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短詩人/Hyperion

1:2003/08/16(土) 12:50:20
(無題)
むらくもの屋根にみえたる菖蒲かな
こうこうと滝壷さむし蛍交う
宵闇の白い乳房よささめきぬ
編集済

2:2003/08/16(土) 12:47:39
(無題)
きのふけふ浴衣の少女思ふなり
風鈴や馬についたる祖霊かな
百合の花ふくらむものの香する

3:2003/08/19(火) 16:14:24
(無題)
雨ふりて気の衰ひしセミの声
雨ふりて馬のスジ目もたがへたり
雨ふりて恋気くずるる小路かな
   *
芳やしスカボロフェアの歌みちて
芳やしあやもどろとよ海の紅

4:2003/08/20(水) 13:05:52
(無題)
ビール飲む味の筋目も見えている
アヤの子に浴衣着せたし夏の宵
朝顔の花よりかるい目ざめあり
露おおし電車の音も移ろひぬ
暗転を重ねていたり砂漠色

5:2003/08/21(木) 12:18:58
(無題)
藍といふ分身いくつ女なり
藍といふ乙女心をはかりかね
藍といふダンスの午後の影法師
   *
暁の忘れし緑ふるへをり
暁の水門は竜の眠るとき

6:2003/08/22(金) 12:19:11
(無題)
アヤハベラまだみぬ光描きつつ
アヤハベラきのふの浜辺けふの波
アヤハベラ青うむ果ての暁に
アヤハベラ風に堪えたる羽の線
アヤハベラ藍の深みの百合の花

7:2003/08/22(金) 14:02:12
(無題)
ツブ貝の匂ひはよかり立待岬
啄木を藍に染めてリ立待岬
暁の闇に目をあぐ立待岬
   *
蟹ならで女心の坂道
蟹ならでハンカチーフの歌を詠む

8:2003/08/23(土) 14:17:54
(無題)
胃は軽しつくつくほーし森の中
みんみんとマコモは古代の香りして
髪切ってランボー読まん昼下がり

9:2003/08/25(月) 13:44:12
(無題)
夕顔とひょうたん組んずほぐれず
夕顔や咲いたら勝ちの白拍子
夕顔やクロネコ被りの荷が届く
夕顔やくずれぬうちに鬼退治
夕顔のうつし顔なる月の宵

10:2003/08/26(火) 23:07:06
(無題)
ニワトリが三度鳴いたら釈迦頭
台風の酔いどれ飛ばす釈迦頭
トパーズの盗まれてをり釈迦頭

11:2003/08/27(水) 11:16:39
(無題)
あらびあの音楽聞かん竹風鈴
あらびあの半月刀こそあやしけれ
あらびあのアカチチ雲はあやもろろ
あらびあのマコモの笛の吹きわたる
あらびあの船は山原あやもどろ

12:2003/12/30(火) 11:29:51
(無題)
イフガヲの想い出ぶらり初茜
イフガヲの想い出ぶらり茜雪
イフガヲの想い出ぶらり猿の雪

13:2003/12/30(火) 20:46:53
(無題)
夕顔の雪降る年のはじめなり
夕顔の去るものは追わぬかな
夕顔の光降るようサル橙

14:2004/01/07(水) 14:42:02
(無題)
だいだいの香り葉ミの雪炎なり
だいだいの赤黄みどりと毘売のごと
だいだいの摩多羅の蝶は羽たてり

15:2004/01/13(火) 17:43:31
(無題)
大雀こすずめと円を描けり
大雀すでに逐われたり津のほとり
大雀羽根に目をもつ夕凪の

16:2004/01/14(水) 00:02:39
(無題)
さんにんの花トンボの目のくるる
さんにんの花カエルの足ひらくかな
さんにんの花イヌもヒトも縞しま

17:2004/05/16(日) 14:31:37
(無題)
星と月 なみだあふるるヒキカヘル
星と月 などさけるとめカムタケル
星と月 いるかるかとよヒラカムイ

18秋魚:2004/05/19(水) 14:48:20
(無題)
たけのこや想ってゐたり月の宵
たけのこや音になりそな月の宵
たけのこや蟹もあつまる月の宵

19:2004/05/22(土) 14:33:12
(無題)
星落ちる涙いっぱいきび畑
星落ちる背たかのっぽのタイ人
星落ちるいのしし追って穴の中

20:2004/05/23(日) 13:34:46
(無題)
ほむたわけ鬼道ゆらす牡丹かな
ほむたわけ石蹴り闇牡丹かな
ほむたわけ竹と猪牡丹かな

21:2004/05/25(火) 22:33:25
(無題)
棘桐のレキオスたちの夕餉かな
棘桐の花は血潮の香りして
棘桐の青い空から天女降る
棘桐や高麗船に霞ひく
棘桐や大魚小魚ざるの中

22山田:2004/10/06(水) 13:14:30
(無題)
バラの名の香り満ちたり丘の上
バラの名の日記はさみぬ古手紙
バラの名のゆかしき朝のアゲハ蝶
バラの名の水こんこんと湧きあがる
バラの名の綾とるように水流る

23秋魚:2004/10/20(水) 02:47:39
(無題)
クバに降り光しもの影のごと
クバに降り光さんさん宿かりの
クバに降り光散ったり牛と蛇

24秋魚:2004/12/27(月) 19:54:54
(無題)
甘南備の雪積もりても極楽鳥
甘南備の茜さす木に鳥さわぐ
甘南備の雪の中なる鳥の影
甘南備の橘鳥の翔けりかな
甘南備の雪の雫の落ちにけり

25秋魚:2005/03/23(水) 10:52:36
(無題)
かたばみの三つ葉爆ぜたりお昼前
かたばみの花は菫に似たるかな
かたばみの片葉は実だと花がいう

26秋魚:2005/04/12(火) 22:52:32
(無題)
シモンよシモン鶏の声を恐れるな
ヨハネスパウロ2世も夜明けの声がつらい
わが祖国というものいずくにか石の上

27山田:2005/04/13(水) 00:33:07
ああ、桜
明日こそかの女にコトバあたえむ
花ふぶき赤い糸こそみえづらく
まことに風があっても無くても赤い糸
きみの名はアツ子というなり忘れえず
忘れずの笛をふくなり静かなり

28秋魚:2005/04/26(火) 21:00:28
(無題)
赤いお手ての闇ふかし 闇ふかし

赤いお手ての闇くたし 闇くたし

29秋魚:2005/04/26(火) 21:29:44
(無題)
御咲てふ雪の暁石よ
御咲てふてふ赤い雲
御咲さくさく赤イモリ

30秋魚:2005/04/27(水) 11:12:24
はなみずき
赤いお手ての闇ふかし♪・・闇ふかし

けふの温泉はローマ風、演歌だった。雷雲と夕立で夕方はよく晴れた。星もよく見える。花はどれもこれも盛りをすぎつつある。今朝方のきりっとしたボタンなどは雨にやられてうちしおれていた。時の前後もない。カモミールの香り湯だった。カモミールは雛菊といふ。

赤いお手ての闇ふかし♪・・闇ふかし

むかし橘の闇を恋していた。初夏の闇を。キツネの母さんを失うのは葛の葉。赤いお手てはこんこんキツネ。橘姫は渦に消えた。キツネも橘姫も乳房は小さく尖っている。赤いお手てが悩ましい。

・・いつもは寄らぬ古本ショップで「零の発見」をさがした。みつからない。・・「稲垣やよい」をさがした。アルカードはどこかにあるのだろう。みつからない。DVDが花盛り。

・・いつもは寄らぬ恋ヶ窪の大スーパーへも。照明がやけに明るい。閉店まぎわでカツヲの刺身が百二十円。巻き寿司が二本で百円。百円の夏みかんをひとつ。

赤いお手ての闇くたし♪・・闇くたし

夜のチャリンコは演歌だった。平原綾香のジュピターは惑星だった。綾香と一青窈が楽屋で会った。マンガを読んでいた一青窈。・・何のマンガだろう。

31秋魚:2005/05/04(水) 12:38:00
ヘゴの木
…青梅街道は闇だ。ホテル“寿々加“なんてあったっけ。あてつけの偶然ということだろう。いつかサイレンススズカの亡霊にちがいない。きっと。・・横田めぐみとサイレンススズカは失われたメロディ。・・ああ、しくじった。生きているめぐみはまた闇の中。バクチとサウナを使う族がおおいうちはめぐみはもどらない。忘れる。身体と忘却。・・けふのサウナは5百グラムの減量だった。

・・すばらしい牡丹があった。こうやってめぐみも掠め取られたのだろう。きっと。

*珍敷塚古墳 めずらしづかこふん

古墳時代後期(6世紀)に造られた古墳です。
ここに葬られた人物が、太陽の輝く陽の世界から月の支配する陰の世界へ、鳥の導く船で現世から来世へと旅立とうとする姿が表されていると言われています

・・この蕨手文は何だろう。沖縄のヤンバルでみたヘゴの木にちがいない。日輪はシュメールの象徴ではないか。月へ向かう。これも天の鳥船?

32秋魚:2005/05/06(金) 10:41:19
日子、ヒコ
ヒコはヘゴだろう。・・阿遅志貴高日子根はなにゆえ若日子の鳥葬から弾かれたか。阿と日、安日。
「大国主命 の惣領と考えられる安日は、An の安と太陽 Lah=rah=日 の構成です」。ならばアヂシキタカヒコネは安日であろう。Allahのイスラム=シュメールであろう。

>天なるや 弟棚機の 項がせる 玉の御統(みすまる) 御統に 穴玉はや み谷 ニ渡らす 阿治志貴高 日子根の神ぞ

・・天の川。弟棚機の、御統(みすまる)はスバル。スバルはシュメールの楔文字。穴、An の谷渡り。オキナワの按司は、イスラム=シュメールの安日、ヤマトの阿治志貴高日子根にちがいない。An・hi、An・dhi、adhi、アヂ、ajhi、アジ。・・ヒッタイトなら鉄もつくる。

・・ヒコはヘゴだろう。

33秋魚:2005/05/09(月) 21:00:38
かたくりの湯
よく晴れた。けふこそサイクリング&温泉日和。武蔵村山の「かたくりの湯」にでかける。まずチャリンコで立川にでてそこから芋窪街道をひたすら北上する。モノレールが全開通していてその下を道路がつづく。途中、玉川上水駅、桜街道駅このあたりで桜街道、青梅街道にうちあたる。ここを西に折れて武蔵村山のすごーい旧式の団地がたくさんある。3、40年前の長屋みたいだ。すぐ隣にはモダンな団地もある。もうすこしゆくと雑木もふえる。もうこの辺りは武蔵野の外れか。温泉にゆく道がついぞわからない。吟雪の蔵元があったので酒は買わずに道をきく。お店の若いお嬢が親切に教えてくれる。やー、遠いいのなんのって。村山貯水池の近くまで来ているみたいだ。青梅街道から折れて土地の起伏がおおくなって緑もおおい。一時間と15分くらいでやっと着く。ちょっと手前に稲荷神社があった。キツネもいる。・・こんなところに天然温泉がある。
・・平日で客は少ない方なのだろう。浴槽のつくりがぎくしゃくしてて数名でいっぱいになりそうだ。泉質は透明でわるくない。サウナは霧のようなものがサーッといつも吹いている。にわか雨のなかにいるようだ。とっても暑いというほどでもない。紫根の湯というのが目玉だった。ムラサキ草の根を模した湯が深い青紫だった。ここも一人、二人でいっぱいだ。・・あと温泉プールがある。こちらの方は広々とよくできている。たぶん別世界だ。(ちょっと覗いて次回の楽しみにする^^; レストランでビールとカツオのサラダを食す。トマトが並だ。小平温泉の海藻サラダに入ってたトマトは高級品だった。小さな一切れだが万感の味がした。

いろいろけなしているが、実は感動、大感動の「かたくりの湯」だった。・・武蔵野はひろく魅惑だ。玉川上水駅あたりも昔とぐっと変わってしまった。どんどんと果てまで開発されつつあるような。・・自転車でぐんぐんいくと人も景色も同じような気もするしまったく変わってしまったような気もする。・・青梅街道沿いにある大きな店舗は車の客を当てこんでいるのだろう。時間帯がわるかったためか回転すしなどはまったく客がいなかった。なんか殺伐としている。

帰りもやはり一時間15分くらいかかった。立川栄町の緑化道を国立までサイクリングしてジュピターの店の前まで来た。クラシック喫茶はもう閉じていまは草花屋さんになっていた。小さな敷地に小植えの鉢がたくさんある。お休みか。店のおばさんも不在のようなのでそのまま家に帰った。

34秋魚:2005/05/11(水) 11:57:39
みちしお、湯舟
・・引越し貧乏でボートハウスに越してきた。けっこうな舟がそのまま借家になっている。舟のある地はからからに乾いている。部屋もいくつかあっていい暮らしができそうだ。えいっと荷物を運んで住みはじめた。その日は疲れてしまいぐっすりと寝た。ssssss朝目ざめてみるとさあ大変!!潮がみちて水だらけ。陸にあがれない。これでは仕事にもいけない。なんてこった。台風でもきたらこんな舟はたちまち転覆してしまうに決ってる。しまった!! 

・・そう思ったところで目が醒めた。夢だった。なんでこんな夢をみるのか。たぶん昨日、おとといと続けて温泉にいったのが災いしているんだろう。ただ湯舟につかるというのでなくいろいろ水の変化を楽しんだ。にわか雨のようなサウナとか、滝のようなうたせ湯とか。居場所を忘れてトリップするまでいた。酒も呑んだし。うまいものも食べた。

・・小平温泉はローマ風がよくできている。あまり人が混んでなければ別天地となる。ラベンダーのサウナはやや香りがきつかった。サウナを二度つかった。夜空がきれいだった。

・・体重は500g減った。

35秋魚:2005/05/17(火) 17:12:10
ヒルガオ
・・土手堤は草茫々。踏み切りで警鐘の音をききながら列車の通り過ぎるのを待っていた。ガタゴト、ガタゴト…草むらの奥にうす紫のまるい花がみえた。ノアサガオ?ヒルガオ?

・・ヒルガオは水爆の花に似ている。レンズ雲のようでもある。…ヒルガオの女にはひさしく会っていない。

・・スーパーで、また、鯖の切り身を買った。

36秋魚:2005/05/17(火) 22:57:49
Tokioに原発を
時こそ今 「毒蛇博士」と「原子力文化」で詩のボクシングでもいかが
時こそ今 チェルノブイリ産巨大ミミズを永田町に凱旋パレード
時こそ今 キムテツの毒舌もケヤキの陰唇も「原子力文化」に歯が立つや
時こそ今 思いこんだら大リーガーの星イチローよ放射能を浴びてパワーアップ
時こそ今 「そら空来たよ」のおっさん「原子力文化」でも食べてなよ美味いぜ
時こそ今 「短詩形ガタガタ口差点」ハンバーガーがミミズだと思い出しました

Godzhira「放射能えらい!人間を差別しない」
Godzhira「泥水もえらい!人間を差別しない」
Godzhira「毒蛇博士もえらい!人間を差別しない」

               (「泥水」01.1月)

・・だんだん日が長くなってきた。露天風呂の空には月がみえる。星は金星だけ。月のウサギもみえる。・・ゴーッと聞こえるのは、点滅して移動する飛行機。バタバタというのは米軍ヘリ。・・西の空でたぶん横田基地から飛ぶのだろう。

サウナから水風呂へ。頭はどうしたものか。小脳のあたりも冷やすと気持ちいい。これは今日発見。首までなら確実に頭ふらふらになる。これはよくないのかもしれない。足寒頭熱はふらふらする。頭の先まで冷すべし。

…意富多多泥古、オホタタネコは、御諸山の神主。こういうドロドロしたのはきっとシュメール系だろう。

37秋魚:2005/05/25(水) 13:42:37
テラス
・・夕方から9時くらいまで雨が降るだろう。家を出る前にさっと一雨来た。街道に沿ったわき道をゆくことを憶えた。車を気にしなくていい。路面があちこち濡れているのはこちらもザッと降ったのだろう。とぎれとぎれの黒雲が流れてゆく。

・・温泉は透いていた。いつもようにサウナには馴れがない。熱いだけだ。ずっと昔のサハラ砂漠を思い出す。湿気は無いが頭がカーンとくるのは同じ。コンテナの仕事の時も同じ。・・終わったあとの百円の冷えたジュースが美味だった。よく俳句をつくった。不慮の事故もあった。

・・ローマ風呂から見えるあのこんもりしたした木はなんだろう。もう影絵になっている。墨色の空をあいかわらず黒雲のはやい流れがある。ずっと北の方はもう真っ暗だ。雷も鳴って大雨になるかもしれない。・・雲の流れを追うのは気が安まる。かれらは今でこそ予想されているが昔は気まぐれで気ままだった。白い雲は自由だった。

・・マルセイユの丘から港を見わたす。否、マルセイユは通りすぎただけだ。フィレンツェ郊外フィエゾレの丘ならいった。・・テラスとパノラマがいい。

38秋魚:2005/06/01(水) 12:02:34
迷路
…や、また道に迷った。恋ヶ窪のスーパーから交差点を直接すすむ道をとった。広い通りにぶつかったら右折していけばいい。角度がずれているのだろうそんな道にはぶつからない。仕方なく慌てて右折、また左折を繰り返す。単線の鉄路にもぶつかるはずだがそれもない。…ああ、もうわからない。ホテル寿々加がある。右折して直進か?・・ついに降参して通りがかりのオバサンに道をきく。ああ、青梅街道ならそこの上水の橋をわたってまっすぐいけばよい。・・なるほど津田にもぶつからないな。だいぶずれたものだがずっと近道なのかもしれない。どんどんゆくと温泉に近いところにでた。…武蔵野は迷路だ。

…ガジュマルが急に枯れてきた。水のやりすぎか。葉っぱが黄ばみ根が腐ってきた。まずい!と思ったときは手遅れ。・・手続きがどこか狂っていたのだろう。うーむ。

…サウナの手続きもどこか違っているかも。水風呂のあとまったくふらふらする。・・受付で東西南北の方向を訊いた。こちらが南です。はいそうですか。ありがとう。・・通路をまがってすすむうちもう分からない。どっちでもいいや。

39秋魚:2005/06/07(火) 22:17:55
菊、ロータス
…梅雨近し。おもい晴れ間をぬって武蔵野温泉にでかけた。三鷹の駅から送迎バスがあるという。これなら楽チンでいい。首尾よく3分前に着くとバスの乗客は自分だけだった。ネット案内では去年できたばかりで料金がちと高いから休日でもけっこう空いているということだった。平日はなおさらか。・・三鷹の郊外はあまり知らない。北へ進めば五日市街道や青梅街道にぶつかるというのはこのあたりどこでも同じ。「遠い太古の昔、この一帯は海中にありました。・・」その海の水が封じこまれて地下1500mの温泉になったというのは武蔵野のほかの温泉も同じこと。ただ微妙に泉質が異なるのはやや不思議。この温泉は塩分がとても多いという。…着いてみると、よくある健康ランドさながらでそう思えば料金も高いということはない。そそくさと湯にむかう。・・どうも急仕上げの感が否めない。湯は天然だがすこし落ち着きがない。サウナはいい。中でテレビが見られる。が、これはよしあしであろう。うるさいと思うものもいるだろう。サウナの質はいい。3分の砂時計など置いてあって無理がない。水風呂も広い。らくらくできる。・・でも露天はね〜。にわか作りで情緒がかける。温泉を掘ってどんとつくったみたい。もうちょっとうまくつくれたはずだ。その点、小平温泉はうまい。別の天地をつくる。

…岩盤浴というのが目玉という。北投石から放出するエネルギーパワーを浴びるのだ。放射能を浴びるみたいないい効能があるという。ハハハ、これは次回にやってみよう。^^

レストランも自慢のようだ。よく作ってある。生ビールは小平の方がいい。・・まあよくできてる方だろう。

…「叡智の旋回−使徒パウルスとキリスト教」、「アッシュール、バニパル王の狩猟彫像」を電車の中で読む。

40秋魚:2005/06/14(火) 22:55:09
ラジウム
…もう梅雨の中休み。また武蔵野温泉へ。今度はやってみよう岩盤浴!ということであれが目玉らしい。1050yenの特別料がかかる。三鷹の駅に早く着いたので南口をすこし散歩。よくある風景ではなくすこし違って見える。もっと違って見えるとやばいのだろう。お花畑かもしれぬ。…目の前の風景はさほど興味がないからさっさとバスに乗り込む。…受付で岩盤浴ははじめてですか?と聞かれる。北投石というのがめずらしい。ラジウム、ラドンの放射線が体にいいという。秋田の玉川温泉とあとは台湾にまでいかねば無いのが北投石。なるほどいい汗がでる。これはサウナより自然体でいける。…空いていて穴場というのがなんとなく混んできた。岩盤浴はわるくない。

…休憩室のテレビでK−1をみる。ボブサップがいつもようにツアラトストラで登場。日本人相手になんとか勝つ。格闘技は全盛だな。韓国のなんとかいうジャイアント馬場みたいな大男も圧勝。・・なんかわからない世の中だ。

レストランでは蟹の揚げだし豆腐、米茄子の味噌焼きを食べる。ん、よくつくってある。

「皇大神宮の参道には、灯明にユダヤの星ミレニアが刻まれています。エホバのためにと言う事になりますが、実は、誰もそのことに気づいていません。」

なるほど、気づかなかった^^;

41秋魚:2005/06/21(火) 22:46:02
アルカディア
…晴れ。なんて虫虫するのだろう。こんな時はママチャリ温泉にいくしかない。同じような日々の労働はやはり血を腐らせる。活性酸素がえらそうにしていてはいけない。やっつけるのだ。
…武蔵野のうっそうとした林は特異かも。前回に迷路にはまった道をもう一度挑戦する。恋ヶ窪のスーパーのところで車道をわたり直進するのだ。うーむ。今度は見知った通りにぶつかる。これなら迷わない。そうそう青梅街道に出れば間違いはない。府中街道、津田学舎経由をカットすればけっこうな近道になるらしい。小平温泉はぐっと近くになる。…ああ、やはりここは泉質がいい。琥珀色でぬるっとするのはこころよい。ごくらく、ごくらく。だが、やけに人が多い。平日だというのに。穴場ということもなくなってきたか。…ここのサウナは熱い。6分もいたらやめたくなる。水風呂もきょうはいつもより冷たいか。…しかしここはいい。

…アルカディアを追った日々があった。アルゴー船座は南の空にあるという。否、あったという。おおきすぎて分解した。竜骨座のカノープスは南極老人星という。たぶんこの星だろう。元末の白蓮教徒が長江のさきにこの星をみながら海をわたったのは。琉球に寿仙人が流れてきた。察度の母も。

…アルカディアはパーンの時代か。極楽だがやがてここもくずれる。父を殺すか母を殺すかそういうドラマがいつもある。…カルメンタという霊媒はアルカディア→イタリアにある。激しいカルメンのことだろう。また卑弥呼の系譜も。

…ヤマトにおいてもアルカディアは見えない。が、たしかに幻視されている。

42秋魚:2005/06/28(火) 21:35:35
鷹の台
あちー。こんなんならサウナのがましだ。トンボさんは暑い国、フィリピンにいるのに快適そうな生活をしている。不思議なことだ。夜は雨になるとのことだ。早めに家をでる。…自転車のペダルが重いのは活性酸素のせいだろう。いつもの恋ヶ窪のスーパーから真直ぐいって結局鉄道を横切らない方法がわかった。一度横切れば二度目もある。これを二度ともカットすることができる。玉川上水がわかりやすい目標となる。・・津田学舎よりもっと西で渡るのだ。鉄道といっしょなら鷹の台の駅に出る。ああ、これが噂のタカノダイ。昔junko姉妹の通った駅だ。こんなところにあったのか。女子学生がいまでもたくさんいるな。あや坊みたいなのが。…よし、ここから青梅街道にでればいい。小平温泉は近い。

…ローマ風は気に入っている。和風はなんか淫靡だ。ひとも空いてる。ああ、サウナ。なんとかいう女優もサウナ好きだ。芝居のセリフはサウナで憶えるとかいっていた。こんな頭がカッカしてほんとだろうか。なにも考えたくは無い。…歌をうたう。カラオケをやる。やってヒマをつぶす。その歌をうたう意味がすこしわかった。…感情の持続ということ。

…雪明りの町、お祭りの夜…コヤナギルミコは古いかな〜山口哲夫のお気に入りだった。森昌子だってやる。小さな噂たちました♪たちました♪

…感情の持続は時間をつぶすが、それが年輪にくわわる。やはり歌わずにはいられない。

体重はついに58キロをきった。サウナで確実に500gは減る。。。。レストランで、生ビールと味噌田楽をとる。

…雨がくるまえに、さっと帰る。

43秋魚:2005/07/05(火) 22:31:55
郵政法案
…郵政民営化法案、衆院本会議の討論と採決が1時からはじまった。ラジオで出だしを聴くも長広舌。郵政は四つに分離するらしい。独立の具合がよくわからぬが、だいたいこんなものか。…蒸し暑いのでまた温泉サウナにゆく。チャリンコで例の恋ヶ窪スーパーから近道をさがす。鷹の台駅からずっと西にゆきそこから北に折れて青梅街道にでるというのが一番いいようだ。方向さえ間違わなければ。玉川上水のある鷹の台周辺は空気が澄んで気持ちのよいところだ。駅を目印にすれば迷路というほどでもない。こんどは35分で小平温泉に着いた。…いやー、混んでる。広いからまだいい。墨のあるのはさすがにいない。同窓会という映画監督が3日に一回来ているそうだ。どうでもいいことだが。客層が落ちないことを祈るのみ。…夕方から暗くなってくると涼しい風も吹く。サウナと水風呂はやみつきになってきた。…先日テレビでヒマラヤミツバチの蜂蜜で酔うというのがあった。危険な絶壁にあるミツバチの巣。むずかしいだけ精力が強いのだろう。…サウナも酔える。というかフラフラになる。…長島はいつも酔っぱらっていたからああなったのかもしれぬ。いい気持ちというのはやばいことなのかも。・・2回はいって体重は600g減った。

…帰りは、雨になる。濡れながら国分寺崖線の坂道を一気に下ってなんとか帰る。

…ネットで調べてみると、法案はぎりぎり可決ということだった。コイズミ氏もこれで構造改革の形だけは残したことになる。安保理参加のゆくすえも気になるが、退け時も近いだろう。

44秋魚:2005/07/12(火) 00:14:15
(無題)
俳句ダービーは針突のシュメール解釈から思わぬ大発展。トンボさんの面目躍如。このままゆけばノーベル賞ものか。
…夕方5時半から10時まで武蔵野温泉にゆく。ピンクの浴衣の似合う女とゆきたかったがそんなのいないので気楽に一人ででかける。ここは大穴場。…三鷹から送迎バスがある。前回は歩いていったが20分でゆける。三鷹はけっこう風情のある町だ。独歩などゆう居酒屋もある。…目玉の岩盤浴。これはいい。丸石の上に寝そべってまったく屈してしまう気になると時のたつのもはやい。死を迎えるときはたぶんこんな風ではないのか。放射能さえこころよい。肉体は悪魔ということだ。…volvicの水を飲みながら汗がでる。トルマリン、ガイアの元素、竜蘭石・・なんとかバナジウムの水もある。ともかく楊貴妃もやっていた薬石浴だという。・・サウナで300g減ったあと水を飲んでの岩盤浴で600g太ってしまった。変なの。…ああ、生ビールがうまい。もう一度死んだと思えば食うものもうまい。北海丼を食べる。函館の魚市を思い起こしながら。…もう一度サウナと温泉へ。夜になると雰囲気も出てくる。穴場というのはよく空いていて露天を独占できるからだ。寝転がると夜空がみえる。山水の庭も夜は趣きがふかい。覚醒があり酩酊がある。…サウナの水風呂は3度やってみたが確実に酔いがやってくる。あがりは水風呂で切る。

…帰りの電車の中で聊斎志異の本を拾う。聊斎は山東の人だという。…あの泰山にはいつかいってみたい。

45秋魚:2005/07/12(火) 21:29:15
(無題)
午後からチャリンコで“かたくりの湯”にでかける。遅くなって雨が降るだろうが、濡れるのもよし。途中立川のビッグカメラで写真のプリントを受け取る。久高島のものが何枚かある。…デジカメはいま800万画素とかいうのもあるが、画像をみるのはいかに便利で容易なことか。古いカメラはだんだん使わなくなりそう。…モノレールの下をまっすぐいけばよい。が、また道に迷う。熊野神社?立川に熊野神社などあったろうか。立飛企業というのがおおきな敷地取りをして地理をわからなくしているんだ。…無駄周りをしながら、なんとか玉川上水駅へ。桜街道駅へ。ここまで来れば前回の苦労が生きる。吟雪の蔵元があるはずだが。あいにく5時すぎで閉店だった。…しかし遠いーなあ。…かたくりの湯は今度こそプールにはいるつもりでスイミングキャップを用意した。これが無いと駄目なのだ。そそくさとプールへ。なんだちゃんと泳げるところは一箇所だけ。それも10メートルほど。あとは子どもの水遊び場ばかり。夏は普通のプールにいったほうがいい。で、温泉の方に切り換える。以前来た時となんか違う。男女入れ替わりになっているみたい。露天はずっとはいりやすい。サウナはミストではないドライだ。すこしせまいかな。5人でいっぱいになる。平日なのにやけに混んでる。たぶん料金が安いからだろう。もう少しリラックスできる空間があるといいんだが。昨日の武蔵野温泉とは段違い。…レストランで生ビールとワカサギのマリネをとる。雨が来そうなのでそそくさとかたくりの湯をあとにする。途中吟雪の本醸造コビンをゲット。また急にカレーが食べたくなったので、松屋のカンバンが見えたのを幸い立ち寄る。スープカレーというのがおすすめらしい。食券をかってあとで気がついたのだが、これは激辛で“キミは堪えられるか?“などいう宣伝コピーがあった。辛いのに飢えていたのでなんとかなると思った。で、いざはじめてみると辛いのなんのってくしゃみを何度もした。でもまずくはない。ひりひりなんとか終えてまたそそくさ帰路に着いた。

・・ああ、自転車。オリーブの島で戦争の頃、大石先生が乗っていた自転車を思い出す。

46秋魚:2005/07/19(火) 23:58:33
(無題)
…梅雨あける。鉢植えにして枯れそうだったパープルコンパクタが息を吹き返した。枯れた中から緑の生き生きした葉がいくつも伸びている。土ごと新しい鉢に植え替えたのがよかった。・・ガジュマルのときは土を完全に替えた。根も毛根のようでどうも頼りなかった。・・今度のは強そうなのが白く伸びていた。水をたっぷりやって腐ることもない。
…万里の長城に木を植えたひとがいる。昔は森があったがレンガを焼くのにみんな切って燃やしてしまったそうだ。政府が何度も植樹をしたがうまくいかない。土壌と木が合わないからだ。・・モンゴルブナというのがいいらしい。あるヤマト人がいいあてた。

…プロレスラーの橋本が急死した。合掌。

…小平温泉にゆく。チャリンコで35分。さほど混んでいない。サウナは90度だということだがとても熱〜い。3分もいたら逃げたくなる。あの水風呂はやみつきになる。露天で寝転がると天の雲がみえる。くらくら。パソコンのディスプレイみたいだ。・・サウナを3度やる。これは死ぬ練習。

…またカレーが食べたくなる。レストランでは生ビールと三色豆腐、抹茶・胡麻・柚子というのをとる。これは美味なり。・・あいかわらずカレーが食べたい。帰りの恋ヶ窪スーパーでカレー職人というレトルトパッチを買う。このスーパーのグレープフルーツは美味。…家でさっそくゴハンを炊いてカレーを食べる。ああうまい。・・中国産・胡ゆずの缶詰というのもある。これは不思議な味がする。ん、カレーと合うな。

47秋魚:2005/07/26(火) 21:23:09
(無題)
台風が来る。…週一回の楽しみである温泉にはいけなくなった。垂れこめてパソコンでも付き合うしかないか。掲示板の画像投稿がうまくいかない。意地になってテストを繰り返すが、ダメ。うまくいかない。メンテナンス障害かもしれぬ。…オーダーメイドのパソコンがどんな具合かネットで調べてみる。製造が終了して発送にかかっているとのこと。あと一週間はかかる。

…嵐になるまえに買出しにでる。ウナギの蒲焼が中国産、台湾産、日本産とある。高い日本産をと思ったがさっと台湾産にかえてしまった。ウナギはひさしく食べていない。精力をつけても仕様も無い事情があるが、えい!と食べてやった。一週前はカレーが食べたくなった。欲求のあるうちが花かもしれぬ。ウナギも美味だった。

…ナタリーというスイス人は魅惑だ。スイスというのはよくわからない。みかけは心身ともに健康そうだが、精神が病んでいる気もする。ナタリーはきのう日本語であいさつをしてくれた。こんにちは。bonjour tristesse。ちょっとアンニュイだね。

…小平温泉の受付嬢はよくいるフリータぽい。なんか気になる。…地味な仕事だが健康ランドなんかの仕事は若い女の子にはいいんじゃないか。けっこう縛られるんだろうけど。よい修行になるはず。…ナンパはできそうにない。

…風はたいして強まらない。台風はどこにいっちまったんだ。こんなのなら温泉にいくんだった。雨風の温泉というのもきっと洒落ているはず。・・楊貴妃もぐったり。

48秋魚:2005/08/03(水) 01:42:56
(無題)
…新しいパソコンが来た。古いプリンターを接続しようとしたがうまくいかない。winxp用にドライバをインストルする必要がある。HPからダウンロードしてなんとか接続に成功する。MOはどうか。これも立ち上がらない。デバイスが壊れているようだ。設定とファイルを新しいパソコンに移すウイザードもあるが、どうもむずかしそう。せめてMOぐらい使わないとやってられない。

…XPはこんなにもセキュリティに神経質だ。過剰すぎる。・・夕方から武蔵野温泉にでかける。部屋より外が涼しい。送迎バスは客も多い。人気もでたかも。…インタネット割引が200yenも値上がりしていた。経営もたいへんみたいだがあまりせこいことはしないほうがいい。とりあえずはまだ穴場といえる。夜、露天の庭で寝転がるとスバルがみえた。ウソ。スバルとみえたのは目がかすんで星がいくつにもみえたからだ。ほんとは一つだった。

…レストランで生ビールと海鮮のヌタ盛り合わせを注文したがなかなかもってこない。ビールをもっと飲めというのだろうが、そういう手管もみえすいている。やめたほうがいい。…ヒマな折、三億とかのめちゃな負債を負った場合どうするか、とか考えた。合法らしいがまったく納得がいかない。どうしようもない負債に対しては、あの自爆テロの気持ちがよくわかる。法を悪用したそんな負債など返す必要はないに決ってる。すこしは頭を使っていかに踏みたすかを考えてみるべきだ。どうしてもダメなら自爆テロの同士となるのがいい。

…あ、またカレーが食べたくなった。家でつくって食べよう。

49秋魚:2005/08/09(火) 12:08:01
(無題)
ああ暑い。夏らしくてよい。新しいコンピュータ、手の込んだ仕掛けが多くていらいらする。WINXPはセキュリティに神経質だし、プリインストルされてるソフトもなんか変な障害が多い。a/readerは2ページめがどうしても印刷されない。更新々々をやたらと迫るのが特徴。

…小平温泉にゆく。昼に一雨きたがすぐに晴れる。夕方も黒雲がやってくる。雪の温泉というのは気持ちのよいものだが、雨の温泉というのもいい。椿の花の咲く頃、深大寺温泉は趣がふかかった。…地元の若いのがチョー気持ちいいとかいってはしゃぐのがある。黙っていればいいものを。なんか隠居したジイサンになった気分だなどいってる。…アンビエントシーンというものに若者はあこがれた。ディスコにいったり、スキーやスキューバもそうだろう。金とヒマがかかる。そのアンビエントの手軽な工夫が温泉だった。トリップアートのはじまり。…いつも気になるフロントの子は耳におおきなトルコ石のイヤリングをつけていた。地味なタイプ。名札をつけていたので名前がわかった。

…レストランで生ビールとゴーヤサラダを注文する。混んでいて学生アルバイトみたいなのがでているのでさっさ切り上げるべきだった。なかなかゴーヤが来ない。文句をいいにいったらちょうどでた。盛り付けが下手だが、マニュアルがよくできているらしく美味だった。

…帰りに、古本ショップに立ち寄る。DVDの古いのがあった。けっこう高い。「四畳半襖の裏張り」という日活ロマンポルノが500yenででてた。神代辰巳の名作ということだ。いまはアダルトというがこの頃はポルノ、ロマンといっていた。世の中も変わったものだ。エロスの質が変わった?この映画をみればなにかわかるだろう。

…戦争とエロス、ということだった。

50秋魚:2005/08/10(水) 01:17:38
カサブランカ、あやぐ節
…カサブランカとは“白い家”。モロッコの町の名だ。映画のカサブランカを見ている。ハンフリーボガード、イングリッドバーグマン…なんて懐かしい俳優だろう。モノクロの画面でよく映えるバーグマン。モロッコで一番美しいというが、これは緊張の問題だ。人生でもっとも緊張してたかどうかわからぬが少なくもこの映画では張りがよい。

…“時の過ぎ行くままに”…キスはキス、ため息はため息。ただそれだけ。

…夕方から武蔵野温泉にゆく。送迎バスの客も多い。若い女性客が増えてるようだ。…岩盤浴はわるくない。台湾から運んだ石は通常の1000から1万倍の放射線をだすという。ガン治療に効くらしい。…なにもなくてゆくと白血病になったりして。

…レストランでは、生ビールと穴子の一本やき天丼を注文。今度ははやくでてきた。ひょっとして前回の苦情をオウナーが読んでいたのかも。味もいい。

…露天の上に葦ず張りの屋根ができた。すこしリフォームしたな。…若い客がはしゃいでうるさいのはどこも同じ。湯治のジイサンバアサンばかりよりましかとも思うが若者が温泉など来てほしくない。女の子ならいいけれど。

…あやぐ節。これを謡う楽譜がある。温泉帰りの電車の中で隣の女の子がみていた。上とか下とか中とか変な楽譜。あやぐ節とあるのでちょっとおろろく。少年のような若い子にきくと、習っているという。宮古方面の歌謡だね。東京で若い子がこういうのを習っているというのもおろろき。…前の前の職場に那覇から来たパートの奥さんがいたが、その娘さんではなかろうか。やせてきりっとした感じが似ている。

51秋魚:2005/08/16(火) 23:17:09
(無題)
ああ厚い。やってられない。…修理にだしていたMOの見積もりが来た。ドライブが壊れているので同じくらい高くなるとのこと。こんなのなら新品をもう一台買ったほうがましだ。どうもくさい。デバイスの不良だけだったと思う。ほとんど未使用ですぐ壊れた。保証期間はすぎていたのでいたしかたない。ちょうど保証期間がすぎた頃に壊れるというのは都合のよい商品だ。MOのデータを生かすためにもう一台購入せざるを得ないはめになる。…サポートの応対もマニュアル通りという感じだった。…ビックカメラで買ったが、メーカーもメーカーなら小売も小売だ。あそこの買い物はまともだったためしがない。以後要注意。MOのメーカーは××gitec。5年前の○○arpのパソもおそまつだった。初期設定不良というのに違いない。5ケ月で壊れた。使う意志がなければそのままゴミだろう。パソはその後なんとか持ち直した。

…こんどのパソは今のところ快調だ。保証三年にしたら向こうもいい商品をだすだろう。

…小平温泉にゆく。雨が降ってきそうだ。国分寺崖線の坂道をのぼり恋ヶ窪のスーパーから玉川上水、鷹の台駅、青梅街道にでる。やっと迷わなくなった。…きょうは祭日なので料金がちと高かった。それはいいけど子供がおおく混んでいる。サウナまでやってくる。子供はプールにでも行きなさい。…サウナは病みつきになる。…曇天の空がぐるぐるまわりだす。

…○○未来子さん。だいぶ仕事が楽しそう。わたしのことなど知らないようでした。

帰りに恋ヶ窪スーパーによる。ミニ観葉植物でがじゅまるがでていた。二鉢はもう枯れそうだった。ひとつを枯れさせないために購入する。一度失敗しているからなんとか救いたい。根の膨れて絡まったおもしろいがじゅまるだ。…幸福がやどるという。

52秋魚:2005/08/17(水) 14:48:35
(無題)
…ひさしぶりに俳句をいこう。

http://www.lib.u-ryukyu.ac.jp/
http://www.kamnavi.net/index.htm
http://www.post1.com/home/hiyori13/jindex.html
http://www.archives.pref.okinawa.jp/
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~sbj/elprindex.htm
http://www.piazzolla.org/index.html
http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/sinmoji.htm
http://sumomo.oiuw.oiu.ac.jp/5/5-4.htm
http://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/index.html
http://nihonsinwa.at.infoseek.co.jp/type/usinawareta-turibari.htm
http://www007.upp.so-net.ne.jp/jkodaisifukugen/fileKasetsu.html#chp01
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/
http://cgi.coara.or.jp/~fukura/uetufumi/index.html

53秋魚:2005/08/24(水) 01:21:06
(無題)
…鉢植えのがじゅまるが新しい葉をのばしてきた。もう駄目かと思ったがうまく根付いたようだ。土がからからに乾いてから水をやるのがよいらしい。いまは暑いから葉を多くするのかもしれない。パープルコンパクタなどは水をやればやるだけ葉がたくさんでてくる。盆栽だからあんまり大きく育っても困る。…メキシカンマンゴの種を植えておいたら芽が伸びてきた。葉がきれいで蔓のようだが木になるのだろう。種がおおきいので小さい鉢にいっぱいになった。このままではどんどん大きくなりそうだ。大きい鉢に移さねばならなくなる。…動物とくらべたら植物はずっと楽だ。花は咲かないだろうけどなんとか新しい葉っぱをみて楽しみたい。

…台風がくるな。武蔵野温泉にゆく。自分と似たようなリピータが増えてるようだ。リュックを背負ってハイキングみたいな感じでやってくる。でもここは女性がおおい。若い子も誘い合わせてやってくる。…あの岩盤浴はひそかなブームになるかも。放射線を浴びるとたしかによくなるところもある。汗もほんとによくでる。みんなどこか病もちみたいな人が多い。ただ若いだけで元気なのもいる。おしゃべりだけはやめてもらいたい。長い時間いるといろいろ愚痴もいいたくなる。時の流れを止められなければうまくない。

…カサブランカ後半をみる。イングリッドバーグマンが白黒で映える。ちょっとナタリーに似てないか。オードリヘップバーンみたいなところもある。彼女は魅惑だ。コンピュータをやりそうだから「俳句ダービー」の案内をしておいた。スイスからきっと何かメッセージを送ってくることだろう。

…アイスマンというミイラが見つかったのはスイスだっけ?オーストリアかな?

54秋魚:2005/08/24(水) 11:12:08
(無題)
ツヌガアル耳かもしれぬ奥もある
ツヌガアルきのふもんじゅの空花火
ツヌガアル海豚の鼻の草モーモー
ツヌガアル八幡獅子王シュラすする
ツヌガアル粉ふくやうな八岐大蛇
斑馬やイヌかもしれぬ狐かも
斑馬や倭カサに眠る鬼の太刀
斑馬や角鹿のホトリ焼けただれ

55秋魚:2005/08/27(土) 14:11:05
(無題)
よし、俳句!

http://www.saturn.dti.ne.jp/~ttshk/mokuji.htm

http://www.dai3gen.net/index_j.html

56秋魚:2005/09/07(水) 01:17:52
カトリーナ
雨もよいの中、選挙の期日前投票にいってきた。わが地区では3人しか候補がいない。大勢がわかっているので無駄な立候補はしないということだろう。自民、民主、共産。共産は志位委員長の明晰な弁舌で好感をもてるがまずここでは勝てない。自民、民主を秤にかける。12月の自衛隊イラク撤退のひとつだけでここは民主を選ぶ。コイズミ、カンザキ、フユシバの流れは無視するのみ。…比例は消滅するかもしれない社民へ一票。

…ハリケーン・カトリーナがミシシッピとルイジアナを襲った。堤防が決壊してニューオリンズが水浸しだ〜。家も橋もちぎれて飛んだ。乳飲み子を抱えた母親が困り果てている。…と突然ブッシュの猿顔があらわれる。「わが政府の対応には満足だが結果には満足ではない」だとさ。救護すべき兵隊は6割方はイラクにいってるからサル藪はなにもできないっぺ!3分の2が黒人というあのあたり、藪はどうもノロノロだが心根はしれている。…ジャズが生まれたあのあたり。いつかリベンジがくる。

…高速増殖炉もんじゅ裁判で最高裁の裁判官は、誰?もんじゅ運転再開を法で認可したあいつの名前は、誰?選挙では、最高裁の裁判官の罷免投票もできるんだった。立法・行政・司法の三権分立というけれど、この司法もまったく内閣政府にべったりじゃん。裁判官もみんな×にしよう。

…最高裁判決をいかに否決するか。誰か教えて〜

57秋魚:2005/09/12(月) 23:45:54
(無題)
総選挙。自民党の圧倒的勝利だった。刺客の女候補も勝てばけっこうまともなことをいう。テレビキャスターの皮肉もひからびてきこえる。内政の華々しさが目立つと次は必ずやばいことが起こる。…イスラム過激派のテロの標的はこれではっきりしたはず。ブッシュ=コイズミ路線でブッシュが暗闘している。支持率も38%まで落ちた。イラク自衛隊は進退のイニシアティブをもたないから今度こそ狙い撃ちにされる。一回は必ず大きなクラッシュがくる。アラーの原理はそういうものだ。

…豊御毛沼命。なんて淫靡な名だろう。これが神武でありいまのコイズミかもしれない。陰部から伸びるいくつもの蛇の頭がある。この頭が砕かれるのだ。

カサブランカ。パリ、マルセイユ、オラン、カサブランカ…リスボンからアメリカへ。この映画、ナチのゲシュタポまで英語をしゃべってる。フランス語はいくつかある。イングリドバーグマンがあいかわらずいい。・・・核のごとき光だ。

58秋魚:2005/09/14(水) 01:13:20
(無題)
…レンタルDVD七泊八日50yenとかいう駅前のデジタルスクリーンの広告につられて噂のDVDショップにゆく。駅前で宣伝するわりにはけっこう遠い。50yenとは限定の品でそれでも200yenくらいからある。An affaire to remember,めぐり逢いという映画を探す。レンタルにはないな。・・あったと思ったら54年くらいの作、ケーリーグラント、デボラカーのものではない。朗夫人の役をキャサリンヘップバーンがやるリメークしたものだった。昔のものはないのかな〜。・・とやっとみつける。クラシックシリーズみたいなのに入っていて買うとけっこう高い。評価も高いか。

・・きょうは買わずに武蔵野温泉に行こう。三鷹の駅前の花屋はずいぶん安い。大きなパキラの鉢が2つで500yenだと。売り子の娘さんに一つでは駄目かときくと300yenだという。枝葉が張っていて電車で持ち帰るのはどうかと考えていると娘さんはもう買ってくれたつもりでいる。で、今回も花ではなく観葉だけのパキラを入手した。

…武蔵野温泉は岩盤浴の評判がよいみたい。休日は予約制になっていた。さほど混んではいなかったがなんとなく人が多い。来るたびに施設もすこし変化がある。露天の庭の植え込みも手がこんできた。夜になるといい庭になる。岩盤浴で流れる音楽もバロック調のフルートやハープシコードが快い。きょうはいい月がでている。

・・温泉でも電車の中でもパキラをもっていたので遂に枝葉のひとつふたつが折れてしまった。まあそれも仕様がない。育ち盛りで新しい葉っぱもどんどんでてくるだろう。

…きょうはどういうわけか夕食をとりそこねていた。立川で松屋によって和風ハンバーグを食べて帰った。こういうのも久しぶり。

59秋魚:2005/09/20(火) 23:28:33
(無題)
…あ〜、これは憲法改正だな。民主党の前原氏は改憲派だとか。コイズミ氏も郵政民営化法案ごときではたいしたこともないが憲法改正ともなれば戦後政治史に確実に名を残す。最後の大仕事でこれに乗り出す。・・あと一年というのはこの見通し次第だろう。

…奄美の民謡を聞いていた。島歌なのだろう。波の音がきこえる。・・感情がどこにもとどかない。感情がたかまる。波の音・・母が他界するときはこういう心の声になるのだろうか。

・・やばい、死を思わねば。

サウナ室では、バロックが聞こえる。昔ジュピターでよく聞いたが曲名を思い出せない。なにかしきりと発熱する音に中和するためのもののようだ。時の流れがクラッシクなんだろう。・・堪えねばならぬ。

パキラ。折れた枝葉がまだ青々としている。この葉は有毒ガスを消すという。健康の木。もっと大きな鉢に植え替えるべきか。新しい葉も伸びている。

・・雨の温泉行もわるくない。600グラム減る。

60秋魚:2005/09/28(水) 11:30:40
(無題)
…夏をこしたミニ盆栽たち。ひとしきり枝を伸ばし葉を広げていたが。・・パープルコンパクタは葉を何枚も出してようやく成長をとめた。太い幹が皺をよせてやせているようだ。水が不足か。・・ガジュマルは、これも枝葉を大きく伸ばしてやや頭でっかち。植え替えをして新しい土には養分も多いようだ。もうすこし小ぶりの引き締まった葉がよかった。枯れそうにはない。・・メキシカンマンゴは、最初ツルかと思ったが、幹と大きな葉を伸ばした。あの小さな鉢ではもともと限界がある。なんか枯れてしまいそうだ。蟻がついている。・・パキラは太い幹でこれも鉢が小さすぎるかも。葉を大きく広げ生き生きしている。空気がきれいになる。

…小平温泉。低料金で立派な温泉だが、そうなれば客層も落ちるか。ガキンチョを引き連れたおっさんが露天をプール替わりにして遊ばせるのはやめてもらいたい。打たせ湯を30分くらい独占する奴もいる。・・他人の心根は考えないことにしている。

…ビールと、柚子、抹茶、ゴマの三色豆腐が美味だ。・・帰りの道は一本違う道を探索した。玉川上水にいち早くでる。上水沿いは暗いが車もこない。・・恋ヶ窪のスーパーでシナモンアップルドーナツ。これも美味だ。

…コンピュータがおもしろい。ビットマップ画像をTIF画像に変換は既製の機能でわりと簡単にできる。TIFは情報量がすくなそうでアップロードもはやい。

・・カサブランカの映像をストップする。バーグマン。若さとか生とか、きっと映像のことだ。

61秋魚:2005/10/05(水) 01:04:30
(無題)
…ナツメヤシの実は青いのをそのままにしておくとやがて黄熟し飴色になって甘くなる。レバノン人のファジくんにその甘いジャムのようなダットをもらった。とても甘いが砂糖ははいってない。この実本来の甘さである。…アルジェリアにいた頃はよく食べた。元気になる。…まれに種がある。カシッときた。これは発芽しないものかな〜。

秋になって盆栽はひととり生育を止めたようだ。パープルコンパクタなど下のほうから枯れがかってきた。やばい。幹もシワがよっている。ガジュマルはあいかわらず。元気のいいのはパキラばかり。・・よし、ナツメヤシを発芽させてやる。

武蔵野温泉。やあ、圧倒的に女性客が増えている。岩盤浴がいいみたいだ。
墨のはいったお客はお断り。ということだが今日は若い子のタトゥもちが平気できている。かまわぬがはしゃぐのだけはやめてもらいたい。

休憩室のリクライニングは背骨にいい。ゆっくりしながらテレビをみる。・・演歌。じょんがら、じょんがら・・ペンペンとあのかっこいい歌手はだれだろう。いまが旬の長山洋子だった。

帰りに立川で降りる。食事をしようと店をさがした。裏道にはいって呼び込みの女の子がよってきた。どうもアクセントが韓国系だ。オニイサン、オニイサンといってくれてうれしかったがあいにく財布が軽かったのであきらめることにした。

さっさと帰宅しアジの塩焼きでビールを飲んだ。

62秋魚:2005/10/11(火) 22:55:18
(無題)
…沖縄の普天間移設の情報がどうもおかしい。辺野古沖が住民の反対運動にあってシュワブ移設という案がでていた。そのシュワブ移設をさらに断念して(誰が?)辺野古の浅瀬に小さくして移設という案がでているらしい。・・東京では一番はやい反応が朝日で翌日に毎日と読売が一面で伝えた。といっても読売は日米軍再編のスジで普天間移設はほとんど伝えていない。わからないということだった。

…辺野古沖は断念ということで反対運動側は勝利の杯をあげているらしい。続いて浅瀬からも県内からも追い出してやるという気だ。沿岸で縮小案とはだれの案だろう。
辺野古沖の反対運動は、防衛庁の役人が「これ以上は、警察力を入れるほかは方法はない。それはできん」とか言っていた。・・というだけでこれが沿岸の浅瀬になったらどうだろう。・・東シナ海のガス田も中国がパイプをつなぎ始めたという。パイプがつながるとさらに手におえなくなる。・・沿岸の浅瀬というのは比喩としてのパイプがつなぎやすいということだから、もしコイズミ氏が小さいからいいだろうなんて言い出したら大変なことになる。浅瀬案は出だしでつぶすべきである。

・・曇天だったが、自転車で45分、天然温泉にいった。遠乗りという気はしない。武蔵野も奥まると湯がとろりとしてくる。塩の味ではない。・・ここのサウナはいつも眩暈がする。酒より酔える。・・いつも眠りが足りないのかもしれない。・・ぐるぐるまわる。

63秋魚:2005/10/16(日) 23:18:25
(無題)
・・もう20年ぶりかで老母に会いにいった。さほど遠くに住んでいるわけではないが何故か肉親とは会わずにいた。日航ジャンボ機が墜落した年以来だからちょうど20年たっている。…85年はいろいろあった。サハラにいったのはほんの数ヶ月だがあれ以来時間が止まっている。あれは何だったか。空想と現実の錯誤の中にいたか。あらゆる言葉がぶれていた。通訳なんぞはやるものではないが一度はやってみたいもの。まるでボクシングだね。ジャブジャブ、ワンツー。カウンタを食らってノックアウトのこともある。わが身の言葉の力なさをよく知った。
・・20年前と同じ顔でまた会えると思い描いていたがそんなわけはない。自分は確実に年老いているし母もまたそうだろう。会うのがこわい。
……
辺野古のつづきを、・・>米国務省東アジア太平洋局のキャサリーン・スティーブンス首席副次官補は、日米協議の焦点として(1)普天間飛行場の県内移転に解決策を見いだす(2)大幅な兵力削減(3)嘉手納以南の基地の返還−を挙げ、「3つの要素がパッケージとして地元への恩恵となり、地元の期待に応えるものになると思っている」と述べた。

…嘉手納以南の基地の返還などというのはずいぶんと驚きだがどうか。これだけ譲歩するのだから「辺野古の浅瀬に小さくして移設という」ので呑め、呑めないでまた揉めるだろう。

…NARITAは駄目ですね。はじめて渡仏したときに闘争は過去にほうむった。それが罰で飛行機が落ちたとしてもまた客死したとしてもなにかの報いだとあきらめた。そういう構造なのだ。・・85年のジャンボ機墜落はその証しだった。

・・母もわたしも全共闘もみな年をくった。

64秋魚:2005/10/18(火) 17:48:55
(無題)
・・シュロのミニ盆栽を手に入れた。種のようなものから団扇のように葉を一本広げている。なんかおもしろい。

ミニ盆栽俳句つくりの顔をして
シュロの葉を広げていたり光吐く
母に会う古いひとかなよく眠る

DVDのレンタルで「マルホランドドライブ」を借りて観た。普通のビデオはついに一度もいじらなかった。映画は時間を食う。DVDはおもしろい。パソコンと合体するからだ。テレビはどうも気に入らなかった。パソコンなら画像も親しめる。時間はあいかわらずとられるが無駄はない。リンチの「マルホランドドライブ」はむずかしい。レスビアンがテーマだろう。ダライブというのはパソコンにもあるが、道路の事故がある。夜景がなんともきれいだ。…女同士の愛もきれいにとれてる。・・でも事件がある。
最後のキャスチングの字幕が長〜い。この長さにマルホランドドライブの秘密があるはずだ。

・・武蔵野温泉は来るたびに客が増えている。たいへんな人気。というより着実にひとを集めている。女性客に人気なのは岩盤浴がいいらしい。放射能を浴びるのだ。

…インタネットの時代。帰りに新宿でばったりオケのフルーチストU君にあった。はは、なつかしい。結婚して守ってもらってるからもう一仕事とか。嵐山孔三郎が本を出しているから、君もどうか。などいってくれたが、出版は古〜いよ。今はネットの時代!といってやった。

65秋魚:2005/10/21(金) 13:17:14
(無題)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/cicada/patheia.html
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3786/ffr.html
http://members.jcom.home.ne.jp/poesiesky/
http://www.naoj.org/j_index.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~leea/
http://www.big.or.jp/~loupe/index.shtml
http://www2u.biglobe.ne.jp/~myu2/
http://www.post1.com/home/hiyori13/jindex.html
http://www.furugosho.com/accueil.htm
http://www.ani.gn.to/

http://www.p-shock.com/
http://www.bd.wakwak.com/~p-plaza/
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/contents.html
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

66秋魚:2005/10/26(水) 11:23:25
(無題)
・・盆栽は、シュロでなくてソテツだった。鳥の羽根のような団扇のような葉を広げている。これは乾きにも温度にも強そうだ。パープルコンパクタなど萎れてもう枯れそう。ガジュマルは葉があんなに大きくなるものではない。夏場の成長がすこし異常。おそらく植え替えの土が養分のありすぎなためだろう。・・秋のはじめにあちこちで剪定をやっている。ガジュマルもハサミを入れたほうがよくないか。・・パキラは折れた葉茎の付け根からまたいくつも葉が芽吹いている。こちらもすごい生命力。冬も越せそうだ。

小平温泉。自転車で国分寺崖線をかけあがって武蔵野を一気にくねくねと玉川上水をめざすのがベストな通い方。車道を極力さける。

・・サウナ。きょうは悪い記憶があってのりきれず。なかなか飛べない感じ。だらだらと長くいたが、これでは天皇賞も外れそう。ミキコさんはアルバイトだったのかきょうも見ない。

・・国分寺崖線をかけくだる。

67秋魚:2005/11/02(水) 00:17:52
(無題)
・・懸案のADSL接続に切り替えた。局から3キロちょっとあるのでどうかと思ったが1メガの契約で充分だった。ソフトバンクは8メガがミニマムで料金は同じなのにodnはたった1メガ。子会社のodnはやめてみんなソフトバンクにゆけということなのか。サービスもヤフーの方がいい。よくわからん。

・・ケイバの天皇賞はヘブンリーロマンスという牝馬が一着に来た。穴馬というので買っていたが3着のダンスインザムードというのが買えなかった。ゼンノロブロイははじめから2着だと思っていた。3連単、1−13−12は120何万という大配当だった。・・いつか当たりそうだがどうも集中できない。百万馬券は一度当ててみたい。

・・自転車で小平温泉にゆく。武蔵野の新鮮な空気を吸ってああ気持ちがいい。途中強引な車がいてあやうくぶつかりそうになった。こちらが悪いのかもしれんがきつい目でにらんで走っていった。殺人者の目だねあれは。裏道を通ってああ気持ちがいい。

・・沖縄の普天間移設がゆれている。ずっと昔あった成田空港の闘争も資本主義国家の交通に関わるラジカルな反権力闘争だったという見方もできるが、どうだろう。いまの辺野古沖の闘争の方がもっとぐっと深くないだろうか。空港建設を阻止するために飛行進路に妨害鉄塔をたてるなど効果はあるがそういう足元の大地は忘れられてはいまいか。交通遮断と変容のラジカリズムは赤軍のヨド号ハイジャックの方が先をいっていた。ああふうにはなれないだろうというなら大地的な連帯という美名にしずむ。・・スズキムネオ君の大地だってけっこうヒットしてるじゃないか。

・・それより辺野古あたり沖縄担当の環境大臣は小池百合子氏だそうだからソフトな受けをねらうコイズミ君も周到というほかない。

68秋魚:2005/11/07(月) 22:18:00
(無題)
・・パソコンテレビがおもしろい。とくに完全無料の某サイト。広告料だけでまかなっているようだが内容もある。12チャンネルまであって映画もみれる。・・しまった!と思ったのは、映画再生は下り1メガは必要だとのこと。1メガで契約したから距離損失もあって800kbくらいにしかならない。大きい画面は無理がある。smallという小画面ならなんとかいける。ヤフーで8メガ契約をやればよかった。まあ当分はsmallでいこうか。…「忍者武芸帳」をみる。二時間近くあってCMもある。戦国時代の農民一揆に暗躍する忍者の影一族。白土三平のこの漫画がはやった頃は三里塚の闘争もあった。T大出の国語教師が図書室の推薦に入れていた。しかし批判もされていたようだ。ある種の権力闘争は農民一揆というのがもっともラジカルであるような幻想が定着していた。盗んでばかりは悪癖になるか堂々めぐり。作ることをしなければならぬ。土地を生かして作物をつくる。これが第一である。土地にもっとも根ざした者の権利。しかし畑作、農耕もむずかしそうだ。

・・本田美奈子が逝去した。白血病というので夏前には手術もうまくいったと聞いた。白血病はわからない。ほとんど駄目だという気もしていた。…アイドル歌手から本格的なオペラ歌手へ、稀な人生だった。年を追って美貌も増した。やりたいことが山ほどある。生の絶頂で不治の病がある。…この神の計らいにはきっと秘密がある。

Lyrique '86

「黒船」        るる
の           るる
そよぎ         (呼子鳥)

(ナルシス)      RR

そよぎ         落乱。雪驪。朝楽毛。

るる          RR
るる          RR
「呼子鳥」       (やつりやま)

「春雨」        るる
が           るる
「糸」         (コダチモミエズ)

ひく          ふりみだる
‐           ゆきにうくつく
るる          あしたたぬしも

「京」         RR
の           (コダチモミエズ)
「かきつばた」
から          ふりみだる
‐           ゆきはたぬしも
RR          あしたうくつく

「江戸」        RR
の           RRRRRRRRRRRRR
「柳」                      R
ま                         R
で                     (呼子鳥)

69秋魚:2005/11/15(火) 00:52:44
(無題)
・・やれやれ健康診断にいってきた。生活がいいかげんで無理があると体にくる年齢である。圧倒的な睡眠不足のほかはきわめて健康的な日々だ。月一回有休をとりはじめたのと近くにある温泉かよいが効を奏して極楽のような日もある。・・血を採られたのをみたが今回はとってもきれいな色をしていた。黒酢いりのモズクや豆乳をのんでいたのであとラッキョウも3粒食べると血がきれいになるということだった。・・サウナや岩盤浴もよく通った。

・・武蔵野温泉にいった。ここで放射能をあびると白血病になるかもしれないがなんとも気持ちのいいものだ。内泌患にはとくにいい。いかにも病もちの女性が多い。

・・リラクゼイションシートに腰をおろしてうとうとしながらテレビを見ている。BEMYLOSTという歌をうたうのは、宇多田ヒカル。でも急に中年のおばさんのように太っている。結婚もしておいしいものもたくさん食べているんだろう。いい子どもを生みそうだしヴォーカリストとしてなら体はあったほうがいい。でももちょっと痩せたほうがいいよな。ヒッキーよ、サウナに行きたまえ。

・・林海象のZIPANGをみた。安田成美の鉄砲お百合とか地獄極楽丸とかなんかハチャメチャしてる。七枝刀が武器にもなるがジパングへの鍵とかいうのでああおもしろい。…しかしこういうエンタテイメント近頃わたしはあまり乗れないなあ〜

70秋魚:2005/11/16(水) 00:31:02
(無題)
・・近くの貸しビデオ店で「新世紀エヴァンゲリオン」を探した。何〜だ、たくさんあるのにほとんど貸し出し中。no6というのがかろうじて残っていた。どんなものか借りてみた。「忍者武芸帳」や「アキラ」のように画像タッチが独特というのでもない。これならストリーで勝負がないといけない。…カバラが潜めてあるらしき。・・途中まで。

・・85年にパリのホテルでみた「コプラ」という日本のアニメはせつなかった。恋愛の告白がある。吹き替えのフランス語がなんともいえない。おお、コプラ!サハラでは愛欲の照準がすべて失われていた。日本に帰ってもその照準が定まるという保証はない。むしろ愛欲はなしくずしにされるだろうと予感された。アニメの世界はリアリティがあった。・・007「ロシアより愛をこめて」これも涙がでる。自分の位置で愛欲を解き明かす必要があるだろう。フィクションをバカにしてはいけない。

・・小平温泉にゆく。日が暮れるのがはやい。いつもの国分寺崖線は息をきらしてのぼる。血圧がひくい。足が重い。エンジンの心臓を活発にしてエネルギーを燃やすのだ。自転車は筋肉も呼吸もよみがえらす。…夏までに5キロ減った体重がまたすこし戻ってきた。なんか食欲がでてきたから仕様もない。きのうの武蔵野温泉で京風蒸し寿司というのは美味だった。健康診断の後だから好きなものを贅沢をして食べた。宇多田ヒカルを批判したのはたぶん贅沢が日常化しているからだ。…きょうサウナで確実に500グラム減った。小平温泉の受付嬢は地元のアルバイトのようだ。何度か通っていると親しみがわく。いわゆる温泉は同じところばかりに通うとかならず飽きが来る。武蔵野と小平で風味が違う。小平のサウナは絶品だ。

よしなしごと。

・・相武の国で野火を仕掛けられたタケルは迎え火をうつ。焼津という地名が残った。この時の国の造はオホ氏の流れではなかったか。富士川の常世虫信仰の騒ぎもたしか。「焼く、ヤク」というのはCDなどにコピーをつくる意にいまでも使われる。大、オホ氏の策略を逆手にとったわけである。…この時に「幌、polo、folo」がタケルに継がれたのではないか。焼津あたりからも富士はよく見えるはずで羊蹄山ともイメージは重なる^^

…古事記を書面に残した太安万侶はオホ氏の流れだが、アイヌであったかも。^^

・・駿河、スルガというのもアイヌ語だった。

>山の特に小さな沢の名前は、人の名前やアイヌ語が多いようです。以前住んでいた静岡にも、スルガはアイヌ語で意味は『トリカブトの獲れる所』転じて(狩りのできる豊かな土地)という意味だそうです。

…アイヌはここいらにも出没していたに違いない。

71秋魚:2005/11/23(水) 00:53:20
(無題)
・・ネットで世界のラジオが聞ける。France Cultureは昔パリの安宿でよく聞いた。この局はミュージックがほとんどなくいつも討論をやっている。聞いたといっても内容の理解はあまり自信はない。フランス語特有のパロールの跳ねるような流れが楽しい。フランス・フェチの範囲かも。(…いまもこの局が流れている)

・・ネットの世界は魅惑だ。Nostalgieという局もある。なにがノストラジーなんだろう。ミュージックの懐かしいメロディを次から次へと流しているつもりだろうか。個人的なノスタルジーにいちいち対応するのは無理だろう。ラジオそのものが郷愁だといわんばかり。・・ラジオというのはわからない。Nostalgie局というのはまったく制御不能。確実なノスタルジーは存在しないということか。^^

http://www.radiocourchevel.com/framer-golds.html

あ、今度はブラームスが流れている。France Cultureはなんて格調が高いんだ。あ、ブラームスでなくショパンだ。

・・Gyaoではハンニバルをやっている。flyingreturnが大きすぎると地面に激突する。RIDLEY Scottは濃密な映像がおおい。クラリススターリング、ハンニバルレクター、このハンニバルは実在したということだ。…悪人ではない。ではなんなのか。

・・小平温泉にゆく。受付嬢は「稗田麻里」という名だ。なんか艶があってあやしい感じ。あ、今度は地震がきた。やーだ。そのうちおおきいのが来るに違いない。

France Cultureはあいかわらずクラシック音楽の討論をやっている。これはいつまで聞いてもあきることはない。

72秋魚:2005/11/30(水) 10:27:51
(無題)
・・眠りが足りない。アニムスは昼は眼にやどり夜は肝臓にやどる。夜見る夢はアニムスのもの。白日夢というのはストレスの病であろう。

…レクターハンニバルを夜に見た。ルネサンスの古都フィレンツェが主なる舞台。フィレンツェにはいい思い出がある。ニース、マントン、ベンチミリアの国境沿いは憂鬱だったがフィレンツェは救済だった。大いなる眠りからの目覚めという気がした。

・・カサブランカあたりにも片鱗をみせるボギーのハードボイルドがいまや映画モチーフの最右翼に突き進んだ感もあり。ベネチアで天才を歌われるヤマトのタケシも売りはそのハードボイルドに違いない。座頭市はそのエンタテイメントでTAKESHISは現代のハードボイルドだろう。…ロマンスの時代は確実に終わった。

ハンニバルはどうか?羊たちの沈黙はサイコホラーの部類か。ハンニバルはロマンス/ハードボイルドの亜種ではないか。食人鬼とかクラリススターリングのFBIとか脳を食うあたりたいへんに文学の香りがする。FBIとはひとつの象徴で思い当たるものもおおいだろう。職場の上司がおかしなときは必ず脳の問題だからだ。「頭がいい/バカ」という評語で人を納得させるのはまったく安易なやり方だ。頭蓋をこじあけて自分の脳味噌を食わせる趣味はレクター博士のものだが、これは抜けている。

女王陛下の007というのも再考の余地あり。FBIというのも。

…モーリシャス、インド、ベトナヌ、イタリアの仲間がパスタボンゴーレを作って分けてくれた。とても辛いよということだった。貝のいくつかは開いてないのがあった。これは死んでいたのではなく調理の仕方によるだろう。トウガラシを誤って食べてしまったら、とってもアツイ、カラーイ^^;口の中、胃の中がヤケドするんじゃないかというほどだった。水を飲んでなんとか収めた。体の調子はぐーんとよくなった^^

・・小平温泉にいった。露天風呂で眠れるようないい岩場があった。星がきれいにみえる。

73秋魚:2005/12/06(火) 22:58:02
(無題)
・・ぐっと冷え込んできた。イタリアのシエナから来た人にプチカドーをもらった。フェラーリのお洒落な帽子だ。気にかけることはないといってくれた。シエナというのは素晴らしいところだ。古都であってフィレンツェも近い。2度訪れたことがあるがこんな化石のような町に人がいま住んでいるというのが信じられない。シエナはまだトスカナだったと思う。赤い町というのでもさらに寂びていた記憶がある。ベトナムとかの東洋人ともまったく打ち解けていた。親和力かも・・荷物をおいていったので来年また来るのだろうきっと。シエナとヤマトはどう結びつくのか。まだわからない。・・そうそうスイスのナタリーはどうしているのだろう。夏に帰ったときにベルンは洪水でたいへんだとニュースでやっていたが。あの子も京都は気に入っていたみたいだ。また来るといっていたがどうか。レバノンのファジもまた来るそうだ。

・・小平温泉に行く。寒風の武蔵野を自転車でゆくのはしばれる感じだが悪くない。40分で着く。稗田マリさんはみえない。…松岡ナナ子さんはとてもかわいい。ここの受付嬢は不思議と愛着がわく。みな好きである。

・・ローマ風呂はペパーミントの香りがした。冬はいい。星がみえる。空の色も群青で深い。

74秋魚:2005/12/13(火) 23:36:03
(無題)
・・寒波襲来。あわてて炬燵をひっぱりだした。寝込みを襲おうとしている女がいるがこんな寒いんじゃ抱き合っても温まらない^^なんとしても来させないようにしよう^^田舎が信州の上田だというのでいいところだといってやった。上田などいったこともないが古い寺があったり千曲川が流れていたりいい温泉がいっぱいあることは知っている。実際住んでみればそんないいものばかりでないのはよくわかる。自分にとってふるさとは何だかどんなだか聞いてみたかった。一瞬複雑な顔をしていたよね。キミは。・・・ようするに逃げているのか、守っているのか、気になるわけさ。・・田舎から送られてきたリンゴをわたしの上司にわけたそうだね。みんな好きでないというのでやっと一つお裾分けでいただいた。リンゴはきらいではない。キミのリンゴはとりわけ甘すっぱくおいしかった。それはいいのだけど残りのリンゴが上司のいやがらせの武器で使われたことはキミも知らないだろう。^^説明しがたいことだがハンニバルが断罪したFBIクラリスの上司はここにもいた。・・だからキミがダンナから逃げたがっているのもよくわかる。^^とりあえずは。^^
ムサシノ温泉にいった。女よりもいい。ここの岩盤浴は最高!・・帰りの電車で予備校生の女の子がきれいに化粧をしていた。若くていいなとジロジロ眺めていたらスケベなおじさんと思われたのかプイと居場所を変えていってしまった。・・てやんでえ。

けふ、コダイラ温泉にいった。ここの受付嬢はいい。入るときは妖しいヒエダマリさんがいた。この子はやたらと妖しい。のめりこむと破滅しそう。・・・帰りの受付ではナナ子さんがいた。キーを返そうとして差し出しておもわず引っ込めた。むこうも取ろうとしたが取れない。また出してさっと引っ込める。渡してしまうとそれで完了してしまうじゃない。^^ちょっとバカみたいなことしたがナナ子さんも笑っていた。これがわたしの愛の告白だと気づいてくれたらうれしいことだ。仕事が一日楽しくなるはず。

・・けふのコダイラ温泉はやたら混んでいる。ビールと海藻サラダをとってさっと帰った。

75秋魚:2005/12/21(水) 13:00:49
(無題)
・・カゼをひいた。朝おきたらいきなりノドが痛かった。それ以前からくしゃみがでたり兆候はあったからすでにカゼだったのかもしれない。職場においてあるカゼ薬を飲んだ。食後に2カプセルということだが1つにした。薬はなるべく飲まないことにしている。…ハチミツとレモンをお湯で溶いたものがいいと聞いていた。国東半島でとれたミカンハチミツというのを860yenで買った。これをさっそくお湯で溶いて飲んだ。透明な気の遠くなるような味がした。

・・その日家に帰ったら不思議。カゼが退けた気がする。薬が効いたか。薬は当てにならない。症状を抑えるだけだ。セキが止まってもあとでどどっと来る。

・・休みで、温泉が誘惑する。ちょっとカゼ残りだが、えいっ!と出かける。厚めのセーターとジャンパー、ネパールで買ったチベタンの帽子と手袋で、やあ風が冷たいな〜
コダイラ温泉は、ちょー気持ちいい。サウナの入り口に注意書きがある。心臓系の病はよくないがカゼの発熱についてはなにも書いてない^^えいっ!とサウナへ。…いつもと同じ。しかしいくらなんでもまずいだろう。一回きりっと仕上げて水風呂へ。これでブリ返したら覚悟。

・・温泉2周年記念とかでレストラン半額セールとか。生ビールと海藻サラダ、豚の角煮を注文した。豚は美味だったが失敗かも。^^;アゲダシ豆腐にすればよかった。

ナナ子さんはきょうも元気そう。ちょっとホホを赤らめて気さくに働く。客に対して愛想がいいのは仕事だからだろう。

・・さあ、帰りは寒い。帰ったら熱がでてメタメタになっちゃうかも。

76秋魚:2005/12/28(水) 01:28:07
(無題)
エゾ富士にこいまろびたり雪の犬
雪の原赤を追いたりアイヌ犬
はらはらと雪か花びらアイヌ犬

77秋魚:2005/12/28(水) 02:16:18
(無題)
・・こんど北海道にゆくときは羊蹄山の麓にいってみたい。羊蹄山はエゾ富士とも呼ばれる。川が流れていたり、海があったり、昔から縄文人やアイヌが生活をにぎわせていた。近くにきっと温泉もあるだろう。まったくイメージもわかないところだがいってみたい気がする。

・・ガジュマル、シュロ、パキラ。それぞれは冬の寒入りに堪える。じっとして葉の青さもそのままですね。雪がふってもなんとか堪えて温かい春を迎えたい。

・・仕事のつごうで皇太子殿下につかえることがあった。菊祭りのような雰囲気があって遠めに控えていた。あまり御側に近寄ると菊の花の毒気にあてられそう。小柄でビオラを轢く殿下は感じのよい人である。…仲間由起恵や泉浩やらの漁師系ともマッチする。きらいではない。

・・またコダイラ温泉にゆく。自転車で40分はいい運動になる。もうだいぶ馴れた道だが時に道をまちがえる。恋ヶ窪は淫靡な町だ。アニマ、アニムスが蠢くような。

・・ナナ子さんは遠目に見た。頬をあからめてよい感じだった。星がきれい。

78秋魚:2006/01/04(水) 13:53:41
(無題)
・・風邪をひいたがさっと抜けない。ひきはじめで温泉などにいったのがまずいか。こじれたというのでなく頂点はすぎている。咳き込むことが多々ある。気管支がゆるんでタンの流れが悪いようだ。ノド飴にゆずの粒々飴を愛用した。いいものだがちょっと弱い。黒かりんの飴もあった。これもいい。ノドというより気管支の構造がわるいみたいだ。咳き込んで肺が痛くなりだした。

・・コダイラ温泉にでかける。5時ころでも真っ暗でムサシノの野外植物の観賞などとてもできるもんじゃない。デジカメは持ち歩かない。自転車に乗ってチベタンの帽子をかぶり耳を防御する。かぜが冷たい。呼吸器系のはたらきをなんとか活性化させるのだ。あるいは逆効果かも。

・・温泉に着く。やあ正月でやたらと多い人出だぜ。でもここは広いからなんとかなるはず。えいや!…サウナで胸をあたためるのは悪くない。カゼは退いている。呼吸気系だけの問題だ。いい感じ。・・透いてきた露天風呂でいい場所をとる。そこにボボブラジルみたいなんがやってきた。ちょっと遠めだがいい肉体をしている。湯気のなかで露天のブラジルは映えるな〜似合うな〜・・われわれヤマトの肉体はなんてへなへななんだろう。

・・楽しみのナナ子さんはいない。食堂も満員だからさっさとひきあげる。この冬は寒い。咳き込む原因はわかっている。たぶん睡眠不足によるものだ。・・最後の楽しみはぐっすり眠ることだけ。

79秋魚:2006/01/18(水) 00:40:34
(無題)
・・今帰仁は今帰った人の意だろうか。仁は垂仁の仁、仁徳の仁。…多遅摩毛理とはだれか?常世の国とはオキナワの今帰仁ではないか。・・非時の香の木実。香は香語山の香であろう。ウタキ。・・多はオホがタと変わった。遅はゆるんだ時間、摩。遅摩で島、シマ。毛理は守ること。・・橘というのはやはりシークァーサーかも。

・・セキをして左肺が痛いと思ったのは、たぶん、心臓だろう。寝不足で心筋梗塞というのがあったのかもしれない。ぐっすり眠るとセキもでない。

・・母がダイタイ骨骨折というのをやった。92歳で骨ももろくなっているということだった。事情があってすぐにはできない手術があった。輸血もなし、頭もしっかり。これからはリハビリがたいへんな仕事になるだろう。いくら年をとっても母は母、子は子。それだけのことにはちがいない。

・・コダイラ温泉にゆく。キツネノカミソリは秋の頃どこかの公園でみた。いまは見ない。
自転車のリズムが一番体にはいい。普段の生活が異常で自転車と温泉が信じられる現実にちがいない。電車の通勤で椅子にすわるのはたぶん不自然だ。腰が痛くなるばかり。…ムサシノ温泉のリラクゼイションシートならほんと極楽になれる。…職場の空気はほんとにわるい。みんなきちがいのようにタバコを吸う。肺がいたいと思ったのは心臓にちがいない。

・・ナナ子さんはみない。フリータだったかも。

80秋魚:2006/01/25(水) 11:35:25
Polish、美女、アツイ
・・you speak polish?・・話せるわけないだろう。オレが。というのは実は傲慢かもしれぬ。ポーランドの美女たちと話す機会があった。・・壊れた千円札をめぐるbrokenenglishだった。破れた千円札はわたしが交換しましょう。同じお札ですから。No,cant do it.Why?so. its the same.…このthe sameがよくないのは実は知ってる^^;破れた千円札と同じ価値をもつ千円札は実は別物だと区別するべきだろう。the same kind ofとか。…そうではなく彼女がいうのはdifference of cultureだという。わたしが壊したお札だからわたしが処理をする。その処理の仕方を教えてほしいということだった。だからわたしがとりあえずchangeするというのだけれどね〜。なかなか譲らない。^^;
ポーランドではenglishはマイナーもいいとこ。そのうち少し得意という美女が話したのだろう。隣のかわいい美女がとうのお札の持ち主だった。・・ではあなたのお名前を書いてください。はい。え、ロシア語みたいな。…でもこれって隣の美女のお名前じゃないんじゃないの?ひょっとしてYOU are the same?ここでもthe same。アハハ、まさか。not possible。アハハ。 ・・けっきょく新しい闖入者のno problemということで一件落着。(わたしの英語力のひどさがバレてしまったが)

・・それにしてもどこかの掲示板でことばの差別をめぐって紛糾している。ことばと差別は別物というのもたしかにあろう。だがコミュニケーションとしてのことばも最初から差別し差別された道具でもある。いくらロジックをふりまわしてことばを多くしても話が通じなければことばは何の意味も無い。自分の使ってることばが差別語だと気がつかないからだ。・・ではどうしたら話は通じるのか?

そうですね。いえることはひとつ。HEARTの問題でしょうね〜。

・・夜、自転車を駆ってコダイラ温泉にいった。ああ、真っ暗。くら、クラノスケ。風も冷たい。・・しかしからだの内部はまったく燃焼する。アツイ。足の回転力。ハンドルの軽いバランス。外部という野蛮もウソのように流れる。アツイ。

・・不完全燃焼掲示板!コニーデ火山にでも登りたまえよ!

81秋魚:2006/02/01(水) 14:17:21
(無題)
・・そうですね。電話なかなか来ませんね。5分間という時間はso long timeです。ハイ。でももう3分過ぎました。ハハ、わたしがしゃべったらもう4分、これであと1分です。ハハハ。

・・ポーランドの美女と四方山話をした。犬はワンワンないてdogでもPolishならどうか?猫はニャーニャーないてcatでもPolishならどうか?…犬、ネコの鳴き声はうまくなったものだ。動物の物まねで年下に負けたら年上の資格なし。うまくやれば絶対けらけら笑う。でもそれが目玉ではない。・・ジャンパウロを知っているか?ワレサは?アンジェイワイダは?・・ヒトラーは?調子に乗ってこれは実はまずかった。・・まるで知らないようだった。

GODを信じるという。Jesusはどうか?・・Jesusを保留にするならたぶん隠れjew。どれを選んでもno problem。・・またアハハ、wanna marry you。

ムサシノ温泉。ひで〜え人気。でもこんなに空いているのは不思議だね。ここにはコリアの微笑がある。コトバがわからない分しつこくなくていい。

三鷹の駅前にある伊賀屋というフトン屋さんがある。家にあるのが擦り切れているのを思い出し、フトンカバーをひとつ買った。

・・インタネットで勾玉を発見!

82秋魚:2006/02/08(水) 14:15:47
(無題)
・・雪が降った。があまり積もらない。郊外を歩くとそれでも雪をかきあつめてダルマをつくったのもある。日が出て天気はいい。得体のしれない雪のかたまりになっている。

・・四川省の秘境でヘゴの密林があるという。細い竹の橋の道をいくとその神隠しの里に出る。ヘゴはご存知だろか。恐竜時代に繁茂していた気がするがそれは幹の外皮紋のためかも知れぬ。またその巨大なシダのような葉もぞくっとする。・・ここにカエル石なるものがある。幽居の母屋にいつもむいて見ているカエルがいる。春と秋には蚊が大発生するがこの母屋のなかには不思議と蚊が一匹もいないのだという。

でも(わたしが)でかけたらそこには得体のしれないカエルともつかない石があった。母屋の主はとうの昔にあたらしい桃源郷に越してしまったらしい。

・・母にデコポンをもっていった。これは食べてくれそう。・・帰ってから40分自転車にのってコダイラ温泉にゆく。雪のあとの夜空ははれて星がたくさんまたたく。月もよく光る。

・・勾玉ははじめは貝ではなかったか。イノシシの牙であったり自分の歯であったり、でも月かもしれぬ。

・・露天の湯けむりがさーっとあがると、玉手箱のけむりのように、あっ、これが勾玉の曲がりの尾にみえる。

83秋魚:2006/02/14(火) 11:39:36
ネットでラジオが聞ける。
・・このところラジオフランスを聞くことがおおい。RFInterという局は不思議だ。フランスを中心とした国際放送ということではアフリカと中近東のニュースが圧倒的に多い。フセイン、ビンラディンの話など茶飯だ。ヨーロッパの近傍ということならアフリカ、中近東はわからないことはない。日本で半島や大陸が気になるというのと同じことだ。中近東、近東は石油資源ということから同じアジアということからも話題がおおいのはわかる。にしてもアフリカはヤマトには遠い。アラブ系の浸食なら世界的な兆候でありよくわかる。アフリカというのはわからない。・・時々フランス人です。イギリス人です、といってあきらかなブラックと会うことがある。ほとんどエキゾチズムといえる。

・・ムサシノ温泉にゆく。ずっと昔の海の水が源泉らしい。

・・フォッサマグナを調べていた。糸魚川-静岡構造線、東と西をおおきく区別するのがこの線だと思ったがすこし違っているか。広義のフォッサマグナは富士山を含んでずっと千葉の方まで広がる。数百年前にできた海の溝のことらしい。ヨーロッパプレートと北米プレートの境界なら北海道とも連動する。伊豆半島はフィリピンから流れてきた。

・・湧水のおおいムサシノは太古海であった。

84秋魚:2006/02/14(火) 22:56:38
(無題)
・・きょうは暖かい。西北の空が赤く色づく。黄砂にちがいない。しっとり濡れて梅の花とか木の芽のふくらみに心を寄せるのはヤマトめきたるもののうち。黄砂も季節に待たれている。

・・コダイラ温泉。自転車で40分かかる。スピネリからもらったFERRARISHOPのキャップをかぶってみた。ぐっと頬がひきしまる。自転車ははやい。

・・星の見える温泉。ペパーミントのアロマ浴。花粉症にもいいという。ローマ風呂はわるくない。・・クオヴァヂスというDVDを見ていた。・・信仰と都市・・。ローマは松が似合う。シモンの杖はオリーブであったか。道に刺してみる。ここがのるかそるかの分れ道。

・・黄砂に吹かれて。中島みゆきが流れている。GYAOビデオクリップから。みゆきがなぜひばりのように俳優にならなかったのか。それはたぶん歌のひみつなのかも。・・浅い眠り。これはきょうのサウナで解決できる。療法である。があえて解決しない。それが歌になる。

・・クオヴァディス、ドミネ?

これは、烏でもいうかも。

85秋魚:2006/02/22(水) 02:21:45
(無題)
・・母の見舞いに行く。90歳すぎて骨折してリハビリもむずかしいのだろうけど頑張ってる。あきらめない。あきらめさせない。寿命まで頑張る。頭はボケていない。

・・次男の孫が京都で嫁をもらうという。大分あたりの豪農の娘だそうだ。話題になって結納の写真を見せてくれた。なるほどみんな年をとったな。甥の顔などまるで別人。大きくなったものだ。嫁もわかい。

・・キトラの被葬者はわかった。骨を調べて女性ではないと報告したのはまちがっていた。但馬皇女だ。

降る雪は あはにな降りそ吉隠の
 猪養の岡の寒からまくに 万葉集巻2−203

こう詠んだのは、穂積皇子。兄の高市皇子の妃に道はずれの恋をした。そういう不思議な三角形の恋だった。

・・猪養はいまなら被差別の部落であろう。だがこの時はちがう。もっと神聖に禁じられた場所にちがいない。猪は豚というが、ほんとうは猪は狐のこと。・・猪は勾玉かもしれぬ。

・・GYAOで「愛のコリーダ」をやっている。ロングランだ。昭和の愛欲を描くことで大島渚は終った。昭和こそ愛欲の名にふさわしい。アベサダを演じる松田瑛子はほぼこれだけで人生を生きたのではないか。「愛のコリーダ」は再考か、総括か。

・・ムサシノ温泉。婆沙羅という呑み屋もあり。琉球屋という店もある。

・・カタカムナ、その僭象に注目!

86秋魚:2006/03/01(水) 02:01:52
(無題)
・・函館の大沼から駒ケ岳をめぐる鉄道があるはず。あの山もコニーデだと思う。鹿部、砂崎、砂原、森・・イタリーのウンブリアにあるトレビの町は小さいが美しい町だ。ひとつの丘を集合住宅のように家がある。前面南向きで夏はまったく暑い。遠くで見ているうちが花だろう。・・駒ケ岳もそんな山かもしれぬ。火山噴火があると鉄路も閉じる。登山は無くても一周してみたい。

・・もちょっと先にゆくと羊蹄山がある。ニセコ、倶知安から眺められるか。・・昔九州のユースで北海道の話がでるとわからなかった。ニセコというのがよく聞いた名だ。地図でみると洞爺湖もさほど遠くない。ここらの火山はどろどろぐじゃぐじゃしてる。有珠岳などこわいくらい。昭和新山ならいったことがある。・・羊蹄山が魅惑だ。尻別川、余市川、余市、小樽。ここいらは未知だ。いってみたい。

・・老人介護ホームを訪ねた。受付で面会を申し込んだがなんかつっけんどん。場違いな訪問と思われたらしい。肉体はもろい。みんな年をとり老いる。食事の時間だというのでみな食堂に集まっていた。なんかの映画の中みたい。コトバすくなくすべて緩慢な流れ。感情移入は3分か5分。幼稚園かなんかに似ている。お習字もある。夏、愛、桜・・とか。

・・介護施設で働く人は若い。挨拶もして嫌味はない。そんなものあったら大変だが。しかしこういう仕事というのもわからない。知人のMのように深い精神性もあっていい。愛と死をみつめてではなくひたすら死をみつめることを余儀なくされてみつめるわたしは生きるわけであるから残酷な仕事のようにも思える。

・・母は元気だった。すくなくも面会客があるのは救いのようだ。

・・昔骨折して足を引きずりながら富士に登った。健康で体が動くというのはまったく素晴らしい。・・夜コヌカ雨の中自転車に乗る。40分、寒のもどりで空気も冷たい。・・温泉は近い。自転車は疲れない。・・同じ温泉なら2度3度つづければ飽きがくる。飽きないためには2つ3つ変えること。天気は雨でもいい。むしろ雨がいい時もある。・・コダイラ温泉のサウナはアロマから入ると芸術的になる。ペパーミントでいい。

87秋魚:2006/03/13(月) 07:33:45
(無題)
・・気ままな旅をしなくなって久しい。テレビを見る。・・吹上げ浜の映像が流れる。IさんNさんが拉致されたというので警察が現場検証をしたのだという。もう何十年前のことだろう。いわゆる拉致問題は噂にはなっていたが公には認知されてなかった。ずっと以前から田舎と都市の間での蒸発事件というのは頻繁にあった記憶がある。曽我ひとみさんなんかも蒸発で片付けられていた。拉致が認知されたのは北が発表して以来のこと。・・認知されればまだいい。もっと闇に葬られている拉致事件がたくさんあるはずだ。

・・吹上げ浜のユースにいったのは86年だったか。海亀のやってくる美しい砂浜がずっと弓をなしてつづいている。松林をぬけて明るく開けた浜辺にでると見知らぬ男が二人いた。ひとりは作業衣でもうひとりは役人風の身なりだった。漁師だろうか。・・こちらに怒鳴るようなことばをあげて寄ってくる。いやな感じ。遠回りにして海の方へといく。ちょっといって振り返ると松林の向こうから4、5人の同じ作業衣の男たちが列をつくってこちらに向かってくる。襲われる!海の方へ走る。逃げ切れるだろうか。足には自信がある。どんどん走る。いって後ろを振り向くとあっ誰もいない。おかしい。何だろう。近くにボートが置いてあって遠くにはやや大きな漁船の影もみえていた。

・・あとでわかった。あれは北の拉致工作隊だったにちがいない。・・テレビ画像には見覚えがある。そうちょうど浜辺に出るとわからぬことばの人がいた。ここで何人かは蒸発したはずである。

・・何十年ぶりかで長兄とあって泡盛を飲んだ。生活の現実認識ではあいかわらず向こうが上。説教される感じになる。・・蒸発してた気分もあるからおたがい自由健康でよかった。長兄という立場、末弟という立場。そのあたりの確認だった。複雑だが。

88秋魚:2006/03/14(火) 17:23:52
(無題)
ギリシャのテオ。アンゲロプロス映画監督の言葉。

「今世紀の特色はイデオロギー上の大きな冒険、特に社会主義の実験だつたといえるのではないだろうか。マルクス主義者たちがこの歴史の流れに対して介入しようとした運動は、変革を起こせばよりよい世界が訪れるという考えに基づくものだつた」「実験と失敗の連続によりイデオロギーの終焉を迎えて夢を失つてしまつた。いまは何かを待つている− 待機の時期 かもしれない」

・・・なるほど、20世紀はそうかもしれぬ。テオアンゲロプロスのこの言葉は世紀末に語られた。2006年の今にしてみれば待たれていたものは山ほど到来しているが、すべて望まれるものでもないだろう。・・2001年の貿易センタービルの爆破テロ。アフガン進攻。イラク戦争。・・インド洋大津波。ハリケーン。地球温暖化による自然災害の急増。北朝鮮による拉致事件の発覚とペンディング。イラン核戦略の挑発。

・・イラク戦争はドロ沼だが、冷静に分析される必要がある。

>・・もう一つ重要なのは、サマラのアスカリヤ・モスクが爆破された際の手口についてである。爆破は、モスクの礼拝大ホールの屋根(ドーム)を支える4本のコンクリートの大黒柱に穴を開け、中に爆弾を埋め込み、加えてホールの地下にも爆弾を仕掛けた上で、それらの爆弾を導線でむすんで起爆装置とつなぐ仕掛けを作って行われた。

http://tanakanews.com/g0303iraq.htm

・・スンニ対シーアの内戦が仕掛けられている。スーパーシーアとして周期に分散したスーフィーが存在するはず。・・ミトラの末裔だが。

・・この世紀、近未来は、<核>の秘密と威力に対抗できるものの原理が新しい潮流となることが期待されるだろう。 <核>対<核>の図式を打ち破るのは、思想、ドグマでは片付かない。とりわけ思想はいともた易く流されるか、まったくの無力。

・・過去、カコは、(化胡)という。ノスタルジーではない、旧世界。そのエネルギーの再結集が唯一の希望とも思えるが。

89秋魚:2006/03/22(水) 11:39:18
(無題)
・・スーフィーとは羊の皮をまとった者。スーフィーはイスラームの遊行者ともくされているが根はもっと深い。ずっと奥にミトラがある。・・シーア派は時代の潮流でこれからイラクに拘わらず対アメリカの究極の勢力になるだろう。

・・休息日をとるのはいいことだ。週のうち六日を働き一日を安息の日と定めたのには深いわけがあるだろう。下手な労働は妄執の嵐を生む。けして休まないひと眠らないひとというのは余生までも妄執につかれることになる。・・すべて生の秘密はここにある。

・・和銅四年(711年)三月九日、群馬吉井につくられた「多胡碑」の中にも「羊」がいる。富士山とこの碑を結んでずっと北に線をのばすと竜飛岬からエゾ富士、羊蹄山にとどく。ここにも「羊」がいる。・・これはスーフィーの銭ではないか。

・・七日というのは周期、アイオーンの単位だ。

・・アメリカのブッシュが主唱する世界民主主義の正義と覇権が戦争をうむ。イスラームはその名で排撃される。イラクは泥沼でパレスチナは妄執の嵐がやむことはない。ずっと隠されているカシミールの根も深い。

・・お彼岸は、WBCでもちきり。キューバ対日本というのはよくわかる。そしてヤマトが勝つのも。・・だがこれも妄執だはずよ。

・・スーフィーを追え!

90秋魚:2006/03/28(火) 21:57:28
(無題)
・・国分寺崖線を自転車で駆け下りる。ああ、気持ちいい。・・温泉のジェットバスのつかりすぎで右足に痺れが来た。もう2週間になる。正月以来の働きすぎが原因かと思うがなかなか癒えない。温泉も考えものだ。バブルマッサージを短くしてサウナできりっと仕上げた。疲労している筋肉がゆるむということもあるだろう。自転車の座位がわるいということはない。第一は睡眠不足にちがいない。風邪が長引くのもそうだ。・・コインをいれて電動のマッサージチェアを試した。なるほど案外気持ちがいい。どこかがいかれてる。

・・きょうの雨降りは九時以降だというのを見越して、コダイラ温泉にでかけた。40分自転車に乗るのが魅惑する。行きの国分寺崖線は息がきれるが、見返りは大きい。途中大輪の真っ赤な椿が咲き零れている垣があった。椿にしては大きすぎまいか。でも椿だろう。桜がどんどん咲いている。・・今年も花見はやれぬ。

・・帰りのスーパーで百円のガジュマルを買った。根の形がいい。

・・足が痛いのは、えい!運動不足かもしれぬ。自転車をぐっとこいで道を急ぐ。えい!

91秋魚:2006/03/31(金) 10:11:54
(無題)
・・腰の痛み、足のだるさはヘルニアではないらしい。馴染みの接骨医にみてもらった。5年前のデータがあって症状をいうとだいたいどんなものか原因がわかるらしい。が、そこは医者。はっきりいわない。一回で治せそうだがそうしないのも医者。・・それでこちらから質問してみる。ヘルニアではないという。・・足腰の骨組みがすこしわるいといわれたことがあった。昔のストレッチ運動を思い出した。たぶん骨盤の位置だろう。ここを修整すればぐっとよくなる。・・骨、筋肉、神経これらの組成で筋肉、神経の治療はやはり一時的だ。骨をなんとかしなければ。・・そういうので一番楽になるストレッチを発見した。方程式を解く感じだ。これでいい。

・・小池環境大臣が緊急入院!とか。みえすいたことをやってる。額賀氏が名護の地元町長など説得にでかけている。小池の環境問題はおよびでないということだ。・・頑固に反対すればあとは特措法しかあるまい。ちょっとした弾みで再編加速もある。

92秋魚:2006/04/11(火) 01:10:57
(無題)
・・ナタリーが来ている。去年の夏以来だ。ちょっとアンニュイないい女だ。外見より言葉を交わすともの静かなトーンが心にのこる。オードリヘップバーンとかフランスのある女優のようなしっとりした愁いのある声で話す。・・ラジオフランスを聞いているので何でもわかるような調子で話すといい調子で返してくる。時々半分もわからなくなる。話の焦点をずらしまいとするのは知性が勝ってるからか。・・この声はなつかしい。

・・スイスのチョコレートをおみやげにもらった。OURS DE BERNEというのはベルンの熊さんだ。バレンタインのチョコというのでもないしさて意味不明。チョコレートはきらいではない。ナッツ入りチョコは特に好きだ。しかし・・・

イタリアが好きだという。スピネリがいれば話があったろう。中世の古都シエナとか似合いそうだ。シエナの色はすばらしいオークルだ。ぞっとする。・・ヤマトは京都がいい。時の寂びたものに感じやすいタイプなのはよくわかる。

スピネリがくれたフェラーリの帽子は最近よくかぶる。自転車に乗って温泉にゆく。あれも意味不明の帽子だが。・・ナタリーのチョコも???

・・戦争と平和。あ、そうだ。あのオードリーに似ている。やばい、タイムマシーンに乗りそうだ。

・・戦争はいやだ。というかよくしらない。・・僕の村は戦場だった。戦争体験という原点はここにつきる。どのみち安全な場所など最初からあるわけがない。イラクのモスクでまた自爆テロがあった。79名もの人が死んだ。同じような事件がいぜんもあったがこれは日本では報道されなかった。オキナワの普天間移設合意とかでもちきりだった。要するにいまある戦争はとめようが無いということだ。イランのシーア派がイラクにどんどん入っている。スンニ派をかりてシーア派をたたくのは藪ではないか。米軍再編が加速されるのはイランシーア派の流れの速度と呼応している。

・・最近身近で話すアメリカ人はいいやつが多い。が、それ以上ではない。・・イラン人はみな国に帰ったようだ。

93秋魚:2006/04/12(水) 02:58:47
(無題)
・・スーパーでフキノトウがでてた。あのくらくらする苦味が忘れられない。テンプラにするといって隣の主婦が買ってゆく。料理がむずかしいがエイッといって自分も買う。鹿児島産のブリの切り身も安く出てる。ブリの油は血のさらさらにいいようだ。これと生揚げを買ってなんとか料理できないか。・・醤油と酒、沖縄の黒砂糖をいれて煮つけをつくる。あまりあれこれやるとフキノトウの苦味もとんでしまうだろう。新玉ねぎはほとんど透明な味がする。これもすこし。・・生揚げの生臭さが消えたからまあまあの味だ。黒さとうと酒がきいている。フキノトウもいい味だ。これの苦味は半日以上記憶に残る。

・・戦争と平和。トルストイは何でこんな小説を書いたのか。ナポレオンが存在したからか。家と祖国がゆらいだからか。おそらくずっと単純な理由にちがいなかろうがいわくいいがたい。・・戦争を食い止めるために爆弾をなげる過激な思想もある。戦争は殺人と莫大なエネルギー消費だ。モノも消費する。まともな魂はひとつあればいいから悪い魂は殺しあってどんどん滅びればいい。自爆テロの論理はよくわからぬが第一に魂の問題であるだろう。魂の救済が図られている。

・・蓬莱草、富士山をハラミ草、ハラミ山と呼ぶそうだ。ハラミ山はただの山でもある。戦争など知らずに山にはいるものがいる。千死んで一が生まれる確率でもハラミの山がゆかいにちがいない。にゃあ。

94秋魚:2006/04/19(水) 11:12:14
(無題)
・・「クオヴァディス」を観た。ロバートテイラー、デボラカーの出るものだが、昔アンナカリーナの出るものも観た気がする。DVDの廉価版がでている。シェンキビチの原作も読んだ。リジア国の人質はそのままリジアと呼ばれる。リジアとローマの軍隊長バジルの愛がそのテーマか。・・iloveyou but「わたしをとるか、ゴッドをとるか」「それでは愛はバラバラになってしまう」。帝国の愛の形、感情はさまざまだがローマの中でそれぞれの意味をもつ。暴君ネロを最後まで愛し続けた近侍の女はネロの自刃につきそう。リジアをガードする大男はそれが任務でまたリジアへの愛だろう。リジアとバジルもまた愛の融和がはかられる。ローマにキリスト教がはいるのはかくある経緯だとこの映画は説いている。なるほどハリウッドはわかりやすい。

・・anaffairetorememmber「巡り会い」というのもデボラカーのものがある。これもDVDを探している。ヴィルフランシュという地中海の港町が美しい。祖母のいる風景がある。母より祖母は時がこけむしてむずかしい。時の差異を映画は描かねばならぬ。mossgreenという色がむずかしい。

・・コダイラ温泉にいった。よく晴れたが夜は無風状態。温泉日和ではない。無風というのは。風があって雲が流れるのもよい。

・・「クオヴァディス」でローマ漬けだが、ロ−マ風呂というのは帝国を知らないぶんその限りでとてもいいものだ。

・・ローマ郊外アッピア街道でペテロが地に差したオリーブの杖。いまごろ根が生えて葉と花が咲いているかも。

95:2006/04/26(水) 12:29:06
(無題)
・・パキラの新芽がでてきた。冬場にパキラの葉がみな落ちたのは寒さに堪えかねたのだろう。もう枯れてしまうのかと思った。亜熱帯の観葉植物であのように葉を落とすわけでもないだろう。鉢植えの土を替えないのがわるいのか気温のせいだと思っていた。春になって新しい葉の芽がでてきたから死んではいない。落葉樹と同じことをやったんだ。

・・垂乳根之 母我養蚕乃 眉隠 馬聲蜂音石花蜘■荒鹿 異母二不相而 (よみびとしらず)

たらちねの、母が飼(か)ふ蚕(こ)の、繭(まよ)隠(ごも)り、いぶせくもあるか、妹(いも)に逢(あ)はずして

・・万葉集のこの歌がきにかかる。「繭(まよ)隠(ごも)り」は「眉隠」でおそらく中国の峨嵋山のことだろう。山に篭るのだ。しかしこれは仏の眉間ともいう。 ・・馬聲蜂音石花蜘■荒鹿、いぶせくもあるか。動物の躍動するイメージが鮮烈だ。・・異母二不相而、妹に逢わずして。逆に詠めば、而相不二母異。しこうして相は不二、富士。母に異なり。

峨嵋山、不二、富士が隠されている。



モスラ。 Moslim、Muslim …ムスリム、モスリム。・・イスラームの怪獣ではないか。

繭篭りのインファント島は海の彼方。青海波はヨナグニサン。・・ガメラはいづこ。

96:2006/05/03(水) 11:55:28
(無題)
・・ナタリーは国に帰った。浅草、鎌倉、日光をまわった。前回京都にいってすっかり日本贔屓になったようだ。スイスからイタリアに入ればトリノ、ミラノよりフィレンツェ、シエナあたりの古都に感動する。ローマはやや俗に流れるがそれでも周辺にいくつも古い町がある。先日ポーリッシュもイタリアで身を固めたいといっていた。・・ナタリーも日本で限界を感じれば行く末はイタリアに落ち着くのかもしれない。・・夏にまた来るといっていた。帰国間際は恋人ができたようで(日本人ではないようだが)出発直前まで夜遊びをしていた。あ、ごめん。かる〜いジェラシーがあるんだ。ナタリー。きみは20代後半でまだ学生をやっている。頭がよく美貌もある。学ぶべきものもよく知っている。ぼくは年若くみえたからショコラなんかくれたのかな?もう10年若ければきみの欲望をサポートできるんだけど実はショコラがとってもうれしかった。欲望のサポートはできるが欲望の相手にはなれない。きみは頭がいいからそれを感じ取っていた。・・きみはヤマトのチョコレートが欲しいわけではない。さいごに恋人にもってゆくクッキーをいくつかぼくにもわけてくれた。きみは何を望んでいるんだろう。・・

・・きみといえばいまは別のきみの話になる。きみとは深い仲になりそうだ。なぜだろう。ぼくは乗り気ではなかった。きみはヤマトの女だからきみの欲望はよくわかる。わかるから手に負えないのもよくわかる。・・でもそうでもないみたい。きみが見ようとしているほかにある。きみは・・

・・コダイラ温泉にいった。フロントの背の高いアルバイト嬢はいい子だ。ここは地元のアルバイトがよく働く。・・連休中で若い客がどっと来る。仲間同士でわいわい騒ぐのはえげつない。ローマ風呂で騒いでもらいたくない。「ローマの休日」のヘップバーンに似た子をぼくなんかよく知ってるんだ。きみらは騒いでほしくない。きみらは・・

・・若さはいい。湯けむりの裸体をみるとかるいジェラシーがわく。・・炎のようだ。

97秋魚:2006/05/10(水) 10:23:29
(無題)
・・エジプトにはいったことがない。エジプト人と話す機会があった。サウジ、エジプトなどどちらかというと親米国は英語を話す。生活はイスラームでアラブ語だ。・・かなり自国流を通そうとするわがままさがある。日本人は沈黙してイエスマンをやるくせがあるから後々彼らと問題を起こすことが多い。・・通じる言語でまずはっきりと理屈をいってやること。それが肝心。

・・ノートパソコンは自国で買ったものをもってきていたがヒューレトパッカードだった。ミュージックをファイル保存して食事をしながら楽しんでいた。ELISAという女性ボーカルが魅惑だった。アラブ風のメランコリと艶がある。たぶん恋の曲だろう。わるくない。・・マイピクチャをのぞかせてもらった。まったく見当がつかない^^;・・生まれてまもない赤子の写真がいっぱい。これはたぶん自国で初子が生まれたのだろう。いっぱいある。

・・おそらくひとが理屈を折り曲げるのには理由がある。生まれた子どももその理由かもしれない。

・・エジプトの菓子をもらった。クルミのようなものを餅のようなもので包んで棒にしたもの。かれが生かじりしたものを千切ってさしだす。どうもこれもそちらの慣習かね。・・かまわず戴く。菓子はわるくないがちょっとヌルリとしたのがやな感触だった。

・・右足がまた重くなってきた。ヘルニアではない。背骨の横にしこりがある。ここを指でつよく押すと気持ちよい。・・医者はやれるのにわざとやってくれない。意地が悪いので遊びに来る女にやってもらった。はじめはひとの体を考えない下手な押し方だったが理屈で指導するとだいぶうまくなった。・・あとでコダイラ温泉にいった。足はかるい。

・・エジプトの友の話を女にしてやった。ガジュマルも知らない。

98秋魚:2006/05/17(水) 13:41:41
(無題)
・・暑くなってきた。ガジュマル、パキラが新しい葉をどんどん広げている。ぐっすり睡眠をとり自転車で野の草木をかぎにゆく生活が恋しい。・・たまの休みで友が自転車でかけつけてくれた。いいなあ自転車に乗れるなんて。専業主婦なら自転車で買い物ができる。自転車の子連れだっている。ちょっと便利なだけでそんな楽しいもんではないかしら。ともかく眠らないとあらぬ妄想のとりこになりそうだ。恋もできない。

・・ダヴィンチコードが流行りそうだ。ああいうのが流行るのはいいことだ。女子高生や新宿、渋谷の風俗嬢の文化レベルもぐっとあがるだろう。ハンニバル博士もぐっと株があがっている。

・・日本史コードの解読というのに嵌りそうだ。ダヴィンチコードはたぶんキリスト教コードのことだろう。東洋に流れたネストリウス派やグノーシスコードは読まれているのか。ヤマトの聖徳太子コードはどうか。山上憶良は山上の垂訓から降り立った。ヤマト三山の秘密。富士のふもとにいるコノハナサクヤ姫は微笑むモナリザであるかもしれぬ。富士は女か。

・・Kというブロンドのイギリス人は人当たりがよい。格調のあるそれでいてアンティームなイングリッシュでよく話す。・・ウエールズともよく話す。胸がふたつはじけそうに見えていたが愛想もいい。キスして触ってもやさしく受け入れてくれそうだ。・・よし!と思ってもそれはまわり一般にそういうのだからもう仲のよい友だちができたみたい。ああ遅い。

・・きみ。きみはやさしいね。・・ふときみの事を思い出して、部屋の掃除をはじめた。

99秋魚:2006/05/24(水) 01:31:40
(無題)
・・さあ自転車に乗るぞ!玉川上水のあるあたりまで女友達といこうとしたら雨降りだという。仕方なしに電車にした。玉川上水の道がいかに楽しいか。友に教えたかった。昔の武蔵野の面影があるあたり。空気がひいやりしてる。近くに学校があるのか学生がたくさんゆききする。このさき道を折れて青梅街道までゆくと温泉がある。きっとそこまで歩くのだ。われわれは。

・・肉体は牢獄であり悪魔だという。「肉体の悪魔」という小説もある。・・年をとって腰が痛いとかいうと肉体の負の面ばかりがでてきて暗くなる。お金をためても死んだらそれはもう屑。年金をもらおうと頑張ったひとがいた。急に白血病になり逝いた。肉体はもろいとは先日老母のことばだった。・・たしかなことだ。

・・ケイバの好きな女をなじった。勝負などいって様にならぬからやめろといった。勝負に勝ってへんに鼻息が荒くなるのはやめてもらいたい。というか勝負自体がすでに逃げで負けなのだ。ハイデガーひとつの覚存で女を説き伏せられる。否!・・ケイバで3連単10万馬券が当たった。これで女は話を聞くようになった。素直になった。(気のせいだよ)

・・昔勝負師と名乗る人がいた。肉体はぼろぼろになっても意気盛ん。死んだ子の歳を数えるのはやめなさい。よくいわれた。

・・ホテルで休憩した。人前でいろいろ話すのはよくない。いずれみな死ぬからといって大声で何でも話すのはやめてもらいたいと自分に言い聞かせた。・・ホテルなら思い切り恥をかける。

・・ああ都会はやすまる場所がない。電車に乗るとマゲを結った関取がいた。かれらは土俵で勝つために太っている。・・女は外目を気にして若返りの薬を飲むという。そんな闇の薬はやめたまえ!きっと副作用が体を蝕んでいるんだよ。少々ぽっちゃりしてメガネをかけてくれたほうが福の神にみえて抱擁もぐっと様になるんだ。

・・ああ眠い。勝負はするなと女にいい。こっそりやりなさい。

100秋魚:2006/05/31(水) 09:15:46
(無題)
・・何年かまえ訪れた永平寺を思い出していた。三国あたりから出ている超ローカル線がたしか廃止になったと聞いた。これから永平寺にゆくのはどういうことになるのか。バスか。・・手元にその時入手した数珠がある。中にひとつ白い玉があって緑色の玉がいくつもあり輪をつくっている。「慕古心の輪」というそうだ。白い玉は崑崙山の玉であるのがいい。「慕古心の輪」というのはまた完璧の玉のことかも。

・・玉を薄く輪の形に磨き上げたものを「璧」といいます。
・・中国戦国時代の趙の国王が「和氏の璧」という優れた玉を持っており、秦の皇帝が十五の城と「和氏の璧」の交換を強要しました。

・・なるほど道元の曹洞宗は不立文字の鬼渡しかもしれぬ。玉と玉をつなぐ数珠の輪のようであれと。達磨はインドから来た西域僧。崑崙を熟知していた。玉二貫の玲瓏。・・娑婆は鬼が多い。

・・母の見舞いに行った。元気でなんとか歩けるようにもなった。・・ここは墓場のよう。体も頭も半分以上壊れている。夜がこわいという。・・人の肉体はただのただの滅びゆく塊かも。

・・同期の米原万里が逝いた。女性特有の子宮をやられたらしい。もっと早目に岩盤浴でもやっていればよかった。・・ケイバの予想と同じで生死はなかなか当たらぬものだが。

・・ケイバといかに切れるか。・・ひとりの女と付き合いながらこのところそればかり考えている。

101:2006/06/07(水) 01:18:45
(無題)
・・ファイトヘルマーの「ツバル」という映画をみる。いま観ている。不思議な映画。
プールで泳ぐ女がいる。
・・同時に旧約聖書の「土師記」も読んでいる。やはり女がいる。

・・JDG05:24??女たちの中で最も祝福されるのは カイン人ヘベルの妻ヤエル。 天幕にいる女たちの中で 最も祝福されるのは彼女。
JDG05:25??水を求められて ヤエルはミルクを与えた。 貴人にふさわしい器で凝乳を差し出した。
JDG05:26??彼女は手を伸ばして釘を取り 職人の槌を右手に握り シセラの頭に打ち込んで砕いた。 こめかみを打ち、刺し貫いた。
JDG05:27??彼女の足もとに、シセラは かがみこみ、倒れ、伏した。 彼女の足もとに、彼は かがみこみ、倒れた。 かがみこみ、そこに倒れて息絶えた。

・・ああ、これは不思議だ。
・・ツバルは海の民の物語?二つの世界が出会う。
・・土師記とツバルは同じに思えるが・・あるいは、カフカ?

・・ホツマツタヱのツマとは女のことだろう。弟橘姫とか女のロマンがある。ヤマトのホツマは木花咲久夜姫と弟橘姫・・スバル?

土師記はサムソンとデリラの話がある。怪力サムソンの麗しい金髪。(・・メイショウサムソンという馬はまったく強い。)・・メイショウサムソンが負けるときのことを考えねばならない。

・・ツバルは竜宮物語でもある。

102秋魚:2006/06/13(火) 02:01:12
(無題)
・・探偵事務所に職換えした。仕事はさっそくある女の離婚相談をはじめた。探偵でどうして離婚相談?仕事だからどうしてもない。人の一生にかかわることは探偵でもなんでもやってこなさねばならない。

・・消費能力は確実にひとの3倍はある。当たっても外れても3倍の賭けをする。離婚するなら好きなケイバはやめろといった。(とりあえずだが)。男には別れる以外何も望まないという。金もいらない。怒るとこわいらしい。(そいつはヤーさんかい?)でもないみたい。子どもはいない。(では、楽でいいんでないの?)でも財産分与の金は相当分もらったほうがいいよ。もらわなければ男がつけあがる。・・というかきみはいったい別れたいんだろ?だったらまずその理由を一番に据えることだね。性格の不一致だとか、性の不一致だとか。巷の離婚事案をのぞくとひでえ現実だぜ。どこでも複雑怪奇な事情があるみたい。でも、でもね。理由は単純化しないと決意ができないものだ。簡単にひとつ。一番ぐさりと来るやつがいい。・・探偵が教えてもいいがこれは信念と通念がいる。いまのところヒミツだね。調停にかけるなら言葉はたくさん用意したほうがいい。・・それにしてもびくつくことは無い。きみに理がある。

・・あとは法律の勉強。さいごはこれでゆく。下手なケイバはやらぬこと。

・・仕事をやめてコダイラ温泉にいった。あー、サウナがチョー極楽。ぐるんぐるるん。世界がまわっている。酒をのむより心地いい。でもこれってヤバイんでないか?プッツン切れるとか。ぐるんぐるん。

・・三色豆腐を食べた。ゆず、ゴマ、抹茶の順で。最後の抹茶は枝豆かと思った。で味をたしかめてみた。・・ぬっとして味もしっとり。ぐるんぐるん。

・・サッカーのワールドカップ。気持ちいいほどに負けだった。

103秋魚:2006/06/21(水) 13:36:36
(無題)
・・ガジュマルはげんきんな奴だ。水をやらないでおくと葉は萎れず元気だが太い根がシワ寄ってくる。水をやるとみるみる吸ってパンパンに膨れる。ラクダのコブと同じで根に水を蓄えているようだ。

・・google earthなるソフトで地球の3D旅行を試みた。宇宙衛星の画像だ。フルスクリーンで自分の家の屋根までみえるからオドロキだ。富士山、羊蹄山はもちろんみえる。解像度にバラツキがありローカルなとこはぼやけてみえないのもある。パリの市街などはよくみえる。エッフェル塔やノートルダム寺院。車や人までみえる。・・これならザルカウイ氏も殺られるわけだ。情報と空爆で逃れられまい。

・・ネパールのポカラから2日のトレッキングでマチャプチャレをめざしたことがある。マチャプチャレは「魚のシッポ」とかいう意。google earthで歩いた道を探した。ポカラに湖があるはずだ。みえない。・・ダンプス峠はこのへんだろか。解像度が低いのでわかりにくい。ヒマールの山はすごいね。何がなんだかまるで迷路。カイラス山というのをみつけたいがどんなもんか。

・・金輪、水輪、風輪のある須弥山はカイラスのことだという。三輪というのはここが因らしい。ミワはヤマトにもある。大物主が伝えたのだろう。

104秋魚:2006/06/28(水) 01:57:10
(無題)
・・ブルーベリーの木を育ててる家があった。鉢植えで大きな実をつけていた。花はさぞかわいいでしょうね。白い花でほんのり紫がにじんでいる。あてずっぽうにいった。ネットで調べてみると、小さい袋状の花で白くほんのり紫がかっていた。

・・「ママよりパパが好き」という一青窈の歌があった。うろおぼえだがそれは彼女がハーフだからかなといった。「月天心」「ありがとう」を夜中に聴いた。「かくしごとがあるのです」「ほんとはママの方がちょこと好き」「デートするならパパがいい」・・すこし違ってた。千回も一万回もありがとうは両方にだった。パパが日本人。ママが台湾。さくさく歩くパパがいる。もういないパパの記憶。

「もらい泣き」「翡翠」というシングルですか。では「月天心」をコピーしてさしあげましょう。わたしのパソコンでできるはず。能力があるのに必要も無かったからつかってこなかった。いえもともとコピーをいただいたのですよ。コピーはあわれですからあまり責めないことですね。歌がよければ。

紫の ひともとゆえに むさし野の 草はみながら あはれとぞ見る・・古今和歌集

・・こんな歌があるのですか。あるのでしょう。

コダイラ温泉の帰りに「紅ひゆ菜」という野菜を買った。ホウレンソウに似てアクが無くすこし紫がかっている。ポリフェノールが多いのだという。・・さっそくオリーブオイルでツナ、タマネギといっしょに炒めてみる。ああ、紫がとけて白いタマネギなども赤く染まっている。塩コショウで食べる。とくにクセのある味ではない。

・・coccoさんというオキナワの歌手をみた。もうすっかり忘れたがいい歌だった。歌への信頼がある。

105:2006/07/04(火) 01:03:24
(無題)
・・ああ蒸し暑い。百円ショップで簾を買ってきた。天然素材でこれが百円とは!台所の窓に垂らすととても風通しが良くなる。トンカチと釘もずっとご無沙汰だった。大工道具を揃えてあるが使ってみないと意味もない。釘より木ネジがよいでしょう。釘打ちは不吉だ。・・ああ案外簡単にできるのですね。思い立ったら吉日。・・友人がセンプウキをもってくるという。いやドームでもらった団扇があるからいいよ。扇子もある。簾がついて涼風もはいる。・・要らないものだから是非にという。小さいヤツがきた。なるほどいい風が吹くね。これはいい。

・・ロハスな生活。というのが流行っているらしい。これも古いか。環境にやさしい生活。ざらざら粒子の感じる生活。ジュースにブドウの実やミカンの実がはいってることかも。ヨーグルトにも果実がいっぱい。いえそうではなく素材がプレーンなことでしょう。自然栽培をして自分で作ることです。ジャムも酒もヨーグルトも。・・なかなかゆったり時のもちようだ。

・・サッカーのworldcup。フランスのジダンがいい。ベスト8に来るのはやはりよいチーム。うまいし強い。・・ベッカムのイングランドは惜しかった。上品なサッカーだった。主将がケガして戦力も限界にきた。・・ジダンはホッケの太鼓。ますます乗ってきた。ブラジルを下した。・・ドイツもカーンの隠れ味がきいている。クローゼは得点王で宙返り。きっとおもしろい決勝になる。

・・コダイラ温泉。きょうのサウナは死ぬほど気持ちいい。水風呂からあがると死んでしまいそうだった。ぐらぐら。・・そうやってほんとに死んでゆく人もいるんだ。

・・たくさん睡眠をとれば食事もいける。あとハングリーで枯らしていても食物はいける。味覚をスローにしたい。たまには人のつくったものも食べながら。え?いつも人のつくったものばかりだって。

・・ラジオフランスがよく響く。

106:2006/07/12(水) 12:01:30
(無題)
・・花は五月のはじめにいっせいに咲いて中旬にいっせいに散ったそうです。・・リラの花は憶えていない。アカシアの花も。フランスの花のみごとさを讃える話を聞いた。巡りあわせが悪かったのか、自分は、フランスで花がきれいだとは一度も思わなかった。南スペインのヒローナあたりでは、野生のポピーがいっせいに花開いた。ヤマトの桜も驚異といえる。

・・フランスは花より人がおもしろい。仕事をやってるとかは仮の姿でいつも人生のナマの時間がある。春先でも外気の中の霧が氷って浮遊してるような時がある。寒いんだけど深夜のパリでみな励ましあって歩いてる。もちろんイヤな奴もいる。

Zidane ・・みごとな頭突きだった^^;サッカー歴史上の汚点というが、そんなことはない。ジダーヌはあの一発でサッカーを歴史に深くとどめた。

・・サッカーは人種差別に抗議すると、ベッカムも宣言していた。アルジェリア移民二世とイタリア選手に侮辱されたジダーヌはヘッディングで返した。透明なボールとよく見えたゴール。それがジダーヌレッドカード退場のすべてだった。

サッカーはサポーターもそうだが、アグレッシブなスポーツだ。ワールドカップがワールドの萌しをみせる。日本のナカタはニッポンのヒデだが、ジダーヌは世界のジダーヌだ。それが戦いにもあらわれた。Viva Zidane!

・・映画も小説もうるさい日々だ。マスコミも。・・音楽はたまに飢えることがある。・・ジュリエッタという歌を何度も聴く。IL giorno y pur noche ・・昼と純粋な夜。ああ、これだね。飢えているものは。

・・サウナの時間。アルジェリアの太陽の下。サハラ。・・純粋な過酷がある。

雲の流れを追う。・・ただの脳のくるめきか。

107:2006/07/19(水) 10:46:36
(無題)
・・雨降りだが買出しにでた。自転車のタイヤの空気が減っている。先日空気入れでいれたばかりだが。パンクか。・・ビニール傘の骨がはずれた。なんとか帰るまでもたせねば。いきなりバラバラと壊れる。付け根が錆びてボロボロだったのだ。もうゴミだけど街中にすてるわけにもいかない。小降りの雨の中をもってかえった。・・自転車はパンクではない。空気入れが壊れていた。いくらやっても入らない。寿命だね。

・・古いものを大事に使っている。大事というほどでもないがボロのまま使う。一瞬にダメになることがある。いつかダメになるが最後をみとどけたい気もする。

・・人の命も滅びるだろう。

・・「エノク書」がネットで読める。

「第31章
31.1.1
 そして別の山々を見た、その〔山々〕も樹木が生い茂り、その〔樹々〕からは、サッランとかカルバネーとか呼ばれる神酒(nektar)が流れ出ていた。
31.2.1
 さらにこれらの山々の向こう、日の出の方、大地の果ての別の山を見た、ありとあらゆる樹々がアーモンドに似た〔果実に〕満ち、
31.3.1
 潰すとたちまち〔香りが立ちこめた〕。だから、どんな香料よりもよい香りがした。*****

第32章
32.1.1
 北東の方に、有用な甘松やスキノスや肉桂や胡椒に満ちた7つの山を眼にした。
32.2.1
 そこからさらに、これらの山々のすべての初めの方に道を進み、大地の日の出の方角に遠く離れ、エリュトラ海の上を渡り、端に着き、さらにそこからゾーティエールの上を渡った。
32.3.1



・・なんか感動ですね。・・七つの火山がある。燃える星のごとく。南に三つ。日の出る方に三つ。その真ん中にさらに大きく一つ。

でも、迷っています。樹海のように。

108秋魚:2006/07/26(水) 00:59:29
(無題)
・・むしむし梅雨があけない。ジャワで地震、中東でまた戦争だ。レバノン侵攻はだいぶまずい。ライスの調停などうまくいくはずもない。アメリカは泥沼にはまりこむ。

・・カレーが食べたくなる。週に一回ていどだが、きらすとますます食べたくなる。温泉のレストランで薬膳カレーライスというメニューがでていた。丁子とかクコとかサンザシとか高麗人参とかいろいろはいっているらしい。すぐに飛びつきたくなったが思いとどまる。いつものようにビールと海藻サラダにする。カレーは今度にしよう。

・・音楽にも飢える。アリガ十々の一青窈は月天心。フィリパジョルダーノのil rosso amore、ジュリエッタというのがいい。ドミニクミラーのアベマリア。ヴァネッサメイの悪魔のトリル、Solaceは犬笛を吹くせつなさがある。

・・飢えるのは自分だけか。そんなはずはない。女友達にも聴いてもらった。うん。いいという。ほぼ同じような感動がある。とてもいい。というのはまだ予感にすぎない。もっともっとときたらどうしよう。これ以上は実はない。最高のものを3つ4つ。あとは味の落ちるのは必定。だからもうおしまいといってやった。・・さらに飢えたら自分たちで追求するしかない。

・・ランボーはアデンにいった。ここは何もない。・・何もないというのはどういう感情だろか。

・・昼と純粋な夜。太陽、星月夜。

109秋魚:2006/08/02(水) 01:04:34
(無題)
・・カナに空爆。避難していた子どもと女がまとめて死んだ。子どもと女を殺す戦争は最低ではないか。血迷ったかイスラエル?・・懲りない戦争になる。

・・契約と契約を見張るもの。サルトルの実存的政治思想はengagement、契約だった。思えばミトラは契約の神、ヴァルナはそれを見張るもの。契約と破棄は今の世の常。双面のミトラ=ヴァルナはインドですたれても隠れた王国をもつ。ユダヤの契約は裏切りの悪態を予見している。・・イスラエル、レバノンの戦いはこのままでは終らない。調停、破棄、調停、破棄、が繰り返されてミトラヴァルナが跋扈する。そんなんでなくてもジキルとハイドの二重人格が普遍化される。ユダヤ=キリストの双面神って想像できるだろうか。

・・ともかくいい加減な契約の日常がある。破棄することをいつも考えている。

・・イスラエル、ヒズボラの調停ほどではない。なにかいい方法はないか?人に聞いてみる。ろくな答えの無いのはわかっている。ひとは他人の契約などはどうでもいいのだ。自分の契約は自らの責とするのが実存の考え方。

・・目には目、歯には歯。・・中東戦争は遠いバビロニアから続く記憶のようだ。

110秋魚:2006/08/08(火) 01:04:01
(無題)
・・ああ暑い!夏らしくていいか。春先ならまた生き延びたと感慨にひたることもある。夏は蒸風呂と同じ。ただひたすら耐えて生きる。また来た夏とは思わない。・・サハラの記憶がある。ベリアンヌという砂漠の森。畑に招かれてパンをご馳走になった。水があって葡萄もある。ナツメヤシの木がそびえたつ。・・極楽だね。

・・ああまた月のものが来た。うらめしそうに女が言う。自分は女でないのでわからない。月のものはそうやっていつまでも堪えていられるだろか。いっそ無くなってしまえばいい。そう思ったら負けだろう。・・太陽ではなくて月とともにある。女の生は月世界だ。

・・鯛のカシラが安く出ていた。吸い物をつくってレモンの氷結でいっぱいやる。地球温暖化で異常気象がつづく。いまに暑い暑いといって冷房も、氷も投げ出す時がくるのではないか。大津波がきて一目散に山に逃げるようなものだ。地震が来てあっというまの圧死かも。心臓が急に止まることもある。脳の血管が切れたり、白血病もよくあることだ。

・・ジャガー横田よ。・・成功を祈る。

111秋魚:2006/08/16(水) 14:05:05
(無題)
・・ああ暑い。飛鳥、イカルガの里で長屋王が氷を貯蔵していたのを思い出した。否、たぶん記憶が混乱している。数万におよぶ木簡がでてきた長屋王邸はたしか平城京の中央にあった。跡地を昔そごうでいまミツコシとかいってた。長屋親王の木簡は長屋王の位置をおおきくひきあげる。・・長屋はたぶん天皇だった。

・・ヤマト古代史がミステリーだ。

・・ハモ、ハゼ、シャコ、海老、ナス、インゲンの天婦羅を食べた。ハモはよくわからない。白身の厚い奴か。ハゼは昔よく釣った。これもよくわからない。ひらいたりしても小さいものだ。美味なのがある。これかな。シャコは鮨ネタでもある。ちょっとパリパリ、シコシコなのがいい。わるくない。海老はいつもよりよかった。

・・アフリカだかで鹿を狩り骨の髄まで食べるのをテレビでみた。どろどろ栄養がありそうだが。

・・骨髄バンクにドナー登録を!キャンペーンをやっている。あれはけっこうたいへんそうだ。骨髄液をひとにわかちあたえるのだからね。

・・いろいろ想像したら、また暑くなった。

112秋魚:2006/08/23(水) 13:39:52
(無題)
・・無風。蝉があちこちころがっている。蝶の羽より透明で粉の無い蝉の羽に惹かれる。クワガタ虫も地上で一番の盛りは黒く艶つやした角と羽をもつ。・・七月の中ごろ現れる玉虫はもっと色彩艶麗だ。玉虫の飛ぶ姿は独特ですぐにわかる。その飛ぶ木もひとつだ。あの木は何の木だろう。一週間。木のまわりを飛びまわる。枝垂れた先の方へと低空飛行することもある。風もある。網でよく捕まえたものだ。

・・エジプトの上流下流はそれぞれ上ナイル下ナイルという。白と赤。上ナイルの白はさらに上流は「青」とされる。ナイルの上流のひとつにエチオピアがあるときいたが確認していない。上流はいくつかの頭をもつだろう。下流は三叉デルタの河口をもつ。アレキサンドリアはそこにある。コブラの目?

・・ナイルの三叉デルタはコブラの頭だ。スネークダンスのナイル紀行。アレキサンドリアはたぶん月の都市。赤い月がある。

・・信州の上田はいま八月のコスモスが咲く。

113秋魚:2006/08/29(火) 16:28:17
(無題)
・・キプロスの人がカツオフレークを置いてったのでツルムラサキと和えて炒めた。人参と玉ネギも和える。カツオでなくマグロかもしれぬ。ごま油と塩コショーで味付けしたがごま味は飛んでしまったようだ。量の配分もあやまったかもしれぬ。ツルムラサキはアクガありそうだがそうでもない。ぬるっとしていける。・・ビールで食す。

・・新潟記念を買いに立川の馬券場にいった。新潟物産展ということで出店がでていた。馬券と品物を買うと笹だんごが2つおまけになる。夏祭りの団扇ももらった。中越地震などで寄付もできなかったからいっぱいお金をつかうことにした。・・緑川というお酒を買った。寒梅が有名だが未見の緑川にした。カワハギの日干しも買った。玉藻塩という昔風のシオも買った。5百円。緑豆からつくった豆乳も。これは帰りに飲んだが濃いものだった。

・・馬券は外れた。小倉記念組のサンレイジャスパーが2着にきた。3着にヴィータローザ。スウィフトカレントが4着。1着がエプソムカップを買ったトップガンジョー。3連単は十万なんぼ。こんなのがとれないなんて情けない。反省ネコ^^;

・・イエメンのアデンという港町はすごい。アラビアの砂漠の果て。ランボーは何もないといっている。何もないというのはどういうことかな^^;

114:2006/09/06(水) 01:51:18
(無題)
・・ゴムの木のミニ盆栽を買った。肉厚の葉がスクッと立って元気がでる。

・・ADSLの接続速度を5メガにしたらUSENとYAHOOの動画がらくらく高画質、大画面でみれるようになった。「黄色いリボン」を観ている。西部劇というのは本当に無くなってしまった。インディアンを冷酷非情な悪人に仕立て上げる紋切り型のドラマツルギーがたぶん古いのであろう。こんなんではヒマつぶしもできない。それにしてもすごいことになった。時間だけがまったく足りない。

・・ランボーはアデンからアビシニアにはいったか。ハラールにまでいったはず。左利きのグラン将軍がアビシニアを攻めたのはいつの頃か。サラセン帝国の頃?イスラムの急襲だった。キリスト教徒がタナ湖の方にまで退いたのもこの頃のはず。タナ湖を下ればずっとエジプトまで逃れることもできる。イスラムに制覇されることはない。タナ湖は最強の砦だ。

・・blue Nile。いわゆる青ナイルは神秘だ。「失われた釣針」。原始キリスト教とイスラムの双襲がある。海幸、山幸はここにもいたにちがいない。

・・タナ湖は五芒星を秘めている。

115:2006/09/13(水) 11:24:20
(無題)
・・アネモネは秋の花ではなかった。Anemone(アネモネ) は、ギリシャ語の「風」が語源。「風の花」の意味のようです。「早春の風」が吹き始めると開花する。金鳳花(きんぽうげ)科。学名??Anemone coronaria?? *?? Anemone?? : イチリンソウ属??coronaria : 花輪に使う(適した)
 とも
??妖精アネモネの化身、ともいわれます。
・南ヨーロッパ地中海沿岸原産。
・秋植えの球根植物。
??春、赤白青などいろんな色の花が咲く。

・美の女神アフロディーテは、
??キューピッドの射た愛の矢に誤って傷つき、
??美少年アドニスと恋に落ちた。
??ところがそのアドニスは、猟に出た日に、
??イノシシの角に突かれて死んでしまい、
??アフロディーテが悲しみのあまり流した涙が
??アネモネになった、といわれている。
・アネモネの赤い花の色は「血」と「生命」の
??象徴とされる。
・別名「牡丹一毛(ぼたんいちげ)」
??????「紅花翁草(べにばなおきなぐさ)」

・・和名に翁草とあるのは同じではない。南ヨーロッパ地中海沿岸原産というならいまのレバノン昔のフェニキアにもあったはず。昔スペインで見たものはポピーとともにアネモネもあったかもしれぬ。ヤマトの翁草は別物だ。

・・アドニス神話のアネモネ。…アネモネと翁草。…キリストとユダに似てまいか。

「逃れむ。彼処に。」・・ユダの心意気かも。砂漠に、海に。

116秋魚:2006/09/20(水) 03:16:27
(無題)
・・ローズステークス(G?)。アドマイヤキッス、シェルズレイ、フサイチパンドラ、13−10−8の三連単をとった。シェルズレイという馬を追いかけていた。クロフネの子で芦毛の馬体。先に行くが粘りがない。よく負けていた。・・こんどは二着に来るという確信があった。

・・馬はどこから来たか?

「…サハラには、無数のウマの絵があった。疾駆するウマ、ウマに引かれる二輪戦車、戦車を駆る男たち。しかも、それらの絵の分布地点をつないでみると、見事なサハラ縦断ルートがあぶりだされてきた。このルートは、現在のマリ、かつてのガーナ帝国の故地からサハラの中心に至り、そこから二手にわかれてアフリカ大陸の北海岸に達していた。」

・・タッシリ遺跡の壁画にも馬はいた。馬はアフリカを北上したのか。ガルダイヤはオアシスの森。サハラの真珠と呼ばれた。ここにも馬はいたかも。

 「…紀元前5世紀、ヘロドトスは、このサハラ縦断ルートの中心付近に首都をおくガラマント王国の存在を記録にとどめた。ガラマント王国には、ヒツジが沢山おり、ナツメヤシが栽培されていた。そのころのサハラは、まだ完全には乾き切っていなかった。そして、ガラマント王国の戦士は、二輪戦車を駆使していた。彼らは、カルタゴと同盟を結び、ハンニバルとともにイベリア半島にわたり、ピレネーをこえ、アルプスをこえてイタリア半島を南下し、ローマへと進撃した。」

・・ああ、ハンニバル。なつかしい名だ。ピレネー越えも。

・・なつかしいものはまだある。レバノンの白い山。標高1800mというのはエチオピア、タナ湖の1800mと同じだ。

・・世界があぶない。TUVALUは8つの島をひとつに統べるという意味らしい。9つの島だが。地球温暖化と海面上昇でツバルが沈むのはわかりきったことだ。・・バカの壁がなつかしい。




サハラには、無数のウマの絵があった。疾駆するウマ、ウマに引かれる二輪戦車、戦車を駆る男たち。しかも、それらの絵の分布地点をつないでみると、見事なサハラ縦断ルートがあぶりだされてきた。このルートは、現在のマリ、かつてのガーナ帝国の故地からサハラの中心に至り、そこから二手にわかれてアフリカ大陸の北海岸に達していた。

 紀元前5世紀、ヘロドトスは、このサハラ縦断ルートの中心付近に首都をおくガラマント王国の存在を記録にとどめた。ガラマント王国には、ヒツジが沢山おり、ナツメヤシが栽培されていた。そのころのサハラは、まだ完全には乾き切っていなかった。そして、ガラマント王国の戦士は、二輪戦車を駆使していた。彼らは、カルタゴと同盟を結び、ハンニバルとともにイベリア半島にわたり、ピレネーをこえ、アルプスをこえてイタリア半島を南下し、ローマへと進撃した。

117秋魚:2006/09/25(月) 14:02:24
(無題)
篭目から卵のやうな春来たる
猪の牙にアネモネ白い山
コブラたつ月の欠けりの艶かし
狐とよ石も孕むと若葉吹く

薙鎌のおさめて立てり十一面
若駒や赤口から逃げまくる
竹取の翁の里にユダ来たる

Tuvalu葡萄色のへうたん
Tuvalu魚群の走る日々
Tuvaluまっこうくじらの肺の音

118秋魚:2006/09/27(水) 02:52:13
(無題)
・・電気釜がこわれた。スイッチがはいらない。分解したが今度はスイッチが切れない。もうだめだ。新しいのを買おう。・・ひでえ雨だぜ。ヤマダ電機にゆく。女が買ってくれるというがなぜか自分で物色してみたくなる。電気釜とはいわないらしい。炊飯器だそうだ。なるほどね。いろいろ便利になったものだ。ともかく玄米を炊けるのがいい。けっこう安くある。

・・雨がきつい。自転車でコダイラ温泉に行く。れれれ、ひでー降りだ。退却か。雨がなんだ、えいっ!なんか横殴りでびしょびしょ。傘はあぶないよ。もうもどらない。・・武蔵野はくらい。コウラクエンというラーメン店に立ち寄る。ラーメンはドロドロでよくなさそ。えいっ!餃子も食べちゃえ。ついでにグラスビールも。まあ普通の味がする。中学生が騒ぐのでそそくさと温泉へ。雨はあいかわらず。

・・Ca va venir。やっとついてびしょぬれだ。フロントは例の美女が2人。どういうわけか競い合ってる。こんな雨の日にくるか。ああ夢うつつ。カギをお預かりしましょう。え、そうでした。貴女がこえをかけているのですね。うまいものだ。思わず間抜けて高い声を出してしまった。ああ、はずかしい。…じつはどうでもよかった。びしょびしょをとがめられはしまいが迷惑でもいけない。うまくはいることだ。美女のいる温泉…ああ、極楽。

・・「髪結いの亭主」という映画をみた。ヤマダ電機で買ったヘッドフォンをパソコンで聴くととても音質がいい。すばらしいフランス語がきける。…いろいろ買い物をした。

・・温泉の雨はどうもよくない。ブラジルやサハラでスコールに合うというならこれはいい。びしょびしょでも。東京はくさい。どこかで核実験がなされたり原発の事故があって放射能がまざってるようでこわい。口をあけて雨水を飲むなんてやれない。雨降りの日に宝くじを買ってもあたらない。…まったくひでー雨だぜ。

119秋魚:2006/10/04(水) 03:14:12
(無題)
・・ディープ、ディープと大騒ぎしすぎだよ。凱旋門賞3着はあれでいい。むしろ三連単のビリケツに来たことを誉めてやるべきだろう。…ロンシャン競馬場、2400m。

・・それにしても興味深いのは、中山スプリンターズステークスG?、1200m。一着テイクオーバーターゲット、二着メイショウボーラー、三着タガノバスチーユ。三連単13−4−2は260何万なんぼかの大配当!!!二着のメイショウボーラーもさることながら三着のタガノバスチーユも大穴だった。バスチーユはフランス革命の象徴。破壊された牢獄のこと。…1200→2400というサーキットの拡大でディープのギアは全開になった。最初から飛んでいた。

・・テイクオーバーターゲットは企業経営権買収のターゲットということらしい。豪州馬。ならTUVALU、Fujiの南太平洋諸島の潜勢を代表していまいか?経済の手綱が握られてしまった???香港馬サイレントウイットネス4着というのがもっともな愛すべきwitness(^_^)サンデーサイレンスの盲点といえる。…TUVALUこそが現代である!!

・・メイショウボーラーのBOWLERは山高帽子。An。
・・どう考えてもタガノバスチーユを買うべきでしたね>^_^<

・・イエメンのアデンには隕石が衝突したのではないか?deepimpact?

・・Tuvaluは、そう、何かに似てる。

120秋魚:2006/10/10(火) 14:40:11
(無題)
・・北、核実験!日中首脳会談、日韓首脳会談とよくつづく。先にディープインパクトの凱旋門賞の敗北があり、起こるべくことは起こる。・・田中マキコのおしゃべり国会はまったく下の下の騒ぎ。マキコは器ではない。

・・昔、フェニキアの船は馬頭船首だった、。レバノンの農耕民が海の狩人から交易の民に発展するのはヒッタイトとユダの流れが先導したとみる。ヒッタイト、ユダの落人の流れがあった。カイン、ツバルカインとユダは手を結んだにちがいない。ビブロスはパピルスの意味でエジプトの手にあった。レバノン杉が略奪されたのもカインの故郷ブラックアフリカの力だった。アッシリアに滅ぼされた北イスラエルの長は南からぬけたユダか。ツバルカインは金属をさがし鍛えた。ものの価値を貨幣におきかえ移動の術を知悉していたのはユダだろう。そもそもが贋金つくりの名手なのである。フェニキアの先達でもっとも勇猛なものは「海の民」と呼ばれた。これがヒッタイトを撃退したといわれるがそう単純でもない。鉄と塩。これなら塩が勝つ。ヒッタイト=山幸彦がフェニキアにもとめた失われた釣針はナイルの奥にあった。ヒッタイト反乱分子が塩と鉄をもった「海の民」となったのではないか。あるいはこのときはきめて鉄はヒッタイトに伝わった。エノク、失われた釣針はエジプトからナイルの上り、ハルツームから分かれた青ナイルにある。青ナイルの水源タナ湖こそすべての秘密なのだ。

・・エチオピア高原、海よりも低く陥没した地溝がある。かく天国と地獄が同居している。

タナ湖の標高1800m。レバノン山の標高1800m。…羊蹄山も1800某

121秋魚:2006/10/18(水) 01:15:47
(無題)
・・教育法改正と憲法改正。この明確な意思をもっているのが安倍秦三だという。どうもよくわからぬのがこの順序。憲法改正の前に教育法改正のヴィジョンがあるらしい。法改正の中味もよくわからぬが法制を変えたところで教育の効果はどれほど期待できるのか?いったい教育の実質目的は何だというんだろう?

・・バイブルでユダが手紙を書いて断罪したのは「偽教師」だった。六芒星に近い五芒星の安倍氏の系譜はユダの欠落体?一角を隠したカバリストかもしれぬ。戦後民主主義は「偽教師」の群れをつくった。偽教育の破綻が随所にある。アベとて例外ではない。

・・教育法改正のまえに教育そのものは自然崩壊している。むしろあらたな教育の立ち上げが急務かもしれぬ。がそれは法制の改革でなしうるものか?

・・憲法改正。実際、これこそが眼目であろう。

・・核武装論の射程は国家主義も民主主義も超えねばならぬ。とりあえずは多くを語れない。核拡散/抑止の力学もすくなからぬ近未来においてくずれる。拡散は放射能の特質である。誰もが核をもてる時が必ず来る。…といっても誰も信じまい。

122:2006/10/25(水) 13:50:52
(無題)
・・ずっと昔のパレスチナに興味がある。モーセがエジプトからイスラエルの民をひきつれてやってきたのが漸13世紀頃のこと。でもそれは旧約聖書のお話でほんとのところはわからない。パレスチナ、カナーンに侵攻するイスラエルというのはあったにちがいない。

・・サウル、ダヴィデ、ソロモンの時代。サウルはたしかベニヤミン系、ダヴィデ、ソロモンはユダ系かと思う。ソロモン以降のイスラエルの南北分裂。ユダとベニヤミンの南イスラエル、それと北イスラエルは他の十部族。エルサレムや周囲のいい土地はベニヤミンが支配した。・・ヤコブにベニヤミンがよく愛されたのは訳があろう。狼といわれ相当の戦闘好きだ。

・・サウナにいってよく眠った。…このベニヤミンが旧約の創作ではないかと想像しているが、ユダの陰謀かもしれず、あいかわらずよい眠りはえられない。

123:2006/11/01(水) 00:00:22
(無題)
・・鬱屈した幼年時代を想い出した。夢見がちだったのは学校不適用で胎内に篭ろうとしていたからか。他者の言動はすべて乱暴な攻撃に思えた。無口で通した。

・・ヤコブの子ヨセフが夢を見たのはよくわかる。エジプトへいくのでしょう。兄弟がいじめるからだね。かれにはそういう必然があった。

・・いまの子どもはいじめにあって夢も見ずに命を絶ったりする。夢をみても悪夢しかないということか。よくわからない。

・・今、わたしには夢がある。アラビアのロレンスのように砂漠を疾駆すること。インド洋にでて船でのんびり昼寝をすること。どちらもかなわぬ夢だ。

・・もうひとつ日常の夢もある。今も聞こえるラジオフランスの音がすべてすらすら聴き取れること。これはひとつの日々の訓練として課しているから、ある日急にすらすら何でもわかる時がくるかもしれぬ。これは実現可能。

・・あ、言い忘れた。実は最大の真面目な夢がもうひとつ。…これは日記でもヒミツ。

124:2006/11/13(月) 02:13:14
(無題)
・・想像力がパターン化されているのは日々の生活と関係があるかも。誰もが自分の思考パターンをもっていてそれは変わらない。変わることもあるのだろうけど生活が落ち着くとなかなかだ。ケイバがもすこしのところで外れるのは労働と生活の限界だろう。けしてそうではないと信じたいが。マルクスの存在は意識を決定する、たぶんこれが正解だろう。

・・自転車に乗って湯楽の里というスーパー銭湯にでかけた。遠いいなあ。立川にでてそこから昭和記念公園、むかしの立川基地のあった敷地をぐるりとまわりながら玉川上水にでる。これがなんとも広く遠いこと。なるべく車の来ない安全な道をゆきたい。西砂の公民館にはよく通ったことがある。イタリア現代詩の講座や唯識の講座にもでた。あの時も自転車だったがやけに遠いかった。砂川闘争のタテカンがまだあった。駅裏の小路にはパンパンもいる。…しかし広い土地だ。公園は。ススキが白い穂をたれてずっと先の西空に影富士がみえる。空風も吹く。

・・玉川上水にでればわかりやすい。ずっと拝島の方へ。五日市街道は昔の風情がある。神社や古い農家もみえる。やばい、だいぶ暗くなってきた。・・もうそろそろというところで人に訊く。ああ、あの道路の向こうですか。ありがとう。

・・一面の雑木林。あはは。ここまでは人がほとんどいないのに銭湯のなかは人だらけ。駐車場もいっぱい。チャリンコも多い。人工温泉だけど休日で安いもんだからこんなに多いのか。・・はいってびっくり。まるで芋を洗うようとはこのことだ。露天、ツボ湯、サウナ、どこを見ても人で塞がっている。なんとか空いてるとこを見つけて、えい!・・露天はおもしろい。雑木をつかって風情がある。アルカリ性単純泉は一番のお気に入りだ。人工のものはちょっと落ちるがなんとかいける。やや固い・・そう向かいの通の人が話していた。・・せっかく来たのだからひととおりは浸かってみたい。・・よくできてる。水風呂なども滝のようでうれしい。タトゥはお断りということだが、ほんとにいない。みんな堅気でまじめなんだ。自分もだけど。

・・レストランはこれだけ人が多いと料理も粗雑になるだろうから、パス。

・・昔八月の一番の夏の盛りに、イタリアのブリンディシから2等フェリーでギリシャに渡ったときのことを思い出す。貧乏な若者たちが安いチケットを求めて大変な騒ぎだった。買い損ねるとまた足止めだからだ。ヤマト3人で協力してやっとゲットした。

・・さあ、さっさと帰ろう。今度は違う道で。まっすぐ南へゆけば線路にぶつかるだろう。昭島とかに。で、すこしいったら案の定線路にでた。なんだ駅も近い。これに沿ってゆけば立川にでられる。車は少ないし道も明るい。はは、こちらが早い。・・にしても人がまるでいない。みんな自転車などは乗らないのか。・・やっと来た。

・・駅の近くで飯でも食べよう。ビールと熱いテンプラでやっと食事。そういえば朝から何も食べていない。風呂場ではすこし立ちくらみもした。お腹をすかすのもいいものだね。食べ物がうまい。

・・しかしケイバはもすこしだった。

125秋魚:2006/11/14(火) 03:11:13
(無題)
・・秋の夜長。パソコンテレビでプレスリーのLOVE ME TENDERをみる。南北戦争下の物語。モノクロでけっこう真面目なストリーでおどろき。負けた南軍側のドラマにプレスリーも与する。LOVE ME TENDERはやはり真面目な恋を歌ってる。あの甘い声。とろけるような肢体。…プレスリーが負けた者たち、貧しい者たちの感情を歌っていたなんて今さらながらのおどろき。なんて懐かしい恋の感情か!

・・兄弟殺し?南北戦争はけっきょくそういうことかも。アメリカは繰り返されるカインとアベルの物語かも。

・・LOVE AFFAIRE、めぐり逢いという映画も途中までみた。デボラカーのでるのならお気に入りだが、これはもちょっと古いやつ。LOVE ME TENDERと違ってアメリカンドリームで成功した勝ち組の恋の物語。これは気恥ずかしくなるような昔のアメリカ映画。あんな大金持ちの恋の感情など今ならだれも気にかけまいに。…この映画。AN AFFAIRE TO REMEMBERというデボラカーの作品なら覚えているし気に入ってもいる。豪華客船が南仏のvillefranchを訪れるあたり。隠居する祖母を訪ねるあたりは懐かしい時間がある。港の風景。こんもりした木の茂る切り立った石段の道をあがると家がある。木漏れ日のむこうに青い海がみえる。…古いピアノ。

・・使い古されたルフラン。

126秋魚:2006/11/22(水) 02:30:39
(無題)
・・先週のスーパー銭湯に触発されてきょうはやはり郊外のスパ昭島へ。いい天気だが駅までバスが迎えに来るという。湯楽でもらったフリーマガジンに割引券がついている。ネットで調べてみるとなんと評判の悪いこと。カラオケで騒がしいしタバコ臭いしリラクゼイションはイマイチだという。えい!一度いってみよう。

・・1200人収容って、平日だからかやっぱ透いている。人工温泉もいまははやらない。一昔前に流行ったタイプのクアハウスか。広い宴会場があってカラオケをやっている。まとめてめんどうみようというのかも。平日だからか透いていて湯壷も独占できる。人工温泉は長万部の二股温泉を模擬したもの。炭酸カルシウム泉だという。これはまずまず。透明で滝もある。あとラジウムサウナというのも悪くない。低温で汗が出る。透いているのがいい。
でも人が少ないというのは商売はよくないんでしょう。いえ休日にはたいへん混むにちがいない。・・それにしても田舎のスパといった感じ。こんなところで時間をつぶすのも暗くなりそう。・・しかし人の少ないのはいい。流行おくれというのは実にいい。

・・ガジュマルを部屋においていたら光のほうへ窓のほうへと枝を伸ばしている。ずいぶん不自然なくらいだね。というか生きてる動物みたいでかわいいもんだ。ゴムの木なんかも葉の広げ方が光のほうへ。・・まあ。精一杯生きるものだね>^_^<

127:2006/11/29(水) 03:41:53
(無題)
・・うわっ、もうこんな時間。・・地元の若い友とコダイラ温泉にいった。もう長いあいだ会ってなかった。前回は自転車で女といったがちょっとハードなサイクリングで疲れさせたかもしれない。大きな上り坂があるし道も迷路に近い。ただジムなぞにゆくよりはよっぽどいい。えっちらえっちら汗かいてサウナでしぼる。・・U君は樹木調査の仕事をしている。美人のお姉さんがいたのだけどどうしたのかしら。いえ、まだ独りでいるそうです。

・・U君は背が高い。で最初にクラシックの喫茶店で会ったときはやせていたのだけどいまは85キロに太ったという。でもデブにはみえないね。・・サウナにはいって2キロもやせた。ほんとかね、わたしは2百グラムしか落ちないよ。・・いやあ、お互い年くって健康管理に余念が無い。いろいろ決断して手術もしたらしい。

・・子どもはいないのかい?え、そんな体力はない?そんなバカな、わたしより14、5歳は若い。もっとがんばりなさい。・・温泉が気に入ったのなら彼女とくればいい。和気藹々。

・・「氷点」というテレビドラマがおもしろいらしい。スジを話してくれたが複雑すぎてわからない。いろいろ原罪をいおうとしているんだと。三浦綾子さんはそういうけれど、オキナワの集団自決についてつよい発言をしている。きっと関連があるのだろう。

・・へえー、ケイタイでネットが見れるんだ。なるほどね情報がつまってる。すこしみづらい。

・・ほら、ここのビールはうまいだろ。海藻サラダもうまい。…きょうはこれでおしまい。仙人の奥さん亡くなったのかなー、たまに会うと亡くなったひともいる。

128:2006/12/12(火) 03:42:21
(無題)
・・空前の温泉ブーム。秘湯があちこちで宣伝されている。なかなか遠くは行きがたい。自分の労働にみあった温泉にゆくのが一番だろう。

・・玉川上水、湯楽の里にゆく。自転車でこんどは青梅線に沿って昭島をめざす。線路の南側がもっとも確実安心なコースだろう。青柳段丘のあたりから北上して西をめざす。ともかく方角を大きくまちがわなければ着くはず。車のいない道を。きょうは楽勝。・・昭島駅の南側はやけに鄙びていたが北側はぐっと都会的だ。昭和の森公園のもうひとつの外れと入り口らしい。ここから北に道を折れるのだがひとつ先へいってしまった。玉川上水を引き返す形で温泉に着いた。昭島飛行機工場なんてのもあった。一度門衛に道をたずねた。

・・平日なのにけっこう混んでる。自転車置き場もいっぱい。いい湯ができてると書いてある。このあいだよりましでしょう。入湯料+岩盤浴+ざるそばor生ビール=1100yenという感動的なセットをかんがえていたが、4時までということだった。で普通ではいることにした。ここの岩盤浴はトルマリンを使用。ほかに遠野の銘石をつかったうたたねの湯などもある。ごろんごろんと哀れだが気持ちよいものだ。・・あと瞑想サウナはヨモギの香りが強烈。鼻炎のためかツンときた。露天には大きなケヤキの木があるし前回の記憶どおりだが、こんどは透いてるぶんゆっくり休めることができた。時間を気にせずもっといたかったがどこかで気がせいていた。この日も一時間ほどでそそくさひきあげた。

・・うむ。よく造ってある。露天の単純アルカリ泉というのはいい。

・・てんやの新メニューがでてた。蟹とホウボウをテンプラに加えたものだ。ホウボウという魚はどんなもんだったか。テンプラからでは見当もつかない。

・・自転車で4、50分というのは手ごろといえる。

129:2006/12/13(水) 00:51:31
(無題)
・・ああ、またコダイラ温泉。近隣にあるのは温泉しかないというのがいい。猪狩りのあとでも温泉がいい。ニュヨーク、入浴は言葉が通じないとさらによい。受付でチケットを一回ごまかされた感じだが、気分が悪くなるのでやりすごした。きのう昭島でも帰りの道で自転車は降りて通れというのがあった。ゆっくり乗ったつもりだが案の状なんかわめいているのがいた。常連は御しがたし。こういう中途半端な町はきっと住みずらい。言葉がもともとわからない国がいい。言葉がおおいときは必ず失敗している。

・・ところで温泉はいい。さすが天然温泉。・・湯上りに牛乳を飲んだ。飲み下すのではなく口の中で咀嚼すると美味しい。

・・「刺青」という映画をみた。うまくつくってある。・・ただ「陰翳礼賛ね」というセリフはいただけない。こんな谷崎にオンブしたよなのはダメ。…「翳」というだけにも歴史がある。たしか山東半島あたりでの翳の話だったが・・調べたい。

・・Jean Luc Godardの、Our Musicというのは、すんごくおもしろい!!

130:2006/12/20(水) 03:25:11
(無題)
・・島というのは燕の巣だという。いきなりこんなんは分かりづらい^_^;ともかく島というまれなイメージがある。

・・池間島の友からメールが来た。詩人だという。…島のことばが…渇えているのはわたしのほうだ。・・ああ、あの島は知っている。だから風とか空気とか流れてこぬかと。そう誘うのはたぶんわたしのコトバのまずさだろう。無神経というか。

・・タンカンとコシヒカリが明朝やってくる。・・ハハ、ルパン3世のキャラクタのようにジゲン、ゴエモン、フジコとか、こっそり明快にやってくる。朝の光だ。

・・そういえば美しい映画をみた。Notre Musique…

・・2度観た。観るたびに新しい発見がある。感覚がいつかのように覚醒されるのだ。・・「切り返し(クパージュ)は映画の基礎である」・・こんな明析な言葉はないだろう。「イメージは無と隣り合わせである」ともいう。・・<映像とテキスト>を語りながら、語らぬ(音楽)が統括する。…われらの音楽へと。・・老境のゴダールの冴えわたる感覚は難解などということはない。映画というものの明晰な論理が感覚を呼び覚ますのは、詩というもの政治というもの歴史というもの、個人の生と死というものへと冴えわたる。…「死というのは、ありうべきものが起こらないのでなく、ありえないことが起こることをいう」…なるほどこの映画は3度みてもさらに冴えわたるだろう。

・・池間の友よ!元気よく島の風を送れよ。

131:2006/12/27(水) 00:14:31
(無題)
・・まったくひどい雨。電車の人混みよりかストレスはないと、自転車で温泉にでかけた。いつか命からがらゲリラ戦をたたかうこともある。雨でこわいのは放射能だけだ。・・国分寺崖線の急坂をこえて、?こえたはずなのだが記憶がない。ヤバイ、邪馬い

・・牙。…丁字と十字架が隠されている。キリストの頭、天からの、ノ、下降。…牙はおそらくユダのことであろう。あるいは狼のベニヤミン。

・・西班牙、の牙は、カルタゴの商人。ここから銅をしいれていた。

・・邪は大里、阝、…垂直する双子山。大アララットと小アララット。ふたつ乳房。

・・邪馬壱、ヤバイ ・・これは馬にかかわることにはちがいない。



篭目から卵のやうな春来たる
猪の牙にアネモネ白い山
コブラたつ月の欠けりの艶かし
狐とよ石も孕むと若葉吹く

薙鎌のおさめて立てり十一面
若駒や赤口から逃げまくる
ユダの野に咲く翁草首もたげ
竹取の翁の里にユダ来たる

Tuvalu葡萄色のへうたん
Tuvalu魚群のはしる日々
Tuvaluまつこう鯨の肺の音

バントゥ煙たつ村おかしかり
バントゥ樫の木の下で泳ぐ
塩の道ススキばかりと想ふ日の

猪追つてヒコーキ雲の星になる
柊の垣越へて猪の影
塩の道赤い月の騒ぎかな

茜さす勾玉のかほり橘の雪
海越ゆや猪の牙玉になる

132:2007/01/02(火) 18:58:45
(無題)
・・風邪をひいた。くしゃみがでるし熱もある。これで温泉にいったこともあるが大変だった。温かくして睡眠を充分とるのが一番。今回は温泉もあきらめる。サウナなど入ったらウイルス全開だ。・・ノロウイルスというのが流行ってる。職場で一人二人はそれのようだ。吐き気がきたらあぶない。ひどければ死ぬらしい。

・・歯周病のポケットがいつのまにかできていた。カルシュームが足りないと牛乳を飲んだ。あら不思議。ポケットの半分は埋まった。痛みも来ない。こんなのもちょっと気をゆるめると元にもどりそうだが。ボクよりグンと若いU君は骨粗しょう症の気があると医者にいわれ、カルシュームを飲んでいた。・・薬はあまり飲みたくない。かぜ薬などたしかに半日は効く。これはいいと続けて飲むとなんのことはない。抑制しているだけだからだらだらと長引いて不具合がくる。セキがとまらず心臓が痛くなったこともある。ハチミツレモンのようなものでぐっすり眠るのがいい。

・・部屋の中のガジュマルは新芽をださむ勢いだ。外にだしたのは寒風にたえて葉が黄色くなりつつある。パキラは去年葉と枝を落とした。太い幹が枯れることなく春には芽を吹いた。今年もあまり手入れができない。ゴムの木は水をたくさん吸うそうだ。あんまり放っておくと下から葉を落とすだろう。

・・お正月。この一年で年賀状はぐっと減った。・・去年骨折してなんとか立ち直った老母から年賀状がきた。一文だけ彼女の筆使いであとは姉が書いたものだろう。90才をこえているが頭がしっかりしてあるのがうれしい。



猪の
牙にアネモネ
白い山       秋魚

133:2007/01/10(水) 00:16:29
(無題)
・・女子フィギュアスケートをよく見る。ショパンのノクターンで滑る浅田真央。むずかしいだろうな。なにか鶴のような舞だね。・・Over the rainbowというのも選んだ。ふわふわしたものをうまくこなす。愛犬を抱きかかえて滑る。・・「オズの魔法使い」というファンタジーがあるんだ。犬はトートーといったが、これはエジプトの神の名だ。totoなら便器の会社の名前だが。ヤマトトトビモモソヒメなんてのもある。これなら卑弥呼。

・・Over the rainbow …ああ、眠い。映画が眠いのではない。ケシの花の匂いで眠くなる。悪い魔法のせいである。 …エメラルドの城へ。

・・座禅をしてからバイクに乗る。視界がぐーんと開けてくる。・・温泉にゆくのに自転車に乗るのは、視界を錯乱するためだ。・・眠いなどいってはいられない。

・・風邪は治っただろうか。ハチミツレモン飴と温かいガウンで身を守った。しつこいカゼだよ。これでサウナにはいったら元の木阿弥かも。

・・007「ロシアより愛をこめて」なんてのもある。ダニエラビアンキという女スパイがいい。ソ連解体いぜんは人の生も緊張があった。

・・ターミネータは夷振(ひなぶり)か。…また眠い。

134:2007/01/16(火) 17:11:27
(無題)
・・風林火山の甲州名物「勘助ソバ」を食べた。コシと粘りがあって美味なり。蕎麦汁もとれる。

・・腹黒い上司ふたりに危うく嵌められるところだった。会社命令で一度に2つのことをやれと。命令とは何だよ!いやお願いだという。できないものはできない。アナタがやったら?え、そんなやな仕事最初からぜんぜんやる気が無いって?ふざけるなよ。それがお願いかよ?

・・なんのことはない。ポストの指示系統を利用してひとを動かそうとしたんだ。・・いやわたしは母親の介護があるから残業はビタ一分できない相談だね。チャンチャン。

・・このところ温泉しか興味がない。楊貴妃が好んだ岩盤浴はどんなであろう。遠野のカッパがぬくもりを残した石の温泉もある。温泉の想像力には原初の身体論がある。人の命が有限なのはカラダが良く知っている。6日の都心の仕事が蜃気楼に思えることもある。眠くなるのはたぶん想像力のためなのだ。

・・サダムフセインのような眠りもある。カラオケを謡いながら眠るひともいる。新潟でどうでもいいゴタクの並べ方をデマゴギーして日銭の亡者になるひともいる。憲法九条というただの法律に一生を棒に振りたいひともいる。

・・秋のはじめにアカネトンボの群れをみる。トンボの命もさほど長くない。赤いアナタは唐辛子。羽があるのが奇蹟のよう。天使だね>^_^<

135:2007/01/23(火) 22:14:09
(無題)
・・会社の上司にひとり気持ち悪い奴がいる。わたしの目をみなさいなどいうがとてもみられたものではない。まず自分で鏡をみることだね。みっともないのがよくわかる。

・・温泉にいった。しらない人がたくさんいるのがいい。・・がどうも見た顔だ。柳生新陰流の大井恒行では?目線があったが知らない風だった。別人か。・・食堂でみかけた。俳句の本を読んでたので間違いない。・・で知らないふりを通した。なるほどね。生きていたか。

・・紅白にでた秋川雅史も知っている。前の前の職場で一緒だった。やたらと体力のいる仕事場でね。テノール歌手が何でこんなところに?下積みの時だそうだ。イタリア留学中はサッカー部にいたとか。・・「千の風になって」・・

・・きょうも寝不足だよ。ウイルスが奥の芳で勢力をもりかえす。セキがでてやってられないぜ。

・・自転車はいい。体も軽いし空気もうまい。未来子さんの手に触れそうになった。

136:2007/01/30(火) 11:22:52
(無題)
・・Newyorktimesのニュースレターが毎日送られてくる。トップニュースを開いているがどうもおもしろくない。読めば読むほど思想コントロールを受けてるようでそろそろやめたくなっている。イラク侵攻のときも大量破壊兵器が必ず有るというのがメディアで宣伝された。タイムズはまだいい。ABCなんてのは開いたらすぐ反吐がでそうになる。他のメディアもうじゃじゃけかたは同じようなもの。・・ヤマトのヨミウリやアサヒも読むにたえない。マイニチはまだいい。・・フランスのLemondeも閉塞ぎみでくさい。イギリスのBBCはレヴュのようで好感がもてる。最近はみてないが。・・オキナワの新聞はローカルなアクの強さで魅惑だが付き合いすぎるともたれて重い。・・というか新聞の記事ばかりを追ってもどうもダルマになるばかり。発想の新鮮味はどんどんうせてゆく。

・・けっきょく今一番おもしろいのは、RFI、ラジオフランスインタナショナルとかFrance Cultureという海外ラジオだ。これはなにが面白いかってちょっと説明しがたい。

・・このところニューカレドニアのグループ10人ばかりと付き合いがある。かれらフランス語を話すが、おもしろいのはその混血ぶり。純フランス風もいればミクロネシア風のよく焼けたのもいる。女の子なんてまったくチャイナ風だったり。ヤンキー風の若者だったり。・・ただ南の島から来たというのがいい。気負いはなくて、なんか温和ですね。

・・山本キッドがアマチュアレスリングで負けた。K1ファイターとしてもっとも好感がもてた。・・K1は邪剣でしょう。アマチュアの正剣にもどってもそうそううまくはいかない。ジャの道は蛇というのがよくあることかも。

137:2007/02/05(月) 22:19:10
(無題)
・・このところヒーリングサウナというのにはまってる。ああ、あれは「岩窟の聖母」だね。オキナワにもああいった洞窟はあるが、ひめゆりの乙女たちには地獄の幕屋であったろう。毒ガスを流されたり爆弾を投げられたり逃げ場もない。ヒーリングとは癒しのこと。精神も肉体も解放されねばならない。快方へと。

・・玉川上水の雑木林を借景としたスーパー銭湯は驚異だ!夕方露天にいるとバリバリと轟音が聞こえる。木立の合間におおきな飛行機の影がある。なんだこれは!信じられない!・・そういえばすぐ向こうは横田基地があるんだね。轟音も低空飛行もしかり。

・・大井競馬場のトゥインクルの夜も飛行機が飛んでいた。もうもうと馬の幻影が飛行機のイメージと重なってきれいだった。

・・番台の女の子は髪も肌もみずみずしく幻のようだった。若いというだけかもしれぬ。…これが娑婆というものだろう。ヒーリングのうちにいる。

・・天井にトルマリンと遠野の角閃石を星座のように散りばめた。水滴の音も聞こえる。アロマチクとやわらかな温もり。喘息もどこかと忘れてしまう。…発汗という新陳代謝。

・・箱舟のノアには「慰め」の意味がある。周囲から耳をとざし黙々と舟をつくる。「慰め」と「癒し」は同じもの。ヒーリングが希求されている。

・・箱舟の木はレバノンの香柏ということにする。

138:2007/02/07(水) 00:58:36
(無題)
・・このところ労働基準法に則った労働争議を展開している。そもそもが機械室にとある新人が雇用されてきたことによる。いろいろ資格をもって職場を渡り歩いてきた。いろいろ能書きをたれるが仕事はポカミスの連続。すぐに問題児とされた。仕事上の過失なら二度目がなければまだゆるされる。二度目もあるがもっと悪いのは悪癖のような屁理屈で自己肯定しつづけることだった。…殴り合いを覚悟で口論もした。

・・けっきょく約一年教育係の役をやらされた感じで対話をかさねたあげく個人的には信頼を得ることができた。ポカは多いが憎めない同僚だった。

・・労働争議の焦点を明確にしよう。この同僚が解雇通告を受けたのだ。・・最後まで庇ったのはわたしでそのあげくわたしまで上司から処分宣告をうけた。・・上司の上にゆく構造で社長までは届かぬが、たいへんまずい雇用管理をやっているのはよくわかる。特にTという常務は最悪でガンウイルスを発散させているのはよくわかった。・・一対一で話す機会があった。話はでたらめであまりの品性のなさに思わず「ミットモナイ」と言葉をぶつけた。心の底から侮辱してやった。・・ヤクザのように吠えて怒ったね。ハハ。・・パワーハラスメントをやるタイプだからこれからイジメが来そうだ。

・・それはそうと同僚の突然の解雇通告は労働雇用法違反。30日分の解雇手当とサービス残業不払いに対する支払い請求を訴えた。社会保険審査官に書状をまわしたところで会社が50万を振り込んできた。で、この50万ってどういう意味なんだろ???

・・この同僚は憎めない。毎月すくない給料の中から5千円をユニセフに寄付している。クリスマスにはキリストの銀のネックレスをわたしにくれた。キュルケゴールの話もした。サルトルを読みすぎて屁理屈もくせになったか、哲学は自前でやりなさいと戒めた。ハハ、哲学ではわたしが勝った。

・・あ、これ一生懸命読んでくれてるみなさん、これフィクションですよ。気にしないでください。ほんとはもっともっとおもしろいんだけどな。表現が拙くてめんどうくさいというのもある。

・・ダーティーハリーみたいに上司を侮辱してやったというのは、嘘です。

139:2007/02/14(水) 00:03:11
(無題)
・・RFI、ラジオフランスアンテルナショナルはずっと聴いてて飽きない。パレスチナの音楽が聞こえていた。レバノンのファジくんはどうしているだろう。かれは普通の労働者だ。ベイルートで型打ちの仕事をしているとか。フランス語と英語が堪能でもちろんアラブも。一年のうち2ケ月はヤマトにやってくる。・・いやー、ヒズボラとイスラエルがドンパチやってね。でもどんなかってあまり聞けない。

・・エンニオモリコーネって、いきなりやってる。シシリアンとか。・・クリントイーストウッドのマカロニウエスタンもエンニオモリコーネがよくあった。

 エンニオモリコーネの藪が燃えている

・・アネモネの季節。そうこれもレバノンだね。都心の花やさんでは一月にでていた。・・ハーモニカも聞こえる。なんてったて、シネマ。・・エデン。

・・フラアンジェリコの回廊。・・エデン。

・・やばい、そろそろ血管がキレるかも。



・・未来子さんは、いつも火星にいる。火星の温泉。・・フロントで会うのが楽しみ。・・夜空に星が落ちるのはよくある。ピカっと光って。・・雨の日は温泉にも落ちる。

・・RFIが聞こえる。これがジェラシー。

140:2007/02/20(火) 23:54:51
(無題)
・・またエジプシャンだ。かれらもナイルのおかげで食料には困らない。下流のデルタなら農業一つで楽園になる。観光でひとを集めれば黙っても金は落ちるがたかりぐせもつくだろう。でも貧しいわけではない。ナイルさえ枯れなければ。

・・ヘリオポリス、別名オンの町に興味わく。

>・・現在のカイロ近く。と、いうよりカイロ国際空港降りたら、そこがオンの町です。

…へぇー、それは知らなかった。

・・ヘリオポリスは、ギリシア人が「太陽の都」と呼んだ、ナイル下流(つまりエジプトの北の方)の、神話です。

 むかーし、むかし。
 あるところに、原初の水で出来た海がありました。
 と、いうより、世界には海しかありませんでした。
 大地もなんもかも、この水の中に沈んでおります。太陽も水ン中です。水から出なきゃ、世界は照らせません。
 そこで太陽は、どうやってか、上陸できる「原初の丘」を水の中から出現させ、ここにヨッコラショと昇って体を乾かすことにいたしました。
 余談ですが、この原初の丘<タァ・セネン>がタテネン神になったんです。
 でもって、この原初の丘の上に降り立って、太陽を温めたのが不死の霊鳥ベヌウなんだそうな。

・・これを見ていたのは、人(神)のいい知恵の神、トトさんです。ちなみにトトさんは、ラー神の一族じゃありません。ラーから生まれていない=アトゥムから生まれていない、ということです。

・・トトさんは、時を支配する月のところへ出かけて行きました。
 「エジプト将棋で勝負しようか。勝ったら時の支配権ちょうだいね」
 「おーいいよ。」
博打です。しかも、家財道具すべてを賭けたカンジの、無茶な勝負です。ここで勝つのが神の実力!
 結果、トトさんは、ボロ勝ちし、月の身包み剥いでその代償に時の支配権をいただいてしまいました。人(神)が良いわりに、意外とヤリ手です

・・第一の日にはオシリス、第二の日にハロエリス(大ホルス)、第三の日にセト、第四の日にイシス、第五の日にネフティスが生まれました。一日に一人ずつ。



…トトは超越渡来の神。

141:2007/02/28(水) 02:34:46
(無題)
・・ヨセフは実を結ぶ若木 泉のほとりの実を結ぶ若木。 その枝は石垣を越えて伸びる。

・・エジプトに流れたヨセフが夢解きの成功からファラオに信頼され権勢をもつに至るのは、しかし、よくできている。…イエスの父の名がやはりヨセフなのもわかる。ヨセフこそがフリーメイソンのはじめの一人に違いない。石、stoneの秘密はかれにある。

・・シメオンを人質に、9人のイスラエルは故郷に帰った。オンがシメ切られている。

>・・ユダは、父イスラエルに言った。 「あの子をぜひわたしと一緒に行かせてください。それなら、すぐにでも行って参ります。そうすれば、我々も、あなたも、子供たちも死なずに生き延びることができます。
 あの子のことはわたしが保障します。その責任をわたしに負わせてください。もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らず、無事な姿をお目にかけられないようなことにでもなれば、わたしがあなたに対して生涯その罪を負い続けます。
 こんなにためらっていなければ、今ごろはもう二度も行って来たはずです。」

・・ユダはベニヤミンを導く。シメオンを忘れてはいない。…アダムとイブのはじめにカインとアベルが失われている。カインがアベルを殺し、カインはエデンの東に追放された。

・・カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。

・・はは、それが喉、ノドだね。

・・アダムの系はセトに継がれる。セトって?ああ、あのセトだろう。失われたカインの流れもフリーメイソン???

・・ユダは神殿の娼婦と交わるのは、実は、それは息子の嫁なのだ。ユダもまた二人の息子を失くしている。エルとオナン。

>・・タマルの出産の時が来たが、胎内には双子がいた。
??出産の時、一人の子が手を出したので、助産婦は、「これが先に出た」と言い、真っ赤な糸を取ってその手に結んだ。
??ところがその子は手を引っ込めてしまい、もう一人の方が出てきたので、助産婦は言った。 「なんとまあ、この子は人を出し抜いたりして。」 そこで、この子はペレツ(出し抜き)と名付けられた。
??その後から、手に真っ赤な糸を結んだ方の子が出てきたので、この子はゼラ(真っ赤)と名付けられた。

・・ハハ、ユダはドラマだね。>^_^<

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142:2007/03/06(火) 01:22:08
(無題)
・・拝島、福生。ここらの地理はよくわからない。多摩川が流れているはずだし、横田基地もあるはず。拝島の駅から鉄道があちこちに分岐している。青梅にむかったり秋川にむかったり八高線なら高崎まで行く。もっと武蔵野を横切って新宿にむかうのもある。・・玉川上水というのもある。これに沿ってすこしくだる。・・雲の流れがはやい。

・・いろいろある雑木はなんだろう。ケヤキなんかもありそうだが、桜ならわかる。もっとわからない木もたくさんある。川の水はあまりきれいではない。上流だけどね。…源氏ホタルも夏にはとぶ。

・・このままゆくと鉄道をわたれないんだ。児童公園があるけど人っ子一人いない。犬の足跡がある。梅が満開できれいだね。辛夷が蕾をふくらませている。・・鉄条のある塀をこえて鉄路をわたる。・・ああ運動神経が鈍ってひょいというわけにはいかぬ。下手すると足をひっかけバランスをくずし転落しそう。骨折もある。・・えい、なんとか飛んだ。

・・ちくちくと何だろう。針のような草の種がびっしりとズボンに着いた。ああ、昔はよくあった。もう子どもの頃だが。草のあるところはこうやって種がつく。・・どうも運動神経はまるで衰えた。こうやって野にでることもなかった。

・・また轟音がする。飛行機だ。

・・ここの岩盤浴は気に入っている。ほどよい時間でほどよい汗がでる。とくに重いということもない。石の星星がきれいだ。

・・ヨモギの香りもすてがたい。仙人になって洞窟に眠る。…ああ、葉っぱをやるのに似てる。ナポリや、青の洞窟。

・・鶴の舞い。…ムックリの艶のある音も聞こえる。

143山田:2007/03/06(火) 12:40:37
(無題)
・・五枝の生命樹

https://img.shitaraba.net/migrate1/8014.shugyo/0000143M.png

144秋魚:2007/03/07(水) 01:58:45
(無題)
・・変な天候だったが、感性の具合がいい。雷が鳴るとマイナスイオンが発生して人の生気もみなぎるようだ。風が吹いて雨が降っても、雨上がりには特別な木々の香りがする。野に出ることもうれしい。

・・ネットサーフィンしてると思わぬものにぶつかる。ギルガメシュ叙事詩の英訳テキストを手に入れた。温泉のレストランで一章をパラパラみた。ギルガメシュは楽しい。・・いろいろ欠落がはげしい物語だね。・・インドネシアのカレー風ピラフ、名前は忘れたが、かなり美味。ここの料理はうまい。ビールと砂肝のタレ焼というのもいい。・・ギルガメシュはちょっと読んだだけだが、すごくおもしろい。

・・ネットでラジオを聴くのは一年前に憶えた。テレビも見れる。・・デビッドリンチの一分間の作品「lumiere」はあっという間の傑作だ。映画は長ければよいというのでもない。

・・動画を追ったら、ミュージックに来た。Kyanaというボーカルは魅惑だ。Sarahというのはファルージャに生まれてイスラエルの若者に恋する話だ。…誰の名において、人は血を流すのか、と。反戦の歌か。・・corp a corp 「体と体をぶつけて」というせつない歌もある。・・Kyanaは混血かな。

Sarah

Moi, Sarah 20 ans
Jeune fille à présent
Résidant 23 rue Ménilmontant
Née à Faludja
Pas si évident
D'être victime à plein temps

J'ai pianoté ma vie
dans des récitals
Sur des airs de Mozart et de Schumann
On me croit soumise
Aux lois des tyrans
j'n'ai pas choisi mon camps

Mais au nom de qui
Faut il verser le sang?
N'est il pourtant pas écrit
Aimons nous à présent
Mais au nom de qui
Font ils verser le sang?
N'est il pourtant pas écrit
Vivons à présent

Dieu a créé la femme sensuelle
Pourquoi se cacherait elle derrière de la dentelle?
On m'interdit d'aimer l'enfant d'Israel
Lui péché mortel.
Je ne suis pas le dammier de ces dames
Depuis quand des jetons ont ils une âme?
Quoi de plus poétique de plus sanglant
Que d'être différent.

Mais au nom de qui
Faut il verser le sang?
N'est il pourtant pas écrit
aimons nous à présent
Mais au nom de qui
Font ils verser le sang?
n'est il pourtant pas écrit
vivons à présent...

145:2007/03/14(水) 14:34:07
(無題)
・・このところシャンソンのポップロックを聴いている。Kyanaは前回も書いたが、ほかにHannnaというのもいる。je ne sais plusというのが好まれているらしい。ランキングというのもありトップに近い。・・聴いていると、歌詞はやさしい。ことばひとつひとつを丁寧にアーティキュレーションをはっきりと歌うのは、聴き手に親切で好感をもてる。感情にごまかしがないから、ことばに力がある。・・あとはその内容だ。

・・je ne sais plusというのは、「もう知らない」という意。・・全部解読できていないが、対象に向けられた知性の放棄だが、かなり官能に属することかも。「知りたくないの」なんてのも昔ヤマトにあった。ああ、フランス語がわからない。情けないことだ。・・あと百回聴いたら分かるだろうか。・・フランスのお嬢が、単なる知の放棄を歌うわけがない。「もう知らない」というのは、そうある種倦怠のある歌い方だ。ハスキーでもある。…抱擁するというのがある。だんだん分かってきた。

・・ヤマトの幸田来未はよくしゃべる。あまり好きなタイプでないが、歌はいい。元気がある。・・平井堅のエレジーはヒットしてる。チクタクチクタク…なんてやってたより、彼らしくていい。・・しかしこれだけかも。

・・歌手はかわいそうだ。いつもなにか歌っていなけりゃいけないからね。平井も凡作がおおい。

146:2007/03/21(水) 01:27:57
(無題)
・・France Cultureを聴いてるとあきない。いくらでも聴いている。・・昔パリのサンミシェル通りを歩いていた。はじめてメトロに乗ってリュクサンブール公園のあたりカルチェラタンの方にいってクリューニーの見えるあたりのカフェに入った。通りを眺めるだけで時間が流れる。人々の流れのはやさはセーヌの流れのように謎だった。

・・川は途中の流れに馴れると、河口の茫洋とした海を見て気が遠くなる。上流の滝の落下を見て目が覚める。パリのセーヌははじめもおわりもない。

・・「2つの心をもつ川」というヘミングウェイの短編があった。あれはたぶん葦原をかきわけて川辺にでて釣りをやるのだよ。上流と下流の心が気になるはず。・・洪水にでもなれば山ノ神があれている。

・・津波というのもある。昔八重山で禁じられたアカマタ・クロマタの祟りだろうか。大津波がやってきた。川があれば流れの逆流だろう。きれいな浜辺があれば丘に逃げても逃げ切れない。・・水にのまれて多くのひとが死んだ。

・・洪水伝説は、南洋の海では、津波のことではないか。あるいは、台風。

・・Tuvalu 8つの島を束ねるとかいう意味だったか。SとTのことでスバルのことだろう。

・・アフリカのナイルの上流に、ルベンゾリという山がある。月の山。・・ここから悲歌は流れた。・・川の向こうのケニヤ山は、兄弟のよう。

・・双子山と呼ばれて、ナイルの顔だった。

147秋魚:2007/03/28(水) 01:09:25
(無題)
・・エジプトのファラオの王家は自らの血を守るために近親婚を通例としたらしい。・・神話にあるオシリス、イシス、セト、ネフティスがそれぞれ兄妹婚をしたのは、むしろ現実界の反映によるともいえる。オシリス=イシス、セト=ネフティスと結ばれ、セトはオシリスを殺し、セトの妻ネフティスはオシリスと姦通しアヌビスという黒犬を産んだ。近親婚の配合は時として信じがたい異物を産むこともある。

・・洪水のあとで、伏義と女媧はどうか?これも兄妹。伏義はコンパス、女媧は定規をもっている。これがヤマト神話のアマテラスとスサノオによく似てる。天の安の河の誓約といわれる。

・・故、爾くして各(おのおの)天の安河(やすかわ)を中に置きて、宇(う)氣(け)布(ふ)時に、天照大御?、先(ま)ず建速須佐之男の命の佩かせる十拳劍を乞い度(わた)して、三段(みきだ)に打ち折りて、奴(ぬ)那(な)登(と)母(も)母(も)由(ゆ)良(ら)邇(に)【此の八字は音を以ちてす。下、此れに效え】天之眞名井(あめのまない)に振り滌(すす)ぎて、佐(さ)賀(が)美(み)邇(に)迦(か)美(み)て【佐より下六字は音を以ちてす。下、此れに效え】、吹き棄(う)つる氣吹(いぶき)の狹霧に成れる?の御名は、多紀理毘賣(たぎりびめ)の命【此の?の名は音を以ちてす】、またの御名を奧津嶋比賣(おきつしまひめ)の命と謂う。 次に市寸嶋比賣(いちきしまひめ)の命、またの御名を狹依毘賣(さよりびめ)の命と謂う。 次に多岐都比賣(たぎつひめ)の命【三柱。此の?の名は音を以ちてす】。 … 速須佐之男の命、天照大御?の左の御美豆良に纏ける八尺の勾の五百津の美須麻流の珠を乞い度して、奴那登母母由良爾、天之眞名井に振り滌ぎて、佐賀美邇迦美て、吹き棄つる氣吹の狹霧に成れる?の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穗耳(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)の命。 また、右の御美豆良に纏ける珠を乞い度して、佐賀美邇迦美て、吹き棄つる氣吹の狹霧に成れる?の御名は、天之菩卑能(あめのほひの)命【菩より下の三字は音を以ちてす】。 また、御に纏ける珠を乞い度して、佐賀美邇迦美て、吹き棄つる氣吹の狹霧に成れる?の御名は、天津日子根(あまつひこね)の命。 又、左の御手に纏ける珠を乞い度して、佐賀美邇迦美て、吹き棄つる氣吹の狹霧に成れる?の御名は、活津日子根(いくつひこね)の命。 また、右の御手に纏ける珠を乞い度して、佐賀美邇迦美て、吹き棄つる氣吹の狹霧に成れる?の御名は、熊野久須毘(くまのくすび)の命【并せて五柱。久より下の三字は音を以ちてす】。



・・フリーメイソンのシンボルというのがある。

…上向き三角形(コンパス)と下向き三角形(直角定規)の結合はダビデの星を形成し、
男と女、陽と陰、天と地、精神と物質など世界のニ元性の融和を表現している。

・・伏義=女媧、アマテラス=スサノオ、勾玉=剣、コンパス=定規 …こんな照応があるのは諏訪春雄の文で知った。

148秋魚:2007/04/05(木) 11:23:02
(無題)
・・花冷えというのだろうか。桜の季節に風が冷たい。・・曇り空の下、府中の新しい温泉「縄文の湯」にいってきた。入館料がやけに高いのでとてもいく気になれなかった。チラシと半額割引券がまわってきたので様子見だった。都下の天然温泉は流行で料金が高いのは逆行でうまくいくまい。むこうもかなり腰をひくくして客寄せにでた。・・泉質のよさが自慢らしい。湯治温泉だという。

・・自転車でいってみると思ったより近い。甲州街道があってあぶない道もあるが、なんとか着いた。駅にちかく自転車置き場もむずかしい。清掃のおばさんにきいてやっと置いた。・・ビルの6階がフロントだ。なんか広いなあ。平日で客もそんなに多くはない。

・・鉄平石張りの床はおもおもしい。浴槽はあわててはいると石に足を当てて骨折してしまいそう。ゆっくりすれば大丈夫。杉、ひば、ケヤキをふんだんに使って、全館アロマチクな雰囲気。・・泉質は、暗褐色で肌がつるつるになる。わるくない。深大寺のものに似ている。・・湯がよいので、おもいきり高級の温泉にしようとしたのが最初の意図のようだ。岩盤浴は富士山の溶岩石をつかい自然と汗が出る。・・テレビつきの個人用リラクゼイションブーツもある。

・・温泉は、いろいろ人が出入りしにぎやかだから面白いというのもあるが、ここは高すぎて人も多くない。それもいい。それでもそこそこ人が来るのは自分のように割引チケットを使ってくるのだろう。

・・レストランも懐石料理に近いものを出す。高〜い。出雲→飛鳥→縄文とレベルアップする。・・それでも一番下の「出雲」というのを試した。・・ハハ、あれこれ楽しめて愉快だね。

・・府中あたりは遺跡調査の仕事でけっこう穴をほった。東京ケイバ場にもよく出かけた。地面の下も上もなじみが深い。・・縄文遺跡もよく掘った。・・もっと掘ると温泉がでるんだ。おもしろいね。

・・クレジットカードというのも、会社のつきあいではじめてつくった。で、これもはじめて使って、温泉の料金を支払った。

・・サギ師になったかも。

149秋魚:2007/04/10(火) 02:44:37
(無題)
・・花散る頃、灰島の温泉にでかけた。カトマンズにあるフリークストリートは愉快だが、ヤマトで温泉に行くのも愉快だ。だいいち一時間もかけて自転車でゆくのは、痛快きわまりない。・・天気があやしい。飛行機が低空でバリバリ轟音をあげて飛ぶ。ケヤキとかいろんな雑木が小刻みにふるえる。

・・不安があたって帰りは雷雨になった。すぐ止むだろうというには黒い雲がつづいてる。
えい、濡れてしまえ。とは思わない。傘でガードしたが、これは限界がある。足とか靴はびしょびしょになる。・・野獣のように帰ってきた。

・・「片目のジャック」を見た。おもしろい。マーロンブランドのあんな緊張した眼差しを知らない。「片目のジャック」とは、風林火山の山本勘助や柳生ジューベエのような隻眼かと想像したが、意味するところは違う。人の隠れたる裏の顔のことらしい。

・・なるほどね、メキシコとアメリカの国境を越えていったりきたりの西部劇。メキシカンの若い娘がならず者に恋をする。・・ひどく低音の英語を話すので男みたいな娘だ。キッドは私生児なのか、自分の母親を知らないという。・・混血はいかにして生まれるのか。そういうテーマでみると、この映画はかなりまじめであり、人の生のたしかな時間がある。

・・ウソとマコト。・・そういうテーマでみても、これはけっこう深い。・・よくわからぬが、映画をみて無駄な時間をつかったとは思わない。・・めったにないことだ。

150秋魚:2007/04/18(水) 00:13:00
(無題)
・・また寒い。・・ソテツというのはつよい。水がなくてもずっと葉を青くして生きている。そう思って放っておいたら急に枯れはじめて白くなっている。ふたつのうちひとつの葉はまだ生きている。あわてて水をやる。

・・雨になる。北斎だったか、画狂とよばれて雨フルごとに外に飛び出したのは。雨降りだから部屋に垂れこめてミステリーを読むとか空想にふけるのもいい。あっという間に時がたつ。・・最近は雨降りだっても自転車で温泉にでかけることが多い。先日はおおどしゃ降りの中温泉から帰宅した。それと較べればきょうはどうということもない。退屈な日常をふっきるならこんな雨はなんでもない。日常は断じて退屈ではない。ただ脱出してみるのもいい。

・・雨に濡れちゃいましたね。レストランの注文取りが笑いながらいう。雨の中自転車で来るのが愉快らしい。あんまり濡れると座った椅子がびしょびしょになる。そうだね。ホームレスみたいで失礼かもね。・・砂肝のタレ焼とビール、ナシゴレンを注文する。ここの料理は美味い。

・・温泉はどうせ濡れるから雨はあまり気にならない。ただ時間の流れがちがう。透いていても雨音にせきたてられるようなところがある。

・・しかし、眠りたりない。あまり眠らないと、ソテツのように白くなってしまうかも。・・眠りはすべて美味い。

151秋魚:2007/04/25(水) 02:44:02
(無題)
・・縄文の湯とはよくいったものだ。あの暗褐色の湯はたしかに縄文の土の香りがする。よく熟成された海の水かも。鹿とか猪とか猿とかいろんな生き物の体液を含んでいて、それになじむと、それら生き物のささめきが聞こえてくる。

・・また雨か。

 苦しくも降りくる雨か三輪の崎佐野の渡りに家もあらなくに

・・この三輪の崎は、いまの新宮市あたりだという。…これを本歌とする定家の歌がある。

 駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮

・・この佐野の渡りは、なにか矢切りの渡しのような川のイメージがあったが、どうも違うようだ。新宮あたりなら、海であろう。・・海の渡りというのもすこし妙だが。

・・温泉にいって、ふと、思った。「佐野」は「狭野」とも記す。「狭野」といえば、神武であろう。・・神武の幼少の頃の名が「狭野尊」サノノミコトというらしい。「佐野」は地名ばかりではない。神武をいうのだろう。

・・「三輪の崎」も三輪山の麓あたりにあるらしい。・・駒とめて…というのは、なつかしいウマのことだが…

・・ところで、神武は実在したのだろうか。これが、わからない。

152秋魚:2007/05/02(水) 01:53:54
(無題)
・・ああ眠い。トルマリンの湯につかってるうち眠りそうになった。・・岩盤浴では、なかなかノれない。ようやく周囲が気にならなくなっていい汗がでる。天上の星星に溶け込んだと思ったらなんのことはない、うとうと時間を忘れていた。お客さんもうおしまいですよ!と夢の中で声がしたとおもったら吾に返った。・・むかし伊豆の海岸で絶壁の切り立ったところで野宿をしたことがある。こんなところで寝るべきではない。波の音がドドーンドドーンと下の大地を砕くように聞こえる。星空にたしかにトリップできる。完全に居場所を失う。飛行機の事故かなんかで命を失うときはおおかたこんな感じなのかもしれない。まったく眠れないよ。でもトリップはできる。・・ジェットストリームってやつかも。

・・眠ると気分がいい。レストランでビールとゴボウチップスというのを注文した。このチップスはゴボウを薄く切ってポテトみたいに揚げたものだ。ああ感動的な味がする。美味い!なるほどよく考えたものだ。ゴボウの滋味な泥臭い味が最高にエキスの味になって味覚を刺激する。

・・新緑がさわやかだ。イヌシデ、コナラ、・・もっといろいろだが、どうも忘れる。こんな頃もマイナスイオンがたくさん出るのだろう。からだの筋肉にも力が入る。・・ふだんが悪い生活なんだよ、きっと。

・・ところで、天孫降臨神話とは何だろう。…アマテラスとスサノオ。なんかトリックみたいだけど、神武はだれだろう。エフライムの子どものBeriahという話もある。ああわからない。

・・トロイという映画をみた。…ヘクトールとアキレス。これもキャラクターがはっきりしているが、やはりわからない。海幸、山幸なんかも、やはりわからない。

・・木馬は不吉だ。これはわかる。

153秋魚:2007/05/11(金) 12:37:54
(無題)
・・このところよく鹿の夢をみる。角のある牡鹿が水辺にいる。沖の浮島から岸辺にむかってくる鹿もいる。

・・打麻乎麻續王白水郎有哉射等篭荷四間乃珠藻苅麻須
・・打麻を 麻続王 海人なれや 伊良虞の島の 玉藻刈ります

…この麻続王とは、誰だろう。これはわからない。「打麻を」なにするものか。海人が。…「玉藻」を刈っているのだよ。…ああ眩暈。

…「射等篭荷四間」は「いらこかしま」と読むべきだ。「荷」は「鹿」であろう。・・鹿は帝位ともいう。

それより、人麻呂の歌はどうか。

・・潮左為二五十等兒乃嶋邊榜船荷妹乗良六鹿荒嶋廻乎
・・潮さゐに 伊良虞の島辺 漕ぐ舟に 妹乗るらむか 荒き島廻を

これは、あるひとの解釈だが

>・・「潮」とは、沖から五百、千と打ち寄せる波。大人数の渡来者を示唆する。
漢字{左}には、“東”また“左(東)のほうに行く”という意味がある。
また、その音様は[tuwaA']。故に「潮左為」は、“潮、津・倭を為し”と読むことができる。

・・「潮」は、徐福集団だともいう。

・・七支刀は鹿の角ではないか。生命樹でありユダヤのメノーラ、燭台であり、セフィロータは鹿の角ではないか。

・・鹿の行方は、はかりがたい。
・・男鹿半島のナマハゲ、鹿角の大湯ストーンサークルも鹿の行方にある。

>・・「潮」は、“満ちひきする海水”また“海水の流れ”のこと。沖から打ち寄せる波である。・・古漢字「波」の訓みは、伊耶那美の“那美”に由来する。漢字{那}は、“西方の異民族”。・・したがって古漢字「那美」は、“西方から来た異民族の女”という意味になる。・・その「母」は、“那美の那美”つまり“波波”である。

・・ハハたち。ハハは蛇であろう。

154秋魚:2007/05/15(火) 01:06:13
(無題)
・・シリウスという星はよくみた。全天で一番明るい星だ。この星が二重星だということはよくいわれる。明るく大きな星の隣に小さいが高密度の星がある。二つがお互いを回っているから光はゆらぐ。これが遠い地球から肉眼でもわかる?・・アフリカのドゴン族は古来これを知っていた。

・・実際は、シリウスは三連星であるらしい。三つ目はまだ確認されていない。大きさも明るさも密度も違う星が三つ、お互いを回りあっているのがシリウスの実体だ。・・太陽が惑星のようにシリウスの周りを回っているというのは、ほんとうだろうか。

・・いまの太陽暦はシリウス暦ではないか。ずっと昔エジプトはシリウス暦だった。洪水の日がわかるのだという。

・・シリウスは狼星といわれる。…ベニヤミンだね。

・・シリウスは火の玉三つ。平面にすれば巴になるか。ケイバの三連単は予想しがたいが、シリウスを解くことか。

・・断食を決意して、ならず、それでも減食してややしぼれた。健康診断で血を抜かれたがなんとかもちこたえた。(大げさだよ)黒酢のモズクに山ウドをいれて食べた。イナリスシをつくって数をへらした。酢とグレープフルーツで歯がすこし浮いたかも。

・・サイコロふたつの博打ばかり。この国には賭けるものなどありゃしない。…そうかね、拓郎くん。ようは馬連ですね。サブロクとか。

・・ゴボウチップスとビール。ゴボウの味がうすい。センベイみたいなのは油であげすぎた。二度目は味覚も落ちる。

・・ケイバ。…コイウタは完全に読んでいたが、三連単はもう一息だね。

155秋魚:2007/05/15(火) 23:53:50
(無題)
・・きょうは久しぶりに自転車に乗った。連休で晴れていて睡眠も充分。足が重いのは生活習慣で活性酸素がわだかまっているからだ。自転車に乗って温泉にゆきサウナを2回こなすと蘇生する。・・で、発見!背筋が疲労して腰が痛むのは、自転車でダンスをするとよくほぐれる。そういえば今まで思い切りダンスをして踊ったことがなかった。ディスコなどにもいったが人がたくさんいて遠慮していた。戦争にでるとかゲリラになって生きれば身体もめいっぱいの働きをする。それは、たくましくなるだろう。・・人の世の労働はいつも欺瞞だから身体は抑圧される。腰が痛いとか血液がすぐれないなどみな生活習慣病にちかい。ケイバの想像力も覿面の制約をうける。・・ANITAODAYというジャズシンガーはswingを語る。・・酒やセックスよりいい。

・・自転車に乗って思い切り、ダンス、ダンス、ダンス!

・・雷も鳴って、マイナスイオンもいっぱいだ。

156秋魚:2007/05/22(火) 23:54:29
(無題)
・・アラビア半島の先にあるイエメンという国はおもしろい。シバの女王がいた頃は国もなかったかもしれぬが、たしかにシルクロードの通り道だったという。乳香の交易で栄えた都市国家があったかもしれぬ。近代では南イエメンと北イエメンの内戦もあった。同族の多くの血が流れたはず。

・・それにしても思い出されるのは、黄泉の国からイザナギを追いかける死霊イザナミとの問答、

>・・最後(いやはて)に其の妹伊邪那美の命、身自ら追い來たりき。爾くして千引石(ちびきのいわ)を其の黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き塞(ふさ)ぎて、其の石を中に置き、おのおの對(む)き立ちて、事戸(ことど)度(わた)す時、伊邪那美の命言いしく、「愛しき我が那勢の命、如此(かく)爲せば、汝が國の人草を一日(ひとひ)に千頭(ちがしら)絞(くび)り殺さん」。 爾くして伊邪那岐の命、「愛しき我が那邇妹の命、汝が然(しか)爲せば、吾は一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)を立てん」と詔りき。

・・千人殺せば千五百人産んでやるというお話だが… 南北の戦いは結末がどうであれ逃げて生き残ることの優位をいうにちがいない。・・イエメン、ヤマン、ヤマトといって東の列島にまで流れてきたかもしれぬ。ずっと昔の話だが…

・・太陽の神殿という遺跡もある。八本の柱が同じ高さで一直線に並んでいる。・・八柱ということなら、これもイザナギイザナミにある。

>・・一火(ひとつび)燭(とも)して入りて見る時に、宇(う)士(ぢ)多(た)加(か)禮(れ)許(こ)呂(ろ)呂(ろ)岐(き)弖(て)【此の十字は音を以ちてす】、頭には大雷(おおいかづち)居り、胸には火雷(ほのいかづち)居り、腹には?雷(くろいかづち)居り、陰(ほと)には拆雷(さくいかづち)居り、左手には若雷(わかいかづち)居り、右手には土雷(つちいかづち)居り、左足には鳴雷(なるいかづち)居り、右足には伏雷(ふしいかづち)居り、并せて八くさの雷(いかづち)の?成り居りき。

・・八くさの雷(いかづち)の?、これがイエメンの太陽神殿、八柱だろうか?黄泉の国の入り口を守るものだろうか?

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157秋魚:2007/05/29(火) 12:31:53
鹿、塩
・・カシオは鹿が舐めていて塩がとれたのではなかったか?海人がみつけた?

〈原文〉打麻乎麻續王白水郎有哉射等篭荷四間乃珠藻苅麻須
〈訓読〉打麻を 麻続王 海人なれや 伊良虞の島の 玉藻刈ります

・・射等篭(伊良虞)、荷四間(鹿島)というのがいい読み方らしい。これなら伊勢湾が視野にはいる。

・・麻続王 …ヲミノヲヲキミとは誰だろう? ・・玉藻はホンダワラで塩焼につかう。

・・徐福は斉の人で製塩業が盛んだったという。…つまり、鹿という徐福の流れ?

158秋魚:2007/05/30(水) 13:54:09
(無題)
・・「キリマンジャロの雪」をネットテレビで見ていたら眠ってしまった。昔一度みたことがある。ヘミングウェイの原作も読んだ。アフリカにも行ったことがあるが、サハラまで。キリマンジャロは登ったことも見たこともない。・・眠りが足りないと映画なども見る気がしない。キリマンジャロには憧れる。なんとか見ようと頑張った。ほんとは頑張ってまで見ることもないのだろうけどネ。・・俯瞰した映像もあってこれは山頂が魅惑してみえる。空撮をやるというのはほんとはひどい。しかしキリマンジャロは…

・・むかしの映画をみるのはほとんどノスタルジーだ。ハスラーのポールニューマンが引退するとテレビでやってた。やあおじいさんになった。オードリーヘップバーンは若き日の映画の顔でテレビのCMにでてくる。永遠に若い。・・キリマンジャロの雪はグレゴリーペック。そういえばよく見慣れた俳優の顔だ。・・この映画を見てむかし何を感じ何を思ったか。条件反射でいくらかは蘇ってくる。これはノスタルジーだ。

・・眠ってしまうというのは現実のこと。肉体も脳も疲れているんだ。・・ノスタルジーの入り口で止まった時間。・・この先にあるものを期待して、とりあえずは、朝の仕事がはじまる。

159秋魚:2007/06/05(火) 23:51:47
(無題)
・・最近カードづいている。年会費のいらないvisaカードに続いて、鉄道が自在に乗れるviewスイカというのを手に入れた。駅においてあった案内書を何度も読んだが、字も小さい上に内容もわかりづらい。磁気定期券をそろそろ卒業したくなっていた。スイカでひょいひょい改札をパスできるのはみてるだけではわからない。やってみると痛快至極。カードを紛失してもそのまま再発行もできる。使えば使うほどポイントも溜まるので年会費ぶんくらいはすぐペイできる。・・電子マネーのようなものは流行らしい。JRも国鉄から民営化されてもう何十年になるのだろう。時代に生き残るとしたら電子マネーやカードは必須かもしれない。いろいろなカードが出ているがVIEWは有望だ。かならずメジャーになる。

・・小平の温泉にいった。ここにも会員カードがある。ここのポイントは一割くらいで誕生月にゆくと300pもプラスされる。会計でレシートをみたら記入がない?つまらぬことでいちゃもんをつけたくなかったが、規則は規則。受付嬢にどうしてポイントがないのか聞いてみる。…しばしお時間を。お調べいたします。…奥から上司があたふたやってきて「ポイントはつきません」「え?」「いえ、記入がないけどちゃんと加算されてます。」「では、ポイントはついているのですね。ならいいです。ハハ」・・にしても受付嬢にちゃんと教育しておきなさい。

・・サウナにはいって頭くらくらするのは気持ちよいけどあれはやはりよくないのだ。たぶん血がわるい。最近はくらくらもしなくなったのはモズクとかグレープフルーツとか食べて多少血もさらさらになったからかも。…

・・湯、「ゆ」は場所のこと。ユダヤのことだ。…自分の部屋に女がいるというのだけで疲れる。ネコがいてもそうだ。要するに視界が変化するからだ。自分の意思とは関係なく。秘密だってある。湯にいると、視界がゆらぐ。打たせ湯など、もろに脳下垂体を刺激して驚天動地。ま、これも慣れるとさほどでもないが、健康にはいい。

・・で、最後のサイクルが自転車になる。きょうこそ「キリマンジャロの雪」をみるぞ〜

160秋魚:2007/06/12(火) 03:18:39
(無題)
・・大江戸温泉物語。ベイエリアお台場の噂の温泉にいってみた。噂といっても特におもしろいとかいい湯とか聞いたこともない。江戸風にしつらえた天然温泉が目玉という。温泉というのは掘ればどこでもでるらしい。東京湾のここいらのは1400mほど掘ってずっと昔の海水が化石のように閉じ込められている。塩化ナトリウム泉がほとんどだ。基本は塩だね。・・八重洲口からシャトルバスがでている。東京駅もひさしぶりだ。月島、勝どきとか隅田川の河口はよく開発されてベイエリアは見かけだけは優雅な都会だ。2016年のオリンピック用宿営地まで用意してある。慎太郎はすごい自信だね。そう簡単に決まるもんかい。さきのアジア大会がカタールであった。あの辺は石油がでてお金持ちだよ。東京は税金の取立てがきびしいもんで金はいくらでもあるというんだろうか。今年は税がきつい。・・それにしても大江戸温泉。なんかにぎやかになるように作ってある割には人が来ないんじゃないか。自分などは貰った招待券だ。会員になると誕生月にご招待だとさ。出店があんなにあってにぎやかなんじゃ人を集めねば話にもならない。入館料がちと高い。休憩室のリクライニング。ありゃなんだい。テレビがついているのはいいが音量調節が壊れている。いすの角度も調節が簡単ではない。どうも落ち着かない。・・肝心の湯。琥珀色であまりクセがない。悪くはないがとりたてたものでもない。いくらか人工っぽい。・・これでは昭島のスーパー銭湯に負ける。

・・蝦夷食堂というのがあった。北海名物宝丼というのを食べた。まあ、こんなもんでしょう。

・・VIEWカードで支払いを済ませ、帰りは、やはりシャトルバスで品川にでた。夜景がとてもきえいだった。

161秋魚:2007/06/13(水) 03:15:24
(無題)
・・いい天気。自転車日和。温泉は忘れた頃にいってみる。昭島の「湯楽の里」はあいかわらず人が多い。自転車で45分でゆく。・・よい自転車を買ってあちこち自在にでかけるのが夢だが、年ばかり食う。仕事は半分遊びだ。JRの都会ネットも捨てがたい。viewカードも最大に使ってみたい。・・昭島がすばらしいのは、玉川上水の雑木を巧みに湯園にとりいれているからだ。プロの建築家が風水をとりいれて造った?露天にいると周囲の全体が木々も光と影もたえず揺らぐ。全身ヒーリング。この工夫はうまい。・・大江戸温泉は狙いはいいがすこし失敗している。

・・四万温泉は、ナトリウム硫酸塩泉という。なるほど、模擬温泉というのも悪くない。

・・緋扇貝というのを食べた。愛媛産という。ホタテの縁が紫や黄色や赤になっている。身を酢づけで食べた。巨峰の酎ハイで。まあ特に美味いというのでもない。だいたいナマはあぶないんじゃないか。…しかしきれいな色だ。

・・温泉の庭で屋台がでている。元力士という人が、あんこ焼きとちゃんこ焼きを売っている。帰りにいつも一個一個買って食べるのが楽しい。この屋台、蝦夷屋というらしい。なんか青森方面の気がするね。

・・ネットラジオのrfiラジオフランスインタナショナルを聴いている。・・時節柄、ニコラサルコジの名がよく聞こえるのはさもありなんことだが、ジャンルイバローの名がしきりに出てくるのは何故だろう。なんか政治のコメントをしているのだろうか。うまく聞き取れないが…

162秋魚:2007/06/16(土) 11:50:40
(無題)
・・言葉。ハワイから来た女の子がいきなり明るく話しかけてくる。のびやかな輝く抑揚の英語だ。ああハワイならこんな風だろうな。太陽がいっぱいで。…実は英語は苦手だ。こちらがわかると思って容赦ない軽快さで。まったく。…でも言いたいことはなんとかわかる。伝えたいことがあれば言葉はあとからついて来る。昔の英語教育はここが捻じ曲げられきた。言いたいことが無くても言葉がある。そんな馬鹿なことはない。

・・しかし、ハワイに来たことはあるか?嬉しそうにしてると、こういう。いや、never。うれしいのはいかにもハワイの言葉だからだ。ヤマトもいいね。お世辞もいうけどどうかね〜・・でもハワイの英語はまるでいい>^_^<

・・ラジオフランスをあいかわらず聞いている。うーむ、これはあきない。いろいろ訛りもある。

・・孤独を謳った黒塗りあふぅはどうしてるだろう。ストカー病もなつかしい。マルクス、ドストエフスキーとか。

・・孔子は山東の泰山の近くで生まれた。泰山には何度ものぼった。・・始皇帝は孔子に見習ったのか。

・・富士山なら、自分も、登った。

163秋魚:2007/06/19(火) 15:55:02
(無題)
・・ZARDの坂井泉水が亡くなった。詩をつくってる人ってけっこう多いんだ。歌にして百万枚とかもっとレコードが売れている。等身大のことばで詩を書く。感銘するヒトも多い。・・いやはやああいうのが聴かれているというのは知っていた。がほとんど興味がなかった。バブル崩壊のころは、歌に励まされるというのもなかった。自分の追求したものは、なかなか励まされない。他者を励ましもしなかった。ひたすら鈍い生活に耐えて新しい時の来るのを待った。花を咲かすというのでもない。そんな花なら至るところに溢れていた。鈍い生活の時間に耐えてといっても埋もれて流されるのがオチだろう。

・・なるほどね。励まし、励まされることばこそ力だろう。

・・老後と病気を怖れる○○代。この世代の励まし、励まされるは欺瞞だろう。幸いに病は無い。が兆候はいくつかある。自転車に乗って温泉にゆけるだけで、健康はパーフェクトだ。きっと。兆候は消える。…よく眠ることだよ。まず。

・・ジャガー横田は、えらい!

164秋魚:2007/06/20(水) 00:50:26
(無題)
・・朝からD証券会社にゆく。ケイバで儲けた金を寝かしておいても仕様がない。国債を買うことにした。ダイレクトメールで強烈な売り込みだった。小泉政権いらい常勝の国家資金源でこれはアベ政権でもそうだ。国民のダブついた金を使ってやろうというのだろう。イラク戦争でも湯水のように使っていた。はじめから回収できない資本投下だからいきおい2倍3倍の債権発行になる。巨大な自己負債の経済がとどまることをやめない。・・まあ5年はとりあえずヤマトももつでしょう。・・エビハラ由里がキャンペーンガール。で、この女、よく支払わせそうだね。目つきがいい。よく知らないもんで窓口にいるのかと思った。期待はずれ。事務のおばんは愛想が無い。・・一日で木の葉に変わることもあるのですか?え?わかりやすい質問だけどだいぶむっとしてた。国が保証しているって…ああ知ってますよ。でも国が見捨てたらって…まあ天皇のためならペイオフしてもいいけんど(嘘)・・

・・麗子さん、株をやりましょう。ずいぶん場違いなところに顔をだしたもんだ。株なんざおもしろくないやい。って意外と才能があるかもしれません。・・そうではない。ネットのゲームが魅惑です。

・・スパイダーソリティアは卒業したい。Principia、科学者養成ゲームというのをあふぅ君にならってのめりこんでみたい。

165秋魚:2007/06/27(水) 01:49:08
(無題)
・・渋谷で温泉施設が爆発した。都内でもけっこう温泉フリークが多い。ネットなどでも一様にショックを隠せない。穴場と思ってたらテロにやられた。そんな感じだろう。渋谷の温泉は女性専用だから、いろいろ問題も多い。・・経営者側の安全管理がぬるいということなのだろうが、設備管理がガスの濃度も計らなかったという。排気もこわれて止まっていた。あの経営者狙いはいいのにとんだ災難ですね。下部構造がそもそもあてにならない。・・これで温泉フリークもさらに居所がさだまらなくなるかも。

・・縄文の湯。ここはどうやってるのだろうね。東京でも武蔵野、多摩地区はあまり天然ガスはでないんじゃないか。褐色のいい泉質だ。総ヒバのミストサウナもいい。がっしりしてる。・・大国魂神社もある。

・・証券取引所のようなとこへ出かけた。企業の株がどうのこうの為替レートの変動がどうのと実はこういうのはヘドが出そうになる。

・・円の発想だけで生きているヤツもいる。哀れというしかない。・・「現ナマに手をだすな!」というフランス映画があった?これだ。

・・ちょっとだけ、現ナマを動かしてみる。麗子さんがうれしいようでネ。

166秋魚:2007/06/27(水) 14:22:14
(無題)
・・つるむらさきがまた出てたので、タマネギ、人参、ツナとオリーブ油で炒めて食べた。塩コショウを効かすといい。ビール。>^_^<。カカオ70%チョコというのもいい。 ・・月山のつるむらさきがそのうち出るだろう。これはいい。・・青いもの。ホウレンソウのようにアクがあったらまずい。中国産はすべて見送るにかぎる。

・・ヒバの木が分泌するα-ピチン(?)とか。富士の溶岩盤とか。・・

・・国立ジュピターが無くなってクラシックもながらく聴いていない。グールドのフランス組曲。バイオリンとのデュオならネットで聴ける。・・といってもほんのサワリだけ^_^;

・・ああ、蒸し暑い。。。でも空梅雨でなくてよかった。

・・対外貨なら円は下げ傾向だね。在庫を消費して内需にそなえることだ。

167秋魚:2007/07/03(火) 16:03:45
(無題)
・・むし暑い!ともかく梅雨になってよかった。・・マグロのカマが百円ででてた。漁師が釣り上げたマグロは一番の美味なところはまずこちらに廻ってくることはない。カマの部分も捨てたものではないが、その一番というのはどこだろう。頭部にあるどこか、頬肉かしら?

・・竃で煮炊きをしたころ、石炭コークスを燃やして蒸気機関が華々しかったころ、個人的には、山奥で薪をとってパチパチやる。煙が出ればひとの生業の香りがして旅人が思いを寄せるかもしれない。

・・ストーカー。あの忍び寄る追跡者ではなく、stoker、火夫の方がなつかしい。竹取の翁はヤマトの火夫だった。火夫は渡来系の絶えざる指針となる。

・・stalkerなら、これは淫靡だ。気になるものはけっきょく自分の影にすぎないだろう。影との格闘。・・笑えることもある。

・・サバを焼く祭りがある。運動量が足りないからマグロでいく。深い意味はない。・・むし暑いからビールでキュッといくのがいい。

・・煙といえば、イギリスは屋内ではすべて禁煙になった。たばこはよくない。法律がとりしまる。・・テロの炎上する煙は、一大事。

・・命の煙であるにはちがいない。

168秋魚:2007/07/03(火) 23:43:29
(無題)
・・キリンや犬やヒトの椎骨は7つからなる。この7つのひとつひとつに打たせ湯をあてる。骨をマッサージする。それからすこし上の脳下垂体も刺激して元気がでる。・・腰が痛いというのは現代病だが、たぶん頭の位置もわるい。後頭部は厄年でアスファルトに叩かれた。軽い脳挫傷もあった。気を失うというのは案外簡単なものだ。そのまま死ねば死もむずかしいものではない。お花畑もみないだろう。・・いやそのあとかな。お花畑は。・・頚椎から頭は最後の砦かも。

・・株なんか嫌いだ。でも、女がすすめるのでどこかの株主になろうかと思案中。現実の資本家になってみるのもおもしろいかも。・・東日本鉄道というのを気に入っていた。ああやはりだね。この一年で2倍になってる。いまからでは手遅れか。・・実際、株をやる連中はだんまりになる。・・どうせオリンピックまでが花だろうよ。

・・株というのはヘドがでる。・・株価の変動というグラフはすこしおもしろい。

169秋魚:2007/07/06(金) 12:48:38
(無題)
・・いつもいくスーパーで「マンゴ黒酢」という飲み物を買った。モノはまあまあいい安売りスーパーだが、なかでもやや高めでかなり迷って買った。黒酢というから健康飲料水かと思いきやただの清涼飲料水とある。滋味だが高級な感じの箱にいれてある。・・思うにマンゴーと黒酢は宣伝の文句で、香料や並みの酢をつかって安価なものであることもある。並みの清涼飲料水をことさらに重々しく値段をあげて販売する。外装ソフトと中味の違いである。・・あ、誤解のないように、この「マンゴ黒酢」はそういうのではない。とても美味である。・・ただ自分の味覚がだまされていることもある。販売者のURLにアクセスしてみた。○○○珈琲店というが、自分の味覚のとおり、まじめな商品をつくっている。

・・宣伝文を一部引かせてもらう。

「・・知らず知らずの健康へは毎日の習慣が近道です。
黒糖・ハーブティー・茶類・野菜など簡単な生活習慣の一部から
出来る体の弱アルカリ化が疲労を防ぎ、防衛体力の構築に大い
なる効果があると言われています。
パワーとは目に見えるパワーと体に秘めたパワーと2種類です。
それは体質改善されたパワーは病気や疲労、マインド的にも非常
に強いことが様々な医療機関の研究でも証明されており日頃の心
がけ次第で強靭な体力を手に入れられます。健全な大自然を体に毎日取り込み防衛体力の増強に向かいましょう。」

・・なるほどこういった商品の営業理念はなかなかいい。「防衛体力」などの言葉の使い方も、先ほどの防衛大臣の破綻劇をみるにつけても、こちらのは防衛理念がわかりやすい。説得力もある。

・・原材料を抜書きしてみよう。・・果糖ぶどう糖液糖、醸造酢(米黒酢、米酢)、マンゴー果汁、クエン酸、ビタミンC、香料

・・なるほど、下手をすればただの清涼飲料水もつくれる試用だろう。商品にしてこれで勝負するなら、やはり製造のヒミツがあろう。

・・新茶ですよといって封をといたらただのガラ茶だったり、よくきれる包丁ですよといってかったらただのナマクラだったりという見え透いたサギはよくあったが、先の牛肉コロッケなんてのは長々とサギでだまし続けることもできる。けっきょくはバレルけど。

・・いい、良質の商品は得がたい。

170秋魚:2007/07/10(火) 00:20:54
(無題)
・・この一、二年で株成金がかなりでたかも。ゼロ金利による円キャリーとヘッジファンドの隆盛のさなか、経済グローバリズムを端末で読むだけで学生でも億万長者になれるらしい。偏差値の功利主義とはこのことか。

・・ケイバの投資術にすこしアキがきた。遊びで株をやってみよう。今を読まねばあやうい趣味だね、これは。・・イノシシ年は株価の下落が相場ときまっているらしい。さらに円安もそろそろ頭打ちでドルの大暴落と連動していやそれなら円もひきつづき落ちてゆくだろう。ともかく何が起きるかわからない。元の反乱が恒常的に起きるだろう。・・円はどう闘うか?

・・増資して株を売り出す某社の「目論見書」なるものをダウンロードした。Adobereaderも最新版にバージョンアップ。・・ハハ、おもしろい。会社の履歴なんかもよくわかる。業績はいい。外国のファンドが株をおおく買い占めてもいる。このS社、半導体素子、集積回路、アッセンブリ製品の販売が好調らしい。にしてもいいものをどこかで作ってないと商売だってやりづらいだろう。この種のもので負けたらヤマトはもうダメだろうね。きっと。

・・株というのは安いときに買って高くなったら売るというのが原則らしい。もっとも昔は理念がぐっと違っていた。株でもうけるという考えはなかった。商品と会社がまず第一なんですね。ものつくりがたえず先行していた。・・それはそうと何を商品としてどんな営業理念かともしらず株を注文したのは失敗だった。商品も会社もいい。ただ株価はあがりきって今まさに落ちナンとする時らしいから、上がり目がなければ必ず損をする。やれやれ。

・・JR東日本とか伊藤園とかこんなんでもむずかしんだろうな。家のヒミツは深いものがある。

・・温泉会社で株を上場しているところはないか?これなら読みがききそうだが。

171秋魚:2007/07/18(水) 00:27:00
(無題)
・・ハハ、やはり温泉がいい。打たせ湯で頚椎をほぐし脳下垂体に刺激をあたえる。サウナで屈伸して腹筋をきたえる。腰の骨も確認できる。小雨の露天というのもいい。湯煙というのはあまりない。

・・株の投資システムにこっている。オンライントレードというのをはじめて試みた。ネットで株が買える。取引の現場にかぎりなく近いから新聞だけで売買するよりずっと緻密なことができる。買値や売値を指定できる。・・さてボロ株をさらに安く指定したがうまくいくか。ボロが文字通りボロならすべて水の泡だけどもね。ハハ。

・・株の投資はケイバに似ている。

・・ところで、社長から高価な日本酒をもらった。「亀の尾」という酒だ。胡麻豆腐をサカナにすこし飲んでみた。美味い。ずーんとくる味だ。

・・もうすぐ、選挙。年金なんざどっちころんでも同じことさ〜。安倍ちゃんみたいにあんまり潔癖にやられても困る人は多い。対案もろくなもんではないし。

・・なんか棄権モードだね。

172秋魚:2007/07/18(水) 14:21:27
(無題)
・・あ、平賀源内!駅で盛岡の平賀さんを見かけた。もと朝日新聞の記者だった。まだ盛岡にはもどってなかったのかな。顔の線は濃くなってボヤキは多いがたくましそうだ。話しかけようと思ったがやめた。このところ発掘時代の仲間に会うことが多い。調査会のH氏は小笠原の引責問題ですみやかに辞職したとか。噂には聞いていた。娘さんがD証券会社で職を得た。株の買い付けで世話になるとは思わなかった。

・・あ、時間が無い。ケヤキの百円盆栽を買った。ケヤキはおもしろい。

173秋魚:2007/07/25(水) 01:35:39
(無題)
・・地震がきて刈羽原発がこわれた。だから言ったじゃないの。いつかこうなるのはわかってた。どんな地震がきてもこわれないなんていう人もいたけどあてにならない。大惨事ではないというのはこと原発に関しては意味のないことだ。火がでて放射能がもれた。それだけでいい。・・放射能もれは無いと言い張る人もいるだろう。

・・原発つくりの企業が株をあげていたが、これで一気に下落するだろう。え?修理補強でさらにUPするだろって?・・ともあれ東電はすごい痛手だね。東京にも電気が来なくなるかも。

・・中国はどうだろう。中国傳奇という会社が選挙後に東京証券所で上場する。傳奇は電気だね。国をあげて株の投資はさかんらしい。中国の電気事情はよくわからぬが、石炭を燃やす火力発電所がけっこうあるらしい。先日韓国が北に送った石油はおおかた火力発電のためのものだろう。原子力のみかえりということで。中国は石炭を燃やす。これはさもありなん。・・石炭を燃すと、煙の中に硫黄酸化物ができてこれが環境にとくによくないらしい。二酸化炭素以上によくない。毒物について無頓着とも思える中国でもこの硫黄酸化物はとりのぞかねばならぬということで、その排煙脱硫がプロジェクトの眼目の上場だという。・・何年かまえに、同じような会社が香港の証券所で上場したが、株の買い手がつかず、投資家は大きく元本を割り込んで株は二束三文になったという。・・こんどはどうか。

・・いいときに地震がきた。などといったら不遜をとがめられそうだが、原発はよくこわれてくれた。これで石炭の火力発電が存在理由をましてちょっとは光り輝くのではないか。・・ともかく中国傳奇はそういう会社だ。この株は2倍はもうかるはず。

・・鷹場の湯にいった。石川県のトムロ石で岩盤浴をやっていた。遠赤外線効果ということでポカポカとよく温まり汗もよくでる。

・・ヒバの神木というのもはじめて見た。マイナスアルカリイオンの効果があるらしい。

・・露天のつくりにもう一工夫ほしいなあ。

174秋魚:2007/08/01(水) 03:58:30
(無題)
・・家をもちたいと住宅雑誌のアンケートに応募した。個人情報の流失か、○○不動産がしつこく電話をいれてくる。いろんなローンがあるから買えという。もとよりそんな資金はなく夢をみているだけだ。周囲にも返済できなくなって自己破産したひともいる。アメリカでは、住宅ローン返済不能者が増えてどうしようもなくなっている。先日のニューヨーク株の急激な下落は、そのサブプライムローンの焦げ付きが原因らしい。

・・京都、大阪、神戸あたりで堅実な不動産業を展開しているST会社の株を買った。ハハ、素人だね。この時期不動産は手を出すべきではない。ホテルはビジネスホテル、マンションは賃貸で、確実な現金取引で資本を固めた。もっといろいろやっている。業績はずっと黒字成長。かなりよい。・・株式上場、これがクセモノだった。

・・新株とほかに社長などがあらかじめもっている株を同時に売り出す。株は売り手と買い手のバランスで株価がきまる。会社の業績も大きな価値のポイントだが、株のフィクションはその株の数にある。会社の現実の価値とポテンシャルは、ほんとは変わらぬものだが、株式という資本を吸い上げて、フクショナルに変貌する。

・・おいおい、やめてほしいぜ。公募割れするなら、いい会社なんだからそんなの恥だろう。自社株買いをやって、株をあげてくれ。自分の株を売ろうなんてやめてくれい。

・・最初の投資家に損をさせたらダメだってば。

・・それにしても選挙はあまり関係ない。ヘッジファンドのベアスターンズが破綻して債券がただの木の葉になった。これが本質で、信用がきかなくなる。またあぶないネットの時代かも。

175秋魚:2007/08/07(火) 16:13:51
(無題)
・・暑い。地震あり橋も崩落。何が起こるかわからない。・・株を買うと計ったように下落する。外貨建債券はやめたほうがいい。円安の頂点で買っては笑い話にしかならない。米国のサブプライムローンの問題は不透明でもっと深刻だという話もある。リスクに鈍感になってるというのが唯一真実らしい。まさにイノシシの年。

・・中国企業の東証一部上場というのは新傾向らしい。明日だ。中国は毒の汚染大陸だという。川も大地も大気も。火力発電で石炭を燃やす。二酸化炭素がひどいだろう。でも酸性雨を防ぐ装置がいる。・・原発を十基建造中でこれには日本企業もほくほくではいってる。原発関連株なら高い。

・・数年前、香港市場で上場し惨敗だったのは、記憶にある。誰も知らないようだが。デジャブ。市場をデプラスモンするからというのと時の地合もある。上場の地合なら最悪ということだが。

・・新興市場というのも、最悪。サギ師の本舞台かも。・・上場するために会社をつくり資金集めをするのが見えすいている。ホリエモンなどが駆け抜けてきたのは、ここだ。・・でも真面目な会社もあると信じたい。・・デジャブ。

・・そうあまくない。お人好しはやられる。

・・まったく、デジャブ、デジャブの連続。・・オレもやばい。

・・小沢一郎の総理というのは、ありえない。国会は二極化するのみ。・・おそらく経済も二極化する。明暗の読みが、むずかしい。

176秋魚:2007/08/14(火) 17:56:00
(無題)
・・や、株があがりだした。もう一日様子見をやったら安値で買うチャンスを逸した。チャイナボーチーは朝いきなり2万円くらい下落した。きのう3万円落としているから、いよいよ化けの皮が剥がれたかと。火力発電の脱硫装置など時代遅れといえばいえる。北京オリンピックにむけた中国の開発と経済はフル回転ですすむ。原発が待たれているのだろうが、足りなければ火力でゆく。・・株も最初の勢いでこれまでよということでもないだろう。いくとこまでゆくはず。・・その後もちなおしてさらに3万円くらい上げてきた。不思議なろうそく足ですね。

・・半導体の商社も150yenあげてきた。割安で成長性もある。2千円を切ったときに買うならこれだ。かろうじてひとつ押さえたが、もう下がりそうにない。・・これもオリンピックまではトレンドにのるはず。

・・もうひとつ新興市場の不動産株はひやひや。1万2千yen伸ばしたが、足元が落ち着かない。元をとるには3年かかるかも。ホリエモンのライブドアより、うだつのあがらぬ新興株。ただし悪い会社ではない。下部構造はしっかりしてる。・・でもね、負債がたくさんある。不動産だからしかたがないか。日銀で金利をあげれば払う利息も多くなる。減益はまぬかれない。米国のサブプライムローンの焦げ付きであおりをくらい融資がなくなるなんてのもこわい。不動産株はアゲンストだね。

・・会社のHPから意見メールを送った。「夢の実現」などいって人の夢を食いものに自分の夢を追いかけるんなら、株式上場は邪悪だ。株も価値が無い。ただの資金集めか。・・上場は最悪の地合でおこなわれた。ニューヨークで株の暴落。サブプライムローンの破綻。・・公開価格割れも起きた。・・損失確定でみんなあたふたと投売り。なおホールドしてるのは自分くらいなものか。しかし売る機会を逸した。・・こうなったら3年間はもってて会社の成り行きをみててやる。・・一丸となってやるんだから。

・・ああ、株はおもしろい。ケイバと似てる。

177秋魚:2007/08/21(火) 17:31:58
(無題)
・・中華航空機がエンジン爆発した。・・あ、それでチャイナボーチの株が落ちた?あのボーイング機はアメリカのもんでないの。エンジン部分はイギリス製かもしれぬ。どっちにしても整備がわるけりゃ落ちる。管理運用会社の中国がわるい。・・チャイナボーチはどうか?何も悪いことはやってない。環境汚染を防ぐために最良の事業をする。オリンピックもあるから行くとこまで行くしかない。

・・アベちゃんがインドにいった。なるほど抜け目ない。原発のススメをやっていた。ちょっと止め処ないか。日本の原発産業を徹底的にマークすれば、株はもうかる。いいたくないが、ヤマトの生きる道は原発かも。

・・風力発電、太陽光発電もある。

・・不動産のS社に意見をもの申した。株主はものいう。株はもっていればいるほど損をするものらしい。「夢の実現」といってひとの夢を食ってしまっていいのか。ばら撒きの株数を減らすために社員総出で自社株買いをやるべきだよね。・・で、たぶんやってるのだろう。時々ぐーんと上がったりする。・・そうでなくてもさんざんの叩き売りで損をしたひとがたくさんいる。株の価値が落ちるとこまで落ちると会社のファンダメンタルが良好ならジリジリ株もあがるだろう。株があがれば会社もみなおされる。集めた資金を半減させてもやるべきだ。

・・あ、アツイ。温泉に行くぞ〜

178秋魚:2007/08/26(日) 12:38:50
(無題)
・・米国のサブプライムローンショックとは?低所得者向け住宅ローンのことだが、この債券が焦げ付いている。土地を担保に金を借り、さんざん消費して、ローンが返済できなくなった。債券のリスクを避けるために銀行は別の細かな証券にいくつも分散する。サブプライムの肉を挽いてほかの肉にまぜて別の挽き肉をつくる。これが分散して流通するとどの債券にサブプライムの負荷があるのかわからなくなる。

・・ゴールドマンサックス社が8月に日本で売り出した「エマージング資産分散ファンド」というのがある。BRICS、ブラジル、ロシア、インド、中国、サウジ(?)と呼ばれる急成長国の株に投資をするほか為替レート、石油、とうもろこしなど差益のでるものにも投資する。グローバル投資ファンドというわけだ。このファンド、サブプライム問題で世界同時株安で金融危機、信用危機がおこったまさに同じときに売り出された。・・日本の円がかき集められた投資する先は、ゴールドマンサックスからヨーロッパの3つの投資ファンドになる。たしかにBricsに向けた当市もあるが、おもしろいのは、米国の住宅ローンの債券への投資もあるということだ。これはサブプライムの債券かどうかわからないが、たぶんそれだろう。・・米国のサブプライムの焦げ付きはさらに巨大な世界分散ファンドによって無化していこうというのがその目的らしい。・・なるほどね、考えたものだ。うまくいくならお人よしの円の分散力でサブプライムも解決してゆくかもしれない。・・しかし、オレはごめんだ。ゴールドマンサックスの企業戦略にのっかって投資消耗するのはいやなことだ。たとえ一円でも。投資信託のようなプロに投資をまかせて利ざやを得るみたいなのは、個人投資より安全かもしれぬが、どうも胡散臭い。

・・だいたい空売りをやる奴らは、信じられない。

179秋魚:2007/09/05(水) 02:27:35
(無題)
・・ホントですか?このところよく使うセリフになった。どうもあちこち信じられない。見えすいた嘘のおおい上司に仕えすぎると鈍くなるのは確かだ。そうではない。日常の懐疑だ。・・チャイナボーチの上場は大人気ということだが、証券会社の子にホントですか?といった。これは失敗。ホントに人気だった。サブプライムローン問題の不景気とは別にもくもくと株をあげているのも事実だ。ついに上場の初値をこえてきたがすぐに2倍までゆくというのもホントかね?といいたくなる。

・・鷹場の湯にいった。ネットで火曜は岩盤浴が半額とある。ホントかね。・・フロントの応対は割引は無視されてない。カードで支払いすると信号を送ってる間、今日は割引では?ときいてみた。あ、そうでした。もう信号を送ってしまってるからどうしましょう。いえ差額を払えばよいでしょう。ともかくこれにサインを。ハイ。・・訂正はあとでカード会社に送ります。???・・ホントですか。それはないでしょう。カード会社はわたしがサインしたレシートしかみないはず。かりに追加訂正が有効なら勝手な伝票を切って5万でも10万でも支払い可能じゃないですか?そんなんで通用するわけがない。甘く見られたものだ。バカか。・・カードはクレジットカードという。信用取引にも規則がある。・・どうも苦手だね。

・・クレジットクライシスが蔓延してる。ホントですか?というのがクセになった。

・・新興市場のS会社は、株をもってればもってるほど、つまりロングをやればやるほど大損になるのが通説らしい。オレはもってるから配当を期待してるとメールした。2千円が2千2百円にアップした。・・機関投資家はこういう会社の株こそたくさん買うべきだよ。

180秋魚:2007/09/16(日) 12:28:38
(無題)
・・米国のサブプライムローンの問題はローン金利の上昇と住宅価格の下落が主たる要因であとはサギまがいの契約取引があるらしい。消費に対してまったく能天気だとかいかにもアメリカらしい。銀行がリスクを負わないために債権を分散してちぎった。大丈夫ですよという信用取引の債券の中にも幾分かはまざっている毒のようなもの。だれがその毒をもらっているか実態はよくわからない。・・景気が悪くなるという実体経済への波及がみとめられれば我関せずというわけにもいかない。世界経済のファンダメンタルはそれらのリスクを吸収してあまりあるという方向を信じたいが・・今回はグローバル経済のターニングポイントになろう。

・・とってもアゲンストな銀行株と不動産株をもっている。銀行株はだれもがひとつはもってるものらしい。成長性はなくてさえないがなんとか奮起を期待してもっている。フクダ総理になるとここいらはショートカバーで上昇しそうだ。・・問題なのは不動産株。玉石混交で玉とみなしてもっているが、どんなものか。上場の地合は最高にわるくいまでもよくない。株価は公開価格の半分近くまで下がった。おおくのものが価値を投げ捨ててきたから後は輝きを増すばかりだと思いたい。・・しかしこの銘柄、数年前にも同じような上場をしただれかの記憶がある。証券会社も株の持ち主も「はやく売れ」と騒いだ。持てば持つほど損をする。株の初心は長く持つこと、ロングだと思う。

・・株をやめて俳句に没頭したい。温泉にいってゆっくり考えよう。

181秋魚:2007/10/02(火) 16:48:18
(無題)
・・ああ、おもしろい。ゆかい。ゆかい。ネットで株をやってるがこんなおもしろいものはない。ゆかい。ゆかい。米国で最高値をつけていた7月から8月にはいるとどっと下落した。住宅バブルの崩壊で食えない債券が世界中にでまわった。円安が一気に円高となりFXのママさんも真っ青。日本の株も下落した。

・・S不動産はみこんだとおりおもしろい銘柄だ。上場の地合は最高にわるく公開価格をおおきく割りこんだ。おおかたの株主は損失確定の売りに出た。会社に持ち逃げされたとかみんな悪口をいいまくった。・・が、わたしの評価は違う。HPをみたが、堅実なよい会社だ。住宅の基本、AMBIENTを売りにしてる。物品もよさそうだし商売も堅い。不動産フロー、キャッシュフローが得意で、投資もうまそうだ。・・ならば自分の株くらいなんとかしろよということだった。株主の意見をいったら一日で2万円株が上がった。でもね、すぐ落ちるんでしょ。気休めでやってもしょうがない。全体が上昇トレンドにならないと外から買いがこない。内輪でやるのはみな自社株買いみたいなもの。外国人投資家がいかに大切かよくわかる。・・業績はいい。これが第一条件。新興市場だからといってウソはつかないこと。確実に利益をだしていれば株はあがる。ひとに見てもらうためになにかキッカケがいるのも確か。・・そうこう株主総会でいったら翌日また2万円あがった。かれこれ一週間、こんどは上昇トレンドになる模様。投資のプロならやれるはず。・・上場の株は一度徹底的にたたかれたほうが良い。ボロクソになってこそ真価がでる。ま、真価があればの話ですけど。

・・それにしてもこの会社はおもしろい。40億ていどの売買を着実にこなす。・・なによりも顧客のこころをくむ。

182秋魚:2007/10/11(木) 12:24:27
(無題)
・・玉川上水にある温泉も、ゆかい。ゆかい。カシやナラの木が茂りどんぐりの実が落ちている。木の息吹が満ちてひろがり歩くのも楽しい。そして何だろうこの花の香りは。金木犀かも。ともかく、ゆかい。ゆかい。

・・この岩盤浴にはいるのが楽しみだ。水晶とトルマリン。ジェットストリームのような癒しの語り。そして、せせらぎの音。・・梵鐘。

・・平日なのによく人が来る。露天で休んでいると、いきなり、バリバリバリと来た。こんな低空飛行であぶないじゃないか。もし墜落したら完全にアウトだね。近くに米軍基地があるんだ。・・でも、ゆかい。ゆかい。リスクもまた楽し。

・・髪をカットしてもらう。何人かスタッフがいる。あ、あの若いおにいさんに当たった。運がいいぜ、このひとはカットがうまい。

・・なんか、にぎやかでいいね。・・レストランは、ビール。ここのナスの一本漬けというのもいい。大きい紫のナスを見事に漬けあげてある。ヘタやクキのところまで食べられる。玉川上水をのぞむ窓のガラスは夕闇のなかで鏡になる。いくつもの提灯のあかりが外にもみえる。ゆらゆら二重写しの景色が楽しい。・・あ、ゆかい。ゆかい。

・・しかし、なにか足りない。・・うまい眠りだ。

183秋魚:2007/10/16(火) 23:32:03
(無題)
・・ケイタイは使わない。ケイタイの普及は通信ネットのグローバリズムに深く関わる。ゲバラがボリビアで最後のゲリラ逃亡をした時はもちろんケイタイはなかった。生きた情報はすくなく限られていたし情報源のいかがわしさは常につきまとった。裏切りは当然のごとくおこった。敵のネットに囲まれたらジャングルでも逃れることはむずかしい。・・ケイタイのある現代は何を捕獲しようとしているのか。

・・京セラと三洋電機の株が気になる。京セラによる三洋のケイタイ事業の買収が進んでいる。買収の基本合意の情報が流れたところで、三洋の株はあがり京セラは下落した。ケイタイのバラバラな戦略を統合してゆくなら京セラのねらいは順当でいい。京セラが市場とする北米ではフィンランドのノキアが強いらしい。統一された構造であまり頭を使わないでネットをつくれる。クアルコムを買収しても京セラは苦戦をしてる。・・三洋のケイタイを取り込んで北米でも巻き返したいところだが。・・ケイタイの生産形態が違うというので買収しても減益方向にしか行かないのではないかというのが大方のアナリストの評価である。・・きょう株はひどく下落した。

・・にしても、がんばれ!京セラ!!今回の三洋のケイタイ事業買収は、まだ実現していないが、たんなるケイタイの勝負ではない。画像映像の大量データをケイタイにも送信可能なWiimaxというのが一方で進行している。電波域の許可は2つの枠のみ。ソフトバンク、NTT、KDDI、ウイルコムのうち、KDDIが有力だがここに京セラも参加する。ワンランク先を見越した京セラの思惑が、まだむずかしいところだ。三洋のPHS基地もおおいに使えるはず。・・がんばれ!京セラ!!

・・京セラの太陽電池は期待がもてる。歴史のファンダメンタルはおもしろいのは、りそな銀行とハイテクの京セラと認識するが、どうか。

184秋魚:2007/10/23(火) 22:55:29
(無題)
・・秋になると食欲がでる。外にでて美味しそうなものは何でも食べてみる。温泉のレストランで舞茸の天ぷらうどんを食べた。舞茸の味がうれしい。ビールといっしょだとアルコールのまわりが早くてほんとはよくない。それからサウナだといい気持ちになれる。が、やばいだはず。屋台で元力士が売ってるちゃんこ焼は卵とマヨネーズでもってこれもコレステロルが多くてやばい。しかし、えい!と、食べる。力士のイメジは近頃悪い。でもここのあんちゃんは感じがよい。栗あんのタイコ焼がひとつあります。では、それをいただきましょう。う、ほんとの栗あんだ。・・さすが蝦夷屋さん。

・・ここの温泉は平日でも昼からよく混む。年金暮らしのじいさんばあさんならともかくなんともヒマなひとが多いものだ。みんな失職者か?そうでもないみたい。自分だってそうだ。・・気分よければ人は集まる。タトゥはしめだされているが、時々はみかける。まったく病人みたいもやってくる。競馬場と同じだね。

・・JRA夏のキャンペーンでパン焼トースターが当たった。ハハ、ゆかいだね。パンを買ってきて、焼いてみた。焼けてびっくり。馬の模様に焼けた。\(◎o◎)/!

