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音楽スレ(2021~ )

148korou:2022/02/20(日) 12:28:59
(1953年の新譜から)
ブラームス「交響曲第4番」(ワルター&NYP、1951年録音)
★★★★★★☆☆☆☆

ワルターの個性とブラームスの音楽には親和性が高いのだが
多分、これほどその期待を裏切った例はないのではないか。
これはワルターとしては最悪の演奏である。
第1楽章のどこを切り取っても繊細なフレージングが見られないのには驚かされ
それは第2楽章になっても変わりない。
あまりに酷いので、第3楽章途中からイヤホンで聴くのをやめて
スピーカー出力にしたのだが
たしかにこのくらい大雑把に音を把握したほうが聴きやすい。
考えてみれば、ステレオ録音による優れたブラームスの演奏を聴き続けた結果
かつて聴いたモントゥーやワルター&NYPによるブラームス「第2」などの名演なども
今聴くと案外感動の度合いが低くなっているのではないだろうか。
ブラームスは本当に繊細で
かつその繊細の度合いが高まっていった結果の高揚感なのであり
それは各楽器の音の絡まりが明晰に聴こえてこないと味わえないはずである。
このワルターにしても、演奏そのものはもっと繊細だったのかもしれないが
この録音では(モノラルとしては決して悪くはないレベルだが)伝わってこないのである。
そして、この時期特有の表面的な磨きだけが如実に伝わってきて
晩年のワルターとはあまりにも違い過ぎて、受け入れ難い演奏に聴こえるのである。
ユンク君はある意味高評価を与えているが、残念ながら同意できないので★6つ。

149korou:2022/02/21(月) 12:34:48
昨夜からUSB接続部分の高頻度の脱着による摩耗を恐れることなく
ウォークマンによるクラシック音楽鑑賞を開始することにした。
ユンク君サイトのMP3データベースにログインして「Symphony」ジャンルで検索、最上位結果から順番に視聴。

(ナイトミュージック第1弾)
ドラティ&ロンドン響 チャイコフスキー「交響曲第5番」

どの楽章の冒頭も十分に意味深く、ドラティは凄いなと思わせるのだが
いざ曲の本題に入ると、その意味深さがどこかへ消えてしまうという惜しい演奏。
録音の精度は素晴らしく(これはユンク君の解説を後から読んで納得)
特に第2楽章のホルンの音色など、チャイコ「第5」でこれ以上のものはあるのかと思えるほどの美しさ。
あくまでもロンドン響の実力を堪能する演奏で、
その一方で指揮のドラティには
職人に徹し過ぎていて不満が残る。

151korou:2022/02/21(月) 12:39:47
↑ 訂正

”「Symphony」ジャンル”じゃなくて
”「Symphonic」ジャンル”だった。

152korou:2022/02/21(月) 13:37:03
(1953年の新譜から)
モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」(カラヤン&VPO、1949年録音)
★★★★★★★☆☆☆

カラヤンが帝王になる前の時期の演奏で
この時期どのような評価がされていたのか興味深いが
「レコ芸」の当時の文章からはなかなか読みづらいものがある。
注目すべき指揮者なのに、どう高評価すべきか分からないといったような
戸惑いもあるようだ。
しかし、この演奏に関していえば
当時はプロの評論家にとっても神のような存在だったはずのVPOが
実に綺麗なアンサンブルを聴かせてくれているので
文句なしの最上の演奏と書かれている。
カラヤンの棒は未だ没個性的で
これなら他の指揮者でもいいのではないかと思えるほどだ。
VPOが非凡なのでカラヤンの平凡を補って★7つの出来かな。

153korou:2022/02/21(月) 13:56:15
(1953年の新譜から)
レスピーギ「ローマの祭り」(トスカニーニ&NBC響、1949年12月12日録音)
★★★★★★★★☆☆

言わずと知れた歴史的名演奏で
今回も、馴染の無い曲とはいえ、これほど聴き映えする演奏だったのかと
再認識させられた。
トスカニーニの素晴らしいしNBC響のアンサンブルも驚異的で
これが鮮明なステレオ録音だったらどれほど凄かっただろうかと
叶わぬ思いにとらわれる。
本来なら★9つ、または満点でもいいくらいなのだが
さすがにこれほど演奏効果のある曲については
最新の録音で聴きたいので
仕方なく★8つとした。
まあ、内容は軽い曲なんで、いつも聴きたいかと言われれば
首を振るしかないのだけれど。

154korou:2022/02/22(火) 14:41:49
(1953年の新譜から)
グリーグ「ピアノ協奏曲」(リパッティ、ガリエラ&フィルハーモニア管、1948年録音)
★★★★★★★★★★

リパッティ、夭折したピアニスト、だが天才、それも超がつく大天才なのに
誰からも愛され、尊敬され、敬われた人。
この演奏からは、そんな彼の高貴で純粋な魂があふれ出てくるようで
聴いていて絶えず胸を打たれ、もう批評の余地などないほど感動してしまう。
何がどうなっているのかもはや分からないのだが
リパッティが鍵盤を叩いただけで何かが違って聴こえ
世界は美しく輝き出すのだ。
これ以上何が言えよう。
★満点以外はない。

(1953年の新譜から)
シューマン「ピアノ協奏曲」(リパッティ、カラヤン&フィルハーモニア管、1948年4月9,10日録音)
★★★★★★★★★★

これも詩情溢れる名演。カラヤンのきびきびした伴奏ぶりも見事。
シューマンは見かけの穏やかさ、ロマンティックな装いとは裏腹に
どこからともなくしのびよる孤独の影が否定し難く
リパッティはそんな暗い影を巧まずして表現し得ているようで
これも奇跡の演奏というほかなし、★満点というほかなし。

156korou:2022/02/22(火) 21:03:54
(ナイトミュージック第2弾)
ドラティ&ロンドン響 チャイコフスキー「交響曲第3番」

書き忘れていた。
というより、昨日は聴いているうちに寝込んでしまっていた。
非常にシンプルな曲で、交響詩のような感じ。
ドラティの演奏は、そんな浅い感じの曲を上手く演奏していた。
もう1回聴かないとダメかも。

157korou:2022/02/23(水) 16:30:18
(1953年の新譜から)
モーツァルト「フルート協奏曲」(モイーズ、ビゴー&パリ音楽院管、1936年録音)
★★★★★★☆☆☆☆

演奏は大層立派で、近代フルート奏法の祖の名に恥じないと思うが
さすがに1936年録音ともなると、音のヌケがイマイチで
その雰囲気ほどには感銘を受けないのも事実だ。
曲そのものは予想以上に各所がまとまっていて
聴き応えのある佳曲だと思った。
第3楽章は聴いたことのあるメロディで
このメロディがこの曲だったのかという感じ。

(1953年の新譜から)
モーツァルト「ピアノ協奏曲第21番」(カサドシュ、ミュンシュ&NYP、1948年12月20日録音)
★★★★★★★★☆☆

聴き慣れていないフルート協奏曲の直後に聴いたので
この曲、というかモーツァルトの中でピアノ協奏曲というジャンルが占める大きさといったものを
如実に感じてしまった。
カサドシュのピアノは明晰そのもので曖昧な部分は一切なく
まるでベートーヴェンの曲のように力強いタッチで弾き上げている。
ミュンシュの指揮も、そんなカサドシュのピアノに寄り添った感じ。
なんといっても、曲の良さを伝えている点で最上の演奏の一つだと言えよう。

158korou:2022/02/23(水) 16:31:32
(ナイトミュージック第3弾)
セル&クリーヴランド管 マーラー「交響曲第4番」

またしても途中で寝てしまった。まあよくある話だが。
ドラティともども、聴き直しかな?

159korou:2022/02/24(木) 13:30:45
(ナイトミュージック第2弾)を聴き直し。
ドラティ&ロンドン響 チャイコフスキー「交響曲第3番」(1965.7.30〜31録音)

やはり未知の曲は昼間Wikiでも見ながら鑑賞しないと
訳が分からないまま終わってしまう。
たった今聴き終わり、意外と長いこの初期最後の交響曲が
しっかりとした構成と曲想を持っていたことが判明した。
ドラティの指揮はすっきりとしていて、実に聴き易い。
ただし「第5番」の時と同様、全体として”当たり前”の指揮で終わっていて
そのあたりはセルとかショルティなどと同じ部類で
そこからいろいろなニュアンスを聴き出すクラシック音楽ファンとは
自分は同じでないので、これを聴き続けることは難しい。
特にこのような未知の曲では
最初に構成をつかむのには最適だが
以降は、曲自体の深さにも聴き及んでくるので
そうなると、もはやお役御免ということになる。

セルのマーラー「第4」は
それなりに面白いし、演奏自体は立派だし
データとして保存したので、これ以上聴くことは止めにする。
ナイトミュージックは、以降既知の曲に限定したい(すぐ評価したいので。途中で寝ても、知っている曲なら評価可能だから)

160korou:2022/02/24(木) 22:59:20
(ナイトミュージック)
☆未知の曲(スルー)
マゼール&VPO「チャイコフスキー 交響曲第3番」
モントゥー&ロンドン響「シベリウス 交響曲第2番」

161korou:2022/02/25(金) 18:17:11
(ナイトミュージック)
ドボルザーク「交響曲第8番」(ジュリーニ&ロンドン響)

これは予想通りの名演。たっぷりと歌って、構成もしっかりとしていて
ジュリーニの指揮の美点がよく出ている。
PCの”ミュージックークラシック”フォルダ内に保存した。

(気まぐれなデイ・ミュージック)
時として、何の脈略もなく特定の曲、演奏を聴きたくなることがあり
今日はコロナワクチン直後の体調不良で、無性に豪快なオケの音を聴きたくなり
結局、ホルスト「惑星」(カラヤン&VPO9を鑑賞。
1961年当時としては録音が抜群で、同じく最新録音のレヴァインよりも音楽的に精緻なので
この曲の推薦盤としてボールトから変更した。

162korou:2022/02/26(土) 11:32:20
(1953年の新譜から)
サン=サーンス「ヴァイオリン協奏曲第3番」(フランチェスカッティ、ミトロプーロス&NYP、1950年1月23日録音)
★★★★★★★☆☆☆

ロマン派のヴァイオリン協奏曲としては著名な曲らしいが
今回初めて聴いた。
確かに予定調和の調性のなかで、ヴァイオリンがヴィルトゥオーゾ的弾き方で堂々と弾きこなす
典型的な19世紀音楽のように思われた。
フランチェスカッティのヴァイオリンは情熱的で特徴のある弾きっぷりで
それでいて確信にも満ちているので、聴いていて飽きることはない。
ただし、曲がいかにもという感じなので
これだけの名演であっても感銘度は薄いのは仕方ないところ。
★7つとした。

今回などの感じから
これからは協奏曲のジャンルは飛ばすことにした。
交響曲と管弦楽曲に絞って聴き続けたい。

163korou:2022/02/27(日) 16:02:07
(ナイトミュージック)
ブラームス「交響曲第1番」(カラヤン&VPO)

全体にレガートがきつすぎて
部分的にブラームスの音の作り方に合致している部分もあるが
クライマックスでの音響の弱さを感じる面もある。
この曲の場合、どうしても力感が必要になるので
カラヤンの場合、録音だと実演のときのような演奏意志が発揮されず
かなり損をしているように思われる。
なかなか評価が難しいのだが
ベストの演奏としては選べないのは確か。
ベストとしては他にもっと良い演奏があるので。
とはいうものの、レガートがブラームスが作り出す音形に合っている部分とか
60年代前半のカラヤンに共通して感じられる演奏意志が
それはブラームスの音楽が要求しているレベルのものではないにせよ
感じられる点で
他の無難なだけの演奏とは一線を画していることだけは確かだ。

164korou:2022/02/27(日) 16:29:04
(ナイトミュージック)は、自分の好きで聴いているわけで
しかも安眠用という目的もあり
最初に決めた原則をコロコロ都合よく変更して
何ら差し支えない類のものである。

今回、次のような原則に変更することにした。
(原則3)モノーラルの年代は原則飛ばす(あくまでも原則)
(原則4)同じ指揮者のものを連続してチョイスしない(参照するリストが同じ指揮者が並ぶようになっているので念のため)

今までの原則は次のとおり。
(原則1)知らない曲はチョイスしない。
(原則2)すでに聴いた演奏は原則飛ばす(あくまでも原則。聴いていてもよく覚えていないものは除く)

165korou:2022/02/27(日) 16:37:46
(1954年の新譜から)
ベート―ヴェン「交響曲第1番」(トスカニーニ&NBC響、1939年10月28日録音)
★★★★★★★★☆☆

1939年の演奏が、15年かかってLPとして?新譜扱いになるとは
さすがに戦争の影響なのか。
録音状態は悪く、これは年代を考えると仕方ないのだが
1939年でも抜群の音質のものも現に存在するので
トスカニーニの指揮となれば
もっとどうにかならなかったものかと残念になる。
それこそ録音状態さえ良ければ
これは文句なしの★満点の演奏で
★8は、録音の悪さゆえの減点2であり
演奏そのものは神がかりというか
これ以上、ベートーヴェンのシンフォニーとしてふさわしい響きは
考えられない。
やはり世紀の大指揮者だ。

166korou:2022/02/27(日) 17:11:13
(1954年の新譜から)
ベート―ヴェン「交響曲第5番」(ベーム&BPO、1953年3月23日〜25日録音)
★★★★★★★☆☆☆

立派な演奏であることは間違いない。
しかし、聴いていて眠くなるのも事実。
立派過ぎてついていけないという感じもあるし
もう少し何とかやりようはあるだろうという不満も残る。
でも、どういうのがいいのかとなると
この演奏にさらにプラスするものが存在するのかといえば
すぐには思いつけない。
基本、立派な演奏なのだから
下手に批評すると無意味な見解になってしまう。
この時期のBPOには
どことなくフルトヴェングラー時代の凄みを連想させる音色があり
それが壮年期のベームの堂々たる指揮ぶりと相俟って
実に堅固な音楽となっているのだが
あまりに曲の本質をとらえすぎていて
かえって細部の美しさとか
ベートーヴェンの音楽の別の本質かもしれないユーモア、軽妙さなどが
全部消されているかのような演奏に聴こえるのである。
ここにないものがワルター&コロンビア響の演奏にはあるわけだ。
というわけで、★7つの標準的な評価となった次第。

167korou:2022/02/28(月) 13:35:34
(1954年の新譜から)
ベート―ヴェン「交響曲第6番」(エーリッヒ・クライバー&AC管、1953年9月録音)
★★★★★★★★☆☆

録音状態は、弦の響き具合などはまずまずながら
いかにモノーラルとはいえ、これほど真ん中に音が集まり過ぎて
広がりがない音質というのも珍しいくらい。
アムステルダム・コンセルトヘボウ管なので
それでも細部の美しさなどは伝わってくるものの
名演だけにこの音質は惜しい。
第1楽章、第2楽章は信じられないというか、奇跡的な超名演だ、
第1楽章の溌溂としたリズム、第2楽章のゆったりとしたテンポが醸し出す雰囲気などは
E・クライバーが20世紀最高の指揮者であることを証明している。
誰にも真似できない至高の音楽である。
それに比べると、第3楽章以下は平凡で
そこのギャップが大きくて★8つに止めたのだが
「田園」の前半だけを堪能するのであれば
断然この演奏だろうと思われる。

168korou:2022/02/28(月) 13:38:32
(ナイトミュージック)
ベートーヴェン「交響曲第9番」(クリップス&ロンドン響)

クリップスの指揮は揺るぎない。
音楽の勘所を心得ていて
変わったことは一切しないのだが
印象に残る演奏となっている。
ロンドン響も相変わらず上手い。

169korou:2022/03/01(火) 12:15:42
(1954年の新譜から)
ベルリオーズ「幻想交響曲」(モントゥー&サンフランシスコ管、1950年2月27日録音)
★★★★★★★★★☆

もう35年以上この曲のベストと思っている演奏を
あらためて最初から最後までしっかりと聴いてみた。

そうして聴いたおかげで今回分かったことは
このモントゥーの指揮でこの曲を聴くと
曲の構造が手に取るように分かるということだった。
このフレーズから次の展開になりますよと
丁寧に教えるかのように
そこの部分を強調して聴かせてくれるので
今までぼんやりとしか把握できていなかった曲の流れが
明確に分かってくるのだ。
特に第1楽章のフレージングなど
他の指揮者では聴くことのできない名人の芸術だろう。
その一方で、そうしたフレージングに不向きに第3楽章などは
それほどの感銘は受けず
また第4、第5楽章などは
むしろオケの積極的な音出し(音力?)のほうが目立ってくるのも事実。
”通俗的になるきらいがある”という当時の評価も
その点を指しているのだろうが
自分などには、むしろ安心して聴けて良い面ばかりに聴こえた。
全体として★9つが妥当だろう。

170korou:2022/03/02(水) 09:58:38
(ナイトミュージック)
チャイコフスキー「交響曲第6番」(フリッチャイ&BPO)

フリッチャイの1959年の指揮ということで
結構期待するところがあったのだが
この曲に関しては、録音がすっきりしないこと、BPOが意外と冴えないこと等もあって
それほど感銘を受けなかった。
ユンク氏の文章を読んで、1953年の演奏もあることを知り(サイトでは逆にその1953年盤のみがアップされている)
それも聴いてみたが
オケがRIAS響というBPOよりランクが下のオケであるにもかかわらず
むしろそっちの方がスムーズに曲想が展開しているように思われた。
何事も思い込みは禁物で
フリッチャイなら何でも晩年のほうが傑作というわけでもないようである。

171korou:2022/03/02(水) 10:53:58
(1954年の新譜から)
ブラームス「交響曲第1番」(ベイヌム&AC管、1951年9月録音)
★★★★★★★☆☆☆

冒頭から貧相な音質でがっかりさせられるのだが
演奏は質素かつ堅固というべき中身の充実した
紛れもないこの時期のベイヌムの輝かしい演奏なので
音質は我慢して聴いていると
第1楽章の再現部の重厚な音、これこそソナタ形式であるべき理想の演奏の形ではないかと
思われるほどの充実した音作りに感心させられた。
その後、そのときの感心というか感動に至るまでの瞬間は訪れなかったが
それでもどこを切っても血潮に満ちているような生命感の輝きは失われず
ベイヌムが非凡な指揮者であったことを十分に窺わせる佳演であることには
間違いないと思われた。
★8つでもいいのだが
いかんせん音質が酷く、この頃のAC管の美しい音色が全く採れていない録音なので
残念ながら★7つとしたが
演奏そのものは★9つでもいいほどのハイレベルだ。
1958年にも同じ組み合わせでステレオ再録しているのだが
この演奏は冒頭から緩やかで緊張感に乏しい感じで
少なくともこの曲の演奏としては出来が落ちるように思われた(全部は聴いていないが)

172korou:2022/03/03(木) 12:12:44
(1954年の新譜から)
ドボルザーク「交響曲第9番」(トスカニーニ&NBC響、1953年2月2日録音)
★★★★★★★☆☆☆

第1楽章冒頭の響きからして、かなり粗悪な録音ということが分かるのだが
これでも、ユンク氏によればかなり改善された響きらしい。
これよりまだ粗悪なものが、トスカニーニの演奏として出回っていたのだとしたら
それは正しい評価をせよというほうがムリな話だ。
今回はその響きを最初我慢して聴いていたのだが
第1楽章の途中から耳が慣れていき
すると、響きの奥底から、純粋に美しいフレージングによるメロディが浮き上がってくるようで
新世界とはかくもリリカルな響きも持っていたのかという
発見にもつながったのである。
もっとも、本当はもっと肉付きの良い解釈と響きで聴くべき曲であるはずなので
このトスカニーニのアプローチは、トスカニーニのように徹底してこそ許されるべきものであって
あくまでも異形の美しさなのである。
そういった諸々の思いを総合して
あえて普通の評価(録音の問題が一番大きいが)★7つとした。
聴くべきものが多い★7つということで。

173korou:2022/03/03(木) 15:11:18
(1954年の新譜から)
ハイドン「交響曲第88番」(フルトヴェングラー&BPO、1951年12月5日録音)
★★★★★★★★☆☆

久々にじっくり聴くフルヴェン、しかもお初に聴くハイドン。
想像以上に豊かな音質で、
あたかもウイーン風情緒まで聴こえてくるような感じには驚かされた。
演奏はユンク氏ほか絶賛の内容で
確かにフルトヴェングラーの晩年のスタイルとして
これ以上のものは考えられないのだが
ハイドンの音楽のなかの何かごく一部の要素を
思いっきり拡大して、その良質な部分を見せてくれたという
いわゆる異形の演奏のイメージは否めない。
これは聴く前から予想できたことで
そもそもハイドンをフルヴェンで聴くこと自体
異例な音楽鑑賞なのだから。
それでも純度は高い演奏で
★8つが妥当ではないかと思う。

174korou:2022/03/04(金) 15:16:43
(1954年の新譜から)
モーツァルト「交響曲第40番」(ワルター&NYP、1953年2月23日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

ワルター&NYPの演奏に関しては
今現在の自分の嗜好と全く正反対の位置にあるために
正しく評価することは難しい。
どうしても後年のコロンビア響との円熟の演奏と比較してしまうわけで
あの細部にまでニュアンスが神のごとく行き届いた演奏を知ってしまうと
この時期の演奏にはどうしても不満が残るのである。
NYPの音が大雑把に聴こえてしまうのは仕方ない。
本当はいろいろとニュアンスが伝わる演奏だったのだろうし
当時の批評もそういう感じで書かれているのだが。
厳しいようだが自分の感銘度からして★6つ。
(第3楽章だけは、この演奏のほうが毅然としていて良いのだが)

175korou:2022/03/04(金) 15:49:30
(ナイトミュージック)
フランク「交響曲 二短調」(バーンスタイン&NYP)

第1楽章冒頭は意味深げな音の響かせ方で期待をもたせるが
主部に入るとその緊張感は消えてなくなり
それはそれで面白い音響の展開ではあるのだが
統一性はみられない。
第2、第3楽章については
それほどの個性は見られない。
いたるところにバーンスタインの個性は発揮されているので
レニー好きの人には満足できるが
それ以外の人に何らアピールしない演奏のように思われる。
それに、この隠れた名曲には、もっと優れた演奏がいくつか存在するので
そのレベルにまで達しているようにも思えない。

176korou:2022/03/05(土) 23:14:30
(ナイトミュージック)
シューベルト「未完成」(マゼール&BPO)

特に不満な点はない演奏だが、かといって、いつも愛聴すべき演奏かと言われれば
それも違うということになるだろう。
BPOの上手さとか、すでに老成したかのような無難な指揮ぶりとかは
すぐに伝わってきたのだが
その他の点については(眠る前に聴いているせいもあって)判然としない。

177korou:2022/03/06(日) 14:50:36
(1954年の新譜から)
プロコフィエフ「交響曲第7番」(オーマンディ&フィラデルフィア管、1953年4月26日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

始めて聴く曲で、ジダーノフ批判以後の作品ということから
あくまでも音の響きが伝統的な調和のとれたものという特徴を持っているようだ。
しかし、もともと独特の感性で音響を造形してきたプロコフィエフにとって
こうした”一見当たり前な曲”を作曲するということは
どういう意味があったのかという極めて素朴な疑問は拭えない。
ショスタコーヴィチには、辛うじて”叙情”という個性が残っていて
それが「交響曲第5番」という傑作を生んだように思うのだが
プロコフィエフには、伝統的な音楽を創る必然性は何一つなかったと言えるのでは?
もっとも、何の知識もなく、ただ実際に曲を聴いただけのことなので
これ以上の思考は深められないので、感想はここまで。
オーマンディの指揮は、スコアを音のしただけのことで
上記疑問について何も示唆するものはなかったと思われる。
よって★6つ。

178korou:2022/03/06(日) 15:08:40
(ナイトミュージック)
シューベルト「グレイト」(スクロヴァチェフスキ&ミネアポリス響)

グレイトは難しい。どこもこれといって欠点のない演奏なのだが物足りない。
今、たまたま次回聴く予定のフルトヴェングラーの演奏も冒頭だけ聴いたが
これも冒頭が上手くいっていない。
この曲を演奏して上手くいく人は選ばれた人なのだろうと思う。

179korou:2022/03/06(日) 15:17:17
ナイトミュージックのネタ元を”Symphonic”にして
前掲の原則通り聴いていたら
もう全部の指揮者を聴いてしまったので
次回からネタ元を”Symphony”に変更。
原則として、聴きたいものを聴く、できればステレオ録音、という程度に
とどめることにした。

ということで、次回は
シューリヒト&VPOでブルックナー「第3」

180korou:2022/03/07(月) 14:29:02
(1954年の新譜から)
シューベルト「交響曲第9番」(フルトヴェングラー&BPO、1951年12月録音)
★★★★★★☆☆☆☆

フルトヴェングラーの全録音のなかでも最高傑作とも言われる名演なのだが
今の自分の音楽嗜好と正反対な演奏なので
ずっと退屈し、かなりの部分を居眠り寸前で聴いていた。
全くニュアンスが感じられず、哲学的な韜晦ポーズで楽員をリードしているかのような演奏に
親しみ、優しさなどのシューベルトらしい美しさ、可憐さなど
どこへ行ったかのかというような感じだ。
勢いで演奏してもある程度は問題ない終楽章のみ
聴くに値するエネルギー、熱さのようなものが感じられるが
それにしても他の指揮者でも代替可能な演奏に思える。
かつては、部分的に聴いて十分に感動し
またユンク氏のページでもいろいろな人が「素晴らしい」と絶賛しているのだが
今の自分には全く無縁なことになってしまった。
★6つがギリギリのところ。

181korou:2022/03/07(月) 14:41:04
(ナイトミュージック)
ブルックナー「交響曲第3番」(シューリヒト&VPO)

シューリヒトにしては、やや燃焼度の低い演奏で
いつものような一気に音楽の急所をつかんで聴く者を異世界にいざなうといった爽快さは薄いものの
それを補うかのようなVPOの美しい音響を堪能できるので
これこそステレオ録音で本当に良かった。
病身をおして録音を実現してくれたシューリヒトに感謝である。
それにしても、ワルターにしてもシューリヒトにしても
晩年に至るまで、クオリティとしては万人向けではなくなっているとしても
それはそれなりに天才のゆえんをみせてくれるのには感謝するほかない。
凡人の指揮者にはできないわざである。
これは保存版の演奏。

182korou:2022/03/08(火) 17:43:52
(1954年の新譜から)
シューマン「交響曲第4番」(フルトヴェングラー&BPO、1953年5月14日録音)
★★★★★★★★★☆

これはフルトヴェングラーが超一流の指揮者であったことを証明する演奏だ。
「グレイト」ではあれほど見当違いな方向へ音楽を展開していったのに
ここでは、この曲をこれ以上見事に聴かせることはもう不可能なのではないかと思えるほど
決定的な名演を行っている。
「グレイト」同様、指揮者とオケの息はピッタリと合い
それが曲想の掘り下げにストレートに直結して
解釈がどんどん深いものに達していく。
この曲の本当の姿はこれほど深いものなのかと驚かされるほどだ。
これで録音さえ最新であったら感動で涙が出るのではないか。
演奏は★満点、録音のことだけで1点マイナスしたが
それは途中までの話で、後半などは満点でも良いくらい。

183korou:2022/03/08(火) 17:48:08
(ナイトミュージック)
モーツァルト「交響曲第41番」(シュミット=イッセルシュテット&北ドイツ放送響)

夜寝る前にモーツァルトを聴いてはいけないことが判明。
鮮やか過ぎて目が覚めてしまう。
演奏は普通。でも普通に演奏できれば上出来、モーツァルトだから。
保存するかどうか迷うレベル、まあ覚えておいて、後日考えるか。

184korou:2022/03/09(水) 13:49:19
(1954年の新譜から)
シベリウス「交響曲第5番」(カラヤン&フィルハーモニア管、1952年7月録音)
★★★★★★★★☆☆

始めて聴く曲で、全体に旋律らしい旋律がない交響詩のような感じなので
なかなか馴染めなかった(かつてだったら退屈して途中で寝ていたかも)。
カラヤンの指揮はさすがで、このまとめにくい曲想の交響曲を
手際よく緩急、強弱をつけて
聴き易い形にまとめていた。
名演ではあるが、★9つ以上にならないのは
もっぱら当方の能力のせいで
曲自体が馴染にくいことと、録音のせいで音にふくらみに乏しいことが原因。
60年代の再録音のものを何回も聴けば★9つかもしれないが
今日この音質のものを聴けば★8つが精一杯。

185korou:2022/03/09(水) 13:53:07
(ナイトミュージック)
ブルックナー「交響曲第9番」(カラヤン&BPO)

これはブルックナーの演奏としては特異な部類だが
その特異さのなかで際立っているので
どうしても外せない演奏となっている。
これほど表面だけを磨きながら
何故か内面にまで訴えてくる演奏も珍しい。
要保存。

186korou:2022/03/10(木) 10:02:34
(1955年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第3番」(トスカニーニ&NBC響、1953年12月6日録音)
★★★★★★★☆☆☆

トスカニーニ最晩年の録音。
演奏は、従来のトスカニーニの流儀に沿いながら
それでも随所に中庸の美のようなものを感じさせて
なかなか微妙なニュアンスを漂わせる出来となっている。
第1楽章は彼ならばもっと出来るのでないかと思える不完全燃焼のような演奏で
さすがに年齢を思わせるが
第2楽章は最適とも思えるテンポ設定と
意外なほどのニュアンスの込め方、トスカニーニとしては最上の録音の良さで
各楽器の響きにもふくらみが感じられ
これほどスッキリとこの楽章を最後まで聴き切ることができたのは
なかなか無いのではないかと思えるほどの好演だった。
第3楽章以下はトスカニーニが天才を発揮できる音楽ではないため
普通と言えるかもしれない。
全体として、この種の音楽をこのスタイルで聴くとするならば
もっと最新の音質で聴きたいという欲求がどうしても出てくるわけで
もはやトスカニーニのせいではないが
★7つという普通の感銘度の評価をせざるを得ない。

187korou:2022/03/10(木) 10:21:46
(ナイトミュージック)
モーツァルト「交響曲第40番」(ベーム&BPO)

寝る前のモーツァルトはNGのはずだが、ベームなので聴いてみた。
予想通り手堅い演奏で、寝る前なのに違和感ナシ。
要保存。

いろいろ選んでみても、やはり順番に見ていくのと
実際に聴いてみたい曲とが一致しない違和感は出てしまうので
本当に聴きたい曲最優先で選ぶことにした。
というわけで、次回はヨッフムのブルックナー「第8」

188korou:2022/03/10(木) 14:55:37
(1955年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第3番」(フルトヴェングラー&VPO、1952年11月26、27日録音)
★★★★★★★★★★

一日に2度、続けて「エロイカ」を聴くなんて暴挙だが
今回に関しては最高だった。
トスカニーニも名演だった(はず)だが
残響の少ないモノーラル独特の薄い音質の録音のせいで
フラストレーションも溜ったのだが
このフルトヴェングラーは
また全然違ったアプローチでベートーヴェンの真髄に迫り
音質は遥かにトスカニーニ盤を上回るので
完璧な感動を得ることができたのだ。
解釈は申し分なく、ベートーヴェンの魂がすぐそこまで感じられる。
指揮者もオケも、もはや機械的なリハーサルなど全く必要なく
過去数十年で知り尽くした関係で
ひたすらその時点でのベストになるよう、心技体すべてを集中して
作曲者の考えた音楽を最大限に再現しようとしている。
これで最上の演奏にならないわけがない。
誰が聴いても★満点のはず。

189korou:2022/03/11(金) 17:00:29
(ナイトミュージック)
ブルックナー「交響曲第8番」(ヨッフム&BPO)

大体予想通りの常識的なラインで考えられる限りでの歴史的名演。
ただし、夜寝る間際にこの演奏を聴くと
緩徐楽章での熱っぽいフレージングが
宗教的な畏れのようなものを連想させて
なぜか「怖い」と思ってしまったのも事実。
そんな感情をヨッフムの演奏に対して、ブルックナーの曲に対して抱くこと自体
全くの予想外だった。
本当に怖かった。

190korou:2022/03/11(金) 17:07:06
(1955年の新譜から)
マーラー「交響曲第1番」(ワルター&NYP、1954年録音)
★★★★★★☆☆☆☆

やや順番を変更して、マーラーを聴いた。
ワルターの旧盤だが、ひょっとしてマーラーなら、あの旧盤全般にみられる
堅い鋼のような演奏スタイルでも大丈夫かなと思ったのだが
その期待は裏切られたようだ。
やはり、すべてにおいて素っ気ない。
晩年のワルターが示した箴言、啓示に満ちた演奏ではなかった。
まっすぐにアンサンブルの勢いを噴出させ
そうした分だけ細部のニュアンスは全く無視され
トスカニーニの劣化版のような中途半端な演奏になっている。
★6つが妥当。
(もちろん、ワルターは★6つが普通の指揮者ではないのだが・・・)

191korou:2022/03/12(土) 15:46:49
(1955年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第6番」(カラヤン&フィルハーモニア管、1953年7月9,10日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

ベートーヴェンの音楽とは全く対照的な演奏様式の持ち主であるカラヤンが
若き日に、その様式を確立させる前の段階でベートーヴェンを解釈した演奏。
あまりクセのない演奏なので、こういう演奏を嫌う人は少ないかもしれないが
逆に個性があまりに感じられない分、支持も少ないはず。
「田園」なので、個性の薄さはそれほど致命的ではないし
部分的にはおやっと思わせる箇所もあるのだが
全体としては聴くに値しない平凡な出来。
厳しい評価かもしれないが★6つ。

192korou:2022/03/12(土) 16:22:28
(1955年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第5番」(フルトヴェングラー&VPO、1954年2月28日、3月1日録音)
★★★★★★★☆☆☆

「英雄」の名演と比べて、この「運命」は
曲の性格の問題もあるのだが、それはさておき
やはり迫りくる死期の影響のせいか
演奏全般に、何か徹底したものが欠けているような気がする。
もっと鬼気迫るものが表現できたはずなのだが。
録音のせいか音質がやたらゴリゴリした感じで
いかにモノラルとはいえ、もう少し安定した音質にできたはずだし。
とはいえ、随所にフルヴェンらしい個性が感じられ
それはベートーヴェンの音楽そのものと一体化しているように感じられる。
最悪のコンディションで最悪の録音でも
これだけのクオリティなのだから
やはり非凡、天才指揮者というべきか。
以上勘案して★7つとした。

193korou:2022/03/13(日) 18:04:44
(1955年の新譜から)
シベリウス「交響曲第4番」(カラヤン&フィルハーモニア管、1953年7月録音)
★★★★★★★★★☆

再びカラヤン&フィルハーモニア管によるシベリウスの交響曲を聴く。
前回の第5番と比べて、この第4番はシリアスで内省的で精緻な出来だ。
そんな難解とも言えるこの曲を
それもほぼ初めて聴く自分のようなものにとって
これほど分かりやすく聴かせてくれるカラヤンという指揮者は
本当に大したものだと思う。
カラヤンはこの曲について1953年盤以降も、BPOで再三録音を重ねていて
特に1960年代のそれはこの曲の決定盤とも言える存在らしいが
この演奏もそれに負けず劣らず素晴らしいのではないかと思う(後日、機会があれば、ナクソスにあれば聴いてみたいところ)。
第5番と違って、初めて聴く曲であるにもかかわらず
さらにモノラル録音であるにもかかわらず
★9つとしたのは
直感的にもこれは類稀な名演であると認識できたからである。
ショスタコーヴィチの「第5番」のフィンランド版というか
個人的に「死」のようなものを直感せざるを得なくなった場合
その心理状態を音楽にしたら、その最上の部分はこういう音楽ではないか
という風に思えるのである。

194korou:2022/03/14(月) 11:34:12
(1955年の新譜から)
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」(ケンプ、ケンペン&BPO、1953年5月21日〜23日録音)
★★★★★★★★★★

ややシンフォニー続きに飽きがきたので
ケンプのピアノを堪能することに。
期待に違わぬ超名演だった。
こんなに自然にベートーヴェンを弾くことが出来た人は
ケンプ以外には居ないはず。
実演を聴いた半世紀ほど前の記憶と照らしてみても
その実感には間違いないはず。
録音は古いが、ケンプの美しいタッチは十分に伝わってくる演奏。
ケンペンとBPOが繰り出す音も重厚で剛直で
ケンプのピアノの音色と好対照だ。
今のところ、アラウとコーリン・デービス&ドレスデン国立がベストだったが
このケンプもそれに匹敵するので
決定盤のエクセルの表に追加しておこう。
文句なし★満点。

195korou:2022/03/14(月) 15:28:39
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第5番」(ミュンシュ&ボストン響、1955年5月2日録音)
★★★★★★★★☆☆

思ったとおりの豪快な持ち味に加えて
想像以上のオケの上手さと録音の鮮明さがあり
最後まで退屈せず堪能できた。
細かいニュアンスで聴かせる演奏ではないが
ミュンシュの良い面がよく出ており
★8つということにした。
それにしても
1955年の録音とは思えぬ上質な音で
ステレオ録音ではないかと思うのだが
記録はモノーラルとなっている。
またボストン響の管楽器の上手さには
またまた感心させられ
第1楽章の再現部でのソロ、第2楽章でのソロなど
これほど聴き惚れたことは
最近あまり記憶にないほどだった。

196korou:2022/03/14(月) 15:32:37
(ナイトミュージック)
ブラームス「交響曲第4番」(シューリヒト&バイエルン放送響)

良い演奏なのだが評価が難しい。
録音がイマイチスッキリしないのと、シューリヒトの個性がブラームスの曲調と微妙にすれ違う感じがあって
文句なしに保存決定というわけにはいかないのである。
この曲に関しては、ヨッフム、ジュリーニ、ワルターなどが要保存であり
さらにカラヤンほか巨匠の未聴分もあるわけで
それらを再聴、確認したい気もする。

197korou:2022/03/15(火) 15:00:37
(1956年の新譜から)
シューベルト「交響曲第8番」(ミュンシュ&ボストン響、1955年5月2日録音)
★★★★★★★☆☆☆

同日録音の「運命」と同じく
オーソドックスな解釈、力強い歩みとともに
ボストン響の美しい響き、この時代としては抜群の録音状態などが聴けて
本来なら★8つでもいいくらい。
ミュンシュの個性がシューベルトの音楽と真反対なので
★7つの普通の評価としたが
場合によっては★8つに聴けることもあるだろう。
それにしてもオケが上手い。

198korou:2022/03/15(火) 15:26:41
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第1番」(フルトヴェングラー&VPO、1952年11月録音)
★★★★★★★☆☆☆

いかにもフルトヴェングラーらしい音楽が現出されている。
問題は、この溌溂とした青春の香り漂う佳曲が
これほど重々しく威厳をもって演奏されても
伝わってくるものが少ないということで
後半の2楽章はその”弊害”は少ないので愉しく聴けるが
前半2楽章は、フルトヴェングラーの個性がアダになっているようだ。
もちろんダメな演奏ではないので★7つはいける。

199korou:2022/03/16(水) 15:34:21
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第5番」(カラヤン&フィルハーモニア管、1954年11月9,10日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

勢いのある演奏だが、
その反面、他には何もニュアンスがない演奏だ。
自分の演奏個性を確立させている時期の演奏だけに
その方向性については間違いなく充実しているわけだが
ベートーヴェンの楽曲の演奏としては
不足感は否めない。
聴き易いのは事実なので★7つとも考えたが
やはり★6つの出来栄えだろう。

200korou:2022/03/16(水) 15:38:01
(ナイトミュージック)
モーツァルト「交響曲第39番」(ベーム&BPO)

どこをどうやっているのか見当もつかないが
結果的には安心して聴ける、どこにも危うい点が見当たらない演奏に聴こえる。
もちろん、もう少し感情の揺れ動きが欲しい面もあるのだが
ベームにそれを求めるのは無意味だろう。
要保存。

201korou:2022/03/17(木) 14:21:23
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第4番」(フルトヴェングラー&VPO、1952年12月1,2日録音)
★★★★★★★★★☆

どっしりと落ち着いた演奏で
いつもの哲学的な深みに加えて
懐かしい情感あふれる音楽が展開されているのには
驚かされる。
VPOにとってナチズムとの関連など関係なく
フルトヴェングラーのタクトのもとで演奏できる喜びが
あふれ出てきているようだ。
モノラルなので弦の響きが痩せてしまうのは仕方ないが
その点だけがこの演奏を聴く際の減点部分で
演奏そのものは★満点だ。

202korou:2022/03/17(木) 15:01:21
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第5番」(セル&クリーヴランド管、1955年11月26日録音)
★★★★★★★☆☆☆

いかにもセル&クリーヴランドらしい
テンポ速めのスッキリとした演奏。
曖昧なところが全くなく
この曲はこのように表現されるものだという割り切りが
徹底している。
ゆえに「運命」の演奏として
分かりやすいことこの上ないわけだが
やはり、そこはセルの個性が好きかどうかという問題もあるわけで
個人的には、ここまで割り切った感じはどうもという思いもあり
★7つにとどめた。
好きな人には★9つでも良いくらいかもしれないが。

203korou:2022/03/18(金) 11:43:26
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第7番」(フルトヴェングラー&VPO、1950年1月18,19日録音)
★★★★★★★★★★★

久々に全部をじっくりと聴いた。
前半2楽章は、最近改めて聴くことで感銘を深くした
まさにフルトヴェングラーらしい演奏で素晴らしいと思った。
ところが、第3楽章になるや否や
そんな感銘など次元が違うとばかりにさらに物凄い演奏となり
終楽章など、今まで何度も聴いてきたはずなのに
さらに新鮮に聴こえる禁断のリズムを感じ取ってしまった。
最後の最後での爆発的な熱狂の音楽、
それはベートーヴェンが楽譜に残した骨太の音楽。
さらにフルトヴェングラーが、
いろいろと工夫してテンポを意図的に早く仕掛け
主部のリズムが浮き出るように聴かせた魔法の音楽。
もはや神の領域ではないかと思えるほどだった。
クレンペラーも凄いが、フルトヴェングラーも凄い。
同じ曲なのに神が二人居る。
音楽の不可思議。
★満点、言うことなし。

204korou:2022/03/18(金) 11:46:05
(ナイトミュージック)
モーツァルト「交響曲第39番、第41番」(ワルター&コロンビア響)

ただ単に確認のみ。確認の結果、予想通りで要保存(これ以上書くことなし。理想の演奏)

205korou:2022/03/20(日) 09:27:44
(ナイトミュージック)
ブラームス「交響曲第4番」(サヴァリッシュ&ウィーン響)

出だしの響きから、これはもうサヴァリッシュとしても修業時代の演奏と分かる薄い感じ。
さすがにこれは聴き続けてはいられない(寝る前なので特に)
何が違うのかと思い、すぐにシューリヒトと比較してみた。
シューリヒトも響きは薄いのだが(オケのせいもあるがもともと響きは薄い)
そのなかで音の強弱は明確で、さらにどうやってそうしているのかわからないほど
巧みにフレージングを行っているので
聴いていて全く疲れない。
さらにヨッフムも聴いてみたが(もちろん、これも最初のほうだけの比較)
音の強弱に加えて、テンポの揺れ動きが秀逸なのである。
こちらはシューリヒトと違って、やっていることが分かりやすい。
とにかく、聴き易い演奏というものには
それなりの理由があるのだということを再認識した。

206korou:2022/03/20(日) 13:14:26
(1956年の新譜から)
ドボルザーク「交響曲第9番」(ロジンスキー&ロイヤル・フィル、1954年10月5,7,8,9日録音)
★★★★★★★★★☆☆

かつて指揮者ランク付け、名曲名演ランク付けで計2回聴いて
前者では予想以上の感銘を受け、後者では想像以下のガッカリ感を覚えたという
対照的な印象が残った演奏。
それを今回の新譜ランク付けで再度聴いたという次第だが
今回はこの演奏の真骨頂を知った感があった。
ここに流れているのは「新世界」という曲の奥底にある孤独感、寂寥感であり
それは演奏によっては豪快なだけの印象しか残らない表面的な解釈と
正反対にあるものなのだ。
とはいえ、表面的に豪快に聴ける演奏にも価値はあるのであり
つまり、表面的であろうと、深層に迫ろうと、いずれのアプローチであろうとも
優れた演奏は可能な名曲なのだろう。
そして、これは深層に迫ったアプローチでの名演だということ。
豪快な味を楽しみたいときに聴くべき演奏ではないが
深みのある「新世界」、特に第二楽章に関しては
この演奏は絶妙だと言わざるを得ない。
★8つが妥当。

207korou:2022/03/21(月) 15:16:31
(1956年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第9番」(フルトヴェングラー&バイロイト祝祭管、1951年7月29日録音)
★★★★★★★☆☆☆

このところ「第9」の決定盤をどれにすればよいのか
分からなくなり迷っているところ。
ひょっとして、やっぱりフルヴェン?と思いながら
今回聴いてみたものの
退屈で何度も寝そうになった。
やはり今の自分の好みとは正反対の演奏で
音の響きは重たく、解釈も重々しく、録音も不鮮明。
かといって若き日のヨッフムの生々しい響きがベストとは言い切れない面が
この曲に関してはどうしても存在するのだから始末が悪い。
これだけ長い曲を「どうも冴えないなあ」と思いながら聴き続けるのだから
どうしても★のほうは(所々存在する感動的な表現がありながらも)
低く見積もらざるを得ない。
この演奏に★7つの平均点をつけるのは
畏れを知らない行為であることを承知で
普通の演奏と見做すことにしようか。
それにしても、早く理想の「第9」に巡り合いたい。

208korou:2022/03/22(火) 14:17:29
(1956年の新譜から)
ベルリオーズ「幻想交響曲」(ミュンシュ&ボストン響、1954年11月14・15日録音)
★★★★★★★★☆☆

1954年の録音ながら、録音そのものは最新技術だったステレオで行われ
肝心のレコード盤にステレオ録音を載せる技術がなかったために
モノーラルで発売せざるを得なかった演奏。
その後、ステレオのレコードが製作できるようになり
再度ステレオ盤として発売され
それをユンク氏がアップされたので
レコ芸の当時の目録ではモノーラル表記、ユンク氏のサイトで聴ける音源はステレオ
ということになっているようだ。
確かに、このところ聴いていたこの時期発売のレコードの音源と比べると
明らかに音に広がりがあり、かつ音質もクリアで心地よい。
しかもミュンシュが得意とする「幻想」で、オケも当時超一流だったボストン響なので
出来の悪い演奏になりようもない。
ただし、このコンビでは1962年に再度録音された盤があり
さすがにそのほうがさらに音がシャープでクリアなので
ベストの評価はしにくいのだが
前半3楽章の出来は、凡庸な指揮者では遥かに及ばないほどの
見事な演奏を見せてくれている。
後半2楽章が平凡なので、トータルでは★8つ、前半だけだと★9つはいける名演。

209korou:2022/03/23(水) 15:48:17
(1956年の新譜から)
マーラー「交響曲第4番」(ベイヌム&AC管、1951年9月録音)
★★★★★★★☆☆☆

AC管のマーラー「第4」といえば
この録音の10年ちょっと前のメンゲルベルク盤が
何とも個性的な名演を聴かせてくれたものだが
このベイヌム盤は、それと全く違うアプローチで
まさに戦後の新時代を象徴するようなマーラーを
表現していて興味深い。
全体にスッキリとした味わいのなかに
要所要所にスパイスが効いているような趣きであり
★8つは間違いない誰からも好まれる佳演と言える。
ただし、ユンク君も書いているとおり
最終楽章のソプラノは人選ミスだろう。
マーガレット・リッチーというこのソプラノ歌手は
声質がこの曲と全く合わない。
聴いていて、何か劇的なことが予感されるような声質で
少なくともこの曲に関しては、もっと穏やかな声であってほしかった。
ということで、★7つに減点。

210korou:2022/03/24(木) 12:09:27
(1956年の新譜から)
ブラームス「交響曲第3番」(トスカニーニ&NBC響、1952年11月4日録音)
★★★★★★★★★☆

トスカニーニのブラームスの演奏は
今回初めて聴いた。
多分、これは例外的な演奏ではないだろうか。
トスカニーニにしては予想以上のカンタービレ、
楽譜からはギリギリではないかと思えるほどの抑揚たっぷりの表現、
ブラ―ムスの曲を演奏するのにふさわしいテンポのゆれ、豊かな感情表現に満ちていて
これがトスカニーニだろうかと思えるほど美しい演奏になっている。
特に第3楽章の胸に迫るような哀愁の表現には心打たれるものがあった。
もうそれほど残っていないだろう現役指揮者としての歳月を思い
何か感じるものがあったのかと思わせるほどの寂寥感がにじみ出ていた。
★8つと思ったが
こうして書いてみると
いろいろと思いが高まってくるので
★9つにランクアップしておこうか。
どれほど録音がモノラルで不満足なものであっても
これは大指揮者の歴史的な名演なのだから。

211korou:2022/03/24(木) 17:48:03
(ナイトミュージック)
ワルター&コロンビア響で
ブラームス「第1」「第3」「第4」、ブルックナー「第7」

いずれもワルターの最終盤らしい落ち着いた出来で、永久保存。
ただし。ブラームス「第3」は、「第1」「第4」ほどの感銘は受けなかった。
直前に書いたトスカニーニの意外?な名演と合わせて
不思議な感じである。
ブルックナーも悪くはないのだが、部分部分に職人的な楽譜の扱いが目立ち
さすがにマタチッチの天才肌の表現と聴き比べると
ブルックナーに関してはワルターでもどうしようもない壁があるのを感じた。
ただし、職人肌の佳演としては最上級のものであるけれど。

212korou:2022/03/25(金) 10:52:24
(1956年の新譜から)
ベルリオーズ「幻想交響曲」(クリュイタンス&フランス国立管、1955年10月13,17,22〜24日録音)
★★★★★★★☆☆☆

例のフィルハーモニア管との再録の3年前にレコ―ディングされた
モノーラル盤ということになる。
ユンク君の解説を読んで、この演奏の価値について認識させられたものの
基本的にクリュイタンスのこの曲に関するアプローチが
既に自分の嗜好と真反対なものであるので
聴き始めに感じた”退屈さ”からどうしても逃れることができなかった。
さすがに全部通して聴いてみると
その”私小説としてのこの曲のストーリー”を見事に辿った佳演であることは
分かったような気がしたが
それすらもうっすらとした感想であり
本当のところは、何度も何度もこの演奏を聴いて確かめてみるしかない。
とはいえ、もはやそんなことをする熱意、根気は失せていて
それよりもミュンシュ、モントゥー型の、情熱に任せてパワー全開の演奏のほうに
心惹かれるのである、
年を取れば、こういうしみじみとした演奏、丁寧で誠実な演奏がしっくりくるのかと思っていたが
案外そうでもなかったことを知った。
実質は★8つはいけるのかもしれないが
今の自分には★7つの価値しかない(クリュイタンス!しっくり来なくても★6つはあり得ないので)

213korou:2022/03/25(金) 10:54:29
(ナイトミュージック)
ブルックナー「交響曲第9盤」(ワルター&コロンビア響)

やはり職人芸。保存はするけど、ウォークマンには入れない。
今回はジュリーニと比較してみたが
やはりジュリーニは凄い。
天才肌ではないのだが、出来た音楽は天才が為せる技のレベルになっているのは何故?

