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短詩人/Hyperion
901
:
秋魚
:2018/09/10(月) 12:26:46
(無題)
「渋沢平九郎没後150周年 記念講演と説教節公演」
・・越生まで自転車で出かけた。天気もちょうどよく関東は晴れる。先日小曽木街道の外れで栗を拾った場所に寄ってみた。またパラパラと落ちている。すこし拾った。
飯能の二つの駅までは完璧に出られる。ここから宮沢湖の入口までも楽な道だ。さらに一本道で高麗川、毛呂山、越生と行けるはずだが、越生の中心街にでるには一本左に道をとる必要がある。この左折点を間違えたため修正が一回入った。埼玉医大病院の先で左折するのが正解。道を憶えれば次回は楽なコースになるだろう。二時間とすこしで駅前に着く。・・人と待ち合わせがあるが、観光案内所に寄って津久根の薬師堂の行き方を尋ねた。しかしながら案内人は未知であり地図でさがしはじめる。こちらの地図と照合してどうやらこの辺りらしい。ほかに公民館の場所も尋ねて、ありがとう。薬師堂に向った。
最初に尋ねた人は、薬師堂はわからぬが津久根の地域の行き方を教えた。薬師瑠璃光如来堂というのが正式な名らしい。近くまでいってさらに尋ねると、もうすぐほんの一歩き。知ってる人はよく微笑んで教えてくれる。地元の人でも知らなかったりあまり訪ねる人もいないのか、参道はひっそりしかしよく整った坂道だ。山門のところまで自転車で行ける。
明治初年から十年余り伊那の行脚俳人不爭庵木甫がここに寓居した。当時のままではないだろうけど人が住むような庵室もある。なにか感動を覚える。
あらたふと青葉若葉の日の光り 芭蕉の句碑があって揮毫は三森幹雄。建立発起は新井角丈、仲むつ美。明治十三年。
この薬師堂、水鶏楼と呼び、木甫は明治十二年九月一日までここに寓居。明治十四年に仲むつ美追福句集『行く秋集』が出る。木甫は伊那から句を寄せたという。
・・体が分解しそうなほど自転車に乗った。今は家で倉木麻衣のアルバムonelifeを聴いている。この人はやはりすごいな。感性の最も充溢したメッセージに無駄がない。ライブのyoutubeなども聴いたが、平常の声は意外と太い。力強いseasonofloveの後で声が出なくなったという人もいるが、違う。歌を唄うに声を張り上げる必要はない。感情の真実が優先されるから時として声や歌そのものも壊れてしまってもよい。ライブは一回性の勝負。全力で唄うドラマツルギーは他者の共感を呼ぶ。自作の詩が俗語だけでもとてもうまいのは、ジェラシーを感じるほど。
幕末の志士渋沢平九郎の自刃にいたる講演でも、まさに倉木のonelifeが響いて来る。
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