・・菊花賞もアサクサキングスから3連単がとれた。このところ運が向いてきた。・・バクチは、運をみな使っちゃうから、ほんとはやばい。

185秋魚:2007/10/31(水) 01:00:13
(無題)
・・サブプライムローンの問題で株が夏から下落している。といっても主に日本の株だけだが。月末にアメリカのFRBが公定歩合の利下げ25ポイントを決めるとニューヨークの株はまず上がる。ドルが安くなって金融の流れがよくなるからだ。みかけの景況はよくなる。原油高にみられるようにインフレのリスクも大きい。原料、エネルギーが高騰する。ドルが落ちれば対貨のユーロとか元とかおおかたは高くなる。円だけが例外でドルと連安になるのがこれまでのこと。ドルよりも安ければほかの貨幣よりもずっと安くなる。おまけに金利がゼロに近いから円キャリーとかで膨大な日本の金が世界に流れ出る。ただし貿易国の日本の景況はよい。・・この31日にあるFRBの利下げは、ドル安とともに円安にはならないのではないか。円高で推移すれば、株はあがらない。あがっても上値は重い。・・ともかく日本の市場は取り残されて孤立する。・・ワタナベ金融相とかいうのは「もう手遅れだ」とかいってた。あんな間抜けなのが大臣をやってるから駄目なんじゃん。オマエがなんとかしろよ!まったく。

・・それにしても利下げをしたからといって景気がよくなるというのではない。お金の流れはたしかによくなる。FRBはドル札をたくさん刷って発行する。どれだけ刷っているのか発表はない。ドルの価値はどんどん落ちる。株はあがっても株の価値は落ちる。

・・京セラのデジカメをもっていたがバッテリがすぐに使い物にならなくなった。あんな情けない電池はない。キョウセラもミノルタもデジカメから撤退した。三洋電機のリチウム電池は使える。キョウセラはケイタイ事業の三洋からの買収が明暗だという。キョウセラは最初から頭を下げて三洋の電池を使うべきだった。キョウセラはケイタイだけでなく三洋ともっと交流をもつべきだった。三洋の電池はわるくない。

・・キョウセラが三洋のケイタイを買収すれば、一年で、明暗は明にかたむく。

186秋魚:2007/11/06(火) 14:53:57
(無題)
・・スイスにあるサッカー競技場の屋根は太陽電池パネルを敷き詰めたものがある。京セラの優秀な太陽電池が効率よく電気を生む。・・先ほど宇宙ステーションの太陽電池パネルに75cmほどの亀裂がはいったのを修理したニュースもあった。シャープはシリコン不足で供給がおっつかない。・・京セラはよいものをつくる。

・・FRBの利下げは25ベーシックポイントだった。にもかかわらず株価があがらなかった。これは資金の流れが株ではなく原油と金にそそがれたのが原因とされる。円ドルレートもさほど動かなかった。物価高騰のインフレ懸念が増しただけだった。FRBは金利の追加利下げはもうないというコメントを出した。これも投資家心理を冷やした。・・利下げによる金融市場の安定化と株の市場の活気づけは今回は株価を下落させるという裏目の効果になった。・・やれやれ思わぬことが起きる。

・・京セラはこんなに株を下げてよいものか。次世代高速無線通信WIMAXはインテルの社長も注目してる。京セラのケイタイ端末は好調だった。配当も百円増配になった。・・三洋のケイタイ事業を取り込めば、うまくやりさえすれば、未来は明るい。

187秋魚:2007/11/14(水) 01:45:48
(無題)
・・原油があがる。金もあがる。トウモロコシや小麦も。インフレの兆しではないか?FRBのバーナンキ議長がいうのは、インフレ抑制と景気促進のバランスだからもう追加利下げはしないということだった。事実前回の25BPの利下げは株価の下落にこそなれ上昇にはならなかった。サブプライム危機で市場がこんなに落ち込むとさらに追加利下げをやるのであろうか。もしやればさらに投機は原油にむかうだろう。

・・小麦といえば、いろんな国でパンをつくる。最近よくあうイランの人がいる。彼がイランのパンをわけてくれた。うすい皮のようなパンだ。なにか具を巻いて食べると良い。淡白な味だが自分は気に入っている。・・そうイランではウランの濃縮もやってるかもしれないね。だからといってブッシュは攻撃して戦争にしたらダメですね。米国はサブプライム問題でいまは火の車。とても戦争なんてやれる身分じゃないはず。イラクもはやく撤退することだよ。ブッシュはもう一年。最後まで悪あがきをする。

・・イランのパンは美味い。

・・アブダビの経済庁の高官がきた。オイルマネー20兆円をぜひヤマトの市場に投資してくださいね、と頭を下げた。・・太陽電池が気に入ったらしい。砂漠でパネルを張れば電気なんていくらでもつくれるんじゃないか。CO2もない。かれはクレバーだ。・・京セラはすてきな太陽電池をつくる。三洋電機もだね。

・・思い切り投資して、おたがいよいお付き合いを!たぶんアブダビも美味しいパンをつくっている。

188秋魚:2007/11/20(火) 16:46:17
(無題)
・・ニューヨーク株安。ゴールドマンがシティの格下げをやったらしい。サブプライムの追加損失を見積もってだ。いい加減にしろ。だいたいゴールドマンはサブプライムローンの損失を一ドルたりとも計上していない。サブプライム債券をひとつも所有してないなどというのはウソだ。推測だが関連債券ならゴマンと持ってるはずだ。夏ごろ出した世界エマージングファンドなるものも巧みにアメリカのモーゲッジローン債券を盛り込んでいた。レベル3のサブプライム損失はひとつも計上しないというのがゴールドマンのやり方だ。もし真面目にやったら目も当てられない。巨額の損失があるというのは誰もが言う。そればかりかアメリカの市場にとって最大パニックになることはまちがいない。だからゴールドマンは無実を主張する。・・株を下落するだけ下落させてFRBの12月追加利下げをコールするのだとしても利下げはリスクが大きい。原油が上がるだけで株は上がらないんじゃないか。バーナンキは現状維持でいくのが賢明だ。米国がくしゃみをするとヤマトは風邪をひく。世界中が風邪ひきになる。とりあえずはこのままだ。

・・きょうの東証も前場は=300にち近い下げだ。が後場にきて+168で引けた。アジアもおおかたは下げている。外国人投資家の売りが終了したとの見方もあるが。この乱高下はちょっとサプライズ。京セラも終わりごろは200yen近くあげてきた。まさかアブダビのオイルマネーが流れてきたわけでもないだろう。でもそうかもしれない。そうであってほしいが。

・・うう、寒い。コタツを出さなければ。サブプライム問題は政府が介入しないと世界経済は最悪になるよ。来年は一気に200万人のローン返済不能者がでるとか。ヒスパニックと黒人が多いからブッシュもなかなか思い切った救済策をやらない。たぶんこのまま何もやらないんじゃないか。原油があがるとブッシュの私財はふくらむ。セコイ大統領だぜ、まったく。次期大統領候補のヒラリークリントンはどうか。ミドルクラスの味方を標榜して演説しているが、これもサブプライムはノーコメント。あれも何もやりそうにない。・・OPECは原油増産をひかえると言明した。石油価格高騰はひとえにドルの下落が原因だということだ。市場の問題だと。アメリカがイランを攻撃すれば原油価格は一バレル450ドルになる。

・・アブダビの砂漠に太陽電池パネルを並べるのは、はやくした方がいい。

189秋魚:2007/11/28(水) 01:11:54
(無題)
・・ケイタイは使わない。本体0円、いきなり半額。とか各社の商いが盛んだが。シャープと組んだソフトバンクは白犬の父親がでてきてゆかいだし売り上げも順調なようだ。ネット画像がみえるシャープのきれいな液晶が魅力らしい。ここは小百合さんだね。・・KDDIは京セラと組んでいる。仲間雪絵のCMが親近感をそそる。京セラはケイタイの新製品を出した。井川遥のCMがあるということだったが、それらしいのを見ることができた。電車の宣伝にもあったが、こんどはデザイン勝負ということらしい。北米の商戦では北欧のノキアに苦戦しているという。シンプルな機能でそれが優位であるらしい。・・CMはチラとみたがなかなか新鮮。客にあまりこびないのがいい。・・次世代無線通信Wimaxの電波許可がおりればこんどはすばらしい機能のケイタイになる。三洋電機のケイタイ事業も吸収してシェアの拡大というより手堅いものがつくれるようになる。12月に電波許可の認可と三洋からのケイタイ会社の買収発表があれば、こんどこそプラスに評価されるだろう。株はあがる。・・とくに三洋電機はお買い得。

・・懸念があるとすれば、サブプライムの影響でハイテクが全体に落ち込んでしまうことだ。ハイテクなんざクソ食らえということになれば空しい事業になる。

・・アブダビの政府系ファンドが米シティグループの株債券を8千億だか買い入れるという。その知らせだけで東証の株がいきなり4百円くらいあがった。ついにきたオイルマネー。ほかにソニーの株もイスラム系ファンドが買ったらしい。京セラや三洋電機も急騰した。太陽電池をねらってオイルマネーが流れたかも。いよいよこれが新しい兆候か。

・・紅しぐれ大根の安いのがでてた。群馬産。・・小平温泉はよく温まる。

190:2007/12/05(水) 01:11:30
(無題)
・・変化に富んだ流浪の生活もいいけどこれはリスクが大きいが安定した毎日おなじ仕事で同じ人と会い同じことを考えるか何も考えないのもほんとはリスクの多い生活だ。きょうはロクな事がない。またパワハラの上司だ。いわぬが花。なにをいってもいちゃもんをつけたがっているのはわかる。出口なしで妄想が多い。旅に出ればよいのだよ。

・・ガソリン代があがって自動車もあまり乗りたがらない。自転車なら問題ない。これもリスクがある。出会いがしら自転車同士でぶつかった。急ブレーキをかけたが敵は横からドスンと来た。クラッシュ!当たられ方がよかったからか尻餅をついたほかは特に傷もなし。自転車も破損しなかった。相手も急ブレーキが間に合わなかった。お互い無灯火なのはまずかった。リスクがおおい。いついなくなるやも知れぬ。

・・自転車で使う筋肉や呼吸はすてきだ。いやな上司のことは考えたくもない。風を切って自転車をこぐ。温泉まで遠くはない。

・・サブプライムは深刻だね。経済は当分は世界的に減速低迷するだろう。原油もあがる。11日の米国FOMCではまた一気の50bpの利下げがあるか。今度も円高で株はあがらないんじゃないか。原油はあがる。物価もあがる。たぶん景況はよくならない。・・間抜けな市場だよ。

・・隣の猫は日向ぼっこばかり。風の当たらない日のよく当たる場所で寝てばかり。年寄りなのかもね。

・・温泉で酒でも呑んでうつらうつら。星をみて。

191:2007/12/06(木) 11:43:43
(無題)
・・ロシアの若者が元気だ。エレベータで乗り合わせたらよく話しかけてくる。バナナの皮を向いて食べろとさしだす。ロシア語はわからない。ニキというのは何だろう。・・ロシアが元気なのはわかる。世界第二の産油国でオイルマネーががっぽりあるらしい。プーチンが独裁的な人気だ。・・驚いたことにパソコンで無線インターネットをやるのが流行ってる。ビルの上層階に出ると無線電波をキャッチできるらしい。フランスの若者がやっているので目をひいたがチェコとかロシアの若者もひとり一台でやっている。体育会系なのに驚きですね。

・・ワイヤレスインタネットというのは携帯を使ったもののほかにはヤマトではあまり見ない。次世代大量無線通信のWimaxなら今から電波権利の獲得競争をやって実用化はさらにもう一年かかるだろう。2枠しかない権利許可。ソフトバンクかドコモが外れそうでKDDIが当確ならこれは格差がつく。孫さんもやっきになってるのはよくわかる。KDDIと組んだ京セラを応援している。三洋のケイタイ事業をひきつぐのはバラバラになって国際競争に体力をなくしつつあるケイタイ通信に統合再編の火をつける。サブプライムもなんのそのハイテクはハイテクでゆきたい。

・・ワイヤレスインタネット。みんなこれに夢中だ。

192秋魚:2007/12/11(火) 01:51:06
(無題)
・・滝のある島。砂漠のオアシス。楽園は迷宮でなければならない。秘密がたくさんある。・・ケヤキの枝は夜光に映えると蛇のように見える。なまめかしい記憶がある。すぐ頭の上をバリバリ音を立ててジェット機が飛ぶ。いきなりだ。

・・白い犬のお父さんがもの言うケイタイのCMが評判だが、うまくつくりすぎ。宣伝ばかりがよくて中味がいまいちなのはサントリーに似ている。井川遥を使った京セラのケイタイCMはすばらしい。こちらは一言もしゃべない。テンションの高い映像がある。京セラのブレーンはセンスがよい。

・・安藤ミキのスケートは時に涙がでそうになる。エグジビションで滑ったのはよかった。カルメンをやるのはいまひとつ強靭な生き方を憶えねばならない。選曲で失敗かも。ギミーマズナのパッションのようにうまく選ぶ。・・浅田マオとキムヨナ。天才だが学習の成果がみえるマオちゃんよりはキムヨナの妖艶な身のこなしが上か。いまならキムヨナがいい。

・・高橋大輔のヒップホップ。これはのってる。

・・井上康生はウチマタを封印すべきだ。柳生セキシュウサイの無刀取りに学べ。

・・ああ、自転車に乗ると快調だ。マイナスイオンをたくさん浴びた。

193秋魚:2007/12/11(火) 17:14:41
(無題)
・・米国の市場はおめでたい。FOMCで大幅な利下げがあれば株は市場最高値をめざしてあげるだろう。景気後退はあきらかなのに株があがってどうする。明日のFOMCはおそらく25bpが妥当な利下げだろう。さらに経済景況悪化なら追加利下げもありうるとかなんとか弁明すればまず株の下落はあるまい。小幅上昇となるのではないか。ドルは確実に落ちる。円高になれば日本株は下落するだろう。輸出関連株が落ちて内需株があがるかもしれない。ドルを支えるために円が下落というのはもうないのかも。クリスマスと年末が近い。大きな波乱をふせぐためにFOMCはきっちり25bpの利下げとみた。サブプライムの悪材料出尽くしでリバウンドの上昇線が予測される。

・・パチンコは流行ってないか。京ラクの冬サナ2がでれば打ちにいってみたいが。半導体と液晶が繁盛すればS商事の株があがる。ストップ安をつづけたS商事も3月決算は上方修正すれば株ももちなおすはず。きょうあたりも反発必死だね。

・・京セラ、京ラクとか京のつくものは応援しよう。オグシオペアのいる三洋電機もね。

194秋魚:2007/12/19(水) 01:39:54
(無題)
・・米国のゴールドマンサックスの決算が大幅増収と発表された。株は寄り付き前に揚げたが押し戻されて前日横ばいだという。サブプライム関連損益をやはり計上していない。空元気なのはいいがそれで相場全体を押し上げるというのもそろそろやめてもらいたい。モルガンハクスレイやベアスターンズが大幅減益、追加損をつづけて計上するからまあよくみてみましょう。・・にしても、ニューヨークでそろそろ反発してくれないとほかはどこもやってられない。きょうの韓国などは、原油が下げてスタグネーションの懸念が後退したからというウソみたいな理由で相場は反発している。大統領選で大変だろう。キムチを食べてなかばヤケパチだね。インフレ懸念はこれからだってばさ。・・夜のニューヨークは原油があがってエネルギー株が主導で反発だとか。あべこべだね。

・・それにしても驚いたのは、すこし引いてみる

・・「欧州中央銀行(ECB)は18日、米国の低所得者向け高金利住宅ローン(サブプライムローン)問題で混乱が続く短期金融市場を安定させるため、過去最大の約3486億ユーロ(約57兆円)の資金を供給することを決めた。2週間物で年越え資金となる。金融機関が必要な額は約1800億ユーロで、その倍近い。」

・・資金供給の額が実際の必要額の2倍というのは、驚きだ。信用緊縮をおさえるためにずいぶんと重いきったことをする。米国のFRBと同じでドル札を印刷しまくって大量に流してるだけだろうか。そうならユーロやドルの価値はどんどん落ちる。利下げによる通貨の下落のほかに大量発行によっても通貨の価値は下がり、インフレ懸念は大きくなる。

・・金融危機、信用危機で年は暮れ明ける。あーあ、やはりインフレになる。

・・次世代高速無線通信の電波域はウイルコムとKDDIに許可される。KDDIと組んだ京セラはこんどこそ三洋電機のケイタイを買収するだろう。WIMAXの基地局も京セラのものになる。・・三洋は近々株をあげてくるはず。京セラはどうか。

195秋魚:2008/01/02(水) 01:52:00
(無題)
 柚子ふれのネノホつもりぬ羊蹄山  秋魚

・・ヤマトには太古より「ふれ来るもの」がいた。大陸を一度は北上して無境極地をめざした。その妙見は逆風から折り返されて海を渡った。「ふれ来るもの」がたしかにいた。

 宵闇にしひたげられてしひられて一つ瞬くネノホノホシよ

・・自分が高校生のときはじめてつくった短歌を今でも憶えている。国語の授業で茂吉の「赤光」など鑑賞したあとに各自一作つくれということだった。ちょうど野尻放影の「星の伝説」など読んでいた。北極星はいくつか呼び名をもつが、一つにネノホノホシというのがある。ネノホは子ノ方で北の方の意味であろうか。・・それを短歌に詠んでみたかった。

・・今年はネズミ年。子、ネは北をあらわす。子であるのは未来の雛形の故か。ネノホのホは方、穂、火をイメージ連鎖する。・・ネズミは複数の活発、盛んなる様をあらわす。一にして多くを隠せばすなわち潜勢であろう。

・・柚子の大バカ三十年ともいうが、これは柑橘の余すところない誉であろう。柚子は実よりも香りで勝負する。「柚子ふれ」は「柚子ぶれ」とも。ふれ、ぶれには現実がある。ネノホは幻影かもしれぬ。・・ネノホつもりぬとは・・

・・羊蹄山の標高は富士山のちょうど半分。この秘密はなにか。



それにしても

>・・岸田秀の唯幻論によると、「人間は本能と現実との間に幻想(観念や言語)がある」と言っている。この幻想が人間の自我に結びついているために現実をまとも見ることはできないのではないかと思う。思春期を過ぎてから強い幻想に取り付かれてしまうと、殆どの場合、何を言っても無駄である。幻想の中で生きる人間は、幻想があるからこそ生きていられるのであって、幻想から覚めようとすることは強い自己否定を伴うので簡単にはできないのである。年を取れば取るほど幻想からの覚醒は難しくなる。

・・なるほど、幻想を見極めるというのもむずかしそうだ。

196秋魚:2008/01/08(火) 14:52:24
(無題)
・・米国大統領予備選はヒラリー女史が大苦戦。ついに涙ぐんだとか。ま今度は共和党はないだろうからオバマかヒラリーか残ったほうが最後に勝利するだろう。移民に運転免許を与えるか否かといった議論があったらしい。それについてまったくしどろもどろで答えられなかったヒラリー氏。新発の題でも意見を述べられないというのは大統領にはどうもね。経験と実績で米国初の女性大統領というイメージ戦略だけではいまの米国やってけまい。演説会ではやらせ質問を仕組んだとかもバレている。・・国際政治の経験と力量が問われるオバマ氏だが、ブッシュとかのように小ざかしい戦略の政治をやって失敗をつみかさねるより、現状認識の常識判断でディフェンシブを最優先していったほうがいいに決まってる。

・・しかしアメリカですね。選後の不安も残る。

・・地政学的にはパキスタンが大きなリスク。イランからついにパキまで来た。グレーゾーンのカシミールはどうなっているんだろう。こんどは地層学的にほりおこしてまたいろいろありそうな年になる。

・・今年は、大激動になる。オバマ氏、がんばれ!!!

197秋魚:2008/01/22(火) 17:21:47
(無題)
・・プレディター対エイリアン。いまの株の相場はこんな感じだ。米国に端を発したサブプライム問題がいよいよ世界中に波及して世界の相場で株の大下落が襲っている。莫大な投資資金をかかえるファンドの金融トリックが下落相場に襲い掛かる。いわゆる空売りというヤツだ。おおかたはファンド対ファンドの死闘に似るが、いつも餌食になってるのは個人投資家だ。故人凍死化ともいわれる。売りが売りを呼ぶ。買い手はいない。飲み込まれるだけだ。・・かつての東京市場で7千円台まで下落したのもゴールドマンサックスとかメリルリンチとかが仕掛けた空売りだった。このトリックは個人でもできるが失敗もあるから豊かな資本力がないとやってられない。エイリアンの子どもたちが異常に繁殖するごとく空売りの怪物テクニシャンもいまはそこら中に蔓延してる。・・買いと売りの攻防はまさにプレディター対エイリアン。われわれには歯が立たない。

・・日本の株は大きく下落してとうぶんは立ち直れまい。景況も悪化する。時価総額を減らした企業はロシアあたりの政府系ファンドに買収されてしまうだろう。・・暗い闇だ。

・・シティグループやメリルリンチには日本のありあまるドルを貸し付ければいい。ドルはますます下落する。はやく政府系ファンドをたちあげてドルを使うのだ。いまをおいてはない。アホな日本政府よ!・・というか世界の金融危機はまだ序の口。これからもっとひどくなる。いまからでも遅くない。ジャパン政府はファンドをつくってドルを流せ。

・・米国の連銀による大幅利下げ。これも歯止めがかかるまい。・・サブプライム債券の政府による買取。これが一番有効。・・アホブッシュはできるだろうか。

・・クリントン対オバマ。これもサブプライム絡みでヒスパニックと黒人が微妙に差別化されたから、クリントンがやや優勢になった。クリントンに力量はあるか?

198秋魚:2008/01/30(水) 01:42:04
(無題)
・・国会はガソリン税で大騒ぎしている。が、あんなものはどうでもいい。法案が通るか通らないかということだから制度と力でいずれ黒白はつく。あらゆる面で減税は大賛成だからもちろん反対する民主党を応援したい。応援してもどうなるものではないが、やめてほしいのはさしもどし可決のあとで衆議院解散総選挙にもってゆくのだけだ。いまは選挙はやりたくない。・・最近小沢一郎が総理になればいいと思ってる。しかし小沢は総理になりたくないんじゃないか。日本経済がもっともっと落ち込めば最後のドンで小沢も意を決するかもしれぬ。しかし洞爺湖サミットまではやめてもらいたい。自民党の仕掛けた洞爺湖だから自民党に最後まで責任をもってやらせるべきだ。ここで政権が変わってしまったら対外的にしめしがつかない。まったくいい加減な国だ日本は、といううことになる。

・・米国のリセッションは深刻だ。ブッシュはイラク派兵増兵をやったからテロが減ったと自慢していた。テロ勢力は一時的に退却しているだけの話なのに気がつかない。だがそれでいい。イラクは平和になったと喜んではやく撤退すべきだよ。・・米国の景況悪化はさらに深刻。これからどろどろと侵攻するだろう。

・・次期大統領はオバマ氏がなればいい。ヒラリーでは駄目だ。外交オンチのオバマ氏が大統領になれば、日本の小沢が総理でこれなら日米関係も画期的に変わる。オバマ氏は米国経済のたてなおおしでインフラから考え抜くはず。サブプライムで家を失った黒人やヒスパニックがなんとか生活をたてなおし労働に希望をみいだしてゆく。これが肝心。・・たぶんヒラリーでは駄目だ。

・・もっと最悪なのは、共和党のだれかれが政権をひきつぐこと。これには嘔吐!!

・・2月5日のスーパーチューズデイまでは、ニューヨークの株価はあがるだろう。なぜって、共和党のブッシュが見栄這ってでも株をあげなきゃこれもしめしがつかんだろう。税金還付とか歩合の大幅値下げとかやってもリセッションがとまらなければ、もう手がない。ぐだぐだとそのあとで、オバマ氏くらいしか希望をたくせなくなる。わかりきったことだ。

199秋魚:2008/02/05(火) 00:55:34
(無題)
・・きのうは節分。海苔巻き寿司を食べたかったが損ねてしまった。鰯に柊というのが興味深い。祖母とか祖父とかが守る古い家にでもいれば、こういうしきたりも馴染んでいたろう。寿司を食べれば節分などいうはほんとは風情がない。家族や個人がばらばらになると古き慣習も意味がみえなくなる。

・・テレビを見ていた。西表島に移り住んだ若者夫婦のドキュメントをやっていた。イノシシをとる仕掛けの場面からはいったので本州の山かと思ったが、やがて島だとわかった。沖縄の西表島。過疎の村に移り住んで生活してるんだ。魚をとったり米をつくったり子どもも生まれて島のくらしをする。へえ、西表は米つくりがけっこう盛んなんだね。古代米なんかもつくるし。・・西表島の紹介というより、よそから来た若者が島の生活にいかに馴染んでいくか、その過程がおもしろい。その時その時の生き様と心のフレが自分のことのようにひきつけられる。

・・もうひとつ沖縄の番組があった。・・八重干瀬。ああ、これならジブンもいった。宮古島だろう。島がでてくるが、アナウンスはどこの島かいわない。いったのかもしれぬが聞いていない。たぶん、宮古ではなく池間島だろう。・・サンゴの島で追い込み漁というのをやっていた。へえ、本格的でおもしろいもんだ。海に潜って周囲から魚群を追って網に追い込む。グルクンの大群が一網打尽。・・でもこんなに捕っちやっていいんだろか。なんか魚たちがあわれだ。・・原始的だからいいんだろう。

・・そうそう、八重干瀬はおどろきだ。浮上するサンゴの島々。潮がひくとシマの上に取り残された魚がいる。それをひろってあるく女たち。・・タコやハリセンボン。

・・こちらの方は詩情ゆたか。シマの名前はさいごまでわからない。

200秋魚:2008/02/20(水) 00:21:38
(無題)
・・オリンピックで金メダル2連覇というのはむずかしいだろう。北島や谷は前回の世界選手権では勝つには勝ったが「ハァ〜」という溜息のインタビューだった。柔道の井上康生などアテネの2度目は惨敗でさらに北京でも目標にしてねらっているが出場すらおぼつかない。体力の限界というのもある。ピークはそう続くものではない。2度3度というハングリー精神もなくなってきている。・・マラソンの野口みずきは2連覇するかもしれない。すごいハングリー精神がある。しかしどれもこれもオリンピックを最大目標に掲げてストイックに頑張らなくてはならないのはなんか哀れだね。オリンピック、オリンピックと騒いでいれば人も自分も安心できるというのだろうか。そうだろう。

・・北京オリンピックはあぶない。環境汚染でまったく有名になるだろう。マラソンなどほんとにやれるのか。野口みずきがいくら北京コースを想定して練習にはげんでもあの大気汚染はどうやって克服できるだろう。アテネなら乾燥して暑いだけだったが。たぶん走っていて気持ち悪くなるのではないか。・・アスリートの多くの選手は日本で直前まで調整していたいといってる。北京の評判は悪い。

・・「美しい国ニッポン」といって虚仮にされたアベシンゾの最後のヴィジョン洞爺湖サミット。いま意外と多くのものがこれに期待しているのはおもしろいことだ。洞爺湖に有るのは有珠岳と昭和新山。もちょっと海の方で噴火湾にはむかしイモガイの輪飾りが沖縄から運ばれてきている。洞爺湖のずっとむこうには羊蹄山もある。・・環境サミットという。

・・温泉の露天にいると枯れたケヤキのむこうからバリバリバリと轟音をなびかせて飛行機がやってくる。ひどく低空なのは基地が近いためだ。

・・この秋にはアメリカでオバマ氏が大統領になる夢をみている。

201秋魚:2008/03/05(水) 01:56:57
(無題)
・・米国の景気後退懸念でまた株が落ちている。FRBの利下げやドルの大量供給などでドルの下落もすすんでいる。物価もあがるから景気後退とともにスタグフレーションの兆しにはいった。・・いまは大統領予備選の真最中だ。オバマ氏がヒラリー氏に勝つと急に株が高騰するという予想がある。オバマ氏の演説もさることながらけっこうな選挙資金もある。モノライン救済策を提唱した大投資家のパフェット氏がオバマ氏の熱烈な応援者だときいてすこし驚いた。FRB議長のバーナンキなんかもオバマ氏の隠れファンで今回のミニスーパーチュウズデイはオバマ氏勝利とともに株の急騰反発をもくろんでいるというのだ。ほんまかいな。予備選の結果は水曜にならなければわからないからどっちみち今夜のニューヨークは上げてこないだろう。上げるなら明日か。いまの米国の地合なら株の上がる要素はあまりない。もうオバマ氏の大統領しかよい話はないということか。・・ブッシュはバカだ。特別減税といって税金還付をおこなうが、税金はサブプライムローンで苦しんでいる層はもともと支払いもすくない。リッチな層ばかりがたくさん還付されるから、サブプライム問題の景気減速にはあまり効果がないだろう。ヒラリー氏はいつでも大統領の仕事ができると自負している。イラク戦争を即座に決断するというのか、緊急の判断力の問題だという。ヒラリー「あなたの演説はいつも他人のコピーだ」、オバマ「くだらない話で時間をつぶすより国民みなを励ましましょう」。討論はいつもオバマ氏が上をいく。国民みな医療保険に加入させるというヒラリー氏。では保険料の払えない人も強制するのかとオバマ氏。・・どうみてもヒラリー氏はやきがまわってる。オバマ氏ならほんとにインフラから変革が期待できそうだ。

・・この一年。米国はおおきく変わるかもしれない。

202秋魚:2008/03/12(水) 01:37:37
(無題)
・・いつもながら自転車はいい。しらぬ間にすっかり春めいている。梅とか桃それに早咲きの桜もある。だいいち空気がいい。呼吸がいい運動になってペダルの足にも力がはいる。この温泉は女子バレーの大林素子や中田久美の育った街にある。あの子たちは健康ですね。いまはすっかりスポーツアドバイザーになってる。人生のアドバイザーにはもちょっとだけど。・・温泉はそんな女の子たちを慕ってのリピーターです。サウナが病みつきで体もスリムになった。やせすぎかと思えるのはデイトレをやって寝食をわすれるからだろう。・・いつもながらのレストランでビール。このビールの味が毎度違う味がするのは作り方のせいかそれともこちらの体調のせいか。きょうは麦芽の味がして美味でした。おつまみの小エビの唐揚げやキュウリに金山寺ミソそれに竹の子。キュウリはたぶん無農薬のいいものを使っている。うまい。サクサクサクと歩くパパの思い出というのは一青窈。このキュウリもサクサク。金山寺ミソは麦がつぶれない新鮮なのがいい。一粒でビールの味覚に応える。帰りの自転車は酔っ払い運転になるがサウナ効果でぐんぐんペダルを踏める。はじめは乗りにくい自転車だったけどいまはずっとこなれた。これで夜道を40分。遠くはない。



ストックオプション

>19,188株ですよ。去年、日本国内で募集した株数が80,000株です。
>ちょっとストックオプションの数が多すぎませんか?

株主総会の案内がとどいてます。社員にボーナスとして支給されるとしてもずいぶん数が多いなあ。これじゃ株がもっと下がるのみこしてるみたいだ。数が増えて株価がさらに希薄化されるということはないのですか?

>・・ 私は、そんなに前からの株主ではないので株主総会の通知はきませんが
株主の皆さんせめてオプションの権利行使価格は公募価格より上に決めるよう
要請してください。この会社IRにばかり熱心で。
将来性のありそうな事業なんだから本業さえがんばっていれば株価なんか自然についてくると思うのですが。
空売りができるようになるとオプションを持ってればリスクをおさえて空売りでもうけられるようになりますね。もちろん1部上場企業の関係者がそんなことはできないはずですが。なにかちょっとひっかかるのですよ。この会社は。
そこらへんが払拭されれば思い切って買い増ししたいのですが?

>どう考えても数が多すぎる。株のことは素人ですが、ストックオプションってこんな出してもいいんんですか?会社が倒産しそうでボーナスや退職金を自社株で払うなんてのはよく聞きます。ボーチーはそうではない。受注がたくさんあるから資金が欲しい。ほんとは増資をしたいんじゃないか。

株主総会には出席できませんが、この条項だけはハガキで否の議決権行使の予定。

中国通のひとに質問。かりに株価が12万だとしてこれを元に換算するといくらになるのか?それって価値としては日本円の3倍くらいにならないですか?ストックオプションはおそらく社員全員に公平に分配されるものではないでしょう。特定の個人とかセクターに多く分配されても誰も文句はいえない。どうもよくわからない。誰か教えて〜

>元レートはドル円とドル元の割り算で決まります。
USD⇒円 102.4
USD⇒元 7.111
元⇒円 14.4

12万円は元にすると時価8,333元になるだけ。
将来、元高になれば少額の元で新株が発行してもらえるんじゃない?
だけど、元高は資産が増えるから既存株主にとっても結構なこと。

発行済株式数 360,988 株
増えるのは19,188 株

ストックオプションとしては多いかもしれないが
全体としてはそんな多くもないんじゃない?
今買った人は問題ないけど

たしかに高値掴んじゃった人はお気の毒のような気もするが...
ちなみにわたしはノンホルです。

> お返事ありがとう。

>12万円は元にすると時価8,333元になるだけ。

かりに300円の冷凍ギョーザは21元になる。でも中国では、いかほどで買えますか?もっとずっと安いでしょう?
山東省にいる知人が青島ビールが20円とか50円とかいってました。

>発行済株式数 360,988 株
>増えるのは19,188 株

え、発行済株式数って、こんなあったの?東証上場の公募が8万株で、これでは、ロックアップも関係なしで、大きな売りがよく出たわけだ。

203秋魚:2008/03/19(水) 01:35:52
(無題)
・・米国のベアスターンズが債務不履行で倒産の危機、ひどい安売りでモルガンチェイスに吸収された。サブプラで巨額損失を抱えたとはいえ黒字であるらしい。にもかかわらず取り付けの金融機関がみな手を引いたから手持ちの資金はすぐゼロになった。信用危機で流動資金がまわらなくなった。FRBが資金供給をしてその場をしのいだ。5大証券会社のひとつに数えられるベアスターンズ。・・また金融危機の再燃。・・カーライルインヴェストメントファンドの倒産も2日まえにあったはずだが、どうなったろう。これとてそれほど小さな投資ファンドではない。連鎖的にいくつものデフォルトの危機がやってくると、米国発の経済危機になる。日本の株も大きく下落した。かつて山一證券が倒産した時によく似てる。

・・FRBはドルを刷りまくってことあるごとに資金供給をしている。FFレートの引き下げや公定歩合の引き下げ、それと大量の資金供給オペということだ。ドルの紙くず同然になる。米国の金融危機はもっと激しく米国の政府を脅かしたほうが良い。公的資金の投入をブッシュは気前よくドカンと投入すべきだ。そうしてイラクなんかでの戦争、中東の戦争危機もやってられなくなるのを自覚すべきだ。・・田中宇は中東大戦争をドル危機=崩壊と同期として予言している。中東大戦争は米国が介入するのではなく撤退することで起こるだろうか。もはや戦争で消費するものとてなくなるはず。消費すべきは最後のコアであるイスラエルか?

・・今年は決定的なことが起こる。

・・日本の民主党はいかにもくるくるパアだ。洞爺湖サミットまでは民主党のでるまくはない。

204秋魚:2008/04/02(水) 01:27:18
(無題)
・・またまたスイスのUBSがサブプライムの巨額損失を計上した。1−3月期の追加損失で190億ドル(約1兆9000億円)ということだ。昨年来の累計損失は374億ドル(約3兆7400億円)。・・えい、記事を引く。「・・独最大手のドイツ銀行も同日、25億ユーロ(約4000億円)の損失計上を公表した。世界の金融機関のサブプライム関連の公表損失額は3月時点で2000億ドル超とされるが、金融システム不安の高まりで損失額が一段と広がる公算が大きい。」スイスのUBSはすごいね。こんな赤字だと資本補強で増資をしなければならない。この増資がうまくいかないと会社はにっちもさっちもいかなくなり二束三文で叩きうるか倒産ということになる。・・米国のベアスターンズがまあ倒産してこれは日本の山一證券の倒産に似ている。で、長銀の倒産があってどこか大手の銀行がつぶれることになればますますかっての住宅バブルの崩壊した日本の状況に良く似てくる。メリルリンチ、シティバンク、バンカメ・・と、このうちシティバンクの決算は4月18日だがこれがもっとも危ないらしい。秋ごろの金融危機には中東やシンガポール、中国の政府系ファンドが増資の株を買ってそれらの銀行を支えた。んでその後もサブプライム損失はすすみ株価はますますの下落。救いの手をさしのべた各政府系ファンドは大損をしている。それにこりて増資支援はもうあまりないんじゃないか。じゃあどうなる。いよいよ公的資金の導入か?先ごろ米国連銀の権力強化が政府によってなされたのをみると、米政府の直接の資金投入はなさそうだ。あくまでFRBの権限と采配で金融危機の処理がおこなわれるだろう。いずれにしても4月17日あたりが最悪の市場になりそうだ。・・それにしてもサブプライムは底なし。



株主総会に参加しました。

>300人近くの大盛況でした。
質疑応答もなかなか充実した内容で穏やかな株主総会でした。

この充実した内容をもうすこし具体的にお願いしたい。

>それよりも・・
中国で一番有名な経済学者の謝国忠(アンディー・シエ)という
前モルガン・スタンレー・アジア太平洋本部首席エコノミストが
ボーチーの取締役だったとは知りませんでした。
ちょっと安心しました。

・・どんな有名な経済学者で前モルガン・スタンレーの腕利きエコノミストでもIRストラテジーが小賢しいだけならボーチはつぶれるよ。

・・火力発電の脱硫装置だけのボーチのイメージなら外国人資本家は日本人しか投資しないだろう。一番の被害者は中国だよ。次に日本。もっと資金が欲しいならまず自分で腹を切らなきゃ駄目でしょう。だから政府系ファンドが買ってまず株価をあげなさい。上昇トレンドになれば資金は集まる。もう一週間くらいの間がチャンス。・・あとはないかも。

>学者ってなんでしょうね。博士課程在学中に主任教授の興味本位で殆ど意味のない論文書いて、それを内輪で内々に認め合って出すものでしょう。そしてお礼に主任教授及び主査にお金を渡す。これは、何処の大学でもいっしょですよ。つまり、学者とか博士というのは、別に専門家でもなんでもないんですよ。論文を言われるがままに書いたというだけ。モルガンスタンレーにしても、肩書きが欲しいだけ。組織ってそんな学者がいたからって動かないですよ。彼らは名前を貸すだけ、広告塔です。皆さん、学者という名前に騙されないように。
 ここは、東証に上場したこと自体が失敗。財務、業績が少々良くても関係ないんです。株区分は違いますが、私はこの株はどちらかというとプラント系と考えます。これは、はっきりいってその歳の赤字黒字が非常にわかりにくい。経営者ですら良いと思っても蓋を開けると大赤字ってこともよくあります。ですから、そんな危ない株は政府系ファンドは買わないでしょう。しかも、私の持論ですが、ここは環境株でもオリンピック株でも、まして中国株でもないのです。日が傾き始めた日本の東証株の一つなんです。おそらく、10年持っても大金持ちにはならないと思いますよ。10万円のボロ株が100万円にはなりませんよ。白CEOは本気で、今の不人気な状況を本気で考えないと偉いことになります。私なら、中国共産党上層部に対してストックオプション発行しますね。(ただの賄賂だよ。)

>白CEOは本気で、今の不人気な状況を本気で考えないと偉いことになります。私なら、中国共産党上層部に対してストックオプション発行しますね。(ただの賄賂だよ。)

・・白CEOさんというのはまだ無名の頃NHKのテレビにでたのを私もみたことがある。青年の志を語ってなかなかの好人物。ボーチの名の由来や将来のヴィジョンもいい。環境問題をまじめに考えているはずです。・・ただね株式上場をやって何人かのスタッフと仕事をやるわけできびしい資本主義の市場で勝負するわけだからキレイゴトばかりですむはずがない。われわれには及びもつかないがエコノミストのプロが考える資金集めの小細工をいくつか使ってるのも確かでしょうね。・・例のストックオプションなんてのもそのひとつ。今度提案した以前にも何回かオプションで株を発行していますね。ボーチは。・・以前「増資」というので論争があったけど、かれらにとっては増資=ストックオプションで一般向けには増資はないと表明していただけではないのかな。

>私なら、中国共産党上層部に対してストックオプション発行しますね。(ただの賄賂だよ。)

・・冗談にしても、なかなか穿ってますよね。(^_^)

205秋魚:2008/04/09(水) 00:59:43
(無題)
・・「冬のソナタ」がおもしろそうだ。といってもパチンコの話。2年前にでた冬ソナも評判で今度はその2ということだ。パチは打たない。韓流のはじめだがもうずっと以前になる。パチに流れてテーマは盛んになった。ドラマはチンジャラ音立てて何度も反復するに耐える。・・もう半年以上パチンコ界は不況ともいう。消費者金融やパチ業界にもいろいろ規制がはいったから人も離れているらしい。・・でも冬ソナ2は評判だよ。

・・韓流は冬ソナにはじまり冬ソナに終る。ちょうど同じ四月に「太王四神記」もテレビではじまった。ペヨンジュがでてる。昔の高句麗のお話だ。四神は白虎・青龍・玄武・朱雀でこれらほ高松柄古墳とかキトラ古墳の壁画にもある。あの頃のコリアンコネクションがいろいろ想像される。・・しかしいまなぜ四神記か。

・・冬ソナと四神記。景気後退でパチも人が少ないというが冬ソナが求められているのかホールはどこも盛況。これはよくわかる。何度も記憶に呼び起こしたい。そのエッセンスだけでも。静かなブームでいい。・・四神記はこれからのこと。

・・桜散る。・・アメリカと中国が病んでいる。・・冬ソナで時化こむか。

206秋魚:2008/04/16(水) 01:17:30
(無題)
・・桜が散って新緑の芽が吹き出し始めた。この季節の夜空は闇が濃い。温泉でお月さんがよく見える。・・月はどんな月がいいか。という話が聞こえた。爪を切った様に少し欠けた月。・・わたしは、新月がいい。暗く見えないところで思い切り輝いている、そこがいい。・・なるほどね。温泉で騒がしいのはあまり好きでない。たまたま聞こえてきた話だが悪い話ではない。温泉も上下の温度差がなんとこいえない。・・ああ感覚派ですね。若い世代が育っているな。

・・つまみに駿河湾の小エビの唐揚げとか美味だった。きょうは鹿児島湾の小イワシの唐揚げだと。産地をいちいち付記してあるけど、悪くない。並みのものと違う。ひどく美味。もろきゅうのきゅうり一つとってみてもちょっと違う。地元で無農薬でつくったものか。金山寺ミソを一粒一粒賞味するのもひさしぶり。・・歯が折れてすこし沁み。これはすこし。



・・質問があったらケイマン島までご連絡ください、とでも?クリーンな事業をやってるんだったら会社経営もクリーンにやらなきゃダメでしょ。白雲峰さん、そう思いませんか?

・・それより、中国はたいへんですね。このままだと史上に残る大汚名北京オリンピックになる。チベットは内政問題だなどということはない。人権の問題が国境を越えるのは環境の問題と同じでしょう。北京の空が殺人的に汚れているのはあなたたちだけの問題でないと思うから投資してるのですよ。・・なんかピント外れだね。

・・最近参戦しました。
日本の3〜40年前もひどいものでした。
京浜地区は街中でも工場ガスで臭く、昼でも太陽が霞んでいました。
あちこちで公害問題が噴出していました。
決して日本もこの面では立派な国ではなかったのです。
しかし現在は十分といえないものの随分改善しました。
中国の今後5〜20年を予想し今チャイナに投資。



リーマン、ゴールドマン・・この辺の低級な証券会社がこざかしい空売りを仕掛けるからアメリカは大金融危機とリセッションになったのだよ。リーマン、ゴールドマンを権威化してる阿呆な日本の投資家が失敗するのは知れたこと。

>この辺の低級な証券会社がこざかしい空売りを仕掛けるからアメリカは大金融危機とリセッションになったのだよ。リーマン、ゴールドマンを権威化してる阿呆な日本の投資家が失敗するのは知れたこと。

誤解のないように、リーマン・GSが格付けを落とした事と、この2社が
低級であること(何を根拠に)小賢しいから売りをかける?アメリカは大金融危機とリセッションになった??阿呆な日本の投資家(君が何ぼのもんか知らないが、失礼ではないか?) 投資は自己責任で。自分の知性を疑われる投稿は控えめに。

・・あなたの文章の方がわかりにくいですね。何度読んでも。・・リーマン、ゴールドマンは自分に都合の良いように他社を格付けしてるだけ。自社を格付けする能力はないだろう。だから低級といったわけ。・・サブプラ問題から金融危機がこれほど拡大したのは格付け規準の相場を先導しているかれらの所為だろう。根にあるのは「格」が信じられなくなったというクレジットクライシスではないか。・・ポールソンもGSの出身でしょう。日本株が下がっても米国株があまり下がらないのはどうしてですか?自分の責任で考えましょう。

・・ あえてコメントしないけれど、幼いね。

Re: GS売り推奨 7000円だって?

・・わたしがゴールドマンのアナリストだったら目標株価6300円でいく。もともと空売りで下げるための設定だから目標は低ければ低いほどよい。業績見通しの分析などいくらでも辻褄をあわせられる。・・輸出関連系はたしかにどこもよくないはずよ。携帯はむずかしいだろうけどもっと心配なのはWimax。市場公開前にあらゆる方向で検査チェックをお願いしたい。・・京セラのセラミック技術は底堅い。

・・この株30年見とるけれど、外資のレーテイングの影響はほぼ無い。
安定株主が多いということか?ここ数年流行の外資証券のちょうち
ん売り煽り、空売りにもびくともしない。地合の悪さの影響も値が
さハイテクでは、最も軽微。坊や達が触る株ではない。(爆)

207秋魚:2008/05/07(水) 01:50:19
(無題)
・・歯が折れた。いやもう半年前の話だ。虫歯がすすんで何かの拍子にぽろりととれた。下の糸きり歯で不便が無いのをいいことに長らく放っておいた。不便がないというのは嘘だ。やはりうまく噛めないしすこし痛い。冷たいもの熱いもの噛むと沁みて痛い。けっきょく噛んで食べるのは反対側の方ばかりになる。歯医者はこわい。・・そのうちに隣の奥歯が痛み出した。小さな虫歯がだんだん大きくなった。やばいこの歯は失いたくない。一度ずきんときて遂に観念した。・・会社のビルにある歯医者に予約した。え、これから3週間後?予約がいっぱいなんですよ。まったく。

・・歯医者にかかるのは何十年ぶりのことだろう。肉体は確実に衰える。歯は腐食する。・・職場にくる清掃の人など決まって歯がいくつも抜けている。あれは昔は医者にもいったがいつからか抜けたままにしてあるらしい。いろいろ簡単な訳がある。・・ずいぶん不便だろうな。

・・やっとでかけた歯医者は女医だった。美人。腕のいいという評判だ。・・折れたまま放っておくとバイキンがはいって根を痛めるらしい。レントゲンをとるとすこし黒くなっていた。で、こんなものもオゾンを使ってすぐ消毒できる。とりあえず治療して次回は手術して神経を切りますから。え、麻酔をかけて大手術なの?大変だ〜。・・でも、美人の女医さんがそういうと矢でも鉄砲でももってこいという気になる。ハイハイといって次回を予約する。

208秋魚:2008/05/14(水) 02:04:12
(無題)
・・また新しい温泉ができた。府中から多摩川をわたって稲城の丘陵にある。このあたり縄文の遺跡がかなりでている。鉄橋を渡ってゆくと木々の中に歌舞伎役者のような大きな鳥をみた。ゴイサギ?アオサギ?粗野な自然がまだ残っているな。このあたり。

・・17百m掘って出た温泉。東京の温泉はどこも似た感じの泉質。大昔の海の水だ。調布、府中あたりは褐色も濃い色だが、もっと山よりになると色がうすれ琥珀色になる。

・・「季の彩」というが、設備も整って料金も安い。岩盤浴も理髪店もある。・・できたばかりのとこは、なんとなくなじみが無く落ち着かないものだ。平日なのに人が多い。これは安いからだ。でも安いと客層も悪くなるものだが。温泉はある程度にぎやかなのがいい時もある。・・壷湯とかあって、ほかの温泉をよく研究しているな。ほんとにいいところは露天の石の組み方とかよく配慮されているものだ。・・小平のものはよくできている。ここはもちょっとだね。・・玉川の湯らくなんかも雰囲気がある。

・・きょう小平にいったがけっこう空いていた。あちこち温泉ができて客もばらけてくるのだろう。府中の高い温泉は悪くないが、客も少なくなるな。

・・現代人はみな疲れている。温泉くらいしか休めるところはない。生きていて極楽なのはつかの間の温泉だが、ごゆるりと時をおすごしくださいというサービスが受ける。

・・岩盤浴は春夏秋冬とある。おもしろい。

209秋魚:2008/05/28(水) 01:24:32
(無題)
・・ヒラリー対オバマも遂に決着がついたか。ほぼオバマの勝利は確実だがヒラリーは醜くあがいてまだ負けを認めない。あとはオバマの不慮の事故を期待してるかの発言もあった。おいおいよせよ。こんな了見のせまい意地汚いオバサンだとは思ってなかったぜい。あんなバカばかり言ってるからますます信頼はうすれていくばかり。どうみても一国の大統領にはなれはしない。・・これで本選挙はマケイン対オバマでいくだろう。しかしなんだな。民主党もだいぶやばくなった。これで白人票を一気にあつめたマケインが勝利でもしたら米国はまた泥沼だぜい。ブッシュのゾンビ伝説になる。・・オバマにぜひ勝ってもらわねば。

・・5月から6月の相場は新傾向か。ニューヨークは株があがる材料を無理やりつくってあげてる感じ。それでも無理がたたって下落基調になる。日本株の米国離れというのがあれば新傾向。兆しはある。年金基金の運用を債券から株の投資に切り替えた。国債はオイルマネーのドバイで買ってもらうとか。投信も日本株に照準をあわせる。これで外国人投資家が目を向けて日本買いをはじめればますますよい。独歩高もある。・・ま、そうはいかぬものだが。

・・あっちこっちに温泉がある。京セラのアミーバ経営とはこんなものか。先日のあたらしいのがなんか違和だがそれは新しいからだ。・・源泉がでてるかけ流しはいい。湯の流れる岩が苔をつけて流れるようになると様になってくる。人も落ち着かないのは温泉としてはよくない。客層もわるくなる。

・・美人の歯医者に神経をとってもらった。うまい。・・感謝。

210秋魚:2008/06/03(火) 17:24:28
(無題)
・・このところ歯の治療に余念が無い。神経をとる治療をはじめて経験した。おおかたの人はこの程度のことはみなやって知ってるらしい。麻酔というのもはじめてだがさほどこわいものでもない。華岡青洲はフロンティアでよくぞ開発したものだ。・・美人の女医さんがいて治療自体は美人であるのと関係ないがむしろ冷酷な美人だったら人の痛みも考えずバッサバッサと手術のしまくりになるかもしれない。さにあらずよく気転のきく美人さんだ。不快なことはひとつもない。・・神経治療の二回目はやや痛かった。とった神経が炎症を起していてふれるとずーんと来る。・・あ、痛、・・すみません、神経の端にふれました。前回は思わずうまいと誉めたがこんどはやたらと痛い。痛いのにずんずんやる残酷先生になっている。思うにあれはわざとやってるに違いない。しかしあまり悪い気もしない。美人先生に遊ばれてるようで気持ちがいい。・・歯は確実に治っていく。

・・日本風力開発。・・やっと株価をあげてきた。とりあえず利確。

211秋魚:2008/06/10(火) 01:27:11
(無題)
・・ペヨンジュンをヨン様と呼ぶらしい。知ってはいたがその呼び名はいただけない。でれでれして気持ちよくない。でも美男でもてるんだな。冬ソナはひたすらチェジウがよかった。清純な乙女でね。ヨン様みたいにただ美男というのもね。男だから。・・太王四神記のペヨンジュンはすばらしい。なぜかって?

・・韓流は冬ソナにはじまって冬ソナにつきる。冬ソナのあとになにかあるとすれば、何かあらねばならぬとすれば、ヨン様は思い悩んだだろう。・・冬ソナの衝撃、感情教育の最初の出会いのようなもの。これがすべてというのはたしか。しかし・・

・・太王四神記は半島の歴史と神話を語る。これがヨン様の深み。・・韓流の三角関係は一人の男をめぐる二人の女の愛だ。ああこれだきっと突破口は。・・ペヨンジュンの勘はさえてる。

・・多摩川のむこうの温泉にいった。川をわたるとき岸辺の風景を眺めていればよかった。またおおきなサギの姿をみとめられたかも。・・車内で冊子を読んでいた。失敗。

・・やっと湯が建物になじんで人もくたびれて温泉になじんできたのだろうか、時の流れもゆったりと体もなごんできた。・・ここの岩盤浴はすばらしい。春夏秋冬と四つある。

・・春夏秋は♪冬を待つ季節♪

・・クールダウンも必要か。

212秋魚:2008/06/18(水) 01:37:09
(無題)
・・歯の治療。やっと恐くなくなってきた。・・歯にかぎらずどこか悪いところがあって医者にみてもらうというのが苦手だ。事故ってひざを痛めたときも医者と対面したが複数の医者でみなものいいが異なる。こちらもただの病人ではないから相手の心理もすこしは読む。よい医者というのは確かにいるがそうでないのも確かにいる。いやな医者でもなんとかつきあおうとするのはこちらの悪い原因を知りたいからだ。・・現象の事実を明解に分析してゆくそういう医者はうれしかった。よくわからず誤魔化して商売をするのもけっこういるが。

・・歯医者は、美人でいい医者だ。ときどき進行状況でウソもいうけど、これは最近わかった。でも嫌味はない。

・・「髪結いの亭主」というフランス映画はおもしろい。・・ハハ

・・「美人歯医者の亭主」という映画を想像した。・・思い切り秋波を送ったりして、ハハ
マユミさんとマリナちゃんとヒロミちゃん3人合わせたひとりみたいでなつかしかった。ハハ  歯に衣をきせず話したいけど話せない。歯に赤い糸をむすんで治療してるんだね、きっと。

・・四神記のキハが好きだ。・・朱雀の守り人でね。・・キハの愛がもっとも強い。

・・源泉かけ流し。・・これが一番。

213秋魚:2008/06/25(水) 08:31:08
(無題)
・・スーパーで99円のとうもろこしを買った。世界的な穀物高騰でとうもろこしも食べられなくなった。どこも特売りはなくなって2、3割は値が上がってる。99円というのは安い。安ければよいというものではない。でも貴重なもの。・・果たして味は?

・・石油高騰も歯止めがきかぬ。これが一番の元凶。・・自分は車を使わないからまだいい。でもそういう問題でもない。・・サウジ、クウェートが原油増産を示唆しているが、下落にはなるまい。・・ドルが売られて世界的にも貨幣価値が落ちている。商品への投機が加熱する。エネルギーや穀物が軒並み高い。

・・日本はまだいいらしい。小麦やとうもろこしが少し高くなってるだけだ。アフリカなどでは食べるものがなくなってる。

・・ロシアはいま石油で潤ってる。アメリカの先物市場ではロシアの息がかかった投機が仕掛けられてるはずだ。

・・大下落。いつかくる。

214秋魚:2008/07/07(月) 12:01:53
(無題)
・・この頃いただきものが多い。アメリカ人からアーモンドチョコレートをたくさんもらった。広いアーモンド果樹園でミツバチが逃亡して消えてゆく。アーモンドはこうやっておみやげになる。・・イラン人からはピスタッチオとダーツ。ダーツはナツメヤシのこと。砂漠のオアシスにもよくある。これは思い出の味。・・エジプト人は夕食をごちそうするという。いえ、仕事ですからでも好意はありがとう。でも食べろという。ツナの缶詰はアラビア語が書かれている。これは日本にもよくある。エジプト産だと思うと味もかみしめたくなる。美味い。エジプトはGOODHEARTだという。ハハ。

・・機械室の同僚からはパンとメンチをもらった。食べきれないから食べてくれという。すべて断らないことにしている。レストランからはお弁当が2つあまったからといってもってくる。ぜんぜん空腹ではないがこれも断らない。・・機械室にもってゆく。

・・社長からは、飲みかけで悪いがといって大吟醸の美味い酒をもらった。社長ともなると酒のもらいものは腐るほどあるらしい。自分は飲まないから他人にふるまうのだそうだ。・・雇用人にのんべえは多いのにわたしにだけ特別いいのをよくくれる。以前ウイスキをくれたが自分はあまり好きでない。酒ならなんでもよろこぶというタイプではない。思い切って日本酒が好きだと注文をつけたら社長はさすがに気前がいい。極上のをいくらでもいただけそうだ。ハハ。・・家で飲みなさいということだったが、職場でこっそり飲んでみる。美味い!

・・アーモンドチョコレートはチョコがちょっぴりビターだね。たくさんある。

・・都心の駅でもよくお試し配布がある。あわただしいけどバニーガールみたいのがオロナミンCを配ってた。レモン11個分のビタミンCがあるんだとさ。・・電車を待ちながらさっと飲み干した。

・・いよいよ洞爺湖サミット。福田くんは支持率はそうとうなもんだが、よくやってると思うよ。・・きっとみんな昭和新山も見物するだろうね。

215秋魚:2008/07/08(火) 03:33:04
(無題)
・・雨降りになりそうなので電車で温泉にでかけた。玉川上水ぞいにある温泉は自然樹を配したおもしろ温泉。しばらくご無沙汰してる。・・電車の中で「日経ビジネス」を拾った。「資金黒洞」というアジアメディアの記事がある。黒洞とはブラックホールのこと。会社の金がCEOの黒洞へ吸い込まれて消えてゆくのだとさ。中国ではよくあるらしい。・・中国企業のイメージは地に落ちた。

・・リラクゼーションマッサージ無料お試し体験だと。5分間だけだがやってみた。肩を強烈にもんでくるが痛いだけだ。いえいえ腰がわるいのです。う、なるほどプロはうまい。ツボにくる。・・タダで申し訳ないからもういいです。ありがとう。・・あとすこし。ハイ、トントン。

・・きょうの温泉は洞爺湖の温泉。硫化塩泉。・・サミットがはじまって温泉も乙なことをやる。ハハ

・・あちこち温泉ができてどこも空きだした。でもここはあいかわらず混んでるな。・・昼間は人もすくないらしい。あの無料体験というのもひょっとして。閑古鳥かも。

・・ここはよくできてる。原油高騰で沸かし湯をやってるとこは採算もむずかしくなってるはず。天然で源泉かけ流しとかなら問題ない。・・あいかわらずよくできてる、が、基礎泉質がちょっと落ちてるかな。・・手入れがすこし手抜きかも。

・・ビールと茄子の一本漬けもあいかわらず。茄子はみごとな味がする。

・・もと力士のタイコ焼もあいかわらず。アンがとてもいい。

・・帰りに、駅の近くで忍者ソバというのを食べた。・・ただ、睡眠不足で、味覚がよくない。

・・ダテ公子もいってた。ぐっすりたっぷり睡眠をとるのが一番だと。

216秋魚:2008/07/16(水) 01:57:54
(無題)
・・住宅価格がどんどん落ちてる。ローンの返済不能で差し押さえも増えてる。ホームレスも増えてる。・・原油高騰ででくのぼうの自動車生産もいらなくなってきた。GMも破産するかもしれない。はやく電気自動車にきりかえねば。

・・米国の話だが、なんとも物騒なことだ。ファニーメイとフレディマックという政府系住宅ローンの最大手があぶないという。

>・・2社は政府系企業なので、破綻したら米政府に救済義務がある。2社を救済するため、米政府が国有化すべきだという意見が出ている。ブッシュ政権は今のところ、国有化を否定しているが、今後さらに状況が悪化すると、米政府は何らかの対応をせざるを得ない。状況は日に日に悪化している。2社は、合計で5兆ドルの債権債務を持っている。米政府の債務は9兆5000億ドルで、2社の債務はその半分以上に匹敵する巨額さだ。

・・米財務長官ポールソンやFRB議長バーナンキは、この政府系最大手は必ず救済するという。だが、弱小の地銀や投資銀行はいくつか破綻せざるをえない。金融界全般に悪影響がでないような処理方法をシステム化すべきともいう。つまり、地銀、投資銀行はいくつか潰れるということだよ。

・・いやはや、温泉が一番!

・・秋波を送る。・・美人の歯医者にウインク。受付の秘書にもウインク。

・・セクハラといって訴えられる世の中は食えない。・・秋波を送る。・・

217秋魚:2008/07/23(水) 01:56:41
(無題)
・・四神記がおもしろい。チェジウの果実はムンソリとイジアへ。イジアは新米の役者らしい。・・ペヨンジュンは男の中の男。インフレ不況と株安のイミョンバク政権下。ハイテクバブルでもスジを通す。ヨン様などと崇められてもいたくない。・・天武系古墳の高松塚とキトラに宿る四神。・・なんとしてもこの謎を解く。

・・マリアに秋波を送る。どうしたの、眠そうね。いえいえウインクですよ。求愛の表現です。鳥とかの動物がよくやるやつですよ。異国のあなたにもわかるボディ言語です。・・でもこれで相手にされないと気落ちしますか。いえ、しません。意思伝達はパーフェクトですから。実現しなくてもいいのです。肝心なのは求愛を告げることです。翡翠のようにすばやく。

・・マリアはブルガリア。ダイレクトに求愛すべきでしょう。琴欧州みたいな競争相手が多いけど。気立てはいい。豊満な乳房のみえる胸を流し目してもとても好意的だ。

・・イングランドのローラは若干つめたい。アングロサクソンのプライドが奥にある。ローラはエジプトにもやさしい。けど、イタリアに恋した。・・ウインクしたわけではない。

・・ウエールズの男子に、Will you marry? とか、まちがって言ったら。けっこう真剣な目でせまられた。いや、冗談ですよ。・・わたしでなく若い女の子をみつけてよ。

・・秋波を送る。

・・フレディマックとファニーメイ。爆弾の八月になるか。

218秋魚:2008/07/30(水) 02:15:45
(無題)
・・歯をいよいよつくる。白いセラミックの歯は保険がきかない。いや〜随分と高いもんだね。見えにくいところだし金属歯でいいです。アーモンドを食べたりイカを噛んだりできればいいです。・・しかしあんなプラスチックみたいなのがなんで高いかね。

・・歯医者は経済不況とは関係ない。これじゃ京セラはもうかるわけだ。セラミックの技術は微妙で模倣がむずかしいかもしれない。材料費はそれこそ二束三文だろう。

・・セラミック・・日本に伝わったセラミックのはじめは半島から渡来した工人が登り窯でつくった須恵器ではないかと推察。陶器の質と生産において画期的な飛躍をとげた。・・この登り窯様式をもすこし活用すればたたら式の鉄つくりにいたる。・・京セラの本然であるセラミックの価値は現世の経済不況とはもともと超絶してある。・・ゴールドマンサックスなどのアナリストがいつも見損なうのはそのあたりの底堅さ。

・・秋波を送る。・・なんてこんな暑いとやってられない。むこうから秋波を送ってきたのをねらい撃ち。受付嬢を口説くことにした。言葉はまずい。昔よくやったがきざな事をいうことになる。距離ができるだけだ。・・相手の手に指を伸ばした。そっと重ねて触れる。何の反応もない。・・もう一度ゆっくりと・・単に物質が触れるというのではない。思い切り思いをこめてやさしく。・・Love me tender・・

・・にっこり。・・反応あり。

・・四神記のスジニはすばらしい。・・酒のすきな女だ。白蛇をつけた酒をのむ。・・王子がひとりで自分を助けに来たのは、何かある。・・たしかに白朱雀だからね。スジニは。酒をのんで自問自答で酔っている。・・ああ、いい酔いだ。

・・手に触れた。今度はどうしよう。・・言葉はよくない。

・・いっしょに温泉にゆきたい。・・自転車に乗って・・

219秋魚:2008/08/12(火) 14:21:26
(無題)
・・GMの赤字決算がすごい。・・GMは1日発表した08年4〜6月期の最終損失が155億ドル(約1兆6600億円)と大幅赤字だった。大型車がまるで売れないという。もちろん燃費もわるいし原油高だ。大型車が売れないというのは日本のトヨタも同じこと。生産ラインはすでに止まっている。しかしトヨタはまだいい。2ケタの減収減益だが赤字などということは無い。GMやフォードは大赤字。自動車の時代はたしかに転機をむかえている。
CO2をださない電気自動車の開発がいそがれている。その電気も化石燃料でやれば同じこと。ソーラーパネル搭載の車もおめみえすることだろう。

・・節約をうたう。キューバ。自転車で動く。・・フランスでも自転車が再注目されている。自転車に乗ると糖尿病などにもいい。富士山の頂上まで自転車で上がることもできる。
・・自転車で天然温泉にもいける。自分の自転車はタイヤが磨り減ってきてあちこちガタがきている。そろそろ新車に代えねばならぬ。・・晩年はいい自転車で旅をしたい。徒歩旅行は青年の夢。

・・内芝正人はえらい。おやじの資格を証明した。ママでも金の谷亮子はちと欲が深いか。ママは育児のほかにそんな頑張ることはない。銅で最良のことだ。トヨタの時代が一転機でヤワラちゃんの時代も終った。後進に道をゆずるべきでしょう。

・・ドル安の金融破綻の日が近い。ニューヨークも東京も株は急落するだろう。

・・秋波は送らない。・・自転車で温泉にゆく。

220秋魚:2008/08/27(水) 03:21:49
(無題)
・・雨中の温泉行きをこころみた。電車で多摩川をわたってサギをみたいきもしたが、やめた。自転車で武蔵野の温泉にでかけた。タイヤが磨り減ってきてそろそろパンクしそう。小雨の中ふらふらとでかけた。

・・歯の治療はまだつづけている。あちこち小さな虫歯がある。美人の医者が次から次と治療しまくる。神経をとるのを嫌がったら、そのかわりけっこう残酷先生になってきた。神経ぎりぎりまでせめてくる。痛がるのはみっともないがこの際しかたない。あの先生はサドだね。ハハ

・・雨降り温泉はやはり空いていた。行く道が濡れて心細く悲惨なゆえ、到着した温泉のぬくもりは格別だ。・・大麻をやった力士がいたが、温泉のトリップも捨てたものではない。サウナの水風呂はほぼバプテスマだよ。

・・ぬれねずみになってしまった。濡れてしまいましたね。といって歓待してくれたレストランの女給もいる。ビールセットのツマミにこんにゃくの粕漬け、味噌漬けがでた。これは珍味でゆかい。・・これでぐっすり眠りがあれば食べ物もひとしおなのだが…

・・北京オリンピックが終った。はなばなしいイベント。中国はなんであんな元気なんだろう。・・有人ロケットさえも飛ばす中国。

・・花火がすきなのは、われわれと同じかも。

221秋魚:2008/09/03(水) 02:08:31
(無題)
・・多摩川をわたる。ここはアユがたくさんいるそうだ。木のこんもりした上にサギがいるのではないかと注意していた。が、ちょっとした隙に見過ごしてしまった。橋を自転車でわたるにはどうしたもんかと考え事をしていたのがまずかった。電車の中や温泉でいっしょにいたくない人と隣り合ったりしたときはどうしたもんか。なるべく近くにならないポジションをとる。人はどこでもいつでも思い思いの位置と姿勢をとるが、これはすべてオートマチックなことだろう。眼鏡をかけてちょいとずらしたり腰がいたくて足を組んだり若い女の子のやわらかな腰や胸の線を目で追ったり自分の欲望のようでもそれはすべてオートマチックといえる。上を向いて歩こうの坂本九が85年にジャンボ機にのりあわせたのもオートマチック、86年のマリリンを歌った本田美奈子が白血病で逝いたのも、ザードの坂井***が横顔のシルエットで行いたのもオートマチック。・・そもそもモンローウオークのマリリンの死も・・

・・日本縦断自転車ツーリングの人がいる。いかにして自転車にのめりこんだか。なにものかにのめりこんだ人は、えらい。柔道にのめりこんだ井上康生や、フィギュアの浅田真央、水泳の北島とか、短距離の朝原とか、みんなのめりこんでえらい。

・・自転車の時代がくる。温泉の時代はもう来ている。年をくったらネットもいいが自転車にのめりこむのがいい。

222秋魚:2008/09/07(日) 20:08:06
(無題)
・・頭のわるいマケイン。ベトナム戦争に従軍したというマケイン氏。彼のいわく「わたしは戦争の勝ち方を知っている」イラクでも断固戦うつもりだろう。ベトナム戦争はアメリカが負けた戦争だ。「わたしは戦争の負け方を知っている」彼はこういうべきだろう。スピーチは幻術だ。「わたしは選挙の勝ち方を知っている」マケイン氏の聴衆心理操作は幼稚だ。「戦争は勝つべきものだ」「選挙は勝つべきものだ」「・・わたしは勝ち方を知っている」・・おろかなことだ。ベトナムでUSは負けた。・・マケイン氏が目先の敵をやっつけたとしてもアメリカという国が大きく負ければマケイン氏も負けだ。マケインは従軍したベトナム戦争の総括も間違えている。なんと愚かな大統領候補!

・・海底油田を掘るとかいってるが、その先原油価格は大下落をはじめている。化石燃料は流行らないのだよ。GMの小型車転換なんかも泥縄の感あり。太陽電池や風力発電、車は電気自動車がもうすぐだ。

・・オバマ氏、がんばれ!

・・あいかわらず歯の治療だ。受付の歯科衛生士は意外とボディラインがよいのがわかった。胸の線、腰の線がわるくない。・・えっ、歯の治療と関係ない?

・・でも、関係あるだろう。

223秋魚:2008/09/08(月) 00:21:17
(無題)
・・Bluesをきく。ituneのラジオできいている。ハハ、ブルースが何かもわからない。株ばかりやるのはよくない。若い女の子とメイクラブでもしようか。

・・歴史に名を残す株の大下落があるかもしれない。すべて手仕舞った

・・若い子はおじさんには興味がない。秋波を送ってみた。かりに30も年の開きがあったらどうだろう。ディズニイランドへいったりジェットコースターに乗ったりとてもできるもんじゃない。もし秋波が帰ってきたらおじさんをからかっているんだ。真剣になるとめいわくなことだ。きっと。

・・お笑いのタケシは詩人の才がある。「股の下のポニョ」「前方後円墳」はよくできた。

・・一度目は失敗だが、二度目は罪になる。・・若い女の子の手を触れたが、二度目は無い。二度目はチカンかセクハラとしてののしられるだろう。

・・四神記はおもしろい。ペヨンジュンの演ずるタムドクは談徳で好太王のことだ。国家統一へ、アメリカの大統領選がこの秋一番におもしろい。マケインとオバマ。・・オバマでなければならない。

・・春夏秋冬の岩盤浴サウナにこってる。上場一部の会社が発案したそうだが、うまくできてる。松果腺や前立腺をよくするようだ。

・・回春を工夫すれば、若い女の子とメイクラブすることもできる。

224秋魚:2008/09/18(木) 11:49:20
(無題)
・・タンザニアから来たのです。ああ、アフリカですね。そうです、キリマンジャロのある国です。でもわたしはザンジバルから来ました。小さなきれいな島です。

・・そういえばザンジバルは聞いた名だ。たしか詩人のランボーがやって来ている。いまは観光の島になっているらしい。日本人もおおい。・・砂浜もいいが、港はいろいろモノが集まってきそうだ。いろいろな人種とモノの交換。・・島に住むものの瞳は輝いている。

・・キリマンジャロにはどんな意味があるのですか?そうですね。地名ですけど。・・キリマは急な斜面、切り立った崖の意味でしょうか。ジャロは地域を意味します。スワヒリ語です。・・麓には河も流れている。

・・いってみたい。more infomationはGooglesearchで・・

・・リーマンブラザース倒産!9月14日は「血の日曜日」ということになった。サブプライムの病巣を切り取りにかかった。かつてない金融危機でクレジットデフォルトスワップが蔓延するだろう。経済の自爆テロといえる。皮肉な「血の日曜日」・・すごいことになった。清算の連鎖で津浪は日本にもやって来る。・・安息の日に血をみる。

・・源泉かけ流し。最初の基準からやりなおしになるはず。

225秋魚:2008/09/24(水) 02:28:58
(無題)
・・タイのバンコックではあまりよい思い出がない。宿をとろうとしてチャイナ風のホテルをたずねたが目つきの悪い男がごろごろいてすげなく断わられたことがある。宿がつめたいのは満室だからというのが理由でふつうは少しでも余分があるとなんとか押し込もうとするものだ。あれはおそらくマフィアかなんかの溜まり場だったのだろう。場違いなとこに来たものだった・・その後うろうろして宿をさがしてあるいたがどうもみつからない。けっきょくラブホテルのようなところにころがりこんだことがある。・・しかしとても眠れたものじゃない。・・華僑の女は働き者でしなやかにやせているからとても好きだが、むこうは気に入らないようだ。ヨーロッパでは相性がなかった。どこにいっても同じかも。

・・アラブ人はいい。ただしアラブの女とはほとんど付き合えない。アラブ系でグッドハートなのは目に親しみがある。ラマダンのお祈りだといってコーランを読む。ほとんど暗記しているようだしまあ熱心なことだ。ユーモラスでね。

・・アラブ人と中国人の違いを思う。中国人がぎすぎすして愛想が無いのはきっと無宗教だからではないか。孟子や孔子の徳がすっかり外れてしまってどうもゆとりがない。アッラーの神もキリストもいない。・・アラブの神はおそらく古代ヤマトの八百万の神と同じものだろう。アラブ人はおもしろい。

・・すごいことになった。ブッシュはフーバー大統領になるやもしれぬ。そうおどされて米国の不良債券の買取を決意した。・・大恐慌になるやもしれぬ。

・・日本の失われた十年。それを大きくシミュレートする米国。モルガンスタンレーを三菱UFJが買収し野村ホールディングがリーマンを買収し、こんどは遅れてきた日本が先に立つ。

・・すごいことになる。

226秋魚:2008/10/01(水) 01:55:56
(無題)
・・これでマケインの大統領の腺は消えた。かれは今度の金融危機のこれっぽちも分ってない。マケインが大統領になるとアメリカは滅茶苦茶になる。

・・アメリカはドルを大量に印刷しているだけだ。財政赤字というのもドル紙幣がバーチャルに流動しているだけだからある意味で実体がない。貨幣が多く出回るとモノが貴重になる。インフレになる。・・各貨幣の相対価値を崩さないために円や元、ユーロもたくさん出回り、モノはますます価格があがる。・・モノという実体に対するバーチャルな価値が肥大して市場は混乱し株という虚構も見透かされてくる。

・・7000億ドルという公的資金ははつまり米国民の税金ではない。工場で作ったただの紙切れだ。

・・オバマが大統領になると、オバマは大変だ。ブッシュがやった数々の失政をどうやっても挽回してやらねばならない。

・・軍事費を大幅に減らすことだね。



・・中国では昔から「水を治むる者は天下を治む」といわれた。ずっと昔は河の氾濫などの制御だが、始皇帝などが運河をつくったのはもっぱら交通の便であったらしい。・・その後一般には南部で豊潤な水を北部の枯れた土地にいかに調達するかというのが近代までの悩み。

・・工業都市エリアの水処理は、川の近くであっても、充分に配慮したほうがいい。・・海に接するエリアで淡水資源のないところでも、海水の淡水化を行えば、水資源の川依存をある程度おさえられる。

・・水処理を勧める。海水の淡水化は、中東の湾岸六カ国での生活や工業用水の約8割をまかなっている。

・・これは中国ではあまり需要がないかもしれぬ。山東省あたりで実験的に開発されるとよい。(いや強く勧める)

・・淡水化のほかに下水や汚水の処理で工業用水をつくるというのもある。こちらも東レなどの優秀なスクリーンを使えばたいへんにうまくゆく。



・・温泉のカットサロンで髪を切ってもらった。小粋なお姉さんがさっさと手際よくやった。うまい。・・美人の歯医者さんもこまかな仕事がうまい。

・・幸せな日々だ。

・・このあたりの技術はそう簡単には盗めない。

227秋魚:2008/10/13(月) 14:09:10
(無題)
・・今回の金融危機でブッシュの汚名はアメリカの歴史にしかと刻まれる。サブプライム破綻とそれに続く金融危機は共和党政権の失政だというオバマの主張は短期的には正しい。あまりにも重い負の遺産をマケインは甘く見ている。火に油をそそぐのはマケインだ。マケインは器ではない。・・オバマが大統領になる。

・・アメリカは自動車会社は大幅に縮小する。余分な資産、デトロイトのGM本社ビルなどは中国にくれてやれ。サウジアラビアあたりがオイルマネーで買いに来たら大変なことになる。ありうるかもしれぬが。・・オバマは各国の侵略戦争を中止し大幅に軍事費をちぢめることだ。これを膨れ上がる金融危機の損失穴埋めに使う。・・大恐慌後のルーズベルトがやったような新ニューディール政策で地球温暖化防止のための大規模国家事業をすすめる。失業者はそこで吸収する。太陽光発電、風力発電、水資源のインフラ整理、ゴミ処理と資源リサイクル・・いろいろある。ただし原発はやめたほうがいい。核は必ず階級格差をもつ。もつものもたざるものという格差を。・・ホームレスや失業者は白人もヒスパニックも黒人もでかせぎチャイナも同じ労働条件で汗ドロになっていっしょに働く。アメリカが生き延びるのはもはやこれしかない。

・・製造業の優秀な部分。ボーイング社の航空産業や宇宙開発はなんとか継続すべきだろう。

・・ともかく軍事費を減らすことだ。

・・日本の失われた10年。公的資金の無際限導入とゼロ金利。・・インフレにならずデフレになったのはバブル崩壊と金融危機のエリアを自国のせまいエリアに閉ざしたからだ。・・円を大増発したのでなくわれわれの血税であがなったからだ。

・・今回の世界金融危機はかっての日本のそれと同じ物ではない。不良債権の買い上げや公的資金の資本注入には底なしで無理があるかもしれない。マクロに連鎖する危機・・

・・アメリカは思い余ってドルの大大増刷をするかもしれない。ドルを生きながらえさせる為に。

228市民:2008/10/13(月) 15:48:37
米国ではなくヨーロッパが危ない
http://mofa9.hp.infoseek.co.jp/02/2/15.html

日本では世界大恐慌は米国発と教科書に書いてあるが、これは誤りだ。

世界恐慌の始まりは1931年5月11日のオーストリアの大銀行
クレジットアンシュタルトの破綻であるとされる。

日本では、またもや米国発の金融危機とささやかれるが、これは歴史
の歪曲の繰り返しだ。今回も、アイスランドが国家的破産状態だ。

世界大恐慌のあと、日本の経済は飛躍的に成長し、数年で35%経済は
成長した。一方、米国は第二次世界大戦まで経済は停滞した。
日本の原動力は満州だった。今回は、北朝鮮を原動力にする計画のようだ。

真珠湾攻撃は、この余勢を駆って出たものだ。

最近の動静を見ると、日本の計画は着々と進んでいる。政府が混乱
しているのは、米国を油断させるためと見るべきだ。

229秋魚:2008/10/21(火) 17:26:16
(無題)
・・なんてたってすごい。ローン破綻の嵐になる。

>・・米では現在300万件のサブプライム住宅ローン契約があるが、そのうちの3割は2006年に契約された変動金利型で、今後1年間に金利が、ローン初期の比較的低い時期(9%弱)から、高金利(15%台)の時期に入る。借り手は皆、金利高騰の前に転売して儲けるつもりだったが、今の住宅相場下落時には転売できない。貧乏なサブプライムの人々のほとんどは、15%の高金利を払えず、今後の1年間で100万件のローン破綻が出ると予測されている。一件あたりのローン額は平均18万ドルだから、総額1800億ドルの不良債権の増大となる

・・サブプライム住宅ローン債券を小間切れにしていろいろな別の債券にまぜた。世界中に出回っているから知らぬ間に腐った債券を持たされているかも知れない。・・スイスのUBSが巨額の損失をだした。アメリカが逡巡してるあいだに即座に公的資金を注入した。・・フランスでもイギリスでも・・イタリアのある銀行はリビアに買収されたとかきく。

・・アイスランドは国家の財政を越える負債になって国がつぶれるかもしれない。ロシアがユーロを供出して助けたがただではない。国が半分身売りされたようなものだ。

・・資本主義はもう末期癌か。

・・大きな世界史の節目にあるようだ。

230秋魚:2008/10/25(土) 14:23:33
(無題)
>・・最近の動静を見ると、日本の計画は着々と進んでいる。政府が混乱しているのは、米国を油断させるためと見るべきだ。

・・ リーマンの野村Hによる買収や三菱UFJのMスタンレーの買収などみてるとそんな気配がなくもない。・・当今の円の急騰もM&Aのチャンスとみるむきもある。

・・にしても、レバレッジ型金融システムが崩壊してその残骸を拾ったにしても以前のシステムは機能しまい。・・真珠湾攻撃のようなことをやってもしっぺ返しが来るだけだよ。

・・日本円が買われるなら、次に日本株が買われるのが筋と思うが…

231秋魚:2008/11/11(火) 01:28:27
(無題)
・・オバマ新大統領!やったね。・・これでこの数年間のわが人生も報われる。・・アメリカ史上最悪の大統領ブッシュはイラクのフセインとシャム双生児で一方が地獄なら他方も地獄に落ちる。ハリケーンカトリーナがミシシッピを襲ったときも何もできなかった。黒人ジャズのミシシッピを見捨てていた。

・・オバマならミシシッピの護岸工事で雇用を作るだろう。GMの失業者、ウオール街の失業者は泥汗になって日銭を稼ぐことだ。

・・もしオバマが凶弾に倒れることがあったらアメリカは最悪最低の国になる。オバマを守れ。

・・しかし先日みたテニスの国際試合はAIGがスポンサーになってた。優勝賞金がウン千万とかいろいろお金がかかる。大丈夫かいな。AIGは損失数千億円とかやってないか。そんなスポンサーなんてやってられないはず。トヨタだって一兆円の減益だとか、もうスポーツの大会も開けなくなるんじゃないか。

・・ああ、いやな年だ。ほんとに世界恐慌になる。

・・それにしてもオバマの家族はすばらしい。ミシェル夫人とか。・・彼ら見てるとほんとに元気が出る。

232秋魚:2008/12/14(日) 13:32:22
(無題)
・・いきなり大不況。来年が底になるか。予測されてはいたがこんな急だとはね。リストラ、リストラの嵐になるか。・・大津波ということらしい。

・・自動車が売れなくなっている。それは米国のビッグ3に限ったことではない。トヨタも危ない。下期は赤字転落だという。・・原油価格が落ちているのにね。・・ああ、自転車が丁度いい。電動自転車というのも出ているがギア付き自転車でいい。いい運動になる。速度もそんな早くする必要は無い。・・自転車がいい。いい空気を吸える。

・・大企業がこんなに景気が悪くなるとスポーツなんかもスポンサーがつかなくなって流行らなくなるのではないか。野球の上原なんかもFA宣言してメジャーをめざすはいいが金融危機を気にしていたし。ゴルフなんかもどういうことになるか。伊藤園なんかは底堅くがんばるだろうけど。テニスのAIGなんて来年はもうないはず。・・アサダマオのフィギュアスケートはどうか。

・・それにしても今回のグランプリファイナルはすごい。アサダとキムヨナがぞっとするほど頂点に上り詰めている。普通に滑べればショ−トは「死の舞踏」を選んだキムヨナが強い。アサダの「月の光」は選曲ミスかもしれぬ。フランス大会で「月の光」は付きすぎ。

・・フリーの仮面舞踏会はいい。トリプルアクセル2つとスピンで勝った。・・東洋のスケーターが頂点を競うのは、金融危機の真っ只中。・・このスポンサーも金欠になるほどの大不況かもね。

・・フィギュアはいいが、野球選手はもう何億も契約しても不良債権になる時代が必ず来る。賃金カットの時代になる。

・・自動車より自転車。ガソリン無しで地球温暖化も防げる。糖尿病も防ぐ。

・・自転車と温泉が一番!

233秋魚:2009/01/01(木) 13:39:41
(無題)
・・やれやれ、やっと年を越えた。菊水の四段仕込みはけっこう美味い。本郷焼の猪口でいっぱいいっぱい又いっぱい。かたくちいわしのたつくりとかけっこういける。マイタケと玉子とホウレンソウでおすまし風雑煮をつくった。モチはもうちょっと美味くてもよかった。田舎から送られてこぬものか。

・・この夏の北京オリンピック。開会式の演出にはだれもが驚いていた。・・あれはレッドクリフなどを作った映画監督がやったものだ。ラバーズとか派手な演出もする。・・花火を手がけたのは蔡国強。・・昔から火薬をつかったアートを数々展開していた。福生の多摩川の川べりでやったパフォーマンスは自分もみたことがある。本人とも話したことがあるが、オリンピックとは、大きくなったものだ。・・北京以降は世界的金融危機になってしまったが。

・・GMは倒産したほうがいいだろう。トヨタの社員の2倍ももらってるなんて賃金カットをすべきだろうのに労組が屈しない。オバマは労組に支援されたからGMをつぶすことはできない。オバマは国の財政から巨額の融資でGMを救うだろう。GM付属の保険ローンの会社を普通銀行にチェンジした。ここに政府も公的資金を注入できる。FRBも資金注入できる。・・でも、無駄だね。GMは潰したほうがいい。

・・ゼロ金利でドルがFRBからじゃぶじゃぶと流れまくるだろう。日本の円も金利を下げた。日銀は円を大量に刷ってじゃぶじゃぶと市場に流さねばならない。円高を防ぐために。ユーロも同様に。・・要するに通貨が世界中でじゃぶじゃぶになる。

・・これって本来ならハイパーインフレになるんだろうけど、目下はデフレが進行しそうだね。

・・今年も激動の年になりそうだ。

234秋魚:2009/01/05(月) 23:32:43
(無題)
・・ゆかいゆかい、道に迷った。・・三段ギアの自転車で多摩川のむこうの温泉にでかけた。甲州街道の裏道から東京競馬場、サントリーのビール工場、多摩川競艇やもっと堤沿いに足を伸ばして京王閣ケイリンまで昔はよくいった。甲州街道を横切って多摩川の土堤までは迷路のごとくだが確実にいけるルートを熟知してるつもりだった。・・だが8,9年もたつと道路感が狂っている。新しい道が開けたとかの変化もあろう。途中から訳がわからなくなった。・・それでも府中本町の駅に出て犬を連れたオバサンに道をたずねた。まっすぐ行ってビール工場を右手にそのままいけば川に出ます、ということだった。なるほど、ここまで来るとすぐに大きな橋があった。そうだここを渡ればいい。

・・意外と簡単に橋を渡れた。渡るとすぐに駅がある。温泉も近い。・・なんだ一時間もかからない。

・・いくつか登りの坂もありギアをたくみに切り替えて土手の上ではギアを重くしてこんな爽快なことはない。

・・春、夏の岩盤浴を、秋が混んでいたのできょうはさっさと切り上げてレストランで食事をする。サバの味噌煮がとても美味い。

・・帰りの道は迷った。ビール工場より先に行ったのがまずかった。公園の裏を大きく迂回してわからなくなりコンビニから出てきた高校生に道をたずねた。こうしてこうしていけますよ。でも遠いいな。ありがとう。とても親切ですね。わかものは。でもそれでいくとますますわからなくなりついにNECの裏手の交番でまた道を聞いた。こうやってああうあって坂を上ると甲州街道です。どうもありがとう。おまわりさんは良く知っている。道はまっくらでこの世のものとも思われぬ暗がりを自転車だけが頼りでなんとか坂をのぼって見知った場所にでた。

・・ゆかいゆかい、道に迷って、無事帰ってきた。

235秋魚:2009/01/14(水) 00:37:08
(無題)
・・この冬一番の寒さとか。そんなの関係ねえ。自転車で川向こうの温泉に行く。そうだ、遊歩道があるはず。すこしづつ記憶が蘇る。ああ南武線沿いに行ってプールのある段丘を下りるとNECがある。・・と、昔の仕事仲間T氏に会う。道路工事の交通警備をやってるんだ。生まれもいいしギタリストだと聞いている。伊豆の方で源氏の流れだとか。へえまだこの辺にいたんだ。ゆっくり話もしたかったが、むこうも仕事中。こっちもはやく温泉に行きたい。原基だよ〜またね〜ということで3段ギアで軽快に、また川の土手にやってきた。・・これまさ橋というらしい。あの大きな橋は。橋の入り口で写真をとってるひとがいる。西の空に夕日と影富士がきれいだ。寒いからね。・・でもそんなの関係ねえ。

・・自転車はエネルギーを燃す。最後の温泉までの坂道は歩かないと無理か。ギアを軽くしてこぐとなんとかいく。都心では味わえないすごい労働。息もはげしく体も熱い。血の巡りが活発になる。週一くらいはこれくらいやらないとね。・・

・・これで温泉。岩盤浴はおもいきり気持ちがいい。いつもより汗がでる。・・春は黄砂の間。石のあたりが調節でゆく。・・夏は溶岩の間。ああ熱い。でもこれでなくちゃ。・・冬はクーリングルーム。けっこう気に入ってる。若い女の子が入ってきた・・もっとも人気があるのは秋の間。・・ほどよい温かさで睡眠がとれる。時間さえあれば一日中いて飽きないかも。・・若い女の子が多い。平日なのにね。

・・ここもようやく穴場として認識されたか。

・・サバ味噌煮定食は絶品!・・むこうの席で若い女の子がタバコを吸っていたのは、いただけない。・・不況なのにみんな景気よさそう。

・・帰りの道は、もう人っ子一人みあたらない遊歩道を風を切って走ってきた。・・寒いが
耳宛のある帽子もあるし、そんなの関係ねえ。・・

・・血が燃えて、あったかいほどだ。

236秋魚:2009/01/28(水) 01:13:48
(無題)
・・メキシコ産のかぼちゃは悪くないが北海道産の方がはるかに美味い。オマーン産のインゲンは辛うじてインゲン。・・広島産のレモンはカリフォルニアのものより味が濃い。・・中国産は近頃は何もいただいていない。

・・キューバ産のものは何故入ってこないんだろう。いいものがありそうだが。・・キューバといえば、革命のあとゲバラが日本に来たらしい。サトウキビの売り込みで交易をのぞんでいた。・・その際、ふと思い立って広島にやってきた。原爆投下の跡地を訪れたかったという。さすが、ゲバラ。

・・キューバの教科書には日本の原爆の記事が載っている。すべてゲバラの計らいだ。・・ヤクルトの乳酸菌はキューバに需要があった。ヤクルトレディで雇用にすこしは貢献できたかも。・・キューバのもので何かいいものはないか。なにかあるはず。

・・米国は新エネルギー産業の創出がカギだ。金融、自動車、小売そしてIT。金融とITが結びついたバブルのあとに新エネルギーとITが接近する。

・・オバマ氏の目玉はここだ。アメリカは消去法でオバマを選んだとしてもオバマの他にオバマはいない。

・・かわいいハーフに会った。3年以内にブレークするだろう。

237秋魚:2009/02/11(水) 02:06:49
(無題)
・・ファンジニがおもしろい。・・碧水深海流…明月浮山照…・・ミョンゴルとは明月のことか。技芸、朝鮮舞踊の名手である。また詩も作る。

・・ファンジニがおもしろい。・・テレビの前で釘付けになって一歩も動けず。・・今帰仁に咲く緋寒桜と琉球舞踊も感動的な絵だったが、こちらはドラマ。人の演技とコトバが訴える。目の演技がうまい。

・・心と技芸。技芸と権力。心と権力。・・心を奪うというのがメインテーマか。

・・剣の舞と鶴の舞。・・群舞と独舞。

・・ミョンゴルとは、明月のことか。

238秋魚:2009/02/10(火) 16:33:20
(無題)
・・ファンジニがおもしろい。この原作者はたぶんヴァレリーを読んでいる。まったくよくできた台詞まわし。知と詩と技芸の凝縮されたドラマがひきつける。韓流という「冬サナ」などもまだまだるい。

・・「太王四神記」はすばらしい権力と戦争のドラマ。みえざる愛のドラマ。

・・ファンジニがおもしろい。

・・ミョンウォルとは明月のこと。・・明月とは、ミョンウォルか。

239秋魚:2009/02/11(水) 03:39:21
(無題)
・・やはりファンジニの好きなスイスの彼女からラクアの温泉チケットをもらった。近くにいてなかなかいく機会がなかった。一時はラクアの一人勝ちといわれるほど人気だった。ごちゃごちゃ混んでいそうでいく気がしなかった。・・温泉フリークなら一度はいってみたい。お台場の大江戸温泉物語はまったく期待はずれだったから、なかなか人気どころはね。

・・ここ招待券なら行かずばなるまい。・・なるほどオシャレで洗練されてはいる。受付で説明を受けるが、はて最初はどこに行けばよいのでしょう。ああこの階のまっすぐいって理髪店の横ですね、わかりました。・・ほー、高いのにけっこう混んでる。ambientの空間がそこそこですな。いろいろあるのをぐるぐるまわってもう少し落ち着きたいがそうもいかぬ。すこしでも違和を感じる客がきたらその場を離れることにする。

・・レストランでビールを飲む。鮪と山芋のユバ巻きというのを注文する。逸品だというが、やすい材料でつくってある。ほとんどネギの塊りみたいだった。コラーゲンたっぷりの牛スジの煮込みというのは美味い。よくできてる。

・・焼け石にヒノキの香油をぶっかけて熱い蒸気のサウナにはいった。おお熱い。・・これはたまらぬ。ちょっと逃げてなんとか体験するも、終ってみればいいものだった。オーストラリアの山火事でたくさん人が死んだらしい。・・そうだこうやってわざと熱くして都会人もひまなことをやってる。・・ヒノキのアロマは帰りの電車の中まで匂っていいものだ。階段を二段づつ上がるのがなんとも身の軽いこと。うれしくなる。

・・お気に入りの歯科衛生士に歯をみてもらう。歯ぐきのポケットに定規をいれておお痛い。無理やり血を流したな。こうやってわざわざ悪いところをつくるつもりだ。下手糞な子だね。まだまだ経験が足りない。・・実験台だな、これは。

・・幕末の頃、長崎のグラバーはフリーメイソンだという。坂本竜馬もまた。そんなテレビをみた。コンパスに定規の紋章はフリーメイソンの印。・・ナポレオンやワシントンもフリーメイソン。・・そういえばモーツアルトもそうだ。

・・坂本竜馬もフリーメイソンとはね。・・リラクゼイションルームは悪くない。

240秋魚:2009/03/04(水) 01:06:07
(無題)
・・ファンジニがおもしろい。週一回の楽しみだがそろそろ終局か。・・ミョンウォルはついに師匠の死をむかえる。鶴の舞は未完のままに。あるいは死の舞踊というのが思われていたか。・・

・・ファンジニがおもしろいのは、いま聞いているRFI、radiofranceinternationalに似ている。国境を越えたノスタルジーだ。意味のとりづらいフランス語。時代遅れの音楽。最新のオバマのニュース。金融危機。

・・ミョンウォルが生きている。これは素晴らしいことだ。朝鮮の古代王朝、ヤマトならさしずめ平安王朝の源氏物語の世界か。外敵のいない(見えない)世界。・・先の四神記とは違う。

・・忙しくばかり労働してはまずい。ノスタルジーの時間をつくらねば。・・英訳の万葉集を持ち歩いているがこれもうまくない。時間がすぐに寸断されるのだ。・・ミッシェルトルニエ「フライデーあるいは太平洋の冥界」これはどうか。・・オバマというフライデーは一考に価する。・・ロビンソンとは各自のこと。

・・歯科衛生士に歯石をとってもらった。頭に血が逆流するくらい倒されてくちゅくちゅと口内をいじられるのはなんか卑猥な想像をよぶ。・・ああ変な快楽がある。・・まずい。感じているのが、すこし離れた鋭い歯科医にも空気でつたわるようだ。勃ちかけた…

・・新米の衛生士は患者のなめらかな反応をすべて気づいていない。時に彼女の思いのままに取り扱われる。・・下手だというのはすぐわかる。

・・ただし、性交のようにオペレーションを行うのは、目つきもぐっと妖しく張って、わるくはない。

241秋魚:2009/03/09(月) 01:33:02
(無題)
・・悪い空気だ。タバコ吸うなよな。自転車にのりながらタバコを吸うやつがいる。駅から降りて歩きながらやる奴もいる。だいたい仕事場はタバコの煙だらけだ。・・上司が肺に穴があいて心臓に来た。・・心筋梗塞で入院したからすこしは懲りただろう。タバコ吸うなよな。

・・ザンビアから来た若者は眼がきらきらしてる。ザンビアとジンバブエの国境にある広大な滝。テレビで見たがああまったくすごい。人間世界はしょぼい。ラジオフランスインターナショナルは小気味よい。アフリカへ渡ったフランス語が聞ける。音楽もある。アフロ。・・浅田マオの犬でなかったか?

・・ファンジニがおもしろい。途切れた心。ついに舞を舞えなくなった。鶴の舞。気がふれる、魂が触れる。・・断崖絶壁に立つミョンゴル。ああ沫紫のなんて美しい風景なんだ。吸い込まれるような空気の谷だ。エア…

・・雪の夜道を自転車で帰る。・・息が白いが、見えない。呼吸の音だけが聞こえる。ハー、ハー。・・肺に冷気が満ちて、たちまち熱くなる。なにかが交換された。市場みたいなものだ。生産と消費の交換接点がある。そうだ市場にちがいない。

・・上村愛子のエア…

・・ああ悪い空気は、断罪して歩く。タバコ吸うなよな。

242秋魚:2009/03/25(水) 01:48:24
(無題)
・・都心のラクアから多摩川のほとりまで。電車と自転車で移動する。・・しかし一日の大半は空気が悪い。クサイ煙草をふかすのが当たり前の流儀と信じきってる世代は始末がわるい。・・自転車で40分乗って多摩川をわたる。呼気吸気の小気味よさったらない。

・・秋の岩盤浴でうとうと眠る。そうだ眠りを解放せねばならない。いつも時間に追われるのは眠りが負けているからだ。・・ambientの隔離と幽閉。

・・髪を切ってもらう。・・さっぱりする。・・WBCという決勝があったらしい。巷の話題はこれ一色。株の売買が膠着するのも野球のおかげらしい。

・・ファンジニがおもしろい。・・男の身が八つ裂きになるほどの苦痛があって、一方でミョンヲルの芸が至極をのぼりつめる。・・自分の流儀がある。

・・姪が亡くなった。もう何十年も会ってなかった兄の家まで出かけた。・・途中ドトールで霊前の供えものに筆ペンで名前を書いた。・・姪が亡くなったのは、自殺らしい。

・・生きたいのに生きられない。自殺。・・生きたくなくなったから、自殺するのだろう。ほんとうに生きたかったら自殺はしない。普通はゴキブリのようになってでも生きている。

・・生きたくなくなるというのは、ほんとに哀しい。

・・フィッシャーテリアという犬が初対面にもかかわらず尻尾をふって迎えてくれた。犬にはよく吠えられるが、こいつは喜んでくれてるようだ。

・・甥とその嫁さんと8カ月になる赤ん坊も初対面だった。・・結婚式にもいかず誠に申し訳ありませんでした。。・・深く頭を下げる。

・・でも、ほんとに真ん丸い素敵な赤ちゃんですね。

243秋魚:2009/03/28(土) 13:16:44
(無題)
・・眠りが足りないと、味覚も落ちる。・・スイスの彼女から新鮮な菜花と栗入りのどら焼をもらった。どら焼は24時間勤務の講習先で仕事にがんばるように、菜花は家に帰っておひたしにでもして酒のつまみにでもどうぞということだった。・・彼女はリッチでもまず料理はやらない。気の利くのは育ちがいいからだ。菜花は埼玉の農家からのもらいものだそうだがほんとに新鮮なのをたくさんくれた。一般に日本人は外人に対してすこぶる気前がいい。一番いいところをたくさん与える。・・うちの社長ときたら酒をやるとかいって最初はどこにでもあるあまり物がきた。もらいものだから文句はいわないが、人の評価はしっぺがえしになるものだ。もっとも2度目はもっとめずらしい良いものをくれたけど。・・スイスの彼女はこちらから与えるものはほとんどないが次々とよいものを与えてくれる。スイス製の万能ナイフなど有名なものだがおみやげにもらったこともある。・・あまりに鋭利で使い損ねて血を流したこともある。

・・どら焼は疲れて眠りが足りないと、味がわからない。今朝残りを食べたが美味いものだった。

・・夜は小平の温泉にいった。ここは客層がいい。ひさしぶりに日常のルーティンをくずして長くいることにした。・・レストランでゴボウ天うどんを注文したが、ひどく美味い。ごぼうを太くたてに切ってからっと油で揚げる。いい油も使っているのが、よくわかる。うどんもまずまず。眠りが足りないわりには味覚もさえる。これは料理がたいへんよいということだ。

・・きょうは客がすくないということもあったかも。料理は総じて丁寧につくってあり、客あしらいも愛想がよい。

・・日常のルーティンを変えたのは、旅にでもでた気分になる。

・・家に帰ったら、ぐっすり眠れるのは、まちがいない。

244秋魚:2009/04/01(水) 01:33:10
(無題)
・・ファンジニは何たってすごい。キンセンというのは舞妓、芸者のことか。舞を舞い、琴や三味線をひく。歌を歌ったりする。ヤマトの昔の王朝の女なら歌を詠んだ。

・・ファンジニは漢詩を詠む。いつも即興で詠む。ミョンウォル、明月を比喩とするも完璧に知悉する。・・知音とも。

・・ファンジニはオリジナルで勝負する。コピーは嘲りの対象になる。

・・完璧の舞、永遠の舞をもとめて。

・・市場にでて舞を舞うのは、パリでも見かける。・・大道芸人は東京にもいる。投げ銭いれを置くが一銭も稼げぬ。・・最後はやはり市場だ。生産と消費が交換される。・・キンセンンの顔がものめずらしくても仮面をつければ誰も相手にしない。・・舞妓の舞の価値は所詮そんなところだ。

・・ミョンウォルは労働をしる。労働から生まれる舞をしる。・・それが永遠の舞だ。



・・原動機付き二輪車の開発で出発したホンダは、いま小型ジェット機の開発が佳境だという。エンジンを追究してゆくと空のジェット機がみえてくる。・・自動車のエンジンはおそらくモーターにとって変わられるだろう。ホンダのハイブリッド車インサイトは好調な売れ行きらしい。・・ハイブリッド車もいつか古くなる時が来る。・・F1を撤退したホンダは空飛ぶジェット機がもっとも近い夢だ。

・・ホンダ、東レ、京セラ。

・・ここいらが、気になる銘柄だ。

245秋魚:2009/04/22(水) 00:56:25
(無題)
・・ジョンスタインベックの「怒りの葡萄」は読ませる本だ。ずっと昔読んだ。・・労働と生活の基本的な不条理がいかにも生々しく、あれはマルクスの労働疎外というのともちょっと違うだろう。・・先日分ったことだが、あれは大恐慌後のカリフォルニアが舞台だった。土地を失ってオクラホマまで出かける。・・poorwhiteの出エジプト記。道すがらにある豊かな葡萄の実は一粒も自分のものではない。・・埃のもうもうとたつ夏の暑い日ざしが肉体を木石のごとく打つ。・・葡萄の甘い液は味われることが無い。

・・オバマがチャベスと話した。友達になりたいといったのはチャベスの方からだった。南北アメリカの仲間にキューバを復権させるという、オバマ氏。・・かつてのキューバ危機で奔走したのはケネディだった。・・キューバも仲間にと話す。

・・ヤクルトの乳酸菌はキューバの子どもたちの腹をよくする。ヤクルトレディも立派な労働だ。

・・地域通貨の構想としては、アメロというのがある。・・しかし共通の通貨というのも考えものだ。・・キューバなんぞ一気に白日にさらされてガラパゴスなんてのも無くなるだろう。・・民主化が堂々とまかりとおる。・・なんかつまらない。

・・ブッシュを悪魔とよんだチャベスはオバマとは友だちになる。

・・「怒りの葡萄」は大恐慌の後のこと。・・今度の恐慌も雷鳴のごとき怒りがあらねばならない。

246秋魚:2009/05/04(月) 11:26:12
(無題)
・・矢切には鉄道が来ている。渡し舟の時代も伝説になりつつあるか。以前は松戸からバスでいってここいらを歩くのがとっておきの楽しみだった。里見公園とか江戸川の川べりもいい。真間川の合流口まで夏には花火もあがる。・・ずっと土手を歩いて坂東太郎の利根川まで歩いた人もいた。

・・鎌ヶ谷大仏にはほんとに大仏の彫像があるが存在も忘れていた。白井のあたり梨の若葉がやさしい。もうすく白い花の季節になるだろう。・・竹林や雑木林のどかで自転車でいくのもいい。・・まっすぐ手賀沼まで伸びるのは木下街道、昔芭蕉が鹿島詣で歩いた道だ。

・・新鎌ヶ谷から北総線で矢切に向かう。まあ鉄道運賃の高いこと。それでもこれもめずらしい径路。・・景色はどうということもないが。

・・矢切の温泉も新しくできた。休日で人も多い。・・スーパー銭湯で岩盤浴もあるが、多摩地区にある天然温泉と較べるといまひとつだね。・・温泉の趣味レベルは武蔵野の方が上かも。・・こんなところに温泉があるのも悪くはない。

・・「朱蒙」をみる。韓国で視聴率60%だったとか、このドラマの毒気にあたるものは多い。四神記と同じく高句麗の建国譚でまったくバージョンが異なるにせよ韓国民の関心は扶余、高句麗なのはよくわかる。・・「朱蒙」がおもしろいのはたぶんラブロマンスの織り込み方だろう。古い色だともみえるが、漢などの大国の圧迫を受けながら独立した王権の尊厳をつらぬく民族の生き方に、男女の恋愛もおのずからパターンをつくるのは、日本の近代の権力とラブロマンスの基本構造ともよく似ていてわかりやすくはある。・・近代は古いというより近代は青春の基本だとも思える。

・・高句麗僧恵慈を師とした聖徳太子。和をもって尊しとスという憲法十七条がヤマト日本の基準であり、戦後民主主義の憲法九条の騒ぎは、聖徳太子の時代までフィードバックされてしかるべきもの。

・・四神記、朱蒙は、半島の民族から琉球、ヤマトの民族への挨拶のドラマと思える。

247秋魚:2009/05/20(水) 01:17:44
(無題)
・・夢かもしれない。きみが想うことは、ぼくが想うこととすこしだけ同じだ。・・でも、夢かもしれない。

・・ふきの葉は、食べられるのだろうか?・・お湯と塩で湯がいてアク抜きをする。アク抜きはうまくない。筍のときもそうだが、アク抜き完了というのがよくわからない。・・最初塩を忘れて、一度湯がいて冷水にひたし水をきったものをさらに沸騰した湯に浸した。塩を少々。・・この少々がよくないか。

・・ツナと玉ネギでふきの葉を炒めてやるか。人参も少々。・・でもアクが抜けてなかったら、最悪だね。・・明日やってみよう。

・・定額給付金が振り込まれた。・・北投石の岩盤浴のある温泉にいった。ここの岩盤浴はよく効く。放射線をガイガーで計ってみたい。・・レストランでビールセットとさつま揚げを注文した。さつま揚げはふっくら作ってある。タレやレモン、しし唐などで美味しく食べられる。・・でもさつま揚げは小平の方が美味い。

・・あちこちでハングルが聞こえる。

・・朱蒙。・・これに尽きる。召西波、ソソノというのは、いい名だ。

248秋魚:2009/06/10(水) 10:31:53
(無題)
おもしろいね(^_-)

・・伊藤園(社長:本庄大介 本社:東京都渋谷区)は、溝端紙工印刷(社長:溝端繁樹 本社:和歌山県伊都郡)と共同で「お茶殻入り紙ナプキン」を開発、6月から溝端紙工印刷が全国で販売いたします。

 「お茶殻入り紙ナプキン」には、当社の「お〜いお茶」をはじめとする緑茶飲料を製造する際に排出された茶殻を配合しています。当社はこうした緑茶飲料の製造過程で排出された茶殻を、水分を含んだまま有効活用(リサイクル)する独自の「茶殻リサイクルシステム」を構築し、これまで当社社員の名刺のほか、畳、ダンボール、ボールペン、ベンチなどに有効活用してきました。今回の「お茶殻入り紙ナプキン」を開発する際にも「茶殻リサイクルシステム」を活用し、さらに、茶殻を紙パルプに配合して紙ナプキンのような薄い紙(坪量:約14g/平方メートル)を抄造する際に、茎や葉脈が紙を破かないよう、茶殻を微粉砕しています。

 また、茶殻を紙パルプに配合することは、紙原料の使用量を削減することにつながります。「お茶殻入り紙ナプキン」1,000枚あたり「お〜いお茶」500mlペットボトル約36本分の茶殻を配合し、その分の紙原料の使用量が削減されました。

 さらに、茶殻には植物として吸収した二酸化炭素が炭素分として固定化されています。「お茶殻入り紙ナプキン」には、1,000枚あたり約165g−CO2の炭素分(二酸化炭素換算)が含まれており(※)、炭素分を製品中に固定しているという点でも環境に配慮した設計となっています。

(※)ヤナコHCNコーダーMT−700HCN型(ヤナコ分析工業製)により炭素量を測定

 当社では「お〜いお茶」をはじめとする茶系飲料の売上拡大に伴い、製造過程で排出される茶殻の量も年々増加しています(2007年度の排出量は約43,000トン)。

 当社は「みんなで環境を考える伊藤園」という経営方針の一環として、茶殻を環境配慮型の工業製品などに有効活用する研究に取り組み、茶殻の抗菌・消臭効果を利用した製品(畳、せっこうボード、ベンチ、ボールペンなど)や紙原料削減につながる製品(名刺や紙袋、段ボールなど)を開発するなど、独自のリサイクル技術「茶殻リサイクルシステム」を確立しています。茶殻を乾燥させることなく活用するこのシステムは、これまでに環境関連の複数の賞を受賞しています。

 一方、溝端紙工印刷は「私たちがいま、地球のためにできること」「事業の社会的使命に徹し国家社会に奉仕する」という経営理念から、植林木を利用した環境対応製品や非木材紙など環境に配慮した紙を積極的に活用した紙製品を取り扱ってきました。しかしながら、植林木や非木材を使用した紙製品は、他の紙製品と同様の形状・色のため市場では分かりづらく、お客様も一目でわかる、環境にやさしい新たな素材を模索してきました。

 今回、当社の「茶殻リサイクルシステム」のコンセプトである「お茶をお客様の身近な製品へ活用する」という考えと、両社の「地球に配慮した製品づくり」「未利用素材の有効活用」という考えが合致し、「お茶殻入り紙ナプキン」の開発に至りました。

 当社は今後ともこのような身近な茶配合製品の研究開発に積極的に取り組み、普及させることで、社会において「茶殻=有用資源」という意識付けに役立てたいと考えています。

249秋魚:2009/06/17(水) 01:33:32
(無題)
・・ちょっと眼がみえにくくなってきた。パソコンのやりすぎだろう。毎日の景気の動向を追いすぎるのだ。ドル安円高だとかやれ株の急落とかもういい加減にしたい。

・・自転車に乗って遠出する。これが一番だ。呼吸を思い切りすることができるし、マイナスイオンをたくさん浴びることもできる。・・きょうは雨だから電車で玉川上水の温泉にでかけた。なるほどね。木の緑が茂って、土の匂いもする。雨で地面がびちゃびちゃするのもなつかしい。

・・力士のやるチャンコ焼屋はもういないな。一年はこちらにやって来なかった。温泉は客が幾分分散されて少なくなったろう。・・でもまだ多いか。

立ち木はみんな自然樹だという。この温泉はコンパクトだがよく作ってある。マイナスイオンがいっぱいだ。

・・忌野清志朗とか同世代が消えてゆく。・・まずい。・・

歴史をやらなければなるまい。自分の生の限界を見極めなければ。・・いわゆるバックトウザフューチャの新しい風景をみるまでに。

250秋魚:2009/07/08(水) 02:25:21
(無題)
・・この世のものと思われぬ味がする。小平温泉の牛蒡天は。温泉というマカ不思議な水もさることながら、ここの牛蒡天ぷらはほんとに天上の味がする。・・たかが温泉でこんなことがあってよいのか。

・・きょうはよく晴れた。傘さし運転は罰則になるとおどされて、でも晴天ならば文句はない。思い切り自転車に乗れる。・・さあ、温泉にゆこう。

・・温泉ハンターというプロがいるらしい。霧島などの自然の温泉が湧いているところで工事をして一時の温泉場をつくる。野天風呂をつくってあちこちと渡り歩く人がいるそうだ。温泉フリークもさらに進化してるというわけだ。

・・この牛蒡天。わたしだけの秘密にしておこうか。それともだれか女の子に教えてあげようか。

・・世の中には温泉のきらいな子もいるらしい。ちょっと世の中で苦労をすればそんなことはない、きっと温泉が好きになる。

・・混浴の露天風呂にはいれる若い女の子は、えらい!



・・朱蒙

・・扶余から高句麗が生まれる。扶余の朱蒙は一度死ななければならない。

・・ドラマの朱蒙はいまが佳境かも。召西奴も心労でやつれたものだ。歴史では卒本に拠るとあるから、死ぬはずのない朱蒙は召西奴の商団と合流するのだろう。帯素王子の扶余とどう袂をわかつのか次回がいよいよ楽しみになる。

・・ヤマトの神武は朱蒙の幻影で、開化は広開土王の幻影だ。ヤマトの歴史書つくりには高句麗渡来人のまなざしが刻まれている。

・・朱蒙の血の流れが海へと向かうだろう。鉄と塩の商団の流れがあるはず。もっとも強い鉄の剣はたぶんヤマトの砂鉄で作られるものだ。

・・海幸彦の釣針はたぶん特殊な鉄でできている。山幸が海神の国で桂の木にのぼったのは、出雲で鷺が桂の木に舞い降りたのと同じ鉄の伝承をものがたる。

251秋魚:2009/09/16(水) 00:20:22
(無題)
Up−pit

うぷぴとぅ有珠うす粉ひき髭かへる
うぷぴとぅ雪駄てんぷらよくアがる
うぷぴとぅ臥牛とーらんどっと草hit
うぷぴとぅOrion魔女みるくるみっつ
うぷぴとぅ鬼蓮華くらーくすぱーくする

Godzhiraあんこ椿うぴうぷ淵にあり
Godzhira三原山からはねつるべ火霰
Godzhira新月まわって網を切る


Ne−cop

猫ップ ふるふるる桂の葉だにゃあ
猫ップ 煙やけむよ骨花みちる
猫ップ 音無しゃ姦にゃあ
猫ップ 大菩薩のいわし雲にゃあ
猫ップ また氷雨のダンスだにゃあ

Bandungカ薬めし竜之介紅旗にゃあ
Bandungサンパチといふ万タローの狙ひ目
Bandung天誅にゃー枯木に花の舌たらず


et hymen

赤い椿白い椿と落ちにけり     碧梧桐
一つ落ちて二つ落ちたる椿哉    子 規

愛比売 けむりとともに頬染めて
愛比売 猫も寸なる草食ひ
愛比売 つんつんつばき丹ノ鳥
愛比売 ひらひらと鳳眼の舞ふ
愛比売 雲のなかにも水晶
愛比売 あかい石あをい石とぬれにけり

Hyracotherium 柑子ころがるスタジアム
Hyracotherium おほなむちこなむち湯なむち
Hyracotherium 木の咲は案山子でござる


猫八百 ぱてれんたいんばてておれん
猫八百 枯木に花の舌たらず
猫八百 ぐそくとんそく灰だらけ
猫八百 ころころころっけあがる
猫八百 もうすぐ春だにゃあ

***

廻文「伊勢物語」

みちのくのしのぶもぢずりすぢもふのしのくのちみ
未知の狗の詩述ぶも血摺り筋も不能凌ぐ後箕
つついつのいつつにかけしけかにつついのついつつ
筒異つの出津に架けし毛蟹ツツ胃の通五つ
あやめかりきみはぬまにそにまぬはみきりかめやあ
綾女狩り黄身は沼二祖二馬奴は見切り瓶やあ
さつきまつはなたちばなのなはちたなはつまきつさ
五月松は鉈恥葉菜の名は千だ縄妻詰さ
みよしののたのむのかりもりかのむのたののしよみ
見よ篠の頼む逃り森かの無能多罵詠み
わすれてはゆめかとぞもふもそとかめゆはてれすわ
忘れ手は夢か兎鼠も巫も粗と亀湯は照れ巣わ
つきやあらぬはるやむかしかむやるはぬらあやきつ
月箭吾ら弩張る止むか鹿亡夜流は奴らあ焼つ
いにしへのしづのをだまきまだをのづしのへしにい
猪西へ野屍角を朶巻き未だ斧頭偲へし兄
つひにゆくみちとはかねてねかはとちみくゆにひつ
津干に愉句未知と墳寝て涅か鳩血み苦湯に筆

252秋魚:2009/09/26(土) 01:56:26
(無題)
・・視力がいくらか回復した。本の活字がすこし読める。ピント合わせに力も入る。このところ視力の減退はやはり睡眠不足のせいだろう。パソコンも良くない。外に出て自転車に乗り空気と太陽光を浴びることだ。遠くを視るのもいい。・・森や滝の瀬や雨上がりのマイナスイオンはきっと目にもいい。・・爽快な岩盤浴は目はあまり関係ないかも。

・・御徒町界隈を仕事で訪れた。この道をずっといくと浅草にいくのか。蔵前の商店街もある。浅草には天然の温泉もある。いろいろおもしろそうだが、今は時間が無い。朝からビルに閉じ込められる。夜まで。

・・このまま家に帰りすぐ自転車で小平の温泉にゆく。アドレナリンが少し分泌されるから自転車の40分はほとんど無い時間だ。いわゆる酔っ払いとも違うが、透明だ。

・・バプテスマの予行は人にも勧めたいが、伝えがたい。サウナには胆汁質の人もいるようだが、バプテスマの試行はむしろアドレナリン願望ではないか。胆汁がしみて舐めれば苦いだけの文体を、水のバプテスマは無効でしょう。火のバプテスマでどうぞ。

・・ここの牛蒡天うどんはうまい。が、忘れた頃にまた注文してみる。今日はやや透き透きで、その分、料理も丁寧なはず。牛蒡の旬はいつだろう。いまは季節はずれのような気もするが。

・・やや、細めの牛蒡天が4つでてきた。・・おそるおそる、あ、やはりうまい。
・・この天上的な味は。

253秋魚:2009/10/14(水) 01:06:56
(無題)
・・十月になって、とろとろと眠りたい。まったく。・・自転車と温泉。・・われらが同士はマルタ島へと向かった。「形」が綾なす、マルタの秘蹟。

・・牛蒡天は、牛の香りがする。クレタの迷宮。・・風車なら三足カラス。・・CO2の無い風力発電ならいるわいるわの三足カラス。いままでなぜ気がつかなかったのだろう。

・・勾。 ・・実は「牛」「鹿」「鰐」であるらしい。鹿はプヨ、三足カラスは「文」であるから、弓から射られた矢は三足カラスで「勾」の無化による。

「・・御陵は山の邊の道の勾(まがり)の岡の上に在り。」

・・山は三角、勾、マガリはうなづける。崇神の墓である。

「・・名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草不合(あまつひたかひこなぎさたけうがやふきあえず)の命…」

・・日高日子は、朱蒙の降臨。ナギサ「建」は「嶽」で沖縄のウタキはもっともこの思い出に近くはないか。鵜はまた三足カラス。葺草はカヤで伽耶のこと。・・とにもかくにもウタキは異類の鰐、豊玉ヒメが孕み落とす処であろう。

・・「勾玉」をめぐる妄想。・・孟宗竹。

254秋魚:2009/11/25(水) 02:34:42
(無題)
・・目が悪くなってからというもの、ウインクするのが癖になった。まったくコトバというのは過誤のかたまりだ。ひとつの過誤のコトバを収拾するのに百のコトバが要る。コトバは疲れる。

・・ヒーリングサロンのフロント嬢に魅かれた。ちょっとウインク。目を輝かせて反応してくるのは、やばい。たぶん、客引きだからだ。・・不景気なもので、客足も遠のいてるのだろう。・・体験キャンペンセールとかいって、サービス版がよくでる。もともと女性客専門のヒーリングエステといったものらしいのだが、この際男性もどうぞということらしい。が、実はウインクは関係ない。純粋にフロント嬢に向けられた。

・・では、やってもらいましょう。ただしヒマのない身でとりあえず10分のみ。そういわずに気持ちよくなる40分コースはどうですか。いえいえ10分でお願いします。そうでは温泉のあとで。・・名前はユンです。

・・ユンは弓だろうか。コリアン、チャイニーズ?たぶんコリアンだろう。あの愛想のよさは。ユンは弓なら好きになる。

・・男の固い体はもみほぐすのに力が要るはず。でもこの子は体力も力もありそうだ。マッサージは上手そう。・・なるほど、うまい。

・・コリアンといえば、フィギュアのキムヨナは突出してる。007のショートプログラムは絶品で悩殺する。コリアンの成熟はもともとハングリーで無駄が無いだけ早い。アサダマオはすこし遅れをとった。安藤ミキのように苦労して技も精神もスリムに鍛えられたから、キムヨナに対抗できるのはこちらか。

・・バンクライバーン音楽コンクールでも、コリアンのピアニストが盛んにアピールしてた。終ったあとでペラペラと指揮者に声をかけアイラブユーとか、しゃべりすぎなんだよ。銀賞だった。・・金賞は盲目のツジイノブユキ。

・・コリアンの魂。ジャポネの魂。・・たがいに忘れたものを思い起こさせる。

255秋魚:2009/12/02(水) 03:16:46
(無題)
・・やっとシリウスを確認できた。東の空だ。オリオンのペテルギウスが赤い星で、シリウスと子犬座のプロキオンで正三角形をなす。・・シリウスは連星だからかtwinkleのきらめきまたたきがよくわかる。

・・人生は小説よりも奇なり

・・ヒーリングマッサージをフルコースで受けた。コリアinChinaのユンちゃんの腕はしたたか。「チャングムの誓い」に乗ってる。料理の腕もたしからしい。・・ここの牛蒡天うどんを推奨したら、こんど試してみるとのこと。・・きびしそ〜う。

・・扶余の第二王子ヨンボは長安に出向いたおり、自国の女と長安の女と較べて自国のものをひどく誉めていた。もともと漢の女には興味がないわけだが、それでも扶余の女をよいというのはよくわかる。・・しかし扶余とか高句麗とかは寒そうだね。白頭山のむこうはいまの吉林省。扶余とか女真とか渤海とかいろいろあった。ツングースアルタイ系の美女は目が切れている。ユンちゃんもね。

・・卑弥呼の時代の半島は馬韓弁韓辰韓の韓国。半島は昔から流人の溜まる土地。韓国は呉人が多くあとから秦からも来ただろう。北からは高句麗が流れた。呉の女はけっこう妖艶。半島から列島に流れた呉系韓人の女はみな美人が多い。経路は違うがアルタイル系らしい。

・・エイのヒレというのが安くでていた。大吟醸の美味い酒もある。シリウスを認知したからこれで一杯やろう。

・・琉銀の株があがる。・・ユンちゃんを呼んで、また温泉で贅沢しよう。

256秋魚:2009/12/09(水) 00:58:53
(無題)
・・ふ〜。寒くなってきたぜ。長安の春はあっという間に来てすぐ終るらしい。もっと東よりの朝鮮との国境付近は、冬は−30度にもなるという。ここいら吉林省は昔は扶余の国だった。フヨ?プヨ?といってもユンちゃんはぴんと来ない。朱蒙はフヨから出たんだよ。そう。プヨというのは鹿をいうんだ。・・そういえばユンちゃんがキリっとした面立ちで目が黒く鋭く潤んでいるのはそういう寒い土地で育ったからだね。すごい美人。

・・きのうは自転車で、夜、多摩川を渡った。温泉でせっかく温まったのに湯冷めをしないかという人がいる。答えはノー。自転車を走らせる呼気吸気。足の筋肉。活性酸素の焼尽。内臓のリズミカルな運動。毛細血管まで活発に生動しエネルギーを燃やす。・・体温は高まる。息、息、いき。

・・白頭山は知ってる。ユンちゃんの町からバスで5時間くらいかかる。でも近い。温泉なんかもある。いいところらしい。…いったことあるの。んなわけないでしょ。いきたいけれど。ユンちゃん連れてってくれる。ハハ。

・・じゃユンちゃん、中国語とハングルができるんだ。才能だね。日本語は変なの。そんなもんで大丈夫。やれる。



・・ユンちゃんに捧ぐ。ヤマトのすごいエロス。

>・・元始綿〔辶貌〕 頼先聖而察生立人之世 寔知懸鏡吐珠 而百王相續 喫釼切蛇即

>・・登其香木以坐 爾海之女豐玉毘賣之從婢 持玉器將酌水之時 於井有光 仰見者 有麗壯夫【訓壯夫云袁登古下效此】 以爲甚異奇 爾火遠理命見其婢 乞欲得水 婢乃酌水 入玉器貢進 爾不飮水 解御頚之璵含口 唾入其玉器 …

・・鏡、珠、釼(つるぎ)。ヤマト王権の根幹はこれに尽きる。

・・鏡、珠…、すごいエロス。

257秋魚:2009/12/16(水) 02:32:54
(無題)
・・冬の大三角は東の空に。ペテルギウスはほんとに赤い。シリウスは青い。小犬座のプロキオンは周りの星がみえない。シリウスも。ペテルギウスのオリオン座くらいだ。はっきりしてるのは。・・三ツ星はギザの3ピラミッド。オリオンはエジプトを引き連れている。

・・シリウスは青星とか狼星とかいわれている。卑弥呼はシリウス。



・・ヒザでぴょんと飛び乗った。うっ。効く〜。背骨のわきの腰がきゅっとなる。・・今度は足で踏んで欲しい。こんなん背骨が折れちゃウンじゃない。まさか丈夫なもんだよ。でも腰の悪いもんも多いねえ。ユンちゃんはうまい。・・白蛇伝にでてくる妖術つかい。ほんとは蛇なんとちゃうかい。・・ユンちゃんとは赤い糸でむすばれてるんだね。きっと。腰が痛いのは悪いことたくさんやったからだね。きっと。話の最後にきっときっとというのはほんとは危ないんだ。きっと。・・背中に乗ってもたいして重くない。瞬間ツボも外さない。…でも思う壷かもしれないぜ。ハハ。

・・鬼道とは、何?

・・東王夫と西王母のことらしい。・・ユンちゃんのことだよ。きっと。

258秋魚:2009/12/23(水) 04:26:30
(無題)
・・ああ今日は冬至ですね。先日一足早いゆず湯はたいへんにあったかでした。仕事場で先生たちのあとでもらい湯でしたがすこし湯を加えていい加減になりました。merci

・・ユンちゃんはそういえば猫のユズに似ている。初対面でひとなつこいところがね。ちょっと寄って来てもの音ひとつない。ゆらっとして瞳がきりりとしてる。不思議な子だね。マッサージの腕もたしかなものだ。いままで鈍く重かった足がきりっと締まった。こちらの意志が筋肉に確実に伝わる。朱蒙王子のように身軽になった。

・・ユンちゃんとは不思議な縁。・・また温泉にいった。

・・延吉という朝鮮自治区はもうロシアや北朝鮮の国境に近い。白頭山にも近い。延吉からずっと白頭山に向けていくと龍井(ロンジン)という町がある。・・村か。ユンちゃんはここが故郷だ。寒そうだねえ。

・・中国人はよくウソツキが多い。でもユンちゃんは違う。不思議な言葉つかい。日本人の心をうまくとらえる。ユンちゃん田舎ものなんだ。・・みんな都会擦れしてるからだまされてもいいと思うんだろな。でもユンちゃんは純朴そのままさ。・・要するに第一感はたくさん話したいだ。

・・少しずつ謎が解ける。

・・龍井市明東村というところに、詩人尹東柱(ユンドンジュ)の生家がある。そうかここでユンちゃんも育ったんだ。なるほどいい田舎だね。

・・ロンジンとは真名井のホホデミかも。


・・空と風と星と詩  (尹東柱)

死ぬ日まで 天を仰ぎ
一点の恥も ないことを、
葉あいに 立つ風にも
ぼくは つらくなった。
星を歌う 心で
すべての死んでいくものを 愛さなくては
そして ぼくに与えられた道を
歩いていかなくては ならない。

今夜も 星が風にまたたいている。

259秋魚:2009/12/30(水) 00:31:06
(無題)
・・冷えてきた。そろそろ雪でも降るか。・・白頭山の温泉にいってみたいもんだ。ユンちゃん連れてってくれる。・・うん。・・へえ、やさしんだね。きみの田舎にもいきたい。龍井は谷間の村じゃないの。とんでもない、平地の町よ。・・鉄道は来てるの。来てるけど電車は無い。石炭で走る汽車がある。・・う、蒸気機関車。なつかしいね。

・・きみみたいのは年取った日本人が好きになるんじゃない。・・どうして。・・うーむ、疲れちゃってるからだね、きっと。だってヒーリングが商売だろ。・・そうさ、たんなる客引きなら愛想だけでは駄目。腕が無ければね。・・じゃあユンはどうなの。・・まあまあね。特にうまいというのではない。・・あらきびしい。合格点はもらえないの。みんなうまいといってくれるけど。・・そ、きびしいいの。もっと、真上から体重かけてやれるでしょ。お尻で跨ってやるのが苦手なら、そのままぴょんと乗ってごらん。いつかやったように。やれば出来るのになぜやらない。・・もったいつけてやらないのはケチなだけ。なら来週は来ない。横からちょちょとやってハイ時間はないでしょ。・・プロの商売なら一番いいもの見せなけりゃね。・・ん、じゃやる。

・・ヒザで乗ってぐりぐり。そのあとつま先で立ってずんずん。あ、効く〜。強烈。こ、これがユンちゃんの秘技か。う。

・・ユンちゃんきっとかわいい子が産めるよ。国が違う同士なら子どもはハーフだね。・・民族が違うとね。・・なるほどいい認識だ。ハーフってかっこいいんだ。

・・うん。



・・来週は別の岩盤浴へいくつもりだったが、また来てね、ということになった。・・こちらのリクエストを満たしたから仕方あるまい。・・今回は一週間はもつだろう。

・・しかし妖艶な女だ。

260秋魚:2010/01/02(土) 13:58:47
(無題)
・・ハハ、多摩自慢の辛口で充分うまい。米麹の香りがする。雑煮をつくったが、昆布のだし汁でマイタケと白菜、蓮根、餅は味がいまいちだが赤玉のよい玉子をつかう。酒をいれて、柚子を一切れ。・・即席だがこんなもんだろう。・・ハハ、めでたい、めでたい。

・・「わたしの何がいいのよ」、大きなマスクを外して不意に言う。・・ああ、猫のユズに似ているからね。と本音はいえなかった。・・こういう台詞はひさしぶり。・・なんていったけ、もうあまり憶えていないが、多摩自慢がうまい。・・たしかにユズに似ている。不義だったのは自分の方だったが、せつなかった。・・おかしな日本語だと本人はいうが、そんなことはない。よくあるセリフもあるが、すべて感情が決まっている。ウソは無い。人の体の筋肉や骨やの構造はお手の物でつねに頭にはいってるようだ。言葉と感情のはたらきもなかなか敏感に察知する。・・ヒーリングの基礎だからまず最低レベルはクリアしてるとみた。・・たいていの客はうまい上手だというらしいが、それは甘い。まずまずの合格点程度のこと。

・・「わたしの何がいいのよ」とはずいぶん見透かされたもんだ。ハハ。でもひとの女房だからね、来週は来ない。・・ん、来て欲しいのか。・・全身全霊のヒーリングをやるか。やれるなら考える。・・そう伝わったはず。

・・きみが故郷を離れたのはユンドンジュが日本でちょうど亡くなった年令だよ。うちの姪がちょっとした事故で亡くなった年令はいまのきみの年よりたぶん2、3若いくらいだ。

・・ね、全身全霊ってかっこいいんだ。

261秋魚:2010/01/09(土) 14:28:21
(無題)
・・そう、猫のユズに似ている。苦い思い出があるからあまり思い出したくないけどね。・・留守していて、不在である意味が分っているのか。たぶん分っていないのは自分の方だろう。いまは携帯があるから恋人同士なら仕事先でもちょくちょく話したりメールとかするのだろう。でも相手が猫だとそうもいかない。話した時間の細かな仕草を繰り返し思い起こして言葉の意味を考えることだけ。

・・捨て猫が人懐こく寄ってくるのはもっぱらその生業のためらしい。エサが欲しいのだ。・・客引きというのも同じようなもんだろう。営業の極意はわからないが、たぶん天分というのもある。・・ユンちゃんのはヒーリングの極意かも。マッサージの腕だけではもたない。ヒーリングが先行するはずだ。

・・腰が痛いです。・・悪いことをたくさんしてきたのか。
・・そう図星です。

・・何のために生きているのですか。生きてゆく目的は、何?・・そんなむずかしいことを聞くなら反対にこちらが訊ねたい。ユンちゃんの生の目的は、何?・・しばし間があってそれでももう答えを用意してあるのだろう。・・神様のために生きるのです。

・・ほう、いまどき殊勝な答えだね。・・ではあなたはクリスチャンですか。

262秋魚:2010/01/13(水) 04:17:34
(無題)
・・そう、プロテスタントなんだ。ユンちゃん。・・日曜日は教会にいってるって。それで真面目なんだ。・・真面目というのもおかしな言葉だけど。

・・ヒーリングがプロの仕事だろう。治癒とか癒しとかは、慰めとは違うからね。・・わたしなんかみたいな男は、まあちゃんと区別してるけど、客でときどき慰められたい者もいるだろう。ヒーリングする人は大変だね。整体よりもヒーリングの何たるかしっかり解ってないとぐちゃぐちゃになる。・・そうやって客と結婚したりもあったりして、ハハ。・・いや徹底したヒーリングの道中ならすばらしい。

・・実際こんな会話が進んだわけではなかった。プロテスタントで宗派は?統一原理とかなんとか。・・いえ中国で龍井にいたときから。洗礼もそこでね。・・そう長老派とか。

・・ふーん。龍井にも長老派の宣教師が来てるんだ。そういえば尹東柱もクリスチャンだったらしい。でもおかしいね。宣教師の奴らは欧米の植民地運動の先兵としてくるんだぜ。神の福音なんざ洗脳の道具にすぎないさ。それを後生大事に信じちゃってさ。・・とは言いもしなかったが。

・・ところで、龍井の

>・・明東村は1899年?躍淵をはじめとする咸北鐘城,五龍川の五家族142人が豆満江を渡り切り開いた抗日基地だった。

・・豆満江を渡りって、いまなら脱北だね。冬に凍河をわたり北から逃れてくるさ。見張りにみつかったら殺されちゃうかも。・・昔だから開拓民だね。

・・で、いまのユンちゃんはヒーリングのプロなんだ。ゴスペルだね。

・・わたしの何がいいのよう。・・これは妙に心に残った。

・・いわゆる福音の癒しというのは高踏だ。整体マッサージの腕の比ではない。が、しかし偽善も多い。

・・すこしずつ謎が解ける。

263秋魚:2010/01/27(水) 04:35:49
(無題)
・・今日はユンをふってやった。ああユズのようにかわいい子だね。かわいい子をふるのは気が引けるが、そこはむこうの思う壺。ロリコンといっても向こうもオバサンだい。オバサンも嫉妬するだろう。

・・ユズは昔の猫だが、語源を追うと、イシュ、イズ、ユズ、ウズ…と来るらしい。イシュはイエスのことだ。

・・不在は3週間におよぶ。不在の意味が考えられぬユズは不幸になった。ああ不在をつくったわたしが悪いのです。・・猫だからなんとかやるだろう。そう高をくくった。・・ユンは人間だから不在をきっと思考するだろう。そう高をくくった。なにせあの子はクリスチャンだ。・・エリエリラマサバクタニ

・・冬至の柚子湯はキリストの復活。

  柚子くはへあらたまけぶる子猫かな

・・そういえばスサノオは牛頭大王。ヒコボシ。・・姉のアマテラスは卑弥呼で琴座のベガ。織女。・・ここが昔の極星だった。

・・アマテラスの岩戸隠れは日食で、卑弥呼の死が暗示された。

・・五百箇御統珠、いおつみすまる、銀河のことだ。

264秋魚:2010/02/03(水) 02:34:24
(無題)
・・不在ということ。そういう曖昧さでなく欠落ということ。・・クリスチャンは神がいるという。当然だという。不問・・そうではなく仮に隣人が不在しても神の名のもとで不在は実在の反照だからほとんど問題にならない。隣人は常にいる。・・もし人に逢いたくて我慢比べをしたら信仰をもつものが勝つだろう。・・苦しくなったら教会にいけばよいのだから。・・神をもたぬものは独りで苦悶するか妄想の虜になるかそれとも不在を思考して知力をきたえるか。・・欠落という思い切りが要る。

・・文学ならもっと緻密に欠落しなければならない。・・俳諧なら発句の欠落というのが想定されるが、これは昔さんざん考えたことだ。

・・ユンはもう温泉にいないかとも思った。・・ああやばい。不在のデリカシーが凡庸に馴れて来て、いるいないというスパイ小説の推理になっている。実際入館の折はユンは不在してたが、一時間後レストランにビールを飲みに出たら受付にいた。まああんまり驚いていなかったね。目を合わせても。・・先週とは段違い。むこうはたぶん教会にいってるから恐いものはない。・・こちらの欠落などもいい湯だねということだろう。

・・ユンが不在の間自転車に乗っても反省したが、左足のヒザ裏の血管が圧迫する症状はたしかに寒い雪の日でもでてこない。いままでのマッサージが効いているようだ。腰の痺れや感覚のなさもあの白鳥の舞よりのちは確かに日持ちよく改善してる。水商売の客引きにも思ったのは思い改めねばなるまい。・・医術の成果だ。

・・だからきょうは欠落を返す日だ。・・受付できょうも振ってやろうと思ったが、目を見てすぐあきらめた。むこうの誘いに乗ることにした。・・ああ四週間ぶりだね。その前にビールをいっぱい。・・アルコールが廻ってやばかったか。いきなりユンにキスをしそうになった。・・ピシャ。ハハ強いねえ。ユンちゃん。では胸を触ろうかしら。ピシャ。さすがに平手うちも決まってる。・・いままでスケベな客をピシャとやって仕事を続けてきたんだ。・・きょうは変なの。あんまり無理して逢ってこないから。おかしいのね。手を出したら犯罪だよ。・・神様が手をだしなさいというのです。どうして拒絶するのですか。神様の手なんだよ。・・自分がいってるだけよ。・・いえ神様です。ほんとうに。



 しののめの三足烏砂の上
 しののめの鹿のかげろう白頭山
 山や海弓射る音の花盛り
 白朱雀半島のむこうのmission
 あけもどろ柳絮ながるる崖の下
 あけもどろ鮫腹ふくれる草いきれ
 あけもどろ蛇亀の穴ぷよぷよ

                (年鑑09)

265秋魚:2010/02/08(月) 01:26:36
(無題)
・・ああ、今日は武蔵野大迷路の一日なり。話題になる温泉があれば、何が何でも行かずばなるまい。・・花小金井というのはユンちゃんからも聞いた。ひとつが流行るとこちらは客足が途絶える。温泉も競争がはげしい。噂の温泉といってもたぶんたいしたこともないだろう。どう駄目で何が人を引きつけるのか、それが問題だ。

・・五日市街道ぞいの小金井公園をめざす。自転車。・・一度府中街道まで出るか。いつもいくスーパーの道を北へ進んだら、あ、もうここは別天地。大きな道路がずーっとあるがこれは昔はなかった。・・奈良平安の遺跡の発掘をやったあたりがまったく様変わり。ともかく鉄道を越えたら東へ行く。国分寺、小金井の方へ。・・それでも五日市街道はもっと奥だ。玉川上水のあるところまでいかねばならない。途中人に何度も道を尋ねる。交番のおまわりさんにも。・・やっと小金井公園のあるあたりまで来たがまだわからない。・・最後に犬をつれたオバサンに聞いてやっと着く。・・ハハ、スーパー銭湯だが天然温泉だな。・・なるほどね、すげえ人出だ。・・おっと今日は日曜日。

・・なるほどね、そこそこよく作ってある。庶民の楽しみとはこんなものだろう。にぎやかなのはいいことだ。・・近くにいればリピータになるかもしれぬ。

・・レストランの十割蕎麦を食してみたかったが、こんな人が多いんじゃあきらめる。・・すぐ帰路につく。

・・帰りも、武蔵野大迷路なり。・・玉川上水から左に折れて鉄道の近くまでへと向かったが、国分寺の駅辺りでまたわからなくなる。・・日立の研究所があってここはもう西国分寺のはず。・・ここにも昔何度も仕事に来た。・・迷路というのは一つは時間的ものだ。何年もたって浦島太郎になることだ。周囲の景色は一変してる。・・もうひとつは方向感覚を忘れることだ。あきらめてここがどこか忘れることだ。・・ただ一つの縁しかなくなったら人に聞くしかあるまい。・・また聞く。・・まっすぐまっすぐ行けばよいのですね。はい、それにしても何という迷路にはいってしまったことか。

・・で、やっと駅の北側のなじみの道までくる。ああ、大変だった。これだけハアハアやると内蔵の働きが活発になって、胃もなにか胃液がうずいてでもこれは健康の徴なのに違いない。・・これが普通なのだ。

・・不健康な仕事から、解放される。

・・ユンちゃんの、ピシャとやるのは、様になってる。うまいもんだ。

・・伊藤園の野菜ジュースもうまい。

266秋魚:2010/02/10(水) 03:03:10
(無題)
・・きょうはポカポカ陽気。休みを三日とって部屋の掃除を始めたが、まるで進まない。ある書類を保存するか捨てるべきかでやっとほんの一山のゴミ。なんとしても人の住める空間を作らねば。本が多すぎる。・・倦んだら自転車で温泉にでかけるのに慣れてしまった。この爽快さったらないが、部屋は物置で埃がたまるばかり。・・思い切ってものを捨てていくべきだろう。

・・花小金井まではやけに遠かった。優に一時間は越えた。自転車の遠乗りが大変で疲れるということは無い。地理が迷路になるというのは遠くに旅をするというのと同じ感覚だ。いつもいくスーパーの先をどんどん行ったらまったく別天地なのは驚いた。・・道を聞くとたいての人は親切に知ってることを教えてくれる。・・花小金井はでも二度と行かないところだ。

・・ユンのいる温泉は一週間ならユンはいそうだが2週間だとひょっとして消えているかも。ここの道はかならずしも良くない。玉川上水に出るのがうれしい。あんな不便な場所にでもやはり五日市街道ぞいだ。・・昭島の湯らくも絶品だが、玉川上水を借景とする風水の作りだからだ。・・不景気でも雇用ということで受付やレストランでも働く人がいる。たいていは近場の人だろう。・・ユンのように横浜あたりから来るのは驚きというか奇蹟に近い。しかも龍井で脱北の人らしい。・・どうやって逃げてきたの?川が氷るとそこを渡って国境を越えるんじゃないか。いったいどうやって、家族みんなでかい。・・では中国語なんて出来ないだろう。・・いや出来そうだ。だいたい家族が龍井にいるんだろ。・・うん、もっと知りたい。・・脱北すると、まず中国で日雇いなどしながら雲南にいきそこからラオスに入る、また国境の川を越えタイに入る。その北の辺境の町で韓国の国籍が取れるらしい。そして最後は韓国に入るのだ。・・こういうルートはテレビでもやっていた。・・でもユンのは違うだろう。・・キッと問うたが、日本に脱北してきたのよとはぐらかされてしまった。知りたいのは、龍井に家族がいるらしい。開拓農民の家系というのはどうもウソのようだ。しかし中学校あたり高校あたりの教育はよく受けてるようだし。北の学校ならどんなものか知りたい。・・うーむ。

・・いろいろ話したいこともあってまたマッサージをしてもらおうと思った。が、予約を取らなかったので、遅くなって受付で聞いたらきょうはお休みだという。・・最初に来たときたしか奥にいたようだったけど。・・たぶん早く帰ったんだ。・・まあいい。マッサージは高くつく。・・もう一週あけばあれこれ想像も進むだろう。

・・謎なのは、いまある国籍。・・中国というのはホントかしら。

・・ユンのはおそらくキリスト教ではない。ずっと昔からあるのならソグド人がもたらした明教、ミトラに違いない。

・・よし、徹底抗戦。

267秋魚:2010/02/17(水) 03:22:38
(無題)
・・今日は寒い。大気中の霧が氷っているようなのはパリでもよくあった。うすら雪か。・・自転車で小平の温泉へ。・・あらかじめ予約してユンちゃんのマッサージを受ける。だいぶ腰とかガタ来てる。あの子ならうまくやる。

・・2週間ぶりに顔を見るが、あきない顔だ。目を見るともうダメ。なんでもしてやりたくなる。前回は胸に触ろうとして平手打ちを食ったが。マッサージ師の平手打ちは音が効いてうれしいものだ。

・・朝日の朝刊一面に脱北者のスクープ記事が載っていた。人買いのブローカーが若い娘を脱北させて入浴施設などで働かせたり中国人の妻にしたりするらしい。半分くらいはベトナムやモンゴルなど周辺国に連れていかれる。日本にもとは書いてなかったが、ベトナム、モンゴルよりかは、こちらは仕事もしやすいだろう。・・んで、ユンちゃんも脱北したとかいうので、てっきり人買に売られてきたのかと思った。・・いろいろ聞いてみるとどうも違うらしい。だいたいおもしろい日本語を話すし、根が明るい。龍井では、ユンドンジュと同じ中学校にあがったのだそうだ。家族のことも聞いたがなんでも包み隠さず話してくれる。お父さんは林業の人で、お母さんは雑貨屋をやってたんだって。しっかりもののお兄さんがひとりいる。・・まああまり家族のことを書いてはいけないね。プライバシーだからね。

・・ユンちゃんは、デコポンを一切れ残しておいてくれた。え、ボクが蜜柑の好きなのよくわかったね。柑橘大好きなんだよ。・・勘でわかるのよ。・・食べ残しの蜜柑はユンちゃんんの手のぬくもりがあって特別だね。むしゃむしゃ。

・・ところで今日のマッサージは男性機能を回復させたい。男性機能とは、わかるかい。・・ニコッと笑ってしたり顔なのはさすが百戦錬磨。足裏のいくつかのツボはすぐにもやってくれた。もうひとつとても効くツボがあるということだが恥ずかしくてできない。でも是非にやってくれと迫ったが、ダメみたいだった。・・回復しても相手がいないのでどうもね。でもそろそろだね。ハハ

・・ユンちゃんの手を触った。前回はキスをしようとしたり胸を触ろうとして失敗したが、今度はうまくいった。手のマッサージのとき握り返せばよいだけだった。マッサージの受動性ではなく交感する愛撫というものだ。・・ちょっとだけだが向こうも気持ちがよかっただろう。

・・ああ、ずい分バカな事を日記に書いてる。・・ユンちゃんは特別だ、ユズの生まれ変わりに違いない。

268秋魚:2010/03/03(水) 02:12:02
(無題)
・・温かかったり寒かったり。職場の受動喫煙で肺と心臓が調子悪い。空気がおいしい郊外の温泉サイクリングと洒落込む。玉川上水沿いにある「湯らの里」はスーパー銭湯の中でも絶品。何故かって、空気がうまい。・・久しぶりに来たが、なんと人の多いこと!ここは一時客をぐっと減らしていたようだが、最近急に復活してきてる。天然温泉を掘ってるとはいえそれはまだまだ。株価のように先を見越しているからか。ハハ

・・ユンはキムヨナに似ている。キムヨナは女王だよ。浅田はいまは絶対勝てない。・・結果は神様が知ってる。どんな結果になろうともそれは神様が定めたものだ。・・これがキムヨナの言葉だ。・・観衆ではなく、神を味方につけたキムヨナは強い。

・・ユンは娼婦だ。・・マッサージ師だが、神を味方につけた娼婦だ。・・ユンを正攻法で口説こうとしたが、失敗。・・ビールを飲んでいた。指名料の金が欲しいというから、金をやるから俺と寝ろといった。・・どうしたの、今日はおかしいのね。・・じっとカモシカのような目で見つめて、ソープにでもいったら、だとさ。・・え、ユンちゃんソープで働いてたの?・・まさか。

・・思うに、性欲は旺盛だが体がついていかない人間をよく知ってるようだ。目に見える距離をちじめてキスをしようとしたり胸に触れようとしたりはことごとくピシャリとやられる。金をやるからなどといってもぜんぜん話がすすまない。・・まったく仕事一点張りなのかと思うとそうでもない。うつ伏せにして肩、首のマッサージをしながら、どうしたの元気だして悪戯しないのと急かす。・・つまり空いてる手で自分の足とか腰を触って来いということらしい。それが出来ないなら男が立つわけがない。・・ためしに辺りに手を振って微かに足に触れた。ハハ、なるほどエロチックだ。・・でもここまで計算してるとしたらすごいプロだね。

・・いじめて欲しいの。「女王様とお呼び」なんていうのも似合いそうだが、キムヨナだってそうだろう。ちょっとある。・・そこを神様が、なんてやるからよく似てるんだ。

・・さんざん実にならない議論をしてけんか紛いのあげく足にちょこっと触れたのがスケベの成果だった。・・もちろんマッサージは目一杯やってもらったが。・・あの子はうまい。

・・パリのノートルダム寺院やシャルトルのカテドラルに連れてってやるとも持ちかけたが、もちろんタダではない。他人の女房連れてってどうする。え、君が連れてってくれるの。ガイドでなら、ガイド料を払ってもらうよ。・・うん。というけどウソだろう。俺に全部払わせたいんだ。顔に書いてある。・・だから娼婦。

・・ところでユンちゃんのいう神様ってうさんくさい。教会もね。・・その神様に焦がれてそのまま北朝鮮に渡ってしまった人だっているんだ。思い出したよ。

・・ユンちゃん、ドストエフスキの「罪と罰」にでてくるナターシャだっけ。神様を知ってる娼婦は。・・それに似てる。

269秋魚:2010/03/09(火) 02:31:57
(無題)
・・そうか、娼婦というのは神殿娼婦のことか。巫女。・・卑弥呼なんかも本来そこの出自かも。・・ユンも巫女かも。

・・マグダラのマリアの謎。・・グノーシス派の面目はここか。

・・イエスの復活に最初に立ち会ったのはマグダラのマリアだった。マリアはイエスの情婦で常に付き添っていた。死と復活の前にイエスの子を孕んでいたという話がある。キリストの血は伝説ではなくマリアが受け継いだものだ。・・ならば追跡されるべきはマグダラのマリア。

・・呂、というのはキス。口がふたつあるからね。・・奇貨置くべし。呂不韋のように娼婦を買うか。

・・足に香油を塗るのは、何故か。・・マリアたちはなぜ足を労わるのか。

270秋魚:2010/03/10(水) 03:03:21
(無題)
・・きょうは雪。・・雪なら合羽を着て自転車で温泉にゆく手がある。ぎりぎりまで迷ったが時間がどんどん経つので自転車に乗った。・・普段の仕事は拘束時間が長いうえ空気が悪い。受動喫煙もあるし、健康上の理由でいつも半分にしたい。

・・自転車はいい。天気が悪いが呼気吸気がハッハとやって爽快だ。手が冷たい。温泉までもてばいい。

・・ユンは不在のはず。こんなにも大騒ぎの自転車で着いた温泉は天国だった。誰とも口をきかないというのがリラクゼイションの本質。雪のおかげで客もすくない。手も足も冷たい。もっと冷たくなれば凍傷にもなるだろう。湯につけると痛い。



・・「ナグ・ハマディ文書」という外典がある。その中の「フィリポによる福音書」には、2箇所だけマグダラのマリアに関する記述が残っている。

32 三人の者がいつも主と共に歩んでいた。それは彼の母マリヤと彼女の姉(妹)と彼の伴侶と呼ばれていたマグダレネーであった。なぜなら彼の姉(妹)と彼の母と彼の同伴者はそれぞれマリヤ(という名前)だからである。

55a 不妊の女と呼ばれるソフィアは[天]使たちの母である。そして[キリスト]の同伴者はマ[グ]ダラの[マリ]ヤである。
55b [主は]マ[リヤ]を[すべての]弟[子]たちよりも[愛して]いた。[そして彼(主)は]彼女の[口にしばしば]接吻した。他の[弟子たちは]【64】彼が[マリ]ヤ[を愛しているのを見た。]彼らは彼に言った、「あなたはなぜ、私たちすべてよりも[彼女を愛]されるのですか」。救い主は答えた。彼は彼らに言った、《彼は彼らに言った》「なぜ、私は君たちを彼女のように愛さないのだろうか」。

・・マグダラのマリアはキリストの伴侶だった。接吻をよくした。

・・バチカンのカトリックを創設したペテロがマリアを放逐したという。マリアが流されて着いたのがマルセイユ。・・南仏にはマリア信仰が多く広まっている。黒いマリア像の教会もある。

・・ナグ・ハマディ文書の異本である「ベルリン写本」といわれる古文書には「マリアによる福音書」という、そのものずばりマグダラのマリアが主人公の福音書が伝えられている。

(1−6頁は欠損)
【7】[±12]…それでは[物質]は[解消され]ようとしているのでしょうか、それともそうではないのでしょうか」。

 救い主が言った、「いかなる本性も、いかなるつくり物も、いかなる被造物も、存在しているのは彼らの互いの内に共に(組み合わせられて)であり、それら(個々)のものそれ自体が再び解消されようとしているのは、それらの根へとである。なぜなら物質の本性が解消し果てるはその本性のもの、それだけへとだからである。自らの内に聞く耳のある者には聞かせよ」。

 ここまではイエスの言葉である。さらにペトロとイエスの問答が続く。

 ペトロが彼に言った、「あなたはすべてのことを私たちに告げて下さいました。もう一つのことを私たちに言って下さい。世の罪とは何ですか」。

 救い主が言った、「罪というのは存在しない。本性を真似たこと、(例えば)姦淫をあなたがたが行うと、(これが)罪と呼ば<れる>(が、存在するのは)その罪を犯す人、(つまり)あなたがたなのである。このゆえにこそ、(つまり)そ(の本性)の根のところへと(本性)を立て直そうとして、あなたがたの領域に、いかなる本性のもののところへも善い方が来たのである」。

 彼はさらにそれに付け加えて言った、「このゆえにこそ、あなたがたは[病気になっ]て死ぬのである。なぜなら【8】[±9]する者[ ]だからである。理解[する人には]理解させよ。

 [その物質]は(一つの)パトスを[生み出した]。(そのパトス)は似たものを持たないものであり、本性に反するものから(生まれて)来たのである。そうなると、物体全体の中に不安定さが生じるものである。このゆえにこそ、私はあなたがたに『あなたがたは従順なものであれ』と言ったのである。そして、あなたがた従順でないものは、本性のさまざまな面に直面して、従順なもの(であれ)。自分の中に聞くための耳がある者には聞かせよ」。

 祝された方はこれを言ってから、彼は彼ら皆に言葉を送った、(次のこと)を言って、「平和があなたがたにあるように。私の平和を自分たちのために獲得しなさい。護りなさい。何者にもあなたがたを惑わさせるな。その者が『ここにいる』とか『そこにいる』というようなことを言っても。

・・

・・グノーシスの認知だね。・・「罪というのは存在しない」というのは…

271秋魚:2010/03/17(水) 01:34:11
(無題)
・・レイチェル ・・ああ、いい名だね。でもなかなか思い出せない。レイチェルって、誰?・・あ、あのスコットランドのお客様?そういえばニコッと微笑んでハローといった人。・・そうレイチェルとずっと話をしたんだ。

・・Rachelって、ラケルのことだよ。ほら創世記にでてくる、レアとラケルの姉妹。ヤコブの妻さ。ラケルにはなかなか子が生まれなかった。女奴隷ビルハに産ませてダンとナフタリは自分の子とした。・・このダンの一族はユンちゃんなんかの檀君神話の流れを生む。・・それでもラケルは身ごもってヨセフを産んだ。・・もっとあとにはベニヤミンを産んだ。難産だったけど。で、この時ラケルは死んだ。

・・レイチェルはいい名だ。ブレードランナーに出てくる慰安用レプリカントってのも、レイチェル。・・ゴスペルの女だね。アンドロイドのレイチェルは最後には人間になったのかしら。白蛇伝のユンが遂には人間になって妖術を失ったように、レイチェルは人間になって愛を知る。人の命の死も。

・・ところでRachel STEVENは実在の女だ。彼女の微笑を慰安用などと受けてはいけない。カラッと抜けた美人だが、色気はない。まさにアンドロイド。

・・モナリザの微笑というが、あれは情婦だ。マグダラのマリア、キムヨナ、ユンちゃん。・・白頭山に連なる白雲峰。たしかユンバイフン。白はユンか、まさか。・・白頭将軍に纏ろう情婦のおもかげだ。・・この系はどうあっても子を産むだろう。巫女の血の流れを。

・・レイチェル。・・ヨセフとベニヤミンの流れは枢要だ。とりわけベニヤミンは。狼かも。

・・シリウスの流れ。夜の八時九時にはもう南から西へオリオンは傾きシリウスは地上30度に輝き、もちろんプロキオンもある。

・・冬の大三角。・・冬の豆満江を渡る脱北の女たち。18から25才で4割は中国にとどまり妻になったり売春婦になったり、あと6割はベトナムやモンゴルに渡り妻になったり売春婦になったり。・・そう新聞にあったが、日本にも来ているだろう。・・脱北ですぐに日本に流れた女たちは、まず日本語ができない。客引きでいきなり朝鮮語で話しかけられたことがあったが、それは脱北で売られて来たにちがいない。朝鮮語では客引きは失敗するから彼女たちは必死で日本語を憶える。

・・ユンの日本語は奇蹟だ。・・龍井の頃から一貫してめざしたものだ。

272秋魚:2010/03/24(水) 00:54:14
(無題)
・・すばらしい日々だ。昨日はレイチェルと会った。・・ああ、スパゲティを作るんだね。え?君も欲しいかだって。作ってくれるの?Noなどといわずに頂戴すればよかった。そうやって僕らは仲良しになるんだ。失敗だね。・・でも二度目に会った時よく憶えていて、はしゃいだ。レイチェル、そう君がレイチェルなんだ。you look young. なんちゃって実際はさほどでもない。you look strong. これが正解。筋トレをやって強そうでしょ。・・レイチェルを深く愛しているとそう伝わっているんだ。nice!

・・きょうはユンちゃんと会った。日替わりで美女と会う。ああ、ユンちゃんは美人だ。可愛さ余って憎さ百倍なんてなりそうでしばらく会ってなかった。前回まではマッサージの途中でスケベをするとピシャとやられた。手を触り、足を触ったのを憶えている。どさくさ紛れにだけど。いやいやをするのはすごーいエロスだね。昔よくあった。きょうは大人しくしてよう。紳士だから。・・んで、きょうも男性機能の回復を頼んだ。あ、そこが生殖器。なにも感じないなあ。・・家に帰ると効き目がでるんだって。だめだよ今感じなくちゃ、ね。いえ、あとです。キッ。

・・ユンちゃん、名前はなんての。もうひとつの名前は。・・リュナ、え、ヨナ?漢字なら蓮花だって。へー、きれいな名だね。・・あー、むずむず。えい、触らせろ。・・と手をユンちゃんのいるあたりに伸ばしたら、ちょうどお尻にぶつかった。一瞬。・・こんどはあまり怒ってないみたい。そうだね、怒ってもしようもないし。・・ちょっとぐらい触らせろとか変なことも言ったかも。

・・タイ式というのは足の付け根のリンパ腺までやるんよ。もうちょっといけば○○だけど。・・ああ、最後までやってもいいんだよ。気持ちよく健康になるんなら。ハハ
それにしてもユンちゃんは美人だね。きょうは美人のお尻を触っちゃった。ハハ  スケベを平然とやるようになった。世も末かも。

・・そろそろ、復活祭。キリストの復活は、そうマグダラのマリアが一番に発見したんだ。マリアは娼婦。

・・ユンちゃんもよく知っていた。

273秋魚:2010/04/07(水) 01:17:19
(無題)
・・あたたかくなってる。以前からある玉ネギが芽をだしそうだ。メークイーンを買ってきて人参とスープをつくる。散切りにしてぐずぐず煮込みコンソメをいれ煮込み野菜がやわらかくなってきたところでイタリア産のカットトマトを加えた。それにジンジャーを細かく切って入れた。赤ワインを少々。・・ジンジャーを入れるのは咄嗟の思いつきだが、結果的にうまくいった。・・缶詰のイタリア産トマトを美味しく食べるのは、いつか同居した友に教えてもらったが、つくるのは初めて。コンソメなど賞味期限はとっくに過ぎているようだがこの際つかってみた。食材とかものを用意してまったく使わないのは愚かなことだ。使えるものは何でも使ってみることだね。まったくどんどん賞味期限切れになってつまらない人生になる。

・・きょうはユンちゃんのいる温泉はパスして玉川上水の風水の温泉にいった。自転車でゆくとけっこうかかる。ここも何度か通ううち一番快適なルートを憶えた。桜の花があちこちで満開だ。・・まだ見ぬ道の花をみるかな。とかは西行だったか。同じ道ばかりいくのもよいが、たまには違った道の花の盛りを知りたいものだ。・・花の盛りに出会うというのはまったく偶然。きょうはきょうの温泉にていつも湯の盛りは偶然ということだ。温泉ほど期待に応えてくれるものはない。ここ数年温泉行脚を続けてきたが温泉ほど深いものは無い。・・まさに偶然の神秘!

・・人生は小説よりも奇なり。・・温泉は偶然の花盛りなり。・・ユンちゃんのような舞姫があらわれるのはいつもこんなところだ。ダンテがベアトリーチェと会ったのも花の都フィレンツェのアルノー川の橋のたもとだ。・・そうだ忘れてはならない。神曲のはじまりは自分のもっとも得意とするところ。永遠の文学の謎だから。ここ数年は仕事に忙殺されて文学どころではなかった。自転車と温泉というのは逃げに近い。しかし逃げ場があるというのは、職場でも熊本の草野さんにはずいぶんと温泉の快楽について吹聴しまくった。ツルーディにも。しゃべりすぎたら何も残らない。まずいことだ。・・あらたな課題の展開を追求すべきなんだ。きっと。

・・沖縄興南の島袋投手は有望だ。花巻の雄星より才能がある。・・沖縄尚学の女の子から励まされた。普天間は移らなくたっていいとかいってたが、あんな町中じゃあぶないからね。でもリスクになれちゃうときっとリスクが友だちみたいに思えてくるんだろうね。みんなこうやって目がくりくり元気だから、基地があってもいいというんだ。

・・リスク、リスク。そう株で覚えたことだ。

・・このリスクが問題だ。

274秋魚:2010/04/13(火) 02:58:50
(無題)
・・雨。自転車に乗れない。・・晴れた日に昔よくサントリーのビール工場にいった。あの頃のサントリーはずい分バカにされていたが、工場で飲むビールは美味かった。それはそうだ。見学してまずかったら大変だ。・・伊藤園の株をもってるが、ここの優待で贈られてくるお茶や野菜ジュースも美味い。株主用に特製ものかという気がするくらい。

・・30種類の野菜でつくったジュースというのは市販されてないようだ。これは特に美味い。・・先日ユンちゃんにひとつプレゼントした。ドバイから帰った先生にもらったコーヒーは味見くらいするべきだったが、これもユンちゃんにあげた。コーヒーは飲まない。ユンにも飲ませたくないが旦那につくってやれといった。・・こっちのジュースは美味い。君が飲め。・・そうユンは既婚者なんだ。いい人だとはいうけれど、部屋でよくタバコをふかす。ユンはクリスチャンだしタバコはやらない。・・へ、おかしいね。夫婦だからキスくらいすんだろう。ヤニ臭い口でよくやるね。・・キスなんぞしなくても同じ部屋でタバコなんかふかされたらたまったもんじゃない。受動喫煙もいいとこ。俺だったらパンチ一発くらわしてすぐ出て行くけどね。おかしいよ。・・タバコの煙があっても記憶のない男がいいんだろ。打算だね。・・まるでバカ。・・なにも知らない。タバコの副流煙には有毒物質がいっぱいなんだぜ。40倍の毒がある。特にガンだけど。隣にいてわたしを殺してくださいといってるようなもんだ。・・へ、なにがいい旦那だ。(ユンの旦那はヤーさんではなさそうだ)・・横浜ではすべての公共の場で禁煙条例が出たらしい。じゃ、家で吸うだろう。ますます悪い。・・こんな間の抜けた結婚なんてない。・・だいたい女は30の大台とかいってみんな頑張るのが普通。君は33で結婚したんだろ。女の本厄だよ。で、お互いが子どもを欲しくないって。そうかそれで子どもが出来ないようにして時々セックスをするんだ。ハハ、うらやましいね。(と、思わせたいらしい)こちらがスケベをするとことごとくピシャとはねつける。まさにSMプレイ。イタッ。絶対タネつけをさせない女の演技なんて見え透いているよ。・・ユンちゃんのパンツが欲しい。・・う、変態!

・・ミサの話になった。・・キリストがパンと葡萄ジュースをみなにわかつのは自分の血と肉だというからだ。・・でもユンちゃんの教会では葡萄酒なんだろ。あれはたぶん翻訳がまちがってる。酒ではない。・・バッカスの匂いがするなら異端だ。・・で、俺はもちろん異端だから、パンツが欲しい。ミサは黒ミサもやる。

・・厄払いのおまじないなんだ。

・・浅田マオは「恋をしなさい」とタラソワにいわれたそうだ。だからって、恋をしてみようかな〜なんて。・・御言葉ですが、してみようかな〜なんて、きっと重いですよって。・・浅田が天才なのは恋もしらずに次から次と重いクラシックの音楽を理解してしまったこと。・・表現力なんていってるけどまあそうだろう。・・アンド美姫のレクイエムはもっと評価されてもいい。

・・こんにゃくを湯で煮てワサビ醤油と赤ワインで食べた。・・チリ産のワインはポリフェノールがいっぱい。

275秋魚:2010/04/14(水) 03:07:04
(無題)
・・ハハ、ゆかいゆかい。きょうはよく晴れた。自転車でユンちゃんの温泉にゆく。桜はだいぶ散ってるね。・・黄緑の若葉やほかの花花も咲き出して匂いたつ季節だ。

・・きょうはお休みかなと思って食堂でビールを飲んでいた。奥からでてきてヤアだとさ。2週間前にはひとの耳をつねっておいていい気なもんだ。耳はまだ痛い。・・ユンちゃんのおっぱい小さいといったら怒って泣く泣くおっぱい大きいといったらさらに怒った。そりゃそうだ。耳が痛くてえ〜んと泣くふりした。・・ところできょうは機嫌がいい。この間あげた30品目の野菜ジュースありがとうだとさ。とても美味しカッタそうだ。このジュースはこれで2人の女にプレゼントしたがほんとに評判がいい。・・ああ腰が痛いしきょうもマッサージ頼む。スケベはやらない。・・といいつつ、すかさず胸をさわった。え、意外と大きいんだ。おっぱいの膨らみがよくわかった。まあ人並みだね。・・おっぱいが小さいのは悪いことじゃない。よく働けばぺちゃぱいになる。・・女の子からすれば大侮辱なことだろうけど。母親にいつかはなろうと気があるなら、触るなんて怒るだろうね。・・でもきょうははっきり触った。怒らない。

・・ゆかいゆかい。福音の話をしようとしたがそこまでいかない。雑談の山になる。・・話をしないでやればうまいマッサージができる。あなたが喋るからよ。男性機能の回復をがんばってね。前立腺もおなじく。くちゅくちゅ。・・しかし胸をさわって怒らなくなったのは、進歩進歩。伊藤園のおかげか。いや伊藤園はミーを参謀本部にむかえるべきだ。百発百中のうまい宣伝マンだい。

・・百円のガジュマルを買った。以前のものは枯れてしまった。・・最近シチューにこってる。メークインと人参玉ネギでいかにスープをうまくつくるか。野菜はやわらかく。きょうはSBのシチュールーを使った。ワインと高知産のジンジャーをいれるのが工夫。肉はいれない。玉ネギは国産がなくてニュージーランドのもの。よく煮ればまずまず。じゃがいもは北海道産でまずまず。・・すこし酸味をつけるためにレモンを絞る。実はポッカレモン。

・・きょうは、ユンちゃんの胸の感触だけがいつまでも残った。・・これはスケベではない。

276秋魚:2010/04/21(水) 02:10:02
(無題)
・・山田梅子(?)さんという温泉ハンターの人がいるらしい。テレビでみた。何でも僻地にある秘湯を車と徒歩で探して見つけて湯船をつくりざんぶと浸かってくるのが趣味だそうだ。そういうマニアの為の特別な道具一式もあるという。海浜や山間や谷間の近くまでは車を使う。いいなあ、こっちには自転車しかない。普段は自宅から数キロ十キロ以内が遊び場で梅子さんみたいに列島を股にかけて温泉めぐりするのはヒマもないとできないし昔はそういう欲望もあったことだからよくわかる。女だてらに独りマニアらしい。が、暗さはない。野外でよく裸になるから恥じらいは無頓着で色気がないと見るむきもあろうけど、そういうもんで子どもはしっかり産めそうだ。日本でのアウトドアー派の究極の遊びはこういう温泉ハンターではないかと自負している。・・式根島の海中温泉にはわたしも感動したものだ。

・・現在の温泉めぐりはアウトドアー派のものとはやや異なる。自転車に乗って戸外は戸外だが。・・雨っぽいけどユンちゃんの温泉に自転車でいった。小雨だから百円ショップの合羽をきて充分だった。昔はかなりな大雨でも出かけたものだ。愛人がいたわけでもない。・・近頃のユンちゃんは愛人にちかい。女のためにえんやこら今夜も自転車にのる。てな感じで、マッサージをしたりスケベをしたりするのは近頃の傾向だ。一度おっぱいを触るとその感触だけでたとえ嵐の中でも出かけたくなる。ユンちゃんも逢いたがっているんだ。

・・仕事はいったい何をしたいのよ。いや生業には無頓着でね、食っていければいい。物質的精神的にわたし独りが満ち足りるなんてのに飽きがきてるんだ。で、ユンちゃんは何したいの。・・接客業が好きなのよ。人にいい気持ちになってもらったり。昔はキャスターになりたかった。でも国語がね。・・国語って日本語?日本でキャスターは今は無理だろうね。一番得意なのは中国語じゃなくて朝鮮語だろ。それはすばらしいことだよ。んでユンちゃんの日本語は気に入ってる。ああそうかこちらでスケベをいったりしたりでいつも怒るのはそれでなんだ。

277秋魚:2010/04/28(水) 03:36:36
(無題)
・・ゴールドマンの手口。日本では三井住友、ダイワあたりが近い。・・弥太郎の三菱はモルガンスタンレーと結託する。・・ブッシュ=小泉の目玉、郵政民営化の意味とは、ほとんど国債運用の郵貯を民営化によりまるごと市場への投資資本にふりむけるリスク志向だった。国民に下手な投資術を吹き込み大損をさせて奪い取るやり方だ。ブッシュ政権下ゴールドマン出身のポールソン財務長官の狡猾な手口にはまった日本政府、小泉=竹中だったが、安全資産の国債とか通貨そのものがやばくなってるのが、今のソヴリンリスクってやつ。・・金融危機をしのぐための量的緩和策によるドル、円など大量印刷と0金利。お金の価値がほとんど無にひとしくなる為、億万長者と無一文者の区別がなくなる。いずれも番号を刻印され強制収容所のガス室に送り込まれるわれと汝の関係やもしれぬ。孫正義はツイッターで出没するのはそういうつぶやきの獄舎のことだ。

>・・09年全ギリシャ社会運動の政権が成立すると、ゴールドマンは新政権内に足場を確保するためコーン社長がパパンドレウ首相と面会。パパコンスタンティヌ財務相のロンドン初訪問には幹部も同行した。「当時、政府はゴールドマンに25億ユーロ相当の国有資産の緊急民営化計画の取り扱いを一任するとの噂が絶えなかった」・・

・・ゴールドマン、恐るべし。



・・ユンちゃんの温泉にいった。・・雨がきついが合羽と傘で自転車で。いくと約束したからね。やれやれ、内心よろこんでいる。好きだから来てね。というんだ。そんなのキャバクラの女がよくいうセリフさあ、きっと。・・ところで、わたし最近きれいになってない。ふん、どうして。ちょっとね。・・ミトコンドリアを活発にするんよ。活性酸素を水素で殺してただの水にしちゃうの。若返りのサプリメントよ。・・そんなのオバアのやる知恵さ。きれいって、若い子はみなきれいだよ。・・女は子どもを産むともっときれいさ。

・・中国のもので欲しいものある。・・あるさ、いっぱい。きみの田舎の一番好きなもの写真でとってね。お母さんの写真とか。子どものとき遊んだ場所とか。

・・腰や背中にのってボディマッサージ。きょうはぴょんぴょんこちょこちょよく動く。きれいというより、子どもみたいでかわいいのはたしかだ。

278秋魚:2010/05/05(水) 04:09:46
(無題)
・・イタリアントマトを使ってシチューを作った。酸味のあるトマトの味を生かすうまい作り方があるはずだが、ジャガイモ、人参、玉ネギのほかにワインとジンジャーを加えるのは以前と同じ。コンソメも少し。酸味をつよくするのにレモンを半個絞るとよかったかも。今回は割愛。・・温泉帰りで空腹ゆえ時折味見しながらまあまあ食えるなというあたりで、パンを焼いて遅い食事になる。パンはメイプルシロップのふわふわというのが安くでていた。

・・先日ウエールズの友が夜食を作りたいというので職場のキッチンを使った。夜遅く申し訳ないといってラーメンスープにパンを浮かべたものを分けてきた。外人の連中で男で自炊するのは、素材をうまくつかって実に美味くつくる。

・・このところじゃがいも、人参、玉ネギというのが三種の神器さながら、それぞれ量の割合を工夫してシチュースープをつくるのが、楽しみになっている。肉はつかわない。じゃがいもは男爵は皮むきがいかにも大変。コックさんなんかでたくさん皮むきをする人はさぞかし大変でしょうね。アルジェリアの砂漠キャンプで同行したなんとかさんの姿がおもいやられる。男爵は長く煮るとくずれやすい。くずれる直前はいい味になる。玉ネギ主体のシチューというのも悪くない。味はやや甘い。

・・ユンちゃんの温泉は混んでた。もうすぐ田舎に一時帰省するというのできょう来てねというのだ。・・実はきょうは腹が立った。おみやげをくれるというので、普通はなんでもいいよというんだろうけど、自分はほしいものがいっぱいある。くれるというならできるだけいっぱいほしい。ハハ  ・・龍井には何もないという。田んぼはあるらしい。・・秋には山の実がでる。どんぐりだって。どんぐりを食べるの。どんぐり饅頭とか、どんぐり煎餅とかないのだろうか。・・龍井は何もないのよ。これが腹に立つ。何もないとは何だよ。・・じゃおみやげは無いというんだな。気持ちだけなんてのはダメだよ。お母さんがいるんだろ。・・まったく腹が立つ。ユンが日本で憶えたのは社交辞令だけだ。・・糞げんかをしたくなったが場所も時もわるい。・・だいいちユンちゃんは切れると恐い。なにをしでかすか分らない。

・・アメリカに行きたいという。・・そうだねチャイナタウンなら仕事もあるだろう。アングロサクソンの白人は子どもは相手にしない。きみは子どもにしかみられない。・・子どもと五分で付き合おうとすると犯罪になるから良識ある人は敬遠か無視する。・・それでも業がはたらくなら、たぶんきみ自身の問題・・

・・受付の女の子はかわいかった。・・温泉であらぬことを言ったりしたりで有名になったらしい。・・きょうはユンより受付嬢のがよかった。

279秋魚:2010/05/11(火) 02:20:45
(無題)
・・かろうじて曇り空。自転車に乗れる。きょうは川向こうの温泉まで。この道がもっともサイクリングに向いている。・・中毒ぎみのユンちゃんの温泉から解放される。ユンちゃんは3週間ばかり不在になる。ユンドンジュの故郷で抗日パルチザンの巣だった龍井。ルンジンがユンちゃんの田舎。ユンドンジュと同じ中学にあがった。ここの日本語教育はいわれあるものだった。キリスト教の牧師もやってきて教会もある。これは欧米の洗脳馴致の策にはちがいない。ユンドンジュもユンちゃんもクリスチャンだ。

・・ユンちゃんは龍井に帰った。何もないところという。何もなくはない。田んぼしかないなら田んぼがいい。龍井で米をつくってるなんてオドロキだ。冬はマイナス30度にもなるらしいが、夏はどうだろう。束の間の夏というのがあるんではないか。秋には山の実がたくさん出るというから夏もある。川を渡った朝鮮族がなんて肥沃な土地なんだといって、切り開いたのが龍井。農作ではじまったから食物はそこそこいいものを作ってるんではないか。稲を作る田んぼがあるという。かっと日が照らないと受粉しないはず。束の間の夏があってホタルも飛ぶだろう。きっと。・・何もないなんてウソだ。ほんとは自分もいって龍井の豊かさを発見したかった。で、いっしょに行こうといったんだ。

・・口から出まかせなんじゃない。でも行けない。・・おみやげが欲しい。

・・是政橋をわたる。川越街道、鎌倉街道が多摩川をよぎるのは、この是政橋あたりではないか。分倍河原は古戦場だし。・・夜の是政橋は趣がある。団地の明かりがもの悲しい。川を渡ったあたりはどこも隠微で暗い。日が当たってほんとは明るいはずなのにね。

・・朱蒙の頃。龍井は通らなかったか。母の柳花は川の神の娘という。そういえば縁はいつも川だった。柳花がゲボスと出会ったのも、朱蒙がソニアと出会ったのも。

・・龍井から川のあるところまでの道。また長白山に至る道。・・この二つの道がとてもいいものに思える。

280秋魚:2010/05/12(水) 03:27:34
(無題)
・・小雨なので合羽で自転車に乗る。あの職場の空気の悪いのを思えば外の雨などなんでもない。マイナスイオンがたくさんあって快いくらいだ。きょうもユンの温泉は割愛。玉川上水のスーパー銭湯にゆく。・・すばらしい温泉がわたしの周りに3つある。別のところに行くというとユンは嫉妬する。女がいるの?・・女といえば女だがそんなのではない。風水のプロがつくったというこの温泉はまことにすばらしい。自然樹をそのままつかって湯園をつくった。あらゆる空間に無駄がない。温泉にはいやな奴も来るものだが接触されない。親和力がただよう。遠いところに来て時間を保てる。ここの岩盤浴もいい。・・爆音をたてながら横田基地から飛行機がとんでいく。すぐ頭の上を。・・木をつたって、屋根をつたって雨水が散りながら落ちてくる。この水の落下がじつに楽しいと、きょう気がついた。マイナスイオンがいっぱいだ。・・岩盤浴のナレーションもジェットストリームの城達也みたいな声だ。

・・水素力という水を2百円で買った。これだな、ユンちゃんが飲んでるやつは。活性酸素の悪玉と善玉がいて悪玉だけを水素が殺して水にする。若返りの水だそうだ。・・飲んでみる。すこし重い感じのただの水だが。・・後、こころもち足が軽くなる。

・・緑茶の石鹸というのも出ていた。1280円もする。・・これは伊藤園ではなさそうだが、おもしろいものをつくる。緑茶ビールというのができないものか。

・・四万温泉につかりながら、ハハ、サッカー日本代表川口とか、ヤワラちゃんが民主党から出馬とか、いろいろだな。・・民主は落ち目の党だが、それでも第一党の政権与党。とりあえず一番目立つところからでるというのがヤワラ流。青森の美人議員は自民党ではいかにも古すぎる。演歌だね。

・・時は今、ソブリンリスク。・・ギリシャの労働者はみどころありか。人が化石のように生きていると思ったもんだけど。・・アテネオリンピックには無駄な金を使いすぎた。国が財政破綻してつぶれそうなんざ、かつてないことだ。・・連鎖危機、あたらしいタイプの金融危機か。

281秋魚:2010/05/19(水) 01:52:19
(無題)
・・絶好の自転車日和。五月のさわやかな風の中、温泉にゆく。何だろう、この香る空気は。小さな花が咲いている。バラや芍薬も。武蔵野の雑木ではウグイスも鳴く。あ、カッコウ。音はたてれど姿は見えぬ。ペダルこぐ足も軽い。

・・玉川上水を越えて、女子学生の帰る道。昔のような話し声。るんるんと温泉に着く。しばらく来なかったが、受付嬢とかもとのまま。レストランで働く人も感じのよい人で、リラクゼイションはユンちゃんのおかげですこし顔を覚えた。客はみな他人だが、ここが一番親和性がある。余計な話をしないのがいい。

・・アロマの香りサウナでは、きょうはフィヒテ。哲学者の名前のようでも、ヒノキの仲間だそうだ。・・そうフィヒテが目に沁みる。最近はコンピュータのやりすぎで目がかすむ。外で遊ぶべきかも。

・・きょうのビールは特段にうまい。温泉でこのところ話をしすぎた。ひたすら黙して体を緩める。・・あとはビール。

・・ギリシャはオリンピックなどやって観光の大判振舞いをした。昔から観光立国で物見客を集めてそれだけで生活も成り立ったところ。失業者がでれば公務につかせる。五人に一人は公務員だとさ。近年は観光を大消費して燃え尽きてるんじゃないか。人間はみな化石ばかりと思っていた。・・労働者が過激なデモをする。国の財政危機はオイラの所為ではない。

・・スパルタ300という映画をみた。ギリシャとペルシャの戦争で、先兵となって戦ったスパルタのレオニダス。たった300人で数万もの敵と戦う。クセルクセスというペルシャ王のアジアがひどく野蛮に貶められていたけどどんなものか。スパルタの生の美学が売りらしい。

・・それにしてもこうやって映画とかギリシャもすっかり種が出尽くしたかも。自分もエーゲ海は夏の盛りに経巡ったことはある。まあ何もないところだ。ギリシャは。・・そこと較べたらユンちゃんの龍井は田んぼばかりといってもっといいところ。おそらくプルーストならコンブレイ=龍井のすばらしい失われし時を求めての小説を書くだろう。

・・朱蒙の末裔よ。

282秋魚:2010/05/26(水) 04:42:20
(無題)
・・よく晴れた。半袖Tシャツで外に出る。・・ユンちゃんが不在になるとまるで他者が無くなるこの日記。読んでる人はつまらんだろうね。自分もつまらない。が、他者が豊富な人はそちらで頑張るとよい。・・他者とは何か。

・・俊輔は足がまったくダメだ。三足烏の日本代表から外すべきだった。もう選んでしまったから仕方ない。ダミー司令塔で使って、本司令は遠藤がやるとよい。・・代表に選ばれてヘラヘラテレビにでてる連中はみな緊張がたりない。本番前につぶれて3連敗が濃厚。・・いいのは森本だけ。

・・「ラホールの副領事」というヂュラスの小説を持ち歩いている。電車の中ではとても読めない。外ではまずい。・・デュラスのような小説を書きたいが。・・どんどん書けなくなってゆく。・・でもあれは女のものだよ。永遠に書けないかも。

・・貧困と飢え。・・北朝鮮の画像展というのをテレビニュースでちらと見た。そういえば北の画像はあまりお目にかからない。ネットで検索すれば幾つかは見れる。・・センスある人が未発掘の北の画像を集めた。・・ちらと見た限り、凄惨。いわゆる輪郭ボケで、色彩も形容しがたい地の色だ。・・なぜか。

・・小林多喜二なんか、拘置所で拷問にあい死体の写真がある。そういうのに似ている。痛々しい肉体がある。・・学徒出陣とか特攻にでる日本人の写真は時々見るが、どれも美しい。対極ですね。

・・ユンちゃんの龍井はネットでさがすとおもしろい。というか、googleは中国から撤退とかでまともに画像が開かない。いろいろ検閲ぽいのが多くていやな感じ。

・・北と中国の国境に近い集安には高句麗遺跡が多い。これは白頭山の南で、北の方がユンちゃんの龍井。朱蒙の頃は沃沮、オクチョと呼ばれていた。扶余はもっと上で黒竜江あたりに接していた。オクチョは今のウラジオストクあたりから船で日本海を南下すれば半島の新羅や列島の出雲、敦賀あたりにも交通ができただろう。日本との関わりは深い。

・・温泉にいった。ビールを飲みながら日本=シュメール国家説というのを考えた。

283秋魚:2010/06/08(火) 01:12:23
(無題)
・・韓国の哨戒艦沈没事件。これが北の魚雷によるというのは、あやしい。本当なら半島でまたドンパチはじまるはずだが。たぶん、ならない。

・・今をときめくソブリンリスク。ギリシャが一段落と思ったら今度はハンガリー。政権が変わって調査したら前政権が巨額の債務超過を隠していたという。財政悪化の末は国債などのデフォルトということになる。・・サブプライムローン問題からリーマンショック、金融危機を回避し景気を立て直すために各国の巨額の財政出動があった。大量の金融緩和と債券の発行。・・巨額の借金をかかえた赤字財政がここ数年の各国の実情だった。

・・やばい。もう3ケ月後くらいにどこかの国がデフォルトするのでないか。リーマンショックのように。国が破産して債券が回収できなくなれば、CDFなど前回の金融危機と同じで各国の中央銀行がやられる。というより今度は国の財政出動がきかない。金融の、国の連鎖破綻というのが実際に起きるかもしれない。

・・生田淳一郎さんから、便りあり。

 よちふりて シムシムシムと 蝉しぐれ

・・そうですね。説明されないとわからない。わたしなんかもよくつくりますが、そうやって暗号のように読めるものは、好きです。「蝉しぐれ」というだれでもわかる言葉が、詩をもって生きてくる。「よちふりて」というのは感傷をおさえてせつない知のことばです。・・「シムシムシム」は電網の2進法のようで、逆に「蝉しぐれ」がよく聞こえて強烈でしょう。

284秋魚:2010/06/09(水) 02:46:21
(無題)
・・自転車日和。・・テレビで見たが、知らぬ間にパリでもニューヨークでも自転車が流行っているらしい。リーマンショック以降GMも潰れたし回帰すべきはやはり自転車と自らの足。下手な労働よりかは身近な温泉。・・こつこつ貯蓄よりかは競馬に株にバクチしてこれでは持たない人生、もとめる慰安婦はすれて疲れるだけだからみな自転車で温泉にゆくようになる。

・・日本橋から銚子の灯台まで徒歩でゆく旅の番組があった。これは有名人が2日おきにリレーでつなげるものだ。・・デビ夫人なんてのがアンカーででてきた。あんな痩せてて派手派手で一時間も歩けるものかと思っていたら、どっこい初日は宿が見つからず夜半過ぎまで歩き続けた。判断力、行動力といいさすがに強いのがよくわかる。・・この種の徒歩の旅はもう30代の頃によくヨーロッパでやったものだ。ロマネスクの修道院までえいっ歩いちゃえというやつだ。・・デビ夫人はえらい。

・・自転車は谷垣総裁も乗るらしい。忌野清志瑯も乗る。・・管首相は徒歩でお遍路さんだった。温泉フリークは有名無名爆発的に増えている。・・酒とたばこで糖尿病を患う人はかわいそうに、自転車とサウナの効果に耳もかさない。・・アメリカ人は株好きで、最近の中国人もみな株をやる。・・日本人はこつこつ貯蓄というのが国債という一番の安全資産でただ老いてゆく。・・酒とケイバは路上生活してもやめられないものらしい。・・自転車と温泉のがハイレベルなんだ。

・・みんなみんなバクチをやってレバレッジをあげて国が無い金を使うようになった。借金だらけだね。けっこう毛だらけ猫灰だらけってやつ。・・ハンガリーはふざけてる。金が無い無いといってギリシャのまねをしてIMFやユーロ圏の国からもの乞いをするつもりだ。ヨロッパ共同体のなかでギリシャはともかく次に本格的にデフォルトしそうな国があらわれるともうドイツ、フランスは助けないのではないか。つまりリーマンブラザースのように自己破産させる。借金をパアにするのだ。・・あと3ケ月ごくらいにそんなことが起きそうだ。

・・緑茶を飲もう。俳句の伊藤園はえらい。・・緑茶ビールというのを夢想した。アサヒがお茶酎ハイというのを出した。試したがこれはダメ。緑茶の風味はアルコールと合わない。コーラのような炭酸系とも合わない。緑茶ビールというのは二律背反の商品です。

・・米国で緑茶がヒットしたら、すごい。

285秋魚:2010/06/29(火) 20:00:13
(無題)
・・ハハ、今日は時間が無い。これから東京駅にでる。ビジネスホテルに一泊して明日はJ社の株主総会へ。すったもんだの日々だ。

・・ユンちゃんの温泉にいってきたところだ。いろいろ発見があってこれを書いているがほんとに時間が無い。・・ユンには故あって5月4日より会っていない。今日も遠くから見かけたがシカトした。髪の染色を落としたからという訳ではないが、ほんとに他人にみえた。まあ、私という客がいなくても元気にやっているということだから、特に問題はあるまい。

・・ビールがうまい。会社で休みが一日増えそうだからますますいいことだ。受付の女の子は美人だが、出張マッサージでもやってくれといってもやりそうにもない。堅そうですね。・・もうひとり受け付けにいる女の子は地味で目立たないが何でも言うことをきいてくれそうだ。これは発見。

・・ところで今日は時間が無い。日本とパラグアイのサッカー戦がある。・・ホテルでみよう。

・・さあ、準備の時間だ。つづきはまた今度。

286秋魚:2010/07/07(水) 01:36:56
(無題)
・・いよいよ選挙。・・株主総会の帰り新橋の駅の近くにタイゾウがいた。握手をもとめてきたが拒否されていた。・・選挙。実はあまり関心が無い。菅政権の消費税選挙の態だが、経済のことはどんぶり勘定のことで、ギリシャのソブリンリスクが頭にあるだけだ。日本の国債9割が自国で購入というのが身内の借金というので日本のソブリンリスクは無視されている。・・元高がすすめば中国の日本買いがすすむだろう。日本の水が会社ごとそっくり持っていかれるかもしれない。日本の風力発電だってスマートグリッドの技術といっしょに中国が丸ごと買えばこんないいことはない。(いいわけがない。日本のプライドはどうした。日本の水。富士山の水。六甲の水。谷川岳の水。すべて持ってかれるかも。)

・・東京駅から八重洲北口をずっと日本橋の方に歩いていく。「お兄さん。気持ちよくしたゲル。3千円ぽっきりよ。」ああここにもマッサージの中国人が多い。ちょっと流し目をすると寄って来て客引きをする。いったん服を脱いだら身ぐるみ剥がれそうで寒気がする。彼女らも必死なんだ。・・ユンちゃんみたいなかわいいのもいない。さっさとあきらめだね。

・・中国はあらゆる方策で日本の買い叩きをやるんじゃないか。あるいは国ごと乗っ取られるかも。・・最近は日本の国債を中国が買い始めたということだ。

・・そういえばユンちゃんは中国人だった。・・多摩川を自転車で渡ってこの温泉はひさしぶり。大麦若葉の青汁がいっぱい百円で、これを飲んでみた。抹茶風味でわるくない。すっかりヒットしたこの温泉。タトゥ無い客なら誰でもというので一般庶民のだれかれがやってくるので落ち着かない風もある。・・岩盤浴は空いていてよかった。自分は眠りがたりないので何をしてもいまいちだが。

・・ところでユンちゃんにはもう2か月会ってない。・・自分を紹介しようと思ってずい分迷ったことがある。ただの客ですよというのがあの子の理解らしい。・・哀しいね。

・・哀しみのプロフェショナル。

287秋魚:2010/07/10(土) 22:23:52
(無題)
・・ゆかい、ゆかい。飛蚊症になった。目の中に虫が飛んだりみえる病だ。もう8年間も睡眠不足をつづけパソコンで目を酷使し続けたつけがついに来たか。網膜剥離とか緑内症とかへんな病気で失明したりすんではないか。あわてて眼科の医者にゆく。

・・最近は安売りのドラッグストアでも薬剤師を置いている。飛蚊症について知識ある人に片端からきいてゆく。目薬はきかないそうだ。網膜剥離とかはやばい。白内症の気もある。けっきょく町医者はダメでやや大きなメディカルセンターの眼科を紹介してもらった。・・いってみてびっくり。患者、患者、患者の群れ。ここはうまい目医者で評判らしい。待てどくらせど順番がこない。意を決して待ち時間をきくとちょうど呼ぼうとしていたと。でも最初の検査をしてあと半分は日をあらためてということでした。あと30人待たねばなりませんから。

・・資料館の女の子と話す機会があった。左目が悪いのでどうしてもつぶってしまう。それがウインクしてるようにみえるのか、女の子もうれしそうな顔をする。たんなる誤解なんだけどそうしてますます女の子はかわいくみえる。好意をしめすどこではない。目が潰れるかもよ。

・・目医者の先生は切れ者のようだった。わたしはいい患者ではなかった。目の底をのぞかれることにつよい拒否反応をしめした。さ、力をいれないで普通に。とはいうが今日も寝不足でまぶたが落ちる。もうまったくしかられてなんとか検査をおえた。・・硝子体出血というので一週間ほど様子見。自然治癒をまつということだった。ああ変な病気でなくてよかった。一安心。・・どうしてこうなったか。心当たりをいろいろ話すが先生は聞き流していた。いまどうなってるかそれがわかればいいようだった。他に患者はいっぱいいる。

・・終って一眠りして、ユンちゃんの温泉に行く。温泉のサウナはほんとは目にわるい。ユンは不在だった。レストランでまたビールを飲んだ。うまい。・・武蔵野うどんという自慢のメニューも注文してみた。野菜がいろいろあってこれはうまい!うまいものもいつ食べられなくなるかわかったものでない。娑婆にいられるうちに味わっておこうという、しみったれた思いになった。しかしここのレストラン、温泉のオウナーは誰だろう。まったく気が利いている。

・・きょうは目の検査をするといって、仕事を休んだ。温泉にいっていい気分だ。ハハ

288秋魚:2010/07/13(火) 23:13:46
(無題)
・・ゆかいゆかいどこでない。ほんとはやばい。硝子体出血で視力が落ちたりしたらたぶんやばかった。両目とも1.2あった。網膜剥離かもしれなかった。いまは様子見で、これを理由に仕事を休んだりできる。ハハ・・会社の人とかまわりの者は結局わたしの目の病など気づかってない。病で欠落した部分の処理の問題で各自に危害がおよばなければいい。わたしの病でかえって楽しくなる人もいるようだ。人の不幸が自分の幸福を自覚させるようなこともある。

・・眼帯をして歩く。自転車に乗る。なんか危ないね。何度か人や車にぶつかりそうになる。片目というのは距離感がくずれるし視界もせまく焦点ぼけでくらくらするし疲れるものだ。柳生ジュウベエとか独眼流正宗とか、慣れればなんとか強く生きられるものおだろうか。根性がしょぼいと全盲よりかはましと思って生きるかも。

・・温泉に行く。サウナはよくない。血管が広がったり収縮したり眼底の出血がまたあったらまずい。飛蚊症の虫が増えてはいない。これが消えるのに2〜3カ月かかるという。でも治るならいい。ああ、何かが起こるとは思っていた。もう無理はするなということだろう。

・・ユンは今日も不在。・・哀しみのプロフェショナルとは自分のことではない。龍井出身のユンの哀しみなんてわたしにはとてもわからない。哀しみを感じていてはいけないから気を強く持つ。人の哀しみはけして共有して溺れない。・・そうして勝気に生きてもさらに人の哀しみに捕らわれることがあるだろう。ユンだって人が身籠ることの意味をきっといつかは理解するはずだ。

・・そういえば、今度の飛蚊症はゆかいゆかい。まるで子どもを身籠ったかのようだよ。ああ病には未来がある。

・・レストランでいつものビールセット。キビナゴの唐揚げではなくツブ貝のワサビ漬けでなんかここのツマミは胡瓜とかまでひどく美味い。料理人のお姉さんのサービスかも。

289秋魚:2010/07/21(水) 03:10:19
(無題)
・・飛蚊症はまだまだ。検査の時、眼底の写真をとったので自分のを見ることができた。毛細血管が集まっているのは視神経も同じなのか。眼底はしっかりしてる。光が底にとどくプールの硝子体が左目ので濁っていた。墨のようにみえたのは攪拌した血で飛蚊症は硝子体の出血のことだった。飛んでる虫はやや大人しくなった。治りそうだ。

・・ユンちゃんの温泉にゆく。アラお久しぶり。きょうはいかが。・・あいかわらず何事もなかったようで可愛らしい。シカトはしなかったが、疲れきっていたし目もよくない。ウインクしながら温泉へ。・・たぶんサウナは目にはよくない。炭酸泉というのがひどく気持ちよい。足腰も疲れてだるいのがやや回復。

・・ビールを飲む。沫の下のビールを飲んだ。酸化されてなくて美味い。なるほどね沫のあるうちにずんずん飲める。モロキュウでここの胡瓜も美味い。たかが胡瓜といってはいけない。甘く美味い。

・・イタリアのリボルノから客人がみえてる。トスカナ地方でピサに近い。フィレンツェにも。列車で通ったことはある。・・アメデオ・モディリアーニ(画家) はここの出身とか。美少年の彼は柔道を習いに日本に来ている。・・やはりすごいのは加納師範。

・・フランスのリモージュから来ているもうひとりの彼。・・梅雨があけたので富士山に登るという。麓から歩いて体と精神を鍛えるという。これは昔自分がやったことだ。あわよくばご来光も拝める。・・さすがフランス人。

・・日本の柔道はいま形の深みへ。・・俳句の形の深みと同じかも。

・・ソフトバンクの孫正義はえらい。日本人として日本経済の成長を強く訴えていた。
・・京セラの稲盛和夫さんも、日航再建は最後の大仕事。・・情報革命も交通インフラも根幹は同じ。・・むずかしい時代だが。

290秋魚:2010/07/28(水) 04:14:37
(無題)
・・暑い。猛暑の夏でよかった。ビールが美味い。・・と思っていたが、嘘。水が一番美味い。もちろん天然水。・・天然水ブームは下火で、糖質ゼロ飲料が流行ってるそうだ。おかげで天然水が安く買える。・・アサヒが沖縄のオリオンビールを本土向けに売り出したものやシークァーサーとレモンの酎ハイなども美味いが、天然水のドンが一番。・・天然水にもいろいろあってもっと区別すべきだろうが、直近で飲んだのは富士川源流水で軟水だという。富士山の雪解け水が地中にしみこんで麓で湧き出たものだ。軟水と硬水の区別も味でよくわからぬものの、これは美味い。

ラジオフランスインターナショナル・・RFI、ラジオフランスインターナショナルを聞いている。・・といってもちんぷんかんぷんだが。せっかく外人の多いところで働いていて、これくらいのフランス語放送はすっかりわかるようになりたいものだ。・・いきなりジャンルイバローが登場した。バローってまだ生きてるんだっけ。なんでも環境大臣とかの発言で彼も政治家になったか。バローの話すフランス語は「天井桟敷の人々」で憶えている。ゆっくりとアーティキュレーションの際立ったよい話し方だ。・・でたしかにバローの声だ。

・・ユーロ圏はせまい。これに憧れて時間をつかうと老いがむずかしい。・・それにしても水が美味い。また飲んだ。後味の問題だ。・・ラジオフランスインターナショナルを聞いて楽しむ秘密がある。フランスキュルチュールでは駄目。・・老後は。

・・ユンちゃんの温泉のレストラン。ビールを沫の下から飲む方法でトライしたが、今日は駄目。入れ方が美味くない。混んでた為か給仕の時点でこぼれたり沫が少なかったり、つまみも雑なつくりで味が落ちた。

・・わたしのユンちゃんに対する思い入れ。ユンちゃんのわたしに対する思い入れ。それぞれ水入りということで今はあまり話したくはない。龍井のユンを開くならいつでも相手になりましょう。

・・ドーベバーイ。どこいくの。・・きょうは若いイタリアーナに声かけた。バッチリ通じた。

・・ハハ、これも秘密。

291秋魚:2010/08/04(水) 03:52:42
(無題)
・・暑い、が夏らしくてよい。この夏はイタリア人がいっぱい。イタリア旅行の気分。・・PIGSなど呼ばれてイタリアもギリシャなどと同じく財政危機がいつ表面化するか危ぶまれている。ユーロ以前のリラは、好きな呼び名だったが、昔から貨幣価値が落ちて何万リラでパンを買う気分があった。それでもイタリア人は壷の中に貯金をして生活は豊かだといわれた。不景気な時代でもよく旅をする。

・・日本酒で宴会だったらしい。瓶に残ったものをお裾分けしてもらった。ワインの美味い国でも日本酒の狙いどころは気が利いている。・・仕事がひけて飲んだ。とても美味い。わずかだが、酔いが一気にやってくる。・・酔いを分かち合うのが人生の礼かもね。

・・目は飛蚊症の虫がだいぶ薄れて小さくなった。酒とサウナなどはよくないようだ。とはいってもたまの休みはやめられぬ。・・旅をしなくなって温泉をめぐるようになった。トリップの工夫には変わりない。・・友近の温泉学などというのもでてきてるが、自分のもので充分だ。自己充足とリラクゼイションは人にしゃべるとパアになる。

・・ユンは元気なようだ。客の接待が好きだといってたから、自分がいなくてもうまくやるだろう。猫のユズのように自分が急に不在になって事故にあうこともないだろう。互いに執着する理由も無い。

・・イナダの頭とトウガン、絹の生揚げ、生姜、酒、醤油などで、汁をつくった。闇汁のていだが、あまりバランスの悪いものを入れるとまずくなる。・・シークワサーのハイボールで、これが食事。小雪が宣伝してるハイボールは昔風の酒で流行のようだ、自分はどうもね。・・イナダは天然もので、目のドロッとしたものも食べた。ハハ、これが目玉の硝子体。まあ残酷に魚のものは食べてしまうのだから、自分のが少々出血したといって騒ぐこともない。

・・目が悪くなったので、CDで音楽を聞く。キョンファチョンのバイオリンでベートーベンのヴァイオリン協奏曲とかブルッフのそれとか、いい音楽だ。

・・目がよくなってきたら、見つめるものをよく考えねば、ね。

292秋魚:2010/08/05(木) 01:28:46
(無題)
・・目の病を理由に有休をとった。なんでもいい。休みがとれれば。・・多摩川のむこうの温泉にゆくのもひさしぶり。前回はここの岩盤浴とサウナで目をやられた。風邪をひいていたし念入りなサウナはよくなかったろう。眼底の毛細血管でウイルスと白血球がたたかって潰れた血が硝子体に流れただろう。夏の溶岩の間など刺激が強すぎた。飛蚊症は暗闇で急にピカッと光るなどまだ網膜剥離の気がある。昼の紫外線は硝子体の活性酸素を暴れさせ瞳を傷つける。UVカットのサングラスを買った。眼帯をつけて出勤というよりサングラスで出勤の方がいいかもね。

・・わたしの自転車、ハヤブサがすこし傷んだ。ペダルをこぐと変な音がする。自転車店にみせにゆくと、チェーンがゆるんでるという。ペダルがおかしいのだよ。プロの自転車やのくせにものわかりが悪い。けっきょく自分の見立てのとおりの修理になった。

・・ハヤブサに乗ってNECの工場のある道を走った。帰宅の社員がいっぱい。そういえばあのハヤブサはNECがつくったらしい。いろいろ故障が多いのはいかにもNECらしいが、こんなことをいうと怒られそう。でもあのハヤブサはたいしたものだ。

・・サングラスの風景は夕日の色に染まる。へえー面白いもんだね。馴れる前に事故にあわねばよいが。でもまっさらな風景も時々見たくなる。ハハ、サングラスはいい。

・・きょうはフランスキュルチュール。論じる学者のラジオ。・・すごいノスタルジアだが、これでもない。もっと別のノスタルジアが恋しい。

293秋魚:2010/08/11(水) 17:01:40
(無題)
・・電気自動車はバッテリ搭載で全体の形が悪くなる。バッテリ電池の工夫でコストもデザインもこれから改善ですね。・・近くにクライスラーの販売所がある。エンジン車のクラシックなのがけっこう人気してるらしい。・・どっちにしろ自分には関係ない。

・・自転車のいいものを3台も4台も所有して乗るのが希望だ。体力とひまな時間が要る。・・土地をもつならやはり体力のあるうちに野菜、果実を育ててみたい。甥の嫁子の実家が昔農家だったらしい。頭を下げて引退するかな。

・・温泉経営も夢だが、ユンちゃんみたいのに捕まりそうでめんどうだ。やはりトリップ専門の温泉フリークでいいかも。

・・日本にはじめて来たオランダの女の子がいる。夏の講習で柔道を習い、あとは京都、広島へちょうど8月6日につくようにツアーを組んだ。なんか東京から京都にゆくとみな感動するらしい。広島にゆくというのはすごい。かなりまじめな精神。・・いってもどってくる間、重い荷物をあずかりましょう。

・・風車をセラミックでつくったものをおみやげにもらった。・・若くていいなあ。ナイストリップ!

294秋魚:2010/08/18(水) 04:31:12
(無題)
・・なんて暑いんだ。外に出ると気持ちがよい。サングラスと帽子が決まってる。サングラスは自分の目線が隠れているようでマジックミラーで外界を見るようだ。透明人間にでもなったようで電車の中の女の子などよく観察できる。わたしのサングラスの面相は悪いそうで変なチンピラが眼をつけてると女の子など思うかもしれない。でも、最近わかったことだが、女の子はチンピラみたいなのに眼をつけられるの喜んでるみたいだ。グラサンはスケベ根性を助長するのは、たしか。

・・最近は、職場でも美人が多い。帰国子女のTKさんは名前が亡くなった姪と同じでとても可愛かったが派遣ですぐいなくなった。弁護士をめざしてとかで演説口調のしゃべりの中で微笑みかけるのがよかった。この子は若い。ミニサイクルのいい自転車で通っていた。・・その後、新人で若くはないがいい美人が着任してる。

・・歯医者にいた衛生士の女の子はブスだったが、可愛かった。おじさんが真剣になりそうなので警戒したようだ。・・ここも美人が多い。

・・ユンちゃんの温泉は、受付にすごい美人がいる。いつも遠くから見るのが楽しみだ。いわゆる美人というのには自分は興味が無い。美人と思ってる人は疲れるもんだ。

・・フィリピンから来た若い女子学生はみな美人だった。昔アメリカの美術家の家にいたメイドのフィリピン女性とすこし話したことがある。まわりにいた女の子たちは出稼ぎでやや暗かった。今度の若い子たちはあか抜けしてみんな美人だね。

・・ウラジオストクの女性は、美人か超美人しかいない。ほんとだ。あの町はアムール川の河口で、おもしろそうだ。

・・自分も若かったらウラジオストクに留学でもしたい。

295秋魚:2010/08/19(木) 00:56:55
(無題)
・・Radiofranceinternational、Rfiを聞いている。日本人のシャンソン歌手が出てきて、ゴダールの映画のファンだという。「気狂いピエロ」のアンナカリーナが歌なんか歌ってるんだ。アンナカリーナ型の女の子は今でも時々見かける。普通の女の子だが革命志向の過激さも秘めている。あくまで凡俗なとこがいい。このシャンソン歌手誰だろう。若くはないが、やはりインタネットでRfiを聞いているという。みんなノスタルジーだね。

・・飛蚊症はほんとに治るのか、すこし薄くなってきたが、まだまだ。眼の治療を理由にきょうも連休。温泉にいってサウナ、岩盤浴はほんとはよくないのだろう。・・パソコンもよくない。・・でも、えい!網膜剥離はないと見た。

・・駅のデパートでメキシカンマンゴ、いちじく、ツブ貝とイワシの鮨を買う。枕カバーは百円ショップにあった。座布団も擦り切れて新しいカバーが要る。これはダイエーで安いのが買えた。・・こういう買い物もひさいぶり。いちじくは高価なものだが胃にはやさしい。

・・水が美味いなどいってるうちはよかった。こんな暑いんじゃ朝からビールで、果物酎ハイもぐびぐびですぐ玉の汗がでる。はやく自転車で温泉に出かけるに限る。

・・卑弥呼の邪馬壱国はもうすぐ佳境をむかえるかも。眼がわるくなったら見詰めるものはひとつになる。卑弥呼が誰かも、わかる。

・・温泉の湯は、きょうは、特別にぬるぬるだった。源泉に手を加えず生でかけ流しをしてるという。1700メートル地下のずっと昔の海水だ。これで充分トリップできる。

・・深層海洋水を使った伊藤園の「天然水サイダー」は美味い!たしかにほんものの海洋水を使ってるのだろう。・・重厚な味だが、後味はすっきり。

296秋魚:2010/08/25(水) 01:03:43
(無題)
・・飛蚊症の虫はだいぶ薄れてきた。よし、この猛暑はサングラスで乗り切れ。・・眼がわるい。盲人ですよ。

・・車に轢かれたひょっとこのお面を供養する。祭りだ、祭りだ。・・友近はセンスある。

・・バーデンバーデンにも温泉がある。ユンちゃんの温泉の主はここのリポートを書いてる。ほんとに行ってみたらしい。昔のローマ時代の温泉。

・・「10分経ったら時間を忘れ、20分経ったら世界を忘れる。」 ・・なるほど、よくいったもんだ。・・サウナなんざバプテスマだよ。

・・沫の下の生ビールが美味い。・・トウガンと厚揚げと真鯛のお頭を煮て、食べた。真鯛の目玉は硝子体を食うのが楽しみだ。目でたいことだ。目玉を食うのはキジムナア。トウガンは酒をいれてやわらかく煮えた。

・・ソロモンは鯖を食べた。卑弥呼も鯖を食べた。・・丁字路は三足烏。オリオンの三ツ星も三足烏。・・倭国大乱はオシリスの散った肉体。卑弥呼はシリウス。

297:2010/09/01(水) 05:03:19
(無題)
・・飛蚊症はかれこれ2ケ月。硝子体の新陳代謝で虫がそろそろ消えてくはずだ。パソコンとか睡眠不足はよくないだろう。極力抑えてきて虫もなんとか消えそうだ。・・電車に乗ると、ケイタイでお経のように眺めてる人が多い。字も小さいしあんなんでみな目が見えるのだろか。本などは文庫本の小さいのが好きだったが、もう駄目だ。若者たちの情報革命はミニチュアが主流か。ケイタイが大流行。

・・魏志倭人伝。さいごの貢物にある「孔青大句珠二枚」とは、なにか。・・孔青と大句珠で分ける。大句珠は大クシュ、大クフでエジプトの王。そのピラミッドにあるシャフトの孔がシリウス、青星を見ている。・・つまりクフ王とシリウスが通じてるわけだ。それが二枚。

・・ヘリオティカルライジングというのがある。夏至のころ東の空に未明の朝太陽がのぼると同時にシリウスものぼるという。古代エジプトではこの時以降ナイルが氾濫する。太陽と副太陽の光りの競演がある。

・・卑弥呼(壱與)はクフ王に意を通じたわけだ。

・・孔青の孔は孔子のことである。青はシリウス。イシス。・・孔子の生まれた曲阜クフに通じた。・・阜とは十字架に架かる者。曲は勾玉の勾りに同じ。・・ゴッホの教会に向かう道といったところか。

・・魏志における最後の遣使は山東半島から入って曲阜に向かったと思われる。

・・暑い。水風呂が一番。

・・

298秋魚:2010/09/08(水) 01:29:04
(無題)
・・暑い。レモンスライスの氷菓とか苦い味までいける。温泉は極楽だが長居はできない。どこでも長くいられない。長い睡眠も。・・氷割りのシークワサー果実の瞬間を飲んだ。いわゆる酎ハイは果実酒のあっさりしたのがいいようだ。スラットとか。今年いいなと思ってもあきられるともう次の年はない。シークワサーは国産といっても沖縄みかんだからあたりまえのことだ。おしなべて飲料業界明治の評価が高いようだが、各社品質を競い合っていいものがでる。UCCの無糖ブラックもいい。伊藤園は緑茶をはじめすべて高水準。天然水サイダーがお気に入りだ。海洋深層水0.2%といってもほんとに入っていい味がだせるなら美味い。

・・にしても香料とか甘味料とかいろいろ入ってる水物はあまり取らないほうがいい。皮膚がかぶれてかゆくなる。天然水が一番。・・ビールは麦の精でアルコールはクースーだから健康にもよい。クス、クシは酒のことで、コシ、越は波をこえる。

・・ジンバブエのS氏が今年もやってきた。足の動きがぎこちなく、パーキンソン病だという。そんな病気なんでなるねん。食が悪い。

・・ビクトリア湖の滝はすごい。無数の虹が散っている。

・・松井冬子は紫に嗜好があるという。ほんとは紫外線だろうけどあれはあまり人体にはよくない。・・フェニキアの紫は海を越えてヤマトの高貴な色となった。紫は赤と青をまぜてなる。・・朱と赤は別物だが、あけもどろのシリウスは幽玄な紫を産むのではないか。

・・密かに、妄想している。

299秋魚:2010/09/09(木) 03:17:07
(無題)
・・台風が来てるとかでこ一時間ほど驟雨があった。この雨なら夕方から夜は自転車に乗れる。カッパを用意して多摩川越えの温泉サイクリングと決めた。目がやられて2ケ月、飛蚊症はだいぶ薄れたがまだ影が飛んでいる。完治しなくてもこの程度なら問題ない。自転車と温泉は幸せだ。

・・この温泉、リーマンショック後経営の落ち込んだ建設会社が起死回生の事業でとりくんだ。無駄を省いてせいいっぱいいいものを造った。低価格にしてともかく人を集めることに腐心した。で、評判で多くの人が押しかけた。今でも変わらない。・・だいぶ業績ももちなおしたということだったが、ついに倒産。・・いまは読売ランドが経営してる。

・・雨降りとかで、人もそれなり。ここの岩盤浴はすてがたい。春夏秋冬と楽しめる。

・・五体満足で自転車に乗れるのは、ほんとに幸せだ。・・寺島しのぶという女優がよくテレビにでてる。「キャタピラー」という映画で熱演したとかで、外国で賞などもらい、話もする。・・フランス人と結婚したとかで、でも私生活は英語でやるんだって。・・なんかすごい日本人だね。・・寺島しのぶともうひとりのしのぶ、大竹しのぶなんかもすごい女優になったもんだ。忌野清志朗のJUMPなんか歌ってるんだから。

・・後楽園ラクアのライブステージで人だかりがあった。・・nice chance for you 倉木麻衣というたいへんスタイルのよい歌手を遠目でみた。この人は今風なんだ。若い人が多い。

・・しかし、倭国大乱。

300秋魚:2010/09/16(木) 01:02:04
(無題)
・・また鯛の目玉を食べた。トウガンと生揚げで煮てほんとはトウガンが目当てだ。目玉は飛蚊症に対するお呪い。だいぶ薄くなったがまだ有る。夜の仕事とパソコンで硝子体全体が疲労老化してるのかも。このままか。外に出て遠くの緑とか見つめるのがいい。サングラスはそろそろ外すかな。

・・世界選手権柔道。女子無差別級で杉本美香の決勝の相手、中国の何某は、決勝に上がるまですべて相手の反則勝ちできた。杉本は大方一本だ。反則ばかりで優勝してもおもしろくないだろう。あんなので勝てるわけがない。・・案の定、杉本の勝ち。

・・それにしても中国。尖閣諸島近海での事件といい、あいかわらず強権ですね。ああやっていつも喧嘩腰なのは、どうも打つ手がない。日本は平和憲法で丸腰だからしょうがないじゃん。

・・今日の為替介入。一部で愚策との声もあるが、わたしは評価する。資金投与でドル買い、円の大量消費で、円安を目論む。パールハーバーのような奇襲だからトレーダーは慌てるだろうね。資金回収しないというのはすべて神風特攻隊、元祖自爆テロといったところ。円は造幣局で大量に刷って刷ってすりまくる。というか今はコンピュータ上の数字でしかないという話もある。日銀の白川総裁のお手並み拝見。・・米国のバーナンキなど日本の失われた十年のマネをして0金利政策でドル安誘導だから、でもFRBの供出するドル資金はすべて回収が予定されてるはず。資本注入された銀行なんかもどんどん返しているからね。

・・引き続き欧米の市場でも為替介入はなされているようだ。ドルだけでなくユーロも買うといい。ギリシャ危機が再燃したり他のEUの国が財政危機に陥ったりしたら、ユーロ債の国債を買ってやればいい。

・・為替介入で得たドル、ユーロは海外進出する企業に貸し付ければいい。・・単独の為替介入でも火の魂根性でやればトレーダーは怖れて、円買いをあきらめるだろうし、ともかく神風特攻隊の精神でやることだね。

301秋魚:2010/09/21(火) 23:04:21
(無題)
・・ハハ、またイナダの目玉でも食べてやろうと思ったが、無かった。トウガンも無し。・・ふらっと歩くと、長野産のエノキ茸がでていた。ふっくらとして通常の2倍ほどもある。しかも安い。・・これはガンにも効くし、主食にどうぞ、などいう書き込みがったが、ひどく腐したものの、けっこういけそうだ。百円もしないので買ってみる。・・要は調理の仕方ですね。

・・温泉のビールは少し氷るくらいで、今日のは美味い。小あじも、胡瓜も美味い。・・帰りはほろ酔い運転で、時間もはやい。・・夜道に、いかす美人とすれ違った。聖徳太子の后は位奈部橘王(いなべたちばなのひめみこ)というが、それに似ていた。

・・エノキ茸は三段に切り、生姜、ピーマン、茄子、茗荷、それにツナと、オリーブ油で炒めた。塩コショウで味付け。・・サッサとやってけっこういけそう。・・桃の果実の酎ハイで、ん、エノキ茸もわるくない。

・・自転車に乗っていたら、飛蚊症の目の中に羽虫がはいってしまった。なんてこったい。虫がつぶれて毒液がでてるのか、痛い。目が緊張して涙がでるもんだが反応が今いち。温泉にいけば、なんとか虫もとれるだろう。やれやれ。・・目玉がびっくりしてか、飛蚊症の影がほんとに薄くなった。要するに、緊張も危機感も足りないということだ。

・・ところで、長生きをしてる人にはそれなり敬意を払うもんだね。ハヤブサだって7年間も宇宙をうろちょろしながら、遂に、地球に帰還した。・・周期する感覚が、たいせつ。

302秋魚:2010/10/06(水) 11:59:28
(無題)
・・近頃はちょっとした旅にも出なくなった。週に一度自転車で温泉にでかけるのがささやかな旅。これも道になれてしまうと日常化して目新しさもなくなる。重石になったら余計な仕事になる。・・とはいえ、そうはなってない。相変わらず自転車と温泉は楽しい。ジャランという雑誌で「全国日帰り温泉ランキング」という特集があった。各地の温泉マニアが資料を提供してるらしい。読んでみたくなったが、実は本を買うのもうっとうしい。目が悪くなったし、本はどんどん捨てたいものだ。とりあえず自分のエリアだけで充分だ。温泉マニアが増えているというのもよくわかる。

・・楊貴妃も温泉によくいたらしい。温水に濡れた白い滑らかな肌を描いた詩もある。ただ彼女の政務は重いだろうから、温泉もあまり楽しいもんではないだろう。要するに玄宗帝のために身奇麗にしてねばならぬのだ。湯煙は倦怠以外のものでない。・・楊貴妃のつかったのは、たぶん、岩盤浴。

・・村木さんは冤罪で百何日か独房にいたらしい。よくがんばった。はめ込もうとした大阪地検の検事と上司が逆に起訴されている。検事というのも悪よのう。・・村木さんは有名になったから温泉にもいきづらいだろう。サングラスをして自転車に乗ればわからないさ。JR東日本でもっと田舎の温泉にゆくとよい。

・・小沢も早く引退して自転車と温泉に日々いそしむとよい。岩手にはいい温泉がいっぱいある。拘置所は最悪だぞ。

・・わたしの温泉で、またビ−ルを飲んだ。この味は変わらぬ。

・・海幸彦、山幸彦で、海神の国とは、山東の煙台ではないか。あるいは今の青島は昔の瑯耶。・・半島の扶余あたりから海をわたった。玉の縁がある。

・・ワニ氏は山東の族だろう。

303秋魚:2010/10/21(木) 01:09:28
(無題)
・・昔見た「南太平洋」という映画は、バリハイ島という島の奥津城で兵士と娘が戯れるお話だ。想像したのは絵の中の空気であり温度であり湿り気であり香りであった。南の島だから温かいのだろうし、水も食物も豊かで、娘もきれいな瞳と髪と微笑みをもつ。楽園のイメジですね。・・その頃のわたしの生活は寒かったり暑かったり極端な空気の変わり方がそれに馴れて順応してゆくさ中であってさらに美しい楽園を希求していた。・・寒かったり暑かったりというのはほんとは好きなことだ。今年は猛暑だとかだが何の暑さかあまり魅力ないものだった。真夏にギリシャのセントヘレナ島にいたことがある。暑いというのがこんなバカなことかと思った。生きているというのは暑い中でのただの存在だからだ。アルジェリアにいたときはサハラでさらに乾いていた。蛇もサソリも人間も毒性だけは強く発揮する。それはこういう風土の所為だ。・・ところで韓国ドラマの「朱蒙」はどうだ。あれは扶余、高句麗のお話でまったく寒い。寒さに堪えるために激しく生きねばならない。人の情愛もそうだ。あの寒さは想像できるが、自分はごめんだ。ドラマで見てるうちは元気がでていいものだね。

・・ここ数年のわたしの生活。どうも空気になれていいのか悪いのか。ほんとはあまりおもしろくない。温泉の道も温泉も源泉かけ流しで実は何度来ても新しい発見があっていいものだ。この世の道とも思われぬ暗い淋しい道で自転車を走らせた。迷路感覚もこの頃は忘れている。何かが足りない。

・・南部霧蕎麦という岩手の蕎麦が気に入ってる。ゆでた後よく水でそそぐとコシのある美味しい蕎麦になるというので、やってみたらほんとに美味い。もっとゆっくり味わうべきなんだ。それはわかる。

・・ジンバブエの佐々木さんから「天使の誘惑」という焼酎をもらった。ハハ、焼酎はすぐ酔う。蕎麦を肴にお湯割りでよし。ただし、ウイーはない。

・・サウジアラビアのK氏は、ピスタッチオを練りこんだクリームをくれた。これは精力菓子だという。イスラム圏ではナツメヤシの実のジャムとか元気がでるというのよく食べた。きつい仕事の毎日だったから、まだよかった。

・・粗食の毎日で、元気がでるというのも、食べ物はあまり関係ない。自転車と温泉だけは、元気がでる。

304秋魚:2010/10/28(木) 00:50:56
(無題)
・・職場のデスクでインタネットができるようになった。いつも読んでいたい「古事記」や「ギルガメシュ叙事詩」を探した。検索でなんとか探し出す。ギルガメシュは英訳のものが手に入った。これらはお気に入りにした。いろいろ探すとエチオピア語で書かれたエノク書なども見つかった。もちろん英訳だが。・・いろいろあって掘り出し物はペルシャ文学の「ルバイヤート」。これはよく和訳ものを読みかけたことがあったが、あまりに浮世離れで乗っていけなかった。人生一瞬、酒を飲んで楽しめみたいなもんだった。

・・温泉にいってビールを飲みながら、最初の数節を読んでみた。で、びっくり。Awake!ではじまる詩句のなんと生気にみちた言葉がある。

Dreaming when Dawn's Left Hand was in the Sky
I heard a Voice within the Tavern cry,
"Awake my Little ones, and fill the Cup
Before Life's Liquor in its Cup be dry."