214korou:2022/03/26(土) 16:59:00
(1956年の新譜から)
ブラームス「交響曲第2番」(ベイヌム&AC管、1954年5月17〜19日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

ブラ―ムスの交響曲のなかでも
今は一番聴かない感じになってしまったこの曲で
ベイヌムの引き締まった演奏を聴いてしまうと
もはや「退屈」しか残らなかった。
レコ芸の評価では名演とされているが
今の自分には無縁な演奏だった。
仕方ないので★6つ。

215korou:2022/03/27(日) 12:40:29
(1956年の新譜から)
メンデルスゾーン「交響曲第4番”イタリア”」(トスカニーニ&NBC響、1954年2月26〜28日録音)
★★★★★★★★☆☆

順番からいけばマーラー「大地の歌(ワルター&VPO、フェリアー他)」なのだが
この名盤チェックでは、こういう歌曲風交響曲はスルーすることにしたので
今回は、その次のトスカニーニの名盤を鑑賞ということになった。
随分前にユンク君を知ったばかりの頃に
あまり様子も分からず、トスカニーニのレコードのざらざらした残響の少ない酷い録音だけを記憶に
恐る恐る名盤という噂だけで聴いてみたところ
あまりの音質の良さに驚くと同時に
あまり聴いたことの曲のはずなのに一気に聴けたので
感動した鮮烈な記憶が残っていた。
それで、2年前に名曲チェックのときに再度聴いてみたところ
その感動はどこへやら何も心に残らなかったことに唖然としたのは
まだ記憶に新しい(結局、ナクソスでペーター・マークの演奏をベストとした)。
今回が3度目の鑑賞、さすがにトスカニーニの録音についての知識も増えたので
初回の感動、2回目の感動空振りについて
ある程度、自分で自分に説明できるくらいにはなった。
トスカニーニの晩年の録音の音質をかなり聴き込んできたので
この演奏の音質については納得できるし、かつて聴いた酷い録音との比較もできる。
その上でこの演奏の中身を聴き込んでみると
やはり名演と言わざるを得ないのだが
そこにブラームス「第3」のときにも感じたある種の諦念のようなものも付け加わってくる。
それはそれで美しいニュアンスに富んだものなのだが
この曲のベストの演奏にそれが混じると、やや評価を下げざるを得ない。
よって、今回は★8つとした次第。

216korou:2022/03/28(月) 16:08:01
(1956年の新譜から)
モーツァルト「交響曲第26番、32盤、41番」(ベーム&AC管、1955年9月録音)
★★★★★★★☆☆☆

ベームのモーツァルトとしては
例のベルリン・フィルとの録音以前に
このアムステルダム・コンセルトヘボウ管との一連の録音があったようで
今回初めて聴いてみたが
とにかくAC管の音色が素晴らしい。
BPOも勿論一流の音なのだが
何がどう違うのかうまく説明できないのだけれど
AC管の音には他のオケとは全く違う何かがあって
その個性だけで人を惹き付ける魅力があるようだ。
今回の演奏では、残念ながら26番と32番については
交響曲として未完成な部分が多くて
語るべきものがないのだが
”ジュピター”に関しては、その魅力を十分に感じ得た。
ただし、ベームの指揮は、今回、BPOとの演奏も再確認してみたが
とにかく理詰めで潤いがない。
それで満足できるときもあったのは事実だし
かつてはそれが最高だったのだが
今はもっと潤いが欲しいし
録音もモノラルとしても最高とは言い難い。
オケの良さ、指揮の立派さは素晴らしいのだが
★7つに止まるのはそういうところを評価した結果である。

217korou:2022/03/30(水) 15:08:19
(ナイトミュージック)
シューベルト「交響曲第8番”未完成”」(ジュリーニ&っフィルハーモニア管)

万能指揮者ジュリーニにも相性の悪い曲があるものだと認識させられた演奏。
どこにもミスはないのだが、基本的にシューベルトの音楽と合っていないので
聴き辛い。
シューベルトは、合わないと何も聴こえてこない不思議な音楽だ。

218korou:2022/03/30(水) 15:22:40
(1967年の新譜から)
ブルックナー「交響曲第5番」(クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管、1967年3月9,11,14,16日録音)
★★★★★★★★★★

ややモノーラル録音の音質に聴き疲れてきたので
久々に「推薦盤全記録」内での最新年(1967年)から遡る形で
聴き続ける試みに変更。
この曲に関しては、名曲チェックの際に名演に巡り合えず
カラヤン&BPOの演奏だけを挙げて”もう聴かないだろう曲リスト”に
入れてしまった経緯があるので
順序として大変な曲にぶつかってしまった感が強かった。

ところが、このクレンペラーの演奏は驚異的な名演だった。
なぜ前回のチェックの際にこの演奏を見逃したのかと思うほどだった。
やはりクレンペラーという指揮者は、どこをどうやってそう聴こえるようにしたのか
自分のような偏屈で理屈っぽいクラシック愛好家には到底一生涯かけても分からないほど
深遠で蘊蓄に満ちた表現で、これほどの奇跡的な演奏を為す人なのだった。
こんな面倒くさい、ただでさえ面倒くさい作曲家の、ほぼ未完成に近い粗雑な作り、でも真摯で間違いのない姿勢で作られた大曲を
これほどストレートに音を響かせて、音を重ねて、あくまでも誠実に音を作っていって、
結局のところ、何の抵抗もなくしっくりとくるように聴かせてくれる指揮者は
クレンペラー以外誰も存在しない。
断トツでこの曲のベストの演奏だと思った。
録音も優秀で、個々の音がしっかりと聴こえてくる。
この演奏に匹敵できるのは、ティントナーくらい、そしてやや個性的すぎるもののカラヤンくらいではないだろうか。
文句なしに★満点。

219korou:2022/03/31(木) 13:33:34
(1956年の新譜から)
シューベルト「交響曲第9番”グレイト”」(フルトヴェングラー&BPO、1951年12月録音)
★★★★★★★★☆☆

BPOのメンバーが、
フルトヴェングラーの指揮のもとで最も素晴らしかったのは、このグレイトだ、という述懐をしていたこともあり
以前から注目していた演奏だった。
最近もこの演奏を通して聴いたばかりだが
そのときは、この演奏の良さよりも、シューベルトの音楽としてふさわしくないという意味で
違和感ばかり感じてしまった。
今回、それからあまり日が経たないタイミングで、この名盤チェックの対象となってしまったので
聴く意欲というものがなかなか湧かなかったのも事実だ。
ところが・・・今回は、どういうわけか、
前回には聴き取れなかったフルトヴェングラーの強い意志、気迫というものが
表現の端々からびんびん伝わってきて
確かに物凄い演奏だなという感を新にしたのである。
特に第2楽章のA-B-A-B-A形式の最初のBの部分での強烈なリタルダンド、
最初のAで第1楽章の強烈な緊迫感を持続しているかのような密度の濃い表現を聴いた直後だったので
思わず集中力を増して聴くことになり
そこからさらに緊張、弛緩を経て、最終的に立体的な構造が明確になり
音楽にふくらみがもたらされた瞬間、これこそ至高の芸術ではないかと感動したのである。
もっとも、いかに立体的に表現しようとも、それはフルトヴェングラーの芸術の偉大さであり
シューベルトのそれとは本質的に異なるものなのである。
後半2楽章が意外と燃焼度が低いのも、この曲の本質からずれているからかもしれない。
その意味で★満点とはいかず、★8つとなるのだが
いずれにせよ、シューベルトよりもフルトヴェングラーを聴きたい時には
100%満足を与えてくれる演奏であることは確かだ。

220korou:2022/04/01(金) 17:49:45
(1956年の新譜から)
ハイドン「交響曲第88番」(フルトヴェングラー&BPO、1951年12月5日録音)
★★★★★★★★☆☆

どこまで聴いてもハイドンの姿は見えないけれども
それなりにハイレベルな音楽を聴かせてくれる怪演と言える。
そもそも主情的な解釈に冴えをみせるフルトヴェングラーであれば
これだけ冷静で洗練されている音楽をやるべきではなかったのだが
それでも「グレイト」の力演をあっさりとこなしたことによる余裕の時間を使って
楽団員と始めた即興の合奏がハイドンであったということは
クラシック音楽の奥深さを物語るエピソードだと言えよう。
フルトヴェングラーと当時のBPOの団員にとって
ハイドンの音楽がどのような位置を占めていたのかは知るよしもないが
ベートーヴェンからワーグナーに続く主情的な音楽が
ナチスにより悪用され、自身もそのことで精神的にダメージを受けた体験から
数年経った1951年という時期に
ハイドンの理知的な音楽が特別な響きに聴こえたとしても不思議ではない。
それは、ほぼこの1951年の冬の時期に戦後の新しい指揮スタイルを確立させ充実させていたフルトヴェングラーにとって
自身の新スタイルでハイドンを再認識しようとしていたとしても全くおかしくない。
このハイドンは、フルトヴェングラーが考える戦後ドイツの思潮、嗜好にふさわしいハイドンだったに違いない。
しかし、それは彼の精神がそういう風に方向性を変えただけであって
フルトヴェングラーにしてはリラックスしている、という程度に過ぎない、というのが
戦後の彼の指揮活動すべてに言える悲喜劇のようなものだった。
何故悲劇なのかと言えば、これはハイドンではないと一聴して分かる別物なのに指揮者だけがハイドンだと思っているところ。
何故喜劇なのか言えば、それほどハイドンを逸脱しているのに立派な音楽として十分鑑賞に耐えうる名演であるところ。
以上、★8つにせざるを得ない。

221korou:2022/04/02(土) 15:37:53
(1956年の新譜から)
モーツァルト「交響曲第34番、38番」(ベーム&VPO、1954年11月録音)
★★★★★★★★★★

モーツァルトの後期交響曲として最上の演奏だと思う。
もともとベームのモーツァルトは
相性の良いプログラムで
最晩年のリズムが硬直化した演奏でさえ
聴くべきものを含んでいるほどだと思うが
これは
壮年期のベームと戦後からまだ9年経過の時期のVPOとの組み合わせだけに
全体も細部もうっとりするくらい素晴らしい。
これ以上のモーツァルトは考えられない(唯一エーリッヒ・クライバーくらいか、対抗できるのは)。
文句なし★満点。

222korou:2022/04/04(月) 17:31:49
(1956年の新譜から)
チャイコフスキー「交響曲第4番」(ミュンシュ&ボストン響、1955年11月7日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

この時期のレコードとしては最高級の録音状態(多分ステレオ)。
オケも相変わらず上手い。第2楽章出だしのソロの巧さなどはうっとりとするくらい。
それでいて★6つの評価なのは
ミュンシュの個性とこの曲に求められる情緒面の特殊性とが
全く正反対のところにあるからで
演奏そのものが低レベルなわけではないのだ。
とにかくくっきりとした演奏、曖昧なところが皆無な演奏で
からっと晴れ渡ったロシアの大地という
なかなかイメージし難い不思議なものが出来上がっている。
ミュンシュのような知名度の高い指揮者が
人気の高いこの曲のレコードを出すのは当然とも言えるのだが
結果はこのようなものになる。

223korou:2022/04/05(火) 16:22:41
(1956年の新譜から)
モーツァルト「交響曲第40番」(フルトヴェングラー&VPO、1948年12月7,8日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

これもミュンシュのチャイコフスキーとは全然違う意味での
全然演奏者の個性に合わない企画だ。
これほど人工的に独自の世界を創り上げる指揮者に
モーツァルトの幸福な響き、至上の感情は決して湧いてこない。
絶対に見つからない宝探しをしているような徒労感が漂う演奏だ。
残念ながら★6つしか差し上げられない。

224korou:2022/04/05(火) 17:05:50
(1956年の新譜から)
モーツァルト「交響曲第36番”リンツ”」(ワルター&コロムビア響、1955年4月26,28日録音)
★★★★★★★☆☆☆

ワルターがアメリカでの成功を直線的な演奏で収めて
引退後にまたコロンビア響の提供を機に曲線的な穏やかな演奏を始める
その中間期にあたる時期の演奏で
演奏の印象もその中間のような、やや直線、やや曲線、といった感じである。
このコロムビア響は、いわゆるコロンビア響とは別の団体で
おそらくニューヨーク・フィルのメンバーが中心ではないかと言われているが
確かにモノーラルで多く録音されたワルター&NYPの演奏による音色に酷似している。
ただし、上述のように多少は細かいニュアンスが入り込んでいて
そのあたりがステレオ時代の演奏を彷彿とさせるわけである。
ただし、演奏そのものが感銘深いかと言われると
全くそうでないのは
やはりオケがあまりにソリッドな響き過ぎて
モーツァルトの音楽にふさわしくないからだ。
ワルターがいかに親しみを込めてニュアンスを出そうとしても
この音色ではどうしようもない。
よって★7つの普通の出来とする。

225korou:2022/04/06(水) 18:05:01
(1956年の新譜から)
チャイコフスキー「交響曲第5番」(ケンペン&AC管、1951年12月録音)
★★★★★★★★☆☆

1951年の録音にしては
オケの底力が存分に感じられる、ある意味凄絶な音質になっていて
ケンペンの優れた個性である剛直さがストレートに伝わってくる。
チャイコフスキーの交響曲にそういうものが必要かと問われると
その通りと答えたい。
この演奏にはロシア的な土俗性などは皆無だが
それ以外に必要なものはすべて備わっていると言ってよいだろう。
金管の咆哮、緩急自在で見事なアンサンブルを示す弦楽器群、緩急自在な指揮に対応できる高い能力、
それらをすべて備えることは容易ではないが
この時期のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団には
それが可能だったのである。
聴き始めに感じるロシア音楽らしい個性の希薄さと
やはりこれだけの合奏はステレオで聴きたかったという思いで
★8つとしたが
ひょっとしたら、最新ステレオの録音であれば★満点だったかもしれない。

226korou:2022/04/11(月) 14:19:20
(1956年の新譜から)
チャイコフスキー「交響曲第6番」(モントゥー&ボストン管、1955年1月26日録音)
★★★★★★★☆☆☆

モントゥーとチャイコフスキーって全然合わないかもと思いつつ、聴き始める。
予想通りの明晰な演奏、あまりにクリアで、チャイコフスキー独特の粘着性がすべて失われているようで
最初はこれはダメだと思ってしまったが
聴いていくうちに、これはこれでアリだと思うようになっていった。
モントゥーが「悲愴」を振ったら、こうでなくちゃいけないという当たり前な結論。
第3楽章などどこにもスラブ民族らしい響きなど聴かれず
それでいて音楽が自在に展開していき、
およそ「悲愴」の演奏では感じたことのない感覚を体験することになるし
終楽章のサラッとした印象も、いかにもモントゥーらしい。
それでいて、第2楽章の中間部で思わずハッとさせるような解釈なども秀逸だ。
★7つのせざるを得ないのは
これはあくまでもセカンドチョイスの演奏だからであり
演奏のクオリティとしては★8つでもおかしくない。
録音もこの時期にしては優秀で、ほぼステレオ録音と言ってよい
(ステレオにしては音の重なりが浅すぎるのだがモノラルよりは遥かに聴きやすい)

227korou:2022/04/13(水) 14:41:28
(1956年の新譜から)
チャイコフスキー「交響曲第4番」(フルトヴェングラー&VPO、1951年1月8〜10日録音)
★★★★★★★☆☆☆

録音にテープが使われ始めた時期で
そのテープから直に起こしたこの音質は
かつてのフルトヴェングラーの演奏の音質とは全く違って
隅々まで音の響きが伝わってくる。
演奏そのものは、どこまでもドイツ的、いや彼しかできないフルトヴェングラー・オリジナルの
チャイコフスキーであり
決してこの曲のファースト・チョイスにはならないのだが
出来としては上々の部類で
さすがウィーン・フィルと言える見事な合奏力とともに
フルトヴェングラー・ファンを満足させるだけのクオリティを持っている。
半世紀前なら★8つも可能なデモーニッシュな演奏だが
さすがに21世紀の今、この演奏には★7つが妥当だろう。
チャイコフスキーはもっとさらっと演奏するのがベターなのであり
これほど主観的にダイレクトに感情を表現した場合
どんなに名演でも★7つ、つまり普通の感動しか伝わってこないのである。

228korou:2022/04/14(木) 11:06:16
(1956年の新譜から)
チャイコフスキー「交響曲第6番」(ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル、1956年6月録音)
★★★★★★★☆☆☆

このところ立て続けに聴いているチャイコフスキーで
ついに本家、真打ちの登場である。
音質はクリアで、やや音の広がりが少ないようにも思えるが
もはやモノかステレオとかでどうのこうのというレベルではなく
十分にムラヴィンスキーの意図が窺える良質な音だ。
第1楽章、第4楽章の最初の数分あたりは
ムラヴィンスキーの指揮でないと味わえない濃厚なロシアの風味が感じられ
そのへんを聴いた直後は凄い名演と思わせるが
全体を通して聴いた感想としては
思ったよりは「悲愴」の核心に迫り切れていない
もどかしい演奏に思えた。
ムラヴィンスキーと「悲愴」の相性は決して良くないということを
再認識させられた。
再三聴いた、この4年後のステレオ録音の演奏と
解釈としては同一ではないかと思われる(少しだけ比較の意味で聴いた結果)。
★7つが妥当だろう。

229korou:2022/04/15(金) 20:36:21
(1957年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第7番」(ケンペン&BPO、1953年5月30日〜6月1日録音)
★★★★★★★★☆☆

質実剛健とはこういう演奏のことを言うのだろう。
しかもオケがBPOなので、ますますその印象が強くなる。
そして、ただ質実剛健だけでは
ベートーヴェンの宇宙を表現するには
シンプルすぎるのではないかと思っていたら
終楽章の最後になって
曲自体が突如立ち上がってくる奇跡が起こり
全体としても造型がしっかりするという
意外な形で演奏を聴き終えることができた。
クレンペラーのときも同じような奇跡を体験したが
このベートーヴェン「第7」という曲には
最初から手抜きなく実直にきちんとやっていくうちに
最後の最後で予想もつかない感動を呼ぶ魔法が存在しているようだ、
★9つでもいいのだが、
やや弦の音色が硬すぎる録音のせいもあって(録音そのものは優秀)
1つ減点することにした。

230korou:2022/04/20(水) 20:54:17
順番に聴いていくと
ベルリオーズ「劇的交響曲 ロミオとジュリエット(ミュンシュ指揮)」を聴くことになり
初めて聴いたところ
まあまあ面白いとはいえ
やはり声楽が入ると評価が難しくなるので
今回の企画では
声楽込みのオーケストラ曲はパスすることに決定。

231korou:2022/04/21(木) 12:03:43
(1957年の新譜から)
ブラームス「交響曲第4番」(トスカニーニ&NBC響、1951年12月3日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

巨匠のブラームス、とはいえ、これはあまりにもムリな設定だ。
トスカニーニはあくまでもイタリア風というか、カンタービレを思いっきり歌い上げるのだが
ブラームスは、そういう形で歌えるように書いてはいても
そんな風に歌ってしまっては身もふたもない情感を旋律の奥底に忍ばせているわけで
それらを全部無視して自己流に表現してしまっているこの演奏は
もはや(自分のようなブラームス信者にとって)聴く価値は一切ない。
本来なら★3つ程度の最低ラインの演奏なのだが
さすがにNBC響のオケの厚みは他の演奏では聴くべくもなく
完璧無比で素晴らしい。
そして、ドイツ風の情緒も理屈としては理解していたはずの巨匠が
あえて自己流に振って個性を貫き通した姿勢も評価したいし
そうなると、絶対にダメなこんなタイプの演奏でも
人によっては評価するかもというレベルの★6つまで
復活してしまうわけだ。
まあ、自分は★3つだと思っているけれど(こればかりはどこまでいってもトスカニーニなので、半分聴いて後は放棄した)

232korou:2022/04/22(金) 13:54:23
(1957年の新譜から)
モーツァルト「交響曲第29番」(ベイヌム&AC管、1956年5月録音)
★★★★★★★☆☆☆

第1楽章出だしの響きは素晴らしい。
こんなに爽やかに、しかも魅力たっぷりにモーツァルトが奏でられたら
世界は一気に歓喜に満ち、幸福この上ないものになる。
心底から楽しいと思わせてくれたのだが
第2楽章になると、その楽しさは一転退屈に変わってしまい
一体どうしたことかと、ナクソスのクリップスの名演で確認したくなった。
クリップスが引き出している第2楽章は
実に細かくニュアンスがつけられていて
爽やかなだけでは表現し得ない深遠な世界であることを暗示していた。
壮年期に達したばかりのベイヌムでは
この表現はムリだっただろう。
納得して、第3楽章以下も聴く。
クリップスは、第3楽章でもニュアンスを引っ張り出そうとしているが
さすがにこれは功罪相半ばする指揮ぶりで(個人的には好きだが)
こればかりはベイヌムのスタイリッシュで爽やかなタクトのほうが
圧倒的に聴き易い。
というわけで、全体的に非常に素晴らしい演奏なのだが
この曲のキモが、実は第2楽章にあることを(クリップスの指揮で)知った以上
そこが表現し得ていないこの演奏に
★8つ以上をつけるわけにはいかない(多分、クリップス以外全員★7つ以下ではないだろうか)

233korou:2022/04/22(金) 14:37:59
(1957年の新譜から)
サン=サーンス「交響曲第3番”オルガン付き”」(トスカニーニ&NBC響、1952年11月15日録音)
★★★★★★★★☆☆

ふだんあまり聴かない曲だが
以前もカラヤンの演奏で感銘を受けた記憶があり
今回、トスカニーニについても同様なスタイルではあるので
やはり面白く最後まで聴くことができた。
作曲者サン=サーンスには
明確な形式へのこだわりがあるので(特にこの曲はそのこだわりが成功している部類だろう)
トスカニーニの明晰な演奏は
スタイルとしてもよく合っているし
オケの優秀さは言うまでもない。
文句なしに★8つ(それ以上いかないのは、残念ながら毎度のことで録音のせい)

234korou:2022/04/23(土) 16:33:32
(1957年の新譜から)
シベリウス「交響曲第6番」「交響曲第7番」(カラヤン&フィルハーモニア管、1955年7月録音)
★★★★★★★☆☆☆

今まで聴いたことのなかったシベリウスの交響曲を
連続して2つ聴いた。
清新で、適度の緊張感に満ち
自然への歓びを歌っているかのような音楽だった。
初めて聴く音楽としては聴き易い部類だろう。
カラヤンの指揮は
この時期特有の表現意欲に満ちた感じで
フィルハーモニア管もそれを確実に音にしていた。
模範的演奏ということで
特にローカル色豊かということでもなく
評価としては★7つが適当か。

235korou:2022/04/24(日) 17:13:24
(1958年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第5番」(トスカニーニ&NBC響、1952年3月23日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

ただ速いテンポというだけの演奏である。
これだけハイテンポでベートーヴェンを振り切ってしまう、それも85才という高齢で
という驚きは確かにあるのだが
しかし、あくまでもトスカニーニではなくベートーヴェンを聴くという
音楽鑑賞の本来の姿から考えてみれば
聴いた後に何も残らないこのような演奏を
高評価することはできない。
トスカニーニ独特のリズム、テンポの中で
いかにベートーヴェンを表現するかという点で
トスカニーニは、その生涯をかけてあらゆる努力を傾けたに違いないが
この演奏にはその努力の成果が聴こえてこない。
トスカニーニにはもっと優れた「運命」があるはずで
それは彼の生存した年代での最新録音になるこの時期に
それが残らなかったのは残念な極みである。
★6つが妥当。

236korou:2022/04/25(月) 11:11:24
(1958年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第7番」(クリュイタンス&BPO、1957年2月20〜22日録音)
★★★★★★★☆☆☆

ユンク君のサイトの丁寧な解説により、これは幻の録音となってしまったレアな音源ということが判明。
即ち、この時期はモノからステレオへの転換期にあたっていたのだが
そのことにあまり意識的でなかったレーベルが
クリュイタンス&BPOによりベートーヴェン交響曲全集を
いきなりモノ録音のこの演奏で始めてしまったものの
すぐにその誤りに気付き、3年後にもう一度、その組み合わせで
「第7」をステレオで録音し直したという経緯があるらしい。
そして、クリュイタンス自身が、
以前のモノ録音の演奏(すなわち今回聴いた音源)を廃盤にするよう命じたせいで
この音源を耳にすることは当時としては不可能になってしまったというわけである。
クリュイタンスとしては、全集のなかにモノとステレオが混じってしまうような誤解は
避けたかったに違いない(もちろん、ユンク氏の指摘の通り、彼がこの録音で築き上げようとした音楽は
「明晰さ」そのものなので、それはステレオ録音でこそ魅力を発揮できるものであったに違いないが)
目指した音楽性に変更はない以上、モノで聴こうとステレオで聴こうと、本質に変わりはないはずである。
まさに「明晰」そのものの「第7」が聴こえてくる。
そして、クリュイタンスの創り出す音楽の特徴として
「感心」するところは多々あっても、そこに「感動」を見出すことはできない(このこと自体は低評価ではないので誤解してはいけない)。
しかし、ことベートーヴェンに関する限り、この特徴は致命的だ。
「感動」のないベートーヴェンなんてあり得ないからで、
でもクリュイタンスにそれを求めても仕方ないのである(彼は彼で誠実に自分の音楽を紡いでいる)。
だから(BPOの抜群の演奏力もあって)以上のようなことであっても★7つはつけておきたい(普通なら★6つだが)
レコ芸で同時に推薦されていた「エグモント序曲」も、ステレオでの撮り直し分について、ついでに聴いた。
こちらのほうは、曲の性質上それほど込み入った「感動」は要求されないし、BPOも驚くほど上手いし
★8つと評価できる名演だ。

237korou:2022/04/25(月) 13:44:33
(1958年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第1番」(トスカニーニ&NBC響、1951年12月21日録音)
★★★★★★★★★☆

レコ芸ではこの1958年にこの演奏を推奨しているが
実は既に1954年に推奨済みのものを、1958年に「第7番」と抱き合わせで発売されたのを機に
再度推奨しているわけで、同じものである。
しかし、今度は自分が間違えて、前回の1954年のときに何故かこの演奏がユンク氏のサイトで見つけられずに
1939年の演奏が随分と長い期間を経てやっと発売されたものと勘違いして
そのつもりで前回は感想を書いている。
よって、同じ演奏の再度推奨ということながら
自分の視聴としては初めて聴くことになるわけで
その意味でここに感想と評価を記すことにする。
演奏は見事なもので、前回も同様に最高級の評価をしたわけだが
前回の不満な点であった録音の悪さも
この1951年盤においては、トスカニーニの全録音のなかでも最上の部類に属する鮮明さであり
もはやこの演奏に批評すべき事柄は何もない。
若干、トスカニーニの厳しい造型ぶりが
自分の好みと違うところもあるので
★満点より1つ減点しているのは、まさに趣味嗜好の問題に過ぎない。
★10点と評価したとしても全面的に賛同できる。

238korou:2022/04/26(火) 19:52:56
トスカニーニのベートーヴェン「第7」を聴き始めたものの
「第5」と同じインスピレーションに乏しい軍隊調の演奏だったので
第1楽章途中で聴くのを止めた。

多分、レコ芸推薦盤として
時期的に最後の推薦盤っぽいのだが
ダメなものはダメである。
少なくとも、トスカニーニのベートーヴェンは
1930年代後半のものがベストで
1950年代のものはかなり出来が落ちるし
今聴くと、どうしても軍隊調に聴こえて
むしろ不快になる。
残念だが。
(ベートーヴェン以外では、そういう解釈でも時には効果的なこともあるのだが)

239korou:2022/04/28(木) 17:33:08
(1958年の新譜から)
ブラームス「交響曲第1番」(マルケヴィッチ&シンフォニー・オブ・ジ・エア、1956年12月録音)
★★★★★★★★★☆

この演奏でまず驚かされるのは、オケの圧倒的な上手さで
さすがシンフォニー・オブ・ジ・エアである。
マルケヴィッチは、この世界一かもしれない合奏力を持ったオケの底力をフルに生かして
彼の考える最上のブラームスを創出した。
マルケヴィッチは
基本はフルトヴェングラーのような有機的な音楽、音符1つすらゆるがせにしない意味に満ちた音楽世界を
創造する指揮者のはずだが
その音楽世界を構築するための方法論はトスカニーニのそれに近く
その点でフルトヴェングラーに代表される純独墺系指揮者たちとは
聴いた感じが全く異なる。
しかし、方法論においてトスカニーニに酷似しているからといって
決してトスカニーニ亜流の音楽ではないこともよく心得ておくべきことだろう。
トスカニーニ、セル、ライナーあたりの音楽では
細部の感情表現は全体の造形美のために制限されているが
マルケヴィッチの場合は、全くそのようなことはなく
その両者が見事に融合されているのだから聴きどころは多いわけだ。
それでも、ブラームスのこの曲の場合、第3楽章には
そういった計算し尽くされた感情表現以上の究極の音楽の緩み、間合い、空白の美といったものが要求されるわけで
そこはマルケヴィッチの世界観にはない部分なので
そういった類の表現は見られず、そこだけが惜しい部分になってしまう。
物足りないところはそこだけで、後は抜群の名演だと思う(指揮者もオケもハイレベルで圧倒されてしまう)。
録音も、最初は音が鋭く聴こえ過ぎて面食らうが、すぐに慣れてしまう程度のものである。
★9つが妥当。

240korou:2022/05/06(金) 14:20:03
(1959年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第3番」(ワルター&コロンビア響、1958年1月20、23,25日録音)
★★★★★★★★★★

もう何度も聴き込んでいる演奏だが、改めて聴き直してみた。
特に後半2楽章について、惰性で聴き続ける弊を排して
単独でそれだけで聴いてみた(別の事情もあってそうしたのだが、結果はそれで良かった)。
聴き直した結果、どこにも文句のつけようのない超名演であることを再認識した。
特に今回気がついた点は
第2楽章と第4楽章の見事な音楽の流れであり
これはベートーヴェンの書いた楽譜から
そのような流れを読み取って実際に音として表現した
ワルターとコロンビア響の職人芸のなせる技だろう。
最近のベートーヴェンの演奏で
このような「蘊蓄」を感じることは皆無に近いので
その意味でも★満点の価値は十分にある。
もっと強固な意志が感じられる演奏こそ「英雄」にふさわしいということもあるのだが
これはこれで大指揮者が晩年に行き着いた自然な音楽の流れの境地ということで
高く評価したい。

241korou:2022/05/08(日) 14:50:04
(1959年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第4番」(ワルター&コロンビア響、1958年2月8&10日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

「英雄」であれほどの名演を見せていたワルターが
ここでは、基本的に時代遅れのリズムの取り方で失敗しているように聴こえる。
「運命」でも冒頭の動機部分のリズムを他の指揮者と全く違う取り方をして
結果的に失敗の演奏になっているのを連想させるのだが。
ニュアンスの出し方とか、各楽器の統率ぶりとか
まさに大指揮者たる風格が感じられるのに
全体を通して、リズムを単調かつ素朴に取ってしまっているので
いかにも鈍重で聴き映えのしない演奏になってしまっているのが
あまりにも惜し過ぎる。
20世紀冒頭だと、このようなリズム感でも問題なかったのだろうけど
20世紀も終わりになった頃とか21世紀の今の時期にこのリズムを聴くと
どうしても思わざるを得ない。
残念ながら★7つの標準レベルさえもあげられない。
ワルターに失礼な話なのだが仕方ない。
(リズムが強調されない部分だけを堪能するしかない。そういうところは比類なく美しいので)

242korou:2022/05/09(月) 16:00:27
(1959年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第5番」(ワルター&コロンビア響、1958年1月27&30日録音)
★★★★★★★☆☆☆

立派な演奏であることは何度聴いても分かる。
しかし、今回聴いてみて、第1楽章の運命の動機のリズムが
他の指揮者と微妙に異なるのが特に気になってしまい
それが特に音楽的な意味があるようには思えず
20世紀初頭の感覚であるかのようだった。
全体としてワルターらしさが出ていて
細部のニュアンスは申し分なくて
全体の迫力は他の名指揮者の演奏には劣る。
こうしてみると
このコロンビア響との最終録音は
曲目によってはワルターの最上の部分を表わし(その点でユンク氏の見解とは異なる)
別の曲となると、必ずしもそうとはいえないという結論に至るわけである。
もちろん、これほど音楽の細部のニュアンスを表現し尽した演奏は
他に類をみないことはいうまでもないが
やはり細部のニュアンスだけでは音楽は語りつくせないというのも
事実なのだろう。
模範的演奏だけど☆7つの標準レベルとしたい(激しさが欲しい「運命」なので)

243korou:2022/05/09(月) 17:04:22
「運命」の名演について

クリュイタンスの「運命」を次に評価するのだが
第1楽章を聴いただけなのだが、思ったより軽く明るい音色なので
せっかくのベルリン・フィル(しかも50年代後半!)なのに残念な思いがした。
ワルターもフルトヴェングラーもトスカニーニも名盤を残してくれなかったこの名曲について
一体どれが最上の演奏なのか?
E・クライバーも名演なのだが、今再確認で聴いてみたら、やはり「狂気」が不足する。
彼は、ワルター同様、そしてワルターとは違う切り口でモーツァルト的なものを再現できた
19世紀由来の指揮者なのだろう。

結局、いろいろ聴いた結果
クレンペラーとカルロス・クライバーの演奏に落ち着いた。
実はテンポ、リズムは、カール・ベーム&BPOの1953年盤がベストなのだが
この演奏は、次第にクライマックスに至るにつれて理知的な面が最優先されてしまい
ワルター、E・クライバーとは違うニュアンスで「狂気」と全く違う地点に着地しているので
最後の最後でベストの演奏ではなくなっている。
このベートーヴェンの狂気はフルトヴェングラーが最適なはずなのだが
よくよく考えてみたら、フルヴェンの狂気はワーグナー由来のものなので
「運命」のデモーニッシュとは種類が違う。
「運命」の「狂気」とは本当に表現が難しい種類のものなのだ。
クレンペラー&フィルハーモニア管(ステレオ盤)の演奏は
インテンポで音楽の本質をこれでもかこれでもかと最深部にまで突き進んだ恐ろしい演奏だ。
カルロス・クライバー&VPOの演奏は
指揮者と名門オケが一心同体になって楽譜をとことん忠実に再現した、その再現も徹底し過ぎるくらい徹底しているので
音の響きを必死に追っていくと、追っていけばいくほど恐ろしくなるような演奏だ。
この両者が、「運命」の「狂気」を本当に再現しているように思える。

244korou:2022/05/10(火) 18:01:11
(1959年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第5番」(クリュイタンス&BPO、1959年3月10〜13日録音)
★★★★★★★☆☆☆

爽やかなベートーヴェンだ。
特に第3楽章から終楽章に突入し、高らかに勝利を宣言するフレーズの響かせ方は
これ以上ない明朗さで
ある意味、このフレーズの最高の表現の一つに違いない。
しかし、そこは最高であっても
そこに至る絶望の感情の表現には
ベートーヴェンの気高い苦悩のかけらも感じられない。
逆に、そのかけらもない明朗なイメージの「苦しみ」の表現こそ
クリュイタンスのベートーヴェンのオリジナリティがあるのだとも言えるのだが。
ここから先は個人的嗜好ということになるのだが
やはりベートーヴェンと、表現の明朗さは両立しないという立場なので
この演奏の美点は理解できるとしても
高い評価は与えられない。
嗜好からいえば★6つでもいいのだが
やはりBPOの立派な響きと、それを導いた指揮者の力量に敬意を表して
★7つとしようか。
どちらにせよ模範的演奏であることは間違いないし。

245korou:2022/05/11(水) 15:15:38
(1959年の新譜から)
ベートーヴェン「交響曲第9番」(ミュンシュ&ボストン響、1958年12月21・22日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

まず録音の音質が雑で閉口する。
とりあえずステレオにしてみましたというような妙な響きが耳につき
音が気持ちよく分離しないので、常にモゴモゴとした音になる。
この音質で、さらにミュンシュの剛毅な演奏スタイルが全開なので
さすがに50分ほど聴いてもう耐えられなくなり
今回の試聴では例外的にイヤホンを外してスピーカーで聴いている。
★5つ?いや、この演奏にも良い点はあるので
そこまで低評価はしたくないが
それにしても、ミュンシュの残したステレオの「第9」がこれだけであるとすれば
実に残念なことである。
ボストン響の名人芸がこの録音では全く伝わらないし
ミュンシュとしてももう少しゆったりと大きな世界を表現できたはずである。
曲の細部には、ストレートなスタイルの魅力が含まれているので
そこだけが聴きどころだろう。
ギリギリで★6つ。

246korou:2022/05/12(木) 14:12:06
(1959年の新譜から)
ブラームス「交響曲第3番」(フルトヴェングラー&BPO、1949年12月8日ライブ)
★★★★★★★★☆☆

フルトヴェングラーが
その思いのままにブラームスを表現し尽くしたらこんな感じではないだろうか
と想像するそのままの演奏になっている。
戦後においては、
必ずしも即興のひらめきに全面的に表現を委ねるスタイルではなかったフルトヴェングラーだが
ここでは、ライブということもあって
テンポの揺れ、気持ちたっぷりなリズムの取り方が聴かれるわけである。
もともと後世に残すための演奏というわけではないので
録音の音質もそれほど良くないのだが
聴いていくうちにそんな音質のことなどどうでもよくなって
ここはフルトヴェングラーのロマンティックな解釈に身を浸していくのが最善と
思えるようになるのが不思議だ。
全体としてかなり良い出来の演奏なのだが
部分的には、今となっては古めかしい解釈に聴こえるところも無きにしもあらずなので
★9つまではいかないとしても
録音の悪さを超えて★8つは評価したいところ。
まあ、こんな演奏は空前絶後、今となっては誰もこんな風には表現できない
という意味合いもあって高評価とした(曲の本質にも合っているし)

247korou:2022/05/12(木) 16:40:15
(1959年の新譜から)
ブラームス「交響曲第4番」(フルトヴェングラー&BPO、1948年10月24日ライブ)
★★★★★★★☆☆☆

同じ時期のライブ録音でも
こちらのほうが「第3番」のそれよりも聴き易い音質になっている(もっとも音楽の急所になると
もやもやとした音質で不満は残るが)
さらに曲想からいって、さらにフルヴェン得意の曲目のはずなのだが
確かに細部の意を尽くしたかのような没頭感には聴くべきものがあるものの
全体としては不出来な印象を受ける。
一言で言って「古い」演奏だ。
あまりにブラームスの生きた時代と近すぎたために
客観的にこの曲を見つめる視点に欠けているとでもいうか
やりすぎてしまって収拾がつかないというか。
ワルターは、基本的に全体の造型を崩さずに細部にチャーミングな表現を付加することが可能だったが
フルトヴェングラーは、全体の造型よりも細部への没頭を優先する演奏スタイルだったために
特にこうしたライブにおいては
やりたい放題やってしまうと、どうしても全体の印象が緩んで弱くなってしまう。
もっとも、ライブ録音なんて彼は重要視していなかったはずで
これは彼の責任ではないのだが。
スタジオ録音でなら、もっと堂々とした全体像がクリアなブラームスを
聴かせてくれたに違いない。
よって★7つ。

248korou:2022/05/13(金) 14:47:23
(1959年の新譜から)
ブルックナー「交響曲第8番」(カラヤン&BPO、1957年5月)
★★★★★★★★★★

何とも美しいブルックナーで
他の指揮者とオケでは絶対に出せない不思議なブルックナーとなっている。
精神的な深み、高揚などとは無縁で
音の表面だけを磨き抜いているだけなのに
ブルックナーの音楽の崇高さを感じさせる点で
空前絶後といってよい。
これが未完成な部分を含んだ楽曲であれば
ここまで成功しなかったと思うのだが
さすがに「第8」はこういうアプローチでの達成を可能にする完成度を
備えているわけで
これはカラヤンの初期の音楽表現の究極の達成点ではないだろうか。
ここから後のカラヤンは
これほどの突き詰めた表現をしなくなり
やや力任せに造型を深めていく60年代を経て
流麗一点張りの70年代、枯れたゲルマン美の80年代と進んでいくのである。
これは★満点をつけざるを得ない。

249korou:2022/05/14(土) 14:28:16
(1959年の新譜から)
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95(B.178)「新世界より」
フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団 1957年11月9日録音
★★★★★★★☆☆☆

非常にドライな演奏で、細部のニュアンスなどには目もくれず
全体を早めのテンポでまとめ上げた、いかにもライナーらしい「新世界」である。
こういう類の演奏を好む人は意外に多いのだが
個人的感想を述べれば
ハッキリ言って「雑」なのではないか。
特に第1楽章冒頭のごちゃごちゃしたテンポの揺れは
曲想がどうであれとにかく前へ前へと進む推進力を最優先した結果
かなりヒドい出来になったように聴こえる。
その反面、第2楽章のベタな曲想については
こうしたアプローチが功を奏し
特に中間部の盛り上がりの巧さは見事という他ない。
しかしその他の楽章も概ねライナーの「趣味」で統一されていて
ドボルザークの音楽はどこかへ行ってしまっているのが残念である。
にもかかわらず★7つとしたのは
シカゴ響の上手さ、この時期の録音としたら音の分離の良さなどで
聴きどころも多いからである(もちろん第2楽章だけでも聴く価値はある)

250korou:2022/05/16(月) 20:54:28
(1959年の新譜から)
ベイヌム&AC管のヘンデル「水上の音楽(全曲)」を聴く。
イヤホンで聴くとあまりピンと来ず、スピーカーで聴くとちょうど良い。
ただし、細かい味わいは望めないわけで、
今後、原則として、ヘンデル以前の音楽はカットということで。

アンセルメ&パリ音楽院管のR・コルサコフ「シェエラザード」を聴く。
録音がモノにしては優れているということだったが
実際に聴いてみると、聴き辛い音質だった。
ナクソスで、スイス・ロマンド管とのステレオ録音を聴いてみると
はるかに音質が良く、演奏も上質だったので
これは後々推薦盤として出てくる予定なので
そのときにレビューすることにした。

251korou:2022/05/19(木) 15:29:40
(1959年の新譜から)
マーラー:交響曲第2番 ハ短調 「復活」
ワルター指揮 ニューヨークフィル エミリア・クンダリ(S) モーリン・フォレスター(A) 1958年2月録音
★★★★★★★★☆☆

聴くだけで1時間半近くかかる大曲なので
全部通して聴こうと決断するまで数日かかってしまった。
聴き終わった今、マーラーの若い時期の初々しい感性がぎっしりと詰まったこの曲が
脳裏をかけめぐっていて、もはや批評不能なのだが
一応整理の意味で書いておくと
「やはり、長すぎる」と言わざるを得ない。
それでももう聴くのを止めようとまでは思わないのは
細部にひそんでいる儚いまでの和声の美しさと
神経を適度の強さで揺さぶるリズムの独創性、ひいては全体の構成のユニークさなど
他の作曲家の楽曲では聴けない不思議な魅力を有しているからなのだ。
ワルターは、そんなマーラーの細部の美しさを最大限に引き出していて
その分全体の見通しは不十分なのだが
たとえば、それがベートーヴェン「第9」のような楽曲を仮定したとして
他の指揮者による造型の厳しい演奏から
「第9」の構成をイメージしつつ
ワルターの細部の美しさを愛でるという聴き方も可能なはずで
たまたま自分が、この曲の構成を直感的に把握させられる演奏に出会っていないだけだろうと思えば
そうした造型の緩さについては、今後問題なくなるはずだろう。
★9つでもいいのだが、以上のような他の指揮者との比較が全くできないので
暫定で★8つにすることにした。

252korou:2022/05/20(金) 15:12:00
(1959年の新譜から)
R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30
ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1958年4月15日〜17日録音
★★★★★★★☆☆☆

いかにもベームらしい、それも最上の部類のベームの好演だ。
テキトーに作られた印象すらあるR・シュトラウスの交響詩を振って
ここまで精密に組み立てて
音楽が内部から光り出すような感じにまで仕立て上げられる指揮者は
カール・ベーム以外に考えられないだろう(もしクレンペラーが振っていたら、ベームと匹敵するのだが)。
もちろん、そこに張ったりとか聴衆への聴き易さへの配慮などといったものは見当たらず
集中力が欠けた場合には
こういうタイプの演奏からは何も聴き取れないということにもなる。
やはり、いつでも安心して聴けるR・シュトラウスの交響詩となれば
カラヤンになるのだろうが
きっちり鑑賞できる状態であれば
このベームの演奏で深く音楽の核心に迫ることもできるのである。
迷ったが★7つとした。
この曲自体、ほぼ通して聴いたことがないので
評価そのものが難しいので。

