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短詩人/Hyperion
569
:
秋魚
:2015/07/19(日) 15:53:01
(無題)
雪のうちに春は来にけり鶯のこほれる涙いまやとくらむ(古今4)
二条の后は、藤原高子。清和天皇の女御。
・・たしかに、この歌は強烈にわれらの感性をゆさぶります。古今集ではこれ一首でしょう。二条の后の歌は。
鶯の氷れる涙とけぬれどなほ我が袖はむすぼほれつつ(藤原良経)
・・派生歌の中では、九条家の良経の歌が呼応して秀逸かと。二条と九条の区別もあいまいですが、沖縄などのネイティブからするとヤマトの美学として同じく際立ってみえるそうです。
・・原爆ふたつで、ヤマト民族のエゴ(自我)が吹き飛んだという認識に沿うなら、戦後日本人のアイデンティティはどこにも求めようが無い。新大陸北米のインディオあたりに血の近さを感じる人も多いでしょう。ネイティブは敗戦を受けたヤマトの血にあるはずで、インディオとは別物、ヤマトの美学がやはり郷愁をもって再考される。ヤマトの美学=フジワラの美学というあたりほとんど区別不能ではないでしょうか。
・・フジワラの血のワクチン接種がどこかでなされている。
余談ですが、藤原高子は五節の舞でその美貌が際立ったそうです。いい女だったと思います。
「・・清和天皇が東宮であったころ、天皇の祖母である皇太后藤原順子の邸にて出仕か。貞観元年(859年)9歳の清和天皇即位にともなう大嘗祭において、五節舞姫をつとめ従五位下に叙された。清和天皇元服の2年後の貞観8年(866年)、25歳で入内し女御となり貞明親王(後の陽成天皇)を産む。」
一方で、清和源氏の父清和天皇といえば、大地に呪われた天皇といわれます。
「・・疫病の流行により朝廷は863年(貞観5年)、神泉苑で初の御霊会(ごりょうえ)を行った。しかし、その後も疫病の流行が続いたために牛頭天王を祀り、御霊会を行って無病息災を祈念した。
・・869年(貞観11年)、全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り薬師如来の化身とされた牛頭天王を祀り御霊会を執り行った。この869年の御霊会が祇園祭の起源とされている。」
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