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古代科学史掲示板

559史実探偵: 平 素人:2021/10/09(土) 03:59:59
Re: 北海道 チャシ 続: 素人の見解
管理人さまへ> 皆さまへ、
【追 記 】
> チャシ北海道」 はじめて知ることなので色々に検索しました^^!

NHK北海道の取材チーム「シラベルカ」
チャシの目的は▼砦や城、▼見張り台、▼祭祀の場、▼狩猟の拠点など諸説あるそうです。
チャシ - Wikipedia
現在では、チャシの用途は複数あり、時代を経るにつれてチャシの主用途は変化していったのではないかと考える研究者が多い。

塁・砦・円山、に注目」
塁は、土に石や瓦の破片等をまぜて、高く突き固める工法で、塀や、土手、古くは、岡山・総社鬼ノ城の頂部に海がみえる高台として築かれていたそうです。この市街を見渡せる小高い山は擂鉢(すりばち)のかたちをしています。円山(まるやま)は、前述した鏡山とともに各地に散在しています。これ等の共通点は市街地のちかくにあり周囲を見渡せることにあります。北海道のチャシにしてもこのような条件に合うところにあるのではないでしょうか。

チャシの意」
アイヌ語で、塀(へい)とか囲いの意があるそうで、総社市の鬼ノ城(きのじょう)にもスリ鉢山の頂部を囲うように土塁が築かれていたそうです。また瀬戸内にあった朝鮮式山城にも神籠石(こうごいし)なる同様なものがありました。チャシにも囲いの意があるように、割り木をたてて囲ったとありました。これと関係する列島の「境内」、大陸の「百家」については、話が長くなりそうなので・・・~~!

何故に割り木なのでしょうか?」
丸太を立てるほうが簡単なのに、ストーンサークルの囲いでも太い栗の木を二つに割ったものが使用されていました。「これは、木を割るほどの荒神に関係している」と考えています。弥生以前の<縄文代の列島>に、以上のような共通認識を持った遺跡や、地名や、伝承が残っている。このような認識が、思いつくところで~~!、北九州、瀬戸内、北陸、そしてこの度、北海道にもありました。このように広範囲にあるということは、「徐福達・列島探索隊」が関係しているのではないでしょうか^^。それに「北海道・小人伝承」の蕗(ふき)の葉の下とか孔(あな)に住んでいたとかは、徐福達が多数、連れてきた子供達(養父と同様?)のことかな^^?  徐福達は、その子達を囲っておきたいところだが相手はこどもだからね(笑い)。

でも、これだけで話は、解決しません」
徐福たちは、前述したように「薬石探しの列島サバイバルが主目的!!」歴史をきざむほど北海道に長居はしていない。そして、列島住人には『荒神に変身した(4000年前)巨大隕石』の歴史の継続がある。そして、ウィキにあるように「チャシの用途は複数あり、時代を経るにつれてチャシの主用途は、変化していった」のではないでしょうか。義経逃避の話で^^!その兜の形が円山の形で、星の飾りは天空を飛んだ大隕石に、なにか関係しているのでしょうか。


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