253korou:2022/05/21(土) 20:46:34
(1959年の新譜から)
R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30
カラヤン指揮 ウィーンフィル 1959年3月23日,4月9日録音
★★★★★★★★☆☆

この演奏については、実際のところ、響きが美しすぎて、途中でウトウトしてしまった。
よって、細部について分析することは不可能だが
どこにも問題のない演奏であることには間違いない。
特定のストーリーを表現する「交響詩」というジャンルにおいては
卓越した能力を発揮するのがカラヤンなのである。
曲自体が創造性に欠けるので
まあ★8つが最高点かも。

254korou:2022/05/22(日) 16:58:56
(1959年の新譜から)
チャイコフスキー:白鳥の湖(短縮版) Op.20
アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 1958年11月録音
★★★★★★★☆☆☆

アンセルメの語り上手な指揮ぶりを再発見する思いで聴いた。
何と言っても、バレエ音楽を耳だけで聴くという行為にムリがあるということは
小林宏之氏の言を俟つまでもないことなのだが
それにしても、この演奏からは
見えるはずのない実際のバレエの情景が目に浮かんでくるようだ。
これからもたびたび全曲盤を聴くということは無さそうなので
★7つとしたが
組曲盤なら★9つのレベルだろう。
アンセルメの上手さは
自分の嗜好としては好んで聴くタイプの演奏ではないので
評価は難しいのだが
さすがにこれは分かる。

255korou:2022/05/23(月) 11:35:18
(1959年の新譜から)
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77
Vn.グリュミオー ベイヌム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1958年7月録音
★★★★★★★★☆☆

美しい演奏だ。
グリュミオーの美音は言わずもがな、ベイヌムの棒はAC管の美点を最大限に発揮させていて
オケもVn独奏も音色が美しいことこの上ない。
少なくとも、この曲に関して
音色を愉しむことについて言えば
これ以上の演奏はなかなか出てこないだろう。
ただし、ブラームスの曲でもあるので
構造的に突き詰めた名演という存在は
可能性として大なので
その方面からいけば
若いヴァイオリニスト(30代)と壮年指揮者(50代)が作り出す音楽は
些か物足りない面もあることは確かである。
もっとも、いつも構造的にがっちりとした演奏が聴きたいわけでもないので
それは大きな問題でもない。
以上加味して★8つ。

256korou:2022/05/24(火) 16:01:54
(1959年の新譜から)
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64
(Vn)ハイフェッツ:シャルル・ミンシュ指揮 ボストン交響楽団 1959年2月23日&25日録音
★★★★★★★☆☆☆

かつて、3枚目に買ったレコードとして、結構聴き続けた演奏である。
こうして、いろいろと知識も増え、鑑賞経験も豊富になった今
あらためて聴いてみると、何の特徴もない演奏であったことが判る。
確かに、これほど精巧に破綻なく協奏曲を仕上げるテクニックと気迫は
他に並ぶものがないほどだと思うのだが
こういうロマン派の楽曲を
こういうアプローチで弾くことに
ほとんど迷いを感じていないように聴こえるのは
やはり20世紀独特の演奏スタイルではないかと思えるのである。
トスカニーニの最上の演奏には、そういう類の「迷い」を克服したテイストが感じられるし
ホロヴィッツの最上の演奏だと、もはや「迷い」など入り込めないほどの強さが
打鍵楽器の強みとして感じられるのだが
ハイフエッツの場合、ヴァイオリンという楽器の特性上
こういうスタイルを貫き通すと
もはや(本来の音楽を通り越して)そのスタイルしか聴こえてこない。
残念ながら、ヴァイオリンという楽器でそのスタイルで弾き通すことは
もはや21世紀の今となっては、誤った演奏スタイルにすら聴こえてくる。
ただし、そうしたスタイルの金字塔としての価値は認めざるを得ないわけで
反面教師として、この演奏は最も聴かれるべき演奏の一つであることも間違いない。
よって★7つ。

257korou:2022/05/26(木) 10:22:27
(1959年の新譜から)
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調 Op.63
(Vn)ヤッシャ・ハイフェッツ:シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1959年2月23~25日録音
★★★★★★★☆☆☆

初めて聴いた曲なので、なかなか評価が難しい。
プロコフィエフとしては保守的な曲想なので
不協和音とか不規則なリズムに耳を慣らせる必要はないのだが
それでもロマン派の音楽とは随分趣きが違うので
聴きどころがイマイチ分からない。
ハイフエッツのストレートな弾きっぷりについても
たしかにロマンティックに弾かれてもどうしようもない曲とはいえ
これでいいのかどうかも不明だ。
ミュンシュのストレートなオケの鳴らしっぷりは
なんとなく正解のように思えるが・・・(根拠なし)
というわけで、分からんので★7つ
(演奏そのものへの一般の評価は高い。この曲の知名度はハイフエッツがもたらした)。
曲を聴き通した感想としては
ヴァイオリンの保守的な音色は
どうやっても現代音楽には合わないという感じ。
プロコフィエフとヴァイオリンの楽曲という組み合わせだけで
もうムリかなという感じ。

258korou:2022/05/26(木) 17:30:27
(1959年の新譜から)
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 作品30
(P)ヴァン・クライバーン:キリル・コンドラシン指揮 シンフォニー・オブ・ジ・エア 1958年5月19日録音
★★★★★★☆☆☆☆

やや体調不良のまま鑑賞したので
正確な評価はできないが
少なくとも、かつて推薦盤にしたアシュケナージの演奏を聴いた時の感銘からは
程遠いように思えた。
ラフマニノフの音楽は、そのまま工夫なく演奏した場合
どうしても感傷的なイメージが出てしまうので
簡単な構成の曲ではあるけれども、
実際のところ、かなりの創意を持って演奏されなければならない。
その点、クライバーンはあまりに素直にこの音楽を紡いでいるので
どうしても曲の浅さが見えてしまう。
実際よりも素晴らしい曲に見せることも
演奏者の力量だと思うので(もちろん実際通りリアリスティックに表現するのもアリだが、この曲の場合は違うと思う)
どうしても★6つの低評価とせざるを得ないのである。
ライブ演奏ということで
いつもは素晴らしいシンフォニー・オブ・ジ・エアも
意外と雑に響いているのもマイナス。

259korou:2022/05/27(金) 15:10:41
この演奏は評価はせず聴き流し・・・(ハイドン以前なので対象外)

(1959年の新譜から)
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」
 ミュンヒンガー指揮 シュトゥットガルト室内管弦楽団 Vn.クロツィンガー 1958年録音

確かにドイツ風のかしこまったヴィヴァルディで、ヴィヴァルディ特有の暖かみのある音楽が聴けないのは残念。
音楽的には美しいことは誰もが認めるとは思うのだが。
特に独奏ヴァイオリンの清新な音色は、ヴィヴァルディということを離れて魅力的。

260korou:2022/05/28(土) 22:37:47
(1960年の新譜から)
ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
ゲオルク・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1959年5月録音
★★★★★★★★☆☆

ショルティの「エロイカ」なんてと思っていたら
小林利之さんがVPOの美しい音色なんて書いてるので
半信半疑で聴き始めたところ
確かに、これほどVPOの弦、管が美しく録音されているのは珍しいと
思わされた。
ショルティの指揮というよりも
VPOの音色を愉しむ演奏なのである。
それだけで★8つに値するのも事実(しかも「エロイカ」なんだから)
ユンク氏の解説によれば
この演奏でショルティは商業的には成功せず
ベートーヴェンの交響曲全集の録音には至らなかったらしいが
さもありなんということろ。
指揮者として、その当時の巨匠たちに割って入るほどのクオリティは
確かになかったと言える。
聴いていて、特徴がなく、それでいて音は綺麗なので
思わず居眠りしてしまいそうになるのも事実。

261korou:2022/05/29(日) 17:22:33
(1960年の新譜から)
ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1959年1月5,6,8&9日録音
★★★★★★★★☆☆

以前のチェックでは★9つレベルの高評価で
この曲の推薦盤としていたほどだったが
今回聴いてみて
やはりあまりに優美に流れ過ぎるように思えたので
★8つに下げた(とはいうものの代わりの推薦盤はこれから探すことになる)。
もちろん細部の音楽的な美しさに変わりはない。
これだけの音楽を創り上げることは
ワルター以外の指揮者では不可能だとさえ思う。

262korou:2022/05/30(月) 15:32:09
(1960年の新譜から)
ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1958年2月1,3&12日録音
★★★★★★★☆☆☆

思ったよりもフレッシュで躍動感あふれる演奏で驚いた。
とはいうものの、全体としては「第7番」にしては優美すぎる演奏であることに変わりはなく
クレンペラー、フルトヴェングラーの超名演と同じレベルとは言えないことも事実。
曲そのものが鷹揚に振っても大丈夫なくらい堅固に作られているので
ワルターほどの力量があれば
フレッシュで躍動感を感じさせる演奏など
すぐに出来てしまうのではないか。
そう思えば、このコロンビア響とのステレオ録音において
「第7番」では、あまり新しい解釈は存在しなかったのではないかと思われる。
その意味では★7つが妥当かも。
ただし、ワルターの演奏を愛する人間にとっては
十分堪能できる内容であるので
もはや★の数など無意味と言えるのだが。

263korou:2022/05/31(火) 17:09:34
(1960年の新譜から)
ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1959年1月5日&9日録音
★★★★★★★★☆☆

これも見事なまでに”ワルターのベートーヴェン”である。
そして”フルトヴェングラーのベートーヴェン”が
曲によってはそぐわない面があるのに対して
ワルターが振ったこの時期のベートーヴェンには
駄演など一つもない。
特に、この「第2番」に関しては
この種のニュアンス豊かなタイプの演奏としては
これ以上のものはないのではないかと思われるほど
ワルターの天賦の才能が十全に発揮されている。
にもかかわらず★8つとしたのは
「第1番」と同じ理由で
単に”優美すぎる”だけに過ぎない。
それにしても、この「第2番」は超名演で
これ以上のクオリティの推薦盤を見つけるのは
至難とも思えるのだが・・・
というわけで、そういうものが見つかるまでは
推薦盤であることに変わりはない。

264korou:2022/06/01(水) 15:49:44
(1960年の新譜から)
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
ベイヌム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1958年10月6&7日録音
★★★★★★★★☆☆

ベイヌム晩年の録音で、とにかくAC管の音色が素晴らしい。
この音色だけでも、この演奏に浴びせられた不評の数々など問題ではないと思える。
あまりベイヌムの指揮ぶりをチェックできているわけではないので
ベイヌム自身の出来栄えとしてイマイチという一般の評価を
どうこう言えるものでもないが
少なくとも他の凡庸な指揮者の出来を
遥かに上回るクオリティを備えているように思えた。
さすがにブラームス独特の渋さ、晦渋さ、不器用さ、重厚さといった
それこそブラームスを聴く醍醐味の点については
ベイヌムの颯爽とした指揮ぶりからは
到底期待できるものではないので
そのあたりは満点評価にならないわけだが
それでも今まで聴いた数少ないベイヌムの指揮ぶりと比べれば
十分に重厚さとか渋さが出ているように思え
それは60才に近づくにつれて
颯爽としたスタイル以上のものを模索した結果
(それはユンク氏の解説とは違って)すでにこの時期に”ものにできていた”ように
思えるのである。
★9つでもいいのだが、さすがにブラームスっぽくない部分の散見するので
抜群の指揮者、オケながら★8つとした。
こんな感じでもっと発散気味の曲想であれば、もう満点かも。

265korou:2022/06/02(木) 14:36:18
(1960年の新譜から)
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1959年10月録音
★★★★★★★★★☆

これぞブラームスと拍手喝采を送りたくなる見事な演奏だ。
ベームの個性はブラームスと一体化しているかのようで全く違和感なく
BPOも、フルヴェン時代の底力のある音色をこの時期までは保っていて
いかにもブラームスを演奏するのにふさわしい。
堅固かつ揺るぎない音楽でありながら
要所要所では情緒あふれるテンポの揺れ、叙情的なフレーズの扱いが感じられ
どこにも不満はないわけだ。
いや、あまりに完璧すぎて、凄すぎて
凡人の自分にはキツいとすら思えるくらいで
そこが満点でない評価となっているのだから
贅沢の極みだ。
これを上回るものはカラヤンのシンプルな解釈しかなく
しかし音楽性と言う面で
カラヤンは到底この時期のベームには及ばない。
まさに好みというだけで満点をつけていないのだから
本当は満点評価なのだ。

266korou:2022/06/09(木) 22:53:40
(1960年の新譜から)
ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調
オイゲン・ヨッフム指揮 バイエルン放送交響楽団 1958年2月録音
★★★★★★★★☆☆

ブルックナー演奏の標準ともいうべきヨッフムの
やや若い頃の演奏ということで
思いのほかオケの強奏部分では音が激しく
またテンポも一定して早めに設定されていた。
特に不満な点はないのだが
あえてナクソスでティントナーの指揮で同じ部分を聴いてみると
さすがにティントナーのほうが芸が細かく、音の強弱、テンポの揺れなど
納得できる解釈で素晴らしい。
もちろん、ヨッフムも後年の円熟時には
同様に蘊蓄深い演奏を聴かせてくれているのだが
このバイエルンとの組み合わせの演奏時には
まだ推進力が強すぎて
ブルックナーらしさが出ていない面もあるようだ。
ということで
★9つにしようかとも思ったが
ティントナー、あるいはネルソンス、クレンペラーなど名演も多いので
ここは★8つが妥当と判断。

267korou:2022/06/10(金) 16:16:33
(1960年の新譜から)
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1959年11月25日録音
★★★★★★★★★★

ワルターのブラームス「第1」は
今までにすでに聴いていたような気がしていたものの
今回聴いてみて、決して詳しくは聴いていなかったと実感。
他の指揮者の「第1」と比べた場合
これだけ内声部がクリアに聴こえてかつ音楽的に美しい演奏は
他にないだろう。
終楽章の第一主題を絞り出すような提示部のところだけは
さすがにコロンビア響の弦の薄さを感じさせるが
それ以外は想像以上にがっしりとした質感の音が出ていて
ワルターの指揮も、よくぞ短時間でここまで仕上げたものだと
感心するばかりである。
この重厚かつ渋い曲調のシンフォニーを
これほど生き生きとした表現で演奏し通すことは
至難の技だと思うが
本当にその点だけは他の指揮者より抜きん出ている。
フルトヴェングラー、カラヤンと並ぶ推薦盤としたい。★満点だ。

268korou:2022/06/11(土) 16:33:30
(1960年の新譜から)
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1959年2月14,16&20日録音
★★★★★★★★☆☆

ユンク君サイトでは大絶賛だが
個人的には全く好きになれない演奏で
ワルターにも得手不得手があるのだなと
再認識させられた。
とにかく、休符と音符のバランスが悪すぎて
「新世界」に求められている躍動感が台無しになっている。
「新世界」の演奏には、絶対に守るべき休符の長さと音符の長さがあるように思うが
このワルターの演奏においては
ことごとくその長さが中途半端になっているのである。
ワルター独特の内声部の歌声も聴こえてこない。
残念ながら、平均点以下の演奏で★6つ。

269korou:2022/06/12(日) 16:15:41
1960年の新譜から
ワルター&コロンビア響のブラームス「第2」を論評しようとして聴き始めたものの
冒頭の序奏部分の音程が崩れていて台無しの演奏であることに気付き
さらに、いろいろ聴いていくうちに
ジュリーニ&フィルハーモニア管の演奏も同様に音程が不安定であることに気付いた。

そこで、この曲の推薦盤の再確認をしようと思い
カラヤン、モントゥー、シューリヒト、ジュリーニ、ワルター&NYPを
一気に聴いて、聴き比べしてみた。
結局、カラヤンは情緒不足、モントゥーはロンドン響との演奏が可もなし不可もなくサンフランシスコ響との演奏も思ったより特色が薄く
シューリヒトはVPOとの演奏がやはり特色が薄くシュトゥットガルト響との演奏も同様、
ジュリーニはVPOとの演奏が迫力不足で淡々とし過ぎていた。
そして、ジュリーニ&ロサンゼルス・フィルの演奏が、適度の迫力と適度の情緒に満ちていて過不足なく満点、
ユンク君サイトでは、決定盤がなく、それでもワルター&NYPの演奏が
音色的に最上のブラームスを奏でていたので
やや迫力過剰ながらベターとした。
今までの推薦盤は、ジュリーニのフィルハーモニア管の音程不安定を、そこは安定抜群のロサンゼルス・フィルに差し替え
カラヤンの威容に替えてワルターの定番NYP盤に変更することに決定。
ワルター&コロンビア響の演奏は評価不能ということで。

270korou:2022/06/13(月) 14:45:08
(1960年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第35番ニ長調 「ハフナー」 K385
ベーム指揮 ベルリンフィル 1959年10月録音
★★★★★★★★☆☆

1960〜70年代のモーツァルト交響曲演奏の模範だったベームの
最も精彩ある時期の演奏。
古楽器による演奏スタイルについて
ついに触れることもなかった自分にとって
いまだにベームの解釈は古典であり基本である。
クリップスを知った今となっては
ベストではなくなったものの
決して単に古くなったわけではなく
さらに、まだ最良の音を出していた時代の
VPO、BPOを振って創られた音楽なので
その価値は不滅と言ってよいだろう。
「ハフナー」はその作られた経緯からして軽い音楽であり
セレナードといってもよい作品なので
以上のベームの演奏の不滅さをもってしても
あまりに作品の規模が小さすぎると言わざるを得ない。
本来なら★9つだが
作品の小ささとベームの重厚さが不似合いなので
もう1つ減らした評価となった。

271korou:2022/06/13(月) 15:09:41
(1960年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 「プラハ」 K.504
ベーム指揮 ベルリンフィル 1959年10月録音
★★★★★★★★☆☆

第1楽章は非の打ちどころがないくらい素晴らしい。
内声部の絡みは天国的に美しい。
しかし、第2楽章はいかにも重たい。
テンポが緩い楽章でフーガのように音符が重なる音楽だと
最盛期のベームでも
その個性によりどうにもならなくなってしまう。
第3楽章は可もなし不可もなし、もう少し軽やかでも良かった。
全体として、第1楽章が抜群なので
続く2つの楽章に多少不満が残るとしても
あまり気にならない。
とはいえ、べームのモーツァルトとして最上かと言えば
やはりベームを評価していない人を振り向かせるまでの魅力には欠けると
言わざるを得ない。
残念ながら、これも★1つ落として★8つ。
本来なら★9つがベームのモーツァルトの標準なのだが
2曲続けて★8つになってしまった。
何故だろう?

272korou:2022/06/15(水) 17:34:07
(1960年の新譜から)
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 作品98
シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1958年10月27日録音
★★★★★★★☆☆☆

ミュンシュの豪快な直線的な指揮ぶりと
ブラームスが楽譜の奥底に秘めた繊細で細心を極めた境地とが
合うはずもなく
その意味では全然聴くに値しない演奏なのだが
ミュンシュという指揮者に敬意を表して
無心に聴けば
これは見事なまでに創りあげられた佳演であると言える。
どこまでもミュンシュであり
どこまでもボストン響の音であり
それは、例えば第3楽章のような賑やかな舞曲風の曲調であれば
無類の魅力を発揮する。
これ以上の第3楽章には、なかなかお目にかかれない
しかし、先ほどヨッフムの演奏を聴いて
やはりブラームスはこれでなくてはならないと再認識させられた。
やはり、どんなに佳演であっても
合わないものは合わないのである。
よって総合的に判断して★7つの平均点。

273korou:2022/06/16(木) 15:11:54
(1960年の新譜から)
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 作品98
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1960年1月16日&23日録音
★★★★★★★☆☆☆

ステレオ録音のワルターにも
かなり出来不出来のムラがあることが最近になって分かってきた。
これは不出来のほうに属する。
しかし、その不出来の半分は録音の拙さによるもので
ワルターには責はない。
なぜにこれほど弦の響きがキンキンしているのか
これでOKを出した関係者の感性を疑う。
演奏そのものも、その音質の酷さを補うほどのものではない。
やはり西欧音楽文化の深層を抉るようなこの曲は
伝統的なドイツ音楽を心得た指揮者が
同じくドイツの伝統を踏まえたオーケストラを振ってこそ
その真髄が明らかになってくるのである。
老境に達したかつての独墺系の大指揮者が
その心境を窺い知ることなく、ただその指示に従って音を奏でるだけの
臨時のアメリカのオケを振って出てくる音楽は
ベートーヴェンのような汎人類の音楽ならともかく
この曲に関しては、最初から限界が存在する。
演奏した誰も悪くない、録音は×ということで★7つの普通の演奏。

274korou:2022/06/17(金) 15:08:28
(1960年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 "Jupiter" K.551
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1960年2月25日~29日録音
★★★★★★★★★☆

満点の演奏だ。
★9つなのは、クリップスの超名演があって
それが必ずしもロマン派音楽の影響だけの名演ではなく
2022年の現在でも通用する普遍的な名演なのに対し
このワルターの名演は
あくまでも19世紀に全盛を誇ったロマン派音楽の影響下にある名演だからで
それ以外に減点の要素はない。
最初は弦の音質が痩せていて、最近とみに感じるようになった失望感が出そうになったのだが
しばらくすると、その音質のなかで、音の強弱、微妙なフレージング、テンポの揺れなどが
心地よく感じられるようになり
気がつくと、この音質こそモーツァルトの小編成のシンフォニーを表現する
最適の音だと思えるようにまでなっていた。
それでも、第3楽章までは、そこまでのロマン派音楽の影響を思わなかったが
終楽章のゆったりとしたテンポ、フーガを形成する各フレーズの処理の古臭さに
さすがに時代の影響を思わせる表現を感じたのである。
しかし、それらはいずれも演奏の価値を些かも失わせることなく
ワルターらしい人間味あふれる暖かい表現として聴くことができるのである。
満点に限りなく近い★9つを贈りたい。素晴らしい演奏。

275korou:2022/06/18(土) 15:46:00
(1960年の新譜から)
サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調 Op.78「オルガン付き」
シャルル・ミンシュ指揮 ボストン交響楽団 1959年4月5日~6日録音
★★★★★★★★★★

いやはや、もう降参という感じの圧倒的熱演で
これに★9でもつけたりしたら
どこが減点なのと叱られそうなほどの勢いがある。
やはりミュンシュは、このテの曲をやらせたら
天下無敵の上手さだ。
ボストン響も上手いし
何と言っても、細かい分析を許さない全体的な迫力が全てだ。
だから、もう何も書かない、録音も含めて★満点。

276korou:2022/06/19(日) 16:58:40
(1960年の新譜から)
ドミートリー・ショスタコーヴィチ
交響曲第5番 ニ短調 Op. 47 - IV. Allegro non troppo
ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団, ヴィトルド・ロヴィツキ (指揮)
1958年10月
★★★★★★★★☆☆

好きな曲だけに点数をつけるのが難しいのだが
悪くない演奏であることは確かなので
その意味で★8つとした。
初めてユンク君サイトでなく
ナクソスのサイトで演奏を確認したが
もうこの時期なので、音質も上々だ。
最初の数分だけ、オケが物足りない気もしたが
徐々に慣れていき、全く気にならなくなったのも
やはりロヴィツキの力量とオケの真摯さだろう。

277korou:2022/06/20(月) 13:31:35
(1960年の新譜から)
〇スメタナ:「我が祖国(1)~高い城・モルダウ・シャールカ」
 ヴァーツラフ・ターリヒ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1954年6月10日~12日&21日, 7月2日~3日録音

「スラヴ舞曲」と「わが祖国」が推薦されていたが、その中で「モルダウ」だけ聴く。
まるでフルトヴェングラーがドイツ音楽を演奏しているかのような神々しい演奏。
デモーニッシュでかつエスニックで情熱に満ちていて、個人的には好みの演奏だが
これは「モルダウ」が芯のしっかりした名曲だからであって(1954年の録音で音質も上質ということもある)
小品の「スラヴ舞曲」(1935年録音)の場合は、やはりもう少し良い音質で聴きたいとも思った。

<ナクソスから>
〇ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯 Jeux」
スイス・ロマンド管弦楽団  (指揮)エルネスト・アンセルメ 録音: October 1953, Victoria Hall, Geneva, Switzerland
〇ポール・デュカス :舞踏詩「ラ・ペリ」
パリ音楽院管弦楽団 (指揮)エルネスト・アンセルメ 録音: 20 September 1954, La Maison de la Mutualité, Paris, France

いずれもバレエ音楽で、音楽だけ聴いてもなかなか感動に導かれないのだが
さすがにアンセルメだけに、精妙かつ美意識高くまとめられている。モノラル録音とは思えない精密な音が聴こえてくる。
とはいえ、全部聴き通すまでには至らなかった。

全部聴いていないので評価不能だが
「モルダウ」に関していえば★9つ、あと「ラ・ペリ」も★8つはいける。他は★7つくらいだろうか。

278korou:2022/06/20(月) 14:23:44
(1960年の新譜から)<ナクソスから>
ファーディ・グローフェ:組曲「グランド・キャニオン」
アルフレッド・クリップス(ヴァイオリン)、レーオ・リトヴィン(チェレスタ)
ボストン・ポップス・オーケストラ (指揮)アーサー・フィードラー
録音: 25 June 1955, Boston
★★★★★★★★☆☆

グローフェの没年が1972年なので、著作権の関係でユンク君サイトでは「大峡谷」の名盤を聴くことはできない。
ナクソスで、この懐かしい演奏を再び聴いてみた。
やはり巧い。フィードラーの指揮も万全。
比較するほど他のオケの演奏を聴いていないので
とりあえず★8つ。

279korou:2022/06/21(火) 14:56:43
(1960年の新譜から)
〇ヨハン・シュトラウス「ワルツ集」(カラヤン&VPO)
 確かにレコ芸の評にあるように、VPOの木管楽器の音色の柔らかさは秀逸。ただしカラヤンの指揮ぶりはもっと徹底しているはずの
 後年のもののほうが個性が出るのではと思った。ついでにユンク氏大推薦のライナーのワルツ集も聴いてみたが、それほどでもなかった。
〇R・シュトラウス「英雄の生涯」(カラヤン&BPO)
 演奏は驚くほど上手い。でも曲そのものが皮相でつまらなく、とても最後まで聴けない。
〇R・シュトラウス「ドン・ファン」「死と変容」(ワルター&NYP)
 これは中身の詰まった巨匠によるシュトラウス交響詩の演奏。フルトヴェングラーの演奏と同様で、楽譜に書いてあること以上の内容
 を表現している。R・シュトラウスに関しては、カラヤン以外に正しい再生はあり得ないように思う。楽譜以上のことを引き出されても
 それなら他の優れた楽曲でその解釈を聴きたいと思うし、楽譜だけでR・シュトラウスを聴くとしたら、聴かせ上手なカラヤンという
 ことになる。
〇R・シュトラウス「ドン・キホーテ」(ライナー&シカゴ響、ヤニグロ(Vc))
 これは引き締まった良い演奏。ライナーの美点がよく分かる。この曲は300選にはなかったが、おそらくカラヤンと双璧の名演では
 ないかと思えた。いつか全部通して聴いても良い演奏。
〇ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」(モントゥー&ボストン響)
 ナクソスにこの時期のライブ盤がアップされていたが、それがレコ芸推薦盤と同一かどうかは不明。手慣れた感じで、少しも違和感を
 感じさせない巨匠の風格が感じられる演奏。ラトル、ブーレーズあたりと比較して聴いてみたかったが時間がないので割愛。

※以上、すべて途中までしか聴いていないので、評価は略。

280korou:2022/06/22(水) 15:34:27
(1960年の新譜から)
ベートーベン:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op.15
(P)バックハウス ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 ウィーンフィル 1958年録音
★★★★★★★★★☆

どこにも文句のつけようのない、どこまでもウィーンの風雅にあふれた名演。
バックハウスとしては意外なほど典雅で上品な音色を
これでもかこれでもかと出してきて
それに負けないほどVPOの各奏者が典雅な響きで応えるという趣き。
1958年の時点で、バックハウスとVPOのくみ合わせでこういう風に演奏されたら
誰も敵わないだろう。
まさに18世紀の西欧から受け継がれてきた文明の重みを感じるのである。
どこにも変わった解釈、表現がないのが
些か個性埋没の感もあるので
★1つ減点したが
まあこれは個人の好みの問題。
★満点と評価する人が居ても全然おかしくない。

281korou:2022/06/23(木) 15:22:20
(1960年の新譜から)
ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 Op.37
(P)バックハウス ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 ウィーンフィル 1958年録音
★★★★★★★★☆☆

同じ組み合わせで、今度は第3番。
やはりバックハウスのピアノの音色は磨かれていて美しく
VPOも随所に他のオケでは出せないウィーン独自の響きを感じさせる。
ただし、第1番と違って
べートーヴェンの宇宙が見える曲でもあるので
「綺麗」だけではどうなのか?ウィーン風だけではどうなのか?
その分だけ減点してみた。

ひょっとしてユンク君サイトの範囲内でベスト盤?とも思ったので
かつての評価によるベスト盤、ルービンシュタイン&クリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エアの演奏を
聴き直してみた。
うーむ、やはりルービンシュタインが一番かな。
オケはVPOのほうが典雅で美しいが
それ以外はベートーヴェンの響きとして
(この曲に関しては)バックハウスよりルービンシュタインのほうがしっくりくる。

282korou:2022/06/24(金) 15:45:51
(1960年の新譜から)
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18
(P)リヒテル スタニスラフ・ヴィスロツキ指揮 ワルシャワフィル 1959年5月録音
★★★★★★★★★★

聴き続けても聴き続けても延々と甘いケーキが続々と出てくるような
甘美なメロディ、ハーモニーのオンパレードのような曲で
その中からロシア的憂愁のようなニュアンスを感じさせるリヒテルのピアノタッチは
奇跡に近い。
こんな内容の無いベタベタした曲は
このようなスタイルでしか聴き映えがしないと思えるのである。
圧倒的に★満点だろう。
リヒテル以外にこんな演奏スタイルができる人は居ないはずなので。
(そして、元々最初の評価でも「試聴」ながら推薦盤にしているし)

283korou:2022/06/25(土) 16:21:40
(1960年の新譜から)
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23
(P)スヴャトスラフ・リヒテル:カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1954年6月4日~5日録音
★★★★★★★☆☆☆

あのカラヤンとがっぷり四つに組んだ怪演の前に
アンチェルとの演奏があって
それがリヒテルの存在をごく少数の関係者に知らせるきっかけとなったという
伝説の音源である。
音質はモノラルと思えぬほど鮮明で(さすがに音の広がりには乏しいが)
何を表現しているのかは十分に伝わってくる。
アンチェルは即物的な表現で
思い入れや使い古されたスタイルなど一切排除した
すっきりとした指揮ぶりだが
リヒテルもあえて個性を抑えたスタイルで演奏しているように聴こえる。
これがチャイコフスキーでなければ
一定の評価に値するのだが
この曲に関しては、曲の底の浅さを露呈する結果になっている。
この曲は、そういう正攻法ではダメで
曲の薄っぺらさを忘れさせる「何か」が含まれた演奏でないと
いけないように思うのだ。
リヒテル伝説を物語る記録上の価値はあるのだが
それ以上に評価できるものでもない。
★7つの平均的演奏としたい。

284korou:2022/06/26(日) 17:00:33
(1961年の新譜から)
シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759
ワルター指揮 ニューヨークフィル 1958年3月3日録音
★★★★★★★★★★

久々にワルターの「未完成」を聴いた。
正直、第2楽章の途中までは物足りなかった。
どこにも破綻はないのだが、それ以上に感動する何かも見当たらなかったのである。
ところが、第2楽章の途中で”奇跡”が起こった。
まさに天から舞い降りてきたようだった。
突然、シューベルトの魂がわが身全身を揺れ動かした。
そんな奇跡をワルターが連れてきてくれた。
多分、今日はそのタイミングだったのだろう。
凡庸な感性をずっと少しずつ慣らせながら
どこかのタイミングでその感性を一気に天国の境地にまで引き寄せていく
そんな”奇跡”の演奏。
こういうのはもう言葉では説明できない。
すればするほど嘘になる。
★は満点をつけるしかない。

285korou:2022/06/27(月) 14:11:16
(1961年の新譜から)
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1959年1月2日~3日&5日録音
★★★★★★★★☆☆

誤解を恐れずに言えば、ケンペは凡庸な指揮者である。
しかし、それと同時に比類なき誠実な指揮者であり、何よりも紳士たる人間だったはずだ。
このブラームスからは、感動を生む何も伝わってこない。
ひたすら耳に心地よい響きだけが鳴り響き、
普通なら★6つの空虚な演奏と評価したいところだが
さすがにケンペの人柄が★8つの評価に変えてしまうのである。
こういう指揮者も居てよいのではないか?
ドイツのオーマンディ?
大戦前のまだ平和な時代の美風だけを信じて
新しい演奏様式には一切興味を示さなかった人らしい。
それはそれで独自の音を伝えてくれる。
常に感動を求めるのも一考ものだ・・・そんなことを教えてくれる演奏。

286korou:2022/06/29(水) 14:04:01
(1961年の新譜から)
ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調 作品90
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1960年1月27日録音
★★★★★★☆☆☆☆

まず一聴して思うのは弦の音色の薄さ。
ブラームスをこれほど薄い音色で録音するのは犯罪に近い。
もっとも、これだけの大指揮者を無理やり引っ張り出して
その結果作られた音楽にダメ出しをすることは
誰にもできない話だったに違いない。
ワルター本人はそんなことは百も承知で
細部にわたるメロディの歌わせ方などで
自分の納得いく部分がそこそこあれば
それで満足していたに違いないが
そのことと、これが聴く者を満足させる演奏であるかどうかは
全く別問題である。
ワルターの偉大さについては疑うべくもないが
この演奏に関しては
残念ながら★6つとしか言いようがない。
ブラームスの音楽に敬意を表して
あえてそういう点数とした。

287korou:2022/06/30(木) 17:39:21
(1961年の新譜から)
ハイドン「ザロモン・セット」交響曲第93番〜104番
ビーチャム指揮 ロイヤル・フィル 1957年10月〜1959年5月録音
(全部聴き切れないので評価は略。曲によって★9つから★6つが混在)

ビーチャムのザロモン・セットということで
ユンク氏のサイトでは103番・104番以外全部アップされているのだが
それを全部聴くのはムリだった。
それ以前に、ビーチャムの評価を再確認すべく
かつての批評文を参照してみると
ハイドンはイマイチ、意外にもビゼーで大絶賛をしており
半信半疑で「アルルの女」をチェックしたが
この時点ではまだ納得できず
次に「交響曲」を聴いて
大絶賛について納得するに至る。
これは曲も凄いが、演奏も見事で、かつての自分の評価に大納得。
そうしたビーチャムの美点を確認した上で
いくつかこの録音を聴いてみると
確かに”ひたすら楽しい演奏””心暖まる演奏”であることを発見。
ハイドンだけに、いつも心が浮き浮きする曲想ではないので
曲によってはビーチャムの演奏で聴くのはどうかと思われるものもあるが
「第100番」などは聴いていて実に心地よかった。
また、ビーチャムの晩年の演奏全般に言えることだが
録音が本当に素晴らしい。

288korou:2022/07/01(金) 14:47:41
(1961年の新譜から)
マーラー:交響曲第4番
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック (S)レリ・グリスト 1960年2月録音
★★★★★★★★☆☆

今まで年次を追って少しずつ聴いてきたマーラー、マーラーとも親交があった巨匠クラスが独自に解釈していたマーラーとは
一聴してすぐにこれは違うものだということが直感で分かる。
より楽譜に忠実になっているし、それでいて音楽の要である熱い精神も忘れられていない。
ただし、今の時代にこの熱っぽい演奏を聴かされると
聴く側がついていけないところも実際のところ存在するわけで
そこだけがベストの演奏、ありはそれに近い演奏といったレベルの判断には
躊躇せざるを得ないところがある。
それは自分自身の嗜好の変化なのかもしれない。
数十年前なら、その自分が今のようにじっくりマーラーを聴いて理解していたとしたら
この演奏には満点に近い評価を与えたかもしれない。
以上のようなことなので★8つ。

289korou:2022/07/02(土) 15:31:27
(1961年の新譜から)
メンデルスゾーン:交響曲第3番 イ短調 作品56 「スコットランド」
ペーター・マーク指揮 ロンドン交響楽団 1960年1月録音
★★★★★★★★★★

こういうのを名演奏というのだろう。
奏でられる一つ一つのフレーズすべてに感情が宿り
全体として有機的な生命体とでもいうべきか、見事なものだ。
最初に指揮者総覧を企画したとき
マークのメンデルスゾーンの素晴らしさを初めて知って
感嘆している(スレを確認すれば分かる)。
しかし、それから1年も経たない後に
名曲総覧を始めたとき
そのことをもう忘れていて
再びマークの名演に驚かされている(これも確認済)。
そして今日、なんとなく名演ではないかというかすかな記憶しかないまま
またまた鮮烈な体験となった(いい加減覚えろよ!)。
感動のたびにクレンペラーと双肩の名演と書いているが
今回はクレンペラーを参照することなく終わりそうだ
(もうクレンペラーについては、さすがに認識が深まっているので)
文句なしに★満点。

290korou:2022/07/03(日) 16:16:18
(1961年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 k201
カラヤン指揮 ベルリンフィル 1959年12月録音音
★★★★★★★☆☆☆

カラヤン最大の苦手であるモーツァルトである。
そして予想通り、何の蘊蓄もない平板な演奏で終わっている。
録音だけは当時の最先端ともいえるハイスペックで
ベルリンフィルの実力は十分に発揮されているのだが
どこまでいっても外面的な美しさだけが聴こえてくる。
モーツァルトの音楽については、
普通に演奏するだけでその天才が自然に湧き出るように聴こえてくる
そんな不可思議さが第一なのだが
カラヤンは、いじりにいじって
その天才を封じ込めているかのようだ。
本来なら★6つのダメ演奏の評価なのだが
こういう演奏でも聴き易いことは確かなので
そこだけはポジティブに評価してもう1つ★を追加した。

291korou:2022/07/04(月) 15:37:23
(1961年の新譜から)
シューベルト:交響曲第5番 変ロ長調 D485
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1960年2月26,29日&3月3日録音
★★★★★★★★☆☆

シューベルト:交響曲第8(9)番 ハ長調 「ザ・グレート」
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1959年1月31日&2月2、4、6日録音
★★★★★★★★★☆

一気に聴いた。
「第5番」のほうは、良い演奏だとは思ったが
★9つをつける決断はできなかった。
それに対し、「グレイト」のほうは
最晩年のワルターらしい、曲の構造をごく自然に浮き彫りにしていく魔術が感じられ
必ずしもシューベルトの音楽の保守性とは一致しない面をワルターに感じつつも
そんなことは二の次に、間違いなく超名演の部類と確信できた。
ゆえに「第5番」は★8つ、「グレート」は★9つということになった。
(詳しく書けばまだまだあるが、そもそも目の保養のために行っているので、最近文章が長すぎて矛盾しているということでもあり、以下略)

292korou:2022/07/05(火) 13:44:30
(1961年の新譜から)
シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 op.43
カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1960年3月録音
★★★★★★★★☆☆

第1楽章を聴いた直後は超名盤と思われたが
楽章を重ねるごとに徐々に感銘が失われていき
最終的には普通の名盤というランク付けとなった。
とにかく巧いのだが(オケも指揮者も)
やはり北欧の香りが不足していることは否めない。
ブルックナーにドイツの香りが不足していても
なぜかカラヤンの場合は問題ないのだが
同じような音楽でシベリウスの場合は
どうしても「香り」が必要なのは何故なのか分からないが
とにかく不足感が強い。
もっと香りの高い演奏があるはずという予感が
聴いていて、どうしても出てくる。

293korou:2022/07/06(水) 15:12:22
(1961年の新譜から)
チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36
ムラヴィンスキー指揮 レニングラードフィル 1960年9月&11月録音
★★★★★★★★★★

もう何度も聴いた演奏を
再度確認して★をつけるというのも
どうかと思うのだが
一応今日この時点での感性でもって判断することとした。
結果は満点。
この演奏に欠点はない。
どこにもない。
欠点がないのが欠点というのは
もはや言葉の遊びでしかない。
この演奏に満点をつけないとしたら
今までの他の演奏への評価も
全部再検討しないといけない。
とにかく凄い。オケも指揮者も。

294korou:2022/07/11(月) 12:45:39
(1962年の新譜から)
ベートーベン:交響曲第1番
メンゲルベルグ指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1940年4月14日録音
★★★★★★★☆☆☆

・1つ前のムラヴィンスキーの演奏には
 さらに「第5番」「第6番」の推薦がついていたのだが
 それは後日ということでとりあえずスルー。

・さらに、ステレオ録音の時代になってから、管弦楽曲・協奏曲も聴くようにしていたものの
 意外と管弦楽曲のチョイスが難しいので、とりあえず交響曲オンリーで冊子の最後までいくことの変更。

・さらにさらに、1962年からそうするとして、いきなりカラヤンの旧盤、メンゲルベルクの旧盤がぞくぞく出ているので
 これらは全部チェックでなく、一部だけを対象とすることにした。新盤については、上記ムラヴィンスキーのように
 なるべく時間をかけて全部チェックしたいのだが、モノによってはそれも略式になることもある。

というわけで、まず、メンゲルベルクのベートーヴェン「第1」。
音質は1940年録音にしては上質、演奏もメンゲルベルクのアクの強さがほどよく薄まっている妥当なものだが
さすがに2022年現在、これを聴いて、推薦盤とする感性は消えつつあるようだ。
ベートーヴェンの音楽には
楽譜に忠実に演奏してこそ奥底からにじみ出てくる堅固な精神性がある。
メンゲルベルクの時代には、ワーグナー?の影響なのか、そのへんが曖昧になっていて
二度の大戦による西洋至上主義への反省から、そのあたりは随分と磨かれてきたという経緯がある。
メンゲルベルクの楽譜の読みも、実のところなかなか鋭いのだが
全体としては、時代の影響が大で、結論として☆7つの普通の演奏、参考程度に聴いてそれなりに聴ける演奏
という評価にせざるを得ないのである。

295korou:2022/07/11(月) 15:03:08
(1962年の新譜から)
チャイコフスキー:交響曲第5番
メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1928年5月録音
★★★★★★★★☆☆

これはベートーヴェンとは違って
いくらか恣意的に演奏しても本質的なところは影響を受けない音楽なので
メンゲルベルクの個性が生きているように思う。
何よりも、チャイコフスキーの美しい旋律が生き生きと聴こえてくるので
聴いていて愉しい気分になるのが最大の美点だ。
1928年の録音というのが信じ難いほど良い音質で
かなり各楽器の音がクリアかつ良く分離していて
特に、第2楽章のホルン、第4楽章の弦などは
音楽的に意味のある聴こえ方で感銘を受けた。
あまりにも個性的であること、年代からすれば良い音質とはいえやはり古めかしい音であることを考慮して
★8つ(注:↑は★と☆を間違えて記載している)が妥当。

296korou:2022/07/13(水) 16:04:29
(1962年の新譜から)
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1941年4月22日録音
★★★★★★★☆☆☆

世評高い演奏だが、自分には普通に聴こえた。
メンゲルベルクなら、このくらいのテンポの揺れ、聴かせどころでの踏ん張りはあるだろうと
見当のつくレベルだ。
この曲には、ベートーヴェンほどではないにせよ
きちんと演奏してもっと演奏効果の高い名演が多いので
「第5」ほどの感銘は受けなかった。
曲自体がつまらなく聴こえるのが最大の難点だろう。
もちろん個性的であることは間違いないので
以上勘案して★7つの普通評価とした。

297korou:2022/07/14(木) 17:55:09
(1962年の新譜から)
ワーグナー:タンホイザー序曲とヴェヌスブルグの音楽
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1961年3月24日&27日録音
★★★★★★★☆☆☆

ブルックナーの交響曲の余白に収められていて、管弦楽曲ではあるが今回レビュー。
健康的な雰囲気になるのはワルターなので仕方ない。
どうしてもワーグナーではなく、ブルックナー風の響きになってしまうが
それはそれで面白いといえば面白い。
しかし、何回も聴く演奏ではないだろうから★7つ。

298korou:2022/07/15(金) 14:40:57
(1962年の新譜から)
ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調 「ロマンティック」
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1960年2月13&15日録音
★★★★★★★★☆☆

最初は独特の響きに慣れず戸惑うが
慣れると結構聴ける演奏だと分かる。
とにかく、この晦渋趣味の作曲家が珍しく分かりやすく書いている、という
例外的な構造、曲想が
今まではどの演奏でも抵抗感を覚えていたのだが
今回初めて素直に心に響いたのだから
名演でないはずがない。
とはいうものの、この響きのユニークさは何とも名状し難い。
薄いか盤石かと言われれば薄いに決まっているが
それだけでは表現し尽くせない独特さがある。
本当は★9つレベルの名演かもしれないが
こういう比較不能な独自の境地(晩年のワルターに共通)のものを
あまり聴き馴染んでいない曲について
自信をもって★9つと評価する自信がない。
以上の保留を含んで★8つ。
今後、この曲の演奏をいろいろ聴くことにより
★9つに変わる可能性はある。

299korou:2022/07/18(月) 14:02:28
(1962年の新譜から)
ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1959年11月16&18日録音
★★★★★★★★☆☆

これは自信をもって★8つとしたい。
この演奏を聴く前に、同じブルックナーの「第7」を
同じ組み合わせで聴いたのだが
自分には独自の思い入れがある「第7」を
このようなスタイルの演奏で聴くことに堪えることができなかった。
あまりにも日常の感情に溢れ過ぎて
ブルックナーの後期交響曲独特の神々しさが
全く感じられなかったからだ。
この「第9」も同様のスタイルなのだが
「第7」ほどの思い入れがない分
いくらか冷静に聴くことができた分
分析も可能だった。
「第4」の演奏と同様、ブルックナーの演奏としては異質なのだが
ワルターという指揮者は
それを承知で自分の領域に寄せて解釈を徹底している。
どうしてもワルターの演奏スタイルを受け付けられない場合は仕方ないが
これはこれでこの大指揮者の残したステレオ録音の遺産として
大いに尊重されるべきだろう。
ワルターのブルックナー解釈を十全に味わえるという点で★満点のレベル。
だが異質なので★8つ。
全体にとても美しいブルックナーで、
異質なスタイルなのに
ここまで感銘を与える演奏は他にないと思う。

300korou:2022/07/20(水) 14:59:14
(1962年の新譜から)
ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調
クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1960年11月1~5日録音
★★★★★★★☆☆☆

ワルター同様、異端のブルックナーである。
これは理智が勝った演奏で、楽譜の細部まで磨かれた感じが
いかにもブルックナーとは違う感触を与える。
もちろん、細部が磨かれたおかげで
新たな発見も多い演奏ではあるのだが・・・とはいえ
その発見が、ブルックナーを聴くうえでの新しい魅力につながらないのが
なんともいえぬ残念なところ。
これほどユニークなブルックナーなのに
★7つの平均点しかつけられないのが
なんともいえぬ残念なところ。
(なお↑のワルターで「第7」を聴いたのは
 このクレンペラーの演奏と間違えてのことでした)

301korou:2022/07/21(木) 11:51:02
(1962年の新譜から)
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」
ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団1961年1月18~27日録音
★★★★★★★★☆☆

理想的な「新世界」である。
音の響かせ方、間の取り方、旋律の歌わせ方、どれをとっても
ここのところずっとそのあたりが曲(ブルックナー)の本質とは異端な演奏、
それでいて立派な演奏というのを聴き続けていただけに
そうそう、これこれ!という感じで、実にしっくりときた。
ただし、今回全部通して聴いてみて
「しっくり」だけでは最上の演奏にならないことも再認識させられた。
全体に”重み”が足りないのだが
そのことが意外なほど
曲の本質に迫り切れていないように思えたのである。
このことが本当はどういうことなのか、まだつかみ切れていないが
とりあえずは★9つではなく
★8つということで保留することにした。
どちらにせよ、安心して聴ける愛聴盤であることには違いないのだが・・・

