には、民俗学を進める上での、幾つかの厳格なルールがあって、それを理解しない、学生や若い研究者には、厳しく指導されます。ルーツはんは民俗学の基礎も分からない様ですな。
>

へぇ〜、そうなんだー、歴史掲示板の投稿を見る限り、ネトウヨ系の妙な経歴の人物の著書に影響されてるようだから全然説得力ないけど?(笑)

日本語系統・形成論
1. 渡来人の出自、日本人と日本語のルーツと言い換えても良いが、その原郷と私個人との関係については歴史掲示板で論じて来た通りで十分だろう。

平素人さんもいるから一応おさらいすると、日本人と日本語の原郷は遼河流域の偏堡文化圏にあり、Y染色体DNAハプログループ的にはこの付近の古人骨で良く出ているO-M117〜F2137が重要である。これにN1、C2を加えて「日本語集団」として良い。

ここ4ー5年の考古学と言語学との学際的研究成果によって「我らが日本語」(諸君は除くw)の原郷が、山東・江南の稲作文化圏ではなく、「遼河流域の偏堡文化圏」にあることが分かって良かった。計算言語学的研究では時折日本語とオーストロアジア系言語との類似が指摘されていたから、正直、日本語が東南アジア系の言語なんて格好悪いなと思っていた。

(ちなみに、諸君はその辺りどう感じるのかな?悪気はないんだが、言語的に同化されてしまったハプログループを持つ人的にはどんな気分なのかな?と、純粋な疑問...。)

2. 日本語の系統・形成に関して以下の2つが考えられる。
(1)??日朝語族
・日本・高句麗語派(Beckwith)<--基層にオーストロネシア語(Itabashi), 基層にオーストロアジア語(Vovin)
・・高句麗語群-->死語
・・日琉語群<--ツングース語の影響(Itabashi)
・朝鮮・高句麗語族派(Vovin)
・・高句麗語群->死語
・・朝鮮語群

(2) 日本=トランス・ヒマラヤ語族(Nishida, Yanhunen)
・日本語<--高句麗語、朝鮮語から影響
・トランス・ヒマラヤ語派

日本語の系統については日本の研究者は皆んな諦めていて、まともな言語学者なら触れてはいけないみたいな雰囲気が、その代わり、最近では、欧米の研究者による「緩い基準」でのアプローチが盛んになっている。たしかに、日本語の系統についてはある程度緩く捉えて置くしかないだろう。印欧語族やウラル語族、オーストロネシア語族のようなレベルでの完全立証は困難だ。

3. 私は、西田龍雄の「日本語・チベット語族仮説」とユハ・ヤンフネンらの日本語形成仮説の折衷として、日本語はシナ・チベット語を根幹に、高句麗語、朝鮮語などに影響を受けつつ成立したと考えているが、板橋義三の「日本・高句麗語族」に関する最近の論考を読んで、こちらにも心が揺らいで来た(笑)

板橋は、厳密な比較言語学の手法ではなく計算言語学的な方法を多様しているようだが、日本語と高句麗語とは、ざっと見る限り、口、水、数詞(3, 5, 7, 10)、白、黒、うさぎ、谷、「〜の」などが非常に良く似ている。高句麗語と日本語、朝鮮語との間にも類似が見られるが、たしかに高句麗語と日本語の方が互いに良く似ているようだ。また、彼によると、朝鮮語族と日本・高句麗語族も古い時代は系統関係を持つ可能性があるという。

さらに、板橋義三が主張するように「日本・高句麗語族」の基層にオーストロネシア語族があるのであれば、ローラン・サガールの「シナ・オーストロネシア語族」仮説に近付くが、ここまで行くと緩すぎという気もする。



531ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/10(金) 22:14:31
どこが気に入らないの?最高じゃないか。これで十分!!!
青面金剛さんへのお返事です。

1. 考古学的に日本語集団の原郷は遼河流域の偏堡文化にあり、

2. 彼らは朝鮮半島の無文土器文化を担い、紀元前1000年頃から日本列島に進出、

3. 古人骨と現代人のハプログループ・データから、私の祖先の、遼河流域から朝鮮半島への移動経路が確定。

4. なお、君たちの祖先は残念ながら漁民か採集狩猟民で、我々の日本語に同化された。

この事実のどこが気に入らないの?最高じゃないか。これで十分、タミルだのインドだの余計な妄想必要なし。無駄なことばかりして、バカジャナイノ?

532ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/11(土) 04:43:01
「中国人認定」「朝鮮人認定」の矛盾は、既に考古・言語・DNA的に明らかにされている。
青面金剛さんへのお返事です。

「中国人認定」「朝鮮人認定」の矛盾は、既に考古・言語・DNA的に明らかにされている。

「中国人認定」でも「朝鮮人認定」でも勝手にすれば良い。こちらは既に島国根性や民族主義を超えたところにいる。日本人は大陸から半島を通ってやって来たのであり、黄河文明・遼河文明で言えば我々日本人は「中国大陸人」、無文土器文化で言えば「朝鮮半島人」なのである。

旧石器・縄文人と渡来人、どちらが「日本人性」において「真正な連関」を有するか。当然コチラ側に決まっている。日本人ゲノムの9割をもコチラ側が占め、日本語も、稲作文化も、古代日本の国造りも、すべて渡来人の属性に帰する。あ〜、何という心地良き潔さであろう!笑

こういうバランス感覚ある境地に達することができない諸君が哀れでならないが、私がここにいることで諸君は自動的に採集狩猟民か漁業・園耕民のY-DNAハプロを持つのであるから、Yハプロ的に既に"真の日本男児"たり得る資格をも喪失しているのである!チーン

533ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/11(土) 05:30:34
平さん、出雲観光協会?に相談したらどう?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000540M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000540_2M.png

青面金剛さんへのお返事です。


以下の部分、これって、脅迫だよ。私人間の表現の自由の制約。
他者の表現の価値を否定して、自分の意思を強制しようとする人ってどうなの?

ええ、第三者から見ても、脅しによって強制しようとします!
平さん、まずは出雲観光協会?に相談したらどうでしょうか?
出雲観光協会
〒693-0008
島根県出雲市駅南町1?5
ビッグハート出雲内
営業時間 8:30〜17:15
(日曜定休・日曜日が祝日の場合は翌日)
TEL0853319466
FAX0853319499
MAILお問い合わせフォーム


私も青面金剛さんから根拠のない「中国人認定」や「朝鮮人認定」を執拗にされ、人間としての尊厳が傷付けられ、実害も蒙りました。…人の自由を制約し自らの意思を強制する人も、人種や民族の違いに基づいて人を傷付けるへイトも、絶対に許せないですね!

とくに「・・・根拠も無い風評被害を地元に招くもの、として、嫌悪と軽蔑の対象と成ります」と「・・・その被害を被るのは、平さんよりも、平さんの御子さん方や、お孫さん方です」、この部分アウトです。

つまり、平さんにある行動を強制し、それが成し遂げられなかった場合には、「平さんおよび子、さらに孫にまで危害を及ぼす」と言っています。




> 史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。
>  平さんの「生贄」「人身御供」の記事は、民俗学の根本ルールをことごとく踏み外したもので、民俗学を研究する諸先生方からは、単なる興味本位の俗物創作記事でしかなく、根拠も無い風評被害を地元に招くもの、として、嫌悪と軽蔑の対象と成ります。
>
>  発掘計画が進められる過程で、岡山県内のテレビ局や地方紙、地方雑誌が、平さんの記事をスキャンダルネタとして取り上げた場合、その被害を被るのは、平さんよりも、平さんの御子さん方や、お孫さん方です。
>
>  平さんがパソコンの操作も覚束なくなった時にも、御子さん方に、パソコン内の記事を読まれてしまうだろうし、身内にさえ見せられない代物は、今の内に削除する分別は付けるべきです。




534青面金剛:2021/09/11(土) 07:37:02
民俗学は古代史に隣接する学問分野です
ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツさんへのお返事です。

> 以下の部分、これって、脅迫だよ。私人間の表現の自由の制約。
> 他者の表現の価値を否定して、自分の意思を強制しようとする人ってどうなの?
> とくに「・・・根拠も無い風評被害を地元に招くもの、として、嫌悪と軽蔑の対象と成ります」と「・・・その被害を被るのは、平さんよりも、平さんの御子さん方や、お孫さん方です」、
> つまり、平さんにある行動を強制し、それが成し遂げられなかった場合には、「平さんおよび子、さらに孫にまで危害を及ぼす」と言っています。

★ ルーツはんは、そちらに長く滞在してる為に、日本語の読解力が、低下してる様ですね。
 岡山県内の地元テレビ局や新聞社や雑誌社の取材で追い回されるのは、平さんよりも、平さんの御子さん方や、お孫さん方との意味です。

ルーツ君は華大基因(BGI)から、飲食の接待を受けている存在です。

★ 平さんの生贄・人身御供の記事は、民俗学の基本である、「地道なフイールドワークの積み重ねに拠って、解明されるべきもの。」の原則を踏み外して、単に地図を眺めて、地名から勝手な妄想で、生贄・人身御供を憶測して、全くの創作話を綴っているだけです。

 私の方からは、再三に渡り、それは違いますよ、と説明を重ねているにも関わらず、それを無視して、出雲の荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡へ、「根拠も無い風評被害」を、平さんのプロパガンダ宣伝として振り撒いている、のは迷惑千万なのです。

★ ルーツ君は、民俗学の入門書も読んだ事も無いし、民俗学の先生方の講演会やセミナーも聴きに行った事が無いのでしょう。

 何回か聴きに行っていれば、『民俗学で守らなければ成らない鉄則』が教えられます。
民俗学は「被差別」「支配者側と被支配者」「先住側と侵略者側」などのデリケートな問題をも扱う為に、決まり事が多いのです。

 もし、若手の研究者で、この決まり事を踏み外す輩が居た時は、厳しく指導され、違反行為が重なった場合は、民族学会の会員資格を取り消される、等の処分を受けます。

☆ 民俗学の手法は、地道なフィールドワーク『現地を廻りながら、様々な資料(聞き取りや伝聞含む)の積み重ね』の集大成であり、平さんの様に「机の前で地図を見ながら勝手な妄想を重ねる。」のは邪道の極りに他なりません。

☆ 民俗学では、資料に勝手な「創作」を加えるのは厳禁です。資料の捏造に当たり、検証から外れてしまいます。「創作」を一つでも加えようものなら、それは、「低俗な、覗き趣味の代物」に落ちぶれてしまいます。

☆ 民俗学では、丁寧な論理の積み重ねが基本であり、論理の飛躍した「暴論」や「勝手な思い込み」や「こじ付け」や「曲解」は許されません。
 平さんも鎌の刃を研ぐのは「××を殺める為」では無いでしょう。「〜と確信した」も勝手な思い込みと決め付けに、他なりません。

☆ 民俗学のルールを理解しない学生や若手研究者には、厳しい指導が行われます。民俗学の入門書すら読まず、地元の研究者方の話も聞かずに、独学で進めると、道を踏み外す事に成ります。

 岡山民俗学会  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fokayamaminzokugakkai.web.fc2.com%2F

 山陰・出雲の郷土出版のハーベスト出版  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.tprint.co.jp%2Fharvest%2Findex.html



535ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/11(土) 09:15:29
Re: 民俗学は古代史に隣接する学問分野です
青面金剛さんへのお返事です。

えーと、お前の、人に特定の民族や特定の機関所属のレッテルを貼る行為な、私が精神的損害の診断書持って行き実害を証明すれば事足りる。とても面倒くさいことになる。いいから謝罪しとけ。

536史実探偵: 平 素人:2021/09/11(土) 17:27:15
竜は隕石 竜は神!-2
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-1.html



537ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/11(土) 20:57:58
Re: 竜は隕石 竜は神!
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。

隕石の話しはする気はない(笑)
あ、青面がこっちに逃げて来たので追って来た!w

538ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/11(土) 21:14:23
Re: 竜は隕石 竜は神!
青面金剛さんへのお返事です。

はは、なに投稿編集しとるの?コピー取ってあるのわかってるだろ?

> 史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。
>
> > 流星刀のお話おもしろく伺います。わたしも、<速玉;鉄隕石;隕鉄刀剣>の思いがあります。掲示板のどこやらに投稿したことがありますが^^! その結果、重力をうけた鉄は緻密化していきます。このような鉄が隕鉄となれば、通常に私たちが目にしている軟鉄とは異質で硬い鉄となると思われます。緻密がゆえに酸素分子が入りにくいのでサビにくい。
> > 荒神は太陽神(主神)のお使者(従神)説
> >  後には銅剣・銅鐸を一緒に埋めたり、土中保管説単体のままの出土もあるようです。
> > そのお宝が出土するのを楽しみにしています。光陰矢の如しについては別の機会に・^^!
>
> ☆★☆彡 【『宮山古墳』の『奥大谷』側である、周りからは見えにくい、南東斜面の窪地に、銅鐸か八咫鏡か勾玉が埋まってる。良懐親王の墓から、真北の線上か?!! 】
>
> ◎ 宮山古墳の東南側の発掘計画を進めるに当たっては、一番の障壁に成りそうなのは、平さんの「生贄」「人身御供」の記事に対して、岡山県内の各大学の民俗学の先生方や、岡山県内の各市町村の生涯学習課・教育委員会、観光課などからの、強い嫌悪と反発が予想され、発掘計画案に、反対を意思表示され、発掘が大幅に遅れる事です。
>
>  平さんが、まだ目の黒い内に、出土物を目にしたいのならば、平さんのブログから、「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除願います。
>
>  『「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除し終えた。』との前提で、私の発掘予想の仮説記事を、平さんのブログへ転載する事を許可します。
>
> ★ 出雲の荒神と銅鐸の話も、再三に渡って、私の方から指摘済みですし、「生贄」「人身御供」は、秦氏と物部勢力が日本に持ち込んたものです。
>
>  出雲の『幸の神三神』信仰は、陰陽石で御分りの様に、子宝と子孫繁栄を願うもので、「誰かに犠牲を押し付ける」、発想は有りません。
>
>  平さんの「生贄」「人身御供」の記事は、民俗学の根本ルールをことごとく踏み外したもので、民俗学を研究する諸先生方からは、単なる興味本位の俗物創作記事でしかなく、根拠も無い風評被害を地元に招くもの、として、嫌悪と軽蔑の対象と成ります。
>
>  発掘計画が進められる過程で、岡山県内のテレビ局や地方紙、地方雑誌が、平さんの記事をスキャンダルネタとして取り上げた場合、その被害を被るのは、平さんよりも、平さんの御子さん方や、お孫さん方です。
>
>  平さんがパソコンの操作も覚束なくなった時にも、御子さん方に、パソコン内の記事を読まれてしまうだろうし、身内にさえ見せられない代物は、今の内に削除する分別は付けるべきです。
>
>
>
>
>

539ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/11(土) 21:27:01
Re: 竜は隕石 竜は神!
青面金剛さんへのお返事です。

>  平さんの「生贄」「人身御供」の記事は、民俗学の根本ルールをことごとく踏み外したもので、民俗学を研究する諸先生方からは、単なる興味本位の俗物創作記事でしかなく、根拠も無い風評被害を地元に招くもの、として、嫌悪と軽蔑の対象と成ります。
>

おい!オメーが言うなオメーが!(笑)
おまえ、投稿1ヶ月停止したらどうだ?

