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古代科学史掲示板

284管理人:2019/07/09(火) 00:42:38
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメント遅れました^^!
>
> > さっそくわかちあいありがとうございます!被災地に集まる傾向というのは、初耳です!?
>
> 被災(自然災害)の大小によっても多少かわりますが、筆者のいう四千年前の巨大隕石の衝突は、その間で最大(Φ10km?)のものでした。

> 被災の直後は、その地域を離れますが落ち着いてくれば「なにがあったか」の探求心が生じます。最たるものとして「神秘の国・東方探検」は歴史のしるところです。その時代、もしそこが岩表地帯に変わった! 発生した泥流津波で30mを超す恐山、白波立ち行く紀伊の古座、琵琶湖津波で岩表化した石山寺、日本海の片V字巨大津波でなった天橋立・黄泉が浜、等々があります。そこは、四千年前の事変を刻んだ地でもあります。
>

日本には、比較的多く・・・というか、平さんの隕石落下によるリアス式海岸生成のご指摘を聴いて以来、いろいろ調べれば調べるほど、日本の複雑な港湾地形のほとんどがクレーター由来と考えるに至ってきたことがありましたね。



> このような場所は、他者が移入(渡来)してきても神という信仰が発生した聖地ですから、決して他に渡したくなくて争いとなります。北海道では自然の山そのものを神と考えるアイヌの人達は、薬石を探して山に入る徐福兵隊に激しく抵抗した。だから北海道には徐福伝説がすくないのかな~~?  徐福達にすれば戦いが目的ではなく薬石の探索が大目的であり(別紙報告書)、大陸に似た山野では求める薬石無しと判断したのでしょうか? それに他の地とちがって熊とも戦う人たちだから・・^^。
>

縄文人の伝承を探す必要がありますね。アイヌの伝承をこれから調べていく予定です!


>  <以上の例として>

>
> > 津浪と肥沃土の関係は、どうなんでしょう、成分的には、むしろ塩分過多でしばらく農作ができないのではないかと予想しましたが・・・。
> > ただ、確かに藻類とか、そういうのが運ばれると栄養はありそうですよね??
>
> 津波がはこぶ海水・塩分の関係は、まえに申し上げましたが、列島のような山地地形では以外に、一年もあれば海へ流れ出てしまいます。それに田地化した粘土質土壌では海水は土中に染入らなかったと、何年かまえの台風と大潮がかさなった瀬戸内高潮災害で経験しています。
> 巨大津波は、貝や魚とうの海生物を陸上に打ち上げ、岩石を細分化し、表土をうがち、草木をかき集め、それ等を陸上奥深くに運びます。経年して、それ等は、細土化や石灰化、ミネラル、腐泥・腐葉土となり、平野部に流れ出て広大な肥沃土をつくります。「魚沼産のコシヒカリ」は、そのいい例です^^。通常の風雨でもそのようなことは起こりますが津波では“大量に”という特徴があります。
>

なるほど、塩分が雨水で抜けるんですね。。ただ、川とか雨が少ない地域ならば、長くその影響が残り、不毛の砂漠へと変化したかもしれません。サハラ砂漠はその典型ではないでしょうか?





>  只今、6500万年前の(ビッグゲーム)では、北米の五大湖辺りの条痕で足踏みしていますが、大陸や盆地状地形での塩分は海へは流れ出にくく、以前に話したオーストラリアの大サンセイ盆地やサハラ砂漠に加えて、次のステージで予定している「ソルトレイク」「タクラマカン砂漠」等があります。南極大陸からの巨大津波は、それ等をシベリア平原へも押し寄せています。今では、それ等が流れ出て、北極海は栄養豊富な海となっているのは既知のとうりです。この件に関しては後述しますので少々のお待ちを・・・^^!


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