・・夏のはじめに目をやられて、もう本も読めなくなると思った。本なんぞ読まなくてもいい。目が大事というより命が大事。さいわい失明ということはなかった。だが目は弱った。・・飛蚊症というのは4ケ月になろうというのにまだ治らない。だいぶ薄れたがまだある。右目もすこし出てきたので老化というのだろう。・・目医者にもいってない。人の半分の眠りの量だから治癒するのも2倍かかるのだろうか。最近はだいぶ薄れてきてる。・・でもこれはもう治らないと思ったほうがよい。

・・それにしてもルバイヤート。ペルシャ語から英語に訳されてほんとは詩句の感じもだいぶ変わっているのだろう。それで感動するのはまだ本物ではない。アメリカンドリームがペルシャを侵犯するんです、無理。なんていう人もいる。ペルシャは今のイラン。アメリカとは仲が悪いでしょう。

・・そういえば聖徳太子の母君は間人穴太部王(ハシヒトノアナホベノオオキミ)といってハシヒトはペルシャ人のことらしい。・・カスピ海に近いイラン、ガズヴィーン。北緯36度16分。・・昔はここからアナトリアへも向かった。アララト山もある。白山―扶余―泰山のレイラインがある。

・・アルメニアに伝わったキリストの単性説とは何か。

・・七枝樹は三足カラスが2羽いて連なったものだ。・・が、三足カラスが2羽いるということはない。もともと十羽いて九羽射おとされた、残りの一羽だから。ましてや雌雄の交接などはありえない。・・が、果たしてそうか。

・・北緯36度線は、おそらく三足カラスの道。

・・ルバイヤートを読む楽しみが増えた。

305秋魚:2010/11/03(水) 12:28:16
(無題)
 信心よろこぶその人を 如来とひとしとときたまふ 大信心は仏性なり 仏性すなわち如来なり    親鸞和讃

・・仕事場の人間関係はどこもきついものだが、こんな理不尽な関係なら相手を殴ってやって終わりにしようとか思うこともあるだろう。ハチの一突きとか、温和な人でも何をするかわからない。決着が付く前に普通はねちねちとしたせめぎ合いがあって、職場の疲弊はストレスとなるのだろう。自分がそうなら他者もそうで多くのものと関係が錯綜すればそれだけストレスも厚みをもって病になることもある。 ・・信じる心とはいまや希少価値。疑心暗鬼のウズほど不快なものはない。あきらかに一つの疑心が生まれた時はスジを通すクセはついている。スジが通らぬ時に疑心は暗鬼となる。 ・・親鸞和尚のことばはおめでたいか。俗世の信心というのはむずかしい世の中ですね。 ・・大いなる信心と大いなる冒険。これが無いのを興趣なしとする。・・インディジョーンズなる冒険活劇をみたがどうもあれも信心の設定がみえすいていてあまりおもしろくもない。スタンダールの「パルムの僧院」に元型はあるパターンは同じ。 ・・androidというソフトが通信機器にとりいれられ流行りそうだ。映画の「ブレードランナー」ででてくるレプリカントとはアンドロイドのこと。慰安用レプリカントというレイチェルはどうやって人間になるのか、それは真実か。レイチェルと呼びかける声は、せつない。アンドロイドが人間になる、蛇が人間になる。人間がなにか別のものになる。こういうのはすごいエロスがあって、せつない。・・信心はみえないが大きなものが働く。 ・・詰めて考える思考は疲れますね。タルコフスキーの「ストーカー」という映画は信心も冒険も緻密すぎてひどく疲れる。カフカの文学なども。 ・・フィクションよりも現実。・・この現実の冒険と信心が希求される。

306秋魚:2010/11/11(木) 02:44:13
(無題)
・・なんてこったい。犯罪だ。・・尖閣ではない。職場のことだ。・・まあみんなよく煙草をふかす。馬鹿みたいに。吸わない若い主任は受動喫煙を嫌ってガスマスクを着けて仕事をしている。それでも悠然とタバコをふかす奴がいる。可愛そうな主任。タバコが犯罪というのではない。いや犯罪にはちがいない。

・・以前の所長はタバコを吸っていたが受動喫煙を長年やって昨年ついに心筋梗塞で倒れた。心臓で血が固まって緊急手術。やっと一命をとりとめた。・・復帰後、仕事をつづけていたが、遂に所長職を降ろされた。もう無理でしょう。

・・いきなり命の恩人のいる病院で泥棒がはいった。金庫が鍵を使って破られた。犯人はだれだ。カギを使うなんて、身内か。

・・わたしは犯人を知っている。・・そうだこれはウソの日記だ。いってしまえ。その元所長だ。なんて狡猾な奴。赦せない。

・・「トレドの真珠」という小説がある。一人の女を二人の男が決闘で争うが、敗れてしまう。瀕死の男に憐れんだ女が近ずくと、顔を寄せた女に最後の力を出してその女の顔を疵つけるという話だ。・・この所長、断末魔のあがきがどうも嫌がらせの塊りにできてる。

・・絶対に証拠が無いという狡猾さ。ある程度調べれば犯人は絞られてくる。その時点で冤罪を免れる人もいる。が、あやしい人物も浮かび上がる。

・・死ぬ直前に悔い改めが無かったら、それこそその犯罪者は救われないんじゃないか。もし事実が明るみにされなくても、そういった犯罪は残る余生をその人自身を苦しめるはずではないか。地獄に堕ちても自業自得というものだ。

・・夜が明ける。つづきは又だ。

・・きょうの温泉はよかった。不快なことは湯で流す。

307秋魚:2010/11/18(木) 03:38:26
(無題)
・・発見、発見。いわゆるフリーメイソンの始めはソロモンの神殿をつくったフェニキアの技術者ではないか。あるいはイスラエル+フェニキアの民か。ここはもう少し調べねばだ。・・ソロモンはヒッタイトの血が入ってるとも聞いたが、これもだね。シバの女王とソロモンの子メネリケは後エチオピアの王となった。生きながら天に上げられたエノクが降臨して残したエノク書はエチオピア語で書かれている。ナイルの一つの水源であるタナ湖を擁するエチオピアを解読せねばなるまい。ヒントはエノク書か。

・・しかし、職場の盗難事件にはあきれたものだ。犯人はすでに解っている。証拠が無いから、それとなく自分だとほのめかして楽しんでいる。以前にも似た手口はあったが、この人の悪癖は気付かれそうになると第二第三の犯罪を犯して錯乱させる手だ。まったく悔悛の微塵もない。いやらしさ。・・なぜこうまでいやらしい悪癖をもつのかというと、長い付き合いなので分らないこともない。広島で原爆をあびて親兄弟をすべて無くしている。友人という人には一度詐欺紛いでだまされてもいる。そうではなく出口の無い生の思考が犯罪推理小説の流れを遊ぶようになっている。松本清張とか刑事コロンボとか。・・しかし、今回のはやりすぎだね。・・事件はまだ終っていない。クリニックの案内嬢はある日急に明るくにこやかになったから、警察の調査で何か重大なことがわかったのだろう。外部からの侵入はない。金庫の現金がそっくり別の引き出しに置かれてあったりとか。推理だがそれぐらい明るい。・・一方無実を装うかの人はどうか。すこしは疚しさもあるのか時々情けないほどおどおどうろたえる。にもかかわらず犯人は他にいるとうそぶく。まったくふてぶてしい。・・このまま終わる事はない。落とし前はつける。

・・ところでタバコの喫煙は犯罪ですよ。あれは不完全燃焼で一酸化炭素がいっぱい。他人の前では吸ってはいけない。

・・イエメンの連中からいろいろ食料をもらった。トマトピューレとマギーブイヨンで野菜スープをつくった。ワインと酢をいれてワンタンなど入れてなんとか食べられる。パスタも悪くない。ラーメンはあまり美味くないが若い上司の言うように捨てるというのはしたくない。食料は大切にしたい。

・・温泉でハッカ湯というのに入った。これはいい。

308秋魚:2010/12/02(木) 01:54:50
(無題)
・・エコが芸術となる時。・・スポーツクラブに通ってる友人が自転車の冊子をもってきてくれた。ドイツとかフランスでそれも大きな町で自転車が大流行だとか。フランクフルト、パリ、バルセロナとか。・・ハハ、自転車ならこちらのお手の物。それに温泉が付けば、わたしが世界潮流の最先端にいることになる。どんなものか。

・・バルセロナにはサグラダファミリアで石を彫ってる外尾さんがいる。最近はテレビのCMにでて、ちょっと大げさですとかやってる。あいかわらずな。30年彫ってるとかいって、彼はたいしたものだ。同じ仕事を同じテンションで続けるということの素晴らしさ。頭が下がる。

・・小平の温泉にいった。こんど新しく源泉かけ流しという湯舟ができた。湯温35度というのは不感温度といって多少ぬるく感じるが、体にはとてもいい温度の温泉らしい。なるほど全身ひたして寝転ぶと不思議な快感がある。0空間にいるような、まったくの原点のようだ。・・ここの温泉2週間ほどメンテで休業してたがすこしリニュアールして一段とよくなった。いい仕事をしている。

・・ニシル山はユーフラテス上流のクルディスタンの山間でたぶん北緯36.5度あたりだろう。ここに洪水を逃れて方舟が漂着した。もっと北の39.5度くらいのアララット山にはノアの方舟が着いた。こちらはカラスが行ったきりになったから洪水はまだ退かず、鳩がオリブの葉をくわえてもどったから地が現れたのを知ったとある。・・ギルガメシュの洪水尾伝説は反対だ。いったきりのカラスこそ洪水を終らせる使者となる。

・・昭和46年ころキャサリン台風とかあって、群馬の桐生とか、渡良瀬川を襲って氾濫し、多くの人家が流失したり大洪水さながらだったという。・・相沢忠洋が山間の崩れた崖を見て歩くとキラキラと尖った石などが赤い土の中にみつかった。これがこれまで日本には無かったとされる旧石器文化の石器の発見となった。

・・この岩宿遺跡は、北緯36.23度。・・ニシル山−泰山―扶余―白山のレイラインにつながるのは、つい先ほどの発見。

・・これはすごい。

309秋魚:2010/12/09(木) 02:12:54
(無題)
・・わたしのハヤブサ(自転車)の具合がわるい。ペダルの腕がすこしずれてきしむ音がする。中のネジがゆるんでペダルが外れそうになる。以前ネジをしめて直してもらったがまたわるくなった。音が気持ちわるいので油をかけた。音は消えたがネジがさらにゆるみやすくなってしまった。・・以前買っておいた工具セットをとりだして自前で修理することにした。このネジはスパナでなくレンチだろう。パーツをいくつか組み合わせてつくる。一度やって失敗。二度目も失敗。使い方がなってない。・・三度目は使い方は正解だが、やはりもとの木阿弥でネジがゆるんでくる。力をいれて思い切りしめるんだよ、きっと。

・・川向こうの温泉にいった。やはりネジがゆるむ。このままではネジがとれてペダルも外れてしまう。ごまかしごまかしだが、きっちり直さねばなるまい。

・・今世紀はエネルギー革命と情報通信の革命がメインストリーム。そういっていたのは稲盛和夫か。京セラは太陽電池を量産してる。ソフトバンクの孫正義は「光の道」構想をうちだした。光ファイバー網ですべて統一一元化せよというのは、合理的な理念だが、今は実現はむずかしかろう。・・NTTやKDDIに拒否されたから、テレビのCMで「光の道」を刷り込み始めた。・・孫さん、白い犬のお父さんモバイルシリーズは大成功だったけど、これは失敗。これはまったくやらせのCMだわ。センスなし。やらせというのはすべて拒否反応が来る。

・・ソフトバンクはやや頭打ち。・・アンドロイドスマートフォンを売り出したKDDIがいまは面白い。株を買うならKDDIがいい。KDDIというよりほんとに面白いのはAndroidのgoogleだ。・・世界で今一番光ってる。

・・これから一年、スマートフォンが大流行しそうだ。

・・ところで、自分はやらない。ケイタイもスマートフォンもきらいだ。自転車でいい。

・・あの工具はもう十年くらい使ってなかった。自転車店は愛想がわるい。完全な功利主義。もう自転車店には頼まない。自分で直す。

・・JR東日本。只見川で水を余計に盗んで使っていた。・・反省ネコして一転水質検査のサービスをはじめた。そう水はきれいにして大切にしなくてはね。サユリさんが宣伝してるJR東日本。不実不義理があってはならない。・・ここの株もどんと上がるだろう。

・・わたしの眼は、たぶん硝子体の変質があった。老化かもしれぬ。ゼリ状のものが液体化してすこし脹れているかもしれない。飛蚊症は気にはならないが、無くなってはいない。

・・工具を使う。左手の親指の筋肉が退化してる。

310秋魚:2010/12/15(水) 23:32:02
(無題)
・・ハハ、失敗、失敗。ハヤブサのペダルはまだ直っていない。かっくんかっくん遂にペダルがアームごと外れてしまった。・・思い出したのはずっと昔やはり同じ症状できしむ音の部位に油をさした。これがまずい。音は消えるがネジは滑ってますます外れやすくなる。自転車やさんに怒られたものだ。・・そういえばあの時はアームをハンマーでひどく叩いていたっけ。これが足りない。その前にネジと心棒の油を拭いてこれが肝心。・・思い切り強くハンマーで打ち付ける。それからネジをラチェットで締め上げる。・・ところで先だっての自転車やは目の前で修理していたが、ハンマーで叩く音はしなかった。つまりネジを締めただけだ。ということはしばらくすると元の木阿弥でまたネジがゆるんで来る。手抜きもいいとこ。ダメな修理やさんだ。・・ところで一応直して温泉にでかける。こんどはいいか。・・と思いきや帰路についたらまたネジが弛んできた。こんなこともあろうとハンマーとラチェットを持参していた。スーパーの駐輪場でハンマーを叩く。ハンマーの音は大きいから夜間人は不思議に思うだろう。こちらも音を出す場所を考えねばならない。それはいいとしてもひとつ失敗したのはラチェットに取り付けるソケットの大きさを間違えていた。すべってうまく引っかからないのはサイズが一回り大きかったからだ。無理して使ったものだからネジ山がすこし潰れてしまった。安い工具はダメだと思ったが、何にしても使用を間違えていたのは失敗、失敗。帰宅して一段小さいので試すとたしかにぴったりでネジもよくしまる。今度はいいだろう。・・明日こそ。

・・鹿児島の桜島上あたりの姶良カルデラ。今から2万5千年前あたりに大爆発を起した名残りだそうだ。噴煙が立ち上がり、細長い楕円状に伸びて列島を関東東北の方まで伸びてきた。この降り積もった火山灰がいわゆるアイラTn火山灰層というやつだ。・・実際関東の赤土ローム層の中ではやや黄色めの数センチの層が認められる。・・ほうこれが2万5千年前。歳差の周期とほぼ同じだ。・・姶良カルデラは北緯31.5度。エルサレムのゴルゴダの丘とほぼ同じ。・・これはすごい。北緯36.5度の岩宿遺跡ではアイラTn層の上と下で性質の異なる2種の旧石器群が発見されている。これはすごい。

・・いわゆる縄文時代の草創期は1万3千年前でこれは歳差周期のほぼ半分にあたる。この頃はまだ氷河期、ユルム氷河期の終わり頃で南極北極が入れ替わっていた。極星ポラリスは琴座のベガであったらしい。日本列島はまだ大陸と地続きであったという。岩宿旧石器人も大陸からの流れに違いない。氷河時代の終わりが、いわゆる大洪水とアララットやニシル山の方舟伝説のもとになったのではあるまいか。歳差周期の半分というのが考古学の枢要な出来事の秘密かもしれない。

・・エジプト、ギザの3大ピラミッド。クフ王のそれは北緯30度。・・アスワンにはイシスの神殿がある。ここは北緯24度。・・これは沖縄の与那国とほぼ同じ。・・ヨナはタルシシに行こうとしてニネヴェに着いた。ここは36.2度。

・・ソロモン王の送り出したタルシシ船団とは何か。・・タルシシとは「湯」ではないか。・・きっと、温泉のことだ。

311やまだ:2010/12/20(月) 23:45:09
(無題)
・・トンちゃん、こんなところに出没だな。

http://yamataikoku.bbs.coocan.jp/?m=listthread&amp;t_id=29&amp;summary=on&amp;guid=ON

312秋魚:2010/12/23(木) 05:51:15
(無題)
・・フェニキアが気になる。今のレバノンあたりにいたフェニキア人たちを滅ぼしたのはアレクサンドロスだった。テュロスの島が最後の要塞だった。島に城壁を張り巡らせてアレクサンドロスは手こずった。・・ヤマトで城の周りに濠をめぐらすのによく似てる。環濠集落というのは弥生の頃よりよくあったはずだが、これらはきっとフェニキアの記憶かもしれない。・・アレクサンドロスは陸に壁をつくって戦いテュロスを落とした。ここには深い哲学がある。・・しかし海の民というのは厄災以降のことだ。逃れむ。かしこに逃れむ。

・・大洪水がテーマだ。一万3千年前が縄文のはじめでこの頃の温暖化で海面が上昇した。歳差周期の半分で南北が入れ替わった。

・・ランボーがアラビア半島のアデンからエチオピアのハラルに赴いたのは聖書のシバの女王を追いかけたかおそらくフェニキアのタルシシ船団の記憶だろう。イエメンのアデンはすごいところだ。いったことはないが、隕石が落ちて陥没したような跡がある。ネットで画像を探したが見つからない。そうだあれはグーグルアースで見たものだ。ともかくすごい。

・・タルシシというのは、地名ではない。銅や鉄などをとろとろ溶かしてつくる所だそうだ。これはおもしろい。ランボーは言葉の錬金術師が本領だった。ランボーの企図したものがわかる。・・そうしてマルセイユで息をひきとったのもわかる。あそこはマグガラのマリアが流れたところ。

・・ユンは健在なようだ。遠くでみただけだが。・・今は冬のソナタがおもしろい。

313やまだ:2010/12/26(日) 22:53:40
Rimbaud
・・Illuminationの原文が読める。

・・ランボーの秘密が解ける・

http://un2sg4.unige.ch/athena/rimbaud/rimb_ill.html

314秋魚:2010/12/30(木) 03:54:12
(無題)
・・わたしの自転車ハヤブサは完全に直った。ペダルのアームをハンマーで思い切り強く打ち込むのだ。そしてラチェットで締め上げる。以前ダイクマで買った工具セットが生きている。何度も失敗したが今度はいい。退職したらシルバーで自転車のリサイクル再生でもやってみたい。ハハ、野菜つくりもやってみたい。

・・紫というのは禁色のひとつだが、律令国家のころは紫草という植物の根から紫色を採っていたらしい。遠く中東あるいは地中海のフェニキヤ人たちはやはり紫の染色を得意としていた。これは貝の分泌物を使っていた。採取する対象は異なるとはいえ紫に対する嗜好は同じきものがある。フェニキアのタルシシ船団はマラッカ海峡をこえて列島ヤマトにも必ず来ているはずだ。おそらくヤマトの紫草はフェニキアの記憶であろう。

 あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る(額田王 巻1-20)
 紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも(大海人皇子 巻1-21

・・この紫草はムラサキと読んでムラサキソウとは読まない。季語は夏だが、俳句に詠むと具合が悪い。紫草は字足らずか字余りの句をつくる。

 大山にシリウスのぼる紫草

・・これがいい例。体言で止めた句が、足らずと余りの想念をいったりきたりで、これはある意味おもしろい。・・シリウスは冬の星だが、初夏の頃日の出とともにのぼるシリウスはヘリオティカルライジングといって興趣深いものがある。

・・北緯35.5度のレイラインにある、曲阜-瑯耶台-出雲-大山-富士山はすぐれた王道のレイラインといえる。大山はもうひとつ山東にある泰山と兄弟の山であろう。泰山-南山-扶余-白山-岩宿 は36.5度のもうひとつのすぐれたレイライン。・・鏡と水のメビウスの帯のレイライン・・

・・ところで紫草は絶滅危惧種であるらしい。

 大山やシリウスのぼる紫草

・・山はすべて三足烏の巣。墓。方舟がニシル山に漂着するのはいわゆるヤマトの前方後円墳の雛形なんではないか。

315やまだ:2010/12/31(金) 01:20:24
(無題)
・・ギザのクフ王のピラミッドは紀元前2500年頃つくられたとされる。この頃は太陽黒点がゼロになる時とかさなり、ここから寒冷から温暖化への気候変動もあった。・・中国ではちょうど黄帝の時代が終わったところ。

・・グラハムハンコックは「神々の指紋」で、ギザのピラミッドは12000年前につくられたと言っている。歳差周期のちょうど半分ほどで、ヤマト列島の縄文時代の黎明期だ。

・・泰山のある泰安市あたりの大文口文化遺跡は紀元前2500年頃に終わり、竜山文化遺跡へと受けつがれる。

・・「龍山文化の社会に現れた大きな変化は、都市の出現である。初期の住居は竪穴式住居であったが、やがて柱や壁を建てた家屋が出現した。また土を突き固めた城壁や堀が出土しており、特に山西省襄汾県の陶寺郷の南で発見された陝西龍山文化の遺跡・陶寺遺跡(紀元前2500年 - 紀元前1900年)は龍山文化の都市遺跡の中でも最大級のものであった。

農業や手工業の発達も特徴である。陝西省の渭河周辺では農業と牧畜業が仰韶文化の時期に比べ大きく発展している。コメの栽培も始まっており、カイコを育てる養蚕業の存在と小規模な絹織物の生産の開始も確認されている。・・

316やまだ:2011/01/03(月) 01:30:54
ヘルモン山
>・・詩篇第一三三篇

1 見よ、はらから相睦みてともにおるは、いかに善く、いかに樂しきかな。
2 首にそそがれたる貴きあぶら、鬚に流れ、アロンの鬚に流れ、その衣のすそにまで流れしたたるがごとく、
3 またヘルモンの露くだりてシオンの山に流るるがごとし。そはエホバ、かしこに?祉(さいわい)をくだし、かぎりなき生命をさえ與えたまえり。

・・ヘルモン山から、シオンの山へ。・・これが双子山の原理。アララットは二つ。泰山から大山へ。・・富士山から大山へ。

・・ヘルモン山は、ピークが3つ。

http://www.h5.dion.ne.jp/~biblroom/text/Romans22.htm

317秋魚:2011/01/04(火) 03:30:48
(無題)
・・ハハ、混んだ混んだ。芋を洗うよう。正月だからね、仕方ないさ。・・自転車で川向こうの温泉にいった。ハヤブサは完全に直った。ハンマーで力いっぱい叩く。これが肝心。

・・いや、参ったな。これでは岩盤浴もあきらめる。これだけ温泉で未知の人にもまれると昨日までの生活が忘れることができる。ドライサウナは捨てがたい。自分の居場所さえ見つければいくらでも長居ができるのが温泉。職場に温泉マニアの人がいたけど、まるで話が合わない。趣味が同じでも哲学が違うと相手の趣味が悪いとみなす。こちらに哲学があっても向こうは無しなら悪趣味でしょうね。ともかく彼は退職した。いちいちが間違っていた。

・・レストランも人が多いと料理が雑になるものだが、敬遠すべきかと迷うも、えいと鯖の味噌煮を注文する。・・ややあって、これは正解。いい形のものが出て来た。ここはこれが美味い。ハハ

・・温泉にいってアルバイトの若い子の仕事ぶりを眺めるのも趣味のうち。接待の言葉つかいはどうか。若い子は多少不器量でも笑みと言葉でうまくやらねばだね。ここはいい子が多い。

・・北緯33.25度のレイラインというのは、つい最近の大発見。相沢忠洋が旧石器文化にひらめく直前もわくわくそわそわの日々だったそうだ。納豆売りがうまい。

・・ヘルモン山にはエノク書の見張りの天使が降りてくる。イエスが高い山に登られて真白に輝いて変容したのはこのヘルモン山かもしれない。・・モーセとエリアが現れた。

・・33.25度が究極のレイライン。

318秋魚:2011/01/05(水) 04:05:12
(無題)
・・今日も温泉。温泉フリークの山田紅子さんはすっかり有名人。20代は温泉が恋人で終った。つぎの目標は嫁入りだそうだ。テレビに出てあの娘なら引く手あまただろう。・・わたしの温泉は小平温泉。・・小川町にあるが、武蔵野の小川というのは有名な万葉学者の住んだ町で紫草のみえる土地だという。もしやと思ったが、埼玉の比企郡の小川ということで秩父の寄居に近い。ちがう小川だった。・・そうそうその万葉学者は鎌倉時代の仙覚という。紫草は絶滅危惧種で小川では保存活動がなされている。かつては武蔵野を代表する草花だったが野生のものはもうあまり見られないという。・・野を歩いていつか見つけてみたい。

・・温泉は正解。正月四日目でやっと客がほどよくなった。というよりこの温泉は地の利が悪い。ちょっとした穴場になってる。

・・不感温度35度の源泉かけ流しというのがある。最近はじめたもので気に入ってる。いくらでも浸っていたい。眠りたいほど。・・きょうは他に足湯というのをやってみた。冷水温水を交互に足を浸す。血行をよくする。冷水が痛いほどだ。悲鳴をあげてじっと我慢。次に温水。刺激がつよい。これを二回繰り返した。・・なんかいいね。

・・猿田彦はガド族の長だという。ウズメとサルダヒコは夫婦だったか。ウズメというのは卑弥呼かも。

・・倭国大乱は高句麗から流れた神武イワレヒコが先に列島に勢力をもったサルダヒコと争ったのがはじまりではないか。海と大陸から東進したサルダヒコと百済から南下したイワレヒコと。・・ここはもちょっと入り組んでるようだが。

・・33.25度線。ずっといくと四国の36番札所・青竜寺というのがある。土佐は神武の穴場だろう。紀州の潮岬も神武の限界域だ。その内側からヤタガラスが顕われる。

・・渦潮の多い豊予海峡はスクナヒコナがトンネルを掘って渡った。別府温泉と道後温泉は同じ湯だという。オオクニヌシノミコトとスクナヒコナの連携も33.25度線上に関わるか。・・オオモノヌシはユダ・フェニキアの流れだが、紫の流れか。

319秋魚:2011/01/13(木) 06:31:01
(無題)
・・ハハ、参った。参った。今日はこちらは久しぶりの休みだというのに、温泉に出かけたら月一度の定休日だった。40分も自転車に乗って空振りだった。冷え込むしね。ポンカンを買って帰る。・・で、すぐにさらに遠いい玉川上水の温泉に向かった。ああ、いい加減足が重くなる。・・実はきょう地デジの工事があるというので立ち会わないため午前中から温泉にいく予定だった。テレビはもう見ない。夕方別のところにいって一日中温泉三昧と洒落込もうかとも思ったが、温泉は稀にいくとよい。ありがたみがわかる。で、自転車をさらに一時間もこいでああ足が重い。こんなに疲れるのも久しぶり。・・しかしこの執念。着いてみれば極楽、極楽。

・・自転車だけで3時間も乗っていた。赤信号も無視していたり。あぶないね。まったく。しかし筋肉疲労は健康そのものだ。疲労はここちよい。うとうとする。・・それにここの岩盤浴。絶品だ。・・ジョウタツヤのジェットストリームみたいだ。アルカリイオンの森林浴。

・・東京ドームで若いアイドルのコンサートがあると、まあ若い女の子たちがわんさと押しかける。アイドルのタイプによって、ファンの種類も変わってくる。スマップなんてのは、おばさんが多い。イケメンのアイドルのファンは、たいていブスの女の子たちばかりで、やっぱりブス連はめざしてるものがよく分かる。Xジャパンなんてのはおもしろかった。てんでかっこいいが、そのまま年くってるのがおもしろい。・・矢沢永吉なんかも年食ったファンだが、こちらはロックのチンドンやかも。こんなこといったら怒られるか。永ちゃんは俺もファンだ。・・しかし若いアイドルにはブス連がつきものだ。まとめてめんどうみよう。これがビジネス。

・・不覚にも長々と眠ってしまった。

・・33.25度。・・キリストの子を身籠ったマグダラのマリアが海路この線上をたどってマルセイユへと流れた。そうだ、これが肝心。

・・エノキ茸、エノクに似ている。

320秋魚:2011/01/20(木) 03:33:01
(無題)
・・ハハ、なんて多忙なんだ。あんまり頑張るとまた目をやられる。・・宮廷で后と側室の争いを想定してるヘンチクリンの仕掛けがばかばかしいが、南無阿弥陀仏でも読みたまえ、君はもう死んでいるといってやった。

・・イェーガーマイスターというカクテルが手に入った。若い所長がなにか分からなくてこちらに廻ってきた。なんでも30種類くらいのハーブでつくられたカクテル酒ということだった。トナカイのマークがあったのでトナカイの血でも発酵させたかと思った。・・モンゴルのウォッカには馬の血でつくったものがある。これも手元にあるが恐くて飲めない。・・イェーガーマイスターを今日味見した。

・・ドイツでは、ブランドの酒らしい。くさいなあ。これでは養命酒といい勝負。洋物は味がきつくてやってられない。・・日本のものは淡麗でくどくない。日本酒が一番。

・・正月に飲んだ千代鶴という東京の酒は美味かった。一杯一杯また一杯とすすんだ。社長からもらった樽酒もまあ美味い。・・メーカーものでは菊正宗は美味い。去年飲んだ菊水も美味い。・・越の寒梅はブレンド酒で味がそれぞれ違うから偽物とはいえないがまがい物が多い。名前にだまされないことだ。

・・職場でひょうひょうとした清掃のおじさんがいる。いろいろ話すとおもしろい。七福神とかよく知ってる。歩いていろいろ廻るのが趣味らしい。自転車にも乗る。・・サラリーマンから引退したのかと思ったが違った。もと密教のお坊さんだった。へえだね。滝に打たれて行もするらしい。・・真言宗で、空海と最澄の問答、理趣教をめぐるのが有名だが。律宗の徳一との問答もよく知っていた。徳一と空海のは私もすこしかじった。唯識と両界曼荼羅の論争だが。・・徳一と最澄のもあるが、これは私は知らない。・・ふーむ。本格的だね。

・・西洋の文学の限界、たとえばフローベルは昔のカルタゴを扱ったサランボーが際にあった。ここはもとフェニキア人たちの国で、なぜかひどい人身御供があった。殖民都市がバールの神を幻想増殖させた。・・エジプトのナイル川を遡行してアスワンあたりが限界の地だった。フィエラ神殿ではイシス女神を祭る。・・サヘル島とかのオベリスクは何か。

・・言葉の限界状況を突き進んだのは、アルチュールランボー。アデン、ハラルまでいった。

・・いわゆるレイラインというのは、光の道だが、孫正義は光ファイバーの網をいってるらしい。・・たぶん私の方が正当だ。・・神武が熊野を突き進んだのは、33.15度のレイラインが横刀となって力となった。高倉下の刀だ。・・佐士布都神という。

・・七乙女のあらわれは、高佐士野という。佐士というのはレイラインのことだ。

・・きょうの温泉はいい。源泉かけ流しが、効いている。

321秋魚:2011/02/03(木) 04:21:17
(無題)
・・三足カラス軍団アジアカップを制す。ザッケローニをして伸びシロは計り知れないといわしめた日本サッカーがアジアで勝った。なんか戦争みたいだね。ザックは超一流の監督だよ。・・韓国戦が負け試合なら李忠成を出しただろうが、温存してオーストラリア戦の最後に出したのは秀逸。長友と連携して素晴らしいボレーシュートだった。

・・長友はインテルに所属になる。半導体が売れまくってるから長友も絶好調でいける。(ほんとはインテルの半導体もそろそろやばい)

・・ところで淵蓋蘇文という高句麗の戦記ドラマは壮絶だ。朱蒙以来の高句麗の戦争の歴史だが、ここはよくもまあ戦ってばかり。そんなに豊かでもないだろうから、民衆も生活が大変だったことでしょう。戦争で男はよく死ぬしモノも消尽されるばかり。まったく。

・・この戦争の大主人は三足カラスとはいわず蚩尤大王というのは不思議だ。昔、黄帝と戦ったから高句麗は自軍のシンボルとしたのだろうか、ならば三足カラスと蚩尤は同じものといえるだろう。・・蚩尤が体をバラバラにして埋められたのは山東の泰山の近くだからおそらく泰山をはさんで三ッ星をなす。これが北緯36.5度線にあるから、ニシル山から飛んできたカラスはここらで三足カラスになったかもしれない。

・・アジアカップね。・・エジプトがすごい。サッカーではない。チュニジアがすごい。反政府のうねりのデモがすごい。イエメンやヨルダンでもあちこちでイスラムの革命が起こりそう。いわゆるイスラム原理主義のテロの時代が一歩進化しようとしてるのではないか。・・これは新しい兆しだ。

・・玉川上水の温泉が天然温泉になった。リニュアールというので自転車でいってみた。混んでいたがいって正解。・・入館料が百円アップしていたが、温泉は悪くない。単純アルカリ泉というので、透明でやや翡翠がかった色があり、ぬるっとして心地よい。いつまでも浸かっていたいほど。・・調布の深大寺あたりはかなり濃い琥珀色の温泉で、多摩から武蔵野秩父といくと薄い緑の色になる。・・これはヒットする。

・・マグダラのマリアがキプロス沖を通って昔のカルタゴのあったチュニジアあたりを通って、マルセイユの近くまでいった。・・フェニキア人の海路だった。

・・ヨーロッパはゼウスに見初められたフェニキアの女だ。生まれつき美貌なのは仕方あるまい。

322山田:2011/02/20(日) 23:32:18
(無題)
・・これだ。


http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M89/M896538/4.pdf#search='真珠の歌 トマス行伝'

323秋魚:2011/02/23(水) 23:04:38
(無題)
・・大根を買ってきた。・・温泉の帰りにスーパーに立ち寄りブリの粗も手に入れた。以前鰆のアラを湯通しして煮たがひどく美味かった。ブリは天然もの。今年は日本海で大豊漁ということだ。・・大根とブリの煮付けを作った。あとで気がついたのだがブリは湯通ししない方がよかったかも。血のりと一緒に油も飛んでしまった感がある。

・・イェガーマイスターというドイツのカクテルは名高いものだが、クセが強い。最初原液をそのままロックで飲んでこれはまずかった。・・100パーセントのオレンジジュースで割ってオンザロックのカクテルをつくった。・・今度は成功!とてもいい。・・60種類のハーブとスパイスを発酵させて作った酒らしい。ネットで追うとけっこうなファンがいる。クセが強いがはまった人も多い。都会の深夜のバーでひっそり飲むのがいいらしい。

・・大根とブリの煮付けもまあまあ。これで真珠のうたを想うだろう。イェーガーマイスター。

・・今度国際課に入ったinouiさんは美人ではないが、感じのいい人だ。服のセンスがいい。ヒマをつくってデートをしてみたい。・・美人といえば、かわいい美人は私の周りにたくさんいる。マミちゃんは、ぽっちゃりして話しても疲れない。相性があうが、父親と娘くらい年が違う。まじめになったらかわいそう。・・まだまだ美人ですてきな子はたくさんいる。でも美人はつかれるものだ。厳密に想うと美人はいない。美人はそう見えるだけだ。

・・冬のソナタのチョンユジンが好きだ。チェジウだけど。チェジウの顕われは衝撃だった。彼女のように瞳が潤い、微笑が美しい人はあまりいない。特にいまの日本には。昔はいたかもしれない。・・ユジン、また会える。

・・スターの恋人というチェジウのドラマを見た。これはいい。チェジウは最高のスターになった。七変化。あんな不器用そうな女がよくやってる。・・百本の赤いバラと白いバラを選ぶ割合ですが、あなたならどうします。と男性に聞く。・・わたしなら、99本の白いバラと一本の赤いバラを選ぶでしょう。白いバラは愛したいと想う心で、赤いバラは愛されたと想う心です。99の愛する心で相手にはただ一つの愛される心を望むのです。・・そうチェジウはいう。・・もっとおもしろい話もいっぱい。一話限定でした。

・・イエスは双子の兄弟だった。イエス・トマスという。・・グノーシス主義の新たな展開をみたい。

324秋魚:2011/03/02(水) 02:35:21
(無題)
・・自転車に乗りたい。・・雨。電車で拝島まででかける。こうやって偶には都心から外れるのもいいことだ。少子化というが、子どもの数は郊外には多い。電車の中も騒がしいがこれもひとつの娑婆の香りだ。

・・玉川上水の温泉はついに天然温泉になった。しばらく行ってなかったが、上水沿いの道は雑木の枝を下ろしてこぎれいになっていた。歩きやすいが鬱蒼とした以前の方が趣があったかも。驚いたことに、突然、川面に羽根を広げてゆったりと白い鳥が飛んできた。あ、これは、鶴。ツルに違いない。頭にすこし黒いスジがある。タンチョウツルか。一度水の上で羽根を休めたが、人の気配を感じてかすぐに大きな羽根を広げて飛んで行ってしまった。・・ツルなんかもいるんだ。

・・アルカリ単純泉というヤツらしい。ぬるっとして単純泉にしては濃厚だ。ほんとにいつまでも浸かっていたい気がする。多摩近辺ではとても良質な温泉で、めずらしい。・・きょうは人は少なかったが、だんだんと評価も高まること請け合いだ。なんとも不思議スポット。・・バリバリと音を立てて爆撃機らしいのが、低空で飛んでいった。・・もしもこの温泉に墜落してきたらなど想ってみるが、まあベズビオ山の噴火を絶えず気にかけていたポンペイさながら、みんなけっこうスリルを楽しんでいるみたい。天が落ちて来るというのを、杞憂というが、実際、何が起こるかわからない。ニュージーランドも温泉が覆いが、ああやって大きな地震もある。・・運の良し悪しは普通は良いほうをとって生活する。でも最悪の場合はいつも考えていた方がいい。

・・淵蓋蘇文という朝鮮の歴史モノをみた。戦争ばかりであまり面白くないと想っていたが、このところきれいなお嬢様がでてきて、恋愛のシーンもある。恋愛感情のデリカシーがうまく表現できればこういうドラマもおもしろい。・・ゲソムンという主人公の俳優はなかなかいい。ゆったり落ち着いていて下男だったといって不思議に想うくらい品がある。そう恋人の女性も感じるそうだ。・・が、この品というのは個別の恋愛感情がつくるのもある。おたがいそれが見えてきたら恋人同士になれるのだろう。

・・同じドラマでも隋の煬帝は悲惨だ。煬帝だけでなく髄の王朝は悲惨だ。親も兄弟も殺して帝王になる。愛はほとんど見当たらず権力ばかりがいばってまかりとうる。すさまじい戦争がある。

・・ゲソムンの大志。三足烏がまたいる。天と地をつなぐ鳥というが、ほんとはニシル山から飛んできたんだ。

・・きっと、玄武の蛇はウロボロスで、この混沌の光の道筋というのが、孫正義も予感してる真の光の道なんだよ。・・そうゲソムンに教えたい。

325秋魚:2011/03/10(木) 04:11:18
(無題)
・・中東があぶない。イスラムと独裁政権があぶない。・・ヨルダンのw氏から頂いたグリーンティはメンソールの葉っぱだった。すっとするよという。そういえばアルジェリアのベドウィンはよく鼻に薄荷の葉を挟んでいたっけ。試してみると、あまり薄荷の味はしない。普通のハーブティの様だ。ブランデを少量入れていい味になる。このブランデもいただきものだ。・・イエメンはもともと物騒なとこだが、最近もやばい。アラビア半島の南端でアデンは詩人のランボーも出かけている。ソマリア沖には海賊もいるし、オマーン、ソコトラの南アラビア語は古代ヤマト語と似ているともいう。ソマリアのすぐ隣にあるアビシニアは今のエチオピアでここのアベベというマラソンランナーは確か裸足で走るので有名だった。ここもランボーが訪れた。

・・卑弥呼の頃の倭国大乱と今のイスラム大乱はわくわくして魅かれるものがある。大陸の三国志なんかは誰もが知ってる話で、映画のレッドクリフというのは面白い。戦争は大国の大軍が必ずしも勝利しないというのがよくある。負けるにしても精鋭軍の玉砕はどこにでもある。スパルタのレオニダスなんかも壮絶だった。高句麗と隋の戦争も隋は百万の大軍とかで十万の高句麗を攻めたりする。しかし朱蒙の高句麗も戦争が好きだねえ。ヤマトの王権もそういう血がすこし流れているのかも。ヤマト魂というのは。

・・話は変わるが、神武というのは実在したにちがいない。列島に流れてきたものは、おそらく光の道をたどってきた。同じ緯度線上は太陽の道で、神武の天孫ならば垂直に降り立つ光は彼のパワーの源だろう。

・・おそらくエイリアンのように巣食うのはよくあることで、でも光が足りない。マリアの受胎告知のような鳩の降臨のような垂直のドラマが現代は欠如していまいか。

・・イスラム革命というのは、むずかしい。独裁政権に対する民主主義の勝利という安易な構図で着地するほど簡単ではないだろう。しかし、渦中であるから、注視すべし。

326秋魚:2011/04/07(木) 01:26:14
(無題)
・・横揺れの地震だから震源はそう近くはない。いつ止まるかと想ったがなかなか止まない。ついに部屋を離れて外にでた。・・北太平洋のプレートのゆり戻しがあって三つ大きな地震が起きたらしい。・・20分後駅へ向かう途中でもまた地震。余震だろうがかなり大きい。若い娘さんが広い空地の真ん中にしゃがみこんだ。こわいこわいと必死に耐えている。

・・都心でビルの十二階にいた人は、はじめ関東大震災が来たと思ったそうだ。これで終わりか。そう思って何事もなかった人も三陸や福島、茨城、千葉への津波がかくも大きく何万もの命を奪うものとは想像できなかった。・・福島の原発の事故もまた。・・20日ほど経ってマグニチュード5以上の余震が350回も起きているという。今でも地の奥でごとごと不安定に揺れている気がする。これはそういう病いだというが、実際揺れているのは間違いない。別のプレートが連動すれば今度は東海大地震になるやも知れぬ。活断層が反応すれば直下型でここいらも家は倒壊するかも。・・地震はまだあきらめもつく。原発の放射能汚染はたまらない。

・・自転車に乗ってはあはあ空気を吸いながら武蔵野の野外を走るのも心配になった。セシウムの塵が肺に入るかもしれない。水もあぶない。

・・2001年9/11のグランドゼロ、同時多発テロからちょうど10年と6ケ月の3月11日というのは、うまくできている。・・ちょうどイスラム革命の真っ最中で。

・・ゆりあ。・・温泉にいった。ここいらの水は大丈夫だろう。絶対ということはないが。大洪水後と放射能汚染があって、ゆりあはどう生きる。

・・大祚榮。・・高句麗から渤海へ。天孫を自称するのはヤマトも同じ。ヤマト王権の直系は高句麗と同じ天孫族か。ウガヤも神武も高句麗の流れ。・・ヨンゲソムンが西土、中原を隋、唐と争ったのは訳があろうが、結局はその領土拡大策が国を滅ぼすもととなる。・・テヨジョンの渤海。・・渤海は勾玉だ。ツングース系のテヨジョンが中原より後背地に依拠して渤海を存続させたのは注目に値する。

・・高句麗は列島ヤマトに入って完成した。ヨンゲソムン、テヨジョンの高句麗、渤海はマトリクスの歴史だ。・・ヤマトに原爆が落ちたように、3/11の震災、原発の破れはそういう供犠が命運となっている。

・・これは、何かが起きる。

327秋魚:2011/04/20(水) 03:46:46
(無題)
・・雨の日に温泉にゆくのは、よい。・・噂になってる大長今・チャングムの誓いを見た。なるほど子役のチャングムも女官のチャングムも役はよい。造る料理も美味そうだ。雨の日は外出せずというのが本当だろう。雨の中では今しかない。今が積み重なってやがて温泉になる。大長今というのはテジャングムという名前らしい。大きく長い今という解釈を読んでいたが。ハハ、大長征という言葉はある。

・・父親にも母親にも死なれるチャングム。・・野で倒れて弱った母親に何か食べ物を探すチャングム。野いちごをみつけ自分の口で噛み砕け母親に与えるチャングム。それが母親の最後の食物だった。

・・チャングムの食後のお菓子は、野いちごの砂糖漬けだ。王に差し出す最高の料理。ここが泣ける。

・・鯛のカシラとアラを買ってきた。醤油と酒それに少々の生姜で鯛を煮た。大根を入れて汁もたっぷり。いい味になった。大根はいい味をつくった。

・・淵蓋蘇文という高句麗晩期の名将は、すごい。平和願望の穏健な王とその一族を皆殺しにし、クグツの王をすえて自らは第一の権力者になった。高句麗が滅ぶのには立ち会えなかったが、彼の死が高句麗滅亡のきっかけになった。淵蓋蘇文という名には深い意味の謎がある。

・・福島原発というのはパンドラの箱だ。原子炉を開けると放射能という厄災が地上を蔽い、原子炉を閉じれば希望が残る。・・原子炉の中に三足烏がいるようなものだ。パンドラの箱から三足烏が外に出るとそれは厄災の野だ。だが、三足烏そのものは希望の光。

・・文という文字は蓋に圧された三足烏。蓋というのは蓋国のガイ、骸骨のガイのこと。レジスタンスゲリラの要塞のことだ。

328秋魚:2011/05/04(水) 01:53:51
(無題)
・・ハハ、ゆかいゆかい。ハヤブサに乗って飯能の温泉にいった。ハヤブサとはわが自転車。天気予報が晴れとあったから遠出にかけた。いやはや恐ろしく遠い。立川の昭和記念公園裏手あたりから武蔵村山のかたくりの湯には以前いったことがある。この辺の土地勘もすでに狂っておりあっという間に迷路にはまった。例のごとく手当たり次第道を聞き始める。残堀川というあたり。そのあたりから瑞穂、箱根ヶ崎にいこうとしたのだがこれがさっぱりわからぬ。でもみな親切に教えてくれる。え、瑞穂にいくの。なんてみんな驚く。ハヤブサを見て無謀と思うらしい。三段ギアはあるが実はママチャリ。自分はオヤジには見えないらしい。ただどこかに到達しようという熱意ゆえかみな親切に道を教えてくれる。いろんな人と話ができて面白い。・・日光街道という名をはじめて聞いた。この道を真直ぐいけばよいとのこと。・・ハヤブサと自分の体力を信じていたが、すこし恐くなる。恐いのはパンク。それにいつかペダルのアームが外れてしまい自分で直した。再度ゆるんで来たらどうしよう。自転車店もあまりない。・・一度出発したら一直線に進むこと。これが成功の秘密、とはチャングムの誓いにもあった。・・この日光街道をひたすら進めば金子にいたる。ここで入間川を渡れば飯能だ。あの八高線沿いの道は日光街道なのだろうか。ああ大変な遠乗りに出たものだ。狭山の茶畑というのが心地よい。でも道幅が狭い。なんか車にぶつかりそうだ。自分の体力はともかくハヤブサが気になった。家から紙パック入りのお茶は入間川にでたら飲もう。しかし水筒を準備すべきだった。瑞穂から入間川に抜けるまでが大変。小高い山があって、自転車でゆくのは自分くらい。

・・ああ入間川。やっと来た。ここでお茶をのむ。だいたい昨夜は3時間しか寝ていない。仕事にも慣れすぎて、このまま時間をとられて年をとったら長年の夢自転車の遠乗りも出来なくなってしまう。やばい。思い立ったら吉日。・・飯能市街にはいれば宮沢湖まではさほど苦ではないだろう。節目節目で道を聞きまくり遂に宮沢湖畔の温泉喜楽里別邸に到着した。ああゆかいゆかい。家をでてからなんだかだ3時間で着いた。

・・この温泉、入り口で入場制限をやってる。祭日で混んでるようだ。涙、涙。紙パックを捨てたいんだけど。ではこちらでどうぞ。自転車で来てるのも自分くらい。車とバイクが多い。

・・喜楽里。結論からいうと、展望露天風呂の源泉かけ流しがとてもよい。これだけでも来る甲斐がある。単純アルカリ泉というやつでぬるっとしてる。ああいい気持ち。・・思えば遠くに来たものだというけれど、温泉というのは来てしまえばまったく簡単で近いものだ。これがトリップの秘密。・・レストランでビールと山おろし蕎麦をとった。ものを食べたり酒を飲んだりする体力もありがたいものだ。ここの蕎麦はうまい。おみやげに喜楽里まんじゅうを買った。

・・それにしても、帰路がこっけい。雨が降り始めた。んで最初の曲がり角で右左反対の方角にいったからたまらない。いけどもいけども飯能市街にはいれない。道をたずねる人もいない。ようやく街道筋で野菜を買ってる車の人に聞いたらまっすぐは日高の方だという。あわてて売店のおばさんにも聞くとここは飯能の下で反対ですよということだった。ああ涙、なみだ。じっと我慢でもと来た道を返す。それに雨。

・・ああ迷路、迷路。完全にわからない。・・駿河台大学を目指しなさい。そこが金子。ここまで来ればまた例の八高線に沿った道でいけばよい。・・柳井氏に途中電話をいれるも嬉しい限り。でも今日はやっぱり自分の日帰りチャレンジだから自転車で帰宅すると報告まで。・・帰路はチャリダーのお兄さんお姉さんに遭遇。瑞穂までの道を聞くとまだまだ遠いいいということでした。で、ママチャリを眺めて怪訝そうな同情のまなざしがあった。同情は軽蔑と紙一重みたいだけど。しかしいいなあ、チャリダーって健在なんだ。また茶畑。

・・瑞穂からがまた大変。今度は大学生に道をたずねた。むこうの五平という焼肉店で飲み会でね。そのあたりまで一緒にいきましょう。ああ若くていいね。体育大学の学生なんだ。・・みんな面白い。

・・最後は昭島に出る道をやはり若い子に聞いた。ああでも遠いですよ。チャリダーのカップルも遠いんで驚いていたし、実は自分はそれはたいしたことはない。ただハヤブサが心配なだけだ。・・瑞穂や武蔵村山にもモールという大きなショッピングのビルがあってこれは驚きといえばオドロキ。中に入ったらそれだけで一日閑をつぶせそう。昭島も大変な都会になってる。未来都市だ。

・・やはり同じ生活ばかりは駄目ですね。ゆかいゆかい。なみだなみだ。パソコンばかりで眼がヒブン症だったが、野に出て緊張したためか、眼の具合がとてもいい。

・・よしっ。また自転車に乗れる。

329秋魚:2011/05/19(木) 01:04:48
(無題)
・・や、またまた愉快。ゆかい。ハハ、また自転車に乗った。今度は東青梅まで。青梅線に沿って昭島まではeasyなコース。拝島あたりがむずかしい。というのも八高線、五日市線が枝分かれして紛らわしいからだ。案の定公園の遊歩道にはまってしまった。道行く人に抜けられますか?といって何とか行けますよ。とあってもほんとは無理でしたね。ぼこぼこの階段道だったり。鉄路だけが頼りだが、通りすがりの黒人のお兄さんにthis railway goes to
Fussa? とかなんとか、でもそれは八高線だとか。あやうくまた瑞穂にむかうとこだった。
・・結局予定より20分遅れで待ち合わせの東青梅に着いた。ヤナイ氏とは10年ぶりか。おたがいおじさんになったものだ。否、けっこう若い。車に自転車を乗せてヤナイ氏のアトリエと大松閣にむかった。へえ、家を買ったんだ。それはすごい。でも山奥だから人懐かしくなるみたい。温泉フリークの私の趣味で自転車にも乗り昔の友にも会った。岩蔵温泉のあるあたりを通って飯能は唐竹の白髭神社の近く名栗川沿いにあった。妖艶な奥さんに挨拶されてではこれから大松閣の温泉にゆきましょう。山の茶屋というレストランで懐石をとれば温泉にもはいれる。ここまでは予定通り。・・予定外だったのは俳人の石田郷子さんの住まいに寄ったこと。彼女もずい分有名になったものだ。わたしのことはなんとか憶えていてくれたみたい。でもお邪魔はできない。まじめな俳人だからね。

・・温泉のことはすべて秘密。山の茶屋にはきれいで育ちの良い猫ちゃんがいた。イワナを狙っているとか、そんなふうでもなかったが。朴葉御膳という料理もわるくない。おみやげにあんずの紫蘇漬けを買った。さあ家にもどってワインでも飲みましょうか。四方山話で朝はホホケキョの鶯がたくさん鳴きますよ。うるさいくらい。・・この辺は渡来人が多い。白髭神社もそんなゆかりでしょうか。高麗神社もある。・・では明日はさわらびの湯にいきましょう。温泉フリークですから温泉三昧ですね。でもほんとは一人がいいのです。連れがいると疲れますからね。寝不足で自転車に乗ってたいそうな年で翌日川で撮った写真はけっこうふけてみえた。こうして私も老人になるんだ。やばい。

・・さわらびの湯も秘密。ここでは、竹笹の蕎麦、狭山の茶蕎麦、秩父の古代米とか買って帰宅してさっそく竹蕎麦というのを食した。ふうむ。竹笹の味はうっすらして味わいがむずかしい。でも上品な蕎麦の香りです。

・・もっともゆかいゆかいなのは、塩船観音寺を訪れたこと。行基ゆかりのこの寺は地形が船に似ているという。つつじの花で有名だが盛りはちょうど過ぎたころあい。でもあちこちまだ花は咲いている。・・真言宗醍醐派の別格本山という。山間のマンダラの寺院ですばらしく開放感があるんだ。

・・よしっ、来てよかった。

330秋魚:2011/05/26(木) 03:10:48
(無題)
・・チャングムは陰謀につぐ陰謀。料理のコンプレックスは医術のコンプレックスと重なり、宮廷社会の人の陰謀とも重なる。頭脳明晰なチャングムゆえ犯罪の謎解きも最後は勝利する。やれ、人は年を食うものだ。チャングムの苦悩の体験は並ではない。子どものチャングムは光っているが、最高尚宮のチャングムは成人した美の極致だ。たいへん苦労して心の深みはなかなか老化しないのがチャングムの秘密であろう。

・・眠りをとらず体力を消耗し、人に会う。これが肝心だが、ここで頑張ると人は必ず老化する。同じ仕事を安全に持続しつづけるというのが、老化の因だ。

・・ゆりあに今日はじめて声をかけた。「君のお父さんって、舞台美術やってない?」「舞踏とか?」・・「え、どうして」にこっと笑みをつくる。端正な顔立ちの割りには、歯並びがすこし乱れて可愛い。「むかしサタケさんって聞いたことがある」「写真をとったり」・・「いえ、違います」「コウムインです」・・ハハ、若い子と話をしないから老化するのだ。でも無理があるなあ。若い子って疲れるものだ。でも、そうでもない。レストランで私語をするのが下手なのだ。というか、勇気いる。・・ゆんちゃんでだいぶ懲りている。

・・「どこかでお会いしました?」なんてのは何かの映画にもあった。それもちょっと言った。にこっと笑ってくれた。それでいい。

・・最近、仕事がうんざり。彼らと話すとひどい老化のみがある。自転車と温泉、それに若い女の子が健康に良い。

・・ゆりあ。よい名前だ。

・・幼いチャングムが母を亡くす場面は泣ける。もう洞窟のようなところで、瀕死の母に野いちごの実を噛み砕いて母の口に与える。たったひとりの肉親との別れがこんな自然のただ中で言葉も心も伝えるものが途切れようとする。

・・生きる、は黒澤明の名作。若い子と話をしたくなるのは、やばい兆候かも。

・・実は、話をしたい本命がもうひとりいる。髪結いの亭主か、マディソン郡の橋の上か、ともかく繭蔵か、塩船観音にいっていっしょに歩きたい。

331秋魚:2011/06/09(木) 02:35:46
(無題)
・・一年に一度の健康診断。たぶん一年前と変わらぬが、すこし悪化か。不眠が続いているので血もなかなか浄化されない。2日休養した後なら健康そのもの。今は岩盤浴と自転車乗りの後で気分はよい。・・血はワインレッドできれいだった。

・・Mの陰謀。・・奴はわたしのペトルボットのジュースに何か薬を入れたに違いない。急に風邪の症状がでてほどなく眼をやられた。抗ウツ剤とか睡眠薬とかで眼に来るものがあるはずだ。3ケ月かけて数種の陰謀をたくらんだ。まさにMこそ蛇蝎の知恵そのものだ。まさかと思うことを次々と実行する。

・・親とか兄弟を広島の原爆投下ですべて失った。原爆症の妻といっしょに連れ添ったが、生まれた娘は脳に障害をもった。よく育てたが監視ができず交通事故で子を亡くした。定年間近に信頼した上司に大金を預けそのまま2度ともどらなかった。離婚してそれでも必死で体を動かせて働いた。他人の世話もよくしたが、最後は借金を無心するのが常だった。セクハラのようなことも平気でやっていた。側近にいたものとしてMの陰謀は数限りなく読み解いてきた。パターンはいくつかある。仕事仲間に毒を盛るみたいなのは、まさかと自分も思っていた。チャングムの誓いなども研究していたようだ。・・証拠を残さずにこれでもかこれでもかと罠を仕掛けるのが特徴で、一つが暴露されそうになると第二第三の罠を仕掛ける。あのしつこさと来たら第四第五と続ける。これ蛇蝎でしょう。残る余生を陰謀で遊ぶことに決めたらしい。・・今はソウルにいるが、帰ってきたらまた矢を放つつもりだろう。いいかげんブタ箱に送り込みたい。

・・診療所の先生は去年と同じ人だった。仰向けに寝させ、腹を手で触れてさぐるのが特徴で内臓の悪いところがわかるらしい。実は今回ひとつ痛いところがあった。腸が張っていただけだが、問題にする前にくすぐったいでしょうと、先生が降りた。・・不眠症が続いて悪玉コレステロルがなかなか退治されない。よく相談してくれる先生だ。

・・ゆりあは前回私語した為か表情が変わった。あの時話かけた言葉の内容を何度も繰り返して意味を考えているはずだ。話を続けたいが、奥の調理場にまわされているようで接する機会が無い。職場の陰謀ジジババの話より、若い子の声が新鮮だ。あちらからするとこちらがジジイなんだろうけど、若い子はいい。でもこういうのは危ないネ。

・・温泉で髪をカットしてもらって、ラジオのニュースでは、福島原発3号機だか、メルトダウンではなく穴ぼこがあいて燃料が抜け落ちるメルトスルーとかやってた。ひでーな。

・・放射能は相当量飛び交ってる。原発事故後、よく自転車に乗ったのでわたしも被爆がいっぱいかも。

・・福島原発は愚の骨頂だ。

332秋魚:2011/06/16(木) 01:00:37
(無題)
・・人はどうやって犯罪者になるのか。Mをみてると理解できる気がする。が、これは甘い。キリスト教などの宗教では、すべての人はいきなり唐突に犯罪者、罪を負う者になる。なってしまう。国家の法で守られている社会の犯罪はその社会では現実だが実はフィクションだ。天下の石川ゴエモンは泥棒のスジを通した正義で死んだ。彼を犯罪者呼ばわりするほど徒労はない。チャングムの誓い、大蘇栄などそうしたヒーローたちの戦いは犯罪者として裁かれる危険がいっぱいのフィクションのドラマだ。ま、人がつくったものだが、まれにMのようにそんなかっこういいものではないが現実の世で犯罪を演出するものもいる。死ぬまで現役引退しないというのだろう。・・にしても、老醜だね。

・・若い子と話をしよう。inouiさんはマンドリンを手にして待ち伏せていた。あ、なぜこんなところに。いえ、マンドリンの練習です。屋上です。・・ふーむ、マンドリンというのはずい分優雅でオシャレな楽器ですね。近頃は音楽すらもご無沙汰ですが、きっといい音色がするんでしょう。・・いえ、わたし日本人です。外人ではありません。え、でも外人だと思ったわけでもないんです。帰国子女ですか。・・そうでもないみたい。・・雨が降ってきたからもうやめます。・・そうですね。また今度お話しましょう。

・・いまどき若い子って何考えてんだろう。放射能がいっぱいで身重の奥さんたちは大変だ。なかなか防御がうまくいかない。わけのわからぬ疫病ばかりの世の中になる。子どもが育つなど誰も自信をもてないだろう。若い子の未来は無いと思うか、有るとしたら自ら未来をつくって切り開かねばならぬだろう。・・放射能がいっぱい。

・・ゆりあには今日も会えなかった。皮肉なものだ。思いが募るとけして会えなくなる。会うときはいつも偶然だ。・・ユジン、また会える。なんてのは、けだし名セリフですね。

・・健康診断はほぼ変わらぬ。若い子と恋愛ができそう。

・・来週はいよいよ自転車で多摩川をくだる。めざすはあの温泉まで。飯能までいったこと思えばどうということもない。天気がよいのを祈るのみ。

・・若い子は、その先にいる。

333秋魚:2011/06/22(水) 23:52:18
(無題)
・・参った。参った。このままでは白血病になる。なるべく休むことだ。一睡もしないで多摩川をくだるなんて無理なこと。即、老化だ。一寝入りして小平温泉にゆく。火曜日に来るのは久しぶり。定休日が変わって火曜にはあまり来れなくなった。以前いた受付嬢が憶えていてくれてビールの注文を取りに来てくれた。ありがたい。あの子はよく尽してくれる。まあ客でいる限りだろうけど。リストバンドを渡すとき手の指をみたが、ちゃちな指輪をしていた。独身みたいだけど。他に2,3憶えて気にしていてくれたようだ。ゆりあはいない。

・・いくら温泉に通っても白血病になったらお仕舞いだ。社長に頼みこんで休みを増やすことだ。収入が減るけども。

・・よく晴れた。今日こそ多摩川をハヤブサでくだって喜楽里温泉にゆく。調布の京王閣ケイリンまでは何度か来たことがある。狛江、二子玉川とさらに下って一時間半と踏んでいたが、見立ては甘かった。土手上の道は舗装されてずっとあるのではなく、途中砂利道になる。下におりてゆけばまだいい道がある。景色は上の道がいい。狛江からの多摩川は緑も多く中洲などもこんもりして水に映える。チャリダーというか本格的な人も多い。暑いので途中からTシャツ一枚になった。日に焼けそう。サングラスも途中で外した。野生が欠乏してる。

・・自転車2人乗りのアベック。若い男の子は茶髪でピアス。若い女の子は米国の星条旗だかをアレンジしたTシャツでなんか目立つな。世の中若い子がいてくらくら眩暈がする。追い抜いて貰いたそうで、えいとハヤブサで追い抜いた。ハハ、若ぶっちゃって。見立てが甘いというのは、小田急線までは何とか来て、先、二子玉川から向こう岸に渡らねばならない。どの橋で渡ったら良いものやら駐車場警備のお兄さんに訊く。そうだね東急の線路沿いで渡るのがいいみたい。向こう岸に渡りそこからがけっこう分かりづらい。何度も土地の人に訊いてやっと到着する。2時間はゆうにかかった。はじめてのところはバタバタ落ち着かない。いつ帰ろうかなど気にしては駄目なんだけど。・・しっとりして客の応対もいい。お得なセット料金で入りましょう。・・体調はあまりよくない。へえー天然温泉なんだ。1800m掘って琥珀色はよくあるやつだ。ゲルマニューム岩盤浴ははじめてで発汗がしきりだ。自律神経が乱れて、体調もよくない。レストランで瓶ビールを飲む。酔ってしまえばこちらのもの。・・休憩場の薄型テレビはよくみえる。メーカが気になり、パナソニックだった。法然と親鸞の宗教ものをやっていたが、画像が新鮮でよくみえた。パナは今期4割だか6割だかの減益でこれも震災の影響らしいけどいいものを作ってる。何があってもいいものを作らねばだね。国会会期は70日延長で決着。再生エネルギ全量買取法案をなんとしても通したいカン総理をわたしは応援するけども。それぐらいやらねばだね。世の中のことここまで学習できたら今日の温泉はとてもいい。

・・見立てが甘いのは、シャツを2枚着たこと。途中で一枚になった。裸で行く人もいた。腕の部分が日焼けして今すこしピリピリでこんなこと滅多にない。来るとき用意した小型のボトル一本の水が貴重で水が美味しかったこともよかった。温泉でも水はたくさん飲んだ。味は今一。ビールはサッポロでまずまず。・・武蔵溝の口あたりはけっこうにぎやかで、あの不埒なドンキまである。富士通の社員はまじめそうだ。子どもを連れた奥さんに道をたずねた。信号をわたるのを停止してすまないほど親切です。涙がでそう。昨夜みたテジョヨンでも子どもを抱きかかえるシーンがあってなかなかよかった。自分の子だけど知らないんだ。テジョヨンは大したやつだ。

・・帰り、日活撮影所なんてある。日活芸術学院なんて教室がまるみえじゃん。おどろき。・・自転車3人娘が前をゆく。話し声が聞こえる。学生らしいが、そういえば学校もある。・・思うに道というのは2つある。この世の道でいろいろな人がいる道。無常で涙でそうになる。もう一つはこの世ならぬ道で、人の出会いがどうかして犯罪になったりしそうな道。狛江あたりで土手に出ようとしたが、何度もだまされた。よい作りの家がいっぱいあるがいずれも袋小路で土手には出られない。よい家だが多摩川が増水して溢れるとここらも危ない。まったくその時はその時なんでしょう。

・・しかし裸の腕が日焼けしてすこしピリピリ。紫外線だね。野生で、いい。

334秋魚:2011/07/06(水) 02:48:26
(無題)
・・新橋の第一ホテルまで株主総会にでかける。30億もの赤字でよく倒産せぬものよ。株主だといって大変な資産家に見られているようだが、一株二株の遊びごと。リーマンショック以来2百万くらいはマイナスになってるのではないか。・・それにしてもこの会社、再生エネルギー法案が通らなければどうにもならないか。・・感動的で良質な株主総会という人もいるけれど、これだけ赤字だとちょっと見え張りかもね。

・・ところでS嬢は魅惑だ。広報担当で忙しいようだが、話す機会はある。ヒマをつくってお茶したいけど、うまくいかない。・・新百合ヶ丘に住んでるのですか。では、とても近いです。先日は登戸まで自転車で行きました。稲城にある温泉で髪をカットしてくれるお姉さんは新百合ヶ丘に住まいだそうです。わたしが自転車好きなので20万くらいの持ったらといってました。買ってくれるのかな。ハハ。・・S嬢と温泉でデートしたいですね。

・・自転車の遠乗りにはまりそう。先日は多摩川をくだって川崎までいった。こんなのは遠乗りにはいらないのかも。でもあれ以来やたらと眠りがやってくる。不眠症がすこし解消されたか。それに若い子にも話ができる。・・行きて帰る、若い子との出会いとはそういうものだ。発句のことだ。きっと。

・・あきるの市の温泉にチャレンジしてみたい。五日市街道をのぼる。くだるか。なぜ五日市なんだ。なぜ秋留なんだ。きっと訳がある。

・・自転車を物色した。遠乗り用の自転車、4万くらいのがある。そうだ、そろそろママチャリでは無理か。・・ハヤブサだが。

・・よし、次の目標はあきるの温泉だ。若い子にまた会える。

335秋魚:2011/07/07(木) 00:34:10
(無題)
・・地場野菜のキュウリを買った。福島産、秋田産など出回っていたが、今回はごめんなさい。市川光さんという方が作ったものにした。まあ大きくて色も濃い緑、ハウスものではないか。最近どうもキュウリはキュウリの味がしない。これは放射能とは関係ない。地元産を使う小平の温泉レストランは野菜も味がよい。今日のキュウリは食べてびっくり。美味い。温泉から帰って、韓国ビールでモロミとキュウリ。甘いほんのり苦い昔のキュウリの味がする。胡瓜と書いて、どこかシルクロードを渡ってきたそれ相応の味がするものなんだ。元来は。テジョヨンの血みたいなものだ。美味いキュウリは。

・・若い子と話がしたい。そうだ若い子はたくさんいるが、美味いキュウリのような子はいない。みかけはキュウリだが、キュウリではない。

・・多摩川の土手に出ようとしたら、急に屈強の若者たちがどやどや現れた。いい体格でラグビーの選手たちか、サントリーとあるから川原での練習帰りなのだろう。それにしても胸板の厚いすごい体だ。・・しかし彼らは若いというのではない。お店にでるキュウリだから。

・・伊藤園の人参ジュースを飲んだ。美味い。・・彼女は誘ってみたら温泉に寄ってくれるだろうか。髪を染めて化粧がとれるから気がすすまないかもしれない。公衆の見知らぬ人がいる温泉はこわいという子もいる。岩盤浴サウナで飲む冷水はひどく美味しいものだったが、ここにたどり着いてこの水の美味さが分かるか。ここの客層はいまひとつだが、私がいるからとてもよいと思ってくれるだろうか。レストランは小平と違ってビールは美味くない。食欲があるなら名古屋の味噌カツが美味い。ほかにも美味いものはある。が、わたしの趣向では自信がない。

・・忘れてはいけないのは、発句の精神だ。ユジン、また会える。

336秋魚:2011/07/20(水) 00:45:25
(無題)
・・台風が来てるらしい。なんのなんの。こんないいものはない。自転車の遠乗り3連発はきいた。台風は南の洋上のはるかから来るが、要は比較の問題、わたしの遠乗りだってそれに匹敵、あるいはディープインパクトなるやもしれぬ。自家薬籠中のトリップアートはまだ実験中といってもマンハッタン計画さながらこれから未聞の大核爆発が起こるかもよ。・・わたしは翁のペルソナに目覚めた。

・・本命の若い子にまた会えた。ゆりあではない。実は名前はまだ知らない。我輩は若い子である。名前はまだ無い。って奴。・・この子は娘のようだ、というより父親はわたしより年下かもしれぬ。孫娘だったりして。・・わたしがしつこくして会っているのではない。向こうがいつも呼び出すのだ。・・美人がいっぱい。会計のmi嬢は忘れていたが、ほんとはくだけた美人だ。地味な職場のわりに化粧が派手なのは、まだ独身というより、子どもがいるような気がする。言葉に訛りがあるのでたずねてみたら徳島の出身だという。それできつい化粧の割にはおっとりしてる。この美人はくだけていいかもしれぬ。

・・本命の若い子には、本をあげましょうか。そうフランス語をすこしやるようですね。イタリア語はどうですか。え、イタリアレストランで働いていたって。教材ですか。いえ、違います。ほんとにあなたにあげたいものは、実は・・こういいかけて、沈黙。

・・お仕事忙しそうですね。でも温泉なんて行きませんか。まあ出張の時くらいですか。若いから夏は海で冬は雪の有るところでスノボーとかやるのが普通かもですね。でも近くに温泉があります。とても広くて楽になれる温泉です。仕事帰りにぜひお寄りください。・・営業ではありません。フリークです。・・わたしと会えたらレストランで食事ができます。きっと。・・最後にきっと、と付け加えるのは昔の恋人のくせだった。

・・人は会った時の仕草で好意を持ってるか否かおおかた分かってしまう。特に好意を演出すれば、さらにだが、それで拒否反応があればそう受け取られてないのだ。

・・この子は娘の一番いい時期を長老に仕えるタイプでしょう。きっと。・・でも現代はきっと長老が不在なのだ。

・・マディソン郡の橋の上で、お会いしましょう。みたいになってきた。遠乗りの数々の風景、濃密な風景がたくさんある。この絵解きをすべて出来るのは翁の才能。・・数限りなくなつかしい風景の絵解きを話して聞かせたいが、若い子ははたしてどんなものか。

337秋魚:2011/07/28(木) 00:13:24
(無題)
・・追憶と回想の酒イェガーマイスターを飲んでる。たしかにアヘンが入ってるかもしれぬ。・・s嬢に会えるとはいつも思っていない。不意に呼び出しが来るのは好意の思惑かしら。自転車の遠乗りが夢幻を引き寄せる。・・そうですかドーバー海峡よりの町にいらしたのですか。で、ベルギーのゲント、ブリュージュにもいったのですね。あのあたりは退廃的な香りでもう死んだ町かと思ってました。が、そんなことはいわない。・・目の中に入れても痛くない美人だが、果たして美人というのは当たらないかも。

・・ハヤブサがパンクした。後ろのタイヤがそろそろ磨り減ってきてパンクもしたらしい。いやもうすこし使いたい。チューブを二重にして少しはもつかも。でも遠乗りは無理ですね。やめましょう。早く部屋を片付けねばいけません。若い子と出会いを続けるためにも。

・・ブルゴ−ニュというのは地域の名。ディジョンというのはその町。フランス東部です。ブルゴーニュワインが美味い。

・・株主総会に出かけた。品川のグランドプリンスホテル新高輪というどえらいVIPなところ。こんどは黒字安定銘柄で、安心できる。株主はみんなしょぼい人が多いけど。ま自分もその一人だ。案内嬢とかそこで働いている人を観察するのも楽しみ。この子は胸、腰の線が
抜群だとか。媚があるけどせいいっぱい抑えているね。あの子は色気はないが、受付けにはぴったりとか。・・駅から柘榴坂というのを登ってゆく。なんかすごく優雅です。パミール崑崙とか。帰りは日本庭園を散歩したら道に迷ってしまいまた例のごとくそ知らぬ顔の案内嬢にたずねる。・・迷子になっちゃった。駅にゆくにはどうしたらいいでしょう。・・でみんな的確に教えてくれる。それできっちり帰宅する。

・・やはり睡眠不足で株主総会なんかに出ると腰が痛くなる。もうすごい爺さんが細い腕をふって質問していたっけ。彼ら、あれが楽しみなんだ。いいね。

・・イェーガーマイスターオレンジ割りで、若い子を追憶しよう。温泉にでもいって。

338秋魚:2011/07/30(土) 14:27:18
(無題)
・・スクリュードライバーという酒があったはず。ダークブルーの夜にいただくとよい。・・やはり美人だ。まじめな場所で気の抜けたビールを飲んでいたが、呼ばれてそのせいではない。ハシシを塗りこんだ笛、アヘンの入った酒。・・ケシの花のような女、麻薬のようであり、そうでない女。・・また呼び出されたが、すごい美人。

・・なにかしてあげたいが、みつからない。・・目が目を欲望する。そういう万葉の古歌があったけ。

 夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてそ吾が来る妹が目を欲り    秦 間満

・・わたしが来る、妹が来る。そういう相思の目の出会いのことだと読んだが、どうか。あるいはわたしからの単方向かもしれぬが。

・・美はいつ美となるか。・・これは80年代のテーマ。ウォール街の女があらわれてから、美人の判定がむずかしくなった。・・名画の落札に大枚をはたいたが、騙されたものも多い。

・・若い子たちもここをクリアしないと、美しくなれない。

339秋魚:2011/08/04(木) 02:29:13
(無題)
・・韓流はチェジウにはじまりチェジウに尽きる。近代の芽をまともに育てたものが生き残る。日本流は退化していまいか。・・「・・時間にしばられた人が自由を得るのは、異質の空間に入る時だ。人はその時追憶と未来への希望を選択する」(「スターの恋人」)

・・「飛鳥の恋人」というイマリ(チェジウ)の本は抜群に読まれる。実は代筆。・・日本の奈良に休暇設定したドラマは完全なポストモダンのドラマの方法。若きインテリ教授と美貌のスターの恋がテーマだが、夢幻よりは甘い幻影のドラマだ。・・「冬のソナタ」がモダンの追憶ならば「スターの恋人」はポストモダンの模索だ。・・ショパンのノクターンひとつの理解があるか否かそれが問題でドラマは起こる。モダン、ポストモダンは実はどうでもいいことだ。

・・「秦河勝と夢幻能」というのは、きわめて今日的で超ポストモダンなことだ。日本流が韓流より進んでいるとすれば、ここにおいてしかあるまい。「万葉集」も再考されねばなるまい。特に恋の歌は。

・・大伴家持はカバリストの系譜とみたが、どうであろう。

 振仰けて若月見れば一目見し人の眉引思ほゆるかも    大伴家持

 ふりさけてみかづきみればひとめみしひとのまよびきおもほゆるかも

 ふりさけて●●●
 みかづきみれば●
 ひとめみし●●●
 ●●●●●●●●
 ひとのまよびき●
 おもほゆるかも●
 ●●●●●●●●
 ●●●●●●●●

・・倭のリズムがすでに迦波羅(かっばーら)のリズムだと。「迦」という文字はすべてを語る。カバラとは伝承のこと。大伴氏は伝承の系譜をもつ。

・・部屋の掃除をしながら、追憶と未来への希望を選択している。これがいまの仕事。

追憶といえば、

 さだかなる夢も昔とむばたまの闇のうつつに匂ふたちばな  飛鳥井雅経

・・五月闇というのは、世界において倭国にしかあるまい。橘の現在というのはこの闇がサポートしている。この闇の向こうにある昔とは、何だろう。

・・すでに自転車と温泉の時代だが、いまのわたしは新しい自転車が獲得できるか否かが大問題で、これがs嬢にのめりこまない第一の理由になってる。s嬢のすごい美貌とは、自転車の遠乗りによってさらに際立つものだから。チェジウが聴くノクターンというのはおそらく七七音の倭音。ひとつ音の無韻音と八つの無韻音とそのルフランまで理解できる感性ならばすばらしい最高の女優だが、どうか。

・・韓流はチェジウにはじまりチェジウに尽きる

340秋魚:2011/08/11(木) 02:45:15
(無題)
・・暑い。プールが盛況のようだが、温泉に限る。ドライサウナと水風呂がこの暑さを払拭できる。文学などとてもやってられない。

・・若い子と寝湯を楽しんだ。子どものように若いが、チェジウに似ている。ハハ 寝湯というのは隠微だが、気持ちのよいものだ。枕のパイプに冷水が通り小脳の下の松果腺や頚動脈を冷やす。首の力で身を浮かし背骨や腰の骨を調節する。温水は細かな沫のもので白濁してる。マイナスイオンというのがいいらしい。若い子と楽しむといってもたまたま隣にいただけだ。個々の自由な身体が楽しむだけだ。・・しかしチェジウに似ている。

・・読書術について。「好きなときに好きなところで好きな本を読む。」こういわれてイマリはチョルスの下宿に押しかける。なるほど先生に言われたことを素直に実行してるわけだ。チョルスのベッドまで占領する。いや困ったことだ。(「スターの恋人」)

・・「高慢と偏見」はまだ解りやすいそうだ。チャレンジするチェジウはえらい。「50ページ読んだよん」「・・よんはない、か」

・・温泉にあるヒーリングとバプテスマの習いは、秘密だが、誰もが知ってることだ。集団ヒーリングを謳う宗教と違うから、個人の自由と趣味のことだ。

・・社会は格で生きている。疲れるのはその為だ。米国債の格下げというのが話題になってる。要するに米国の格下げだ。格判断をする規準や機関もどうかと思うが、世の中は騒がしくなる。株などはよく落ちる。・・若い子がいいのは、こんなのは関係ないからだ。よし関係があったにせよ、関係ない。元気なだけだ。・・若い子はほんとうは温泉に来てはいけない。プールや海に行くべきなのだ。・・えい、韓国製のビールを飲む。

・・「天国の階段」に出てくる若い社長いやな奴と思ってたが、どうしてどうして今の日本にいないいい奴だ。コーリアンパワーというのはこういう奴が引張ってるはず。だから韓国経済も強い。成長力というんだろうけど、ヒロインのチェジウなんかも結局そこでしか生きられない。若くて関係ないということはない。恋をしても大いに関係有る。

・・s嬢は、格はどう見る。日本の格は円が高いように実は高い。・・沖縄のモズクと地場のキュウリでビール。s嬢は、チェジウに似てない。化粧の仕方で濃くやるとキャバクラ嬢などいう奴もいたが、そうではないいい子だ。化粧のこい子はほんとは温泉はあまり好きでない。化粧を落したり復旧させたりが大変だからだ。若い子、s嬢が化粧をするのは誰のためにというのがある。スターの恋人のチェジウが化粧をするのは彼女がスターだからだ。イマリのファンの為に化粧をする。

・・ところで寝湯の若い子はすっぴんだった。すっぴんの顔は見ないでと誰もがいう。まれに気にしない子もいるが。若い子はチェジウに似ていた。

・・部屋を片付けていたら。神秘の粉挽きの写真が出てきた。たしかヴェズレイ。s嬢に見せたいが。

341秋魚:2011/08/15(月) 11:32:12
(無題)
・・「一線を越えるな」「越えるわよ」。チェジウの「スターの恋人」がおもしろい。大根かと思っていたがいやさ失礼。韓国ドラマ自体が大根と見るむきもあろう。大根は大根でよくできたものだ。・・チェジウの化粧が千変万化するのを見逃してはいけない。俳優にとって致命的なすっぴんに近いものすらあって、これが大根の香り、最愛のスターは最高のドレスと化粧メイクでグラビアの絵に堪えねばならない。レディガガなど見すぎている我々の眼が堕ちているのだ。チェジウの声も万化する。これも大根の香り。

・・韓流がおもしろい。もうひとつの「大祚榮」。こちらも大根のチョリンのファンだった。敵将テジョヨンの子を産んだ契丹のチョリンはえらい!息子コムの出生の血をついにテジョヨンに明かすときが来た。韓流がおもしろいのは、感動するのは、こういったひとすじの血の流れの確かさに有る。戦でおおくの血が流れるが、さらに生きてゆく血の流れの美学がある。民族の滅亡とさらに生きて伸びる新しい血は混血であっても強い意志をもっている。ただし一つの民族は他の民族を凌駕して生きようとするから戦争にもなり、血統は絶やさぬものが勝ちとされる。発端の深秘はあまり問題にされない。

・・血の流れということでは、キリストの血の聖杯伝説はファンタジックな探険のドラマだ。そうではなく、ダビンチコードなどの謎解きにある「マグダラのマリア」は追及する価値がある。きっと。・・マルセイユの近くに漂着した、サントマリードラメールというその地のサンボ−ムにマリアの遺骨がある。キリストの子を孕んでいたという。

・・s嬢のいたブルゴーニュにあるヴェズレーの聖マドレーヌ聖堂。あの子もここを訪ねただろうか。「神秘の粉挽き」とマグダラのマリアの頭蓋骨があるという。s嬢ともう呼ばない。プレノンはmomokoという。きょうはじめて分かった。

・・マドレーヌというのは、小さなマドレーヌはひょっとしてホタテのお菓子。プルーストの追憶のきっかけとなるお菓子。・・パリにあるマドレーヌ寺院やこのヴェズレーの聖マドレーヌ聖堂が想起される。ロマネスクとゴシックの過渡にある建築寺院。これはテジョヨンとチョリンの混血で生まれる子どものようだ。

・・ルネサンスはヴィーナスが躍如し、ヴァロックはマグダラのマリアが注目された。チェジウも有る意味ヴァロックの女優。歪んだ真珠というが、真珠の歌というのはグノーシスの教義のことだ。

・・異端の血筋は深秘だ。ロダンのマグダラのマリアは強烈至極。

342秋魚:2011/08/22(月) 12:05:45
(無題)
・・「イマリさんはもっと強い人だ。自分の気持ちと素直に向き合うことを知っている」(「スターの恋人」)
・・「あの子のやりたいようにさせてください。・・わたしは宿命の恐ろしさを知っている」(チョリン)

・・自分の宿命をしっかり見据えられるようになるまでは長生きしたい。「カラマゾフの兄弟」を読もうとしたイマリは無理があると誰も思うだろう。しかしすぐ修正するのは12冊の古典のさいごに読みきるという意志だった。「星の王子様」は涙を流して読んだ。これは自分にはわからない。すばらしい感受性かもしれない。・・主人公たちの私生児性の設定はデリダ的なポストモダンの意匠でよくできている。

・・五月闇、ぬばたまの闇、たちばなの匂う闇の差異を考えている。自分の五月の誕生月は牡牛座だ。ペペルモコのジャンギャバンと同じ。牡牛座というのはゼウスだそうだ。たちばなの匂う妖艶な闇にやや近いのは牡牛座の闇かもしれぬ。エウロペというフェニキアの娘に惚れ込んだ。ヨーロッパはもともと異邦人の美で耕されている。フェニキアの美学はヤマトにまで届いているはずだ。黄金伝説のひとつはここにある。

・・ペペルモコが望郷だと。犯罪者の名前が望郷とはおかしな話だが、ヒットした。

・・余震がまだ来る。やばい。レゾナンスという追憶の方法、マドレーヌの帆立貝はサンチャゴコンポステラの巡礼の道だが、無意志の記憶を追憶する。デリダならこれを女陰の喩とするだろう。・・黄金伝説のもうひとつはレゾナンスの向こうにある。

・・ベトナム生まれのデュラス。パリで法学と数学を学んだという。・・「破壊しに、と彼女はいう」  ・・ここらが興味だが。

343秋魚:2011/09/01(木) 00:48:14
(無題)
・・部屋の片付けがおもしろい。が、なかなか進まない。いろいろ物を捨てるのは気持ち良いものだ。しかし執着が強いのはよくわかる。すっぱり無一物になりたいものだ。部屋にスペースを空けて遠乗り用自転車を置くという考えだが、片付けが進まないとそれもできない。同時進行で自転車も物色してるが迷いも多い。いっそ自転車もママチャリのままでよいのかという気にもなる。片付けばかりしてると自然追憶も多くなる。部屋のそれぞれのものがそれぞれの記憶をもって語りかけ追憶をいざなう。追憶にひたった人はさぞかし鬱陶しかろう。

・・ひさしぶりにmomo嬢から電話がきた。うれしかったこと。渇望の水のようだ。ケイタイではない。「天国の階段」や「スターの恋人」では登場人物たちはすべてケイタイで話をするのがあたりまえだ。サムソンのケイタイは日本にも入ってきてるが随分評判もいい。韓国企業のエコノミーは性能とコストのパフォーマンスを追究するが、二流から一流の過渡期には必ずデザインの観てくれで勝負するようになる。美的センスが無いなどと笑ってもいられない。韓流における美の追求はかなり露骨です。

・・momo嬢は美人なのに虫の着かないタイプではないか。なぜか。自分はよくわかる。天井桟敷のガランスみたいになるまでは、まだまだ苦渋が足りない。思いが多いといったが、追憶が多いということだ。それはよしあしで追憶はいずれ対決せねばならない。他者の追憶が共有されれば素晴らしいことだがそれはたいてい無理なことだ。追憶は感傷にすぎないことがよくある。

・・ターミネータという映画に出てくるヒロインの名前はたしかサラといった。・・マグダラのマリアがキリストの子を産んだが、その名はたしかサラといった。・・ああそうかこれが黄金伝説の蘇りというやつだね。きっと。・・サラという娘は目立たないがやがて強力な虫が着くようになる。これがドラマだ。きっと。

344山田:2011/09/03(土) 23:53:18
(無題)
八重垣の 斧
八重垣の

345秋魚:2011/09/07(水) 04:45:26
(無題)
・・「大祚榮」も山を越えた。天門嶺の峡谷で唐の20万の大軍を打ち破った。テジョヨンはすごい。無論半分はフィクションのドラマだが、渤海という国は実際に建国された。テジョヨンも存在した。中原の後背地の諸部族を束ねたテジョヨンの夢は涙のでるロマンだ。・・で、国ができちゃうとあまりおもしろくないもんだね。国王になると朕とかなんとかいってたいていは皆バカになる。でもテヨジョンは法を作っても民意を浸透しているから立派ですね。ドラマの筋もよくできている。

・・momo嬢にまた悩殺された。好敵手イヘゴなんかもチョリンにはめろめろだった。女にめろめろになるのは、夢も無謀でいいかげんなのはよくわかる。イヘゴの魂は最後までチョリンのものだ。女のために卑怯なことをよくする。テジョヨンはちがう。大夢がある。・・momo嬢に黄金伝説を説こうとしたが、うまくいかない。

・・ヴェズレーのサントマドレーヌ聖堂はそのファサードはロマンとゴシックの合いの子ででもその意味よりもマドレーヌという言葉の響きはそういつかも聞いたことがある。ヤマトにいればお菓子でしょうね。つい先日もいただきものがあった。パリにいくなら観光コースにもはいってる。柱廊の寺院です。・・マドレーヌはマグダラのマリアです。これはユンちゃんも良く知ってた。マヌララとか舌がまわらない。・・わたしらの関係は海のものとも山のものともわからない。momokoさんというのでは?そうよ。モモコよ。

・・ハンフリーボガードのハードボイルドは「苦悩の港」が最高作。いわゆるローレンバコールが完全にハードボイルドの虜になった。ああいう硬いナイフのような文体はもっとモダンになればターミネータみたいになるんでしょうね。

・・神武が見初めた七媛女はプレアデスのことでしょう。これはプルーストの花咲く乙女たちの影にいて複数のものの中で開放されていかないと、鬱陶しい。追憶は時にvisionに変わる。

・・ここは、秘密。

346山田:2011/09/11(日) 23:57:07
(無題)
桃の子よ我と汝は双生児

八つ頭辛夷の花に呑まれけり

隼の空にノの字のススキ原

渤海は目ひとつ失ふて立つ

両刃斧森動けば木に刺さる

347秋魚:2011/09/21(水) 04:54:27
(無題)
・・「もう森へなんか行かない」というシャンソンがあった。若いお嬢様の歌で、たぶん森はミノタウロスなどいる迷宮、ラビリンスを意味したのだろう。自分の感性をとりもどす為に、フランソワーズは森を断ち切った。・・「スターの恋人」のイマリ(チェジウ)なんかもスターの世界は自分の選択肢のない迷宮のようでついに出口を失いかけている。

・・迷宮、ラビリンスとは両刃の斧をいうらしい。迷宮を嫌って迷宮を離れても、人は迷宮から逃れられないのではないか。迷宮の秘密を、森の秘密を知ることが肝要だ。

・・追憶は結局自己の迷宮に嵌っている。ダリダとアランドロン「甘い囁き」(Paroles、paroles)、同じ曲をセリーヌディオン、アランドロンで。それにセリーヌディオンのTitanicからMy heart will go on、シルヴィバルタンの「アイドルを探せ」La plus belle pour aller dannser、これらの曲と動画を繰り返し聴いている。

http://www.youtube.com/watch?v=_ifJapuqYiU&amp;feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=aM1cFfAbLi0&amp;feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=C4g8rLShURw&amp;NR=1&amp;feature=fvwp
http://www.youtube.com/watch?v=-ETSdLHD9jY

・・甘い言葉を浴びせかけられて、ダリダはすべて風に流して聞いている。突っぱねるというのとも違うが、イケメンのドロンは見事にふられている。そういう歌だ。・・ダリダを調べてびっくりしたのは家族はエジプトへ渡ったイタリア移民ということだ。カイロで生まれてる。さらにびっくりしたのは失恋が重なり自殺してるということだ。あの美貌と美声で失恋と自殺とは。アランドロンの甘い囁きに乗らなかったからかというか、これはダリダの迷宮なのだろう、きっと。歌の世界とこの世の事は。

・・セリーヌディオンという歌手は、実は最近はじめて知った。友人のturu嬢はTitanicのMy heart will go onをよくカラオケで歌うそうだ。タイタニックは映画も3度観たという。このタイタニックという映画は何がおもしろいのか実はよくわからなかった。以前付き合いのあった子も耳元でタイタニックを見たといってたけど、そうか結局男性が女性に生を譲るところがいいのかと、女もそうやってカマキリになるのかと理解したものだ。・・タイタニックは地上の物語としてもっとおもしろいものだ、今はそう考える。タイタニック号自体は迷宮そのもので、大船だから絶対安心という触れ込みだった。迷宮だから安心ということはない。迷宮だからおもしろい恋愛もある。豪華客船の人の出会いはロマンスがある。されど迷宮というのだ。

・・タイタニックはV字で海を渡る動くピラミッドだ。V字の先に昔のフェニキアの船ならイシス女神がいただろう。それがシリウス。・・航海の安全を祈ったが、タイタニックはイシス信仰はなく、はたして氷の山にぶつかった。・・このタイタニック号沈没をめぐっていくつかの陰謀説もある。この陰謀説もたいへんおもしろいけれど、それはまた別のラビリンスのことだ。割愛する話だ。

・・シルヴィーバルタンという子。昔はそんな好きなタイプでなかった。フランス語をやるmomo嬢に顔つき仕草が似てるので、これも発見。いつか「ダンセ」男性といってたけどあれは歌のdanser、ダンスを踊る、を発音してたのだろう。若い子でカラオケをやる付き合いに備えて持ち歌をだれもが持つものだ。以前の子は中島みゆき「悪女のように」だった。わたしは持ち歌がひとつもない。・・momo嬢はきっと「アイドルを探せ」La plus belle pour aller dannser、であるに違いない。奇妙な確心。

・・要するに、最近のmomo嬢はシルヴィーをぶってるな。

348秋魚:2011/09/28(水) 02:33:27
(無題)
・・キムチョルス、やったね。若き学者先生がついにイマリを仕留めた。・・「万物は流転する」ヘラクレイトスは言う。「同じ川に二度入ることはできない」・・「変化には二つの理由がある」「一つは、二つの異なるモノが互いに同化しまいと争うこと」「もう一つは、それら二つの異なるモノが異なるままに同化しようとすること」・・「先生、むずかしすぎます」「やさしく言うと、」・・

・・いやー、チェジウの「スターの恋人」はおもしろかった。佳品。さんざん彼女を大根といったが、撤回しよう。・・うまい。・・「美しく見せて人から愛されたいというのは、虚栄心です」家出してスターを目指すイマリにそういう人もいた。イマリをこの上ない作品(商品)に作り上げるソン社長のような人もいる。イマリは、結局、迷宮にいる。代筆作家キムチョルスとの出会いがその迷宮の森を動かした。ドラマとは蠢く迷宮、ラビリンスのことだ。どこにミノタウロスがいるのか、わからない。はたして、アリアドネの糸は切れずにあるのか。迷宮を抜け出なくてはならない。

・・両刃斧森動けば木に刺さる

・・ラビリンスを抜け出る道は自分で探すもの。イマリは言う。・・きみはピンチになると直感で行動する。・・キムチョルスは言う。・・公園で年老いた夫婦が寄り添ってベンチに座ってる。それを眺めているとただ涙がでてくる。これがイマリの感性だ。・・ドラマの後半でひたすら涙を流すチェジウがいる。この涙が化粧を溶かしこの上ないイマリの素顔をみせる。涙に視界を遮られ交通事故にも会ってしまう。死んではならぬ。・・しかし、最後はこの涙が勝利する。・・涙を流せる女優でまれにみる感動があった。

・・「スターの恋人」最終話で、「今までご視聴ありがとうございました」という言葉がこんなにも心にひびいたことはあまりない。・・チェジウは大根と見せて、素人、素顔を演じたのだ。・・だから、うまい。・・性格の悪い偏屈のキムチョルスを変えられるのは、イマリしかいないはずだった。

・・脚本もよくできている。原作者の教養もしっかり。キムチョルスの性格を決めている。小説を書くというチャレンジもまたこのドラマのテーマなのだから。

・・「ノートルダムのせむし男」というユゴーの小説を原文で読み始めたが、なんともむずかしいこと。VICTOR YUGO. NOTRE-DAME DE PARIS. これが原題。・・パリにあるゴシック大伽藍の時代に、美の追求とは何か。それにまつわる人間の悲劇は何か。大伽藍もひとつのラビリンスであるはず。・・しかしこの文体はキムチョルス以上だ。硬すぎる。

・・こんな小説鬱陶しいかもね。シルヴィーのコケットな眼差しのが気になることだ。

349秋魚:2011/10/05(水) 03:51:43
(無題)
・・ユーロ危機、ギリシャ危機、これは結局クレタ島の迷宮、ラビリンスの禍ではないか。・・ゼウスとエウロペの巣となったクレタ島。エウロペはフェニキアの女だ。ゼウスとエウロペの子、ミノス王。このミノス王の過誤から牛頭人身の怪物ミノタウロスが生まれる。

・・フェニキアの資本の原理というものが存在したはず。コピー、複製を作るということ。石工、金属の精錬など技術によるモノつくり、あるいはリフォーム。それと交易による、物々交換。・・フェニキアのタルシシ船団はフェニキア=ユダヤの複合ではないかと思われるが、ソロモンとシバの女王の子メネリケが絡んでいる。今のイエメン、エチオピア、ソマリアあたりが、船団の銀座だった。

・・ゼウスがエウロペを見初めた時から、ラビリンスの禍は始まったといえる。エウロペが牛とともに踏み均したヨーロッパは、現代までクレタ島のラビリンスの支配下にあるといえる。・・ギリシャ危機とは、よく言ったものだ。

・・ならば、ミノタウロスを撃て!・・これが命題。

・・迷宮に巣食うミノタウロス。そこに餌として送られる男女7人。これが資本の原理の過誤ではないか。元も子も無くなる投資術。

・・ギリシャ国債を買えば買うほどキリが無い。投資はすべてミノタウロスに食われる。それでデフォルトが近いというのか。・・ミノタウロスを撃て!

  *

・・ハハ、ハヤブサの後輪のタイヤを交換した。ハヤブサはペダルのアームを自分で直したし、捨てがたい。まだまだ乗れる。・・立川のサイクルスポットは自転車好きで就職したばかりのアンチャンがよく説明してくれた。修理中、新しいのを物色しながら楽しい時間だった。確実に自転車の時代だ。

・・momo嬢は、ほんとに久しぶりに顔を見た。かわいい声でいつもでれでれになる。すこしイマリに倣って化粧を薄くしなさいといいたかったが、そんなことを言ったら嫌われるだろう。・・実際、スッピンの時もある。・・アイドルを探せ。LA plus belle pour aller dannserの話をしたが、シルヴィーバルタンは知らないようだった。カラオケは何でも歌うそうだ。こちらの見立てと大違い。ハハ

・・シルビーバルタンで思い出した。彼女はフランス人ではない。ブルガリア人だそうだ。ビートルズと共演したこともあって、わたしらの時代あこがれた者も多かった。で、結局われわれヤマト人の身の程知らずを思い知らされたのは、その後のジョニーアリディとの恋を目撃したからだろう。・・ユーチュウブの動画がある。ジョニーアリディはいかにもアメリカっぽいが、実はフランス人。といってもベルギー系だとか。フランスは混血の宝庫に違いない。・・シルビーは素晴らしいブロンドだった。ブルガリア、ハンガリーのスラブの血を引いている。ジョニーアリディはいまのヤンキーの草分けみたいで、二の腕にタトゥを入れている。バイクにシルビーを乗せて抱きつかせる。このタトゥも今の流行ですね。

・・シルビーで良かったのは、彼女が歌を歌うのは、大変な哀しみや、いっぱいの幸福から脱出する為だという。・・人気絶頂だった頃には、母親が病で臥せっていたらしい。Sylvieというのは、森を意味する。・・彼女もまたラビリンスの闘士だったかもしれない。

350秋魚:2011/10/13(木) 03:02:35
(無題)
・・今年は60年に一度、辛卯(しんぼう)の年というらしい。自然界、歴史界の大激変の年で、現に3月11日大地震と大津波、原発事故があった。「辛」という字は十字架上に立つとある。経線緯線のクロスで、これはここにキリストの再降臨の意か。「卯」というのはウサギだが、qとpの合致で、まあ鏡文字ですが、とても深い意味がある。

 桃の子よ吾と汝は双生児

・・ラビリンスの兎たち。眠りが足りない。これを何とかしないとね。自転車に乗るのは迷宮を発見するためだ。・・台湾製のGIANTはタフな自転車だという。

・・また運命的な美女あらわる。アメリカ、コネチカット州から来た両親は台湾人。君はアメリカ人というけれど、エイジアンみたい。チャイニーズですか。・・中国人ではありません。両親が台湾です。でも私はアメリカで生まれました。年は22歳。・・ほう、どこの町から来たの。ニューニューヨークシティ。え、そんな町あるの。・・(笑ってるだけ)あとで分かったのだがコネチカット州から来た。・・不思議だね。昨日までユースホステルにいた。自分もユースは死ぬほど利用したから、よくわかる。青年の生き方の最低の合理主義はユースで学べる。身体に無駄がない。しかも柔道を習う。・・momo嬢にすこし似てる。

・・突然、わたしがmomokoの父親です。とあらわれた。次から次とドラマが起こる。え、ああよく聞いてます。でもお初にお目にかかります。どぎまぎ、どぎまぎ。でも、うれぴー。こうなったら開き直るしかあるまい。何もやましいことはしてない。・・ひょっとして先日告白をしたのが原因かしらん。・・ともあれ父親の目をじっと見る。それはmomo嬢と同じかどうか、通じているか、そう見極めるため。むこうも合わせてくる。・・そうですね。一脈通じてますね。お父さんは思ったよりヤサ男でひょっとしてわたしより年下かもしれない。ハハ、怒られそうですね。まったく。

・・告白。そういってもむずかしい。いや簡単ですよ。特にデートをしなくても同じことです。要は話の内容です。・・TO HAVE,OR NOT TO HAVE これです。ボギーの最高作は。カサブランカではありません。「苦悩の港」PORT D'ANGOISSE 何のために年くって来たか。死ぬまでに一度は洒落た台詞をいってみたい。ハハ、でも話はヒミツ。ハハ

・・ああ、父親とあって恥ずかしい限り。でもよかった。スッキリ

・・あのアメリカの女の子は、不思議です。いえ、台湾です。・・もうこうなったら台湾製の自転車を買うしかないか。

351秋魚:2011/10/19(水) 02:55:10
(無題)
・・自転車用LEDフロントライトを購入して取り付けた。ライトはダイナモを回すと足が重くなって気持ちのよいものではない。ライトを消すと危ないし警官に止められる。このLEDライトはLEDとあってさぞ高価なものと思っていたが実は百円ショップで手に入れた。点灯の仕方が七色に変えられるなどよくできている。夕方小暗くなる中取説にならってなんとか取り付ける。・・ハハ、早速温泉にいって試してみよう。

・・武蔵村山、瑞穂、あきる野の茶葉製品から基準をこえるセシウムが出たらしい。・・5月の連休中に飯能まで自転車に乗った。あの日は忘れがたい。宮沢湖までいって帰りに雨に降られたが、あの雨はあやしい。ハンドルを握った手はよく雨に晒された。・・後に手の甲にポツポツと火傷をしたようなシミがでてあれはやはりセシウムが付着した為かと思い当たる。

・・原発事故、放射能といえば、西尾漠氏も追憶のひとりだ。

 http://www.youtube.com/watch?v=Dhqi5BxqVYE

・・追憶といっても、まだ現役ばりばりですのであしからず。福島みずほとの対談で西尾さんの言葉はくちゅくちゅと語られてやや聞き取りがたいのが難だが、全共闘、アジテーターで馴らしただけあって、歳くって過激さは程よく均された寛容の左翼人といったところ。・・福島原発事故は起こるべくして起こる。「暗闇のイリュージョンから白昼のアジテーションへ」といった頃の付き合いはなつかしい限りだ。演劇人の政治狙いはもっとも穿っている。

・・忘れてはいけないのは、共闘の精神。テジョヨンを見よ。

・・「アザリアのピノッキオ―7つの断章による狂詩曲―」 追憶は過酷だ。

http://www.asahi.com/culture/stage/theater/TKY200708040147.html

「権威や資本に毒されず、困難な中で劇をつくるところに、インディペンデントな表現が生まれると信じています」

・・洗礼というのを、彼は宗教を信じないから(ほんとは信じていても)何百回何千回となくやる人だ。 中途半端な自我の解体をいつも実践していた。頭が下がる。・・完成された戯曲、演劇などない。・・唐十郎の状況劇場がパレスチナ公演を試みていたなど初めて知ったが、その時の大久保鷹を再来させてパレスチナへと向かった翠羅臼。・・アザリアのピノッキオはたぶん翠の集大成。おもしろいはず。

・・部屋がまだ片付かない。観葉植物でなく自転車をいれる予定だ。momo嬢は二の次。

・・追憶のラビリンス。ミノタウロスを撃て!

352秋魚:2011/10/26(水) 01:33:55
(無題)
・・クロスバイクを手に入れた。自転車狂が今頃入手するとは、ハハ、不覚。置き場が無いのを言い訳に長年ママチャリダーに甘んじてた。部屋のひとつを空けてそこに置く。片付けを始めたら追憶の虜になってしまった。いろいろ思い出がある。ひとつのものの処理であれかこれかと迷う。ほんとうは迷いなど無いはずだが。・・ともかく少し物が置けそうになった。GIANTのESCAPEを狙っていたが、セールの値引きに誘惑されMERIDAのクロスバイクを買った。やはり台湾で作っているという。・・町を歩くとみんないい自転車に乗ってる。スポーツサイクルは車道をスイスイ走る。ドロップハンドルのものは少し手に余るか。クロスバイクなら自分でもこなせそう。・・ライトは先日買ったLEDのをハンドルになんとか取り付ける。ワイヤを使って少し無様だが。・・さっそく試運転。

・・ハハ、快適、快適。ハンドルの握り具合からペダルの軽さまでこれまでにない爽快さがある。ギアは21段ある。こんなに使わないだろうが早く馴れたい。全体が軽いが不安定感はない。むしろ体の一部のようにコントロルできる。・・や、十年前に乗るべきであったか。昔はマウンテンバイクが全盛で、今のクロスはタイヤをオンロード用にしたもの。まったく快適だ。・・温泉にいく途中あやうく人にぶつかりそうになったが急ブレーキで大丈夫。ブレーキの効きも悪くない。・・よし、近いうちに中断していた温泉への遠乗りを再開しよう。

・・メリーホプキン「悲しき天使」を聞いている。68年の騒乱の年にポールマッカトニのプロデュースで生まれた曲という。もとはロシア革命の頃に生まれた曲だそうだが。学生運動の諸君にもよく歌われたようだ。・・ソプラノの鮫島有美子が歌ってるものもある。力が入る。彼女も黒い瞳の潤う契丹系の美人だがああいうロシアの呼吸の歌はよく似合っている。

http://www.youtube.com/watch?feature=fvwp&amp;NR=1&amp;v=6e_5SaFui4M

http://www.youtube.com/watch?v=dRuDVVosfso&amp;feature=related

・・「慕情」というのもなつかしい。ああいう恋の感情は正道なのだろう。子どもの頃は大きすぎて分からなかった。邪道ばかりの世の中になった。追憶は正道を見据えようとする。

353秋魚:2011/11/02(水) 23:38:42
(無題)
・・秋晴れの朝。秋川渓谷までロングライドに出る。多摩川サイクリングロードを遡って福生の睦橋から五日市街道をまっしぐら。武蔵五日市の駅から檜原街道を秋川沿いに登ってゆけばそこが瀬音の湯。ここが目標だ。・・多摩川土手上のCRは国立で一度途切れるが、なんとか日野橋あたりで復帰できる。あとは景色の良いCRが睦橋まで続く。都心から秋川渓谷にツーリングでる場合、拝島橋を渡る記事をいくつか読んだが、これはやめた方がいい。国道6号だかはかなり走りにくそう。睦橋がベスト。・・この橋、陸橋と記憶して失敗。橋の手前で中学生の体育の女子先生らしき人に道を尋ねた。あれはリクバシですね。え、ムツミバシです。そうか、漢字が違うんだ。でも、どうもありがとう。あそこを渡ればよいのです。

・・新しいクロスバイク、これもやはりHAYABUSAと名づける。本格的な遠乗りは今日はじめた。ギアのかけ方が今ひとつうまくない。後輪のギアチェンジの練習ですね。多摩川土手に出るまで一苦労。甘く見てはいけない。立川に近いあたりまた新しい温泉ができたみたい。「ゆ」と書かれた建物がある。国立天然温泉が開業するらしい。これは発見。・・例によって道がすこしでもあやしくなると人に尋ねる。聞き方がうまくなって有効な答えがすぐ返ってくる。ハハ 愉快、愉快。

・・しかし、なんて快適な自転車なんだ。このハヤブサは。まったく、いい。最低これぐらいの自転車でないと秋川渓谷なんてツーリングは無理というのはあとでわかったことだ。多摩川沿いのCRも上流は今回はじめてだったが、感動に尽きる。川原の樹木とか釣り人のいる風景だとか同じ自転車乗りだとか、目にも沁みてくる。

・・睦橋はいい橋だが、その後がいけない。五日市線に沿う五日市街道。一本道でも車道はびゅんびゅん危険がいっぱい。しかたなく歩道をゆくも、でこぼこしてあまり快適でない。なんどか別の道を訪ねたが、この五日市街道の歩道がベストなのだという。・・武蔵五日市の駅まではほんとにおもしろくないとは誰かも言ってたようだ。・・多摩川CRで睦橋まで一時間、睦橋から武蔵五日市まで50分。おおよそ2〜3時間の行程と踏んでいたが、ほぼその通りだった。五日市のロータリーのレンタサイクル店で檜原街道と瀬音の湯の行き方を訊ねて見た。ああ一本道です。その自転車なら30分でいけるでしょう。アップダウンはずっと続くということだった。以前のように自転車をくさされないのが嬉しかった。ハハ 私のツーリングは天才の芸術作品なんだ。これは後で密かに思ったことだ。

・・檜原街道もそんなに広くない。車がびゅんびゅん。気持ちよいものでない。新矢柄橋という最後の橋をわたるともう瀬音の湯は近い。おおきなアップダウンの坂がある。やっと着いた。二輪車の駐輪場で、バイクはあるが自転車は一台もない。ままよ例のチェーンキーで自転車を置く。すこし心配。・・人がいっぱいいる。温泉は3時間8百円で、でも透明な単純アルカリ泉ってやつ。とてもいい。ぬるっとしてる。露天の眼下は秋川の谷で杉だか檜だか恐ろしく背が高い木になってる。まっすぐだ。空には鳶だか隼だか、きっとトンビだろう。ゆったりと二羽飛行して廻ってる。実にいい。

・・瀬音の湯にいくんだよ。会社の草ちゃんが、遠いね。大丈夫?・・ツーリングとはそんなもんだ。自転車好きなら女の子でもいく。・・で、実際来て見てもこれくらい日帰りなら普通でしょう。・・疲れるというのもほとんど無い。・・温泉が気持ちよいだけだ。

・・レストランで野菜天せいろ蕎麦とビール。本格的な日本料理ということで、よくできていた。・・ほんとに気持ちのよい温泉だ。

・・「ふるさと工房」というところに柳井氏の後輩がいるというので行こうと思ったが、あいにく今日はお休みということだった。またの機会に。さっそく帰路につく。今回は温泉よりも自転車がメインのツーリング。パンクでもしたらどうしよう。とか。・・このHAYABUSAはまったく快適だ。・・よもぎ蕎麦と地酒の千代鶴冷やおろしを背中のリュックに。やや重いけどこれくらいはどうということもない。千代鶴はうまい酒だ。ハハ

・・帰りは、先だって飯能では失敗した。雨の中を逆方向の日高へ日高へと向かっていたり。同じ轍は踏むまい。要所要所で道を尋ねる。自転車が軽いのが幸い。いいツーリングになった。訊く人訊く人みんな的確な答えの言葉が来る。・・拝島の駅の近くではチャリンコの小さな女の子にまで声をかけた。むこうよ。と、いい答えだ。・・ところで今瞬間的に足が攣った。昔事故った左足がうずいたようだ。やはりしんどいツーリングだったか。・・いやもう直った。たいしたことない。

・・帰りは多摩川CRは避けて、昭島の温泉に寄る。ここなら帰り道は簡単だ。夜でもお手の物。ハハ ここの岩盤浴はいい。・・つくづく自分のツーリングは芸術作品だと思う。これは秘密だが。ほんとに。・・ここの湯も瀬音の湯も実にいい。これもHAYABUSAのおかげだ。

・・このツーリングは、着想以来、5か月たって実現した。おそろしいほどの追憶があった。この追憶も終っていない。

・・温泉では時々小さな女の子が入ってくる。ロリコンの自分には密かな楽しみだが、これも秘密のことだ。

・・MERIDAのハヤブサはすごくいい。

354秋魚:2011/11/10(木) 02:58:30
(無題)
・・Hayabusaに乗った。フロントギアの切り替えもうまくいった。これは12kgくらいあってでもちょうどよい重さだ。欲しかったESCAPEはたしか11kg。ボーイングのドリームライナーと同じ炭素繊維鋼を使ったものが出始めている。これは10kgを切るか。MERIDAの自転車はあまり見かけなくなったが、なぜか。GIANT、BIANCHI、GANAUXとか、まあ洒落た自転車が多い。ナルシマ自転車という店では、各パーツを取り合わせてオリジナルの新作をよく作ってるらしい。立川にあって有名なクロウトの店だから一度訪れたい。・・自転車狂などとは恥じ入るばかりだ。ほんとに狂ってる奴は数ほどいる。自分はようやくパンクの修理をやってみるかといったところ。ほぼ素人。・・ギアの仕組みも今一わかってない。シマノという釣具のメーカーが作ってる。なるほど釣りマニアも竿とかリールとかには凝る人が多い。うまく使えると恍惚この上ない。

・・一回目の調整の前にロングライドをもう一度。今度は日の出のつるつる温泉にいってみたい。山奥だからアップダウンも楽しめる。それまでにもう少し使い慣れてクロウトにならねばね。・・今日は40分ほどのサイクリングだったが、夕方から出たのでもうライトが要る。多摩川では人にぶつかりそうになった。自分のLEDライトでは前方はよく見えない。ブレーキをかけてつんのめりそうになったのが、一度。でもたいしたことない。Hayabusaはまったく快適だ。

・・かけ蕎麦に春菊と穴子天をいれて食べた。ソバの味、春菊の味、穴子の味とこの時期は大いに欲しくなる。とくに春菊の味はマリファナの様だ。ハハ、こういう喩えはよくないか。千代鶴冷やおろしも味見する。ほんのりクセがある。

・・犬の生活?って、そうかもしれない。

http://www.youtube.com/watch?NR=1&amp;v=kmwCIECdQVA

http://www.youtube.com/watch?NR=1&amp;v=eNgCNkBG2yk

・・シルヴィバルタンが中島みゆきをカバーしてるんで、おもしろい。それぞれ歌の中味はだいぶ違ってるようだ。シルヴィのは完成された悪女の歌だ。みゆきさんは涙ぽろぽろなんてまだまだヤワですね。

・・どうか水際まで来て欲しい。  一青窈

http://www.youtube.com/watch?v=X_406XRTyL4&amp;feature=related

・・ひらり、蝶々

355秋魚:2011/11/17(木) 02:48:27
(無題)
・・自転車に目が無い。パンク修理セットを買った。あるメーカーのものは在庫切れだという。すごい人気だ。・・momo嬢に自転車の話をするが、さほどの関心ではないようだった。自動車の方が楽しいのかも。女子職員のあるものは洒落た外車に乗ってくる。学生時代に当たり前のように免許を取っているのは今も同じか。・・帰国子女で国際課に来たT嬢は洒落たミニサイクルで通勤してた。よく似合う。・・自転車のクロスバイクが流行ってるそうだが。

・・電車で駒込の染井温泉にでかけた。巣鴨の駅から歩いたが、この道はあまりよくない。学生時代よく歩いたので土地勘はある。駒込からのがよい。シャトルバスもあるそうだがさほどの距離ではない。土地の人に一度道を尋ねた。みなにこやかによく教えてくれる。なつかしい。・・染井はソメイヨシノの発祥地。温泉もSAKURAという。日本庭園のある造りで広くはないがこじんまりとよく造ってある。入館料はちと高めだ。

・・夜桜の湯、桜雲の湯、大和桜の湯とか、サクラに因んだ名が多い。庭にある桜も春にはみごとに咲きそうだ。

・・自転車で来たら駐輪場はあるのか、ちゃんと有る。都心に繰り出すツーリングを考えている。

・・サッカーの日本−北朝鮮戦があった。温泉のテレビで見たが、みごと敗れた。これでいい。日の丸ではなく三足烏を貼って出たから、われわれは兄弟なんだよ。殺そうと思って戦うわけが無い。ザックも今イタリアは財政危機で勝ってばかりはよくない。敗北も力になる。

・・一千万年以上太古のお湯で、こじんまりと隅まで気をつかったいい温泉だ。・・電車で来るのはよくない。体調が狂った。次回は自転車で来てみよう。

・・東京駅にでて、茅場町のホテルにゆく。八重洲通りには例によってマッサージ呼び込みのお姉さんがいる。ウインクして通るが、客になるヒマもない。彼女らも生活がかかってるだろう。いい客がみつかるとよい。・・このホテルも無料で泊まれる。自転車で来たら駐輪できるのか尋ねたら、大丈夫門の中に置けるそうだ。よし、今度はクロスバイクで来てみよう。

・・Marielというアメリカ人の女の子は実はフィリピン人だ。聞いたら二重国籍だという。
20才くらいの子ですごい美人だ。台湾のD嬢の友だちで、彼女も美人だ。20才くらいの時はだれも女の子は美人にみえるものらしいが、にしても美人だ。女の子一人でリュックを背負って旅するのは、昔から西欧人には多かった。東洋人でデビーとかマリエルとか美人で旅する子は近頃の傾向か。愛想もいい。・・インタネットのスカイプで友だちと話しできるから、旅に出て淋しいというのでも無いみたい。若い子に欠乏してるオジサンをすこし哀れんでるのかも。愛想がいいから、温泉にでも誘いたくなった。ハハ

http://www.youtube.com/watch?v=dxMJHENjPQc&amp;feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=_xl88vfS5UU&amp;feature=related

・・幼少の頃は、偏差値が異常に高いのが目立った。どこかで先生や周囲の水準を越えて行かないと、この声にはならない。偏差値で彼女がトップ、わたしが二番というのがあった。トップと二番の差はアムール河のごとし。さすがにうまい!

・・世界水準のオペラ歌手にはならないのは、彼女の限界ではない。彼女がもっとも得意とする歌をよく知ってるからだ。

356秋魚:2011/11/24(木) 01:57:58
(無題)
・・自転車三昧。ハヤブサの前輪のタイヤ交換をした。後輪はお店でやってもらった。近くに出来たホームセンターまで、替えタイヤとチューブを買いに出た。多摩川の近く新しい温泉もできたが、ホームセンターもある。外れなのに結構な人出だ。・・昼に寝過ごしてしまいあわてて自転車に乗った。タイヤを入手して日の明るいうちに交換してしまいたい。FRESPOというホームセンターは開業したばかりで自転車コーナーがあるはず、一目散に探した。なるほど結構広くある。これならパーツもあるだろう。手ごろなのが有る。26−13/8というのでタイヤが980yen、チューブが598yen。ハハ、皮肉なオリンパス製。・・はじめて来たのでもっと見て廻りたかったが、時間が無い。ミカンの特売を買ってそそくさ引きあげる。温泉は外回りだけ観察。出来立ての温泉はいいわけない。人も湯もなじみがないから疲れるだけだ。

・・時間が無いので、かねて予習したようにすぐさま前輪の取り外しにかかる。自転車を逆さまにしナットを外す。固いのでkure556をしゅっとかける。漸く片方が外れる、左右同時に外すべきか。もう片方がうまくいかない。外した方の心棒がくるくる回ってしまうのだ。ペンチで固定してやっと外す。ワッシャなど順番も憶えておかねば。次にタイヤ外しのレバーだがパンク修理セットに入ってたものを使う。が、なかなかうまくいかない。強引にやろうとするとうまくない。コツがあるはずだ。ここもなんとかクリア。・・次に新しいチューブとタイヤの取り付け。最初からチューブをタイヤの中に入れてやろうとしたが、これはうまくいかない。タイヤを取り付けてからチューブを差し込むといい。バルブは一番最初にリムの穴に通して位置を決めておくべきだった。あとで説明書にはそう書いてあった。チューブもタイヤもリムにうまくはまっているか、わたしのやり方はぬるかったかもしれない。しかしなんとか終了して空気を入れる。

・・試し乗りをして、まずまず。取り外したタイヤはまだ使えるから、パンク修理の練習をして、もう一台廃車寸前のママチャリの後輪に取り付けようと思っている。こちらはもう擦り切れている。後輪はもっとむずかしいと誰もが言う。でも、今日は無理だね。またの日に。今日は温泉にゆく。・・問題は、クロスバイクのパンク対策だ。こちらのチューブもホームセンターで見つけておいた。出先でパンクしたら即スペアチューブの取替えがいいらしい。クイックレリーズの後輪外しはまだよくわからない。ともかくママチャリの後輪はクロスバイクよりむずかしい。次はこれだ。

・・前輪のタイヤ交換は簡単だというけれど、なめてかかると細部でてこずることが多い。反省点は多い。次回からはもっとうまくなるであろう。

・・そういうわけで、今日の休みはクロスバイクに乗れなかった。小平の温泉にはママチャリでいった。雨がパラパラ来ていたからね。

・・俳人の来空氏から手紙が来た。俳人ではなく短詩人だが。碧ゴ桐の全集が完結したらしい。13巻+7巻とか。よくやった!最初は乗り気で、わたしは投げてしまったが、来空はえらい!これで来空の存在価値は高く日本の俳壇史上に必ず残るであろう。えらい!・・わたしが投げた理由は、・・簡単に言うと、やってられなくなっただけ。来空はえらい!・・13巻目の批評解説だけでも買って読んでくらさいと言ってる。・・時期が悪い。近ごろのわたしは本に対する価値が無に同じい。いかにして本を捨てるか、これに悩んでいる。本は捨てたい。・・自転車に乗りたい。

・・だが、来空はえらい!

357秋魚:2011/12/01(木) 00:47:44
(無題)
・・先日タイヤ交換をしたがやはり急いだ分失敗していた。バルブのところでチューブのゴムが噛んでいた。道理で前輪のタイヤが歪んで回っていた。空気を抜いて修正しさらにもう一回修正した。取説は電車の中で何度も読んだ。・・ママチャリの後輪のタイヤ交換も試した。しかしチェーンカバーの外しがうまくいかない。ネジが完全な固定ビスでタイヤ交換はするなということらしい。これはあきらめる。・・スポーツサイクルの後輪外しは容易らしい。これは習得しないともしもの時パンク修理ができない。HAYABUSAのタイヤ外しがこれからの課題になる。

・・多摩川サイクリングロードを登って福生から日の出町に向かった。2度目のロングライドになる。目指すは日の出のつるつる温泉。HAYABUSAの乗り具合はとてもいい。ギア切り替えもうまくなった。今度は登り坂がきつそうだ。21段の見せ所。・・多摩川は永田橋を渡るのがいいということだったが、一つ手前の多摩橋を渡った。何度か道を間違えながら、秋川街道、日の出街道といって、平井川に沿ってここからは一見なだらかな上り坂になる。帰りに分かったことだが、けっこうなスロープだ。ギアを軽くしても足が重くなる。土地の子どもに道を聞いたらハナミズキのところをどうのこうのといってハナミズキを知ってるかとかいう。木とか歌は知ってるが土地は知らない。やけにこうるさい子どもで自転車の後ろからでもわいわい騒ぐ。ありがとうといってるのにね。・・ずっといってやはり登り坂はきつい。もう少しというところで歩いてしまった。リュックを背負って歩く女の人に聞くと自分も初めてでたぶんもうすぐだと思うという。・・で、なんとか着いた。さすがにクロスバイク全能力発揮してもこちらの体力の限界も感じる。・・平井川には白いサギだかゆったりした鳥がいてデジカメを構えたが人の気配を嫌って飛び去ってしまった。あと寒桜のようなのもうっすら咲いていた。紅葉はモミジくらいであとは常緑樹の杉などが多い。もっと山奥にいかねばダメだろう。

・・つるつる温泉はアルカリ単純泉。透明でぬるっとしてる。瀬音の湯よりすこし薄い感じだ。まあまあですが、露天風呂はいただけない。取って付けたようでいただけない。レストランでは、ここで一番自慢のつるつる御膳というのとこれも自慢の梅酒ソーダ割りというのを注文した。山奥なんで期待してなかったが、テンプラに抹茶塩をつけて食べるというのでこれが大変ないい味だった。その他焼魚もマスだったが美味い。野菜山菜がとりわけ清潔な味がする。それに梅酒が最高に美味い。今日は平日で空いていたけどいつもは大変な人出らしい。・・若い女性が2人重そうなリュックを背負ってレストランに入ってきた。服装のセンスがいいので顔を見たくなった。二人ともけっこうな美人だ。でも荷物が多すぎますね。あまり上手なハイキングではない。若い女の子が下手糞なハイキングをして疲れたふうなのは訳ありですこし気になります。わたしみたいにクロスバイクで温泉にいくのはトレンドで不思議はないですけど。・・上り坂がきつくても温泉が目的地だと絶対堪えられることです。わたしのツーリングは温泉に到着するためなら大抵の障害はなんでもないことです。・・あの子たち、これから子どもを産んだりきっと苦労をする練習をしてるんではないか。苦労すると女の子も顔つきが変わる。たぶんそうだ。

・・売店で梅酒ワインというのを買った。HAYABUSAはカゴが無いから背中のリュックで運ぶしかない。これぐらいは何でもない。暗くなる前に日の出を出なければ。福生あたりまで早くもどりたい。・・帰りはクロスバイクはほぼ下りでペダルを回すことはない。けっこうな下りのスロープだ。恐いくらいなスピードになる。よくこんな坂を登ったものだと感心する。・・福生の永田橋を渡って日も落ちた。ここから簡単そうだが拝島の駅まで道がよくわからない。・・ふと暗闇の中から自転車に乗った若い女の子があらわれた。いかにも若い。が、やはり美人だ。いいなあ。若い女の子が自転車に乗るのは。これはトレンドになる。・・わたしがやることはきっとトレンドになる。クロスバイクはトレンドだ。メリダのcrosswayはコストパフォーマンスが見事だ。きっとこれもヒットする。宮田の知恵だと思うが、このクロスバイクは絶対売れる。MERIDAのフレームは好きな女の子の体の線のようだ。これは内緒。どこにでもいるということだね。

・・帰りは例によって昭島の温泉に寄る。ここは風水の気があってとてもいい。ここにも時々はっとする美人がくる。ここの温泉もアルカリ単純泉だ。ここはいい。

・・岩泉のヨーグルトというのを飲んだ。高いが本当に不思議な味がする。・・なんかいいものがあると散財するがかまわない。本当に美味い。・・ここの温泉もいい。・・福生の米軍基地へ離着陸する飛行機が手で取れるほどの近さだ。すごい音がする。間違ってこの温泉に落ちたらわたしも終わりだろう。・・ここの温泉はいい。

・・クロスバイクはトレンドになる。

358秋魚:2011/12/03(土) 14:26:51
(無題)
・・奇蹟のマリエル。・・電車の中でマリエルに会った。たまたま乗った向かいの隅にいた女の子。なんとなく見て誰かに似てるなと思い、そうして向こうもこちらを流し見た。で、はっとする顔でもう一度見返したから、やはり、マリエル。・・でも、名前さえ忘れていた。・・向こうも笑顔で、思わず抱きしめたくなった。

・・日本語を話したのは、失敗。英語でなければ。たどたどしく話したら留学生だという。JYOUTIで日本語を勉強してるとか。美人だね。頭もいい。

・・四谷の駅で別れ際に胸を合わせて抱きしめた。何かをしなければいけない。

・・ロングライドの後は、いろいろ奇蹟が起こる。

359秋魚:2011/12/07(水) 01:22:05
(無題)
・・HAYABUSAの調整を頼んでおいた。フロントギアのチェーンが3度外れた。そういったらワイヤの弛みを修正してくれたそうだ。ギアのかかりは格段によくなった。・・あとはパンク対策のみ。チューブと車輪外しが課題だ。

・・きょうは雨もよいでママチャリのハヤブサが活躍した。前輪のブレーキゴムが磨り減ってきてどうも止まりがわるい。これも交換したい。・・DOITで195yenであったがダイソーでは105yenであるという。粘った甲斐があって小平の温泉にゆく途中のダイソーで手に入れた。特殊ゴムを使用した新製品を選んだ。効きがよいという。WOリムで使えるはず。あと前輪のブレーキワイヤも手に入れた。後ろのワイヤが切れて自転車店で直したが1500yenもとられた。自分でやればこんなのも百円ですむ。

・・自転車の廃車にしようと思ったヤツ、ママチャリだが完全分解して構造を調べた方がいい。自転車工学博士になってしまうのだ。いまは一つ一つチャレンジしてゆくことにする。今日はブレーキゴムを交換したが、明日はハヤブサの前輪ブレーキワイヤを交換したい。ブレーキゴムの交換は比較的簡単だった。ワイヤはどうか。

・・Marielを抱いた体の感触が残っている。ああやって距離を無くすのは眼が悪くなったのも一因だ。見境が無いというヤツだ。だいたいわたしは眼が良すぎた。見つめてばかりはいけない。Marielは拒みはしないし、むしろ嬉しかったはずだ。わたしが受けた体の感触は同じようにMarielも受けたはずだ。・・若い子はいい。

・・自転車はいい。郊外の温泉に2度ロングライドを試みた。今度は都心にでる。・・

・・momo嬢とすこし歩いた。父親の話をした。・・コスモスと春の桜とどちらが好きか。こういう質問をしたいが、チャンスがない。ウサギの生まれなら、たぶんサクラであろう。・・サクラならソメイヨシノ。ソメイなら、・・ヨシノなら、・・といろいろ話したいが、チャンスがない。・・チャンスより奇蹟があるかも。きっと。

・・温泉のレストランで、隣のテーブルにいた男性はキムチョルスに似ていた。子ども連れの家族で母親を見たが、イマリほどの美人ではなかった。・・イマリはマリア。マリアとかすれ声で呼ぶ初恋の写真家がいた。彼がたぶん一番想いが深かった。この深い想いは挫折が宿命。・・キムチョルスは宿命を模索した。スターの恋人とはよくいったものだ。スターとは星のことだから。・・

360秋魚:2011/12/15(木) 11:37:52
(無題)
・・自転車は微調整で日を送る。HAYABUSAには乗れない。パンクスペア用のチューブを注文する。当分パンクしそうにないが。・・ママチャリのハヤブサも微調整。こちらはチェーンの弛みを修正した。これもそう簡単ではない。チェーン引きナットの締めだけではまずいらしい。後日再調整だね。

・・懸案の国立温泉にでかける。家から近い。引越しもせず粘った甲斐あって極上の温泉の贈り物となった。ハハ 多摩川べりで以前市のプールがあったところだ。立川にも近い。川向こうに渡る高速道路もある。湯楽の里のひとつだが、国立だけあってコストを下げて高級な仕上がりにしたのは、さすが。湯の泉質も評判はいい。湯はともかく設備は飯能の喜楽里よりよい。屋上の展望露天風呂が自慢のようだ。富士山が見えるという。

・・スーパー銭湯の流れであまり期待はなかった。泉質を褒める人が多いのでどうかと想ったが、府中にある縄文の湯のような濃厚なものではなかった。だいぶ手を加えてる気がしないでもない。加熱はやりすぎか。石油やゴムの匂いがするのはこれは良質の証しらしい。天然の湯らしくて悪くない。岩盤浴は無いが、炭酸泉が広くスペースをとってあり人気がある。スペースのとり方はまあ全体に悪くない。レストランも広い。休憩のリクライニングもテレビ付きまである。柏レイソルとサントスの試合が見れた。ハハ

・・レストランは広いなあ。料理もリ−ズナブル。国立は金持ちと貧乏人が同居する町。一ツ橋大学の学生も多い。大学通りの開発は西武がやったらしい。湯楽の里チェーンも西武系ときく。しかし今の西武はてんで落ち目だとも聞いている。温泉経営はうまくはまれば大ヒットまちがいなし。・・自転車と温泉はわたしが選んだトレンドだ。

・・稲城にあるヨミウリ系の季の彩に対抗して入館料をほぼ互角で御影石を使ったり高級感は超一流。褒めすぎか。市の外れの開発では市政のヒットになるかもしれぬ。ホームセンターFurespoも集客は抜群。ただし安売りというのでもない。モノは多いが。・・レストランでは自慢の釜焚き御膳というのを注文。ビールもサントリーだがプレミアムモルツでいい。料理はさすが国立でよく出来た。舌のこえてる人が多いからね。開店したばかりで従業員はいまひとつ。接客はこれからか。

 http://www.youtube.com/watch?v=_xG0ZF5z2Jo&amp;feature=related

・・太陽がいっぱい。

・・すごいロシア美人にあった。映画の中で見るような。ロシア人が英語が下手なのは、定評。そこをカバーするコミュニケーションランゲジがおもしろい。ウインクか投げキッスか。ハハ

・・禁じられた遊びのルネクレマンはすばらしい。太陽がいっぱいのルネクレマンもすばらしい。

361秋魚:2011/12/21(水) 16:10:34
(無題)
・・まず、三鷹、吉祥寺まで、五日市街道をめざす。Hayabusaで都心への遠乗りにでた。武蔵小金井の駅近く急にガクンと来た。パンクか?やったか。後輪のタイヤに見事な鋲が刺さっていた。これから新宿、池袋と都心に出ようという矢先、ついてない。それにしても見事な鋲だ。あやしい。・・すこしいくとサイクルスポットがあった。運がいい。店の者はなんか愛想が悪い。パンクなのにチューブ交換をしきりに勧めてくる。わたしがここで修理するのを見てるからぜひパンクでやってくれといって話をつける。しかし、あやしい。・・かなりしつこかったが、むこうもあきらめてパンク修理を見物させてもらうことになった。・・Hayabusaは傷ついた。今日の予定も狂った。駒込の温泉までは夕方遅くになるだろう。パンク修理は30分という。順番があるといって前の修理をまたねばならない。30分の遅延はどうということもない。それより後輪の取り外しが見ものだった。クイックレリーズを緩めるとすぐに外れた。なるほどプロはうまい。みるみる修理を続ける。・・いい勉強になった。修理の間若い店員と話をした。都心にでる遠乗りの途中だと。東京駅までいくんだ。え、これから。・・むこうも認識をあらためたのかすこし言葉使いも丁寧になった。和んでくれた。・・こういうこともある。

・・さらに新宿をめざす。明治通りで池袋にいくだろう。ところがどういうわけか大久保あたりで迷った。八百屋のあんちゃんに道を聞くと丁寧にいう。え、反対ですか。すぐもどろうとすると最後まで話を聞け。あわてるととんでもないとこいっちゃうぞ。としかられる。このあたりはにぎやかだね。在日系の若い女の子はみな美人だ。・・今度は交番で聞くと、山手通りはどうだという。結局山手通りにむかうがこれはあとで分かった。素直に明治通りをとればよかった。池袋の警察で聞くとさらに明治通りに出て17号をとれば巣鴨の駅前に着くという。しかしすごい遠乗りになった。・・巣鴨の駅から染井温泉まではすぐだ。6時半になっていた。

・・この温泉はいい。こじんまりとよく出来ている。細部の配慮は文句なし。レストランも自慢のようだが、実はいまひとつ。牡蠣味噌丼というのを食べたが、牡蠣の味がもうすこし活きてもいい。あまり大食をしないのがコツ。・・二度目で居心地もよくなった。そう長居はできないのも分かった。

・・染井から東京駅までなんとなく簡単そう。Hayabusaにテールランプを取り付けた。都心の道路はおおかた車道はあぶない。車道をゆくにしても常に背後を見てなければ。バスなどきたらすぐ歩道にもどらねばね。クロスバイクでタイヤの細いのは都心ではむかない。東京は自転車が走るように作られてないのも分かった。段差や細かな凹凸のある道を走らされるならオンロードの自転車には向いてない。普通サイズのタイヤでなんとかいける。Hayabusaでたえられる。・・本郷の東大前を通って真直ぐいけばよい。しかし神田淡路町あたりで迷った。東西南北を忘れた時があぶない。コンビニでビールとツマミを買って道をたずねる。大手町に出て東京駅も近い。・・11時ころにはセンターホテルに着いた。

・・このホテルの人は応対がいい。朝、新宿までの道を聞くと、皇居をまわって新宿通りをゆくのがよいということだった。

362秋魚:2011/12/28(水) 10:50:21
(無題)
・・Hayabusaを酷使した。しかし今の自転車はよくできてる。パンクもしたが走りはよりよくなった。クロスバイクはトレンドになる。・・出先でのパンク修理を想定してスペアチューブと携帯空気入れを購入した。チューブは注文してサギサカのもの。ネットでは1480yenででてたが、999yen。空気入れは店では1980yenだが、amazonのネットショップで1245yen。買いものもおもしろいものだ。ネットショッピングなどはじめてやった。品物もよし。

・・意を決して、Hayabusaの前輪外しと取り付けをやってみた。前輪は簡単だという。Vブレーキを解除してレバーは固かったが、なんとか。たしかに簡単だが、取り付けたあとでブレーキの位置が若干狂った。左サイドのものが接触してしまう。ほんのわずかだが。ブレーキの調整も憶えねば。・・Hayabusaを自分の手で解体したり復旧したりで愛着も湧く。自転車のクセなども分かってくる。

・・先日の都心のロングライドはおもしろかった。途中ポリスなどに道をたずねたが、よく応えてくれた。都心への自転車乗りは増えているようだ。東京はまだまだだが。パリやロンドンでは大変なトレンドになってる。生きた都会が見えてくる。・・次回は横浜にでて横須賀から三浦半島をまわってみたい。横浜まで3時間半とみたが。

・・赤いテールランプも活躍してる。点滅のとき自然消灯することがよくある。なぜか。安いものだ。・・ギアチェンジも順調。後輪のタイヤ外しで、ギアもよく習得せねばね。

・・シルビーバルタンがいい。実存の女を実践したのはたぶん彼女だろう。ポップ、ロックの生き方だ。

http://www.youtube.com/watch?v=0cRGbObFsi8&amp;feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=wLG2DeIKpYw&amp;feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=zKlLPCGOU6U&amp;feature=related

363YAMADA:2011/12/30(金) 01:42:16
マヤ
>・・マヤの最後の時代が始まったのは、金星つまりケツァルコアトルの星の誕生した紀元前3114年8月12日だ。この時代の終わりにあたる2012年12月22日、金星と太陽とプレアデス星団とオリオン座の宇宙での関係がふたたび明確になる。

>・・ 「スカイグローブ」プログラムによると、2012年12月22日に太陽が沈む直前、金星は西の地平線の下に沈む。そして同時にプレアデス星団が東の空に昇ってくる。太陽が没するとオリオン座が昇ってくる。これはおそらく、新たな歳差運動の周期の始まりを意味し、象徴的に新しい時代の誕生を示す。

http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/info-maya.html

364YAMADA:2011/12/30(金) 17:46:11
JE CROYAIS
Paroles / Lyrics: Sylvie Vartan
JE CROYAIS
1976


J'ai vu le soleil tomber
Derrière le Fujiyama
Et la lune s'enflammer
Au vent chaud d'Alabama

J'ai traversé des frontières
Des océans et des villes
J'ai couru toute la terre
Sans jamais trouver mon île

Je croyais, je croyais
Qu'un avion suffisait
Pour voler, pour voler
Plus haut que le passé
Je croyais, je croyais
Qu'un bateau suffisait
Pour laisser sur le quai
Le garçon que j'aimais

Je croyais le paradis
De l'autre côté du ciel
Comme un papillon de nuit
Je me suis brûlé les ailes
On peut fuir comme un voleur
Changer de nom, de patrie
Quand on a l'amour au coeur
On est condamné à vie

Je croyais, je croyais
Que mon coeur l'oublierait
Je croyais, je croyais
Que mon corps s'en passerait
Je l'aimais, je l'aimais
À mourir de l'aimer
Je l'aimais, je l'aimais
Et je reviens l'aimer

・・私は見た

・・富士山の向うに陽が落ち

・・月はアラバマの熱風に燃え立つ

365秋魚:2012/01/04(水) 01:22:47
(無題)
・・ハハ、今年も自転車だ。ハヤブサではじまる。再度Hayabusaの前輪外しをトライする。ブレーキシューがリムに触れるのは、車輪がうまくはまってないのかもしれない。まずVブレーキの調整を試みた。シューとリムの間隔が左右異なるのはよくない。これは調整ネジで修正できるのだという。ネジを特定するのに時間がかかったが、発見してトライするとうまくいった。お店で調整したなんてウソじゃん。まったく手抜きもいいとこ。・・前輪もレバーはフォークに平行にとある。自分はスポークに合わせたか。これもまずかった。でも、自転車店でパンク直しをした後輪はフォークに平行にとはなってない。あのアンチャンもあまり熟練されてない。・・前輪は前回よりか格段によく外してまた取り付けたもんだ。ホイールの振れもほとんどない。ブレーキワイヤーの遊びも縮めることができた。

・・自分で整備した自転車は乗り心地がよいこともわかった。温泉にでかけた。正月はどこも混むに違いない。ならば広い湯舟のあるところがいい。国立温泉はただでさえ混むうえに湯舟はみな小ぶりときてる。あれははやく風呂から引き揚げさせる為だろう。レストランはほんとに広い。これはよく飲み食いさせてお金を落させる為だろう。見えすいてるがレストランが広いのは嬉しいことだ。ビールがうまい。でも今回は小平にゆく。ここもビールはうまい。・・なんていい乗り心地のHayabusaだ。調整したブレーキもいい感じだ。温泉に着くと、ビアンキのロードバイクが置かれてあった。へえこんなので温泉に来るヤツもいるんだ。BIANCHIはあこがれの自転車のひとつ。優美な自転車だ。

>・・ビアンキの自転車は伝統的にチェレステ(イタリア語:Celeste、碧空、天空)という緑色に近い青色で塗装される。このチェレステはイタリアのマルゲリータ王妃の目の色をモチーフにしたという伝説があり、
・・また、その年のミラノの空の色を見て現地の職人が色を調合するとも言われており、チェレステカラーは毎年微妙に違った色になっているとされている。緑色に近い青色という通り、青みが強くなる年もあれば緑色の強い年もある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AD

・・BIANCHI by GUCCI という自転車があるそうな。・・14,000ドル、つまり日本円(1ドル80円)で換算すると1,120,000YEN

http://www.gucci.com/us/styles/284332JA3108730#

・・ロシアより愛をこめて 女優のDaniela Bianchi

http://www.youtube.com/watch?v=xQQSKEZ1Bq8

・・映画の中ではタチアーナという ロシアの女性はほんとに美人だった。・・DanielaとSylvieをクロスした感じでした。

・・夜、思わず見とれてしまった。目を奪われた。 投げキッス

・・ところでファンジニがネット配信だそうな。これもよく見とれる。

366秋魚:2012/01/12(木) 03:56:07
(無題)
・・クロスバイク後輪の着脱もよく学習した。いまはスタンバイしてる。あと一回遠乗りした後でトライしてみよう。リアギアの構造が今ひとつわからない。パンクをしたら思い切って後輪も外してみなければね。道具はすべて揃った。・・国立温泉のホームセンターにいったら折りたたみ自転車のいいものが安く出ていた。シティサイクルでもいいものが多い。クロスバイクは構造が簡便で無駄がない。使う人のポジション調整がうまくいけば愛着も湧く。高価なものでもいいものという理由がある。もっと極めてみたいが。

・・ファンジニを見てる。伎人、キーセンとは芸者のことか。最高の芸の道を究めるジニが素敵だ。キーセンの道で友とすべき最も大切なものは何か。芸か、心か、愛か。・・苦悩だという。・・これは、深い。

・・王朝の美学は、とどのつまり、感情の美学ではないか。感情は苦悩によって育まれる。・・けだし苦悩の本来性は覚知しがたい。

・・Sylvieは苦悩の多い歌姫だ。

http://www.youtube.com/watch?v=8gxwscva75I

http://www.youtube.com/watch?v=Vbg7YoXiKn0

・・サルコジの苦悩。・・イタリアにstandbyme

http://www.youtube.com/watch?v=NY4dOjzIJSg&amp;NR=1&amp;feature=endscreen

・・GAGAはパフォーマンスは見事だが、どうもね。すこしうるさい。

http://www.youtube.com/watch?v=H99OK1X8oq0&amp;feature=related

・・Tinaは、いい。

http://www.youtube.com/watch?v=O4_ghOG9JQM

・・貿易港の町、リバプールサウンドというのだろう。・・レノンの血はケルトではないか。

>・・1715年、イギリス初の係船ドックが建設される。植民地との貿易が盛んになった18世紀当時のイギリスは、ヨーロッパからアフリカへ日用品や火器を、新大陸からヨーロッパへ砂糖などを持ち込む大西洋三角貿易において、ほぼ独占的な地位を築いていた。リヴァプールは、この北アメリカ、西アフリカをむすぶ三角貿易の拠点として中心的な役割を果たし、おもに奴隷貿易で急速に発展したという負の歴史も存在する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%AB

・・Liverpoolは魅惑だが、Tinaの別荘がある南仏のVillefrancheも魅惑だ。

367秋魚:2012/01/17(火) 23:56:43
(無題)
・・自転車に飢えてる。Hayabusaに2週間もご無沙汰だ。ハハ今日はよく晴れた。今度は都心ではなく西方の高尾山の麓まで行く。甲州街道を行くのは簡単だが、車がびゅんびゅん。こんな味気ないロングライドはごめんだ。・・ネットで調べてみると多摩川の支流浅川沿いにサイクリングロードがあるとのこと。その終着点がもう高尾だという。で、この浅川CRはとても爽快らしい。CRの穴場ということだ。・・空気入れ、パンク修理セット、替えチューブをリュックに入れて準備万端出発した。片道2時間の行程とみた。・・府中の四谷大橋を渡るのが正道らしいが今回は谷保から近い石田大橋、別名日野バイパスで多摩川を渡った。石田という地名は川向こうとこちらの国立にもあって何でも新撰組の土方歳三の生地らしい。この石田大橋は昔は石田の渡し舟が行き交ったところだ。恐怖の石田橋とは聞いていたが、どんなものだろう。高いところの恐怖はエッフェル塔やサグラダファミリアなどさんざん経験済み。ここから国立温泉から見える万願寺のモノレール駅にまず出ればよい。これはおもしろい。川向こうがわかる。万願寺という寺も気になるがここは高幡不動尊が近い。ここに芭蕉の句碑があって立ち寄ってるのではないかと想像をかきたてる。江戸の大火で芭蕉庵が焼けたとき甲州の都留に移居したというし勝沼にも句を残している。甲州街道で多摩川を渡るのは石田の渡しが似合うと思うが、どうか。大きな川の橋を渡るというのは特別な思いがある。今回のロングライドもたしかにスパークヒットした。

・・新井橋で浅川にでる。ここからネットにあった行き方で終点の陵南公園、高尾に向かう。浅川沿いにどこまでも行くと本当に高尾に行けるのか地理が謎ででもネットの情報を信じるしかない。ひたすらこの道をHayabusaで行くまでだ。・・そうやって実に途中でいろいろあったけどけっこう簡単に高尾の駅まで行けたのだった。武蔵野陵というのがあってここに大正天皇と昭和天皇がお眠りになってるということです。ほんとにおもしろいサイクリングロード。ここには立ち寄らず近くの温泉ふろっぴいを目指した。町田街道をゆくと佐藤製薬の工場があってそのすこし裏手が健康ランドでやっと到着した。なんだ自転車置き場はろくなものではない。はるばる来たのにね。大きく作ってある割には客でいっぱいというのでもない。カラオケのできる宴会場もあってこの手の健康ランドはやや敬遠される傾向がある。自分もさほど趣味ではない。・・二時間二百円というので入館した。露天の天然温泉は塩釜の湯といって何の説明も無いが一応天然であるらしい。まずまず。檜風呂というのが素晴らしい。二三千年前の檜の古木でつくった風呂だという。樹精がいまでも枯れないそうだ。もうひとつの薬膳風呂というのもすばらしい。森下仁丹が提案してできた薬膳の湯はつかってみてほんとに強烈。下手な湯治よりまったく薬効がありそうだ。全体が時代物めいていてタイムスリップもいいとこ。ハハおもしろいね。・・レストランは2階の大広間。カラオケの声が聞こえる。ビールと天丼を注文。カラオケは一曲二百円でやるらしい。天城越え、越冬つばめ、夢芝居、あと知らない歌もあって、もう爺さん婆さんみたいなんがせつせつとやってる。ハハおもしろいね。天城越えというのはいつも人気してる。ハハみんなせつない感性ですね。ハハほんとにおもしろい。このおもしろさはもっと分析したい。ハハ

・・天狗明神みたいな社があって、でかい天狗の赤い顔をデジカメでとりたかったが、怒られそうでやめた。帰りに蕎麦でも買おうとしたが無い。牛蒡菓子というのを買って帰路につく。牛蒡の味がとてもよい。デジカメで写真をとっていたが電池切れになってきた。ごまかしごまかしシャッタをきる。ハハ浅川にはカモ、サギもいる。水が枯れてるとこもある。土手に桜の木がよくある。春はことのほか趣がありそうだ。春にまた来よう。・・このまますんなり帰るのも芸が無い。高幡不動に寄る事にした。もう夕方になっていた。昔来た時より五重塔も立派であたりもずいぶんにぎやかだ。賽銭をあげて願をかけた。が無心だったかも。売店で甘酒を飲み高幡まんじゅうを買ってもう帰ろうか。駅の交番で浅川の新井橋にはどういったらいいかとたずねると親切に教えてくれた。モノレール沿いにゆけばよいと。ハハまた万願寺のあたりから石田橋をわたる。こんどは国立温泉のあたりのホームセンタに寄って買い物でもしていこう。ここまで来たらこのロングライドも終ったようなもの。フレスポでミカンを特売で買ってこれは失敗。Hayabusaにはカゴが無い。ぜんぶ背中のリュックに入れなければでもなんとか20個の有田ミカンを背負いほんとに帰路についた。

368秋魚:2012/01/25(水) 03:40:01
(無題)
・・Hayabusaの解体。ハハ今日はかねてよりの後輪の着脱にかかる。ブレーキ調整はかなり自信がもてた。後輪の取り外しはチェーン、ギアがあって少しやりづらい。ママチャリと違いクロスバイクはずっと容易だという。3秒くらいで出来るらしい。リアギアをトップにする。自転車台が無いので吊るすことを考えたがうまくいかない。手でもちあげてクランクを回しギアチェンジでトップにもっていく。不作為だがいく。Vブレーキを弛め、レリーズもオープンにする。で車輪を下に落すとフレームから外れる。・・これでパンク直しやチューブ交換をやればよし。・・取り付けはややてこずる。チェーンを乗せるのがうまくいかない。手が3本あればよいが。さんざん試行錯誤の末ついに取り付けに成功。これはもっと慣れねば。コツがありそう。・・さっそく試運転。ギアチェンジもすべてうまくいった。

・・泥よけを外して小平温泉にゆく。雪道で泥の跳ね上がり具合がわかる。スリップしないように注意。Hayabusaもいろいろ経験を積む。ブレーキのかかりはすこぶるよい。・・以前のようにBianchiは無かったが、いろいろ洒落た自転車がある。みんな楽しんでるな。ハハ

・・この温泉がすばらしいのは建物の全空間がどこにいても居心地がいいことだ。移動して寒いところはない。国立温泉のように露天に出るのはひどく寒いというのはない。このぬくもりは光ってる。・・受付嬢も新人がどんどん替わる。女の子は一ポジションに長くいると古タヌキのようになってよくないらしい。さっと退いてしまう。若返りで時にかわいい子もいる。今日の子はとりわけよかった。レストランで注文取りにきた。艶のある声だ。美人では無いが顔の表情がやわらかい。胸もふっくらして体もやわらかそうだ。・・ミズキという名前だ。水輝という。

・・酒が切れそうだ。また仕入れねば。今は泡盛でやってる。イエメンパスタで夕食。・・明日はママチャリの後輪を外したい。が外さないでタイヤ交換を試みる。軸のネジを緩めようとした。固くてスパナの歯が折れてしまった。・・ともかく明日だ。

・・ファンジニが強烈。4年後のジニからが素晴らしい。キーセンの名はミョンオル。明月という。冬の明月だという。・・詩、音楽、舞と、こんなにも心の感情を全面に出したドラマもめずらしい。妓生、キーセンは感情を出してはならぬというが、ミョンオルは感情を武器にする。心を残すということ。

・・フジヤマの向こうに陽が落ち、
・・アラバマの熱風で月が燃え上がる。

・・これはSylvieのいた場所だ。Sylvieの信じた場所だ。・・イエスタデイは多分に感傷の歌だ。Sylvieのje croyaisは感傷ではない追憶の感情の歌だ。

・・Sylvieが見据えていたのは、日本かも。

369秋魚:2012/01/25(水) 17:42:37
(無題)
・・朝からママチャリのタイヤ交換。後輪でむずかしい。チェーンの後ろカバーが開かない。タイヤが擦り切れたら使い捨てにしろということらしい。ひどい根性だ。こうなったら意地でも自前で交換してやる。・・昨夜はハブナットを回そうとしたスパナの歯が折れた。そこはラチェットスパナでやったら軽く動いた。ホイールを外さずにタイヤ交換をするというのがある。そのつもりで作業をすすめたが、無理。結局チェーンカバーの後ろのを引き剥がしてチェーンを外してホイールも外した。ブレーキドラムとかチェーン引きナットとか随分入り組んでいる。・・タイヤ交換は2度目だ。まだ上手ではない。これもコツがあるのだろう。ともかく交換に成功する。空気はネットで買った携帯用ので入れた。・・もとにもどすときにスタンドの位置がわからない。ああでもないこうでもないでやっと取り付ける。チェーンももどすのに苦労したがこれも成功。最後にブレーキドラムとワイヤをもとにもどそうとして手こずる。・・やってるうちに気分が悪くなってきた。昼だというのに食事もしてなかった。中断。・・今日はこおまでやればよいか。とりあえずブレーキを取り付けて今日の作業はおしまい。気分が悪い。

・・自転車は吐き気がするまでいじった。ママチャリの最安値のものは使い捨てるように作ってあるのがよくわかった。タイヤはすぐ擦り切れる。・・あとブレーキ調整さえすれば完璧だ。

・・手が油で汚れて黒くなった。石鹸で洗ってもなかなか落ちない。温泉にでもいったらきれいになるだろうか。夕方から、国立温泉にゆく。近場にできた温泉はうれしい。・・フレスポで菊水の辛口を買った。深夜にファンジニを見ながら酒を飲む楽しみがある。・・温泉は落ち着いてきた。人もあわただしくはない。ぬくもりが出ていい感じ。露天の丸い御影石の縁に頭を乗せて夜空を見上げる。この姿勢ははじめてわたしがやった。だれもこうしないようだ。オリオン座とシリウス、プロキオンと冬の大三角が見える。湯煙があがって星もみえなくなったりする。赤い星のアルデバランは牡牛座だが、星座の形はわからない。その先にスバルが微かに見える。昔はスバルははっきり見えたのに、やはり東京の空は汚れているのか。・・しかしこの温泉はすばらしい。レストランの窓辺から見えるのは多摩川の水面か、その向こうに石田大橋がある。ずっと川向こう電車の灯りが見えるのはモノレールだろう。万願寺駅の灯りも見える。夜景がいい。・・きょうは幾分人が少なかった。地元なのに顔見知りが一人もいないのがいい。ここの特徴で九時十時頃から若い学生が連れ合いできて騒がしくなる。これはすこし興ざめだが。・・来たとき、駐輪場にGiantのスマートなロードバイクがあった。帰りにはLoui Ganautのクロスバイク。ほんとにみんないい自転車に乗ってくる。自分と同じ趣味の人がけっこういるようだ。

・・帰宅して、寒サバの味噌汁をつくり菊水でいっぱいやる。ファンジニをみる。ジニが剣舞を覚え始める。役者なのに、うまい。・・ジニみたいな子に出会いたいが、ダメか。

370秋魚:2012/02/08(水) 01:45:14
(無題)
・・自転車のブレーキはよく調節すべし。Hayabusaはブレーキの利きがよくなって自在になった。・・先日の学習用ママチャリの後輪外しでは結局ブレーキにアジャストボルトが無いことがわかった。これではいいブレーキになるわけない。なんとか乗れるようになったが、ひどいもんだ。使い捨てを目指していたなんて。今日見たホームセンターの安いママチャリでもアジャストボルトは付いていた。ブレーキ調節はワイヤの交換で詰めがうまくいかない。百円ショップでニッパーを買ったがブレーキワイヤは切れそうに無い。まだまだ。自転車は完全リサイクルすべきもの。

・・Hayabusaのフェンダーを外しシートポストに赤く点灯するリアライトを取り付けた。しっかりしたので夜はHayabusaの背後は赤い尾を引くことになった。これはいい。白い車体で赤はかっこういいはず。・・あまりに目立つ自転車は盗難に合いやすいから、サドルカバなんかも百円ショップでまかなっていたが、これからはいいものも取り付けよう。物色の楽しみがある。

・・デジカメの予備電池をネットで探していたら、300yenというのがあった。純正で5千yenするのだから、驚きの値だ。・・おっかなびっくり注文したら丁寧な郵メールで届いた。前回の空気入れといいこんなにもショッピングが楽しいとは。ネットショップにはまりそう。メモリーカードなんかも安いものがある。

・・国立温泉。今日はほどよい人出だ。夜景をみる楽しみがある。寝湯の形がとれるのは、まだ自分の専売特許。夜空を見上げてゆらゆらり。地元なのにほんとに知り合いに会わない。不思議というよりもうこの世にいなかったりして。ハハ レストランにユキちゃんに似た子がいた。いやこんなに若くはないけど。・・カラオケでは雪が降るしか歌えない。しかも間違いだらけだった。

  *

・・百草園までサイクリング。府中の四谷橋をめざして進む。Hayabusaはまったく乗り心地よい。体の一部のように馴染んでいる。橋に着くまでにやはり道を間違えそうになる。蛇行する多摩川はなかなかとらえがたい。四谷橋はすばらしい橋だ。吊橋のような景観をもつ。帰りにわかったが、ここで浅川に分岐する。この四谷橋のむこうは聖蹟桜ヶ丘に近い。さらに進めば野猿街道になる。橋を渡って右折して小高い山のふもとの道をゆくと百草園駅がありここの交番で百草園までの道を尋ねる。交番は地図もあるし大変親切に教えてくれる。急勾配の道だという。百草園には駐輪場も無いらしい。どこか公園があったから強引に止めることにした。・・ここには若山牧水の歌碑がある。

・・日野の出身では、土方歳三。かれの残した俳句もある。

人の世のものとは見へぬ梅の花

我年も花に咲れて尚古し

年々に折られて梅のすがた哉

・・芭蕉は、

しばらくは 花の上(もと)なる 月夜かな

・・なんか、おもしろい。

・・あいにく季節の間で花はロウバイがちょびちょび咲いてるほか、梅はこれからのようだ。古色蒼然とした梅の木をみてるだけでも、おもしろい。庭園をひとまわりして蕎麦処にはいる。清楚な娘さんが注文をとってくれる。いいなあ若い子は。山菜蕎麦を注文して縁側から座敷にまわる。客はひとりで独占する。すぐ前の老梅がくずれそうでいい。・・蕎麦はヨモギ風で美味なり。

・・写真を何枚か撮って、おみやげに梅饅頭を買った。・・この百草園にも以前来たことがあるような気がしてきた。

・・ここから山を越えて帝京大学の裏手あたりにいけばお風呂の王様という温泉があるはず。ここも交番で道を尋ねたがどうも複雑でわかりにくいものだった。うろ覚えで進んでいくと幾つか道を間違えながらなんとか温泉にゆきつけた。

・・いろいろあっておもしろい温泉だが、逆に言うと少しうじゃじゃけていて落ち着きがない。ここはお風呂であって温泉ではない。そんな気がしてきた。でも、よくやってる。評判もいいようだ。

・・ぽつぽつと雨が来そうなので、早めにここを出ることにした。帰りは野猿街道から四谷橋を渡り、多摩川に沿って石田大橋までゆき、国立温泉の前のフレスポで買い物をして帰る。四谷橋まで意外と距離がある。しかし今日の自転車乗りは、遠乗りというほどのものではない。楽勝だった。ただ知らない土地をゆくというのはいつもわくわくするし驚きも多い。川向こうへ越境するなど数年来思いつきもしなかった。

・・ハハ 花の咲くころに百草園はまた来よう。

371秋魚:2012/02/22(水) 12:39:50
(無題)
・・Hayabusaでロングライドへ。多摩川堤を下り東急田園都市線のあたりから横浜みなとみらいを目指す。多摩川サイクリングロードを使って横浜に行くには、さらに下り昔東海道の渡しがあったという六郷橋を渡り、第一京浜を行くのが本筋らしい。地図上では第三京浜沿いに行けば桜木町のあたりに着くはずだから、多摩川は二子玉川で別れを告げた。・・実はこれが甘い見立てだとすぐに分かった。以前溝の口に来た時は分からなかったが、第三京浜は高架道でここを頼ってすすむのは無理がある。この辺りから小高い山があって向かっても山沿いにすぐに押しもどされる。川崎駅へ向かうようになる。途中道路警備員に尋ねると、網島街道をとると山を越えず横浜に向かえるらしい。で、この道をとったが、なんとも走りにくい道だ。結局、東横線沿いを目印にいきなさいということだった。日吉の駅は洒落ていてすぐ前に慶応大学がある。・・ちょうど正午頃に出発してこのあたりでもう3時間くらい。運動して空腹感がつのる。松家の牛丼が食べたかったが、あるのは吉野家とすき家ばかり。我慢して菊名の駅まで行くと、まあこの辺りは大変に道が細く入り組んでいてまったく横浜に着ける自信がない。で、松家があったのでここに漂着した。空腹になるとこの種の丼はひどく美味だ。ハアハア言って注文するのをアルバイトの店員はもどかしそうだった。ハハ迷える子羊とは自分のことです。食後店員に横浜へ行く道を聞いても分かりませんということだった。・・途中なんどか道を尋ね、ともかく網島街道を行って東神奈川を目指せということだった。しかしもう横浜なのに何でこんなに雑然としているのか。まったく整備されていない。と行くうちにやや広い道路にでた。ここで電気店のアンちゃんに聞いてすべて解決。横浜駅や桜木町からランドマークタワーのある港にいく道をこまかに教えてくれた。

・・みなとみらい。平仮名で書かれたこのエリアの名をおもしろく感じ始めたのは最近のこと。ランドマークタワーの見える辺りで、交番の巡査さんに、みなとみらいにある温泉万葉倶楽部へ行きたいと言った。・・ここが今日の目的地。

・・横浜の港は以前山下公園に来たことがある。ランドマークタワーとか観覧車があってもつまらない港だと決め付けていた。神戸の震災前の港はすばらしかったが。自転車の遠乗りは横浜へはあんまりいい道がない。今日来た道は2度と使いたくない。横浜という町自体わくわくするものがまるで無い。みなとみらいの万葉倶楽部に着くまでそういう印象だった。・・ランドマークタワーというけれどこれはどこかの企業のビルだ。三菱とか。もう夕方になっていた。・・この温泉はとてもロケーションがよい。入館料の高い理由はそこだろう。夜、温泉からの夜景をみて分かった。23時間営業で宿泊もできる。深夜3時まで休憩できるというのが魅力だった。自転車の置き場もある。・・夕方の景色もいい。ずっと港の先にでてみると新しく出来たばかりのゲートブリッジが見えた。自転車で来てよかった。港は海の側から見てみないと分からない。先端までいってみることだ。・・この港はいい。万葉倶楽部という名のコンセプトもはっきりしなかったが、そんなもの無いのかもしれぬが、ひょっとして自分の為の温泉コンセプトではないかと、あとでビールと食事をとりながらそう思った。

・・極楽と地獄。ここに来るのに5時間半かかった。川崎に入ってからの3時間は地獄だった。帰路は町田に出たが、このコースも地獄だった。・・ともあれみなとみらい温泉は極楽だ。写真を何枚も撮った。

 *

・・自転車置き場は思ったより狭く、自転車の来客はあまり多くは無いようだった。それでも置き場スペースはほぼ満席。Giantのすてきなロードバイクが一台置かれていた。ロングライドでここに来るという客はよほどのセンスと思われる。車で来るのがベストだが、駐車料金をとる珍しい温泉だ。自転車のことはHPにも記載が無い。自分など電話で事前に確かめたほどだ。・・デートコース、恋人と来るのがいい。

・・展望レストランというのは、驚き。カウンター席のすぐ目の前にはイルミネーションの大観覧車があり、港と周辺ビルの灯りとともにすばらしい夜景にのぞめる。観覧車のイルミネーションはまるでスターマインの花火だね。きらびやかで疲れそうで自分は一歩下がった席をとった。ごゆっくりということで、やけに気が利いてる。・・まわりの客をみると、中年後期初老のカップル、一人ものも多い。料理は安くない。こういう贅沢でお金を使いたがる客の心理はよくわかる。若いものならいずれまたというのがある。年いって病気でもしたら美味な食事もとれない。時間も無い。・・自分のように単身でスポーツサイクルで来るというのは、どうか。年いけば体が利かなくなる。欲望が強いのはたしかだ。・・3千yenくらいする蟹料理の御膳食を食べたかったが、割愛。正露天ソバとビールを注文。「澪」という日本酒のリキュールが美味そうだったので追加注文した。くどさのない甘さでこれが実に美味なり。・・おみやげに万葉焼酎を買いたかったが、これも割愛。恋人どうしで来る、これも割愛。ハハ、これは相手がいないとね。若い子を誘いたいが。ハハ

  *

・・湯河原の温泉からタンクローリーで運んだ天然温泉。なるほど、考えたものだ。港の絶景と癒しの天然温泉。これなら労して地下を掘る必要は無い。温泉をレンタルするようなもの。一丁前に入湯税百円をとるからお笑い。いえこれは褒めです。・・湯河原温泉は実に透明無臭、白湯に近い。でも温泉でしょう。・・お湯はともかく、万葉と銘打ったこれが気になる。

・・休憩室でテレビを見た。インテルとボローニャのサッカーの試合がBSでライブ中継。夜の3時に出るからほんとは少し眠っておかないと。長友が出てる。時々疾風のような動きを見せるがなかなかゴールにならない。連携がわるくインテルは不調のようだ。海の向こうのサッカーなども観れるんだ。

・・帰りは、3時にみなとみらいを出発。町田に向かった。深夜なので道を聞く人もいない。国道16号をまっすぐ行けばよいのはなんとか分かった。警察で聞くと、浜松町の交差点から北へ16号です。そうして16号に入ったが、これが大変な道路だとすぐに分かった。深夜だからまだよかったと思うべきか、自転車は走りづらい道だ。殺伐として三途の川に向かいそう。途中道を聞くのはコンビニくらい。横浜も港を離れると、地獄の匂いがぷんぷんする。エレファントマンがいたり。相模原、八王子へ、相模大野の駅あたりで右に折れ、なんとか町田の駅についた。もう6時に近い。すき家で安いセットの朝食をとった。地獄で飢えていたから、ご飯と卵と海苔とトン汁はとても美味。ただしこのトン汁は出がらし汁だった。さてJRの駅の向こうに小田急の駅がある。そちらの方がにぎやかなようだ。地下道をくぐっていくと交番があった。ここの巡査がおもしろい。事細かに府中多摩川にゆく道を教えてくれた。鎌倉街道一本をいけばよい。でそろそろ朝の明るさの町田をでた。ここからは先の16号と違い、まったく快適な道になった。トンネルもあり多摩の真ん中を通る。自転車にはいい道だ。ボタン園もある。・・他のスポーツサイクルやシティサイクルにも追い越され、自分はそんなに急ぐ必要は無い。どんなに遠く悪路でもいい道でもともかく体力がもって安全に目的地に着けばよい。そういう遠乗りだ。

・・関戸橋という多摩川の橋に出たときは、感動。昨日はここから川を下ったのだから。

372秋魚:2012/02/29(水) 04:01:05
(無題)
小鳥よりさらに身かろくうつくしくかなしく春の木の間ゆく君

拾ひつるうす赤らみし梅の実に木の間ゆきつつ歯をあてにけり

摘みてはすて摘みてはすてて野のはなの我らがあとにとほく続きぬ

山の雨しばしば軒の椎の木に降り来てながれ夜の灯かな

                               若山牧水


・・百草園ふたたび。Hayabusaを整備して梅祭りの百草園にむかう。前回は開花が遅れていて黄のロウバイしかみれなかった。松風庵のよもぎ蕎麦が忘れられない。そこの娘さんも。

・・Hayabusaはほとんど傷まない。シートポストにパンク修理セットを入れたポーチをくくりつけているが、これはやめた方がよいか。パイプが擦れてすこし疵がある。空気をいっぱい入れて、百草園なら遠乗りというほどでもない。みなとみらいと較べれば、ほとんど庭か。

・・例の四谷橋。でもすぐにはいかない。また道をたずねる。皆親切に教えてくれる。誰もが精一杯親切に教えようとするのは、ほんとによくわかる。・・あっという間に京王百草園駅のあたりに着いた。交番の人に駐輪のお願いをしようとしたら、職務で出来ないということだった。それもよくわかる。あきらめてまた山の急坂を登った。すごい坂で自分は自転車を降りて引いて登ったが、すいすいとギアを変えて登っていく人もいた。このHayabusaだってできないことはない。無理はしたくない。百草園入口の前にある公園に無断駐輪することにした。自転車はまだいい。車で来た人は困るだろう。帰りにそれでもめているのを目撃したが。

・・花は早咲きのものがちらほら。紅梅が早い。ロウバイもまだ残っている。白梅など本格的な開花はまだなようだった。明日はこのあたりも雪になるようだし、でも雪の梅花というのも趣がある。こちらの都合ばかりでまわるのもあわただしいか。すこしまわってすぐ松風庵に入った。前回の娘さんは不在でお母さんらしき人がきりもりしてた。ここのよもぎ蕎麦。美味なり。ざる蕎麦と甘酒を頼もうとしたが、この時期ざるはやってないとのこと。やまかけ蕎麦にした。が、これが正解。やまいもは粘り有るよいものを使っていた。力がつく。甘酒は砂糖をつかわない自然の甘さだという。これも美味い。とりあわせはチグハグだが、座敷で休んでくつろげた。・・突然、がたがた揺れて地震のようだ。山の上なのでよく揺れるとのこと。蕎麦を運んでくれたお母さんがいう。・・で、たいしたこともなくおさまった。・・3月11日になると思い出すのは、大地震と大津波、原発の事故。思えば自分の自転車の遠乗りもあの震災のあとからだ。急に津波に襲われたりしたら、日常の生活を放り出してともかく逃げねばならぬだろう。馴れた仕事と生活も一瞬にして無縁となる。天災はこわいものだ。いつやってくるかわからない。・・自分の自転車の遠乗りは急にはじまった。

・・百草園にある若山牧水の歌をいくつか読んだ。

小鳥よりさらに身かろくうつくしくかなしく春の木の間ゆく君

・・というのは、この百草園が恋人との別れだという。失恋の園というのは、なんかね。でもまた別の縁かも。・・蕎麦やの娘さんもお母さんも感じのよいことだ。

さて、食後庭をまわるが、今度はマクロ撮影も練習したから近接の花もよく撮れるか。福寿草なんかも開花している。

373秋魚:2012/03/07(水) 11:58:45
(無題)
・・お不動さんといえば石田橋のむこうにある高幡不動。土方歳三の菩提寺だという。多摩川の石田橋を渡ればまずモノレールの万願寺駅。ここで万願寺にいこうと思ったが道を訊ねると万願寺という寺は無いのだという。有ると言う人もいるらしいが、調べてみるとやはり多摩の日野には存在しない。万願寺とうがらしで有名な万願寺は京都の舞鶴にある。こちらは十一面観音。長谷寺との縁が深い。とにもかくにもモノレールの万願寺駅はネーミングの妙か。次が高幡不動駅。金剛寺は真言宗智山派の別格本山だという。関東の三大不動尊は一に成田山新勝寺。二に高幡不動尊金剛寺。三に相模の大山寺。

・・百草園から高幡不動尊に立ち寄った。天草のデコポン、ネーブルオレンジなど出店で売ってる。6個三百円とあるのは小ぶりのやつで大きいのは2個千円する。3個千円にして売ってる。ハハ、お父さんご試食くださいと来た。で、居合わせた隣のオバサンが買ってたようだ。ほかにもいろいろ出店がある。ばら売りの茶饅頭を買ったら昆布茶をつけて召し上がれということだった。

 如来でて掌に受け給う枝垂れ梅  誓子

  *

・・その川向こうの万願寺駅の夜景がみえる。ずっと眺めていると4両編成ぐらいの虫のように光って流れるものがる。この湯楽の里温泉から見えるモノレールの夜景だ。忌野清志郎の通った日野校もあるはず。

・・ママチャリのハヤブサで来たが、自転車置き場にはFISHERというロゴのロードバイクが先着してる。すごいかっこういい。たぶん相当なブランドものだろう。FISHERだけを記憶して後でネットで調べてみることにした。それにしてもこれで温泉に来るとはすごい趣味だ。上には上がいる。

・・レストランの女給はいつかみたユキちゃんに似た子だった。注文取りに来たので言葉を交わし間近で顔を見ることができた。若い。顔も体もまだ未完成でういういしい。シルビーバルタンの十代からパリのオランピア劇場で歌ったje croyaisはもう成熟したピークの面立ちだった。回想や追憶が完成する年齢だった。女としてもピークの美貌だった。・・ユキちゃん似の子には弱い。自分が好きなのが雰囲気で分かってしまってるだろう。きっと。こういう若い子と愛の逃避行をしてみたい。これは昔からの妄想。思わず声をかけそうになったが、こらえた。

374秋魚:2012/03/08(木) 02:55:27
(無題)
・・ハハ愉快、愉快。FISHERというのを調べた。GARY FISHERというのはアメリカ人。マウンテンバイクの創始者のひとりだという。マウンテンバイクの歴史は思ったよりずっと浅い。MTBから派生したクロスバイクはつい最近のもののようだ。わたしのHayabusaはクロスバイク。ドロップハンドルのロードバイクの歴史はまだ古いだろう。・・FISHERというのはやはり相当のブランドだ。なるほど国立温泉は客層もハイレベルな部分がある。普段はただ若いだけのバカどもが騒がしい温泉だが。・・気持ちいい、ずっとここにいたい。と、大声でいう若い子もいた。身体が抑圧された生活なりは、年は関係ない。欲望の強さは大同小異。温泉でヒーリングだけを追及するのでは若さの特権が失われる。欲望を力で満たそうとするのは若い証だ。ヒーリングの何たるかはもっと深い。謎がある。

・・いまは梅がよく咲く頃。多摩川サイクリングロードを遡って終点の羽村堰まで行った。立ち寄って谷保天満宮の梅見もと思ったが、出遅れて時間が無い。多摩川の土手に出る。このコースも三度目になるか、だいぶ勝手がわかる。ともかく土手まで出れば爽快この上ない。自転車がパンクしたらいつでも自前で修理できるよう空気入れなど持っていくのがやや重い荷物。ロングライドなら仕方ないか。いつかはそれを使う日が来る。・・くじら公園というのは拝島か福生か、米軍の基地があるから轟音をたてる飛行機(爆撃機?)が飛んでくる。基地を見に行くロングライドというのもやってみたい。きょうは玉川上水の取水口、羽村堰まで。拝島橋、むつみ橋、永田橋、この先羽村堰まではもうすぐそこだ。途中田村酒造の蔵つくりの建物がある。ああ幻の銘酒嘉泉の酒造元だ。よし帰りに寄って酒を買おう。・・すこし行くともう終点の羽村堰だった。公園のようなものがあるが、人は誰もいない。途中桜並木がきれいそうなところがあった。花の季節にはよさそうだ。玉川兄弟がはじめた玉川上水。江戸時代のことか。・・多摩川のずっと古い歴史。大昔は何度か流れを変えて縄文人や旧石器人もここに住みついた。多摩川と荒川の間の土地を武蔵野と呼ぶそうだ。もっと昔はそのあたりも海だった。秩父の奥に貝の化石がでたりする。わたしらの生活などつい最近のことだ。・・そそくさと帰路につく。梅が咲いている。

・・酒を買って、幻の銘酒などいうが、それでいいのか。昔オギクボのお店で飲んだが、たしかに美味かった。幻というほどでもないだろう。うまい宣伝だ。・・帰り昭島の温泉。ゆらの里に寄った。ここは自然の立ち木や景観を生かしてプロの建築家がつくったという。快適な温泉だ。基本がいいから人がよく集まる。にぎやかなので行く前はすこし気が重くなるが、来てみればいつもうれしい温泉だ。ハハゆかい、ゆかい。ここの岩盤浴は捨てがたい。マッサージのお姉さんにもすてきな人がいる。・・いつか温泉リポーターがここの温泉を小ばかにしていたが、とんでもない。アルカリ性単純泉は、質のよいものだ。客層は庶民層でうじゃじゃけてはいるが、銭湯とは所詮そんなものだろう。自分もそういう庶民のくちだから、長居はごめんだが、ここは気に入ってる。

・・食事のあと、岩泉のヨーグルトを飲んだ。えもいわれぬ味がする。・・帰ったら幻の酒を飲むか、ハハ。

・・帰り、立川のモノレール線の下の道をいって、ナルシマ自転車を探した。伝説的なスポーツサイクルのお店でいつかはここを訪れねばならない。ずっといくともう多摩川の橋に近い辺り、お店はあった。夜も遅くきょうは定休日だという。ショウウィンドにはやはりGIANTのロードバイクがいくつか並んでる。・・伝説のお店だ。

・・ここから国立温泉のあるフレスポに寄り、築地市場直送のネタ鮨を買おうと思った。意外と複雑な地形ですんなりいけない。なんとか立ち寄るともう閉店ですということだった。先日アジの鮨を買ってみたが大変美味なものだった。残念。幻の銘酒にはいい肴になるはずだった。

375秋魚:2012/03/15(木) 13:57:23
(無題)
・・ハハ参った参った。ついに湯あたりが来た。温泉好きもヘドが出そうになる。ここはいい温泉なのは間違いない。使い方を間違えた。・・仕事の都合かなりな眠り不足でいやな記憶を払拭しようとしたのが間違い。おまけに酒まで飲んだ。サウナの高温などもってのほか。・・露天で一番気持ちよい姿勢でいたら突然眩暈がして気持ち悪くなった。この天然温泉はすこし石油臭いがそれが気持ち悪いこと。やっと出て塩サウナへ。これが最悪。すぐに出てごろ寝。・・お客さん湯あたりですか。お水をお持ちしましょうか。

・・サッカーのバーレーン戦があった。リクライニングで見ているうちうとうと眠ってしまった。眠りが足りないのだ。

・・夕方の空。金星と木星が近づいている。異様に明るい星だ。

・・実際湯あたりで気分が悪くなると死ぬんではないかと思えるほどだ。客に野田くんに似た人がいた。甲斐くんに似た人がいた。ほんとに彼らかもしれないが、別人かも。デジャヴの兆しか。これはよくない。この世の終わり。

・・駐輪場には、またまたかっこいいロードバイクがある。空気入れ、速度計、水筒も装備して本格的だ。ANCHORとあるのは、後で調べてわかったが、ブリジストンのブランドものだった。値段も超高い。FISHERどこではない。ブリジストンのものは実際いい。いまのママチャリはリサイクルのもので各パーツで前カゴはブリジストンのステンレス製のものが使われている。頑丈でびくともしない。・・madeinjapanもさすがだ。鳩山は自転車もANCHORのいいものに乗ってるに違いない。うらやましい。

376秋魚:2012/03/21(水) 04:46:42
(無題)
・・自転車に乗って疲労ということはほとんど無い。一時間乗っても5時間乗っても疲労は無い。・・疲れるではなく、憑かれるということはある。病みつきになって乗りまくるということはある。疲労は無いが、熱を冷ます為に休止したり、プランニングの整理の為に軽食を取ったりする。いつもの眠り不足があっても自転車に乗ってる時は、いつも抜群に目覚めている。湯あたりがあっても自転車に乗れば体調はもどる。

・・職場の駐輪場でORBEAというロードバイクがあった。スペイン、バスク地方のオリジナル自転車だという。イタリア、ドイツ、カナダだけでなく当然スペインにもユニークな自転車があってもよいはずだ。しかしバスクの自転車とは驚きだ。なかなかいい。

・・天気も晴れて病みつきのロングライドに出た。目指すは埼玉の川越の町並み、時の鐘、川越温泉。道のりなどざっと調べておいたが、後は出先で人に聞いて走るというのはいつもの方法。出発さえすれば後は時が解決する。・・いろんな人と話すからキミも有名になったとは、スイスの友人ツル氏の言だ。bienconnuだから認知されても、名は無名のままだ。ハハそういう見方もあるか。

・・まずは府中街道へでてあとはまっすぐ所沢へ。そしてさらにまっすぐ川越まで行けるはず。・・が、これもすぐに見立て狂いなのが分かった。府中街道で所沢へはすでに小平温泉まで最も節約した道のりを知っている。これを続けて西武園まではかつて行ったことがある。小平温泉の左は五日市街道、右は府中街道と勘違いした。ずっといくと犬を連れた奥さんに道を尋ねた。とても親切に教えてくれる。笑顔のやさしい奥さんだ。道を尋ねるにおおかた応対の声でひとの人格は分かる。いい生活をしていそうだ。府中街道にもどってこれで所沢まで。八坂やブリジストンの工場があるはずだがそれも通り越したに違いない。もう未知の領域だ。一本道ではない。所沢の駅にはともかく着いた。約一時間。一息ついてナカウで食事をとった。所沢はけっこう開けてる。駅前の道は入り組んで複雑だ。ここから川越に行く都道があるが、これがわかりにくい。そしてこれが一本道でないのもやがて分かった。所沢市街の若者はここのことは知らないという人が多い。そっけない街だね。でも近くに大学があるようだ。昔のワセダの友もはじめは所沢にいたから。どんどん川越を目指す。途中分れ道で道を尋ねたらウソを教える人もいた。面倒くさそうにしていい加減に応えたのだろう。こういう時は早めに再度道を確認するに限る。時間を食ったが一本道へ。所沢はトトロの森があるはず。郊外は雑木林が多い。しかしこの6号線も自転車向きではない。トラックが来たらあぶない。車道を走るのは自分はまだ経験不足。歩道を走ると凸凹の振動も多いし時間も食う。クロスバイクはサスペンションが無いから、背骨に来る。自転車にも体にもよくない。メリダの自転車は安価だがインフラの構造がよくできているので、まったく頼れる。大きなトラブルも小さなトラブルもほとんど無い。体の影響は乗り方でカバーできる。Hayabusaは頼りになる。

・・ついに川越に着いた。所沢-川越都道は距離が有る。途中道を尋ねてもまだまだ遠いいですよ。たいてい心配そうに応える。ハハたいしたことない。道があぶないだけだ。2時間半かかった。・・川越もいくつも駅が入り組んでいてわかりにくい。蔵作りの昔の町並みを探した。JR駅のウラの通りから商店街があるが今日はお彼岸でひどく人通りが多い。七福神の寺もあって小江戸の町は賑わってる。これが噂の川越か。蔵作りの古い町並みを探す。本川越の方へ。すごい人出。お彼岸で寺も盛んだ。ああこれだ。豆やの店で試食をどうぞ。キナコをまぶして何の豆か。美味い。生姜を焼いたものも、美味い。・・時の鐘の前にはすごい人だかり。身動きが取れないのでお店で芋菓子を買ったがこれは失敗。もうすこし歩けば恋イモという芋饅頭が本格的に売られていた。これは一つ百六十円。とても美味い。門っこの店はサギっぽい。ハハ愉快愉快。人力車なんかもある。みやげに地ビールとイモ素麺を買った。・・もっといろいろ回りたかったが、きょうは充分。すこし離れた川越温泉に向かう。これもひどく分かりづらい。ぎくしゃく回って温泉にも着いた。ロケーションはよくない。広い駐車場もある。この温泉。すこし失望した。資金不足なのか細部のつくりがまるでセンスない。天然湯を掘ってあとは素人の見立てのようだ。七福神の湯があるといって着想はおもしろい。泉質もよい。湯楽の里のようなヒーリングセンスがあれば、こんな粗雑なつくりはしないはず。お湯だけあればいいというのではない。周りの景も考えろ。あまり長居はしたくない。・・レストランの食事。生ビールが安く出てたが、味は今一。海鮮丼は美味い。・・総じて田舎の温泉、悪い意味でだが。

・・帰りはもう夕方、暗くなった。道があぶない。赤いリアライトを点灯した。所沢の駅前交番で道を聞いた。今回交番はほとんど無く駅前でやっと尋ねた。・・府中街道も知らないようだった。地図で調べてなんとか分かった。・・はじめに来たときと違う道のようだった。えい、どんどんいくしかあるまい。前に行くロードバイクの人は背中のリュックの上に点滅するライトを差し出して車道を走る。トラックが来てもさっと除けて走るから、おもしろい。これくらい派手なライトでないと車道はあぶない。Hayabusaのリアライトではあぶない。こわいので歩道を走る。・・あとで追いついてその飛び出しライトのおじさんと言葉を交わした。こわい道だというのは同じ理解だった。・・ようやっと帰れそうなとこまで来た。八坂やブリジストンの工場がある。・・数年前来た時より道は格段に整備されてる。小平あたりでドンキホーテの店があった。どんなものか立ち寄ってみた。日用雑貨小間物が多い。伊藤園の野菜ジュースとマカダミアナッツチョコを買って出た。ずっと府中街道を行って順子さんの津田塾大学の前を通りやがて恋ヶ窪の駅の道の方へ曲がれば国立の帰宅も近い。しかし長い道だ。小平温泉へはずいぶん近道で節約されてるというのがよく分かった。

・・疲労は無い。奥底で眠りが足りないだけだ。

377秋魚:2012/03/28(水) 05:39:51
(無題)
・・自転車の調整はその後あまり進んでいない。注油箇所をひとつ増やしたが自信はない。下手に注油すると悪くなったりする。油もkure556ひとつでやってる。・・ロングライドに出る前にチェーンの注油とタイヤの空気圧のチェックを必ずするようになったのは進歩かも。乗り心地が良化したのはよく分かる。パンクした時の為に修理道具を携えて出るが、いつか都心に出た時以降パンクはない。思うにあのときのパンクは、きれいな画鋲でどうもあやしいパンクだ。近くにサイクルショップもあったしその店員の不自然な態度がいまも気にかかる。・・多摩川のサイクリングロードで他人がパンクしたのも見たことがあるから、パンクする時はするのだろう。ほんとにパンクしたら出先で自前で直すしかない。わくわく。

・・今日は多摩ニュータウンにある極楽湯まで遠乗りに出た。およそ一時間。横浜からの帰り道でいつか近くを通ったから土地勘はある。今日は楽勝だろう。府中の関戸橋から鎌倉街道に入りまっすぐ行けばよい。見立てがすこし違ったのは途中で鎌倉街道は町田方面へ折れるが、多摩ニュータウンはその道をさらにまっすぐ行く。道沿いに乞田川という川があってこの道をいけばとてもいい。このあたりはロングライドというほどではない。ポタリングか。・・多摩ニュータウンは小田急、京王線、モノレールといくつもの駅の終点となっている。駅前は大きなビルもあってよく開けてる。途中交番で道を尋ねて温泉はすぐに分かった。サンリオの遊園地のようなものもすぐ隣にある。多摩美大の美術館もある。

・・極楽湯は全国に店を出すチェーンだ。最近は上海にも出店を出している。この海外進出がおもしろくて興味を持った。スパ銭でめずらしくジャスダックに上場している。ネットで調べると、あまり評判はよくない。やたらと客が多いらしい。・・駐車場は温泉の客だけでなく一般にも開放しているようだ。もちろん有料だが。いろいろビジネスが込んでる。スパ銭の老舗というのでどんなものか、ネットでクーポンが出てる。タオルが付いて6百円と安い。百円で会員になった。食事も安くなるという。他にクーポンもたくさんくれた。あとでわかったが、あまり質のよいクーポンではない。クーポンの嵐で集客をもたせるというのは、どうもね。温泉の品格というのは、落ちるでしょうね。・・スパ銭では、湯楽の里の方が上か。横浜みなとみらいの万葉温泉も料金は高いがコンセプトは新鮮だ。こちらは伸びる。・・極楽湯さんも頑張らねば。

・・平日の午後でも客が多い。いくつか風呂があるが、さほど広くない。こうやってごみごみさせて長居ができないようになってる。泉質はまあまあよいが、これだけ人が多いと湯も人の体温のようだ。・・タワーサウナはけっこう広い。これだけでもよいか。すぐにレストランに行く。・・おすすめの春風鯛御膳と生ビールの特別仕立てを注文した。ここのオリジナルメニューでこれは美味い。季節の鯛をうまく使ってる。なるほどね、入館料を安くしてレストランで金を落させるか。うまくいくだろう。全体でごちゃごちゃにぎやかにほどよくお金を落させて客の回転をよくする。スパ銭のビジネス戦略はどこも一応同じといえる。どこか取り柄がなければ店はつぶれるだろう。・・ここのクーポンの嵐というのはいただけない。・・食後デザートの苺パフェを注文した。これも美味い。材料に安価なものがあってもうまく取り合わせてオリジナルな美味いものをつくる。美大の学生が調理してるようで、というよりここは美大生がよく来るようで、品評がうるさいだろう。

・・極楽湯は上海の出店を全力でがんばるべきだ。中国は水が最大の弱点。日本の水資源もすでに狙われている。水処理の技術はすばらしいものがある。温泉のビジネスのノウハウもあちらで必ずヒットするはず。

・・上海が熱い。

http://j1.people.com.cn/94476/7766103.html

378秋魚:2012/04/05(木) 01:04:29
(無題)
・・ハハ参った参った。kure556は自転車には使わないほうがいいらしい。ほとんどチェーン、ギアにしか使っていなかったが、それもよくないということだ。グリースのあるクランクなどは絶対だめだ。金属部の洗浄と錆止めならいいか。布に染み込ませてチェーンを洗いあとはスピンドル油をかけさらにウエスで余分を拭き取った。・・なるほどチェーンに埃がついて固くなってる。回転も少し重い。新しい方法では回転もスムーズでだいぶ改善された。・・チェーン用には、フィニシュラインという潤滑油がいいらしい。ネット通販で買えるが、特に安いというのでもない。まああわてずに少し研究してみよう。

・・昨日からの雨もあがってよく晴れた。風はまだ強い。まずは多摩CRから立川のナルシマフレンドへ。ここは定休日。さらに市街へいくとイノハナ自転車店。Finishlineは置いてないという。Pedorosならある。これもよくわからない。参考までにしてお礼をいい。次は以前タイヤ取替えしたサイクルスポットへ。ここもお休み。

・・よし福生の横田ベースまで行くぞ。目標は決まった。途中昭島のヤサカに立ち寄る。ここにはアサヒの自転車がある。Finishlineはどうか。店員に聞くとやはり置いてないという。ワイズというお店なら必ずあるという。ワイズって何だ?あとで分かったがスポーツサイクルの最大手のチェーン店だという。それで結局多摩川べりに一軒あるという。これもあとで分かったが実は自宅からひどく近い。おどろきだった。

・・昭島駅の交番で横田基地の近くにいきたいという。福生だが拝島駅から16号線沿いに行けばすぐだという。何だこんな近いのか。昭島の温泉から低空飛行の爆撃機がよく見えた。近いはずだった。16号線というのもなつかしい。で、どんどんいくともう近い。16号の右側の歩道をいくと、この先道はありません、とある。もう基地の前だから一般の歩道も無いという。で、また引き返して反対側の歩道にいく。ずっといくとアメリカンショップがいくつもあっておもしろくなる。写真を撮ったりしていくと基地の正門の前あたり交番がある。・・基地の写真を撮ったら怒られますかね。巡査に聞く。たぶん禁止だろうとは思っていたが、やはりだめだという。道路側のお店なら問題ない。・・この16号まっすぐいくと、瑞穂、川越だという。なんかおもしろい。

・・帰路は多摩川に出て府中のワイズにいってみよう。さあこの辺の地理も少し詳しくなった。拝島大師の前を通り、拝島橋から土手にでた。くじら公園を通り、何でくじら公園かというとこのあたりでくじらの化石が発見されたという。

「・・アキシマクジラの化石は、昭和36年(1961年)8月20日、八高線多摩川鉄橋の橋脚番号11の下流36メートルの地点から、ほぼ完全な形で発見されました。・・化石の全長は16メートル、ヒゲクジラの仲間でコククジラに近い種類ですが、現在のクジラと異なることから、「アキシマクジラ」と命名されました。・・

http://city.tachikawaonline.jp/view.php?area=0&amp;id=587&amp;mode=details

・・さあ、またモノレールのある橋をこえるとアサヒ自転車の看板がみえた。よしここも寄ろう。いってみるとアサヒの専門店。やや、Finishlineが置いてある。ドライ系のものは品切れ。店員から情報を得てここでは買わず、ワイズに向かう。さらにいくと、あった。
Y's Roadという。へえ本格的なスポーツサイクルのお店だ。自転車もパーツもぎっしりある。来店してる客も多摩サイから来たのかみんないいロードバイクに乗っている。ここが自転車クロウトのお店ということだ。入ってみると、Finishlineはあった。赤いドライのものは人気してるのか在庫はたった一つ。買おうか買うまいか迷ったが、結局急ぐこともあるまい。店のパンフをもらおうとしたが、無いという。ここはもう自宅に近いはず。土手を降りてどんどんいくと日野バイパスに出る。近くにラブホテルのようなのが幾つか有る。岩盤浴のある温泉ホテルもある。知らなかった。これらはドライブインなのだろう。若い子といっしょにここに来る手もあるか、ハハ。・・こんなホテルも一度使ってみたいもんだね。自分の人生も想像力が貧困なまま終ってしまってはいけない。ハハ

・・菅原道真の谷保天満宮はもうこの近くだ。自宅もすぐそこだ。

379秋魚:2012/04/11(水) 16:30:04
(無題)
・・花見ごろ。今日は晴れて明日嵐になるという。昨日のうちに自転車の整備をして、早いうちにとロングライドに出る。目指すは鎌倉街道、町田、境川CR、藤沢、遊行寺、江ノ島、鎌倉、磯子、根岸、横浜みなとみらい、万葉温泉。

・・多摩川関戸橋を渡り鎌倉街道を町田へ。多少のアップダウンはあるが90分ほどの楽勝とみた。町田市街にはいる仕方を間違えた。少し遠回りになったか。町田駅周辺は煩雑。JRの駅のすぐ近くに境川サイクリングロードはある。以前横浜からの帰りに寄ったすき家で休憩。鎌倉街道をミスしたかも。・・境川CRは未知の領域。評判のCRだ。境川はしょぼい川だが魚がいっぱいいる。おおかたは鯉だ。サイクリングロードは歩行者と自転車の為だけにある。Hayabusaの乗り心地はまったくいい。クロスバイクは遠乗り用というのでもない。ドロップハンドルのロードレーサーにいつも追い越されてしまう。ドロップのものも一度使ってみたいが。・・厚着で来たのは失敗。ジャンパーの下を一枚一枚外して行く。いい道だ。こんななら2時間で藤沢に着くのではないか。道路沿いにサクラ並木が有るのは想像通り。花の季節。あしたは嵐。途中川面まで桜の花が枝垂れかかる名所があった。ここは花見客でいっぱい。このトンネルを越えてさらに藤沢へ。海からの風だろうか潮の香りがする。もう近いと思ったら急にサイクリングロードは終いになる。すこし行くと時宗総本山の遊行寺があった。自転車を置いて本堂まで歩く。時宗の紋は「三」の字だ。なんか意味あるのか。境内に大銀杏、本道の脇にいい桜が咲いている。本堂は阿弥陀佛か。・・遊行寺の緯度は富士山、相模の大山寺、出雲大社と同じだ。このレイラインは不思議。・・十一不二というので十一円の賽銭を投げた。

・・さらに江ノ島まで川沿いの県道をひたすら南下してなんとか江ノ島の海に着いた。2時間かもう30分。それぐらいだった。観光地で人が多い。このあたり大津波が来たら逃げ場はないななど思いながら島に渡りサザエでも食べようか。で、いったらみんな同じことをやってる。あとシラス丼も名物らしいが今年はシラスが不漁らしい。ともかく食気は失せてすぐ鎌倉へ向かう。海辺の街道を行く。左手に江ノ電、右手は海。車が多くあまりいい道ではない。この辺も大津波が来たら逃げ場はない。稲村ケ崎に温泉があったがここにも寄らず。鎌倉駅へ、鶴岡八幡宮へ。人が多く駅近くでやけの休憩。コンビニでビールとカレーパンを買う。コンビニへ入るのはいつも道を聞くためだ。川越と同じ人力車がでてる。ほんとに人が多いので北鎌倉からさっさと横浜に行こうと決める。鎌倉街道をひたすら行けばよいということだった。あまりいい道ではないので日野から海の方へ磯子に抜ける道を調べておいた。が、これが今回最大の失敗。港南台へ踏み入ったが、ここが難解な迷路になっていた。

・・もともと今回のロングライドは、横浜みなとみらいの万葉温泉が目標。ここに3時まで休憩できる。いい時間だ。行きに多摩サイ川崎経由、帰りに鎌倉江ノ島境川CR町田経由というのも考えたが天候を思うと最初の晴れた日に大きく境川CRを使ったほうがよかった。横浜-鎌倉間は鎌倉街道一本というが評判は悪く不安だった。・・2日目は曇り後雨というので夜3時に横浜みなとみらいを出れば朝の8時までには帰宅できるだろう。それに横浜から川崎の丸子橋までは深夜で交通量もぐっと落ちるだろう。車道を楽に走れる。後は多摩サイ、ここまで来れば楽勝だと踏んだ。

・・江ノ島鎌倉では時間はつぶせない。江ノ島は騒がしいばかり、鎌倉もそんな感じで通過するばかり。北鎌倉のきつい坂をあがって大船をめざす辺りでよい年頃のお嬢さんに道を聞いた。はきはきと感じのよいお嬢さんでこちらの予定を変更してナンパに切り替えようと思ったりした。そう思った途端ありがとうといって先にいくのが常だった。鎌倉街道を外れたのがまずかった。横浜の港南区は山でここまでなら大津波もやってこまいというほどだ。それでもアップダウンがきつく磯子に出るのになんと苦労したことか。先々で道を聞くが、知らない人が多い。みなとみらいなどずっと先の先だという。・・おそらく道をまちがえた。磯子の八幡橋というところに出るはずがずっと迂回してしまった。金沢八景にいくのかという人までいた。・・磯子にでても根岸にいってもう暗くなってきた。ここからすんなり関内桜木町まではいかない。ジョギングをしてる人や通行人に声かけても誰も相手にしてくれない。もう海も近く殺伐としてるのは確かだ。磯子の駅の近くでは「世界平和のために」という本を配ってる人がいて2、3ページ読んでくれといってるが、こちらも必死。道に迷ってるんだよ。この先の道を尋ねたが、のろのろよく知らないようでありがとう先に行って聞きますと別れた。・・桜木町へ向かう道は16号でよかった。桜木町というから桜並木があるのだろう。ほんとに本牧あたりから桜並木があった。なかなかいい。山手の警察で道を聞いた。とても親切だがそれでもすんなりみなとみらいに行けないところがさすがに横浜。何度か道をまちがえながらやっと大きな光の輪のみえるところに来た。大観覧車はイルミネートされている。と、夜空に光のスジが流れた。・・流れ星。願い事をした。ハハついてる。

・・長い一日のロングライドだったが、これで万葉温泉でゆっくりできる。よく来たものだ。

380秋魚:2012/04/18(水) 05:05:46
(無題)
・・曇り後雨。午前中は10%の降水確率。3時から6時の間に降雨しても1m程度。これならポタリングができる。多摩サイ左岸を羽村堰までもう桜は半分は散っているだろう。そこから新奥多摩街道にでて小作、河辺まで。駅前の梅の湯は評判だ。

・・Hayabusaのサドル位置を1cm高くした。ヒザの回転がスムーズになってすこし楽になった。実際ポジション調整はむずかしい。自分でやってみなければ。ヒザの回転はよいが、足を伸ばしての着地が不安定になった。これは慣れで克服できるだろう。・・ドロップハンドルのロードレーサーに乗ってみたいとだんだん思い始めてる。仏式タイヤは不安定だがスピードはでる。スピードにはさほど興味はないが、走行感はどんなものだろう。腰の位置を高くして前傾姿勢が決まればこれでやっとロングライダーの仲間入りか。Bianchiのロードバイクに乗ってみたい。

・・Hayabusaはだいぶ馴染んできた。乗り込んだのでブレーキワイヤが少し伸びているか。これは簡単に調節できる。チェーンが弛んできたりしたらむずかしいが、これはまだ大丈夫。パンクが一番恐い。一度は自分でチューブ交換してみなければ。シミュレーションは完了してる。・・ロングライドにでる装備も決まったから後は天候との相談でいかようにもプランニングできる。

・・多摩川は遅咲きの枝垂れ桜が満開だ。左岸右岸という言葉もパリのセーヌ左岸右岸とかでなつかしいものだ。いまは右岸を上る。坂のアップダウンでのギア切り替えもうまくなった。失敗はほとんどない。・・自転車がこんなおもしろいとは思はなかった。ハハ

・・多摩サイとJR青梅線との間にある奥多摩街道、新奥多摩街道というのがすこしややこしいが西へまっすぐ伸びているのは同じ。適当なところで右折すれば河辺には着けるはず。途中ローソンで道を聞いた。コンビニは最近はローソンが気に入ってる。ポンタカードも作った。ローソン宣伝部も頭が切れてきた。

・・小作あたりまで来て、ポツリポツリ雨が来た。大降りにはならない。そのまま河辺に向かう。すこし濡れる感じになったところで河辺に着いた。駐輪場もいいのがある。東急のビルと向かい合わせで5階6階が梅の湯天然温泉だ。・・かれこれ2時間のロングライド。

・・青梅の実がひとつ地面に沈んだところから温泉が湧き出た。それが梅の湯。ただのスパ銭ではない。駅前のビル中にある簡易性とは別に温泉はよくできてる。ヒーリング、リラクゼーションの基本をよく理解してるのがわかる。アルカリ性単純泉というぬるぬる温泉は貴重だ。露天はビル中を作庭する風情でここに意を使ったのが成功してる。営業はロングランするだろう。・・梅寿庵というレストラン。生ビールと梅寿御膳を注文した。温泉のレストランではそこの一番の自慢料理を食すにかぎる。御膳にしてはリーズナブルな値段で、これも楽しめる。窓からは川向こうの山並みが見えて、初春の木々の色合いがおもしろい。花と新緑の乱舞がある。・・この河辺はおもしろい。ここからさらに足を伸ばすと青梅の塩船観音寺がある。これは行基が来てる。もうすぐつつじ祭りがある。これはすごい。必ず来てみる。・・向かいのテーブルにかなり年配のおばあさんがこんにちわという。温泉はいいですね。そうですね。・・メニューをパラパラ見てるがなかなか注文しない。理由はわかる。自分など酒も飲めるしどんなものでもまだ食べられる。自転車に乗って悪い脂肪も燃やしたし活性酸素も殺したから、カロリー過多の食事も問題ない。帰りに大運動するから胃や腸の消化もすすむ。温泉につかり、新陳代謝もピークする。

・・でがけでまた雨が来た。すこし待ってると西の空が晴れてきてお日様がでた。よしこれで帰れる。カッパもいらない。今回のロングライドはもう成功だ。天候の読みが大正解だ。東の空に虹が立った。・・帰りに福生の田村酒造へ寄ろう。前回仕入れた酒はもう切れている。幻の酒は美味い。だいたい場所はわかる。要所要所で道を聞く。最初は多摩川の羽村堰に出る為に。次に玉川上水べりにある田村酒造をたずねる為に。品のよい奥さんと犬を連れたお父さんに聞いた。みなとても親切に教えてくれる。だいたいの土地感があると話もわかりやすい。道を聞くのもうまくなったものだ。ハハ

381秋魚:2012/04/19(木) 01:54:52
(無題)
・・エコライフ。時計が次々と電池切れになってる。ボタン電池は以前百円で手に入ったが近頃は見当たらない。いつか電波時計というのを拾った。しばらく使っているうち動かなくなった。電池交換をしようと裏蓋を開けてさあ大変。まったく込入ってる。新しい電池を入れたらリセットの為にショートさせねばならない。というより電池交換の必要はなかった。太陽電池だからお日様にさらせばよかった。それでリセットでショートだけはやってみた。針はなぜか一時間遅れでリセットされた。これ以上直しようもなく今もそのまま使っている。

・・YOKOTABASEにいった時、路上でキャッツアイを拾った。キャッツアイといっても自転車に取り付けるブランドもののライトだ。自分の自転車には百円のLEDライトが付いている。これで充分だが、防水のキャッツアイにはいつも心魅かれていた。・・拾ったCATEYEは電池切れと取り付けベルトが切れていた。電池は単5のかわいらしいのが2本。これさえ取り替えればライトは灯くはずだ。単5の電池はめずらしく普通の店にはあまり置いていない。ローソンで一つ百円で置かれていた。2本入手した。切れたベルトは端に穴をあけワイヤーで結んだ。これもけっこううまくいった。・・電池を入れてさあ点灯するか。やってみたがダメ。電池の挿入がまちがってるのに気づき再度トライ。や、今度はばっちり灯いた。LEDの電球というのはどうなってるのか。潰れていない限り大丈夫なはずだった。

・・最近はこういうリサイクルの仕事が楽しい。人生はやり直しが利かない。ただ追憶でたどることはできる。自分の人生をリサイクルすることで一抹の救いがある。若き日の人生はいつも一抹の不安ばかりを抱えていたが。・・自転車のロングライドはキェルケゴールの反復と遡行というやつだろう。失われた時を探して走る。

・・職場の同僚に新宿のバーでやたらと飲み歩き時間も金も浪費しまくるやつがいる。カラオケで英語の歌など歌うそうだがいただけない。先日は2人で飲み歩いて14万yen使ったとか自慢していた。その半分もあればBianchiのロードレーサーが買えるのに。だいたいカラオケというのは次から次へと何を歌うのか。節操が無い。シルビーバルタンを見よ。Nikolasは追憶の歌だが、歌は必然の光の糸だ。こういうのを正しく歌という。

・・福生の田村酒造はわたしのお気に入りだ。切れた頃にロングライドで酒を買いにいく。これがいい。彼には分かるまい。

382秋魚:2012/04/25(水) 10:52:31
(無題)
・・一年ほど前にママチャリのハヤブサで飯能の宮沢湖までいった。よくいったものだ。本格的なチャリダーにも声をかけたが、ママチャリを見て憐憫の一瞥あるのみだった。山あり谷ありの遠乗りではママチャリは無謀か常識外れとみるのが普通のようだ。特に瑞穂から入間川にでる狭山の丘陵は16号から外れて飯能街道をいくことになるが、アップダウンのきびしさもさることながら歩道の無いところが多い。自動車との接触も気にしながらこのハヤブサいきなりトラブって分解してしまうんではないかと思えたほどだ。・・現在のHayabusaはMeridaのクロスバイク。それほど高価ではないが、基本はよくできてる。パンク以外は本体はまったく安心できる。パンクに対する備えもある。・・前回山中でパンクしたらハヤブサはそのまま放置するしかなかったろう。やはり無謀だった。・・で、奇蹟の生還。

・・今回は、同じ道を辿って飯能にいき、宮沢湖から日高、小川へ。八高線沿いの道をいく。飯能−寄居線という道らしい。・・小川、花和楽の湯。ここだ。

・・多摩サイの立日橋をこえた辺りにあった残堀川を辿れば瑞穂から日光街道にでられ狭山越えも容易かと思案したが、結局立川のモノレール沿いから芋窪街道を行き新青梅街道に出、途中から16号をいく。瑞穂の八高線の駅は箱根ヶ崎。ここまでは楽にでられた。ここから16号をそのまま辿ると直接川越に向かってしまう。飯能街道に出るのに苦労した。

・・十年以上も前、ジュピター(クラシック喫茶)によく来ていたホリベ君がやはりこのロングライドを試みた。この狭山の山で自転車がこけた話もあった。・・今回わたしも初めてこけた。理由は同じだと思う。歩道が無く道路脇の白線が辛うじて有る。背後からは轟音をたてて大小の車がたえず迫り来る。あまりに大きなトラックなど来ると停止して道を外れるくらいでないと恐いものだ。一度など白線を越えたらもう畑の中で今回はここで自分はこけた。土がやわらかく幸い自分もHayabusaも少し汚れただけでキズはなかった。ギアディレイラーなど心配したが。セーフ。・・坂は下りが身震いするほど。ともかく入間川にでた。ここから宮沢湖まではたやすい。

・・ホリベ君というのは某音大で作曲家をめざした。ゴジラを作曲した伊福部アキラに師事したという。ジュピターで出会った頃は、アル中でいつも顔が赤かった。ある日突然もう音楽はやめたという。。そしてロードレイサーを買った。酒もやめたという・・彼とは親しくなかったが、スポーツサイクルでの遠乗りの話はよく聞いた。境川CRで鎌倉に行った話しも聞いた。宮沢湖経由で小川にいった話も聞いた。わたしがいく経路は似ているが違いもある。一つは彼はドロップのロードバイクで、わたしはフラットのクロスバイク。タイヤは彼のは仏式で細く安定性は無かったろう。スピードは出る。どう聞いてもマウンテンバイクではなかった。ナルシマで作ってもらったそうだ。

・・今回のロングライド。すごいものになった。今無事生還帰還してHayabusaをほめてやりたい。・・出発は10時45分。帰還は深夜の2時だった。

・・狭山の茶畑はもう新茶の茶摘があったという。一年前の宮沢湖行きでは帰り雨になりしたたかに濡れた。喜楽里からの帰り、道を反対に間違えてひたすら日高をめざしたのがなつかしく思い出される。それよりあの頃の雨はまずかった。たぶんに放射能に汚染されていただろう。狭山のお茶にもセシウムが検出されたという。その後手の甲がぽつぽつヤケドの後のようなシミができたり、髪の毛が幾分多く抜けた気がするのは、気のせいばかりではないだろう。・・大変な時代になったものだ。

・・東飯能の駅前でソバでも食べようか、しかし気乗りがしない。空腹で頑張ったほうが健康にいいという本もある。このまま小川の温泉までノンストップで行くか。宮沢湖を過ぎた辺りでコンビニに入りソイジョイ菓子とリンゴジュースを買って道を聞いた。ロングライドでは水分は普通の水がいい。ジュースは重い。ほんのちょっとの栄養菓子はまあ悪くない。ともかく足が動かなければ。一度来たことのある道はまだいい。未知の道はそれだけで不安だ。日高のあたり彼岸花が群生する巾着田はこのすこし先、ここもいずれ来てみたい。高麗川神社には大きなタブの木があった。このあたりも散策したいところだが、今回は一路小川をめざす。自動車道だが至極快適だ。・・武者小路実篤の「新しき村」のある毛呂山はこんなところにある。自分の人生でもこんな新しい村おこしをするつもりでいたが頭が下がる。もうやれそうにない。毛呂山も通り越し、梅林で有名な越生に入った。このあたり町はみな里山で山と山の間に町がある。それで自転車はけっこうなアップダウンの連続になる。道はいいがほんとに遠くに来たものだ。なかなか小川に着かない。・・小川のひとつ手前に「とき川」という町があってけっこう風光明媚をきかせている。とき川というけれど感じで書くと都機川となるらしい。観光客に親しみやすくカナ書きにしてるのだろうか。でも、この都機川はおもしろい。道元の「都機」が思い出される。小川の手前でなんか象徴するものがある。・・小川あたりはほんとに山が多い。しかし町は開けている。飯能の宮沢湖までが2時間半、小川までが2時間ちょっと。けっきょくおおかた5時間ほどの遠乗りになった。小川の警察で花和楽の湯までの道と帰りの川越へでる道を聞いた。足はもうあまり勢いはない。はやく温泉でゆっくりしたい。

・・花和楽の湯。「かわらのゆ」という。風流な温泉だ。強アルカリ泉というめずらしい湯で、透明すぎるほど。でも悪くない。露天の外は山になってて、鶯の鳴き声がホーホケキョと何度も聞こえる。これは録音テープで流していたのかも。ともかく静かでゆっくりできる。

383秋魚:2012/04/28(土) 13:25:50
(無題)
・・円成の諸月なる、前三々のみにあらず、後三々のみにあらず。

・・猶若虚空

・・日高から小川まで、実際わくわくする。毛呂山、越生、とき川と来てそれぞれが山の向こうになる。最後の山越えの坂というのは、歩いてしまったほどだ。日があるうちはよかった。都幾川が魅惑なのは目的地の一つ前だからだ。きっと。ここにも温泉があって予定変更を思案して実は考えてはいけない。次の機会にと振り切る。ロングライドは完遂するのに意義がある。

・・花和楽の湯。昔瓦工場の跡地から湯が出た。かわらの湯という。花が豊富らしい。万葉のむらさき草が自生しているとも聞いている。付近の野山を散策したいが、これも割愛。Hayabusaの遠乗りは山あり谷ありピークに届いた。入間川に着く前に転倒もしている。空気圧とブレーキの調整、チェーンの油さしはよくしてきた。運転でへまをしなければ、たいていのロングライドは耐えられる。おそらく失敗は人体の限界でおこるだろう。これも負けない。・・今回すごいロングライドになったのは、実は帰路のことだ。花和楽の湯でもレストランではビールと一番の御膳料理をいただいた。田舎の温泉だからいかに気持ちよくお金を落すか、入館料にクーポンを使ったが、いい支払いもしたい。そういう礼儀も身についた。・・柚子を使ったオリジナルのサイダーやジュースなども露天に売りにでた。自分も柚子のを一本いただいた。値段が無いので聞いたら百九十円ということだった。ヤボだったかもしれない。香料も使ってない天然もので、後味はよい。・・帰る時にみやげものを一つは買うことにしてるが、これにはいつも頭をつかう。大きく嵩張るものはダメ。アクセサリーのようなものより食料品がいい。ここでしか味わえないもの。・・梅酢というのを買った。

・・さていよいよ帰路につく。もう夕方の六時半になる。実際温泉には長くいたいと思うが、これも振り切るのが大事。帰路はいつも地獄だが、不可避だ。これもわくわく。・・同じコースはとらない。飯能にもどらず平地に出て直接川越をめざす。嵐山、東松山、川島、川越といく。最後に荒川を越えるらしいがこれはよくわからない。県道254に出るまでが一苦労。

・・帰りしな花和楽の湯の表の写真を撮った。暗いが、デジカメでフラッシュもたかずよく撮れている。後は地獄。川越までは。県道254は川越街道とよぶもので、ここも一本道という。だがバイパスで、自動車にはよくできているが、自転車歩行者にはどうか。歩道はたしかにある。この時間だれも歩いていない。もともと歩行者用のものではないのだ。自転車は車両にはいる、2輪車という。うまいライダーならどんなところでも車道を走るらしい。それが一番安全だという。車道と歩道をいったりきたりこれが危ない。自分のような臆病者は歩道ばかりを走る。今回はこれが地獄だった。小川から東松山、川越というのは想像以上に田舎の街道だ。夜間運転となると実は歩道がみえない。百円のLEDライトはチカチカほとんどこちらの存在を認知させるためだけのライトだ。修復したキャッツアイを取り付けようとしたが、うまくいかなかった。以前の使い慣れたライトででた。前方をわずかに照らすが、よりよい灯りは、後方からくる車のライトに頼るのみ。車道と歩道の間に植え込みがあったり、うまく照らさない。東松山を越えて荒川にさしかかるあたり田畑の中をいく。片側に菜の花が咲き誇っている。その花灯りだけが頼りだ。歩道が突然切れていたり大きな段差があったりしたらどうしよう。車に追突される心配はないが、悪路を走ってどんな事故にあうやも知れない。パンクが一番こわい。・・多少時間がかかっても無事川越に着けたら赤飯でも炊いて祝いたいほどだ。前行路走り終えたら、Hayabusaをほめてやらねばなるまい。

・・なんでこんなところに荒川があるのか。この川向こうだから川越というのか。小川をでて254にはいり6時半から9時15分まで走ってる間、実に一台の自転車にも人ひとりにも出会わなかったのは、これは冥府の道でなくてなんであろう。信じがたいようなロングライドになった。・・県道254を外れて川越市街、駅のあるあたりへいくのも苦労した。途中見当をつけて道をはずれようやく通行人に道をたずねて成功した。お店もないし、通行人もほとんどいない。埼玉の町の郊外というのはまったく寂れている。ほとんど人の住むところでは無いといわんばかりだ。東京の都市化の真相はこんなところでよくわかる。居住空間という意味では秩父の山間は絶好というべきかもしれない。・・ともかく、がんばってなつかしい川越の町並みに着いた。

384秋魚:2012/04/29(日) 14:24:55
(無題)
・・川越も駅前以外はほとんど人もいない。夜の9時頃。時の鐘も静かなものだ。前回商店街通りの人混みもウソの様だ。本川越の駅前に交番があって、遊湯ランドの場所をたずねる。もう遠くはいきたくない。ここからすぐ近いところに終夜営業の温泉があるはずだった。芝居小屋をかねた温泉ホテル。猥雑な感じだがこの際人がたくさんいれば何でもいい。果たして繁華街の真ん中にあった。新富座とかいう芝居小屋。裏に駐輪場があるという。ここに来るまでに一雨あったらしく道路も車も濡れて光ってる。車も自転車もけっこういっぱい。裏口からはいって4階だかの受付にいく。2時間だけお風呂とレストランを使いたい。受付嬢は手馴れたもので黄色いタオルとドリンクサービス券をくれてほとんど説明もない。地下の手古舞というバーにいくとドリンク券が使えるそうだ。ジュースでも飲めるのかな、ハハ。・・地獄のロングライドを切り抜けていくら人恋しいといっても酒とカラオケ三昧のバーは気乗りがしなかったがホテル付属のダイニングバーということで料金も安い。中はうじゃじゃけているがビールと軽食をというので入った。おかみが一人立ち働いていてお好きな席にどうぞといって注文取りにはすぐ来ない。こちらでいって注文を出そうとしてやっと来た。客もたいしていないのに忙しくしてる。一人できりもみだからか。ビールとお勧めのギョーザを注文する。酒はすぐ来たがギョーザの遅いこと。こちらは2時間あってお風呂に一時間、あと一時間しかない。でもあわてることない。あの地獄行は恐かった。まったく。・・今回出がけに実は風邪をひいて病み上がりだった。風邪でなかったかもしれぬがくしゃみが出てひどかった。ロングライドで風邪も吹っ飛ばせというので出てきた。・・その風邪をどっかにいってしまった。やっと出てきたギョーザの美味しいこと。ラー油を使わずほとんど酢だけで食べる。ああ美味い。先のドリンク券はウーロン杯サービスだという。これとギョーザでああ美味い。たかがギョーザというが地獄を走ったあとはああ美味い。・・そうしてママさんに美味しかったとお礼をいいありがとう、また来てね。これはどこの飲み屋でも決まり文句というが新鮮味があった。ハハ 川越は遠いがまた来よう。・・そうして温泉を出て、いよいよ最後のロングライドも帰路になる。所沢まで。

・・田舎の街道を夜間ロングライドするというのは、考えものだ。小川から川越へ、後背地の街道は夜は魔物寸前。コンビニなどもなく途中下車不可というのがほんとだった。横浜から相模原、町田へ向かう16号も殺伐としていた。あそこはまだいい。コンビニも豊富で人にも会えた。犯罪者の逃亡する匂いもあったが、ここの小川、川越路線はそういう犯罪の匂いすらない。あるとすれば車道を走るチャリダーの追突巻き込み事故くらいなものだろう。目撃者がいないから、ひき逃げが一番かも。・・こりごりした。・・川越、所沢へは、先日試みた。夜間やはりよい道ではなかったが、254よりはまし、もう庭にもどったようなもの。11時15分にでてほぼ一本道。深夜になって逆に車の数が激減する街道なのがわかった。歩道を照らす灯りも間断なくある。楽勝か。・・まっすぐいって最後に所沢の駅前にでるのが前回手間取った。所沢周辺は小平、府中へ向かうにも入り組んで一本道ではない。今はもうどうやって駅前にでたかおぼろな記憶だが、コンビニで一回道をたずねた。ローソンのポンタカードを使うのが楽しみになった。北所沢の駅から線路沿いにいけばよいという話もあったが少し先の大きな通りを行きなさい。そういうことだった。ずっといってまた道がわかれる。角にしゃがんで携帯をいじってる女の子がいた。ちょうどいい。こんな暗がりで不自然だけど駅前までの道を聞く。ええ、こちらの道をまっすぐいけばよいのです。あっちにいってもいけますが、わかりやすいのはこちらです。てきぱきと応える。学生っぽいが、偏差値の高いのがよくわかる。暗がりで男性に話しかけられても、ひるむところがない。実際わたしはひどい風体だったはずだが。その後所沢の駅前に行ってわかったが、ここは学生が多い。以前もそう思ったが、みな偏差値が高そうだ。うちの職場の上司とは大違い。彼はすこし話しても屁理屈ばかり。10分話すとその日は一日気分がわるい。いかにも偏差値のひくい学生あがりなのがよくわかる。・・ロングライドには出るものだ。あのバカ上司のことも無化できる。・・駅前の繁華街コンパなどもあるのか学生たちが外に出てにぎやかだ。そっといくとビルの間でアカペラで歌を歌ってるものがいる。思いをこめてけっこういける。聞いたことない歌だ。自作の歌か。通り過ぎてから自転車を止めてもどりデジカメで写真を一枚撮った。もちろん観客はゼロだったが。ただの酔っ払いのようにも見えたが、彼も偏差値が高い。いい歌だ。すべてオリジナルの勝負だ。きっと。

・・所沢という町は何も無いと、人は言う。いやけっこうおもしろい。活気がある。何も無いところでなんかおもしろくする若者の知恵がはたらくのではないか。・・ここから先は、すこし迷いをもどしてほんとに庭のような帰宅になった。

385秋魚:2012/05/02(水) 03:18:34
(無題)
・・雨もよい。雲の感じからにわか雨だろう。家をでたところで急にさぁーっと降りだした。庇のあるところへ避難。カッパを着る。今回はライトもCat Eyeにつけかえた。防水がいきる。天気予報の夕方まで曇りをあてこんで、今日もHayabusaで遠乗りにでる。青梅の河辺にでて塩船観音に向かう。塩船はつつじ祭りの最中、今はピーク手前だろう。・・前回小川にいった地獄のロングライドのあと、Hayabusaの整備はしていない。空気圧は足りるだろう。チェーンはグリース性のものを試したがそのままだ。今回は雨の中で試練。

・・案の定、多摩CRの土手に出たあたりで雨がひいた。毎回同じルートも癪なので今日は国立の古民家やヤクルトの研究所の前を通り、石田橋に一番近いところに出た。湯楽の里にいくにも近い。またいい道をみつけた。・・多摩CRも手馴れてきた。多摩大橋でここを外れると新奥多摩街道。交番があったので河辺から塩船観音までの道をたずねた。新奥多摩から奥多摩街道にでてそれを真直ぐいけばよいということだった。ただし奥多摩街道はそれほどいい道ではない。途中でもう一度多摩川の土手にもどった。こうして羽村堰のあたりまでいきそこから河辺へチャレンジする。さほどむずかしくはない。幹道から外れてJR線沿の道にできるだけ早くでるのがよい。奥多摩、新奥多摩を走って小作の駅のところにでた。ここまで来れば河辺は近い。河辺まで2時間弱。駅前の交番で再度道をたずねた。今度は一度青梅街道に出て新宿よりにもどり奥多摩街道に出たらそこを道なりに行けばよい。知らぬ間に奥多摩街道を越えたらしい。・・そうしていってみると、20分ほどで塩船観音寺に着いた。これまでうす曇りの空でいたのが急に黒い雲になってまた雨が降りだした。強雨というほどではない。自転車は無料の駐輪場があった。もうHayabusaが雨ざらしになるのは仕方ない。自分は折りたたみ傘を開いて塩船に入山した。つつじの開花はもう四五日あとがよさそうだ。あいにくの雨になったが、観光客は多い。一年前に来たときも雨になったが、よくよく自分は千手観音とは雨の縁なのだろうか。ハハ。雨の塩船というのも素敵なものだが、この詩情はまだ分析できない。・・三百円の入山料を払って、本堂に向かう。ボケ封じ観音というのが売りらしい。ハハおもしろいね。ボケ封じとは。

・・千眼千手観音のある山の上までいってみよう。見晴らしはいい。つつじはまあ咲いている。去年来た時はちょうど祭りのすぎた翌日くらいでそれでも遅咲きのつつじが満開で人もいなく驚きの万華鏡だった。それは一期一会の偶然というものだ。・・雨の塩船も捨てたものではない。そうつぶやきながら写真を何枚か撮った。山の頂上あたりから雨が本格的になりだし、下山したあたりで茶店に入った。この雨もにわか雨だろう。西の空は明るい。茶店でみやげものを物色した。青海苔を使ったさしみこんにゃくを一つ買った。青梅の清流水を使った緑色が鮮烈だ。・・これはあとで田村酒造の酒といっしょに食したが、大変に美味だった。

・・十分ほどで雨があがり空も明るくなった。皮肉なものだね。ハハ、でも悪いものでもない。そういうものなのだ。ハハ。・・塩船観音をでて河辺の梅の湯に向かう。きょうのロングライドも終ったようなもの。温泉でのんびり体を休めたい。ビールも飲める。

・・ここの梅の湯は、天然温泉の穴場。みかけ以上に奥が深い。青梅、奥多摩、名栗を散策した時は、ここが一番の骨休めになる。・・梅寿庵というレストランもお気に入りだ。福寿御膳という健康食を注文しようと思っていたが、急に自分はまだ若いのだという気になり、ロースカツ御膳に変えて注文した。・・注文の呼び鈴を押したが、音もせず光もでない。電池切れで壊れているのかも。何度も押した。・・そそくさと注文取りのお姉さんがやってきた。・・ああごめん。壊れてるのかと思ってね。何度も押してしまってね。ハハ

・・まったく地獄のロングライドの後は何でも許せる。おもしろい。どんな人と話しても楽しい。・・発句は行きて帰るの心なり。自転車の遠乗りは一篇の小説ではなくひとつの映画に似ている。言葉は主役ではないからね。おおかたは一過性の風景があるだけだ。・・行きて帰る。この魂は説明しがたい。

・・帰りは、思ったより早くこの時間ならまた田村酒造に寄れる。そう思って元気になる。

・・酒造では、まぼろしの酒嘉泉の極め付け辛口300mlを買った。ハハ これはいい。

386秋魚:2012/05/03(木) 11:53:33
(無題)
・・近くに温泉ができたおかげで、雨降りでも自転車でいける。傘さし運転はご法度になったが、十分くらいは大丈夫だろう。石田橋の近くの湯楽の里にでかける。昨日見つけた快適な道をいこうと思い、甲州街道から外れた道がまた間違えた。くにゃくにゃこの辺はやはり迷路ですね。結局いつもの道の入口にもどってしまった。わたしもボケか。記憶がもどらない。・・ああこの先で曲がるんだ。城山の鬱蒼とした道を降りてヤクルトの研究所がある。そうして石田橋の麓に出れば温泉も近い。そう簡単に考えたが実は何度も道を間違えた。だいぶ無駄足になったが、フレスポに到着。・・昨日買ったアジの鮨は美味だった。ここの鮨はいいネタを使っている。すこし買い物をして温泉にいく。

・・なんか湯あたりしそう。最近あちこちで湯あたりを見る。あれは脱水症とか潜水病みたいで、なかなか回復しない。たいてい救急車で運ばれるまでなる。わたしの時は、意地で自力回復させたが、血の気がひいた。・・湯あたりしないように、長湯はさけて、すぐレストランにいった。生ビールと蕎麦御膳を注文した。注文とりの子はユキちゃん似の子だった。髪型を変えたのか、誰かわからなかった。髪をあげてチャイナドールみたいだった。今度はいろいろ言葉を交わした。髪型を変えたの?違う子かと思っちゃった。ハハ 笑顔だけで特に応えは無い。そんなものだ。気分はいい。

・・自転車で温泉がいいのは、出先でビールとか酒が飲めるからだ。酔っ払い運転にはならない。取り締まりはない。運転はかえって自在になる。時間も無くせる。今日はママチャリのポタリング。酒もあまりうまくない。そそくさとテレビのあるリクライニングを確保した。ここはいい。個人用テレビが見れる。不思議なのは、眼が悪くなってるのに液晶のテレビがすごく鮮明に見えることだ。ほんとに不思議だ。・・足利にある藤の巨木の映像だ。すごい藤があるものだ。

  *

・・ハヤブサがパンクした。いやはやついに来たか。ひとつHayabusaでなくてよかった。ママチャリでしかも家の近くだ。温泉からの帰りもう深夜になる。車体が変にごとごとするのはタイヤに空気が無いからだ。それにしても急になったのではない。降りて調べると前輪のタイヤが柔らかくなってる。バルブ破損かパンク。こういう少しずつ空気が抜けるのはバルブの気もするが、わからない。家の5分くらい手前で自転車をひきひき帰宅するとさっそく修理にかかった。雨降りで夜でやりにくかったが、これは何度もシミュレーションしてた。・・自転車台のようなので車体を浮かすべきが、そのまま強引にやったのは失敗。せめて車体をさかさまに配置すべきだった。空気を抜いてタイヤを外しチューブを引っ張り出す。ブレーキを解除すべきか。えい、そのままやる。洗面器に水を入れタイヤの空気モレを調べる。あった。これは外部からの損傷ではなさそうだ。チューブの継ぎ目のようなところから小さな泡が出てくる。製造上の欠陥か。ここひとつと思いともかくここをパッチで塞ごう。ヤスリをかけノリをぬり、乾いたところでパッチの裏紙を外して貼り付ける。どうもうまくいかない。ヤスリかけやノリの部分が狭すぎた。パッチがくっつかないところがある。強引にノリをつけた。・・なんとかくっついてチューブをタイヤの中にもどし空気を入れた。チューブのもどしかたはむずかしい。はみでたりする。空気を抜いてやり直し。ようやくもとにもどった。これで眼一杯空気を入れて抜けてこなければ、パンク修理は成功。・・果たして、OKだった。深夜なのでそそくさと終えた。

・・朝起きてみたらやはりバルブの辺りのタイヤがリムに収まっていない。これはチューブが噛んでいて傷になる恐れがある。そうして仕事が終ってからもう一度空気を抜いて修正にかかる。自転車をひっくりかえす。浮かす台が無いからこうするしかない。これぐらいいいや、というのはダメだ。どこかやり方が違っているにちがいない。・・チューブをタイヤに収めて空気を入れるとき、バルブを押してリムの中に三分の一ほど沈めてみた。そうどこかに書いてあった。これで成功。今度はうまくいった。・・虫ゴムの交換なんかも簡単そうだが、よくわからない。どんどん経験をつまねば、うまくならない。虫ゴムの不要なスーパーバルブというのを百円ショップで買ってみよう。便利なものができたものだ。

・・雨の季節。Hayabusaには、フェンダー(泥よけ)を取り付けようか。ハナミズキが咲いている。

387秋魚:2012/05/09(水) 21:22:50
(無題)
・・天が味方した。青梅は夕方まで曇りで降水量は0と出た。6時間先の雲の動きでも多摩地区はうす雲がかかる程度。これならまた塩船観音へロングライドできる。思い立ったが吉日。そそくさと準備してHayabusaで乗り出す。だいぶ乗り込んだが不具合はひとつもない。すばらしいクロスバイクだ。

・・多摩サイへあがるのも今回は最短でいった。石田橋が目標。城山の前の道は鬱蒼として魑魅魍魎がいそう。夏はよくマムシがでるそうだ。ここを通ってヤクルトの研究所。日野バイパスの石田橋から多摩川の土手にでる。・・時間を短縮する為にフロントギアの大きさを3にあげた。これで足は重くなったがスピードはでる。羽村堰のあたりまで一気にいく。うす曇りの空はなんとかもちそうだ。羽村堰の手前で奥多摩街道にでるが、ここは車が多いので横断し新奥多摩街道へ早目にでるとよい。この辺も迷路の道でなかなか出られない。裏道をさがして走る。ここさえクリアすれば小作の駅にでて河辺は近い。・・前回手に入れた地図で河辺駅から北に真直ぐ行けば塩船観音までいける。今日はなるべく早く塩船に行く。はやくツツジが見たい。

・・河辺というところは想いが深い。ずっと昔ここで働いていたことがある。ここで出会った子どもたちのことは今でも鮮明な記憶がある。あの子達どうしているだろうか。教え子の中にひとりとても好きな子がいたが。

・・細い道をいって春日神社というところに出た。ここで道に迷った。3人の子連れの奥さんに聞くと、やはりとても親切に教えてくれる。子連れの奥さんというのは、話しかけて何か胸につーんと来るものがある。長く会っているとほんとに涙がでそうになる。・・振り切って、ありがとう。こうして塩船観音をめざす。・・またやってきた。山門の入口で三百円を払う。あ、なんか美人だ。受付でチケットを手渡してくれた娘さんは、なんか美人。好みのタイプで、もっとまともに出会っていたら相思相愛の仲になるんではないか。目と目が合って向こうもそう思っていたようだ。笑顔をもらった。

・・塩船観音は真言宗醍醐派の別格本山。名の由来は行基だという。歴史はずっと古い。白比丘尼が人魚の肉を食べて不死となりこの地にやってきて千手観音を納めた。・・不死というのはぞっとする。・・ともかくこの塩船はぞっとする。


・・雨はない。人は多い。船の形の地形を右側から舳先の方へと上る。船底の池の向こうのツツジがマリモの様にくすんでいる。山の上には千手観音像がある。そこからの見晴らしがいい。こういう船の舳先の守り神というのは、たしかエジプトのイシス女神ではなかったか。ソロモン王の頃からフェニキアの船団がインド洋を越えマラッカ海峡を越え、このヤマトの列島にもやってきた。船の守り神はイシス。・・塩船の千手観音はイシスだったかもしれない。

・・赤いツツジが先行して、今は白いのがすこし、それと紫のツツジが一際花盛りになっている。紫というこれもフェニキアの縁か。

・・写真を撮りながら舳先の山から下りていく。くねくねの道を行くと、突然しゅるしゅると道の上を動くものがある。う、蛇だ。思わず声をあげた。蛇体が妙に濡れて光っている。虹色のようにも見えたのは、周囲の花のせいだろう。すぐに花畑の中に消えていった。・・蛇をみるのは縁起のよいこととしておこう。

388秋魚:2012/05/16(水) 03:30:59
(無題)
・・突然クラッシュ!愛溺してたパソコンが壊れた。windowsの立ち上がりが遅かったり急にビジーになって止まったり終了もスムーズでなかったり兆候はあった。強いものだと思ってた。データ保存をやってなかったのは、失敗。それでもなんとか直そうと、自転車オタクから急遽パソコンオタクに変身した。

・・OSかハードディスクの故障だという。まあハードディスクを交換すればコンピュータはまだ使えそうです。業者に依頼すると3万yenくらいかかる。新しいのを購入するか。・・近くのヤマダ電機にいって最新のコンピュータ情報を集めた。インテルのi5とかi7とかが主流でわたしのCentrinoなど時代物の様です。どうしたものだろう。ハハ

・・結局壊れたノートパソコンは自分でハードドライブを交換して修理することにした。同じ機種をそうして交換してる記事がいくつもあった。これは職場のネットで見た。・・修理の間、ネットを離れるわけにはいかない。・・中古のコンピュータを買った。

・・Dell、NEC、Fujitu、hp、lenovoとあって、少し悩んだ。国産を応援すべくFujituを買う気で店にいったが、今と同じメーカがよくはないか、hpは悪くないが職場と同じものは気が引ける。自国製はどうもおもしろくない。Dellにするかというところで、lenovoに決めた。値段は5千yen高かったが、性能はいい。中古で当たり外れはありそうだが、それは新品も同じこと。lenovoは中国の会社だが、コンピュータはIBMのTHINKPADだ。利益率はないが品質のよいIBMのコンピュータを中国の会社が自分のものにしたのは賢明な作戦だ。商品自体の質が落ちるわけでもない。・・いまそのパソでこれを書いてる。

・・ハハおもしろい。MicrosoftのwordはKingsoft、writerといい、excellはKingsoft、Spreadsheetsというんだ。・・中古で初期不良は一週間保障、あとは3ヶ月保障というので、買ってきてさっそくあちこちいじりまわしてる。仕様書が無いので、インタネット接続なんかも心配したが、なんとかできた。ウイルスソフトが無期限で使えるのが魅力。windowsとあとは基本ソフトしか入ってないがそれで十分。容量も160GBもありメモリも1000近くある。ヤマダの店員はみな口がうまく新品を買わそうとしてたが、実際新品は見栄えがしたが、えいとばかり中古のレノボを買った。ハハこれで充分。

・・さて、次はネットショップで120GBのHDDを入手し、いよいよパソコンの修理にかかる。

389秋魚:2012/05/17(木) 02:30:51
(無題)
・・すごいことになった。おそらくギリシャはデフォルトする。国が破産する。・・「忘れじの面影」Lettre from an unknown woman(1948)という映画をみた。ジョンフォンテーンという女優がみごとだ。16才ではじめてそのピアニストをみた。ウィーンだった。リンツにいって社交界デビューしたのが18才。ウィーンにもどり自活してピアニストの男と恋に落ちるのが20才の時。この時子を宿す。男はすぐミラノへ演奏旅行だという。2週間の別れというが実際はもうもどらない。リザを忘れる。子どもが9才になった時おそらくリザは30才で別の男と再婚する。しかしオペラ座でピアニストの男と会ってしまう。男はリザを想い出せない。

・・欧州はユーロ共同体になってウィーンもミラノも差別はない。「忘れじの面影」のようなドラマの悲劇性は今は起こりにくいだろう。・・そうだろうか。・・アメリカは面白い国だ。男は金稼ぎに夢中で女は欧州に憧れている。・・ジョンフォンテーンは素晴らしい。16才から30才を見事に演じきった。手紙の時はおそらく31、2才であろう。死んだのもその年だ。

・・ギリシャはおそらくユーロから離脱する。今年はすごいことが起きる。2012年12月21日はマヤ暦で何かが起きる。

・・三度、塩船観音へロングライドに出た。土方歳三、芭蕉、忌野清志郎ゆかりの石田大橋が第一目標。城山やヤクルトの研究所を通る。多摩サイから羽村堰までほぼ一時間。河辺駅前から北上してまっすぐ春日神社へ、前回は右に折れたが今回は左へ回る。くねくねとカーブする道を登りやがて塩船に着いた。・・ツツジはもう盛りをすぎた。前回入山受付にいた巫女のような美人の娘さんには会えなかった。山に登り今日は小学生がたくさんいて絵を描いたり俳句を詠んだりしてる。遅咲きのツツジの写真を撮る人もいた。ぐるりとまわり盛りが過ぎた塩船もまた一風よしか。・・少し離れた吹上の菖蒲園にいってみよう。吹上という地名はゆかしい。吹上中学は吹奏楽団が全国的に優秀だそうだ。菖蒲園はお休みで花は六月に盛りになるという。

・・帰路につこうとして、東青梅に繭蔵というおしゃれなレストランがあるのを思い出した。以前ヤナイ氏とたずねた店だ。人に聞きながら青梅の農業高校の裏手あたりにみつけた。自転車置き場がない。適当に置いて中に入る。・・美人の娘さんがいて、自転車はそこでかまいません。ピアノがあったり、絵のオブジェがあったりとてもおしゃれなレストランだ。娘さんも美人です。・・スーププレートと梅ワインを注文した。

・・この繭蔵の美的センスはとてもよい。こういう店で美人の娘さんをみると、シェルブールの雨傘を思い出す。どういう恋をするのだろう。あの人は。

・・河辺の温泉は今日はお休み。拝島、昭島までいって湯楽の里にいってみよう。このあたり道はだいぶ詳しくなった。拝島の武蔵野橋を渡れば玉川上水があって温泉はすぐそこだ。ここの温泉はアルカリ性単純泉で質のよいものだ。ここの岩盤浴と源泉かけ流しは私のお気に入りだ。ここでさらにすばらしいのは上水沿いの木々。

390秋魚:2012/05/23(水) 03:50:08
(無題)
・・きょうは雨。さっそくパソコンの修理にかかる。まず既存のDELLから壊れたハードディスクを取り出す。先人の案内でかねて予習したとおり静電気を防ぎネジを外す。DELLの仕様書にはハードディスク交換の仕方も書かれてある。ノートパソコンのハードディスクにはコネクターの爪のようなものが付いておりこれを外して新しいディスクに取り付けねばならない。これがすこしややこしい。120GBのディスクは歯が二重のようになっていてどう付けたらよいのか迷った。表裏を間違えないようにフィットするように取り付けるしかない。これでもとにもどし古いディスクは外付け用のケースに収めた。これはネットで700yenで入手。これをもう一台のパソにつなぎそこで開ければ中のデータを救うことができる。windows起動のデータ破損が原因とみたから、windowsさえ立ち上がっていればディスクの中のデータは救えるはずだ。データ救済を先行してケースをレノボにつないだ。ケースの選択などすべて予習したとおり。・・果たしてマイコンピュータの中にはCドライブの他にEドライブのアイコンが見えた。どきどき。ダブルクリックしてこれを開きマイドキュメントの中にデータ群があるのを確認。やった!レノボの作業は一応終了。・・次にDELLのノートに電源を入れCDからwindowsをインストールする。途中まで行ってハードディスクが見つからないとでた。やはり適合してないか。心配になってもう一度最初からやり直す。ディスクの爪はこう付けるしかあるまい。挿入してバッテリーももどす。この時バッテリーの装着が前回すこしゆるかったのが分かった。これが原因かも。ともかくまた電源を入れて再チャレンジ。いろいろ進んで今度はハードディスクのパーテーションのところまで来た。これでディスクの認知は成功したはず。やった!ドライブのパーテーションも予習してあったが、気が動転して半分半分くらいでいいだろうと急いだ。それでCドラブのフォーマットもやってついにwindowsのインストールに成功した。

・・ここで作業を中断。近くの湯楽の里温泉に出かけた。ああよかった。これでコンピュータは2台使えるし、データも救える。ひょっとして壊れたディスクのエラーチェックもできる。修復もできるかも。新しいパソのドラバーインストールとソフトウェアの復元などいろいろの作業は後の楽しみに残した。ああよかった。

・・あいかわらずの雨。ぽつぽつだね。よいところに温泉ができたものだ。城山からヤクルト研究所、石田橋に向かいもうフレスポに着いた。黒酢とオレンジの買い物をして隣の温泉にいった。ああよかった。・・受付にいくとキンキラした声でイラッシャイマセと来た。とみると思いのほかの美人。小巻に似てる。笑顔も声もやたらと明るい。これはこれは。・・テルマエロマエという漫画と映画がヒットしてるという。きのう会社のネットで知った。温泉をテーマにしたものだ。若い美人が温泉の仕事につくというのは最近の傾向かも。温泉に限らず最近は出歩くとたいそうな美人に遭遇することがつづく。くらくらして分からなくなった。いつも迷路にいるようだ。

391秋魚:2012/05/24(木) 12:10:48
(無題)
・・コンピュータ修繕作業はすべてうまくいった。壊れたディスクのエラーチェックも試した。報告は無かったが修復に成功した模様。新しいディスクはこちらでも修繕したディスクを開くことができる。そのままデータを移すことも可能だ。各種ドライバをインストルして必要なアプリはいつでも使える。

・・よく晴れた。Hayabusaのブレーキ調整をして近辺のポタリングにでた。遠くに出るのばかりがいいわけではない。今回は、国分寺、府中、三鷹、調布を流れる野川に沿って、野川公園、深大寺、神代植物園が目標。植物園はバラが盛りのはず。・・自宅からは、府中の東芝や美術館のある通りを進んで多磨霊園に沿って進み、大きな霊園だが、野川にぶつかるところまで来た。もうここは野川公園になる。野川に沿ったサイクリングロードをいけば、深大寺に近いところへでる。これでよい。地図なしでいける。野川は思ったよりきれいな川だ。武蔵野の崖線に沿って湧水を集めて流れる。水は透明できれいだ。岸辺の水草も自然のままだ。水鳥もいる。・・昨日雨で今日晴れたから人が多い。平日なのに暇人がけっこういる。自分もそうだが。のんびりしていいなあ。玉川上水のような人造の川と違い、野川は湧水の川で生活汚染水を混入させなければまったく野生の川だ。このあたり公園や緑も多く、生活するのは最高にいい。ロングライドというほどでもないが、自転車はこういう乗り方が合う。近いところでいろいろ発見がある。

・・野川からそろそろ調布になって深大寺への道を人にたずねた。その道をいって坂を上ればもう深大寺ですよ。道を聞くのもうまくなった。ありがとう。・・深大寺温泉ゆかりがあった。昔一度来たことがある。こんなのママチャリでも楽勝だったね。ハハ この脇の坂道を登れば深大寺。そういくとなるほど人が多くなって山門のあたりに着いた。ここで自転車を駐輪した。・・蕎麦屋がたくさんあって空腹なのでソバでも食べようと思ったが、一時すぎどこも人、人、人でとても落着けそうにない。観光バスも多い。深窓の貴婦人ようなのもちらほら。まあ庶民がほとんどですが。・・深大寺は水神で縁結びの神らしい。恋人同士がいいかも。ここにも湧水がある。この水がソバの味をよくするという。・・で、結局一軒の蕎麦処にはいった。端の席を取って深大寺ビールととろろ蕎麦を注文した。客が多い割には早くソバが来た。稼ぎ時で回転がいい。これで品がよければ。・・まあ良心的な店でしょう。ここらも店が多いからそうそうサービスは落とせない。一休みして今度は植物園に向かう。

・・坂道を登ると深大寺門についてそこで5百yenのチケットを買った。広いからすべては見れない。今を盛りのバラ園に向かった。多くの人はバラが目標でしょう。小高い木々の道をゆくとバラ園があった。ほんとにバラ、バラ、バラ。盛りもいいとこで却って味気ないくらい。それでも写真を何枚か撮った。バラは食傷気味で今度は隣の熱帯植物園にいく。沖縄や小笠原の植物がある。ガジュマル、フクギ、カカオの木や、睡蓮、蘭、などをみてまわる。・・神代植物園は広い。今日はここまでにして帰ることにしよう。園内のみやげもの屋で深大寺蕎麦を買った。

・・帰りは少しずつ道を替えていく。ほんとにこんな野川とか深大寺は近い。自転車ならの話だが。野川から外れて近藤勇の生家跡というところにも出た。ほとんど野川公園の入り口にある。近藤は流山で捕まり板橋で刑死してる。こんなところの生まれとは知らなかった。・・あの多磨霊園にもいろいろ著名人が眠っていそうだ。ueki君がお墓参りをしたのはここの太宰治だったか。

・・深大寺温泉は訳ありで行かず。小平の温泉にいった。ここのビールは美味い。温泉もいい。・・夜は、テルマエロマエを考えよう。

392秋魚:2012/05/30(水) 15:26:37
(無題)
・・天気をにらんで夕方は横浜も雷雨があるか。3時頃までは晴れるだろう。横浜みなとみらい攻略で、三度、ロングライドに出た。多摩サイを使って川崎まで南下し東横線沿いに綱島街道をいくのは、交通量も多くあまりいいルートではない。町田にでるルートも16号が最悪だ。・・多摩丘陵中央突破というので、南武線矢野口の横から読売ランドをめざし新百合ヶ丘、柿生、麻生川に沿って鶴見川サイクリングロードで新横浜を目指す。今回はこれでいく。・・出発前に、ブレーキ調整、空気圧、チェーンの注油をした。このうちチェーンの注油はkure556でやったがこれは失敗、後でわかった。

・・多摩サイは京王閣競輪のすこし手前で多摩川を渡る。京王線の読売ランド駅まではきわめてeasy。ここからランド坂というのがあって山を越える。これは想定外の急坂でしかも歩道がない。自動車専用に近い。車はびゅんびゅん。・・青息吐息で超える。と、ここでHayabusaのチェーンが外れた。壊れさえしなければあわてることはない。復旧させればよい。しかし原因はなにか。この2週間くらいコンピュウタ修理のオタクをやっていた。電源のオンオフなどデリケートな作業だった。フロントギアの入れ方もやわだったかも。それにkure556の注油がまずかった。チェーンがすべりやすくなってなかなかギアがかからない。これは反省。・・百合丘、新百合ヶ丘といわくの町をもっとよく見てみたかったが、今回はパス。柿生に向かう。ここらで2,3人に道を聞く。麻生川をなんとか見つけ鶴見川に合流した時点で一安心。ここからは当分川に沿っていけばよい。

・・鶴見川も思ったよりきれいな川だ。町田あたりの多摩の丘で湧水を集めて流れる。ずっと下って東京湾に入るまでに生活汚染水が混入するのは仕方ないか。川崎麻生区、青葉区といってこのあたりはずいぶん野生の川だ。境川CRと同じくこの鶴見川CRもみつけてしまえばロングライドは楽勝に思える。新横浜まではeasyだろう。鶴見川が下って直角に折れるあたりPanasonicの工場がある。つい昨日本社の大幅な人員削減を発表したばかりだ。日本を代表する会社がこんなんでいいのか。シャープなどほとんど台湾の会社に乗っ取られたではないか。日本企業の落日は目を覆うばかりだ。など考えながら鴨居という駅のあたりで鶴見川を離れた。

・・今にして思えばあれは失敗。もう少し川に沿って新横浜を目指すべきだった。鴨居から横浜線沿いにいくというのは、アップダウンがあったりいい道ではない。新横浜に寄らず直接桜木町を目指すなど余計なことを考えたのがまずかった。・・なんとか新横浜に着いたがそれから先が分からない。菊名にいってみるというのが最初の構想。しかしその菊名もどっちの方か。仕方なく最寄のコンビニに入って買い物をした。ここで道を聞いた。店員が地図を出してきてここの位置を指し、結局環状2号をまっすぐ行けばよいということだった。新横浜からみなとみらいまでは至って簡単な道が用意されていた。それほど近いわけではない。アップダウンもある。横浜周辺はアップダウンの丘がいくつもある。これでけっこうなロングライドになる。・・みなとみらいに着いたのは3時頃か。天気はいまだに晴れ。港界隈を散策しよう。赤レンガ倉庫というのにいってみた。人が来てる。・・と、そろそろ風が強くなりはじめた。自転車が一度倒された。さあそろそろ天気が急変しそう。そそくさと万葉温泉に向かった。

・・一週間仕事の疲れやストレスがあって、活性酸素や悪玉コレステロルがべっとりしていそう。ロングライドで足がだいぶ重くなっている。これで温泉で夜中の3時まで休息できる。新陳代謝をよくし気力体力を回復させたい。・・アルカリイオン水がいくらでも飲めるが、ぬるくてやや疑問。この温泉で強烈なのはサウナの後の水風呂だ。遠乗りで足が疲労してせいか水風呂にはいると完全にしびれる。もう自分のものでないようだ。活性酸素がはびこってるんだ。こいつをやっつけねば。



・・夕方からやはり雷雨が来た。天候の読みは思惑どおり。温泉で休むのも思惑どおり。この万葉温泉は湯河原のお湯を毎日タンクローリーで運んでいるという。一丁前に入湯税百円をとる。・・湯河原のお湯はこんなにも無色透明だったか。白湯に近い。・・ロケーションがよく港のハーバーライトが満喫できる。気分がよければ温泉は本物に思える。・・眠りが足りないのが、一番よくない。3時まで休んで今度は東神奈川から綱島街道で多摩サイのあるところまでいく。深夜の綱島は最高にいいCRになる。

・・みやげもので三崎のまぐろカレー840yenというのを買った。高いね。ハハ これでまずかったらお笑いだが、天下のヨコハマが本場ものだ。そう信じる。・・3時頃には風はなぎ、晴れた模様。例によって横浜駅に向かう。しかし駅周辺は相変わらず迷路だ。すんなりといかず、交番で聞きながらなんとか東神奈川にいく道にたどりつく。国道1号、16号が錯綜してる。あとで綱島にでてわかったが環状2号というのも絡んでる。・・東神奈川から菊名の綱島街道にでるのに前回は東白楽から東横線沿いの道を選んだ。今回は1号線沿いから入る。が、これも失敗。とんでもないアップダウンのまわり道だった。だいたいなんでまた1号か。最初から1号でいけばよかった。・・菊名から綱島街道は二つに分かれる。旧街道をとれば平穏な道になる。昔の東海道はこちらだったはず。新道は車のために造ったバイパスみたよう。・・ともかく菊名まで。これが2号というのでますます分からない。新横浜へもいけるのか。分からない。・・ずっといってみなとみらいからここまで45分。ここから先は意外と早い。すぐ日吉のあたりまで来たようだ。この先木月の交差点で今回は左折して溝口方面にいく。丸子橋にはいかず。・・そうして二子玉川のあたりで多摩サイの左岸にたどりついた。この辺で朝食でもと思ったがいい店が無い。5時では早すぎる。・・驚いたことにここでもう夜明けの気配がこく、明るくなった。そのままずんずん多摩サイをいくと、土手にだんだん人の数が増えてきた。げ、並大抵の人ではない。みなジョギングというか、ただ歩いてる人もいる。年寄りが多いが、みなもてあました肉体をなんとかしたいようで、近辺の人が土手に出てくるようだ。なんか哀れみを感じるが、自分もその一人だと思うと、やはり哀れかも。・・肉体の悪魔は古きよき友達かもね。ハハ

・・関戸橋、四谷橋、石田橋の手前のY'ROADで多摩サイを離れ、今度こそ甲州街道の谷保を目指したが、また失敗。ここもあいかわらずの迷路。いろいろあやしげなホテルがあるところはまたわからなくなった。日野バイパスにでてまた遠回りの帰宅になった。6時半か。

393秋魚:2012/06/06(水) 02:17:21
(無題)
・・コンピュータ、コンピュータで明け暮れる。ずっと古いwindows98のハードディスクも取り出しに成功。ケースに入れてUSBでノートにつないでみた。これも認知。FAT32のドライブアイコンが確認できた。ドキュメントファイルはすべて救出できる。ついでにチェックディスクをしてエラー修復をと試みたが作動しなかった。おそらくFATファイルとNFTSとの違いからだろう。無理して修復することはない。それにハードディスクが壊れているとは限らない。ともかく外付けのHDDとして利用できる。IDE用のケースをもうひとつ注文するか。・・mediaplayerもversion11までアップグレードした。DVDソフトもインストルして映画でもみようかとしたら、動画が再生しない。・・POWERDVDというのをインストルしてやっと映画が見れた。カサブランカを見る。

・・午前中健康検診で近くの診療所にいった。血を採るとき看護士みたようなオバサンが針をさすのに失敗してだいぶ痛かった。アザみたいになった。あのオバサンは素人ではないか。・・検診が終わってせいせいした。コンピュータをいじってだいぶ自分も詳しくなった。そろそろ梅雨にはいりそうで自転車も遠乗りはお休みになる。夕方から近くの温泉にいった。例によってヤクルト研究所どうやらここはヤクルトの本社らしい。そして石田橋。この温泉は2週間ぶり。momo嬢に似たかわいい子がいたが、また会えるかな。・・Frespoで買い物をして、この温泉はほんとに気持ちのよいことだ。・・目で探したがあの子は不在だった。ユキちゃん似の子にはまた会えた。歩き方に特徴がある。

・・テルマエロマエのようにタイムスリップ。これが極楽至極。

・・雨になるという予報が、午後は雨量0の弱雨という。空を見たら西北からの雲の早い流れ。これなら大丈夫。思い立って青梅吹上菖蒲公園までロングライドにでた。多摩サイの土手にでたがさすが自転車乗りはあまりいない。みな天気を雨と見て遠慮しているようだ。自分は自信がある。雨は降らない。二日も休みがあって部屋でコンピュータばかりはよくない。Hayabusaに乗る。今回はブレーキの微調整のみ。・・なるほど乗り込んでこなれてきた。ギアチェンジはok。ブレーキもまずまず。前回のみなとみらいと比べるときわめて楽なロングライドになった。石田橋というのが最初の目標でここが楽にでられる。羽村堰の手前で新奥多摩街道へ出るのがよいが、今回はそのまま羽村駅の方へいった。鉄路に沿って河辺までいくのがとてもよい道なのもわかった。河辺にはすぐ着いた。そこから吹上の菖蒲園まではあまりむずかしくない。霞川という川にぶつかれば菖蒲園は近い。黒い雲が迫っているが、敢行して菖蒲園に着いた。6月いっぱいがお祭りというのでまだ3割ほどの開花だった。菖蒲、あやめ、カキツバタの区別が書かれてあったが、あまりよくわからない。それにしても優雅な名前でたくさん種類があるものだ。雨がぽつりと来そうなので一渡りそそくさ写真を撮りながら歩いた。池に蓮の花もあってちょうどよく、もうひとつ河骨の黄色い花が開こうとしていた。・・空が暗いのですぐ河辺の温泉に向かった。足もすこし重い。青梅に来るときはよく雨に降られる。今回はほとんど微雨でセーフ。梅の湯はいいリラクゼーションになる。あ、受付にはまたかわいい娘がいる。こんな遠いとこまで自転車で来ているのだからそうそうお目にかかれるものでない。ほとんど言葉はない。温泉では無口がいい。・・若いからみなかわいく見えるのではない。ほんとに美人でかわいいのだ。・・ぜいたくなことだ。健康検診を終えてたぶん悪いところはひとつくらい。自転車に乗って油っこいものもよく食べた。ロングライドをすると何でも食べたくなる。今日は梅寿庵で一番高い御膳でいこう。菖蒲の花の写真を見ながらビールを飲むのも楽しい。花がきれいに咲くのはほんのひと時で女の子がきれいに花開くのもそんなに長い間ではない。momo嬢がきれいなのも、自分で知っていて見せびらかすような仕草だ。だからあの子はだれとも付き合わない。あの子は温泉はあまり好きでない。若いから疲労がないし、化粧を落としてすっぴんになるのもうれしくない。テルマエロマエのように時をかけるのを学ばねば、ね。

・・梅の湯のアルカリ性単純泉はとてもよい。奇跡だ。

・・帰りは、あっという間にフレスポに着いた。ここでデコポンなどすこし買い物をして、「上海特急」のDVDも298yenで手に入れた。マルレーネデートリッヒが最高に美しい映画だという。きのう復旧させたコンピュータでこの映画を見るのが楽しみだ。歴史的な美人を見るのも楽しみだ。

394秋魚:2012/06/13(水) 08:55:08
(無題)
・・いよいよ梅雨入り。コンピュータオタクをやって梅雨をやりすごすか。壊れたパソコンのハードディスク交換以降いろいろコンピュータ機能をチェックしている。ハード面とソフト面でハードの方はいずれ頭打ちだろうがソフト分野では広大でいろいろ新しい遊びができる。今流行のゲーム面ではずっとご無沙汰で最近やっとFreeの将棋ゲームをはじめた。コンピュータ相手に将棋とかチェスの勝負をするというのはプロの世界でもイベント化されているようだ。プロ棋士でも普段の修練にコンピュータを導入するというのは昔羽生名人以来常識のはず。ネットを使った対人相手のゲームもできるはず。詳しくないのは自分くらいか。ゲームオタクにはなりたくないと思ってる。・・平手ではじめのうちはコンピュータに完敗の連続。一度勝って、最近は3連勝。すこしコツを覚えた。守るより攻撃的布陣が効果的。これはというような意想外の攻撃を仕掛けると相手はくずれやすい。・・このソフトの展開パターンの限界というのもあるだろう。全部知り尽くしてというオタクにはなりたくない。

・・夕方から、国立の温泉にでかけた。いつか雪女とか鶴の化身のおつうとかいった感じの女の子がいたが、今日はどうか。先週はいなかった。雨で雨男の逃避先が「ゆ」だ。「ゆ」とか三本線の温泉マークとか古代ローマ人の目には不思議な記号にみえるという。今の景色は時代になれて何の変哲もないというのが普通だろう。モノクロとかセピアとかフィルターにかけると景色は一変する。われわれ誰もが共通に戦ってるものがあるとすれば、それは「時」だ。人と人の戦いなど哀れなものだ。すべて「時」に屈する。・・ああ、色白であの子にちがいない。3週前も雨だった。7日間気になったが、ヨコハマにいった。もう7日たっていってみたが不在だった。記憶が不確かで亡霊かとも、そんな気もした。現実を確かめる為にしつこく日参するという社交術がある。日参があたりまえなのはサラリーマンの仕事だ。日参は時に「時間」に屈する最高の罠にもなる。大地震でも来て見なさい。日常は一変する。

・・灰色の男、時間泥棒と戦う女の子はmomoという。ただひとりの少女だ。孤立をおそれない女の子は魅惑だ。momoが連帯する場所は、別にある。アーカイブで時をかける少女。・・女の子が美しくなるのは、そんな時だ。

395秋魚:2012/06/14(木) 02:22:02
(無題)
・・梅雨だが、今日はもう雨はない。思い立ってまたHayabusaに乗った。目指すは世田谷にあるSpa成城という温泉。多摩サイに出てそのまま小田急線にぶつかるあたり、そこから左に折れて線路沿いの道があれば5,6先の駅が千歳船橋。これがわかりやすいルートだ。ほかに甲州街道をまっすぐ行き京王線つつじヶ丘あたりで右に折れ環八の千歳船橋を目指すルートもある。どの道2時間もかかるまい。往路は多摩サイ、岐路は甲州街道のルートを選んだ。ハハ

・・多摩川の土手にあがるのに15分。是政橋あたりへは30分。ここいらは手軽なライドになった。かぜの道サイクリングロードという。爽快至極。やはり格好いい自転車乗りが次から次とやってくる。ここはロングライダーのメッカかも。調布から狛江あたりで舗装路が切れる。下の自動車道を道なりに思いのほか早く小田急線の狛江の駅に着いた。ここから線路沿いの道があるかどうかはわからない。いろいろ聞くとあるらしい。しかし成城学園駅の手前でひどい坂の道へ迂回せねばならない。ハアハア登っていくと美人の奥さんが下ってくる。それで道を聞くと人当たりもやわらかくやさしく教えてくれる。育ちがいいんだね。きっと。ああ、これが評判の成城学園の駅。駅前にストリートミュージシャンがいる。活気はある。・・交番があって道を聞く。やはり線路沿いの道があるという。これは楽勝だね。千歳船橋の駅の手前に環八があってそこからSpa成城まではすぐのところ。せっかくだから駅までいってバックする形で環八の温泉に着いた。駅から歩いたらけっこうあるか。

・・駐輪場はたいてい無料で完備してる。ここも裏手のほうにいいのがある。はじめての温泉はいつもわくわくする。2階の受付で券売機でチケットを買う。ゆーゆの割引がきくのだが、どうしたらよいか。この割引を使う人はあまりいないらしい。それでもOK。・・客は多い。おおかた健康と美容に心をくだく女性客がターゲットとなってるのだろう。女性専用という言葉がおおい。お風呂は天然温泉、すこし驚いたのは、黒湯というのでまったく中が見えない。1200mで湧出するこれは腐葉土の温泉らしい。でも、ねっとりしていい感じ。いい気持ちになれる。入口で人が多い割にはお風呂の方はすいていた。男性はつけたしみたい。それで壷湯などとてもいい。いい気持ちになるが長居もしたくない気になるのは、そう造ってあるからだろう。都会風でおしゃれな温泉はそこそこに休むものらしい。

・・レストランは京風で自慢らしい。なんとかいう懐石御膳を注文しようかと思ったが、やめて生ビールとかつおのタタキとてんぷら定食というのになった。そこそこの料理でよかった。・・リラクゼイションでインド式のがおもしろそうだ。アーユルヴェーダスパとかいう。誘いがあったが、時間がないというのでごめんなさい。ここの温泉もいつまた来れるかわからない。自転車に乗れる強い体があるうちはここもリピータになれるものだけれど。・・最後にもう一度黒湯を味わってもう七時をまわって温泉を出た。

・・帰りは、つつじヶ丘あたりで甲州街道にでるまでに苦労した。普通に行っても成城学園の方に押し戻される。また多摩サイで帰るかとあきらめかけてそれではおもしろくないやはりずっと北を目指し甲州街道に出たい。日が落ちて暗くなったのでキャッツアイとリアライトを点灯した。・・仙川を目指した。ここはつつじヶ丘のひとつ先。また美人の奥さんが来たので道を聞いた。甲州街道に出られますか。すみません。わかりません。ということでした。・・最後にうら若き女子高生に聞いた。あまりいいかっこうをしてないから無愛想かと思いきやたいていみんな親切でやさしい。この子もはきはきしゃべる。うれしいことだ。感動で涙が出そうなこともある。

・・甲州街道は車が多くいやな道だ。途中旧甲州街道というのがあってこれはいい。ほんとに車がすくない。みんなこの道を知らなくて今の甲州街道を走るのだろうか。変なの。ともかく自転車のライダーは救われる。野川を越えて道自体は簡単。府中の駅まで来ればあとはどうとでもなる。やがて見慣れた景色のところまで来て、ほんとに楽になった。・・温泉でゆっくりしたから足も軽い。

・・今日は道を聞くのに、若いきれいな女性によく声をかけた。言葉をきくとなんかうれしい。

396秋魚:2012/06/20(水) 13:46:32
(無題)
・・台風が来る。パソコンオタクを決め込む。先日ハードドライブを交換したコンピュータにメモリ増設をすることにした。ネットでいろいろ調べたが、メモリひとつもむずかしい。型が合うかとか、デュアル対応で2枚必要かとか、2枚の場合違う容量でも認識するかとか、ともかく1GBのメモリを千円ほどで注文した。バルク版で安価だ。

・・メモリがまだ配送されないので、雨の中近くの温泉にでかけた。強雨になるのは夕方6時頃からとある。9時までに帰れば、台風もしのげそうだ。雨の中自転車でいくのも一興。ひょっとしてmomoにも会える。ハハ ・・行きはまだ風が強くない。傘差し運転でなんとかフレスポに着いた。すこし買い物をして、ハチミツ梅の安価なものが出ていた。どうせ中国産だろう。ここの魚市場は品がいい。国立の外れでこれだけ活気をもたらしたのは、当たりだ。この温泉も、当たり。

・・雪女、momoは見えなかった。シフトがずれているのだろう。実際あの子を見るのが楽しみなのだが。台風だ、あまり長居はできない。人が多い。車で来ている人は気ままだろう。自転車は雨風だと傘差し運転はつらいものがある。温泉は開業してから馴染んでくるといいものになる。ここもそろそろうっとりしてきた。いつもの湯浴みサイクルを早めにしてそそくさレストランへ。ここでビールを飲みながら夜景をみるのが楽しみだ。パソコンのメモリ補強をはやくやりたい。今までネットショップで買ったものは外れがなかった。ハードディスクやケース、今度のメモリ1GBも期待できる。いずれにしても明日だ。・・雨が強く、風も強くなりはじめた。周囲はゆっくりしてるがこれはまずい。温泉はきりあげて帰宅することにした。ハハ 傘差し運転で途中までいったがついに手首の筋肉が降参した。高速道の下のトンネルで百円のカッパを着た。これですこし濡れても早く走れる。雨だれが目に入ってくると視界が悪くなる。瞼を切ったボクサーが血で目が見えなくなるのと同じだろう。それでも必死に運転していく。カバーのないところはしたたかに濡れたが、後悔はない。いい温泉行だった。

・・この温泉でおもしろいものがある。水琴窟という。水滴の音楽が楽しめる。

・・次の日になって、メモリが届いた。かねて予習したとおりバッテリを外し、ネジをとり、蓋を開いてメモリをみつけた。二枚あるうちAの方を外して新しいメモリを入れた。これで1+0.256で1.256になるはず。果たして、蓋をしてネジをしめ、バッテリをもどしてから電源を入れた。windowsはたちあがる。コンピュータのプロパティで1.24のメモリが確認された。・・メモリの交換は意外と簡単だった。静電気を注意するのはハードディスクと同じ。挿入がきっちりいかなそうなのが手こずるが、どうということもない。すべてネットで調査してあるからトラブルはひとつもない。メモリも適性があってよかった。

・・台風一過、雨が止んだので、自転車の遠乗りがやれそうだ。うずうずしたが、今日はあきらめた。そうそう遠くにいってばかりもよくない。将棋でも攻めてばかりいてもよくない。守ることもしなければ。

・・ロングライドのバリエイションパターンはあと二、三ある。ひとつは東京スカイツリーツアーでもうひとつは相模の大山登山行だ。もうほぼ予習は終了している。これを終えると一泊二日のロングライドはややネタ切れか。・・温泉のクオリティでは、今日行った小平の温泉、国立温泉、稲城の季乃彩、青梅の梅の湯などはとてもいい。自転車乗りということでは多摩川CRが近くにある。パンクなど出がけのアクシデントはまだ未経験。クロスバイクのチューブ交換などいつかやる時がくるだろう。

・・はやく自転車に乗りたいものだ。

397秋魚:2012/06/27(水) 02:28:26
(無題)
・・晴れになった。こうなったらどうしても自転車に乗らなければ。職場のバカ男の臭い空気を払拭する為にもロングライドに出たい。今日は絶対多摩サイを走りたい。水と緑と新鮮な空気。武蔵五日市の秋川渓谷にある瀬音の湯に再チャレンジを決めた。多摩川左岸を上って福生の睦橋を渡り五日市街道をまっすぐ行くのがわかりやすい。この前回のルートを変えてもっと手前で多摩川を渡り日野を通って秋川を目指す道がないか。調べてみたがうまくヒットしない。実際多摩川左岸を行くと右岸は山になっていてこの山向こうは気が削がれる。あきらめていつもの睦橋経由で行くことにした。・・Hayabusaに乗って最初にチャレンジしたのが瀬音の湯だった。多摩サイはすばらしいサイクリングロードだが、睦橋からの五日市への一本道は車も多く歩道を行くのが安全でもごつごつして爽快ではない。前回の印象ではあまり使いたくない道だった。あれからいくつも悪路のロングライドを経験したからなのか今回は到って気楽な道に思えた。不思議なのはこの道をいくサイクリストにほとんど出会わないことだ。多摩サイはメッカだからもう何人も本格的なサイクリストに出会う。みんないい自転車に乗ってる。前から来るほかに後ろからも追い越されることが多い。彼らは車道をどうどうと走る。多摩サイはまったく愉快だ。あまりおもしろくない五日市街道をいき檜原街道に入るとにわかに上り坂になる。ここも広くない割には時折トラックみたいなのが来るから要注意。温泉の近くでゴール直前ですごいアップダウンを経験するのは以前もあったが、やはりすごかった。で、この瀬音の湯ははるばる山奥に来た気がする。だいたい2時間で来る。

・・瀬音の湯はアルカリ性単純泉の上質のもの。入ってみるとわかる。透明でぬるっとして少し硫黄臭さがある。まったくいい。ランキングをつけるなら間違いなく一位だろう。

・・空腹の状態でHayabusaに乗り続けた。体脂肪が相当ぶっ飛んだはず。レストランで蕎麦でも食べようとしたら休憩になって開いてない。カフェでビールと鶏の唐揚げを注文した。ここは食事も美味い。・・いい気分になったが、ゆっくりも出来ない。売店で千代鶴という酒とよもぎ蕎麦を買って帰路についた。家で酒を飲もう。