出雲の神社の宣伝に関わる投稿を1ヶ月くらい休んだ方がいい。詐欺罪は騙し騙され、且つ、騙した側が騙し取った金銭を運用したことで成立する。神社仏閣は詐欺集団でしかない。やつらは既に呪われている。

540青面金剛:2021/09/12(日) 02:05:37
Re: 竜は隕石 竜は神!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000547M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000547_2M.jpg

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/438999/



541史実探偵: 平 素人:2021/09/12(日) 07:39:54
Re: 竜は隕石 竜は神!-2
青面金剛さまへのお返事です。

 ふーん、わたしは 老人ホームに入るのですか その先がたのしみです^^
長駄文へのご指摘、ありがとうございました。あとで読み返すと自分でもうんざりします。

 その「恐ろしく長い」 ↓この指とまーれです。 みなさまご注意を!
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Ffujorinokuukan.blog108.fc2.com%2Fblog-category-0.html

542管理人:2021/09/12(日) 08:35:09
思いやりのあるコミュニティ宣言
まー、今ざっとこちらの掲示板の内容も確認しましたが、青面さんと平さん、ルーツさんやりとりは、3人でよく相談なされて、お互い言い過ぎている部分もあるかもしれないし、その是非をあきらかにして、また謝罪すべき部分にはそのようになさることをおすすめします。こちらの掲示板でのルーツさんの投稿禁止制限はひとまず解除しておきます。

この掲示板の趣旨は、業者も掲示板上部に記しているとおりですので、宜しくお願いします。

543史実探偵: 平 素人:2021/09/19(日) 04:44:21
竜は隕石 竜は神!-3
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000550M.jpg

   富山桜町ウッドサークル(GACKTコス:隊長Mさまより借用)
管理人さま:ありがとうございます。銅鐸銅剣類の封印関係図編集(9/21)しました。

【お宝(?)の封印】については以下のような図式を考えています。
                (空知・美唄)ビリバリ衝撃波 ↓ (竜飛崎)
                  赤色飛塊・推量直径・Φ10km<!--???
??????               BC2001/12/25の未明に東北大隕石(大槌)
     北               (丁岳・面白山)/衝突・閃光(千光)
    西 東             (朝来町)地震波・巨大津波(津の地名)
     南             直後の滝爆雨/(隕石の冬1・2年で 12・3℃降下)
 大陸(渡来人) → 神仙へ(仙薬ありとして)探訪 慈雨<荒神>竜← (大陸人がモンタージュ画)
銅製品・加療・水稲 ⇔ 食料・案内随行・人手提供    雨乞い・銅鐸文化へと発展
                (銅鐸は荒神を呼び寄せ乗り移させる媒体)
       卑弥呼が、全天を覆うほどの彗星を”退散祈祷”でニアミスに^^!
 荒神は太陽神(主神)の、お使者彗星(従神)説唱える
銅鏡文化へと変換 → 雨乞い生け贄を伴う銅鐸文化の急速な衰退
  卑弥呼・寄集めた銅鐸と銅剣類の封印(後追いになったものあり)

 以上のような位置関係構図から丑寅の方角の荒神様は要注意!
卑弥呼1700年前の当時(冬至)の日の出時の閃光(=荒神⇒御来光)は、地球の歳差運動を考えるとほぼ真東であったと思われますが、今の日出光は、時計回りに∠23° ∠24°移動しています。
卑弥呼以前にも新しく入手した銅鐸(後には銅鏡その他)へ、環状木柱列(ウッドサークル)で一番鳥鳴く<冬至の旭光を入魂>していた文化(東屋形・暗室暗幕(十方暮れ)・岩屋窟→御神輿)ありと謎解きしました^^!  従って、地球の歳差運動により入光が72年に1°∠南へずれるのでその入り口から入光しなくなると、入口を変えていました。

    【 お宝(?)関係図^^】
                  人里から“徒で半日”ほど離れた奥山
            (金)屏風岩→<※基点>←冬至の旭光の当たる山の中腹
   西方から南西方向に   ← 封印する持ち寄り銅鐸(&お宝)を!!
そこから二山越えたおよそ一里(一離)約4km離れた△山の東北方向の谷間に銅剣を!
(亀石)重石岩(×千木)
大量の剣類(その剣二度とその荒神に持たせてはならない!)勾玉は首根っこ押さえの為
後には銅剣・銅鐸を一緒に埋めたり土中保管説・単体放置の出土もあるようです。

卑弥呼さまの云うように銅鐸を銅鏡に換えたが欲しい雨は降るとは限らないと歴史は続く・
【その関連キーワード】
△形山頂・剣山・ダイヤモンド富士→【封印場所】→燈明・飯盛り仏飯・「お陰さまで^^」とつづく
・このように、今の私たちの慣習風習にもその謎解きの鍵は潜んでいる。それに気づくのは明日の貴方かも知れないし、はるか先の貴方かも知れない(笑い)。
  「地名は、先人達の合意でなり、祖先からの確たる伝言だ!!」   平 素人

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html



544管理人:2021/09/24(金) 23:41:38
彗星群接近と卑弥呼の時代
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000551M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/卑弥呼



545史実探偵: 平 素人:2021/09/25(土) 07:33:56
Re: 彗星群接近と卑弥呼の時代
管理人さまへのお返事です。

> 十分にお話のほう、私には理解できない感じですが、隕石落下や彗星の件は、卑弥呼の時代にもあったのでしょうかね・・・。

お気遣いありがとうございます。いろいろと頭には浮かぶのですが、文にはならず朝になってしまいました^^! 長年つづけてきた広報ですが、実績のない素人の中二(症)程度の学識にくわえて作文能力まで衰えてきた今。現学になかったことを「世間」に伝えようとする無理をかんじます。人それぞれ、議論・口論はあって当然と考えています。むしろそれを楽しむ部分もありました。(笑い)

 人それぞれの“役分”があると感じます。わたしは、地名や伝承を祖先からの伝言として謎解きをしてきました。少年心と遊び心から始まったそれ等が学問的に明かされたり出土したりする日がくるのを望んでいます。

  > ただ、卑弥呼の没年に日食があったという話は有名です。

 そうですか。知りませんでした(汗~)。それがあると彗星退散祈祷を??した、卑弥呼のカリスマ性はより増したでしょうね^^。銅鐸文化から銅鏡文化への移行は何人も否定できず、その変換点に魏から“いち時に”100枚の銅鏡があり、卑弥呼がいる。  平 素人

のこりの方が少ないこの命、今日と明日があんねいで。あさってのことは明日考えよう^^。
殆んど無い遺品ですが~~! 先様の会報と岩淵先生のご本は交友の証に「とっといて」と^^。


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-3.html



546史実探偵: 平 素人:2021/09/26(日) 17:55:31
荒神になった巨大隕石・BC2001/12/24・25/am6:00未明
管理人さまへのお返事です。 コメントありがとうございます。
  一度に消化しきれないので <前につづき考えています。

> 十分にお話のほう、私には理解できない感じですが、隕石落下や彗星の件は、卑弥呼の時代にもあったのでしょうかね・・・。

 筆者と岩淵先生が提唱しているその巨大隕石は、卑弥呼より、約2200年ほど前ですが、その畏怖を歴史が覚え語り継ぎ、卑弥呼の代はもとより、今の私たちも「地名」や、神社「竜・水神・滝行」としてそれ等を受け継いでいます。現存する(中学社会科地図)で地名伝言^^! をもとにそれ等を探っていきたいと思いますので、皆さんも<これは!?>と思い当たるものがあったら教えてください^^1

【その巨大隕石に関係する地名】
思いつくままに上げますので、・・・後日編集あり・・・~~!
イースター島→ ペルー・ナスカ→ ドーバー海峡→ (シベリア??)→ 日本(落下地は東北)

【北海道】 色・衝撃波・音  に関係するもの
  空知郡(そらち) 美唄町(ビバイ) 忍路(オショロ)

  疑わしいもの!?
  乙部(おとべ)轟音飛散弾? 檜山(ひやま)火の山? 木無山(きなしやま)火災
  白神岬(しらかみみさき)

【東 北】 飛翔体と・衝突閃光・分散発光
                           奥 <陸 奥>
  龍飛崎(たっぴざき) 青森白神岳
  秋田岩手県境真昼岳(まひるだけ)秋田県側からみて未明東が真昼のように光った
                           羽 <陸 中> 大 槌
  牡鹿半島・金華山 分散弾が金華のように見えたのか?
  岩手黒森山(くろもりやま)火災で炭化した
    毛無山(けなしやま)毛も無いほどに焼けつくした  山
    白髭山(しろひげやま)立ち枯れて幹だけのこり白色化した
               羽 後 (大隕石=飛竜=火の鳥の飛翔した後)
  秋田山形県境丁岳(ひのとだけ)丁岳山地と奥羽山脈の丁字形で"衝突光”を止めた
               羽 前 (大隕石=飛竜=火の鳥の着地点)
  宮城面白山(おもしろやま)表おもてが明らんだ
                           脈 <陸 前>

       つづきます・・・・^^! 

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-3.html



547史実探偵: 平 素人:2021/09/27(月) 23:54:58
Re: 彗星群接近と卑弥呼の時代
管理人さまへのお返事です。朝貢・拝受のおはなしありがとうございます。
 魏の天子と卑弥呼との贈答品のやりとりを素人なりの考えで・・^~!

 魏の天子は、「遠くの国から、私への贈り物をようしてくれた。 汝(卑弥呼)を、倭の国の国王と認め、その金印を贈る。 そして、返礼として、汝の “好物”を 使いの者に託したから受け取ってくれ」と、云っている。(魏志倭人伝:より要旨概略)

 myブログより↓
日本人と中国人の儀礼的な贈り物にたいする考え方の違いに言及しておきたい。
日本のお中元とか、お歳暮とかは、目下のものが目上のものに「色々とお世話になり、ありがとう御座いました。今後ともよろしく」との意味合いをもつ。下の者がお上(神)へ贈り物やお供えをして、その代わりにお引き立てを期待したり、おかげの慈雨を貰いたいという “物々交換” の思想がその底流にある。

中国での贈り物は、日本の逆で、その徳と富を表すためだと思うが、目上のものが目下のものへ贈り物をする。個人から個人へ、上から下へと、おすそ分けしてゆく “権威の文化” であり、人様から物をいただいて「はい、ありがとね」で済ますと、その人の下に下ったことになり、そのようになりたくない場合はそれ以上の返礼品をかえすのは既知のとおり^^?。

米国では"スモールプレゼント"とあるように “互いに対等” で相手の負担にならないような贈り物をする。このように贈り物に対する考え方は、国によって、こもごもで、それ等をふまえての謎解きに入りたい。当然、魏の天子は卑弥呼の<軍か>には下りたくないからびっくりする程の返礼品をもたせている^^。

そして、皇帝は『汝(卑弥呼)の“好物”』をと云っているから、使いの者に卑弥呼の欲しいものは「何か」と問うている。卑弥呼のその時は、銅鐸文化が真っ盛りであり、より立派な銅鐸への思いがあり、銅鐸?か銅材料でよかったはずだ!! それが何故銅鐸や銅材料でなくて銅鏡にしたかは前述していますので・・・^^!
 myブログより、
 ?魏から、卑弥呼への数多くの贈り物のなかに (Yahoo!魏志倭人伝 参照) 金印は別として、特に目を引くものがある。 五尺刀が2口と、 銅鏡の100枚である。 何故 銅剣が、1振りでなくて2振りなのか? 何故 100個もの銅鏡なのか??
 卑弥呼は、女である。 その女の卑弥呼が、100枚もの銅鏡を並べて、身の丈もあるような大刀の二本を腰にぶら下げて、己の姿形を眺めている場面が想像出来ない。(笑い)
 この “数”には意味がある。

 ?まず五尺の大刀が、なぜ2本なのか!!
五尺もの銅製の大刀を腰にぶら下げる分けにはいかないから、これは、飾り物でありそれを有する者の権威とか地位を“象徴”するものだとすぐ分かる。 だがまてよ! これを有する者は、その最高位であるから1本でいい。 2本あったら困る。 中国の皇帝が贈り物をする相手を困らすようなことはしない。衆知が認める卑弥呼と同等な者が、もう一人いたのである。 魏志倭人伝に、卑弥呼は、「鬼道に事へ、能く衆を惑わす」 そして、「男弟あり、佐けて国を治む」 とあるから、通常は、男(弟)が国を治めていて、何か“困り事”があったら、その都度、卑弥呼に御祈祷をお願いして神やご先祖からの“付託を聞き”それぞれを決める社会制度が整っていたのである。 □

 以上のように、当時の列島には中国(社会学)でいう「国・税制」の概念はなく、むしろ物や人力の「寄進・供出」の制度であり、一つの群落に代表の一人、あるいはその助手の拝み屋(例えば神楽太夫とか、お太鼓太夫)がいて、病気はもとより、もろもろの困り事の処理をしていたと考えています。だから、ことあるごとに上座から序列をつくって座する大陸人と異なり、集会では≪(荒神)神の下に平等≫の考えのもとに、てんでバラバラに座することが大陸人には“異に見えた”のではないでしょうか!?