302korou:2022/07/22(金) 13:42:41
(1962年の新譜から)
ハイドン:交響曲第101番 ニ長調 「時計」
クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1960年1月録音
★★★★★★★★☆☆

面白い演奏かと言われれば、(ハイドンでもあるし)これは絶対に面白いとは言えない演奏だ。
しかし、ハイドンでもあるのだから
そんな評価基準では測れない音楽であることも間違いなく
その意味では★8つの価値はあるわけだ。
楽譜に書かれた音符の意味を
これほど厳密に解釈した演奏も珍しい。
それでいて、音楽的な美しさも再現できているのだから
ハイドンの音楽の再現としてこれ以上のものは
なかなかないように思われる。
★9つがつけられないのは
ハイドン鑑賞の体験の絶対数が足りないからで
ある意味、★満点に関しても同じことが言える。

303korou:2022/07/22(金) 14:47:21
(1962年の新譜から)
マーラー:交響曲第1番 ニ長調 「巨人」
ラファエル・クーベリック指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  1954年6月録音
★★★★★★★☆☆☆

1954年のモノラル録音がこの時期に
新譜として評価されるのは何故なのかという疑問はあるが
マーラーの解釈そのものは極めてオーソドックスで
一言で言えばVPOの音色を楽しめる演奏となっている。
現代のより進化したマーラー演奏から比較すればどうなのかということは
そうしたことに疎い自分には不明だが
1950年代に新進気鋭の指揮者がVPOを振ってマーラーを聴かせるとしたら
こういう演奏になるだろうという想定通りのものと言える。
指揮ぶりにこれといった個性が聴かれないので
聴きどころはVPOの各奏者の上手さということになるが
残念なことにモノラルのため、より深くそれを堪能することができない。
弦の響きで随所におおっと思わせる部分はあるが
これがステレオであればという思いも強くなる。
ゆえに★7つの平均点とした。

304korou:2022/07/25(月) 13:36:29
(1962年の新譜から)
マーラー:交響曲第3番 ニ短調
レナード・バーンスタイン指揮:ニューヨーク・フィルハーモニック
(MS)マーサ・リプトン スコラ・カントラム女声合唱団 トランスフィギュレーション教会少年合唱団 1961年4月3日録音
★★★★★★★★☆☆

恐ろしく長い曲で、3日間かけて聴いた。
途中、ナクソスでヤンソンスの指揮で同じ曲を聴いたりして
マーラーに馴染んだ3日間となった。
ヤンソンスの指揮は、楽器の音色の細部まで精緻に色付けしてあって
これがマーラーを聴く醍醐味かと悟らされたのだが
その耳で聴いたこのバーンスタインの演奏の後半部分は
確かに聴き応えがあった。
前半部分だけ聴いた段階では、それほどの感じはなかったのだが。
それに加えて、バーンスタインの個性が
曲の後半に盛り上がりをみせることが多いので
より聴き応えがあったのだろう。
ただし、ヤンソンスの名演を聴いた以上
それよりは細部の精緻さでは今一つなNYPの演奏に
★9つをつけることはできない。
(バーンスタインのマーラーなので★9つでいいかなとも思ったのだが)

305korou:2022/07/27(水) 17:17:04
(1962年の新譜から)
マーラー:交響曲第4番
ゲオルク・ショルティ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 (A)シルヴィア・スタールマン 1961年2月録音
★★★★★★★★☆☆

ショルティのマーラーなどは今までなら聴くことはなかったのだが
こうして自分で企画して聴き続けることで新しい発見も出てくる。
この演奏に関しては
思ったより聴ける演奏だったので驚かされた。
細部までニュアンスがみっちりというタイプではないが
全体を深く造型するというベートーヴェンを演奏するような感じのようでいて
実はそこまで全体をイメージしているのではなくて
もう少し小さい単位での造型をくっきりと創りあげていくような演奏だった。
その積み重ねから見えてくるものは
全体が無造作につながっているとはいえ
一方で、細部のイメージは明確なので
まさにコラージュの形態でマーラーになっているということ。
これは意外とマーラーの本質を突いているのかもしれない。
ワルター、クレンペラーなどの世代の共感、啓蒙の演奏から一歩抜け出して
かたやバーンスタインの内面的な掘り下げの演奏、かたらショルティの外面を正しく彫琢する演奏、
こういったことが1960年代に行われていたのだということが分かる。
もう少し細部まで創りあげた演奏が本当のマーラーだと思うので
★9つまでは出せないが
十分に★8つに値する演奏だと思った。

306korou:2022/07/28(木) 16:24:41
(1962年の新譜から)
マーラー:交響曲第4番
メンゲルベルグ指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 S:ヴィンセント 1939年11月 アムステルダムでのライブ録音
★★★★★★★★★☆

もう再三聴いてきた演奏で
しかも、最近になってもっとモダンな名演も耳にできていたので(ヤンソンスとか)
この演奏は、確かに優れているのだけれども、時代的な制約(録音の古さも含めて)と
様式的にもニュアンスの込め方についてフレージングが大きすぎると思っていたので
★8つが妥当かと思ったのだが
実際に、最後の確認で少しだけ聴いてみたら
あららら、魔法のような演奏で、全然飽きがこないというか
これこそマーラー演奏の模範ではないかと
改めて実感させられる超名演であることを再確認させられた。
さすがにマーラーは最新録音で聴きたいので
そこだけがどうしようもない減点で(演奏の内容とは無関係で忍びないが)
★9つとなるのだが
もちろん最新録音であれば★満点だ。
そして、その減点ポイントの音質にしても
この時期の録音にしては抜群の鮮明な演奏であることも
皮肉なのだが明記しておきたい。
本当に神がかった凄い演奏だ。

307korou:2022/07/29(金) 14:25:23
(1962年の新譜から)
メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調「イタリア」
ロリン・マゼール指揮 ベルリンフィル 1960年4月録音
★★★★★★★☆☆☆

若き職人型指揮者が職人タイプのオケを指揮して
どこにも致命的な欠点を見せずに無難にまとめた演奏となっている。
とりあえず「イタリア」という曲をスムーズに聴きたいという需要には応えられるだろうが
それ以外の需要は思いつかない、そんな演奏である。
悪い演奏ではないのだが、予想通り、常識的な演奏。
★7つしかつけれない演奏。

308korou:2022/07/29(金) 14:57:15
(1962年の新譜から)
メンデルスゾーン:交響曲第5番 ニ長調 「 宗教改革」
ロリン・マゼール指揮 ベルリンフィル 1961年1月録音
★★★★★★★☆☆☆

始めて通して聴いたので
演奏の良し悪しは分からない。
おそらく「イタリア」と同様
無難な職人型指揮になっていたと思われる。
メンデルスゾーンについて理解は増えたが(ユンク氏サイトにびっちり記述アリ)
この曲に関しては今日が初めてで
今後もそれほど聴くことは少ないと思われる。
とりあえず★7つの普通の評価。

309korou:2022/07/31(日) 13:48:56
(1962年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調 「リンツ」 K386
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1960年2月28日&29日録音
★★★★★★★★★★

これはモーツァルトに関するベストの演奏。
クリップスも至上の演奏だが
それは古き良き時代のウイーンを再現しているという奇跡そのものであって
音楽的にニュアンスが満ち溢れているという意味合いではない。
ワルター指揮のこの演奏は
ウイーンの詩情こそないものの
楽譜に表されたニュアンスがすべて表現され尽くされている。
その意味合いでいえば
これ以上の演奏はない。
当然★満点。

310korou:2022/07/31(日) 13:56:53
(1962年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K.550
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1959年1月13日&16日録音
★★★★★★★★★★

曲目別に作成したエクセルの表で、この曲のベストは
ワルター&NYPとなっていた。
実際にも、選考経過を過去スレで確認すると
ちゃんと聴いて比較した上でNYP盤を選んでいたのだが
今となっては、全然違うと言わざるを得ない。
たった2年ほどの間に、感性が大きく変化している。
クリップスが好ましいがウイーン情緒だけではどうも・・・という評価だけは
今も変わらない。
かといって、ワルターの毅然とした指揮ぶりだけが目立つNYP盤が
「ト短調」のベストということにはならないし
そもそも、そこまでの悲劇性、ドラマチックな何かを求めようとしたら
ベートーヴェンの音楽になってしまう。
クーベリックも良いと書いていたが
それも確認してみたら、今聴くと大したことない。
結局、これも
ワルターの純音楽的な解釈がとことん味わえるコロンビア響との演奏が
ベストなのだと確信する。
当然★満点。

311korou:2022/07/31(日) 21:01:31
(1962年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」 K385
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1959年1月13,16,19&21日録音
★★★★★★★★★★

これも同じことで
ワルターの指揮は純音楽的にこれ以上ない境地に達している。
クリップスと双璧の最高のモーツァルト演奏。
★満点。
これ以上書くことなし。

312korou:2022/08/01(月) 15:36:37
(1962年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 K.504 「プラハ」
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1959年12月2日録音
★★★★★★★☆☆☆

これはどうしたわけか音質が最悪である。
弦の響きがキンキンしていて聴き辛い。
演奏もニュアンスが伝わってこない不調ぶり。
残念ながら★7つがやっと。

313korou:2022/08/03(水) 14:12:25
(1962年の新譜から)
ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 作品27
スタインバーグ指揮 ピッツバーグ交響楽団 1954年1月25日録音
★★★★★★★☆☆☆

レコ芸では優秀録音と強調されているが
この演奏はモノラルで音に広がりがなく
まあモノラルにしては優秀という程度なので
録音年が新譜といえない時期であることも含めて
本当にこの演奏でいいのかという疑問も大きいのだが
とにかく聴いてみた。
初めて聴く曲で、
また実際に聴いてもチャイコフスキーの亜流のような甘い感傷的な印象で
聴き通す自体が難行苦行だった。
結局のところ、何も分からなかったということで
評価もしようもなく★7つ。
オケはシャープな響きで指揮も無難だったのだが
そもそもプレヴィンの本格的な演奏以前は
勝手に短縮版で演奏されるような曲だったので
この時期のこの曲の演奏を一生懸命聴いたところで・・・・

314korou:2022/08/04(木) 16:47:53
(1962年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K.550
カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1961年2月録音
★★★★★★★☆☆☆

カール・ベームのモーツァルトである。
悪いはずがない。確かにそうなのだが・・・
とにかく眠くなった。自分のコンディションのせいかもしれないが。
演奏に冴えが感じられないのだが
それはベームであれば仕方ないことで
それを上回る意味深さ、燃焼度の高さを聴くべきなのだが
このト短調に関しては、そのスタイルが意味を成さない。
「第40番」はもっと表面的に美しく磨かれるべきではないだろうか。
ベームにとっては不本意かもしれないが
聴く側はそういうことを求めている。
その意味で★7つという辛い点になった。

315korou:2022/08/05(金) 16:37:43
(1962年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 "Jupiter" K.551
カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1961年2月録音
★★★★★★★☆☆☆

これも、意外なほど冴えがない。
がっちりと隙なく固めた演奏だが
どこかにひらめきが欲しかった。
いつもはベームの60年代のモーツァルトなら無条件でOKなのだが
嗜好が変わったのかもしれん。
残念ながら★7つ。

316korou:2022/08/07(日) 17:16:52
(1962年の新譜から)
シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 「春」作品38
シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1959年10月5日録音
★★★★★★★★☆☆

有名な曲なので全く知らないことはないだろうと思っていたが
多分、今回初めてしっかりとこの曲を聴いたことになる。
知らない構成、知らないメロディ、リズム、和声・・・
そういう曲で名演かどうか判定するのは土台無理なのだが
この演奏は、ミュンシュの個性が良く出ていて
その強力なリーダーシップにオケもさすがによくついていって
いわゆる名演の類に近いレベルのものになっていることは
聴き始めてすぐに直感で分かる。
生き生きとして情熱が感じられる演奏なので
シューマンのこの曲にはふさわしいタイプの演奏だと思うが
まだこれより上があるかもしれないとも思ったりして
ついつい★8つということになる。

317korou:2022/08/08(月) 15:53:33
(1962年の新譜から)
シベリウス:交響曲第5番 変ホ長調 op.82
カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1960年9月録音
★★★★★★★★☆☆

同じ曲を8年前に同じオケで録音済みなのに
また再録音するのは
まさに技術の進歩によりステレオ録音が可能になり
より鮮明な音響で演奏を提供することができるようになったからで
そこはカラヤンならではの再生技術への関心の深さが出ているところ。
そして、それは見事に成功している。
旧盤も演奏の見事さで★8つ扱いにしたはずだが
今回、曲さえもっと馴染みがあれば
すぐに★9つ、あるいは★満点にしてよい名演となっており
それは録音の鮮明さにより旧盤とは比較にならないくらい
演奏の良さが伝わってくる。
曲に馴染みがない上に、曲そのものが自分の生誕五十周年を祝う祝典風楽曲なので
よほどのことがない限り★9つ以上にはならないだろう。
その意味合いからいえば、これはほぼ★満点の評価なのである。

318korou:2022/08/09(火) 15:23:42
(1962年の新譜から)
チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36
カラヤン指揮 ベルリンフィル 1960年2月29日~3月1日録音
★★★★★★☆☆☆☆

これも、ユンク氏の解説にあるとおり
当時のカラヤンが録音技術の進化を確認するために
あえて「第4番」だけチャイコフスキーの交響曲を録音したというもので
演奏そのものはカラヤンのこの曲の演奏中、最低レベルになるかもしれない。
当時としては、確かに録音の優秀さを絶賛された演奏だが
今となっては、もっと優れた音質でもっと徹底されたカラヤン美学があるので
あえてこの演奏を聴く必然性は何もない。
残念ながら★6つの駄演。

319korou:2022/08/11(木) 11:24:12
(1962年の新譜から)
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64
ゲオルク・ショルティ指揮 パリ音楽院管弦楽団 1956年5月録音
★★★★★★☆☆☆☆

極めて評価の難しい演奏。
諸事情により完成度の低い演奏にならざるを得ないわけだが
それでも随所に聴きどころもあるので
★6つと言えどもムゲに無視できる類でもない。
ユンク氏の解説によれば
直前にクナとの録音を行ったこのオケのメンバーは
大指揮者クナが特に注文もつけずに自由にやらせてくれたので
持ち前の気ままな規律のまま、だらだらと演奏していたのだが
その直後に指揮者の世界ではまだ若僧のショルティとの録音となり
クナの時以上にだらけきった感じで現場に臨んだところ
ショルティの指示が予想外に厳しく
現場は大混乱、首席奏者のボイコットにまで発展、ショルティは激怒し
あわや録音中止とまでなったのを
なんとか収拾して、この録音に至った次第らしい。
そう思えば、この演奏の部分的な迫力の強さも理解できるし
全体の緩み切ったアンサンブルも理解できる。
そのこと自体は面白いのだが
チャイコフスキーの音楽の再現という基本に戻れば
やはり★6つ程度かと思われる。

320korou:2022/08/11(木) 15:29:35
(1962年の新譜から)
ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」
カラヤン指揮 ベルリンフィル 1962年11月11~15日録音
★★★★★★★☆☆☆

見事な合奏力である。
ベートーヴェンの魂は伝わってこないが
ベートーヴェンが残した楽譜を再現するという次元でいえば
これ以上の演奏はなかなかないだろう。
個人的には、聴くたびに評価が揺れる演奏だ。
今回は普通程度と評価して★7つ。
聴くときの気分によって印象が違ってくる「困った」演奏。

321korou:2022/08/12(金) 17:04:21
(1962年の新譜から)
ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1961年12月18日~19日録音
★★★★★★★★☆☆

これも欠点を簡単に指摘できない演奏。
強いて言えば、ロマンティシズムを排除してリアリズムに徹するあまり
本来たっぷりと表現すべきフレージングの隙間が
ぎちぎちに詰まってしまってしまい
聴いていて息苦しい感じになってしまっているところか。
しかし、それも、
そういうテンポでのフレージングがしっくりくる時に聴けば
別に問題ないわけで
その意味で、この演奏をそうした息苦しさ抜きで評価すれば
かなりの名演だと言わざるを得ない。
ベーム独特の細部まで磨き抜かれた表現、すべてが有機的につながっていることからくる燃焼感、充実感、
それは他の指揮者では決して味わえない独自の境地であることは間違いない。
★8つ。

322korou:2022/08/12(金) 17:05:36
ミスった。
カラヤンとベームの「エロイカ」は
レコ芸・1963年の推薦盤だった。
以下も同じ。

323korou:2022/08/13(土) 17:09:48
(1963年の新譜から)
ベートーベン: 交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」
バーンスタイン指揮 ニューヨークフィル 1961年9月25日録音
★★★★★★☆☆☆☆

中・高時代によく聴いた馴染みの演奏だ。
当時は、この時期のバーンスタイン独特のエネルギッシュな感触と
ベートーヴェンの情熱を重ね合わせて
名演だ、と喜んでいたものだがあ
今聴くと、ベートーヴェンの音楽に本来備わっている多彩な音楽性について
その一面だけしか表現できていないように思える。
まさに、ベートーヴェンよりも若きバーンスタインの表現スタイルを聴く演奏。
残念ながら★6つ。

324korou:2022/08/14(日) 15:13:03
(1963年の新譜から)
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 Op.92
カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1958年4月17日録音
★★★★★★★★☆☆

どこまでも冷静で、客観的に楽譜を見つめるリアリスティックなスタイルが
ことベートーヴェンの音楽に関しては
マイナスに作用するように思うが
このベームの指揮も例外ではない。
「エロイカ」同様、音が有機的につながっていて、どの細部も意味深いのだが
全体として、音楽の根本となるエネルギーが今一つ感じられず
その点だけがもどかしい。
しかし、終楽章になると様相は一変し
一気にエネルギーが爆発するかのように凄まじいフィナーレへと導かれる。
この終楽章は、フレーズの後の間を意図して表現する必要がなく
各フレーズの最初の音を緊迫した間合いで表現できればそれで完璧なので
べームの指揮スタイルに最もフィットするのだろう。
どこで緩むこともなく、緊迫の度合いを高めていって
それでいて常に冷静で細部まで磨かれたまま
フィニッシュでオケ全体が鳴り切っている素晴らしさ!
自然と涙が出てくる。感動のフィナーレ。
終楽章の出来栄えは★9つまたは満点なのだが
全体を通して聴くと、第3楽章までの違和感、即ちベートーヴェンの音楽を聴いているとは思えない
良い意味での落ち着いた雰囲気が
逆に良い印象の邪魔をしていることは否めない。
同じタイプのクレンペラーとは、そこが違うのである。
★8つとせざるを得ない。

325korou:2022/08/15(月) 13:56:38
(1963年の新譜から)
ベートーベン:交響曲第8番 ヘ長調  作品93
ジョージ・セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1961年4月15日録音
★★★★★★★★★★

セルという指揮者の本領が発揮された超名演。
この曲に関して
これほど正確かつ完璧に
譜面に書かれた音符のリズムを再現した演奏は
今まで聴いたことがなかった。
まさにユンク氏の言葉ではないが
本当はこんな曲だったのだという驚きがある。
ある意味最も正しい意味での「名演」ということになるだろう。
ウイーン気質とか、独自の世界観でのユニークな解釈とか
そういったものが入りこむ余地は一切なく
それでいてベートーヴェンの音楽を
これほど正しく表現している演奏はない。
好み、嗜好などは超越して
★満点以外考えられない。

326korou:2022/08/16(火) 16:21:18
(1963年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K.543
セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1960年3月11日録音
★★★★★★★★☆☆

これも当時のクリーヴランド管のアンサンブルの優秀さを示す好演。
ただし、モーツァルトはそれだけではどうにもならない音楽なので
★満点とはいかないところ。
しかし、セルにそれを求めるのはムリな話。
セルの充実度が窺えるという点で★8つとした(感銘度では★7つの普通程度なのだが)

327korou:2022/08/17(水) 15:34:27
(1963年の新譜から)
ベルリオーズ:幻想交響曲 Op.14
アンドレ・クリュイタンス指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1958年11月4日~5日録音
★★★★★★★☆☆☆

これも10代の頃に廉価盤として買って、よく聴いた演奏。
今聴くと、前半の柔らかい上品なタッチと
後半の荒ぶった強いタッチとのつながりがなく
全体を通して聴くと、いかにも未完成な演奏に思える。
細部の表現、特に第1楽章の奥ゆかしいほどのフレージングとか
第3楽章の周到な音の運びなど
聴くべき箇所はあるのだが
全体として評価するなら
★7つの普通の演奏と言わざるを得ない。
クリュイタンスなら、もっとできたはずである。

328korou:2022/08/20(土) 14:45:15
(1963年の新譜から)
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1960年5月2日録音
★★★★★★★☆☆☆

予想より速いテンポで始まったので
おやっと思わせたが
聴き終わってみれば
いつものバーンスタインの個性が感じられる演奏で
そこは予想通り、期待通りだった。
この勢いでベートーヴェンの「運命」などを振ってほしかったが
逆にブラームスでは、このスタイルでは
なかなか胸を打つ演奏にはならないだろう。
それこそ「運命」のあの冷静なスタイルで、この「第1」を振っていれば
面白い感じになったのではないか。
素晴らしいのだが
聴き終わった段階で
★7つの普通の演奏の感銘度なのが残念。

329korou:2022/08/21(日) 15:34:18
(1963年の新譜から)
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95 「新世界より」
カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1961年12月6日録音
★★★★★★★☆☆☆

世評高い名演なのだが
今の自分にとっては、音質、音色ともに嗜好からは程遠く
演奏の輪郭をなぞる以前に聴くに堪えない。
おそらく優れた演奏なのだろうけど
それほど聴こえなくてもよい副旋律が主旋律を上回る音量で鳴り響いたり
弦の音色が田舎の素人オケのような薄い感じで
さっぱり聴き映えしない感じだったり。
あまりに酷い録音なので
イヤホンで聴き続ける元気が出ず
後半はスピーカーで聴いた。
すると、第3楽章は見事なリズム感覚で鳴り響き(相変わらずデカすぎる副旋律と薄い弦の音色だが)
終楽章に至っては、
今まで聴いたことのないほどうまくフィナーレを盛り上げた演奏になっていた。
スピーカーならいいのだろうけど
基本はイヤホンなので、こればかりはどうしようもない。

330korou:2022/08/22(月) 15:44:43
(1963年の新譜から)
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1962年4月16日録音
★★★★★★★★☆☆

100%バーンスタインを聴く演奏で
聴こえてくるものすべてが
絶対にドボルザークの音楽ではない。
しかし、これほど徹底して好きなように自分色の染めていく強引さ、手腕、若さ、野望といった類は
なかなか聴けるものではない。
バーンスタインが最後なのだろう、もうこんな指揮者は居なくなってしまった。
面白いけれど、何度も聴くにはちょっとという演奏である。
録音は(アンチェルを聴いた後でもあり)かなり秀逸で
NYPも(世評とは違って)本当に巧い。
音色の暖かさも特筆モノ、これで音色が冷たかったら
本当に恣意的なだけの演奏に聴こえたかもしれない。
1960年代アメリカを象徴する演奏として
★8つを与えられるだけの歴史的演奏なのだが
以上の理由でそれ以上の評価はムリである。

331korou:2022/08/23(火) 22:53:19
(1963年の新譜から)
マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1961年1月14、21日&2月4、6日録音
★★★★★★★★☆☆

非常に優れた演奏だ。
何よりも周到に準備されたコロンビア響とのマーラー、
ワルターが真に大切にしていた音楽が
生涯最後の機会に見事な充実ぶりで実現している。
ここで足りないのは
マーラーがしつこく繰り返す細部での有り余るほどの情念を
通常のロマン派音楽としてとらえている時代からくる制約だけで
第1楽章のもやもやだけは巧く表現されていないのだが
第2、第3楽章はストレートな構成なので
そんな不満もなく
むしろ老齢のワルターのマーラーに対する慈愛の念が聴かれて
感動すら覚える。
そして、またしても、もってまわったうねうねとした形で感情をぶつけてくる終楽章において
ワルターはあまりに素朴であり過ぎた。
両端の楽章が音楽の正体と乖離し過ぎて、曲想に没頭することができないので
★9つにはならないと判断。
部分的には★満点の最高境地なのだが、トータルで★8つ。

332korou:2022/08/26(金) 15:28:03
(1963年の新譜から)
マーラー:交響曲第9番 ニ長調
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1961年1月16日録音
★★★★★★★★★☆

最初は、もう古い演奏スタイルになるから
いくらワルターでも限界があるだろうと思っていた。
それは「巨人」での第1、第4楽章で
時折緊張感のない瞬間を感じた直後の鑑賞でもあったので
余計にそう思ったのだが
この曲に関しては、それほど聴き慣れていないので
そういうことを感じることもなかった。
むしろ、初演者として、
この曲を本当の意味で知り尽くしている伝説の指揮者として
多種多様にわたる蘊蓄に浸れる稀有の演奏のように思われた。
確かにスタイルとして目新しいところはなく
常識的に響き渡っているのだが
それでも聴き応えのある演奏になっているのはさすがである。
他の指揮者の演奏をもっと聞きこめば
これ以上の演奏があるかもしれない、これ以上の音の鮮明な演奏があるかもしれない
といった予想込みでの★9つ。
現時点では何の不満もない。

333korou:2022/08/29(月) 14:30:10
1952年からずっとレコ芸の推薦盤を聴き続けてきて
1963年もミュンシュの「悲愴」を聴けば完了というところまで漕ぎつけたが
ここにきて、好みでない指揮者、今聴きたくない曲などを含めて
順番に聴き続けることに限界を覚えてきた。
そこで、1963年のミュンシュの「悲愴」は好みでないのでパスするということで
1964年からは聴きたい曲、指揮者だけを選んで聴くことに変更することに決定。

それからモノラル録音の名盤をウォークマンに入れておく必要も感じたので
並行して、名指揮者(当然好みで選別)の録音を順次聴いていく企画も始める。
こちらは、まずエーリッヒ・クライバーから。

〇モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K.543
 エーリッヒ・クライバー指揮 ケルン放送交響楽団 1956年1月録音

期待通りの生彩あふれる演奏。DL決定。

334korou:2022/08/31(水) 17:06:39
(1963年の新譜から)
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴(Pathetique)」
シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1962年5月12日録音
★★★★★★☆☆☆☆

非常に残念な演奏。不出来な演奏ではないのだが。
ミュンシュはいつものように冷静にスコアを分析し
最も明快な形で響き渡るようオケに指示を与えている。
その上で、曲想に関しては
できるだけその瞬間に生まれたかのような新鮮な形で展開させ
おそらくライブでそれが巧くハマったときは
観客に圧倒的な感銘を与えていたに違いない。
この演奏でも、スタジオ録音のはずなのに
曲想は揺れに揺れ、テンポも自在に動き、
躍動する指揮者の姿が見えてくるようだ。
でも、これはチャイコフスキーの「死相」が仄かに漂う冷たい音楽だ。
ミュンシュの解釈は、どの曲を演奏しようとも
濃密な「生」を生きようとする力強い意志に満ちていて
真摯に自らの信念に基づきタクトを振れば振るほど
チャイコフスキーのこの曲からは遠ざかる一方だ。
空回り?
残念な★6つ。仕方ない。

335korou:2022/09/01(木) 17:22:59
方針変更というか微調整。
昨日のミュンシュ「悲愴」で1963年までの推薦盤チェックが完了。
1964年の推薦盤からは、いったん「聴きたい曲、指揮者のみ」としたが
やはり一応少しだけは聴いてみて判断することにして、結果、全網羅でチェックすることにする。


(1964年の推薦盤から)
〇ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」
 ウィリアム・スタインバーグ指揮 ピッツバーグ交響楽団 1963年4月29日~5月1日録音

録音が不鮮明。弦の音色も独特で少なくともベートーヴェンには不似合いな濁った感じ。
解釈はオーソドックスで速めのテンポながら、時折不思議なテンポの揺れがある。
聴き続けるほどの魅力はナシ。

〇ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」
 レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨークフィル 1964年1月27日録音

弦の音色がやや濁った感じながら、スタインバーグよりも録音の質が良いせいか
ベートーヴェンにふさわしい厚みのあるサウンドになっている。これでバーンスタインの
個性が十分に出ていれば推薦盤になるのだが、解釈が控え目でバーンスタインらしさがないのが
致命的。やはり「我」を張ってこそのバーンスタインなのだから。


以上2点は聴き続けられないので評価せず。

336korou:2022/09/01(木) 17:30:11
(1964年の推薦盤から)
〇モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 「ジュピター」K.551
 セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1963年10月11&24日録音

セルの指揮はモーツァルトには不向き。楽譜の余白にある様々なニュアンスが
意図して無視され、すべてががっちりとしたアンサンブルの実現に注がれている。
録音も相変わらず低レベル。

〇ベートーベン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60
 セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1963年4月5日録音
〇ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67
 セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1963年10月11&25日録音

モーツァルトとは違って、ベートーヴェンの場合は
セルの個性に合った音楽なのだが
この2曲に関しては、当たり前な解釈に止まっている。
「第8番」では、楽譜の全てを完璧に表現した奇跡的な演奏を実現したが
この2曲に関しては、そうした奇跡を実現した指揮者はセル以外にも居るので
希少価値もない。


以上3点は聴き続けられないので評価せず。

337korou:2022/09/05(月) 10:55:31
(1964年の新譜から)
ベートーベン:交響曲第4番
トスカニーニ指揮 BBC交響楽団 1939年6月1日録音
★★★★★★★☆☆☆

気力充実のトスカニーニが聴ける。
本当は素晴らしい演奏なのだろうけど
聴き終わった今の感想は
普通に眠たいということ。
何が足りないのかは分からない。
録音も上々、全然支障がなく、1939年のものとは思えないほど。
BBC響も予想以上に上手い。
でも何か足りない。
★7つとするほかない。

338korou:2022/09/06(火) 15:58:39
(1964年の新譜から)
ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」
コンヴィチュニー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 1959年~1961年録音
★★★★★★★☆☆☆

第1楽章を聴いた限りでは、もう聴くのを止めようかと思ったが
ユンク氏が第2楽章が聴きモノと書いていたので
少しだけと思って聴き始めると
これが何とものんびりした、いかにもベートーヴェンの生きた時代の農村のような
素晴らしい表現だったので、驚かされた。
全体に、第2楽章以外は
ベートーヴェンらしい野性味に欠けた穏便な演奏なので
★6つでもいいくらいなのだが
この第2楽章は聴く価値があると思い
★7つに戻した。

339korou:2022/09/07(水) 14:58:51
〇ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」
 バーンスタイン指揮 ニューヨークフィル 1963年5月13日録音

当時としては新鮮だったはずの論理的アプローチによるベートーヴェンだが
今となってはごく当たり前に響く。
若き日のバーンスタインの情熱を感じることは、
残念ながらベートーヴェンの音楽だと難しい(聴く側がシンプルな感情であれば、年齢が若く純粋であれば、その限りでない)。
ということで第1楽章を聴き終わった時点で、この演奏を聴き続ける意義は見出せなかった。

340korou:2022/09/07(水) 15:25:57
(1964年の新譜から)
ボロディン:交響曲第2番 ロ短調
アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 1954年10月録音
★★★★★★★★☆☆

初めて聴く曲だが、なかなか面白かった。
アンセルメの指揮が優れているのかどうかは
さすがに比較の対象ゼロでは判断し難いが
原曲が色彩豊かな管弦楽法で書かれていて
あたかも油彩画のようなタッチであるのに対し
それを適度に薄めて美しい水彩画のイメージで
仕上げているように思えた。
初めて聴いたとしても、結構聴ける演奏である。
「レコ芸」では、1980年代後半のチョイスなのに第1位の演奏になっている。
録音もこの時期では最高のクオリティで、しかもステレオというのが驚かされる。
★8つは当然。

341korou:2022/09/09(金) 16:03:48
(1964年の新譜から)
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
ジョージ・セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1957年3月1,2日録音
★★★★★★★★☆☆

これは演奏の特定に困った。
1964年直前の新譜としてセルのブラ1が存在しないのだ。
仕方なく1957年の音質の冴えないモノラル盤を聴いたが
参考までに1966年のステレオ盤の演奏も第1楽章だけ聴いてみた。
まさに参考で、あり得ない話だが
これはいつものセルだった。
予想通りの音響で予想通りの解釈ぶりで
何の感想も出なかった。
それを踏まえて1957年盤の演奏を通して全部聴くと
これはいつものセルではなかった。
特に第3楽章の緩急の呼吸など
これ以上の巧さはないだろうと思えるほどで
このレベルの巧さが続けば★9つでもOKだったのだが・・・
終楽章は途中までは巧く、展開部の途中からは急行列車のようになってしまった。
逆に言えば、そういういつものセルらしいせかせかしたテンポが気になるだけで
この演奏には、ときとして細部に生命の輝きのようなものを感じさせるものがあり
全体としていつものセルではなかった。
録音はこの年代のモノラルとしてはかなり粗悪だが
音質を超えて訴えてくるものがある。
全体としてセルなので、★8つしか出せないが
セルのファンなら満点の演奏とするのかもしれない。

342korou:2022/09/12(月) 11:29:18
〇ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
 ウィリアム・スタインバーグ指揮 ピッツバーグ交響楽団 1956年4月17日録音

まるでBGMのようなブラームス。最初は弦の響きの薄さが気になるが、慣れるとどうということもなくなる。
そして流暢に流れるブラームス、どこにも引っ掛からず、どこにも致命的な軽はずみな解釈もなく
明るい気分で、この憂鬱な青春の音楽が奏でられる。一体どうしたらいいんだろう?でも何度も聴くブラームスでないことは確か。
やはりオケの薄さはどうしようもない。これはブラームスではない。

〇ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73
 バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1962年9月17日録音

聴き始めの印象は非常に良い。あまり期待もせず聴き始めた割には、想像以上に弦の響きが分厚く
ピッツバーグの薄い響きを聴いた直後でもあるので、ブラームスの音楽としては実に好ましい響きだ。
解釈はスタインバーグ同様、どこにも引っ掛からず、どこにも致命的な軽はずみなところもなく
しかし、そういった普通なところがバーンスタインの個性らしくなく
次第に、この程度の演奏ならムリに聴かなくてもいいか、とスタインバーグと同様の結論にたどり着いてしまうのである。
オケの響きは凄くいいんだが・・・

343korou:2022/09/12(月) 14:59:11
(1964年の新譜から)
ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調 作品90
カラヤン指揮 ウィーンフィル 1961年9月5日~22日録音
★★★★★★★★☆☆

なかなか評価が難しい。
多分、この3年以内にこの演奏を再確認したことがあったはずで
その時に以前のような圧倒的な感銘がなかったという記憶が残っているので
今回もそれほどの感銘がないことについて
それほどの驚きはないのである。
かといって★7つの平凡な演奏かというと
このVPOの重厚な響きとカラヤンの充実した指揮ぶりを耳にして
その評価はないだろうということでもある。
まず録音が中途半端、やはりVPOのスタジオ録音というのは難しい。
それにカルショーという人の録音の特徴が自分の嗜好と合わない(ユンク氏にはぴったりのようだが)。
だからオケの重厚さは伝わっても、それ以上の味わいはない。
またカラヤンの指揮も、そうしたもやもやした音質のせいもあって
イマイチ徹底しない。
ワールドワイドにスタイリッシュにキメるのか、伝統的なドイツ風味にするのか
中途半端だ。
ただひたすら音響のかたまりが、スムーズに横に横に流れているだけのようにも聴こえる。
これがBPOだと、もっと縦の響きも透明で綺麗なのだが
VPOの響きはそういう透明さを目指していないので(録音の傾向もそうだが)
ますます具合が悪い。
平凡でもなく推薦盤でもないという意味で★8つ・・・ということで。

344korou:2022/09/12(月) 15:31:49
〇ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 作品98
 バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1962年10月9日録音

こういう演奏が当時のレコ芸推薦盤として挙げられるというのは
いかにも1960年代の高度成長時代の日本を象徴する出来事かもしれない。
「ブラ4」でこのような構造分析主体で、しかも音色が明るい演奏というのは
現代ではあり得ない。今は、普通に冷静に最低限の分析をするだけで
音色は指揮者の個性に応じた渋さとか静謐性とかを出しつつ、基本は暗い感じで
表現するのが一般的なはず。
これほど時代の制約を感じさせる演奏も珍しい。聴き続けるのが辛い(第一楽章途中で断念)

345korou:2022/09/14(水) 15:35:28
〇ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調
 ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1961年3月11,13,19,22&27日録音

最近何度か聴いている演奏で
あらためて聴き直してみると、やはりブルックナーの演奏としては
いかにも弦の響きが薄い。
数日前にマタチッチのこの曲の演奏で素晴らしい響きに感動したばかりだったので
比較のためにマタチッチを聴いてみると、もう弦の響き、金管の響き、何もかも抜群である。
こういう超優れた演奏を知ってしまった以上
いかにワルターといえども、ことブルックナーについてコロンビア響で指揮する限り
点数付けの対象にはならない。

レコ芸の本だと、このワルターの次はフルトヴェングラーのブルックナー「第9」だったが
ユンク氏のサイトでは1944年の戦時下の演奏のものだったので
ついつい推薦盤とは違う演奏だろうと早合点し、途中まで聴いて止めてしまった。
その後、宇野功芳氏の本で確認すると、
ことフルトヴェングラーのブルックナー「第9」に関しては
この1944年の演奏しかないことになっている(だからユンク氏サイトで聴ける演奏が推薦盤なのか?)。
その流れで、ユンク氏が解説文で引用していたテンシュテットのブルックナー「第3」を聴きたくなり
ナクソスで聴いたが、まあ予想通りで聴き続ける価値まではなかった。
ついでにティントナーでも同じ「第3」を聴いたが
これは何度聴いても抜群の演奏だ。
ついつい長く聴き込んでしまった。

346korou:2022/09/15(木) 15:08:28
(1964年の新譜から)
ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 作品88
イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団 1963年2月22日~26日録音
★★★★★★★★★★

オケ良し、指揮者良し、曲良し、最高の演奏である。
録音も良い。ロンドン響の弦、金管、木管すべての音色を魅力たっぷりに再現できている。
ケルテスの解釈は今なお新鮮で
細部に至るまで生命力にあふれている。
無機質に響く音は一つとして無い。
音楽を聴く喜びはこの演奏にある。
★満点しかつけようがない。

347korou:2022/09/16(金) 15:37:25
〇ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 作品88
 コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1957年6月24日~25日&7月1日録音

全体として、いろいろなことをしているのだが、それが功を奏さない演奏となっている。
でも何が足りないのか、なかなか言葉が出てこない。

〇ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」
 カラヤン指揮 ベルリンフィル 1964年3月録音

第2楽章は非常に良い。この楽章だけは★9つでもいいくらいだが
他の楽章には聴くべきところがない。ドヴォルザークの交響曲には
隠された深い歌心があって、そこを全部無視して表面の輝きだけに
専念しているかのような演奏だ。でも、なぜ第2楽章だけ、こんなに心を打つ?

348korou:2022/09/18(日) 16:32:52
(1964年の新譜から)
フランク:交響曲 ニ短調
フルトヴェングラー指揮 ウィーンフィル 1953年12月14.15日録音
★★★★★★★★☆☆

最初は★9つまたは満点にしようかと思ったが
意外に楽しめない演奏であることに気付き
★8つに点を落とした。
かつての自分なら★9つをつけたはずだが
今の自分の気分にはそぐわないのも事実。
何が足りないか?
香気というか、やはりよくよく聞きこんでいくと
聴いていて何か清々しいものが足りない。
とにかく全体を通しての圧迫感は無視できない。
音楽を聴くことは修業ではないのだから
フルトヴェングラーにそれを求めるのは筋違いなのは承知で
やはりフランス音楽らしい肩の力が抜けた洒脱さが欲しいように思うのだ。
この曲のシンフォニックな見事さを堪能するだけなら★9つなのだが
以上鑑みて★8つ。

349korou:2022/09/19(月) 11:51:38
(1964年の新譜から)
ハイドン:交響曲第88番 ト長調 Hob.I:88 「V字」
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1961年3月4日&8日録音
★★★★★★★★★☆

ユンク氏サイトの解説が秀逸で
その分この演奏を愉しく聴くことができた。
この18世紀の「洗練」を、2022年に生きる凡人の自分が
いつも最高に愉しめるのかどうかと問われれば
甚だ心もとないと言わざるを得ないのだが
さすがにワルターのこの余裕ある指揮ぶりと
その長い経歴から醸し出される蘊蓄を聴けば
かなりの程度で心が清められることも確信できる。
演奏そのものは満点に違いないのだが
★9つにする理由は
もっぱら聴く側の自分のせいである。
この「洗練」をいつも愉しめるのかどうか?
ひどく濁った精神状態の時は
ただ退屈な音楽に聴こえてしまうかもしれない。
自戒を込めて、★9つとして
いつも満点に聴こえるよう心を安定させなければならない
と思うのである。

350korou:2022/09/19(月) 15:19:51
(1964年の新譜から)
ハイドン:交響曲第100番 ト長調 Hob.I:100 「軍隊」
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1961年3月2日&4日録音
★★★★★★★★☆☆

何がどう違うのか言い難いのだが
「V字」の名演には及ばない、しかし聴き易い好演の部類だ。
ところどころ晩年のワルターでならではの爽やかな響きも聴けるのだが
どこかで曲想との食い違いがあって
「V字」のようにはいかない。
全体として★8つと評価。

351korou:2022/09/22(木) 14:23:24
(1964年の新譜から)
ハイドン:交響曲第92番「オックスフォード」
セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1949年4月27日録音
★★★★★★★★☆☆

初めて聴く曲。
セルは、この機智とウィットに富んだ佳曲を見事に指揮している。
ベートーヴェンの音楽とは違って、セルにはぴったりの楽曲のようだ。
ただし、もっと違うアプローチで自分好みの名演があるようにも思える。
よって★8つに止める。

352korou:2022/09/22(木) 14:41:45
(1964年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第33番 変ロ長調 K.319
セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1962年10月26録音
★★★★★★★★☆☆

異端なモーツァルト。
響きの奥底から漂ってくるニュアンスだけがモーツァルト、それ以外は
見事なアンサンブル、合奏力の凄さでぐんぐん押してくるような異端なモーツァルト。
全然悪くない。こういうモーツァルトもあり得る、ましてアメリカの地方都市のオケで
これ以上できるわけもない。
やはりモーツァルトはヨーロッパのオケに限るということを
再認識させてくれる名演。
名演なので★8つは堅いが、それ以上にはどうしても評価できない名演。

353korou:2022/09/23(金) 15:21:32
(1964年の新譜から)
〇フリッツ・ライナー指揮 His Orchestra 1963年9月18,20日録音
 ハイドン:交響曲101番 ニ長調 「時計」
 ハイドン:交響曲第95番 ハ短調

何がどう不具合なのか、全く言葉にできないのももどかしいが
とにかく最後まで聴いていられない演奏だ。
指揮者はいつものごとく正確にリズムを刻み、表情に揺るぎはない。
オケは権利の関係なのか覆面楽団となっているが
実態はニューヨークの著名オケからの選抜メンバーらしいのだが
アンサンブル自体は見事である。
でも聴き続けられない。
かさかさのパンを食べ続けるような苦行になる。
どういうわけか、個々の表現が結晶化されないのだ。
AIが演奏しているような。

354korou:2022/09/24(土) 15:18:19
(1964年の新譜から)
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1963年1月7日 録音
★★★★★★★★☆☆

この長大な楽曲については
聴き通すだけの心の余裕、そして物理的にも時間の余裕がなければ
なかなか冷静に聴き通せないように思う。
今回は、バーンスタインだけでなく
インバル、シノーポリ、ハイティンク(BPO)なども
第1楽章だけ比較試聴して
バーンスタインの指揮の特徴を把握しつつ
聴いてみた。
それだけ余裕をもって聴くことができたのは幸いだったが
まず思ったことは
録音状態の悪さというか、マーラーの音楽であるならば
もっとバランスのとれた音質であるべきだということ。
そして、この曲をどうとらえるかということについて
まだまだ無知であるので
このバーンスタインの深掘りというか熱情たっぷりの演奏を
どう評価していいのか分からないということ。
とりあえずの★8つ、としか言いようがない。
ただ、このアプローチだからこそ
第4楽章の際立った美しさ、危険なほどのもろさが表現できたのだと思う。
カラヤンだとこうはいかないかも。違う美しさはあっても。
インバルとか他の指揮者だとどうなのだろうかと
愉しみは増えたのだけれども
いつ確認できるかどうか定かでないのも事実。

355korou:2022/09/25(日) 21:17:07
(1964年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 "Jupiter" K.551
カラヤン指揮 ウィーンフィル1963年4月9~11日録音
★★★★★★★★☆☆

カラヤンのモーツァルトか、と残念な気持ちで聴き始めたが
すぐにこれは独特の音質、VPOの名演で
カラヤンだけを聴く演奏ではないことに気付く。
とはいえ、やはりカラヤンのモーツァルトで
どこまでも表面的な演奏で、感動のかけらもないことも事実。
しかし、これだけ見事な音質で、しかもVPOの美しい弦の響きで
モーツァルトを聴かされて
ただ感動しないというだけでスルーできるかとなると
それは別問題ということになる。
この演奏には、世界でここだけで聴ける独自の世界があり
それは名状しがたいのだが、カラヤンという天才的職人が
モーツァルトを演奏しつつ、そこではカラヤンしか聴こえてこないという
不思議な感銘が与えられるのだ。
しかも聴き始めに「これはカラヤンだけを聴く演奏でない」と印象付けられたというのに!

