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短詩人/Hyperion

687秋魚:2016/07/10(日) 23:30:08
(無題)
・・多摩川を昔は玉川と表記した。江戸の頃の話ですが。『玉川泝源日記』(山田早苗)天保十三年刊(1842)という幻の本がいま手元にある。なぜ幻かというに、多摩川の源流を求めた記録のもっとも古くかつ実際の日の目をみたのは昭和45年という長く幻の古書とされてきた。先日奥多摩湖から丹波山村へ丹波川沿いにその奥を廻って柳沢峠にでた。その丹波川渓谷の三重川原というのが水源という。三つの流れが一つに交わるところという。・・しばし待てよ。この本はすごい。

・・「武蔵野は山なし」といふ歌六首

武蔵野は月の入るべき嶺もなし尾花の末にかかる白雲  大納言通方(続古今)
いとど猶かすめば遠し山の端はさらでも見えぬ武蔵野の原  源知行(新千載)
武蔵野やしばしやすらへ時鳥おのが入るべき山の端もなし  藤原教実(夫木)
東路の足柄こえて武蔵野の山もへだてぬ月をみるかな   藤原時朝(同)
武蔵野は山の端しらぬ習ひにも富士の高ねは猶ぞ見えける  最信法師(同)
小男鹿の夜半の草臥しあけぬれば帰る山なき武蔵野の原  (定家家隆撰歌合に)

「山も見ゆる」と詠めるを一首
武蔵野もさすが果てある日数にや富士の嶺ならぬ山も見ゆらん  宗久法師(新後拾遺)


・・武蔵野も多摩川を遡れば山の中に入る。加舎白雄は、甲州街道で多摩川にでるあたり、谷保天満宮に寄った形跡がある。

武野天満宮奉納(谷保天満)
むさし野に松梅多きところ哉
宿の梅といはるゝ宿よ松もよき
梅が香や鮒ひつかけし釣の糸
梅をりに舟よぶ多摩の渡かな
梅折に船よぶ多摩のわたり哉


・・石田の渡しで府中から日野にわたる。幕末の頃は、土方歳三の生家があった。


夕風や野川を蝶の越しより
あるが中に野川流るる女郎花
ふたまたになりて霞める野川かな

・・この野川は、国分寺、三鷹、調府を流れる湧水の川か。多摩川にそそぐ。


武蔵野や一寸ほどな鹿の声

・・芭蕉の武蔵野は、あまり歩いていなかったようだ。深川の庵あたりも武蔵野ととらえていたようだから、歩いてはいるが、広きにわたる散策はやっていない。鹿の声をほの聞く武蔵野は想像上のものであってかまわない。延宝3年、芭蕉32歳の時の作。

・・「西行物語」武蔵野の段を思い描いていたか。

「・・さしていづくをこころざすともなければ、月の光に誘はれて、はる/\とむさしの國に分け入るほどに、をばなが露に宿る月、すゑ越す風に玉散りて、こはぎがもとの蟲のねいと心細く、武蔵野の草のゆかりをたづねけむもなつかしく、宿をば月に忘れて、あすの道行きなむと口誦みて行くほどに、道より五六町ばかりさしいりて、きやうをどくじゆする聲しければ、人里はこの末にはるかに隔たりけるとこそ聞きしに、・・」


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