その群落を「国」と呼んだのは大陸人がかってに呼んだことであり、国の体裁がととのっていくのは ≪初代≫ の卑弥呼 以後だと思っています。ちなみに「ヒミコ」とは列島人が “お祀り時” に呼んでいた一般名であると解しています。したがって、卑弥呼を語るとき「あなたの云うヒミコは何時の、どこのヒミコさまですか??」となります(汗〜)。

「金印・邪馬台国・卑弥呼・鬼道・生口」については、先様方のほうがぁ〜〜^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html



548管理人:2021/09/29(水) 23:27:39
Re: 彗星群接近と卑弥呼の時代
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。



>  ?まず五尺の大刀が、なぜ2本なのか!!
> 五尺もの銅製の大刀を腰にぶら下げる分けにはいかないから、これは、飾り物でありそれを有する者の権威とか地位を“象徴”するものだとすぐ分かる。 だがまてよ! これを有する者は、その最高位であるから1本でいい。 2本あったら困る。 中国の皇帝が贈り物をする相手を困らすようなことはしない。衆知が認める卑弥呼と同等な者が、もう一人いたのである。 魏志倭人伝に、卑弥呼は、「鬼道に事へ、能く衆を惑わす」 そして、「男弟あり、佐けて国を治む」 とあるから、通常は、男(弟)が国を治めていて、何か“困り事”があったら、その都度、卑弥呼に御祈祷をお願いして神やご先祖からの“付託を聞き”それぞれを決める社会制度が整っていたのである。 □
>
>

平さん、わかちあいありがとうございます。
確かに二本というのは不思議ですね。

皇帝や天皇の剣の場合、護身剣が二本セットということが知られてます。
玉まき太刀と、スガル太刀 とか・・・。

しかし、また卑弥呼と男弟との二つだとすると、それは興味深い見解です。

男の弟は、誰だったのか? 必ず歴史上の記録に記されているはずです・・・

549管理人:2021/09/29(水) 23:35:14
Re: 荒神になった巨大隕石・BC2001/12/24・25/am6:00未明
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。

>
>
> 【北海道】 色・衝撃波・音  に関係するもの
>       空知郡(そらち) 美唄町(ビバイ) 忍路(オショロ)
>
>       疑わしいもの!?
>       乙部(おとべ)轟音飛散弾? 檜山(ひやま)火の山? 木無山(きなしやま)火災
>       白神岬(しらかみみさき)
>
> 【東 北】 飛翔体と・衝突閃光・分散発光
>                                奥 <陸 奥>
>       龍飛崎(たっぴざき) 青森白神岳
>       秋田岩手県境・真昼岳(まひるだけ)秋田県側からみて未明東が真昼のように光った
>                                羽 <FONT


東北北海道の縄文地名ですよね、平さんご指摘の隕石落下の時代とも重なりますが・・・。

近いうちに二風谷というアイヌの資料館がある遺跡へ向かう予定です。その語源がいまいちよくわからないんですよね・・。どういう意味があるのか、アイヌ語も調べないといけませんね・・・。

550史実探偵: 平 素人:2021/09/30(木) 05:47:02
Re: 荒神になった巨大隕石・BC2001/12/24・25/am6:00未明
 管理人さまへ> お返事ありがとうごさいます。

> 東北北海道の縄文地名ですよね、平さんご指摘の隕石落下の時代とも重なりますが・・・。

 そうなのですね。それ等が縄文地名とは知りませんでした^^!。わたしの地名(伝言)捜しの方法ですが、わたし的に^^?どうしてその地名が付いたのか理解できない地名があったとします。そのひとつが「竜(龍)飛崎」です。地名が地名として定着するには皆がその名づけを認めなければなりません、この私ひとりが、そこを「たっぴみさき」と言おうが二人以上の同意者がいなければ地名としては定着しません。
「竜飛」とは、地名付のセオリーから外れていて、実に不思議な地名です。
地名の始まりは自分住家の前、後ろ、隣、方角、から地名が付いていったと思われます。そして、いちど付けた地名を変えると、「あんたの云うそこは、どこ?」と会話に混乱が生じます。・・・、川の名は、その小流域から広い流域へと変わっているようですが、山(や岬)の名は当て字には変わることがあっても変える必要はないと思います。いちど定着した地名は、地元名が優先され国土地理院においても簡単に変えることは出来ないときいております。もちろん例外はあります。・・・あとは学者へ^^。

しかし、素人のように竜飛崎が「竜は(大)隕石、竜は神!」と気づけば、あとは簡単^^。 "芋づる式"で捜していくと・・・あるわ、あるは^^・・・、

「忍路」 大隕石の飛翔路、恐ろしいモノの通り道
「空知」 その大飛塊は血のような赤色であった。しかし地名に血の色はねえ^^!
「美唄」ビリバリと空気を震わす音。竜口が大は大音量(モンタージュが大変^^!)
「竜」リュウ〜と遠ざかる音。竜頭蛇尾。耳に聞こえない衝撃波もあるかもです。
「白神」 ご先祖さまよう、赤神さまではだめなのですかぁ?
「いや、その時は未明だったが真昼のように明るくなったんだ」と・聞いて捜しました^^! まだまだ探し足りないでしょうから、あとは皆さま方へ・・~~!

> 近いうちに二風谷というアイヌの資料館がある遺跡へ向かう予定です。その語源がいまいちよくわからないんですよね・・。どういう意味があるのか、アイヌ語も調べないといけませんね・・・。

 北海道の地名表記には、国土地理院も苦心をされているようですね。先様や岩淵先生には机上探偵にない知力や行動力をもっておられるのが魅力でした。です^^。わたしの場合は、それがないので<時空をこえて>地図のなかに入り込み、もてるもののすべてを働かせて「もし、その時その場にいたら・・」と考えています。しかしながら、その祖先から受けた伝言ですが、現学にあう学識や数理的で説明しなければ、世間や学者には通用しません。少年心(こどもごころ)と遊び心で始まって30余年がすぎました・・・> 楽しみにしています。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-5.html



551管理人:2021/10/12(火) 01:57:23
二風谷ラインとチャシ伝承
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000558M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000558_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000558_3M.png

http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/siro/chasi-l.htm#biratori



552史実探偵: 平 素人:2021/10/20(水) 07:17:40
Re: 二風谷ラインとチャシ伝承
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-200810.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-3.html



553史実探偵: 平 素人:2021/10/04(月) 09:22:26
Re: 二風谷ラインとチャシ伝承
管理人さまへ>
  四千年前の大事変を基軸に自然関係」につづき人関係」について素人の見解を^^!

> これから北海道の平取町の二風谷に向かう予定があるのですが、その下調べをしております。

二風谷・人の関係」
 二風谷の「ぶ」が、なぜ「風」なのかは解りませんが、沙流川と鵡川のあいだに何かの分断事由があったのでしょうか?? もちろん、四千年前の大事変の前の年平均気温は少なくとも今より10℃以上高かった(独論)としていますから人々は住んでいました。
  先様のあげて下さった「伝承」から、気になるワードをあげていきます^^!。

> なお、このアベツチャシの伝承が、今手元にある宇田川洋氏の『アイヌ伝承と砦』に記されているのですが、その伝承をOCRで起こすと下記のようになります。

平取町アベッ川上流のチャシ (その抜粋です^^!)
神々の雪合戦…:太古、シーカントコロカムイ (造物主)が、神々を集めて、モシ
界)とこれに棲む人間を造って、お仕舞ひになったので、その祝宴を催した。
祝賀の余興として、神々の雪合戦が始まったが、その真っ最中、どうしたはずみか一つの雪玉がそれてモシリの地上に落下した。
〜中略〜~
この最終の神が、矢を弓につがへるときにこは、多くの神々はみな息を殺して、れと雪玉とを見比べていたが、ねらひはくるはず、弓を引きしぼってひょうと「タえんた時は美事であった。雪玉は二つに射切られて東と西に飛んだ。

不思議なことには東に飛んだのは白い鳥、 西に飛び出したのは白い獣と化って歩き出したので、みな驚いた。美事に射当た神は、オイナカムイといひ、カンナカムイ (雷神)とアベフチカムイ (火の神)との間に、お生まれになったカムイであった。東と西とに分れた白い鳥の方はアイヌサチリといひ、射白く鳩に似た鳥で頭上に羽毛のある鳥で、白い獣の方はイソボといひ、兎であったが、いづれもアイヌ達に大した益を与へたのであった。斯様にしてオイナカムイは、シーカントコロカムイから命ぜられて、アイヌモシリ(人の世界)に降ったが、アイヌを友としていろ~の事業と施設を行った。その主なるものは、アイヌの祭るべく神々の名をあまねく知らしたこと、 イノン (祈祷)の法、 着物をつくる法、 魚獣を捕る法、 家を建てる法、 器具を製作する法等で、すべてアイヌとして必要な事を教へられたのであった。

故に、モシリを守護するモシリの為めになる神々を言仰せねば、大なる神罰を受ると孫子の末まで伝へられたのである。オイナカムイは、日高サル川の支流アーベツ川の上、一段と小高い上にザーショ そこに住んでいたが、 すべての事業を終へると神国にお帰りになったと伝へられている。(初出 : 工藤梅次郎一九二六)   □

      すみません。用事がありますので、この続きはのちどに〜〜^^!
 雪合戦」
このワードがよくわかりませんが、大事変前の気候は今の南九州あたりの気温(前述)であったので、雪を見ることなど滅多になく、12月25日ではあったが時ならぬ大雪(前述した1・2年の内に隕石の冬による気温が急降下したため)がふった!? このことは大隕石の飛翔や、巨大地震の伝達や、巨大津波の来襲が、人々の心に大きな衝撃を与え、おおきな『トラウマの歴史』となって語り続けられた。

 どうしたはずみか、一つの雪玉がそれてモシリの地上に落下した」
雪玉」と素人のいう隕石の分散弾」とは相矛盾しますが、それをゆるして下さると話が先へすすみます^^!。この北の方にも環状列石の遺跡があったのですね。ちなみに環状列石は隕石弾の記念碑としています。

 矢を弓につがへる」
このことは、この地の人々の生活は、後にもありますが狩りを主とするものと推察されます。東に飛んだのは白い鳥」西に飛び出したのは白い獣と化けて歩き出した。それを白鳥と白兎とすると、ともに冬に対して強い生き物であり、隕石の冬の急激な気温降下による食糧難にも生き残り人々の糧となったのではないでしょうか^^!。

 次に」
シーカントコロカムイを 主神・飛翔した 巨大隕石
      カンナカムイを   父・雷神  分散弾
      アベフチカムイを  母・火の神  地上火災
         その子 オイナカムイが 彼の地 アイヌモシリに 降った!!

このように、その伝承を今の言葉に置き換えるとその時の大事変が見えてきます。
あとはアイヌ語の意味を確かめたいですね(^^?)。
          ながくコン気が、作文が、つづきませんのでので・・つづく                                                                                                

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-3.html



554管理人:2021/10/04(月) 23:31:22
ウポポイ・二風谷ツアー
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000561M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000561_2M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/靺鞨



555史実探偵: 平 素人:2021/10/05(火) 00:49:52
Re: ウポポイ・二風谷ツアー
管理人さjまへのお返事です。
 > 白老のウポポイと二風谷のほうにバスツアーで行ってきました。

コロナ明け」よい息抜きができましたね^^。
当方は、一日がかりで書きあげた「二部谷の続き」の送信にしっぱいしてパァになりました。あーぁ またまた書き起こすのがたいへんです。あ〜〜ぁ^^!

556史実探偵: 平 素人:2021/10/05(火) 16:56:33
Re: 二風谷ラインとチャシ伝承・続
管理人さまへ> 皆さまへ、
  四千年前の大事変が、人に与えた影響」について、わたしの見解の続きです。^^!

> なお、このアベツチャシの伝承が、今手元にある宇田川洋氏の『アイヌ伝承と砦』に記されているのですが、その伝承をOCRで起こすと下記のようになります。

以下、先様のあげて下さった「伝承」から、気になるワードをあげていきます^^!。
 平取町アベッ川上流のチャシ (からの抜粋です^^!)
> 〜前略〜~
> 斯様にしてオイナカムイは、シーカントコロカムイから命ぜられて、アイヌモシリ(人の世界)に降ったが、アイヌを友としていろ~の事業と施設を行った。その主なるものは、アイヌの祭るべく神々の名をあまねく知らしたこと、 イノン (祈祷)の法、 着物をつくる法、 魚獣を捕る法、 家を建てる法、 器具を製作する法等で、すべてアイヌとして必要な事を教へられたのであった。
> 故に、モシリを守護するモシリの為めになる神々を言仰せねば、大なる神罰を受ると孫子の末まで伝へられたのである。オイナカムイは、日高サル川の支流アーベツ川の上、一段と小高い上にザーショ そこに住んでいたが、 すべての事業を終へると神国にお帰りになったと伝へられている。(初出 : 工藤梅次郎一九二六)□

 斯様にしてオイナカムイは、シーカントコロカムイから命ぜられて、アイヌモシリ
(人の世界)に降ったが、アイヌを友としていろ~の事業と施設を行った」
 わたし素人は、この伝承のカムイ(神)を『始皇帝に命ぜられた、徐福の列島分散隊の誰かが、探索のために、北海道へ来た』 と置き換えると歴史のつじつまが合うと思います。ご存知のように卑弥呼の代は、今から約1700年ほど前、徐福隊は、それよりさらに、6・700年前ですから、列島と大陸の文明差は大なるものがあります。アイヌの人たちが異様なその人達を見て神だと思うのは無理からぬこと。

つぎに重要なワードは 『アイヌを友として』 です。
徐福達の主目的は(不老不死)の仙薬を探し求めることであり、徐福たちに<限って >いえば、多くの歴史家が云うような列島支配や大陸逃亡ではありません。もちろん列島人が攻撃してくれば戦うための兵はいますが、列島人はその人達を神と思っていますから戦う意思はありません。それよりなにより仲良くして、加治の法、着物をつくる法、 魚獣を捕る法、 家を建てる法、器具を製作する法等を教え与えたほうがはるかにいい関係ができる。