・・夕方に家に着いた。ネットで将棋を一番指し、勝った。オンザロックの千代鶴はいける。・・それで夜になって今度は国立の温泉にでかけた。momoがいる温泉だ。・・酒とバラの日々。それと湯と。・・ここのレストランでは、衣笠丼という京都の名物料理を食べた。汁の入った油揚を卵でとじた丼、材料費はとても安そうだけど、美味い。また、ビール。・・momoがリクライニングのブランケットを持っていたので追いかけて一枚わけてもらった。にっこり笑って差し出した。どうぞ。ああ、いい声をしてる。笑顔もいい。・・こういう感情はやばいかも。

・・ここの温泉。富士山が見えるといって、見たことがない。夜だからあたりまえか。水琴窟。水滴の音楽がひきたつ。

・・帰りは、石田橋から日野バイパスに沿って今度こそそのまま甲州街道をめざす。首都高と交差するあたりで若干の迂回があるが簡単な道がある。吉野家があったりVANILLAというゲルマニウム温泉
HOTELがあったりでけっこう開けてる。ドライブインのいかがわしいHOTELも多い。ハハ いつもは隠微な谷保天満に散歩にいくぐらいだった。ハハ

・・明日は極楽湯の株主総会に冷やかしに行こうか。ハハ

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398秋魚:2012/07/05(木) 01:21:57
(無題)
・・ラジオに魅入られてる。メモリをネットショップで購入した会社がプレゼントでラジオをフリーダウンロードさせてくれた。ほかにマイクロソフトのラジオステーションというのもある。いまはそれでバッハの音楽ばかりを流して聞いている。世界中のラジオが聞ける。Mediaplayerは音楽の時はイメージ映像がプレイヴューで展開される。これは不思議だ。一つとして同じ映像が無い。画面の中央にプレイポイントがある。コンピュータの演算による自由展開なのだろう。すべて抽象映像だ。・・こんなものが出来たからには抽象画家はもう流行らない。

・・今日も晴れた。Hayabusaに乗って府中四谷橋を渡り、野猿街道を走った。以前は謎だった多摩丘陵だが、ひとつひとつ道が見えてくる。モノレールにぶつかるまで直進する。そこから右にいけば石田橋の方、左にいけば多摩センターにいく。・・町田にいく一番よい道、横浜に行く一番よい道、これを探している。多摩の丘をうまく越えたい。多摩センターには50分で着いた。

・・極楽湯の株主総会でもらった団扇がある。これで2割引きで入館できる。なるほどおもしろいことを考える。割引団扇とはね。・・極楽湯はスパ銭で上場してるのはここだけ。11月には上海で極楽湯海外一号店が開店する。日本のスパ銭が世界に打って出る。アメリカのシリコンバレーですでにヒットしてる伊藤園のオーイオチャとともにこの極楽湯は画期的なことになる。・・スパ銭の老舗。さほど広いわけではない所にごちゃごちゃと遊び場がいくつもある。おもしろいことはおもしろい。最近の傾向は敷地空間がぐんと広くなっている。国立の湯らの里など8百yenでテレビつきのリクライニングまである。みなとみらいは宿泊施設まである。極楽湯2時までといってもあまり長居はできない。・・上海店は6倍の広さだという。期待したい。

・・ランチで、蒸篭蒸し御膳というのを注文した。キャベツ、玉ねぎ、人参、トマトそれに豚肉を添えて蒸したもの。ポン酢で食べる。材料費は安いがうまく作ってある。ここのオリジナルだとしたら、すごい。・・帰りに物産のキュウリを買った。これは帰ってからもろキュウで食べたが至極美味。

・・Hayabusaはほとんど手入れをせずに乗った。とてもいい。

・・夜は、momoのいる国立の温泉にいった。テルマエロマエであちこち出没する。・・入口で夏のキャンペーンで回数券の販売をやっていた。あっと思わず声がでた。・・そうですか。では十枚券を買いましょう。優待一枚いただけるんですね。社交辞令の話だがすこし言葉を交わした。いい感じ。

399秋魚:2012/07/12(木) 01:56:13
(無題)
・・よく晴れた。都心再チャレンジ。新宿から外堀通り秋葉原に真直ぐいってこのあたりなら浅草は近いはず。さらに隅田川の向こうの東京スカイツリーを目指す。

・・Meridaのクロスバイクはだいぶ乗り込んでいるが、まったくブレがない。サスペンションが無い分ごつごつ振動を伝えるが、インフラがしっかりしてるから、乗り方を工夫すれば悪路にも耐えうる。都心へのロングライドで怖いのは車道での走り方だ。ロードレーサーはほんとにうまく車道を走る。・・空気圧とチェーンの調整をして昼過ぎに家をでた。中央線の鉄路に近い道から小金井のあたりで前回パンクしたこともあり今回は線路の南側にでた。一本道にはならないが、静かな裏道がある。吉祥寺あたりで線路の北側にでて五日市街道、青梅街道にでれば新宿までは近い。前回は都会の道路の雑踏に驚いたものだが今回は免疫になったか恐れはない。途中ローソンで安い発泡酒と稲荷寿司を買って、店の前で食べた。寿司は最後の一つを取り損ねて道に落としてしまった。なんとなく手がふさがって失敗も多い。自転車の酔っ払いは取締りがない。適度の酒を飲んで自転車を走らせるのは、経験上まったく安全だ。機敏性が増して軽快になる。脇道から飛び出してきた自転車とあやうくぶつかりそうになった。むこうもこちらも天才的な急ブレーキで難を逃れた。ハハ シラフの方があぶないこともある。・・外堀通りをずっといって秋葉原の駅のあたりがやや迷路。このあたり浅草橋とか御徒町とか蔵前通りとかほんとに浅草は近い。一度だけ道を聞いてまずは浅草寺を目指した。近いあたりでスカイツリーが見えてくる。浅草寺近辺はすごい人だかり。ホオズキ市だという。3時間半ほどできた。

・・いぜん川越の小江戸に驚いたことがあるが、浅草はその比ではない。江戸とスカイツリーの現代が同居している。雷門の大提灯の見えるところに来たが、あまりの雑踏で近くへいけない。仕方なく裏手に回って自転車を置き境内に入った。すぐ近くにあるのは本堂ではない。浅草浅間神社で木花佐久や姫を祭っている。浅草寺は雷神との関わりが強そうだが、本来何ものか。よくわからない。やたら人が集まるのは、何か理由があるはずだ。・・裏手の花やしき通りにある観音温泉で湯をとることにした。レトロでそれが売りで入館料も安くない。人出が多い割には空いている。墨のはいったお年寄りが数名いるほか自分のような温泉マニアらしきが一人いる。湯も天然とはいうが、ただの濁り湯っぽい。まあ昔はこれで流行ったのでしょう。番台さんにお礼を言ってここを出る。浅草ROXSまつり湯というのが今回のねらい目。ビルのまわりで自転車置き場を探したがどこも満席でひとつの余地も無い。しかも盗難多発の警告ビラまである。犯罪タウンかも。・・隅田川が近いはず。思い直して東のスカイツリーを目指した。ほどなくいくと隅田公園のある河畔にでた。スカイツリーがよくみえる。夏の花火大会はここもすごい雑踏になるだろう。言問橋というところで川向こうにいき、すぐ上にスカイツリーがある。東武線のスカイツリー駅とショッピング街を覗いて海洋博物館のあるのを確認してここを引き上げた。ここへは吾妻橋を渡るのがいいか。近くの蕎麦屋でビールと蕎麦をとった。・・まつり湯のあるビルにいくとやっと一箇所だけ自転車が置けそう。なんとか置いてビルの7階へ。しかしひどいもんだね。まつり湯も天然でもないのにいい値をとる。ヒスイ露天風呂からスカイツリーが絶景だとか。実際はよく見えるがただ見えるだけで、感慨はうすい。客も半信半疑で楽しんでいる感じ。まあこんなものでしょう。国立にある温泉と比べるからいけない。あそこはよく造ってある。

・・夜景を見るために,ROXSのビルを出た。吾妻橋の袂でここが一番の夜景だと決めた。実際はもっとあるでしょうに。LEDを使ったイルミネーションは派手さはない。スカイツリーも息長く慕われなければ日本の未来も無い。曳船あたりのあんな地盤に建てて大丈夫なのかという気がしないでもない。おそらくあの塔は絶対だと思ってはいけないのだろう。deepimpactがあって潰えてもそれはそれでタイタニクのごとき宿命であろう。台風がきておっかなびっくり静かなら我先に登ろうとするのはわからないでもない。人の生もさほど長くはないからね。

・・この浅草界隈から日本橋の茅場町あたりに移動するのもはじめて。距離的方角的にさほどむずかしくはない、と踏んだ。いつもは東京駅の八重洲口から東へ進んだ。南南西の方角であろう。隅田大橋、汐留へなど表示がでて焦った。もうすこし西へずれなければ。店じまいのお兄さんに道を訪ねたがひどくぶっきらぼうで一応親切に教えてくれた。めんどうな問答になりそうなので早めにありがとうと言って立ち去った。で、教えてくれた通り今度は目指すセンターホテルの近くまで足を伸ばせた。永代橋通り、このあたりに兜町の東証があるはず。ちょうど通りかかった巡査に道を聞いてさらに東証のあるところにもいくことができた。ハハ おもしろいね。ホテルはなじみになってHayabusaも休ませてあとはゆっくり明朝には帰路をとるだけ。この日のロングライドは楽勝だった。

・・帰路。なか卯で2百円の朝食をいただいた。ノリと卵と味噌汁ごはんの簡単なものだったが、いいサービス。例によって皇居をまわり新宿の青梅街道で走った。途中、中央線に近いほうへ井の頭通りにでたまではよかった。方角をまちがえて渋谷の方へ進んでしまった。明大前で甲州街道にぶつかり、はじめて道をまちがえたのに気づいた。こうなったら甲州街道で帰るしかあるまい。これも未知の道だがチャレンジでいこう。車道はあぶない。空いていればでられるが、ごつごつ歩道で走る。・・ずっといって仙川のあたりで先日スパ成城を訪れたときの道にでた。これでやや安心。二度目の道というのは気楽なものだ。前回の記憶と符牒をあわせながらもう帰ってきたもの。まれに符牒があわないところもある。・・しかしどうして右左とか前後とか反対の方角にいくことがあるのだろう。・・迷路というのは自分で自ら位置測定を放棄するときにおちこむ。今回の方向ミスは一点だけだがどこで起きたのだろう。わからない。・・ロングライドにはよくあることだ。

400秋魚:2012/07/19(木) 00:42:58
(無題)
・・梅雨明け。こんなに暑いんじゃ自転車に乗らざる得ない。困ったときの多摩サイ。青梅の梅の湯を目指した。昼までに着くとランチセット入館ができる。日替わりで今日は沖縄ラフテ丼がいただける。沖縄料理とは縁起がいい。さっそくこれがロングライドの眼目となった。河辺まではけっこうある。1時間半とみた。炎天下の日差し。帽子とスポーツシャツ、サングラスが定番。七つ道具を背にしょって、それでも汗はでる。半そでの腕は日焼けしてひりひりするほどだ。腕だけでなく全体が日を受けないとね。いつもはお日様と無縁だから。だけど紫外線はいいものじゃない。まあ多摩サイで風を切って走ればそれだけでうれしい。

・・自転車はこの癖でブレーキ鳴きがする。これをなんとかしようと調整した。右左でポジションをきっちり揃えても駄目だと誰かいっていたが、今回はその位置のズレを修正してみた。ゴムの磨耗も一様となるように。・・で、これが当たった。みごとに鳴きは止んだ。大山登山という大きなイベントがある。それまでに調整は万全にしていたい。ブレーキワイヤも切れたりしたら、これは打つ手がない。夏以降Hayabusaの調整もステップアップしたい。

・・梅の湯にも受付にかわいい子がいたが、どんなものか。すこし日を置くとまったく当てにならない。期待してみたがやはりかわいい子はいない。夏休みで人がどんどん入れ替わる。ランチセットは沖縄ラフテ丼でいいのかと念を押されたが、いいですと答えた。年食って豚肉でもないか。ハハ 沖縄のは健康にいい。・・夏の温泉というのは不似合いか。どうしようもなく汗だくの運動でシャワーを浴びたくなる。暑い湯はそこそこにして、サウナで水風呂というのが一番いける。

・・ラフテ丼とビールが定番。がつがつと食べたが、美味い。冷やしたぬき蕎麦も付いていてここの料理は気が利いている。ビールが美味い。・・これでまた湯にはいったらアルコルが回っていい気分になる。しかし最近はあまり自覚がない。・・なんとなく帰りたくなったら帰路は時間がはやい。

・・家に帰ってlevel2の将棋を指した。なんとか勝って、今度は国立の温泉にいった。momoはいるかいな。夏に入ってぜんぜん様変わり。がっかりして受付をながめていると不思議そうにみんなみている。仕方ない受付をやってください。この日はあまりたのしくない。ぬる湯で人が変わった理由をいろいろ考えたが、シフトの問題ならいつかまた会えるでしょう。むこうも意図的にスタッフを入れ替えてるようだ。若い子はこういうアルバイトをすこしやってまた別の仕事にむかうというのが本筋だろうね。

・・Frespoで「美女と野獣」というDVDを手に入れた。コクトーの映画は昔フィルムセンタで観た記憶があるが、さだかで無い。半分は眠っていたかも。まったくはじめて観るようだ。おもしろい。富豪の父親が破産して瀕死の状態にあるのは、今の欧州危機を象徴してないか。父親を心から思いやるのは3姉妹の末娘ベルだ。ベットという野獣は何のシンボルか。この野獣が解けなければユーロ危機もわからない。・・「美女と野獣」、もう一度観てみたい。コクトーの詩人のセンスは新鮮だ。

401秋魚:2012/07/25(水) 13:14:48
(無題)
・・ハハ参った参った。四度目のみなとみらい。前回多摩中央突破のランド坂がこたえた。今回は稲城大橋を渡り鶴川街道をいき黒川というところで柿生に向かう。坂のアップダウンを抑える為だ。地図上ではこれがベスト。はじめての道はやはり戸惑う。黒川に出るまでに苦労した。結局町田へ向かう鶴川街道をいけばよいようだ。柿生にでれば鶴見川サイクリングロードになる。途中何度か道をきいたが知らない人が多い。田舎道で交通量もさほど多くないから、横浜にでる格好のルートになるかも。町田に出るのも一考。

・・稲城大橋ははじめて渡る。府中からはいる時に料金がかかる高速道路か。どこにいくのか。自転車はフリー。渡った後は鶴川街道?よくわからぬが、柿生までは鶴川街道という表示が多い。慣れればいいルートになりそう。黒川から多少の登り坂であとは下りが快適だ。ランド坂はもう使えない。柿生にでて麻生川の入口でローソンがあった。カレーパンとビール。アルコールが回らないとやってられない。暑いが、自転車で風を切ればしのげる。すぐ鶴見川CRになる。左岸と右岸の違いで大方は記憶にある。ずっといって鴨居というところで川向こうにはいった前回の道はとらずそのまま鶴見川沿いでこれがとてもよい。日産スタジアムが見えたところで川を渡りもう新横浜は近いという。よく来たものだ。新横浜の駅をほぼ確認し交番で桜木町みなとみらいに行く道を尋ねた。この道だと思ったのとは違う道で最初は環状2号でまちがいない。陸橋があるから自転車は裏道をいった方がいいという。交差点などで自転車は渡れないのがいくつかある。4輪車のふりして強引に渡るのが正解らしいが勇気がいる。ともかく一本道といっても容易でなかったことは覚えている。・・ゴール間近というところで急に空腹を感じてウナギを食べたくなった。最後まで空腹のままみなとみらいにゴールするというのが本筋だった。誘惑に負けてすき家の暖簾をくぐった。どうせ中国産だろう。それにしてもすこし高いな。こういうジャンクフードでがつがつするのはよくないのは知っているが、味噌汁、サラダセットで牛付きを注文した。それでも千円ほどだ。がつがつ食べたのでウナギの味はよくわからなかった。あれはやはり中国産だろう。ハハ デザートにバニラアイスも食べた。

・・実際食べすぎかもしれぬ。空腹状態で自転車に乗りまくりようやっと温泉に着いたときの喜びはひとしおだ。アドレナリンがでるかもしれぬ。万葉温泉のレストランも最高においしくいただける。酷暑の夏は温泉は長湯はできない。サウナと水風呂がたまらなくいい。足は活性酸素がひりひりするほど痛くなる。筋肉がしびれる。睡眠も足りない。食はずっとあとがいい。・・この温泉、3時までいてそれから自転車で横浜駅、東神奈川、東白楽といって東横線の菊名まででればあとは綱島街道をまっしぐら。日吉から丸子橋の多摩川へ。ただしこの丸子橋はあまり渡りたくない。今回は南武線沿線道路というのを走った。例によって深夜だから車の量も多くない。快適なロングライドになる。溝口に近いあたりで多摩川右岸の土手にでた。ここからいつもなら最初の橋で左岸に渡るのだが今回はこのまま右岸のCRをいけるところまでいくことにした。驚いたことに川岸は緑も多くとても快適なロードになった。人もすくない。・・宇奈根の渡しというところは趣がある。変わった木があって何の木だろう。写真にとった。川岸に畑作も活発だ。・・これはいいと浮かれて走ったのがまずかった。宿河原の堰とか見学してるうち急に快適なサイクリングロードが消えてしまった。すぐ下に自動車道があるがこれはもう早朝からたいへんな車の量。とても自転車は無理だ。稲城まではなんとかいきたいと無舗装の道を強引にいったところついに道が消えてしまった。すぐ下の自動車道は走りたくない。土手にあがってきたジョギングの人に道をきくと、マンションの敷地のぐにゃぐにゃしたところを抜ければもっといい道に出られるということだった。ほんとにひどい他人の庭のようなところを抜けてようやく普通の道にでた。そのままいくと稲城大橋にぶつかった。もっとはやく小田急線の橋あたりで左岸に渡っていればよかった。ハハこれは失敗。・・稲城大橋を渡ればあとは自分の庭のようなもの。左岸にでてysroadを探しながらの帰宅になった。

402秋魚:2012/08/02(木) 01:22:29
(無題)
・・今日も多摩サイ。玉川上水の取水口羽村堰までほぼ一時間。そこから新奥多摩街道にでて河辺までおよそ30分。多摩川CRは相変わらずサイクリングのメッカで、いい自転車が走ってる。仕事明けでロングライドは足が少し重いが、興奮ぎみでアドレナリンがでていつもうまくいく。このコースは自家薬籠中のものになる。サイクリングでの水分補給は普通の水が一番いい。喉が渇くと水の味がよくわかる。国立の水道水は半分が地下水とかで飲んでもいける。

・・梅の湯の日替わりランチはペペロンチーノとかで少し考えたがこの際ランチセットの注文をする。受付のオネエは少し色っぽいまなざしでどこかで見たと思いつつ、ああ一ヶ月も前のお嬢だとわかった。髪をウェーブさせて以前より大人っぽい。もういなくなったかと半分あきらめていたが、やはり感じのよいお嬢だ。こういう温泉のオーナーも受付嬢の人選をすこし考えてもらいたい。感じがよければ客もよく足を運ぶ。

・・Hayabusaの調整を考えていたが、ほぼこのままでいける。ブレーキ鳴きがまだ少しあるのも問題は無い。来週の大山登山には一番の仕上がりで乗りたい。チェーンの油さしもいらない。ブレーキシューが少し磨り減ってきてるのもまだまだいける。パンクした時のチューブ交換とか車輪の着脱とかもうずっと以前の学習で今度の大山登山までは無事であってほしい。

・・夏の多摩サイは緑うるわしく草いきれのする道が多い。草いきれというのはノスタルジーですね。愛欲の前哨を思い出す。緑おおく鶯があいかわらず鳴いている。

・・夜になってまた国立の温泉にいった。受付にはmomoは不在だった。河辺にいたからこちらにも復帰再会かと思いきやつまらぬ受付になった。いやあこんどるな。・・しかも客層が悪い。大きな声で話をするやつがいる。ここの最大の汚点はこれだ。

403秋魚:2012/08/09(木) 00:13:00
(無題)
・・曇り雨の天気予報が曇り晴れに変わった。沖縄の台風のおかげかも。意を決して相模の大山登山へロングライドを試みた。これは実際すごい遠乗りになった。原爆記念のあととかで不吉な予感があった。いいことばかりであるはずがない。綻びがあって何かが起こる。私の自転車Hayabusaに何かが起こる?私の運転自身に何かが起こる。あるいは別の何かが。

・・初日は関戸橋を渡り鎌倉街道を確かめながら町田へ。駅の近くの境川CRで246の厚木街道にぶつかるまで、そこからやや東にもどって16号と交差するあたりに万葉の湯がある。ここで深夜3時まで休憩し翌日は厚木街道をまっしぐら。海老名、厚木、伊勢原から大山登山ケーブル駅までいく。ざっとこんな予定を立てて地図も用意した。一度通ったことのある鎌倉街道や境川CRは以前よりもうまくクリアできる。

・・万葉の湯はみなとみらいのものとほぼ同じ。ただしロケーションはみなとみらいが抜群だ。ここは16号や246、東名高速の客を集めるだろうか。ネットコーナーで将棋をうって時間を使う。屋上デッキの夜景もさほどでない。リラックスルームでよく眠りたいがうまくない。ここから大山までは未知の道。246はバイパスであまりおもしろくない。明日はどうか。天気は晴れる。

・・夜間のバイパスほど殺伐としたものはない。陸橋とかで歩道が途切れることがままある。下に下りて大きく迂回したりする。246が頼りだが、ここを早く離れたい。相模川を渡ったあたりで厚木市街へ向かう。

  *

・・大山ケーブル駅から歩いて大山寺に向かう。男坂、女坂とある。女坂をとる。歩いて40分。自転車の楽な筋肉運動とくらべ自分の体重すべておしあげる登山の運動はきつく感じる。それでも大山寺までは意地でも登る。山登りなどひさしいことだ。大山寺からさらにアフリ神社へ向かう道がある。通り道に犬が2匹つながれていて「この犬は噛む」と書かれてある。近寄るとワッワッと吼える。もうここで引き返そうか。思案していると女性の登山客が下からあがってきた。犬がすこし吼えるがかまわずどんどん登っていく。犬はつながれていて人の道まではでられないらしい。ならばこわがることはない。自分もずんずん登りだす。とりわけひどく吼えていたが、無事通過する。それにしても変な趣向だ。犬を置くとは。・・もうすこし行くと無明橋という橋がある。そこを渡っている女の人に声をかけようとしたが、拒否するふうだ。あとでわかったがこの橋を渡っている間、人と話をすると下に落ちたり忘れ物をしたりするとある。半分私は声をかけようとしたから、結局たいへんな忘れ物をしたことが後にわかった。ハハ 笑い事ではない。・・大山寺からさらに下アフリまでまだある。さきほどの女性はどんどん登る。慣れているな。アフリ神社に着いた。ここまではケーブルがある。いや石段がきつい。あの女性はこの神社で立ち止まらずさらに上アフリをめざして登る。どうやら最頂上までいくらしい。すこし休憩しているとまた別の登山客があらわれた。おはようとあいさつしあいこの人もさらに上へ登っていった。みんな結構なれたものだ。朝6時から一番で登り始めた。自分は下アフリが限界。山の上のほうから黒雲がすこしずつ降りてくる。アフリ神社とはよくいったものだ。雨降り神社のことという。ほんのすこしぽつりぽつり来て自分は下山にはいる。今度は男坂を選ぶ。これも急な坂ですね。それでも石段はよく組んであって崩れそうなところはない。登ってくる客も多くなってきた。けっこうな年のおばあさんもいる。杖をつきながらの人。若い人もいる。みんな最頂上までいくのだろうか。

・・大山は空海が関東入りした拠点の山と聞く。特殊な磁場をもつ山ともいう。朝早く来て下アフリからの下山となったが、帰路にあう登山客はみな確信をもって登るようだ。これから登る人には頂上までいかず下山するのは悪い気もする。

・・246から外れて伊勢原から大山の麓まではだんだらのスロープになる。Hayabusaはここまでよくもった。深夜の道でタイヤがこすれたキズがひとつあるが、パンクもなくよく来た。スロープを克服するのはこちらの体力の問題だ。・・Hayabusaを酷使してもつぶさないようにたえず気を使った。人Hayabusaは一体だからそれでも最終にはこちらの体が残る。今回Hayabusaはすべて任務を全うした。

・・麓の参道の店で枝豆こんにゃくというのが出てた。緑色がよくみやげにとも思ったが、今回はまだ不安があって、買わないことにした。ひどく暑いし、246も気が重い。大山の下アフリまでケーブルを使わずに登った。これでよかった。・・自転車は市営の駐車場に朝早くもぐりで停めたが、もどってみると移動させられていた。職員にきくと無料だが中に入れてはいけないということだ。それはそれはと謝って今度こそ帰路についた。・・登りのきついスロープの分、帰りは快適すぎてほとんど自転車をこぐことはない。スピードの制御がむずかしく、ブレーキのゴムはかなり磨り減ったであろう。

・・カレーパンとビール。夏のロングライドはこれが定番。昔ギリシャ、スペインを歩いた時もボカヂージョという調理パンとビールが定番だった。水分をとるのは普通のミネラルウォータが一番いい。これが甘くおいしく感じられれば体の新陳代謝はうまくいってる。旅先で酒を飲むのはスピリッツというやつ。居場所をとろけさすのは酒が一番。自転車の酔っ払い運転はない。・・相鉄線かしわ台の駅近くにある温泉に立ち寄ることにした。が、その温泉のわかりにくいこと。246から外れて人に聞きつつそれでも順調に到達できた。・・いよいよゆっくり温泉が楽しめるという時に、ハハ リュックにいれたはずのクレジットカードが見つからない。どこかに置き忘れた。昨夜町田の温泉で使った後だ。そういえば下足口で念入りに荷造りをしたあの時だ。酒を飲んで頭をぼけさすとこういう失敗もあるか。そんなはずはない。いささかパニックになった。

・・そういえば町田万葉の湯で退館際にすれ違った3人組は目つきが悪かった。自分はさておきこんな深夜にほっつき歩くのは何かしら犯罪の匂いがする。カードは発見されても戻ってこまい。悪用されたくないので出先で早々に手を打った。夢見どころここち湯のフロントのお姉さんには世話になった。JRのカード紛失係りの電話番号をネットで調べてもらい、カードは小額の負担で復旧されることがわかった。やれやれカード入れにはほかにテレフォンカードが入っていた気もするが大して金目のものはない。拾得者はすぐに温泉のフロントに返してくれればいいものを意地の悪い人がいるものだ。それにしてもクレジットカードの紛失でうろたえるとはわれながら情けない。ハハ

・・いったい無疵のロングライドなどありえまい。Hayabusaには感謝する。いつかのようにパンクしたりのトラブルもない。大山登山という無謀なデッサンでHayabusaはよく持ちこたえた。睡眠不足とビールぼけでまあ無疵でというのはそうそう無いことでしょう。

404秋魚:2012/08/25(土) 01:43:38
(無題)
・・ハハ 今日はヤケノヤンパチ。朝から開成高校の近くで仕事。西日暮里の駅の近くは何もない。道潅山通りというのはおもしろい。子規の日記かなにかでよく見た地名。ハハ 昼は前々から入ってみたかった「餃子の王将」。ちょっと見学のつもりが愛想のいいお姉さんにらっしゃいご一名様ですね。えい昼から餃子を食べてやる。ランチメニュー750yenと生ビールを注文した。餃子は味見ていどでいい。3つ付いてくる。あとは本格的な中華ですね。昼からビールというのは半ばヤケ。肉体労働というのでもないのにこんな食べていいのか。昔を思い出してがつがつ食べることにした。

405秋魚:2012/08/30(木) 10:59:58
(無題)
・・青梅の梅の湯がロングライドの定番になってる。石田橋までの裏の道は最近発見した。多摩CRにでればここはサイクリストたちのメッカだ。ほんとにいい自転車でいい格好で走ってる。羽村堰まではいつもの一本道。夏草の生い茂る道でマムシに注意とあるが、いまのところ出くわしていない。蛇は6月の早い時期に2度みている。雨が降って濡れて来ないと蛇も出没しないか。羽村堰よりかなり手前、八高線の鉄橋のあたりで多摩川の土手を離れ福生の町を新奥多摩街道をさがしてゆく。福生高校の前を通り奥多摩街道は歩道のない道。大きなトラックがクラクションを鳴らしてあおってくる。いやな道。早めにもうひとつ線路に近い新奥多摩街道にでるのがよい。ここまで出れば青梅線の河辺もすぐになる。

・・momoはあれから一度みた。今日も不在。景気が悪く雇用難で若いボーイの学生っぽいのがよく受付に居ることが多い。温泉にかぎらずスーパーのレジでもそうだ。こういうところでもワークシェアリングをやっていかないと日本ももたないか。momoは3人いる。

・・焼きカレーのランチセットとビール。先の健康検査で悪玉コレは7ポイント減った。あれだけ運動をしてたった7ポイントとは情けない。でもこの年で7ポイントの改善はまあよしとする。食事もまだ何でも食べられる体だ。先の餃子の王将みたいに若者ふうにがんばってみよう。・・ここの食事はいい。チーズを乗せて焼いたカレーは美味い。ここは懐石もやるそうだがいい職人がいる。ビールも美味い。

  *

・・momoのいない温泉なんて、バカばかりが騒がしい。国立の温泉は夏でひどく混む。アルバイトも必死なのだろうが、momoのいないのは失策もいいとこ。まったく駄目な時勢だ。・・レストランで山形そばと天丼の小丼それにビール。これは外れがない。・・しかしここは学生が多い。けして安くは無いがみなリッチだね。しかしうるさい。

・・南京亭という終夜営業のレストランがある。日野バイパスにあって夜間よく客が居る。ここもそのうち来られなくなりそうで、一度入ってみたかった。・・小平の温泉で食事を抜いて夜遅く自転車で出かけた。家のすぐ裏だが長い間盲点になっていた。自動車の客のための道路と店で自分など関係なしと思っていた。日韓、日中とも不穏でどうもきな臭いレストランにもえいとばかり入った。・・あまり安くない。こういうところに来る客を観察したがけっこう盛ん脂ぎってる親子連れもある。女の子はグラマーか元気よし。自分の来るところではない気がした。それでも最初で最後、タンメン、レバニラのミニセット、ビールを注文。

406秋魚:2012/09/13(木) 01:34:31
(無題)
・・ブレーキ鳴きを抑える為にHayabusaの調整をした。シューの凹凸が磨り減って見えにくいがその為ではないだろう。位置をすこし変えた。

・・今日は昭島の温泉まで街中をHayabusaででかけた。休養充分で足も軽い。自転車がこんなにも軽いのはいい女房をもったようだ。おおかたのロングライドを終えてしばし休戦。第二ステージまで潜伏する。・・どんな事故もトラブルも起こりそうに無い。ハプニングが無いのはある意味でマンネリということか。そうそうハプニングに飢えているわけではない。

・・昭島の温泉はアルカリ性単純泉というやつで都下ではめずらしい。山の手ならけっこうある。河辺の梅の湯や秋川の瀬音の湯がそれだ。源泉かけ流しはぬるっとして気持ちよい。それにここはプロの風水師が自然の立ち木を採り入れて造ったという。木々のそよぎを聞いているだけで心地よい。・・しばらく来てなかったのでスタッフも総代わりしてるだろう。ここも昔からはっとするような若い美人に会うことがある。郊外はよく美しいものと遭遇する。・・東京ドームでタッキーのコンサートがあった時など若い女の子が大群衆でいたっけ。でもみんなブスだった。タッキーで誰だったっけ。

・・「青ナイル」にも温泉の記述がある。

「・・フローベールが一八五〇年に上ナイルに現れたことは、およそ予想できなかった事件であった。」
「・・アフリカの民衆の姿に、彼は魂を奪われた。「・・忘れてしまった昔の夢の情景の中に、とつぜんはいりこんだような気が幾度もするほどです。」
「・・カイロで、彼はコプト派の主教と宗教を論じ、トルコ風の浴場を訪れ、「陽光がドームの巨大な円窓を透かしておぼろげに差し込んでくる」のを見る。「そのような場所で、ただ一人湯浴みすることは、甘美な幽愁である。われわれが迷い込む暗い部屋では、わずかな物音も、大砲の音のように反響する。そして裸のケラクたちは、互いに声をかけあって、墓に納める準備であるかのように、われわれの身体にくまなく香油を塗る」のを知る。

・・

407秋魚:2012/09/20(木) 00:15:39
(無題)
・・天候は悪い。いつにわか雨になるか。群雲はあるが日差しもあるのでまたHayabusaに乗った。河辺までなんとか持つであろう。なんとも気持ち悪いバカ上司を抹殺したい。すくなくとも記憶だけでも消したい。まあ無理ですが。出口なしの灰色の男とはあいつの事だ。あの気持ち悪さは説明しがたい。

・・梅の湯のmomoに会えるかも。あの子は救いだ。しかし近頃momoが姿を消すのはどうか。momoはもうmomoでないのか。・・やっと分かったがmomo待望論というのが間違っている。momoはいたとしてもTウイルスにやられている。・・momoでなくウズメ、ありうることだ。

・・梅の湯のレストランで、中居さんには瀟洒で気持ちよい人がいる。でも似ているけど別人であろう。若い。髪形は茶髪で若者風、背も高い。歩き方とかよく似てる。眼の輝きがひとしおで目立っている。娘であろう。

408秋魚:2012/10/03(水) 01:55:15
(無題)
・・久しぶりのロングライド。彼岸過ぎの遠乗りは高麗川の巾着田と決めていた。おそろしいほどの彼岸花が咲く。台風が来ていたりでどうなることかと思ったが、花の盛りでいい日がとれた。Hayabusaも絶好調。

・・今回は、多摩川に出て残堀川の河口からそれに沿って上流を目指す。立川の昭和記念公園を通って武蔵村山、瑞穂と行けるはず。・・河口からしばらくは趣のある桜並木の道がある。春はさぞかしきれいであろう。その先で急に残堀川に沿って道はなくなる。付かず離れずの道をいくとこのあたりけっこう趣がある。しかし早々と迷路に踏み込んだ。何度か道をたずね昭島の福島の交番でさらに残堀川に出る道を尋ねた。福島などという地名がこんなところにあるのも驚きだ。気のいいおまわりさんが確実に残堀川の道を教えてくれた。・・昭和記念公園を抜けてからの残堀川はサイクリングロードさながら川沿いのいい道がある。ここをいけば16号にでて飯能街道にでれば山を越す。・・残堀川は不思議な川だ。河口近くでこそ水量もあり魚や水鳥もいる。少し上ると水は途切れ途切れでまったく水無し川のところもある。生活用水を集めたどぶ川というのでもない。聞いた話では、立川活断層のちょうど断層に沿った川だという。流れる水のいくたりかはその活断の地層に吸い込まれてしまうのだという。この不思議な川を今日ははじめて体験した。

・・飯能街道は日光街道とも呼ばれたが道は細く今回も難関だった。三度目の挑戦だが、こまめに道を尋ねた最初が一番よく、二度目はトラックにあおられて畑の中に転倒したりした。今回は飯能街道をなかなか見つけられずこの世の外れとも思えるうらさびしい所を彷徨ってようやく入間川の橋にたどりついた。

・・飯能は駅に出てそこからは299号に出ればよい。途中飯能の観光案内所に寄って地図をもらった。自販機で梅ドリンクを飲んだ。巾着田までは近い。天気は曇り空だが、崩れることはなさそうだ。台駅というのがあると思ったがそれはなく高麗の駅だった。駅前で自転車を置いて、散策路を歩いた。帰りの客ばかりが多い。沿道はもう彼岸花が咲き誇っている。みやげものの店も多い。彼岸花は本場はもっと壮麗なはず。写真はとらなかった。やがて高麗川にでるとそこは巾着田だった。巾着の形に川が湾曲している。そこからは人と彼岸花ばかり。花は今が盛り。ところどころ勢いを失った花もある。まだ蕾のところもある。一面赤いジュウタンに見える。みなきれいだというがドクドクしい気もする。写真通が撮影スポットで騒いでいたりする。マニアがいるようだ。ずっと歩いて売店で生酒を3百円で買った。空腹だったが酒で酔って歩きたかった。美味い酒だ。

・・巾着田周辺にある高麗神社に寄ることにした。ここは高麗若光王がまつられている。

>・・666年(天智5年)高句麗の使者(副使)である玄武若光として来日する。668年(天智7年)唐と新羅の連合軍によって高句麗が滅ぼされたため、若光は高句麗への帰国の機会を失ったと考えられる(『日本書紀』)。

・・ちょうどこの頃は大祚榮が活躍する時代だ。おもしろい。

409秋魚:2012/10/18(木) 03:14:21
(無題)
・・行基ゆかりの青梅塩船観音寺は北緯35度48分若狭湾を横断して丹後半島の先端あたりと同緯度になる。こんなところに船があるのも道理がある。近くの河辺温泉にはよく行く。多摩サイを使って約一時間半。・・今日は東青梅、青梅と行き、宮ノ平、日向和田と青梅街道をいく。もう何十年会っていない知人の画家を訪ねる。今の噂はまったく聞かない。奥さんのK子さんが病弱で亡くなったという話もあったが、定かでない。同じところに住んでいるかもわからない。青梅線沿いの裏道があったような気もしたが、ここは青梅街道をいけばよい。しかし不思議な感覚だ。昔の記憶と重なるところはほんの少し。ほとんど浦島太郎だ。・・青梅駅前の交番で日向和田までの道を訊く。駅前はけっこう開けてる。ずっと青梅街道をいってついに日向和田、そこから神代橋という多摩川にかかる橋を渡ったはず。ここまではよく憶えてる。そこをいくと紅梅庵という菓子屋があってそのあたりで右に折れる。わっ、規則的な住宅が並んでる。昔は彼の家と畑があった。こんなに家があるんじゃわからない。仕方なく土地の人にT氏の家を尋ねる。いや、ここは五丁目でいませんね。やはりもう住んでないのか。街道まではいかないはず、ぐるぐる廻ってひょいと見たらT氏の表札がある。ここか。庭に蝶のオブジェがあって間違いない。・・トントンと戸をたたく。ほどなく家主が出てきた。あっ、憶えてますか。ワタシです。ああ、やはりお互い少し年を取りましたね。でもなんとか生きていてよかった。あ、すぐわかったよ。君は変わらない。憶えていてよかった。少しだけ話していきましょう。今日はお絵かき教室があるんです。へえ、いいですね。お弟子さんがいるなんて。ほどなく奥さんもでてきて、あ、ちょっと驚き。ご存命なんて知らなかった。ここだけの話。幽霊かと。

・・時間はあまりない。そうそう新井豊美さんが今年亡くなったそうです。え、・・ほんとかしら。あの大震災があった日に駅の近くで見かけています。いえ、新聞にもでてました。信じられない。・・なんか昔の人に会うのって怖いですね。もういないんじゃないかとか。・・彼女には隋分負い目があって、返せないままになってしまいました。すみません。

・・お弟子さんが来ます。今日は帰ります。話は山ほどありますが。・・別れ際にホトトギスの花をくれました。お弟子さんもいい自転車に乗って、今の人はみんな自転車ですね。・・これから温泉に寄って、また来ます。

・・ああ、驚きの一日。やはり尋ねてみてよかった。

410秋魚:2012/10/25(木) 12:05:27
(無題)
・・みんないい自転車に乗っている。GIANT、DAPHON、BIANCHI、LOUIGANAUX、ANCHOR、・・もう知らないメーカーのものも多い。ロングライドというよりポタリングだが、だいぶ恐れはなくなった。出先でのパンクはまだ経験してない。前輪後輪の着脱も一二度試行しただけだ。自転車はブレーキシューのゴムがだいぶ磨耗している。ワイヤーも少し伸びた。チェーンにはオイルはあまり注さない方がよいようだ。・・ロングライドをステップアップして、富士山の大きく見えるところまで出かけてみたい。八王子から高尾を越えて大月方面に向かうには大垂水峠というのがある。東海道で小田原から三島、静岡方面に行くにしても箱根の難所がある。いろいろ調べてみると、これまでの自転車のインフラ技術ではリスクが大きい。いざという時は輪行袋に入れて電車に乗ることも考えねば。これも簡単に考えていたが、前輪後輪の他に、スタンドやペダルも外さないとまずいらしい。ほかにディレイラーの防護とかいろいろある。一泊二日というのも無理があるかも。・・とりあえず近場でヒルクライムなど練習しながら、輪行の仕方を研究してみよう。自転車のインフラもステップアップする必要がある。

411秋魚:2012/10/31(水) 05:00:14
(無題)
・・名栗川、白髭神社の近くにヤナイ氏が住んでいる。青梅の河辺温泉あたりから岩蔵街道にでて岩蔵温泉郷、小曾木、221に入り、山王峠を越えて名栗川まで行けるだろう。山の中だが意を決して自転車のロングライドにでた。・・梅の湯や塩船観音には何度も足を運んだ。その先岩蔵から山に入り飯能にいくというのは自転車ではどうか。いかにもアップダウンがきつそうだ。

・・いつか富士山の大きく見えるところまで遠乗りにでたい。東京からでは小田原までいって箱根をこえて三島までいくか、あるいは高尾から峠を越えて山梨に入り大月から河口湖あたりまでいくか、このロングライド一泊二日はきつそうだ。峠越えがあって自転車に何かあったらほんとに困ったことになる。輪行も考えねば。ともかくも今の方法でヒルクライムは必須だろう。青梅、飯能ごときの山で縮んでいる手は無い。

・・河辺の交番で道を尋ねた。岩蔵街道へはいつか塩船へいったその前の道をいけばよいはずだ。しかしすこし東へもどるような行き方で少し遠回りになったか。人に道を聞くのもよしあし。岩蔵に入ってから意外とエリアが広いのでおどろき小曽木の道はけっこうな山道だ。でもいいところだね。東京と埼玉の境を越えて、さあいよいよ本格的な山の道。山王峠を越えれば名栗川も近い。Hayabusaはまったくよく出来ている。ブレがない。・・実は帰りにすこし変調があった。

・・山王峠は名栗川まで一気に下り、これを帰りに登るのはひどく大変そう。でもそんなに悪い道ではない。ハハ、これは楽しい道を憶えた。・・名栗川の橋の袂でここまでよく来たものだ。ヤナイ氏にも会えた。

・・犬を飼っていてワンワン吼えられたが、尻尾をふって歓迎してくれたようだ。川越の蔵でやる展示品に取り掛かっていてヒマは余り無いという。こちらもいろいろヤボ用が重なっているから名残は惜しいが4時半ころお暇することになった。道を憶えたのでまた来ます。

・・帰りはやはり山王峠がきつくて自転車を引いて歩いてしまったがほどなく頂上に着くとあとはのどかで楽な道になった。これはいい。・・小一時間で河辺の駅前に着いた。

・・梅の湯は夕方になったがもうあたりは日没で暗い。温泉は夜に限る。エレベータで若い女の子と一緒になった。「鹿児島にいきてえ」「どうして」「なんとなく」など言う若い子はいい。話に割って入りたかったが憧れに冷や水になりそうでやめておいた。でもここは若い女の子がよくくる。レストランでも四五人の連れ合いでにぎやかだ。ハハ、夜は雰囲気もあっておもしろい。注文取りの女の子も色っぽい子がいる。

412秋魚:2012/11/03(土) 12:00:07
(無題)
・・Hayabusaのブレーキが変調した。ワイヤーが伸びていたが調節してある。それも限界か。シューのゴムが磨耗している。多摩サイに沿ったところにY'sroadがある。スポーツサイクルの専門店だ。家からこの店までの道を確実にしておきたい。・・家を出てすぐ裏手の甲州街道から日野バイパスをすこし行くと怪しげなホテルが乱立している。その前の道をまっすぐいくと川に近い広い通りにでる。左に行けば四谷橋、右に行けば石田橋。もうすぐ開店の大きなホームセンターがある。左に少し行って川の方へさらに右折した辺りにY'sroadがある。自転車マニアには、こたえられないお店だ。パーツはほとんど見つかる。中に入るとシューの売り場は見つかった。1セット4百なんぼでドイトより安い。すぐ前にいた客はゴムの上の部分だけを買おうとしていた。そんなこともできるのか。聞いてみたらものによって出来るのだという。ここに来る客はみなマニアの猛者みたい。自分などわからないことが多い。2階の自転車売り場にいってみた。いやーたくさんいいのがある。知らないメーカーも多い。BianchiのROMAというクロスバイクはよさそうだ。Bianchiなどはまだ安い。10万から40万くらいまでいったい高価なものはどういう違いがあるのだろう。自分など一生ママチャリかといったところからステップアップして初心者用のクロスバイクを買ったら驚天動地になった。体がよく動くうちに極めたくなった。インフラの整備はひつつひとつ着実にやらねばならない。・・よし、今度の休日はVブレーキのシューを交換するぞ。

413秋魚:2012/11/16(金) 13:57:54
(無題)
・・ハハ参った。参った。ついにHayabusaで事故った。マヤの徴の日も近い。予感も多い。・・ヤナイ氏参加の蔵と現代美術展に川越まで遠乗りに出た。hotel詩古参の澤口氏も大宮から駆けつけるという。午後一時に時の鐘の前で再会することになった。ブレーキシューを交換して車体は万全。だが何があるかわからない。小平から所沢まではまだいい。所沢から川越は一二度走ったが、そう簡単ではない。まず所沢から新所沢までいかねばならない。所沢の交番で道案内を受けて、道はだいたい分かった。県道所沢・川越線はあまりいい道ではない。これは以前も感じたことだがその印象異常に悪い道だ。車道が無理なところは歩道があるがそれが極端に狭かったりする。急に石で車道歩道の仕切りができてそこをうまく走らねばならない。昼の明るいうちはよかった。実は帰路に暗くなってその石の仕切りに気づかなかったことが今回の事故の原因。風邪をひいたり注意力も散漫だった。

・・自民の谷垣総裁がいつかやはり自転車でケガをした。ヘルメットをかぶっていたが眼の周りが腫れていた。どういう事故か。・・自転車は前の障害物に気づかず激突。そこで跳ね返させられるが、車上の人体はつんのめって前に投げ出される。手は使えないので頭からというより顔面から地面に激突する。わたしの場合左目の上の骨のあたりでコーンと音がした。カシャッと砕ける音もした。火花が散って骨も折れたかと思うほどだった。このカシャッというのは後でわかったがジャンパーのポケットにいれてあったサングラスが潰れた音だった。意識は失わず、よろよろと立ち上がり人体の破損と自転車の破損を調べにかかった。なんとか動ける。骨折はないようだ。自転車は引いて歩いたが、動く。ぶつかって車輪がゆがむとか気にしたが、さすがメリダのフレームはよくできている。まったくゆがみとか破損はない。夜道の向こう側で「大丈夫ですか」と声をかけてくれた人がいた。ありがとう。大丈夫です。しかし、破損はわからない。頭の打撲のあったところは痛くは無い。数歩歩いているとたらたらとしたたるものがある。血だ。やはり尋常じゃないか。ボクサーがよく眼の上辺りを切って出血がひどくなることがある。それに近い。取り急ぎタオルで止血して帽子をかぶりまた自転車に乗った。ともかく帰宅して手当てをしなければ。病院にはいきたくない。左ひざのあたりも軽い打撲があったが、気にせずにすんだ。谷垣氏は二針三ハリ縫ったという。わたしのはほんのわずかな傷口から血がけっこう出た。・・出血は止まった。しかし今度は瞼の上辺りがぶわーっと膨れてきた。お岩のようになった。ハハ 笑い事ではにない。

・・今回のロングライド、実は人と会ったり自己管理がうまくいかなかった。川越で温泉などはいって充分休養すれば帰路も安全だったはず。人と会って話がはずみ酒は飲まなかったが、帰りが遅れた。暗くならないうちにもどる予定だった。

・・一二度経験した道で、油断があった。ひどい激突だったが、医者にみてもらうこともなく、今のところ眼の周りの腫れが引いてくるのを待つ様子だ。悪化というのも無さそうなので、不幸中の幸いだった。眼帯をつけて仕事にでてる。痛々しいようで人によく訊かれることがある。ハハ

・・自転車もあんな激突で大丈夫な訳無いと思い、あちこち点検した。前輪を取り外してみたり。ブレーキの具合や、ギアのかかりなども。・・ほぼ問題無し。さすが台湾製メリダのインフラはしっかりだ。これを期に自転車のインフラももう少し習熟しておこうか。ペダルやスタンドの着脱もおぼえたい。前輪を外した時わかったが、ブレーキシューがひっかかってうまく車輪が外れない。取り換えたシューが少し大き過ぎたか。Vブレーキの設定がすこしぬるいか。こんなのでは東海道箱根越えなどとても覚束ない。

   *

・・わたしもHayabusaも大丈夫なようなので、多摩サイから河辺温泉までポタリングにでた。しかしすごい事故だった。厄日だったか。昼間の多摩サイはなんと快適か。まったく事故などありえない。・・今年は紅葉がはやい。急に寒くなったからだろう。サクラはもう葉が散りはじめている。もう一週間であちこち黄葉は盛りになるだろう。山の中のポタリングが楽しみだ。・・多摩サイから新奥多摩街道にでるのにまた新しい道を走った。福生の田村酒造より手前で多摩サイを離れる。静かな道で味がある。新しい道はいつも緊張する。事故は無い。

・・梅の湯はいい湯だった。ここのアルカリ性単純泉は、奇跡だ。・・眼の腫れは少しずつ引いてきてる。

414秋魚:2012/11/28(水) 12:43:28
(無題)
・・紅葉狩り。とはいってもよい紅葉はあまりない。多摩サイに沿って青梅の山麓から飯能の唐竹までロングライドに出た。赤黄の桜の葉はもう散りかけている。多摩や秩父の木は大方杉などの針葉樹。落葉広葉樹はあまりない。多摩サイに沿ったところには時折みごとな黄葉がある。赤から黄までの変化がこの季の見所だ。会津の五色沼や地元国立の大学通りの黄葉、紅葉を一度でも見ればそれ以上の驚きも少ない。

・・Hayabusaの状態だけが気がかりだった。ヂレイラーに衝撃があればギアチェンジもおぼつかない。多摩サイで何度か試験したがまったく問題ない。チェーンのかかりもいいし、あれはただ跳ね返されただけの事故か。人体の損傷もその後ほぼ回復。・・Hayabusaは帰路にわかったがホッケノタイコ。まったく快調だった。

・・多摩サイを外れて新奥多摩街道から岩蔵街道に出るのに今回は最短の道を選んだ。途中で何度か道を訊いたが、いずれも分かりやすい遠回りの道を言う。自分の勘で押し切って正解。塩船観音前の道に出ればよい。これで岩蔵までの地理もほぼマスターした。岩蔵温泉はヤマトタケル由来で由緒が古い。一度ヒマをとって訪れてみたい。

・・道というのは、チャレンジしないと見えてこない。青梅、飯能の境界は魅惑だ。ヤマトタケルが通ってきてる。飯能の向こうの高麗、日高あたりは渡来人の部落だ。高麗郡の設置は霊亀2年、716年。・・そういえば、玄武若光というのは高麗王か

>・・『日本書紀』の「玄武若光」と『続日本紀』の「高麗若光」が同一人物ならば、高句麗王族の一人として王姓を認められたということになるが、証明出来ていない推定であり、その生涯も記載がなく不明である。

・・霊亀2年というのは、玄武若光が立つことかも。

・・自転車の前輪を取り外した。Kの車に乗せる為だ。外して車に納めるのは初めての試み。輪行をやるなら後輪も外さなければ。こういうのも何度かやらねば仕組みがわからない。ともかく前輪を外して梅の湯に向かった。仲間3人で小宴会をと思ったが、彼らは少しのアルコールもやらないということで、御膳を食べるだけのくつろぎ温泉行になった。彼らもレストランの奥座敷ははじめてということで夜景のきれいな席で感動していたが、自分はもっといいものたくさん見ているので慣れている。人が喜ぶのはいいものだ。料理も梅御膳が評判だった。ハハ ・・人と一緒の温泉はほんとは好きでない。時間を合わせるのが調子を狂わす。でもそれもいいだろう。・・受付の女の子に、Hsyaという子はもう辞めたのかと訊いた。いえいます。・・でもいついるの?お知り合いですか。シフトの都合で。・・ほんとはいつも遠いところをあの子に会いたくて来ているのだよ。momo、最後のmomoですから。

・・どうやら辞めてはいないようだ。それでホットした。

415秋魚:2012/12/13(木) 03:03:07
(無題)
・・いよいよ2012年の冬至が近い。各温泉ではユズ湯を準備している。大きな地震がまた来るかもしれぬ。どんな天変地異があるというのか。あれは迷信で何もないことを祈る。

416秋魚:2013/01/02(水) 15:41:30
(無題)
・・初乗りは都心にでた。田舎で富士のみえる温泉をすすめてくれる友もいたが、大方田舎の温泉は混む。元日なら道路は透いている。初詣の客は多いだろう。神社がにぎわう。真昼の都会の顔がよく見える。・・例によって、国分寺崖線の上の道からJR線に沿って国分寺三鷹まではなんとか着かねばならない。最初に苦労したルートで少しずつ思い出しながら走る。自転車のパンクは気をつけねば。選挙のあとで画鋲が落ちていそう。店は大方閉まっているから自力で直すしかない。それはいいとしても時間が多くロスする。その日の予定は無くなるだろう。昔のパンクは武蔵小金井あたりだった。一年以上前であれからパンクはない。ほかに転倒の事故なども。考え事をしながら乗るというのがいけない。周囲に気を配って集中しなければ。・・熊野神社、武蔵八幡神社とかあまり大きくない神社も参拝客が多い。初詣は神社か寺か。運と縁起がよいことを祈り求める。吉祥寺から荻窪あたりも道がわからない。五日市街道にでれば高円寺あたりで青梅街道に合流する。なんとか青梅街道にでれば新宿までは一本だ。車はさほど多くは無いが時々猛スピードで走るのがいる。新宿近辺は人も多い。靖国通りにでれば浅草橋まで一気にいける。今回は外堀に沿った道で水道橋まで東京ドームを横にみてラクア、講道館の外れから春日通りをゆく。まっすぐいけば湯島天神に着くはず。・・あった。あれが白梅で名高い湯島天神。菅原道真を祭ってあるそうで受験生の参拝客が多い。や、並大抵ではない。人の群れだ。とても並んで入る気にはならない。鳥居のところから写真を一枚とった。沿道でお好み焼きを5百yenで買った。なんと美味いお好み焼きか。こんな縁起の場所でまずいもの出したらバチが当たる。ああ、おもしろい。

・・春日通りをさらにまっすぐ行くとにぎわう御徒町、不忍池とかかすかに見えた。アメ横とか。ここは総武線時代から馴染みだ。自転車はさらにまっすぐ。いずれ隅田川にぶつかる。途中交番があって両国までの道を聞く。川向こうまでいって右折とのこと。簡単至極。・・またスカイツリーが見えてきた。橋は、厩橋という。・・ここいらが両国。相撲の国技館がある。初場所はここだが今はひっそりしてる。髷を結った力士にも会わない。江戸情緒がほんのり匂う。・・回向院に向かった。鼠小僧次郎吉の墓があるという。回向院は愛猫などの供養の墓地だ。ああそうか、次郎吉は大泥棒で人間扱いされてないんだ。それでも墓がちゃんとある。墓石を打ち掻いて持ち帰ると良運になるという。ちょうどわたしが行くとせっせと砕いた石の粉を集めている人がいた。パワースポットになっているらしい。自分は石を撫ぜてきた。

・・駅からほど遠からぬ所に、江戸遊というスパ銭がある。今回はここがお目当て。元日から温泉はどこも混むに決まってる。両国のここならたぶんゆっくりできるはず。これは当たった。

・・この温泉がおもしろいのは、天然温泉ではないが北海道二俣尾温泉の模擬温泉。炭酸カルシウムの多い原石に湯を通して循環させている。なるほど、考えたものだ。江戸趣味で統一してるのもいい。赤富士のタイル絵、レストランは北斎という。さほど広くはない空間にうまくつくってある。惜しむらくはタバコの煙がお休み処にも流れてきたこと。レストランでは正月でおせちセットというのがあった。注文してなかなか出てこない。やっときた。でも丁寧によくつくってあった。・・煎茶のサービスとか甘酒サービスとか受けられるサービスは貧乏根性よろしくみな受けてきた。ハハ

・・元旦のロングライドはおもしろいものになった。

・・例によって、センターホテルに一泊。株主なので気楽に泊まれる。両国橋だか川を渡ってから小伝馬町、日本橋あたりまで来たが、最後の詰めがむずかしい。兜町の東証が近くにあったはず。これを目当てにいくがそれらしい建物にはでくわさずそれでも馴染みの道路にでたので、ほっと息をつく。近くのコンビニで鬼殺しとつまみを買ってそそくさとチェックインした。・・都心に出るのはこれで3度目。ハプニングというのは無いがいつも新鮮な発見がある。地理もだいぶ分かってきた。都心おそるるに足らず。しかし油断大敵、いつかの川越のようなことがあるかもしれない。都心のよいのは圧倒的な光の量だ。人が多いというのも気が楽だ。フロントで新聞をわけてもらい明日からの戦略をたてた。

・・翌朝は、近くにあるなか卯の朝食セット2百yenではじまた。これはいい。皇居に出ていつもの日々谷まわりで桜田門を通っていこうとしたが、今日は一般参賀とかで自転車は通行止め。それで神田、竹橋方面から九段下にで靖国通りで帰ることにした。途中お堀端に変わった木があった。繭のような白い実をたくさんつけているが葉は一枚も無い。なんという木だろうか。

417秋魚:2013/01/17(木) 01:32:16
(無題)
・・雪になった。俳句の旧友で「冬のソナタ」の好きな人から便りがあった。年鑑に載ってる拙作を読んでいるという。うれしかった。自転車に乗って人間関係ばかりはどんどんやせ細っていったから、文学仲間の便りはうれしかった。・・生まれてはじめて雪が降るのを見た感動を覚えている。この世の不思議だった。「冬のソナタ」の高校生。あの時の雪はロマンの雪だ。雪ゆえにはじめてのものが息吹き返す。恋はうれしい。

・・雪なので自転車の遠乗りはできない。近くの温泉にいった。この温泉にも好きな子がいる。調理場の子はいつも同じだが、フロントの子はよく代わる。若い子はあまり長く同じ処にいるとフル狸のようになって居づらくなるだろう。新人の子もポストが無ければ何もできない。温泉ばかりは年々歳々花は同じなりきか。

・・それにしても新井豊美さんが亡くなったのは信じられない。同じ町にいていつかまた会うのではないか、そう思っていた。多摩川ベリに新しい温泉ができてここにも来るのではないか、そう思っていた。本人はずっと長生きすると、そう言っていた。詩では何も応えられなかった。胸がふたがる。・・長い華麗なマフラーを頂いたことがある。サハラからもどって詩に乾いた時だった。・・もう冬。そのマフラーを巻いて自転車に乗っている。

・・TULLY’s coffeeの店が国立の駅前にできた。駅も新しくなって変わったが、店も人もどんどん変わっている。特に人はまったくの群集と思える。このカフェは伊藤園のもので株主総会のおみやげでコーヒーをもらった。美味しいものだ。店に入って見回しながら席はとらずにモカを百g挽いてもらった。お店もせまい敷地だが洒落てつくってある。いい店だ。・・すぐ前に餃子の王将がある。お持ち帰りの餃子を焼いてもらった。・・温泉の帰りに家で自分の料理もすこし飽きてきた。

・・川越ー所沢線の街道で、自転車の転倒事故があったのは、自分の落度ばかりとはどう考えてもいえない。道路整備の不備だ。あれなら誰でも同じような縁石への衝突事故を起こすだろう。川越の市役所のホームページを開いた。あるある交通安全課だ。メールで苦情を送った。・・このような事故でも致命傷になることもある。自分は運がよかった。

・・温泉にいって思った。効能がいろいろ書いてあって進行中の傷、病には温泉は禁忌だという。そういえば事故のあとキズを癒そうとして温泉に入ったのは、まずかった。眼の周りが大きく腫れあがった。お岩のようになってすごいものだった。腫れがひくのに2週間かかった。しかし温泉にいかずにはいられない。

・・「テルマエロマエ」のローマ皇帝は、たしか、ハドリアヌス帝。「ハドリアヌス帝の回想」という小説があった。読んでみたい。

418秋魚:2013/01/31(木) 03:19:50
(無題)
 妹がため玉を拾ふと紀伊の国の 湯羅の岬にこの日暮しつ

・・「ゆ」という文字はローマ人には不思議な記号に見える。由良という地名がある。和歌山の中ほどにある由良、京都宮津の由良、山形鶴岡の由良。

>・・蜂子皇子の父である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺されたため、蜂子皇子は馬子から逃れるべく丹後国由良(現在の京都府宮津市由良)から海を船で北へと向った。そして、現在の山形県鶴岡市由良にたどり着いた時、八乙女浦にある舞台岩と呼ばれる岩の上で、八人の乙女が笛の音に合わせて踊っているのを見て、皇子はその美しさにひかれて、近くの海岸に上陸した。

・・八人の乙女とはプレアデスであろう。だんだん「ゆ」の謎が解けてくる。・・国立にある湯楽の里温泉はこの世紀のメッカになるであろう。山形蕎麦という鶴岡のソバを出す。とても美味だ。湯の質もいい。若い学生ようなのが団体で来て騒がしいのが玉にキズ。・・だが、客層が一様でない。「ゆ」の新しいトレンドがはじまる気配。すごいことになりそうだ。

・・出羽三山の羽黒山、月山、湯殿山。これらを開いたのは蜂子皇子という。

涼しさや ほの三日月の 羽黒山
雲の峯 いくつ崩れて 月の山
語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな

・・これは芭蕉が詠んだ句。・・月山は卯年と縁が深い。湯殿山とはこの名はいかに。・・これこそ「ゆ」の秘密か。芭蕉が温泉について書いたものがある。

>・・北海の磯づたひして、加州やまなかの涌湯に浴す。里人の曰、「このところは扶桑三の名湯の其一つなり」と。まことに浴する事しばしばなれば、皮肉うるほひ、筋骨に通りて、心神ゆるく、ひとへに顔色をとどむるここちす。彼桃原に舟をうしなひ、慈童が菊の枝折もしらず。
  やまなかや菊は手折じ湯の匂ひ   ばせを

・・これは加賀の山中温泉で詠んだもの。
・・芭蕉の「奥の細道」出羽三山が旅のターニングポイントとみるが、どうであろう。

・・月山周辺については、シリウス聖方位の観点からおもしろい指摘があった。

>・・山形県荘内地方出羽三山のうちの一つ月山山頂を基点に真北から二〇度西に傾く、ゾロアスター教の聖方向上に月山山頂からほぼ一二キロ北に猿田彦神社。それからさらに聖方向上一〇キロ北に、水神社、稲荷神社が正確にのっている。・・稲荷神社は秦氏の氏神社、水神社の「水」はゾロアスター教の主要神だ。さらに月山山頂から聖方向が始まるのはこの山が「弓月君」即秦氏と深く関わる故にだ。それで月(つき)の山と名付けられたのだろう。

419秋魚:2013/02/12(火) 22:37:54
(無題)
  馬ぼくぼく我を絵に見る夏野かな  はせを

・・Hayabusaに二週間乗らないと肉体も精神も萎縮する。旅に病んだ芭蕉を追っていた。発句の名人というより本人はたしか脇を付けるのが得意と言っていたが。「旅に病む」というのは「旅中で心身を病む」というのではなく「旅に憑かれて夢中になる」意であろう。・・「旅に病み夢は枯野をかけめぐる」という辞世だが、旅の発端というものがあるはずだ。その発端は天和二年(1682年)の江戸の大火にはじまる。俗に言う八百屋お七の因縁の火事が深川の庵を灰にした。お七にとっても恋の妄執の発端となった大火だった。・・「江戸駒込の大円寺から出火した火事は、本郷、下谷、神田、日本橋、浅草、本所、深川まで類焼し江戸の七分どおりを灰じんと化した。」「火はついに江東に及んで、深川の芭蕉庵も急火に囲まれ、芭蕉は潮にひたって危うく難をまぬがれたという。」

・・焼け出された芭蕉は、その後、門人の別荘のある甲州の谷村(都留市)に流寓する。このとき甲州街道を歩いているはずだ。・・多摩川は谷保村のあたりの石田で渡ったと思われる。今は石田大橋という日野バイパスの橋がある。・・極楽湯に向かう。この道は大きく二つのアップダウンがある。芭蕉が甲州に入るには八王子高尾の先で大垂水峠を越えねばならない。大変なヒルクライムになるという。自分もこの大垂水峠を越えて相模湖までいってみたい。今日は極楽湯に向かって多摩でヒルクライムの練習になる。いつぞやの川越街道と比べて道は断然いい。・・もう2度走っているが、この程度の上り坂ならギアチェンジ一つくらいで楽にこなせる。・・ipodというメディアプレイヤーをつけて走った。このipodは最近入手してバッハ「ピアノコンチェルト」、ショパン「ノクターン」、セリーヌディオンのポップスとかシャッフルして聴ける。自転車に乗りながら音楽を聞くというのは危なくないかと思いつつ、でもかなり快適なライダーになった。外の音も入ってくる。後ろからの音が聞きづらいが、いいリズムで走ることができる。これはヒット。

420秋魚:2013/02/21(木) 03:27:38
(無題)
・・うっすら雪。そして朝晴れる。いよいよ懸案の大垂水峠のヒルクライムだ。Hayabusaの手入れといってもブレーキと空気圧のほかにない。Cateyeの電池は交換した。峠の向こうで日が落ちる前にもどらねば。ともかくもヒルクライムになる。・・ずっと20号の甲州街道をいく手もあるが、まずは日野バイパスから多摩川を渡り浅川に出てこのサイクリングロードを辿って高尾山の麓までいく。これは一年前に走った道だ。おそらく一時間半。ロングライドのセカンドステップは峠を越えて甲州に入る。芭蕉も越えた道だ。・・いざ出発して走ってみると浅川CRはすべて記憶のままなんとも容易な道になった。距離は長くなるが20号の煩雑な車道より快適なサイクリングになる。一度通った道は気も楽だ。JRの高尾駅からさらに京王線の高尾山口の駅までここはもう20号になる。ここで一息。高尾山の麓の蕎麦屋でとろろ蕎麦を食べる。なるほど一流の観光スポットの風だ。蕎麦も美味い。この京王線の駅で新しい温泉を掘っている話がある。極楽湯だがこれはいい。自分も長生きしたい。

・・12時20分に高尾山麓から20号で峠越えをアタックする。道幅も狭くなり白線の道になる。そして上り坂。傾斜角はわからぬがギアを一段あるいは二段軽くすれば走れないことも無い。ただやたらと長い坂でこれがヒルクライムだ。山の中は昨日の雪がまだ木々の中に残っていてひいやりする。道路が凍結ということもない。背後から来るトラックが恐怖だ。雪景色はきれいだ。大垂水峠に着けば富士山も見えると聞いた。写真を撮りながらやっと大垂水峠に着いた。まあ富士はうっすら。と、ここで下り坂と思ったらギアチェンジに失敗。チェーンが外れてしまった。こんなところで故障したら目も当てられない。自転車のインフラ整備もながらくご無沙汰だったから、チェーンの戻し方も忘れていた。ともかくもあわてずに破損故障さえなければ万事OKだ。手を油で黒く汚してなんとか復旧させる。インフラのしっかりした自転車に乗るものだ。このHayabusaは川越で転倒した時もほとんど破損はなかった。今度もまったくブレがない。しかしギアはあまりいじらずに今度は下りを慎重に降りていく。ブレーキが命だね。これもシューを取り換えて調整してあったから問題はない。一度道を訊ねながらようやく相模湖駅前に着いた。峠越えはここで成功した。

・・甲斐路の峠越えは江戸の頃なら雲助が出そうなところ。昔の人はこんなところをてくてく歩いて越えたんだ。歩いている人はほとんどいない。自転車はヒルクライムの初級というのでけっこうなメッカらしい。実際数台のロードレーサーに出会ったが、みな手馴れたものだ。軽く追い越されたりした。まあ、下りの坂は楽ですね。でも帰りにここを登ると思うとぞっとする。大垂水峠を越えて下りにさしかかった辺りで、ツンと鼻にくる匂いがした。これはゴミの焼却する匂いだ。ああ気持ち悪い。こんなところさっさと下ってしまいたい。はじめての道はスピードを上げる訳にもいかず、Vブレーキを駆使してなんとか下りていった。・・高尾の麓から相模湖まで約一時間。今回はもう少しかかった。途中美女谷温泉の看板があった。寄ってみたいと思ったが、あとで観光案内所で聞いたらいまは休館してるという。ほかに温泉はないかと聞いたらいくつかあった。藤野やまなみ温泉というのはいいらしい。またこの三月には相模湖畔にいま流行の日帰り温泉ができるとも。よし、今回はもう引き上げだが次回はその温泉にも寄ってみよう。

421秋魚:2013/02/28(木) 02:40:04
(無題)
・・顔が日焼けした。大垂水峠ヒルクライムの帰りは国道20号をまっしぐら。これが懸案の甲州街道。往路の浅川CRでは芸が無い。思ったより走りやすい。これなら夜でも走れる。あのヒルクライムを乗り切ったからには、大方の坂はこなせる。東海道箱根の関というのはひどく大変そうだが。ともかく甲州廻りには一歩前進。必ずや富士の裾野に行く。

・・ipodriderというのをやってる。先のヒルクライムの時は高尾以降は精神集中のためipodは外した。しかしミュージック聴きながらのロングライドはいいリズムで乗れる。まったくノリノリになれる。最近はvanessamae、filippagiordanoを追加した。ipodは画期的な装置だ。音楽は時間の節約だ。クロスオンメモリの基調音だ。

・・芭蕉の「奥の細道」を解読したい。これは夢幻能だと思いついた。あわてて検証している。裏日本に抜けて出羽三山から象潟がピークではないか。

>・・ 江山水陸の風光数を尽して、今象潟に方寸を責*。酒田の湊より東北の方、山を越、礒を伝ひ、いさごをふみて其際十里*、日影やゝかたぶく比、汐風真砂を吹上、雨朦朧として鳥海の山かくる*。闇中に莫作して「雨も又奇也*」とせば、雨後の晴色又頼母敷と*、蜑の苫屋*に膝をいれて、雨の晴を待。其朝天能霽て*、朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。先能因島に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ*、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木*、西行法師の記念をのこす。江上に御陵あり。神功皇宮の御墓と云*。寺を干満珠寺*と云。此処に行幸ありし事いまだ聞ず。いかなる事にや。此寺の方丈に座して簾を捲ば、風景一眼の中に尽て、南に鳥海*、天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。西はむやむやの関*、路をかぎり、東に堤を築て、秋田*にかよふ道遙に、海北にかまえて、浪打入る所を汐こしと云。江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし*。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。

 象潟や雨に西施がねぶの花

「・・朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。先能因島に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ*、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木*、西行法師の記念をのこす。」

・・、「花の上こぐ」は眼を疑った。これは極楽浄土かもと。

 象潟の桜は波に埋もれて花の上こぐ蜑の釣り舟   西行

・・西行はこんなところにも来ているのか。

422秋魚:2013/03/06(水) 02:14:25
(無題)
・・大垂水峠を走破したので大方のアップダウンは軽いものになった。Hayabusaのインフラにはいつも気づかっているが、少しのブレもない。ブレーキ部分に多少はあるが、あれだけ酷使すればワイヤーも伸びたりする。シューが磨り減ってその分ワイヤーが伸びた気がするが、シューを交換して効きもよくなる。ギアは21段の幅で、極限のものはまだ使っていない。・・今日は青梅の金剛寺までポタリングに出た。途中ギアの未経験の位置を試してみた。2−6、2−7とか。恐る恐るだが、大丈夫な様だった。日野バイパス石田橋から多摩川CRで羽村まで例のごとく河辺の梅の湯をめざし今日はそこを通過して青梅街道を青梅駅の近くまで走りその先宮ノ平に着くより手前で川の方へ折れてそこに将門ゆかりの梅の木がある金剛寺を見つけた。真言宗豊山派の寺で墓地と幼稚園経営をやってるのかあまり観光客は来ないようだ。青梅ゆかりの梅ノ木は平将門の馬の鞭から生ったという。ここは実は30年以上前に一度訪れている。朽ちかけている老梅樹を憶えているがそれは名に負う梅ノ木でなく隣にもう少し大きな梅ノ木があった。この梅ノ木は実がいつまでも青く黄熟することがないという。もう晩盛期で30年の間に無くなっているかもと思ったがいまだ健在であった。梅の花はまだぽつぽつといったところ。野梅でさほど見栄えがよいというのでもない。写真を2、3撮った。・・枝垂れ桜もありこれはかなりのものだ。こちらの方が見栄えはよさそう。桜の頃にまた来てみようか。

・・ipodriderというのをやってる。ipodで音楽を聞きながらサイクリングするのだ。これはとても楽しい。が、今日は危ないことが2度あった。ひとつは小さな信号が眼に入らず赤のとき道路を横断して車のクラクションを浴びた。実は信号はみえたが無視しようとした。音楽に乗りすぎた。whitneyhyustonだったかcelinedionだったか。・・もう一つは狭い道で後ろからの車にやはりクラクションを浴びた。外の音は拾えるが後方の音はやや拾いにくい。いずれも大事には到らなかったが、気を引き締めねばだった。

423秋魚:2013/03/21(木) 01:38:25
(無題)
・・桜の開花がはじまった。連翹とか泰山木とか梅とか桃とか今年はみな同じように咲き始めた。悪い風邪が抜けきらないが、またロングライドに出ることにした。前回、甲州街道20号から大垂水峠を越えて相模湖までいった。西へ行く海沿いの東海道は茶畑や蜜柑畑があって明るい気がするが、高尾より峠を越えて甲州に向かう道は何か陰湿で自転車の乗り入れも気が重い。大垂水峠はヒルクライムのメッカだという。今回もここをチャレンジして相模湖に沿い藤野までいく。藤野から相模川を横断して南の山に入る。やまなみ温泉というのが目標となる。

・・夜間走行を避けるため朝8時に出発。桜の咲き始めた淺川サイクリングロードはもうお手のもの。セリーヌディオンなどipodriderをやって高尾の麓まではあっという間に来た。・・遠乗りをしたくなるのは実は訳がある。きのう小平の温泉で悪いものをみた。ドライサウナに入ってそのまま昇天した人がいた。よい気持ちになって眠ったままになった。酒を飲んでた風にも見えない。もう年だからそういうこともあるか。救急隊が連れ去った。・・この遠乗りのために肉を食べよう。餃子の王将で酢豚を注文した。急いで作るからか煮込みが足りない豚肉でまあ若い人にはいいかもしれない。自分はこれが最後だろう。野獣になりたい気がした。

・・大垂水峠は、やはり胸突き八丁がしんどい。登りきってしまえばあとは降るだけ。今日は前回より車が多いのが、あぶない感じ。ipodriderはやってられない。音楽を聞きながら昇天する訳には行かない。ピークはいつかは来る。我慢我慢で峠に着いた。降りはブレーキコントロルだけいい感じで坂をくだりずっといくと別のチャリダーが休憩しているので道を訊ねた。や、外人か。can i go through bentenbashi? sorry i dont know this way. you from australia? deutshland. ya,
danke schoen. ドイツ人で日本語はわかる。峠でヒルクライムの練習だそうだ。サイクリストの仲間は基本は単独だ。兄弟仁義で2,3のグループで走行するのもある。これはケイリンの影響か。話をする機会があったらうるさくならない程度に声をかけるとよい。枢要な情報は惜しげもなく与え合う。・・帰りの道のために、プレジャーフォレストに行く道を地元の人にも訊ねた。わからなくなったら誰にでも聞くのが一番。・・相模湖駅に着いた。

・・今日はこれから先の藤野までいく。JRでもう一駅さき。20号はさほど快適ではない。よく憶えてないないが、左手に湖があって峡谷みたいなところを渡ったりした。さすがにロングライドに来た気がする。・・藤野駅の観光案内所でやまなみ温泉を訪ねる。今日は祭日で営業してるそうだ。自転車で30分はかかる。実際山奥でアップダウンが3回くらいあったか。なんとか到着できた。げ、自転車置き場がない。なるほどあんな山道では自転車向きではない。みんな車で来てるが、自転車で来るのは自分みたいな物好きだけかもしれぬ。

・・アルカリ泉で透明だが、さらっとしている。丘の上にあって露天の眺望はやまなみのテラスという風だ。客筋は近隣のものが多いようだが、あちこち渡り歩く温泉通もいる。話をするからそういうのもわかる。この周辺だけでも6つの温泉があって、自転車でまわるのは無理としても車ならいともたやすい。驚くべき秘湯の話をしていたが、マニアには上には上がいるものだ。空気にさらされない温泉というのが極上のものらしい。これは初耳だった。源泉かけ流しというのがある。それが近いかも。

・・ここに来るのにほぼ4時間かかった。出掛けにセンベイとデコポン蜜柑それに水をもってきた。休憩をとって水分をとったりするのがサイクリングにはいい。デコポンは実が詰まっていて携帯するのにもいい。店らしい店もない。山道でパンクでもしたら今考えるとぞっとする。パンク修理セットを持ち歩いているが、実際そうなったら果たしてうまく直せるか。・・しかし藤野からこの道は都留や山中湖への標識もあった。大月にいかず直接都留にいけるのだろうか。このあたり山道だが自転車でいけないこともなさそうだ。このあたり奥が深そうだ。

・・駅の案内所では親切にされたので温泉ではなるべく多くお金を落としたい。レストランと売店か。生ビールをいつも飲むが、自転車も車両で酔っ払い運転になるらしい。しかしこれぐらいのアルコールが回らないとロングライドもやってられない。まったく地獄かと思うような道もある。・・売店では、大豆でつくったうどんというのを280yenで買った。めずらしいものだ。

・・帰路は、相模湖のプレジャーフォレストに行く道を考えたが、山道なので一度20号へもどった方がよいということだった。そうしてまたもと来た道を進んだが20号へでる近道をとるのを間違えてしまい、またアップダウンのある山道に入った。舗装はしてあるがとんでもない道で木材の伐採場のようなところで道をたずねた。そのまま登っていくと下りになってプレジャーフォレストにいけますよ。篠原という土地だった。さらに土地の人にも聞いた。やまなみ温泉から直接いった方がよかった。ともかくアップダウンがいくつもある。プレジャーフォレストに出れば津久井湖をまわって橋本にでる。八王子の野猿街道に出られれば府中四谷大橋にいくはずだ。・・プレジャーフォレストにはこの春また新たな温泉ができたはず。みんな車で来ているのか入口は殺風景なところだ。門衛に今度来るときのために情報を教えてもらい、やっと本格的な帰路になった。・・途中正覚寺という俳句寺がある。柳田國男などが民俗学で最初の村調査をはじめたところだという。それにしてもここいら一帯水源が多くこれなら都市も安泰かと思われる。いつか厚木に行ったときも相模川の下流が2本もあって雄大で驚いたものだった。都留の方へは桂川というやはり相模湖から流れる川がある。富士の裾野を蔓がうねって這うように川が流れるからそれで都留というそうだ。こちらもいつかいってみたい。

・・橋本の駅の近くでまた道をたずねた。ヘルメットを被った土建屋さんのようだったが、親切に応対してくれた。16号はバイパスでやめた方がいい。一度駅前にでてそこを真直ぐいきなさい。あ、実はぼくも自転車をやってるんです。急に自転車乗りの話になって、今度は塩山から糸魚川にいく計画がある。へー、すごいもんだね。こちらはまだ素人なのに。もっといろいろ話をしたかったが、未練は禁物ありがとうといってHayabusaに乗った。でもまたどこかで会いそうな人なつっこい風だった。自転車はいい。彼もそういった。・・ここまで来ればあとは目クラで走っても帰れるだろう。そう思ったがもう何度か道に迷い多摩センターのモノレールのある道、ずっと野猿街道で四谷大橋にでた。ここで土手沿いにいきすぐY’sroadがあってここはいい自転車のショップ。ここまで来れば、迷路も出口は予習済み。・・かれこれ帰りも4時間かかった。

424秋魚:2013/04/10(水) 11:58:46
(無題)
・・通いなれた道ならipodriderでいける。ランニング、ウォーキングをしながらのipodは自転車でもいける。音楽を聴きながらの自転車乗りとはほんとに痛快だ。ドボルザークのチェロ協奏曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、セリーヌディオン、ホイトニヒューストンのポップスがこんなにも愉快だとは思わなかった。・・だがこれは実際あぶなっからしく後方の車はよくクラクションを鳴らす。なにか踊りながら自転車に乗ってるみたい。自分ではわからぬ。絶対事故にはならぬという自信があるが過信は禁物。ドラッグでハイテンションになると似たようなものだから。ベートーベンの第九だったらmechanic orangeになってしまうかも。ハハ

・・それにしても最近は消えたアルベルチーヌさながら消えたmomoだ。まったく見えなくなった。一人だけハナミズキの子が小平にいる。きょう久しぶりに見たが少し太っていた。レストランで注文取りにきたのではじめて声をかけた。風邪がまだ残っていて声がおかしかったが声をかける幸せだった。女の子が少し太るのは自分は嫌いじゃない。褒めのつもりだったが、笑いながらすみませんといった。ひょっとして子どもでも出来たのかも。ハハ ビールを飲みながらipodでアンネゾフィムッターを聴いた。妄想が多く出そうになったら音楽を聞くに限る。あとデジカメがいい。音楽と画像で妄想をふせげる。

 アンネゾフィムッター銀狐つらら刺し

・・こんな句を昔はつくった。名前がすばらしかった。

   *

 馬ぼくぼくわれを絵に見る夏野かな    桃青


・・甲斐谷村(都留)に流寓中の芭蕉の句で、いくつか推敲の過程がある。流寓で発句の工夫で悩んだ。絵に自分を見るのは末期の目か。これが旅のはじめにあった。

・・芭蕉最後の旅「奥の細道」で、那須野で最初の俳諧が作られた。その発句は芭蕉で、客人の仕事だった。

 秣(まぐさ)おふ人を枝折の夏野哉   はせを

・・この発句のコレスポンデンスは見事というほかない。・・これをもうすこし続けると、


1 秣(まぐさ)おふ人を枝折(しおり)の夏野哉   芭蕉

2 青き覆盆子(いちご)〔を〕こぼす椎の葉   翠桃

3 村雨に市のかりやを吹きとりて   曾良

4 町中を行く川音の月        はせを

5 箸鷹(はしたか)を手に居(すえ)ながら夕涼   翠桃

6 秋草ゑがく帷子はた(誰)そ    ソラ

・・やれやれ連句的な生活をすっかり忘れていた。

425秋魚:2013/04/18(木) 03:29:31
(無題)
・・今年は桜だけでなく花の開花が早い。躑躅がもう開き始めた。はじめて開く花ほど凛とした花はない。北海道では、雪の冬に堪えた水仙やヒヤシンス遅い春に開く。大きな花びらで開くという。遅咲きもいいが、早咲きはそれで趣きがある。

・・塩船観音寺の躑躅ももう開き始めている。空気のよくない処で勤務している為休日は自転車でずっと川と緑の郊外へ出かけたくなる。呼吸が運動したがる。また青梅にポタリングに出た。

・・青梅の山奥に家でも買って住もうと思う。ひとりで住むのもおもしろくない。相方の女の子を探している。女の子はなかなか話をもっていく機会がない。小平の温泉の子に声をかけようとしたが、昨日も失敗した。

・・一軒家は値も張るし管理が大変そう。マンションを物色した。

・・そういえば駅前のコーヒーショップには、ダニエラビアンキ嬢がいる。餃子の王将の帰りにモカを500g挽いてもらった。ビアンキ嬢の手を触った。

426秋魚:2013/05/08(水) 07:09:54
(無題)
・・自転車遠乗りのステップアップを模索していた。基点となる今のクニタチから四方八達に足を伸ばせる。横浜のみなとみらいには何度かロングライドした。多摩川CRを使うと上流の青梅にもいける。皇居などある都心の出方も憶えた。川越、飯能方面も何度か試みた。・・世界遺産に登録されるという富士山の麓までロングライドするというのがセカンドステップとして思考されたが、甲州街道で大垂水峠を越えたあたりで今のポタリングーロングライドの限界を感じ始めた。輪行袋を使ったり、出先の宿泊を2泊にしたりとロングライドの本来を追究すべきなのだろうが、今の生活の限界がある。・・足元の生活は絶対安泰というわけではない。自転車遠乗りにはこの上ない場所だが、思うところあって、今回生活の拠点を移動することにした。

・・「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」という本がバカ売れヒットしてるらしい。ハハ読んじゃいないが、これは私のことだ。多崎つくるとは。世俗に追いかけられるなら自分はもっと先に行く。これからは色彩の追究がトレンドになる。・・というよりミニアチュール化された色彩はすでにスマートフォンなどでトレンドになってるはずだ。ミニアチュールが流行るだろうというのは、私の青春の放浪時代からあった。中世西欧の「ベリー侯のいとも豪華な時代」というのがひとつの鏡だった。

427秋魚:2013/05/22(水) 02:15:19
(無題)
・・さあこれで拠点ができた。おもしろいことになった。クロスバイクに乗って青梅まででかける。今度はすこし荷物を運ばなければならぬ。昔ヨーロッパを彷徨したバックパックを取り出した。こんなものよくとって置いたものだ。ミレーのパックはブランドものだ。頑丈で肩と背中によくフィットする。ただし開閉がややこしい。たくさんも運べない。とりあえず寝袋とタオル、ロープそれにパンク修理セットは道中の用心のためのもの。今までのただ到達するために自転車に乗るから拠点つくりのためにミツバチのように物を運ぶ。地勢を調査する。ロビンソンの漂流これに違いない。・・ミレーのバックパックライダーというのは、たぶんとても格好わるい。クロスバイクは別名シクロクロスでこれは格好いい。ロングライダーが背中に大きな荷物を負うのはあまりみっともいいものじゃない。しかしそんなことは言ってられない。難破したのだ。

・・多摩川CRで羽村までいきそこから新奥多摩街道にでる。ずっといって途中吉野街道へは今回はじめてチャレンジする。車で行くならこの経路で真直ぐいくはず。すぐに川を越えてこれは多摩川橋といったか。でも車も多くあまりいい道ではない。意外と長く目的地にはなかなか着かない。それでも釜の淵公園というあたりは前回も来た。万年橋のあたりここまで来れば拠点は近い。ぽつりぽつり雨になった。ずっと昔放浪してたころはとんでもない場所と風雨にさらされた。こんなものは何でもない。

428秋魚:2013/05/31(金) 22:26:36
(無題)
・・なんかすごいことになった。このすごさは説明しがたい。ともかく晴れたのでHayabusaに乗って新拠点に向かった。ミレーのパックには道元と世阿彌を入れた。・・一日3時間半しか眠らない生活を十年も続けただろうか。たしかにこれはおかしい。よく堪えたというべきか、ついに破綻がきたというべきか。・・エジプト模様のカップ、レバノンの水注しもパックに入れた。・・自転車はもう日常でメリダのそれはインフラがよいのでこれ一つでよかった。が、新拠点の祝いにコールマンのフォールディング自転車を買った。20インチで小さいのにけっこう重い。しかしこの重さは頼れる。・・飲み物は水。これでいい。・・朱蒙のごとき拠点は城だ。国を造るぞ。

・・梅郷の仙人をたずねる。

・・朱蒙というよりテジョヨンか。さほどのしがらみがあるわけではない。東明聖王というのは誰だったか。絶体絶命の場所で何度も生きたのは天命としかいいようがない。大震災も天命にちがいない。

・・新天地で最初に出会ったのがパニック障害の女だ。昔西欧を放浪してわかったのはこんなところでパニックになってはいられない。いつだってパニックになれる。見知らぬ土地でのパニックはほとんど死だ。日本でのロングライドはどんなひどい状況でも絶対にパニックになることはない。それだけは自信がある。パニック障害をもつ人は前の職場でもいた。あれは何でもない病だ。・・でもきのうはちょっと怖かった。妄想が脹らむんだね。30回は気を失ったという。自分が原因になったら怖いだろう。

・・セクハラについて。世の中にはセクハラを仕掛ける女がいる。これも一種のパニック障害だと思うが。もともとそんなに美貌で可愛いわけではない。せいいっぱい愛想をふりまいて大胆に着飾り何度も何度も呼び出す。それが仕事だから。気があるふりをして乗ってきたらぴしゃりと逃げる。こっちもむこうも本気ではないのだ。最初から本気でないなら、相手をはめる抜け道がある。セクハラを告発して男を殺す。そういう遊びを覚えた女もいる。なるほどね。・・これはたぶんパニック障害。

・・冷静に考えればわかる。

・・ロングライドでよく道に迷い方向性を失うことがある。「よく」ではない「しばしば」だ。これも一種のパニック障害。処方は、通りすがりの人に道をたずねる。どんな人でもたいていは親切に道を教える。時には間違いもあるが。あと地図ももっていないのかとたしなめられることもあった。どこにいきたくてどうして道に迷ったか、こちらの情報を伝えなければはじまらない。パニック障害なら、ここで出口を失うのだろう。てんかんを起こす。自損事故かもしれない。

・・「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」というのは、たぶんこのパニック障害がテーマだ。読んじゃいないが、そうでなければあんなに売れる訳無い。文学はたしかに医師にちがいない。

429秋魚:2013/06/05(水) 00:32:52
(無題)
・・自転車で2時間。これはほんとのところややきつい。一時間というのがとてもよい。2時間というなら連ちゃんはやりたくない。青梅の蒲団やさんは、昔よく綿を積んで1時間でいったというがほんとかしら。青梅・国立を何で自転車で綿を運ぶんだろう。ひょんなことから面白い話になった。・・蒲団の打ち直しをやろうとしたら蒲団やが無い。ホームセンターで出来ないこともないが何か味気ない。配送のサービスすらない。合繊の蒲団は安い。羽毛布団というのが流行のようだ。羊毛を入れるらしい。昔の蒲団は木綿オンリーだろうか。ともかく打ち直しは買うより高くつく。自分の蒲団はもう捨てるべきだろうか。今は捨てるのも大変むずかしい。・・テレビを捨てようとしたら、リサイクル料金がかかるという。業者にタノムと運搬料、手数料までとるという。やってられない。・・蒲団はなんとしても打ち直して使うことにした。

・・アナログのレコードも放置されたままだ。コンパクトなipodで快適な音楽生活を覚えたばかりだ。自転車に乗ってタブララサを聞く。こんな素敵なことはない。・・アンプとターンテーブルは頂き物でこれも使われず捨て置かれたままだった。・・音がでるのか試しにスピーカにも接続してBACHのガンバソナタをかけてみた。ん、太いアナログの音がでる。機械は健在だ。・・アナログの音をオヒサで聴いたが、感動!・・今度の拠点は渓流の近く。ここなら聴ける。これらは一式運んでいく。

・・梅郷の仙人。フォールディングバイクで散歩といってもほかにいくところはない。オーストラリアの人がここに住んでいるという。自転車好きで花が咲いた。家も買った。・・チタンのフレームというめずらしいものだ。30万。わたしのとは比べ物にならない。軽い。・・自転車の覚え方はたどたどしいが、これは自分も同じ。パンク修理はやらないという。で、実際パンクした時の苦労話を聞いた。強引に電車に乗せたらしい。・・自分にはできない。・・顔振峠へはよくいくという。

430秋魚:2013/06/14(金) 01:52:32
(無題)
・・いやはやいろんなことが起きる。コンピュータの自動更新のあとにwindowsが立ち上がらなくなった。予備で使ってたもう一台もそうなった。どんな更新ファイルか調べようとしたが皆目正体がつかめぬ。ウイルスかハッカー攻撃か、最初に思ったのはMソフト。XPのサポートがもう一年を切った。大体更新ファイルが増えてからパソコンはおかしくなった。・・コンピュータは立ち上がった時点でメモリーに物理的障害がおきるとある。これはたぶん過度の情報量をもったスパイウェアをデスクトップにインストールしたせいだろう。しかしMソフトならわたしだけということはない、多くのXP使用者にも害が及ぶはずだ。・・ウイルスソフトを入れてこうなるのは、訳がわからない。結局一台はあきらめ、もう一台のレノボはシステムの復元機能が外に付いているので、工場出荷時の形までもどした。ここにはさほどのデータファイルはない。ただ自動更新はやめた。コンピュータを変えてもわたしのインタネットのアドレスに来るということは未来永劫に攻撃されるということだ。・・問題は愛用していたdellのpentium。一度クラッシュしてHDDを入れ替えた。その後古いHDDのデータを救いチェックディスクで破損を修理回復させた。その古いディスクをもとにもどした。果たして機能するか不安だったが、見事windowsが立ち上がった。クラッシュしたディスクはケースにいれて以前と同じようにデータを救い修理しようとしたが、認識に失敗した。ダメだ。

・・いろいろやったが攻撃されたHDDはもうダメかもしれない。金属部分にドライバーの先を当てたから電気ショートしたかも。修繕した以前のHDDが使えるので当分はこれで無理なく使用できそう。それよりレノボのwindowsもおかしい。updateが効かなくなった。下手にupdateにこだわるとIEXがクラッシュする。というよりアドオンなしで立ち上がるが開けないページが出てくる。いいたくないがこれは完全にMSが仕組んでるのではないか。updateを効かなくするというのは、もちろん自動更新を使えというのだろうが、これが攻撃されたら自動も使えない。XPはやめろということだ。・・これはグーグルのプラウザに切り替えた。

・・今回コンピュータ依存を過度にやるのも問題だとわかった。単なる電子記号の集積だから。バックアップに無頓着なのもよくない。もう一年は使用能力をせばめて使っていこう。

・・青梅のジャッズが聞けるお店「夏への扉」にいった。昔は駅に近い電車の窓からお店の看板が見えたものだが、今はどうか。外装とかほとんど手を入れてないのでくすんでしまい古色蒼然廃屋のようでもある。が、たしかに営業してる。・・こんにちわ。午後の遅い時間で客はいない。マスターは年をとったが見覚えはある。むこうは憶えてないだろう。カレーセットを注文した。・・涙、涙のお店です。

・・それにしてもこの町どうなっちゃうんだろう。青梅駅前の大きなビルは一階地下が食料品スーパーでまだ人の出入りが多い。二階より上は昔は長崎屋などのデパートだったらしいが看板がくすんで取り残されているほか今はどこのテナントも入っていない。というよりビル自体修繕の限界をすぎているみたい。・・駅前通りは昔風の小売店が多い。客がいつも見えないところも多い。人の心配事ではないが、すこし寒くなった。・・わたしの住むあたりは、子供も多いが。

431秋魚:2013/06/18(火) 23:34:34
(無題)
・・宝石、金、銀の類をもって「おたからや」にいった。青梅線にこんなところによくあったものだ。しかしチェーン店でメジャーな店のようだ。立川にいったときも金銀プラチナ買い取りますのお店は何軒かあった。たいしたものではないと思ったが、査定無料であわよくばお宝があるかもしれぬ。すこし恥ずかしかったが、えいとでかけた。・・店の主人は手馴れたもので丁重に応対する。高価買取といってもうまく安く収めるに決まってる。値の付くものはこれだけという。銀ばかり。中にジュエリもひとつ混ぜて秤にかける。シルバーですからといって、計5百yen。・・黙ってOK。選り分けた値の付かないものは捨てていく客も多いだろう。向こうもそう当て込んでるようだ。で、それは持ち帰ることにした。テレカでいいものがある。この際何でも金銭に換えたいところだ。いまのところ一番ダメなのが「本」だ。値の付かないものが多い。困ったもんだ。

・・青梅線で毎日荷物を運ぶ。きょうはいよいよ住民票を移しにかかる。転出届を出しに役所へ。いよいよおさらばになる。・・青梅線は意外とおもしろい。通うたび乗客をそっと観察する。なんか細かくよく見えるのは不思議だ。中学生とか生意気盛りの連中もどやどや乗ってきてこういうのももう何十年ぶりか。特に女性の観察は楽しい。全体が質楚な身なりだが時折飛びぬけて垢抜けた美人もいる。というか福生あたりの女性はちょい怖い。・・青梅線は外人も多い。

・・なつかしいのはSylvie。初恋の男性を歌ったニコラもいいが、yesterdayを歌ったjecroyaisは絶品だ。パリのオランピア劇場で歌ったものは最高だった。ユーチューブで何度か聴いたそれが著作権からロックされ見ることができない。なんとも惜しい。同じjecroyaisでも回想が働きにくいので聴いてみよう。

http://www.youtube.com/watch?v=zKBuSVNDR4I

432秋魚:2013/06/25(火) 02:04:44
(無題)
・・バックパックライダーというと聞こえはいいかもしれない。ライダーといっても自転車は休止して電車に乗っている。背中のパックは重量が均等にかかるから確かに腰への負荷はあるにせよ筋肉は補強される。荷物運びでは物足りないので手提げのバッグをもうひとつ肩にかけて運ぶ。これは確かに安定が悪い。ともかく駅からの道もけっこうなだんだら坂で一塩の汗をかく。・・よく眠れる。新陳代謝の循環がよくなれば血のアクも抜けてくるにちがいない。泥のように眠るというのも久しく経験していない。気を使ってくれる人にはいくらでも話をしたい。これはほんの一部。

・・インターネットラジオというのは素敵だ。ラジオのAM、FMというのは番組が限られているというのもあるが、どうも飽きる。ネットラジオの局の多さ。選択の楽しさだけでも充分いい。calmradio BACHというのを聴いている。飽きない。

・・本を少しさばいた。5百yenになった。・・To have and have notというヘミングウェイの小説は、andではなくorかと記憶していたがこれは大きな間違い。Le port d'angoisseという映画はこれが原作でハンフリボガードとローレンバコールが絶頂だ。

・・how little we know????・・存在感が強烈なら、歌など下手くそでかまわないということか。

http://www.youtube.com/watch?v=mFfuUu5xmMA

・・ハワードホークスはヘミングウェイに言った。・・三文の小説でも映画にすると超一級のものになる。

・・To have and have not??仏語原題 Le port d'angoisse 苦悩の港。

  *

・・Sylvieの存在感も、極まるのは Mon pere 父よ

http://www.youtube.com/watch?v=9ceH0PMBXl8

433秋魚:2013/06/29(土) 00:20:29
(無題)
・・前回のコンピュータクラッシュの原因はわかった。windowsの更新ファイルと中国製セキュリティソフトが干渉しあった結果だ。ああ恐ろしい。たまたまそうなったのかもしれないが何か陰謀くさい感じもする。うまく言えないがともかく自分はHDをひとつお釈迦にした。データも多く失った。ほかにもクラッシュした人は多いだろう。

・・さて、富士山が世界遺産になったそうだが、当然だと思うし、どうでもいいことだ。彼らが騒ぐなら上手にやってもらいたい。・・今は新しい拠点周辺で手一杯。

・・ここいらで唯一のホームセンタCAINZにでかけた。引越し前にフォールディングバイクを買ったのは正解。colmanのそれは折りたたみといってもハンディで持ち運び便利というのではない。がっしり造ってあるからかやたらと重い。一度袋に入れて電車で運んだがもう二度とやりたくない。クロスバイクを車輪を外して袋に入れたほうがはるかに移動しやすいだろう。ともかく運んでからは新地で重宝している。CAINZにいくのは今日で三度目。最初はただいくだけの様子見。二度目はスポーツシューズを買った。三度目はカードを作って小さな脚立を買った。このミニベロで運べるのか心配だったが、わたしの見立てに狂いはない。包装が無いということだったが、サービスカウンターで一番大きい袋を出してもらった。エコだからかもしれぬが、なんとなく出し惜しみ。ともかく自分はなんでもリサイクルの用意がある。店の前で88yenのジュースと百円のタイヤキを買った。・・梅雨の晴れ間で雨は降りそうに無い。前かごにひっかけて落とさぬようえっちらえっちら帰ればよい。今日も道順を変えて小作の駅をめざした。途中東芝の工場がある。さほど広くは無いがたしかに東芝だ。府中の東芝とは比べようもない。電気は不況だが東芝は最近まあ盛り返してきてるはず。でも原発関連ではどうか。ともかく電機はがんばってもらいたい。・・新町7丁目。これはもう青梅の外れか。犬を連れた奥さんが昔一戸建てで住んでいたあたり。こんな地の利のいいところにいて何で青梅の山麓に越してきたのだろう。パニック障害というが、彼女のことは不思議ばかり。24になるうら若き娘がいるそうだ。娘を紹介してくれといったらものすごい形相でにらまれた。パニック障害だというならそこで倒れてみてほしい。常識的な言い草でパニック障害もあったものか。ハハ、彼女はおもしろい。広いところに越してきたのだからお嫁さんをもらいなさいとかなんとか。自分が候補だったみたい。わたしも想像したが、犬のようにはなれない。・・なんというか嫌いじゃないが、今はもう彼女に会えなくなった。

  *

・・そんなことはない。また彼女に会えた。犬を連れて散歩と買い物にでたのだという。駅に近い別のマンションに引っ越していった。通り道だからいつかまた会えるだろう。せまい町だ。・・偶然ね。よく会うわね。パニック障害とか病気もちの女は御免こうむりたい。とはいえパニック障害は愚かな病だ。何が偶然なものか。多崎つくるに偶然という言葉はない。しかしすごいことになった。・・いろいろ話が多い。さしさわりのある話でここで披露できないのが残念。これから芽がでたら育てていこう。ヨークシャーテリアの犬はすこし懐いてきた。サングラスが似合いそう。

・・青梅線沿線の古本屋ことごとく洗っている。といっても数はない。文庫本など値が付かないらしいが、なんとか値をつけてもらった。彼らも大変だ。ネットショップでなんとか食っている。チェーンの古本屋はどうでもいいが、個人でやってる古本屋にはがんばってもらいたい。・・とにかく本はどんどん捨てたい。書を捨てよ。街へ出よう。ではない。書を捨てよ。森へ行こう。ハハ、もう森へなんか行かない。は、フランソワーズアルディ。・・森へ行こう。

434秋魚:2013/07/07(日) 21:39:24
(無題)
・・いやはや空梅雨?今度の砦は西日がきつい。とはいえ風通しがよく窓をあければエアコンはいらない。姉がカーテンを作ってくれたので外の光も遮断できる。プルーストのように内面の世界に篭もることもできそう。バルコニーの前は裏山。いろいろ虫が多そう。毎日蜘蛛の巣を払うのが大変だ。赤いいかにも毒のありそうな蚊がいてこんなのとも格闘している。犬を連れた奥さんが嫌ったのも無理はないか。

・・テレビをようやっと捌いた。リサイクル品だとかで捨てるにも流儀がありやたらと費用がかかる。ねらった業者があることないこといって支払わせようとする。きょうの業者はリサイクルに回さず持ち帰ってつぶすのであろう。リサイクル料プラス千円で引き取ってもらった。ばかな話だが彼らもこれで食っている。領収書にケイタイのナンバーを書いていたからまだ良心的な方であろう。まあがんばってもらいたい。・・それにしても片付けようないのは、本。青梅線のありとあらゆる古本屋にあたったが、なんとか昼ごはん代ぐらいで引き取ってもらえた。話を聞いていると、ネット以外はあまり売れない。可愛そうなくらいでタダでもいいと思うが、向こうも気遣って少しは値をつけてくれる。自分でもネットで調べて売れそうな本というのも分かってきた。・・もう一月でどれくらい本を減らせるか勝負、これは大げさではない。本を大量に捨てにかかっているのは自分だけではない。谷川のおじさんは商売上手で定評だが売り手の攻めがきびしく最近は店もお休みの連続だ。今度はすこしいい本をもっていきたい。

・・青梅線は日曜はすごい活気。立川に出て都心に向かってた頃は、やけにローカルで利用客もどんどん減っていく気がしていた。ほとんど無視していた。

・・青梅より先奥多摩方面は袋小路かと思いきやいろいろ楽しい道があるようだ。青梅街道は実際サイクリストは絶え間なく走っている。電車も多士歳々若いヤンキーから老いの人までリュックを背負ってどこにいってきたのだろう。電車の中だから内輪の話もとどいてくる。知らぬ間に浦島太郎になった。多摩川上流ではカヌーもやるらしい。御岳詣では自分も2度はやっている。あといろいろあるのは今後の楽しみだが、こんなにも都心から興味をもたれているとは、意外。

  *

・・「アルンハイムの地所」というポーの小品がある。

喜びにみちてまどろみ、
大空に眼(まなこ)とざして臥すうるわしの女(おみな)のごと、
げに花園は造られたり。
空の上にも見ゆる紺碧(こんぺき)の野原、相寄り集まりて
大いなる輪を描き、光の花々をちりばめたり。
いちはつの花とその紺青の花びらに置く露玉は、
さながら青きたそがれにまたたく星屑(ほしくず)。
                    ジャイルズ・フレッチャー

「アルンハイムの領地」というマグリットの絵があります。ポーの作品に触発されたといいますが、異曲。

  *

<・・彼は、幸福に関する四つの基本原則、より厳密に言えば、基本条件を認めた。彼が何より重要視したのは、(妙なことだが)戸外でのびのび運動するという、単純でもっぱら肉体的な条件だった。「このほかの方法で得られる健康など、その名に値しない」と彼は語っていた。一例として彼は狐狩りの無我夢中の楽しさをあげ、また大地を耕す者たち、すなわち、ひっくるめてほかの連中よりは幸福だといってよい唯一の階級を指摘した。彼のいう、幸福の第二の条件は、女性に対する愛であった。そして第三の、最も実行困難な条件は、野心を蔑視することだった。第四の条件は、絶えず何かの目的を追求することだった。そして、彼の見解によれば、他の条件が同等だったら、その目的が精神的なものであればあるだけ、獲得される幸福は大きくなる、というのである。・・>

・・なるほど、よくわかる。「戸外でのびのび運動する」という、これはわかる。

435秋魚:2013/07/25(木) 22:16:02
(無題)
・・うわっ。本が大変なことになってる。引越しで処分を始めたら古本屋が激減している。まれに出向いてもほとんど値が付かない。店主と話すとやはり買い手不在で火の車という。インタネットで売りに出すのが一番いいらしい。・・今日は洋書を捌きに神田まで出かけた。青梅線沿線で洋書など捌けるわけがない。ミレーのバックパックに洋書を詰めてああ重い。事前に電話をいれて空振りないようにともかくこれを捌きたい。なんか驚いたことに30年前と同じに経営しているが、やはり本の事情は大激変だという。カントの純粋理性批判などもう読むすべもない。プルーストの失われし時はたぶん読むだろう。プレイヤードの3巻本はいま4巻本になってるというがいくら注釈が増えてももう関係ない。注釈なしで読むまでだ。視力ももろに落ちている。盲目で読む本というのが本念かも。いやはやすごいことになった。本をごみのように捨てるのはつらいことだ。売れるものは売って捌きようのないものは自分が持っているしかないか。・・神田にでて洋書店スブンの話題がでた。ここにいたホリエはけっこう有名でT書店の主も知っていた。最近店を離れたとか。帰りにちょっと寄ったがスブンというのはすごい洋書を置いている。まず普通の客はいない。昨今の本の事情からすると神田もだいぶあやしくなっているようだ。・・御茶ノ水から神保町、神田から東京駅まで歩いた。

毎年恒例の株主総会。だいたい事情がわかったので今年はひとつだけ。そろそろ株からも手をひきたい。・・コンクリートの寿命は約50年。東京オリンピックから50年で新規再生のオリンピックがあれば企業も活気付く。日本株というより日本再生がなるかのアベノミクス。・・それにしても麻生氏は何をいったのだろう。ああいう役者は貴重だ。

・・ついに国立、青梅2往復。ミレーのバックパックがこんなに活躍するとは思わなかった。ほんとに丈夫でよくできている。重い荷物だが腰を悪くするというのはない。ただわたしの運び方はもうひとつ手提げのバッグを運ぶ。これで左右のバランスがくずれる。2度運ぶと足腰が少し張る。腰はひきしまっていい感じだ。・・あるもの総動員。ミッキーマウスの水筒はアルジェリアにもっていったものだ。ほとんど用なしだった。が、それが今この夏の盛りで重宝している。水が貴重だ。

436秋魚:2013/08/06(火) 23:20:50
(無題)
・・あと10日でどれだけ片付くか。掻き捨てても掻き捨ててもゴミの山、などやっていたが、ほんとはゴミの山ではない。すべてをゴミとして処理する業者はごめんだし、もっと律儀な引越し業者は取り扱いが無理であろう。自分ひとりでやらねばならぬこと。過去の追憶を楽しみながらはじめていたがこれも無理になってきた。迅速俊敏な仕分け処理の問題になってきた。・・きょうは燃えないゴミでパン焼機など出したあと役所にラックを粗大ゴミで廃棄する手続きをした。そして一回リュックで荷を運んだ。・・新居でメール接続の不具合を正すためプロバイダに電話を入れた。係員と交渉するまでいかに時間と手間がかかるここ。それでも相手はさすがプロ。一発で解決した。その後にガスレンジの点火の不具合を正すためまた業者に電話を入れる。これも担当員が夕方までに訪問してくれるとのこと。実際来てみてびっくり。不具合は嘘の様に解消されていた。わざわざ呼び出してひらあやまりにあやまり不思議なことだった。・・さて夕方から2回目の荷物運びに出たところ、立川駅でポイント故障。電車は拝島折り返し運転だという。結局荷物運びはあきらめて河辺の温泉に寄った。昔はゴミの巣を拠点にこういう温泉に自転車で通うのがお気に入りの方法だった。はやく引越しを終えてしまいたい。

437秋魚:2013/08/10(土) 00:27:33
(無題)
・・電車に乗るとまあ若い子はほとんどタッチパネルのスマートフォンいじってる。女の子は特に旧式のケイタイではみっともないだろう。最新式のスマートフォンで遊んでる。画像もオリジナルの手の込んだもので美的センスは皆がプロといったところか。スマートフォンの電子部品をつくる会社や通信の会社の株をもってるがスマートフォンの利用者ではない。時代に乗り遅れているかもしれない。あんな小さい器具を使いこなす視力も実は無い。・・本がまったく価値を失ってる。古本といって文字通りの古いやつはまったく見向きもされない。きょうは電車に乗って「苺つみの季節」というコールドウェルの古本を読んでやった。まったくこのごろの私はタバコロードとか怒りの葡萄とか最高によくて八月の光とかそんな気分の毎日である。電車の中ではいつもボロの古本を読んでやることにしよう。決めた。

・・畑中神社で納涼祭があった。ぶらっと物見にでかけた。子供が多くお母さんたちが多く立ち働いてる。活気があるのはなつかしい限り。カラオケ大会もおもしろい。雷が鳴って大雨になった。そのうち坂井よう子さんというプロのギタリストが弾き語りをはじめた。こんな田舎でずいぶん贅沢な納涼祭になった。しかし、大雨で祭りは中止。・・この日は隅田川や昭和記念公園の花火大会も中止になった。

・・坂井さんは軍畑、柚木のほうでリベラという喫茶店をやってるらしい。弾き語りもそこで聞けるらしい。・・ネットのyoutubeでアルフォンスの海というのを聴いた。一曲聴いて満ち足りる。いい感じ。

438秋魚:2013/08/17(土) 00:29:19
(無題)
・・テジョヨン、チャンボゴでも権力に捕縛されて労役を課される時は、肉体を酷使する単純労働の繰り返しになんとしても耐えている。食もぎりぎり制限され生存競争を強いられる。それと比べればミレーのバックパックの荷物運びなど猛暑でもいかにも気楽といえる。労役はシューシュポスのそれに似ているか。たぶん終わりがあるだろうというのが唯一希望だ。

・・ガーネットという詩誌が出てきた。さっと顔が赤らむような拙文が載っていたのでこれも持ち帰ることにした。2001年8月号というから12年も前になる。・・「今、わたしの関心事」というので、?ポエム通信「泥水」に掲載拒否された拙稿、・・石川為丸氏のHP「クイクイ」と私のBBS「俳句ダービー」で話題になった原子力問題をめぐる拙稿がボツになった。編集の市原正直氏には犯罪者呼ばわりをされてなす術もなかったが、さらに大きな犯罪が隠匿された気がしないでもない。この問題は次に大きな原子力の事故が起こるまで私のHPで話題にしていく予定。・・とまああって、このボツ稿も傑作だったわけだが、この一ヶ月後に起きたのは911の貿易センター自爆テロ、この9年と半年後に起きたのが東日本大震災と福島原発の大事故なのはまだ記憶に新しい。

・・青梅線の電車の中で、きょうは、新藤涼子「薔薇ふみ」を読んだ。この種の詩集本来ならわたしの元に絶対廻って来ない。なぜあるのかというと今だから言うが新井豊美さんに借りてそのままになっていた。すまないことをした。よいという詩集で豊美さんが気になるページはそっと折を入れてある。そこを読むとどこがおもしろいのかよくわかる。

・・はるかな岸辺に

エルカステイロはアルタミーラよりもさらに田舎だった
乗りかえるたびにおもちゃのように小さい汽車に変わってゆく
駅前教会の隣のホテルにカバンを置き
さっそく丘陵に登りはじめる
霧が山に融けてこころの中に沁みいるようだ
頂上の 緑にこんもり包まれているところめざし 濡れて歩く
ここの自然洞窟の景観は アルタミーラよりも豊富だった
なつかしいマドレーヌ期の先史人たち
立ちあがって洞窟の壁に絵を描きはじめる

・・

・・こういう詩集もあやうくゴミの中に埋没するところだった。

439秋魚:2013/08/21(水) 23:33:39
(無題)
・・こんな暑いんじゃ一労働ごとにビール飲まずにいられない。温泉で飲む生ビールはとりわけいける。また十年ぶりかで国語と数学の試験を受けた。中学卒業程度といって国語はまだしも数学は得意だったはずがなんとも嫌な学科になってる。注意力が落ちて細かなミスが多そうだ。間違ってもいいじゃんとか自分に甘くなってるからこんな試験はもう最後にしたい。おまけに今回は体力テストまである。前日にビール飲みまくりでそれでいいじゃんと思っていたが、バランス試験というのがとりわけ失敗であった。ぐらぐらしてとてもダメであった。ああ恥ずかしい。美人の試験管にご愛嬌ということにしたいが、試験は落ちたかもしれない。ハハすごい緊張ですね。

・・気分転換で国立の天然温泉にいった。もうここにもゆっくり来れなくなりそうだ。地元だった頃は夜遅くまで温泉とレストランの蕎麦とビールが格別だった。ひさしぶりに来たが同じようにすべてよい。お盆明けでも人はあいかわらず多いが、まあこんなものであろう。小鉢の天丼もいける。売店で縄文の黒米を買おうとしたがもう品目がなくなっていた。どうしてああいういいものを削ってしまうのだろう。・・かわりに地元農家のキュウリを買った。これは青梅に帰ってモズクに和えて食したがまろやかないい味だった。

・・国立はほんとに自由なすばらしい場所だった。八方に開けているというか説明しがたいが自転車乗りには最高の場所といえる。いまの青梅は一本道しかない閉塞感がつきまとう。周囲の半分は未開の山だ。川に沿って散策するとおもしろそうだが一本道。都心にでるのも一本道。近代的な疲労感がある。

440秋魚:2013/09/11(水) 09:07:13
(無題)
・・本を片付けていた「オール読物」という雑誌が出てきた。図書館のリサイクル本で除籍済のものを譲り受けてきたものだ。ゴミで捨てるつもりが不図思いとどまる。直木賞受賞作が全文掲載。車谷長吉「赤目四十八滝心中未遂」。で、青梅線の電車の中でパラパラ読む。出だしから何か身につまされる内容でゴミで捨てる訳にはいかないはずだ。終点までといっても当然最後まで読めない。イントロ留まりだがおそろしく感動。なんて真面目な作家だろう。今回の3ケ月引越しの醍醐味となった。・・で、その本は今手元にあるが、読んじゃいない。少しずつ読む。

・・やった。懸案の3ケ月引越しが遂にfinishした。ああ、おそろしい。本を40箱古本屋さんに引き取ってもらい多くを捨てた。にもかかわらず本はずいぶん沢山運んだものだ。視力が落ちているので、文庫本などはもう読めない。それでもいくらかは運んだ。洋書などももう根気が無くてたぶんあまり読めない。それでもお気に入りは確実に運んだ。古本屋も処分できないものはゴミで捨てずにこちらに運んだ。書類では昔の日記はすべてゴミで処分。「有論」という卒論のノートが出てきたのでこれは回収して後日復元してみたい。セリーヌの翻訳をやっていたK氏のもとにあったはずだが、彼も数年前に亡くなっているのがネットで分かった。昔の日記は読むに堪えない。「有論」だけは自分の原点になっている。これは復元したい。

・・9月。完全引越しのはじめは、ハヤブサ1号で駅裏の「夏への扉」にいった。日曜昼ならやってるはず。いくと盛況ですね。家族連れのほかにサイクリストたちが3人大きなテーブルを独占している。私の席はかろうじてあった。野菜カレーのセットを注文したが、その間客がぞくぞくとサイクリストはひと乗りしてまた後で来ますということだった。ほかにここを目当ての客が来たが、満員でごめんなさいでした。いつもジャズがかかってお茶もケーキも美味で、軽食のカレーは特に美味。みんな知ってる人はここを目当てによく来るらしい。・・前回来たときは客が私のほかは一人もいなかったので少し心配だったが、とんでもない。いいお店はよく人が訪ねるものだ。マスターは前に話をしたので覚えていてくれるかと思ったがすっかり忘れていてハハごめんなさいということだった。3ケ月も前じゃ無理ないか。ママさんの方はいくらか記憶にあるようだが、ともかく長い不在は私が悪い。いつも記憶にあるより美味なカレーをいただいておいとますることにした。コーヒー豆もここで挽いてもらえるらしい。引越しが終わったのでまた来よう。

・・今日は多摩川の上の方へいってみた。梅郷の仙人は留守。ずっといくと柚木あたり、奥多摩橋というのがある。ここを渡ると二俣尾の駅にいくらしい。山の向こうで黒雲がわだかまりゴロゴロ鳴り出したのでここらで引き上げることにした。リベラというお店はどのあたりか。少し探したが見つからない。代わりにpapiercolleというギャラリが見つかった。川はずっと渓谷の風合いでここらに住んでる人はなんか素晴らしい。・・あとでわかったが奥多摩橋よりもうひとつ先の軍畑大橋までの間にリベラはあるらしい。すごいところだ。・・ともかく今日は引き上げ。

・・吉野街道はそこそこ車が多く自転車は気をひきしめて走ること。上流方面は奥が深い。魂が浮き立つようだ。

441秋魚:2013/09/03(火) 18:46:21
(無題)
・・衝撃の奥多摩行。サイクリストやハイカーがよくいく奥多摩に今日は自分でチャレンジ。自転車はまだ慣れていないので小菅の湯への無料送迎バスに便乗した。先日奥多摩橋までいって横道は自転車がいい。幹線の青梅街道、吉野街道は実はすこし怖い。広くないうえ大きなトラックもよく走る。北都留郡にある多摩川源流の村、小菅にあるこの温泉は高アルカリ泉。福生あたりから客を拾って温泉の送迎バスが走る。すばらしいサービスだ。・・なによりも上流の小河内ダムにむかいさらに源流の村、小菅まで奥多摩縦走の感がある。・・御岳、鳩ノ巣、奥多摩までは川と鉄道と並走する感じで、鉄路は単線、川は深い渓谷、街道もトンネルがあったり自転車は本来こういうところを走るものかもしれないが、自分は怖い。バスの運転手さんに感謝。

・・何という風景か。谷の深さと山の緑の深さ。・・足元がすくわれる様でぞくぞく。ちょっとした思いつきの温泉行だったが、見立て以上の驚きの連続。先日すこし上流をさかのぼった時もぐらぐら目眩がしたが、今回はそれ以上。・・奥多摩橋の中ほどに萎れた花束が置かれていたのは、たぶんここから誰か身を投げたものがいたのだろう。そういう場所は近寄りがたく、今回鳩ノ巣など渓谷ではそんな投身の場所はいくらでもありそう。むしろこういう懸崖に巣をかまえる人もいてそういう心情は想像するだけでくらくらする。

・・上流にすすむにつれ谷は深く切り立ちこの垂直性は都会のビルのそれとは趣が異なる。水が流れる川があるからだ。桃源行というより地獄極楽どっち行みたいでどちらかというと地獄行。・・やがて小河内ダム前につき休憩。で、そこからがまたすごい。奥多摩湖はダムでできた人造湖か。細長く竜のようにうねっている。水の色も青緑で今はまだ水量が不足しているようだ。しかしこの湖はいつかひえ上がることもあるか。・・高尾のむこうの相模湖などもこれだけ豊富な水の甕なら下流の神奈川、横浜はまず大丈夫だと思った。・・奥多摩湖の端に今にも乾きそうな川がありこれが多摩川の源流小菅川らしい。

・・小菅村というのは北都留郡で山梨にはいる。源流といってもこんな情けない川一本では奥多摩湖ももつまい。たいていはいくつもの川が流れ込むものだが。エジプトを流れるナイル川なぞ途中で大きく二つに分かれ、青ナイル白ナイルと呼ばれる。ナイルの水源行はそれぞれの領域に生息する民族とぶつかりあうし探検も未知の危険と隣り合わせだった。青ナイルはまだわかりやすい。エチオピアのタナ湖が一応の水源でそこに流れ込む川もまたあった。それより分かりにくいのは白ナイル。ずっとビクトリア湖の方へいってしかしこの湖はまだ途中。そこに流れ込むどの川を白ナイルの本流ととるか。それでもたくさんの川が合流しているのは心強い限り。不滅の川だ。

・・小菅の湯。高アルカリ泉という。透明ですこし硫黄の匂いがするというが自分には分からない。ぬるっとするなら河辺の梅の湯に及ばない。しかしいい湯なのはまちがいない。サウナも小菅村産の千枚岩とかラジウム鉱泉だとかほかとは少し違う。水風呂に入るといつまでも体の皮膚に近いとこまで冷えが来ない。ラジウムのせいか。

・・さほど派手な造りではないが、基本の湯がいいからかよくできている。五右衛門風呂は手足を出して使うものだとわかった。おもしろいのは地獄極楽ロードといって小石を配置して敷き詰めた道がある。足裏のツボを突いて刺激するというものだ。そういうのは以前も見かけたし器具でもある。しかしここの針地獄というのは細かく尖った石を敷き詰めて強烈だ。足裏にすべてのツボがあるのは知っていた。乗って痛いところが悪いのだろう。自分はどうか。・・やはりあそこが悪い。かなり時間をかけてツボを押した。(後日のことだが、これは効果適面奇跡のようなことが起こった)この地獄極楽の石道だけでなくサウナもすばらしい。千枚岩とラジウムという汗のでかたが気持ちよい。このラジウム効果は未知だがなにかある。

・・バスには年寄りの団体が10名ほど。自分は個人参加で食事もひとりだった。源流セットというのが目玉だそうでそれを注文した。いろいろ量が多いというのではなく蕎麦は地元の手打ちで一味違う。ほかに雑穀ごはんとかていねいに美味によくつくってある。お刺身が3切れつくが、ニジマスらしい。あとで女将にきくと甲斐サーモンといって養殖ものだがとてもめずらしいものだという。ここは淡水魚のお刺身がいいようだ。焼き魚も食指がうごく。・・食事のあとでコーヒーを注文していただいたがこれも美味であった。料理は手抜きがなく二重丸。

・・ずっと昔村に唯一映画館があったという。そこの倉庫から出てきたポスターが飾られていた。くらくら眩暈のする温泉行になった。

442秋魚:2013/09/08(日) 23:17:17
(無題)
・・天気がよくない。曇りだが、雨はないだろう。土曜の午後は思い立ってHayabusaで奥多摩をすこし遡った。ほんとにすこし。前回軍畑の方で音楽カフェリベラを探したが見つからず奥多摩橋で引き上げてきた。こんどはもうすこし先をいく。軍畑大橋というのがあるはずでその手前を川の方へ下ればリベラはあるはず。吉野街道は相変わらず時折トラックが通る。川に近いわき道を使っていく。川に近いところはひどい下り坂になる。どうということはない。googleで見ていたとおりリベラは容易に見つかった。多摩川で大きなゴムボートに集団で乗り込み川を下るようなスポーツはなんと言うのだろう。ラフティング?そういうグループの発着場になってるのか、人が多い。そのすぐ上に音楽カフェリベラの看板はあった。ずっと奥まって普通の家のようだが。営業は?自転車を止めて近くにいくとポロンポロンギターの音が聞こえてくる。あ、やっとるな。しかも本人がいるらしい。・・恥ずかしい気もしたがコーヒーでも飲みたくなった。思い切って店に入ることにした。こんにちわ。声をかけるとヨウコさんらしきが出てきた。お茶を飲めますか?はい。どうぞ。というので一風変わったカフェで休むことにした。ここに来る人通りすがりはあまり無いんじゃないか。ボート乗りの連中もほとんど無視みたい。ヨウコさんのギター弾くのを見に来る客だ。・・ええ、知ってます。畑中の納涼祭で大雨になりましたが2曲ほど聴きました。コーヒールンバと知床旅情でしたか。あ、あの日は大雨になって大変でしたね。ええ、でもおもしろかった。あれでよいのです。・・ともかく中へどうぞ。憧れのギタリストに会えるなんてなんか感動ですね。庭のテラスがよいかも。すぐ前はもう川ですね。では、コーヒーをお願いします。

443秋魚:2013/09/09(月) 19:50:34
(無題)
・・もう秋。Hayabusaに乗って秋川街道をゆく。この軽快なクロスバイクはよく使ってあげなくてはただのクズになる。一心同体。

・・ところで秋川街道は自転車乗りには最悪だ。青梅から日の出を経由して武蔵五日市まで。山沿いゆえにアップダウンの坂がある。以前飯能から小川にいった時もそうだった。上り下りが何度もあった。青梅から武蔵五日市まではほぼ一回きりのアップダウンだがなんかだらだらとある。おまけに歩道がないところが多く道幅もせまい。さらに悪いことには大型のダンプがよく走る。小型の車でもけっこうなスピードで自転車は煽られる風だ。ダンプはオリンピック開催が決まったからでもないがえらく興奮した走りで、道幅いっぱいに来るからそのままだと接触するほどだ。ダンプの来ない間に走り、ダンプが来たら道路横に避難するという何とも情けない走りになった。・・途中正装したサイクリストに何台か会ったから、こういうところでも自転車は車道を走ってゆくのだろう。奥多摩にゆく青梅街道、吉野街道いずれも道幅はせまい。ダンプはあまり走ってないようなのは救い。それと比べこの秋川街道は自転車乗りには不向きな道だ。・・しかし出発したからには完走するのが、心情。
秋川渓谷瀬音の湯には何としても着いてみたい。あれはいい温泉だ。結局注意力を集中して必死に走る。万が一変な事故になったらあとはない。自転車に乗れる幸せというのは、六月の雨だから。・・この街道、老人ホームとか斎場が多い。自転車が普通に走れればそれでいいのだが、実にダンプが気になる。最悪といえる。

・・武蔵五日市に着いた。30分、40分といったところ。ここから瀬音の湯まではやはり20分、30分かかる。檜原街道は以前は道幅もせまく嫌な道に思えたが、秋川街道と比べるとぜんぜんよい。なによりダンプが来ない。

・・瀬音の湯にはほどなく着いた。昔は福生の方から多摩川を渡って五日市街道を走った。その時もそんないい道とは思わなかったが、秋川街道の気持ち悪さと比べたら天国と地獄ほど。・・温泉はまったく極楽に思えた。平日なのに人が多い。いいところには人が集まるものだ。・・例のアルカリ性単純泉ってやつ。このアルカリという言葉は流行のようだ。小菅の湯よりもとろりとして微かに硫黄の匂いもする。泉質ならここがno1かと思える。

・・川霧というレストランで食事したあと物産の店にいった。千代鶴という酒は絶品である。上撰辛口という普通のを買った。(今飲んでみたがとてもいい)あと蓬蕎麦とナス。ナスも先ほど焼きナスにしようとしたら備え付けのオーブンではうまくいかない。それでも二つに切って焼いた。味はまずまず。・・あの秋川街道を思うと暗い道を走るなど思いも及ばない。事故らずになんとか切り抜けるのみ。帰路に着いた。

・・武蔵五日市の駅までは楽勝。でそれからがうんざり。最初は上り坂になる。日の出のつるつる温泉への分岐点まではまだよかった。それから序序に山の中にはいる。そして例のダンプが来る。凹んだところでやりすごすのみ。まったくこの街道は最悪。二度と走りたくない。

444秋魚:2013/09/13(金) 15:47:44
(無題)
・・引越しは、ゆかいゆかい。本を40箱古本屋さんに流して物もだいぶ捨てた。これからは物をもたない工夫をすべきだ。中神の古本屋さんはネットショップでさばいてる。自分の本でどんなものが売れてるか。ハッとするものが売れている。「ゲーリースナイダー禅を歌う」というイベントのパンフが売れていた。自分は一回きり読んだ記憶もあまりない。そういうものが他人に興味をもたれ読まれるならそれがいい。吉田一穂のエッセイ集なども売れていた。自分の集めた本はけっこう売れてるはず。・・古本屋さんがんばって、と言いたい。

・・きょうは蒲団の打ち直しが出来てきた。引越し前ゴミで処分しようかと悩んだが、結局こちらに運んで打ち直しを頼んだ。職人気質の蒲団やさんがいて丁寧に品定めをしてふっくら仕上げてくれた。・・国立のホームセンターでは買い替えをすすめていたが。ホームセンタの蒲団は安いがなんか情緒が無い。こちらに運んで打ち直しは正解。もう九月から冷え込むというから、蒲団も準備したい。柄を選ぶ楽しみもあった。ハハ

445秋魚:2013/09/15(日) 20:56:59
(無題)
・・台風が来ている。ひとつひとつ出来ることを積み上げるのは、震災後の人たちと同じだ。電子オーブンレンジを買った。なるべく物は持たないようにしたかったが、食生活にオーブンレンジが便利なのは知っていた。最低限パンは焼きたかった。ネットショップでパナソニックのものを注文した。近年業績の覚束ないパナソニックを応援したかったが、madeinchinaというのはどういうことか。サンヨーの白物家電はたしかハイアールに吸収され、携帯は京セラに、その他本体はパナソニックに吸収された。ハイアールの電子レンジもあったが評判はよくない。洗濯機、冷蔵庫はよさそうだ。京セラの携帯事業はやっと利益がでるようになった。というか北米でちょっとしたブランドになっている。パナソニックのサンヨー吸収はすこし重荷だった。今のところうまくいってないようだ。パナが死んだら日本も終わり。応援したい。・・想いは単純でオーブンレンジも安いものがあった。ネットショップもamazonばかりではどうかと思ったが、結局amazonになった。・・配送予定日の夜になってようやく届いた。朝のうちに来るかと思ったが、青梅の田舎は一番最後になるらしい。早く馴れたいので、スーパーでパンやその他のもの仕入れてきて早速試してみる。オーブンとレンジの切り替わり方がよくわからない。ともかくパンを焼くことだ。このレンジ評判がいいのは音が静かなこと。パナは省エネも心掛けている。果たしてパンは4分ほどでこんがり焼けた。まずまず。

・・ジョニーデップがPLATOONに出ているとは、知らなかった。端役だが。パイレーツオブカリビアンのデップがはまり役で、彼はヒゲを落とすとひどく美青年だ。この映画の主役にという話もあったが、若さを理由に辞退された。22才。・・人格の飛躍。どうみてもデップにはこれがある。PLATOONは小連隊の意。仲間内でそりの合わない2人の戦場での殺害のシーンが有名で、自分もそれくらいしか覚えていない。デップの役は若いだけで純粋な戦争参加するその顛末は、無論、戦死。モロッコという映画でも、外人部隊が戦場で仲間内の諍いがある。・・われわれの職場でも同僚だがどうにもそりが合わず死ぬほど嫌なヤツがひとりはいる。PLATOONはすごい映画だ。気持ち悪い味方を殺してしまうのだから。・・後海賊を演じるデップは、注目。
http://www.youtube.com/watch?v=bqKUcmMeiio&amp;feature=player_embedded

・・クロスオンロードを再開したい。今度の起点はむずかしい。隣の隣の武蔵五日市にいくのが、大変な悪路だった。もう使いたくない道だ。もうひとつ小作に近い滝山街道を使えば八王子高尾にいけるか。高尾に行くのがひとつの課題。この道はおもしろそうだが。・・地図でみると滝山街道から途中で高尾街道にはいる。ここをずっといけば多磨霊園のある高尾に着くようだ。この辺どこもダンプが走っていそうだね。前回の青梅からの秋川街道にダンプが多かったのは、わかる気がする。日の出のゴミ処理場だ。これは問題だ。・・高尾の他に奥多摩もえぎの湯というのもおもしろい。しかしこれは吉野街道、青梅街道を使って実にいやな道だ。輪行を試みるか。自転車で序序に足を伸ばすという手もある。まったくこの辺の街道はトラックが来たら接触しそう。やばい。・・さらにひとつは、青梅坂を上って小曽木街道をゆき飯能にはいる。唐竹から小栗にいくのでなく直接飯能市外へ入る。簡単なら宮沢湖の温泉にいける。あるいは日高の巾着田にもいける。・・この3つくらいか。

446秋魚:2013/09/17(火) 21:37:52
(無題)
・・Hayabusaに乗りたくてうずうず。長らく手入れもしてない。ブレーキの音鳴きが気になるが故障ではない。チェーンに油はあまり気にしなくてよいようだ。しかしいまパンクなどしたら自信がない。車輪外しもうまくいくかどうか。前輪はともかく後輪は予行で一回やっただけだから。周辺にある自転車店もどこに相談したらよいのやら。いくつかあるが。

・・台風一過。飯能の宮沢湖温泉キラリにいくことにした。ざっとネットで道を調べた。まずは青梅坂。小曽木街道に出る。出発前マンションの管理人さんに会って詳しい情報を仕入れた。電子系の技術者だけあって的確な情報をいつも提供する。飯能市街にさえ入れれば宮沢湖までは楽勝だ。・・感無量。というのは、2011/3/11の大震災のあと、身も落ち着かずママチャリで飯能に出かけたのがその年の5月3日。狭山の山を越え入間川を越えた。道を尋ねた人にママチャリをみて憐れみをもたれたようだ。ともかく着いた。宮沢湖温泉。アルカリ性単純泉のすばらしい湯だった。思い出すのは午後から雨になり帰り道を間違えたこと。ひたすら日高の方に向かっていた。大雨というのではなかったが、しとしと濡れた。後日わかったことだがこの雨は放射能がいっぱいあったはず。狭山のお茶がこの放射能のおかげで売れなくなったから。そういえば雨に濡れて髪の毛がよく抜けたし、手にも小さなヤケドのシミができた。・・あの日のママチャリ行以来いまのロングライドは病みつきになった。

・・青梅坂。いい坂だ。何がいいってここに始まる小曽木街道が絶品だから。前回武蔵五日市にいった秋川街道とはまるで違う。斎場とか老人ホームとかゴミ焼き場があってダンプが何台もすごいスピードでやってくるあの秋川街道はもう御免だ。・・青梅坂は伝説になる。クロスバイクで優に登れる坂だ。トンネルもある。狭いが歩道がつづく。これはあとでわかったが沿道に小学校や中学校がいくつかある。その子どもの為であろう。小曽木街道はダンプも走ると聞いたが実際数台来たが煽られて怖いというのはない。バスも走る道で歩道を走ればまず事故はない。黒沢川という川沿いになって辺りの田園風景は絶品。青梅もこの辺に住むとほんと都心に出ずらくなる。過疎の村かも。ずっといくとすぐ岩蔵温泉郷に入る。この岩蔵は由緒が古い。ヤマトタケルがクラを置いて温泉に入ったというからね。ここをいって奥多摩の御嶽に登り甲州に入ったはず。なにかわくわく。・・ここから飯能市街には、山越え尾根越えというかひとつ大きなアップダウンが必ずある。ヒルクライムのきついのをいくつか経験したからたいていのアップダウンは耐えられる。登りはきつかったら無理はしない。自転車を引いて歩けばよい。・・坂を上がりきった辺りでローソンがあった。荷を軽くするため水筒を持ち歩かないことにしたから、ここでジュースとパンを買った。店員に道をたずねた。飯能市街に入る方法は、と。わかりやすい話だった。以前瑞穂の方から216号を通り八高線沿いに飯能街道を走ったときより格段に爽快な飯能入りになった。ずっといくと市民郷土館があり諏訪恵比寿天神のようなのがあり余り人がいないので道がまたわからなくなった。・・能仁寺とか。とまれ東飯能駅の方へすすんだ。ここまでくれば宮沢湖は近い。一二度道を聞いて、以前来たときはこの辺の道も実にいやな道に思えたものだが、今回はどうということもなくたやすく宮沢湖のキラリ温泉に到着した。・・いやー、平日なのに実に混んでる。特に女性が多い。たいていは車できてるが駐輪場はほとんどがバイク、自転車は自分くらい。女性たちは仕事をしてないのだろう。男たちより格段に生活を楽しんでいる。子を産んで子育てをしてそれはそれは大仕事をしてみんなこんな温泉に来て体を休めるのが当然のことという風である。おもしろいね。・・温泉はアルカリ性単純泉のすばらしいものだ。最近こういった超一流の温泉ばかりいってたものだからさほどの感動はなかったが、キラリは露天からの眺めがとてもよい。宮沢湖がみえる。山の上の温泉だ。男湯のほうはすごく混んでるという風でなかった。以前来た時より快適な気がするのは時間的に余裕があるからか、そうでなくともここはクチコミで評判らしい。同じ系列でも国立にあるのはここよりずっとよいが。・・早々にしてレストランにいった。1480yen払ってバイキングというのが自慢らしい。90分食べ放題。飲み放題。自分もこれにチャレンジ。アルコールは別払い。このバイキング実は自分はあまりおもしろくない。いくら食べ放題といっても出てるものはみな同じ。これにチャレンジしてるものがみな同じ料理を味わってるというのがつまらない。個々の料理、まずくはないがバイキングという合理性からスーパーの惣菜みたいな味付けだ。がつがつした子どもには受けそうだが。1500yenも払えば河辺の梅の湯ではもっといいものを食べられる。ともかくバイキング。子どもにもどってあれもこれもガツガツ食べることにした。食はもう食べたくないという食べ方はよくない。もう少し食べたいところでやめておくべきだ。・・今度来た時は蕎麦とビールだけにしておこう。・・

・・ここの温泉つくるとき、縄文の遺跡が出てきたとか。当時の遺物が陳列されていた。宮沢湖は人造湖。にしてもこの山の上の縄文集落はのどかなものだ。いまは温泉だが。

・・帰路に着く。前回道をまちがえてひたすら日高の方へすすんだ。同じ轍を踏まないように右へ右へと折れた。飯能市街に入ってさてもと来た道がわからない。うろうろして今度は西武線の飯能の駅前にでた。飯能は八高線の東飯能よりこちらの方が格段にひらけている。交番があって女巡査に道をたずねた。さすがうまく教える。今度は来た道とは別の道をいくことにした。駅の反対側にでて正面の道をまっすぐいけばよい。T字で突き当たったら右へやがて小曽木街道に出るでしょう。この道をいくことにした。なんという立派な道か。両側は高級住宅街。モールなどもある。感動しながらいくと小曽木街道にでた。ここから岩蔵温泉のあたり通ってあとは青梅坂までけっこうあるがたぶん楽勝。時折大きな車も来るようだったが、歩道もあってのどかな帰り道になった。帰路は80分くらいだった。

・・青梅坂、小曽木街道、岩蔵温泉、飯能。これはいい。

447秋魚:2013/09/18(水) 21:15:56
(無題)
・・多摩川上流、自転車でどこまでいけるか。吉野街道、青梅街道を走ってみる。梅郷梅の公園あたり街道を外れるとのどかな道がある。沖縄料理の店もあるようだ。いまは季節はずれ。梅の咲くころに歩きたい。これから秋にかけ紅葉が奥多摩に映えるだろう。・・吉野街道は時折歩道が途切れる。しかもダンプがよく走る。うれしくない道だ。即清寺を訪ねる。真言宗豊山派で四国八十八所を模した札所があるという。つまりこの寺だけで八十八すべて廻れるという。・・歩いていくと第一番、弐番があって次がどこにあるかわからない。墓地の中に入っていかねばならぬのか。先の方で墓参りの人が見えた。こんなところを歩くものじゃない。・・また街道にでて今度は奥多摩橋のあるところで川を渡った。二俣尾の駅にいく道だ。この橋の景観はあいかわらず足がすくむ。写真をとって向こう岸へ。ここも川に沿った裏道をいく。のどかな道だ。彼岸花がところどころ咲いている。青梅街道はまだいい。ダンプもあまりない。というかダンプは吉野街道を走れということかもしれない。やがて軍畑大橋にでる。ここらあたりまでは前回リベラ探しで来たところ。自転車はよく廻れる。この橋も立派で足がすくむ。これから先奥多摩は峡谷の風で橋は足がすくむところばかり。景色がいいというよりこの世の生があやうく感じられ怖くなる。まったく酔狂な話だ。

・・橋を渡ってふたたび吉野街道。この道はいやな道で、川沿いの裏道をめざしたがすぐに本道のほうに出てしまった。あきらめて吉野街道をひたすら御嶽方面にhayabusaを走らせた。あまりよく覚えてないがダンプが何台か来たのと歩道もあったかどうか。おまけに所々工事をして片側通行になっていた。ひきかえすという考えはなくともかくかんざし美術館のあるところまではいきたい。思うにこのあたりの道まだいい方なのではないか。ほどなく美術館に着いた。おもしろそうだが寄るのはあきらめてともかく御嶽まではいきたい。そう思っていたら御嶽駅の近くまできていたらしい。玉堂美術館の上に着いた。川合玉堂という日本画の大家だ。この美術館寄る気も無かったが身の置き場もなく急遽街道を外れて下のほうへ降りていった。豆腐料理で有名なままごとやのいもうとやというのが店を出していて美術館に寄ったらここで食事をするらしい。蕎麦を食べたかったがここはない。・・その前に美術館に立ち寄ることにした。5百円払っていまは玉堂の水墨画を特別展示していた。玉堂は晩年を青梅の御嶽に住んだ。戦争で疎開してきたという。この美術館には皇室もよく訪れている。そういう写真があった。水墨画とかこのあたりの風景を絵にとりいれていた節がある。寒山拾得とか陶淵明とか。石庭の庭がありひとまわりして心が洗われた。・・もうお昼でいもうとやにはいることにした。豆腐料理の懐石定食を注文して先日のキラリのバイキングよりすこし安い値段だった。ビールは飲まない。・・さすが評判のお店だけあってこの料理の美味なこと。ひとつひとつ絶品の味がする。懐石というのはおもしろい。料理のミニアチュアだ。日本食が世界に誇れるのはこの懐石だ。女の子がスマートフォンで温泉めぐりをしながら懐石料理を楽しむ。これが一番のおしゃれの時代がもうすぐ来る。バイキングより懐石。これにつきる。ハハ

・・ついに御嶽まできた。御嶽登山というのはずっと昔3回やった。きょうは自転車の奥多摩詣でだからこれで目的は果たせた。山には登らない。もうひとつ先の川井の駅までほんとは足を伸ばしたかったが、無理はしない。帰りは青梅街道にでてここを走ることにした。こちらのがいいな。御嶽までなら自転車で楽勝かもしれない。沢井の駅の近くで沢の井酒造があり、豆腐料理のままごとやもある。都内の文人たちが懇親の会をもったりするところだ。時間があったので酒造の見学をすることにした。ここの売店とかもいい。ずっとお酒の話があった。お酒明神は松尾さまという。松尾芭蕉を思い出した。沢の井は元禄17年創業とか。奥の細道の芭蕉死後10年のことになる。沢の井は老舗の酒造。地下水の井戸もみせてもらった。よい水が決めてらしい。・・利き酒はあら冷やしというつくりたて。濃厚なよい味がした。自転車の酔っ払い運転にならないよう、ちょっとだけ。

・・御嶽はヤマトタケルが来ている。その足跡が気にかかる。

448秋魚:2013/09/19(木) 21:39:52
(無題)
・・天高く秋晴れ。hayabusaと出かけずにいられない。きょうは吉野街道をずっと下って滝山街道に入り秋川、さらに戸吹峠をこえて八王子、高尾までゆく。秋川を渡るすこし手前に銘酒千代鶴の酒造がある。なんといっても高尾にいきたい。甲州街道にでる方法を会得したい。この頃のロングライドは横超という感じだ。以前は都心を中心として東西南北自在に足を伸ばせた。武蔵野の郊外の郊外。日本画の川合玉堂は晩年疎開で住んだ多摩川の奥。リベラのサカイヨウコは隠れ家という。いずれにしても一本道で出会うものは限られている。が、果たしてそうか。自転車で走れる道をすべてスキャンしたい。・・そういう大げさなのでもないが、きょうは滝山街道から高尾街道にチャレンジ。最近目に付くのは自転車のロードレースの為×月×日は通行止めになります。というやつ。つまり自転車にはほんとにいい道だということですね。

・・吉野街道は一部でとても走りづらいところもある。ダンプも来るし。しかし滝山街道は爽快この上ない。小作あたりから入る。

・・秋川まではなんとか着きたい。途中トンネルもあってあきるの市内に入る。道は悪くない。睦橋通りを過ぎてここいらは覚えがある。秋川にでる手前に千代鶴の中村酒造がある。ここは帰りに寄りたい。すぐ秋川に出るがここいらはあきるのインターというのか高速道路など錯綜している。滝山街道をどういったらいいのか戸吹トンネルをくぐってこれは長いトンネルだ。車が来ると音が反響してそらおそろしい風だ。早く抜けたい。抜けてすこしいくと高尾街道に出る。ここをいけば高尾にいけるだろう。しかし余りいい道ではないね。交通量が多く道もせまい。歩道もない。創価大学がある。このあたりが一番いやな道だ。犬目という変った地名がある。もう引き返すことはできない。が、帰りの道を想像するとぞっとする。・・思うにはじめてのルートは時間もかかるしむずかしく感じるものだ。このあたりも慣れてしまえばいい道なのかもしれない。ダンプはいただけない。・・だんだんと八王子、元八王子に入って道も広くなってきた。こんどは浅川をわたるはず。ほどなく浅川をわたる。この浅川沿いにいって高尾に行く方法があるのを思い出した。で、それに沿っていこうとしたら川沿いの道が途切れてしまった。畑いじりの人に聞くとこれは北浅川、南の方の川なら高尾にいけるとのこと。なんかもう高尾はあきらめたくなった。しかしいつものことだ完走したくなる。高尾山の麓でソバを食べたかった。・・ずっといく。陣場街道を突っ切ってそろそろ近い。山越えの坂道があって下りついに甲州街道へでた。ほとんどJR高尾は近い。2時間半かかった。

・・駅前の売店でお茶を買いきょうはこれで引き返すことにした。武蔵野陵が近くにありここに昭和天皇もお眠りになってるはず。あの山の向こう側だろう。どうしてここが皇室の墓所か気にかかったがきょうは帰路に着いた。・・帰り道は、たぶん2時間でいける。往路よりずっと楽だ。中村酒造に寄って利き酒をしてみたい。酔わない程度に。

・・千代鶴のファンです。

・・サンマの新物が安くなってる。オーブンレンジの性能を試すためにサンマを一匹買った。塩焼きをつくってみる。取説にはサバの塩焼きはあるがサンマのはない。むずかしいのかな。切り身でなく丸焼きというのが難かも。スーパーに出てるのはよく焼けてるではないか。えいっ。とばかり塩焼きにチャレンジ。切り身をいれ、温度と時間調節。丸皿よりすこしはみでるか。曲げていれる。下にアルミフォイル。内側が魚臭くならないか。ジー・・結果は、こんがりという具合ではないが、魚は焼けた。ともかく食べられるようだ。もっとうまい焼き方がありそうだが、一応これでいける。だがあまり使いたくない。・・千代鶴の純米吟醸の生酒はうまい。酒造に寄って愛想のいい娘さんがいろいろ話してくれた。みやげに買ったものだ。飲みきりサイズでチビチビ飲む楽しみはなかったが冷やして飲むと極上の味がする。サンマに滴らすレモンはなかったが、秋の味覚を楽しんだ。

449秋魚:2013/09/21(土) 18:59:25
(無題)
・・一番いいのは青梅坂、小曽木街道。片道一時間ほどのポタリング。二度目のチャレンジだが青梅坂はまともな坂だ。ずっと登るとトンネルがある。ここを抜けると下り坂。急なところからだんだら坂がしばらく続く。ここはバスも通るようだが。青梅でこのあたりに住むのは勇気がいるな。トンネルという胎内くぐりは日常にしたくない。帰りもこの道を通ってセブンイレブンとかコンビニを探したが一軒もない。ずっといくと岩蔵温泉郷で少しは名の知れたところだが。

・・飯能直竹から山王峠をへて唐竹まで。車の量も多くは無い。自転車は時折。山王峠まですこし歩いてしまった。ここの坂はきついよ。帰りは特に。峠越え。前にも来た道でだいぶ気が楽だ。峠からの下り坂でもう入間川、唐竹は近い。・・さっと来たが、ヤナイ氏は留守であった。車も無い。犬がいて吠えてきたが、自分のこと憶えているよう。すぐにおとなしくなった。・・あきらめて入間川沿いに飯能市街にでることにした。道中コスモス、彼岸花があちらこちら咲いている。巾着田ももう見ごろだろう。去年巾着田にいったときは感動だった。自転車でいくのがよかった。・・きょうのポタリングで彼岸花はずいぶんたくさん見た。ことさら巾着田にいくのもくどい気がする。一回だけにしておくか。・・きょうは飯能様子見のポタリング。ロングライドとはいわない。入間川沿いに下って飯能市街にいくのは意外と長い道のりだ。一時間もかかりそう。下りなのにね。ずっといくと入間川にかかる岩根橋というところにでた。あ、覚えがある。先日小曽木街道から飯能に入った橋だ。ここを登っていけば小曽木にでて青梅にもどれる。・・ここいらに酒造がありそうで寄りたかったが、見つからない。道中有馬酒造というのがあったが休みらしい。天覧山という酒はどこで飲めるのか。・・きょうはあきらめ。岩根橋を渡って小曽木とは反対方向へ自転車を走らせる。美杉台団地のほうへいく。飯能の駅からまっすぐの道があるはず。先日はここを通って帰った。酒造にぶつかるのを期待したが、ありそうになくあきらめ。

・・二度目の帰路になる。車はほどほど。時折ダンプも来る。・・青梅坂。こんどもきつい。トップまでは歩いてのぼる。しかしいい坂だよ。なにかの伝説になるだろう。きっと。

・・青梅駅の裏にいって「夏への扉」に寄る。ここのカレーは美味い。ハイキング帰りの女性が二人客でいる。ここはけっこうファンがいるようだ。・・コーヒーが切れそうで豆を挽いてもらった。梅郷のI氏が福生で個展を開くという。案内状がまだ来てないそうだ。もうそろそろだろう。

・・作品の力。ヤナイ氏の作品に力があるのは見なくてもわかる。展示そのものは不特定の誰かが見ればよい。作品の力を作家は信頼すべきだ。・・不可視の舟。見えないが舟はある。見に行かないのではない。不可視の舟、失われた舟を見ているのだ。

450秋魚:2013/09/23(月) 00:38:27
(無題)
・・福生まで。青梅線で拝島、福生、羽村あたりは異様だ。休日に電車に乗ってくる外人はその体格といいおそらく横田基地の軍人だろう。仲間同士で話す英語を聞き取ろうとするが、ネイテブ同士は早くむずかしい。彼らの生命力といったらいつも圧倒される。クロがけっこう多いが。われわれ日本人はなんか貧弱ですね。

・・知人の絵描きさんの個展があるというので福生の16号沿いにあるAtelier Noteに自転車を走らせた。線路沿いにいけばよい。駅前までいけば後は簡単。八高線の東福生の駅をめざせばよい。あるいは16号でもよい。ただ福生まで時間がどれだけかかるか、興味だった。50分から1時間。そんなものだろう。道に慣れれば45分か。・・16号メイン通りの外れのあたり。喫茶ノエルの2階がAtelier Note.感じよい女主人が案内してくれた。・・ここの女主人以前どこかでお会いした気がするが、どこでだろう。・・あとで思い出したが、三宅島で会ったハットリトモコ氏に似ている。もう何十年か昔のことだが。スキューバをやりに来ていた。もともと看護婦希望だった。なんか似ている。・・なつかしい気もするが。

・・ほどなく作者先生一行が見えた。トシオ先生はどうもみなに慕われているようだ。絵で先生とよく呼ばれている。サジさん、ヤスダさんも見えた。何十年ぶりかの再会だった。ヤスダさんは特にやせちゃったね。わたしは全然変らないというけれどそれって年相応進歩がないということかも。ハハ しかしみんな力強く生きててほしい。・・このギャラリの下でジャズのライブなどもよくやるらしい。即興とか。もともとは自転車店ですごい老舗のようだった。・・さすが福生だ。

・・絵は「植物の呼吸から」という。

451秋魚:2013/09/25(水) 22:58:22
反発のマリア
・・雪を踏み ゆきを婦美 こころ雪の如く 浄化す  (白鳥省吾)

・・大変なことになった。ポエム通信「泥水」の表紙の素晴らしさが今応えてくる。1993年2月号。市原氏、生きててよ。

・・八鳥 −三宅島の妖女ハットリトモコに

 「うまし名の」李白も酒に呑まれける
 パッと開く蜜柑の花
 潜ってみよう珊瑚樹のササメキまで
 「さつきの群生」garnet eyeしてます
 「告らさねと」鯛や河豚やヒラメや
 小悪魔の花啄むケラケセラ
 八丁平に魚目瞑想「あかこっこ」
 磁器のかけら梅花香りぬ
 赤場暁でワープ/android ziggy
 「おやまおやまおやま」面食鳥がゆく

・・あれから二十年が過ぎた。東京から島狂い。大島、神津島、式根島、・・三宅島。足を痛めてよく行ったものだ。三宅島は雄山が噴火するすこし前のこと。・・旅先で出会った妖女はハットリトモコという。幼児の好奇心で冬場にスキューバをやりにきた。そういっしょに山にも登ったね。あれは雄山といっていっしょに登って仲良くなりそこねた。もう記憶はおぼろ。・・反発があったのは、記憶にある。やわらかなものだが。きみは変わりものだった。(わたしと同じく)

・・二十年。都心から同じような反発で弾き出された。これは内緒でこのトリップアートの仕掛けはある意味でわたしが仕掛けたものだ。あんな時代物のブスに誰が本気になるか。トモコさんではありません。トモコさんはマリアです。

・・で、驚くべきことにそのマリアが二十年たって眼前にあらわれた。それも不意に。

452秋魚:2013/10/02(水) 22:55:59
(無題)
・・いやはやすごいことになった。四谷怪談ですよ。イエモン殿。・・温泉は人を癒すばかりではない。地獄温泉というものもある。鉄輪、かなわ温泉。これこそ四谷怪談。・・実際、四谷にはお岩神社というのがあるらしい。トモコさんがそう言う。妻をもたなくても怪談はある。ここをロングライドでいかに克服するか。自転車遠乗りの意味もわかる。すべては、くらぶ山。化けてでるのは貴船山。北緯35度泉。


 梅の花??匂ふ春べは??くらぶ山??闇に越ゆれど??しるくぞありける  (紀貫之)

 秋の夜の??月の光し??あかければ??くらぶの山も??越えぬべらなり  (在原元方)

・・くらぶ山は鞍馬山、貴船山とも。・・ただの暗部山か。

・・貴船は黄船、貴布禰とも。・・気生根という。

・・

 春の夜の??闇はあやなし??梅の花??色こそ見えね??香やは隠るる (凡河内躬恒)


・・貴船寺は鉄輪の舞台。一遍が開いた別府の鉄輪温泉

・・別府市大字鉄輪字風呂ノ本224番2; 緯度: 33.315483; 経度: 131.477806.

>・・社伝によれば、神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭ったのに始まると伝えている。社名の由来は「黄船」によるものとし、奥宮境内にある「御船型石」が、玉依姫命が乗ってきた船が小石に覆われたものと伝える。「気の産まれる根源」が転じて「気生根」になったともいう。

・・

  *


 盃やなるとの入日渦桜
                 西鶴

453秋魚:2013/10/12(土) 23:48:27
(無題)
>・・エジプト神話において、人間は肉体、バー(Ba)、カー(Ka・精霊)の3つの要素から成り立っていた。人が死ぬとバーは肉体から離れ冥界へ行くが、肉体がそのままであればカーがバーと肉体の仲立ちをしてアアルで再生できるとされた。そのため肉体の保存が必要となり、ミイラ作りが盛んに行われた。ちなみにバーは、人間の頭をした鷹の姿で現される。

>・・アアル(英: Aaru、Yaaru、 IaruまたはAalu)とは古代エジプト神話におけるアアルの野やエジプトの葦の原野とも言われる楽園のこと。これはヘリオポリス九柱神の一柱であるオシリスが支配する世界である。このことはナイル川デルタのカー(Ka・精霊)として説明される。

・・「葦の原野」・・トヨ葦原瑞穂の国。・・R

454秋魚:2013/10/19(土) 15:23:20
(無題)
・・台風一過。ipodとともにロングライドに出た。といっても、以前の古巣国立に向けてだが。吉野街道、青梅街道を避けて、側道を探していくのが此の頃の走り方だ。青梅から東青梅あたりまではいい道がある。川のある方へ大きな傾斜があるが、その中ほどの道は車も通らず実にいい。曲がりくねって坂もあるのも心地よい変化だ。繭蔵(レストラン)のあるあたりまでは楽しくいける。河辺あたり新奥多摩街道にでても側道を探した。小作、羽村あたりも裏道がある。すっかり秋になってあの猛暑も夢のようだ。ipodに流れる音楽はみな切なく聴けるのは何故だろう。タブララサとかチゴイネルワイゼンとか。そうでなくともホイトニーヒューストンとかセリーヌディオン、フィリパジョルダーノまですべて胸がきりきり心臓に来る。わたしも意外と先が無いのかもしれない。ひとつひとつ出来ることをやらねばならない。いつ大きなカタストロフが来るかしれたものではない。
・・福生の田村酒造の前を過ぎて多摩川の土手堤にでた。このサイクリングロードは昔よく来たものだ。この酒造の嘉泉はよくみやげにした。まあ美味な酒だ。この近辺で地酒のほんとうに美味なのはあきるの市の千代鶴だろう。青梅から滝山街道をゆき五日市線の秋川あたり川のすこし手前に中村酒造がある。もう三度寄って利き酒をし千代鶴を手に入れた。まったく宣伝をしないせいか酒造もひっそりしてる。・・この酒造の魅惑についてはまた後日。

・・毎度来ていつも同じ道というのはつまらない。立日橋を通過しこのあたり実は地勢がよくわからない。モノレールの橋があるはずだが。一度川原に下ってホームレスのテントがよくあったものだ。立川の市営グランドのわきを通って、かなりローカルな道を土手から離れて今回はずっと真っ直ぐ。なんだかだとヤクルトの中央研究所の新築現場にうつかった。ヤクルトはおそろしく成功した企業だ。発展途上の南米とかで爆発的なヒットをしたとか。この中央研究所が谷保にある。すこし坂をあがると城山という魑魅魍魎がいそうなところ。夏はまむしがでる。この城山、中世三田氏の住まいだという。青梅の軍畑はやはり中世青梅一帯の三田氏と八王子あたりの北条氏の戦いがあったという。まあそんな簡単な勢力図でもないだろう。青梅の由来は平将門で多摩川をくだって羽村あたりには阿蘇神社がありこれは将門を討った藤原秀郷ゆかりだという。将門はもう少し調査するべし。

・・引越し前本を引き取ってもらった古本屋に寄った。ここと中神の本屋さんにお世話になった。まあ本の事情は最悪でこちらもいい本をただ同然で投げたものだが。体を悪くしたそうだが、なんとか商売はやってる。商売にさえなれば本屋さんにはがんばってもらいたい。・・多摩川を下るロングライドも国立、府中あたりの温泉が目標でぐっとスケールダウンしたのはいたしかたない。夜暗くなっての帰路は避けようもないから、安全な方法を確保したい。今回めずらしく国立の駅から立川に出るのに道に迷った。線路沿いの道はない。おかしいのは自衛隊の基地があるあたりに来た。まったく不思議。出会う人に道をたずねてひたすら立川の駅をめざした。町で道に迷うのは恐くない。とんでもない方角にすすんでいたようだ。・・昭島の温泉に寄った。ここの岩盤浴は捨てがたい。アルカリ泉も魅惑だが滅茶混むのがやや難だ。もうずっと夜遅い。すこし混み具合も減ってゆっくり帰路は九時になった。

・・ここも拝島からの道がいつもわからない。16号から奥多摩街道にでるのがわかりやすいが、もっといい道があるはずだ。今回探索するはずがもう夜も遅い。あきらめて奥多摩街道に出ることにした。

・・昼は多摩川CR、夜は青梅線沿いの奥多摩街道というのなら定番のルートになる。横浜のみなとみらいに出たいがこれは要考慮。もうひとつ試みたいのが多摩川を遡っての奥多摩行。奥氷川神社ともえぎの湯がある。

455秋魚:2013/10/29(火) 02:21:42
(無題)
・・今日もipodriderに出る。羽村玉川の取水口あたりまで、このあたり何度か訪れたが川沿いにある阿蘇神社はいまだに謎だった。新奥多摩街道とその下の奥多摩街道さらに川べりまでの土地の起伏といいほんとにすばらしい。阿蘇神社の標識は見かけるがそれがいったいどこなのか、今日は絶対見つけてやる。だいたい関東の武蔵の国に阿蘇神社とはこれいかに。うさんくさい気がしないでもない。・・通りがかりのお年寄りに尋ねた。よく知ってるみたいだが、道を教えるのはあまりうまくない。ふにゃらふにゃら。そのあと何人かに尋ねてわかったが、もともと教えずらいところにある。・・玉川の取水口から青梅の方へもどる感じで川沿いだというからそういう道を探して進んだ。水上公園というような広い敷地もあり多摩川の向こう岸も緑豊かでよく見える。滝山街道を秋川へ向けて自転車を走らせたあたりだろう。このあたり向こうもこちらも絶景か。川沿いにずっといくとけっこう走ったが、阿蘇神社の南参道の鳥居があった。・・やった。だが、こんな川べりにあっていいのか。ずんずん参道を進んでいくと自転車は乗れないほどのぼこぼこ道でいけどもいけども本殿はあらわれない。鬱蒼とした木々がでもそれは桜らしく春になったらさぞかし妖艶な花道になりそうでぞくぞくする。犬を連れた奥さんが通りがかったのでまた尋ねてみる。もう少しいくと本殿がありますよ。あ、ありがとう。もう神社は無いのかと思いましたよ。よかった。また気を取り直していくと、あった。・・藤原秀郷がお手植えの椎の古木があるという。いや、風格がある。推古天皇の頃につくられたとか。その後平将門が改築し、藤原秀郷も手を入れた。こんな辺鄙なところになぜこんないわれの多い神社があるのか。今の建物は江戸時代のものでそれでもずっと古い風だ。椎の古木もどれがどれだか今日は神社を見つけただけで満足。日も落ちてきたので写真を一二枚とって引き上げることにした。

・・しかしこの東国になぜ阿蘇神社か、いまだにわからぬ。「・・祭神は、建磐龍命(たけいわたつのみこと)、阿蘇都媛命(あそつひめのみこと)、速瓶玉命(はやみかたまのみこと)で」・・この建磐龍命だけでも読み解くとおもしろいかも。・・速瓶玉命(はやみかたまのみこと)なら多摩川に関係あるか。う〜む

・・きょう再び羽村あたりを通ってipodriderにでる。Hayabusaを動かせておかないと落ち着かない。こんなブレのない自転車はじめてだ。近いうちダンプ街道を奥多摩にむかう。まったくひどい道らしい。ぐっと冷え込む季節になった。・・多摩川べりに出た。まむしが出るというCRだが、ついぞ見たことがないと思っていたらこんな季節はずれで蛇がいた。道のうえで身をくねらせていたから蛇だ。小さいやつだが色合いからしてまむしだろうか。実はわたしは本物のまむしを識別できない。過去にそれらしいのを見かけたことがあるが、○○に魅入られた××になりそうでさっと視線をそらすことが度々あった。赤っぽくて色の風合いだけは憶えている。でもヤマカガシもそんな感じだ。・・ネットのyutubeで蛇女の見世物動画を昨夜みた。きれいな子がきりりと化粧して蛇をあやつり頭から口に呑みこみ最後は噛み切って食べてしまう。ああ、おそろしい。ほんとの蛇だ。こういう見世物は昔からあった定番らしい。どうして女の子はああいう残酷なおぞましいことが出来るのだろう。ああ、こわい。・・蛇をやりすごしてもくもくとipodriderをやる。

・・陽がどんどん落ちて銀色のススキがよく映える。デジカメを落ちてゆく太陽にむけて撮った。逆光の写真というのはデジカメでよくとれる。太陽にむかえば蛇もついては来れまい。・・ロングライドに出ると引き返そうという気はさらさらなくなる。もう何が何でもいくところまでいく。・・というのでこの日も夜遅い帰り道になった。国立から立川へいともたやすい道のはずがまた道に迷った。迷うとは自分の居場所をすべてあきらめることだ。ここにしかいない。東西南北、前後左右の忘却。進んでるつもりが後退したりする。よくある雪中の進軍はこうやって墓穴にはいる。富士山の麓の樹海も同じだろう。方向をあきらめず進んでいても一度錯誤すればそれは致命的かもしれない。前回はどこかで一度方向を間違えた。これは気がついたら修正すればよい。今回はまちがえそうになって早めに道をたずねた。タクシーの女性ドライバーだったがさすがに地理はくわしい。磐石の教示で立川の駅にでた。・・それにしても昔住んでよく知悉した場所がこうもわからなくなって迷うのは不思議なことだ。たしかに土地も人もどんどん変っている。浦島太郎の小さな体験かも。

・・中神の本屋さんに寄る。ここの店主もなつかしい人だ。同年輩でひところ若い頃はヒッピーの先端を生きていた。わたしなど頭が下がる。なんとか古本屋で食っててほしい。ケイバ天皇賞は外したようだった。

・・帰路はかねてより探索しあぐねていた拝島から福生まで一番よい道をさがす。あ、温泉に寄った。ここは混むがいい温泉だ。・・拝島駅の北側にでた。前回まで南にでて16号に押し戻され奥多摩街道をとるのは、えらく遠回り。青梅に行く線路沿いの道がよさそうだが、実は無い。ここでまた道を尋ねる。その人が実にくわしい人だった。16号の側道をいけばよい。そのままいくと東福生にいってしまうが途中で左に折れれば牛浜方面へいく。青梅線にうつかるまで道があれば福生駅前につくだろう。・・果たしてその通りになった。東横インが見えてここまでくればあとは楽勝。先日アトリエノート通いで夜でも帰れる。

・・河辺駅まえのスーパーでパンを買って帰ったのが真夜中近かった。昭島ー福生は30分短縮でよい成果だった。

456秋魚:2013/11/02(土) 21:37:10
(無題)
・・くるおしい秋の日。ipodriderにでる。いきなりタブララサがかかる。多摩川を下ってばかりはよくない。上に行く。吉野街道のダンプを避ける方法を考えておかなければ。というより吉野街道を走らない道はないか。畑中からすぐ下って川沿いの道があった。とりあえず日向和田をめざす。あちこち柚子の黄色い実が目立ち始めている。本格的な紅葉はまだだろう。

・・先日は釜の淵公園の郷土博物館を訪ねた。ここも近いからついぞ訪れてなかったが、いってみると感動!宮崎家の古民家には案内人がいていろいろ解説してくれる。新町にあった吉野家もそうだが、青梅市はえらい。案内人を置いている。郷土館は青梅の歴史がよくわかるように充実している。布団の打ち直しをたのんだ店が職人風でていねいにふっくら仕上げてくれた。明治期から青梅の自慢は夜具地という宣伝がある。ほかに青梅縞の織物も特産だがこれは地味だ。戦時中は吉川英治、川合玉堂らが疎開してきてるが、柚木の山にB29が墜落したり日本機も飛龍とか墜落してエンジンが展示されてある。縄文時代の遺跡もあるし、神話のヤマトタケルも御嶽にやってきた。平将門も闊歩していたしなんかすごいところだ。・・この土地の人はまれに話をすることがあるが、みなていねいに話す。ひねたところは少しもない。自分のようにひねくれのかたまりには忸怩たるものある。・・釜の淵というのは、多摩川はここで大きくS字に蛇行する。川の流れは、かんぽの宿の切り立った岩壁に当たって曲がり、次に向かいの美術館の下の岩壁に当たって曲がる。その岩壁のみごとなこと。ここいらの地層の堅固なのがわかる。大地震が来ても山崩れは無いだろう。

・・きょうは上流をめざす。秋のうちに鳩の巣から奥多摩の氷川神社までいってみたい。とりあえず近辺を散策する。ぞくぞくするのは、羽村あたりの阿蘇神社を探した比ではない。吉野街道の下の道はいい道だ。万年橋から神代橋までにもうひとつ和田橋というのがある。こういろいろ道があるのに吉野街道しか走らなかったのはいかにも迂闊。秋冷えだからでもないだろう。ぞくぞくする。・・なるほどね。吉野街道をパスして日向和田に出られるな。仙人の家を訪ねたが留守のようだった。さらに川縁の道を石神の方にいく。この辺も未知の道だ。柚子がちょうど黄色く色ずく景色だ。また何か今度は細い橋があってそこも渡ると青梅街道がありその上が石神前の駅だ。この駅は無人駅の神さびたやはりぞくぞくする。駅前に桜の古木があってここも春はきれいというか神々しい気だ。田山花袋が明治期に訪れあたりは奇景で桃の花咲く里だという。ここの桜はぜひみたい。隣の石神神社は由緒がわからない。大きな公孫樹の木がある。・・ぞくぞくの連続できょうはもう引き上げたくなった。こわい。すぐ下の青梅街道を走ることにした。ところがさっそく大きなダンプがやってきて煽りはしないがまったくわがもの顔。やはり自転車にはいい道ではない。と思うまもなくサイクリストが3人すいすいと車道を走ってきた。こういう道の走り方もあるのだろう。今度の奥多摩行きでチャレンジしたい。

・・日向和田にでてまた川沿いの道で帰ることにした。そっくりそのまま同じ道にはならない。途中蕎麦やの老舗があってここもいつか入ってみたい。まだまだ未知の土地がぞくぞくと魅惑する。

457秋魚:2013/11/10(日) 01:50:56
(無題)
・・黄葉がはじまってる。青梅郷土館のある釜の淵公園のカツラはみごとな黄葉だ。イチョウのように黄色くなるが葉の形がハート形でゆかしい風だ。紅葉の赤い葉はまずウルシが早い。これはいつか福島の五色沼でみかけた。ウルシの木は自分はまだ見分けられない。

・・紅葉の盛りの頃に奥多摩のポタリングを思案している。少しずつ紅葉がすすむが外に出てないといつの間にか色づきがすすんでいたりする。先日福生のアトリエから見た基地内の木はかなりに色づいていた。ケヤキかな。これも識別できない。山の方が早いはずだが。・・うかうかしてられない。秋川の千代鶴の酒造を訪ねた。ここの酒は美味い。すこし呑んですぐもう一杯呑みたくなる。この味は不思議だ。こう書いただけでも味覚を思い出しすぐ試したくなる。いますこし味わった。・・お店のお嬢さんは利き酒はダメですという。自転車に乗ってきたのがばれてしまったから。絶対ダメ。前は知らなかったことにして飲ませてくれたのに。今回はガンとしてお断り。・・どうせ美味い酒だ。今度奥多摩にいくから「奥多摩」という特別純米にした。酒造の敷地にカキが鈴成り。これは庭のカキです。三つくれた。ありがとう。このカキも美味しかった。・・しかし不思議な味だ。

・・この酒造に行く道も吉野街道を避けていく道を探した。あるあるすこし入り組んでるがくにゃりくにゃりで何度も人に道を尋ね、ええこの土地の人はよく教えてくれる。自分は都会ずれか合理性ばかり追求する風でなんとも涙がでそうになる。・・しかしここもすばらしい道だ。

・・ipodriderで、今日は飯能のヤナイ氏のアトリエに向かった。例の青梅坂。これはそれほどだらだらではない。急なのを一気に上ればトンネルがありそこを越えればずっと下りになる。登るのはつらいが下りはぞくぞく事故のないよう気がひきしまる。・・連ちゃんの自転車はやはり少し重いか。竹林は黄葉はしないがそれでも秋の風だ。凛として気がひきしまる。・・紅葉はけっこう進んでいる。だがまだまだ。山王峠。かならずここに来る。がんばらずに自転車を引いたほうがいい。ここを越えれば直下降。入間川まで。

・・アトリエは盛況だった。

458秋魚:2013/11/21(木) 20:42:49
(無題)
・・琴の弦が秋の日に堪えかねて自ら音をかなでだす。という八木重吉の詩があったような。・・自分もついに懸案の奥多摩ロングライドにうってでた。多摩川の奥へいけばいくほど深くなる渓谷は途中まで何度か試みたが、まったく背筋がすーっと冷えて下半身が脱落するような恐怖がある。あるサイクリストはいともたやすく行ってしまうらしい。なにせ吉野街道、青梅街道ともダンプが多い。道がせまくなってダンプに煽られるのはやってられない。爆音をたてるバイクライダーもいる。郷土館の案内嬢に聞いたが、青梅街道のダンプは煽りはしないらしい。事故ったら彼らもおしまいだ。

・・予習したごとく、裏道を使って奥多摩橋のある二俣尾その先の軍畑までは散歩のごとくすばらしい自転車の走りだ。吉野街道はダンプ街道でいっさい避ける。御嶽までも歩道のある青梅街道はなんなくいける。・・紅葉はこれから一週間が盛りだろう。植林で常緑樹の多いここらの山は、ところどころ自然の植生のあるところは黄葉紅葉が盛んだ。柚子の多い土地だ。・・御嶽から川井まで道路もせまく意外と長い。ここらあたりから未知の道だ。車の用心ばかりで今はあまり記憶がない。紅葉がよくて景色のいいところで小休止。松乃温泉水香園の前もすばらしい紅葉だ。ここはいつか泊まってみたい。古里という駅がある。ここで吉野街道と青梅街道は合流する。昼の時間をねらったので思ったほどダンプは来ない。古里のすこし先で砕石工場があった。おおかたのダンプはここまでか。・・古里から鳩ノ巣まで。鳩ノ巣渓谷もたいへんな紅葉のメッカらしい。今回は割愛。ひたすら奥多摩の氷川神社をめざす。途中白丸ダムのあるあたり。ここらあたり渓谷の景色紅葉は色づきがよい。この辺の橋の名前も忘れたが、写真をいくつか撮った。トンネルがいくつかあるがすべて側道でいける。白丸まで来ると奥多摩新氷川トンネルも近い。入り口をすぐ左の側道にはいるとなんなくもえぎの湯がみえてきた。ここも今回の目玉。今は通過して奥多摩の駅をめざす。もう近い。駅の観光案内所に寄って奥氷川神社を教えてもらう。ついでに他の地図も手に入れる。こういうサービスは無料だが観光地ではできるだけお金は落とした方がいい。温泉で散財するのが自分の常だ。・・奥多摩氷川渓谷が紅葉のランキング一位と聞いたが、どこか。案内所で聞くべきだった。三本杉のある奥氷川神社は駅のすぐ近く。この杉はみごとだが、社はしょぼい。まあ御岳とはくらべられない。さあ、あとはもえぎの湯だ。すぐに温泉に向かった。・・温泉は一時半に着いた。奥多摩まで休み休みで2時間ほど。ノンストップなら家から90分といったところか。観光シーズンで温泉は登山客、ハイキング客で多い。けっこう建物も新しい。どんどん入場してはやく一風呂浴びねば気がすまない。せまいところがごったがえしている。温泉は透明泉で期待した以上。日本の最古層の地層の湯だそうだ。人が多いが温泉はそのほうがいいかも。レストランで自慢の焼き魚定食をとろうとしたらもう売り切れだった。仕方なく蕎麦にして今回はビールもパス。3時には帰路につきたい。柚子こんにゃくと蕎麦の実ふりかけを土産で買った。これは後に家で酒といっしょに試したが、とてもいい。蕎麦の実のふりかけは極妙の味だ。

・・帰路は、やはりダンプが気がかり。はじめての道はこわいものだ。行きはよいよいというが、帰路はまだいい。用心はしたい。

  *

・・いやはやともかくすごい。奥多摩は岩の奇景もさることながらヤマトタケルが訪れたのは、きっとかれも太古のフリーメイソンの一員だったのだろう。御嶽はそういうメイソンの聖所であとから来た奈良時代の行基なんかもメイソンの血筋にちがいない。岩蔵温泉や塩船観音など奥多摩の入り口でみなメイソンの記憶がある場所だ。・・羽村の阿蘇神社。「孝霊天皇9年6月、健磐龍命の子で、初代阿蘇国造に任じられた速瓶玉命(阿蘇都比古命)が、両親を祀ったのに始まると伝えられる。」これは熊本の阿蘇。なぜこんなところにあるのか。健磐龍命というのはいかにもメイソンの匂いがする。

・・タケルとは。健磐龍命のことではないか。子の速瓶玉命(はやみかたまのみこと)とは、多摩川のことではないか。

459秋魚:2013/11/25(月) 01:38:07
(無題)
・・おどろくべき日和。きょうはipodでハイキング。青梅丘陵コースを歩く。これは謎の道だ。多く語るものはない。

・・ひとつ、千手観音。

・・ふたつ、紅葉盛り。

460ねこ:2013/11/26(火) 11:26:22
明治・昭和・平成天皇即位は12月25日
明治・昭和・平成天皇即位は12月25日

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0203/35/241_1.html

天皇家はクリスマスを記念している可能性が高い。

明治天皇は1866年旧暦12月25日即位。
昭和天皇は1926年12月25日即位。
平成天皇は1988年ユリウス暦12月25日即位。

( http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0102/4/167.html )

461秋魚:2013/11/27(水) 21:49:35
(無題)
・・《有》は、今あたかも天地開闢の時の如く現有する。《有》は蛍光の如く光明して尽十方界に現有する。《有》は、熾烈に現有する《有》は、時じき天地の開闢する《有》の現有全機する《有》は、《有》の母國の空虚より一来する。天地の開闢は、空虚の《有》のまたたく全現しつつ、《有》は、《有》の現有する《有》を神妙に現成する。《有》は世界の辺際より歴来しつつ、《有》は、《有》の現有する《有》の妙技を尽十方に言葉する。天地開闢は、《有》の現有する《有》の物語りで有る。天地開闢は、有る時に突発する《有》の現有する《有》の出来事で有り、《有》と《時》との断層で有る。また《有》と《時》との断層によってあらわるる《有る時》で有る。
《有》は、《有》の現有する《有》は、言葉有りて天地の開闢する天と地との間の空虚に揺り動く。《有》は、空虚の有る《有》の現有する《有》の場所に方位する《有》は、正に一来現有する。《有》は、《有》の現有する《有》は、希薄なまでに豊饒な空虚ゆえ、天地の諸物の注げども満たず、酌めども竭きず有る。《有》は、自らの一来の由り来たる所を知らず有る。如今、《有》は、《有》の現有する《有》の空虚は、葆光開闢する。
 言葉は、《有》の現有する《有》のアプリオリの殺意で有る。・・

462秋魚:2013/11/28(木) 00:04:01
(無題)
・・まいった。まいった。ねこさんまいった。yuzuというネコは、最高に愛おしいネコだった。真冬の寒風吹きすさぶ夜にガラス戸にすり寄って来たっけ。アメリカンストームキャットのハーフ。・・その先は想い出すと胸が痛くなる。

・・紅葉盛り。ここも思い切り寒くなりそう。すこし厚着ででたが、日差しは暑い。バスに乗って、奥多摩源流の小菅村まで再チャレンジ。自転車ではない。奥多摩までは、確認。いつの頃からか木を切って植林は杉がほとんど。近代はまったく間抜けた植林をやった。ところどころ残る雑木林は赤黄もえぎと色づいて実にきれいだ。落葉樹はさほど多くはない。ずっと昔は一面紅葉黄葉がいっぱいだったろう。・・バス酔いをした。

・・奥多摩湖は九月のはじめに行ったときの方が印象は鮮烈。あの頃かなりの日照りだったから。奥多摩氷川渓谷までが黄葉紅葉は盛ん。それから小菅までは落葉期かも。日差しも悪くよい写真がとれない。車からの景色はろくなものでない。自転車に限る。

・・奥多摩から大菩薩峠を越えて塩山に入れるか。これは超こわい。

463秋魚:2013/12/10(火) 01:24:19
(無題)
・・めでたい。めでたい。IDEHDDケースが復旧してハードディスクが使えるようになった。ぷー太郎やっててコンピュータひとつ復旧できなかったら情けない。まったく44ピンの噛み合わせがぬるかった。まったく欠陥品かと思ったくらい。

464山田:2013/12/21(土) 20:17:12
(無題)
・・めでたい。めでたい。SATA接続ハードディスクの換装に成功した。80Gから250Gへ。しかもクローンディスクにも成功した。Windows7はこれから主流になるのでは。古いディスクから丸ごと新しいディスクにすべてのデータファイルを移した。パーテイションの新設はまだこわくてやらなかった。中古のノートパソコンはかなり快適になった。回転速度の7200なんぼとかいうやつだ。ファンはまわるが音は小さく静かになった。

465秋魚:2014/01/01(水) 21:49:02
(無題)
・・元旦の初乗りは、五日市阿伎留神社。日の出に沿った秋川街道はじつに嫌な道だ。歩道もなくて車が多い。だらだら長い坂がある。元旦なら道は透いてるだろう。・・正月晴れのipodriderにでた。ダンプは無いが普通車がひっきりなし。正月くらい家にいろよといいたくなるが、かくいう自分も外に出る。ipodの音楽で自転車乗りはすばらしい。まるで映画の中にいるようだ。流れる風景が音楽で脚色されるし乗り手のリズムもよくまわる。が、これはあぶなっかしいものらしい。よくクラクションを鳴らされた。ipodriderは酒飲み運転に近い。音楽にのめりこんで酔わないという覚悟でなら、ナイスといえる。・・この秋川街道はこわいので途中ipodを外した。

・・二度目の道で、こんなところに採石場があるのがわかった。いったいどんなすごい岩盤があるというのだ。石塵のような嫌な匂いがした。日の出にはゴミの焼却処理場もあるという。日ごろダンプが多いのがよくわかる。・・斎場や老人ホームばかりが目に付く。鬱陶しい道だ。・・坂をトップまで登りつめるとあとは下りになる。はやくぬけたい。・・つるつる温泉への曲がり角までくると武蔵五日市の駅には近い。・・駅前の交番で阿伎留神社への道を聞いた。若いおまわりさんが、うれしそうに地図をひらく。ほんとは地図がなくても知ってるのだろう。ただこれは確実な教え方だ。・・檜原街道をいってモリタ薬局のところで曲がるのですね。川っぺりにあるという。

・・阿伎留神社。アキル文字という神代文字があるという。・・秋留、秋流とか秋魚に近いものか。神輿は六角神輿という。正月なので獅子舞がでていた。・・餅を食べてってよ〜と言ってくれたが、プー太郎の甘え癖がつきそうでそそくさと歩いてまわった。あちこちいろんな小さな社があって神様の名も定かでない。キツネの神様がいたのは憶えている。・・人見知りせず地元の人と少しでも言葉を交わすべきだったか。

・・自転車で、秋川渓谷の瀬音の湯にむかった。何度か訪れているが、この近辺随一のアルカリ単純泉の名湯であろう。正月である程度混んでいるのは覚悟していたが、耐えられないというほどではない。都心の方では芋を洗うようだ。ここは選んで正解。ねらった客がほとんどだ。お湯は実にいい。ドライサウナに入って水風呂につかった。水が冷たく足がしびれてすぐに出た。並大抵ではない。先客のアンちゃんが傍でみてて「しびれるでしょう」と声をかけてきた。茶髪だがそう若いものでもない。きょうは朝一のバスで自分のお気に入りのハイキングをして最後にこの温泉に来たのだという。毎年正月の恒例だとか。いろいろめずらしい話をきく。雲取山にも登ったとか。おもしろい話をいっぱい聞けそうだったが、そうもしてられない。もう一風呂浴びてレストランに向かった。

・・中村酒造の柚子酒とヨモギ素麺をみやげで買った。道中の自転車はところどころ車の多いほかはきわめて爽快。帰りは、五日市街道で秋川までいきそこから滝山街道、吉野街道で帰る。大きく迂回する感じだが、日の出あたりの坂を回避できる。のんびり帰りたい。・・ほどなく秋川の駅前に来た。駅前通はかなり開けている。ここをずっといって毎回少しずつ新しい道をさがしていく。・・自転車は一度外に出ると野生がよみがえる。

466秋魚:2014/01/06(月) 01:43:55
(無題)
・・正月の第二弾。青梅街道まっしぐら。新宿、靖国通り神田、日本橋から隅田川畔に出る。深川芭蕉庵跡、水天宮。都心走破のロングライドも懸案の一つ。青梅街道まっしぐらというのが棘のように刺さっている。奥の細道の出発となった芭蕉庵もまた。こちらの出発は青梅多摩川の万年橋。同じ万年橋が深川にもあるという。かなり著名な橋だぜ。広重の絵にある。元旦に行こうとと思ったが、宿がとれなくて断念。五日市の阿伎留神社はよかった。これは誤算が正解。正月四日目は、青梅街道けっこう車が多い。帰省のもどりだろうか。道は簡単だが、車道はなかなか走れない。二車線あってもぎりぎり端に走ってくるやつがいる。側道という手もあるが、はじめは本道を見ておかねば。瑞穂近くまでは何度かいってるからこわくはない。福生の横田ベースが切れる手前あたりで青梅街道は、新青梅街道と旧道に分かれる。迷わず新青梅を直進する。横田ベースの敷地は広い。向こう側一帯が平野のごと開けてる。以前立川から東村山、武蔵村山、狭山、飯能へ向かった時、この新青梅街道も通った。すこし見覚えのあるあたりを行くとしょぼくれた川に出る。空堀川という。立川活断層沿いの残堀川と同じ系ではないか。これは・・このあたりから記憶もばらばら、久留米というあたりで街道を外れた。駅前からずっといくと団地の中に入って仕方なく犬を連れたおじさんに道をたずねる。あ、団地を突っ切れば街道にもどれるのですね。ありがとう。困ったときは見境無くたずねるも、あまり愛想のよくない人でした。・・ずっといくと田無神社とかあって興味をそそるがそこは通過。井草八幡とかもあってやはり通過。伏見稲荷というのは規模が大きそうで興味をそそるがここも通過。なんだかんだといって荻窪の駅前にでた。ここは何度も来た事がある。これから先はお手の物。

・・自転車の交通規制がきびしくなった。車道は絶対左側。ところどころ巡査が見張ってる。自転車に対する注意標識も多い。荻窪から新宿まで以前は長かった記憶があるが、今回はほどなく着いた。住友不動産の大きなビルがある。ハハ、履歴書はここで審査されたか。丁重に送り返されたが、嫌味はない。高いビルが多くなると駅のターミナルも近い。コーリアンタウンのようなところを通って靖国通りにはいる。その前にファーストフードの店で休みをとった。たどたどしい日本語でインドネシア人か。注文取りがきた。さすが新宿。若い女性客もいる。すっきりスタイルのしなやかな子が多い。いかにも新宿。流行のスマホに余念がない。

・・これから先九段下あたりまで車もすくなく散歩ロードといったところ。ただし靖国の前は参拝客でごったがえす。だれそれの靖国参拝は世界的に注目を浴びるものだが、そうでなくともここの人気は不思議なものだ。

・・青梅万年橋から新宿までおよそ4時間のライド。靖国から神保町まで人通りは多いが気が安まる。はじめて来たときは神保町から東京駅八重洲口にいくのさえ道に迷ったほどだ。東西南北の座標軸さえしっかり把握していればここは楽勝の地理だ。迷うというのはこの座標を失うことだ。方向が少しずつずれて東へ行ってるつもりが南だったり南へいってるつもりが東だったりなんかの拍子にまったく反対の方角にすすむなんてこともありうる。・・ともかく神田駅をめざす。そこを抜けると隅田川にぶつかるまで人形町とか日本橋とかあって浜町というところが水天宮仮宮のあるところ。壇ノ浦の戦いで海に沈んだ安徳天皇の近くの女官が福岡の久留米で隠居したのが本家の水天宮。どういうわけか江戸に分祀されて安産の神様だという。一度人にたずねて水天宮に着いた。やたらと参拝客がおおく安産祈願とは無縁な自分はここもさっさと退散した。

・・あとは隅田川まででて清洲橋をわたったあたりに芭蕉庵跡稲荷神社があるはず。実際はひとつ手前の新大橋というのを渡った。向こう岸を沿ってゆくと途中に芭蕉記念館がある。4時くらいに着いて運よく正月明けできょうは開館していた。二百円払って客もぽつぽつ。自転車のロングライドでこういう展示室は空気がわるく吐き気がしてきた。それでも芭蕉のことは面白くずっと見て廻った。芭蕉の旅の行程が地図で示されていたうち特におもしろいのは「野ざらし紀行」。江戸の大火のあとはじめて旅をする意識が生まれた。・・亡母の供養で伊賀に帰る。すんなり伊賀にいけばよいものを伊勢の西行庵をたずねたり吉野にいったり琵琶湖あたりにいったり大垣にも。故郷伊賀周辺はまあ四方八方歩きつくす。これはいったい何であろう。

・・旅先でほんとに自分で関心がもてる場所があるとほっとする。芭蕉の匂いがして隅田川もああうれしい。水の都というとびぬけたモダンの香りがする。・・萬年橋という浮世絵でみた。亀が吊らされて向こうに富士がみえる。いまは富士はみえそうもないが、風雅な庵に住んだものだ。奥の細道では最後に西行のいた二見浦に向かった。ここの夫婦岩は夏至の頃岩の間から日が昇り富士が見えるという。芭蕉はすべてを見ていたはずだ。・・日が落ちてきた。

・・清洲橋を渡ろうとして思いとどまり、萬年橋を渡りさらに岸沿いにすすんだ。次の橋、永代橋をみたかった。日本橋茅場町界隈から八重洲方面にむかう道だ。で、ずっといって思わず愕然。隅田川はここで二手にわかれる。中州のようなそこにあるのは夕日に浮かぶ摩天楼。なんてきれいなんだろう。先客がケイタイで写真をとっている。日常のごたごたとか生活の悩みとか一瞬吹き飛んでしまうほど。しかし日がどんどん落ちる。美しいものは一瞬という。そういう時の流れだ。自分も写真を場所を変え角度を変えいくつも撮った。暗くなって悲しくなる前に橋を渡って宿のあるセンターホテルへと向かった。

467秋魚:2014/01/25(土) 01:53:39
(無題)
・・DA VINCI CODEという映画をみた。フィクションという胡散臭さを嫌って小説も映画もこのところトンとご無沙汰していた。が、これはおもしろい。

・・根を詰めたことをつづけるのは、よくない。多摩川サイクリングロードをipodriderにでた。ここならipodで音楽を聴いているうちどんな遠くにもいける。目指すは多摩ニュータウン。もう親しいルートで2時間半のライドになるはず。立日橋のところでモノレール線といっしょに走ればよい。極楽湯温泉は東京でここしかない。ここは期待だ。音楽はほとんど入れ替えなし。2Gが容量でこれ以上は無理か。最近はyoutubeのダウンロードも試みた。うまくいったが、いろいろ問題が起きる。ひとつひとつ解決せねばならない。しかしコンピュータの仕掛けはどこもあの手この手で複雑なことをやるものだ。ぷー太郎をやってるうちにチャレンジしてみたい。・・「ロシアより愛をこめて」という007がお気に入り。いくつかyoutubeもあるうちダニエラビアンキがたくさん出てくるのが一番。歌はマットモンロー。主役はもちろんショーンコネリー。この頃ボンドガールといって新作のたびに起用される女優がいた。ビアンキ嬢はイタリア国籍だという。冷戦構造がまだくっきりしていた時代でイギリス諜報局のボンド氏の敵はロシアにあり。この頃はソ連邦だったが。ボンドガールは敵の女スパイの役がほとんど。ロシアという呼び名は悪くない。闘いながら愛欲で解放し勝利する筋書きだ。男も女も個人の才能がフルに発揮されるすばらしい映画だ。愛欲が抑圧されるいまの社会はどうもおもしろくない。

・・バンクーバー冬季オリンピック、アイススケートフィギュアで韓国のキムヨナがみせた007のSPは衝撃だった。フィギュアはペアとかもあるがいつも注目されるのは何故か男子女子のシングル。あのときのキムヨナのコーチはたしかカナダ人。同じコーチがいま羽生結弦について同じようにSPで華麗な技をみせている。「パリの散歩道」というヤツだが。・・フィギュアスケートはロシアにも伝統があって一昔前は強いアスリートがいた。いまでもままいるが。007みたいのは冗談でもやれないだろう。キムヨナの007はとりわけ深い意味がある。007自体が古くなってるということではない。

・・「パリの散歩道」。これはいける。おそらくDA VINCI CODEがパリを止揚した映画のモニュメントとして歴史に関わるのと同じく、「パリの散歩道」もフィギュアの歴史、しかもソチオリンピックで歴史的な大事件となるはずだ。単にフィギュアの歴史のことにとどまらない。「ここまでは言ってもいい。これ以上は言えない。」というヨブ記の教えはここにもある。

・・ipodrider温泉の帰りにnakagami書林に寄った。ここはいい。どん底の本屋さん。若い女の子が差し入れのビールを持ってきたりして。彼はいい。女の子も。・・DA VINCI CODEのDVDがあった。いくらかと聞いたら百円だという。ウソだろと思ったがすぐに買った。退散する理由にもなった。こういうどん底には長居したくないというのはままある。・・でもまた来ます。

・・夜道の自転車にも馴れた。

468秋魚:2014/01/30(木) 23:28:29
(無題)
・・昨年の6月13日頃クラッシュしたパソコンのハードディスク修復にチャレンジ。古いノートパソコンでHDDはパラレルIDEというやつ。一度60Gから120Gに換装した。今となっては遅れた容量だが60Gのがはじめにクラッシュした。必死に換装にチャレンジ。その120Gもクラッシュ。引越しの最中でこの時は以前の60Gを修復しこれをもどしてなんとかやってきた。基本的なところで錯誤がありやっと修復に再チャレンジ。・・まずIDEは古くなっているようだが、充分使えるものだ。ケースに入れてデータ救出とかここまではできた。チェックディスクをしてまた本機のパソコンにもどした。電源を入れるとやはり駄目ですね。ブルースクリーンが出てWINDOWSが立ち上がらない。F8のキーからセーフモードにすべき手順。ところがこれもうまくいかない。反応してるようだがセーフモード画面が立ち上がってこない。これはあとでわかったが、チェックディスクが自動で行われているためだった。即キーを打てばよかった。で、うれしいことにやっとセーフモード画面になった。・・はじめシステムの復元を試みたがエラーが出て失敗。これはHDDを取り出したとき別のパソコンで原因となったセキュリティソフトのファイルを削除した為であろう。システムの復元はクラッシュしたそのままの状態でやるべきだ。・・今回のクラッシュ、原因はわかっている。WINDOWSの更新ファイルが**のセキュリティソフトと干渉したためだ。ならばその更新ファイルを削除すればよいか。コントロルパネルを開いてそのファイルを探した。クラッシュした最後の日にち。あったこれに違いない。このファイル臭い。タスクバーで機能するものだ。まったくクサイがいまは保留。・・で、削除。すると今度はみごとにフル機能でWINDOWSが立ち上がった。やった!ああ、うれしい。めでたい!

469秋魚:2014/02/26(水) 01:12:49
(無題)
・・雪になった。梅の開花の前に雪をみたかった。ここの山水の雪化粧は想像しても震えがくる。柚子の実がまだあちこち樹にある。黄金の雪と竹や樹木にかかる雪と渓流の淵にまで雪が蔽う。人家の屋根も蓑虫の巣のように雪を被る。初雪は家のベランダから墨絵のような景色だった。外に出ることもかなわぬ。朝になり光線の具合が雪を輝かせる。刻々千変万化する雪の絵だ。雪解けの音がジジと絶えずある。

・・残雪がきびしく自転車ものりにくい。多摩川のサイクリングロードは雪が多かろうと悩んだ。が、意を決してipodriderにでた。雪降りを都合にして部屋に篭もる日々が続いた。神経が過敏になって筋肉も萎える。ラジオや音楽ももう飽きてきた。ソチオリンピックで緊張している若者がいるのにこんなに老け込んでいてはよくない。青梅近辺はまだ積雪が残っているが、都心に向けてはだんだん雪もすくなくなる。懸念していた多摩サイは上々の走りになった。

・・なんだ多摩川堤はほとんど雪はない。マガモだろうか水鳥がいる。時折白鷺のようなスタイリッシュなのもいる。サギとツルの区別も覚束ない。ipodの音楽はひさしぶりだと新鮮に聴ける。府中の郷土公園あたりは梅の白い花が咲いている。梅はぽつりぽつり咲くのが風情がある。群れてわっと咲くのは媚がおおい。・・それなら桜がいい。

・・桜といえば、西行法師が旅にでるはじめは伏見墨染寺の桜の枝を折った。これを杖にして千葉の東金までやってきた。杖を地にさして根付いて桜の花が咲いたという。

 ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ

・・こうして桜の花ばかりを追って旅をしていた。昔はどうも好きになれなかった。花ばかりというのは。・・今はすこし理解する。

・・ところでネット検索していたら、おもしろいものにヒットした。「幽雅に咲かせ墨染の桜」という
動画ミュージックがある。

 西行寺幽々子というバーチャルシンガーの歌だ。

http://www.youtube.com/watch?v=acFwGdDybUo

http://www.youtube.com/watch?v=0WBgB6nA3PI

 これはピアノ曲だが、

http://www.youtube.com/watch?v=NlORz2R-Jpk

470秋魚:2014/03/22(土) 15:58:09
(無題)
・・山間は気温も低く花の開花も遅くなる。青梅から奥多摩まで雪が降ったらまず出歩けない。一月もたってもまだ山道には雪があるという。梅の公園の梅祭りも咲きそろわないうちからよく人が訪ねてきた。外人の多いこと。梅ウイルスの流行とかでここいら一帯ダメージが強い。古木がどんどん切られている。

・・花とか天気の具合はほどほどにして今回は山歩きに出ることにした。自転車で梅郷の知人宅までいきそこに置かさせてもらう。梅の公園の脇から日の出山に向かうハイキングコースがある。それほど知られていないがいい道のようだ。残雪があるのでアイゼンを使うようにと入口に注意書きがある。また夏に山奥で小熊が出没したとも。・・余り人と出会わない。道はしっかりしてる方だろう。最初の展望台は琴平神社。昔はここいらは養蚕の地だった。社には招き猫が多くある。蚕を食べる鼠をとる猫が神様だったか。ここでもけっこう見晴らしがきく。・・次に登っていくと三室山がある。ここはさらに見晴らしがきく。先客のハイカーがグループで昼食をとっている。お年寄りが多い。いろいろ山登りの話で盛り上がっている。おばさん連も多い。体力の限界を感じているとこういう山歩きをはじめるようだ。自分も事故でギプスをはめて歩けなかった時期があり、自由に歩けることのうれしいこと。リハビリでは杖突いて富士山に登ったものだ。三室山は岩があちこちあるほかは何もない。大きな岩がある。自分も水をとって休む。・・先客にこんにちわといって日の出山の道をたずねる。声のかすれた人が親切に道を教えてくれる。喉をやられてるようで余り話させても悪いみたい。ほどほどにしてお礼をいってまた出発。今回日出山までは必ず行ってそれから先の予定がない。

・・三室山は御諸山で武蔵のこんなところにあるのは余り知られていない。岩は自然石だがここは謎。道をいくとマウンテンバイクの若者が3人ザッザと音をあげて降りてくる。これも驚き。雲取山でダウンヒルの自転車遊びがあると聞いた。自分が歩いたところまず自転車は無理だろう。そう思っていたが彼らはやるのかもしれない。ガンバレ!と、応援した。

・・梅ノ木峠というところに出た。ここから日の出のつるつる温泉は近いらしい。三室山で話した人もつるつる温泉に寄るのをすすめていた。以前来たことがある。ここに寄るともどれなくなるか。こざっぱりした道を日の出山を目指した。ずっといって最後に急坂があり三室から一時間半で日の出の頂上に着いた。ここにはハイカーが大勢いた。若者もいるが白髪の人もいる。熊除けの鈴を鳴らしたりアイゼンをもったりみんなそれ相応の準備で来ている。・・破れかけた運動靴と拾った木の杖、小さなリュックで身軽を心がけたのは自分だ。晴れたが冷たい風が吹く。時折白い流れ雪もみた。・・日の出山まで二時間半。足が痛くなった。ここの展望は東西南北すべてきく。都心の方は新宿のビルやスカイツリーもみえる。西のほうは富士山はわからないが、大岳山はすこしとんがって見えた。すぐ手前に御岳山。神社の社もみえる。30分もあれば御嶽にいけるという。・・引き返してもどる気はなくなった。頂上でこちらもおにぎりの昼食をとった。

・・日の出山が目標でもうあとはゆとりになった。山道で雪はところどころにある。人も多い。みんなこんなにも気安く山に登るのか。というかけっこう準備しているようだ。自分のように思いつきで登るのは素人かもしれない。御嶽は案の定近かった。ケーブルカーの駅ですぐ下山と思ったが神社まで十分とかある。人もますます多くこのまま帰る手はない。神社に参拝することにした。足は痛い。杖突いて引きずるようだ。足が痛むのは登るより降るのがこたえる。御嶽神社ははたして感動。なんかすごい巨木がある。御嶽講というのがあるらしい。石碑が多くある。各地の庶民の信仰は生半可ではない。・・ここは太占という鹿骨をつかった占いを今でもやってるらしい。ヤマトタケルはオオカミに助けられた。犬神というのもあるか。ペットの犬を連れたお参りもあるようだ。

・・紅葉やという店で蕎麦とビールをとった。やっと少し落ち着く。さすがここの霊峰はすごい。外人も多い。みんな下のケーブルで来るのだろう。自転車で来てるものもいた。ずっと昔来たことがある。あわただしく展望してすぐ下山した記憶しかない。足は回復するどころかさらに痛みを増す。痛みは神経の問題だ。興奮しているうちは痛みはない。

・・下山はやはり歩くことにした。拾った杖はありがたかった。西行は桜の木の枝を杖にしたとか。自分の杖も桜かもしれない。多摩一帯は杉の木が林立している。これがあたりまえのようだがすべて植林したものだ。日の光をとろうと競って上に伸びる。杉はまっすぐに伸びる。しかしこれはもうあちこちで限界。下の方が堪えられないほどだ。・・あちこちで杉の木の伐採があるようだ。これは花粉症などうれしくない木だというので広葉樹とか多彩な木の森に変えようという最近の政策と思える。

・・実際杉の森は一つの美観だけでおもしろいものではない。これからの時代に期待する。御嶽の山の上まで自転車で登れるとみた。車の走る道もある。ここならクロスバイクでいけるか。すこし意欲がでたが、自分の自転車遠乗りの限界も感じはじめている。・・箱根の峠越えなど目論んでいたが、体力の限界が近い。筋力は退化して復旧がやっと。進化というのが無くなってきた。気は若いが。

・・右足と左足で関節部分が痛む。痛み方が違うのはよくわかる。左は昔事故で痛めた。右は正常だが
最近の不精で腰のヘルニアが少しでている。膝が曲がらなくなる。・・とはいえ、誤魔化しごまかしヘンパイ歩きのようで下山。長い道のりだったが行きも帰りも歩いたというのはうれしいことだ。ただし御岳の駅からは電車だった。

471秋魚:2014/04/03(木) 19:20:17
(無題)
・・桜の花ははやい。鬱を払いに羽村から多摩CRに出た。阿蘇神社の桜は二日前には二部咲きだったが、いまはどうか。福生の土手堤はもう満開に近く、人が大勢出ていた。平日なのにまあ奥方と子どもが多い。仕事無しの年金組も多い。天気も晴れて絶好の花見日和。やはり外にでるのが正解。・・頚骨の位置がすこしずれているのか気ままでいると頭痛がする。自転車に乗ることだ。日の出山まで歩いたおかげで足の筋肉は補強された。老化ではなく怠惰だっただけだ。・・Hayabusaは後輪のブレーキを少し調整した。すこぶる効きがよくなった。チェーンが心持ちゆるくなってるようだがこの調整は未知だ。だいぶ乗りこなしているがタイヤは磨耗がすくない。中国製なのにいい質だ。meridaのブランドの故か。台湾製は頑丈にできてるという話だった。・・自転車のライダーも多くでている。みんないい自転車に乗ってる。ヘルメットにぴったりとシャツ。ヘルメットは自分も事故を経験してるから考え物だ。それに保険も。・・身軽でいたいのは山々。

・・花祭り。

まずは、梅岩寺。枝垂れ桜。

・・阿蘇神社はもう一度来てみる。ここの桜は武士の花だ。


・・川の上流へ、石神前には田山花袋が来ている。ずっと昔だ。梅ではなく桃の花里だったという。

   *

・・小曽木街道を飯能へ向けて走る。途中の岩蔵温泉郷にはいつかゆっくり訪ねてみたい。ヤマトタケルが温泉につかった時武具を納めたという岩が今でもあるという。立川断層の露岩ということだが。いまは通過して入間の仏子に向かう。時折大型のダンプも来るが怖いというほどでもない。青梅から飯能へ岩淵というところはカタクリの群生地、その近く成木川の淵に岩井堂観音がある。川縁に大岩が切り立っておりその下の祠が岩井堂。昔ここの観音像が大水で流され成木川、入間川、隅田川へと流され、浅草浦の漁師の網にかかった。それが浅草寺の由来本尊となったという。推古天皇代のことである。いろいろ調べてみるとこの黄金の観音像の話はおもしろい。浅草寺では秘仏とされ誰も見たという話は聞かない。ほんとにあるのだろうか。・・にしてもこの観音堂。人っ子一人みあたらぬ。

・・仏子の手前に阿須というあたり入間川に沿って公園が開けている。桜が咲いている。ここに万葉の歌碑を見つけた。

 安受乃宇敝尓  古馬乎都奈伎弖
 あずのうへに   こまをつなぎて
 安夜抱可等  比等豆麻古呂乎  伊吉尓和我須流
 あやほかど   ひとづまころを   いきにわがする   (巻十四)

・・めまいのする自転車行になった。

・・阿須の山並みは花と黄芽新緑と杉と入り混じった景色。やはりここも武蔵野の広葉樹の森を取り戻そうとしている。

・・仏子のアミーゴでアートの展示があった。

472秋魚:2014/04/14(月) 01:33:43
(無題)
・・まったくいい季節。何をしたらよいのか焦燥にかられる。コンピュータの具合がとてもよい。クラウドコンピューティングなんかにもチャレンジしてみた。データ保存がこれで安全というのでもない。だいたい永久保存したいデータなんてあるのか。コンピュータはとりあえず脳の記憶装置だ。とりあえず。

・・去年の秋奥多摩にいった。奥氷川神社ともえぎの湯。途中鳩ノ巣渓谷とか白丸ダムとか。自分の自転車行では、冒険。だいたい谷が深い上に道路がこわい。車がびゅんびゅん。が、秋の紅葉は壮観だった。・・春の奥多摩にもう一回チャレンジした。例によって軍畑までは何度か来た。軍畑大橋の手前ですこしわくわく。谷が深い。ここから御岳までも歩道があってだいぶ馴れてきた。多摩の霊山は先日訪れたばかり。御岳から先川井の駅までが長い。道路も歩道が無くなる。車の暴走を防ぐためか交通安全のパトカーが出ていた。自転車乗りにはうれしいことだ。古里、鳩ノ巣まで緊張の連続。谷はますます深く、よく来たものだ。鳩ノ巣まで来るとあとは近い。白丸あたりは風光明媚。奥多摩に入る手前、数馬の切り通しという難所がある。いまはトンネルが出来てあるいは外の川に沿った迂回路がある。その手前は数馬峡橋。ここは川合玉堂が晩年をすごした絶賛の景。

「多摩川の楓渓は、ことにすぐれている・・・・渓もよければ谷の形もよい 水の岩にふれて瀬をなしているのも面白い 道は楓渓と相対して秋は美観である」 田山花袋

 山の上のはなれ小むらの名を聞かむやがてわが世をここにへぬべく  玉堂

・・別の画家の歌だが、

 ひとり来て生きるいのちを想ひたり紅葉のくらき山に向かひて  元宋

・・ここを過ぎてすぐもえぎの湯温泉に行く。

・・氷川までの最後のトンネル開通記念で温泉を掘った。それがもえぎの湯という。ハイキング客がよく寄るそうだ。前回はあふれんばかりの客。秋の盛りだった。早春のきょうは平日であまり混んでいない。狙いはよかった。・・新しい温泉の湯はいいものだ。ここも。メタほう酸フッ素泉というこの湯だけでも価値がある。奥多摩の古層は日本列島の最古層という。その湯とは驚き。

・・平日だがやはりサイクリストもポツポツ。みな自転車で手馴れたものだ。・・レストランで焼き魚定食をとった。ヤマメかイワナか日替わりというが、どちらかは不明。美味なり。

・・数馬の切り通し。奥多摩はここが一番のネックであろう。川合玉堂は戦火を避けて晩年は御岳に住んだ。71才。奥の白丸にも一年。・・この白丸のダムが出来る前の景観が随一という。その数馬峡。切り通しに寄ってみた。川に沿って岩山がありそこの断崖を切った道。トンネルもある。どの部分を切り通しというのか。トンネルの脇から岩山を登ってみた。白丸と氷川を結ぶ最大の難所道という。まず馬は通れない。落ち葉で足をすべらせたら谷底へ落ちる。この岩山の塊を向こうへ越えねばならない。道らしきところをいくと山の一段下の頂上らしきところに着いた。社もある。その先さらに急峻を登り天辺の向こうに下る道があるのだろうか。・・ここまで来て最後の登りは恐怖だった。すでに訳のわからぬ岩山の上で谷底がはるかに見えている。スイスアルプスのアイガー北壁といったところ。ここで大地震が来たらと思う。もう二度と来ることは無いと思うが、数馬の切り通しはこんなものだと了解してひきあげることにした。・・途中違う道をと選んだところいい道なのに行き止まりという。ここも崖に沿った怖い道だ。登りはいい。下りはバランスをとるのがむずかしい。足をすべらせそうなところがいっぱい。有名なところだが先日の岩井堂観音と同じく人影は無し。おおかたは下の車道トンネルの交通になっている。

・・数馬峡。ここいらが一番奥多摩らしいか。

473秋魚:2014/04/16(水) 14:33:25
(無題)
・・いったいヤマトタケルは青梅に来ているのだろうか?タケルは存在していないという話まである。いたたまれなくタケルの来歴をうたう岩蔵温泉郷を訪ねてみた。あちこち花は咲き乱れ野山の新緑は色とりどりに染まり自然の息吹の盛んな季節だ。青梅坂から小曽木街道の定番コース。時折の大型車がうるさいが爽快な道だ。30分もあれば着く。途中成木街道とかにぶつかるがこれもいつか名栗の方にも走ってみたい。大松閣、さわらびの湯まで○○キロとかある。

・・ほどなく岩蔵温泉郷に着いた。これくらいなら日帰り温泉もできる。ここも東京の奥座敷とかいって秘湯らしきが今はあまり訪れるものも少なくなった。天然のスパ銭が交通の便のよいところにあちこち出来ている。わざわざ高価な温泉宿をたずねる気もおこらなくなる。そう思うのは自分だがそこそこの温泉党の客がけっこういるようだ。・・ママダ屋という旅館はぜひ訪ねてみたい。

・・ママダ屋周辺を散策した。庭が美しく黒沢川を取り入れて自然がいっぱい。ヤマトタケルが負傷してたどり着いたこの温泉郷。ナトリウム単純泉だが湯治が効くという。タケルが鞍を岩にかけたという。その岩を探してみた。それが存在するというのはネットの記事でみた。黒沢川沿いは大きな岩は無い。奥多摩にあるような断崖もない。黒沢川は少し濁っているがこれは生活汚水か。・・地元の人に聞くしかない。最初のオバサンは愛想のいい人だがここらの者でないという。岩場はわからない。次に庭弄りのオジサンはあきらかにこの地の人。「オイワ」という処でしょう。そういうが四谷怪談を連想してちょっと困った。いえ男岩というそうです。向かいの小川をこえると女岩メイワがある。少し下って信号の手前を山の方へ200mほど登りなさい。自転車でもいけますよ。・・岩蔵の地名の由緒ある岩場が存在する。ネットでもほとんどここを目当てに訪れる人はいないらしい。町でも観光の名所としていない。・・実際登っていくと途中村社の御嶽神社、さらに墓場。なんとも人影も無い。岩井堂観音、数馬の切り通しと同じくまれな訪問客のみか。道も草に蔽われていた。・・あった!ここがタケルの休んだ岩場にちがいない。なんの標示もないが、この岩は立川活断層の露岩らしい。地層を斜めにボーリングして断層のズレを調査するスポットになってる。その表示がある。・・立川断層地震が近いうち起こるという昨今の騒ぎだった。この神聖な岩場をそんな調査の場所にしているのは奇妙な異和感がある。もうほとんど道はないが、さらに山に登る道が幽かにみえる。ここの岩場の上にいくらしい。自転車を止めてさらに這い登った。が、これは数馬の切り通しと同じ体験。登りはよいが降りは恐怖だった。上には小さな祠がひとつ。とってつけたようだ。登りましたよというので写真をとったらすぐに降りることにした。タケルが来たという神秘な場所で異様な霊感がただよう。降りる姿勢はみっともなくも安全第一でともかく下まで降りた。すると向かいの山の方にも道がみえる。ずっと上にも岩がみえる。これが女岩か。この際女岩にもいってみなくては。またまた急坂の道でほとんど道らしきもない。ここも這い登るようにしてアプローチを試みる。ようやく斜交いに岩を認めるところまできた。写真をとる。さらに上になにか見える。が道はもうほとんど見えない。女岩は尖った三角の岩だ。男岩は下の切り立った部分をみたが上の山を言うのかもしれない。・・ここのあたりもうまく整理がつかぬまま怖い霊気に圧されてすぐ下山。男岩よりさらに急な山道を死ぬほどの想いで降りた。・・いやーこわいこわい。これでは立川の大地震もあと数年のうちにきっと起こるのではないか。南海トラフとどっちが先か。

・・タケルはたしかにここに来ている。

474秋魚:2014/04/26(土) 01:33:45
(無題)
・・「善徳女王」は最終話。妖女ミシルが亡くなってから緊張の糸が切れた感じだが息子のピダムが後を継いだ。ネットで何度も繰り返しアップされるので三分の二ほど観ることができた。ミシルは美室という。三室山というのが青梅にもあった。御諸山、三輪山、甘南備山これらは同じものだ。ドラマでは神女といい源花というミシルだった。・・「善徳女王」の種本は、「花郎世記」で、「元々は日本の宮内庁書陵部に秘蔵されていたのを、朴昌和と言う人物が密かに書き写していたとされる筆写本が、1989年に見つかったものだそうだ。」・・脚本家は最近DVDで観たエイゼイシュタイン「イワン雷帝」もよく研究しているようだ。大業というイワン雷帝のロシア統一はトンマン、キムユシンの三韓統一であるし、王権の構造はおおまか似ている。・・「イワン雷帝」は傑作だ。いまのロシアのクリミア統合とかウクライナに対する姿勢はイワン雷帝当時とさほど違わない。登場人物の過度な衣裳が興味深いがさておき「善徳女王」は心理が錯綜して充分近代にも訴える。

「花郎世記」は偽書か否か自分には謎だが、朴昌和はポルノ小説など書いて生計をたてていたとか。

475秋魚:2014/05/12(月) 00:45:52
(無題)
・・入間川という狂言があるそうだ。黒いは白い。高いは低い。暑いは寒い。・・何でも反対にいう土地柄とか。アマノジャクという奴ではないか。実際の入間川は飯能あたりでみたがしょぼい川だった。青梅の成木川から入間川ずっといって川越まで流れ荒川に合流する。飯能より上流は名栗川ともいう。昔から氾濫する川で名を残す。

・・岩船観音堂のある歓喜寺から仏子を通って茶畑のある狭山豊水橋までやってきた。ipodのミュージックはしばしお預け。はじめてチャレンジする道はほんとにわくわくする。知ってる道ならどんなささいな障害も乗り越えていく自信がある。未知の道でもガラスの破片や釘など瞬間でかわして走るようになった。パンクは2年ほど無い。自損事故のようなのは一度ある。実際自転車はかなり危険だ。今回もあきらめて保険に入った。

・・豊水橋から入間川に沿って狭山川越CRというのがある。ここまで来れば道はいい。入間川も水と緑したたる麗しい川になる。ざっと調べておいた通り入間大橋まで進めばそこを渡り大宮までの道もざっとした一片の地図が便りだ。・・もう少しでも迷いそうな気になると傍にいる誰にでも道をきくようになった。土地のものではないのでわかりませんというのがけっこうある。たいていはこれが万全。・・ひさしぶりのロングライドで目眩がしてきた。

476秋魚:2014/05/12(月) 15:32:06
(無題)
・・入間川は上流の有馬ダムから川越で荒川に合流するまで河川敷が広くなる。合流手前付近では土手の内外で高低差があまりない。さほど高くない堤防が決壊すると川越の町は広く浸水し海のようになるだろう。鴨長明の発心集で描いた氾濫の有様はここらへんと思われる。町の高さと水面が同じなのだ。江戸の頃から西川材という材木を流して運んだそうだ。・・荒川はまだずっと未知。こちらが本流と思われる。その河川敷のひろいこと。入間大橋でサイクリングロードは終わるが中洲にはいりさらに荒川にかかる開平橋をわたる。この中洲の道にも車がどっと押し寄せる。入間大橋に来るまでにも川越橋、初雁橋、落合橋とかいくつか橋がありその交通量といったらすごい。いつか小川からの帰路にこの入間大橋をわたったが海の上をわたるようで大変な思いをした。

・・この橋をわたるとあとは大宮まで方角を便りにつき進む。途中何度か道をたずねた。さほど広くはないしあまりいい道ではない。S氏の情報では一時間で着くという。・・開平橋から荒川CRというのがあるそうでここからもうひとつ南へくだった橋までいきそこから大宮へむかうのがベストだったかもしれない。ところで大宮という市名はもう無いらしい。さいたま市というそうだ。何か味気ない。氷川神社は別格で大宮氷川で健在だが。・・かれこれ一時間で着いた。

・・平野のこんなだだ広いところに武蔵一ノ宮の名刹がある。筑波山と富士山を結ぶ直線上に位置する氷川神社。ヤマトタケルが来ているはずだが。荒川にやや近い。縄文の頃はアラハバキの縄張りだった。入間川、荒川という川の交通があった。もっともこの荒川は水路が変更されているらしいが。ずっとずっと昔はここいらも海だったはずだ。・・大宮に住まう旧知のS氏と連絡がとれた。しかし距離がある。4時間近くかかったか。・・駅の東口にでて氷川参道を本宮のほうへ進む。太鼓橋という橋があるからそこで待ち合わせましょう。そういうことだったがいざ歩いてみると太鼓橋なるものがみあたらぬ。近くの人に訊ねてもみな不思議そう。たいこ橋など知らぬという。・・えい、本宮のほうへ鳥居をくぐり、神社の敷地にはいった。するとあるある赤い欄干の橋が。これがたいこ橋か。・・あとでS氏がいうには名前は確信のないものだったという。でもそういうものかもしれぬ。

・・立派な木が立ち並ぶ。松とか、府中の大国魂神社にあるケヤキもあったかもしれぬがよく判別できぬ。庭が清楚でいい。本殿の前に神楽、演能の舞台のようなものがある。薪能でもやれそうだ。

・・さいたま市立博物館のパンフが手元にある。

「・・縄文時代は、約一万年続きます。前期(約6000年前ごろ)には、気候が温暖になり、海水面が上昇し、さいたま市域にまで海がいりこんでいました。」

・・

477秋魚:2014/05/17(土) 16:12:37
(無題)
・・自転車のライト電池が突然切れたりするので予備の単5を買いに出た。ダイソーで百円のがあるはず。単5の電池は需要がないためか置いてないところが多い。Hayabusaのキャッツアイはリサイクル品だが単5を使用。ブランドの品だが一昔前のもの。一度夜道で事故になったがライトの所為ではあるまい。これで充分間に合う。

・・二軒あるダイソーのうち青梅街道沿いの店をたずねた。あいにく置いてない。百円ショップも最近は値段違いのものを置く。SaintValというユーロワインが安価ででている。節約モードでこれを買った。これはあとで飲んだがとても美味い。イタリアとスペインのブレンド酒でどうかと思ったが、いける。ユーロ危機の底堅い味がする。ハハ

・・ママチャリの後輪ブレーキワイヤーまだいかれてないが、これの交換を試みた。以前から予備はもっていた。前輪のはリサイクル購入後すぐに取り換えた。ブレーキシューとか前輪のタイヤも悪くならないうちにチェンジした。自分の手がかかってるので捨てがたいものだ。・・後輪ブレーキワイヤー交換はきょう実は失敗した。最初のワイヤー止めのナットがどうしても外れない。潤滑油をかけてもダメ。けっこうな良品かもしれぬ。ぶち切れるまで使うとするか。あきらめた。

・・クロスバイクのワイヤーなんかも一年に一度交換すべきとあったが。こちらのチェンジは難しそう。ブレーキシューは一度交換した。パンク直しはゼロ。メリダの廉価サイクルだがよくできてる。

・・先日の大宮行に続けて、檜原村までいってみたい。そう思うが調べるとここはやや難関そう。クロスバイクでは無理という人もいる。

・・図書館で、カンパネラを11人で弾き比べてるCDと「世界最古の洞窟壁画」忘れられた夢の記憶というヴェルナーヘルツォーク作品DVDを借りてきた。この十年以上映像と音楽にはすっかりご無沙汰していたのでまったく新鮮。カンパネラは特に元気が出る。ピアノは実はつらいものがある。年いってのピアノは。ヴァイオリンのような弦がいい。・・このカンパネラは弦でも弾ける。これは元気がでる。
・・「世界最古の洞窟壁画」は考古学ドキュメンタリー。フランスオーリニャック地方にあるショーヴェ洞窟の壁画を探る。ヘルツォークはニュージャーマンシネマの旗手というがそういうものがあったか。並みのドキュメンタリーとは一風違う。クロスオンロードの優良ロマンといったところか。・・3万2千年前の旧石器人が描いた絵がみれる。それだけではない。この洞窟のすぐ近く30kmくらいのところにローヌ河畔の屈指の原子力発電所もあるという。原発の温水でワニが繁殖し異種のワニも生まれてくる。放射能の所為だ。・・なんかすごい映像だね。

・・檜原村にある数馬の湯。ここまで行ってみたいが。・・武蔵五日市の駅から秋川渓谷へのぼり瀬音の湯までは何度か訪ねた。細い道でときおり大きな車もくる。地図で調べたがこのもう4〜5倍の距離でずっと登り坂だという。大垂水峠の急スロープほどではないといえリタイヤするサイクリストもいる。帰りは下りで楽だよということもある。チャレンジするなら今しかないか。もう少し調べてみたい。

・・数馬の湯のまた先に蛇骨湯という秘湯もある。ただしここは大蛇が湯浴みしていたという伝承で気味が悪い。いい秘湯らしいが。・・さらにここらから奥多摩周遊道路という伝説的なCRがある。二輪車ライダーの最難関のコースだ。地図でみたらアップダウンとカーブが多い。事故が多発で二輪車は走行禁止になっているとも。・・ネットでみたらここをロードレーサーで走ったという人もいる。思い立ったらどんな難関もたちむかうらしい。すごいね。・・自分はここは無理でも数馬の湯あたりまでは走らねばなるまい。・・大垂水峠さえ二度越えた。

478秋魚:2014/05/20(火) 20:08:43
(無題)
・・朝早く出るつもりが寝坊して7時半になった。それでも自分は早い方。天気予報は今日一日はもちそう。考えていてもはじまらない。檜原街道数馬の湯にむかった。これ以上遅くなると朝の出勤の車がどどっと来るだろう。青梅から日の出、五日市までの秋川街道はすでに車がびゅんびゅん。いつ来てもいやな道だ。お先にどうぞを繰り返しながら長々と山越えの坂道をのぼる。自転車はほんとうは車道を自前の速度で走りきった方がよい。それは解るが変な事故はごめんだ。とりあえず無事に完走したい。日の出に入ってからの側道をひとつ見つけた。毎回新しい道を発見する。武蔵五日市の駅前には前回より10分は早く着けた。観光案内所はまだ開いてそうに無い。帰りに寄ってみよう。コンビニらしきもあまりない。用意したヘルシーバーひとつと水で昼までもつはず。・・ここからそろそろスロープがはじまる。瀬音の湯までは何度か来ている。渓谷沿いの道はそれほどいい道ではない。檜原街道の最初の印象は細くて車が多い。といっても先ほどの秋川街道と比べれば何でもない。気も楽になった。瀬音の湯の先は未知だった。ちょっと先にあるふるさと工房までもこわくていけなかった。すぐに着いた。ここも帰りに寄ろう。次の目標は檜原村役場。ここで道が分岐する。ネットの記事ではここまではなんでもないという。実際いくらかアップダウンがあったが何なく着いた。数馬の湯までずっと登りのスロープという話だったが、実際はアップダウンの繰り返しのように思えた。これも帰り解ったがやはり大方はアップばかりの道だった。帰りはダウンばかり。スロープの傾斜はさほどでないので足つき無しでもいけそう。ヒルクライムのダンシングは体重を乗せたこぎ方でエネルギーロスが少ない。歩くよりよいかも。ただしバランスが崩れるので車が多いところでは危ない。クロスバイクはギアを使ってもヒルクライムには向いてないか。ロードレーサーによく抜かされる。みんないい自転車に乗ってるなあ。自分も体の動くうちにドロップハンドルにチャレンジしたい。

・・たしかに長い。が、・・檜原街道恐れるにたらず。まだ先でこんなものでは無いだろう。車の量がぐっと少なくなった。こんないい道はないという気になった。実際青梅からの秋川街道をぬけて清清していた。・・次にまた道の分岐がある。上の原から来る道がぶつかる。奥多摩へいくのが檜原街道。後半分か。だいぶ近づいたあたりで長々とアップの坂道がつづく。・・檜原街道恐れるにたらず。いくつも修羅場を越えてきたからこれくらいなら自分もやれる。今日の完走は確信できる。絶対死なないだろう。

・・来る前にシェルタリングスカイというDVDの映画を見た。いい映画だ。

・・アフリカのサハラ砂漠。3人のアメリカ人の旅行客。50年代の話でアラブ圏の白人の旅行は冒険に近い。異文化との接触がもろにリスクとなる。・・原作はポールボールズ。映画では疫病でサハラの町で命を落とす。その妻のキットはなおも一人で旅を続けるが実の妻のジェーンがモデルか。いやしんどい映画だ。自分もアフリカを少し歩いたのでよくわかる。・・タンジール、モロッコは欧米不良文化人の溜り場だったらしい。

・・命あってのもの種。貨幣や文化の価値も無に同じ。・・というか、時の消費がしんどいテーマか。

・・檜原村の数馬の湯などサハラ砂漠と比べたら何でもない。ママチャリでも行ける。歩いてでも行けるが、時の消費はやはりリスクか。・・ロングライドに出ない時の消費もさらにリスクだろう。

・・数馬の湯には3時間弱で着いた。敷地内に四賢人の水という飲み場がある。自然水をすこし頂く。

・・檜原村という東京で唯一の村という。温泉はアルカリ性単純泉。フッ素が多いという。田舎でそんなに広くは無いがまあゆっくりできる。ネットでみた限りレストランはメニューは貧弱だったが実際はかなり充実している。舞茸天そばしかないと思ったほど。「おいねめし」という季節野菜の定食をたのんだ。うど、ふき、のらぼう、ふきのとう、とか地元の野菜山菜づくしが目に心地よい。とくに「おいねつるいも」というじゃがいもは特産という。それに定番のこんにゃく。奥多摩地区のこんにゃくはすてがたい。特に御嶽で食べたものはとりわけ美味だった。ここは野菜ひとつひとつ絶品の味がする。秋川渓谷もこれだけ奥にくると野菜は特別のようだ。自転車のヒルクライムの後でよい食事になった。もちろんビールも飲めた。

このすこし先に蛇の湯温泉とか兜家旅館とか伝説的なスポットがある。きょうは数馬の湯までクロスバイクでやってきた。これで引き上げになる。近くに龍神の滝というのがあるという。なんでもむじなが多くそのむじなを三頭山の龍が食べに来るそうだ。そこにいってみた。滝の名所がいくつかある。渓谷を下ってゆくと木橋があっていまにもくずれそう。その先に大きな滝ではないがマイナスイオンを撒き散らす小気味よい滝があった。街道から外れてやはり人はひとりもいない。・・ロングライドを思い立っただけでこんな深秘な場所に来れてしまうなんてほんとに驚きだ。・・こういうのは唯識で異熟というのだろう。

479秋魚:2014/05/24(土) 00:32:52
(無題)
・・先の「シェリタリングスカイ」に続き「アフリカの日々」という映画をみた。否「アフリカの日々」ではなく「愛と哀しみの果て」という題名の映画だ。Out of Afrikaが原題。デンマークの女流作家ディネーセンの小説による。どこまで自伝でフィクションかはわからぬがともかく実際アフリカで日々を過ごしたらしい。

・・こちらの関心はもっぱらアフリカによる。欧米人のアフリカでもちろん二つの映画は時代相も関わり方も異なる。ただし個のしっかりした女性の関わりは注視に値する。

・・今想い出したが、稲葉真弓は「愛と哀しみの果て」を早くに見て嬉しそうに私に語って聞かせたことがある。いつの頃か。私がサハラ砂漠にいく前か後か、たぶん前であったろう。ラブロマンスの題名の通俗なふうが自分にはどうも受け入れがたかった。どうせ現実のアフリカはどんな虚構の映画も無力だろう。小説家だけあってストーリーを話し始めたらくどい映画にも思えた。シドニーポラクの作品は映像美を歌う。その美しさにも打たれたようだ。キクユ族は半ば西欧人とコムニケートするがマサイ族はまるで異質。行進の仕方などよく映画で撮れたものだ。現地人を演技指導した気配はまるでない。・・シェルタリングスカイはまだやらせの感があり。・・まあ映像美をつくるのはこういうものに酔っていてはいけないのだろう。一方でフィクションとみれば徹底して芸術の美であらねばならない。

480秋魚:2014/06/12(木) 03:49:38
(無題)
・・仕事をひとつひとつ片付けたらいやな案件ばかりが残ってくる。レーザージェットプリンターのトナーが切れてきた。一息に無くなればいいものを徐々に薄くなるのは気がかりが続く。田舎にいるのでネットショップに頼るしかない。うまく探せばこれが一番いい買い物になる。純正品と再生品があって再生品の方が高いのは何故か。あと互換品というのがあって当たり外れがありそうだ。これは互換品だがきっと感動する。など宣伝文句にあった。・・けっきょく最安値のそれを注文してみた。amazonはいつも感動する。勿体をつけた配送日だったが、今回も完璧な梱包でとどいた。で、果たしてプリントはうまくいくのか。
「唐会要」という中国の文献をプリントしてみた。・・おおっ、鮮明な印字。視力が落ちているというか老眼でそれでもすばらしい印刷具合だというのがわかる。感動だ。・・まったく人はつまらぬことに感動するものだ。

・・雨ばかりの日がつづく。めずらしくうす曇りで晴れた。こんな日はポタリングに出ずにはいられない。ずっといって昭島あたりの寿司屋を考えたがきょうは拝島、福生の店を探した。牛浜から拝島は道が混んで迷いやすい。何度かいってもうお手の物。拝島駅は北口から南口に移るのが自転車はどうか。線路沿いにいったら公園があって道が無い。うーむ。ベンチに腰掛けている女生徒に声をかけてみた。駅の向こう側にいきたいのだけど。かわいい子だね。最初は緊張してかこわばった表情。話し始めると時々の笑顔がとてもいい。だいたいもう夕方になるのにうら若い女生徒がひとりでこんなところにいるのが不思議。声をかけたら変態と思われるかしら。若い子はいい。・・ややあって近くのトイレから男生徒があらわれた。なんだデートか。・・むこうは楽しそうだったが、邪魔しちゃわるい。ありがとうといって道をすすんだ。なんでこんなところにいるの?など訊いたがこれはヤボか禁句だろう。おじさんは変態かチカンになりかねない。ともかくわかい女生徒と話すなんて感動です。思春期の女の子の笑顔というのはほんとにひさしぶり。

481秋魚:2014/06/25(水) 02:16:15
(無題)
・・このところDVDを図書館から借りて映画づいている。雨ばかりよく降るというのもある。本を読みたいが視力がだいぶ落ちている。本は根気がつづかない。DVDはサポートの切れたXPでWinDVDというソフトを使うとおもしろく再生できる。目もあまり疲れない。映画というもの実はうんざりしていて観たいものではなかった。莫大な資本をかけて見え透いた作り物という気がした。フィクションを楽しむゆとりもない。とはいえ、このところDVDはジェームズボンドの007シリーズがおもしろい。・・昔観たものでは「ロシアより愛をこめて」というのがお気に入りだった。ボンドガールといって女スパイようなのが必ず登場する。ダニエラビアンキが絶演だった。007、実は「ロシアより愛をこめて」しか記憶にないものだった。ショーンコネリーのボンド役ははまり役。この俳優ここで終わってはいけないのは確かだ。

・・きょうはピアーズブロスナンのWORLD is not enoughというのを観た。世界を手に入れようとする女、驚くべきソフィーマルソーが演じている。「禁じられた遊び」の女の子だ。「世界はわたしのものよ」というに「世界は足りないものがある」というボンド。この二人愛欲の場面で生き延びる術を語り合う。女は逃げることという。ボンドは美しい女を愛することという。キザなものいいだがボンド氏の言葉は一貫している。

・・バイオレンスアクションが華々しくエスカレートしてゆくのは映画だから仕方ないのだろう。このへんが陳腐になったら客もあきがくる。ジェームズボンドは英国の女王陛下の諜報員。たったひとりで悪の組織の陰謀をことごとく叩き潰してゆく。おもしろいというか感心するのは、英国という国のしたたかさ。ボンドのアイデンティティは一貫しているが、シリーズをすすめるうちにこのアイデンティティを揺らがせるようなストーリーがよく出てくる。スパイでも二重スパイめいたものはよくある。三重スパイもあるか。あまり複雑にすると客も観ないだろう。

482秋魚:2014/06/28(土) 03:52:50
(無題)
・・田舎に越してきてあちこち蛍をみれる場所がある。そういえば蛍もひさしく見ていない。田んぼの稲作などで農薬を使うからタニシなど絶滅し蛍もいなくなるのだという。羽村の阿蘇神社まわりで蛍の養殖をやっているという。蛍をみにいく会とかチラシがあってその日も忘れていた。雨ばかり降る。・・たぶん今頃だろう。蛍をみれるのは。・・曇り空だが夕方6時を過ぎて自転車に乗った。かなりむずかしい道だが、何度かいって迷うことはない。まったく奥多摩街道から多摩川べりまでの段丘がうねって迷路のようだ。途中の八百屋でアメリカンチェリーとトマトを買った。サクランボも旬のうち一度は食してみたい。何事も旬を逃してはいけない。蛍もいまなら見れる。そう思った。

・・阿蘇神社は無人だった。お水取りの場所が妙になまめかしい。この参道の方に水路がある。春は桜が咲く。すこし歩いたがまだ日が落ちても明るいからか、蛍の気配はない。蛍は養殖しているという。看板があった。昨日の蛍発生は135匹など貼り紙がある。源氏蛍、平家蛍といるらしい。6月末が旬だから、きょうたくさん見れるはず。しかしいないなあ。浴衣すがたのご夫婦があらわれて蛍をみにきた。いないなあといってあきらめ帰っていった。せっかく来たから自分はがんばって残った。そのうち夕闇でなく黒雲だろう。雨になった。ぜったい蛍はでる。と、小川の川筋からすーっと光るものが。あ、蛍だ。一度二度光の糸をひいて消えてしまった。一匹だけだね。・・そのうち蛍観察員の人が車であらわれた。ここで蛍は見れるのですか?きのうはたくさんいたよ。もう少し暗くならないと。雨がひどい降りになってきた。雨が降ると蛍もダメらしい。成虫の蛍は3、4日の命だという。光って乱舞するのは生殖のためらしい。もう少しがんばっているとまた一筋光るものが。あ、蛍です。雨がひどい降りになりそうだ。二匹確認したところで帰宅することにした。こんな雨の中を自転車で進むのもひさしぶり。どこかレストランで休んでいこうか。傘差し運転でけっこう濡れたが、蛍が見れてよかった。

483秋魚:2014/07/10(木) 01:33:23
(無題)
・・郷境というか町の外れによく出かける。いいところだが藪の中というのは退屈だ。制御できない事件も起きるだろう。町外れ村外れを見てみたい。小曽木街道を外れまで成木川にうつかればもう先は飯能の埼玉になる。山王峠を越えると名栗川のある唐竹にでる。友人がいるので何度か越えた。

・・きょうはやはり蛍が見れるという成木川に向かった。青梅坂はよく来たものだ。ヒルクライムのずっと初級になるか。もっと若ければ三日に一度はチャレンジしたい。坂のトップはトンネルでこの上を青梅丘陵ハイキングコースの道があるはず。青梅は昔は養蚕と織物の町という。山奥の養蚕農家が品物を運んで峠越えをしたとか聞く。このトップからの下りは長い。自転車でもかなりなスピードだ。車もそこそこ。無茶はできない。・・例によって岩井堂のあるところ右折せずに少し直進すれば成木川。川に沿った道があるはず。橋を渡って川沿いの道に出た。庚申塚などある田舎道。・・こういうところに住んでる人もいるんだ。蛍のいる場所を聞くために土地の人に話しかけたりする。人見知りのゆとりもない。みんなありったけの知識で応えてくれる。どうしても困ったら、異国ではなりふり構わずだった。パリとか都会のど真ん中でよくやった。町外れの風景といっても必ず幾分かは都市の剛腕に侵食されている。廃車がそのままゴミで捨てられていたり。採石場があったりするのは論外だ。もろに山が消えたりする。・・成木川に沿っては無垢な自然がみえている。

・・いろいろまわったが蛍は見つからなかった。田んぼがあって出そうなところもあったが、陽が早い。ここが蛍見の場所ですよ、というところにもいったが、出るかどうか。一晩ねばれば一匹くらいは見られそう。帰りの道がこわくて引き上げることにした。

・・いつぞやは飯能の郷土館をたずねた。成木川、入間川を越えて飯能市街の外れにある。町境から入れば近い。以前は通りすぎただけ。縄文の頃からずっと飯能焼きの現在まで、このあたり渡来人の村が多いはず。隣の日高の高麗神社とかもっと多くを知りたかったが、入間川の西川材とか名栗の飯能一揆とかそれでも充実しているほうだろう。・・駿河台大学の学生が飯能焼きの歴史を特別展示。案内の学生とすこし話した。情報メディアのゼミ活動だという。いつの時代でも学生はいるものだね。浦島太郎かもしれない。

・・帰りに、青梅線沿い駅の裏手近くいくつか寺、神社がみえる。西分神社というのは、妙見さまを祀る。ネットでパワースポットとか紹介があった。・・たしかに異様な霊気。

・・狛犬が、異様に迫ってくる。

484秋魚:2014/07/24(木) 20:41:17
(無題)
・・梅雨は明けたらしい。多摩川の河原に出て水遊びでもするか。カヌーで遊ぶ人は多い。釣り人もちらほら。自然が多く子どもにはいいところだという。若いAさん夫婦は羨ましい限りだ。子育てが楽しそう。

・・きょうは日の出のつるつる温泉までポタリング。以前は福生の方から多摩川を渡って一直線にやってきた。温泉に近づくにつれアップの坂がこたえたものだ。最後は自転車をこぎきれず足をついて引いたものだ。湯質はアルカリ性単純泉。レストランはまあまあ。・・きょうは恐怖の秋川街道から茅窪というところで右折して平井川に沿っていく。昼前にでたのでダンプとか車の数もあまりないと踏んだが。でもやはりダンプはよく来る。歩道の無いせまい坂道がつづく。この坂さえ登れば下りは楽だ。以前みつけた側道も使ってカヤクボまで来た。この秋川街道の難所はあきらめだ。帰りはすこし遠回りで滝山街道を使うのみ。カヤクボからはずっといい道になる。すこし行くと白山神社参道という表示がある。こんなところに白山神社。よし寄っていこうとばかり道を折れたまではよかった。最初の鳥居があるところで自転車を止めて登り階段の道をいった。が、その長いこと長いこと。山の上のほうにいってもいっても一向に神社らしきものは見えてこない。性分で意地になっていくものだがさすが今回は途中であきらめた。こんな蛇でも出そうな道は退散。はやく温泉で休みたい。
平井川に沿った道。以前は大きな水鳥がいたっけ。車はずっと少ない。太平洋セメントの工場があってここまではダンプが時折やってくる。石灰を採っているのか。いいかげんやめてもらいたいが。そうもいかぬのだろう。・・つるつる温泉まであと二キロといってからが長い。アップが続く。ようやく駐車場がみえてきた。寸前でダウン。体調異変で水を飲む。パソコンばかり触って急に激しい運動をするとよくない。天気も光化学スモッグ状態だ。ともかく温泉へ。リフレッシュするに限る。・・カヤクボまで45分。カヤクボから温泉まで寄り道なければ45分。1時間半ならポタリングの部類だろう。

・・白岩の滝。つるつる温泉から1キロほど下って川に沿って折れる。さらに8百mほどいくと白岩の滝がある。雨乞いの滝という。どんな日照りの時もけして枯れないという。案内嬢に聞くと自転車でいけるという。ただし滝に近くいくには登り坂を歩かねばならない。雨乞いの祈りを今でも捧げるという。けっこうな滝だ。ぜひ寄ってみよう。このあたりの名所、ほとんど人が来ない。もの淋しい道になる。まれに山奥に人家があるが、生活を思ってみただけでめまいがする。・・一台車があって見物客がいたようだ。・・白岩の滝は二段になっており、上の滝は3m、下の滝は12m。だんだらの散歩道をのぼって上の滝までは急な坂道になる。このところ坂道ばかり登る。・・この滝は見映えがいい。何の権化か急にぽつりぽつり雨が降ってきた。滝を拝んだら雨になるという。偶然にしては出来たこと。やはりパワースポットの霊験ということだろう。しかし雨はいらない。・・写真を数枚とって帰路についた。

・・帰ってから体調の異変。やたらと水が飲みたくなる。これはよいことに違いない。帰路は滝山街道に出て遠回りだったが、あの秋川の山の坂道よりましであろう。万寿トンネルを越えて多摩川を見はらかすあたりまで来ればあとは楽勝。吉野街道の入り組んだ裏道はもうお手の物。千ケ瀬のスーパーに寄
って林檎の酎ハイと豆腐を買った。

・・夜、「タイタンの戦い」というDVDを観た。これは巨人族タイタンの話かと思いきやアンドロメダ姫を救うペルセウスの話だった。古いギリシャ神話の映画は特撮がすすんでいてあきないものだ。ハーデスが放つ怪獣クラーケンをいかに倒すか。メドゥーサの頭で眼を見させればどんな怪獣も石になる。ペルセウスは半神半人。生贄とされるアンドロメダ姫をペルセウスは救った。出雲でヤマタノオロチを殺してクシナダ姫を救うスサノオの神話によく似ている。メドゥーサというのも凄まじい女神だね。昔は絶世の美女だったとか。・・イオというペルセウスの守護神は救いだ。

485秋魚:2014/07/30(水) 14:59:38
(無題)
・・いや絶好の自転車日和。日帰りライドの限界に挑む。目指すは行田さきたま古墳群。荒川を行って熊谷の近くすこし行けば利根川にもでる。前回大宮氷川神社に行った時を参考に飯能、狭山の入間川CRにでて川越方面に向かう。終点の入間大橋にでる一つ前の釘無橋を渡り県道12号。これは川越の蔵のある通りの道だそうだ。これを北上し荒川にぶつかるまでここらあたりから未知のコース。川越から入間川を渡る橋はいずれも交通量が多い。落合橋から国道254をいくのも考えたが、この道は以前小川からの帰路でいろいろ懲りている。釘無橋を渡るのが最良か。

・・片道5時間はかかりそう。日帰りライドを思案して朝の6時少し前に家を出た。帰路はすべて田舎の道なので途中日が落ちたら万事休す。以前の小川からのライドは川越まで散々だった。朝早くでればゆとりもある。入間川のサイクリングロードに入れば川越までは楽勝。自転車は昨夜のうちに整備しておいた。栄養バーと水。この水は小さなペットボトルで用意したが、これはまったく不備不足なのが後でわかった。一度経験した道は安心できる。入間川CRの起点豊水橋まではなんなく来た。ここから先も初雁橋でサイドチェンジするのも前回の失敗で覚えたこと。釘無橋まで来て橋の下で涼んでいる人に道を尋ねた。・・すぐ上の釘無橋くらいはわかるらしいがずっといくと荒川にぶつかる話あたりから覚束ない。さらに行田までいくといったら雲の上の話のようだ。生活圏に密着した人は目先のことしか聞かない方がいい。しかし12号はいやな道だ。せまい上に大型車がのべつまくなしに来る。青梅の街道で馴れてはいたが見知らぬ道はこわいものがある。そんなに長い距離ではないから早く荒川にでてしまいたい。直進でいいのか二三度訊きながらついに太郎右衛門橋にやってきた。・・いや荒川の河川敷は広い。海のようなところを渡っている。・・渡ると桶川。昔の空軍飛行士養成学校跡がある。ちょっと寄っていくか。いやー太平洋戦争の記憶ですね。ここから特攻兵も鹿児島の知覧にいって巣立ったらしい。・・案内所のおじさんにまた道を訊いて荒川CRを行田へ向けて走った。

・・川沿いのCRをそのままいけば着くだろうくらいに思っていたが、大間違い。

・・荒川のこのあたり河川敷の広いこと。おまけに何本かの支流が合流しているから河川敷の地勢は複雑怪奇。農地利用の水田が多い。用水路沿いにサイクリングロードがある。本来の荒川CRではない左岸のCRはマイナーな為かほとんど通行者に出会わない。入間川CRでは本格的なサイクリストによく出会った。みんないい格好でいい自転車に乗ってる。趣味のレベルとしても自分は素人に近い。自転車でさきたま古墳風土記の丘に到達できればそれでいい。自転車はいいものに限るが何より体力の問題だ。真夏の日差しはじりじり焼きさす。道はいいし車とも出会わない。あまり快適すぎるのも不安になる。むっとする稲穂の匂い。一面の稲穂の風景も幼少の頃以来。農薬の匂いまでは嗅ぎ分けられない。ずっといくうち工事をやっているから通行止めとか本来のCRではいけないらしい。河川敷も迷路のような趣き。北鴻巣へ行くあたりで荒川のCRを離れる標識があるはずだが、もうだめ。糠田橋から川を離れて行田に向かうことにした。それでも鴻巣あたりまでは川に沿ってしかしこれが行き過ぎて風土記の丘には迷路の中になった。中学校の校庭で水を撒いていた先生に訊ねるとさすが先生よく知っていて教えるのがうまい。ここから見えるアプタというホームセンタを目指しなさい。そして武蔵水路をみつけていくとよい。お礼して、とはいうもののここからがまた迷路のつづき何度か人にたずねてやっと古墳のある公園に着いた。この先突き抜けていくと利根川があるらしい。

・・かれこれ4時間半。思ったより早く到着。史跡の博物館に向かう。学校の集団訪問もあって生徒がうじゃうじゃ。みんな真面目ですね。2百円払ってどんどん見て廻る。稲荷山古墳から1968年出土した
金錯銘鉄剣というのが実物の展示があって、感激。鉄の剣に金の象嵌文字が刻まれている。112文字しっかり読めるのは金の象嵌文字だからで鉄は錆びても金は錆が無いらしい。刀剣の錆び方も崩れるほどではない。文字が際立って読めるのは驚くばかり。江田船山古墳の鉄剣など銀の象嵌文字で銀も錆が来る。いくつかの文字は読解不能。金の象嵌とは考えたものだ。

・・公園の近くに古代蓮の開花がみられるところがある。ツタンカーメンの遺物からでたエンドウの種のように縄文の頃の遺物の蓮の種から発芽させて増やせたものだろう。公園の中にも蓮池がある。大輪の蓮の花がいくつか開いている。寄ることも考えたが自転車の乗りつかれ甚だしくモミの湯という温泉にて休憩することにした。さきたま古墳群といっても学究的な興味が第一というのではない。稲荷山古墳の実物をみて銘文の刻まれた鉄剣を見れるくらいでよい。ロングライドの自転車行は未知のコースでチャレンジだった。シェリタリングスカイなど異国、異民族を歩くリスクと比べればどうということもない。人生の時間はいつまでもあるように感じられるが、急に終止することが真実だ。・・温泉で思い切り体を休めるのは天の助け。・・東京から自転車で来ましたといったら案内嬢はびっくり。

・・九つくらいの大きな古墳がある。今は面影ないが周囲に30以上の小古墳があったという。丸墓山古墳というのがよくみえる。日本最大の円墳という。

・・隣にある前方後円墳が稲荷山古墳。前方の部分を発掘して鉄剣がでてきたから今の前方の形は復元してつくったものらしい。後円部分も発掘調査すればもっと何かでてくるか。この種の古墳は前方の部分しか遺物は納められていないのかよくわからない。ともかく68年に金錯銘鉄剣、画文帯環状乳神獣鏡が国宝として発掘された。銘文から辛亥の年は471年であろう。時のヤマトの大王はワカタケル、雄略天皇ではないか。この説が有力だ。・・周囲の古墳は他に二子山古墳は武蔵最大の前方後円墳。将軍山古墳は横穴式石室から馬冑や太刀など馬に乗っていた武人らしきが埋葬されていたようだ。韓半島南部の渡来人ぽいが、どうか。

・・この地域、荒川の河川敷が異様に広いのは昔から流れの筋を幾通りか替えたためであろうし、すぐ向こうの利根川はもっと雄大であろう。この二つの川に挟まれた土地というのがなんとも意味深く思われる。

486秋魚:2014/08/06(水) 20:58:53
(無題)
・・自転車乗りたちはあちこち繰り出している。自分も外に出て走ってみるとわかる。暑い夏場ははやい時間で出るに限る。6時に北秋川の払沢の滝を目指した。それにしても嫌な秋川街道。二度と走りたくないと思ったが結局ここを行かざるを得ない。早い時間でなるほど車の数はぐっと少ない。が、ダンプ屋さんは朝が早いらしい。けっこう続く。昼間よりはましでサイクリストもけっこう出会う。大きな坂を登ってしまえば下りは楽だ。途中側道も憶えたし武蔵五日市の駅前までは45分くらいで着いた。・・ここから檜原街道を瀬音の湯のある十里木まで途中道がせまくなってダンプが来るとこわいところがある。最初はここは二度と走りたくないと思った道だが。何度かトライするとうまくなる。甘く見ると事故になるから用心用心。自転車の緊張と集中の時間はすべてだ。

・・「千里に旅立て、路粮(みちかて)をつゝまず、三更月下無何(むか)に入る」と云けむ、むかしの人の杖にすがりて、貞享甲子秋八月、江上(かうしやう)の破屋(はをく)をいづる程、・・
・・芭蕉「野ざらし紀行」の出だし。荘子という人は千里の旅を計するに食料の確保で3ケ月かける。意外と現実的な荘子。芭蕉は気にしない。

・・意図した旅のはじめ。

野ざらしを心に風のしむ身哉

霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き

・・江戸深川の芭蕉庵からは、富士がよく見えた。東海道中もずっと富士が見えただろう。富士との別れ。これが最初の旅のモチーフか。亡母追悼で伊賀にもどる旅ということだが。

・・わたしのいる青梅から富士はよく見えない。が、河辺の温泉レストランからは夕焼け富士が見える。日の出山登山をした時も途中小さく見えるということだったが、この空気ではあるかなきか。甲州街道大垂水峠を越えたときもたしかに小さく見えた。まったく多摩のエリアは富士は小さい。・・国立の南武線からは冬場はよく大きく見えたものだ。

・・きょうは、滝。日本名選百の滝にはいるのは東京ではここだけ。払沢の滝。武蔵五日市から檜原街道を村役場のあるところまで、以前数馬の湯を訪ねたからなんなく来た。すぐ先の橘橋を渡って左折なら数馬方面、今回は右折。その先払沢の滝入口までは十分もかからなかった。

・・四段くらいになって流れる滝。垂直下降の一番上の滝まで15分ほど歩くという。カフェとかあって本格的な観光の名所のようだ。朝早すぎて余り人も来ていない。山道を登っていくと奥ツ城まで来たか。すでに人ひとり滝の飛沫を受けて瞑想にふける者がいる。身じろぎ一つなし。邪魔するのも悪いと思ったがこちらもやっとの思いで来たばかり。滝壺近くまでしゃしゃり出た。15、6Mはあろうか本格的な落下の滝だ。滝に打たれる修行というのもあるが、水源で水浴はならぬとお触書。あの滝の上はどうなっているのか湖とかあるわけでもなし。しかしまともな流水をみてこれでよし。昔日光の華厳の滝を観たときは涸れていてがっかりしたものだ。流水を慕う蝶などもいて写真をとろうとしたが、こちらと思えばまたあちらとシャッターチャンスを失った。あきらめ。

487秋魚:2014/08/15(金) 22:36:57
(無題)
・・思い立ったが吉日。お盆のさ中に何もしない手はない。自転車乗りのメッカ、正丸峠をめざした。ライダーが一度は到達したい場所。埼玉飯能と秩父の境にある峠だ。この峠の噂は幾度も聞いている。自転車とバイクこの二つのライダーの聖地に近い。坂のヒルクライムは初級程度だというが。東京の高尾を越えていく大垂水峠はまだ入門でヒルクライムのさわりだという。けっこうきつかったけども。クロスバイクで可能かどうか。自信がなかったが、ここはメッカだ。チャレンジせよということだった。

・・青梅多摩川の万年橋を6時に越えて青梅街道から小曽木にはいるいつもの青梅坂。ここは実にいい坂だ。ヒルクライムもこの程度なら楽勝だが今回は飯能にはいるまでもいくつかアップダウンを繰り返した。小曽木から成木街道にはいるのははじめてだった。吹上峠がありここもトンネルになっている。トンネルというのが自転車乗りにはもっとも嫌な走りだろう。特に車が来るときのエンジン音のけたたましい反響。トンネル全体が轟音に包まれてどこから車が来るのかわからないほどだ。前か後ろか。特に後ろがこわい。トンネルはなるべく早く抜けること。短いトンネルであることを祈る。

・・松ノ木トンネルを抜けてさらに坂を登るとまた小沢トンネルというのがある。成木から名栗に抜ける最後の峠だ。麓の蕎麦やさんの主人とは以前話をしたことがある。酒を飲むようと言ってくれたが閑がとれなかった。サイクリストが一人休んでいて平常のよう。きょうはそのまま通過。トンネルまでの坂は足つきになった。やや長いトンネル。先の出口が遠くにみえる。・・奥多摩の先に出口の見えないトンネルがいくつかある。これは恐怖だ。・・ここはまだいい。と思ったが、トンネルを出て下りの坂が実にいやな坂。いろは坂になってしかも急。下りでよかったが帰りはパスして入間川を下ることにした。

・・ここから入間川に沿って上る道は以前さわらびの湯あたりまで車で来た。自転車では初コースになる。かれこれ一時間になる。思ったよりペースが早い。車の数はさほどでなく朝まだ早いせいかそれでもライダーが3,4台グループで走ってきたり自転車も同じようにグループで来たりする。みな本格的な装備でヘルメットや水筒、自転車もロードレーサーのいいものに乗っている。サイクリング用のシャツは見映えがする。・・有間ダムとさわらびの湯への分岐道で休息。帰りにはここの温泉に寄ってみたい。いまは入間川に沿って直進。やや人家の多い名栗の街道をいけば山伏峠に着くだろう。傾斜はゆるい。楽勝と思ったが、急にスロープも急に道幅もせまくなってきた。前輪のギアを3にしてだいぶ楽になったが速度も落ちる。適当なところで休みを入れていつかは山伏峠に着くだろう。

・・ヒルクライムとバイクライダーが多いと覚悟していた。朝早いためかさほど多くはない。たしかに巡礼のようなライダーとサイクリストにはよく会う。こちらもお遍路の精神で進んだ。途中山肌が白くえぐれた場所がみえる。ここらあたりも石灰の採取場があるようだ。急坂というのでもない。まだかよ〜と思っていたら、とうとうやってきた。山伏峠。坂のトップで「山伏峠」と板があるだけだ。

・・山伏峠から少し下ってすぐ正丸峠にいく分岐道にでる。ややアップになるが先1、2キロほどで正丸峠に着くはずだ。ここまで来れば失敗はない。ずっと気が楽になった。水は前回小さなペットボトルで用意して失敗したから大きいのにしてよかった。食料よりも水。水のありがたさがわかる。あと一本の栄養バー。これも一本で充分。空腹で動けなくなるということは絶対ない。・・ほどなく正丸峠に着いた。

・・茶店があってまだ早いためか店は閉まっている。先客にバイクのあんちゃんが一人。記念写真をとっていた。あまりにひっそりだったので、ここが正丸峠ですか?あんちゃんに聞いてみた。余り話をしたがらない風だが「自分も初心者でここもはじめてです」という。向こう側から上ってきて道はよくないですよ。さいたま市から来たという。おたがい情報をだしあいバイクと自転車ではだいぶ中身が違うようだ。それでも話しに花が咲く。そうこうしているうちに次次と巡礼の自転車、バイクがやってくる。やはり聖地のようだ。天皇陛下と皇太子もここまで来たらしい。碑が立っている。・・店の板前さんも到着して開店となった。記念ステッカーというのが人気らしい。全国から目指してきて正丸のロゴ入りステッカーを買っていくという。住所と名前の名簿まである。ハハ、愉快だね。茶店では蕎麦を買った。・・さあさっきのあんちゃんともほどほどの話にして彼はうれしそうに先に峠を下りていった。自分も下山にはいった。

・・違うルートをも考えたが今日は同じ道で帰路をとる。3時間ほどで着いたのは意外。名栗へ入るまでに1時間。あとは安全でゆっくりきたから2時間。山伏峠の坂はきついが馴れればもう20分は短縮できそう。帰りの下りは楽だ。途中、星宮神社という天御中主命をまつる社を訪ねた。名栗村の守り神だという。左甚五郎のつくった獅子頭があったらしいが今は消失。端正ないい社だ。・・続いて鳥居観音。遠くから山の天辺に観音像がみえる。青梅の塩船観音と似ているが、広大な敷地にどこかの財閥の人が祈願したもので古くはないが活発な信仰をあつめているようだ。今回は山門までで入山はしない。

・・さわらびの湯をさがした。ここは以前友人の車できたことがある。入間川沿いの街道をそれて少しはいったところにあった。川でキャンプをしている親子連れがこぞって湯浴みに来ているのか駐車場の車も多く、ライダーたちも多く寄ってくる。大変な混みよう。お盆のさなかみな考えることは似ているかもしれない。巡礼と沐浴、湯浴み。世相がわかっておもしろい。・・怱々にして温泉をでると地元の物産店が一軒。みやげものの他わかめのおにぎりとビールを買ってこれで昼食。このおにぎりの実に美味いこと。さすがに田舎だ。

488秋魚:2014/08/30(土) 21:49:01
(無題)
・・自転車を整備した。ギアの仕組みが今ひとつわからない。前輪はともかく後輪のディレイラーは見た目も複雑だ。チェーンのかかりを内外にずらして移動する構造と思えるが、どうもね。前回ギアのかかりがよくなかったのは、調整不足。可動部にオイルをさして、軽快になった。kure556は自転車向きではないが、要所には使える。チェーンにたっぷり使って外れたこともあった。潤滑がききすぎるからそっと使用したい。ギアはほとんどシマノ。たしかによく出来ている。

・・雨降りの日が続いた。やっと晴れてもう九月。御嶽山のレンゲショウマも旬を過ぎたか。かねてより懸案の大岳山登山を試みた。1226mの山はここらで一番高い。ハイキングでなく登山になる。自転車で御嶽神社まであがり、そこから2時間ほどのハイキング登山になる。おおまかなプランを立てた。ケーブルのある道を自転車で登る。こんなのヒルクライムと呼べるのか。傾斜の角度は調べようもないがまず無理。自転車は引いて上がる。帰りはダウンヒルになる。

・・予定では朝6時に出発。寝過ごして8時過ぎになった。吉野街道が混むだろう。ここはダンプがひっきりなし。日向和田までは側道でいける。その先不安だったが、工事があったのか歩道がずっと出来ている。簪美術館のあたりは、以前は歩道が無かったはずだ。これはいい。ダンプも相変わらずだが歩道にあがればまず安全。御岳まではなんなく行ける。玉堂美術館を過ぎて左折してケーブル駅のところまで坂道がつづく。これぐらいは足つきは無いのだろうけど一部足つきになる。この辺でもう体調が異変を起こす。汗の出方が不快。この先長いのに続くのか。日常から離れて身体が新しい環境に馴れていないのだ。・・滝本ケーブル駅という。ここからが坂上りの本番。ネットで調べたが、御嶽神社からさらに大岳山まで自転車で上がる記事があった。神社まで上がるというのも大変な思いつきと思っていたが上には上がいる。それと比較するなら神社までは引く手はない。最初の見立てはかなり甘いものとわかった。

「・・山はいりぬるよりこのかたは、一人にあふ一人もなきなり。ただ山の活計の現成するのみなり。」(道元)

・・まったく。山は出かけてみなければわからない。事前にあれこれ気をもむのが無駄になる。体調の管理とはいっても出発前の身体はあてにならない。悪い汗を流していかにはやく馴致するか。水を飲みながらなんとか上のケーブル駅まで来た。神社は近い。自転車を置く場所を確保せねば。通りがかった民家の前に空き地があった。ちょうど出てきたおかみに駐輪の許可をもとめた。が、ダメ。くさることなくずんずんいくと。売店のあるところまで来た。「にいさん。寄ってコーヒーでもどうぞ」客引きのおかみが威勢よい。自転車のあずかりを頼んでコーヒーでもと思ったが、ここでヒマをつぶす訳には行かない。大岳山は鎖場のある登山になる。きっとして鳥居横の空き地に自転車を置いた。レンゲショウマはまだ見られるかも。が、神社にも寄らず一路大岳山に向かった。ケーブルで来た客など人は多い。平日で若い連中もいるのは、みんないろいろ事情があるのだろう。陽気な団体客もいる。・・自転車乗りの筋肉と登山歩行の筋肉では違うのだろう。歩行はたぶん水準がひくい。昔膝をケガしたというのもある。長尾平への分岐点にえらい登山家の碑があった。長谷川恒男という。

「・・登攀の前には、葛藤がある。なぜ悩むのか。それは行動を起こすことによって、『肉体』が滅びることを『精神』が恐れるからだ。『精神』とは、ヒトが人間であることを示す最後の砦なのだ。」

・・いい言葉だ。元気付けられて大岳山に向かった。

・・御嶽神社の奥の院は別にある。ここは寄らずに一路大岳山に向かう。ほんとの奥の院は大岳山だともいう。岩石園、綾広の滝とかにいくハイキングもある。こちらはひどく賑わっている。山にいく人けっこうなお年寄りが多い。平日だからというのもあるだろう。出会う人にこんにちわというが、中には挨拶もしたくないほどな形相の人もいる。山登りが必死なイベントなのだろう。自分も同じことだが。夫婦で歩いている人は絆が万全だ。お互い事故のないよう気遣いがみえる。・・大岳山は遠くから眺めると尖って見える。特徴のある山なのでよくわかる。アルプスのマッターホーン、アイガー北壁のように頂上の前に切り立った崖がある。頂上付近はほとんど岩場だ。鎖場の道がいくつかある。道がしっかりしているのでさほど怖くはないがそれでも下を覗くと切り立った崖だ。ここで大地震が来たら石の山でもどうか。鎖場ではないが這って登るところに来た。足場はある。自転車だったら担がねばなるまい。ロードレーサーの乗り手はいともたやすいというが。ロードバイクの乗り手を夢見ることもある。しかし今日は御嶽神社までがせいいっぱい。帰りのダウンヒルがイベントだ。

・・大岳神社のところまできた。ここの狛犬はかわいいものだ。ここらあたりまでなら自転車も来れそうだ。

・・頂上にはすでに人が数名。出会った人より多い。いくつか登るコースがある。ロードバイクの記事はここから奥多摩方面に抜けたという。奥多摩からあがってきた人と話をした。何度かここに来るという。奥多摩からなら3時間。御嶽からなら2時間。頂上はよく晴れれば富士山も見える。この日はあいにく山頂は雲が多く遠景はかすんでいた。

・・単独で歩いている人は、山登りをひそかな楽しみにしてるようだ。地図をもって山頂での昼食もちゃんと用意してくる。わたしなどは水とクッキーバー一本のみ。実際これしかないと思うとすべて貴重に思える。soyjoyというバーだが、これで充分。神社にもどったら売店で蕎麦とビールで休める。いやー岩がごつごついい山だ。お先にといって下山に入った。登ってくる人にも会う。怖い形相だ。若者はあまりいない。自分の山歩きは素人のそれだ。後から下山に入った人に追い越されてしまった。若くもないのに足が軽いのは馴れてるからだろう。女性にも会う。小学生の遠足の定番だとかネットにあったがそれはないんじゃないか。けっこうきつい。自転車で登るというのが、出来るか否かいつも考えていた。大嶽神社のあるところまで下り、またあの狛犬を拝んだ。

緯度経度, N 35° 45.913' E 139°7.825'.

