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短詩人/Hyperion

552秋魚:2015/06/19(金) 01:42:41
(無題)
「・・宝暦事件 ほうれきじけん

1758年(宝暦8)に京都で朝権回復を志す尊王論者の少壮公卿(くぎょう)らと竹内式部(たけのうちしきぶ)が処罰された事件。儒者、神道者の竹内式部は崎門(きもん)学派、垂加神道(すいかしんとう)に基づいて『日本書紀』『保建(ほうけん)大記』『靖献遺言(せいけんいげん)』などを家塾で講義した。そのなかで武家に政権を奪われた朝家の政権回復の心構えを説く一方、激しく将軍を誹謗(ひぼう)した。現状に不満をもつ門弟の徳大寺公城(きみき)、正親町三条公積(おおぎまちさんじょうきんつむ)、烏丸光胤(からすまるみつたね)、西洞院時名(にしのとういんときな)などの公卿は師の説に深く感銘した。彼らは君徳涵養(かんよう)のため若い桃園(ももぞの)天皇に式部の学説にのっとった『日本書紀』を進講した。しかし事が朝廷と幕府との関係悪化に発展するのを恐れた前関白一条道香(みちか)らは、天皇の嫡母青綺門院(せいきもんいん)を動かして、徳大寺らの官を停(と)め永蟄居(えいちっきょ)など処罰して天皇の周囲から排除した(宝暦8年7月)。一方、式部については、京都所司代松平輝高に連絡して幕府にゆだね、翌59年5月京都町奉行(ぶぎょう)は式部を重追放に処した。式部は京を追われ伊勢(いせ)国(三重県)宇治山田へ退去した。[山田忠雄]

・・この烏丸光胤(からすまるみつたね)は烏丸光栄を養子で継いだ人です。竹内式部の門弟には日野資枝もいますが、烏丸光栄の末子で日野家に養子で入りました。竹内式部を追い詰めるため日野資枝の裏切りがあったそうです。

・・烏丸家の文学と日野家の儒学を統合してあらわれたのが日野資枝。子の日野資矩とともに後桜町天皇に和歌をもって仕えたとのこと。


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