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短詩人/Hyperion
727
:
秋魚
:2016/11/18(金) 23:02:39
(無題)
・・一週間ほど前から急に冷え込みが進んだ。夏暑くて秋よく冷え込むと紅葉が冴える。思いついて紅葉見のポタリングにでた。先日の沢井から御岳古里鳩ノ巣白丸、数馬峡という川合玉堂絶賛の楓峡は以前にも訪ねた。思いついて天気さえよければ何処でも行ける。自転車のよいところは筋肉運動より何より呼吸器系のサイクルが活発になり細胞や脳の神経系もよく働く。家に篭もって妄想の囚になるのを防ぐ。妄想が進むと外界が恐怖に思える。
・・ポタリングは外界が新鮮なのがわかる。柚子は更に色づいて黄金の木があちこち。観光地に近いところは袋2百円で置いてある。平日で昼前に出たから青梅街道の車も比較的少ない。それでもヒマな人はけっこういる。紅葉見のドライブやハイカーによく会う。御岳−川井間というのは長くて道幅もせまい。川に面して走るのはやや危険。後方の車を気にして走る。五月に柳沢峠に走った時は猛烈な騒ぎだった。バイクライダーの群れがいくつも来た。チャリダーは一人勝手だが孤独を楽しめる。
・・今日はほんとは「もえぎの湯」の温泉だけが目当てだった。紅葉などほとんど期待はない。
・・それにしても驚きのアメリカ大統領選挙。トランプ劇場の相を呈して来た。アメリカとメキシコの国境に万里の長城をつくるとか、イスラム教徒の入国を禁止するとか、日本韓国から米兵を撤退させるとか、・・どうなることか。
「険夷胸中に滞らず、何ぞ異ならん浮雲の大空を過ぐるに、夜静かにして海濤三万里、月明錫を飛ばして天風を下る」 王守仁
・・せせらぎの音美術館の紅葉は旬。水香園はこれから。数馬峡橋は絵になるのかカメラマンが狙っている。一日の時間帯で光の具合が千変万化する。絞りがどうのシャッタースピードがどうの囁き声を聞く。・・なるほどね。もうすこし先行ってもえぎの湯をめざした。数馬の切り通しは以前通ったと記憶したがあれは間違い。トンネルのある切り立った崖の上にあるらしい。途中まで登って引き返した先のようだ。ここらあたりはまた別口で歩かねばわからない。・・もえぎの湯は氷川の七曲の下にある。もえぎという色は好きだ。「若草の萌える頃」という昔の映画は題名だけでよかった。俳句だと「木の芽どき」というのがある。ものぐるほしい。・・トンネルの脇から旧道に入ってゆくと古い馬頭観音が祀られてあった。文化十一年(1814)という。この観音像、三面で憤怒の相。ラーフ(羅睺星)に似ていて思わず立ち止まる。あとで調べたら馬頭観音は三面八臂のものが本来のものらしい。(いや、いろいろあるか)
ヒンドゥー教の最高神・ビシュヌが馬の頭に変化して敵を倒したとされる神話があるらしい。
「・・毘紐拏(びしゅぬ)が馬に化身して,悪魔に奪われたヴェーダ(インド最古の聖典)を取り戻したという説話が起源」
・・道後温泉(愛媛県)、有馬温泉(兵庫県)、白浜温泉(和歌山県)の3つ。
三古湯といわれる。
和歌の浦を見晴らす藤代峠だが、有間皇子の墓がある。
有間皇子
・・640年,軽皇子(後の孝徳天皇)が小足媛(おたらしひめ)とともに有馬温泉に滞在中に生まれたので,待望の皇子に「有間」と名付けた。(ほんとかしら?)・・父孝徳天皇がいなくなり,子の有間皇子は次の天皇の候補者として表に出されるようになる。しかし,中大兄皇子の存在は脅威であったろう。日本書紀によると657年9月,18歳の有間皇子は狂人のふりをしたとある。皇子はその治療のため紀伊の牟婁(むろ)の湯にでかけた。
都に戻った有間皇子は斉明天皇に「その場所を見ただけで病気が治る」と牟婁(むろ)の湯のことを報告した。この言葉を聞いた天皇は大変喜んだ。
・・658年10月,斉明天皇は有間の皇子の薦めにより,中大兄皇子らとともに牟婁(むろ)の温湯(和歌山県西牟婁郡白浜町湯崎温泉)に船を使って行幸した。
・・天皇らが飛鳥を離れている11月のある日(3日か),都に残って留守役を勤めていた蘇我馬子の孫の蘇我赤兄(あかえ)は有間皇子の市経(いちふ−奈良県生駒町)の家を訪ねた。
赤兄は有間皇子に天皇の3つの失政を語った。
?天皇が大きな倉庫に人々の財を集めている。
?大がかりな土木工事を行い,長い用水路造りを行っている。(「狂心の渠(たぶれごころのみぞ)」とよばれていた)
?船で石を運んで丘を築き,人々を苦しめている。
これを聞いた有間皇子は赤兄が自分に好意を持っているといたく喜び,「我が生涯で初めて兵を用いるべき時がきた」と言った。
・・
ともかく、有間皇子は藤代峠で(中大兄皇子に)絞殺された。
!・・温泉のことは、古今伝授と同じく他言は凶兆。
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