・・下山はほんとは突き抜けて奥多摩に出るべきだった。同じところをもどるというのはおもしろくない。今回は御嶽神社に自転車を置いてある。長いスロープの参道をダウンヒルするのがイベントの面目だった。もどらねばならない。時々ほんとに年を重ねた人が登ってくる。それはよくわかる。途中ロックガーデン、綾広の滝へ向かう岐路にでた。ここに寄り道する。ここいらはハイキング客が多い。若い女の子も楽しそうに歩いている。めずらしくかわいい子が来た。こんにちわ。いい声だ。・・沢があって下っていくと巨岩の下を一筋の滝が落ちている。これが綾広の滝。すずしい水だ。そのすぐ隣にお浜の桂というのがある。なんでも大菩薩峠に出てくるヒロインお浜に因んだものらしい。この桂の木実は30年以上前に見たことがある。御嶽から下って沢まで降りた。ひどく下って失敗した。どん底で出会ったのがお浜の桂。机龍之介もここを通ったと思えば救われる。この桂の木、昔よりたしかに巨木になっていた。葉がこきざみに揺れるのをずっと記憶していたが。・・ロックガーデンはもう少し先だが今日はここで引き返した。

・・茶店のある通りまでもどった。自転車が無事置かれてあるのを確認し、紅葉屋という蕎麦やを探した。前回ここの蕎麦は美味だった。かわいい注文とりの子がいた。半年も前のこと。・・残念。お休みらしい。売店はふつうやすまないものだが。・・仕方なくもう一軒、朝呼び込みのおかみの店に入った。

>・・経ヶ岬(きょうがみさき)は、京都府京丹後市丹後町袖志に属し、日本海(若狭湾西部)に面する岬。・・京都府及び近畿地方の最北端。丹後天橋立大江山国定公園に含まれる。北緯35度46分45.47秒東経135度13分24.92秒

>・・丹後半島北端をなす岬の周囲は安山岩からなる柱状節理の発達した海食崖になっている[1]。名前の由来は『宮津府志』によると、岬を取り巻く柱状節理が経巻を立てたように見えることによるとされている

>・・もんじゅは、福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉である。北緯35度44分24秒 東経135度59分16秒

489秋魚:2014/09/01(月) 23:57:01
・・
・・稲葉真弓へ

https://img.shitaraba.net/migrate1/8014.shugyo/0000489_2.jpg

490秋魚:2014/09/21(日) 01:42:03
(無題)
・・自転車修行も佳境に入った。のんびりしてると次から次へと友人が逝去する。命あるうちに道を究めねばと。奥多摩の深秘にチャレンジしたい。御岳から大岳山登山。御岳まではもうほとんど庭に近い。川合玉堂のいた鳩ノ巣、白丸もそろそろ見慣れた風景に。奥多摩駅からいくつか道が別れる。このあたりが未知だが。日原街道をずっといって鍾乳洞の暗部までというのも魅力だ。川を遡って奥多摩湖、さらに源流の村丹波山ののめこい温泉までいってみたい。きょうは奥多摩の駅から奥多摩湖に向けて「むかし道」コースを選んだ。
・・もうひとつの源流の村小菅村の温泉にはバスで二度訪れた。その時の道のなんと恐ろしいこと。川に沿って湖に沿ってトンネルがいくつもある。道も細く車も多い。自分のような素人ライダーには大冒険になる。

・・朝早くのつもりが寝過ごして出発は9時過ぎになった。例によって軍畑までは裏道を通る。御岳までは青梅街道も歩道を備えたよい道だ。御岳から川井までけっこう長い。車はダンプのほかに軽の車でも爆走するのはやっかいだ。それに大きな音をたててライダーの群れも来る。古里、鳩ノ巣とここいらもいつかゆっくり散策したい。白丸のダムには魚道というのを見学できる。この日は閉まっていたが。トンネルがいくつかあるが奥多摩までは側道もあって怖くはない。奥多摩の駅までは、なんなく来れた。観光案内所で「むかし道」の情報を求めたら九月一杯通行止めという。雪害で傷んだ道を修繕しているという。紅葉の名所で十月以降が観光の本番になる。奥多摩駅から奥多摩湖まで「むかし道」を歩くと4時間ほどかかるという。自転車で行きたいというと、一部山の中は通れない。本道にでて中山トンネルを走らねばならぬ。このトンネルはやや長く登り坂だという。案内嬢もあまりすすめない風だ。・・そのずっと先丹波山村まで行きたいというと、アップの道でさらに眉をひそめた。次回のために丹波山村と日原鍾乳洞のパンフをもらって、今回は青梅街道を湖にむけて行ける所まで行こうと出発。やはり道が細くなる。トンネルを二つ抜けたあたり側道があり交通整備のおじさんがいる。工事で通れませんよ。でも途中までは大丈夫。トンネルの道はつまらないしここから本道を外れた。いい道でこれがむかしの青梅街道、むかし道らしい。渓谷沿いに人もいない。惣岳渓谷というところに来た。「・・太古以来の大洪水と、1742年、1907年に奥多摩一帯を襲った大水害によって、多摩川南岸しだくら谷より押し出した巨岩怪岩が多数。「惣岳の荒」と呼ばれ、静かな森と荒々しい渓谷のコントラストが・・」
・・昔は材木を流す筏下りがあってここらが一番の難所とか。しだくら橋という吊橋もあり、少し渡りかけた怖くて進めない。谷の深さと巨岩怪岩が驚異。

・・こんな山奥の水害。たぶん豪雨によって土砂の部分が流され岩がくずれず残った。その岩の形が奇岩のままの景勝となっているのだろう。自転車の遠乗り。目の前の現実。ぞっとするところまで来たらそこが今日の折り返し地点。目的はほぼ完了となる。これが労働の勝利。帰り道はいつもうれしい。

・・先ほどのトンネルの道にはもどらず帰りはさらに「むかし道」をたどった。入口で全面通行止めの看板があってほぼ無人だが、ぽつりぽつり歩く人に会う。・・白髭神社がここにもある。この神社飯能の方にもいくつも見かけた。石とか岩にゆかりがあるという。せり出し切り立った岩の陰に社がみえる。絶壁にかかったようにいったいどんな功徳ご利益があるのか。気が動顛して何も確かめられないまま写真をとって怱々に退散した。

・・道中、里の方では朝顔がきれいで谷奥ではコスモスがきれい。コスモスのこれはというような咲き誇ったものがあった。写真を撮ろうか撮るまいか道路に下車するのがめんどうで遂に通過してしまった。まだいいのがあるだろうと思ったが、その先それに優るものはなかった。脳裏にしっかり焼きついている。周りの空気とか一期一会の花だからもう同じ花を見ることはないだろう。そうやって印象を残すのも一興か。

・・ 辛崎の松は小町が身の朧

びわ湖畔で詠んだ芭蕉の句。「辛崎の松は花より朧にて」で知られる名句だが、小町という正体不明の美女佳人はびわ湖に化身する。風景のいい山水は奥多摩にもある。不遇の山水と田山花袋はいっていた。たしかにここは奥が暗い。はいっていくには少しの勇気がいる。

491秋魚:2014/10/03(金) 22:20:32
(無題)
・・未知の土地にいくには勇気が要る。旅客機ではじめてパリに行った時の感動はもう二度とない。空港からタクシーに乗って下手なフランス語で話しかけた。運転手はなぜ話しかけるという。深い意図は無い。一言二言はいいだろう。

・・奥多摩にも未知の土地がある。当たり前だが丹波山村まで自転車でいきたい。奥に行けばいくほど道細くサイクリストには余りいい道ではない。先日むかし道を訪ねた時はバイクライダーが4〜5台で編隊を組んで走ってきたりする。大型車もくる。何よりもトンネル。逃げ場がないから怖い。オートバイが爆音をあげて走るとトンネル内に大反響しておそろしいこと限りない。奥多摩のトンネルは歩道も無く車の来ない間に通り抜けるに限る。すこし長いとやはり前か後ろか爆音を聞くことになる。・・自転車で行く前に下調べ。温泉の送迎バスで小菅村にまずいくことにした。

・・この送迎バスこれまでに2回利用させてもらった。最初はもう何がなんだか。奥多摩湖の小河内ダムを見ただけで感動だった。奥多摩湖は人造湖だ。湖底に沈んだ村もある。深い峡谷から一転、竜の姿態で奥多摩湖になる。湖に沿ってまた細い道。トンネルがいくつもある。青梅街道奥多摩駅までは4つあるトンネルもほとんど側道で迂回できる。新白丸トンネルはやや長いがもえぎの湯への道で迂回。ここまでは何度かきた。問題は奥多摩駅から奥多摩湖まで。むかし道というハイキング道路は自転車では一部利用になる。すべて青梅街道だと8つのトンネルがある。前回は2つ目の白髭トンネルを抜けてむかし道に入った。このトンネルもけっこうきつい。ここでむかし道をいくと4つトンネルを迂回できる。最後は山道になりまた街道へでなければならぬ。そして恐怖の中山トンネル。このトンネルの視察が主なる仕事だった。

・・小河内ダムに出る前に2つ長いトンネルがある。長いといっても1キロはない。出口もみえる。ただ狭い上に傾斜がある。一つは中山トンネル。出口がみえぬという情報だったが、よく見える。傾斜も急というほどでもない。歩道がなく有るか無きかの白線があるのみ。自動車バイクの来ないうちに出来るだけ早く抜けるのが最良。この日はハイキング客が数名トンネル内を歩いていた。ここを抜けてさらに大麦代トンネルというやや長いトンネルがある。ネットの情報では、ここはサイクリスト誰もが嫌がるトンネル。トンネル手前を左折してダム沿いの道をとれば回避できる。難関は中山トンネルのみにしたい。むかし道を使うと多摩湖畔まではなんとか出れそうだ。・・バスの運転手に今度自転車で来たいといったら、アブナイヨ無理といった。これは奥多摩の観光案内所でも言われたことだ。

・・ダムの公園で休憩して、ここから細長い湖に沿って青梅街道がある。カーブが多く入り組んでトンネルも5つくらいはあるが、長くは無い。道がせまいのが気がかり。実際走るとなったら黙々と走るのみ。途中鶴の湯温泉郷というのがある。ダムが出来る前は老舗だった。ダムで沈んであとで温泉を再度汲み上げたものらしい。景色がよすぎて道路ばかりが危うい。・・深山橋というところに来た。この橋を渡れば小菅川に沿って小菅方面へ、橋を渡らず直進すれば丹波川となり丹波村にいく。ずっと迂回して進めば柳沢峠にでてここはヒルクライムの上級。さらに下って甲州市にはいる。自分のクロスバイクでは無理だろう。スロープも急になるが、丹波山村まではいきたい。・・きょうは深山橋を渡って小菅村に向かった。

・・送迎バスは9人ほどの客だった。中に3人ほど台湾人らしき客がいる。一人の男性が盛んにデジカメの画像を動かせながら隣の女性に話している。デジカメのメーカーは分からぬがかなりいい色を出す。飛行機から撮ったと思われる富士山の画像がみえた。かれらツーリストであろう。・・こんなマイナーな田舎の温泉の送迎バスをよくぞ調べたものだ。たしかに台湾人。

・・カトリーヌドヌーブの映画「シェルブールの雨傘」「インドシナ」を観た。この女優、同時代のフランスを代表する女優なのがわかる。「シェルブールの雨傘」ではヒロインはジュヌビエーブ17歳にはじまる。ドヌーブも確かに若い。1957年とかそこいらで、わたしのお姉さんの世代の青春だ。片田舎の雨傘や。初恋の純粋な恋愛はまずうまくいかない。そういう理由がよくわかる。徴兵制がフランスにはある。アメリカのプレスリーなんかも徴兵で2年は海軍にいた。アルジェリアに出る恋人のフランソワ。この2年間の別離だけで充分人生の道が示される。ミュージカルだがしんどい映画だ。・・「インドシナ」の映画はもう後年のドヌーブ。できあがった大人の美貌はさすがというか。舞台が東南アジア、植民地時代のベトナムゆえにもっと哀切な人生が描かれる。これもしんどい映画だ。

492秋魚:2014/10/14(火) 01:13:52
(無題)
・・愛のメモリー。映画のタイトルにでもなりそうな自転車の乗り方を試みる。メモリーが濃密である場所というのがある。自分の生まれた家と土地はメモリーに満ちている。母親のいる場所も。家族というメモリーは誰もが知っている。・・今回はそういうものでなく個人的な新しいメモリーを探索する。

・・多摩川の万年橋から青梅街道、青梅坂から小曽木街道にはいり、ずっと黒沢川、成木川を越え山王峠を越えて飯能にぬける道は、もうお手の物。唐竹にて柳井嗣雄アトリエ開放展を観覧する。

・・入間川

493秋魚:2014/11/06(木) 23:39:59
(無題)
・・この二三日急に冷え込んできた。紅葉が一気にすすみそう。もう一週遅らせば奥多摩も盛りの紅葉になるだろう。ま、盛りというのも飽きが来る。今ぞとばかり自転車を走らせた。・・道筋は充分下調べをしておいたし、自転車もブレーキなどよく調整しておいた。遠乗りをしばらくしていない。もうどこにもいけないかと精神が縮むが自ら鼓舞して出かけるのが常だった。大多摩湯めぐりスタンプラリーに乗って奥多摩六つの温泉のうち五つはすでに廻っている。檜原村数馬の湯、秋川渓谷瀬音の湯、日の出つるつる温泉、奥多摩もえぎの湯、多摩源流小菅の湯。・・そして残るひとつがもう一つの源流の村、丹波山村のめこい湯。この日はここにチャレンジ。

・・「井月句集」岩波文庫で出ている。図書館から借りてきたが、新しく入手せねばなるまい。放浪俳人、奇人で名高い。30代後半、信州の伊那谷に突如あらわれたという。今いうホームレスの先駆けか。すごい学識と句作、書の才がある。

・・思い巡らすことが多い。

・・自転車遠乗りと温泉に限る。多摩川万年橋から上流に沿って奥多摩湖まで、そこから丹波川の源流に遡る。青梅街道を大菩薩ルートで山梨北都留郡に入る。丹波山のめこい湯がいい湯という。・・軍畑まではお手の物。裏道は車もなく静かなあきない道だ。紅葉はまだはやい。軍畑から御岳、駅のある奥多摩までもこれは街道を走らねばならぬ。車多くこわい道だがこれもだいぶ馴れてきた。朝6時半に出発。

・・奥多摩駅のあるところまで、ここいらは氷川という。氷川渓谷。氷川神社もある。ここの三本杉は名高い。なぜここが氷川なんだ。きっとおもしろい消息があるにちがいない。ここから以前来たトンネル多い街道とむかし道を選んでなんとか小河内ダムのある奥多摩湖までいかねばならない。最初二つのトンネルは越えねばならぬ。水滴したたるいやなトンネル。車の来ないのを見計らってえいやと進む。二つ目の白鬚トンネルを抜ければとても静かなむかし道がある。ここまでは以前も来た。・・一度来た道は楽なものだ。惣岳渓谷とかやはり景色はいい。朝はやい為か歩行者はいない。ずっといくとむかし道は途切れまた青梅街道に出る。ここで難関の中山トンネル。ここも予習しておいてよかった。やや長いが車さえ来なければこなせるはず。さきほどの白鬚トンネルとどっこいどっこい。うまく抜けた。次の大麦代トンネルも長いが、ここは迂回できる。もう小河内ダムは近い。・・むかし道の紅葉がけっこう決まっている。

・・やあダムに着いた。ひとつ達成。すこし水を飲み、ぶらりとする。これから先は細長い湖岸に沿って街道をくねくね進む。鶴の湯温泉郷といって日帰り温泉もあるらしい。道が細いが車さえ気をつければむしろ快適なサイクリング。景色もよいが、自転車を走らせるのに集中し写真もとりづらい。一度トンネルを出たところで停止し写真をとっていたら次々と車が来てしかもカーブの場所だ。逃げ場もなくあぶない思いをした。なんとか端の深山橋までいく。ここが分かれ目。左に折れれば小菅村、奥多摩周遊道路。右に行けばめざす丹波山村だ。川はそれぞれ小菅川、丹波川となる。

・・深山橋から源流の道へ、ここからがほんとに未知の道。大菩薩ルートというが。ともかく青梅街道ずっといけば丹波山村道の駅を通って柳沢峠、塩山にでるはず。最初は竜の尻尾のような湖に沿った感じだったが、やがて少しずつスロープの角度が増してきた。湖はいつしか川になりずっと眼下に見下ろす渓谷となる。街道の車はぐっと減り、自転車はほどよいヒルクライムの闘いのみ。あわてることもなく足着きもしこれで今日のロングライドは勝ちとみた。・・それにしてもすごい渓谷。むかし道のあたりも目を瞠るものがあったが、ここも紅葉がすすんでいる分絶景の感あり。これほど奥に入ると針葉樹の植林はなされてないのか広葉樹林の山肌はとりどりの紅葉がすばらしい。眺めている五分十分の間にも色彩は変化してる様。・・それにしても丹波山村はまだかなあ。ずいぶんと登って来たが。秘境のキャンプ場という看板がありそのちょっと先が温泉のある丹波のようだ。

・・井月は芭蕉にのめりこんだな。優秀な長岡藩の武士である克三が何ゆえ刀と弓を捨て脱藩と放浪の道を選んだか。放浪以前のことはあまりわかっていない。「野ざらし紀行」「奥の細道」を踏破した形跡がある。最初の大きな動機は「野ざらしの旅」ではないか。芭蕉庵炎上と亡母追善ということなら、たしかに長岡藩は幕末に灰燼に帰すがそれは放浪より後のこと。母親はどうだ。明治元年頃に喪に服するための帰郷があったという。7才の時高田藩榊原家の三男克三が長岡藩井上進之丞の家に養子でむかえられた。養母と実母がいるはずだ。

494秋魚:2014/11/13(木) 22:33:14
(無題)
・・はるばる来たものだ。ここがもうひとつの源流の村丹波山村。左手に見える山々は入っていけるのか。大菩薩嶺はもっと奥だろう。青梅街道もここまで来るともう青梅でないような。平日でライダーは何人か見かけたが意外とサイクリストは出会わない。道の駅丹波山はけっこうな村だ。なにせ温泉がある。この先まだ道がつづく。もうこれ以上は行く気がしない。ほんとに山奥だ。よく来たものだ。村の物産店もある。車とバイクライダーはずっと多い。彼ら柳沢峠までいくのだろうな。きっと。奥多摩湖の外れからこの丹波山村まで、これは抜けている。途中であきらめるなどないことだ。柳沢峠までいけばさらに感慨もひとしおだろう。ここまででいい。今日は。

・・のめこいの湯。たしかに透明でぬるぬるとのめこい。上質な単純硫黄アルアリ泉というのがわかる。湯温ハ44度とかけっこう高い。この硫黄くささはほんのり。本格的な硫黄泉でないのがいい。もっとゆっくりしたかったが、レストランで食事して引き上げにかかった。田舎にしては豊富なメニュー。このところ蕎麦とビールが定番になった。

495秋魚:2014/12/03(水) 00:06:19
(無題)
・・広葉樹の森林はいま最高に色づいている。杉林が大方の山山もこの色彩の変化で植生のあり方がわかる。亡母の納骨で留守にしていた奥多摩の散策をふと思いついた。木曾ではない青梅の御岳山にもう一度サイクリングでアタックすることにした。前回は大岳山をめざしたが、今回は御岳神社の奥の院に行ってみよう。奥の院は少し離れた別の山だ。遠くから見るときれいなピラミッドの尖った山に見える。ここを訪れない手は無い。

・・二日ばかり雨の日がつづき紅葉はもう末期症状。自転車を整備した。ブレーキの効きをよくし音鳴きも微妙に抑えた。・・やっと晴れたのを幸い朝起きを整えて8時に出発。軍畑あたりまでは優に裏道でいける。途中すばらしい紅葉のスポットがあった。紅葉は赤から黄へと変化する。この変化の途中がほんとうは最高にあわれで美しい。今がその時だった。

・・まったく井月には驚かされる。自然居士とかいって長岡には葬られているが、もとよりここに彼の骨はない。伊那谷に小さな美しい墓があるという。山頭火が苦労して訪れたその墓だ。やっとたどり着いて墓に酒をかけたという。・・「井月全集」を読む。よい本だった。今までに読んでゐなければならない本だった、井月の墓は好きだ、書はほんとうにうまい。・・

・・一度憶えた道はほんとうに気楽だ。自転車を気づかって走れる。自転車の整備もうまくなったものだ。ギアチェンもスムーズにいく。ただ吉野街道はダンプが多い。油断していつどんな事故に会うかもわからない。ipodはつけられない。・・前回と同じ。吉野街道を外れてからスロープアップがきつくなる。水なども小さいペットボトルで来たがこれは失敗。夏ほどではないが喉がかわく。ケーブルのある滝本駅まで長いがなんとか堪えた。・・人は夏場ほどではない。ぐっと少ないがそれでもハイキング客はバスでどっと来る。自転車で参道をあがるのは自分くらいなもの。若い連中ならやるだろうが季節はずれの平日はお年寄りのハイカーが多い。・・あとで頂上にいってわかったが、台湾人だか香港人だか集団でやってくる。言葉がわからない。どうも台湾ぽいが。・・例によってトイレの近くに格好の自転車置き場がある。ほんとは違うのだろうけどここは安全。自転車乗りなど自分しかいない。2時間で着いた。売店はみな閉まっている。・・で、どんどん長尾平、大岳山、奥の院の方へ歩く。天狗の腰掛け杉が目印。そこからいよいよ奥の院へ入る。未知の道。ひとつは未踏の冒険がないとわくわくもない。と途中で出会った人が熊の噂をしてくる。熊でも出るんですか?そうこの先で出たらしいですよ。・・もう冬場だから大丈夫でしょう。ハハそれもおもしろい。看板があって11月はじめ月ノ輪熊の親子連れが何度も目撃されたとある。・・むむ笑い事ではない。熊鈴など用意はないし。

・・ところでこの道。ほとんど正体がない。折から落ち葉がいっぱい。今日は風が強い。杉の根が道の踏み石のようでずっといくと岩が多くここいらも奇岩の名所があるという。それに岩場鎖場もある。もう頂上に近いところはかなり切り立っている。さすが。・・橘姫をまつった祠がぽつんとある。あとはほんとうに山伏の歩く一本道のよう、といっても道らしい道はどんどん見えなくなっていく。ここが道だろうというので、ある場所は這っていったり、やっと奥の院らしき祠の下にでた。男具那の祠とかいう。ヤマトタケルのことだ。シンプルな造りでこれはいい。感動!

・・きょうは全国的に空っ風吹くという。山頂近くは木の葉吹雪の舞だ。道を隠して滑るからあぶない。さすが奥の院。そう簡単には近寄れない。月の輪熊には会えなかったが、さもありなん。彼らも巡礼であろう。頂上の風はとくべつ強い。鍋割山、大岳山とつづけて歩く三人組がいた。若い娘さんもいてやはり若いというのはいいものだね。まだまだいろいろチャレンジできる。

・・下山。途中この石は何か線刻があるようにも見える。

・・駒鳥売店でまたビールを飲むことにした。ピークを見極めたから酒に限る。しかし肌寒い。人はあまりいない。それでも団体で来てるのは外人ぽい。あとは引退した年寄りが体力試しで来てもいるようだ。石碑がいくつもある。おもしろいのは普通の私人が大層な費用をかけて碑をつくっている。自分の墓より永続性があるだろうか。・・雨あがりの晴天の日というので、駒鳥売店の見晴らしは抜群だった。関東平野が一望の下、はるかの山並みまで見える。北に雪をかぶった山は日光男体山、東に双頭の山は筑波山。こんな見晴らしよいのはめずらしいという。日光は江戸の鬼門、筑波はヤマトタケル以来御岳に縁がある。筑波ネの道。

496秋魚:2014/12/07(日) 01:28:23
(無題)
・・しかし参った。整備もゆきとどいて自転車は申し分なく快調とみえた。とりわけブレーキの調節はうまくなった。・・チェーンの緩みは仕方ないか。ギアの掛かりに影響しそう。ハヤブサも少し年を食った。が、まだまだ健在そのもの。ようやく自分の体になじんできている。・・これなら井月の墓参で伊那まで行けるか。が、

・・五日市瀬音の湯から帰り道。多摩川のみえる滝山街道。いきなりパーンと音がした。すさまじい。何事か?・・すこし行くと前輪のタイヤが空気漏れ。や、パンクか。・・なにか針のささった感じもない。・・この道を下り切って吉野街道にでればたしか自転車やがあったはず。パンク修理道具一式もってはいるが、冬の戸外で首尾よくやれる自信もなし。ここは自転車やさんに持ち込むことに。・・自転車だと楽にいけるのにパンクで歩くのは悲惨だね。・・しかし不思議なパンク。あとで調べてわかったのだが、これはバーストという破裂パンクだった。どうも空気圧過剰が悪かったようだ。

・・てくてくやっとのことで自転車やに着いた。と思いきやすばらしいスポーツサイクルの専門店。中にいたおじさん、いきなり修理はできません。うちで買った自転車しかみないそうだ。昼飯も食べずやっている。申し訳ないけど。・・頼んだがダメ。とはいうもののこれくらいの修理はみな自分でやるものらしい。自転車乗りの常識だったかも。あきらめてとりあえず空気をいれてみた。すぐには抜けない。ケイタイ空気入れがはじめて役に立った。家に帰るまで3度ほど空気を入れてなんとか家までもどった。

・・これはひさしぶりにパンク直しのいい機会。まだ前輪でよかった。

・・バーストと気づくまで時間がかかった。まず前輪を外してチューブ交換にかかる。ひさしく前輪も外していない。Vブレーキを解除してクイックレリーズをゆるめる。右左どちらかを時計反対まわりにまわすのが忘れている。適当にまわして車輪は外れる。これも後で分かったことだがレリーズを2度回したなら同じようにもどさないと前輪のセンターがずれる。これは重要。・・さらにレバーを使ってタイヤを外しチューブを取り出さねばならない。タイヤは片側だけ外せばチューブは取り出せる。こういうささいな手順が馴れてない。何度か失敗しながら上達するしかない。タイヤ外しのレバーの使い方もいまひとつうまくない。外すのはいいが、ほんとうに油断がならないのはチューブの装填だ。ねじれがないように空気をすこし入れて取り付ける。以前ママチャリのパンクはかなりいい加減にやった。リムにチューブがからんでいたり。・・あれこれ苦労してなんとか新しいチューブで復旧させる。パンクのチューブはパッチを貼って再度使用可能なようにする。が、これもパンクの穴の位置がむずかしい。ほんとに小さな穴があいていた。これはバーストとは違う。

・・親兄弟と同じで使いなれた自転車もいつまで丈夫かなどもわからない。絶対の信頼を置いてた自転車だが。パンクほどでうろたえてはいけない。実際ロードレーサーなどパンクバーストの記事はよくみる。応急処理の仕方もある。私のバースト、チューブに針刺しのパンクがあり空気圧が過剰になっていたためすぐ近くのタイヤ本体を直撃したか。裂けはさほどではない。溝にそって1cmほど。タイヤの内側をみても穴はなし。繊維状の膜を透過して一気に空気噴出したか。外側には繊維状のものが少し露出していた。最初はただのゴミかと思ったほど。やはり、バースト・・

・・しかし、この日はこれがハプニングではない。これぐらいのパンクはいつでも起こりうる。自分が怠惰なだけだ。・・おもしろいのは帰りに寄った五日市郷土館。このあたり大昔のゾウやウミユリ、サンゴの化石がとれる。ずっと昔は海だった。そんな昔のことではない。鎌倉から江戸の時代、伊奈石という石をとる石工がいた。郷土館の庭に置かれてある。信州伊那谷の石工がここいらで切り出した石だという。江戸城などもこの石を運んだとか。・・伊那谷をさすらった俳人井月は越後からたしかに江戸に出ている。昌平坂学問所に通ったかどうかはわからぬ。「野ざらし紀行」「奥の細道」の起点となった江戸はなんとしても出てみなければならない。痕跡がないが、江戸のどこにいたのか。深川の芭蕉庵には訪れてはいただろう。思うに一時期人目にふれぬ土地を選んだのではないか。芭蕉が芭蕉庵炎上ののち甲州の都留に身を潜めたようにおそらく江戸の西方、日野など甲州街道沿いは近藤勇、土方歳三など新撰組が幅を利かせていたはずだから、そこではない。多摩川を遡って青梅というのもどんなものか。多摩川を外れた秋川、五日市が格好の居場所ではなかったか。伊奈という土地がある。千代鶴の中村酒造も秋川だ。後年、伊那に三十年さすらうのはここの伊奈石工のネットワークに乗ったのではなかろうか。五日市と伊那。・・井月の匂い。

・・自分で修理した自転車を試し乗り。チューブ交換と前輪の着脱。復旧の時車輪がセンターに来るようにレバーのもどしは注意がいる。裂けたタイヤは裏にクリアファイルをあてた。外の裂け目にはボンドを塗りこんだ。これしきでタイヤ交換はない。しかし細部で調節がむずかしい。修理しておかしなことにならなえればよい。・・試し乗りは昭島のはま寿司まで。これは成功だった。

・・パンクチューブにパッチを貼ったがどうも空気が抜ける。穴の位置を間違えたか。そうではなく糊づけが甘く隙間から空気漏れするようだった。すこし剥がしてもう一度糊をつける。こんなやり方はないが空気漏れが止まればよい。これはなんとかうまくいった。・・自転車やに頼まずに自分でやってだいぶ勉強になった。しかしパンク修理もむずかしいものだ。

497秋魚:2014/12/30(火) 01:04:56
(無題)
・・自転車の遠乗りもパンク経験のあとでは恐くなった。クロスバイクに続いてママチャリもパンクになった。修理備品を使っていい勉強をした。備品もこのまま未使用だと劣化するばかりかと思われ漸く役に立つ時が来た。穴をふさいでその後空気漏れがないからなんとか成功した。クロスバイクはチューブ交換して、穴の開いた方はパッチ貼りして今度は予備にまわす。遠乗りはチューブ交換だけでいけるが、自分はまだうまくない。冬場の山の中とかならやってられない。しかし自分でやるしかないだろう。後輪とかパンクしたらかなりめんどうだ。夜間の遠乗りとかは考え物だ。

・・そうはいうものの修理調整した具合をみるために調布仙川までライドを試みる。アートイベントの案内があった。クリストファー遥盟尺八+木村由ダンスといういずれも初見。青梅から国立まで多摩川CRを走ってそこから谷保天満宮あたり甲州街道にはいる。この道はあまりよくない。側道というのもあまりない。とはいえ走り慣れた道だ。ただし仙川は遠い。かつて一度走ったことがある。・・途中まで自転車、半分は電車というのも考えたが、めんどうこのうえない。一直線でライドする。冬場だし体力もどうか。

・・多摩川の土提など快適であちこち護岸工事がすすんでる。町を洪水から守るためにとかいうが、これって上流がダムとか決壊するとかいうのか。奥多摩のダムのコンクリートなども何十年もたてば劣化するだろうしああいうのはどうやって補強するのだろう。永久に固いわけでもあるまい。・・谷保まで2時間、あと仙川まで90分でいけるだろう。途中府中の熊野神社に遭遇。古い古墳がある。全国でもめずらしい上円下方墳といい全体が敷石で蔽われている。それを復元して考古博物館もある。おもわぬ風景で立ち寄ってみた。・・円墳、方墳、前方後円墳にはじまり前方後方墳、双方中円墳、帆立貝式前方後円墳、双円墳、八角形墳とつづき、終末期にあらわれる上円下方墳は7世紀頃のもの。府中に国府が置かれる直前のもののようだ。ガラス玉、鞘尻金具、環金具、釘が出土され、鞘尻金具には七曜文が刻まれていた。

・・七曜文は、陰陽五行思想の木火土金水と日月の七曜を表した古代中国の考えをもとにしてできた文様。六角形とその中心にも見える。

498秋魚:2015/01/02(金) 20:09:17
(無題)
・・寒波襲来。自転車のライドは呼吸器系と脚力のピストン運動は万全だが、どうにも活動しない部分もある。外気に当たる顔や手などは恐ろしく冷たくなる。過度にライドすると手足が自分のもののようで無い様になる。凍傷というところまではいかない。これは年齢のためもあるかもしれない。脳はしっかりしている。末端に血が通わなくなるか。

499秋魚:2015/02/10(火) 01:15:40
(無題)
・・青梅にある二つの芭蕉塚。ひとつは、瀑布山常保寺。もうひとつは、塩船観音寺の裏手にある真浄寺。中継となる二つのパワースポットには最近気がついたばかりだ。

・・まず、瀑布山常保寺。畑中ー大柳を結ぶ万年橋を越えて青梅美術館の斜向かいにある臨済宗建長寺派の寺。十一世住職は小蓑庵支兀。(1738−1811)




玉川
467 夕士峰も朝不尽も見てさらし搗

武の玉川に遊て
113 徐に柳のかぜや小鮎くみ


歳旦
朝霞未だ立あえぬ不盡が根に匂ひそめたる初旭影かな
「不盡」を「駒」と書けるもあり よし貞

述懐
今は世に拾ふ人なき落栗のくちはてよとや雨のふるらん
よし貞

塩原梅関方へ入籍して
落栗の座を定めるや窪たまり


旅人の我も数なり花ざかり    井月
旅人と我名よばれん初しぐれ   芭蕉

この花と時雨をいっしょにした、「花しぐれ」は花盛りの頃さーっと冷たい雨がやってくるという春の季語だそうです。「しぐれ桜」というのは、イメージの類似で「枝垂れ桜」のことのようです。

さくら花梢のしづくおつるより幾世しぐれの名にやふりけむ

従一位資枝

真浄寺は、先日の東青梅から30分ほど西北に歩いた山の辺にあります。塩船観音寺の裏あたりですか。

日野資枝の歌は、花の梢よりしづくがぽたりと落ちるという、エロチックな瞬時のイメージを、「幾世しぐれ」という時の襲(かさね)に昇華したよい歌と思えます。
芭蕉百年忌(1793年)の頃には、石碑はできていた様ですから、井月が江戸にいた頃は、翁塚に詣でる折、この歌もみたのではないかと。

500秋魚:2015/02/24(火) 01:34:35
(無題)
・・あきるのの武蔵五日市。ここにも翁塚がある。むろん芭蕉塚だ。多摩の地にある古い翁塚は三つある。青梅に二つ。五日市に一つ。芭蕉の供養塔だから俳句の刻まれてないものもある。いわゆる句碑とは区別される。芭蕉がそこに立ち寄ったというのでもない。芭蕉の正風を慕うものが一心に碑を建てた。芭蕉の命日などはここに集ったはずだ。五日市のものは開光院という臨済の寺にある。
・・この日は思い立ったが吉日、冬ばれの日、五日市まで自転車を走らせた。例によって、吉野街道から日の出に抜ける山沿いの道は、なんとも殺伐として、自動車が我が物顔にやってくる。ダンプが来るとまず接触がこわい。停止しては、何度も車の群れをやりすごす。おまけに、だんだらのひどい長い坂道になっている。明星大学などもあるが、砕石場、老人ホーム、斎場、スクラップ処理場とか、気の重くなる街道だ。いつもここは走りたくないと思うが、隣町の温泉にいくためにはいた仕方ない道だ。何度か走ってすこしは馴れてきたか。土曜日の昼前をねらう。食事時で車もすこし少なめだ。サイクリストにはぽちぽち出会う。みんないい自転車に乗っていい格好でいるな。けっこうな年寄りも多いが、だんぜん若者はさっそうとして同じサイクリストとして出会うのはほんとに嬉しいものだ。・・上りのスロープは最近無理しないことにしている。足つきでいく。が、今回冬場でしばらく家で垂れ込めたりすると、体調が狂う。気は元気だが、体が外気や運動になじまない。思い切り一汗かくといいのだが、なかなかですね。年のせいかも。集団でハイキングの人たちもいる。街道を外れてまたハイキングの道があるらしい。

翁 塚  武州玉河里五日市村   山市亭梅志建之

玉川塚  武州多磨郡青梅瀧之岡   小簑菴連中建

芭蕉翁霊塚  武藏國杣保内谷村真浄寺門前ニ時雨櫻二樹有リ日野故一位殿御歌有
???????????? ○其櫻ノ陰ニ芭蕉塚ヲ立依之時雨塚ト云又百年忌ニ此塚築故号百年塚

??????????  時雨菴嘯谷 并燕巣連中

・・瀬音の湯。五日市の駅まで来てしまえば、あとはお手の物。檜原街道はさほどこわくはない。最初はひどくいやな街道に思えたものだが。たしかに道ほそく大型車も時折やってくる。こちらの山道にも馴れたものだ。が、油断はならない。温泉までは、慎重に。
・・いつ来ても、ここの泉質は抜群。アルカリ性単純泉。ペーハーも最上位。いま日本の温泉は大流行ですね。大江戸温泉物語が、外国のファンドに買収されるとか。極楽湯が上海に進出。二号店もでき、これからどんどんチェーンを展開するそうだ。評判はきわめて良好。中国人とくいのパクリもうまくいかないでしょう。温泉は。

・・さて、開光院。臨済宗建長寺派の寺院。駅からほど遠からぬ金比羅山の麓にある。檜原街道を外れ五日市郷土館の横をとおり、一度人に尋ねたが、見晴らしのいい高台にあった。あるある山門の前の広場に翁塚の石碑がある。立派なもので石の種はよくわからぬが、翁塚の文字はしっかり彫られている。寛政年間(1789年〜)の建造ではないかというが、意外と石も新しく見えるのは、昭和に入って再建されたのかもしれない。芭蕉百年忌(1794年)が、最初の建立というのがありえそうだ。山市亭梅志は小石川白山の俳人玄武坊に師事したという。この玄武坊は、芭蕉の門人各務支考の弟子という。深川臨川寺に石碑を建てた。ここと京都の双林寺がつながっているようだ。

・・山市亭梅志は、酒屋を営んでいた。1828年文政11年に没しているから、井月が江戸に出た頃は、会うことはなかっただろう。しかし酒屋は息子が継いでいたであろうし、俳句も詠んでいたかもしれぬ。開光寺の住職さんにも訪ねたかもしれぬ。井月はここにも必ずやってきているはずだ。

501秋魚:2015/03/21(土) 02:52:13
(無題)
・・玉川というのは、全国にいくつもあるらしい。六玉川といえばその代表六つの玉川。武玉川というなら、武蔵の玉川で今の多摩川になる。
・・芭蕉の幻住庵に入った頃の門弟で、各務支考という者がいる。江戸の臨川寺というお寺に墨直しの碑というものがあり、この碑は支考の弟子玄武坊と申す者が建てたものだが、碑文は、京都の双林寺にある芭蕉碑を写したものだ。で、その芭蕉碑は支考が建てその文も支考のものだ。双林寺の碑もなにやら墨直しの秘儀がなされていたらしい。墨直しとは、石に彫られた文字にたぶん一年ごとに墨を入れなおすことのようだ。
・・碑文自体とても興味深いものだが、因みに、双林寺の碑文にあって臨川寺の碑文に欠落している部分を抜書きしてみる。

>・・

あづさ弓 武さしの国の 名にしあふ 世に墨染の 先にたつ

人にあらずに ありし世の 言の葉はみな 声ありて その玉川の

みなかみの 水のこころぞ 汲てしる 六すじ五すじ たてよこに

流れてすえば ふか川や この世を露の おきてねて その陰たのむ

その葉だに いつ秋風の やぶりけむ その名ばかりに とささをきぬ

春をかがみの 人も見ぬ 身を難波津の 花とさく はなの鏡に

夢ぞ覚(さめ)ぬる


・・<裏面>

 維石不言(このいしいわず)  謎文以伝(なぞぶんもってつたふ


・・武さしの国の芭蕉庵をいうから、臨川寺にはこの文を省いたのだろうか。支考は、謎文以伝(なぞぶんもってつたふ)とは、謎かけするほど深川芭蕉庵に入れ込んでいたのだろうか。世に墨染の 先にたつ 人にあらずに とは、墨染とはよくいったものだ。墨田川、の川の墨流れ、碑の墨直し、庵の住み直し、すみ吉という信仰まである。・・玉川の玉は、天の安の河の玉ふぶき?本来は単独の玉ではあるまい。玉響の玉流れ、川なのか?・・六すじ五すじ たてよこに ・・これを条理というのだろう。

・・芭蕉庵の隣する隅田川。これを上流にたどれば荒川、入間川、支流を西にたどりさらに遡れば、成木川にはいるともう青梅になる。・成木川の水源がわかれて多摩川にもそそげば、隅田川と多摩川は水脈を同じくするはずだ。が、成木川の水源は飯能に近い黒山にある。入間川と多摩川は分水嶺でへだてられている。・・成木川を支流をみつけてさらに追う。・・黒沢川、北小曽木川。・・この黒沢川こそ多摩川にもっとも近い。岩蔵温泉郷を通る川だ。ヤマトタケルの湯浴みした水は、たしかに隅田川までとどいたにちがいない。・・北小曽木川。これは未知の川。これを追うと青梅丘陵のもっとも奥の雷電山に水源があるという。この山こそ入間川、多摩川の分水嶺か。

502秋魚:2015/03/25(水) 21:51:52
(無題)
・・わが祖父の彫り遺した聖徳太子の木像。子どもの頃から見ているが、祖父の死に目は見ていない。無名の彫刻家と伝えられたが、その輪郭すらもつかめない。親が子どもに語り伝える意志もゆとりもなかったか。遺品がいくつかある。聖徳太子の木像。大黒様の木像。これは大きなものがひとつと細かい18の木像がある。ほかにも日本刀とか彫金の作品も見た覚えがあるが、もう手元にはない。

・・この中で、入神の気品をもっているのは、太子像。なぜならお触書がすごい。

 皇太子之御尊体用材千三百年前ノ建築古材 御台八百六七十年前之古材也

・・太子の千三百年祭にあわせて金堂のお手直しがあった。大正十年に古材を施与され、大正十三年には開眼供養を奉られた。大正十二年(1922年)が太子千三百年祭であろう。

503秋魚:2015/03/29(日) 00:47:35
(無題)
・・昔の記憶を探ると、まあ、浦島さんですね。一息に爺さんになるような。だれもが自分の玉手箱を持っているに違いない。・・さてさて自分の玉手箱はまだ隠されている。

・・北小曽木川の水源は雷電山にあるという。青梅丘陵ハイキングコースの西端にこの山は位置する。494m

・・きょうは、ここ目標で、徒歩ハイキングにでた。体のリズムがいまひとつ。温かになってきたし、こういうときは山歩きに限る。朝早くでるつもりが、睡眠のとり方に失敗して、昼近くになってしまった。体調をくずすよりは、ましであろう。・・自転車で、日向和田の駅まで。この道もほんとに楽になった。庭のようなものだ。駅に自転車を置いて、サジ氏から聞いていたように、青梅街道を二百mほど直進。右手に折れて踏み切りをわたりすこしいって畑に水をまいてる人にたずねた。もう少しですよ。といって、今度は小さな階段道がある。青梅丘陵ハイキングコースへ。・・去年は青梅駅の近くから日向和田まで歩いたから、今年はそのつづきになる。丘陵の尾根つたいにあるこの道に出るまで、急傾斜をのぼらねばならない。出る前の装備はやはり失敗。まだ山の中は寒かろうと思ってマフラーとかセーターとか厚着をした。坂道をのぼって体力はまあまあこれくらいは堪えられる。冬場のあいだ部屋にいること多いとどうも妄想のとりこになるようだ。ちょっとした自転車乗りでは、チェンジがない。・・山歩きはいい。この目論見だけは当たった。・・しかしすぐに暑くなった。マフラーもセーターも外すはめになる。ハイカーによく会う。もうすぐトレイルランのコースになってるからか、歩いてなく走ってる人が多い。さすが人気のハイキングコース。こういうのも思い立ってやってくるまで、気が重いのは自分の性分かもしれぬ。特に山歩きは一大決心に近い。が、歩いてみると実際おどろきありのいいものだよ。

・・山歩きは、言葉をわすれる。出会う人には、こんにちわ、が礼儀。しかし言葉ほど無用のものはない。水と栄養バーだけは、よかった。出かける前は、水なども邪魔な気がしたが、これは大変な間違い。どれほど貴重か。水は。

・・大きな木がある。町ではあまり見ない。葉の形状をさぐるが、かなり上のほうだ。常緑樹。杉、檜ではない、柘植か。・・わからない。

・・このハイキングコース、市民に親しまれているという。なぜか見ているだけで、実際チャレンジするのは、気遅れる。入口というのもいくつかある。青梅坂のあたりから登ろうとしたが、ここにはないらしい。宮ノ平、日向和田、石神前、この駅の近くから入口の道がある。チャレンジしてみれば簡単至極。森林浴の中にはいって、空気も一変。・・みなハイキングのいい格好をしている。やはり自分はシロウトか。靴はスニーカーの底が擦り切れつつあるヤツ。履きつぶすつもりで使った。一度とがった石を踏んで痛かったが、大丈夫、最後まで持った。服装が失敗ですね。ジャンパーはもっと薄くてよかった。・・ともかく一度尾根沿いのコースに出れば、左右の傾斜と景色をみながら、木々の道を歩けばいい。まったく別世界。

・・辛垣山というのがあり、この山頂に戦国末期、三田氏の城があったという。八王子の北条氏に攻められて、天然の要崖に立て篭もった。しかしこんな山まで戦場になったというのは、どうもうなづけない。領地の分捕り合戦は深秘の森をも蹂躙するか。もっと昔平安末期の頃、平将門はやはりこの山中をうろうろ徘徊したというから、また、ヤマトタケルも歩いている。・・ここから奥多摩は渓谷がどんどん深くなる。列島の地層の最も古いものは、ここにもあって、その上で湧き出る水は、温泉にもなる。岩盤がしっかりしてるから、地震はこわくない。・・ただ、石灰をとったり、チャートの山を砕いて石を取るのが、悪い習慣。明治以降東京の近代化は、ここいらの山をつぶしながらの都市つくりだろうか。・・右に展望がひらけて成木町から飯能、入間、ずっと関東平野が見はらかせ、雨上がりのよい日には、日光男体山もみえるという。もっと手前には、山肌を白く見せた、砕石場があるから、あまりいい気分でもない。

504秋魚:2015/04/02(木) 02:30:28
(無題)
・・旅をしなくなってひさしい。というか、かなりせまい地域でさすらいは続けている。大きな旅はないが、小さな旅は茶飯だ。それも蟻の散歩のような。・・だが、蟻は散歩なんてするのかな?

・・パリには長くいっていない。もう行くことはないかも。かわりにパリが舞台の映画をみている。もろPARISという題の映画と「パリは霧にぬれて」という映画。「巴里のアメリカ人」なんてのもおもしろかったが。・・「パリは霧にぬれて」はルネクレマン監督で米女優フェイダナウェイがヒロインで出演。なんとも演歌な邦題だが、DEADLY TRAPが英語の題、la maison sous les abres(木々の中の家)がフランス語の題。フェイダナウェイといえば、わが青春の頃「俺たちに明日はない」が鮮烈だった。原題は「ボニー&クライド」。過激な女優にあこがれたものだ。「タワーリングインフェルノ」「チャイナタウン」・・それほど追っかけをやった訳ではない。「チャイナタウン」はパリで観たか。・・今回の「パリは霧にぬれて」はDVDで観たが、なんとアメリカ人が夫婦子ども連れでパリに逃れてくる。だから、英語が主体ではないか。ルネクレマンがフェイダナウェイをパリに呼んで選んだということだろう。女優のそのままの性格で監督は選ぶものらしい。「チャイナタウン」はポランスキーだったと思うが、やはりしんどい環境に女優をひきずりこんでいる。ひきずりこむではなく、deplacementという配置替え、ずらしか。思い切り転移でしょう。この「パリは霧にぬれて」もそういうdeplacement、転移が読み取れる。地がフランスで図が英語圏。人物は多少神経症をわずらっている。子どもはバイリンガルを試されるゆえ余計神経過敏でしょうね。「禁じられた遊び」のさすがルネクレマン。子どもの描き方はうまい。

・・女優はいいかげん自分の演技を出し尽くすというまでがんばるものではないか。フェイダナウェイの追っかけは今はあまりやりたくない。学生の頃はメリルストリープを少し追っていた。彼女ももうあまり思い出せない。思い出したくもないか。・・今でも衝撃で残っているのは「タクシードライバー」と「羊たちの沈黙」のジョディフォスター。「ハンニバル」まで。この三本で、追っかけの秘密がわかりそう。・・あとはハンニバル以上になれないので追っかけは停止です。

・・ところでPARISという映画はどんなものかも調べてないが、ナイスだった。パリという都市の中で生きるということ。たぶん個人の人格なんてのもあまり意味がない。男女の恋愛の希求なんかもみんなよくわかっている。思うようにいかない分、自由にひらけたものがある。心臓病であす命がないとしても、パリはいい町かもしれない。理解する人ひとりはいる。暮らしつらそうではあるが。でもこれは現代に一番近いパリですね。・・自転車が流行ってるはずだが。

505秋魚:2015/04/02(木) 20:41:51
(無題)
・・花の季節。かねてより時雨桜の咲く真浄寺を訪ねる。東青梅成木街道入口から途中右に一本ずれていく。これを真直ぐいっても塩船の方にはいかない。もう一度右に折れる道をとるべきだった。そこをスルーしてさらにいくと小曽木街道にでてしまう。このまま岩蔵までいくとかなりな大回り。すこし手前の道で霞丘陵の山を越える道を選んだ。土地の人に道を聞くと、自転車でいけないことはないが、ちょっとした難路になるという。いけないことはないに、勇気を得て、そのまま山越えにいどんだ。いま来た道をひきかえすのも癪だった。時間はたっぷりある。が、これは大変な道になった。

・・すぐに舗装のない山道になる。自転車はひいて歩く。徒歩で行くハイキングコースだという。丘陵上部にゴルフ場があってその中を突っ切っていくらしい。ともかく最初の山を登りきることだ。花の咲く道を行く。・・十分くらいの登りならたいしたことはない。今までどれくらいの難路を走ったことか。・・この山越え最終的に失敗したのであるが、上のほうにいっていくつかの分岐道に間違いがあった。道をたずねる人もいない。ほんとにハイキングコースなのかと危ぶむ。たしかにゴルフ場の空き地にはでた。そこから下りになるという。ずっといくと舗装の道にでるが、ここを右にとっておそらく失敗。いくつかほとんど人をみないが工事現場のようなもの。この辺では砕石場しか思い当たらない。・・ずっといってやはり駄目ですね。もとの小曽木へ向かう道にでてしまった。なんとしても山越えをというごり押しはせず、また土地の人に道を聞いて、一端町の方へもどり塩船への走りを選んだ。この辺は何度か来ているので迷うことはない。らくらくと塩船、その向こうの谷野のお寺に向かった。

・・しぐれ桜のこの寺が、どんなに重いかは、これからの課題。真言宗豊山派。青梅の常保寺の臨済宗建長寺派とは一線を画す。われわれ一般からみると同じお寺だが宗派の違いは、各和尚にとって神経質なものらしい。その寺の門をくぐったら他宗の話はしないことだ。さて、桜の花はあちこち咲いている。いぜん寄ったときより、華やかさを増して、しかし清楚な風は、変わらない。ひととおり周って、今回は、住職さんを訪ねた。常保寺、五日市の開光院でも住職さんにお会いできている。突然失礼なことだが、インタフォンを押した。静かな住まいで、特に行事がなければよく話し相手になってくれる。いろいろ調べものをしています。江戸時代の浄月和尚のこと、しぐれ桜のこと。・・でてきた和尚はわかい副住職さんということだった。世代交代でこのお寺のこと古い歴史とかあまりしらないという。古文書もあって、今にも崩れそうな本。まだ整理できてません。ようやっと、資料をまとめて冊子をつくろうかというところ。・・つくりかけの資料はありませんか?どんなものでも。・・おたがいツギハギだらけの情報でそれでも向学心だけは旺盛で意気投合。なんとも涙、なみだの訪問になった。

506秋魚:2015/04/03(金) 23:59:36
(無題)
・・命みじかし、恋せよ乙女

・・さくら さくら  ・・幽雅に咲かせ 墨染の

507秋魚:2015/04/04(土) 23:39:06
(無題)
>・・圓生の「お血脈」は実に面白かった。マクラに弁慶の叡山修行があり、続いてお釈迦さまの話がある。天竺から閻浮檀金という一寸八分の仏体が来日。それを仏敵、守屋大臣が
難波・堀江の池(後に阿弥陀池と呼ばれる)へ捨ててしまう。その後、本多善光がこのみ仏を信州へお連れする。こうして善光寺が出来る。善光寺には、「お血脈の御印」というものがある。これをいただくと、どんな悪人でも罪障消滅して極楽往生ができるという。方々から悪人が集まってこの御印をいただいたため、どんどん極楽へ行く。地獄へ行くものがなくなったので、閻魔大王は困り、会議の末、「お血脈の御印」を盗ませることにあいなった。人選にかかり、熊坂長範、袴垂保輔から鼠小僧にまで候補にあがったが、結局石川五右衛門が選ばれて善光寺へ参って、首尾よく「お血脈の御印」を盗みだした。そこで南禅寺楼門よろしく、「ありがてえ、かたじけねえ、まんまと善光寺の奥殿へしのび入り、奪えとったるお血脈の御印、これせえあれば大願成就」とかたじけなしとの科白と芝居掛った大見えを切って捧いたら、そのまま極楽へと行っちまった・・。

・・カツゾーは、江戸で寄席にも通っていた。噺家が落語をすらすら語れるように、彼も、幻住庵の記をすらすら語るすべを覚えた。

・・「お血脈」は、なぜか強くカツゾーの心を揺さぶった。善光寺というものを、強く意識しはじめたのは、この時かもしれない。

508秋魚:2015/04/07(火) 18:17:25
(無題)
・・自転車に空気をいれたら、前輪の一部が膨れてきた。昨年末バーストしたタイヤの修繕が失敗してるのがわかった。チューブは交換すればよい。タイヤのバースト部分はクリアファイルを切って両面テープで裏から貼り付ける。これが最良の方法。・・手元にあった両面テープで張ってみたが、どうもうまく張り付かない。それでも強引に当てた修繕だったが、ファイルが滑ってキズを塞がなかったようだ。あれから何度か遠乗りもしたが、よくパンクせずもったものだ。・・再修繕しなければならない。タイヤ外しもまだ馴れていない。今度は強力な両面テープを買って用意した。このテープ選びも迷いに迷った。ゴムには着かないものが多い。木、ガラス、プラスチックに有効というのを選んだ。タイヤをどう捉えたらよいのか。表はゴムだが裏は布状のゴムか(?)布に有効というのもあったが。・・前輪を外し、キズのある部分あたりだけチューブを引き出した。タイヤのリムからの外し方は今回スムーズにいった。やはりクリアファイルがずれていましたね。これではダメです。このファイルはそのまま再利用。実際両面テープを使うと、やけに分厚い。これがまた心配の種になった。ともかく、装着しチューブとタイヤをもとにもどし空気を入れてみた。お、今度はいいか。タイヤの脹らみは消えた。

・・仏子アミーゴのアート祭りにでかけた。
小曽木街道から、県道は165かな?ここに折れてまっすぐ。すぐに岩井堂観音がある。成木川と入間川の合流する淵あたり。切り立った岩場。ここの大きな岩の上からは、富士が見えるという。いつもまったく人影がない。ここの観音像はなんと継体天皇の時に奉られたらしい。一度川淵まで下りたが、湧き水のある沢とか、竜宮の洞があるとか、ともかく深秘このうえない。こわいくらいだ。・・さてここを過ぎて、安須。万葉の東歌があった。駿河台大学がこんなところにあって、川までの敷地が桜満開の公園になっている。ここも過ぎて、仏子は近い。車はさほど多くはないが、スピードははやい。後ろからくるのには気をつけねば。・・しかし馴れた物だ。修羅場をいくつくぐってきたか。

・・会場は、近くの子ども連れがいっぱい。個々の子どもを見ると、贔屓しそうで、何人かまとめてみる。あるいは、大人を見る。若い人もいますね。女性は若いとみな美人にみえる。若くなくても写真にとると美人にみえる。・・桜の木の下で、野外演奏会があった。フルート、チェロ、キーボード。プロの方たちのようで、大サービス。・・moon riverなんて、どうも定番のようです。さくら、さくら、とか。思い切り音階を高めるのは、演歌のこぶしの様で、音楽のことはよくわからないけど、なぜかせつなくなるのは、どこにいても変わらない。ただの抑揚の問題かしら?・・永遠の、なんとか。

509秋魚:2015/04/12(日) 16:01:08
(無題)
・・春なのに雪が降ったり、花冷えの日がつづく。きょうは晴れるでしょう。高尾まで自転車を走らせ、多摩森林科学園を訪ねることにした。250種、1500本の桜の木があるという。ソメイヨシノはもう散っているだろう。これからの桜もあるだろう。

・・高尾まで一度試みている。あまり走りたくない道だ。戦国時代青梅の三田氏が八王子の北条氏に攻め込まれたという街道だ。秋川にでるに何度か走っている。千代鶴の酒蔵がある。この滝山街道をどこまでもいけばいいものと記憶違いしていた。秋川を渡り、サマーランドが見える。戸吹トンネルを抜けて最初の十字路で右折が正解だったが、迂闊にも直進してしまった。前回の記憶とどうもおかしい。・・あるていど進んでついに人に道を尋ねた。困った時は見境なくヘルプする。実はひそかに人相はたしかめている。若い女性にたずねたがよく知りませんということだった。次に、家の前で車の手入れしてた人。おじさんで恐そうだったが、尋ねてみると、懇切丁寧な応対だった。まあ、地理をよく知ってる人ですね。同じ道をもどるの癪だからちょいと遠回りだがここを右折、右折を繰り返し、高尾街道にでる道をとった。滝山街道では、約十キロほど余計になるそうだ。道自体はわるくない。もうひとつ秋川街道にぶつかる。この街道をつかう手もあるのか。ともかく高尾街道にでることだ。何回か人にたずねてやっと街道にでた。ここまで来ればあとは直進するのみ。景色も見覚えがある。・・道を間違えたが、二度目はほんとに楽だ。・・JR高尾の駅に着く前に、森林科学園の入口にぶつかった。ハイキング姿の人が行列で歩いている。駐車場は無いということだったが、駐輪場はわずかにある。朝八時にでて二時間ほどで着いた。自転車バーストの再修理して試し乗りというのもあった。実はこれは完璧だった。あれくらいのバーストでタイヤ交換はないだろう。高尾までももう恐くない。自転車を置いて入園チケットを買った。4百yen。

・・多摩森林科学園。桜保存林だけで8ヘクタールあるという。ほかにいろいろ樹木が。昆虫、野鳥、動物もいる。めずらしい木があって今回は眺めるだけ。桜も250種あっても、照合はほどほどに。頭を疲れさせたくなかった。桜が、わっと咲くの、実はあまり好きでない。花の出会いが陳腐だ。思わぬ出会いというのがいつもいい。人もだが。・・ともかくこの桜園は多くの人とまわることにした。みないいカメラをもっている。ゆったりと。わたしは少しせっかちに。皆弁当持参。さらっとまわって、京王高尾の駅までいくことにした。

・・実は、きょうは、気分がいい。井月編「俳諧三部集」という本が手に入った。「越後獅子」「家づと集」「余波の水くき」。こういっても知らない人がほとんどだろう。こういうのライフワークというのでしょうね。涙がでる。

・・京王高尾山口。休日だけあって、人の出が多い。森林園は、お年寄りが多かった。歩くのかなり大変なはずだが。でも、あれくらい歩けなくてはね。・・高尾山は、どうだろう。ミシュランの評価で星三つとか。外人がけっこう出てる。よく地方から東京に出てる人で、高尾山も登ったことない人いるが、どうでしょう。富士山に登らなくても、高尾山くらいは登るものだと思うが。高尾の横、甲州街道をいくサイクリストが多い。国立にいた時はここをめざして自分も何度かきた。神奈川にぬける大垂水峠というのがある。相模湖にでて藤野、上の原、猿橋、大月。・・都留にゆくのが目標だった。ヒルクライムは初級らしかった。青梅から高尾にきて、大垂水峠を越える気はあまりしない。まあ、高尾には楽勝で来れそうですね。・・紅葉やという蕎麦屋にはいって、天ぷら蕎麦とビールをとった。いやー、人が多い。

510秋魚:2015/04/13(月) 20:44:11
(無題)
・・「越後獅子」にのる江戸の俳人。何人かは調べがつく。日本橋とか江戸街中で職を得ているものが多い。井月が江戸にでてるとして、芭蕉ゆかりの場所はすべて訪ねているだろう。芭蕉庵周辺、臨川寺はきっとだが、痕跡はない。江戸の周辺から顔をだしてるものと意気投合すればそのものの家にも訪ねただろう。将軍様のいる江戸城とか長岡藩の武家屋敷とか顔はだしていてもおそらく無縁と決めただろう。
・・それにしても、関為山とは。桜井梅室の門人という。梅室もあちこち漂流する俳人だ。
芭蕉百年忌というのは1794年。この年各地で記念すべき集いがあった。井月はまだ生まれていない。百五十年忌はどうか。1844年。井月22歳

>・・西馬が、高崎清水寺の石段下に「芭蕉句碑」を建てた天保十三年(1842)という年には、大きな意味があったようです。

同じ年に、芭蕉の生まれ故郷・伊賀上野の「愛染院」(遍光山願成寺)では、盛大な芭蕉追善供養が行われています。

翌年の天保十四年(1843)には、芭蕉が眠る江州粟津の「義仲寺」(ぎちゅうじ)で、芭蕉の百五十年忌という大イベントが予定されていました。

・・高尾の帰りに千代鶴の酒蔵に寄った。上撰辛口を一本買った。インド産ピクルスの壜詰めが安く出ていた。酒を飲みつつこのピクルス、チリ入りとあってつんと来る。美味い。・・千代鶴は普通上撰がいつも美味い。

・・芭蕉百年忌は、あちこちである。まさにモニュメント。

511秋魚:2015/04/16(木) 20:01:32
(無題)
・・両国の回向院には訪ねたことがある。鼠小僧次郎吉の墓があるという。天下の大罪人など捕らえられたら首を切ってさらし首というのがよくある。その後はどうなるのかおそらく墓などはつくってもらえまい。この回向院は一風変わった気がある。時代がすすんで犬とか猫とかペットが大もてだ。人間の性格の悪さがはびこるからか、口の聞けないペットにこの上ない心情を抱くような人が増える。で、その愛犬、愛猫が死んでしまうと、わがはらからわが子のように死を供養する。そういうペットのお墓、供養塔がたくさんあるお寺?

>・・回向院では朝・夕の勤行において、明暦大火等の無縁供養をはじめ、ありとあらゆる
生命の供養をしています。

・・ありとあらゆる生命の供養ということらしい。

・・回向院において、善光寺出開帳というのが江戸の頃よりよく執り行われた。

・・幕末期の一連の大地震の勃発をみてみる。wikiより。


安政以前
1847年5月8日(弘化4年3月24日)- 善光寺地震。
1853年3月11日(嘉永6年2月2日)- 小田原地震。
1853年7月8日(嘉永6年6月3日)- ペリー来航。浦賀沖。
1853年8月22日(嘉永6年7月18日)- プチャーチン来航。長崎。

安政年間
1854年3月31日(嘉永7年3月3日)- 日米和親条約締結。
1854年5月2日(嘉永7年4月6日)- 京都大火。禁裏より出火、炎上。
1854年5月17日-(嘉永7年4月21日-)- 下田了仙寺対談。ペリーと幕府側との通貨交換率の交渉。
1854年7月9日(嘉永7年6月15日)- 伊賀上野地震。
1854年12月23日(嘉永7年11月4日)- 安政東海地震(巨大地震)。津波でディアナ号遭難。
1854年12月24日(嘉永7年11月5日)- 安政南海地震(巨大地震)。
1854年12月26日(嘉永7年11月7日)- 豊予海峡地震。

1855年1月15日(安政元年11月27日)- 安政に改元。曳航中ディアナ号座礁。4日後に沈没。
1855年2月7日(安政元年12月21日)- 日露和親条約締結。
1855年3月18日(安政2年2月1日)- 飛騨地震。
1855年9月13日(安政2年8月3日)- 陸前で地震。
1855年11月7日(安政2年9月28日)- 遠州灘で地震。東海地震の最大余震。
1855年11月11日(安政2年10月2日)- 安政江戸地震。藤田東湖・戸田蓬軒圧死。
1856年8月21日(安政3年7月21日)- ハリス下田に総領事として着任。
1856年8月23日(安政3年7月23日)- 安政八戸沖地震(巨大地震)
1856年10月7日(安政3年9月9日)- 下田御用所にてハリスと幕府側との通貨交換率の交渉。
1856年11月4日(安政3年10月7日)- 江戸で地震。
1857年7月14日(安政4年閏5月23日)- 駿河で地震。
1857年10月12日(安政4年8月25日)- 伊予・安芸で地震(芸予地震[28])。
1857年12月20日(安政4年11月5日)- 吉田松陰が松下村塾を引き継ぐ。
1858年4月9日(安政5年2月26日)- 飛越地震。
1858年7月8日(安政5年5月28日)- 八戸沖で地震。
1858年7月29日(安政5年6月19日)- 日米修好通商条約締結。続いて蘭、露、英、仏と五カ国条約。
1858年10月11日-(安政5年9月5日-)- 安政の大獄が始まる。
1859年1月5日(安政5年12月2日)- 石見で地震。
1859年7月1日(安政6年6月2日)- 横浜港・函館港・長崎港開港。幕末の通貨問題。
1859年10月4日(安政6年9月9日)- 石見で地震。
1860年3月24日(安政7年3月3日)- 桜田門外の変。井伊直弼が暗殺される。


・・これで、井月の居場所をさぐるも一興か。

512秋魚:2015/04/18(土) 18:34:11
(無題)
・・もうひとつの秘境、奥多摩日原街道奥にある鍾乳洞まで遠乗りにでた。はじめて奥多摩に来た時、御岳より先、鳩ノ巣とか白丸とか奥多摩駅までも、とても自転車はむつかしい気がしたものだ。何故って、道が細い上に大型車がよく来る。おまけにライダーが群れをなして登ってくる。休日は観光ドライブで車がびゅんびゅん。そうそう通い道はやりたくない。・・その先は別天地の秘境ではある。

・・御岳から川井まで、歩道がなく、車、ライダーがまとめて来たときは、一時停止してやりすごす戦術にした。信号待ちで、一群されば次の一群までは道路は空になる。何度走っても、白丸、奥多摩駅までは、気を抜けない。休日、朝八時から九時までは、まったくせわしない。奥多摩の天気よい休日はどんなものか、興味本位もあった。・・なんとか一時間30分ほどで奥多摩駅に着いた。昔と比べると、一時間は短縮された。・・問題は、はじめてたどる日原街道。日原川という川沿いの道になる。が、多くの車は青梅街道をそのまま直進、湖の方へといく。日原街道は、細くはなるが急に空き空きの道になる。登り道だが、スロープはゆるい。景色もいいし、これは正解。いいポタリングになった。青梅街道の分岐点からおよそ12kmもいけば、鍾乳洞までいけるだろう。結果的に、時間も一時間ちょっとで到達できた。日原トンネルという暗くて細くて長いトンネルが難関と聞いていた。1017mくらい。これは実際2車線で歩道もあった。これなら楽勝。サイクリストの中では秘境でむずかしい道と聞いてはいたが、どうということはない。人気がなくて車も人も少なくていい。

・・この奥、やはり昔から石灰をとったり、チャートを砕いたり、山をつぶしてる景がよく見られる。都心に住んでるとまったくわからない。コンクリートジャングルなどというのが、流行ったときもあった。いったい石灰はある種海の化石だが、どこから採って来るのか。都市つくりは止むことがない。山をつぶしているとは思わなかった。山のひとつやふたつという考えもあるだろう。しかし現場を実際見てみるとなんともおぞましいというか、これから向かう鍾乳洞などは、天然の石灰の秘蹟で、こればかりはさすがに保存しているけれど、どうもちぐはぐな景観はいなめない。

・・さて、せっかく来たので、鍾乳洞を見ていくことにした。要するに、洞窟ですね。すぐ近くの神社は、一石山神社という。ここらの守り神か。開創は、文武天皇時の役の行者(小角)。空海なんかもここに篭もって学問をしたというが、ほんとかしら。

・・やはり、人気があるのか、外人などもいて人がだんだん増えてきた。入口を入ると、気温がぐっと冷えて凍えそう。体を動かせて、どんどん進めば体はなんとか熱くなる。頭をあげると打つかりそうで大きな洞にでるまでトンネルをゆくよう。地獄谷というのもある。三途の河だとか。・・これは胎内くぐりではないか。水琴窟というのもある。これはどこかの温泉にもあって、湯につかりながら音色を楽しんだこともあって、気に入っている。・・迷宮。クレタにあるラビリンスもこのようか。外にでたくなった。

・・行きはアップのスロープでけっこう疲れたが、帰りは楽だ。これなら40分くらいで奥多摩駅までもどれそう。はじめ予想したより遙かに快適なサイクリングになった。もえぎの湯によってそれこそ瞑想でもしてみたい。いやビールを飲みたい。・・この先の雲取山にいつか登ってみたい。駅の案内所で情報をもらうことにした。雲取は日帰りはどうか。バスの運行を教えてくれたが、麓までは自転車ですね。自転車+徒歩。これが一番のエコライフ。

・・もえぎの湯。12時についてしまった。二時以降になるとハイカーがぐっと多くなるという。ここもあたりで、やや透いている。・・ここの温泉、とても気に入ってる。忘れた頃に来ると、感動もひとしお。

513秋魚:2015/04/19(日) 19:19:05
(無題)
常盤

・・(義経)都を落ちたのちの文治2年(1186年)6月6日、常盤は京都の一条河崎観音堂(京の東北、鴨川西岸の感応寺)の辺りで義経の妹と共に鎌倉方に捕らわれている。
・・
・・常盤について、その後の詳細は不明である。侍女と共に義経を追いかけたという伝承もあり、常盤の墓とされるものは岐阜県関ケ原町、群馬県前橋市、鹿児島県郡山町(現鹿児島市)、埼玉県飯能市と各所にある。さらに、飯能市に隣接する東京都青梅市成木の最奥部、常盤の地には常盤が人目を避けて一時隠れ住まわされたという伝承があり、地名は常盤御前に因むと伝えられる。

・・隅田川をたどって入間川、成木川をずっと遡ると、青梅と飯能の境になる。水源は黒山にある。成木川というのはいくども辿っているが、渓流のこころよい川だ。入間川に合流するあたり、岩井堂観音のたたずまいはうれしいもの。昔ここの観音像が隅田川の浅草寺に流れている。・・黒山というのは、未知だ。軍畑から、鎌倉街道というのがあって、小沢峠を越えて名栗の方へと道がある。この小沢峠の上が黒山らしい。やたらとアップダウンがあって、最初はただの田舎道かとみえたが、そうでもないらしい。小沢トンネルの手前で、道が分岐、そこにちょうどお蕎麦やさんがある。以前来た時はここによってあいにく休みであったが、いろいろ話を聞けた。分岐の左の道をいくと、成木川沿いだが、ずっと黒山に向かうらしい。・・これが常盤林道という。義経の母常盤御前が、一時、住まわれた土地という。これは知らなかった。なつかしい隠れ里。・・

・・ところで、「常盤屋之句合」という芭蕉の俳文がある。常盤屋というのは、八百屋のことらしいが。杉風の序に、

「・・鯛のなる木の櫻咲いて、鮒は紅葉をあらそふといへども、青物の青々と四時全き常盤の陰に、ひとり其味の浅く水くさきを愛す。」

・・野菜讃ということらしい。

 おもしろいので、第一番を載せてみる。

 第一番

 左勝
 草すでに八百屋の軒に芳し

 右
 今引も小松がはらのはたな哉

・・左の芳草、八百屋の軒に梅をあらそひ、鶯菜にも初音まちたる心地するに、はた野の原の若菜にすがりて、子の日の松を引添たるもめでたく侍れども、先八百屋の草のかうばしきに心とゞまり侍る。
仍以左為勝。

 * 小松引は、正月初の子の日に、野に出て小松を引き千代を祝った古俗。
 * 若菜 正月初の子の日に、縁起を祝って食膳に上せる菜。春の七種の類。

・・勝とした左が、必ずしも優秀というわけではない。右の今あっての左のすでに。


・・常盤が、成木川の水源近く隠れ住んだというのは、想像するに、もっともらしく思える。

「・・蘭は深山幽谷に自生し、趣が有ることから幽谷佳人と名づけられたそうです。」


・・第十一番

 左持
 女とや茄子。はがくれに打かたぶける姿

 右
 山賤の垣ほのさゝげともよめるや

・・己が葉がくれに、打かたぶける茄子の君、むらさき式部が娘にや。わかむらさきのゆかりにや。いか成るものゝ妻となり、いづれの人のよめとやならん、なつかし。右の句も又、山賤の垣ほにはへる青さゝげ人はくれども言伝もなしとよめるは、古今集寵どのゝ下女のよみたるうた成べし。いづれかおかしく、いづれか哀ふかゝらん。

514秋魚:2015/04/22(水) 19:37:59
(無題)
「天和2年(1682年)の12月28日、駒込の大円寺を火元とする大火が発生し、火は折からの北風にあおられ深川まで燃え広がった。」

「深川の草庵急火にかこまれ、潮にひたり、苫をかづきて、煙のうちに生きのびけん、これぞ玉の緒のはかなき初めなり」

「八百屋お七(やおやおしち、寛文8年(1668年)? -天和3年3月28日(1683年4月24日)、生年・命日に関して諸説ある)は、江戸時代前期、江戸本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる少女である。」

・・井原西鶴『好色五人女』巻四「恋草からげし八百屋物語」[編集]

・・井原西鶴『好色五人女』はお七の事件のわずか3年後に出版され、自ら積極的に恋愛行動に移る町娘という、それまでの日本文学史上画期的な女性像を描き、お七の原典として名高い。

・・(あらすじ)師走28日の江戸の火事で本郷の八百屋八兵衛の一家は焼けだされ、駒込吉祥寺に避難する。避難生活の中で寺小姓小野川吉三郎の指に刺さったとげを抜いてやったことが縁で、お七と吉三郎はお互いを意識するが、時節を得ずに時間がたっていく。正月15日、寺の僧達が葬いに出かけて寺の人数が少なくなる。折りしも雷がなり、女たちは恐れるが、寺の人数が少なくなった今夜が吉三郎の部屋に忍び込む機会だと思ったお七は他人に構われたくないゆえに強がりを言い他の女たちに憎まれる。その夜、お七は吉三郎の部屋をこっそり訪れる。訳知りの下女に吉三郎の部屋を教えてもらい、吉三郎の部屋にいた小坊主を物をくれてやるからとなだめすかして、やっとお七は吉三郎と2人きりになる。ふたりは『吉三郎せつなく「わたくしは十六になります」といえば、お七「わたくしも十六になります」といえば、吉三郎かさねて「長老様が怖や」という。「おれも長老様は怖し」という。』という西鶴が「なんとも此恋はじめもどかし」というように十六歳の恋らしい初々しい契りだった。翌朝吉三郎といるところを母に見つかり引き立てられる。八百屋の新宅が完成しお七一家は本郷に帰る。ふたりは会えなくなるが、ある雪の日、吉三郎は松露・土筆売りに変装して八百屋を訪ね、雪の為帰れなくなったと土間に泊まる。折りしも親戚の子の誕生の知らせで両親が出かける。両親が出かけた後でお七は土間で寝ている松露・土筆売りが実は吉三郎だと気が付いて部屋に上げ、存分に語ろうとするが、そこに親が帰宅。吉三郎を自分の部屋に隠し、隣室に寝る両親に気がつかれないようにお七の部屋でふたりは筆談で恋を語る。こののちになかなか会えぬ吉三郎の事を思いつめたお七は、家が火事になればまた吉三郎がいる寺にいけると思い火付けをするが[注 6]、近所の人がすぐに気が付き、ぼやで消し止められる。その場にいたお七は問い詰められて自白し捕縛され、市中引き回しの上火あぶりになる。吉三郎はこのとき病の床にありお七の出来事を知らない。お七の死後100日に吉三郎は起きれるようになり、真新しい卒塔婆にお七の名を見つけて悲しみ自害しようとするが、お七の両親や人々に説得されて吉三郎は出家し、お七の霊を供養する[17]。

515秋魚:2015/04/25(土) 16:56:40
(無題)
・・きょうは晴れてはいるが曇りがち。野山の情報は待っていても何もない。街中から外れて藤橋、霞川、岩蔵街道、薬王寺。青梅の東北東はとても落ち着いている。ママチャリで出かけた。近場なのでipodriderを決め込んだ。藤橋という地名は品がある。御岳ののめこんこんにゃくの女店主が藤橋に住んでいると聞いたばかり。美人だそうだ。ここのさしみこんにゃくは絶品である。ほんとに。御岳にいったらぜひ買うとよい。・・霞丘陵の手前の平地をぬうように流れる霞川。これに沿って自転車の走れる道がある。線路や街道沿いの街並を外れると、急にひろびろした田園風景が広がる。ここを流れる霞川を知ったのもつい先日。水くきの匂いがする。途中カメラをかまえて人が二三。カワセミがでるという。じっと待つのだそうだ。カモとか鯉とかもゆったり。ここをすぎて岩蔵街道をこえ、山の端に向かえば、躑躅の咲く薬王寺は近い。ここらは散歩にでるだけでも気分がいい。
・・参道の下で、無人の野菜売り場があった。じゃがいも、さといも、ネギ、こまつな、エシャレット、あと鉢植えの観葉植物とかすべて百円。・・ちらっと寄って帰りに買うことにした。

・・群雲がときおり通り過ぎ、ぱらぱら雨がきた。天気雨は狐の嫁入りというのだそうだ。薬王寺は青梅の外れにあって、人はさほど多くはない。開創は法相宗の僧で、奈良から聖徳太子お手つくりの薬師菩薩像を運んだという。いまは、真言宗豊山派のお寺。鐘つき堂の門があってめずらしい。・・いやー、ちょうどいい花盛り。来て見なければわからない。日差しの加減が不安定だが、こういうやや曇りの花見も趣がある。

516秋魚:2015/04/26(日) 20:19:39
(無題)
・・きょうはすごかった。感動の一日。わたしのいる青梅から隣の飯能には何度か入った。飯能の田舎の人は、見知らぬ人でも会うとこんにちわと言う。友達も住んでるし心もなごむ。いいところだが、きょうはこの先の秩父へ入るのを試みた。以前いった正丸峠は飯能と秩父の境になる。多くのライダーの目標とされる峠だ。峠で会った人と話したが、入間から来たとか、自分の知らない土地の人と話すとそれだけで感動したものだった。・・例によって小曽木街道から美杉台へ向かい、その先は西武線飯能駅になる。時間がかかるのを見越して6時半に家をでた。一時間くらいで飯能駅についた。電車に乗るわけでなくこの駅は目標ではない。秩父へ入る道をだれかに聞こうと思った。交番もないし朝まだはやい。客待ちのタクシーの運転手に声をかけた。道路のことはよく知ってるはず。わざわざ車から降りてきてまあ親切なこと。ほんとにわかりやすく答えてくれた。299をとって秩父まで、50キロはあるよ。ということだった。アップダウンもきびしいといった。ここでは聞き損ねたが、山がある。この山越えをトンネルを使うか、正丸峠に迂回するか。これが問題だった。正丸トンネルは約2キロあって自転車歩行者には危険というのを聞いていた。

・・自転車のツーリング。自動車、鉄道とかの旅というのとちょっと違うのは、目的地までのプロセスがまったく出来事多く、感動多く、うまいひとなら一篇の小説を書けるでしょう。ロードムーヴィーというのもありうる。ただし、他人はおもしろくもないでしょうね。・・今回の目標は、この正丸トンネルと秩父黒谷の和銅遺跡が本命だった。

・・飯能の美杉台について。実はおもしろい話があったのですが、スルーしてしまいました。美杉台を通過するに、川をふたつ越えます。ひとつ目は成木川、ふたつ目は入間川。・・成木川のなんて美しい川なのでしょう。ほんとに美しい。(最初の感動)・・美杉台については、帰路交番の巡査に聞いた笑い話です。訴訟があるやも知れず割愛。

・・それより、正丸トンネル。飯能から吾野を通って正丸の駅まで、けっこうな距離です。爺さんばあさんにも聞きましたが、たまたま出会った巡査に聞くと、トンネルはもともと自転車が通るようには作ってないとのこと。秩父にゆくには、峠に一度上り、そこを下るとトンネルの向こうに着きます。標識でも、危険と書いてある。・・けっきょくこれでびびって、峠上りをすることにしました。

・・時間とエネルギーの節約でトンネルを選ぶのを、はじめは考えていました。トンネル手前から正丸峠頂上を目指す道、未経験です。よいチャンスかと。上のほうで猿とか鹿とか出会う話も聞いてますから。登りはじめたらそれほど急ではありません。いろはのだんだらですね。4キロほどあって、ただし半分は足着きになりました。猿とか鹿とかは出会いませんでしたが、なんとか頂上へ。・・大変でしたが、次の下りはほんとに楽ちんでした。これもけっこう長い距離で、帰りはどうするか、最後まで悩みの種になりました。(帰路はけっきょくトンネル通過を決意!)

・・ずっといって、芦が久保というところに出て人も車もたくさんでした。果樹園があるらしい。その程度で人が集まるものかと思いましたが、なんと、観光案内所がある!今回はほとんど調べがなかったため、オアシスへ向かう心境でした。すると期待したとおり、大変意気のいいお姉さんがまったく親切いっぱいに教えてくれ、ガイドブックもらえました。案内所のちょっと出たところにバイクを横においてまたえらく美貌でかっこいいお姉さんが、ジュースを飲んでました。女性のバイクライダー時々見ます。ひとりで走ってるのはあまりみません。あんまり格好いいので、どこから来たの?入間です。稲葉真弓にちょっと似てました。あの人も昔バイクに乗ってた様です。わたしは青梅です。外れの今井とか金子とかいきますよ。すこし接点がありましたが、チャリダーとつるむ訳にはいかないでしょう。じゃーね、といって別れましたが、写真を一枚撮らせてもらうべきでしたね。ほんと格好いいお姉さん。

・・このお姉さんから正丸トンネルの情報すこしもらっていました。自転車で通る人もいるとか。これが最後の勇気になりましたが。・・いまは和銅遺跡にむかいます。案内所のお姉さんに聞いたとおり、299を直進し秩父の駅に出る前に県道を右折、そのまま20分ほど直進。いいかげん黒谷の遺跡が近いとは思ったがまだなかなかです。たまらず自動車修理工場らしきで尋ねてみることに。小暗い中で作業をしてるおじさん(若い人ではない)、仕事中でわるいとは思ったが声をかけると、にこにこ出てきて事務所に来なさい。紙に書いてあげます。・・こっちもあまりヒマがないけど、話を聞かざるを得ません。・・で、温泉と遺跡までの地図を書いてくれました。実はこの地図だいぶ間違いが多かったのです。・・ともかく、涙がでるほどお礼をいって、黒谷にむかいました。交通量も多くあまりいい道ではありません。秩父は芝桜が盛りとか、花見客がたくさんでした。

・・和銅遺跡の入口に聖神社があります。このところ神社に寄ること多く、必ず賽銭と願い事をしています。この願い事いつも同じですけど、通じているかな。・・

ここから遺跡、708年に天然のあかがねが発見され、奈良の朝廷に献上されたという、露天掘り跡に向かう道は、なつかしいいつか来た道のよう。

・・羊太夫というのは、この地から奈良まであかがねを運んだ人をいうようです。高崎の多胡碑にある羊というのは、この羊太夫のことかもしれません。

「・・上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新しい郡を作り、羊に支配を任せる。」

・・もう12時をまわってる。朝出発してから6時間は自転車に。正丸峠の登りは予定外だった。黒谷の和銅遺跡でも、露天掘りまでは坂道をだいぶ歩いた。街道は、ライダーがめちゃ多い。休日でマイカーの出も多い。いったい埼玉の街道は車が多いので有名だ。水は、やはり貴重だった。クッキーバー一本で食は充分。ただ、油切れですね。いいかげん温泉で休みたくなった。

・・和どうの湯。旅館だが日帰りができるというのでチェックしていた。遺跡からすこし街道をバック、道路向こうにあった。温泉は鉱泉という。おしゃれな旅館のようで、放浪者のようないでたちで、すこし気が引けたが、それは何でもないのはわかっていた。・・見知らぬ土地では、いっさい客人でとおるはず。・・食事はとれないが、温泉はどうぞ。受付お嬢は新米らしいも美形で愛想がいい。うれしくなった。・・支払いを済ませて湯にむかう。昼過ぎで宿の客はほとんどいない。一般客も自分だけ。まったく貸切り湯になった。・・鉱泉というのは、ぬるみもなく表面上は白湯とかわらない。ここは薬師の湯というふれこみだ。この温泉効果は、実は、帰宅してはじめてすばらしいのがわかった。・・ともかくうれしい休息になった。

・・帰りの受付でお礼をいい、さらに食事どころの情報と、飯能へ帰るほかの道はないかと尋ねた。けっきょく寄居からかなり大回りになり299しかないということでした。・・蕎麦とビールをとりたくて、街道を物色しながらいくと、すぐ近くに和どう蕎麦というのがある。もうここに決めて店にはいると、客がいっぱい。注文取りの女性が座敷を案内してくれた。おおかた、車できていてビールの注文は
あまりないのか、お車ですかと聞かれることが多いのに、OKでした。自転車ですが徒歩同然ですから。ここの配膳嬢はなんか注文はぜんぶ暗記、ひとりで全部やってるから、働き者ですね。忙しすぎて愛想がないと思いきや、遅くなってすみませんね。と大きな愛想の声でした。もう○十年若かったら嫁にしたい感じでしたね。

・・さて、いよいよ帰路。足が回らないというのでもない。ただ峠のヒルクライムは、どうか。ともかく299で正丸トンネルの入口までは行かねば。・・武甲山というごつごつした兜のような山が正面にみえる。ときおりライダーの一群が爆音をあげて通り過ぎる。緊張の連続でこういうのもなつかしい風景。峠に向かう道は、ややアップ。・・そうこうしてるうち、トンネル前に着きました。もう決めていてそのままトンネルに直行。車道の端にすこし段差をつけて猫のひたいほどの歩道(?)がある。ここを通るしかない。転落をおそれて足つきでゆくと2キロは長い。かえって危険。綱渡り、薄氷をふむ思いで、自転車を走らせた。車はひっきりなし、よろけて転落はまず命取り。最高に緊張です。途中水で濡れてぬかるみのあるところも。一時停止。・・半分以上すすんでやっと出口の明りがみえてきた。あとすこし、あぶないあぶない、あとすこし、叫びながら、進んだ。 やっと、抜けた。

517秋魚:2015/04/30(木) 19:30:25
(無題)
・・1793年、芭蕉翁百回忌。全国で華々しく営まれた中でも、本丸は、義仲寺であろう。五升庵蝶夢がしきった。

・・
1786 天明6年、『芭蕉翁俳諧集』(蝶夢編)刊。
1788 天明8年2月26日、木姿を伴い中山道を江戸に下る。重厚とともに江戸に滞在。『富士美行脚』
   同年4月9日から加舎白雄は海晏寺で芭蕉百回忌繰上げ法要を行い、蝶夢も法要に参加。
1791 寛政3年梅人『続深川集』刊。蝶夢序。
   同年粟津文庫創設。
1792 寛政4年、『芭蕉翁絵詞伝』完成。
1793 寛政5年、芭蕉百回忌法要を営む。
1794 寛政6年、五升庵の号を瓦全に譲る。
1796 寛政7年12月24日、64歳で没。

・・晩年の十年、芭蕉百回忌に向けた生涯の仕事だとわかる。

・・カツゾーの放浪の地平。蕉翁の旅の軌跡を追う。これは弟子のだれかれもやるし、もっとも通俗な想像力だろう。というか、想像がまったくはたらかない時、せっぱつまった時に選択する道だろう。最初の出奔はおそらく越後から山形の方へ向かった。奥の細道を逆コースで歩いた。象潟にもいってるはずです。昔の光景をとどめていなくてもいいのです。たぶん、足早に。東北を大きく迂回して江戸に入った。東北を歩いた痕跡は無くてもいいのです。

・・蕉翁のモニュメントがもっとも見えやすいのは、芭蕉百回忌(1793年)。これはまったく辺鄙な場所でも案内があれば向かったと思います。特に江戸滞在中は。でも、江戸で何をしていたのでしょうね。

・・俳諧三部集「越後獅子」に載る江戸の俳人たち。・・卓郎、不染、春湖、為山、氷壷、見外・・
カツゾーの江戸の消息は、必ずしもこれらの俳人に会うためではなかったはず。正風が第一義。芭蕉のモニュメントには、まず一度は参学しているだろう。・・深川芭蕉庵、臨川寺・・回向院はどうでしょう。これはカツゾー固有の思惑とは思いますが。


貞享四卯の年、春も彌生の空長閑に、うち霞みたる夕暮ならし

 花の雲鐘は上野か浅草か

 観音のいらかみやりつ花の雲

「かねは上野か浅艸か」と聞えし前の年の春吟也。尤(もつとも)病起の眺望成べし。一聯二句の格也。句ヲ呼テ句とす。『末若葉』(其角編)



・・「鐘は上野か浅草か」とは「上野東叡山寛永寺の鐘か、浅草浅草寺の鐘か。」ということなら、たぶん寛永寺、浅草寺の方にも足を伸ばしただろう。・・「花の雲、雲の花」という入間ことばを知っていたら、隅田川もずっと遡ったと思われます。入間川の方へ。

・・ 「毘沙門堂の花盛、四天王の榮花もこれにはいかでまさるべき。うへなる黒谷、下河原、むかし遍昭僧正のうき世をいとひし花頂山、わしのみやまの花の色、枯にし鶴の林まで、思ひられてあはれ也。」 『俳諧一葉集』


 観音の甍見やりつはなの雲

   【元慶寺】
京都市山科(やましな)区北花山河原町にある天台宗の寺。山号は華頂山。陽成天皇の出産に際して、貞観11年(869)遍昭が開創。後年、藤原兼家らの策謀によって、花山天皇はこの寺で出家した。花山寺。がんぎょうじ。

・・貞観11年(869)。陸奥海溝地震。大津波があり、先年の東日本陸奥沖地震にもっとも似たものです。
 「遍昭僧正のうき世をいとひし」に注目。 遍昭、良岑宗貞といいます。         

518秋魚:2015/05/02(土) 19:08:22
(無題)
「 俳聖芭蕉翁の百五十回の遠忌に當れるにあひて、惺庵西馬(せいあん・さいば)兼て追福を営むに社盟数十輩と議り、清水寺内に地を卜して一塚を築り、碑面篆額の贈號は故二條公の粟津の霊室に賜ふ處なり。
今四山これに筆を採、また高韻を書る者は菱湖に聞、清水寺は上毛第一観音の霊場にて洛の清水に景趣等しきと云。
句も亦彼を取てこゝに移す相當れる成べし。
予、この道に遊ふの因を以て一條の来由を祭主の為にしるす。
維時天保十三年龍集壬寅三月 五品多々良大内瀾長」

富処西馬

文化5年(1808年)、高崎田町に生まれる。

 天保4年(1833年)、西馬と号す。

・・

天保13年(1842年)3月、清水寺に芭蕉の句碑を建立。

 観音の甍みやりつはなの雲

・・一年早いが芭蕉翁百五十回忌ということです。

1843年 高崎大火にて母没す。
1844年 奥州行脚に旅立つ。


安政5年(1858年)8月15日、没。51歳。


久米逸淵 > 川村碩布(六気老人。長翠、巣兆、道彦、保吉、春鴻、葛三、虎杖とともに加舎白雄八弟の一人。) >  加舎白雄(1738-1791)「 加舎白雄は与謝蕪村とならび称される江戸中期の俳人、文学史上“天明中興の五傑”に数えられている。」・・明和2年(1765年)、銚子滞在中鳥明に師事

・・松露庵烏明 白井鳥酔門。

「 天明8年(1788年)3月28日、蝶夢は再び烏明を訪ねた。

廿八日、雨天。向井氏の宅に重厚入道おはしますにかたらひ、松露庵を訪ひ、其由師旅館に遊ぶ。」


『富士美行脚』

五升庵蝶夢(1732−1796)  井上井月(1822−1887 )

519秋魚:2015/05/31(日) 08:14:52
(無題)
・・お七みたいのは、バカだバカだとみなになじられてけっきょく罰をうけるのでしょうね。わたしはとってもシンパですが(笑)

・・さて、きょうもよい天気!高水三山にハイキングに出ました。先日いった雷電山は青梅丘陵ハイキングコースの西端。そこから最寄は軍畑駅です。おなじ軍畑から高水三山へ登山道がひらけてます。ここらまで来ると駅に駐輪場がない。前に来た時密かに自転車置き場を見ておきました。駅の手前に小さな踏切があってそのすぐ横の空き地は柚子の木が一本。公園の様でもありますが、だれかの私有地のようでもあります。ここはどうでしょう。・・このあたりまでもう庭のようです。ママチャリでOK。・・海禅寺に寄りました。きのう薬王寺はもう盛りをすぎてまた来年ということでしたが、ここは山の辺だからか、まだ五分咲き程度。咲き様もちょっと違います。・・同じところ二度も三度も来るものでないかもしれません。一期一会といいますから。
・・自転車を置こうと思った空き地、先客のご婦人がひとり水を飲みながら休んでいました。黙って自転車を置くのも失礼と思い、声をかけて話をしました。なんでも千葉の方から友だちと待ち合わせて来るつもりが、相手が電車一本遅れたようです。遠いとこから来ているのですね。高水山はけっこうな登山らしいですよ。自分も未経験なので、ただ聞いていました。・・その後登り始めてわかったのですが、大変な人気の山歩きのようです。登山客がいっぱい。しかも、ほんとに小さな子どもも歩いてる。山の中で何人か5、6才の女の子も見かけました。高水三山は、高水山、岩茸石山、惣岳山の三つを言います。いつだかの皇太子殿下も登ったとか。トレイルランのコースにもなってます。きょうは五月の休日、天気もいいし、みな思うところは同じでしょうか。ほっとします。・・自転車で使う筋肉と山登りで使う筋肉、違うでしょう。自転車でハードに走っていても、山登りが楽にはなりません。・・しかし、今回意外とアップの登りに強いのがわかりました。ぴょんぴょんと跳ねたくなる時もあり。ダメなのは呼吸器系です。気管支が弱いのか変な咳が出ます。杉の木があいかわらず多いのですが、杉が花粉症の大原因というの、ウソだと思います。すこし花粉症の気味が、杉の森にはいるとかえってすーすー通って楽になります。思うにあれは都会の自動車の排気ガスが原因だと思います。・・森林浴といいますから、渓流や滝などあるとマイナスイオンが発生して、たいへん空気の健康はいいと聞いています。

・・さて、高水山の途中までは渓流といっしょでした。そのうちに登りのきついところが続き、おばさん方には応えるのか、時々グチらしきも聞こえてきます。小さい子でもう歩きたくなさそうな子もいました。まだまだ先は長いです。黙々と登るしかありません。・・高水山の頂上手前に常福寺というお寺があります。やっとここまで来ると、門の額文字があり趣のあるよい字でしたが、なんと、それはあの浄月律師のものでした。江戸期、真浄寺の和尚です。きのう訪ねて牡丹の写真をいただいたばかりでした。

 天人も雲ふみ外す花王かな   井月

・・自分の瞑想とは、この一句にはじまり、この一句に回帰しますが、瞑想の想念はことばにしないがいいです。・・ひたすら山を登るのみですから、いまは

・・山を登り始めて分かったのですが、みな靴に服装にまったく登山の準備で来ています。クマが出るという噂もあり、鈴を鳴らして歩く人もいます。それにアイゼン。・・いい装備です。
・・自分は甘く見た訳ではなく、なるべく軽くしたい一念から、小型のリュックひとつ。水とクッキーバー一本。服装は普段着のひと昔前のもの。Tシャツで汗をとりたい。厚着をすると、失敗しそうで、ジャンパーを外せるように。だいぶダサク見えそう。靴は重要ですが、履きつぶすつもりで軽いスニーカー。この靴のおかげで何度かすべりころげそうになりました。みないい登山靴で来ています。高水三山はハイキングではなく、登山だと友人もいってました。・・あとひとつ平衡感覚が、問題でした。自転車でバランスをとるのは馴れています。山道で一二度ひどくよろけたものです。これは酒をのむのが災いしたか。いざというところでは反射神経には自信があります。

・・高水山から岩茸石山というところまで来ました。かわった名前ですね。なんと読むか今でもわかりません。いわたけいしやま、かな?ここは眺めがとてもいいです。・・御岳方面から来た人と軍畑から来た人が山の頂上でもいっしょになります。道中ひとと話すことがあってもむずかしい議論はやめたがいいですね。だれもしていませんけど。・・たまたま休憩中に隣した学生風の人とすこし言葉をかわしました。千葉の人で、ほぼ同郷の人でした。市川の人です。すっかりなつかしくなって、少々たちいった話もしたくなりました。・・ひとつつよく言ったのは、あの土地はつまらないということ。つまらないという内容を説明すると重くなるのでやめました。けど彼も納得していたようです。(アノ土地ハ下手スルト女ノ子ガ自殺シマス)

・・さて、もうひとつ惣岳山に向かいます。この山あまり期待しません。帰路に立ち寄る山くらいな感じでした。どこだか忘れましたが、岩ごつごつあぶない道がいくつかありました。

・・いいとこ眺めたら、もう、下山したくなりました。下りの道ってけっこう嫌なものです。靴がすべりやすくてね。筋肉と骨格にブレーキかけながら、バランスを保ち続けるの、疲れます。御岳に降りて、ビール飲んで休みたいところ。帰路安心してどすんとヘマするの何度かあります。・・あの正丸トンネル思えば、おおかたこわいものありません。これだけ人が多いと、群集の人でしょうね。

・・御岳の駅の近くに出ました。玉川やという手打ち蕎麦やがいいと、聞いてました。で、看板たよりに、店に入りました。下から入ってお二階へどうぞ。で、びっくり。人が行列なして待っている。二十人くらいはいそう。席をもらってる人も、あまり食べてる人はみあたらない。列の一番後ろの人に、これって待ち客ですか?そうです。・・で、笑って、あきらめることにしました。やれやれ。

・・駅にむかっていくと小さな軽食喫茶がありました。人がいないのを幸いここに飛び込みました。おにぎりセットと缶ビールを注文しました。窓際の席から、街道が眺めます。おにぎりは、酒かすとユズを使って、よい味です。ほかにおしんこと緑茶もつきます。上品にまとめてますね。・・そうこうしてお客さんも入ってきました。


 はるたつや新年古き米五升   芭蕉

・・五升庵蝶夢という俳僧がいます。芭蕉の句から「五升」をいただいたそうです。古米の話を雅号にするのは、よくわかりませんでした。・・山登りをして、麓でおにぎりを食べたら、ひらめいて「五升」のこと、理解されました。お愛想しながら、自分も蝶夢さながらかと、・・

520秋魚:2015/05/05(火) 17:50:40
(無題)
・・都留谷村には、自転車でいかねばなるまい。ちと遠い〜なあ。日帰りは無理。高尾までなら90分で出られそう。駅で自転車をたたんで最寄駅まで輪行というのはどうだろう。大月からのルートはあるのか。都留にいったら河口湖は近いのではないか?・・待てよ。輪行なら日帰りもできる。

芭蕉百回忌は、都留でもあった。

円通院境内に芭蕉の句碑がある。

  旅人と我名よはれんはつ時雨  芭蕉

10月12日 嵐雪三世居二代六花庵建立

・・ここは、カツゾーは必ず訪ねたはず。


 青梅の谷野真浄寺はどうだろう。句は刻まれてないが、やはり百年忌。


さくら花梢のしづくおつるより幾世しぐれの名にやふりけむ

                   日野資枝

・・しぐれ桜に自分をみたのは、この真浄寺。


・・

・・いずれにせよ、輪行は憶えねばならない。重い腰をあげるか。


   *

・・善光寺。

ここの本尊も秘仏だそうだ。ただ三尊像らしき、・・釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊かも。

・・善光寺でいま開帳されるのは、前立阿弥陀三尊像。中央に阿弥陀如来、両側に観音、勢至の両菩薩。これを一光三尊仏という。

・・物部守屋が難波の海にすてた三尊像。本田善光がひろいあげて、長野にもち来たらした。最古の本当の本尊だそうです。

・・浅草寺の秘仏本尊は、一寸八分の黄金の観音像。成木川の岩井堂から流れてきたという。

521秋魚:2015/05/06(水) 16:41:15
(無題)
まり様

・・きょうも自転車日和。ここの面白さは並大抵ではない。成木川上流と常盤の地に向かった。街道を外れて多摩川に沿った道をいくつか走り、軍畑あたりまでは庭同然。二三日前に来たばかりだが、新鮮な空気は変わらない。軍畑からアップする坂道をのぼり、最初はほんとに地獄のように感じたものだが、アップがあればダウンもある。あまり苦しくはない。堪えられるという気概があればいい。・・鎌倉街道という、どこが鎌倉かい!それほど田舎だ。スクラップ回収場などあって世の果ての道だ。斎場、老人ホームはさすがにない。・・松ノ木トンネルを越え、小沢峠にむかう手前に成木川にうつかる。ここの分岐を左にいけば常盤林道、右なら小沢トンネルがあって名栗にはいる。きょうはこの分岐にある蕎麦やをたずねた。一年くらい前に訪ねたことがあるのです。店主と話して、もっと早く訪れるべきでした。さすが、忘れてますね。・・実は、常盤が目標です。義経の母堂の香りを追いかけたのです。きょうは。・・成木川の上流というのが、なんともうれしい。

・・ほんとに、うれしい。ここはサイクリストたちの準メッカ。プロの競輪の選手なんかも練習に来ているようだ。ほんとに田舎だと思っているのは、自分だけかもしれない。蕎麦やさんの前にひとりサイクリストが休憩中。つれづれに話しかける。名栗のダムまで行ってきたとか。小沢峠の坂道は大変だったでしょう。下りは楽ですが。・・左の道を知ってますか?いえ、行ってません。いまお蕎麦を注文してるところです。え、それから手打ちでは、時間かかりますね。わたしは黒山の麓まで行くつもり。常盤林道を。では、帰ってくるまでに、お蕎麦を注文しておきましょう。

・・店の主人に会うと、すっかり忘れていますね。ごめんなさい。こっちは来づらいです。常盤を嗅ぎに来ました。・・思うに、常盤がここに流れてきた頃は、もう大変なオバサンだったでしょう。清盛に義経の命乞いをして、一度自分を捨てた。・・その後一度だれかに嫁いだでしょう。京の河崎観音堂で捕らわれたあとも、たぶん、拘束はなかったはず。・・

・・で、お蕎麦を注文して、帰りに寄ります。左手の道。最初は、ほんとにのんびり山里のよう。いつも不思議に思うのは、人が住んでるのかいないのか、とても静かです。成木川に沿って、道はつづきます。もっと下流の美杉台あたりでひどく感動したのが、はずかしく思えるくらい、静かな渓流です。常盤が住んだのは、どのあたりかと思い巡らしながら進みました。サイクリストが来るべきヒルクライムのレースに向けて何人か練習にきているみたいですね。よく出会います。・・先日登った高水山の表参道はすぐ先にありました。皇太子、雅子さまのご成婚一周年くらいに高水山に登られたようで、お蕎麦屋さんにその時の写真が飾られていました。若々しくてお二人ともたいへんすがすがしいです。よくこの山に来られましたね。軍畑からのは裏参道、多摩川からになりますが、ここからだと成木川を見ながらの登山です。このプランニングすばらしいです。途中、岩井堂観音にも立ち寄ったらいうことありません。・・

・・ほんとにアップの坂道。何台もサイクリストがやってくる。こちらは景色をみながらで足つきが多い。・・と、脚立にすわってじっとカメラを据えて見守る人がいる。渓流の上へ。これは、例によってカワセミの飛翔を捉えたいのでしょう。通りがかりで、声をかけてきたのはその人の方。歩いてきたのはアンタだけだよ。自転車に乗らずにきたのを、笑われたようだ。ここはみなヒルクライムの練習道路ということらしい。かれらはそれだが、自分は違う。観光のお散歩ですよ。すこしバカ話をして、騒ぐとカワセミはまったく現れそうに無い。では、いきます。・・その後も坂道はつづく。景色はまったくいい。この道の最終ゴール地点に着くころ、一人のサイクリストが上がってきた。えらい、足つきなしで来た。湧水の水のみ場があって、でも顔と手だけを洗った。かれも一休みして帰路についた途端、バッキと音がした。自転車にアクシデントのよう。・・近寄って聞くと、ディレーラーの付け根が折れたということです。めったにないという。自転車のことは相当詳しそう。でも、最悪という。下りだから下までは大丈夫でしょう。ブレーキもOK。30キロほど来たという。・・何の助けにもならないので、お気をつけてというほかはなかった。・・しかし、あんなトラブルもあるのか。

・・黒山の登山口を探した。それらしい道がある。なんかケモノミチだなあ。きょうは登らず。下に下りてお蕎麦を食べたくなった。くだりはけっこうな距離だが、はやい、はやい、あっというまに着いた。井戸口というお蕎麦やさんです。注文してあったので、自慢の蕎麦すぐにもいただけるとか。ビールはありますか。はい。ママさんがいろいろやってくれます。ビールがうまい。蕎麦とビール。そのうち、マスターと世間話を。青梅の人で、地元よく知ってます。とくに石灰の採取場とか砕石場とか、お酒が好きで、めずらしいものたくさんあります。・・沖縄のアワモリついでくれました。青梅有数の政治家もここに立ち寄るとか、こんなど田舎にね。それより、山をひとつもってるようで、そこの巨樹とか竹林とか山菜とかいろいろ話がいっぱいあるようでした。樹の写真をさがしてましたが、みつからない。山をもってるなんて、ロマンですね。

522秋魚:2015/05/09(土) 20:02:58
(無題)
 まだ月は十三七つ梅の花

・・自転車のたたみ方、思案にふける。どうしても袋に収めねば。まだその袋も用意してない。簡単そうでなんかやっかい。前輪の着脱は何度か試みた。ギアチェーンのある後輪は一度試行しただけ。前回のパンク修理も幸か不幸か前輪のトラブルだった。後輪は・・思案してばかりもいられないが。日がたつごとに疎くなる。自転車をバラバラにして再度組み立てるというのが臆病になってる。

・・ところで、井月全集掉尾を飾る芥川龍之介の文は、繰り返し読まれているだろう。「・・天明の遺音は既に絶え、明治の新調は未起らなかつた時代は、彼にも薫習を及ぼしたのである。」このくだり、「薫習」という言葉がいつもひっかかっていた。手元の辞書では「・・香気が衣服に移りしみこんで、ついにはその衣服自身が香気を出すに至るように、体や言葉、心のはたらきが心に残す影響作用をいう。」
・・自分は春一番に咲く梅の花の香のようなものと認識していたが、習気の負の側面をみれば、井月の晩年は放浪乞食よろしく時代の香気(?)に染まっていただろうか。

・・十三七つという数え方、すてきですね。十三夜七つ刻らしいです。秩父で会った蕎麦やの娘さんのようです。

   *

・・「カリフォルニア」という映画は、おもしろい。あのトランボ脱走の動機は、八百屋お七と同じでしょう。・・おもしろい。

523秋魚:2015/05/11(月) 01:03:13
(無題)
・・自転車専門店をまわった。大手の店はほどよく客もいれば店員はよく話をしてくれる。この地域ではそんなにいい店はない。以前の住まいなら、Y'sroadとかNarushimafriendとか超ブランドのお店も近かった。実際四方八方に開けたよいところだった。・・パーツを取り寄せるならネットショップが一番か。輪行袋はネットで買うだろう。すこしでも知識を得るために、いくつか店をたずねた。自転車の売り場でいる店員は、やっぱりその道のプロまでいかなくても相当に乗りこなして来ている。いろいろ話し込んでいるうち相手も自分の経験談を軸にして話し出す。・・きょうはだいぶ勉強になった。

・・「梅の花」連吟をすこし、

折人も思案顔なく梅の枝         有隣
振袖の花盗人や楳屋敷          井月
夜の梅を盗みにくるや闇の内        隣
宵闇や梅が香通ふ風よわし         月
よい梅と誉れば月もさしかゝり       隣
野の梅や誉る替りに折て行         月

・・

・・芥川龍之介の名で憶い出したが、かれの文学思念の本領は、花盗人ではなかったか。芥川が登場する伊勢物語六段。

「昔おとこありけり。女のえうまじかりけるを、としをへてよばひわたりける
を、からうじてぬすみいでゝ、いとくらきにきけり。あくた河といふかはをゐ
ていきければ、くさのうへにをきたりけるつゆを、かれはなにぞとなむ・・

 しらたまかなにぞと人のとひし時つゆとこたへてきえなましものを

・・この女は二条の后だそうだ、藤原高子。

「・・彼の遍昭が連ねし。花の散り積る芥川を打ち渡り。思ひ知らずも迷ひ行く。かづける衣
は紅葉襲。緋の袴踏みしだき。誘ひ出づるやまめ男。紫の。一本ゆひの藤袴。・・」

・・雲林院にも現れる、その先が武蔵野だったと記憶するが、・・ヴァージョンによっては、信濃路だったりする。


 いずれも井月の通った道だ。

524秋魚:2015/05/12(火) 13:54:41
(無題)
・・天気くずれそう。台風来てる。あの妖精のような人すてきですね(笑)

・・田舎の信濃川、上流は千曲川になります。豊後の三浦安貞は、日に三度、先祖の墓参りを欠かさなかった。父がそういって、わが家もそのような家訓でしたが、封建性の暗さでほとんど省みられませんでした。千葉で生まれましたから、長岡は二度訪れただけ、ほとんど無知です。母は雪がいやで上京したといいます。

・・うっかりしてました。上州(群馬)から越後(長岡)にはいるに、鉄道で清水トンネルをくぐっていましたが、昔はそんなトンネル無かったのですね。トンネルの上は谷川岳でとても急峻な山といいます。ほどよい峠道すらなかったのではないか。カツゾーの江戸の頃は、高崎から碓氷峠を越えて、上田や小諸、長野に入り、そこから北越に向かったのだと思います(まあ逆のコースですが)。千曲川、信濃川沿いに道があったのか。まったく見当もつきません。・・碓氷峠が最大の難所といいます。ヤマトタケルはここを通っています。芭蕉も、更科紀行で姨捨の月をみてから、ここを通って江戸に入ってます。ただこのあたり記録が無い。長岡から江戸に向かうに、どうしても長野経由になったのではないか。・・因みに信濃川、千曲川の源流は、甲武信ヶ岳に向ってるそうです。山梨、埼玉、長野三県の境にある2475mの山です。いったことはありません。

・・だいたい信濃路というのもどういう道かわかっていません。検索すると料理屋のチェーンの名前だったりして。・・めげずに検索。「大和路、信濃路」という堀辰雄の小品がみつかりました。ぽつりぽつり読んでる最中ですが、大和路の方で、法隆寺訪問についておもしろい記事がありました。金堂壁画の模写が行われていたようです。

「・・十月二十三日、法隆寺に向う車窓で
 きのうは朝から一しょう懸命になって、新規に小説の構想を立ててみたが、どうしても駄目だ。きょうは一つ、すべての局面転換のため、最後のとっておきにしていた法隆寺へ往って、こないだホテルで一しょに話した画家のSさんに壁画の模写をしているところでも見せてもらって、大いに自分を発奮させ、それから夢殿(ゆめどの)の門のまえにある、あの虚子の「斑鳩(いかるが)物語」に出てくる、古い、なつかしい宿屋に上がって、そこで半日ほど小説を考えてくるつもりだ。
十月二十四日、夕方
 きのう、あれから法隆寺へいって、一時間ばかり壁画を模写している画家たちの仕事を見せて貰いながら過ごした。これまでにも何度かこの壁画を見にきたが、いつも金堂のなかが暗い上に、もう何処もかも痛いたしいほど剥落(はくらく)しているので、殆ど何も分からず、ただ「かべのゑのほとけのくにもあれにけるかも」などという歌がおのずから口ずさまれてくるばかりだった。――それがこんど、金堂(こんどう)の中にはいってみると、それぞれの足場の上で仕事をしている十人ばかりの画家たちの背ごしに、四方の壁に四仏浄土を描いた壁画の隅々までが蛍光灯のあかるい光のなかに鮮やかに浮かび上がっている。それが一層そのひどい剥落のあとをまざまざと見せてはいるが、そこに浮かび出てきた色調の美しいといったらない。画面全体にほのかに漂っている透明な空色が、どの仏たちのまわりにも、なんともいえず愉(たの)しげな雰囲気をかもし出している。そうしてその仏たちのお貌だの、宝冠だの、天衣(てんね)だのは、まだところどころの陰などに、目のさめるほど鮮やかな紅だの、緑だの、黄だの、紫だのを残している。西域あたりの画風らしい天衣などの緑いろの凹凸のぐあいも言いしれず美しい。東の隅の小壁に描かれた菩薩(ぼさつ)の、手にしている蓮華(れんげ)に見入っていると、それがなんだか薔薇(ばら)の花かなんぞのような、幻覚さえおこって来そうになるほどだ。
 僕は模写の仕事の邪魔をしないように、できるだけ小さくなって四壁の絵を一つ一つ見てまわっていたが、とうとうしまいに僕もSさんの櫓(やぐら)の上にあがりこんで、いま描いている部分をちかぢかと見せて貰った。そこなどは色もすっかり剥(は)げている上、大きな亀裂が稲妻形にできている部分で、そういうところもそっくりその儘(まま)に模写しているのだ。なにしろ、こんな狭苦しい櫓の上で、絵道具のいっぱい散らばった中に、身じろぎもならず坐ったぎり、一日じゅう仕事をして、一寸平方位の模写しかできないそうだ。どうかすると何んにもない傷痕ばかりを描いているうちに一と月ぐらいはいつのまにか立ってしまうこともあるという。――そんな話を僕にしながら、その間も絶えずSさんは絵筆を動かしている。僕はSさんの仕事の邪魔をするのを怖れ、お礼をいって、ひとりで櫓を下りてゆきながら、いまにも此の世から消えてゆこうとしている古代の痕をこうやって必死になってその儘に残そうとしている人たちの仕事に切ないほどの感動をおぼえた。……」

・・この画家のSさんというのは、秋田在住の仏画師鈴木空如さんかと思ったが、たぶん違うでしょう。空如さんは「明治40年(1907年)から昭和7年(1932年)にかけて法隆寺に数十回出向き、金堂外陣(げじん)の土壁に描かれた十二面の壁画を独力で模写した。」とあるように、独力の作業でした。堀辰雄の訪問は、昭和18年すこし以前、複数の人たちの模写作業のようです。

・・昭和24年(1949)には、例の金堂火災が起きています。この文は、この火災事故が起きる前の壁画模写の風景です。

・・鈴木空如さんの独力の壁画模写も味があります。・・大正十二年頃第一回目の模写を終えたのは、太子千三百年祭の時。ちょうどその時の金堂古材から、祖父が聖徳太子像を彫り起こしたといいます。同じ裏日本の雪国にいて二人は交流があったと、母から聞いていますが、確かめようもないことです。

525秋魚:2015/05/12(火) 22:19:05
(無題)
・・弓が浜

・・もう記憶の像でしかないが、夏の光を追っていた。二度訪れたことがある。
そんなに大きな浜べではない。メルヘンチックな香りで、風、波のやさしい寄せ。たぶん夜、月が浮かんだら、最高にロマンチックでしょう。

・・小さな女の子を連れた若い母親が多かったような。母親もまだ若い娘のようでした。時代でしょうか。そういうファッションがあったようです。

・・あいにく。わたしが訪れた時は、風つよく勢いのある波がざざーっと入ってきて、遊泳禁止になってました。・・その名のとおり、弧をえがいた美しい浜べです。ただ強い波がくると砂を巻き上げて、とても水浴はできません。波打ち際のほんの戯れ遊びを、子どもがしてました。・・人が多く、すぐにあきらめました。

・・伊豆の半島めぐりをしていたのです。


・・かがみ浜

・・もうすこし先にゆくと、この浜があります。ここは岩で守られたもっと小さな浜べです。ほんの手前にまた小さな砂浜もあります。外海にさらされて、時おり白刃をたてて大きな波が打ち寄せますが、奥の砂浜に着くまでに、小さくなだめられます。岩がごつごつありますから。・・水はとてもきれいです。・・波と遊ぶなら、楽しいです。

・・なぜか人はほかに二三いただけでした。

 この小さな夢のような浜べは、尾道の詩人が教えたところです。


・・弓ヶ浜

・・二度目の訪れは、海の家の一日アルバイトでした。
・・もうあまり覚えていません。夏の光にうとくなっていた頃でした。

526秋魚:2015/05/13(水) 22:54:13
(無題)
・・ネットでこれはいいと物色した輪行袋。欠品とかある。たて続けに欠品、品切れというの、やはりみな考えてるのは同じようなことか。チャリダーの夢は輪行でステップアップする。・・もう何十年前になるのか支笏湖のユースに女子のチャリダーが二人来ていた。大学のクラブの先輩後輩だという。彼女らヘルメットして服装もそういう決まったスタイルで北海道まではやはり輪行ということだった。東京の学生だという。・・こういうプランニングいとも容易に実行するのに、ほとほと感心したものだった。

・・火山峠。ひやまとうげ。

 この辺の地図を描いているが、まだまだです。きょう読んだ本では、火山の部落というのがあるらしい。ここにカツゾーのお弟子さんがよく集ったという。その先十キロほど山の中には、四徳という土地。ここにもよく足を運んだ。いい温泉もあるらしい。

・・この火山峠です。幻視されるのは、


 自転車でいってみたい。

・・アプローチの道、いろいろあります。

 山頭火は、二度試みた。往くのはどこも一度きり。二度往くなら何度でも往く。そういってます。・・もう一度、というのが、深く聞こえませんか?

・・

527秋魚:2015/05/15(金) 01:48:28
(無題)
・・あの橋のたもとで〜そういうメロドラマが幼年期をすくいあげてた世代は赤トンボのように川辺の空地に羽根を休めに降りてくるのだろうか。人と話すことが多い。
・・たぶん「大菩薩峠」の映画のイメジだと思うが、数馬の切通しという奥多摩の難所がある。ここに今はトンネルがあって思慮無く越えることができるその昔道を旅路の娘が一人杖をつきながら登ってゆく。途中足をすべらせて木の茂みへ転落するのをフラッシュバックすることがある。

528秋魚:2015/05/17(日) 17:14:31
(無題)
・・クロスバイク。後輪の着脱を試みた。輪行のガイドによると最低十回は予行していた方がよいとある。パンクした時も車輪外しは必須になる。

・・その前にスタンドとペダルの取り外しを試みた。スタンドは三つネジを緩めれば外せそう。しかしカチンカチンに固まっていてびくともしない。CRCという潤滑油を注いで半日たったらネジは緩んだ。これは何とかなる。・・次にペダル外しにかかった。15mmのペダルレンチを使う。工具箱にあるのはツメが折れて破損している。専門工具は高価なので百円ショップで新しいのを入手。が、これがまったくダメ。工具が悪いのでなくネジがカチンカチンでCRCを注いでもびくともしない。使い方もまずいのだろう。輪行でペダル装填のままなんとかやれるのではないか。とりあえずあきらめ。

・・後輪の外しにかかった。チェーンに触れると手が汚れるという。Vブレーキの解除。この解除はいいが、作業を終えてもとに復旧させた時ブレーキの接触に不具合が起こった。実際輪行した場合、解体−組立て、解体−組立ての作業を2回しなければならない。そのたびに微妙な調整をすることになる。調整用の工具を携行する必要がある。やはり簡単にはいかない。・・クイックレリーズの爪を起こすと車輪は容易に外れる。チェーンを外して、スプロケットというギアの歯の塊はホイールに付属。問題はディレーラー。ここはデリケートでここをガードするにエンド金具を用いる。この備品はいま注文中。袋も注文中だが、さてうまく袋に収まるかどうか。

・・きょうのところは組立て復旧に手間取ったがなんとか成功した。試運転もしてみたが異常なし。気がついたこと、リアの七段ギア、アウターの7番目は無効だった。6番目で止まっている。これはギアディレーラーの調節が不充分なのかもしれないが、普段ほとんど使用していない。お店で購入したとき店員に調整してもらったままだ。・・ギアの調節というのがディレーラーで出来るらしい。取説を読んでここもマスターしてみたい。

529秋魚:2015/05/18(月) 18:11:23
(無題)
@高野長英

>・・天保10年(1839年)、蛮社の獄が勃発。長英も幕政批判のかどで捕らえられ(奉行所に自ら出頭した説もある)、永牢の判決が下って伝馬町牢屋敷に収監。

>・・弘化元年(1844年)6月30日、牢屋敷の火災に乗じて脱獄。この火災は、長英が牢で働いていた非人栄蔵をそそのかして放火させたとの説が有力である。

>・・天保十五年五月十日(1844年6月25日)水戸藩の藤田東湖に日記によりますと、「暁七ツ時大城奥より出火御本丸不残御焼失」となります。火は「朝五時頃鎮火」とありますので、4時間ほど燃えていたようです。まだ暗い午前四時の火事です、消火活動も十分ではなく、江戸城本丸は全焼、たくさんの人が亡くなり、多くの財宝が灰塵に帰しました。

@藤田東湖

>・・弘化元年(1844年)5月に斉昭が隠居謹慎処分を受けると共に失脚し、小石川藩邸(上屋敷)に幽閉され、同年9月には禄を剥奪される。翌弘化2年(1845年)2月に幽閉のまま小梅藩邸(下屋敷)に移る。この幽閉・蟄居中に『弘道館記述義』『常陸帯』『回天詩史』など多くの著作が書かれた。理念や覚悟を述べるとともに、全体をとおして現状に対する悲憤を漂わせており、幕末の志士たちに深い影響を与えることとなった。


@富処西馬

>・・「 俳聖芭蕉翁の百五十回の遠忌に當れるにあひて、惺庵西馬(せいあん・さいば)兼て追福を営むに社盟数十輩と議り、清水寺内に地を卜して一塚を築り、碑面篆額の贈號は故二條公の粟津の霊室に賜ふ處なり。
今四山これに筆を採、また高韻を書る者は菱湖に聞、清水寺は上毛第一観音の霊場にて洛の清水に景趣等しきと云。
句も亦彼を取てこゝに移す相當れる成べし。
予、この道に遊ふの因を以て一條の来由を祭主の為にしるす。
維時天保十三年龍集壬寅三月 五品多々良大内瀾長」

富処西馬

文化5年(1808年)、高崎田町に生まれる。

 天保4年(1833年)、西馬と号す。

・・

天保13年(1842年)3月、清水寺に芭蕉の句碑を建立。

 観音の甍みやりつはなの雲

・・一年早いが芭蕉翁百五十回忌ということです。

1843年 高崎大火にて母没す。
1844年 奥州行脚に旅立つ。


安政5年(1858年)8月15日、没。51歳。

530秋魚:2015/05/19(火) 11:46:10
(無題)
・・府中熊野神社にある上円下方墳はめずらしいものだが、もうひとつ三鷹天文台の近くに見られるという。この熊野神社の前の甲州街道は新宿までつながる。調布あたりで武蔵野湧水の野川が横切って流れる。湧水近辺から先土器、縄文の遺跡がよく発掘されている。旧石器の見られるところは、水源が近い。多摩川の流れは大昔から何度かスジを変えている。野川のように水源の湧水が大昔からその場所を変えていなければ、その近くに遺跡もよく見られるだろう。たぶん野川も水源はともかくその流れは幾スジも変化しているだろう。・・大地震などあり地殻の変動があれば、湧水が枯れたり、また別の水が湧き出したりするだろう。

・・野川の水源は国分寺の日立製作所研究所の敷地にある。仮にも湧水であるので水は透き通っている。これに沿って三鷹、調布から深大寺の側を通って多摩川に注ぎ込む。湧水の川を保護するために生活汚水は流さないようになっているはずだ。武蔵野で湧水があるのは、地層のずれ、断層のみられるところだ。国分寺崖線、青柳段丘とか国立の方でもいくつか湧水は見られた。・・調布深大寺にも湧水があるという。

・・野川は、三鷹にある野川公園の中を流れる。その公園の外れあたりに近藤勇の生家があった。あと近くにあった大きな霊園はなんといったか、太宰治の墓があるという。U君が墓参りをしたといっていた。・・三島由紀夫もそうここの多磨霊園というのだそうです。あ、三島はそうです、府中の多磨霊園。・・太宰治は三鷹禅林寺です。森鴎外といっしょです。いずれもU君から聞いた話だ。・・三島の金閣寺など読み返してみたいと思っていた。・・太宰は玉川上水でよく心中をしたようだが、あれしきの川でたやすく死ねるものだろうか。相方の女だけ死んで自分は生きながらえたなど笑えない話が多い。

・・入水心中というのが、そもそもまったく花のないものになっている。入水死というの、死後の自分を想像したら、女子はとくに望まないでしょう。後先のことは考えないというのが自死の決意としたら、むしろ記憶、痕跡の抹消方法をとるか。・・込んだ話になりそう。

・・江戸幕末の頃、わが家系にもゆうという女子の哀しい入水話がある。

531秋魚:2015/05/20(水) 21:46:44
(無題)
新編武蔵風土記稿による龍巌寺の縁起

(原宿村)龍岩寺
禅宗臨済派古碧山と號す、多磨郡由井領山田村廣園寺末、本尊釈迦、脇士文殊、普賢を安す、相傳ふ、境内昔は名主半右衛門か屋敷にて鎮守弁天社あり、側に小庵を建て喚室と云僧をして住せしめしか、慶長七年遂に宅を捨て寺とす、依て喚室を開山とすと寺傳にいへり、鐘銘に掾は、御入国以前よりの寺なりと載す、何れか是なるや喚室は元和八年十一月二十四日寂す。
辨天社。地主の神なり。
天満宮。往古は木立像なりしと、今木札に神號を記し、裏に来由を載す、其略に源義家此所にて出陣の連句を催し、社前に納む、依て句寄の天神と號すと。稲荷を合祀せり。
日吉山王社。是も神號を記せし木札の裏に、往古は當村千駄谷村境榎樹の下に勧請ありしを、寛永中当寺第三世明叟の時ここに移すと云。
圓座松。砌下にあり、囲み四尺許、根上一尺許を隔て四方へ蟠延す、大さ東西七間餘、南北六間半、其状圓坐を敷たる如くなれは此名あり、初栽せしより凡九十年に及ふと云ふ、
鐘楼。元禄十一年鋳造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より


>・・春もやゝけしき調ふ月と梅

元禄6年(1693年)春の句。出典は『続猿蓑』(沾圃編)。

上部が欠落している。

 龍巖寺の周辺に近衛歩兵第四聯隊の兵舎があったので、龍巖寺は戦災に遭ったそうだ。

寛政5年(1793年)正月、建立。脇田赤峰(1751年〜1834年)書。

『諸国翁墳記』に「翁 塚 江戸青山原宿龍巖寺ニアリ 二世冬英・五陵建」とある。



青山原宿竜巖寺 境内ニ在

[梅月]墳

春もやゝけしき調ふ月と梅

寛政五癸丑年正月建之 兌堂冬英 旬樹五陵

此寺を俗に松の寺と云


『広茗荷集』

532秋魚:2015/05/21(木) 01:15:20
(無題)
・・うっかりしていたことが多い。芭蕉の門弟に天野桃隣というものがいる。伊賀上野の人で芭蕉の甥とも従弟ともいわれ、芭蕉が大坂で没した時、桃隣は深川の芭蕉庵を預かっていた。

>・・伊賀上野の人。本名勘兵衛。通称藤太夫。太白堂。

天野藤太夫。太白堂・呉竹軒、後ハ桃翁ト云。本土伊賀上野、翁古朋友也。神田ニ居ス。享保四己亥十二月九日八十二歿。浅草光明寺葬。 『蕉門諸生全伝』(遠藤曰人稿)


・・元禄4年(1691年)9月22日、芭蕉は江戸へ旅立つ。

 同年閏10月23日、芭蕉は新城在住の太田白雪に案内され、鳳来寺山に登山した。天野桃隣・各務支考、白雪の子桃先・桃後らがこれに従った。

・・うっかりしていたのは、この鳳来寺山。大宝2年(702年)、利修仙人が開山したと伝える。

・・元禄4年(1691年)9月22日、芭蕉は膳所義仲寺を後にして江戸へ旅立つ。途中で鳳来寺に立ち寄った。

・・石段――その古風なのがよろしい――何千段、老杉しんしんと並び立つてゐる、水音が絶えない、霧、折からの鐘声もありがたかつた。

本堂前の広場でおべんたうをひらいて一杯いただいた。『旅日記』


山頭火も来ている。

「・・参道の石段の数が1,425段あり、徳川家光によって建てられた仁王門は国の重要文化財である[1]。また、愛知県の県鳥であるコノハズク(仏法僧)の寺としても有名である。」

・・1425段の石段というのは、すごい。

「・・新城に住む弟子太田白雪の家に泊まった芭蕉は、弟子たちを連れて鳳来寺へ参詣に来ました。急な坂道の途中で足を休め

木枯しに岩吹きとがる杉間かな

という句をよみました。現在、山道の石段を100段ほど上った左側に、この木枯しの句碑が立てられています。

 たいへん寒い日だったので冷えたためか、芭蕉は持病がひどくなり、頂上まで登らずに引き返し、表参道にあった家根屋という宿屋に泊りました。この宿で芭蕉は

夜着一つ祈り出して旅寝かな

・・たいへんな石段だったようです。・・芭蕉はさいごまで登りきらなかったかもです。

 (1691)同年10月29日、芭蕉は3年ぶりで江戸に到着。桃隣は芭蕉に同伴して、初めて江戸に移住した。

 されば師が東行の袂にすがり、はじめて富士の高きを驚き、むさしの広きをうかゞふ。

『陸奥鵆』

 霜月はしめ粟津より東武に歸菴。(桃隣同行)。神も旅寝の吟此時なり。

・・はじめて富士の高きを驚き、むさしの広きをうかゞふ。

この桃隣の、感想です。おもしろいのは。富士と武蔵野。

「・・元禄7年(1694年)5月11日、芭蕉は江戸を発って上方へ最後の旅する。

五月十一日江府そこそこにいとまごひして、川がやどせし京橋の家に腰かけ、いさとよふる里かへりの道づれせんなと、つねよりむつましくさそひたまへとも、一日二日さはり有とてやみぬ。名残惜げに見えてたちまとひ給。弟子ども追々にかけつけて、品川の驛にしたひなく

   麥の穂を便につかむわかれかな   翁

箱根の關越て

   目にかゝる時やことさら五月富士


『芭蕉翁行状記』(路通編)

・・この句が、芭蕉の旅で最後の記憶の富士であっただろう。


 箱根宿は東海道五十三次10番目の宿場。

 くもり空で、とても富士など見えないと思っていた所、山を越える頃ふとその雲が切れて、実に目にもおざやかに富士の姿が現れた。

 その山容の美しさ、このように予期もしない時にふと目に入った時こそ、殊更に美しく感じられるよ富士の峰は、という句である。

533秋魚:2015/05/21(木) 20:32:15
(無題)
・・五月晴がもうすこし続きそう。マンションの管理人さんのおかげで自転車右ペダルが外れそう。ネジが動いた。・・左は逆ネジですね。なんて固いのでしょう。いいですよ。とりあえず。裏山の枝の伐採と草刈はボランチアでやらせてください。蛇が出そうですね。薮蚊がこわいです。強力な毒蚊もいるようですから。大丈夫、やらせてください。

・・今日はいい道ですが、二時間半ほど走ります。多摩川のサイクリングロードを下って、多摩丘陵の中まで走ります。多摩川は護岸工事がすすんでいます。鬱蒼としたところかなり整備されています。基本は洪水を防ぐためらしいですが。・・一度自転車を解体して再組立てさせたものの試しのり。ブレーキが心配でした。まあなんとかです。もうすぐ輪行袋が届きますから、それから小さくチャレンジです。

・・先日コゲラが木を叩いていた公園のバラが、今はきれいです。

・・平日なのに、やはり人気のサイクリングロード。サイクリストによく出会います。集団で移動するサイクリストたちもいて。装備が完全そう。みんなそれぞれサイクリングの理由があるのですが、出先で話すことあっても、まず理由を言い合うことはありません。まったくヤボに属することです。・・いつかの秩父で会ったカッコいいお姉さんとか(バイクライダーでしたが)雑談でそれとなく理由が察せられることもあります。素敵なお姉さんでしたから、ほんのり想像されるだけでいいでしょう。・・自分の自転車乗りはたぶんだれもわからないでしょう(笑)

・・どんな時でも、ソウルメイトがいるかいないか、それが大切です。

・・多摩川をくだって、モノレールの走る橋は立日橋でしょうか。自転車もここで岸を変えます。そこからやはり川沿いのたいへん爽快な道で石田橋の袂まで、ここは以前の住まいから庭の出口のようでした。日野のここらに土方歳三が生まれています。モノレールを浅川の新井橋のほうへ途中忌野清志郎の通った日野高校がある。・・高幡不動駅から多摩動物公園にむけていく間に、在日アジア外国人のための語学学校らしきがあって、いつも特別活気ある若者たちが自転車で押し寄せます。信号待ちで彼らの言葉を聞くと、まあ何語ですか、識別はできません。かれら若者の輝き方、日本の若者とちょっと違ってます。傍でみている限り、ノスタルジックな香りです。

534秋魚:2015/05/23(土) 14:34:06
(無題)
・・自転車の解体−組立てに再チャレンジ。エンド金具と袋が届いた。エンド金具はメーカーはほとんどオーストリチのものだけ。これを使ってもディレーラーを完全に保護するのむずかしいようなことネットのコメント多い。それに袋は、収納がいかにも困難な記事も多い。クロスバイクは後発の流行であまり輪行向きではないともいう。ともかく最低限電車に持ち運べる状態まではチャレンジしたい。JRの規則が厳しくなって、完全に袋に収納されないものは受け付けられない旨の情報もある。下手な解体−組立てで破損が起きるのがこわい。予行はやはり十回はやった方がよさそう。

・・今回はまずフロント、リアのVブレーキの解除。自転車をさかさまにしてサドルとハンドルで支える。クイックレリーズを緩めてまず前輪。次に後輪。・・あとでわかったことだが、車輪のセンターがずれるとブレーキのシューの位置が狂う。これはすべてクイックレリーズの調節でうまくいく。後輪のチェーンの外し方、組み込みかた、繰り返しやるとうまくなりそう。

・・チェーンの位置をギアのアウターへ置くのは、前回学んだとおり。ただしエンド金具でチェーンを引っ掛けて固定する方法がある。今回これを試みたが、その為に一度ギアをインナーへ移す必要がある。とりあえずリアだけ。・・これでエンド金具を固定。レリーズで堅く締めないとたやすく位置がずれる。スタンドも外す。次にホイールをフレームの脇に固定する。これが実は一番よくわからない。自転車本体の形がどうなってるのか。目の前にあっても知恵の輪のようで把握できない。要は袋に入るようにホイールを固定するわけだ。なんとか形をつくってみる。今回失敗したのは、スプロケットの位置。位置取りわるく振動を与えるとフレームがキズつきそう。これは左右を変えれば解決しそう。次回の課題です。二本のベルトで固定。もう一本は自前のヒモで固定。いかにも自信の無い装填だ。

・・さていよいよ袋に収める。結論からいうと、失敗。やり方もまずいのだろうけど、フォークとハンドルの部分がどうしても完全に収まらない。下方にたるみがあるので、もうすこし詰められそうだが、無理して収めると袋が破けるのではないか。・・次回からは、最善を試みてフォークは外に出したままなんとか乗車してみたい。駅員も客が多くなければ細かくいわないでしょう。知人の外人は八高線で袋にも入れず看視付きで乗車したこともあったという。・・甘いか?

・・あと肩にかけるショルダーバンドの取り付けも、わからないまま、これも次回の課題。

・・このあとの組立て復旧。袋から出し、エンド金具を外し、ホイールを取り付ける。細かい点多々むずかしいことがあったが、なんとか復旧。・・半日かかっている。これでは一日二回の解体−組立て、解体−組立てはやってられない。もうしばらく予行をつづけねばです。

535秋魚:2015/05/25(月) 00:10:50
(無題)
・・都留に流れる川は、桂川といいいます。水源は山中湖。

>・・「都留」は都留郡の郡名に由来し、「都留」は都留市の位置する桂川(相模川)流域の地域が富士山の裾野を蔓のように延びており、その様子から「連葛」「豆留」(いずれも「つる」)とよばれていたことに由来するとされている。

・・この桂川が魅惑です。一度大月の方へ流れ、相模湖、津久井湖のダムを経て相模川となって下るのだそうです。先年、藤野から入ってやまなみ温泉を訪ねた時、桂川の流入する相模湖、津久井湖はよく見てきました。さらに先年、厚木の方から大山詣での時、相模川の下流は海のようでした。・・桂川は、ずっと上流ですね。

・・都留市内からは、富士はほぼ見えにくいそうです。芭蕉のいた谷村からは、富士は見えたのだろうか。一度訪ねてみないとわかりませんね。

・・都留市から富士吉田へ向う途中の西桂町というところまで来れば、富士もきれいに見えるとのこと。

「・・桂川や柄杓川流域に先史時代からの遺跡がみられ、湧水の湧く三つ峠遺跡は県内最高所の遺跡として知られる。また、御坂層からは第三紀中新世の化石が見つかっており、当時は海に面した入り江であったことを窺わせている。水が綺麗なところにしか生えないバイカモが自生している。」


・・芭蕉「月待ちの湯」という日帰り温泉から、二十六夜山を登山ハイキングすれば、富士見のスポットは多くあるという。・・やみつきになりそう。

536秋魚:2015/05/26(火) 00:30:10
(無題)
・・自転車の左ペダルが動いた。CRCをネジの隙間にまんべんなく注いで数分後レンチで試みたらすんなり動いた。さすがCRC。前回効き目がなかったのはCRCの注ぎ方が悪かったのだろう。右ペダルもトライ。CRCならレンチが効く。・・これでひとつ自転車工学が進歩した。しかしドン臭いことやってますね。自転車の解体−組立てもさらに試みたがだいぶ上達したか。ショルダーベルトの設置だけがまだ習得してない。もう二三回ですね。

・・最近自分のゆくところクロスバイクで走ってる人あまりいません。ロードバイクの本格派がほとんど。ですからいつも後ろから追い越されること多しです。・・以前ママチャリで宮沢湖まで出かけたことありましたが、かなり無謀でした。自転車自体が途中で分解するのではないかとたえず気になっていて、おまけにパンクの可能性も高かった。ロードバイクの人に道を尋ねたら、女性でしたが「その自転車でいくの?」と憐憫のまなざしを受けたものでした。クロスバイクはその後数乗りこなして今では自分の身体ほど身についています。ロードバイクに乗ったらどうか。このところ想像すること多し。長距離の輪行ならロードが軽快そうです。

・・きょうは裏山の草刈をした。山は他の人の所有だが、庭のように使用してもよいとのこと。桃、梅、桜、金柑など、こちらの趣味ある人が植えていて、初夏には鶯がよく鳴きに来る。山の奥は檜、杉、左手は道路にかけて竹の林がある。この中も鶯が飛び交っている。今どき朝はいろんな鳥の声で眼が覚める。ホトトギスが鳴いてるはずだが、自分は識別できない。俳句でホトトギスはよく詠まれている。俳句詠みでホトトギスも知らないのは、トホホです。山の近くに住むようになって、なんとかホトトギスくらい見究めたいものです。

・・草刈は、きょうはお遊び程度。竹の子が出てきたというので、それをいただこうかと思った。竹にもいろいろあって、孟宗竹のものが有名。お店で売られているのは孟宗でしょう。・・食べられない竹の子もあるのかなと思い調べたらおおかた食用になるとのこと。ただ竹の子は灰汁ぬきがたいへん。以前義姉の田舎から立派なのをいただいたが、灰汁抜きも知らず笑われたものだ。米ぬかを使うのだそうです。竹の子のアクは採り立てならさほどでなく日がたつと強くなるらしい。今回の竹はなんでしょう。孟宗ではありません。竹薮というほどやや細い竹であまり風情はありません。でもともかく竹の子。そのまま伸びても邪魔になるだけだというので数本折り取って来ました。・・草刈は利鎌をつかって、これもトホホのショックだったのは、野草の名前ドクダミ以外ほとんど識別できなかったこと。草むらにカマを入れると、ときどき思わぬ葉枝の反発を受け顔や眼に当たりそうになったり。なんか得たいの知れない虫がいて急に手足の肌がかゆくなったりします。蛇もどこかにいるはずです。広い敷地でほかにおもしろい植物もありそうで、すこしわくわく。・・この建物の管理理事になったので山の手入れも自由にやってくださいということでした。

537秋魚:2015/05/26(火) 22:52:26
(無題)
・・自転車の専門用語の使い方間違ってました。ギアの位置をあらわすアウター、インナーはフロントギアにのみ使い、後輪のリアギアにはトップ(ハイ)、ロウを使うそうです。アウタートップは一番重く、インナーロウは一番軽いギアになります。輪行の時はアウタートップで車輪を外しますが、単に後輪を外す場合インナートップでやるといいます。素人にはすこし難解な話になります。

・・きょうも解体−組立ての後、試験乗り。多摩川サイクリングロードで稲城まで走りました。注油すると解体作業で手が汚れるのでしばらく注油してません。ディレーラのごみなど除去したのでかえって走りは軽快になったよう。ギアチェンも特に問題なし。輪行は袋に収めて電車で移動する間が勝負。けっこうな荷物です。

・・サイクリングの帰りに立川のナルシマフレンドに寄ってみました。もともと競輪の選手が引退してはじめたお店のようなこと聞いてましたが、ずいぶんとブランド化して立派になったものです。数年前ウィンドウにはGiantが並んでましたが、数ヶ月前はブリジストンのAnchor、今日お店でみたら、まったく得体の知れない高価なものばかり。店員にBianchiやGiantは置いてないのかと聞いたら、Bianchiは扱いなし、Giantは取り寄せになるという。ナルシマでBianchi、Giantは買うなというようでした。・・しかし20万から5、60万のもの。100万くらいのもありますが、買う人いるんですね。わたしなどお話にならない感じでした。ただ輪行袋の宣伝はありました。これはどこにでもあるやつです。輪行自体流行のようです。よくわかります。わたしは運べればいいというので、ネットで最安値のものを入手。たぶんこれでいけるでしょう。自転車はもちょっといいのが欲しいですね。

・・スポーツサイクルの構造はとてもシンプルです。無駄がほぼゼロという創作の歴史を感じます。ブランド品は各パーツの質のよさにあらわれます。高い買い物をする時は、そのお店でケアを保証してるとこ多いです。・・この道にはまってる人多そうです。

・・もう夜中になってます。またホトトギスがぴーひょろろ鳴いてます。ようやく鳴き声は覚えましたが、すがた形は見ていません。

・・ベルツ博士という名前からするとドイツ人かな。この人が東京大学の医学部を創ったような記事がありました。日本人の女子をもらって最初のジャパノローグみたいな人。第一の功績が温泉療法といってました。ベルツ水というのは化粧水です。草津の温泉を大きく評価していたそうです。

「・・ベルツ博士は荒井花子と結婚し、明治11年頃より草津温泉を訪れるようになる。温泉の成分を分析し、正しい入浴法を指導すると共に「草津は高原の保養地に最も適している。草津には優れた温泉のほか、最良の空気と理想的な飲料水がある。こんな土地がもしヨーロッパにあったらどんなににぎわうだろうか。」と賞賛し、私費を投じて6千坪の土地を購入し温泉を引きクアハウスを建てて公開した。世界無比の高原温泉であることを世界に紹介し、日本の草津を世界水準に引き上げてくれました。 」

・・ドイツには、たしかバーデンバーデンに温泉があるはずです。しかし、この草津温泉の手放しの称賛は注目です。

・・先日わたしが訪れた和どうの湯は、鉱泉ですが、すばらしい湯でした。どうすばらしいかというと、表面上はなんの変化もないのです。・・家に帰って顔を洗ったら、もうぬるぬるになりました。融けてしまったかと思ったほど。・・正丸トンネルという修羅を通ってあぶら汗だったかもしれませんが。

538秋魚:2015/05/28(木) 00:53:31
(無題)
・・深夜の0時半頃にきまってホトトギスの鳴く声が聞こえる。鶯などは求愛のためにホーホケキョと鳴くと聞くが、かの鳥はどうか。

・・このところ瞑想もしくは瞑想力について思い巡らすことがある。

梵志ということばがある。バラモンの僧のことだ。

539秋魚:2015/05/28(木) 21:58:20
(無題)
・・また輪行の予行。今回はスピードアップして最終の運べる状態まで。完全収納とショルダーベルトを取り付ける。このベルトは支えで車体の一番安定した重心を手で握って運ぶのがよさそう。ホイールをフレームにしっかり固定することが肝心。

「・・私は大地の清新な芳香、そして私は火の熱さ、私は生きとし生けるものの生命、そして私は苦行者の苦行。」

・・ヴェーダンタが私という時は、注意ですね。

「・・ブラフマーの昼が始まると、全生物は姿を現し、ブラフマーの夜が来ると彼らは再びその姿を消す。」
「・・何度も何度もブラフマーの夜が明ける度、全生物は現れ出て、ブラフマーの夜が訪れる度、彼らは絶望的に消滅する。」

「・・究極的には、ブラフマーの寿命が尽きると、彼らはすべて消滅し、無限といってよい程長い年月を未顕現の状態で過す。そしてまた、ブラフマーが再び生まれて次の周期が始まると、彼らはまた姿を現す。」

・・物質世界の罠のことらしいですが。

「・・だがこの顕現、未顕現の現象を超えて、別の永遠な非顕現自然が実在する。それは至上至高にして不滅。この世界のすべてが消滅してもそのまま残る。」


・・こういうところへ突き進むお姉さんって、カッコいいですね。

540秋魚:2015/05/31(日) 00:20:21
(無題)
・・解体−組立て後の試し乗り。きょうは都心に向った。去年の暮れに仙川まで行ったのを復習し、そこから先は未知のライドになる。例によって多摩川サイクリングロードは完全無欠で国立府中までゆける。かつての庭だ。フロントブレーキが少し鳴くようになったのは、調整で消せる。いまのブレーキ幅を維持しないと解体−組立てがスムーズにいかない。鳴かせておくか。この府中あたりからの甲州街道がかなりやっかい。車道はこわくて走れない。旧甲州街道などの側道も一部使えるが、明大前あたりの井の頭通りに折れるまで一本道。今回は新宿に向わず渋谷をめざした。井の頭通りは三鷹の五日市街道からわかれ吉祥寺を通って渋谷に伸びる道だ。都心は例によってざっと調べただけ。渋谷周辺の芭蕉句碑を洗っておいた。

?金王八幡宮 渋谷3-5-12 しばらくハ花のうへなる月夜かな
?宮益御嶽神社 渋谷1-12-16 眼にかゝる時や殊更さ月不二
?龍巌寺 神宮前2-3-8  春もやゝけしき調ふ月と梅

・・井の頭道路を代々木公園の前で折れて渋谷駅をめざした。何度か人に道を尋ねたが、渋谷中心に向うに方向を失った。人が多く繰り出すところがハチ公のいる駅だろう。しかし迷い込んだのはホテルなどある妖しい通り。朝の清掃をしている妖しいメークのお姉さんに道を尋ねるわけにもゆかずなんとか人ごみを追って道玄坂をくだった。駅前に交番がポツンとあって客対応の巡査が十人くらいたむろしていた。

・・三つの訪問地のうち最初の一つがわかれば、他の二つは容易に到達できる。若い巡査に金王八幡を尋ねた。てきぱきと教えてくれたが最初にすすむ道をとりちがえたため青山通りには一向に神社らしきはない。ちがってるなというので、今度は青学の守衛さんに尋ねた。なるほどもうひとつ向こうの道ですね。しかし自転車が乗れないくらいの人ごみです。

・・ところで、

?しばらくハ 1817年。「文化14年、太白堂門人山奴社中建立。」太白堂は天野桃隣の号。

?眼にかゝる 1825年。同宮益町御嶽山中ニ在 富士墳(宮益坂は別名「富士見坂」とも言われた。)「文化八年五月栗菴宇橋社中建之」

?春もやゝ 1793年。「翁塚 江戸青山原宿龍巖寺ニアリ 二世冬英・五陵建」

・・芭蕉句碑の建立はかくのごときで、寺社の由緒起源はさらに古く衆民の信仰のもとはこちらにある。

・・金王八幡宮は、渋谷を代表する神宮とある。源頼朝が植えたという金王桜は一重と八重の桜を同じ木に咲かすというめずらしいもの。頼朝が平氏との闘いで参篭した神宮で、渋谷金王丸は忠節な武将。義経追討の命を受け、館に討ち入ったが、そこで落命している。

「寛治6年(1092年)、渋谷氏の祖河崎土佐守基家創始。元渋谷八幡宮と称したが、金王丸の名声に因み、後に金王八幡宮と称される。金王丸は17才の時源義朝に従って保元の乱に参加して大功を建てた。」

 金王丸は、もともと源義朝の俊英な部下であったというが、渋谷氏というのは桓武平氏の血の流れを継いでいる。・・先日訪ねた秩父の妙見山というところに日月二つの旗を納めた八幡宮を開き、この月の旗をいまの渋谷金王八幡に移して神宮を開いた。渋谷氏は関東に下った高望王の流れをくむ平氏の末裔だが、源氏にたくみに使われている歴史がある。・・秩父の妙見山は武甲山ではないかともいうが、渋谷の本家は八幡と妙見の秩父というのは、一驚だった。

・・立ち寄った金王八幡宮は、ちょうど結婚式のさなかで、笙、篳篥などの音曲が聞こえてくる。


 宮益御嶽神社は、一度駅にもどって青山通りに向うと左手にすぐに見つけられた。宮益坂はいまは都会のビルで埋まっているが、昔は富士見の坂だという。・・青梅にもある御嶽神社の由緒は古いものだが、ここの御嶽神社は元亀年間に勧請したものという。

都神社名鑑による渋谷御嶽神社の由緒によれば、

「大和国吉野郡金峯神社分祭の社にして、日本式尊を奉祭する。創立は元亀元年(一五七〇)にして寛永年間(一六二四−四四)再建すという。明治三年四月十七日かしこくも明治天皇駒場野練兵場において、我が国最初の観兵式統覧のため行幸のさい、御往復とも御召替のため御小休所となったところである。当時その筋より白木鳥居と駒寄を寄進される。・・」

・・社殿前にあるのは、あうんの狛犬ではなくオオカミであるのは、いかにも青梅の御嶽神社の大口真神を勧請してるふうだが、大和国吉野郡金峯神社分祭の社というのは、新政府の格式の作り方か。明治天皇の足跡も高く清めたいもの。

 眼にかゝる時や殊更さ月不二

・・ここは江戸時代に流行した富士講のパワースポットとしておおいに信仰されていたと思われる。

 三つ目の龍巌寺は、神社でなく臨済の禅寺。「檀信徒以外の出入をお断り申す」とある。理由を言って芭蕉の句碑だけは見させていただくことができた。

 春もやゝけしき調ふ月と梅

・・ここの注目すべきは、その建立年1793年。芭蕉百回忌である。「寛政5年(1793年)正月、建立。脇田赤峰(1751年〜1834年)書。」とあり、この脇田赤峰は著名な能筆家。井月はここにも必ず立ち寄っているはず。

・・神社の前の坂道は、勢揃い坂という。「この道は鎌倉街道であり、平安時代後期の武将で、八幡太郎の通称で知られる源義家が、奥州征伐(後三年の役、永保3年・1083)に向うときに、ここで軍勢を揃えて出陣して行ったといわれ、この名が残っている」

 源義家が奥州へ向ったというのは、奥の細道の志向と重ならないこともないが、こういう石碑の建立というのは、意味づけを深読みしない方がよさそうだ。


・・さて、この日は若者の街原宿界隈をすこしポタリングして、飯田橋の神楽坂エスパスという画廊へ向った。渋谷の寺社まわりで地理不案内と人ごみで思わぬ時を使った。友人の水彩画個展へ訪ねたかった。神宮外苑のあたりから信濃町、四谷見附、外堀通りをそのままいけば飯田橋までゆける。また道をまちがえて新宿通りを皇居の方へ進んでしまった。ここはいつか来た道。また巡査に聞いて、硯友社跡のあるあたりから駅の裏にでた。あとは葉書の案内で神楽坂をのぼり、なんとか画廊にたどりついた。

知ってる人がいると、ホッとする。佐治恭太郎さん。日曜画家です。仕事が忙しいのによく作りましたね。頭が下がる。・・さわやかなよい絵です。

きょうは日帰りで、帰り夜になると、自転車もこわい道になる。しばらくいてお暇しようと思ったら、おもしろい友人がこれからどんどん来るから会っていてくれとか、しきりに引き止める。たぶん帰り5時間はかかる。国立あたりからの夜道は馴れてはいる。まあ4時までが限度かな。神楽坂界隈も散歩したら楽しそう。・・なんでも唯識思想の専門家とその周辺の人(チャイニーズ)が来るのだという。青学、成城大、信州大でそれぞれ教授だとか。おもしろいのは、奥さんが信州大の教授で、それなら今度伊那に行く予定がある。信州大は伊那だったはず。娘さんが美人でモデルだという。その娘さんもこれから来るという。佐治さんのまわりとてもそんな人脈想像できないので眉唾ではあったが、日本の唯識の第一人者は横山先生といってその方もきょう見える予定だったとか。ともかくチャイニーズの美人モデルに会ってみてとかに釣られて、すこし長居をしてしまった。・・けっきょく他の友人がどんどん現れておもしろいことになったが、美人さんたちはそんな早く来ないでしょう。・・自転車乗りのが大切でやっと暇乞いして画廊をでた。

・・帰りは、市ヶ谷から新宿に向う靖国通りをゆきそのまま青梅街道。これ一本で青梅までゆける。・・しかし、この道つまらない。途中五日市街道にはいるのを選んだ。あまりはやくはいると迷路に落ち込んだのはいつかの体験。井の頭通りを逆行して甲州街道まで出たものだった。じっと我慢で荻窪まで、ここは駅前にでる。さらにいって三鷹のあたり、玉川上水に沿った道が五日市街道。車線も広くよい道だが、信号待ちがたくさんあってしかも長い時間待たされる。これをパスして内側に折れたが結局出口は遠く、押し戻されてまた五日市街道へ。途中交番で尋ねると、このまま五日市街道で拝島までいくしかない。横田基地のわきを通ります。この道ははじめてなので興味もあってここをひたすら進む。もう七時をすぎて暗いです。都会だからまだいい。いつか埼玉の田舎で夜道を走ったら真っ暗でどうなることかと思ったものだ。拝島ちかく横田の基地の照明がみえる。きれいなので写真を撮りたかったがあきらめる。拝島にでれば、16号とぶつかり入り組んだ交差点。ここからJRの線路沿いに福生に向うのは何度か試みてお手の物。夜道でもこわくはない。

・・剥き身の腕が日を浴びて焼けて、ひりひりする。草刈でとったドクダミをつけた湯を浴びた。薬効でひりひりは治まったようだ。

541秋魚:2015/06/02(火) 21:41:24
(無題)
・・予行ばかりやってもいられない。今日は念願の輪行をやってみた。滝山街道、高尾街道でJR高尾の駅へ。90分でいけると思ったが100分かかった。さて、駅の近くで自転車を解体せねば。観光の駅で手頃な場所がない。すこし離れているがロータリーから駅沿いの小道にはいるところにちょうどよい空き場所がある。家のベランダでやるのと趣き違ってうまくいくかどうか。ショルダーベルトの取り付けがやはりもたついてこれは結局使用しない飾りになった。フォークが一本どうしても収まらない。これでもって駅まで運び、切符を買って普通の改札は通れない。駅員さんにいって入場口を開けてもらう。荷物をみても何もお咎めなし。やや重いがこれは許容範囲。なんとか電車に乗り込んだ。先頭車両で荷物優先の場所選び。座る場所もみつけて隣した奥さんと四方山話になる。自転車の相当な乗り手にみられたが、まだ素人です。自転車の解体は最近はじめたばかり。BSでチャリダーの番組みがあるとか一般的話題でも話がつづく。この奥さんはマウンテンバイクを乗ってたが今は飾ってあるだけとか。健康によいので自分の乗り方でやるのがよいとかいってるうち、大月の駅に着きました。奥さんは勝沼のワイナリーに行くそうです。

・・大月の駅を出てここは観光案内所があります。ここも組立ての手頃な場所を見つけてすぐ組立てにはいる。解体より組立てが容易です。運んでる間にどこも破損がなければいいです。ブレーキが一番気になる。ギアの位置も正常にもどして、これで都留までいけそう。案内所で大月、都留、猿橋のガイドをしてもらい、都留には391の国道一本ということでした。これが実はひどい道でした。正丸トンネル内と似たような歩道があってダンプは来るしいやひどい道です。

・・都留では、円通院というお寺、桃林庵という芭蕉仮寓の庵。それにすこし離れた月待ちの湯という温泉。ここが目標でした。大月から小一時間で都留市中心部にはいれます。赤坂という手前の町でまだ雪化粧の残る富士が見えてきました。写真を撮ろう撮ろうと思って進むうち都留市街にはいると急に富士は姿を消しました。

・・都留には、観光案内所がありません。大月でいただいた地図を一二度参照しましたが、だいたいの見当をつけてすすんでから土地の人に道を尋ねるというのが一番いいようです。ささいな事でも土地の人と言葉を交わすのは、うれしいことです。都留の中央山沿いの円通院はすぐにわかりました。芭蕉が谷村仮寓中世話になった高山麋塒(びじ)の家の菩提寺にもなってますが、ここは蕉翁百年忌建立の句碑があります。私的には、この百年忌の興味であちこち周っています。

 旅人と我名よはれんはつ時雨  芭蕉

10月12日 嵐雪三世居二代六花庵建立

・・もともと谷村で詠まれた句ではありませんが、芭蕉が旅をつよく意識した土地で、句碑をつくる意味は深いでしょう。渋谷の龍巌寺百年忌碑には、井月はただに寄ったとしても、こちら円通院の句碑は這ってでも訪ねているでしょう。井月「越後獅子」に載る東都の俳人小林見外は猿橋の生まれです。江戸で知り合ったと思われますが、ほど近い都留谷村の話はおおく語られたと想像されます。・・この円通院をもうすこし先にすすむと、桃林庵という芭蕉仮寓の庵(再建されたもの)が見られます。・・富士の話が立ち消えてしまいましたが、ずっといつも富士をさがしていました。この桃林庵から富士はまったく見えません。この周辺からでも何か向いに山があり、そこに隠れているような、ともかくまったく富士は見えません。・・いま輪行から帰って、谷村における芭蕉と富士ということで、たぶんだれも述べておられないと思われる、重大なことに気がついています。・・それについてもうすこしここらをポタリングしないとなんとも言えませんが。

・・それで次に戸沢というもっと山よりにある月待ちの湯という温泉に向いました。

この月待ちの湯というのがお笑い話になります。「・・陰暦正月と7月の二十六日の夜半に、月の出るのを待って拝むことを二十六夜待といい・・」この信仰のある二十六夜山という山が近くにあります。

・・今回の輪行、平日でしたが、実は道中自分以外志を同じくするものひとりも出会わなかったのです。高尾の駅でも出会わなかったし、大月の駅でも出会わない。391の国道でもです。また、月待ちの湯は都留市中心から5kmほど山間にはいったところです。その街道そんなわるい道ではありません。でも、サイクリストは出会いません。・・それでは、と思いつつ、月待ちの湯は想像とちがい遠いのなんの、しかも道がわかりにくい。3,4度人に尋ねました。温泉に近づくと、道の傾斜もきつくなりしかしこれくらいは何でもありません。想像とちがいかなり山奥の村に来た感じでしたが、やっと温泉にたどりつきました。・・お笑い話というのは、失礼な話ですが、遠来の客自分だけではなかったか、老人クラブの寄り合いみたいで、とても楽しかったです。・・温泉自体はアルカリ泉の上等のもの。このへんの地層、4つのプレートが犇いていてその間隙から湯が湧き出るということです。近くの二十六夜山トレッキングがおもしろそうで、ここを起点に道があるとか。フロントで尋ねたら、案内のパンフいただけました。都留市中心で見えなかった富士見のスポットがあるとのこと。

・・輪行先で温泉にはいるのは、テルマエロマエのタイムスリップと似ています。こういうのも幻術のひとつ。地元の人たちの楽しみを崩さないうちに帰路につくことにしました。

・・お笑いというのは、このあとの自分のお話です。温泉に来るまで苦労でしたが、帰路よく覚えていなく道をまちがえてしまいました。郊外では富士もみえます。右折してどんどん進めば富士を背にして大月の駅に向うはずでした。そのつもりが、なんと眼前に雪肌らの富士がみえる!もしや、反対方向にすすんでいるのでは?人通りもほとんどない街道でした。むこうの方から、やっと歩く老人と付き添いの娘さんらしきが。迷路にはいって一大事。走りよってここはどこかと尋ねました。藁にもすがる思いでしたが、娘さんのたいへん落ち着いたやさしい対応でした。引き返して左折しなければなりません。前に富士があるから前進すれば富士吉田ですか?いえ、やはり大月にでます。ただ峠越えで駅ではなくとんでもないところだそうです。ことばのひとつひとつがやさしく正確なふうでした。・・涙はでませんでしたが、ご老人と娘さんにたくさんお礼をいって、ひきかえすことにしました。道をまちがえておもしろかったこと。途中桂川の橋をわたりました。今回富士のほかにこの桂川も見たく思ってました。このあたり田んぼの畦など勢いのある透明な水が走っています。桂川も透き通った清烈な流れです。桂川をみるのをほとんど忘れていました。道をまちがえたおかげで桂川をおがめました。

・・月待ちの湯、すこし甘く見てましたね。輪行サイクリングはすべて自己責任。迷路にはまるのも自分の責任です。帰りは、もう一度自転車の解体−組立てをする仕事あります。大月の観光案内所で隣の猿橋を見てそこから電車に乗るとよいとか聞いていました。猿橋は桂川にかかる日本三奇橋のひとつといわれます。それで大月の駅には寄らず、国道20号(甲州街道)を上ってひとつ先の猿橋まで自転車を走らせました。それが、です。高尾から猿橋、大月まで自転車で来るとしたら大垂水峠をこえておそらくずっとこの20号しか道はないのではないか。以前藤野という駅まではやって来たことあります。この20号もこわい道です。途中トンネルもあるようですし。大月から猿橋へひと走りしましたが、もう途中でやめたくなりました。車がびゅんびゅん。大型車も来ます。側道もありそうにない。あともどりが出来ずなんとか車をやりすごしながら猿橋駅の前まで来ました。コンビニでジュースを買って店員に猿橋はどこか?聞きますと、もう二三km先とのこと。ここであきらめるのも癪だったので危険な20号をさらに進みました。で、ありました。・・観光名物らしく集団の客がガイドとともにもう見物の最中でした。人ごみもあの殺伐な20号よりは救われます。奇橋といって、なんとなく猿の橋なのはおもしろいです。それにその下の桂川の渓谷はぞっとするほど深い。桂川の流れの頼もしさはよかったけれど、20号の殺伐さは、今回とても気になりました。

・・輪行の自転車解体−組立ては一日一回というのが本当はよいのかもしれません。猿橋の駅で二度目の解体にとりかかりました。車輪を外す前にギアの位置をアウタートップにするのを忘れてしまい、そのまま外しました。チェーンがたるんで外れそう。なんとか張りをつくりましたが、もしチェーンが外れたら、自分はもとにもどせるだろうか?ディレーラ部分のチェーンのかかりは今でもよくわかっていません。変なトラブルなしに、きょうはもう帰りたい一心になりました。

542秋魚:2015/06/05(金) 01:58:48
(無題)
暖簾に春風たちぬ駿河町  五渡

(*駿河町  町名の由来は江戸城の向こうに駿河の富士山を望むことから。ここからの富士山の眺望は江戸一と言われていた。)

井月編「家づと集」諸州の項に載る句。この五渡とは誰だろう。

 五渡という雅号の俳人 武州妻沼の人。薬種商大和屋の主人として三代まで五渡を名乗る。

・・おそらく井月の会った五渡は三代目であろう。武州と上州でなされた芭蕉百五十回忌の俳諧連歌興行に名を連ねている。


三代五渡

薬種商大和屋の主人。通称定次郎。越鳥、後五渡の号を継ぐ。有磯庵。

 天保12年(1841年)4月12日、深谷市中瀬の吉祥寺で祖翁百五十回忌追福脇起俳諧之連歌興行。

三代五渡の句

俤やますます白き苔の花  『蝉塚集』

耻かしや花に来てさへ寐わすれし 『花の雲』



* 『蝉塚集』 斎藤南々の芭蕉句碑建立記念句集。田川鳳朗序、久米逸淵跋。

 天保12年(1841年)4月12日、俳諧連句興行。5月、芭蕉百五十回忌に芭蕉の句碑建立。


* 『花の雲』(富処西馬)

富処西馬の芭蕉句碑建立記念句集。田川鳳朗序、久米逸淵跋。

 天保13年(1842年)春、富処西馬は高崎市の清水寺に芭蕉の句碑を建立。
茲に亦上毛高崎の府、惺菴西馬ありて祭をまうく、其礼や厚々淳々、地を卜して恩報の碑を築き、払子を振て霊弔をさしまねく、同志雲の如く集り、香名しくれて叢根林葉をそゝく、風吟夕ニ一集札をなすといふ、こゝにおいてか一条をもとむ、よつて鳳朗腐毫を採て是か為に記誌す

    天保十三歳季春日

      天保壬寅三月二十八日於上毛清水寺興行
      一百五十回忌追福正式俳諧百韻

観音の甍みやりつ花の雲   祖翁

残るかたなき春の日のかけ    西馬


碑前手向

はせを忌のひとふしなれや花のかけ
   碩布

めくりあひむかしのけふの花の雲
   逸渕

花に只手を合はせたるはかりなり
  信濃 葛古

けふの我こゝろを啼や呼子鳥
  武蔵 寄三

面影にたつや霞のかれ尾花
   青荷


行春やこゝろを洗ふ椎の露
   上毛 竹煙



      百五十年同昔日
      紅々緑々祖翁真

柳さへ花さへさそふ供養かな
   西馬


ある事のなくて過たし花に風
  武蔵 南々

耻かしや花に来てさへ寐わすれし
   五渡

寐ところのかはるも嬉しはるの宵
   市月



   春之部


恵方ハと問婆とひとひよしの山
   鳳郎

目に見えて寒たけ立し柳かな
   見外


   夏之部


      卯 月


鳴といふ木につひきかすほとゝきす
   江戸 松什

散を見てからすの逃る牡丹かな
   万古



   秋之部


朝かほにあらく当るや稲の風
  京 梅室

一口に三夜をほめけり盆の月
   而后



   冬之部


      神無月

はいはいと出るや小春の鱗雲
   江戸 護物



  *

@巻 菱湖(まき りょうこ、安永6年(1777年) - 天保14年4月7日(1843年5月6日))は、江戸時代後期の書家。越後国巻(現在の新潟市西蒲区)に生まれる。姓は池田、後に巻を名襲名。名は大任、

・・明治政府及び宮内庁の官用文字・欽定文字は御家流から菱湖流に改められ、菱湖の門下生は1万人を超えたと伝えられている。


「芭蕉花の雲句碑(高崎清水寺) ・・碑面の句は当代第一級の書家であった越後出身の巻菱湖が筆をとり、碑背の文を常陸国牛久藩主の大内蘭長が書いたもの」

  *

@桜井梅室  明和6年(1769)生〜嘉永5年10月1日(新暦1852年11月12日)歿
 名は能充。俳号は初め雪雄、素信又は素心、後に梅室と改め通称とした。方圓斎、陸々等の別号がある。金沢の人、父祖代々加賀藩の刀研師で、桜井新九郎の子。
 16歳にして俳諧に志し、槐庵馬来・高桑闌更に師事した。文化4年、家職を弟子に譲り、京に上って俳諧をもって世に知られるに至った。文政から天保にかけては江戸にて活躍。江戸滞留10余年の後、金沢に帰省したが、再び京に上り、嘉永4年には、二条家から花の下宗匠の許しを得た。俳名もいよいよ高く「天保の三大家」と称された。


天保14年(1843年)、芭蕉百五十回忌に比良城林曹社中は太融寺に芭蕉句碑を建立。梅室筆。

 しら菊の目に立て見る塵もなし

天保14年(1843年)閏9月、大津市の幻住庵跡に芭蕉句碑を建立。梅室筆。

 先たのむ椎の樹もあり夏木立

・・各地に芭蕉句碑を建立しているが、天保14年芭蕉百五十回忌には、二箇所に建立。天保12年(1841年)には、武州深谷市吉祥寺での芭蕉百五十回忌俳諧連句興行、天保13年(1842年)には、上州高崎の清水寺の俳諧連句興行にそれぞれ出句している。


・・神出鬼没だが、いずれも蕉翁百五十回忌。

543秋魚:2015/06/07(日) 22:00:07
(無題)
・・入梅まじか。晴れたので、きょうは飯能の美術家柳井嗣雄さんと藤浪お嬢を案内して岩井堂観音にでかけた。岩井堂は元浅草観音として有名だが、近頃は訪問者は皆無に近い。成木川に沿った街道の青梅と飯能の端境に位置し、河岸にそそりたつ岩壁の中にあるこの岩井堂は、車で訪れるには駐車する場所もなく周囲はまったくの自然に囲まれて人の訪問を拒否してるかのよう。自分は以前一度訪ねていて、川淵で上下に緊密に篭められた祈祷空間をうれしく思っていた。・・継体大王の頃、行脚の僧が一寸八分の黄金の仏像を岩の祠に祀った。ある日洪水でその仏像が成木川に流され、それから百年ほどの間に、入間川ずっと下流の隅田川まで流され、漁師の網にかかって日の目をみた。それが浅草寺本尊の観音様になったということです。

・・唐竹の柳井さんのアトリエから車で向った。山王峠をこえ小曽木街道にはいる交差点を左折しまもなく岩淵の岩井堂がある。案の定駐車がむずかしい。ああでもないこうでもないやって少し離れた写真館の主人の許しで庭に車を置かさせてもらった。

・・ここは登山ハイキングというほどではないが、切り立った崖を川縁まで下りる参道、そこから細い鎖道に沿ってすすみ大きな岩の裏側にまわるふうだ。以前来た時はさらに川べりまで降りる道があったと記憶していたが、工事で変改されたよう。すこしいくと本堂らしきに着いた。岩の祠に首の無い石像がいくつも並んでいてやや不気味。川べりまで降りると、湧水のある竜宮の空間があると、ものの記事にはある。けっきょくその存在の有無はわからぬまま。自分としては物足りなかった。・・その本堂からさらに上にすすむ岩の階段道があってずっといくと赤い巨岩の天辺までいける。細いけわしい道で、草木に蔽われていても岩肌の部分が清潔なので安心できる。頂上付近には、とても強い香りの花がある。藤浪さんのいうにはジャスミンだという。すぐ真下は草木に隠れた深い谷だ。木々の緑の上に出たよう。冬など見晴らしのよい日には雪の富士山をみることもできるという。この地域で富士をみれるというのはめずらしいことだ。

・・この大きな赤い岩は何なのでしょう。地震があっても崩れそうにない。頂上は小さな空間だが、居心地はいい。三人でお茶とカリントウをいただいてしばらく休んだ。

・・岩井堂を訪れる人は皆無というのは、すこし誇張した言い方だ。ネットで調べてもいくつか興趣深く踏み込んだサイトもある。折に触れ訪ねる人はままいるはずだ。ただわたしらが訪れる時はほぼ無人と思ってまちがいない。・・ずっとくだってサンバ祭りなどで賑わう浅草寺にいってみればわかる。絶えぬ人の参詣でいつも満ち溢れている。いまはいろいろ錯綜した寺社がたちならび本尊が何であるか気に留める人もすくないのではないか。よし気に留めたとしてもここの観音像は絶対秘仏となっている。

・・岩井堂観音はもともと岩の祠に安置されていた。古来の場所はわからないが、今はそれらしきには何体かの石仏が置かれている。ただしおおよそ首がない。これは、明治期になって行われた廃仏毀釈の運動によるものだろうか。修復されたものもひとつふたつみえる。が、こんな訪問のすくないところではむしろ石仏破壊の傷跡をそのまま残した方が歴史の真実がわかるというものだ。この首無しの石仏群は、けっきょく無視されている元浅草の観音像の現在にすぎない。首を切ったのは明治の新政府とばかり理解するものではない。

・・いずれにしても岩井堂は、今でも成木川の淵で亡霊然としてたたずんでいる。

544秋魚:2015/06/10(水) 16:16:24
(無題)
・・先日成木川の上流まで常盤の面影を訪ねたが、ほとんど伝説くらいの思い入れだった。
地元だったので一驚し、この辺鄙な田舎にかの常盤御前が住まいしたなどにわかに信じがたかった。時代なのかこういう古いものを追う人も少なくなっているせいか土地の人もほとんど気にかけていない。牛若の母堂、それでも一部で熱心な追っかけやってる人いるはずと思い、ネットで探したらやはり存在してました。・・すぐ隣の飯能にはよく赴きます。この飯能に常盤伝説があるというの頭に残っていて、こちらで探していたのです。まだ訪ねてはいませんが天覧山、多峯主山の峠道を歩いて陸奥の義経を追いかけようとしたらしい。常盤の墓があるという言い伝えは何ヶ所かあって、飯能もそのひとつ。常盤塚があるのかないのか自分もこんど追っかけをやってみたい。有名な常盤の墓は関が原にあるそうだ。牛若が鞍馬山をでて東国に向ったとき常盤も追いかけたが、賊に襲われて関ヶ原で落命したという。こんな早い時期に常盤は亡くなってませんから、関が原のお話は作り事ですね。

・・野ざらしの旅で芭蕉が常盤の塚にあい句を詠んでます。

 義朝の心に似たりあきの風

常盤の死は今でも謎です。京の一条河崎観音堂で捕らえられたあと(1186年)鎌倉に護送されたかは不明だが、やはり東国にくだってきているのではないか?・・青梅の成木川上流の常盤林道付近に隠れ住んだという話は、飯能の山歩きの話とあわせて真実味が増してきた。青梅の成木の隠れ里は、たいへんな田舎の印象があったが、これはたぶん違っている。鎌倉街道と呼ばれるものがすぐ近くにあり、これは大山詣での道ともいわれ、また高水山という霊山の表参道にも目と鼻の先。この高水山には頼朝の忠臣畠山重忠が帰依していたというから、もしや重忠の保護下にあったやもしれぬ。

・・常盤の追いかけ人は、実際、成木林道のかたわらに常盤の館の名残、石垣のあるのを確認したという。ここから飯能へは、たぶん脱出逃亡の道行きということもあろうかと。

 『常盤林道を上ると、途中の杉林に舘舎(御殿)蹟と称し、石垣の跡が残っているやゝ平坦な所がある。ここに源義経の母常盤御前が住んでいたといわれている。常盤御前は、源氏の棟梁源義朝が京の帝に仕える千人の侍女の中から選んだ絶世の美女、後に頼朝が鎌倉幕府を興し京都から常盤御前を呼び寄せたとき、人目を避けて一時この地に住まわせたと言い伝えられている。今でも地元の人はこの山を御殿と呼び、常盤の地名もここから来たと思われる』    〜常盤むかし話懇談会〜

・・おそらくこういう言い伝えが、妥当な話であろう。そんな館跡まで本当に残っているとは思ってもみなかった。・・常盤が京の清盛の前に出頭したのは、捕らわれの母と三人の子の命を救うためだった。大河ドラマもひさしくみていない。このシーンはみなどう作るのだろう。・・常盤の生涯の節目節目がいろいろ想像のはたらくドラマにみえる。ただし、常盤の晩年は藪の中、闇の中にその香りをほのかに残すのみ。

545秋魚:2015/06/11(木) 21:25:24
(無題)
甲斐の山中(家)に立ち寄りて、

 行駒の麦に慰むやどり哉

・・芭蕉「野ざらしの旅」の末の帰路、江戸にはいる一歩手前、甲斐の山中(家)は都留の谷村か、勝沼の万福寺か。

・・万福寺には、駒塚という馬蹄石がある。

>・・昭和33年(1958)刊、勝沼町誌刊行委員会編「勝沼町誌」
p1237〜38 万福寺の項によれば、

* 馬蹄石
 駒塚ともいう長さ二間広さ九尺石の面は平らにして馬の蹄の跡四個を留む。伝説によると聖徳太子甲斐の驪駒に乗り富士山、駒ヶ岳に登り還りてこの石に駐したりと。

・・芭蕉は万福寺に寄ってこの馬蹄石をみたという着想から、ここに句碑が建てられ「駒塚集」という句集が編まれた。

三車上人という万福寺の和尚が編んだものだが、成立は寛政五年(1793年)芭蕉百回忌に合わせたものかといわれる。ただし「行駒の麦に慰むやどり哉」の句碑は、蝶夢が「富士美行脚」の旅で万福寺に立ち寄った時すでにこの句碑をみているので、1788年より以前のこと。あるいは「富士美行脚」の脚色で1788年に句碑を見たことにしたのかもしれぬが。


・・序文が高桑闌更、跋文が井上重厚。蝶夢門と闌更門の競合ともみれる。



若葉して御めの雫ぬぐはばや


・・芭蕉が奈良の唐招提寺に訪れた際、鑑真和尚の坐像を拝みて詠んだ句。元禄元年(1688年)。

・・芭蕉は、聖徳太子をどう捉えていたのだろうか?百年忌に甲斐で編まれた「こまづか集」をみているうち、ふと気になった。源平の合戦で運命を翻弄されたものたちに多く手向けの句を寄せている芭蕉だが、鬼神を語らず、太子については何も句を残していないとみた。聖徳太子については、今でもその聖人についてのイメージや実在性について疑義をはさまれること多く、ほんとうの顔はわかっていない。奈良に訪れて法隆寺にも寄ったのは推察されるにしても、句を残すことはなかった。・・唐招提寺に寄ったのは、たしか、鑑真和尚を詠んだ句が残っている。

・・「こまづか集」の騒ぎに比して、この一句。


・・御めの雫は、涙ではないだろう。・・あるいは涙かもしれぬ。


 行駒の麦に慰む・・若葉かな (へんな俳句)


   *

・・自転車の調整で、また前輪のタイヤ外しを試みた。バーストした部分、あれからだいぶ乗り回しているが、すこし不安になった。傷を負った部分、必ずもとに復旧するというのではない。身体なども古傷は後年になってぶりかえしてくる。・・前輪を車体から外すのは容易になった。タイヤをリムから外すのはまだ馴れていない。・・なんとか開けてみる。やはり変な圧がかかっているのか、クリアファイルの傷口の上は両面テープの接着剤が溶けてしまってた。その分ファイルが脹らんで凹みをつくっていた。チューブもすこし変色。やはり応急処置の限界か。チューブは穴あきがないがパンク修理用のパッチを貼ってもとにもどした。・・タイヤ交換を視野にいれねば。

・・次の輪行は、高崎までの片道輪行(帰り)をプランしている。

546秋魚:2015/06/13(土) 01:25:16
(無題)
 五味可都里

本名は五味宗蔵。加藤暁台、高桑闌更に学ぶ。別号、葛履。葛里。蕪庵。雪亭。

甲州藤田


可都里
   五味宗蔵


『諸郡銘録』
 寛保3年(1743年)、中巨摩郡藤田に生まれる。

 明和7年(1770年)11月、高桑闌更に入門。

 天明2年(1782年)4月10日から22日まで五味可都里が信州諏訪・佐久及び上州妙義・榛名を旅する。『諏訪道之記』

・・


 天明8年(1788年)秋、闌更を藤田村に迎えて歌仙を巻く。『農おとこ』(可都里編)刊。闌更序。


@ 『農おとこ』

・・農男とは、麦刈の頃、富士山に残った雪が、笠をかぶり鍬を持った男のように見えることをいい、この時期田植えをすることが習わしであるという。

不尽のねや皐月定る雪をとこ
??可都里



 雨ぬれをとめ野は田うゑ笠
?? 闌更







   歌僊



夕暮や真白きうへに天つ不尽
??闌更



 あしがらごえもいのちなりけり
?? 可都里







ほとゝぎす朝寝の里に田長よぶ
?? 可都里



杜鵑まつたのしさの更わたり
?? 作良



   おなじこゝろを



鳥総たてし明るき山にほとゝぎす
   京  闌更



千鳥啼や川下の月京に入
   差出  石牙



箒木にあやまく庭のへだてかな
?? 如毛



   姨捨山にて



名月や千曲の夜霧越の雲
   信濃  伯先



きりぎりす鳴や小藪のかいまがり
   上毛  似鳩



降雪や陽さかむなるおこし炭
?? 鷺白



木瓜咲や木履をはいて遊び行
?? 丈水



朝戸出や露になれたる丸天窓
   嵯峨  重厚



   よし野にて



花の雪梢は花にわかぬかな
   播磨  青蘿



   歌僊



貫之の燧さげつゝなつの月
??可都里



 舳さき涼しさなみの浮鯛
?? 闌更

547秋魚:2015/06/14(日) 22:20:36
(無題)
・・飯能の奥に廃屋があって自由に使ってよろしい。という話があった。近くに住んでる友人が、美術家ですが、乗り気になってその家敷地を整備しはじめた。強く誘われたわけではないが、一日草刈など手伝いにでかけた。・・このところ体調と自転車の整備で余念無く半分は調整のつもりで自転車を走らせた。

・・この自転車何年目になるのだろう。普通はこれまでの走った総距離を目安に使うらしい。素人サイクリストの自分はむろんそんなことを気にかけず乗り回してきた。一応のブランド品で、使い込んでも狂いがでてくるということはなく、日を追って身体になじんでくるのはうれしかった。ただやはり部分的な劣化はどこかで起きる。タイヤはまだまだ使えそうだが、半年ほど前バーストした前輪は補修したとはいえそろそろ限界かというところ。・・新しい替えタイヤを注文して入手した。

・・もうしばらく空気圧を加減しながら乗ってみる。青梅坂から小曽木街道へ、途中緑の木の中でホトトギスの声を聞き分けたのは、最近の成果。うれしかった。昼過ぎに友人の家に着いた。どんな集まりかも想像してなかったので、すこし面食らう。新しい人に出会うと自己紹介とかしどろもどろで重くなる。なるべくこういう会には参加しないようにしていた。人見知りだと人はいう。

・・なんかすばらしい奥様たちがいらしてて、食事中とか。わたしはお茶でけっこうでしたが、いろいろお裾分けにあずかった。年季のはいった奥様たちは、みな料理上手で、ささいな集まりではありましたが、最後まで手作りのデザートとかお菓子とかこんなことは滅多になくそれだけで自律神経に狂いが来てしまった。・・こういうときは廃屋の整備をおもいきり手伝うにかぎる。きょうは庭の雑草、植木の刈り込みが主なる仕事。しかしけっこうなものです。葛のつる、アケビの蔓などからまり鬱蒼とした庭はジャングルの様。気持ちが先になって挑んでも体調はついていかない。安い靴をはいていたのでバラの棘でも貫通して痛みをおぼえた。参加しているご婦人たちが勇猛果敢なのでしり込みするわけにもいかずなんとかがんばった。実は、体調がすごくわるかった。ひけ間際さいごの一時間でようやくなじんで来たのがわかった。・・家でパソコンの相手ばかりしているとこうなるのでしょう。

・・ウグイスは自宅の前でもよく鳴くけれど、ここはもっとすばらしい音色で鳴いた。信じがたいほど鮮明だ。参加していたご婦人の家ではカッコウがよく鳴くという。カッコウは飛びながら鳴くのだという。その飛びかたも波打つように飛んで、尾が長いとか。

548秋魚:2015/06/16(火) 01:15:02
(無題)
・・お岩、お露までこの世とつながる江戸の時代はインターネットよりおもしろいかも。芭蕉翁のつながり世界どこまでみえるか、このところの興味である。

  1793年 芭蕉百年忌・百五十年祭
  1843年 芭蕉百五十年忌・二百年祭

・・1793年の近傍は、天明期大飢饉、大火災。後桜町上皇、光格天皇の時代です。

>・・東北地方は1770年代から悪天候や冷害により農作物の収穫が激減しており、すでに農村部を中心に疲弊していた状況にあった。こうした中、天明3年3月12日(1783年4月13日)には岩木山が、7月6日(8月3日)には浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせた。火山の噴火は、それによる直接的な被害にとどまらず、日射量低下による冷害傾向をももたらすこととなり、農作物には壊滅的な被害が生じた。このため、翌年から深刻な飢饉状態となった。

>・・幕藩体制の確立とともに各地で新田開発、耕地灌漑を目指した事業が行われた。しかし行き過ぎた開発は労働力不足を招き、強引に治水した河川が耕作地に近接しすぎることで、洪水を頻発させ生産量の低下を起こす原因にもなった。さらに当時は、田沼意次時代で重商主義政策が打ち出され「商業的農業の公認による年貢増徴策」へと転換され、地方の諸藩は藩財政逼迫の折に、稲作の行き過ぎた奨励(結果的に冷害に脆弱であった)や、備蓄米を払底し江戸への廻米に向けるなどの失政が重なった。大凶作の一方で米価の上昇に歯止めが掛からず、結果的に飢饉が全国規模に拡大することとなった。

>・・異常気象の原因は諸説あり完全に解明されていない。有力な説は、火山噴出物による日傘効果で1783年6月3日 アイスランドのラキ火山(Lakagígar)の巨大噴火(ラカギガル割れ目噴火)と、同じくアイスランドのグリムスヴォトン火山(Grímsvötn)の1783年から1785年にかけての噴火である。これらの噴火は1回の噴出量が桁違いに大きく、膨大な量の火山ガスが放出された。成層圏まで上昇した塵は地球の北半分を覆い、地上に達する日射量を減少させ、北半球に低温化・冷害を生起し、天明の飢饉のほかフランス革命の遠因となったといわれている。また、天明3年3月12日(1783年4月13日)には岩木山が噴火、浅間山の天明大噴火は8月5日から始まり、降灰は関東平野や東北地方で始まっていた飢饉に拍車をかけ悪化させた[6]。なお、ピナツボ火山噴火の経験から、巨大火山噴火の影響は10年程度続いたと考えられる。 しかし、異常気象による不作は1782年から続いており、1783年6月の浅間山とラキの噴火だけでは1783年の飢饉の原因を説明できていない。

>・・信州善光寺大勧進表大門の手前にある放生池は、時の第79世貫主・等順大僧正が天明の大飢饉において、善光寺貯蔵の米麦を放出して民衆を飢餓から救済、等順の恩に感謝した人々が集まり掘った池と伝えられている[7][8]。

>・・御所千度参り(ごしょせんどまいり)は、天明7年6月7日 (1787年7月21日)に発生した、京都御所の周囲を多数の人々が廻り、千度参りをした事件。

この御所千度参りは、天明7年6月7日頃から始まった。初めは数人だったが、その数は段々増えて行き、6月10日には3万人に達し、6月18日頃には7万人に達したという。御所千度参りに集まった人々は、京都やその周辺のみならず、河内や近江、大坂などから来た者もいたという。

京都は人であふれ、後桜町上皇からは3万個のリンゴ(日本で古くから栽培されている、和りんご)が配られた。他にも、有栖川宮や一条家などでは茶が、九条家や鷹司家からは握り飯が配られた。

この事態を憂慮した光格天皇が京都所司代を通じて江戸幕府に飢饉に苦しむ民衆救済を要求する。これは、禁中並公家諸法度に対する明白な違反行為であった。そのため、天皇の叔父でもある関白鷹司輔平も厳罰を覚悟して同様の申し入れを行った。これに対して幕府は米1,500俵を京都市民への放出を決定、法度違反に関しては事態の深刻さから天皇や関白が行動を起こしたのももっともな事であるとして不問とした。

549秋魚:2015/06/17(水) 17:34:44
(無題)
・・補修調整した自転車でまた多摩川サイクリングロードを走った。昔目標とされたサイクリングロードはいまや試行ロード。これに馴れすぎると悪路が走れなくなる。前回都留大月の国道を走ったとき、立ち往生したサイクリストをみて車はあわてたに違いない。ママチャリ感覚で走ってるサイクリストに事故をおこすのは自動車のドライバーも嫌であろう。これは道端で車を見ていればわかる。・・まれにだがアオリのドライバーもいる。遭遇しないのを祈るのみ。

・・カーレースなどでよくトラブルで中断するのは、たぶん設計創作の微妙な誤差が原因であろう。各パーツ機能の限界までチャレンジして結果を出そうとするのがカーレースの目標だ。すべてのパーツが同じ限界機能でつながっているわけではない。全体の限界の近傍では限界機能をこえたものもあらわれる。・・あまり競って無理をしないに限る。

・・とはいえ、自転車はよく整備した方がよい。無精者の自分は最低限の整備にやっと気づいた程度です。

・・高崎まで80キロはあるな。見立て狂いは茶飯であるのは、これまでの経験だ。

550秋魚:2015/06/17(水) 20:38:52
(無題)
・・高崎清水寺観音。想い出多し。キズ多し。

「・・高崎観音山の東腹にある曹洞宗の寺院で、古くから養蚕の仏様として近郷の信仰を集めています。大同3年( 808)に、坂上田村麿が東国平定の際に戦死した将兵の冥福を祈り、京都の清水寺から勧請して建てたと伝えられています。本尊は千手観音で、近隣丘陵地の名称「観音山」の基となるものです。」

・・「せいすいじ」と読むそうだ。要は、坂上田村麿つながりでしょう。

「・・後に征夷大将軍となり、東国の蝦夷平定を命じられた田村麻呂は、若武者と老僧(観音の使者である毘沙門天と地蔵菩薩の化身)の加勢を得て戦いに勝利し、無事に都に帰ることができた。」

・・『枕草子』は「さわがしきもの」の例として清水観音の縁日を挙げ、『源氏物語』「夕顔」の巻や『今昔物語集』にも清水観音への言及があるなど、平安時代中期には観音霊場として著名であったことがわかる


 観音の甍ミやりつはなの雲

 高崎市指定重要文化財である。

「芭蕉花の雲句碑

 この句碑は、江戸時代末期の上州随一の俳人であった高崎田町生まれの富所(志倉)西馬が、芭蕉俳諧の流れをくむ者として、上州内外の俳人と共同で芭蕉百五十年遠忌の前年にあたる天保13年(1842年)春に建立したものである。この時、記念の大俳句会も開催している。」


・・近傍が、天保の大飢饉。

「・・天保の大飢饉(てんぽうのだいききん)は、江戸時代後期の1833年(天保4年)に始まり、1835年から1837年にかけて最大規模化した飢饉である。1839年(天保10年)まで続いた。1836年(天保7年)までと定義する説もある。」


「・・ 主な原因は洪水や冷害であった。東北地方(陸奥国と出羽国)の被害が最も大きく、特に仙台藩の場合は盛んに新田開発を行い、実高で100万石を超える石高を有していたが、米作に偏った政策を行っていたため被害が甚大であった。

各地で餓死者を多数出し、徳川幕府は救済のため、江戸では市中21ヶ所に御救小屋(5800人収容)を設置したが、救済者は70万人を超えた。米価急騰も引き起こしたため、各地で百姓一揆や打ちこわしが頻発し、天保7年6月に幕府直轄領である甲斐国一国規模の百姓一揆となった天保騒動や、天保8年2月に大坂で起こった大塩平八郎の乱の原因にもなった。特に大阪では毎日約150人-200人を超える餓死者を出していたという。」

* 天保騒動(てんぽうそうどう)は、江戸時代後期の天保7年(1836年)8月に甲斐国で起こった百姓一揆。甲斐東部の郡内地方(都留郡)から発生し、国中地方へ波及し一国規模の騒動となった。別称に郡内騒動、甲斐一国騒動、甲州騒動。


 ・・天保7年8月17日(1836年9月27日)夜半、谷村では下谷村近郷百姓による米穀商居宅への打ちこわしが発生し、騒動の発端となった。谷村には石和代官所の出張陣屋である谷村代官所が諸愛しているが、元締手代山内左内は不在で、石和陣屋から加判手代松岡啓次が出張し、関係者の処罰と村々への取締を行い収拾される。

・・一方、谷村での打ちこわしと同時に都留郡下和田村(大月市七保町下和田)の武七(治左衛門)、同郡犬目村(上野原市犬目)の兵助は同郡鳥沢村(大月市)で合流すると、米価引き下げを求めた強訴を計画し一揆勢の頭取となった。」

・・都留谷村、大月あたり、百五十回忌は凶兆になるわな。

  *

?江戸文化との交流(多摩人:小林天淵の例)
1848年(弘化4年)夏、江戸の町学者で『江戸繁盛記』の著者・寺門静軒は、武州多摩郡青梅村の小林天淵を尋ね、青梅の里に遊んだ。
小林天淵は、生粋の多摩人で青梅仲町の生まれで、生家は酒商で名主も兼ね、若い時には家業に励みその後江戸に出て絵を谷文晁に、狂歌を大田南畝に学び、江戸文化人との交友が広かった。
寺門静軒が天淵を尋ねた時は52歳、天淵は70歳で、天淵は老後家塾を開き、集まった郷党の人の数は600人の多きにのぼるという。



・・強力な先達のつながりが得られた。邁進するのみ。

551秋魚:2015/06/18(木) 20:20:41
(無題)
天明の六俳客?? ・・無爲庵樗良、暮雨庵暁臺、夜半亭蕪村(谷口蕪村)、春秋庵白雄、雪中庵蓼太、南無庵蘭更である。

天明中興の五傑 ・・ 人各々好む所あり。蕪村の雄放、暁台の剛健、蘭更の艶冶、白雄の老蒼、蓼太の富麗等、

天保の三大家  成田蒼虬、桜井梅室、田川鳳朗

552秋魚:2015/06/19(金) 01:42:41
(無題)
「・・宝暦事件 ほうれきじけん

1758年(宝暦8)に京都で朝権回復を志す尊王論者の少壮公卿(くぎょう)らと竹内式部(たけのうちしきぶ)が処罰された事件。儒者、神道者の竹内式部は崎門(きもん)学派、垂加神道(すいかしんとう)に基づいて『日本書紀』『保建(ほうけん)大記』『靖献遺言(せいけんいげん)』などを家塾で講義した。そのなかで武家に政権を奪われた朝家の政権回復の心構えを説く一方、激しく将軍を誹謗(ひぼう)した。現状に不満をもつ門弟の徳大寺公城(きみき)、正親町三条公積(おおぎまちさんじょうきんつむ)、烏丸光胤(からすまるみつたね)、西洞院時名(にしのとういんときな)などの公卿は師の説に深く感銘した。彼らは君徳涵養(かんよう)のため若い桃園(ももぞの)天皇に式部の学説にのっとった『日本書紀』を進講した。しかし事が朝廷と幕府との関係悪化に発展するのを恐れた前関白一条道香(みちか)らは、天皇の嫡母青綺門院(せいきもんいん)を動かして、徳大寺らの官を停(と)め永蟄居(えいちっきょ)など処罰して天皇の周囲から排除した(宝暦8年7月)。一方、式部については、京都所司代松平輝高に連絡して幕府にゆだね、翌59年5月京都町奉行(ぶぎょう)は式部を重追放に処した。式部は京を追われ伊勢(いせ)国(三重県)宇治山田へ退去した。[山田忠雄]

・・この烏丸光胤(からすまるみつたね)は烏丸光栄を養子で継いだ人です。竹内式部の門弟には日野資枝もいますが、烏丸光栄の末子で日野家に養子で入りました。竹内式部を追い詰めるため日野資枝の裏切りがあったそうです。

・・烏丸家の文学と日野家の儒学を統合してあらわれたのが日野資枝。子の日野資矩とともに後桜町天皇に和歌をもって仕えたとのこと。

553秋魚:2015/06/19(金) 11:18:03
(無題)
・・前回の都留ポタリングで、月待ちの湯からの帰路道を間違えたのは今でもわからない。地図をひろげて再検討してみる。戸沢谷村道から高速道にぶつかった十字路で左折したのがまずかったか?そのまま行くと谷村とか都留文大のある方にむかう。引き返して左折で正解か。道を尋ねた人が、そのまま行くと峠をこえて大月へ行くというのは、話しをわかりやすくする為誇張したものか。・・谷村のもっと先なら十日市場の湧水めぐりができた。田原の滝では、芭蕉は句を詠んでいる。

 勢いヒあり氷消ては滝津魚

・・途中桂川と思ったものは違うだろう。菅野川かなにかの支流。間違い多し。

554秋魚:2015/06/19(金) 22:42:09
(無題)
・・岩井堂  N35度50分08 E139度18分02

・・火山峠  N35度46分50  E137度59分18

・・青梅市畑中 N35度46分58  E139度14分42

555秋魚:2015/06/20(土) 01:27:39
(無題)
青梅や筒井づゝなるその昔

・・この青梅は季のオブジェかもしれぬが、自分はこの土地のことと理解した。井月は青梅を訪ねている。・・おそらく谷野の真浄寺。ここにある時雨桜碑と芭蕉塚。ここに立ち会っているはず。

・・つつ井づつとは何であろう?

「筒には星の意味があるのは金星を夕つつと呼ぶことからも明かで、星こそ航海の重要な目印であり、海の守り神として相応しい。オリオン座の三ツ星の神格化が三筒男と思われる。」

井を中にしてつつとつつが出会う。星が井の中に映ろう。

「浅海と云う深い入り江の奧に鎮座。津々浦々の津々を筒と表現し、入り江の奧を底筒男、入り江の入り口を表筒男、その中間を中筒男と云うのが真弓常忠氏の住吉三神についての説である。対馬の港を見れば、納得できる説ではあるが、やはり筒は星だと思う。」


   *

臼左 俳人。武蔵。横川貞八郎。旧左とも書く。別号尺雪園・好々居。武蔵青梅の人。由岐男門。明治十年宗匠となる。埼玉県南西部に門人が多い。青梅の金剛寺境内に門人好々居社中が明治二十七年に句碑を建てる。『初心俳諧百人集』に肖像を載せる。明治三十二年(一八九九)没、七三歳。井月『余波』所収。「寝転んで見る花でなき牡丹かな」

556秋魚:2015/06/20(土) 19:49:22
(無題)
・・梅雨の晴れ間をぬって入間アウトレットパークまで自転車を走らせた。入間は不思議なところです。日常の活気というのがすこぶるよい水準というか。自分のような若ぶり年寄りには刺激が多い。

・・河辺駅前から北進して霞川にぶつかるまで。ここをさらに北西に進めば塩船観音に至る。この日は霞川に沿ったサイクリングロードで青梅の外れまで行く。躑躅の名所薬王寺に行った時、この霞川サイクリングロードを発見した。ほとんど歩行者専用かとも思えるが歩く人はあまり出会わない。まったく快適な道だ。川べりで紫陽花がきれいに咲く。カワセミの飛翔をとらえようとするカメラマンも今はいない。岩蔵街道を横切ってさらに進む。水は澄んで魚もみえる。ゆったりした水鳥が一羽みえた。写真を撮ろうとすると大きく羽根をひろげて飛び去るのがいつもだ。ちょっと遠目からなんとか一枚。これはコサギというのだろう。帰り入間の博物館で似た鳥の写真があった。

・・青梅から外れてここから入間市です。という標識があった。さて、ここからが迷路。16号にでる必要がある。東京の都心ばかり目がいく人には、この16号のことはわからない。首都圏大回りの環状線だ。・・自転車乗りのはじめの頃、横浜みなとみらいに出た。深夜に横浜から町田にでるのはこれしかないという。16号は本来が自動車道。歩道はあるがいま思い返しても人の歩く道ではない。自転車の道でもない。まったく恐怖だった。この16号は横田基地のわきを通って狭山、入間、川越その先は自分には未知だ。

・・アウトレットモールかと思っていたが、ミツイアウトレットパークが正式な名称。この集合商店の建物にY’roadという自転車店があるという。これが目標だった。入間から一度狭山にはいる。茶畑が一面にひろがっている。ここは以前立川から飯能にでる時通ったあたり。かなり入り組んでいる。飯能街道では車にあおられたものだ。まああまりいい道ではないが、悪路の修羅場をいくつか経験して恐れはない。人に聞きながらなんとか16号まできた。あいかわらずすごい道路ですね。16号は横断というのがひどくむずかしい。・・アウトレットパークまで近づいているはずだが、まだ見えてこない。そうこうするうち回転寿司のはま寿司が見えた。昼もだいぶ回っているので、ここで休憩にした。はま寿司はなかなかよい店です。ネタが新鮮。しかしすごい込みよう。何を注文するかなと考えてかなり遊べる。南高梅のはいった海草うどんを注文した。南高梅のいいものは一つ百円はする。どんな梅が来るか。まあ微妙ですね。最高級ではないが、まずまず。

・・店をでるとすこし先にミツイアウトレットパークがあった。二階建てで、小さな小売店がいくつも肩を並べてる。数回建ての大きなビルを想像していたが裏切られた。案内所が見つからなくてぐるぐるまわり尋ねる人もいない。露天の八百屋さんに聞いてやっと案内所に着いた。Y’roadは二階にあがって左の方へいってください。しかし、店名も大方わからぬ店が多い。服店が多く海外のブランドを安く売る店かな。ユニクロを分散化したような。この傾向すこし聞いている。アウトレットというのは、だいたいどういう意味なのだろう。Y’roadは、うちはアウトレット商品を安く販売してます。というから在庫の整理みたく聞こえるが。自転車は、店に飾ってあるのはほぼ完売に近い。このパークも人ごみがすごい。入間のこの地域やたらとだだ広く買い物でおしゃれができる注目のパークらしい。自転車のパンフをもらおうと思ったらそれにも値段がついている。ごちゃごちゃ現代版アメヨコという感じ。ほかにアウトドア商品の店をひとまわり。品物のひとつひとつはもうついていけないものばかり。若い人にはいいかもしれない。

・・同じ道を走るのはおもしろくない。また別の道をさがして帰路についた。と、どういうわけか入間市博物館というのにぶつかった。地域の歴史がわかるのはうれしい。迷わず寄ることにした。入館料がすこしかかります。いいですけど、簡単なパンフをつくるべきです。案内嬢が江戸末期に綿の織物の紹介があって、絹ではありませんか?いえ綿です。貿易で輸入したものです。・・この案内嬢、美人でした。あなた美人ですね。いえそんなことは、といって恥じらいの顔はやはり美人でした。

・・この博物館。緑茶のサービスがあります。せっかくですから狭山茶をいただきました。ほかにもいろいろおもしろかったのですけど、思いをあたためてまた自転車に乗りました。

557秋魚:2015/06/22(月) 20:14:11
(無題)
・・気をもんでいても仕様もない。自転車のタイヤ交換をした。タイヤ交換は二度目。バーストしたものまだまだ使えそうだが、とりあえず次のロングライドは新しいタイヤで行く。バルブ部分の調整がすこしコツがいる。プロ仕様の交換もあるはずだが、前回よりはスムーズにいった。700×32C。以前の台湾製のタイヤ、磨耗がすくないし悪くない。すこし重い感じはするものの安定感はある。今度のパナレーサーすこし細目の感はある。フロントだけの取替えでバランスが崩れなければよいが。

・・輪行の練習を何度もやったので前輪後輪の着脱は自信ができた。出先の大方のトラブルは対処できる。

・・公立の図書館ネットを利用すると、たいていの本資料は地元で借り出せる。長岡の図書館の係の人が教えてくれた。おかげでずいぶん変わった資料にも目を通すことができる。このところ新事実の発見があいつぐ。・・そのことできょうは青梅の金剛寺をたずねた。将門ゆかりの梅があるお寺だ。家から近いのです。この句碑があった。


 青梅やまたこのさきもいくちとせ

           好々居臼左

・・幕末から明治初期の俳人らしい。なんと井月三部集のうち「余波のみづくき」に一句寄せている。

 寝転んで見る花でなき牡丹かな

             臼左

・・井月は、やはり青梅に訪れているな。

 青梅や筒井づゝなるその昔

           井月

あおうめと読めば、土地のおうめではない。しかし臼左のように青梅で詠んだのなら地元をうたった俳句ととれる。

井月の句は、おおかた句作事情が不明という。青梅は夏の季語でしょうか。筒井づゝは伊勢物語にあります。・・いなかわたらひしけるのは、井月。たぶん青梅に来ています。臼左と会って詠んだ句でしょう。

もし、青梅に来ていれば、ここだけということはない。青梅の堂上文化の香りをかいで歩いたでしょう。ほど近い常保寺、すこし足を伸ばして谷野の真浄寺にも訪ねたでしょう。とくに真浄寺には、例の芭蕉百年忌翁塚がある。いってみれば、日野資枝のしぐれ桜碑と肩を並べているのを見ただろう。


・・ここまで思い巡らせて、すこしふるえが来た。

558秋魚:2015/06/25(木) 00:55:16
(無題)
・・自転車のタイヤ交換して試し乗り。パナレーサーはタイヤの凹凸紋が二倍はある。その分接地面が半減するか。軽快になる。前輪で急カーブするとすこし滑りかげんになった。前輪は軽快に後輪はやや重くその他はほぼ問題なし。大丈夫これで当分いける。

・・武蔵村山の郷土館で江戸期の俳人を特集展示している。「幻住庵記」の版木の展示もある。先日いった狭山瑞穂の先のほうだが、よい距離だ。今度は霞川をとことん辿ることにした。躑躅の咲く頃に藤橋の薬王寺に訪ねるのは最高のサイクリング。参道下の無人店で買った野菜は美味だった。霞川は入間にはいると一度沿った道がなくなる。さらにいくとまた現れる。ここで道をたずねる。霞川はけっきょく入間川に合流するのだという。青梅の黒沢川が成木川に入りその成木川も入間川へと合流する。・・霞川を追って入間川に行くと武蔵村山は外れてしまう。・・青梅街道をひたすら立川方面に進むのが正解だった。それでやはり茶畑のあるあたりから16号にでて右折、青梅街道にぶつかるまで走ることになった。このあたり瑞穂箱根ヶ崎という。・・あれれ伊奈街道というのがある。バスがたくさん集まっている。高速バス立川ー飯田線というのがあるらしい。ひどく安価だが。よりによって自分の道で遭遇するとは、自転車の輪行も考え中だった。案内所のお姉さんからパンフをいただいた。・・きょうは武蔵村山の郷土館まで、さらに遠いという。このあたり立川の方から以前来たことがある。残堀川という水があるか無きかの川に沿ってきた。もうひとつ空掘川というのがあってこちらは水源がどこかもわからない。ほとんど水が無かったりする。青梅街道も新旧ふたつに分かれ、新青梅街道なら道幅もひろく快適で帰路はこちらで走った。新しい未知の場所を訪ねるのは、時間が二倍かかる。かたくりの湯という温泉があって昔来たことがある。そのすこし先に郷土館があった。

・・「企画展村山の俳諧」というのが正式な名称。ネットで知ったのだが28日までという。なんでも幻住庵記の版木の展示というのは目玉だった。ここは無料だった。あまり人は訪ねていない。まったく自分のための展示のよう。案内嬢に写真をとっていいか尋ねると、ノーということだった。許可をとらずに撮るべきだったか。それでもパンフはないか尋ねたら、資料館だよりという立派なものがある。「幻住庵記」版木の解説評論が載っている。購入しようとしたら無料だという。すばらしいパンフです。それにしても先日の入間の博物館もおおいに見習うべきか。・・版木というのは原文を鏡文字にして木版彫刻で彫る。そうして墨をぬって刷るのですね。こういう印刷術の仕組みもよくわかった。それより驚きなのは、これは芭蕉百五十年忌の時つくられたものらしい。いや春秋庵宗匠の梅傘という人が百五十年忌に粟津の義仲寺でわけていただいたものを万延元年(1860)再版して作り直したものという。この百五十年忌は1843年だが、一年まちがえている。万延元年(1860)再版というのも意味深ではある。・・春秋庵というのは加舎白雄という天明の魅惑俳人を引き継ぐものだ。梅傘は青梅の人ともいい、未調査だが、おどろきが続く。


人恋し灯ともしころをさくらちる

           加舎白雄

・・多磨界隈、白雄がよく歩いている。


@備忘

・・武蔵村山  伊奈海道

* 伊奈平  ・・武蔵村山市南部に位置する。北で残堀・三ツ藤、東で榎、南で立川市一番町、南西で立川市西砂町、西で横田基地内の大字三ツ木と隣接している。

* 地名の由来[編集]伊奈平地区を通過していた、現在のあきる野市域にかつて存在した伊奈宿へ至る「伊奈海道」に由来する。

近くに、 阿豆佐味天神社。 ・・五日市街道(伊奈道)の立川砂川にも存在する。

* 五日市街道
 五日市街道は、杉並区梅里で青梅街道から分かれ、あきるの市(五日市)に向かう街道です。江戸時代の初期には「伊奈道」と呼ばれ、その後「青梅街道脇道」「五日市道」「江戸道」「砂川道」とも呼ばれ、秋川から江戸に炭や農産物を運ぶためなどに利用されていました。

* 阿豆佐味天神社の創建年代等は不詳ながら、上総介高望王が再建が寛平年間(889-898)に再建したと伝えられ、延喜式神名帳に記載される多磨郡八座のうちの一社だといいます。江戸時代には社領12石の御朱印状を拝領、明治6年には郷社に列格していました。

西多摩郡瑞穂町殿ケ谷1008 北緯35度46分0秒,東経139度21分53秒 【祭神】少彦名命 素戔嗚命 大己貴命 『神名帳考証』豊宇気姫命

・・この北緯35度46分0秒が利いている。


* 遠山弘湖の句碑

    玉垣の 外面はうめの はやしかな

  遠山弘湖(こうこ)[1818〜81]は安政年間に梅笠
  から春秋庵を引き継いだ俳人である。江戸出身で、
  最初落語家を目指し、最後は碩布の高弟久米逸淵
  に学んで俳人になった。師匠の居住した本庄や
  毛呂郷にも足跡を残し、熊井村(今の鳩山町熊井)
  で没した。

売りものや炭俵にも化粧なは  「家づと集」

559秋魚:2015/06/28(日) 02:18:19
(無題)
・・梅笠(楳笠ばいりゅう・浜中はまなか、春秋庵9世)1805ー63 青梅俳人:梅室門、1848「時雨文庫」編/
1849「霜華集」編/57「春秋稿」編

・・この時雨文庫というのを読みたい。

560秋魚:2015/06/28(日) 11:17:55
(無題)
・・所要があって地元の図書館に本をリクエストした。高崎市で発行した市史資料編だが、借りられるか半信半疑。それがつい先日許可され今手元にある。『花の雲』という句集が読めるというその道の大先輩からの情報だった。分厚い本で装丁もしっかりシリーズで十冊以上はありそうだ。高崎市のこういう市史資料を文化として残す強い意志に敬服。うれしくもあった。

・・先日武蔵村山の郷土館で「村山の俳諧」展をみたが、その時の幕末の俳人梅笠(ばいりゅう)は青梅の人としり、調査したくなった。青梅の古刹をまわって芭蕉句碑の由来を尋ねたりしたら、住職さんは代替わりしてあまり詳しくない。市の郷土資料館に訪ねたほうがよいとも言われた。・・それで今日は釜の淵公園にある郷土館を訪問した。普段なら展示を見て回るだけだが、今回は事務員さんに会って求める資料の存否を尋ねた。郷土資料の管理などどうやってるのかもろもろに無知で窓口らしきには遮二無二になる癖がついた。無礼かもしれぬが、そういう情報を保存管理している場合、かなり気前よい応対がある。

・・「青梅宿の文芸活動−小林天渕を中心に」という十二年ほど前の展示パンフレットを示されて、それが青梅俳諧についてかなり詳しく書かれていた。井月と親交があったと目される臼左のことも書かれてある。汪洋(天渕の俳号)のすぐれた門下生のよう。梅笠は汪洋の知友といったところか。おもしろいのは、梅笠は桜井梅室の門下という。梅室は加賀の人で高桑闌更の弟子。もう一昔前の青梅の文化人中原章は加賀の人。梅笠は春秋庵八世で加舎白雄の系を継ぐ。闌更と白雄の流れを青梅にもたらした。

・・天明から18世紀末芭蕉百年忌(1793)にかけては、俳諧世界も活発な動きで見るべきものも多い。天保の時代から芭蕉百五十年忌(1843)また幕末維新にかけて、月並俳諧として子規によってくくられてあるごとく、井月の生きた時代だが、作品は正直めげるものが多い。

561秋魚:2015/06/30(火) 01:16:56
(無題)
かすが野の雪まをわけておひいでくる草のはつかにみえしきみはも

・・壬生忠岑。

・・古今伝授のこと探って古今集を見ていたら、この歌にぶつかった。

「貫之は下手な歌よみにて古今集は下らぬ集にて有之候」と言い捨てた子規。まんざらでも無いが。

雪まという、幻影がぞくぞくしてくる。

おなじ忠岑の歌に、

 是貞のみこの家の哥合のうた

山田もる秋のかりいほにおくつゆはいなおほせ鳥の涙なりけり

古今和歌集(巻五306)

 秋のかりいほを追っていた・・この「いなおほせ鳥」が古今伝授の三鳥(呼子鳥、稲負鳥、百千鳥)のひとつという。古今伝授がそう簡単に暴かれるものでもあるまいものだが、稲負鳥は「否、仰せどおり」出典出自を問うまい。というのが、私見。稲負鳥、稲を負う鳥なら渡来系の出自が秘されているのだろう。


秋の田のかりほの庵(いほ)の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ(後撰302)天智天皇

秋田苅る借廬(かりほ)を作り吾が居れば衣手寒し露ぞ置きにける(万葉巻十)詠み人知らず


「・・二条家の秘伝は二条為世の弟子であった頓阿によって受け継がれ、その後経賢、尭尋、尭孝と続いた。尭孝は東常縁に秘伝をことごとく教授し、常縁は室町時代中期における和歌の権威となった

「・・古今和歌集は上流階級の教養である和歌の中心を成していたが、注釈無しでその内容を正確に理解することは困難であった。このため、古今集解釈の伝授を受けるということには大きな権威が伴った。文明三年(1471年)、常縁は美濃国妙見宮(現在の明建神社)において連歌師宗祇に古今集の伝授を行った。

東常縁 ⇒ 宗祇(1471年)

「・・宗祇は三条西実隆と肖柏に伝授を行い、肖柏が林宗二に伝えたことによって、古今伝授の系統は三つに分かれることになった。三条西家に伝えられたものは後に「御所伝授」、肖柏が堺の町人に伝えた系譜は「堺伝授」、林宗二の系統は「奈良伝授」と呼ばれている。


「・・三条西家は代々一家で相伝していたが、三条西実枝はその子がまだ幼かったため、後に子孫に伝授を行うという約束で細川幽斎に伝授を行った。ところが慶長5年(1600年)、幽斎の居城田辺城は石田三成方の小野木重次らに包囲された(田辺城の戦い)。幽斎が古今伝授を行わないうちに死亡し、古今伝授が絶えることをおそれた朝廷は勅使を派遣し、幽斎の身柄を保護して開城させた[6]。幽斎は八条宮智仁親王、三条西実条などに伝授を行い[7]、1625年(寛永2年)、後水尾上皇は八条宮から伝受をうけ、以降この系統は御所伝授と呼ばれる。


・・【派生歌】が、かくも多い。

秋の田の庵に葺ける苫を荒みもりくる露のいやは寝らるる(和泉式部[続後撰])
草の庵なに露けしと思ひけむもらぬ岩屋も袖はぬれけり(*行尊[金葉])
秋の田に庵さすしづの苫をあらみ月と友にや守りあかすらん(藤原顕輔[新古今])
露だにもおけばたまらぬ秋の田のかりほの庵に時雨降るなり(藤原家隆)
唐衣かりいほのとこの露寒み萩のにしきを重ねてぞ着る(藤原定家)
秋の田のかりほの庵に露おきてひまもあらはに月ぞもりくる(後鳥羽院)
苫をあらみ露は袂におきゐつつかりほの庵に月をみしかな(〃)
足引の山田もるいほの苫をあらみ木の下露や袖にもるらむ(〃)
旅寝するあまの苫屋のとまをあらみ寒き嵐に千鳥さへなく(〃)
小山田のかりほのいほのとことはに我が衣手は秋の白露(順徳院)
秋の田のかり庵の露はおきながら月にぞしぼる夜はの衣手(藤原為家)
ことわりに過ぎてぞぬるる秋の田のかりほの庵の露のやどりは(〃)
秋の田のかりほの苫にふく稲のほの上渡る軒の月かげ(正徹)
苫をあらみ小田もる老の心にはなほたへかねて露はらふらん(東常縁)
晴るる間の雨にかりほのとまをあらみ漏りにし程は漏らぬ月影(藤原惺窩)
思へ世は玉しくとても秋の田の仮庵ならぬ宿りやはある(後水尾院)

562秋魚:2015/07/02(木) 00:13:52
(無題)
?清水寺観音 石原町2401
?妙見寺   引間町213
?萬日堂/みかえり阿弥陀仏(君が代橋) 下豊岡町832-1
?定家神社(烏川近く) 下佐野町873
?多胡碑  吉井町池1085(北緯36度15分54.0秒 東経138度59分46.8秒)
?山ノ上碑 山名町(北緯36度16分37.5秒 東経139度1分40.0秒)
?金井沢碑 山名町(北緯36度17分8.36秒 東経139度0分58.27秒)
?観音山温泉 石原町2892

・・清水寺の石段は518段ある。参道に咲く紫陽花がみごとという。
・・うっかり梅雨の晴れ間は過ぎてしまいました。

・・妙見寺  ここが関東妙見信仰のはじまり

「・・和銅7年(714年)、上野国大掾(たいじょう)忠明が妙見寺で目が赤く首の白い亀を得、元正天皇に献上。天皇はこれを喜び、同年9月2日をもって霊亀と改元したという。」


   *

・・天候がすぐれません。台風も発生。なかなかポタリングも出られない。八高線沿いの高麗川、毛呂、越生、小川とかほかにも興趣あるところ多く、以前小川に遠乗りした時はほとんど通過しただけだった。都幾川なんてのも洒落ていたけど。

毛呂の川角八幡神社には寄ってみたい。川村碩布は毛呂山の出身。

 道傍のむくけは馬に喰はれけり

大先輩の旅日記にある都幾川の慈光寺というのは、とてもよさそうだ。

 あかあかと日はつれなくもあきの風

天武天皇の白鳳2年(673年)、釈道忠慈光寺を開山。これは古い。観音堂の本尊十一面千手千雁観音は、行基のお作。ここは国宝の「慈光寺経」が奉納されてある。これは、すごい!
久能寺経、平家納経と合わせて三大納経という。こんな田舎にあるのが、すごい!

