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古代科学史掲示板

248 史実探偵: 平 素人:2019/04/14(日) 05:34:53
Re: 中東の隕石落下ルート
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000253_2M.jpg

管理人さまへのお返事です。

お早うございます^^。 巨大天体衝突へのご考察ありがとうございます。
そのなかで人類史(3,000年前後)においての天体衝突による被災と、その移動について考えています。

中東の黒海、カスピ海。タリム盆地、バルハシ湖等を衝突地と考えておられるのですね。昨年の支笏湖でしたか^^?。その衝突地形が半月型になるとのお考えには新鮮さを覚えました。この度の黒海、カスピ、タリム、バルハシ湖等も図のようなお考えなのですね。今までそのような見方をしたことがなかったので、これも斬新さを覚えます。これらが母天体の周回で一度期に落ちたものか、その周回の度に分かれて落ちたものかは気になるところです。

わたしの考えは、その衝突規模の大きさから人類史以前の地球肥大化時での衝突ではと感じています。参考のためにmy報告書から「地球肥大化の模式図」を載せておきます。民族が移動した三千年前の衝突では、もう少し小さかったのではと思っていますから、それに該当するものは無いでしょうか~~!。

わたしは、直径が10・20kmサイズの天体衝突でも生物や人類は生き残ったと考えています。例えば、その衝突による爆風が速いとき物陰に隠れていれば渦巻きが発生し、その囲まれた空気によって助かる場合があります。広島の爆心1・2kmや、九州火山爆風で車の影、台所レンジ爆発で壁も飛ぶほどの威力なのにレンジの高さが影になって助かったことがあります。素人のぶっ飛び論では、マダガスカル島の影のコモロ海域、インドネシアのシーラカンスも島影で巨大津波から生き延びたとしました~~!。

岩手県に「遠野」という地名があります。私が釜石鉱山体を衝突隕石だとしているのは以前に述べていますが、これに接した西隣が遠野市です。この「遠野」とはどこの誰が付名したのでしょうか? ここに近すぎても、ここに関係ないような遠くの人達にあっても、この地名は付きません。おそらく北上あたりか、それとも仙台あたりかも知れません。北上にすれば40km。仙台にしても100kmほどしか離れていません。衝突地の直径が20kmもあるのにですよ。

岩手県に「物見山」という地名があります。「被災のモトはどこか??」 一時的な災害が落ち着けば、その地が「どこか?」と捜したいのが人の常。物見山に登ってかなたの「岩の手方面釜石」を眺めたのでしょうね。キット^^! ちなみに物見山は2ヶ所あります。さらに、宮城県境だったかな? その "衝突熱" がいつまでも冷めやらぬ「霧立山」があります。そして、焼けつくした「黒森山 2ヶ所」。立ち枯れして「白髪山」。これは後の "白髭山信仰" へと変わってゆくのは先様方の知るところです。

ことの大小を問わず、中東や中央アジアでも、このような関係地名を捜していけば、三千年まえの民族移動をおこすほどの「人類史に関係した衝突地」が絞り込めるかも知れません。それを学識のある先様方にお願いしたいと思います。

遠野市には河童伝説があります。カッパの頭はミルキークラウンの形をしています。これは巨大隕石が水地や陸地に衝突した時にできる「跳ね上げ形」を模しているとしました。今、ここで論じられているトンガリ帽子や王冠も、空どぶ巨大隕石形や、落下の瞬間の形と思っています。それよりなにより、驚くべきは「それを見た人」が生き延びていたということです。その辺りには鉄鉱山が少なくて金や銅鉱もあるのですか。これにも興味がわきますね。

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