これはこれで名演といえよう。
感動とは程遠いので★8つに止めるが
カラヤンのモーツァルト演奏のなかでは
最も成功した部類と言えるだろう。

356korou:2022/09/26(月) 15:39:09
(1964年の新譜から)
ハイドン:交響曲第103番 変ホ長調 「太鼓連打」
カラヤン指揮 ウィーンフィル1963年4月9~11日録音
★★★★★★★☆☆☆

初めて聴く曲で、しかもハイドンには不向きとはいえ
最初に聴く分には最適のカラヤンの指揮によるものなので
評価は難しい。
ただ、かなり俗っぽい素材を
実にエレガントに処理してみせたハイドンの機智とユーモアを
十分に味わうには
カラヤンの職人としての方向性は真逆なのだろう。
もっとニュアンスに富んだ演奏があるはずという期待の裏返しで
最後まで飽きずに聴けたけれども
★7つの普通の出来と評価した。

357korou:2022/09/26(月) 16:30:47
(1964年の新譜から)
プロコフィエフ:交響曲 第5番 変ロ長調  Op.100
セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1959年10月24日&30日録音
★★★★★★★★★☆

何回も聴いて、そのたびに部分的に面白く、その反面
部分的には全く聴き覚えのないところがあって
懐かしいんだか判らないんだか
自分でもよくわからない”迷視聴”となっている曲。
今回、セルの演奏でこの曲を聴くのは2回目だが
どういうわけか最初から最後まで聴き覚えのある曲になっていた。
それが一番の驚き。
知らん間に馴染んでしまったのか?
演奏は見事なもので、クリーブランド管の精緻さが味わえる名演だ。
録音も珍しくクリアで、弦の響きも美しい限りで、管楽器さえも
クリーブランド管と思えぬ華やかな響きで聴こえてくる。
曲の本質はもう少し情熱的な場所にあるのだろうけど
このアプローチ以外にセルの信念はあり得ないだろうし
これはこれで個性的な名演だと納得。
★9つが妥当。

358korou:2022/09/27(火) 16:13:45
〇サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調 Op.78「オルガン付き」
 オーマンディ指揮 (Org)パワー・ビッグス フィラデルフィア管弦楽団 1962年10月7日録音

思ったよりも良い曲として聴けるはずだったのに
今回はそういう感じにならなかった。
オーマンディの指揮だと、楽譜を音にしているだけに聴こえる。
そうなると、サン=サーンスの地味なこの交響曲は
いっそうつまらなく聴こえる。
評価はできない。

〇ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95(B.178)「新世界より」
 ジョージ・セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1959年3月20日~21日録音

本当は素晴らしい演奏なのだろう。
しかし今の自分には、こういう整然とした「新世界」は必要ない。
音の背後に何かが見えないと。
これは何も見えない演奏。
評価不能。

359korou:2022/09/28(水) 15:37:30
(1964年の新譜から)
シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759
セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1960年3月12&19日録音
★★★★★★★☆☆☆

セルの「未完成」には何かが足りない。
その足りない何か以外のものは完璧にできていて
理想的な演奏とも言えるのだが
その足りない何かが
この曲の本質にかかわるものなので
この演奏には平均点以上の点は与えられない。

(付録)
シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759
ジョージ・セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1966年1月27日録音
★★★★★★★★☆☆
上記録音の6年後のライブ録音での演奏である。
これは管楽器の音が効果的に聴こえて
いつものクリーブランド管からは味わえない魅力を感じる。
弦の響きも的確に録音されていて、第1楽章など
これ以上ない見事な演奏だと思ったのだが・・・
第2楽章の冒頭がそこまでやるかと思えるほどクリアに響いたとき
この演奏の生命は途切れてしまった。
第1楽章の絶妙さと第2楽章の残念な解釈とを総合して
★8つが妥当。

360korou:2022/09/30(金) 15:18:12
(1964年の新譜から)
シューベルト:交響曲8(9)番 ハ長調「ザ・グレイト」
ベーム指揮 ベルリンフィル 1963年6月録音
★★★★★★★★★★

この演奏は何度も聴いているので、今回は試聴せず(昨夜も少し聴いた)
満点の演奏。

361korou:2022/09/30(金) 16:18:24
(1964年の新譜から)
シューマン:交響曲第1番 変ロ長調  「春」 Op.38
セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1958年10月24日〜25日録音
★★★★★★★★★★

思ったよりも名演だった。
少なくとも曲自体の構造、構成は
この演奏で知るのがベストだと思えた。
推薦盤としてはクレンペラーとなっているが
その前にクリップス&ロンドン響で比較試聴してみた。
これは軽妙でシャレていて、違うシューマンの曲のよう。
ただし、これはこれで魅力として一番なのだが
最初に聴く「春」としてはどうかとも思え
セルを聴いた後だからこそ面白く聴けたのではという疑念もある。
そしてクレンペラー、確かに立派で堂々としていて、いつものクレンペラー。
何よりも、そんなクレンペラーがこんな未熟な構成の曲に真摯に取り組み
全く無心にシューマンの音楽に真剣に立ち向かっているのが感動的。
本当に凄いなあ、クレンペラー。
というわけで、久々に思い出して聴くならセル、曲の構成が頭に焼き付いているなら断然クレンペラー、
違う感じで聴きたいときはシャレたクリップスという結論。
なお、クレンペラーはなぜかユンク君には無くてナクソスということになる。
セルはユンク氏サイトでOK(クリップスも)

362korou:2022/10/03(月) 14:59:05
(1964年の新譜から)
シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 Op.39
マゼール指揮 ウィーンフィル 1963年9月録音
★★★★★★★★☆☆

初聴きの曲、それも若き日のマゼールがVPOを振った演奏で聴いた。
印象はなかなか良い。
弦の響きと管楽器の音色が
いかにも全盛期のVPOらしく
うまく溶け込み合っていて心地よい。
シベリウスの音楽だから
管楽器の響きの良さは必須だが
この演奏はそれを十分に満たしている。
あとは聴き手である私自身の問題で
こうした冷感たっぷりな北欧音楽に
どうしても馴染めない自分が居る。
こういうのは
北欧の指揮者とか、徹底した音色コントトールのカラヤンでしか
熱中して聴けないのかもしれない。
本当は★9つに近いのかもしれないが
どうしても★8つの佳演という評価になってしまう。

363korou:2022/10/05(水) 16:05:10
(1964年の新譜から)
シューマン:交響曲第2番 ハ長調 作品61
セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1958年10月24日録音
★★★★★★★★★☆

これも名演。イヤホンでなくスピーカーで聴いてみたが
その違和感を超えて、聴かせる演奏だった。
シューマンのようなくぐもった音色の音楽は
セル&クリーヴランド管のフィルターを通すことによって
極めてスッキリとした印象で聴けることになる。
シューマンの交響曲はすべてセルで聴いて
耳を慣らした上で、他の指揮者の推薦盤を聴くのがベストかもしれない。
この曲にしても、かつて聴いたときはシノーポリの指揮を推薦盤にしたが
確かに、たまたま最近聴いたシノーポリのマーラーなどの印象からして
名盤の予感はする。
でもその前にセルを聴いておくと、いいかもしれない。

364korou:2022/10/06(木) 17:39:19
(1964年の新譜から)
シューマン:交響曲第3番 変ホ長調  「ライン」 作品97
セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1960年10月21日録音
★★★★★★★★★☆

第1、第2楽章はスピーカーで聴いた。
引き続き第3楽章からイヤホンで聴く予定が
間違えて第4楽章を先に聴いてしまい
どうも第5楽章との関連のある楽章のようだったので
仕方なく引き続き第5楽章を聴いた。
(第3楽章は聴かずじまい・・・うーむ、ヘンだ!)
演奏はやはり精緻で間違いようもなく
シューマン入門には最適。
ベストかどうかは分からないので
とりあえず★9つ。
(今さらながら「第1番」は★満点としたが、
 今となっては★9つのほうが正確かも)

365korou:2022/10/07(金) 14:28:19
(1964年の新譜から)
シューマン:交響曲第4番 ニ短調 作品120
セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1960年3月12日録音
★★★★★★★★★☆

これもほぼ同じ感じの名演。
曲自体、なぜかこの曲を一番耳にしていたので馴染みがあり
聴き易かったというのもある。

366korou:2022/10/07(金) 14:36:10
(注)小林利之「名曲に聴く」ではシューマンの交響曲について
   コンヴィチュニー&ライプチヒ・ゲヴァントハウス管の演奏がベストとなっていて
   オケの音色などがこの曲に向いているという解説になっているが(ユンク氏の解説でも「定番」という扱い)
   このシューマンに関しては、このコンヴィチュニーの指揮、オケの音色が、むしろ初心者の理解を妨げる濃厚な味付けに感じられ
   その点、セルの無色透明な響きがむしろ好ましいという、ベートーヴェンまでの音楽とは正反対の結果となってしまった。
   ある意味、自分の音楽鑑賞上の最大のポイントなのかもしれない。セルの存在価値も出てきた(カラヤンと似ているが微妙に違うようだ)

367korou:2022/10/08(土) 14:30:15
(1964年の新譜から)
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64
マゼール指揮 ウィーンフィル 1963年9月&1964年10月録音
★★★★★★★★☆☆

マゼールの最も元気な頃の演奏。
特に第1楽章での金管の鳴らしっぷりは
本当にウィーンフィルの音なのかと疑うほど
若々しく明快で、録音の質も申し分ない。
曲が曲だけに、これだけ明快に響き渡れば名演とも言えるのだが
さすがに他に何もない演奏だけに
★9つとはいかない。
それにしても
単純にチャイコフスキーのオーケストレーションを楽しむだけなら
この演奏で十分だろう。
それだけの魅力は持っている。

368korou:2022/10/10(月) 17:15:09
1961年まで聴いていた管弦楽・協奏曲の推薦盤。
1962年〜1964年については、聴いてみたい曲だけに絞って試聴することにした。
その第1弾。

(1962年の新譜から)
ホルスト:大管弦楽のための組曲「惑星」 作品32
カラヤン指揮 ウィーンフィル 1961年9月5日~22日録音
★★★★★★★★☆☆

演奏そのものは★満点に近い完璧な出来。
曲自体に内容がないので★8つとした。
ここでのカラヤンは、表面だけをなぞっているように見せながら
こういう浅い内容の曲から音楽的に優れた面だけを凝縮してまとめ上げ
幻想的なイメージの構築に成功している。
こういうのは職人指揮者カラヤンの独壇場だろう。
VPOも、そうしたカラヤンの才能に敬意を表し
いつもの対決的なムードを捨て去り
全身全霊でカラヤンの指揮に応えている。
VPOの金管がこれほど荒々しく鳴り響くのは聴いたことがないし
しかもそれが音楽的に美しく響くのは
VPOの底力とカラヤンの見識に依るのであり
唯一無二の音楽がそこにある。
ただし、曲そのものが何度も聴いて飽きないものかと言われれば
本質的な意味において、そうでないのが残念なところ。

369korou:2022/10/12(水) 15:11:14
〇トスカニーニのロッシーニ序曲
演奏そのものには今さら書くべきことはなく(凄い推進力。未だに唯一無比)
ただナクソスだと実に音が貧相で、こればかりはユンク氏サイトの独壇場というか
どういう仕掛けなのか実に素晴らしい音質で堪能できる。

〇セル&フルニエでドボルザーク「Vc協」を聴き始めたが・・・
やはりセルの演奏だと音の向こうの世界が見えてこない。
もっとためて弾いてほしいところを、あっさりと簡潔に表現してしまうので物足りない。
フルニエ登場以前に聴くのを止めた。

〇カラヤンの管弦楽曲
相変わらず素晴らしい。ただし美しすぎて、それが当たり前になった瞬間
強烈な眠気に襲われる(演奏がつまらないのではなく良過ぎるので)。幸せなひとときではあるのだが。

〇ルービンシュタインのグリーク「P協」
これは良い演奏かもと期待したが、よくよく考えてみれば、これほど相性の悪い組み合わせはないのだった。
どこまでも人生を活き活きと生きようとするスタイルのピアニストが
どこか危険な香りのする、それでいてストイックに生きようとするスタイルの楽曲を弾いて
しっくりくるはずがない。
ああ、リパッティの演奏でこの曲を聴きたくなった。

以上、トスカニーニは今読んでいる「中川本」について参考までに聴いた。
セル以下は、1962年の新譜の推薦盤の試聴。評価するほどでもなかったので(カラヤンは★8つかな)。

370korou:2022/10/14(金) 14:55:35
〇ホロヴィッツのスクリャービン
前奏曲を1曲聴いて、それからピアノソナタ第3番を聴いた。
初めて聴いたので、詳しいことは書けないが、思ったよりも聴き易く
それでいてすぐに見通せる安易な音楽でもないことは理解できた。
ホロヴィッツは、自家薬籠中の音楽として自在に弾いている。
でもそれ以上のことは分からない(初めて聴いたので。しかも比較もできない)

〇クレンペラーのワーグナー
「前奏曲と愛の死」「タンホイザー序曲」を聴いた。
どちらの曲も久々に聴いたが、クレンペラーでは物足りなかった。
何か得体のしれぬデモーニッシュなものがワーグナーの音楽には必要だが
クレンペラーは「すべてお見通し」なのだから。
疑問点もなく立派に進んでいく音楽、文句のつけようもないのだが
文句をつけたい。

371korou:2022/10/15(土) 15:21:13
1965年の新譜から
〇カラヤンの「運命」
今さらとは思ったが聴いてみた。思っていたよりも切れ味鋭い演奏で、さすがに60年代のカラヤンは聴き応えがある。
カルロス・クライバーの「運命」と比較したくなり、冒頭だけ比較試聴したが、今日の感覚だとカラヤンのほうが良く聴こえる。
エーリッヒ・クライバーの「運命」もナクソスで聴いてみたが、思ったより音質の壁を感じて、今日のところは断念。
それでもあの半音高い再生のユンク君でも同じ「運命」を(酔狂にも)聴いてみたが、半音高いほうが優れて聴こえるのは何故?
ついでにエーリッヒで「田園」の第1楽章だけ聴いてみた(もはや何の視聴なのか・・・)。思ったよりもまとまっていて
これも名演かもしれない。
カラヤンの「運命」の第2楽章以下は後日ということで。

372korou:2022/10/17(月) 15:22:10
(1965年の新譜から)
ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 作品67 「運命」
カラヤン指揮 ベルリンフィル 1962年3月9~12日録音
★★★★★★★★★☆

驚くべき「運命」である。
カラヤンにこのようなベートーヴェンが表現できるとは
思いもよらぬことだった。
やはり1960年代、それも前半の(つまりユンク氏がアップできる範囲内ということになるが)カラヤン&BPOは
厳しい音色で貫かれていて
それでいて華やかなイメージにも事欠かないという
奇跡のような演奏を実現している。
必ずしも血の通ったベートーヴェンとは言えないが
こういう血の通わない、でもそれでいてベートーヴェンそのものといった演奏も
世の中には存在するのだと思った。
フルトヴェングラーのベートヴェンとは正反対で
しかも、その両方とも立派な演奏と言える。
もはや、この演奏の価値は聴く側の姿勢に委ねられているとも言え
その反対に、聴く側の姿勢など関係なく偉大な演奏とも言える。
かくも音楽表現とは、このように複雑でかつ奥深い。

373korou:2022/10/19(水) 15:06:09
(1965年の新譜から)
シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリンフィル 1964年10月27日録音
★★★★★★★★★☆

何とも美しい「未完成」、それでいてシューベルトの心、魂が何にも伝わってこないという
いかにもカラヤンらしい名演。
ベルリンフィルの各奏者は
この曲が仕掛けてくるソロパートを見事にこなして
うっとりするほどの技巧で聴かせてくる。
もうその名人芸だけで★8つ以上の価値があるくらいだが
一方で、カラヤンは、シューベルトの音楽などには目もくれず
自分なりに完璧さを目指しているレコード芸術への意欲を前面に押し出して
そういう意味での表現意欲が爆発しているかのような充実ぶりである。
その迫力に押されて、最後まで聴かされてしまうという感じだ。
正直言って、第1楽章の冒頭の木管の名人芸で心をつかまれた後
その感動が第2楽章の最後まで続くのだろうか?単に奏者が巧いだけなのではないだろうか?
という疑念もよぎったが
そのカラヤンの表現意欲が感じ取られ
まさに異端ではあるけれども、★9つクラスの名演であると
認定せざるを得なかったのである。
「運命」に続いて、この時期のカラヤンの充実ぶりに脱帽である。

374korou:2022/10/20(木) 15:16:22
〇ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
 バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1963年5月27日録音

一般的には面白い演奏なのかもしれないが
「幻想」ファンの自分にはどうしようもない見当外れの演奏だ。
バーンスタインの悪い面が全部出ていて
バーンスタインの秘かなファンでもあるので
この演奏がこうなってしまった理由もよく分かるし
何とも困った話だ。
この曲は、こんな風にスピード感だけで割り切られると
低レベルな楽曲に堕してしまう。
若き日の彼にはこれ以外の解釈はないことも分かるが
ベルリオーズの音楽はもっと深みを出さないと。

〇ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
 カラヤン指揮 ベルリンフィル 1963年10月録音

カラヤンのブラ1なのに、これは平凡な演奏に終わっている。
何よりも表現意欲が感じられない。
もっと出来るはずなのに。
「第2番」「第3番」「第4番」と最初の部分だけ聴き続けたが
すべてに意欲が感じられない。
あまりに自家薬籠中のものだけに
この時期としては違う結果になったのだろうか。
こればかりは70年代、80年代のほうが優れているのかもしれない。

375korou:2022/10/21(金) 14:13:45
〇ブルックナー:交響曲第5番
 クナッパーツブッシュ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1956年6月録音

今はブルックナーの気分でないので、なかなか正しく判断できないのだが、あえて記すと・・・
とにかくこの演奏については、VPOの響きが独特すぎて、いつ聴いても耳に馴染まない。
聴き続けると、だんだんと慣れてくるのだが、それでもブルックナーの音楽がもたらす「耳福」とは程遠い。
クナの偉大な個性である”信じ難いほど大づかみに音楽の要所をつかんで雄大な響きで感銘をもたらす”も伝わってこない。
VPOでよくある劣悪録音(再生装置の性能、響きの好みという要因もあるのだが、前者についてはどうしようもなく
後者については一層どうしようもない。あくまでも今の再生環境で自分の好みで言えばという前提で)とも違って
音そのものは明晰に聴こえるのだが、全体に痩せすぎな音質で、クナの録音ではよくある傾向なのだが
この演奏の場合、あまりにも酷い。そこから音楽の中身にまで入っていけないのだから、評価もできない。
いろいろと比較試聴してみて、上記響きの悪さについて確認はできたが
クレンペラーの演奏を最後に聴いて、その雄大な構えと響きの美しさに改めて感じ入った。
クナとは違う地点で、それに劣らぬブルックナーの真髄を突いていると思うし
録音の面ではもう比較にならない。やはりこれ(クレンペラー&フィルハーモニア管)が推薦盤になる。

〇ブルックナー:交響曲第8番ハ短調
 カール・シューリヒト指揮 ウィーンフィル 1963年12月9~12日録音

これもクセの強い録音音質なので聴き始めは冴えない感じがするが
聴き続けていくと、次第にVPOの名人芸というか抜群の巧さが伝わってきて
そうなるとシューリヒトの個性も次第次第に感じられてきて心地よい(上記クナ盤とはそこが違う)。
かつてこの演奏に心酔した頃と同様、最上の演奏に思えてきた。
今回は第1楽章だけ聴いて、次回以降残りを聴いて
この演奏に関しては評価を出すことにしよう(★9つあたりか)

376korou:2022/10/22(土) 15:46:06
(1965年の新譜から)
ブルックナー:交響曲第8番ハ短調
カール・シューリヒト指揮 ウィーンフィル 1963年12月9~12日録音
★★★★★★★★★☆

昨日は第3楽章まで聴いて、今日終楽章を聴いた。
昨日の印象では★9つでも良かったが
今日聴いた終楽章は日頃聴き慣れていないので
ハッキリいってよく分からなかった。
ただ終楽章だけ耳慣れないという理由だけで
そこまでの抜群の出来を無視するわけにもいかないので
★9つは維持することにした。
とにかく、シューリヒト魔術とでもいうべき
どこがどうなってどう良いのか表現もできないのだが
全体的に安心して聴ける演奏だ。

377korou:2022/10/23(日) 16:58:30
〇ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 作品88
 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1961年9月29日録音

やはりカラヤンの表現意欲が全盛期の演奏で
本来なら★9つでもいいのだが
ドボルザークでそれだけで感動的な演奏ができるかといえば
さすがにムリがある。
響きは美しく、毅然とした感じとVPO独特の悠然とした音色が渾然と混ざって
何とも言えぬ立派さに満ちているのだが・・・
ドボ8でなければ★9つでもいいのだが、ドボルザーク、特に「第8」は
それだけでは済まない”人の心の動き”がなければいけないと思っている。

378korou:2022/10/29(土) 17:19:56
(1965年の新譜から)
マーラー:交響曲第2番 「復活」ハ短調
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック (Ms)ジェニー・トゥーレル (S)リー・ヴェノーラ
カレジエート合唱団 1963年9月29日録音
★★★★★★★★☆☆

大変充実した演奏ではあるのだが
やはりあまりに長大すぎるので、全体の構成、曲調に馴染めないのと
そこから生まれてくる”感動”のレベルにまで
自分が達し得ないということで
★8つにとどめた。
NYPは、この時期、バーンスタインのおかげで
演奏に緊張感が増し、レベルが向上したはずだろうことが
この演奏から十分伝わってくる。
まあ、それくらいしか分からないけど。

379korou:2022/11/03(木) 16:27:08
(1965年の新譜から)
マーラー:交響曲第9番
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 1964年1月10,11,14&18日録音
★★★★★★★★☆☆

思ったよりも聴き応えのある佳演だった。いかにもバルビローリらしい温かみのある演奏。
ベルリン・フィルでもこういう暖かい音色が出るのだという思い。
長い曲なので2回に分けて聴いたが、幸いなことに完全に寝てしまうような失態はなかった。
とはいうものの、直前に聴いた「復活」同様、聴き馴染みのない曲だけに
本当の意味で心から感動するということにはなりようがないのである。
まだまだこの曲には未聴の名演があるに違いないと、どうしても思ってしまう。
念のため、ウォークマンに入れたワルターの演奏を比較試聴してみたが
ワルターの演奏には彼独特の温かみの上に
何か使命感とも表現できそうな切実な思いが込められているわけで
そこが★8つと★9つの差になってしまった。

しかし、この演奏は、いろいろなことを思わせる本当に良い演奏だった。
「第1(巨人)」との関連とか、難しいこと抜きに名曲と思わせる技とか
何か、この曲との距離が、バルビローリのおかげで
縮まったような気がする。
★8つだけど、通過点としては最上だった。
何回も聴くような演奏ではないが、この演奏を聴くことは
自分にとって必然だったような気がする。

380korou:2022/11/03(木) 20:01:22
今日になって、セルのシューマン「第1」「第2」の演奏について
★9つから★8つに格下げ。
シューマンを理解しようとして、しつこく聴いている間は、セルの演奏が分かりやすく好ましかったが
やはりシューマンのシンフォニーは自分には縁遠いものに違いなく
久々に聴くと、あまり魅力的には思えなくなってきたので。

381korou:2022/11/04(金) 17:42:23
(1965年の新譜から)
シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 作品43
マゼール指揮 ウィーンフィル 1964年6月録音
★★★★★★★★☆☆

1964年当時では最高音質の録音と思える。かつてウィーンフィルの音がこれほど鮮やかに響き渡ったことはなかったと思う。
マゼールの指揮は若々しくフレッシュでムダなところが一切なく清々しい。
これほどの棒さばきであれば他の曲で聴きたかったほどだ。
シベリウス「第2」は、シンプルな曲想過ぎて、聴き易いのだが深みはほとんど無いに等しい。
この曲で★9つというのは想像し難いのだが
誰かが達成している可能性はあるのだろう。
残念ながら、この演奏は最高級の音質と万全な棒さばきでありながら
曲の限界を超えた奇跡の名演とまではいかない。
普通に素晴らしく★8つ。

382korou:2022/11/07(月) 15:10:00
(1965年の新譜から)
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64
マゼール指揮 ウィーンフィル 1963年9月&1964年10月録音
★★★★★★★☆☆☆

これもまことに爽快な、何の屈託もない快演だ。
VPOの響きもこの上なくもろやかで
いつもの冴えないVPOの音質など
どこの話だということになる。
シベリウスでは「知らない曲を分かりやすい明快なアプローチで聴かせる」
というニュアンスで★8つまで評価してみたが
チャイコフスキー「第5」ともなると
そのニュアンスは不要なので評価しようがなく
結局、元に戻ってマゼールさんなら★7つの標準でしょう
ということになる。
ただそれだけの話で
シベリウスのときと演奏の出来栄えの差は何もない。
若い日の快演は
その瞬間の興奮も加味されるライブ演奏だと素晴らしいが
残念ながら録音の演奏だと
それ以上の何かがないと
すべて★7つになる、そういうことである。

なお、レコ芸推薦盤冊子では、チャイコフスキー交響曲全集として推薦されていて
全集としての統一性も評価の対象となっているが
そこまで聴き込む必要もないと思われるので、「第5」だけで評価することとした。

383korou:2022/11/08(火) 14:46:23
(1965年の新譜から)
〇シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 Op.43
 ジョージ・セル指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 1964年12月録音

曲の派手な体裁に比して、音色が地味すぎて合わない。
セルはこの曲の録音をライブ等で多く残したが
このスタジオ録音はイマイチな気がする。

〇チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴」
 カラヤン指揮 ベルリンフィル 1963年2月録音

この時期のカラヤンの録音にしては、妙に音がこもって冴えない。
慎重に曲想がこぼれ落ちないように演奏しているせいもあり
これもかなり地味な演奏に聴こえる。

どちらも第1楽章だけで断念。

シベリウス「第2」について
小林利之氏「名曲に聴く」で推薦されているモントゥーの演奏を(途中まで)聴いてみた。
さすがだ。曲の細部に至るまで音が芽吹いている。マゼール、セルの演奏など比でない。

384korou:2022/11/11(金) 17:11:04
(1965年の新譜から)
チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨークフィル1964年2月11日録音
★★★★★★★★★☆

暑苦しいだけの演奏で、後半に盛り上がるのが印象的というネガティブな先入観で聴き始める。
かなりの体調ダウン(コロナワクチンのせい)のなか
意外とすんなりと聴き続けることができた。
後半に盛り上がるというのは「神話」で
最初から感情が十分に込められていて曲調にピッタリな感じ。
これくらいの重たさで表現してもらえれば「悲愴」らしくなる。
第2楽章の哀愁不足は致し方ないところ。
それ以外は、この時期のバーンスタインとしては最上の出来で
NYPも上手く、録音も申し分ない。
★9つという意外な結果となった。

385korou:2022/11/12(土) 12:49:12
〇チャイコフスキー:マンフレッド交響曲 ロ短調 作品58(バイロンの劇詩による4つの音画の交響曲「マンフレッド」)
 イーゴリ・マルケヴィチ指揮 ロンドン交響楽団 1963年10月17日~11月1日録音

曲がつまらん。

386korou:2022/11/12(土) 12:55:44
(1965年の新譜から)
ブルックナー:交響曲第1番 ハ短調 (リンツ稿/ノヴァーク版)
オイゲン・ヨッフム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1965年10月録音
★★★★★★★★★☆

同じ聴いたことのない曲でも
こちらはすんなりと心に響いた。
ヨッフムの指揮は、いかにもブルックナー演奏の職人のようで
いつもどおりの堅実なもので
BPOも見事にその指示に応えている。
やや試行錯誤的な部分も多い曲だが
全体としてブルックナーらしい落ち着きと内面的な深さが感じられ
かつて1度だけ聴いたときと同じ感想に落ち着いた。
★9つなのは
多分、ティントナーのほうがもっとぴったりと演奏しているだろうという
予測のもとに点を減じている。
どちらにせよ、安心して聴ける演奏、ティントナーが指揮したオケの響きよりも
重厚さではこちらが勝っているのではと思え
その意味では最高の演奏の一つと言っても過言ではない。

387korou:2022/11/15(火) 15:24:17
(1965年の新譜から)
ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調 「ワーグナー」
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ウィーンフィル 1954年4月1日~3日録音
★★★★★★★★★★

★満点の歴史的名演。
クナのこの「ワーグナー」は
メンゲルベルクのマーラー「第4」、フルトヴェングラーのベートーヴェン「英雄」と並ぶ
巨匠時代の最高峰の演奏と言ってよいだろう。
こういう演奏に言葉は無力だ。
聴き始めたら心をつかまれる。
違和感は最初の数分だけで、それも音質に依る面が大きく
逆にこの”モノラルにしては驚くほどクリアな”音質に慣れてくると
モノであることすら忘れてしまうような魔力がある。
VPOとしても最高の響きではないだろうか。
どこがどうということではなく、聴いてすぐ納得し愉悦に至る演奏だ。

388korou:2022/11/16(水) 14:47:18
(1965年の新譜から)
ブルックナー:交響曲第6番 イ長調
オットー・クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1964年11月録音
★★★★★★★★★☆

難解な、というか馴染にくい曲である。
かつて聴いた時に、クレンペラーへの敬意をこめてMP3データをDL済みなので
今回は、とりあえず再度通して聴くことだけに専念。
評価については保留するとともに、とりあえず★9つとした。
多分、ブルックナー自身がこの曲にもっと思い入れして
何回も改訂したとしたら
もう少し聴き易くなったと思われるが
この後から交響曲の名曲を3つも書いたのだから
そのあたりは仕方ないところか。

389korou:2022/11/17(木) 14:45:07
(訂正)ヨッフムのブルックナー「第1」から”1966年の新譜”だったので訂正

(1966年の新譜から)
ブルックナー:交響曲第9番 二短調(ノヴァーク版)
オイゲン・ヨッフム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1964年12月録音
★★★★★★★★★★

改めて聴き直すと、BPOの音が渋くて
この年代のBPOはブルックナーの音楽に最適な音色だったのだ
と再認識させられる。
ヨッフムは、まだ枯淡の境地とまではいかず
普通に熱っぽく、共感100%の勢いで指揮している。
あまりに意欲的でブルックナー「第9」らしからぬことになりかねないのだが
決してそうならず音楽によりそった名演になっているのはさすが。
どう考えても★満点。

390korou:2022/11/19(土) 14:21:16
〇ハイドン:交響曲第82番 ハ長調「熊」, Hob.I:82
 レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1962年5月7日録音

見事なハイドン、活気にあふれ、どこにも曖昧な感じが見られない颯爽たる演奏。
ハイドン自体に馴染みがないので、どうしようもないが
演奏のレベルそのものは★9つレベル。


〇ハイドン:交響曲第83番 ト短調「めんどり」, Hob.I:834
 レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1962年4月9日録音

これも同じ。適度に劇的な音の展開もアリ。

391korou:2022/11/21(月) 13:55:48
(1966年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 k201
カラヤン指揮 ベルリンフィル 1959年12月録音
★★★★★★★★☆☆

思ったよりも聴き易い演奏。カラヤンのモーツァルトは
作曲者の神秘性を断定的な解釈で台無しにしてしまうので
通常なら聴くに堪えないのだが
このくらいシンプルで小粒でもピリリという曲であれば
むしろ、細部のニュアンスよりも全体の斬新な曲調が強調されるカラヤンの指揮が
活きてくるという具合。
ただし、モーツァルトを聴くというよりは
やはりカラヤンを聴くという要素のほうが大きいのは否めないので
★8つに止まる。

(1966年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第33番 変ロ長調 K.319
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1965年8月録音
★★★★★★★☆☆☆

これもモーツァルトというより、カラヤンとBPOを聴く演奏。
その限りにおいては超名演だが、どこにもモーツァルトの音楽のニュアンスは伝わってこないので
特にそのニュアンスが大きいこの曲となると、★は1つ減じて★7つの評価。

392korou:2022/11/22(火) 11:33:11
(1966年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K.201 (186a)
オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1963年12月19日録音
★★★★★★★★☆☆

まるでベートーヴェンのようなモーツァルト。
そこにはモーツァルトを聴くと自然に溢れ出てくる愉しさ、爽快さはかけらもなく
意志の強い音楽だけが聴こえてくる。
誰もが好きになれるモーツァルトでないことは確か。
しかしクレンペラーとして最低限のことは成し遂げていることも確か。
この愛らしい、そのなかにも何かを発見して歓喜に浸っているような名曲にも
こんな毅然とした音楽が潜んでいたのだということを教えてくれる、という意味で
★8つの評価としたい。
多くの人にとっては
★7つの普通の演奏に聴こえるかも(この音楽はモーツァルトではないからねえ)。

393korou:2022/11/23(水) 15:25:55
(1966年の新譜から)
シューベルト:交響曲8(9)番「ザ・グレイト」
セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1957年11月1日録音
★★★★★★★☆☆☆

こういう演奏を評価する人は必ず居るだろうと思う。
かつての自分もそうだっただろう。
今の自分の好みから言えば真反対となる。
細部のニュアンスよりも全体の造形、掘り下げを優先する
近代的なオーケストラの響き。
残念ながら★7つの普通の評価とせざるを得ない。
シューベルトを聴くからには、もっと細かい聴きどころが欲しい。
もしくは指揮者の個性を聴きたいのだが・・・

394korou:2022/11/24(木) 18:28:25
(1966年の新譜から)
〇シューマン:交響曲第2番 ハ長調 作品61
 エルネスト・アンセルメ指揮 スイスロマンド管弦楽団 1965年4月録音
〇シベリウス:交響曲第4番 イ短調 op.63
 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1965年5月12日録音
〇シベリウス:交響曲第5番 変ホ長調 op.82
 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1965年2月22日~24日録音

以上の演奏を概ね聴いて、いずれも端正で颯爽とした模範的な演奏だとは思ったが
曲そのものに馴染みがなく、曲調もあまり好みでないので
何度も聴き続けようとは思わなかった。
ハッキリ言って、この試み(レコ芸推薦盤チェック)を始めた頃とは違って
馴染のない、かつ好みでない曲を立て続けに聴くという行為にうんざりしているのだが
あともう1年分なので、ここでやめるわけにはいかない。
ということで、最後の1967年新譜も
一気に駆け抜けていく予定。
その後は「ハルくんの音楽日記」を参考に
指揮者別の特別バージョンも混ぜながら
鑑賞していく予定。

395korou:2022/11/25(金) 14:03:13
1967年の新譜については
今までに何度かチェック済みではあるが
年次順に感想を記入している当スレとしては
ここで再掲することで
一覧性を保つこととした。
まず、この演奏への感想を再掲。


(1967年の新譜から)
ベートーヴェン「英雄」(オーマンディ&フィラデルフィア管、1961.4.9録音)
★★★★★★★☆☆☆

1961年録音であれば、もうこの時期であれば、2年以内には新譜になるはずなのだが
データを見ると”C→CS”とあるので
これは1960年代前半にコロンビアから出た新譜を
1967年のCBSSONYレーベル開始において、改めて新譜として再発売したものとも考えられ(違うかもしれないが・・・)
その過程で、当時見逃されてきたこの演奏が再評価されたのではないかと解釈してみた。

オーマンディのベート―ヴェンなんか始めて聴いたのだが
予想よりも遥かに良かった。
鳴っている音が実に堂々としていて、揺るぎがない。
ベートーヴェンらしい内部から発せられる緊迫感、攻撃性という要素が皆無なのが
いかにもオーマンディらしく、その意味では予想通りなのだが
それに代わる要素はこれほど耳に心地よく響くとは思ってもみなかった。
本質的なところが抜けているので高評価にはならないが
かといって問題外の演奏ということでもなく
よって☆7つの標準点とした。

396korou:2022/11/25(金) 14:51:53
(1967年の新譜から)
ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92
オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1964年4月27日録音
★★★★★★★☆☆☆

ゆったりとオケが鳴り切った演奏。
ただし、それ以外に美点はないので
ベートーヴェンでそれは困るという話。
ややこしいことは一切やっていないので
そういう意味で文字通り★7つの普通の演奏という評価になる。

397korou:2022/11/25(金) 14:53:48
これも再掲。


(1967年の新譜から)
ブルックナー「交響曲第3番」(シューリヒト&VPO、1965.12.2〜4録音)
★★★★★★★☆☆☆

シューリヒトの最後の録音のようで
体調はボロボロ、オケをろくにリードできなかった風に
ユンク君は書いている。
確かに第1楽章はあまりシューリヒトらしい鋭さがなく、音が平板に鳴っているように聴こえる。
しかし(ユンク君も指摘のとおり)第2楽章の寂寥感には胸を打たれるものがあり
一度この透明感を体験すると、続く第3楽章、第4楽章も
いくらか無力感は感じるものの、それほど平板な感じはしなくなってきたのも事実。
むしろ、VPOの美しい音色がステレオで響き渡り
いつになく豊かな音質で録音されていることに気付いたりする。
シューリヒトの第2楽章、VPOの第3、4楽章を堪能する演奏だ。
深い何かを感じさせてくれるのが第2楽章だけというのが惜しいので
★は7つ(普通の出来)に止めるが、いわゆる不出来でも愛聴盤という類。
また聴く機会はきっとあると思う。

398korou:2022/11/25(金) 14:54:27
これも再掲。


(1967年の新譜から)
ブルックナー「交響曲第5番」(クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管、1967年3月9,11,14,16日録音)
★★★★★★★★★★

この曲に関しては、名曲チェックの際に名演に巡り合えず
カラヤン&BPOの演奏だけを挙げて”もう聴かないだろう曲リスト”に
入れてしまった経緯があるので
順序として大変な曲にぶつかってしまった感が強かった。

ところが、このクレンペラーの演奏は驚異的な名演だった。
なぜ前回のチェックの際にこの演奏を見逃したのかと思うほどだった。
やはりクレンペラーという指揮者は、どこをどうやってそう聴こえるようにしたのか
自分のような偏屈で理屈っぽいクラシック愛好家には到底一生涯かけても分からないほど
深遠で蘊蓄に満ちた表現で、これほどの奇跡的な演奏を為す人なのだった。
こんな面倒くさい、ただでさえ面倒くさい作曲家の、ほぼ未完成に近い粗雑な作り、でも真摯で間違いのない姿勢で作られた大曲を
これほどストレートに音を響かせて、音を重ねて、あくまでも誠実に音を作っていって、
結局のところ、何の抵抗もなくしっくりとくるように聴かせてくれる指揮者は
クレンペラー以外誰も存在しない。
断トツでこの曲のベストの演奏だと思った。
録音も優秀で、個々の音がしっかりと聴こえてくる。
この演奏に匹敵できるのは、ティントナーくらい、そしてやや個性的すぎるもののカラヤンくらいではないだろうか。
文句なしに★満点。

399korou:2022/11/27(日) 15:31:31
(1967年の新譜から)
ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調(原典版)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1966年3月15日~19日録音
★★★★★★★★☆☆

壮麗なブルックナー。
ただし、いつものカラヤンの即物的な表現ではなく
珍しく?感情のこもった強音で迫ってくるので
聴く側としては戸惑ってしまう。
録音の精度が上がって、あまりにも各楽器の音がクリアに聴こえ過ぎて
そういう印象になってしまうのかもしれない。
それでも、どういう理由であれ
こうした意図的なテンポの揺れ、誇張された強弱といった
ブルックナーの曲の演奏には不適当なものが聴こえること自体は
確かな事実であり
その点において
いつものカラヤンのブルックナー演奏と比べて
評価を下げざるを得ない。
さらに終楽章での
何度も繰り返される意図的な演出に至っては
ほぼベートーヴェンのシンフォニーを空疎に指揮していたカラヤンを
思い起こさせるほどだった。
1960年代のカラヤンは、この時期くらいで
その最盛期を終わったのだろうか?
壮麗さ、華麗さ、美しさにおいて比類ないだけに
★8つ以下にはならないが
このスタイルでは★9つ以上にはなりようもない。

400korou:2022/11/27(日) 16:24:13
(1967年の新譜から)
ドヴォルザーク:交響曲第6番 ニ長調 作品60(B.112)
イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団 1965年12月6日~10日録音
★★★★★★★★☆☆

溌溂とした演奏で
こういうあまり演奏されない曲の場合
スッキリとした仕上がりで抵抗なく聴くことができ
非常に聴き易かった。
曲そのものも、予想以上に構成がしっかりしていて
各楽章のテーマが十分にこなされていて
聴き応えはあったのだが
やや冗長な部分が惜しいところ。
演奏、録音、曲のレベルともに
想像以上の見事さだったが
残念ながら何度も聴いて細部まで味わうといった類の曲でないので
★9つにはならなかった。
またケルテスの指揮そのものも
若い時に聴いた時よりも感銘が薄く
それは単に自分の嗜好の変化だけなので
若い時であれば演奏に最大級の評価を与えて
★9つにしていたかもしれない。

401korou:2022/11/29(火) 14:12:48
(1967年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調「リンツ」 K.425
カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1966年2月録音
★★★★★★★★☆☆

かつてであれば最上の演奏として★9つ以上をつけたかもしれない。
ベームのモーツァルトは頑丈で揺るぎない。
それでいて細部が機械的になることもなく
ぎっちりと音楽が詰まっていて文句のつけようがない。
それでも、クリップスのような人が居て
それを上回る演奏をするのだから
これだからクラシック音楽鑑賞は止められない。
このベームの演奏からは
クリップスの指揮により醸し出される愉しさ、歓びは感じられない。
全くそれだけの理由で
★8つにしてしまった。
仕方ない、まだ上が居るのだから。

402korou:2022/11/29(火) 14:43:43
(1967年の新譜から)
モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K.543
カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1966年2月録音
★★★★★★★★☆☆

これもまた同じ。
聴いていて眠たくなるのが最大の弱点。
クリップスやワルターだと、そう簡単に音から意識が離れないわけで
ベームの音楽の限界なのだが
全く贅沢な弱点でもある。

これで、長く続けてきたレコ芸推薦盤チェックは終了。
途中から完全に飽きてしまったが
それでもかつての巨匠(トスカニーニとか)のいろいろな演奏を
より広く聴けて意味はあったように思う。

403korou:2022/11/29(火) 14:48:14
(レコ芸推薦盤チェックについて<続き>)
調べてみると
今年2月9日から始めていた。
今年はこればっかりしていたのかという意外な思い。
最初のうちはジャンルを広く採っていたが
途中から交響曲だけに絞っていった。
結構長くかかったなという感想。

404korou:2022/11/30(水) 14:12:55
(エーリッヒ・クライバー①)
〇ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」
 エーリッヒ・クライバー指揮 アムステルダム・コンセルホヘボウ管弦楽団 1950年5月録音

モノラル録音のなかでも音の精度が低い部類の音質だ。
ただし。クライバーの指揮が、音の響きのみで聴かせる類のものでないのが救いで
この音質でも十分にクライバーの天才を堪能できる。
音の強弱、テンポの揺れが細かく指示されていて、AC管もその指示によく応えて
レベルの高い演奏が実現できている。
欲を言えば、あまりに颯爽とまとめ過ぎていて
ベートーヴェンらしい、良い意味でゴツゴツした肌ざわりに欠けるのが難点かもしれない。
カール・ベームの演奏と正反対の感触で
それぞれに名演ではあるのだが
超名演というわけにもいかないのが
この芸術の難しいところでもある。

405korou:2022/11/30(水) 15:29:40
(エーリッヒ・クライバー②)☆
〇ベートーベン:交響曲第6番ヘ長調 作品68「田園」
 エーリッヒ・クライバー指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 1953年9月録音

「英雄」の直後に続けて聴いたので
耳が疲れないか心配だったが杞憂だった。
「英雄」よりもクライバーの創り出す音楽性に合っているとは思っていたが
これほどの名演とは予想以上だった。
録音も音の分離が素晴らしくて各パートの聴きたい音が聴きたいように聴こえて
聴いていてこれほどスッキリするモノラル録音というのも稀有である。
クライバーのタクトは明確な意志に満ちていて
どこにも曖昧なところはなく
まさにベートーヴェンが楽譜により伝えたかったことを100%迷いなく
こちらに伝えてくる。
「英雄」と違って、苦悩との戦いがテーマではない「田園」において
自然への賛美、神への感謝といった感情が
このクライバーの指揮で自然に溢れ出てくるのである。
これほどの名演は、かつて「田園」では聴いたことがなかった。
これは保存版にしたい演奏である。

406korou:2022/12/01(木) 10:46:13
(エーリッヒ・クライバー③)
〇ベートーベン:劇音楽「エグモント」 Op. 84 序曲
 エーリッヒ・クライバー指揮 NBC交響楽団 1948年1月10日録音

かなり粗悪な録音ではあるが
クライバーの意図したテンポ、リズム、オケの響きについては
十分に聴き取れる。
NBC響は優れた技術を誇ったオケではあるが
こうしてクライバーの棒のもとで演奏すると
クライバーが最終的に求めているドイツの響きには
到達し得ない、やはりアメリカのオケなのだなと感じてしまう。
序曲ではあるが、やはりここではベートーヴェンの魂を聴きたかった。
これはVPO等西欧の一流オケとの組み合わせでないとムリなのか。

407korou:2022/12/01(木) 12:08:43
(エーリッヒ・クライバー④)
〇ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」作品125
 エーリヒ・クライバー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン楽友協会合唱団
  (S)ヒルデ・ギューデン (A)ジークリンデ・ワーグナ (T)アントン・デルモータ (Bs)ルートヴィヒ・ウェーバー 1952年6月録音

これも、もっと音質が上質であったならあ
間違いなく歴史的名演として語り継がれたであろう演奏だ。
音がデッドで潤いがなく、トスカニーニの演奏と同じ悲劇に陥っているのが
かえすがえすも残念。
そんな貧弱な音からもクライバーの指揮の素晴らしさを垣間見ることはできる。
特に、強音でのアタックの的確さと、弱音でのニュアンスの美しさを
両方とも最高レベルで聴かせてくれるのだから
こんな指揮者は他には居ないのだ。
第3楽章のスムーズな展開も見事だが
第4楽章のテンポの自在さ、見事さには舌を巻く。
この音楽はこういうテンポで弾かれるべきなのだと
改めてベートーヴェンの音楽の魅力を知った思いだ。
でもねえ・・・この音質じゃ繰り返し聴こうという気になれない。
本当に残念。

408korou:2022/12/02(金) 14:29:04
〇プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 Op.26
 (P)サンソン・フランソワ:ヴィトルド・ロヴィツキ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1963年6月27日~29日録音

映画「蜜蜂と遠雷」を観て、この曲のことを知り
ユンク氏サイトで調べると、
何とフランソワのピアノによる演奏がアップされているではないか!
さっそく聴いてみた。
曲がアピール度高い曲調のせいなのか
それとも、フランソワの幻想的なタッチが素晴らしいのか
聴いていて全然飽きないのには驚いた。
初めて聴く、しかもプロコフィエフの曲だというのに。
心の奥深くに沁み入るような曲ではないが
ピアノという楽器が備え持つ聴き映えのする音色、音質、音量が
最大限に生かされているような曲で
さらにフランソワの天才が華やかさまでも感じさせるのだ。
思わぬ拾い物。

409korou:2022/12/03(土) 14:37:22
(エーリッヒ・クライバー⑤)
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95(B.178)「新世界より」
エーリヒ・クライバー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 1929年録音

今から100年近く前の1920年代の録音なので
音質からしてあまり期待はしていなかったが
想像以上に良い音で驚かされた。
演奏は、まさに旧時代というべきか
古き良き時代の自由な演奏で
当然、今のレベルで聴けば
好き嫌いは分かれるような感じだ。
個人的には
やはり後年のクライバーのほうが好きである。

410korou:2022/12/03(土) 14:53:16
(エーリッヒ・クライバー⑥)
チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36
エーリヒ・クライバー指揮 NBC交響楽団 1948年1月3日録音

クライバー父でもこんな演奏をしていたのかという驚き。
スムーズに楽想が展開され、全くムリがないスタイルと思っていたが
このチャイコフスキー「第4」は
(第3楽章を除いて)時代がかったテンポの緩急の連続だ。
全体に録音状態は良く(ユンク氏によれば素人のラジオからの録音と推定されるが)
NBC響もさすがの上手さを聴かせているのだが
ここまで(現代の感覚で言えば)不自然にテンポを動かされると
もうついていけない。
クライバーの天才でああれば
普通にやってくれれば
恐らく申し分ない名演が記録されたはずなのだが。
そこは戦後アメリカという国、時代が為せる業なのか
クライバーはアメリカ人向けの軽薄なスタイルで
このライブをこなしたのだろう。
同時代のワルターが、一切の細かい表現、ニュアンスを省いて
直線的な表現でアメリカの聴衆向けに演奏したように。
その意味で残念でもあるけれど
その後、ヨーロッパに戻ったクライバーが
再び元の巨匠に戻ってくれたことは
ある意味奇跡なのかもしれない。
ワルターが晩年にアメリカスタイルを破棄して
ニュアンスに富んだ名演を残してくれたのと同様に。

411korou:2022/12/04(日) 16:12:27
(エーリッヒ・クライバー⑦)
ウェーバー:交響曲第1番ハ長調 Op.19
エーリッヒ・クライバー指揮 ケルン放送交響楽団 1956年1月録音

寝ながらスマホで聴いたので、今までとは密度の違う鑑賞方法だが
今後はそういうのも含めて感想を記す予定。
曲に馴染みがなく、かつ傑作というわけでもなさそうなので
そういう方法でラクに聴いてみた。
で、なんとも感想を書きようがなく
クライバーの仕事としてこういうのもあったのだなという程度。
やはり、もう少しクオリティを感じられる楽曲でないと・・・

412korou:2022/12/04(日) 16:29:37
(エーリッヒ・クライバー⑧)
スメタナ:「我が祖国」から「ヴィシェフラド(高い城)」
エーリヒ・クライバー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 1954年11月録音

