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短詩人/Hyperion

566秋魚:2015/07/08(水) 16:20:47
(無題)
・・台風め。このところ気になったのは台風のトリオと天気の行方。天気予報は一日たつと大きく変わる。7日の日に高崎までの自転車乗りをプランしていた。30%の降水確率が翌日は50%の雨だという。きょう一日しのげればという思いで家をでた。台風の梅雨前線押し上げ具合で天気がころころ変わる。しばらく遠乗りもしてないで気分的にも限界だった。青梅坂から小曽木街道、岩井堂、飯能駅前、ずっといって宮沢湖の温泉あたりまで、一時間とすこし。この先八高線に沿って小川まではいつか来た。二度目の道は楽に思える。楽にかまえた時いつも事故にあうので気をつけねば。高麗川まではいつでも来れる気がした。どういうわけか雨がぽつぽつ。寄り道無しで高崎に向う手もあったが、毛呂に来て街道を外れ川角八幡神社を訪ねることにした。意外と外れにあり、人に尋ねてやっと着くと、芭蕉の句碑があった。

道傍のむくけは馬に喰はれけり

文政12年(1829年)3月、三世春秋庵連中建立。

「三世春秋庵」は川村碩布。(先輩の資料から)

・・実は、ほとんど読めませんでした。神さびていました。

・・もとの街道にもどり越生、都幾川に向う。以前ここらで長く感じられたのは、ここでアップの坂がひとつ。さほどのアップではない。はじめて来ると心細くはあるし出会うものすべて障害のリスクあり。道そのものが障害ともなる。道は絶対どこかに通じていると、放浪の天才から聞いたことがある。そういう道への信頼は、後になって瞑想すればよいことかも。いまは尋ねて進むだけ。

・・道を尋ねた時、にこやかな人が多いが、不機嫌そうな人もいる。

・・八高線沿いの道。左手に小さな山がいくつも見える。その山に雲か霞か煙っているのは、雨が近い。薄曇りで微雨なのは、前線のこちら側。どしゃ降りになるのは向こう側。都幾川は慈光寺への道を確認した。小川までは列車も緑陰列車になる。・・で、小川からが未知の道。隣の寄居まで一本道だったと思う。実は、この先藤岡あたりまでよく覚えていない。寄居までは、なんとか入った。地図では簡単にみえたが、寄居から藤岡まで意外と長い距離。利根川を越えたのはどこでだろう。人に聞いたら川越へいきますよ。などいう。神流川という川もこえた。ともかく何がなんだかわからない。この街道が藤岡に通じてますよ。というのが便りだった。寄居の道が長かった。・・微雨でぽつぽつ来るのでひたすら高崎をめざした。藤岡から高崎へも、もっとわからない。ここでは何度も人に尋ねた。17号という道をまっすぐいきなさい。これが最終的な支えになった。・・藤岡あたりで、右足の膝関節が痛み出した。高崎に着いたらいろいろお寺めぐり神社めぐりを考えていた。高崎へ無事たどり着くのが先決になった。七時頃出て、正午ころに到着予定していたのも、大きくくずれ、高崎駅前に着いたのは2時くらいだったと思う。・・ここで交番に寄り、観光案内所を尋ねた。駅の二階にありますよ。ただし自転車の駐輪ができない。大きな駅です。交番で情報をいただくことにした。清水寺はどこでしょう。山の方で遠いですよ。5、6キロはある。足が痛むが清水寺くらいはまわりたい。ここの近くに観音寺温泉というのがあってぜひここに寄りたかった。実は、お寺より温泉を欲した。駅の西口にでてまっすぐ行くと烏川という立派な川がある。聖石橋を渡ってさらに行くと清水寺の参道。遠いというほどではない。これまで来た道を思えば。・・が、来てみて唖然。長いながい石段がある。

・・足が痛くなっているのに、この石段はでも登らざるを得ない。今回の最高目標だから。というより、芭蕉の句碑を探していた。・・最初の石段のすぐ脇にありました。

 観音の甍ミやりつはなの雲

これは、巻菱湖という新潟の書家が揮毫したという。

巻菱湖 安永6年(1777年) - 天保14年4月7日(1843年)