代わりに」
船の修理はもとより、現地の随行案内、人手の確保手伝い、食料物資の提供等々、なにかと易く手に入る。しかし、自分たちが仙薬を求めて居ることと、文字(無文字土器)と言葉を教えることは、あとで中国の見知らぬ誰かと遭遇しても列島人と 区別ができるように、決してしなかった( Dr,いずも氏談→秘密結社)。不老不死の薬石は専売特許、べらべらしゃべるわけにはいかないよね^^。それと長生き実証用に連れてきた子達を全国七ヶ所(?)の<養父>に分散隔離して育て、血液の混交や情報の漏洩をさけた。しかし、始皇帝や徐福たちが亡くなり代替わりして歴史が今に至っているのは先様方のほうがぁ^^!。

すべての事業を終へると神国にお帰りになった」
徐福たちの主目的は、(大陸にはない)薬石探しのサバイバルですから!! (集荷目的の)本部・支所以外には長く定住できない。導通様、お薬師様、ヤブ(養父)医者、の伝承は各地に残っています。筆者は北海道には入山をはばみ熊をもたおすアイヌの人達がいる。それに地形は大陸に似ているし「珍しい薬石はないなぁ^^??」と思ったかどうかは徐福達に聞かないと分からない^^?。それに今より寒かったからね<隕石の冬→拙論:塵の沈降→温暖化>等々と考えていましたが、ザーショ」に一部の人が住んでいたのですね。その他の人達は、津軽海峡をぬけて巨大隕石・雷神の行く手・岩手県のほうへと・・。

特筆したいことは」
銅鐸・銅剣を商用品として列島に拡布したこと。年に一回の神無月に、列島の珍品珍宝を(出雲?)に、集荷し大陸に送り届ける交通網をつくったこと。(今でも年末にお土産もっての大移動^^)それには、道に迷わぬようにと先さまの線引き(測量)や列島に多数ある目印「鏡山」が要りますよね^^? そして、現在の学論は「徐福個人」にスポットが当てられていますが、(話半分や渡航没があったとしても)子供たち三千人を有した大編隊ですから、必ず徐福に準ずる人達(方士・百工たち)がいるのに “列島文化に影響を及ぼさない筈がない” とするのが素人の考えです^^!。
 さらに、」
チャシや、塁(土や石で固め高くする・砦)の遺跡は、大陸や半島人の影響と考えていいのではないでしょうか^^? このように、その伝承や地名を素人流に置き換え、それ等を祖先からの伝言とするのも面白い^-^♪。でも、それでは世間様や専門家はあいてにしてくれなかった(笑い)。 ↓この詳しくは、myブログ・カテゴリー「徐福達が日本史に与えた影響」に、                                                                      

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-77.html



557史実探偵: 平 素人:2021/10/07(木) 05:02:33
北海道 チャシ
【追 記 この記事を見て下さる皆様へ 10/07】
チャシ北海道」 はじめて知る言葉なので色々に検索しました^^!
・・・色々とありますねぇ・・・、なかでいちばん困るのがチャシ遺跡を中世とすること。わたし(素人)のいう、徐福達の<来・北海道>が紀元前〇〇ですから大きく違います。これを見て専門家は即、否定するでしょう。(「専門家は相手にしないでしょう」といわれて三十余年^^!) この間、専門家のおおくは、ご自分の論説・研究が一番正しく相手を認めない傾向がありました。その点、私は、ドがつく素人ですから「すべての論説が正しい」としてことを進めてきました。統計学でいう端々の5%さえ、奇跡、偶然、例外、のパセンテージの内としてとらえてきました。だってそんなことどこでも何んでもあるでしょ。この考えを持ったのは、東大の時代検証のチョウ有名な先生が『アイソトープと炭素年代のどちらか一方に統一して論議を交わさなければ』と知った時からです。“歴史は永続”している。貴方のいわれているのは『何時の、どこの場所の、誰のことですか?』朝鮮式山城にしても、北海道チャシにしても、徐福の代から,中世まで?の長いあいだ色々な人が色々に使われてきたでしょうね。いまでは謎遺跡として使っている。(笑い)

558管理人:2021/10/08(金) 00:17:26
オキクルミ伝承と義経
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000565M.jpg

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https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000565_3M.jpg

https://www.e-rumoi.jp/syougaigakusyu/page29_00025.html



559史実探偵: 平 素人:2021/10/09(土) 03:59:59
Re: 北海道 チャシ 続: 素人の見解
管理人さまへ> 皆さまへ、
【追 記 】
> チャシ北海道」 はじめて知ることなので色々に検索しました^^!

NHK北海道の取材チーム「シラベルカ」
チャシの目的は▼砦や城、▼見張り台、▼祭祀の場、▼狩猟の拠点など諸説あるそうです。
チャシ - Wikipedia
現在では、チャシの用途は複数あり、時代を経るにつれてチャシの主用途は変化していったのではないかと考える研究者が多い。

塁・砦・円山、に注目」
塁は、土に石や瓦の破片等をまぜて、高く突き固める工法で、塀や、土手、古くは、岡山・総社鬼ノ城の頂部に海がみえる高台として築かれていたそうです。この市街を見渡せる小高い山は擂鉢(すりばち)のかたちをしています。円山(まるやま)は、前述した鏡山とともに各地に散在しています。これ等の共通点は市街地のちかくにあり周囲を見渡せることにあります。北海道のチャシにしてもこのような条件に合うところにあるのではないでしょうか。

チャシの意」
アイヌ語で、塀(へい)とか囲いの意があるそうで、総社市の鬼ノ城(きのじょう)にもスリ鉢山の頂部を囲うように土塁が築かれていたそうです。また瀬戸内にあった朝鮮式山城にも神籠石(こうごいし)なる同様なものがありました。チャシにも囲いの意があるように、割り木をたてて囲ったとありました。これと関係する列島の「境内」、大陸の「百家」については、話が長くなりそうなので・・・~~!

何故に割り木なのでしょうか?」
丸太を立てるほうが簡単なのに、ストーンサークルの囲いでも太い栗の木を二つに割ったものが使用されていました。「これは、木を割るほどの荒神に関係している」と考えています。弥生以前の<縄文代の列島>に、以上のような共通認識を持った遺跡や、地名や、伝承が残っている。このような認識が、思いつくところで~~!、北九州、瀬戸内、北陸、そしてこの度、北海道にもありました。このように広範囲にあるということは、「徐福達・列島探索隊」が関係しているのではないでしょうか^^。それに「北海道・小人伝承」の蕗(ふき)の葉の下とか孔(あな)に住んでいたとかは、徐福達が多数、連れてきた子供達(養父と同様?)のことかな^^?  徐福達は、その子達を囲っておきたいところだが相手はこどもだからね(笑い)。

でも、これだけで話は、解決しません」
徐福たちは、前述したように「薬石探しの列島サバイバルが主目的!!」歴史をきざむほど北海道に長居はしていない。そして、列島住人には『荒神に変身した(4000年前)巨大隕石』の歴史の継続がある。そして、ウィキにあるように「チャシの用途は複数あり、時代を経るにつれてチャシの主用途は、変化していった」のではないでしょうか。義経逃避の話で^^!その兜の形が円山の形で、星の飾りは天空を飛んだ大隕石に、なにか関係しているのでしょうか。

560青面金剛:2021/10/13(水) 06:38:33
星田妙見宮
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000567M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000567_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000567_3M.jpg

https://www.hoshida-myoken.com/



561青面金剛:2021/10/14(木) 11:18:24
西暦535年の星空
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000568M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000568_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000568_3M.jpg

http://murata35.chicappa.jp/soranokioku/index.htm



562管理人:2021/10/14(木) 23:41:07
Re: 西暦535年の星空
青面金剛さんへのお返事です。


> 『 交野には金属が取れる鉱脈もないのに昔から鍛冶屋がたくさんあったという話も、ここに隕鉄が落ちたということであれば説明がつきます。隕鉄を使えば、刀をも切ってしまうような、丈夫で鋭い刀を作ることが可能です。だから、隕鉄が落ちた後、しばらく後に急遽、刀鍛冶が集められ、ここで“秘密の武器”が作られていた可能性が高い。
>
>  文献によれば、その頃この地に疫病が流行ったという記録もありますから、その時の権力者が人を寄せ付けないようにして、こっそりと作らせていたとも考えられます。この隕鉄で作られた刀が例えば、後世に名を残すような“伝説の剣”と呼ばれるものであったとしたら歴史も非常に面白いですね。
>  因縁めいていますが、私の再発見したスイフト・タットル彗星のかけらの鉄の部分が星田妙見宮に落ちた可能性が非常に高いんです。 』
>
HREF="http://murata35.chicappa.jp/soranokioku/index.htm&quot;&gt;http://murata35.chicappa.jp/soranokioku/index.htm
>


お知らせありがとうございます!
この隕鉄のお話と、そのころに流行ったという疫病の話が興味深いですね。

隕石落下と疫病発生の相関性は以前から私も指摘しているところですが、天然痘がはやるんですよね。

隕石落下に伴う放射性災害が、天然痘などのウイルスに変異をもたらし、新種のウイルスへと変異するとともに、それが周囲へと蔓延する可能性を考えますが、青面さんもご注目の福島の放射能災害とウイルスの変異の件などのデータはないでしょうか・・・。




563管理人:2021/10/14(木) 23:58:57
Re: 星田妙見宮
青面金剛さんへのお返事です。



>  535年にクラカタウ火山が大噴火したと推測しているのは、イギリスのジャーナリストであるデイヴィド・キーズ氏です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fcalseed%2Fentry-10917743982.html
>
> 『西暦535年の大噴火―人類滅亡の危機をどう切り抜けたか(2000/02)デイヴィッド キーズ』
>
> この本の序章では、
> 「535年ないし536年に、人類最大級の天災が発生した。いちばん可能性が高いのは巨大な火山爆発だが、あるいは、小惑星が地球に衝突したのかもしれない。ともあれ、この出来事を出発点として、近代・現代に至る世界史の流れが始まったのである。」と始まっています。
>
> 紀元536年に起こった彗星衝突?
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.astroarts.co.jp%2Fnews%2F2004%2F02%2F20nao701%2Findex-j.shtml
>

535年の大災害は、やはり隕石落下でしょうね。その隕石落下がマントル層にまで至ったものは、それ誘発されて火山噴火もあったのでしょう。複数の地点に隕石が落下していたはずで、日本への落下可能性もありうるでしょう・・。




> 『 イギリス・カーディフ大学のリグバイ(E. Rigby)らは、この現象がクレーターを作らないような小粒の彗星の衝突によって説明できるという研究結果を発表しました。小さな天体だと、地上に達する前に、上空で大爆発を起こします。
>  すると、エアーバーストという強烈な爆風が衝突地点付近を襲って、かなりの面積を焼き払います。その代わりにクレーターはできません。年輪を調べると、どうやらその衝突地点はヨーロッパ北部であったようです。
>  同時に、その爆風と共に彗星に含まれている塵などが大きなきのこ雲となって大気圏を越えて広がります。これらは冷えると再び地球に落下しますから、塵が地球全体を覆ってしまい、太陽光線を遮断する役目をして、地球が冷えてしまうわけです。 』
>



そうですね、クラカタウ火山のあるインドネシアのみならず、この際にはヨーロッパ北部にも落下もしくは空中爆発があったのでしょう。複数に地点に落下しているはずです。隕石落下をもたらす小天体が北欧からインドネシア方面へと周回していったのでしょうね。



> ☆ 星田妙見宮を中心として、半径数十キロの圏内は、廃墟と化すので、奈良県庁約15キロ、京都府庁約25キロ、檜隈廬入野宮(ひのくまのいおりののみや. 第28代 宣化天皇宮. 奈良県高市郡明日香村檜前)約38キロ。大和の都は壊滅的な損害を被ったと推察される。これが元で、大きな政変に繋がった。
>
>  この復興のために、当時、最も財力を有していたのは、日本海交易で栄えていた、越前蘇我三国国造家で、出雲や古志との経済連携もあった。大和の地で、蘇我氏が復興の中心的な役割を担ったと、考えられる。
>
> 『妙見大菩薩はたたら製鉄の神だった?』
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkntryk.blog.fc2.com%2Fblog-entry-766.html%3Fsp
>
>

星田の歴史も興味深いですね・・・。

564史実探偵: 平 素人:2021/10/15(金) 06:32:12
Re: 西暦535年の星空
管理人さまへ、皆さまへ>

「西暦535年」の周回をいわれてましたね。大隕石は大気圏内に入ると分散弾になるかもですね^^! わたしは、その主塊が→(速玉)伊勢の沖に!?とひそかに思っています。そうすると西暦536年の○○火山噴火はタイムラグで列島ストレス解消に起因したかと^^? つごうのよいように・・・(汗~)  いずれにしても、先が楽しみです・・・、

565管理人:2021/10/15(金) 22:15:17
Re: 西暦535年の星空
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000572M.jpg

https://www.hinet.bosai.go.jp/?LANG=ja



566史実探偵: 平 素人:2021/10/17(日) 04:50:54
西暦535年の(大)飛翔隕石!?
管理人さまへ、皆さまへ>

「西暦535年」の大飛翔隕石について考えています。<編集中^^!>
どうやら、その大飛翔塊の<主核>は北極の方向(或は 前述の出雲伊勢ライン)から、分弾を撒きながら列島の中央あたりを飛んで伊勢湾から遠くない海上に落下・衝突したもようです。

以下は<中坊程度の思いつき段階ですから、どうぞのご修正を!
まず北極の方向からですが、先様方の報告にプラスして、北斗信仰や妙見信仰があります。その大飛翔隕石が人心に恐怖や畏怖を与え 大被災 を伴わなければ、唯の天体ショーに終わり、信仰という永続した歴史にはならないと思います。

妙見については字のあらわすとおり「妙なる光」を見たということであり、その飛翔体が彗星軌道をとったと推察されます。ここで彗星についてですが「彗星は汚れた水玉論」が発表されて以来、それが主流となっているようですが太陽を周回する惑星や、その惑星を周回する衛星、小惑星の大きさや形態はじつに様々~~。前述しましたが、それはパーセンテージの問題であり『我がだけよ!』論のみでは解決しないと思うのが素人の考えです。彗星軌道をとった天体ならば朝夕に見え、極方向からの衝突は考えにくく「これが」一番の難題 だとおもっています。