録音状態はE・クライバーの演奏にしては良好な部類。
ただし、ライブだけに、そのときのクライバーの感情があふれ出る場合も多く
これは特にその即興性が最も現れた演奏と言えよう。
こういうのを当時のレベルの録音で採音して後から楽しむというのは
鑑賞のやり方として不適当極まるのかもしれない。
それ以上に、このスメタナの素朴な味わいの楽曲を
ここまで崩して演奏する意義は
少なくとも現代の感覚では見出すことはできないように思うので
結構疲れる鑑賞にもなった。

あと、E・クライバーの演奏としては
リスト「前奏曲」、ワーグナー「管弦楽曲集」があったが
どちらも音質が酷く、聴くに堪えない。
ベートーヴェン「運命」は、ユンク氏収録分は、キーが半音高いのでパス(素晴らしい演奏であることは言を俟たないが)。
ということで、⑧で最後になる。
収穫は「田園」の名演ということになるだろうか。
もっと、モーツァルト、ベートーヴェンのシンフォニーで
音質良い状態のものを聴きたかったが
これも戦争によってドイツ民衆の心がねじ曲げられてしまった報いだろう。
録音の機会さえ奪われてしまったクライバー。
彼が責められる理由は何もない。
芸術家はそれで良いのである。
とはいえ、ドイツの人たちの気持ちも分かるので
なかなか一言では片づけられない深い問題でもある。

413korou:2022/12/04(日) 17:02:40
(クリップス①)
ハイドン:交響曲第94番 ト長調 Hob.I:94 「驚愕」
ヨーゼフ・クリップス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1957年9月録音

今日はE・クライバー鑑賞を終了したので
クリップスについては後日と思っていたのだが
ちょっとだけ確認のつもりで聴き始めたハイドンが
想像以上に素晴らしくて止められず
最後まで聴いてしまったという次第。

ハイドンは、ナクソスで探してもこの50年代の演奏しかないので
これはユンク氏で全チェックすべきだと思ったが
2曲だけだからすぐ済みそう。
とにかく、リズムが良くて聴きやすく
強引な解釈など一切なく
いかにも古き良き時代のウイーンを彷彿とさせる佳品となっている。
VPOも、これぞVPOという音色を奏でていて心地よい。
ハイドンをこんなに愉しく聴けたのは、いつ以来だろうかと思った。
★満点の演奏だ。

414korou:2022/12/05(月) 16:47:00
(クリップス②)
ハイドン:交響曲第99番 変ホ長調 Hob.I:99
ヨーゼフ・クリップス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1957年9月録音

スピーカーで聴いたのだが、それでも名演と分かる見事な演奏だった。
リズム、テンポ、各楽器の音のバランス、どれをとっても
並みの指揮者にはできない名人芸だ。
根底には、ワインガルトナーなどの19世紀の伝統を受け継ぐ
揺るぎない解釈、信念が感じられる。
これも★満点。

415korou:2022/12/07(水) 14:09:55
(ナクソスによる名盤チェック①)
アントン・ブルックナー
交響曲第7番 ホ長調 WAB 107 (1885年稿・ハース版)
北ドイツ放送交響楽団, ギュンター・ヴァント (指揮)

「ハルくんの音楽日記(以下「ハルくん」)」オススメの名盤ということで
いつか聴いてみないとと思っていたヴァントの指揮による演奏を初体験。
第1楽章は、念入りなヨッフムの味付けを再三聴いてきた耳には
ややあっさりめに聴こえるものの
低弦の響きが美しく、盛り上げるところは少しだけテンポを上げる巧さもあり
全く退屈しない。
第2楽章も、オーソドックスな解釈ながら
どこがどう違うのか分からないまま
これも全く退屈しない。
第3楽章は、誰が指揮しても同じような感じになるので
特に批評もしにくいが
第4楽章は、今までは様相を異にし、俄然造型を濃くした演奏になり
これは「第7」の後半の薄さを補う見事なまでの指揮ぶりで
本当に素晴らしい。
予想通り、いや予想とは若干異なるもののヴァント独自の世界も見せつつ
正統派のブルックナーを聴かせる手腕は
噂通りの名指揮ぶりだった。
こういう「第7」だったら、何度でも聴ける(マタチッチ、ヨッフムと同等。後半に関してはベストかも)

416korou:2022/12/07(水) 15:58:25
(クリップス③)
モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K.543
ヨーゼフ・クリップス指揮 ロンドン交響楽団 1951年12月録音

どの楽章も退屈せず聴かせてくれる。
とにかく、強音の響かせ方が素晴らしい。
モーツァルトはこうでないと、という模範のような演奏で
他の指揮者とは全然違う典雅さが伝わってくる。
第3楽章の見事な拍子の取り方などは名人芸だろう。
モノラル録音だが、十分にクリップスの芸術が堪能できる。
なお贅沢を言えば、ロンドン響が、後年のAC管のような美しさに欠けることだが
それでも、この時代のオケとしては最上の部類に属するので
文句は言えない。
まして、AC管の演奏はDLできないので
リピートして聴く分には
この演奏をもって最上としたい。

417korou:2022/12/07(水) 16:09:12
クリップスのモーツァルト「交響曲第31番”パリ”」は
同じ時期に同じレーベルで同じオケで録音にしたにもかかわらず
「第39番」とは段違いに音質が悪く
弦楽器がキンキンした音に聴こえる。
慣れてくると、必ずしもキンキン音質ばかりではないことも分かってくるが
どうしてもキンキンした音に聴こえる瞬間が何度も出てくるので
こういうのはしっかりと聴けない。
ということでパス。

418korou:2022/12/08(木) 15:15:56
(クリップス④)
・モーツァルト「交響曲第40番」(ロンドン響)
いかにモノラルとはいえ、デッカと思えぬほど音の広がりがなく
演奏もせせこましく、クリップスらしい良さは皆無。途中で止めた。
参考までにナクソスで後年AC管を振った演奏を聴く。
音質は想定通り良かったが、今度はあまりにおおらかな演奏で
ト短調の悲愴味が皆無。この曲はクリップスには向いていないのか。

・モーツァルト「交響曲第41番」(イスラエル・フィル)
これもクリップスらしい良さは皆無。
ナクソスでAC管の演奏を再確認。これは素晴らしい。かつて聴いて感動したときと
同じ感銘を受けた。これこそクリップス。
というわけで、ユンク君でDLも可能なクリップス指揮のモーツァルトの交響曲は
第39番だけということになった。

・ベートーヴェン「交響曲第4番」(AC管、ロンドン響)
AC管の演奏は1953年の録音で、この時期にしては抜群に音が良い。
しかし、さすがに1961年のロンドン響との演奏のステレオ録音の良さには勝てない。
演奏としては、ほぼ大差なく同じような出来映えなので
ここは録音の良さからロンドン響のほうを優先するのが妥当(AC管の各奏者の見事さも捨てがたいが・・)
とはいえ、何か物足りない。
何が足りないのかよくわからず、気になったのでフルトヴェングラー&VPOを比較試聴してみると
これは明らかにデモーニッシュが足りないのである。
モーツァルトとは違って、ベートーヴェンなので、これは不可欠。
しかし、逆に言えば、フルトヴェングラー以外にそこまで表現できる人は居ないわけで
「第8番」のようにフルトヴェングラーが名演を残していない曲については
クリップス&ロンドン響の演奏が、推薦盤第一候補となるわけである。
これは面倒でも、良いと思ったクリップスのベートーヴェンについては
逐一フルトヴェングラーなどの名演と比較する必要があるかもしれない。

419korou:2022/12/09(金) 17:03:13
(クリップス⑤)
ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調 作品21
クリップス指揮 ロンドン交響楽団 1961年1月録音

録音良し、オケ良し、指揮者良し、でかなり迷ったが
やはり強い音が聴かれない演奏なので
★9つ以上にはできない。
それでも、第1楽章の第2主題とか、第2楽章全体など
非常に流れの良い音楽が聴けるのは
さすがクリップス。

420korou:2022/12/10(土) 17:19:29
(クリップス⑥)
ベートーベン:交響曲第8番 ヘ長調 作品93
クリップス指揮 ロンドン交響楽団 1961年1月録音

第1楽章を聴いて、思ったほど感銘を受けなかったので
比較試聴としてイッセルシュテット、モントゥーを聴いてみたが
特にクリップス以上という印象はなかった。
自分の感性の問題かと思い直し
さらに第2楽章以下を聴いてみると
ソナタ形式ではないこともあって
リズムの美しさが、テンポの正しさが際立ち
やはり名演であるという確信に至る。
この第1楽章は難題で
これを気持ちよく演奏してくれる指揮者など
今まで存在したことはないのではないか。
それを踏まえて、第2楽章以下の名演は
★満点に値するだろう。
(クリップスのこの演奏はユンク氏サイトにあったので、それがないという錯覚で記したエクセル表を修正)

421korou:2022/12/10(土) 17:29:03
(クリップス⑦)<mp3のみ公開の音源>
ハイドン:交響曲第104番 ニ長調 Hob.I:104 「ロンドン」
クリップス指揮 フィルハーモニア管 1962年録音

mp3のみの公開なので、しばらく気付かなかったが
他のハイドンのmp3を探しているうちに発見して
即DLした音源。
やはりクリップスは、ハイドンのシンフォニーのスペシャリストと
言ってよいのではないか。
モーツァルトのような難しい音楽を
AC管で見事に演奏したのは
ある意味奇跡に近い快挙であり
1960年代までの演奏だと
そこまでのクオリティには達していないので
本来の資質という意味で言えば
クリップスの本領はハイドンの音楽と言えるのではないか。
フィルハーモニア管の弦の響きもベストで
これなら、どうしてもVPOでなければという考えも
生まれてこない。
よくぞこういう組み合わせでハイドンの演奏を企画してくれたものだ。
感謝する他ない。

422korou:2022/12/11(日) 14:56:47
(クリップス⑧)
シューベルト:交響曲第7(8)番ロ短調 D.759「未完成」
ヨーゼフ・クリップス指揮 ウィーン祝祭管弦楽団 1962年6月3日録音

悪くはないのだが、★満点に近い出来かと言えば、そうではない。
もっと何回か聴かないと、正体が分からない演奏でもある。
そもそもオケが覆面された名称なので、そこからしてミステリアスであるが
妙に巧いところを見せたかと思うと、案外雑な感じの響きになったりするのが
まず不可解。
さらに録音に関していえば、かなりクリアではあるものの
音の所在が左右に揺れるようで不安定な感じがするのも
あまり体験したことのない特異さだ。
なんとも評価し難い妙な演奏で
結局、シューベルトの音楽を味わうまでに至らない。
今、イヤホンを止めてスピーカーで再生してみたが
音量も不安定、左右のバランスもおかしい感じは一緒である。
せっかくクリップスとウイーンのオケという組み合わせなのに
惜しいことである。

423korou:2022/12/12(月) 15:57:19
(クリップス⑨)
ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園」
クリップス指揮 ロンドン交響楽団 1961年1月録音

第1楽章の出だしの数秒で心を摑まれた。
これほどしっくりくる絶妙な「田園」の始まりは
かつて聴いたことがなかった。
その後も、いろいろな問題を含みながらも
全体として、冒頭の美しさを損なわないまま
終楽章まで一気に聴かせる名演となった。
問題といえば
ロンドン響の響きが一流ではあるけれども
うっとりとするほどの超一流とまでは言い難いこと。
これは、普段なら「さすがロンドン響、上手い!」と拍手を送るところだが
これだけのクリップスの名人芸を耳にすると
ついつい個々の奏者にも要求するところが最上級になってしまうからで
まあこれは仕方ないところ。
それから、やはり録音に雑な面があって
ダイナミックレンジが狭く、弦の音が近くに聴こえ過ぎる点が
最も残念な点なのだが
それは強奏のところだけの話なので
第2楽章などは全然問題なく聴こえる(ここは逆にソロの名人芸を期待するところだが・・・名人芸を要求することは
逆に音量は問題なく、名人芸が不要なところは音量の問題が存在する。厄介だが、決して致命的ではないので救われる)
全体として、細部のリズム、テンポはこれ以上のものはなく
その他の部分でE・クライバーとかモントゥーに軍配が上がるという感じか。
★9つの名演。

424korou:2022/12/13(火) 21:30:23
(クリップス⑩)
ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36
クリップス指揮 ロンドン交響楽団 1961年1月録音

随所にクリップスならではの表現があり
それなりに面白く聴けるのだが
全体に録音のクセが気になるのと
悲愴感が一切ない、純粋に音楽的に美しい演奏なので
ベートーヴェンに対する好みからいけば
残念ながら★9つ以上までには至らない。
しかし、こういうベートーヴェンもありかな、と
徐々に思わせてくれる演奏ではある。

425korou:2022/12/14(水) 14:18:20
(クリップス⑪)
ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」
クリップス指揮 ロンドン交響楽団 1961年1月録音

これも随所にクリップスの個性が認められる好演。
「英雄」もこんな風に聴くことができるのかという驚きがある。
ただし、これも同じことが言えて
録音がうるさ気味なのと
悲愴感の不足は否めず
定番となる演奏ではないのは確か。

426korou:2022/12/15(木) 11:38:25
(クリップス⑫)
ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67
クリップス指揮 ロンドン交響楽団 1961年1月録音

あたかもハイドンのシンフォニーを振るが如く
近代の自我など見向きもせず
古典派の交響曲として解釈したら
こうなりましたというような演奏。
さすがに、このアプローチで第1楽章を聴くのは
あまりに拍子抜けの感は拭えなかったが
それでも弱音の部分の表現に思わぬニュアンスが聴き取れたりするのは
クリップス鑑賞のご褒美のようなもの。
第2楽章は堂に入っていて、さすがと思わせるが
やはりここにも近代の自我は込められていたのだと
逆説的に思わせるのは
徐々に物足りなさを感じたからだった。
このあたりはE・クライバーと何かが違うのである。
第3楽章は思ったより巧みにこなしていて
さすがは名匠と感じ入ったものの
第4楽章は想定通りのハイドン流で
全くベートーヴェンを聴いている感じがしないので
(分かってはいるものの)かなりの拍子抜け。
クリップスにとってこの曲などは難題の一つであったに違いない。
そして、恐らく、その師であるワインガルトナーにとっても。
フルトヴェングラーの魔法が恋しくなるような演奏。

427korou:2022/12/17(土) 15:53:40
(クリップス⑬)
ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92
クリップス指揮 ロンドン交響楽団 1961年1月録音

第1楽章冒頭の序奏のテンポ、リズムともにピッタリで
気持ちのいい出だし。
そして、そんなベストな演奏なのに
徐々にベートーヴェンの音楽の本来の魅力から離れていってしまうのも
これまでのクリップスのベートーヴェンの演奏と共通だった。

最初は、あまりにスムーズに音楽が流れ過ぎるせいか
後半2楽章の大半で寝てしまい聞き逃してしまう。
後半だけ、もう一度聴き直すハメになる。

第3楽章は、フルトヴェングラーの演奏と好対照で
全くデモーニッシュな感じ、どうしたって起き上がって叫びたくなるような心の底からの感動というものが
全く感じられず、ひたすら音の響きだけ美しいハイドンのような演奏。
このまま第4楽章もこの感じで続くのかと、思いきや
第4楽章はベートーヴェンの音楽の底力が聴こえてきて
クリップスのような手法でもここまでデモーニッシュな感じを出せるのかと
改めて感動した次第。
特に、最後の追い込みのような部分で
音楽的にも美しい上に、さらにベートーヴェンの音楽の本質を突いた感動に至ったところは
本当に感涙するほどだった(クレンペラーの演奏で感じたそれに近い)。
こんな方向から登っていって、ちゃんと目指すべき山頂に到達したという驚き、発見、改めてのベート―ヴェンへの畏敬の念。
クリップスの「第7」は奇跡のフィナーレが印象深い演奏だった。
すべてがここで反転した。
★9つの演奏と評価したい。

428korou:2022/12/22(木) 11:42:20
(クリップス⑭)
ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」 作品125
クリップス指揮 ロンドン交響楽団 レスリー・ウッドゲート(合唱指揮)BBC合唱団
(S)ジェニファー・ヴィヴィアン (A)シャーリー・ヴァーレット (T)ルドルフ・ペトラーク (Br)ドナルド・ベル 1961

このとことずっとクリップスの指揮による演奏を聴き続けていて
この「第9」を聴いて悟ったことは
これは劇的な演奏スタイルが主流になる以前の演奏スタイルではないかということ。
聴いていて、細部にまで音楽が溢れている素晴らしい演奏なのだが
現代の劇的効果満点の演奏を聴き慣れた耳には
クライマックスでの盛り上がりとか、曲全体の構成を見通した造型とかの点で
いかにも物足りないという印象を受けてしまうわけだ。

でも、今の自分の嗜好で思うと
このスタイルはなかなか聴き心地が良い。
クリップスの良さは、ある程度クラシック音楽に馴染み
なおかつ年齢を重ねないと分からないのではないか。
聴き続けてやっと納得できる部分もあり
全体として(「自分にとって」という限定付きだが)最も好ましいベートーヴェンの演奏の一つ
ということが言える。
劇的要素皆無だと魅力半減する「第3」「第5」を除き
他の交響曲については、最初は★8つと思った演奏もあったが
すべて★9つ、あるいは★満点に修正したい。

429korou:2022/12/23(金) 14:10:47
(クリップス⑮)
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 変ロ長調 op.56a
ヨーゼフ・クリップス指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1963年6月1日録音

まさか、この曲を最後まで聴くとは思いも寄らなかった。
良い演奏に出会うと、いつもは聴き通せない曲でも
こうして聴けるわけだ。
どこがどうということもなく
ちゃんとメリハリが利いていて
必要な音は全部強調されているだけの話なのだが。
曲が曲だけに★9つとはいかないが
この曲に関しては、今のところ、この演奏がNo.1。
(今、これまでの推薦盤だったモントゥー&ロンドン響を聴いたが
 どこにも欠点はない代わりに、クリップスほどの渋い魅力もなかった)

430korou:2022/12/24(土) 15:03:59
(クリップス⑯)
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64
ヨーゼフ・クリップス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1958年9月録音

チャイコフスキーはモーツァルトっぽいところがあるので
いくらか期待しつつも
VPOがいまいちノリが悪いのではないかという不安もあり
どうなることかと聴いてみた。
結果は、期待したほどのハマり具合ではなく
特に第1楽章途中からのダレた感じは
VPOの仕業かとも思えたほどだったのだが
それでも第3楽章のワルツの美しさは絶品で
この細やかさで全体を通すには
やはり曲そのものに破たんがあるのでムリだったという
結論に至った。
全体としては★7つの特に高評価もナシということになるが
ところどころにクリップスらしい個性が光る表現があり
そこが聴きどころと言えるだろう。
なお、VPOの録音にしては、抜群に弦の響きが素晴らしく
これなら世界随一のオケの名に恥じない。
珍しくクリアで美しい音質だった。

以上でクリップスは終わり。
ベートーヴェンを過ぎるとクリップスの個性は生きてこなくなる。
しかし、ベートーヴェン以前の音楽で
これだけのニュアンスを途切れなく伝えてくる演奏は
ステレオ録音の時代にといて唯一無二だろうと思えた。

431korou:2022/12/27(火) 11:32:54
(クレンペラー 1)
ハイドン:交響曲第100番 ト長調 Hob.I:100 「軍隊」
オットー・クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1965年10月録音

立派な演奏である。
退屈せずに聴ける点でクリップスと双璧とも言えるのだが
残念なことは愉しさが足りないということ。
クレンペラーにそれを求めるのは無意味なお願いなのだが
それにしても、あらためてクリップスの何気ないリズムの取り方とか
テンポの設定とか、いかにもウイーン情緒に満ちていて素晴らしかったのだと思う。
多分、ワルターもそうだろうと思うが
この時代に生まれた指揮者は
普通にハイドンの曲を指揮して
この程度のレベルの演奏など普通にできるのだろうと思ったりする。
その意味で、ハイドンはより身近に感じられるようになった。
自分の嗜好の変化もあるのだが。

クレンペラーはオールマイティな指揮者なので
順番に聴くというよりは、その日の気分に合わせて
まとめて聴いていきたいと思っている。

432korou:2022/12/29(木) 18:44:08
やはりクリップスを聴きたくなり、ナクソスで物色。
結局、ロイヤル・コンセルトヘボウ管を指揮したシューベルト「グレイト」を聴く。
音質はまあまあで、ステレオ感には乏しいが、特に問題のないレベル。
演奏はさすがで、クリップス&AC管は無敵の組み合わせだと改めて思った。
この曲には、今のところ決定盤がないので、意外とこの演奏がベストかもしれない(エクセルを修正)

433korou:2023/01/03(火) 18:13:53
1/2 ”定期巡回”に追加した「クラシックCD聴き比べ(以下「聴き比べ」)」で知ったニールセンの交響曲について
まず推薦されていた「交響曲第1番」(トマス・ダウスゴー&シアトル響)を聴く。
グリーク、シベリウスに似た北欧調の風味が味わえたが、案外あっさりとした感じで聴きやすい。

1/3 ユンク氏サイトで、ニールセン作品で唯一アップされている「交響曲第5番」(バーンスタイン&NYP)を聴く。
当方の体調がイマイチなせいもあり、途中で何度も寝てしまい記憶が飛んでしまう。
なかなか難解な曲でもある。

434korou:2023/01/04(水) 16:34:23
本日も「聴き比べ」推薦のニールセン「交響曲第3番」、コリン・デイヴィス指揮ロンドン響の演奏を聴く。
前半はうっかり寝過ごしてしまったが、退屈というより心地よい響きということで。
後半2楽章からしっかり聴いた。
予想通りロンドン響のくすんだ響きが、どことなく北欧の香りが漂うニールセンの音楽にピッタリ合う。

435korou:2023/01/06(金) 21:11:04
(ナクソス)ストラヴィンスキー「火の鳥」 アバド指揮ロンドン響

久々に「火の鳥」を聴く。
やはり曲の細部までいろいろな思いが残っていて胸がいっぱいになる。
アバドの指揮は、いつも通り冷静で客観的。
どこを切ってもアバドの個性は消されていて
ひたすらストラヴィンスキーの音楽だけが迫ってくる。
これはこれで大指揮者の芸風というものだろう。
こういう曲だと、あまり指揮者の個性が強すぎる場合
逆効果になることもあるのだが
アバドにはその心配は一切ない。
再生回数No.1は納得。

436korou:2023/01/07(土) 17:18:30
今回は、「聴き比べ」推薦と同等の演奏でチャイコフスキーとベートーヴェンを聴いた。いずれも「ナクソス」から。

〇チャイコフスキー「交響曲第4番」(スヴェトラーノフ指揮 ソヴィエト国立響)
ムラヴィンスキーは”天才の名演”、スヴェトラーノフは”凡才の名演”と
「聴き比べ」管理人さんが評されていたが
まさにその通りで名言だ(「聴き比べ」で評された演奏そのものではないのだが・・)
出だしからトリッキーなところが一切なく、しかも音色に憂愁がこもり、
いかにもロシアらしい雰囲気が漂うところが素晴らしい。
たしかにムラヴィンスキーのような圧倒的な魅力はないのだが(ゆえにファーストチョイスにはなり難い)
それでも、ずっと聴いていたいという気持ちにさせられる佳演である。
(続く)

437korou:2023/01/07(土) 17:20:10
〇ベートーヴェン「交響曲第3番」(テンシュテット指揮 北ドイツ放送響)
フルトヴェングラーを連想させる東ドイツ出身の奇跡の指揮者と言われたテンシュテット。
1970年代になって西側に亡命し、数年後には米国で圧倒的な成功を収め
いきなり世界有数の名指揮者として名を馳せた。
しかし、1980年代の終り頃から体調不良になり、1998年に死去、つまり
世界的な名声はわずか10年ほどで終わったわけだ、
以上のことは、今、Wikiで調べて知ったが
道理で自分は全くその活躍を知らないわけだ。
NHKFMのクラシック番組でのライブ中継については
ヨーロッパの音楽祭を中心に放送されていたが
Wikiの記述によれば、テンシュテットは欧州のオケとは折り合いが悪かったということなので
その頃にテンシュテットに熱狂した日本のファンは
来日時と、時々発売されるCDを買い求めることにより
その存在を知り、その中から神格視するファンが現れたということなのだろう。
考えてみれば、カルロス・クライバーもその全盛期は短かったし
その意味で70年代後半から80年代にかけての”幻の2大指揮者”と言えるのかもしれない。
この演奏に関しては、さすがにフルトヴェングラーを比較するのはムリだが
音の意味深さ、次第に造型を深くしていくトータルな音楽の大きさなど
確かに、この時期に活躍した指揮者のなかでは、圧倒的に深い演奏をしていたと
認めざるを得ない(「聴き比べ」ではザルツブルク音楽祭での演奏が推薦されていたが、これはその2年前の演奏)。
定評のあるマーラーも聴きたくなってきた。

438korou:2023/01/09(月) 21:22:25
クレンペラーと並行してテンシュテットも継続して聴いてみたくなった。
断るまでもなくすべてナクソスでの視聴。

(テンシュテット②)
・ワーグナー「ニュルンベルグのマイスタージンガー前奏曲」
ロンドン・フィルとの演奏。
フルトヴェングラーと比較するわけにはいかないが
曲が進行するにつれて、確かな音楽の燃焼が聴かれるところは
確かに彷彿とさせるだけのことはある。
ワーグナーにしては健康過ぎるので、思ったほど感銘は受けなかった。

・マーラー「交響曲第6番」第一楽章
ロンドン・フィルとの演奏(最後の録音っぽい)
聴き馴染みがないので断言はできないが
バーンスタインと双璧の中身の詰まったマーラーのように思った。
一つ一つの音に説得力がある。

439korou:2023/01/10(火) 16:10:28
(クレンペラー 2)
・今回は、モーツァルト「ジュピター」、フィルハーモニア管で1962年の録音。

さすがにモーツァルトを晩年のクレンペラーで聴くと、いかにも重たい。
リズムの軽やかさ、爽やかさなど微塵もない。
要するに、モーツァルトを聴く演奏ではなく、クレンペラーを聴く演奏なのだ。
フルトヴェングラーの演奏は、ほぼすべて、すでにそういう意味合いになってきているが
クレンペラーの場合は、ことモーツァルトに関しては
今やそういう意味合いの演奏になってきているということなのだろう。
そう思えば、最初から意味深い音の響きが好ましく聴こえるし
どうしてもモーツァルトを味わいたいときには
残念な演奏ということになってしまう。
それでも、最終楽章だけは
もともと爽やかさとか軽快さなどとは無縁の音楽なので
その重厚な響きには圧倒される。

440korou:2023/01/11(水) 17:18:36
ふとチャイコ「第4」を聴きたくなり、ナクソスで物色。
ザンデルリンクあたりが、いかにもロシア風な音色を醸し出しているのではないかと見当をつけ
1956年にレニングラード・フィルを指揮した演奏を聴く。

出だしから期待通りの仄暗い音色。
それでいて、そこはかとなく哀愁も漂う見事な演奏。
途中で、ユンク氏サイトにも同じものがアップされているのに気付き
そちらでも聴いてみて同じ音質だったので、そちらへチェンジ。

全体としてムラヴィンスキーに調教?された
厳しささえ感じさせる完璧なアンサンブルなのだが
そのなかにさらに気持ちを込めた表現が入り込んでいて
知情意一体となった演奏は
むしろムラヴィンスキーをも凌駕しているのではないかと思えるほど。
ムラヴィンスキーの「第4」は完璧なのだが
非常に細かいところで小さな違和感も感じられ(それは”哀愁”の不足なのだろうか?)
それが、このザンデルリンクの演奏だと、気持ちよく流れていくのである。

チャイコ「第4」はこの曲を推薦盤としたい(ムラヴィンスキーは、やはり残しておいて同格とする)
ユンク氏サイトからのDL候補にもリストしておこう。

441korou:2023/01/12(木) 14:37:34
今日は「聴き比べ」から、モーツァルト「ピアノ協奏曲第17番」を聴く。
いくつか紹介のあったなかから、評価を高くしていたツァハリアスのピアノ、ネヴィル・マリナー&シュトゥットガルト放送響で聴いた。
久々に聴くモーツァルトの「ピアノ協奏曲」だったので、最初は耳に新鮮だった(初めて聴く曲にもかかわらず)。
しかし、第2楽章のゆったりとした流れで思わず眠気に誘われ、第3楽章途中からやっと頭が冴えてくる始末。
演奏はかなり良い部類のように思えたが、肝心の自分にそれを味わう能力がない。
残念!

442korou:2023/01/13(金) 14:09:20
今日は、無性にベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」を聴きたくなり
ユンク氏サイトで、バックハウス(P)、イッセルシュテット&VPOという定番にした。
「ハルくん」サイトで推薦されていて、今更ながら再確認。
相変わらずイッセルシュテットの指揮は、表面的な面白さなど一切関知せず
ひたすら真摯で誠実な音を聴かせる。
そこには思わず人を魅了してしまう狂気のようなものが感じられないので
自分の嗜好とはズレがあるのだが
これを立派な演奏と言わずして他に何があるだろうかと言わざるを得ない、
バックハウスは、豪快に弾いても何とかなるはずなのに
極めて繊細に、タッチに十分な注意を払いつつ丁寧そのもので弾いている。
指揮者ともども、いやオケも含めて
プロの演奏の極致のように思える。
好みではないが、認めざるを得ない演奏。
そして、何よりも優れているのは
この演奏がベートーヴェンの音楽そのもので
そういう音楽を聴きたいときに
完璧に満足させてくれることに尽きる。
ここでは、バックハウスもイッセルシュテットもウィーン・フィルも
その存在を消して、ひたすらベートーヴェンの音楽を聴かせてくれている。

443korou:2023/01/14(土) 15:19:15
本日は、ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」、当然ながらナクソスで。
「ハルくん」サイトでは、断然ムラヴィンスキーだったので、レニングラード・フィルとの演奏を探すが
これも当然ながら2種類しか音源がない。
片方は1965年のライブ、もう片方は年代不明で、「ハルくん」サイトと照合のしようがない。
音質というか、ダイナミックレンジは圧倒的にライブのほうが優れているので、それを聴くことに。
チャイコフスキー同様、冒頭からロシア臭に染まった完璧な音色で、さすがのムラヴィンスキーだが
細部の仕掛けはオーソドックスで、ある意味安心し過ぎて眠たくなる演奏でもある。
かつて推薦盤にした”ルドルフ・バルシャイ&西ドイツ放送交響楽団(ケルン放送交響楽団)”の演奏は
これと比較してどうだったのか、もう記憶の片りんもないが
また確かめてみるのも一興か。
あまりに立派過ぎる演奏も退屈するという典型だった。

444korou:2023/01/14(土) 15:27:46
「パ」ルシャイではなく「バ」ルシャイでした・・・検索しても出てこないので
どうやって聴いたのか不思議だったが、単なる見間違い(濁点と半濁点はPCだと区別し難い!)。
今さわりだけ聴いて、大人しい丁寧な演奏という印象。
「ハルくん」サイトでは、廉価盤で演奏もオーソドックスなので初心者にオススメとあり
ただしロシア臭は皆無、金管に迫力がなく最後は息切れ気味という評価。
まあ、かつての自分の記述を確認すると
曲自体にあまりに馴染みがあり過ぎ、凝りが出過ぎて、どの演奏が良いのか分からなくなっていたようなので
これはもう一度ちゃんと比較試聴する必要がありそう。

445korou:2023/01/16(月) 15:06:30
本日は、イヤホンによる耳の疲労軽減のため、ヘッドホン使用で視聴。
まず、レヴァインのホルスト「惑星」で音質試しをした後
同じくレヴァインの指揮、メトロポリタン歌劇場管弦楽団による
ストラヴィンスキー「春の祭典」を聴く。

しかし、ヘッドホンでも耳への圧迫感はあって
ある意味熱がこもってしまう悪弊すらあることも判った。
演奏は、良くもなく悪くもなく・・・まあ「春の祭典」でそんな感想になるのだったら
あまり良い演奏でもないのだろう。

やはりイヤホンで節制しながら聴くに限る。

446korou:2023/01/18(水) 13:13:46
今日は、まず、フルトヴェングラーのベートーヴェン「第4」(1943年録音)を聴く。
戦時中の緊迫した雰囲気がそのまま演奏にも表れていて
これこそベート―ヴェンがこの交響曲に込めた”内面的な力”を表現し得た稀有の演奏と言ってよい。
どこにも違和感がなく、「第4」が偶数交響曲という先入観を吹き飛ばす本当の名演だ。

やはり、ベートーヴェンは「第3」「第4」「第5」が異次元で
「第6」から以降は再びハイドンの世界を継承する形に戻ったと考えるべきだろう。
そう思えば、クリップスの「第7」「第9」の快演も、さもありなんということだ。

447korou:2023/01/18(水) 15:26:59
次に、クリップス指揮ロンドン響でベートーヴェン「第5」の前半を聴いた。
思ったよりも違和感なく、ここ最近クリップスの創る音楽性に自分の頭が慣れてきているのが分かる。
ベートーヴェンを全集で聴くならクリップスだろう。

448korou:2023/01/19(木) 15:41:57
・クリップスの「エロイカ」を再聴。
 今度はすんなりと入った。
 もちろんベストチョイスではないが、愛聴盤だ。

449korou:2023/01/26(木) 11:36:24
本日は、「聴き比べ」で推薦のモーツァルトを聴く。

「ピアノ協奏曲第17番」を、ツァハリアスのピアノ、マリナー指揮のシュトゥットガルト放送響の演奏で。
モーツァルト中期の傑作というべきか、たった1年で6曲ものピアノ協奏曲を作曲していて
しかもそのうちの3曲は1カ月以内で書き上げているのだから
何という天才というべきか。
曲調は淡いタッチで、印象はひたすら可愛い感じのピアノ曲。
マリナーにはぴったりな曲調で、ツァハリアスのピアノの軽やかなタッチも曲によく合っている。
全くストレスなくBGMのように聴けた。
若い頃にはこうした軽やかすぎる音楽は避けていたのだが
やはり、この年齢になると、こういう曲も好ましく思えてくる。
演奏がベストなのかどうかなどという詮索もしなくて良いように思える。

450korou:2023/01/28(土) 11:35:15
〇ベートーヴェン「コリオラン序曲」(スピーカーによる鑑賞)

ユンク氏にはフルトヴェングラーの戦時中の録音しかなかったので
ナクソスでよく聴かれる盤を探し、そのなかからテンシュテット&ロンドン響の演奏を聴く。
1992年の時点でこれほど重厚に演奏し得たテンシュテットのタクトには敬意を表さざるを得ない。
これならベートーヴェンの音楽とちゃんと認識できる。

そして、ワルターを探すが、コロンビア響とのあの名演は無かった。
仕方なく戦前の録音を聴いたのだが、これも偶然ながらロンドン響の演奏。
音質は予想通りのレベルだったが、演奏は極めてスピーディで
それでいて音楽の悦びにあふれているのは、さすがワルターだ。
コロンビア響との演奏で感じた真摯さ、真剣さ、誠実さといった要素は
音質の関係で感じることはできないが
それ以上に古き良き時代に巨匠として君臨し得た時代の演奏として
印象深いものがあった。

テンシュテットもワルターも上質な演奏であり
「コリオラン」を味わうのに十分なクオリティだ。

451korou:2023/01/28(土) 13:44:21
〇ベルリオーズ「幻想交響曲」(スピーカー視聴)

マルティノン&フランス放送フィル(ORTF)の演奏を推薦盤にしているのをふと目にして
再び聴いてみることに。
スピーカー視聴ではあったが、弦の分厚い音色、テンポの確かさなど
聴くべき箇所は多かった。
かつてイヤホンで推薦盤にした演奏を
スピーカーで聴き直す作業にとりかかろうかと思い始めている。

452korou:2023/01/28(土) 15:46:44
スピーカーによる再チェック①
・ベートーヴェン「交響曲第1番」 ワルター&コロンビア響
文句なし。スピーカーで聴いても聴きやすい。

・バッハ「管弦楽組曲」「ブランデンブルク協奏曲」 コープマン&アムステルダム・バロック管
バッハは、スピーカーで聴くと実に堅苦しく聴こえる。イヤホンでギリギリ推薦盤か?

453korou:2023/01/29(日) 16:49:27
スピーカーによる再チェック②
・ベート―ヴェン「交響曲第4番」 フルトヴェングラー&VPO
やはり本当のベートーヴェンを味わおうとすれば、この演奏しか考えられない。
どこを切っても血がにじみ出るような生命に溢れた演奏。
今、その直後にクリップスの演奏を流しているが、これはハイドン直系の音楽としての演奏。
クリアで明晰なベートーヴェン。
気分次第で使い分けよう。どちらも名演だ。

454korou:2023/02/09(木) 14:17:48
スピーカーによるチェック①
(ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73&大学祝典序曲 ハ短調 作品80
 ヨーゼフ・クリップス指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 1960年5月~6月録音)

これは初めて通して聴いたので「再チェック」ではなく「チェック」。
最初のうち、あまりの録音の貧弱さに大いに失望させられるが
次第に慣れてきて、このオケをこの杜撰な録音態勢で聴くのだから仕方ないという気持ちになる。
クリップスの指揮は、決して音を汚く鳴らすことなく、典雅に美しく響かせることに専念していて
いつものごとくテンポの設定にミスがない。
よってどこまでも気持ちよく聴くことができる。
ある特定の曲に飽きたとき
再びその曲を生彩溢れるイメ―ジで聴きたいと願うなら
これ以上のものはないだろう、という趣きの演奏だ。
何度も繰り返し聴く愛聴盤とはならないが
そういう意味では貴重な必須の演奏の一つではある。

455korou:2023/02/10(金) 14:58:17
・ザンデルリンク&ベルリン響 ブラームス「交響曲第1番」 ※音源・・ナクソス、手段・・イヤホン 推薦・・ハルくん

「ハルくんの音楽日記」での推薦盤は、同指揮者のドレスデン・シュターツカペレのもので
今発見したばかりだが、このベルリン響との演奏は、その演奏から10数年後の1990年発売のものらしく
これについては、ドレスデン盤とは比較にもならない残念な演奏という評価になっていた。
そうとは知らず、ドレスデン盤より前の演奏かもしれないと期待を込めて聴き始め
さすがに第1楽章のかなり遅いテンポには驚かされたものの
すぐに慣れて名演奏の予感さえしてきた。
第4楽章になって、主題の提示部の美しさには目を見張るものがあったが
そこから後は案外職人技に徹した淡々とした盛り上げだったので
さすがにベストの演奏とは言えない感じとなった。
そして、今、ベルリン響との演奏を評価したハルくんの文章を目にして
評価としては、推薦盤まで届かずといったところで落ち着く。
ただし、教会での録音状態が素晴らしいというハルくんからの情報には納得。
ベルリン響の特色でもある曇った音色はもちろん
ザンデルリンクの眼力により、その音色に芯の通った強さが加わり
ブラームスに適した美しい響きになっているのが最大の魅力と言える。
ブラームスを音色と落ち着き(遅めのテンポ!)で楽しみたいときに
この演奏は最適と言える。
迫力と言う点で、さすがに職人技だけは処理し切れない「何か」が
この曲には存在しているので
その意味では適していないのだけれど。

456korou:2023/02/13(月) 14:26:28
・クリップス&ロンドン響 ブラームス「交響曲第4番」 ※音源・・ナクソス、手段・・イヤホン

ブラームスの交響曲をいろいろ物色しているうちに
またまたクリップスに落ち着いてしまった。
これも聴きやすい演奏。
1950年録音の割には音はクリアで
クリップスもまだ若い頃なのに
すでに十分渋い。
期待通りの演奏で堪能。
またDLしなければ。

457korou:2023/02/24(金) 14:42:24
・ドボルザーク「交響曲第9番」 アンチェル&チェコ・フィル(多分1961年) ※音源・・ナクソス、手段・・スピーカー

ハルくんサイトで「新世界」のベスト盤を探すと、上記アンチェル盤ということになり
おそらくナクソスのアンチェル盤もそれだろうと推測、さっそく聴いてみた。
全部通して聴いてみて、第1楽章の音量がやや小さめだったので、以降ボリュームを上げて聴くことにした(スピーカー試聴ならでは)。
演奏は、アンチェルらしい端正で厳しさのなかにハッとする静けさを湛えた佳演と言ってよい。
特に第3楽章のメリハリの効いたタクト、ティンパニの美しい張りのある音とか
第2楽章の微妙なテンポの揺らし具合などは、まさに名人の棒さばきだろう。
とはいえ、自分としては、これをもってベスト盤とはし難いのである。
まさに好みの問題で、今はこういう引き締まった筋肉質な演奏はベストではなく
もう少しゆったりとした演奏が好みなので、これは仕方ないところだ。
アンチェルはアンチェル、今までどおり敬意は変わらない。

458korou:2023/02/26(日) 10:35:59
・ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」 ケンプ(p)、ライトナー&BPO(1961年) ※音源・・ユンク氏、手段・・スピーカー

たまたま聴いて、ライトナーの安定した指揮とBPOの美しく重厚な音色を堪能しつつ
相変わらずのケンプの無双ぶりに微笑んでしまった。
ケンプは批評なんかできないピアニストなのである。

こういう耳に馴染みのある演奏をスピーカーで聴いてみて
今までイヤホンで作成してきた名盤リストを
この耳に支障をきたしてきているかもしれないこの時期にこそ
スピーカーで聴いた印象で再度名盤リストを作成するという試みを
やってみたら面白いのではないかと思うようになった。
それをあえてレコ芸の「名盤500」のほうでやってみて
それが終わったら
今度は「名盤500」と「名盤300」との差について(つまり「名盤200」)
イヤホンで再チェックということにすれば完璧かもしれない。

というわけで「名盤500」を
すでに500に達しようかとするこのスレでやり始めても中途半端になるので
「名盤500」専用スレを新規に立ち上げることにした。
(それでも収まりきらない可能性は高いが、まあやってみよう)

459korou:2023/03/02(木) 14:57:50
こちらでは、名盤500に関係なく、普通に好きなように聴いて好きなように書くことにする。

チャイコフスキーを聴きたいと思っているところへ
「聴き比べ」サイトがヴァイオリン協奏曲を連載し始めたので
それに従い、まずムローヴァを聴く(ナクソス。サポートは小沢征爾&ボストン響)。
悪くはないが、特徴もない。何よりも感情が伝わってこない。

そこでオイストラフをナクソスで聴く。
が、意外と響いてこない。
チョイスを誤ったのか、ナクソスには良いものがアップされていないのか、それとも自分の耳が・・・

ナクソスにはなぜかハイフエッツの演奏が1つもない。
よって、ユンク氏サイトでハイフエッツの演奏を聴く(ライナー&シカゴ響のあの名盤)。
これには驚いた。昔聴いたときよりはるかに印象が良い。
音量も高めで(スピーカー試聴でも)聴きやすく、もちろん技巧面は最高で
かつ、これだけドライに弾きまくっているのに、どこかしらスラブの香りが漂い
いかにもロシア音楽を聴いている至福に包まれる。
第2楽章のみ、もう少しスラブ臭が欲しいとは思ったが、大した不満でもない。

460korou:2023/03/04(土) 14:53:22
ユンク氏サイトの今日のリスニングルームが
フランソワのベートーヴェン「月光」だったので
興味津々聴いてみた。

フランソワらしい幻想味あふれる怪演。
こういうベートーヴェンも面白い。
フランソワのベートーヴェンなど聴きたくない人には
まさにその通りで聴く必要などさらさらないが
自分のようなフランソワ信者には
最高の演奏のように思われた。

また自分の推薦盤のギレリスとの比較試聴もしてみたい。

461korou:2023/03/31(金) 17:09:31
ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」を聴きたくなり(聴き比べサイトの影響?)
ナクソスで再生回数最多のものを検索したら
やはり・・・佳織さんだった。
聴き比べサイトでの評価も高かった2007年盤でもあったので
久々に村治さんの演奏を聴く。

驚くのはオケの優秀さ。
スペインのガリシア交響楽団、指揮はペレスという人で
全然知らないオケと指揮者だが
第2楽章冒頭の木管の響きなど
思わず涙が出るほど上手い。
そんなオケの情感こもった演奏をバックに
佳織さんのギターはほどよく冷静に
かつ上品というか何というか
その美しくカワイイ雰囲気そのままに
軽快な音をかき鳴らしている。
ジャケ買いしたと正直に書いておられる「聴き比べ」管理人さんの心情は
実によく分かるし
そして、そんなミーハーな気持ちさえ裏切られるほどの佳演に
思わず「S」判定する気持ちもよく分かる。

やはり綿矢りささんと村治佳織さんは特別(音楽スレとは思えぬコメント)

462korou:2023/04/02(日) 17:53:37
再び、ロドリーゴ「アランフェス協奏曲」(完全に「聴き比べ」サイトの影響)

バルエコというギタリストの演奏が高評価だったので試聴。
確かに、出だしから独特のしっとり感があり好印象。
それにしても、第2楽章で木管が哀愁を帯びたあのメロディを奏でると
自然に涙腺が溢れてくるのはどういうことか。
以前は美しいメロディだとしか思っていなかったのに。
ドミンゴ指揮のフィルハーモニア管も見事なサポート。
そして、ロンドンのエアー・スタジオという録音ホールも素晴らしい。
これは必聴の名盤だ。

463korou:2023/04/09(日) 16:36:47
よくよく考えると、音楽ブログなんてやっていて歌謡曲っぽいものをいっぱい聴いているのに
その分野についてちょっとだけメモする時などで使えるスレッドが
この掲示板にはないことが判明!
ということで、クラシック音楽以外でもこのスレッドを使います(宣言!)

