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古代科学史掲示板
403
:
荊の紀氏
:2020/03/31(火) 09:05:30
参考 陶磁器の鐸
銅鐸祭祀の源流 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fisaq2011%2Fe%2Fdf467d7e0dbb6be9d4e3b609833a6029
先にも紹介したが、湖南省寧郷市老糧倉で出土した殷代の鐃(にょう)に関しては、日本の銅鐸のルーツではないかとの見解が出されている。
「長江中流域などの鐃は概して大ぶりで、高さが1メートルに迫るものもある。大型の鐃(にょう)は山の斜面や頂上の穴に埋めた状態で発見されることが多い」。(考古用語辞典)
祭器としての青銅器を土に埋めて保存する習俗としては、苗族や白ラ人の銅鼓がそうである。そして、湖南省でみられた青銅製の鐃と弥生の日本の銅鐸がある。
さらに今度は、明らかに銅鐸の原型と思われる形をした陶磁器の鐸が発見された。
『中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の貴族のものとみられる墓から、原始的な磁器の鐸が見つかった。南京博物院(同省南京市)によると、これまで中国各地で出土した鐸と異なり、日本の弥生時代の銅鐸によく似ている。鐸は四つ見つかり、高さ約20センチ、幅約12〜18センチの鐘型。肌色で表面に蛇のような小さな模様が多数刻まれ、鐸上部に長さ数センチの蛇や虎の姿を模したつり手が付いている。
同博物院などの説明では、黄河流域を中心に中国各地で出土してきた鐸は上部に手で持って鳴らすための細長い柄が付いたものばかり。日本の銅鐸と似たつり手の付いた鐸が、長江下流域の呉と越に存在していたことが歴史書にあるが、実際に中国で出土したのは今回がはじめて。日本の銅鐸との関連性を指摘する声が出ている。(2006年3月7日付朝日新聞)
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