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短詩人/Hyperion
784
:
秋魚
:2017/05/14(日) 18:50:41
(無題)
・・差出の磯の脇から笛吹川に沿って雁坂道を塩山方面へ。そのまま行けば峠を越えて秩父に入る。秩父から山梨に入る幻の道。長いトンネルや有料道路がありサイクリストは滅多に走れない。知人のイギリス人が走ったとは聞いている。幻とは自分にとってのこと。・・隼の交差点という笛吹川を渡ったところで右折南に折れる。すぐに恵林寺がある。武田の菩提寺で信玄公の墓がある。塩山でまずここを訪ねたい。ケイリンジと読んだらエリンジですと言われた。臨済宗妙心寺派の禅寺で、開基は夢窓疎石。はじめは円覚寺派という。・・この妙心寺派というのに拘りたい。甲斐大和の栖雲寺は臨済宗建長寺派だが、開基の業海本浄は幻住派と呼ばれる。同じ臨済でもアンチ夢窓疎石であったという。
・・芭蕉が江戸深川で禅に師事した仏頂和尚は臨済宗妙心寺派であった。
* 妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山の寺院。山号を正法山と称する。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇。開山(初代住職)は関山慧玄(無相大師)。
wikiより
・・創建年は暦応5年(1342)というから、そう古くもない。「平安京の北西部を占める風光明媚な妙心寺の地には、花園上皇の花園御所(離宮萩原殿)があった。花園上皇は、建武2年(1335年)落飾して法皇となり、花園御所(離宮萩原殿)を禅寺に改めることを発願した。・・法皇の禅の上での師は大徳寺開山の宗峰妙超(大燈国師)であった。宗峰は建武4年(1337年)12月没するが、臨終間近の宗峰に花園法皇が「師の亡き後、自分は誰に法を問えばよいか」と尋ねたところ、宗峰は高弟の関山慧玄を推挙した。
・・「南朝の後醍醐天皇は延元4年(1339年、北朝では暦応2年)に崩御するが、北朝の将軍足利尊氏は敵味方の立場を超え、菩提を弔うために、夢窓疎石の勧めに従って天龍寺創建を決定した・・元々大覚寺統の離宮であった嵯峨野の亀山殿を禅院に改め、夢窓を開山として天龍寺を創建」・・「度重なる夢窓の懇請を受け、暦応4年12月23日(1342年1月30日)直義は夢窓に対し、翌年秋に宋船2艘を渡航させ、交易で得られた利益を天龍寺造営にあてるよう提案」
* 天龍寺(てんりゅうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。開基は足利尊氏、夢窓疎石。創建年1345年。
・・妙心寺と最もつながり深いのは大徳寺。
* 大徳寺(だいとくじ)は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある寺で、臨済宗大徳寺派大本山である。山号は龍宝山(りゅうほうざん)。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超で、正中2年(1325年)に正式に創立。
・・妙心寺を開山した関山慧玄、「信濃国高井郡の国人領主高梨氏で高梨高家の子とされる。」建治3年(1277年) - 正平15年/延文5年12月12日(1361年1月19日)・・1307年に鎌倉の建長寺に入り、南浦紹明に師事。慧眼の法名を授かり、南浦寂後も鎌倉にあって物外可什、巨山志源などに参禅。その後帰郷。・・建長寺開山・蘭渓道隆五十年忌出席のため再び建長寺に参じ、ここで宗峰妙超(大燈国師)を紹介され、京都大徳寺に遷って宗峰に師事。やがて1329年に雲門の関字の公案で開悟し、宗峰がこれを証明して関山の号が与えられ、慧玄と改名
信濃国高梨氏は、
高梨氏(たかなしし)は、信濃国北部(高井郡・水内郡)に割拠した武家の氏族。全盛期の本拠地は、現在の長野県中野市。
南浦紹明(大応国師)から宗峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系を「応灯関」という
・・
『汝等請う其の本を務めよ 誤って葉を摘み枝を尋ぬること莫くんばよし』
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