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古代科学史掲示板
385
:
青面金剛
:2020/02/20(木) 05:29:03
Re: 此処に銅鐸が眠っている
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。
> 銅鐸は「荒神を呼び寄せ乗り移らせる媒体」と最終的に結論づけましたから、二体を越えると荒神同士はケンカを始めるので、少なくとも3体以上まとめて埋められているは、卑弥呼が提唱した「主神(銅鏡)は太陽であり、従来の荒神(銅鐸)は従神だ」との考えが 波及した以後 のものと考えています。
>その天竜水神を呼び寄せ、荒神を乗り移す媒体となったのが銅鐸だ!
>出雲の大量の銅剣は、犠牲者の数だ。
☆ 荒神谷遺跡の銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本と加茂岩倉遺跡の銅鐸39個の表す意味については、Dr・イズモ氏のHPの解釈と分析が、一番的を得ている、と思われます。
出雲文化探訪 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2Findex.html
出雲文化について 風葬文化と青銅器
5.風葬と青銅器(2) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2Findex98-4.html
太陽崇拝族と銅鐸で知る冬至祭祀
『「 弥生時代に入っての稲の栽培では夏至が重要な農業暦の一日となり、古代のシャーマン(巫術師)たちは、この日を人々に告げ、田植えの督促をした。また、冬至の日は一年中で太陽が一番弱くなると見られていて、この日を境にして太陽が再生し、復活すると考えられていました」の部分と「古代日本にだけ出土する遺物として有名な銅鐸について、型持ち穴が二至の太陽の日の出線の向きを示しているのではと指摘した方もあったようです」の部分である。 』
神在祭の起源 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2F1999-2.html
?荒神谷遺跡が高瀬山と大黒山から等距離にあるという事実
?荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡が夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ直線上にあるという事実
『 この2つの事実は各青銅器の特徴から考えて、「一連の青銅器、銅剣、銅鐸、銅矛を用いて測量した結果、導き出されたもの」である可能性が高い。』
「次に銅矛である。銅矛の特徴として研ぎ分け処理が挙げられる。研ぎ分けとは刃部の最終段階の研磨の際に、意識的に砥ぐ方向を変える磨き方法のことである。
荒神谷の16本の銅矛も、そのうち7本に研ぎ分け処理がなされているのが確認されている。研ぎ分けは光の反射を計算されたものである。これは点滅信号にも似て、遠距離でも判別をつけやすくするのに都合がよい。
これらの銅鐸と銅矛を使用し、二等辺三角形のポイントを定めるとき、銅鐸の鐘を鳴らす構造が活きてくる。」
「 実は銅剣が目盛の役割を果たしていると考えると、その特徴は理解しやすい。」
「 実は、これらの青銅器を使用して荒神谷遺跡を決定するのに理想的な数量を示しているように思える青銅器群が既に荒神谷の付近(およそ20km)で発見されている。
鹿島町佐陀本郷の志谷奥遺跡出土青銅器の銅剣6本と銅鐸2個である。銅鐸1個につき銅剣3本で目盛2個分を作り出すことができるので、銅剣を計りたい方向に1本ずつ抜き差しすれば、目盛を等間隔に移動させることができる。よって銅剣3本で十分目盛の役割は果たせるように思える。 」
「 銅鐸孔が太陽の年軌道を表したものならば、その内角の往復分で1年間の太陽の動きを表しているから、そのことを考慮に入れて目盛を数えてみると銅剣179本は興味深い数字をはじき出す。銅剣が作り出すその目盛数は月の満ち欠けによる一年周期、つまり太陰暦354日と一致するのである。」
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2F1999-2-2.html
358本(銅剣の本数)/2=179本(銅鐸一個分に使用されたと考えた場合の銅剣数)
179ー1=178(銅剣で目盛を作ったときの数)
この数が銅鐸孔が作り出す内角の目盛であるとするなら、往復分は2(178ー2)+2=354
(両端は1回、他は往復するので2回である)
これは純太陰暦で一年を数えた場合の年周期数
(ただし実際は354.36706といった端数がある)である。
「 それでは再び荒神谷遺跡に着目しよう。銅剣の配列状況を見ていただきたい。」
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2F1999-2-3.html
『 正面右側から1列目93本、2列目120本、3列目111本、4列目34本である。私はこの中で特に1列目の本数で作り出す目盛数が春分から夏至までの日数と一致することを重要視したい。』
「 銅剣数が作り出す太陰暦を太陽暦と一致させるために、その基準数である春分から夏至までの日数を1列目に配置したならば、2列目、3列目も意味ある数字である可能性が考えられる。
この仮説だと絶対数が358本しかないため、どうしても4列目には意味ある数字を配置出来ない。それと比べれば2、3列目、特に1列目と同じ向きの2列目は意味ある銅剣数である可能性が高い。
これにより現在の太陽暦に合わせた日付を推測することが可能である。
2列目の一番手前の銅剣は夏至から数えると10月20日、3列目の一番手前の銅剣は2月8日を表している可能性が高いことになる。 」
青銅器と神在祭の関係 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2F1999-2-4.html
『 ところが文献には見られないが、今尚残っている民俗行事で、もっともよくこの暦の作成及び修正を表しているものが存在する。それが「神在祭」である。』
『 もし「神在祭」で示されているように出雲だけで暦の修正が行われていたのならば、暦を修正できる人々がいなくなると各地で青銅器を使用する必要はなくなる。ここに青銅器文化が滅びてしまった直接の原因があるように思える。』
志谷奥遺跡のシンプルさについて /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.enjoy.ne.jp%2F%7Ehisasi%2F5-8.htm
『 志谷奥遺跡は鹿島町の朝日山と神目山の間(これが重要である!!)に位置する。銅剣6本、銅鐸2個。
ひっそりと静まりかえった谷にこんな青銅器があると誰が気付いたであろう。場所は「風土記」でいうところの「恵曇(えとも)のつつみ」を見下ろす場所で、地下2、30cmの所に青銅器は眠っていた。』
☆ 全国遺跡報告総覧 志谷奥遺跡 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsitereports.nabunken.go.jp%2Fja%2F2329
☆ 志谷奥遺跡で奇跡の出会い
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fplaza.rakuten.co.jp%2Fkuma050422%2Fdiary%2F201806200000%2F
「 でも、荒神谷遺跡の剣はボロボロになっていて、保存するのに苦労したと聞いた。ここの剣や銅鐸はしっかりしていた。私なんかは、ホンモノでカネをついた。いい音がしたよ。考古学関係の人はここはすごい遺跡と言われるんだけど、今は忘れ去られている。」
「 荒神谷にしても、加茂岩倉にしても、そしてこの志谷奥にしても、全て見晴らしの悪い谷の中腹に埋納している。」
松江市鹿島町志谷奥(しだにおく)遺跡 3号銅鐸の破片を公開
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izm.ed.jp%2Fcms%2Fnews.php%3Fmode%3Dyoyakuadd%26id%3D1625
「 今回判明した3号銅鐸の破片は、志谷奥遺跡1・2号銅鐸、銅剣6本とともに古代出雲歴史博物館 常設展で展示公開します。」
※ 「 志谷奥遺跡は鹿島町の朝日山と神目山の間に位置する 」事から、朝日山と神目山を結ぶ線と対照的な位置にも、銅鐸や銅剣・銅矛などが埋められている可能性が有ります。
弥多仁神社 彌多仁社(みたにのやしろ)深谷(みたに)にある神社。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jinja-net.jp%2Fjinjacho-shimane%2Fjsearch3shimane.php%3Fjinjya%3D29596
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