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短詩人/Hyperion

621秋魚:2016/01/07(木) 00:38:04
(無題)
・・芭蕉最晩年の峠越えというのがある。伊賀から大坂に向う暗峠というところだ。元禄7年9月9日。

菊の香にくらがり登る節句かな

・・暗峠は奈良県生駒市から大阪府東大阪市に通ずる道にある。いったことはないが暗いけわしい道のようだ。大坂に抜けておよそ一ヶ月半後に逝いてしまう。

菊の香や奈良には古き仏たち

・・これも同じ日の句という。

・・青梅の歌人浄月律師(1758〜1832)60歳の時に河内髪切山高貴寺に入律したという、その髪切山は暗峠のあるところ。ほかに役行者で名高い慈光寺もある。

>高貴寺(こうきじ)は、大阪府南河内郡河南町平石にある高野山真言宗の仏教寺院。

北緯34度29分57.8秒 東経135度39分52.2秒

・・開山は役行者で、文武天皇の勅願によるといわれている。河内高貴寺縁起によると、役行者が草創した二十八箇所の修験霊場のひとつで、古くは底筒男命が降臨した地として、神下山香花寺と称した。
弘仁年間に、空海が来住した際、高貴徳王菩薩の示現を見たため、高貴寺と改称した。

・・安永5年(1776年)に慈雲尊者飲光が入寺し、大和郡山藩主柳沢保光の帰依・支援を受け、堂舎を整備し、当寺を真言律と梵学修行道場とし、戒壇を設けて正法律の本山とした。

この慈雲というのが、ただものでない。

>・・慈雲(じうん、享保3年7月28日(1718年8月24日) - 文化元年12月22日(1805年1月22日))は江戸時代後期の真言宗の僧侶。戒律を重視し「正法律」(真言律)を提唱した。雲伝神道の開祖。

・・1758年(宝暦8年)から生駒山中の雙龍庵という草庵に隠居して研究に専念し、千巻にも及ぶ梵語研究の大著『梵学津梁』を著す。その内容は、密教で行われてきた梵字の呪術的解釈を排し、梵語の文法を研究して、梵文で書かれた仏教教典の原典の内容を正しく読解しようとするものであった。・・1775年(安永4年)、『十善法語』を著す。1776年(安永5年)に河内の高貴寺(南河内郡河南町)に入寺した。大和郡山藩主・柳沢保光の支援を受け、高貴寺の堂舎を整備し、この寺を正法律の本山と定めた。


 浄月律師の高貴寺行きは、芭蕉の暗峠越えを踏もうとしたのではないか?


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