今回は、週刊ポスト(2023.4.9にチェック)の冒頭特集にあった「80年代シティポップ大特集」から
世界を席巻している楽曲・アルバムをメモ。

八神純子「黄昏のBAY CITY」
南佳孝「モンロー・ウォーク」
竹内まりや「REQUEST」、「プラスティック・ラブ」(竹内)
杏里「悲しみがとまらない」、「Remember Summer Days」(角松)
山下達郎「RIDE ON TIME」(山下)
大貫妙子「Mignonne」、「4:00A.M.」(大貫)
稲垣潤一「ドラマティック・レイン」(秋元・筒美)
松原みき「真夜中のドア〜Stay With Me〜」(三浦・林)
泰葉「フライディ・チャイナタウン」(荒木とよひさ・泰葉)
菊池桃子「Blind Curve」(秋元・林)「Mystical Composer」(佐藤純子・林)
杉山清貴とオメガトライブ「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」(康珍化・林)
大橋純子「テレフォン・ナンバー」(三浦・佐藤健)
西城秀樹「BEAT STREET」(吉田美奈子・角松)
吉田美奈子「夢で逢えたら」(大瀧)
濱田金吾「街のドルフィン」(及川恒平・濱田金吾)

(アルバム)
寺尾聡「Reflections」
大瀧詠一「A Long Vacation」
南佳孝「SOUTH OF THE BORDER」
大貫妙子「SUNSHOWER」
山下達郎「FOR YOU」

464korou:2023/06/12(月) 10:59:38
ストラヴィンスキー「春の祭典」が聴きたくなり、かつての推薦盤を確認したところ
メータ&(オーストラリアのオケ)なのに、
ナクソスで今確認したら、そのコンビでは抜粋しかアップされていないことが判明。
どういうことか分からないが、実際そうなので
かつてはともかく、現時点ではメータ&ロス・フィルの演奏を推薦盤とせざるを得ない。
ロス・フィルでの演奏も抜群で、メータの良さが十分に発揮できている。
(というわけで、エクセルの表も全部直しました)

465korou:2023/06/16(金) 15:12:52
ブラームス「交響曲第4番」を、ジュリーニ&VPOで聴く。
1989年の最晩年の指揮だけに
ゆったりとしたテンポで堂々とした音が聴かれる。
ハルくんの中では次点クラスの名演だが
自分としては、やはりもう少し力強くあってほしいし
その中に不思議なほど寂寥感も漂うかつてのシカゴ響との演奏のイメージが良いのだが
かといって、その演奏に感動した10代の自分と今の自分とは感性が異なるので
ナクソスでシカゴ響との演奏も少しだけ聴いたが、かつての感動は甦らない。
推薦盤のベーム&VPOにしても、これだけたっぷり聴いた後では
もはや耳がバカになっていて、今日はここまでということで。

466korou:2023/06/19(月) 15:17:28
ブラームス「交響曲第3番」を、ジュリーニ&フィルハーモニア管で聴く。
偶然だが、気の向くまま選んだだけなのに、結果として
同じ指揮者で同じ作曲家の交響曲になっていた。
スピーカー視聴したが
この曲はスピーカー視聴に向いている。
弱音部がほとんどなく聴きやすい。
演奏は、この曲に関してはこれ以上の名演は考えられないほど
自分の嗜好にピッタリである。
イヤホン視聴でも推薦盤だったが
スピーカー視聴も同様ということで
まだまだブラームスまで辿り着くまでどれだけの日々が必要なのか
見当もつかないが、
今のところそういうことになる。

467korou:2023/08/29(火) 17:04:20
2019.10.12〜2020.3.9  ユンク氏サイトによる指揮者総チェック(2020.2.18にとりあえず終了。以降はデータチェック)
2020.4.6〜2021.6.15  「レコ芸300選」による名曲名演奏チェック(2021.2.7にとりあえず終了。以降はデータチェック)
(この空白期間で、これから行う企画「名演奏再確認」と同等の作業を超名曲について行う)
2022.2.9〜2022.11.29  レコ芸推薦盤(1952〜1967)をチェック
2022.11.30〜2023.1.10  名指揮者徹底研究(E・クライバー、クリップス、クレンペラーとテンシュテットの途中で休止)
(この頃、イヤホン視聴に支障をきたすようになり、スピーカー視聴を試みるようになる。そして新企画立ち上げへ)
2023.2.26〜2023.8.29  スピーカー視聴により「レコ芸500選」名曲名演奏チェック
(各スレとの対応)
「音楽スレ」             〜2020.12.31(2021.1.3に再掲記事アップ)
「音楽スレ(2021〜 )」        2021.1.1〜  (このスレ。現在も継続中)
「音楽スレ(2023〜 「名盤500」準拠」  2023.2.26〜  (企画休止によりスレ凍結中)

ということで、「名盤500」準拠スレは休止。
以降は、このスレで、新企画「名演奏再確認」をスタート。

「レコ芸300選」での作業中に作成したExcelの表で「聴き馴染みのある曲」タブ記載の推薦盤について
再度視聴して感想を書くという企画。

初回はバッハからスタート。なお、エクセルの表を「クラシック名盤自選2023」に改名し、今までの500選のタブは未完のまま残し
新たに名演奏再確認タブを追加することとする。

468korou:2023/09/03(日) 15:39:17
バッハ 「管弦楽組曲」「ブランデンブルク協奏曲」「無伴奏チェロ組曲」

バッハについては、自分自身のクラシックギター演奏で身近とはいうものの
いざこうして鑑賞者として考えてみると
思ったよりも遠い距離になる楽曲であることが分かる。
肝心のリヒターの演奏にピンと来ず
ピリオド演奏ももっと縁遠く響き
結局、「管弦楽組曲」では強いていえばメニューヒン指揮の演奏
「ブランデンブルク協奏曲」だとシューリヒト最晩年の演奏(これは新たに知って思わぬ収穫だった)
「無伴奏チェロ組曲」なら、やはりyoutube(しかないのが残念!)で聴けるヨーヨー・マの演奏が
聴いていて一番良いということになるが
それでも、リピートして何度も聴く、日常的に普通にチョイスするというような音楽でないことも事実。

これは元のエクセルの表で「たまに聴く曲」に分類すべきもので
元の表を修正。

次はべートーヴェン。

469korou:2023/09/17(日) 14:43:40
ベートーヴェン「交響曲第1番」

(上記バッハの補足。推薦盤はコープマン指揮の古楽器演奏だったが、それぞれ上記の演奏に変更し、さらに区分も変更)
この演奏では、ワルター指揮コロンビア響を推薦盤としていた。
今回、ワルター、トスカニーニ、フルトヴェングラー、クリップスを比較試聴し
第1楽章については、さらにネルソンス、バーンスタインなども聴いてみた。
結局、細部の有機的な表現を楽しむとしたら
断然フルトヴェングラーなのだが
曲の性質上、常にそうした楽しみ方が可能なわけではないので
そうなるとワルター風の情緒豊かな表現のほうが好ましいわけである。
そして、さらに、誰が指揮してもあまり差が出ない曲調ということで
そうなれば、テンポ、リズムが正確無比で
かつ細部までエレガントに磨かれたクリップスの演奏が
ベストという結論に至った。
安心して聴けて、どんなときでも期待を裏切らないクオリティの確かさこそ
この曲に関しては最大の美点となっている。

470korou:2023/10/26(木) 10:12:51
シューベルト「未完成」(クリップス&VPO)<ナクソス>

「グレイト」の推薦盤がクリップスというのを改めて見て
それならば「未完成」はどうだろう、ベームが推薦盤だがそれとの比較で聴いてみた。

出だしのVPOの響きがたまらなく美しい。
これは掘出物と思って聴き続けたが
やはり強音部が弱くて「未完成」独特の憂愁さが出てこない。
第一楽章は、素晴らしい箇所と物足りない箇所が混在した出来栄え。

しかし、第二楽章にはそういう強音部がないので
安心して聴き続けることができる。
模範的なテンポとリズムで音楽が刻まれ
VPOの美しい響きを的確に抽出するクリップスの棒さばきが
実に見事だ。

というわけで、ベーム以上とはならないが
愛聴盤として聴く価値はある演奏という評価に至る。
まあ、今回は直後にベームを聴き直していないので
本当の比較というわけではないのだが。

471korou:2023/11/05(日) 16:36:01
ベートーヴェン「交響曲第2番」

モントゥー&サンフランシスコ響(1949年録音)で
第1楽章だけ聴く。
ものすごく元気な演奏で
指揮者の年令を思えばウソのような活気だ。

とは言え、聴いていて快活だというのと
何度も聴きたい名演奏というのとは別。
クリップスで同じ箇所を聴き比べしたが
やはりクリップスのほうが
響きに正当性がある(ロンドン響というオケですらそれを実現)
モントゥーの演奏に何の欠点も見出せないのだが
なぜかそういう感想になってしまう。

もう、ベートーヴェンの交響曲は
クリップス一択でもいいくらいだが・・・
それでも「英雄」「第九」あたりは
それ以外の選択もありそうなので
そのへんを聴き直してみようか。

472korou:2023/11/12(日) 17:19:19
今日はナクソスで2曲鑑賞。

モーツァルト「ジュピター」
クリップス&AC管の演奏で聴く。
もう何回も聴いて満足している演奏だが、今日は違って聴こえた。曲の性格上、ベートーヴェンのような鋭さのある響きが聴きたくなるのだが
それはこのコンビに求めても仕方ない。これはこれで完成された大人の演奏。
もう少し心の葛藤が伝わってくる演奏もあるはずで、それを探すのも面白いかも。ワルターは勿論、E・クライバー、クレンペラー、場合に
よってはセルあたりもいい感じなのかもしれない。

ブラームス「交響曲第3番」
ジュリーニ&VPOの演奏で聴く。
出だしのあまりにもゆっくりとしたテンポと、録音がその素晴らしい音質を録りきれていない中途半端なVPOの音色のせいで
今までも何回か聴き始めてすぐに止めてしまった演奏だが、今日は、そのテンポにそれほど違和感を覚えず、そしてオケの音色については
しばらく我慢して聴くことにした。第2楽章の途中、第3楽章などは、我慢したかいがあって、晩年のジュリーニの落ち着いた雰囲気(もと
もと落ち着いているのだが、さらに)が感じられ、この曲の楽想とピッタリな安心感を覚えた。両端の楽章は、その点で中途半端で、その
意味では、やはり晩年のジュリーニは探してまで聴くほどのクオリティでないと判断した。

473korou:2023/11/13(月) 12:20:18
今日はユンク氏サイトで2曲鑑賞。

ベートーヴェン「交響曲第8番」
クリップス&AC管の演奏で聴く。
絶対に良い演奏という記憶しかなく、その記憶の正しさを確かめるための鑑賞。
リズム、テンポの正しさは記憶通り。しかし、この曲の中に、ベートーヴェンの生命力をどこまで感じられるかという点については
「英雄」のときと同様、クリップスにはその意図は全くなく、やはり貴族の音楽のつもりで再現されている。
そこに生命力を見出すことは、無いものねだりであり、でも生命力を聴きたい時もあるので、その意味では、あらゆる意味での名演とは
言えないだろう。とはいえ、名演であることは間違いない。

ベートーヴェン「交響曲第3番」
エーリッヒ・クライバー&AC管の演奏で聴く。
多少録音状態のブレが感じられるが(音が貧弱になる箇所が時々発生)、スピーカー視聴で多少大きめの音で再生すれば問題は少ない。
演奏スタイルは、とにかくきびきびしていてジョージ・セルの演奏に近い。セルよりも管楽器の使い方が地についていて安定しているのが
良い。部分的には、他の指揮者の演奏では聴いたことのない解釈が聴かれ、新鮮であり参考にもなる。その反面、あまりにスラスラ流れ
過ぎるので、やはりフルトヴェングラーのような細部にこだわった演奏も聴きたくなるのも事実である。

474korou:2023/11/15(水) 12:20:59
今日はナクソスで1曲を完全鑑賞。

ブラームス「交響曲第4番」を
チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルのライブ演奏で聴いた。
いつも参考にしている「聴き比べ」サイトで”S”評価の演奏を探し
この曲に関してはこの演奏がそうだったので
ナクソスでそれらしいのを見つけて聴いてみた(サイト推奨と同じも演奏かどうかは不明)

チェリビダッケについては
もともと録音嫌いの人なので
音源がライブに限られることから
これまではなかなか聴く機会がなかった。
せっかくナクソスが聴き放題になったのだから
もっと名演を探して聴くべきだったと
この超名演を聴いた後なので後悔している。
これはブラームス「第4」ならではの名演になっている。
細部のニュアンスが絶妙で
そのあたりはジュリーニ、ヨッフムといえどもここまでの丁寧さはない。
他の曲だと、ここまで細かいと曲の推進力を失ってしまう可能性があるが
この曲に関してはそういう心配は無用で
すべてがいい形に結実している。
さらにミュンヘン・フィルの弦、管どちらも素晴らしい。
録音が上質で、その良さを見事にとらえている。
非の打ちどころのない演奏とはこのことか。
終楽章の最後のあたりに金管の抑えの効いた響きが
なんともいえない哀愁を感じさせて
思わず落涙した。

チェリビダッケ、もっと聴き込まねば。

475korou:2023/11/17(金) 23:05:46
混迷の音楽スレ。

原因はイヤホンを長時間使用できなくなった健康面にある。
ということで、今日、ヘッドホンを試したところ、まあまあの感じだったので
以前のような強いガッカリ感はないということで
”ヘッドホンで確かめる名演奏”をテーマに再始動することにした。

原則としてナクソスで確認。
曲目は、原則として今までのリストの中から
その時聴きたい曲から順不同で始めることにして
さらにベストワンを決めるというより
これからも聴き続ける演奏という基準で
同一曲に複数のOK盤があってもよいというルールで
再始動することに決定。

では、明日からスタートだ!

476korou:2023/11/18(土) 10:51:27
新企画第1弾

〇ブラームス「交響曲第4番」
カルロス・クライバー&VPOで聴く。
最初は高弦の響きを薄く感じ、指揮ぶりも職人的でついていけないものを感じそうになったが
第1楽章の再現部あたりから、弦の響きに慣れてきて、またクライバーの指揮も
そのあたりから落ち着いてきて、この曲らしいしっとりとした諦観も出てきて
結局、終楽章まですべて聴き切ることができた。
VPOの録音らしく、全体に響きに鋭さがないのだが
随所にさすがと思わせる音色も入り込むので
そのたびに、おっと思わせるものがあるのはさすがだ。

スタイリッシュにキメた演奏だが(全部で40分を切る演奏時間)
割り算で簡単に割ってしまったような浅い演奏ではなく
細部まで計算と心情が融合した佳演といえよう。
こういう演奏もできるので
なかなか無視できない名匠なのである。

これは何回でも聴ける演奏。推薦盤としたい。

477korou:2023/11/19(日) 16:16:38
〇ストラヴィンスキー「火の鳥」

ナクソスで再生回数No.1のアバド&ロンドン響で試聴。
録音はやや冴えない感じもあるものの、全体として必要な音はキッチリととらえられていて問題ナシ。
肝心の演奏については、どこも悪くない無難な出来だが、逆にどこを聴いても同じテンションで聴きどころが一切ない。
こうした聴かせどころ満載の曲で、この表現はないだろうという不満が残る。
もっとも曲そのものがどういう作りなのかということだけは、きちんと伝わってくる。
いかにもアバドらしいといえばそうなのだが・・・ということで演奏は△評価。
(5曲目の「子守歌」は秀逸。ここだけは気持ちが入っている。でも他が平板なのでやはり△評価)

こういうのを聴くと
最初の推薦盤であるバーンスタインの演奏を確認したくなってきた。
聴く順番を間違えた。
次回からは前回推薦盤から確認することにしよう。

478korou:2023/11/20(月) 11:54:00
〇ショパン「即興曲集」

まず推薦盤にしていたフランソワの演奏で聴く(ユンク氏サイトで)。
演奏はファンタスティックで以前聴いたイメージ通り、録音はこの時点では不満を感じない。

次にナクソスで再生回数トップの藤田真央で聴く。
藤田は「蜜蜂と遠雷」で鈴鹿央士の演奏分を担当した若手ピアニストだが
実に素直な表現でフランソワが弾いた同じ曲とは思えないほど。

次に、その次に再生回数の多いデ・マリアというイタリアの中堅ピアニストの演奏を聴く。
これは、手慣れたテンポルパートで構成がくっきりと分かる演奏だが
意外と感銘度は低い。

それから大家の演奏ということで、アシュケナージの演奏で聴く。
(このあたりから第1番だけで比較試聴)
どこをどうしているのか分からないが実に聴きやすい演奏、不思議。
録音も優れていて、藤田真央とデ・マリアの演奏について録音の差が感銘度の差でもあったが
アシュケナージについては、演奏も録音も優れていた。

ここで、再びフランソワの演奏で、一番有名な「幻想即興曲」を聴く。
こうして聴き直すと、フランソワの演奏の録音はやはり旧時代のこもった感じで
しばらく聴いていると慣れるのだが、これはどう評価すべきか。
もう少し、他のピアニストも聴かなければ分からないが
とりあえず今回は、フランソワとアシュケナージについて
録音と演奏の評価をエクセル表に追記。

479korou:2023/11/21(火) 11:52:50
〇ベートーヴェン「交響曲第7番」

クレンペラーのあの超名演がヘッドホンでも体験できるかどうか
非常に怖いのだが(もしダメだったらと思うと)試してみた。
結果は・・・十分に感動した、また落涙した。

ヘッドホンならではの良さも発見した。
イヤホンだと音が聴こえ過ぎて
主旋律、副旋律あたりで耳が慣れ過ぎて
その2つのリズムに気を取られてしまう・・・そんなことに
今回気付かされた。
イヤホンで聴いていたときには
そこまで気付かなかったのだが
今回、ヘッドホンで聴き始めた途端に
いろいろな音、リズムをベートーヴェンが残してくれたことに気付き
その見事な融合の美しさを知り
思わず作曲者への感謝を思わずにはいられなかった。
例えば、第3楽章のトリオでの高揚感などは
おそらくイヤホンで聴いたほうがより迫ってくるものがあっただろうが
終楽章のコーダ直前のトランペットのクレッシェンドによる感情の爆発は
イヤホンで聴いてもヘッドホンで聴いても伝わるものがあり
また、フィルハーモニア管の面々が敬愛する大指揮者のために
懸命に弾いている情景も
まじまじと浮かんでくるわけで
・・・落涙、当然かも。

というわけで、これは録音も素晴らしく、断然推薦盤で変更なし。

480korou:2023/11/22(水) 12:10:22
〇シューベルト「交響曲第9番”グレート”」

ナクソスで、前回推薦盤のクリップス&AC管の演奏で聴く。
録音は鮮明ではないものの、楽器が醸し出すニュアンスはちゃんととらえていて
特にAC管ならではの低弦の底光りのする音色とかは
聴いていて納得の音質。
ただ、この曲に関しては高弦の鮮明さが欲しかったところ。
演奏は、やはりオーソドックスなテンポとリズムで
いかにもクリップスらしい手堅さ。
多分”グレート”ならこれで十分と思って推薦盤にした(多分ベーム&BPOから差し替えた)はずだが
今回ヘッドホンで通して聴いてみて
この曲には正統派で穏当に解釈しただけでは
全てを表現したことにならないということに
改めて気付かされた。
どこにも不満はないのだが、まさに贅沢な不満。
何がそこにあるのだろうか、自分にはすぐには分からない。

よって録音、演奏ともに
マイナス箇所は皆無だが最上レベルでもないという判定。

481korou:2023/11/23(木) 16:24:37
〇ドヴォルザーク「交響曲第9番”新世界”」

前回推薦盤のフリッチャイ&BPOで聴く、
録音は素晴らしく明快で楽器の音がリアルに響く。
演奏も真摯で晩年のフリッチャイの良さが出ているが・・・夢中にはなれない。物足りない。
何が足りないのか?今日はこの曲を聴く気分でなかったのか?
自分は「新世界」という曲に何を求めているのだろうか?
そんな疑問が湧きたつ。

フリッチャイが重たすぎるように感じたので
名盤ケルテス&VPOなら心地よい軽みがあるかもと思って聴いてみる。
しかし、どうもこの演奏の重心が定まらなさが気になる。
そういえば前回もそんな印象を受けた記憶がある。

民族色?ならばナクソス再生回数1位のアンチェル&チェコ・フィルでどうか。
これは録音があっさりとしていて重厚感が足りない。
アンチェルの残した録音はおおむねそういう欠陥を持つようだ(ヘッドホン視聴だと特にそうなってしまう)。
か細い印象を与える音質の奥底から聴こえてくるアンチェルの表現は
素晴らしいようでもあり、よく分からない感じもありもどかしい。
「ハルくん」のHPからの情報だと、デジタルリマスターの音はイマイチとのこと。
これは諦めるしかないのか(アナログなら素晴らしい音色を味わえるとのこと)。
・・・と思っていたら、ふとユンク氏サイトではどうかと思い
今までナクソスで聴いていたので、そっちに変更して聴いてみたら・・・これが正解だったのですよ!
アナログ盤の録音の良さを体験できました!
「聴き比べ」サイトでも書いてあった”いろいろな音”も聴き分けることができたし
正解!でも今日はちょっと時間がないので、後日全部聴くことに決定。

482korou:2023/11/23(木) 21:32:53
〇ドヴォルザーク「交響曲第9番”新世界”」

アンチェル&チェコ・フィルの演奏。
結局、時間ができたので、今日全部聴くことができた。
結論を言えば、あまりに冷静すぎて感情移入できないということ。
録音はオケの特性を十分に把握できる見事な音質だったし
アンチェルの指揮に不満な点は何一つないのだけど。

もっと凄い演奏があるはず。
そんなことを思ってしまう。
何を聴いても。

483korou:2023/11/24(金) 15:57:15
〇ドヴォルザーク「交響曲第9番”新世界”」

シルヴェストリ&フランス国立放送管('57)の演奏で聴く。
爆裂型の典型という評判だが、確かに振り切った表現で聴かせる演奏だ。
しかし、今はこういう演奏を好む気分ではないことも確か。
途中で眠たくなってくるのも確か。
やはり細部のニュアンスが皆無という演奏はキツい。
録音はモノラルにしては大変鮮明で
同じ組み合わせによるもう1つのステレオ録音盤('59)と比べても
むしろモノラルのほうが演奏の個性をよりとらえているのではないかと思われた。
(ステレオのほうの演奏については評価不能。もうシルヴェストりは十分と思ったので
 第1楽章の最初しか聴いていない)

直後にトスカニーニ&NBC響も聴いてみたが
同じような感じなので
すぐ中止。

クレンペラーが個性的という話だが
ナクソスにあるのかな・・・あるようだが・・・

クレンペラー、ワルターあたりでも満足できなさそう・・・「新世界」を聴くのはもう止めようか?

484korou:2023/11/27(月) 14:30:04
〇ドヴォルザーク「交響曲第9番”新世界”」

ワルター&コロンビア響で聴く。
室内楽のような優しい音楽、いかにも晩年のワルターらしい丁寧な作り。
ただし、この曲をこんな風に演奏されると
さすがに終楽章あたりは
もっと強い音を聴きたくなる(ないものねだり!)
これはこれで完成した音楽、ただし曲想とは随分違う、それだけのこと。
推薦盤にはなり得ないが
愛聴盤ならあり得るかもしれない。

思ったとおりでもあったので
次はクレンペラーかな。

485korou:2023/11/29(水) 20:55:17
〇ドヴォルザーク「交響曲第9番”新世界”」

クレンペラー&フィルハーモニア管で聴く(ナクソス)。
どこにも力が入ってなく、自然体で淡々と音楽が進んでいく。
絶対に飽きない演奏といえるが
常に物足りない感じも否めない。
「新世界」というのは
本当に力感オンリーな曲なのだと改めて思う。
同じ力感でもチャイコフスキーのそれとは違って
クレンペラーの個性が入り込む余地がないというか。
クレンぺラーでもどうしようもない音楽があるのだという発見。

となれば、メータ、シャイー、ムーティ、レヴァインあたりも
面白いのかなあ?
ショルティ、バーンスタイン、ロジンスキー、そして再度トスカニーニ?

486korou:2023/11/30(木) 16:13:59
〇ドヴォルザーク「交響曲第9番”新世界”」

まず、バーンスタイン&NYPで聴く。
これは良い、一聴してそう感じた。
フレージングが的確で、しかも各フレーズに感情がこもっている。
しかし、徐々に、そのこもっていたはずの感情に、心が思ったほど動かされないことにも気付かされる。
何故だろう?
それ以外は、録音も含めて完璧に近いのだが。

次にロジンスキー&ロイヤル・フィルの演奏で聴く。
4年前ほどに聴いて意外なほど感銘を受けた演奏、しかし、それから2、3年経って2回目に聴いたときには
その時の感銘が感じられず、これも不思議だった。
多分「新世界」という曲について、あまりに多くを期待し過ぎたのだろう。
一聴、様々なニュアンスを味わえるようで、実は基本スタイルはトスカニーニ流の
一気呵成のスピーディなイメージをもってこそ、この曲の真骨頂を味わえるのだ。
今回いろいろ聴いてみて、そのことを悟った。
そしてロジンスキーのこの演奏、最高ではないか!
演奏の種類としてはトスカニーニの伝統を受け継ぎ、バーンスタインにも通じることだが
ロジンスキーのフレージングには、
的確さと感情の込め方に加えて、細部の工夫が心憎いばかりで
そのちょっとした音の出し方の微妙さが
バーンスタインの指揮との決定的な差になって現れてきている。
ロジンスキーのこの職人的な巧さによって、各フレーズの最初から心奪われてしまった。
これこそ推薦盤だ。やっと決まった。
録音がモノラルでかつ痩せた音質なので(しかし必要な音はすべて聴こえる、優秀)
万人向けではないが(ステレオなら、やはりバーンスタインかな)
自分にはこれが最高の演奏、満足できる「新世界」だと確信できた。
決定!・・・長い道のりだった。

487korou:2023/12/02(土) 22:34:04
〇ドヴォルザーク「交響曲第8番」

「ハルくん」サイトによると
セル&チェコ・フィルの1969年のライブ盤が最高ということだったので
ナクソスで探すと、1969年のは見当たらず、代わりに1962年のライブ盤がヒットした。
さすがに同じような感じとはいかないかなと思ったが
一応、最初のあたりを聴いて判断するとして聴き始める。

うーむ、これは凄い!
クリーヴランド管と比較するのもアレだが
ここでのチェコフィルの音には温もりがあり気持ちがこもっている。
それでいてアンサンブルにも乱れがない。
何よりもセルの指揮ぶりが
ライブだとこんなに情感たっぷりに振るのかと驚くほど
別人の冴えを見せる。
全体に曲を上回る解釈の深さがあって
途中から曲の深みの無ささえ感じて退屈するくらいで
逆にそのことがこの演奏の弱点になっているという珍しいケースだ。

推薦盤に即決定とするには微妙だが(解釈の深さとのミスマッチ!)
とりあえず暫定候補には十分だ。
他も聴いて、第一楽章だけでも比較してみるかな。

488korou:2023/12/03(日) 13:05:53
〇ドヴォルザーク「交響曲第8番」

まずバルビローリ&ハレ管で聴く。
これはセル&チェコ・フィルとは真反対の演奏で
実に気軽に聴けて、その点は最高に良い。
このくらいの感じで演奏してもらえれば、この曲は最大限に真価を発揮する。
ただし、ヘッドホンで聴く場合、残念なほど音質が劣化する。
イヤホンであれば、この演奏が推薦盤でもいいのだが、実に残念。

そもそも前回の推薦盤はケルテスだったので
それを忘れていて、改めてじっくり聴いてみた。
第1楽章出だしの各パートの音のうねりが素晴らしい。
この曲の最も魅力的な音の響きを実現している。
さらにヘッドホンでも負けない音質の良さも
ユンク氏サイトだと味わえる(ナクソスだと微妙)。
やはり、これが推薦盤だろう。
決定。

489korou:2023/12/04(月) 12:26:34
○ホルスト「惑星」

前回の推薦盤、カラヤン&VPOで聴く。
録音は素晴らしい。当時も話題になったらしいが
今聴いても優れた録音であることが瞬時で分かる。
演奏も見事で、この通俗的なきらいのある楽曲を
数十分もの間、緊張感を失わずに聴き手を魅了していく
その手際には、どんなアンチカラヤン派でも
認めざるを得ないレベルにある。
「惑星」のような曲を通して全部聴くことは
なかなか難しいわけだが
この演奏であれば、何の問題もなく聴き終えることができ
満足感さえある。
数多く他の演奏を聴いているわけでもないが
この演奏(録音も含め)を凌駕する盤は
なかなかないでのないかと思う。
いやー、いい演奏でした。VPOにも拍手。

490korou:2023/12/06(水) 11:16:54
〇ベートーヴェン「交響曲第9番」

突然、フリッチャイの指揮によるこの曲の演奏を聴きたくなり
ユンク氏サイトで試聴。
決してトスカニーニ風のザッハリッヒな感じではなく
かといってたっぷりと感情を込めまくりのデモーニッシュな感じでもなく
ちょうどその中間のイメージで
しっかりと前進していく第1楽章。
再現部でこれほどの高揚感のあるこの曲の第1楽章を聴いたのは初めてで
それだけでこの演奏に信頼がおけるようになった。
第2楽章もスッキリとした、あくまでも明晰な演奏。
第3楽章冒頭の美しさも際立っていて、
ベルリン・フィルの合奏力が最大限に発揮された瞬間だ。
そして、そんな静かで落ち着いた雰囲気から
頑張って立ち上がろうとするかの如くトランペットが咆哮する後半。
咆哮の凄まじさに鳥肌が立つ。
ところが・・・終楽章はどこを切っても平凡、明晰なだけで
その明晰さから迫ってくる内容が何もない。
この落差は何なのか。
第3楽章までは抜群の出来なのに。
惜し過ぎる。
推薦盤とはならず(フリッチャイの個性を知るには最適だが)

491korou:2023/12/08(金) 11:32:14
〇ベートーヴェン「交響曲第9番」

前回推薦盤のヨッフム&バイエルン放送響の演奏を再確認。
やはり溌溂とした演奏だった。
前回試聴の時は、オケもさることながら終楽章での合唱団などの勢いを強く感じたのだが
今回は、やはりこの演奏の中心は
壮年期のヨッフムと、開設間もないバイエルン放送響のメンバーが
それぞれに熱気あふれる解釈、演奏を展開してこその
快演ではないかと強く感じた。

第3楽章まではその勢いと熱気ですべて運んだという印象。
楽想のニュアンスを細部まで徹底して深めていくといった演奏ではなく
ひたすら、この曲を一気に感動シーンまでもっていきたい、
そしてそれは弾いている自分たちも感動している、戦後まもないこの時期に再び演奏できる喜びといったものが
音の端々から溢れ出ているような演奏なのだ。
ゆえにフリッチャイ&BPOの演奏と比較して
何度も味わえるかといえば、そういう類のものではないことは明らか。
第3楽章までだったら、フリッチャイのほうを聴くべきかもしれない。

しかし、終楽章の燃焼度は、もはや他の演奏とは比較し難いほどだ、
特に、初めてあの歓喜の主題が現れて次第に盛り上がっていく箇所では
指揮者とオケが必死になって音楽を創造していく気持ちが
痛いほど伝わってきて、思わず感動してしまう。
今回は、独唱、合唱ともに、前回ほどの感銘は受けなかったが
それ以上に指揮者とオケの一体感が感じられ
それに声楽がぴったりと乗っかっているように思えた。

何度も聴いて発見を新たにするような演奏ではない。
でもこの曲自体が何度も聴くようなものでもないし。
そういう意味では、十分推薦盤の価値ある演奏だと再確認。

492korou:2023/12/10(日) 13:14:47
〇ベートーヴェン「交響曲第9番」

フルトヴェングラー&バイロイト祝祭管他で聴く。
定番中の定番、というか人類の奇蹟のような演奏。
もっとも、ベートーヴェンの音楽が持つデモーニッシュな部分について
もはや聴く側のほうでそれを受容する能力が衰えてしまった時代にあって
この演奏が永遠に不滅かどうかは
別問題。

その観点でいえば、この演奏は
ベートーヴェンが最後にたどり着いた地点をほぼ無視して
その後のワーグナー的ロマン派解釈を最大限極めた極限という性格をもつ
と言えるだろう。
第1楽章は、ベートーヴェンの書いた楽譜のリズムよりも
ハーモニー、メロディ、楽曲構成から醸し出される「戦い」のイメージを優先した表現になっている。
それでも、展開部のフーガの処理が絶妙なので
後半部分は、楽譜にあるリズムを超越した”最も音楽の深い部分に根差すリズム”が聴こえてくるようで
前半部分のリズムを無視した重たさ、硬直さと好対照となっているのはさすが。
いかにも音楽が宇宙の底から動き出したという感動を覚えるわけだ。
しかし、第2楽章はどうにもならない凡庸に終わっている。
オケが超優秀なので、トリオの部分の美しさは絶品だが
それ以外は、この楽章が現実のものにしているはずの抜群のリズム感が
すべて消えている演奏といえる。
フルトヴェングラーの音楽観では
この楽章から最大限の音楽を引き出すことは不可能なのだ。

493korou:2023/12/10(日) 13:24:17
〇ベートーヴェン「交響曲第9番」(フルトヴェングラー&バイロイト祝祭管他) 続き

ところが、第3楽章ともなると事情が一変。
こんな美しい音楽はかつて聴いたことはない。
この楽曲で、かつこの演奏でないと、これだけの深い瞑想感を体験できない。
緩徐楽章というものを、この晩年のこの時期に
あえてベートーヴェンは楽譜に書いた・・・そこには晩年に到達した究極のリズムは皆無。
だから、フルトヴェングラーの個性が最大限に生きるのだ。
いっそのこと、個性が空回りしている第2楽章は飛ばして
第1楽章後半の宇宙の立ち上がりの興奮との対比で
その直後に、この第3楽章の瞑想を聴き続けたいとも思ったりする。
途中の金管の咆哮にしても
この演奏で聴くと
決して終楽章への導入などではないことが分かる。
無理やりに、第1〜第3楽章のなかに、終楽章の予告を感じなくてもいいのである。

そして終楽章。
ここでのフルトヴェングラーは
第1楽章と同様の音楽の熟成を図っている。
序盤の物語のような展開は
この指揮者の独壇場とも言える。
しかし、独唱、合唱が加わると
一変して、きちんとしたリズムで振り始める。
そして、相変わらず重たく、硬直感もあるのだが
歌うほうは、このほうが歌いやすいだろうし
重たいといっても器楽だけのときよりは聴きやすい。
そして、そのままフーガに突入するや否や
第1楽章同様、異次元に入っていくのだ。

494korou:2023/12/10(日) 13:32:12
〇ベートーヴェン「交響曲第9番」(フルトヴェングラー&バイロイト祝祭管他) 続きの続き

終楽章のフーガ以降は
怒涛のオケ、独唱、合唱となる。
そこでは、歌手、合唱団までも
フルトヴェングラーの変幻自在なテンポ、リズムに
懸命に合わせていくことになる。
このあたりの”揺れぐあい”はまさにこの指揮者の神業だ。
最後の最後に、声楽部分が終わるや否や
指揮者とオケ、その場にいた全員を含めて
全身全霊で天上の世界へ駆けあがっていくように聴こえる部分は
もうすでに音楽というものを超えた存在になっている。
この楽章も、見事に振り切っていて
十分に聴き取れる感性さえあれば
やはり人類の奇蹟を感じ取ることはできるだろう。

とはいえ、第2楽章の不毛、第1・第4楽章の前半部分の重たさ、硬直さは
聴くタイミングというものを選ぶレベルにある。
推薦盤として、実に難しい選択ではあるが
やっと、この演奏の正しい評価の入り口に立てたようにも思うので
この演奏は「特」として特別評価の演奏としたい。
いつ聴いても大丈夫という演奏ではないということ。
でも、聴けるだけの準備、余裕があれば、
これ以上の演奏は考えられないということ。

495korou:2023/12/14(木) 16:58:01
○ブルックナー「交響曲第9番」

1950年代前半のヨッフムがバイエルン放送響を指揮している演奏、あのベートーヴェン「第9」で聴くことができた
音楽へのひたむきな気持ち、やっと平和な世の中で何の気兼ねもなく精一杯弾き切ることができる喜びといったものを
また聴きたくなって、ユンク氏サイトで探してみた。
この演奏は1954年で、オケのスタートから数年経っていて、しかも曲目はそうした”ひたむきさ”だけではどうにもならない難曲。
それを承知で聴き始める。

ホッとする。ここでもバイエルンのオケの情熱は健在だった。ヨッフムの揺るぎない意志も。
とにかく音楽は滞りなくひたすら疾走し前進する。ブルックナーは晦渋な音楽だと誰が言ったのか?
第1楽章では夢幻のようにいろいろなイメージを繰り広げ、第2楽章では豪快さと繊細さを合わせ備えた演奏。
第3楽章になると、そうした感情のすべてが敬虔な何かに吸い寄せられるかのように昇華していく様が描かれる。
こんなに一気呵成に描かれたブルックナーは聴いたことがない。
新たな推薦盤とすべきだろう(録音も、この時期としては画期的なほどクリアなモノラル)
1950年代のヨッフム&バイエルン放送響、畏るべし。

496korou:2023/12/16(土) 16:17:54
〇ベートーヴェン「交響曲第9番」

推薦盤のチェック、今回はカラヤン&BPO。
ヘッドホンで聴くと、魅力は半減してしまった。
何よりも、カラヤンの気迫が伝わってこないのである。
そうなると、単にレガートな演奏ということになり
とても推薦盤のレベルには達し得ないわけで
ヘッドホンを恨みたい、というかイヤホンで聴き続けることのできない状況が
悲しい。

なお、過去ログを参照してみると
この「第九」に関しては
1,2年前ほどにも、かなり多くの演奏を
比較試聴していたことが判明。
同じことを何回も繰り返しているのだが
まあ、たっぷりと時間はあるので
新しい知見もいろいろ出てきているということもあり
全く不毛な繰り返しということにはならないと判断。

でも「第九」はもういいかな。

497korou:2023/12/17(日) 12:56:54
〇ベートーヴェン「交響曲第8番」

ワインガルトナー&VPOで聴く。
イヤホンで聴いていた時期には音質の悪さが気になったが
ヘッドホン視聴だと
そこまで気にならないというのは
何と言えばいいのか。
演奏はオーソドックスで
この難曲をここまでスムーズに聴かせてしまうということ自体
賞賛に値する指揮ぶりといえよう。
終楽章の造型がいきなり彫深くなるのには驚かされるが
それ以外は非常に典雅で美しい演奏。
その終楽章の造型も見事。

比較する意味で終楽章だけクリップスの指揮も試聴。
こちらはさらにシンプルで
それでいて音楽の流れはスムーズそのものという魔法。
ワインガルトナーの影響うんぬんというより
この音楽はこういう風に演奏するとスムーズで美しく響きますということが
共通理解になっているような感じ。
こういうのはもう今や聴けない演奏という意味では
両者に共通している。

498korou:2023/12/18(月) 11:32:44
○ブルックナー「交響曲第7番」

レーグナー&ベルリン放送響の演奏で聴く。
長い間、本当に長い間、レーグナーのことを忘れていた。
大学時代から社会人の最初の頃までは
まあまあ聴き続けていた指揮者だったのに。
この掲示板で前のスレを含め検索してみたが
1回もレーグナーのことを書いていないことが分かった。

”聴き比べ”サイトでレーグナーの名前があったので思い出した。
それはブルックナーの「第6番」の演奏の紹介だったが
聴き馴染みのない曲で久々に聴くのもどうかと思い
「第7番」で久々の対面・・・何ということか!凄すぎる。
いや圧倒される凄みとかいうのではなく
とにかくブルックナーの音が鳴っているので感動したのですよ。
この音色、そしてそれを体現させてくれる見事な録音。
東ドイツという辺境な環境のなかで
いつのまにかベリルン・フィルをも凌駕する音色を実現している。
ブルックナーの音楽に内包している管弦楽の法悦、広大な宇宙・・・すべて感じさせてくれている。
レーグナーの指揮は、その音色を実現しているだけでも素晴らしいのに
解釈も見事で、速いテンポでありながらちゃんとブルックナーになっているのは奇跡的。
重たくないブルックナー、というのは通常あり得ない話だが
実はそういうのも聴きたい瞬間があるわけで
その時にはこの演奏がベストチョイスになる。
新たな推薦盤(ネルソンス、朝比奈が推薦盤だが、その経緯は忘れてしまった・・・また聴こう)

499korou:2023/12/24(日) 12:56:15
○リムスキー=コルサコフ「シェエラザード」

多分良い演奏だろうなと期待して聴き始める。
意外と音質が良く、1958年録音にしては各パートの音がクリアに聴こえる。
マタチッチの解釈はオーソドックスでどこにも不自然さはない。
圧倒される名演という類ではなく
安心して聴き続けられる佳演というべきだろう。
美しいメロディを堪能する、プロのオケの上手さを味わう、そういった類。
深い何かがある音楽ではないので
この演奏で十分だ。
録音、演奏ともに○。

500korou:2023/12/25(月) 15:26:23
○ブラームス「交響曲第4番」

まず推薦盤のベーム&VPOから。
なぜベーム?と思ったが、やはり安定感抜群。
VPOの音色もまずまず過不足なくとらえられた録音で
ベームもVPOも実力を発揮した演奏なので
悪いはずがない。
ただ、第2楽章での強奏で、もたれる感じが出てしまうのは
晩年のベームとしては仕方ないところ。
壮年期ならもっと勢いがあったかもしれないが
そのあたりは未確認(ユンク氏サイトにはベームのブラ4はナシ)

続いて、評判の良いザンデルリンクを聴こうと思ったが
ドレスデンとの演奏が無いので、代わりに晩年のベルリン響との演奏を聴く。
悠然たるテンポながら説得力ある感じで進むのが、いかにもザンデルリンク。
ただし、ここまでゆっくりだと、どうしても強奏部にムリが出てしまう。
寂寥感ある第4番とはいえ、フォルテ部分はピシッと決めたいところ。
(ほかにチェリビダッケも聴いたが、ザンデルリンクと同じで、ゆっくり過ぎて今一つ)

半信半疑で、もう1つの推薦盤、ラトル&BPOの演奏を聴いてみた。
うーむ、これは素晴らしい。
ちゃんと寂寥感はあるし、フォルテ部分もスムーズに鳴っている。
なぜラトルなのか不思議なくらいだが
この曲に関しては第一人者と言わざる得ない。
ヨッフムより安定しているかもしれない。

というか、ヨッフムとワルターを再聴しなければ。

501korou:2024/01/04(木) 09:58:10
○ベートーヴェン「交響曲第1番」

前回推薦盤のクリップス&ロンドン響の演奏をヘッドホンで再聴。
第1楽章は実に典雅で美しい、というか正しさそのものの演奏。
だが、第2楽章あたりはもう少し劇的な何かがほしい気もした。
モーツァルトなら別だが、ベートーヴェンなので。
第3楽章は明らかに力が不足している。
これはベートーヴェンが意図した音楽ではないだろう。
クリップスもそれは承知で
あくまでも典雅に演奏しているように見える。
第4楽章はその姿勢がもっと意識的に現れ
もはやベートーヴェンではなくクリップスなのだが
これはこれで20世紀初頭の演奏様式の忠実な再現なのだ。

録音はクリアだが広がりに乏しい。
演奏も上記のような長所と欠点があるのだが
この曲に関して、こういう類の演奏はクリップスにしかできないわけで
しかも正しいテンポと正しいリズムで音楽が刻まれているので
推薦盤であることには変わりない。
二重丸が丸になった程度の評価の変化。

502korou:2024/01/05(金) 14:31:44
〇モーツァルト「交響曲第40番」

前回推薦盤のワルター&コロンビア響で聴こうと思ったが
ふと1952年のVPO盤の存在が目に入り
歴史的名盤というので急きょそっちを聴いてみた。
音質は貧弱でVPOの音色を楽しむにはムリがあるレベル。
ただし出だしの第1主題の入り方には驚かされる。
こんなにポルタメントを効かせる演奏は聴いたことがない。
ワルター以外でこんな極端なことをやったら噴飯モノだが
ワルターだけに思わず意味深さを探してしまう。
そして、それを”悲しみの表現”としたら
この第1楽章全体で
そうしたポルタメントがふさわしい感情豊かな演奏になっていることに気付く。
この第1楽章は絶品である。

第2楽章以下は平凡だ。
(あくまでもワルター&VPOという組み合わせにしてはという意味で)平凡だ。

直後にコロンビア響の演奏も第1楽章の冒頭だけ聴いてみた。
音質の良さにホッとするし
細部の表現も安定していて
その安定が曲全体に続くことも予感できる、
やはり、こちらのほうが推薦盤になるだろう。

503korou:2024/01/06(土) 15:04:41
〇ブルックナー「交響曲第1番」

初めて聴く曲。というか、かつてティントナーの指揮で聴いたはずだが具体的な記憶がない。
今回は、「聴き比べ」サイトでS評価だったヤノフスキ&スイス・ロマンド管の演奏で聴いた。
録音は確かに素晴らしい。
スイス・ロマンド管の音色はアンセルメ以外でじっくり聴くことはないのだが
アンセルメ時代の録音技術は発展途上で
今回のこの演奏で聴くような鮮度の高い音質ではなかった。
ヘッドホンで聴いてもこの明晰さなのだから相当なものだ。
演奏も、ヘッドホンのせいで抜群の迫力とまでは聴き取れないまでも
ちょっとした間の取り方、強音・弱音での集中力などで
見事にオーケストラを率いたハイレベルなものであることが窺える。
初めて聴いたので細かいところまでは把握できていないが
クリアな弦の音色、静寂と強い音の対比の上手さなどから
ブルックナーの交響曲の演奏としては最上な感じがする。

以上、推薦盤として300選外として記載。

504korou:2024/01/07(日) 13:19:41
○ベートーヴェン「交響曲第2番」

前回推薦盤のワルター&コロンビア響で聴く。
録音はやはり素晴らしい。1959年という時期を思えば最高レベル。
いつもこの組み合わせの演奏の録音は最上級。
演奏は、安定のワルターというべきか。
ただし、2024年の現在のイメージで語れば
決して”闘うベートーヴェン”ではないだろう。
やはり解釈の奥底にワルターの円熟と箴言を感じてしまい
苦難を乗り越え真の歓喜に、ということではなくなってしまう。
贅沢な悩みだが、 ベートーヴェンの交響曲だけに
要求するレベルは高くなる。
第3楽章などはその傾向が顕著で
いかにも音楽的に美しいスケルツォなのだが
もっとも深刻なニュアンスも欲しいところ。
まあ、そういうことができるのは20世紀前半に活躍した大指揮者だけだろうから
録音面のことも考慮すれば
推薦盤から外すことまではできない。
以上の欲張りな不満も踏まえての推薦盤ということで
再確認は終了。

505korou:2024/01/11(木) 11:20:25
○ベートーヴェン「交響曲第3番」

実に残念な話、ヘッドホンで聴く限り「英雄」の名演は存在しない。
おそらくフルトヴェングラー&VPOの演奏がベストなはずだが
イヤホンでは聴き取れた細かいニュアンスが
現時点でのヘッドホンではすべて消え去ってしまい
断片的に物凄さを感じる程度の演奏に聴こえてしまうという現実。
「英雄」に関してはイヤホンで聴くべきなのだろう。

強いて言えば
クリップス&ロンドン響の演奏だと
ヘッドホンでも音質の良さが感じられ
刺激のない「英雄」を聴きたいときはこれで十分だろう。
また、シューリヒト指揮のものも
音質を超えた面白さが感じられるのだが
そこまでして「英雄」を聴き通す根気は出てこない。
時間潰しのように聴く音楽ではないので
これは仕方がない。

506korou:2024/01/12(金) 12:07:35
○ベートーヴェン「交響曲第4番」

前回推薦盤のフルトヴェングラー&VPOで聴く。
音質はかなり良く、これならモノ録音でも十分。
演奏のほうは、最晩年の演奏らしくバランスが取れていて
偶数番交響曲らしい穏当な表現になっている。
それでいて、一音一音に魂がこもっているように聴こえるのは
フルトヴェングラーだけが為し得る奇跡のようなものだろう。
いかにもベートーヴェンらしい雰囲気を味わうとしたら
この演奏はやはり推薦盤ということになるだろう。
ただし、こういう熱のこもった演奏は避けたいときもあるわけで
絶対外せない演奏というわけでもないのが
21世紀の今の現実。
ベートーヴェンの音楽の緻密さというのも
味わうべきものになっているからで
それでいて熱の全くない演奏というのも問題なのだが
その点でこの演奏は
少しだけピントがずれていて
でも方向性だけは合っているという
いかにも偶然の名演という類。
緻密さと穏当さの微妙な差異。

507korou:2024/01/13(土) 18:50:07
○ベートーヴェン「交響曲第4番」

もう1つの前回推薦盤、クリップス&ロンドン響を聴いてみた。
このところヘッドホン試聴が不調なので
この演奏もどうかと思ったが
この時期としては抜群の音質の良さで
そんな不安も一気に解消、とにかく録音の良さに驚かされる。
音楽がきっちりと聴こえてくると
この演奏を好むようになった最近の嗜好が明確に蘇り
ヘッドホン試聴だろうがイヤホンだろうが
そんなことは関係なく推薦盤だ。

正しいテンポ、正しいリズム、それだけで名演なのだから
不思議といえば不思議、まさに芸術の深奥を覗く思い。
そして、ベートーヴェン特有の展開部の魂の叫びでさえ
クリップスは全く問題にせず普通に流してしまい
あくまでもハイドン風に演奏する職人技。
クリップスは誰にも認められていないけれど
史上屈指の名指揮者と思っている。

508korou:2024/01/14(日) 11:52:11
○ベートーヴェン「交響曲第5番」

前回推薦盤のカルロス・クライバー&VPOで聴く。
出だしの音質は最高級で、VPOとしては最上の部類。
第1楽章は、リズムの取り方が個性的で
ベートーヴェンを演奏するなら、この視点がベストだと思うので
好感が持てたのだが・・・
第2楽章になると、ここでもリズムに気をつけながら
演奏しているのは分かるのだが
結果としては平凡な出来になってしまった。
これはクライバーの出来不出来というより
曲そのものの難しさに由来するわけで
子クライバーは曲の泥沼にハマってしまっている。
第3楽章はリズムのメリハリに失敗しているように聴こえた。
終楽章になると、再び個性が発揮され活気を取り戻すが
中間楽章の不出来のせいでイマイチ盛り上がれない。
結論としては、推薦盤取り消しということになる。
親クライバーは中間楽章をどう解釈したのだろうか?(気になるところ)

まずは、もう一つの推薦盤、クレンペラーを聴いてからだが。

509korou:2024/01/15(月) 16:54:15
○ベートーヴェン「交響曲第5番」

クレンペラー&フィルハーモニア管で聴く。
第1楽章は、カルロス・クライバーとは全く違う感じで大変な名演。
それこそクレンペラーの魔法とでもいうべきか、
どこをどうしたらそういう響きになるのか全く分からないのだが
一つ一つの響きは細部までベートーヴェンの音楽本来の響きになっていて
満足度はMAXだ。
第2楽章もその響きの正しさは続き
退屈しかねない素朴な曲想を内部から支えていって
音楽が途切れないのは素晴らしい。
第3楽章、第4楽章は
こうしたクレンペラーの重厚なスタイルに合わないのかもしれない。
前半2楽章ほどの感銘は受けなかった。
それに第2楽章を聴き切った”疲労”も出た。
(本当はもう1回聴くべきなのだろうけど)

推薦盤としては完全でない印象になってしまったが
逆に聴く側が完全になる必要がある。
クレンペラーには
聴く側の姿勢を正してくれる堅牢感、質実さがある。

510korou:2024/01/18(木) 14:22:33
〇モーツァルト「交響曲第40番」

セルの伝記本を借りたので、さっそく「訳者あとがき」で推薦のあったこの曲を聴いた。
セル&クリーヴランド管で1967年の演奏。
第1楽章は、意外なほど旋律にタメをつくり、なめらかな表現で驚かされる。
これくらい、じっくりとメロディを歌うこともできるのだ。
まさにモーツァルトの音楽の最上のレベル。
しかし、第2楽章になると、いつものセルに戻ってしまった。
明らかに空気の変わる楽想の切れ目において
何もなかったかのように無愛想に流してしまう。
これでは楽譜を音にしているだけではないか?
その限りにおいては極限まで磨かれているのだけれど
逆にその完成度が空しい。
第3楽章以降も同様だ。
第1楽章のあの楽想のふくらみは何だったのか?
疑問の残る演奏、セルはセル。
今の自分には縁がない指揮者(伝記本は興味深くよむけれど)

511korou:2024/01/20(土) 13:34:50
○ベートーヴェン「交響曲第6番」

前回推薦盤のワルター&コロンビア響で聴く。
どう書いたらいいのか分からないが
実に困った演奏で
超絶素晴らしい瞬間も味わえるのだが
ずっと聴いていると
どうにもならない不満もくすぶってしまうという感想になる。

第1楽章の展開部で曲想が盛り上がっていく部分など
まさに田園風景に感動した瞬間そのものが完璧に再現されていて
聴いていて胸が打ち震えるのをおさえることができないくらい素晴らしいのだが
終楽章まで聴き続けるにつれて
なぜそのような感動の瞬間が、それ以来再度訪れないのかという
贅沢な不満を覚えるという不可思議。

推薦盤であることに変わりはないが(上記感動の瞬間など他の演奏ではなかなか味わえない)
まだまだこれ以上のものを求めたい気持ちも大きい。
多分、ワルターがきっちり仕事ができた時期にステレオ録音が可能だったら
凄い演奏になっていたはず。

512korou:2024/01/21(日) 16:05:16
○ベートーヴェン「交響曲第8番」

推薦盤のシューリヒト&パリ音楽院管で聴く。
正直あまり期待していなくて
シューリヒトに結構イレこんでいた時期のなごりかもしれないとさえ思っていたのだが
聴き終わってビックリというか
やはりシューリヒトはシューリヒト、偉大な指揮者であることを再認識させられた。

出だしは録音の悪さもあって
何が行われているのか明確につかめない感じなのだが
すぐに個々の音の鋭さが感じ取れて
そこから先は天才の所業に凡人が慌てふためくといった体になった。
とにかく、ぼんやりとは聴いていられない。
そして、しっかり聴けば聴くほど
何が行われているのかどんどんハッキリしていくので
しっかりと聴くかいがあって
しっかり聴くことのしんどさなど微塵もないのである。
退屈もせず、心地よい精神の緊張を伴ったまま
終楽章まで到達し一気に終わる感じ。
曲が短めということもあるが
こんなに集中して音楽を聴き続けて
しかも真の意味で愉しいというのは
本当に久々の体験だった。
推薦盤に間違いなし!

