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古代科学史掲示板

347青面金剛:2019/12/28(土) 05:41:47
Re: 続・童唄に隠された謎?・その歴史、忘却の彼方に!
??忘却探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> わたしの意とすることは『 ここ掘れ、ワンワン^^』 先様のコメントはありがたいのですが、辛口コメントも、度を過ぎたモノはいかがかと思います^~! この先、その出土までには時間がかかると思います。それ等が出土しなければいいのですが、もし?素人の予見した場所に、その坑道窟や大量の銅鐸が出土したらまずいことが残りますよね(^^)

★ 結局、現地に一度も行かず、他人に、けし掛けて居るだけの人が、度が過ぎて、ふざけた事を書き込んでいれば、疑われるのも仕方ないでしょう。
 図書館にも行かず、地元の新聞も読まず、地元のテレビも見ず、地元のラジオすら聞かない人が、勝手に描いた説など、専門家が候補地に加える事は有りません。


> 加茂(カモ?)や、鷺峠をはじめとして、出雲には鳥の地名が他の地に比べて多いのが気になっていました。×印は、歴史の流れを考えると、「富家の家紋」が先にあったのではなくて、卑弥呼の封印の方が先であり「この剣、二度と使わじ」とした不使用の意や、封印の意があるのではないでしょうか。今では封書を閉じるとき×印を書く人は少なくなりましたが。この×は封をするって意味ですよね。その剣の茎(なかご)に無印のものが幾つかありましたが、これは素人の謎解きでおおいに参考になりました。つまり、それは使用しなかった新品・予備剣かと!! このように考えて歴史をさかのぼれば「富家」は由緒ある家筋になります・・^^。

★ 卑弥呼は、18代続いた出雲王国を侵略した側である、物部王国の同盟国側ですので、富家の方が先です。

 卑弥呼が祀られているのは、宇佐神宮の本殿・二之御殿に比売大神として祀られています。
宇佐神宮  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.usajinguu.com%2Fguide%2F

 鹿児島神宮の北東側に卑弥呼神社も有りますから、ここも祭祀の場の一つと考えられます。
鹿児島神宮  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkagoshima-jingu.jp%2Faccess.php

 日御碕に隠が丘という小高い丘が有り、出雲王朝の閉朝後に、三代続いた、物部方の王の墳墓では無いか、と言われています。

隠が丘  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izumo-enmusubi.com%2Fentry%2Fkakuregaoka%2F

☆ 日御碕の遊歩道を歩いてみれば、岬の先に、「経島(ふみしま)」が見え、太陽の祭祀を行うならば、この場所だと実感します。
 この島は日御碕神社の神域として神職以外の一般の立入りは禁止されており、年に一度8月7日の例祭の時のみ、宮司だけがその島に舟で渡ることができます。
 別名夕日の祭りといわれ、刻一刻と日が沈む中で執り行われる様子は神々しさが漂います。

経島(ふみしま) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izumo-kankou.gr.jp%2F370

日御碕神社  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izumo-kankou.gr.jp%2F678


>  卑弥呼は、狸皮太鼓(鼓・つづみ)をたたき、その大量の銅鐸や銅剣を封印している。
> 卑弥呼の本拠が(自分の知識ではどことはいえないが、その<埋封・まいふう筆者の造語>のため、出雲・吉備・姫路・野洲へと移動している。
>みやまの前か?上か?の問題は残ります。

☆ 出雲から、難波や大和に向かうには、美作の出雲街道を通ります。

☆三休公園民話村 岡山県久米郡美咲町西川上  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.okayama-kanko.jp%2Fspot%2F11880
岩倉山:標高394.2m 岡山県加賀郡吉備中央町上田西
岩倉公園  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.okayama-kanko.jp%2Fspot%2F11923

☆ 吉備中央町の岩倉山の周辺には、加茂や神の名の付く地名が残る事から、祭祀の場が有った事が伺えます。

>  行ったことも聞いたこともありません・・(滝汗〜^^!)。

★ 地元の人間に、遠方の人が観光案内しなきゃならないのは、本当に馬鹿らしく成ってくる。

> こういった遺跡に桜の植樹は珍しくありません。今でこそ桜は観光木ですが、その昔をさかのぼれば「農事呪縛の木」であったことは、先さま方の知るところです。逆に「桜」の植樹があれば、その歴史の拡散かと(神戸・桜が丘)疑ってみるのも楽しいことです。「みやすみやま」にしても「宮山・みやま」にしても珍しくありません。今でも、里山に神社があればそれ等は「みやま」の呼称で呼ばれているのではないでしょうか? 「共通の文化があれば共通の事象あり」 何故、それが「三・み」なのか? 今では、その追求を、すっかり忘れていることが大きな問題だと考えています。

☆ 「みやすみやま」=宮住み山
 つまり、出雲王家の親族か、美作後南朝の宮様の、どちらかが住んでいた宮が有った、と思われます。久米郡の久米は、天皇・大王家の警護役の意味が有ります。

美作後南朝  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fpasocon-salon.floppy.jp%2Fakihisa01.html

>  只今は「 終活中^^!」そのエネルギーは残っていません。ので、ので・・・

★ 知らん! 釜石まで行けた体力が有るなら、次の桜の季節に、宮住公園と岩倉公園と、命主社と日御碕へ行ってこい!

 これだけ、教えてあげたのだから、もう、十分でしょう。後は、管理人さんと、Dr・いずも氏に頼みなさい。先祖からの伝承が本当に有るなら、書き残さないと、何も残りません。(終)



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