・・山の上なので、今回は寄れそうにありませんが。

563秋魚:2015/07/03(金) 10:35:55
(無題)
何処やらに鶴の声聞く霞かな
柳から出て行舟の早さかな
程近くなればかたげる日傘かな
ちり初めてしきりに萩の盛かな
折曲り水は流れて稲の花
凩やとまり烏の横にゆく
鷹匠の涕すすり込旭かな
雪ながら富士は今年の物らしき


別れ行くものともしらで幼子が乳房含みてゑむぞ悲しき
かくばかりはかなき物とおもひきやもろきは人の命なりけり

小金井良精の母幸


鳰鳥のふいと浮いたりけさの秋  漫々


翁今思体は浅き砂川を見るごとく、句の形・付心ともに軽きなり。其所に至りて意味ありと侍る。

子珊「別座舗」

爰元度々々会御座候へ共、いまだかるみに移り兼、しぶしぶの俳諧散々の句のみ出候而、致迷惑候。

去来宛芭蕉翁

「かるみ」は淡々として浅き砂川を見るようなものとはいえ、平凡尋常のものを捉えてばかりいると俳諧の堕落につながる。「かるみ」の風体は「高く心をさとりて俗に帰」ることが最重要である。

564秋魚:2015/07/04(土) 00:22:33
(無題)
をちこちのたづきもしらぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな (古今29)

                        よみ人しらず

・・この呼子鳥が古今伝授されている。

ツツドリか?

https://www.youtube.com/watch?v=g_Rx5WeLZH0


大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる(70)
神なびの石瀬の社の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる(1419)
世の常に聞けば苦しき呼子鳥声なつかしき時にはなりぬ(1447)
滝の上の三船の山ゆ秋津辺に来鳴き渡るは誰れ呼子鳥(1713)
我が背子を莫越の山の呼子鳥君呼び返せ夜の更けぬとに(1822)
春日なる羽がひの山ゆ佐保の内へ鳴き行くなるは誰れ呼子鳥(1827)
答へぬにな呼び響めそ呼子鳥佐保の山辺を上り下りに(1828)
朝霧にしののに濡れて呼子鳥三船の山ゆ鳴き渡る見ゆ(1831)
朝霧の八重山越えて呼子鳥鳴きや汝が来る宿もあらなくに(1941)


   *


あづさ弓おしてはるさめ今日降りぬ明日さへ降らば若菜つみてむ(古今20)

                        よみ人しらず


「あづさ弓おして」 この序のあづさ弓 ・・あづさみ、阿豆佐味(ゆが消失)。


あづさ弓おしてはる雨ふるさとのみかきが原ぞうす緑なる(藤原家隆[玉葉])
あづさ弓おしてはる雨をやまだに苗代水も今やひくらむ(藤原良経)
あづさ弓おしてはる雨いる方もさだかに見えぬ春の夜の月(後鳥羽院)
今日だにも道ふみ分けぬ白雪の明日さへ降らば人も待たれじ(西園寺実氏[続拾遺])
山風も花の香ながら真木の戸をおしてはる雨曙の空(正徹)



百千鳥さへづる春は物ごとにあらたまれども我ぞ古りゆく(古今28)

                       よみ人しらず


・・この百千鳥も古今伝授


百千鳥さへづる春のあさみどり野べの霞ににほふ梅が枝(後鳥羽院[風雅])
百千鳥さへづる空は変はらねど我が身の春はあらたまりつつ(後鳥羽院)
百千鳥こゑや昔のそれならぬ我が身ふりゆく春雨の空(藤原定家)
百千鳥さへづる春のかずかずに幾世の花の見て古りぬらむ(〃)
物ごとにあらたまれども鶯のさへづる春は身のみ古りつつ(藤原為家)
おのがねはあらたまれども鶯の谷のねぐらぞいとど古りゆく(宗良親王)
時しありと聞くもうれしき百千鳥さへづる春を今日は待ちえて(後水尾院)


・・この後水尾院というの気になります。

伊勢物語御抄 天(地)」(左肩・雲母入題箋)。
奥書なし。

・・後水尾院が講じた伊勢物語講釈の聞書である。・・他の、後水尾院の同じ講釈の聞書に拠れば、明暦二年(1656)八月二十二日から九月二十九日まで、十二座に渡っての講釈の聞書であると知れる。後水尾院(1696〜1680)は江戸時代初期の天皇。

「・・この時の講釈の聴講者は、妙法院尭然親王・聖護院道晃親王・飛鳥井雅章・岩倉具起・中院通茂・烏丸資慶・白川雅喬・日野弘資の八名とされる(大津有一『伊勢物語古註釈の研究』)。うち、尭然・道晃・雅章・具起の四名は、翌明暦三年二月に後水尾院から古今伝授をうけることになる。さらに、通茂・資慶・弘資の三人は、寛文四年(1664)に同じく後水尾院から第二次の古今伝授を受けた四人のうちの三人である(いま一人は後西天皇)。残りの雅喬も古今伝授を許されながら辞退したと伝えられる  ・・とすれば、この伊勢物語講釈は、伝授の階梯化を意識してか、後水尾院が、古今伝授の前段階として行ったものと理解すべきであろう。

・・後水尾院は、八条宮智仁親王から「古今伝授」をうけるのだが

八条宮智仁親王は、天正5年(1600年)7月細川幽斎から古今伝授を受け、寛永2年(1625年)12月これを甥の後水尾天皇に相伝し、ここにいわゆる御所伝授の道が開かれた


・・なぜ、古今伝授の下地が伊勢物語なんですかね。

  *


明建神社

岐阜県郡上市大和町牧814-1
位置 北緯35度48分42.48秒
東経136度55分24.79秒
主祭神 国常立尊(妙見菩薩)

・・文明3年(1471年)、東常縁が連歌師宗祇に古今伝授の講義を行なった

565秋魚:2015/07/05(日) 21:32:34
(無題)
・・トリプルで台風がせまってる。梅雨前線が停滞して晴れ間がない。ポタリングでうずうず。高崎までシミュレーションを細かくやってみる。といっても自分の方法は大雑把なものだ。・・高崎までざっと80kはあるだろう。前回の秩父までは60k。百キロをこなすチャリダーは茶飯だからびくつくことはない。以前小川までいった時、はじめての場所は遠く感じるものだが、日高、毛呂、越生・・この越生が異常に長く感じられた。自動車道は透いていたが、アップダウンが多い。・・ネットで経験者はとても楽だという。たしかに真直ぐで車も少なくよい道だと記憶する。・・越生を越えると都幾川というところにでる。ここがおもしろそうでいろいろ調べてみる。慈光寺というお寺は春先の桜がよさそうだ。山の中だが寄れないこともない。温泉もいくつかある。・・昭和レトロの玉川温泉というのがアルカリイオンph10.1とかいいようだ。ここには日本最高ph11.3を誇る都幾川温泉てのもある。・・帰りに寄ってみるか。

・・自転車の整備にかかった。本当の愛好家はひとつひとつのパーツについてとても愛情こめた整備をするものだ。よく町でみかけることがある。・・注油にこったことがあったが、必要以上にやりすぎてチェーンが外れたりした。空気圧を無視していっぱいに入れたらバーストしたり、むずかしいもの。ブレーキの調整だけは、欠かせない。ワイヤーを交換するなどは、未経験。・・二日一泊輪行でなんとか完走したい。


@備忘

・・貞観地震(じょうがんじしん)は、平安時代前期の貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日[2]、 グレゴリオ暦7月13日)に、日本の陸奥国東方沖(日本海溝付近)の海底を震源域として発生したと推定されている巨大地震である。地震の規模は少なくともマグニチュード8.3以上であったとされる。地震に伴って発生した津波による被害も甚大であった。

・・貞観大噴火(じょうがんだいふんか)とは、平安時代初期の864年(貞観6年)から866年(貞観8年)にかけて発生した、富士山の大規模な噴火活動である。

・・雲林院  ・・もとは、淳和天皇の離宮・紫野院として造成された。紫野一帯は野の広がる狩猟地であったが、桜の名所でもあった。文人を交えてたびたび行幸したという。その後仁明天皇の離宮となり、やがて皇子常康親王に譲った。869年(貞観11年)親王が亡くなった後、僧正遍昭に託し、ここを官寺「雲林院」とした。

566秋魚:2015/07/08(水) 16:20:47
(無題)
・・台風め。このところ気になったのは台風のトリオと天気の行方。天気予報は一日たつと大きく変わる。7日の日に高崎までの自転車乗りをプランしていた。30%の降水確率が翌日は50%の雨だという。きょう一日しのげればという思いで家をでた。台風の梅雨前線押し上げ具合で天気がころころ変わる。しばらく遠乗りもしてないで気分的にも限界だった。青梅坂から小曽木街道、岩井堂、飯能駅前、ずっといって宮沢湖の温泉あたりまで、一時間とすこし。この先八高線に沿って小川まではいつか来た。二度目の道は楽に思える。楽にかまえた時いつも事故にあうので気をつけねば。高麗川まではいつでも来れる気がした。どういうわけか雨がぽつぽつ。寄り道無しで高崎に向う手もあったが、毛呂に来て街道を外れ川角八幡神社を訪ねることにした。意外と外れにあり、人に尋ねてやっと着くと、芭蕉の句碑があった。

道傍のむくけは馬に喰はれけり

文政12年(1829年)3月、三世春秋庵連中建立。

「三世春秋庵」は川村碩布。(先輩の資料から)

・・実は、ほとんど読めませんでした。神さびていました。

・・もとの街道にもどり越生、都幾川に向う。以前ここらで長く感じられたのは、ここでアップの坂がひとつ。さほどのアップではない。はじめて来ると心細くはあるし出会うものすべて障害のリスクあり。道そのものが障害ともなる。道は絶対どこかに通じていると、放浪の天才から聞いたことがある。そういう道への信頼は、後になって瞑想すればよいことかも。いまは尋ねて進むだけ。

・・道を尋ねた時、にこやかな人が多いが、不機嫌そうな人もいる。

・・八高線沿いの道。左手に小さな山がいくつも見える。その山に雲か霞か煙っているのは、雨が近い。薄曇りで微雨なのは、前線のこちら側。どしゃ降りになるのは向こう側。都幾川は慈光寺への道を確認した。小川までは列車も緑陰列車になる。・・で、小川からが未知の道。隣の寄居まで一本道だったと思う。実は、この先藤岡あたりまでよく覚えていない。寄居までは、なんとか入った。地図では簡単にみえたが、寄居から藤岡まで意外と長い距離。利根川を越えたのはどこでだろう。人に聞いたら川越へいきますよ。などいう。神流川という川もこえた。ともかく何がなんだかわからない。この街道が藤岡に通じてますよ。というのが便りだった。寄居の道が長かった。・・微雨でぽつぽつ来るのでひたすら高崎をめざした。藤岡から高崎へも、もっとわからない。ここでは何度も人に尋ねた。17号という道をまっすぐいきなさい。これが最終的な支えになった。・・藤岡あたりで、右足の膝関節が痛み出した。高崎に着いたらいろいろお寺めぐり神社めぐりを考えていた。高崎へ無事たどり着くのが先決になった。七時頃出て、正午ころに到着予定していたのも、大きくくずれ、高崎駅前に着いたのは2時くらいだったと思う。・・ここで交番に寄り、観光案内所を尋ねた。駅の二階にありますよ。ただし自転車の駐輪ができない。大きな駅です。交番で情報をいただくことにした。清水寺はどこでしょう。山の方で遠いですよ。5、6キロはある。足が痛むが清水寺くらいはまわりたい。ここの近くに観音寺温泉というのがあってぜひここに寄りたかった。実は、お寺より温泉を欲した。駅の西口にでてまっすぐ行くと烏川という立派な川がある。聖石橋を渡ってさらに行くと清水寺の参道。遠いというほどではない。これまで来た道を思えば。・・が、来てみて唖然。長いながい石段がある。

・・足が痛くなっているのに、この石段はでも登らざるを得ない。今回の最高目標だから。というより、芭蕉の句碑を探していた。・・最初の石段のすぐ脇にありました。

 観音の甍ミやりつはなの雲

これは、巻菱湖という新潟の書家が揮毫したという。

巻菱湖 安永6年(1777年) - 天保14年4月7日(1843年)

「明治政府及び宮内庁の官用文字・欽定文字は御家流から菱湖流に改められ、菱湖の門下生は1万人を超えたと伝えられている。」

・・石段は518段あるそうだ。三河の鳳来寺は1425段。上には上があるにしても、登るとなると、ぞくぞく。それにしてもここまでが長かった上、足が痛む。引きずるように一段一段、こういうのは頑張るというのではない。登りきる先が明るみをもって見えている。・・うむ、いい石段。

・・清水の舞台のようなものもありました。

・・坂上田村麻呂が立ち寄ったのですね。それを確認して下山することにしました。足痛で下りがまた大変。気分的には大変楽ですが。これから上ってくる人に、まだ石段つづきますか?まだまだこれからです。ご婦人たちで紫陽花を見に来たらしい。・・やっと下まで降りると、今度は自分と似た若者が自転車ですっと到着。その場に駐輪。靴紐をしめなおし、シャツも外して上半身裸でまさに石段をのぼりゆく構え。・・いい石段。

・・近くの観音山温泉を探しました。地図ではこの清水寺のさらに上の山の中にあるようです。右手にまわると色とりどりの休憩ホテルがいくつもあって若者のデートコースかもと。そのさらに上に坂をのぼると、観音山温泉錦山荘がありました。ここは旅館ですが温泉は日帰りができます。もう長距離を走って長い石段をのぼりくたくたでした。・・自分の見立てねらいに狂いはなく、静かな場所でとてもよい温泉なのはすぐにわかった。温泉では、微雨の中きょうの一日の出会いのことがパノラマの映像のように想起できます。

・・高崎に着いたらいろいろお寺めぐり神社めぐりを思案していた。が、こちらの見立ては甘い。清水寺と温泉できょうはもういいという感じになった。温泉の展望はまことによい。湯は鉱泉だがわるくない。・・フロントの若者がいろいろ面倒見がよく、先のプランにすべて情報をあたえてくれた。・・まず休憩して食事もとれるらしい。宿泊もよいということだが、あいにく駅前の手頃ホテルに予約済み。次の機会にいたします。ほんとはもういい年だから大枚はたいて老舗旅館に泊るべきだろう。ふうてんの自転車旅行です。頭が下がる。・・食事してあと一つ神社を訪ねたい。定家神社はどこでしょう?近くはないです。ネットで調べてくれて地図までいただけた。烏川というりっぱな川の縁にあるようです。・・吉井の多胡碑のことも尋ねた。ここは若者も知っていてそんな遠くはないという。明日晴れるならぜひ行ってみたい。天気予報も調べてくれて明日は50%だという。・・無理かな。

・・ほんとによい温泉旅館だ。一日の労苦が報われたよう。さて充分休んで定家神社に向った。下佐野町にあるという。ここは不思議な神社です。・・というより、不思議な場所です。


 * 烏川は、群馬・長野県境の鼻曲山に源を発し、流域面積1,393.7km2、幹線流路延長61.8km、平均河床勾配は1/39で、利根川上流の支川の中では最大の流域面積を有します。


 上毛野佐野の舟橋取り放し親はさくれど吾はさかるがへ[万葉3439]

・・佐野は古来舟橋で知られていた。

 苦しくも降りくる雨か三輪の崎佐野の渡りに家もあらなくに[万葉267、新勅撰500]
 駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮[新古今671・定家]

・・この佐野の渡りとは別物のようだ。

 恋ひわたる佐野の舟橋影絶えて人やりならぬ音をのみぞなく[拾遺愚草79]
 ことづてよ佐野の舟橋はるかなるよその思ひにこがれわたると[拾遺愚草1273]

 東路の佐野の舟橋かけてのみ思ひわたるを知る人のなさ[後撰619等]
 東路の佐野の舟橋はじめより思ふ心ありいとひすな君[古今六帖2557]

いかがせん佐野の舟橋さのみやはふみだに見じと人のいふべき[永久百首・忠房]

 東路の佐野の舟橋くちぬとも妹しさだめばかよはざらめや[堀河百首・顕季]

 今更に恋路にまよふ身を持ちてなに渡りけん佐野の舟橋[堀河百首・師頼]
 さらぬだに道ふみまどふくもる夜にいかで渡らん佐野の舟橋[田多民治集155]


夕霧に佐野の舟橋音すなり手なれの駒の帰りくるかも[詞花328俊雅母]
五月雨に佐野の舟橋浮きぬればのりてぞ人はさし渡るらん[山家集223]
風吹けば佐野の舟橋波越すと見ゆるは葦の穂末なりけり[林葉集618]

恋ひわたる佐野の舟橋影絶えて人やりならぬ音をのみぞなく[拾遺愚草79]
東路の佐野の舟橋白波の上にぞかよふ花の散るころ[秋篠月清集966]
東路の佐野の舟橋明日よりや暮れぬる春を恋ひわたるべき[後鳥羽院御集220]
よばふべき人もあらばや五月雨に浮きて流るる佐野の舟橋[千五百番歌合・越前]

かけてだに契りし仲はほど遠し思ひを絶えね佐野の舟橋[順徳院]
人知れぬ心をいそのかみつけやかけてもふりぬ佐野の舟橋[行意]
ことづてよ佐野の舟橋はるかなるよその思ひにこがれわたると[定家]
東路の佐野の舟橋霧こめてよそにのみやは思ひわたらん[家衡]
尋ねても渡らぬ仲の月日さへかげ絶えはつる佐野の舟橋[俊成卿女]
東路にかけては過ぎし中河の瀬絶えもつらし佐野の舟橋[兵衛内侍]
思ふ人波の遠方尋ぬべき佐野の舟橋えやはうごかん[家隆]
もらさばや波のよそにも三輪が崎佐野の舟橋かけじと思へど[忠定]
なかなかにかくる心も苦しきに絶えなば絶えね佐野の舟橋[知家]
かけて猶いく世か恋ひんよそにのみ聞きこそわたれ佐野の舟橋[範宗]
絶えねただうきにつれなき身なりともさのみは待たじ佐野の舟橋[行能]
東路や佐野の舟橋いたづらに渡りしころも袖やぬれなん[康光]


・・帰宅してからの「佐野の舟橋」調べです。驚きですね。舟橋というのは、いくつも舟をつなげて橋のようにつくる。それを渡るのだそうです。不安定な橋で恋路にたとえられるとか。

定家神社は、この佐野にあります。わたしが訪れた時は、紅いきらびやかな本堂があって、たぶん近い時代に建て直したものでしょう。古い由緒のわりには余り管理が行き届いていない様な。・・芭蕉の句碑もただ晒されて置かれているごときで、文字も読めません。

 松杉を誉てや風のかほる音  (先輩の資料から)


 左努山に打つや斧音の遠かども寝もとか子ろが面に見えつる

                 『万葉集』(巻十四)東歌

・・そういえば、万葉の歌碑もありました。


駅前までもどろうと思い、そういえば佐野橋というのが気になって土地の人に尋ねました。坂を下ってすぐあるというのです。古風な木橋があって、このあたりが佐野の舟橋かとも、特になにも案内書きはありません。佐野の渡りの雰囲気もあり、写真を一枚とりました。

   *

・・天気があいかわらずよくありません。足も痛いしきょうはもうホテルにチェックインです。足が痛くなった原因、すこしわかります。垂れ込めて運動不足というのもありますが、自転車のサドルの位置がよくないようです。膝に負担がかからないようすこし高目に修正しました。・・駅前のホテルは良心的ですね。安価なうえに朝食もフリーでした。

・・予定していた寺社まわり句碑まわり半分以上カットして、明日は、輪行の帰路一本にしぼりました。午後から雨になりそうです。・・都幾川の温泉に寄って休んでいくことも考えましたが、午前中の晴れ間のうちに帰路をすすめるのが、賢明と判断。自転車の解体−組立ても前回の都留のときより実行していません。この輪行を首尾よくやるのも目標でした。自転車のトラブルが一番気をつかいます。

・・高崎の駅はずっと昔寄った時と比べ格段に大きな規模になってます。新幹線も来ますから。自転車の解体袋詰めはやりにくい。夜下見してやれないこともありませんが、八高線のひとつ先倉賀野の駅までいってそこでやることにしました。・・この考えは正解。こちらの駅は人もすくなく遠慮なく解体作業できます。ただし、フレームにホイールのくくりつけ方忘れてしまって、その場まかせのいい加減になりました。ともかく袋には収まったようです。

・・高麗川まで、二両のディーゼルの列車だそうです。ローカル列車なら輪行はあまり問題ないようです。首都圏を通過するのはむずかしそう。

567秋魚:2015/07/14(火) 21:39:41
(無題)
・・急に暑くなりました。真夏の日差しを浴びてポタリングするのも乙なものですが、日焼けが大変でしょう。きょうは先輩の教えに従って立川にある国文学資料館を訪ねました。もちろん自転車でです。この頃先輩せんぱいというのは実に先輩らしき人にお会いしたからです。韓流ドラマなどでよく先輩せんぱいという言葉耳にします。いいですね。わたしも使ってみたいと思ってました。

・・立川は昔米軍の基地があっていつごろですか土地は返還されて昭和記念公園とか広大な土地の利用が進んだようです。競輪場があったりごちゃごちゃしてわたしも仕事で通ったことがあります。ほとんど地元です。(というかほとんど馴染めていません)

・・例によって羽村あたりから多摩川サイクリングロードにでてそのまま立日橋のあるところまで、モノレールに沿って左折し駅に向います。駅の北口に出る仕方を尋ねてまたモノレールに沿って高松駅まで。ここからは案内板を見ながらいけば迷うことはないでしょう。地図ももたずに出ました。

・・国文学資料館。古文書文学の主にマイクロフィルムで保存収蔵してある。翻刻されたものはあまりないとか。江戸後期青梅の俳人梅笠の編「時雨文庫」というのを探しました。先輩に紹介してもらった検索ページはうまくヒットしません。立川なら近いです。直接出向くことにした。・・大きい建物で入り口がどこにあるのか人気もないしだいぶうろうろ迷いました。管理室で記名してずっといくとそれらしき図書室がみえ、中には人もけっこう見えていました。荷物をロッカーに収めてとか入室の手続きもややこしくそれでも事務員さんの案内のまま「時雨文庫」の存在まで見つけていただきました。ここは専門の研究者しか訪ねてきそうもない。とはいえ、何人か熱心な人がいるので国文学もすてたものではない。「時雨文庫」の古い和字はほとんど自分は読めませんけど、他の人たちは読んでるみたい。頭が下がります。・・自分の文学もかなり緻密になってきた。古文書もきっと読めるようになるでしょう。この資料館これから時々通うことにしました。

・・しかし、ですな。瞑想力というもの考えさせられます。瞑想の方法は、まず、時空を外すことではじまる。誰がそうするのか。瞑想する人だから自分でしょう。あくまで自分、自己にこだわるのが瞑想でしょう。そういうのはどんなに上手にやっても瞑想の限界なのだと、自分は思う。それは、あなたの限界だといえばよいことです。瞑想者にとっては。・・瞑想のコミュニオンをめざすのは宗教でしょう。個人の瞑想は雑多な想念の集積に終始しても、気分が晴れればよい瞑想と自己評価すればよい。・・宗教以外で瞑想のコミュニオンというのは存在すると実は自分は信じています。

・・愛、ハートとかこういう言葉は、重い言葉で宗教家のことばです。

568秋魚:2015/07/18(土) 12:18:02
(無題)
・・リクエストした本が届いたという知らせで、地元の図書館を訪ねた。全国の公立図書館で相互貸し出しのシステムがあるというのを知って、このところこの利用に余念がない。昔は欲しい本を探して古本屋歩きというのをやったものだが、最近はネットの時代、検索で探してネットショップで入手というのが茶飯でしょう。情報だけの求めなら、最後まで検索で事足りるはず。本も電子書籍というのが通常化してきた。・・ある種マイナーな資料は需要がないから電子化もされていない。旧来の図書館も捨てたものではない。ひとつひとつの図書館には限界があるにしても、相互に図書館ネットでつながれば、マイナーな資料も息を吹き返す。・・ある種マイナーな情報というのは、ネットでは大流行。情報のコミュニオンというのはよくみかける。ネットの電子文字は信頼が置けないという人も多いが。

・・図書館の入口で「戦後70年企画展/ヒロシマ・ナガサキ原爆写真パネル展」の案内があり、立ち寄った。「広島平和記念資料館からお借りした、長崎・広島の原爆写真パネルを展示します。」というので、自分のような年寄りはもう何度か目にしたもののように感じた。細緻にみると必ず以前と異なるイメージ想念が生まれるのはわかっていたが、ひとつふたつの想念にとどめて会場をあとにした。もともとがほとんど記憶のない子どもや新世界にしか目が向かない青年淑女にはかなり刺激のつよい展示のはず。でもこういうところって、若い人こどもってあまり来ないみたいです。

・・イベントとして「紙芝居を用いた戦争の語り」「詩の朗読/茨城のり子集『言の葉』より」とあり、戦争・被爆・敗戦の記憶を世代につなげる試みがなされる。
・・別の企画で「白い町ヒロシマ」上映8月8日(土)中央図書館多目的室。「昭和20年8月6日、広島へ原爆投下。学童疎開の子どもたちは、広島にいる家族を一瞬にして失った。真実をどう伝えるか、先生たちの心は揺れ動く。そして、子どもたちを連れ、焦土と化した広島へ向かう・・・。」

・・この映画は未見。原作木村靖子、脚本新藤兼人。こちらはのぞいてみたい。

569秋魚:2015/07/19(日) 15:53:01
(無題)
雪のうちに春は来にけり鶯のこほれる涙いまやとくらむ(古今4)

二条の后は、藤原高子。清和天皇の女御。

・・たしかに、この歌は強烈にわれらの感性をゆさぶります。古今集ではこれ一首でしょう。二条の后の歌は。

鶯の氷れる涙とけぬれどなほ我が袖はむすぼほれつつ(藤原良経)

・・派生歌の中では、九条家の良経の歌が呼応して秀逸かと。二条と九条の区別もあいまいですが、沖縄などのネイティブからするとヤマトの美学として同じく際立ってみえるそうです。

・・原爆ふたつで、ヤマト民族のエゴ(自我)が吹き飛んだという認識に沿うなら、戦後日本人のアイデンティティはどこにも求めようが無い。新大陸北米のインディオあたりに血の近さを感じる人も多いでしょう。ネイティブは敗戦を受けたヤマトの血にあるはずで、インディオとは別物、ヤマトの美学がやはり郷愁をもって再考される。ヤマトの美学=フジワラの美学というあたりほとんど区別不能ではないでしょうか。

・・フジワラの血のワクチン接種がどこかでなされている。

余談ですが、藤原高子は五節の舞でその美貌が際立ったそうです。いい女だったと思います。

「・・清和天皇が東宮であったころ、天皇の祖母である皇太后藤原順子の邸にて出仕か。貞観元年(859年)9歳の清和天皇即位にともなう大嘗祭において、五節舞姫をつとめ従五位下に叙された。清和天皇元服の2年後の貞観8年(866年)、25歳で入内し女御となり貞明親王(後の陽成天皇)を産む。」

一方で、清和源氏の父清和天皇といえば、大地に呪われた天皇といわれます。

「・・疫病の流行により朝廷は863年(貞観5年)、神泉苑で初の御霊会(ごりょうえ)を行った。しかし、その後も疫病の流行が続いたために牛頭天王を祀り、御霊会を行って無病息災を祈念した。

・・869年(貞観11年)、全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り薬師如来の化身とされた牛頭天王を祀り御霊会を執り行った。この869年の御霊会が祇園祭の起源とされている。」

570秋魚:2015/07/22(水) 21:31:34
(無題)
・・納涼祭がある。夕方から笛太鼓の音が流れている。ここに越してきてからひとり気になる少女がいる。最初の年の納涼祭のとき母親といっしょにいるのを見かけた。源氏物語の若紫を見つけたような新鮮な驚きがあった。母親とはいつも挨拶ていど。だけど感じのいい人だ。少女もこの頃大きな元気な声で挨拶してくる。・・ロリコンなのはたしかです。

・・図書館にまた本をリクエストした。「弄花抄」という三条西実隆・牡丹花肖柏の源氏物語注釈書。事務員さんがその場で調べてくれて都の中央図書館にあるらしい。大変な古書で館外の貸し出しはできないらしい。ただし青梅の図書館で内覧はできるとのこと。それでけっこう。お願い申します。・・さいきんこれが病みつきになっています。

・・ヒマのあるうちに源氏物語を読みたくなった。ア−サーウエイリーの英訳本と岩波の原本をひっぱりだした。最近は視力が落ちて読書の集中力も落ちた。読み切る自信はないが、ともかく読んでみたい。

・・図書館の帰りに梅の湯に寄った。遠乗りの後の温泉っていいものですが、きょうはポタリングなし。サウナで汗を流したあとビールを飲みながら次の自転車乗りの構想を思案した。ひとつ大きな目標があるが、これはツーリングになる。輪行で何日かはじめての土地を廻ることになる。


   *

・・子どもの頃みたアニメで面白かったのは「白蛇伝」。たおやかで最高に美麗な少女は、実は、白蛇だった。妖術をつかう。つよい恋心も異類ゆえにかなわぬ定め。・・この妖術が敗北しこれを捨て人間になれば恋もかなうという。・・近代個人の人格の変貌はふつうの人生でよく目撃することがあった。実際ヘビのような奴もいた。狐の女とか白蛇の女に出会いたいといつも思っていた。・・当時シンデレラというアニメもあって見た記憶がある。あの王子様という王権神話の刷り込みが自分には胡散くさくついていけない。どこにあんな王子がいるのか。夢見る女の子たちはまったく信じられるらしい。シンデレラに感情移入して王子様に追いかけられたいとか、王権神話の構造を棚に上げてあれは王子か否か品評会のおしゃべりもよくきく。

・・「白蛇伝」は血湧き肉踊る。

571秋魚:2015/07/24(金) 20:10:23
(無題)
・・憂いなんてもんじゃなく心配。支笏湖のユースで会ったチャリダーの女子は岡山産。如月小春に似ていた。先日図書館で、この如月小春もう四十代そこそこで亡くなってるのを知った。あのチャリダーは元気と思う。突然の訃報というのだけはやめてもらいたい。

・・常盤御膳の飯能歩きの説を追って、多峰主山、見返り坂近辺を訪ねた。よく晴れていたが、この夏の天気気まぐれだそうだ。小曽木街道から飯能にはいる峠道で黒雲、にわか雨に襲われた。ちょうど人家も無くなるあたり木陰で雨宿りをしていたが、雨足は強まるばかり、雨宿りの場所を山小屋の軒の方へと移動した。にわか雨だからじきに止むであろう。実際しばらくたって雨足も弱くなってきた。しかしカッパも着てしたたか濡れた。いくつか水に弱いものかろうじてガードして野ネズミのような体勢になった。野人そのもの。ひさしぶりですね。

・・坂を登りきった所にローソンコンビニがある。晴れたわけでなくここまで行ってコンビニで雨宿り。自転車でこんなどしゃぶりの雨につかまるとは予想外。お昼時パンとジュースで休憩した。街の方から山の方へと雲が流れる。・・やがて雨もあがり飯能に入るとまず天覧山をめざした。この辺の地理ほとんど不案内です。地図があったがざっと見ただけ。能仁寺というお寺の背後に天覧山があるらしい。実はこの天覧山に興味は無く多峰主山、見返り坂の常盤の影を追った。・・天気わるし。時折ぽつぽつ来るし、雷鳴も。だいたい天覧山は195mくらい自転車で登れそうだが。情報は無い。それでも自転車でいけるところまでゆくことにした。途中天覧山をカットして多峰主山に向ったが、山道になり自転車は無理そう。見返り坂の近いところまでいったが、ここも急坂の細い道。きょうはあきらめて、天覧山の山頂一本にめざした。ここから先は自転車は無理というところで駐輪し、階段を徒歩で進んだ。・・天覧山は明治天皇の命名だそうだ。もとは愛宕山という。まったく天候のせいか登山客ひとりふたり見た程度。山頂にはだれもいなかった。一億五千万年くらい前の古生代海底のチャート石がせせりあがった岩山という。見晴らしはよい。

・・青梅の成木にいた常盤が館をぬけて成木川、入間川沿いにくだった。天覧山の南側裾野を歩かず多峰主山を迂回して見返り坂を歩き、天覧山をパスしようとしたのは何か理由があるのであろう。その裏山のあたりで山賊を装った鎌倉の追っ手に包囲されたと想像する人もいる。常盤がこのあたりを逃げて歩いたのを信じない人も多い。関が原に常盤の墓があるというのは、まったくでたらめなのはわかる。

・・天候不安定なので、きょうはもう帰ることにした。飯能から青梅の小曽木街道に入ってまた雲行きがおかしくなってきた。ぽつりぽつりと来たらそれでは収まらない。岩蔵温泉のあたりで雨足も強くなる。進むのは困難。そういえばこの辺りに喫茶店があったはず。温泉郷界隈にはいって、運よく見つけた!しかも営業してるらしい。さあ、コーヒーでも飲んで雨宿り。「ゆば」というお店で以前寄ろうとしたらお休みだった。中に入ってわかったのだが、金土日祭日しか開いてないという。金曜日でまったく運がよかった。雨宿りです。すみません。コーヒーいただけますか?感じのよいママさんが受けてくれた。このお店はじめて入ったけどとても感じいいです。モネの庭園のような庭があり、ジャズも聴ける。こんな田舎にといっては失礼だけど、たいへんおシャレなお店です。図書がいくつかあり、いろいろ旅行しているな。地球の歩き方なんてのもある。これは同世代のトロッター。娘というよりママさんらしい。

572秋魚:2015/07/27(月) 00:35:29
(無題)
・・最近自転車のポタリングで気づいたこと。名所旧跡の名でたとえば天覧山などそれが通称になっているから仕方なく天覧山はどこですか?など人に尋ねたりもする。お酒の名にもあったりして(笑)。案内地図にも動かぬ名前で載っている。・・しかし、由来を見るとはじめは愛宕山とか羅漢寺とか呼ばれて明治になって天皇が軍隊を総覧して立ち寄った山で天覧山となった。など地名を呼ぶのも恥ずかしくなること多し。いつか渋谷の御嶽神社に寄った時も明治天皇が立ち寄って休憩した神社だとか御嶽自体のことばには深い言われがあるはず。土地の名のメモリアルが明治天皇あたりで説明されちゃうのはおもしろくない。土地の精霊が今でもいるはず。・・見返り坂なんてのは常盤御膳が今通り過ぎた風景があまりに美しかったので振り返った所などいう。だれがそういったのかわからぬまでも、こちらは真実味があっておもしろい。時代がたってもどんな美しい風景なのか確かめたい思いになる。先日は悪天候でかなわなかったけど。

・・青梅の岩蔵温泉郷。東京の奥座敷と呼ばれている。そういっても語感でピンと来る人はあまりいないのではないか。東京は地方から出てきたり外国から帰ってきたりまた異国の外人も住んでいたり東京生まれの者が占有するイメージはほぼ滅んでいる。表面上はある種無国籍の街に移りつつある。ポタリングで温泉にいっても異国人をよくみかける。

・・岩蔵温泉というのはたぶんすごいところです。温泉マニアの自分がまだ未経験なのは申し訳ない。頭が下がる。こんど友人を誘って訪ねてみましょう。雨に降られてママダ屋さんのカフェに寄ったら感動でした。ヤマトタケルが立ち寄って傷を癒した湯というのです。タケルの岩の痕跡もまだ残っています。自分は確認しています。

・・隣の飯能もすばらしい所です。1923年の関東大震災を憶えていますか。東京の大震災です。近いうち来ますよ、必ず。飯能はなぜかあの震災で無疵だった。土地がそうなって守られたのでしょう。関東平野は大昔ほとんど海でした。周辺の山からは海の化石がたくさん出ます。都心域は土砂とゴミの堆積層です。東京でも掘れば温泉がでます。1700mくらいですか。氷河期以前の海水が噴出すそうです。腐葉土などの堆積層から出るのは黒色で、古い海水のは琥珀色か赤茶けた湯ですね。塩の味がします。・・東京の奥多摩よりの温泉は透明なアルカリ性単純泉が多い。石灰岩、チャート岩層など硬い岩盤の下から良質なアルカリ泉が出ます。

・・直下型大地震では、都心は見る影もありません。今ある祭典はすべて夢、まぼろしです。オリンピックまで、たぶん現実はもたないでしょう。それまでに夢をみながら命を終える人は幸いでしょう。

573秋魚:2015/07/29(水) 01:30:19
(無題)
・・家の近辺の地理はようやくわかってきた。あちこちポタリングしたおかげで迷路の網目が幾分はっきり見えてきた。迷路が無くなるというの自分は実はおもしろくない。西も東もわからぬ土地にはいりこむのは、恐怖。というか緊張しますね。わざわざそういう異域に入り込むのは・・あまり分析したくない心理です。

・・群馬高崎あたりから谷川岳の急峻の山を越えて裏日本の新潟に入る道。昔はそんな道など無いと思っていたが、あるらしい。三国峠という峠を越える道がある。今は関越道という道路が走ってる。ママチャリで三国峠を越えた。という記事があった。思い立ってチャレンジしたらしいその若者の心、よくわかる。昔の人は徒歩とか馬で旅をした。自転車でどこでもいけないことはない。・・しかし三国峠なんて知りませんがトンネルがあるそうです。これは先日正丸トンネルというのくぐって大変でした。無謀な人もいるものだ。・・事実こわい思いをしたそうです。

・・青梅街道を奥多摩から大菩薩嶺を迂回して柳沢峠くだって甲州市塩山にはいる道は険路という。ロードレーサーならチャレンジする人も多い。マンションの管理人さんは昔からの自転車乗り。全国の輪行もよくやってる。その人が自転車でチャレンジしたがあまりに険しい道でリタイアしたという。アップダウンが何回かあって最後に強烈なアップの坂がある。柳沢峠には茶店もあるらしいが。日向和田にすむイギリス人は、こういう難関のコースものともしない。外人のサイクリストは平常心でコースを選ぶ。ヒルクライム上級の奥多摩周遊道路とかの難関もいともたやすくチャレンジしている。自転車もいいもの乗ってるけど。秩父の方から雁坂峠を越えて甲州市にはいるなんてのもあるらしい。・・自分は、このうち柳沢峠コースは魅惑で時々シミュレーションしてみる。

・・青梅から南下八王子に入って高尾からの甲州街道。たしか20号といった。ここはあまり自転車で走りたくない。勝沼にゆくまで笹子トンネルもある。トンネルの落盤事故があったところ。甲府にはいる手前酒折まで輪行というのはどうだろう。ヤマトタケルが火焼の翁と連歌をした社がある。ここから甲府市内まで自転車でゆく。

・・翌日、甲府から中央線小淵沢あたりまでどんな道か見当もつかない。甲府の外れの駅から鈍行というのあるのだろうか。この中央線昔使ったことがある。何度か乗り継ぎ乗り継ぎを繰り返したと思う。富士山がよく見えた記憶もある。道がよければ自転車で走りたいがまったくわからない。・・右手に八ヶ岳、左手に富士というおもしろい列車の道だったと思う。山登りの好きな人は八ヶ岳をターゲットに楽しみをもつ人多い。諏訪あたりまでの道もまったくわからない。

・・先達はいる。

甲府〜諏訪を自転車で走ってきた。

七里岩ラインという中央本線沿いの県道。60km弱のずっと登りという苦行。高低差は800m。・・出走し韮崎から七里岩ラインに入ります。

・・他に20号の甲州街道ラインがある。こちらはダンプがびゅんびゅん。

・・交通量は国道ほどではないものの、コンビニも3カ所ほどありました。日野春駅前、長坂駅手前、小淵沢の大滝湧水の手前です。

・・八ヶ岳を眺めながら走行


 このライン、いける!


 ・・ふたりは真っ暗な火山峠を越えて高遠に出ると、そこから藤沢街道を急ぎ、杖突峠から諏訪の茅野にくだる。
 甲州街道や和田峠越えは追手がかかると考え、茅野から大門峠に道をとり、峠のふもとで一泊、その夜はじめて財布を調べて、合計八十六銭しかないことがわかる。・・しかし、中仙道の途中で、越後の高田から上京途中の妙な小僧に助けられたりして、とにかく上州安中の宿につく。・・こんどは安中から乗り合い馬車に乗って熊谷までゆき、そのころ終点駅であった熊谷から上野まで、はじめて汽車に乗る。・・空谷少年は結局桂庵の手で、駒形の裏町の足袋屋に住込みで勤めることになる。

 日さかりや瞽女にものきく仁王門

574秋魚:2015/08/20(木) 01:40:03
(無題)
・・たしかに暑い!住んでる土地のインフラで起きてること、地震が来るかとか地下水脈の変化とかすこし気にしてます。

・・「芥川龍之介の死」という萩原朔太郎のエッセイを読みました。文学者のインフラがすこし気になります。文学する精神のインフラですが。龍之介は井月を渇仰していましたが、朔太郎との対話では俳人は芭蕉蕪村のみで語られたようです。

芥川龍之介――彼は詩を熱情してゐる小説家である。

詩と小説というモチーフで、龍之介と朔太郎はよい話し相手であったというか宿命的な転機を経験する。

このエッセイの末尾の章を読んでみます。

「・・見よ! この崇高な山頂に、一つの新しい石碑が建つてる。いくつかの坂を越えて、遠い「時代の旅人」はそこを登るであらう。そして秋の落ちかかる日の光で、人々は石碑の文字を讀むであらう。そこには何が書いてあるか?

 見る者は默し、うなづき、そして皆行き去るだらう。時は移り、風雪は空を飛んでる。ああ! だれが文字の腐食を防ぎ得るか、山頂の空氣は希薄であり、鳥は樹木にかなしく鳴いてる。だが新しき季節は來り、氷は解けそめ、再び人々はその麓を通るだらう。その時、ああだれが山頂の墓碑を見るか。多數の認識の眼を超えて、白く、雲の如く、日に輝いてゐる一つ義(ただ)しき存在を。」


・・芥川の文学も古くなってゆくのかなど時々考えます。石碑の文字はたしかに腐食して読みがたくなります。芭蕉の句碑を見て廻ることもしますが、もともとが読みがたい文字であったり風化して苔で隠れたり、それでも誰かが正確に読んでいます。

・・龍之介の死の理由をもっとも正確にいいあてているのは朔太郎ではないか、そんな気がします。

575秋魚:2015/08/07(金) 13:23:03
(無題)
・・沼津の高尾山古墳が脚光を浴びてる。前方後方墳という古代史を新しく展く鍵となる古墳形だ。道路整備計画と遺跡の保存保護の問題で今でも行政上の処理が揺れている。前方後方墳とは聞きなれない名前だが、古代史研究家の間ではすでに分布と方位線とか一部詳細に調べがすすんでいる。

・・源氏物語、古今集、伊勢物語の古今伝授の枢要な鍵と目される雲林院の調べから、沼津の高尾山古墳も同緯度の方位線が重なるのは、おどろきだった。


??・・雲林院

京都市北区 紫野 雲林院町35-4. 緯度:35.040876 経度:135.748690

・・三河八橋(知立市八橋) ほぼ北緯35度

・・熱田神宮 北緯35度07分38.59秒 東経136度54分31.22秒

・・沼津  北緯35度5分44.1秒 東経138度51分48.4秒

・・三崎漁港 北緯35度8分16秒 東経139度37分7秒


・・粗雑な調べで、沼津の位置などどこを基準にしたのか忘失してて有用性はあまりない。

専門の研究家の詳細な調べが別にあります。

http://8220.teacup.com/toraijin/bbs/2884

http://userimg.teacup.com/userimg/8220.teacup.com/toraijin/img/bbs/0002884.png

・・このうち長野松本の弘法山古墳は信濃路への展開のメモリアル。 長野県松本市並柳2-1000

北緯36度12分46.9秒
東経137度58分58.3秒
形状 前方後方墳

碓氷峠を越えて高崎にも前方後方墳は存在します。

元島名将軍塚古墳(もとしまなしょうぐんづかこふん)

群馬県高崎市元島名町
北緯36度19分23.43秒 東経139度4分8.28秒
形状 前方後方墳
規模 墳丘長75m
高さ8.5m

近くの前橋にも東日本最大級の前方後方墳があります。

前橋八幡山古墳(まえばしはちまんやまこふん)は、群馬県前橋市朝倉町にある前方後方墳。


所在地 群馬県前橋市朝倉町四丁目9-3
位置 北緯36度22分01.6秒
東経139度06分03.0秒
形状 前方後方墳
規模 墳丘長130m
高さ12m
築造年代 4世紀中頃
埋葬施設 (推定)竪穴式石室
史跡指定 国の史跡「八幡山古墳」


八つ橋ですが、

・・みちしれる人もなくて、まどひいきけり。みかはのくに、やつはしといふ所にいたりぬ。そこをやつはしといひけるは、水ゆく河のくもでなれば、はしをやつわたせるによりてなむ、やつはしとはい
ひける。そのさはのほとりの木のかげにおりゐて、かれいひくひけり。そのさはにかきつばたいとおもしろくさきたり。それを見て、ある人のいはく、かきつばたといふいつもじをくのかみにすへて、たびのこゝろをよめ、といひければよめる。

 から衣きつゝなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞ思


・・むかし男は、複数いて、ここで分散していったのではないか?

東海道の東下りはひとつのラインです。海に出るものや、木曽川、天竜川を遡って諏訪、長野に入ったものもいたでしょう。

576秋魚:2015/08/08(土) 22:36:16
(無題)
・・「白い町ヒロシマ」という原爆被災の映画をみた。戦争体験をもとにした原作の映画化と思われる。学童疎開で被災を逃れたヤスコという少女の視点が基軸で、原作の木村靖子さんというのはこの少女であろう。脚本化したのは新藤兼人。原爆投下のドキュメンタリ映像をまじえながら昭和二十年の二月から八月六日の被爆の日までのある家族の生の流れがホームドラマのタッチで進行する。家族の絆がこれほどノスタルジックに想い起こされるのは、やはり時代の流れか。絆のあり様は今も昔もあまり変わりは無いと思いたいが。

・・それにしても原爆は苛酷です。一瞬にして美しい家族の絆を断ち切る。絆自体は傷ついたままより強く心に残る。生き残ったものの絆を再確認してまた生きてゆくしかないのだろう。

・・白い町というのは、二月頃広島に雪が降ったらしい。雪化粧の広島はめずらしいという。これは虚構かなとも思ったが、たぶん現実だったのだろう。・・白い町ヒロシマというのは、その夏のヒロシマのことで、ピカドンと黒い雨、一面の焼け野原。真っ白な夏だった。

・・茜色の空を歌う小椋圭の音楽がたいへんに叙情的で涙がでます。

・・広島の外れ島根の際に学童疎開する子どもたち。このおかげで被爆には会わなかった。この広島の中心と疎開した田舎の距離がなんともいえず悩ましいのは、かの子どもたちだけではあるまい。お寺でしたが。緑もいっそう濃いところです。

・・映画の最後でわかったのですが、埼玉の都幾川がロケ地だったようです。この都幾川は、先日、自転車で通りがかりました。よいお寺と温泉があります。ほんとに田舎です。

577秋魚:2015/08/12(水) 21:54:12
(無題)
・・古今伝授について、西田正宏氏の要約がある。

>・・「古今伝授」を一言で定義することは極めて困難である。特に、ここ三十年程の間に、古今集の享受史の研究が飛躍的に進展し、その結果、「古今伝授」そのものの持つイメージがずいぶん変わった。従来は、「古今伝授」と認識されてこなかったことも含めて、広く「古今伝授」として捉えられるようになった。
広義には、『古今和歌集』の講義の全般を指し、院政期頃(古今集撰集から約200 年)から『古今和歌集』の難語解釈を中心に注釈(講義)が行われるようになった。御子左家(基俊⇒俊成⇒定家)と六条家(顕輔⇒清輔⇒顕昭)の対立および定家の息子・為家さらに孫の為氏の死後、大きくは、冷泉・二条・京極と三流の対立を中心に、細かくは、為世・為相・為顕などの諸流派が加わり、流派対立の混迷を極める。結果として、多くの偽書を生み出すことになった。
狭義には、東常縁(とうのつねなり)より宗祇が受けた講義(特に秘伝の伝授)をはじまりとし、以降、その説を宗祇が門弟に伝授したことを指す。宗祇から三条西実隆・宗二(奈良伝授)・肖柏(堺伝授)らに伝授されたとされるが、実隆から細川幽斎を経て、天皇家へと伝授されたいわゆる「御所伝授」と呼ばれるもの以外の実態は明らかでない部分が多い。


・・905年に奏上された古今和歌集の頭初の意図、意味の網目が、200年も経つと、一筋縄のもので収まらない。古今伝授というのはおそらく某かの権威つくりであろう。あるいは権威の秘密と解釈のこととする。

古今集自体が類稀なひとつの権威。・・御子左家の端末たとえば定家の解釈が正当な古今伝授を伝えるというのは、錯誤だろう。はじめに注釈なしで古今集を読むことが肝心。いなおほせ鳥。

・・古今伝授以前を解釈する。定家を古今集解釈のひとつのメルクマールとする。百人一首とは、一人一首で百人百首の歌合せではなく、一人一首、百人でも一首のこと。


題しらず

秋の田のかりほの庵(いほ)の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ(後撰302)

>・・かりほの庵 仮庵の庵。同語を重ねて言ったもの。「刈り穂」と掛詞か。「一説に、刈り穂の庵。一説には、かりいほのいほ。(中略)かりいほのいほ、よろしかるべきにや。いにしへの哥は同事をかさねよむ事みちの義也」(宗祇抄)。

・・古今伝授の宗匠宗祇においてもこの程度の解釈にとどまる。「いにしへの哥は同事をかさねよむ事みちの義也」という同事とはなにか。

>・・【乙巳の変】いつしのへん
干支が乙巳にあたる645年(大化1),中大兄皇子(後の天智天皇),中臣鎌子(後の藤原鎌足)らが蘇我大臣家を滅ぼして新政権を樹立した政変。皇極女帝のもとで,皇位継承や政治方針に関し大臣の蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)父子と対立していた女帝の長子中大兄らは,唐の興隆により国際関係が緊張して高句麗や百済には政変が起き,643年冬には皇位継承の有力候補だった山背(やましろ)大兄皇子(王)一家が入鹿に滅ぼされると,蘇我一族の倉山田石川麻呂(くらのやまだのいしかわのまろ)らを同志として大臣家打倒を決意し,645年6月12日,皇居の正殿で石川麻呂が〈三韓の表文(ひようぶん)〉と称する外交文書を読みあげている最中に,中大兄が率先して入鹿を斬り,雇っていた暗殺者たちがこれを殺し,翌日には蝦夷も護衛兵らに逃亡されて自殺した。


決行日当日の役割分担は、
●倉山田麻呂臣が上表文を読み上げる。
●中臣鎌子は俳優を手配して油断させて入鹿の剣を取り上げる。
●中大兄は門衛に指示して一二か所の門をすべて閉鎖させる。
●中大兄は槍を持って大極殿の側に隠れる。
●中臣鎌子は弓矢を持って背後に隠れる。
●佐伯連子麻呂と葛城稚犬養連網田は上表文を読み上げている時に入鹿に斬りかかる。

倉山田麻呂が上表文を読み上げている間、子麻呂と網田は入鹿の威を恐れて怖気づき身動き取れなくなっていた。背後にいた中大兄が「ヤアー!」と気合を入れて、中大兄、子麻呂、網田の三人で入鹿を斬り倒した。


・・このように、自ら手を下した中大兄はあっぱれとみるべきかどうか。中臣鎌子は背後から惨状を見ていただけではないか。

578秋魚:2015/08/16(日) 00:41:26
(無題)
題しらず

をちこちのたづきもしらぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな(古今29)


・・ママチャリ後輪のブレーキワイヤを交換した。ワイヤ留めのネジが固くて放っておいたが、CRCの潤滑油を充分かけてえいっと気合をいれてなんなく動いた。細かな調整がけっこうむずかしくともかく使えるところまでもっていった。・・翌日急に後輪のタイヤが空気抜けしていた。パンクか?バルブの虫ゴムが擦り切れていた。これも取り付け位置などなかなかすんなりいかない。簡単な作業らしいが、未経験なものは失敗も多い。

・・高尾−甲府−諏訪−伊那−火山峠のツーリング輪行をシミュレートしている。

・・高尾−塩山を輪行して、甲府盆地には自転車ではいる。駅前のホテルを予約したがたぶん時間が余る。武田神社と信玄の隠し湯要崖に訪ねたい。問題は二日目。甲府から諏訪までこの道は天候が急変しそう。いざとなったら最寄の駅から輪行。たしか60キロほどあり、アップの道が続く。20号はわかりやすいが余り楽しい道ではないらしい。時間を充分とってあるあるので安全運転でいく。諏訪は温泉のメッカ。ここで一泊。上諏訪から伊那に入る道はまだ調べがすすんでいない。杖突峠から高遠にはいるサイクリストの記事があった。こなせないほどではないらしい。天竜川沿いに飯田線に沿っていく道があればよいが。三日目は直接火山峠までめざす。三峰川を散策して井月のお墓を探す。今回の予定はここまで。ここもホテルを予約した。帰路はまったく空白。

・・クロスバイクのブレーキ他すこしの微調整。自転車はこのすこしの調整が後々ひびく。先日雨に降られたのでチェーンに注油をする。遠距離のツーリングをシミュレートして大き目のバックパックを背負って自転車を走らせた。例によって青梅坂から小曽木街道をまっすぐ龍崖山の峠をこえて飯能にはいる。先日通った天覧山横の道をのぼれば秩父街道(?)の入口にでる。観光案内所があって巾着田にゆく時はこの道が一番近い。このあたりまでなら一時間そこそこで着く。・・きょうは正丸まではいかない。吾野宿にゆく。−飯能の紙−という展示がある。吾野はさほど近くは無い。二時間かかる。

・・いま帰宅してお茶を飲んでる。実に美味い。白昼野外の大労働で水に渇える。冷たいビール、ジュースより温かいお茶が美味い。

・・ヒルクライムなどは大きいバックパックは厳禁というのを聞いた。軽くすることだと。しかし今回は昔使ったバックパックを出来るだけ小さくして使う。ミレーのバックパックは背当たりがよい。このパックも今使わないともう永久に使うこともないだろう。

579秋魚:2015/08/20(木) 23:29:24
(無題)
・・自転車の解体−組立ていまひとつ合点がいかない。もう一度試行してみる。ブレーキ解除、前輪を外す。フレームごと車体をさかさまにする。チェーンの位置をアウタートップにする。後輪を外す。スタンドを外す。エンド金具を付ける。・・さてこのあと車輪を二つフレームにくくりつける。これがよくわからない。ネット検索では、バンド固定位置はとくに決まりがないそうだ。自分が試したものよりすこし後方がいいようだ。・・袋入れは次回に。・・組立ては簡単に思えた。しかし後輪の取り付けチェーンの位置が定まらず。てこずる。アウターにもってくるのはチェーンの張りを強くするためか。組み立てた後にブレーキがうまくかからない。これはハンドル部分のワイヤーが外れていたためだった。不具合があるのは必ず原因がある。原因を無視して強引に補正しようとすると破損したりですね。今回はセーフでした。

・・先日小曽木街道の無人野菜売り場で買ったピーマン。とても甘い。小さいピーマンがたくさん袋に入って百円だった。特に無農薬とか有機野菜とかうたってないが美味い。カン酎ハイはカインズのゆずがとてもいい。鰹のタタキは当たり外れはあまりない。モロヘイヤもいい。トマトばかりは当たり外れが多い。形は野菜だがいま出回るものは問題多し。・・しかしたかがピーマンといえ、美味い。

・・青梅俳諧に精通する大先生にお手紙を書いた。江戸後期から維新にかけて青梅の文化は華々しい。といっても、あまり説得しませんね。小林天渕は谷文晁につき青梅文晁と呼ばれたなどいっても、なんだ谷文晁の弟子のぐっと下かとみられる程度。・・青梅に住んだ吉川英司、川合玉堂ではなく、青梅にはもっと早く堂上文化があった。中原章、浄月律師、根岸典則、小峰峯真、小林天渕・・このうち浄月律師は歌集、句集のまとめたものを一冊つくるべきだと思う。よき理解をしめす人がもう高齢になって若い新しい人は興味をもたなくなってきてる。このままいくとこの土地を潤い光らせた古い文化が滅んでゆくのかも。

580秋魚:2015/08/22(土) 19:07:30
(無題)
・・自転車組立て後ブレーキ調整した。ツーリング前に試し乗り。御嶽山に登りレンゲショウマ鑑賞とダウンヒルを試みた。レンゲショウマは夕方とか雨もよいに光る花という。御嶽神社の薪能とかもある。しかし日帰りの参拝は無理っぽい。ともかくもレンゲショウマとダウンヒルで昼から自転車を走らせた。ダウンヒルで自転車を酷使して本番のツーリングでつぶれないかとも気がかりだった。近頃はすべてにおいて限界状況が見えている。体力的にも限界を感じることも多い。夏バテでつぶれるようなら情けない。御岳山自転車登山はこれまで二回試みている。吉野街道から参道のケーブル駅までもちょっとしたヒルクライム。後半はどうしても足つきになる。ケーブル滝本駅からが山の中の参道。ヒルクライムなんてものじゃない。自転車をひいて徒歩で登る。自転車はころがすだけだから重い荷物ではない。しかしかなりの登り坂です。体調が狂って気持ち悪くなる。悪い汗がでる。足も重い。やめたくなる。半分ほど登るとほんとに小さな少女が母親といっしょに歩いてる。おおかたはみなケーブルに乗るから、こんな小さな子が大丈夫?もう死にそうだよー。子どもの体力というのよくわからない。わたしらが思ってるより強いものらしいが。自転車で御岳山に登るのも今回も自分ひとりだった。やってる人もいるはずだが多くは無い。登りでバテたらいくらでも休みをいれればよい。下りのダウンヒルははじめは想像しただけ。可能と判断してはじめてトライした時は必死だった。目の前今現在の運転だけがすべての緊張。今回も一二度谷底へ転落かというひやりがあった。・・そうこうして茶店のあるところまで来た。自転車の駐輪場所は心得ている。今回はレンゲショウマの前にすぐに紅葉屋という蕎麦やに入った。ビールと蕎麦で休憩。

・・八月のお盆明けの土曜日で人の出が多い。さすが青梅の御嶽山。登山客、神社参り、それに山頂に群生するレンゲショウマの開花が人を呼ぶ。ハイキング客はみないい装備だ。吉野街道ではいい格好のサイクリストが何人もいた。青梅ばかりは外に出ないと生きた気がしない。体力が落ちているのは分かったが、峠を越えたあとは不思議と強靭な体力がもどる。家にこもってシミュレーションばかりというのはよくない。

・・神社へあがる女坂の傍らにすこしレンゲショウマがみえた。写真を撮ってる人がいて、群生地は別のところという。何も知らないで来たが、ケーブル駅の裏にレンゲショウマがたくさん見えるという。まったくケーブル駅なんていったこともなかった。


   *


小野小町

いそのかみといふ寺に詣でゝ日の暮れにければ夜あけてまかり歸らむとてとゞまりて此寺に遍昭侍ると人の告げ侍りければ物いひ心みむとていひ侍りける



岩の上に旅寢をすればいと寒し苔の衣を我れにかさなむ



遍昭かへし


世を背く苔のころもは唯一重貸さねば疎しいざ二人ねむ

581秋魚:2015/08/25(火) 19:59:58
(無題)
・・天候はもう秋ですね。台風なくても降水確率30%くらいで甲府盆地あたりは雨がくる。諏訪湖周辺や天竜川沿いでも雨は来そう。大雨でなければなんとかいける。自転車のフェンダーを外してあるので大雨だと悲惨です。・・急に空気抜けも困るから後輪のバルブをチェックした。劣化というのではないがもうしばらくは持ちそう。虫ゴムのいらないスーパーバルブを予備で持っていこう。予想しうる大方のトラブルは対処したい。自転車の調整はもう微調整でいいのではないか。ブレーキ鳴きが気になるが警笛がわりでそのままいく。

・・出発まで一週切った。ロードラインをもっと調べねば。塩山から甲府まで20号は避けたい。初日は完全に動きたい。塩山から周辺のサイクリング魅するもの多い。青梅街道柳沢峠越えというのいつかやってみたい。塩山から中央線に沿って甲府まではむずかしくはなさそう。石和には終日営業の健康ランドがある。ここは帰路に。

・・天気だけが心配になった。降水確率40〜50%。雲が広がって夕立のようなのは無いだろう。甲府から韮崎まで、その後の20号でない街道を調べねば。雨ならすべて輪行になる。昔の人はずっと歩いたのだから、これくらいでびびっていては何もできない。

・・甲府−諏訪のロードラインをシミュレートしてみた。韮崎からの県道17号というのが快適そう。晴れればの話だが。国道20号の右側ですね。中央線に近いとある。地図でみると茅野あたりで幹線と離れそう。もうすこし調べたい。

・・青梅の郷土館を訪ねた。以前訪ねた時にお願いした古い文献のコピーをもとめた。浄月律師の評伝です。ここ以外では国会図書館にしかないという。貴重な文献。学芸員の方で詳しい方がいらして助かりました。・・中原章についてすこし読んでみましたが、なんかおもしろい。充実した記事のよう。・・もうすぐツーリングに出るので、帰ってからしっかり読むことにしよう。なぜって、帰っての楽しみがあれば絶対事故に会わない。郷土館に感謝!

582秋魚:2015/08/29(土) 23:41:01
(無題)
・・秋雨前線が発生。天気が不順なので、ツーリングを一週延期した。八ヶ岳や富士の見える街道を、ほんとは赤トンボの舞う秋晴れのサイクリングをしてみたい。天気図ばかり見てすごすのも疲れるものだ。

・・浄月律師の評伝をすこし読む。中原章(〜1790)という希代の文人が当時青梅に漂泊していた。加賀出身だがどのような身分かはわからない。京都にでて諸々の学問と歌道を修練した風で、どんなこともよく知っていた。多摩川周辺に放浪していたが、ついには青梅の上町常保寺に庵をむすんだ。浄月はこの中原章に師事したという。

・・青梅漂泊は十四年にわたるというから、1776年(米国独立の年)にこの地に訪れたことになる。まず根岸典則、浄月律師が入門。学問もそうだがとりわけ魅するものはその歌学だった。若い頃京都に出て隅谷正雅という人に和歌を学んだとあるが、この隅谷という者は今のネットでもヒットしない。この歌が堂上風という。

 鈴虫の声ふり捨て有明のねやへはいらし月になりゆく    章

 この堂上風というのいまひとつわからぬも、当時の青梅では新鮮な京みやびであったらしい。て近な江戸でもてはやされたものとあきらかに一線を画する文化だった。

 青梅谷野の真浄寺にある「しぐれ桜碑」には、日野資枝の歌が刻まれている。

 さくら花梢のしづくおつるより幾世しぐれの名にやふりけむ

 日野資枝こそはまさに京の堂上歌人。子の資矩とともに後桜町天皇に歌をもって仕えたという。浄月典則とも京の日野家に交流し、日野資枝も青梅に訪れた。

・・このあたりも中原章の導きという。

・・

浄月律師の作った章の祭文がある。

「夙に武門に出て帝都に留学すること十有余年にして、神儒仏の学窮すと云ふことなし、尤も歌道に精しく春の鶯秋の蝉の吟綿々としてたへず、浮詞雲の如く起り艶流泉の如くに涌く雲上に賞せられけるに、栄利を慕わずして、遠く四方に斗籔して旧地名跡普く至らずと云ふ処なし、其徳里々に伝はり家々に称せらる」

・・先の「しぐれ桜碑」と並んでおなじ形の芭蕉翁霊塚もあり、これは1793年芭蕉百回忌に浄月律師の建てたものという。

・・毛呂山の俳人川村硯布がここを訪れ句を残している。

「武州多摩の郡真浄寺の
    門前に時雨のさくらあり
     枝に哥よめとあれハ
 さくらはな梢の雫落るより
  いくよ時雨のなにやふりけん
  此歌いと尊く覚て杖を止る事二日

 朧夜はしくれ桜の荷擔(カタン)かな」


・・思うに、密かに井月もここを訪れている。

 青梅や筒井づゝなるその昔

これは「しぐれ桜碑」と「翁塚」の並べて建てる様をみて詠んだ句とみるが、どうか。


『布鬼圃』

583秋魚:2015/09/02(水) 22:49:41
(無題)
・・女心と秋の空というのがあった。まったく今日はよく晴れた。すこし前の予報では70%の雨だった。三日連続して晴れ待ちというのは待ちぼうけになるかも。来週からまた雨の日が続きそう。しかし秋雨前線は急に消えることもある。今日は秋のうろこ雲がすこし見えていた。

・・近場の温泉でまだ未訪問の石神温泉というのにいってみた。奥多摩線の駅でいうと石神前というたいへんマイナーな駅から徒歩でゆける。多摩川べりにたいへん景色の良いおくたま路という温泉旅館がある。宿泊するのはやや値が張るが、日帰り温泉をはじめたという。

・・自宅からママチャリでとても快適なサイクリング。20分で到着できる。青梅街道吉野街道ともに使わず幻のサイクリングを楽しめる。スーパー銭湯が流行してこういう片田舎の肩肘張った温泉にはあまり人も出向かない。秩父の和銅温泉みたいに貸切で使えるだろう。そう想像した通り、客は自分ひとりだった。旅館の方でもお昼前後のチェックインまでの空き時間を日帰りで開放したようだ。

・・一級ホテルの温泉ほど快適なものはない。ロケーションの素晴らしさ。貸切で使えるならまさに瞑想がやれそう。露天はないがすぐ前は多摩川のせせらぎがみえる。川を取り入れた借景の庭があってここも歩いてみたい。・・泉質は、アルカリ性単純泉で、奥多摩湖畔にある鶴の湯をひいている。小河内温泉は昔からある。ダムを造って一度埋没したが、その後湯をくみあげて復活させたという。しかし、奥多摩湖からこの二俣尾までちょっとした距離です。どうやって引いているのか。

・・帰り道、栗の実がたくさん落ちて弾けてる。たいていは人が拾ってイガばかり。それでも拾われずにあるのもあって、よいのを拾った。

   *

たねとなるひとの心のいつもあらば
むかしにおよべやまとことのは    京極為兼


俊成−定家−為家

この為家のもと、為氏(二条)為教(京極)為相(冷泉)の三派あり。京極為兼はこの為教の庶子。


・・すこし引いてみますが、絢爛たる歌ぶりです。


鳥の音ものどけき山の朝あけに霞の色は春めきにけり(玉葉)

沈みはつる入日のきはにあらはれぬ霞める山のなほ奥の峰(風雅)

思ひそめき四(よつ)の時には花の春はるのうちにも明けぼのの空(玉葉)

梅が香は枕にみちてうぐひすの声より明くる窓のしののめ(風雅)

梅の花くれなゐにほふ夕暮に柳なびきて春雨ぞふる(玉葉)

霞みくるる夕日の空にふりそめて静かになれる宵の春雨(金玉歌合)

さびしさは花よいつかのながめして霞に暮るる春雨のそら(風雅)

春の夜の明くる光のうすにほひ霞の底ぞ花になりゆく(弘安八年四月歌合)

思ひやるなべての花の春の風このひともとの恨みのみかは(玉葉)

・・

584秋魚:2015/09/04(金) 03:09:52
遠く四方に斗藪して
・・先日、中原章について書かれた浄月律師の文を写していて妙な言葉にぶつかった。

「・・遠く四方に斗藪して」というこの「斗藪」という言葉である。「とそう」と読むが梵語で「頭陀」のことという。「ふりはらう」の意。「斗」は「北斗」などで馴染みだが「容量の単位」「ます」「ひしゃく」「少しの量」「けわしい」「かどだっている」「たちまち」「急に」などある。「闘う」という意味は無い。

「藪」は込み入った画数で判別難し、現代表記なら「薮」で「やぶ」のこと。草冠に数。

「斗藪」は仏法用語で行脚のこと。

・・いったいこういう漢字の当てはどういう思念で誰が行ったものか。根気が失せて調べたくも無いが、最近ポタリングとかツーリングとか見知らぬ土地の地図を調べること多く、実際完璧な調査は無く頭に入れた地図も思い込みほどのものであったり、現実に歩いて迷いばかりのあの格闘は何であろうと思っていた矢先、突然「籔」ヤブという言葉に思い当たった。「斗」はもろに闘争の闘の略字かと思ったが「タタカウ」という意味はないらしい。・・「籔」ヤブというのは、普通にタケヤブなどの茫々の草木のことだろうけど、自分には「迷宮」ラビリンスという言葉がよい感触です。「斗」というのはある一定の量をもった空間ですね、おそらくは。籔を切り開く剣=太刀があって、タタカウは太刀交ウとか先走りの想像もやはり籔の中のこと。・・そういえば仏法用語の好きな芥川龍之介はこの「斗藪」から思いついて『籔の中』を書いたのかもしれない。・・「迷宮」ラビリンスというのはクレタ島にあるクノッソス宮殿のこと。興味深い神話がある。・・ミノタウロス、テーセウス、アリアドーネとか、迷宮は迷路ではありません。ラビリンスは両刃斧の意です。

   *

・・先日、やはり興趣を感じた京極為兼の歌について、玉葉集という一人選者ですが、京極派の歌風を代表しているとするなら、「絢爛たる歌ぶり」と評しましたがたぶんこの言葉は外れている。表現で違和を感じている時必ずどこか的を射ていないでしょう。・・江戸後期青梅の歌人をさぐっていて、浄月は二条派の堂上歌人日野資枝についたから二条風と思いきやそうではなく冷泉風という方がいて、実はこの区別自分は認識不能です。玉葉集はずっと昔さっと斜め読みしたことがあり、この斜め読みというのも違っているでしょうけど、この斜め読みから外れる歌の情を強く感じていました。ど真ん中でまっすぐです。

・・たぶん、もうすこし繊細な差異の言葉があるでしょう。

585秋魚:2015/09/05(土) 23:49:23
(無題)
・・天候不順。ツーリングさらに一週延期。出発日を決めるとかならず雨予報になる。もともとそんな急ぐツーリングでもない。行程とスポットで調べも遅れているから丁度よいかも。

・・甲府から諏訪をシミュレートする。甲府−韮崎まではなんとかいけそう。韮崎からR17で七里岩ラインにはいる。このライン桃の花咲く春先が抜群のようだ。サイクリストにはけっこうな人気ライン。韮崎ー小渕沢までが七里岩ライン。ここから清里、八ヶ岳に向う道がある。諏訪にゆくにはR17をまっすぐ茅野あたりまでゆく。富士見峠というところまではアップが続く。甲州街道を使わずほんとにいい道らしい。富士見から茅野までは下りになる。が、この道よくわからない。・・ともかくも晴れてくれなければお話にならない。

・・越境台風というのが遠い南の海上に来ている。あたかも台風17号?これの進行しだいで秋雨前線もぶっ飛んでくれるかも。大陸の秋の高気圧がずっと甲州伊那路を蔽ってくれるといいが。

・・諏訪湖周遊はまったく楽なサイクリングだという。天竜川沿いに下り伊那谷も容易という記事もある。甲府−諏訪が難関か。ここをこなせば八ヶ岳方面にもラインが開けてくる。


「花」と「しぐれ」

・・西行と芭蕉。

 今日ばかり花も時雨よ西行忌   井月


井月は、やはり、青梅に来ているな。


   *

 絶品の栗ご飯ができた。

・・先日、たまたま出くわした落ち栗の実を拾った。たいていは虫食いばかりのものが多いが、この日は、艶のあるよいものばかり。人の通わぬ道で拾う人もいなかったようだ。・・さてどうするか。以前筍のあく抜きで奮闘したことがある。栗もアクがありそうだ。・・こんなときインターネットは大変ありがたい。検索すると、かゆいところに手が届いた栗ご飯の造り方レシピーがいっぱいある。そのうち一つの方法で栗ご飯をつくることにした。

 栗ご飯つくりは二度チャレンジした。栗をふたつに分けた。はじめのは余りうまくいかなかったので、結果だけ。栗は皮むきがたいへん。鬼殻という固い外皮は慣れないとめんどうだ。これはコツがある。二度目にはうまくいった。食用とする実の上にさらに薄い皮がある。名称は思い出せないが、ここに強いアクがあるという。これはしっかり取り捨てなければならない。むき実の栗であとは害になるようなアクはないらしい。炊飯器の米に乗せて炊き上げればよい。で、塩と酒がいる。この量加減が最初はうまくいかなかった。塩の量は少なすぎたかもしれない。塩も酒も残るアク消しになったはず。白米の研ぎ方もぬるかったようだ。・・結果、栗ご飯はできたが、ややうす味。栗自体はあまい良いものだった。

 二度目は、今日。白米を丹念によく研いだ。研げば研ぐほど甘みがでるという。玄米と黒米を少々。塩は前回よりやや多めに。多すぎてはいけない。栗は水につけて剥きやすくした。米についてもいろいろある。「ひとめぼれ」などいっても、同じ名で雲泥の差ある。「こしひかり」もそう。たまたま今あるのは、青森産「まっしぐら」。普段の二倍よく研いだ。・・栗を乗せて今回は醤油を数滴。酒は炊き上がってから蒸らしつつ使った。水加減とか栗の数とかいろいろレシピーは無視して勘を頼りで作った。

・・果たして、絶品の美味さだ。この栗ご飯だけでも食がすすむほど。

 酒がよかったかな。千代鶴の四段仕込み。

586秋魚:2015/09/07(月) 21:11:15
(無題)
・・ハリケーンの越境台風とインスタント台風の発生。進路はまだわからぬも来週はじめには台風一過の晴れの日がつづきそう。三度目の正直でありたい。

 中原章について、放浪が青梅に定着したのは安永五年(1776)。この土地に堂上文化をもちきたらしたという。青梅の花の時代はここにはじまる。

・・この年花咲く京の都はどうであったか。安永五年二月、夜半亭蕪村のもとに名古屋から俳友暁台が訪ねてきた。この頃は桃、桜が同時に咲く花の季節という。暁台と夜半亭の面々が一昼夜のうちに桃と桜の名所を二箇所経めぐるという快事があった。京では桜の名所は数多いけれど桃の花咲く名所は当時もかぎられていた。まず行きたいのは伏見の桃山でしょう。伏見の桃は江戸のはじめ伏見城倒壊ののち城跡にたくさんの桃の木を植えたのがそのはじまりという。安永九年刊『伏見鑑』桃山を孫引きすると、

「伏見の町の東に有。南北十町余り、東西三四町、或は五六町の間、数億万株の桃花、山野に満ちて爛漫たり。」


桃つらつら花尽きる処水長し  暁台

桃おちこち花のうらうへ入日さす  几董


・・この伏見のあと一行は京の西北嵐山へむかう。花見遊山の酔狂で、

星影の花にしみ入る夜明けかな  几董

夜桃林を出てあかつき嵯峨の桜人   蕪村


 京の粋はさすがです。


・・この安永五年からさらに五年ほどして、1781年、天明期にはいる。この期は蕪村暁台もさることながら、天明の俳人たちがおおいに遊歴雄飛した時代だった。時代は混沌としていましたが。

天明2年-8年(1782年-1788年): 天明の大飢饉
天明3年(1783年)7月6日 : 浅間山で大噴火。死者約2万人。大飢饉が更に深刻化。
天明4年(1784年)2月23日 : 筑前国志賀島で金印発見。
天明4年(1784年)3月 : 田沼意知が江戸城内で佐野政言に殺される。
天明4年(1784年): 蝦夷地の開拓が始まる。
天明6年(1786年)8月 : 田沼意次が失脚。
天明6年(1786年): 最上徳内、千島を探検し、得撫島に至る。
天明7年(1787年)4月 : 徳川家斉が将軍に就任。
天明7年(1787年)5月 : 天明の打ちこわし(江戸・大坂で米屋が打ち壊された事件)。
天明7年(1787年)6月 : 松平定信が老中に就任、寛政の改革を行う。
天明7年(1787年)6月7日 : 御所千度参りが起こる。
天明8年(1788年)1月30日 : 天明の京都大火により、皇居炎上、京都の大半が焼失。
天明8年(1788年): 尊号一件始まる。


・・青梅で、中原章、浄月律師、根岸典則らが生きたのもこの時代。

587秋魚:2015/09/09(水) 00:01:09
(無題)
・・まさに恵みの台風か。雨より風の台風は昔から好きだった。風でちぎれた松ぼっくりの匂いとか遠い海の香りとともに風に乗って飛びたくなるのは幼少の気質だった。空の奥でごうごうと鳴る風の音には武者ぶるいがしたものだ。

・・日曜あたりから今度は晴れてきそう。諏訪から伊那谷へを検索してみた。諏訪湖西南の端岡谷から天竜川が開いて流れる。これに沿った県道は伊那街道か。これがよさそう。・・茅野のあたりから守屋山の脇道で杖突峠にあがるのもたいへん興趣をそそる。桜の頃高遠に入るならここをチャレンジしてみたい。高遠の桜半端でなさそう。・・今回は安全ルートで行く。・・それより甲府から諏訪までがどきどきわくわく心配だ。韮崎から小渕沢まで七里岩ラインは必ず、その先富士見峠までは17号で行く。地図ではここから20号に入ったほうが道はわかりやすくはないか。17号そのまま高原の道を茅野の外れまで行くラインもあるが。・・伊那、駒ヶ根には訪ねたい料理屋がある。うまく行けるだろうか。


 桃桜の春の景ばかり思い描いている。京伏見の桃の花見はいいものらしいが、青梅の里も昔は梅というより桃の花里であったらしい。昔というのは江戸後期、明治の頃です。

 明治の小説家田山花袋が奥多摩紀行を残している。

・・

玉茗も同じ心配をしたらしく、

「君、多摩川の山水は本当にいいんだろうね。昨日からのあれほどの苦労、あれほどの難儀をしていよいよ出会ってみれば、なんだこんな程度の山水か、ということにはならないだろうね」

 と念を押してくる。

「決してそんなことはないさ」

??と強張って答えたが、花袋の胸にも一抹の不安があった。

 旅篭を出て街道を山懐に向かい、日向和田(ひなたわだ)の小村落を過ぎると、山水の景は少しずつ引き締まってきた。

 二俣尾(ふたまたお)の村に至って、ついにその場に立ち尽くすほどの好景に出会った。

「全村皆桃花(とうか)なり。全村紅(くれない)なり」

 というわけで、桃の花に埋もれそうな村落が目の前に開けた。

??桃源郷かと思えるような村里を抜けて、再び流れに添って進めば、御嶽山が視界に入ってくる。渓流に点在する岩塊も、奇巌・怪石の状をなしてきた。

 川井の村を過ぎると、山愈(いよいよ)深く水愈(いよいよ)清麗となって心を打たれ、つい時折立ちどまる。

 先を歩んでいた玉茗が「これはすばらしい風景だ」と叫んだ。

 彼らは現在の奥多摩渓谷にあって、一、二を争う景勝の地、鳩ノ巣渓谷を眼下にした。

                       (これは大藪宏さんの文です)


「全村皆桃花(とうか)なり。全村紅(くれない)なり」

・・先日の栗を拾った石神温泉のあたりが二俣尾。全村皆桃花というほどではありませんが、春には桃の花が咲いてます。


・・田山花袋が青梅奥多摩を散策しようと思いついたのには、実は、江戸末期の儒者林鶴梁という先人の奥多摩紀行『豈止快録(きしかいろく)』に触発されていました。

「・・御嶽から小丹波(こたば)、棚沢、白丸と歩みを進め、数馬の石門(切り通し)に着くと、

「山は険に、樹木は老に。群巌怒るがごとくして人を脅かし、石渓は激怒して轟音を発し、鬼界を往くがごとし」

 という風景に接し、鶴梁は感嘆の声をあげた。

 ここから奥の峡谷は、渓山が種々に変化して奇絶なことは限りがない。同行者三人はただ顔を見合わせて「美景なり」を繰り返すばかりであった。」


                     (これも大藪宏さんの文です)



 おもしろいですね。川合玉堂も白丸、数馬の切通しは絶景の讃あり。

588秋魚:2015/09/10(木) 18:43:16
(無題)
・・雨台風。各地に水の被害がある。多摩川の下流でも河川敷はほぼ水でいっぱいとか。わたしのところは丁度上流の方から平地の街中へ流れ込むあたり。水流の勢いは強いが溢れるというのはなさそうだ。釜の渕公園というところに郷土館があり、河川敷より一段あがった土地にあり、すこし心配になった。午後になってまた雨がぱらつく空だが、自転車で川の様子を見に出た。・・こちらの河川敷も木々の茂るあたりまで水でいっぱい。夏の間はキャンプと水遊び、釣り客でにぎわっていた。上流の方でたくさん降って山から水を集めたようだ。この辺で溢れるようだと中流あたりでも堤防をこえるだろう。

・・御岳、鳩ノ巣あたりから、多摩川は、峡谷になる。奥多摩駅のあるあたりからさらに奥多摩湖へ向う川に沿った昔道がある。けっこうな距離です。昔の甲州街道で観光の季節以外はあまり人も歩かない。このへんも深い峡谷。道の上から奇岩、鬼岩の多いのは江戸の頃にあった大洪水の爪跡という。これは山の斜面を水がどどっと流れ落ち土砂を押し流したものだろう。堅い岩だけが残った。この昔道もけっこうな奇景です。


・・あの瞑想、すてきですね。


火山峠 N35度46分50秒 E137度59分18秒

自宅  N35度46分58秒 E139度14分43秒


青梅御岳山(神社) N35度46分58秒 E139度8分59秒

御岳神社奥の院  N35度46分46秒 EE139度8分30秒


・・御岳神社と自宅緯度線が完全同一。

この御岳神社から奥の院に向けた参道、西南に三分の二ほどあがると火山峠の緯度位置です。


・・この緯度線、多摩川に沿って奥多摩をどんどん遡ると湖の中央を通ります。青梅街道とぶつかるのは柳沢峠あたりで、富士がよく見える。

589秋魚:2015/09/11(金) 19:34:24
(無題)
・・台風の過ぎた後に前線の切れ端がすこし残る。日曜はこれがすこし気になる。が、待ったなし。まったくツーリングモードになる。

・・自転車の再調整をした。meridaは基礎構造がしっかりしていてブレがほとんどない。一度ブレーキワイヤが外れて立往生したことあったが、こちらの調整ミス。下手に調整してチェーンが外れたこともあった。解体組立て後の調整はあまり時間をかけられない。ヒルクライムが多そうなのでブレーキ調整を念入りにした。ブレーキ鳴きも止まったはず。

・・諏訪から岡谷辰野と行けばよいらしい。帰路塩尻に寄りたいと思ってこのあたりを調べてみた。昔電車で通ったことあります。中央線、飯田線とか篠ノ井線とか入り組んでいて乗り継ぎむずかしかった。地図でみると簡単そうだけどよくよく調べてやはりむずかしい。自転車で岡谷からなら塩尻峠をこえねばならない。辰野からの道もあるようだ。ヒルクライムになるらしい。電車の本数も半端でなく少ない。飯田線で伊那−駒ヶ根に行くことも考えたが、下手するともどれなくなる。一時間に一本あればよいくらい。けっきょくこのあたりすべて自転車に乗るのが最良か。・・帰り、高遠から杖突峠の道にまわるというのはどうだろう。ヒルクライムが大変そうだが、登りきれば諏訪湖の端茅野に入る。ここから富士見峠あたりまで輪行して下りは17号で甲府まで。石和で一泊。あとは楽に帰れる。

・・トリップアートというのを昔やってたけど(笑)

  魂の叫びというのには負ける。

590秋魚:2015/09/12(土) 23:33:26
(無題)
・・朝は東京ど真ん中の地震で目が覚めた。また大きな地震かなとも思ったが、横揺れでほどなく止んだ。震度5弱から4。このあたりまでなら人はあまり気にしない。震度5を越えるとエレベータも自動停止する。震源は東京湾らしくマグニチュードは5.2。規模はこんなものであまり気にも留まらないようだ。でも都下ど真ん中というのは気になる。規模はたまたまこの程度だったと思えばいつ都心で大地震が来るやもしれぬ。

・・天が落ちてくるやもしれぬ。と気遣うのを杞憂という。しかし地震はよく来る。

・・直前でよく晴れたので御岳までポタリングに出た。雨降りで体が鈍っていたし自転車のペダリングの具合も見たかった。一年ほど前までは御岳までポタリングするのも勇気がいるものだった。今は気楽な足馴らしになる。ブレーキ、ギアの具合も問題なし。・・駅近の食堂でランチをとる予定がたまたま休業。それでいつかの名物蕎麦や玉川屋にはいった。ほどよい混雑で案内嬢が席をとってくれた。この案内嬢かわいい娘でどうも言葉使いなど日本人でない風だ。フィリピンとかタイとか。帰りにちょっと訊いてみたら、日本人です。といった。ごめんなさい。でもかわいい子でした。

・・他の客はみなグループでにぎやか。ハイキング姿の若い女性もいた。若い人を見るとなんか感動する。自分はこのところ古典古代の調べ事ばかりで急に年寄りになった気がする。若い子に声をかけると変なおじさんといわれるかも。でも若い子はいい。・・ざる蕎麦とビールで休んでいると、一人客が失礼しますと前の席に座った。男子で若者ではない。一人同士ですこし話をしてみたくなった。・・あたりさわりのない話から相手も素直に応じてくれた。なんでも栃木から車で来たという。吉川英治記念館に来たそうだ。栃木茨木方面水が溢れているのでこちらにまわったとか。足利の人で歴史が好きでついつい混み入った話になった。四方山話の中で、栃木の佐野に江戸のはじめオランダ船リーフデ号の漂着した遺物があるという。船は1600年大分の臼杵に着いたが船尾にあったエラスムスの木像がどういうわけか佐野にあるという。今は国宝と認定され国立博物館に所蔵という。リーフデ号ってウイリイアムアダムスの乗ってた船ですね。いろいろ話がはずんだけど明日はツーリングに出る予定。のんびりもしてられず話し相手のお礼をいってひとまずお店をでた。

彼岸花があちこちぽつぽつ咲いてます。

さて、帰宅してこれから最後の準備です。

591秋魚:2015/09/16(水) 19:04:41
(無題)
・・さきほどツーリングから帰宅。伊那市駅から自転車をたたんで特急あずさで八王子まで。あとは高尾から自転車を組立て青梅まで。朝は創造館で井月の書を眺めてました。・・高遠にでて杖突峠からダウンヒルして茅野から輪行帰路というのを思案してましたが、杖突峠のこわさを強調する人多くそれでもやれると信じてました。結局これは断念。木曜日は東京も全面的雨予報というのに従いました。自転車で雨というのはまったく動けませんから。・・特急列車に輪行袋の自転車で乗り込むというのが初体験。袋の自転車の置き場所というのでさんざん悩みましたが、座席の隙間に押し込むことができなんとか他人の迷惑にならず乗り込めました。この方法を覚えれば大方の輪行はうまくいくようです。

・・自転車行路は、塩山−甲府、甲府−諏訪、諏訪−伊那−火山峠−駒ヶ根。駒ヶ根の割烹料理屋「水車」のご主人さんが車でいろいろ案内してくださり伊那のホテルは自転車に乗らず助かりました。初日もけっこうでしたが、二日目の甲府−諏訪というのは驚天動地。三日目もさらに。


・・最初から三日目までは到着地とホテルを予約した。その日まかせの行きあたりばったりというのは昔よくやったものだけれど、宿泊予約は確実に動ける。

・・青梅から高尾までというのは以前都留に行った時のやり方で高尾の駅前での自転車解体は手馴れた風でできた。ちょうどプラットフォームに出ると快速小渕沢行きが出発真近。つながりよく電車に乗れた。エンド金具の止めが緩く動いたほかは自転車もうまくおけた。塩山の駅で組立て観光案内所のお姉さんに地図と甲府までの行き方をアドバイスしてもらう。ここで自分が予定していた青梅街道をあきらめ雁坂からの道を選んだ。笛吹川に沿った道がある。道がわからなくなると美容院があってスミマセンと顔をだしてお仕事中なのにいろいろ訊いてそれでもみなうれしそうに教えてくれます。洗髪中のお客さんまでが目を開いて怒られるのかと一瞬そうでなく正確な情報を伝えてくれました。塩山から甲府は17kmばかり。たいした距離ではありません。それでも何度も人に聞きました。

・・酒折という社があります。ヤマトタケルが筑波嶺をまわって火焼の翁と連歌をとりかわした処です。

 ここも訪ねたい処のひとつでした。裏山に柑橘の実が色づいています。

・・すぐ隣に甲斐善光寺とかあり人込みでにぎやかでしたが、こちらはひっそり。でも本居宣長が寿詞を残しています。


・・甲府は、予定より早く着きました。ここもほとんど未知の街です。駅横に舞鶴城という城が立ち公園になってるようですが、今回は立ち寄りません。近くの宿を予約してあります。駅周辺北側から東にかけていろいろ史跡が並んでいるようです。酒折の宮の隣の甲斐善光寺はきらびやかな建物で長野善光寺の威光をそのまま遷しているかのよう。芭蕉の句碑がひとつありました。・・もっと真北の参道をずっとあがると武田神社にぶつかります。こちらもたいへんな人気のようでいつも観光客に溢れています。塩山あたりもそうですが甲府は戦国の武田信玄の威光が今でも根強く輝いている土地であの風林火山の旗があちこち見られます。街のつくりも武田一色というか当時のこの国の統率力の強さがうかがわれます。甲府は街中にしても温泉がみられ、湯村温泉とかすこし郊外のところにも名湯があり、いろいろ物色していて、武田神社のさらに北の方の山へとあがって積翠寺温泉という要害がパワースポットでここの日帰りを試みました。・・駅前の交番で案内をもらい、要害は信玄の隠れ湯とか、夜は露天からの眺めは絶景といい、ただし到り着くまでの坂道はなみたいていではありませんという。ヒルクライムは覚悟していました。自分のヒルクライムは歩いてでも登るスタイルで下りの軽快さをよく知っています。ここは是が非でもあがっていきます。・・まだ先かよとぼやきながらペットボトルの水の美味いこと。初日から汗がどっとでました。・・着いてみると自動車なら簡単なのか人も多い。自転車で来たのは自分くらい。でも、見立てどおりのよい湯です。泉質もなかなか。この日の疲れをさっと洗い流しました。

・・自転車にトラブルがなかった一日に感謝。明日の行程はずっと長距離のサイクリングです。

592秋魚:2015/09/17(木) 19:17:28
(無題)
・・なぜ自転車か?ゆく先々で不思議におもわれる節がある。火山峠に行くのになぜ困難なサイクリングの道を選ぶのか。・・甲府−諏訪は概ね60kmはある。想像では、左手に富士山、右手に八ヶ岳、さらにゆくと左手に南アルプスの山並みが見えるはず。国道20号、中央線がひたすらこの山間の土地を伸びてゆく。自分が走ろうと思うのは韮崎からの県道17号。七里岩ライン。小淵沢まで東西にせりあがった岩壁の丘の道です。

・・街道をサイクリングするにもっと目立つ服装がよいとアドバイスされています。競輪の選手のスポーツウェアがどういうわけか手元にありました。レース用でno9の番号があり派手ハデですからずっと着用することありませんでした。今回意を決してこのシャツを着てこの区画走ります。派手な服装というのは何故かよくわかります。

・・二日目。まずは韮崎まではいかねばならない。地図で選んだルートと違い、昨日交番でアドバイスでは、駅の北側から山の手通りに入る。この道をどこまでも真直ぐいけばよい。とのこと。・・これを採りましたが、それが大変でした。

 実際、韮崎まで簡単にいけると踏んでいました。交番で聞いたのは、この道まっすぐ行けば七里岩ラインに直接合流できる道のようでした。・・どんどん行くと分かれ道があって右手に行くのが正しかったようです。自分は左折しずっと下って20号に出てしまいました。この20号でも韮崎に入ればさらに17号にも入れるはずです。そう頼んで20号を進みましたが、なんとも殺伐とした道です。甲府からまっすぐ諏訪をめざすのであればこの20号一本で大丈夫です。ただし快適ではないという。だだ広くて道を訊く人にも会いません。やっと土地の人に会って17号の入り口を教えてもらいました。韮崎の町に入りその七里岩ラインへの登り坂のところで麓の工場の人に尋ねました。奥さんがうれしそうにこのラインを語って、交通は詳しそう。すぐ旦那さんもでてきてああでもないこうでもない細々というけれど情報過多でもう出たほうがよいでしょう。帰りにまた寄ってくださいなどいう。ハイ運がよければ。ありがとうをいっていよいよ七里岩ラインへ。・・しかしこれが自動車の数の多いこと。おまけに最初は急なスロープが続きます。アップダウンが多いのも聞いていました。

・・甲府から七里岩ラインへ入るのに一時間もあればいくと踏んでたのは大間違い。3時間はかかってる。最初のスロープだけで30分。・・朝7時30分にでて諏訪には昼過ぎには到着できるくらいな思惑でした。が、これも大外れ。・・実際夕方の5時に上諏訪のホテルでしたから。・・丸一日の余裕でサイクリングだけの日です。自転車のトラブル無ければ。・・何度も繰りかえし来るアップダウン。一方的なアップでないのが救いです。・・車の数は減ってゆきサイクリングはどんどん快適になります。

 山梨の外れ小淵沢が最初の目標。

・・韮崎あたりから晴れていれば富士がきれいに見えるはずでした。自転車乗りに集中して遠くの景色よく見てません。時折たしかめて見ましたが、うっすら雲がかかり富士は見えません。七里岩ラインで見えたのは南アルプスの山々と八ヶ岳連峰だったと思います。ともかくアップダウンをこなすのに夢中で、周囲の景色は稲穂が金色に色づいてあと蕎麦の白い花(?)が盛りだったようです。・・小淵沢の駅前に入るまで、かなり曲がりくねったスロープを走り、道がわからなくなりました。まれに出会う人に尋ねてなんとか小淵沢の駅前へ到着。ここは清里方面からの接続もあって食事のとれるお店も数軒あります。観光案内所で地図と諏訪へ行く道を教えてもらい、古民家の蕎麦屋で休憩。

 派手ハデのスポーツウエアで、でもすっかり自分の風体忘れています。サイクリストは普通みんなきらびやかですね。ヘルメットなども本格的で。特に自分がおかしく見られはしません。お昼をまわってほんとうなら諏訪に着いていてもよい時間でした。もうあきらめです。セイロ天蕎麦とビールで休憩。静かなお店でしたが、そのうちグループ客がどっとやってきました。早々にしていよいよ隣の富士見に向います。

・・ここはもう長野です。七里岩ラインはここで終わり続きは17号でまっすぐ。しかし諏訪までの道ほとんど未知でした。富士見の駅の方から20号に入ると茅野諏訪は入りやすいようでしたが、原村というのを越えて尖石遺跡の近くまで行きそこからビーナスラインというので茅野へ南下。すこし大回りのコースを採りました。・・これが実はたいへんな道でした。八ヶ岳、南アルプスの景色はよく見えました。

富士見は峠になってるとばかり思っていました。このラインここがmaxの標高であとは下りです。アップダウンが繰り返されるので富士見以降は楽ということはない。だいたい富士見峠がどこかも不明。やたらと富士見、富士見が多いのではやく抜けたい感じでした。富士山なども見えません。・・原村へ向う道。もう道を尋ねる人にはそうそう出会いません。農協に入って尋ねました。どこに寄っても場違いな風です。三人くらいでああでもないこうでもない。で文殊の知恵が最後に来ます。やはり17号を真直ぐ。だだ広い高原の道をとんでもない地平に向けて走ってるようでしたが、もう後には退けない。急なヒルクライムはもう無いし、車も少ないし、サイクリングは快適です。

・・原村に入ってスマートフォンを持ってる人に道を尋ねました。どこへ行きたいの?諏訪です。え、自転車で?甲府から来ました。驚いた風で、親子で甲府から諏訪へサイクリングした記事が長野日報に載ってたけど、ひょっとしてアナタ?・・いえいえそれほどの冒険では無いです。実際これまでにサイクリストはひとりも出会いませんでしたが、ネットではいくつか走った記事が見られますよ。クロスバイクで走っているのは、異常だったかもしれません。来る前にドロップハンドルのロードバイクを購入してと思案しましたが、馴れる時間がありません。このHayabusaならお手の物。ちょっと風変わりなツーリングには違いない。

さて、県道17号の終点は尖石縄文遺跡のある交差点。ここは茅野市です。ここを左折して南下。茅野市街に入り国道20号に合流。そのままいけば上諏訪に着きます。尖石縄文遺跡は何年か前に訪れたことがある。ビーナス像の発掘があっておどろきの遺跡ですが、今回はパス。富士見の方で井戸尻遺跡館などもありましたが、ここもパス。・・はやく諏訪にたどりつきたい一心。

・・茅野の街中で道に迷い、通りがかりの女子高生に声をかけました。道に迷っちゃった。駅はどういくの?と、かわいい子です。はきはきと、頭の良さそうな生徒会の役員でもやれそうな。・・同級生にこんな子がいたらきっとホの字になっていたでしょう。質問の答える声にうっとりしてしまい思わず、場違いな話をしそうになりました。自分のチンケな風体も忘れていて。・・ありがとう。といって去りましたが、なぜか記憶に残る子でした。誰かに似ているか?

 さて、上諏訪のホテルに到着です。

593秋魚:2015/09/18(金) 21:56:40
(無題)
・・諏訪のホテルはたいてい温泉です。一晩中好きに入れるというので、でも二度使っただけです。自転車でアップダウンを何度もやって筋肉痛が来るはずですが、なんともないのは興奮が続いているからでしょうが、湯の癒しもあるでしょう。

 いよいよ本命の伊那に入ります。諏訪湖沿いに岡谷まで行きます。天竜川の開き口でここからずっと伊那谷へ流れだんだんと脇の水流を集め天竜渓谷はそれは見事なものです。(昔の記憶)・・あとは天竜川に沿ってまず辰野まで出ます。それからやはり天竜川沿いに伊那街道をひたすら進めばよいようです。・・岡谷−辰野という道、実はあまり良い道ではないです。特に自転車には。細い上に午前のこの時間、通勤ラッシュの車が続きます。距離も意外と長いです。奥多摩の悪路は経験済みでなんとかこなせるものの勝手のわからぬ初物はいやなものです。

 本命にたどりつくにやや困難な道はどうやっても存在する。岡谷−辰野という道、嫌な道でしたが、なんとかクリアしました。辰野−伊那はだんだん快適になります。辰野から箕輪に入ってこの土地の広いこと。なかなか抜けられなかったのは、早く伊那にたどりつきたかったからでしょう。・・この天竜川に沿って、これはうっかりしていたけれど、糸魚川−静岡構造線をなし、フォッサマグナ「大きい割れ目」の西の端に沿った道のことだった。・・あの八ヶ岳と南アルプスの狭間の平原も釜無し川が流れていましたが、フォッサマグナの構造をつくっています。地質学上の大きな発見があり、今回のツーリングもそこがステージなのに今気づきました。

・・自転車を走らせます。伊那にもう入っているようです。田園風景は、稲穂が金色に実りつつあるようです。記憶が定かではありません。・・この伊那街道、このまままっすぐいけば火山峠に行くはず。はじめに伊那市駅に寄ろうとしました。ガソリンスタンドで右折する道を教えてもらい、ちょうどその交差点に来た時、考えが変わりました。右にいけば伊那市駅、まっすぐなら火山峠。この近辺にミスズの郵便局があるはず。・・井月のお墓に寄ろう。

 近くの郵便局にずかずか入り、順番を無視して事務の人に声をかけました。ミスズに行きたい。郵便局はどこでしょう?若い事務員さんが仕事途中でしたが、ミスズはこの交差点を左折して高遠の方へ行ってください。すこし遠いです。おおまかな位置を教えてもらい、ありがとうをいって、すぐその道に走りました。火山峠のあとに井月のお墓をさがす予定でしたが、急に、お墓に寄りたくなりました。・・伊那から高遠に向う道があります。その途中ミスズの郵便局のあるところで左折しまっすぐいって突き当たりを左折とかざっと地図は頭に入っていました。・・実際ミスズ地区までかなりあり人に何度も尋ねました。坂を登り一段高い平地にでます。もう近いはずですが、耕運機を動かしている人に尋ねるとよく知っていました。にこにこ笑って今度は確実です。

 見晴らしの利く平地の中に一本の木があって、その下に井月のお墓があると頭にあります。この一帯白い花が満面に咲いていて蕎麦の花でしょうか。赤とんぼもちらほら。天竜川の向こうの山並みまで見晴らかせ光の広がりは空と一体でした。・・あの木だろうか?この見える光の風景の全体がステージのようでまさにそのど真ん中に一本の木があります。空気、光、地熱とか一体になって体に染みこんで来るようです。・・近づくと、囲い塀の横に案内板があってまちがいありません、ここに井月は眠っています。

 はるばる来ました。案内板の前に自転車を留めて、やっと来たか。自転車にぽつっと声をかけました。囲いを廻って簡素な墓地に入れます。塩原家の代々のお墓がいくつかあって、一本の木の下に丸い愛想のある墓石がありました。・・井月の墓です。

 なんというか万感の想いがこみあげてきて、墓に手を合わせたり、周囲をうろうろ、しばらくは何もできません。・・火山峠までは自分で歩いていました。そこで倒れてこのミスズの地に眠りにつくまで地元の人のお世話です。墓石も。・・降るとまで人には見せて花曇り。この句が刻まれていて今は磨耗で読めません。・・ペットボトルの水を墓石にかけました。

594秋魚:2015/09/19(土) 13:44:50
(無題)
・・伊那に入ってもう何人か土地の人と言葉を交わしています。土地の方ですか?と尋ねてみなうなずきます。感じのよいこと限りなし。

 さて、ミスズを離れて今度こそ伊那街道を火山峠に向います。途中コンビニで水とパンを補給し、電話をかけられないか尋ねたら、電話ボックスは無いという。お店のケイタイ使ってください。そんな悪いですよ。いいつつお言葉に甘え、駒ヶ根の知人に電話をかけさせて貰った。井月顕彰会の方で、お会いしてすこしでも話がしたい旨話が通っていました。伊那と駒ヶ根の境が火山峠です。これを自転車で越えてお会いしましょう。

・・火山峠、ひやまとうげと読みます。そう簡単ではないらしい。街道のガソリンスタンドで火山峠に行く道たずねたら、峠があってたいへんですよ。諦めをうながすよう。もともと火山峠に行くのが目標だから、道を確認してお礼をいい、黙々と走った。だらだらと坂が続きます。急なのは足つきでこなすのは馴れたもの。途中郵便配達の人にきくと、大変ですよ。国道にまわれば楽な道です。でも、火山峠に行きたいのです。なら行かれてください。登りきれば楽です。

駒ヶ根に行くなら天竜川沿いの国道がよいらしい。火山峠は車なら楽でしょう。自転車をみて、それもロードレーサーではない。やめた方がいい、とみな思うらしい。井月は歩いて峠を越えていた。体が動かなくなって倒れた場所にいってみたかった。井月を芥川に紹介した下島空谷もこの峠を越えている。人の手で葬られた墓ではなく、独力の力尽きた場所を見たかった。

・・途中やはり栗の実が弾けて落ちている。二つ三つ拾ってみた。・・まだかよ。と、ぼやきそうになるが、ここは意地でも登る。ヒルクライムの挑戦ではなく、井月の限界の届かなかった先からのアプローチ。手を伸ばしてみたい。・・そうこうしているうち池のある場所に来た。ここではない。もうすこし上がると、頂上らしいが火山峠の標識はない。そこを下ってゆくと田んぼのあるところに来た。田んぼの畦に倒れたというから、このあたりか。芭蕉の松という木があり、芭蕉の句碑がある。隣にも、井月終焉の地とあり、句碑もある。


火山峠 N35度46分50秒 E137度59分18秒

自宅  N35度46分58秒 E139度14分43秒


青梅御嶽山(神社) N35度46分58秒 E139度8分59秒

御嶽神社奥の院  N35度46分46秒 EE139度8分30秒


・・火山峠の標高の分岐点で、井月は倒れたわけではない。駒ヶ根よりから峠を越えようとして力尽きた。力はあったが、体のコントロールが利かなくなった。よろよろと田んぼの畦に倒れこんだ。

 峠の分岐点をはさんで北側250メートルと南側250メートルのゾーンで井月と自分は生死を分けている。

595秋魚:2015/09/21(月) 17:54:11
(無題)
・・岡谷から特急あずさにいっしょに乗り合わせた人がいる。自転車の置き場所などアドバイスしてもらったりすこし話したりしました。八王子までの帰りというので降車駅もいっしょでした。出張のお仕事の帰りのようで八王子からさらに八高線で飯能にまで行くそうです。田舎ですよと言ってましたがそんなことないです。もっと聞くと美杉台にお住まいとか。・・思わず笑ってしまったのですが、美杉台は飯能随一の高級住宅地。田舎という言葉はあたらない。笑ったのはまずかったかもしれない。・・以前交番の巡査にたしなめられたこと思い出したもので。一期一会というので、巡査との間でどんなおもしろい話があったかついぺらぺらやってしまいました。成木川と入間川という実に美しい川があります。この川の起伏に沿って変化に富んだ自然のウォーキングができます。今の季節なら道端に栗の実が落ちてます。どんぐりの実なども落ちてますけど。栗の方はそのままおいしくいただけます。・・これは田舎というのとはちがいます。

・・足腰の筋肉がひきしまる心地よい筋肉痛が二三日ありました。そうしてパソコンなどで思い出に耽っていると身体の緊張は解かれてまたどこかに出たくなります。

 きょうは飯能の先の日高にある巾着田というところまでサイクリング。昔は一日がかりで出かけたものですが、たぶん一時間とすこしで行けるでしょう。

 巾着田 N35度52分53秒 E139度18分37秒

・・天覧山の脇の道を通ってすぐ秩父へ向う街道に出ます。そこの観光案内所ではまっすぐ3kmほどいけば着くとのこと。歩道の無いせまい場所がありますが、車の渋滞でかえって自転車は安全に走れます。休日なので人はたいへん多い。西武線高麗駅に自転車を留めぶらぶら行列なして出店をみながら歩きます。もう二三日前の平日がよかったかもしれません。盛りをすぎた彼岸花は年増の舞姫のよう。ほんとに人出が多い。きょうはこういう雑踏に入りたい気でした。これだけ人が多いと花の勢いも負けますね。というかたくさんの彼岸花と人の多さのせめぎあいのようでした。

・・巾着の形に高麗川が流れています。近くに高麗神社もありここら一帯は高句麗の若光王が流れ住んだ土地。渡来人の土地です。そういう訳でもないでしょう。見物客の言葉が時折耳に入りますが日本語でないこと多いです。外国人観光客がずっと増えているようですが。

 autoの露光だと、この花まともに写りません。写真マニアもたくさん来ていました。

・・このあたり台村というそうです。巾着田の入口に「水天の碑」というのがあります。これは、天保年代(1830−1844)に繰り返された旱魃、大洪水などの天災を鎮めるために、台村の人々が建立したものという。・・天保期の空気は若年の井月も充分触れている。ここらは毛呂山の川村硯布が近いか。硯布の姨捨紀行というのがあった。

・・お花見を楽しむというのでもないサイクリング。自転車の調子と自分の体の調子を確認してみたかった。青梅坂にはじまりスロープがいくつかあります。・・これにはまったく強くなりました。足つきをせずそのままの姿勢でアップをこなせます。秩父街道を日高へ向かう道。悪路です。一部歩道が無く白線もあるかなきか、ダンプが来るとこわいです。ロードレーサーがこなすようには出来ませんがこれも自己流でこなせます。・・この道は何度か走ってる道でほぼ楽ですね。

 帰り道は、入間川、成木川、小曽木街道へ出るまでに、道端に、栗の実が弾けて落ちてます。土地の人が拾っているようですが、その後にもぽつぽつ。これを拾って帰りました。小曽木の無人野菜売り場では、キュウリを買って、たぶんとても甘いです。

596秋魚:2015/09/25(金) 23:38:30
(無題)
・・今の自分を知るために父を知るべきだろう。父を知るために父の時代、父の父の時代を知る必要がある。父の父は祖父だが、わたしの場合祖父は明治二年生まれ。明治からの日本近代が枢要な課題であろう。・・祖父を知るために祖父の父を知るべきだろう。祖父の父は曾祖父だが、曾祖父を知るために、曾祖父の時代、曾祖父の父、曾祖父の父の時代を知る必要がある。・・曾祖父の父の時代を知るために曾祖父の父の父の時代を知る必要がある。

仮に、曾祖父の時代、曾祖父の父の時代のメルクマールを天保期とすると、曾祖父の父の父の時代は天明期のメルクマールとなる。

597秋魚:2015/09/27(日) 00:13:11
(無題)
・・石清水八幡宮。 北緯34度52分46.8秒 東経135度42分0.2秒

 京都府八幡市八幡高坊30

>・・平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請された神社で、京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座する。

・・「石」「清水」「八幡」 これだけエレメントの揃ったものは裏がありそうですね。

 桂川、宇治川、木津川が合流して淀川になる地点です。長岡京の外れに位置するか。この淀川は、蕪村が 澱河歌三首で詠んでいる。

○春水浮梅花 南流菟合澱
 錦纜君勿解 急瀬舟如電
(春水(しゆんすい)梅花ヲ浮カベ 南流シテ菟(と)ハ澱(でん)ニ合ス
 錦纜(きんらん)君解クコト勿レ 急瀬(きふらい)舟電(でん)ノ如シ)
○菟水合澱水 交流如一身
 船中願同寝 長為浪花人
(菟水澱水ニ合シ 交流一身(いつしん)ノ如シ
 船中願ハクハ寝(しん)ヲ同(とも)ニシ 長ク浪花(なには)ノ人ト為(な)ラン)
○君は水上の梅のごとし花(はな)水に
 浮(うかび)て去(さる)こと急(すみや)カ也
 妾(せふ)は江頭(かうとう)の柳のごとし影(かげ)水に
 沈(しづみ)てしたがふことあたはず

・・宇治川が淀川(桂川)に合流してゆくモチーフを見てますが、木津川も合流しています。木津川の上流は伊賀でありここは芭蕉も最晩年に舟で降っていったはずです。

 この二人の俳人、長岡京と平安京のブレにまでは思い至らずでしょう。平安京の裏鬼門に石清水八幡宮はつくられました。

 芭蕉は、奥の細道の旅で、石清水を詠んでいます。

「湯泉大明神の相殿に八幡宮を移し奉りて、両神一方に拝まれさせ給ふを

 湯をむすぶ誓ひも同じ石清水
                   (曾良旅日記)

>・・那須湯本の温泉大明神。京都の石清水八幡宮が合祀されているので、ここに参詣し、その社殿の湯を手ですくうと、両神社にお参りしたことになるという。これは湯が結ぶ縁である。

 近江の幻住庵の国分山上には、石清水八幡宮から遷座された聖徳太子堂がある。しかしこれは、明治二年の神仏分離令以来のことだ。

>・・貞観元年(859年)に南都大安寺の僧行教(空海の弟子)が宇佐神宮にて受けた「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との神託により、翌貞観2年(860年)清和天皇が社殿を造営したのが創建とされる。

・・貞観のはじめ清和天皇の創建というのが、悩ましい。

598秋魚:2015/09/27(日) 10:13:14
(無題)
・・あきるの市菅生にある正勝神社へポタリング。秋川へ向う滝山街道で青梅から満地トンネルを越えるともう近い。・・秋川歌舞伎という明治以来の農村歌舞伎を継承している。以前たまたまこの正勝神社での公演に出くわしたことがある。正勝神社のもっと手前の広場でその神社にはいってみなかった。祭神が正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)という触れ込みで興味をもったが、今回実際訪ねてみると大山祇命が祭神ということでした。「・・創建年不明。 元暦年間(1184〜85)武蔵七党のうち横山党に属する菅生氏の祈願所であったという。」本殿は元禄四年に造営、上屋拝殿これは天保十三年に造営。・・元禄四年といえば芭蕉が前年に幻住庵を出庵したあと京都奈良滋賀を徘徊してまわった年。十月美濃垂井の規外の本龍寺に滞在。「作りなす庭をいさむる時雨かな」このあと江戸にもどる。

・・天保十三年(1842)
6.22 七代目市川団十郎、奢侈で江戸から追放される
7.1 水戸藩、偕楽園を構築
7.23 異国船打ち払いの方針を、薪水を与えて立ち去らせるように指示
8.3 川越、忍、今治三藩に江戸湾岸の警備を指示
10.2 高島秋帆、外国人との交友の罪で入牢する(冤罪)
11.24 佐久間象山、老中・真田幸貫に海防八策を上書
12.24 羽田、下田に奉行所を設置
12月 水戸藩、大砲鋳造により梵鐘を徴発

・・天保十四年(1843)なら、芭蕉百五十回忌。

宝物として、神社なのに十一面観音像がある。また水盥一個、天保十四年七月吉日信陽高遠保科保正と銘あり。この石工銘は青梅の住吉神社の碑にも記されてあり。信陽は長野県のこと。伊那谷の石工が1843年頃あきる野青梅で活躍していたことがわかります。(大発見!)

 正勝神社  N35度45分26秒 E139度16分39秒

・・この滝山街道を右折すると菅生の正勝神社。左折すると草花通りというのがありずっと多摩川に向う。青梅とあきる野を分かつ草花丘陵というのがあり、このあたりの散策はやってなかった。よい機会で左折した。この丘陵の裏手、多摩川に接するあたり、羽村の郷土館があるはず。玉川上水引き込み口の南側になる。交通の便はよくないがのどかな自然にめぐまれてよい里山になっている。はじめての道というのはいつも新鮮でうれしいもの。人にたずねながら羽村の上水郷土館に着いた。・・玉川上水建立が目玉のようだが、もうひとつ「大菩薩峠」の作家中里介山の生地という。この向こうの水車小屋で生まれたとか。

 中里介山 1885年(明治18年) - 1944年(昭和19年)

・・いまの青梅街道。江戸の頃はダムもなかったから多摩川に沿った道があって、深山橋のあたりから大きく北西に迂回して柳沢峠に至る道ではなく、そのまま大菩薩峠に至る山道が本道であったかと。ともかく鳩ノ巣の先数馬の切り通しあたりでも馬は通れない。映画のなかでも女子の旅人が足場をくずすシーンが記憶にある。はじめに奥多摩をこえて甲州市までゆく大菩薩峠の小説は、魅惑。吉川英治、川合玉堂などほんの入口のところで風光を愛でていた感がある。かくいう自分も大菩薩峠は未踏であり、柳沢峠にもいっていない。ともかく普通の甲州路への旅として昔はあったとは思うものの、今でも大変な険路。・・先日20号の甲州街道、高尾から塩山は輪行だったけれど、やはり山が入り組んでいて昔の街道は険しかったにちがいない。大垂水峠なんてまったく嫌な道だった。・・この青梅街道、志あるものは必ず甲州まで歩いていったにちがいあるまい。中里介山は59歳で没するまで実に多くの仕事をした。未完の長編小説「大菩薩峠」を書き続けただけでも頭が下がる。・・高尾山麓や御岳山中にも庵をむすんで夢を果たそうとした。御岳山は自分もよく訪れるようになったが、ここもそう簡単ではない。とりわけ居住というのは、勇気がいる。介山がそういう仕事を易々とやったのではないのはわかる。しかし結果として仕事を残したというのはやはり頭が下がる。

 見習いたいものが多い。

599秋魚:2015/09/29(火) 01:50:03
(無題)
 航海の女神はイシスでしょう。

 船の舳先に立つのはあやういものです。

>・・イシスは永遠の処女であり、オシリス(夫であり兄)の死後
処女のまま息子ホルスを身ごもったとされ
「天上の聖母」「星の母」「海の母」などと言われ
「ホルスに乳を与えるイシス女神」像などが
イエスの母・マリアへの信仰の元になったと言われています。

・・サント=マリー=ド=ラ=メール(Saintes-Maries-de-la-Mer)は、ブーシュ=デュ=ローヌ県アルル郡の都市。

 ナザレのイエスが磔刑に処せられた後、マグダラのマリア、マリア・サロメ、マリア・ヤコベ、従者のサラ、マルタ、ラザロたちが、エルサレムから小舟で逃れてこの地へと流れ着いた。彼女たちのうち、マリア・ヤコベとマリア・サロメの2人とこれに従うサラがこの地に残った。

・・伝説では、マグダラのマリアはサント=ボーム山塊へ、マルタはタラスコンへ赴いたとされており、


 このマグダラのマリアが、イエスの妻であり子を身籠っていたという真面目な話があります。

600秋魚:2015/10/03(土) 20:23:38
(無題)
・・自転車の遠乗りもステップアップすると大変なエネルギーを使う。今回のツーリングでよくわかった。自転車本体の解体−組立てとかハードの作業は勇気のいるものだ。最低限のレベルは身に付いたとは思う。

・・ハードといえば、パソコンのハードいじりも長らくやってない。IT関連はハードもソフトも短期無関心でいるとどんどん遅れをとってわからなくなる。以前職場に詳しい人がいていろいろ教わったが、パソコン創作をすすめてくれた。これはよほどお金とヒマに恵まれないと実践できそうにない。・・ノートパソコンの寿命は使い方にもよるが5〜6年だそうで短いものだ。ハードディスクのデータファイル容量も巨大なものがどんどんでてる。容量いっぱいになるまえにパソコンが壊れることが多い。マシーンのハードが壊れるのでなくディスクがウイルスとかファイル誤作動で壊れるケースは何度かあった。これの修復は何度かやって今のパソコンは十年近く使っている。・・基本ソフトのアプリケーションも使いこなせてないものが多い。インターネットのページをwordやpdfファイルに変換するのにチャレンジしてみた。いともたやすくやってる人にはつまらない話でしょう。

・・王様writerというチャイナ系の文書作成ソフトがある。ずっと以前中古のパソコンを購入したとき付属していたものだ。王様officeといってまるで何か某ブランドソフトのパクリのようだが、よく出来ている。ほとんど使ってなかったので、そう思うのはつい最近のこと。・・pdfファイルというのは気に入ってる。wordファイルをpdfファイルに変換するのに、この王様writerはいとも容易だ。wordは昔は画像も組み込めなかった。いまは組み込めるがバランスがよくない。これをpdfファイルに変換するとまったくきれいな文書ファイルになる。インターネットのページをpdfまでもってゆくには、コピーでwordに写す必要がある。いろいろやってみたが、完璧なpdfになる。

・・王様officeはよいとしても、王様securityは要注意!詳細はいえないがこれのおかげでハードディスクが破損したことがある。王様ソフトにだけ問題があるのではない。よくわからないことは、黙するしかないわけだが。

601秋魚:2015/10/05(月) 00:22:21
(無題)
方舟 長水に戯る
湛澹 自ら浮沈す
絃歌 中流に發す
悲響 餘音あり
音聲 君が懐に入る
悽愴 人心を傷ましむ
心傷 安に念ふ所ぞ
但願ふ 恩情の深からんことを
願はくは 晨風鳥となりて
雙飛 北林に翔けむ

602秋魚:2015/10/14(水) 20:02:57
(無題)
・・今日は疲れた。伊那のツーリング以後自転車の整備もしてなかった。チェーンとギアの清掃と注油をするなど思い出して整備。どこかにポタリングしようと、そうだ!都幾川の慈光寺がいい。以前高崎に行った時は天気もわるくゆとりもなかった。慈光寺はちょっと寄るなんて気安い訪ね方はできない。ときがわに入ってから左折して9キロほど山の中に入る。都幾山という山の上にある。ネットの記事では春先が断然よさそうだ。秋は秋でいいらしい。今は季節外れの気もするが、思い立ったら吉日。朝遅めに家を出た。

・・距離は高崎の半分くらいか。一度は経験済みの道はいたって自信がある。まわりの景色もよくみれるようになった。宮沢湖の温泉キラリまでは一時間ちょっとでいける。高麗神社ももうすこし先だ。この辺は日高という。毛呂山は武者小路実篤が新しき村とかをはじめた土地で記念館があるようだ。看板をみかけたが訪れてはいない。春秋庵を継いだ川村硯布の生地でしぶい俳句をつくる。芭蕉句碑のある川角八幡には前回訪れたがこわい神主さんがいた。このあたりまた別件で散策したい。毛呂山の埼玉医大のあるところまでは車も多くあまりよい道ではない。ここからは道幅も広く快適な走りができる。飯能小川線の道路は毛呂山越生がたいへん長く感じられる。越生は梅林で名高いが、途中梅林へ向う道がいくつもある。街道を逸れて山の方に向うらしい。ダンプがたくさん来るのは吉野街道で慣れてはいたが、この街道もけっこうなものだった。越生を過ぎるとときがわで今は都幾川とはいわないらしい。アップダウンの坂はいくつかある。田中交差点のところで左折。すこしアップの道を9キロだという。途中中学生のランニングの指導をしてる先生に道を尋ねた。山に入るに右折しなければならずそこからが急な坂道になる。これが3キロ。

・・田中交差点から慈光寺に向う道では、正装したサイクリストがちらほら。品川ナンバーのライダーも来ていた。車もすくなくスロープがきつくなる道にしてもヒルクライムではかっこうの道。名の通った道なのかもしれない。まあ自分は足つきで自転車を引いて歩いたけれど。

・・最初に青石板の碑が並ぶところに来た。ここは変わったものがいっぱいあってちょっと寄っただけでは消化できない感じだ。参道には桜の木があってこれが春にはいいらしい。あとシャガの草も群生している。これの花も四月末とか。季節はずれでほとんど人もいないと思いきや上ではやはり訪ね人がいましたね。

・・そうそう参道にのぼる前に女人堂という古風なお堂がありました。これの由来がおもしろい。この慈光寺には「慈光寺経」という国宝があります。この由来もおもしろいのですが、さておき、その慈光寺経のうち「装飾法華経提婆達多品」というのがあります。この本文には、サーガラ竜王の娘が、解悟(さとり)に達したことに、釈迦の高弟サーリプトラ(舎利弗)が、疑義をはさむが、彼女は、これを論破して、衆生に法を説き、解悟(さとり)をえさせて信受させてゆく物語がある。この故に女人成仏の経巻として、古来よりあまた女人の信仰篤いものという。・・慈光寺の平安初期は女人禁制のため慈光坂の途中に建立。

 本経の結縁者は、文永七年(1270)の一品経書写次第に吉祥御前とある。

見返し絵は、金箔、砂子を霞濃淡に横断させた上に、墨絵による松、柳、もみじを描き、下方に芦、おみなえしと岩を配している。この絵の中に、「法華経序品」の「或有諸比丘、精進持浄戒、猶如護明珠」の文字が芦手絵風に見え隠れする。・・

・・青石塔婆という石碑の裏あたりに芭蕉の句碑があったらしい。これは探したのだが遂にわからなかった。木の幹に埋もれるように画像を記憶していた。「あかあかと日はつれなくも秋の風」、上にあがって管理の坊さんにも尋ねたが、実際わからなかった。なんでも一緒にあった木が枯れたので移したような旨。広い境内でくまぐま見て廻ることもできず、次回の楽しみに句碑はあきらめた。

・・開山堂がある。天武天皇の白鳳二年(673年) 釈道忠慈光寺を開山。開山堂は国指定重要文化財慈光寺開山塔の覆堂である。

・・平成二年、鐘楼再建。銅鐘寛文三年(1245年)5月18日、鋳造。この鐘、椎鐘とある。この表記あちこちで見られるのだが、正式な意味不明。椎はツチのことで叩いて鳴らす鐘の意のようだが。

・・芭蕉「幻住庵ノ記」に、「まずたのむ椎の木もあり夏木立」とあり、これは実の椎の木ばかりと思っていたが、ひょっとしてこの椎鐘とつながるのかと、思わぬ思索が広がった。

・・良寛や空海の書を参道に展示してあるのは、何故だろう。そう思ったが悪くはない。般若心経とかで、書体を見るものだろう。気がせいてじっくり鑑賞できないのが、残念。時の鐘があって、ちょうど正午の鐘が鳴っていた。

・・本堂とかいろいろ見るべきものが多そうだ。ぎたぎたしたお寺ではないが、山の中をあちこち廻らねばならぬので、疲れてもきた。本堂はあまり覚えが無い。観音堂というのは、魅するものがある。千手観音像が本尊か。・・もうひとつ国宝となってる慈光寺経を見たかった。で、どういうわけか模造かと思われるその経を展示してあるところにきた。これももうじっくり鑑賞なんて気もおこらない。この慈光寺経の一部は山麓の女人堂のもの。歌詠みの九条義経の供養に後鳥羽上皇の発願で奉納された由。装飾経の全体はどんなものかなんとなく鑑賞するので手一杯。写真をぽつぽつ。

・・この慈光寺。七井、七石、七木がある。それぞれ云われがあるが、月の井だけ見る。

「・・役行者として有名な役小角が慈光寺に登り、仏法を広めるための守護を神明に祈りました。するとこの井戸の水面に映る月輪の内に蔵王権現が現れ、役小角にその誓約をしたとのことです。以来、この井戸を「月の井」と呼ぶようになったそうです。

 ひょっとして井月はここにも訪れているのではないか?

・・毛呂山の俳人川村硯布がここを訪れてる気がした。青梅の真浄寺には時雨桜の碑もあって句を残している。都幾川の慈光寺は天台の名刹ゆえか田舎でも歌人俳人はきっと訪れる。善光寺詣を残した硯布もきっと訪れるはずと思うものだが。ただし句を詠んだかどうかはわからない。・・慈光寺は謎も多いか。

 春先にでも再訪しようと思い、この日は、下山にかかった。参道のスロープは下りなのでまったく楽だ。ハイキング、登山などで体調がくずれるのは大方アップにかかる登り道だろう。気圧の変化で急に耳鳴りがしたりする。火山峠で井月が倒れたのも峠越えをする手前のことだろう。下り帰路というのは心身ともに安らぎが多い。・・田中交差点から小川の方へ向い、噂の玉川温泉に寄ることにした。ここらの温泉いくつかあるが、湯量豊富で良質のアルカリ性単純泉がでるという。日本最高ペーハーとかの都幾川温泉は位が高く今日は見送り、庶民的な日帰り玉川温泉をめざした。ときがわといっても山の方でなくゴルフ場などある里山の外れの方だった。周囲はゴルフ場もあるらしいが森と田園ばかりでこんなところに人が集まるのかすこし不安。

 すこし離れていてまったくの田舎道。着いてみると車の客が多い。というか下町の銀座並にがやがやざわついている。丁度お昼時だからだろうか。・・ここはいわゆる静かな温泉ではない。まったく元気いっぱい。わたしのように落ち込んだ者には面食らうものがある。それはそれでかえって嬉しい。・・評判のように湯質はとてもよい。ペーハー10.1という最高純度。秋川の瀬音の湯とほぼ同じ水準。湯量が多い分こちらの方がよく見える。

・・レストランで「おふろ甲子園」の記事を載せるフリーペーパーを手にした。先日伊那にいったとき塩尻の信州健康ランドにも寄ろうとしたが、ここは「おふろ甲子園」という大会で優勝したとか聞いていた。おふろのコンテストがあるのもよく知らなかった。この玉川温泉もこれに参加しているらしい。道理で番台さん(?)も元気なはずだ。静かにしている自分が恥ずかしくなるくらい。温泉というのは元来こういうものかもしれない。・・しかしこの温泉の流行は何であろうか?です。

603秋魚:2015/10/23(金) 00:29:58
(無題)
・・健康検診。たいへんな良化。あれだけ自転車に乗って温泉に湯浴みして悪くなるはずがない。空気が一番大切です。呼吸器系の運動は肉体を動かしてはじめて調節される。肉体は眺めていて有るものではないです。動かさねば。舞踏家の公演ほど退屈なものはない。空気は場所を選ばないと肉体を動かしてもエネルギーの消耗でしょう。職場の空気はまず変えられません。生命の危険を感じたら即座に離職するべきです。自転車操業に切り替えるべきです。

・・ハートの重要性。ハートとは心臓のことです。するとすぐそうではないという人がいます。肉体の血液循環の原動力は心臓にあります。ハートとは心臓のことです。見えないのをよいことにハートは心臓ではないといいます。ハートは物質ではないようです。ハートは心臓でしょう。自転車に乗るとよくわかります。

・・喫煙者の近くで心臓が痛くなるのは、何故か、しばらく不思議でした。煙草の煙は一酸化炭素を排出します。肺に入るとヘモグロビンと結合してドロっとした血になるそうです。この血がもう一度心臓に送り返されて弁とか近くの脈血管で障害を起こします。心筋梗塞というのはたぶんこのあたりの病でしょう。素人なので不案内ですが。

・・不完全右脚ブロックを指摘されたことがあります。一種の不整脈ですが、喫煙者がよくなるとか。わたしは喫煙はしません。これは二種類あるようです。ひとつは先天的病で手術も必要とするもの。もうひとつは気まぐれ病で心臓に負担をかけなければ表に出ないもの。たぶんわたしは後者のもの。この二年ほどは何もありません。理由もわかっています。いずれまた。

・・健康検診。ともかく良好でした。血の病はありません。

・・告白という言葉も古いでしょう。古い言葉告解に含意されることばでしょう。カトリックの教会に告解をする小部屋があります。簡易的なものは告白をする人、聴聞する司祭が幕で仕切られ顔をみないで声だけでなされます。聴聞する司祭も人間ですから告白すべきものを多くもっています。宗教上のシステムですから神を背にして人は透明になれるでしょう。それを信じて人は告白します。・・聴聞司祭はただ相手の告白を聴くだけ。いっさい自分を語らない。それが賢明な仕事です。

・・ところが、透明な司祭が自分を語り始める。というか教会ではありませんから自由に人は自己愛も他己愛も語れます。無神論があたりまえになった近代以降の告白劇はいくらでもバリュエーションがあるでしょう。なんといいますか、ああいえばこういう、ああいったりこういったり。心ある人からするとただのおしゃべりでしょう。うんざりだ、がまんならない!

・・ある種、神を背に持つ人は幸せですね。自分はもう告白する必要がありませんから。神と一心同体。神との婚姻を誓っているようです。

604秋魚:2015/10/29(木) 21:08:23
(無題)
「梅子熟せりや」

「桃の青きが如し」


・・芭蕉が深川で訪ねた仏頂和尚との問答。

「梅子熟せりや」は、大梅法常の師のことば。師は馬祖道一。709年(景龍3年) - 788年(貞元4年)

公案の語録では、「梅子熟也」。

也  ・・訓読み なり や また かな 音読み ヤ

成り立ち 象形#2#3#4 漢字構成 也 発音 yě 表示 U+4E5F也 部首 乙+2画

字源

ヤ#5

なり、決定の辭、句の終に置く。*1

上を結ぶ辭。*2

下を起す辭。*3

か・や、疑問の辭。*4

や、呼びかけに用ふ。*5

語勢を?める爲めに用ふる助字。*6

かな(哉)詠歎の辭。*7

また、發語の辭、多く詩又は俗語に用ふ、亦よりは輕し。*8

音韻

広韻目次:上35馬
IPAj?a
ローマ字jax/jaa
反切羊者
声母以
声調上声
小韻野
平水韻馬
等呼開口三等韻
韻摂假
韻部麻



・・や、かな  発句の切れ字。

馬祖道一は、箕をつくる家だった。

http://

605秋魚:2015/10/31(土) 14:22:48
(無題)
・・ひさしぶりに多摩川サイクリングロードを走ってみた。中流域のCRはほんとによく整備されている。サイクリングのはじめがこの中流域だったからめぐまれていた。自転車を自分のペースでただ走らせばよい。ではなく、自転車と相談しながら走る。機械と自分の体調を確かめあう。肉体のトレーニングのほか精神のリフレッシュニングもある。バランスと緊張で無心で走る、というのは正確でない。二度三度と走りなれた道ならひとつふたつの想念とも遊べる。

・・この日もひとつふたつ気づきがあった。このサイクリングロードしばらく走ってなかった。パンクがこわいので道のどんな凹凸も記憶しているつもりだった。はじめての道がまったく緊張するのは、ハメられることが多いからだ。標識の読み違えで道をまちがえたり、パンクが仕掛けられたり、もっともっとささいな事でもいろいろある。・・多摩川CRはまったく気楽には違いなかったが、微妙に道筋も風景も変化しているのに気がついた。サイクリングロードにあがるまでの迷路のような道筋もすべてマスターしているつもりだったが、今回も道を失った。ひと月ほどを空けての再走ならまだいい。三四か月ならそれなりの変化がある。ほかの体験だが数年ぶりとかではウラシマさんほどのこともある。

・・川べりの途中に一本の目立つ木がある。木の形状とかはあまり変化しないので、あああの木がある。木の下で何かのグループが集会を開いている。グランドで何かしているようだ。その木はなんの木かわからない。このCR沿いには幾つか魅する木がある。どれも名前を知らないものばかり。きょうはこの一本だけ追究してみることにした。そう思ったのはサイクリングからの帰路。もう日の落ちかかる頃だった。

 柳というのが第一感。しかし幹が太すぎはしまいか。枝垂れ柳のしなやかさに見慣れていたので、たぶん柳ではないと思った。木の種別についてはど素人もいいとこ。青春時代は抽象観念の追求に明け暮れていたから、事物の具体について驚くほど無知なままできた。この木はなにか?

・・この木の下。実は人が大勢いました。写真を一枚とるべきでしたね。人を無視して木ばかり追求したのはまずかった。・・というのも最近「木の下」「花の下」というのが気になっていました。雨が降ると小雨なら大きな葉の茂った木の下で雨宿りができます。夏盛りの木の下では涼しさに浸れます。椎の木、樫の木など、清潔な木がよいです。秋から冬にかけて、この木はたぶん落葉樹でしょう。

 柳の一種と思い、ギョリュウというのを見てみた。御柳、聖柳、タマリスクという。喬木で大木はないらしい。葉の形状も縮れている。花も満面に開花。楊貴妃が好んでいたという。

 柳は種類多く、水辺を好むものらしい。枝垂れ柳は大木ではないが、大きくなる柳もあるという。

ハコヤナギ、白楊というのも見てみた。大きくなるが、葉の形状がどうも。あの木は葉だけは、枝垂れ柳と似ている。

606秋魚:2015/11/07(土) 20:41:50
(無題)
・・寒くなってきた。「孤独な散歩者の夢想」ならぬ寒い温泉サイクリストも夢想に工夫がいる季節になる。先人の旅の記録、たとえば芭蕉の「笈の小文」など読むと、自転車のポタリングにも思考に刺激を受けることもある。

 奈良の吉野山は歌枕、吉野山といえば花。この吉野山に花見詣でをするに、いくつか花見スタイルの歌がある。

昔たれかゝる桜のたねをうゑて吉野を春の山となしけむ(良経)
吉野山こぞの枝折の道かへてまだ見ぬ方の花を尋ねむ(西行)
これはこれはとばかり花の吉野山(貞室)

「笈の小文」では、文中にはないこの三つの歌が芭蕉の脳裏にあった。(失礼!ひとつは句です)

・・弥生半過る程、そぞろにうき立心の花の、我を道引枝折となりて、よしのの花におもひ立たんとするに、かの・・

思い立つはじめが「花の枝折」であるから、芭蕉のポタリングは西行のそれにもっとも近い。

九条良経は新古今の正統派の歌人。桜の種を植えるなど誰が夢想するかとも思うが、歌枕は大昔からあったわけでないフィクションだからそういう虚実をみすえる目は血統よろしくないとできないかも。

新古今の総帥にいた後鳥羽院の歌に吉野を詠んだものがある。

最勝四天王院の障子に、吉野山かきたる所

          太上天皇(後鳥羽院)

み吉野の高嶺の桜散りにけりあらしも白き春のあけぼの

・・花にあらしの喩え。・・俗人にははやくも思考が停止するが。

いづれも、正統派中の正統派、高嶺の桜とはよくいったものです。

・・これはこれはとばかり花の吉野山(貞室)

安原貞室は貞徳門下の俊秀。似非古今伝授の流れです。が、いかにも俳諧らしい。
われわれ俗人の花見はおおかたこんなものではないでしょうか?

七部集「曠野」の巻頭というので紐解いてみました。なるほどこれなら連俳で遊べるでしょうか。

自分のポタリングは芭蕉西行と同じ嗜好の枝折の道だというのが、発見!

607秋魚:2015/11/09(月) 00:42:32
(無題)
「きえたものなり あれのかな 山すでに水おもしろし遅ざくら」

建部綾足(1719〜1774)

・・青梅の梅岩寺にある石碑に刻まれている。「七・五 五・七・五」片歌を提唱していた。

なんとも雅致ある歌ではないか?

608秋魚:2015/11/14(土) 21:42:44
(無題)
・・江戸中期青梅にあらわれた二人の俳諧師。建部綾足と中原章。このうち綾足は絵画もよくして俳諧は片歌に闖入してゆき小説も書いた。中原章はむしろ複合文化人。学問をよくし和歌に秀でたといわれる。

 綾足は俳諧結社の才があり自らは吸露庵を営む。多摩武蔵千葉に多くの門弟がいたという。蕉門十哲のうち野坡に入門、当時のやはり十哲のひとり支考の美濃派に対抗していた。
綾足は江戸では国学の賀茂真淵に師事し万葉の世界に傾き、ヤマトタケルのはじめの連歌から片歌を自己の様式とした。芭蕉に敬意をもっていたが、後年は蕉翁の相対化をはかった。

青梅の梅岩寺に綾足の石碑がある。弟子の根岸涼宇が建てたもの。

「きえたものなり あれのかな 山すでに水おもしろし遅ざくら」

建部綾足(1719〜1774)

「俳仙窟」という紀行俳論は長崎への画家修業の帰り道になったものらしく、青梅とは直接関わりがない。にもかかわらず、俳仙窟という庵は青梅に生まれた。
 その名は、唐の時代、遣唐使がもちかえったといわれる「遊仙窟」という小説のもじりであろう。黄河の上流を尋ねる貴公子が途中幽仙に迷い込み思わぬ乙姫の歓待をうけるという内容らしい。

・・深川芭蕉庵の近くにある臨川寺は、仏頂和尚との問答「梅子熟せりや」「桃の青きが如し」で思考をそそる。ほかに美濃派支考の弟子神谷玄武の建てた「墨直しの碑」がある。京の双林寺にあるものをコピーしたものだ。

<表面>

我が師伊賀の国に生まれて承応の頃より藤堂の家につかふ。その先は桃地の党とかや。今の氏は松尾なりけり。年また四十の老をまたず、武陵の深川に世を遁れて、世に芭蕉の翁とは人のもてはやしたる名なるべし。道はつとめて今日の変化をしり、俳諧は遊びて行脚の便りを求むというべし。されば松嶋は明けぼのの花に笑ひ、象潟(きさがた)はゆふべの雨に泣くとこそ。富士よし野の名に対して「われに一字の作なし」とは、古をつたへいまをしふるの辞(ことば)にぞ。漂泊すでに二十(はた)とせの秋暮れて難波の浦に世をみはてけん。其頃は神無月の中の二日なりけり。さるを湖水のほとりにその魂をとめて、かの木曽寺の苔の下に千歳の名は朽ちざらまし。東華坊ここに此碑を造る事は頓阿西行に法筵を結びて、道に七字の心を伝ふべきとなり。


あづさ弓 武さしの国の 名にしあふ 世に墨染の 先にたつ

人にあらずに ありし世の 言の葉はみな 声ありて その玉川の

みなかみの 水のこころぞ 汲てしる 六すじ五すじ たてよこに

流れてすえば ふか川や この世を露の おきてねて その陰たのむ

その葉だに いつ秋風の やぶりけむ その名ばかりに とささをきぬ

春をかがみの 人も見ぬ 身を難波津の 花とさく はなの鏡に

夢ぞ覚(さめ)ぬる


<裏面>

 維石不言(このいしいわず)  謎文以伝(なぞぶんもってつたふ


「・・その玉川の

みなかみの 水のこころぞ 汲てしる 六すじ五すじ たてよこに」

この玉川の水上を、芭蕉も支考も直接には尋ねていまい。末の方で探ることをいう。

「・・春をかがみの 人も見ぬ 身を難波津の 花とさく はなの鏡に

夢ぞ覚(さめ)ぬる 」

・・「難波津の 花」には歌詠みはよく知る典拠があります。

「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」

この歌の作者は、王仁。

・・古事記には和邇吉師(わにきし)とある。応神天皇の時代に百済より来朝。『論語』『千字文』を伝来し、皇太子宇治稚郎子(うじのわきいらつこ)に典籍を講読したと伝わる。


 おそらく支考の観念では、俳諧の源流はこの王仁の「難波津の 花」に求めたのではないか。古今集の仮名序で紀貫之が採りあげています。

609秋魚:2015/11/16(月) 20:59:13
(無題)
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」

この歌の作者は、王仁。・・この歌と対をなすのが、宇治稚郎子の歌であろう。

>・・天皇が崩じたが、郎子は即位せず、大鷦鷯尊と互いに皇位を譲り合った。そのような中、異母兄の大山守皇子は自らが太子に立てなかったことを恨み、郎子を殺そうと挙兵した。大鷦鷯尊はこれをいち早く察知して郎子に伝え、大山守皇子はかえって郎子の謀略に遭って殺された。その際、大山守皇子の遺骸に向けて次の歌を詠んだ

・・ちはや人 宇治の渡りに 渡り瀬に 立てる 梓弓檀 い伐らむと 心は思へど い取らむと 心は思へど 本方は 君を思ひ出 末方は 妹を思ひ出 苛けく 其処に思ひ出 愛しけく 此処に思ひ出 い伐らずそ来る 梓弓檀

>・・宇治稚郎子

 菟道稚郎子とも書く。応神天皇の末子。母は和珥臣の祖、日触使主(ひふれのおみ)の娘、宮主宅媛(みやぬしやかひめ)(古事記では宮主矢河比売)。応神十六年、百済より来朝した王仁に典籍を学ぶ。父応神に寵愛され、同四十年、天の日継と定められる。翌年父帝が崩御すると、大雀命と王位を譲り合ったが、先に亡くなったので、大雀命が即位することとなった(仁徳天皇)。

・・好むと好まざるにかかわらず、権力闘争に巻き込まれると「殺すか殺されるか」の選択になった宇治稚郎子は異母兄の大山守皇子を殺すことになる。この歌は出家遁走を匂わす。

・・名前の「ウジ・ウヂ(莵道/宇遅)」は、京都府南部の地名「宇治」と関係する。「宇治」の地名は古くは「宇遅」「莵道」「兎道」などとも表記されたが、平安時代に「宇治」に定着したとされている

・・地名「宇治」について、『山城国風土記』逸文では、菟道稚郎子の宮が営まれたことが地名の由来としている。

・・北・東・南を山で囲まれて西には巨椋池が広がるという地理的な奥まりを示す「内(うち)」や、宇治を中心とした地方権力によるという政治的な意味での「内」が、「宇治」の由来と考えられている[4][5]。実際、宇治はヤマト王権の最北端という影響の受けにくい位置にあることに加え、菟道稚郎子の説話や「宇治天皇」という表現からも、宇治に1つの政治権力があったものと推測されている

・・文字通り「兎(ウサギ)の群れが通って道になった」ことを「莵道」の由来とする南方熊楠による説もある。



・・遁世の歌人、西行などが花ばかりを追ったのはたしかに理由があろう。

花見ればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける
花に染(そ)む心のいかでのこりけむ捨て果ててきと思ふわが身に
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ

610秋魚:2015/11/18(水) 00:02:02
(無題)
・・秋が深まり、今年最後のポタリングを、奥多摩にゆきたい。一昨年の満を持した紅葉の川のぼりが思い出される。旬の盛りの季節に紅葉の道を歩くというのはむずかしいものだ。本、中、末の道行きですべてが同じ旬を描いているわけではない。紅葉というのもすでに誤謬がある。黄葉、紅葉と二色ある。黄、紅の中間は無限にある。・・いつか旬をねらって失敗したのが五色沼。情報につられて早歩きした。が、そうでもなく奥に入ると綾錦。あれはあれでよかった。・・真っ赤に染まるのは漆と思っていたが、否、漆は黄である。桜の落葉は早い。銀杏の黄はみごとだが雪がふったりすると見映えもいい。雪は胸をきゅんとする。シェルブールの雨傘という映画は胸がきゅんとする。雪のガソリンスタンドだけど。

・・号泣、慟哭というのも、やってみた。よく晴れていて蕎麦の畑の真ん中だった。一本檜のようなのもあった。ひれふして大地をどんどんと叩きながら、ウォーと声をあげる。どこまでも鳴り響くかのように、どんどん。ウォー、ー。(こういう描写下手です)

・・号泣、慟哭は、カタルシスですね。

宮澤賢治の詩に「無声慟哭」というのがあるのを思い出した。気恥ずかしいので引きませんが、「わたくし」と「おまえ」の分裂が慟哭を呼ぶのですね。無声というのはいかにも詩人だが、声ある慟哭は一度でよいから経験したい。

611秋魚:2015/11/24(火) 00:28:28
(無題)
・・どうも空中楼閣のようなところにいる気がしてならない。インフラの逆襲みたいな感じがつづく。自転車にも乗れない。

・・「横しぐれ」という小説は山頭火のことをいうようだ。山頭火は「しぐれ」の句が多いというが、芭蕉の嗜好をそのまま引き継いだかのよう。しぐれというのは冬の季語で、かりそめにも雨であるから、自分にはしんどい。しぐれへの愛というのは、やはりしんどい。芭蕉は愛などという言葉はいっさい使うまい。横しぐれというのは愛でもなんでもない。強烈な雨あたりのことでしょう。自分にはしんどい。

・・花を愛で慕った西行はよくわかる。草が化けるのが花でしょう。化生の人ですね、西行は。芭蕉を慕った井月は、どちらかというと花の嗜好ですね。芭蕉を通して西行を見ていたでしょう。西行も井月も出自は武士というのがあるかもしれない。自己の忘却を誘うものこそ花という。捨てるべきものは弓と刀なり。・・化生というのもエロスがあるが、実はしんどい。天竜川で舟に乗ろうとした西行は、船頭に「数が多いのでおまえは降りろ」とこつつかれる。武士のプライドはもうなかったから、そこはじっと耐えたそうだ。化生はある意味では場違いの連続になるかもしれない。

・・双子の赤ちゃんが胎内で話し合う。ひとりは、この胎内の生活を極上と思い一生ここに留まることをいう。もうひとりは、この胎内から外に出て新しい空気の世界で生きることをいう。これは何かのたとえ話で語られたようだが、どうも無理があるように思えてならない。赤ちゃんが胎内から出ないというのは、既に異常である。赤ちゃんは死産として排出されるか、あるいは、母体も生存があぶない。赤ちゃんは生きて外に出るのが正常な在り方だ。


故郷有母秋風涙
旅館無人暮雨魂 (源為憲)

思ひ出でよたが兼言のすゑならむきのふの雲のあとの山風 (家隆)

612秋魚:2015/11/27(金) 16:51:42
(無題)
・・「るろうに剣心」という映画。「京都大火編」というのおもしろそうだ。テレビ放映があったようだが、あいにく観ていない。作者が新潟の長岡市出身という。登場人物に長岡の地名など織り込まれているらしい。江戸の頃から長岡もとても火事の多い土地だ。先の戦争では空襲で多く焼かれた。文化的資料も多く失われている。互尊文庫という古文書館が今でもあってそれでも貴重なものが集められている。

・・映画は京都大火というから天明の大火が舞台ではないか。天明期というのは、多くの俳人の活発な動きがあって興味深い。

・・きょうは奥多摩まで紅葉狩り。といえば聞こえはいいが、足馴らし気分転換のポタリング。寒くなってきたので体を動かしたい。呼吸器系の運動は、血液循環をよくし体細胞を活性化する。精神の更新につながる。・・きのうの雨はやはり時雨というのだろうか。旅先でこんな雨に出会ったらたまらない。時雨というのは、翌日晴れたらなんと嬉しいことか外に出たくなった。芭蕉の嗜好、すこしわかってきた。

・・今年の紅葉はまったく不作。どれもこれも完全な色づきの前に枯れ散るふうだ。これからかという感じもあるが、なにか寒いばかりだ。・・柚子の実りはとてもいい。これは救い。青梅街道も殺伐としてるのは平日だからだろうか。御岳から先は歩道も無く一部道幅も細くあぶない区間がある。この道もだいぶ馴れてはきた。・・鳩ノ巣荘という国民宿舎は、以前工事中だったが、どうやら完成したらしい。白丸ダムのところに大きなクレーンがあって大きな工事があるらしい。あちこちトンネルの中も工事があっていろいろインフラも老朽化がすすんでいるようだ。数馬峡の景色はすばらしいものだったが、知らないうちに通り過ぎてしまっていた。もうもえぎの湯のあるあたりに来て奥多摩駅が近い。予定はぜんぜん立ててなかったけど、奥多摩湖に向うむかし道コースをいけるとこまでいくことにした。ここは二三度走っている。

・・むかし道は旧青梅街道という。ここをずっといって奥多摩湖は人造湖だが、さらにいって大菩薩峠にあがる道がひらけていたようだ。標高は1897mあり御岳山や大岳山より高い。図書館でDVDを借りて、映画「大菩薩峠」を観た。片岡千恵蔵が机竜之介を演じている。すごい役者です。音無しの構えというのが、決まってる。・・おもしろいのは人情、非人情の境がよく見えているからだ。御岳神社の奉納試合で竜之介にうち殺された武士の妻おはまが後竜之介を追うことになる。敵討ちではない。二人して逃亡です。・・こういうしんどいの流行りませんね。

・・むかし道にはいるに白髭トンネルを越えてすぐ道がある。このトンネルもやや長くはじめは嫌なトンネルだった。いくつかひどいトンネルを越えたので、これくらいならどうということはない。平日だったからまだよかったかもしれない。車の数もすくない。ハイキングの観光客がもっといるはずだが、午前中というのはまだはやいか。惣岳峡の吊橋のあるところまでともかく行ってみたい。以前来たことあるが、こわい橋でとても渡れなかった。三人以上で渡るなとある。このあたり深い峡谷になっている。

・・しだくら橋という吊橋があって、ここからの奇岩の眺めはいいらしい。ここの三分の一ほど歩いたら揺れて足元おぼつかない。渡りきるのはあきらめた。写真を一枚。・・もう引き返すことにした。このあたり谷底まではどうやって降りるのだろう。降りる用事もないか。帰り道、ハイキングの人がけっこう歩いてくる。平日であまり若い人はいない。景色ばかりはぞくぞくする。・・白髭神社の白板岩とか、猿田彦がこんなところまで足を運んでいるのかと思う。・・昔の裏甲州街道と呼ばれた道という。
映画では、大菩薩峠は富士もみえて眺めは良い。・・しかし、たいへんな道だ。

・・帰り道の民家で、柚子とキウイを売っていた。袋詰めで百円。柚子はこんなに買っても調理しきれない。柚子湯にでも使えばいいが。キウイを買った。・・たくさん入ってるけど、このままでは食べられない。とても固い。袋にリンゴをひとつ入れて十日くらい寝かすらしい。すると軟らかくなるとか。川の傾斜する土手に柿が鈴なりになっている。これは遠くから眺めると紅葉のよう。あれはあのまま収穫できず朽ちていくのだろうか。しかし、鈴なりだ。

・・もえぎの湯に寄った。日本最古の古生層から湧出する温泉。ここは救われる。

613秋魚:2015/12/07(月) 21:33:57
(無題)
打しめりあやめぞかをる郭公なくや五月の雨の夕ぐれ
                後京極摂政良経

・・寒い時は良質の歌を詠みたい。しんしんと染入るような歌を。
三十八歳で逝いた良経の供養する慈光寺経はやはり燦然としてる。あやめほととぎす五月の雨がかくも優美に歌われるのはほかに知らない。供養されるものと蘇りのものがある。

俳句なら五月雨は夏の季語だろう。歌なら季語以前のもの。

しぐれ

雲はなほさだめある世の時雨かな  心敬

世にふるもさらにしぐれの宿りかな 宗祇

世にふるもさらに宗祇のしぐれ哉  芭蕉


横しぐれ

旅の庵は嵐にたぐふ横しぐれ柴の囲ひにとまらざりけり
                   源頼政朝臣

風わたるみねの木の間のよこ時雨もる山よりも下葉そむらむ
                    藤原信実

*後鳥羽院が隠岐に流される時、信実が院の肖像画を描きのこした。


しぐれ桜

さくら花木梢のしつくおつるより幾世しくれの名にやふりけむ
                     従一位資枝


・・たしかに俊成のいうように「横しぐれ」の詞ばかりは、雅でありませんね。

614秋魚:2015/12/09(水) 20:20:05
(無題)
後鳥羽院四百年忌御会

霞            院 御製

こひつゝもなくや四かへりもゝちどり霞へだてて遠きむかしを


若菜           信尋 近衛

出て見る野守もつむやとぶ火野の雪まの若菜けふもすくなき


柳            雅陳 白川三位

風のまのみだれぬ糸にぬきとめて青柳おもき露のしら玉


・・

・・寛永十五年(1638)は、後鳥羽院四百回忌。追善和歌三十首。

・・「霞 院御製」のこの院は後水尾院の作。院の名のもとでまぎらわしい表記は意図あるか。

「もゝちどり」は三鳥のひとつ。古今伝授による。


・・何処やらに鶴の声聞く霞かな  井月

この「霞」と響いているとみるが、如何。



「とぶ火野」 ・・とぶひ‐の【飛火野】 奈良市、春日山のふもと、春日野の一部。また、春日野の別名。元明天皇のころに烽火(のろし)台が置かれた。

【元明天皇】
[661〜721]第43代天皇。在位707〜715。天智天皇の第4皇女。名は阿閇(あべ)。草壁皇子の妃。文武・元正両天皇の母。文武天皇の夭折(ようせつ)後に即位。平城京遷都、古事記・風土記の編纂(へんさん)、和同開珎(わどうかいちん)の鋳造などを行った。

・・

古今和歌集 よみ人しらず
春日野のとぶひの野守いでてみよ今いくかありて若菜つみてん

新古今和歌集 前参議教長
若菜摘む袖とぞ見ゆるかすが野の飛火の野邊の雪のむらぎえ

定家
春のいろを飛火野のもりたづぬれどふたばの若菜ゆきもきえあへず

定家
いつしかと飛火の若菜うちむれて摘めども未だ雪もけなくに

定家
若菜つむ飛火野のもり春日野にけふ降る雨のあすやまつらん

定家
立ちなるるとぶ火の野守おのれさへ霞にたどる春のあけぼの

定家
夕涼とぶ火の野守このごろやいまいくかありてあきの初かぜ

定家
とぶひ野はまだ古年の雪間よりめぐむ若菜ぞはるいそぎける

良経
ゆく年をとぶひのゝもりいでて見よ今いくかまて冬の夜の月

実朝
春日野の飛火野のもりけふとてやむかしかたみに若菜つむらむ

宗良親王
鶯の飛火の野べのはつこゑにたれさそはれて若なつむらむ


・・

615秋魚:2015/12/12(土) 21:25:03
(無題)
・・ここいら辺には柑橘がよく実っている。おおかたは柚子だが、かぼすもある。近所の人に黄色く実ったかぼすを分けてもらった。かぼすはまだ青々としたものを汁を絞ってポン酢をつくるとか。黄熟したものは、そのまま蜜柑のように果肉を食すこともできる。よい味だ。

・・芥川竜之介「地獄変」を再読した。堀川のお殿様にかかえられた良秀という絵師。この絵師が世にも奇体な絵を描いてみせるという。輿の車にうら若き娘が閉じ込められて火をかけられている。その車が燃えながら落下してゆく恐ろしい絵だ。殿様のお力でその実景をつくってみせるというのだ。

・・堀川の殿様というのは、最初の関白となった藤原基経がモデルとのこと。あの古作の雲林院で二条の后藤原高子を武蔵野まで追ってゆき鬼となって捕らえた。高子は基経の妹です。業平と高子の恋の逃避行があって、武蔵野に隠れた業平を盗人として焼き殺そうと野に火をかけようとしたのだ。高子は観念して基経のもとに降るという筋書き。・・後清和天皇の后となり陽成天皇の母となるから、貴族社会の帰りゆきを基経に強制されたわけだ。

地獄絵図の舞台は、雪解の御所という洛外の山荘。お殿様の亡くなった妹君が住まわれた御所という。つまり藤原高子の山荘。紫野の雲林院みたいなところでしょう。

燃え盛る車の中の女は、なんと良秀のひとり娘というから、これが地獄でなくて何であろう。

   *

・・プレアデス星団(M45)は、おうし座の「雄牛の首」のあたりに位置する散開星団です。地球からの距離は約400光年、実直径は約12光年、視直径は約110分(満月の約3.7倍)とされます。

漢名では「昴(ぼう)」、和名では「すばる」と呼ばれます。比較的近距離にある散開星団であるため、肉眼でも輝く五個から七個の星の集まりを見ることができます。狭い範囲に小さな星が密集した特異な景観を呈して、

・・ギリシア神話においてプレアデス(プレイアデス)は、ティタン族のアトラスと、海のニュムペであるプレイオネとの間に生まれた七人姉妹です。

マイア:七姉妹の長女。ゼウスの子ヘルメスの母
エレクトラ:ゼウスの子ダルダノスとイアシオンの母
タイゲタ:ゼウスの子ラケダイモンの母
アルキオネ:ポセイドンの子ヒュリエウスの母
ケラエノ:ポセイドンの子リュコスとエウリュピュロスの母
アステローペ:アレスの子オイノマオスの母
メローペ:七姉妹の末妹。人間であるシシュポスと結婚して不死性を喪失

プレアデス星団で特に明るく輝いているのは、六つの星だけだとされます。七つ目の輝きの鈍い星は、人間と交わったことを恥じるメローペであるとも、ダルダノスの死を悼むエレクトラであるとも、また、アステローペであるともいわれます。

・・姉妹の父であるアトラスが天を背負う役目を負わされた後、オリオンがプレアデス全員を追いかけ回すようになります。ゼウスは彼女らを、初めはハトに、ついでその父を慰められるよう星に変えます。オリオン座はいまだプレアデス星団を追って夜空を回っているとされます。

プレアデスは主に冬の星であり、古代の農業暦において非常に大きな役割を果たしていました。古代ギリシアの詩人ヘシオドスは叙事詩『仕事と日』の中で「そして、もし嵐の海を渡ろうという望みがおまえを捕らえたとしても、プレアデスが強大なオリオンを避けて深い霧の奥に潜り、激しい風が荒れ狂うなら、おまえの船を暗紅色の海に出してはならない。そうではなく、私の言葉のとおり、忘れずに地を耕すのだ」と語っています。

616秋魚:2015/12/17(木) 21:56:32
(無題)
・・東京の新宿から西へ向う街道は大きく二つある。一つは甲州街道、もう一つは青梅街道。青梅街道は高円寺あたりから五日市街道に分かれこれは拝島福生の多摩川を越え秋川沿いに武蔵五日市に向う。青梅街道は三鷹立川瑞穂と内陸を走り青梅で多摩川に沿った道になる。その先は奥多摩に向かい大菩薩嶺を迂回して柳沢峠から甲州市塩山に入る。甲州街道はずっと西に進み調布府中国立(江戸の頃は無かった)の石田橋で多摩川を越える。日野八王子高尾から相模湖大月から塩山に出て青梅街道と出会う。これらの大方は自転車で走っている。

・・今回スポットを当てるのは、甲州街道府中国立からの石田橋多摩川あたり。江戸の頃の街道もあまり大差はないものと見える。国立の谷保天満宮は道真由来古いものらしい。すぐ近くに長年住んでいたが、深く調査することもなかった。この裏に折れて多摩川にぶつかるあたりにある石田橋もつい最近にできた。ただ石田の渡しというのが江戸の頃にはあったという。甲州路をゆくものは必ずここの渡し舟に乗った。

・・芭蕉が深川の芭蕉庵を焼け出され甲州の都留に避難仮寓したのは、天和二年(1682)のこと。甲州街道をすすみこの石田の渡しで多摩川を越えたはず。幕末の頃この石田で名高いのは新撰組の土方歳三の生地である。多摩川を渡った日野の石田郷という。・・この国立の甲州街道沿いの谷保天神のすぐ近くに本田家の古い民家がいまでもある。実はこのまったく近いところに何年も居住していながらその民家の由緒を知らなかった。・・幕末の頃本田覚庵という漢方医で書家である人が住んでいた。なんとこの覚庵の書を習いに川向こうの石田から若き日の土方歳三がよく訪ねてきていたという。近藤勇も生家は調布のあたりやはりこの覚庵の家に書を習いに来ていた。天然理心流の剣術も歳三勇で磨きあった。・・本田覚庵の書は、当時江戸の三大書家の一人市河米庵の流れで、ほかに蘭学とかもろもろの学問にも秀でていた。「覚庵は、歳三の父の妹キンの養子だから歳三とは義理の従兄弟の間柄になる。」という。

・・芭蕉は、おそらく、この石田の渡しを三度は渡っている。深川−都留の往還で二度。もう一度は、野ざらし紀行の帰り道で、木曾諏訪甲府から塩山大月から高尾にぬけて江戸に入った。途中むかし仮寓した都留あたりに寄った記事がある。

「士峯(ふじ)の讃」

崑崙は遠く聞、蓬莱・方丈は仙の地也。まのあたり士峯地を抜て蒼天をさゝえ、日月の為に雲門をひらくかと、むかふところ皆表にして美景千変。詩人も句をつくさず、才士、文人も言をたち、画工も筆捨てわしる。若藐姑射の山の神人有て、其詩を能せんや、其繪をよくせん歟。

  雲霧の暫時百景をつくしけり

・・石田の渡しあたりでも富士を眺められるが、この文「まのあたり士峯地を抜て蒼天をさゝえ」からして富士にかなり近接した土地での詠みであろう。『芭蕉句選拾遺』に「甲州よし田の山家に所持人ありしを、今東武下谷匊志秘蔵なるよし・・」とあり、富士吉田あたりに出向いた時のものか。野ざらしの旅の帰路に立ち寄ったとみる。


・・関こゆる日は、雨降て、山皆雲にかくれたり。

雰しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き

 何某ちり*と云けるは、此たびみちのたすけとなりて、萬いたはり心を盡し侍る。常に莫逆の交ふかく*、朋友信有哉此人。

深川や芭蕉を富士に預行  ちり

・・野ざらし紀行では、深川の芭蕉庵からはよく富士も見えた。万年橋からの富士見は広重の絵にもある。ただし富士を詠んだものは上記の二句のみ。実景は不在の富士のこと。

これに比して、「雲霧の暫時百景をつくしけり」とは、実景の富士を見すえての静観。

「・・日月の為に雲門をひらくかと、むかふところ皆表にして美景千変」 この見える富士の描写を「野ざらし紀行」に載せなかったのは、それなり理由があろう。


・・井月にも、富士を詠んだ句がいくつかある。

方角を富士に見て行く花野かな
初虹は麓に消えて富士の山
富士に日の匂ふ頃なり時鳥
鷹鳴くや富士に曇りのなき夕
初日影富士に位階の沙汰なきや
とくよりも出向ふ士峯や初日影
空色を花とながめて不盡の山
はつ空を花とながめて不盡の山
試る筆の力や不盡の山
上もなき老のしら髪や不盡の山
頂を花とながめて富士の山
雪ながら富士は今年の物らしき
夕士峰も朝不盡も見てさらし搗

617秋魚:2015/12/26(土) 21:52:54
(無題)
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む
                   摂政太政大臣良経

・・良経のきりぎりすというのは、みごと。

 青梅に漂泊した中原章は、

鈴虫の声ふり捨て有明のねやへはいらし月になりゆく

京極派、持明院派とも?

「古きまくら、古きふすまは、貴妃がかたみより伝へて、恋といひ哀傷とす」(紙衾ノ記)

「翡翠衾寒誰與共」(長恨歌)

・・この「古き枕」が妙。「うた枕」のことか?

618秋魚:2015/12/31(木) 17:20:50
(無題)
・・この一年もいろいろ温泉めぐりをした。ホームページなどで宣伝も多いが、さほどの中身のないものもある。結局は口コミの話になって善し悪しは淘汰されていくようだ。物が無くてまず宣伝から入るのがネットショップ。これもそうそう詐欺めいたものばかりやってると続くわけがない。評判を得ようとするのは宣伝以上のものがあればよい。そこまで気づかってはいられないか。

・・忘年会に手ぶらで招待されたところでは、温泉の話になってすでに山形の田舎の温泉が抜群であるとか、車を使って遠いところの穴場の秘湯をたずねる人もいた。持ってる人はよく訪ねるものだ。近場でいろいろまわる自分からすると、遠隔の温泉はすでにあきらめている。・・きょうは自動車に乗っていい温泉に訪ねたい友がいて、自分の知る限り一押しの温泉に案内した。

・・自愛が流行してなかなか自分の趣味につきあう人もまれになった。都心の方から車で来るが85歳のおばあさんとお孫さんのいる妹さんが便乗するのだという。逝く人が多いのでこれは大歓迎。せいぜい友一家のよい癒しになればよい。近場の温泉については自信がある。秋川渓谷の瀬音の湯まで案内した。・・なんでも九州の佐賀まで温泉につかりにいったばかりだとか。そりゃいい温泉は山ほどある。まあ近場でどういう感想をもつか、あとは湯あたりしないよう注意した。・・ここの湯質はみな褒める。アルカリ性単純泉の純度の高いもの。露天でもはじめての客は驚きの声をあげる。運転手の友は、アルコールはやれないが、かなり満足そう。宴会の幹事でも思案したか。あとで女性たちもほめちぎる。おばあさんが妙にしゃんとした声でいい湯だーと。新宿とか浅草とかからの訪問で水と緑があるだけでも感動らしい。偶に来ればそう感じるさ。みやげもの店で地元の野菜とかこれもうれしそうに買い漁っていた。

・・レストランも一杯。てんぷら御膳を注文。ここのてんぷらは並大抵ではない。美味しいよと宣伝したが、みなも美味いとはいったが、辛口の批評をいわさせてもらうと、以前とはちょっと味が落ちていた。年末で客が多いので、量こなすために材料の質がやや低下、あと全体のつくりもやや雑な気がした。でも、それはいわなかった。・・帰りに払沢の滝の見物をとも思ったが、おばあさんは山道歩くの大変でしょう。それはキャンセルよい気分のまま青梅の釜の淵公園散歩して無事帰るのが一番。公園は寒いだけであまりおもしろくなかったようだけど、すこし頭を冷やして帰路につくのも一考。・・たぶん私の見立ては完璧だと思う。

・・近場の温泉は自信あり。

619秋魚:2016/01/30(土) 09:12:00
(無題)
00534 [詞書] 題しらす
読人不知読人しらす(000)
人しれぬ思ひをつねにするかなるふしの山こそわか身なりけれ
ひとしれぬ−おもひをつねに−するかなる−ふしのやまこそ−わかみなりけれ

・・古今集における「富士」。

富士の表記だが、濁点のとれたカナ文字で「ふし」とある。


00680 [詞書] 題しらす
番号外作者ふちはらのたたゆき(999)
君てへは見まれ見すまれふしのねのめつらしけなくもゆるわかこひ
きみてへは−みまれみすまれ−ふしのねの−めつらしけなく−もゆるわかこひ

01028 [詞書] 誹諧歌:題しらす
番号外作者きのめのと(999)
ふしのねのならぬおもひにもえはもえ神たにけたぬむなしけふりを
ふしのねの−ならぬおもひに−もえはもえ−かみたにけたぬ−むなしけふりを

01001 [詞書] 短歌:題しらす
読人不知よみ人しらす(000)

あふことのまれなるいろにおもひそめわか身はつねにあまくものはるる時なく
ふしのねのもえつつとはにおもへともあふことかたしなにしかも人をうらみむ
わたつみのおきをふかめておもひてしおもひはいまはいたつらになりぬへらな
りゆく水のたゆる時なくかくなわにおもひみたれてふるゆきのけなはけぬへ
くおもへともえふの身なれはなほやますおもひはふかしあしひきの山した水
のこかくれてたきつ心をたれにかもあひかたらはむいろにいては人しりぬへ
みすみそめのゆふへになれはひとりゐてあはれあはれとなけきあまりせむす
へなみににはにいててたちやすらへはしろたへの衣のそてにおくつゆのけな
はけぬへくおもへともなほなけかれぬはるかすみよそにも人にあはむとおもへ

あふことの−まれなるいろに−おもひそめ−わかみはつねに−あまくもの−はるるときな
く−ふしのねの−もえつつとはに−おもへとも−あふことかたし−なにしかも−ひとをう
らみむ−わたつみの−おきをふかめて−おもひてし−おもひをいまは−いたつらに−なり
ぬへらなり−ゆくみつの−たゆるときなく−かくなわに−おもひみたれて−ふるゆきの−
けなはけぬへく−おもへとも−えふのみなれは−なほやます−おもひはふかし−あしひき
の−やましたみつの−こかくれて−たきつこころを−たれにかも−あひかたらはむ−いろ
にいては−ひとしりぬへみ−すみそめの−ゆふへになれは−ひとりゐて−あはれあはれと
−なけきあまり−せむすへなみに−にはにいてて−たちやすらへは−しろたへの−ころも
のそてに−おくつゆの−けなはけぬへく−おもへとも−なほなけかれぬ−はるかすみ−よ
そにもひとに−あはむとおもへは

00489 [詞書] 題しらす
読人不知読人しらす(000)
するかなるたこの浦浪たたぬひはあれとも君をこひぬ日はなし
するかなる−たこのうらなみ−たたぬひは−あれともきみを−こひぬひはなし

620秋魚:2016/01/06(水) 11:02:44
(無題)
(小鳥の画に)
不尽山月雪花やほとゝぎす


・・この画紙をみてみたい。不尽の表記はそのままか、不盡か。

音数で俳句に合わせると、「ふじやま●つきゆきはなやほととぎす」と読むか。

「不尽」「山」「月」「雪」「花」や「ほとゝぎす」。
この漢字の並びが俳句の妙。月・秋 雪・冬 花・春 ほとゝぎす・夏という四季のめぐりがある。

「山」と「月」が切れてますな。

・・九条良経「花月百首」以降の井月風「花月」の俳諧といったところか。

621秋魚:2016/01/07(木) 00:38:04
(無題)
・・芭蕉最晩年の峠越えというのがある。伊賀から大坂に向う暗峠というところだ。元禄7年9月9日。

菊の香にくらがり登る節句かな

・・暗峠は奈良県生駒市から大阪府東大阪市に通ずる道にある。いったことはないが暗いけわしい道のようだ。大坂に抜けておよそ一ヶ月半後に逝いてしまう。

菊の香や奈良には古き仏たち

・・これも同じ日の句という。

・・青梅の歌人浄月律師(1758〜1832)60歳の時に河内髪切山高貴寺に入律したという、その髪切山は暗峠のあるところ。ほかに役行者で名高い慈光寺もある。

>高貴寺(こうきじ)は、大阪府南河内郡河南町平石にある高野山真言宗の仏教寺院。

北緯34度29分57.8秒 東経135度39分52.2秒

・・開山は役行者で、文武天皇の勅願によるといわれている。河内高貴寺縁起によると、役行者が草創した二十八箇所の修験霊場のひとつで、古くは底筒男命が降臨した地として、神下山香花寺と称した。
弘仁年間に、空海が来住した際、高貴徳王菩薩の示現を見たため、高貴寺と改称した。

・・安永5年(1776年)に慈雲尊者飲光が入寺し、大和郡山藩主柳沢保光の帰依・支援を受け、堂舎を整備し、当寺を真言律と梵学修行道場とし、戒壇を設けて正法律の本山とした。

この慈雲というのが、ただものでない。

>・・慈雲(じうん、享保3年7月28日(1718年8月24日) - 文化元年12月22日(1805年1月22日))は江戸時代後期の真言宗の僧侶。戒律を重視し「正法律」(真言律)を提唱した。雲伝神道の開祖。

・・1758年(宝暦8年)から生駒山中の雙龍庵という草庵に隠居して研究に専念し、千巻にも及ぶ梵語研究の大著『梵学津梁』を著す。その内容は、密教で行われてきた梵字の呪術的解釈を排し、梵語の文法を研究して、梵文で書かれた仏教教典の原典の内容を正しく読解しようとするものであった。・・1775年(安永4年)、『十善法語』を著す。1776年(安永5年)に河内の高貴寺(南河内郡河南町)に入寺した。大和郡山藩主・柳沢保光の支援を受け、高貴寺の堂舎を整備し、この寺を正法律の本山と定めた。


 浄月律師の高貴寺行きは、芭蕉の暗峠越えを踏もうとしたのではないか?

622秋魚:2016/01/08(金) 21:15:26
(無題)
・・峠越えというので柳沢峠越えのサイクリング日記を読んだ。やはり気になる。熊谷から飯能青梅そして青梅街道を直進。柳沢峠で富士見のあと塩山甲府、ここから富士川を南下して身延山まで。やー、チャレンジする人はいるものだ。奥多摩湖までのトンネルも恐怖といっていたが二度目はさほどでないと。しかし丹波山から先の渓谷はぞっとするほどという。長いアップの坂道と百mもあろうかという断崖の渓谷。写真をみたが足がすくみそう。柳沢峠の景色はたしかにいいらしい。春先にいったがここらは真冬という。路面凍結に注意。峠から塩山までが急勾配。ダウンヒルで千mほど豪快だがあぶないものだ。・・クロスバイクでは無理かなと思うが乗れないところは歩けばよい。やってやれないことはない気もする。

・・塩山から甲府は以前も走った。平坦な道で車だけを気にすればいい。ここらで一泊。石和健康ランドがいいかもしれない。ここから先身延山までが未知。県道があるがあまりいい道ではないという。

・・ひきこもりをやっているとすべて恐怖に思われる。自転車も肉体も使わずに劣化するのは耐えられないことだ。冬晴れなので多摩川サイクリングロードを走ってモノレールの終点駅多摩センターまでめざした。

・・例によって何度か走ってるコースだが景色がすこしづつ変化している。時折まったく違う道かと感じることがある。ひどい時には進んでいるつもりが左右に大きくずれたり後戻りなんてのもある。吹雪の中で同じところをぐるぐる歩き回り最後は力尽きて眠ってしまうのは、なんといったか。・・しかしこのコースに迷いはない。

・・多摩川のモノレールのある橋は立日橋といったか、もうすこし川沿いに進むと白鷺だか鶴だかが数羽群れて羽根をやすめている。

・・まったくこの種の白い鳥の区別もわからない。おおかたサギの仲間でしょう。頭の形が目立ってる違う種類のもよくみかける。冬だからここにいるのか。静かなるロックンローラーと呼んだりもした。

・・ところで今日のメインは帰りの夕日にみかけた。

 夕士峰も朝不尽も見てさらし搗

この夕富士のこと。まったく偶然の景色。・・富士がよく見えるのは立日橋をわたり立川から昭島までの間。五日市線のあるあたりまではよく見える。土提にあがってカメラを構える人もちらほら。空気が澄んで夕焼け富士がきわだつ。

・・甲州街道多摩川にうつかる石田の渡りをわたらず、井月はそのまま堤沿いに上流をめざしたのではないだろうか。福生あたりまで一時富士は姿を消すが、羽村玉川上水口までにもう一度姿をあらわす。奥のほうに見える山は大岳山。青梅にはいると富士はみえにくい。・・しかし必ず井月は青梅に来た。

623秋魚:2016/01/18(月) 01:35:15
(無題)
初虹は麓に消えて富士の山
初虹や裏見が滝に照る朝日

旭の匂ふ裏見が滝や鷹の声
鷹鳴くや富士に曇りのなき夕

・・むずかしくなりましたな。井月も。


[題詞]山部宿祢赤人望不盡山歌一首[并短歌]

[原文]天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将徃 不盡能高嶺者

[訓読]天地の 別れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は

318

[題詞](山部宿祢赤人望不盡山歌一首[并短歌])反歌

[原文]田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留

[訓読]田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける


・・おそらく東海道のフジこそ富士であろう。この田子の浦は、

由比  北緯35度06分23秒 東経138度33分42秒

「東海道の親不知」と呼ばれる断崖に位置し、歴史地理学的には関東政権(江戸・鎌倉・小田原)と東海政権(駿府)の境界となってきた。

江戸時代には東海道由比宿の宿場町であった。江戸時代の絵師・歌川広重による由比の浮世絵には、難所を越える旅人や、帆掛け船の浮かぶ駿河湾、駿河湾越しの富士山などが描かれている。

あるいは、蒲原  北緯35度7分6.8秒 東経138度35分58.8秒

・・江戸時代は蒲原宿が置かれ、宿場町として機能していた。

あるいは、富士市 田子の浦港沖  北緯35度9分40.8秒東経138度40分34.6秒

  たこの浦の藤花を見侍て                      柿本 人麿
 たこの浦の 底さへにほふ 藤波を かざして行かん 見ぬ人のため

(拾遺和歌集)

624秋魚:2016/01/19(火) 02:10:24
(無題)
初鶏や常に似合ぬ太き声   有隣
 若水汲の歩行井の端    井月

・・

斯花の曇にまことよい日和    隣
 浅香の沼に田にし鳴くころ   月


・・須賀川の多代女が「越後獅子」に寄せたのは、

盃の裏にまことやうめのはな

うめは梅、生めとかけたか。多代女と井月がたしかに会ったことがわかる。・・須賀川から郡山には芭蕉も入った道だ。

栗といふ文字は西の木と書て、西方浄土に便ありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや、

世の人の見付ぬ花や軒の栗

・・

山深み岩にしただる水とめんかつがつ落つる橡拾ふほど  西行


・・この後が、あさか沼

阿佐可夜麻加氣佐閇美由流夜真乃井能安佐伎己々呂乎和可於母波奈久尓
   あさかやま  かげさへみゆる  やまのゐの あさきこころを  わがおもはなくに


・・

「古今集」仮名序で、貫之が、歌の父母のうち母にあたる歌という。巻16/3807

この山ノ井に安積山が写っているそのような浅い心でないと、采女の歌です。ここを井月が訪れないわけがありません。(たいした痕跡があるわけでもありませんが)

芭蕉と曾良はけっこう淡白でしたね。カツミという植物を探したほどで。


安積山?? 北緯37度27分 東経140度23分

長岡城あたり  北緯37度27分  東経138度51分

625秋魚:2016/01/20(水) 01:06:06
(無題)
・・武蔵、多摩の芭蕉百回忌。1793年ですが。

? 武州毛呂の川村硯布亭。橿寮硯布庵で1790年。(前倒し)春秋庵系の俳人多く集まる。加舎白雄、長翠(春秋庵二世)、榎本星布、等。

?武州多磨青梅真浄寺。1793年。浄月律師。「芭蕉翁霊塚」建立。しぐれ桜碑と並ぶ。

?武蔵五日市開光院。翁塚。山市亭梅志建てる。百回忌頃。梅志は深川臨川寺に「墨直しの碑」を建てた玄武坊の門弟。支考派ですね。




なにはづのうたは、みかどのおほむはじめなり。[おほさざきのみかどの、なにはづにてみこときこえける時、東宮をたがひにゆづりて、くらゐにつきたまはで、三とせになりにければ、王仁といふ人のいぶかり思て、よみてたてまつりけるうた也、この花は梅のはなをいふなるべし。]あさか山のことばは、うねめのたはぶれよりよみて[かづらきのおほきみをみちのおくへつかはしたりけるに、くにのつかさ、事おろそかなりとて、まうけなどしたりけれど、すさまじかりければ、うねめなりける女の、かはらけとりてよめるなり、これにぞおほきみの心とけにける、あさか山かげさへ見ゆる山の井のあさくは人をおもふのもかは。]、このふたうたは、うたのちちははのやうにてぞ、手ならふ人のはじめにもしける。

そもそも、うたのさま、むつなり。からのうたにも、かくぞあるべき。
そのむくさのひとつには、そへうた。おほささきのみかどを、そへたてまつれるうた、

なにはづにさくやこの花ふゆごもりいまははるべとさくやこのはな

といへるなるべし。

626秋魚:2016/01/20(水) 23:29:34
(無題)
>・・平林寺(へいりんじ)は、埼玉県新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の寺院である。

埼玉県新座市野火止3-1-1 位置 北緯35度47分23.44秒 東経139度33分36.74秒

野火止(のびどめ)・・「かつて焼畑農業が盛んに行われ、関東ローム層の乾燥した土壌が草木の燃え広がりを早めたことから、延焼を食い止めるために用水が多数造られた」ことが由来とされている[1]。

・・業平塚(在原業平が京より東国へ東くだりの折、武蔵野が原に駒を止めて休んだという伝えがある。)

 江戸名所図会によると、野火止塚(九十九塚)と同じく、古へ野火を遮り止むるために築きたりしものなるべきを後世好事の人、伊勢物語によりて名付けしなるべし。塚上石碑を建てて和歌の一首をちりばめたり。その詠にいはく「むさし野にかたり伝へし在原のその名を忍ぶ露の小塚」とあるが、この歌碑は今はない。

 むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆくほどに、盗人なりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらの中に置きて、逃げにけり。道来る人、この野は盗人あなりとて、火つけむとす。女、わびて、

   武蔵野は今日はな焼きそ若草の

      つまもこもれりわれもこもれり

とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。


『伊勢物語』(第十二段)


加舎白雄は野火止で句を詠んでいる。

   野火留にて

妻も子も榾火に籠る野守かな


行暮れし越路や榾の遠明り
灰に書く西洋文字や榾明り   井月

627秋魚:2016/01/24(日) 01:41:50
(無題)
・・アユ(鮎、香魚、年魚、Plecoglossus altivelis)は、キュウリウオ目に分類される、川や海などを回遊する魚である

 多摩川はかつてアユが途絶えた。いまは存在する。青梅美術館の下龍が淵あたりでコアユを放流した記念碑がある。

・・アユの語源は、秋の産卵期に川を下ることから「アユル」(落ちるの意)に由来するとの説や神前に供える食物であるというところから「饗(あえ)」に由来するとの説など諸説ある[4]。

 現在の「鮎」の字が当てられている由来は諸説あり、神功皇后がアユを釣って戦いの勝敗を占ったとする説[4]、アユが一定の縄張りを独占する(占める)ところからつけられた字であるというものなど諸説ある。

・・コアユ。小鮎は小さい鮎のこと。成長過程で小さいがやがて若鮎と呼ばれる。目一杯成長して小ぶりのままの鮎もコアユと呼ばれる。海にでず湖などで一生を終えるアユのことだ。陸封魚だが、ヤマメ、イワナ、ハヤなども本来は海にいたものらしい。淡水魚でも陸封魚と呼ばれる。

・・アユという意味での漢字の鮎は奈良時代ごろから使われていたが、当時の鮎はナマズを指しており、記紀を含め殆どがアユを年魚と表記している。

 中国で漢字の「鮎」は古代日本と同様ナマズを指しており[4]、中国語でアユは、「香魚(シャンユー、xiāngyú)」が標準名とされている。地方名では、山東省で「秋生魚」、「海胎魚」、福建省南部では「溪鰛」、台湾では「[魚桀]魚」(漢字2文字)、「國姓魚」とも呼ばれる。

・・俳句の季語として「鮎」「鵜飼」はともに夏をあらわすが、春には「若鮎」、秋は「落ち鮎」、冬の季語は「氷魚(ひお、ひうお)」と、四季折々の季語

・・

瀬を渡る飛び石もあり小鮎汲み
楽しみは浅瀬にあるや小鮎汲み
若鮎や花と汲まゝ網の露
武の玉川に遊て
徐に柳のかぜや小鮎くみ


 井月に、鮎汲みの句がいくつかある。これって、多摩川で小鮎くみして遊んだ時の句作でしょう。

 小鮎と若鮎はたぶん別物ですね。

コアユについて、おもしろい解説があります。

>・・琵琶湖に生息するアユは、オオアユと遺伝的に異なる[7]。ただし、正式な亜種としては分類されていない。アイソザイム(アロザイム)分析の結果、日本本土産の海産アユからの別離は10 万年前と推定されている[6]。

生態的にも特殊で、仔稚魚期に海には下らず、琵琶湖を海の代わりとして利用している。琵琶湖の流入河川へ遡上し、他地域のアユのように大きく成長するもの(オオアユ)と、湖内にとどまり大きく成長しないもの(コアユ)が存在する。従来、オオアユとコアユの「両者間での遺伝的な差は無い」とされていたが、「亜種として隔離の兆候が出ている」とする研究結果もある

 アユは神秘だ。スイカの香りがする。

・・アユの成魚は川で生活し、川で産卵するが、生活史の3分の1程度を占める仔稚魚期には海で生活する。このような回遊は「両側回遊」(りょうそくかいゆう)と呼ばれる。

 親のアユは遡上した河川を流下し河川の下流域に降り産卵を行う。最高水温が20℃を下回る頃に始まり、最高水温が16℃を下回る頃に終了する。粒径 1mm程度の沈性粘着卵を夜間に産卵する

 体長59-63mmになると鱗が全身に形成され稚魚は翌年4月-5月頃に5-10cm程度になり、川を遡上するが、この頃から体に色がつき、さらに歯の形が岩の上の藻類を食べるのに適した櫛(くし)のような形に変化する。

 アユが岩石表面の藻類をこそげ取ると岩の上に紡錘形の独特の食べ痕が残り、これを特に「はみあと(食み跡)」という。

・・多くの若魚は群れをつくるが、特に体が大きくなった何割かの若魚はえさの藻類が多い場所を独占して縄張りを作るようになる。一般には、縄張りを持つようになったアユは黄色みを帯びることで知られている[18]。特にヒレの縁や胸にできる黄色斑は縄張りをもつアユのシンボルとされている[18]。アユの視覚は黄色を強く認識し、それによって各個体の争いを回避している


・・アユについて、興味は尽きない。

628秋魚:2016/01/25(月) 01:53:07
(無題)
 唐土にて月を見て、よみける                   安倍仲麿

あまの原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも  (古今 9-4
06)
       この歌は、昔、仲麿を、唐土に物習はしに遣はしたりけるに、
       数多の年を経て、え帰りまうで来ざりけるを、この国より又
       使まかり至りけるにたぐひて、まうで来なむとて出で立ちけるに、
       明州と言ふ所の海辺にて、かの国の人、餞別しけり。
       夜に成りて、月のいと面白くさしいでたりけるを見て、よめるとなむ語り伝ふる

・・

山部宿祢赤人、富士の山を望る歌一首并せて短歌

天地の 別れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光(ひかり)も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は(03/0317)

      反歌

田子の浦ゆうち出でて見れば真白(ましろ)にぞ富士の高嶺に雪は降りける(03/0318)

・・

→ 「天の原振りさけ見れば駿河なる富士の高嶺にいでし月かも」

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-0hakken3.htm


・・安倍仲麿と山部赤人の月のコレスポンデンスが見てとれるのですが、


三笠山は、御蓋山。・・「蓋」

>・・咸享元年三月。遣使賀平高麗。爾後繼來朝貢。則天時。自言其國近日所出。故號日本國。蓋惡其名不雅而改之。

629秋魚:2016/01/25(月) 23:47:40
(無題)
・・武蔵野は広い。在原業平がここにやってきたというのはほんとうだろうか。根雪の残る武蔵野を新座平林寺をめざした。西国分寺から武蔵野線で三つ目くらいの駅だったと記憶している。通ったことはあるがほぼ不案内。所沢川越あたりはよく走ったのでむずかしくはないと多寡をくくった。が、これは大間違い。地図でさっと見ただけで出発した。寒いのでしばらく自転車はお休みしていた。筋肉の萎縮より呼吸運動の停止ほうが神経を狂わせる。細胞が活発になり呼吸がそれにあわせる。脳は反射神経が全開して生き生きと働く。家にこもると想念ばかりが勝手に太る。山頭火がそうだったように時雨の旅にでるべきだ。時雨というのは、ちょっと嫌な天候かと思いつつ。

・・新座はたしか新羅人の部落だったとか。そんな昔のことは今は関係ないかもしれぬ。道路の南側の歩道は日が当らないためかところどころ雪が残っている。すべってころぶとあぶない。そういう微妙な日の出発だった。最近は自分の扮装を気にしなくなってたぶんすごい格好してる。浮浪者まがいにみえるかも。気にしないことだ。昭島に野暮用があってそのあと立川国立まででた。ここらは昔の地元。ここから西国分寺の武蔵野線にぶつかるあたりまでいった。そこからは調べがなくて人に聞き聞き進む。府中街道をいきなさい。所沢にむかってそこからカーブして志木街道を浦和方面へすすむ。ずっといくと清瀬、新座ですよ。

・・まったく楽勝のライドかと思っていた。途中レストランでお昼をとって野火止の平林寺は3時半頃になった。電車でも新秋津から新座までは時間がかかったようだった。関越道を越えて川越街道の近く、一画が広い雑木林になっている。その武蔵野の林と野火止の用水路が売りらしい。平林寺は紅葉の名所、季節にはよく人の訪れもあるようだ。寺構内に入るには入園料がかかる。森閑として臨済宗妙心寺派の禅道場という。帰りの時間が少ない。入園はあきらめた。


・・十二

むかし、おとこ有けり。人のむすめをぬすみて武蔵野へゐてゆくほどに、ぬす人なりければ、くにのかみにからめられにけり。女をばくさむらの中にをきて、にげにけり。みちくる人、このゝはぬす人あなりとて、火つけむとす。女、わびて、

 むさしのはけふはなやきそわかくさのつまもこもれり我もこもれり

とよみけるをきゝて、女をばとりて、ともにゐていにけり


・・伊勢物語十二段の舞台という、それらしい業平塚があるはずだ。

630秋魚:2016/01/27(水) 00:21:42
(無題)
堀河太政大臣、身まかりにける時、深草の山にをさめてける後に、よみける

深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け(古今832)

・・上野岑雄(かむつけのみねお)が詠んだというが、堀河太政大臣藤原基経の死に哀傷をこめたかどうか疑わしい。生没年未詳で、一説に承和年間(834-848)頃の人とあり、藤原基経薨時(寛平三年=西暦891年)とは年代が合わない。

古今集巻十六832の歌だが、直前にある831の歌は、

空蝉はからをみつつもなぐさめつ深草の山けぶりだにたて

僧都勝延の歌の前に「堀川の云々」付け書きがくる。


藤原基経は能「雲林院」では、妹の藤原高子を武蔵野に追いかけ鬼一口で飲んだといういわくつきの妖人。

おそらく古今集編集のfakeであろう。

千葉県東金市山田の貴船明神にも「墨染桜」がありますが、これは東大寺再建の為の砂金勧進のために陸奥の国に向かった西行法師が、京都・深草の墨染桜の枝を杖にして歩き、当地を訪れたとき貴船大明神を勧請し、その傍にその杖を突き刺し、「深草の野辺の桜木心あらば 亦この里にすみぞめに咲け」と詠じて去りましたが、この杖が芽をふき墨染桜となったと言われています。


・・このあたりの話もどうですか。基経の魂魄を杖にこめるなど奇怪ですね。

631秋魚:2016/02/01(月) 02:11:50
(無題)
・・昨年都留に寄った帰り大月の隣猿橋をみたのを想い起こす。甲州街道の幹線で古来多くのものがここを通る。猿橋は名ばかりで本物の橋があるとは知らなかった。大月からすぐ隣一駅だが20号はまったく嫌な道だ。道幅がせまく自動車専用道路といった感がある。飯能秩父の正丸トンネルも地獄だったがここも相当なものだった。・・しかし猿橋、日本三奇橋のひとつという。実際の景観もなるほどといったものだったが後で調べてみると多くの文人墨客がここを訪れている。

・・山頭火は、「五月の甲州街道はまことによろしい。桂川峡では河鹿が鳴いてゐた。
山にも野にもいろいろの花が咲いてゐる。猿橋。

   若葉かゞやく今日は猿橋を渡る

こんな句が出来るのも旅の一興だ。

など云ってるが、桂川沿いは歩くにはいいかもしれない。

水の月猶手にうときさるはしやたには千尋のかげの川瀬に

と詠んだのは、宗祇。

『廻国雑記』を著した聖護院の道興もこの絶景をみた。

「・・猿橋とて川の底千尋に及び侍る上に、三十余丈の橋を渡して侍りけり。此の橋に種々の説あり。昔、猿の渡しけるなど里人の申し侍りき。さる事ありけるにや、信用し難し。此の橋朽損の時は、いづれに国中の猿飼ども集りて、勧進などして渡し侍るとなむ。然あらば其の由緒も侍ることあり。所がら奇妙なる境地なり。

   名のみしてさけふもきかぬ猿橋の下にこたふる山川の声

同じ心を、あまた詠じ侍りけるに、

   谷深きそはの岩ほのさる橋は人も梢をわたるとそみる

   水の月猶手にうとき猿橋や谷は千ひろのかけの川せに

・・

この道興という人は気になる。「聖護院(しょうごいん)は京都府京都市左京区聖護院中町にある本山修験宗総本山(本庁)の寺院。」「日本の修験道における本山派の中心寺院であると共に全国の霞を統括する総本山である。」とwikiにあるが、この「霞」とは何であろう。さらに「・・静恵法親王(後白河天皇の子)が宮門跡として入寺して以降、 代々法親王[2]が入寺する門跡寺院として高い格式を誇った[3]。明治まで37代を数える門主のうち、25代は皇室より、12代は摂家より門跡となった[3]。江戸時代後期には2度仮皇居となるなど、皇室と深い関わりを持ち、現在も「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されている。・・祇園祭の役行者山(えんのぎょうじゃやま)では聖護院が護摩焚きを始め(採燈護摩供)導師の山伏が護摩木を護摩壇に投げ入れる儀式を行う。」

「享保19年(1734年)11月16日、 聖護院の森にて、呉服商の井筒屋伝兵衛と、先斗町近江屋の遊女お俊との心中事件が起きた[3]。」

「天明8(1788年)と安政元年(1854年)の内裏炎上に際し、光格天皇と孝明天皇が一時期仮宮として使用した。当時の聖護院門跡は光格天皇と同母弟の盈仁法親王であり、当院と皇室は深い関係であった。」

・・いろいろ興味深いが、役の行者の関わりが大きいようだ。

この道興。おもしろいのは国分寺の恋ヶ窪、新座の平林寺野火止にも訪れがある。

・・此の関をこえ過ぎて、恋が窪といへる所にて、

   朽ちはてぬ名のみ残れる恋が窪今はたとふも契りならすや

・・此のあたりに野火どめのつかといふ塚あり。けふはなやきそと詠ぜしによりて、烽火忽にやとまりけるとなむ。それより此の塚をのびどめと名づけ侍るよし、国の人申し侍りければ、

   わか草の妻も籠らぬ冬されにやかてもかるゝのひとめの塚

632秋魚:2016/02/01(月) 22:11:49
(無題)
・・猿橋といえば、見外。

岨の雨山吹しほるたはみかな  (越後)
ちる雪や曳た小松のひと風情  (家づと)

小林見外は江戸菊守園の主。猿橋産で当地に句碑もある。

宗祇の号に、自然斎・種玉庵・見外斎。この見外斎から倣ったものであろう。

633秋魚:2016/02/08(月) 20:30:28
(無題)
・・寒中、ひさびさの都心サイクリング。うっすら雪化粧の山並みから湿り雪といって道路にはつもらない。満を持しての浅草、隅田川千住木母寺、そこから南に川を下って深川芭蕉庵跡、万年橋、清澄庭園近くの禅師仏頂ゆかりの臨川寺、他はわき目も振らず朝8時すぎに出発した。青梅から多摩川サイクリングロードにでて古巣の国立までゆき中央線沿いに国分寺三鷹このあたりから青梅街道を走るという構想だったが、川沿いの道は雪がありそうであきらめ。ひたすら青梅線と中央線に沿った道を選んだ。先日新座平林寺をめざした道とほぼ一緒。自転車のチェーン周りの掃除をしてブレーキ調整もした。そのおかげで踏み足は軽い。立川国立あたりまでゴミゴミした道もここらはお手の物。ただし風が異様に冷たい。三鷹あたりから五日市街道か青梅街道にでるのを交番で尋ねた。環八か環七にぶつかるまでひたすら直進せよということだったが、早めに青梅街道を選んだ気がする。青梅街道をまっすぐ行けば新宿にでるのは知っていた。しかし今回は上野のむこうの浅草隅田川にゆきたい。どこかしらで飯田橋へゆく道に切り替えた。そうこうして大久保通りから後楽園にでた。ここの春日通りをゆけば上野、浅草は簡単だ。ここもよく知っている。はじめての道だが土地感がはたらいて最短距離で隅田川の厩橋まで来た。・・中野から新宿に近づく道は車道は危険。バスなどの大型車がスッと後ろから来ることがある。実は帰り一度だけこわい思いをした。こう書いている今は自転車も自分も無事故であったのを喜びたい。

・・浅草寺の後ろにあった新吉原の町跡をみたかったが今回はパスして隅田川の上流へもう千住といって合流する荒川に近いところ。梅若橋の木母寺をめざした。言問い橋は業平橋のことだろう。白鬚橋からもうひとつが梅若橋。ここだ。しかしまるで人気がない。寺ばかりは近代的にぴかぴかしていた。

隅田川沿いにある桜堤公園をずっと上流へ走る。桜の花の季節はほんとによい花見ができそうだ。川船に乗って遊覧するのもおもしろそう。しかし今は風が冷たい。人通りも多くはない。言問い橋を越えたあたりでキャッキャッ白い鳥が群れ騒いでいる。これが都鳥かともいぶかったが、それにしても群舞して風情がない。・・梅若橋の袂近く木母寺がある。石碑がやたらたくさんあって由緒が多いらしいがつきあってられない。・・梅若丸の歌がある。

尋ね来て 問はは応へよ都鳥 墨田川原の露と消へぬと

哀しいお話があるという。

京都五山の僧万里の「梅花無尽蔵」にも訪れがしるされている。木母寺の木母は、梅の字を解体して木母としたという。梅にたいへん縁がある。また「廻国雑記」を書いた道興もここを訪れた。・・梅若塚は謡曲「隅田川」によってよく知られている。

・・さてここは訪れるだけで充分。すぐに踵を返して下流の両国、深川芭蕉庵跡の方へ向った。ほぼ川に沿った道で気は楽だった。

・・芭蕉翁史跡展望庭園に寄ってみた。隅田川と小名木川を望む河岸の一角。中央にある翁像はゆかしいものだ。芭蕉の像はたいてい小川破笠の絵をもとにつくられている。説明書きを読み忘れたがこれも破笠の絵から面相をつくっていると思われる。「・・小川破笠(1663-1747)は芭蕉門の俳人で絵をよくした。寛保元年(1741年)、師匠であった芭蕉の肖像画を描いている。実際に芭蕉と親しく接していた者による肖像画だけに、芭蕉のおもかげを最もよく伝えるものであろう。」

・・ほかに小名木川に舟を浮かべ五本松を眺めながら詠んだ句がある。

川上と この川下や 月の友    はせを

・・この深川にいて、川上と川下の雅趣を思いやるというのは、発見。
「・・今宵月の夜に私は五本松のあたりに舟を浮かべて月を眺めているが、この川上にも風雅の心を同じゅうする私の友がいて、今頃は私と同様にこの月を眺めていることであろう」

これで、支考の墨直しの碑の文の意味もすこし解けてくる。

・・小名木川と隅田川にあたるところ万年橋がある。ここは以前訪れたこともあり、ここから清澄庭園の方へ向う途中に仏頂禅師のいた臨川寺があるはず。果たしてせまい一画だが寺はあった。臨済宗妙心寺派の寺だ。中に入るとおもしろいように石碑が並んでいる。芭蕉由緒の碑、墨直しの碑、玄武仏碑、梅花仏碑、の四つ。ほとんどこれらの碑が売りですね。とくに注目すべきは、墨直しの碑。これは京都東山双林寺にある墨直しの碑を、神谷玄武坊が碑文等そのまま写したものだ。銘文の一部を引く。

「・・あづさ弓 武さしの国の 名にしあふ 世に墨染の 先にたつ
人にあらずに ありし世の 言の葉はみな 声ありて その玉川の
みなかみの 水のこころぞ 汲てしる 六すじ五すじ たてよこに
流れてすえば ふか川や この世を露の おきてねて その陰たのむ
その葉だに いつ秋風の やぶりけむ その名ばかりに とささをきぬ」

・・支考の文で、武蔵の国の流れる川を「玉川」ひとつに代表させている。

・・おそらく芭蕉も支考も隅田川、玉川の上流を訪ねてはいまい。隅田川なら先刻木母寺のもちょっと先で荒川、そこを遡って川越で入間川に分かれる。昔は入間川の方がよく知られていた。浅草はそれなり賑わっていた。「花の雲鐘は上野か浅草か」芭蕉のこの句は花の雲の行方が暗示されている。入間川を飯能の方にたどると成木川に分かれる。これはもう青梅の川だ。・・限りなく多摩川の上流に近づくようだが水源を同じくすることはない。この水源を求むる旅を半分でも試みるものがいたとしたら、それは井月であろう。

・・碑を見学していたら、お若い住職さんに顔が会った。墨直しの碑は戦災で破損し後再建されたもの。それでも碑文は読めない。翻刻したものはありませんか?と尋ねたらパンフがあるという。家の中に入ってしばらくとてもよくできたパンフをみせてくれた。どうぞというので涙が出るほどお礼をいってこれで今日は大収穫。ホテルであきない思考ができる。

・・さてこの後深川稲荷を御参り。清澄庭園をぐるり廻って長岡藩下屋敷の跡地を探した。いろんなお寺が密集した区域がありどうもこのあたりではないか?ずかずか寺の受付で案内を乞うた。がどこも昔のことはわからないということでした。これはあきらめ。

・・永代橋のすばらしい夕景を拝んで兜町のホテルに向った。

634秋魚:2016/02/10(水) 19:58:26
(無題)
・・さて皇居周りからの帰路だ。新宿通りをゆけば南口で甲州街道にでやすい。靖国通りならそのまま青梅街道につながる。これもよく知らなかった。今回は迷わず靖国通りでゆく。毎度だが新宿周辺はいたってあぶない。なんか気が荒いというか。・・青梅街道から外れて五日市街道もしくは井の頭通り、連雀通りなどで国分寺に出れば恋ヶ窪の熊野神社もみつかるはず。一度訪れがあるが地理がまだよくわからない。もう一度再学習。ほんとは昔の道をなつかしみ辿るのは末期症状なのかも。熊野神社の横にあるお寺で敬慕した女流詩人が眠っている。・・借りを返さねば。

ひよろひよろとなほ露けしやをみなへし   はせを

明治7年(1874年)8月、寶雪庵可尊建立。

月花の遊びのゆかむいざさらば

 寶雪庵可尊(坂本八郎兵衛)は、明治19年(1886年)に88歳で亡くなったが、その辞世の句を門人たちが明治30年(1897年)に建てたもの。

明治12年(1879年)、『故郷碑』(宝雪庵可尊輯)。

・・この宝雪庵可尊という俳人を実は追っている。

何鳥か寝た影丸し月のうめ   可尊(井月編「家づと集」1864年)

「芭蕉の正統蕉門がここに」・・国分寺恋ケ窪出身の坂本八郎兵衛は、ひょんなことから芭蕉の正統蕉門である江戸牛込の宝雪庵に弟子入りした。後に才能を見込まれ47歳で跡取りになると、宝雪庵六世可尊として江戸末期の俳壇で活躍している。1869年に恋ケ窪に戻ると、地元の青年たちに俳句を広めた。

・・井月が可尊に知己を得て句を交換したとしたら、恋ヶ窪でなく新宿の牛込ですね。井月が新宿に出ていたというのは、めずらしい。新宿は甲州街道、青梅街道の出発点ですから、井月も歩いたはずだ。おそらく宝雪庵という俳諧の縁で知り合ったと思われる。・・このとき句を交換するばかりでなく、可尊の故郷の恋ヶ窪の話も聞いたでしょう。聖護院門跡の道興の訪れがあると。恋ヶ窪、武蔵野平林寺などは道興の訪れに倣ったとも思える。確証はないが。

・・熊野神社まわりから国立へ向う道がある。迂闊なことだった。遺跡の発掘で昔よく通った道だ。坂道を下ると駅でそこから大学通りをまっすぐ谷保へと向う。この辺は庭だった。南武線谷保駅のすぐ裏の甲州街道沿いに谷保天満宮、それに土方歳三がよく通ったという学問と書の先生本田覚庵の家がある。古民家として今でも残っているという。歳三は石田の渡しを舟に乗らず飛び石を伝って日野の方から来たそうだ。本田覚庵というのは獣医だが、米庵流という幕末三筆のひとつを汲んでいる。この米庵流、井月もすこし知っている。すぐ近くが谷保天満。・・本田覚庵の家。これはびっくり。なんと以前何年も住んだわたしの下宿の目の前にある。春は桜、ほかに槻の木とか、梅、木立の異様な景状がいつも気になっていた。・・ここに歳三がよく訪れていたとは。

635秋魚:2016/02/11(木) 23:18:42
(無題)
・・宮ノ平から多摩川を渡り吉野街道にぶつかる辺り、街道を離れて梅ヶ谷峠へ向う坂道がある。暗い陰鬱な道だがここを行けば日の出町に入れる。中曽根総理とレーガン大統領が会談した日の出山荘というのがある。この山荘には興味もなかったが今日はこの道から日の出に入ってつるつる温泉にゆくことにした。秋川街道から入ってつるつる温泉には何度か訪ねた。二回ほどか。車がよく来る梅ヶ谷峠はアップの坂が長く青梅と日の出の境の峠で特に標識もない。この坂を登りきってしまえば急にのどかな風景で自転車も楽だ。梅の花もちらほら咲いている。・・日の出山荘にゆく道はまた別に分かれる。気が重いが行けるところまで行くことにした。山懐という風で着いてみるとかなりの敷地にいろいろ屋敷があるようだ。大統領や各国の要人を招くほどだから接待は万全なのだろう。単純な山小屋を想像していたのでなるほどと思った。今は入館料をとる名跡になっている。

・・ここから坂道を下って一路つるつる温泉に向った。一度秋川街道にでて萱窪というところまでゆく。そこからまた西へ平井川という川沿いの道をどんどん行くと急な坂道になる辺りでつるつる温泉がみえる。昔はこの道と坂がたいへんなものに思えたが今はどうということもない。ほどなく着いてしまった。・・ひさしぶりに来てみると建物は変わってないのだろうけどよく整備されてきてるようだ。源泉ばかりでアルカリ純度の高い単純泉。これも売りで変わらない。瀬音の湯とほぼ同じ。向こうのほうが新しい分湯は上質に感じた。温泉も時がたつと消耗劣化というのがあるようだ。しかしここはそれはない、いい温泉だ。長湯をして湯あたりをしないようにと注意もある。湯あたりは自分も一回したことがある。潜水病高山病みたいなもので回復がなかなか来ない。たいていは救急車を呼ぶようだ。自分の時はなんとか自力で回復させたけれど。・・さてここのレストランも充実してきてる。食でいい想いがないと、口コミもさんざんになるからどこも力を入れてるようだ。つるつるも前回よりたいへんな向上をみせた。釜飯ご飯を注文。

・・さて帰り多摩川の永田橋までつづく道がある。陰気な秋川街道を避けてこの道から滝山街道にでて迂回して帰ることにした。どんどん行くと途中裏道にもまわりお寺がけっこう多い。・・東光寺という禅寺がありその上の山には妙見宮というのがあって山頂まで参道が長くみえる。麓で若い娘さんが登ってきたので妙見宮のこと聞いてみた。娘さんもはじめてでよく知らないという。見に行くのですか。それでは一緒に行きましょう。そういって急な参道を登っていった。

636秋魚:2016/02/21(日) 22:41:47
(無題)
・・加舎白雄「武蔵野行脚」に、霞川という川原に遊びてとある。「思ひしほど霞まぬもよき川瀬哉」と句を詠む。かすみ川というのはどこにもありそうな名でもしやと思い青梅の田園を流れて狭山入間から入間川に合流する霞川のことと思いついた。・・以前東青梅の上流から入ってカワセミやコサギなどいるサイクリングロードを川沿いにどこまでも追っていこうとした。結局この日は武蔵村山に用事かあって途中断念したけれど、今日こそとことん追って入間川へ合流する河口を見るつもりだ。白雄が訪ねたのは青梅の霞川にちがいないなど変な確信をもった。

・・青梅マラソンがあって街道にのぞんだが、丁度スタートの号砲が鳴ったばかりらしい。続々とランナーが走ってくる。エントリーは何千人か何万人か。ともかく人が多い。参加するランナーを見て思ったが、けっこうな年輩の人が多い。大丈夫かなと見える人もいるが、たぶん大丈夫なのでしょう。自転車なら年いってもいける。走るのはどうですかねという気もする。走るのが好きな人も多いか。

・・霞川はやはり生活水が流れるのかすこし濁りが目立った。魚も水鳥もみえる川だから昔は清らかな川だったのだろう。今でもカワセミが見られるというが。サギとツルの区別もつかない。きょうはツルに似た鳥がいた。写真を撮ろうとかまえると羽根を広げて飛び去ってゆくのはいつものこと。カモは遊んでいるから人見知りはないようだ。ツルはむずかしい。

・・青梅の端に入間の金子という土地に入る。この向こうに丘陵がつづき土地の人に聞くと加冶丘陵というらしい。そのむこうに入間川も流れているはずだ。井月三部集に載る野井という俳人はこの金子の出身。後江戸にでて本町二丁目に住む。新吉原の妓楼の主人海老原新甫とは仲のよい俳人仲間。・・井月は野井の故郷を訪ねたかもしれない。入間川を遡って霞川に沿って来たか、青梅街道を西へ進みすこし北西に外れればもうこの霞川あたりまで来れる。・・塩船観音寺、真浄寺はその先、霞丘陵の麓にある。

何処やらに鶴の声聞く霞かな

・・霞川に沿った道というのは一本道でない。あれこれ迂回しながら行くしかない。合流点に近づくにつれ川幅も広くなってはきている。水鳥はあちこちよくいる。江戸の頃はのどかなよい川だったのだろう。・・入間川にだいぶ近づいたあたりで地形が入り組みついに川に沿って河口にでるのをあきらめた。先に入間川の岸辺にでてみることにした。ガソリンスタンドで道を尋ね、なんとか広瀬橋という大きな橋のあるところに出た。はー入間川はやはり広く大きいか。すこし上がったところに霞川の河口がみえる。・・青梅丘陵からでた霞川がこんなところまで延びて入間川にそそぐのは確認して安心できた。飯能狭山入間と青梅瑞穂の境目にいくつか緑の多い丘陵がある。その丘陵の南がわの手前に流れるのが霞川。たいした川ではないがこれに沿って霞丘陵まで上がるのが、よいサイクリング。

・・入間川というのは昔からある。よく洪水で氾濫する川だ。実際川越あたりは堤防脇はひどく低地になっている。広瀬橋を渡ると広瀬神社があり埼玉でも有数の古い神社という。ケヤキの神木の古いものがありたしかに古そうだが、文人墨客はあまり訪ねてもいなさそうだ。江戸の頃地元の俳句連が寄せた句碑があったが、芭蕉などの句碑はない。(あとで調べたら「ものいへば唇寒し秋の風」の句碑があるとのこと)・・梅の木は古木になると竜のようによじれてくるという。そういう古い梅ノ木があった。

・・この広瀬神社よりすこし入間川上流にあがると笹井白鬚神社があるはず。実はここを訪れたかった。聖護院門跡道興が『廻国雑記』でやはりここに寄っている。当時(室町時代)は佐西といって観音寺というお寺であったらしい。ほかに芭蕉の句碑がある。

武蔵野や一寸ほどの鹿の聲

芭蕉32歳の時の作。芭蕉も広い武蔵野の鹿のいるようなところまで歩いたか。江戸にでて二三年のこと。

637秋魚:2016/03/01(火) 00:26:04
(無題)
湯原王の七夕(しちせき)の歌二首
牽牛(ひこほし)の思ひますらむ心より見る我苦し夜の更けゆけば(万8-1544)
織女(たなばた)の袖つぐ宵の暁(あかとき)は川瀬の鶴(たづ)は鳴かずともよし(万8-1545)

湯原王の鳴く鹿の歌一首
秋萩の散りの乱(まが)ひに呼び立てて鳴くなる鹿の声の遥けさ(万8-1550)

湯原王の蟋蟀(こほろぎ)の歌一首
夕月夜(ゆふづくよ)心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも(万8-1552)

湯原王の吉野にて作る歌一首
吉野なる夏実(なつみ)の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山陰にして(万3-375)

なつみ川かはおとたえて氷る夜に山かげさむく鴨ぞ鳴くなる(伏見院[新後撰])
春もなほなつみのかはのあさ氷まだ消えやらず山かげにして(西音[玉葉])
わきて猶こほりやすらん大井河さむる嵐の山陰にして(基嗣[風雅])
なつみ川こほりかねたる早きせをうきねの床と鴨ぞ鳴くなる(宗良親王)
なつみ川山陰にして見し雪ののこるがさくか岸の卯花(正徹)


湯原王の娘子に贈る歌
目には見て手には取らえぬ月の内の楓(かつら)のごとき妹をいかにせむ(万4-632)


*湯原王

志貴皇子の子。兄弟に光仁天皇・春日王・海上女王らがいる。

・・

秋萩の散りの乱(まが)ひに呼び立てて鳴くなる鹿の声の遥けさ

なつみ川かはおとたえて氷る夜に山かげさむく鴨ぞ鳴くなる (伏見院)

・・

638秋魚:2016/03/12(土) 01:11:15
(無題)
おく山のおどろがしたもふみわけてみちある代ぞと人に知らせむ  後鳥羽院


・・も・ふみわけて・みち

これは紅葉を踏み分けるか。紅葉を切っています。


見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となにおもひけん  後鳥羽院


1.雪ながら山本かすむ夕べかな  宗祇
2.行く水とほく梅にほふさと  肖柏
3.川風に一むら柳春見えて  宗長
4.舟さす音もしるきあけがた  祇
5.月や猶霧わたる夜に殘るらん  柏

・・

徐に柳のかぜや小鮎くみ   井月


これは水無瀬三吟にならえば、第三の宗長ですな。


・・

「梅にほふさと」は、

639秋魚:2016/03/16(水) 00:48:03
(無題)
・・ のーまく さんまんだー ばーざらだん せん だー まー か ろ しゃーだー
そわ た や うん たら たー かん まん

・・成田山新勝寺(以下「成田山」)の歴史は古く、御本尊の不動明王像は平安時代の初め、嵯峨天皇の勅願により弘法大師自らが敬刻し開眼したものと伝わります。その後は長らく京都の高雄山神護寺に奉安されていました。この御尊像が、はるか東国の下総国成田に遷座されることになったのは、朱雀天皇の天慶2年(939)に起こった「将門の乱」のときです。朝廷は真言宗の高僧寛朝大僧正に神仏の力による将門の調伏を命じました。そこで寛朝大僧正は、神護寺の不動明王像を奉持し、現在の成田の地に不動明王像を祀り調伏の護摩を修したのであります。

よみ倦ぬ青梅どきや三国志

三国志ノ内
一踊りして来て酒の未だぬくし
張飛
蟷螂やものものしげに道へ出る

よみ懸し戦国策や稲光り


・・江戸は芭蕉と将門ですな。

神田明神には、将門塚がある。

640秋魚:2016/03/18(金) 01:48:42
(無題)
・・都幾山慈光寺が気になってたが、予定変更。もうすこし手前の越生梅林にサイクリング。飯能−寄居線という県道、ほぼ八高線に沿っている。飯能まではほんとうに楽になった。ただし小曽木街道はそれほど広くないし、ダンプも時々来る。だいぶ勝手がわかったから飯能市街には一時間とすこし、そこから宮沢湖までももう馴れた。日高高麗川あたりやはり大型のダンプなど来るさほど広くない県道をなんとか抜ければ毛呂山あたりでよい道になる。・・実はこの道でかける前の印象ですこし気が重くなる。アップダウンが多いというわけではない。前回の走りの記憶を消してからでないとでかける気もしない。

・・毛呂山まで来たら、新しい村の記念館があるという看板。いまどき白樺派ですかね。たぶんこの時代でもっとも流行らない思潮でしょう。生ける化石か。トルストイの影響があるとか。武者小路実篤とかも、正直気が重い。・・街道をそれて700mとか、きょうはここへ立ち寄ることにした。・・ほんとうに新しい村なんど有るのかよ。単線の線路を渡って、どうやらその村の敷地の中に入った。や、や、や、意外とおもしろい。詩碑などがあちこちあるのは想像した通り。茶畑やソーラーパネルなどもあって、今でも新しい村の住民活動は続いているようだ。きれいごとの文句ばかり散りばめられていて、これは一種の宗教の様。古い井戸とか建物も時代がかったものだ。・・一応美術館らしきがあって入館料二百円払って訪ねてみた。ほとんど武者小路さんの絵とか書とか詩とか飾ってあって、タイムスリップみたいなのは、でもしきりにそれを拒む自分も居て、やはりついていけない気にもなる。

・・新しい村は宮崎の日向ではじめられた。七年あってダムの建設でやむなくこの毛呂山へ移動。日向では実篤さんも生活してたが、この毛呂山には住まなかったという。晩年の二十年は都内の調布が住まいだった。この新しい村は主旨に賛同する仲間が続けているという。なんか活気もないけど大丈夫なのか。気づかっても仕様もないのでここを去って越生に向うことにした。

・・毛呂山から越生に向うにしばらくいくと、山の方へ道がわかれる。越生の梅林にゆくにはここで折れた方が良いのかあたりに尋ねる人もいない。角にある何か野菜の仕分け場みたいなのがあって、引き戸をあけて、なんとか尋ねる人をみつけた。仕事中で悪いとは思ったがもはや手は無い。土地の人はやはり詳しい。道を曲がって道なり真直ぐ行けばよいとのこと。街道は細くなるが、あとは人に聞き聞き進んだ。ひとつ由緒ありげな寺に寄った。参道に無人の野菜売り場があって夏みかんがよさそうだった。帰りに寄ることにした。・・梅林まで山懐の里のようでけっこう距離がある。近づくと梅ノ木が多くなる。なんか整然とした梅林ですこし期待はずれ。せっかく来たからにはと入園料三百円払って中にはいる。青梅の梅の公園の方がおもしろいか。いろいろ変化に富んでいる。しかし今は無い。今年は暖冬でもう梅の花も盛りをまわったか。それでも中には人も多い。お昼時でうどんと梅酒を注文。枝垂れ梅のいいものもある。古さを誇る梅もあったが花は終わっていた。猿回しの大道芸とか、みせものも多い。・・さて梅林をぬけて、このまま帰るのもどうか。太田道真の隠棲した館があるはず。宗祇が訪ねて来ているはず。龍・・寺とか名前が思い出されず。それでも人に聞いたらリュウオンジ、龍穏寺という。太田道潅の墓があるらしい。ここに向った。

・・越辺川はオッペガワという川沿いに山懐へおよそ6キロの道のりだ。途中いって人はまったくいない。やめたくなった。とくに上り坂が続くと、リタイヤしたくなる。・・ここからがいつもの性分、ここまできて引き返す手は無い。龍穏寺まではなんとしてもゆく気になる。もしここであきらめると一生の後悔になるやも。とまあいい加減な理由でがんばる。坂がどんどん山猫軒というカフェが近い。最後に登りきった坂をもう一度大きく降ってゆくと、急に明るく開けて村もお寺も見えてきた。まさに隠れ里です。

・・「縦有千声尚合稀況今一度隔枝飛誰知残夏似初夏細雨山中聴未帰」

たとえ千声あるともなお合うこと稀なりいわんや今一度枝を隔てて飛ぶおや誰か知らん残夏の初夏に似たるを細雨山中に聴きていまだ帰らず
                 万里集久【梅花無尽蔵(二)

・・1486年、太田道潅と万里集久が道真の居館「自得軒」を訪れた。その時の集久の詩という。

・・その46日後の七月二十六日、道灌は主君・扇谷上杉定正によって相州糟屋館で謀殺される。

641秋魚:2016/03/22(火) 00:46:20
(無題)
地「潮満潮干二つの玉を。/\。釣針に取
り添へ捧げ申し。舞楽を奏し。豊姫玉依。

袖をかへして。舞ひ給ふ。天女舞「。
地「いつれも妙なる舞の袖。/\。玉のか
んざし桂の黛。月も照り添ふ花の姿。雪
を廻らす。袂かな。
シテ「わたづみの宮主。舞働。地「姿は老龍
の。雲に蟠り。かせ杖にすがり。左右に返
す。袂も花やかに。足踏はとう/\と。


・・「玉井」vs「紅葉狩」

雲に嵐の声すなり。
散るか正木の葛城の。神の契の夜かけて。
月の盃さす袖も。雪をめぐらす袂かな。
堪へず紅葉。中ノ舞「。
シテワカ「堪へず紅葉青苔の地。地「堪へず紅葉
青苔の地。又これ涼風暮れゆく空に。雨
うちそゝぐ夜嵐の。もの凄ましき。山陰
に。月待つほどのうたゝ寐に。かたしく
袖も露深し。夢ばし覚まし。給ふなよ夢
ばし覚まし給ふなよ。来序中入間「。
ワキ「あらあさましや我ながら。無明の酒
の酔心。まどろむ隙もなき内に。あらた

なりける夢の告と。地「驚く枕に雷火乱
れ。天地も響き風遠近の。たづきも知ら
ぬ山中に。おぼつかなしや。恐ろしや。
歌「不思議や今までありつる女。/\。と
り%\化生の姿をあらはし。あるひは巌
に火焔を放ち。または虚空に焔を降らし。

642秋魚:2016/03/25(金) 01:23:26
(無題)
 姨捨山

  俤や姥ひとりなく月の友

 姨捨山

 俤や姥ひとりなく月の友

? いざよひもまだ更科の郡かな  いざよひもまださらしなの郡哉

? 更科や三よさの月見雲もなし 越人
? ひよろひよろと尚露けしやをみなへし           尚

 ひよろひよろとこけて露けしやをミなへし

? 身にしみて大根からし秋の風
? 木曾のとち浮世の人の土産かな  (よにおりし人にとらせん木曾のとち)

 木曾のとちうきよの人のミやげ哉

? 送られつ別ツ果ては木曾の秋
?? 身にしミて大根からし秋の風

?  善光寺

  月影や四門四宗も只ひとつ

 善光寺

 月影や四門四宗も只一

? 吹とばす石ハ浅間の野分哉?? (秋風や石吹颪すあさま山)

   落

 (吹颪あさまは石の野分哉)

   とばす ハ

 吹(落す)石をあさまの野分哉


・・「更科紀行」 本文と真蹟草稿こきまぜると迫力があります

・・将門の太刀のごとく三日月のごとく。両刃の剣ではありません。

643秋魚:2016/03/25(金) 03:13:31
(無題)
芭蕉庵「三ヶ月日記」素堂序

我友芭蕉の翁、月にふけりて、いつはとはわかぬ物から、ことに秋を待わたりて、他の求めなし。・・・

・・・初秋はくれぬ。中の秋に至りて、はつ月のはつかなる比より、夜毎に名月の思ひをなしくもりみはれみ扉をおほふことまれ也。我庵ちかきわたりなれば、月にふたり隠者の市をなさむと、みづから申つることぐさも古めきて、入りくる人々にも句をすゝむる叓になりぬ。昔より隠の実ありて、名の世にあらはるゝ叓、月のこゝろなるべし。

隠にしてすゞむも哀三かの月   素堂
三か月や地は朧なる蕎麦畠    芭蕉
影ちるや葛の葉裏の三かの月   杉風

・・・

三日月はこの杉風の第三までに尽きると思うが、如何。

羽黒山の呂丸に託して、後支考が死の前年(1730)に一巻の書として開板した「三日月日記」。

翁の遺状によれば真正な「三日月日記」は伊賀にあるという。が、これはfakeであろう。

・・

鶴岡にある草稿と支考の板本とはいくつか異同あり。

・・「三日月日記」は図書館から借りたものだが、予想期待に反して大部は読めないものだった。「隠にしてすゞむも哀三かの月」素堂の句は、板本では「隠にして進むも哀三かの月」とあり支考の歪曲がめにつく。・・支考はこういう細工をするものと理解する格好の書物か。

・・芭蕉は「更科紀行」などと同じく草稿のまま未完成に残して他の心ある弟子に作品の成立を委ねたのではないか。推敲の過程をそのまま残すそれが本来の作品のすがたともとれる。三日月日記という未完の部分を残して秘すことを意図した。

・・お調子者の支考はそのあたり曲解とみる。

644秋魚:2016/03/27(日) 01:42:08
(無題)
・・

Non ce n'est rien qu'une chanson qui revient quelquefois

Rien qu'un sourire, en souvenir d'un garçon d'autrefois

Quand mes jours sont gris

Qu'il neige sur ma vie, il revient dans ma mémoire

Au lycée Français un soir il m'attendait

Il souriait Nicolas

いえ 時々思い出されるのはひとつの歌にすぎない

昔会った男の子を思い出して浮かべる、ひとつの笑みにすぎない

私の日々が灰色のとき、

私の人生に雪が降るとき、彼が私の記憶によみがえる

フランス系のリセで ある夜彼は私を待っていた

彼は微笑んでいた ニコラは

{Refrain:}

Nicolas, Nicolas, ma première larme ne fût que pour toi

On était, des enfants, notre peine valait bien celle des grands

Nicolas, Nicolas, c'était de l'amour, on ne le savait pas

C'est la vie, qui nous prend

Qui nous emmène où elle veut et où elle va

ニコラ、ニコラ、私の初めての涙はあなたのためだけではなかった

私たちは子供でも、私たちの苦しみは大人たちの苦しみと同等だった

ニコラ、ニコラ、それは恋だったのか、私たちには分からなかった

人生は、私たちをとらえ、

私たちを思うがままに運んでいく

Un homme enfant, aux yeux trop grands, sur un quai, qui pleurait

Il a neigé, beaucoup depuis, sur là bas, sur Paris

Et il ne sait rien, de moi et de ma vie

Ce que je fais, qui je suis

Il ne connaît pas, l'autre Maritza, il garde la vraie là-bas

子どもっぽい男が、駅で、とっても大きな目に涙を浮かべていた

その後、雪がたくさん降った、あちらでも、パリでも

そして彼はいま私について、私の人生について何も知らない

私が何をしたか、何であるのか

彼は別のマリヅァを知らず、彼はあちらで本物を守り続けている

Nicolas, Nicolas mon premier chagrin s'appelle comme toi

Je savais, que jamais, je ne reviendrai ici auprès de toi

Nicolas, Nicolas c'était de l'amour, on ne le savait pas

C'est le temps, qui s'en va

Qui invente toutes nos peines et nos joies.

ニコラ、ニコラ 私の最初の悲しみにはあなたの名前がついている

私はわかっていた、けして、ここへあなたのそばには戻らないだろうと

ニコラ、ニコラ それは恋だったのか、私たちには分かっていなかった

時は、過ぎて行き

私たちの苦しみや歓びをすべて創り出す

645秋魚:2016/03/29(火) 02:35:00
(無題)
・・このところ自治会の仕事をふりむけられてきて、今日は近辺のパトロールコースを下見した。自転車で遠出をして身近なところはいつも通っているはずだが、意外と盲点になっていて知らない道と場所が多い。

・・吉野街道に沿った裏道は山の斜面にも沿ってアップダウンの坂が入り組んでいる。さながら迷路のようだ。柚子、夏みかん、カボスとか柑橘が取り入れもなされずそのまま熟して落下しているのもよくみかける。先日越生に行った時は、無人の里でひとつ柚子をみやげにもらった。家で料理につかったが、いいものだった。

この地域やはり外にでないと何も起こらない。

吉野街道から川にむかって降りてゆく道があった。まあほんとに細い道。突き当たりの家などたぶん廃家でしょう。いろいろ草木の茂った道を下りてゆくと、いつもは万年橋の上から眺める多摩川の河原にでた。夏ならばここで川遊びもできるでしょう。いまは無人です。

・・これから草木も芽吹いて繁茂すると歩きにくくもなるだろう。斜面の草木の道に、赤い実のなるのを見つけた。これって千両とか万両とかじゃなくて、アザカではないだろうか。



木天珠(プンテックビーズ・木化石)の由来
エッチドカーネリアン

インダス文明期に、発見された技法により生まれたビーズエッチドカーネリアン。
天然石のカーネリアン(紅玉髄)にアルカリ性の溶液で人為的に模様付けをしたビーズです。
ナトロン(天然ソーダ)でカーネリアンの表面に様々な文様を描き、300度〜400度の熱で低温焼付けしたものです。
アルカリによる腐食加工で模様付けすることををエッチングと呼ぶことから、エッチングされたカーネリアンという意味の「エッチド・カーネリアン」と呼ばれます。
塩生植物の灰には、酸化ナトリウム(Na2O)が多く含まれ、その灰汁(あく)を煮詰めれば、玉髄を腐食する強いアルカリ液が出来ます。
エッチド・カーネリアンの登場には、石英と強アルカリ液(ソーダ灰の原料)、すなわちガラスの原料が関わっていたのです。
ヒマラヤ圏で見られるエッチドカーネリアンはチョンジーと同様の単純な文様が多く、チベット圏ではチョンジーと呼ばれジービーズファミリーの1つとされております。
エッチング技法は、インドの近隣国にも伝わり、ビルマ(現ミャンマー)のPYU(ピュー朝4世紀〜832年)では、化石化した木(オパール)に対してエッチングが行われました。
このビーズはPumtek Beads(プンテックビーズ)と呼ばれています。

646秋魚:2016/05/01(日) 07:54:30
(無題)
・・そろそろロングライドがうずく。青梅街道を甲州にぬける柳沢峠越えが目標だ。奥多摩からならクロスバイクでぬけるのも可能か。ネットの記事ではたしかに壮絶そう。丹波山村までは一度経験した。トンネルがいくつもあるがなんとかクリアできそう。奥多摩湖から離れて丹波山方面に向う登りスロープが実は顎がでる。のめこいの湯が目標だったからここもクリアした。・・その先が苛酷だという。シミュレーションではここ道の駅で小休憩。到着がはやく体力に余力があればそのまま丹波渓谷に向う。だんだらで30キロほど走らねばならない。柳沢峠で一休み。富士がみえればよい。・・ここからが大変。千メートル以上の落差のダウンヒルが待ってる。

・・シミュレーションはやめて近場のまだ見ぬ花の道を訪ねた。青梅杣保の霞丘陵と真浄寺。しぐれ桜を見てみたい。


・・ところで、桜ではなく梅。

 一華開五葉 結果自然成

これを水無瀬三吟何人でみると、


雪ながら山本かすむ夕べかな        宗祇

行く水とほく梅にほふさと         肖柏

川風に一むら柳春見えて          宗長

舟さす音もしるきあけがた          祇

月や猶霧わたる夜に殘るらん         柏


・・梅花の五葉がみえますか?

647秋魚:2016/04/13(水) 01:41:31
(無題)
聖霊院の前では、鏡池が水をたたえています。明治の昔の頃はこの池のほとりに茶店があり、ここで一休憩した正岡子規が即興で詠んだのが、あの有名な俳句です。
「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」



・・

648秋魚:2016/04/13(水) 22:40:30
(無題)
・・江戸武蔵野の怨霊はなんといっても平将門。いつの時代もこの霊が跋扈してると思って間違いない。深川芭蕉庵あたりにも必ず。日本史の大きな流れの中では聖徳太子が第一の怨霊の雄だ。甲斐の黒駒に乗って富士山を踏破したなど霊は神出鬼没。鬼霊だが悪霊か善霊かはわからない。平将門は鬼霊。太子は聖霊。ということにしておく。

・・法隆寺聖霊院。1284年(弘安7年)・・建て替えられたという神殿づくりの建物の中には、黒漆で仕上げた大きな厨子が3つ造り付けてあります。そのうち真ん中の厨子におさめられているのが、聖徳太子像。
・・45歳のときの姿を表したものと言われますが、重要な神事の際に用いる冠、巾子冠(こじかん)を頭にいただき、儀式用の笏(細長い板)を両手で抱く束帯姿

1284年。ドイツ・ハーメルンで約130人の子供が集団失踪(ハーメルンの笛吹き男のおこり)

・・4体の侍者像の他に、附(つけたり)として「木造蓬莱山及亀座付の銅造観音菩薩立像」がある。

これは聖徳太子像の、いわゆる「胎内仏」


・・後鳥羽院(1180-1239)

1284年は、院46回忌。

649秋魚:2016/04/15(金) 19:52:42
(無題)
・・義姉が逝去した。ぽつりぽつり故ある人が去る。

・・物理の労働がひさしいので、お天気もよく、自転車の解体−組立てを試みた。世の憂さ人の憂さを忘れるにはこれが一番。このハヤブサ号もう何年目になるのだろう。そろそろ本体の劣化疲労が来る頃だが。一応のブランド品でフレーム、ギア等はしっかりしている。・・Vブレーキの解除。レリーズも解除。前輪後輪の外しにかかる。ここまでは実はお手の物。後輪のギアチェーンの掛りはさほど恐くなくなった。フレーム本体を逆さまにしてあちこち調整清掃をした。フロントギアのところで乗車中変な音がするので何かと思っていた。ギアチェンジするパーツのネジが二本浮いて緩んでいたのを発見。+ドライバで締める。なるほど音が消えた。あぶないな。このまま放っていたらチェーンのネジが磨耗して急にぷっつん切れたりするだろう。手馴れた人はチェーンの長さも替えられるし、ギアの調節もたやすい。自分はあいかわらず素人です。

・・今年はもうひと踏張りハヤブサ号には頑張ってもらう。ブレーキが大切だ。輪行のためにエンド金具の取り付けも試みた。実は昨秋以来ですっかり忘れている。前回は固定の締め付けが甘く何度か車中でへたってしまった。袋にうまく収めるのでせいいっぱい。こんどはうまくやりたい。で、袋詰めは今回はやめてすぐ組立てにはいった。後輪のチェーン部分すんなりいかずもなんとか復旧する。前輪の据付はネジの回し方で車輪のセンターがずれるので細心の調節になる。これは失敗して試行錯誤の経験が生きる。リアブレーキの復旧も実はちょいむずかしい。ワイヤの長さが狂ったりするからだ。これも経験済。

・・祖父が法隆寺金堂古材から彫り起こした聖徳太子像が手元にある。太子千三百回忌の御会に下賜された真正の古材だ。博物館の科学班の方はそれは科学的な証明はできないという。
・・聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) - 推古天皇30年2月22日(622年4月8日)。1921年(大正十年)が太子千三百回忌。・・この木像の開眼式は、法隆寺聖霊院で行われた。1923年一月十八日。この時のお墨付きの証書が実は先日兄の家から出てきた。聖霊院で開眼式が行われたなどやはり特別な彫像であろう。

・・法隆寺の創建者聖徳太子の住まう聖霊院は、実は、鎌倉時代1284年に造られたもの。が、ここは特殊な場所だ。平安末期から鎌倉期にかけて太子信仰が盛んになったという。政治的には推古天皇の摂政という以上のものではない。・・摂政で思い当たるのは、この時期、摂政後京極良経。

・・太子信仰というのは、深追いはやめておく。

650秋魚:2016/04/17(日) 15:13:18
(無題)
・・自転車の整備。フロントディレーラのネジを締めたのは失敗。あれは調節ネジだった。おかげでフロントギアがかからなくなってしまった。取説をみて調整したがうまくいかない。駅前の自転車ショップに相談に行く。可動域となんとかで二箇所の調節が必要。18百yenかかるとのこと。・・自分でチャレンジすることにした。

・・ショップの人の話ではネジの調節だけでは駄目ということだった。で結局ネジの調節を再度試みた。すると試し乗りをしてギアチェンジがうまく行くようになった。がどうもしっくり来ない。夜再度の調節。・・翌朝再度の調節。可動ポイントというのがあってここに注油を試みた。するとディレーラの動きが良くなり異音もなくなった。完全ではないがこれが限界か。フロントのギアチェンジはあまりやらない。遠乗りをした時トラブルが無ければよい。

・・すごい地震が熊本大分に起こった。東日本の震災から5年目で九州に来た。津波と原発の事故は無いようだが、マグニチュード7前後のが三連で来た。外人の観光客がぐーんと増えていたもののこれで急減か。東京オリンピックなど関東に来たら最悪だ。

・・阿蘇山は巨大な外輪山をもつクレータ形の火山だ。こんな火山めずらしいのではないか。ここも巨大な隕石衝突があったやもしれぬ。

・・アデン湾にもクレータ形の火山がある。

651秋魚:2016/04/19(火) 22:27:15
(無題)
・・熊本の地震。断層のずれ30キロにおよび2mほど地面が切れている。阿蘇山のカルデラに達しているというからまだまだ恐い。かつてない大地震がこれからやってくるかも。これも朕の不徳にいたすところという元首がいたら涙がでるが。

・・涙といえば、後鳥羽院の歌に

露は袖に物思ふころはさぞな置くかならず秋の習ひならねど

・・この露は涙のことそうです。

乾く間もなく秋くれぬ露の袖   井月

・・いかにも俳句の切れ味するどし。

秋の露や袂にいたく結ぶらむ長き夜飽かず宿る月かな 後鳥羽院

・・院も負けてはいない。露に宿る月なら、いたいか?

・・

652秋魚:2016/04/22(金) 21:17:05
(無題)
・・思考が腐食される風で自転車に乗ることにした。五月には柳沢峠にチャレンジしてみたい。先日調整したフロントギアの様子見だった。コースは玉川上水取水口から多摩川CRをくだり立川日野の橋をわたり土方歳三記念館からモノレールに沿って多摩動物公園、多磨センターまで行きなれた温泉がある。コースはほどよいアップダウンスロープでまったく快適。ここに馴れてしまうと青梅街道など恐くて走れない。・・フロントギアチェンジは完璧。気持ち悪くなるほどよくかかる。購入店の最初の調整なんだったかと思う。リアギアは逆に今ひとつ。ここも自前で調節できそう。復旧不能になりそうでやめておく。・・もう春が進んで新緑の季節。厚着をして出て失敗。出発前の想念と体調はまったくあてにならない。この頑固な想念の切り崩しと体調は新陳代謝の更新です。昔はよかった。

竹芝伝説(「更級日記」より)

・・いかなる所ぞと問へば、「これはいにしへたけしばといふさかなり。国の人のありけるを、火たき屋の火たく衛士(えじ)にさしたてまつりたりけるに、御前の庭を掃くとて、『などや苦しきめを見るらむ、わが国に七つ三つつくり据えたる酒壺に、さし渡したるひたえの瓢(ひさご)の、南風ふ吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくを見で、かくてあるよ』と、ひとりごちつぶやきけるを、その時、みかどの御むすめ、いみじうかしづかれたまふ、ただひとり御簾のきはに立ち出でたまひて、柱によりかかりて御覧ずるに、このをのこの、かくひとりごつを、いとあはれに、いかなる瓢の、いかになびくならむと、いみじうゆかしくおぼされければ、御簾をおし上げて、『あのをのこ、こち寄れ』と仰せられければ、酒壺のことをいま一かへり申しければ、『われ率て行きて見せよ。さいふやうあり』と仰せられければ、かしこくおそろしと思ひけれど、さるべきにやありけむ、負ひたてまつりて下るに、ろんなく人追ひて来らむと思ひて、その夜、勢多の橋のもとに、この宮を据ゑたてまつりて、勢多の橋を一間ばかりこほちて、それを飛び越えて、この宮をかき負ひたてまつりて、七日七夜(なぬかななよ)といふに、武蔵の国に行き着きにけり。・・


・・ここは三田済海寺のあたりか。月の岬もこのあたり。


河陽宮【かやのみや】

嵯峨天皇の離宮。現在の京都府大山崎町にあった。河陽すなわち河の北,淀川畔の風光明媚な山麓一帯の地に営まれ,水瀬(みなせ)などでの遊猟の足場に使われた。のち荒廃し,行幸(ぎょうこう)があれば使用して宮名も存続することを条件に861年山城国府の建物となる。


帰朝の後、筑紫にて、送りに詣(ま)で来たる唐人の帰るにつけて、河陽県の妃の女王の君に   中納言

何にかはたとへて言はむ海のはて雲のよそにて思ふ思ひは

  *

済海寺

済海寺(さいかいじ)は、東京都港区三田四丁目に存在する浄土宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。江戸三十三箇所観音霊場の第26番札所である。札所本尊は亀塚正観世音菩薩。

東京都港区三田四丁目16番23号  位置 北緯35度38分37.4秒 東経139度44分29.3秒

・・更級日記に登場する皇女と武蔵国の武士との恋愛物語である竹芝伝説の「竹芝寺」の跡地に位置する。

・・1621年(元和7年)牧野忠成と念無聖上人によって創設。越後長岡藩藩主家牧野氏や伊予松山藩主家松平氏及びその定府家中が江戸での菩提寺として使用。

・・1859年(安政6年)にフランス総領事館となり、2年後には公使館となって1874年(明治7年)まで続いた。

・・1982年に済海寺にある旧越後長岡藩主家牧野家墓所の悠久山への改葬が行われるが、鈴木公雄を団長とする済海寺遺跡調査団による緊急遺骨調査が行われた。

653秋魚:2016/04/24(日) 17:50:08
(無題)
・・自転車の解体−組立て袋詰めを試みた。フレームに車輪を括りつけて固定するのがひさしぶりでちんぷんかんぷん。なんとか袋詰めまでもっていったがうまくはない。ネットでゴミ袋で代用したという記事があったが、恐れ入る。電車に乗せるには車輪をしっかり固定したい。チェーンの位置は一番軽い位置。インナーロウがベスト。リアディレーラだが逆の位置にして失敗。フレームが汚れてしまった。・・組立てた時後輪のブレーキが偏ってしまった。何故か?クイックレバーの固定位置でも調節できず。調節ネジを動かした。なんとか復旧。・・リアディレーラの調節ネジをすこし動かせて急に不安になった。ディレーラの調節はむずかしい。道路にでて試し乗り。やはりかかり具合がおかしい。すこしすこしネジを回して調節。一度はチェーンが外れたりした。復旧のさせ方もコツがある。あれこれやって深追いはしないことにした。・・ディレーラ調整はむずかしい。

昨日発艸庵
超然欲図南
用之而不勤
我聞之老耽
不急亦不緩
我聞之瞿曇


・・役の行者は母を鉢に載せて唐に逃れたという。隋の敬脱は天秤棒の一方に母を、一方に書物と筆を担って歩き、食事時になると母を樹下に坐らせ、村落に入り乞食をして食料を調え、母に供したという。

654秋魚:2016/04/26(火) 22:36:32
(無題)
・・日本書記の記述によると、木の種類によって、用途が定められているとのことです。
スギとクスノキは、浮宝(船)に、ヒノキは瑞宮(宮殿)、マキは死体を入れる棺として使えということです。法隆寺も薬師寺もすべてヒノキでできているそうです。

>・・法隆寺の伽藍は、1000年から1300年で伐採され、材料になっており、このような長い耐用年数のものはヒノキ以外にない。飛鳥の時代には、樹齢1000年、2000年のヒノキがあった。現在の日本では、木曽の樹齢450年が最高とのことで、これではとても堂塔ができない。ヒノキは、日本と台湾だけのもので、台湾では樹齢2400年から2600年のヒノキがある。」

・・樹齢1000年のヒノキを伐採、材料にすれば、1000年、2000年のものなら2000年もつ

・・大正十年(1921)太子千三百回忌。法隆寺金堂の古材一部取替えがあった。1300年という数に深い意味があるか。

>・・法隆寺の解体修理の時、屋根瓦を取り外すと今まで重荷がかかっていた垂木(たるぎ)が反り返ってきたそうです。昭和17年に五重塔、昭和20年に金堂の解体修理をするまで、創建以来この時まで部分修理はあったものの解体修理はされていません。鉋(カンナ)をかければ1000年以上経った今でも品のいいヒノキの香りがするそうです。

・・夏四月の癸卯の朔壬申に、夜半之後に、法隆寺に災けり。一屋も餘ること無し。大雨ふり雷震る。(670)

「法隆寺は焼けてはいない」

655秋魚:2016/04/30(土) 20:56:26
(無題)
・・自転車の微調整。ブレーキをすこし。ブレーキ鳴きを止めたい。方法は分かっているが、数度使用すると元の木阿弥。角度をつけて強く固定締めすればよいかも。
・・試し乗りというので、霞川サイクリングコースで今井の薬王寺までゆく。つつじはもう外れだろう。東青梅駅の横から成木街道にはいった。途中霞川にぶつかるはず。ここにでると左に折れて水源を遡ることにした。青梅丘陵の下を鉄道公園の方へ。もう細い小川というか水路。しかし水はきれい。さらにつづくが途中でバック。下流をめざした。・・この川やたらと鯉が多い。鴨などの水鳥も多い。天明の俳人加舎白雄がたずねたのはこの霞川であろう。井月もここに入ったか。谷野の真浄寺には必ず来ている。
・・自転車のギアチェンジは完璧。ブレーキももう鳴かない。この状態で奥多摩から懸案の柳沢峠へ。近いうちに。・・伊那にいった時は、予行とか直前まで準備はよくした。今度も最低限体力をつけてのぞみたい。何が起こるかわからない。

・・薬王寺は道に迷って何度か人に尋ねた。おかしなことに谷野の真浄寺と間違えていたり。自分もぼけましたか。・・参道の麓で野菜を売っていたはず。あった、あった。帰りに買おう。薬王寺は開基が鎌倉期末でそれでも本尊の薬師仏は聖徳太子作というが、ほんとかしら。人が多いけど花は盛りを過ぎています。さっと歩いて帰ることにした。・・野菜はエシャレットとラディッシュ。

・・青梅新町の牡丹園に寄った。ここも盛りを廻ったか。


   *

 露とくとく心みに浮世すゝがばや

若しこれ、扶桑(ふさう)に伯夷(はくい)あらば、必ず口をすゝがん。もし是、許由(きょいう)に告げば、耳をあらはむ。
山を昇り坂を下るに、秋の日既(すでに)斜になれば、名ある所々み残して、先ず、後醍醐帝の御廟を拝む。

       御廟(ごべう)年経て忍ぶは何をしのぶ草


やまとより山城を経て、近江路に入て美濃に至る。います・山中を過て、いにしへ常盤の塚有。伊勢の守武(もりたけ)が云ひける「よし朝殿に似たる秋風」とは、いづれのところか似たりけん。我もまた、

       義朝の心に似たり秋の風



・・それにしても気になるのは、常盤の墓。

>・・義経は一連の戦いで活躍をするものの、異母兄である頼朝と対立、没落し追われる身の上となる。都を落ちたのちの文治2年(1186年)6月6日、常盤は京都の一条河崎観音堂(京の東北、鴨川西岸の感応寺)の辺りで義経の妹と共に鎌倉方に捕らわれている。

・・常盤について、その後の詳細は不明である。侍女と共に義経を追いかけたという伝承もあり、常盤の墓とされるものは岐阜県関ケ原町、群馬県前橋市、鹿児島県郡山町(現鹿児島市)、埼玉県飯能市と各所にある。さらに、飯能市に隣接する東京都青梅市成木の最奥部、常盤の地には常盤が人目を避けて一時隠れ住まわされたという伝承があり、地名は常盤御前に因む


・・飯能あたりがそれらしい。関が原は無い。

656秋魚:2016/05/02(月) 01:06:02
(無題)
・・江戸の頃、高尾というのは吉原の名妓のことだ。高尾太夫。大坂新町が夕霧太夫。京の島原が吉野太夫。高尾は襲名されて何代か浮名を流した。おもしろいのは、二代目万治高尾。いろいろエピソードが多い。陸奥仙台藩主・伊達綱宗の意に従わなかったために、三叉の船中で惨殺されたというのはその一つ。伊達騒動の種にもなる。信憑性はないが、高潔な元政上人との色恋沙汰もある。

>・・江戸時代の日蓮宗の僧・元政(げんせい、1623-1668)。俗名を石井吉兵衛。京都の武
士の家に生まれた。13歳で彦根藩井伊直孝に仕える。19歳で病により帰郷する。泉涌寺の周律師に出家を断られ、江戸に赴く。江戸詰めの頃、吉原二代目三浦屋・高尾太夫と恋仲となる。だが、仙台藩主・伊達綱宗の太夫への横恋慕により、太夫は操を立て抗し惨殺(自死とも)されたともいう。

・・まことの話なら、おもしろいのは元政上人。井月は京の深草瑞光寺を訪ねて元政を慕ったそうだが、この高尾との恋話を聞いていたと思われる。武士がどういうものか、妓楼の遊女がどういうものかもよくみていた。

出て見る野守もつむやとぶ火野の雪まの若なけふもすくなき  信尋

「後鳥羽院四百年忌御会」寛永十五年(1638) 巻頭は後水尾院の霞で、

こひつゝもなくや四かへりもゝちどり霞へだてて遠きむかしを  院

この若菜の題の第二を詠んだのが、近衛信尋。

>・・慶長4年(1599年)5月2日、後陽成天皇の第四皇子。八條宮智仁親王の甥。幼称は二宮(にのみや)。母は近衛前久の娘・前子。母方の伯父・近衛信尹の養子となる。

和歌に極めて優れ、叔父であり桂離宮を造営した八條宮智仁親王と非常に親しく、桂離宮における交流は有名である。

・・逸話だが、六条三筋町(後に嶋原に移転)一の名妓・吉野太夫を灰屋紹益と競った逸話でも知られる。太夫が紹益に身請けされ、結婚した際には大変落胆したという話が伝わっている。

こちらは吉野太夫。一代限りだそうだ。

信尋も古今伝授を受けたが、三条西・幽斎流ではなく宗祇から近衛尚通へという近衛流伝授であったという。

657秋魚:2016/05/03(火) 02:05:54
(無題)
・・山頭火ふうにえいっ!といって旅に出る。ネットで甲州ツーリングの記事をみたら眼を瞠るものがあった。熊谷、飯能、青梅、奥多摩、丹波山、柳沢峠、塩山、甲府、身延、昇仙峡、笹子峠、上野原、檜原、秋川・・・熊谷 ざっと三泊四日で廻ってる。青梅街道は411でこの柳沢峠越えだけでもハードであろう。この方、最初から輪行は外しているみたい。帰りの20号甲州街道で笹子越えから大月あたりまでよほど嫌な思いで走ってる。よくわかる。この20号を避けて上野原から甲武峠へ廻ったというのもすごい。・・富士川沿いに身延の久遠寺までしっかり廻った。頭が下がる。

・・自称「古今伝授ライン」「火山峠ライン」を振り出しに、連句なら発句・脇の確度で柳沢峠越えが集中するメインであるだろう。

・・思考はこれ以上すすまない。横しぐれでも出てゆくべきか。体調はまあまあだが以前より体力は落ちている。頼るは気力のみ。丹波山までのトンネルも恐くはない。それからのアップダウンスロープ。これはきつそう。初日は柳沢峠を越えて塩山の大菩薩の湯に入れれば一安心。午後2時くらいには着きたいが。甘いか。東山梨の八日市場跡で芭蕉句碑をみる。笛吹川をこえて石和健康ランドは夕方までにゆけるか。勝沼等々力の万福寺には聖徳太子の黒駒の足跡がある。これは帰路に。

658秋魚:2016/05/04(水) 18:19:48
(無題)
・・よく晴れた。出発を期する前に、足馴らしに出た。青梅坂を越えて小曽木から成木のポタリング。安楽寺という成木ゆかりの寺がある。行基がざわざわ鳴る楠を調伏したという因縁だ。途中岩蔵温泉街のコンブリオという喫茶店を下見した。庭園がいい。帰りに寄ろう。・・安楽寺は地図では成木一丁目。岩井堂をこえて西にゆけどなかなか見つからない。いくつか寺社はあるが、安楽寺ではない。・・たまらず通りがかりの人に尋ねる。もう近いですよ。土地の人ですか。もとは山梨塩山です。え、明日行きますそこへ。ほー、奥多摩から大菩薩ラインですか。自転車はたいへんですよ。(おおかたの人は大変な道という)塩山は金山がありました。・・そうこういううちに安楽寺の参道が見えてきた。どうもありがとう。安楽寺はここらで一番大きな寺という。季節には桃の花畑がいい。杉の巨木もある。・・寺だが、宗派がわからない。元禄六年(1693)の書院造りの建物で江戸期のものは最古という。なかなか立派です。・・俳人歌人が立ち寄って句を残したというのもない。しかし行基が訪ねたというのはありそうだ。

・・足馴らし。ギアは着実にかかる。ブレーキも問題なし。タイヤは空気の圧が思案のしどころ。いつぞやはパンパンに入れて失敗した。なんとしてもパンクは避けたい。安楽寺は桃の花の頃にまた来てみたい。

・・思いついてポタリングした。小曽木、成木はほんとに近場。岩倉温泉には洒落たカフェがあった。また来ますといいながら訪ねていない。名前は・・もうひとつコンブリオというカフェレストランがある。外からみたが庭がきれい。このへんはほんとに田舎。知ってる人が車で訪ねてくるようだ。ちょっと躊躇ったがコーヒーでもいただこう。庭のテラス席があって先客がお二人。白い芳香をはなつ花があって、何の花ですか?先客のご婦人に声をかける。ナニワイバラ。聞きなれない名でもう一度。ナ、ニ、ワ、イバラ。・・はーバラの種ですね。よい香りです。

・・つれづれに話をする。わたしは近場ですけど、相方はけっこう遠く車できてる。庭の花をみによく来るそうだ。店の中の入り方もわからず。行って来ましょうか?いえ自分で行きますといおうとしたが、思わず、ええお願いします。お年寄りに仕事させるなんて無粋でしたね。・・食事もできるらしい。帰ってからネット検索したら、洒落たよい店とのこと。ナニワイバラも調べたら中国原産、1700年頃渡来したらしい。

・・この日はふたつ。芭蕉忌年ゆかりの事物があった。安楽寺本堂1693年、ナニワイバラ1700年。

659秋魚:2016/05/07(土) 16:55:49
(無題)
・・このままでは一生のトラウマ。柳沢峠。朝6時には出発するつもりが7時近くなってしまった。天候だけの相談で5月の連休真っ盛りになった。これも一興か。イタリアのブリンデシから8月の真っ盛りにフェリーでギリシャに渡った。あの殺人的な混雑と比べればどうということもあるまい。軽い気持ちでいたが、実際出て見るとマイカーを飛ばしてバイクライダーたちも群舞してまあ青梅街道は騒がしいのなんの。みな天気の良い休日の考えることは同じか。奥多摩までもはらはらどきどき進んだ。こんな出鼻でくじかれてはたまらない。・・奥多摩の駅から奥多摩湖まで411はトンネル多く恐い道だが、昔道という側道がある。ここも経験済みで最初からここに入ることにした。ところがこれが失敗。昔道へ入るところを間違えてしまい途中で土地の人に聞くと先にある階段を自転車を持ち上げてあがれば昔道です。とかなんとか。やむなく進むとその階段のあたりに熊蜂がぶんぶんしてる。自分の縄張りとでもいいたそうで他の虫が飛んでくると追撃して追い出す。細い道でその階段をあがるにはどうしても熊蜂に直撃するふうだ。そのうちいなくなるだろうと思って退避したが十分ほどしてもまだ滞空して去らない。引き返すことも出来ず困ったものだ。・・別の虫を追っかけて一時姿を消した間隙に思い切って突っ走った。なんとかここをクリア。しかし余計な時を使った。さらに悪いことにこの昔道まともに奥多摩湖の方には進まない。進んでるつもりが駅の方だったり。結局ぐるぐる遠回りしてやっと本道にはいったと思ったらまたおかしくなって回避しようとした白鬚トンネル入口にでた。あきらめてトンネルを走る。この日はバイクが爆音をあげてトンネル内は大音響。こわいのなんの。

・・トンネルをいくつか抜けて奥多摩湖畔に着いた。ライダーが大挙して集まってる。ここから奥多摩周遊道路かそのまま411を柳沢峠の方へか、ここまでのライダーもいるだろう。チャリダーは大挙してというのはない。それでもよく出会う。・・競輪選手のレース用のシャツがあって、今日は、これを着用。これは目立つのかチャリダーはみなこんにちわという。・・しかし奥多摩湖に着くまでに余計なエネルギーを使った。柳沢峠なんてとても覚束なくなった。このあと湖の外れの深山橋。ここから丹波山村まではいつかチャレンジした。かなりの急坂もある。ここにくるチャリダーは本格的ないい自転車に乗ってくる。ナルシマのシャツのサイクリストもいて。クロスバイクのママチャリ風なのは自分くらい。着ているシャツだけは立派なものだが。丹波山村の食堂で軽食をと思ったが、あまりに人多くごちゃごちゃなので、自前の稲荷寿司で休憩。水分を補給して、これから未知の柳沢峠までたいへんな道だという。勇気をだして出発。

・・実はここから柳沢峠まであまり憶えていない。アップダウンスロープはさほどでないが基調はアップ。トンネルがいくつかある。一番奥の峡谷の道は進行方向左手がすぐ断崖絶壁でとても覗く気もしない。右手は絶壁。こんなところによく道をつくった。道路の左半分はいつ崩落してもおかしくない。写真を一枚もとらなかったのは、一刻もはやくここを走りぬけたい一心。道路も亀裂がはいっていたり、ともかくこわい。

・・予期していた通りなかなか足が廻らなくなった。足着きで何度か休みを入れるようになった。後ろから来たチャリダーに何度も追い越される。かまわないことだ。歩いても完走が目標だから。しかしクロスバイクでチャレンジとは。誰もが何かいいたそう。一之瀬という集落に出てそこで休んでいるサイクリストに声かけた。柳沢峠はまだまだ?あと6キロくらい。ここまできたら引き返さない方がいい。峠からの下りは快適そのものですから。ダウンヒルはなんともないようだった。・・なんでも杉並から来たそうで経験者のようだ。このあたりのサイクリストはほぼプロみたい。でも女性のサイクリストにもよく会った。なんかしぶとく乗りこなす。自転車はやはりよいもの乗ってる。一日だけ足馴らしをしてにわかサイクリストの自分など及びもつかない。・・でもここは相当のプロでもきついはず。

・・丹波村から出たのが11時過ぎ。柳沢峠に到着したのが2時半くらいだったか。ここは富士山がよく見える。写真をとったが光ってよく写らない。眼では大きく見えても写真では小さな富士だ。近くにいたご婦人に聞くと、ホワイトバランスを調節します。そんな調節があったのか。で、彼女はよく撮れたようだ。娘さんらしきが「さっきママチャリでここまで来た人いたよ」という。それって自分のことではないか。フラットハンドルのクロスバイクではママチャリに見えるだろう。タイヤも太い。(これって後々のお笑い種になった)ママチャリで柳沢峠を踏破した。なんて自慢かも。

・・さあもう自転車に乗るのが嫌になった。峠の茶店もあったがパス。さていよいよ下山。御岳山のダウンヒルで馴れているから、壮大なダウンヒルだが快適なばかり。今までの苦労が一気に報われる。立体橋の道もあってよくこんな道をつくったと感心する。塩山の街まで一気か。だいぶ下ったあたりで大菩薩の湯という温泉があるはず。ずんずんいくとあった、あった。温泉がいいのは、人がたくさんいることだ。人がいるだけでうれしい。・・よくマインドの発想を変える生き方をいう人がいるけれど、マインドというのはあてにならない。もの、人、環境の直接的なリラクゼーションが無ければ、マインドも育たない。・・この日の夜は石和の健康ランドにいた。お風呂甲子園というので2連覇とか。実際、あらゆる「もの」の方法でリフレッシュ、リラックス、ヘルシーを追求するのは、さすが。・・大菩薩の湯は天然温泉。アルカリ性単純泉。ペーハー10以上ある。

・・国道411は柳沢峠を下って塩山に入る。大菩薩ラインというが、昔の大菩薩峠を越える登山道は車は走れない。裂石温泉というのは昔武田信玄の秘湯であったそうでちょうど大菩薩峠への登り口にある。中里介山の記念館もここにあり、生家は羽村の玉川取水場あたりというから、すっかり「大菩薩峠」の人になったようだ。甲斐の国の鬼門にあたるのは此の塩山。金山もあり塩山もあり水晶もとれるとか、それはどこかわからない。大菩薩ラインこんなイメージの暗い道はない。

・・大菩薩の湯を下ってゆくと明治の女流樋口一葉の生家のある街を通る。この辺の生まれなんだ。塩山でもやや山の手になるか。作家にならずとも女流の情念の育ちは思い及びがたきものがある。「たけくらべ」はたしか隅田川河畔の下町の話ではなかったか。情念の育ちを古いといって切り捨てるのが今の世かもしれぬが、自身は古いものしか興趣がわかない。うっすらと一葉の情念を想起しながら411を下りきった。

・・塩山駅の隣は東山梨。この駅のすぐ近くに江戸の頃は八日市場がひらけていた。俳人産科医の早川漫々の住んだ町だ。父親が早川石牙、子が安田雷石。いづれも医師で俳句をものしている。この八日市場跡に芭蕉の句碑があるはず。雷石が建てた。・・東山梨の駅を尋ねてまわり近くまできて八日市場跡を尋ねた。で、思う通りに見つけられた。

?? 明ほのやまた朔日に子規

660秋魚:2016/05/08(日) 12:50:42
(無題)
・・もうくたくたに疲れた。休憩できるならどこでもよい。石和健康ランドは会員登録したら無料入館券が送られてきた。気前のいい健康ランド。石和なのに天然温泉でないのが不満だがその分健康とヒーリングをとことん追求してるとみる。お風呂甲子園二連覇とか。朝までいられるのが魅力。自転車ツーリングなら仮眠でけっこう。柳沢峠越えの殺伐としたツーリングの後では騒がしい健康ランドは救い。インターネットも可能。みなとみらいの万葉倶楽部に近いか。温泉の評判がよくなるかどうかは後はレストランによる。ここの和心という店はよくつくってある。同じ生ビールでも美味いこと限りなし。

・・天気予報では急に明日は雨模様になった。さあどうするか。身延の久遠寺まで行く予定もあった。甲斐上野のみたまの湯もおもしろそうだった。身延にむけて行けるとこまで行って考えることにした。朝はやくに健康ランドを出た。

・・身延線に沿った道。鰍沢というところで富士川の川沿い国道52号へでるか、すこし東へ迂回して山の中に入り峠をこえて線路沿いをめざすか。方法は二つ。ネットでこの国道はとてもきついというので、峠越えの道を選んだ。・・鰍沢に行くまで140という雁坂道を笛吹川に沿っていった。ところが途中でせまい車道一本になり車も多い。やむなく沿道を探した。田んぼなどある道を人に聞き聞き、うわっと赤い花畑にでた。芥子の花?でも観賞用の花でしょう。

・・午前中雨はもちそうだ。身延山めざしていけるとこまで行こう。雨になったら身延線で輪行すればよい。鰍沢から東へ山越えの道。けっこう大回り。トンネルもある。下部温泉というところまで行くはず。峠を二回越えたか、憶えていない。帰りはこの道走りたくない。火山峠に似ている。

・・下部温泉から身延の駅までまだある。富士川の両岸に道がある。右岸は国道で敬遠。あとでわかったが、身延山に近いあたりでは国道52も道幅がひろく快適な歩道もある。この国道甲府からは左手が富士川の川原で、車も多くやめた方がいい。帰路はいいかも。・・というわけで帰りはこの道を走った。ともかくダンプが多い。右も左もまったく嫌な道。

・・そうこうして身延山の入口まできた。

・・身延山詣での客が多いと想像したが、いたって閑静。久遠寺は日蓮宗の総本山。中山の法華経寺が総本山かと思っていたが、よくわからぬ。日蓮の墓があるのはこちらの方。千葉の生まれで、清澄山にも大きな寺があるらしい。法華経を一義におく宗派は多くあり、日蓮はその総元締めならこの久遠寺は大本山。もっと人が集まってもよいはず。時節が外れていたか。大門をくぐると長い石の階段があり菩提梯というが287段ある。南無妙法蓮華経になぞらえて7階梯のつくり。えっちらえっちら登るのが供養らしい。行くか行かぬか思案して、上から降りてきた老夫婦に様子を尋ねると、奥の院まですべてめぐってきたという。せっかく来たからすべて拝んで行こうということらしい。若い頃は夫婦手をとって鳳来寺の石段も登ったという。鳳来寺はすごいですよ。芭蕉は登りきらなかった。羽黒山も登ったとか、ともかくすごい参拝客だ。・・それでこの階段もぜひ登るようにすすめてくれたが、ハイといって一区画だけ進みました。五重塔や大伽藍には興味なし。身延山まで来たことにします。・・そして昼食をとっていると、ぽつりぽつりと雨が来た。・・身延の駅にいって輪行に切り替えるかさてと迷ったが、微雨でしょう。このまま国道52で石和までもどることにした。恐怖の52でしたが、歩道も完備されておりさすが国道という感じでしばらくはよいサイクリング。後ろから雨脚が追いかけられてくるふう。甲府までなら50キロ、鰍沢まででもけっこうある。みたまの湯に寄るなど予定をすべてキャンセル。石和の健康ランドまでもどることにした。しかし52号は車の数も多く二度と走りたくない道だ。特に対向車線は最悪。ネットの記事の人はよく走った。・・石和から身延線沿いに久遠寺まで来ただけでよい巡礼になった。

・・感動の二日間。柳沢峠越えは発句。身延久遠寺行きは脇、といったところ。芭蕉「更科紀行」で姨捨山の月見が発句。善光寺詣でが脇、といったところ。ここに深いものがある。わかっていたのは翁と井月のみ。・・さて三日目は帰路。楽しみは自転車をたたんでの輪行。石和駅の先から411に出て、勝沼インターチェンジこのあたりに等々力の万福寺がある。ここに寄ってまた芭蕉句碑がある。聖徳太子の馬蹄石もある。健康ランドのフロントでみっちり行く道を案内してもらう。ここの健康ランド、サービスは抜群。さすが甲子園連覇だけある。山梨駅から140の裏の「ほったらかしの湯」も思案したが、温泉は疲れて入るのが一番。ここもパス。万福寺によって帰路輪行に決めた。ともかく等々力の交差点に出なければ。ポイントで人に尋ねるのがうまくなった。無駄の無い情報がいつも得られる。で万福寺もすぐにわかった。

661秋魚:2016/05/12(木) 13:07:37
(無題)
・・自転車に乗りながらの情報はやはり粗雑なところある。塩山の大菩薩ラインをくだって一葉の里とかの文字が目に入ったから、てっきりここは明治の女流樋口一葉の生地と認識した。
「・・東京府第二大区一小区内幸町の東京府庁構内(現在の東京都千代田区)の長屋で生まれる。本名は樋口奈津。父は樋口為之助(則義)、母は古屋家の娘多喜(あやめ)・・樋口家は甲斐国山梨郡中萩原村重郎原(現:山梨県甲州市塩山)の長百姓。・・父の則義も農業より学問を好んだ。多喜との結婚を許されなかったため、駆け落ち同然で江戸に出たという。

樋口奈津(戸籍名)
樋口夏子
1872年5月2日生誕  東京府内幸町

生誕は東京だが、塩山から両親が駈落ちででてきた。ほぼ塩山の情念を継いでいる。

・・少女時代までは中流家庭に育ち、幼少時代から読書を好み草双紙の類いを読み、7歳の時に曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を読破したと伝えられる。

・・名家の令嬢であった田辺龍子(三宅花圃)は「思い出の人々」という自伝の中で、「萩の舎」の月例会で、友人と床の間の前で寿司の配膳を待ちながら「清風徐ろに吹来つて水波起らず」という赤壁の賦の一節を読み上げていたら、給仕をしていた猫背の女が「酒を挙げて客に属し、明日の詩を誦し窈窕の章を歌ふ」と口ずさんだのに気付いて、「なんだ、生意気な女」と思っていたら、それが一葉で、

「清風徐ろに吹来つて水波起らず

「酒を挙げて客に属し、明日の詩を誦し窈窕の章を歌ふ


 徐に柳のかぜや小鮎くみ   井月

また、発見!

