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音楽スレ(2021~ )

220korou:2022/04/01(金) 17:49:45
(1956年の新譜から)
ハイドン「交響曲第88番」(フルトヴェングラー&BPO、1951年12月5日録音)
★★★★★★★★☆☆

どこまで聴いてもハイドンの姿は見えないけれども
それなりにハイレベルな音楽を聴かせてくれる怪演と言える。
そもそも主情的な解釈に冴えをみせるフルトヴェングラーであれば
これだけ冷静で洗練されている音楽をやるべきではなかったのだが
それでも「グレイト」の力演をあっさりとこなしたことによる余裕の時間を使って
楽団員と始めた即興の合奏がハイドンであったということは
クラシック音楽の奥深さを物語るエピソードだと言えよう。
フルトヴェングラーと当時のBPOの団員にとって
ハイドンの音楽がどのような位置を占めていたのかは知るよしもないが
ベートーヴェンからワーグナーに続く主情的な音楽が
ナチスにより悪用され、自身もそのことで精神的にダメージを受けた体験から
数年経った1951年という時期に
ハイドンの理知的な音楽が特別な響きに聴こえたとしても不思議ではない。
それは、ほぼこの1951年の冬の時期に戦後の新しい指揮スタイルを確立させ充実させていたフルトヴェングラーにとって
自身の新スタイルでハイドンを再認識しようとしていたとしても全くおかしくない。
このハイドンは、フルトヴェングラーが考える戦後ドイツの思潮、嗜好にふさわしいハイドンだったに違いない。
しかし、それは彼の精神がそういう風に方向性を変えただけであって
フルトヴェングラーにしてはリラックスしている、という程度に過ぎない、というのが
戦後の彼の指揮活動すべてに言える悲喜劇のようなものだった。
何故悲劇なのかと言えば、これはハイドンではないと一聴して分かる別物なのに指揮者だけがハイドンだと思っているところ。
何故喜劇なのか言えば、それほどハイドンを逸脱しているのに立派な音楽として十分鑑賞に耐えうる名演であるところ。
以上、★8つにせざるを得ない。


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