「明治政府及び宮内庁の官用文字・欽定文字は御家流から菱湖流に改められ、菱湖の門下生は1万人を超えたと伝えられている。」

・・石段は518段あるそうだ。三河の鳳来寺は1425段。上には上があるにしても、登るとなると、ぞくぞく。それにしてもここまでが長かった上、足が痛む。引きずるように一段一段、こういうのは頑張るというのではない。登りきる先が明るみをもって見えている。・・うむ、いい石段。

・・清水の舞台のようなものもありました。

・・坂上田村麻呂が立ち寄ったのですね。それを確認して下山することにしました。足痛で下りがまた大変。気分的には大変楽ですが。これから上ってくる人に、まだ石段つづきますか?まだまだこれからです。ご婦人たちで紫陽花を見に来たらしい。・・やっと下まで降りると、今度は自分と似た若者が自転車ですっと到着。その場に駐輪。靴紐をしめなおし、シャツも外して上半身裸でまさに石段をのぼりゆく構え。・・いい石段。

・・近くの観音山温泉を探しました。地図ではこの清水寺のさらに上の山の中にあるようです。右手にまわると色とりどりの休憩ホテルがいくつもあって若者のデートコースかもと。そのさらに上に坂をのぼると、観音山温泉錦山荘がありました。ここは旅館ですが温泉は日帰りができます。もう長距離を走って長い石段をのぼりくたくたでした。・・自分の見立てねらいに狂いはなく、静かな場所でとてもよい温泉なのはすぐにわかった。温泉では、微雨の中きょうの一日の出会いのことがパノラマの映像のように想起できます。

・・高崎に着いたらいろいろお寺めぐり神社めぐりを思案していた。が、こちらの見立ては甘い。清水寺と温泉できょうはもういいという感じになった。温泉の展望はまことによい。湯は鉱泉だがわるくない。・・フロントの若者がいろいろ面倒見がよく、先のプランにすべて情報をあたえてくれた。・・まず休憩して食事もとれるらしい。宿泊もよいということだが、あいにく駅前の手頃ホテルに予約済み。次の機会にいたします。ほんとはもういい年だから大枚はたいて老舗旅館に泊るべきだろう。ふうてんの自転車旅行です。頭が下がる。・・食事してあと一つ神社を訪ねたい。定家神社はどこでしょう?近くはないです。ネットで調べてくれて地図までいただけた。烏川というりっぱな川の縁にあるようです。・・吉井の多胡碑のことも尋ねた。ここは若者も知っていてそんな遠くはないという。明日晴れるならぜひ行ってみたい。天気予報も調べてくれて明日は50%だという。・・無理かな。

・・ほんとによい温泉旅館だ。一日の労苦が報われたよう。さて充分休んで定家神社に向った。下佐野町にあるという。ここは不思議な神社です。・・というより、不思議な場所です。


 * 烏川は、群馬・長野県境の鼻曲山に源を発し、流域面積1,393.7km2、幹線流路延長61.8km、平均河床勾配は1/39で、利根川上流の支川の中では最大の流域面積を有します。


 上毛野佐野の舟橋取り放し親はさくれど吾はさかるがへ[万葉3439]

・・佐野は古来舟橋で知られていた。

 苦しくも降りくる雨か三輪の崎佐野の渡りに家もあらなくに[万葉267、新勅撰500]
 駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮[新古今671・定家]

・・この佐野の渡りとは別物のようだ。

 恋ひわたる佐野の舟橋影絶えて人やりならぬ音をのみぞなく[拾遺愚草79]
 ことづてよ佐野の舟橋はるかなるよその思ひにこがれわたると[拾遺愚草1273]

 東路の佐野の舟橋かけてのみ思ひわたるを知る人のなさ[後撰619等]
 東路の佐野の舟橋はじめより思ふ心ありいとひすな君[古今六帖2557]

いかがせん佐野の舟橋さのみやはふみだに見じと人のいふべき[永久百首・忠房]

 東路の佐野の舟橋くちぬとも妹しさだめばかよはざらめや[堀河百首・顕季]

 今更に恋路にまよふ身を持ちてなに渡りけん佐野の舟橋[堀河百首・師頼]
 さらぬだに道ふみまどふくもる夜にいかで渡らん佐野の舟橋[田多民治集155]


