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古代科学史掲示板
589
:
史実探偵: 平 素人
:2022/01/12(水) 06:06:45
Re: 卑弥呼の生涯を仮説する?
青面金剛さまへ> コメントありがとう御座います。
> > その昔、出雲半島には銅鋼石ゴロゴロ、斐伊川には砂鉄があったが、水稲を作る広い平野がなかった。
> ★ 一つだけ大間違いを指摘します。奥出雲の仁多米は、西日本のトップブランドで、特Aに指定されています。棚田で昼夜の寒暖差が大きく、ミネラル豊富な雪解け水が、注ぎ込むからです。
卑弥呼の生涯・仮説?項目をたてました。
なかで旗艦の徐福は出雲へ着岸した。海流にながされ日本海沿岸にバラバラに漂着した徐福の部下たちは、そこで一応の生活が落ち着くと徐福や仲間をさがしあう。そして出雲で再会した。いずも風土記だったかな。おおぜいの神々が集いて「酒」をくみ交わしたとありましたか^^。筆者は、これを再会をよろこび情報交換と珍宝集荷の地へと<出雲>が発展していった理由のひとつにあげています。(詳しくはmyブログ徐福達が日本史へ与えた影響へどうぞ~~!)
一方、列島住民の目には、異様ないでたちをした徐福達のことを1800年ほど前(BC2001)巨大津波(竜)にのって西進した荒神さまが帰って御座ったと思い込んだ。列島に本格的な水稲の栽培を持ち込んだのは徐福達・秦(列島住民の端ハタに住んだ人たち)だったのではないでしょうか。
うまい酒は、うまい米とうまい水からですよね^^。
今では、その収穫量より味の方に重きをおくようになりましたが、コメの増産については、沼沢地から山間へ、干拓地の造成、冷害や品種改良、戦後の食糧難等々はすでに知るところです。わたしは、地球温暖化の原因は、四千年まえの東北大隕石が成層圏まで舞い上げ太陽光をさえぎった『粉塵が雨とともに徐々に沈下し澄んでいく』を氷河記要件のひとつにあげていますから、今よりその昔のほうがもっと寒かったと思っています。
八百万の神たちが、年一に集結するほどに発展した出雲から北九州(吉野ヶ里)に遷都していったとの仮説をたてたのは、コメの味ではなくその収穫量と大陸に近いことからです。出雲平野と北九州平野とではその広さが違います。大陸との交易がますにつれ大船団を組むようになり、出帆地唐津?で旅路の食料の調達をしたほうがより易いですからね。
この仮説に正答がなければ「仮説」は成り立ちません。今後ともよろしくお願いいたします^~。管理人さま「油田」のほうお待ちいただいております(汗)。
↓徐福たちは、神仙列島に不老不死の薬石を探索治験
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-43.html
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