飛翔体のサイズについて」
その飛翔体を(大)としたのは、ある程度の大きさがないと、その飛翔塊には様々な“温度”や、“力”が働き、それによって細分化されれば各衝突の威力が小さくなるので、ある程度の大きさは必要かと。その巨魁は太陽を離れたところであれば低温であり。太陽に近づくとケプラーの法則で急速に接近し急速に離れる。その塊が大きければ表層のみが炙られ内部まで温度がとどかず、外側だけが柔らかく芯が固い状態なので表層だけが剥がれやすくなる。次に力だが、思いつくところで、引力、ロシュ限界、潮汐力、それに小さいと思うけど遠心力もかな?、そして大気圏突入!! その衝突が地球の自転方向であれば相対速度は小さくなる^^?? それ等に耐えうるだけの剛体とサイズがなければ、次の巨大津波の発生や隕石の冬には進めない。

筆者がその<主核>の衝突を『伊勢沖』としたのは、この海岸が、そのとき発生した津波大泥流によってリアス化したかと思っていること(~~汗)。記憶が四国と混同してるかもしれませんが、ここにも五色石(御敷・津波成因)があったのかな~~!。それと御柱伝承(みはしら→巨魁落下による巨大水柱→海柱・見柱→御柱へ^^!) それと「なぜ伊勢半島が重要視されるのか?」の歴史的背景もあり、当時のこの地方は、交通の便も良いとはいえないし、平野も広くないと思うのが子供心です。

なぜ、速玉大社が出雲大社と並び称されるのか?」
出雲には、四千年前の大事変で浮沈した島根半島・巨大竜(別紙)があり、(伊勢)・速玉神社の朱色柱は、その出雲から飛翔してきた真っ赤な巨魁竜があったからではないでしょうか・・・~~! その飛翔塊が赤ければ、その温度は7・800℃と思われますから、小さいと1000℃以上になり、黄色か白色となり“ある程度以上”のおおきさがなければと思います・・・・、難しい計算は専門家に~~!。                                                                            

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



567史実探偵: 平 素人:2021/10/20(水) 06:04:49
Re: 西暦535年の大飛翔隕石!?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000574M.jpg

      太陽系誕生モデル(拙:絶版報告書より)
皆さまへ>
> 「西暦535年」の大飛翔隕石(!?)について引き続き考えています。
  当方、思考力と検索力が極端に落ちてますので々・、その点をお含みおき下さい~~!
> どうやら、その大飛翔塊の<主核>は北極の方向(或は 前述の出雲伊勢ライン)から、分弾を撒きながら列島の中央あたりを飛んで伊勢湾から遠くない海上に落下・衝突したもようです。

この二つを検索すると、
 北斗は、信州と、北海道に北斗市がありました。
 妙見は、〇〇、三丹地方、岡山(妙見山12ヶ所最多)、に関係しているようです。
北斗(北辰)が主神で、妙見が菩薩のようですが、わたし的の考えを<大隕石衝突>にからめて考えると妙見・彗星衝突・被災が先で、天空に動かない主座の星、北極星をさす北斗は、後づけではないかと考えてみました。これに似た考えで地球に落下する星は、「天空中央のスバルからすべての星が誕生した」との考えもあるようです。

妙見検索で、「○○、三丹地方、岡山」から、飛翔大隕石!?の通り道とした列島中央の <出雲→淡路→伊勢沖>ライン がみえてきましたが^^?? ・・・ごめんなさい作文がつづきません。

「西暦535年」の大飛翔隕石(!?)のルートは次のどちらか??
太陽系誕生で横軸・黄道ラインの衝突合体と、縦軸・北辰南十字星軸の衝突合体を考えていますが、地名や祖先からの伝言ではどちらとも判じえません・・・
ちなみに、「妙見信仰は大陸から伝来した」は、その大隕石の飛翔を 「中国→出雲→伊勢沖」とすれば、その飛翔隕石の行方を追った人たちが列島へ渡来したと考えれば良いのですが、・・・北辰ラインも捨てがたい・・・^^!。

                    

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html



568青面金剛:2021/10/21(木) 06:16:15
安閑天皇元年(534年)6月、神石「雷斧石(らいふいし)」三柱の御出現
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000575M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000575_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000575_3M.jpg

http://www.sakisaki.net/index.html



569管理人:2021/10/21(木) 23:09:57
Re: 安閑天皇元年(534年)6月、神石「雷斧石」三柱の御出現
青面金剛さんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
>
> ☆ 咲前神社(群馬県安中市鷺宮) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.sakisaki.net%2Findex.html
>
> 《 安閑天皇元年(534)6月、初の申の日に神石「雷斧石」

なるほど、この名前は興味深いですね・・!


>
> 第27代 安閑天皇 勾金橋宮(まがりのかなはしのみや:金橋神社 奈良県橿原市曲川町)
>
> 『 安閑天皇(西暦466〜535)は継体天皇の第一皇子で勾大兄廣國押武金日天皇(まかりのおほえひろくにおしたけかなひのすめらみこと)の



なるほど、今まで、この天皇と宮の名に隠された意味に気づきませんでした・・・・。


>
> ☆ 飛鳥時代、敏達天皇(585年)の頃にも流行しており、これも痘瘡(天然痘)と考えられており、政権争いの元にもなっていてます。
>
>  安閑天皇が蔵王権現と同体と考えられています。
>

そうですね、隕石落下と天然痘の組み合わせ・・・、そしてそこに絡んで政変や国の興亡が起こるメカニズムを解明していく必要がありますね。



>  福島第一原発事故、等に因る、放射性トリチウムの大量放出は、大気圏高層のイオンを激変させ、オゾンホールが北半球にも、空く様に成りました。今年の初頭に、日本各地で、「夜空が紫色に光ってる。」「雲空に穴が空いてる。」は、その前兆現象です。オゾンホールは、冬場に発生し易い。
>
>  チェルノブィリ原発事故の翌年にはエイズ(AIDS)が流行し始め、原子力産業側が放射能の内部被曝に因る症状を、新型感染症と偽る事で摩り替え、責任逃れを図っている構図が有ります。
>
>  炭そ菌やエボラや川崎病も、内部被爆に因る症状と思われます。オゾンホールが空き、有害な紫外線が、地表に降り注ぐと、皮膚ガンや白内障も増加します。外を歩くときは鍔の広い帽子を被り、冬場の雪道では、雪面からの反射を避ける為に、登山用の被せ式のサングラスも必要と成ります。
>
>

情報ありがとうございます!

放射線量が大きくなると被ばく症状が出て、免疫力の低下から、普段はかからないはずの疫病にかかったり、伝染病の発生に至る可能性を感じます。そして、放射線によりウイルスなどの遺伝子も微妙に変異して、新種として猛威を振るうのかもしれません。


そのメカニズムを解明しないと、隕石落下と伝染病の蔓延の関係性を明らかにできないかもしれませんね。医学的な知識も必要でしょう・・・。



570青面金剛:2021/10/22(金) 03:29:39
水銀公害の原点は奈良大仏
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https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000577_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000577_3M.jpg

https://bishogai.com/msand/powder/naradaibutu.html



571管理人:2021/10/23(土) 23:06:05
Re: 水銀公害の原点は奈良大仏
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000578M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000578_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000578_3M.png

https://bishogai.com/msand/powder/naradaibutu.html



572管理人:2021/10/25(月) 23:34:00
黄金山・川下チャシ・冷水遺跡
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https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000579_3M.jpg

https://www.google.com/search?q=定山渓天狗岳&client=firefox-b-d&sa=X&stick=H4sIAAAAAAAAAONgFuLWT9c3LMkzMM1JT1PiBXEMk8otsnKrjMy1BIMzU1LLEyuL_VIrSoJLUguKF7EKPV036-nGjc92TH66ZOXz7ulPN23ewcoIAJDmLLtJAAAA&biw=1409&bih=687&sxsrf=AOaemvJgfzOwRh9_YXmSwyLU54QSgh-m8A:1635165863710&tbm=isch&source=iu&ictx=1&fir=duLHjNEdgaDg0M%2C6LVF_16Ju09JjM%2C_%3BYz6HL9_5SZFzeM%2CTIOuhjLlS3qamM%2C_%3BAcTkK66uniLUYM%2CzBIlPVDKM6yLSM%2C_%3BUOTXbaDNWGx-KM%2CtQ1qFn7yngU-7M%2C_&vet=1&usg=AI4_-kT6C0So0ANlc4zu0rRSZXJ4ghBkTQ&ved=2ahUKEwi1zNHDy-XzAhUVMd4KHYKzDO8Q_h16BAg1EAE#imgrc=WVAhahZiPWdSPM



573管理人:2021/10/28(木) 00:21:50
新旧石器・ピラミッドライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000580M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000580_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000580_3M.png

昨晩お知らせした黄金山に関するラインですが、その黄金山を起点として縄文時代の遺跡やアイヌのチャシ等を結ぶラインとは別に、黄金山そのものを造営?整形した旧石器時代の遺跡と結びつくラインがあることを以前もお知らせしたとおりです。

それでさらに分析を進めていくと、図1とその拡大図の図2のラインが浮かび上がってきました。

すなわち、黄金山⇔朝里天狗岳⇔羊蹄山⇔剣山へと伸びる60度偏角のラインと、黄金山⇔定山渓天狗岳⇔貴気別岳⇔洞爺湖(中島)⇔位山を結ぶ65度偏角のラインです。

その位山については、すでに人工ピラミッド?として黒又山などとともに注目されているところですね。
剣山の形もよくみてみると整形されたような形状をしてます。

それで、今回探索した黄金山についてその形状を確認していくと、図3のように、そのラインに対して反対側に、図で白く塗りつぶした領域が楕円形になっていることがわかります。この形状は、以前も指摘した朝里天狗岳などにみられる変形ピラミッド型の構造と同類です。

この意味するところは、その領域において爆発があり、それによってその部分が削り取られるか吹っ飛んだ結果として、その残骸部分が黄金山の急斜面を構成したであろうことが予想されます。

その爆発によって、いわゆるクレーターやカルデラといったものが仕上がったはずですが、隕石落下によるものならばクレーター、火山噴火によるものならばカルデラとなるわけですね。

仮に先の60度もしくは65度ラインに沿っているならば、後者のクレーターの可能性があり、その延長線上にある羊蹄山などもその隕石落下に誘発された火山となるのかもしれませんが、ただ第三の可能性についても考慮しておくべきでしょうか・・・。

つまり、人工的な爆破によりこれらの火山・山岳が意図的な位置に造営されたということですね。

その件については、このライン上にある丘陵地帯や島地を分析していくことで明らかにできそうですが、また追ってお知らせします。特に先の60度偏角のライン上にある天橋立の構造がその解明に役立ちそうです。



574史実探偵: 平 素人:2021/10/31(日) 07:20:00
Re: 新旧石器・ピラミッドライン
管理人さまへ、 皆さまへ>
  おはようございます^^。<人工ピラミッド?> について考えてました^^!

> その位山については、すでに人工ピラミッド?として黒又山などとともに注目されているところですね。
> 剣山の形もよくみてみると整形されたような形状をしてます。

> それで、今回探索した黄金山についてその形状を確認していくと、図3のように、そのラインに対して反対側に、図で白く塗りつぶした領域が楕円形になっていることがわかります。この形状は、以前も指摘した朝里天狗岳などにみられる変形ピラミッド型の構造と同類です。

以前の話ですが、久米宏さん>のテレビ番組で鹿角市黒又山が「造形ピラミッドか!?」がありました。この話題は、当方(と故岩淵先生)が提唱する「四千年前・釜石へ飛来した巨大隕石」の軌跡を定める発端になりました。後に、信州の<皆神山・みなかみやま>が世界で最大級の造形ピラミッドのニュースもありました。

その一端をmyブログでも転載させて頂きましょう。
  「世界最大で最古の皆神山ピラミッド」
◎皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく初歩的な重力制御技法(部分的干渉波動抑圧)により、当時長野盆地が遊水湖沼(最古のウルム氷期の終末期で東、南信の氷解水よる)となっており、その岸のゴロタ石等堆積土砂石を浮遊させ、空間移動させるというダイナミックな方法でした。(従って現在でも皆神山塊だけが非常に軽く負の重力異常となっております)

◎この皆神山の盛土的山塊が自重により不均衡凝縮 = ねじれ摩擦現象 =
起電 = 電流発生 といったダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じ磁力と重力制御(反動)により物体(電磁反発飛翔体)が離着陸するようになったのです。
古文書に出てくる<天の羅魔舟(アマノカガミブネ)>等がこの飛翔体です。

以上のように学者連さまは、素人には難しすぎることを仰いますので素人なりに、その造形方法を考えてみます。その前に誰が何んの為にを考えてみました。

 誰が何んの為に?」
これは前にも上げていますが「先さまのラインは“徐福団”の薬石探索ラインに重なる」としました。徐福達は童男童女3千人?や百工を引き連れた大捜索隊。編隊に準備をかけたとはいえ“互いに面識のない”この人達が列島に分散し年末に一度、出雲に集まり(この詳しくはmyブログに^^!)『彼の地、この地には、こんなものが有りました』の情報の交換や共有をし “代々継続して” 霊薬や珍宝を収集・集荷し本国へ送るラインをつくる分けですから、誰もが知らない見知らぬ土地へ再度おとずれるとき、地名は現地住民に聞けるが過疎地においては自分たちで分かり合える(東北地方に多い)番号付けの地名や "何かの目印が要る" それが△山や、造形ピラミッドではないでしょうか^^?  蛇足ながら、その位置決めや測量の三角点(基点)は貴家であった「列島に散らばる鏡山」だったとしました。

 そのような、高度な測量が二千二百年ほど前の縄文代に出来るとは、貴家の<歴史掲示板>で習いました^^。でも、徐福達方士は、オールマイティではないので“星座やピラミッド”を識る(中東・西欧の?)人達を 『この者達も連れていけ!!』と始皇帝が命じたと。どこやらで前述しました^^!。このように考えると、貴家で色々に議論されている異邦人埴輪やDNAの散らばりにも ツジツマ が合うような気がします(汗〜^^!)。

素人が考えた「ピラミッド形の造山方法」
 まず、それと思しき形状した山の、いち麓(ふもと)ちかくを底辺として、
?思うだけの直線を削り取り、上部が雨水や雪解けで土砂崩れするのを待つ。
?前後して、表土の植生を焼き払い土砂崩れや土石流を誘引する。
?一様には崩れ落ちないので、残った所へ雨水や雪解けが集まるように、
 溝を切ったり、土塁を積んだり、神籠石の工法で崩しながら整形してゆく。
?これ等の工法や人力を組み合わせながら整形をかさねてゆく。
 (図3の頂部近くにある富士山様のギザギザ模様がこの謎解きのヒントになりました^^)