夕霧に佐野の舟橋音すなり手なれの駒の帰りくるかも[詞花328俊雅母]
五月雨に佐野の舟橋浮きぬればのりてぞ人はさし渡るらん[山家集223]
風吹けば佐野の舟橋波越すと見ゆるは葦の穂末なりけり[林葉集618]

恋ひわたる佐野の舟橋影絶えて人やりならぬ音をのみぞなく[拾遺愚草79]
東路の佐野の舟橋白波の上にぞかよふ花の散るころ[秋篠月清集966]
東路の佐野の舟橋明日よりや暮れぬる春を恋ひわたるべき[後鳥羽院御集220]
よばふべき人もあらばや五月雨に浮きて流るる佐野の舟橋[千五百番歌合・越前]

かけてだに契りし仲はほど遠し思ひを絶えね佐野の舟橋[順徳院]
人知れぬ心をいそのかみつけやかけてもふりぬ佐野の舟橋[行意]
ことづてよ佐野の舟橋はるかなるよその思ひにこがれわたると[定家]
東路の佐野の舟橋霧こめてよそにのみやは思ひわたらん[家衡]
尋ねても渡らぬ仲の月日さへかげ絶えはつる佐野の舟橋[俊成卿女]
東路にかけては過ぎし中河の瀬絶えもつらし佐野の舟橋[兵衛内侍]
思ふ人波の遠方尋ぬべき佐野の舟橋えやはうごかん[家隆]
もらさばや波のよそにも三輪が崎佐野の舟橋かけじと思へど[忠定]
なかなかにかくる心も苦しきに絶えなば絶えね佐野の舟橋[知家]
かけて猶いく世か恋ひんよそにのみ聞きこそわたれ佐野の舟橋[範宗]
絶えねただうきにつれなき身なりともさのみは待たじ佐野の舟橋[行能]
東路や佐野の舟橋いたづらに渡りしころも袖やぬれなん[康光]


・・帰宅してからの「佐野の舟橋」調べです。驚きですね。舟橋というのは、いくつも舟をつなげて橋のようにつくる。それを渡るのだそうです。不安定な橋で恋路にたとえられるとか。

定家神社は、この佐野にあります。わたしが訪れた時は、紅いきらびやかな本堂があって、たぶん近い時代に建て直したものでしょう。古い由緒のわりには余り管理が行き届いていない様な。・・芭蕉の句碑もただ晒されて置かれているごときで、文字も読めません。

 松杉を誉てや風のかほる音  (先輩の資料から)


 左努山に打つや斧音の遠かども寝もとか子ろが面に見えつる

                 『万葉集』(巻十四)東歌

・・そういえば、万葉の歌碑もありました。


駅前までもどろうと思い、そういえば佐野橋というのが気になって土地の人に尋ねました。坂を下ってすぐあるというのです。古風な木橋があって、このあたりが佐野の舟橋かとも、特になにも案内書きはありません。佐野の渡りの雰囲気もあり、写真を一枚とりました。

   *

・・天気があいかわらずよくありません。足も痛いしきょうはもうホテルにチェックインです。足が痛くなった原因、すこしわかります。垂れ込めて運動不足というのもありますが、自転車のサドルの位置がよくないようです。膝に負担がかからないようすこし高目に修正しました。・・駅前のホテルは良心的ですね。安価なうえに朝食もフリーでした。

・・予定していた寺社まわり句碑まわり半分以上カットして、明日は、輪行の帰路一本にしぼりました。午後から雨になりそうです。・・都幾川の温泉に寄って休んでいくことも考えましたが、午前中の晴れ間のうちに帰路をすすめるのが、賢明と判断。自転車の解体−組立ても前回の都留のときより実行していません。この輪行を首尾よくやるのも目標でした。自転車のトラブルが一番気をつかいます。

・・高崎の駅はずっと昔寄った時と比べ格段に大きな規模になってます。新幹線も来ますから。自転車の解体袋詰めはやりにくい。夜下見してやれないこともありませんが、八高線のひとつ先倉賀野の駅までいってそこでやることにしました。・・この考えは正解。こちらの駅は人もすくなく遠慮なく解体作業できます。ただし、フレームにホイールのくくりつけ方忘れてしまって、その場まかせのいい加減になりました。ともかく袋には収まったようです。

・・高麗川まで、二両のディーゼルの列車だそうです。ローカル列車なら輪行はあまり問題ないようです。首都圏を通過するのはむずかしそう。


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