 よみ倦ぬ青梅どきや三国志


・・青梅の多摩川で「赤壁の賦」を思い浮かべていたのがわかる。

662秋魚:2016/05/16(月) 14:57:05
(無題)
・・自転車の解体袋詰めを塩山の駅でやってみた。勝沼の駅はスペースがなく輪行はしづらいと何かで読んだ。勝手知った塩山へ。411をそのまま行けばよい。・・塩山駅の駐輪場の脇は人通りも少なく格好の場所がある。だいぶ手馴れては来たが最終の詰めがまだ甘い。きれいに車体を収納できないのはクロスバイクの限界もあるが、もうすこしうまくなるはず。車内にもちこむにクレームが無いだろう程度でまとめる。

・・勝沼の戦いというのがあった。

>・・甲州勝沼の戦い(こうしゅうかつぬまのたたかい、慶応4年3月6日(1868年3月29日))は、戊辰戦争における戦闘の一つ。・・同年3月4日から新政府軍の土佐藩の板垣退助、薩摩藩の伊地知正治らが先鋒総督府参謀として、新政府軍3,000を率いて甲府城に入城した。・・新選組は甲陽鎮撫隊と名を改め、近藤勇は大久保剛(後に大和)、副長の土方歳三は内藤隼人と変名して、3月1日に江戸を出発し甲州街道を甲府へ向かった・・甲陽鎮撫隊は勝沼から前進し、甲州街道と青梅街道の分岐点近くで軍事上の要衝であるこの地に布陣した。300いた兵は恐れをなして次々脱走し、121まで減ってしまったという。・・3月6日、山梨郡一町田中村・歌田(山梨市一町田中・歌田)において甲陽鎮撫隊と新政府軍との間で戦闘が始まった。戦況は鎮撫隊側が不利で、新政府軍からの砲撃で大砲は破壊された。のち、近藤は勝沼の柏尾坂へ後退し、抗戦を続ける。

・・等々力の交差点から大月方面へすすむと柏尾坂ですね。このあたり一帯戊辰戦争の戦場だったようです。

・・甲州の葡萄つくりは早川漫々の知恵だとも聞いている。

663秋魚:2016/05/22(日) 03:43:48
(無題)
いなづまやとゞまるところ人のうへ?? 白雄

・・相模の大山不動堂の参道にこの句碑があるという。大山は自転車で廻ったところだが、この碑はまったく気がつかなかった。

寛政5年(1793年)9月13日、加舎白雄の三回忌に當所春秋庵社中建立。

・・芭蕉の百回忌年ではないか。偶然か。

世ははかな電光石火酒くまん

・・おなじく『葛の葉表』(中村伯先編)に載っている。


白雄の代表作

人こひしひともしごろをさくらちる

・・東京墨田区の白鬚神社に句碑がある。この冬木母寺を訪れた時すぐ近くにあったはず。これもまったく気がつかない。よし見つけたとしても文字は磨耗してほぼ読めないだろう。

「白を坊は国を威すに兵革をそなへて、かつて人を和するの玄徳なし」・・道彦による白雄評が有名だが、過激派か。

・・八王子で春秋庵でなく松原庵を継いだ榎本星布の存在が気になる。白雄に私淑した。

『葛の葉表』には

吹いるゝ梅を栞や宇治拾遺

・・

蝶老てたましひ菊にあそぶ哉
散花の下にめでたき髑髏かな
咲花もちれるも阿字の自在哉



『葛の葉表』

天明5年(1785年)、中村伯先は芭蕉の句碑を建立。加舎白雄書。
天明6年(1786年)、記念集『葛の葉表』(伯先編)刊。自序。白雄跋。

白雄、暁台、碩布、星布、闌更、蝶夢ら多士済々。・・世は天明の大飢饉真っ盛り。

天明の大飢饉(てんめいのだいききん)とは、江戸時代中期の1782年(天明2年)から1788年(天明8年)にかけて発生した飢饉である。

>・・天明3年3月12日(1783年4月13日)には岩木山が、7月6日(8月3日)には浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせた。火山の噴火は、それによる直接的な被害にとどまらず、日射量低下による更なる冷害をももたらすこととなり、農作物には壊滅的な被害が生じた。・・天明2年(1782年)から3年にかけての冬には異様に暖かい日が続いた。
・・被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定約2万人)が餓死したと杉田玄白は『後見草』で伝えているが、死んだ人間の肉を食い
・・被害は特に陸奥で酷く、弘前藩(津軽藩)の例を取れば死者が十数万人に達したとも伝えられており[3]、逃散した者も含めると藩の人口の半数近くを失う状況

・・異常気象の原因は諸説あり完全に解明されていない。有力な説は火山噴出物による日傘効果で、1783年6月3日 アイスランドのラキ火山(Lakagígar)の巨大噴火(ラカギガル割れ目噴火)と、同じくアイスランドのグリムスヴォトン火山(Grímsvötn)の1783年から1785年にかけての噴火である。これらの噴火は1回の噴出量が桁違いに大きく、膨大な量の火山ガスが放出された。成層圏まで上昇した塵は地球の北半分を覆い、地上に達する日射量を減少させ、北半球に低温化・冷害を生起し、天明の飢饉のほかフランス革命の遠因となったといわれている。
・・天明3年3月12日(1783年4月13日)には岩木山が噴火、浅間山の天明大噴火は8月5日から始まり、降灰は関東平野や東北地方で始まっていた飢饉に拍車をかけ悪化させた

等順(とうじゅん、1742年(寛保2年) - 1804年(文化元年)3月25日)は、江戸時代の大僧正。 東叡山寛永寺護国院第13世住職、信州善光寺別当大勧進第79世貫主、養源院第11世住職を歴任。

・・1782年(天明2年) 地元信濃国出身者で近世初めて、信州善光寺別当大勧進第79世貫主に就任。
1783年(天明3年) 浅間山大噴火被災地である上野国鎌原観音堂(現群馬県嬬恋村)へ赴き、念仏供養を30日間施行。食糧等を物資調達、被災者一人に白米5合と銭50文を3000人に施す。
善光寺に戻り、天明の大飢饉飢民救済のため、善光寺所蔵の米麦を全て蔵出しして民衆に施す。救済を受けた人々が等順の恩に感謝して、集まり掘ったのが大勧進表大門前にある放生池。[1][2][3]
1784年(天明4年)2月 融通念仏血脈譜(お血脈)を新たに簡略化して作成、参拝者へ配布を始める。等順は生涯でお血脈を約180万枚配布。落語の題材にもなり、善光寺信仰の全国的普及


・・善光寺を世に知らしめたのはこの等順。お血脈信仰の流布もこの等順。


・・1783年8月5日(天明3年7月8日) 大噴火。天明噴火 噴出物総量4.5×108m3、火山爆発指数:VEI4。
4月9日(旧暦。以下この項目では同じ)に活動を再開した浅間山は、5月26日、6月27日と、1か月ごとに噴火と小康状態を繰り返しながら活動を続けた。
6月27日からは噴火や爆発を毎日繰り返すようになっていた。日を追うごとに間隔が短くなると共に激しさも増した。

鬼押出し溶岩流の範囲
7月6日から3日間に渡る噴火で大災害を引き起こした。最初に北東および北西方向(浅間山から北方向に向かってV字型)に吾妻火砕流が発生(この火砕流は、いずれも群馬県側に流下した)。続いて、約3か月続いた活動によって山腹に堆積していた大量の噴出物が、爆発・噴火の震動に耐えきれずに崩壊。これらが大規模な土石雪崩となって北側へ高速で押し寄せた。高速化した巨大な流れは、山麓の大地をえぐり取りながら流下。鎌原村(現嬬恋村大字鎌原地域)と長野原町の一部を壊滅させ、さらに吾妻川に流れ込んで天然ダムを形成し河道閉塞を生じた。天然ダムは直ぐに決壊して泥流となり大洪水を引き起こして、吾妻川沿いの村々を飲み込みながら本流となる利根川へと入り込み


・・天明期の俳人は、浅間の噴火と大飢饉がトラウマとなった。

664秋魚:2016/05/25(水) 01:30:33
(無題)
太田道真禅門のかたへ七朝の祝言に遣し侍る  長歌


あら玉の 年はむかしに 立かへり 世ものとやかに 四方のうみ 八のあつまの 国つかせ 花を匂はす ことのはに 六くさ七くさ つむ人の よはひも遠き むさしのゝ うけくる花の うけかたき 身は敷島の あま人に むまれきつゝも うきしつむ うき世の旅に 年をへて 雲井はなるゝ 老鶴の 羽杖つかれて 音になくを 千代のともつる あはれとて やとりをかせる 松かえを おなしみとりの かけたかき 山田の杉の いろかへす 君と人との 身をあはせ ちとせをかはし つかえなん やとる此宿 万代はへん

  かへし歌

七草やことのはくさにはるをつむ千とせそ遠き武蔵野のはら


 心敬が太田道真に贈った歌

文明三年(1471)

一月四日 東常縁(とうのつねより)が宗祇(そうぎ)に古今和歌集に関する秘説を教授(古今伝授)

九月十二日 桜島大噴火
       

665秋魚:2016/05/25(水) 17:55:52
(無題)
安積山 N37度27分10秒 E140度23分28秒

長岡市今朝白 N37度27分01秒 E138度51分37秒

福島県双葉郡双葉町歴史民族資料館 N37度27分01秒 E141度00分26秒



・・E138度51分37秒に沿って南下すると、

青梅真浄寺−郡上大和妙見宮の古今伝授ラインと交差するのは、青梅街道411の柳沢峠ラインのもっとも北よりで接する地点。

青梅真浄寺   北緯35度48分18秒 東経139度17分18秒
妙見宮 岐阜県郡上市大和町牧814-1??北緯35度48分42.48秒 東経136度55分24.79秒

因みに、大菩薩峠は、北緯35度44分9秒 東経138度51分12秒

ここからやや奥多摩よりに入った地点で、交差。


沼津 高尾山古墳  北緯35度7分22.73秒 東経138度51分40.22秒

三島大社  北緯35度7分20.66秒 東経138度55分7.79秒

丹波山温泉 山梨県北都留郡丹波山村890 北緯35度47分23秒 東経138度55分19.9秒

666秋魚:2016/05/26(木) 21:30:58
(無題)
・・西行、芭蕉。この二人「古今伝授」とは無縁。西行は歌詠みだが師らしきはいない。ほぼ漂泊と独詠の歌人。芭蕉は北村季吟という師がいたが「古今伝授」はない。季吟は松永貞徳から「古今伝授」もどきがあったらしい。貞徳自身も細川幽斎からの伝授もどきといわれる。古今伝授が体をなすのは、歌人連歌師俳諧連歌師までで生粋の俳諧師には形が無い。


・・柳沢吉保は北村季吟から古今伝授を受けた。

>柳沢氏は清和源氏の流れを引く河内源氏の支流、甲斐源氏武田氏一門である甲斐一条氏の末裔を称し[注釈 1]、甲斐国北西部の在郷武士団である武川衆に属した。
・・元禄13年(1700年)から翌元禄14年にかけて、吉保は武田信玄の次男・龍芳(海野信親)の子孫とされる武田信興を将軍綱吉に引きあわせ、高家武田家の創設に尽力する[31]。高家武田家は柳沢家から何度か養子を迎えている[32]。
・・翌宝永元年(1704年)12月21日、綱吉の後継に甲府徳川家の綱豊が決まると、綱豊の後任として甲斐国甲府城と駿河国内に所領を与えられ、15万1200石の大名となる
・・同年2月19日の甲府城受け取りは家臣の柳沢保格・平岡資因らが務めている[36]。3月12日、駿河の所領を返上し、甲斐国国中3郡(巨摩郡・山梨郡・八代郡)を与えられる
・・同年4月10日から4月12日には甲斐恵林寺(甲州市塩山小屋敷)において武田信玄の百三十三回忌の法要を行なっている
・・宝永6年(1709年)2月19日(3月29日)、将軍綱吉が薨去したことで、幕府内の状況は一変した。代わって新将軍家宣(綱豊)とその家臣である新井白石が権勢を握るようになり、綱吉近臣派の勢いは失われていった。
・・1714同年11月2日に死去・・享保9年(1724年)3月11日に吉里は大和国郡山への転封を命じられ、永慶寺の大和郡山移転に伴い同4月12日に吉保夫妻の遺骸は恵林寺(甲州市塩山小屋敷)へ改葬され


柳沢 保光(やなぎさわ やすみつ)は、江戸時代中期の大名。大和郡山藩第3代藩主。1768年(明和5年):甲斐守
・・やなぎさわ やすみつ江戸後期の大和郡山藩主。初名は安信、号は尭山、甲斐守と称する。茶道を片岡宗幽に、和歌を日野資枝に学び、御家流の書を能くするなど諸芸に秀でた。


・・日野資枝から古今伝授を受けている。

青梅街道の柳沢峠は江戸の柳沢家のゆかりということか。

・・青梅の文人根岸典則、浄月律師は、日野資枝の門人として京に入ったというが、やはり甲州裏街道で大菩薩峠を越えたのではないだろうか。

667秋魚:2016/05/28(土) 10:37:20
(無題)
・・

第111代 後西(ござい)天皇 寛文四年五月(1664)、後西天皇が御水尾法皇より古今伝授を受けられた

第112代 霊元天皇 天和三年四月(1683)、霊元天皇が御西天皇より古今伝授を受けられた

第115代 桜町天皇 延享元年5月(1744)、桜町天皇が烏丸光栄より古今伝授を受けられた

第116代 桃園天皇 宝暦10年2月(1760)、桃園天皇が有栖川官職仁親王より古今伝授を受けられた

第117代 後桜町天皇 明和4年2月(1767)、後桜町天皇が有栖川官職仁親王より古今伝授を受けられた

第119代 光格天皇 寛政9年9月(1797)、光格天皇が後桜町天皇より古今伝授を受けられた

第120代 仁孝(にんこう)天皇 天保13年5月(1842)、仁孝天皇が光格天皇より古今伝授を受けられた


・・いわゆる御所伝授の系譜。

・・有栖川宮職仁親王(ありすがわのみやよりひとしんのう)

霊元天皇の皇子としては兄尊昭法親王に次ぎ歌道に優れ、桃園・後桜町・後桃園の3天皇をはじめとして300名に伝授した。父から受け継いだ書道にも造詣が深く、有栖川流書道の創始者


・・有栖川宮職仁から、300人に古今伝授?


第121代 孝明天皇
第122代 明治天皇

・・このあたり古今伝授は詳らかでない。ただし明治天皇は御製歌は多くある。


・・有栖川宮職仁から、300人に古今伝授?

- 正仁親王 - 職仁親王 - 織仁親王 - 韶仁親王 - 幟仁親王 - 熾仁親王 - 威仁親王

* 戊辰戦争 ・・新政府は有栖川宮熾仁親王を大総督宮とした東征軍をつくり、東海道軍・東山道軍・北陸道軍の3軍に別れ江戸へ向けて進軍した。

・・旧幕府軍は近藤勇らが率いる甲陽鎮撫隊(旧新撰組)をつくり、甲府城を防衛拠点としようとした。しかし東山道を進み信州にあった土佐藩士・板垣退助、薩摩藩士・伊地知正治が率いる新政府軍は、板垣が率いる迅衝隊が甲州へ向かい


* 有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう、天保6年2月19日(1835年3月17日) - 明治28年(1895年)1月15日)は、江戸時代後期〜明治時代の日本の皇族、政治家、軍人。号は初め「泰山」、後に「霞堂」。階級・勲等・功級は陸軍大将大勲位功二級。

・・御所伝授の系は、立派な軍人ですな。

・・和宮親子内親王と婚約していたことで知られる。

668秋魚:2016/05/29(日) 14:20:28
(無題)
鶯の水田にうつる山の影
春の行宵のくらさや惹き蟇の声
行く春は木々の影さす水の床
花を待つ雨や木の間の底明り
葛水やすわりて細き膝頭
見わたして出水の跡の残暑哉
初しぐれ鯲をはかる枡のうへ
西日さす窓や小春の運び雨
雨晴れやかしら揃えし楢林

・・早川漫々にこんな佳句が多いのは知らなかった。

669秋魚:2016/05/31(火) 00:52:23
(無題)
蝶の飛ばかり野中の日かげ哉

・・芭蕉が「野ざらし紀行」の旅の途中で詠んだ句とされる。榎本星布がこの句碑を八王子永福稲荷神社に建てた(1800)。今在るものは昭和24年松原庵門人による再建。

・・星布の墓は八王子元横山町の大義寺にあるという。青梅吉野街道の端から滝山街道をどこまでも南下し八王子の駅まで自転車を走らせた。あきるのインターから戸吹トンネルを越えていつもは高尾街道を走ったが、この日は直進。創価大の広い敷地を越えて道の駅の曲がり角をまっすぐ行けば浅川橋をわたり大義寺も近い。八王子郊外は起伏に富んだ丘陵があってアップダウンスロープやトンネルが多い。ひよどりトンネルというのはけっこう長い。道自体は幅も広く快適だ。浅川をこえると大義寺はすぐにわかった。

・・龍華山大義寺とあって宗派はわからない。調べたら真言宗智山派という。墓地をうろつくのはあまり気持ちのいいものではない。清掃人の人に尋ねたら入り口のところに星布の墓があるという。松原庵で名が通っている。都指定の保存碑でもあまり訪ねる人もないか。小さな墓碑で「咲花もちれるも阿字の自在哉」の句が刻まれている。

・・伊那の中村伯先もそうだが星布も天明の時代に派閥をこえて蕉風俳諧の結束を意欲した。白雄の望んだことであろうが。

蝶の飛ばかり野中の日かげ哉

・・この句碑は八王子ほかあちこちにいくつか見られる。

「霞みわたった春の野を折々蝶の飛び交う羽だけが、わずかに野中の日陰である。春の光に満ちた野の様をよくあらわしている。」

埼玉小川町の松郷峠にあるものは、ほとんど埋もれてみつけづらいが、いつか訪ねてみたい。

山崎北華という江戸の奇人は、「奥の細道」の足跡を辿ったが、那須野でこの句に触れている。

「聞きしに違はず。竪さま八十里。横或は廿里。或は十二三里の原なり。草もいまだ長からず。木といふものは。木瓜さへもなし。炎暑の折など如何にぞや。手して掬ふ水もなし。翁のほ句に有りし。

   蝶の飛ぶばかり野中の日影かな

とはかゝる所にや有りけん。」


・・句の場所が特定されないのに、それらしき場所をもつのは、発句のよい力かもですね。

670秋魚:2016/05/31(火) 13:47:26
(無題)
猪牙で来し客驚かす一葉かな   井月


・・細長い小舟。吉原、深川の遊郭通いの客が使う。

・・深川近辺、隅田川沿いに散策していたのがわかる。

「一葉落ちて天下の秋」

A straw show which way the wind blows.(一本の麦わらを見れば風向きがわかる)


・・幕末の吉原は 空気も重かろう。

671秋魚:2016/06/01(水) 00:52:03
(無題)
月影をさこそ明石の浦なれど 雲井の秋ぞなほも恋しき

(列女百人一首??亀菊)

・・亀菊は、後鳥羽院に寵愛された白拍子。承久の乱後、院とともに隠岐に流れた。


江口の遊女といわれるが、

天王寺へ詣で侍りけるに、俄に雨降りければ、江口に宿を借りけるに、貸し侍らざりければ、よみ侍りける

西行法師

世の中をいとふまでこそかたからめ仮の宿をも惜しむ君かな

返し
遊女妙

世をいとふ人とし聞けば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ


江口は淀川の河口あたり、遊女の里。


・・雲井の井は当て字というも、月と井の乖離かな。


名月や院に召さるゝ白拍子   井月

672秋魚:2016/06/02(木) 14:54:02
(無題)
観音の甍みやりつ花の雲
花の雲鐘は上野か浅草か       翁

・・

囲碁に倦み弓にもあきて霞山
里の児の魚掴むなり鐘霞
乗合の込日を鐘の霞みけり
見せ馬に手を打つ頃や鐘かすむ
見るものゝ霞まぬはなし野の日和    井月

・・霞に焦点をあてた句作。といっても「霞」自体はフォーカスをとりにくいもの。

「鐘」と「霞」を同位したいくつかの句に注目。

雪ながら山本かすむ夕べかな 宗祇
行く水とほく梅にほふさと 肖柏
川風に一むら柳春見えて 宗長
舟さす音もしるきあけがた 祇
月や猶霧わたる夜に殘るらん 柏


・・水無瀬三吟何人百韻は「かすみ」にはじまる。「舟さす音」まで明け方。

まろび出る筆の軽みや朝霞
何処やらに鶴の声聞く霞かな

・・「朝霞」は「浅香」。霞は軽みを帯びた。

・・

673秋魚:2016/06/03(金) 17:46:23
(無題)
・・青梅街道奥多摩路で、いつも気になっていた将門神社を訪ねた。何度か通りかかったがついぞ訪ね当てたことはない。将門というバス停があってもいつも無人だった。ほぼ人家の無い道から街道沿いの山道を登ってゆくのをネットで確認していた。・・奥多摩までの道、もう何度か走っているが、いつも大変に緊張する。御岳まではよいにしても御岳から川井が異常に長く道幅もせまい。さらにダンプや暴走族まがいのライダーもよくくる。今日は平日だったのでまだよかった。先日の連休の時はすごかった。死にたくないので体ごと緊張する。自堕落になったらここのポタリングは最高だ。潜在している病を無化するのもこの道にある。甲府から身延までの富士川沿いの国道も似ているが、この奥多摩路の方がまだ雅趣がおおい。ダンプも煽りが無い。

・・鳩ノ巣の手前歩けば7分。ともかく参道の登り口をみつけたい。・・あった、あった。何やら標示がある。自転車の留められそうな空地もあって、ほんとに細い参道。ほぼ無人。

>・・鳩ノ巣駅の東方500mに「将門神社」があります。秩父地方では、秩父で生き残った将門一族が奥多摩側へ移住し子孫が繁栄したとの言い伝えがあります。将門神社は、将門の子の将軍太郎良門が亡父の遺影を刻んで奉納して将門宮(将門大明神)と呼び、やはりその子孫で当村の領主三田忠平が鎮守としてから栄え、かつては秩父地方からの参詣者でにぎわったといわれています。神社の境内には御幸姫観音像も建てられており、いまでも奥多摩町の民家では将門の愛姫・御幸姫のお札を戸口に貼っているのを見かけます。

・・ポタリングといっても、自分などより深い興味で調べもすすんでいる人は多い。無断借用で申し訳ない。みゆき姫という将門の愛妃もここに流れて来たかもしれぬ。・・御幸姫というのは、妻か娘かわからない。もともとすべて伝説上の話なのでどこまで何が真実か。ただし将門一族が秩父から奥多摩に流れたか、はじめから奥多摩に流れたかありえそうなことだ。戦国期の青梅の三田氏は将門の後裔を自認する。金剛寺の将門の梅の話も、将門一族が生きながらえねば、よい話にはならない。あるいは将門の後裔がつくった話なのかもしれない。

・・まったく隠れ里の神社と思える。山の斜面の下は多摩川の渓谷が深い。人家はぱらぱらあってもアルジェならカスバさながら。山の地理さえわかればどんな追及もとどかない。・・本殿に近づくとにわかに人声が聞こえた。三四人の参拝客が山道を降りてくる。平日でこういうところに足を運ぶのはもう隠居の老人が多い。無人と思ったが訪ねる人に出会ってすこしほっとする。話してみると、彼らも老いを自覚しての山歩き神社詣でのようだ。強い意志があるわけではない。・・将門の後裔なら時折ここを訪れているだろう。派手な彩色の狛犬があったが、こういうものは古くは無い。信仰が新しいのはわかる。

・・将門伝説を追っていたら、羽黒山の五重塔は将門の創建とある。信じがたいがまことしやかな由緒書もある。おそらく修験道の信仰でそういう言い伝えが創作されたものだろう。奥多摩にある鍾乳洞が地下でつながってこの羽黒山まで来ているという。この地下道を将門の霊がいったりきたりするという。ほんとかしら。・・羽黒山で思い出したが、ここの石段は2446段あるという。身延山でお会いした夫婦はここと鳳来寺1425段もすべて登ったと言う。話していても覇気するどいご夫婦だった。

・・将門神社の参道は、ほんとにおくゆかしい。みゆき姫らんの道という。そういうランの草があるのか、識別できなかった。丸い小さな葉の低木が参道沿いによく見えたけど、あれは何の木なのか。これもわからなかった。


将門神社  N35度48分51秒 E139度08分00秒

もえぎの湯 N35度48分16秒 E139度06分09秒

・・ほぼ古今伝授ライン

下呂温泉もこのライン

674秋魚:2016/06/09(木) 00:38:21
(無題)
・・

遣るあてもなき雛買ひぬ二日月  井月

こがらしに二日の月の吹き散るか  荷兮

吹きとばす石はあさまの野分哉   翁

・・

かれ朶に烏のとまりけり秋の暮  翁

凩やとまり烏の横にゆく    井月


・・二日月は故郷にいる娘の記憶。

とまり烏という井月の位置がみえます。

675秋魚:2016/06/12(日) 02:28:33
(無題)
・・福生の郷土館に訪ねてみた。森田友昇という維新からの俳人の資料があるという。八王子星布の松原庵を四世で継いだ。福生が地元で生業は横浜で活動していた。俳人として立机したのは明治十二年(1879)。記念集「浅川集」が編まれた。

・・中央線立川から青梅線で20分もあれば福生に着くだろう。新宿から青梅街道なら途中五日市街道をまっすぐ行けばよい。多摩川を渡る前が福生だ。五日市街道は別名伊奈街道と呼ばれている。五日市の秋川周辺に伊奈という村があるからだ。そう信州の伊那谷から石工の職人が流れて住み着いている。伊奈石という特殊な石を切り出していた。

・・福生は田村酒蔵の嘉泉をつくるこの家も昔から俳家だ。森田友昇はここの友甫に句作を学んだ。江戸にでて富処西馬についたともいわれる。余り知られていないが、榎本星布の流れで尾形仂氏などによって発掘されている。

「芭蕉は延宝5年に万句興行(100人の連句を100巻)行って宗匠となり立机、延宝6年「歳旦帳」を作っている。」

・・立机というのは晴れやかなものだ。芭蕉なども万句興行をやっているというから、驚きだ。
・・友昇が立机する以前明治三年に「高むしろ集」という句集を出している。今回この句集を見ることができた。序を寄せたのは、為山と見外。いづれも井月三部集東都の俳人で名を連ねている。伊那の精知、甲斐の雷石。野井はムサシ、青梅の臼左はこの集でなく「浅川集」に名がある。

歳々年々人不同

老の春あとへもとらは一むかし  見外
いつものとほり梅のさく庭    友昇
海苔きぬた折に聞ゆる風吹て    外
追ねは鶴もようあそふなり     昇

・・ 

676秋魚:2016/06/18(土) 00:47:46
(無題)
元禄8年(1695年)、各務支考は深川芭蕉庵を訪れた。

むかし此叟の深川を出るとて、此草庵を俗なる人にゆづりて

草の戸も住みかはる世や雛の家

・・今はまことに、すまずなりてかなし。


元禄11年(1698年)、惟然、江戸に入り、深川の芭蕉庵を訪れる。

   深川の舊菴にて

こゝらにはまたまた梅の殘とも

『けふの昔』

   深川庵

思ふさま遊ぶに梅は散らば散れ


・・芭蕉庵は、どうあっても梅なのか?



広瀬惟然

鳥の羽風に梅の花散るを見て隠遁。

千斤ノ金有ルモ林下ノ貧ニ如カズ

    ひだるさに馴れてよく寝る霜夜哉
    水鳥やむかうの岸へつういつい


・・此人のむすめは尾張名護屋の豪家に嫁したるを、かく風狂しありく後は音信もせず。あるとき名古屋の町にて行あひたり。女は侍女下部など引つれてありしが、父を見つけて、いかにいづこにかおはしましけん、なつかしさよとて、人目も恥ず、こつがい乞丐ともいふべき姿なる袖に取つきて歎きしかば、おのれもうちなみだぐみて、

両袖に唯何となく時雨哉。

といひ捨てはしり過ぬとなん。

・・

677秋魚:2016/06/20(月) 22:28:57
(無題)
>・・戸隠山の九頭龍信仰の源は戸隠神社の九頭龍大神である[1]。・・西暦800年代の中盤頃の話として、「学門」という名の修行者の法華経の功徳によって、九つの頭と龍の尾を持つ鬼がこの地で岩戸に閉じこめられ、善神に転じて水神として人々を助けたという言い伝えが残されている(調伏善龍化伝承)。

・・その後、九頭龍権現として崇められ雨乞いが行われた[2]。雨と水を司る他、歯痛の治療にも霊験があり、好物の梨[1]を供えると、歯の痛みを取り除いてくれるとされている

・・玉藻の前は、金色九尾の狐の化身。那須野で射止められる。

> 那須 与一(なす の よいち、嘉応元年(1169年)? - 文治5年8月8日(1189年9月19日)?)は、平安時代末期の武将

・・治承・寿永の乱において、源頼朝方に加わり、源義経に従軍。元暦2年(1185年)の屋島の戦いでは、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とす

678秋魚:2016/06/20(月) 23:29:27
(無題)
・・武州杣保谷村の真浄寺にある「時雨桜」について、日野資枝の詠んだ歌は、

さくら花木梢のしつくおつるより幾世しくれの名にやふりけむ


・・資枝の子資矩もまた歌を寄せている。

武州入間郡杣保内谷野村真浄寺門前に二株の桜あり此木四時もわかたす雫絶へすおつこといつも神無月になれば昼夜やすみなく落ちて其床しきこと雨の如しとそ此こゝろを従一位殿称しつかわさる今又資矩にも歌よめと望にきかせて』と云ふ前書きで

花もあれと枝のしつくの名にしおふ、しくれのさくらよゝおけるかな

正二位 資矩


・・このように京の堂上の歌人親子から、二つながらに歌を詠まれたしぐれ桜とは、とりわけてゆかしいものであっただろう。

・・武蔵野の片田舎の学問僧浄月律師が、歌詠みの習いを京の日野資枝に願った。その時の入門書のようなものが残されている。

「為和歌御門弟取伝候條々不存疎略儀他門輩堅不可口外候尤此道永得心可致可習練候於て違背者可蒙大小神祇御罸候仍誓状如件

年 号 月 日      日野家司中」

・・ある種古今伝授にあわせた誓文にみえる。

(これは秘伝であるからけして口外してはならぬ)

・・この二人の公家が、実際、武蔵野の青梅まで訪ねてしぐれ桜の花を眺めたか、そうでなくては歌も詠めまい。弟子が師に歌を詠めなどいっていいものかどうか気になるものだが、これは主客の反転?

歌詠めといってるのは、浄月ではなく桜の木であろう。


    *

・・文明三年(1471年)、東常縁は美濃国妙見宮(現在の明建神社)において連歌師宗祇に古今集の伝授を行った。

岐阜県郡上市大和町牧814-1  北緯35度48分42.48秒 東経136度55分24.79秒

 「切紙伝授」というのがある。

679秋魚:2016/06/28(火) 21:53:45
(無題)
・・います山中を過て、いにしへ常盤の塚あり。伊勢の守武がいひける「よしとも殿に似たる秋風」とは、いづれの處かにたりけん。我もまた、
   義朝の心に似たりあきの風

・・野ざらしの旅で芭蕉が関が原の常盤の墓をみて詠んだ句。この常盤の墓は偽作なのは今では分かっている。芭蕉翁そんなこと詮索するヒマはなかったか。守武の付句にあわせた句を残す。・・江戸武蔵野にいて杣山よりの青梅や飯能まではたぶん一度たりと足を運んでいないのがわかる。常盤はおそらく関が原を越えて東国までやってきているはずだ。青梅飯能の常盤伝説はよほど信じられる。・・大垣に入って「死にもせぬ旅ねの果よあきのくれ」など言ってるから、常盤の死などかまってられぬというのがあったか。にしてもいい気なものだ。俳諧とはこういうものかもしれぬが。

・・もうひとつおもしろい文芸に立ち会った。吉田兼好『徒然草』第六段・・「聖徳太子の御墓をかねて築かせ給ひける時も、『ここを切れ、かしこを断て、子孫あらせじと思ふなり』と侍りけるとかや」。太子が生前自分の墓をつくるに子孫を残すまいとの意思表示でよく知られている言葉だ。『聖徳太子伝暦』という古書に書かれたものを兼好が読んでいたものと思われる。
「・・冬十二月、太子が駕を命じて、科長の墓処にて墓を造る者を覧る。直ちに墓内に入り、四望して左右に謂ひて曰く、此処を必ず断て、彼処を必ず切れ、まさに子孫のあとを断やすべからしめんと欲すと。墓工、命に随ひ、断つべきものは断ち、切るべきものは切る。太子、おほいに悦ぶ」

・・吉田兼好もよほどおめでたい歌人だ。聖徳太子伝の古典に書かれた言葉をまったく疑いもしないのだから。後太子ばかりでなく太子一族二十五人がこぞって昇天したのを何が悦ばしいものか。

680秋魚:2016/06/29(水) 19:09:22
(無題)
神垣やおもひもかけず涅槃像

・・芭蕉が伊勢外宮の境内で詠んだ句。笈の小文の旅にある。

涅槃会に開帳されていたなら、二月十五日。神宮で涅槃像に出くわすとは、思いの外。
元禄元年のことだが、神仏習合があったか。



・・法隆寺五重塔北面の涅槃像。


「是の時に、諸王諸臣及び天下の百姓、悉に長老は愛き児を失へるが如くして、塩酢の味、口に在れども嘗めず。少幼は慈の父母を亡へるが如くして、哭き泣きつる声、行路に満て李り」(書紀)



「・・生駒山に逃亡した。家臣の三輪文屋君は、「乘馬詣東國 以乳部爲本 興師還戰 其勝必矣」(東国に難を避け、そこで再起を期し、入鹿を討つべし)と進言するが、山背大兄王は戦闘を望まず「如卿所 其勝必然 但吾情冀 十年不役百姓 以一身之故 豈煩勞萬民 又於後世 不欲民言由吾之故 喪己父母 豈其戰勝之後 方言丈夫哉 夫損身固國 不亦丈夫者歟」(われ、兵を起して入鹿を伐たば、その勝たんこと定し。しかあれど一つの身のゆえによりて、百姓を傷りそこなわんことを欲りせじ。このゆえにわが一つの身をば入鹿に賜わん)と言った。山中で山背大兄王発見の報をうけた蘇我入鹿は高向国押に逮捕するように命ずるが断られる。

結局、山背大兄王は生駒山を下り斑鳩寺に入り、11月11日(12月30日)に山背大兄王と妃妾など一族はもろともに首をくくって自害し、上宮王家はここに絶えることとなる」 wikiより

・・wikiなどの記事は大方日本書紀を元に述べてある。山背大兄王とその一族殺害の首謀は曾我入鹿ただひとりのごとき。

『上宮聖徳太子伝補闕記』では、

「・・癸卯年十一月十一日丙戌、亥時、宗我大臣、并びに林臣入鹿、致奴王子児名軽王、巨勢徳太古臣、大臣大伴馬甘連公、中臣塩屋枚夫等六人、悪逆至計を発して、太子子孫男女廿三(五)王、罪なくして害せさる」

・・軽皇子なんかも共犯に名を連ねてあるが。

・・『日本書紀』は疑ってかかるべきか。

681秋魚:2016/07/01(金) 21:21:38
(無題)
・・九尾の狐は、若藻という十六才の少女に化け、吉備真備の乗る遣唐使船に同乗し来日を果たしたとされる。この時、吉備真備が唐からもち帰った奇文に「野馬台詩」というのがある。

「・・大臣吉備真備が遣唐使として唐の国にいた頃、その学識に恐れをなした唐人は、彼を高樓に登らせて梯子を外し、そこに住む鬼に殺させようとした。
 しかし、吉備大臣の前に現れた鬼は、自分もまた遣唐使として入唐した際、高樓に閉じ込められて死んだのだと身の上を語り、同じ日本人のよしみで吉備大臣に唐国のことをいろいろと教えようと申し出た。・・吉備大臣は鬼の助けを得て、唐人が出す難問(『文選』の解読、囲碁の名人との勝負)を次々とクリアしたが、最後に出てきた宝志作という不思議な暗号文には手も足もでない。そこで思わず日本の仏神を祈った時、屋根から一匹の蜘蛛が落ちてきて、その文の上を這いまわった。吉備大臣がその糸の跡を目で追うと、それまで見当もつかなかった暗号がすらすらと読めたのである。かくして、吉備大臣は『文選』や囲碁と共に『野馬台詩』を日本に持ち帰ることになった。」

・・高樓で友になった鬼は阿倍仲麻呂ではないかといわれる。

吉備 真備(きび の まきび、持統天皇9年(695年) - 宝亀6年10月2日(775年11月3日))

・・この『野馬台詩』、梁の預言者、宝誌のつくったものといわれる。

宝誌(ほうし、 418年(義熙14年) - 514年(天監13年))は、中国の南朝において活躍した神異・風狂の僧である。

・・普通元年(520年)、達磨は海を渡って中国へ布教に来る。9月21日(10月18日)、広州に上陸。当時中国は南北朝に分かれていて、南朝は梁が治めていた。

禅の開祖達磨大師が梁の武帝と交わした問答がある。

帝問曰 朕即位已來 造寺寫經度僧不可勝紀 有何功?
師曰 並無功?
帝曰 何以無功?
師曰 此但人天小果有漏之因 如影隨形雖有非實
帝曰 如何是真功?
答曰 淨智妙圓體自空寂 如是功?不以世求
帝又問 如何是聖諦第一義
師曰 廓然無聖
帝曰 對朕者誰
師曰 不識
帝不領悟
師知機不契

・・


ところで、野馬台詩のはじめは

東海姫氏國(東海姫氏の国)
百世代天工(百世天工に代る)
右司爲輔翼(右司輔翼と為り)
衡主建元功(衡主元功を建つ)
初興治法事(初めに治法の事を興し)
終成祭祖宗(終に祖宗の祭りを成す)

・・この東海姫氏國は、日本のことと言われている。

今見る漢字の並びが吉備真備が見定めたものか、そうとしてなお難解な詩文にはかわりない。

法隆寺五重塔東面の塑像は、維摩詰vs文殊の構図。よく知られた問答があるという。

>・・彼が病気になった際には、釈迦が誰かに見舞いに行くよう勧めたが、舎利弗や目連、大迦葉などの阿羅漢の声聞衆は彼にやり込められた事があるので、誰も行こうとしない。また弥勒などの大乗の菩薩たちも同じような経験があって誰も見舞いに行かなかった。そこで釈迦の弟子である文殊菩薩が代表して、彼の方丈の居室に訪れた。

・・文殊が「どうしたら仏道を成ずることができるか」と問うと、維摩は「非道(貪・瞋・痴から発する仏道に背くこと)を行ぜよ」と答えた。  wikiより

維摩居士

>・・古代インド毘舎離城(ヴァイシャリー)の富豪で、釈迦の在家弟子となったという。もと前世は妙喜国に在していたが 化生して、その身を在俗に委し、大乗仏教の奥義に達したと伝えられ釈迦の教化を輔(たす)けた。

維摩詰vs文殊の構図は、法隆寺の他に興福寺のものが際立っているが、これは鎌倉時代の創作。

維摩居士像 定慶作、木造 88.6センチ、鎌倉時代・建久7年(1196)

おもしろいのは、興福寺の創建。

>・・藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国山階(現京都府京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。

和銅3年(710年)の平城遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた[注 1]。この710年が実質的な興福寺の創建年といえる。 wikiより

藤原鎌足 推古天皇22年(614年)・・死没 天智天皇8年10月16日(669年11月14日)

法隆寺全焼 天智天皇九年(670年)庚午の歳四月三十日の夜半において、一屋無余の火災に罹った(書紀)

・・書紀によれば、山階寺(興福寺)669年の翌年に法隆寺は跡形もなく焼けた。


   *

・・ところで、芭蕉は法隆寺を一度は訪ねたことがあるか?

記録の上からは奈良には数度訪れてはいるが、法隆寺に訪れたという痕跡はみあたらない。「菊の香や奈良には古き仏たち」元禄七年没年九月九日に詠んだ句があっても、特段に法隆寺の仏というわけではない。・・にしても、一度は法隆寺を訪ねているとみる。


観音のいらかみやりつ花の雲

貞享三年(1686)『末若葉』 (花の雲)かねは上野か浅草かと聞えし前の年の春吟也。尤病起の眺望成べし。一聯二句の格也。句呼句とす」

 草庵

花の雲鐘は上野か浅草か

「続虚栗」貞享四年

・・芭蕉病起の句に、維摩居士の病起と文殊の訪れを重ねてみるのも、おもしろい。


    *

・・『野馬台詩』江戸期の受容だが、

室町後期の写本
『野馬台縁起』 - 東大寺(戒壇院経蔵)蔵(大永2年(1522年))写本
『歌行詩』系写本 - 『長恨歌』『琵琶行』『野馬台詩』を合編した写本群、享禄4年(1531年)写の三重大学図書館蔵本が現存最古とされる

江戸期の刊本
『歌行詩三部抄』 - 寛文9年(1669年)、京都・山村伝右衛門刊
『歌行詩三部首書』 - 延宝3年(1675年)以前刊か
『歌行詩諺解』 - 貞享元年(1684年)刊
『歌行詩詳解』 - 貞享2年(1685年)刊
『野馬台詩国字抄』 - 寛政9年(1797年)刊、文政5年(1822年)再版
『野馬台詩余師』 - 天保14年(1843年)刊、『経典余師』シリーズの1冊、弘化3年(1846年)再版


・・『長恨歌』『琵琶行』『野馬台詩』合本になったものは、芭蕉も読んでいたとみる。

井月の生まれた年(1822)に『野馬台詩国字抄』が再版。『野馬台詩余師』は、天保14年(1843年)刊、弘化3年(1846年)再版。・・天保14年(1843)は芭蕉百五十回忌。弘化3年(1846年)は善光寺地震の前年になる。

黒船来航、幕末にむけてある種の流行であったというから、井月も必ず読んでいたであろう。

682秋魚:2016/07/02(土) 22:47:55
(無題)
・・芭蕉は斑鳩の法隆寺を訪ねたが、狼狽したのではないか。俳句の感興はおこらなかった。感興は絶大にあったが、発句というまとまりには到らなかった。「菊の香や奈良には古き仏たち」、なんとも平たい凡句とみえる。明治になって正岡子規が「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだ。これが傑作というのを誰か正面から解き明かしたものがいるのか。子規のこの句はひどい駄作とみるのは、わたしだけか。芭蕉が発句にしくじった法隆寺。子規がかるがると法隆寺を詠んだから傑作というだけかもしれない。そういう近代の俳句の方法を提示した。それは近代においてだけ有効な句作だ。

・・いまは多くの小中学生が法隆寺の句を詠んで競っているらしい。法隆寺の謎をめぐる多くの新説も華々しい。梅原猛『隠された十字架』など白眉といえる。・・芭蕉−子規の間に、法隆寺を句にしたものはいないのか?天明の俳人・加舎白雄の全集を借りてみた。国文社から上下立派なものが出ている。ほとんど借り手がいないのか、新本のまま枝折の使用もない。

・・法隆寺ではなく、聖徳太子の墓所と思われる叡福寺の古墳を訪ねた記事がある。
「くづれさせたまはぬよりも、此科長の里にかくをくつきをいとなみ、みくらゐに換て扶桑仏法の祖とあふがれさせ給ふ。帰寂のゝち空海上人報謝して数百の法界石を禁禦し非常をしづめたまひしと。それさへ千載におよびツゝすゞろにたのもしく蔓草のおのがじゝに這ワたりて日暮の地籟道心をおこさしむるぞ尊ふし。
 築墻や梵字をめぐるなツのあかし
 右斑鳩王御廟    」

・・白雄翁、ホッとする。


甲斐の黒駒

「・・太子は推古天皇6年(598年)4月に諸国から良馬を貢上させ、献上された数百匹の中から四脚の白い甲斐の烏駒(くろこま)を神馬であると見抜き、舎人の調使麿に命じて飼養する。同年9月に太子が試乗すると馬は天高く飛び上がり、太子と調使麿を連れて東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると、3日を経て都へ帰還したという。」

・・法隆寺以前の逸話だが、黒駒で富士を越えたあと馬を休めて下馬した伝説の地がある。甲州勝沼の万福寺だ。馬蹄石という石がモニュメントとして残っている。野ざらしの旅の帰路、芭蕉がここに寄ったのではないかというので、翁百回忌も営まれた。


駒づかや世にとゞろきの影高し  可都里
道は奥ある苔のしたゝり     作良
風かをる旅の餌ぶくろ紐ときて  白亭
赤松どのゝ京入の月       田鶴村

・・


・・太子は黒駒に乗って富士山を越え、次に信濃に廻ったとある。大雑把な話だがこれは信濃の何処に訪れたのか。長野にある善光寺には太子伝承があるが、善光寺の開基は皇極三年(644)といわれ、この善光寺に立ち寄ったわけではない。・・そうとして善光寺の太子伝承は興趣ふかい。

>・・奈良の法隆寺の寺宝に「聖徳太子の御文箱」と呼ばれているものがあります。その中には信州の善光寺如来が聖徳太子に宛てた手紙が入っていると伝えられてきました。X線撮影でも三通の文書の存在が確かめられています。封印されていますので、誰も読んだ人はいないはずでした。ところが、明治政府の強引な調査(明治五年)により開封され、そのうちの一通だけ写しが国立東京博物館に存在します。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou58/kai05806.html

・・善光寺如来と聖徳太子の往復書簡の存在など、前代未聞ではないか?古田史学会の古賀達也氏の年号による謎解きも興味深いが、何よりも善光寺開基の644年には太子はまだ生存していた証の書簡になる。太子の没年は一応622年という。

683秋魚:2016/07/04(月) 22:03:01
(無題)
>・・人王九十五代(※九十六代とも)に当たり、天下一たび乱れて主安からず。
この時、東魚来たりて四海を呑む。
日、西天に没する三百七十余日、西鳥来たりて東魚を食う。
そののち、海内一に帰すること三年、ミ猴(ミコウ:猿の意味)のごときもの
天下をかすむること三十余年、大凶変じて一元に帰すなり。

・・楠正成が四天王寺でみた太子「未来記」。後醍醐天皇の幕府転覆を予言されていると読む。

>「・・人王八十六代の時、東夷来りて、泥王国を取る。七年丁亥歳三月、閏月あるべし。四月二十三日、西戎来り、国を従へ、世間豊饒となるべし。賢王の治世三十年、しかる後、空より獼猴、狗、人類を喰らふべしと云々」

『明月記』定家

684秋魚:2016/07/05(火) 12:02:26
(無題)
菊の香や奈良には古き仏達
菊の香にくらがり登る節句かな
菊に出て奈良と難波は宵月夜

月影や四門四宗も只一ツ
俤や姨ひとり泣月の友

・・奈良の過去世にさほど深入りしない。多くの仏たちを認知はするが離れようとする。
善光寺においても月影のもとで多々ある宗派をひとつにまとめる。

・・「菊の香や」はもう最晩年。くらがり峠は奈良から生駒を越えて大坂に入る最短の道。ほんのりと死の薫習のかおりがする。翁、この後大坂で死没。

・・加舎白雄はよく歩いた。

「あすかのみやしろ橘寺拝ミめぐりしに、艸しげき中より手のひら斗なる瓦を拾ひて
 ゆりが根に千とせの瓦得てし哉
こゝろに興じて行々が中にも
 橘もあすかの里も砧うつ
かく聞へし師が遺草いとなつかしく、そこに一夜をやどる。
 岡の町に夏夜衣うツ宿も哉 」

・・橘寺は太子創建。生地に近い。「かく聞へし師」というのは、誰だろう?


・・天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)は、奈良県斑鳩町の中宮寺が所蔵する、飛鳥時代(7世紀)の染織工芸品。・・銘文から聖徳太子の死去を悼んで橘大郎女妃が作らせたという。

「天寿国繍帳」とは、「聖徳太子が往生した天寿国のありさまを刺繍で表した帳(とばり)」の意。
「天寿国」とは、阿弥陀如来の住する西方極楽浄土を指すもの

>・・辛巳の年(推古天皇29年・西暦621年)12月21日、聖徳太子の母・穴穂部間人皇女(間人皇后)が亡くなり、翌年2月22日には太子自身も亡くなってしまった。これを悲しみ嘆いた太子の妃・橘大郎女は、推古天皇(祖母にあたる)にこう申し上げた。「太子と母の穴穂部間人皇后とは、申し合わせたかのように相次いで逝ってしまった。太子は天寿国に往生したのだが、その国の様子は目に見えない。せめて、図像(かた)によって太子の往生の様子を見たい」と。

橘大郎女(たちばな の おおいらつめ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。聖徳太子の妃。父は尾張皇子(敏達天皇の皇子)で推古天皇の孫にあたる。子に白髪部王、手嶋女王。

尾張皇子 − 位奈部橘王(いなべのたちばなのひめみこ)、

  斯帰斯麻  宮治天下  天皇名阿  米久爾意
  斯波留支  比里爾波  乃弥己等  娶巷奇大
  臣名伊奈  米足尼女  名吉多斯  比弥乃弥
  己等為大  后生名多  至波奈等  己比乃弥
  己等妹名  等巳弥居  加斯支移  比弥乃弥
  己等復娶  大后弟名  乎阿尼乃  弥己等為
  后生名孔  部間人公  主斯帰斯  麻天皇之
  子名ヌ奈  久羅之布  等多麻斯  支乃彌己
  等娶庶妹  名等巳弥  居加斯支  移比弥乃
  弥己等為  大后坐乎  沙多宮治  天下生名
  尾治王多  至波奈等  巳比乃弥  己等娶庶
  妹名孔部  間人公主  為大后坐  濱辺宮治
  天下生名  等巳刀弥  弥乃弥己  等娶尾治
  大王之女  名多至波  奈大女郎  為后歳在
  辛巳十二  月廿一癸  酉日入孔  部間人母
  王崩明年  二月廿二  日申戌夜  半太子崩
  于時多至  波奈大女  郎悲哀嘆  息白畏天
  皇前日啓  之雖恐懐  心難止使  我大王与
  母王如期  従遊痛酷  无比我大  王所告世
  間虚仮唯   仏是真玩  味其法謂  我大王応
  生於天寿  国之中而  彼国之形  眼所*看
  稀因図像  欲観大王  往生之状  天皇聞之
  悽然告曰  有一我子  所啓誠以  為然勅諸
  妥女等造  繍帷二張  画者東漢  末賢高麗
  加西溢又  漢奴加己  利令者椋  部秦久麻


「橘寺はまた菩提寺と云ふ。
金堂は一間四面二階、救世観音像を安んず。講堂は五間四面、丈六の釈迦像を安んず。五重塔。推古天皇の御前において、太子、勝鬘経を講ずること五六日、竟りの夜、蓮華零る。花の長さ二三尺、方三丈の地に溢る。明旦、これを奏す。天皇大いに奇として車駕にしてこれを覧たまふ。即ち其の地において寺堂を立つを誓ふ。是、今の橘寺なり。菩提寺なり。」


・・ところで、加舎白雄は、実際、富士登山をしている。

「富峰登山の吟

七月四日也けり、吉田口より攀ツゝ、大ゆきあひとかやいふ石室に一夜をあかしつるに、朝日おがまんと人のなミツゝ、あはれなる声して称名をとなへ、我も塵うちはらひそこに出て、只別世界なる事を、
 日をのぞむいたゞきやこれ不二の峰
するが路にて、
 いく時雨不二の曙ゆふべ哉   」

・・芭蕉の弟子で、誰か、富士登山を試みたものがいるのだろうか?

・・不二の表記、白雄は維摩の不二法門をかじっているのがわかる。ご来光を拝むのは、わたしもよく知っている。

685秋魚:2016/07/08(金) 21:00:38
(無題)
馬ぼくぼく我を絵に見る夏野かな

秣おふ人を枝折の夏野哉

行駒の麦に慰むやどり哉
 

686秋魚:2016/07/09(土) 01:44:55
(無題)
天明6年(1786年)、記念集『葛の葉表』(伯先編)刊。自序。白雄跋。

・・伊那谷の中村伯先のもと白雄門が結集した。

葛の葉のおもて見せけり今朝の霜  翁

霜そのまゝに葛の葉表   伯先

・・

葛の葉は昼を寐る鹿の枕哉?? 白雄

白鷹の葛かいつかむ嵐かな   伯先


*「葛の葉の表見せけり、此句は、一たび嵐雪が翁にそむきし事の直り侍る
時に、幸に書て遣はされ候句也。」

おもしろいのは、早川石牙。

菴に落る椿の音を聞くらす   甲さし出の磯  石牙

太枡事件で甲州を逃亡する以前の出句。同じ「甲さし出の磯」の門連も多く句を寄せている。

里童ぬれありく見ゆ花の寺       甲州台ケ原 台眠
ひかるゝやあるじをしらぬ梅の宿    甲さし出磯 閨歌
雪おれの竹にかくれて梅の花      甲さし出磯 春路
春雨や湯豆腐いまだに捨られず   ??甲州石和 高牛
もの寒きなさけにや降はるの雨     甲州藤田 黒沢
庵木には倦ともあかぬ柳哉       甲州 敲氷
水に落ちからに重き椿かな   ???????? かひの暮地 墐井
菴に落る椿の音の聞くらす   ???????? 甲さし出磯 石牙
松の風きくを子の日のあそび哉  ??  甲さし出磯 百朶
しばらくは梵誦も笠ぬげ花の影  ???? 甲さし出磯 何鳥
夜ざくらや酒うる家の遠あかり   ???? 甲さし出磯 長古
鐘の音も和らかにひるの桜哉   ??????甲さし出磯 如洗
とふ人にまつはる見ゆ藤の花  ?????? 甲州韮崎 巴本


吹いるゝ梅を栞や宇治拾遺   八王子の星布

武蔵野の近いところでは、武蔵村山連、我(吾)野連も熱心。

落栗の籬にいりしひとつ哉   武毛呂  碩布


・・これは、極め付き。

687秋魚:2016/07/10(日) 23:30:08
(無題)
・・多摩川を昔は玉川と表記した。江戸の頃の話ですが。『玉川泝源日記』(山田早苗)天保十三年刊(1842)という幻の本がいま手元にある。なぜ幻かというに、多摩川の源流を求めた記録のもっとも古くかつ実際の日の目をみたのは昭和45年という長く幻の古書とされてきた。先日奥多摩湖から丹波山村へ丹波川沿いにその奥を廻って柳沢峠にでた。その丹波川渓谷の三重川原というのが水源という。三つの流れが一つに交わるところという。・・しばし待てよ。この本はすごい。

・・「武蔵野は山なし」といふ歌六首

武蔵野は月の入るべき嶺もなし尾花の末にかかる白雲  大納言通方(続古今)
いとど猶かすめば遠し山の端はさらでも見えぬ武蔵野の原  源知行(新千載)
武蔵野やしばしやすらへ時鳥おのが入るべき山の端もなし  藤原教実(夫木)
東路の足柄こえて武蔵野の山もへだてぬ月をみるかな   藤原時朝(同)
武蔵野は山の端しらぬ習ひにも富士の高ねは猶ぞ見えける  最信法師(同)
小男鹿の夜半の草臥しあけぬれば帰る山なき武蔵野の原  (定家家隆撰歌合に)

「山も見ゆる」と詠めるを一首
武蔵野もさすが果てある日数にや富士の嶺ならぬ山も見ゆらん  宗久法師(新後拾遺)


・・武蔵野も多摩川を遡れば山の中に入る。加舎白雄は、甲州街道で多摩川にでるあたり、谷保天満宮に寄った形跡がある。

武野天満宮奉納(谷保天満)
むさし野に松梅多きところ哉
宿の梅といはるゝ宿よ松もよき
梅が香や鮒ひつかけし釣の糸
梅をりに舟よぶ多摩の渡かな
梅折に船よぶ多摩のわたり哉


・・石田の渡しで府中から日野にわたる。幕末の頃は、土方歳三の生家があった。


夕風や野川を蝶の越しより
あるが中に野川流るる女郎花
ふたまたになりて霞める野川かな

・・この野川は、国分寺、三鷹、調府を流れる湧水の川か。多摩川にそそぐ。


武蔵野や一寸ほどな鹿の声

・・芭蕉の武蔵野は、あまり歩いていなかったようだ。深川の庵あたりも武蔵野ととらえていたようだから、歩いてはいるが、広きにわたる散策はやっていない。鹿の声をほの聞く武蔵野は想像上のものであってかまわない。延宝3年、芭蕉32歳の時の作。

・・「西行物語」武蔵野の段を思い描いていたか。

「・・さしていづくをこころざすともなければ、月の光に誘はれて、はる/\とむさしの國に分け入るほどに、をばなが露に宿る月、すゑ越す風に玉散りて、こはぎがもとの蟲のねいと心細く、武蔵野の草のゆかりをたづねけむもなつかしく、宿をば月に忘れて、あすの道行きなむと口誦みて行くほどに、道より五六町ばかりさしいりて、きやうをどくじゆする聲しければ、人里はこの末にはるかに隔たりけるとこそ聞きしに、・・」

688秋魚:2016/07/12(火) 22:08:23
(無題)
「・・廿六日(天保十三年九月)、境、原(温泉あり)、河内、麦山、川野、留浦(東は武州多磨郡、国境、御代官の榜示杭たちたり)。(西は甲州都留郡)鴨沢村なり。親川山の九十九折りをのぼるに、紅葉の染たる盛りにて、麗しさ、見上げ見おろしたるひまより玉川(丹波川とも云、この辺は川幅いとせまし)の流れに紅葉の散り浮かめるを―

  もみじばを散らせる風が手作りの錦をさらす玉川の水  早苗

 紅葉の夕映えにいみじきを一枝手折りて、守岡氏がり(?)つどひしつ。去年の丹波川逍遥の楽しきことを友たちに語りて、ほこりたりき。又、こたびはいかで水元に分けいり、ついでに黒川の金山も見まほしく来たけりといへば、あるじは心得つとて、宵より山路をわきまへたる狩人を道しるべに語らひまうけせられけり。」


  多摩川にさらす手作りさらさらになにぞこの子のここだ愛しき

・・万葉集のこの歌の多摩川よりずっと上流のさらす錦は格別です。

「・・翌菊月廿七日の空のどかなり。しるべの狩人は用心に鉄砲たづさへて、火縄ふりたてて、さきに立ちゆく。割子をもたせけれど、一夜たどるべくと思へば、餉のかはりに米を袋に入れてもたせつ。さて、三、四町ばかりゆきて、丹波川の上の方の瀬々細く流れたり。石をつたひ、わたりゆくに、一瀬はいみじく激浪に見渡されて、わたり三間ばかりの所に広さ一尺五寸ばかりなる板一枚、橋にかけわたしたり。これを若人はこともなく渡りけれど、予は老の足元のおぼつかなければ、いかにせんとためらひける。この下の程、四町ばかりゆけば、よき板橋かかりければ廻り給へといへども、いかでこれらを渡らでやはと、しるべのものと従者を力に渡りゆく。半ばばかりに板たわみゆき、揺れうごきて、おそろしう思ひつつ、渡りはてて、いきいでつ。・・それより峡沢山といふ

689秋魚:2016/07/14(木) 21:51:03
(無題)
天保十三年(1842)、山田早苗が玉川の源流をさかのぼった。

・・

笹川繁蔵(ささがわ の しげぞう) 文化7年(1810年)- 弘化4年7月4日(1847年8月14日)

>・・相撲に夢中になるあまり江戸へ出て、千賀ノ浦部屋に入門し岩瀬川を名乗るが1年あまりで廃業。この頃から博打を打つようになり侠客の道に入り、千賀ノ浦部屋の同門で郷里の近い勢力富五郎と共に笹川に帰郷すると一家をおこした[3]。天保13年(1842年)には、笹川須賀山明神の例祭日を利用して、農民救済のために地元の商人宿・十一屋で花会(親分衆のみを客とした賭場)を開く[4]。繁蔵は関東東海地方で名前の知られる大親分に手当たり次第に回状を送り、十一屋の花会には、清水次郎長、国定忠治、大前田英五郎なども駆けつけたと講談『天保水滸伝』では伝えているが、当時次郎長はまだ売り出し前であり、国定忠治も手配書が出て逃亡中であったため、真偽は不明

・・同じ頃、銚子の陣屋から十手を預かる飯岡の大親分・飯岡助五郎と勢力を争う。初め良好だった両者の関係は、笹川一家の勢力が拡大して飯岡一家の縄張と隣接するようになると、どちらにもついていない中間地帯の賭場の寺銭を巡って緊迫し、遂には双方の親分自身が命を狙い狙われるまでになる[6]。天保15年(1844年)8月6日、御用召捕りと称して利根川の水路と陸路の二方面から笹川に侵入してきた飯岡一家と戦い、須賀山明神の境内で飯岡側を一時は敗走させた(大利根河原の決闘)。

・・

国定 忠治(くにさだ ちゅうじ、忠次とも、文化7年(1810年) - 嘉永3年12月21日(1851年1月22日))は、江戸時代後期の侠客である。

>・・忠治は上州勢多郡大前田村(群馬県前橋市)の博徒大前田英五郎の縄張りを受け継いで百々村(どうどうむら)の親分となり、日光例幣使街道、間宿の境町を拠点とする博徒で英五郎と敵対する島村伊三郎と対峙する。・・天保9年(1838年)には世良田の賭場が関東取締出役の捕手により襲撃され三木文蔵が捕縛され、忠治は文蔵奪還を試みるが失敗し、関東取締出役の追求が厳しくなったため逃亡する。忠治は文蔵に加え子分の神崎友五郎や八寸才助らも処刑され一家は打撃を受けた。

さらに天保12年(1841年)には忠治の会津逃亡中に玉村主馬が山王民五郎を殺害して反撃にでると、翌天保13年に忠治は帰還し主馬を殺害する(この際に忠治は子分に「洋制短銃」をもたせている)。関東取締出役は天保10年に出役の不正を摘発し人員を一新して体制の強化をはかり忠治の捕獲を試みているが、天保13年8月に忠治は道案内(目明し)の三室勘助・太良吉親子を殺害し・・

・・

花の雲句碑

>「観音の甍(いらか)みやりつはなの雲」 清水寺に登る石段のふもとにある芭蕉句碑で、高さ1.62メートル、幅1.36メートルの大きさです。

高崎の俳人西馬(さいば)が西上州の俳人たちとはかり、天保13(1842)年3月28日に清水寺で芭蕉150回忌追福のための百韻興行を催しました。江戸から田川鳳朗や久米逸淵も参加するなど盛大な句会となりました。


・・天保十三年。高崎清水寺の後背地は博徒侠客の跋扈乱舞がすさまじい。


天保壬寅三月二十八日於上毛清水寺興行
一百五十回忌追福正式俳諧百韻

観音の甍みやりつ花の雲
    祖翁

残るかたなき春の日のかけ
   西馬

   碑前手向

はせを忌のひとふしなれや花のかけ
   碩布

めくりあひむかしのけふの花の雲
   逸渕

花に只手を合はせたるはかりなり
   信濃 葛古

けふの我こゝろを啼や呼子鳥
   武蔵 寄三

面影にたつや霞のかれ尾花
   青荷

行春やこゝろを洗ふ椎の露
   上毛 竹煙


・・

690秋魚:2016/07/15(金) 14:12:24
(無題)
・・それより峡沢山といふ高かる山のつづら折りをのぼる程に、木ども更になき芝山にて、所々に清水わき出づるが見渡さる。をちこちなるが次第に流れ合ひて、麓にいたりては峡沢(貝沢)といふ小川になりて、丹波川に会せり。さて二十町ばかりゆきて、峡沢山の一つ家といふあり。立寄るまへに、畑作りたり。いささか平地あり。馬も飼ひたり。そこよりさがしき坂をのぼりて、横端といふ岨道をゆきて、舟越山といふ小峰のたわに至る。・・ここにもいささか畑を作りて、大豆の立枯れたるがみゆ。そこは峰つづきたる絶頂のうち、たわみたるやうに低き所なり。板屋低く作りたるありて、老の夫婦住みたり。丹波山より二里余。立寄りけるに、鉄砲掛けてみゆ。あるじの名を問ひけるに、定吉といひて、年は七十五歳になりぬといへり。茶を乞ひて、割子をとり出して喰ひぬ。おほばが桃をとり置きたりとて、籠にいれたるを給はる。柔かにて、味はひいみじ。いまも枝になりてありと云。

 世の常の味はひならず山人の三千とせもへん桃にぞあるらん  早苗

・・又、この山のあなたに、清吉といふが住めりと云。打越え、さがしき坂をくだりて三重川原に至る。かく分け入りぬるは、幽谷の細流れにて、すさまじき処なり。予が思ひわたりぬる願ひは成りにけれど、嗟我僕痛、何吁かな。岩根は落葉に埋もれ、いばらなどかきわけつつ二町ばかりゆきて、大巌ひとつ細流れをせきたり。さるを、大岩の上へ一丈あまりよぢのぼりて、まず、しるべのものにその谷川を問ひけるに、一の瀬川と云。この上に一の瀬村といふあり。そこの山より出づる谷川なりと云。見るに、浅瀬にて、底もよくみえすく。三、四間ばかりの広さの石川なり。」


 丹波川、一之瀬川、柳沢川がひとつになるあたりが三重川原か?この辺はまったくわからない。絶壁の大峡谷の下のほうに道があるのかもしれない。人家など一つもなかった。左手の丹波川から奥深く迂回して塩山にむかう柳沢川を左手にみるまで、まったく冥府とみえた。川の内側にあるのが鶏冠山(黒川山)といって金が採れた山だ。金鉱採掘の部落も昔はあっただろう。こういうところは殺伐としてキナ臭いものだ。

・・片岡千恵蔵が机竜之介を演じる「大菩薩峠2部」をみた。天誅組で吉野の木津川から伊勢、東海道に流れ、駿河から富士川沿いの身延道で甲州にむかう。幕末文久三年(1863)よりのこと。甲斐の金山の街が舞台だから、あれは大菩薩峠を降ったいまの塩山だろう。「大菩薩峠」がおもしろいのは、時代もさることながら、すべて無明の世の中にある。こういう暗い映画は流行るまいが、いつの世でも無明世間はあまりかわらない。竜之介よくわかる。


「・・その西の方のさがしき山そばだてりし山と山の峡の細き谷坂の岩間をめぐり落つる滝川あり。その広さ五、六尺、狭きところは三、四尺ばかりにみゆ。是を黒川と云。是、黒川山の金山のもとより流れいづる水なり。落ち落ちて、一の瀬川に会せり。その水をむすびつ。磁石すゑて方角をしるしつ。しばし見渡しつつ、そこより五、六十間ばかりを川に添ひてくだりて、山と山の間よりコロモ川(幅五、六尺許り)、三澗より流れいでて、一の瀬川に会せり。これを合はせて三重川原といふならん。ひとつ谷間に流れあへど、出づるところは山をへだてたり。さる水をおのおの尋ねなば、みな山々のいづみの流れあへるなるべし。かの「群源暮叩谷心寒」といへるも思ひ合はせつ。ここをこそ濫觴といふらん。

 尋ね入りみなもとみれば元にしある甲斐の深山の岩清水かな   早苗

また見んことのかたければ、よく見渡しつつ思ふに、既にこの山路に分け入るはじめ峡沢山をのぼる程に、所々にいづみ湧けるが流れくだりて、次第に流れ加はりて、まのあたり麓にいたりて、峡沢といふ三間ばかりの広さの川となりて、末は丹波川に会せり。

691秋魚:2016/07/16(土) 23:48:55
(無題)
・・鄭人(ていじん)、野に薪(たきぎ)する者有り、駭鹿(がいろく)に遇ひ、御して之を撃ち之を斃す。
人の之を見るを恐れ、遽(あわて)て諸(これ)を隍中(こうちゅう)に蔵(かく)し、之を覆ふに蕉(しょう)を以てす。
其の喜びに勝(た)へず、俄(にわか)にして其の所蔵の処を遺(わす)る。
遂に以て夢と為し、塗(みち)に順(したが)ひて其の事を詠ず。
傍人(ぼうじん)に聞ける者有り、其の言を用ひて之を取る。


・・「よしや思へば定めなき、世は芭蕉葉の夢のうちに、牡鹿の鳴く音は聞きながら」


夕されば小椋(をぐら)の山に臥(ふ)す鹿は今夜(こよひ)は鳴かず寝(い)ねにけらしも(万9-1664)
                     雄略天皇御製

夕されば小倉の山に鳴く鹿はこよひは鳴かず寝(い)ねにけらしも(万8-1511)

                     舒明天皇御製(あるいは斉明天皇)

この二つの歌はfakeであろう。雄略や舒明や斉明がこんな歌を詠むわけがない。


秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ  天智天皇

・・この歌もfakeであろう。

692秋魚:2016/07/17(日) 01:09:46
(無題)
多摩川の紅葉を見つゝ行きしかば市の瀬村は散りて久しも

・・長塚たかしは明治から大正の歌人。多摩川に沿って青梅、奥多摩まで、市の瀬村というのは存在しない。天保の頃山田早苗が多摩川の源流を求めたが、丹波川が一の瀬川に入るあたり、三重川原を水源とみた。・・多摩川の水源は明治になって、さらに一の瀬川を上り、水干という湧水地が認められた。たかしの歌の市の瀬は一の瀬のことであろう。・・しかしよくぞ訪ねたものだ。紅葉がみごとという。

693秋魚:2016/07/18(月) 19:08:07
(無題)
巻8-1511

崗本天皇御製歌一首

暮去者 小倉乃山尓 鳴鹿者 今夜波不鳴 寐<宿>家良思母
夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも

・・この崗本天皇は舒明天皇あるいは斉明天皇。

・・聖徳太子の歌が日本書紀、万葉集にそれぞれ一首みられる。

「しなてる 片岡山に 飯(いひ)に餓(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人(たひと)あはれ 親無しに 汝(なれ)生(な)りけめや さす竹の 君はや無き 飯に餓て 臥せる その旅人あはれ

(書紀)◇片岡山 奈良県北葛城郡王寺町あたりの丘陵。

巻3-415
上宮聖徳皇子出遊竹原井之時見龍田山死人悲傷御作歌一首 [小墾田宮御宇天皇代墾田宮御宇者豊御食炊屋姫天皇也諱額田謚推古]
上宮の聖徳皇子、竹原井に出遊しし時、龍田山の死りし人を見て悲傷みて作りませる御歌一首。

家有者 妹之手将纒 草枕 客尓臥有 此旅人A怜
家にあらば妹が手まかむ草枕旅に臥やせるこの旅人あはれ

(拾遺集などには次のように短歌の形で載る。
しなてるや片岡山にいひにうゑてふせる旅人あはれ親なし)

・・行き倒れの死者に出会うのは、万葉集では龍田山、それ以外の書紀、拾遺集では片岡山とある。

岡本宮(おかもとのみや)は、7世紀の舒明天皇及び斉明天皇が営んだ宮。

・・岡本→片岡が書紀の本線。 片岡、肩岡(入鹿の肩)

倒れ臥したのは、蘇我入鹿。

万葉集の龍田山は桜と紅葉で名高い。

「伊勢物語」では、井筒

風吹けばおきつ白波たつた山 夜半にや君がひとりこゆらん


「古今集」巻五292

うりんゐんの木のかげにたゝずみてよみける

わび人のわきてたちよるこのもとはたのむかげなくもみぢちりけり  僧正遍昭

二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に龍田川にもみぢながれたるかたをかけりけるを題にてよめる 293

もみぢ葉のながれてとまるみなとには紅深き浪やたつらん  そせい

ちはやぶる神世もきかずたつたがはから紅に水くゝるとは  なりひらの朝臣 294

・・

万葉集巻九では、高橋虫麻呂


春三月諸卿大夫等下難波時歌二首[并短歌]

白雲之 龍田山之 瀧上之 小鞍嶺尓 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 継而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝尓 遺有花者 須臾者 落莫乱 草枕 客去君之 及還来

白雲の 龍田の山の 瀧の上の 小椋の嶺に 咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨の 継ぎてし降れば ほつ枝は 散り過ぎにけり 下枝に 残れる花は しましくは 散りな乱ひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで


吾去者 七日<者>不過 龍田彦 勤此花乎 風尓莫落

我が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし

白雲乃 立田山乎 夕晩尓 打越去者 瀧上之 櫻花者 開有者 落過祁里 含有者 可開継 許知<期>智乃 花之盛尓 雖不見<在> 君之三行者 今西應有

白雲の 龍田の山を 夕暮れに うち越え行けば 瀧の上の 桜の花は 咲きたるは 散り過ぎにけり ふふめるは 咲き継ぎぬべし こちごちの 花の盛りに 見さずとも 君がみ行きは 今にしあるべし



暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒

暇あらばなづさひ渡り向つ峰の桜の花も折らましものを



・・龍田山越え、抒情歌がきいている

694秋魚:2016/07/21(木) 01:59:30
(無題)
今 わが悲しみはきわまり、比類なく
わたしをみだす。わたしはじっと見る、石の内部の
凝固するのを。
きびしいわたしゆえ まだ一つのことを知っている、
おまえが大きくなったことを―
……大きくなったことを。
あまりにも大きな悲しみとなって
わたしの心の枠を すっかり
のり越えてしまったことを。
今 おまえはわたしの胎内(おなか)をつきぬけて坐っている。
今となっては もう わたしはおまえを
生むことはできません。
?????????????????????????????????? リルケ「ピエタ」

695秋魚:2016/07/24(日) 00:57:38
(無題)
・・武蔵野が佳境に入った。明日は自転車で入間川を下り川越まで行ってみよう。

「母なむ藤原なりける」という武蔵のみよし野の里を訪ねたい。

 伊勢物語十段「・・むかし、おとこ、むさしのくにまでまどひありきけり。さて、そのくにゝある女をよばひけり。ちゝはこと人にあはせむといひけるを、はゝなむあてなる人に心つけたりける。ちゝはなお人にて、はゝなむふぢはらなりける。さてなむあてなる人にとおもひける。このむこがねによみてをこせたりける。すむところなむ、いるまのこほり、みよしのゝさとなりける。
 みよしのゝたのむのかりもひたぶるにきみがゝたにぞよるとなくなる
むこがねかへし、
 わが方によるとなくなるみよし野ゝたのむのかりをいつかわすれむ
となむ。人のくにゝても、猶かゝる事なむ、やまざりける。」

・・みよし野は何処か?諸説ある。だいたい昔男の業平はこの武蔵野に実際やってきたのだろうか。入間の郡というから、川越から入間川に沿ってのあたりだろう。一つやはり川越だが、的場というのを見てみたい。初雁橋を渡って牛塚古墳があるあたり、霞ヶ関というのだろうか、三芳野塚があるという。この辺的場古墳群という。

・・母なむ藤原という。


・・むさし野の心もある。

四一
昔、女はらからふたりありけり。ひとりはいやしきおとこのまづしき、ひとりはあてなるおとこもたりけり。いやしきおとこもたる、しはすのつごもりに、うへのきぬをあらひてゝづからはりけり。心ざしはいたしけれど、さるいやしきわざもならはざりければ、うへのきぬのかたをはりやりてけり。せむかたもなくて、たゞなきになきけり。これをかのあてなるおとこきゝて、いと心ぐるしかりければ、いときよらなるろうさうのうへのきぬを、見いでゝやるとて、
 むらさきのいろこき時はめもはるにのなるくさ木ぞわかれざりける
むさしのゝ心なるべし


・・武蔵野といえば、むらさき。

「古今集」読人しらず

紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る


・・「紫のゆかり」で源氏物語につながる。

696秋魚:2016/07/24(日) 21:10:17
(無題)
・・ポケモンGoが大ヒットとか。操作主体が移動して現実を切り開くとか。・・所詮ゲームであろう。自転車のサイクリングトリップアートには及ぶまい。

ひさしぶりに小曽木街道から仏子狭山の豊水橋から入間川サイクリング道路に入って川越まで走った。最初の青梅坂のなんとも爽快なこと。往きはよいが帰路は登りがきつい。ともかくこれしきのアップダウンは苦にならない。黒沢川と岩倉温泉のある小曽木街道は何度走っても奥ゆかしい。さて例によって成木川にそそり立つ岩井堂。ここの巨石は謎だ。宗祇や芭蕉がここまで足を運んでいたなら頭が下がる。川越なら小江戸と呼ばれ宗祇心敬太田道真の河越千句がある。また今日は喜多院という江戸天海ゆかりの地に行く。

・・豊水橋までは嬉しくないが、入間川サイクリングロードの川沿いの風景は絶賛したい。入間川は古い川だ。云い忘れたが聖護院門跡の道興はここらを歩いている。入間の郡みよし野というのは昔男の業平が来たところ。一説には川越の的場という。これから訪ねるところだ。・・サイクリングロードを進むと、川べりで多くの人がカメラをかまえている。何だろうと思って土手を降りて近くの人に尋ねる。・・ササゴイという鳥がオイカワという魚を捕らえて呑み込むのをシャッターチャンスを待っているとか。オイカワは大きな魚でそこが興あるという。そういえば川の向こう縁に一羽いる。ただし先ほど一匹捕らえて呑み込んだばかりだから当分捕獲はないだろうと。で、いろいろ話してくれた人は、大変立派なカメラでその時の画像を見せてくれた。ササゴイとはサギの一種で笹色をしているがあまり大きくない。オイカワは外来種というが小魚ではない。・・しかしカメラマンが多い。

・・川に沿った敷地で公園、運動場、野菜つくりの畑があるのは多摩川もそうだが、ここのはより趣が深い。時代を超えたなつかしみがある。無人の野菜売り場がいくつかある。なかに御自由にお持ちくださいというのが。みるとゴーヤです。一本くらいなら荷物になるまい。いただくことにした。

・・いくつか橋があるが、めざすのは初雁橋。ここを折れて東京国際大の敷地近く牛塚古墳があるはず。駅は的場、霞ヶ関。法城寺というお寺の近くが三芳野塚。このあたり古墳がいっぱいあったが、都市化の波で史跡は原型をとどめなくなった。みよしの神社にそう案内書があった。入り組んだ地形で、何度も人に聞いてやっとそれらしき牛塚古墳をみつけた。・・頭の中に地図をつくっているうちは道に迷わない。錯誤があって自前の地図を白紙にしてしまうと、右も左もわからなくなる。牛塚古墳とみよしの神社をみつけて初雁橋にもどり、川越市街に進むことにした。業平がここに来たのはフィクションとしても川越というのは納得できる。

・・初雁の池などというのもあったらしい。入間川はよく洪水で氾濫する川で有名だが、このあたりなら海のごときか。

・・初雁橋から川越市街までは一直線。未知の道。以前大宮を訪ねた時は、入間川沿いをさらに下り荒川に合流するまで自転車を走らせたが、これは大変な迂回になった。初雁橋から右に折れて川越市街に出てさらに16号に出るのが本筋。ただし川越の駅がいくつかあり駅周辺は混乱する。今回は喜多院までこの道を真直ぐでよい。川越は何回か訪れたが、ここに来て喜多院を尋ねないのは片手落ちといわれたものだ。おしゃれな街で歩いているだけでも楽しめそう。・・喜多院周辺は成田山東照宮とかいくつか寺社がかたまってある。どこをどう歩いたものか。・・春日の局とか天海とかゆかりというが。

・・五百羅漢像の近くに芭蕉句碑を見つけた。・・「名月や池をめぐりて夜もすがら」

・・蕎麦屋で休みながら、大仲居の新井家にある芭蕉句碑を訪ねることにした。店を出る時に大仲居の氷川神社にゆく道を尋ねたが、大仲居すらよくわからないようだった。大雑把な地図をもっていたが、結局、それを頼りに道を直進した。この新井家の訪問記、実は、難航したがとても笑えるものになった。16号に一度出る必要がある。夏の盛りで、道を尋ねる人がいない。ホームセンターの駐車場で係員の人に尋ねた。よくわからず、来る人来る人に聞いてまわってくれて、三人寄れば文殊の知恵みたいな感じになり、ともかく16号を横断してまっすぐ田舎道を進んで其の先でまた人に聞くというようなことになった。川越は広いという。・・実際、16号は殺伐として横断の場所もあまりみつけづらい。田園が開けていて、こんな田舎道でほんとに良いのか。・・たまらず通りにあったお米屋さんに入った。客でもないのに悪いと思ったが、仕様も無い。奥からご主人が出てきて、このあたりが大仲居だという。で、新井家というのがあるはず。すこし行くと山田うどんがあってそこを左折直進して最初の交差点あたり角の家という。氷川神社も近く。・・これは運がいい。で、このあとがお笑いになった。実際、いわれた通りいってみると、新井家というのがあって、どうもこの家お留守の様。訪問をあきらめて氷川神社にむかった。一軒いかにも旧家といった家があり、ここかもと門を入った。表札がなかった。犬に吠えられ、どうも新井家ではなさそう。それで、なおぐるぐるまわってたまたま新井の表札のある家の前にでた。ここはご家族でバーベキュウ。すみません、新井様のお宅でしょうか?芭蕉の句碑を探しています。と、我家ではありません。もう一軒の新井家かもしれませんと。・・そうして氷川神社近くの表札のない家の前まできた。ここも庭をつっきって玄関の呼び鈴を押した。庭の奥に石碑がみえる。・・運よくご主人が在宅。ここが探し回った新井家だとわかった。句碑の写真を撮らせてください。・・十年に一人訪ねる人があればいいと、訪問ノートもある。今年はわたしで二人目。これからどんどん増えるはず。大事に保存管理をお願いした。

697秋魚:2016/07/25(月) 20:09:18
(無題)
・・身体がバラバラに解体したようだ。骨組みの活性、筋肉の張り、呼吸器のサイクル活動、細胞の活性、血液循環の促進、すべて身を粉にして反射運動神経のみ奮ってある。水がこんなに美味であるとは知らなかった。


>・・1884年(明治17年)、岡倉天心とフェノロサによって1200年の眠りから覚め法隆寺・夢殿の扉が開かれた時、白衣に包まれた秘仏と一巻の織物が発見された。その秘仏が救世観音。
その傍らから発見された一巻の織物が世界織染史上に燦然と輝く四天王獅猟文錦。

698秋魚:2016/07/29(金) 02:49:22
(無題)
>・・悉く荒夫琉(あらぶる)蝦夷(えみし)等を言向け、また山河の荒ぶる?等を平和して還り上り幸しし時に、足柄の坂本に到りて御粮(みかりて)を食(は)む處に、其の坂の?、白き鹿と化りて來て立ちき。 爾くして即ち其の咋い遺せる蒜(ひる)の片端を以ちて待ち打てば、其の目に中りて乃ち打ち殺しき。 故、其の坂に登り立ちて三たび歎きて詔りて云いしく、「阿(あ)豆(づ)麻(ま)波(は)夜(や)=吾妻はや【阿より下の五字は音を以ちてす】」。 故、其の國を號けて阿豆麻(あづま)と謂う。

・・あづま(東国)の場所はどこか。古事記では足柄の坂本という。白い鹿(土地の神)を偶々噛んでいたヒルで打ち殺してしまった。・・書紀ではここが碓氷峠。ここより東南の国が弟橘媛をしのんだ吾妻(あづま)の国になる。白い鹿に出会ったのは伊那谷を入って阿智村の神坂峠に伝説がある。

・・阿智の昼神温泉に伝わる話は、『大昔の事です。日本武尊がご東征の帰り途、伊那谷を通って園原の神坂峠へさしかかったとき、山と山に閉ざされて空もせまく、雲が幾重にも包んで、越す方法も知れませんでした。さすがの尊もしばらく手を組んで思案にくれていましたが、その時、悪事をなさる神が尊を苦しめようとして白鹿に化けて尊の前に立ちふさがったのです。尊は不思議に思いながら、口に噛んでいた蒜を鹿に投げつけました。それがちょうど鹿の目に当たって、鹿は死んでしまいました。ところがたちまち濃霧が巻き起こって、一寸先も見えなくなった時、一匹の白狗が現れて道に迷う尊を里へ導いてくれたのです。これ以来、神坂越えには蒜を噛んで通ると妖気に打たれる事がないと言われるようになりました。このことから「蒜噛」が、現在の「昼神」の語源になったという説があります。』

・・ところがたちまち濃霧が巻き起こって、一寸先も見えなくなった時、一匹の白狗が現れて道に迷う尊を里へ導いてくれたのです。

この白狗がタケルを窮地から導く伝承は、武蔵御嶽神社にも伝わっている。狗ではなく日本狼だが。

>・・即ち其の國より甲斐に越え出でて、酒折の宮に坐しましし時に歌いて曰く、

 邇(に)比(ひ)婆(ば)理(り)
 都(つ)久(く)波(ば)袁(を)須(す)疑(ぎ)弖(て)
 伊(い)久(く)用(よ)加(か)泥(ね)都(つ)流(る)

 新治
 筑波を過ぎて
 幾夜か寝つる

 爾くして、其の御火燒(みひたき)の老人(おきな)御歌に續きて以って歌いて曰く、

 迦(か)賀(が)那(な)倍(べ)弖(て)
 用(よ)邇(に)波(は)許(こ)許(こ)能(の)用(よ)
 比(ひ)邇(に)波(は)登(と)袁(お)加(か)袁(を)

 日々並べて
 夜には九夜
 日には十日を

 是を以ちて其の老人を誉めて、即ち東の國造を給うなり。

・・甲斐の酒折の宮は記紀とも一致。筑波から酒折まで九夜十日を数える。これは物部の十種(ひふみ)の道であろう。


人恋し灯ともしころをさくらちる    白雄

699秋魚:2016/08/03(水) 00:31:15
(無題)
・・地元の納涼祭の設営にかり出された。春の祭礼は不幸があって参加できず、夏祭りは是非参加したかった。自治会の役員になったのはハメられた気がしないでもないが、それはそういう運だと思う。・・祭りの設営というのはけっこうな力仕事でどうなることかと思ったが、遊び気分で参加。・・神社の境内にテントをいくつか組立てて、午後からは出店で焼ソバをつくる。奥さんたちが仕込んだものを理事の素人おじさんたちが鉄板で焼き上げる。知らないままに焼ソバ係になっていた。

・・自転車に乗って身体の運動は万全と思っていたが、脚力と呼吸器系の運動それに反射神経はきたえられるが、両腕の筋肉や足腰の筋肉もほとんどきたえていないのがわかった。特に腕の筋力はめだって衰えていた。弱音を吐いてはいられない。年いっても現役でやってる人はさすが活力も旺盛。完全に萎えた老人になるのはまだまだ早い。若いときのイメージで体を動かせたが、その分後になってひどい筋肉痛が残った。・・あの頑丈そうなテントなどいくつもよく組立てたものだ。力仕事はまだいい。焼ソバを二つのグループで800丁ほどつくる。気が遠くなりそうだったが、乗りかかった舟でいった。隣のグループは半分プロっぽいのがいて、味見くらべをしても、むこうが美味いというのを何度も聞いた。キャベツの焼が足りないとか、奥さん方のクレームも多い。・・で途中ソースの量など何度も修整をいれてなんとか夕方前までに800ほど焼き上げた。以前焼ソバ係が熱中症で倒れた人もいたとか、ともかくみな素人でバカ話をしながら、おもしろいものだった。終わったときは体全体に焼ソバの匂いが染み付いているほど。

・・夕方からの受付販売は奥さん方の仕事。お客さんがぽつぽつやって来て6時頃には若い子供も多く特に女の子は浴衣すがたが新鮮にみえる。この地域意外と子供が多いのがうれしかった。夏祭りだが、盆踊りはやらない。・・一度家で休んでまた出向こうとしたら最近同じマンションに越してきたイギリス人にばったり会った。運動をしてビールを買いに出るところという。地元の祭りだというので、ちょっと誘ってみた。いってみると神楽をやっていて白い犬の仮面をつけた舞があり、あれはgoodluckを意味するのか?など聞かれた。よく知らないが祭りではbadluckは無いでしょう。・・あの神楽、御嶽神社に伝わるタケルを導いた白い犬のテーマでしょう。

・・この外人さん。何でも小説家で、もう数冊本を出しているとか。電子ブックもあります。タイトルを尋ねたら、abandoned(孤児)という、中国の一人っ子政策を問題にした本が代表作という。詩も読むそうだ。

・・おみやげでもらった自作の焼ソバを食べてみた。信じられないことに、その美味なこと、とても美味い。

700秋魚:2016/08/06(土) 00:20:08
(無題)
・・暑くなった。霞川は昔立川活断層によって霞湖という湖を形成していたという。藤橋という閑静な住宅地から北に抜けて霞川をよぎる辺りで湖床の段差がある。南西の湿地帯が古霞湖であったという。この活断層地震は5千年周期でマギニチュウド7以上のが起こるという。そろそろ来るかもしれない。

・・自転車で霞川サイクリングロードを活断層のみれる所まで走ってみた。もっと上の岩倉温泉郷には、ヤマトタケルが傷を癒した岩陰はこの立川活断層の跡がみれる。東青梅から成木街道にはいり、霞川にぶつかるが今回も上流をのぼり水源を求めた。青梅丘陵の下に沿ってずっといくともう何やら分からぬ湿地帯になってこれより先は進めない。・・後で調べたら根ケ布の丁寧寺の裏の池が霞川水源とあり、これは支流のものか。日を改めて丁寧寺を訪ねてみよう。

・・霞川しょぼい川だが魚も多く水鳥もいる古い川だ。南東の武蔵野台地、これを割って立川活断層、入間飯能を隔てるのが狭山丘陵加治丘陵ずっと西側の青梅には霞丘陵がある。


 武蔵のはらに鶴遊ぶなり   井月

   *

・・「アルンハイムの地所」というマグリットの絵は三つのバージョンがある。
以前は気に留めていなかったが、窓辺に卵がありその向こうに山の影がある。がそれは巨大な鳥の影だ。山を動かせて太陽を見えるようにするとかいうが、38年→48年→62年の変容で最後のものは繊細な三日月がみえる。これは日食なのかも。

701秋魚:2016/08/07(日) 22:50:02
(無題)
・・今日は多摩川一万人清掃の日。みんなで川の掃除が出来るというので早起きをした。市と自治体の主催で一万人というからにはずっと下流の方から上流の方までの企画なのだろうか?とりあえず我が地区の分担だけでよい。川原だけで川の中はやらなくてよいみたいな注意があったが聞かなかったことにして川瀬の手の届くところはゴミを拾った。飛び石で足場をつくってバランスがあやういのもやってみた。浅瀬の水の中のゴミは見苦しいこと限りない。・・重量上げの女子選手が奇跡的に重いバーベル上げに成功してる。バランスは限界の奇跡。川の水流の抵抗を感じながらゴミを拾うのは楽しい。人が多い。

・・先日から気になった霞川の水源がある天寧寺に訪ねた。根ケ布といって霞丘陵の麓、塩船観音の裏手で由緒ある曹洞宗の寺だ。霞川から離れてどうしてそこが水源か。実際寺の近くに行ってみると、ちょろちょろと透明な水が流れている。ずっと辿っていゆくと池というより湧水のような湿地にでる。ここか?

「・・寺ノ背ニ霞ケ池在リ。蛇潜幾年歟、不知。女ト化テ面前ニ来ル。師云、何レヨリ来ルヤ。答曰、某ハ非人也。大慈大悲ヲ垂レテ我業障ヲ解脱セシメ玉ヘト請。師云、正身ヲ現ジ来レ、為メニ抜苦ノ法要ヲ説与セント。女人頭ヲ垂レテ去ル。須叟ニシテ大蛇ノ形ヲ現ジ、池辺ノ木ニ首ヲ横リ、法堂ノ戸牅ニ揚グ。浩水湧出シテ恰モ江河ノ如シ。・・」

・・天寧寺縁起(天保十三年)に霞川の水源は説かれてある。

山田早苗『玉川泝源日記』これ一冊で江戸後期の多摩川沿岸の様子がわかる。

 結ぶ実のかはらぬ色の名も世々に青梅の村の梅のひともと
              正三位大納言日野資矩

・・これは金剛寺の将門ゆかりの梅を詠んだもの。日野資枝、資矩はどうあっても一度は青梅を訪れているとみる。

玉川の南にわたり駒木野、長淵を歩く。今でも隣町の名前だ。玉泉寺という臨済の古刹はその存在すらも知らなかった。西分村宗徳寺、千ケ瀬宗建寺、畑中地蔵院、青梅延命寺、常保寺みな玉泉寺の末寺という。

今日は、暑い日和の中、この玉泉寺を訪ねた。

702秋魚:2016/08/13(土) 21:36:20
(無題)
・・盆休みに突入か。飯能の多峯主山にハイキング。多摩川万年橋を渡り青梅坂から小曽木街道はいつものコース。成木川入間川を渡り飯能郷土館に自転車を留めた。小島喜八郎という飯能育ちの画家の展示があった。街の風景画スケッチのほか草と題されたハイパーレアリズムの作品など。こんな作家もいたんだ。ぽつりぽつりと記憶に蘇る。・・すぐ隣の市民会館の駐輪場に自転車留めてここから歩いて能仁寺天覧山から多峯主山に向った。いつか夕立のある日に天覧山まで登った。常盤御前が歩いたという見返り坂は何としても歩いてみたい。義経の母常盤が飯能の多峯主からあまりの景色の良さに振り返り振り返り上ったとされる坂。能仁寺の裏手から天覧山に登りその裏手の道をゆくと飯能笹という特別種の草原と見返り坂になる。天覧山は197m多峯主山は271m。あまり高い山ではない。それでも絶好のハイキングコースとみえ休日に歩く人は多い。途中で道を尋ねた人は葛飾の柴又から来たという。あちらの方は山がないから。ほんとに山がない人は山が恋しいのかも。・・見返り坂は杉木立の景色でこれは青梅の御岳山と同じだがたしかに景色はいい。道はよく整備されている。常盤はこの坂を登って多峯主から高麗峠に向ったのであろう。で山中賊に襲われ落命したとか。あとで郷土館で尋ねたらあくまで伝説だとのこと。

・・多峯主の頂上は見晴らしがよい。霞がかかってなければ富士山が見える。

・・郷土館から徒歩ハイキングに切り替えたのは、正解。以前は自転車一本の多峯主登山を思案していたくらい。御岳山のような舗装された参道がないから、これは無理。体力を目一杯使って眺望の利く山登りは忘れた頃にやるとよい。

・・下山でおもしろいのは、すこし下った雨乞の池。どんな旱でもけして涸れることがないという。かなりの高所にあるまったくの池。湧き水があるという。水草とか色のある魚とかミズスマシとかいていかにも古池。十四、五mの幅でなんなく一周できる。月をみながら夜もすがらという風だが、もすこし里に近くないと。

・・天寧寺は霞川水源の池に大蛇が潜むという。ここの雨乞の池にも何か魔物が棲んでいそう。常盤もここを通ったはずだ。水の中を覗き込んで水面に映る自分の顔を見ることもあったかもしれない。こんなところまでよく来たものだと。

・・常盤の墓と伝わる場所もあるというが、探しあぐねて下山。西の端にある八幡神社など訪ねてさらに吾妻峡へというコースをとった。ここは誰も歩いていない。・・道はしっかりしてる。・・吾妻峡というのは入間川の川原にまで降りてゆく。名前がいいので興味をもったが、ここは次回のために割愛。

・・郷土館にもどって常盤御前と岩井堂観音の情報を探った。

703秋魚:2016/08/20(土) 01:00:57
(無題)
・・くろす川といへる川に、人の鵜つかひ侍るを見て、【入間市黒須】

岩がねに移ろふ水のくろす川、鵜のゐる影や、名に流れけむ

故郷の事など思ひ出で侍りて、暁まで月に向ひて、

吾郷萬里隔音容一別同遊夢不逢
客裡断陽何時是西山月落暁楼鐘


・・青梅−入間−狭山を流れる霞川。昔は黒須川と呼ぶ。河口付近は今でも黒須の地名が残る。聖護院門跡の道興「廻国雑記」に記述あり。

704秋魚:2016/08/25(木) 21:55:20
(無題)
?大宮氷川神社  北緯35度55分00.30秒 東経139度37分47.04秒

?中氷川神社(所沢) 北緯35度46分46秒 東経139度25分48秒

・・埼玉県所沢市山口にある、氷川信仰の神社である。旧入間郡と多摩郡92村の総鎮守で旧県社。

?奥氷川神社  北緯35度48分28秒 東経139度05分49秒

・・東京都西多摩郡奥多摩町にある神社。

氷川三本杉:根元近くから三本に分岐している珍しい杉で、鎌倉時代に植えられたという伝説がある神木。

705秋魚:2016/08/26(金) 21:13:51
(無題)
筑波山   北緯36度13分31秒 東経140度06分24秒

富士山  北緯35度21分38秒 東経138度43分39秒

中氷川神社 北緯35度46分46秒 東経139度25分48秒

大宮氷川神社 北緯35度55分00.30秒 東経139度37分47.04秒

中氷川神社(三ケ島) 北緯35度47分22秒 東経139度23分52秒

706秋魚:2016/08/28(日) 23:50:55
(無題)
・・旧青梅街道から成木街道にはいるところに三河屋という割烹料理屋がある。懐石を出すところで浮浪人の身には閾が高すぎた。今日は縁があってここの鰻料理を馳走にあずかった。自転車で行くつもりが雨降りだったので徒歩にきりかえた。青梅−東青梅の一駅を電車に乗るのが筋に思えたが、なんのことはない、青梅駅からの線路沿いの道は散歩道としてほんとにうれしい道だ。道沿いにある西分神社はすこし山をのぼるが以前訪ねたことがある。ほかに禅寺なども多い。何より古い民家のある路地など歩くだけでうれしい。

・・この成木街道をすこし上って霞川の水源を探したのはつい先日。天寧寺というのは曹洞宗の寺だ。ここが水源というのだが、もうすこし先の虎柏神社というのもとても古い由緒深い社だ。


>ほつまうちつすうたのあや     ホツマ打ち 連歌の文


・・のにかたあふみ              野に片鐙

 トラカシハ ヒロヒカンカエ  とらかしは ひろひかんかえ    トラガシハ  拾ひ考え

 アフミサシ イマタテマツル  あふみさし いまたてまつる    鐙 挿し  今 奉る

 タマカサリ ホメテタマワル  たまかさり ほめてたまわる    尊飾り  褒めて賜わる

 ムラノナモ タマカワアフミ  むらのなも たまかわあふみ    村の名も  タマカワアフミ      (多摩川青梅)

 ミサシクニ サカムノクニト  みさしくに さかむのくにと    身差し国   相模の国と
                                  (武蔵国)

あふみさし 鐙 挿し → 青梅 さし → みさし 身差し → 武蔵

・・トラガシワというのは郷人の名らしい。鐙が青梅とは、ヤマトタケがわが身を差して、身差し(武蔵)という。


・・武蔵の国の発祥のメモリアルは青梅ということになる。



むさしあぶみ [4] 【武蔵▽鐙▼】
? 昔,武蔵国で作られた鐙。鐙に鉄板が連なり,その先に刺鉄(さすが)を付けたもの。和歌では,「さすが」に,また鐙は踏むところから「ふみ」にかけて用いる。 「 −さすがにかけて頼むには/伊勢 13」
? サトイモ科の多年草。関東以西の林内に生える。根葉は二個つき,三出複葉。五月,花茎を立てて棍棒状の肉穂花序をつける。花序は黒の縦縞(たてじま)がある鐙状の仏炎苞(ぶつえんほう)に包まれる。

707秋魚:2016/09/02(金) 12:11:20
(無題)
・・かねてより気になった狭山湖周辺に自転車を走らせた。メインの目標は所沢にある中氷川神社。筑波−富士ラインに乗りほぼ中間の距離に位置すると予測した。事前の下調べでは所沢の山口にあるという地図をもってでかけたが、これは実は失敗。所沢には中氷川神社というのは実は二つある。もうひとつ狭山湖北面の三ケ島にある神社は調べなしで出発。結局狭山湖に着いてから人に聞いたり案内板をみたりで混乱し、三ケ島と山口をいったりきたり最後は三ケ島に近いところから引き返して山口の神社に訪ねた。

筑波山   北緯36度13分31秒 東経140度06分24秒
富士山  北緯35度21分38秒 東経138度43分39秒
中氷川神社 北緯35度46分46秒 東経139度25分48秒
大宮氷川神社 北緯35度55分00.30秒 東経139度37分47.04秒
中氷川神社(三ケ島) 北緯35度47分22秒 東経139度23分52秒

・・青梅街道瑞穂の入り口で新青梅街道と旧青梅街道にわかれる。旧青梅の道をとった。するとすぐに岩蔵街道の入り口がある。こんなところにあるのか。この辺りが立川断層の筋かも。旧青梅街道をゆくとすぐ左手はこんもりした狭山丘陵。はじめに丘の上に平和慰霊塔というのがあり寄ってみた。戦争に殉じた死者を慰霊する塔があって、ほかに広島の原爆で生き残った植物など植わっている。被爆クスノキとか被爆アオギリとか。アンネフランクの薔薇というのは、やはりアンネの死を慰霊するものらしい。どうしてここに?先の戦争も何となく風化しそうな世相でここにも訪ねる人はあまりいない。長い石段を登らねばならない。

・・丘陵に沿ってすこし進むと六道山公園にあがる標識がある。狭山丘陵の上に開けた眺めのよい公園があると聞いていた。

・・阿豆佐味神社というのもこの近く。丘陵の麓で、筑波−富士ラインに乗っている。

東京都西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷1008

北緯35度46分0.52秒 東経139度21分53.65秒

主祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)素戔嗚命(すさのおのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)

創建は892年とあるが、出雲系の神が祀られているのは、やはりヤマトタケが立ち寄ったところか。

「あずさみ」というのは梓弓なら、ここから進路を変更する地点かもしれない。・・北緯35度46分0.52秒

・・山の上の見晴らしでわかったが、雲がなければ富士もよく見える。多摩方面の山並みは鍋のふたの形の大岳山がよく目立つ。

大岳山 北緯35度45分54秒 東経139度07分49秒

・・武蔵村山のかたくりの湯から狭山湖にまわる道がある。いつもはこの温泉とすぐ隣の郷土館まで来ていた。この森の中の道を突き抜けると狭山湖、多摩湖に出る。この二つの湖、人造湖で東京都の水瓶ということらしい。いくらかの湧水とおおかたは多摩川の水を引いているというから驚きだ。多摩川というのは日頃なんて水量の少ない川と感じていたが、玉川上水とか狭山湖多摩湖とかいくつも水を分け引いていれば無理もない。・・にしてもこの狭山湖(山口貯水場)はみごとだ。

・・狭山湖に出るまで葛の花咲く道でサイクリングロードとしてはとてもよい。途中多摩湖に向う道もあったが左に折れる。山口の中氷川に行くなら右の道が正解。まちがえて狭山湖に向った。まわりにこんもり丘陵の森に囲まれてよくこんなところに人造の湖をつくったものだ。案内板があって、岸辺に沿った自転車道を渡ると森があってここがトトロの森ということらしい。所沢−川越の境から西の狭山湖畔にかけてがトトロの森のモデルのようだ。この森の外れに早稲田大学の所沢キャンパスがありそのすぐ隣あたりに中氷川神社がある。このまま人に聞かずにこの中氷川をめざした方がよかったか。途中人にたずねて山口へと大きく迂回して引き返すことになった。

・・あとで調べてわかったが、この三ケ島の中氷川は筑波−富士ラインにほぼ正確にのる。距離もちょうど中間点。三ケ島葭子という与謝野晶子門下の歌人は、父がこの神社の神官で母はあきるの市の岩走神社の社家の長女という。母の家元の縁であきるのに住まいし小学校の教員をしていたとも。歌人は明星からあららぎに移りいろいろ歌壇のスキャンダルに巻き込まれたようだ。・・おもしろいのは父が再婚した異母の子に俳優の左卜全がいる。葭子の弟になる。


春の雨 けぶる欅の梢より をりをり露の かがやきて落つ

・・三ケ島の中氷川には、三ケ島葭子の歌碑がある。これは写実風味のアララギですな。

*崇神天皇御代(紀元前97年〜紀元前29年)に大宮氷川神社より勧進され、日本武尊が東征の折に立ち寄って大己貴命と少彦名命の両神を祀った、と伝えられる。

・・ヤマトタケが立ち寄ったというのは、正解でしょう。
   

708秋魚:2016/09/03(土) 22:19:16
(無題)
震旦國の志閑禪師は臨濟下の尊宿なり。臨濟ちなみに師のきたるをみて、とりとどむるに、師いはく、領也。
臨濟はなちていはく、旦放儞一頓。
これより臨濟の子となれり。
臨濟をはなれて末山にいたるに、末山とふ、近離甚處。
師いはく、路口。
末山いはく、なんぢなんぞ蓋却しきたらざる。
師無語。すなはち禮拜して師資の禮をまうく。
師、かへりて末山にとふ、いかならんかこれ末山。
末山いはく、不露頂。
師いはく、いかならんかこれ山中人。
末山いはく、非男女等相。
師いはく、なんぢなんぞ變ぜざる。
末山いはく、これ野狐精にあらず、なにをか變ぜん。
師、禮拜す。
つひに發心して園頭をつとむること始終三年なり。のちに出世せりし時、衆にしめしていはく、われ臨濟爺爺のところにして半杓を得しき、末山孃孃のところにして半杓を得しき。ともに一杓につくりて喫しおはりて、直至如今飽餉餉なり。
いまこの道をききて、昔日のあとを慕古するに、末山は高安大愚の神足なり、命脈ちからありて志閑の孃となる。臨濟は黄檗運師の嫡嗣なり、功夫ちからありて志閑の爺となる。爺とはちちといふなり、孃とは母といふなり。志閑禪師の末山尼了然を禮拜求法する、志氣の勝躅なり、晩學の慣節なり。撃關破節といふべし。

・・紀貫之の生年は866年とも872年とも。貞観の陸奥地震(869)の前後だが、唐の臨済義玄(慧照禅師)(?−867)の入れ替わりの生誕になる。

「正法眼蔵」礼拝得髄に禅師一喝のエピソードがある。貫之はこれを知っていたか?

709秋魚:2016/09/06(火) 00:48:48
(無題)
・・ふたたび成木街道から霞川の水源へ。風の子太陽の子広場の山の中に石動神社というめずらしい社を訪ねた。石動といっていするぎと読む。この名の神社は東京都にはここのみ。石川県の能登鹿島にあるのが本社という。

石動彦神:能登国石動山の神、かつて石動山に空から流星が落ちて石となり、この地に留まったという伝説がある

・・流星、隕石落下か。

710秋魚:2016/09/16(金) 17:23:19
(無題)
・・数日前に白萩の咲き初めるのをみた。なんとも清冽ではじめてのようだった。あきるのにある大悲願寺には萩のすばらしいのがある。伊達政宗が訪ねてその白萩に深くおどろき、後株をわけてくれるよう懇願の手紙を書いたという。伊達政宗というのは仙台藩の独眼竜正宗ですね。その白萩をまさに旬の時訪れて見てみたい。そう思っていたが家の近くでもう散ろうとしているのをみて、今日あわててあきるのの大悲願寺まで行ってみることにした。

・・五日市にゆく秋川街道。はじめて走った時はもう二度と走るまいと思ったほど嫌な道だった。登りスロープが長々とつづき、道幅もさほどないうえダンプなど荒々しい車が次から次へとくる。後ろからくる車をいつも気にして走る。峠の頂上までゆけばそれでも気が楽だ。・・あれから修羅場をいくつも走った。そのためか今回はゆとりもある。やばいところは全部停止すればよい。アップのスロープはあまりこたえない。足着きというのはほんとはやらない方がいい。この街道がこわくなくなれば五日市、あきるのは近くなる。天気が悪かったが昼以降は微雨であろう。

・・五日市の駅にでるまえに細い道を左折し進んだ。以前岩走神社という変わった名前の神社を訪ねた。その近くに大悲願寺もあるはず。五日市街道にでてやや進み秋川にかかる橋の手前で大きく左折迂回する道にはいる。・・ここらだが、通りがかりの人に聞いてみる。その角を曲がって坂をのぼり踏切をこえてまっすぐゆくと左手がお寺です。萩ですか?・・ネットなどの情報で中旬からひと月くらいが見ごろとかある。こういうのは一週間は早めた方がよい。薬王院のつつじなど旬と思って訪ねたらたいてい盛りをすぎている。早すぎるくらいが絶対見ごろだ。・・五日市線の踏切をわたり眺めのよい里道をゆく。しっとり落ち着いたお寺です。

・・あきるの市横沢丘陵という。この丘陵の麓に岩走神社があるはず。伊奈の石工が住んだ村と聞いていた。大悲願寺は真言宗豊山派。寺のたたずまいはしっとり落ち着いているが仁王門の天井絵など密教独得の緻密で華美な彩色がほどこされている。観音堂にある木造阿弥陀如来三尊像など平安末期から鎌倉にかけての古いものだ。・・伊達政宗がよくここに訪れるのは下の岩走神社となにか関係があるのかと深読みしたが、読み外れ。後々続く伊達藩の騒ぎと関係するようだ。

・・萩というもの今まで注意してみてなかったが、咲きはじめのものは趣が深い。花ひとつひとつの息吹きが感じられる。全体は細かな花の群舞でそれはそれで見ごたえがあるものらしい。咲くそばからたちまちのうちに散ってゆく。こういう騒がしい咲き散りは自分はあまり好きでない。雨が降ると靄のごとき花群にみえる。この寺の萩はほぼ白萩。黄や紫のものもあるらしいが。

711秋魚:2016/09/23(金) 21:53:50
(無題)
・・このところ国道411柳沢峠が話題になる。春に自転車でまわって驚天動地、忘れられない思い出になった。青梅近辺で自動車でなら必ず一度はまわってる人がおおい。ともかくすごい道だとは聞いていた。自転車ならヒルクライムは最上級、その道のクロウトが走るメッカだ。わたしがまわった時もみな装備は万全。自転車も高級なロードバイク。・・軽装備のサイクリストはそれでやれるという自信があるのだろう。うらやましいかぎりだ。・・インナーロウのギアで走るものらしいが、自分はもう一段重くしていた。

「・・1878年(明治11年)には、最大の難所であった大菩薩峠を迂回するルートとして柳沢峠が開削され、大菩薩峠を通るルートから変更された。」

「江戸時代まで青梅街道はこの柳沢峠ではなく大菩薩峠(標高1897m)を経由していた。大菩薩峠へは道幅も狭く通行も困難な青梅街道最大の難所であり、遭難者も多く出していたが、甲州街道より二里短く関所が無いこともあり利用者は多かった。塩山側の麓には萩原口留番所跡がある」

「明治になり県令藤村紫朗の主導によって民費で道路改修を行うことになるが、大菩薩峠に車道を通すのは困難だったため、1878年(明治11年)現在の柳沢峠経由の道路を開削した。」

花魁淵

・・武田勝頼の死による甲州征伐の折、武田氏の隠し金山と言われたこの黒川金山も閉山となった。この時、金山の秘密が漏れることを危惧した金山奉行 依田の主導で、鉱山労働者の相手をするため遊廓にいた55人の遊女と金山に従事した配下の武士を皆殺しにすることを決め、酒宴の興にと称して柳沢川の上に藤蔓で吊った宴台の上で彼女らを舞わせ、舞っている間に蔓を切って宴台もろとも淵に沈めて殺害した


・・たぶんこわかったのはこの所為であろう。

奥多摩から丹波川に沿って柳沢峠に向う道は、丹波山村までは開けているが、その先一の瀬までは難路。江戸天保期に山田早苗の玉川源流行があって、一の瀬高橋あたりは柳沢川、黒川山(鶏冠山)は武田の金山だった。甲州側からこの金山めざして鉱夫ほか女郎やなど多少の賑わいはあった。富の源泉である金鉱は厳重に管理されるゆえ、その村はある種の牢獄。花魁淵などいって吉原女郎の画像を置いても同じとみえる。・・江戸安政の大地震の時吉原も大火に見舞われた。

「新吉原での火災は延宝4年から慶応2年の191年間に22回あった。安政2年の地震による火事では、郭内の死者は千二十余人、遊女のみ、530余人を数える。失火があったら火消も繰り出すが、大門内に入らず鎮火を待った。焼け残りがあるとこれを焼き払ったのは、仮小屋での営業が許されないからである。仮宅による営業はうまみもあり、火事を密かに願ったと者もいた。」


吉原の巴屋といえば、

  ?其巴屋に岩こすといふ傾城は、秀たるものなりき、渠は、もと越後、信濃あたりの深山のものにて、山女衒行かゝりて見れば、老女只一人、六七歳の小女と、あやしき家居に住むあり、立ちよりて問へば、此小女は父母におくれて我手に育侍るといふ、かゝる所にあらんよりは、我江戸に連行ん、我にあたへまじやといへば、山奥のかかる所にありて、若我死せば、狼の餌食ともならん、夫いと幸なり、つれ行て命を全くし給れといふ、女衒歓びて、金弐分を老女へ与へければ、老女も悦びけつとなん、是後に巴屋の岩こすとて全盛の君となりたるといふ事を、年を経て聞けり、其虚実はしらず、同藩の大山氏なるもの、此岩こすに逢けるに、夏の頃なりしが、幮の外に来りて禿を呼て、水を取よせ、其半呑て暑しやと問ふ、大山、暑しと答ふ、其時、その茶碗を持て幮に入り、のみさしたる水をのまする心かとおもふに、さはなくて、おのれ一口呑て、大山が寝たる顔に向ひて、ふつと霧を吹かけたり、顔より髪襟のあたりまで水にぬれければ、驚きて起上る、岩こす笑て、呑たるよりは涼しからん、といひしとなり、凡妓の気骨にあらず、此一談を聞ても察すべきなり?

「新吉原遊女町

日本堤の下にあり。俗に五丁町と唱へたり。(其街五町あるゆゑにいへり。)慶長の頃、江府日に増し繁栄の地となりければ、是を伝へ聞き駿州元吉原の駅より、遊女屋を始めんとする輩二十余人、江戸に移り住す。其頃は、定れる花街もなく、ここかしこに遊女屋散在せしかば、彼輩官に訴へて、京橋具足町の東、泥沼の地を築埋め、一方に口を設け、南の側を角町と唱へ、(今の京橋炭町是也。)北の側を柳町といふ。(今の京橋柳町是也。)又中の通を仲の町と號け、此地に傾城町を開発す。(今京橋具足町と柳町との間、南北への通を中通といへるも、仲の町の旧稱をうしなはざる證據なり。以上事跡合考に載するところなり。)其後庄司甚右衛門といへる者、(相州小田原の産にして、始め甚内と云ふ。また一説に、勘右衛門ともいひけるよしいひ伝ふ。)官の免を得て、元和三年、始めて花■を定め、葺屋町の末にて、二丁四方の地を賜ひ、是を吉原町と號く。(今所謂和泉町、高砂町、住吉町、難波町等、其旧地なりといへり。また菊岡沽涼云ふ、其地沼にして葭萱のみ繁茂したるを開きし故に、葭原ともいふべかりしを、賀して吉原に作るといへり。禄開板の江戸鹿子等の書には、其始め駿州元吉原よりうつす故に、この號ありと云々。)翌年、普請落成す。然るに江府益繁昌し、人家蔓りければ、明暦二年の冬、竟に今の所に替地を賜ふ。(明暦二年丁酉八月今の地にうつる。)依て新吉原町と號くるといへり。此花柳は、まことに三都の魁たり。其賑は、特弥生の花の頃をもて勝れたりとし、春宵一刻の値、千金を顧みず。初秋の燈籠は、萬字屋の玉菊が追福にはじまり、八朔の白重は、巴屋の高橋に起る。今も此日をもて、更衣の節とす。名にしおふ二度の月見の全盛はいふもさらなり、悉く其美を■るにいとまあらず。しばらく此處に是を略す。」

712秋魚:2016/09/27(火) 01:39:17
(無題)
大菩薩峠 N35度44分9秒 E138度51分12秒

長岡駅  N37度26分49.9秒 E138度51分13.8秒

高尾山古墳 N35度7分22.73秒 E138度51分40.22秒

長岡市今朝白  E138度51分40秒

安積山 N37度27分10秒 E140度23分28秒

長岡市今朝白 N37度27分01秒 E138度51分37秒

福島県双葉郡双葉町歴史民族資料館 N37度27分01秒 E141度00分26秒

713秋魚:2016/10/01(土) 18:44:20
(無題)
・・栗拾いに出たが遅きにすぎた。どこもかしこも拾われて無い。去年は温泉の帰りにたまたま手付かずのよい栗が弾けていた。同じ場所にいってみたがこういう算段はダメですね。周囲の環境も変わっていて、とても栗拾いなんてものじゃない。

・・萩というのは白いものだと思っていたが小豆色の萩が本命らしい。道すがらもう散り終わりの無残な萩もみた。彼岸花も無残なものだ。いまは金木犀が盛りだ。強烈に香る。

・・外に出て野山を歩くのをためらったが為に旬のものに出会い損なった。

コスモスはよく咲いている。

714秋魚:2016/10/04(火) 00:50:38
(無題)
・・萩で想い出した。柳沢峠を塩山側へ下って裂石山雲峰寺という寺がある。

「・・寺伝によれば行基が修行に訪れた同年6月17日の夜、霊雲が烈しい光を帯びて当山の上にまたたき、山や谷を大いに震わせたといわれています。そして、山中にある高さ15メートル余りの大石がにわかに真二つとなりました。巨大な石の裂け目からは萩の大樹が生え、さらには石の上に燦然と十一面観音が出現したといわれています。それを目の当たりにした行基は、崇高な心で萩の樹を切り取り十一面観音の尊像へと彫刻し、一庵に奉祀しました。」

・・萩の大樹?

萩というのは草ではないか?
十一面観音など彫れるものだろうか?

萩の別名で野守草というのがある。これはよい名と思うが誰もそれをいわない。

715秋魚:2016/10/14(金) 21:30:56
(無題)
>・・栗といふ文字は西の木と書て、西方浄土に便ありと、行基菩薩*の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや。

世の人の見付ぬ花や軒の栗


・・行基の杖は栗、西行の杖は桜、芭蕉の杖はツバキ。

「天親菩薩、無端変、作一條榔栗杖・・・塵沙諸仏、盡在這裏葛藤」

「嚴雲:榔栗?擔不顧人,直入千峰萬峰去」

『碧巌録』にみられる「榔栗」は、「木ヘンに即・木ヘンに栗」という漢字。ソクリツと読むものらしい。天台山にある杖をつくる木の名。同種のものが日本にあるかどうか不明。

716秋魚:2016/10/17(月) 23:19:28
(無題)
・・吉野街道沿いの空地に花壇をつくるというのでボランチアに出た。私有地ということだが残土置かれて荒れ放題。自治会にお任せになった。形状も三角でわるく一部は野菜つくりで使われているようだがナスなど収穫もされてない。何より道路際で埃っぽい。・・地元の人に聞くと昔は魚屋とかスーパーとかお店があったという。店が流行らず撤退してただの空地になった。自治会の理事、美化委員が主導というので声がかかった。自治会の役員というのはもう余生を生きる年寄りばかりで生活だけは年金とかで安定しているらしい。年を食って安定してないのは自分くらい。それでも家のすぐ近くで土方仕事になるので男手がいるということだった。特に用事もなかったので参加することにした。

・・夏の納涼祭はテント組み立てと焼ソバつくり。先日は運動会があって雨天で中止にはなったが慰労会はおもしろかった。普段はやれない仕事で終わったあとは全身の筋肉痛になるのはいつものこと。こんどの花壇つくりも今は筋肉痛。・・しかしおもしろいものだった。

・・土をほぐして瓦礫を除く。大方の地形つくりのあと道路との仕切りにブロックを置く。これは土木の専門家が一人いて進める。コンクリートをつくる。セメント、砂、砂利を混ぜて水をそそぐ。材料はみなホームセンターで揃うらしい。配合ぐあいはわからない。ブロックを並べて鉄棒とコンクリートで固定。鉄棒の切断などもやってみた。・・草むしりと土おこしくらいに考えていたが、本格的な土台つくりで昼過ぎまで作業。花苗を植えるのは後日のこと。

・・終了して打ち上げの食事会になった。自治会の古参の人がほとんどでいろいろ話がおもしろい。幹部役員はほとんど政治の苦労話でこれはあまり参与したくない。多摩のこの地域、野生の動物が増えているよう。すぐ近くの林で熊が出たとか。イノシシなど親子連れで七八頭も裏山に出没。罠でとらえた人もいて、イノシシ、アライグマ、ハクビジンとか、処理の仕方わからずまた野に放ったとか。イノシシは猛進するから危険。アライグマはクマではなく可愛いものという。万年橋の上から川で水浴びするタヌキをみたことあるが、あれはアライグマだったかも。区別もむずかしい。

・・丹波山村出身の人もいる。町に住んでいるが丹波村に山を所有で、柚子、柿、筍とか豊かにみのる。丹波山にはのめこいの湯がある。いつか自転車で必死で訪ねた。極上の温泉です。ここいら柚子など腐るほど実る。観光客を相手に一袋百円で売られてもいるが、おおかた収穫しないで落下させてるのも多い。柚子狩、柿狩、筍狩にはぜひ参加したい。のち温泉は魅惑。

717秋魚:2016/10/22(土) 01:16:19
(無題)
・・伊勢物語の東下りで昔男業平が詠んだ言問いの歌。それは白鬚橋の渡しという。

 座標: 北緯35度43分41秒 東経139度48分35秒

もうすこし隅田川を遡ると隅田川神社。

北緯35度43分58秒 東経139度48分45.8秒

さらに梅若塚のある木母寺。

北緯35度44分02秒 東経139度48分51秒

奥多摩の大菩薩峠は、 N35度44分9秒 E138度51分12秒


夕べあしたの鐘の声
寂滅為楽と響けども
聞いて驚く人もなし
花は散りても春は咲く
鳥は古巣へ帰れども
行きて帰らぬ死出の旅

718秋魚:2016/10/22(土) 17:09:32
(無題)
・・うす曇りの天候だが御岳の青渭神社までサイクリングに出た。青渭はあおいと読んで青井のこと。けして枯れない青い湧水があるという。創建は崇神天皇代というからかなり古い。根ケ布の虎柏神社とほぼ同期か。主神は大国主命。(ただし創建年代はあてにならない)

青渭神社は沢井にある。青梅街道沢井と御岳の中間で惣岳山の方へあがったところにあるはず。地図をみて目星がついたら出発。源経基が関東を治めた頃青渭神社もよく祀られたという。このあたり平将門か源経基かといったところ。・・多摩川に渡る好文橋までに桜の咲いてる空地がある。昭和から平成にかけて空地というのがどんどん無くなってゆくのが決まった風景だった。こういう田舎にくると廃屋というのもまれにみかける。崩れそうな家屋でまだ人が住んでるというのがなつかしい風景だが。ともかく空地は健在だ。

・・吉野街道、青梅街道はそらおそろしい道で、こちらに越して来た時は自転車で走るなどとてもできないと思っていた。並のサイクリストがいとも容易に走っているのをみてこれは自分が臆病なだけと合点した。はじめて御岳までいった時が想い起こされる。軍畑にでるまえに桜橋というのがある。台地状にすこし開けた場所に昔は桜の木がきれいだったという。瀬川が多摩川に流れこむ深い谷になって足がすくむほど。ここを過ぎて軍畑大橋もこえ沢井に近ずくとにわかに人波が多くなる。天気は曇りだが今日は休日だった。帰りにわかったが澤の井の蔵開き祭りがあった。沢井駅周辺も人手が多い。・・柚子の里勝仙閣という旅館があった。なんだ閉店してるようだ。ちょうどこの前に青渭神社参道の鳥居がある。

・・ちょうどよい空地に自転車を留めて参道を登りかけた。どうも人が歩いた形跡がない。もっと他に道があるはず。さらに自転車で先に進むと舗装された登り道があった。400mばかりで見つかるという。多摩川や街道周辺の町並みがみわたされ景色がよい。道沿いに柚子の木が多く、青い実が鈴なりだ。ゆずの里というだけあって誰の管理かもわからない。雑木にまざったものを一つみやげにもらった。

・・青渭神社の里社というのがあった。「・・古くは青渭明神といい惣岳山頂近くに真名井と称する年中涸渇することのない霊泉があり、これを別名青渭の井ともいい、これが社名の起因となったと伝える。また別に惣岳大明神ともいうが、これは惣岳山(標高七四二メートル)頂に鎮座していることからの呼称である。」

真名井という湧水が売りだけに、手水舎は清冽な音を立ててある。

・・沢井の駅周辺に人が大勢いたのに比べ、この青渭神社は無人だった。ただし管理はゆきとどいているよう。灯明が点っている。「祓いたまえ 清めたまえ」といって、ぽんぽん。

ここから下の奥多摩線、青梅街道まで傾斜のある段差の土地だ。日当たりも眺めも最高だ。柚子があちこち実っている。帰りはまた違う道に入った。だんだらと東にそれてこのままゆけば沢井の駅のほう。ほんとに柚子の畑が多い。・・鉄路に沿った道に出た。

・・沢井駅にでた。駅前の公園に縄文遺跡の案内板がある。大平遺跡について、
「大平遺跡はJR沢井駅を中心に多摩川と平行して東西に広い河岸段丘上に存在します。多摩川までは約四十メートルの高低差がありますがローム層の堆積がないことから今からおよそ一万年前までは多摩川であったと思われ、今回発掘された遺構遺物によって縄文時代早期(およそ七千年前)にはすでに生活を営むことができる地形が形成されたものと考えられます。・・」

人がいっぱい。澤乃井の蔵元、ままごとやに人だかり。・・

「・・縦の最長が42?、最大幅が28.5?、縁の幅は約5?あり、縁からの最深は7?、手前に来るにしたがい浅くなってきます。石皿の縁には円すい状の穴が並んであけられていることがしばしば見受けられ、この石皿にも角の縁部分に1か所あけられています。しかし、この穴が何のために利用されたのかは不明です。石質は安山岩系の石で、多摩川の川原では、この種の石を拾うことはできません。」

・・沢井駅周辺はとてもよい環境だが、このような石皿を運んで縄文人は移動してきたのだろうか?

719秋魚:2016/10/23(日) 02:32:46
(無題)
 四十四 芭蕉拄杖



芭蕉和尚示衆云、你有拄杖子、我與你拄杖子。你無拄杖子、我奪你拄杖子。



無門曰、扶過斷橋水、伴歸無月村、若喚作拄杖、入地獄如箭。



頌曰



諸方深與淺

都在掌握中

撐天并拄地

隨處振宗風

720秋魚:2016/10/25(火) 11:47:42
(無題)


・花は豆のような蝶形花。
・枝や葉は
 家畜の飼料や屋根ふきの材料に、
 葉を落とした枝を
 束ねて箒(ほうき)に、
 根を煎じて、
 めまいやのぼせの薬にするなど

杖かしてやりたき萩の盛かな
初蝶と見る眼の冴る白さかな
蝶に気のほぐれて杖の軽さかな
朝凪や蝶の影さす洗ひ臼

霞ミ霞ミて流れ行川

蝶の飛ふはかり野中の日かけかな  はせを

721秋魚:2016/10/25(火) 21:28:41
(無題)
 をばすての嶺と申す所の見渡されて、思ひなしにや、
 月ことに見えければ

をば捨ては信濃ならねどいづくにも月すむ嶺の名にこそありけれ

西行法師

・・

月が美しいのは、必ずしも池や湖ばかりとは限りません。
千曲市姨捨(おばすて)・四十八枚田の「田毎(たごと)の月」もまた、国の名勝に指定されるほどの美しさを誇ります。

我が心なぐさめかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て 古今和歌集 読人知らず
月もいでで やみに暮れたるをばすてに
なにとてこよひ たづね来つらむ 更級日記
更級や昔の月の光かはただ秋風ぞ姨捨の山 藤原定家
あやしくも慰めがたき心かな姨捨山の月を見なくに 小野小町
君が行く処ときけば月見つつ姨捨山ぞ恋しかるべき 紀貰之
隈もなき月の光をながむればまづ姨捨の山ぞ恋しき 西行
諸共に姨捨山を越るとは都にかたれ更級の月  宗良親王
空にひとつあまりて月の田毎かな 永宮寺松堂
姨捨や月をむかしの鏡なる 加舎白雄

・・


「・・継之助という人が体の中に入ってくる感じになったんです。彼の写真も何枚かみましたが、それぞれ全部違う顔をしているんです。こういう人物というのはちょっと端倪すべからざるところがあるでしょう。撮られるたびに顔がかわっているというのは相当に複雑な人間であることはたしかですね。北越戦争で大奮戦して、もう少しで東京の新政府の国際信義を危うくするというところまで善戦したわけですが、戦い利あらず、傷ついて会津へ退却する途中で死ぬわけですね。」

 司馬遼太郎『峠』月報

722秋魚:2016/10/28(金) 20:40:49
(無題)
・・東京が世界第三位の都市についたという。万年四位からパリに追い替った。何が基準かもわからない。パリのリュクサンブール公園でおそろしく緩慢な時間をすごすなどいう、森有正みたいな日本人はまだいるのだろうか。だいぶ忘れた感覚だが、西欧の伝統が少しずつゆったりと浸みこんで来るという。・・たぶん西欧の伝統に愛想をつかす人が増えているだろうか。未来都市願望が流行かもしれない。

・・東京は空虚な中心。去来に『花実論』があると聞いた。形式と内容について説かれた。花ばかり有って実がない。風雅の実を説くのは希少だ。正風俳諧やおもてなしが注目されるわけだ。

・・この東京を自転車で攻略する。

723秋魚:2016/10/31(月) 19:34:02
(無題)
・・自転車後輪のタイヤがそろそろ。この都心のロングライドはなんとかもたせたい。朝6時半に家を出た。きのう河井継之助記念館の館長先生から便りがあってよいタイミングだった。三田の済海寺が第一目標。ここを訪ねてからまたお便りします。

・・まず青梅線に沿って立川まで。また国立まで。込入った道だがもう何度も走ってお手の物。昔の寓居の跡もしっかり認めてきた。恋ヶ窪にある「姿見の池」は近くで発掘の仕事をした時期があったが、未見の旧跡だ。JR西国分寺駅の裏手のこんもりした森の中にあるという。今回は往路でここを見学。府中からの東山道が伸びていて遊女の宿があったらしい。鎌倉の武将畠山重忠と夙妻太夫(あさずまだゆう)の悲恋伝説がある。

>・・東山道武蔵路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女達が、朝な夕なに自らの姿をこの池に映して見ていたことから、「姿見の池」と呼ばれるようになった

・・夙妻太夫はこの池に身を投げた。

・・池の水は透き通って底が見える。湧水も流れているらしいが、水の動きはまったくない。水底の色はライトブルーの苔色だった。鯉とか水鳥もいて、でも静物のよう。動きがまったくない。すぐ隣のJR線の鉄路の騒ぎと対照的な静けさだった。

・・ここから中央線に沿って新宿まで走るのも何度か経験済み。国分寺の連雀街道を一路三鷹の方へ。・・一度交番で道を尋ねたが、中央線も今は高架線になってこれに沿った道ができている。車はほとんどなく自転車はゆったり走れる。吉祥寺まではコースロスがまったくない。郊外と都心を結ぶ道も進化したものだ。吉祥寺から荻窪に出るまでここはもう街ができあがって改良の余地はない。入り組んだ道だが荻窪までは、我慢。荻窪には青梅街道が駅前まで接近している。

新宿に近づいたところで青梅街道を離れ飯田橋へ向う道にはいる。ここも一度来た道。牛込というところで早稲田に向う道もあるが一路飯田橋方面へ。道が多く分岐してわかりにくい。わからないところへは運よく交番がある。交番の巡査も配置転換が多く自分のエリア以外はよく知らないというのが多い。新人の場合は地図でああでもないこうでもないとやるが、最良のアドバイスになる。後楽園あたりから春日通りにでられれば後はまっすぐ湯島天神の脇を通って御徒町上野、昭和通りを北上して南千住まで。これははじめてのコース。上野駅周辺は混雑して昭和通りがみつけづらい。車道は無理だがそれでも楽な道だ。ほどなく最初の目的地スサノオ神社に着いた。

素盞雄神社?? この種の社、日本中にあちこちあるらしい。ここは千住大橋のすぐ近く。

この日は七五三の祝日であるらしく、人出がおおい。素盞雄神社は庶民に人気があるのか全体がぴかぴかよく神光りしていた。流行らない神社ばかり廻っていたので、すこし驚き。

>・・深川の採荼庵すなわち「杉風が別墅」を舟で出発した芭蕉は、千住で舟をあがった。

ここに芭蕉句碑がある。

行春や鳥啼魚の目はなみた

>・・文政3年(1820年)10月12日の芭蕉忌に「松尾芭蕉奥の細道矢立初めの碑」が建てられた。

儒学者で書家としても高名な亀田鵬斎が銘文を書いている

武州千住宿 牛頭天王 境内

   行春塚

 千寿といふ所にて船をあかれは、前途三千里のおもひ胸にふさかりて幻のちまたに離別の泪をそゝく

行春や鳥啼魚の目はなみた

   はせを翁

・・千住大橋まで続く昭和通り。途中明治通りと交差する。都心南北の昭和通りは日光街道という。水戸街道などもこの千住大橋が起点というから、芭蕉が奥の細道で江戸の別れをここにみたのは、感慨もおおい。・・この千住大橋にくるまでに円通寺というのに寄った。上野戦争での彰義隊戦死者の供養碑がある。上野戦争は悲惨だったらしい。月岡芳年は惨殺の現場を歩いたというが。

・・千住大橋からUターンして浅草に向った。

・・浅草寺とスカイツリーが目印でここらは目をつむっても歩けそう。浅草寺にいってわかったが、一極集中の人出は浅草の特色。なんて人がいっぱいだ。すこし外れて街を歩くとまるで寂びれている。人っ子一人いない。商店なんてのもみない。昔はこのあたり下町の中心だったのだろう。葛飾北斎終焉の地なんてのもあった。北斎・宝暦10年9月23日〜嘉永2年4月18日(1760−1849)浅草聖天町遍照院にて永眠。「人魂で 行く気散じや 夏野原」−辞世の句もある。(おもしろいね)
・・浅草寺の裏手に吉原があったと記憶していた。吉原跡地か?さがしてみたが見つからない。・・いまの吉原は三ノ輪入谷の方か。

長岡藩抱屋敷というのがスカイツリーの下あたりにあった。河井継之助は遊郭通いもよくした。そこから江戸の新吉原へは歩いて近い。海老原新甫という俳人は巴屋の主人という。この新甫と井月は面識があった。あるいは継之助の噂は耳に入ったか。

・・隅田川右岸から言問橋の方へスカイツリーが見える。浅草寺の裏手からもスカイツリーが見える。吾妻橋を渡って東駒形にある桃青寺を訪ねたい。やむえず花やしきの横から浅草寺にまわる。うわっすごい人波。訪日外人など集団できてる。欧米人はすぐわかるが、中国人も多い。韓国人か台湾人か。出店の飲み屋は大盛況ですね。浅草メンチというのが美味しそうだったが、行列で待たねばならず撤退。この後もろくすっぽ食事もとらず自転車に乗りまくった。空腹感というのはあまりなく、実は、これは健康にはまったくよい。あとでわかったことだが。・・それにしても浅草寺の人気は並大抵ではない。活気があって元気になるのは確か。

なんとか人混みを抜けて吾妻橋へ出た。スカイツリーも近い。桃青寺は周辺の東駒形四丁目だ。ぐるっとまわって探した。

・・桃青寺はあまり知られていない。芭蕉の禅修業は深川の臨川寺仏頂和尚のもとがよく知られている。この仏頂和尚以前の禅修業が駒形の桃青寺という。はやい時期に桃青(芭蕉)の寓居があった。わかりにくかったがなんとか見つけた。こじんまりしたお寺でそれは臨川寺も同じだが着いてみると運よく住職さんらしきが表に出てきた。見学の許可をもらいすこし話をすると芭蕉はたしかにここに一時仮寓していたという。その記念になるようなものは何も無いとも。戦災ですべて焼けた。・・ただし山口素堂のお弟子さんで長谷川馬光という人の墓がある。そういってこの馬光の墓を案内してくれた。ここの墓地はおどろきなのは狭い敷地に仏壇のような等形の墓がぎっしり並んでいる。管理がゆきとどいているのか花も置かれてまぶしい限りだ。郊外の雑然とした墓ばかりみてきたのでこれは驚き。ただし馬光のお墓は江戸宝暦期のもので古いままだった。

>長谷川馬光 - 1685−1751 江戸時代中期の俳人。貞享(じょうきょう)2年10月11日生まれ。幕臣。山口素堂にまなび,2代其日庵(きじつあん)となる。
・・桃青寺 延享5年(1748年)、夕可庵を営む。 寛延3年(1750年)8月12日、馬光が中心となり関口芭蕉庵に「さみだれ塚」を建立。

・・この桃青寺。芭蕉の仮寓など伝説的な話で真実のところはよくわからない。はじめは本所の常林寺(定林寺)とか呼ばれて後東盛寺、桃青寺とか。気になるのは、鹿島紀行で芭蕉に連立った宋波という僧侶はこの常林寺の住職というからよく隣の宋波というのは桃青寺の僧かもしれない。定林寺から桃青寺への変名は延享二年(1745)のことという。・・宋波という芭蕉の隣人、気になるか。

・・この日どんより雲って寒気もつよい。自転車に乗って厚手のジャンパーで来たが、汗だくになるなどはない。ちょうどよい具合だ。永代橋の眺望まで来た。ロングライドはまだまだ。・・清澄庭園の近くにある長岡藩下屋敷跡を再確認すべくまたうろうろ。けっきょく下屋敷は今はまったく痕跡が無い。民家とマンションのようなものに成り代っている。今回もっと興味深かったのは、すぐ前の運河名前は忘失したがこの橋をわたってすぐ角のところに杉風の彩荼庵跡がある。芭蕉は奥の細道を旅立つにあたり、芭蕉庵は雛かざりする家にゆずりこの彩荼庵に移った。そこから舟に乗って千住までいった。長岡藩下屋敷はこの彩荼庵とは目と鼻の先だ。


  予閑居採荼庵、それがかきねに秋萩をうつしうゑて、

   初秋の風ほのかに露おきわたしたるゆふべ


白露もこぼれぬ萩のうねりかな
   はせを


   このあはれにひかれて

萩うゑてひとり見ならふやま路かな
   杉風


・・井月が採荼庵跡を訪ねた時はもうこの萩は無かったかもしれぬ。この萩の句はしっかりと読んでいたにちがいない。

・・東京は電車の移動で慣れているが、自転車では道さえまちがわなければ要所めぐりは容易にみえる。道も大雑把な方向感覚でも迷うことはない。数度ポタリングを試みての話だが。深川不動堂というのが親しまれているという。ここから近いはず。成田山を勧請したというから平将門鎮めのお寺か。関東の第一の霊的パワーはやはり将門か。江戸の家康もこの怨霊を気にはしていたようだ。不動堂はともかく寄ってみることにした。下調べがなかったので人に聞き聞きまわった。・・ここはすぐに見つかった。あまり感動はない。・・この後永代橋にでてそのまま皇居の方へ。大手町のパワースポット将門首塚に向った。

「伝承では、将門の首級は平安京まで送られ東の市、都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされる。伝承地は数か所あり、いずれも平将門の首塚とされている。」

・・菅原道真、聖徳太子、平将門。怨霊のパワーが強烈なのはこの御三方。このうち太子のパワーをわが家門はかかえている。将門のパワーに敏感だったのは、たぶん、井月。・・将門首塚はそっと遠慮して訪ねた。蛙が鳴いていたようだった。

皇居前の通りから日比谷通りを走り、そのまま新橋田町へ。長岡藩中屋敷のあった愛宕山にゆく予定もあったが、だいぶ日が落ちてきたので田町の三田へ向った。浄土宗の済海寺を訪ねたい。ここもざっと調べただけで田町の駅前でうろうろ。交番もない。案内板がある。住所とこの案内地図が頼りだ。済海寺はあまりメジャーでないのか地図には載ってない。替りに亀塚公園というのがある。これは済海寺の隣だったはず。この亀塚というのも今回の眼目にあった。ここへゆけばよい。

で、5時くらいだったか済海寺に着いた。すぐ近くに慶応大学がある。すごい坂道を登ってこのあたり高台の丘になってるようだ。

「月の岬(つきのみさき、月の見崎とも)とは、東京都港区三田四丁目付近である台地の一角を指した地名。」この済海寺あるいは隣の亀塚公園、ここが月の岬の説がある。この高台の向こうは昔は海だったとも。さらに興味深いのは、済海寺は江戸期に、「1621年(元和7年)牧野忠成と念無聖上人によって創設。越後長岡藩藩主家牧野氏や伊予松山藩主家松平氏及びその定府家中が江戸での菩提寺として使用。」となる昔は「更級日記に登場する皇女と武蔵国の武士との恋愛物語である竹芝伝説の「竹芝寺」の跡地であった」という。

これ以上は追求しまい。この日は門が閉ざされ隣の亀塚を見学してひきあげにかかった。ホテルで休んだあと明日また訪ねることにする。

724秋魚:2016/11/05(土) 21:11:15
(無題)
・・初日は優に10時間は自転車に乗っていた。都心でこまめに目標を切り替えるのは楽しみもある。あまり疲労もない。いつも寄るビジネスホテルは朝食ビュフェのサービスがあって気も楽だ。

・・さて二日目はもう一度済海寺へ。その後品川の海晏寺を廻って帰路につく。多摩川にでて左岸を二子玉川狛江調布府中どこまでも遡れば福生羽村までゆける。ざっと調べてはあった。問題は第一京浜の海晏寺からいかに上流の多摩川べりに出るか。昔横浜から国道1号で多摩川べりまで来た。第一京浜をそのまま進めば多摩川にでる。これは芸がないか。

・・済海寺は開門されて運よくお寺のお内儀と話ができた。牧野家の個別の過去帳というのは無いという。こちらがまったく無知であった。一般の過去帳というものはある。これには女子の納骨も記録がある。家伝つくりならやはりお寺の過去帳を調べて廻るのが仕事だろう。・・井月がここに足を運んだのはまちがいない。日仏修好通商条約(1858)が結ばれて翌1859年にここにフランス領事館が置かれた。この頃は井月は伊那に出没。長岡藩は河井継之助がときめいていた。

・・竹芝寺の跡地というが、

「・・これはいにしへたけしばといふさかなり。国の人のありけるを、火たき屋の火たく衛士(えじ)にさしたてまつりたりけるに、御前の庭を掃くとて、『などや苦しきめを見るらむ、わが国に七つ三つつくり据えたる酒壺に、さし渡したるひたえの瓢(ひさご)の、南風ふ吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくを見で、かくてあるよ』と、ひとりごちつぶやきけるを、その時、みかどの御むすめ、いみじうかしづかれたまふ、ただひとり御簾のきはに立ち出でたまひて、柱によりかかりて御覧ずるに、このをのこの、かくひとりごつを、いとあはれに、いかなる瓢の、いかになびくならむと、いみじうゆかしくおぼされければ、御簾をおし上げて、『あのをのこ、こち寄れ』と仰せられければ、酒壺のことをいま一かへり申しければ、『われ率て行きて見せよ。さいふやうあり』と仰せられければ、かしこくおそろしと思ひけれど、さるべきにやありけむ、負ひたてまつりて下るに、ろんなく人追ひて来らむと思ひて、その夜、勢多の橋のもとに、この宮を据ゑたてまつりて、勢多の橋を一間ばかりこほちて、それを飛び越えて、この宮をかき負ひたてまつりて、七日七夜(なぬかななよ)といふに、武蔵の国に行き着きにけり。」

・・ここでおもしろいのは、火たき屋の衛士のひとりごと。

『などや苦しきめを見るらむ、わが国に七つ三つつくり据えたる酒壺に、さし渡したるひたえの瓢(ひさご)の、南風ふ吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくを見で、かくてあるよ』

 帝の御むすめが興趣もつのも無理はない。

・・済海寺の隣には亀塚がある。ここの由緒は、

「亀塚の山頂にある酒壷から出てきた亀を神として祀っていたが、ある風雨の夜に酒壷の亀が石と化した」

・・武蔵竹芝とは、この伝説が発祥。やがて源経基、平将門、武蔵竹芝の争乱の時代になる。天慶二年(939)。

・・亀塚の高台から下に第一京浜があって騒がしい街道だが、昔はこのあたりまで海だった。それでこの高台は眺望よろしく「月の岬」と呼ばれていたか。品川から船の出入りもあったから、遠来の客も多く遊郭もあったはず。公園の交番で尋ねてみた。江戸時代のことはさておき昔ながらの遊郭は今でもいくらか名残をとどめてあるらしい。品川海晏寺を尋ねてついでに多摩川までの最良の出方を尋ねた。あまり遠方のことはわからない。大井町の駅から国道1号に入ってもよいがそのまま直進、環八を越えて中原街道に出るのがよいらしい。洗足池、雪谷、丸子橋にでる。

・・都心ロングライドは、最後の目標品川海晏寺まで。白井鳥酔、加舎白雄の墓がある。なぜ海晏寺かというのはよくわからない。1788年に芭蕉百回忌繰り上げ法要があり、白雄をはじめ錚々たるメンバーが参加した。

> 鳥酔は天明俳諧の中興の先駆をなした蕉門の巨匠として名を世人に知られた。著書には「稲ふね」がある。明和6年4月4日に歿した。
                     東京都教育委員会

   鳥酔居士之墓

あぢさゐのかはりはてたる思ひかな     『しら雄句集』

安永4年(1775年)4月4日、白雄は海晏寺で鳥酔七回忌法要を営む。
天明2年(1782年)4月4日、白雄は海晏寺に鳥酔の墓参。
天明5年(1785年)4月4日、白雄は海晏寺で鳥酔十七回忌法要を営む。

・・鳥酔の墓の隣に白雄の墓もあった。

725秋魚:2016/11/07(月) 23:08:02
(無題)
・・沢井のガーデンギャラリーに木工とガラス工芸の展示を見に出た。木工の五十嵐さんからの案内があった。自転車で沢井はほんとに近い。先日柚子の里を訪ねたばかり。ここの柚子は蕎麦つゆに柚子果汁を入れるとほんとによい味になる。澤乃井の蔵元で酒も呑めるか。温泉の帰りにでも寄ろうかと思案したが天気がよいのでポタリングになった。

・・沢井は休日はやはり人出がおおい。ままごと屋の豆腐料理を一度頂いてみたいと思う。会場は作家さんと奥さんが顔を憶えていてくれてうれしかった。実はこちらが記憶があやふやでした。二年ぐらい前からのお知り合いでしたが、なにか修羅場のロングライドがいくつもあって遠い過去のことのようでした。

・・「埋れ木」の話を昔してくれてそれをきのう想い出していた。埋れ木でつくる木工作品。「埋れ木」は俳諧の秘伝書だけど。北村季吟が芭蕉に伝授したという。・・で、やはり鳥海山で採取した埋れ木の酒枡があった。鳥海山までいったらしい。埋れ木のよほど古い亜炭は香炉の灰でつかうとか。仙台の名取川は埋れ木で歌枕にもなるという。この埋れ木はすこし飴色があってそれがよかったか。

・・木目を生かしたよい作品。冬目春目などあるという。

・・帰りに裏道を通ったが、柚子は黄金に色づいてさすが。驚いたのはたぶん芭蕉の木があった。立派なものだ。

・・あきないポタリングコース。自治会の運動会でわかったが梅郷地区の小学校は五小がただひとつ。御岳山の山の上の子供もここまで通うのだそうだ。中学校は西中というのがやはり多摩川南岸に沿ったところにひとつ。ここは好文橋で石神前の駅から渡ってすぐのところ、自然の環境は抜群。ただしこのあたりでも最近クマが出没捕獲されていた。

・・先日のわれわれが作った花壇はもう花苗が植えられていた。

726秋魚:2016/11/17(木) 23:32:26
(無題)
「険夷胸中に滞らず、何ぞ異ならん浮雲の大空を過ぐるに、夜静かにして海濤三万里、月明錫を飛ばして天風を下る」  王守仁

・・河井継之助が愛誦したという。

>・・朱子学から出発し婁諒(ろうりょう)(1422―1491)に師事するが、しだいに懐疑を生じ、病を発するに至る。会試にも失敗し、任侠(にんきょう)、騎馬、文辞、神仙、仏教に惑溺(わくでき)(陽明の五溺)する。28歳、進士(しんじ)に合格、官途につくが、道仏二教への専心は31歳まで続く。35歳、宦官(かんがん)劉瑾(りゅうきん)(?―1510)の意に添わず、廷杖(ていじょう)四十を加えられたうえ、貴州竜場駅に流謫(るたく)された。ことばも通じない僻地(へきち)竜場で、37歳の守仁は「聖人の道は、吾(わ)が性に自足している。以前、理を事物に求めたのは誤りであった」と悟る(竜場の大悟)。
                  ・・ 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

727秋魚:2016/11/18(金) 23:02:39
(無題)
・・一週間ほど前から急に冷え込みが進んだ。夏暑くて秋よく冷え込むと紅葉が冴える。思いついて紅葉見のポタリングにでた。先日の沢井から御岳古里鳩ノ巣白丸、数馬峡という川合玉堂絶賛の楓峡は以前にも訪ねた。思いついて天気さえよければ何処でも行ける。自転車のよいところは筋肉運動より何より呼吸器系のサイクルが活発になり細胞や脳の神経系もよく働く。家に篭もって妄想の囚になるのを防ぐ。妄想が進むと外界が恐怖に思える。

・・ポタリングは外界が新鮮なのがわかる。柚子は更に色づいて黄金の木があちこち。観光地に近いところは袋2百円で置いてある。平日で昼前に出たから青梅街道の車も比較的少ない。それでもヒマな人はけっこういる。紅葉見のドライブやハイカーによく会う。御岳−川井間というのは長くて道幅もせまい。川に面して走るのはやや危険。後方の車を気にして走る。五月に柳沢峠に走った時は猛烈な騒ぎだった。バイクライダーの群れがいくつも来た。チャリダーは一人勝手だが孤独を楽しめる。

・・今日はほんとは「もえぎの湯」の温泉だけが目当てだった。紅葉などほとんど期待はない。

・・それにしても驚きのアメリカ大統領選挙。トランプ劇場の相を呈して来た。アメリカとメキシコの国境に万里の長城をつくるとか、イスラム教徒の入国を禁止するとか、日本韓国から米兵を撤退させるとか、・・どうなることか。

「険夷胸中に滞らず、何ぞ異ならん浮雲の大空を過ぐるに、夜静かにして海濤三万里、月明錫を飛ばして天風を下る」  王守仁

・・せせらぎの音美術館の紅葉は旬。水香園はこれから。数馬峡橋は絵になるのかカメラマンが狙っている。一日の時間帯で光の具合が千変万化する。絞りがどうのシャッタースピードがどうの囁き声を聞く。・・なるほどね。もうすこし先行ってもえぎの湯をめざした。数馬の切り通しは以前通ったと記憶したがあれは間違い。トンネルのある切り立った崖の上にあるらしい。途中まで登って引き返した先のようだ。ここらあたりはまた別口で歩かねばわからない。・・もえぎの湯は氷川の七曲の下にある。もえぎという色は好きだ。「若草の萌える頃」という昔の映画は題名だけでよかった。俳句だと「木の芽どき」というのがある。ものぐるほしい。・・トンネルの脇から旧道に入ってゆくと古い馬頭観音が祀られてあった。文化十一年(1814)という。この観音像、三面で憤怒の相。ラーフ(羅睺星)に似ていて思わず立ち止まる。あとで調べたら馬頭観音は三面八臂のものが本来のものらしい。(いや、いろいろあるか)

ヒンドゥー教の最高神・ビシュヌが馬の頭に変化して敵を倒したとされる神話があるらしい。
「・・毘紐拏(びしゅぬ)が馬に化身して,悪魔に奪われたヴェーダ(インド最古の聖典)を取り戻したという説話が起源」


・・道後温泉(愛媛県)、有馬温泉(兵庫県)、白浜温泉(和歌山県)の3つ。

三古湯といわれる。

和歌の浦を見晴らす藤代峠だが、有間皇子の墓がある。

有間皇子

・・640年,軽皇子(後の孝徳天皇)が小足媛(おたらしひめ)とともに有馬温泉に滞在中に生まれたので,待望の皇子に「有間」と名付けた。(ほんとかしら?)・・父孝徳天皇がいなくなり,子の有間皇子は次の天皇の候補者として表に出されるようになる。しかし,中大兄皇子の存在は脅威であったろう。日本書紀によると657年9月,18歳の有間皇子は狂人のふりをしたとある。皇子はその治療のため紀伊の牟婁(むろ)の湯にでかけた。

都に戻った有間皇子は斉明天皇に「その場所を見ただけで病気が治る」と牟婁(むろ)の湯のことを報告した。この言葉を聞いた天皇は大変喜んだ。

・・658年10月,斉明天皇は有間の皇子の薦めにより,中大兄皇子らとともに牟婁(むろ)の温湯(和歌山県西牟婁郡白浜町湯崎温泉)に船を使って行幸した。

・・天皇らが飛鳥を離れている11月のある日(3日か),都に残って留守役を勤めていた蘇我馬子の孫の蘇我赤兄(あかえ)は有間皇子の市経(いちふ−奈良県生駒町)の家を訪ねた。
赤兄は有間皇子に天皇の3つの失政を語った。
?天皇が大きな倉庫に人々の財を集めている。
?大がかりな土木工事を行い,長い用水路造りを行っている。(「狂心の渠(たぶれごころのみぞ)」とよばれていた)
?船で石を運んで丘を築き,人々を苦しめている。
これを聞いた有間皇子は赤兄が自分に好意を持っているといたく喜び,「我が生涯で初めて兵を用いるべき時がきた」と言った。

・・

ともかく、有間皇子は藤代峠で(中大兄皇子に)絞殺された。


!・・温泉のことは、古今伝授と同じく他言は凶兆。

728秋魚:2016/11/24(木) 01:50:20
(無題)
・・自宅から歩いていける所に関東平野を一望できる場所がある。きょう分った。運よく自治会のハイキングプランに参加して馬引沢、赤ぼっこを歩いた。すぐ裏手の丘陵の尾根道らしい。ハイキングコースがあるのは知っていたが普段誰も歩いていない気配だった。これは絶好の機会。迷わず参加した。・・青梅は最近クマが出没するので話題になった。多摩川沿い二俣尾、青梅美術館の下の釜の淵の川べりでもクマが出た。青梅丘陵ハイキングの道でもクマの足跡が見つけられた。矢継ぎ早に防災のアナウンスがある。テレビを見ないので知らなかった。ニュースで画像が流れたという。・・それでハイキングも中止になるかと心配したが、鈴を鳴らして歩けばよいと進言した。天気も曇りでまずまず。自治体の70人近くの参加だった。思った通りお年寄りが果敢に参加してきている。あと小さい子供も。

・・こんなおもしろいハイキングはない。馬引沢というのは多摩川にそそぐやや大きな沢がある。その沢に沿った道をあがったところ。昔は馬が歩いたらしい。馬頭観音があった。安永三年とある。1774年。この時代の天皇は後桃園天皇。後桜町天皇を継いだ。次は波乱の天明期。漂泊の文人中原章が青梅にあらわれたのが応永五年頃のこと。・・この馬頭観音、牛馬安全とあるが、先日の氷川での馬頭観音と比べてもろ牛馬の守護神で柔和なお顔だ。あちらは文化十一年(1814)だからこちらの方が古い。奥多摩の難所七曲りの馬頭の意味が強烈なのがよくわかる。それにしても江戸時代中期に「安全」などという言葉があったのか不思議に思った。調べてみたがよくわからない。

・・さてその馬頭観音の道をもうすこし進むと突き出た岬のような「赤ぼっこ」に着いた。急に見晴らしがよい場所にでた。ここです。奇跡の場所は。「赤ぼっこ」という名は新しいものだ。1923年(大正十二年)九月一日に起きた関東大震災。この時、山が崩落して赤土のこの部分が山塊で残った。赤土がぼこっと出てそれで「赤ぼっこ」というようになった。それが由来のようだ。

・・この丘にぽつんと一本のヒノキの木が立っている。赤土というのはめずらしかった。富士山の噴火でとうぜん赤い灰が積もるはずだが。多摩川沿いの河岸断層にはあまりみられない。霞川のあたりの低地も赤土はみなかった。青梅の低地は洪水とかで赤土は流されるか腐植土に変化していくか。山の一部に腐食されずに残るか。ずっと昔は白い石灰岩の層があちこち見られた。・・植林された杉の木の伐採をここでもやっている。おかげで眺望はひらけた。雨上がりで晴れはしなかったが、霞がとれて見晴らしはきく。ずっと北東に二峰の山は筑波山、東にスカイツリー。正面やや西よりに日光男体山。いつか御岳山から一望した時はこの男体山に雪がみえた。・・なにより筑波山がはっきり見える。

729秋魚:2016/11/24(木) 21:43:22
(無題)
天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌

八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執<能> <梓>弓之 奈加弭乃 音為奈里

玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野

たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野


・・中皇命とは誰だろう?

間人皇女か、斉明天皇か

730秋魚:2016/12/08(木) 01:04:34
(無題)
「京の天子こそ日本における唯一の合法的主権者であり、将軍とその幕府は仮政権にすぎぬ。強いてその存在を合法化するとすれば、将軍は天子から仮に日本の政治を委託されているにすぎぬ」
これが、水戸学の尊王思想であり、日本におけるあらゆる読書階級(将軍、大名、幕吏をも含めて)は時代思想としてそれを是認するようになっている。幕府の創設者である徳川家康の思いもかけぬ思想であったであろう。
「そんなばかな考えはない」
 と、国際法的な立場からフランス公使などは幕府を勇気づけてはいた。フランスははるかな以前に革命をおこして王家は倒れており、その後曲折をへてナポレオン皇帝が出現し、それも倒れ、いまはナポレオン三世があやしげな術策を弄してあらたに帝位についているため、自国の状勢から考えても将軍を皇帝とみなしたい。が、他の国の外交団は、すでに天子こそ公式の元首であるという実情に気づいている。

『峠』より


狭井神社

・・大神神社のご祭神・大物主大神の荒魂(あらみたま)をお祀りする、平安時代の『延喜式』にも記されている古社。古くより華鎮社と称され、病気を鎮める神としての信仰が篤く、拝殿脇にはご神水の湧き出る薬井戸があります。大神神社と狭井神社の両社で執り行う「鎮花祭」は、『大宝令』に毎年必ず行うよう定められ、春花びらが散るのとともに、はやる疫病を鎮めるために行われています。

731秋魚:2016/12/11(日) 14:27:56
(無題)
・・この天地が崩れる」
という予感を河井継之助がもったのは、そういうことである。繰り返すと、慶応二年のおけるつぎの四つの出来事による判断であった。
夏 長州征伐における幕軍の連戦連負
夏 将軍家茂の病死
冬 徳川慶喜の将軍宣下
冬 孝明天皇の死

(えらいことになる)

・・慶応二年十二月二十五日、孝明帝崩御。

732秋魚:2016/12/15(木) 01:32:24
(無題)
・・あの鳥は鶺鴒だった。どこで見たのだろう。鶯ほどの小さな鳥でうっすら緑色だった。どこかの川べりだったか。古今伝授の鳥を調べていて思い当たる。

・・神武がトビヒコと戦ったのは龍田川とある。負け戦で五瀬命は傷を負った。母の木に隠れた人は難を逃れたという。この木はそのままなら栂の木だが。この木も知らない木だ。モミに似た針葉樹という。たぶんこれも見ているはず。

・・もうひとつ梓の木もわからない。梓弓をつくる。

ミズメというのがそれらしい。

・・梓は、別名を「木王」といい、百木の長として尊ばれた。

カバノキ科カバノキ属の落葉高木。ヨグソミネバリ(夜糞峰榛)、アズサ(梓)とも呼ばれる

・・この木もたしかに見た憶えがある。サクラに似ているという。


 よし、今度山に入ったらこの栂とミズメを見つけよう。

733秋魚:2016/12/19(月) 22:36:36
(無題)
永正元年(1504)十月 三島神社「出陣千句」

たなびくや千里もここの春がすみ  今川氏親
青柳やかげそふ三島木綿かづら    宗長
・・

天正十八年(1590)三月秀吉「戦勝祈願」連歌

関越えて行く末なびく霞かな   紹巴
・・


足柄の関路こえゆくしののめにひとむら霞む浮島の原

                 藤原良経

【新羅三郎義光吹笙の石】
 新羅三郎義光が、後三年の役に出陣の際、足柄峠で笛の師、豊原時元子、時秋に相伝の秘曲の奥義を伝えたとされる



いなおおせどり  帝の比喩   すべての鳥の根源だから
よぶこどり    関白の比喩  当期を知らせるから
ももちどり    臣の比喩   さえずる様が、群臣の王命に従うようだから

734秋魚:2016/12/22(木) 15:48:28
(無題)
>・・成田山新勝寺は平安時代中期に起きた平将門の乱の際、939年(天慶2年)朱雀天皇の密勅により寛朝僧正を東国へ遣わしたことに起源を持つ。寛朝は京の高雄山(神護寺)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、翌940年(天慶3年)、海路にて上総国尾垂浜に上陸。平将門を調伏するため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行った。

・・ここの本尊不動明王像は空海作といわれる。
「成田山新勝寺の御本尊不動明王は、真言宗の開祖、弘法大師空海が自ら一刀三礼(ひと彫りごとに三度礼拝する)の祈りをこめて敬刻開眼された御尊像です」

 不動明王 (ふどうみょうおう)、梵名アチャラ・ナータ [2](?????? [acala naatha])は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。

「たとえば、不動明王は火生三昧(かしょうざんまい)と呼ばれる炎の世界に住し、民衆を教えに導きながらも人間界の煩悩や欲望が仏界に波及しないよう聖なる炎で焼き尽くすと言われる。この為、炎の神力を以て祈願を行う護摩法要の本尊には、炎を司る不動明王と成る事が多い。」

・・明王は一般的に忿怒(ふんぬ)の相で火炎を背負い、髪は怒りによって逆立ち、法具や装飾品は極力身に付けず、法衣は片袖を破って動き易くし、武器類を手に持った姿で表現されることが多い。

・・大日如来が悟りを開いて仏陀になったとき、ありとあらゆる三界の生き物たちが集会に来たが、自分こそ三千世界の主と考え慢心する大自在天だけは招集に応じなかった。
 大自在天は「持明者(インドの魔法を使う精霊、ここでは夜叉明王)が使いとして来るだろうが、奴らは不浄なものを嫌うから、不浄なものを幻術で作り出し四方に張り、その中にいれば持明者の明術も役に立つまい」として結界を張り、近寄れないようにした。
 不動明王が大自在天を呼びに行くと不浄の結界で覆われていたので、不動明王は不浄金剛(烏枢沙摩明王)を召還し、不浄を食らい尽くさせた。そして、ただちに不動明王は大自在天を捕らえて仏陀の元へ連行する。

・・


「・・越路の雁も帰るなる、名残の空の八重霞、頃は弥生も晦日がた、・・花ノ香くもる駒ヶ根の、梺につゞく駅路や、赤穂の町は取分けて、・・祭れる法の光前寺、神かあらぬか昔より、伝ひて諸人群集する、例は不動明王と、檜舞台で近付に、成田を茲に移し絵や、・・


光前寺  長野県駒ヶ根市赤穂 北緯35度44分5.45秒 東経137度53分43.58秒

成田山新勝寺 千葉県成田市成田 北緯35度47分9.79秒 東経140度19分5.79秒

青梅金剛寺  東京都青梅市天ヶ瀬町 北緯35度47分21秒 東経139度14分57秒

隅田川神社?? 東京都墨田区堤通 北緯35度43分58秒 東経139度48分45.8秒

大悲願寺????東京都あきる野市横沢  北緯35度43分56.5秒 東経139度14分29.7秒

六義園  東京都文京区本駒込六丁目  北緯35度43分59秒 東経139度44分48秒

大菩薩峠 N35度44分09秒 E138度51分12秒
長岡駅  N37度26分49秒 E138度51分13秒

木母寺  東京都墨田区堤通  北緯35度44分01秒  東経139度48分51秒


・・木母は、梅のこと。

735秋魚:2016/12/23(金) 19:59:40
(無題)
心には見ぬ昔こそうかびけれ月にながむる広沢の池
                 (藤原良経 秋篠月清集)

いにしへの人は汀に影たえて月のみすめる広沢の池
                 (源三位頼政 新千載集)

736秋魚:2016/12/24(土) 18:55:29
(無題)
・・ネットで調べものしていたら、温泉マニアのブログの人は日本の温泉1400海外73とかもう40年近く温泉巡りをやってるとか、墓マイラーというのがあるようで著名な芸術の恩人の墓を訪ねて歩く人もいてほかに芸術ジャンキーのHPで盛り沢山のアクセス数が6千万突破とか、恐れ入ることが多い。芭蕉など俳人歌人の句碑を訪ねて温泉もよく廻る人のHPがお気に入りで、ある時メール入れたら丁寧なお返事があり、うれしかった。この方のでも50万くらいのアクセスがある。主に車でまわられてるようで、何よりヒマの都合をつけるのがむずかしいはずだがそこは出家に似た割り切り方があるようだ。経済基盤はそれぞれであまり詮索しないことにしている。インフラ度合いを考えてもたぶん自分のマニアックな温泉巡りは一生かけても到底追いつくまい。なにせ自転車だからね。・・車に乗ったり電車に乗ったりたぶんこれを外すのが旅の最大の節約仕事になってるから、羨望もないが。

・・余計なことを書いた。彼らの記録は時としてとても刺激になる。深謝。

・・自転車のタイヤ交換をする前にもう一度補修してしばらく様子見にした。自転車についても工学からツーリングまで上には上がいるのもよくわかる。ブレーキワイヤの交換とかチェーン調整、ディレーラの設置調整とか自分には未知のものがまだ多い。体が動くうちにロードバイクに乗ってみたい気がするが、これは夢で終わりそう。

・・近場の芭蕉句碑を訪ねることにした。羽村福生の新奥多摩街道沿いにある宗禅寺と神明社。以前から何度か前を通っていたが芭蕉の句碑があるのは知らなかった。例によってムーミンパパの温泉HPに感謝。

・・思い立って自転車に乗ると奇跡が起こる。新奥多摩街道を河辺あたりすぎて交差点で信号待ち。ちょうど居合わせた婦人が抱えた切り枝を見た。赤い実黄色い実で葉も青々してる。これは憶えがある。何ですか?ナンテンです。と、いったが違うでしょう。実は似ていても葉が違います。万両千両に似ているが枝も葉もちと大きい。いつか調べたアザカだと思った。・・なにか名を聞かれて急に一本わけてくれた。どうぞ、お正月まで持ちますよ。自転車に乗っていていただき様もないのだが、うれしかった。こちらの興趣にあわせてさらにもう数本。私も貰ったのよ。・・家で調べたら、やはりアザカだった。アザカというのは沖縄で憶えた。本土ではリュウキュウアオキとかボチョウジとかいう。葉が対生して上から見ると十字になり聖木とある。たしかに対生十字だ。実が黄色いのはやがて赤くなる。久高島のイザイホーで巫女が身につける。アザカという名は沖縄でしかない。・・それで青梅のこんな片田舎であるのが不思議だった。奇跡だ。

・・羽村市川崎にある宗禅寺はすぐにわかった。正門の前に来たがこの日はあいにくの葬儀があって境内に入れない。臨済宗建長寺派ということで句碑はあきらめた。福生の神明社もほど遠からぬところにある。いつもはこの横の道から多摩川の堤に向った。神社の裏にでて、楠木の大きいのがみえる。さらに枝垂れ梅の形のよいのが何本もある。花はまだない。

春もやゝけしきとゝのふ月と梅

・・福泉居友甫が自己の還暦に建立。

是からもまたおもしろき花の春

・・裏に友甫の句がある。

・・ここは梅の名木が多い。楊貴妃などの梅もある。・・観梅の頃また訪れてみたい。

稲荷神社がまた別にある。・・ほか近くの寺社の薬師堂もある。添え書きによると、薬師の功徳を求むるに「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」という妙号を唱えるべしと。

737秋魚:2016/12/26(月) 21:42:39
(無題)
・・葛飾北斎がシーボルトに請われて描いた絵があるという。どんな絵だろう。北斎の娘で葛飾応為というのもよく絵をした。『吉原格子先之図』という吉原遊郭での遊女の客見せの絵は魅かれるものがある。遊女を明るい座敷に集めて格子の外から客が相手選びをする。アムステルダムかどこかにガラス窓の娼婦という辻があった。似ているか。明暗の描法が西洋画のレンブラントに倣ったのではないかとか、江戸の絵画としては光の具合が斬新だ。
北斎と応為を描いた『北斎漫画』という映画を昔観た。図書館にDVDを借りにいったが、あいにく貸し出し中。代わりに内田吐夢『宮本武蔵/巌流島の決闘』を借りた。・・三部作の終章で武蔵vs小次郎の決闘の瞬間が特に魅かれる。巌流は小次郎が独力で編み出した剣術という。武蔵の二刀流もそうだ。際立った個性の剣術が雌雄を決する。こういう宿命が避けがたく存在することは、胸が震える。

・・無益な決闘などもうやめてほしい、ツウはいう。剣の道を究めようとした発心の計からすると演算のゆくすえは仮に変更が効かない。計算ミスがあるとしたらはじめの一歩だろう。宿命は精密な科学に似ている。小次郎も武蔵も宿命を受け入れるのが天才の宿命たる所以。紙一重の宿命だった。

・・青梅駅の裏手から鉄道公園の方に坂をあがって丘陵のハイキングコースへ出た。このあたりも入り組んでいて楽しい道だ。いつも新鮮な発見がある。金刀比羅神社が尾根山のもっとも東の端にある。ここにも芭蕉の句碑があるという。以前青梅丘陵を歩いた時は、句碑はずっとコースを進んだ山の中にあって不思議だった。記憶違いか。神社にはたしかに句碑が二つ。しかし読めない。「行く春に和歌の浦にて追いつけり」という句碑と聞いている。・・それよりここは見晴らしがよい。変わったものがあった。十二方角碑という。「寛政九年(1797)建立。安山岩製、頂部が錐形、十二角の柱状で、・・十二面の角柱に、それぞれの方角を示す十二支が漢字で刻まれている。・・」壷の碑に擬してとあり、青梅の文化人が建立したものだ。

金刀比羅神社   北緯35度47分34秒 東経139度15分30秒

・・ほかに本殿の裏に亀の像がある。この山は昔北斗山と呼ばれ七星権現が祀られていた。北斗妙見塚の由緒が古い。

・・栂の木もある。モミに似ているが栂であろう。

738秋魚:2017/01/12(木) 00:23:03
(無題)
・・今日の初乗りはおもしろい。五日市の瀬音の湯をめざした。吉野街道を西にのぼり和田橋をあがって梅ケ谷峠にむかう道がある。たいへんな急坂だがここを越えると日の出に入る。例の日の出山荘にゆく道だ。以前来たことがある。あの頃は梅がまだ咲いていた。日の出に入るまでは殺伐な道と覚悟していた。吉野街道を下って秋川街道から日の出あきるのに向う道はもっとひどい。車がぶんぶん。でこちらの梅ケ谷経由を選んだ。思ったとおり歩行者もチャリダーも皆無。車だけはけっこう走る。ひっそりした山の中で熊がいないか見たりする。この頃は冬眠しないだそうだ。坂は二段坂。一度のぼってさらにもう一段。坂は実はあまり恐くはない。ダンプとかの大きいのが苦手だ。日の出の道はのんびりしている。ここから秋川街道に合流して先は下りで車も多くはない。・・ほどなく五日市の駅前にでた。元日で観光案内所はお休み。交番が仕事する。やあやあと笑顔で挨拶。元日からすみません。温泉ではなく光厳寺というお寺はどこですか。檜原街道の戸倉あたりから山へ向うのは家で調べてあった。交番の巡査三人くらいいて光厳寺といってもすぐにはわからない。地図をひろげてああでもない。こうでもない。山桜のたいへんな古木があって花の季節がよいという。南北朝の頃に光厳天皇が流れてきていたそうだ。即位する前だけど。由緒深いお寺です。地図を開くとさすがに巡査は教えるのがうまい。骨子はすぐにわかった。もうひとつ深沢はどうやってゆくのですか。穴沢天神にゆきたいのです。穴沢天神は知らないけど深沢までの行き方は迷路のように入り組んでむずかしいですよ。駅の裏から一本道とみましたが。しかも上り。光厳寺も上り。上りを強調するが、実はこわくない。きょうの梅ケ谷峠越えほどではないだろう。深沢はただ距離がそうとうあるらしい。これも骨子をきいて、ありがとう。このありがとうという言葉はとてもいい。

・・殺伐とした道を抜けてくると出会う人はだれでもなつかしく思える。気安く話しかけるのがクセになった。ただ道をたずねるという話だけだが。西戸倉のバス停から左折して坂道をのぼる。山の上だそうだ。途中夫婦で歩いてる人がいてたぶんどこかの神社だろう。光厳寺はこの道ですか。はい私たちも行くのです。ありがとう。自転車はまだ大丈夫。やがて急坂になったら足着いてのぼる。三島神社というところにでた。運よく参道を降りてくる婦人がいる。ここで光厳寺を尋ねると、あの山の上だという。で三島神社も由緒ありそうですね。そうです。名前からして興趣ある。・・今度訪ねてみます。(実は帰りに寄ってみた)・・光厳寺に着いた。

・・下見のつもりでいた。瀬音の湯から周囲の土地にあまりにも寄らずに来た。この光厳寺には山桜の古木がある。山の上で見晴らしもよい。七福神の訪問があって人もそこそこ。桜は花はないが古木はみごと。花の季節にまた来てみたい。山桜というのがいい。千両か万両か赤い実がたわわ。南天もある。周囲の里山の眺めも抜群。正月から楽しくなった。

・・晦日に観た『北斎漫画』という映画。これも楽しいものだった。なんか傑作ですね。新藤兼人はもっと評価されるべき。田中裕子演じる娘のお栄も絵を描いたが、その辺はエピソードにもない。樋口可南子演じるお直がすばらしいが、この女実在したかどうか。そんなことはどうでもよい。ともかく傑作。

・・山桜、やまざくら、花がみたい。温泉は来てみてわかる。いかに人が集まるか。二年まえに来た時と客層がすこし変わったか。正月の穴場という風があったものだが、すっかり若者も多く温泉のメッカさながら。リピーターが増えているか。源泉は加水なく温泉本来のぬるみが保たれている。正月にここは正解。

・・曲亭馬琴は「くるわで誠」というヤボをこめたという。読み本書きだが俳諧もよくした。『南総里見八犬伝』は長くてとても読みきれそうにない。あんな荒唐無稽な話をよく続けたものだ。プルースト『失われし時を求めて』に匹敵するとか。幕末ものの『大菩薩峠』もだらだらと長い。あきさせないというが自分は読んでない。映画をみたくらい。失われし時は自伝だが、八犬伝や大菩薩峠はまったくのフィクション。江戸というのがキーワード。

739秋魚:2017/01/02(月) 22:44:21
(無題)
曲亭馬琴  明和4年6月9日(1767年7月4日) - 嘉永元年11月6日(1848年12月1日)
為永春水  寛政2年(1790年) -天保14年12月23日(1844年2月11日)
葛飾北斎  宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)
葛飾応為  寛政13年(1801)?‐慶応1865〜?生没年未詳
武志伊八郎 宝暦元年(1751)-文政7年(1824)
井上井月  文政5年(1822)-明治20年(1887)
寺門静軒  寛政8年(1796年) - 慶応4年3月24日(1868年4月16日)

・・為永春水は、江戸時代後期の戯作者。『春色梅児誉美』など人情本の代表作家。・・
天保の改革下の1841年(天保12年)暮、人情本の内容が淫らであるとして、北町奉行遠山景元の取り調べを受け、翌年手鎖50日の刑を受けた。それを苦に深酒して強度の神経症となり、1843年(天保14年)の暮れに没した。

・・寺門静軒は、幕末の儒学者。水戸藩御家人であった寺門勝春の子として生まれ(生母は河合氏)、13歳で父が死ぬが、彼は本妻の子ではなかったために後を継いで仕官する事が許されなかった。・・天保2年(1831年)より、江戸の風俗を記した『江戸繁昌記』を執筆する。天保6年(1835年)3月、青表紙本検閲の最終責任を負う昌平坂学問所・林述斎の助言を受けた江戸南町奉行・筒井伊賀守の命により、『江戸繁昌記』初・二篇は「敗俗の書」として出版差留の処分を受ける。・・天保13年(1842年)には江戸南町奉行・鳥居甲斐守(鳥居耀蔵)に召喚され、第五篇まで書いていた『江戸繁昌記』は「風俗俚談を漢文に書き綴り鄙淫猥雑を極めその間に聖賢の語を引証…聖賢の道を穢し」たと判断され「武家奉公御構」(奉公禁止)という処分を受けた。・・以後、自らを「無用之人」と称して越後国や北関東を放浪する。やがて武蔵国妻沼(現在の埼玉県熊谷市)に私塾を開いて晩年を過ごした。

740秋魚:2017/01/05(木) 03:22:20
(無題)
・・かやうな偶然性は単一者が同一性を以て数度繰返される点において、「失はれし時を求めて」の著者プルウストをして云はしむれば『それらは現在と過去とに同時に存在し、現実的ではないが実在的であり、抽象的ではないが観念的である。・・・時間の秩序から解放された一刹那が、時間の秩序から解放された人間を我等の中に再び造り出し、さうしてその刹那を感覚させるのである』

・・藤壺、空蝉、夕顔、六条御息所、紫上、末摘花、源典侍、朧月夜内侍、葵上、花散里、明石上、斎宮女御、朝顔、玉鬘のすべてが光源氏にとつては同一性をもって繰返された「幸ある偶然」である。

741山田:2017/01/05(木) 23:03:53
(無題)
自然居士

・・和泉国日根郡自然田村の人、法相の学を修めのち、禅宗に入り、南禅寺の大明国師に師事し、東山雲居寺に住した、頭を剃らず、法衣を著せず、時に或は袈裟を纒うて高座に登り、或は鼓を撃ち扇を取つて舞ふ、蓋し仏道を説いて衆生を帰依せしめやうとする方便である、その自然田村に生れたので自然といひ、僧侶でなく法を説くので居士と称したのである、東岸居士はその弟子であり。謡曲『自然居士』はこれを作つたものである。

・・ 雲居寺は、隋代の高僧静琬が建立した寺で、山麓沿いに建築物が建立された。静琬は、南北朝の廃仏中に多くの仏経が破壊されたが、石刻の仏経(=石経)の多くは破壊を免れたことを教訓に、山上に石を鑿って石室を造り、石経を作成し仏経を保存した。唐の開元年間と遼代に刻経活動は最盛期を迎え、唐代には玄宗によって『開元大蔵経』が雲居寺に下賜され、刻経の底本とされた。

遼代には、『契丹蔵(契丹版大蔵経)』を底本とした刻経が行われた。今日では、その双方の大蔵経が亡佚したため、雲居寺の石経は、その他の版本と校勘する際の一次史料とされている。刻経が盛んに行われ遼代には蔵経洞に石経を収容しきれない状況となったため、山麓に別の石室を穿ち、石経を安置した。刻経活動は、明代まで継続され、刻造された石経は計14,278枚に及んでいる。(wikiより)

・・貨狄尊者(かてきそんじゃ)または貨狄さま(かてきさま)とは、栃木県の龍江院に安置されていた木像の名称。「木造エラスムス立像」として国の重要文化財に指定されている。
・・本像は栃木県佐野市上羽田町の龍江院に伝来してきた古い木像で、長年、古代中国の伝説上の船の発明者である貨狄[4]の像とされてきた。しかし、1920年(大正9年)に足利市の郷土史家丸山瓦全により「耶蘇教僧木像」と紹介され、更に写真が1924年(大正13年)から2年間、バチカンで催された世界宗教博覧会に「在日本キリスト教聖人像」として出品され・・この像は1600年(慶長5年)3月16日に豊後国(大分県)の浜辺に漂着したオランダ船リーフデ号(前名エラスムス号)の船尾飾りであり、オランダの人文学者デジデリウス・エラスムス(1466年 - 1536年)の像である事が判明

742秋魚:2017/01/07(土) 02:21:19
(無題)
・・市川團十郎家は歌舞伎の市川流の家元であり、歌舞伎の市川一門の宗家でもある。その長い歴史と数々の事績から、市川團十郎は歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされている。

初代 市川團十郎(しょだい いちかわ だんじゅうろう、万治3年(1660年) - 元禄17年2月19日(1704年3月24日))は元禄歌舞伎を代表する江戸の役者。立役を得意とし、荒事芸を歌舞伎に導入した。團十郎が考案した見得は「元禄見得」と呼ばれる。

初代市川團十郎の父は甲州出身で、異名を「面疵(つらきず)の重蔵」、「菰(こも)の十蔵」と呼ばれた侠客だったという。
・・「菰の十蔵」というのは十蔵が非人出身なのでお菰(コジキ)の意味でそう呼ばれたものとされる。十蔵は甲州から出てしばらく下総国に住んだのち、江戸和泉町に住み着いたといわれている。

・・昭和初期に山梨県笛吹市一宮町の旧家で発見された堀越氏系図によると、遠祖は能係を務めた武田家臣で、初代團十郎の曾祖父にあたる堀越十郎が市川三郷町(旧三珠町上野)の地を領し、武田滅亡後に下総国へ落ち延びたという。ただし市川宗家は、初代團十郎は成田山新勝寺にほど近い幡谷の出身で、新勝寺とは少なからず縁があったと公式に表している。これが「成田屋」という市川宗家の屋号の由来である。

・・彼らは天保の改革時には、差別的な理由で浅草猿若町に集住を命ぜられ、市中を歩く際には笠をかぶらなくてはならないなどといった規制も受けた。歌舞伎が法的に被差別の立場から解放されるのは、結局明治維新後のことだった。
                           (wikiより)

初代1675?1704 |二代目1704?35 |三代目1735?41 |四代目1754?70 |五代目1770?91 |六代目1791?99 |七代目1799?1832 |八代目1832?54 |九代目1874?1903 |贈十代目 |十一代目1962?65 |十二代目1985?2013 |

・・天保13年 (1842)、天保の改革の旋風が吹き荒れるなかで、海老蔵は突如江戸南町奉行所から手鎖・家主預りの処分を受け、さらに江戸十里四方処払いとなる。これによって江戸の舞台に立つことが不可能となった海老蔵は成田屋七左衛門と改名。一時成田山新勝寺に蟄居したのち、駿府へ移る。その後さらに幡谷重蔵と改名して大坂へ昇り、京・大津・桑名などで旅回り芝居の舞台に立った。追放の直接の原因は、奢侈禁止令に触れる派手な私生活と実物の甲冑を舞台で使用したというものだったが、要するに罪状は何でも良く、その目的は江戸歌舞伎の宗家として江戸っ子の誰もが認める「あの團十郎」を手厳しく処罰することにより、改革への腰の入れようを江戸の隅々にまで知らしめることにあった。

743秋魚:2017/01/07(土) 12:08:22
(無題)
荻生徂徠

・・江戸に生まれる。幼くして学問に優れ、林春斎・林鳳岡に学んだ。しかし延宝7年(1679年)、当時館林藩主だった徳川綱吉の怒りにふれた父が江戸から放逐され、それによる蟄居にともない、14歳にして家族で母の故郷である上総国長柄郡本納村(現・茂原市)に移った[5]。 ここで主要な漢籍・和書・仏典を13年あまり独学し、のちの学問の基礎をつくったとされる。この上総時代を回顧して自分の学問が成ったのは「南総之力」と述べている。

元禄9年(1696年)、将軍・綱吉側近で幕府側用人・柳沢吉保に抜擢され、吉保の領地の川越で15人扶持を支給されて彼に仕えた。のち500石取りに加増されて柳沢邸で講学、ならびに政治上の諮問に応えた。将軍・綱吉の知己も得ている。吉保は宝永元年(1705年)に甲府藩主となり、宝永7年(1706年)に徂徠は吉保の命により甲斐国を見聞し、紀行文『風流使者記』『峡中紀行』として記している。


宗祇

・・文亀二年(1502)、宗祇は弟子の宗長や宗碩たちと越後より関東を経て駿河に向った。七月下旬、鎌倉近きところ(相模守護代上田館)で千句連歌をおこない、その後、箱根山を越えようと湯本まで行くが、その夜、七月三十日、弟子たちに看取られて宗祇は亡くなった。このときのことは、宗長が『宗祇終焉記』に記している。
 宗祇から古今伝授を受け、親しくしていた三条西実隆は、宗長から『宗祇終焉記』と宗祇の遺物「沈香」「三両」などを送られた。・・実隆は、数年にわたり師事したときの高恩など、あれやこれやと忘れがたいとのべ、次の和歌を残している。

 魂と返す道なき箱根山 残る形見の煙だに憂し
 わが身こそ千々のこがねを報ひても 思ふに余る人の恵みを

744秋魚:2017/01/08(日) 01:05:57
(無題)
・・古学(こがく)は、朱子学を否定する江戸時代の儒教の一派。山鹿素行の聖学(これを特に古学(こかく)と言う)、伊藤仁斎の古義学、荻生徂徠の古文辞学の総称。
・・
後世の解釈によらず、論語などの経典を直接実証的に研究する。
江戸中後期に流行し、越後長岡藩では藩校が建設された当初、古義学と古文辞学の両方が藩学となっていた。

古文辞学

・・古文辞学(こぶんじがく)とは、江戸時代に興った荻生徂徠に始まる儒教古学の一派。蘐園学派(けんえんがくは)または徂徠学とも。江戸時代中後期に盛んとなった。学問的には朱子学を批判し、伊藤仁斎の古義学に対抗した。

古文辞とは、明朝で提唱された復古的な文学運動。模範とする古典を文は秦漢期、詩は唐に求めた。

山県周南
太宰春台
服部南郭

・・服部 南郭(はっとり なんかく、天和3年9月24日(1683年11月12日) - 宝暦9年6月21日(1759年7月15日))は、江戸時代中期の日本の儒者、漢詩人、画家であり、荻生徂徠の高弟として知られる。・・京都の裕福な町人 服部元矩(もとちか)の次男として生まれる。母は蒔絵師の山本春正の娘吟子(ぎんこ)。父元矩は北村季吟に師事したこともあり、南郭は和歌や連歌など文雅の教養豊かな家庭で育ち、歌や絵の手ほどき以外にも「四書」や「三体詩」などを教えられる。

・・17歳の頃、甲府藩主 柳沢侯に歌と画業を認められ、これより18年間仕えることとなる。柳沢家には多くの優れた学者(細井広沢、志村禎幹、荻生徂徠、鞍岡蘚山、渡辺幹など)が仕えていたが、このうち荻生徂徠を慕い、やがて漢学に転向する。

南郭は師 荻生徂徠から徂徠学(古文辞学)を受け、太宰春台とともに蘐園学派の双璧とされた。しかし、実質的には蘐園学派は、太宰春台や山県周南の経学派と南郭、安藤東野、平野金華の詩文派に分裂した。徂徠学は人間性を画一的に捉える朱子学を批判し、人間の個性を肯定的に捉えようとする学派であり、そのために古語の理解は不可欠とする。詩文においては盛唐の詩を是とした。南郭はもともと国風の和歌、連歌の素養があり、この盛唐詩の風雅をよく理解したといえる。政治や兵法書に興味を持たなかった南郭は、春台らの古文辞への痛烈な批判を全く無視し政治的現実から韜晦し、ひたすら詩文を楽しみ、そこに人間性の解放を求めた。

745山田:2017/01/08(日) 14:48:44
・・
落花狼藉

https://www.youtube.com/watch?v=9LA3tXIcz1Y

746秋魚:2017/01/13(金) 23:42:33
(無題)
(黒漆の崑崙夜裏に奔る)

・・江戸の闇の深さはこんなものだろう。応為『吉原格子先之図』、光と闇の等位を見る。


・・

今から10億〜20億年後には太陽の温度が少しずつ上がり、地球は熱くなって生物は住めなくなる。

50億年後くらいになると、太陽はその寿命を迎え、

どんどんふくらんで赤色巨星になり地球上の生物も高温のため滅亡する。

太陽は最終的にはその核が白色矮星になる


・・

秋葉山本宮秋葉神社
静岡県浜松市天竜区春野町領家841   北緯34度58分52.44秒 東経137度51分56.81秒

元善光寺
長野県飯田市座光寺2638   北緯35度32分2.65秒 東経137度51分23.48秒


・・麻績の里 舞台桜がすばらしい。

747秋魚:2017/01/17(火) 22:29:05
(無題)
・・去年訪れた浅草寺の裏手だが、葛飾北斎終焉の地というのがあった。聖天町遍照院というところだった。「人魂で行く気散じや夏野原」が辞世という。ここに待乳山というのがあって、こんもり寄らずに来てしまったが、あそこは武蔵の歌枕というのを最近知った。

亦打山 暮越行而 廬前乃 角太川原尓 獨可毛将宿

真土山夕越え行きて廬前の角太川原にひとりかも寝む

まつちやまゆふこえゆきていほさきのすみだかはらにひとりかもねむ

万葉巻三(298)

・・すみだ川というのが詠まれてあっても、ここは武蔵の隅田川ではない。角太というのは奈良五条市の宇智の野を下り吉野川が紀ノ川になるあたり、橋本、奈良と和歌山の境目の山が真土山という。角太川というのは紀ノ川になる。

本来は大和紀州の歌だが、東国武蔵の隅田川に転写されたようだ。

・・ポタリングの記憶では、たしかに待乳山はこんもり小高い社があって階段を登るのが億劫で訪ねなかったように思う。案内板の北斎終焉の地を確認していっぱいだった。

『春色辰巳園』から、

夕越る人を待乳のさん茶舟          未詳

みをつくす心のたけは千尋にてとゞかぬ文のたよりつらけれ  小松

一りんの梅に雪ふるじれつたさ    清もと

うらゝかな春をかぞへん雪の梅    珍奇楼

748秋魚:2017/01/22(日) 00:23:49
(無題)
・・八十里越(はちじゅうりごえ)は、新潟県三条市から同県魚沼市を経由して、福島県南会津郡只見町に至る街道および峠である。

・・八十里越は、幕末から戊辰戦争時にかけて越後長岡藩の家老であった河井継之助が生涯最後に越えた峠であり、現在の只見町は継之助の最期の地として知られる。

北緯37度23分48秒 東経139度12分27秒

青梅市沢井軍畑駅  北緯35度48分27.4秒 東経139度12分27.8秒
青梅赤ぼっこ N35度46分06秒 E139度14分17秒
金刀比羅神社   北緯35度47分34秒 東経139度15分30秒

河井継之助記念館(終焉の地只見) 北緯37度23分52秒 東経139度21分31秒
阿豆佐味天神社 西多摩郡瑞穂町 北緯35度46分0.52秒 東経139度21分53.65秒

大菩薩峠 N35度44分09秒 E138度51分12秒
長岡駅  N37度26分49秒 E138度51分13秒

光前寺  長野県駒ヶ根市赤穂 北緯35度44分5.45秒 東経137度53分43.58秒

・・光前寺(こうぜんじ)は、長野県駒ヶ根市にある天台宗の別格本山の寺院である。山号は宝積山(ほうしゃくさん)。院号は無動院。本尊は不動明王で秘仏。創建年 貞観2年(860年)

749秋魚:2017/01/24(火) 18:40:21
(無題)
遊獵

朝擇三能士
暮開萬騎筵
喫臠倶豁矣
傾盞共陶然
月弓輝谷裏
雲旗張嶺前
曦光己隠山
壯士且留連

旗 →(其→生)

        大津皇子 五言


・・

五言 遊吉野

飛文山水地
命爵薜蘿中
漆姫控鶴擧
柘媛接魚通
煙光巌上翠
日影漘前紅
翻知玄圃近
對翫入松風

・・
        藤原朝臣史


遊天台山賦(文選)

「王喬控鶴以沖天」

750秋魚:2017/01/31(火) 22:10:00
(無題)
・・継之助は、北へ駈けだした。
寅らも、あとを追った。半隊の兵も、疲労しきった体を前へ突き出し、のめるようにして駈けてゆく。
長町に入った。
継之助が家老になるまで住んでいた町である。武家屋敷がつづく。どの屋敷も、むろんあき家であった。
ぴしっ
と、板壁を飛弾が抜いた。と見るまに、継之助が駈けすぎた路傍に砲弾が落下し、夾竹桃をはねとばした。
さいわい、後続者にはけがはなかった。砲煙が、あたりにみちた。
―先生。
と、寅は叫んだ。継之助の姿が、砲煙のむこうに消えてしまっている。
一同が砲煙のなかを駈けすぎたとき、ふたたび前を走る継之助をみた。
「先生」
寅はふたたび叫んだが、継之助はどういうわけか、ふりかえらなかった。継之助が駈けぬけて行く家並の棟瓦を、天をゆく小銃弾が二つ三つ砕きとばした。寅は心配になってきて、
「先生」
と、三たび呼んだが、継之助はもはや往くことに憑かれたようになっているのか、背中を見せつづけている。足軽町の辻へ出た。左へ曲がればめざす新町である。
継之助は、まがった。このあたりはもはや戦場近くであり、弾が激しく飛んでくる。
「みな、続いているか」
というように、継之助はそのあたりの軒下ではじめて足をとめ、ふりかえった。継之助の頭上には、雁木があった。
雁木とは雪国の町に多い構造物で、町屋の軒から庇をながく張り出し、その下を冬季の通路とする。夏季んは、日よけになる。アーケードというべきであろう。
この庇の破れが、継之助の微笑に濃い翳をつくっていた。「きたな」と言うようにうなずくと、継之助はさらに飛び出そうとした。
むかい側の雁木に移るつもりであった。路上を横切った。
途中、流弾がきた。弾は継之助の左脚のひざの下を砕いた。
―あっ
と、後続者はみな声をのみ、さらに叫び、寅などは棒立ちになった。
継之助は、路上に倒れてしまっている。夏目貞五郎、堀忠一郎といった者がすばやく飛び出して継之助を抱きおこし、雁木の下に収容した。血が、すさまじいほど噴き出している。

・・

751秋魚:2017/02/05(日) 01:26:13
(無題)
・・おの/\こゝろをのどめて、あすは此の山をこゆべき用意せさせて、うちや
すみしに、夜中過るほど、いたくくるしげなれば、をしうごかし侍れば、只今
の夢に定家卿にあひたてまつりしといひて、玉のをよ絶えなばたえねといふ哥
を吟ぜられしを、聞く人、是は式子内親王の御哥にこそと思へるに、又このた
びの千句の中にありし前句にや、
  ながむる月にたちぞうかるゝ
といふ句を沈吟して、我は付けがたし、みな/\付け侍れなどたはぶれにいひ
つゝ、ともし火のきゆるやうにしていきも絶えぬ。

・・箱根湯本での、宗祇の臨終の様子。夢の中で定家があらわれたといい、吟じた歌は「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする」という式子内親王の歌。

玉の緒は玉を結びつける糸だが一つではなく複数の玉であろう。忍ぶ恋と題されている。

水無瀬川の記憶か?

式子内親王

後白河天皇の第3皇女。母は藤原成子(藤原季成の女)で、守覚法親王・亮子内親王(殷富門院)・高倉宮以仁王は同母兄弟。

・・定家との秘された愛恋は有名。

752山田:2017/02/05(日) 23:52:45
(無題)
??五柳先生傳

先生不知何許人,
不詳姓字,
宅邊有五柳樹,
因以爲號焉。
閑靜少言,
不慕榮利。
好讀書,
不求甚解,
毎有會意,
欣然忘食。
性嗜酒,
而家貧不能恒得,
親舊知其如此,
或置酒招之,
造飮必盡,
期在必醉,
既醉而退,
曾不吝情。
環堵蕭然,
不蔽風日,
短褐穿結,
箪瓢屡空,
晏如也。
常著文章自娯,
頗示己志,
忘得失,
以此自終。

753山田:2017/02/06(月) 00:24:41
(無題)
 「五六月中、北窗下臥、遇涼風暫至、自謂是羲皇上人。」


南郭子綦隱几而坐,仰天而?,嗒焉似喪其耦。顏成子游立侍乎前,曰:「何居乎。形固可使如槁木,而心固可使如死灰乎。


・・北窓vs南郭

北窓は月無しで牡丹餅のこと。

南郭は廓の南、玉の井でウツケ。

754秋魚:2017/02/08(水) 00:52:37
(無題)
・・最新のパソコンネット事情に挑戦して四苦八苦。政府を狙うハッカー攻撃というものはないが、弱小パソコンオペレーターには企業からの小ざかしい仕掛けが続く。いわゆる成り行きに任す応対が積もるとろくなことは無い。意を決してアプリケーションの削除アップデート等試みた。間違った削除もあってシステムの復元などもやった。古いOSやアップデートを無視するとエラーのブルースクリーンが出たら要注意。スパイウエアごときは堂々と送ってくる。

・・とりあえず5年延命策のネット体制をつくった。win10にも挑戦。

二月に入って梅があちこちほころびはじめた。福生の神明社に枝垂れ梅のみごとなのがあって、機を逸してはなるかと、今日ポタリングに出た。近場だが天気もよくこんな日は外に出ないと罰が当たりそう。福生の郷土資料館でも俳人森田友昇の展示がはじまった。ここも廻って来よう。
ネットで知ったが、最近自転車の本体の事故が多いという。ハンドルが折れたり、車輪がはずれたり、ハード部分の信じられない事故が多い。台湾製のものは頑丈なはず。GIANTはそれでブランドになった。自分のはもう五六年になるが、磨耗タイヤの交換くらい。ギアとフレームは強い。ほんとうはもう一台欲しいのだが。・・ものをどんどん捨てにかかっているのにダメですね。

梅はやはりみごと。芭蕉の句碑もあって刻んだ文字も辿れるが、かなりの達筆な文字。昔の人はたいしたものです。

755秋魚:2017/02/08(水) 12:50:15
(無題)
・・「森田文庫」というのがある。明治初期に活躍した多摩福生の俳人森田友昇。福生出身だが、多く横浜で生業を営んでいた。明治十二年に八王子星布の松原庵を四世で継いだ。多摩八王子横浜の俳諧を多く取りまとめた感があるが、余り知られていない。
今回の展示は、江戸画壇狩野家の画幅のほか、英一蝶の絵もあり、また元禄六年芭蕉怒誰宛書簡などめずらしいものがある。狩野愛信「騎牛笛吹童子図」狩野時信「大梅禅師図」英一蝶「東照宮強飯図」など興趣深かった。若山喜志子の色紙もあって森田家をよく訪ねたとのこと、理由を学芸員の人に聞いてみたがよくわからない。松原庵の榎本星布に憧れていてそれで訪ねたとも聞いているが、定かでない。・・書籍は「横浜地名案内」と句集「浅川集」というのが、おもしろい。森田文庫は一千点の蔵書があるという。今回の展示は入れ替えなく四月十六日まで開催。

756秋魚:2017/02/09(木) 02:16:57
(無題)
十劫正覚衆生界
一念往生弥陀国
十一不二証無生
国界平等坐大会

(二河白道図)1271信濃善光寺

757秋魚:2017/02/10(金) 03:03:00
(無題)
・・きょうは一日win10と格闘。もう少し若かったらジャンク品を拾ってきて改造パソコンを作って見たいところ。パソコン寿命は5〜6年というから中古のよいのが出回ってる。使い勝手のよいwin7もマイクロソフトはあと4年でお釈迦にする算段だろう。くやしいがwin10を一台導入した。自分の寿命というのもある。・・感想だが、コンピュータのシステムの内側をだんだん見えなくなっている。自動更新などもほぼ強制になっている。スマホやタブレット仕様で多彩なアプリソフトが組まれているが自分にはほとんど不要なものばかり。前回のwin10無料アップデートなんてのもいやらしいファイルをいくつも送ってきた。officeに付属したwindowspicturemanegerという画像ソフトはもう付いてこない。・・使いかってがよいので惜しむ人も多い。実はこのソフトだけ無料でダウンロードできる。ニューパソコンはまったく問題ないのがわかったので、このソフトのインストールまで挑戦。・・それにしても気になったのはアップデート更新の数が日に日に増えていくことだ。今中古でwin7をはじめると気が遠くなるような更新の数を強いられる。更新を停止するとかならずコンピュータは重くなる。・・愚痴はいうまい。既存のコンピュータは更新のおかげでとても軽くなった。

758秋魚:2017/02/16(木) 13:45:31
・・
(二九二)うりんゐんの木のかげにたたずみてよみける

僧正遍昭
  わび人のわきてたちよるこのもとはたのむかげなくもみぢちりけり

(二九三)二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に龍田川にもみぢながれ
たるかたをかけりけるを題にてよめる

そせい
  もみぢ葉のながれてとまるみなとには紅深き浪やたつらん

(二九四)二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に龍田川にもみぢながれ
たるかたをかけりけるを題にてよめる

なりひらの朝臣
  ちはやぶる神世もきかずたつたがはから紅に水くくるとは


・・ソセイの歌だが「もみぢ葉のながれてとまるみなと」この「みなと」は特定できる。

竜田川の河口であろう。大和川に合流して大坂の海に入る。

神武軍退却の経路と重なるか?

・・

永承四年内裏歌合によめる

嵐吹くみむろの山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり(後拾遺366) 能因法師

・・734年畿内七道地震は、生駒山地系と金剛山地系の間の断層帯。竜田川大和川の筋か?