でも、このような「お天道さま頼み^^」の方法では何年かかるのでしょうか^^?
30年? 50年? それとも短い・?、 こんな話を聞いたことがあります。「住家の前に日差しを遮る山がある。日本人は日当たりの良い方へ移住するが、気の長い中国人はたとえ何代かかろうとも、その山を取り崩し取り除く^^?」さて、貴方さまは^^(笑い)。

<筆者のピラミッド造山方法には、つぎの三つが要る>
山の斜度が急なこと。崩れやすい土質(ごろた石?)であること。継続した意思(例えば信仰心)やその人物が要ること。このどれ一つが欠けても造形ピラミッドはなしえない。それと降雨、降雪頼みもかな^^? そのいう山が上記の方法で成したのであれば大きな岩石が氷河のように下部に集まる傾向があります。さらに言い添えれば、大陸人は山の頂上に社寺を囲い、列島では山の中腹に社屋をたてるとの違いがあるとみています。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-5.html



575管理人:2021/11/12(金) 03:45:37
Re: 新旧石器・ピラミッドライン
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへ、 皆さまへ>

> その一端をmyブログでも転載させて頂きましょう。
>   「世界最大で最古の皆神山ピラミッド」
> ◎皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく初歩的な重力制御技法(部分的干渉波動抑圧)により、当時長野盆地が遊水湖沼(最古のウルム氷期の終末期で東、南信の氷解水よる)となっており、その岸のゴロタ石等堆積土砂石を浮遊させ、空間移動させるというダイナミックな方法でした。(従って現在でも皆神山塊だけが非常に軽く負の重力異常となっております)
>
> ◎この皆神山の盛土的山塊が自重により不均衡凝縮 = ねじれ摩擦現象 =
> 起電 = 電流発生 といったダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じ磁力と重力制御(反動)により物体(電磁反発飛翔体)が離着陸するようになったのです。
> 古文書に出てくる<天の羅魔舟(アマノカガミブネ)>等がこの飛翔体です。
>
> 以上のように学者連さまは、素人には難しすぎることを仰いますので素人なりに、その造形方法を考えてみます。その前に誰が何んの為にを考えてみました。
>

何か重力関係かもしれませんね。。。ピラミッドも高度な重力技術を応用しているみたいですし・・・。



>  誰が何んの為に?」
>り合える "何かの目印が要る" それが△山や、造形ピラミッドではないでしょうか^^?  蛇足ながら、その位置決めや測量の三角点(基点)は貴家であった「列島に散らばる鏡山」だったとしました。
>


徐福の時代は新しすぎるとおもいますが、別に先ほど古代史掲示板に投稿した天神山チャシのラインのように、縄文中期あたり、つまりエジプトのピラミッド現れるころの造営の可能性はあるとおもいますよ。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F12358


> 素人が考えた「ピラミッド形の造山方法」
>  まず、それと思しき形状した山の、いち麓(ふもと)ちかくを底辺として、
> ?思うだけの直線を削り取り、上部が雨水や雪解けで土砂崩れするのを待つ。
> ?前後して、表土の植生を焼き払い土砂崩れや土石流を誘引する。
> ?一様には崩れ落ちないので、残った所へ雨水や雪解けが集まるように、
>  溝を切ったり、土塁を積んだり、神籠石の工法で崩しながら整形してゆく。
> ?これ等の工法や人力を組み合わせながら整形をかさねてゆく。
>  (図3の頂部近くにある富士山様のギザギザ模様がこの謎解きのヒントになりました^^)
>
> でも、このような「お天道さま頼み^^」の方法では何年かかるのでしょうか^^?
> 30年? 50年? それとも短い・?、 こんな話を聞いたことがあります。「住家の前に日差しを遮る山がある。日本人は日当たりの良い方へ移住するが、気の長い中国人はたとえ何代かかろうとも、その山を取り崩し取り除く^^?」さて、貴方さまは^^(笑い)。
>

古代ローマの金鉱で、山頂付近に川の水をためて、一気に水圧で山頂ごと壊す方法があったとテレビでやってましたから、ありえない話ではないです。



576史実探偵: 平 素人:2021/11/20(土) 05:42:52
Re: 新旧石器・ピラミッドライン
管理人さま> おはようございます。またまた朝になってしまいました^^!。

 歴史版 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F12358
> こちらは紅葉の季節ともなり、市内の天神山チャシを再度見に行きました。チャシの上に庭園があります。チャシの周りは石列が囲んでいるのですが、いつの時代のものかわかりません。変な岩がありましたので、写真添付します

 池に映った紅葉きれいですね。今年の紅葉は、山頂と平野部、全国一斉に紅葉がすすんでいるような気がします^^。歴史版のほうすべてを読解することは叶いませんが、そのなかで気になったことを・・^^!

気になられた「変な岩」の写真から
 一見して “定礎” =観測の基点石かと思いました。上部の“水平面”は地震等での傾きもあるかも知れませんが、側面の角度づけ掘り込みの部分は、太陽か星座方向か????そして、その側面(トランシット!?)の狙い先はどちらを見ているのでしょうか^^???尾道市の千光寺の二つの岩石スリットは冬至の日の出方向とかでしたが^~!。ちなみに、今私たちが両の手を合わしているのは、そのスッリトの先の神や日の出の方向を拝んでいるとしました。
チャシの周りの石列囲い」 どのようなものか気になります。
 位置仕様がわからないので、全くの仮定想像ですが、もしその「変な岩」が筆者のいう「定礎」ならば、その石列囲いにも方向性の意味をもたせていますから、時計の文字盤のように北・東・南・西の要所の位置にすこし大き目の石を使います。大湯の環状列石に似たような配置をみています。

> 徐福の時代は新しすぎるとおもいますが、別に先ほど古代史掲示板に投稿した天神山チャシのラインのように、縄文中期あたり、つまりエジプトのピラミッド現れるころの造営の可能性はあるとおもいますよ。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F12358

ゴメンナサイ^^! ピラミッド代と徐福代はおおきく違いますが、それに関連した星座観測→方位決めのような永続した何かがあるのでしょうか???? 近ごろの私は、日々のたしかめを新聞で確認するほどにぃなりました・・・汗〜^^!

> 古代ローマの金鉱で、山頂付近に川の水をためて、一気に水圧で山頂ごと壊す方法があったとテレビでやってましたから、ありえない話ではないです。

実際の方法が思い浮かびませんが、思いもよらないことがあったのでしょうねキット^^。

総社市の鬼ノ城・キノジョウの全体をみれば、すり鉢状の山頂をしているのですが、その頂部ちかくの端部に溜め池をつくり水門(ダム??)を設えていたところが幾つかありました。これも何かの考えがあってのことでしょうか・・?  飲み水だけなら溜井で十分なのにと思ったことがありました。そして不思議なことに、その溜め池(A面)方向に、違う向き斜面(B面)の雨水までもが流れ込むように土塁(跡)を築いてありました。

崖崩れを誘発させるためには、その溜め池が土石流を起こすような工夫(耕土?)と水量が必要かとおもいます。天神山チャシにある“山頂の池”も何かの考えがあってのことでしょうか・・・??

577管理人:2021/11/03(水) 23:37:00
Re: 新旧石器・ピラミッドライン
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さま> おはようございます。またまた朝になってしまいました^^!。
>
>
> 気になられた「変な岩」の写真から
>  一見して “定礎” =観測の基点石かと思いました。上部の“水平面”は地震等での傾きもあるかも知れませんが、側面の角度づけ掘り込みの部分は、太陽か星座方向か????そして、その側面(トランシット!?)の狙い先はどちらを見ているのでしょうか^^???尾道市の千光寺の二つの岩石スリットは冬至の日の出方向とかでしたが^~!。ちなみに、今私たちが両の手を合わしているのは、そのスッリトの先の神や日の出の方向を拝んでいるとしました。
> チャシの周りの石列囲い」 どのようなものか気になります。
>  位置仕様がわからないので、全くの仮定想像ですが、もしその「変な岩」が筆者のいう「定礎」ならば、その石列囲いにも方向性の意味をもたせていますから、時計の文字盤のように北・東・南・西の要所の位置にすこし大き目の石を使います。大湯の環状列石に似たような配置をみています。
>


そうですね、星見のための何かかもしれませんね・・・。環状列石はカレンダーが組み込まれているようですからね。



が思い浮かびませんが、思いもよらないことがあったのでしょうねキット^^。
>
> 総社市の鬼ノ城・キノジョウの全体をみれば、すり鉢状の山頂をしているのですが、その頂部ちかくの端部に溜め池をつくり水門(ダム??)を設えていたところが幾つかありました。これも何かの考えがあってのことでしょうか・・?  飲み水だけなら溜井で十分なのにと思ったことがありました。そして不思議なことに、その溜め池(A面)方向に、違う向き斜面(B面)の雨水までもが流れ込むように土塁(跡)を築いてありました。
>
> 崖崩れを誘発させるためには、その溜め池が土石流を起こすような工夫(耕土?)と水量が必要かとおもいます。天神山チャシにある“山頂の池”も何かの考えがあってのことでしょうか・・・??



そういわれてみると、神籠石の水門の意味も気になるところですね。

天神山くらいだと低地で小さいなので、人力でも比較的簡単にピラミッド型に整形できそうですが、山頂部にも同様な地形が多数見えるのが気になってます。黄金山も700m以上ありますからね、そこに大人数が登っていったとも考えにくいことがあります。

岩という意味では、先日のラインにありました下赤岩山の動画がありましたので、お知らせします・・・。いけるかな・・・自然造詣の岩なのでしょうか・・


/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2FEkePFMOpU0c





578史実探偵: 平 素人:2021/11/08(月) 06:57:28
Re: 新旧石器・ピラミッドライン
  管理人さま> 今日はおすすめの動画をみています。・・ながいのですね^^。
>
> 岩という意味では、先日のラインにありました下赤岩山の動画がありましたので、お知らせします・・・。いけるかな・・・自然造詣の岩なのでしょうか・・
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2FEkePFMOpU0c

 徐福隊が、神仙・日本列島に仙薬や珍品をもとめ、本国へそれ等を送るために年一に出雲に集まり互いに情報交換していたとは前述しました。彼らの移動は、陸路の目印として△山を用いましたが彼らの主な移行は船でしたから海からも見える必要があります。西日本に散在している朝鮮式山城と呼ばれているものは海が見えることから敵の来襲を早くしるための見方もありますが、後世でそのような使われ方があったとしても、当初の目的は双方の確認であったと思われます。動画では巨船でしたがご存じのように小舟がいったん海上にでると“上陸したい場所”への見定めは大変むつかしいことがあります。<下赤岩山>は海からではどのように見えるのでしょうか^^。永続して行き来するようになると、新大陸で一日の駅馬車の移行によって宿場町ができたように、日本海側では一日の航行時間により寄港地が決まり、それが発達したのが今の隔県の県庁所在地ではないかと別紙(myブログ)でしました。そこでのDr.izumoとのやりとりで、氏は混血美人は隔県に多いとされていましたが、そうなのでしょうかぁ?(笑~~!)

> 下赤岩山・・自然造詣の岩なのでしょうか・・

この動画の突針した岩姿。とても興味があります。どのようにしたら、このような「造形」になるのでしょうか?? まったく見当も及びません。南極大陸大隕石の大泥流波で周囲を削られた岩姿や、中国・桂林等にみえる石灰堆積地や、小豆島にある浸食奇勝等のでき方とはまったく違うように思います。動画の海岸線には、その(火山岩??)崩落あとも見えますが崩落だけでこのような奇勝ができるとはとても思えません。どなたさまかご教示を!!

579管理人:2021/11/10(水) 22:48:45
Re: 新旧石器・ピラミッドライン
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>   管理人さま> 今日はおすすめの動画をみています。・・ながいのですね^^。
> >

>  徐福隊が、神仙・日本列島に仙薬や珍品をもとめ、本国へそれ等を送るために年一に出雲に集まり互いに情報交換していたとは前述しました。彼らの移動は、陸路の目印として△山を用いましたが彼らの主な移行は船でしたから海からも見える必要があります。西日本に散在している朝鮮式山城と呼ばれているものは海が見えることから敵の来襲を早くしるための見方もありますが、後世でそのような使われ方があったとしても、当初の目的は双方の確認であったと思われます。


ちょうど昨晩、徐福の時代?にあたる北海道の続縄文時代の遺跡を結ぶラインを、歴史掲示板のほうにアップしておきましたので、よろしくご確認ください。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F12365


> この動画の突針した岩姿。とても興味があります。どのようにしたら、このような「造形」になるのでしょうか?? まったく見当も及びません。南極大陸大隕石の大泥流波で周囲を削られた岩姿や、中国・桂林等にみえる石灰堆積地や、小豆島にある浸食奇勝等のでき方とはまったく違うように思います。動画の海岸線には、その(火山岩??)崩落あとも見えますが崩落だけでこのような奇勝ができるとはとても思えません。どなたさまかご教示を!!



確かに海岸沿いには奇形の岩が多くありますが、あそこまでとなると興味深いですね。
おそらくは、積丹半島付近は相当荒い波が来るのではないかと予想しますが、どうなんでしょうね・・・。

580史実探偵: 平 素人:2021/12/22(水) 05:35:09
故:岩淵國人先生<旭日双光章>受章!
管理人さま・皆さま> へのお知らせです。
わたしの敬愛する <故・岩淵國人先生奥州市'21/5/17没>が、この度(12/22)に、
 内閣府から <旭日双光章> を受章されます。

先生は「歴史掲示板」の以下にも投稿されています。
[2831] 4000年ほど前の津波はノアの洪水ではありません
投稿者: 岩淵國人(医師) 投稿日:2015年 6月17日(水)22時09分7秒

[3274] 4000年ほど前の彗星デブリ衝突
投稿者: 岩淵國人(医師) 投稿日:2016年 4月 6日(水)19時41分11秒
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  彗星衝突による「縄文超々巨大津波」文芸社 2013/1/15初版第1刷発行

581管理人:2022/01/12(水) 02:41:33
謹賀新年
昨年も大変お世話になりました。

平さん、岩淵先生のご受賞に関するお知らせありががごうざいました。
先生にお会いできなくなったのはショックでしたが、また引き続きご遺志を引き継いでいきたいところですね。

今年もよろしくお願いいたします。

582史実探偵: 平 素人:2022/01/31(月) 01:45:25
卑弥呼の生涯を仮説する?
管理人さま・皆さまへ> 本年もよろしくお願いいたします。

> 先生にお会いできなくなったのはショックでしたが、また引き続きご遺志を引き継いでいきたいところですね。

・・・ですね。しかしながら喪に服したい気持ちもあり、いまだに脱力状態がつづいています。岩淵先生の主は医学方面の顕彰なのでしょうが、私たちの方面でも <ご遺志を引き継いでいきたいところですね>・・めげず噴気します・・・~~!

