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短詩人/Hyperion

673秋魚:2016/06/03(金) 17:46:23
(無題)
・・青梅街道奥多摩路で、いつも気になっていた将門神社を訪ねた。何度か通りかかったがついぞ訪ね当てたことはない。将門というバス停があってもいつも無人だった。ほぼ人家の無い道から街道沿いの山道を登ってゆくのをネットで確認していた。・・奥多摩までの道、もう何度か走っているが、いつも大変に緊張する。御岳まではよいにしても御岳から川井が異常に長く道幅もせまい。さらにダンプや暴走族まがいのライダーもよくくる。今日は平日だったのでまだよかった。先日の連休の時はすごかった。死にたくないので体ごと緊張する。自堕落になったらここのポタリングは最高だ。潜在している病を無化するのもこの道にある。甲府から身延までの富士川沿いの国道も似ているが、この奥多摩路の方がまだ雅趣がおおい。ダンプも煽りが無い。

・・鳩ノ巣の手前歩けば7分。ともかく参道の登り口をみつけたい。・・あった、あった。何やら標示がある。自転車の留められそうな空地もあって、ほんとに細い参道。ほぼ無人。

>・・鳩ノ巣駅の東方500mに「将門神社」があります。秩父地方では、秩父で生き残った将門一族が奥多摩側へ移住し子孫が繁栄したとの言い伝えがあります。将門神社は、将門の子の将軍太郎良門が亡父の遺影を刻んで奉納して将門宮(将門大明神)と呼び、やはりその子孫で当村の領主三田忠平が鎮守としてから栄え、かつては秩父地方からの参詣者でにぎわったといわれています。神社の境内には御幸姫観音像も建てられており、いまでも奥多摩町の民家では将門の愛姫・御幸姫のお札を戸口に貼っているのを見かけます。

・・ポタリングといっても、自分などより深い興味で調べもすすんでいる人は多い。無断借用で申し訳ない。みゆき姫という将門の愛妃もここに流れて来たかもしれぬ。・・御幸姫というのは、妻か娘かわからない。もともとすべて伝説上の話なのでどこまで何が真実か。ただし将門一族が秩父から奥多摩に流れたか、はじめから奥多摩に流れたかありえそうなことだ。戦国期の青梅の三田氏は将門の後裔を自認する。金剛寺の将門の梅の話も、将門一族が生きながらえねば、よい話にはならない。あるいは将門の後裔がつくった話なのかもしれない。

・・まったく隠れ里の神社と思える。山の斜面の下は多摩川の渓谷が深い。人家はぱらぱらあってもアルジェならカスバさながら。山の地理さえわかればどんな追及もとどかない。・・本殿に近づくとにわかに人声が聞こえた。三四人の参拝客が山道を降りてくる。平日でこういうところに足を運ぶのはもう隠居の老人が多い。無人と思ったが訪ねる人に出会ってすこしほっとする。話してみると、彼らも老いを自覚しての山歩き神社詣でのようだ。強い意志があるわけではない。・・将門の後裔なら時折ここを訪れているだろう。派手な彩色の狛犬があったが、こういうものは古くは無い。信仰が新しいのはわかる。

・・将門伝説を追っていたら、羽黒山の五重塔は将門の創建とある。信じがたいがまことしやかな由緒書もある。おそらく修験道の信仰でそういう言い伝えが創作されたものだろう。奥多摩にある鍾乳洞が地下でつながってこの羽黒山まで来ているという。この地下道を将門の霊がいったりきたりするという。ほんとかしら。・・羽黒山で思い出したが、ここの石段は2446段あるという。身延山でお会いした夫婦はここと鳳来寺1425段もすべて登ったと言う。話していても覇気するどいご夫婦だった。

・・将門神社の参道は、ほんとにおくゆかしい。みゆき姫らんの道という。そういうランの草があるのか、識別できなかった。丸い小さな葉の低木が参道沿いによく見えたけど、あれは何の木なのか。これもわからなかった。


将門神社  N35度48分51秒 E139度08分00秒

もえぎの湯 N35度48分16秒 E139度06分09秒

・・ほぼ古今伝授ライン

下呂温泉もこのライン


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