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短詩人/Hyperion

531秋魚:2015/05/20(水) 21:46:44
(無題)
新編武蔵風土記稿による龍巌寺の縁起

(原宿村)龍岩寺
禅宗臨済派古碧山と號す、多磨郡由井領山田村廣園寺末、本尊釈迦、脇士文殊、普賢を安す、相傳ふ、境内昔は名主半右衛門か屋敷にて鎮守弁天社あり、側に小庵を建て喚室と云僧をして住せしめしか、慶長七年遂に宅を捨て寺とす、依て喚室を開山とすと寺傳にいへり、鐘銘に掾は、御入国以前よりの寺なりと載す、何れか是なるや喚室は元和八年十一月二十四日寂す。
辨天社。地主の神なり。
天満宮。往古は木立像なりしと、今木札に神號を記し、裏に来由を載す、其略に源義家此所にて出陣の連句を催し、社前に納む、依て句寄の天神と號すと。稲荷を合祀せり。
日吉山王社。是も神號を記せし木札の裏に、往古は當村千駄谷村境榎樹の下に勧請ありしを、寛永中当寺第三世明叟の時ここに移すと云。
圓座松。砌下にあり、囲み四尺許、根上一尺許を隔て四方へ蟠延す、大さ東西七間餘、南北六間半、其状圓坐を敷たる如くなれは此名あり、初栽せしより凡九十年に及ふと云ふ、
鐘楼。元禄十一年鋳造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より


>・・春もやゝけしき調ふ月と梅

元禄6年(1693年)春の句。出典は『続猿蓑』(沾圃編)。

上部が欠落している。

 龍巖寺の周辺に近衛歩兵第四聯隊の兵舎があったので、龍巖寺は戦災に遭ったそうだ。

寛政5年(1793年)正月、建立。脇田赤峰(1751年〜1834年)書。

『諸国翁墳記』に「翁 塚 江戸青山原宿龍巖寺ニアリ 二世冬英・五陵建」とある。



青山原宿竜巖寺 境内ニ在

[梅月]墳

春もやゝけしき調ふ月と梅

寛政五癸丑年正月建之 兌堂冬英 旬樹五陵

此寺を俗に松の寺と云


『広茗荷集』


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