 <卑弥呼の生涯> (自分的にも暴論の思いがあり控えていたのですが~~!、)
倉敷市船穂町(ふなおちょう)に、縄文の(里木)貝塚があり人骨や土器(倉敷考古館・間壁氏)が出土しています。ここを前にした小高い丘の中腹に「里木神社」があります。その立て看板に、この祭神を父とする稲田姫が出雲の素戔嗚尊に嫁いだとあります。櫛稲田姫については多説あるようなので素人が確たることは言えませんが、ここの北谷地区の地図に<后王>という大そうな地名をみつけました。高梁川の河口にあり今は海抜5〜6mで陸地化していますが船穂町(ふなお)には大舟尾(おおぶなお)という地名もあるからその昔は舟が着岸していたのでしょう。<后王>の読みや意味はわかりませんが余りにも大そうすぎます。そこでこれを稲田姫の母の住所として仮想話~~!を組み立ててみました。
? ここ船穂(尾?)町は、徐福代からの交易があり里木の祭神はこの地の長であった。
? その父と大陸人との交わり(交易の主は大サンショウウオ)からその進んだ知識の影響をうけた。
? それをみて育ったヒミコ(穂?⇔稲田姫?)は、美しく聡明で“予知予見能力”もある娘へと・。
? それが先進の出雲にも知れわたり現在の斐伊川界隈にすむ素戔嗚尊へ嫁いだ。
? ・・・、??? ・・・
? ヒミコは太陽が主神で彗星従神説をとなえ彗星(荒神)退散祈祷(ニアミス)を行った。
冬至(1700年前)の鼻突峠からの日の出(荒神)入光を、出雲市猪ノ目峠茶屋跡上(徒歩で7分)斜面に奥行十丈!?の未発見の洞窟内へ封印している!(後に、木柱環柱列ウッドサークルや東屋やお神輿へ)
? 出雲・岩倉・荒神谷で大量の銅鐸銅剣を封印し!!銅鐸荒神文化から銅鏡太陽神文化へと、
? 銅鐸銅剣を封印行脚→総社市・岩屋→姫路→神戸・いわや→滋賀野洲町・大岩山→帰路へ

この「封印行脚」を思いついたのは、吉備の地の銅鐸銅剣は未掘ですが大量の銅鐸出土地には<岩>の字があることと<姫路>付名の特異性からで、道中にはかなりの付き人があったと思われます。後の姫街道(浜松)や花嫁行列へと・・、

? →長旅の疲れで箸墓で死去埋葬 → → 分骨は出雲で(後に円墳!?)が築かれた。

 このように考えると魏から得た金印は出雲(その円墳内!?)にあるかも!?
当時の列島には、紙はいたって無くて、その慣習もなく印鑑は無用の長物であり持ち歩くものではない。・であるならば、卑弥呼はその印鑑は出雲に置いて出立している!!

その昔、出雲半島には銅鋼石ゴロゴロ、斐伊川には砂鉄があったが、水稲を作る広い平野がなかった。大陸や半島から推力の弱い当時では流れの速い津島海流にながされ出雲に着岸するのがやっとであった。そして大陸へ戻るには沿岸沿いに西進し唐津あたりから半島や大陸へ渡っていった航路の形成が考えられる。このことから大船団の食料米を得るために広大な北九州(吉野ヶ里)へと文化の中心地が移っていったのではないでしょうか。
( 管理人さまは邪馬台国・吉野ヶ里説でしたよね^^。)

10. 壱与・台与は、ヒミコの呼称を継いだ北九州への二・三代目ではないでしょうか~~?

この歴史の根には二千二百年以上まえに神仙列島を探訪した徐福団が関わっている。そしてその根源には四千年ほど前(岩淵先生は汚れた水玉彗星衝突説)東北巨大隕石がもたらした大事変があり。巨大地震と北上高地越えの泥流と大陸にまでとどいた巨大津波は外せない。そして、その直後の1・2年におきたであろう(半球平均気温10℃以上降下と推定)隕石の冬。さらに、当時の真北(北極星)と磁北(風水)は先様方のご専門^^。72年に1度角、時計方向に日の出位地がずれるんでしたっけ~~!。緯度によっても異なるのかな?
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.excite.co.jp%2Fnews%2Farticle%2FTocana_201710_post_14827%2F

583青面金剛:2022/01/05(水) 07:51:03
Re: 卑弥呼の生涯を仮説する?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000590M.jpg

https://www.nitamai.com/about/14



584管理人:2022/01/06(木) 00:12:30
札幌の油田と隕石落下
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000591M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000591_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000591_3M.jpg

https://rekishinoashiato-east.amebaownd.com/posts/7719275/



585管理人:2022/01/07(金) 01:35:16
世界油田ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000592M.png

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https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000592_3M.jpg

昨晩の続きで、世界の油田の立地的な共通性を考えていくうえで、図1のような世界の油田を結ぶラインを考えてみました。

こう結んでいくと、綺麗に3点以上の油田が載るラインが複数現れることに気づきます。
そしてそれらが平行になっているケースも出てきます。

まず、?E⇔O⇔Pラインと、?D⇔K⇔Qライン、そして?F⇔G⇔Mラインが、西10度偏角で平行関係になります。

また、?D⇔E⇔Nラインが東10度偏角。

そして、?H⇔M⇔Rラインは、偏角無し(0度)の同緯度東西ラインです。

その他、?A⇔B⇔Lラインがあり、32度くらいの偏角ですが、中東のイラン南岸あたりを通過してますね。
同じく?C⇔I⇔J⇔Pの西5度偏角のラインもありそうです。

これらは、特に?の同緯度ラインの存在は、赤道軌道上を周回した小天体とその隕石落下によってこれらの油田が形成された可能性を示すのではないでしょうか。

同様に、?、?、?の西10度偏角の平行ラインも、地球が時点を1周する間に複数回小天体が10度偏角で地球の周囲を巡り、その間に隕石を落下していったことを示すでしょうし、?の東10度偏角のラインも同時期に反対側から侵入した小天体によるものではないでしょうか。

そうすると隕石落下と油田とがかかわってきそうですが、単に地層が造山運動で湾曲しているというだけなら、世界中どこからでも石油が湧き出るわけでして、それとは異なるメカニズムで隕石落下とそれにともなうマグマ刺激→噴火への過程で、石油層から石油が湧き出すメカニズムがあることも予想しうるでしょう。

思うに、隕石落下の際に、地下深くまで穴が貫通するんじゃないですかね。鉄とニッケルの塊の数トンの隕石が地表に突き刺さる際に、表面は高温で融解してますが、内部は固体のままでしょうから、はんだごてみたいにして、土層を溶解しながら、地下深くへと斜めに潜り込んでいく過程で、石油の層を貫通し、そこから地表へと石油が噴出していくようなイメージです。

それが深く潜り込みすぎると、マグマ層へと至って噴火を起こし、昨晩お話したような山々がライン上に連なる形で形成されてしまうわけですね。

マグマ層に至らないあたりで隕石の潜り込みがストップし、かつ石油層を貫通すると、油田ができるのではないでしょうか??

あと、これらのラインと日本列島とのかかわりでいけば、ライン?が日本の富山から新潟南部・関東あたりを、?が青森周辺を通過してますから、このあたりに大規模な油田ができる可能性があるでしょうか。

図2の油田・ガス田の分布図をみると、?の件については、その新潟周辺の青い分布とも関係しそうですが、ただ思うに、隕石が貫通して石油層に開けた穴は1か所だけで、そこから大量の石油が周囲の地層へと流れ込んだ結果として、こういう分布となっているとすると、その大元の穴の部分を突き止めれば、もっと効率的に石油を取り出すことができるのかもしれません。

一番新潟周辺で噴出量が多いのはやや南方・内陸の長岡ですから、ここから噴出した石油が下流の新潟方面の土層へと流れ込んでいったのではないかと感じます。ライン?が通過するのもそのあたりでしょう。

北海道周辺域をみると、勇払の油田(青色領域)がありますが、この大規模な油田の湧き出しの中心点が、やや内陸となっており、そこから苫小牧方面の海岸沿いへと東南へと流れ込んでいるようにもみえます。

図3は、その油田分布図と昨晩お知らせした赤岩山⇔藻岩山⇔焼山などを結ぶラインを重ねたものですが、こうみると、このラインの延長線上にある三日月沼あたりから、ラインに沿って東南へと油田が重なって伸びていることがうかがえます。

このライン上には、昨晩もお話した札幌南部の石油が出たという油沢も載っており、このライン上に石油を噴出する油田が複数ある可能性が見えてくるでしょう。

このラインをもっと調べていくと、赤岩山⇔銭函天狗山⇔手稲金山⇔宮の森シャンツェ⇔藻岩山⇔油沢⇔焼山⇔高山⇔三日月沼⇔三石天狗山が載ることがあり、三日月沼などは中心点をとおることから見ても、隕石落下によるクレーターと考えるべきでしょうし、金山などが見えてくるのも隕石落下ルートによくみえてくる特徴ですね。

したがって、勇払油田の中心点を三日月沼周辺の当たりとみなして、そのあたりを掘削すれば、さらに効率よく石油を取り出すことができるかもしれません。




586史実探偵: 平 素人:2022/01/07(金) 05:08:45
Re: 世界油田ライン
管理人さま・青面金剛さま> 本年もよろしくお願いいたします^^。

情報&コメントありがとうございます。 当方、近時、とみに作文能力や根気の衰えがあり、あれこれ思うも中途半端になり、編集に時間がかかり、いっかんした記事にならず、とちゅうであきらめてしまいます~~!。

管理人さま>
北海道の油田探索の件は<素人探偵局>でも、たいへん興味^^があるところです。わたしも遠いむかしに日本の採掘油田は新潟と習いました(~-~!)・・コメント少々お時間をください。

青面金剛さま>
わたしの「仮想・卑弥呼の生涯 ?項目」については、あくまで素人の仮想であり専門家の学問的裏付けがなければ「事」がなりません。私の役分は「ここ掘れワンワン^^」のわんこです。?項目めの出雲の円墳で??、卑弥呼の金印の出土があれば 「十(とう)でとうとうおしまいじゃあ〜」になるのですが。なにか心当たりはありませんか・・・^^?


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html



587管理人:2022/01/09(日) 00:30:47
世界油田ライン2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000594M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000594_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000594_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/マラカイボ湖



588青面金剛:2022/01/12(水) 05:57:19
日倉神社:島根県雲南市三刀屋町乙加宮
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000595M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000595_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000595_3M.jpg

https://omouhana.com/2017/11/14/三屋神社:八雲ニ散ル花 18/



589史実探偵: 平 素人:2022/01/12(水) 06:06:45
Re: 卑弥呼の生涯を仮説する?
青面金剛さまへ> コメントありがとう御座います。

> > その昔、出雲半島には銅鋼石ゴロゴロ、斐伊川には砂鉄があったが、水稲を作る広い平野がなかった。
> ★ 一つだけ大間違いを指摘します。奥出雲の仁多米は、西日本のトップブランドで、特Aに指定されています。棚田で昼夜の寒暖差が大きく、ミネラル豊富な雪解け水が、注ぎ込むからです。

 卑弥呼の生涯・仮説?項目をたてました。
なかで旗艦の徐福は出雲へ着岸した。海流にながされ日本海沿岸にバラバラに漂着した徐福の部下たちは、そこで一応の生活が落ち着くと徐福や仲間をさがしあう。そして出雲で再会した。いずも風土記だったかな。おおぜいの神々が集いて「酒」をくみ交わしたとありましたか^^。筆者は、これを再会をよろこび情報交換と珍宝集荷の地へと<出雲>が発展していった理由のひとつにあげています。(詳しくはmyブログ徐福達が日本史へ与えた影響へどうぞ~~!)
一方、列島住民の目には、異様ないでたちをした徐福達のことを1800年ほど前(BC2001)巨大津波(竜)にのって西進した荒神さまが帰って御座ったと思い込んだ。列島に本格的な水稲の栽培を持ち込んだのは徐福達・秦(列島住民の端ハタに住んだ人たち)だったのではないでしょうか。

 うまい酒は、うまい米とうまい水からですよね^^。
今では、その収穫量より味の方に重きをおくようになりましたが、コメの増産については、沼沢地から山間へ、干拓地の造成、冷害や品種改良、戦後の食糧難等々はすでに知るところです。わたしは、地球温暖化の原因は、四千年まえの東北大隕石が成層圏まで舞い上げ太陽光をさえぎった『粉塵が雨とともに徐々に沈下し澄んでいく』を氷河記要件のひとつにあげていますから、今よりその昔のほうがもっと寒かったと思っています。

八百万の神たちが、年一に集結するほどに発展した出雲から北九州(吉野ヶ里)に遷都していったとの仮説をたてたのは、コメの味ではなくその収穫量と大陸に近いことからです。出雲平野と北九州平野とではその広さが違います。大陸との交易がますにつれ大船団を組むようになり、出帆地唐津?で旅路の食料の調達をしたほうがより易いですからね。

この仮説に正答がなければ「仮説」は成り立ちません。今後ともよろしくお願いいたします^~。管理人さま「油田」のほうお待ちいただいております(汗)。

  ↓徐福たちは、神仙列島に不老不死の薬石を探索治験

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-43.html



590青面金剛:2022/01/13(木) 07:11:20
鍬山(くわやま) 神社:京都府亀岡市
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000597M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000597_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000597_3M.jpg

https://www.komenet.jp/nandemobook/documents/_04-14w.pdf



591史実探偵: 平 素人:2022/01/17(月) 01:39:03
”親魏倭王”卑弥呼の金印はいずこ??
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000598M.jpg

