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短詩人/Hyperion
558
:
秋魚
:2015/06/25(木) 00:55:16
(無題)
・・自転車のタイヤ交換して試し乗り。パナレーサーはタイヤの凹凸紋が二倍はある。その分接地面が半減するか。軽快になる。前輪で急カーブするとすこし滑りかげんになった。前輪は軽快に後輪はやや重くその他はほぼ問題なし。大丈夫これで当分いける。
・・武蔵村山の郷土館で江戸期の俳人を特集展示している。「幻住庵記」の版木の展示もある。先日いった狭山瑞穂の先のほうだが、よい距離だ。今度は霞川をとことん辿ることにした。躑躅の咲く頃に藤橋の薬王寺に訪ねるのは最高のサイクリング。参道下の無人店で買った野菜は美味だった。霞川は入間にはいると一度沿った道がなくなる。さらにいくとまた現れる。ここで道をたずねる。霞川はけっきょく入間川に合流するのだという。青梅の黒沢川が成木川に入りその成木川も入間川へと合流する。・・霞川を追って入間川に行くと武蔵村山は外れてしまう。・・青梅街道をひたすら立川方面に進むのが正解だった。それでやはり茶畑のあるあたりから16号にでて右折、青梅街道にぶつかるまで走ることになった。このあたり瑞穂箱根ヶ崎という。・・あれれ伊奈街道というのがある。バスがたくさん集まっている。高速バス立川ー飯田線というのがあるらしい。ひどく安価だが。よりによって自分の道で遭遇するとは、自転車の輪行も考え中だった。案内所のお姉さんからパンフをいただいた。・・きょうは武蔵村山の郷土館まで、さらに遠いという。このあたり立川の方から以前来たことがある。残堀川という水があるか無きかの川に沿ってきた。もうひとつ空掘川というのがあってこちらは水源がどこかもわからない。ほとんど水が無かったりする。青梅街道も新旧ふたつに分かれ、新青梅街道なら道幅もひろく快適で帰路はこちらで走った。新しい未知の場所を訪ねるのは、時間が二倍かかる。かたくりの湯という温泉があって昔来たことがある。そのすこし先に郷土館があった。
・・「企画展村山の俳諧」というのが正式な名称。ネットで知ったのだが28日までという。なんでも幻住庵記の版木の展示というのは目玉だった。ここは無料だった。あまり人は訪ねていない。まったく自分のための展示のよう。案内嬢に写真をとっていいか尋ねると、ノーということだった。許可をとらずに撮るべきだったか。それでもパンフはないか尋ねたら、資料館だよりという立派なものがある。「幻住庵記」版木の解説評論が載っている。購入しようとしたら無料だという。すばらしいパンフです。それにしても先日の入間の博物館もおおいに見習うべきか。・・版木というのは原文を鏡文字にして木版彫刻で彫る。そうして墨をぬって刷るのですね。こういう印刷術の仕組みもよくわかった。それより驚きなのは、これは芭蕉百五十年忌の時つくられたものらしい。いや春秋庵宗匠の梅傘という人が百五十年忌に粟津の義仲寺でわけていただいたものを万延元年(1860)再版して作り直したものという。この百五十年忌は1843年だが、一年まちがえている。万延元年(1860)再版というのも意味深ではある。・・春秋庵というのは加舎白雄という天明の魅惑俳人を引き継ぐものだ。梅傘は青梅の人ともいい、未調査だが、おどろきが続く。
人恋し灯ともしころをさくらちる
加舎白雄
・・多磨界隈、白雄がよく歩いている。
@備忘
・・武蔵村山 伊奈海道
* 伊奈平 ・・武蔵村山市南部に位置する。北で残堀・三ツ藤、東で榎、南で立川市一番町、南西で立川市西砂町、西で横田基地内の大字三ツ木と隣接している。
* 地名の由来[編集]伊奈平地区を通過していた、現在のあきる野市域にかつて存在した伊奈宿へ至る「伊奈海道」に由来する。
近くに、 阿豆佐味天神社。 ・・五日市街道(伊奈道)の立川砂川にも存在する。
* 五日市街道
五日市街道は、杉並区梅里で青梅街道から分かれ、あきるの市(五日市)に向かう街道です。江戸時代の初期には「伊奈道」と呼ばれ、その後「青梅街道脇道」「五日市道」「江戸道」「砂川道」とも呼ばれ、秋川から江戸に炭や農産物を運ぶためなどに利用されていました。
* 阿豆佐味天神社の創建年代等は不詳ながら、上総介高望王が再建が寛平年間(889-898)に再建したと伝えられ、延喜式神名帳に記載される多磨郡八座のうちの一社だといいます。江戸時代には社領12石の御朱印状を拝領、明治6年には郷社に列格していました。
西多摩郡瑞穂町殿ケ谷1008 北緯35度46分0秒,東経139度21分53秒 【祭神】少彦名命 素戔嗚命 大己貴命 『神名帳考証』豊宇気姫命
・・この北緯35度46分0秒が利いている。
* 遠山弘湖の句碑
玉垣の 外面はうめの はやしかな
遠山弘湖(こうこ)[1818〜81]は安政年間に梅笠
から春秋庵を引き継いだ俳人である。江戸出身で、
最初落語家を目指し、最後は碩布の高弟久米逸淵
に学んで俳人になった。師匠の居住した本庄や
毛呂郷にも足跡を残し、熊井村(今の鳩山町熊井)
で没した。
売りものや炭俵にも化粧なは 「家づと集」
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