・・神武vs長髄彦の戦いのダブルイメージ。孔舎衛坂(くさえのさか)で五瀬命負傷。

「今我は是(これ)日?(ひのかみ)の子孫(うみのこ)にして日に向いて虜(あた)を征(う)つは、此(これ)天道(あめのみち)に逆(さか)る也。 若(し)かじ、退(しりぞ)き還りて弱きを示し、?祇を禮(いや)び祭りて、背(そびら)に日?(ひのかみ)の威(いきおい)を負い、影の隨(まにま)に壓(おそ)い躡(ふ)まん。 如此(かく)なせば、則(すなわ)ち曾(かつ)て刃に血せずして、虜(あた)必ず自ずと敗(やぶ)れん」

ちはやぶる →血は敗る


・・

安積香山(あさかやま)影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに

万葉集巻第十六 3807


(あさか山の歌)歌の心はかげさへ見ゆるとは高山のかげもうつる程ふかき水と云るなり。浅き水には物のかげのうつる事なし。されな浅くはおもひ奉らずといはんために影さへ見ゆるとよめるなり。大かたの山井はかげ浅き物なり。此山の井は深きなるべし。打見るにあさきやうなれども、まことはふかき水なるを国司の心にたとへてよめり

759山田:2017/02/17(金) 00:37:46
・・
元暦2年(寿永4年)2月19日  屋島の戦い
元暦2年3月24日  壇ノ浦の戦い。平家が滅亡
元暦2年7月9日 元暦大地震が起こる。地震の震源は京都盆地北東部で、マグチュードは7.9と推定されている[1]。

1185年  長明「方丈記」(1212)はこの地震だな。

鴨長明 1155−1216

760秋魚:2017/02/17(金) 14:27:22
・・
北 冥 有 魚 , 其 名 為 鯤 。 鯤 之 大 , 不 知 其 幾 千 里 也 。 化 而 為 鳥 , 其 名 為 鵬 。 鵬 之 背 ,不 知 其 幾 千 里 也 。 怒 而 飛 , 其 翼 若 垂 天 之 雲 。 是 鳥 也 , 海 運 則 將 徙 於 南 冥 。 南 冥 者, 天 池 也 。

761秋魚:2017/02/18(土) 16:23:51
(無題)
・・春一番があった。青梅マラソンの前に青梅丘陵ハイキングコースを歩くことにした。熊が出る前に。自転車より歩くのが基本。
・・枝垂れ桜で名高い梅岩寺に寄ってここの梅も捨てたものではない。大変な古木があるが花は盛りをすぎていた。境内の裏からハイキングコースにあがる道があるはず。たぶんこの道だろう。竹林の中を通って途中梅岩寺を裏から見晴らかすスポットもある。道の途中に板絵がいくつも建てられている。千手観世音、如意輪観音、十一面観音が多い。梅岩寺は真言宗豊山派だが。
・・同じ青梅でも花つつじで名高い塩船観音寺は、真言宗醍醐派の別格本山で、秘仏の本尊は十一面千手千眼観世音菩薩という大悲仏。蓮華王ともいわれる。やはり花つつじで名高い青梅の薬王寺は真言宗豊山派だが、本尊は聖徳太子作という薬師如来像。成田の不動明王は空海作といわれるが、太子作というこちらの方が妙味ありか。因みに昨夜学習したことだが、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主であり、西方極楽浄土の阿弥陀如来と対照をなす。仏法の東西の対照について、あまりに迂闊にすごしてきた。塩船観音や薬王寺の花つつじがかくも華麗荘厳なのは深い意味がある。
「瑠璃は、金、銀、玻璃(はり)(水晶)、車渠(しゃこ)(貝の一種)、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう)とともに七宝のひとつとされ、いわゆるエメラルド、アクアマリンといった緑色、青緑色の宝石、またはラピスラズリをいう。したがって瑠璃光とは、その宝石のような美しい青色、緑色の輝きを意味している。」

・・倭人伝に伝えられた「白珠五千孔・青大句珠二枚・異文雑錦二十匹を貢す」の「青大句珠」とは、ラピスラズリの勾玉か。

・・それにしてもいろんな木がある。がっかりしたのは、自分が木の名を言い当てられるものがほとんどないこと。杉と檜の区別さえ覚束ない。檜は檜風呂とかいって特殊のアロマを出す。法隆寺金堂の木材はおおかた檜だという。杉に似てまっすぐ伸びるが見映えはよくない。大木というのもあまりみない。栂は想い出したが、目の詰ったよい木だ。将棋盤や駒に使うと聞いたことがある。せっかく散策にでたから、新しく木の名を憶えたい。アラカシというのがあった。樫の木の一種でこれはよくみる。落葉樹は幹だけしかわからない。これは何だろう。桜に似ているミズメかな。アズサか。

762山田:2017/02/19(日) 01:18:23
・・
越後より上りけるに、姨捨山(おばすてやま)のもとに月明(あか)かりければ

これやこの月見るたびに思ひやる姨捨山の麓なりける(後拾遺533)

・・橘為仲 長和3年(1014年)頃 - 応徳2年10月21日(1085年)

・・能因法師 永延2年(988年) - 永承5年(1050年)

・・菅原孝標女 寛弘5年(1008年) - 康平2年(1059年)



 ある所にある女、桜花の散るを見てもの思へるさまにてかくいふ
  うき身をばなぐさめつるに桜花いかせにせよとかかくは散るらん
 これを聞きて
  思ふことなぐさめけるは桜花をばすて山の月にますかも
 女、かえし
  をばすての山をば知らず月見るはなほ哀れます心地こそすれ
 また返し
  月はまたなほ哀れと物を思ふなりつれなき人は見ぬやあるらん    (能因集)


さらしなや姨捨山に旅寝してこよひの月を昔見しかな  能因

月も出でで闇に暮れたる姨捨になにとて今宵訪ね来つらむ 菅原孝標女

・・

更級の山のたかねに月さえて麓の雪は千里にぞしく(九条良経)
雪白き四方の山辺を今朝見れば春の三吉野秋の更科(同)
月ならぬ雪も有明の冬の空くもらば曇れ更級の里(後鳥羽上皇)
月さえて夕霜こほるささの葉に霰降るなりさらしなの里(藤原家隆)

更科のさむき山べのうの花はきえぬ雪かとあやまたれつつ(平兼盛)
更科の山ぢに咲ける白菊の花もまばゆき秋の夜の月(藤原忠兼)

あらし吹く山の月かげ秋ながらよもさらしなの里の白雪(定家)

763秋魚:2017/02/22(水) 02:12:23
(無題)
龍田河錦をりかく神無月時雨の雨をたてぬきにして

よみ人しらず (古今和歌集巻六冬)

をりかく →織り 欠く 懸く 駆く

神無月 →十月

たてぬき →縦 貫き  どちらかというと経線(南北線)であろう。

764山田:2017/02/23(木) 01:10:37
・・
・・神坂峠(みさかとうげ)は、木曽山脈南部の岐阜県中津川市と長野県下伊那郡阿智村の間にある標高1,569 mの峠である。位置は、北緯35度28分19秒東経137度37分55秒。


花歌とて

吹きのぼる木曾の御坂みさかの谷風に梢もしらぬ花を見るかな(続古今139)鴨長明


横浜みなとみらい  北緯35度27分29秒 東経139度37分55秒
横浜駅    北緯35度27分58秒 東経139度37分21秒

765山田:2017/02/24(金) 00:59:39
・・
蓬莱に聞くばや伊勢のはつ便り

此たびはいせのしり人おとづれてたより嬉しき花柑子かな(慈鎮)

・・

大原や小塩の山もけふこそは神代のことも思ひ出づらめ(七十六段)

766秋魚:2017/02/24(金) 02:11:13
(無題)
・・伊勢物語七十六段。

「むかし、二条のきさきの、まだ春宮のみやすん所と申ける時、氏神にまうで給けるに、このゑづかさにさぶらひけるおきな、人々のろくたまはるついでに、御くるまよりたまはりて、よみてたてまつりける。
 おほはらやをしほの山もけふこそは神世のことも思ひいづらめ
とて、心にもかなしとや思ひけむ、いかゞ思ひけむ、しらずかし。」

・・

古今和歌集

(二九二)うりんゐんの木のかげにたたずみてよみける
僧正遍昭
  わび人のわきてたちよるこのもとはたのむかげなくもみぢちりけり

(二九三)二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に龍田川にもみぢながれ
たるかたをかけりけるを題にてよめる
そせい
  もみぢ葉のながれてとまるみなとには紅深き浪やたつらん

(二九四)二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に龍田川にもみぢながれ
たるかたをかけりけるを題にてよめる
なりひらの朝臣
  ちはやぶる神世もきかずたつたがはから紅に水くくるとは

・・「二条の后の春宮のみやす所と申しける時に」

藤原高子(842-910) 清和天皇の女御、後皇太后。
貞観八年(866)二十五歳で入内。貞明親王を産む。(869年1月2日)

貞明親王は、三ヶ月で立太子、貞観十八年(876年)九歳で帝位につく。陽成天皇。

つまり、二条の后が東宮のみやす所であったのは、869年から876年の間のこと。

・・伊勢物語の著者は紀貫之という説もあるが、「神世(代)」が藤原高子に問われている。

井月の書簡に、

「蓬莱に聞ばや伊勢のはつ便り
慈鎮和尚の歌に
 此たびはいせのしり人おとづれてたより嬉しき花柑子かな
此古歌どりなり。」

・・

伊勢=神世というスタンス

767山田:2017/02/24(金) 13:58:38
(無題)
みちのくのしのぶもぢずりすぢもふのしのくのちみ
未知の狗の詩述ぶも血摺り筋も不能凌ぐ後箕

つついつのいつつにかけしけかにつついのついつつ
筒異つの出津に架けし毛蟹ツツ胃の通五つ

あやめかりきみはぬまにそにまぬはみきりかめやあ
綾女狩り黄身は沼二祖二馬奴は見切り瓶やあ

さつきまつはなたちばなのなはちたなはつまきつさ
五月松は屶恥葉菜の名は千だ縄妻詰さ

みよしののたのむのかりもりかのむのたののしよみ
見よ篠の頼む逃り森かの無能多罵詠み

わすれてはゆめかとぞもふもそとかめゆはてれすわ
忘れ手は夢か兎鼠も巫も粗と亀湯は照れ巣わ

つきやあらぬはるやむかしかむやるはぬらあやきつ
月箭吾ら弩張るやむか鹿亡夜流は奴らあ焼つ

いにしへのしづのをだまきまだをのづしのへしにい
猪西へ野屍角を朶巻き未だ斧頭偲へし兄

つひにゆくみちとはかねてねかはとちみくゆにひつ
津干に愉句未知と墳寝て涅か鳩血み苦湯に筆

768秋魚:2017/02/28(火) 20:05:33
(無題)
・・乗りかかった舟。win10のオペレーションにはほとほと愛想がつきそう。不具合が次々と出る。きょうはいきなりブラックスクリーンになった。OSを立ち上げても真っ暗では打つ手も無い。重大なエラーかとセーフモードの起動とか試みようとしたが、win10は簡単には操作できない。win10の最初の立ち上がりで自動修復までもっていけばセーフモードもオプションで選べる。ところが駄目ですね。チェックツールが入るだけで再起動後は元の木阿弥。真っ暗。個人がシステム操作できないような構造になってる。リカバリーディスクが存在しないから立ち上がりスタートメニューからの回復もできない。回復というの実は試みたのだけどこれもエラーで不成功。部分的な不具合はネット検索などでいくつかは修復できる。win10の不具合はおおかた後からのアプリソフトのインストルによる。これは削除で解決することが多い。・・ブラックスクリーン というのはもう壊れたかと観念したが、やや簡単に復旧できた。・・要するにディスプレイの明るさが何かの弾みでゼロになったわけ。バッテリーモードで起動するとちゃんと画像がでる。バッテリーで立ち上げて電源の設定を調節すればよいだけだった。これに気づくまでなんと時間を食ったことか。テェックするのに時間がかかります。お待ちをなどいってパソコンは時間泥棒もいいとこ。こんなのに付き合って残り少なの人生を食われるのは、どうもね。ま、乗りかかった舟でしょう。

769秋魚:2017/03/01(水) 14:32:38
(無題)
・・サインイン統合というのが各社ネックでしょう。弊害も多い。win10はとりあえず安定したから3年は使えるでしょう。・・itの開発者はしのぎを削っているようだがビジネスが絡むとブラックホールも多い。自動車のリコールと同じでただコンピュータには更新のパッチファイルが送られてくるだけ。xpなど誰も見向きもしなくなってネット以外はとても安全。win10はサイバー攻撃のかっこうの目標ですな。defender用更新ファイルとはほぼ毎日送られてくる。無理もないというか穴だらけのOSですな。・・二三懸念事項はあるが、win10は卒業にする。

・・聲澄みて北斗にひゞく碪かな

名栗の星宮神社に芭蕉の句碑を訪ねた。こんなところにしかも安政3年(1856年)の建立。揮毫は江戸の孤月庵卓郎。

770秋魚:2017/03/14(火) 22:49:03
(無題)
・・春の散策ガイドツアー吉野梅郷に参加した。NPO法人が企画して東京都が後援らしい。らしいというのは、深く考えたくないためだ。ネットで申し込んで、応募多数、抽選で当たった。地元で活動していて当たるような気がした。吉川英治記念館がメインであと近くに梅の公園がある。梅郷の梅は数年前人気投票でNo.1であったが、残念なことに梅ウイルスが発症し市内のめぼしい梅はざっくり切られてしまった。この梅の公園にも千数百本の木があったが、感染を防ぐためにすべて切った。・・これ実はうまくいってない。隣の福生の梅の木もやられているらしい。成果は万全ではないが、鶏ウイルスと同じでこういう伐採のほかはないらしい。梅郷では実は跡地に新しい苗木の植え付けが始まっている。きょうはそちらの成果も見て取れる。

・・二俣尾駅集合で、電車代だけお願いしますということだった。何のことはない自転車で行ける。朝小雨がちだったが、何のことはない。平日だからどんな人が集まるか、まあ退役の暇人か主婦が多いのかもと思っていた。女性が多かったけど、みなユニークな人っぽい。一人若い娘さんが参加して、自己紹介では、きれいな声で中国から来ましたという。留学生で観光経済を専攻中。日本語がとてもうまい。(おまけに美人)。・・専門のガイドさんが二人ついてまあ詳しいことくわしいこと。大変におもしろいツアーになった。出不精で人の交流がしばらくなかったので、くらくら目眩がしそう。

・・梅の種類で「鴛鴦」「新平家」「書屋の蝶」というのがあり、後ろ二つは青梅の新種という。「鴛鴦」はひとつの花で実が二つ成り、「新平家」は八重の紅梅で花弁の陰翳に趣あり、「書屋の蝶」は五つの花弁の先が尖っていて蝶が留まっているよう。

・・桜は「咲く」「散る」、梅は「ほころぶ」「こぼれる」、牡丹は「開く」「くずれる」。こういう決まった言葉使いだという。文を書くのにこれも知らなかったことだ。花はみな咲く、散るだと思っていた。

・・二人のガイドさんのうち一人は植物が詳しい。ニリン草、かたくりは春先日の当たる内さっと咲いて隠れてしまう。・・むらさき草について尋ねたが、やはりほぼみない草だった。・・もうひとりのガイドさんは、歴史、地理いろいろ詳しい人で、これもとっておきの質問、常盤御前の青梅寓居について訊いてみた。これは不思議ですね。まったく知らないことという。青梅の成木とか飯能にも伝説がある。義経だって、武蔵野を横断できなくて周辺の山間をめぐって奥州に向かった。・・伝説ということでみな外すのだろう。・・作家が小説で書いてはいまいか。吉川英治が地元にいて書く気もしたが、「義経」という小説は司馬遼太郎のもの。ともかくこれは自分で当たるしかない。

・・昼食はこの企画でソバをご馳走になった。これも感動ものです。

771山田:2017/03/18(土) 10:18:35
(無題)
・・四天王とは、仏教における持国天、増長天、広目天、多聞天のことを言う。 それぞれ東、 南、西、北の方位を守護しているとされる。

772秋魚:2017/03/24(金) 23:06:33
(無題)
・・尭恵 ぎょうえ

1430−? 室町時代の僧,歌人。
永享2年生まれ。天台宗の学僧。法印。二条派の歌人尭孝(ぎょうこう)について種々の口伝をうけ,「古今抄延五記」など歌書の注釈を執筆。公家,武士,僧にわたるひろい交遊でも知られる。号は藤の坊。著作に「吾妻道記」「東国紀行」,家集に「下葉和歌集」。

・・「東国紀行」は「北国紀行」とも。

作者堯惠は、白山系の修験者。堯孝に歌を学び、『古今血脈抄』『古今抄延五記』を著す。寛政6年(1465)加賀から信濃善光寺に詣でて『善光寺紀行』を著し、文明18-19年(1486-1487)武蔵・相模を遊歴して『北国紀行』を著した。

・・

773秋魚:2017/03/27(月) 03:14:39
(無題)
・・二俣尾の名の由来について、青梅街道が軍畑のあたりで奥多摩と秩父方面に分かれるので二俣尾というのだそうだ。梅郷ツアーでそう教わった。秩父方面には成木から小沢峠を越えて名栗に入り、さらに山伏峠を越えれば秩父に入る。この秩父へ向かう道は鎌倉古道ともいわれる。鎌倉ではなく相模の大山詣での道とも聞いている。・・二俣尾、軍畑の駅から成木にむかって坂を登り、高水山にあがる参道がある。これはいつか歩いた道だ。この参道のちょうど入口あたりに高源寺というもの寂びたお寺がある。境内に石碑があって、芭蕉の句が刻まれてあるのがわかったのは、平成二十一年七月の調査のことだった。文字が判読しづらく長い間未知の句碑であったが「古寺廼桃耳米ふ無於とこ可那 はせ越」と読める。「古寺の桃に米ふむおとこかな 芭蕉」というので、あまりみかけぬ句と思っていた。正岡子規「俳諧大要」に載っているというので調べてみたら「芭蕉雑談」にある。薀雅なるものという。

・・桃はこのあたり江戸の昔は桃の花園で満ちていたという。むろん芭蕉がこの青梅で詠んだものではない。よくわからぬのは「米ふむ」という所作。これは米を精米するための地唐臼で踏んでいるのだという。桃の花とのい対比がいい。薀雅ですか。

・・この「米ふむ」で想い出した。

 越後生れは多く米つき
佐渡の花我秋津洲の誉れ也
 ・・

独吟歌仙の平句で余り気に留めていなかった。「米つき」というのを辞書で調べてみた。高源寺の句碑「桃に米ふむ」と同じ精米の所作であろう。米つき専門の職人もいたそうだ。子供のころ米つきバッタなどもよくみた。米どころ越後はわかるが、青梅では米はほとんど作らない。麦はとれたようだ。

774山田:2017/04/06(木) 00:37:08
・・
>鶴鳴山

四川省大邑県に位置している鶴鳴山は、古剣四大名山の1つで、鶴の形をしていることに因んで名づけられました。東漢時代、張道陵はここで修行を積み、仙道に入り、さらに「五斗米道」を設立したと伝えられています。その後、「五斗米道」が中国道教の主流の「正一道教」に発展していったので、鶴鳴山は漢代天師道の発祥地と言われています。北宋時代の陳希夷、明代の張三豊など歴代の有名な道士は、ここで修行を積みました。

・・

775山田:2017/04/08(土) 13:36:49
・・
陽炎の動かす石の華表かな
陽炎に貫目ひかれな力石

蜻蛉のとまりたかるや水の泡
蜻蛉の降りんとするや水の泡
蜻蛉の夕空頼む九月かな
空に散る蜻蛉の群や潦
蜻蛉の罔両見たり水の泡

・・思ひ續け、ながめ給ふ夕暮、蜻蛉の、物はかなげに飛びちがふを、

「ありと見て手には取られず見れば又ゆくへも知らず消えし蜻蛉
あるかなきかの」

・・

776秋魚:2017/04/18(火) 22:19:01
(無題)
・・春祭りというのに出た。櫓の組み立てと神酒所の世話。あと受付というのもあった。折から神社の桜は満開でよい花見にもなった。花に群れる鳥は何だろう。嘴をのばして蜜を吸っている。・・神酒所では〆というのを受け持った。青梅〆という3・3・1の七つ〆というのが定番という。これも二度目でやっと憶えた。挨拶言葉は実はまったく自信がない。先輩に教わって形ばかりのものを魂こめてやった。この魂こめてというの実はとっておきだ。(人前で話す練習という野暮ったいものだが)ハハ

・・春の嵐が来るという。あきる野の山桜を今年は見たい。山桜はソメイヨシノの後二週間ほどで見ごろという。幸い春の嵐は微雨ですんだか。昼からは晴れるというので自転車で繰り出すことにした。一度梅郷の方へバックして梅ケ谷峠の道が日の出あきる野にはいりやすい。数年前は魑魅魍魎の道にしかみえなかったが。馴れたものだ。・・家で調べものばかりして体力が落ちたか。温泉が一番。・・後輪のタイヤチェンジもしたので様子見もあった。タイヤは万全だが、ギアチェンジが今ひとつ。ブレーキも効きをよくした。

・・あきる野の光厳寺は正月に来ている。迷うことなく真直ぐ行ける。さすが花の名所でカメラの人が先客のほかスケッチブックの人もいる。スケッチの人は三年前に来たけれど、盛りをすぎて失敗。今回は周到にお寺に電話をいれたりして見ごろの日を選んだという。朝方までの雨がなければほんとによい花見になったろう。お日様がでて花もメリハリがでる。夕方までいればとてもよくなる。明日の午前中だたぶん最高でしょう。ほんとうに見ごろというのはわからないものだ。ピークというのは自覚できない。スケッチの人とすこし話をした。墨絵のようなスケッチを楽しんでいるという。大悲願寺の白萩をすすめておいた。秋ですが。

・・山桜というのは華麗さを期待しないがいい。ソメイと違って赤味を帯びた葉が先に出る。葉と蕾がほぼ一緒かと。花の色も白さがめだつ。質素な花だ。・・この時期いろんな花が開花の競演。雨上がりでさらに鮮やかなものもある。

・・温泉の裏の龍珠院も花見の名所という。枝垂桜が見事というが、梅岩寺のものと比較はできない。ここも帰りに寄ったが、カメラスポットとみえて平日なのにマニアが多い。みなデジタル一眼レフのよいもの使ってますね。きょうはさほどの撮影日和ではないけれど。

777秋魚:2017/04/27(木) 00:34:59
(無題)
不空成就如来

五智如来のうち北にある 四神なら玄武

・・語源は「空しからず」という意味があり、充実していること を指す


佐渡か

778秋魚:2017/05/01(月) 01:07:43
(無題)
・・連歌師宗長が青梅に来ているという。三田氏の勝沼城で連歌会などしてすごしたらしい。『東路のつと』という紀行にあって、1509年、駿河から白川の関まで行こうとしたものだ。青梅の勝沼は今でも町名で存在するし、勝沼城跡というのも史跡として認定されている。近辺を幾度か散策していたが、まだここは訪ねていない。今日は天気もよく、躑躅が咲き始めているのを見越して、勝沼城跡を散策し、霞川に沿って、薬王寺まで躑躅の花見に出た。

・・東青梅駅から成木街道の左手はもう勝沼、すこし入って右手の吹上、塩船へ向う道の裏手にあるこんもりした山が勝沼の城跡だ。・・以前、霞川の水源を求めて何度か歩いた。天寧寺や虎柏神社、石動神社とかもこの近くだ。三田氏は平将門の流れだという。飯能と青梅の境にある加治丘陵の西の端に勝沼城はあった。光明寺というお寺があってその裏手の山らしい。何の標識もないので民家の人に聞いてみた。寺の脇の道をずっと登ってゆくとありますよ。でもまったく無人、熊がでてきそう。古い案内板があって、史跡環境保全林だから、大切に歩きなさいということだった。土地の起伏と主に檜の林ですね。建物とか石垣跡というのは何もない。散歩する路がわずかにみえる。まったく人気がない。・・中を歩いてみたい気もしたが、写真を一枚とって引き上げにした。

・・宗長は駿河の島田から箱根、小田原、湘南の藤沢にでて、いきなり武蔵野の勝沼に来る。各地の戦国武将のつてを頼って歩いたようだ。『宗祇終焉記』でも越後の宗祇を訪ねるに、鎌倉から武蔵野は一飛びでぬけ、上野というから群馬の高崎あたりでしょう。これはどうみても多摩、秩父よりの鎌倉街道を歩いているな。藤沢から境川に沿って16号は昔の絹の道。相模原、あきる野、青梅という、八高線に沿って飯能、高崎まで行ける。それにしても青梅の勝沼城を訪ねたというのは、驚きだ。

きりはたゝわけ入八重の外山かな



此山家。うしろは甲斐の国の山。北はちゝぶといふ山につゞきて。まことの深山とはこゝをや申べからん。此山ふかき心なるべし。おなじ処に山寺あり。前はむさし野なり。杉本坊といふにして。

露をふく野風か花に朝くもり


・・霞川を探して自転車を走らす。天寧寺に水源あり。霞川を見つけるのはたやすい。この川は細い川だが、魚も水鳥も多くいる。カワセミが出るというので、以前、カメラマニアが岸辺を騒がしていた。騒ぎになるとカワセミも逃げてゆきそうで、そろりとお忍びですね。・・今回はまったく無人。
薬王寺は真言宗豊山派、躑躅の庭が名勝だ。本尊の薬王如来は伝聖徳太子というから、すごい。薬師仏は瑠璃光浄土を祈願する。尊像を拝みたいものと思っていても秘仏だそうだ。きょう訪ねたら住職さんに拝観をお願いしようかとも思案。しかし秘仏は秘仏、失礼でしょうね。・・薬王寺は加治丘陵の東の端で勝沼城跡とは対極の位置にある。この丘陵の内側を霞川が流れる。この一帯いちじきは沼地だったという。立川断層が伸びていてずっと昔地震があって霞川を遮断したという。いまは田園風景が良く決まっている。自転車のサイクリングには爽快上なし。川岸で大きなカメラを構えている子供がひとり。何を写しているの。カワセミという。つい数分前写したものを見せてもらった。やはりカワセミはいるんだ。このあたり昔は鶴もいたでしょう。

・・薬王寺は旬は早いかなと思いつつ、人がけっこう多い。きょうは晴天。しかし曇ってたりの方が躑躅は色合いがよいか。逆光になったりは、花は色あせる。外人の女子がひとり。目が合ったのでwhere’reyoufrom? campZamaということで、米軍の座間基地の人らしい。花を背景に写真を一枚お願いします。okといって、カシャリと一枚。日本語と英語ごたまぜで。・・ここのツツジ外人にもやはり評判のよう。

779秋魚:2017/05/02(火) 21:38:22
(無題)
・・泉岳寺。亡くなった稲葉真弓は上京以来国分寺の恋ヶ窪にながく住んでいた。武蔵野のハケの様子など地誌には敏感でそれでいて詩のモダニズムの流れもよく見ていた。もういいやといって北品川のマンションに移っていった頃まで詩の話をしていた覚えがある。品川に移ってさっそく近辺の散策にでたエッセイを読んだことがある。・・その中で海に近い風情を気に入っていたようで起伏のある土地も歩いて楽しんだ。・・泉岳寺にもばったり。あの忠臣蔵の赤穂浪士たちの墓がそのままあって妙に感動していた。何が感動かなどはまったく説いてはいない。

・・自分も先日港区芝、品川を訪ねる用があり、三田済海寺、亀石古墳など、その後品川海晏寺に行こうとして坂を下ったら、泉岳寺に出た。

・・荻生徂徠と赤穂浪士については、落語にもある。赤穂浪士46人の切腹については儒学者の意見が求められ、中で荻生徂徠の切腹進言が将軍に採用されたという。赤穂浪士の切腹はほぼ徂徠の裁可というのが定説だ。

「大石ら四十余人は、亡君の仇を復したといわれ、一般世間に同情されているようであるが、元来、まず上野介を殺さんとしたのであって、上野介が内匠頭を殺さんとしたのではない。だから内匠頭の家臣らが上野介を主君の仇と狙ったのは筋違いだ。内匠頭はどんな恨みがあったのかは知らんが、一朝の怒りに乗じて、祖先を忘れ、家国を忘れ、上野介を殺さんとして果たさなんだのである。心得ちがいといわねばならぬ。四十余人の家臣ら、その君の心得違いを受け継いで上野介を殺した、これを忠と呼ぶことができるであろうか。しかし士たる者、生きてその主君を不義から救うことができなんだから、むしろ死を覚悟して亡君の不義の志を達成せしめたのだとすれば、その志や悲しく、情に於いては同情すべきも、天下の大法を犯した罪は断じて宥 (ゆる) すべきではない。」
「…内匠頭は殿中を憚らずして刃傷に及び処刑せられたのであるから、厳格に言えば内匠頭の仇は幕府である。しかるに彼らは吉良氏を仇として猥りに騒動を企て、禁を犯して徒党を組み、武装して飛道具まで使用したる段、公儀を憚らざる不逞の所為である。当然厳罰に処せられるべきであるが、しかし一途に主君のためと思って、私利私栄を忘れて尽したるは、情に於て憐むべきであるから、士の礼を以て切腹申しつけらるるが至当であろう。…」

・・長岡藩では、藩校崇徳館で古文辞学が教えられていたが、荻生徂徠の弟子太宰春台は信州飯田の人。赤穂浪士の討入りには、さらに過激な論を述べている。

「春台によれば、浅野は吉良を傷つけただけなのに浅野を切腹に処したのは幕府の処罰が過当である。よって赤穂浪士達は吉良を恨むのではなく幕府を怨むべきであり、彼らは幕府の使者と一戦を交えた後、赤穂城に火を放って自害するべきだったという。」

・・私が訪ねた時は、やはり変な人気があるのか、人の訪問が絶えない。外人も神妙な顔つきで来ている。耳を澄ましたらドイツ語ぽい。浅草の有象無象の外人とは趣きも異なる。

如来寺。正式には、養玉院帰命山如来寺。今は品川でも西大井にあるが、明治41年までは芝高輪この泉岳寺のすぐ南隣にあった。五智如来の木像があったので、目立った景色であったという。寛永13年(1636)木食但唱上人によって開創された。これは帰命山如来寺。養玉院はまた別の歴史がある。

・・ところで、この但唱上人だが、品川の地元では現今調査されているものと大いに異なる出自をもつ。深く調べたわけではないので間違いもあるかもしれないが、おおよそ地元では深川あたりにいたキリシタンの大工だったという話だ。

「徳川三代将軍徳川家光が元和9年(1623年)10月31日キリスト教信者50人を処刑した(徳川実紀より)。処刑されたのは、エロニモ・デ・アンゼルス神父、シモン遠甫、ガルベス神父、原主水他。」
「刑場があった高輪大木戸(東海道にあった江戸内外を示す関所)の石垣の一部が残され、石碑が設置されている。」

・・この高輪の刑場というのが、如来寺の場所と重なるのではないか、あるいは、如来寺はキリシタンの埋葬地ではないかという話がある。但唱も処刑されるはずのキリシタンだったが、どういうわけか一人だけ刑を逃れた。隠れキリシタンが仏教に改宗をよそおい五智如来をつくった。

芝五智如来(江戸期の書籍「望海毎談」)

「如来寺、芝高縄手通り、五智の如来堂にして、世に芝の大仏と云ふ、此の仏建立せしは、天台宗にて、但昌といへる木食なり、依って、本堂迄取立て、東叡山の末寺なり、当所、江戸創業の始めは、刑罪の屠所なりしが、其後、鈴ヶ森の地へ引たり、但昌、其後、相州一石山に籠り、薬師如来を建立し、其所にて遷化す〜 」

キリシタン原主水の殉教というのは、目頭が熱くなる。但昌などは井月と同じで出自はああでもないこうでもない。作り話が多い。

1623年、品川海岸でのキリシタン50人処刑というのは、火刑。(家光)

1619年には、京都六条河原でキリシタン52名が処刑。火あぶり刑。(秀忠)

「キリシタンの刑死者は屍体が盗まれないように埋葬されていたらしい。 当然ながら札の辻での処刑者の後始末は品川宿小屋頭長九郎配下の者たちが行なっていた。

一説によると埋葬した場所は近くの高輪車町(たかなわくるまちょう)の小山ではなかったろうか。 著者不明とされる 『望海毎談(ぼうかいまいだん)』 によると寛永13年 (1636) 刑場とされる跡地には如来寺が創建されている。」

「品川溜の非人頭長九郎とその配下の非人たちが処刑された死体の処理を行ったと記しています。・・この品川溜は現在の京浜急行青物横丁駅前(現在の交番付近)にあったよう」


・・驚きですね。品川鮫洲にある海晏寺はこのすぐ近く。青物横丁駅前で、道を尋ねたこと憶えています。海晏寺には鳥酔、白雄のお墓があります。

780秋魚:2017/05/05(金) 18:43:19
(無題)
・・輪行のために、自転車の解体−組立てを予行した。一年もやってないと勘も狂う。ホイールの外しまではなんとか。バラバラになった車輪をフレームにくくりつけて袋に収納するというのがまたしても難しい。どこか違ってるのではないか、ネットでもう一度学習してみよう。・・組立ててほかに狂いはないか。ブレーキが少し変。

・・きょうは組立て自転車の点検で、飯能岩淵の歓喜寺、岩井堂までサイクリング。岩井堂は何度か訪れたが、そこから7百mほど離れた歓喜寺にはまだ訪ねていない。岩井堂は真言宗智山派の歓喜寺のものだ。榧の大樹があるという。五月の連休盛りというのでサイクリストも多い。小曽木街道は田舎の道だが、この日は車も多い。注意力全開で身体に緊張感をみなぎらせるのは、しばらく忘れていた。健康によい。・・体のリズムも若干狂う。

・・ともかく死ぬのはごめんだ。リズム若干の狂いも補正したい。小曽木街道を外れて仏子に向う道は何と言うのだろう。ガソリンスタンドのあるT字路で美杉台団地のほうへ。(団地というとまずいかも)すぐ成木川にかかる橋がある。「みどり橋」という。ここからの川景色は絶品。写真を一枚とった。ここを渡らず右にすこし折れると歓喜寺がある。こういうお寺ほとんど訪ねる人もない。榧の木をしっかり観るのははじめてだ。木質が固そうで碁盤をつくったりする。実から油もとったりするそうだ。墓地のほうから一人来てたまさか話になる。土地の人だというのでどんな話もおもしろい。墓地にハナミズキを植えたが数年で枯れたという。ハナミズキは米国からやってきた。ソメイヨシノと交換という。これも知らなかった。土を入れ替えないと枯れるでしょう。墓の管理のしかた、やはり悩みが多い。
・・こんなマイナーな寺に訪ねる人めずらしいのか、よく話す。石動神社に訪ねたときも、出会った人はよく話した。根ケ布だったか近くに勝沼の時宗の寺があるという。今回、この歓喜寺のほかに飯能下畑にある金蓮寺も訪ねてみたかった。時宗の寺だ。

・・歓喜寺は墓地の開発だけは進んでいるようで、近隣に住み着いている家に檀家の募集がある。話をした人の家は古いは古いが、明治頃までのは火災で焼けて過去帳は無いという。それでも古い墓石、板碑が残るというので、二三見させてもらった。磨耗があって読みにくいが、寛文というのが読める。1661年から1672年の間、芭蕉はこの頃藤堂家に出仕して寛文12年(1672)には江戸に下っている。ほかに天明三年という碑も草葉の蔭にある。1783年、浅間山大噴火。死者約2万人。大飢饉が更に深刻化。
時代背景を探ると胸にぐっと来るものがある。

・・墓碑板碑には江戸天明、文化文政の頃までは青梅、飯能でよくみかける。天保年間のものは少ないという印象だ。死者の霊魂の居場所を安めるというより、父が祖父の、子が父の霊魂を引き継ぐような心性は幕末にかけてどんどん薄れていったのではないか。維新の近代は総じて過去を清算してはじめる私生児たちのエネルギーで満ちていた。


長閑さや清水滴る岩の鼻
陽炎や清水滴る岩の鼻
月かげや清水したたる岩の鼻

岩鼻やここにもひとり月の客   去来

781秋魚:2017/05/08(月) 22:09:20
(無題)
・・一日前倒して甲斐大和の天目山輪行に出た。青梅から高尾まで90分は自転車。解体袋詰めで30分。高尾から甲斐大和まで電車で1時間。甲斐大和の駅で自転車の組立で30分。駅から天目山までどれくらいか、かなりの傾斜なはず。・・ざっとプランニングをして出たが未知な部分が多い。ネットでは、笹子で降りて自転車で峠をこえ天目山温泉に寄ったという記事があった。5kmくらいだが一辺倒の上り坂。アゴが出たということだ。

・・天目山へのアップスロープは実はあまり恐くない。恐いのは国道20号。甲州街道だ。以前大月から隣の猿橋まで走ったことがある。自動車専用ハイウェイ様で車もびゅんびゅん。二度と走りたくないと思った。笹子−甲斐大和間はトンネルで、このトンネル数年前に落盤事故があった。自転車でここを抜ける人もいるが、長く暗くとても恐いそうだ。そうでなくても20号はごめんと自ら言い聞かせていた。・・天目山の後この20号で勝沼、塩山に抜ける予定があり、実はこれも大いに気がかりだった。・・変な事故で天命も尽きるかも。

・・自転車乗りで輪行は憶えるとわくわく行動の想像力が大きく激変する。その分いくつもリスクポイントも増えるけど。ここで萎縮する手はない。若いとは想像力の問題です。

・・自ら励ましてなんなく甲斐大和の駅に降り立った。ここ無人駅ですね。

・・組立ては細心の注意。これからのヒルクライムその後の長いライドに耐えうるか。ブレーキが最も要注意。ブレーキ鳴きがするが、これはいい。国道から外れていよいよ天目山へ向う道。行き逢う人に道を聞く。景徳院は近いですけど栖雲寺は山の上です。上り坂が大変ですよ。標高はこのあたりが500くらい、天目山は千mほどですから。地元のものでもよう歩きませんわ。さんざん憐れみをうけたが、自分はこれくらいはどうということない。5kmくらいなら歩いても行ける。笑顔でありがとう。

・・景徳院はほどなく到着。武田氏滅亡は天目山の戦いと呼ばれている。織田徳川の軍勢に追われて栖雲寺まで行こうとしたが、行く手をはばまれこの景徳院で勝頼、北条夫人、信勝はここで自刃。それぞれの辞世の歌が残されている。


黒髪の乱れたる世そはてしなき思ひに消ゆる露の玉の緒
   北条夫人
おほろなる月もほのかに雲かすみはれてゆくえの西の山の端
   勝頼公
仇に見よ誰も嵐の桜花咲きちるほとの春の夜の夢
   信勝公

・・夫人の歌はとりわけ感慨深い。

・・今回の目標はさらに上の天目山栖雲寺。天目山という名称は中国の山に因んだもの。もともとは木賊山(とくさやま)と呼ばれていた。中世の紀行「都のつと」で作者が常陸高岡からここの木賊山まで訪ねて来ている。木賊山というのは、山梨市と秩父の境に2469mの木賊山があるが、「都のつと」の木賊はこちら甲斐大和の天目山のことであろう。常陸高岡というのは、新治郡新治というもう筑波に近い。ヤマトタケルに倣って筑波から甲斐へ武蔵野を横断している趣きだ。・・木賊というのは、世阿彌の謡にもある。様々のこと思い出されて、この天目山にやってきた。

・・天目山簡単に来たようだが、ほんとはきつかった。途中、龍門峡遊歩道に入ってしまいよくよく登ったところで自転車は無理。やむなく引き返してやり直し。観光で売ってる割には客はゼロ。クマの出没注意とまである。・・ひたすらなアップスロープでインナーロウもはじめて試みる。ギアの限界で走るのもはじめて。・・とはいえ足着きして登る。この目標は外せない。

・・栖雲寺は臨済宗建長寺派というが、幻住派というのが正しい。北緯35度39分38.2秒
東経138度48分38.4秒 開基は業海本浄。1318年元に渡り、天目山で中峰明本(普応国師)から印可を受ける。生粋の幻住派だ。帰国20年放浪廻国してこの甲斐木賊山に禅寺を開いた。普応国師木像という貴重なものがあるが、尊像は拝めなかった。ほかに虚空蔵菩薩像というのがあるがこれは十字架捧持マニ像というのが正式な呼名。これは仏画ではなくマニ教の尊像ではないかという逸品。ほかに石庭もみごとなものだ。

・・天目山で武田は二度滅んでいる。勝頼公、夫人、信勝公が自害した1582年。遡ること応永24年(1417)武田氏第13代当主武田信満は足利幕府に追われて木賊山中で自害。この信満公の墓は栖雲寺に見られる。

・・歴史散策、死者と出会う旅みたいになってきた。いろいろあるが、忘れぬうちにこの日の宿のことを書き付ける。天目山温泉は筆舌につくしがたく素晴らしく、下山と恐怖の20号も青息吐息で葡萄の里を抜けた。行きつけの宿は石和で、不思議ミステリーは深夜のテレビだった。チャンネルをいろいろ繰るとやはりバカ番組ばかり。・・と、異星人が出没する不思議なドラマに直面。ウルトラゾーンというシリーズものらしいが、テレビにしては濃厚な脚本。思わず魅きつけられる。ミステリーゾーンとかXファイルといった路線と同じかと思うが、かなりシリアス。人間存在の不確かさ、危うさがまともに伝わる。・・と、次のチャンネルでは竹中直人の出世譚。そういえば竹中直人という芸人がいたな。RCサクセションに大打撃を受けたという。忌野清志郎ですね。高校生の頃からロックしてた。女装して歌う映像があったが、まさにピーク。学生ロックから抜け出るにヤクは使ってないなら、才能だ。竹中直人といえば「無能の人」の映画監督というのも思い出す。未見だがツゲ義春=井月の線を世に知らしめた作品。というか、竹中は井月を知っていたか。こんど会ったら聞いてみたい。「無能の人」に出演依頼をしたとか、忌野清志郎に。ハハ  合掌。
・・つづけてテレビは倉木マイというミュージシャン。この人もよく知らない。舞妓すがたで京都の渡月橋を歩いている。この渡月橋という桂川にかかる橋、嵯峨野、嵐山のあたりでしょう。京都では観光の有名なスポットのようでも自分はよく知らない。倉木マイって、美人ですね。京都の学生時代からシンガーソングライターをやっていた。若い頃の写真はやはり抜群にきれい。今の彼女は精神的な深みがみえる美人。年のとり方がうまい。自分とは好対照。・・山城は井月も訪れている。精神で触れ合うこともあるかなと、すこしうれしくなった。

782秋魚:2017/05/13(土) 11:31:25
(無題)
・・甲州で塩山は鬼門ではないですかね。戦国の武田信玄は今でも大人気。風林火山の武士魂は底堅く信奉されているか。塩山といっても塩は採れない。金、水晶がとれるそうだ。勝沼には大善寺といって葡萄寺ともいうやはり行基菩薩由来の寺もある。右手に葡萄を持ち左手で結印した薬師如来は秘仏という。八王子から甲州に入るに大きな峠は二つあり、鉄道なら長いトンネルが二つ。昔の甲州街道は山賊がどこにも潜んでいよう。暗い街道だ。

・・天目山から下って一路笛吹川の差出の磯をめざした。
20号は笹子を抜けてからはダウンスロープで車もさほど多くない。ネットでまったく快適という書き込みをみたが、国道で自転車というのはどうもよくない。ドライバーに酔っ払いがいたらアウト。向こうからすると自転車の方があぶない走りだそうだが。・・笛吹川にぶつかるまで西へ行く。途中交番があっても大方パトロル中。御用の方は電話をとあって、何度かお世話になった。山梨は先々で人と話したが、驚きはその応対のやわらかさ。まず笑顔でこんにちわ。差出の磯はどこですか?これだめですね。差出の磯は知らない人多い。笛吹川の万力公園はどこですか?これは通じる。・・帰路交差点で信号待つに小学生の女子が自転車の停止を確認、下級生のグループの横断を誘導してる。これも驚き。学校教育がよほどよいのがわかる。すこし言葉を交わしたが、信号の確認ではなく人との確認です。・・これも差出の磯で歌碑をみて後でわかった。笛吹川に望む小高い丘から町並みと富士山がよくみえる。「希望と感謝の歌」という碑があった。・・信玄の人気といっても次代の勝頼は一族悲惨な滅びだ。恵林寺には信玄の墓がある。快川国師は織田信長に火をかけられ「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」と言葉を残した。・・正確には、「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」とある。


しほの山さしでの磯にすむ千鳥君が御世をばやちよとそなく  詠み人知らず」 古今集

・・古来この歌で差出の磯は名所となっている。ほかに甲斐の盆地では北の山よりの高所から富士がよくみえる。富士見の名所とも。

千鳥もここ差出の磯で名高く、今でも飛び交う。

 コチドリ・イカルチドリ・シロチドリ・イソシギ

いろんな人が差出の磯を詠んでいるが、『廻国雑記』道興は、

「春の色も 今ひとしほの 山なれは 日かけさしての 磯そかすめる」
「はる日かけ さしていそくか しほの山 たるひとけとや うくひすのなく」
「冬の夜の 有明の月も しほの山 さしいてのいそに ちとりなくなり」
「こゑはみな やちよときけは しほの山 いそへのちとり ためしにそなく」
「みつしほの さしてのいそに すむ月は 千世もかきらし 久かたのそら」
「今夜こそ 月もみちけれ しほの山 さしての磯に 雲もかゝらで」

よほど、気に入ったとみえる。


・・武田が風水で読み解いた甲斐の風土を、後、だれが追随しただろう。差出の磯には、芭蕉も訪れがあるというが、たしかな根拠はあるのだろうか。

「闇の夜や巣をまどはして鳴く千鳥」この碑は差出の磯にみられる。千鳥といえばここ差出の磯というイメージが定着しているという。・・チドリは磯の砂にわずかな凹みをつくり卵を産む。そうしたものがいくつもあり、暗くなると帰る巣を見失う。それで鳴くという。

・・甲斐の盆地を見晴らかして思い出した。一年前身延線に沿ってこの盆地を抜けた。出口あたりが富士川河畔の鰍沢。身延に行くのに手一杯でスルーしてしまったが、落語と浮世絵の心霊スポットというのは知らなかった。

783山田:2017/05/14(日) 11:11:57
・・
しほの山さしでの磯にすむ千鳥君が御世をばやちよとそなく

https://www.youtube.com/watch?v=-PXbz9DXn8s

784秋魚:2017/05/14(日) 18:50:41
(無題)
・・差出の磯の脇から笛吹川に沿って雁坂道を塩山方面へ。そのまま行けば峠を越えて秩父に入る。秩父から山梨に入る幻の道。長いトンネルや有料道路がありサイクリストは滅多に走れない。知人のイギリス人が走ったとは聞いている。幻とは自分にとってのこと。・・隼の交差点という笛吹川を渡ったところで右折南に折れる。すぐに恵林寺がある。武田の菩提寺で信玄公の墓がある。塩山でまずここを訪ねたい。ケイリンジと読んだらエリンジですと言われた。臨済宗妙心寺派の禅寺で、開基は夢窓疎石。はじめは円覚寺派という。・・この妙心寺派というのに拘りたい。甲斐大和の栖雲寺は臨済宗建長寺派だが、開基の業海本浄は幻住派と呼ばれる。同じ臨済でもアンチ夢窓疎石であったという。

・・芭蕉が江戸深川で禅に師事した仏頂和尚は臨済宗妙心寺派であった。

* 妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山の寺院。山号を正法山と称する。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇。開山(初代住職)は関山慧玄(無相大師)。
                 wikiより

・・創建年は暦応5年(1342)というから、そう古くもない。「平安京の北西部を占める風光明媚な妙心寺の地には、花園上皇の花園御所(離宮萩原殿)があった。花園上皇は、建武2年(1335年)落飾して法皇となり、花園御所(離宮萩原殿)を禅寺に改めることを発願した。・・法皇の禅の上での師は大徳寺開山の宗峰妙超(大燈国師)であった。宗峰は建武4年(1337年)12月没するが、臨終間近の宗峰に花園法皇が「師の亡き後、自分は誰に法を問えばよいか」と尋ねたところ、宗峰は高弟の関山慧玄を推挙した。

・・「南朝の後醍醐天皇は延元4年(1339年、北朝では暦応2年)に崩御するが、北朝の将軍足利尊氏は敵味方の立場を超え、菩提を弔うために、夢窓疎石の勧めに従って天龍寺創建を決定した・・元々大覚寺統の離宮であった嵯峨野の亀山殿を禅院に改め、夢窓を開山として天龍寺を創建」・・「度重なる夢窓の懇請を受け、暦応4年12月23日(1342年1月30日)直義は夢窓に対し、翌年秋に宋船2艘を渡航させ、交易で得られた利益を天龍寺造営にあてるよう提案」

* 天龍寺(てんりゅうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。開基は足利尊氏、夢窓疎石。創建年1345年。

・・妙心寺と最もつながり深いのは大徳寺。

* 大徳寺(だいとくじ)は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある寺で、臨済宗大徳寺派大本山である。山号は龍宝山(りゅうほうざん)。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超で、正中2年(1325年)に正式に創立。


・・妙心寺を開山した関山慧玄、「信濃国高井郡の国人領主高梨氏で高梨高家の子とされる。」建治3年(1277年) - 正平15年/延文5年12月12日(1361年1月19日)・・1307年に鎌倉の建長寺に入り、南浦紹明に師事。慧眼の法名を授かり、南浦寂後も鎌倉にあって物外可什、巨山志源などに参禅。その後帰郷。・・建長寺開山・蘭渓道隆五十年忌出席のため再び建長寺に参じ、ここで宗峰妙超(大燈国師)を紹介され、京都大徳寺に遷って宗峰に師事。やがて1329年に雲門の関字の公案で開悟し、宗峰がこれを証明して関山の号が与えられ、慧玄と改名

信濃国高梨氏は、

高梨氏(たかなしし)は、信濃国北部(高井郡・水内郡)に割拠した武家の氏族。全盛期の本拠地は、現在の長野県中野市。

南浦紹明(大応国師)から宗峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系を「応灯関」という

・・

『汝等請う其の本を務めよ 誤って葉を摘み枝を尋ぬること莫くんばよし』

785秋魚:2017/05/19(金) 21:30:59
(無題)
くまなき月の渡るに似る

・・嵐山にある虚空蔵法輪寺を訪ねたら渡月橋を渡りけして振返ってはならぬ。愛しい人に会うためにたえず月をみて橋を渡りつづけるように。倉木麻衣の新曲「渡月橋 君想ふ」はそういう恋歌をピュアに歌うものらしい。虚空蔵云々は知らなくてもよい。

十三詣りというから男女の知恵はこの橋からはじまるということか。十三歳の恋の感性が呼び起こされている。(かなり話題になってヒットしてるようだ)

・・渡月橋で憶い出した。青梅の奥多摩にも同じ様な橋がたしかあった。いろいろ探したが記憶違いで橋の名は「数馬峡橋」という。

786秋魚:2017/05/20(土) 20:16:06
(無題)
山城の松からも透く初日哉

・・まり様。約束の京「山城」の解読ですが、その前に所沢中氷川神社を訪ねてみました。わたしの処から自転車で楽勝の位置です。氷川神社というのは多くあり、その中一ノ宮は大宮氷川神社。中氷川神社は所沢に二つ、奥氷川神社というのはなんと多摩川上流の奥多摩駅の近くにあります。所沢の中氷川は以前訪ねた時は山口にある神社できょう訪ねた三ヶ島の神社は、早稲田大学所沢キャンパスのほぼ隣にあります。狭山湖に沿ったあたりです。狭山湖、多摩湖に沿った森がトトロの森というようです。

・・倉木マイ「幕張メッセライブ2009」という動画をみてテンション強くすこし感動です。京都がわたしの原点といって渡月橋の詩を歌っているけど、アニメ探偵コナンのテーマ曲ようです。8年前はポップロックというやわな体でパンチが利いてますから、元気でますね。

・・ロックンロールの原点はスサノオの八岐大蛇退治だと認識してますから、フリや感性の質も出雲のスサノオと重ねてみてしまいます。

787秋魚:2017/05/21(日) 14:12:14
(無題)
・・中氷川神社を訪ねる途中瑞穂箱根ヶ崎にある狭山が池に寄りました。この池武蔵野の歌枕だそうでいくつか歌に詠まれています。

武蔵なる狭山が池のみくりこそひけばたえすれわれやたえする 「古今六帖」
踏み分けし狭山は雪に跡絶えて池のみくりは来る人もなし  藤原季能
氷ゐし汀の枯野踏み分て行は狭山が池の朝風   尭恵「北国紀行」

・・大坂にも狭山池というのがありそちらの方が由緒深くもあるが、武蔵野の狭山池もたしかに歌に詠まれる。

「狭山の池は、みくりといふ歌のをかしきがおぼゆるらん。」「枕草子」

・・この「みくり」だが「三稜草」という植物で浅い沼や池によく生えるという。わたしが訪れた時の狭山池には菖蒲草が黄色い花を咲かせていた。「みくり」というのも在ったかも知れぬ。花言葉は「恋の傷み」。


枕草子で憶い出した。清少納言は、東国など歩いてもいず歌から想像して狭山池をいう。これは断じて大坂の溜池ではないでしょう。陸奥に流れた藤原実方をよくみていた。

 かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを

788秋魚:2017/05/25(木) 11:32:58
(無題)
・・渡月橋の子はなんだ同郷だな。娘か。曲は借りるが詩はすべて自作という。R&Bというのが基調らしい。bluesとは愁いだな。perfect orangeを知ってる女流はすべて成功。(わたしが言うのだ、間違いない)

なにかの廻り合わせ。この橋の近くからはじめよう。


・・江戸深川の臨川寺。芭蕉と仏頂和尚が出会った頃はまだ寺号はなくただの草庵だった。臨済宗妙心寺派瑞甕山臨川寺というのが正式な呼称という。・・伊賀から東上した俳諧師と臨済の禅坊主がはじめて交わした問答が今でもよく知られている。

仏頂 「梅子熟せりや」
芭蕉 「桃の青きが如し」

・・

およそ俳人の起点と結点はここに集約されるとみる。

京右京区嵐山桂川にかかる渡月橋。「くまなき月の渡るに似る」というキャッチフレーズがそのまま渡月橋の名になった。このフレーズ、イメージがむずかしくないか。橋は人が渡るものだと思うが、月が渡るとは。月がではない、月の渡る。・・橋の上で観月をしたら(亀山上皇が)橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」とみた。やはり月が渡るようです。現代人は忙しいから、橋の上で月の移動を眺める時間をもたない。上皇が観月をしたというのでなく、月を観ながらゆっくり橋を渡る。月をそのまま眺めていると月の移動に見える。そういうことでしょう。・・人が渡るのか月が渡るのか。妙。

・・渡月橋を右京へ渡り、川に沿って少し下ると京の臨川寺がある。臨済宗天竜寺派霊亀山臨川寺というのが正式な呼称。後醍醐天皇開基、開山は夢窓疎石1335年。疎石入寂もこの寺。渡月橋を渡って北に上がると臨済宗天竜寺派大本山、霊亀山天龍資聖禅寺(天龍寺)がみつけられる。開基は足利尊氏、開山は夢窓疎石1345年。天龍寺は京都五山一位といわれる。


瀬を渡る飛石もあり小鮎汲み
楽しみは浅瀬にあるや小鮎汲み
若鮎や花と汲まるゝ網の露

天龍眺望
若鮎の瀬に尻まくる子供かな


・・「渡月橋〜君想ふ」youtube 2017.3/13以来再生回数4百万突破。聴いて鳥肌が立つという人多い。わたしはこの歌でなく「perfectcrime」で鳥肌立つ。今、4905571回。

十三詣りというの、幼年期から成長期への感性。小鮎と若鮎は同じものではないでしょう。

・・しかし、驚きですね。


平安朝女子の恋心、大人の場合、橋のない渡り、袖の渡りすら覚束ない。

「 実方と恋愛関係にあった彼女はその詞書に ”実方の君の 陸奥に下るに” と述べ

とこもふち 淵も瀬ならぬ 涙川 袖の渡りは あらじとぞ思ふ
                               新後拾遺和歌集 清少納言」


・・天龍寺の西方に亀の甲の形をした山があり、亀山、小倉山と呼ばれる。

「足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(亀山天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。」
「小倉山の西麓と南麓は桂川(保津川、大堰川とも)が流れ、東麓は嵯峨野、北東麓は古くから葬送の地として知られる化野(現 嵯峨鳥居本地区)である。紅葉の名所で、歌枕としても有名。鎌倉時代の歌人藤原定家が、厭離庵近くの小倉山荘(時雨亭)で小倉百人一首をまとめたとされる。」

小倉山東麓の嵯峨野には、祇王寺、天龍寺、野宮神社、落柿舎ほか多くの名刹・史跡がある。


夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐宿にけらしも????万葉巻八
夕されば小椋の山に臥す鹿の今夜は鳴かず寐ねにけらしも????万葉巻九

・・「消せない過去を 見つけられれば
このゲームは終りにしよう」perfectcrime というけれど、この歌の過去はどうして見つけられる。

789秋魚:2017/05/30(火) 22:43:46
(無題)
・・青梅吉野街道東の外れから滝山街道が伸びる。あきる野秋川を通り戸吹トンネルを抜ければもう八王子だ。アップダウンの道を数回くりかえしこのまままっすぐ行けば八王子の駅の方にいけるはず。・・途中左折して滝山城址にポタリング。

・・青梅多摩川上流にある軍畑という地は、青梅三田氏vs滝山城主北条氏の戦い(1563)があったところだ。「辛垣(からかい)の合戦」と呼ばれる。

790秋魚:2017/05/31(水) 18:03:53
(無題)
まゐ様

・・デジャヴが重なると先も危ういのかもですね。ともかく久々のfantasm。謡の「雲林院」にはバージョンが二つある様です。あるいは三つかそれ以上。世阿弥元清はたいへんな美少年だったと聞いてます。将軍義満に見出され三代目義教には佐渡流刑を受けるなどやはり出来る者は末は島に流れる様です。「雲林院」の作者は未詳ですが、バージョンのひとつは世阿弥のものというのは、わたしの直感です。
世阿弥は鬼夜叉という幼名でしたが、貴まゐの好きな京の都はもともと鬼のよく出没するところと心得ております。
「雲林院」の一つのバージョンでは、昔男業平と藤原高子の恋の逃避行が芥川を渡り武蔵野の草原までやってきます。で、高子の兄は基経ですが、執念の鬼となって追いかけ妹を鬼一口に呑んだという曲になってます。鬼一口というのは、ハッとさせられますね。

・・京の羅城門。楼上に鬼が棲むという。

都良香が羅城門を通った時、「気霽れては風、新柳の髪を梳る」と漢詩を詠むと、楼上から「氷消えては波、旧苔の鬚を洗ふ」と詩の続きを詠む声がした。

・・この下の句は鬼の詞と噂になった。

都良香 (みやこのよしか、承和元年(834年) - 元慶3年(879年)

貞観期、富士の噴火、陸奥海溝地震など動乱の時代の文章博士。富士山登頂(?)の記など。


・・ところで板東武者の誉れは、平将門。関東平野の至る所将門の霊魂が息づいています。新皇と称し朝敵とされ、最後には藤原秀郷の矢に屈してしまいますが、郷土に根付いた王道の武者魂は東国の誉れとしてよいでしょう。・・京の獄門に晒し首となっても、江戸の神田まで空を飛んできた首塚は今でもたいへんなパワースポットということです。まゐ殿のしなやかで強靭な感性は、この将門の霊魂オーラを感じさせます。

・・当時、朱雀天皇は仰天したという。寛朝僧正に神護寺の不動明王像とともに、東国下総に赴かせ、将門調伏の祈祷をせしめたといいます。空海が彫った不動明王像ですが、これは効き目があったらしい、将門は討たれてしまいます。この時の不動明王像が本尊となって成田山新勝寺の開山となりました。

この真言宗の僧寛朝(916-998)は、京の広沢池畔に遍照寺を開山(989)しています。最寄の駅は嵯峨嵐山駅といいますから渡月橋、山城エリアでしょうか。広沢の池は往古より観月の池として名を馳せているとのこと。

やどしもつ 月の光の大沢は いかにいつとも 広沢の池  西行
古の人は汀に影絶えて 月のみ澄める広沢の池    源頼政
あれにける宿とて月はかわらねど昔の影は なほぞこひしき  平忠度
心には見ぬ昔こそ浮かびけれ月にながむる広沢の池    藤原良経

名月や池をめぐりて夜もすがら  芭蕉

・・

寛朝僧正が安倍晴明と同席していた時、晴明は、周りにいた公卿たちにせがまれて陰陽道の妖術を試された。術をもちいて手を触れずにカエルを真平らに潰したという。

寛朝はまた真言声明の第一人者とも。

・・芭蕉の「池をめぐりて」の句は、深川芭蕉庵で詠まれたもの。あるいは、広沢池でも詠んだかもしれない。

791秋魚:2017/06/02(金) 13:46:31
(無題)
・・嵐山、渡月橋、竹林、天龍寺。この辺はセットのパワースポット。天龍寺の寺号は、足利尊氏の弟直義が龍の夢をみたのを機縁に名付けられたという。が、これは嘘であろう。夢窓国師の案だと思われる。無門関や碧巌録にすこしだけ名をとどめる天龍禅師に由来をもらった。

・・馬祖道一−大梅法常−天竜−倶胝  という法嗣をみていたか。

大梅法常(752-839)


平安京に生きた深窓の三佳人。紫式部、和泉式部、清少納言。

めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月影  紫式部
あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな  和泉式部
夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関は許さじ  清少納言


最近は、わたしは、清少納言に魅かれるものがあります。

枕草子(一一段)

山は小倉山。三笠山。このくれ山。わすれ山。いりたち山。鹿背山。ひはの山。かたさり山こそ、誰に所おきけるにかと、をかしけれ。五幡山。後瀬山。
笠取山。ひらの山。鳥籠の山は、わが名もらすなと、みかどのよませ給ひけん、いとをかし。
伊吹山。朝倉山、よそに見るらんいとをかしき。岩田山。大比禮山もをかし、臨時の祭の使などおもひ出でらるべし。手向山。三輪の山、いとをかし。音羽山。待兼山。玉坂山。耳無山。末の松山。葛城山。美濃の御山。柞山。位山。吉備の中山。嵐山。更級山。姨捨山。小鹽山。淺間山。かたため山。かへる山。妹背山。

・・小倉山を筆頭に、京近辺の山は見て知ってるでしょうけど、大方は他の歌詠みで想像した山々ではないでしょうか?「朝倉山、よそに見るらんいとをかしき」など、おもしろい。

朝倉山は福岡市にある歌枕、
「昔見し人をぞわれはよそに見し朝倉山の雲井はるかに」

この朝倉山は、岐阜の不破郡垂井町にもあるそうです。標高253m

・・

かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを  実方

とこもふち淵も瀬ならぬ涙川袖の渡りはあらじとぞ思ふ  清少納言

・・この二人、似合いのカップルかと。

792秋魚:2017/06/14(水) 10:44:45
(無題)
・・塩船観音寺に宗長が勝沼城三田氏を訪ねた歌碑があるという。確かめるために自転車を走らせた。ものの30分もかからない。躑躅の万華鏡はもう季節をすぎたが、手前にある吹上菖蒲園はいまが旬の盛りだ。自慢の梅林がウイルス被害でやられて観光客もぐっと減ったがこちらの北青梅はまだまだ未開発風。こころある人はこちらに廻る。すこし活気がある。

・・真言宗醍醐派別格本山というこの寺、はじめて訪ねた人はまず驚く。山間の凹地に構えて斜面一面に躑躅が植えられている。開花の頃は異様な曼荼羅世界になる。本尊は千手観音で開山はずっと古い。若狭の八百比丘尼が大化年間にやってきた。

何故若狭の八百比丘尼がこの武蔵の青梅に?若狭というのは裏日本の北陸ではないか?八百比丘尼というのがそもそも伝説的な旅の巫女。若狭の国の漁師の娘が人魚の肉を食べて不老不死の身になった。

・・八百比丘尼は白比丘尼とも、若狭小浜あたりの生まれという。

小浜田烏沖合いには、沖の石がある。

塩船観音寺??北緯35度48分15.4秒 東経139度16分52.4秒

・・この緯度線を追うと、

郡上大和・明建神社  北緯35度48分42.48秒 東経136度55分24.79秒

・・福井敦賀原発(北緯35度45分02秒 東経136度01分11秒)の沖合いから若狭湾を蓋する形で京丹後最北端の経ケ岬(北緯35度46分45.47秒東経135度13分24.92秒)を抜ける。

八百比丘尼の故郷は、 福井県小浜市小浜男山  北緯35度29分29.6秒 東経135度44分18.3秒

熊野本宮大社 和歌山県田辺市本宮町本宮1100??北緯33度50分26.1秒 東経135度46分24.5秒


・・本居宣長の「古今伝授」批判が熾烈なので、すこし引いてみる。

「こゝに東下野守常縁と云ふものあり、歌人にはあらず。とるにたるほどの人にはあらねども、歌道に心をかけて、歌も少々よみ、歌学もすこししたるものにてありけるが、古今伝授と云ふことをつくりこしらへたり。そのつくりやうは、貫之より次第相伝と云ひて、元俊・俊成・定家と伝へ、それより次第に二条家につたはり、頓阿より後は千葉の家に伝へて、世に聞えず。さて自身まで相伝と云ふこと也。これみな大きなるつくりごとにて、あとかたもなきこと也。頓阿までも伝授と云ふことはさらになし。此こと別に弁ず。この常縁それを宗祇へ伝へたり。宗祇もあざむかれて、まことのことと思ひて、これを受けつたへたり。」

「そのころ西三条殿逍遥院実隆公、和漢の才ありて、ことに歌学に達し、詠歌もすぐれ玉へり。此人まことに歌道の中興にして、今に至るまで仰ぎ信ずることかはらず。此人専ら二条家の正風をたつると云ふことを名として、専らよみ玉へり。さればこれを二条家の歌道の中興と申す也。されどもこれを二条家の中興と云ふはあやまり也。此人は歌道の中興とこそ云ふべけれ。かの頓阿のころは、異風の流ありて、二条家おとろへしを、その異風をしりぞけて、二条家の風をおこしたればこそ、二条家の中興とはいへ、逍遥院殿のころは、すべて歌道おとろへて、異風も正風もなければ、何家と云ふことあるべからず。たゞ歌道の中興也。時の天子後柏原院も御名人也。さてその逍遥院殿を二条家の中興と云ふことは、そのいはれは、此人さしも学才ある人なりしかども、いかなることにや。かの古今伝授と云ふことをまことゝ思ひて、伝はり玉へり。かなしきこと也。常縁はいふにたらぬものなれば、たとひ伝授と云ふことをつくりたりたりとも、此逍遥院殿など云ふ時の名人、道の中興する人などのうけつけ玉はずば、世にひろく知りて伝はることはあるまじきに、此人さへあざむかれて、信仰し玉ひけるうへは、自余の人は信ずることはり也。かくの如く二条家の古今伝授と云ふことをうけつたへ玉ふゆへに、二条家中興とは云ふ也。されどその伝授と云ふもの、もとわけもなきつくりごとなれば、大いに誤り也。ただ歌道の中興也。」

 花を見てかへるといはぬ人はなし
  たもとを桃のにしきたちきて 逍遥院内府公

793秋魚:2017/06/18(日) 23:15:54
(無題)
まゐ様

・・忠臣蔵のお話は聞いているでしょう。江戸時代将軍は徳川綱吉の時でした。松の廊下の刃傷沙汰、赤穂浪士の討入り、切腹とか想像したくもない空気の時代がありました。品川の泉岳寺には大石蔵之助以下四十七士のお墓があります。・・泉岳寺の前の坂道を登って三田の方へ行くと海のほうへ見晴らしがきく亀塚公園に出ます。海がみえるといっても昔のことで今は渺茫とした埋め立て地でしょうか。月の岬と呼ばれて月見の名所はここのことかもしれません。亀塚公園には古墳と思しきものあり。

・・竹芝伝説もここです。菅原孝標女が上総から京に行く途中武蔵の国に入りました。この時すでに伝説でしたから古いお話でしょう。

・・火焼屋の衛士がこぼしています。

「などや苦しき目を見るらむ。わが國〔武藏をさす〕に七つ三つ作り居(す)ゑたる酒壺に、さしわたしたる直柄(ひたえ)の瓢(ひさご)の、南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくを見でかくてあるよ」と獨(ひとり)打ちつぶやきけるを

・・内裏の姫君が御簾こしにこのつぶやきを聴きとめたのが、はじまり。

東国というのは、なんて楽しい風が吹いているのだろう。想像するだけでわくわくです。

「七つ三つ作り居(す)ゑたる酒壺に、さしわたしたる直柄(ひたえ)の瓢(ひさご)の、南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西に・・」

「我ゐて往きて見せよ。さいふやうあり」


・・この都、平安京ではなく大和(奈良)の都と思います。平安京でも姫君は同じでしょう。

鳥影も木影もさして青簾
物ごしに采女の声や青簾
大輔も式部も見えて青簾

井月に青簾を詠んだ句があります。

大輔は伊勢大輔、永祚元年(989年)頃? - 康平3年(1060年)頃?

「いにしへの奈良の都の八重桜けふここのへににほひぬるかな」

花みずきの一青窈にしても「うす紅色」が訴えていましたから、まゐ殿の「うす紅色」も私無しでヒットです。・・そして「から紅」の渡月橋へ。

ちはやぶる神世もきかず龍田河唐紅に水くくるとは  業平

嵐山の紅葉もさることながら、斑鳩竜田川の紅葉もから紅そのものです。つつ井筒は十三七つの恋でしょうか。

・・簾がでてきたので、やはり業平の玉簾の歌が気になります。

吹く風にわが身をなさば玉すだれひま求めつつ入るべきものを (業平)
返し、
とりとめぬ風にはありとも玉すだれたが許さばかひま求むべき (高子)

平安朝もこのあたり洗練されすぎかと。青簾の青が効いています。

・・

三田の亀塚公園ですが、この亀塚、竹芝伝説の姫君のお墓ではないかといわれる。塚の頂上に亀山碑があり、これは上野国沼田城主土岐頼煕が寛永三年(1750)に建てたもの。「塚の頂上に酒壺があり、酒壺に出入りしていた亀が一夜の風雨で石になった」という伝説を伝えている。

・・この亀の石、今でも健在で少し降った亀塚稲荷神社に祀られてあるそうです。

亀塚公園のすぐ隣、済海寺という浄土宗のお寺があります。安政六年(1859)フランス総領事館が置かれましたから、戊辰戦争で指揮をとった河井継之助もここに尋ねているでしょう。


 沖の石

そういう名の椿があります。若狭の白比丘尼がもたらしたかもです。


わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
    人こそ知らね 乾く間もなし

●●●●●●●●
わがそでは●●●
しほひにみえぬ●
おきのいしの●●
ひとこそしらね●
かわくまもなし●
●●●●●●●●
●●●●●●●●

乾く間もなく秋くれぬ露の袖

●●●●●●●●
●●●●●●●●
かわくまもなく●
あきくれぬ●●●
つゆのそで●●●
●●●●●●●●
●●●●●●●●
●●●●●●●●


ところで、酒壷に亀。この亀、白い霊亀です。

渡月橋を渡って南から嵐山をまわりこむと、松尾の里ですね。芭蕉がこのあたりを散策しています。
松尾大社がみえて、ここは若い人はあまり訪ねないでしょう。芭蕉だから松尾大社に参拝というベタなことはやらんでしょう。井月は来てるはず。

京都府京都市西京区嵐山宮町3   北緯34度59分59.87秒 東経135度41分06.62秒

松尾大社は山吹と亀の井が魅力です。亀の井の水で酒を造るといつまでも腐敗しないそうです。

794秋魚:2017/06/23(金) 22:54:49
(無題)
・・都議選があるな。都民ファの候補応援で小池百合子が地元に来ている。青梅マラソンのスターターと青梅観光を盛り上げてゆくというのでだいぶ受けていたようだ。自分も一票入れる。

・・今日は朝から自転車で多摩丘陵をヘめぐった。帰宅が夕方六時。多摩川沿いにマムシに注意!とあったが幸い蛇には会わなかった。温泉で壷押し湯というのをやったり、だいぶ体の節々が痛い。いまはバラバラ体が分解しそう。百草の稲荷塚というのがめずらしい八角墳と聞いて、簡単な位置地図を頭に入れて、ヒマがあったら訪ねてみたかった。・・数日前にネットで記憶した位置地図だけに訪問はあてにならない。予定外の算段だった。温泉のフロントで交番や道路網など尋ねると地図をだしてあれこれ説明を受けた。最近はどこでも新人が多くインフォの役が覚束ないのが多いがマニュアルあるらしく手をつくしてくれる。JR中央線は恐れ入った。駅員車掌が女子職員。それでも仕事はできる。
・・結局駅ちかの交番はビルの二階というのであきらめ最初に頭に入れた地図を頼りに稲荷塚をめざした。昔は古墳だったが今は神社か公園だと記憶して百草にあるという。ずっといくと運よく交番があって職員も在所のよう。日野の百草と思っていろいろ尋ねるがここは多摩市という。百草は多摩市にもあります。こちらの百草なら稲荷塚があります。運よくこの近くだった。頭の地図の寄せは正解。

・・このあたり和田古墳群が認知されているが、もっと昔は縄文の遺跡群もあったようだ。宅地開発などでおおかた原形をとどめぬが、この稲荷塚古墳はまだ墳丘の形はとどめている。都の調査で石室も確認されている。八角墳というのはたしからしい。


最近、多摩地区を走って気がついたこと。霞川にはカメラマニアがカワセミを撮ろうと粘っていたが、騒ぎすぎて出没はなかったか。瑞穂にある狭山ケ池は由緒が古い。水の色がモスグリーンで魚や水鳥も多い。午前中早めに訪れると、カメラマニアがものものしげに陣取っている。聞くとカワセミの飛翔を待っているのだという。つれずれに池の面を眺めていたら、一瞬、きれいな虹色の鳥が水面をかすめた。すぐ木陰に隠れたが、遠目にも虹色はよくみえた。・・あれがカワセミという。思ったより大きな鳥で、色彩は緑、青、オレンジとか虹色にみえる。

 武蔵野

・・総武線沿線は武蔵野からは外れている。武蔵野自体都からの外れの意味だった。下総上総には武蔵野コンプレックスがあっただろう。ミュージシャンの倉木マイは京都は第二の故郷と明言したのは、えらい。第一は秘して語らずだが、下総出身だ。近代の偏差値基準でいうと、感情移入のハイパーレベルを発揮したのは、同期では鮫島有美子、近々では倉木マイ。・・彼女らのずっと先輩は「更級日記」を綴った菅原孝標女だと認識している。上総の出だが。父の任期終了とともに京へ帰国するのが十三歳の時。渡月橋の十三詣りと同じ年ですね。都心を幻視する女子力では抜けているがローカルレベルの限界をどう超えるか、周囲はそうみるだろう。
 倉木マイは声がつぶれなければ、アジアの女王ayuにとってかわるのは時間の問題だとみる。ayuというのはハスキーボイス以外の記憶がないので申し訳ない、ホイスパーボイスにハスキーが+するのは、アジアの新風ではないか。嘘の充満してる台湾、中国では強烈なインパクトシンガーのボイスベリテが称讃されるはず。

 娘たちの仕事をよそに、大先輩の「更級日記」を解読してみたい。定家が秘かに筆写したという。

795秋魚:2017/06/30(金) 17:46:43
(無題)
千はやぶる神世もきかず龍田川から紅に水くゞるとは

二条の后の、春宮のみやす所と申ける時に、御屏風に、
たつた河にもみぢながれたるかたをかけりけるを題にてよめる

・・二条の后、春宮のみやす所の時ですから、貞観八年(866)から貞観十八年(876)の間のことでしょう。竜田川にもみぢ流れる屏風の場所は、おそらく、雲林院でのことと思われる。

業平のちはやぶるの前に「もみぢばの流てとまるみなとには紅深き浪や立らむ」素性法師の歌があり、さらにその前に「侘人のわきてたちよる木のもとはたのむ陰なく紅葉ちりけり」僧正遍昭の歌、「うりむゐんの木のかげに、たゝずみてよみける」の添書きとともにある。

・・命くれない、なんて演歌がありました。から紅は平安の異風ぶりでしょうか。

近代の色彩感覚では、vermilionというのが西欧経由で入ってきたと思われますが、鮮やかな朱色。卑弥呼の時代にあった丹沙は硫化水銀で似た色かもしれません。

* バーミリオン(Vermilion)の語源は、ラテン語のヴェルミクルム(Vermicul-um)だそうですので、・・※ヴェルミクルム=小虫(死んで塊になったものが赤色をしていた)


龍田越え

竜田越奈良街道(たつたごえならかいどう)は、奈良に至る「奈良街道」の一つ。 大阪と奈良を結ぶ街道の一つであり、斑鳩町の竜田(龍田神社付近)を通る「竜田道」の一つである。 現在は国道25号が踏襲している。・・龍田(三郷町の龍田大社付近)を越えることから「竜田越」とよばれるようになった。
・・飛鳥時代に、難波津・四天王寺と斑鳩里・法隆寺を結ぶ街道として整備された。沿道にある大聖勝軍寺を含め、いずれも聖徳太子にゆかりのある地域と関わりがある。聖徳太子自身もこの街道を往復していたといわれる。
・・柏原から三郷にかけては、北側の山道越え(信貴山越と一部重なる)、大和川の北岸に沿うルート(いわゆる亀の瀬越)、対岸の南側を沿うルート(現在の国道25号)など、複数のルートがある。

柏原市内で、「亀の瀬」とよばれる地域を通るが、本街道としては現在に至るまで、難所として知られた。             wikiより


・・つつ井筒の恋で昔男が越えるのは、この竜田越ではなく十三峠であろう。

十三峠(じゅうさんとうげ)は、大阪府八尾市神立と奈良県生駒郡平群町福貴畑との境にある峠。標高462m。

大阪のヒルクライマーの聖地ともいえる峠。
かなりきつい登りが細かな緩急と九十九折れを繰り返しながら続く。

796秋魚:2017/07/22(土) 02:33:39
(無題)
・・五月に訪れた甲斐大和。帰路塩山駅で電車待ちをしたプラットホ−ム。畳んだ自転車をどの客車に乗せるべきか。たまたま来た掃除廻りのおばさんに聞いてみた。客車の先頭か最後尾か。水を撒いて仕事しながら親切に応対。・・愛想のいい人で声の響きもなぜか気になった。おばさんもういいよ、ご親切にありがとう。いいえこちらこそ、お気をつけてお帰りを。・・で、電車に乗って思い当たったのだが、あの人は昔立川の職場にいたチヨちゃんという人だ。まちがいない。話をしている時はわからなかった。あ、なつかしい。向こうは憶えていたかな。たぶん気がつかなかったのは自分のほうか。しかし、なつかしい。・・こういうのって危ないんでしょうね、きっと。

・・千代の古道を追ってみる。


鳴滝(京都) 座標: 北緯35度11分30.1秒 東経135度38分11.8秒

・・地名の由来は、この地に小さな滝があり、ある時、その小滝が、ゴーゴーと凄い轟音をたてていたという故事による。村人たちが不思議がって、寺の和尚に相談したところ、和尚も不審に感じ、全員を、高台の寺に集合させた。すると、その夜、村は大洪水に襲われ、全壊してしまった。この出来事により、小滝は「鳴滝」と呼ばれ、村の方も「鳴滝の里」と呼ばれるようになった
                                  (wikiより)

鳴滝音戸山の山上にあった蓮華寺。

・・後、永らく荒廃した。江戸時代、1641年、江戸の豪商 樋口平太夫家次により、音戸山に再興されている。また、木食上人但称(但唱)により五智如来などの石仏群像が6年の歳月をかけ造立され、伽藍、堂宇も建立された。


嵯峨の山千代のふる道あととめてまた露わくる望月の駒  定家

千代のふる道のコースだが、ひとつに松尾大社から広沢池、大沢池(嵯峨大覚寺)へ歩く道というのがある。二つの池は観月のコースだ。

大覚寺(だいかくじ)は、京都市右京区嵯峨にある、真言宗大覚寺派大本山の寺院。・・本尊は不動明王を中心とする五大明王、開基は嵯峨天皇。

・・この五大明王ですが、画像をあれこれ眺めているうち、体調がおかしくなります。

wave.ap.teacup.com/shougyo999/420.html

797秋魚:2017/07/06(木) 22:21:01
(無題)
・・宣長がべた誉めしてる逍遥院殿こと三条西実隆が青梅に歌を残したというので、追っている。二俣尾の海禅寺に歌碑がある。

花を見てかへるといはむ人はなしたもとを桃の錦たちきて

・・三条西 実隆(さんじょうにし さねたか)は、室町時代後期から戦国時代の公家。 康正元年4月25日(1455年5月11日)− 天文6年10月3日(1537年11月5日)

後土御門天皇・後柏原天皇・後奈良天皇の3代に仕えたが、後土御門天皇の寵妃や、後柏原天皇女御で後奈良天皇生母の勧修寺藤子は義姉妹に当たり、天皇家とは深い縁戚関係にあった。・・室町幕府将軍の足利義政や足利義澄、若狭守護の武田元信等と親交があったほか、文化人としての交流関係も多岐に亘り、一条兼良と共に和歌・古典の貴族文化を保持・発展させ、宗祇から古今伝授を受けている。
                   (wikiより)

・・立川の国文学研究資料館に行ってみた。件の歌の出典を探したが、コンピュータで検索しなさいということ。そういわれてもね。とりあえず歌集「雪玉集」を探った。「花を見てかへる」というのは、どうしても見つからない。武蔵野と題された歌が二つ。

なほざりの袖だに露はふるさとを秋たちそめしむさしのの原
山の端はしらでかくれぬ月やただ心づからのむさしののはら

いろいろ旅もよくしたらしく、武蔵野にも実際来ているのだろう。武蔵野はただ広いという感慨の歌多く、たいてい場所を特定できないものだ。

・・もうひとつ「再昌」という歌集もみた。文亀三年(1503)

桃花曝錦
桃花春くれなゐの錦こそ柳さくらにたちもをくれね
玉河里雑
おしますやなかるゝ月日わつかなる光も陰も玉かはのさと

・・この「玉河」はどこの玉川か。

いろいろ拾い読みしてわかったが、あまりにローカルな土地は歌がない。で、青梅などもみつかりそうもない。

・・しかし、来ているはずだが。


「宗祇終焉記」(1502)の著者柴屋軒宗長が青梅勝沼を訪問したのは、永正六年(1509)の八月二日。
これは「東路のつと」として紀行を残す。

「八月二日に武蔵勝沼といふ所に至りぬ。三田弾正忠平氏宗、この所の領主たり。かねてしも白河の道々のこと申しかよはし侍りしかば、ここのやすらひ十五日に及べり。連歌たびたび、
霧は今朝分け入る八重の外山かな
この山家、後ろは甲斐の国の山、北は秩父などいふ山に続きて、まことの深山とはここをや申すべからん。この山深き心ばかりなるべし。同じ所に山寺あり。前は武蔵野也。杉本坊といふにして、
霧を吹く野風か花に朝曇り
同じく十五日に、氏宗同じく息政定、これかれ駒うち並べて、武蔵野の萩・薄の中を行き過ぎがてに、日暮し二日に分けはてて、長尾孫太郎顕方館、鉢形といふ所に着きぬ。政定に馬上ながら口ずさびに、
武蔵野の露の限りは分けも見つ秋の風をば白河の関 ・・」

・・杉本坊は塩船観音寺。その前の東側に開けた土地を武蔵野とみている。小高い丘陵は杣保と呼ばれ、江戸の資材を養っている。勝沼には二週間ほど滞在、埼玉の寄居にある鉢形まで馬で行く。道中の風光すべて武蔵野のものと認めているのがわかる。

「宗祇終焉記」でも鎌倉から武蔵野を分け入って上野(群馬高崎あたりか)越後へと向うに、武蔵野の経路は記述なしだが、やはり勝沼の三田氏の城を訪ねたと思える。

興味深いのは、武蔵野の風光の認識が、青梅の杣保からはじまっているということだ。

・・北条氏康「武蔵野紀行」(1546)でも、青梅の勝沼を訪れた記述がみられる。

この紀行、はなはだ胡散臭いものだが、勝沼訪問の行を引いてみる。
「比は八月上旬、朝霧深く分け入りて行くに山あり。いは山と云ふ。此の山の後は甲斐の山、北は秩父など申し侍る。夫より武蔵の国勝沼と云ふ所に着きぬ。斎藤加賀守安元、此の所の領主なり。常々道々の事申し遣はしければ、山海の珍物数を尽し饗応しける。
 此の所に二日逗留して、夫より武蔵野を狩り行くに、誠に行けども果のあらばこそ。萩芒女郎花の露に宿れる虫の声、あはれを催すばかりなり。
 武蔵野といづくをさして分けいらん行くも返るもはてしなければ
古の草のゆかりも懐かしければなり。是も紫の一本のゆゑなるべし。
 隔つなよわが世の中のひとなればしるもしらぬも草のひと本 」

・・藤沢から北に道をとり勝沼に入る前に「いは山」に至る。「此の山の後は甲斐の山」云々は「東路のつと」の描写そのまま、しかし「いは山」は高尾山のことと思われる。斎藤加賀守安元は勝沼の領主ではない。「武蔵野といづくをさして分けいらん・・」の歌も想像でつくれるような陳腐な歌だ。

それより、新拾遺集にある藤原行春の歌がおもしろい。

 分けゆけど花の千種のはてもなし秋を限の武蔵野の原

さらに源通光の武蔵野は、

武蔵野やゆけども秋の果てぞなきいかなる風かすゑに吹くらむ(新古378)

798秋魚:2017/07/09(日) 19:06:56
(無題)
・・百人一首の巻末の歌は、
ももしきや古き軒端のしのぶにも猶あまりある昔なりけり (順徳院)

順徳院 建久八年〜仁治三年(1197-1242) 後鳥羽天皇の第三皇子。承元二年(1208)十二月、元服。同三年、故九条良経の息女、立子(東一条院)を御息所とした。同四年(1210)十一月、兄帝の譲位を受けて践祚(第八十四代天皇)・・承久三年(1221)四月二十日、譲位し、翌月、後鳥羽院とともに討幕を企図して承久の変をおこしたが、敗北し、佐渡に配流される。

件の歌は、建保四年(1216)順徳二十歳のときの詠である。

・・宗祇の遺志で金三両を三条西実隆がもらいうけたときの歌、

我身こそ千ゞの金を報ひても思ふに余る人の恵みを

・・実隆は宗祇より古今伝授をうけた特別に深い思いがあったようだ。宣長は古今伝授そのものを否定していたので、このような宗祇、実隆の遺志のつながりを理解しなかったにちがいない。

・・順徳院が佐渡で詠んだ百首御歌の中に、千曲川を詠んだものがある。

ちくま川春ゆく水はすみにけり消えていくかの峰の白雪(風雅36)

・・千曲川は、甲武信ケ岳に発し、長野県・新潟県を流れて日本海に注ぐ。新潟県内では信濃川と呼ばれる。順徳院が千曲川とどういう邂逅があったかわからぬが、想いは深い。

信濃なるちぐまの川のさざれ石も君しふみてば玉とひろはむ(万葉集東歌)

・・「さざれ石」→「玉」とは、ずいぶん洗練された東歌ですね。

・・

承久の変(1221)では、後鳥羽院は隠岐へ、順徳院は佐渡へ、流された。

『最勝四天王院障子和歌』なるものがある。最勝四天王院とは、後鳥羽院の勅願により、京都三条白川の地に造営された御堂のこと。46の名所が選ばれ、それらの景色が障子に絵として描かれ、それらに各和歌が添えられた。1207年のこと。

順徳院は四天王院和歌には、参加なし。

・・46の名所のうち、更科の里を詠んだものがある。

里の名の秋にわすれぬ月影に人やはつらきさらしなの山(俊成女)


旭は浪を離れぎはなり鷹の声
鷹鳴くや日を遮て何か降る
鷹匠の涕すゝり込旭かな
旭の匂ふ裏見が滝や鷹の声
鷹鳴くや富士に曇りのなき夕
鷹鳴くや朝日のとゞく峰の松

聖徳太子ゆかりの四天王寺とは、何か関係あるか。

・・山城の名所で、大井川を詠んでもいる。

大井河波のかよひぢたちかへりあとある風に木のは散りつゝ
(後鳥羽院)
あらし山けふの御幸のかり衣にしきになれとちる紅葉哉
(慈円)
大井河入江の松をしるべにてむかしのなみにうかぶもみぢば
(通光)
かばかりの色にはあらじ大井河むかしをうつす紅葉なりとも
(俊成卿女)
もみぢばを御幸ふりにし大井河あとなき水に秋のありける
(有家)
大井河まれの御幸に年へぬるもみぢの舟ぢあとはありけり
(定家)*註
さがの山みゆきをうつす大井河もみぢにまがふかり衣哉
(家隆)
この河にもみぢばながるあし引きの山のかひあるあらし吹くらし
(雅経)
もみぢばのふりにし世より大井河たえぬみゆきの跡をみる哉
(具親)
大井河ふるきをしのぶ事ならばもみぢのにしき御舟かざらん
(秀能)

*註「嵯峨の山みゆきたえにし芹河の千世の古道あとはありけり」(在原行平)

大井川御幸  延喜七年(907) 宇多天皇
       承保三年(1076) 白河天皇

799秋魚:2017/07/14(金) 20:20:34
(無題)
・・こういう伝説があるようだ。

「四天王寺が建立される際、物部守屋の怨霊が伽藍を滅んが為に、
数千万羽のキツツキとなって堂舎をつつき妨害した。
それを知った太子が白鷹に変化し、守屋の怨霊を退治した。」

・・芭蕉が奥の細道で、黒羽の雲巌寺に訪ねた時、仏頂和尚の山居の庵をみて、
「啄木も庵はやぶらず夏木立」と詠んだ。

「鷹一つ見付てうれしいらご崎」 伊良湖岬の句は、さほどの寓意はあるまい。

井月は一味違う。

旭は浪を離れぎはなり鷹の声
鷹鳴くや日を遮て何か降る
鷹匠の涕すゝり込旭かな
旭の匂ふ裏見が滝や鷹の声
鷹鳴くや富士に曇りのなき夕
鷹鳴くや朝日のとゞく峰の松

800秋魚:2017/07/22(土) 18:53:57
(無題)
・・七月 暑い〜ね。
家で必死にこの暑さに耐えるのは、芸がない。もともと真夏の猛暑というのは得意だった。サハラ砂漠の猛暑も知っている。ただやはり年を取ったか。暑さに逆張りするほどの気概はない。で、入間川サイクリングロードを走って川越までポタリング。これは逆張りではない。天然水がいかに美味く飲めるか。これが最良の健康法だと最近気付いた。「森の水だより」というのが気に入ってる。180mmペットボトルに目一杯つめてこれで足りないのは承知のこと。大宮の友人と川越で落合う予定だったが、先方はこの暑さにダウン。で、単独で出かけることにした。・・わたしの自転車はたいしたものだ。もう6〜7年になるがほとんど狂いはない。クロスバイクは輪行にちょい無理もあるがなんとか無難にこなす。それにひきかえパソコンのwin10というのは最悪。先日完全に壊れた。再利用の仕方もわからない。

・・ぼやいていても暑いばかりなんだから、ともかく入間川へ。このサイクリングロードは最高だ。

自転車で走ってるうちは風を切るので爽快だ。家でもそうだが停滞したら暑さがぐっとくる。外は風があれば木陰はいい。・・川に沿った公園やグランドが開けている。休日で各種団体の遊びがあってサイクリングロードの脇まで親子連れが陣取ってる。で、徐行していたが、急に子供がひとり飛び出してきた。人身事故を避けるため急ブレーキ。子供にはあたらなかったが、自分は勢いで転倒。気を失ったふりしてしばらく倒れて目を瞑っていた。「すみません」「大丈夫ですか」ぶつかった場合どちらが悪いのか。すこし考えたがともかく当らなかった。倒れ方もよかったので体も自転車もほぼ無疵。こういうのすこしでもキズがあるとあとあと残るものだけど、今回はパーフェクト。・・しかしあぶなかった。

・・丁度一年前か川越市街に来ている。入間川は左岸から右岸にわたる最後の橋は何といったか。霞ヶ関という変った名の地がある。ここで渡る。川沿いをやめてそのまままっすぐ進む道がベストだ。前回までの経験が生きている。

・・中心街へ。連雀通りを行くと蓮馨寺というのが見えた。「小江戸川越こころのふるさと」 三河の徳川はこの浄土宗ですね。本尊は阿弥陀如来、法橋覚慶作。文化財で元禄の梵鐘というのがあって、元禄八年(1695)の作。作仏僧円空はこの年に死没。元禄七年(1694)は俳聖芭蕉の没年。

「おびんずる様」というのがよく参拝されている。祈願所(呑龍堂)の外にあり、参拝者が直接そのお身体にさわるとその病気が治り、その御頭にさわると頭が良くなるという。・・それで自分もよいめぐりあわせと思い、順番をまって「おびんずる様」のお身体に触れてみた。おびんずるは釈迦の弟子でも神通力がぬけておりその神通力の使いすぎを釈迦に戒められた結果、仏滅後にも多くの衆生を済度する仕事を任されたという。

*賓頭盧(びんずる) 釈迦の弟子の1人。獅子吼(ししく)第一と称される。名がピンドーラ、姓をバーラドヴァージャである。名前の意味は、不動、利根という。十六羅漢の第一。

・・さて、まったく予定がない。暑いだけならポタリングも即終了かと。川越は時の鐘周辺に人は集まる。氷川神社というのがあって、一年前訪ねたのとは別のもよう。ここを訪ねることにした。人に聞き聞き「ごめんなさい」「わたしも知りません」というのが多い。それでもなんとか辿り着くと人が多い。人気してるようだ。氷川はスサノオを祀る。浴衣すがたの女子が多い。どんなご利益があるのか暑いので考えたくも無い。・・おもしろいのは中に関東ではここだけという柿本神社というのがある。山上憶良の歌碑もある。・・顔はjapaneseでも言葉はチャイナかコリアか。暑いので考えたくも無い。

文明二年(1470) 河越千句。 太田道真、宗祇、心敬・・

うめそのに−くさきをなせる−にほひかな
にはしろたへの−ゆきのはるかせ
うくひすの−こゑはとやまの−かけさえて
のへにうつれる−みちのはるけさ
ならはすよ−いつくのつきそ−たひまくら
みやこいつれは−みしあきもなし
すさましく−しくるるそらの−くれそめて
くもよりをちの−いりあひのかね
くさのとに−ひともおとせぬ−やまふかみ
ほのかにのこる−まつのしたみち


・・この川越から西に進むと梅林で名高い越生。この山間に太田道真の隠居の庵がある。宗祇、心敬、万里集九などもここを訪れた。芭蕉は河越の痕跡はないですね。井月もないけどたぶん寄ってはいるでしょう。越生のすぐ隣りが都幾川、慈光寺がある。南へ下れば日高、飯能、青梅だが、この道もおもしろい。連歌師宗長が歩いているのは確かだ。

・・正岡子規が川越に句を残しているのは、あまり知られていない。
「砧うつ隣に寒き旅寝かな」 吉見百穴を見ての帰りに寄ったという。明治24年(1891)25歳。

・・やたら暑い。川越ではほかに興あること多々あったが、帰路につく。往路であやうく衝突事故かというのは、親水公園の敷地かと。帰りこの公園の入口付近に水路が分かたれて釣り人のいるところがある。水草の匂いがして、魚もたくさんいそう。自転車を木陰にとめて、魚釣りの具合を尋ねてみた。「何が釣れるのですか」「ヤマベ」。ヤマメかと聞き返したらヤマベという。実物を見たかったが、釣れた先すぐ水にもどしているという。・・つれずれにいろいろ話し込むと、大変な太公望で川釣り海釣り、日本各地のほか外国でもやっている。ここに合流する川は宮沢湖が水源とか。あそこはブラックバスですね。この入間川でも5匹に一匹はバスだという。オイカワという魚を呑みこむサギをねらったカメラマンがたくさんでしたよ。アユはいないんですか。入間川は石がないからアユはいない。・・おもしろいのは、私の幼少の頃の記憶がまざまざ蘇ったことだ。市川の真間川の上流境川のことも知っている。タナゴという熱帯魚のような魚がいた。いまは希少で天然記念物だという。飯能の山奥にしかみられない。モスリンという鮒釣りの池も知っている。・・アメリカでは、ヘミングウェイの様にカジキを釣ったとか。南米ではピラニアを。・・釣りの話ならいくらでもありそう。さすがに暑いので、死んじゃうよ。そういって竿をしまいはじめた。ありがとうといって自分も帰路に。あ、この釣り場の奥にはカワセミもよく出るそうだ。

801秋魚:2017/08/02(水) 12:33:38
(無題)
・・入間川で採れるヤマベはオイカワと同じものという。いつかササゴイが捕らえていたのを見た。

「垂仁天皇の皇子ホムチワケは成人してもものを云わなかった。しかし空をゆくクグヒ(白鳥)の声を聞いて、はじめて声を出してものを云った。そこで天皇は山辺大タカ(帝+鳥)という者をつかわして白鳥を捕らえさせた。大タカは白鳥を追って紀伊、播磨、因幡、丹波、但馬の国を訪ね歩き、さらに近江、美濃、尾張、信濃と経巡って、越の国の和那美のみなとに至り、そこで網を張って白鳥を捕え、天皇に献じた。」

たましひの鳥

「鷹はたましひの一時の保有者であった。だからこの鷹によって、鎮魂を試み、あるいはうらなひを行うことになった。鷹には鈴をつけて放すのが定りである。この鈴の音が、呪術とうらなひとに交渉を持って居るものであろう。白鳥はたましひの鳥であり、もっとつよく云えば、逸れ行くたましひをつきとめ、もたらし帰るもの、と考えられた方面もある。こうしたものを求める動作は、たましひの場合に限って、こひと称している。こひは白鳥を指す『こふ』という語からも裏付けられる。垂仁帝の息子のほむちわけの場合は、たましひの鳥、鵲を追うていったのは山辺大鷹となっている。たましひの鳥を追うがために鷹の名をとったのか、あるいは説話学の考方にしたがって、鷹の人格化せられた名と見るべきか、いずれにしてもたまごひと鷹との関係を思わせる。」
??????????????????????????????????折口信夫「恋及び恋歌」

・・倉木マイ。出色のブレークシンガー。何度聞いてもあきない。木工家の五十嵐誠さんなんかも大手を振って応援している。「逸れ行くたましひをつきとめ、もたらし帰るもの」・・鷹は鈴音を鳴らして虚空に舞う。この鈴音の遠さと近さが倉木マイの声に似ている。たましひを狩するもの。


 まゐ殿

・・京に出没する鬼の話を続けましょう。

大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ずあまの橋立
               小式部内侍

和泉式部の娘で美貌で才気煥発であったとか。大江山は山城と丹波の国境、あるいは丹波と丹後の境にある山。母親の式部は当時夫保昌の任地丹後に住んでいた。あまの橋立は風光明媚の名所。

平安王朝女流の爛熟時代、紫式部、和泉式部、清少納言など源氏物語に描かれた時の天皇は一条天皇(
天元3年6月1日(980年7月15日) - 寛弘8年6月22日(1011年7月25日))。

大江山酒呑童子伝説は山城と丹波の境にある老坂にたむろした鬼の話。ちょうどこの式部たちの活躍した時代である。

「一条天皇の時代、京の若者や姫君が次々と神隠しに遭った、安倍晴明に占わせたところ、大江山に住む鬼の酒呑童子の仕業とわかった。そこで帝は長徳元年(995年)に源頼光と藤原保昌らを征伐に向わせた。頼光らは旅の者を装って鬼の居城を訪ね、酒を酌み交わして話を聞いたところ、最澄が延暦寺を建て以来というもの鬼共の行き場がなくなり、嘉祥2年(849年)から大江山に住みついたという。頼光らは鬼に毒酒を飲ませて泥酔させると、寝込みを襲って鬼共を成敗、酒呑童子の首級を京に持ち帰って凱旋した。首級は帝らが検分したのちに宇治の平等院に納められた。」 wikiより

『大江山酒天童子』
昭和35年 (1960) 大映京都、田中徳三監督。当時の大映オールスターキャストで製作された豪華大作。出演:長谷川一夫(酒天童子)、市川雷蔵(源頼光)、勝新太郎(渡辺綱)、本郷功次郎(坂田金時)他。
当時の60年安保での世相を反映し、酒天童子を志を持った革命家として描いている。

・・京都に上った酒呑童子は、茨木童子をはじめとする多くの鬼を従え、大江山を拠点として、しばしば京都に出現し、若い貴族の姫君を誘拐して側に仕えさせたり、刀で切って生のまま喰ったりしたという。

・・摂津源氏の源頼光と嵯峨源氏の渡辺綱を筆頭とする頼光四天王(渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武)により討伐隊が結成され、長徳元年(995年)に討伐に向かった。


 この坂田公時ですが、足柄山の金太郎さんですね。山姥の母という。


・・酒呑童子の生い立ちについて、

平安初期に越後国で生まれた彼は、国上寺(新潟県燕市)の稚児となった。絶世の美少年であったため多くの女性に恋され恋文をもらったが、貰った恋文を読みもせず全て焼いてしまったところ、想いを伝えられなかった女性の恋心が煙となって、彼の周りを取り囲み、その怨念によって鬼になったという。そして鬼となった彼は、本州を中心に各地の山々を転々とした後に、大江山に棲みついたという。

一説では越後国の鍛冶屋の息子として産まれ、母の胎内で16ヶ月を過ごしており、産まれながらにして歯と髪が生え揃い、すぐに歩くことができて5〜6歳程度の言葉を話し、4歳の頃には16歳程度の知能と体力を身につけ、気性の荒さもさることながら、その異常な才覚により周囲から「鬼っ子」と疎まれていたという。

*河井継之助は、越後が生んだ三傑として、酒呑童子・上杉謙信・良寛の三人を挙げている。

802秋魚:2017/08/07(月) 17:02:47
(無題)
・・「翡翠」という歌集がある。『翡翠』大正五年(1916)3月25日、片山廣子第一歌集。因みに翡翠はかわせみと読む。きれいな鳥のこと。


よろこびかのぞみか我にふと來る翡翠の羽のかろきはばたき


     *

空ちかき越路の山のみねの雪夕日に遠く見ればさびしき
花草の信濃たか原あさ行けば人の世遠くみそらのちかき
霧ふかしうぐひすむせぶ雜木原とつくに人に路とひにけり
朝風に霧はれゆけば山つばめ木の葉の如く吹かれて舞ひぬ
山羊の子は流のふちの桑の葉もはみ飽きたるか我により來る
夕もやに顏うかせたる花あざみ寂しき息を野にただよはす
わた雲とみそらと我となでしこと嶺にある日はいとさびしけれ
さびしらに淺間葡萄も吸ひて見む人醉はしむる毒ありといふ
月見草ひとり覺めたる高原の霧にまかれて迷ひぬるかな
朝霧の底に夢みる高き木にうぐひす鳴けばわが心覺む
雲の影遠野をはしるまひる時みねに立ちつつ我がいひしこと
日ごろ我が思はぬ人もいと戀し日の入りあひにみやまどり鳴く
此夕べ淺間の煙かがやきてにほふ入日に寺の鐘なる
遠山と我と立つ時やみに伏す大野のむねにおつるいなづま

803秋魚:2017/08/10(木) 18:29:29
(無題)
・・芥川龍之介が雑誌『明星』に載せた旋頭歌がおもしろい。大正十四(1925)年三月発行。なにゆえ『明星』か、というか謎。
力作『庭』に井月が登場する。「蛙が啼いてゐるな。井月はどうしつら?」これも中村の長男の辞世。

大正十年(1921)四月十一日。聖徳太子千三百回忌年祭、斑鳩の法隆寺。
大正十年(1921)十月二十五日。『井月の句集』刊。
大正十一年(1922)六月。芥川短篇『庭』
大正十二年(1923)9月1日11時58分32秒頃。関東大震災
大正十四(1925)年三月。芥川旋頭歌『越びと』(『明星』掲載)

・・この大正十二年の関東大震災だが、龍之介は川端康成とともに吉原の被災現場をみて歩いた。ヘルメット着用にて快活に飛び歩く装いがみえたと川端のエッセイに描かれている。
・・震災当時吉原の大門が閉じられて、遊女の逃亡を防ぐという風習は残っていた。遊郭内で起きた火事がつづき、逃げ場を失った遊女たちは吉原弁財天内の池に次から次へと飛び込んだといいます。この時遊女らの死者490人。
「吉原遊郭の池は見た者だけが信じる恐ろしい地獄絵であった」

蟷螂やものものしげに道へ出る

  *

安政二年 江戸大地震

安政三年 成田山出開帳

「安政3年3月20日より60日間、深川永代寺で出開帳が行なわれた。『武江年表』には、安政3年の様子を「開帳中、日参朝参等夥しく諸人山をなせり。永代寺境内は寸地を洩らさず、看せ物、茶店、諸商人の仮屋をつらねたり。又奉納の米穀、幟、挑灯、扁額等境内に充満せり」と記されているほど盛況であった。開帳とは、厨子や戸帳を開いて普段は見ることの出来ない秘仏を拝観させ、民衆と結縁する宗教的行事である。成田山では、江戸時代に23回開帳を行っているが、その中心となったのは、深川永代寺八幡宮社地で行った江戸出開帳である。」


安政の台風

「安政3年8月25日(1856年9月23日)、「安政3年の大風災」と呼ばれる大きな風水害が発生した。これは、江戸のすぐ近くを強い勢力の台風が通過したことによって、江戸の街一帯が暴風と高潮の被害を受けたことによるものである。また、暴風雨に加えて火災が発生したことも被害を大きくし、この台風による死者は、資料にもよるが最も多いもので約100,000人とされ、日本の風水害によるものとしては過去最悪の被害とされている。」

飯能名栗原市場 星宮神社に芭蕉句碑がある。

「聲澄みて北斗にひゞく碪かな」 揮毫は、孤山堂卓郎(小森卓郎)。安政三年。

卓郎は三島の人。江戸に出て宗匠となった。
「蓬莱にひと膝すゝむ会釈かな」  越後獅子、家づと集に収載。

804秋魚:2017/08/16(水) 21:51:47
(無題)
水無月ノ土サヘワルゝアツキ日ニ
ヒトリ露ケキナデシコノ花

・・季吟が丹波の山越え貝原の里にでたそうだ。おすてというあやしい娘がいて洛の季吟のファンであった。山越えてあつい日中にこの家の門にたずね水ひとつ乞うた。おおこの人よと思いつつ水をひと汲みさしだした。季吟殿句あらばまいらすべし。打ち笑いつつ、
「葛水や鼻の下行よしの川」季吟
と聞こえたれば当座の吟ながらおかしかりし。

・・綾足『俳仙窟』にこんな下りがある。季吟は芭蕉の師北村季吟。おすては盤珪和尚と季吟に師事した田捨女。でもこれ本当の話だろか。

龍之介も「水涕や鼻の先だけ暮のこる」なんて詠まずおすて季吟にならうべしや。


まり様

「花曇」の讃をつづけます。

光前寺  天台宗別格本山 本尊不動明王秘仏
長野県駒ヶ根市赤穂29番地
????????北緯35度44分5.45秒 東経137度53分43.58秒

木母寺 北緯35度44分02秒 東経139度48分51秒 墨田区 本尊地蔵菩薩
六義園??北緯35度43分59秒 東経139度44分48秒??東京都文京区本駒込六丁目


・・江戸には、五色の不動明王があるそうな。

●目黒不動 荏原郡目黒村   瀧泉寺 ?? 慈覚大師作
●目白不動 小石川關ロ水道町  新長谷寺 弘法大師作
●目赤不動 本郷区駒込淺嘉町  南谷寺
●目黄不動 本所区表町   ????最勝寺
     下谷区三ノ輪町 ?? 永久寺
●目青不動 荏原郡世田ヶ谷村三軒茶屋

・・関東の三大不動尊といえば、

●成田山新勝寺(成田不動尊)千葉県
●高幡山金剛寺(高幡不動尊)東京都
●(雨降山大山寺(大山不動尊)神奈川県)幾つか説がある。

・・江戸の三大不動は、

●目黒不動 「創建は大同3年(808)、慈覚大師円仁によるという伝承がある。
元和元年(1615)本堂が焼失したが、後に三代将軍家光公がこの地で鷹狩りを行った際、その鷹が行方不明になり、家光公は不動尊に祈願をしたところ、鷹が松の木(鷹居の松)に戻った。家光公は不動尊の力を尊信し、堂宇伽藍を再建し江戸城五方の方難除け、五街道の守護に当てた。」
●目白不動 「新長谷寺は、奈良の真言宗豊山派総本山長谷寺末であり、本尊不動明王は断臂不動明王と呼ばれていた。弘法大師が湯殿山に参籠の際、大日如来が不動明王の姿で現れ、自らの剣で左臂を切り、ここから霊火が燃え盛り大師にお言葉を告げられた。大師はそのお姿を刻み、それが断臂不動明王であるという縁起が伝承されている。」
●薬研堀不動尊(川崎大師東京別院) 「天正13年(1585)、紀州(現和歌山県岩出市)根来寺の大印僧都が、豊臣秀吉の兵火に遭った根来寺からご本尊の不動明王を江戸隅田川付近に移し、堂宇を建立したのが始まりと言われている。」


青梅山金剛寺  東京都青梅市天ヶ瀬町 N35度47分22秒 E139度14分59秒
        真言宗豊山派 本尊白不動明王(智証大師画)

安楽寺  東京都青梅市成木1-583 N35度50分18秒 E139度16分31秒
     真言宗単立 本尊 愛染明王・不動明王・軍荼利明王
    行基が和銅年間(708-714)に軍荼利明王を彫刻・安置して創建

成田山新勝寺  N35度47分09秒 E140度19分05秒
       真言宗智山派 本尊不動明王(弘法大師空海が自ら一刀三礼(ひと彫りごとに三度礼拝する)の祈りをこめて敬刻開眼)


隅田川神社??東京都墨田区堤通2-17-1??北緯35度43分58秒 東経139度48分45.8秒
     祭神 速秋津日子神、速秋津比売神、鳥之石楠船神、大楫木戸姫神

・・絵にみえる山は、筑波山。北緯36度13分31秒 東経140度6分24秒 標高877m
  西側の男体山(標高871m)と東側の女体山(標高877m)

伊那の火山峠 標高853m

・・

青梅勝沼に石動神社がありますが、この本山は、
能登石動山  N36度57分55秒 E136度58分15秒
伊須流岐比古神社 N36度57分46秒 E136度58分25秒

大伴家持がよく訪ねたといわれる、
田子浦藤波神社、N36度48分56秒 E136度59分32秒

ここから思い切り海の見えるところまで南下すると、
伊良湖崎  N34度34分52秒 E137度00分55秒
神島  N34度32分47秒 E136度58分56秒

多胡の浦の底さへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため
たこのうらのそこさへにほふふぢなみをかざしてゆかむみぬひとのため
(次官内蔵忌寸縄麻呂)

・・
鬼灯の色にゆるむや畑の縄
鬼灯や知らぬ子どもの連になる

鷹一つ見付けてうれしいらご崎  芭蕉
いらご崎にる物もなし鷹の声

ぬけ星は石ともなるか鳴く千鳥   井月

805秋魚:2017/08/22(火) 11:08:34
(無題)
如菩薩も花にうかれつ法の庭

身はなきものと思へ共、花の咲日はうかれこそすれ、中々に堪忍ならぬ花曇

・・

ここ、光前寺  天台宗別格本山 本尊不動明王秘仏
長野県駒ヶ根市赤穂29番地
????????北緯35度44分5.45秒 東経137度53分43.58秒

秋葉山本宮秋葉神社  静岡県浜松市天竜区春野町領家
    北緯34度58分52.44秒 東経137度51分56.81秒
    主祭神 火之迦具土大神

『東海道名所図会』には秋葉大権現の利益として「第一には弓箭刀杖の横難を免れ、第二には火災焼亡の危急を免れ、第三には洪水沈没の免れさせたまふ」とある。

秋葉山本宮秋葉神社には、古来より多くの日本刀が献納されて来たり、今に至っている。
・・
『寶物実録』に記された献納者の内、名立たる武将として伊豫守源頼義・為朝・足利尊氏・今川仲秋・武田信玄・長曽我部元親・豊臣秀吉・加藤清正・福島正則などの名が挙げられる。

806秋魚:2017/08/26(土) 10:04:26
(無題)
「出雲路ノ毘沙門堂ニテ、人々連歌シテケルニ、
  ウスクレナヰニナレルソラカナ
ト云句ニ、ツケ煩テ、三十余句返テケレバ、興モナカリケルニ、東入道ノ、シノビテ聞ケルガ、
  アマトブヤイナヲセ鳥ノカゲミエテ
ト付タリケル。時ニトリテ、ワリナカリケル事ニ語伝ヘ侍リ。」

・・花の下連歌のよく云われる説話だが、ウスクレナヰはウスベニのこと。薄紅色の感性は今の恋歌でもよく目立つ。ハナミズキの一青窈、timeaftertimeの倉木マイ。

ウスクレナヰニナレルソラカナ ・・この後が付けがたい。アマトブヤと飛躍飛翔に転じてイナオセ鳥の古今伝授にもってきたのは、機転の妙。


渡月橋の倉木マイは、カラクレナイと朱の転じを勁く歌った。



花の下連歌でしょう。うれしきものは。

・・芭蕉に園女あり。この度会園女は伊勢山田の人で、芭蕉に私淑した俳人です。芭蕉は、逝去の半月ほど前に、大坂で園女に招かれ「白菊の目に立てゝ見る塵もなし」と詠んでいます。宝永二年(1705)には、園女、江戸に出て富岡八幡宮の前で眼科医を開いていました。歌仙桜という三十六本の桜を八幡宮へ寄進しました。この桜、今は存在しませんが、八幡宮の花見の名所であったといいます。安政3年には成田山不動明王とともに園女ゆかりの歌仙桜もみて歩いたと推察されます。花曇の句を詠んだ光前寺も枝垂れ桜がみごとといいますから、不動明王−八幡宮歌仙桜−園女、不動明王−光前寺花曇の句−山田よし女という二つのスポットが二重写しにみえたのでしょうか。
因みに富岡八幡宮の位置は、東京都江東区富岡一丁目20番3号 北緯35度40分19秒
東経139度47分58.6秒
この同緯度線をたどって西へゆくと、伊那谷は駒ヶ根をすこし下った飯島の与田切川の渓流にぶつかります。

807秋魚:2017/08/31(木) 19:32:50
(無題)
・・限りない郷愁。touch me, growing my heart シャンソンne me quitte pasなど軽妙な感性よりずっと直接的でoutsiderでしょう。やはりマイ嬢です。ne me touche pasというのは復活したイエスの声。

大いなる郷愁は死が近いかも。

イカルあるいはイカルガ。

・・イカル(鵤、桑鳲、学名:Eophona personata)とはスズメ目アトリ科の鳥類である。木の実を嘴(くちばし)で廻したり転がしたりするため古くは「マメマワシ」や「マメコロガシ」、木の実を好んで食べるため「まめうまし」、「豆割り」などと呼ばれた。・・「鵤」は角のように丈夫な嘴を持つ事に由来する

比志利古木利(ヒシリコキリ)
月日星(ツキヒホシ)

・・と啼くそうだ。

808秋魚:2017/09/02(土) 11:59:16
(無題)
・・三条地震(さんじょうじしん)とは、文政11年11月12日(1828年12月18日)に、新潟県三条市付近で発生した地震である。想定される震央は、北緯37.6度、東経138.9度(三条市芹山付近)と推定され、想定されるマグニチュードは6.9と推定されている。

(瓦版)「弥彦山は大きく崩れ、海の中へ押し出し、三条町・燕町・東御門ぜき御堂・大門など残らず揺り倒れ、田畑・山川が崩れ、人馬・けが人はその数知れず、余震が十四日まで頻発した古今稀なる大地震」

弥彦山  北緯37度42分17秒 東経138度48分32秒
弥彦神社 北緯37度42分24.1秒 東経138度49分33.6秒

天目山棲雲寺  山梨県甲州市大和町木賊122
     北緯35度39分38.2秒 東経138度48分38.4秒

弥彦山頂  御神廟(奥の宮) 弥彦山頂に鎮座する。天香山命と妃神熟穂屋姫命の神廟とされる。

祭神 天香山命 (あめのかごやまのみこと)
「天香語山命」とも表記。地名から「伊夜日古大神(伊夜比古大神、伊夜彦大神)」などとも称される。

・・通称「志田大太刀(しだのおおたち)」。室町時代、備前長船派の刀工家盛の作。刃渡220.4cmの大太刀。

809秋魚:2017/09/21(木) 12:01:17
・・
Canst thou bind the cluster of the Pleiades,Or loose the bands of Orion?
(JOB38-31)

KING JAMES VERSION では、the cluster → the sweet influences

あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。

・・

810秋魚:2017/09/22(金) 21:52:17
(無題)
東常縁 − 頼和・常和・胤氏(素純)

・・

尭恵 → 頼和・常和

宗祇 → 素純


とくよりも出向ふ士峯や初日影

811秋魚:2017/09/23(土) 23:01:38
(無題)
 思ひ出でて恋しき時は初雁のなきてわたると人知るらめや  大伴黒主


・・

812秋魚:2017/09/26(火) 12:33:42
(無題)
要津寺  墨田区千歳2-1-16

>・・臨済宗、京都妙心寺末で、慶安年間(1648-1651)に僧東鉄が本郷に創建して、東光山乾徳寺と号しました。牧野越中守成儀を開基、西江和尚を開山とします。その後、天和2年(1682)に焼失して廃寺となっていました。元禄4年(1691)2月に牧野備後守成貞が本所の地に7134坪を下屋敷として給せられ、よく3月9日、その一部を寺に寄付し、再興されました。これによって成貞を中興開基、中興開山を梁伝和尚とします。

・・常陸笠間藩主牧野家は、成貞に始まります。成貞は徳川綱吉に仕え、側用人となり、綱吉が度々成貞邸に訪れたというほどに信頼された人物でした。三代後に常陸笠間に移封され、以後廃藩にいたるまで笠間藩主として存続しました。明治維新以後に跡を継いだ貞寧は、本所区緑町(現緑二丁目・亀沢一丁目)に住み、本所小学校(昭和21年廃校)の学務委員を務め、地域の社会発展のためにも貢献しました。
その墓所のある要津寺は、慶安年中に牧野成儀を開基として本郷に創建されました。成貞が元禄4年(1691年)に下屋敷の一部(現在地の一部)を寄進して寺を移し、寺号を成貞寺としましたが、後に成儀の法名を採り、要津寺と改めました。
現在も代々の藩主が眠る牧野家の墓所は周囲よりも一段高い土台の上に石組をめぐらせ、正面に三つ葉柏の家紋と「牧野家代々之墓」と刻まれた墓碑、前面に4基の燈籠が置かれています。(墨田区教育委員会掲示より)

雪中庵関係石碑群

・・雪中庵とは芭蕉三哲の1人である服部嵐雪(1654−1707)の庵号です。三世雪中庵を継いだ大島蓼太は、深川芭蕉庵に近い当寺の門前に芭蕉庵を再興しました。これにより当寺は雪中庵ゆかりの地となり、天明年間(1781−1789)の俳諧中興期には拠点となりました。当寺には蓼太によって建てられた嵐雪と二世雪中庵桜井吏登(りとう)の供養塔や「雪上加霜」と銘のある蓼太の墓碑、四世雪中庵完来から十四世双美までの円形墓碑、宝暦13年(1763年)蓼太建立による「芭蕉翁俤塚」、安永2年(1773年)建立の芭蕉「古池や蛙飛びこむ水の音」の句碑、天明2年(1782年)建立の「芭蕉翁百回忌発句塚碑」などがあります。

芭蕉翁俤塚(おもかげづか)

・・宝暦13年(1763年)10月12日、大島蓼太が芭蕉翁七十回忌に建立した。

深川六間堀東光山要津寺中ニ在

俤墳

碑陰

 宝暦十三年癸未十月十二日 雪中庵門人建

みかの月 弓矢のともに すてし身を 草の庵に ふししはの むすひし夢に はゝきゝのありとは見えす あさかほの しほめる花の まほろしを とくうつしゑの ふてとけし その翁さへ なくそちの(本ノマゝ) おもかけ塚を したはさらめや


雪中庵蓼太

813秋魚:2017/10/04(水) 20:43:09
(無題)
・・秋のサイクルツーリング。

?日本近代文学館−?長命寺−?要津寺−?長慶寺−?雄松院(園女墓)−?富岡八幡宮

二日目  ?聖坂亀塚稲荷神社−?長松寺(徂徠墓)−?如来寺−?品川歴史館−?池上本門寺

814秋魚:2017/10/10(火) 18:08:27
(無題)
・・ひきこもりが続くと外の世界が半ば恐怖。よく晴れたから自転車を軽く整備して小曽木街道から岩井堂までポタリングに出た。明日のために。横難横死といって不慮の事故は横からやってくる。方位を見るに、東西線に関わるときは南北が邪線で、南北線に関わる時は東西が邪線に働くから、横難横死に負けないためにも四方から垂直に緊張する走りが希求される。浜松天龍区にある秋葉神社には武田信玄の太刀が奉納されてある。他の名将もよく太刀を納めるのは横難横死を防ぐための祈願だという。・・ヤマトタケが駿河の草原で火に追い詰められた時、草薙の太刀で草を切り払い迎え火を放って逆賊を退けたのは、太刀と火打石の御蔭であった。関ケ原の戦いの時、細川幽斎が敵陣に囲まれながら田辺城で古今伝授をなしとげたのは武士の本懐としては異質ながら歌人の正道を守る優位の心であろう。古今伝授の太刀というものがある。

・・例によって青梅坂。よい坂だが思い立つまでが、難。途中栗がいくつか落ちている。今年も落ち栗の旬の季節を外した。落穂ひろいさながら、二三拾ってみる。時と場所さえよければ、いくらでもよい栗ひろいができるのだが。・・小曽木街道はやけに大型車が走る。岩蔵温泉のカフェも訪ねてみたいが今は時間がない。岩井堂まで到達したい。浅草寺の本尊観音像はここから川に流れたという。

815秋魚:2017/10/13(金) 10:42:17
(無題)
・・お天気は都心は11、12日がホワイトボックスで晴れマーク。サイクルツーリングに出た。多摩川CRで国立まではお手の物。この先甲州街道は車道は難関。府中大国魂神社から旧甲州街道に入ればずっと楽な道になる。調布に出るに何度か使った道だ。途中早めに本道へ出たので地獄の甲州街道は歩道を走る。つつじが丘明大前まではこの道しかない。代田橋から井頭通りに入り渋谷へ向うコースを予定したが交番の案内で変更。笹塚までいってここから中野通りを右折あとは道なりで駒場日本近代文学館に行ける。・・近くまでいったがこのあたり入り組んでいて迷路の様。東大駒場のすぐ近くに文学館はあった。「漱石・芥川・太宰から現代作家まで」特別展示開催のはず。芥川を看取った下島勲の日記が見たかった。辞世の短冊句も展示があり、「水涕や鼻の先だけ暮れのこる」の解説文で「水洟や」とあるので担当学芸員を呼んでもらい「洟」→「涕」に訂正を強く要請。若い女性でしたが説得できた模様。この評論は未発表だが自信はある。

・・この後は一路浅草に向う。一度甲州街道にもどり新宿駅に向った。例によって人混みも車も多く何度か足着き歩行になる。青梅街道から靖国通りで飯田橋交差点までそこから春日通りに出ればまっすぐ湯島天神のわきを通って隅田川は吾妻橋に出るはず。

・・前回見つけられなかった新吉原の跡地。今の吉原とは場所も違うのか、ともかく吉原神社を探してみた。大正の震災の時、川端康成と芥川が被災の様子をみてまわったという。火事になって悲惨な遊女たちがたくさんいた。吉原神社奥の院というところにでた。ここに記憶がいっぱいあった。

吉原大門通りの大門を確認したかったが、昼間から客引きがあって冷やかしのヒマもなくそそくさとここを去り、言問橋のあるところに向った。川向こうの長命寺を探した。「いさゝらは雪見にころふ所まて」芭蕉雪見の句というのはめずらしい。春秋庵九世梅笠の墓もあるというので探したがみつからず。
寺のお内儀に尋ねたところ、過去帳にはたしかにあるそうででも墓はみつからない。以前にも梅笠を訪ねてきた人がいたとのこと。梅笠を追うというのは、自分以外にも存在するというのは、発見ですこし張りもでてきた。過去帳にあるなら本名もわかるかもしれないと思ったが、もう次の訪問地要津寺に向っていた。

・・両国駅の裏の回向院。その脇道から南へ、墨田区千歳二丁目。要津寺はなんなく見つけられた。元禄の頃、将軍綱吉の側用人だった牧野成貞が中興開基。「父の儀成は、越後長岡藩主・牧野忠成の弟で、上野大胡藩主・牧野康成の三男であった」。牧野成貞の側用人跡目が柳沢吉保という。笠間藩牧野家の菩提寺というので代々の墓が今でも営まれている。井月は仕事柄ここに立ち寄っているはずである。・・要津寺が井月にとっても自分にとっても注目に値するのは、ここに置かれた雪中庵石碑群というもの。
「・・雪中庵とは芭蕉三哲の1人である服部嵐雪(1654−1707)の庵号です。三世雪中庵を継いだ大島蓼太は、深川芭蕉庵に近い当寺の門前に芭蕉庵を再興しました。これにより当寺は雪中庵ゆかりの地となり、天明年間(1781−1789)の俳諧中興期には拠点となりました。当寺には蓼太によって建てられた嵐雪と二世雪中庵桜井吏登(りとう)の供養塔や「雪上加霜」と銘のある蓼太の墓碑、四世雪中庵完来から十四世双美までの円形墓碑、宝暦13年(1763年)蓼太建立による「芭蕉翁俤塚」、安永2年(1773年)建立の芭蕉「古池や蛙飛びこむ水の音」の句碑、天明2年(1782年)建立の「芭蕉翁百回忌発句塚碑」などがあります。」
これらの石碑、「芭蕉翁俤塚」碑、嵐雪と二世雪中庵桜井吏登(りとう)の供養塔はよく認められますが、他はよくわからない。写真のススキに埋もれているのが蓼太の墓碑かと見える。住職さんがたまたまみえて一般の墓地には進入禁止ということでした。牧野家の墓はそれでも一目とお願いしほんとに一目で頭を下げて参ったのです。長命寺でも墓地に仕切りをつけて一般人は入れないような仕組みがよく見かけられます。千社参りというのが嫌われているようですね。

芭蕉翁俤塚(おもかげづか)

宝暦13年(1763年)10月12日、大島蓼太が芭蕉翁七十回忌に建立

「みかの月 弓矢のともに すてし身を 草の庵に ふししはの むすひし夢に はゝきゝのありとは見えす あさかほの しほめる花の まほろしを とくうつしゑの ふてとけし その翁さへ なくそちの(本ノマゝ) おもかけ塚を したはさらめや」

・・何度読んでも、意味イメージが錯綜する。

ほかに「古池や」の句碑もあるということだったが、すっかり動顛してしまい確認できず。そそくさと近くの長慶寺に向った。住所を控え忘れたため、地図の記しを頼りに人に聞き聞き、あきらめかけたところで所在がわかった。ここもいろいろ碑がある。芭蕉時雨塚というのが、謂れ古い。「元禄七戌十月十二日はせを浪花にて卒せしを聞て江戸の門人杉風・其角・嵐雪・史邦等翁之落歯并発句を埋めり、其句に、世にふるも更に宗祇の舎り哉」とあり、芭蕉が没した元禄7年(1694年)10月12日の2ヶ月後に芭蕉の門人たちが芭蕉を偲んで、句塚を建てた 」ただし戦災などで碑の痕跡はほとんど認められない。其角、嵐雪の墓もあったが、これは近年に再建されたものか。由緒ある碑蹟だが、なんとも埋もれた風。管理がだんだん手薄になる気もする。

・・清澄庭園の隣にある雄松院に斯波園女の墓がある。ここはどういうわけか大変に清潔な管理がみえる。
「白菊の目にたてゝみる塵もなし」死の数日前に翁が詠んだ。

・・

さて今日のラスト。深川不動堂、富岡八幡宮に向った。芭蕉庵のあったのは深川常盤、同じ深川でも不動堂まではすこし離れている。去年も一度訪ねたが、ほんの寄っただけだった。富岡八幡の前で園女が眼科医を開いていたなど知らなかった。公園に歌仙桜の碑があるという。いまはただの公園だが昔は三
十六本の桜が人を集めたという。芭蕉没後、園女は江戸にでて其角を頼った。其角の住居は日本橋茅場町というので、いまはぽつんと住居跡の碑がある。これも後で訪ねてみた。其角の庵の隣りに荻生徂徠が住んでいたというから、なんともにぎやかなこと。「梅が香や隣は荻生惣右衛門」と其角は詠んだ。

・・不動堂は、たいへんな人気で人混みも多い。案内所で成田山出開帳の記録資料を求めた。なんとうれしいことに「深川不動堂関連年表」の写しをいただいた。ここの不動像の由来とか、秘仏でもご覧になれますよというので、本堂へいってみたら、たしかに不動像が垣間見えた。日野高幡不動を先日拝観したが、それと違って烏天狗のような迫力がある。

二日目。自転車で遠出して温泉に行くのが常だったが、今回はあわただしい。永代通りから日比谷通り、三田の聖坂に向った。途中増上寺は浄土宗の大本山という。江戸の徳川はたしか浄土宗であったと思う。朝早すぎて外から眺めるだけ。甲賀流忍術の検定など告知があったが、?よくわからない。

・・三田の聖坂は、途中、小さな亀塚稲荷神社がある。ここには港区最古の板碑が五基集められいる。「阿弥陀信仰に基づく供養石塔で秩父青石(緑泥片岩)製」という、「5基のうち3基については鎌倉時代中期から南北朝時代前期にかけての、文永3年(1266年)、正和2年(1313年)、延文6年(1361年)の年紀銘が確認できる・・新田義貞一族の霊を弔うための碑だと伝えられている。」
この稲荷のご神体は、坂の上にある亀塚公園にあった更級日記ゆかりの亀石ということだが、確認はむずかしかった。

・・さて、どこかで見た桜の写真。えもいわれぬ桜の花。たしか乙女桜というので来福寺で検索。ここは大島蓼太の「世の中は三日見ぬ間の桜かな」句碑がある。延命桜というのが売りだそうだ。これかな?隅田河畔の長命寺も桜で名高い。菓子屋があってここがはじめの桜餅屋とか。一葉「たけくらべ」の美登利もこの辺の娘だったとか。記憶が錯綜している。

・・品川歴史館を訪ねた。第一京浜15号から品川、大井一帯は錯綜して迷路の様。区立歴史館というので、大森貝塚とか東海道品川宿とか特別展示あるも眼目は「大井に大仏がやってきた!」過去の展示カタログがみたい。高輪にあった如来寺がこの大井に移った。木食坦唱の五智如来像がみれるのは、この先の養玉院如来寺。歴史館では、品川のこと根堀葉堀学芸員に尋ねた。安政の地震や大洪水のこと。海に近いのに被害はほとんど報告されていない。特に1856年の大洪水で江戸10万人の死者が出たなど、嘘くさい。前年の大地震で死者7千余人というのは深川不動堂の記録にある。大地震では、浅草深川一帯は大打撃だったのは、真実らしい。大井大仏展のカタログはなかなか充実している。

・・歴史館の前は池上通り。すぐ前に交番があった。ここで養玉院に行く道を尋ねる。やはり迷路のようで、一度大井の駅まで出るルートを教えてくれた。目的地への道がわからなくなると片端から人に聞くのが癖になってきたが、これもコツがあってうまくなったものだ。ほどなく念願の養玉院如来寺に着いた。

・・木食坦唱の五智如来像といっても、寛永13年(1636)に品川高輪に安置されたものが、度重なる江戸の火事で一度は焼失している。代々の木食僧が1760年頃再造立したもの。京都の蓮華寺にあるものは石造の五智如来だからこちらは坦唱上人のものだろう。養玉院と如来寺はもともと別の物だった。一つになったのは大正年間のこと。如来寺については天海が強力に坦唱を支援したようだ。ここがおもしろい。

816秋魚:2017/11/02(木) 22:34:09
(無題)
・・自転車遠出さきのパンクというのにはじめてあった。いや二度目だが最初のはやや近場。今度のは出先で修繕しないと帰れない。遠くの温泉に来ていたが意地の悪いヤツがいるものだ。駐輪中、周到にタイヤに針ピンを刺してパンクにした。パンク用にピンを細工してあってこれは単なる悪戯でない。プロの工作員だ。・・このパンクの背景を想像したが今はこれを修繕するのが先決。幸いに不慮の事故のために替チューブと修理セットを持ち歩いている。果たしてうまくいくか。人家の多い街中なので自転車店も探せばみつかるかもだが、何のためのロングライドか。修理場をさがした。公共の博物館があって駐輪場はがら空きだった。よしここを借りる。・・自転車の解体組立てを何度かやっていて後輪のタイヤ外しはなんとかだ。近頃ママチャリのパンク修理は何度かやっていて、ただし出先でやるのははじめて。焦ってしまいタイヤの中のチューブがうまくとりだせない。ここでまた取り返しのつかないミス修理をすると最悪なので、気を落ち着かせ替チューブに交換するとこまではいった。ただしこのチューブ大丈夫か。これも一度穴が開いてパッチを貼っておいたものだ。このパッチ貼り実は自分はあまりうまくない。ほんのすこし空気もれがあった。携帯の空気入れも使い方が不慣れで故障でもしたら。ともかく帰宅まで持つように慎重に。・・取り出したパンクチューブ実は捩れたままタイヤに入っていた。道理で空気抜けがはやい。以前タイヤ交換した時に失敗していたものだ。その後けっこうな遠乗りをやっているからよく事故らなかったものだ。今回のパンク修理のおかげでチューブ装填もいい加減にできないとわかった。最近ママチャリのパンクが何度も起るのでよく考えたらタイヤに針のようなものが残っていてこれでは同じ所に穴が開く。これを外したら空気抜けはなくなった。どうも細部の点検が勉強不足。・・帰りに寄ってみたいところがあったが全部キャンセル。もう一度パンクするといよいよ修繕がきかない。暗くなるまでに帰りたい。

・・で、無事に帰宅できた。後輪のタイヤ心なし空気が減っている。やはり不具合ありか。翌日タイヤ外してチューブを調べると以前のパッチ貼りから空気もれあり。あぶないあぶない。穴あき箇所に大きめにサンドペーパーをかけ接着剤をぬる。この辺がどうも下手でした。

まったくパンク修理に日々明け暮れた。

・・

青梅から多摩川に沿って奥多摩にゆく。鉄路の奥多摩駅の近くに奥氷川神社、ここから青梅街道直進ならば昔道などある奥多摩湖まで。支流の日原川に沿って北へ向えばいつか訪ねた日原鍾乳洞がある。細く長い道で秘境といわれたが、自転車での走りはさほどむずかしくはない。ずっと行くと最後に長いトンネルがあってここを抜ければ鍾乳洞のあるところに着く。渓流は石灰のある地質をくぐるからか透明できらきらしてる。記憶だけだが、一石山という神社だか寺があった。ここは役の行者が700年に開いたという神社らしい。案内板に江戸の僧正天海の名がでてきたので、こんな奥田舎に何故天海か。先日訪ねた如来寺の木食担唱の名もあったようだがすっかり忘れていた。というより担唱のことも知らなかったので記憶に残るはずもない。・・しかし驚くべきことに木食担唱はこの一石山に篭もって修行の道場としている。

817かぐ山のはなこ:2017/11/09(木) 20:27:52
(無題)
・・「芭蕉」「定家」「楊貴妃」「玉葛」「小塩」「雨月」

このうち「小塩」というのに注目。小塩山というのは山城の乙訓にある。大原野神社は桓武長岡京に春日神社を呼んだ。


シテ「霞か。ワキ「雲
か。シテ「八重。ワキ「九重の。地歌「都辺は。
なべて錦となりにけり。/\。桜を織らぬ
人し無き。花衣着にけりな。時も日も月
もやよひ。あひにあう眺かな。げにや大原
や。小塩の山も今日こそは神代も思ひ。

・・

818秋魚:2017/11/12(日) 10:26:44
(無題)
・・檜原村北秋川に沿って秘境神戸岩をめざした。例によって青梅は梅ケ谷峠をこえて日の出あきるの市に入る。このコースすっかり気に入っている。しかし心なし車がよく来る。この峠にトンネルをつくる計画があるという。二ツ塚峠を越える交通を少しでも緩和させる為だろうか。梅ケ谷は二段坂で最初はギアで軽くしても二段目は足着きになるが問題なし。足着きというのは周囲の風景よく見えてよいところもある。中曽根がレーガンを招いた山小屋はすぐこの奥だ。それでここも一躍名をなしたか。安倍がトランプと廻ったのは霞が関カントリー倶楽部でここは川越だったと思う。業平が武蔵野で訪ねた土地だ。川越は江戸の天海が根を張って古くよい料理屋もあるからおもてなしで撰んだのだろう。しかし何でもイエスマンをやってるのはどうか。日本は軍備国家まっしぐらではないか。

・・梅が谷を越えて日の出に入ったあたり静かな山里で桃源の感あり。そうこうしてるうち五日市の駅前に出た。山猫軒という喫茶はサイクリストがよく立寄るという。朝早くで閉まってる。檜原街道を瀬音の湯を越えてまっすぐ村役場のある橘橋ところまで。意外と距離あり。檜原街道はサイクリストが多い。車もライダーも多いのは紅葉期の休日だからか。ともかく自転車乗りはしきりにやって来る。ロードバイクの乗り手に何度も追い越される。橘橋は大月の渡来系の猿橋と同じつくりだと聞いていたが昔の面影はなく普通の橋だ。このT字路で左折をすれば数馬の方、右折なら払沢の滝と神戸岩の方面。今日は右折して神戸岩をめざした。払沢の滝の入口にあるちとせ屋という豆腐店も評判だ。おからドーナツというの帰りがけ試したが、大変に美味。涕がでそうなほど。・・神戸岩入口というところのバス停で右折3キロ。北秋川に沿ってだんだらの登りスロープになる。車はまったく少ない。

・・春日神社のあるところへ来た。落葉掃きをしてる人と少し話す。この辺どんどん過疎になってね。よいところだけど街中にでるは大変。川辺でキャンプか釣りか神戸岩観光くらいで人が集まる。紅葉の季節でそれでも客は多くはない。そこそこ。パワースポットのトンネルがあるとか。・・着いてみるとなるほどすごい岩場と水の流れだ。見物客も数名。切り立った岩はチャート石でジュラ紀のもの。恐竜時代ではないか。チャートは海底の有機物の堆積でできるからぐっと海底からせりあがったものか。ジュラ紀というと一億五千万年以上昔になる。・・プレートの移動によるらしい。

・・神戸岩トンネルの前に駐輪して峡谷に沿って散策道がある。足場があやういがチャレンジしない手はない。増水のため侵入禁止とあっても先に客がみえる。木橋があってしかし微妙な傾斜、隣りの岩場を選んだ。足を伸ばして手が鉄杭に届けば向こう岸に着く。岩場の足が滑らないことを祈って渡る。峡谷の道あぶないのはここだけ。変化に富んだ水の流れと岩の形状を楽しみながら歩く。途中で会った客はこの向こう口から入ったという。神戸岩はこの水流からずっと上に切り立った山の壁をつくる。チャート石で天然記念物ということだ。

・・神戸岩トンネルは手掘りという。ほんの百メートルくらいだが中で曲がっていて真っ暗になる。ここで恐れをなして引き返した人もいたようだ。どうということはない。自転車のあるところにもどって崖の上方をみた。朱蒙の山城ボンゴ城みたいだが、上にまであがれるのだろうか。神戸岩は「かのといわ」と読む。大岳山の入口にあたるという。

・・五日市は化石の宝庫。チャートや石灰岩の中に海ユリ、サンゴなどの化石がみられる。五日市郷土館に帰り寄ってみた。チャートと石灰岩では地層年代どちらが古いのか気になって調べたが、石灰岩は古生代からあるという。フズリナの死骸からできるという。チャートは珪藻とか植物性プランクトン(?)の堆積からできるか。ある種の水晶で硬質なものだ。プレートの移動で地表にせりあがったもの。生成はジュラ紀か。・・明確な線引きはできないが、どちらも古い。

ジュラ紀は一億4千万年前〜二億一千2百年前、三畳紀は二億一千2百年前〜二億4千7百年前。エントモノチスという二枚貝は三畳紀にだけ栄えたという。この化石は日の出町の砂岩によくみられるという。ともかく古い。

  *

・・武蔵五日市の駅から五日市街道をくだる。右手に秋川に沿って、しかしこの道はあまりおもしろくない。大悲願寺や岩走神社のあるところから線路側の側道に移る。この田園風景はまことに絶品。伊奈、横沢地区といって信州高遠からやってきた石工の部落だった。この伊奈の石工について郷土館で貴重な資料をいただいた。正一位岩走神社というのは奥が深い。三ヶ島葭子の母方はここのものだ。

 筏組む木の音冴えて水ませるあさけのたにに鶯の鳴く

819秋魚:2017/11/15(水) 17:15:03
(無題)
「・・武蔵夜話に出で居候は 秩父大宮の南なる日野村の棒の神は 神體石棒同熱川村猪狩山の麓なる下池の熊野社も石棒が神體なり 相州大山石尊大権現の神體は石棒三尺五寸程のものにて 此石剣に因み木太刀を納るものゝよしに候甲斐北巨摩郡武田八幡の神體も石剣と承り申候 諸国に此類多く 小生甲斐に居り候砌道祖神を調べ候に 何れも石の棒又は圓き石に御座候ひき 此等にて愚考はオシャモジ様は石神様のことゝ存じ居候 」(山中笑より柳田へ)

「武蔵では東秋留の二宮神社の境内に、今もまだ一座の社宮司社の残つて居ることを、この春の散歩の日に見つけて来た。付近の人たちはオシャモジ様と呼び、やはり飯杓子を上げて嬰児の安全を祷つて居る。・・」 『石神問答』序

・・五日市いまはあきるの市というここの三大祭。阿岐留神社、岩走神社、二宮神社の祭りだ。柳田国男『石神問答』序文にみえる東秋留の二宮神社を訪ねた。


   *

・・2017年度の多摩川を遡上したアユの推定値は、158万匹。昭和60年前後は1万匹以下、平成に入って徐々に増え始め、平成20年頃には200万匹近く、平成23年には劇的に増加して800万匹、翌平成24年に1200万匹に増え、その後やや減ってはきたが5〜600万匹、本年は例年平均の173万匹をやや下回るものの158万匹が遡上した。・・六月頃、多摩川青梅の万年橋の上から小アユの大きな群れを確認できた。

・・東秋留近辺の縄文遺跡からサケの骨が数千本発掘出土した記録があるとのこと。これは近くの秋川にいたサケを縄文人が捕らえて食用にしていた証しとなり、全国ではじめて縄文人のサケの捕獲が確認されたという。アユは食料にしても骨は残らないでしょう。それにしても秋川にサケというのは、気温が低かったのでしょうか。

   *

・・瀬音の湯は日に日に評判がよいか。訪れの度に都の騒ぎになる。サウナ室にきれいな音楽が流れていた。ピアノソロだが、曲名はわからぬ。たぶんバッハであろう。・・隣りの外人に曲名を聞いたら、maybeというた。一言くらいは野暮にはならぬ。

・・翁、北枝の山中問答には、「蕉門正風の俳道に志あらん人は、世上の得失是非に迷はず、烏鷺馬鹿の言語になづむべからず。天地を右にし、万物山川草木人倫の本情を忘れず、飛花落葉に遊ぶべし。其姿に遊ぶ時は、道古今に通じ、不易の理を失はずして、流行の変に渡る。・・云々」

翁申給ひき。

820秋魚:2017/12/02(土) 00:10:01
(無題)
・・多摩川の寒天河原にでてみた。十月の台風で川筋が大きく蛇行してしまい広い石の原ができていた。かつては水底だったところだ。対岸には岩肌がみえて木々の紅葉は一段と映えている。今が旬か。釣り人がひとりいてすこし話をした。青梅の釣り事情を尋ねた。ヤマメ、イワナが捕れるという。アユは冬はいない。普通海に帰るのだが、多摩川はいくつか堰があって羽村まで海からの遡上は限界という。この辺にいるのは放流魚です。ルアー(疑似餌)をやるというので一揃いみせてもらった。いろいろあって魚はこういう金属片に騙されて釣らされてしまうんだ。釣りのクロウトさんは細かなルアーの差異がわかるらしい。貴重なものもあるという。・・多摩川にはカジカも釣れる。カジカはカエルではないのですか?いえ魚です。カジカのひれ酒というのがあってこれは絶品だそうだ。フグのひれ酒は先日試してみた。カジカというのはなかなか釣れないそうだ。料理屋でもだせないしろもの。

武陵源、武陵桃源

>・・武陵源(ぶりょうげん)は、湖南省張家界市にある、張家界森林公園、索渓谷自然保護区、天子山自然保護区などの地域からなる自然保護区の総称。・・武陵源は、その独特の石の柱が立ち並んでいる景観で知られる。その柱は珪岩で出来ており、二酸化珪素の含有率はおおよそ75%-95%である。その石柱のほとんどが200m以上あり、

張家界市

>・・湖南省の北西部に位置する。常徳市、懐化市、湘西トゥチャ族ミャオ族自治州、湖北省と接する。洞庭湖へ向かう澧水が流れる。・・武陵山脈にある張家界は険しい峰が連なるカルスト地形の奇観で知られ、

澧水(れいすい)

>・・湖南省北西部を流れる大きな川で、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。・・澧水の上流には、南、中、北の三つの源流がある。北の源流が本流であり、湖南省桑植県の杉木界に発する。中の源流は同じく桑植県の八大公山の東麓に発する。南の源流は湖南省永順県の龍家寨に発する。三つの川は桑植県南岔で合流後、東へ流れる。途中で漊水、渫水、道水、涔水などの支流を合わせ、津市市の小渡囗で洞庭湖に注いでいる。

洞庭湖

>・・洞庭湖(どうていこ、拼音: Dòngtíng hú ドンティンフー)は、湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。湖北省と湖南省はこの湖の北と南にあることからその名が付いた。・・7月から9月にかけて長江から大量の水が流れ込み、湖の面積が広がる。通常期の湖の面積は2,820km?(琵琶湖の約4倍)だが、長江から膨大な量の水と堆積物の流入によって増水期は20,000km?(関東平野や四国よりも広い面積)にも及ぶ広さになるという。洞庭湖に流入する河川には、湖南省四大河川といわれる湘江・資江・沅江(げんこう)・澧水(れいすい)などがある。


 桃花源−澧水−洞庭湖−長江

・・桃花源の大まかな位置がわかる。

821秋魚:2017/12/05(火) 20:47:43
(無題)
・・青梅郷土博物館でめずらしい展示があった。

>玉泉寺から西側の地域は寺改戸遺跡という縄文時代の遺跡です。昭和49(1974)年、下奥多摩橋の取り付け道路の敷地内を調査し、20か所分に及ぶ土壙どこう(お墓)が見つかりました。その内の9号土壙の東端から副葬品と思われる、注口土器と小形深鉢形土器が隣り合って出土しました。

縄文後期(B.C1500頃)加曾利B1.式

・・注口土器の高さは12cm、最大幅12cm、口径5・6cm、底径6・8cm、容量410mlで、蓋ふたはありません。小形深鉢形土器は口縁部内側に一条の沈線が引かれており、高さ6・3cm、口径9・4cm、底径7cm、容量230mlです。


蘭陵美酒鬱金香,
玉碗盛來琥珀光。
但使主人能醉客,
不知何處是他?。

822秋魚:2017/12/11(月) 19:03:54
(無題)
春夜宴桃李園序
            李白

夫天地者,萬物之逆旅;
光陰者,百代之過客。
而浮生若夢,
爲歡幾何?
古人秉燭夜遊,
良有以也。
況陽春召我以煙景,
大塊假我以文章。
會桃李之芳園,
序天倫之樂事。
群季俊秀,皆爲惠連。
吾人詠歌,獨慚康樂。
幽賞未已,
高談轉清。
開瓊筵以坐華,
飛羽觴而醉月。
不有佳作,
何伸雅懷?
如詩不成,
罰依金谷酒數。

「而浮生若夢,
爲歡幾何?
古人秉燭夜遊,」

・・夜遊びのススメ

・・


雪花飛暖融香頰。頰香融暖飛花雪。欺雪任單衣。衣單任雪欺。



    花褪殘紅青杏小,
    燕子飛時,
    ?水人家繞。
    枝上柳綿吹又少,
    天涯何處無芳草。

    墻裏秋千墻外道,
    墻外行人,
    墻裏佳人笑。
    笑漸不聞聲漸杳,
    多情却被無情惱。

823秋魚:2017/12/13(水) 00:21:16
(無題)
・・寒波がきつい。国文学研究資料館までポタリングにでた。風は無く小春日和かも。東青梅にある石神社に寄ってみた。河辺からの多摩川に臨んだ崖の端にある小さな社。安産の神を祀る。二俣尾にある石神社とここの二つ。西は、甲斐、信濃、尾張、伊勢までという。猿田彦の白鬚と同じ流れのようにもみえるが。近江の石山寺は寺でも猿田彦の発祥だったと記憶する。なにかありそう。

「かきね塚」潮堂編 羽田墨芳七年追善 慶応元年。(1865)

これに井月の句があるという。果たして見つかるか?立川の資料館もフロントの係が毎度替っていて、前回は新人の素人。検索の上手がいると助かる。半ばあきらめていた資料だが、マイクロフィルムから紙焼きにしたものがあるという。驚きの一瞬。

枯柳軒にさびたる碇かな 井月

松宇文庫というのに収められてある。伊藤松宇という幕末から明治にかけて、俳句も詠むが古文書を蒐集した。子規などの先駆けという。寄贈した古文書3千冊は関口芭蕉庵にあったが、やがて国文学研究資料館のマイクロフィルムで保存。この資料館も奥が深い。

・・訪ねた時は、「伊勢物語のかがやき−鉄心斎文庫の世界」という特別展示があった。充実したコレクションのようだが、暇がとれずそれでもざっと見て廻る。細川幽斎と烏丸光広の書とか、幽斎は達筆。日野資矩の書もある。絵屏風の展示もあって、絢爛たるものあり。

824秋魚:2017/12/16(土) 22:25:22
(無題)
・・「三つ数えろ」という映画を観た。ハワードホークス作品、ハンフリーボガード+ローレンバコール競演、ハードボイルドの傑作という。この年でフィクションの映画というのは、きつい。が、シネマはノスタルジー以外のものでない。1946年アメリカ。原題はTHE BIG SLEEP(大いなる眠り)。この原題謎ですね。

主演のマーロウが煙草を吸うのが、この時代の男のスタイルだったか、裕次郎なんかもヘビースモーカーだったし、団塊の世代のシニアは特に煙草はやめられないだろう。

Wフォークナーが脚本に参加してるという。前半からプロットが難解で、後半になってもさらにむずかしい。というか、あまり深く追求したくないというのがある。どうせフィクションだからね。マーロウとビビアン(ボガードとバコール)が物語の筋から外れて心情を吐露してゆくのが、これもフィクションなんだろうけど、おもしろい。恐喝、ゆすり、殺人。犯罪が錯綜してるのは社会の常だが、ここに正義ではなく生の義の筋を通すのが訴える。ブラックスクリーンでドンパチやってると、うまい演出か、要は薮の中のプロット。誰が生き残るかというのはわからない。これもフィクションですよ。にしても、うまい!

・・上伊那の郷土誌「伊那路」が届いた。メールで注文して日数がかかるという話だが、中一日で届いたというのは、おどろき。「井月カレンダー」というのも一緒で、これは駒ヶ根の宮澤さんからの贈り物か。「伊那路」は井月特集号で、さっそくパラパラと斜め読み。どの記事も心がこもってよく読める。さすが郷土誌ならでは。下手な記事は書けない。先に矢羽先生の示唆で郷土誌「長野」というのも注文したが、これも充実していた。郷土というのは、よそ者はなかなか参入しがたいものがある。井月の伊那谷は苦渋の漂泊だったはずだが、ここまで復活するとは、本人もノーアイデアであったろう。1858年頃伊那にあらわれ1887年に没して、本年2017年まで160年間ほどずっと正体不明の出身だった。
幻の井月。

825山田:2017/12/21(木) 03:09:12
(無題)
・・祝杯をあげる。オシャカのパソコン復活に成功した。win10は魔物だ。一年間限定で無料アップデートに乗ったパソコンはひどく不具合の連続でしょう。win10の検証が完了してないのにwin7もあと2年。win10を使えというのは脅迫に聞こえる。わたしのは中古ですから壊れてもともと。授業料ていどの参加だった。ジャンク屋も回復を使えなどいい加減なことをいう。必ず回復不能になる。・・最初からクリーンインストールを行えと指示すべきだ。「壊れたパソコン無料で引き取る」なんて流行ってるけどクリーンインストール一発で復活できる。ただしこのクリーンってなかなかむずかしい。ネットで成功した記事がちょくちょく出てるから参考です。実働三日で出資はDVDの百円のみ。・・なんでこんなに手間取って苦労したか。SATAのHDDを外してファイル救出を試みたがマウンタのネジがどうしても外れない。HDDを裸にできればファイル救出はお手の物だが。これもコツがあって三日前にはじめて成功した。ネジに接着剤が付いていたのはやはりだった。メーカーではなくジャンク屋でしょう。シロウトはあきらめて捨てに出すから。win10のアップデートが不能になったのはvirusのせいというよりなんかでしょうね。先日はwin7のアップデートができなくなった。これも苦労して解決した。パソコンで時を吸われること多い。現代病ですね。

・・空のDVDひとつ揃えるのに智慧をしぼった。RWで書き換え可能のにしてよかった。インストールメディアディスクを作るのに、win10isoファイルの焼付けに失敗。解凍したファイルをただコピーしただけだから。DVDでBOOTするのにfailedと何度もでた。機械の故障かとあきらめかかったものだ。isoファイルはそのままディスクに焼くもの。

BOOTに成功してからもwin10が立ち上がるまではらはらの連続。なにせ以前のwin10はひどい壊れ方だったからね。virusにやられたかと思った。

立ち上がって今度はへんなアプリは使えない。itunesは気に入ってインストルしてみたけど。プレスリーを聴いた。

・・滝山街道をくだってあきるのの正勝神社を訪ねた。いつか正月に来た覚えがある。昨夏甲子園で活躍した菅生高校のあるところだ。その隣り。吉野街道の外れから滝山街道になり多摩川を見晴らす道は新満地トンネルで峠をこえる。あきるのと青梅羽村の境にある丘陵をこえる。このトンネル車しか通れない。すぐ脇に自転車歩行者用トンネルがある。秋の台風で入口のところで土砂崩れがあり、しばし通行止めになった。先日あきるのの二宮神社を訪ねた折、帰路このトンネルを使えず大きく羽村の多摩橋の方まで迂回した。入口で通行ストップの警備員がいて、車のトンネルを通れなどでたらめを言った。正丸トンネルよりもっと細い歩道がついてはいるが、まず無理。危険このうえない。日の出までもどって二ツ塚峠をこえる手もあったが、来た路をもどるのは徒労以外でない。で、結局、若草通りを使って羽村まで玉川上水のあるところまで迂回したものだ。この道もいぜん走っている。・・トンネル入口の土砂崩れはいまは仮工事で通行は復旧している。このトンネルを抜けて右折。山沿いの道だがひどく田舎道。牛舎があって匂いが強い。

・・正勝神社の石造物に伊那の石工の名前があった。朧な記憶だが確かめたかった。

菅生高校の校舎のすぐ裏手。午後の部活の騒ぎが聞こえる。が神社は人も無し。神主は羽村の阿蘇神社が受け持ってるという。サカキの木の大きなのが神木という。サカキは本来大木にはならない。すぐ脇の手洗鉢が伊那の石工の作品らしい。「天保十四年七月吉日信陽高遠保科保正」の銘がある。天保十四年は西暦1843年。芭蕉の忌年です。百五十回忌という。

826秋魚:2017/12/22(金) 20:29:16
(無題)
・・あきるのの正勝神社。

「・・爾天照大御? 高木?之命以 詔太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命 今平訖葦原中國之白 故隨言依賜 降坐而知者 爾其太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命答白 僕者將降裝束之間 子生出 名天邇岐志國邇岐志【自邇至志以音】天津日高日子番能邇邇藝命 此子應降也 此御子者御合高木?之女 萬幡豐秋津師比賣命 生子 天火明命 次日子番能邇邇藝命【二柱】也 是以隨白之 科詔日子番能邇邇藝命 此豐葦原水穗國者 汝將知國 言依賜 故隨命以可天降・・」

・・ニニギの父、正勝吾勝勝速日天忍穗耳命が祀られてあるようだ。

天火明命がニニギの兄にあたる。豐葦原水穗國がニニギ降臨の地となる。

827秋魚:2017/12/25(月) 02:25:49
(無題)
・・橘諸兄ゆかりの井手の里。京の綴喜郡は南山城にある。歩いてないのでよくわからないが、井手の玉川の歌枕という。

「駒とめてなほ水かはむ山吹の花の露そふ井手の玉川」俊成

京都と奈良の境にあって橘諸兄の別荘があり、井堤寺に山吹を多く植えたという。

「山吹の花咲く里になりぬればこゝにもゐでと思ほゆるかな」西行
「山城の井出の玉水手にむすびたのみしかひもなき世なりけり」伊勢物語
「山吹の花色衣さらすてふ垣根や井手の渡りなるらむ」後鳥羽院
「色も香もなつかしきかな蛙鳴く井手のわたりの山吹の花」小野小町
「音にきく井手の山吹見つれども蛙の声は変らざりけり」紀貫之
「山城へ井出の駕籠借る時雨哉」松尾芭蕉

「玉藻刈る井堤のしがらみ薄みかも恋の淀める我が心かも」万葉集
「玉もかる井手のしがらみ春かけて咲くや川瀬のやまぶきの花」源実朝
「思はずに井手の中道へだつとも云はでぞ恋ふる山吹の花」紫式部
「河辺なる所はさらに多かるを井手にしも咲く山吹の花」和泉式部
「春深み井手の川波たちかへり見てこそゆかめ山吹の花」源順
「かはづ鳴く井手の山吹散りにけり花の盛りにあはましものを」古今和歌集

・・錚々たる歌詠みが歌を残している。

もうひとつ、この井手の里でおもしろいのは、

>上井手地区にある玉津岡神社は、社伝によれば、540年に下照比売命(しもてるひめのみこと)がこの地に降臨(こうりん)し、それを祀ったのが起源とされています。

この下照比売命の歌があります。

天なるや 弟棚機の 項がせる 玉の御統 御統に あな玉はや み谷 二わたらす 阿遅志貴 高日子根の神ぞ

・・

828かぐやまの花こ:2017/12/26(火) 01:09:13
・・
「 恋の山吹 情けの菖蒲(あやめ)
      秋の枯草 しをれ草 」  (山家鳥虫歌)

829秋魚:2017/12/30(土) 02:12:14
(無題)
・・其の過(あやま)てる所以(ゆえ)は、此の二た柱の?の容姿(かたち)甚(いと)能(よ)く相い似たり。 故、是を以ちて過まてるなり。 是に阿遲志貴高日子根の?、大いに怒りて曰く、「我(あれ)は愛しき友に有るが故に弔い來たる耳(のみ)。 何ぞ吾(あ)を穢(きたな)き死人(しびと)に比(なぞ)うる」と、云いて、御佩(みはか)せる十掬(とつか)の劍を拔きて、其の喪屋(もや)を切り伏せ、足を以ちて蹶(く)え離(はな)ち遣(や)りき。 此(これ)は、美濃の國の藍見(あいみ)の河の河上に在る喪山(もやま)なり。 其の持ちて切れる大刀(たち)の名は大量(おおはかり)と謂い、またの名を?度(かむど)の劍(つるぎ)【度の字は音を以ちてす】と謂う。 故、阿治志貴高日子根の?は、忿(いか)りて飛び去りし時に、其の伊呂妹(いろも)高比賣(たかひめ)の命、其の御名(みな)を顯(あらわ)さんと思いき。故、歌いて曰く

・・

大量 = 神度の剣   神戸か?

830かぐ山のはなこ:2017/12/31(日) 01:08:45
(無題)
・・

イナンナのシンボルは藁束と八芒星。

831秋魚:2018/01/03(水) 22:05:44
(無題)
・・
舟さす音もしるきあけがた          宗祇
月や猶霧わたる夜に残るらん         肖柏
霜おく野はら秋は暮れけり          宗長

・・元日は飯能名栗の里で旭日を浴びて迎えた。川瀬の霜がとりわけ眼にしみる。

幕末の夜と霧を迷走して夜明けの霜をみる。

・・紅白にも出た倉木マイの立ち位置をしっかり確認すべきだろう。

タテノリのperformativeを自家薬籠中のものとするライブはとりわけ光る。

・・発句は大将の位なり。丈高きなり。

・・

832かぐやまの花こ:2018/01/08(月) 00:47:31
(無題)
>激動の幕末政治史において、幕府による長州征伐は転換点の一つにあげられます。前尾張藩主徳川慶勝を総督として行われた第一次征長(1864年)は、長州藩が家老三名の首級を差出す等の処分で、戦火を交えることなく終結します。軍事力が温存された長州藩は、高杉晋作らによって内部改革を推し進め、第二次征長(1866年)では、幕府は成果をあげることができませんでした。そして、その後の討幕へとつながっていくのです。 慶勝の第一次長州征伐は果たしてどのような遠征だったのでしょうか。本展では、尾張藩陪臣水野正信の記録から、その一端を垣間見ていきます。正信は大道寺家の用人です。同家は藩の要職にあったため、藩政や幕政に関する重要な情報がもたらされました。また、正信は個人的な交友関係からも多くの情報を入手し、それらをひたすらに筆記して「青窓紀聞」として残しました。

・・この「青窓紀聞」に徳本和尚と瀬川遊女の問答がある。

いとおかし。

833秋魚:2018/01/11(木) 17:08:00
(無題)
・・倉木麻衣×小松未可子のトークセッション。小松は小学生の頃から倉木の追っかけファンだという。今でも追っかけをやってるようだが、最初に感動して魅き込まれたのが「冷たい海」だった。小学六年の時のこと。

「あれはDeepな歌ですよ」
「癒しの波動があって、…」

https://www.youtube.com/watch?v=viisRFYUb_M


小学生の女子に訴える倉木の声の感性は、驚くばかりだが

・・

834秋魚:2018/01/13(土) 02:25:06
(無題)
浅香山かげさへ見ゆる山の井の浅き心をあれ思はなくに

・・

江戸は今おなじ昔の花盛り

入江の際ですくふしら魚


・・井に映る山は山。入江の人は鏡文字で入になる。

・・江戸の入江といえば、品川あたりとみるが、

花のナポリ湾にも入江がある。

835かぐ山のはなこ:2018/01/21(日) 01:03:30
・・
「木食」とは、木食戒という五穀と塩を絶ち、火を使った調理をせ
ず、草の根や木の実などを主な食料として修行を行う僧侶のことです。

836秋魚:2018/01/21(日) 17:06:28
(無題)
・・雪舟「山水長巻図」ベートーベン「クロイツェルソナタ」。これらはほんとに魅入られる。

パソコンwin10完璧復活したかと思ったが、その後、いくつかのアプリケーションソフトのインストル原因で不具合エラーの再起動がでるようになった。

?cpu/celeronとの相性がよくない。
?競合アプリの導入は避ける。
?ゲーム動画の重い操作は避ける。不要なアプリは削除。

・・どうしても使いたいソフトは残してこの二三日は安定している。

それにしてもこんな不安定なOSでよく一本化を目指したものだ。こわくてどんなドキュメント作業もやってられない。特にメーラーは使えないな。

・・

837秋魚:2018/01/25(木) 02:38:52
(無題)
鮎の子のしら魚送る別哉

・・奥の細道出立にあたり舟で千住にゆくあたりでの作。紀行には「行く春や鳥啼き魚の目は泪」を採用してあり、推敲の段階で措かれた句か。『続猿蓑』に収録。しら魚は鮎の子の稚魚のことを指すようだが、白魚というのはそのまま白魚という固有の魚だ。隅田川を下って河口の近くに佃島という洲の土地がある。深川の富岡八幡宮、不動堂の前の永代通りをまっすぐ西へやがて隅田川にかかる永代橋にでる。都心にでた時はここに立寄るのがいつも楽しみだった。橋から正面にみえるタワーマンションが立ち並ぶ景色は実にうれしい。ここが昔の佃島というところというのは今日知った。

「江戸時代初期,摂津国佃村の漁師が拝領して造成した漁村であったので,この名があり,明治になって北の石川島を合併して町名となる。・・初期の佃島は現在の佃1丁目にあたる。江戸時代からの名産佃煮の製造が現在も行われる。北部の石川島播磨重工業跡地に高層住宅が建設されている。」

「慶長八年(一六0三年)家康が江戸幕府を開いた時、佃村の漁民三十三名を江戸に呼び、
石川島に近い島を居住地として与え、故郷の佃村に因み『佃島』と名付けた。
・・彼らはこの地で白魚などの漁をしながら江戸城内の台所をまかなうことで漁業権を与え
られました。離れ小島であるため時化(シケ)どきにお菜に事欠き、また猟期には腐らない副食物が必要なところから、湾内で獲った小魚類を塩辛く煮込んで保存食を作ることを考えた。」

・・なるほど、ここで白魚を採って佃煮になどもつくったのか。

838かぐやまの花こ:2018/02/01(木) 01:18:23
・・
曇りもせず 曇りも果てぬ 春の夜の 朧月夜に似るものぞなき

・・


先生幸許禁闈遊
更恐時光不暫留
山水從来無擔去
願馮君得冩風流


神泉苑にて、

839かぐやまの花こ:2018/02/02(金) 01:48:24
・・
「藤白のみ坂を越ゆと白たへの 我が衣手は濡れにけるかも」

・・

巨勢金岡は熊野への途中、藤白坂で童子と出会い、絵の描き比べをする。金岡は松にウグイスの絵を、童子は松にカラスを描いた。甲乙つけがたかった。
 そこで2人は、描かれたウグイスとカラスを、手を打って追いはらう格好をした。すると2羽とも絵から抜け出して飛んでいった。
 そこで今度は、童子がカラスを呼ぶと、どこからかカラスが飛んできて絵の中におさまった。しかし、金岡のウグイスは金岡が呼んでも戻ってこなかった。金岡は悔しさのあまり持っていた筆を松の根本に投げ捨てた。
 それから、その松は「筆捨松」と呼ばれるようになった。童子は熊野権現の化身であったといわれている。

・・大和絵の創始者といわれる巨勢金岡。平安期、菅原道真と同期だが生没年不詳。道真二十四歳の折、神泉苑に金岡を訪ねた。金岡はこの禁苑の監である。

先生幸許禁闈遊
更恐時光不暫留
山水從来無擔去
願馮君得冩風流

・・庭の山水を絵に画いてほしいと願ったそうだ。

下高輪如来寺の書上文書(文政11年)1828)に、本尊五智如来木像は但唱由来のものだが、他に、寺宝十王十幅、画師巨勢大納言金岡卿と申伝候とある。これは嘘であろう。金岡の作品はひとつとして確証がない。

・・出雲に有る八重垣神社の壁画は、巨勢金岡の作と伝わるが。

840かぐやまの花こ:2018/02/03(土) 23:40:34
・・
・・歌の名所である、摂津の鼓ヶ滝に来た西行。「伝え聞く鼓ヶ滝に来て見れば沢辺に咲きしたんぽぽの花」と歌を詠んで悦に入っているうちにあたりが暗くなってしまい、あわてて近くの民家に宿を借りる。

そこに住んでいた翁、婆、娘の3人に、自作の歌を「音に聞く鼓ヶ滝をうち見れば川辺に咲きしたんぽぽの花(白百合の花)」と手直しされてしまう。素人の口出しとはいえ、元の歌より良くなっているのは認めざるを得ず、西行は自分の修行の足りなさを実感する。

・・

この鼓ヶ滝 どこにあるのか?

猪名川
猪名川(いながわ)は、兵庫県及び大阪府境付近を流れる淀川水系の支流
丹波高地の大野山(兵庫県川辺郡猪名川町)に源を発する府県境を南流し、大阪国際空港の西側をかすめて神崎川右岸に合流する。

多田 鼓ヶ滝。 川西市?

神埼川には佃の漁民がよく舟をだす。

・・

日像

・・1275年(建治元年)日蓮の弟子で兄の日朗に師事した。その後、日蓮の弟子となり、経一丸の名を与えられ、玄旨伝法本尊と呼ばれる曼荼羅本尊を授けられた。1293年(永仁元年)日蓮の遺命を受け、京都での布教を決行した。途中、日蓮の足跡を巡り佐渡へ到着し法華経の布教をしたところ、石動山の僧・満蔵(日乗)が弟子となった。1294年(永仁2年)上洛して間もなく、禁裏に向かい上奏する。その後、辻説法を行い柳屋仲興、大覚寺の僧・大覚らから帰依を受ける。1307年(徳治2年)延暦寺、東寺、仁和寺、南禅寺、相国寺、知恩寺などの諸大寺から迫害を受け、朝廷に合訴され、京都から追放する院宣を受けた。

841かぐやまの花こ:2018/02/05(月) 00:33:18
・・
百千斛雪同時撒   百千斛(こく)の雪 同時に撒(さっ)し

数萬箇雷特地鳴   数萬箇の雷 特地(どくち)に鳴る

・・

「鮎壷の滝」白隠

842かぐやまの花こ:2018/02/06(火) 00:26:13
・・
三十年来尋剣の客、

幾回か葉落ち又枝を抽(ぬき)んず。

桃花を一見してより後、

直ちに如今(いま)に至って更に疑わず。


・・廬山

中国,江西省北部,九江市南方の名山で仏教の霊地。最高峰の漢陽峰は標高1474m。中国屈指の景勝地で,香炉,蓮花,双剣,天池,石耳,擲筆(てきひつ),鶴鳴などの諸峰があり林立する奇岩秀峰と山麓の湖水が独特の景観を呈する。

中国、江西省北部にある山。鄱陽(はよう)湖の北西岸にあり、北を揚子江が流れる。標高1543メートル。景勝地。晋の慧遠(えおん)が白蓮社を結成した仏教の霊山。陶淵明の靖節(せいせつ)書院、白楽天の詩で知られる香炉峰がある。

・・恵林寺もある。

新モンゴロイド(しんモンゴロイド、英: neo-Mongoloid)とは、W・W・ハウエルズによる モンゴロイドの分類。日本では埴原和郎や尾本恵市らが用いている。 モンゴロイドを 形質的特徴を中心とする遺伝的特性から、「新」・「旧」という、定かではない単語を用い て分別した表現方法である。進化の程度が「新」・「古」という意味ではなく、寒冷地適応 を経ているか否かの違いを表したというのが、世間に出回っている現段階における分類 である。

・・寒冷地適応

宗祇は七回越後に行脚した。文明十年(1478)三月、最初の越後下向。宗祇五十八歳。

宗歓(宗長)が同行。四月十八日 「百人一首抄」伝授。

・・東国から越後を目指したか?

843かぐやまの花こ:2018/02/07(水) 02:14:20
・・
洞山良价禪師參雲巖曇晟禪師。

・・

師問:「無情説法,甚麼人得聞?」
巖曰:「無情得聞。」
師曰:「和尚聞否?」
巖曰:「我若聞,汝即不聞吾説法也。」
師曰:「某甲為甚麼不聞?」
巖豎起拂子曰:「還聞麼?」
師曰:「不聞。」
巖曰:「我説法汝尚不聞,豈況無情説法乎?」
師曰:「無情説法,該何典教?」
巖曰:「豈不見《彌陀經》云:『水鳥樹林,悉皆念佛念法。』」
師於此有省,乃述偈曰:「也大奇!也大奇!無情説法不思議,若將耳聽終難會,眼處聞聲方得知。 」

844秋魚:2018/02/07(水) 20:59:47
(無題)
・・暇の取れるうちにとパソコンに取り組んでいる。win10は一年前から参入して一時撤退。どうしようもないOSと思っていたが、去年の暮れにオシャカのパソコンで復活させた。・・fall creators updateという大規模更新が10月17日にあったそうだ。クリーンインストールではそのNEW OSがそのままダウンロードできる。これはMソフトも自信作のようで、リリース以来の大方のトラブルを解消できる。よく安定して若干の修正でほぼ完璧に復活できた。この3月にもう一度大きな更新を予定してるというが、win10の基本構成はほぼ固まってこのままいける。すべてのデバイスに対応できると、自信のほどだ。

で、中古パソコンが安価に出回っているので、もう一台ノートパソコンを入手した。win10は一年前から取り組んでだいぶ事情もわかっていたので、当たり外れがあるが中古で十分。core2duo、メモリー4G、250Gでとても安い。天板にキズがあるのとバッテリー不良とあったが、キズはどうということもなくバッテリーは時間がかかったが完全に充電できた。一日かけてすべてチェックした。すばらしく問題なし。DVD再生アプリはVLCプレイヤーでいける。Corei3を見ていたがCore2Duoで十分なのもわかった。

・・エフライム工房はLinuxとfirefoxでやってるそうで、頭が下がる。win10のメーラーは気持ち悪くTHUNDERBIRDをはじめて採用した。ネットでラジオを聴くのが楽しみだったが、win10もitunesも複雑にしてくれたおかげで、すべて除外。RADIOFRANCEINTとFRANCECULTUREを直接お気に入りにした。これで十分。win1032ビットを64ビットに変える予定だったが32ビットでこれも十分。

845かぐやまの花こ:2018/02/10(土) 00:53:16
・・
・・

汝これ渠にあらず、渠正にこれ汝


・・

銀盌盛雪 明月蔵鷺 類而不斉 混則知処


・・

震爲雷、爲龍、爲玄黄、爲旉、爲大塗、爲長子、爲決躁、爲蒼筤竹、爲萑葦、其於馬也爲善鳴、爲馵足、爲作足、爲的顙、其於稼也爲反生、其究爲健、爲蕃鮮。旉、音孚。筤、音郎。萑、音九。馵、主樹反。蕃、音煩。○荀九家、有爲玉、爲鵠、爲鼓。


「馵、主樹反。」

846かぐやまの花こ:2018/02/13(火) 00:45:44
・・
・・

逢ふ事は伊奈良の沼のおほゐ草よそにや恋ひん袖はくつとも[夫木抄11373]

                        順徳院


・・

燃燈仏が都に来られたとき,スメーダがこれを供養しようと5本の蓮華を求め仏前に散華すると,スメーダの蓮華だけは空中にとどまって燃燈仏をおおう花蓋となった。また,燃燈仏のためにぬかるみに衣を脱いで敷いたが足りず,さらに髪を解いて地に敷き,その上を燃燈仏に歩ませた。

847かぐやまの花こ:2018/02/13(火) 23:26:58
・・
・・

「ときは今あめが下知る五月哉」

「水上まさる庭の松山」

・・

散りぬべき とき知りてこそ 世の中の 人も人なれ 花も花なれ

                    細川ガラシヤ

848かぐやまの花こ:2018/02/14(水) 22:14:23
・・
・・

oblivion


https://www.youtube.com/watch?v=ls-sHmm39gI

849かぐやまの花こ:2018/02/17(土) 02:55:43
・・
・・

峯あまた 越えて|こしぢ|に まづ近き 堅田に|なびき |落つる 雁がね

850かぐやまの花こ:2018/02/20(火) 00:55:45
・・
屈原既放,
游於江潭,行吟澤畔,顏色憔悴,形容枯槁。

漁父見而問之曰:
「子非三閭大夫與?何故至於斯?」屈原曰:「舉世皆濁我獨?,衆人皆醉我獨醒,是以見放。」

漁父曰:
「聖人不凝滯於物,而能與世推移。世人皆濁,何不淈其泥而揚其波?
衆人皆醉,何不餔其糟而歠其釃?何故深思高舉,自令放爲?」

屈原曰:
「吾聞之:新沐者必彈冠,新浴者必振衣。
安能以身之察察,受物之汶汶者乎?寧赴湘流,葬於江魚之腹中,
安能以皓皓之白,而蒙世俗之塵埃乎?」

漁父莞爾而笑,鼓枻而去。
乃歌曰:
「滄浪之水?兮,可以濯我纓,滄浪之水濁兮,可以濯我足。」
遂去,不復與言。

851かぐやまの花こ:2018/02/21(水) 02:03:16
・・
・・

冰簟銀床夢不成,碧天如水夜雲輕。雁聲遠過瀟湘去,十二樓中月自明。

852秋魚:2018/02/21(水) 03:35:21
(無題)
・・雁で想い出した。青梅から川越に幾度か自転車を走らせた。入間川に出てサイクリングロードを走ればとても爽快だ。真夏の最高に暑い日によく出かけたものだ。左岸を走り三芳野という業平ゆかりの土地まで来ると橋を渡って右岸に移る。この橋がたしか初雁橋といった。優雅な名の橋と思っていたが、伊勢物語にこうある。

みよしののたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる
返し、
わが方によると鳴くなるみよしののたのむの雁をいつか忘れむ

・・これは雁でも初雁というのではない。

雁は秋に南下して初雁をみとめるが、春には北へ帰る渡り鳥だ。

「秋のある日のこと。北方から飛んできた初雁が、杉の上で三声鳴きながら三度回り、南方へ飛び去っていったそうです。この光景は毎年同じ時期に見られ、雁が来なかった年はないといわれています。

・・このことから、この杉は「初雁の杉」と呼ばれるようになりました。

・・川越城は初雁城といいます。

業平のたのむの雁とは別の縁か?

宗祇は最晩年の旅で越後から武蔵野にでる。この川越にも寄ってますね。

「武蔵の国入間川のわたり、上戸といふ所は、いま山の内の陣所なり。こゝに廿日あまりほどやすらふ事ありて、数寄の人おほく、千句の連哥なども侍し。
 みよし野の里、河越にうつりて十日余りありて、・・」

・・連歌師宗祇やがて箱根湯本で客死になりますが、後、弟子の素純の歌に、

 ながらへてありしこしぢの空ならばつてとや君も初雁の声

宗長は、

 三歳へし越路のそらの初雁はなき世にしもぞつてと覚ゆる

・・

井月は、「越路の雁も帰るなる」とよく唄います。

これは、おそらく宗祇の俤をみていたでしょう。また芭蕉庵近く近江八景の堅田落雁の絵を
みていたでしょう。

峯あまたこへて越路にまず近き 堅田になびきおつるかりがね

・・

853秋魚:2018/02/25(日) 22:15:22
(無題)
・・童謡「通りゃんせ」は、川越の三芳野神社の発祥と云われる。歌詞そのものは、江戸時代に成立したものという。

1.
通りゃんせ通りゃんせ ここはどこの細通じゃ 天神さまの細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ 御用のないもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに お札を納めにまいります
行きはよいよい帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ通りゃんせ
2
通りゃんせ 通りゃんせ ここは冥府の細道じゃ 鬼神様の細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ 贄のないもの通しゃせぬ
この子の七つの弔いに 供養を頼みに参ります
生きはよいよい還りはこわい こわいながらも 通りゃんせ通りゃんせ

・・ここで思い出したのが芭蕉「奥の細道」。江戸をたって日光、那須、塩竃、松島、平泉、裏日本にでて出羽三山をめぐり、象潟、出雲崎、金澤、敦賀、大垣とざっと東日本を一周して最後は伊勢に行くのが目的という。伊勢は伊勢神宮だから天神様の「通りゃんせ 」と同じ様な「細道」の旅とわかる。・・この童謡、翁の「奥の細道」の子供用につくったパロディかも。歌詞の二番では、天神様は鬼神様と置き換えられ、陰陽反転の細道になる。これも、表日本、裏日本と経巡った芭蕉の、陰陽の旅の細道と重なるものがある。

・・この童謡他にも発祥を説く土地があるようだが、川越の三芳野神社とは、どういうことか?
三芳野神社というのは、例の「初雁の杉」があるところ。さらにこの伝説をみると、

『初雁北の方より渡りて、腰掛の椙の上、飛廻て
  三声音づれて、南の方へ行。』

この神社そのものは平安期の創建というから、伝説は「通りゃんせ」よりずっと古い。

川向こうの初雁の池に伝わるのは、

『謂雁此國初來、池上三度飛回初鳴云傳』

こちらが平安期のみよし野のことだろう。

「伊勢物語」十段だが、「さて、その國に在る女をよばひけり。…父はなほびとにて、母なむ藤原なりける。」

みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる

この藤原すじの母が詠んだ。

それた話になるが、蕪村『新花つみ』は、

灌仏やもとより腹はかりのやど
卯月八日死ンで生るゝ子は仏
更衣身にしら露のはじめ哉
ころもがへ母なむ藤原氏也けり
ほとゝぎす歌よむ遊女聞ゆなる

・・藤原は武蔵野でよく浸透してるのが、わかる。


武蔵のはらに鶴遊ぶ也  井月

854かぐやまの花こ:2018/02/27(火) 01:13:55
・・
・・湯立とは、釜 に湯を沸かし、この湯をまず神々に献じて、その後、人々にふりかけて祓い清める神事 です。

伊勢流神楽→湯立神楽→霜月神楽

・・

伊勢流といっても、外宮だそうだ。


延長八年六月廿六日戊午、諸卿侍二殿上一、各議二請雨之事一、午三刻従二愛宕山上一黒雲起、急有二陰沢一、俄而雷声大鳴、堕二清涼殿坤第一柱上一、有二霹靂神火一、侍二殿上一之者、大納言正三位兼行民部卿藤原朝臣清貫、衣焼胸裂夭亡(年六十四)又従四位下行右中弁兼内蔵頭平朝臣希世、顔焼而臥、又登二紫宸殿一者、右兵衛佐美努忠包、髪焼死亡、紀蔭連、腹燔悶乱、安曇宗仁膝焼而臥


武蔵野台地は関東平野の南半分、荒川と多摩川とにはさまれた地域に広がっている台地です。

 奥多摩の山々を削りながら流れ下ってきた多摩川は、青梅を扇頂とした大きな扇状地を形成しました。この扇状地が武蔵野台地の基盤となっていて、その上に関東ローム層が概ね5〜15mの厚みをもって堆積しています。関東ローム層とは、主に富士山の火山灰が西風に運ばれて堆積しその後風化が加わったもので、安山岩ないし玄武岩質の砂泥土です。その生成は噴火の時期によって異なり、最も下の層で十数万年より以前、最も上の層で約1万年前と考えられています。

855秋魚:2018/02/27(火) 21:55:41
(無題)
・・湯立神楽などいうのがあるとは知らなかった。伊勢流神楽で外宮様だから、なるほど豊受神にあやかり、大地八方に清めの輪を広げる。昨今流行の諸国温泉めぐりに通ずるものがある。

蟠りおおく清め祓いのためにひさかたに自転車で多摩川CRを走った。新奥多摩街道と多摩川の狭間はよくわかってるつもりでいたが、数ヶ月見てないとやはり迷路になる。見覚えない景色がいくつもある。道もまちがえる。多摩川に出てからも、土手下の樹木はおおかた枯れて透け透けのむこうに川の流れがみえる。この世にいる自分が不思議にみえる。

水無瀬三吟何人百韻

雪ながら山本かすむ夕べかな  宗祇
行く水とほく梅にほふさと   肖柏
川風に一むら柳春見えて    宗長

・・これって、多摩川の青梅あたりのこととみえる。

水の辺に梅の花さけりけるをよめる  伊勢
春ごとにながるゝ河を花とみてをられぬ水に袖やぬれなん

・・梅はもうちらほら。桜さえ心もち蕾がふくらむ。枯れ柳もなにか黄芽をかくしていそう。

・・スピードスケートの小平奈緒は信州西伊那の出身という。あの伊那というところはおもしろいところです。伊那は天竜川に沿って上伊那下伊那の見方しかしてなかったが、西伊那というのはどういうところか。桜の名所高遠は上伊那でも東になる。西は…。最後の50メートルの滑りはまったく圧巻でしたね。あの子も娘です。

・・多摩川CRはいつ来てもちゃきちゃきのサイクリストが走っている。すばらしいロード自転車とサイクリストファッション。年いってる人が運動と趣味で走ってるのは、平日に多い。にしても若い人も多い。彼ら仕事何してるんだろう。など余計なおせっかいで極秘の楽しみはよくわかる。

・・葉が青々とした樹木があるが、冬日を受けて照り艶がみえる。樫の種だと思うが。

日野の高幡不動尊に立寄った。平安様式の不動明王像を拝めるのは、ここが、ミラクルスポット。不動尊の草創は大宝年間(701)以前と云われるが、平安初期の清和天皇勅願により天台の慈覚大師円仁が東関鎮護の霊場と定めたのがはじまりという。不動堂に不動明王を安置。今在る明王像もこの時のものか。

・・きょうは左手の山を散策することにした。金剛寺といって真言の寺である。鐘楼が山腹にあってここまで歩く。五重塔は45mあって平安様式のものだが、きわめて新しい。鐘楼の位置から雄姿がみえる。

856かぐやまの花こ:2018/03/01(木) 14:09:25
・・
・・

武蔵秩父大宮道

現在の埼玉県秩父郡横瀬町から東京都青梅市を経て大山へ向かうものである。
経路:横瀬(埼玉県秩父郡横瀬町) - 名栗(飯能市) - 小沢峠 - 軍畑(東京都青梅市) - 御作(羽村市小作) - 友田の渡し(多摩川) - 菅生(あきる野市) - 戸吹(以降、八王子市) - 大楽寺 - 元八王子 - 浅川 - 上椚田 - 片倉 - 八王子通り大山道を経て大山へ

857秋魚:2018/03/01(木) 20:24:02
(無題)
・・伊勢流の湯立神楽は全国的にみられるが、中でも愛知県北設楽郡(奥三河方面)のものは霜月神楽、花祭と呼ばれる。花祭という名称は、普通、釈迦の誕生日を祝う祭り灌仏会をいう。奥三河で花祭というと、湯立神楽、霜月神楽のことだ。釈迦の聖誕祭なら四月八日、湯立神楽なら霜月、十一月の行事になる。

この花祭で思い出すのは、イタリアのローマ近郊ジェンツァーノでの花祭。現地のものを見たことはないが、鴎外訳「即興詩人」によく描かれている。こちらはキリスト聖体祭の一つで毎年6月頃に行われる。

*聖体の祝日(三位一体祝日後の木曜日)のあとの日曜日に行われ、町の目ぬきの通りに花を敷きつめて飾る。インフィオラータ。ジェンツァーノ・ディ・ローマは、ローマの南東約30kmにあるカステッリ・ロマーニの丘の古都。

「・・アルバノに着きて車を下りぬ。ここよりアリチアを越す美しき道の程をば徒にてぞゆく。木犀草(レセダ)又はにほひあらせいとう(ヘイランツス)の花など道の傍に野生したり。緑なる葉の茂れる橄欖樹の蔭は涼しくして、憩ふ人待貌なり。遠き海をば、我も望み見ることを得き。十字架立ちたる山腹を過ぐるとき、少女子の一群笑ひ戯れて過ぐるに逢ひぬ。笑ひ戯れながらも、十字架に接吻することをば忘れざりき。」

・・うっかりしていた。この花祭のジェンツァーノ・ディ・ローマはネミ湖に隣接する町だ。フレイザー金枝篇に描かれた森の王の伝説。湖面に月が映るとえもいわれぬ風光で、ディアーナの鏡と呼ばれる。

858秋魚:2018/03/05(月) 23:23:47
(無題)
「通りゃんせ」の川越だが、

1470年に太田道真のもと、心敬、宗祇らと「河越千句」の連歌会。

鈴木道胤という人物がいる。

「15世紀半ば、品川湊を拠点とする海上交易で財力を築いた豪商。品川宿の天妙國寺に七堂伽藍を建設した。」「鈴木道胤は紀伊国熊野三党の鈴木・榎本・宇井苗字の一つで、熊野の出身であろうといわれる。紀伊半島からの交易により武蔵品川馬場地(現南馬場周辺)に拠点を構え、品川湊を支配。」「・・1470年太田道潅の父道真が武蔵国河越城(埼玉県川越市)において、当代一流の連歌師を招いて連歌史にのこる大規模な会「河越千句」を興行したが。その時の会を鈴木道胤は実質運営し自らも詠っている。 」

・・川越を流れる入間川、荒川の下流が隅田川で、海にそそぐあたりが品川になる。川越と品川の結びつきというのも興味深い。この河越千句、猪苗代兼載も参加しているという。

うめそのに−くさきをなせる−にほひかな
にはしろたへの−ゆきのはるかせ
うくひすの−こゑはとやまの−かけさえて
のへにうつれる−みちのはるけさ
ならはすよ−いつくのつきそ−たひまくら
みやこいつれは−みしあきもなし

・・

*川越城は、扇谷上杉持朝(もちとも)が古河公方足利成氏(しげうじ)に対抗するため、長禄元年(1457)に家臣の太田道真(資清)・道灌(資長)父子に命じて築城したものです。

*三芳野神社(みよしのじんじゃ)は、埼玉県川越市郭町の神社。童歌「通りゃんせ」はこの神社の参道が舞台といわれる。川越城築城以前から当地にあったが、太田道真・太田道灌父子による川越城築城により城内の天神曲輪に位置することになった。

・・みよしの神社は太田道真・道灌父子が城の敷地にとりこんだという。

祭神は素盞烏尊(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。 菅原道真・誉田別尊(ほんだわけのみこと)を配祀する。

*童歌「とおりゃんせ」は当社の参道が舞台といわれる。 当社は川越城築城により天神曲輪に位置することになり「お城の天神さま」と呼ばれた。 城内にあることから一般の参詣ができなくなったのだが、信仰が篤いことから時間を区切って参詣することが認められた。

柳沢吉保

柳沢氏は清和源氏の流れを引く河内源氏の支流、甲斐源氏武田氏一門である甲斐一条氏の末裔を称し、甲斐国北西部の在郷武士団である武川衆に属した。

・・万治元年(1658年)12月18日、吉保は上野国館林藩士・柳沢安忠の長男として江戸市ヶ谷に生まれる。

・・寛文4年(1664年)12月18日、館林藩主・徳川綱吉に初めて謁見する

延宝8年(1680年)、館林藩主の綱吉が兄である4代将軍徳川家綱の将軍後継として江戸城に入ると、綱吉の家臣である吉保も幕臣となる・・元禄元年(1688年)6月10日、西の丸下から一橋内の屋敷に移る。同年11月12日、小納戸上席より将軍親政のために新設された側用人に就任する・・禄高も1万2000石とされて大名に昇る。

・・元禄5年(1692年)11月14日に3万石を加増される。元禄7年(1694年)1月7日に石高7万2000石とされ、武蔵国川越藩主(埼玉県川越市)となる。

元禄七年 松尾芭蕉、大坂で客死。

859かぐやまの花こ:2018/03/10(土) 01:47:35
・・
・・

  結髮爲夫妻  結髮して夫妻と爲り
  恩愛兩不疑  恩愛 兩つながら疑はず
  歡娯在今夕  歡娯 今夕にあり
  燕婉及良時  燕婉 良時に及ばん
  征夫懷往路  征夫 往路を懷ひ
  起視夜何其  起って夜の何其を視る
  參辰皆已沒  參辰 皆已に沒しぬ
  去去從此辭  去去 此より辭せん


・・この蘇武、抑留の地から雁文を飛ばしたという。


「そこにあるのは空・森・水、厳しい冬、そして飢えだった。盗賊が羊を
盗んでしまった。彼は野鼠を獲って飢えをしのいだ。それでも彼は匈奴
に降ろうとはしなかった。いつかは漢に帰れる、と期待したからではない。
ただ、降ろうとしなかったのだ。

この荒れはてた地の果てに流されて、もう何年の歳月がたったのか、
それすらもおぼろであった。厳しい、単調な日々。しかし、広々とした
空を渡る雁は、蘇武にその故郷を想わせるのであった。」

860かぐやまの花こ:2018/03/11(日) 02:10:06
・・
なれこそは岩もるあるじ見し人の
  行くへは知るや宿の真清水

・・

なき人は影だに見えずつれなくて
  心をやれるいさらゐの水

861かぐやまの花こ:2018/03/13(火) 01:49:40
・・
虎卣(こゆう) 高35.7cm 西周前期 前11世紀

・・

周は黄河の支流渭水流域にあった邑の一つで、はじめ殷の支配を受けていた。文王の時に宰相太公望などの補佐もあって有力となり、前1050年頃、文王の子の武王が殷の紂王を牧野(ボクヤ)の戦いで破り、華北一帯を支配した。

又虎賁舊作「虎奔」,言如虎之奔也,王莽以古有勇士孟賁,故名焉。孔安國曰「若虎賁獸」,言其甚猛。

862かぐやまの花こ:2018/03/17(土) 11:23:03
・・
・・

https://www.youtube.com/watch?v=OCwT2E-SVwc

863秋魚:2018/03/17(土) 12:53:49
(無題)
・・ミックジャガーをサタニアンとみる向きもあるようだが、ロックンローラーなど可愛いもんです。kissaway!

・・江戸のキリシタン弾圧は港区三田の札の辻にその遺跡がある。元和九年(1623)十月十三日、徳川三代将軍家光によって、江戸のキリシタン50名が火刑に処された。旧東海道の入口で往来の多くに見せしめとするとある。「・・そこには、ジェロニモ・デ・アンデリス神父 (55歳)、 フランシスコ・ガルベス神父 (47歳)、 原主水佐胤信(たねのぶ) (36歳) が見せつけられていた。 」

・・この処刑の地、『オランダ商館日記』 などには 「東海道に沿った海の見える小高い丘」 とだけある。

今、聖坂を登った済海寺のちょうど海側の真下あたりに智福寺という寺があった。ここがその処刑場だと云われている。

・・

殉教者原主水について、

原 胤信(はら たねのぶ、天正15年(1587年)−元和9年10月13日(1623年12月4日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての旗本、キリシタン。・・千葉氏の筆頭重臣であった原胤栄の孫として臼井城で生まれる。生後間もなく、父・胤義は後北条氏の人質となった千葉重胤に随従して小田原城に入る。・・いろいろあって、その後、名族出身である事から徳川家康により小姓として召しだされる。慶長5年(1600年)ごろ、キリスト教の洗礼を受け、この時、朝鮮人娘ジュリアおたあが胤信をキリスト教に導いたといわれる。・・慶長17年(1612年)の岡本大八事件を機に江戸幕府は本格的なキリシタン弾圧が開始・・キリスト教を信じる旗本に対しても棄教が命じられた。胤信はこれを拒んで岩槻藩に住む親族の元に出奔して現地で秘かに布教を続けた。・・しかし、慶長19年(1614年)に藩主高力忠房によって捕らえられて棄教を迫られるものの、胤信はこれを拒んだため、激怒した家康の命によって額に十字の烙印を押され、手足の指全てを切断、足の筋を切られた上で元和元年(1615年)に追放された。

・・胤信はその後も布教を活動を続け、江戸・浅草のハンセン病患者の家を拠点とするが、後に密告によって捕らえられ、元和9年(1623年)に宣教師ら47名とともに江戸市中引回しの上、高輪の辻の札(高札場)にて火刑に処された。

ジュリアおたあ

「文禄の役において、朝鮮征伐軍により平壌近郊で保護されたのち、キリシタン大名の小西行長に身柄を引き渡され、小西夫妻のもとで育てられる。行長夫人の教育のもと、とりわけ小西家の元来の家業と関わりの深い薬草の知識に造詣を深めたといわれる。のちに関ヶ原の戦いにて敗れた行長が処刑され小西家が没落すると、おたあの才気を見初めた徳川家康によって駿府城の大奥に召し上げられ、家康付きの侍女として側近く仕え、寵愛を受けた。」
「昼に一日の仕事を終えてから夜に祈祷し聖書を読み、他の侍女や原胤信ら家臣たちをキリスト教信仰に導いたとされる。」

・・キリシタン棄教の要求を拒否した上、家康の正式な側室への抜擢に難色を示したため、慶長17年(1612年)に禁教令により駿府より追放され、伊豆諸島の八丈島(もしくは新島)、神津島へと相次いで流罪となった。

・・いつか神津島に渡った時、おたあの墓をみた記憶がある。(あるいは、島を出て大坂、長崎に移ったとも)

・・なお、駿府時代には灯篭を作らせ瞑想していたと言い伝えられており、その「キリシタン灯篭」は、現在は宝台院に移されている。

864かぐやまの花こ:2018/03/19(月) 19:15:03
・・
柳沢吉保 万治元年12月18日(1659年1月10日)〜正徳4年11月2日(1714年12月8日)

宝永元年(1704年)12月21日、綱吉の後継に甲府徳川家の綱豊が決まると、綱豊の後任として甲斐国甲府城と駿河国内に所領を与えられ、15万1200石の大名となる。・・宝永2年(1705年)3月12日、駿河の所領を返上し、甲斐国国中3郡(巨摩郡・山梨郡・八代郡)を与えられる。・・同年4月10日から4月12日には甲斐恵林寺(甲州市塩山小屋敷)において武田信玄の百三十三回忌の法要を行なっている。

宝永6年(1709年)2月19日(3月29日)、将軍綱吉が薨去・・同年5月28日に吉保は隠居を出願し、6月3日に吉保は隠居し、吉里が柳沢家の家督を継承した。

柳沢 吉里(やなぎさわ よしさと)は、江戸時代中期の大名で、甲斐甲府藩の第2代藩主、後に大和郡山藩の初代藩主となる。

貞享4年9月3日(1687年10月8日)〜延享2年9月6日(1745年10月1日)

・・父の吉保は終生幕閣にあり、国元へ入国して直接藩政に携わることはなかったが、吉保期に甲府藩では都留郡を預地として甲斐一円を支配し、甲府城の修築や城下の整備を進められていた。また、甲府藩では前代の徳川一門の藩主も江戸定府で甲府城へ入城することはなく、翌宝永7年(1710年)5月に吉里が甲府城へ入城すると、甲府藩は初めて藩主を国元に迎えることとなった。

荻生徂徠

武蔵国江戸??1666年3月21日〜1728年2月28日(61歳没)

・・江戸に生まれる。幼くして学問に優れ、林春斎・林鳳岡に学んだ。しかし延宝7年(1679年)、当時館林藩主だった徳川綱吉の怒りにふれた父が江戸から放逐され、それによる蟄居にともない、14歳にして家族で母の故郷である上総国長柄郡本納村(現・茂原市)に移った[5]。 ここで主要な漢籍・和書・仏典を13年あまり独学し、のちの学問の基礎をつくったとされる。・・元禄5年(1692年)、父の赦免で共に江戸に戻り、ここでも学問に専念した。芝増上寺の近くに塾を開いた。・・元禄9年(1696年)、将軍・綱吉側近で幕府側用人・柳沢吉保に抜擢され、吉保の領地の川越で15人扶持を支給されて彼に仕えた。

・・吉保は宝永元年(1705年)に甲府藩主となり、宝永7年(1706年)に徂徠は吉保の命により甲斐国を見聞し、紀行文『風流使者記』『峡中紀行』として記している。宝永6年(1709年)、綱吉の死去と吉保の失脚にあって柳沢邸を出て日本橋茅場町に居を移し、そこで私塾・蘐園塾(けんえんじゅく)を開いた。

865かぐやまの花こ:2018/03/20(火) 12:11:24
・・
・・

https://www.youtube.com/watch?v=MmBrepbZji0

866かぐやまの花子:2018/03/22(木) 01:23:27
大雁塔
・・(だいがんとう、拼音: Dàyàn Tǎ)とは、652年に唐の高僧玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために、高宗に申し出て建立した塔。

・・菩薩の化身として雁の群れから地上に落ちて死んだ1羽を、塔を建てて埋葬したことに由来する。

867秋魚:2018/03/30(金) 21:18:39
(無題)
・・StonesのPaintitblack、Gimmeshelterに触発されて日夏耿之介「黒衣聖母」の評をと構えたが、ワープロで出せない漢字がいくつもあって、即挫折。耿之介は芥川が若い頃に強く揺さぶられた一人。おもしろいことに信州飯田の産という。飯田とこの隣りの下伊那上伊那は井月が網の目のごとく漂泊して歩いた土地だ。
文禄2年(1593)より京極高知が信濃飯田城に入った。キリスト教の布教を許し自らキリシタンとなった。関ケ原の戦い(1600)は東軍につき、戦後、田辺城、宮津城に入り丹後宮津藩主となる。京極高知について、孫引きになるが、

「高遠(信濃)の大名京極高知の改宗があった。京極氏は佐々木氏を祖とし、頼朝の時代まで溯ることが出来る有力な家柄であった。(中略)1595年(○文禄4年)、同家の総領高次(○霊名不詳敬重7年受洗)は、父祖伝来の領地膳所を治め、弟の高知は高遠の枢要な采邑を得た。彼は同所で兼ねて彼の勧めによって領内に説教しに来てゐた宣教師から洗礼を受け、ジョアンといふ霊名を授けられた。」シュタイシェン著『キリシタン大名』(吉田小五郎譯 昭28年乾元社)

・・飯田、高遠と多くキリシタンが生れた。高知受洗と同じくして秀吉のキリシタン弾圧もはじまった。以降、徳川のキリシタン弾圧の歴史からしても、飯田、高遠は隠れキリシタンの里になっただろう。


 世の中は三日見ぬ間に桜かな

・・朝から霞川サイクリングロードを走った。知らぬ間に桜の盛りだ。桜ばかりでない、連翹や水仙やなにやらの花でいっぱい。かすみ川のこの道はいつかきた道と想い起こすに今一歩。もう四五年は生きていたい。・・平日で人がよく出てる。岩蔵街道をこえ、薬王寺のあたりは何といったか小谷野いや今井だな。そこも越え、八高線のあるのは飯能街道のある金子のあたり、小高い丘は加治丘陵、右手には狭山の茶畑、川沿いにも飽きてきて茶畑一面の道を走る。思い立ったポタリングは爽快、正解。

・・16号にでる前に加治丘陵よりに古風な社があった。寺だな。明王寺という。江戸期の奉納額というのがあって俳句がたくさんある。どうも加舎白雄のお弟子さんたちが納めたものらしい。そういえば白雄の武蔵野紀行にかすみ川を歩いたとかあった。この土地にも根を張っていたのがわかる。

16号を横断して、ここは入間市。扇町屋という地名が続く。豊岡の愛宕神社を訪ねたかった。ざっとネットで調べておいたけど、この辺も迷路の様、かすみ川に沿って、16号を横断すると、しばし川を離れるが、神社は近いはず。

ひらひらとあぐる扇や雲の峰   芭蕉

・・句碑探しもうまくなったものだ。芭蕉最晩年の句という。近くに扇町屋という土地があってそこの誰それが句碑を建てたようだ。

868秋魚:2018/04/04(水) 21:53:11
(無題)
・・今日は秩父路へ輪行。青梅から小曽木街道を走り東飯能駅で自転車を分解、袋につめて西武秩父まで輪行の予定だった。朝の通勤時は輪行に不向きというので高麗駅まで走りそこから西武秩父に向うことにした。高麗の駅までなら90分で行ける。初秋の頃の巾着田彼岸花はすごいです。予想通り閑散とした駅前で自転車の分解も容易に出来る。ただしこの袋詰め今でも自信ない。不測の事態を恐れたが帰路トラブルあって大変でした。・・往路は順調で電車にはやはり輪行の若者がいて彼は装備も万全、いい自転車に乗っている。というか私一人が安物のクロスバイクで装備もありきたり。西武秩父駅にはやはり若者が自転車の組立中。すこし話した。大学のサイクリングクラブの仲間で来てるという。学生のサイクリングクラブというのは憧れで自転車のスキルは相当なものでしょう。いつか北海道の支笏湖YHに女子2人で自転車ツーリングしてた。やはり大学のクラブという。女子というのがすごい。自転車ツーリングというのは本当におもしろい。火野正平、将棋指しの桐谷とかいうのも自転車道楽とか。自民党の谷垣さんは事故ってしまいましたね。

・・飯能から秩父に入る西武線。飯能と秩父の境が正丸峠。ライダーや自転車乗りのメッカといえる。秩父に行くのにここは絶対越えねばならぬ。二度ほど登ったがもういい。下の正丸トンネルというのはまったく恐い。ここも二度はごめん。というので飯能−秩父は輪行という選びになった。この輪行というの何度やってもうまくない。

・・目標は、小鹿野町役場にいって近くに十輪寺という寺がある。小鹿野に行くのがむずかしく、山を越えねばならぬ。観光案内所をまず訪ねるのは欧州でよくやった。ネットで調べた道があったが、案内所のお姉さんによると余りよい道ではない。すこし遠回りだが299という国道を勧めてくれた。秩父は荒川に沿って鉄道があり川向こうに丘陵があってその向こうが秩父市吉田や小鹿野になる。この丘陵越えが思案の種だった。坂が多いのはよいとしてもトンネルはごめんだ。大丈夫トンネルは無いという。

・・木曾義仲を知っているだろうか。芭蕉が義仲の隣りで眠りたいという。彼は武蔵いまの埼玉嵐山の生まれという。母親が秩父国司の娘で小枝という。かわいい名だ。悪源太義平にいじめられ木曾に逃げた。もともと向こうの人かと思っていたが意外。芭蕉は義仲の出生地には興味を示さなかったようだ。・・秩父というのは以前和銅黒谷を訪ねて大変に愉快だった。特に若い女子はみなかわいかった。小枝のような女子がたくさんいる。

西武秩父は駅前に温泉がある。都心と直結した駅だから人混みもままある。師走の頃の秩父火祭りは有名でよく盛り上がるという。寄居から荒川沿いに上るより飯能経由のこの線が観光によく池袋からの特急も組まれている。・・今日は駅前の温泉でなく下吉田にある星音の湯をめざした。ここも299で行ける。
小鹿野町役場まで80分ほどとある。この町役場も観光の売りになってるようで、行ってみて分ったが、宮澤賢治の歌碑がある。賢治がこの小鹿野まで訪ねて来てるようだ。

この歌碑で想い出した。町役場のすこし先に十輪寺という処に芭蕉句碑がある。「むめが香にのつと日の出る山路かな」翁百回忌(1793)に建立。十輪寺「花まつり」というのもある。文化財も豊富で、表門の仁王像だけはすこしだけ拝顔した。秩父は古い寺社がたくさんあってどう歩いたものか。秩父34箇所観音霊場廻りというのがよく行われている。この十輪寺は外れてるようだが、次に訪ねた下吉田の菊水寺は第33番札所になる。芭蕉50回忌の句碑もあり、埼玉でもっとも古いもの。

秩父路はヤマトタケルが訪れた伝説は、奥多摩以上に多い。こちらから甲州に入るに雁坂道というのがあってでも昔はどうですか、雁坂トンネルは近代に入ってから、雁坂峠は超難所と聞く。このトンネル平成10年の開通で山岳トンネルとしては6625mで国内最長という。戦国の武田信玄はこの峠を越えたらしい。
小鹿野の街道など長閑で楽なものだ。菜の花やシバ桜、枝垂桜や山桜ももう散り始めているが、山も黄芽がうっすらで、下吉田の菊水寺まで至福のサイクリング。

菊水寺は、秩父34箇所観音霊場の第33番だが、今は大櫻山長福寺という。折から桜が満開でちらほら散り始めていた。句碑は「寒菊や粉糠のかゝる臼の端」元禄六年(1693)『炭俵』というが、青梅にもよく訪ねた建部綾足の揮毫で、ほぼ読めない。綾足は1743年にこの菊水寺に滞在したようだ。・・秩父34箇所観音霊場というのは、西国33箇所観音、坂東33箇所観音と合わせてちょうど百観音霊場となり、観音巡りは満願でこのあとに長野善光寺にお礼参りに行くのが慣わしという。
「観音さまが、観自在菩薩と呼ばれる理由は、観音さまを一心に念ずると、自由自在にお姿を変えて救ってくれる、という所以からです。その変化のお姿が三十三身あるとされ、観音霊場の札所が三十三になった起源であるといわれています。」
帰路、駅近で「札所十二番はどこですか?」など尋ねられたが、「すいません。この土地のものでありません。」ともかく札所巡りは盛んなようだ。

菊水寺のほんのちょっと先ですね。星音の湯は。自家源泉の温泉で開業はそんな古くはない。温泉は湧出が新しいほど泉質もよい。ナトリウム炭酸水素塩温泉、無色透明のアルカリ泉ですな。泉温17.4度というのは鉱泉の部類か。規定の25度以上なくても泉質により温泉とされるようだ。併設されたリゾートホテルもあって若かったらゆっくりできそう。夜は星空がとりわけよさそう。暇と資力がなくて残念。

869秋魚:2018/04/09(月) 15:11:52
(無題)
・・小鹿野町役場から下吉田に向かうに道を尋ねた。R299を秩父の方へバック、交差点泉田というところで左折、直進して二つ目くらいの信号で右折。まっすぐ行けば33番札所菊水寺へ行ける。秩父駅の帰路もR299でもどるのが無難という。・・ざっと頭に入れて最初の交差点は、信濃石という。小鹿野で信濃石とはいかに?右も左も関東山地に囲まれたような秩父の僻村にどうして信濃石があるのか、帰宅してネットで調べたらわかった。R299(国道299)は、武州街道と呼ばれるが、埼玉の入間と飯能を経由して秩父小鹿野さらに群馬の上野村、十石峠から長野県に入り麦草峠、八ヶ岳を回ってメルヘン街道で茅野市に出る。総距離200kmほどの古道だ。信州と秩父、武蔵野の入間を結ぶ。

「十石峠(じっこくとうげ)は、長野県南佐久郡佐久穂町と群馬県多野郡上野村の間にある峠。 かつて米のとれない上州地方西部の山間部に、信州佐久平から一日十石の米を運び込んでいた道であることからこの名がつけられたとされる。信州からは米、味噌、醤油などが、上州からは炭、紙などが運ばれた。往来する馬子達が歌った「十石馬子歌」が今に伝わる。」

・・武州街道、江戸の俳人果たして歩いたものいるだろうか?

「十国峠(日金山)は箱根外輪山から南に続く尾根(標高765m)で,風衝(ふうしょう)によりハコネダケ,アズマササ,ミヤクマザサなどのササ類とハンノキ,アセビなどの低木林が優占している。日金山は古くからの信仰の地で,中世以降,伊豆山権現と箱根権現を結ぶ信仰の道の要所として,あるいは,「山中他界」として死者の集まる霊山として知られるようになった。」

こちらの十国峠は、みなよく歩く。

870秋魚:2018/04/13(金) 20:11:14
(無題)
・・飯能上直竹にある富士浅間神社を訪ねた。・・先日の秩父輪行で帰路高麗の駅でちょっとしたトラブル。自転車の組立で後輪ブレーキのワイヤーが手元ハンドルから外れてしまった。タイコと呼ばれる掛け金が外れている。何のことはないまた元に戻せばよいだけと多寡をくくったのが失敗。あれこれやったがどうしても引っ掛からない。ワイヤーが切れた訳でなくタイコが外れただけだから気を落ち着けて何度もトライしたが、Vブレーキのタイコ部分はよく見てなかった。うまくいかない。・・自力修理はあきらめて駅員さんに自転車屋さんは無いか尋ねたが、もとよりこんな高麗の片田舎であるわけがない。仕方なく駅の通行人のそれらしきに自転車は詳しくないかヘルプの声かけになった。溺れる者はワラをも掴む感じであったけど、二人目くらいの人が詳しくないけど助力に来てくれた。涙。・・ああでもないこうでもないもうあきらめかけた時、どういうわけかカチッとかかり復旧か?これは完全ではないという。・・しかしこれで何とか誤魔化して帰宅するしかあるまい。涙の感謝でお礼を言って、日も落ちかかっている帰路に着いた。で、この日は無事帰宅することが出来たのだ。アドレナリン(?)が出るほど緊張して、助けてくれた人に「おじさんありがとう」などいってしまったが、こちらがおじさんであった様で失礼千万限りなし。

・・当分自転車は乗らずに居て、今度はママチャリの後輪タイヤがパンクの様。空気が減っている。バルブの不良だろうと思ったが外してもまだ使える。あきらめて本格パンク修理にかかる。んで、これは去年何度もやってたので、経験を生かし、まったく完璧に修理した。オシャカのパソコンを復活させたくらいの感動、とはいえブレーキワイヤのタイコ掛けはまだ自信がない。・・それで今日はひさしぶりに飯能にポタリング。

・・小曽木街道岩蔵温泉郷から飯能南高麗に向う道。岩井堂からの道を横切って山王峠に向う。通いなれた道だが、峠にあがる手前は上直竹、近くにゴルフ場もあるらしい。左折して山道の懐に富士浅間神社がある。なぜこんなところに?神社ではあるが、木花開耶姫命、天照大神、加具土神、倉稲魂命、天之御中主大神、大山祇神、崇徳天皇など祀るほかに、倶利伽羅不動明王をも祀っている。神仏混交はよいとしても、崇徳天皇がここにというのは不思議。ここもある種のパワースポット。

富士浅間神社  N35度50分38秒 E139度15分11秒

伊那にある六道の堤  N35度50分39秒  E138度01分37秒

東西線は岩井堂よりぐっと近くなる。

871秋魚:2018/04/14(土) 17:06:13
(無題)
・・この神社の奥の院にタブノキの大樹がある。これを見るためには裏山をもう十分ほど登らなければならない。昨今奥多摩飯能にも熊が出没し注意の看板がでてる。歩道の段があっても落ち葉で埋もれていて足を滑らせそう。当然のように無人で樹間が透いて見える。風音で熊が出たのではないかとひやりとする。

このタブノキの詩をきっと読んだ記憶がある。

872かぐやまの花こ:2018/04/17(火) 21:18:50
・・
この年、平安京周辺は干害に見舞われており、6月26日に雨乞の実施の是非について醍醐天皇がいる清涼殿において太政官の会議が開かれることとなった。ところが、午後1時頃より愛宕山上空から黒雲が垂れ込めて平安京を覆いつくして雷雨が降り注ぎ、それから凡そ1時間半後に清涼殿の南西の第一柱に落雷が直撃した。

清涼殿落雷事件(せいりょうでんらくらいじけん)平安時代の延長8年6月26日(ユリウス暦930年7月24日)に、内裏の清涼殿に落雷した事件。

「この時、周辺にいた公卿・官人らが巻き込まれ、公卿では大納言民部卿の藤原清貫が衣服に引火した上に胸を焼かれて即死、右中弁内蔵頭の平希世も顔を焼かれて瀕死状態となった。清貫は陽明門から、希世は修明門から車で秘かに外に運び出されたが、希世も程なく死亡した。落雷は隣の紫宸殿にも走り、右兵衛佐美努忠包が髪を焼かれて死亡。紀蔭連は腹を焼かれてもだえ苦しみ、安曇宗仁は膝を焼かれて立てなくなった。更に警備の近衛も2名死亡した。」

延長八年六月廿六日戊午、諸卿侍二殿上一、各議二請雨之事一、午三刻従二愛宕山上一黒雲起、急有二陰沢一、俄而雷声大鳴、堕二清涼殿坤第一柱上一、有二霹靂神火一、侍二殿上一之者、大納言正三位兼行民部卿藤原朝臣清貫、衣焼胸裂夭亡(年六十四)又従四位下行右中弁兼内蔵頭平朝臣希世、顔焼而臥、又登二紫宸殿一者、右兵衛佐美努忠包、髪焼死亡、紀蔭連、腹燔悶乱、安曇宗仁膝焼而臥?? 『日本紀略』

・・

北野天満宮
京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町

北緯35度01分52秒  東経135度44分06秒

紅梅殿の、少し南・豊国社前に
●連歌所の井戸 が、ある。

立札の説明板によると・・
文道太祖・風月本主と仰がれる天満宮には
連歌会所があり、宗砌・宗祇をはじめ代々
その会所奉行をつとめ、室町より江戸にかけては
盛んに連歌会が行われ、毎月18日には月次会が
興業せられた。
また、2月25日の御忌日、6月9日の宮渡祭日、
8月4日の例祭日には年中恒例連歌が興業せられた。
連歌を献じて神の御意を慰めることを法楽といい、
当宮の法楽は「聖廟法楽」と称し毎月25日に
催され、朝廷をはじめ広く庶民にも親しまれて
いた。

・・・・天満宮と連歌の関係は室町時代にさかのぼる。
・・北野天満宮の法楽は「聖廟法楽」と称し
禁中にて和歌連歌の会が催され、さらに毎月25日に
連歌が催され、連歌の席に天神像がかけられる
ようになった。
足利義満は明徳2年(1391)、北野一万句興業をなし、
永享3年(1431)には足利義教も千句興業を催し、
豊臣秀頼も十万句の連歌会を行っている。
連歌会所は連歌堂ともいわれ、永享のころから
会所奉行が置かれ 高山宗砌がこれに当たり、
宗匠の号を許され、
「神に人むすび よるべの しみづかな」と
詠んでいる。

・・ついで長享2年(1488)には宗祇(*そうぎ・
室町時代の連歌師)が足利義尚より
奉行に命ぜられ、文明8年(1476)、猪苗代 兼載
(*いなわしろ けんさい・戦国時代の連歌師)も
北野会所 別当に補せられ、いづれも宗匠であった。
そのご 一社中からは梅林坊 能順が最初になった。
また連歌は北野学堂でも行われ、神、歌、儒を
研学したが、中で、連歌道を第一とした。

・・一夜千松の霊とは、北野天満宮創建に先立ち、
「私の魂を祭るべき地には一夜にして
千本の松を生じさせる」という道真公のお告げに
よって、この一帯に生えた松に宿る神霊をいう。
境内に多い松の樹々は、この一夜千松の名残りと
される。

・・この一夜松については、前参議 菅原為長【1】
(古人13世の孫)は「寄松述懐」と題して
「一夜松 千代の末葉の老木まで
   木 たかくなりぬ 年も位も」と詠み、
後水尾院の御製にも
「ただ願ふ 北野の宮の一夜松
   二つの道の為かは」と歌われ、
薩天鋳の詩に、「千里飛梅 一夜松」とあり、
歌人 有賀長千鄰(ながちか)も、
「松延齢友」の歌に、
「ひとよとの 名の生ぬれど 北野なる
  松をぞ千代の 友垣にせむ」と、
数限りなく詩に歌に、

873かぐやまの花こ:2018/04/20(金) 23:43:20
・・
上島 鬼貫 万治4年4月4日(1661年5月2日) - 元文3年8月2日(1738年9月15日)

鬼貫五十回忌  1787年

骸骨の上を粧て花見哉  鬼貫
青梅はその骸骨のみのり哉  机月

1789年 フランス革命
1790年 中原章 没

・・林曹(梅室門)花の本八世 1802-1861 伊丹の俳人を訪ねる 糠人、曲阜

梅通 花の本九世 1797-1864

・・

梅笠  1863年没(59歳)『時雨文庫』1843-1848
             『霜花集』1849
 

874かぐやまの花こ:2018/04/21(土) 22:37:49
・・
芭蕉木像

  ?北枝が刻んだもの。
  ?許六が刻んだもの。
  ?其角の門弟湖十が所持し、のちに漁千、万和、岱年、梅笠に伝来したもの。

おもしろいのは、? 梅通筆「芭蕉翁肖像伝来書」付録。梅通筆「正風伝系」(嘉永5,1枚)

1852年。

天保十年頃 梅笠 春秋庵主継承 1839年

875秋魚:2018/04/22(日) 21:04:05
(無題)
・・今日は、二ツ塚峠を越えて日ノ出までポタリング。大久野のキリシタン石仏とその先平井にある鹿野大仏を目標とする。青梅から日ノ出に入る秋川街道ははじめ二度と走りたくないと思ったものだが、暗く長い坂道を一たび越えれば長閑な里の走りになるので我慢に慣れた。峠越えは下りになればとても快適。カヤクボというところで福生の永田橋からの街道とぶつかる。左折してしばらくいけば大久野の石仏、さらにその先町役場をすぎて塩沢の交差点まで走れば宝光寺があり裏山に大仏があるはず。・・で、今回はカヤクボをも少し直進し右折してつるつる温泉に向った。ここも何度か訪ねている。迷うところはない。街路樹のハナミズキが満開。平井川はほぼ涸れている。それでも奥にすすむにつれ水の流れがある。途中広場にサイクリストが大勢いる。あとで温泉に居たサイクリストに聞いてわかったが、この日昼前にロ−ドレーサーの競技があった。みな自慢の自転車で腕を競う。・・温泉も混むかと危ぶむが、ほどほど。ここの泉質はアルカリ泉で抜群。湯量が豊富で毎日源泉を入れ替えているという。・・温泉でちょっとおもしろいことがあったけど、どうもブログに書くのはどうか。自分だけの笑い種にして、かねての予定通りキリシタン石仏を探すことにした。カヤクボの交差点セブンイレブンがある。車から降りてきた人が「観音さまはどこですか?」など尋ねる。「え?」「大仏ですよ」観音はいっぱいあるから、鹿野大仏ならわかる。でもこの大仏観音さまなんだろうか。・・観音ではなく釈迦如来ですよね。もっとも宝光寺の本尊は聖観音像らしいが。・・テレビ、新聞でとりあげられてさっそく人気になったようだ。

・・地図で見たキリシタン像は大久野の羽生人形店の自家の墓地にある。この人形店をめざした。ここらあたりというので近所の人に尋ねた。ちょっとバックして左折という。ずいぶんと田舎道だが老舗のようだ。屋号は油屋という。民家の墓地なので、お店の人に許可してもらうことにした。運よく家の前にいらして、これこれしかじか云うと、名前と電話番号を書いてくださいとか、意外ときびしい。というか、いろいろ情報提供してくれてむこうも楽しそう。いつのものかわからないけれど、油屋という屋号はキリシタンと関係あるかもなど、意味深。また近辺にもキリシタンの噂がときどきでるそうだ。五日市の伊奈の石工たちも、キリシタンのものもいただろうというのが、わたしの推測。高遠から来たのなら、石工はキリシタンの可能性はある。この家の人もキリシタンか。・・道路を渡った山道を登りほんとに小暗い一画にかの石仏はあった。

何年か前に、これは結局キリシタンではないということになったそうだが、実見では、異趣の仏像。カクレキリシタンはひたすらキリシタンであること隠すものらしい。人形店の屋号油屋からしてただの仏像ではない。・・油屋熊八が大きく開いた別府や湯布院の温泉はキリシタンと縁が深い。湯水を浴びるのが洗礼と疑われ、湯布院などカクレキリシタンなど湯を控えて寂れた時期もあった。熊八はカクレることもないキリシタンであったという。

・・人なつこい仏像でこの場を去りがたくも有ったけど、手をあわせ一礼してそっとアーメンと称えた。いや不思議な仏像です。

次に、平井にある鹿野大仏。永田橋からの街道にもどりひたすら東へ進む。圏道高速まではいかずこの辺いつか妙見宮を訪ねたことがある。町役場を過ぎたあたりで人に尋ねる。もう信号ふたつ塩沢の交差点で左折してすぐとのこと。・・宝光寺。休日でやはり物見遊山の客がよく見える。ここの秋川霊園はおおきなものだ。ここの付属の大仏か。車とバイクには駐車料がいるが、自転車は駐輪可、拝観料はなし。裏山の参道はけっこう長い。人も多い。

876かぐやまの花こ:2018/04/27(金) 12:13:44
・・
天保十四年

鳳朗 花の本
芭蕉 花の本大明神(百五十回忌)  正風宗師(百回忌)

877秋魚:2018/04/28(土) 20:38:38
(無題)
・・ブレーキワイヤーのタイコの仕組みが半分わかった。Vブレーキを解除しないでタイコの取り外しを試みた。先にワイヤーをスリットに合わせてアジャスタボルトから外しアームを緩めてタイコを外す。ワイヤー外しのスリットがあるなんて知らなかった。取り外しに成功したあと、手続に自信なく、すぐタイコの取り付けにかかった。およそ逆の手順でやればよい。・・たぶん半分の理解。いざとなれば今度は自力で復旧できる。この春再度甲州へ輪行の準備にかかる。

・・先日のR299、あのコースをロードバイクで走る人もいるようだ。秩父から群馬上野村十石峠を越えて、長野は八ヶ岳の麦草峠を越え、メルヘン街道を茅野市までくだる。もう十年若かったらチャレンジしたかもしれない。青梅街道の柳沢峠越えが自分のサイクリングのピークと思える。

 甲斐大和から今度は勝沼ぶどうの丘天空の湯へ。塩山は中萩原の慈雲寺、前回通過しただけの向嶽寺。塩の山。ただしこの山何も無いという。・・笛吹にある山梨県立博物館には、ぜひ閲覧したいものがある。

878かぐやまの花こ:2018/04/30(月) 01:09:01
・・
「花が散るのは御霊の吹き荒れ」(折口信夫)

枝垂れ桜の下には、冥界がある。

879かぐやまの花こ:2018/04/30(月) 19:02:42
・・
盤走珠、珠走盤。
偏中正、正中偏。
羚羊掛角無蹤跡、
獵狗遶林空踧蹈。

・・

偏中有正正中偏、
流落人間千百年。
幾度欲歸歸未得、
門前依舊草芊芊。

880秋魚:2018/05/04(金) 20:36:30
(無題)
・・青梅大祭。名にし負う春の大祭。飯能の友人が訪ねて地元の祭りに遊びにみえた。大柳町の知人はずっと長く青梅在でいろいろ招かれて話題が広がった。祭典の前に青梅の美術館にも寄ってみたが、夏目政利没後50年。回顧展というこの作家実はよく知らない。東京美大を出て将来を嘱望されていたけれど、ちょっとしたスキャンダルで画壇の日の目から外れてしまった。高村千恵子が下宿やに訪れたのをきっかけに画業を再開したという。水墨画のような絵巻もあって本格的日本画家かという反面、晩年の自画像群は目を見張るものがある。身寄りがどんどん逝去して表現対象が自己だけにふりむけられるようになる。でこれは鏡を見ながら画いたのかもしれない。ある種写実的なもの。急ぎ足でさっと流し目で歩いたけれど、一人の画家の生涯がよくわかる。個人が最後に辿り着く写実の精神が重苦しいようでもあり、それゆえ観るものは自己の生死を凝視すべく内省をせまられる。一瞬外に出て今日は友人たちと祭りを楽しむ方へ歩いた。

facebookの話が出て、スマホ片手にもうこれはやめられないという彼女は、今日は美人にみえた。青梅の知人は近年重い病を三つして見た目は顔色もよい。facebookはごめんだというのは、自分と同じ。

夕方から山車が繰り出して人混みも思った以上。仲間が逸れてもスマホで位置確認をくりかえす。聞いてはいたが、山車の競り合いとかともかくにぎやかというか自由に歩くことも出来ない。普段錆びれた駅前なのに。

881かぐやまの花こ:2018/05/06(日) 15:25:29
・・
青梅谷野 中原章ゆかり

真淨寺  N35度48分18.76 E139度17分18.14

常保寺  N35度47分17.64 E139度15分20.74

伊那市
高烏谷鉱泉  N35度47分15.85 E137度59分43.57

昭和26年開業

882かぐやまの花こ:2018/05/07(月) 19:20:52
・・
元 年 冬 十 月 , 〔 一 〕 五 星 聚 于 東 井


「 東 井 , 秦 之 分 野。 五 星 所 在 , 其 下 當 有 聖 人 以 義 取 天 下 。 占 見 天 文 志 。」

・・

真浄寺    中原章 浄月律師 日野資枝 日野資矩 (川村碩布)

しぐれ桜碑  芭蕉翁霊塚

883かぐやまの花こ:2018/05/10(木) 18:55:44
・・
1793年

宮澤安通 伊奈村岩走神社宮司

京洛 光格天皇の書の師により、正一位岩走神社を受ける。

安通は小林天渕の弟。

884秋魚:2018/05/13(日) 00:35:25
(無題)
・・甲州塩山笛吹探索を試みた。一年ぶりになるがほぼ同じコース。自転車はブレーキ調整のほかは注油など微調整のみ。タイヤの空気圧に注意した。青梅高尾間が意外と長いのが気になった。道幅せまく危ない所もいくつかある。中央線を使う輪行はこのルートしかない。90分の予定が100分ほど。高尾の駅のいつも自転車分解に使う場所が他のハイキング仲間の集合で、隣りの道路わきにチェンジ。一年経つと世相も何も様変わりするのがわかる。・・一月前の秩父輪行のトラブルのおかげで今回は輪行もスムーズに行く。甲斐大和まで順調にきた。ここから天目山に寄らず一路勝沼ぶどうの丘に向う。R20号という笹子のトンネルを抜けてここから甲府盆地に入るサイクリストは快適そのものというが、車もそこそこのスピードで気の抜けない道だ。ただし眺望はひらけて遠くの雪のある南アルプスの山並みはみえる。幕末に新撰組が戦った柏尾のあたりを過ぎてここらはもうブドウ園がたくさん。ブドウの丘の頂上に天空の湯という温泉がある。ここまでの道がよくわからない。

・・道の分岐点で上行寺の前に出た。「上行寺には日蓮聖人投宿之地碑があり、この地にも日蓮が足を運んだ形跡があります。そもそも上行寺は日蓮宗の寺で日蓮そのものが法華経に登場する四菩薩の筆頭、上行菩薩の再来となぞらえたことに始まります。」

 昼間の街道で通行人はほぼいない。時折畑仕事の人をみかけるがそれもなし。近くに消防署がある。ここで道を尋ねた。「ぶどうの丘の道は?」外に出て指差し「あれがぶどうの丘です」、一面ぶどう畑の斜面でちょっとした小山だ。「あの頂上が天空の湯です」行き着く道はいくつかある。迷路のようだがラビリンスか。どういっても坂は登る。一番わかりやすい道でも急坂で自転車は引いて歩く。まだかよと顎が出そうになるがこれしきはどうということもない。そうこうして頂上付近に出た。

噂には聞いていた。季節はずれで訪問客は少なめ。車でならどうということもない。徒歩と自転車はきついでしょう。ぶどう狩のシーズンならごった返し必定。山の上の温泉というのはめずらしいかも。景色がよくて長くいると湯あたりしそう。ミストサウナがある。ミストを浴びると時雨を浴びたようで旅に出た気になる。甲州に来たらリピートしたい温泉だ。天気がよいのに冷たい風がサーッと来る。この風、このあと塩山の中萩原慈雲寺を訪ねてはじめて意味がわかった。

このぶどうの丘で働いてる人たち、あまりに景色がよいので人生きっと耐えられなくなるだろうな。余計な感想だが、このあと樋口一葉の親たちの故郷慈雲寺へ向ってさらに土地の不思議を想った。

ここから塩山の駅に一度出る。ぶどう畑の斜面を下って方角を便りに自転車を走らせる。何度か道を尋ねながら、塩の山の見えるところまで来た。この山も魅かれるものがある。

「 酒折(さかをり)の宮、山梨の岡、鹽山、裂石(さけいし)、さし手の名も都人(こゝびと)の耳に聞きなれぬは、小佛(こぼとけ)さゝ子(ご)の難處を越して猿橋のながれに眩(めくる)めき、鶴瀬(つるせ)、駒飼(こまかひ)見るほどの里もなきに、勝沼の町とても東京(こゝ)にての場末ぞかし、甲府は流石に大厦(たいか)高樓、躑躅(つゝじ)が崎の城跡など見る處のありとは言へど、汽車の便りよき頃にならば知らず、こと更の馬車腕車(くるま)に一晝夜をゆられて、いざ惠林寺(ゑりんじ)の櫻見にといふ人はあるまじ・・」

「我が養家は大藤村の中萩原とて、見わたす限りは天目山、大菩薩峠の山々峯々垣をつくりて、西南にそびゆる白妙の富士の嶺は、をしみて面かげを示めさねども冬の雪おろしは遠慮なく身をきる寒さ、魚といひては甲府まで五里の道を取りにやりて・・」

一葉は24歳で没年。「たけくらべ」は早くに読んだが感情の記憶がいまでも新鮮に残る。近代女流の鏡ともいえる無駄のない文学を生きた。大藤村の南面の里は桃とか葡萄とか花もいろいろのどかな生活を営めそう。だんだらの坂を下って塩山の街に出ても特におもしろいものでもない。引き返すのが一苦労なだけ。これなら余ほど汽車で東京に出た方がよい。生れた土地で一生過すというのはおよそ耐えられないことだ。両親が駈落ちのように上京したという。

 慈雲寺は、なにか目頭が熱くなる。

885秋魚:2018/05/14(月) 10:02:26
(無題)
・・一葉の道を下って塩の山の麓のほうへ。塩山温泉街がある。ここから塩の山に登れるということだが、自転車は無理。そのまま南麓の向嶽寺へ向う。慈雲寺は臨済宗妙心寺派で恵林寺と同じ。向嶽寺派というのは、ここが本山で塩の山の名称も開山の禅師による。四方の山といったそうだがいつしか四方に塩の字をあて塩の山、この地は塩山となった。向嶽というのは、富嶽に対する地勢からの名付けという。なるほど参道口から富士の頭が見えている。

非公開寺院というので敷地内を散歩するのみ。塩の山が異様で訪ねる人もほぼいない。松の木の捩れたもの、池も清澄で全体が沈黙のもののよう。

「志ほの山 さしでの磯に すむ千鳥 君が御代をば 八千代とぞなく」
古今集に詠まれていてもうひとつの「さし出の磯」と対になる。開山は抜隊得勝禅師(恵光大円禅師)、武蔵国横山(八王子)の出という。1378年頃というから古今集の歌が古いか。向嶽寺は塩山の顔。

・・塩山から笛吹石和に向う道。もう四度目になるか。今回は駅の交番で仕入れた新情報。笛吹川差出磯のある万力公園までなんとか出る。そこから雁坂道をひたすら甲府方面へ向うのでなく笛吹川に沿ったサイクリングロードがあるという。これは初耳。石和まで行けるという。

差出磯。前回は消化不良。芭蕉の句碑があるはずだが見つけられなかった。もう一度チャレンジ。塩山駅前の道をどこまでも進むと八幡橋にでる。笛吹川を渡って雁坂道を走ればほどなく亀甲橋のある万力公園の横にでる。丘の上にある大嶽神社に寄ったのが失敗。ここは見晴らしがよいけれど、芭蕉の句碑はない。公園にある市立図書館で尋ねた。係員がいろいろ調べて神社の下の方にあるのだと。それにしても芭蕉の句碑の存在もしらずに文化の管理とは。小言をいってこの日はあきらめた。公園から笛吹川に沿ったサイクリングロードを探した。

886秋魚:2018/05/16(水) 20:48:24
(無題)
闇の夜や巣をまとはして啼千鳥

県立博物館からの帰路、半ば執念で差出の磯に寄った。今度は大嶽神社の社主に尋ねてこの丘の上ではない。亀甲橋の袂にいってみなさい。坂を下りて橋の入口に廻ると、たしかに差出の磯の碑がある。ここが景勝の地だとはどうも落ち着かない。誰に聞いても最初にここに訪ねなさいとはいわない。芭蕉の句碑はすこし奥まったところに見えた。

*山梨市八景 差出の磯とちどり

 平安時代の勅撰和歌集『古今集』の賀の部に「塩の山差出(さしで)の磯に住む千鳥君が御代をば八千代とぞ鳴く」(詠み人知らず、塩の山に近い差出の磯に棲息するちどりが、大君の御代が八千年も長く長く続くように鳴いている)の一首があるが、天下の名勝・差出の磯は奈良・平安時代の昔から文人墨客が訪れ、その感懐を詩歌や絵画に残している。

 いま亀甲橋から根津橋までの1.3キロがちどりの保護区になっているが、昭和51年「やまなし野鳥の会」の会員によって、コチドリ、イカルチドリ、シロチドリ、イソシギなどの棲息が確認され、これらを総称してちどりとしている。そして昭和55年「市の鳥」に指定された。

・・こういう解説文があったようだ。

芭蕉千鳥の句は、蝶夢木因「富士美行脚」に

「 天明8年(1788年)3月19日、差出の磯に翁塚建立のため俳諧興行。

 十九日、落葉庵をいとまこふに、かのさし出の磯に翁の石碑を建んとて供養の俳諧に、各無是非ことに滞留して、一座の会を催す。

   石文はこゝをせにせよ木瓜躑躅

と和尚の一句につゞけて、歌仙行。 」

とあり、寛政2年(1790年)10月、月朶園里塘・水石樓魚君建立。東江閑人筆。

・・蝶夢の計らいがあったようだ。

(猿蓑)

闇の夜や巣をまどはしてなく鵆  翁

越より飛騨へ行とて、籠のわたりのあやうきところどころ、
道もなき山路にさまよひて

鷲の巣の樟の枯枝に日は入ぬ  凡兆

「夕さればさほの川原の川霧に友まどはせる千鳥なくなり」紀友則(拾遺集四)

・・

時雨ともならで夜更けし千鳥かな    1
釣棚は焚にも足らずなく鵆       2
酒さめて千鳥のまこときく夜かな    3
ぬけ星は石ともなるか鳴く千鳥     4
粥烹や手に取るやうに鳴く千鳥     5
夜も霞む流れの音や千鳥鳴く      6
矢がらさへ焚て鵆をきく夜かな     7
なく鵆帆にくるまつて寝夜哉      8
磯に群れ洲にむれ明けの千鳥かな    9

887秋魚:2018/05/18(金) 00:11:09
(無題)
野井−俳人、浅見氏、初め音好といい、紙葉軒と号し、のち逃水庵と号す。武蔵国入間郡中神村の人。逸淵の門人、明治九年三月二十二日没す。年六十三。

・・武蔵野の俳人野井を追った。入間の中神村というのは青梅の隣り金子の町。ここに入間市図書館の分館がある。・・霞川をサイクリングロードでどこまでも行く。八高線金子の駅から歩けば十分ほどだろう。このあたりも何度か来ている。ネットで探して近くに来たら人に尋ねる。これでほぼ完璧に到達できる。

野井について資料となる本はいくつかあった。「金子の人物誌」というのが一番の目玉。図書館では係の人がコンピュータで調べてくれる。とりあえず二冊。・・明治十一年に野井追悼句集「陽炎集」が出ている。この序文が小築春湖というのは、橘田春湖のことだろう。略伝があり、同門後学、三森三木雄とあるのは春秋庵を継いだ三森幹雄であるから、野井も白雄の春秋庵の流れとわかる。

・・地元の門弟が野井の句碑を建てた。明治四十一年。中神の村社三輪神社境内という。金子の図書館まで来たのでこの三輪神社も訪ねてみることにした。図書館に限らないが最近係りの者がこういう古い神社の場所など知らないことがおおい。それでもネットで調べてたいていはよい案内ができる。さほど近くは無いが霞川沿いの茶畑の中にある。ずっといって一二度道を尋ねた。土地の古老らしきはさすがよく知っている。あそこに見える鎮守の森だよ。雲竜図を見にいくのでしょう?絵があるのですか?何か古い絵があるらしい。

888秋魚:2018/05/21(月) 00:02:54
(無題)
・・恋ヶ窪の図書館までポタリングに出た。宝雪庵可尊の論稿があるという。自転車で行くにはやや微妙な距離だ。先日出かけた立川の国文学研究資料館よりさらに足を伸ばして国立まで行きここから北へすすめ国分寺の西恋ヶ窪へと走る。この予定だったが拝島の駅まで来て玉川上水に出てふと思った。恋ヶ窪の駅から五日市街道はすぐ近く玉川上水もさほど離れていない。上水に沿って往けば恋ヶ窪の図書館にも着くはず。はじめての道を行くのはやはり不安だが人に尋ねたりいろいろ発見がある。

 五日市街道に沿ってゆくというのが最も賢明な選びだったかもしれない。上水に沿ってどこまでも進んだ。野火止の取水口もあって武蔵野らしい道がつづく。鷹の台に出たところで右折するのが正解だったがさらに進んだ。どうも行過ぎたようで人に尋ね右に迂回する形で東恋ヶ窪の名の有る付近に出た。この辺地理がわからない。で、なんとか恋ヶ窪の駅に出た。図書館は近い。

 ここにしか収蔵されてないという武蔵野文化女子大学紀要を探してやはり正確な情報なのですこし手間取ったが見つけてもらった。資料探しの旅というのも面白い。いろいろ発見があるものだ。ネットだけの情報というのは浅いか。

889かぐやまの花子:2018/05/22(火) 00:13:13
・・
・・
狭井神社は狭井川の畔にある大神神社の摂社で、正式な名前は「狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社」という。本社の荒魂をお祭しており、延喜式神名帳に記されている古社。古より「華鎮社」と称された。

890秋魚:2018/05/26(土) 20:14:20
(無題)
・・身近な川でいつも気になる霞川。きょうは霞川の水源のある根ケ布天寧寺にポタリング。霞川の水源さがしはこれまで二度やっている。東青梅からの成木街道をすこし進み、ここで霞川にぶつかる。川も分岐し、一方はそのまま西へ青梅丘陵の麓へもぐりこむ。もう一方は北へ向い昔三田氏の勝沼城のあった森の外れにある天寧寺へ。本殿の裏にある霞ケ池というのが、水源という。以前天寧寺を訪ねた時は、本殿の裏まで廻り込めず、庭の池と山辺の湧水をみて水源とみなした。・・きょうは思い立って真なる霞川水源を訪ねた。

・・かすみ川というありふれた名の川と思っていたが、この武蔵野のかすみ川は意外とメジャー。ネット検索でも一番にヒットする。青梅の霞丘陵に水源をもち加治丘陵を左に見ながら入間市にはいりやがて入間川に合流する。この合流地点にはカワセミが多くみられるという。川越にでた旅人がここにも氷川神社があるけれど所沢の中氷川に向わず直接奥多摩の奥氷川に向うとしたら、入間川沿いに歩き合流する霞川に沿って辿れば青梅の杣保に着く。ここから奥多摩へは一本道。・・霞川は古多摩川ともいう。およそ二万年前は多摩川の正統な流れだった。立川断層の活動があって青梅丘陵や武蔵野台地が隆起した。それで今の南東へ向う流れとなり霞川は多摩川から途切れてしまったという。

天寧寺は曹洞宗のお寺。青梅文晁と呼ばれた小林天渕はここに眠っている。以前訪れたこともあり寺の前までは容易に着いた。大層な阿吽像のある表門を抜けると池があって、はたと立ち止まる。がこれは霞ケ池ではない。運よくお寺の住職さんらしきが出歩いてくる。そこで霞川の水源を尋ねてみた。本堂の裏にあるというけれど、普通には見られない。見たいというと、僧堂を抜けて案内しましょう。これはこれはと、かすみの水源。

891かぐやまの花こ:2018/06/16(土) 23:29:48
・・
・・鬼の、人の骨を取り集め侍りて人に作りなすやうに、信ずべき人のおろおろ語り侍りしかば、そのままにして、広野に出でて、骨をあみ連ねて造りて侍れば、人の姿には似侍りしかども、色も悪く、すべて心もなく侍りき。

声はあれども、絃管の声のごとし。げにも、人は心がありてこそは、声はとにもかくにも使はるれ。ただ声の出づべきあひだのことばかりしたれば、吹き損じたる笛のごとし。おほかたはこれほどに侍る。不思議なり。

・・幻術というもの、

892山田:2018/06/22(金) 22:00:09
・・
・・梅林で名高い越生の町。以前この梅林と太田道真の草庵を訪ねたことがある。河越の城で心敬や宗祇と歌会をしてこちらの草庵にも訪ねている。隠居の庵だからけっこうな山奥だった。途中何度か探索をあきらめかかったが、宗祇心敬万里集九なんども来ているのに引き返す手はなかった。例によってスロープの多い道だった。・・この草庵への道と別にもっと山奥へ入ると越辺川の上流へゆく。黒山三滝という滝の名所があるという。

・・太田木甫という信州飯田の行脚俳人が明治のはじめにここを訪れている。木甫もほぼ無名で何でこんなところに?と思うばかりだが。

893山田:2018/06/23(土) 10:30:02
(無題)
尾張屋三平
 尾張屋三平こと新井宗秀は、文化12年(1815)、津久根村(現越生町大字津久根)に生まれた。25歳の時、家業を弟に譲り江戸に出た。北辰一刀流の祖千葉周作の道場で剣の腕を磨き、一方、遊侠無頼の徒とも交わり、新門辰五郎と義兄弟の契りを結んだとも伝えられている。
 新吉原の江戸町一丁目(現台東区千束)に「寒菊尾張」の暖簾をあげ、尾張屋三平を名乗った。慶応4年(1868)3月没。
 江戸市中に故郷の黒山三滝を宣伝し、大平山の役行者像建立にも尽力したといわれる。


・・海老原新甫とは、懇意であろう。

894山田:2018/06/23(土) 23:33:48
・・
新門辰五郎
・・
新門辰五郎(しんもん たつごろう、寛政12年(1800年)? - 明治8年(1875年)9月19日)は、江戸時代後期の町火消、鳶頭、香具師、侠客、浅草浅草寺門番である。父は飾職人・中村金八。町田仁右衛門の養子となる。娘の芳は江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の妾となる。
・・
武蔵国江戸下谷山崎町(現在の東京都台東区下谷)に生まれる。幼少の頃に実家の火事で父が焼死、或いは自宅から出火し近辺を類焼した責任を取り町火消になったと伝えられる。浅草十番組「を組」の頭である町田仁右衛門の元へ身を寄せ、火消や喧嘩の仲裁などで活躍する。仁右衛門の娘を貰い養子縁組し、文政7年(1824年)に「を組」を継承する。侠客の元締め的存在で、弘化2年(1845年)に他の組と乱闘になり死傷者が出た際には責を取って入牢している。
・・
上野大慈院[?]別当・覚王院義観の仲介で一橋慶喜(徳川慶喜)と知り合ったと伝えられ、娘の芳は慶喜の妾となっている。元治元年(1864年)に禁裏御守衛総督に任じられた慶喜が京都へ上洛すると慶喜に呼ばれ、子分を率いて上洛して二条城の警備などを行う。慶応3年(1867年)の大政奉還で江戸幕府が消滅し、鳥羽・伏見の戦いの後に慶喜が大坂から江戸へ逃れた際には、大坂城に残されたままになっていた家康以来の金扇の大馬印を取り戻し[1]東海道を下って無事送り届け、慶喜の謹慎している上野寛永寺の寺の警護に当たっている。上野戦争での伽藍の防火、慶喜が水戸(茨城県)、駿府(現静岡市葵区)と移り謹慎するとそれぞれ警護を務めている。慶喜とともに駿府に住み駿河国清水の侠客である清水次郎長とも知縁であったと伝えられる。遠江国磐田郡での製塩事業にも協力した。明治になると東京(江戸)へ移る。明治8年(1875年)に没、享年75(または83)。


・・徳川慶喜の用心棒がこの侠客とは恐れ入りますね。

895秋魚:2018/07/13(金) 23:07:42
(無題)
・・ふ〜暑。体の新陳代謝をすすめる為に自転車で黒山三滝に向った。越生の山の中で以前梅林までいったさらに奥になる。三滝というのは、男滝・女滝・天狗滝とある。自転車は空気圧の調整だけ。朝6時半に出発し9時半には着いてしまった。体力がだいぶ落ちているので目標を三滝にしぼりすぐ帰宅する予定だった。小曽木街道でも飯能寄居線でも通勤ラッシュ帯にぶつかると自転車もつらい。何ヶ所か混んだ走りになったが、安全にクリアした。

・・体がバラバラに分解しそうで、帰宅してからは冷水がとても美味だ。酒はまずい。三滝は到達しただけで気が晴れたが、梅園神社にあるらしき遠山弘湖の句碑をさがした。暑いのでほんの記憶のかけら。梅林近くに神社があったので立寄ったようなもの。この手の神社、碑は忠魂愛国のようなものよくある。弘湖の句碑はみつからない。あとで町立図書館に訪ねてわかったが、もうすこし奥を探せば「玉垣の外面は梅のはやしかな」という碑がみられたはず。この図書館も通りがかりにたまたま目に入ったので立寄ったものだが、館長さんというかたが、越生の俳諧についてはお詳しい方で、弘湖のことだけでなく春秋庵のこと他耳新しい情報もうかがうことができた。資料も紹介してくださったが、何分にも暑くて自転車の走りの後では頭脳の働きはすすまない。帰宅してから本をとりよせ思考することにした。・・川村碩布の句碑はどこかにないか?尋ねたらあるという。地図で場所を教えてもらい、最後にこれを探したのがこの日一番の興趣になった。

・・滝を見ただけで帰宅というのはやめになり、郵ぱーく越生というスパによって温泉でリフレッシュ。このスパ越生でも山際の奥にあり自転車で訪ねるのがちょうどいい具合だ。車の混雑もない。あんまりよい道で記憶もないが。

 忘れないうちに黒山三滝の印象を。越生梅林の外れから越辺川に沿ったかは分らぬが川の上流の方へ山奥に入る。この越辺川(おっぺがわ)も興趣多し。次回に散策したい。・・顔振峠からくだって黒山に来たのは奥州に逃れた義経と、飯能戦争で敗れた渋沢平九郎。この平九郎は渋沢栄一の見立養子というが、黒山村自決は享年22歳。いやはや思いのほかの遭遇スポットに来た。

「水の声を聞く」最近の映画の舞台になったようだ。古来滝に打たれる修験道の聖地であったようで役小角の伝説もある。明治になって鉱泉が発見、旅館があって親しまれたが、ここも数年前から閉館されている。もったいない気もするが、観光行楽レジャーの質が変わってきている現今では仕方ないことか。多くの修験者のほか、野口雨情、田山花袋、西郷信綱の訪れがあったという。

尾張屋三平という越生の者が、江戸吉原にでて店を開き名を上げた。故郷の黒山三滝を褒め称え吉原から江戸市中の広まる名所となった。実際、男滝・女滝の前にある夫婦橋は夫婦和合の橋とあり、恋仲祈願の人たちが多く訪れたという。

滝廻りの散策は涼風この上なし。

・・温泉は、若者向けにキャンプ場も併設。プールもあり、この日は平日でお年寄りが多い。猛暑と自転車のライドで休憩できるならどこでもよい。そんな感じだ。

帰路、川村碩布の句碑を訪ねた。フロントで地図をみせ行き方を聞いた。とりあえず越生の駅までもどるのがよい。来た道は一本道かと思ったがいくつか岐路があり迷路にはまったか。要所で道を尋ねなんとか駅近まで。暑いので人通りなく、モータサイクルの店に立寄った。分解中のオートバイがあって声をかけると奥からご主人さんがあらわれた。こわそうな感じだが、句碑の場所は的確に教えてくれた。ありがとう。

で、いよいよ近くまで来た。たまたま外出してきた人にさらに句碑はないか尋ねた。すぐそこですよ。ポケモンがでるという。人が探してよく来るそうだ。あ、ポケモンGO!というやつですね。このゲームよく知らないけど、碩布の句碑までプログラムされてるなんて、驚き。こちらはまじめな句碑探し。

896かぐやまの花こ:2018/08/05(日) 20:40:30
・・
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https://www.youtube.com/watch?v=5Je7Doj6P6w

897かぐやまの花こ:2018/08/24(金) 21:00:56
・・
どんな長い夜も やがて朝が来る♪

・・娘が唄うと、ほんとに朝が来る。

リリックを写してなぞるだけで、憑依されるから不思議。

・・

898秋魚:2018/08/25(土) 19:27:12
(無題)
・・今一番おもしろいのは図書館。このところあちこちの図書館でレフェランスやっている。こちらの関心の軸がしっかりしてる限り、思はぬ発見気づきが多い。この日は隣町の飯能図書館を訪ねた。

例によって青梅坂から小曽木街道。そのまま行けば飯能にはいる。この青梅坂、自分が生きてるうちにエポックとなって語り継がれると嬉しいのだが、まず無理なようだ。途中にある岩蔵温泉もなんとなく寂れてきてる。頑張って欲しいのだが。

市立図書館に行くには、岩井堂方面ではなく反対の方向から坂道を越えて入る。郷土博物館や能仁寺の近くだ。ここも何度か来てる。図書館ははじめて。大きな公園があって一休み。

鉄腕アトムの銅像があった。

樺の木や栂の木もあって春は桜が咲き誇るだろう。

通りがかりの小学生か中学生に道を尋ねた。図書館ならほんの眼とハナの先。太陽光パネルのような建物ですよ。ありがとう。

夏休みでエアコンも効くから中高生あたり図書館を利用している。若い世代は近くで見るだけでノスタルジックになる。千と千尋の神隠しの後、千尋は大変な美少女になるだろう。図書館でもそんな美少女がぬっと現われてきたりする。

飯能戦争と幕末維新の飯能俳諧について、レフェランスを求めた。係の人は片言の情報たよりに、十冊ほどの本を探し出す。振武軍大将の渋沢成一郎は、ここを脱して吾野から秩父上州に逃れた。渋沢平九郎は顔振峠から越生黒山に出たのが天運だった。

振武軍や彰義隊の敗残兵は最初青梅に入る予定だったという。多摩川をさらに登り御嶽神社に布陣するというなんとも無謀な作戦だったが、これを青梅の有志がなんとかくい止めた。攻められても奥多摩の山の中に逃走経路を求めるつもりだったらしいが、地勢からして無理とあきらめ飯能に向った。それで飯能は焼け野原になったというのが上野戦争の末だ。

・・飯能戦争後の飯能俳諧については、一点。

「明治三年十月、飯能の田中楼で翠斎平臥庵友義の大祥忌(三回忌)追福の句会が開かれた。友義は飯能の小間物商で通称を小松屋平兵衛、稼業の傍ら風雅を志し、遠近に名を知られた宗匠であった。この句会の判者は、月の本為山・紙葉軒野井・春秋庵弘湖と養仁叟月雄・八巣謝徳であった。この時、全国から寄せられた句の数々は、浅見野井が編集し『野風集』と名づけて刊行された。」

この『野風集』は、未見。

899秋魚:2018/09/08(土) 00:23:51
(無題)
・・台風一過のあとで、野に出た。小曽木街道から成木、南高麗、山王峠を越えて名栗川に沿って飯能市街まで。坂がいくつかあるがこれしきで顎を出していてはいけない。飯能は過疎化しているがおもしろい町だ。この名栗川に沿った道は一度走った記憶がある。車の通行がそこそこあって走りよいものでもないが、川の景色は魅する。

・・小曽木街道から成木に向かう道で、道の端に栗がいくつも落ちていた。隣の畑の栗の木から毬ごと落ちて艶の有る実が落ちている。これって人通りがなくて誰も拾わないのだろう。いただくことにした。栗ご飯をつくる楽しみになる。

・・山王峠から正面に見える山はいつも気になる。秩父の武甲山と思うが。

900秋魚:2018/09/08(土) 20:19:53
(無題)
・・吾妻峡というのがある。以前天覧山の脇から見返り坂を登り多峯主山を歩いた。常盤御前が歩いたという。多峯主から名栗川の方に出る。川に沿って吾妻峡という景勝の地があるという。この日はここを何としても訪ねたい。バス停に吾妻峡入口とある。川の方へ降りていったが浄水場らしきがあるのみ。近所の娘さんに聞いてもわからないという。もどってさらに自転車のおばさんに聞く。もっと先ですよ。薬屋さんのあるあたりでまた尋ねなさい。さらに道を行き今度は畑仕事のおばさんに聞く。にこっとしてセブンイレブンで左折、川に降りてください。漸くめざす吾妻峡へ。

なぜ吾妻峡というのか。ヤマトタケが「アヅマハヤ」というたのはここではない。あまり深く考えたくない。ずっといくと木のベンチがあって一休み。

・・ドレミファ橋というので、飛石を伝って向う岸まで渡れる。なるほど渓流がみごと。夏場は涼しい風が吹く。岸辺に沿って遊歩道があるようだが、今日は川を渡って上下を眺めるだけ。

川上とこの川しもや月の友   翁


どこにいても月の友を想っている。

901秋魚:2018/09/10(月) 12:26:46
(無題)
「渋沢平九郎没後150周年 記念講演と説教節公演」

・・越生まで自転車で出かけた。天気もちょうどよく関東は晴れる。先日小曽木街道の外れで栗を拾った場所に寄ってみた。またパラパラと落ちている。すこし拾った。

飯能の二つの駅までは完璧に出られる。ここから宮沢湖の入口までも楽な道だ。さらに一本道で高麗川、毛呂山、越生と行けるはずだが、越生の中心街にでるには一本左に道をとる必要がある。この左折点を間違えたため修正が一回入った。埼玉医大病院の先で左折するのが正解。道を憶えれば次回は楽なコースになるだろう。二時間とすこしで駅前に着く。・・人と待ち合わせがあるが、観光案内所に寄って津久根の薬師堂の行き方を尋ねた。しかしながら案内人は未知であり地図でさがしはじめる。こちらの地図と照合してどうやらこの辺りらしい。ほかに公民館の場所も尋ねて、ありがとう。薬師堂に向った。

最初に尋ねた人は、薬師堂はわからぬが津久根の地域の行き方を教えた。薬師瑠璃光如来堂というのが正式な名らしい。近くまでいってさらに尋ねると、もうすぐほんの一歩き。知ってる人はよく微笑んで教えてくれる。地元の人でも知らなかったりあまり訪ねる人もいないのか、参道はひっそりしかしよく整った坂道だ。山門のところまで自転車で行ける。

明治初年から十年余り伊那の行脚俳人不爭庵木甫がここに寓居した。当時のままではないだろうけど人が住むような庵室もある。なにか感動を覚える。

あらたふと青葉若葉の日の光り 芭蕉の句碑があって揮毫は三森幹雄。建立発起は新井角丈、仲むつ美。明治十三年。

この薬師堂、水鶏楼と呼び、木甫は明治十二年九月一日までここに寓居。明治十四年に仲むつ美追福句集『行く秋集』が出る。木甫は伊那から句を寄せたという。

・・体が分解しそうなほど自転車に乗った。今は家で倉木麻衣のアルバムonelifeを聴いている。この人はやはりすごいな。感性の最も充溢したメッセージに無駄がない。ライブのyoutubeなども聴いたが、平常の声は意外と太い。力強いseasonofloveの後で声が出なくなったという人もいるが、違う。歌を唄うに声を張り上げる必要はない。感情の真実が優先されるから時として声や歌そのものも壊れてしまってもよい。ライブは一回性の勝負。全力で唄うドラマツルギーは他者の共感を呼ぶ。自作の詩が俗語だけでもとてもうまいのは、ジェラシーを感じるほど。

幕末の志士渋沢平九郎の自刃にいたる講演でも、まさに倉木のonelifeが響いて来る。

902秋魚:2018/09/14(金) 19:21:53
(無題)
・・今日も自転車で霞川サイクリングロードから入間市街中心まで。さすがに猛暑は去ったか。コスモスが咲いていたが気に留めることもない。becaus’everything…倉木のonelifeのアルバムはあまりヒットしなかったようだが、悪くない。若い女性シンガーの歌はずっと聴きたくなかった。西野かなは倉木と共演して少しシンガーが嫌になったのではないか。多くの女性ボーカルは皆はやく引退したいと思うだろう。アムロなんかも大変な人気だが歌は一つも憶えてない。ここ二十年くらい若い女性の生き方をリードしたと評価される。比べて倉木はきわめて古いクラシックの情念。ネクラでさえある。と思うのは自分だけか。…dontleavemealone…この種の情念はよく韓流のドラマでみられた。日本ではどんな女性ボーカルも歌わない、歌えない。バックバンドが太っちょの黒人たちにサポートされてるから、台湾では見て嬉しい。台湾、中国でブレークしてるという、探偵コナンの影響もあるようだが、どうか。

https://www.youtube.com/watch?v=jGhP2nGLPQo

・・入間市中央図書館を訪ねた。浅見野井のレフェランスを求める。

903かぐやまの花こ:2018/09/30(日) 00:00:29
・・
・・
鬱憂の夜に


https://www.youtube.com/watch?v=I-TWJPg_BDQ

904秋魚:2018/09/30(日) 14:57:55
(無題)
・・都心横断自転車ツーリングを思考している。新宿副都心にでて浅草、隅田川周辺にまでは何度か廻ってる。浅草にはまたちょっと用事がある。墨田区江東区を突切って江戸川を越えたい。天候がどうもね。

touchme!というライブのyoutubeを見たがつくづく倉木はおもしろい女だ。笑える。ネットですこし調べた。京都は第二の故郷といってたが第一は千葉の船橋市。小学校中学校と東船橋の前原という町ですごした。津田沼松戸をつなぐ新京成線にも前原という駅がある。この線、わたしはよく知っている。高校は聖徳大学の付属女子高で江戸川を越えたかと思ったが、松戸市にある。北総線の北国分から歩いて十分とかいってなんとも不便な土地だ。国分は市川だから松戸との端境か。わたしの頃は北総線もなかったしここらど田舎でした。高校二年で京都の立命館宇治高に編入。青春期に東京都心をパスしたのはおもしろい。倉木のライブ舞台つくりはバックスタッフがよくまとまって盛り上げる。本人は女座長さながら。体力もある。

八兵衛も泪こぼしぬ虎が雨  井月

この八兵衛、実は船橋にゆかりのもの。成田詣の客を呼ぶ飯盛遊女というが。虎が雨というのは曽我十郎愛妾の虎御前の涙。句詠みの作者は幕末の頃船橋界隈にも足を運んだかと見る。

小林一茶は信濃から出て素堂の流れをくむ葛飾派に親炙した。葛飾といってまだ江戸川を越えないあたりだが、文人墨客は川を越えて真間の手児名の面影をさぐっただろう。

   廿日 曇 金谷に入

かつしかや真間の入江にさちあれと柳ながめてのせぬ舟人 一茶

かつしかの真間にて

早乙女に足あらはするうれしさよ   其角

   挽歌 詠勝鹿眞間娘子謌

勝鹿(かつしか)の真間の井見れば立ち平(なら)し水汲ましけむ手児名し思ほゆ

『万葉集』(巻九)  高橋虫麻呂


・・
このあたりわが故郷だが。

905秋魚:2018/10/08(月) 18:08:29
(無題)
・・千葉の船橋は市内を流れる海老川に小舟を繋いで橋をつくった。それで船橋という。これといって雅な話はない。上州佐野の舟橋は同じ様に舟を繋いで橋とした。こちらは古来歌にもよく詠まれる。

かけてだに契りし仲はほど遠し思ひを絶えね佐野の舟橋[順徳院]
人知れぬ心をいそのかみつけやかけてもふりぬ佐野の舟橋[行意]
ことづてよ佐野の舟橋はるかなるよその思ひにこがれわたると[定家]
東路の佐野の舟橋霧こめてよそにのみやは思ひわたらん[家衡]
尋ねても渡らぬ仲の月日さへかげ絶えはつる佐野の舟橋[俊成卿女]
東路にかけては過ぎし中河の瀬絶えもつらし佐野の舟橋[兵衛内侍]
思ふ人波の遠方尋ぬべき佐野の舟橋えやはうごかん[家隆]
もらさばや波のよそにも三輪が崎佐野の舟橋かけじと思へど[忠定]
なかなかにかくる心も苦しきに絶えなば絶えね佐野の舟橋[知家]
かけて猶いく世か恋ひんよそにのみ聞きこそわたれ佐野の舟橋[範宗]
絶えねただうきにつれなき身なりともさのみは待たじ佐野の舟橋[行能]
東路や佐野の舟橋いたづらに渡りしころも袖やぬれなん[康光]


・・佐野の舟橋は高崎の烏川にかかる。昔は碓氷川という。ここも奇跡的に訪ねた記憶がある。近くに定家神社、常世神社とある。

佐野の舟橋とはあまり関係ないが、

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

式子内親王のこの歌、宗祇が今はの際に見た夢、定家卿の歌とみえた。

・・
常世神社は鳥居の前まで出た記憶。

「鉢木」という謡の舞台だったというのは、後になって気付いた。

906秋魚:2018/10/09(火) 22:50:46
(無題)
・・多摩川沿いにある釜の淵公園まで散歩に出た。起伏の激しい土地で風光明媚、天気の良い日には外出の散歩をしないと罰が当たりそう。メタセコイヤの巨木と山査子の木がある。数日前に山査子の実をすこし拾った。小さなリンゴの様な実で食べられるものらしい。アクもありそうだが、種をとってカレースープに入れて煮てみた。美味い。酸味があってねっとりした濃密なジャムのよう。で、まだ採れるだろう。季節の終わりの様だけど幾つか拾えた。

ここのサンザシは中国の姉妹都市からの贈り物という。プルーストの「失われし時を求めて」にサンザシの花がでてくる。あまり記憶にないが予想したより小ぶりの花で香りもあったかどうか。さほど見栄えのするものではなかったような。サンザシには棘があるのか。キリストの荊冠はサンザシだと先日知った。

「バラ科サンザシ属の落葉低木。中国産で、日本にも古くに持ち込まれた。熟すると赤くなる果実は生薬、果実酒、ドライフルーツなどの用途があり、盆栽の素材としても好まれる。」

907かぐやまの花こ:2018/10/11(木) 00:53:18
・・
鳥羽にて、竹風夜涼といへることを、人々つかうまつりし時

窓ちかきいささむら竹風ふけば秋におどろく夏の夜の夢(新古257)

908秋魚:2018/10/21(日) 23:18:48
(無題)
・・多摩川べりのススキとセイタカアワダチソウが共演してる。年々歳々サイクリストが走る土堤の道。自転車とサイクリストは輝いているけど中身の人はどうだろう。自分の運転でせいいっぱいだからあまり人のことは考えたくない。久しぶりに自転車で走った。

J.S.Bach French Suites Andras Schiffの演奏で聴いている。

・・

909秋魚:2018/10/30(火) 19:55:52
(無題)
紅葉みるにはまだ早いだろう。サイクリストにはよい季節。奥多摩のもえぎの湯まで自転車を走らせた。青梅街道は新宿起点で青梅、奥多摩、丹波山、塩山、甲府まで。途中八王子から青梅に来る国道411と接続し、奥多摩、柳沢峠越えのR411と呼ばれる。この全線はすでに走破済み。・・最初に青梅−奥多摩間を走った時は大冒険だった。サイクリストもいるには居るが、ライダーが爆音をあげて走る。道が狭い上に大型のダンプもよく走る。川沿いを走ると谷が深く、絶壁の端をゆくようだった。・・何度か走った記憶によると全身で緊張するコースだ。ひさしぶりに走ってみたが、やはり緊張する。身体ボケを追い払うにはかっこうのサイクリング。
例によって、御岳までは楽な走りだ。御岳−川井間が長く道も狭い。お先にどうぞを何度かやりながら古里、鳩ノ巣あたりも緊張する。白丸ダム、数馬峡とこの辺りまで来るとさすが遠くに来た気になる。
家から奥多摩もえぎの湯まで90分で行く。平日なのに天気がよく人の出が多い。奥多摩駅周辺は氷川という。奥氷川神社というのをまず訪ねた。三本杉という神木があるはず。以前訪ねたが、再確認したい。OK 立派なものだ。
ここの温泉は、日本の最古層の地層から湧き出る湯という。川べりにあって、露天の前は樫の木が茂っている。泉質は透明でぬるっとしたもの。アルカリ泉でしょう。温泉は夜間に浸かるのが醍醐味だが、ほんとうに時間を消してしまえるから、サイクリストはそれは無理。汗を流して、レストランでとろろ蕎麦を食べた。

氷川という言葉だが、これはスサノオと関わる。大宮の氷川神社、所沢の中氷川神社、奥多摩の奥氷川神社。すべてスサノオの足跡とみる。時代は下って、万葉集に詠まれた志貴
皇子の歌。「石激 垂見之上乃左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨」
石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも (万葉)
岩そそぐたるひの上のさ蕨の萌えいづる春になりにけるかな (新古今)
藤原の歌人たちが、垂水を垂氷にしたのは、何故か?

いい湯につかって、早めに帰ることにした。数馬峡橋から川の景色もみたかったが、もうすこし紅葉がすすまなくては。鳩ノ巣に来て、そういえばここの渓谷は降りて眺めたことがない。よい機会だ。自転車を停めて、川べりまで歩いてみることにした。前回近くのカフェで散策の仕方を聞いている。新しく出来た山荘の庭から散策の道がある。

・・

「 大宮の氷川神社、所沢市の中氷川神社、そしてこの奥氷川神社は武蔵三氷川神社と呼ばれ、一直線に並んでいるらしい。」
「奥氷川神社さんへ参拝 武蔵一宮氷川神社さんと中氷川神社さんと奥氷川神社さんはレイライン上にあると言われています。」

wikipediaをはじめ様々このような記述があるが、これは間違い。一直線にはならない。

「 奥氷川神社は、日本武尊が東国平定の折に素戔嗚尊・大己貴命を祀って創祀したと伝えられます。その後牟邪志国(後の武蔵)最初の国造である出雲臣伊佐知直が多摩川下流に拠点をもち、その上流奥多摩氷川の愛宕山の地形を祖国出雲で祖神を祀る日御碕神社の神岳と見たて、ここへ祖神の氷川神を勧請したのではないかといい、牟邪志、知々夫両国の合一によって本拠の国街を府中に移して氷川神を中氷川神社へ、さらに大宮氷川神社へ移したのではないかとも推測されます。」
https://tesshow.jp/tama/wtama/shrine_oktama_okhikawa.html

この辺がもっともそれらしい。

910かぐやまの花こ:2018/10/31(水) 20:55:56
・・
吹く風が 紅葉の色をゆらりゆらり 赤く染めていく

・・
やはり、紅葉。
発句は丈高きなり。

・・

セイランの勿忘草 青蘭の勿忘草

高密度カラーを謳うのだから青蘭が正解らしい。conceptを採るなら晴嵐がおもしろい。

にしても、青蘭もむずかしい。

911秋魚:2018/11/08(木) 21:49:54
(無題)
・・
真間山弘法寺は紅葉で名高いとは知らなかった。ここの参道はよく歩いている。信濃の俳人一茶が師匠といっしょに紅葉狩で訪ねたなど、先日、知った。

夕暮の頭巾へ拾ふ紅葉哉  立砂
紅葉ゝや爺ハへし折子ハひろふ 一茶
寛政十年十月十日ごろ、二人てこな・つぎ橋あたりを見巡りしときのこと也。
真間寺で斯う拾ひしよ散紅葉

市川の真間川沿いの桜並木は幼少の頃より、最初に観た桜花の爛漫の印象が残っている。この川も上流に行けば鮒、タナゴ、クチボソなど釣りもできた。いつか台風のときにこの川も氾濫して田畑のあたり一面海のようになった。ずっと菅野の住宅地の方まで水が溢れた。何年前のことになるか。
幼年から青春期はずっとこのあたりを見て歩いた。戦後、永井荷風が弾き出されるように熱海から市川の菅野にやってきた。寄寓した菅野の住居は何度か移転をし、船橋に仕事場をもって執筆に励んだという。菅野にいた間は、京成電車を使ってよく浅草に出歩いていた。
この一年半ほど倉木麻衣の歌をよく聴く。Catchという歌で、それもアリだね♪という詩があるが、あれはまったく船橋弁。船橋、市川近辺に住めばよくわかる。倉木の歌の感性はまことに総武線の魂そのままだ。よくわかる。

本居宣長と日の神論争のあった上田秋成。秋成はほぼ東国は赴いたこと無かった様だが、雨月物語にある浅茅が宿の話は下総の葛飾、今の市川真間の土地が舞台となっている。
*「浅茅」は茅萱がまばらに生えている事、またそのような荒野をいう。
浅茅が原というのは、浅草寺のあたりにある浅茅が原の鬼婆を特にイメージするものらしい。こわい話がある。

武蔵には霞が関に一つ家の石の枕の野寺あるてふ (伝白河院)

「安達が原の鬼婆」とほぼ同じ創意の話でよく似た伝説は処を変えてあるようだ。

912秋魚:2018/11/13(火) 18:19:47
(無題)
・・秋の一大イベント紅葉狩り。名刀ではなく歴戦の自転車で江戸武蔵野縦断に出る。

吹く風が 紅葉の色をゆらりゆらり 赤く染めていく

・・
やはり、紅葉。
発句は丈高きなり。大将の位なり。

紅葉はうるわしの美女(鬼女)のこと。

913山田:2018/12/07(金) 22:13:00
・・
禅定院   練馬区石神井5- キリシタン灯篭
智福寺   練馬区上石神井4-??智福寺 田町六丁目
蓮華寺  中野区大和町4-
太宗寺   新宿2-  キリシタン灯篭
深光寺  文京区小日向4-  キリシタン灯篭
切支丹屋敷跡 文京区小日向1- イタリア宣教師シドッティ1714没
吉原の遊女朝妻もこの頃か?

カトリック浅草教会 台東区浅草橋5-
カトリック高輪教会 港区高輪4-
光福寺  港区高輪3- キリシタン灯篭
高山稲荷神社  港区高輪4- キリシタン灯篭

岩松无心 風来吟
錦上鋪花 又一重

承教寺 港区高輪2-  英一蝶の墓  朝妻舟

・・
ゆうれい地蔵というのもあるらしい。

914秋魚:2018/12/08(土) 23:30:45
(無題)
・・天気がよいので歩行の散策にでた。枝垂れ桜の梅岩寺から裏手の山道で青梅丘陵ハイキングの道にあがる。遠目には丘陵の紅葉はいまが盛りだ。こんないい日に山歩きをしないなど罰が当たる。足腰が弱っているのがわかる。梅岩寺までも起伏が多い道だ。季節はずれで人はいない。建部凉岱の石碑がある。

  きえたものなら
 あれのかな
知足院建部凉岱居士
 山既に
?? 水おもしろし
 ?? 遅ざくら

七年忌。安永九年(1780)門人の根岸凉宇たちによって建立。山形の語並びといい、味わいのある句碑とみた。建部凉岱は俳号、小説家、国学者、絵師の建部綾足で知られる。
青梅在住の一番弟子根岸凉宇は、関東で一番最初に二条家から「花の下」の称号を受けた。
前書きの「きえたものなら あれのかな」に注目。法号を挿んで「山既に 水おもしろし 遅ざくら」と来る。それは青梅のこととすれば、「あれの」は江戸、武蔵野になろう。「きえたものなら」というから、もっと無常な感慨をこめている。

915かぐやまの花こ:2018/12/24(月) 00:50:16
・・
由誓 安政6年没 71歳 浅草蔵前の札差夏目成美の店員。

夏目成美
[1749〜1817]江戸後期の俳人。江戸の人。名は包嘉。通称、井筒屋八郎右衛門。別号、随斎など。浅草蔵前の札差(ふださし)。乙二(おつに)・大江丸らと交わり、小林一茶の後援者でもあった。句集「成美家集」、著「随斎諧話」など。


2018/09/02
 俳人・小林一茶が江戸の金融業者「井筒屋」の番頭・豊島久蔵に宛てた手紙5通が発見された。
 浮世をはかなんだ「行末(ゆくすえ)はうきを見ん見ん見ん見んと世に秋せミの鳴きになく哉(かな)」との俳諧歌も新たに見つかり、10月20〜22日に一茶記念館(長野県信濃町)で開く俳文学会の全国大会で発表するという。[信濃毎日新聞]

916山田:2019/01/08(火) 21:37:36
やはりな。
・・
宇多田は愛らしい笑顔になった。西野は活動停止。笑顔はいい。

つくも神まで入るのはちょいむずかしい。

917かぐやまの花こ:2019/01/27(日) 21:47:06
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最前線

https://www.youtube.com/watch?v=skp6gD17mSQ

918かぐやまの花こ:2019/03/05(火) 23:23:41
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花のふるひは

https://www.youtube.com/watch?v=Hj1mfq7vhz0

919かぐやまの花こ:2020/01/28(火) 00:38:29
さくら さくら

Les sanglots longs
Des violons
De l’automne
Blessent mon cœur
D’une langueur
Monotone.

Tout suffocant
Et blême, quand
Sonne l’heure,
Je me souviens
Des jours anciens
Et je pleure ;

Et je m’en vais
Au vent mauvais
Qui m’emporte
Deçà, delà,
Pareil à la
Feuille morte.

……
https://www.youtube.com/watch?v=cBkmh6Wr38c


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