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短詩人/Hyperion
587
:
秋魚
:2015/09/09(水) 00:01:09
(無題)
・・まさに恵みの台風か。雨より風の台風は昔から好きだった。風でちぎれた松ぼっくりの匂いとか遠い海の香りとともに風に乗って飛びたくなるのは幼少の気質だった。空の奥でごうごうと鳴る風の音には武者ぶるいがしたものだ。
・・日曜あたりから今度は晴れてきそう。諏訪から伊那谷へを検索してみた。諏訪湖西南の端岡谷から天竜川が開いて流れる。これに沿った県道は伊那街道か。これがよさそう。・・茅野のあたりから守屋山の脇道で杖突峠にあがるのもたいへん興趣をそそる。桜の頃高遠に入るならここをチャレンジしてみたい。高遠の桜半端でなさそう。・・今回は安全ルートで行く。・・それより甲府から諏訪までがどきどきわくわく心配だ。韮崎から小渕沢まで七里岩ラインは必ず、その先富士見峠までは17号で行く。地図ではここから20号に入ったほうが道はわかりやすくはないか。17号そのまま高原の道を茅野の外れまで行くラインもあるが。・・伊那、駒ヶ根には訪ねたい料理屋がある。うまく行けるだろうか。
桃桜の春の景ばかり思い描いている。京伏見の桃の花見はいいものらしいが、青梅の里も昔は梅というより桃の花里であったらしい。昔というのは江戸後期、明治の頃です。
明治の小説家田山花袋が奥多摩紀行を残している。
・・
玉茗も同じ心配をしたらしく、
「君、多摩川の山水は本当にいいんだろうね。昨日からのあれほどの苦労、あれほどの難儀をしていよいよ出会ってみれば、なんだこんな程度の山水か、ということにはならないだろうね」
と念を押してくる。
「決してそんなことはないさ」
??と強張って答えたが、花袋の胸にも一抹の不安があった。
旅篭を出て街道を山懐に向かい、日向和田(ひなたわだ)の小村落を過ぎると、山水の景は少しずつ引き締まってきた。
二俣尾(ふたまたお)の村に至って、ついにその場に立ち尽くすほどの好景に出会った。
「全村皆桃花(とうか)なり。全村紅(くれない)なり」
というわけで、桃の花に埋もれそうな村落が目の前に開けた。
??桃源郷かと思えるような村里を抜けて、再び流れに添って進めば、御嶽山が視界に入ってくる。渓流に点在する岩塊も、奇巌・怪石の状をなしてきた。
川井の村を過ぎると、山愈(いよいよ)深く水愈(いよいよ)清麗となって心を打たれ、つい時折立ちどまる。
先を歩んでいた玉茗が「これはすばらしい風景だ」と叫んだ。
彼らは現在の奥多摩渓谷にあって、一、二を争う景勝の地、鳩ノ巣渓谷を眼下にした。
(これは大藪宏さんの文です)
「全村皆桃花(とうか)なり。全村紅(くれない)なり」
・・先日の栗を拾った石神温泉のあたりが二俣尾。全村皆桃花というほどではありませんが、春には桃の花が咲いてます。
・・田山花袋が青梅奥多摩を散策しようと思いついたのには、実は、江戸末期の儒者林鶴梁という先人の奥多摩紀行『豈止快録(きしかいろく)』に触発されていました。
「・・御嶽から小丹波(こたば)、棚沢、白丸と歩みを進め、数馬の石門(切り通し)に着くと、
「山は険に、樹木は老に。群巌怒るがごとくして人を脅かし、石渓は激怒して轟音を発し、鬼界を往くがごとし」
という風景に接し、鶴梁は感嘆の声をあげた。
ここから奥の峡谷は、渓山が種々に変化して奇絶なことは限りがない。同行者三人はただ顔を見合わせて「美景なり」を繰り返すばかりであった。」
(これも大藪宏さんの文です)
おもしろいですね。川合玉堂も白丸、数馬の切通しは絶景の讃あり。
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