513korou:2024/01/24(水) 15:09:33
○ベートーヴェン「交響曲第3番」

ヘッドホンでは、どうしても音量不足になりがちで
今回から、必要に応じて設定音量を調節することにした。
痩せた音質のシューリヒトの場合、通常の「50」ではなく「60」に設定。
その上で、シューリヒト&パリ音楽院管の「英雄」を試聴。

これは曲の外面を鋭く磨いた演奏で
「英雄」という曲が内包する魂の燃焼がイマイチうっとうしくなっている
今の自分にとって最上のスタイルの演奏といえる。
決して”人間ベートーヴェン”を再現した演奏ではないが
「英雄」という曲の持つ美点をいやがうえでも認識させられる職人肌の名演だ。
「英雄」について、他の演奏では何も感じられなくなった自分だが
この演奏だとさすがに心地よく伝わってくる。
新しく推薦盤としよう。

514korou:2024/01/25(木) 12:32:57
○チャイコフスキー「交響曲第4番」

寒くなったこともあり、今回は突然ながらチャイコフスキーを聴きたくなった。
推薦盤としては
スピーカー試聴を試みたときに追加したクーベリック&バイエルン放送響の演奏が面白そうだったので
今回はヘッドホン試聴で聴いてみた。
クーベリックの演奏は、普段あまり聴かないのだが
「ハルくん」サイトで推薦があって聴いてみたという過去の書き込みを確認、
なるほどそうだったのかと思い、とは言えその演奏の様子は全く記憶から消えてしまっているので(たった1年前なのに)
今回も半信半疑(クーベリック?という感じ)で聴き始める。
のっけから明快な音響でホッとする。期待通りのステレオ録音、
ハルくんの記述によると、1969年のライブの録音で
その時期としては最上の部類の録音だということ、そして
ライブで燃えるクーベリックの面目躍如ということだったが
まさにその通りで
これこそチャイコフスキーの交響曲を聴く醍醐味というべきか
音色一つ一つに哀愁と寂しさ、絶望感といった感情がこもっていて
心を動かされる。
ヘッドホンで聴いても素晴らしく
推薦盤であることに間違いはなかった。
録音、演奏ともに超一級品(第4楽章がややもたれるが、まあ小さな傷)

515korou:2024/01/26(金) 12:17:34
○ベートーヴェン「交響曲第3番」

「英雄」についてセルの名盤があることを思い出して
出だしだけ聴いてみたものの
薄っぺらい音質でクリーヴランド管の美点が全く感じられない録音に失望。
セルの演奏スタイル自体が現在の自分には好みでないのだが
それにしてもこの音質だと、それ以前の問題としてどうしようもない。

そんなわけで
オーケストラ演奏の醍醐味を味わいたいと思い
カイルベルトとドイツのオケの演奏はないかと探したところ
うまい具合に「英雄」がユンク氏サイトにアップされていたので
さっそく試聴・・・これが、素晴らしい!
思ったとおりオケがドイツの響きで満足したのはもちろん
カイルベルトの棒が「英雄」の楽譜から多くのニュアンスを引き出していて
久々に、ベート―ヴェンの音楽を聴く喜びを十分堪能。
リズムの処理が抜群で、これは今の自分には最も好ましいアプローチに感じられ
しかも細かい部分で聴きどころが多いのも嬉しい(同じくリズムが厳しいカラヤンには、こうしたニュアンスが乏しいのが惜しい)
録音の音質も1956年とは思えない美しさで
本当にどの楽器の音もクリアに聴こえる。
現時点では断トツNo.1、断然推薦盤となる(ヘッドホン試聴)

516korou:2024/01/27(土) 17:58:32
○ベートーヴェン「交響曲第5番」

「エロイカ」の演奏が印象的だったので
同じカイルベルト&ハンブルク・フィルの組み合わせで
決定盤のない「運命」を聴いてみた。
ユンク氏サイトにはアップされていないので
ナクソスで試聴。
「エロイカ」同様、純ドイツ風の音色に歯切れの良いリズムが刻まれ
出だしは予想通りの好印象。
前半2楽章は文句なしで、迫力の点でクレンペラーさえ上回る感じだったが
クレンペラー同様、後半2楽章の内容の薄さをカヴァーするものがなく
その点は残念な結果に終わった。
この後半2楽章に関しては
録音・実演ともに、かつて80年代に実演で聴いた朝比奈隆&大フィルの演奏を
上回るものに、なかなか出会えない。
その演奏にしても、ほぼ朝比奈の強引なドライブによるものだけに
やはりこの「運命」という曲は駄曲という他ないだろう。
前半2楽章だけ聴いて終わり、というのが今の自分の率直な感想である。
その意味では、クレンペラー同様
現時点で暫定の推薦盤となる。

517korou:2024/01/28(日) 16:32:10
○ベートーヴェン「交響曲第6番」

ちょっと前に
スピーカー試聴ながら
モントゥーの指揮で聴いた「田園」が良さそうに思えたので
再度試聴。今度はヘッドホンで。

結果、思ったより潤いがなかったので残念。
VPOの音は通常よりしっかり響いていて
独墺系の名門オケとしての実力は伝わってくるのだが
モントゥーとしては
それ以上の指示は遠慮しているかのようだった。
VPOといえども、普通に上手く合奏しただけでは
少なくともベートーヴェンの交響曲である以上
名演にはなり得ないという典型例だろう。
誰も悪くはないのだが
普通程度の演奏になってしまった。
VPOの音色を最上として敬意を抱く人にとっては
これでも推薦盤になるのだろうけど。

518korou:2024/01/29(月) 11:53:19
○ベートーヴェン「交響曲第6番」

どうも「田園」には決定機名盤がない。
モントゥーはかなり良い方だが、そしてワルターはそれ以上に良いのだが
それでも決定的ではない。
今回は、まず苦しい時のクリップス頼みということで、クリップス盤を聴いてみた。
さすがにテンポ、リズムは正確無比で素晴らしい。
ダイナミズムまでも気が配られていて素晴らしいのだが
なぜかロンドン響の音に不満が出てしまう。
他の曲でロンドン響の音色に不満を感じたことはないのだが。

そこで、純ドイツ風ということで
カイルベルト&ハンブルク・フィルの演奏を聴いてみたのだが
録音も演奏もなぜか冴えない。
演奏がイマイチだと、もともと録音は貧弱なので聴き続けることができない。

宇野さんの本だとシューリヒトが良いと書いてあるので
シューリヒト&パリ音楽院管で聴いてみる。
これはクリップスと同じで、正確な演奏なのだが
いかんせん音質が貧し過ぎるし、オケの音色にも不満が出る。

再び純ドイツ風ということで、ヨッフム&AC管、アバド&VPOあたりを試してみる。
ヨッフムの指揮は、物凄い重たいテンポで、今の自分の嗜好に合わない。
アバドもVPOだとテンポが遅いのだが、BPO盤もあって
なぜか、こちらはカラヤンばりにテンポが速くスマートだ。
同じ指揮者でなんでここまでテンポが違うのか不思議なくらいだが
BPOのほうが聴きやすい・・・でも何かが足りない。ニュアンス不足?

結局、名盤にたどり着けないし、以上の経過はエクセルに記述するほどでもない。
やはりワルターとモントゥーは特別なのかもしれない。

519korou:2024/01/30(火) 11:45:00
○ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」

推薦盤は、ルービンシュタイン(p)、クリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エアー。
出だしは、いかにもアメリカの巨大オケらしい力強い音質で
クリップスが紡ぎ出すはずの音楽とは違和感満載だが
しばらく我慢して聴き続ける。
ルービンシュタインも
ホロヴィッツ・ショックからの基礎からのやり直しが完成した直後でもあり
やりたい放題の演奏で
どこまでもベートーヴェンではなく演奏者を感じさせる演奏。
一体どうなることかと思ったが
第1楽章の最後で、ルービンシュタインの弾くカデンツァの出来が素晴らしく
そこから第2楽章の入りに至るまで、オケの音色もクリップス風味がにじみ出てきて
このあたりから両巨匠の芸風がうまくハマり始める。
第2楽章の音楽の濃さ、ルービンシュタインの個性とクリップスの個性の
それぞれの最大の美点が奇跡的に混じり合い
他のどの演奏でも味わえない深い境地の音楽が聴こえるのだ、
第3楽章の速いテンポになっても、その深さは維持されて
こういう感じのベートーヴェンは初めて聴いたような気がする。
第1楽章の大半は違和感だらけでも
後半の充実度は驚嘆すべきもので
それだけでも推薦盤の価値はあると判断した。
本来なら(部分的に優れている場合は)○評価だけど、特別に◎でもいいかな。

520korou:2024/01/31(水) 14:14:57
○ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」

推薦盤のケンプ(p)、ケンペン&BPOで聴く。
モノラルながら音質は悪くなく
1953年当時のBPOの硬質で美しい弦の音と
ケンプの慈しむようなキータッチの音色が
ちゃんと伝わってくる。
演奏のほうも
十分に緊張感がありつつ、細かいニュアンスに事欠かない。
推薦盤として申し分ない。
優れた演奏だから、これ以上書くことがない。
これぞベートーヴェン!

521korou:2024/02/01(木) 16:16:02
○ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番」

推薦盤の1つ、ゼルキン(p)、バーンスタイン&NYPで聴く。
ゼルキンのピアノは真摯で力強く、ベートーヴェンの音楽にはぴったり。
それに対して、この時期のバーンスタインは
情熱的で前のめりで、これまた別の意味でベートーヴェンの音楽に最適。
そうした組み合わせで聴く「皇帝」は
第1楽章あたり、満足できる出来栄えになっている。
問題は、第2楽章からの深みのある曲想になってから。
第1楽章は豪快なニュアンスさえあれば
他のニュアンスが聴こえなくても良いくらいなのだが
第2、第3楽章は、意外なほど
ニュアンスを要求してくる音楽のように思えた。
その意味で、ゼルキンのピアノは実直に過ぎ、
バーンスタインは単調に過ぎるように思えた、
悪い演奏ではないのだが、推薦盤となると
もっとグレイドの高い演奏があるのではと
思いたくなる。

もう1つの推薦盤、ナクソスからグルダ(p)、シュタイン&VPOは
ヘッドホンで聴くと、グルダのピアノの音がおもちゃのピアノのような音に変換されてしまう。
演奏を聴く以前の音質の問題で、これはどうしようもない、

以上、前回の推薦盤2つともに疑義がついた。
次回は、元に戻って(?)、バックハウスなどを聴いてみることにする。

522korou:2024/02/02(金) 14:44:27
○ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番」

バックハウス(p)、イッセルシュテット&VPOの演奏を聴く。
言わずとしれた天下の名盤で
確かにドイツ風味満点、技術的にも表現においても
何も損なうものがなく完璧に近い。
しかし、致命的というか、個人的嗜好からいえば
この演奏には緊迫度が足りない、
悪く言えば
なにもかも分かっている世界でのんびり弾いているように思えるのである。

それから沢山の演奏を試聴。
なかなかこれぞ推薦盤という演奏に出会えなかったのだが・・・

やっと見出した。
ギレリス(p)、ルートヴィヒ&フィルハーモニア管の演奏。
これは、(一般にはまずいとされている)この盤の録音状態が
たまたま現在のヘッドホンの性能と相性が良いという偶然もあるのだが
とにかくオケの音色とピアノのタッチが渾然と溶け込んで心地よいのである。
それに加えて
ギレリスの演奏がいかにもベートーヴェンらしく真摯で誠実なのも
推薦盤に足る要素となっている。
ルートヴィヒという指揮者は初めてだがギレリスのサポートとして申し分ない。
これで決まりだ。

523korou:2024/02/03(土) 15:12:27
○ベートーヴェン「交響曲第8番」

推薦盤だが再聴をし忘れていたので試聴。
クリップス&ロンドン響の録音は全て良好で
最初から豊かな音質で楽しめるのが嬉しいところ。
この曲は、集中して聴かないと
途中で退屈すること必定なのだが
今日は集中できなかった(ちょうど眠気のリズムのピークで聴いてしまった)
それでも、良い演奏であることは確認できた。
クリップスの特徴からして
この曲で悪い演奏になるはずがない。
必要なことはすべておさえられていて
文句のつけようがない。
当然、推薦盤。

524korou:2024/02/03(土) 16:01:00
○ベートーヴェン「交響曲第5番」

べートーヴェンの交響曲をあらかた聴き終わり
「英雄」以降で唯一◎がついていない曲は「運命」だけだったので
未練がましくまだ名盤はないかと思いめぐらせ
フリッチャイの演奏を再聴することに。

ヘッドホンで再度聴いてみたフリッチャイの「運命」は
予想以上に音質、演奏ともに今の自分にフィットし
前回聴いたときよりも遥かに大きな感銘を受けた。
もともと第1楽章については
どんな指揮者よりも優れていることは分かっていたが
今回は、第2楽章以降も集中力を保って聴き続けることができ
実に素晴らしい演奏であることを再確認した。
曲想の単調な第4楽章でさえ
BPOの各奏者の名人芸で堪能できるのだから
これ以上の名演はない。
やっと「運命」にも◎の演奏を見つけたのである、
これでコンプリート!

525korou:2024/02/04(日) 16:09:23
○ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」

推薦盤は、パールマン、バレンボイム&BPO。
ナクソスでさっそく聴いてみた。
バレンボイムの指揮は無難なものだが
パールマンのヴァイオリンは、さすがの愉しさで
耳をひきつける。
ただし、あまりに軽快にすいすいと弾きこなしてしまうので
聴いていて引っ掛かるところがなく
贅沢な不満を覚えてしまう。
そもそも、この曲は真にベートーヴェンの音楽らしいのかという
本質的な疑問も生まれてくる。
音楽的には問題ないが
音楽鑑賞的には疑問の余地があるという演奏。
◎はつけにくく、○とした。
とはいうものの、これ以上の演奏を見つけるのは
どうだろうか?

526korou:2024/02/05(月) 14:32:50
○ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」

いろいろと試聴。
評判の良いシェリングはユンク氏サイトになかったので
ユンク氏サイトからは
まずシゲティとワルターの演奏を試聴。
ワルターの伴奏は完璧で美しいが
シゲティの精神美についてはピンとくるものがなかった。
本来はドラティのバックの演奏が推薦されていたが
ドラティだとピンとくるのだろうか。
そもそもこういう音楽について
自分は感性が不足しているのかもしれない。
ユンク氏サイトには、オイストラフもなかったので
ここでナクソスに切り替えて試聴。
シェリングがあったので聴いてみたが
やはりピンとこず(イッセルシュテットの伴奏は素晴らしい)
オイストラフも聴いてみたが、ピンとこず。
カラヤンとフェラスもダメで
これは曲自体が自分の好みでないと判断。
”300選からの選抜”自体から外すことにした。

527korou:2024/02/06(火) 12:40:24
○ベートーヴェン「ピアノソナタ第8番”悲愴”」

ケンプ、バックハウス、ギレリス、ギーゼキングを聴いた。
宇野氏絶賛のホロヴィッツがユンク氏、ナクソスともに見当たらないのが残念だが
一応、世間的にはこの4名のピアニストを聴き比べれば
主なところは網羅したことになるだろう(300選のアシュケナージ、インマゼールなどは論外)

やはりケンプが一番良い。
バックハウスは、1959年の演奏については問題外で
弾く意欲が全く感じられない。
おそらくレーベルの都合でステレオ録音をせがまれて
仕方なく録音したのだろう。
それに比べて1953年の演奏は(モノラルとはいえピアノ独奏なので音質的には致命的でない)
表現者としての意欲に満ちていて、まだ聴きがいがあるというもの。
しかし、それでもケンプに比べて単調で一本調子に思える。
ギレリスの演奏は、いかにもベートーヴェンという雰囲気が最高なのだが
バックハウス同様、重たさに傾きすぎて、聴き続けていると退屈してしまうのである。
その点では、ギーゼキングの演奏は
即物的というか、あらゆるニュアンスを一切捨てていながら
逆にすべてのニュアンスが詰まっていて聴きどころが多いという
逆説的で奇跡のような演奏になっていて興味深い。
ケンプのようなオーソドックスなニュアンスの入れ方とは正反対ながら
行き着いた地点は同じように深いのである。
惜しいのは音質で、これはレーベルの失態というべき。
この音質ではギーゼキングに失礼過ぎるというもの。
よって、前回推薦盤のケンプが、今回も推薦盤という結論に至る。

528korou:2024/02/07(水) 16:44:43
○ベートーベン「ピアノ・ソナタ第14番”月光”」

まずナクソスで推薦盤のギレリスを聴く。
残念なことに、この曲の第1楽章の静謐な分散和音の連続について
もう自分としては耐えられない感性を持ってしまっていることに気付く。
かつては神妙に聴き続けていたのだが。
途中でケンプの演奏に切り替える。
ケンプにしても、その退屈さを免れないのだが
ギレリスよりは音色が柔らかいので
その音色の微妙な変化を味わうこともでき
その点でギレリス(そしてケンプ以外のほぼすべてのピアニスト)を
上回っている。
第2楽章以下もケンプの演奏の優位は揺るがない。
おそらく、前回は第3楽章の迫力の点でギレリスに軍配を挙げたのだろうが
今回は、ケンプの第3楽章のニュアンスの細かさを聴き取れることができ
結局、推薦盤はケンプということに変更。
ギレリスも全然悪くない演奏、ケンプのような奇跡のピアニストが居なければ
断然ナンバーワンと言ってもよく
微かに感じ取れるその退屈さにしても
ベートーヴェンの音楽の古さのせいなのだと思う。

529korou:2024/02/09(金) 11:11:45
○ベートーベン「ピアノ・ソナタ第15番”田園”」

前回推薦盤はケンプ、しかし、馴染の無い曲ということもあり
ケンプらしい温かい演奏だと気が抜けて聴こえるのも事実(聴き慣れればいいのかもしれないが)。
バックハウスも同じように淡い演奏でイマイチしっくり来ない。
ナクソスでギレリスの演奏を聴いてみた。
これはじっくりと熟成させた演奏で
一つ一つの音が意味深く聴こえてくる。
最高の演奏なのかどうか
この曲に詳しくない自分には判らないが
少なくとも今の自分には
このギレリスのような慎重で用意周到な演奏が好ましい。
現時点での推薦盤はギレリスということになる。

530korou:2024/02/14(水) 11:52:12
○ベートーベン「ピアノ・ソナタ第17番”テンペスト”」

推薦盤はバックハウスだが
52年の旧盤か63年の新盤なのか不明だったので
まず新盤からチェック。
悪くはないが、取り立てて抜群の名演とも思えない。
レコ芸500選だとリヒテルが一番で、小林利之氏もリヒテル推しなので
ナクソスでリヒテルの61年盤を試聴。
リヒテルに向いている曲想であることは間違いないが
バックハウス新盤との優劣を考えた場合
これという決め手がないように聴こえた。

最後にバックハウスの旧盤を聴く。
これは素晴らしい。
第1楽章で曲想が盛り上がり、鍵盤で強音が鳴ったときに
バックハウスが表現しようとしたベートーヴェンの魂が
聴こえたような気がした。
これこそベートーヴェンの音楽。
文句なしに推薦盤。
旧盤であることを明示しておこうか。

531korou:2024/02/15(木) 17:39:15
○ベートーベン「ピアノ・ソナタ第21番”ワルトシュタイン”」

まず推薦盤のバックハウスから。
前回の試聴で旧盤と新盤ではかなり出来映えの差があることに気付いたので
今回は旧盤だけで試聴。
「テンペスト」同様、これぞベートーヴェンという演奏で
曲想も相俟って、物凄い迫力だった。
試しにケンプも聴いてみたが
このバックハウスの後に聴くと
さすがに物足りない。
曲想によっては、こういうこともある。
レコ芸だとギレリスを推薦しているので
ナクソスで聴いてみた。
これも素晴らしい。
バックハウスほどピタッとハマってはいないのだが
そんなことを忘れさせるほど異様なほどの集中力で
音楽をまとめて有無を言わせない。
ギレリスの良い面が最大限に現れた名演だと思う。
バックハウスとの優劣など考えるだけ無意味だ。
名演と名演を比較しても仕方ない。
最後に宇野氏絶賛のホロヴィッツを聴いた。
これは音質も演奏もベートーヴェンを味わうには
テイストが違い過ぎる。
固いだけのタッチで、いつもの集中力も感じられない。
ホロヴィッツならもっと凄い演奏があったはずだ。
というわけで、バックハウスとギレリスの2つの名盤が推薦盤。

532korou:2024/02/17(土) 13:10:57
○ベートーベン「ピアノ・ソナタ第23番”熱情”」

まず推薦盤のバックハウスを聴くが
例によって旧盤から聴くと、これが音質が悪くて迫力がない。
新盤に切り替えると、音質は格段に良くて
バックハウスのやろうとしていることがよく分かる。
これは珍しく新盤の演奏を採るしかない。
それにしても、この曲のイメージからは
やや外れた感じの印象を持つので
さらにギレリス、ケンプ、ホロヴィッツ、リヒテル、アラウなどを聴いたが
どれもこれも「熱情」というより「意志」という感じで
重たく大きく、激しさは部分的にしか表現されない
(以上のなかではアラウが最も音楽的に優れているように思う。
 そして以上のなかでは、やはりバックハウス新盤が一番自分の好みに近い)

ナクソスでグルダを聴いてみた。
これこそ自分の(勝手な)「熱情」のイメージに最も近い。
重たさ、大きさなどが念頭になくて
鋭さ、激しさ、明晰さが優先された演奏。
バックハウス、アラウと並ぶ名演、そして一番愛聴しそうな名演。
推薦盤はグルダとし、他はいろいろ聴いたがバックハウスとアラウだけ
記録に残しておこう。

533korou:2024/02/18(日) 15:52:03
○ベルリオーズ「幻想交響曲」

まず推薦盤のモントゥー&サンフランシスコ響から。
何度も聴いた演奏だが
今回は久々というか、ほぼ初めて全部通して聴いた。
個人的には、第1楽章からして素晴らしいのだが
一般的には、後半2楽章が鮮烈ということらしい。
今回はその鮮烈さを実感した試聴となった。
テンポの動きがいかにもこの曲のおどろおどろしさにピッタリで
どうやってこういう表現にまで至ったのか
凡人には本当に分からない、まさに天才指揮者というべきか。

ということで
この演奏について推薦盤の地位は不動だ。
ただし、この曲については
思ったほど他の指揮者を聴いていないように思うので
しばらく数人ほど聴いてみようかと思っている。

534korou:2024/02/21(水) 17:55:34
○ベルリオーズ「幻想交響曲」

まず定番とされているミュンシュ指揮の演奏から。
67年のパリ管盤を聴き始めるが、弦の音色が酷いので
聴き続けることができない。
なぜ、こんな音質の演奏が絶賛されるのか理解に苦しむ。
ちょっと尋常でない音の悪さだ。
次に、62年のボストン響盤も聴いてみたが
これは音色が軽すぎて、聴き続けられないというより
この程度の普通の演奏を聴くだけ時間のムダのように思え、中止。
第4楽章のティンパニと金管の音の鮮烈さは秀逸だが
そういう個性的な表現のない部分は実に平凡。

ミュンシュのパリ管盤は
音が悪いとは言え、表現に感情がこもっていて
その点が魅力的なのはモントゥーと同タイプの演奏だろう。
となれば、もう少しクールな感覚の演奏も聴きたくなり
ナクソスで60年代のカラヤン&BPOの演奏を探して聴いてみた。
これは期待通りの音質で耳に心地よく
カラヤンの演出もクールそのもの。
楽曲の内部に浸り切って感情を爆発するというタイプの演奏とは真逆で
聴こえてくる音から何の感情も伝わってこないが
それはそれで心地よいのである。
カラヤンの美点が意外なほどこの曲にマッチしている。
推薦盤にはし難いが
クールにこの曲を味わいたいときには最適な演奏だと思った。

535korou:2024/02/23(金) 12:13:57
○ベルリオーズ「幻想交響曲」

その後も、ミュンシュ&パリ管の演奏をスピーカー視聴したり
バレンボイム、パレー、プレートル、モントゥー&VPOなどを聴いてみたが
モントゥー&サンフランシスコ響を超える演奏は存在しないことを
再確認する結果に終わった。
これは天才の演奏、これを超える演奏は
今後とも現れないと思われる。
以上でとりあえず「幻想」は終わり、
次の曲へ。

536korou:2024/03/01(金) 12:24:13
○ブラームス「交響曲第1番」

(数日前にこのスレに記入したような気がしたが勘違いだったようだ。ここ数日の試聴記録を以下に記すことにする)
カラヤン&BPO(’63)の演奏。特に不満はないのだが
カラヤンの集中力とBPOの分厚い合奏で、この曲を通して聴くと
さすがに重苦しく聴こえてしまう。
贅沢な注文になってしまうが、
もしこの重苦しさがなくて、これだけの厚味があれば、と思ってしまう。
フルトヴェングラー&BPOも同様で
特に第1楽章冒頭のキマった感じは尋常でないのだが
むしろ聴く側の自分のほうに
冒頭の緊張を45分以上持続させて聴き続ける能力がないように感じるのだ。
ワルター&コロンビア響の演奏は
さすがにオケの迫力が乏しく
この曲に関しては、それが致命的に思える。
以上が前回推薦盤(カラヤンだけはBPOとVPOを間違えた)についての感想。

そして、今日、聴き比べサイトでの推薦盤、ショルティ&シカゴ響から聴き始め。
これは、ワルターと真逆で、この曲にふさわしい剛毅なイメージはたっぷり、とは言え
それ以外のニュアンスが皆無という寂しい演奏、いかにもショルティ、
評判高い晩年のカラヤン&BPO(’87)の演奏は
ショルティを聴いた直後だと素晴らしいが
それでもあえて(この段階で未確認の)カラヤン&VPO(’59)を聴いてから判断。
そのカラヤン&VPO、素晴らしい!これこそ推薦盤にふさわしい。
VPOがニュアンスをつけて、
同時期のカラヤン&BPO盤で感じられた重苦しさを消している・
他に、ベーム&VPO(’59)も気になるのだが、
多分カラヤン&BPOと同じ重くるしさがあるのでは、と思ってしまう。
とりあえず、カラヤン&VPOで今回のヘッドホン試聴での推薦盤に決定。

537korou:2024/03/04(月) 15:06:48
○ブラームス「交響曲第1番」

ベーム&BPO(’59)を聴いてみた。
重苦しいのではと予想していたが
それを上回る推進力があり
カラヤンにはない中身の詰まった、いかにも名演のときのベームといった
素晴らしい出来だった。

カラヤンも聴き直してみたが
これはこれで他にはない魅力があり
ベームのような燃焼力の高さよりも
スッキリとこの曲を味わいたいときには
やはりベスト盤ということになる。

というわけで
◎は2種、カラヤン&VPO、ベーム&BPO(いずれも’59)を
推薦盤とする。

538korou:2024/03/05(火) 14:52:12
ついに、PCからのbluetooth受信に成功。
ナクソスを
無線イヤホンで聴くことができるようになった。

・・・となれば
今日以降は、ヘッドホン試聴ではなく
ワイヤレスイヤホン試聴ということにしたほうが
耳などの健康と、今現在の生活環境の面から
ベターであることは間違いない。

ということで
エクセルの表を修正し
さっそく最初のワイヤレスイヤホン試聴を
試してみた。
試した結果として
ヘッドホン試聴はもうやらない
ということで良さそうである。
次々と変更し続けることになるが
仕方ない。
より良い条件で
試聴を続ければいいのだから。

539korou:2024/03/05(火) 14:57:41
○ブラームス「交響曲第2番」

ワイヤレスイヤホン試聴の初回。
ナクソスをワイヤレスイヤホンで聴くと
ステレオ録音の音質が
予想以上にぐっと広がって聴こえて
かなりイイ感じになることが分かった。
モノラル録音だと
逆に音量不足の結果となって
ヘッドホン試聴以下の音質になるのだが
その点でも随分と今までと違ってくるだろう。

推薦盤は、ワルター&NYP、ジュリーニ&ロス・フィルだったが
ワルターについては、上記のようなことで
ワイヤレスイヤホン試聴の形になると物足りない。
ジュリーニのほうは
素晴らしい音質になるのだが
肝心の演奏が、第1楽章の意味不明な演奏時間ということもあり
やたら長く感じるのが致命的だ。
代わりに、ハルくん推薦のシューリヒト&シュトゥットガルト放送響の演奏が
音質も演奏も良く
とりあえず
今回はこれが推薦盤となる。
もう少し聴き込んでみようか。

540korou:2024/03/06(水) 18:03:21
○ブラームス「交響曲第3番」

ワイヤレスイヤホンで多くの演奏を試聴。
推薦盤のジュリーニ&ロス・フィルを聴いていて分かったこと。
この曲について一番聴きたかった時期には
このジュリーニの穏健な演奏が一番良かったのだが
今となってはそこまでの入れ込みがなく
そうなると、もう少し細かく表現してほしいということになる。
その意味で
ゆっくりで重たくてもよければ
ナクソスでザンデルリンク&ベルリン響の演奏も好ましく
もう少し普通に音楽的に高度なものとなれば
ユンク氏サイトでクレンペラー&フィルハーモニア管がベストだろう。
というわけで
クレンペラーが今回の推薦盤となるが
気分によってはジュリーニが一番という時期もあるかもしれない。
とにかく、なかなか難しい曲で
弦の音色、管楽器の絡ませ方、テンポ、冒頭のアクセントの付け方、リズム
どれをとっても、不満な箇所が目立てば
もうそれだけで聴く意欲が失せていく、そんな感じなのである。
(音質さえ良ければ、トスカニーニの演奏も推薦盤候補なのだが・・・)

541korou:2024/03/08(金) 12:01:44
○ブラームス「交響曲第4番」

ワイヤレスイヤホンで聴くと、音質がいくらか劣化するので
今までに推薦盤で聴いた印象とは異なってくるのは納得していたはずだが
今回ほどそのギャップを痛感したことはなかった(といっても、まだ3曲目なのだが)
いろいろな演奏を聴いて、そのどれもにイマイチな印象を抱き
そのうちに、この曲を聴くことについて一体何を求めているのか分からなくなる
という比較試聴のドツボにハマっていくことになっていくのである。

推薦盤のラトルとベームというのは自分でも意外な選定で
その経過を確かめることなく、いきなり聴いてみたが
ラトル盤は解釈が当たり前すぎて特徴がなく、
逆にベーム盤はどこにも不満はないのだが、ただベームというだけで重たい印象が拭えないわけで
どちらも今回は推薦盤にはなり得ない。
ふとヨッフムのモノラル盤(本当はステレオ盤が聴ければベストなのだが・・・残念!)を聴いてみると
やはりこれが一番すんなりと聴ける演奏で、推薦盤にふさわしい。

そして、今日、ステレオ録音をユンク氏サイト中心に
ほぼ全部聴き続けてみたが
どうもピッタリの演奏が見当たらない。
結局、少し重たすぎるきらいはあるものの
同じ重たさでもベームのような野暮ったさがないだけマシということで
ナクソスでのザンデルリンク&ベルリン響の演奏を
ステレオ録音での推薦盤ということにした。
それにしても、ワルター&コロンビア響の演奏が
もう少し弦の厚味が聴こえればベストなんだが・・・(無線イヤホン試聴では薄すぎ、かといってイヤホン試聴でもイマイチに聴こえた・・)

542korou:2024/03/08(金) 12:32:00
○ブラームス「交響曲第4番」

ジュリーニ&VPOを聴き忘れていた。
出だしは最高なのだが、やはり最後の追い込みが落ち着き過ぎていて
結局ザンデルリンクと同じ印象になってしまう。
ここはヨッフムの独壇場ではないだろうか。
早くヨッフムのステレオ盤が無料で聴けるようになってほしい。
それまでは、ジュリーニとザンデルリンクが暫定推薦盤(評価○)となる。
以上。

543korou:2024/03/09(土) 10:31:53
○シューベルト「交響曲第9番」

ふと聴きたくなって、ブラームスの次のブルックナーではなく
このシューベルト(ホント、時として急に聴きたくなるのだ)
推薦盤はクリップス&AC管、これは期待できる・・・と思ったが
無線イヤホンだとこれが違ってくるわけだ。
別の曲でも、クリップスは
無線イヤホンで聴くと魅力が減退してしまったのを経験済みなのだが
この演奏もそう。
クリップスのせいではなく、視聴環境のせいである。
音が貧弱に聴こえる、そしてそのせいでこの偉大な指揮者が
何をしようとしていないかについて用意周到であることが
全然伝わってこないのである。
したがって貧相な音でごく普通の演奏を聴いているという
印象になる(あ〜あ、やんなっちゃうよ)
まあ仕方ない、真価を知りたければイヤホンもしくはヘッドホンで聴くしかない。

ということで、無線イヤホン試聴では、録音・演奏ともに○という評価に格下げ。

544korou:2024/03/10(日) 15:32:06
○ブルックナー「交響曲第4番」

まず、推薦盤のうち、ティントナー指揮の演奏から。
出だしが記憶している以上にゆったりとしていて
まず自分の記憶が意外(苦笑)
しかし(そこは記憶と違っていても)納得の推薦盤。
全然せっついた感じがなく
まさに大自然の悠揚たる息遣いとともに呼吸しているかのような
これぞブルックナーの宇宙という印象。
こんな世界は
ブルックナーの音楽鑑賞以外あり得ない。
迷うことなく推薦盤です。
録音も優秀、オケ(ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管)も適度な淡さが快適、

545korou:2024/03/11(月) 16:05:36
○ブルックナー「交響曲第4番」

あまり好きな曲ではなかったのだが
調べれば調べるほど面白い情報が出てくるので
しばらくはこの曲ばかり聴き続けることになりそうだ(1日に2つ聴くことは不可能だし、演奏時間からも、聴くエネルギーからも)

まず、かつてのもう1つの推薦盤、ネルソンスについて。
これは、どこも悪くないのだが
かといって、今聴くと、どこが良いのかも分からなくなってしまった。
どこを聴いて推薦盤にしたのだろう?
普通程度の良い演奏ではないのかと思ってしまう。
そして曲のつまらなさを思ってしまう。

ひょっとして、つまらない曲を立派に聴かせる点で
クレンペラーなどがいいのではと思い
ナクソスからユンク氏に切り替えてクレンペラーの指揮で聴く。
確かにこれもいいのだが、やはり途中で退屈してしまうのも事実。
これは曲のせいだと思っていたのだが・・・

最後にヨッフムを聴いてみた。
これは良い!曲のつまらなさなど一切連想させない。
これでもかこれでもかといろいろな仕掛けを繰り出しながら
ブルックナーの音楽の素朴さ、自然さを全く損なわないのが奇跡的。
本当に退屈せずに、しかもブルックナーらしい響きで聴ける。
これは推薦盤に値する。ティントナーとは正反対のアプローチで、こんな名演もあるのだという驚き。

546korou:2024/03/11(月) 16:22:53
○ブルックナー「交響曲第4番」

さて、この曲については
ケンペ、レーグナー、チェリビダッケなどの名演があるらしく
レーグナーは最速、チェリビダッケは最遅で有名ということらしい。
ケンペが指揮するミュンヘン・フィルは
ブルックナーに最適な音色のオケということらしい。

この曲に関しては
聴き比べサイトの方のヨッフム評が自分とは異なるので
ハルくんの感性のほうが自分には近いが
その両方のサイトで上記3点が高く評価されている。
さらに、ハルくんサイトでは
ベーム、ヴァントも最高級の評価で
これら(及び年代が違っても類似のもの)の演奏が
ナクソスにあれば
やはり聴いてみたいところ。
ヨッフムのおかげで
他の演奏も聴く余裕が出てきたし。
(ティントナーは他と全く違うので、他の演奏を聴く余裕が出てこなかった
 つまり、ティントナーのようなアプローチは他にはないだろうと予測できるので)

547korou:2024/03/12(火) 16:54:59
○ブルックナー「交響曲第4番」

今回はチェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの演奏を聴いてみた。
テンポが極端に遅いと聞いていたが、聴いた感じではそんな印象ではなかった。
繊細に表現すべきところでは慎重に音を響かせていたが
そうでないところは少し遅い程度で全く気にならない。
そして、全体として非常に荘厳で神々しい。
聴いていて飽きるどころか
もっとじっくり聴き込んでみたいと思わせる演奏だ。
個性的ではあるが
けっして指揮者の存在を強くする演奏ではなく
あくまでもブルックナーの宇宙を表出するための
壮大な仕掛けという感じ。
初めてチェリビダッケの真骨頂を知った気がする。
これは間違いなく名演、推薦盤にふさわしい。
ヨッフムの指揮は
意図したところが明快で、それでいて意図が先走らない見事なものだが
チェリビダッケの指揮は
どう意図しているのか分からないが、とにかくブルックナーにふさわしい壮大さがある。
そして、ティントナーは、指揮という行為さえ感じさせない自然さ。
三者三様で素晴らしい。

そして、まだケンペとレーグナーが未聴なのだ。
ブルックナー「第4」侮れない。
名曲ではないが、指揮者の能力の何かを引っ張り出すだけの魔力のある曲だということが
今回の比較試聴で分かった。

548korou:2024/03/13(水) 11:40:59
○ブルックナー「交響曲第4番」

今回はケンペとレーグナー。
まずケンペ&ミュンヘン・フィルから。
これは予想通りの正統派の演奏で
曲の解釈やオケの音色について何の不足もないが
逆に積極的に聴いてみたいという魅力に欠けるのである。
ケンペと言えば、いつもその印象なのだが
今回も評判の割には
そのイメージを払拭するほどの個性は感じなかった。

レーグナー&ベルリン響については
確かに速い演奏で、それでいて音楽が途切れないようになっているのは
さすがにレーグナーらしいところ。
曲の構成を知るには最適な演奏かもしれない。
ただし、チェリビダッケとかティントナーのような超名演を知ってしまった以上
こちらの要求するものが肥大化していて
そう思えば、一度聴けば十分かなということにもなってくる。

というわけで
他に超名演がなければ
なんとなく推薦盤というレベルではあったが
さすがにヨッフムを凌ぐ出来栄えとは思えなかったので
推薦盤とはならず。
まあ一度は聴くべき佳演ではあるのだけれど。

549korou:2024/03/13(水) 12:12:58
(訂正)↑
 (誤)レーグナー&ベルリン響 ⇒ (正)レーグナー&ベルリン放送響

550korou:2024/03/15(金) 17:32:17
○ブルックナー「交響曲第4番」

ベーム&VPOで聴く。
これはVPOの音色が抜群で
それだけで推薦盤に値するクオリティだ。
ベームの指揮は安定していて
ブルックナーの音楽にフィットする部分は多いわけで
世評高い演奏というのも納得できる。

ただし、あまりにぴったりの音色で
堂々と音楽を展開されると
逆に眠くなってしまうということにもなる・・・
試聴中、何度かウトウトしてしまった。
これは聴く側の問題なので
推薦盤にすることについて何の問題もないが。

ヨッフムかベーム、これが入門編で
どちらを選ぶかは好みということになる。
そして、チェリビダッケとティントナー、これも
愛聴するかどうかは別として必聴もの。
この曲に関しては
予想外に明確な基準ができあがった。
次は順番通り「第5番」にしようか(エクセルの表だと「第7番」の順なのだが)

551korou:2024/03/22(金) 11:41:04
○ブルックナー「交響曲第7番」

結局、このところ「第7番」ばかり聴いている(時間の関係で第1楽章ばかり)。
まず、推薦盤のネルソンスだが
無線イヤホン試聴だと、意外なほど淡泊に聴こえてイマイチ。
耳の感覚のせいかと思いきや
マタチッチで聴くと、期待通りの分厚い音感で
これは間違いなく推薦盤だ。
ユンク氏サイトで目ぼしいものはないかと聴きまくってみたが
ワルター以外、聴きごたえするものがなかった。
ワルターの指揮は、意外なほど、新鮮な響きで
他の指揮者では聴かれない多彩な音が聴こえてくる。
再びナクソスに戻り物色。
ティーレマンを発見し、これは拾い物。
ベートーヴェンでは物足りなさがあるが
さすがにブルックナーだと聴かせる演奏だ。
そして、今日、ティントナーと朝比奈隆を聴いた。
ティントナーはいつも通りの淡い響きで好感が持てるが
さすがにこの曲ともなると、もう少しの情熱感が欲しい。
第4番あたりまではティントナーの淡さが最大限にフィットするのだが・・・
そして、朝比奈隆、これは響きがまさにブルックナー。
荘厳で神々しい、これはこれで独壇場ではないか。

あと、ヨッフムとレーグナーを聴けば十分かと。
さらに。◎印の演奏について、第3楽章以降もチェックしたい。

552korou:2024/03/24(日) 15:52:31
○ブルックナー「交響曲第7番」

レーグナーを聴く。
いつもの爽やかな響き、清冽な響きで心地よいが
残念なことにテンポが速すぎて
微妙に感情がついていけないきらいがある。
この曲の前半には
どうしても守ってほしいテンポがあると思っているので。

ヨッフムを聴く。
ドレスデン・シュターツカペレとの演奏は
ブルックナーの曲想に阿吽の呼吸でさすがだが
いかんせん、ナクソスの音源を無線イヤホンで聴くという環境では
あまりにも音が薄っぺらすぎる。
解釈において、これが現在の環境で聴けるベストの演奏なのだが・・・
BPOとの演奏('64)は
ユンク氏サイトでもナクソスでも試聴可能で
これはドレスデンとの演奏とは真反対というか
演奏の出来は劣るけれどもオケの響きが実に美しい。
最初は、ヨッフムなのでここまで響きが絶妙なら推薦盤としようかと思ったのだが
AC管との演奏のあの深い境地を知っている限り
このBPO盤の”当たり前な”解釈を推薦盤とするには忍びないのである。
ドレスデン盤なら、音質さえ良ければ文句なしに推薦盤なのだが。

ということで、曲の前半までの結果から
マタチッチ、ワルター、ティレーマン、朝比奈隆が推薦盤となる。
次回以降は後半戦。

553korou:2024/03/28(木) 21:11:29
○ブルックナー「交響曲第7番」

曲の後半を、ワルター、ティレーマン、朝比奈隆、ヨッフム、チェリビダッケ、マタチッチで聴く。
チェリビダッケは聴く必要なかったのだが、間違えて聴いた。
凄いとは思うが、この曲に関しては判断しにくい(前半も聴いてないし)
ヨッフムも聴く必要なかったのに聴いた。
前半と同じく、オケ(BPO)の音色は素晴らしいが、それ以上のクオリティはない。
その意味では、ティレーマンも同じで
ドレスデンのオケは素晴らしいが、それ以上のものがなかった。
朝比奈隆はそれと正反対で
いろいろと個性的なのだが
都響の音色の単調さを補って余りあるという評価まではできなかった、

同じくオケの音色というか厚みに不足があるワルターではあったが
それ以上の美しさ、抜群の表現力に惹かれた。
何回でも聴ける安心感、安定感がある。

そしてどの指揮者で聴いても同じような後半なのだが
ただ一人、全然違う音楽を聴かせてくれたのがマタチッチ。
これこそブルックナーといいたくなるような威厳と強さがあった。

というわけで
名曲ゆえに推薦盤以外は聴くに値しないということでは全くないのだが
そのなかでも推薦盤ということになれば
マタチッチが一番、ワルターもそれに次ぐ推薦盤という結果となった。

次は「第5番」に戻ろうかな。


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