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古代科学史掲示板
346
:
史実探偵: 平 素人
:2019/12/28(土) 00:52:42
Re: 続・童唄に隠された謎?・その歴史、忘却の彼方に!
青面金剛さまへのお返事です。
コメントありがとう御座います。・・もう下さらないと思ってたのですがぁ〜^-^?
わたしの意とすることは『 ここ掘れ、ワンワン^^』 先様のコメントはありがたいのですが、辛口コメントも、度を過ぎたモノはいかがかと思います^~! この先、その出土までには時間がかかると思います。それ等が出土しなければいいのですが、(もし?)素人の予見した場所に、予測した形でその坑道窟や大量の銅鐸が出土したらまずいことが世に残りますよね(^^)
> > 卑弥呼は「稚児を殺めた銅剣を、二度とその剣、その荒神に持たせてはならない!」
> ★ 前にも指摘した様に、銅剣の×印は、東出雲王家の富家の紋である、銅矛が交差した紋を示す、王権の象徴を意味します。
先さまのご指摘のすべてを記憶している分ではありませんが、出雲には<富・とび>という地名(国土地理院)がありました。何故、これをトビと読むのか不思議でなりませんでした。飛び? 鳶?そのすべては思い出せませんが。加茂(カモ?)や、鷺峠をはじめとして、出雲には鳥の地名が他の地に比べて多いのが気になっていました。×印は、歴史の流れを考えると、「富家の家紋」が先にあったのではなくて、卑弥呼の封印の方が先であり「この剣、二度と使わじ」とした不使用の意や、封印の意があるのではないでしょうか。今では封書を閉じるとき×印を書く人は少なくなりましたが。この×は封をするって意味ですよね。その剣の茎(なかご)に無印のものが幾つかありましたが、これは素人の謎解きでおおいに参考になりました。つまり、それは使用しなかった新品・予備剣かと!! このように考えて歴史をさかのぼれば「富家」は由緒ある家筋になります・・^^。
> ◎ みやすみやまの おんばあと、たぬき
> ぽんぽこぽんの すっぽんぽーん♪ ひとやまこえて ふたやまこえて みやすみやまの うえで ♪たぬきさん たぬきさん ♪あそぼじゃないか いま ごはんの まっさいちゅう ♪おかずは なあに うめぼし こうこ ♪ひときれ わたしにくださいな ♪あかちょこ べっちょこ いやしんぼう♪
> と たぬきさんが まりつきを・・。ほんに 近くに聞こえてくるような。
またまた、貴重な情報をありがとうございます。
わたしは「二山越えて、三山の前で、狸さん・・」の狸さんが推めていませんでした。「なぜ、それが狸さんなのか?」狐ではだめなのかと?「ぽんぽこぽんの すっぽんぽーん♪」 そうです。この形容は。狸の皮太鼓をたたく音だったのです! 「おんばあ」は卑弥呼です。一般に卑弥呼は美娘として描かれていますが、わたしは、そうと考えていません。娘時代と老期とはちがうでしょうが、史記には「千人の傍女にかしずかれ、その姿見たものなし」とあるようですが、女子は長髪が一般的な世の中。老期の卑弥呼は、幼児期に削がれたその耳を隠すおかっぱ頭。目の周りには歌舞伎役者のようなクマドリ。そしてお歯黒の歴史があることから、前歯の全てを抜いていたと推定しています。倉敷市・船穂町の里木貝塚では前歯を意識的に抜いたのでは?とする遺骨がでたとか。その遺骨が卑弥呼だとはしませんが、「お歯黒」は江戸時代まで残っていたようですから、巫女さんにおいては、同様なことが拡散したのではないでしょうか。
卑弥呼は、狸皮太鼓(鼓・つづみ)をたたき、その大量の銅鐸や銅剣を封印している。
卑弥呼の本拠が(自分の知識では)どことはいえないが、その<埋封・まいふう筆者の造語>のため、出雲・吉備・姫路・野洲へと移動している。でなければ「姫路」の地名は残ってはいない。興し(おこし)に乗って移動している。このシキタリは、浜松の姫街道(国土地理院)。地方によっては、今でも花嫁行列や、葬儀列として残っているのは皆さまの知るところです。このように。今の私たちが「何をしているか」から手繰っていくのが素人探偵のやり方です。みやまの前か?上か?の問題は残ります。青面金剛さま>ありがとうございました。
> ☆ 三休公園民話村 岡山県久米郡美咲町西川上400-11
> 岩倉山:標高394.2m 岡山県加賀郡吉備中央町上田西
> 岩倉公園
行ったことも聞いたこともありません・・(滝汗〜^^!)。
こういった遺跡に桜の植樹は珍しくありません。今でこそ桜は観光木ですが、その昔をさかのぼれば「農事呪縛の木」であったことは、先さま方の知るところです。逆に「桜」の植樹があれば、その歴史の拡散かと(神戸・桜が丘)疑ってみるのも楽しいことです。「みやすみやま」にしても「宮山・みやま」にしても珍しくありません。今でも、里山に神社があればそれ等は「みやま」の呼称で呼ばれているのではないでしょうか? 「共通の文化があれば共通の事象あり」 何故、それが「三・み」なのか? 今では、その追求を、すっかり忘れていることが大きな問題だと考えています。
> ☆ 平さんが、その説を唱え続けたいなら、絶版本なので、図書館の館員に探してもらう事。
図書館へいけば、そのネットワークをとおして、読みたい本を他の図書館から取り寄せてくださるのは知っていますが、只今は「 終活中^^!」そのエネルギーは残っていません。ので、ので・・・
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html
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