This is Anzu.You must dig here. bow wow^^ 「ここ掘れワンワン^^♪」

青面金剛さまへのお返事です。
数々の情報ありがとう御座います。それを消化しきれないことを残念に思います。

わたしは『一事は万事へ繋がり、万事は一事よりなる』一事を追求すれば万事がみえてくる。
又『自然界には、偶然とか奇跡の確立(%)不条理が用意されている』my絶版報告書より、
とも思っています。子ども心の<何故>を四つも重ねると<神>という領域に突き当たってしまいます。皆さんのいう神ってなに?? それぞれのいう神様が異なることが問題なのだ。列島住人は「徐福たち、西方(浄土)から薬石探求にきた渡来人達のなかの方士を、道祖神とか、お薬師さまとか、はたまた(武人)を金剛さまだと呼んでいる」と私がいえば、それと受け入れられないお人は必ずいますよね~~!。

卑弥呼以前の列島には、税を徴収して統理「国」という考えはなく、むしろ祈祷寄進でなる「郡」と呼ぶほうがあたっているのではと思っています。そして、国引き神話の「現世は(税制は)大和にやるが、あの世は(寄進制度は)出雲がとる」との政教分離で落ち着いたのではとも思います!?。さらに、卑弥呼の呼称にしても邪馬台国にしても劣字(正しくが思い出せない~~)で記されていて、「国」とか「王」とかは大陸人がかってに付けたのではないでしょうか。

“親魏倭王”の金印は、紙の行きわたっていない列島では、無用の長物と申し上げました。かといって、卑弥呼なきあとも粗末には出来ない。仮説・卑弥呼は箸墓で亡くなり遺体は腐敗するので出雲には持ち帰れない。仮説では分骨としましたが、晩年のヒミコは、「鬼道に能へ」おかっぱ頭(耳削ぎ→禊)で、前歯(抜歯の風習)がなく、入れ墨(歌舞伎クマドリ)がしてあったと別紙で推んでいたことから「斬髪」があたっているように思います。お相撲さんの髷きりは今にのこっています。

 これ等のことから、以前に、出雲の斐伊川支流の赤川あたりだったかな? 卑弥呼が魏から得た100枚の鏡のうちの一枚ではとの説があるお宮の所在地あたりを地図で調べたことがありまたが、今は検索力も衰えてその自分の記事や地図さえ捜しだせない^^!。金印は3cm前後??と小さく、斬髪は小量だ。円墳内と考えたのは誤りだったかもしれない。岡山の県北の神社の裏手と本堂の間にさほど大きくない石?岩?の下に何やらが埋められていて『これを掘ると罰(バチ)があたる』との話を聞いたことがあるから、その後先は分かりませんが出雲でもその神社に “そのような形態” があると、その可能性があるかもね。その形態は勾玉と銅戈が出土した出雲の命主社でもありました。
  「ここ掘れワンワン^^♪」わたしは「ワンコ」バチはあたりたくありません^^!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html



592青面金剛:2022/01/19(水) 03:50:22
Re: ”親魏倭王”卑弥呼の金印はいずこ??
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000599M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000599_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000599_3M.jpg

https://xn--u9jta474uoyc71cky0m6xj.jp/category11/entry50.html



593史実探偵: 平 素人:2022/01/19(水) 13:19:42
Re(続1): ”親魏倭王”卑弥呼の金印はいずこ??
https://unnan-shoko.jp/sp/spot/7

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html



594史実探偵: 平 素人:2022/01/23(日) 01:11:20
Re(続2): ”親魏倭王”卑弥呼の金印はいずこ??
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000601M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000601_2M.jpg

  ↑ 神原神社と隣接古墳、Google Earthで捜しました。

> 「神原神社」の社殿・拝殿と→ 〇〇 → 本堂の間にその金印や髪(神)を埋めるだけのスペースがなければ話にもなりません。神社の建物には略式形態もありますからね。・・・

 赤い丸印の所が、そのスペースですが、そのスペースは無いように見えます。
1700年も経っている。その長い間には幾度かの改築があったはずだが、それにしても・・残念・・~~!、 東に隣接する神原古墳との方向性と関係性は・・・???

土地の私有化が進んでいないその昔、そこに信仰の対象を設営したり、その向きを決めたりするのは何かの理由(わけ)や考えがある。 (my絶版報告書より

 以前に、この「神原」の地名を見たとき、列島の神社多くは山の中腹で住家より高い場所かな!?と思っていましたが、この神原はそれにあたらず、不思議に思っていました。本殿のすぐ後ろに<赤川>が流れいます。川に鉄分が含まれていると川底が赤くなることがありますが、それでしょうか? それとも、出雲と吉備には似たような地名を見かけることがあります。総社市・鬼ノ城に<血吸川>があります。何かの共通性があるのかなと思ったりしたもんでした。

??神社とかお寺の数は、一集落に一つが基本だが、この地に神社の数が多いのは何故??



595青面金剛:2022/01/27(木) 04:30:08
伎比佐の大岩(斐川町阿宮)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000602M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000602_3M.jpg

https://www.izm.gr.jp/izumoru/readmore.php?gid=196&amp;tno=-1



596史実探偵: 平 素人:2022/01/30(日) 03:46:35
Re: 伎比佐の大岩(斐川町阿宮)
https://www.izm.gr.jp/izumoru/readmore.php?gid=196&amp;tno=-1

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html



597青面金剛:2022/02/09(水) 03:15:25
Re: 伎比佐の大岩(斐川町阿宮)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000604M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000604_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000604_3M.jpg

http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-124.html?sp



598史実探偵: 平 素人:2022/02/10(木) 01:51:48
Re: 伎比佐の大岩(斐川町阿宮)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000605M.jpg

https://omouhana.com/2018/03/11/神原神社:八雲ニ散ル花 59/

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html



599史実探偵: 平 素人:2022/02/12(土) 23:06:11
Re: 伎比佐の大岩(斐川町阿宮)
 引続いて「仮想;出雲に卑弥呼が住んでいたとする」場所について考えています。

金印の埋め場所として卑弥呼の銅鏡説がある雲南市神原古墳を考えていたが、神原神社の千木が男神であったことから、そのセンは薄れた。加茂岩倉に大量の銅鐸出土。荒神谷に大量の銅剣類の出土。これは、(拙論)卑弥呼が魏から得た銅鏡にかえて封印したとしている(別紙)。(卑弥呼=櫛稲田姫が、仮想;備中倉敷市 船穂町 里木から出雲の素戔嗚尊に嫁いだ←里木神社の立て看板)

当時は “一夫多妻” があったと思われる。平安時代の和歌やら、桃山・江戸時代の側室とか、近時でも〇号さんとか、別宅とか本宅とかの話には聞く。赤川から下流の斐川町に<阿宮>がある。「阿」は、あいうえおの「あ」や、あ子様にも通じることから、一番目の婦人<一ノ宮>とした。そして、他ではあるが<三ノ宮>の地名ものこっている。

卑弥呼は、魏から得た残りの銅鏡をたずさえ、総社市岩屋→姫路→神戸桜ヶ丘(いわや)→野洲大岩山へ、それまで使用していた銅鐸や銅剣類を封印するべく、大勢のお供をつれ輿に乗って出張った。キーワードは<姫路>である。野洲町での封印を終え帰路についたが長旅の疲れから<箸墓>で没したと仮想した。

当時の列島では印鑑のシキタリは無くて金印は無用の長物とした。卑弥呼は、その「親魏倭王」の金印を出張りに持ち歩いたか否かが問題である。どちらにしても粗末に扱う分けにはいかないから、卑弥呼の斬髪とともに、お供した従者が出雲のどこかに埋めたと仮想した。神原古墳の銅鏡に刻まれている制作年代が卑弥呼が魏へ献上した年代に合うことから神原神社を思ったが、そこは男神を祀っていた。その男神が卑弥呼の従者でその者が保管していたかも知れない?? 同じ敷地内に?ある写真の小さい社にしては、灯篭が不釣り合いなほど立派すぎるのはなぜか~~! そして、印鑑をおす紙はなくても木簡はあると仰っていたが、今でも木製お札に御朱印がありますからそのセンも捨てがたい。しかし、印鑑は卑弥呼個人のものだからやたら目ったら押すわけにはいかない~~!

  もし、印鑑を埋めたのならば、目印や盗掘を避けるための重石は置きたい??
   阿宮には<伎比佐の大岩>があるのですか・・・、つぎへうつります~~!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html



600青面金剛:2022/02/14(月) 01:11:31
阿吾神社(あぐじんじゃ:斐川町阿宮)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000607M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000607_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000607_3M.jpg

http://www.usajinguu.com/guide/



601青面金剛:2022/02/14(月) 06:34:39
赤猪岩神社と清水井(南部町)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000608M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000608_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000608_3M.jpg

https://www.town.nanbu.tottori.jp/akaiiwa/



602青面金剛:2022/02/19(土) 05:46:22
薦(こも)神社の御神体は三角池(御澄池)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000609M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000609_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000609_3M.jpg

https://omouhana.com/2018/02/10/行幸会-八幡奈多宮:親魏倭王ノ都 11/



603青面金剛:2022/02/25(金) 00:15:06
お亀明神とお亀イチョウ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000610M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000610_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000610_3M.jpg

http://www.kameyamagu.com/index.htm



604青面金剛:2022/02/27(日) 20:47:13
宇原神社(苅田町)と石塚山古墳
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000611M.jpg

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https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000611_3M.jpg

http://uhara-jinja.jp/publics/index/18/



605青面金剛:2022/04/10(日) 07:03:32
妻垣神社(ともかき:つまがき)神社
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000612M.jpg

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https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000612_3M.jpg

http://tumagakijinjya.com/index.html



606青面金剛:2022/05/11(水) 01:39:42
八幡鶴市神社(大分県中津市)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000613M.jpg

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https://nakatsuyaba.com/?introduce=tsuruichi



607青面金剛:2022/05/26(木) 02:16:32
「逃げる者は射殺」 中国のウイグル族「再教育施設」内部資料が流出
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000614M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000614_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000614_3M.jpg

https://mainichi.jp/articles/20220524/k00/00m/030/019000c



608青面金剛:2022/06/10(金) 03:49:36
地球の誕生から現在までの概要を5分でざっくり解説
Saitoon妄想ちゃんねる
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DhxEN0DwoGVw

 皆さま、新日本共和国、新不・公正労働省のセミナーへようこそ。本日は、異星人、異世界人、別次元の存在の皆さま向けに、地球の歴史を5分程度で、お伝えする試みです。アカシックレコードにアクセスできるかたは、対象外です。そちらを直接ご覧ください。なお、言語は、日本語または、宇宙語になっておりますので、翻訳機の設定をお間違えないようご注意下さい。

 地球誕生から、現代までの数十億年の歴史を5分程度で妄想解説。異星人、異世界人、のかた向けの地球の歴史概要です。一部、仏典や聖書だけしか受け付けないかたもいらっしゃいますので、そういったかたは、このセミナーには参加しないほうが良いでしょう。

億単位の歴史を7ステップでお送りする予定です。


■配信メモ
2022/03/25:アップロード
妄想シリーズ403本目。

ラジオドラマシリーズの再生リストはこちら
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fchannel%2FUCw6abs_vGw6EFJ3qN_zSlnQ


■2ndチャンネル
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fchannel%2FUCeiR...




609青面金剛:2022/06/20(月) 04:22:04
忌宮(いみのみや)神社
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000616M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000616_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000616_3M.jpg

http://iminomiya-jinjya.com/



610史実探偵: 平 素人:2022/07/10(日) 04:20:33
Re: 世界油田ライン2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000617M.jpg

        My name is Anzu. You must dig here. bow wow^^.
               「ここ掘れワンワン^^♪」
管理人さまへのお返事です。この掲示板も'22/8/01.で閉鎖されますね。
いろいろと長い間の御厚情ありがとう御座いました。あつく御礼を申しあげます。
 わたしは、30数年来、世界大半の石油石炭の成因は『6500万年前に南極に端を発し地球の90%以上を覆った高さ数千m〜200mの大泥流津波・数波〜10波により運ばれた動植物が埋没熟成した』との論を展開してきましたが、このような“子ども”染みた論が世に受け入れられる筈もなく、ならば『四千年前の(BC2001/12/25/am6:00頃)に、巨大彗星が地球を半周し東北釜石辺りに!』。さらに『卑弥呼が封印した大量の銅剣と銅鐸!!』を世に問うて参りましたが力及ばず今に至っています。

 頂いていた釧路平原の油田探索の件は、「同緯度・同標高の米大陸の油田に類推するか??」と考えていましたが課題として残ってしまいました。ご高察をお祈りいたします・・・。

「我啼けど、未だ闇夜の時鳥、春告ぐ鳥ぞ、何時に鳴くらん」 「MY粗茶室」より、
 そのホトトギスの鳴いた口内は、血を吐くような赤い色をしている。
                       史実探偵:平 素人

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-3.html



611史実探偵:平 素人(ヒイラ モト):2022/12/20(火) 05:37:59
管理人さま>
'22の年も押し迫ってきました。列島 例年にない豪雪のようです。
前の掲示板からこの掲示板への移設と編集のご多労を思うと感謝の気持ちでいっぱいです。
全てを読み終えていませんが、スパイスや調味料も効いてとても面白く仕上がっています。
わたし(達^^)の成している「巨大惑星・隕石の衝突」は、今の科学では受け入れられては
いません。でも、必ず認めざるを得ない時は来ます。特に、四千年ほど前BC2001の年末に
地球を半周して東北釜石あたりに落下したものは、地名や荒神伝承として残されています。
この彗星軌道をとった巨大隕石は、日本史のみならず、世界史にも影響を与えています。
そのひとつ「竜飛崎」の地名が何故についたかを深く追求すれば素人でも解ります。それを
「巨大隕石」というか「竜」と云うかの違いに ''気付けば" あとは芋づる式・・・^^!
しかしながら、素人の貧弱な知識で現科学を説き伏せるのは、とうてい無理・・・・^^!
こうした大論は没後に認められるが世の常。あとは次代に!! ありがとうございました。


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